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乱調亭日乗 アーカイブ

2006年09月19日

うれしいお祝い

ぼくの友達にもうかれこれ8年以上の付き合いになるIBMの渡辺さんというのがいる。本来彼は営業だからぼくはお客さんという立場の関係でしたが、いまはぼくは会社を辞めたので友達という関係になった。友達といってもぼくよりだいぶ年下です。しかし、実は会社にいたときも友達だったのです。やめる直前こそ一緒に仕事をしましたが、それまでは取引ゼロでいて、ときどき呑み歩いているという商売抜きの不思議な関係でした。

その渡辺さんが突然わが家にやってきました。創業したと聞いてお祝いを持ってきてくれたのです。このブログでは創業のことを書いていませんが、ついこの間、上の息子がまずIT関連の会社を起業しました。ぼくもいずれ参画するつもりですが、いまは充電期間です。そんなわけで厳密に言うとぼくが創業したわけではないのでお祝いをもらうのはおかしいのかしれませんが、そこはそれいいじゃないですか、家の直前から電話してきて”今いますか?目の前に来ているんですけど”といって現れたときにはびっくりしながら、うれしかったのです。

お祝いの品が、赤ワインです。おしゃれでしょ。それも、ナパバレーのOPUS ONEというワイナリーでしか手に入らない「OVERTURE」というしろもので、渡辺さん曰く、OVERTUREというのは「序曲」という意味なので創業のお祝いにちょうどいいと思ったから。ちょっときざだけど、わー泣かせるせりふ。すばらしいお祝いありがとうございます。

2006年09月21日

ブログの威力

「エンタープライズWeb2.0の動向」というセミナが終わったあと、日本プロセス(株)の宇野澤庸弘さんと(株)レンタルコーチの中村洋さんと3人で会食。なぜこの組合わせになったかというと、”やっぱりブログってすごいや”ということなんです。

今年の6月に会社を辞めて、いつか起業しようと考えていましたが、そのための情報を得ようとインターネットで最近起業したひと、とく自分と同じように定年前に実行したひとを中心に見て回りました。そこで非常に参考になったのが、昨年末に起業した中村さんのブログで、そこではほぼリアルタイムで起業のプロセスを伝えてくれていて、業種も同じようなところであったのでなおさら参考になりました。

ところが、そのブログを見ていると宇野澤さんの名前が出てきたのです。宇野澤さんというのはSAVVIONというBPMツールを販売していて、日本にBPMを浸透させるべく、ブログも立ち上げ、今年はじめには「日本BPM協会」の設立に尽力され今もその運営幹事を務めているかたです。実は宇野澤さんとは10年前にお会いしてからずっとお付き合いいいただいていて、いつも日本のIT業界の実情を嘆いたりしている仲なのです。それで、すぐに宇野澤さんにブログのことを話して、知り合いなら紹介してよということを伝えたら、よく知っているから会いましょうとなったわけです。

そこで会ったわけですが、まず初対面という意識がなくて、”やあ、しばらく”みたいな不思議な感覚でした。これ多分mixiで知り合ったひとが実際にあったときの感じと一緒じゃないかな。中村さんも言っていたけれど、ブログがなかったらこんな出会いはなかったんじゃないか、梅田望夫さんが言っている総表現主義ということなのかもしれませんが、自分が発信すれば誰かが見てくれているんだという実感を持ったと言っていました。

ということで時間がたつのも忘れて大いに盛り上がり、今後の協業や近いうちの再会を約したのであります。

2006年09月30日

最後の落語

いままで忙しくてほったらかしたままで気になってしかたなかった自分の部屋の本棚の整理を始めた。ぼくはだいたい本にカバーをかけて読むので、読んでいる途中のものはもちろんのこと読み終わったあともカバーをつけたまま積んでおくことになる。だから、どんな本が置いてあるのかわからなくなってしまっていた。そこで、全部カバーを外して並べてみたわけです。

そうしたら、へえーこんな本があったんだ、あっこれはおもしろかったなあという具合にしばし片付けるどころではなくなり、いろいろな本をぺらぺらめくり出したが、ある一冊の本が目にとまり読みふけってしまった。永井明著の「ただ、ふらふらと 酔いどれドクター最後の日誌」で、前回柳家小里ん師匠のことを書いたあとだったので、特に印象深く思い出した。

そこで今からあまり知られていない永井明と柳家小里んにまつわる「ちょっといい話」を書く。 

永井明は一昨年の七夕の日に56歳の若さで亡くなったが、「ぼくが医者をやめた理由」という本をはじめとして、医者と患者に関係する本を出し、またスローライフを薦め、自らも実践したひとです。若いひとはテレビドラマにもなったビッグコミックの「医龍」の原案を書いたひとといったほうがわかるかもしれません。実はこの永井先生はぼくの行きつけの店の常連さんだったのです。もうだいぶ前になりますが、その店に行き出してすぐの頃、そこのマスターの奥さんから”Asahi.com”のコラムに永井明がその店のことを書いているので読んでと言ってそのコピーを見せてくれた。正直言ってぼくはそれまで永井明という名前は、本屋の文庫棚に置いてあるのを見た程度で何も知らないに等しかった。

でさっそく「ぼくが医者をやめた理由」を買ってきて読んだのですが、あるとき読みかけの本を持って店で呑んでいたら永井明がひとりで入ってきたのです。すかさず、持っていた本にサインしてもらい、少し酔っていたせいで読んだ感想をえらそうに言って苦笑させてしまいました。それが、永井明との最初の出会いです。

それからの永井先生のことはまた別の機会に譲るとして、さてちょっといい話のことです。

永井先生は、肝臓ガンで亡くなられたのですが、入院や延命治療もせず、亡くなられる少し前もさすがにあまり呑めませんでしたが普段通り呑みに来ていたし、医者でありながら(いや医者をやめたからなのかもしれませんが)医療を拒否し天命を全うする姿に非常に感動しました。この話はすごくいい話で、ちょっといい話はこれからです。

先生がもう命の火が消えそうだというときに、最後に落語聴きたいと言ったそうです。先生は落語が好きで船医をしているときは船の上で落語のCDを聞きながら一杯呑むのが楽しいと語っていたし、落語会で姿を見かけることもありました。聞きたい落語はもちろん柳家小里んの噺です。永井先生と小里ん師匠は同じ店での呑み仲間で友達なのです。付き添っていたマスターの井上さんがすぐに小里ん師匠に連絡をとったのですが、あいにく北海道かどこか遠くにいたんです。師匠はすぐに戻ることにし、さてもうすぐ臨終というひとの枕もとで一体どんな噺をすればよいのか。やっと間に合って帰ってきて思い切って噺を始めました。

それは「親子酒」でした。”もうむちゃくちゃにぎやかなものにしようと思って” あとで小里ん師匠が井上さんに語ったそうです。それからしばらくして亡くなったのです。

もう2年以上も経ってしまったが、いまでも静かにギムレットを呑む永井先生の姿が目に浮かんできます。

2006年11月08日

自転車に乗って展覧会

いま、日本画家の坂本武典さんからホームページのリニューアルを依頼されている。坂本画伯は熱海在住のまだ30歳の若さだが実績もあるエライ画家さんです。すでにホームページを持っているのですが、作ったデザイナーもどこかに行ってしまい、メンテが全然できなくて困ってウチに相談にきて、このあいだお会いしていろいろお話しました。画家というからいわゆる芸術家肌のひとかなあと思っていたらそうではなく、気さくなひとで、絵以外にも本を書いたり、居酒屋をプロデュースしたりと多様な分野で活躍されています。

そのとき、展覧会があるということで案内をいただいたので行くことにしました。展覧会は、ひとつは銀座の松屋の画廊で開かれている「グループ耕 日本画展」で、これは高山辰雄の門下生の展覧会で坂本画伯はそこに所属しています。出品されていたのは「樹」と題した太い樹木を描いた作品で来宮神社の大楠を描いたそうです。ボクは絵のことはよくわからないのですが、好きな色使い、筆のタッチでいい感じでした。

もうひとつは、上野の東京都美術館で開かれている日展を見にいきました。坂本画伯はこの秋の日展でみごと入選していたのです。すごいのは、今秋の入選を含めて春・秋あわせて何と17回の入選をはたしているひとなのです。ここの作品は熱海湾の港で働く青年を描いた150号の大作で、群青色を基調としたこれまたいい感じで仕上がった絵でありました。

このふたつの展覧会を1日で回ることにしたので、自転車を借りることにしました。え東京で自転車と驚かれたり、借りられるの?と思われるかもしれませんが、実は借りられるところが何箇所かあるんですね。秋葉原、有楽町、春日といったところですが、今回は有楽町の「無印良品」でやっている貸自転車を利用。1日中それも夜8時まで乗れて525円という値段なので電車を乗り継ぐよりも安く、さらに自転車のいいところは、小回りが効き、行動範囲が格段に拡がることで、小さな路地をスイスイ行けるし、すぐに立ち止まることもでき、誠に快適であります。

ということで、銀座から上野の森まで自転車でゆっくり、途中で神田のガード下の「アド街ック天国」に出ていた店をチェックしながら、今夜の酒はどこで呑もうかと考えながら走ったのであります。

自転車の効用

自転車で上野の森や池波正太郎の世界を行く話をしましたが、東京の街を自転車で走るのはお薦めですね。このよさに気付いたのは、半年前までの1年半ほどの間、学生の下の息子とふたりで文京区白山に住んでいたことがあって、そのとき買い物などの足にと自転車を買って乗っていたときのことです。

本宅(この言い方もおかしいが)は鎌倉にあって、いわば二地域住居者をやっていました。この生活は、経済的なことを除くといいことばかりで満喫しました。ただ、基本的に平日は白山にいて週末鎌倉に帰るという生活パターンですので休日に東京を巡る機会はそう多くはなかったのが残念でした。

以前ご紹介したレンタコーチの中村洋さんもニ地域住居者でして、浅草に自分のマンションを持っているのでずっとその暮らしをしていてうらやましい限りです。(週末を浅草で暮らす)それで、たまに休日に白山にいるともううれしくて自転車に乗ってあちこち行くことになる。白山というのはだいたい東京の真ん中にあるんですね。だからそこから東西南北1日あればどこへでも行けます。

自転車に乗っていて気が付くことのひとつに、東京はなんて坂が多い街なんだろうということです。白山の住まい自体が坂の途中にあったのですが、その周辺も司馬遼太郎の「街道を行く 本郷界隈」にも出てくるように小高い台地だったそうで、というより徳川家康が幕府を開いたとき江戸は山ばかりだったと言われています。ちなみに「東京23区の坂道」という坂に関するサイトがあって(世の中暇な人がいるんですね)、それによると確認できている数で642だそうで、文京区が一番多いとのこと。だから、独断的に言うと電動自転車の普及率が最も高いのは東京都ではないだろうか、主婦がやたら電動自転車で走りまわっていますよ。

その頭があったので、例の無印良品で最初に自転車を借りるときはもう即座に”電動自転車にしてください”と叫んでしまった。(いいでしょ電動自転車が借りられるんですよ、しかも同じ値段で)それでこのときも上野・浅草・谷根千方面に出かけ、帰りが両国、深川、月島方面というコースだったのですが、何と帰りに深川あたりでバッテリーが。バッテリーが切れた電動自転車で坂道を登るのは一転悲劇となり、自転車はもうただ重たいだけのワッパと化し、真夏だったので大汗をかいてやっと有楽町に帰還しました。だから今はごく普通のタイプにしているというわけです。

2006年11月13日

人間って変わらないなあとあらためて思う

昨日、高田馬場で大学の同窓会があった。ぼくはこれでも大学では応用化学を学んだのだ。その学科の全年代にわたる集まりは頻繁にやっているんだけど、今回は初めて同じ学年だけを対象に開かれたのだ。

話はそれるが、その全年代が対象の集まりは、どうもキャンパスが移動する前とその後で卒業した人で出席率が違うようで、キャンパスを移動する前に卒業した人たちのほうがはるかに出席率がいいそうだ。キャンパスが変わったからということではなく要はそれを境に学生数が大幅に増えた結果のようだ。

ところが、あいにくぼくは昼に用事が入ってしまったので、そのあとの2次会、これは同じ研究室だけで集まることになったのだが、そこに参加することになった。同学年の出席者数がたったの25人だったとのこと、そのうちわれらの研究室の人間が5人ということで最も出席率が高かったそうだ。

2次会はぼくを加えて6名ということで、山口県と福岡県に住んでいる2人は欠席となった。いきなり、みんな死んだヤツも離婚したヤツもいなくてよかったなあから始まり、昔の話や連れ合い、子供のことで盛りあがったのである。この仲間との同窓会は14年まえにもやっていたので、だいたいの頭の薄さや白さ、腹の出具合がわかっていてすんなり話に入れた。かれこれ3時間くらいおしゃべりしたがもう全く昔と同じで、やかましくて人の話をきかないやつ、おとなしく酒をのんでいるやつとそれぞれ全然変わっていないのです。

実はわれらの仲間に紅一点の女性がいるのです。当時理科系に来る女性は少なかったのですごく珍しがられていたのですが、いまや4人のお子さんがいるおばさんです。で彼女の口から”ワダく~ん”と呼ばれてしまい、えオレ今いくつだったけっかと一瞬とまどってしまった。

ということで、この次はみんなが定年になったらまた集まりましょうということで別れたのであります。

2006年12月15日

ちょっといい話その2

サーバー室にもなっている家の納戸がごちゃごちゃなので、息子たちと片付けを始め、壊れた椅子を粗大ごみで捨てにいくことになった。そのとき、この間新橋の小料理屋がなくなるという話を書いたあとだったので、ふとあるひとのことを思い出してしまった。

新橋の烏森口からちょっと行ったところにTという小料理屋があった。おばさんがひとりでやっている店で、ぼくはもうかれこれ15年ほど前に会社の先輩につれていってもらってから、時々寄っていた店です。けっしてきれいなところではなく、むしろきたないと言ったほうがいいかもしれないところだが、気さくな感じで気に入っていました。そこによく来るお客さんでHさんという、もうその当時80歳近くになるおじいさんがいました。ほとんど一人で来るのですが、たまに呑みすぎたときなど家族が心配して連れにきたりしますが、その歳でもしっかりして、ぼくもひとりなので隣合わせになったりするといろいろ話をしてくれます。

Hさんは、自分でH製作所という椅子を製造する会社を起こし、今は子供にその会社を任せて、まあ引退しているわけです。しかし、しょっちゅう会社に顔を出して、あれこれ言うらしいのです。ですから、若い人から煙たがられていて、どうもその鬱憤をはらすために呑みにきているらしく、いまの若いやつはなってないと嘆いてはまた一杯というわけです。

ただあるとき、何がきっかっけだったか忘れたが、実に面白い話をきくことができました。Hさんの会社は、高級な椅子や特殊な椅子の製作では腕がいいという評判で、そういう注文が来る。例えばの話として、船の船長の椅子って作るのが難しいがどこが難しいかわかりますか、難しいのは、足の長さなんだそうです。船の甲板は水平ではないんですね。傾いているんです。だから、座ったときに平らになるようおに足の長さを調節するのが難しいのだそうだ。この話がいい話ではありません。その後の話です。

あるとき、外務大臣も努めたかの有名な藤山愛一郎の家から注文があって、書斎で使っている椅子の張替えをしてくれといってきた。もちろんHさん自らが藤山邸に出向いて、実際にその椅子を見たとき唸ったのだ。”おお、この椅子はオレ作ったものだ”というと、周りの人はまさかという顔で、”えどうしてわかるの、本当かい”と答える。”絶対にこれはオレが作ったものだ、作ったオレが言うんだから間違いない”というわけで、実際に椅子をばらしだした。しばらくして解体が終わろうとしたとき、椅子の見えない支柱のところになんとHさんの名前が刻まれていたのだ。一同唖然として、さらにこれいつ作ったのか、するとHさんが20歳ころに作ったものらしいことが判明。ということは、30年くらい前のものでそれをずっと使っていたのであって、またそれを直して使おうとしていることにまた驚き。

そんな話を酔って呂律も回らなくなりながら語ってくれました。おそらくもう亡くなっていらっしゃると思いますが、本当に自分の仕事に誇りを持って生きた職人がだんだんいなくなっていくんだなあと寂しくなります。

2006年12月17日

リアルミクシー

このあいだから「mixi」に入って、いろいろな人たちとコミュニケーションしていますが、もちろん「mixi」ではなくても、現実の世界も「mixi」的なコミュニティはあるんですね。いまから”銀座の呑み屋コミュ”の話をします。

昨日、村上和雄の遺伝子の話をしましたが、この人とその著書を教えてくれたのが、銀座にあったSというバーのママでした。もう3年くらい前にやめて店もなくなってしまいましたが、それまではときどき呑みにいったところです。ぼくは、いきつけの店が銀座にいくつかあるんだけど、みんなに高いんでしょとよく言われのですが、そんなに高くなくていい店があるのも銀座です。もちろんガキの行くところではないけどね。さすがに銀座の女の子は話が面白いし、たまにびっくりするような教養をもった子もいて、昔よくいたような、店に入るなり一曲どうぞしか言えないオネエチャンと比べて格段に違う。でそのSのママが最近面白い本があるから読めとぼくに薦めてくれたのが村上和雄の「人生の暗号」という本でした。それを読んで衝撃を受けたことはすでに書いた。

その店がなくなってしまたので、行くところが減ってしまうので、その元ママにどこかいいところを教えてよねと言って紹介されたのが、いまでも時々行くYという店です。まず不思議なのは普通店を仕切るのはママさんですよねえ、ところがそこは”パパ”さんです。そんなことはどうでもいいんだが、ここは結構若い子がいるんだけど、映画や本の話をすると受けがいいのでよくする。要するに、呑み屋のオネエチャンにもてるには「シネマと書店とスタジアム」の話が一番なんです。

あるとき何と池波正太郎のファンだというはたちそこそこの子が登場。なかでも「剣客商売」の秋山小兵衛が大好きだと言うんだ。ぼくもファンであるいうことも前に書いたが、こんな若い子が秋山小兵衛が好きだとは恐れ入った。そういえば、秋山小兵衛はたしか60歳くらいで20歳のおはるを嫁さんにしている。おっと変な妄想はやめよう。

それから、別の映画好きの女の子に「暗い日曜日」というハンガリー映画を教えてもらって、それを観てすごく感動したこともある。この映画は、男二人と女一人が登場するんだけど、このパターンっていうのは、ぼくの一番好きな映画の「冒険者たち」と同じシチュエーションなんだ。日本でもそれをマネした「宿無」という映画があった。驚くなかれ、高倉健、勝新太郎、梶芽衣子が主演という豪華版ですぞ。ちょっと話がそれた。

というわけで、相対の人からいろいろな情報が入ってきたりする世界がまだまだあるのだ。それは、会社のようなフォーマルな組織というより、銀座の呑み屋のようなインフォーマルな世界のほうが面白いことが多いような気がする。

2006年12月25日

いいことあるかもしれない

 昨日、車に乗っていて何気なく累計走行距離のメータに切り替えたら、げーもうすぐ7が並ぶぞ。というわけで下の写真のようにきれいに7が5コ並んだのであります。あわてて写真撮ったので車のカウンターだかわかんないけどまあいいじゃないっすか。
 しかも、クリスマスイブに、このラッキーセブン・セブン・・・・。別に必ずこの距離は通るのでいつも見ていればブチあたることだから、そんな喜ぶなと言われてしまうが、チャンスは100m車が走る短い時間のことだから、それをたまたま見ていたのがうれしくて。
 きっと、来年はいいことが起こるはずだ。

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2007年01月29日

インドの衝撃

昨日、NHKスペシャルで「インドの衝撃」というのをやっていた。第一回目は、「わき上がる頭脳パワー」でIT産業を中心に躍進するインドの姿を映し出したものです。前に紹介したトーマス・フリードマンの「フラット化する世界」に書かれていることが映像として実感した。フリードマンやその本に出てくるインフォシスという会社のCEOであるナンダン・ニレカニも登場する。本を読んでいたのでだいたいのことはわかっていたが、あらためて衝撃を受けた。

特にIIT(インド工科大学)を頂点とした教育のシステムや教え方は驚きであった。論理的思考を徹底的に鍛える独自の教育から多くの優秀な人材が生み出されていく様は、世界中の技術系人材はインドから輩出されるのではないかと思わせる。日本では、理科離れが顕著だが、科学的な思考プロセスを学ぶことの大切さに気がつかないと大変なことになる。

と思いつつ、ふと、待てよもう少し前は日本人も似たようなことを言われていたのではないかなという気がした。日本人の優秀さや勤勉さが称賛され、これからは日本の時代だ、ジャパンアズナンバーワンだと言われたこともあった。ここで共通するのは、どうも上昇志向という熱気じゃないかと思う。番組でも、田舎の貧しいところからIITを受験する子が出ていたが、その子は村の期待を一身に背負っていて、IITを出て成功したら、村に学校を作るのが夢と語っていた姿を見ると、単純にいい学校を出て金を稼ぐのだという経済観に納得してしまう。今の日本でこうした豊かさへの希求を皆がもっているのかと考えると、少なくとも国全体の熱気みたいなものもなくなってしまっている。しかし、かつて貧しかったころの日本には、田舎から出てきていい大学を出て、いい会社に勤め、田舎の親や兄弟の暮らしをよくしようと志した若者が多くいた。

だからといって、インドがよくて日本が悪いなんて言っているわけではない。国が発展していく過程として、発展途上なのか、成熟したのかという話で、発展途上では必ず物質的豊かさの追求が先行するし、その豊かさを手に入れたくて勉強もし、一生懸命働くし、そうした上昇志向の熱気が渦巻く。インドはそんなときを迎えているということだと思う。だから、いずれ日本のようにある程度豊かになったときどうなるのか興味がわく。

いずれにしろ、現在のインドはすごいことになっている。このすごさは、これまでの日本や中国などと違う。その違いをもたらしているものはというと、頭脳パワーもさることながら、ぼくは「IT」と「英語」だと思う。しかもこの二つはグローバルに通用する武器だから、またたく間に世界中を席巻してしまうのである。

もうかれこれ5年くらい前にシリコンバレーに行ったとき、やたらカレー屋さんが多く、なぜかと聞いたらここにはインド人が多いからという答えであった。そのうち、日本にもカレー屋さんが増えてくるんじゃないでしょうか。

2007年02月03日

続けてOB会

ここのところ続けてOB会があった。ひとつは、あるコンピュータメーカーの研究会のOB会ともうひとつは大学時代のサッカー部のOB会である。

このくらいの歳になるとこうしたOB会だとか同窓会が多くなる。そのときぼくがよく言うのは、「みなもうすぐ定年なのだから、定年になったときの遊び相手を確保しておくために今こうして集まっているんだ」よねと。

コンピュータメーカーの研究会のOB会は、神田の「寿々屋」で行う。この店は、なんといっても面白いのは料理が勝手にでてくることで、しかもその量がはんぱじゃない。食べきれないのだ。それとオムレツとかポテトサラダなんかが旨い。酒が、「半田郷」といって愛知県半田市で「国盛」を作っている会社のもの。

この日の話題のひとつが、耐震強度偽装の話。メンバーの中に実際に対象となったマンションを買うことを決めたが最後にやめたひとがいたり、実は一級建築士は数多くいるが、構造計算をやるやつが少ない、なぜならこれは地味で儲からない仕事らしいとか、大手ゼネコンに頼むと高いので個人事務所に頼むケースが多いのだとかで盛り上がった。

メンバーの一人のNさんがいつも呑む前にみんなに配ってくれるものがあって、前は「スピルリナ」というクロレラみたいなヤツです。何しろ35億年前から地球に棲息している最古の植物ともいわれる栄養豊富な緑色の藻で、しかも生息環境は他の生物はほとんど生息できない強アルカリ性、高温の塩湖です。これを食べると呑んだ翌日でもすっきりするという優れもので、ここ数年愛用しています。だって、35億年前から生きているその生命力をもらえるんだぜ、身体にいいに決まっている。このおかげで一年365日毎晩呑んでも肝機能は正常です。(あまり自慢することでもないけど)

ところが、Nさんが今回配ってくれたのは、EMなんちゃらというこれまた藻のようなかたまり。それは“マコモ”という稲みたいな植物らしい。効くらしいが、いまのところスピルリナで十分だ。

だからというわけではないが、がばがば呑んでしまった。それで帰ればいいのにまた「もんぢゅーる」に寄って一杯。いつものNさんとR子さんとしばしおしゃべり。またまた帰り際に柳家小里ん師匠が息子さんの結婚式の後だといって来店。そんなわけで、どうやって電車に乗ったか覚えていない。

ところが、電車から降りるところから記憶が。というのは、東海道線の大船で降りようとしたら、ドア付近で男の人が急に倒れたのだ。そこでドアが開き乗客が降りだしたが誰も助けようとしない。でしょうがないからぼくがドアを抑えながらその男の人を抱えてホームに引きずり出したわけです。そして、ベンチに座らせたらやっと駅員さんが来て介抱してくれたのです。呑み過ぎみたいでしたが。実はこのとき、次の乗り換えの電車の終電ぎりぎりで、無視して走っていけばその終電に間に合ったので一瞬迷いましたよ。ということでタクシーで家に帰ったのですがちょっぴり気持ちが良かったのでいいかなと。

大学のサッカー部の同期会は東京駅近くの讃岐うどん「野らぼー」で8人が参加した。この会は、5年前に同期の一人が亡くなってしまい、彼の偲ぶ会という感じで始まったもので、毎年1、2回開く。

いまだにサッカーをやっているやつが2人いるが、ひとりは最近肩を脱臼して肋骨を折ったといっていた。もうひとりも3年くらい前に腕を骨折していた。そこまでやるかということと、その歳でそんなに激しいプレーをみんながするのかとびっくりした。もうぼくには到底できない。ぼくもその腕を骨折したやつと一緒に45歳までサッカーをやっていたが(神奈川県のシニアサッカーリーグというのがある)、転勤になってそういうシニアのチームが身近になかったのでやめてしまった。それ以来はもっぱら水泳です。

でいつものように学生時代のドジなエピソードを持ち出しては、またその話かよを繰り返すオヤジの呑み会と化したのであります。

2007年02月04日

報道の劣化と野党のだらしなさ

ずっと前に、タウンミーティングでやらせ発言の問題があって、それについて議論するのではなく、その結果どうなったかを問うべきであると書いた。こうしたことが、新聞やテレビの報道でよく目につく。

例えば、事務所経費の問題や柳沢厚労相の「出産する機械」発言など、そりゃそのことは悪いことだし、品格もあったもんじゃないが、発言そのものを目くじらたててぎゃあぎゃあいうことではないのであって、そうではなくて、そんなことをやっているやつ、そんな発言をするやつがやっている政治がどうなのか、国民のために役に立つことをやっているのかをチェックし、そこで議論するのが本来のマスコミの拠って立つところではないでしょうか。一昨日の朝日新聞で白石真澄東洋大学教授も同じことを言っていた。

要するに、表面上の粗探しばかりで本質的なところで議論ができていない。この点は、マスコミだけではなく野党の連中もそうだ。だから、審議拒否なんてもってのほかでちゃんと政策論争してばかなことをいうやつの化けの皮をはがせばいいと思う。表面的な粗なんてだれでも持っていて、持っているからダメというなら、そのまんま東は知事になれなかったわけで、野党もビビんないでやればいいし、マスコミもこういう問題は深く追わないことが必要だ。単なる揚げ足とりはやめよう。

同じ閣僚の発言でも久間防衛相の反米発言のほうが重要な問題で、ここでも“反米的な発言をしていること”を批判するのではなく、その考え方、方針がわが国にとって正しい方向なのかを議論すべきなのだ。

こんなことばかりだから、もう民主党がひどい、特に小沢一郎がひどい。昔のことを引っ張ることもないから、すいません今から民主党はこういう考え方でやります、自民党と違うのはこういうところですと宣言したらどうだ。論点を鮮明にして、そこに議論を集中したらいい。格差社会の評価や経済成長か財政再建かみたいなところでだいたい対立点は見えてきているんじゃないのかな。

2007年02月05日

ばあちゃんとデジタル家電

ぼくの家の前にばあちゃん(といってもぼくの母親だけど)が一人で住んでいて、いまぼくはその一室を事務所代わりに使わせてもらっている。

この状況はけっこう快適なのだ。どうしてかというと、まず会社をやめて家で仕事をすると言ったら、嫁はんに開口一番“ええ~、お父さん毎日ウチにいるのお~”と露骨にいやな顔をされた。それでというわけではないが、ばあちゃんの家の応接間を少し整理して事務所みたいにして、毎日そこに通っている。ぼくにとっても自分の部屋で仕事をするより、一応家を出て30秒歩いて出勤するので気持ちとしてはけじめがつく。また、嫁はんは粗大ごみがひとつ減るから喜ぶし、ばあちゃんはいま85歳なんだけど、息子がそばにいてくれるから安心のようで、夕方になると“いまからお風呂に入るからもし私が倒れたら助けに来てくれ”といつも言っていく。だから三者がハッピーである。

そのばあちゃんの楽しみがテレビで、すごくよく見る(余談ですが、年寄りというのはなぜ時代劇と大相撲があんなに好きなんだろう)。ところが、寝るのが早いものだから、夜9時頃からの番組を見ることができないので、最近そんなときビデオにとっておけたらなあと言い出だした。

はたして、85歳のばあちゃんがビデオを扱えるかと考えたら、そうだ今はハードディスクがある(残念ながらわが家はまだVHSビデオレコーダーとDVDプレイヤーです)と気がついた。ビデオは無理でもHDDならできるかもしれないと思って買いにいった。それも機能が少ない最もシンプルなものを捜した。

パイオニアのDVR-504Hという機種を選定、何よりもリモコンの操作性が気に入った。「番組表」と「見る」というボタンで基本的なことができてしまう。とは言え、85歳だからまだぼくが録画してあげて、見るだけにしている。

そんなことで、映画も借りて見れるからと言ったら、“じゃ「佐賀のがばいばあちゃん」が見たい"と言い出したので、借りてきて見ていた。この映画をみたあとすぐにぼくのところに来て、昔はみんな貧乏でなあという話をひとしきりしていった。

ばあちゃんには、携帯電話も持たせているけど、携帯は年寄り向けのものがあるが、テレビやビデオ(それ以外の家電製品全般に言えることだが)年寄りが扱える単機能のものを作って欲しい。それか、いまの余分な機能は全部デフォルトにしておいて、それを操作したかったら孫に聞いてくれというのが出てこないかなあ。家族みんなでハッピーになる製品は売れまっせ。

2007年02月08日

極私的健康法

ちょっと前に、スピルリナというサプリメントみたいなものを飲んでいることと水泳をしていると書いたが、健康にいいのでずっとプール通いをしている。もうかれこれ12年になるが、週に1~2回泳ぐ。泳ぐと言っても奥田英朗の「インザプール」のように中毒的に泳ぐわけではなく、せいぜい長くても1キロ弱程度で、それと泳いだ後20分くらい水中歩行を行う。

いま通っているのは、最近できた家の近くの市営プールです。その前までは、街のフィットネスクラブにプール会員というのがあって、それに入会して行っていました。でもこのフィットネスクラブには2つの不満があって、ひとつにはジャグジーがないのだ。厳密にいうとあることはあるのだが、水風呂で情けないジェットが吹き出ているというもので、こんなところに入っていられない。

もうひとつは、そのーフィットネスクラブだからいろいろなメニューがあって、アクアビクスという水中エアロビクスと水中歩行がある。このメニューの参加者はほぼおばさんで、このメニューを横でやっているところで泳ぐのですが、もう海で泳いでいる状態になる。そうです、アクアビクスで跳ねると波が立ち、水中歩行で歩くと渦が巻く。で何回水を飲んだことか。

そんなわけでその市営プールができたらすぐに脱会して、市営プールに切り替えた。何しろ新しいので設備もちゃんとしていてサウナこそないが、採暖室でも十分汗をかけるし、勢いよく噴射するジャグジーがあるのですごく快適だ。

プールの過ごし方も順番があって、まず採暖室に入って柔軟体操と例のクンバハカ体勢で汗を流します。そして、泳ぐのと水中歩行のあとジャグジーで身体をほぐすわけですが、ここで腰、肩、背中もさることながら、実は胃と肝臓をジェット噴射を入念に当てるのです。これは、ずっと前に誰かが言っていたと思うのだが、昔の女郎さんは酒を呑んで酔っ払っても更に呑めとお客さんに言われると自分の手で肝臓を揉みほぐすとまた呑めたそうです。そうジャグジーに入っていると胃や肝臓についている変なものをジェット流が篩い落としてくれそうだと思いませんか。

まあ、健康法なんて本人がいいと思ってやっていることが一番の健康法かもしれません、だって効くかどうかではなく、ああ気持ちよかったと思った瞬間にストレスが解消されるのですからね。

2007年02月11日

素人の投稿

最近やたらと投稿番組が増えている。お題を決めて一般の視聴者から答えを募るという形式、むかし「ボキャブラ天国」というのがはやったがあの類だ。「空耳アワー」もそうだ。これは、ネットの影響だと思うが、テレビ局の安易な制作態度にいささか文句を言いたい。呑み会の芸みたいなのがもてはやされたりするのも同じ話だ。やっぱり、プロが知恵と技術で作った番組がいいのであって、所詮素人は底が浅い。

どうも、ネット時代の傾向として“総素人化”になる傾向をあるようだ。これは、テレビだけの話ではなく、ビジネスやその他の分野でも言えるような気がする。今はそれこそいろんなジャンルの情報が溢れていて、そこそこのことはできるから、プロの手を借りなくても自分で何でもできるような錯覚に陥る。集合知というのも確かに分かるけど、フツーの10人の集合知は1人のプロにはかなわないのです。だから、いまこそきちんと勉強もし、修業もしたプロフェッショナルが必要になっていると強く思う。

でその素人の投稿番組がつまらないかというと、うまく生かしているともちろんそれなりに面白い。ここで、ぶつぶつ言いながら見ていて思わず吹き出してしまったちょっとエロっぽいネタを一つ。
「明石家さんちゃんねる」という番組で、ちょっとした勘違いや言い間違いについて視聴者から投稿してもらって、そのネタをもとにコント仕立てにするというのがある。結婚式で新婦の上司が祝辞を述べた時の言い間違え。

“ええー新婦は会社でも3本の指が入る美人でして...”チャンチャン。

ということで、さらに巷にあったおもしろいコピーを2つほど。
このあいだ車に乗って渋滞に巻き込まれたので、隣を走っている車を眺めていたら、タンクローリーの車体につぎのような文章が書いてあった。
「法定速度順守、お先にどうぞ」
これって、よく考えると、スピード違反をけしかけていると思いませんか。

さて、次の写真はぼくのよく行く店にかけてある。さて何と読むのでしょうか。
実は、答えが左下に書いてあるんだけど、最初は書いてなかったのです。みな読めなかったのであとから書き足したというわけです。それでも意味が分からないひとはいますか?

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そうだ、ぼくもテレビに投稿してみようかな。ええー。

2007年02月19日

ちょっといい話その4

昨日、「東京マラソン2007」があって、フルマラソンを走っている市民ランナーと優勝者へ月桂冠を渡す石原都知事をテレビで見ていたら、ふとあることを思い出した。

ぼくの高校の1年先輩に植松二郎という作家がいる。「ペンフレンド」で毎日児童小説最優秀賞を、「春陽のベリーロール」で織田作之助賞を受賞。そのほか「人びとの走路」という市民ランナーの話の本も上梓している。この人は、自身でもずっと走り続けていて、その体験をもとに「人びとの走路」を書いている。

植松さんはサッカー部の先輩で、以前にも書いたが、その昔関東高校サッカー大会に優勝したときのメンバーのひとりです。その植松さんがもうずいぶん前になるが、ある雑誌でそのときのエピソードを書いていて、その話が“ちょっといい話”なのだ。書いているのが作家だから素晴らしい名文で感動したことを覚えている。記憶をたどりながらその話とそれにまつわるいくつかのおもしろい話をする。

そのとき、サッカー部の顧問にI先生という、大先輩で何代も前の監督だった有名なひとがいた。話はその先生のことである。

大会では、一回戦を抽選勝ちするとあれよあれよと勝ち進み、決勝戦で見事東京代表の帝京高校を破って優勝してしまった。前に書いたが、そのあとの全国大会では、逆に一回戦で抽選負けだったのでほんのちょっとの差で結果がぜんぜん違うという両極端の経験をした。

さて、その大会は茨城県の水戸で一週間くらいで行われたが、I先生は日課として、試合が終わると夕食までの間、好きなパチンコをしに近くにでかけていく。1回戦で抽選勝ちした夜、「おい、やっぱりツイているぞ」と言って、景品のチョコレートをいっぱい持って帰ってこられる。生徒たちは、食べるのもうれしいのと同時に、ほんとについているらしいという気にもなってくる。2回戦、3回戦も同じようにしてチョコレートも持って帰ってくる。それをみていると明日もツキはこちらだという気分になってくる。それで優勝である。

ところが、大会から帰って、皆でいろいろな話をしているうちに、まてよ、先生が持ってきたチョコレートが入った紙袋は確かどこかの菓子屋の名前が入ったやつじゃなかったのかと気がつきだした。植松さんは、その真相を故I先生に聞く機会をもてなかったので本当はどうだったか分からないけど、そんなことはどうでもよくてツキを呼んでくれたチョコレートよありがとうと結んでいる。そんな、いい話を思いだして書いてみた。

ぼくもI先生語録を少し。実は石原慎太郎もサッカー部の大先輩でI先生は「石原慎太郎はへたくそでなあ、石を投げて指導した」というような話をされていた。だからぼくは、テレビで石原慎太郎の顔を見て、この話を思い出しニヤッとしている。

また、I先生は、英語の先生だったので、普通ぼくらは、いいシュートを打つと「ナイスシュート」と言いますが、そう言うと「違う、ナイスショットと言え」、過去形じゃないとダメなんです。そういう厳格さも持ち合わせていました。

最後にこれはけっこう今でも刷り込まれていることがある。よくゴールするとみんな抱き合って喜びますよね、ところが、大喜びしようものなら、「ばかもん、そんなことで喜ぶんじゃねえ」と一喝される。これには、どうも2つの意味があったのがわかった。ひとつは、点を入れるのが当たり前のような顔をしろ、そうすれば、相手をもっと威圧できるのだからということと、もうひとつは、相反するようなことかもしれないが、大喜びするのは相手に失礼だろうということだったと思う。勝者は敗者の前で謙虚であらねばならぬということなのです。

I先生はもう四半世紀まえに亡くなられているが、いまだに、ぼくが現役のとき怒られたことをきのうのことのように思い出す。

2007年02月24日

ばあちゃんとデジタル家電その2

うちの85歳になるばあちゃんがDVDレコーダーを買った話は前にした。ところが、最近テレビが故障で見えなくなってしまった。そんなわけで、新しいテレビを買うことになり、これからは地デジだから、それに対応したテレビにしようと言ったら、「わたしゃ、もうすぐ死ぬから、いままでのようなのでいいよ」と言う。でも、もはや地デジ対応液晶のテレビしかないと言って、それを買うことにした。

そうなると「あたしゃ、吉永小百合のテレビがいいや」となる。ところが、電器屋にいくと、“お客さんAquosよりこちらの日立のほうがいいですよ、何ったってこの「IPSαパネル」が一番ですよ、それに音もいい”と言われ、耳が遠くなったばあちゃんは、何となくじゃそれってことになった。

まずは、ばあちゃんが喜んだのは薄くて軽くなったことで、以前年寄りにはでかいほうがいいと思ってぼくが勝手にブラウン管の29インチ買ってきたら、それからずっとおまえはこんなでかいものを買ってきてとぶつぶつ言われ続けたので、これでほっとした。

ただ、ここで不満が二つ出てきた。ひとつは画面が横に細長いのが気にいらないようだ。どうも、水戸黄門の印籠が半分しか写らないのだそうだ。こりゃ、ご威光が半減だ。

もうひとつは、オフタイマーの設定が今までは一発ボタンで行けたのが、今度はメニューを押して、次にオフタイマーを選定して、次に時間をと言う具合に複雑になっている。こりゃ、ばあちゃんにはつらいぜ。結局、どんどん機能が増えてきて操作も面倒になるのは困ったものだ。とくに、リモコンは絶対にシンプルにすべきだ。だって、ばあちゃんの使うのは、電源のon/Offとチャネル、音量、オフタイマーだけで十分なのだ。だからこのユーザインターフェースをもっと年寄り向きにシンプルなものにしてくれないかなあ。

今、Webページなんかに対してAccessibilityということが言われているのに、もう少し家電の領域でのAccessibilityを何とかして欲しい。

こうなってくると、「親子で紐解くWeb2.0」の番外編として、ばあちゃんと一緒に「親子で紐解くデジタルツール」でも始めようかな。次は、インターネットはどうかと思って、この間、株のホームトレードというのをぼくのパソコンでやりだした。まだ、操作はぼくがやってあげているが、そのうち自分でできるように仕込もうかと思うが、ちょっと(かなり?)ハードルが高いか。

2007年02月26日

もうすぐ春ですねえ♪

今日は素晴らしい青空で思わず口ずさむ。家から見る富士山もくっきり。それと、庭の梅の木が例年より早く花をふくらませて満開だ。これこそ、SOHOの醍醐味というものであろう。


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2007年03月05日

疑わしきは罰せよ!?

「それでもぼくはやってない」では、「疑わしきは被告人の利益に」なるはずが、無実を証明できないため有罪になってしまったが、その理屈を他のところにあてはめるとどうなるのだろうか。

最近話題の「タミフル」は、服用後の異常行動との因果関係は証明されていないが、疑わしいと思える。タミフルの無実だって証明するのは難しいから、なぜ有罪とならないのだろうか。タミフルに冤罪はあるのか。冤罪がわかったとしてもタミフルの失われた人生を返せとなるのか、ならないのか。あるとすれば、タミフルを使用禁止したおかげでインフルエンザで死ぬひとが増えた場合だ。だから、厚労省も薬害と思われるのはいやだからではなく、薬には副作用があるがそれ以上に効能のほうが勝っているから使わざるを得ないとはっきり言えばいい。そうじゃないとなぜ使用禁止にならないのかという声が大きくなる。

そんなことを考えていたら、九州の光化学スモッグが最近増加してどんよりとした空が多くなってきたという報道があった。その原因はどうも中国らしい。中国大陸の工場や車から排出される汚染ガスが飛んでくるようだ。これも疑わしいという話だが、この場合は中国に光化学スモッグの原因がそちらにないことを証明しろもしできなかったら罰するぞなんて言えないですよね。そうなると、疑わしきは罰せずということになり、結局は疑わしいことが闊歩することになる。

と書いてみて、そうなんだぼくを含めて普通の人々は、こころの奥で疑わしくは罰すべきだと思っていることに気がついた。それが、「それでもぼくはやってない」のように冤罪を生む土壌になっていると言ったら大げさだろうか。

2007年03月10日

ブログの書き方

ここ数日、何となく元気がでない。このブログもビジネス関連を続けているが、他のネタであまり書いていない。でもだんだん快復してきたので何を書こうかなあと思案していたら、そもそもブログというのは何なのかと考えてしまった。日記なのか、備忘録なのか、エッセイなのか、時事批評なのかと、でもこれは別に枠にはめなくてもいいわけで、自分の好きなように書けばいいだけという当たり前の結論。

ただ、自分はこういうブログを書くのだというちょっとしたポリシーは要るかもねということと、日記や備忘録ではなく、自分の考えとか思いを書きたいとなると、自ずとその書き方というものがあるような気がする。やはり、たかがブログだけれど、根底に誰かに読んでほしいというのがあるのだから、読みやすい、わかりやすい書き方というものもあるはずだ。

そんなことに関して、梅田望夫さんがなるほどと思わせるいいことを自身のブログに書いていた。梅田さんは、文章を書くときの重要な3つの要素を「構造化」、「想定読者」、「書き手の個性」だと言っている。

「構造化」というのは、対象を幅広い視点から俯瞰して理解することで、「想定読者」は文字通り誰に読まれたいのか、訴えたいのかで書き方も変わるということ、そして、「書き手の個性」ということで、前2つはいわば普遍的なものであるので、それだけだと同じものになるかもしれないので、書き手による差別化が要る。読者は実は文章の向こうの「書いてる人」を読みたいものだという。梅田さんはそういうことをいつも考えながら文章を書いているそうだ。まさにこの3要素は重要で、ぼくもすごく難しくて実行できているかお寒い話ではあるが努力しようと思う。

このような、文章表現のお手本は「天声人語」(他の新聞社も含めて1面下のコラムのこと。いまは、読売新聞の「編集手帳」のほうがおもしろいが)なのかもしれない。あの限られた字数のなかで、起承転結をきちんとさせて、読書をうならせる術はたいしたものだ。ただ、ぼくらとぜんぜん違うのは、参照するデータベースがものすごいから、関連する情報がぽんぽん飛び出すので、文章に重みがある。

それで今日の朝日新聞を読んでいたら、「~天声人語から書く~  現役高校生の天声新語コンクール」の記事があった。これは、「天声人語」の第一段落に続く文章を競い合うもので、その結果が出ていた。この第一段落というのは、「ニュースの関心度を測る物差しはいろいろあるが、現場が遠いか近いかもその一つ。地球の裏側の都市で五十軒焼けた火事よりも、隣町のぼや騒ぎの方が、とかく耳目を集める」でこのあとに文章を続ける設定である。

最優秀賞に輝いたのは1年生の女子高生で、高校に電車で通うようになって、駅までの間で見かけるものが新鮮で面白く感じ、それが毎日変わることを自分だけが気づくことかもしれないが、新聞で読む世界の出来事と同じくらい大事なことだというようなことを書いていた。すごくセンスのいい文章で感心させられる。きっと彼女のブログ(あるかどうか知りませんが)も素晴らしいのではないでしょうか。

しかし、受賞した9人のうち8人が女子高生という完全な女性上位という結果。最近の文学賞の受賞者も女性が多いし、文章を書く能力は女性が優れているのかなあと嘆いているのであります。男性諸君がんばりましょう。

2007年03月11日

お金の持ち歩き方

少し前に財布を落としてからじっと家にいておとなしくしている。財布を落としたことを嫁はん(この表現はOKなのかな?家内って言ってはいけないそうだから)からなじられるし、実質的にも、現金、キャッシュカード、クレジットカード、免許症、Suica、各種プリペイドカード、病院の診察券、会員カード、各種ポイントカード、呑み屋のおねえちゃんの名刺、みんななくなってしまった。とほほ。

大船の居酒屋で呑んでいてその店で財布からお金を出して、お釣りを直接ポケットに入れたところまで覚えていて、歩いて駅まで行ってすぐにタクシーに乗って、タクシー代はそのポケットにいれたお釣りで払った。そしてタクシーを降りて家に入ろうとしたら財布のないことに気づき、幸いタクシーがUターンして来たので止めて中を確かめたけどないのだ。ですぐ呑んでいた店へ電話したが見当たりませんという返事。万事休す。

その日のうちにキャッシュカードとクレジットカードを止めて、翌日すぐに交番に紛失届けを出し、二俣川に行って免許証の再交付をしてもらう。おお、金と時間のロス。しばらく買いたいものも買えない、呑むのも控えてという情けない状況になった。

ここでちょっと腹立ったのは、病院の診察券の再発行にお金がかかることで、ある病院で「再発行にはお金がかかりますがどうしますか?」、え、どうしますと言われても、よほど「再発行しなかったらどうなるんですか、診察してくれなんですか?」と聞き返そうと思ったがやめた。

ぼくは、いままで財布を持っていなかった。厳密に言うと、お金は財布に入れて持たないことにしていた。それと、カードや免許証は持ち歩かないことにしていた。なぜって、落とすかもしれないからで、よくズボンのお尻のポケットに半分出かかっている財布をみかけるが、そんなのを見ていると危ないからなのだ。それが、家で仕事をするようになると結構カードを使う機会が増えるし、自分を証明するのに免許証がいることもあって財布を買って使っていた。

というわけで、あれからは、財布は持たず現金をそのままポケットに入れ、カード、免許証は持ち歩かないことにした。まあ、みなさんも気をつけてください。

2007年03月17日

経営者の覚悟

ホリエモンが昨日東京地裁で実刑判決を受けた。この手の事件で執行猶予もつかない実刑判決というのは異例だ。粉飾決算の例ならカネボウだとか山一證券などがあるがいずれも執行猶予がついている。

なぜこうした厳しい判決が出たかというと、ほぼ間違いなかろう起訴事実を認めていないことと反省の色が全くないことだろう。事実認定については、それはそれで裁判として争えばいいが、ここで言いたいのは経営者としての責任について認めていないことで、これにはすごく怒りを覚える。

宮内被告が勝手にやったことで自分は何も知らなかったと吼えているが、100歩譲ってそうであったとしても、お前には責任があるのだ。

近頃、経営者が不祥事があると決まって報道陣の前で頭を下げる光景を目にするが、あまり感じがいいものではないとは思うが、経営者が知らないところで部下が悪いことをしたとしても、当然監督責任が問われるのだ。それが会社というものであり、「法人」としてのヒトの振る舞いだと思う。

また、今回でも堀江は“宮内のところで売上げがすごく伸びていたことは知っていたが、それは彼にまかせてあったから信用した”というようなことを述べている。これって、経営者としては全く失格で、そこでなぜ売上げの伸びが異常であったのか、その原因は何か、そういうことを精査し、財務状況をきちんと正確に把握するのは当たり前だし、それで経営が成り立っている。

さらに、会社の人事は経営者にとっても重いもので、経営者の権限の最大のものは人事権であると同時に任命責任は非常に大きい。だから、堀江が自分で任命した部下が不正を働いたのに私には責任ありませんというようなことをよく言えるかとあきれてしまう。

極論すれば、会社の中で起きた不正はすべて組織の責任だ。経営者というのは、そうした覚悟をもって、会社をつくり、経営をしていくものなのだ。

再度、「会社はだれのものか」を書いた岩井克人の言葉を噛みしめてほしい。

会社のどまんなかには、実は、利益追求とまったく対立する経営者の「倫理」があるんですよ。これが入っていないと、そもそも会社制度がなりたたない。自己利益を追求する資本主義には、倫理が本質的に入りこんでいるというのです。

2007年03月26日

脳科学に行きつくのか(その1 錯視)

最近、脳科学がはやりなのか、茂木さんの本を筆頭に多く出版されているし、マスコミにも取り上げられている。だからというわけではないだろおうが、様々な分野の人たちがなんか最後は脳でしょみたいに論じている。で、それらを紹介しようと思うが、全く違った分野のお話です。まずは、「錯視」のことから、「心理経済学」、「プログラミング」に至るのですが、面白いですよね、このバラエティさは。

こんな話が書けるのは、まさにインターネットのおかげです。これまでだったら、大学の先生の研究がどんなことをやっているのかなんて調べようがなかったのに、今はインターネットでだいたいの研究内容や成果がわかるようになっています。それと、インターネット本来的に持つの最大の利点であるハイパーリンクにより、関連情報が“いもずる”式に得られる。そういう意味では、ものすごく情報取得コストが安くなった。

さて、最初の「錯視」のことだが、簡単にいうと目の錯覚のこと、これは見間違いとは異なる正常な視知覚の現れだそうです。これは心理学の研究領域の一つなんですね。知覚心理学って言うらしい。よくわかんないけど、例えば「渦巻き錯視」の場合、“人間の脳の高次視覚野には渦巻きパターンに特異的に応答するニューロンがあって、渦巻き錯視はこの渦巻きニューロンが同心円を渦巻きと間違えて応答することによって起こる”という仮説がある。

まあ、ここでいくら説明しても分からないので、一番いいのは実際にみてもらうことなので、今の仮説を立てたひとで、この研究の第一人者である立命館大学の北岡明佳教授のホームページを見てください。絶対びっくりしますよ。

2007年03月29日

粘り強い「アルファギーク」

皆さん、アルファギークって知っていますか。Tim O'Reillyの定義だと「産業を変化させる力を持つ新しい技術に早いうちに飛びつき、ああでもないこうでもないといじくっているうちに、技術が進むべき方向性を示し始める、先鋭的で飽きっぽいエンジニア」となる。

昨日そのアルファギークのひとりだと思われるS氏に会う。実際に会ったときに、あなたのようなアルファギークのひとと一緒になって仕事をしたいんだと言ったら苦笑いをしていました。いまぼくが進めている「ビジネスコンポーネント指向開発」でコンポーネントをオープンソースCMSであるPloneを使おうとしていて、そのPloneの使い手の第一人者です。彼の事務所のある桜新町のカフェで、こちらのプランを説明し、協力を要請しました。S氏の思いも聞いてみましたが、うまくコラボレーションできる感触を得たのですごく喜んでいます。

さて、アルファギークの定義で最後に「飽きっぽいエンジニア」といっていますが、S氏に限ってはそんなことはありません。PloneというのはZopeというフレームワークから成っていて、プログラム言語はPythonですが、S氏はそれらについて、ずいぶん前から日本での普及や実際の適用などを実践している、決して飽きっぽくはないアルファギークです。

彼の話のなかで面白かったのは、“Python Paradox””という話で、これを“Plone Paradox”と言ってもいいらしいのだが、JavaやPHPは技術者の数がすごく多いが、上から命令されたりして、受身でやらされている人が多いため、スキルレベルが低い。一方ploneの場合は、技術者人口は少ないが、自らその価値を認め、能動的にチャレンジしている人が多いためだれでも技術力があるといっていた。

企業はやはりこういう人たちの力をもっと引き出す努力をすべきだと実感したわけです。

打ち合わせの後、サザエさんに会いにサザエさん通りをぶらっとして、半蔵門線につながっているので、九段下の「一茶庵」をめざす。ところが着いてみると“本日6時から満席です”という張り紙。まいったということでさて次は、どうせ最後は銀座の「M」だから、銀座まで出ることにする。

半蔵門線を三越前で乗り換えて銀座線で行こうとしたら、何をぼけーっとしていたのか清澄白河まで行ってしまい、引き換えして三越前でおりたら、しまった乗り換えにいっぱい歩かなくてはいけなかったのだ。ひどい話で桜新町から2時間かかって銀座に到着。それでもそばにはこだわって、五丁目の「田中屋」に向かうが、ひとりで入ると席は空いているのにしばらくお待ちくださいと軽くあしらわれる。しかたなしに(というと怒られるかもしれないが)「泰明庵」に行く。

ここは相席でもあいていれば入れてくれるので奥の席に相席で座る。前の席にはぼくと同じくらいの年配のひとが本読みながら呑んでいる。とそのひとの呑んでいるものが気になった。栄養ドリンクのビンに入った液体をそば湯で割っているのだ。ついすいませんそれなんですかと聞いてみた。単に焼酎だったのだ。それから一気に会話が始まり、そばの話、ラーメンの話から白髪や教育の話やらで大いに盛り上がる。そうしたら、「M」のマスターがひょっこり現れる。軽く目で挨拶を交わし、相変わらずそのおじさんとしゃべり続けることに。

適当なところで退散して「M」に入る。マスターが“え、ひとりなの”と聞くからひとりですよと答えたが、どうも「泰明庵」で話をしていたのが連れだったと思っていたらしくびっくりしていた。「M」には久しぶりのIさんと会う。ぼくが昨年住んでいた白山のマンションのあとをねらっていたらしく、なぜ出るとき教えてくれなかったのかと言われ、もう一度空いてるか確認しておきますといって許してももらった。その後、もうひとりのIさんが登場して、ブログの話で盛り上がり、これまたせっかくコメント書いたのに返事がないと怒られた。てなことでこの日は結構濃い一日であった。

あ、サザエさんがいた!

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2007年03月30日

春爛漫

女子プロゴルファーじゃないが、わが家の桃と桜が一緒に咲いている。

まさに、春爛漫という感じ。一気に来ましたね。

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2007年03月31日

脳科学に行きつくのか(その2 心理経済学)

「日本人はいじわるがお好き?」というタイトルで講演している先生がいる。大阪大学の教授で西條辰義という経済学者です。実験経済学というらしいのだが、実験により人間の経済行動を究明していく試みを実践している。この話は、昨年10月に日経新聞に連載されたのでご存知の方もいると思いますが、これが無茶おもしろいので紹介する。

有名な“囚人のジレンマ”というのをご存知だと思いますが、それに似たような実験を行なっている。まず10ドルを持っている2人の個人がお金を出し合って公共財(たとえば道路)をつくる場面を想定する。

そして、10ドル出すか出さないかの二つの選択肢があり、二人が出したお金の合計額に1.5を掛けた分の利益が、一人だけではなく双方に戻ってくるとする。ここで二人とも10ドル出せば、拠出金の総額は20ド