フットサルと私

私がフットサルにおいて最高のきらめきを見せたのは、ミズノフットサルプラザ藤沢[1]にて、98年大晦日に行われた第一回ファイナルファイヤーカップである。私は当時高校2年生、サッカー部に所属し、毎日のように走り、ボールを蹴っていた。私たちのサッカー部の目標は"勝つこと"であった。勝つことに最大の喜びを感じる。その練習、トレーニングのメニューは非常に厳しいもので、走りのメニューを挙げると、近くにある伊勢山[2]という山の階段をかけあがる伊勢山ダッシュ、サッカーのグラウンド縦105mを何十本と全力で走る105mダッシュ、海まで走る海ランなど。また、コーラを飲んではいけないという規則に見られるように体育会にありがちな硬派的思考を若干我々は持っていた。なので、どちらかと言うとその時期に流行りだしたフットサルなど、「所詮女子供のお遊びだ」というのは大げさだが同じ同世代でサッカーを続けることを諦めた人たちがやることだ、というちょっとした軽蔑があったのは確かである。そんな私が当時ファイナルファイヤーカップに出場したのはクラスで親しかった友人に声をかけられたからだ。フットサル同好会として出場するので一緒に出ないかということだ。私は、年末なので練習も休みなのでむしろ軽くうきうきしながらその誘いを受けた。なぜならいつものプレッシャーのかかる練習以外の場所でサッカーができるといううれしさを感じていたからだ。それは、普段から厳しい練習をしている自分が練習をあまりしていないフットサルプレーヤーを相手にサッカーができるからという優越感があったのかもしれない。

大晦日も夜が暮れさらに年を越した頃、携帯電話が壊れるほどの寒さの中、私たちフットサル同好会チームの最終試合が終わった。階級が低いクラスではあるものの、寄せ集め的だった私たちのチームは3位という好成績を収めた。サッカーでもDFだった私は反則ギリギリのプレー(当時は今より反則の判定が甘かった)で相手の攻撃を防いだ。うまくいったプレーというのは後から振り返ってみると往々にして「よくあんなことができたなぁ」と感心してしまうが、あのときの私のプレーを今振り返るとそうなるべくしてそうなったのだとというプレーであった。つまり私の"意地"が自陣のゴールを守り、ボールを見方につなげたのだ。意地とは、負けたくない(とりわけ1対1の局面で)、という強い意志だったと私は振り返る。当時、サッカー部に所属するも満足に試合に出られない私は、それでもサッカーを続けている証をその意地という形で示したのだ。

大晦日も夜が暮れさらに年を越した頃、携帯電話が壊れるほどの寒さの中、私たちフットサル同好会チームの最終試合が終わった。階級が低いクラスではあるものの、寄せ集め的だった私たちのチームは3位という好成績を収めた。サッカーでもDFだった私は反則ギリギリのプレー(当時は今より反則の判定が甘かった)で相手の攻撃を防いだ。うまくいったプレーというのは後から振り返ってみると往々にして「よくあんなことができたなぁ」と感心してしまうが、あのときの私のプレーを今振り返るとそうなるべくしてそうなったのだとというプレーであった。つまり私の"意地"が自陣のゴールを守り、ボールを見方につなげたのだ。意地とは、負けたくない(とりわけ1対1の局面で)、という強い意志だったと私は振り返る。当時、サッカー部に所属するも満足に試合に出られない私は、それでもサッカーを続けている証をその意地という形で示したのだ。

参考文献
[1] ミズノフットサルプラザ藤沢 http://www.mfpnet.com/fjs_f.html
[2] 伊勢山公園 http://www.fsinet.or.jp/~sakusak2/kikou/2003/1508.htm
[3] ミズノフットサルプラザ藤沢大会結果 http://www.mfpnet.com/fjs_kka.html