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      <title>mark-wada blog</title>
      <link>http://kamawada.com/~masanori/blog/</link>
      <description>シネマと書店とスタジアム、それとオヤジのひとりごと</description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2012</copyright>
      <lastBuildDate>Fri, 18 May 2012 11:36:04 +0900</lastBuildDate>
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         <title>ツリー・オブ・ライフ</title>
         <description><![CDATA[<p>伝説の監督と呼ばれるテレンス・マリックがブラッド・ピットとショーン・ペンという２大男優を起用した作品である。ぼくは彼の作品は初めてであったが、“伝説”の意味がわかった。感覚の共有ができる人たちには熱狂的に受け入れられそうだということである。残念ながら「ツリー・オブ・ライフ」は観念的過ぎてぼくには合わなかった。</p>

<p>カンヌ国際映画祭の最優秀賞のパルムドールをもらった作品だから、ヨーロッパ受けがいいのだろうが、あまりにも観念的で、感覚的で難しい。映画はジャック・オブライエン（ショーン・ペン）というある実業家が、自分の少年時代を回想するところから始まる。そして、1950年代のテキサスの彼の家族が映しだされる。</p>

<p>オブライエン夫妻は3人の息子にも恵まれ、テキサスの小さな町で満ち足りた生活を送っていた。父親は（ブラッド・ピット）は社会的な成功もおさめ、西部の男らしく厳格で子どもにも強くあれと接する。一方の母親（ジェシカ・チャステイン）は慈愛に満ちた優しい女であった。こうした一見幸福そうに見える家庭ではあるが、長男であるジャックには穏やかなものではなかったのである。</p>

<p>父親の視点と、子どもの視点とでずいぶんと違ってくるところがある。あの当時の父親は日本でもそうだったが、男は強くあれというのが強く、しかし逆に言うとそれは息子への期待の表れであり、ある意味溺愛しているのである。息子の方は父親を乗り越えなくてはいけない脅迫感があって、絶えず不安との戦いなのである。</p>

<p>まあ、男の子であれば誰しもが抱く感情かもしれない。反抗期なのかもしれないし、エディプスコンプレックスそのものかもしれない。永遠のテーマであり、男の子はみんなこういった葛藤を繰り返しながら壁を乗り越えて大きくなっていく。日本の家庭でもそれこそ1950年代では同じような光景であったはずだ。ぼくらがジャックだったのだ。</p>

<p>だから、別段特異な話でもないので、それをどう料理するかになるが、映像的には非常に寡黙で無口な映像が流れる。しかし、ムダなショットや余計なシーンが多く、これがぼくには冗漫な感じがして好きになれない。最後のシーンなんて宗教的な匂いもともなって意味不明に映った。</p>

<p>映像で何かを語ろうとしていることはよくわかるのだが、それは最初に言ったように感覚の共有という作業がいるので大変難しいのである。だから、どうしても説明的な言葉が補うことになる。そこの兼ね合いが難しいのだがこの映画はちょいと寡黙過ぎた。<br />
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<img alt="turioburaihu.bmp" src="http://kamawada.com/~masanori/blog/turioburaihu.bmp" width="240" height="320" /><br />
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</p>]]></description>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">シネマディクトの禁断症状</category>
        
        
         <pubDate>Fri, 18 May 2012 11:36:04 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>デフレの正体 </title>
         <description><![CDATA[<p>これはかなりのベストセラーとなった経済本である。しかし、特段の理由があったわけではないのだが何となく読む気がしなかったが、ここにきて手にしたのが「デフレの正体」（藻谷浩介著　角川oneテーマ２１）である。タイトルのデフレの話はあまりなく副題のように「経済は「人口の波」で動く」とあるように、景気の波という“常識“を疑えという切り口である。</p>

<p>著者は、日本政策投資銀行参事役という肩書だが、国内の各市町村あるいは海外の各国を自分の足で回って実態を肌で感じていると同時に多くの資料から様々なデータを読み解いてその“常識”を覆す。この本では、客観的データ、しかも公の統計資料だけから採ってきているのだが、データはウソをつかないので（データそのものはウソをつかいないが、データを抽出する時にウソになることがある）、見えなかったものが明らかになる。</p>

<p>テレビの自称経済評論家のコメンテーターの単に表面的な現象や教科書的な見方で語るのとはわけが違って説得力があって感心する。データをきちんと分析して、そこから事実を明らかにするという科学的態度は非常に重要で、どんな局面でも必要条件となるであろう。しかしながら、日本にはまだ多くの人が情緒的かつ感覚的な捉え方をするので気をつけた方がいい。思い込みを捨てて乾いた眼で眺めなくてはいけない。</p>

<p>例えば、世界同時不況なのに減らない日本人の金融資産あるいは貿易黒字、中国が栄えれば栄えるほど儲かる日本とか、なるほどそうだったのかというのをデータで示してくれる。国内に目を転じても、常識的には地方が疲弊して東京が元気があると思われがちであるが大ウソで、地域間格差の実態は違ったものであるのがわかる。関西の凋落と沖縄の成長なんてものの見事にデータに表れている。</p>

<p>で結局問題は何かというと、日本中が内需不振に陥っていて、その原因が「現役世代の減少」と「高齢者の激増」なのである。この現役世代というのは15歳から64歳までの人口のことで、生産年齢人口である。この世代の人口が減少している。ぼくは団塊のど真ん中だから今年64歳になるが団塊の先頭は生産年齢人口から外れだした。</p>

<p>このインパクトが大きいのだ。そんなこと言われるとぼくらは何だか肩身の狭い感じがするのだが、こればかりはしょうがない。要するに生産年齢人口から外れる数とそこに流入する人口の差が大きく減って行くのだから大変なことなのだ。そんなことはずっと前からわかっていることじゃないのか言われればそうなのだが、著者も言うようにそのうち景気がよくなれば解消されるという思い込みで放置してしまったのかもしれない。</p>

<p>いま生産年齢人口ということを言ったが、この人口は同時に「消費年齢人口」とも言えるわけで、そこが減ってきているのでものが売れないのは当たり前なのである。しかも金持ちの高齢者は将来の不安がるから、貯め込んで使わないときている。孫のために何か買ってあげればいいのにその孫が少ないときている。ぼくにもまだ孫はいない。</p>

<p>簡単に言うとそういうことなのである。ですからデフレの正体とは違うでしょ。その処方箋として著者が提示しているのが、「高齢富裕層から若者への所得移転」、「女性の就労と経営参加を当たり前に」、「労働者ではなく外国人観光客・短期定住客の受け入れ」である。最初のやつはぼくは富裕層でもなんでもないのだが、ちと痛い話ではあるがしかたないと思う。他の2点は全くそのとおりだと思う。</p>

<p>なかなか面白く読むことができた。中味で全部がそのとおりというわけではなくぼくと意見が違うものもあるが、要するに議論ができるレベルに論点を引き上げていることが評価できる。つまり、客観的なデータからそれを解析した結果を提示して、事実認識を共有して、それに対する課題設定、自分なりの解決策の提案という構成であるからわかりやすいのである。読んでおくといい本である。<br />
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</p>]]></description>
         <link>http://kamawada.com/~masanori/blog/2012/05/post_1510.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">オヤジの本棚</category>
        
        
         <pubDate>Thu, 17 May 2012 10:39:49 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>わが母の記</title>
         <description><![CDATA[<p>5月13日は「母の日」であった。ぼくの母親はすぐ近くの老人ホームに入っているので、そこで前日に移動レストランでフレンチのコースが出て、当日はケーキバイキングとやらがある。ぼくはあいにく法事があって出かけたのでヨメさんに鉢植えのカーネーションを持って行ってもらった。</p>

<p>どうも近頃ボケのような兆候がときたまみられるようになった。ただ、もうすぐ91歳だから普通なのかもしれないのだが。ただ、昔のことはよく覚えていてこの間もぼくの小学校時代の同窓会の話についてきてくれた。映画「わが母の記」は、痴呆となった母親と向き合う息子の物語である。原作は、井上靖の自伝的小説である。</p>

<p>監督が原田眞人で、主人公の小説家伊上洪作を演じるのが役所広司でその母親八重が樹木希林、伊上の末娘琴子を宮崎あおいといった布陣である。時代設定が昭和39年からであるので、まだ家族という枠が色濃い時代のことである。ちょうど母の日の直前ということだったが、観客はぼくぐらいの年齢の人か、かなり年配のご婦人ばかりだった。つまり、母親世代と息子世代がそれぞれの立場で感じていた。</p>

<p>小説家伊上洪作は、幼少時祖父の愛人に育てられたことから母に捨てられたという想いを抱きながら生きてきたのだが、父の死を境に母親の八重と相対すのだが、痴呆が進み、同じことは繰り返すし、徘徊しはじめたりする。そんな母親を湯ヶ島から東京へ連れてくるのだがすぐに帰ろうとし手を焼くのだが琴子を筆頭に家族の協力もあり面倒を見るのである。</p>

<p>そして、洪作もボケている母親とはいえ徐々に心開いていく。あるとき、母の口から、ある詩を朗読し始めたとき、洪作は大粒の涙を流し、母を許そうと思うのだった。そして、自分を捨てたのではなく、それなりの事情があったこともわかってくる。母親はずっと強い愛を抱き続けていたのだ。そうして断絶は埋めることができたのだが、老いた母親やもはやボケてしまっている。</p>

<p>登場するみんながいい人で、また売れっ子の小説家という設定だから、恵まれた家族の肖像といった趣ではあるが、母と息子、父親と娘、夫と妻というような関係が昭和の時代の匂いがして懐かしい思いに駆られてしまった。ぼくも歳をとったなあと変な感慨にふけってしまった。ただ、だからいまの時代はダメだとか言わないようにと思ったのである。</p>

<p>若い人はほとんど観ないだろうが、毎年母の日には年末に忠臣蔵をやるように、母もの映画をやったらいいなあとも思う。でも、「わが父の記」というのはないなあ。ああ男はつらいよ。<br />
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<img alt="wagahaha.bmp" src="http://kamawada.com/~masanori/blog/wagahaha.bmp" width="240" height="320" /><br />
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</p>]]></description>
         <link>http://kamawada.com/~masanori/blog/2012/05/post_1512.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">シネマディクトの禁断症状</category>
        
        
         <pubDate>Tue, 15 May 2012 10:37:00 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>クラウド時代の業務システム・・・クラウドは従来とどう違うのか</title>
         <description><![CDATA[<p>前回、クラウドは従来からの願望が技術の進歩によって実現されたということを指摘した。ではその技術とは何なのか。クラウド自体はコンピュータの利用形態だから、新しい技術というわけではない。つまり、新しい利用形態を可能にした技術は何かということになるが、標準インターネットプロトコルと仮想化されたサーバー運用技術ではないだろうか。</p>

<p>当たり前のようになったインターネットだが、当たり前になったことがすごいことだと思う。昔は、独自の仕様のものばかりで互換性のない専用技術しかなかったのだ。そういった意味では、ネットワーク以外でもハード、ソフトともに標準化が進んできた。そして、ユーザー数や処理量の増減に対応できる仮想化技術はクラウドにとっては大きなインパクトを与えたのではないだろうか。</p>

<p>クラウドでは不特定多数のユーザがある意味勝手気ままに使ったり、やめたりするわけだから、負荷の変動は激しく、柔軟性を持ったスケーラビリティが求められる。うちの会社でも、アマゾンEC2とかLinodeといったサービスを利用しているが、使用申請したり、停止したりが簡単にできる。それが、世界中で行われているから変動は半端じゃない頻度で起きてくる。これができるようになって飛躍的にユーザビリティが向上したし、クラウドの価値がここにある。</p>

<p>だから、パブリッククラウドとプライベートクラウドの大きな違いはここにあって、プライベートクラウドは本当にクラウドなのだろうかと思うのである。結局、煎じつめると標準化されたインターネット技術と仮想化技術のおかげでクラウドという利用形態が現実的なものになったのではないだろうか。</p>

<p>もちろんそれだけではなく、他にあげるとすると様々なデバイスの登場もクラウド化を後押ししていると思うが、案外忘れてはいけないのに“課金モデル“があるように思う。利用させるということは利用料を徴収しないと意味がないのは言うまでもないが、しかも頻繁に使用停止やスケールアップダウンを繰り返される中できちんと課金するシステムは必須であるからである。</p>

<p>さて、ここまでは技術的な進歩がクラウドコンピューティングの到来を促したことを指摘しましたが、どちらかというとパフォーマンスの圧倒的な向上がもたらしたもので、利用形態という意味ではまるで違ったものが登場したわけではない。では、クラウド以前にあったデータセンター、ネットワークコンピューティング、ASP（Application　Service　Provider）などとどう違うのかみてみましょう。</p>

<p>基本的な構造とか形態は変わりないと思うのですが、まずはほとんどがプライベート利用でした。データセンターと言っても、ホスティングというか、自社のマシンを預かってもらうということが主だったもので、謳い文句的には、複数のユーザでシェアするからコストダウンが図れると言われても、知らない会社と相乗りなんかいやだとなって単独で置いておくことがなされていました。まあ、それでもインフラや運用リソースは共用できるのでそれなりの効果はありました。</p>

<p>もうひとつ、これから業務システムの話に入っていきますが、その時に注目すべきはASPのことです。ASPという言葉が出てきたのは2000年頃だったと思いますが、あまり世の中では知られていなかったし、実際にやられたところもあったかなかったというくらいでした。このASPは結局業務パッケージの共同利用みたいな形になっていきましたが、SaaSの登場までは表に出てきませんでした。ただASPという考え方は業務システムのクラウド化にとって重要なものですので次回議論していきます。<br />
</p>]]></description>
         <link>http://kamawada.com/~masanori/blog/2012/05/post_1509.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">IT再考</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 14 May 2012 10:18:10 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>小川の辺</title>
         <description><![CDATA[<p>藤沢周平の原作の映画化は8作目のようだ。その「小川の辺」を観る。山田洋次が2002年に「たそがれ清兵衛」を撮って以来、1年1作程度提供されてきている計算だ。今回は、「闇の穴」という短編がベースになっている。ぼくは藤沢周平のファンでかなり読んでいるが、まだまだ映画化して欲しいものもあるので、これからも継続的に出てくるだろう。</p>

<p>何が、受けるのかというと武家社会での忠義やそこで必死に生きる武士の姿、そして山形という土地の風情といったものがあると思うが、ぼくは良質の恋愛劇がそこにあるからだと思う。恋愛というのは、全くの自由のなかというより様々な制約のなかでそれを乗り越えて行くという行為とともに高みに到達する気がする。</p>

<p>そういった制約が少なくなった今、現代劇では純な恋愛映画が作りにくいという面があるのに比べ、時代劇という型式のなかでは表現しやすいということもあるかもしれない。「小川の辺」もそうした恋愛が描かれる。監督が篠原哲雄で主演が東山紀之。同じ藤沢作品である「山桜」以来2度目のコンビである。他に、菊池凛子、片岡愛之助、勝地涼らが固める。</p>

<p>おなじみ海坂藩の武士である戌井朔之助（東山紀之）は、家老からある藩命を受ける。それは親友である佐久間森衛（片岡愛之助）を討つことだった。佐久間は、藩の農政を批判したためお咎めをうけ妻の田鶴（菊地凛子）を連れて脱藩したのである。実は、その田鶴は朔之助の実の妹だったのである。何とも過酷な運命なのだろうか。藤沢作品の典型的なモチーフである。</p>

<p>田鶴は小さいときから気が強く、女と言いながらも剣術の使い手であるから、夫が討たれるとわかったら手向かってくるに違いない、その時はどうするのか悩むのである。千葉の行徳で見かけたという情報をたよりに、兄弟のように育った奉公人である新蔵（勝地涼）ととも江戸に向かう。美しい東北の山々の景色が映しだされ、これから向かう運命との対比を静かな序曲として提示してくる。これもおなじみ藤沢ワールドでもある。</p>

<p>そして新蔵が何日もかけて探し回った結果、彼らの居所を見つける。結果は予想通りであるが、そこにかぶって来るのが、田鶴と新蔵の関係である。それが許されぬ愛としてあったものが、一途な思いがそれを突き破るように・・・。そうした心の変化を新蔵が旦那様という呼びかたから朔之助様へ変わることで表現する。どうもこちらの方が親友を討つということよりメインに感じてしまった。</p>

<p>東山紀之は武士としての凛々しさを体現していて見ごたえがあり、勝地涼のすがすがしさもよいのだが、時代劇初出演という菊池凛子がいけない。藤沢作品のいや海坂藩の武家の娘にはちょっと似つかわしくないのである、残念。<br />
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<img alt="ogawa.bmp" src="http://kamawada.com/~masanori/blog/ogawa.bmp" width="300" height="300" /><br />
　　</p>]]></description>
         <link>http://kamawada.com/~masanori/blog/2012/05/post_1505.html</link>
         <guid>http://kamawada.com/~masanori/blog/2012/05/post_1505.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">シネマディクトの禁断症状</category>
        
        
         <pubDate>Sun, 13 May 2012 15:15:07 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>オヤジ会を楽しくさせるための5つの条件</title>
         <description><![CDATA[<p>最近はやたら女子会というのがあって、飲み会の店を探していると女子会目当ての宣伝が目に付く。女子会があるならオヤジ会があってもいいだろうと思う。このオヤジ会は特に還暦過ぎのものが盛んだ。ぼくの回りでも、学校や会社の同期会など定年退職した連中が集まって飲む機会が増えた。</p>

<p>つい先日も、大学のサッカー部の同期会を青山にある「満重」というさかな料理屋で行った。ぼくはずっとこの会の幹事をしているのだが、非常に盛り上がって楽しい夜を過ごしたのを見て、オヤジ会を成功させるためにいくつか理由というか条件があるなあと感じたので書きとめておく。</p>

<p><dit>１．	人数は10人程度にする</dit><br />
先日も参加者がちょうど10人だったが、このくらいが一番いい。もちろん多いと話もできなかった人ができたり、少ないとまたいつもの話題かとなって驚きもあまりないことになる。</p>

<p><dit>２．	通知は早めにする</dit><br />
まあできれば１ヶ月以上前に日程を決めて通知しておくのがいい。みんな閑だから直前でもいいかとなるが、それでも来れない人もでてくる。でもそれ以上に早めに決めておくといいのは、いつかいつかと待っていること自体を楽しめるからである。これも閑になったから故の楽しみかたである。</p>

<p><dit>３．	告白タイムを設ける</dit><br />
ただワイワイやるのもいいが、ひとり5分くらい近況を報告させるのがよろしいかと。閑だと言いながらも家族のこととか人に話したいことを持っているものでそれを言わせてあげる必要もある。先日の同期会でも驚きの告白があって一同唖然となる。数年前に奥さんを亡くしたヤツがいて、ずっとヤモメ暮らしをしていたが、なんと最近パートナーを得たという。再婚？というと、いや事実婚だという。おいおい、フランスの次期大統領のオランド氏の事実婚が有名になったばかりだというのに身近にいたとはびっくり。この話はすごくおもしろいのだがここまで。</p>

<p><dit>４．	周りが騒がしくない静かな場所</dit><br />
この会は何回もやっていて、前回は浅草の「神谷バー」だったが、ここはまだいいほうで例えば繁盛している居酒屋なんかだとやかましくて隣のやつの話を聞くのが精一杯ということがよくある。みなの告白をちゃんと聞いてやるには静かなところがいい。じゃあ個室にすればと思うのだが、何となく閉じ込められ感があってイマイチなのである。この間の店は個室に近いつくりのところですぐ周りにお客さんもいないので非常によかった。</p>

<p><dit>５．	さかな料理が基本で飲み放題3時間以上</dit><br />
もう還暦をすぎると、食は細くなるし、脂っこいものが口に入らなくなる。普通の居酒屋の宴会メニューだと腹に重たい。だから、どうしても刺身といったさかな系がいいようだ。それと、幹事としては飲み放題にしたいのだが、2時間制限が多い。10人で5分づつと言ってしゃべってもらうと、一人5分じゃ終わらなくて10分ぐらいかかるが、それだけで2時間使ってしまうことになる。だから最低3時間でできたらそれ以上が望ましい。もう2次会なんかいかない年頃ですし。</p>

<p>ということで「オヤジ会を楽しくさせるための5つの条件」を書いてみました。ただ、この条件を満たしてくれるところは少なく、毎回頭を悩ましている。また来月にでも今度は高校の同期会を計画しようとしているのだがさてどこにするかな。<br />
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</p>]]></description>
         <link>http://kamawada.com/~masanori/blog/2012/05/5_2.html</link>
         <guid>http://kamawada.com/~masanori/blog/2012/05/5_2.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">乱調亭日乗</category>
        
        
         <pubDate>Sat, 12 May 2012 12:04:24 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>「しがらみ」を科学する</title>
         <description><![CDATA[<p>おなじみ山岸俊男さんの著作である。ただ、今までと違うのは高校生に向けて書かれているということである。「「しがらみ」を科学する」（ちくまプリマー新書）は高校生からの社会心理学入門と銘打った本である。大人が読むのはちょっとと思われたら大間違いで、大人こそ読むべきではないかと思える。</p>

<p>大人向けの本だと難しい専門用語がでてきたり、難解な文章で書かれていて、理解できていないのにわかったふりをするなんてことがよくあるが、平易な文章でわかりやすい。学問の本質ってある程度の知識があれば誰でもわかるくらいに落とし込めなくてはいけないと思う。高校生にでも理解できることが重要なのである。</p>

<p>さて、テーマは「しがらみ」のことであるが、「しがらみ」とは何のことだろうか。それこそ、専門用語でいうと「インセンティブ構造」ということなのだが、それだと何のことだかわからないのでこの言葉を使ったという。簡単に言うと“社会で生きていくためには、自分の行動に対してはほかの人たちがどう反応するかがだいたい決まっていること”なんです。</p>

<p>最近のことばで「KY」とか「空気読めよなあ」なんていうところの「空気」もそうかもしれない。高校生くらいだと「社会に出るのが何となく不安だ」と思うのはこうした空気を感じるからで、それを取り除くために山岸さんは一生懸命説明してくれる。そのために「社会は理屈では割り切れない」という大人に向かって、論理的に科学的に分析してみることもできるんだよと言っています。</p>

<p>そこに出てくるポイントは、「心でっかち」、「予言の自己実現」、「単純な原因と結果といった考え方から離れる」「理解と説明の違い」、「世間がだめなら社会で生きよう」といったことになる。おもしろそうでしょ。これらを説明するのクイズだったり実験だったりが提示され理解しやすいようになっている。</p>

<p>最初の「心でっかち」というは「頭でっかち」に対して言っていることで、一人ひとりの気持ちや考え方がある「心」がすべての原因だと考えることで、心と現実との間のバランスがとれなくなってしまう状態のことだという。いわゆる「精神主義」です。「頭でっかち」の典型が、橋下市長がよく言う現場を知らない学者さんですが、一方「心でっかち」の典型が、誰にも受け入れられそうもないもっともらしい「説教」を垂れ流している一部の評論家の人たちで、何でも「心の荒廃」で説明しちゃう輩です。原発問題なんかもこれですね。</p>

<p>「予言の自己実現」というのは、ちょっと難しかもしれませんが、社会は私たち自身が作り上げているというもので、人々がある期待を持って行動すると、結局その期待通りの結果が生まれてしまうという話である。自分たちは好きなように行動できないという側面があるのだ。</p>

<p>結局、社会というものは、人間たちが勝手なことができないように、お互いにしばりつけあっている状態である。そうした「社会によるしばり」は、実は自分たちが、自分たちの望んでいないかたちで自分たち自身の考え方や行動をしばってしまっているのである。これが世間のしがらみというやつで、そんなの嫌だということで「世間」の上に「社会」を作ってきたわけである。</p>

<p>若い人たちの中にも、世間でうまくやれる人たちもいるけど、ほかの人の反応は気になるんだけど、ほかの人たちの気持ちがうまく理解できない人たちにとって生きずらい世の中なわけで、そんな人は、無理に合わせることではなく、社会を理論的に理解して、そこで働いている原理を使って「社会」で自分がどうしていいのか考えればいいと言っている。</p>

<p>いままで読んだことと重なるものもあったがなるほどと思うことが多くある。ぼくが高校生のときにこういった本を読んでおけばよかったと思う。でもなかったよなあ。でも今からでも遅くはないと思うのである。<br />
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<div class="amazlet-box" style="margin-bottom:0px;"><div class="amazlet-image" style="float:left;margin:0px 12px 1px 0px;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480688714/naoyadyndnsor-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51juijrxp5L._SL160_.jpg" alt="「しがらみ」を科学する: 高校生からの社会心理学入門 (ちくまプリマー新書)" style="border: none;" /></a></div><div class="amazlet-info" style="line-height:120%; margin-bottom: 10px"><div class="amazlet-name" style="margin-bottom:10px;line-height:120%"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480688714/naoyadyndnsor-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank">「しがらみ」を科学する: 高校生からの社会心理学入門 (ちくまプリマー新書)</a><div class="amazlet-powered-date" style="font-size:80%;margin-top:5px;line-height:120%">posted with <a href="http://www.amazlet.com/browse/ASIN/4480688714//ref=nosim/" title="「しがらみ」を科学する: 高校生からの社会心理学入門 (ちくまプリマー新書)" target="_blank">amazlet</a> at 12.05.06</div></div><div class="amazlet-detail">山岸 俊男 <br />筑摩書房 <br />売り上げランキング: 12970<br /></div><div class="amazlet-sub-info" style="float: left;"><div class="amazlet-link" style="margin-top: 5px"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480688714/naoyadyndnsor-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank">Amazon.co.jp で詳細を見る</a></div></div></div><div class="amazlet-footer" style="clear: left"></div></div><br />
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</p>]]></description>
         <link>http://kamawada.com/~masanori/blog/2012/05/post_1508.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">オヤジの本棚</category>
        
        
         <pubDate>Fri, 11 May 2012 09:47:09 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>日本企業にいま大切なことを見直す（１０）</title>
         <description><![CDATA[<p>いよいよこのシリーズも最後になりました。最後の章は、遠藤功先生がまとめを書いていらっしゃいます。基本トーンは、日本は「民の国」であり、「現場の国」であるということのようだ。確かに、この震災でも民の力が見直され、福島原発事故でも現場力が救ったこともあるが、だからといってこれからも現場力重視でやっていけるのだろうか。</p>

<p>「中央」がしっかりしないからとよく言われるのだが、「中央が弱いから現場が強くなったのではなくて、現場がしっかりしているから中央がだらしなくなった」のかもしれない。ここで遠藤先生が、現場力を生かす復興のために、国、地域、企業の留意するべきポイントを3つあげている。</p>

<p>ひとつが、復興の青図（ビジョン）をいち早く示すことで、そこでも現場と一緒になって青図を描くことを勧めている。第二のポイントが、「権限委譲を徹底させる」ことだという。最適な判断をスピーディに行えるのはやはり現場をおいてほかにないのだという指摘だ。</p>

<p>第３のポイントが、この復興を人材育成の好機ととらえることだという。若い世代を現場で育てるチャンスととらえろという。若い世代を復興の現場に送り出し、ベテラン・中堅社員たちと交流させる。そこで体験を共有させる。それによって「暗黙知」とも言われる現場のノウハウを移植するのであると主張されている。</p>

<p>うーん、ちょっと待てよと思ってしまう。若い世代の人材育成の好機とするのは大いに賛成で是非進めてほしいと思う。しかしながら、｢暗黙知｣の移植って何よとなるのである。だって、今回の震災は未曽有の災害であって、今まで誰も経験したことがないことが起きたわけだから、そんなところに「暗黙知」があるのだろうか。</p>

<p>期待するのは、若い人のゼロベースで考える斬新なアイディアであり、前向きな実行力なのではないだろうか。昔に戻すことではないだろう。野中先生も遠藤先生にも流れる考えかたの根底にあの成功した日本のもの作りを支えた現場力をもう一度というのがあるが、前にも言ったが、あの時代と今はあきらかに企業や社会をとり巻く環境が大きく変化している。ですから、昔の成功モデルが必ずしも今でも通用するとは限らないのである。</p>

<p>そして最後に「日本のリーダーはつねに現場とともにあることこそ「民の国」「現場の国」にふさわしいリーダーシップではないか」と結んでいる。ただ繰り返しになるが、ぼくは工場の現場でそれこそ油まみれになって働いたことがあるが、どうも両先生はほんとうの現場を知らないのではないだろうか。現場を買いかぶってやしないだろうか。“会社を預かる“リーダーたるものは、現場を俯瞰した眼で見ることができる冷静なリーダーシップが必要なのであって、必ずしも現場とともにあるという感覚とはちがうと思うのだがいかがだろうか。</p>

<p>現場とリーダーシップという問題について、いま話題の橋下徹を考えてみるとおもしろい。彼は山口二郎のような学者さんたちを現場を知らないでいいかげんなことを言うなと批判している一方で、ハシズムとか言われような強烈なリーダーシップで独裁者という批判も受けている。さて、橋下徹は「現場とともにあるリーダー」なのだろうか。</p>

<p>現代は刻々と変化している不連続の連続の時代なのだ。復古のモデルではなく、変化に対応した新しいモデルが求められているのである。<br />
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<div class="amazlet-box" style="margin-bottom:0px;"><div class="amazlet-image" style="float:left;margin:0px 12px 1px 0px;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/456979713X/naoyadyndnsor-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/41BsTnsbemL._SL160_.jpg" alt="日本企業にいま大切なこと (PHP新書)" style="border: none;" /></a></div><div class="amazlet-info" style="line-height:120%; margin-bottom: 10px"><div class="amazlet-name" style="margin-bottom:10px;line-height:120%"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/456979713X/naoyadyndnsor-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank">日本企業にいま大切なこと (PHP新書)</a><div class="amazlet-powered-date" style="font-size:80%;margin-top:5px;line-height:120%">posted with <a href="http://www.amazlet.com/browse/ASIN/456979713X//ref=nosim/" title="日本企業にいま大切なこと (PHP新書)" target="_blank">amazlet</a> at 12.03.03</div></div><div class="amazlet-detail">野中郁次郎 遠藤功 <br />PHP研究所 <br />売り上げランキング: 18491<br /></div><div class="amazlet-sub-info" style="float: left;"><div class="amazlet-link" style="margin-top: 5px"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/456979713X/naoyadyndnsor-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank">Amazon.co.jp で詳細を見る</a></div></div></div><div class="amazlet-footer" style="clear: left"></div></div><br />
　　</p>]]></description>
         <link>http://kamawada.com/~masanori/blog/2012/05/post_1496.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">乱調亭日乗</category>
        
        
         <pubDate>Wed, 09 May 2012 10:12:57 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>プリンセストヨトミ</title>
         <description><![CDATA[<p>万城目学の小説は何とも奇想天外なストーリーが展開されてドギモを抜かされる。「鴨川ホルモー」でもびっくりさせられたが、この「プリンセストヨトミ」でも思わず何コレと叫んでしまった。監督が鈴木雅之、出演が堤真一、綾瀬はるか、中井貴一、岡田将生といった面々である。</p>

<p>舞台は大阪で大阪国総理大臣が登場してくるあたりは、今の大阪府、大阪市の状況を重ね合わせて、こりゃあ奇想天外でもないかもと思ったりする。映画の最初のシーンが大阪の繁華街から人がいなくなったところを綾瀬はるかがおっぱいを揺らしながら走っている。「おっぱいバレー」で見せてほしかったシーンである。話がそれてしまった。</p>

<p>そこから、なぜそうなったかを振り返るように４日前に遡る。東京から3人の会計検査院調査官、松平（堤）、鳥居（綾瀬）、旭（岡田）がやってくる。その彼らが目をつけたのが財団法人「OJO(大阪城跡整備機構)」である。徹底的に調べるのだが、経理担当にのらりくらいとかわされてしまうが、調査作業で忘れた携帯をとりにいくとそこはもぬけの殻で、しかもだれも外に出た形跡がない。</p>

<p>これは大阪中が口裏を合わせているしか考えられないと怪しんだ松平が再びOJOを尋ねるとそこに待っていたのはお好み焼屋の主人（中井）であった。彼は、OJOの事務所の秘密のドアから地下に案内してくれて、自分は「私は大阪国総理大臣、真田幸一です」と名乗る。豊臣家の末裔が生きのびてそれを守るためにいるという。OJOというのは王女のことなのだという。</p>

<p>大阪中にそのシンパがいていざとなったらみな動員されるようになっているのである。だから、大阪国の実態がばれそうになった危機にみなはせ参じてしまい大阪の繁華街が無人となったというわけである。どうです、奇想天外でしょう。残念ながら評価は高くないようだが、ばからしいと思ったら終わりだ。ぼくはおもしろいと思った。</p>

<p>しかし、おもしろいのはそれだけではなくて、これは父と子の物語でもある。何と大阪国の真実を伝えることができるには資格があって、１４歳以上の男子で父親がいないことで、父親は自分の死が訪れるときに、息子に大阪国のことを伝えるのである。二人だけの約束として、記憶の中に留めるのである。</p>

<p>父と子の物語なんてちと大げさすぎるかもしれないが、くだらない中にも大事なエッセンスが埋め込まれているなんて楽しいですよね。それが、検査官の松平父子の関係にも展開していくわけです。一見ふざけたような映画でも見るべきところがあってそれを正当に評価する態度は大切にしたい。案外、各人の映画観ってくだらない映画の好き嫌いにあるかもしれない。<br />
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<img alt="prinsestoyotomi.bmp" src="http://kamawada.com/~masanori/blog/prinsestoyotomi.bmp" width="240" height="320" /><br />
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</p>]]></description>
         <link>http://kamawada.com/~masanori/blog/2012/05/post_1500.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">シネマディクトの禁断症状</category>
        
        
         <pubDate>Tue, 08 May 2012 12:03:54 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>クラウド時代の業務システム・・・クラウドとは</title>
         <description><![CDATA[<p>クラウドがもてはやされている。バズワードに近いと思うのだが世の中こぞってクラウドだと言っている。IT業界は、何でもいいからはやりの言葉を作って、ユーザーを煽りたてて売り込むことを絶えずやり続けるという商法だからまたぞろ出てきたなと思う。ただ、そうは言っても新たな変化ももたらしていることは確かだから、きちんと評価して必要なものは採り入れるようにしたほうがいい。</p>

<p>そのとき、自分の立ち位置として業務システムにとってクラウドとは何なのかという視点があるので、「クラウド時代の業務システム」というテーマで書いていくことにする。おそらく、GoogleやAmazon、SalesForceなどからの切りこむのはよくやられるのだが、一般的な企業の業務システムについての論及はほとんどないので議論してみたい。</p>

<p>まずはクラウドとは何かをみていくことにします。小池良次さんの「クラウドの未来」（講談社現代新書）では、“脱パソコン時のビジネスモデル”という定義をしているが、ビジネスモデルと言った途端にメーカーとかメディアの視点になってしまうので、ユーザサイドというか利用する立場で考える。</p>

<p>簡単には、「インターネットの向こう側にあるサービスを使い、サービス利用料金を払う形態のこと」になる。従来のコンピュータ利用は、ユーザー（企業、個人など）がコンピュータのハードウェア、ソフトウェア、データなどを、自分自身で保有・管理していたのに対し、クラウドコンピューティングではそうしたものは保有せずにただ利用するだけになる。</p>

<p>サービスには、よく言われるSaaS、PaaS、IaaSなどがある。すなわち、ソフトウエアやアプリケーション、運用環境や開発環境、そしてインフラやハードウエアなどである。これらはデータセンターの中に置かれていてみなで共有して使うことになる。多くのユーザでシェアすることになるのでコストダウンにつながる。やはり、このメリットが一番大きいと思う。</p>

<p>コンピュータの利用形態の大きな流れとしては、メインフレームを中心にしたホスト集中型からPCの出現によるクライアントサーバー分散型へ移行し、インターネットの登場によるネットワーキングの時代になり、こうしてクラウドという小池良次さんによれば、“超集中と超分散”の形態へと変化したことになる。</p>

<p>こうしてみると、集中と分散を繰り返していることになる。だから、そこは変わらないわけだから、クラウドが全く新しい画期的なものであるというわけではない。個別単体的なものから広範なネットワーク的なものへと集中と分散が変化したことがわかる。ただそれも急にやってきたものではなく、例えばデータセンターなんて以前からあったものだし、ASP（Application　Service　Provider）という形態もあったし、ネットワークコンピューティングとかユーティリティコンピューティングといった言われ方もしてきた。</p>

<p>ということは何がクラウドなのかよくわからないのである。結局、これまで断片的にあるいは段階的にこうあってほしい、こんなことができたらいいなあと考えてきたことが技術の進歩があって現実のものになってきたということかもしれない。次回はもう少し従来からの進化を議論してみます。<br />
   <br />
</p>]]></description>
         <link>http://kamawada.com/~masanori/blog/2012/05/post_1501.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">IT再考</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 07 May 2012 13:10:16 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>再び、ノマドについて</title>
         <description><![CDATA[<p>この間「ノマドとは」というタイトルで記事を書いたが、この話はけっこうホットなのですね。というのも、うちの社長も自身のブログ（ゆーすけべー日記）で「<a href="http://yusukebe.com/archives/20120503/195637.html">ノマドならルノアールがはかどるよねぇ～っていう10個の理由</a>」というエントリーを載せていた。その10個の理由というのが、</p>

<p><dit>①長居しても嫌な顔されない</dit><br />
<dit>②場所によっては空いている</dit><br />
<dit>③電源が使える</dit><br />
<dit>④livedoor無線LANが使える</dit><br />
<dit>⑤打ち合わせにも使える</dit><br />
<dit>⑥お茶がエンドレスに出てくる</dit><br />
<dit>⑦禁煙席・喫煙席と分煙</dit><br />
<dit>⑧コピー機があったりする</dit><br />
<dit>⑨会議室を持っているところも</dit><br />
<dit>⑩今ならルノアールEdyで15%オフ</dit></p>

<p>なのだそうだ。ルノアールの快適さはぼくが教えてあげたようなものだが、ちょっと付け足したい。会議室を持っているところもあるのだが、ビジネス席があるところもあって集中して仕事をしたい時には絶好だ。で本当にプラスしたいのは「ウエートレスの女の子がきれい」だってことです。どこの店でもチャラい子がいなくて気分が良くなります。これはノマドワーキングスタイルの話。</p>

<p>あと、常見陽平さんというかたが「<a href="http://agora-web.jp/archives/1452268.html">尾崎豊とノマドワーカー　自由な生き方に答えはあるか？</a>」というエントリーをしていておもしろいことを言っています。尾崎の言動をみていると、彼の曲の解釈は「「学校」や「家」に所属することを拒み、盗んだバイクで走りだすのだが、彼は「自由になれた気がした」だけであり、「自由になった」わけではない。学校は彼を「支配」していたのかもしれないが、卒業したところで、会社や社会が人を支配していく。」ということではないか、これはまるでノマドワーカーみたいだという。ノマドさんたちははたして「自由になれた気がした」のか「自由になった」のか。</p>

<p>前の記事でマラソンの藤原新のことを書いたが、あれから彼はなんと「ニコニコ動画」を通じて募集していた個人スポンサーが、定員の2万人に達し、1050万円の活動資金を得たそうだ。ニコ動プレミアム会員の1か月分の会費525円が藤原選手への協賛金として振り込まれるというのである。五輪代表マラソン選手というコンテンツの価値を売り込んでそれをマネタイズしている。やはりノマドランナーですね。</p>

<p>前回も言ったのだが、「自由になれた気がした」から「自由になった」と思えるのは、自分自身が主体的に、能動的に動くことで、そのためには自分という商材の価値を高め、そのサプライチェーンと収益モデルを自身で確立する、すなわち自己完結型のモデルにすることなのだろう。ビジネスマンが芸術家に近づくようなそんな時代なのかもしれない。<br />
　　<br />
</p>]]></description>
         <link>http://kamawada.com/~masanori/blog/2012/05/post_1507.html</link>
         <guid>http://kamawada.com/~masanori/blog/2012/05/post_1507.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">乱調亭日乗</category>
        
        
         <pubDate>Sun, 06 May 2012 11:14:26 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>たまには人生論でも語ってみるか</title>
         <description><![CDATA[<p>この間53年ぶりに小学校4年生のときのクラス会を開いたことを書いた。あのあと、86歳になる恩師の先生から丁重なるお手紙をいただいた。そこには、当日の感動が記してあるが、それに続いて「本日は皆さんひとりひとりから小学校、中学校、高校は、仕事や大学は、どんな仕事にどんな人と世帯を持ったのか、そして今を伺いたかったのですが・・・」とあった。そうした人生論のようなものを求めているとのこと。</p>

<p>その手紙に触発されて自分の50年史を考えた。するといつのまにか“小学校を卒業すると”という書き出しで綴り始めていた。そして小学校を卒業してからの50年で経験したことや思ったことを認めたものを手紙として出そうかどうか迷ったのであるが、一昨日、先生あてに投函したのである。</p>

<p>やはり50年というと書くことがいっぱいあり過ぎる。このブログの「男の伝言板」とか「極私的年代記」（ここに出てくるK先生が4年生の時の担任です）にも書いてあるのですが、ポイントだけを通しで書いてみたのである。それを眺めながら“おれの人生ってどうなのよ”とツッコミを入れたくなった。</p>

<p>もうこの歳になると恩師にかっこいいことを言おうなんて思わないし、先生だってそんなことを聞きたいわではない。特段意識せずにぶっちゃけた話を素直にすらすら書いてみた。それで、どんなことを書いたのかを見てみると、結局しくじったことばかりだったのである。失敗したことが並んでいる。</p>

<p>それら失敗の原因は自分自身の不注意や未熟さ、優柔不断さだったりがほとんどですが、人間関係の絡みとか巻き込まれたこともあった。いずれにしろ、いま考えるとなぜあんなことをしたのかとか、もっとこうすればよかったと思うことばかりである。でもできなかったのですよね。今の自分がその時にいたらもっとうまく立ち回っただろうというのは当たり前で多くの経験を経たからこそ言えることなのだ。いまでもあいかわらずしくじってばかりですが。</p>

<p>ぼくが小学校を卒業するときに寄せ書きに書いた言葉が「後退するな、自信を持って前進しよう」というものであった。裏を返せば、それだけ自信がなかったということでもある。大人になるということは、少しずつ自信をつけることであるような気がする。あのときは失敗したが、もうしくじらない自分になったという自信を持つことで成長するのだ。</p>

<p>そしてまた時間の力というか効果を実感する。失敗すると死んでしまいたいくらい落ち込むし、ずっと引きずってしまうが、時間の経過とともに、今言ったように自信も持つことも手伝って清算していけるのである。この歳になってやっと我慢して嫌なことを忘れる術を身につけたように思う。</p>

<p>失敗したことは様々な形で記憶に残っているが最も心に沁み込んでいることは人間関係である。うまくいかなかった時、それまで関係のあった人たちが2極化する。助けてくれる人と去っていく人である。去っていくだけならいいがなじる人、さらにひどいのはじく人まででてくる。ぼくは、何回も人に助けられた。失敗をカバーしてくれる、なぐさめ、はげましてくれる、そういった人たちには今でも大変感謝している。</p>

<p>一番きついのははじく人で、はじくとは無視するならまだしも排除しにかかる人である。あなたはもう要らないから出て行ってくれである。こればかりは人間失格のレッテルを貼られたようでなかなか立ち直れなくなる。だから、ぼくは自分では絶対に排除の論理をふりかざしてはいけないと思った。相手が失敗したり、間違ったり、時には意地悪されたとしても排除することはしまいと誓ったのである。</p>

<p>このことを改めて知らされたのは、ぼくの家族である。自分のヨメさんやこどもたちをほめるのもバカかと言われそうですが、3人の共通したすばらしさは、「他人を悪く言わない」ということである。あの子はひどいとかあの人は大嫌いとかいうのを3人の口から聞いたことがない。単なるおひとよしなのかもしれないが、排除することなんて端から考えてもいないようだ。そんな気付きをぼくに与えてくれた。</p>

<p>結局、人生は何でもうまく行くことはあり得ない、ということはだれでもしくじることもあり、失敗するのである。自分も他人もうまくいっている時にはひとが寄ってきて良好な人間関係が表面上できるのだが、ひとたびうまくいかなくなると対人関係にもひびが入る。そんなときこそ、人間の器量が試されるわけで、その時の大切な心根は“受容“ではないだろうか。<br />
　　<br />
</p>]]></description>
         <link>http://kamawada.com/~masanori/blog/2012/05/post_1504.html</link>
         <guid>http://kamawada.com/~masanori/blog/2012/05/post_1504.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">乱調亭日乗</category>
        
        
         <pubDate>Sat, 05 May 2012 14:51:40 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>たまにはベイスターズの弱さを嘆いてみるか</title>
         <description><![CDATA[<p>今季ベイスターズは、球団オーナーがDeNA、監督も中畑清となりかなり期待はしていたのだが、予想通り？定位置の最下位にいる。昨日のヤクルト戦は３－１で久々の勝利である。打ってははケガで出遅れていた筒香の復帰しての活躍と投げては開幕投手高崎がやっと勝利をつかむ。しかし、4連続完封と連敗を6でストップしただけなので手離しで喜ぶものではない。</p>

<p>それにしてもひどい。チームの成績をみると一目瞭然で、わかっていながらあきれかえる。勝ち数・負け数もちろん勝率2割9分2厘は断トツ最下位、得点・失点も言うに及ばず、チーム打率1割9分4厘、防御率3.66ももちろん最下位である。もう首位中日から9.5ゲームも離されてしまった。打てないわ、打たれるわではどうしようもない。</p>

<p>ぼくの印象だと今年は投手陣は比較的がんばっていると思う。去年は早々と試合が成り立たなくなることがあったが、今年はふんばっている。だから、このていたらくの原因はもう打てないことに尽きる。打率もさることながら、本塁打数がたったの4本ですよ、ヤクルトのバレンティンなんて一人で9本も打っている。</p>

<p>開幕当初は中畑も元気がよく、マスコミでも取り上げらていたがここのところあまり見かけない。さすがに声も小さくなったようだ。でも、いつも思うのだが野球は監督の力なんて大した影響力がないから、この弱さの原因は采配とかいった問題ではない。多少選手の起用法で影響力を行使できるが、おおかたは選手の力不足である。</p>

<p>野球というのは、団体競技と思われがちであるが、これはまぎれもなく個人競技である。サッカーとかラグビー、バスケットボールなどとは全く違っていて柔道とか水泳とか体操といった個人競技である。ピッチャーとバッターの勝負は柔道だし、盗塁は水泳で守備は体操競技である。だから、野球の監督はオリンピックの柔道監督と一緒である。試合が始まったら監督はなにもできないというのも同じでしょ。</p>

<p>それと、ほとんどピッチャーとバッターの勝負で決まってしまうのだが、打つ方が攻撃で投げるのが守備と思われがちだけど、実は反対なのです。サッカーやラグビーではボールを支配している方が攻撃しますよね。野球はどうでしょうか。ボールを支配しているのは投手であり、守備についた方ですよね。だから、ボールを持っている方が攻めているのです。</p>

<p>何を言いたいかというと、攻撃と守備の考え方を変えてみたらと思うのである。打撃は攻撃ではなく守りなのだということである。だって、ボールが相手にあるのだから攻められないでしょう。ピッチャーがあの手この手と攻めてくるのを負けない（三振させられる）ために、バットに当てるか、向こうが自滅する（四球）ように守るのである。もうこうやって守備のチームにするんだと宣言すればいい。そんなことでうまくいくはずがないと言われると思うが、何か変えないとどうにもならないので苦し紛れに言っているのだ。</p>

<p>もう今シーズンはあきらめたから、将来を見据えた戦いをすればいい。中村とかラミレスとか森本といったよそからベテランを連れてくるのもいいが、生え抜きを育成するというのも大事だと思う。両方をうまくミックスした形が望まれるのだが、そこに戦略がなければいけないのだが、それがあるようには思えない。</p>

<p>これは、シーズン中の監督采配とかコーチの知恵や指導といった問題ではなく、マネジメントに関わることだろう。高田繁がGMになってフロントに若手の優秀な人が入ったと聞いていたがそれがどうなっているのか良くわからない。もうこうなると強くなるために「<a href="http://kamawada.com/~masanori/blog/2011/12/post_1393.html">マネーボール</a>」にならえばいい。高田がビリー・ビーンになれるかどうかは別として、あのセイバーメトリクスによるチーム編成をするのだ。</p>

<p>セイバーメトリクスというのは野球を統計学的手法をもって分析することで、そこで選手獲得の基準として重視するのが、出塁率、長打率、選球眼である。ビリー・ビーンはこれで選手を集めてオークランド・アスレチックスを強豪チームに引き上げたのである。いいですかこれって“守備”ができる選手を集めたのである。<br />
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</p>]]></description>
         <link>http://kamawada.com/~masanori/blog/2012/05/post_1506.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">スポーツ”感”戦記</category>
        
        
         <pubDate>Fri, 04 May 2012 12:21:20 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>たまにはビジネスモデルのことでも考えるか</title>
         <description><![CDATA[<p>家の前の山は竹林である。今年はだいぶ遅くなったが筍が旬である。採りたての筍で筍ごはんと刺身を食べる。ぜいたくな瞬間である。昨日も書いたがのんびりとした時間を過ごしながら、6年前に起業した頃のことを思い出している。はずみで息子と一緒に会社を興したような気がする。もう少し熟慮してちゃんとビジネスモデルを作ってから跳べばよかったのではと今だから思う。いつもそうだ。しかし、考えてみればそうやって始めたからこそそう思えるのであって、とことん考量したからうまくいくとは限らない。</p>

<p>こんなことを思い出したのも、テレビで「伊賀の里 モクモク手づくりファーム」と「リブセンス」という二つの会社のことを知ったからである。何となくは知っていたのだが改めてすばらしいと感じ入ったのである。「伊賀の里 モクモク手づくりファーム」は、三重県の伊賀市（旧阿山町）にある農事組合法人で、後者の「リブセンス」は社長が弱冠25歳で最年少上場記録を作った会社である。</p>

<p>もくもくファームは元農協職員だった二人の修さんが、農協を辞めて1987年に起業した組織であり農場で、そこで最初は「ハム工房モクモク」という名で伊賀豚からハムを作っていた。今では、年間50万人が訪れるという。年商も50億円に届こうとする勢いである。牧場で豚やヤギと戯れることができるかと思いきや、手づくりハムやソーセージの販売や食堂や温泉もあり、農業体験もできる。リピーターの会員が４万人にもなるという。</p>

<p>ここのビジネスモデルは、農業の下請け構造、すなわち自分たちで価格を決めることができずいいなりの価格で納めるしかないモデルを変えたことが特徴的だ。だから、他に較べて高いのだが、うまいものを高く売るのは当たり前だという考え方である。しかも地元産にこだわり続ける。価格決定権をもつということは、生産、流通、販売の全部を自分たちでやるという自己完結型なのだ。</p>

<p>ただし、高品質高価格を維持するには様々な仕掛けを施すわけだが、重要なことはその良さをどう伝えるかだ。この伝える力があったからこそこれだけの人気を得たのだという。情熱とよいビジネスモデルがあれば、農業であっても、地方にいてもできるのである。日本の農業再生のヒントがここにある。</p>

<p>「リブセンス」は、社長の村上太一君（社長に君づけもおかしいがその方が似合っている）が大学生の時に作った「ジョブセンス」というサービスでビジネスを始めている。「ジョブセンス」はアルバイトのための求人サイトで、特徴は成功報酬型であること、すなわち掲載費が無料で、採用できて初めて費用が発生するモデルである。さらに採用された求職者には祝い金を贈呈されるという。３方１両得という仕組みである。</p>

<p>いまでは5万件の掲載数と、月間300万人のユーザだという。おそらくこれからは「成功報酬型」のビジネスモデルが増えて来ると思う。現に弊社もこうしたサービスを指向している。いいところに目をつけたと思う。ただ、これだけだとすぐに後発が登場してくるケースが多いのだが、そこをどう乗り越えていくかになるのだが、この会社は強い技術力で追随を許さないようにしているという。ネットビジネスの要諦である。</p>

<p>この２社を見ていると、全く新しいビジネスモデルというわけではないのだが、だれもが常識的には難しいと躊躇する部分を果敢に攻めて有効なビジネスモデルを確立したように思える。中抜き商流であり、成功報酬型である。それと、根底に流れる精神としてもくもくの社長の言葉である「消費者は、仲間だ」というのがあるように思える。</p>

<p>ビジネスの果実を一方的に得るのではなく、生産者も消費者もみながハッピーになれるようなモデルがこれからのキ―になるだろう。顧客をだましても儲かればいいやという時代ではなくなったのだ。だから、日本の従来型の商流（例えば総合商社の存在とか）はだいぶ変わっていかざるを得ないのではないだろうか。<br />
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</p>]]></description>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">乱調亭日乗</category>
        
        
         <pubDate>Thu, 03 May 2012 11:18:10 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>たまにはメディアでも斬ってみるか </title>
         <description><![CDATA[<p>さすが連休ともなると雑音が入ってこなくなり落ち着いて過ごしている。こんなときはふとものごとを第三者的な目線で見ることができる。これだけ多くの情報に囲まれ、何かと些事に振り回されていると、効率性、能率性を求めて情報の絞り込みをする。例えば、ネットにある情報にしても、ふだんよく読む記事などを“お気に入り”に入れておいたり、自分のフィードリーダーに登録しておく。しかし、よくよく考えてみるとずいぶんと世の中を狭めているのではとそんなことを考えてしまった。</p>

<p>自分のお気に入りの情報だけに接するわけだから、耳障りのいいものばかりでやっぱりおれの考えは正しいと錯覚してしまう。だから、反対の意見も傾聴しなくてはと言いながらも読むと腹が立つのですぐにやめてしまう。そんなときに本来必要なのがマスメディアだろうと思う。まさにマスとして見方を客観的に公正に提供してくれるものであるべきだろう。</p>

<p>ところがそのマスメディアが劣化しているので困ったものだ。だから、そのメディアを叩くことで位置を確保している個人も含めたネットメディアがあって、それはそれは毎日ネタを提供してくれるのでコバンザメ状態で潤うことになる。ここでそれをどうのこうの言おうというわけではなく、ぼくもちょっと言いたくなったのである。</p>

<p>つい最近頻発している自動車事故もそうだが、ニュースにおける事件や事故の報道の異常さである。なぜこれほど大々的に、またプライバシーに切り込む報道が必要なのだろうか。近所のおばさんに被害者はどんな人でしたかと聞く必要がどこにある。報道の目的は何なのかを忘れてはいないだろうか。だいいち事件・事故に遭った人や家族などにとって触れたくないことばかりだろうし、報道を見聞きした読者や視聴者にとっても単なる興味でしかない。だから、そっと触れるだけで十分なはずだ。</p>

<p>テレビ番組にお金がかけられなくなったので、事件のニュースは安上がりなので時間をとるのだという。もしそうなら、ひどい話でテレビ局は大事故や大事件が起きるのを期待して待っているというあきれたビジネスモデルである。ところが、世の中こうしたビジネスモデルが多くあるのである。貧困ビジネスなんて言葉もあるように人の不幸をビジネスにするモデルで筋が悪い。</p>

<p>同じような話に医療を基幹産業にということを言う人もいます。何となくよさそうな印象を受けますよね。ただ、ここでも産業とかビジネスといったものになると、収益が成り立つには儲けなくてはいけない、売上を伸ばさなくてはいけなくなりますが、それは病人が増えることを願うことになります。顧客拡大という意味は患者を増やすことなのです。いや、病気にならない医療をめざすと言うかもしれないが、究極的には病気にならなくなったらその産業がなくなってしまうわけだから、自分の商品が売れなくなることをめざすビジネスはないのではないでしょうか。</p>

<p>ちょっと話がそれたので戻すと、マスメディアのことで時々不可解に思うことがある。先日、日米首脳会談が行われてそのとき当地で記者懇談会というのをやって、それが記事になるのだが、何と話題が、小沢一郎であり、原発再稼働であり、消費税なのである。ええー、記者さんは何しに米国まで行ったの？</p>

<p>まあ、野田首相の訪米の目的もイマイチなのだろうが、わざわざ米国まで随行してオバマとの会談もそばにいたのだから、そんな国内問題ではなく、日米関係だとか国際問題について懇談するんじゃないのか。これじゃあ、旅の恥はかき捨て発言を期待するという週刊誌みたいなメディアに成り下がったと思われても仕方がない。</p>

<p>というわけで、いまさら腹も立たなくなったが、マスメディアの自業自得の劣化はひどいものでこのまま衰退の一途をたどうのだろうか。<br />
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</p>]]></description>
         <link>http://kamawada.com/~masanori/blog/2012/05/post_1502.html</link>
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         <pubDate>Wed, 02 May 2012 12:48:43 +0900</pubDate>
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