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乱調亭日乗 アーカイブ

2006年9月19日

うれしいお祝い

ぼくの友達にもうかれこれ8年以上の付き合いになるIBMの渡辺さんというのがいる。本来彼は営業だからぼくはお客さんという立場の関係でしたが、いまはぼくは会社を辞めたので友達という関係になった。友達といってもぼくよりだいぶ年下です。しかし、実は会社にいたときも友達だったのです。やめる直前こそ一緒に仕事をしましたが、それまでは取引ゼロでいて、ときどき呑み歩いているという商売抜きの不思議な関係でした。

その渡辺さんが突然わが家にやってきました。創業したと聞いてお祝いを持ってきてくれたのです。このブログでは創業のことを書いていませんが、ついこの間、上の息子がまずIT関連の会社を起業しました。ぼくもいずれ参画するつもりですが、いまは充電期間です。そんなわけで厳密に言うとぼくが創業したわけではないのでお祝いをもらうのはおかしいのかしれませんが、そこはそれいいじゃないですか、家の直前から電話してきて”今いますか?目の前に来ているんですけど”といって現れたときにはびっくりしながら、うれしかったのです。

お祝いの品が、赤ワインです。おしゃれでしょ。それも、ナパバレーのOPUS ONEというワイナリーでしか手に入らない「OVERTURE」というしろもので、渡辺さん曰く、OVERTUREというのは「序曲」という意味なので創業のお祝いにちょうどいいと思ったから。ちょっときざだけど、わー泣かせるせりふ。すばらしいお祝いありがとうございます。

2006年9月21日

ブログの威力

「エンタープライズWeb2.0の動向」というセミナが終わったあと、日本プロセス(株)の宇野澤庸弘さんと(株)レンタルコーチの中村洋さんと3人で会食。なぜこの組合わせになったかというと、”やっぱりブログってすごいや”ということなんです。

今年の6月に会社を辞めて、いつか起業しようと考えていましたが、そのための情報を得ようとインターネットで最近起業したひと、とく自分と同じように定年前に実行したひとを中心に見て回りました。そこで非常に参考になったのが、昨年末に起業した中村さんのブログで、そこではほぼリアルタイムで起業のプロセスを伝えてくれていて、業種も同じようなところであったのでなおさら参考になりました。

ところが、そのブログを見ていると宇野澤さんの名前が出てきたのです。宇野澤さんというのはSAVVIONというBPMツールを販売していて、日本にBPMを浸透させるべく、ブログも立ち上げ、今年はじめには「日本BPM協会」の設立に尽力され今もその運営幹事を務めているかたです。実は宇野澤さんとは10年前にお会いしてからずっとお付き合いいいただいていて、いつも日本のIT業界の実情を嘆いたりしている仲なのです。それで、すぐに宇野澤さんにブログのことを話して、知り合いなら紹介してよということを伝えたら、よく知っているから会いましょうとなったわけです。

そこで会ったわけですが、まず初対面という意識がなくて、”やあ、しばらく”みたいな不思議な感覚でした。これ多分mixiで知り合ったひとが実際にあったときの感じと一緒じゃないかな。中村さんも言っていたけれど、ブログがなかったらこんな出会いはなかったんじゃないか、梅田望夫さんが言っている総表現主義ということなのかもしれませんが、自分が発信すれば誰かが見てくれているんだという実感を持ったと言っていました。

ということで時間がたつのも忘れて大いに盛り上がり、今後の協業や近いうちの再会を約したのであります。

2006年9月30日

最後の落語

いままで忙しくてほったらかしたままで気になってしかたなかった自分の部屋の本棚の整理を始めた。ぼくはだいたい本にカバーをかけて読むので、読んでいる途中のものはもちろんのこと読み終わったあともカバーをつけたまま積んでおくことになる。だから、どんな本が置いてあるのかわからなくなってしまっていた。そこで、全部カバーを外して並べてみたわけです。

そうしたら、へえーこんな本があったんだ、あっこれはおもしろかったなあという具合にしばし片付けるどころではなくなり、いろいろな本をぺらぺらめくり出したが、ある一冊の本が目にとまり読みふけってしまった。永井明著の「ただ、ふらふらと 酔いどれドクター最後の日誌」で、前回柳家小里ん師匠のことを書いたあとだったので、特に印象深く思い出した。

そこで今からあまり知られていない永井明と柳家小里んにまつわる「ちょっといい話」を書く。 

永井明は一昨年の七夕の日に56歳の若さで亡くなったが、「ぼくが医者をやめた理由」という本をはじめとして、医者と患者に関係する本を出し、またスローライフを薦め、自らも実践したひとです。若いひとはテレビドラマにもなったビッグコミックの「医龍」の原案を書いたひとといったほうがわかるかもしれません。実はこの永井先生はぼくの行きつけの店の常連さんだったのです。もうだいぶ前になりますが、その店に行き出してすぐの頃、そこのマスターの奥さんから”Asahi.com”のコラムに永井明がその店のことを書いているので読んでと言ってそのコピーを見せてくれた。正直言ってぼくはそれまで永井明という名前は、本屋の文庫棚に置いてあるのを見た程度で何も知らないに等しかった。

でさっそく「ぼくが医者をやめた理由」を買ってきて読んだのですが、あるとき読みかけの本を持って店で呑んでいたら永井明がひとりで入ってきたのです。すかさず、持っていた本にサインしてもらい、少し酔っていたせいで読んだ感想をえらそうに言って苦笑させてしまいました。それが、永井明との最初の出会いです。

それからの永井先生のことはまた別の機会に譲るとして、さてちょっといい話のことです。

永井先生は、肝臓ガンで亡くなられたのですが、入院や延命治療もせず、亡くなられる少し前もさすがにあまり呑めませんでしたが普段通り呑みに来ていたし、医者でありながら(いや医者をやめたからなのかもしれませんが)医療を拒否し天命を全うする姿に非常に感動しました。この話はすごくいい話で、ちょっといい話はこれからです。

先生がもう命の火が消えそうだというときに、最後に落語聴きたいと言ったそうです。先生は落語が好きで船医をしているときは船の上で落語のCDを聞きながら一杯呑むのが楽しいと語っていたし、落語会で姿を見かけることもありました。聞きたい落語はもちろん柳家小里んの噺です。永井先生と小里ん師匠は同じ店での呑み仲間で友達なのです。付き添っていたマスターの井上さんがすぐに小里ん師匠に連絡をとったのですが、あいにく北海道かどこか遠くにいたんです。師匠はすぐに戻ることにし、さてもうすぐ臨終というひとの枕もとで一体どんな噺をすればよいのか。やっと間に合って帰ってきて思い切って噺を始めました。

それは「親子酒」でした。”もうむちゃくちゃにぎやかなものにしようと思って” あとで小里ん師匠が井上さんに語ったそうです。それからしばらくして亡くなったのです。

もう2年以上も経ってしまったが、いまでも静かにギムレットを呑む永井先生の姿が目に浮かんできます。

2006年11月 8日

自転車に乗って展覧会

いま、日本画家の坂本武典さんからホームページのリニューアルを依頼されている。坂本画伯は熱海在住のまだ30歳の若さだが実績もあるエライ画家さんです。すでにホームページを持っているのですが、作ったデザイナーもどこかに行ってしまい、メンテが全然できなくて困ってウチに相談にきて、このあいだお会いしていろいろお話しました。画家というからいわゆる芸術家肌のひとかなあと思っていたらそうではなく、気さくなひとで、絵以外にも本を書いたり、居酒屋をプロデュースしたりと多様な分野で活躍されています。

そのとき、展覧会があるということで案内をいただいたので行くことにしました。展覧会は、ひとつは銀座の松屋の画廊で開かれている「グループ耕 日本画展」で、これは高山辰雄の門下生の展覧会で坂本画伯はそこに所属しています。出品されていたのは「樹」と題した太い樹木を描いた作品で来宮神社の大楠を描いたそうです。ボクは絵のことはよくわからないのですが、好きな色使い、筆のタッチでいい感じでした。

もうひとつは、上野の東京都美術館で開かれている日展を見にいきました。坂本画伯はこの秋の日展でみごと入選していたのです。すごいのは、今秋の入選を含めて春・秋あわせて何と17回の入選をはたしているひとなのです。ここの作品は熱海湾の港で働く青年を描いた150号の大作で、群青色を基調としたこれまたいい感じで仕上がった絵でありました。

このふたつの展覧会を1日で回ることにしたので、自転車を借りることにしました。え東京で自転車と驚かれたり、借りられるの?と思われるかもしれませんが、実は借りられるところが何箇所かあるんですね。秋葉原、有楽町、春日といったところですが、今回は有楽町の「無印良品」でやっている貸自転車を利用。1日中それも夜8時まで乗れて525円という値段なので電車を乗り継ぐよりも安く、さらに自転車のいいところは、小回りが効き、行動範囲が格段に拡がることで、小さな路地をスイスイ行けるし、すぐに立ち止まることもでき、誠に快適であります。

ということで、銀座から上野の森まで自転車でゆっくり、途中で神田のガード下の「アド街ック天国」に出ていた店をチェックしながら、今夜の酒はどこで呑もうかと考えながら走ったのであります。

自転車の効用

自転車で上野の森や池波正太郎の世界を行く話をしましたが、東京の街を自転車で走るのはお薦めですね。このよさに気付いたのは、半年前までの1年半ほどの間、学生の下の息子とふたりで文京区白山に住んでいたことがあって、そのとき買い物などの足にと自転車を買って乗っていたときのことです。

本宅(この言い方もおかしいが)は鎌倉にあって、いわば二地域住居者をやっていました。この生活は、経済的なことを除くといいことばかりで満喫しました。ただ、基本的に平日は白山にいて週末鎌倉に帰るという生活パターンですので休日に東京を巡る機会はそう多くはなかったのが残念でした。

以前ご紹介したレンタコーチの中村洋さんもニ地域住居者でして、浅草に自分のマンションを持っているのでずっとその暮らしをしていてうらやましい限りです。(週末を浅草で暮らす)それで、たまに休日に白山にいるともううれしくて自転車に乗ってあちこち行くことになる。白山というのはだいたい東京の真ん中にあるんですね。だからそこから東西南北1日あればどこへでも行けます。

自転車に乗っていて気が付くことのひとつに、東京はなんて坂が多い街なんだろうということです。白山の住まい自体が坂の途中にあったのですが、その周辺も司馬遼太郎の「街道を行く 本郷界隈」にも出てくるように小高い台地だったそうで、というより徳川家康が幕府を開いたとき江戸は山ばかりだったと言われています。ちなみに「東京23区の坂道」という坂に関するサイトがあって(世の中暇な人がいるんですね)、それによると確認できている数で642だそうで、文京区が一番多いとのこと。だから、独断的に言うと電動自転車の普及率が最も高いのは東京都ではないだろうか、主婦がやたら電動自転車で走りまわっていますよ。

その頭があったので、例の無印良品で最初に自転車を借りるときはもう即座に”電動自転車にしてください”と叫んでしまった。(いいでしょ電動自転車が借りられるんですよ、しかも同じ値段で)それでこのときも上野・浅草・谷根千方面に出かけ、帰りが両国、深川、月島方面というコースだったのですが、何と帰りに深川あたりでバッテリーが。バッテリーが切れた電動自転車で坂道を登るのは一転悲劇となり、自転車はもうただ重たいだけのワッパと化し、真夏だったので大汗をかいてやっと有楽町に帰還しました。だから今はごく普通のタイプにしているというわけです。

2006年11月13日

人間って変わらないなあとあらためて思う

昨日、高田馬場で大学の同窓会があった。ぼくはこれでも大学では応用化学を学んだのだ。その学科の全年代にわたる集まりは頻繁にやっているんだけど、今回は初めて同じ学年だけを対象に開かれたのだ。

話はそれるが、その全年代が対象の集まりは、どうもキャンパスが移動する前とその後で卒業した人で出席率が違うようで、キャンパスを移動する前に卒業した人たちのほうがはるかに出席率がいいそうだ。キャンパスが変わったからということではなく要はそれを境に学生数が大幅に増えた結果のようだ。

ところが、あいにくぼくは昼に用事が入ってしまったので、そのあとの2次会、これは同じ研究室だけで集まることになったのだが、そこに参加することになった。同学年の出席者数がたったの25人だったとのこと、そのうちわれらの研究室の人間が5人ということで最も出席率が高かったそうだ。

2次会はぼくを加えて6名ということで、山口県と福岡県に住んでいる2人は欠席となった。いきなり、みんな死んだヤツも離婚したヤツもいなくてよかったなあから始まり、昔の話や連れ合い、子供のことで盛りあがったのである。この仲間との同窓会は14年まえにもやっていたので、だいたいの頭の薄さや白さ、腹の出具合がわかっていてすんなり話に入れた。かれこれ3時間くらいおしゃべりしたがもう全く昔と同じで、やかましくて人の話をきかないやつ、おとなしく酒をのんでいるやつとそれぞれ全然変わっていないのです。

実はわれらの仲間に紅一点の女性がいるのです。当時理科系に来る女性は少なかったのですごく珍しがられていたのですが、いまや4人のお子さんがいるおばさんです。で彼女の口から”ワダく~ん”と呼ばれてしまい、えオレ今いくつだったけっかと一瞬とまどってしまった。

ということで、この次はみんなが定年になったらまた集まりましょうということで別れたのであります。

2006年12月15日

ちょっといい話その2

サーバー室にもなっている家の納戸がごちゃごちゃなので、息子たちと片付けを始め、壊れた椅子を粗大ごみで捨てにいくことになった。そのとき、この間新橋の小料理屋がなくなるという話を書いたあとだったので、ふとあるひとのことを思い出してしまった。

新橋の烏森口からちょっと行ったところにTという小料理屋があった。おばさんがひとりでやっている店で、ぼくはもうかれこれ15年ほど前に会社の先輩につれていってもらってから、時々寄っていた店です。けっしてきれいなところではなく、むしろきたないと言ったほうがいいかもしれないところだが、気さくな感じで気に入っていました。そこによく来るお客さんでHさんという、もうその当時80歳近くになるおじいさんがいました。ほとんど一人で来るのですが、たまに呑みすぎたときなど家族が心配して連れにきたりしますが、その歳でもしっかりして、ぼくもひとりなので隣合わせになったりするといろいろ話をしてくれます。

Hさんは、自分でH製作所という椅子を製造する会社を起こし、今は子供にその会社を任せて、まあ引退しているわけです。しかし、しょっちゅう会社に顔を出して、あれこれ言うらしいのです。ですから、若い人から煙たがられていて、どうもその鬱憤をはらすために呑みにきているらしく、いまの若いやつはなってないと嘆いてはまた一杯というわけです。

ただあるとき、何がきっかっけだったか忘れたが、実に面白い話をきくことができました。Hさんの会社は、高級な椅子や特殊な椅子の製作では腕がいいという評判で、そういう注文が来る。例えばの話として、船の船長の椅子って作るのが難しいがどこが難しいかわかりますか、難しいのは、足の長さなんだそうです。船の甲板は水平ではないんですね。傾いているんです。だから、座ったときに平らになるようおに足の長さを調節するのが難しいのだそうだ。この話がいい話ではありません。その後の話です。

あるとき、外務大臣も努めたかの有名な藤山愛一郎の家から注文があって、書斎で使っている椅子の張替えをしてくれといってきた。もちろんHさん自らが藤山邸に出向いて、実際にその椅子を見たとき唸ったのだ。”おお、この椅子はオレ作ったものだ”というと、周りの人はまさかという顔で、”えどうしてわかるの、本当かい”と答える。”絶対にこれはオレが作ったものだ、作ったオレが言うんだから間違いない”というわけで、実際に椅子をばらしだした。しばらくして解体が終わろうとしたとき、椅子の見えない支柱のところになんとHさんの名前が刻まれていたのだ。一同唖然として、さらにこれいつ作ったのか、するとHさんが20歳ころに作ったものらしいことが判明。ということは、30年くらい前のものでそれをずっと使っていたのであって、またそれを直して使おうとしていることにまた驚き。

そんな話を酔って呂律も回らなくなりながら語ってくれました。おそらくもう亡くなっていらっしゃると思いますが、本当に自分の仕事に誇りを持って生きた職人がだんだんいなくなっていくんだなあと寂しくなります。

2006年12月17日

リアルミクシー

このあいだから「mixi」に入って、いろいろな人たちとコミュニケーションしていますが、もちろん「mixi」ではなくても、現実の世界も「mixi」的なコミュニティはあるんですね。いまから”銀座の呑み屋コミュ”の話をします。

昨日、村上和雄の遺伝子の話をしましたが、この人とその著書を教えてくれたのが、銀座にあったSというバーのママでした。もう3年くらい前にやめて店もなくなってしまいましたが、それまではときどき呑みにいったところです。ぼくは、いきつけの店が銀座にいくつかあるんだけど、みんなに高いんでしょとよく言われのですが、そんなに高くなくていい店があるのも銀座です。もちろんガキの行くところではないけどね。さすがに銀座の女の子は話が面白いし、たまにびっくりするような教養をもった子もいて、昔よくいたような、店に入るなり一曲どうぞしか言えないオネエチャンと比べて格段に違う。でそのSのママが最近面白い本があるから読めとぼくに薦めてくれたのが村上和雄の「人生の暗号」という本でした。それを読んで衝撃を受けたことはすでに書いた。

その店がなくなってしまたので、行くところが減ってしまうので、その元ママにどこかいいところを教えてよねと言って紹介されたのが、いまでも時々行くYという店です。まず不思議なのは普通店を仕切るのはママさんですよねえ、ところがそこは”パパ”さんです。そんなことはどうでもいいんだが、ここは結構若い子がいるんだけど、映画や本の話をすると受けがいいのでよくする。要するに、呑み屋のオネエチャンにもてるには「シネマと書店とスタジアム」の話が一番なんです。

あるとき何と池波正太郎のファンだというはたちそこそこの子が登場。なかでも「剣客商売」の秋山小兵衛が大好きだと言うんだ。ぼくもファンであるいうことも前に書いたが、こんな若い子が秋山小兵衛が好きだとは恐れ入った。そういえば、秋山小兵衛はたしか60歳くらいで20歳のおはるを嫁さんにしている。おっと変な妄想はやめよう。

それから、別の映画好きの女の子に「暗い日曜日」というハンガリー映画を教えてもらって、それを観てすごく感動したこともある。この映画は、男二人と女一人が登場するんだけど、このパターンっていうのは、ぼくの一番好きな映画の「冒険者たち」と同じシチュエーションなんだ。日本でもそれをマネした「宿無」という映画があった。驚くなかれ、高倉健、勝新太郎、梶芽衣子が主演という豪華版ですぞ。ちょっと話がそれた。

というわけで、相対の人からいろいろな情報が入ってきたりする世界がまだまだあるのだ。それは、会社のようなフォーマルな組織というより、銀座の呑み屋のようなインフォーマルな世界のほうが面白いことが多いような気がする。

2006年12月25日

いいことあるかもしれない

 昨日、車に乗っていて何気なく累計走行距離のメータに切り替えたら、げーもうすぐ7が並ぶぞ。というわけで下の写真のようにきれいに7が5コ並んだのであります。あわてて写真撮ったので車のカウンターだかわかんないけどまあいいじゃないっすか。
 しかも、クリスマスイブに、このラッキーセブン・セブン・・・・。別に必ずこの距離は通るのでいつも見ていればブチあたることだから、そんな喜ぶなと言われてしまうが、チャンスは100m車が走る短い時間のことだから、それをたまたま見ていたのがうれしくて。
 きっと、来年はいいことが起こるはずだ。

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2007年1月 5日

ブログのカテゴリー変更

ブログのカテゴリーを変更します。
なぜ変えるかって、そんなちゃんと理由があるわけではなく、気分とまあ収まりやすさも考慮してそうしました。
トップカテゴリーはあまり変えず、サブカテゴリーを追加しました。サブカテゴリーについての若干のコメントです。

・誰のためのITですか?

ビジネスから日常生活まで様々な領域でITを使うことは常態化してきましたが、何がなんでもITを使えばいいというわけではなく、真に役に立つものになっているのかを考えていきたいと思います。

・シネマディクトの禁断症状

「シネマディクト」というのは“映画中毒者”とでも言ったらいい造語です。まだまだ、中毒までは行っていないようですが、映画についての思いを綴っていきます。

・オヤジの本棚

オヤジがどんな本を読んでいるのか、読んできたか。また、どんな感想だったのかを残しておきたいと思います。

・スポーツ“感”戦記

今は、実際に体を動かしてできるスポーツが少なく、スポーツは観戦主体になってしまいましたが、どう感じたかをレポートしていきます。

・演芸・演劇・音楽

落語や芝居、音楽などで自分の好きなものを楽しんでいる様子が伝えられたらと思います。

・酒呑みの自己満足

山口瞳の本に「酒呑みの自己弁護」という面白いエッセイがあった。それにちなんで、「酒呑みの自己満足」と名づけました。自己弁護するのをとおり越して自己満足に陥っている姿がわかるはずです。

・食い意地の張りっぱなし

ただ漫然と食べるのではなく、例えば、ひとつのメニューを窮めるとか、料理世界一周とか、ちょっぴり工夫した面白企画「食べ歩記」をねらっています。

・乱調亭日乗

永井荷風の「断腸亭日乗」を真似てこんな名前にしてみました。まあ、雑記帳です。

2007年1月29日

インドの衝撃

昨日、NHKスペシャルで「インドの衝撃」というのをやっていた。第一回目は、「わき上がる頭脳パワー」でIT産業を中心に躍進するインドの姿を映し出したものです。前に紹介したトーマス・フリードマンの「フラット化する世界」に書かれていることが映像として実感した。フリードマンやその本に出てくるインフォシスという会社のCEOであるナンダン・ニレカニも登場する。本を読んでいたのでだいたいのことはわかっていたが、あらためて衝撃を受けた。

特にIIT(インド工科大学)を頂点とした教育のシステムや教え方は驚きであった。論理的思考を徹底的に鍛える独自の教育から多くの優秀な人材が生み出されていく様は、世界中の技術系人材はインドから輩出されるのではないかと思わせる。日本では、理科離れが顕著だが、科学的な思考プロセスを学ぶことの大切さに気がつかないと大変なことになる。

と思いつつ、ふと、待てよもう少し前は日本人も似たようなことを言われていたのではないかなという気がした。日本人の優秀さや勤勉さが称賛され、これからは日本の時代だ、ジャパンアズナンバーワンだと言われたこともあった。ここで共通するのは、どうも上昇志向という熱気じゃないかと思う。番組でも、田舎の貧しいところからIITを受験する子が出ていたが、その子は村の期待を一身に背負っていて、IITを出て成功したら、村に学校を作るのが夢と語っていた姿を見ると、単純にいい学校を出て金を稼ぐのだという経済観に納得してしまう。今の日本でこうした豊かさへの希求を皆がもっているのかと考えると、少なくとも国全体の熱気みたいなものもなくなってしまっている。しかし、かつて貧しかったころの日本には、田舎から出てきていい大学を出て、いい会社に勤め、田舎の親や兄弟の暮らしをよくしようと志した若者が多くいた。

だからといって、インドがよくて日本が悪いなんて言っているわけではない。国が発展していく過程として、発展途上なのか、成熟したのかという話で、発展途上では必ず物質的豊かさの追求が先行するし、その豊かさを手に入れたくて勉強もし、一生懸命働くし、そうした上昇志向の熱気が渦巻く。インドはそんなときを迎えているということだと思う。だから、いずれ日本のようにある程度豊かになったときどうなるのか興味がわく。

いずれにしろ、現在のインドはすごいことになっている。このすごさは、これまでの日本や中国などと違う。その違いをもたらしているものはというと、頭脳パワーもさることながら、ぼくは「IT」と「英語」だと思う。しかもこの二つはグローバルに通用する武器だから、またたく間に世界中を席巻してしまうのである。

もうかれこれ5年くらい前にシリコンバレーに行ったとき、やたらカレー屋さんが多く、なぜかと聞いたらここにはインド人が多いからという答えであった。そのうち、日本にもカレー屋さんが増えてくるんじゃないでしょうか。

2007年2月 4日

報道の劣化と野党のだらしなさ

ずっと前に、タウンミーティングでやらせ発言の問題があって、それについて議論するのではなく、その結果どうなったかを問うべきであると書いた。こうしたことが、新聞やテレビの報道でよく目につく。

例えば、事務所経費の問題や柳沢厚労相の「出産する機械」発言など、そりゃそのことは悪いことだし、品格もあったもんじゃないが、発言そのものを目くじらたててぎゃあぎゃあいうことではないのであって、そうではなくて、そんなことをやっているやつ、そんな発言をするやつがやっている政治がどうなのか、国民のために役に立つことをやっているのかをチェックし、そこで議論するのが本来のマスコミの拠って立つところではないでしょうか。一昨日の朝日新聞で白石真澄東洋大学教授も同じことを言っていた。

要するに、表面上の粗探しばかりで本質的なところで議論ができていない。この点は、マスコミだけではなく野党の連中もそうだ。だから、審議拒否なんてもってのほかでちゃんと政策論争してばかなことをいうやつの化けの皮をはがせばいいと思う。表面的な粗なんてだれでも持っていて、持っているからダメというなら、そのまんま東は知事になれなかったわけで、野党もビビんないでやればいいし、マスコミもこういう問題は深く追わないことが必要だ。単なる揚げ足とりはやめよう。

同じ閣僚の発言でも久間防衛相の反米発言のほうが重要な問題で、ここでも“反米的な発言をしていること”を批判するのではなく、その考え方、方針がわが国にとって正しい方向なのかを議論すべきなのだ。

こんなことばかりだから、もう民主党がひどい、特に小沢一郎がひどい。昔のことを引っ張ることもないから、すいません今から民主党はこういう考え方でやります、自民党と違うのはこういうところですと宣言したらどうだ。論点を鮮明にして、そこに議論を集中したらいい。格差社会の評価や経済成長か財政再建かみたいなところでだいたい対立点は見えてきているんじゃないのかな。

2007年2月 5日

ばあちゃんとデジタル家電

ぼくの家の前にばあちゃん(といってもぼくの母親だけど)が一人で住んでいて、いまぼくはその一室を事務所代わりに使わせてもらっている。

この状況はけっこう快適なのだ。どうしてかというと、まず会社をやめて家で仕事をすると言ったら、嫁はんに開口一番“ええ~、お父さん毎日ウチにいるのお~”と露骨にいやな顔をされた。それでというわけではないが、ばあちゃんの家の応接間を少し整理して事務所みたいにして、毎日そこに通っている。ぼくにとっても自分の部屋で仕事をするより、一応家を出て30秒歩いて出勤するので気持ちとしてはけじめがつく。また、嫁はんは粗大ごみがひとつ減るから喜ぶし、ばあちゃんはいま85歳なんだけど、息子がそばにいてくれるから安心のようで、夕方になると“いまからお風呂に入るからもし私が倒れたら助けに来てくれ”といつも言っていく。だから三者がハッピーである。

そのばあちゃんの楽しみがテレビで、すごくよく見る(余談ですが、年寄りというのはなぜ時代劇と大相撲があんなに好きなんだろう)。ところが、寝るのが早いものだから、夜9時頃からの番組を見ることができないので、最近そんなときビデオにとっておけたらなあと言い出だした。

はたして、85歳のばあちゃんがビデオを扱えるかと考えたら、そうだ今はハードディスクがある(残念ながらわが家はまだVHSビデオレコーダーとDVDプレイヤーです)と気がついた。ビデオは無理でもHDDならできるかもしれないと思って買いにいった。それも機能が少ない最もシンプルなものを捜した。

パイオニアのDVR-504Hという機種を選定、何よりもリモコンの操作性が気に入った。「番組表」と「見る」というボタンで基本的なことができてしまう。とは言え、85歳だからまだぼくが録画してあげて、見るだけにしている。

そんなことで、映画も借りて見れるからと言ったら、“じゃ「佐賀のがばいばあちゃん」が見たい"と言い出したので、借りてきて見ていた。この映画をみたあとすぐにぼくのところに来て、昔はみんな貧乏でなあという話をひとしきりしていった。

ばあちゃんには、携帯電話も持たせているけど、携帯は年寄り向けのものがあるが、テレビやビデオ(それ以外の家電製品全般に言えることだが)年寄りが扱える単機能のものを作って欲しい。それか、いまの余分な機能は全部デフォルトにしておいて、それを操作したかったら孫に聞いてくれというのが出てこないかなあ。家族みんなでハッピーになる製品は売れまっせ。

2007年2月 8日

極私的健康法

ちょっと前に、スピルリナというサプリメントみたいなものを飲んでいることと水泳をしていると書いたが、健康にいいのでずっとプール通いをしている。もうかれこれ12年になるが、週に1~2回泳ぐ。泳ぐと言っても奥田英朗の「インザプール」のように中毒的に泳ぐわけではなく、せいぜい長くても1キロ弱程度で、それと泳いだ後20分くらい水中歩行を行う。

いま通っているのは、最近できた家の近くの市営プールです。その前までは、街のフィットネスクラブにプール会員というのがあって、それに入会して行っていました。でもこのフィットネスクラブには2つの不満があって、ひとつにはジャグジーがないのだ。厳密にいうとあることはあるのだが、水風呂で情けないジェットが吹き出ているというもので、こんなところに入っていられない。

もうひとつは、そのーフィットネスクラブだからいろいろなメニューがあって、アクアビクスという水中エアロビクスと水中歩行がある。このメニューの参加者はほぼおばさんで、このメニューを横でやっているところで泳ぐのですが、もう海で泳いでいる状態になる。そうです、アクアビクスで跳ねると波が立ち、水中歩行で歩くと渦が巻く。で何回水を飲んだことか。

そんなわけでその市営プールができたらすぐに脱会して、市営プールに切り替えた。何しろ新しいので設備もちゃんとしていてサウナこそないが、採暖室でも十分汗をかけるし、勢いよく噴射するジャグジーがあるのですごく快適だ。

プールの過ごし方も順番があって、まず採暖室に入って柔軟体操と例のクンバハカ体勢で汗を流します。そして、泳ぐのと水中歩行のあとジャグジーで身体をほぐすわけですが、ここで腰、肩、背中もさることながら、実は胃と肝臓をジェット噴射を入念に当てるのです。これは、ずっと前に誰かが言っていたと思うのだが、昔の女郎さんは酒を呑んで酔っ払っても更に呑めとお客さんに言われると自分の手で肝臓を揉みほぐすとまた呑めたそうです。そうジャグジーに入っていると胃や肝臓についている変なものをジェット流が篩い落としてくれそうだと思いませんか。

まあ、健康法なんて本人がいいと思ってやっていることが一番の健康法かもしれません、だって効くかどうかではなく、ああ気持ちよかったと思った瞬間にストレスが解消されるのですからね。

2007年2月19日

ちょっといい話その4

昨日、「東京マラソン2007」があって、フルマラソンを走っている市民ランナーと優勝者へ月桂冠を渡す石原都知事をテレビで見ていたら、ふとあることを思い出した。

ぼくの高校の1年先輩に植松二郎という作家がいる。「ペンフレンド」で毎日児童小説最優秀賞を、「春陽のベリーロール」で織田作之助賞を受賞。そのほか「人びとの走路」という市民ランナーの話の本も上梓している。この人は、自身でもずっと走り続けていて、その体験をもとに「人びとの走路」を書いている。

植松さんはサッカー部の先輩で、以前にも書いたが、その昔関東高校サッカー大会に優勝したときのメンバーのひとりです。その植松さんがもうずいぶん前になるが、ある雑誌でそのときのエピソードを書いていて、その話が“ちょっといい話”なのだ。書いているのが作家だから素晴らしい名文で感動したことを覚えている。記憶をたどりながらその話とそれにまつわるいくつかのおもしろい話をする。

そのとき、サッカー部の顧問にI先生という、大先輩で何代も前の監督だった有名なひとがいた。話はその先生のことである。

大会では、一回戦を抽選勝ちするとあれよあれよと勝ち進み、決勝戦で見事東京代表の帝京高校を破って優勝してしまった。前に書いたが、そのあとの全国大会では、逆に一回戦で抽選負けだったのでほんのちょっとの差で結果がぜんぜん違うという両極端の経験をした。

さて、その大会は茨城県の水戸で一週間くらいで行われたが、I先生は日課として、試合が終わると夕食までの間、好きなパチンコをしに近くにでかけていく。1回戦で抽選勝ちした夜、「おい、やっぱりツイているぞ」と言って、景品のチョコレートをいっぱい持って帰ってこられる。生徒たちは、食べるのもうれしいのと同時に、ほんとについているらしいという気にもなってくる。2回戦、3回戦も同じようにしてチョコレートも持って帰ってくる。それをみていると明日もツキはこちらだという気分になってくる。それで優勝である。

ところが、大会から帰って、皆でいろいろな話をしているうちに、まてよ、先生が持ってきたチョコレートが入った紙袋は確かどこかの菓子屋の名前が入ったやつじゃなかったのかと気がつきだした。植松さんは、その真相を故I先生に聞く機会をもてなかったので本当はどうだったか分からないけど、そんなことはどうでもよくてツキを呼んでくれたチョコレートよありがとうと結んでいる。そんな、いい話を思いだして書いてみた。

ぼくもI先生語録を少し。実は石原慎太郎もサッカー部の大先輩でI先生は「石原慎太郎はへたくそでなあ、石を投げて指導した」というような話をされていた。だからぼくは、テレビで石原慎太郎の顔を見て、この話を思い出しニヤッとしている。

また、I先生は、英語の先生だったので、普通ぼくらは、いいシュートを打つと「ナイスシュート」と言いますが、そう言うと「違う、ナイスショットと言え」、過去形じゃないとダメなんです。そういう厳格さも持ち合わせていました。

最後にこれはけっこう今でも刷り込まれていることがある。よくゴールするとみんな抱き合って喜びますよね、ところが、大喜びしようものなら、「ばかもん、そんなことで喜ぶんじゃねえ」と一喝される。これには、どうも2つの意味があったのがわかった。ひとつは、点を入れるのが当たり前のような顔をしろ、そうすれば、相手をもっと威圧できるのだからということと、もうひとつは、相反するようなことかもしれないが、大喜びするのは相手に失礼だろうということだったと思う。勝者は敗者の前で謙虚であらねばならぬということなのです。

I先生はもう四半世紀まえに亡くなられているが、いまだに、ぼくが現役のとき怒られたことをきのうのことのように思い出す。

2007年2月24日

ばあちゃんとデジタル家電その2

うちの85歳になるばあちゃんがDVDレコーダーを買った話は前にした。ところが、最近テレビが故障で見えなくなってしまった。そんなわけで、新しいテレビを買うことになり、これからは地デジだから、それに対応したテレビにしようと言ったら、「わたしゃ、もうすぐ死ぬから、いままでのようなのでいいよ」と言う。でも、もはや地デジ対応液晶のテレビしかないと言って、それを買うことにした。

そうなると「あたしゃ、吉永小百合のテレビがいいや」となる。ところが、電器屋にいくと、“お客さんAquosよりこちらの日立のほうがいいですよ、何ったってこの「IPSαパネル」が一番ですよ、それに音もいい”と言われ、耳が遠くなったばあちゃんは、何となくじゃそれってことになった。

まずは、ばあちゃんが喜んだのは薄くて軽くなったことで、以前年寄りにはでかいほうがいいと思ってぼくが勝手にブラウン管の29インチ買ってきたら、それからずっとおまえはこんなでかいものを買ってきてとぶつぶつ言われ続けたので、これでほっとした。

ただ、ここで不満が二つ出てきた。ひとつは画面が横に細長いのが気にいらないようだ。どうも、水戸黄門の印籠が半分しか写らないのだそうだ。こりゃ、ご威光が半減だ。

もうひとつは、オフタイマーの設定が今までは一発ボタンで行けたのが、今度はメニューを押して、次にオフタイマーを選定して、次に時間をと言う具合に複雑になっている。こりゃ、ばあちゃんにはつらいぜ。結局、どんどん機能が増えてきて操作も面倒になるのは困ったものだ。とくに、リモコンは絶対にシンプルにすべきだ。だって、ばあちゃんの使うのは、電源のon/Offとチャネル、音量、オフタイマーだけで十分なのだ。だからこのユーザインターフェースをもっと年寄り向きにシンプルなものにしてくれないかなあ。

今、Webページなんかに対してAccessibilityということが言われているのに、もう少し家電の領域でのAccessibilityを何とかして欲しい。

こうなってくると、「親子で紐解くWeb2.0」の番外編として、ばあちゃんと一緒に「親子で紐解くデジタルツール」でも始めようかな。次は、インターネットはどうかと思って、この間、株のホームトレードというのをぼくのパソコンでやりだした。まだ、操作はぼくがやってあげているが、そのうち自分でできるように仕込もうかと思うが、ちょっと(かなり?)ハードルが高いか。

2007年2月26日

もうすぐ春ですねえ♪

今日は素晴らしい青空で思わず口ずさむ。家から見る富士山もくっきり。それと、庭の梅の木が例年より早く花をふくらませて満開だ。これこそ、SOHOの醍醐味というものであろう。


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2007年3月 5日

疑わしきは罰せよ!?

「それでもぼくはやってない」では、「疑わしきは被告人の利益に」なるはずが、無実を証明できないため有罪になってしまったが、その理屈を他のところにあてはめるとどうなるのだろうか。

最近話題の「タミフル」は、服用後の異常行動との因果関係は証明されていないが、疑わしいと思える。タミフルの無実だって証明するのは難しいから、なぜ有罪とならないのだろうか。タミフルに冤罪はあるのか。冤罪がわかったとしてもタミフルの失われた人生を返せとなるのか、ならないのか。あるとすれば、タミフルを使用禁止したおかげでインフルエンザで死ぬひとが増えた場合だ。だから、厚労省も薬害と思われるのはいやだからではなく、薬には副作用があるがそれ以上に効能のほうが勝っているから使わざるを得ないとはっきり言えばいい。そうじゃないとなぜ使用禁止にならないのかという声が大きくなる。

そんなことを考えていたら、九州の光化学スモッグが最近増加してどんよりとした空が多くなってきたという報道があった。その原因はどうも中国らしい。中国大陸の工場や車から排出される汚染ガスが飛んでくるようだ。これも疑わしいという話だが、この場合は中国に光化学スモッグの原因がそちらにないことを証明しろもしできなかったら罰するぞなんて言えないですよね。そうなると、疑わしきは罰せずということになり、結局は疑わしいことが闊歩することになる。

と書いてみて、そうなんだぼくを含めて普通の人々は、こころの奥で疑わしくは罰すべきだと思っていることに気がついた。それが、「それでもぼくはやってない」のように冤罪を生む土壌になっていると言ったら大げさだろうか。

2007年3月10日

ブログの書き方

ここ数日、何となく元気がでない。このブログもビジネス関連を続けているが、他のネタであまり書いていない。でもだんだん快復してきたので何を書こうかなあと思案していたら、そもそもブログというのは何なのかと考えてしまった。日記なのか、備忘録なのか、エッセイなのか、時事批評なのかと、でもこれは別に枠にはめなくてもいいわけで、自分の好きなように書けばいいだけという当たり前の結論。

ただ、自分はこういうブログを書くのだというちょっとしたポリシーは要るかもねということと、日記や備忘録ではなく、自分の考えとか思いを書きたいとなると、自ずとその書き方というものがあるような気がする。やはり、たかがブログだけれど、根底に誰かに読んでほしいというのがあるのだから、読みやすい、わかりやすい書き方というものもあるはずだ。

そんなことに関して、梅田望夫さんがなるほどと思わせるいいことを自身のブログに書いていた。梅田さんは、文章を書くときの重要な3つの要素を「構造化」、「想定読者」、「書き手の個性」だと言っている。

「構造化」というのは、対象を幅広い視点から俯瞰して理解することで、「想定読者」は文字通り誰に読まれたいのか、訴えたいのかで書き方も変わるということ、そして、「書き手の個性」ということで、前2つはいわば普遍的なものであるので、それだけだと同じものになるかもしれないので、書き手による差別化が要る。読者は実は文章の向こうの「書いてる人」を読みたいものだという。梅田さんはそういうことをいつも考えながら文章を書いているそうだ。まさにこの3要素は重要で、ぼくもすごく難しくて実行できているかお寒い話ではあるが努力しようと思う。

このような、文章表現のお手本は「天声人語」(他の新聞社も含めて1面下のコラムのこと。いまは、読売新聞の「編集手帳」のほうがおもしろいが)なのかもしれない。あの限られた字数のなかで、起承転結をきちんとさせて、読書をうならせる術はたいしたものだ。ただ、ぼくらとぜんぜん違うのは、参照するデータベースがものすごいから、関連する情報がぽんぽん飛び出すので、文章に重みがある。

それで今日の朝日新聞を読んでいたら、「~天声人語から書く~  現役高校生の天声新語コンクール」の記事があった。これは、「天声人語」の第一段落に続く文章を競い合うもので、その結果が出ていた。この第一段落というのは、「ニュースの関心度を測る物差しはいろいろあるが、現場が遠いか近いかもその一つ。地球の裏側の都市で五十軒焼けた火事よりも、隣町のぼや騒ぎの方が、とかく耳目を集める」でこのあとに文章を続ける設定である。

最優秀賞に輝いたのは1年生の女子高生で、高校に電車で通うようになって、駅までの間で見かけるものが新鮮で面白く感じ、それが毎日変わることを自分だけが気づくことかもしれないが、新聞で読む世界の出来事と同じくらい大事なことだというようなことを書いていた。すごくセンスのいい文章で感心させられる。きっと彼女のブログ(あるかどうか知りませんが)も素晴らしいのではないでしょうか。

しかし、受賞した9人のうち8人が女子高生という完全な女性上位という結果。最近の文学賞の受賞者も女性が多いし、文章を書く能力は女性が優れているのかなあと嘆いているのであります。男性諸君がんばりましょう。

2007年3月11日

お金の持ち歩き方

少し前に財布を落としてからじっと家にいておとなしくしている。財布を落としたことを嫁はん(この表現はOKなのかな?家内って言ってはいけないそうだから)からなじられるし、実質的にも、現金、キャッシュカード、クレジットカード、免許症、Suica、各種プリペイドカード、病院の診察券、会員カード、各種ポイントカード、呑み屋のおねえちゃんの名刺、みんななくなってしまった。とほほ。

大船の居酒屋で呑んでいてその店で財布からお金を出して、お釣りを直接ポケットに入れたところまで覚えていて、歩いて駅まで行ってすぐにタクシーに乗って、タクシー代はそのポケットにいれたお釣りで払った。そしてタクシーを降りて家に入ろうとしたら財布のないことに気づき、幸いタクシーがUターンして来たので止めて中を確かめたけどないのだ。ですぐ呑んでいた店へ電話したが見当たりませんという返事。万事休す。

その日のうちにキャッシュカードとクレジットカードを止めて、翌日すぐに交番に紛失届けを出し、二俣川に行って免許証の再交付をしてもらう。おお、金と時間のロス。しばらく買いたいものも買えない、呑むのも控えてという情けない状況になった。

ここでちょっと腹立ったのは、病院の診察券の再発行にお金がかかることで、ある病院で「再発行にはお金がかかりますがどうしますか?」、え、どうしますと言われても、よほど「再発行しなかったらどうなるんですか、診察してくれなんですか?」と聞き返そうと思ったがやめた。

ぼくは、いままで財布を持っていなかった。厳密に言うと、お金は財布に入れて持たないことにしていた。それと、カードや免許証は持ち歩かないことにしていた。なぜって、落とすかもしれないからで、よくズボンのお尻のポケットに半分出かかっている財布をみかけるが、そんなのを見ていると危ないからなのだ。それが、家で仕事をするようになると結構カードを使う機会が増えるし、自分を証明するのに免許証がいることもあって財布を買って使っていた。

というわけで、あれからは、財布は持たず現金をそのままポケットに入れ、カード、免許証は持ち歩かないことにした。まあ、みなさんも気をつけてください。

2007年3月17日

経営者の覚悟

ホリエモンが昨日東京地裁で実刑判決を受けた。この手の事件で執行猶予もつかない実刑判決というのは異例だ。粉飾決算の例ならカネボウだとか山一證券などがあるがいずれも執行猶予がついている。

なぜこうした厳しい判決が出たかというと、ほぼ間違いなかろう起訴事実を認めていないことと反省の色が全くないことだろう。事実認定については、それはそれで裁判として争えばいいが、ここで言いたいのは経営者としての責任について認めていないことで、これにはすごく怒りを覚える。

宮内被告が勝手にやったことで自分は何も知らなかったと吼えているが、100歩譲ってそうであったとしても、お前には責任があるのだ。

近頃、経営者が不祥事があると決まって報道陣の前で頭を下げる光景を目にするが、あまり感じがいいものではないとは思うが、経営者が知らないところで部下が悪いことをしたとしても、当然監督責任が問われるのだ。それが会社というものであり、「法人」としてのヒトの振る舞いだと思う。

また、今回でも堀江は“宮内のところで売上げがすごく伸びていたことは知っていたが、それは彼にまかせてあったから信用した”というようなことを述べている。これって、経営者としては全く失格で、そこでなぜ売上げの伸びが異常であったのか、その原因は何か、そういうことを精査し、財務状況をきちんと正確に把握するのは当たり前だし、それで経営が成り立っている。

さらに、会社の人事は経営者にとっても重いもので、経営者の権限の最大のものは人事権であると同時に任命責任は非常に大きい。だから、堀江が自分で任命した部下が不正を働いたのに私には責任ありませんというようなことをよく言えるかとあきれてしまう。

極論すれば、会社の中で起きた不正はすべて組織の責任だ。経営者というのは、そうした覚悟をもって、会社をつくり、経営をしていくものなのだ。

再度、「会社はだれのものか」を書いた岩井克人の言葉を噛みしめてほしい。

会社のどまんなかには、実は、利益追求とまったく対立する経営者の「倫理」があるんですよ。これが入っていないと、そもそも会社制度がなりたたない。自己利益を追求する資本主義には、倫理が本質的に入りこんでいるというのです。

2007年3月26日

脳科学に行きつくのか(その1 錯視)

最近、脳科学がはやりなのか、茂木さんの本を筆頭に多く出版されているし、マスコミにも取り上げられている。だからというわけではないだろおうが、様々な分野の人たちがなんか最後は脳でしょみたいに論じている。で、それらを紹介しようと思うが、全く違った分野のお話です。まずは、「錯視」のことから、「心理経済学」、「プログラミング」に至るのですが、面白いですよね、このバラエティさは。

こんな話が書けるのは、まさにインターネットのおかげです。これまでだったら、大学の先生の研究がどんなことをやっているのかなんて調べようがなかったのに、今はインターネットでだいたいの研究内容や成果がわかるようになっています。それと、インターネット本来的に持つの最大の利点であるハイパーリンクにより、関連情報が“いもずる”式に得られる。そういう意味では、ものすごく情報取得コストが安くなった。

さて、最初の「錯視」のことだが、簡単にいうと目の錯覚のこと、これは見間違いとは異なる正常な視知覚の現れだそうです。これは心理学の研究領域の一つなんですね。知覚心理学って言うらしい。よくわかんないけど、例えば「渦巻き錯視」の場合、“人間の脳の高次視覚野には渦巻きパターンに特異的に応答するニューロンがあって、渦巻き錯視はこの渦巻きニューロンが同心円を渦巻きと間違えて応答することによって起こる”という仮説がある。

まあ、ここでいくら説明しても分からないので、一番いいのは実際にみてもらうことなので、今の仮説を立てたひとで、この研究の第一人者である立命館大学の北岡明佳教授のホームページを見てください。絶対びっくりしますよ。

2007年3月29日

粘り強い「アルファギーク」

皆さん、アルファギークって知っていますか。Tim O'Reillyの定義だと「産業を変化させる力を持つ新しい技術に早いうちに飛びつき、ああでもないこうでもないといじくっているうちに、技術が進むべき方向性を示し始める、先鋭的で飽きっぽいエンジニア」となる。

昨日そのアルファギークのひとりだと思われるS氏に会う。実際に会ったときに、あなたのようなアルファギークのひとと一緒になって仕事をしたいんだと言ったら苦笑いをしていました。いまぼくが進めている「ビジネスコンポーネント指向開発」でコンポーネントをオープンソースCMSであるPloneを使おうとしていて、そのPloneの使い手の第一人者です。彼の事務所のある桜新町のカフェで、こちらのプランを説明し、協力を要請しました。S氏の思いも聞いてみましたが、うまくコラボレーションできる感触を得たのですごく喜んでいます。

さて、アルファギークの定義で最後に「飽きっぽいエンジニア」といっていますが、S氏に限ってはそんなことはありません。PloneというのはZopeというフレームワークから成っていて、プログラム言語はPythonですが、S氏はそれらについて、ずいぶん前から日本での普及や実際の適用などを実践している、決して飽きっぽくはないアルファギークです。

彼の話のなかで面白かったのは、“Python Paradox””という話で、これを“Plone Paradox”と言ってもいいらしいのだが、JavaやPHPは技術者の数がすごく多いが、上から命令されたりして、受身でやらされている人が多いため、スキルレベルが低い。一方ploneの場合は、技術者人口は少ないが、自らその価値を認め、能動的にチャレンジしている人が多いためだれでも技術力があるといっていた。

企業はやはりこういう人たちの力をもっと引き出す努力をすべきだと実感したわけです。

打ち合わせの後、サザエさんに会いにサザエさん通りをぶらっとして、半蔵門線につながっているので、九段下の「一茶庵」をめざす。ところが着いてみると“本日6時から満席です”という張り紙。まいったということでさて次は、どうせ最後は銀座の「M」だから、銀座まで出ることにする。

半蔵門線を三越前で乗り換えて銀座線で行こうとしたら、何をぼけーっとしていたのか清澄白河まで行ってしまい、引き換えして三越前でおりたら、しまった乗り換えにいっぱい歩かなくてはいけなかったのだ。ひどい話で桜新町から2時間かかって銀座に到着。それでもそばにはこだわって、五丁目の「田中屋」に向かうが、ひとりで入ると席は空いているのにしばらくお待ちくださいと軽くあしらわれる。しかたなしに(というと怒られるかもしれないが)「泰明庵」に行く。

ここは相席でもあいていれば入れてくれるので奥の席に相席で座る。前の席にはぼくと同じくらいの年配のひとが本読みながら呑んでいる。とそのひとの呑んでいるものが気になった。栄養ドリンクのビンに入った液体をそば湯で割っているのだ。ついすいませんそれなんですかと聞いてみた。単に焼酎だったのだ。それから一気に会話が始まり、そばの話、ラーメンの話から白髪や教育の話やらで大いに盛り上がる。そうしたら、「M」のマスターがひょっこり現れる。軽く目で挨拶を交わし、相変わらずそのおじさんとしゃべり続けることに。

適当なところで退散して「M」に入る。マスターが“え、ひとりなの”と聞くからひとりですよと答えたが、どうも「泰明庵」で話をしていたのが連れだったと思っていたらしくびっくりしていた。「M」には久しぶりのIさんと会う。ぼくが昨年住んでいた白山のマンションのあとをねらっていたらしく、なぜ出るとき教えてくれなかったのかと言われ、もう一度空いてるか確認しておきますといって許してももらった。その後、もうひとりのIさんが登場して、ブログの話で盛り上がり、これまたせっかくコメント書いたのに返事がないと怒られた。てなことでこの日は結構濃い一日であった。

あ、サザエさんがいた!

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2007年3月30日

春爛漫

女子プロゴルファーじゃないが、わが家の桃と桜が一緒に咲いている。

まさに、春爛漫という感じ。一気に来ましたね。

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2007年3月31日

脳科学に行きつくのか(その2 心理経済学)

「日本人はいじわるがお好き?」というタイトルで講演している先生がいる。大阪大学の教授で西條辰義という経済学者です。実験経済学というらしいのだが、実験により人間の経済行動を究明していく試みを実践している。この話は、昨年10月に日経新聞に連載されたのでご存知の方もいると思いますが、これが無茶おもしろいので紹介する。

有名な“囚人のジレンマ”というのをご存知だと思いますが、それに似たような実験を行なっている。まず10ドルを持っている2人の個人がお金を出し合って公共財(たとえば道路)をつくる場面を想定する。

そして、10ドル出すか出さないかの二つの選択肢があり、二人が出したお金の合計額に1.5を掛けた分の利益が、一人だけではなく双方に戻ってくるとする。ここで二人とも10ドル出せば、拠出金の総額は20ドルになり、これに1.5を掛けた30ドルがそれぞれに戻ってくる。

一方、自分は出さずに相手に出させた場合、拠出金は10ドルで、戻りはそれに1.5を掛けた15ドルがそれぞれに入る。従って、自分は手元の10ドルと戻りの15ドルで25ドルとなる。相手は15ドルである。逆の場合では、自分が15ドルで相手が25ドルとなる。もちろん二人とも出さないと利得は手元の10ドルのままである。

これからみると、自分の利得を増やすことだけ考えるなら、相手がどうであれ、自分は全額出すのがベストだと分かる。ところが、実験ではあまり出さないひとがいるのだそうだ。

上述の例のように相手が出して自分は出さないと、こちらの利得が相手より上回ることができる。このように、自己の利得を多少なりとも犠牲にして相手を痛めつける(出し抜く)行動を「意地悪(スパイト)行動」というらしい。

こうした実験を日米で行なうと、このスパイト行動をとる人が日本人に多いという結果が出たという。要するに日本人は意地悪が好きということになる。

さらに、それを証明するような実験をおこなう。公共財供給への参加の問題を明示的に扱う実験で、最初のステージで参加か不参加を選択する。参加を選択した被験者のみが次のステージで相手の参加・不参加の意思決定を知ったうえ、公共財供給のためのお金を出すというものである。

相手が参加するなら、自分は参加せず相手が供給する公共財にただ乗り(フリーライド)すればよい。もし相手が参加しなかったら、自分の利得が最大になるようなやり方で公共財にお金を出せばよいということになる。

この実験でも日米で差が出て、日本人は自分は参加するものの相手が参加しない場合、自分の利得を最大にするようにはお金を出さないそうだ。自己の利得を最大にするように公共財を供給すると、参加しなかった人がその便益を得てしまう。それが我慢できず、自己の利得が減ってでも過小にしかお金をださない。これは、まさに「意地悪」行動そのものである。

公共財をみんなで作ろうとすると、日本人はただ乗りをめざすが成功しない。というのは参加者が不参加者の足を引っ張るからだそうだ。日本社会は「強調型」といわれるが、内実は皆で仲良くことにあたっているのではなく「協力しないと後が怖い」ということかもしれない。

ね、面白い話でしょ。例えば、京都議定書のような問題だとか、それこそオープンソース開発みたいな局面でも米国人の考え方と日本人の考え方の違いがあるのかなと思ってします。

おっと、この話と脳科学とどう絡むのかだけど、実は、こうした経済的な意思決定が、ひとの脳のなかでどのように行なわれているか調べてみようという「ニューロエコノミスト(神経経済学者)」という研究者たちも現れているそうだ。

fMRIという機械で脳をスキャンするらしいが、意地悪されている脳は反応しないが、善意を受けている脳は反応するなんてことが分かるらしい。要するに、意地悪に鈍感になろうとする脳の働きが観察されるのだそうだ。うへー、そのうちおまえの脳は、けちだとか太っ腹だとか分かっちゃうのかなあ。ああ怖しや。


2007年4月 2日

脳科学に行きつくのか(その3 プログラミング)

IPA(独立行政法人 情報処理推進機構)の事業で「未踏ソフトウエア創造事業」というのがある。2000年度よりソフトウェア関連分野で優れた能力を有する「スーパークリエータ」を発掘支援することを目的に作られたものである。その若年層向けで「未踏ユース」というのもあって、10代から20台前半ぐらいのひとたちが応募してくる。

その2003年度「未踏ユース」で、「イーサネットのソフトウェア実装とトンネリングシステムの開発」というタイトルでスーパークリエータに認定された、当時18歳の筑波大学の学生だった、登大遊君という若者がいる。その時のプロジェクトマネージャであった電通大の竹内先生がこの子は天才だと絶賛していた。年齢や能力とともにこの技術であるSoftEtherも相当話題になった。その後起業もしている。同じ時にうちの社長が準スーパークリエータに認定されたのでよく覚えている。

その、登君が大学を卒業することになって、自分のブログで面白いことを書いていたので今から書く。脳科学のことに若干ふれている程度だが、本人も脳科学を勉強し始めていると言っているので、そうしたことに関係していると思う。

「論理的思考の放棄」と題して、プログラミング作業のほぼ全てにおいて、論理的な思考は必要ないと言い切っている。作業の邪魔だとさえ言っている。

彼は、驚くことなかれ、1日に少なくとも3,000行程度、多く書くときで10,000行以上のプログラムを書くことができ、多い月で10万行/月くらい書いてしまうそうである。普通の開発者の作業能力は、1ヶ月数百行程度、多い人でも1ヶ月で3,000行程度というから、驚異の能力である。普通のプログラマーの1ヶ月分を1日で書いてしまうわけで、しかもバグの発生率も少ないのだそうだ。

この違いについて彼が言っているのは、ついプログラミングは「論理的な仕事」であるというように思ってしまい、プログラミング作業の全部において、人間の側が論理的な思考でもって作業を行ってしまうが、実はそれが非常に効率が悪い作業なのだそうだ。なぜか。彼の書いたところをそのまま引用する。

人間のアーキテクチャは感覚的思考によって動作し、その処理能力はとても高い。そのため、人間は、努力すれば、感覚的思考の機能の上に、普通のコンピュータが行っているような論理的処理を行う環境を仮想的にエミュレーションし、その上で色々な論理的プログラムを実行することができる。だが、人間の感覚的思考機能の上でエミュレー ションされた論理的処理機能は、所詮エミュレータ上のようなものなので、実マシン(人間本体)と比較すると、とても処理が遅い。オーバーヘッドが大きすぎるのである。あらゆる方式の処理を瞬時に同時実行することができる人間の頭脳がせっかくあるのに、論理的処理用の仮想環境を脳の中で構築し、その上で物事を考えるから、効率が悪くなる。

う~ん、分かるようで難しい。しかし、以前ぼくもプログラミングは理系の人じゃなく文系、例えば文学部出身のひとなんかがむしろいいプログラムを書くというようなことを言ったことがある。それは、“美しいコードだ”といった言い方もされるので、これは工学ではなく文学だ、芸術だと思ったということに通じるのではないだろうか。

こういったことって、確か将棋の羽生さんも言っていたような記憶がある。いかにも論理的であるような将棋の世界でも実は理詰めではなく感覚的にやっていたのだ。(長島茂雄もこれにあたるのかな?)でも、こういうことができるのは天才だからなのかとも思ってしまう。なぜって、「感覚的な思考」の感覚は、みんなに備わっているものだとは思えないし、みんながピカソになれないわけで、要するに“センスいいよねえ”と言われる人は少ないのである。

とここまで書いてみたら、おっと、そんなことを言っているやつに批判を浴びせたことも書いてあった。

論理的に考えないほうがうまく行くと聞いても、それが正しいかどうかやってみずに、論理的な正誤判断をしようとして、「論理的に考えた結果、まさかこんなことはないだろう」という論理的な考えに従い、いつまで経ってもやってみないということがある。それはとてももったいないことである。

まいった、ぼくも彼の言うことをよく聞いておこう。それにしても、登君の脳の中を覗いてみたいものだ。


2007年4月 7日

自分本位では気がつかないこと

前回、日本映画の心配を書いたが、また日本映画のことが朝日新聞に載っていた。この記事では、聴覚障害者のためにぜひ日本映画に字幕を入れてくれと訴えている。先日字幕屋の本を読んだので興味深く読んだ。

あの本のなかにはこうしたことは触れられていなく、吹き替えと字幕の違いでも、要約しかできないとか俳優の肉声が聞きたいかどうかといった切り口で語られている。しかし、いまの話でいくと、そうなんです、字幕というのは聴覚障害者にとっては素晴らしいことなんですね。

ですから、変な話、外国映画は楽しめるのに日本映画は観れないなんてことになっているわけです。こうしたことは、自分が聴覚障害者の身になって考えないとわからないことなのです。健常者の視点のままだとそこまでの想像力が働かないのだ。

ぼくが経験した同じようなことがある。それは、聴覚ではなく視覚障害者のことである。

ぼくは、以前勤め人のときは京浜東北線に乗って通勤していた。あるとき、視覚障害者の若い女の方が乗ってきてぼくの隣に座った。それでしばらくするとその人がそわそわしだしたのだ。するとぼくに向かって次の駅はどこでですかと聞いてきた。そのとき、ちゃんと車内放送を聞いていないのかと一瞬思ったが、次の駅を教えてあげた。どうも彼女はそこの駅ではなくもう少し先の駅で降りるようだったので、ぼくは意識的に次の駅を案内する車内放送に耳を傾けていた。

するとなんと放送していることはしているが、何を言っているのか聞き取れないのだ。若い男の声で早口で口ごもった言い方でやるわけで、さっぱりわからない。適当に言っておけばいいやという感じなのだ。結局どこの駅で降りるか聞いて教えてあげたのだが、この車掌は電車に目が見えないひとが乗っていて、そのひとにとっては“アンタの声”が唯一の頼りでいることを全く理解していない、そんなことを想像できない奴なのだ。それから、いつも車掌の案内に耳をそばだてているが、まだまだ同じような車掌がいる。

いま、バリヤフリーだとか言っているが、エレベータをつけるだとかそういった物理的なことではなく、“自分と違う人の身になって社会を見てみる心づかい”をみんなが持つことがすごく重要な気がする。

2007年4月11日

トカイナカって何のこと

トカイナカって知っていますか?トナカイではありませんよ。都会と田舎を合わせた言葉です。

すなわち、前に書いた二地域居住者のことです。よくリタイアして都会から田舎に引っ越す人がいますよね。それとは違い、都会の家を残したまま、田舎にもう一軒家をもつことなのです。だから、昔の別荘とか、最近増えてきている海外ロングステイみたいなものとも違う。奥さんが東京で旦那が軽井沢に住んでときどき行き来しているなんてケースのことである。

そりゃあ優雅でいいけど、結局お金持ちのひとしかできない生活ですよね。

ぼくは何度も書きますが、以前東京と鎌倉の二地域生活をしばらくしていたことがあって、そりゃ快適でした。仕事は東京で余暇は鎌倉でというわけですから気分転換にもなってよかったのですが、とここまで書いて思い出したのだ。

そういえば、もっと前に二地域居住者になったことがあった。単身赴任だ。この場合はイナイナカですが。もうかれこれ十数年まえになるが、4年間三重県の四日市で単身社宅で過ごしたことがある。ちなみによく言われるジンクスで自分の家を建てると転勤になるってやつをもろ体験しました。3ヶ月間新居に住んだだけでした。そこでぼくが考え出した生活パターンは、毎週家に帰ることでした。だから二地域居住者というわけなのだ。

毎週金曜日の夕方会社が終わるとすぐに家に向かう。勤めが工場だったので比較的早く退社できるので家には9時半くらいには着ける。それで、土曜と日曜は家の仕事をしたり、子どもと遊んだりした。そして、月曜日の朝5時半に起きて家を出る。新幹線の中で朝食を食べ、ひと眠りして10時ころに出勤するという生活を4年間やった。

問題は経済的なところだが、帰省手当とか別居手当みたいなものがあり、また、どうせ休みに一人でいても呑みにいったりで散財するわけだから、そんなに負担ではなかった。まあ、JRにはずいぶんと貢ぎましたが。

こうした生活もけっこう快適で、何よりも往復の新幹線のなかで仕事モードと家庭サービス・遊びモードに切り替わる時間がいい気分転換にもなった。すなわち、家に帰るときの車内では、仕事のことは忘れていき、逆に会社に向かうときの車内では、さあ仕事をするぞとなる。しかし、さすがにそれも2年ぐらいまでは楽しかったたが、それ以降はだんだん苦痛になってきて、また戻れたときはほっとした。

いまはまだ、遊ぶのを控えてかなり仕事をしていかなくてはいけない身なので、当分は今の生活を変えられないが、そのうちトカイナカ生活ができたらと思う。おいおい、そのために必要な資金がどこにあるのだ。

2007年4月12日

法整備を急げ

高田延彦、向井亜紀夫妻が代理出産でもうけた双子の日本国籍取得を断念した。最高裁が不受理を確定し、そのとき最高裁決定の補足意見で、法的な親子関係を成立させるための選択肢として勧められた「特別養子縁組」など、その後実子にするための方策をいろいろと検討していたが、結局契約が壁となりあきらめたようだ。

ここで、代理出産の是非を論じるつもりはなく、最高裁が「代理出産という民法の想定していない事態が現実に生じている以上、医学的観点や子の福祉などについて検討が必要で、立法による速やかな対応が強く望まれる」と国会に法整備を促したことを書く。

ぼくらは普通に三権分立ということを教えてもらい、司法・立法・行政がバランスよく機能しているように思ってしまうが、今回のように司法が立法に法整備を促したことに驚いてしまう。司法はやっぱり法を超えることはできないと改めて思うことと、世の中の変化に法が追いついていない現状が浮き彫りになった。

なぜ、法整備が遅れているかは国会の怠慢であることは間違いないが、やはり昨今の科学技術の発展が大きいと思う。そのなかでも、ITとライフサイエンスのめまぐるしい変化が特に顕著のような気がする。上述の代理母の問題にしても昔は考えられなかったことだ。

法整備の遅れということでは、先日テレビで放映していた「ドクターヘリ」のことを紹介する。これは、病院にヘリコプターを常備した救急医療のことで、緊急出動がかかると担当医師と看護師がすぐにヘリコプターに乗って現場に急行し手当てするものである。こうした病院は全国でまだ11箇所しかないが、年間4000件の出動で多くの命を救ってきている。

ところが、この放送のなかで法や行政が邪魔をしている場面がでてきた。場所ははっきり覚えていないが、どこかの高速道路で大きな事故があって負傷者が発生したので、ドクターヘリが出動した。ところが、ヘリコプターがなかなか現場に降りられないで上空を旋回している。高速道路にヘリコプターが着陸するのは違法なのだそうだ。だから、結局許可がおりず、近くの空き地におりてそこから現場に駆けつけるという時間のロスを強いられた話であった。

こんな話を見聞きすると、国会は何をやっているんだと言いたくなる。

だから、立法府たる国会に関する最近の動きが気になる。憲法改正の動きが盛んになってきているがそれはそれで大いに議論したらいいと思うが、一方で“法に則って適正に処理している”からいいんだと嘯いている農水大臣がいたり、教育に関する法律も本来長期スパンで考えるべきものを目先のことしか頭にないのではないかとか、そんな状況を見ていると、国民のための法整備を真剣に進めているように到底思えない。

国会よ、ぐだらぐだらやっている場合じゃないぞ。

2007年4月14日

花の命は

ばあちゃんの家の牡丹が見事に咲いた。

紅白で二対の花はめずらしい。ところが、咲いたと思ったらすぐに花をちょん切ってしまった。来年また大きな花を咲かすには早めに切っておかなくてないけなのだそうだ。

なんか変な気がするが。

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2007年4月19日

雨後なのにタケノコが出てこない

わが家の前に竹林があって、例年だと連休1週間前になるとにょきにょきとタケノコが出てくる。ところが、なぜか今年は2、3本しか見ることができない。その中でも家の庭の敷石近くまで侵攻している根から生えてきたのが一番大きい。

よく、いいですね家でタケノコ狩りができてと言われるが、最初のころは楽しんでいたが、最近では申し訳ないがうんざり気味です。掘るのも斜面なのでけっこう大変で、さらに出だすと一気に出てくるし、ほっておくとすぐ伸びるから、さっさと採らなくてはならない。従って、毎日タケノコご飯とあいなる。

もっとゆっくり生えてきてくれないかなあ。それより、ひょっとすると今年はもう生えてこないのか?

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2007年4月25日

”情”ということ

最近、“情”ということをよく考える。“知”に対する“情”は、人間にとって非常に重要なものではないかと思っている。日常、どうしても頭のなかの理屈で考えることが多く、情の動きを抑えることもあるが、そんなとき、ふと心で感じることも必要だと思う。

“情”というのを辞書で調べるとつぎのように書いてある。

(1)何かを見たり聞いたりして起きる心の動き。
(2)人が本来もっている性質。
(3)他人を気の毒だと思う気持ち。思いやり。なさけ。
(4)特定の異性を愛する心。恋情。
(5)実際のようす。ありさま。
(6)我(が)。意地。頑固。

さらに、熟語では、情感、情熱、情緒、情況、情操、情報、愛情、人情、感情、強情等々いろいろな意味の言葉が出てくる。

これらはみな人間としてもっているものであり、この“情”の自分のなかでの有り様が人間関係を良くもするし、悪くもするのではないだろうか。だから今、”情”の大切さをすごく思うのである。

漱石は、「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」といったが、“正しい情況”をつかんで深入りしなければ流されないでしょう。

実は落語というのは、この“情”について語っている。そこについて、もう死んでしまったが、ぼくが一番好きな噺家の桂枝雀が面白いことを言っている。

「“知”的なものには、記憶がある。しかし“情”的なものには記憶がない」

だから、昔から同じ演目をいろいろな噺家がしゃべってもみな違うように聞こえてくるのだ。

話は飛躍するが、情報という言葉に“情”が使われていて多少奇異な感じがあったので調べたら、Informationを「敵情を報知する」という意味で情報と訳したようだ。実際の様子という意味だが、これからのネット社会では、情報とはそれだけではなく心の動きのようなものまで表現するようになるかもしれないと、ちょっとそんなことを考えてしまった。


2007年5月 5日

安心社会から信頼社会へ

以前、ブログでyabuさんという方から薦められた「安心社会から信頼社会へ」(山岸俊男著、中公新書)を読む。「日本人はいじわるがお好き?」というような話をこのブログで書いたら、もっと先行している研究があって、上記の本に書いてあるので読んでみたらというコメントをいただいたのだ。

確かにすごく面白かったのと感心させられた。のっけに“人を信じることは、おろかなお人好しのすることでしょうか。それとも逆に、誰も信じないで「人を見たら泥棒と思え」と思っているひとこそ、おろかな人間なのでしょうか”と問いかけてくる。

そこから、社会的ジレンマの実験や信頼ゲーム実験などからいろいろな仮説を導き検証していく。それらをいちいち書くわけにいかないので、現在の日本の社会が直面している問題について、本書から抽出してみる。

いま「日本型システム」の不信が拡大していて、これはこれまでの安定した社会関係が崩壊していることを意味している。それは、コミットメント関係、とくにやくざ型のコミットメント関係の形成による安心の維持が、機会費用の急速な上昇によって「高くつきすぎる」ようになったために生じた変化なのだそうだ。

そして、こうした集団主義的な組織原理から、より開かれた組織原理へ向かう日本社会の変革を進めるためには、一般的信頼の醸成が不可欠であるといっている。いいかえれば、コミットメント関係の内部で情報を共有しながら外部に対しては情報を漏らさないというやりかたで関係を安定させ、その内部で社会的不確実性を低下せしめてきたがそのコストが増大したというわけである。

だからそれとは逆に開かれた関係になった場合の不確実性をどう低減するかが問題で、それにはさまざまな組織における情報開示あるいは情報の透明性を高めることがその解決策であるといっている。

とまあ、かなり乱暴にまとめてしまったが、いまネットを中心に明らかに大きな情況の変化がおきているように思えます。この変化もまた、山岸俊平のいう“新しい文化の創造のプロセス”なのかもしれません。

もう世界は開かれたものになってしまったわけで、従来のように内輪でこちょこちょするようなことはやめなくてはいけない。ぼくの足元のシステム開発においても、必要なアプリケーションという意味でも、またオープンソースに代表されるような開発形態においても情報共有と情報開示がすごく重要なキーワードになっているような気がする。また、「ギークなひとたち」と「スーツなひとたち」の融合も開かれた変化の結果として実現してほしいと思う。

そのときわれわれは、「人を見たら泥棒と思え」とふるまうのか、だまされてもいいからひとを信じ続けるのか、ただ乗りするのか、意地悪行動をとるのか。少なくともぼくは、楽観主義の高信頼者でいようと決めている。

2007年5月 8日

誰でも子どもになれるか

5月4日放送の「たけしの誰でもピカソ」で岡本光平という書家が齋藤けさ江という92歳のひとを紹介していた。このおばあさんは70歳で字を覚えたという人でそれからすぐに書を始めたそうだ。その書は素朴で自然体の字が素晴らしく、岡本光平は「いい字」だと言っていた。

またもうひとり8歳の高橋卓也君という子が登場。この子はモントリオール国際芸術祭・書道部門グランプリを受賞した有名な子で、その奔放なそして絵画的な漢字を書く。まあ天才ですね。けさ江ばあさんも言ってみればこどものようなものだから、おとなと違って余計なことを考えずに一生懸命書くということが素晴らしいのだ。

芸術家というのはみな、子どものように無心になれるか、邪念を振り払ってありのままを表現できるかどうかということを盛んにいう。

それと同じようなことを言っていた人たちがいた。ずっと前に中村勘三郎と柄本明が出演する「弥次喜多」の映画撮影現場の取材でふたりが異口同音に言っていた言葉に「こどもの学芸会のような芝居ができたら」というのがある。これも同じで、何というかそれこそ芝居っ気なしに素直に演じられてこそいい演技になるということを言っているわけで、さっきの書の話と通じている。

だが、芸術家になりたくてもなれないぼくらにとって、2つの問題を考えてしまう。
ぼくだってもちろんこどものときがあったわけで、じゃそのときぼくは芸術家だったのかということと、こどもが大人になるとそのみずみずしさを失っていくのかという点である。やっぱ、才能はもって生まれたものでしょうね。卓也君なんて2歳のときに漢字を書いているんですよ。ああ、ぼくなんか無心で書いた習字を先生が朱色に染めてくれたんだから。

また芸術的天才は、その天才を続けるにはある種の「狂い」がないとだめなのじゃないかと思ってしまう。それによって、「子ども」をかろうじて維持しているのではないかと。ちょっと大胆だったかな。

2007年5月12日

平凡という価値を認めよう

高校野球の特待生の話題で盛りあがっていますが、高野連が緩和策を提示して、どうも世論は特待生制度に肯定的になっているようだ。だいたいの人がこうした制度があることを知っていただろうし、いまさら何を言い出すのだという感じではないでしょうか。

スポーツに限らず何かに秀でた子を経済的に支援するというのは別に悪いことだとも思わない。昔は、勉強ができる子がお金がないので進学できないときに助けてあげるなんてことはよくあったわけで、今は勉強できる子はお金持ちの子だから援助はしなくてもいいというだけで、それとどこがちがうのかと思う。

つい勉強するのがいいことでスポーツでお金もらうのは汚いみたいに思う人がいる。プロ野球の選手になるのに特待生はおかしいということなのだろうが、勉強だってある意味お金を稼ぐためでもあるんだから、要は、才能がある子がその才能を伸ばすために経済的に援助してあげると考えればいいのだ。

みなの心情的な部分で、学校教育というのは傑出した人間を作る場ではないと思っているが、実はそうではなくて、いい例が、甲子園が終わるとマスコミがこぞって「さあ次の甲子園のスターはだれでしょう」なんてことを平気で言う。スターを作らないのが学校スポーツじゃなかったのかと思ってしまうが、特に日本の高校野球の世界はちょっといびつなのだ。それでも、できる子の道がそこしかないのだからそれはそれでいいんじゃないのと思う。

むしろ、ここでぼくが言いたいのは、勉強、スポーツ、芸術に秀でた子はいいけど、おおかたの子は普通の才能で、まあ他人より少し勝てるものをちょっと持っているだけであるわけで、その子たちを忘れないでねということになる。

つい才能豊かな人たちをすごいと思うが、もっと「平凡であること、平凡でいること」のよさ、価値を考え直してほしいと思う。

ここの「平凡でいること」も意外とできないものなのです。例えが飛躍して恐縮ですが天気のことです。天気予報などでよく「今年は平年並みの気候です」なんていうことがあるが、平年の天気ってあるの?と思ってしまう。特に最近なんか毎年異常気象といって、暑かった寒かったり、雨ばかりだったりというふうに、いつも同じような気候ではないのだ。昔だれだかが、言っていましたが「天気は異常なのが普通です」。

人生だってそうかもしれません。異常の繰り返しや突如降ってわいたような不幸が舞い込んだり、健康を損なったりするわけで、これも例えが悪いかもしれませんが、拉致被害者の家族にしても、本当はごく普通の人生であったかも知れないのが、全く違った人生になってしまうわけです。だから、「平凡でいること」も難しいのです。

ただし、この場合はかなり他力的な部分が大きいのでしょうが、「平凡であること」は自力の問題です。実は何もしないでぼおーとしていてはできないのです。そこには、堕落しそうになったときの倫理観だとか、有頂天にならない自制心だとか、もとにもどすバランサーが働いていること重要なのです。大げさに言えば「中庸」ということかもしれない。

そこには、教養だとか徳だとかいった裏打ちがあってこそできることのように思える。教育再生会議で「教えるべき徳目」とか「子育て提言」なんて言うけど、その前にこの「平凡であること、平凡でいること」の価値をみんなで認め合うことも大切ではないかと思う。


2007年5月14日

企業情報システムのかたち(13)

運用体制

企業の多くにはIS部門あるいは情報子会社を抱えている。もちろんそうした部門を持たない中堅企業も存在する。どちらにしろ、何から何まで自社でやれないので、どこの部分を自社要員でやって、どこの部分を外部にまかせるのかという、いわゆるソーシング戦略が重要となる。ひところフルアウトソーシングといって全部アウトソーサー(といっても情報子会社を大手ベンダーが買収して作った会社が受け皿になるのが多いが)にまかすこともやられたが、さすがに溝もできたようでフルアウトソーシングは難しいようだ。

従って、アウトソーシングとインソーシングのバランスがポイントになってくる。通常は戦略的な機能は自社で、オペレーショナルな機能は外部にというのがよく採られる戦略だ。

具体的には、まず親会社の企画部門のようなところで経営戦略や事業方針に則った情報戦略が立案される。それに従ってIS部門や情報子会社は情報化計画を作る。しかし、この経営戦略や事業方針からの情報戦略というのをきちんとやっているところは少ないのではないだろうか。もちろんITがコアコンピタンスになっているところは別にして、普通の会社の情報システムでは、システム部門が勝手に類推して、こんなことを経営者は言っているから、こんなものを作ろうとかとなり、実際に開発の申請をするとさんざん投資対効果の説明を求められ、コストダウンや定量的メリットが示せるものだけしか通してくれないなんていうのが実情ではないだろうか。それでも、事業部や現場とのコミュニケーションを継続してやるという不断の努力が必要であり、そこからエンドユーザのニーズを拾い上げるしかない。

単純な運用・保守はできるだけ外部のアウトソーサーを活用したほうがいいと考える。例えば、ホストコンピュータやメインサーバさらにネットワーク(WAN)の運用などは設備の整った、そして多くのオペレータがいるセンターに預けるのが賢い選択だ。預け方には、ハウジング、ホスティングという手もあるが、大きなリソースをシェアすることで更なるコストダウンが図れるアウトソーシングのほうが有利であると思われる。このとき、きちんとしたSLAを結んでおくことが重要であるのは言うまでもない。

運用の中では、ヘルプデスクの機能はアウトソーシングしないほうがいいと筆者は考える。ユーザとの接点であり、日々の会話からシステム化のヒントや改善案が出てくるので、直接自社要員が対応することを薦める。

大きな会社ではたいていグループ会社をもっているが、親会社のIS部門あるいは情報子会社がグループ会社の情報化を一手に引き受けることがグループ経営にとって効率的である。すなわち、グループ会社のアウトソーサーになるというイメージだ。連結重視の経営になった今日、余計にこうしたシェアードサービスの考え方は重要であろう。
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2007年5月19日

占いって信じますか?

最近良くないことばかりが続いていて滅入っているんだけど、こういう時って今は運気がないとか、寝ている方角が悪いんじゃないかとか、ついそんなところに逃げ込みたくなる。だから、占いとかスピリチュアルだとか風水なんかがはやるのだろう。

そこで、少し風水のことを調べたら、まず生まれた年で8つの「本命卦」(あの当たるも八卦、当たらぬも八卦ってやつです)のうちのどれかに当てはまるわけで、これにより方位の吉凶が決まってくるそうだ。そこで、部屋の模様替えでもしようかと思ったけど、狭い部屋だから、吉となるような配置にしたら住みにくくていかん。というわけで、今度骨董屋に行って水晶玉でも買ってこようかと思っている。

風水というのは、生まれた年による場所とか空間のことだが、一方で時間、すなわち暦における吉凶というのもある。四柱推命というやつで、四柱というのは、生まれた年、月、日、時刻のことで、それと干支を配置してその人の運命や相性がわかるというもの。

で、その中に天中殺というのが出てくる。以前マスコミでもてはやされてすごい凶現象が起こると言われたが、実際にはそんなことはなくてあまり良くない時ですよぐらいの感じだそうだ。四柱推命では「空亡」というそうで12年に一度訪れる不運の2年間をいう。さっそく、自分の「空亡」の年をみたら、1998年と1999年の2年間だったのだが、この2年間は別段不運なこともなく、むしろ順調な年であったので何だ当たらないやと思った。

ところが、それは年でのことだが、月と日でもその「空亡」というのがあって、まあそれが、年とも重なると大天中殺ということになるのだが、ぼくの場合は2月と3月がそれにあたり、さらに日が12日サイクルでやってくる。従って、1年間で10日くらいが「空亡」の日というわけだ。

それで驚きの出来事が、前にブログでも書いたけど、2月に財布を落としたこと、3月に転んで肋骨を痛めたことがあったが、なんとそれが両方ともその日にあたっていたのだ。うへーすげえなあ、少し信じてみるかなと思ってしまう。

でもよく考えてみると、毎年同じ月に「空亡」がやってくるというのも変だし、同じ誕生日の人が皆同じ不運に会うのかというのもおかしいし、生まれた年月日というけど、いまや誕生日をコントロールできるわけだから、それで運命が変わるというのもどうかと思う。やっぱり、この生まれた日で占うというのに抵抗がある。本来は母親の体内で生命が誕生した瞬間、ていうか精子が卵子にくっついた瞬間がその人の「本命卦」になるのではないだろうか。

いずれにしろ、風水や四柱推命がインチキじゃなく残っているのかは、これって論理的というか統計学というか、あいまいではなく数理的に決まっていくので占う側がぶれないからつい信じてしまうということではないだろうか。

2007年5月20日

バーナム効果

昨日、占いを信じるかという話を書いたが、血液型の性格判断のようなものを含めて、なぜ科学的根拠がないにも関わらず信じられているかには「バーナム効果」というので説明がつくそうだ。

「バーナム効果」というのは、誰にでも当てはまるようなあいまいで一般的な性格をあらわす記述を、自分だけに当てはまる正確なものだと捉えてしまう心理学の現象のことで、例えば、「あなたはやさしいが、気が強いところもある。」とか「あなたは社交的だが、時々ひとりで悩んだりする…」といった類である。反対のことを両方言うから、どちらかは自分のことを言っていると感じてしまい、全面的に当たっていると思い込んでしまうのだ。

ここで実際にこの現象を経験できるサイトがある。松岡圭祐という作家が運営している「究極の血液型心理検査」というタイトルのサイトで、そこに行くとだまされたような気がしてすごい面白いので是非体験してみてください。

でも、ぼくは血液型で性格が違うというのをいまだに信じていて、なぜかというと、あるとき「インディアンは全員A型で、ジプシーは全員B型である」と聞いたとき妙に納得したのだ。定住型のA型と放浪型のB型というのは説得力があると思いませんか。それと、囲碁が強いのはA型で将棋が強いのはB型というのもなるほどと思ってしまう。血液型によって性格の違いがあるということと、「バーナム効果」とはちょっと違うようだから、簡単に「バーナム効果」というので説明がつくと言うのはやめた。

2007年5月22日

ランキングばやり

息子のブログが「ブログランキング ドット ネット」というランキングサイトの「日記:20代」というサブカテゴリで1位になっていた。

最近、テレビやネットでこのランキングというのがはやっているようでいろいろなジャンルのランキングが掲載されている。

そこで、身近なランキング情報、というか地元の全国1位の意外なものをたまたま目にしたのでそれを紹介する。

まずは、鎌倉市のごみリサイクル率が全国1位という話。毎日新聞の記事から。

環境省の06年度「ごみのリサイクル率」で、鎌倉市が人口10万~50万の市で全国1位になった。統計を取り始めた05年度から2年連続。06年度のリサイクル率は48.6%で、2位の岡山県倉敷市を0.1%上回った。
 リサイクル率は「総資源化量÷総排出量」で計算する。06年度に同市から出たごみは7万3463トン。うち植木剪定(せんてい)材、紙・布・缶、金属 類、容器包装プラスチックなど3万5734トンを再利用して資源化した。石渡徳一鎌倉市長は「市民意識の高まりの結果」と話した。

鎌倉市は、ごみの出し方がけっこう大変で、ということは逆に分別回収がちゃんとできているということで、その結果がリサイクル率に現れている。
もうひとつは、神奈川県はジャムの消費量日本一です。近所のスーパーで見かけたポスターに書いてあった。だからジャムを買えというのもよく分からないが、つい買いたくなってしまう。うちのばあちゃんはジャムが大好きなのですなおに買って帰りました。

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2007年5月23日

もうちょっと太っ腹の支援を

今日、独立行政法人の「中小企業基盤整備機構」というところがやっている事業化支援事業に応募した。

これは、優れた技術シーズ・ビジネスアイデアはあるものの、新事業開拓に取り組むことが困難な状況にある創業者または中小企業に対して、資金面での助成とともにビジネスプランの具体化・販路開拓等に向けたコンサルティングを実施し事業化を支援するものである。

わが社はぜんぜんお金がないのでもし採用されるとすごく助かる。今年の9月から1年間に使う経費の1/2を助成しましょうというもので、上限が500万円です。したがって、もし、500万円もらおうと思ったら倍の1000万円の事業化経費ということになる。別の言い方をすると500万円は自己負担ということである。これってけっこうきついのです。だから、今回の応募では何とか借り入れではなく自己資金でまかなえそうな上限の半分くらいにしておいた。

この応募をするにあたって。いろいろな助成金事業をあたってみたが、どれもだいたい全額ではなく半額とか2/3だとかになっている。

そのなかで、本当はそこに応募したかったのだが間に合わなかったが、IPAの「中小ITベンチャー支援事業と」いうのがある。これは、委託費として上限2000万円なのでおいしい話だったのだ。是非、来年応募してみようと思う。

で、この公共の支援事業なんだけどどうも“けちくさい”ように思える。思い切って全額支援してくれて、そのかわりうまくいったら、利益を還元するくらいのことをしてくれたらいい。とくに、ベンチャーや起業支援の場合はそうすべきだ。

なかには、「高年齢者等共同就業機会創業創出助成金」なんていうえらい長ったらしい名前の事業があるんだけど、これなんか、45歳以上の3人が集まり、その職業経験を活用して新たに法人を設立して起業し、45歳以上65歳未満の人を1名以上常勤社員として雇うと、対象経費(人件費除く)の3分の2が支給されるということだけど何やらさびしいですよね。

こういう支援というのは、ベンチャー、起業支援に限らず、教育支援だとか医療支援だとかもそうですが、小出しにしても効果が薄いと思うのです。もう、的を絞って太っ腹にぱーとやってくれないかな。

2007年6月 2日

昔からの動物が消えた

このあいだテレビで都会のなかで珍しい動物の捕獲劇を放送していた。その動物の名は「ハクビシン」という。皆さんご存知ですか?日本語で「白鼻心」と書く。字のごとく鼻から頭にかけて白い毛を持ったジャコウネコ科の動物で東南アジアから中国に分布している。例のSARSの伝染媒体と騒がれたやつです。どうも日本には外から入った移入種らしいのです。

なぜこんな話をするかというと、もうかれこれ3年ほど前になるが、そのハクビシンがいま僕が事務所代わりに使っているばあちゃんの家の屋根裏に住みついたことがあったからだ。あるとき、玄関の下駄箱の上に水がたれてきて、雨漏りでもないのに何なのだろうと思っていたら、ちょうどそのとき家の修理に来ていた大工さんが“これは、ハクビシンのおしっこ”だと言うのである。

その大工さんはときどき市内の神社の修理なんかにいくらしいのだが、よく神社の屋根裏にハクビシンが住んでいることがあって、だからわかったらしい。それで、大工さんに見てもらうことになった。天井を外して懐中電灯で屋根裏を点検してもらったわけだ。

としばらくして、おおーという声で飛び降りてきた。何と、ハクビシンと目が合ったのだ。あぶなく転げ落ちるところだった。さて、こいつを追い出さなくてはいけない。天井をがたがたやったらどこから逃げたと思いますか。基礎の外周部分に風穴が開いているのをご存知だと思いますが、そこからすごい勢いで抜け出てきた。

その他にも、タイワンリスはしょっちゅう来るし、アライグマまで遊びに来るのです。ところが一方、昔よくいたのにいなくなってしまった動物が多くいます。その代表的なのは、ヘビだと思うのだが、とんと見かけなくなった。そういえば、蛙の鳴き声やねずみも見ることが極端に減ってしまったからかもしれない。スズメやイナゴ、ホタルも見なくなった。

そんな中でしぶといやつがいた。ムカデだ。こいつはすさまじい生命力で毎年今頃の時期になるとどこからともなく現れてくる。時には咬まれることもあるという、超やっかいなのだが、わが家も強くなりました。以前は嫁はんなんて、大きな声でキャーと叫んで固まってしまっていたが、最近は、「おとうさん、ムカデはやっぱりガムテープに限る」と言って平気な顔でムカデをつかまえている。下の息子も「寝ていたら体の上を這っていきやがった」とか言っていた。まあ、人間慣れればジャングルの生活も平気なんじゃないかな。ちと大げさか。

というわけで、最近は、昔からの動物がいなくなり、外来種の動物が増えてきたようだ。ずいぶんと生態系が崩れていくのを実感する今日この頃です。

2007年6月 3日

もうすぐ梅雨ですね

庭の梅の木に実がなった。
毎年この時期になると枝が折れんばかりに実がなってくる。梅はリスはあまり食べないので人間に回ってくる。以前は梅酒や梅ジャムを作ったり、ばあちゃんは梅干も作るのだが、最近はちょっと飽きたみたいで少量の梅を加工している。
この梅が実ってくるといよいよ梅雨に入る。

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2007年6月 7日

食卓にも外来種

この間、外来種の動物の話をしたが、魚についてのことを思い出した。ぼくは観ていないが「ダーウィンの悪夢」という映画があった。内容は、アフリカのタンザニアのムワンザを舞台にしたドキュメンタリー映画で、ビクトリア湖に放たれた外来魚「ナイルパーチ」により、在来種が駆逐され、生態系が壊滅的な打撃を受けたという話だが、逆にその魚は食用に日本などに輸出され、周辺の経済的繁栄ももたらした。ただ、この繁栄は一部の人を潤しただけで多くの住民の貧困は続いているという。

実際に観ていないので映画の論評はできないが、どうもこの監督の扇動的な演出は問題になったらしい。結局、ドキュメンタリーといったって事実を伝えているわけではなく、演出されたものであることを忘れないことだ。

さて、このナイルパーチという魚は、日本にも来て「スズキ」としてスーパーの店頭にも並んでいたり、ファミレスあたりの白身魚フライはこれらしい。

この外来種の魚が日本で食卓にのぼることについて面白い話がある。もうだいぶ前になるが、オイルショックのあとで省エネが叫ばれたころだったと思うが、工場の温排水の熱を利用して、いろいろな食用魚などを養殖するのがはやったことがある。

ぼくの以前勤めていた会社でもごたぶんにもれずやることになったのです。最初は何にするかといろいろ検討した結果ティラピアの養殖を始めた。いくつか生簀を作りそこに温排水で暖められた水を供給してそこで育てる。ティラピアは淡水魚だからそれでいいわけです。この魚は味と見かけが鯛に似ていたので、「いずみ鯛」という名でスーパーにも出荷してけっこう売れていました。

ところが、ある日パタっと売れなくなった。なぜだと思いますか。真鯛の値がぐっと下がったのです。そうです、真鯛の養殖が可能になったのです。そうなると、本家にはかないませんから、すぐに撤退となったのです。近畿大学の水産研究所はすごい、不可能と言われた真鯛の養殖を可能にしてしまうんだから。

それで、ティラピアの後がなんと「エスカルゴ」の養殖です。これもけっこうホテルなんかに出回ったみたいです。いまどうしているのかな?

2007年6月10日

年金問題

年金問題がゆれている。僕は昨年退職したので、そのとき年金記録を確認しているので問題がないことがわかっている。しかし、そうでないひとは不安であろうし、もし記録に残っていなかったらそれを証明してもらうのもすごく大変だろうと同情してしまう。政府の対応もおろおろするばかりで、いつの厚生大臣がこの制度を導入したかなんてどうでもよくて、要は何としてでも多少の疑わしさは救ってやってきちんと記録するしかない。

この問題に関して、ぼくの知り合い(呑み友達)で日本医療総合研究所社長の中村十念さんが「先見創意の会」というところのホームページに「年金問題は松下電器に見習え」というタイトルで非常に的確なコメントを載せていた。少し長くなるが引用する。

いわゆる「消えた年金問題」の原因は名寄せの失敗にある。  年金には1997年に、国民一人一人にひとつの番号を割り振る「基礎年金番号制度」が導入された。それまでは、複数の年金番号を持つ国民も珍しくなかった。  会社を変わるとその度に違う年金番号が付与され、厚生年金と国民年金間の移動があっても違う番号になったからである。何億もあったであろう年金番号を一気に国民に背番号をつけ名寄せして、約一億に縮めようとした訳だから、壮大な仕事だったに違いない。  しかし、壮大な割には、方法論はお粗末で、国民の自己申告に頼ったのである。広報が不十分だったのか、私の不注意だったのかわからぬが、わずか10年前の話なのに、そのことの記憶は、ない。  これでは、きちんと名寄せできるはずがなく、名寄せしきれずに残った番号が5,000万件という訳である。(その意味では「消えた年金」という言い方は正しくない。逆に消せなかった年金番号と言った方がより正確であろう。)  問題の一つは、この問題が、10年もの間放置され続けてきたことにある。一部のマスコミやジャーナリストが取り上げたこともあったが、社会保険庁や社会保険事務所は頬被りを決め込んだ。  この無責任さは追求されてしかるべきである。政府は損保や生保の不払い追及に熱心ではあるが、国自体のチョンボが見逃されるようではコメディである。  もう一つの問題は、解決策が的外れなことである。消せなかった年金番号の方を一年間で潰していこうということらしいが、過去に出来なかったこと が、今出来るとは思えない。誤字、脱字、読み間違い、姓名変更、同姓同名など名寄せが一筋縄ではいかないことは、多くの企業が体験してきたことだからである。  ここは松下電器の欠陥商品のクレーム処理に見習うべきである。逆から遡るのである。会社を変わったことのある人、厚生年金から国民年金に変わった人(その逆も)等にひとり残らず、自分の年金の照会を呼びかけることである。  それも、これでもかこれでもかというぐらい繰り返し呼びかけるのである。呼びかけに応じて問い合わせた人に対しては、適切に対応しなければならないのは言うまでもない。松下電器は、この方法によって企業のブランドを守り、信用を増したのである。

 松下方式の難点は、費用がかかることである。しかし、その費用は国民への給付費を削って賄われるべきではない。年金積立金からこっそり持って来るのもいけない。国の通常経費をやり繰りして調達されるべきであることは言うまでもない。
 肝心なことは、官僚の焼け太りを見逃してはいけないということである。また、OBのボランティアによる役務提供があれば、社会保険庁の名誉回復にも繋がるし、人件費の節約にもなると思うが、そのような声はあがらないのだろうか。
 安倍政権は、この年金問題によって、新たな国家責任の果たし方をためすチャンスをもらった。首相の若さと正義感で正面から堂々と取り組めば、おのずと道は開けるのではないか。

全く正しく論じていて大賛成だ。
ぼくは、企業のコンピュータシステムを面倒見てきた身なので、入力作業というのはおそろしく大変な作業であることと、必ず入力ミスが起こることを身にしみて知っている。しかし、われわれは、それを前提で繰り返しテストを行なって、何段階でチェックして万全を期すわけです。あの2000年問題のときでも、入力作業とはちょっと違うが、はしからはしまでプログラムを調べて不具合が起こらないように徹底的に検証したのだ。

だから、今回のような出来事が信じられない。おそらく、この場合、通常のコンピュータ処理と違うのは、入力した結果がすぐに出力されないわけで、遠い先に支払が生じたときに始めてわかるということが大きく影響したと思われる。担当者、管理者の頭のなかには、どうせ今打ったデータが間違ってたとしても、実際出力されるときは誰が打ったかわからないのだから適当に打っておけばいいや、たいしたチェックもしなくてもだいじょうぶだときっと思ったに違いない。だからこそ、よけいに注意を払う必要があるのに全くの怠慢と言わざるを得ない。こんなことを他の役所もやっていないでしょうね。

2007年6月11日

「戦後レジームからの脱却」って何のこと

安倍総理の横文字好きは困ったものだが、この戦後レジームなんて言葉をどうして使うのだろう。ぼくだってわからないのだから、おばさんはさっぱり理解できないんじゃないの。単に戦後体制って言えばいいじゃん。

それに、脱却って言うからには戦後の体制はどうであって、結果何が悪かったので、そこから脱却するのかということをちゃんとわかりやすく説明してくれないと困る。また、全部が悪いのではなくいいことと悪いことがあって総合判断として、変えていかざるを得ないということでないと国民は納得いかないと思う。

ぼくは、この「戦後レジームからの脱却」と聞いたとき、直感的に危うさ(ナイーブ)を感じた。それがどうしてか自分の中で考えがまとまらなかったのだが、それを非常にわかりやすく解説してくれた人がいた。まだ若い気鋭の政治哲学者である津田塾大准教授の萱野稔人だ。

彼は、「国家と国民は一体か」というタイトルで、まず安倍政権の国家と国民の一体性を自明視する国家観はナイーブであると論じている。なぜかというと、国家というものはそもそも、唯一社会のなかで合法的に暴力を持つことができる特殊な存在なのである。そうした特殊性を認識することが政治家にとって重要なことなのであって、あたかも一体的なものであるとみる安倍政権の国家観はナイーブなのである。従軍慰安婦の問題なんかもこの文脈で理解できる。

その国家観は、「戦後レジームの脱却」と言っていることについても懸念を表している。そもそも戦後体制とは、第二次世界大戦の戦勝国が、敗戦国に対し、二度と暴走しないように管理するために作られたわけで、戦後体制から脱却するということは、“管理される立場から管理する側へ移行すること”なのである。で、管理する側に回ったときの安倍政権の国家観がすごく気になるというわけだ。なるほどすっきりした。

2007年6月15日

雨上がり三題

いよいよ1週間遅れの梅雨に入った。しかし、今朝はさわやかに晴れている。雨上がりの朝の富士山がきれいだ。こんなにすっきり見えるのはこの時期にしてはめずらしい。写真はうまく撮れていないが雰囲気だけでも。

庭のあじさいが色づいてきた。あじさいは雨が似合う。晴れた日より雨の日のほうがきれいに見える。

なぜか、「大日本人」の新聞広告。このタイトルとどういう関係があるのかわからないシュールさが松ちゃんぽくっていいでしょ。それにしても、1面全部の広告を打つとは吉本もたいしたものだ。よっぽど客の入りが悪いのかなあ。

まあ、これだけ賛否がはっきり分かれる映画も珍しい。ただ、ちょっと疑問なのは、いまぼくが賛否両論と言ったけどこれはYahooなんかのクチコミからそう言っているが、気になったのはこうした評のなかで、映画館の観客がみなゲラゲラ笑っていたという人と誰も笑わなかったという人がはっきり分かれていたことで、そんなことってあるのかなあと不思議でしょうがない。

むむ何か意図的なクチコミなのでは?それとも普通に松っちゃんのファンだけが笑って、そうでない人はぜんぜん笑えないってことなのだろうか。こりゃ新興宗教だ。映画がこけてどしゃ降りの雨から、新聞広告を打って雨を上がらせようということなのかな。

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2007年6月16日

落とし穴理論

社保庁のことは以前このブログで書いたが、どうも人間の習いで、ひとのしたことを修正するのはあまりしないようだ。しかも黙ってやることは難しい。なにか見返りがあるならやってもいいくらいしか考えないものだ。これを、ぼくは勝手に「落とし穴理論」と呼んでいる。

どういうことかというと、人間には三種類のタイプがあって、落とし穴を掘るヤツ、落とし穴を見つけて気をつけろというだけのヤツ、黙って落とし穴を埋めるヤツの三様の人間である。で、なかなか落とし穴を黙って埋めるヤツがいないのだ。

人間って自分がいいことをしたら、まわりの人に気づいてもらいたいし、ほめてももらいたいという心理が働く。しかし、黙っていたらほめてくれない。黙ってやらなきゃ事務的に対処するだけだから、いいことをしたことにはならない。こんなジレンマがあるので、だいたいのひとは気をつけろというだけで、誰かが穴埋めをしてくれるのを期待するというわけだ。こんな心理が蔓延しているから年金問題が出てくるのだ。

とここまで書いたら、同じようなことを言っている人がいた。内田樹さんで以前も紹介したが、この人の論旨は明快でいつも感心させられる。要約を載せると、

システムをクラッシュさせた責任は「誰に責任があるのだ」と声を荒げる人間たちだけがいて、「それは私の責任です」という人間がひとりもいないようなシステムを構築したこと自体のうちにある。 行楽地で空き缶を捨てようときょろきょろしている観光客がいる。 どこにも空き缶が捨ててないと、しかたなくマイカーに持ち帰る。 一つでも空き缶があると、「やれやれ」とうれしげにそこに並べる。 そういう人間「ばかり」だから、空き缶一つをトリガーにして、あっというまにゴミの山ができあがる。 私たちの社会はそういうふうにできている。 何もないところにゴミを捨てる根性はない。 でも、一つでもゴミが落ちていれば、ほっとして捨てる。 公共の場所にゴミをすてることがシステムを「汚す」ネガティヴな行為であることはわかっている。 けれども、自分より先にそれをした誰かがいた場合には、その誰かに「トラブルの起源」を先送りすることができる。「私が来るより前から『こんなふう』だったんです。私はトラブルの起源ではありません」というエクスキュースが通るとわかると、どんなひどいことでもできる。 それが私たち日本人である。 最初の空き缶をとおりがかりの誰かが拾えば、それでゴミの山の出現は阻止できたのである。 だが、「なんで、オレがどこの誰だかわからないやつの捨てたこきたねえ空き缶を持ち返らなきゃいけないんだよ!」と怒気をあらわにすることが「合理的」であるという判断にほとんどの人が同意するがゆえに、「一個の空き缶」で済んだものがしばしば「ゴミの山」を結果するのである。 社保庁だけでなく、日本的システムは総じてすべてそうである。 いったん事件化したあとになって「誰のミス」であるかを徹底究明することには熱心だが、事件化するより先に「私の責任」でミスを無害化する仕事にはほとんど熱意を示さない。 「誰の責任だ」という言葉を慎み、「私がやっておきます」という言葉を肩肘張らずに口にできるような大人たちをひとりずつ増やす以外に日本を救う方途はないと私は思う。

うーんウチダくんの「空き缶理論」ほうが説得力があるなあ。ぼくも、いま歴代の大臣や社保庁の責任を徹底的に究明するんだとか言っているが、所詮無理だと思う。結局、知らず知らずに体質としてしみついた問題であるから、はっきりこれが病巣ですなんてわかるわけがない。だから、ウチダ君の最後の言葉は重い。


2007年6月17日

平均化ピア・プレッシャーに負けるな

いま、システム開発の方法論を研究していて、その技術的な部分もさることながら、どういう体制でやるのかということに思い巡らせている。要するに開発プロジェクトをどのようなチーム編成、どういうスキルをもったエンジニアを配置するかという問題である。

従来の方法では、とくに大規模プロジェクトだと、非常に多くの人間が階層的に組織され、仕様どおり規律正しく進めていくというやり方が主流である。そして、みんなが仲間に迷惑がかからないようにきちんとやってくれることを前提にプロジェクトは進められる。そうしたやり方だと、結局平均的なスキルにどうしても合わせにかかるから、プロジェクト全体のレベルも平均的なものにしかならない。

もっと飛躍して言うと、日本の社会全体もそういうことで良しといてきた面は否定できないだろう。だから、こういう組織や社会ではとんがることが嫌われることになる。この周りのひとたちが一生懸命やっているから、自分もまじめにやらなくてはいけないという仲間からの圧力を、「ピア・プレッシャー」という。

ピア・プレッシャーのもつ相互監視と相互扶助=「水平管理」のメカニズムは、日本の代表的な企業文化を作っていった。だが、それは家族主義的な居心地のよさを発揮する一方で、互いに監視し合うために、働きすぎたり、ストレスを生んだりするマイナス面もある。

でこのピア・プレッシャーには二種類あると茂木健一郎が言っていて、ひとつは、どちらかと言うと今述べたような「平均値に引きずり下ろそう」というベクトルと、反対に「とんがるような方向に煽る」ベクトルがあるとのこと。それで、最近の傾向は前者に大きく行きすぎていて、それは、メディアの「わかりやすさ」を追求する姿勢の影響が大きいと言っている。

ぼくも、最近同じように感じている。どうもおしなべて平均的なほうへ流れて入るような気がしている。だから、できるやつや真のインテリのひとたちの居心地はそんなにいいものではないような気がする。

そんなことを考えながら、一方で格差社会だなんて言われていることが何やら不思議に思えてくる。世の中のベクトルが平均化に流れていながら、平均的なひとたちがいなくなっているわけで、しかも二極化した上流、下流の両方が平均あるいは普通へのピア・プレッシャーを感じているという妙な構造になっているように思える。

だから、ここでは格差があって当たり前と考え、その中でお互いの価値を認め合う、そしてそれぞれの価値の多様性を認識できる社会を築きべきだと思う。エリートは必要です。コンセプト設計は頭の切れる真のエリートがすべきなのです。

最初のシステム開発についてもスーパークリエ-タの地位を高めて、そうしたいろいろなタイプのとんがったメンバーを中心のチームで開発することを考えている。

2007年6月20日

リフォーム

一昨日、昨日とばあちゃんの家の一角に構えた事務所のリフォームを行なった。もう築後40年経っているので、床板がはがれかけていていつ抜けるかわからない状態だったので床を張り替えた。フローリングというヤツです。そんなことで事務所が使えなくなった。

それと両日とも東京で仕事だったので、この二日はほとんどパソコンに向かうことなく過ごした。そのため、ブログの更新が滞ってしまった。

そんなときは、ブログの文章を紙にでも書いておけばいいのだけど、いきなりキーボードをたたく癖がついたものだから、なかなかそうはいかない。というわけで二日間はブログから解放されたのである。

しかし、リフォームの後の部屋は気持ちがいい。そうだ部屋と一緒に頭の中もリフォームしようかな。

毎日ピクニック

東京に勤めに出ていたときには、毎日通勤とはいえけっこう長い距離を歩く。電車でつり革にぶら下がっているのもいい運動だ。ところが、退職してからめっき歩く距離が減った。週1、2回のプール通いはするものの通勤距離30mでは運動量が激減してしまった。そこで、やっぱり毎日少しでもいいから歩いたほうがいいと思って、どうしようかと考えてみた。

そこで、そうだピクニックに行こうということにした。お弁当をもって海や山にいくのである。ただ、近くで長い距離を歩けるような公園が少なく見つけるのに苦労したが、笛田公園という山の中にある公園と江ノ島のヨットハーバーを探し当てた。下の写真がお決まりの歩くコースです。

いま、天気のよい日は毎日のようにどちらかにいって、青空の下お弁当を拡げ、食べたあと少し休んで、周りを散策するのである。これが快適なのだ。平日だからひとがほとんどいないので、頭の中をぼーっとさせながら歩けて、心身ともにリフレッシュできる。ずっと続けていこうと思う。

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2007年6月24日

BathGas爆発

この間、社保庁のことで落とし穴理論という話をしたが、あのなかで、日本人はミスを事前に無害化することに熱心ではないということを書いた。それをまた指摘しなくてはいけないことが起きた。渋谷の温泉で起きた天然ガスの爆発事故だ。

またぞろ、「責任を徹底的に追求して、二度とこうした事故が起こらないようにします」の大合唱でしょう。
このような対症療法ももちろん大事ですが、事故を事前に無害化するという予防保全の考えかたがより重要になってきます。

化学プラントなどはこの考え方により事故を未然に防いでいるのです。ところが、そう言っても、その予防によってこれだけの事故が防げたという定量的なデータが示せないので、ちゃんと評価できないという、ここに悪魔が潜んでいるのです。予防に手を抜いてもどうせわかりゃしないだろう、事故なんてそう簡単に起こるものじゃないからだいじょうぶだという“さぼり心”が働くのだ。

今回の事故は、それ以前の問題もあって、そもそも温泉から天然ガスが同伴することくらい知らないこと事態が情けないし、以前東京で温泉を掘削中に天然ガスに着火してかなり燃えつづけていた事件もあったのを学習していないこともひどい話だ。多少知っていたとしても、それが爆発事故につながるという予見もなかったのだろう。結局、想像力の欠如なのだろうが、いろんな見地からチェックして、リスク管理をしっかりするのが事業者の責務であることができていない。

それじゃ、こういうことに対してどうすればいいのかについて、社保庁のエントリーでは内田樹の言葉を引用して、「「誰の責任だ」という言葉を慎み、「私がやっておきます」という言葉を肩肘張らずに口にできるような大人たちをひとりずつ増やす以外に日本を救う方途はないと私は思う」と言ったが、それはそれとして、それ以外に何か方策はないのだろうか。

もちろん制度的な対応というのも必要である。特に今回の爆発事故なんて、法的規制のモレでもあるわけなのだが、たとえ規制の網をかぶせても、最初はいいとしてもしばらくすると逆に規制されているから法に則ったことだけやっていればいいやというふうになる。よく事故が起こるのはそこからちょっとはずれたところなので結局法的規制は万全ではないことになる。

そこで、最近ふと考えていることがあって、それは唐突かもしれないが、「ランキング情報」がひょっとしたら効果があるのではないかと思っている。最近とみに様々なランキング情報があふれているが、それをもっといろいろなこと、まあここでは安全だとか安定といった切り口のランキング情報を流すのだ。

例えば、エキスポランドの事故なんていうのも対象になると思う。要するに、専門家に危険度の評価基準みたいなものを作ってもらい、それに照らし合わせて発表しちゃうわけです。そんなことは官庁検査でやっているよと言われるかもしれないが、公開することや評価項目も多様にしておくこと、また、しょっちゅう更新するとかいったことは違っているのだ。乱暴に言うとウソでもいいわけで、うちはここまでやっているのにランクが低いのはおかしいと言ってきてくれたら御の字なのだ。

このアイディアどうかな。

2007年6月26日

数にまつわる話

「フェルマーの最終定理」という本がメチャおもろいと書いたが、その本の中に数にまつわる話がいくつか出てくる。そのなかでとっておきの話を二つほど紹介する。

まず最初は、“ジュウシチネンゼミ”の話だ。このセミは昆虫のなかで最長のライフサイクルをもっている。そのライフサイクルは、まず地中で始まり、幼虫は辛抱強く木の根の樹液を吸いながら、17年間経つと莫大な数のセミの成虫が地表にあらわれるのである。そのあと、2、3週間のうちに交尾し、産卵して死んでいく。

ここで、不思議なのは、なぜこんなに長いライフサイクルなのかということと、ライフサイクルの年数が素数であることなのだ。他にも“ジュウサンネンゼミ”という13年ごとに大発生するセミもいるそうで、これも13という素数の年数になっている。ということは、素数であることが進化論的に意味があるのだろうかということになる。

どうも、長いライフサイクルをもったセミの寄生虫がいて、セミはその年数を避けているのではないかという。例えば、寄生虫のライフサイクルが2年とか3年だとすると、セミのライフサイクルが2や3で割り切れる数だと周期的に同時発生してしまうからだ。ですから、寄生虫との同時発生を防ぐための最良策は、長くて、しかも素数のライフサイクルをもつことなのです。

もし、寄生虫のライフサイクルが2年だとすると、両者は34年ごとにしか顔を合わさないし、それが16年だったら、16×17=272年に一度しか顔を合わさないことになる。だから、逆に寄生虫がセミの戦略に対抗しようとすると、同時発生の頻度を高めるしかないわけで、そうなると1年サイクルか17年サイクルかだ。

しかし、1年サイクルで17年間生き続けるのも容易ではない。だって、最初の16年間は宿主になるセミがいないのだ。一方、17年のライフサイクルをもつのは、16年のライフサイクルに進化しなくてはいけないわけで、進化のある段階で272年間同時発生しなかったことになり、そこで絶滅に追いやられたのだ。

だから、この17という素数は大変意味がある数なのだが、おもしろいのは、残ったセミにとってはこのライフサイクルも無用の長物と化している。どうしてって、寄生虫はもういないのだから。
これって、おもしろい話でしょ。次は確率の話。

確率の問題は時として、真の答えと直感がかけ離れることがある。そうした、確率問題のひとつに、誕生日が同じになる確率を問うものがある。

例えば、サッカー場に選手とレフリーあわせて23人いるとして、この23人のうち、だれか二人の誕生日が同じになる確率はいったいいくらになるでしょうか? おそらくほとんどの人は10%くらいじゃないかと答えるのではないでしょうか。23人に対して誕生日は365通りもあるのだから。ところが、計算すると答えは何と50%を越えるのです。

確率がこれほどまで高くなる理由は、その場にいる人間の数よりも、ペアを作る組み合わせの方が重要になるからで、誕生日を同じ人を捜すときには、一人一人ではなく二人一組で考えなくてはならない。このペアの組み合わせは253通りにもなるのだ。

つまり、1番目の人は他の誰とでもペアが組めるから22組のペアが存在する。次に、2番目の人は残った21人とペアを組めるから22+21通りとなる。こうして順番にみていくと253通りになるというわけだ。だから、確率は50%を越えるのです。うーん、確かにそうですが不思議ですね。

いま、23人でこの確率だから30人にでもなったら急激に上がるから、パーティかなにかでこの問題で賭けをして儲けたらいかがでしょうか。え、数学でお金もうけしたらいけないんでしたっけ。

2007年6月27日

グローバル化できる?

これまでも再三日本のソフトウエア産業がグローバル化できないということを指摘してきた。基本ソフトウエアやパッケージは欧米で作られ、開発は中国、インドにもっていかれるという構図である。このまま手をこまねいていたら、いつか崩壊してしまうかもしれない。そのあたりの危機感がないように思える。

いつだったか「カンブリア宮殿」というテレビ番組で、村上龍が日本のマーケット規模が中途半端であることがそうさせている要因のひとつじゃないかということを言っていた。1億2千万人の消費者が適度にいるため、その消費者だけを相手にしていてもそこそこ食っていけるわけで、ついそのぬるま湯につかって安穏としてしまうのである。これってもうゆで蛙状態ですよね。だから、よけいにそんなところからクリエイティブな仕事なんか絶対でてこない。ますます、ゆで蛙となる。

ところが、最近ちょっとした光明をみつけてワクワクしている。いま。オープンCMSを使った開発を研究していて、そのため、いくつかのCMSツールを調査したり、実際にさわったり、そしてコミュニティの動向をウオッチしたりする機会が増えてきた。そこで見たのは、グローバルということなのだ。

コミュニティは当然英語がメインであり、日本のメンバーの人たちも英語で参加しているわけです。ぼくは英語が苦手なのでなかなか読み解くのがむずかしいのだが、いろいろ見ているとITについてはそんなに難しい英語で会話しているわけではないということと、かれらは最後はプログラムそのものだから、これこそは共通理解されているので、コミュニケーションがとりやすいのだ。そんなわけで、若いITの人たちはあまり意識することなくグローバル対応しているように感じる。

でここからなのだ。そうした芽をつまないように、というか拡げるようにしていかなくてはならない。それには、先頭に立てる人間を生み出すことであり、周りがそれを育てる風土を作ることである。勝負は世界だ。そのとき重要なのは、世界基準で戦うためのしっかりとしたコンセプトメーキング力をつけることにつきる。日本人は地を這う虫の目はわりと得意ではあるが、空を飛ぶ鳥の目もあわせてもつことを期待する。

2007年6月29日

伝統的でないトラディショナル

ぼくは最近“ほぼ自宅通勤”だから着るものも、さすがにパジャマでは仕事をしないが、普段着で過ごしている。だから、ここのところしばらくまともな洋服を買っていない。勤めていた頃は、スーツやワイシャツ、ネクタイ、靴下としょっちゅう買っていた。でどんなものを買っていたかというともう決まりきったものにしていた。

色や形、そして買うところもほぼ決まっていた。なぜって、ひとつにはそのほうが楽だからだ。最新のファッションがどんなものか考えるのも面倒だし、だいいち、最近は流行のサイクルも短いから流行を追っかけたら、むだになってしまうから不経済だ。

スーツはグレーか紺でふたつボタンにセンターベント、ズボンはダブルで折り返しが3.5Cm、ワイシャツは白が基本でブルーが少々のボタンダウン、ネクタイはストライプと決まっていて、もう何十年もこのスタイルでやってきた。

ところが、たまに服を見て回ったりすることもあるのだが、昔はだいたい決まった店にいくと同じものが買えたのだが、最近はどうもしばらく行かないでいると、いつのまにかなくなって違ったものが置いてあったりすることが多くなった。

ぼくのスタイルは、いわゆる「トラディショナル」というもので変わらないからというのが魅力でもあるわけで、「トラディショナル」が時代に流されるとはいったいどういうことなんだと叫んでみる。

2007年7月 1日

忙しさはドライビングフォース

会社勤めをやめてから、通勤時間もなくなったこともあり、かなり時間の余裕ができた。ところが時間があるからといって仕事が進むわけではない。時間が一杯あると思うとついぼーっとしてしまう。どうも忙しいほど仕事ができるような気がする。いつでもできると思うといつまでもできないという状態になる。

人間の脳の回転は仕事のスピードよりはるかに速いし、しかも脳は疲れないからスタートアップとシャットダウンのロスを考えると次から次へと仕事をした方が効率的だし、いい知恵もわいてくるような気がする。

ところでその忙しさはどうやって作られるのかというとほとんどが外部からの強制力なんですね。なかには、自分でテーマとスケジュールを決めて忙しくする人もいないことはないかもしれませんが、大体の人はいついつまでに報告書を書かなくてはいけないだとか、納期に絶対間に合わせなくてはいけないだとかという圧力を受けて仕事をしている。

みのもんたもそうだが、はたからみるとこのひとこんなに忙しくてだいじょうぶなのだろうかと思うけど、本人はぜんぜん平気で、頼まれた仕事は断らないなんてうそぶいたりできる。それはきっと、脳をいつも活性化された状態に保っていられれば、そう大変なことではないということなのでしょう。

みのもんたに限らず、茂木健一郎や内田樹なんては、もう分刻みで仕事をしているのが、かれらのブログを見ているとわかる。むしろその忙しさを楽しんでいる風情でもある。まさに忙しさがドライビングフォースになっているようだ。

脳は疲れないが目が疲れるからそれで疲れたと感じるそうだ。つい、暇だとテレビをみたり、本をよんだり、ネットサーフィンをしたりしてしまうから、目はしっかりと使っているわけで、目にとっては暇ではないのですね。さて、だれか、「こら、さぼってんじゃねえ」とぼくをしかりつけてくれないかなあ。

2007年7月 8日

草取りはエコではない?

昨日、梅雨の晴れ間を利用して、ばあちゃんちの庭の草取りというか、草刈を行なった。毎年、5月から9月くらいまでのあいだに3回から4回草を刈らないとぼうぼうになってしまう。自分の家の庭や家の前の道路の草刈もするので毎年かなりの重労働を強いられる。

家の前の道路との間は、市の土地なので、市の環境課がやることになっているが、年に1回なので刈ったあとの1ヶ月くらいしかもたない。しかも、規則なんだそうだが、道路の端から1mしか刈らないことになっているので、だまっていると家の塀のまえは草ぼうぼうのまま放って置かれる。

まあお役所仕事といえばそうかもしれませんが、家があったらその間は少々距離があってもやってくれてもよさそうだ。でも、実際に作業をするのは委託された業者だから、それはそれ、お願いだから家の前まで刈ってよと、その場で交渉すれば何とかなる。今年は、まだ来ていないので刈ってしまおうかと思うが、あとすぐに来そうな気がして放ってある。

で、昨日はばあちゃんちの庭だけにした。刈り方はいろいろ試したが、結局枝きり鋏でジョキジョキやることにしている。芝刈り機みたいなやつだとか、電動草刈り機、それも円盤みたいなのから、ナイロン糸のやつとか、バリカンだとか鎌だったりとほんと毎年変えてやたりした。また、除草剤をまいたりもしたが、あの除草剤と言うのはなんとなく気持ち悪いので1回でやめた。要するに、単純なのが一番いいのだ。

ところで、草刈してきれいになると気持ちいいことは確かなんだけど、何もしないでいたらどうなんだろうと考えてしまった。せっかく一生懸命生えてきたのにバサッと切ってしまうとかわいそうな気がしないでもない。
それに、うちは山の中なので刈り取った草は山に捨てて肥料にしているからいいかもしれないが、普通の家だとごみとして出さなくてはいけない。

そんなことを考えると草取りはエコではないなと思ってしまう。たしか、茂木健一郎も同じようなことを言っていて、雑草はそのままにしておけばいいじゃないかみたいなことだったと思う。ぬぬ、ある意味の自然破壊?なのか。

2007年7月 9日

七夕になると思い出すこと

おとといは七夕である。以前このブログでも書いたが、「ぼくが医者をやめた理由」などで有名な作家永井明は、3年前の七夕の日に肝臓ガンにより56歳という若さで逝ってしまった。

先週、永井先生とときどき顔をあわせた銀座のMに立ち寄ったときに、隣り合わせになった生前の先生に囲碁を教えていたという女流棋士のMさんと、ママと一緒に先生がなくなってからもう3年経つんだねえと偲びながら呑んだのです。

そのとき、死ぬ何ヶ月か前の話になった。先生は、医者だった、あるいは医者をやめた故にか、もちろん自分の病気も知り、余命も分かっていたと思うが、延命治療をせずに自然に自らの命の火を消した。

だから、病気になってからも普通にMに通っていたし、普段どおりの話ぶりであった。ところが、永井先生はその頃asahi.comで「メディカル漂流記」というエッセイを毎週書いておられたのですが、そのエッセイの内容が死ぬ一ヶ月前から急に変化したのです。

それまでは、飄々とした内容で、船医として船に乗ったことや、酒や食べ物、映画や寄席、沖縄のスキューバダイビングのはなしなどが淡々と語られていた。ところが、「遁走序曲」というタイトルで書いたときに、ぼくはあれっと思った。あきらかに、いままでのトーンと違っていたのだ。そこには、こんなことが書いてあった。

まあ、この国のあまりに粗末、無残なありさまにうんざりした。欲望を剥き出しにした「正義」、排除という名の「信念」がまかりとおる人間世界にはほとほと愛想が尽きたということだ。 現実逃避云々というご批判も、「はいはい。おっしゃるとおり」。もう聞き飽きた。逃げられるだけ逃げてやるぞという気分なのである。

こう書いたのが、死ぬ1ヶ月前なのである。おそらくこの時点で死を覚悟したのではないかとぼくには思えてくる。

そのあと、「みえこ姐さんのパラソル」と「ヒロシさんの絵筆」という2本のエッセイが最後になった。これまで、自分の昔の楽しかったことや嬉しかったことをあまり書いてこなかったが、最後になってやっと自分の子どものときの風景を書いたのだ。(ちなみに彼の出身地は広島県三原市である)

これが、誠に素晴らしい文章なのだ。もし、読みたい方があったら「ただ、ふらふらと」(中央公論新社)に載っていますので是非手にとってください。

ですから、ぼくが一番残念に思うのは、この三原の風景や軍医であったお父さんのことや、そうした自分のことを私小説の形で残してほしかったことである。


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2007年7月10日

自立できないユリ

家の庭にユリが咲いたのだが、倒れたままなのだ。
別に踏んづけたわけでもないのに、ずっと寝転がったままで花が咲いたらなおさら起き上がれない。
どっかの国の若者になぞらえるつもりはないが、なぜか「しっかりしろよ」と言いたくなる。

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2007年7月16日

SOHO三種の神器

最近、テレビのコマーシャルで蒼井優ちゃんが赤い服を着て、「パソコン、パソコン毎日パソコン、渇いた、渇いた心が渇いた、赤い、赤い命は赤い♪♪」と唄っている。

キリンの「I-Tea」だ。パソコンをよく使う人のための健康茶だそうだ。コマーシャル見てすぐに買いに行ったがまだ店頭に出ていなくて最近やっと手に入れた。本当に効くかどうか分からないけど、気持ちがなんだかいいことしてるって感じでいいじゃないですか。

これで、眼精疲労、肩こりに効くビタミン剤とOA用の目薬とあわせて、SOHOの三種の神器が揃った。まあ、これらにあまりお世話にならないように根を詰めてやらなきゃいいのだが、どうしてもパソコンの前にいる時間が長く、「赤い、赤いお眼目が赤い」となってしまうので、せっせと飲んで、注しているのであります。


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2007年7月21日

高所平気症

ぼくは高所恐怖症である。もう高いところに上がると「ケツの穴がすーとする」のだ。下品ですいません。何せ東京タワーの展望台の床がガラス張りになっていて下が見えるところがあるが、そこは恐くてへなへなと座り込んでしまうくらいなのだ。

昔山登りをしていたとき、槍ヶ岳から北穂高岳の縦走の途中にある「蟻の戸渡り」では、もう死ぬかと思った。さらに、ラスベガスにある有名な高さ350mの「タワー」にある恐怖の人間射出機「THE BIG SHOT」(これがあるのは250mくらいのところ)に乗せられたときにゃ、顔はひきつるわ、涙はでるわ、よだれを流すわでさんざんだった。まあ、これ以上高所恐怖症自慢をするのはやめにしよう。

ちなみに、あの絶叫マシンとやらが絶対だめなのだ。若い子が平気で乗っているのをみると、こいつらおかしいじゃねえかと思ってしまう。結婚したてのころうちの嫁はんにどうしても一緒に乗ろうと言われて、シャトルループとかなんとかいうのに乗ったことがあって、そのときもうわめきちらすわ、嫁はんにすがりつくわで、降りたときの嫁はんのぼくを見る顔が何ともいえなかった。ああ、情けない。

ところが、この高所恐怖症の反対で高所平気症というのがあるのだそうだ。最近子どもが高層マンションから転落する事故が増えているが、それが、高さに対する恐怖心が薄くなる高所平気症と、好奇心旺盛な子供の行動にあわせていないマンションの設計上の問題が絡み合って起こっているという指摘もされている。

転落する子供で多いのは2~3歳までの幼児と小学高学年~中学生までだそうで、2歳ごろは安全に対する感覚の未熟さがあること、小学高学年くらいの子供は、好奇心旺盛で行動の予見ができないことからくるらしい。

ぼくは、結婚してから子どもが小学生くらいまでは、ずっと社宅やマンションの3階、4階に住んでいたので、子どもがベランダで遊んでいたり、窓から体を乗り出したりするとすごく心配になったが、どうも幸いなことにうちの子供はふたりとも高所平気症ではなかったようだ。

専門家によれば、人間は当然高いところにいったら恐怖をおぼえるのはあたりまえで、高所でも平気なのは異常なのだそうだ。そうです、ぼくはまともなのだ。

2007年7月23日

教訓が生かされているか

中越沖地震からもうすぐ1週間になろうとしている。まだ避難所生活を強いられている被災者のかたたちも大勢いる。早く元通りの生活に戻ってもらいたいと願っている。

ところで、この地震で問題となったものに、柏崎刈羽原発の事故とリケンの被災がトヨタをはじめとする自動車会社の操業停止につながったことがある。

原発の場合は大事に至らなくて本当によかったのだが、そもそも設計での想定からかなり上回る規模の地震だったことがお粗末である。想定値の3倍の加速度だったというらしいが、逆によく大事故にならなかったのか不思議だ。これはぼくにも経験あるんだけど、本体は相当安全係数をみているってことかもしれない。

もう一方のリケンのケースは当然考えられることであった。こうした例は過去にもあって、例えばほんと身近な例ですが、2004年10月に起こった中越地震のときも、この地方にある半導体工場の被災で同じような事態が発生している。

そこで、中越地震の後に地元の長岡技術大学が「新潟県中越地震被害報告書」なるものを作成して報告している。実はその報告書のなかに、「ビジネス・コミュニティ型事業継続体制の重要性」というのがあって、ぼくも知っている渡辺研司助教授がまとめている。そのなかから、一部引用してみる。

3.サプライ・チェーンを介した被災地域外企業への影響 (1)現行SCM(サプライ・チェーン・マネジメント)の脆弱性  サプライチェーンの観点から、被災地域外企業の事業中断要因を見てみると、ジャスト・イン・タイム方式による最小限化された在庫に問題があると言えるであろう。在庫を極限まで抑制するジャスト・イン・タイム方式においては企業が部品を最小限しか保有しておらず。中越地震の事例のように、予め代替調達先を確保していなかった企業は、結果として部品を生産していた被災地の企業が被災したことによって直接、地震の被害に遭わなかったにも係わらず生産調整や停止を余儀なくされた。中略。 ジャスト・イン・タイム方式を今後も継続するか否か、再考する必要があると考えられる。これに付随して、平常時に在庫を保有するコストより震災時に緊急的にその都度対応するコストの方が安価だと考えている企業が多いようである。しかしながら、このコストの明確化は事前対策の決定に大きな影響を与えることから、今後、企業は予め事業継続対策として在庫を保持しておく経費と、被災時にその都度必要となる経費について、シミュレーションなどにより予め把握しておく必要がある。

渡辺先生は、BCP(Business Continuity Plan)とDR(Disaster Recovery)の専門家で、このことについて教えてもらったことがある。阪神・淡路大震災以降、災害時にいかに事業を継続させていくのか、いかに早く災害から復旧していくのかといったマネジメントの重要性がうたわれてきたので、話を聞いたのである。

先生はもと銀行に勤めていた方で、あの9.11テロのときに同僚を亡くしていたり、中越地震のときはたまたま学会で学生を連れて東京に来ていて、すぐに実家が被災した学生を連れてもどるのにものすごい苦労したといった興味深い話をいくつか伺った。

渡辺先生の書いた報告書どおりのことが、中越沖地震でも再現された。ただ、先生はさきほど言ったように民間出身だから、ジャスト・イン・タイムが悪いとは言っているわけではなく、要はコスト比較で考えればいいじゃないかといっている。だから、この場合ぼくが興味があるのは、トヨタなどの自動車メーカがシミュレーションをちゃんとやって、それこそ“想定内”のできごとであったかどうかである。

それはそうと、実はこの報告書はもとに、平成18年4月に発足した「中越防災安全推進機構」の活動の一環として、さらに研究を続けているそうだ。それで、この「中越防災安全推進機構」の設立趣旨は、「中越地震に関する記録や研究活動を推進・支援するとともに、研究成果を安心・安全な地域づくりや防災安全産業の振興に役立てます」ということで、しかもそこには、柏崎市や刈羽村も入っているわけで、この活動が今回に生かされたかどうかも興味あるところである。

2007年7月25日

アイガモ農法

毎週火曜日の10時からは、NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」とテレビ東京の「ガイアの夜明けが」重なってある。テーマによって見る方を決め、片方はDVDで録画するのが常になった。昨日は、NHKの方の「失敗の数だけ、人生は楽しい
〜農家・古野隆雄〜」を見る。

アイガモ農法と言って、水田にアイガモを放って、稲と共生させる。農薬は一切使わないというものである。アイガモが雑草や害虫を餌として食べるので除草、害虫防除ができ、さらに排泄物が米の養分となるそうだ。また、アイガモが稲をつっつくことで刺激され成長がよくなるとのこと。そして、アイガモは米の収穫が終わると食用として出荷される。

この農法は前から知っていたが、改めてテレビでみるとユニークでおもしろいと思った。結局なすがままに作ればいいじゃんということであって、人間が無理やり作物を作り上げるのはやめようということなのだ。自然のものなのだから、自然に作ろうという、ごく自然な発想というわけだ。

でも農業って厳しいなあとつくづく思う。気候に左右されて、いつもうまくいくとは限らないわけで、番組のなかで古野さんも言っていたが、たった30回しかやれないので、一回でも失敗したら大変なのだが、それでも挑戦し続けることが素晴らしい。

てなことを考えていたら、一緒に見ていた下の息子が、「結局コストの問題と、どれだけの付加価値を付けられるかだよね」と言い放った。アイガモ農法もけっこうコストがかかっていそうだし、この農法でできた米が高く売れるのかという問題が残りそうだ。

だから、この農法がすぐに一般化するというわけではない。ということは、こだわって信念もってやりとおしていることがプロフェッショナルと言っているのだが、そこにちょっとした違和感を感じた。その道のプロというような言い方があるようにあまり特殊性をもってしまうとちょっとプロフェッショナルという意味合いから外れるような気がした。

そこで、思い出したのが、「永田農法」というヤツだ。この農法は、永田照喜治さんという方が始めたもので、ひと言でいうと水と肥料を最小限にしていじめて育てる農法である。本来の生物の力を引き出すことでおいしいものができるという。今の農法は過保護に育てるからみずっぽい弱々しい作物しかできないというわけだ。

みなさん、トマトの原産地はどこだかご存知ですか。実は、アンデス山脈なんですね。そうなんです、山の岩はだに生えていて、雨が降らないから、からからの土地で育つのです。そういう環境で育ったトマトは水分を空中から取ろうとして表面に柔毛が生えてくる。このトマトを食べたらものすごくうまいのだ。で日本でも同じような環境ということで、石混じりの土地で水も肥料もほとんどやらずに育てている。

これに、目をつけたのがユニクロでこの農法で栽培したトマトを販売するビジネスを立ち上げたのである。最初、ユニクロが野菜を売ると聞いたとき、てっきり中国の山奥で野菜を作って安く売るのかなあと思っていたら、永田農法でやると知ってびっくりした。と同時にうまくいくのかなあという懸念も持ったのだ。案の定、はやばやと撤退したようだ。そうですよね、いくらおいしいといっても1個500円も600円もしたら買わないですよね。結局、思ったよりコストがかかってしまうのです。なんか、カルガモ農法とダブって見えてきてしまったのです。

2007年7月28日

暑いよお~

今日も暑い。
事務所にしている部屋にはエアコンがない。家が山のなかにあるので基本的にそんなに暑くはない。家の中の窓という窓を開けておけば風が抜けていくので涼しいのだ。
ぼくはもともと暑さは苦にならないし、そもそもクーラーが嫌いなので夏はクーラーを使わない。よっぽど暑いと扇風機を回す。
今日は扇風機のお世話になっている。
いよいよ本格的な夏の到来だ。

2007年7月29日

おお選挙だ

今日は参議院選挙の日だ。当然投票にでかける。

ぼくは、よほどのことがない限りは選挙を棄権したことはない。政治にあるいは政治家に対して何か言いたいのだったら、必ず投票にいかなくてはいけない。

社長と昼ごはんを食べにいきながら投票する。歩きながら、比例代表区制の話になったが、二人ともその制度の仕組みがよく分かっていなかったことが判明。

調べてみたら、日本の方式は非拘束名簿式といって、立候補者名簿は順番が記載されていない。有権者は政党または立候補者に投票する。政党の票と、政党に属する立候補者の票を合算した上で、まず政党の当選議席を決定する。次に政党内の立候補者の得票数によって、当選者を決定する。まあ、でも推測したとおりだったが、この方式は2001年からで、その前までは、厳正拘束名簿式拘束式といって、立候補者名簿は順番が記載されている方式だった。だから、どうなっているか分からなくなるのももっともだ。

さて、結果はどうなるのか。

2007年7月30日

続ああ選挙だ

選挙の結果が出た。自民党の惨敗だ。なぜ負けたかについて、いろいろなところでいろいろな人たちが論評して喧しいが、要は、自民党が国民感情に響く対象ではなくなったということである。もっと正確に言うと旧来型の自民党的体質を色濃くもった人たちはもう要らないと言っているのだ。感覚的にもういいやという気持ちなのではないだろうか。

今回の選挙の当選者をちょっと分析してみる。自民党と民主党で勝った人と負けた人の年齢を比較してみた。自民党では、勝った人の平均年齢が52.9歳、負けた人が55.4歳。一方民社等では、勝った人が、48.0歳、負けた人(少ないが)50.0歳である。

また、一人区で自民、民主が直接対決したところで比較すると、民主の18勝4敗なんだけど、そのうち13勝が年齢の低い方の候補者が勝っている。自民の4勝は半分が若く、残り半分も相手の民主の候補の年齢が高かった。

こうしてみると、単に自民が負けて民主が勝ったという構図ではなく、有権者の意識は、ある種の閉塞感みたいなものがあって、それを打破するには世の中の仕組みを変えていけるような、これまでの延長ではない斬新さを求めているのではないだろうか。単純に若ければいいというわけではないが気持ちとして若いひとに託すという気持ちが働いたとしてもおかしくはない。

テレビ朝日で田勢さんが、自民も山本一太や世耕弘成のような「民主っぽい」候補者は強かったといっていたが(山本一太はすかさず「民主っぽい」という言い方は間違っていて、若い改革意欲のあるひとたちと言っていた)、そうなんですね、「民主っぽい」というのは、今までと何かちがったことをやってくれそうだということなのだろう。

国民は染み付いた汚れや飽き飽きしたデザインを一旦壊してリフォームしたいと思っている。象徴的な選挙区が東京と岡山だと思うが、東京なんか地盤や組織を持った現職が若い元女子アナに負けるんですから、岡山のように大臣を経験した大物が負けてしまうのですから。

こうした地殻変動が起きていることを自民党の執行部は分かっていないのではないだろうか。安倍ちゃんの「美しい国」や「戦後レジームからの脱却」って言うのもいいが、現実の足元をみた政治を提示できていない。この感度のにぶさは「鈍感力」なんてほめたらいかんのであって、3代目のぼんぼんと言われてもしょうがない。

一方、民主党も浮かれてばかりではいられなくて、自民党の敵失に負うところが大きいので政権がとれるような組織にしていかなくてはいけない。まだ民主党の中はばらばらなところがあるのでどうするか見ものだ。そういう意味から言うと、自民党と民主党を合わせてシャッフルして対立軸の分かりやすい2大政党というのが進むべき道のような気がするが、そんなことを画策できるフィクサーがいない。

ところが半分冗談で言わせてもらうと、田中真紀子ができるかもしれない。彼女は、今回民主党の応援をしたが、元々自民党だし、自民党にいい候補者がいないから民主党を応援するんだなんてことを平気で言うし、何よりも感心したのは、昨日の選挙番組でグローバルな視点で論じていたのは彼女ぐらいである。世界のなかの日本という見方で政治を考えるべきであり、今のような政治ではどんどん世界から取り残されてしまうと強調していた。民主党の前原あたりをけしかけて仕掛けたらおもしろいのになあ。

ちなみに、神奈川県でぼくの高校のサッカー部の後輩である水戸まさし君が何とか松あきらを破って当選した。おめでとう。

2007年8月 2日

相撲部屋からサッカーチームへ

以前、企業のIT化の状況を説明するのに、日本企業の経営が変わる、すなわち日本的系経営の代表格である終身雇用、年功序列、企業内組合、銀行依存などが終焉して、新しい経営スタイルに変貌していくというようなことを前提として話していた。そのとき、引き合いに出したキャッチコピーが「相撲部屋からサッカーチーム」である。

これまでの日本企業は、相撲部屋のように限られた国内だけの内輪の世界で戦っていて、とは言いながら競争しているようでそうではなくみんなで護送船団に守られていたわけです。そんな時代に終わりを告げ、グローバルな戦いを強いられるようになってきた。どこの国のサッカーもワールドカップをめざすようにグローバルで生き残る戦いに変貌したのである。というような意味合いを込めて「相撲部屋からサッカーチーム」という言い方をしたのである。

なぜ、こんな話をしたかと言うと、ニュースで横綱朝青龍がモンゴルで中田英寿と一緒にサッカーに興じる姿が報じられ、厳しい処分を受けたのを知ったからである。そして、この相撲協会の対応も遅いと指摘されている。ぼくも、前から思っていたのだが、外国から力士を入れるのなら、相撲をどういう位置づけにするかはっきりさせる必要があるのに、あいまいなままであったように思う。グローバルなスポーツとしていくのか、歌舞伎のような伝統芸能化していくのか。もし、グローバルなスポーツとするなら、もう少し打つ手もあるだろうし、それなりの変化を許容してかなくてはいけない。しかしながら、相撲協会は旧態依然とした体質のままだし、開かれてもいない。

実はこれと同じような体質が自民党にもある。今回の一連の動きも言ってみれば、相撲のように、内輪の世界しか見えていない。これまた象徴的な言い方で、渡辺行革担当大臣が今回安倍さんが辞任しないことを擁護する意味で、今回は大関の「カド番」だと言った。衆院選挙で負けたら、そのときは大関陥落だが、今回はチャンスをもう一度与えられる場所だったというわけだ。何それってツッコミたくなる。サッカーなんかちょっとでも負けが込んだらすぐに監督は責任をとってクビになるのが常識だ。

またぞろ、内閣改造では挙党一致と称して派閥均衡型の組閣になる。なんかこちょこちょやって決めていくのだろうけど昔に戻ってしまうのではないだろうか。

結局、相撲も自民党もグローバルスタンダードになっていないのである。

ところで、朝青龍のサッカーのうまいこと、びっくりした。やっぱり、あの運動神経があればこそ、そう体が大きくないにもかかわらず横綱が続けられるのですね。

2007年8月 3日

もんたが町にやってくる

あの“みのもんた”がぼくの家の近くにやってくる。このあいだ、あるひとが教えてくれた。いま、家を新築中で、いやまだ基礎工事の段階だけど、確かに豪邸が建つらしい。昔田中絹代が住んでいたところなので、ぼくのうちは4丁目だけど、彼の家は3丁目である。だから同じ町内会だ。

おそらく相模湾や富士山を一望できる絶好地である。今みのもんたは鎌倉逗子ハイランド徒言うところに住んでいるから、そこから比べるとはるかに眺めがいいし、静かである。

ただ、この地は眺めがよくて静かである代わりにものすごく不便なのである。ぼくのうちはいいほうだが、山の中に入っていくと、もちろん商店もないし、バスが走っているだけだから大変だ。以前、作家の永井路子も住んでいたが、老いてきたらこの不便さがたまらないと言って都心のマンションに移り住んでしまった。

嫁はんやばあちゃんとこの話で盛り上がったとき、やはり東京から遠いし、どうしてこんな不便なところに引っ越してくるんだろう、買い物も通勤も大変だしと言っていたので、何を言っているんだ、あのみのもんたでっせ、大金持ちなんだからお手伝いさんや運転手さんもいるかもしれないし、通勤なんてタクシーかハイヤーに決まっているじゃないかと言った。昔テレビでやっていたんだけど、ウチの近くに住む昔からの金持ちには、鎌倉や江ノ島のなじみの魚屋、肉屋、八百屋が毎日届けてくれるのだそうだ。そうです、不便さはお金をだせば解消できるのだ。

ところで、みのさんどこの会社で家を建てるのかなあ。そりゃー「タマホーム」に決まっているでしょう。えそうなの?今度行って見てこよう。

2007年8月 4日

目線の話

以前「ユーザ目線のBPM」というテーマで連載をしたことがあったが、このとき企業のシステム開発がユーザから離れたところでやられていて、結局できたものが役に立たないものになってしまうので、もっとユーザの立場に立ってシステム開発を行なう必要があるというようなことを書いた。

ところでその目線ということなのだが、昨夜の安倍首相の定例記者会見を見ていて、びっくりした。これまでずっと、何をしゃべるにしても視聴者のほうだけを見つめるカメラ目線でいたのが、昨日は質問した記者のほうを見ながらしゃべったり、時々目をカメラから外したりと、今までと違っていた。しかも、昨日は久しぶりに笑顔も見せていた。

前から、あのどんぐり眼ででじっと見られていると何かキモイし、国民に向かって直接話しかけるようにしたいということだろうけど、かえって、人間味が感じられず、うそっぽい感じがしていた。ところが、豹変したのである。それとあの笑顔から察すると、安倍ちゃんはどうも開き直ったみたいですね。もうなりふりかまわず国民がどう思うとかまわない、あれだけあなたたちに語りかけたのに何も理解してくれなかったのだから、オレのやりたいようにやるだけだ、てな感じになったようだ。

すごいなあ、やっぱ岸信介の孫だけのことはある。国民はばかだから、一時的な気分に流されやすく、いちいちそんなことを気にしていたら“高邁な政治”なんてできない。だから、個々はじっと我慢をして、がんばって美しい国を作ればきっとわかってくれるし、そのときは名宰相ということになる。てなことを本気で考えているようだ。

この間、大関のカド番だということ言っている輩がいることを書いたが(じゃあ、安倍さんは横綱にはなれない器ってことか)、まただれだかが、今回は中間テストだから、期末テストでいい成績をとればいいじゃんなんてことも言っていた。安倍さん自身もそう思っている節もあるような気がする。

結局、安倍さんの目線は、もちろん庶民ではないし、日本のエスタブリッシュのものであり、お坊ちゃんのもでしかない。ある意味、こうしたエリートの目線は、国を司るには必要なものではある、それは私利私欲から離れ、大きな眼で天下国家を論じる目線であるのだが。そういう意味では、一国の指導者にふさわしい人材が少ないことがわかる。本当に日本の行く末に対するグランドデザインを描ける人が出てきてほしい。

これも誰かが新聞に書いていたが、国会というのは立法府なのだから、議員は法を作ることが本来の仕事なのに、行政に対して力を持つことに一生懸命になっていると嘆いていた。グランドデザインというのは、法制度を設計することに他ならないのだ。だから、政治資金規正法も平気で朝礼暮改するような安倍さんの軽さが情けないのだ。

2007年8月 5日

格差をなげく前に

最近のニュースで、横浜市の職員のなかに学歴を詐称したものが700人もいたというのがある。普通は学歴詐称というのは、どこかの選挙候補者にもいたように、高学歴側にウソをつくのだが、今度の場合は、その逆で大学卒を高卒と偽って、学卒では採用してくれない技能職についたという。この話を聞いたときやっぱりかと思った。

というのは、別のエントリーで実業高校の衰退のことを書いたからである。昔は、工業高校や商業高校にいく子が多くいて、その子らが世の中の技能職のレベルを保持してくれていた。ところが、生活が豊かになるととともに、皆こぞって大学に行きだしたので高校から社会にでていく人たちが減ってしまった。そしてその子らはどこへ就職していったのだろうか。企業は、総合職と一般職と分けて採用するから、大学を卒業したはいいが総合職で就職できない子らができることもありうると思ってもいたので、横浜市の例は、ああそういうこともあるなと納得がいったのである。

こんな例を見聞きすると、格差というけどいったんどういうことなんだろうかと考えさせられる。どうも十把ひとからげにして言っているようでよくわからない。究極的には個人の経済的な格差を言っているだけで、そういう意味ではいつの時代にもあったことで、どこに位置している人たちがお金がなくて困っていて、それが多いか少ないかということに帰結する。

それは、社会の構造をどういうものにするかというフレームワークをデザインした結果として、今のような状況、例えば都市部への富の集中、地方補助金の削減、非正規社員の増加等々を皆が了解したのかということがあいまいで、知らない間に自分はそれこそ貧乏くじをひかされたと思っているのだ。

だから、今回の選挙でああいう結果になったのだが、どうも現象論として議論しているだけで、社会構造論としての議論ができていないような気がする。いまの状況は小泉内閣のときに行なった構造改革の負の遺産だと言うけど、そういう批判ではまた時代逆行パターンの繰り返しになる。

問題の本質は、小泉純一郎が唱えた構造改革のように、“自民党をぶっ壊す”といったように、ただぶっ壊すだけではなく、一番大事なのは自分たちの国を構造化するということである。

どういうことかというと、政治でも経済でも、また社会の仕組み、都市と地方の関係、教育のあり方などなど、どんな形のものにすべきなのか、したいのかを明らかにし、そしてコンセンサスを得て、その形と今の形とのギャップを埋めていく、そのためには、痛みを伴うものも出てくれけどそれはみんなで我慢しよう、というのが真の構造改革というものだ。

構造化もできていないものに対して構造改革というからおかしくなる。これからでもいいからまっとうな議論をしてほしいものだ。

だから、先に出した横浜市の例でもわかるように、いびつな構造になっているから、ひずみとしておかしな現象が現れてくるのだ。さらに、地方の問題にしても、すぐにシャッター通りの絵をみせて、また公共事業がめっきり減ったので仕事が激減したと嘆かすよりも、自分たちで知恵を出して自力で何とかする気概が必要であることを訴えるべきだ。

東京の大学に行ってもろくに勉強しないなら、地元でもっとやることがあるような気がする。ヒントは都市と地方の格差がないネット社会となかよくすることではないでしょうか。

2007年8月 6日

久しぶりに梅田さんのブログから

もう2週間くらい前になるが、梅田望夫さんのブログに次のような記事が出ていた。

最近私が痛切に感ずるのは、特に英語圏のネット空間が「パブリックな意識」にドライブされて進化していることである。むろんネット空間は言語圏を問わず玉石混淆の世界なので何から何まですべて良いということはあり得ない。しかし英語圏では、大学や図書館や博物館や学者コミュニティなど、知の最高峰に位置する人々や組織が「人類の公共財産たる知を広く誰にも利用可能にすることは善なのだ」という「パブリックな意識」を色濃く持ち、そこにネットの真の可能性を見出しているように思えるのだ。その感覚が日本語圏のネット空間には薄い。 ・・・ 最近の私の深い危惧は、このまま十年が経過すると、ありとあらゆる分野の「学習の高速道路」が英語圏にのみ敷設され、英語圏に生まれ育つことの優位性が今以上に増幅されてしまうのではないかということだ。 ・・・

新潮社「フォーサイト」誌に載ったものを転載している。相変わらずの梅田さんのオープンマインド志向で相槌を打つのだけれど、ぼくも同じような危惧を抱いている。ただ、ITの世界は比較的英語に対する抵抗感がない。むしろ、全部英語で発信されたものがもっとも先端を走っているわけだから、英語でウォッチしていないと乗り遅れてしまう。

先日も、ある海外のソフトウエアの日本語マニュアルを読んでいて、うーんよくわかんねーやと言ったら、そばにいた社長(息子)に英語のやつを読めばと軽く言われてしまった。まあ、確かにオープンソースのものなどは英語で見なくてはいけないし、「パブリックな意識」にもなっているから、ここの領域では心配はないかもしれないが、学問の領域などは日本はまだまだ遅れているようだ。

この言葉の問題もさることながら、「日本人の行動規範」の方にも問題があるような気がする。以前ブログに山岸俊男の「安心社会から信頼社会へ」という本について書いた中でも触れたように、ネット社会の到来で日本型システムが崩れてきているが、それがいい方向に進んでいるとは思えない。このことについては、梅田さんのブログに対するコメントにうまく書かれていたのがあったので引用する。

私も梅田さんと全く同じ事を考えていました。一言で言うと、「もったいないなぁ」と。意識的にか無意識的にか、日本人はネットを、言うなれば、歩いていて襲われても仕方ない「暗い夜道」、ないし、アンダーグラウンドな世界として使うことを今のところは選択したと思います。 そこでは、どんなことも好き勝手に言える「自由」はありますが、「規律」や「公共」という要素はほとんどありません。そして、知の最高峰に属する人達は、むしろネットとの距離を強め、以前にもまして、専門家の世界に閉じこもり、アメリカのように講義を公開するといった動きはほとんど見られません。

私はネットに一つの夢を見ていました。それは、ネットを通じて最高峰の知性に誰もが低コストで触れる事ができ、自らを高めていく事ができる、そんな世界でした。文章よりも人の話というのは、敷居が高くなく、また、誤解される可能性も小さくなります。例えば、歴史に興味を持っている人が、一流の学者の講義に無償で触れることができ、自らの世界を広めることができる。そして、聴講者の側からも真摯なフィードバックがあり、時には、専門家の側が目を開かされることもある。そんな、知のアリーナ(空間)、対話のアリーナがネットにできる可能性があると私は思っていました。現に、英語圏ではそういう世界ができつつあります。

それに対して、日本では、使い方によっては多くの人に成長の機会を極めて低コストでもたらせるネットという壮大な知的装置を、ネガティブな空間として使う事を今のところは選択してしまったように見えます。日本人の行動規範は自らの内にあるのではなく、「人から見られているかどうか」、「周囲からどう見られるか」で決まるということが社会心理学の世界で知られています。自らの中に行動規範がある訳ではない日本人の負の側面をネットは引き出し、ネットはリアルとは全く異質の空間になり、両者は英語圏と異なり、分断されている側面が非常に強いままです。

少し長くなりましたが、ここで言っている意見がぼくが思っていることを的確に表現してくれている。ぼくの友達でブログを書いている人がいるが、その人が「ぼくはブログには悪口を書かないことにしている」と言われ、はっとしたことがある。誹謗中傷的なことを書いて何になるんだ、どんな意味があるんだ、ということだ。

ぼくの経験でも自分のブログに変な書き込みがあって気持ちが落ち込んだこともあったし、いろいろなサイトで読むに耐えない誹謗中傷があったりして嫌な気分になることもある。どうしてこうネガティブな方向に行くのかとがっかりする。

いずれにしろ、日本が英語圏から取り残されてしまうリスクを何とかしなくてはいけない。これはどの分野においても、いまやたやすく最高峰の知性にアクセスできることを若い人たちに早く体験させ、訓練することではないでしょうか。ただし、それには、最高峰の知性を知りたい、感じたいと思う強い気持ちがなければできないことを教えなくてはいけない。

2007年8月16日

盆が終わる

今日16日は、朝早く送り火を炊く。そのあと盆の飾りを片付けて盆が終わる。

ぼくはそのあともうひと仕事待っている。妙長寺の施餓鬼法要に行ってこなくてはいけない。毎年16日の午後2時から行なう。そこに行って、終わったら塔婆をもらい、それをお墓に持ていき、古くなった塔婆を交換するのである。新盆の人は、本堂に入ってお経を聞くのだが、みな喪服である。今年のこの暑さだと太変なことになる。

例年まじめにお経が聞けるくらいに行くのだが、さすがに今年はちょっと涼しくなっていこうとなった。それでも車では無理なので自転車でいく。もう汗びっしょりである。

だから下の写真は、みんなが帰ったあとの境内の様子である。

ああ、ことしのとんでもない暑さは送り火とともにどっかに飛んでいけ!


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2007年8月17日

まあだいじょうぶだろう体質

「白い恋人」が汚れてしまった。賞味期限を延長して販売したうえ、アイスクリームなどからも食中毒の原因となる菌や大腸菌群を検出しながら隠していた問題が発覚した。

何と賞味期限延長は十年以上にわたって行われていたという。しかもそれを社長も知っていたというからあきれてしまう。賞味期限の延長については、おそらく、社長以下はこうして問題が明るみにでるまでは、そんなに悪いことをしているという意識がなかったのではないだろうか。

賞味期限というのは、法で決められているわけではなく、社内規定で決められるものなので、4ヶ月のものを6ヶ月にしたところで、最初から6ヶ月にしておけば売れるわけだから、たいしたことはないと思っていたにちがいない。賞味期限を多少延ばしたところで腐るわけではないし、品質が劣化することもないからと思っていたのだろう。

これは内部告発により判明した不祥事であるが、社内では黙殺されたらしい。そうですよね、社長も知っている悪事は社内で取り上げることはありえない。こういうケースでは社内に向けての告発は無理だが、そうではなくても社内で取り上げてくれて、それを外部に公表するのは非常に難しいようだ。昨年、「公益通報者保護法」というのができて、内部告発者の解雇や減給などから守る仕組みができたのだが、経営者が聞いてくれなかったら外部の機関に告発することになってしまう。

結局、「白い恋人」は売れ残った商品を捨てずに売った利益よりはるかに高い代償を払うことになってしまった。これは、経済合理性からみて、賞味期限延長行為が損になることを予見できなかったのだろうか。それと、不二家などの不祥事のときに自分たちの足元を見直さなかったのだろうか。

いずれにしろ、人間誰しももっている、まあこの程度だったらだいじょうぶだろうという緩みが、一回それでだいじょうぶだと、またやってもだいじょうぶだろうとなり繰り返される。しかも罪の意識が薄れていくというパターンが、日常的かつ組織的に行なわれていったのである。

で、こうした淀みを防ぐにはどうしたらいいのか。ひとつは、情報開示を行い、そこにアクセスできる人を多くすることではないだろうか。もうひとつは、組織の要員を固定化しないことだ。人を入れ替えるのだ。

しかし、これって違法になるのかなあ。賞味期限の延長は、いったん消費者に示した期限を書き換える改ざんとは異なり、違法行為ではないはずで、そうなると、賞味期限が6ヶ月であることの科学的な裏づけが問題になるのだろうか。でもそれを証明するのは難しい。

え、ということは、おそろしいことに、消費者はメーカが勝手につけた賞味期限を信じて、商品を買っているというわけ。賞味期限に余裕を持たせるメーカもあるだろうし、ぎりぎりに設定するメーカもあるということなのだ。おっと、そっちのほうが心配になってきたぞ。

2007年8月24日

またまた格差の話

何回かこのブログでもコメントしたが、格差についての面白い話を見つけた。で、すいませんが、またまた格差の話です。小林慶一郎という経済産業研究所のひとがいて、わが国の経済問題について論陣を張っているが、ちょっと前に朝日新聞の「けいざいノート」に格差問題の深層と題して寄稿していた。

論旨は次のようなこと。まず、市場競争を擁護する経済学者や企業経営者と格差解消を訴える人々との間で議論がかみ合っていないという指摘。すなわち、経済学者描く市場競争は価格の競争のことであり、互いの活動を邪魔する「争い」というイメージはない。それに対して、市場経済に批判的な勢力は、市場競争とは弱肉強食のイメージだ。

なぜ、市場競争に対して正反対のイメージになるのか。答えは、市場経済のどの側面をみているのかなのだそうだ。経済学者は、競争により社会の厚生が最大化できるというプラスの側面をみるが、負の側面もある。市場競争に批判的な人たちは、勝者のみしか繁栄できないような負の側面を強調する。

そして、この負の側面が生み出される原因について、競争に使われる技術の差だと言っている。これは、UCLAの故ジャック・ハーシュライファー教授の論で、技術というと経済学者は当然生産技術を想定するが、それとは別に闘争技術と呼ぶ、例えば、社内の権力闘争で勝つ技術、顧客の無知につけ込んで不必要な商品を売り込む技術、政治家に取りいって利益を誘導する技術などがあるのだそうだ。

どうも、市場経済に批判的な人々は、この闘争技術の弊害を問題視しているのではないか。ここがかみ合わない大きな理由で、従ってこれからは闘争技術をも取り込んだ経済学が必要である。

で格差ということだが、格差論争を一種の闘争とみることもでき、持たざるものは、生産活動よりも政治的な闘争に参加するほうが合理的な選択肢となる。

ここに非常に大きなエネルギーを使っているわけだから、再分配策を考え直すことにより、このエネルギーを政治闘争ではなく生産活動に向けるほうがいいのじゃないかということである。どういうことかというと、普通、再分配政策は、効率を犠牲にして公平性を高めるものと言われているが、それの逆発想である。そんな政治的な闘争に資源が消費されるのを防ぐことにつながるというわけだ。

ぼくは、経済のことはよくわからないが、なんとなく世の中の状況がわかったような気がする。結局、格差をなくすには、金銭的には再分配の構造を勤労意欲が低下しないようにし、こうして得られた金銭的な格差の是正により、政治的な闘争へ向けられたエネルギーを生産技術のほうに向ける余裕をつくり、かつ金銭的なもの以外の価値観の重要性をみんなで共有するという方向性のような気がしてきた。

さて、これをやってくれるのは、自民党なのか民主党なのか?

2007年9月 1日

ビジネスは戦争か?

よくビジネスは戦争であるとか言われているが本当だろうか。もし、戦争と同じであったら、職場は常に戦場であり命をかけて戦っている場ということになる。常在戦場と言う経営者もいる。

たしかに組織的には指揮官がいて、あるヒエラルキーのもとに指揮命令により人々が動くということは同じといえば同じであろう。さらに言えば、軍隊では服従が絶対であり、それが崩れると死を意味する(逆に無能の指揮官に服従することが死を招くこともあるのだが)、もちろんビジネスの世界でも上司の命令に背けば終わりであり、逆に上司の命令に不服従だとくびになるのだ。

とここまでみると軍隊のよいところを会社にあてはめれば強い組織になれそうな気がしてくる。ところが、ちょっと待てよということがあるのだ。いったい戦争で兵隊さんは何に対して命をかけるのだろうか。鎌倉時代の武士は一所懸命といって自分の土地に命をかけて戦ったが、現代の戦争はその大義名分は一体何なのだろう。

それはひとつだけではなく、あるときはイデオロギーであり、宗教であり、主義であり、そうした大義への使命感が戦場へとかりたてるのだろうか。そういった意味では、ビジネスの世界で使命感を抱かせる大義とはいったいなんなのだろうか。経営理念、経営方針にはそんな魔力があろうはずはなく、いくらカリスマ的経営者がいたとしても教祖様にはなれないだろう。

一方で、それでは金のために働くのかというとそうでもなく、ノーベル賞の田中耕一さんの例のように、自分の好きなことができれば昇進も高給も要らないなんてこともある。従って、使命感、達成感、やりがい、評価(報酬)、名誉欲といったそれぞれの要素が絡み合ったものが、ひとを仕事にかりたてるのだろう。

みなさんよくご存知のNHKで放送していたプロジェクトXという番組があった。これなんかはまさにビジネスが戦争になった例なのではないでしょうか。戦後の復興から高度経済成長へ走っていた時期は本当にあちこちでプロジェクトXが出現していたような気がする。

だいぶ前にぼくは最初に入った会社の社史のようなものを編集したことがあったが、そのとき会社設立、工場建設といったことを当時を知る人から聞き書きしたり、昔の新聞を読み返したりした。それをまとめながら、こりゃプロジェクトXだと思わず叫んだことがある。もう何日も家に帰らなかったとか、3日続けて徹夜したとか、指導にきた米国人とけんかしたとか、そりゃすごいことの連続である。

よくそこまでできたかという思いだが、そうした苦労話を嬉々として話すOBの顔をみていると、テレビのプロジェクトXの出演者と同じなのだ。まあ、あのころは自分たちが日本を復興し、強くしていくのだという使命感のようなものを皆が抱いていたような気がする。日々戦っていたのである。

翻って今の日本にプロジェクトXはあるのだろうか。おそらく形は変わってもあると思う。30年後にテレビで放映したとき、どんなプロジェクトが、どんな出演者がそんな顔で語るのだろうか。ニンテンドーDSの開発秘話なんてかもね。

ところで、プロジェクトXを見ていたとき、いつも思っていたのは、あの出演者たちの奥さんはどうだったのだろうかということだ。きっとあれだけのことができる陰では奥さんが相当泣いていたことは想像に難くない。だから、半ば本気で「妻たちのプロジェクトX」という番組を作ってくれないかなと思っている。

2007年9月 2日

教訓は生かされていた

もうかれこれ1ヶ月以上前になるが、このブログで「教訓は生かされているか」というタイトルで、中越沖地震はその3年前に起きた中越地震の教訓が生かされたのかという問いを発したことがある。

そうしたら、おとといのITProの最新記事にそれに関する記事が出ていた。日経BPの書いたものであるからITについてのものが中心であったが、やはり、ちゃんと生かされていたんですね。
なかなか気が付かないような事象も含めて、ためになる事例があるので少し紹介してみる。

対策という意味では大きく二つあって、被害を防ぐための事前の対策と災害が起こった後の初動体制になるのではないだろうか。

それでは、まず事前対策ということでいうと、3年前の地震では、サーバーやネットワークが直接的に損壊した例は少なかったようだが、その寸前で、たとえばサーバーは固定していなかったが、サーバーにつながっているケーブルでかろうじて倒壊を防いだとかいった状態であった。そのため、ある会社では、新たに免震構造のデータセンターを作ってそこに主要サーバーを移したため、今回は何ともなかったという。

その他、地震を感知したら自動的に装置を停止させるシステムを導入したり、自家発電機の点検をきちんとやっておくなどである。こうした事前対策を施した会社は、被害を最小限に食い止めることができたようだ。

初動体制ということでは、面白かったのは、被災地に向かう交通手段を自動車ではなくバイクを使ったというのがある。道路が陥没して自動車が通れない箇所ができるのだそうだ。事実、自動車では6~7時間かかったのが、バイクだと2時間で着いたという。

また、北越銀行では、電話の規制に苦労した経験からデータセンターや本店に用意していた、優先的に発信をする特別な携帯電話が威力を発揮した。

このように、ITを守るための対策、あるいはITを活用した減災が、3年前の教訓を生かした形でできていたことに安心をした。

ただし、気をつけなくてはいけないのは、災害に強いとされた携帯電話の電子メールやWeb接続が、全幅の信頼を置くことはできなかったことだ。被災当日、柏崎市内で携帯電話が「圏外」となり利用できない状態ができた。ソフトバンクモバイルの基地局が中継回線の切断などで利用できなくなり大幅に停止したほか、 NTTドコモやKDDIでも停電でダウンする基地局が出たためである。

でも、こうしたこともまた次への教訓として学んでいけばいいと思う。ですから、この教訓は新潟だけではなく全国の人たちにも知ってもらったほうがいいので、どんどん情報発信し、メディアも取り上げていってほしいと強く思う。

2007年9月 4日

政治とカネとそしてテレビ

遠藤農水相が任命後8日間で辞めてしまった。またまたカネの不詳事だ。自らが理事長を務める農業共済組合が、補助金を不正に受給していた問題の責任をとった形になった。

これだけ、ぼろぼろとカネの問題が出てくると大臣になれるやつがいなくなってしまう。赤城農相の事務所費の問題が出たときなんかは、ぼくは事務所費の問題くらいは一旦ご破算にして、過去は水に流し、これから悪いことをしたら問題にするくらいのことをしないと収拾がつかなくなると考えてみたりした。

しかし、今回の遠藤農水相の問題は事務所費問題より悪質なのだ。なぜって、水増し請求して、その後問題が発覚しても返さないでいるというのがおかしいのだ。そんなことより、何よりもこのおっさん、補助金を出す側のトップになっても、というか国会議員になっても、補助金をもらう側の組合の理事長に居座り続けるという、とんでもない感覚の持ち主であることが問題である。

こういう感覚だから、おっさんはクールビスだといって棒タイを締めて登場するのだ。以前、米国に出張したとき、一緒に行った上司の人が、途中で棒タイを締めて空港にいったんですが、そのときカウンターにいたおじさんが上司を見てにやにやするんです。なぜか全然わからなかったのだが、米国に住んでいる人がそっと教えてくれたのは、棒タイというのは、もう一丁上がりの人が着けるものなのだそうです。

要するに私はもう歳ですので起ちませんと言っているというわけです。もちろん上司の人はまだ40代後半ぐらいだったので、空港のカウンターの人は、こんなに若いのにかわそうにと思ったに違いない。
少々、脱線してしまった。もう起たないヤツが大臣なんかやってはいけないのだ。

でここで、テレビのメディアとしての役割の変化について書く。実は、今までの話とも関係していて、政治家をもっとテレビださせろということを言いたいのだ。ぼくは、テレビも公共的役割はそこだと思う。政治家はテレビを通じて自分の主義主張や実績をアピールする。相手はテレビの視聴者だから、わかりやすく丁寧に説明する必要があるし、その人のひとがらのようなところまで露出させるのだ。

そういう政治家を見て有権者が評価していくというのが、いまや無党派層が多くなり、組織も崩れているわけだから、もう個人個人の勝負となった時勢のやりかたじゃないだろうか。だから舛添要一みたいな政治家がもてはやされるのだ。

テレビ局もどんどん政治家を引っ張りだし(最近はテレビタックルとか太田総理みたいな番組もあるが、出てるやつが固定している)、本音のトークあるいはインタビューナなんかをやったらいい。私はしゃべるのが苦手ですなんて言っているやつは失格。頭のいいヤツはおしゃべりだということです。人気投票みたいになるといわれそうだが、それでもいいのじゃないのか。

テレビは解体的出直しをした方がいい。同じ顔のお笑い芸人が同じ話しをし、なんでまあ朝青龍問題を飽きもせずに流し続けるのだ。わけ知り顔のコメンテーターというのがくだらないコメントをとばし、主婦がうなずく構図はもうやめたらいい。

さらに言うと、ぼくは、テレビニュースの事件の報道にも注文がある。特に殺人事件のような凶悪事件やイジメの事件などについて、どうしてああ微に入り細に入り放送するんだろう。そんなことを放送してだれが有益なものとして捉えるのか。

例えば、ときどき土曜日に「ブロードキャスター」という福留さんがキャスターを務める番組をみることがあるんだけど、なぜか知らんが「ブロードキャスター事件簿」というのをやり出す。レポーターが殺人事件があった現場を取材したり、事件の背景はこうだみたいなことを語るのだが、何の意味があるのか全くわからん。いつも気持ち悪くなってチャンネルを変える。

結局、テレビは芸能番組をみると芸能人がどんなヤツかだいたいわかるように、政治家がどんどん出る政治番組をやったらいいと思う。だから、テレビで必要な番組は、つまるところ、政治番組、芸能番組、スポーツ番組、天気予報だけで十分だ。そうそうあと趣味の番組があればいい。

2007年9月 5日

瀬島龍三という人

瀬島龍三が死んだ。95歳であった。若い人は知らないかもしれないがすごい人なのだ。陸軍大学を首席で卒業し、すぐに大本営参謀として太平洋戦争の作戦を担当、終戦直前に関東軍に転出、終戦とともに11年間シベリアに抑留される。東京裁判では連合軍側の承認として出廷、シベリア抑留から帰還すると、伊藤忠で商社マンとなり活躍、結局伊藤忠の会長まで上り詰める。その間、中曽根康弘のブレーンとして行政改革でも力を発揮する。

と書いてみてあらためてこんな人もいるんだと驚いてしまう。このあたりは、山崎豊子の「不毛地帯」を読むと、主人公の壱岐正というのが瀬島龍三をモデルにしているのでよくわかる。小説を越える圧倒的な実人生を送ったひとである。ただ一方で、これだけのひとなので、毀誉褒貶があって悪く言う人もいる。

本人は基本的には参謀としての振る舞いに徹したようでそんなに表舞台にでてきたわけではないのでベールに包まれた部分もある。ですから、特に先の戦争をなぜ始めたのかとか、敗戦の責任はとかいったことを証言していないことに批判があるのは確かだ。

手元に2冊の本がある。「沈黙のファイル 「瀬島龍三とは何だったのか」」(共同通信社社会部編 新潮文庫)と「瀬島龍三 参謀の昭和史」(保阪正康 文春文庫)である。いずれも、瀬島龍三という人物の軌跡を追うことで日本の昭和史をあぶりだそうというノンフィクションである。だが、肝心の本人が何も語っていないので核心に触れることはできない。瀬島はなぜ語ろうとしないのだろうか。

よく、“この話は墓場までもっていくことだ”というようなことを言うひとがいるが、確かにそういうことがあるとぼくも思う。難しいのは、より真実に近い証言をするならすぐに言わないと意味がないことであるが、ただそのときは、関係者を傷つけることになるということだ。また、ずっと後になって証言しても、もはやそれは自分の都合のいいように真実が風化されてしまう恐れがあるため、簡単にいえばいいわけになってしまう。極端な話、時間が経った後の鮮度が落ちた証言はむしろ誤った解釈を生む恐れがあると思う。

ですから、瀬島は徐々にしゃべれなくなり、そしてしゃべらないことにしたのではないのだろうか。


沈黙のファイル―「瀬島 龍三」とは何だったのか 新潮文庫
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瀬島龍三―参謀の昭和史 (文春文庫)
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2007年9月 7日

風に強いぞ湘南モノレール

台風9号が夜半に小田原付近に上陸した。

たまに直撃に合うが、ぼくは台風をあまり恐れていない。わが家は山の中ににあって、周りが木に囲まれているので、風よけがあるのだ。特に竹林はすばらしい。しなりながら、強い風を弱らせる。

しかも、山を切り欠いて、家を建ててあるのでがけ崩れの心配もない。もちろん、水がでることもありえない。だから、台風は恐くはないのだ。台風の去った後は、木の葉や折れた枝で庭中が埋もれるが、それだけのことだ。

さらに台風に強いものを発見。それは、モノレールである。家の前というか上を湘南モノレールという乗り物が走っている。普通、モノレールは台風の時のように風が強いとあぶないと思いますよね。ところが、これが逆で風に強いのです。

湘南モノレールは懸垂式といって線路の上を走るのではなく、上からぶら下がる方式である。このぶら下がっているということが風に強いのである。高い線路の上を走っている京葉線はちょっと風が強くなるとすぐに止まってしまうのとは反対で、風にゆられながらすいすい走ってしまう。だから、台風が来てもなかなか運転をやめない優れものである。

ところで、めったに止まらないモノレールだが、駅と駅の間で止まったらどうなるのかと思うでしょう。けっこう高いところを通っている(でもなぜかトンネルも通るんですよ)ので、途中で止まったら恐いですよね。

で、一度だけその止まったところに出くわしたことがある。実際に乗っていたのではなく、止まって乗客が非難するところを目撃したのである。もう3,4年前の話しだが、このときも台風の後だったのだが発電所のトラブルで送電が止まったのだ。どうやって非難したと思いますか。実は、まず運転席の前の扉を開けるんですね。そこから、シューターをたらして滑り落ちるという算段です。

まあ、モノレールというのは、衝突事故もないし、交通渋滞もないのですごく信頼性の高い乗り物であるとともに、天候にも左右されない堅牢な交通機関であることを再認識したのであります。


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2007年9月 8日

百日紅が50日紅になってしまった

さて「百日紅」を何と読むでしょうか?そのまま読めば、「ひゃくじつこう」となりますが、それでもいいのですが、「さるすべり」です。百日間紅花が咲くから「百日紅」です。

「さるすべり」という名は、樹肌がすべすべなので猿も滑ってしまうことからついた。だれか本当に猿が滑ったところを見たのだろうか。

その百日紅がわが家の庭でずっと赤い花を咲かせていたのが、昨日の台風でみんな散ってしまった。普段は、夏のあいだ咲いて秋に入るとだんだん散っていくのが、今年はいきなり台風でやられてしまった。

今年は、尋常ではない暑さだったのでこの百日紅が散るとともに早く秋がやってくるんじゃないだろうか。と書いたら今日は猛暑復活だ。

台風到来前の百日紅

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台風が50日紅にしてしまった
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2007年9月13日

密な一日

近頃めっきり外出も減り、家の中で仕事ということが多く、せいぜい食事に行ったり、たまに銀行や買い物に行ったり、プールに泳ぎに行ったりという生活である。ところがそんな生活なのにいろんなことが一日に集中することがある。昨日はそんな一日であった。だから、ブログを書く暇もなかったのである。2,3日でいいからずれてやってくればいいのにと思うのだがなぜかそうはいかないのだ。

朝から親戚の葬式にでかけ、帰ってからすぐ東京へでかけ、最初の打ち合わせが終わって、次までに1時間以上あったので浜松町のカフェで時間をつぶし、そのあとまたデモシステムの不具合の検討ミーティングがあって、それが終わってから大船で呑みがあり、帰ってからDVDでサッカーの試合をみてという具合で、そうそうそのあいだに安倍さんがやめてしまうし、これは関係ないか、久しぶりの密な一日であった。

最近は、デモをしたりするのでPCを持っていく。これが重たいのだ。普段、椅子に座ってばかりの身にとってけっこうこたえる。だいぶ慣れてはきているものの、まだまだよっこらしょという感じなのだが、いいこともあって、外に出ていてもPCを使って資料の作成ができるのがうれしい。昨日なんかもカフェでの時間つぶしのときに、その前の打合せで議論したことをまとめておいたので、早速今朝いちばんで送付することができた。

また、ぼくは呑みながらアイディアを絞ることをよくやるんだけど、今はPCに直接打ち込んでいる。飲み屋でPCをあけて、キーボードを打ちながら酒を呑むのは少々きざだけど、呑みながらだとアイディアがけっこう出てきて、大胆な発想ができるのも酒の効用である。

昨日は、普段の何倍も動いたので疲れたが、充実感あふれる一日でもありました。

2007年9月14日

リーダの辞め方

安倍首相が辞めた。まあ投げ出しと言ってもいいような無責任さであるが、これはもう追い詰められた結果、どうあがいても無責任であるという批判からは避けられない状態になってしまっていた。

ただここの局面だけで非難するのは妥当ではないような気がする。途中から完全にマイナスのスパイラルに入っていたから、何をやってもうまくいかない、悪いことばかりが続いて起きる、しかも自分の責任でもないことがあたかも自分がしでかしたミスのように転嫁される。これを、多分安倍さんは自分は運が悪いと思っていたんじゃないかな。そこが問題だと思う。

運が悪いのではなく自分がずっと前から蒔いた種なのであって、ちょっとしたずれをまあだいじょうぶだろうとか何とかなると思っていたにちがいない。こうしたほんの小さな亀裂が徐々に大きな断層となって現れてしまうのだ。それに気がついたときは、もう手遅れだ。

本当は参院選での敗北でこの亀裂を認識して辞めるべきであった。そうしなかったことにより、安倍さんについてきた人たちの信頼もなくなっていく。一旦信頼を失ったリーダはその求心力を雪崩を打つようになくしてしまうのは宿命なのである。これは、政治の世界だけではなく、ビジネスでもそうだし他の社会でも全く同じことが言える。

自分の経験から照らし合わせても、辞めるタイミング、その辞め方ほど難しいものはないような気がする。なぜかって、極限まで追い詰められた状態では、適切な判断を下す力が精神的にも肉体的にももはや残っていないからである。

さて、そのあとの後継者選びがこれまた奇異だ。どうも形勢は福田康夫さんに傾いているようだが、なぜそうなったかも含めて、こりゃおかしいということがいっぱいある。

・ 国民をかやの外に置いておいて自民党の内部だけで首相が決まってしまうこと
・ 十分な議論や見定めるための時間がいるからと投開票日を遅らせておきながら、もう大勢は決まっていること
・ ぼくは福田さんに近いので支援すると言っているひとがいるが、どこが近いか国民はわかっていないこと
・ 相変わらずの派閥論理、党利党略発想
・ 候補者の政治思想や政策の対立軸が見えてこないこと
・ 去年もう歳だからといって消極的だったひとが急に元気になったこと

などなど、もうちょっとまじめにやってよねと言いたい。ああ、こうしていとも簡単に一国のリーダーが決まってしまう軽さにうんざりだ。

2007年9月15日

後光が差した富士山

ちょうどタイミングよく富士山に夕日が落ちた。
めったに見られない光景で一瞬で変わってしまう。


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2007年9月17日

300エントリー達成

ついに昨日のエントリーで通産300エントリーを達成した。

このブログを始めたのが昨年の8月29日だから、ほぼ1年かかったことになる。最近は、毎日書いているが、最初の頃はそうはいかなかったので300に留まったが、これからの1年は365エントリーをめざしたい。

毎日書き出してからしばらくはけっこうしんどくてやめようかとか、ちょこちょこっと書けばいいやとか思ったのだが、だんだんと癖みたいになってきて、そんなに苦にならなくなった。

前にも書いたが、永井荷風は42年間毎日日記を書き続けたわけだからすごいですね。さしずめ今ならブログを毎日書くことに等しい。これと同じようなことがついちょっと前の天声人語に書いてあった。

もう1年も前のエントリーの内容なんて忘れてしまっているが、ときどき読み返すと面白い。そういう意味でも毎日何らか感じたことを文章にして残すという作業は、大げさに言えば生きた証みたいなものであろう。何よりも楽しいのだ。楽しい事は続けられる。

2007年9月26日

今日のイチオシ新聞見出し

思わずうなった新聞の見出し。今日の朝日新聞朝刊から。
 

「閣僚、上書き保存」


2007年9月27日

ついに0日紅になった

前に、台風で百日紅(サルスベリ)が50日紅になったと書いた。
ところが、昨日、おとといと植木屋さんが入って丸坊主にしていった。
ああ、これで0日紅になってしまった。

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2007年9月29日

衝撃の映像

ミャンマーというとぼくはどうしても「ビルマの竪琴」の僧となった水島上等兵が肩に青いオウムを乗せてたたずむ姿が思い浮かぶ。ぼくが、小学生のときに近所にある鎖大師で有名な青蓮寺というお寺で「ビルマの竪琴」の上映会をやってくれてそこで観たのだ。その日4月8日は、花祭りといってお釈迦様の誕生を祝う日で、甘茶がふるまわれる。

この映画のインパクトはものすごく大きくずっと心の中に残っている。先日も、姉と話をしていたら、実は姉もぼくと同じように、そのときの映画のシーンや甘茶のことなど鮮明に覚えていて、二人でなつかしがった。

だから、ミャンマー(ビルマ)と聞くと映画のように戦争犠牲者の鎮魂のために僧侶となったお坊さんのいる国で、敬虔な静かな国という思いがあり、今回の騒動でたくさんの僧侶がデモに参加している姿をみると、そのお坊さんたちが立ち上がらなくてはならない事情の深刻さを思ったのです。

そして、非常に衝撃的な映像を目にしてしまった。一昨日のテレビニュースで映し出された長井さんのカメラをはなさず倒れている姿は大変なショックでした。

ここでは軍政を批判したりすることはしない。ジャーナリストの死について考えてみる。

古くはインドシナで地雷を踏んだロバート・キャパから、日本人では、カンボジア戦線を取材中に狙撃されて死んだ沢田教一、「地雷を踏んだらサヨウナラ」の一之瀬泰造、近くはイラクでの橋田信介と取材中に命を失ったジャーナリストがいる。

多いのか少ないのかはわからない。危険なところにいるから多いのか、危険なところにいる割には少ないのか、そんなことは危険の冒しかたで違うし意味のないことだ。ただ、こうしたジャーナリストは普段から相当の覚悟をしているはずだ。もちろん自己責任のなかでハイリスク・ハイリターンの道を歩んでいるわけである。

しかし、このハイリターンと言うとき、彼らにとってリターンっていったいなんなのだろうか。ピューリッツァー賞やロバート・キャパ賞をもらうことなのだろうか。どうも違うような気がする。そういうこととは無関係な衝動が戦場に向かわせるのだろう。ぼくには、深層のところの理解はできない。

でもおのれひとりの力だけで、カメラを武器に戦う仕事は命をかける価値のあるものなのだろうことはわかるような気がする。

あえて、あえて言う、「長井さん、カッコイイよ」 合掌。


2007年10月 1日

高齢者の運転

高齢者が運転する車の事故が多いらしい。ぼくの姉もかなり前だが80歳を過ぎた高齢のおじいさんにぶつけられた。左右を見るのだけれど判断の時間がかかるから、左をみて、次に右を見たときには、もう左から来た車に気がつかないというわけだ。

また、アクセルとブレーキの踏み違えも多いと聞く。いちがいに、高齢になったからといって免許証を返納せよとは言うつもりはないが、せめて、1年ごとの更新にして、運転能力に問題があるようなら更新できないようにすべきではないだろうか。

こんなことを書いてみたのは、おととい銀行に行こうとでかけたら、目の前で「96才」と書いた手作りのステッカーを貼った車を見たからです。運転書の姿がはっきり見えなかったが、老人の男の人が運転しているのは確かだったので、おそらくその運転者の年齢が96才なのだろう。

なぜ、年齢を貼り付けているのだろう。歳だから気をつけてくれ? それならシルバーマークをつければ済む話だし、どうだすごいだろうという自慢なのかなあ。もしかして、日本の最高齢運転者かもしれないな。

ところで、高齢者の運転に関する法律のことを少し。
・ 「高齢者講習」の対象年齢が、75歳以上から70歳以上に引き下げられた。
・ シルバーマーク(高齢運転者標識)をつけるよう努める年齢も同様に引き下げられ、70歳以上に拡大された。
・ シルバーマークをつけた車には、幅寄せや割り込みが禁止されます。
・ 高齢で自分の運転に自信がなくなれば免許証を返納できる制度がありますが、身分証がわりに保持する方も多いことから、新たに、免許証を返納しても身分証明書として通用する「運転経歴証明書」の交付を受けることができるようになった。

知っていました?

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2007年10月 2日

自立と共生

福田首相のキャッチフレーズが自立と共生というらしい。最初、自立と共存と言ってあわてて訂正して失笑を買ったやつである。それがどんなものかよくわからないが、わが家でそれを具現化したものを見つけた。

ちょっと前に植木屋さんを入れて、庭の植木をきれいにしたのだが、ばあちゃんの家の庭でいままであまり気にもとめていなかった面白いものを発見。ひとつは、竹垣の上に南天が生えていた。どこに根があるのだろうか。こりゃ自立しているよ。

もうひとつが、樹齢百年くらいのモチノキがあるんだけど、その幹に空洞ができていて、そこから何と熊笹がでてきているのです。ヤドカリじゃないけどこりゃ共生ってやつですね。

これを見たばあちゃんが、このことを「ど根性草木」と名づけて新聞に投書すると言い出した。で一生懸命文章を書いていたと思ったら、さてどうやって出したらいいのかと尋ねてきた。結局ぼくが電子メールに書いて送ってあげた。採用されないと思うが、もし採用してくれなかったら朝日新聞を止めるといきまいていた。でも86歳にしてはまだまだ若々しい文章でした。

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2007年10月16日

良識ということ

ノーベル平和賞にアル・ゴアとIPCC(国連の「気候変動に関する政府間パネル」)が選ばれた。

ノーベル委員会は、「人類は深刻な気候の変化を目撃している。ゴア副大統領とIPCCは、人類に大きな脅威になる気候変化の問題に警戒心を催した代表的な人物と団体」だとした選定理由を述べている。 さらに「ゴア副大統領は、気候の変化に関連した多くの演説とキャンペーンを繰り広げた。IPCCは気候変化の原因と被害などに関する報告書を通じて、気候の変化の深刻さを知らせるのに力を注いできた」と説明している。

ところが、IPCCはゴアと一緒に受賞したのを歓迎していない。というのもゴアの主張していることが科学的な根拠がないことがだんだん明らかになってきて、「不都合な真実」は単なる政治的なプロパガンダではないかと言われているからだ。

確かどこかの国で裁判になって、科学的な誤りがあると指摘されている。IPCCとの対比で言うと、「不都合な真実」では、むこう100年間で海面が20フィートも上昇することになっているが、IPCCは1フィートであると報告している。うーん、違ったことを主張している個人と団体が同時に受賞するのって、ちょっと変ですよね。

この地球温暖化に限らず、環境問題というのは、どうもぼくにはなんか変だなという気にさせられる。環境保護団体の原理主義やヒステリックな庶民感覚、扇動政治家のアジなど、一歩引いてしまう。

それはどうしてかなあと考えてみるに、まずは科学的な根拠に基づいた共通認識の上での議論になっていないことではないかと思う。先ほどの海面上昇のことでもみんな勝手なことを言っているように見える。たとえば、北極の氷が溶けると海面は上昇しますか?よく考えて見てください。コップの中に氷を入れて暖めたらコップから水が溢れますか?だから、感覚的にものを言ったらだめなのです。

でこんなことを考えたらすごい人に出会った。中部大学の先生で資源材料工学が専門の武田邦彦さんというひとです。最近「環境問題はなぜウソがまかり通るのか2」を出版した。ぼくは、まだ読んでいないのだが彼が主張していることで目から鱗の話を紹介する。この人は東京大学を卒業して、旭化成に入社して、そこで長い間企業の研究者であったので、世間を知っているので説得力がある。この人は「リサイクルしてはいけない」と言っています。

ごみを減らさなければならないということについては、日本人のほとんどが異議は無いと思います。問題は、ごみの減らし方です。一つはごみそのものを減らすということともうひとつはリサイクルです。

 リサイクルということで言えば、ごみの量自体が減らないのなら「ごみをもう一度使えば良い」と考え、「ごみを分別すれば資源」という言葉も作られました。確かに、素人感覚から言えば、ごみをもう一度使えばごみの量が減るように感じられます。でも実際はそうではありません。

 最近リサイクルが進んできたのでごみが少なくなったという報道が多いように思います。これはリサイクルしたからごみが減ったのではなくて、焼却が 進んだ結果です。リサイクルをするまでは多くのプラスチックが埋め立てられていました。

その頃にダイオキシン問題のため、プラスチックを焼却炉で燃やせな いと言われリサイクルが始まりました。でもダイオキシンや焼却炉の技術的な問題などはすぐ克服できます。実際それが克服されたので、現在では外国に持ち出 しているものを別にすると、国内ではペットボトルの約95%、ペットボトつまり、リサイクルが始まってごみの量が減ったと言うのはその通りなのですが、何故ごみの量が減ったかというと焼却しているからです。

決してリサイクルして、材料が再び使われているからではありません。ほとんどの日本の自治体がそうですが、市民が一生懸命分別したものを結局は全部集めて焼却しています。

 一旦、リサイクルとして出されたごみですから焼却してもリサイクルと言っていますが、こんなことをするのなら最初から分別せずにまとめて焼却した方が良いに決まっています。分別すると資源の回収が難しいのですが、全部一緒に焼却すると資源は回収できます。

 もう一度、初心に返って「分別すればごみ」と言い換えることが大切でしょう。

ああ、知らなかった。でも前からあの面倒くさい分別がどれだけ意味があるのか疑問だったのが解けたことと、リサイクルしても実際にはゴミが減らないということに驚いてしまう。

環境問題について常識だと思っていることが実は科学的根拠がない情緒的な思い込みであるということなのだが、それを環境意識の高い人々に対して、あなたたちの“常識”は間違っていますよと堂々と言うということが“良識”ある態度であると思うのである。
 

2007年10月20日

秋の富士

富士山が綿帽子(いささかハンチングのようではあるが)をかぶったようになった。
いよいよ秋本番である。

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視聴率の錯覚

今は亀田家の話題がテレビ番組で盛り上がっているが、あの朝青龍や前時津風親方はどこに行ってしまったのだろうか。

TBSがいかに批判されようとも視聴率が取れればまた亀田モノをやるんじゃないかな。だって、なんだかんだといってもテレビというのは視聴率が取れなかったら国営放送になってしまうわけで、いくらまわりで視聴率のために番組がゆがめられてと言ったところで、この本質は変わらないのである。

ところがである。どこで読んだか忘れたが、思わず「おおそうだったか」と叫んでしまったことがある。賢い皆さんはとっくに分かっていらっしゃっると思うが、「視聴率というのは、その番組を見た時の人の数だから、その番組の評価とはぜんぜん違う」ということなのだ。

その番組を見てよかったと思ったひとの数ではないということ。だから、連ドラや帯番組は、評価が次に視聴率に反映されるけど、単発ものは評価は分からずじまいになる。変な話であたかも視聴率が高いといい番組のように錯覚してしまうがそうではないのだ。だから、単発の場合は番組の質を高めることより、始まる前に煽り立てて、話題性を高め、瞬間の視聴率さえとれればいいという考えかたになってしまう。

まあ、どうでもいいけどテレビがどんどん衰退していくようにみえるが、なくなりはしないと思うが、形が変わっていくと思う。話題を追っかけて、どこのチャンネルも同じことばかり放送しているのを見るにつけ、そんなことを考えてしまう。
 

2007年10月23日

名寄せ

最近の社保庁の年金問題で「名寄せ」という言葉が盛んに出てくる。企業のコンピュータシステムをやっている人たちにとっては、なじみのある言葉だが、一般のひとで知っている人は少ないと思う。しかし、意外なところでこの言葉を聞いた。

嫁はんに洗濯機の糸くずフィルターが破れたので買ってきてくれと言われたが、これがなかなか売っていないんですね。しょうがないから、ネットで買おうかと言ったら、近所の家電量販店「デンコードー」に電話をかけて、取り寄せてもらうことにしていた。

話はちょっとそれるけど、電化製品の部品もネットで買えるのですね。そのとき、思ったのですが、こういうものこそネット販売がいいんじゃないですかねえ。数がものすごくあるし、各メーカのものをそろえておかなければならないし、そう頻繁に売れるものではないので、店頭での販売は非効率ですよね。そういうものこそネットにして、それを戸別でもいいし、販売店で受け取るのもいいしという方法がいいんじゃないかと思った。上新電機がこれをやっているんだな。

さて、「名寄せ」の話だが。「デンコードー」にその糸くずフィルターを取りにいったら、「メンバーズカードをお持ちですか?」と聞かれたので、「失くしてしまいました」と言ったら、すぐに再発行してくれた。それで手続きを終えたら、そこの店員のオバちゃんが「これ名寄せしておきましたから、前のカードが出てきても両方使えます。ちゃんとポイントは合算したものになりますから」ときた。おおー感激。社保庁よよく見習え。

2007年10月24日

「教養」の現れ方

ぼくの好きな俳句に“浜までは海女も蓑着る時雨かな”というのがあります。滝瓢水という江戸時代の俳人が詠んだ句です。瓢水は、先日あの痛ましい事件があった加古川市別府で大きな廻船問屋を営んでいる家に生まれたが、家業をほったらかしにし、遊蕩三昧で結局家業をつぶしてしまったという破天荒な人生を送った人です。

この句は、あるとき瓢水の名を慕って禅僧が訪ねてきたが、瓢水は薬を買いに行って留守であった。死ぬのが怖いやつはだめだとして帰ろうとした僧に、「浜までは海女も蓑着る時雨かな」と詠んだと言われています。

名前の通り、なにか飄々とした感じがいいと思いませんか。その他にも“手に取るなやはり野に置けれんげそう”という句もあり、これなんかも同じような雰囲気ですよね。

この最初の句の意味するところはなんでしょうか。海女は海中に潜るのが仕事だから、どうせ濡れてしまう。しかしそうであっても、雨が降れば浜までは蓑を着てゆく。やがてそうなる事は分かっていても生き方の姿勢、けじめは大切という事だと言っていると言われています。

ぼくはもう少し突っ込んで「矜持」あるいは「誇り」のようなものを感じるのです。それと、その姿を見ている瓢水のたたずまいを空想し、その見つめる目に優しさを感じてしまうのだ。

なぜこのことを書いたかというと、今日の新聞の書評で橋本五郎さんが、「移りゆく「教養」」(苅部直著)という本について書いてあった内容が、先の句のことと似ていたのである。G・オーウェルのエッセイ「絞首刑」の中に出てくる話について書いてあったくだりで、その一部引用する。

インドの帝国警察の警官としてビルマに勤務していたオーウェルは、ひとりのインド人が絞首刑にかけられる場面に立ち会う。絞首台に向かって歩いた男が、水溜りに近づくとふと歩みをそらして足が汚れるのを避けた。その瞬間、オーウェルの心に小さな衝撃が走る。すぐ命が絶たれるのに「生への愛おしみ」を保つ死刑囚。その姿に植民地支配者と現地住民の壁を越えて、同じ人間であることを了解する。そのオーウェルに政治学者栗原彬は大きな「教養」を見た。「限界状況で、教養は生の証とか、人間の尊厳としか言いようのないものとして、そっと現れる」からだ。

まあ、ちょっと大げさのようだが、「「狂い」のすすめ」でひろちさやが書いているように、仏教で言う“その時々を一生懸命生きるということ”が大事ではないだろうか。

そして、その姿をやさしく包むように見ることができる心の有り様が「教養」ということなのではないかとそんなことを思わされた。
 

2007年10月28日

台風一過の富士山

台風が去った後のさっぱりとした富士山です。
普段、まだどんよりして見えるのがはっきりとなる。
台風は、何だか大きな掃除機のように思える。

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2007年10月30日

わかったようなことを言うな

『たけしの日本教育白書 楽しくマジメに生放送』というのがあって、とても全部は見れないので、ところどころつまみ食いしたが、テーマはどうも「責任」ということらしいのだが、なぜそこに亀田の話題がでてくるのか分からないが、久米宏やテリー伊藤、小倉智明がでてきて、たけしと爆笑問題でトークをやっていた。

亀田興毅の謝罪会見を見ていなかったのでよく分からないが、どうもあのバッシングから同情論に変わってきたとのこと。オヤジが出てこないで長男の興毅が涙ながらに謝ったのが好感をもたらしたようだ。ええー、それだけで空気が変わってしまうの。むしろ、会見の時のインタビュアーが不評を買っているのだそうだ。恐いですねえテレビ、いやメディアは。いやいや、メディアは腐ってきた。そんなメディアに加担しているタレントどももどうかと思いますね。

そのタレントがそのあとテレビの責任ということで討論していたが、なにを言っていたか忘れるほど中味がないと思うが、だいいちテレビの責任を言うんだったらテレビを見ている一般の視聴者の意見を入れなけりゃ何もならない。タレントというテレビ側のことしか知らない、一般の生活を知らない特殊な人種が言っても、違った視点もあるのになあと思ってしまう。

まあ、久米宏が言っているように、民放はCMありきで成り立っているのだから、スポンサーの製品なりサービスが売れることを促していることが本来的な姿としてある。ということは、世間に消費の拡大が是であり、使い捨てを奨励していることに他ならない。そんなところに責任なんてあるわけないじゃないか。

だからタレントがいかにも庶民の代弁者のようにしゃべるのはやめてくれと言いたい。ビートたけしにしたって、この番組で企業に不詳事の話題で、不祥事があったら社長はすぐに辞めるべきか、とどまって後始末をちゃんとすべきかというのがあったが、その話のなかで、「今の会社の社長なんてみんなまつりあげられたお飾りみたいなもんだから、何かあったらすぐに挿げ替えればいいんだ」みたいなことを言っていた。

すかさず宮崎哲弥が「悪いことをしているのはみんな同族経営の会社です」とフォローしていたが、いまの会社経営はものすごく厳しくて、“よきにはからえ”式の経営者はやってられないし、そんなやわな経営者はもういないことを知らないのだ。

ことほどさように、自分があまり知らないことを軽々しく言わないでほしい。アホな視聴者はすぐに信じてしまうから。
  

2007年11月 1日

「環境問題」の歩き方(1)

このあいだの日曜日に放映されたTBSテレビの「情熱大陸」は環境運動家の辻信一さんでした。この人は、明治学院大学教授で文化人類学者である。「100万人のキャンドルナイト」を仕掛けたり、非常に活動的なひとで、その様子が放映された。

ぼくは、どちらかというと環境運動を熱心にやっている人とはちょいと距離を置きたいと考えている。だからと言って環境を破壊してもいいなんて言っているわけではなく、もう少し身近なところで淡々とやればいいのじゃないかと思っているだけだ。

環境問題にはいろいろな要素があって、ごみから温暖化、緑地など多くの問題がある。だから、何でもかんでも「環境にやさしく」だとか、「エコ生活しましょう」だとか、「リサイクルしましょう」とかいうのは、ちょっと待ってくれとなる。それだと、大政翼賛会になってしまう。現にそういう雰囲気はところによってはあるような気がする。

そんな中では、辻教授が主張する、生態系保全、環境共生型ライフスタイルへの転換、「環境や 社会にいいことをするスロー・ビジネス」の創造というコンセプトには賛同できる。何よりも環境運動は楽しくやろうというのがいい。だから、くれぐれも人に強制することや非難することはやらないでほしい。

環境問題というのは、ライフスタイルの問題だから、一部の人たちにあるヒステリックな言動はやめてほしいし、科学的な裏づけがないのに気分で、あるいは政治的に決め付けることはどうかと思う。

この何となく違和感を抱いている環境問題について、誤解していたことや自分に降りかかっていることなども含めて少し考えていこうと思う。
 


2007年11月 3日

保護色のリス

ときどき家にリスがやってくる。外来種のタイワンリスというやつでいつのまにか日本に帰化してしまった。鎌倉の鶴岡八幡宮の境内でもよく見かける。

夏場はそうでもないのだが、冬場になるとやってきて、きゃきゃという声で鳴く。朝などに雨戸を這ってやかましいときがある。最近、あまり訪れなくなっていたが、珍しく見つけた。しかし、家の壁の色とほとんど同じなので静かにしていると分からない。

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つまらないボクシングのようだ

福田首相が民主党小沢一郎代表に大連立を持ちかけて、それを小沢代表が持ち帰って、すぐに拒否の返事をしたというニュースが駆け巡った。

どうなっちゃってんだといささか驚いてしまった。どうも、読売新聞の渡辺恒雄が仲介したらしいので、今朝の読売の社説はなぜ民主党は大連立をのまないのかというトーン、一方朝日新聞は国民をバカにするものだという否定的な社説であった。

小沢一郎から仕掛けたという噂もあり、持ってかえってから断ったということから民主党内での小沢代表の立場は危なくなるんじゃないかな。今までも、連立内閣を作っては壊している過去があるから、またそんなことを考えていたのかもしれない。どうも政局に走りすぎて困ったものだ。

でも、政治家というのはうまいことを言うなと思ったのは、この話がでる前にだれだか忘れたがある政治家が、福田さんの動きについて、「クリンチがうまい」と話していた。距離をとって打ち合うのを避けて抱き込んでしまうということなのだそうだ。

今回も思いっきりクリンチして、耳元で「この試合引き分けにしましょうや」とささやいたんじゃないのかな。
亀田の試合もクリンチばっかりだったけど、同じような試合を見せつけられたみたいだ。ただ、いまのところ反則はしてないようだ。
 

2007年11月 4日

ポピュリズム

今、政治やスポーツ、芸能の類まで世論の影響がものすごく大きい。それが、瞬間的なあるいは刹那的な現象となって現れるというのが最近の特徴であろう。

ちょっと問題がでるとわっと沸き上がり、冷めるのも早い。これだと、いつも世間の目を気にして、長期的、継続的な対応ができなくなる。ひとつひとつ言動で評価ががらりと変わってしまうので恐ろしいかぎりだ。まあ、ばかなことを言ったので仕方ないかもしれないが、鳩山邦夫法務大臣もこれからたたかれるのではないだろうか。

こんな現象は芸能界はいいとしても政治に世界ではちと困るのだ。ぼくが驚いたのは今年の参院選で、世論はあれだけ安倍さんを持ち上げておいて、絆創膏と年金で引きずりおろしてしまった。しかも、この問題は選挙の直前に争点となったもので、本来はもっと大事な問題を議論し選択するものであるはずだ。しかも、降ってわいたような問題だから、正しい理解がされないままにそれを評価するという愚行に走る。年金は年金記録が消えたのであって年金が消えたのではない。

これをポピュリズムというのだが、扇動者あるいはリーダがいるのがふつうなのだが、今のポピュリズムにはリーダが不在であるという特徴がある。このあたりのことを今朝の読売新聞で山崎正和が書いていた。

それによると、理由として二つのあって、ひとつは、イデオロギーの終焉ということを上げている。それをよりどころとして持続的に方向付ける軌道がなくなってしまったということである。もうひとつは、都市化の影響で、孤立した個人が増えてきて、根無し草のような個人の感情が発露されることだと言っている。だからこそ、大きく揺れる世論が形成されることになる。

さらにまずいのは、そうした大きく揺れる世論をメディアが拾い上げ、むしろなお煽るようなことをすることである。だから、世論はなお揺らぎバランスを欠くことになる。

こうした大きく揺らぐポピュリズムに対してどうすればいいのだろうか。少なくとも政治に関しては、やはり説明責任というものをしっかり確立することだと思う。しかも、世論に迎合するメディアをもっともっと活用して国民に向かって説明することが大事ではないだろうか。

今は、政治家(タレント政治家は別として、要職についている人)が何も言わないから、テレビ局御用達コメンテータが勝手なことを言っていて、それを視聴者が鵜呑みにするという構図は困るのだ。

今回の大連立問題にしても、ぼくは密室会談というのは別にやってはいけないとは思わないが、その経過だとか意図だとかをちゃんと説明すればいいのだ。マスコミはすぐに密室だからだめだという皮相的な報道ではなく、もっとその奥にあるいまの政治の停滞をどう解決していくかという議論にもっていくべきなのである。そうしたら、大連立というのもありえる選択肢であることがわかるはずである。

いちどシャッフルして2大政党体制に政界再編すべきであるというのがぼくの持論だが、こんな話はあまり表沙汰にはできないので密室的な部分は残るのはしかたがない。

いずれにしろ、世論はもっと賢く、冷静にならないとこの国はひどい国になる。そこでやることは、繰り返しになるが、為政者が、政策やその遂行状況などをわかりやすくテレビなどのメディアで説明することだ。タレント政治家に議論させてもそれはバラエティにしかならない。
 

2007年11月 5日

嫌いな人

男は敷居を跨ぐと七人の敵がいると言われていますが、ぼくは争いごとは好まないから敵は作りたくない。しかしながら、世の中そううまく行くとは限らないもので、敵だと思わなくても向こうが敵になってくることがある。ぼくはこの手の人が大嫌いだ。

で、どうしても好きになれない人が何人かいる。こればかりはどうしようもない。そこでちょっとどういう人が嫌いなのか考えてみた。そうしたら3つのタイプがあることに気がついた。

1.はなからぼくのことが気に入らないひと
2.ぼくを無視するひと
3.ぜんぜん分かってなくて邪魔をするひと

意見が合わなくて喧嘩をしたからといってその人が嫌いになるわけではない。むしろ、議論もできなくて意地の底で意識的、無意識的を問わず敵対するような感じがする人が嫌いなのだ。

1のタイプは、なぜだか知らないが、ろくに話もしていないのに気に入らない態度をとる人で、自分の信条と違うと思い込んでいたり、異質なことを嫌悪する狭隘さによるものであろう。いきなりお前は気に食わぬと言われたらこちらも嫌いになりますよね。

2のタイプの人は、こちらに敬意を表するなんて気がさらさらなくて、お前はおれの言うことだけ聞いていればいいのだというひとで、勝手にしろとこっちも無視したくなる。

3のタイプの人は悪い人ではない。むしろいい人なのかもしれない。しかし、本人は意識しないが、結果的に敵対行為をしてしまう。ずれているというか、わかっていないというか、涼しい顔してこちらがグサリとくるようなことを言う。

実は、これらは会社勤めの中での経験から感じたもので、仕事をする上で様々なひとと接触するが、避けられないことも出てきて、そのなかで嫌な思いをしたことを分類するとこうなった。

まあ、ぼくの勝手な思い込みだから、相手からみれば逆にぼくが相手の嫌いなタイプに入るのかもしれない。ただし、タイプを3つに分けたが、それぞれに当てはまる人が多くいるわけではない、せいぜいひとりかふたりだから全部で七人にもならない。

2007年11月 9日

「環境問題」の歩き方(2)

環境問題と一口に言ってもいろいろある。まず、地域的な問題なのか、地球規模の環境問題なのかで違う。「公害」と呼ばれた工場等による、水質汚染・大気汚染・土壌汚染など、家庭のゴミ問題、廃水などは「地域環境問題」とも言われる。一方、地球温暖化、オゾン層破壊、酸性雨のように、発生源や被害地が必ずしも一定地域に限定できない「地球環境問題」がある。

前者は、加害者がいて違法行為による被害というとらえ方ができるが、後者は個別では合法的な行為が、それらが集まったときに大きな環境負荷になるという側面がある。従って、前者は反公害運動のように対会社というふうに限定的におこなわれるが、後者はどこがターゲットなのか見えないため、非常に難しい問題なのである。

この難しさゆえに、環境運動というのはまだらな様相を呈するのと、多様な意見が入り乱れ多くの論争になる。そこには、多分に感情論的なものが多くあるような気がする。前回紹介した「議論のルールブック」には、感情論の特徴を3つ挙げている。

*あいまいな印象をもとに発言し、根拠を示さない。
*発言の内容は問題にせず、発言から受ける印象を問題にする。
*議論の本題かどうかを考えず、相手の発言の中の批判しやすい部分だけを批判する。

いまの、環境問題の議論を言い当てていませんか。さらに、相手の話を聞かないで一方的には話しますから、ますますまっとうな議論にならないことになります。

環境問題で発言している人で中部大学教授の武田邦彦さんという方がいます。「環境問題はなぜウソがまかりとるのか」といった本を書いていて、一般的な環境問題に対する常識を覆すような発言をされています。これから、この人の言っていることを中心に環境問題の見方について見ていきます。

このひとは、元旭化成に長く勤めていたので、産業界のことに明るいし、学問だけの人ではないので議論のきっかけにします。それと、ちょっと前に「NPO法人「ゴミ環境ビジョン21」の主催で緊急シンポジウム『「環境問題のウソ」はウソ?ホント?』が開かれ、そこに敢然と乗り込んでいった心意気を買っています。

要するに、討論の趣旨は武田教授をつるし上げようとしているのがみえみえなわけで、完全アウエー状態での討論だったわけです。それでも武田教授は、「学問の自由、報道の自由、言論の自由は本当に大事です。異論を罵倒する文化では、世の中は良くならない。」と言って会場から拍手をもらったそうです。

まさに、フランスの啓蒙思想家のヴォルテールが言った「私はあなたの言うことには賛成しない。しかし、あなたがそれを言う権利は死んでも守る」ということと同じである。ちょっと、環境問題というより、前回の議論のルールの話にそれてしまいましたが、賛否両論を考えながら論を進めましょう。

2007年11月11日

還暦祝い

還暦祝いといってもぼくのことではない。まだ1年ある。昨日、高校のサッカー部の1年先輩の人たちの還暦祝いに行ってきた。顧問だった鈴木先生が還暦祝いをしてあげると言ったそうで、そのとき下の代のぼくらも呼べとなって急遽集まったのである。だから、上の代とぼくらで20人くらいになった。

この2世代はわりと会うことがあって大体顔はわかっているが、昨日は高校卒業後初めて会うというひとが来られて、みなびっくりしていた。42年ぶりとなるわけで、でもそのひとは高校時代「老人」というあだ名で呼ばれていたので、昔も今もあまり変わらないのである。

しかし、この還暦を迎えた代の人たちは、結束力がかたく、しょっちゅう集まっている。そして、多士済々のメンバーで、大学の先生が2人で、そのうちのひとりは「ショージ先生の船の博物館めぐり」という本を書いた東京海洋大学の庄司教授です。また、以前このブログでも採り上げた作家の植松二郎さんも先輩です。他にも慶応大学ソッカー部(慶応は昔からサッカーではなく、ソッカーといいます)の総監督の人とか、昨日は来られなかったがウズベキスタンの大使館付き医師の人とか、おもしろい人たちばかりです。

この代は関東大会優勝という今から考えるとすごいチームだったわけで、その強さは、様々な個性を持った人たちが、その能力を十分に発揮することができたことに尽きる。個々にみたらそんなに飛びぬけた選手がいたわけでもなく、むしろ、高校に入ってからサッカーを始めた選手が多くいたのだ。その選手たちの力をうまく引き出す戦術とモチベーションを監督の先生がチームに植えつけたのであった。

だから思うのである。チームとして強かったからこうして42年経った今でも結束力があるのか、この結束力があったから強かったのか。いずれにしろ、アマチュアチームスポーツのあるべきひとつの姿を身近で感じたことは、これまでのぼくの人生に大きな財産となったことは間違いない。

この2世代はまた、誰も欠けることなくここまで来ていますが、昨日は胃がんの手術をして退院したひとの快気祝いも兼ねていたのだが、ぼくらの同期にも半年前にやはり胃がんの手術をしたというやつがいて、胃を3分の2切った、いや俺は5分の4だなどと、この話で盛り上がった。しまいには、先生から「こりゃ、イガンタイショクだな」という駄洒落まで飛び出すことに。

でも、二人とも酒は呑むわで、いまや胃がんは恐くないようですね。ただ、ぼくの同期のやつはJICAにいるんだけど、半年前にボリビアに行く話がでて、そのための健康診断をやったときにがんが見つかったそうで、もしそれを知らずにそのままボリビアに行ってしまったらと思うとぞっとしたと言っていた。

先生は高齢なので(といっても72歳とは思えない元気さですが)早めに引き上げましたが、その後、やはり40数年前の話になる。ところがみんな昔のことをよく覚えているんですね。ということで、昨日はみな高校生に戻ったのであります。

いよいよ、来年はぼくらの世代が還暦を迎える。また、先生が「お前らも祝ってやるから」と言ってくれたので、メッセージ入りの先生が描いた水彩画の絵葉書を来年もらえることを楽しみにしている。
 

2007年11月16日

「環境問題」の歩き方(3)

前回、中部大学教授の武田邦彦さんという方の環境論をベースに話を進めると言ったが、少し環境問題についてネット上で調べてみた。そうしたら、当然なんだけど、反論している人がいる。武田教授の主な論点は。簡単に言うと「リサイクルをしてはいけない」ということと、「地球温暖化は二酸化炭素の影響ではない」ということにある。

要するに、リサイクルはコストがかかり、余計に資源を使うことになるという主張。さらに、ペットボトルの国内リサイクル率は10%程度で後は焼却か輸出であると言っていて、ゴミを輸出していいものかとのこと。ただし、ここが“科学的”でないと指摘されている。論拠はPETボトルリサイクル推進協議会のデータなのだが、その当の協議会から捏造であると同協議会のHP上で抗議されてしまった。

昨日のニュースゼロでこのペットボトルのリサイクルの話題が放映されていたが、それによると40%くらいが、独自ルートで中国に輸出されているそうだ。まあ、確かにこの輸出分をリサイクル率に含めるのか否かは議論があるが、中国で再生使用されるとなると含めてもいいような気がする。このデータ捏造の事実がわかった瞬間、武田教授がとたんに信用できなくなってしまった。むしろ、異を唱えている安井至東大名誉教授がまっとうに思えてきた。

一方、地球温暖化のほうだが、これは温暖化の主原因が太陽の活動の変化であるという主張。これは、テレビによく出る池田清彦さんといっしょ。ロングスパンで考えるとそうかもしれないが、反対派はだからと言って二酸化炭素を排出していいわけではないと言う。

ところで、この地球環境特に温暖化についてはどうもよくわからない。というのは、温暖化してどんな被害があるのかと思ってしまう。北極や南極の氷が溶けて海面が上昇すると言っても、“科学的”には、それこそゴアが言っているような上昇はない。それじゃあ、異常気象なのかといっても因果関係なんかわかりっこない。そうなると、内田樹さんのように「地球温暖化で何か問題でも?」ということになる。彼のブログの一部を載せる。

地質学的なスケールで考えても、現在は「間氷期」である。 地球は氷期と間氷期を交互に経験する。 最後の氷期が終わったのが、約1万年前。 黙っていても、いずれ次の氷期が訪れて、骨が凍えるほど地球は寒くなる。 そのときには海岸線がはるか遠くに退き、陸の大部分は氷に覆われ、動植物種も激減するであろう。 だから、私は温暖化には類的な立場からはそれほど怯えることもないのではないかと思っている。 地球寒冷化よりずっとましだと思う。 寒冷化した地球を想像してみたまえ。 夏が寒いんだよ。冬は豪雪で零下数十度。 冷夏では作物がとれないから、すぐに飢饉になる。 食料が高騰する。 いくら夏が暑いとはいっても、河原でも森の中でも、どこか涼しいところを探せば、なんとかしのげる。 でも、寒いときには「温かいところ」には必ず人間がいて、金を出さないとそこには入れない。 寒冷化した地球では、食料と暖房を買うことのできる人間しか生き残れない。 貧しい人間たち(つまり人類のほとんど)は遠からず凍死するか餓死する。 温暖化ではたしかに北極のシロクマさんたちは生活を脅かされて困っているであろうが、寒冷化で、人間たちが(もちろん動物植物たちも)ばたばたと凍死餓死するという未来もあまり想像したくない。 適当なところで落ち着いて欲しいものである。

こうした環境問題についての議論に正しい答えはない。だから、どちらか片方が正しくて、片方が正しくないというニ項対立の図式はありえない“納得”の世界なのである。しかし、この二元論はテレビの世界ではまかり通るわけで、わがままな市民を作り上げる。もう少し、冷静に正しい知識に基づいて議論し、ウチダくんがいうように適当なところところに落ち着いて欲しいものだ。

ほんのちょっとだけれど環境問題をみてみたが、ここで何か言うのはやめようと思っている。結局、環境問題の行きつくところは、自分のライフスタイルをどう設計していくかになるような気がする。乱暴に言えば、そこに他人がとやかく言う筋合いではないのではないかということだ。別な言い方をすると、その人の生き方が資源を浪費し、環境を悪化させているとその人に言ったところで“納得”するだろうか。ということは、世の中の仕組みでいい方向に向かうようにすることではないのだろうか。

安井教授が言っているように、「環境問題では、負の価値をもったもの、例えば、公害を引き起こす物質にしても、ゴミにしても、減らそうとすれば、それを排出すると費用が掛かる、という社会的仕組みを作る以外に方法は無い」のかもしれない。
 

2007年11月23日

テレビの劣化

このあいだ、下の息子と飯を食いながら話をしていたら、バレーボールの試合で、試合前のコートでタレントのがきどもが歌を唄っているが、これは許せないと息子が怒っていた。彼は、テニスをやっているから、試合前のテニスコートで歌なんか唄われたらたまったものではないと言っていた。

ぼくもそう思うのであって、試合場というのは神聖なところで、バレーコートならそれこそ雑巾がけしてきれいにしてから試合に臨むものである。もはや、バレーボール会場はコンサート会場と化し、真剣勝負のスポーツじゃなくなってくる。

そんなことを思っていたら、最新の「週刊文春」で”テレビを叱る”と題して、著名の人がテレビを叱っていた。その中に、二宮清純が「スポーツ中継からジャリタレを消せ!」と言っているのが目に入った。やっぱり、心ある人は同じような思いを抱いているのだ。ほかのお怒りもおもしろいので載せると

・一発芸人使い回しでお笑い番組が金太郎飴に (横澤彪)
・原作は漫画ばかり「連ドラ」脚本家が育たない (山田太一)
・「ワイドショー」新聞棒読みをやめろ! (梨元勝)
・狙うは玉の輿 雑巾がけを忘れた「女子アナ」 (南美希子)

中味は読んでいないので、詳しい内容はわからないが、見出しだけでだいたい想像がつく。みんなぼくが普段テレビに対して感じていることだ。

全部に共通するのは、テレビという媒体がもつ独自性や創造性を捨ててしまって、安易に借り物で済ませるというスタンスであり、その場限りの視聴率稼ぎの番組作りであると言わざるを得ない。

これでは、自分で自分の首を絞める自殺行為に等しい。いずれ、NHKとCATVしか見ない時代になってしまうのかもしれない。
 

2007年11月24日

同姓同名

昨日は、義父の13回忌の法要があった。実は、義父の菩提寺もぼくの実父と同じお寺なのだ。しかも、お墓が目と鼻の先で5mくらいしか離れていない。このお寺は、鎌倉の材木座にある妙長寺という日蓮宗のお寺です。

お墓が近いからお盆やお彼岸のお墓参りは楽でいいですねと言われるが、お墓参りは兼ねてやるものではないので、ついでにお線香をというわけにはいかない。昨日も義父のお墓にだけ参った。妙長寺はいま、寺務所の新築工事中なので、行くといきなり本堂に座ってお経が始まった。住職がお茶も差し上げられなくてと恐縮していた。

昨年もこの時期にぼくのオヤジのやはり13回忌を妙長寺でやったので、2年連続である。ということは、両方の父親は早く亡くなって、母親は健在ということである。まさに女は強しである。

法要のあとは、義母や義弟家族らと一緒に会食。久しぶりにみな集まったのでいろいろな話で盛り上がる。そのとき、義母から、いまのNHKの「ちりとてちん」という朝ドラで、登場人物の役名がぼくと同姓同名なのでびっくりしたと教えてくれた。福井の若狭が舞台で貫地谷しほりが演じる主人公の父親がそうである。ただし、漢字の1字が違う。でも、ドラマに使われそうにない名前と思っていたので意外だった。

ところがうちの息子の名前も意外にもマンガの主人公の名前と一緒だったのだ。「星のハーモニー」の和田君とゆきこシリーズというひかわきょうが書いた作品に、主人公のあこがれの同級生として登場する。

ぼくも息子もありふれた名前なので、そうしたドラマやマンガに出てくるとは思っていなかったので、何かくすぐったい気持ちになる。まあ、悪人ではなさそうなのでよかった。もし、凶悪犯人の名前が自分と同じだったらやだろうなあ。
 

2007年11月29日

個人情報保護の行きすぎが恐くなった

今月の初めに佐賀県で起きた病院に入院した人が暴力団員に拳銃で撃たれ死亡した事件を覚えていると思いますが、それが人違いだったというので大きな話題になりました。どうも、病室に名札をかけていなかったので、被害者の方の前にその病室に入っていた暴力団関係者と間違えたようだ。

名札をしていたら間違われずに済んだかどうかは確かではないが、病室に名札をかけていなかったことにちょっと驚いてしまった。個人情報保護法のガイドラインでは、病室の名札掲示は、プライバシー保護の観点から「患者の希望に応じて一定の配慮をすることが望ましい」と定めているそうだ。

ぼくは個人的には、学校の連絡簿に住所を載せないといったように個人情報保護が行きすぎのように感じている。この事件も、ひょっとしたら名札があったら助かったかもしれないと思うと、こんなところにも弊害が出てきたのかと思える。

そこでよーく考えてみたら恐ろしくなってきた。個人情報保護の行き着くところは個人を特定するものを自分の周りからなくしてしまうことにある。客観的な情報により自分のアイデンティティを証明してくれなくなったらどうなってしまうのだ。

逆に個人情報を知らしめることにより、自分が保護されることもなきにしもあらずのような気もする。個人の情報ばかり保護して、その人そのものを保護しなくなってしまうという皮肉な結果にもなりかねない。なんだか、気持ち悪くなってきたぞ。

2007年12月 4日

同期という名の連帯感

いま、はてなで81年生まれ集まれみたいなことで盛り上がっている。うちの社長が言いだしっぺみたいだが、有名なamachangがブログで呼応したので多くの同世代の人間が何か一緒にやろうというノリですごいことになっている。

こうしてみると、同学年だとすぐに共感するみたいですね。野球でも松坂世代なんて言われて同期ががんばるなんてこともある。

以前、テレビでさんまと松山千春が対談していて、この二人は同学年なんですね、そこで、同学年のヤツを集めて何かやろうという話をしていた。そうしたら、この学年ってすごいんですよね。二人のほかに、歌手でいうと、西條秀樹、郷ひろみ、野口五郎の御三家、世良公則、麻丘めぐみ、そして何と桑田佳祐というそうそうたる面々。スポーツ界でも、江川、掛布に千代の富士、お笑いも島田紳介とくるとタレントが輩出された黄金の世代と言えるかもしれない。

じゃぼくの世代はと気になってくる。これがまた、濃いメンバーです。歌手では、沢田研二、にしきのあきら、谷村新司、泉谷しげる、山本コータロー、井上陽水、南こうせつ、高橋真梨子、野球なら、江夏豊に山田久志とくりゃあ、あくが強いですね。あとは、なんと言っても糸井重里に村上春樹だ。

やはり同期生というのは、気になるし、彼らが活躍していると自分もがんばらなくてはと思ってしまう。そういう存在なのかもしれない。

同じ時代に生まれ、同じ歌を唄い、同じ映画を見たという時代を共有したという思いが連帯感を生むのだろう。

しかし、同期で何かことを起こすってどんなことがあるのだろうか。野球なんかでは同期でチャリティみたいなことをやっているのを聞いたことがあるが、政治家の同期は当選した年を言うし、ほかではあまり聞かない。

先日、高校の同期のヤツと話していたら、そいつは3年後に民主党から参議院選挙に出るとか言っていて、かれの大学の同期である民主党の河村たかしと相談しているらしい。その話の中で3年後には民主党がないかもしれないぞとおどかしたら、だから「団塊党」を作りたいんだと言っていた。こんな行動の起こし方もありかもしれないですね。
 

2007年12月 8日

いまどきの結婚事情

ぼくの埼玉に住んでいる姉の娘、すなわち姪が結婚することになった。27歳だからいいところだ。相手は29歳でコンサル会社に勤めている。これもいいところだ。

で、結婚式はいつなんだろうと思っていたら、先月末に池袋の近くのマンションに引っ越したという。だから今は二人でそこから会社へ通っている。いったい、結婚というのはどの時点のことを言うのだろうか。ぼくらのころは、ちゃんと結納をして、結婚式をあげ、そのすぐあとに新婚旅行に行き、そして籍を入れるという決まりきったプロセスがあったはずだ。しかも、結婚には仲人というものを立て、式には親戚一同を招待するのが当たり前であった。

いつのころから、このしきたりが崩れたのだろうか。いまや、仲人を立てないのは当たり前で結婚式もやらず、友達だけで祝うみたいなことが多くなっているのだそうだ。

うちの親戚はけっこううるさいところがあって、もう10年近くまえにぼくのいとこの息子が結婚することになったが、式は内輪でということでやったら、そのいとこの母親の実家(ぼくの母親の実家でもある)を呼ばなかったことで問題になって、いまだに仲たがいしている。ところが、いまはそんなどころではなくなった。内輪でも式をやらないのだから。

ただ、ぼくはそれでもいいと思っている。だって、盛大に式をあげてもすぐに分かれてしまうのだから。まあ、結婚はますます二人だけのものになってきた。

で、その姪っ子は、3月ぐらいに籍を入れるそうだが、式はやるかどうか分からない。さて、うちの86歳になるばあちゃんの「結婚式ぐらいあげないことにはしょうがないだろ。わたしゃお前の花嫁姿を見て死にたいよ」というプレッシャーに勝てるだろうか。姪っ子は大学生のころ2年間ばあちゃんの家に下宿していたので余計プレッシャーかも。
 

2007年12月12日

やはりというか言った通りだろ

年金問題のことである。昨日、舛添大臣が該当者不明の5000万件の解明に対しギブアップ宣言。ああやはり予想通りである。6月にこのブログでもこの名寄せ問題についてエントリーしたが、そこでこの問題の解決はものすごい難しいと指摘した。その通りになった。

ところが、そのとき安倍総理は、専門家の意見を聞いたらできると言っていたのでやれるんだとか、やけに自信ありげだった。いったいこの専門家とはだれなのか。

少しでもコンピュータをかじった人なら、そんな軽々しくだいじょうぶだなんていえないはずだ。こういうものは、外側でみていていけそうだと思っても、内側に入り込んでみると、すごいことになっているというのが常識なのだ。言い換えれば、難しいことは、その難しさゆえに表に出てこないという当たり前の事実を忘れているということなのだ。

それをまた、舛添さえも間違ったのである。まあ、彼の場合は、ちょいと意気込み過ぎたわけで、大臣でなかったらそんなことはすぐにわかったはずだ。

またぞろ、これで民主党が大臣の辞任要求だとか言い出すだろうけどやめてほしい。それこそ、やれますと言ったことで誰が被害を被ったのよ。そんなことを追求してどおうなるの、それで年金問題が片付くならおおいにやってほしいが、そういう話じゃないのであって、これは与野党もお役所も国民もみんないっしょになって乗り切ることが大事なのである。

ほんとまた、アホな議論が始まりそうでいやになってしまう。
 

2007年12月14日

すっかり綿帽子の富士山

ここへ来て冷えてきましたが、富士山も真っ白になってきました。
もうすぐお正月ですね。

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2007年12月21日

似ているヨナ!

この間、下の息子とテレビを見ながらニコラス・ケージがますますモト冬樹に似てきたなという話をした。
そうしたら、フィギュアスケートのグランプリファイナルでキムヨナが優勝して、真央ちゃんが準優勝したニュースが入ってきた。

このふたり似ているんですね。少なくともぼくには似ているように映る。そうしたら、浅田真央のインタビューが流れる。ううーん、どっかで聞いたよな口調だな。しばらくわからなかったのだが、そうだアイツだと思いいたった。斉藤祐樹君と石川遼君だ。何か似ているんだな。少なくともぼくには似ているように思える。

ここにくると、よい子風のキャラだから、それだけで似てくるのかもしれない。亀田のキャラに後続がないのと対照的である。

まあ、大衆、おお、この言葉もどうなっているんだろ、大衆酒場、大衆演劇、週刊大衆、その大衆が喜ぶキャラは自分の息子、娘がこんな子であったらと思う気持ちの表れなんでしょうね。でも、昔と違うのは、その当人たちがまんざらでもないこと、むしろ人気者をたのしんでいることがずいぶんと違う。

それはそれとして、3人の語り口が似ているように聞こえてくるんですが。メッシもそうなのかな、インタビューを聞いてみたいな。
 

2007年12月22日

事故

昨日、茨城県の三菱化学鹿島事業所で火災があり、3人の死亡と1人の不明という事態となった。大変残念なできごとで亡くなられたかたのご冥福を祈りたい。

ここでとり上げたのは、ぼくはその昔事故のあった同じエチレンプラントというところで働いていたことがあったからである。エチレンプラントというのは、ポリエチレンやポリプロピレンなどの原料になるエチレンやプロピレンなどを生産する工場である。エチレンは産業のコメとも言われるくらい、プラスティック製品のほとんどがこうしたプラントで生成された原料から作られる。

このエチレンプラントの特徴は、なんといっても大量の可燃性あるいは爆発性の化学物質を扱うことにある。そうした危険物を非常に高温(8百数十度)から非常に低温(マイナス160度)まで、そして圧力も常圧から3十数気圧までの高圧で操作するので、大変注意深く扱う必要がある。しかも、昼夜連続運転であり、夜暗い中でプラントの動く様を体感すると、巨大戦艦を操っているような気になる。

そんなところで今回の事故である。新聞によれば、分解炉のデコーキングという、分解管の壁にカーボンが付着するのでそれを燃やして除去する作業があるのだが、それが終わって復旧しようとしたときに起きたようだ。この作業はある期間が経過すると必ず必要になるので、特殊な作業でもなくむしろ慣れた作業であったはずだ。

だからどうしてこんな惨事になったのかと思うのだが、この慣れた作業がくせものなのだ。決してやさしい作業ではないから、いつも注意を払ってやらないといけないわけで、その注意が慣れによりおろそかになる瞬間が生じたのではないだろうか。

火がついた油はクエンチオイル(急冷油)といって重油のような重たい油なので、一旦着火すると消しにくいし、拡がるのである。しかしなぜ弁が開いたのだろうか?おそらく工事作業と運転操作の行き違いなのだろうが、安全確認の徹底の問題だろう。

自分が、実際に同じような現場で働いていたこともあり、また三菱化学鹿島事業所のエチレンプラントにも何回か行ったことがあり、事故現場も真近に見たことがある身にとっては、何かやり切れない思いだ。

さらに事業所長はぼくの知っているひとだから余計複雑な思いにかられている。もう二度とこんなことが起こらないようにしてほしいと願うばかりだ。
 

2007年12月24日

つながる若さ- 1981sにかるくシット

前にも書いたが、1981sの第一回忘年オフ会というのが21日渋谷で開かれた。うちのyusukebe社長が言い出しっぺみたいで、1981年生まれ集まれ見たいなノリの忘年会だっのですが、何と延べ100人くらいが参加したという。社長は3次会までいて翌日の朝帰ってきていた。翌日ああ面白かったと言って、満足感あふれる顔をしていた。

どうも、1981年だけではなく、そのまわりの年代のひとも多く来ていたらしい。あの小飼弾さんも家族連れできていたようだ。またはるばる兵庫県から来た夫妻もいたとのこと、すごい盛り上がりですね。でも、ぼくらがやっているBPMのオフ会だって、仙台から来てくれた人もいるんですよ。まあいっか。

それで、そのことに関して参加した人がブログに書いたりしているのを少し読んでみて感じたのは、みんな素朴に感動しているんですね。そして、誰もが知らない人なのにすぐに会話ができたとか、ブログだとちょっと恐そうなギークが実はすごくやさしい人だったとかと書いている。ぼくのちょっぴり驚いたのは、その文面やうちの社長の言葉からも感じた、「みなさんとてもやさしくていい人だ」ということだ。

でどうしてこんな麗しい世界ができるのだろうかと考えてみた。まず、この世界が成り立つ前提条件
があると思う。それは2つある。

1.おカネが絡まないこと
2.見つめる先が同じところであること

儲け話にのって集まった集団は続かない、ビジネスの思惑がでたらまとまらない。この集まりは、おカネは全く関係ないですよね。

また、自分の立ち位置や持っている能力が違っても見つめる先を共有することが非常に重要である。目線だって違ってもいい、むしろみんなが多様な考え、意見を持っていたほうがより楽しいものになるはずだ。

見つめる先というのは、具体的なゴールをさしているわけではなく、広がる未来に対する不安と期待を抱きながら、何かを必死にやることにより、不安をちょっとずつちょっとずつ自信に変え、また新たな不安と戦い、そういう生き方を一緒に勉強しながらしていこうよという共感のようなものであるような気がする。

「やさしさ」は「自信」がもたらすものなのです。そしてその「やさしさ」は「オープンマインド」に向く。ギークのやさしさはここです。

この前提は、オープンソースコミュニティが成立する条件と同じである。この世界こそぼくらがどうやってもできないうらやましい世界なのだ。

この年代は、小学生か中学生のときぐらいに家にパソコンが入ってきて、高校生ぐらいからインターネットを使い出したのではないだろうか。その子たちが今、ネットでつながることを抵抗なしに行い、それをきっかけとしてリアルの世界でもつながっていく。

こういうのこそ情報リテラシーとかITリテラシーが高いというじゃないのかな。梅田望夫さんが「ウエブ時代をゆく」で書いているウエブ・リテラシーとは違う。梅田さんのは、お金儲けにつながることを言っている。そうではない、もっと素直なものだ。

それにしても若いということは素晴らしい。ネットで団塊世代に声をかけてもどれだけ反応があるのだろうか。ぼくら団塊世代がハチイチの人たちと同じ年齢だった時のことを思い出してみた。

学生時代の反体制政治運動をとりあえず終わらせて、敵であった企業や役所に勤め、何となくブルジョア的生活も悪くはないなと割り切り出したころであった。その清算ができず苦しむやつもいたが大方はちょっとした転向を自分に許したのである。

そして、高度経済成長を支える企業戦士へと変貌していったのである。戦士は戦士でもIT戦士ではなく企業戦士というわけである。この企業戦士はお金は絡むし、見つめる先はみんなばらばらで競争だ。

みんなで語れる共通する技術もなく、あってもほとんどが企業内の集団で、コミュニケーションする場もなかった。それは、狭隘な知識や考え方でありながら、おれがおれがの主張となり、やさしいひとは少数でしかなかったのだ。だから、うらやましいと思うのである。

いずれにしろ、いまのこうした若い人たちの振る舞いをみていると大きな可能性を感じる。「こうした若い人」というのはITエンジニアのことである。ネットを広場にそこで知らないひととも遊び、先達から学べる、そんなことが「軽く」できるそんなひとたちのことである。きっと、社会が大きく変わっていく時代なのだろう。
 

2007年12月25日

KYって?

今年の流行語に「KY」というのがある。「KY」は、ぼくらでは「危険予知」のことをいう。KY活動とかKY訓練とかいう。それはそれとして、今の「KY」は「空気を読めてない」とか「空気を読めよ」ということらしい。このあいだの有馬記念でも勝ったマツリダゴッホの蛯名正義騎手が「“C(超)KY”ですいません」と言ったとか。

今の若いひとたちの間で、空気を読めないと仲間はずれにされたり、イジメにあうなんてことがあるのだそうだ。

ぼくらの世代は「空気」というとすぐに山本七平の「「空気」の研究」を思い出す。日本の社会がもつ「空気」があの戦争を引き起こしたという指摘でベストセラーになった。

こうした日本人の特性は昔から同じようにあるし、「空気」は人々の行動を支配する大きな力であることも変わらない。でもぼくらの時代はむしろ「空気」を読むな、「空気」を破れみたいな、それこそそういう「空気」のほうが強かったような気がする。だから、今の風潮をみると時代は変わったなあと思う。

そこらあたりの変遷とその原因やどうしたらいいのかについて、宮台真司のブログに書いてあるのでそれらを引用しながら考えて見る。

こうした「空気」をめぐる議論も隔世の感があるというほかありません。確かにそこに「空気」を感じればそれに支配されるというのは、今も変わりません。しかし今日的な問題は、そもそも「空気」を感じるか感じないかにおいて分岐が生じてしまうということです。  ここには二つの要素があります。一つは、知らずに空気に支配されるのでなく、進んで空気に支配されろという命令の奇妙さです。もう一つは、そうした命令が意味を持つ程度には空気を感じとれない人間が増えているとして、それはなぜかという奇妙さです。

そして、どうして空気を感じとれなくなったかの理由については、“共通前提の崩壊”であると言っている。これってわかりますねえ。昔は何となくわかっているあるいは常識みたいなものが共通理解としてあったわけで、そういうものがなくなってきたというのが今日の問題なのだろう。だから、

ノリによって疑似的な共通前提をその都度作り出さないとコミュニケーションを前に進められないこと。ここから「空気を読め」という奇妙な命令文が生またのです。かくして空気を壊すことへの異常なほどの忌避や、キャラを演じることへの執着が生まれてきたのです。

じゃどうしたらいいんだというと、宮台は「新今こそ、新しい知識人が必要」と述べ、

知識人とエキスパート(専門人)は分けて考えるべきです。知識人は公的貢献への意欲ゆえに社会的な全体性にアクセスできる存在です。これに対してエキスパートは、専門領域に通暁しますが、社会的な全体性にアクセスする動機づけも能力も持たない存在です。

 社会システムが複雑で流動的になれば、全体性を参照するのは困難になるので、どこの国でも知識人が減ってエキスパートが増えます。それでも、エキスパートだらけで知識人が皆無というのは日本的現象です。全体性を参照する公的貢献動機の枯渇が問題化しています。

 全体性を知らないエキスパートからは「善意のマッドサイエンティスト」が多数生まれます。自分が開発したものが社会的文脈が変わったときにどう機能し得るかに鈍感なエキスパートが、条件次第では社会に否定的な帰結をもたらす技術をどんどん開発していきます。

 バイオの領域でもIT(情報通信)の領域でも、人間であることと人間でないこととの境界線を脅かすような研究が進みつつあります。そうした社会であればこそ、社会的全体性を参照できるような知識人、私の言葉でいえば「新しい知識人」が必要となるわけです。

 新しい知識人は、大衆を導くというかつての課題とは違った課題に取り組む存在です。エキスパートが社会的全体性を弁えないがゆえに「暴走」してしまう可能性を、事前に抑止するような役割を果たす存在です。そうした存在がこれからますます要求されるべきです。


と言っている。これに対して池田信夫のブログでちょっと違う意見が書いてあった。

しかし私は、これを解決するのが宮台氏のいうような「新しい知識人」だとは思わない。そんな知識人の特権性は、マスメディアの没落とともに失われたからだ。かといって「群衆の叡智」なるものも、今のウェブの混乱状態をみればわかるように、当てにならない。むしろ可能性は、空気の読めない若者が増え、会社にべったり埋め込まれた水利構造を脱却することにあると思う。今はフリーターとかニートとかネガティブなとらえ方しかされていないが、彼ら団塊ジュニアが本気で親の世代に「戦争」を仕掛けることが、私の希望だ。

この議論はすごくおもしろいし勉強になる。なぜかというと、その中でぼくが昨日のエントリーで言った若い人たちに「大きな可能性」を感じたことが含まれているからである。

それは、宮台が言っている「共通前提の崩壊」がネット上で復旧できるかもしれない、そこで新たに形成された共通前提のもとで空気を読みながら潜在的排他世界ではない真のコミュニケーションが図れるかもしれない。

そして、「自分が開発したものが社会的文脈が変わったときにどう機能し得るかに“敏感な“エキスパート」や「社会的全体性を参照できるような”プログラマー“」が輩出されるかもしれない。そうしたら、池田の言う「戦争」をしかけられるかもしれないのだ。そういう可能性を1981sの”ノリ”に見たのである。
  

2007年12月26日

エコはエゴ

世の中にエコグッズなるものがある。またエコ製品を標榜するものも多く現れていて、メディアでそれを売りにした宣伝もしている。

CO2の排出量が少ない自動車、電気使用量を削減したエアコン、エコバック等々さまざまなところでエコを謳っている。そういう声を聞くたびに何となくそらぞらしく聞こえてくるのはぼくだけだろうか。

例えば、省エネエアコンって言うけれど、エアコンを使わないのが一番のエコなんじゃないの。だから、自分たちの生活が資源を無駄遣いしていることがわかっているから、その免罪符として、せめてエコがかったものを買おうということなのだろう。それって、変な話ですよね。

同じような話で、緑地保全とか風致地区保全とかいうのがある。自分たちが自然を壊して生活の場を作っておいて、そのあとに来たいという人がいると、自然を壊すからだめだとか、緑を守ろうとか言い出す。

ぼくが住んでいる鎌倉はいたるところに緑地保全指定地区があり、もうほとんど大きな開発はできなくなっている。生まれた時から住んでいる身としては、ぼくら子どもの時の風景と全く違ったものになっているのをみるにつけ、誰だよ昔の自然をこわしたのはとつい叫びたくなる。

究極のエコは資源を使わないこと自然を破壊しないことなのだろうが、このとき資源とは何かと考えたとき、二つのタイプがある。ここでも、ストックとフローということで、すなわち、ストックの代表的なものは石油であり、フローの典型は森林である。石油も非常に長いスパンでいくとフローなのだが、蓄積と消費のバランスが大きく違うためストック化しているということになる。

問題はストック型の資源をどうやって保全し後世に残していくかになる。

要するに、われわれは、破壊なくして生きていけないのだ。生きていること、生活していることが環境を破壊し、資源を食いつぶしていていることなのである。

だから、もっと謙虚にならなくてはいけない。あいつが悪いとかそういう問題ではない。みんなの生活、社会、文明をどうするかの視点が大切で、みんなのライフスタイルをどうするかの問題なのである。

簡単な話、石油や石炭がなかった時代に戻ればいいんでしょ。文明って火を使うことで発展したわけで、森林を焼いちゃう焼畑だって火を使ったわけだし、蒸気機関車や自動車、飛行機しかり、みんな火を使っている。だから、火を使うのをやめればいいのだ。

ところが、ぼくが恐ろしいと思うのは、そういう昔の生活を実感として知っている人がどんどんいなくなってしまうことだ。生活するというのは、車があって電化製品があって、食べ物は余ったら捨てるものだというのが当たり前であると思っている人ばかりになったら、スタイルを変えようと言ったところで、車や電化製品がない生活がイメージできなくなるのではないかと思ってしまう。

2007年12月28日

ネットのざわめきそしてDanにAgree

このブログもそうだが家にサーバーが置いてありそこで動かしている。昨日、そのサーバーがダウンした。社長が外出していたので、ぼくの唯一できる操作であるリブートを試みたがなかなか戻らない。しばらくして復旧したが、どうもアクセスが集中したようだ。半端じゃないアクセスがあったみたいだ。そろそろスケールアウトを考えなくてはと社長が悩んでいた。

アクセスの集中は、yusukebeがエントリーしたエロサイトをオープンしたという記事が原因のようだ。この記事がはてなの人気記事の1位、2位になっていた。エロサイトそのものが1位で、そのサイトの仕組みを解説した記事が2位である。こりゃすげえや。でも、オヤジはエロくないので誤解しないように。

ところで、ぼくの記事もはてぶされていた。25日に書いた「つながる若さ- 1981sにかるくシット」がけっこうブックマークされていて、しかもよい文章というお褒めの言葉ももらいありがとうございました。親子ではてぶされるというのもなんともうれしいものですね。

そうしたら、昨日もぼくのよく知っているGo The Distanceさんの記事「スーツにはスーツの道がある」もはてぶされていた。しかも、小飼弾さんのブログ「404 Blog Not Found」にもとり上げられていた。

以前、ぼくの記事を元にGo The Distanceさんがブログに書いた記事がはてぶされて人気エントリーになったこともある。yusukebeはPerlのプログラムを弾さんに勝手に添削されていた。

こうなると、はてなの世界あるいはブログの世界でみなつながってくるんですね。みんなが見ていてくれて、いろいろ意見を言ってくれるというのは楽しいことなのである。

でぼくも「スーツにはスーツの道がある」について何か言おうと思ったが、弾さんが的確に言ってくれていて、そのとおりだと頷いてしまった。その言葉とは、

ギークとスーツの違いは、何を身に纏っているかの違いではない。 魂に何を纏っているかの違いなのだ。

スーツの言葉など、当のスーツすら動かせない。手の裏付けのない言葉はあまりに安い。人を動かしたかったら、まず自分の手を動かせ。手が塞がっていたら、手を動かした経験を語れ。口で語るな手で語れ。

スーツを身にまとっても、負けじゃない。しかしそれを魂に纏ったら、負けなのである。
晒している人こそ、強いのだから。

ギークとは、魂に纏わないもののことである。

スーツを身に纏っても、そのことさえ忘れなければ君は立派なギークなのだ。

ぼくは、スーツを着ていようが着ていまいが、あるいはどんな立場であろうが、どんな職種であろうが、「職人の心持」を失ったらおしまいのだと思っている。

経営だって、営業だってそうだ。手を動かせなかったら意味がないのだ。自らの手で“もの”を作ってから言えっていうことだ。素晴らしいものでなくてもいいから、自分の頭で一生懸命考え、心で鋭く感じて、それを作るあるいは表現することが最も基本的な態度だと思うのである。
 

2007年12月29日

ITはエコだ

若いITエンジニアのこととエコのことを書いてきたが、ふとITエンジニアは究極のエコロジストではないかという考えが頭をよぎった。

エコの行き着くところは資源を使わないで人々が幸せになることです。ITって資源をほとんど使わないと思う。いや、電力を食うし、PCとかケーブルは資源が使われているでしょ、といわれるかもしれないが、他のものとくらべれば省エネルギー、省資源だと思う。

また、物質的な何かを生産しているわけではなく、ひたすら物理的実体のないサービスを生み出しているだけだ。これは、エコでしょう。

一方、梅田望夫さんも言っていたが、シリコンバレー精神とは「世の中をよくする」という思想が根底にあって、人々の生活を豊かにしたいのだそうだ。

Linus Torvaldsのようなオープンソースの生みの親たちもみなこの言葉を口にする。生活とは主に精神生活であるべきだが、まあそういう精神こそオープンソースコミュニティが存続する原動力になると思う。

ということで、資源を食わず、人々の生活をよくするために活動しているITエンジニアはなんてエコなんでしょう。

そしてもっとエコなことは、自給するITエンジニア、そうです、ここで提案します、自作農ギークのすすめです。ギークはただちに自給のための農地や牧場を確保し、農業や牧畜をしながらプログラムを書く生活に入るべし。

だって、ITは場所を選ばず仕事ができるし、PCの前にばかり座っていないで時々は太陽の下で自然に触れるのも必要でしょう。エロギークならぬエコギークの誕生であります。いいですねえ。

実は、ぼくらの会社の事業に農地利用というのがあるので(ホントですよ、定款にも書かれています)、もしご希望ならいつでもどうぞ。

でこんなことが想像できますか?あるいは成立すると思いますか?
原始的な生活の中にインターネットだけがある世界を!
 

2008年1月 1日

新年のご挨拶

あけましておめでとうございます

本年もよろしくお願いいたします

さて、このブログも一昨年の9月から書き出しましたので、今年3年目を迎えました。そこで昨年の記事を振り返ってみます。

昨年1年は、起業して間もないので事業コンセプトやビジネスモデルを模索した一年でもあった。そのビジネスの商材として「ユーザ目線のBPM」であり、活動としての「ビジネス奮戦記」であった。やっと、今年は蒔いた種が芽がふき、花が咲きそうな気配となりました。

記事を書き込んだ日数は、325日でした。40日だけ書かなかった日があったことになる。トータルのエントリー数は358であった。カテゴリー別にエントリー数を数えてみると多い順に次のようになった。

乱調亭日乗   :111
オヤジの本棚   :41
ユーザ目線のBPM :40
スポーツ“感”戦記   :33
シネマディクトの禁断症状  :26
ビジネス奮闘記   :22
企業情報システムのかたち :17
働きたくなるIT :16
親子で紐解くWeb2.0  :15
チャイナばなし :12
その他 :25

まあ、ITビジネス系が100エントリーあり、ずいぶんと書いたが、今年は実ビジネスとして成功するかどうかを追いかけていくことになる。

また、目標は毎日更新で、休みなく書き込めるようがんばってみたいと思う。

昨年のブログを読み返すとその時の様子がすぐに蘇ってきて懐かしくなる。ブログを書いていると世のなかの様々な事象に対して考える習慣がついてきて、日々新鮮な気持ちになり楽しく感じている。

読んで下さっているかたに感謝とともに、今後ともよろしくお願いいたします。

2008年1月 2日

初詣と富士山

最近、初詣は家の近くにある「龍口明神社」に行くことにしているので今行ってきた。

この神社はそんなに有名でもないが、それゆえに落ち着いてお参りができるので毎年行くようになった。実はこの神社、りゅうこうみょうじんじゃといいますが、由緒ある神社で、538年の創建で、鎌倉で最も古いものです。

これまでは、家内安全や無病息災を祈ってきましたが、去年から会社隆盛、商売繁盛を加えています。お札も買ってきて事務所に飾ってありますが、神頼みはないよりあったほうがいいんじゃないでしょうか。
 
jinja.JPG

さて、今朝の富士山はものすごく美しかったのでおもわずシャッターを切る。

huji.JPG

 

2008年1月 3日

半脱テレビ宣言

年末年始はどうしてもテレビの前に座りることが多くなる。ついつい特集番組の羅列を意味もなくながめたりしてしまう。だが、もうテレビを見るのをやめようと思う。

勤め人をしていたときにはほとんど夜は呑んでいたので、家でテレビを見ることはなかった。だが、SOHOになったら夜に時間ができるのでついテレビをつけてしまう。

極力くだらないバラエティなんか見ないようにしてニュースを中心にしていたのだが、それでわかったことは、ニュースもくだらないということに気がついたのだ。

ニュースというのは淡々と起こった事実のみを簡潔に流すだけでいい。それを変に解説したり、キャスターの思い込みコメントがあったりして、視聴者をミスリードする。それに根底に野次馬根性があるし、不安をあおることで大衆をひきつけようとする。ぼくは前々から犯罪報道は必要ないと思っている。必要以上に細かく報道して何のためになるというのだ。被害者が泣く姿を映して何になるというのだ。

極論すると、エコのところでも言ったけど、まあマッチポンプみたいなところがあって、さんざんテレビのCMで消費社会を喧伝しておきながら、ニュースでこうした風潮はよくないですねと言うが歯切れがよくない。結局ニュースも結果的に、無意識的にスポンサーの意向に沿う形で大量消費生活を後押ししているとしか思えない。

ということで、これからは、テレビを見ないようにしようと思うのだが、さすがに全く見ないというわけにはいかないので、例外をもうけることにした。スポーツ中継プラスアルファとしようと思う。プラスアルファは良質の番組ということになるが、例えば「未来創造堂」とか「情熱大陸」「プロフェッショナル 仕事の流儀」のような番組だ。

で年末の「未来創造堂」で面白かったことを少し。「まんじゅうの未来を切り拓いた男 林虎彦」というテーマで、金沢で和菓子屋を開業した菓子職人の林虎彦が苦労の末開発した「自動包みあん機」の誕生の物語である。

何がおもしろかったかというと、ふつう、機械で自動的にまんじゅうを作るなんていうと職人さんが怒ると思いますよね。ところが、この人は、機械はむしろ職人さんに喜ばれるはずだという信念でやり遂げてしまった。そして、完成したとき一番喜んだのは菓子職人だったのだ。それは単純作業から開放された職人たちは新しい菓子を創造することに力を注げたというのである。手ではできない機械だからこそできる、例えば雪見大福みたいなものが作られたのである。

この挿話ですぐに思いついたのは、システム開発の姿である。単純なプログラミング作業はもうやめようよねということなのだ。そのためには、「自動包みあん機」が必要なのだ。そして、創造的なことにエネルギーを注ぐべきだと思う。この「菓子職人の心持」がシステムの世界でもなくてはいけない大事なものであるような気がする。

こんなことを考えさせてくれる番組は視聴する価値があると思う。だから、全面的ではない“半脱テレビ宣言”というわけである。

なので正月は駅伝とラグビーとサッカーを見ている。ところで大晦日の「ハッスル祭り」はスポーツ中継なのだろうか。
 

2008年1月 7日

歳のとり方

SOHOで仕事をしていると平日に近所に出かけることがよくあるが、そこで見かけるのが年寄りである。実に多い。また、土地がらかよそから観光やハイキングにやってくる年寄りもいる。みんな、定年を過ぎて、しかしまだ元気に動ける人たちだ。ぼくもそろそろ同じような年齢になってきたが、そういう人たちを見るとあまり感心はしない。

以前近所の居酒屋で呑んでいたら、どうもダンス教室の帰りにみなで呑んでいるらしい年寄り集団と隣合わさった。聞きたくもなかったが聞こえてくる会話が会社での話と似ているのだ。そのダンス教室が職場で先生が社長で見たいな感じで、だれそれさんが勝手なことばかりするとか、先生が特定のひとばかりかわいがるだとか、もう会社帰りの飲み屋の会話なのである。

もう会社を辞めたのだから、もっと気楽にあるいは気を使わないようにやればいいのに思うのだが、いつになっても上司の悪口や愚痴が好きなんですね。

また、この間はおもしろい光景に会った。保育園の園児が先生の先導できちんと並んでどこかの公園に向かっていたら、逆から年寄りの集団が旗をもってリーダのあとにきちんと並んで歩いてきてすれ違った。史跡めぐりツアーだったのかもしれない。おいおい、年老いて幼児に戻っていくのかよと思ってしまった。

歳をとってきたらもっとのんびりと好きなことをひとりでやるっていうのが過ごし方じゃないのかということと、その前に“おまえら老け込むにはまだ早い”と言いたい。ダンスやったり、ボーリングしたり、ハイキングするのもいいけどもうちょっとちがうんじゃないだろうか。いっちょあがりの人生はないと言いたいのだが、どうも定年を迎えると、そこで終わりあとは余生だとなる。

人生常に挑戦じゃないかと書いて、いやまてよ、それって言いすぎだなとも思うが、しかし、これからの日本の社会って年寄りも一緒にもうちょっとがんばらなくてはいけない社会になってきたように思うのだがいかがでしょうか。
 

2008年1月 8日

今日のニュースから

1)工業高や商業高、5年制職業校に再編…政府・自民が検討

各都道府県の工業や商業、農業など複数の公立の専門高校を再編・統合し、3年間の教育課程にさら に2年間の新たな高等教育課程を加えるというものだそうだ。

いまは、専門高校に3年間通い、さらに数年間、別の専門学校に通って知識や資格を取得する学生が増えているらしい。従来、高校の3年間で取得することが不可能だった資格が取得できるようにするという。

前からぼくは、昔のように専門高校の役割を復活させるべきだと思っていたのでこうした動きは歓迎だ。ただしだ、ちょっぴり「仏作って魂入れず」を感じてしまう。資格取得を公共の学校で目的化するとかなぜ5年にしなくてはいけないのかとか、議論がいるように思える。

そして一番大事なことは、作ったあとのことで、そこを卒業した生徒をちゃんと社会が受け入れてくれるかということなのだ。企業が必要人材として職場を用意できるかである。

そういう社会構造的な対応ができてこそ意味が出てくるのであって、今のようにろくに勉強してこなかった学卒ばかり採用しているようでは、状況は何も変わらないことになってしまう。だから、政府がいくらがんばっても産業界が本腰をいれないと実効があがらない可能性がある。

2)万能細胞「お分けします」…内外の研究者に理研が3月から

理化学研究所が京都大学の山中伸弥教授のグループがマウスの皮膚細胞から世界で初めて作製した万能細胞(マウスiPS細胞)を希望する研究者に配布する事業を始める。iPS細胞を多くの研究者に利用してもらうことで、再生医療などの研究を加速させるのが狙いだという。

このニュースで思ったのは、ITにおけるオープンソース開発の精神を医学の分野にも適用したらどうかということだ。万能細胞の場合は有償ですが(費用は約100万個の細胞が入った試験管1本で実費1万2000円なので無償に近いかも)、こういうものは無償でどんどん配って、そこからいろいろな成果をあげたらいいと思う。

似たようなところで、薬の開発も同様にオープンソース開発型でやったらいいと思う。だって、ひょっとしたらすごいアイデアを持った人がいるかもしれないわけで、それを開示することで活かせる可能性がでるのである。人々の命を救えるかもしれないのに、こそこそ隠して研究したばかりに成果が出るのが遅れたり、出なかったりしたらそれこそ人類の損失なんじゃないのか。

だから、製薬メーカーが儲けるために密かに開発するというのはおかしい話で、そういう会社がおそらく理念に“人類の幸福のために”と掲げているのも矛盾していると思いませんか。
 

2008年1月13日

大きな矛盾

米国でも地球温暖化の議論が高まってきて、キリスト教保守派「福音派」の宗教指導者グループが地球温暖化防止策として温暖化ガス排出削減法の制定 などを政権に求めるキャンペーンに乗り出したそうだ。大統領選でも争点になっているようだ。

もはや米国も知らん顔もできなくなってきたのだろう。それはそれとして、何回も言っているように毎日自動車に乗って、ものを買って、そして大量に捨ててそんな生活をしていながら、一方で「不都合な真実」を叫んでもどうも矛盾しているように思えてならない。

もし本当に温暖化対策をするんだったら非常に簡単なのだ。再生不可能な資源の価格をあげればいい。
ローレンス・レッシグは、「世の中で人間が行動を決める要因は、道徳と法律と市場とアーキテクチャーの4つである」と言っていますが、この件で当てはめると、環境を破壊するのは悪いことだと思うのが道徳で、CO2排出基準を決めるのが法律、リサイクル技術がアーキテクチャーとすると、市場って一体何よということになる。

そうしたら、環境に悪いものの値段を高くしてそれを使えないようにすればいいんじゃないのか。
だから、ぼくはガソリン税を下げる必要はないと思うし、その税金で道路を作るのもやめたらいい。全く反環境的な政策ですよね。

また、大量の消費を煽るのはやめてくれ。価格を高くして、必要以上にモノをつくるな、売るなですよね。
皮肉な話、原油の価格高騰は温暖化対策である。ちょっと飛躍しすぎたかな。
 


2008年1月14日

ブログの恐さ

ブログが恐ろしいものであるということではない。決まった人のブログばかりを見ることが恐いのである。普段見るブログが固定化されることが気になるのだ。

ぼくは、RSSリーダで気に入った人や気になる人のブログをほとんど毎日のようにチェックしている。そしてそのブログからたどってまたおもしろそうな人のブログをお気に入りに入れるようにしている。そんなことをしているとたまに全然関係ないと思っていた人同士がお互いのブログにトラックバックしていたり、コメントを書いていたりするところに出くわす。

そうなると、ある種の仲良しクラブ的な趣になっていく。自然と自分の好みのひとのブログを優先的に見ることになるわけだ。だから、読むたびにそうだよな、やっぱりオレの考えていることは正しいのだと納得するのである。

これが恐いのだ。無意識のうちに異分子を排除しているから、自分に都合のいいことを追認する道具としてブログを見ていることになる。

本当は自分とは異質の意見や反対のことを主張しているブログをみて、こんな見方もあるんだというバランスが必要だと思うが、そんな暇はないから、そして気分悪くなるといけないので、つい易きに流れてしまうのだ。

結局、所詮ブログはサロンだと思うしかないのだが、あまりベッタリにならないためには、自分でもブログを書くことが冷静さを取り戻し、平衡を保つ手段になるような気がする。

なぜって、頭の中で考えているだけだとまとまらないままになっているが、いざ書くとなるとちゃんと整理しないと書けないし、いろいろな角度で検証していかないと文章が成り立たなくなるからである。
 

2008年1月17日

小さい手帳

会社勤めのころ、パソコンのスケジューラを使い出したら手帳を持たなくなった。会社をやめてからも使う機会がないので持ち歩くことはなかった。

ところで、最近のボケ化現象からかちょっとしたことをすぐ忘れてしまう。仕事のことだとか、ちょっとしたアイディア、あるいはこのブログのネタだとかがふと浮かぶことがある。しかし、一瞬で忘れてしまうことがよくあるようになった。

優れた考えが浮かぶのは三上といって、馬上、枕上、厠上なのだそうだ。馬上は現代では電車中かもしれない。だから、そういうところでいい考えが浮かんだときには、すぐに書き留めておくに限る。

去年までは、メモ用紙を持って歩いていたのだが、歩きながらでは書きにくいし、ときたまペンを忘れる。そこで今年から手帳を持つことにした。こういういきさつだから、別にスケジュールを書き込むために使うのではなく、ふと思いついたことをメモしておくためのものである。ですから、形式はどうであれ、小さくて、鉛筆がついているやつがいいのだ。

昔、工場で働いていたころは作業服の胸ポケットに収まるおおきさでできるだけ薄いものを愛用していたが、今はズボンの後ろポケットに入るくらいの小さいサイズのものをOAZOの丸善で見つけてそれを使うようにした。なかなかいい感じです。
 
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2008年1月20日

角度を変えて見たら

ちょっと前に製紙業界における再生紙の古紙配合率をめぐる偽装が発覚して話題になった。そして、みなが大問題のように騒ぎたてるが、ぼくは何が問題なのかよくわからない。これって、食品の賞味期限の偽装と似たところがあって、要するに誰が被害に遭ったのかということなのだ。

ある意味、消費者をばかだと言っているように聞こえてならない。ちょっと飛躍しているかもしれないが、再生紙の件だって、単に品質とコストの問題であって再生紙が入っていようがいまいが消費者の目でコストにあった紙を買うだけの話である。品質が悪かったら配合率がどうであれ買わないだけの話だ。消費者がその判断ができないから、配合率の低い再生紙をだまされて買っていたというのだろうか。

また、今話題になっていて、今国会でも焦点になるガソリン税の問題も、メディアはすぐに物価が安くなる方がいいのか、道路が作れなくなるのが困るのかといった議論になっている。しかし、別の角度からながめてみると以前にも書いたが、環境問題からの視点があって、環境に負荷をかけるものはコストがかかるという市場原理にするといいわけで、そうなるとガソリン税は下げてはいけないのだ。

ガソリン税を下げて自動車をばんばん走らせていいんですか。道路だってもういいじゃないのスローライフでいきましょうよというのが正しい温暖化対策でしょ。だからばんばん税金をかけて、それを道路ではなく温暖化対策に充てたらいいのだ。

どうも近視眼的な見方で良し悪しを言うのはやめてほしい。そして鳥の目をもって上からながめることもしてみたらどうだろうか。
 

2008年1月23日

老人とテレビ

ぼくは今年から半脱テレビ宣言をして、できるだけくだらないテレビをみないようにしているが、うちのばあちゃんは反対でますますテレビにのめりこんでいく。体が弱って動けなくなるにつれてテレビの前に座ることが多くなる。大相撲が始まるとウキウキしている。年寄りにはテレビが最高の暇つぶしのようだ。

これはばあちゃんのばあちゃんの話である。今うちのばあちゃんは86歳だから、昭和初期のことになる。そのころのばあちゃんはいったい何をしていたのだろうか。家の仕事から解放されたばあちゃんの生活とは。そんなことをばあちゃんと話したことがある。

何をしていたかというとご詠歌を唄い、写経をし、こよりを編み、そして時々家の前に出て道行く人を眺めていたという。

そうなんですね、都会ではあまり見かけないが、田舎の方に行くとよく家の前に椅子を置いて、そこに腰掛けて一日中通る人と車を眺めている年寄りを見かけることがある。そこのところは昔も変わらないのかもしれない。

昔の人は時間をつぶすのに苦労したのかどうかはわからないが、今の年寄りはテレビがあるおかげでそれを見ることでかなりの時間をつぶすことができている。だから、テレビ局はもっとお年寄り向き番組を真剣に考えてほしいと思うのである。
 

2008年1月25日

止まり木

昨日、おとといとほぼ一日中外出していたので自宅勤務に慣れた身にとっては少々疲れた。疲れた原因はたまに出かけるということもあるが、複数の訪問場所があるとその移動と移動の間の空き時間のすごし方が疲れを呼ぶ。東京に拠点があると戻れることをベースにスケジューリングできるので、そういったロスが少ないような気がする。

いま、スターバックスとかドトールとかコーヒーショップがいっぱい存在するのは、そんな空き時間を過ごす人たちの止まり木なんでしょうね。ぼくらの年代はそれを喫茶店と言ったのだ。いや“サテン”といった。

その止まり木もグレードがあるみたいで、スタバーに止まる鳥とマックに止まる鳥はちと違うようだ。ぼくは、すずめのようなものだからマックのコーヒーで十分だ。そんな時間のつぶし方ををする。

そして、止まり木は昼以外の世界にもある。ぼくにとっては夕方がそば屋だ。軽く呑んでせいろ一枚がいい。夏なんかまだ陽が高いときにそば屋にはいるのが至福のひとときである。

夜はバーという止まり木がある。ぼくは銀座に行きつけのバーがあって、そこに行って止まり木に座ると、何も言わないでもEarly Timesのソーダ割が出てくる。まあ昔でいうハイボールです。ここ何年同じシーンだ。こういうことが落ち着くのである。

でバーのカウンターというのは、そんな人たちが集まる。そして口をあけて酒を流し込む。おお、子供の鳥が口をパクパクやってえさを入れられてうれしくてさえずっている図が浮かんでくる。

こうしていたるところに止まり木ができ、そこで時間を過ごし、大人になっていく。そうなんです、子供には止まり木はないのだ。お前らは飛び続けろ。そして家に帰れ。
 

2008年1月26日

究極のエコ

究極のエコは資源を使わないことなのだろうが、このとき資源とは何かと考えたとき、二つのタイプがある。ここでも、ストックとフローということで、すなわち、ストックの代表的なものは石油であり、フローの典型は森林である。石油も非常に長いスパンでいくとフローなのだが、蓄積と消費のバランスが大きく違うためストック化しているということになる。

もうひとつ、考えなければいけないことはバランスである。バランスとは、収支バランス、マテリアルバランスのことである。僕は以前石油化学のプラントの生産管理をやっていたことがあるが、このマテバラというのが重要な管理要素であった。

おそらく、普通の人はこの石油に関するマテバラというのをご存知ないと思うが、かなり重要な点は、石油(原油から化学原料まで)はバランスの科学であり、経済であるといいことなのだ。だから、例えばどうしてガソリンができるかということをみたとき、簡単に全部ガソリンをバイオ燃料に変えればいいやという話もないのである。

どういうことかというと、原油はまず石油精製の工場に持っていかれる。中東からタンカーでマラッカ海峡を越えて入ってくるのです。それを海上のシーバースから陸上の原油タンクに入れられる。おっと、この話をしだすといっぱいあるのでこれまでとして、要は原油は常圧蒸留装置で蒸留という操作を経て、いろいろな成分に分離する。その分離された1成分がガソリンなのだ。だから、ガソリンだけ取ろうと思ってもできないのだ。

他の成分では、灯油や軽油、重油などがある。だから、お互いに持ちつ持たれつの関係になっている。何をいいたいかと言うと、原油というのはそれを使ったら目的外の成分も出てくるから、経済合理性の世界では、それを捨てるわけにはいかないから無駄かもしれないが何かに転化しているのである。しかし、今のところそのひずみは大きくなく、コストの調整で解決しているといえる。ただ今の原油のコストは政治的な影響で決まっているが。

同じように、森林についてはどうなのか、門外漢なのでよくわからないが、似たようなこともあるような気がする。

あまり環境のことについて言いたくはないといった手前、どうしようかと思うけど多少は発言していこうと思う。ここでは、「科学的って何」というエントリーも書いたがとりあえず、ある事象について言うのなら、事実認識をしたほうがいいと思う。感情論でひとを翻弄してはいけないのだ。科学的というのは冷静な態度のことでもある。環境とか人道とかはこの客観的冷静さが一番大事なことなのだと思う。「情熱と冷静」ですよ。

で話を元に戻すと、石油というストックをどうしていくかがこの世界中の、そして今世紀の最大の課題になる。CO2って石油と森林なのですよ。この向き合いかたって、自分たちの生活スタイルをどういうふうにしたいかってことになる。あくまでいまの生活レベルを向上させていこうというスタイルなのか。もうなくなる資源なのだから少しでも使うのをやめようというスタイルなのか。

人間ってだいたいにおいて流れに身を任すから後戻りするのは難しいが、簡単に言えばそこでがんばって後戻りすればいいのだ。石油が本格的に使われ出したのほんの数十年前だからそのときの生活をすればいい。

ところがだんだん、そのときの生活、すなわちエコである生活を(無意識で結果的にエコだったということも含めて)知っている人がいなくなる。別な言い方をすると、エコの生活をしたことない人にいくら昔の生活がエコと言ったって、そうした生活の実感がないから、戻そうとしたとしても石油ありきの生活しかイメージできないというおそろしい話になる。

もうやけくそで言うと、早く石油を使って枯渇させてしまえば温暖化なんか心配しなくてもよくなるという某教授の説が案外的を射ているのかもしれない。
 

2008年2月 3日

おお雪だ

朝、目をさましたら雪が降っている。
それもかなり積もっている。
下の息子はゴルフの予定だったがキャンセルして、また寝てしまった。
家の前の溝に軽トラックが落ちた。
いまJAFが来た。
相変わらずモノレールは雪にも強い。
うちは山の中だから今日一日は家から出られない。
夕方節分の豆まきをしてくれとばあちゃんに頼まれた。
豆まきは干支が子の人がやると縁起がいいのだそうだ。
いつまで降り続くのだろうか。

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2008年2月 4日

新聞の読み比べサービスはGJ

1月31日から新たなサービス「新s あらたにす」というのが始まった。朝日新聞、読売新聞、日本経済新聞の3社が報道するニュースを読み比べることができるニュースサイトである。

対象となっている記事は、一面、社会面、社説それと書評が主なところです。サイトのネーミングはひどいがこれはいい。わが家は、景品の都合上6ヶ月ごとに朝日と読売を交互にとっているという日和見一家なので、変わり目のときなんか右と左に大きく舵を切らないと混乱する。

そんなこともあって、読み比べができたらいいなあと思っていたので願ったり叶ったりである。まあ、一面と社説の比較で十分である。そうそう、それと書評があるのでなお結構ですね。

ネット時代に新聞はどう対応していくのかが注目されているが、こんなサービス展開もおもしろいんじゃないでしょうか。このなかで動画も配信されていて、各社の論説トップの鼎談も見ることができる。その中で「ネット時代に求められる新聞像」というテーマで話しているのでそれも楽しい。

いまは3社だけだけど他の毎日とか産経も入ったらいいと思う。それこそ右と左の対決が見られてバランスがとれていいですよね。

マスメディアの一方の雄であるテレビはこんなことはできないでしょうね。テレビの見比べはできないからどうするのかなあ。ぼくは、テレビが変貌すべきは、ジャンル別多チャンネル化とオンデマンド化だと思うがどうだろう。

ジャンル別多チャンネル化というのは、政治、経済、スポーツとかあるいは趣味別だとかいった括りでひとつのチャンネルを持つことでいつも同じようなバラエティを見せられるのではなく、選択肢を広げることにもなる。

オンデマンド化というのは、テレビ局がやるのではなく、DVDレコーダーで好きな番組だけ録画しておいて、好きなときに再生してみるというスタイルだ。これは前のジャンル別多チャンネル化をすればなおやりやすくなるというものだ。ただ、テレビ局はいやがるだろうな。

ネットのおもしろい機能は、「比較」と「ランキング」だと思っているので、繰り返すが、新聞読み比べサービスはいいサービスだ。
 

2008年2月 5日

すいませんが、つながりにくくなっています

3日くらいから、このサイトがつながりにくくなっていると思います。詳しくは「ゆーすけべー日記」に書いてありますが、アクセス数がものすごいことになっていて、これまで使っていたプロバイダーやルータがキャパをオーバーしています。

至急、プロバイダーの変更とルータの買い替えを行います。要するに家庭用環境から法人用環境に変えていくということです。申し訳ありませんが、もうしばらくご辛抱ください。
 

2008年2月 9日

とりあえず応急措置

先日、このブログがつながりにくくなっていることをお知らせしましたが、その原因のひとつがISP(プロバイダ)から帯域制限をかけられてしまっていることです。従って、いま新しいISPに乗り換える手続きをしているのですが、多少時間がかかるのでいらいらしていました。

ところが、昨日社長が即日で固定IPアドレスをもらえるサービスを発見して急遽取得して切り替えました。
これでつながりやすくなったと思います。

ただ、それでも応急的なものなのでもう少し経ったら、バックボーンのしっかりしたISPになり、ルータも変えますので大量でも安定した処理が可能になります。

このサービス、1ヶ月単位で契約できて、月額2100円という超便利なもの。このうたい文句は急ぎで固定IPアドレスが欲しい場合にすぐに発行できることである。だから、例えば仮設の作業場で使いたいとか、プロジェクトで急に人が増えたのでとかいう場合に便利だと思う。

これを、社長がどうして見つけたかというと、ISPから帯域制限をかけられていることをブログに書いたわけだが、そのブログのGoogle AdSense広告に、このプロバイダーのサービスが出てきたということなのです。

Google AdSenseというのは、サイトのコンテンツと関連する広告を配信し、サイトを訪問したユーザーがその広告をクリックすることで収益を獲得できる仕組みですが、今回のように自分で書いた悩みや問題について、それに関係する解決策のサービスも配信されてきて、サイトのユーザではなく本人の役に立つこともあるというおもしろいことがおきた。

だから、情報を発信すると意外なところから返信があるという双方向コミュニケーションがこんな形でも現れるのである。
 

寒さにめげず

雪がちらついてきた。
寒い。
そんな中でも梅の花がほころび始めた。

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2008年2月12日

ハイブリッド

近頃ハイブリッドばやりのようである。ハイブリッドカーやハイブリッドヒーターなどがその省エネ効果から環境にやさしいといううたい文句で登場している。

生物学的にもハイブリッドという言葉があり、掛け合わせ種をそう呼ぶ。例えば猪と豚を掛け合わせた猪豚が有名である。

ガラパゴス諸島にイグアナがいる。それも2種類だ。リクイグアナとウミイグアナで陸で生活する種と海で生活する種の2つである。そこにハイブリッドイグアナが誕生したという話を今からする。

リクイグアナは主としてサボテンを食べる。ただし、サボテンの樹に登って食べるのではなく鳥とかが下に落としたかけらを食べる。なぜかというと、爪が発達していないので登れないのだ。

一方、ウミイグアナは海に潜って海藻などを食べる。海の中は波や潮の流れがあるからしっかりと岩場にしがみつかなくてはいけないので鋭く爪が発達している。

近年環境の変化がガラパゴスにも及んでいて特にエルニーニョのような異常現象により海の中の藻が少なくなってきて、ウミイグアナは食料不足におちいってきた。そこでどうしたかというと陸にあがってきたのである。かれらは鋭い爪をもっているからリクイグアナを尻目に難なくよじ登ってサボテンをゲットする。

それを見ていたリクイグアナのメスたちはたくましいウミイグアナのオスに惚れるのはそう時間のかかることではなかったのだ。というわけで、水陸両用イグアナが誕生したのである。

おお何というたくましさなのだ。これも進化というわけだ。

そう考えると、人間の環境適応能力って低いんじゃないのと思ってしまう。環境が変わたって平気でいられるようになるにはハイブリッド型に変身すればいいのだ。そうだ、ハイブリッド人間になろう。おっと間違えないでくださいよ、オカマのことじゃないですから。

2008年2月16日

今年60のおじいさん

昨日は、デブサミで聞いた「Xupper」を販売しているケンシステムコンサルティングに行く。昔から懇意にしているIさんにいまぼくがやっているプロジェクトや技法について、意見を聞くことにしたからである。

BPMというと当然プロセス中心になるが、そのとき忘れてはいけないのがデータで、そうしたデータの大切さやモデリング技術をよく知っているので率直な評価をお願いしたのである。ぼくの技法についておおかたの理解は得られたが、2点指摘された。わかっていたことだが、やはりビジネスルールのことと、データモデリングのことであった。

何か業務処理をするときそこに会社としての取り決め事項がある場合、それらをどう記述して、システムに入れ込んでおくかという問題である。

データモデリングについては、今のぼくの方法でやろうとするとデータが整備されていることが前提であることにしているので、もしそれがない場合にどうするかという問題がある。ただ、ないから困る、だめだという話ではなく、むしろ逆でプロセスを作るときに抽出したデータ項目から、データディクショナリー、エンティティ関連図を生成し、データモデル化したらいいよねということになった。

もう少しここのところを整理しておく必要があるが、何となくモヤモヤしていたものがちょっと晴れたようでうれしかった。

その後は、築地市場内にある「魚四季」で昔いた会社の同期と一緒に呑む。もうはるか昔に同期で入社していま東京にいるやつが集まって定期的に呑む会をやっている。人数は5人だけどいつもみな出てきてくれる。それに前回から、先輩の人も参加してくれるようになって昨日は7人となった。

その先輩の一人が先月還暦を迎えたということでその話をしていたら、その先輩が突然唄いだしたのだ。♪村の渡しの船頭さんは、今年60のおじいさん。年はとってもお舟を漕ぐときは元気いっぱい櫨がしなる。それギッチラギッチラギッチラコー♪、おおなつかしの童謡だ。でその先輩はこの歌を思い出してがっくりしたというのだ。オレはついにこんなおじいさんになってしまったというわけだ。

まあ、こうして集まったものたちもおおかた60歳に近いのだが、今の60歳は昔とずいぶんと違うから、おじいさんと呼ぶのはちと早いのかもしれない。ところが、同じ会社の人たちの消息を聞いていたら、ぼくよりちょっと上のひとで仕事で大変お世話になったひとが昨年亡くなったと聞いてショックだった。

ということで「魚四季」は魚が旨くて安いのでいいのだけどやかましいのだけは困ったもので声をはりあげないと通じないので疲れてしまった。だから2次会を静かな場所に変えて夜中まで思い出話で盛り上がったのであります。
 

2008年2月19日

死に方

昨日は、いつものように週2回の東京でのお仕事。セミナが迫ってきたのでその原稿を渡す。終わってから、来週にやる大学時代の同期会の場所を予約するため新橋に行く。以前このブログでも取り上げた「玲玲(リンリン)」という中国家庭料理の店で、最近「隠れ玲玲」という会員性の店を今までの店とは別にオープンさせた。

会員制の中華料理屋というのも珍しいが、静かで落ち着いて食事ができるからいい。ただ、経営的には問題でお客さんがいっぱい来ては困るし、さりとてある程度来てくれないと採算がなりたないというジレンマに陥る。そんなことをビール片手に餃子をほおばり(ここの餃子は旨いですよ)ながらオーナーである中国人のおばちゃんと話し込む。

その後の話で面白かったことを少し。どうしてそういう話になったかは忘れてしまったが、そのおばちゃんのおばあさんとおじいさんの死に方の話になった。

おばあさんというのが97歳で死んだそうだが、その死に方が実にきれいだったという。97歳までひとりで何でもやっていて、死ぬ前の日に自分の身の回りのいらなくなったものを全部捨てて、洗濯物も全部してきれいにたたんで、それが終わると晩御飯だったのだが、今日は食欲がないといって食べずに寝たそうだ。翌朝、娘がおばあちゃん起きるのが遅いなあと思いながら部屋を空けるとそこで死んでいたというのである。どうも自分で死期が分かったのではないだろうかと言っていた。

そうしたら、おじいさんもそうだったという。おじいさんの方は75歳で死んだそうだが、この人は大変な大酒飲みだったらしく、毎日、朝昼晩三食に酒を飲んでいて、一日一升、それも中国だから60度くらいある強い酒だ。それでその歳になっても勤めにでていて、その日も朝から酒で、飲んだあと会社へ行く前にトイレに入ったら、なかなか出てこないのでトイレの外から小窓を覗いたら、そこで死んでいたという。

ふたりとも誰にも迷惑をかけずにぽっくりと逝った。これは理想的な死に方ではないだろうか。かねてからぼくも75歳である日、ぼくの孫がおじいちゃんの部屋を空けたら死んでいて、“きのうまであんなに元気だったのにねえ”と言われて死にたいと思っているので、何ともうらやましいと思うのである。

「玲玲」の後はいつものように銀座の「M」に立ち寄る。そこでも、この死に方の話も出て、直前に仕入れたこのネタを披露する。そしてまた息抜きのひとときを過ごしたのであります。
 

2008年2月20日

幾何学的思考法

ちょっとまえに 幾何学的サッカーという話をし、外山滋比古の「思考の整理学」のことも書いた。ぼくにはいつも気をつけている思考法があって、それは分類学、定義力、整理術ということなのだけど、これも幾何学的な思考法の話なのである。どういうことかというと、分類学というのは丸である。点を括るからである。定義力というのは四角である。形を決めるからである。整理術は表である。棚にしまうからである。

この丸、四角、表という概念はわかりやすいと自負している。図で描くと以下のとおり。
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おおなんとなく、ケイジジョウガク的ですな。
 

2008年2月27日

7回忌

昨日は大学のサッカー部の同期会があった。この会は「たもつ会」という名をつけて毎年2回程度集まることにしている。会の名前の由来は、6年前の3月に亡くなった同期のヤツの名前から採っている。まだ、50歳になったばかりでまだまだこれからというときの死であった。奥さんと娘さん二人を残し、さぞ無念であったろうと思う。その彼がなくなって今年で7回忌である。早いものである。

そんなことを思いながら仲間が集い偲んだのである。昨日は新橋の「隠れ 玲玲」という中国家庭料理の店で結局9人が出席した。いつものとおり、昔の同じ話が1/3、昔の初めての話が1/3、今の話が1/3である。よくもまあ同じ話を繰り返すかなあと思うが、まだ1/3だからいい、そのうちだんだん増えていくような気がする。

昔の初めての話のなかでちと面白かったことを。中の一人が大学入試のことで誰か本当かどうか教えてくれと言い出した。それは、僕らは早稲田大学の理工学部だったのだが、そいつは入試の時、理工以外の文科系である政経学部と法学部を受けたと言うのだ。まあ、それもちょっと変わっているが、彼が言うにはその試験でほとんど満点のできで絶対受かったと思ったそうだ。ところが不合格になった。

それで理工学部に入学したのだが、しばらくしてその落ちた原因が鉛筆で答案を書いたことだと言われたのだそうだ。どうも早稲田の文系は万年筆で答を書かないと落とされるということがまことしやかに囁かれていたらしい。彼はそういえば試験のとき周りのヤツはみな万年筆を使っていたと思い出したのだそうだ。もう40年も前の話だし、昨日のほかの連中もそんなことはあり得ないと言うし、一笑にふされたのだが、このブログを読んでいるひとでそんなことがあったという話を知っていたら教えてください。

かなり盛り上がったので呑み過ぎた。どうやって帰ってきたか記憶がない。でもこれがSOHOのいいところで朝遅くまで寝られたので多少頭が痛い程度でおさまっている。

それで朝メールを確認していたら、Qさんから昨日書いたブログに対するメッセージが届いていた。「たそがれ」という映画について書いた記事であるが、それをブログでも紹介したその映画の脚本を書いた谷口晃さんに送ったというのだ。そうしたら返事が来たので転送してくれたのである。うれしかった。それなら、もう少しましな感想を書くんだったと反省。おお、これで頭の痛いのもすこしやわらいできた。
 

2008年3月 3日

ネット渋滞

今朝の読売新聞に「接続業者の4割、「ネット渋滞」対策で通信量制限」という記事が出ていた。インターネットプロバイダー協会が調査した結果、約4割のインターネット接続業者が一部ヘビー・ユーザーの通信量を制限していたそうだ。

今は動画の視聴が増えてきていて、そのために格段にネットを流れる情報量が増加し通信速度が遅くなる現象がでてきているらしい。

つい最近もうちの回線も急に制限を受けつながりにくくなったが、これも接続業者が勝手に絞ってしまったのである。これは別に違反ではなくちゃんと約款に書いてあるので文句は言えないが何となく苦情を言いたくもなった。

新聞では定額料金制についても言及していて、大量の情報量を扱うヘビー・ユーザと一般ユーザとの公平性が問題になると指摘している。この調査で、接続業者が制限をしたり、検討している理由は「利用者間の公平性確保」が最も多かったそうだ。

うちの場合はヘビー・ユーザーだからあまり規制されるのは望まないが、これからますます動画を見る人が増えてくるのでひょっとしたら対策を打ってくるのかもしれない。しかし、有料道路だって重いものを積んでいようが軽いものしか積んでいようが同じ料金じゃないかという屁理屈も言いたくなるし、ネット利用に水をさしかねないので、そこは料金体系を変えずにキャパシティを増やす方向でやっていってもらいたいと思うのである。

2008年3月 6日

早春の富士と梅三種

少しずつ春めいてきて気分もあったかくなってきましたね。
まだまだ真っ白な富士山がきれいに見えます。
庭には三種の梅が競って咲いています。

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2008年3月 8日

日本画家のホームページ

ずっと懸案になっていた日本画家坂本武典さんのホームページがついに運用開始です。

昨日は社長と二人で熱海の武典さんの家に行って、ブログの書き方や編集のし方などを教えてきた。自宅から車で湘南の海岸沿いを通ってドライブ。天気もよかったので気持ちよかった。途中社長が会社が大きくなったら熱海にオフィスもちたいねと言った。最近はてなも京都に行ったし、何も東京に拠点を持つ必要はないわけで、東京まで新幹線ですぐなので熱海という選択肢はありだなと思う。

武典さんの家に着いたら1時ちょっと前だったので近くで昼飯を食べようと思ったら、最近開店したおかあさんがやっているお店でランチをご馳走になってしまった。手作りだとおっしゃっていたがこれがすごくおいしくて二人で大満足。

武典さんは画家ですが、文章も上手でブログも楽しいものになると思いますので、ぜひアクセスしてみてください。さっそく記事が投稿されていました。

その日は夕方からいまやっているプロジェクトの進め方について、そこに参加している会社の社長と打ち合わせがあったので、熱海から電車で東京へ行く。そのあと呑んだので遅くなって家に帰る。今週は出かけることが多くお疲れモード。今日もこれから学生時代の友達の7回忌にいかなくてはいけない。
 

2008年3月 9日

故人の偲び方

故人を偲ぶと言う。亡くなった人をあとからなつかしがったり、こんなこともあったよねと思い出すことである。しかし、死んでしまった人は自分がどう偲ばれているのか知ることはできない。だから、故人を偲ぶのは生きている人のためにあるものだ。その偲び方について考えさせられることがあった。

ぼくの大学時代の同級生で同じサッカー部ですごく濃い付き合いをしたやつが、ちょうど6年前の3月8日に多発性骨髄腫で50歳ちょっとという若さでこの世を去った。あまりにも早い死であり衝撃であった。

身体を壊しているというのは聞いていたが、病名や深刻度がわからないままでいたら、もう余命いくばくもないというのを同じサッカー部の同期がみなに知らせてくれて、とにかく集まろうということで同期たちが急遽夏の暑い日、渋谷の「長崎」という皿うどんの店に集合した。

この店はその死んだやつが学生のころからよく行っていたところで、ぼくも時々行ったことがあって、店と同じ棟にある、集まろうと知らせてくれた同期のやつの家で麻雀をして、終わるとそこでよく皿うどんを食べたところである。急遽集まったのが死ぬ半年前である。そのときのうれしそうな顔が今でも目に浮かぶ。

で、昨日は元の会社の同僚の人たちも来てくれて15人くらでその同じ「長崎」で皿うどんを食べながら7回忌を行なったのである。

死んだ彼の奥さんにいつも感心させられるのだが、昨日も彼の子ども時代の写真をみんなに見せたり、その気使いも敬服する。そして、引き出物をいただいたがその中に奥さんが書いた故人を偲ぶ文章とある本が添えられていた。胸を打つもものがあるので紹介したいと思う。

クリスチャンでもない私ですが・・・・ 「病気になったら」の詩に出逢い、この本を手にすることになったのが2000年“多発性骨髄腫”という耳慣れない病と闘う日々が始まった年です。   あれから21ヶ月・・・・・(入院・退院 一年後に再入院) みんなに「ありがとう」と声かけて 旅立った○○さん 病室はいつも穏やかな空気に包まれ まるで自宅の居間のよう 毎日通う高尾へのドライブは 別荘に向かう心持ちでした。 看護師さんたちも「この部屋に来ると、ほっとする 」と 時々 一息つきに立ち寄ってくれましたっけ・・・

末っ子でみんなに可愛がられた幼少期・勉学にサッカーに麻雀にしっかり楽しんだ青春期
やりがいのある仕事に出会い、持てる力を十分に発揮させて頂けた幸せ者の壮年期
短い人生ではあったけれど、深く豊かに生き切った○○さん
 
早くに かけがえのない存在を失ってしまったことは、どうにも埋めることのできない
不運には違いないけれど、不幸ではないと思うのです。

濃縮還元ジュースのように、共に歩いた人生をずーっと愉しみながら味わっています。
 
見守って下さる沢山の心友の方々や いっぱいの思い出・・・・
それらの宝物を残してくれた○○さんに感謝しながら。

                        しみじみ教徒

ここに出てくる「病気になったら」という詩や「しみじみ教徒」という言葉は、一緒にいただいた「だいじょうぶだよ」(晴佐久昌英著 女子サンパウロ会)という本にあります。

これだけ夫のことを愛していたということに感動しますよね。こんなやさしい奥さんに看取られて死んでいた友も幸せだったに違いない。

そんなわけで昨日は自分が死んだ時のことを考えてしまった。こんな風に偲んでくれるのだろうか、すぐに忘れられてしまうのだろうか。もう一方で残された家族のこれからの人生を考えると忘れてもらいたいこともあるのではないかとも考えてしまう。

もらった本を帰りの電車のなかで読みながらそんなことを思った。昼の酒も効いてぼーっとなりながら、家についたら嫁さんが「あーら、もう帰ってきたの」と言いながら引き出物のお菓子を取り上げられてしまった。“しみじみ”とおれはどうなるのかとふと溜息をついたのであります。
 

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2008年3月14日

公証役場

生まれて初めて公証役場というところに行ってきた。

ばあちゃんが土地をある建設会社の土砂置き場に貸していて、その賃貸借契約を2年ごとにやっていが、今月がその更新時期にあたっていた。いつもはその建設会社の人が車で迎えにきてくれるので、ばあちゃんも行けたのだが、最近「もうわたしゃ行くのが億劫だから、おまえ行ってきておくれ」ということで、急遽委任状を書いて代理として行ったのである。

公証役場ってもっと大きな建物でりっぱなところかと思っていたら、どこにあるのかわからないくらい地味にあった。ドアを開けると受付の女の人が二人いて、彼女らが事務処理を行なう。その親玉みたいなおじさんがひとりいて、書類のチェックや印紙の管理などをやっている。それに公証人がふたり、パーテーションで区切られたところに座っている。こんな感じのところです。

まず、証書を渡されたのでそのまましまったら、しばらくして「お読みになりましたか?」と聞かれ、そうか読んで内容を確認しろということだったのかと思い、あわてて読む。そのあと、公証人の人のところに行って、署名、捺印をして、公証人のひとが筆でサインして終わりです。

費用は印紙代を含めて5万円強だったが、建設会社の人が請求書くださいと言ったら、請求書は発行しません、ここは現金だけですと言われ唖然とする。結局、その人はお金を会社に取りに行った。

ここでいったい公証人というのはどんなひとなのだろうかという疑問がわく。Wikipediaで調べみた。

公証人は、30年以上の実務経験を有する法律家の中から法務大臣が任命する公務員で、70歳まで勤務することができるため裁判官、検察官および法務省を退職した後に就くことが多い。 国家から俸給を得るのではなく、依頼人から受け取る手数料が収入源の独立採算制である。当然、扱い件数の多い東京や大阪などの大都市では、年収3,000万円を超える公証人も多数存在する。

ということは今日の公証人は元裁判官か?ええー、そんな風にはぜんぜん見えなかったけど。そのひとが印紙に割印を押すように言うのを忘れていたのでこちらで指摘すると、「これは割印がなくても成立するんですよ。ただ確認のために押すんですから」とわけのわからないことをぶつぶつ言っていた。あそうか、そういうことを言うのが法律家なんですね。
 

2008年3月19日

お彼岸

今日はお彼岸に入って3日目で平日でありながら家族が全員揃ったのでばあちゃんを連れてお墓参りにいく。当家のお墓は鎌倉の材木座にある妙長寺という法華経のお寺にあります。お昼ころ車ででかける。比較的近いし、混んでいなかったので20分くらいで着く。

妙長寺は工事中だった庫裏も新装され、ますます立派なお寺に変貌した。以前の寂れた感じの寺から様変わりだ。前の住職ガどうも競輪に溺れて寺のほうにお金を回さなかったようで荒れたままだったのをパージして、新しい住職の下本堂から全部建て替えてきれいにしたのだ。

お参りのあとは、海岸を通ってプリンスホテルで食事しようと車を走らせたが、急遽、坂ノ下のちょっと先にあるパークホテルの「甲羅」というレストランに変更。この店は一度も入った事がないので、とりあえず偵察に寄ったところ、よさそうなので速攻で決める。

店の名前のとおり、かに料理が主体であるが、いろいろなパターンの料理やコースがあって、どれにしようか迷ってしまう。結局わが家は全員”かに釜飯御膳”、ばあちゃんが”桜会席”とかいうようなものを注文。かに好きには満足いくものである。ばあちゃんはおいしいものが少しずつ食べられると喜んでいた。

下の息子が今月末から就職でばあちゃんにそのお祝いももらったのでお返しも兼ねての食事で二人で久しぶりの会話を楽しんでいた。

その後、134号を海を見ながら江ノ島に出て「高清」であじの開きを買って帰ってきた。意外と鎌倉にいてもこういうコースは通らないもので、そういう意味では今日はべたな鎌倉・江ノ島を味わったのである。
 

2008年3月22日

プロフェッショナルの言葉

NHKの番組で「プロフェッショナル 仕事の流儀」というのがある。毎回、これぞプロという人が登場して、その人の仕事のやりかたや考え方を語るのだが、ちょっと前に放送した中で「プロフェッショナルとは?」という質問に答えた言葉で非常に感銘を受けたものがあったのでそれを紹介する。心臓外科医でカテーテル治療の第一人者である延吉正清さんの言葉である。

プロは、難しいことをですね単純にするんですよ。アマチュアは簡単なのを難しくする。うまい人っていうのは、こんな複雑な病変をあっというまに簡単にさーっとと終われるのね。これがプロなんです。

この単純にするということが難しい。難しいからこそ、それができるのがプロであるという。そうなんですね。プロまでいかなくても、会社なんかでも仕事ができる人って単純化するのがうまいですよね。それに比べてできないやつというのはわざわざややっこしくして何をやりたいのか、何をしたいのかがさっぱりわからないということがある。

スポーツでも一流選手というのは難しいことをいとも簡単にやってのける。誰でもできそうにみえるので、まねしてやってみても普通のやつじゃできないということもよくある。

だから、この言葉は身にしみてわかるのだ。

でこの番組に登場した他の人たちの言葉が気になったので調べてみた。そうしたら、みなさんだいたい同じようなことを言っているんですね。少し乱暴だけれど、それらをまとめて言うと、「自分の思ったことに対して、情熱をもって、どんな時でも力を発揮でき、信念と誇りを持続できる人」がプロのようだ。

ただ、そこからちょっと離れたような言葉をはく人もいて、先の延吉正清さんもそうだが、何といってもイチローの言葉が異彩を放っていておもしろい。

ファンを圧倒し、選手を圧倒し、圧倒的な結果を残す、ということです。

こりゃあすご過ぎですよね。“プロの中のプロとは?”という質問の答えみたいにプロでも抜きん出たプロの言葉ですね。まいった!

2008年3月29日

桜満開

今日はいい天気だ。
家の近くは桜の名所なので多くの人出でにぎわっている。
満開の桜が咲き誇っている。
古い木が多いので年々花が少なくなっているような気がする。
ぼくら子供のときはもっとトンネルのように咲いていたと思う。
いよいよ春本番だ。

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2008年3月30日

親父の背中

子供は親父の背中を見て育つという。ぼくも親父の端くれだから自分の背中はどうなっているのだろうかと思う。どうしてこんなことを思ったのかというと、下の息子がこの4月からいよいよ社会人となるからである。

上の息子(うちの社長)はよくわからいうちに社会人になだれ込んだ感があるが、下の子はちゃんと入社式をやって勤め人になるので、ああこれでやっと一人前になるんだというような感慨がある。もうこうなると親の背中なんぞ見ずにいくのか、それともずっと見続けるものなのかなどと考えてしまう。

じゃあ、自分のときはどうだったのかと思い出しているが、あまり意識した記憶がない。ただぼくの親父はただただ一生懸命働いていただけのような気がする。気のきいたことを言うわけでもなく、すごいことをしたわけでもない。むしろ、何事もないように望んでいたようでもある。あの頃はひたすら働くことしかない、そんな時代だったのかもしれない。

翻って、自分のことである。ぼくは、信念みたいなものがあって、こどもには10歳までは背中を見せるのではなく、抱きしめることが大事だと思っている。それこそいつもぎゅっと抱きしめてやるのだ。オマエにはオレがついていてやるぞということを体で示してやるのである。

それが過ぎたら、ほったらかしでいい。何でも好きなようにやれである。それで、もし何かがあっても抱きしめてくれた親がいるから、そこに帰れる安心感がある。だから何も言わなくても自分で何でもやるようになる。これが親父の背中の見せ方のような気がする。

事実、うちの二人の子には中学から全く何も言わなかった。勉強しろとも言わなかったし、どこの高校、大学に行くかも自分で決めてきたし、塾にいくかも本人の判断だった。親からああしろ、こうしろと言われたことがないと言うと、珍しがられるそうだ。

ただ小学生の時は、二人とも3つの習い事をやらせた。3つとは、水泳、ピアノ、習字だ。これは親が強制した。溺れて死なないように、音感を育てる、落ち着いた姿勢と集中力の涵養は必須と考えたからである。少しは役に立っていると思う。それが最後の親の強制力だった。

下の子の面白いエピソードがある。かれは中学生のとき真剣に競馬の騎手になろうとした。ゲームでダビスタにはまって以来、中学生のくせに競馬にのめり込んでいく。そして、競馬場にも何回か通った。もちろんぼくがついていくわけだが、電車のなかで赤鉛筆を耳にはさみ、競馬エイトを読む中学生を想像してみてくください。

競馬場では、彼が予想をしてぼくが馬券を買いにいくという算段で、最初のビギナーズラックでいくらか儲かったが、それからはなかなか当たらないのでピクニックに行くという感じであった。

ある日、マスクに帽子を目深にかぶってきて、「ぼく、ハタチにみえるかな」と言うのである。ひとりで競馬場にいけないかということらしい。これにはたまげたが、だんだん背が伸びるとともに、騎手になる夢もしぼんできた。何とこの子はいま184cmあるんですよ。

でも真剣に騎手になるにはどうしたらいいのかとか、学校は千葉県の白井ということころにあるらしいとか、近眼だとなれないんだとか、ぼくも調べたりした。

つい学校を卒業するということでこんなことを思い出してしまった。この子の目にぼくの背中はどんな風に映っているのだろうか、そして、本人は社会人になるということで、これからは自分の背中にも責任を持たなくてはいけないようになるわけでがんばってほしいと思う。

ところで今はぼく自身としては背中をみせるというより肩を並べるというほうがいいような気がする。そうなんですね、「胸を開いて、背中を見せて、肩を並べる」、これが親父と息子の年代を追ったつき合い方なのではないだろうか。
 

2008年4月10日

久しぶりの新宿

昨日は久しぶりに新宿に出た。今は湘南新宿ラインがあり、とても便利であるが新宿から乗ったことは何回かあるのに降りるのは初めてであった。それで新南口というところに降りたらどこだかさっぱりわからなくなってしまった。高島屋が見えたのでどうにか確認できて目的の京王プラザに行けました。ずいぶんと変わったものだと改めて思う。

新宿に来たのはITR主催の「ITトレンド2008 特別コンファレンス」出席するためだ。この手のセミナー類は会社を辞めてからはほとんど行ったことがなかったが、昨日はITRの内山社長にある人を紹介してくれとお願いをしていたら、コンファレンスにくればと言われて急遽参加した。

ある人というのは、カシオ計算機の矢沢さんで、この人はユーザ企業のCIOの中でも先進的で非常によく考えている方なので一度お話をさせてくださいということをお願いしていた。こんど、ITRで「企業IT力向上研究会」というのを立ち上げるそうで、その会の発起人にもなっている。ぼくもさかんにユーザ企業ががんばらないといけいと言い続けているのでこうした活動をしている人には頭がさがる思いだ。

昨日のカンファレンスでは、内山悟志さんの基調講演「IT投資動向と戦略テーマ」がまずあって、そのあと「リーン思考による「コスト低減」」、「NGN時代の統合コミュニケーション」、「企業情報システムの重要成功要因」の講演があって、最後が「経営に貢献するITのあり方とは」についてのパネルディスカッションであった。

どうも、昨年は少しIT投資が鈍ったようで、ことしも景気がよくないのであまり期待できないようだ。それと、このコンファレンスでもふれているが、日本の会社はまだまだ保守・運用といった守りの投資が多く、戦略的な攻めの投資ができていない。投資額を低減するとなるとそれがたんに戦略的投資の減少になるだけという、なかなかITによる業績向上といったようなことが後手になっている感じが伝わってきた。

内山さんも言っていたがユーザも頑張らなくてはいけないが、それと同時にベンダーにも頑張ってもらうことも大事かもしれない。ぼくはついベンダーの悪口ばかり言うのだが、ユーザーがなかなか自立できない段階では、ある意味ユーザとベンダーは一連托生の関係にならざるをえない面があるのでそう思うのである。
 
懇親会では、久しぶりに旧知のひとと会うことができた。みんなそれぞれえらくなっていて、社長になったひと部長に昇格したひとなどみなそれぞれ活躍しているのを見るとうれしくなる。元部下にも声をかけられる。
 
そのあとまだ早かったので、西口の”しょんべん横丁”へ行って焼き鳥で一杯呑む。おお何年ぶりだろうか。昔もそうだったが隣のおじさんとすぐに打ち解けて、中国や東南アジア話に花が咲き、若いときのことを思い出しながら帰途についたのである。
 

2008年4月11日

花が咲く

春は花がきれいだ
木蓮と海棠の花が咲き出した
珍しく風邪をひいてしまい苦しい
明日はBPMオフ会だけどだいじょうぶかな
今日はこれから病気見舞いのはしごになる
見舞いに行くのはいいが、見舞われるようにはなりたくない
いま逗子に住むいとこが来た
仕事ではないが忙しい一日になりそうだ

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2008年4月12日

神だのみ

昨日、久しぶりに逗子に住むいとこが訪ねてきた。彼からすると叔母にあたるうちのばあちゃんのところにきたのだけれど、一緒に話し込む。もう72歳になるがいまだにバイクを乗り回す元気なおじさんです。ぼくとはけっこう歳が離れているが、こどもの時よく逗子の家に遊びに行って海水浴などに連れて行ってもらった。

それで話はBSフジの「おぢさんの小さな旅」という番組に出演するということから始まった。この番組は竹中直人がカメラを手に歩き回るのだそうで、昨日の放送では逗子、葉山の特集だったようだ。うちではBSが見れないので内容がどんなだったかはわからない。

どんなシーンで出たかというと(といっても本人も実際に見ていないが)、逗子の駅の近くに「亀ヶ岡八幡宮」というのがある。そこに来たのだそうだが、いとこのおじさんはその神社の世話役みたいなことをやっていて、毎朝境内をくまなく掃除したり、正月や例祭、節分のときなどは大活躍しているのだ。それをもう9年間ずっと続けている。たまに新聞なんかに取り上げられたりすることもある。で竹中直人にその神社について聞かれたようだ。

そんな話をしていたら、いとこが突然ガンになったと告白。もう昨年の秋に見つかったそうなのだが、腎臓にガンができているとのこと。え、見たところ何ともないけれど、なぜほっとくのか思ったら、この連休明けに手術して片方の腎臓を除去してしまうそうだ。年寄りは進行が遅いのでそれでもだいじょうぶのようだ。

そうしたら、うちのばあちゃんがあれだけ神様に尽くしているんだから、絶対だいじょうぶだよとなぐさめていた。ところがそのいとこが言うには、おれは神様なんかいやしないと思っているからわからねえよと、あれだけ神社に奉仕しているひとがいう言葉とは思えない言葉が返ってきた。

神様がいないと思うからこそ境内やお堂の中まで掃除したりできるのだという。神様を信じている人は逆に怖くてそんなことはできないらしい。

毎日神社に出ていると、会社に行く前に必ず立ち寄ってお参りをしていく人が何人かいるそうだ。そういうひとを見ているとみな一様に拝む前までは目が釣りあがってすごい形相で来るらしい。挨拶もしないのだそうだ。それが、手を合わせたあとはみなおだやかな顔になり、にこにこ挨拶してくるという。もし、そういうひとにご神体の正体をみせたらえらいことになるというのだ。

なるほど、そういうことかと感心してしまった。神に仕えるものと神を信じるものは違いがあるのだろうか。

2008年4月15日

忙しい1日

昨日は珍しく忙しい一日だった。まあ最近、少しずつ忙しくはなってきてはいたが、昨日は、4件の用事が重なってしまった。とりあえず1件は延期してもらい、残りの3件をこなす。

最初は、午前中ITMediaの取材。元々はうちの社長(息子)へのアポだったのですが、親子で起業していることに興味があるようで、お父さんも取材したいとなった。わざわざ、雨の中鎌倉の家まで来てくれて、ぼくのばあちゃんの家の事務所で話をする。

なぜ、親子で会社を作ったのだとか、親子だと何がいいのかとか、どんなビジネスをやっているのかなどなど聞かれたので、普段思っていることをしゃべった。いつ記事になるのかはっきりしないが出たらまたお知らせします。

それが終わると昼飯も食べずに築地へ。途中、先日のBPMオフ会で会った中でさらに話がしたい方たちに連絡をとる。最近、emobileを買ったので外でも電車の中でもメール、インターネットができるのですごく便利だ。7.2Mbpsのタイプでかなりさくさく動くので快適です。ただ、どこでもというわけにはいかない。昨日も新宿の地下の呑み屋では使えなかった。

築地ではオファーがきそうな案件についての対応策を協議。どうもトップが会社の業務が非効率ではないかと思っているのだが、どこがどう効率を落としているのかがわからないのでどうにかしたい。そんな話から始まったようなのだが、それにはまずは現状業務の棚卸から始まるようで、IT化の段階はもっと先かもしれない。

プロセスの可視化ができていないということなのだが、こういうケースでは可視化するだけでも効果が出そうですね。ただし、プロセスが見えてくるとどうなるかというと、往々にして、省人化につながるので、そうした合理化をちゃんとする意識がないとうやむやになるケースがあるので注意しなくてはいけない。

だって、現場でヒアリングして今の仕事を整理して改善案を出させると言ったって、現場の人は自分が合理化されるかもしれないことをやるわけがない。当然自分がやっていることはかけがいのないことだという。プロセスの可視化といってもこうした泥臭い難しさがあるので、やはりトップダウン的なやり方にならざるを得ないだろう。そんなことを話した。

それが終わるとすぐに新宿へ。約束の時間に少し遅れてしまったが、昔からの付き合いのKさんと面会。Kさんは以前生産計画スケジューラのソフトを売っていて、そのときお会いして以来の付き合いになる。当時ぼくはまだ三重県の四日市にいて、ある生産システムの開発プロジェクトでスケジューラが必要になったので、いいものがないかと検討していた。それで東京までいって話を聞いたというわけです。

で結局そのソフトは買わなかったのだが、そのときにいろいろな対応をしてもらったことでそれ以来時々会って呑むようになった。同じ弁護士の方と付き合いがあっただとか、サッカー好きで、映画好きだとか共通点があるので話がいつもはずむ。この連休中にスペインに行って会員になっているレアルマドリードの試合があるリーガエスパニョーラを見るんだそうだ。わあ、うらやましい。

Kさんは今はPPM(プロジェクト・オートフォリオ・マネージメント)というのを啓蒙している。戦略的にIT投資をすべきであるということなのだが、今の日本ではなかなかそこまでのレベルにいっていないと嘆いていた。ということはまず業務プロセスをきちんと作って、それをコントロールできてはじめてそうした高度な管理に向かっていくのではという話をして、何か今のぼくのやっていることと繋がっていることがわかり、これからも意見交換していこうよとなった。

新宿駅西口の「思い出横丁」のとなりの酒場で昆布焼酎をしこたま呑む。あーあ疲れた。
 

2008年4月17日

Jパワーの株買い増し規制

今日の新聞の記事で注目は、JパワーのCTIによる株買い増しを政府が中止を勧告したというニュースだろう。関税・外国為替等審議会というのが議論していてその結論が今のような中止勧告ということになった。

これを報じた読売と朝日で意見が違っている。こういうときこそ、前に紹介した「あらたにす」というのを見るといい。英字で書くと「allatanys」でこれは、”All at Anys”という意味だとある日経の人が言っていた。それはともかくとして、くらべる社説で読売と朝日の社説を読み比べるとその違いがわかる。

読売の主張:

電力の安定供給確保の上で、妥当な結論だ。
中略
審議会が判断を下す際、問題視したのは、短期的な利益を優先するTCIの姿勢だった。
Jパワーは電力卸最大手で、国内5位の東北電力に匹敵する規模がある。長大な送電線網を持ち、青森県内に原子力発電所を建設する計画も進めている。
20年、30年という長期的な視点での経営が欠かせない公益企業である。ところがTCIは、投資期間として3~5年を想定し、その間に、投資に見合う利益を稼ぎ出す姿勢でいる。
TCIは、取締役を数人受け入れ大幅な増配に踏み切るよう、要求していた。増配の原資確保のため、Jパワーが決めた料金の一部値下げにも反対した。
TCIは最近、原発の建設計画について、新しい提案を出してきた。原発をJパワーから切り離し、事実上、国営化させる内容だ。こうした動きに、審議会が厳しい視線を注いだのも当然だろう。
勧告について、「外資に対し閉鎖的な日本」というイメージが広がる、と懸念する声もある。だが、国益上の懸念が生じる場合、何らかの形で投資を制限するのは国際的な常識だ。
今回は、国益にかかわる企業に対する問題多い投資という、特殊なケースに位置づけられよう。
そうした事情を丁寧に説明し、健全な投資は大歓迎であることを政府は内外に表明すべきだ。

朝日の主張:

前略
たしかに電力は公益事業であり、長期的な経営が必要だ。だが、それを外資規制で守れるとは言えない。
Jパワーは国策会社を民営化し04年に上場した。上場すれば株主は選べないし、上場時には海外からの投資を呼びかけもした。今になってルールの不備が明らかになるとは、民営化計画に欠陥があったことに他ならない。
守るべき「公益」が何かも検討すべきだ。大間を含む政府の核燃料サイクル政策が妥当か、議論が残っている。見直しの余地はないのか。経済産業省に天下り先を守ろうという下心はないのか。そういう疑問にも政府はきちんと答えなければならない。
さらに、もっと大きな「公益」がある。日本を海外へ開かれた国にしていく、という目標である。人口減少時代に突入した日本にとって、外国の優秀な技術や人材、経営を呼び込んでくることは、経済を活気づけるのに欠かせない。それなしに、今後の高齢化社会は乗り切れないだろう。
今回の決定は「日本は資本鎖国だ」という海外でのイメージを増幅するに違いない。その損失の大きさと、外資規制の効果を十分に比較検討したうえで発動したのか、大いに疑問だ。外資を恐れ嫌っていては、長い意味で国益を損なうことになりかねない。
外資規制を発動するなら、同時に、外資へいっそう広く門戸を開いていくというメッセージを強く発しなければならない。政府の責任は重大だ。

さて、どっちなんだと考えてしまう。ぼくはこの問題に関して言えば、朝日の法に分があると思う。池田信夫blogに面白いコメントがある。審議会の部会長の吉野直行氏を痛烈に批判しているので一部紹介する。

そして今回のJパワーの件で吉野氏は、記者会見で「原子力事業は20年から25年の長期にわたって考える必要があるが、(TCIが志向している)3~5年の投資では、長期投資を控え短期的な配当を多くするよう行動する」と断定した。これに対してTCIのジョン・ホー氏は「そんな説明はしていない」と否定し、「それなら株を取引するのを20年間禁止する法律が必要ではないか」と反論した。

吉野氏も経済学者なら、ホー氏のほうが正しいことぐらいわかるだろう。吉野氏のような論理が成立するなら、電力会社の株主はみんな株を20年以上もっていなければならない。それに彼は、TCIの買い増しで「原子力政策に不測の影響が及ぶ」と何を根拠に断定したのか。TCIの目標としている20%では拒否権も行使できないし、ホー氏は「株式を信託して重要な意思決定には関与しない」と約束しているのに。

要するに、吉野氏は経産省があらかじめ決めた結論に合わせて理屈をつけ、北畑次官の「資本鎖国論」を学問的に偽装したのだ。それが御用学者の処世術というものだろう。

これまた手厳しい。ほんと、いまの経済産業省の行きかたはやはり鎖国的な方向であると言わざるを得ないと思う。そんなことをやっていればどんどん世界から取り残されてしまう。取り残されてしまった日本の中で生きていきたいと思っているのだろうか。

そして、もっと単純なこととして朝日も言っているように、上場しておいて株を買い増ししてはいけませんよとよく言えるなあということである。読売の言う「健全な投資は大歓迎である」ということだが、この健全な投資って何よと思う。株式市場で健全も不健全もないんじゃないの。あるのは経済合理性だけなのじゃないのかなあ。
 

 

2008年4月22日

たけのこのこのこ

きのう元の会社のデジカメ同好会の面々と呑む。ぼくがいた頃はそんな会はなかった。ぼくがデジカメに興味があるというわけではなく、いま四日市に行ってしまった人がたまたま東京に出てきたので合流させてもらったというわけである。

写真談義にはついていけなかったが、行きつけの飲み屋のおねえちゃんの肘を題材にエロい写真をとって楽しんでいるのにはもちろん参加する。いやいやこんなことばかりしているのではなく、ちゃんとまじめな写真もとっているようです。

そんなこともあって、今朝家の庭で筍が生えているのを発見したのでデジカメでぱちり。去年も同じ時期に写真を撮っていた。毎年、筍の数が減っているように思うのだが、気のせいかもしれない。

さあ、これからたけのこごはんの季節ですね。
 
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2008年4月24日

新入社員のとき

下の息子が今年就職して、ちょっと前に配属部署と勤務地が決まった。営業志望だったので本人はてっきり地方勤務となり、一人暮らしでテニスやゴルフを楽しむ情景が頭に刷り込まれつつあったようで、東京勤務を言いわたされたときは、うれしくもあり、残念でもあったようだ。

ぼくの新入社員時代を思い出している。ぼくが会社に入ったのが昭和47年だから36年前ということになる。おおー、もうそんなに経つのかと驚いてしまう。あまり景気がいい時代ではなかった。ぼくが入ったのは従業員500人くらいの小さな会社だったが、会社ができたばかりだったのでプロパー社員も皆若かった。それだけ、この会社を大きくしてやろうという意気込みは強かったようだ。

ぼくは、技術系だったので短期間の研修を終えるとすぐに工場に配属になった。いきなりその年に新しくできたばかりの化学プラントのシフト勤務になったのである。プラントは1年間止めないのでもちろんオペレーションは昼夜、盆正月関係無しに行う。

当時は人も少なく3班2交替という勤務形態だ。この勤務形態では、1直というのが朝7時半から夜の7時半までの12時間勤務である。2直というのがその裏番で夜の7時半から朝の7時半までの12時間の夜勤である。残りの班が明け、公休という休みになっている。明けというのは夜勤を終えて朝帰ってからその日が休みということである。これが2日続くと次のシフトに変わっていき、それを繰り返すのである。

これは正直きついですよ。1直の勤務時間が長いこともあるが、生活のリズムを保つのが大変なのだ。いつもかるい時差ぼけみたいなのだ。たとえば、明けの時帰ってすぐ寝るのか、我慢するのかでけっこう悩んだりする。

そんな生活を会社に入ってすぐに経験した。そのかわり交替勤務手当てや休日出勤手当てやらでかなりの給料を手にしてびっくりした。さすがに3班2交替はきつかったので半年ぐらいで4班3交替に移行した。それで、ぼくはその交替勤務を2年半もやったがこれはずいぶんといい経験になった。

大学出たての若造がベテランのオペレータにまじって操作するんだから、やってるほうも使っているほうも気が気ではなかった。じゃあ、手取り足取り教えてくれればいいのにまず教えてくれない。こちらも意地があるから聞かないで盗もうとする。そんなやり取りで学んでいく。みんなそうしていた時代だった。

ちょうど今週放送の「プロフェッショナル仕事の流儀」でそんな光景を見た。洋上加工船工場長ファクトリーマネージャーの吉田憲一さんという方が出ていたが、この人は30歳で船上での事故で右手を失ってしまうが、いまでも加工船に年間200日も乗り込みスケソーダラの船上加工を指揮している。この人がいみじくも言っていたのは、「教えない」ということだった。部下にあれこれ指示するのではなく考えさせることだという。

まだ、こういう世界があったのだと感心してみていた。ただ、その工場は日本人はその吉田さんだけで後は外国人ばかりなので昔の日本に似ているのかもしれない。上昇志向の強い若者たちだからである。

ぼくらの入社したての頃はこうした状況に似ていて上のひとは教えてくれないから自分で努力しないといけなかった。だから、最初のころは技術習得に時間がすごくかかるのでさっと教えてくれればいいのにと思ったものだが、苦労して覚えるとそれは確固としたものになる。

それと何より、現場ではひとりのミスが事故につながることがあるので、そこではチームワークや信頼感が大事になる。それを身にしみてわかるようになる。同じ釜の飯を食った感覚とでも言うのだろうか。

こうした学び取る姿勢と現場感はそれからの仕事にずいぶんと役に立った。今の会社でこういう経験はなかなか味わえないが、これはあとから得られるものではないので、意識して若いときに少しでも経験しておくのもいいことだと思う。
 

2008年4月26日

武田邦彦さんをみつけた

昨日の晩はなぜか遅くなってしまって、寝る時の睡眠薬みたいに見ているテレビをつけたらTBSでR30という番組をやっていた。国分太一と井ノ原快彦が司会をしていて、そこに環境問題の革命児として中部大学教授の武田邦彦さんが出演していた。ぼくは前からこの人に注目していてこのブログでもふれたこともあるが、テレビで見るのは初めてである。

この番組でもいつもと同じように環境問題について鋭く世間の常識を覆す発言を繰り返していた。ついつい見入っていまった。

温暖化の問題では、南極の氷が減っていくのはウソだと言う。逆に温暖化すると雪が増えて氷が増える。溶けている映像がよく出るがそれははじっこだけで、真ん中はいつも雪が降っているのだそうだ。北極の問題についてもアルキメデスの原理を持ち出して、氷が溶けても海面は上昇しないと指摘。

また森林のCO2の問題でも、森林はCO2を減らさない。というのは木はCO2を吸っても死んでしまったらそれを吐き出すわけだからCO2を減らすわけではないというのだ。

さらに、京都議定書のことだとか、ペットボトルのリサイクルについて言及していて、なるほどなあと思うことを連発する。いつものようにリサイクルは環境にやさしくないという話なんてみな驚くがおそらく武田さんの方が論理的なのである。

ところが、少し訂正しておかなくてはいけないことがある。レジ袋のことである。例によってエコバックなんか持つよりレジ袋を使った方がいいと言っているが、その理由のひとつが、レジ袋の原料がどうせ捨てられるものなのだから捨てるより使った方がいいという主張であるが、それはちょっと言い過ぎで、確かにそういうところもあったがちょっと違う。

レジ袋の原料はポリエチレンであるが、それは石油化学の原料であるナフサ(ガソリンのようなもの)というものを熱分解してできるエチレンを重合して作られる。

でここからが専門的で難しいのだが、日本の石油化学の特徴は原料にナフサというものを使っていることにある。この原料を使うと様々な成分が分解生成物として出てくる、これらをバランスよく使うことを求められるのであるが、それができないと極端な話、捨てることになる。しかし、そんなことをするとコスト高になるので何かの製品に転化するわけである。

武田教授はそこを言っているのだが、ちょっと違うのはレジ袋の元になるエチレンは“目的生産物”であるからである。だから、基本的に製造者は消費に合わせて生産する行動をとる。”目的生産物”は余ったものではないのだ。

こうした石油化学は規模の経済学が支配的だから、生産量を確保して全体のコストダウンを図るためにほとんど値段のないようなレジ袋を生産し続けているのである。

どうもわかりずらそうなのでこの話はここまでにしておきますが、やはり専門家の客観的な意見が必要であることを言いたいのである。

ただ、今の環境問題に対する議論は感情論、心情論が強く、そして政官にしてもリサイクル法などの一面的な統制経済で環境問題に対処したがるが、もうすこし経済合理性あるいはマクロ的な視点で考えていくことも必要だといつも思う。

おそらく、環境問題はそうした合理的、科学的な判断というより、イデオロギーや極論すると宗教みたいな話だから、いくら合理的、科学的な根拠を示しても、納得できない限り永遠に変わらないのかもしれない。
 

2008年4月27日

悲報

3日前に元部下だったA君が死んだ。まだ40代の働き盛りだ。

彼はぼくが東京の情報システム部のとき、四日市から転籍してきたので、7年くらい一緒に仕事をした仲間だ。ぼくが会社を辞めても毎年写真を貼った年賀状をくれる。

たまに酒を飲んだことがあったが、そのとき印象的だったのは何も食べずに酒だけ飲んでいたことだ。そんととき身体に悪いから何でもいいから食べなきゃだめだぞと言った記憶がある。それだけが原因でもないだろうがだいぶ身体を痛めつけたのではないだろうか。

なんともやるせない気分だ。

それも、路上で倒れているところを発見されたという。それを聞いたときどうしてもっと早く大きな病院へ行って診てもらわなかったのだと思うが、そんなことを言ってももう遅い。一人暮らしだから、周りでやいやい言う人がいなかったし、わりと頑固なところがあったのでこんなことになってしまった。

今は少しばかり落ち込んでいる。ただただご冥福を祈る。
 

2008年4月29日

草刈り

今日は、いい天気なので恒例の草刈り第一弾。毎年いまごろになると庭に雑草が生えてくる。山の中にある家なのでしょうがない。

でもぼくの家だけでなくばあちゃんの家の庭もやらなくてはいけないのでひと苦労だ。さらに門の外もほんとうは市がやらなくてはいけないが、真夏に1回だけくるだけだからほっておくと草ぼうぼうになる。これを全部やると相当な重労働である。

そこで、どうやったら楽にできるかを考えなくてはいけない。今日は電気バリカンと滑車のついた座る箱を用意、すわりながら2時間くらいでばあちゃんのうちの庭だけ刈る。

何回かいろいろな道具を試してみた。植木ばさみ、かま、円盤式やらナイロン糸式の草刈り機、芝刈り機などなど、だが今のが一番よさそうだ。結局、仕事をするのに道具って大事ですよね。

ああ、刈った後は気持ちがいい。でも、人間の髪の毛と一緒でまた1ヶ月か1ヶ月半で伸びてくるから散髪しなくてはいけないのだ。
 
刈る前です。タンポポをじはじめいろいろな雑草が生えています。

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刈った後です。

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ああ、疲れた。

2008年5月 4日

PC-8001

ITmediaの記事に物置がサーバールームになっているという写真がでていたが、正確に言うと物置ではなく納戸に(まあ同じようなものか)、段ボールに入ったがらくたと一緒にマシンが置いてある。前々からこれらがらくたを整理してもう少しスペースを持たせないといけないと社長と話していた。

そこで昨日ぼくの担当のところを片付けていたら、突然ぼくの携帯が鳴った。社長から実印どこにあるという電話ではなく(笑)、サーバーが止まっているけど見てくれるという。社長は土曜日はいつも横浜で作業をしているので止まったのがわかったらしい。

それで言われるとおりディスプレーをつなぎ直して、回線を調べたりしたら、何と電源が外れていた。ぼくが蹴飛ばしたらしい。それくらい入り乱れていたのだ。

そんなわけで気を付けながら段ボール箱の整理をした。そうしたら、中から出てきたのがアルバムやらレコードやらで、しばし懐かしみながらの作業となりぜんぜんはかどらなかった。なかでも驚いたのはだいぶ昔に使っていたNECのPC-8001というPCがでてきたことで、とっくに捨てていたと思っていたのが出てきたのである。

ということで少しこのPC-8001にまつわる昔話を。確かこのPCを買ったのはうちの社長がまだ生まれたばかりの頃で、あやしながらこのPCを使っていた。PC-8001というのはぼくらのような年寄りはよく知っているのだが、その頃のベストセラー機でもうNECが独占的だってですね。

CPUが4MHzメモリーが16Kだったかな、そんなものでした。キーボートと本体が一体となっていて、カセットテープのデータレコーダがついている。それで価格が20万円近くしたはずで、そのときの給料からいうとかなり高価であった。この値段は今も変わってないのですが、容量、能力は格段に違う。

でなぜこんな高いものを買ったのか、これを使って何をしたのか。当時ぼくは化学プラントのエンジニアだったのですが、プラントの管理というのは、生成された製品構成の最適化と使用エネルギー原単位のミニマム化になるわけです。そのためには投入された原料の組成に合わせて運転条件を変えていくわけですが、その条件を設定するためにシミュレーションモデルが必要になる。そのモデルを作るのに使ったのです。

膨大な運転実績を多変量解析で分析し、モデル式のパラメータを決めていくのです。これはコンピュータがないと大変な作業となるのでコンピュータが使えてこそできたことなのだ。ただ、まだソフトウエアが少ないときだったので重回帰分析のプログラムなんかは本から写して動かした。

そうなんです、ぼくらはPCというのはあくまで計算機なのだ。それが今日のようにコミュニケーションの道具になるとは思ってもみなかった。

PCはAT互換機そしてWindowsが登場し、インターネットが普及していまのようになっていくが、NECのPCは8800、9800シリーズと続きやがて消えていった。

まあ、そんなわけでアルバムといい古いPCといい、片付けるどころかはるか遠い過去の情景に浸ってしまったのである。
 
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2008年5月 7日

テレビの衰退

以前、テレビの劣化というタイトルで記事を書いたことがあるが、そのときは、週刊誌の見出しに見つけた、一発芸人使い回しとかドラマの原作は漫画ばかり、「ワイドショー」の新聞棒読みをやめろとかを指摘した。そして、ぼくは今年から一部の番組を除いて極力テレビを見ないことにしている。

そうしたら、どうも最近は若者のテレビ離れも顕著になってきたらしい。そのため、スポンサーが集まらなくなってきたという。確かに高い視聴率の番組が減っているようだ。

これは、ひとえに番組の質の低下に尽きるのだろうが、そのへんのことがちょっと前の痛いニュースに出ていた。普段はこの手の記事は読まないのだが、ぼくが前から言っていたことと同じことを皆さんコメントしていたのでつい書きたくなった。

もちろんネットを普段使っているひとたちのコメントだから、テレビに否定的なのはわかるが、でも言っていることをよくみるとけっこう冷静に見ていることがわかる。

結局、彼らが言っていることを整理すると

・番組自体が面白くない。芸能人がクイズに答えたり、飯食ったり、カラオケ歌ってんのを見てどこが面白いんだ。NHKとテレビ東京ぐらいしか見るものはない。(ぼくも同じことを言ったことがある)
・テレビは一方的に電波流すだけで、それに見るほうでなぜ合わせなくてはいけないんだ。勝手にCMは流すしじゃまでしょうがない。
・どうせ時間を使うのだったら能動的に見たいよね。
・最新の情報は2ちゃんが最速だしドラマやアニメはようつべとニコ動で事足りる。

てな具合で若者はどんどんテレビから離れていってしまうのだ。ここでの問題は、一方通行の情報をプッシュしているだけのテレビの存在価値が縮小していくことなのだが、ある意味当然である。だって、双方向のコミュニケーションとオンデマンドになっているネットのよさをみんなが知ってしまったからである。

だから、テレビもそうした要求に答えることをしていかないと本当に衰退していくだろう。

2008年5月25日

骨が折れた

大変だったということではない。本当に骨が折れた、いや折れていたのだ。

昨日、あることで近くの医者に行ったのだが、念のために胸のレントゲンを撮っておきましょうということになり、1月の市の定期健診以来のレントゲンを撮った。

そうしたら、それを診た先生が「あれえ~、骨が折れてますよ、ほら」。ぼくもびっくりしてみると明らかに肋骨が折れていた。素人目にもはっきり折れてくっついているのがわかる。

「何かありましたか?」と先生。そうだ去年の3月21日に池袋であった柳家小里ん師匠の独演会の帰りに終電のモノレールに乗ろうと急いだため改札口手前で思いっきりこけたのである。その時しこたま脇腹を打ってしばらくの間、寝返りも打てなかったことを思い出した。(このことがこのブログに書いてあったので日付がわかるのだ)

おお、そのとき折れていたのだ。痛いはずだ。でも病院にもいかず、そのままくっついちゃったみたいだ。よくスポーツ選手なんか特に肋骨なんかしょっちゅう折れるがそれでも平気だというようなことを言っていたが、まさにそのとおりである。

しかし、よく考えてみると今年の一月にやった健康診断でも同じ胸のレントゲンを撮っているのに何にも言われなかったということはどういうことなのだ?
 

2008年5月30日

変な表現

巷で変な表現を見かけることがある。
一見すると何でもないように思えるのだが、よくよく考えるとちょっと変だというものである。


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たくさん品物があるのならいいが、決め打ち物件に対して、”好評販売中”というのもおかしいですよね。 
 


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通報されるから吸うなではなく、火事になるから吸うなじゃないのか。 
 

2008年5月31日

金雲富士

この季節になると富士山を見ることができなくなる。そんなわけで、今は毎日、絵に描かれた富士山を眺めている。

先日、日本画家の坂本武典さんからいただいた「金雲富士」である。表題のように金色の雲のなかにそびえる富士山を描いたものである。坂本画伯は熱海在住なので富士山の絵が多く、みなそれぞれ素晴らしいものです。

この絵は、坂本画伯のホームページをうちで制作して運用しているのでその御礼でいただいたものである。

仕事の手をちょっとやすめてながめているとほっとします。それよりなにより夜でも富士山が見られるというのもいいものです。

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2008年6月 5日

だんかい3兄弟

だんご3兄弟ならぬだんかい3兄弟の誕生です。昨日大井町のある居酒屋でホッピーを呑みながら兄弟の盃を交わしたのであります。

これは冗談ではなくほんとの話で、サプライチェーンカウンシル(SCC)日本支部のWさん、日本BPM協会のUさんとぼくの三人で結成です。三人がほとんど同い年だそうで、団塊のおじさんです。

ことの発端は、wさんが日本BPM協会のセミナーに参加されて、その席でUさんと意気投合。というのもWさんが、業務プロセスのテンプレートを一杯作ったということで、BPM協会でもそうしたテンプレートを集めようとしていたので、ぴったし合ったというわけである。

こういう出会いも面白いのだが、決して偶然ではないとぼくは思っている。前にも紹介したが、”Chance Favors the Prepared Mind”ということで、思いや願いを強くもてばおのずとそこに人はやってくるのだ。その希求するものが共感を呼ぶものであるという前提はつくが。そんものはやってみなくてはわからないからとりあえず願ってみることだと思う。

そんな必然のもとWさんがやってきた。トップダウンアプローチの業務プロセス設計である。SCCではSCOR(Supply Chain Operation Reference model)を提示していて、それの第一人者である。このあたりの話はまたゆっくりするが、wさんがすごいのは、SCORのモデルをベースに400以上以上のモデルを作り上げたことである。

SCORというモデルはレベル3では共通のものが提供されているが、それ以下は勝手にやりなさいみたいなところがあって、そこから独自性、あるいは固有性が要求されるのだがそれを分解、展開してしまったのである。ところがそれをT化するところで立ち止まったのである。

そこでだ、そのW式のテンプレートをぼくのKailas式で実装イメージに落としたのであるこれを昨日お二人にみせたのだ。

これでW氏とU氏がおそらくもやもやが解消したのではないかと自負している。このことについての話はもっといろいろなことを含めてつぎにちゃんと書く。

そんなわけで、この3兄弟が暴れるかもしれない。というわけでちょっと古いトリオかもしれないが面白いことが始まるかもしれない。
 
 

   

2008年6月 7日

老化現象

先週から左の眼に何か飛んでいるように見える。最初、ごみがついていると思って振り払ってもなお取れなかったのでおかしいなと思っていたら、そういうことであった。

これは何か悪い病気かと心配になり、昨日近くの眼科に行った。そこで瞳孔を開いて検査をしたら、先生に開口一番、「こりゃ老化現象です。病気じゃありません」と言われてしまった。

どうも眼球の壁みたいなのが緩んでしまっているようなのだ。これは直しようがなくて、気にならないようにするか、どこか別の見えない場所に移動するのを待つしかないのだそうだ。

おおこれは喜んでいいのか、悲しんでいいのかわからなくなってきた。

2008年6月 8日

あれやこれや

ここ数日あれやこれやで忙しい。

先週木曜日に伯母さんが亡くなって、金曜日に弔いに行ってきた。土曜日は、嫁さんのおふくろさんが腰の骨を折って入院しているのでそこに見舞いに行った。

また、その日は下の息子が今月から川崎の会社の寮に入ったのだが、生活必需品が足りないといって、家に帰ってきてその荷物を運ぶの手伝ってあげた。川崎まで車で一緒に行って、帰りに車をぼくが運転してきたのである。これが久しぶりの晴れの土曜日のせいか混んでいて大変疲れた。

今日はこれから伯母さんのお通夜で、明日が告別式である。木曜日に亡くなって日曜日にお通夜なので、あいだがすごく開いている。土曜日は友引なのでちょうどひっかかるのでこんな日程になってしまったようだ。

伯母さんは享年94歳で誤嚥による呼吸不全で亡くなった。前日まで元気でご飯もちゃんと食べ、風呂にも入ったのだという。だから、苦しんだわけでもないので大往生というところだ。

この歳になると病気とか死が身近になるのを実感している。
 

2008年6月10日

精進落とし

昨日は94歳で亡くなった伯母さんの葬儀に行く。

もう94歳だからお祝いみたいなもので、こういう葬式は厭なものではない。本家の伯母さんなので親戚がいっぱいきて久しぶりに会うひとばかりだ。昔は兄弟姉妹が多いので伯母さんやいとことかはとことが多い。ただし、伯父さんはいなかった。いとこの子どもに娘さんが多く、したがって、3/4ぐらいが女である。

そんなことで、言うセリフが「こんなとこばかりでお会いしますね」。

いまは結婚式で親戚を呼ぶことが少なくなったせいで、葬式の時に自分の親戚の姿を確認しておくのもいいものかもしれない。

昨日は、葬儀が大船で火葬場が小坪で納骨が腰越という鎌倉めぐりだったが、途中134線の渋滞のおかげで精進落としを失礼して、東京に仕事に行った。その後東京で個人的な精進落としをしたのである。
 

2008年6月14日

なつかしい面々

なんと35年ぶりに会う。大学の時のサッカー部の1年後輩たちと新宿で呑んだ。

出席したのがぼくを入れて7人で、帰り際に出張から帰ったやつがひとり参加した。その中の一人とは最近会っていたが、他の連中は卒業以来に近い。

みな一様にふけているが、すぐに学生時代の顔が浮かんでくる。まあ、頭が薄くなったヤツもいるが、昔のまま変わらないやつもいて、しばらくあの若かったときに帰ったのである。

先日、サッカー部50年史を作ろうという話が持ち上がり、その名簿の作成やらして連絡を取り合っているうちに会おうとなったのである。その名簿だが、だいたいが残っているのには驚いた。だからそれを確認しながら整理している。8割がたは消息はつかめるが、2割ぐらいはわからないのではないだろうか。

話は、昔の強かったということや各人のプレーぶり、ケガしたことなど、ああそんなこともあったよなと懐かしかった。

さすが、あの時代のことだったので学生運動の話にもなる。ぼくらの部室が革マル派のアジトの近くだったので、内ゲバに巻き込まれそうになったり、鉄パイプを持ったやつと対峙したとかの話になる。また学校がロックアウトされしばらく登校できなかったことも経験した、ぼくらはそんな世代であった。

あっという間に時間がたち、ぼくたちがいたころと全く様変わりした新宿の雑踏を抜けて帰還した。この秋に逆にぼくらのひとつ上の世代を含めた”強かったころの3世代”の集まりをすることにした。
 

巨大ミミズ

ばあちゃんの家の庭の草取りをしていたら、巨大なミミズが出現。
思わずのけぞったが、悠然と逃げていく姿にしばし見とれる。

草取りを始めるときムカデに遭遇して、これはつぶしておいたが、ミミズをつぶすのはしのびないので眺めるだけなのだ。

さて、終わってつぶしたはずのムカデが消えてる。ああまた生き返ったか。みなさんムカデの生命力ってすごいのを知っていますか。殺したと思ってもいつの間にか生き返っているということがしばしばあります。自然界にはいろんな動物がいるんですね。

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2008年6月23日

ついに始まった

うちは山の中にあるので、この時期になるといろいろな虫が現れる。

昨日は、ばあちゃんが前の晩にムカデにかまれたらしく、足の指が赤くはれていた。夜寝ているとき何かが這っているようで振り払ったのにまたやってきてチクッっと痛かったというのだ。そのため、一晩中寝られなかったとぼくの事務所にやってきてぼやいていた。

ひょっとするとムカデかもしれないといって、部屋を掃除してあげようとしたら、いたのだ。小ぶりのムカデだが、畳の上を這っていた。ムカデを捕まえる最良手段はガムテープでこれで貼り付けて終わりだ。

ところが今朝ばあちゃんがまたきて、まだ腫れたままだから医者にいくと言い出した。さて、どこへいけばいいのかと思ったら、どうもみなさん皮膚科にいくらしい。先生がこのへんはムカデが多いからとか言って塗り薬をくれたようで、それで一安心していた。

そうなんです、いよいよこれから毎年恒例の虫との闘いが始まる。
 

2008年6月30日

からだを動かさなくっちゃ

ここ2週間くらいプールに行けないでいた。いや、2週とも日曜日に行ったのだが駐車が満車で入れなかった。昨日もいっぱいであきらめて戻ってきた。雨の日は特に行楽地に出かけられないのでプールで過ごす家族も多いのである。

もうこうなるとからだが淀んでくる感じで気持ち悪かったので今日の午前中に行ってきた。ところが今日もほぼ駐車場がいっぱいでけっこう込んでいた。ほとんどがお年寄りでぼくなんか若い方だ。

まずはサウナのような採暖室で汗をかいて、あとは1時間くらい泳いでジャグジーでからだをほぐす。ああ、気持ちよかった。やっぱ、からだを動かさないとなまってしまうようだ。それに何よりも気分がいい。

これからBPMオフ会なのだが、そのためにのどを乾かしたわけではないので誤解なきよう。
 

2008年7月 6日

忙しい!

7月に入りかなり忙しくなった。できるだけ休みを取るようにしているのだがなかなか休めなくなった。

雑誌に載せる原稿を書かなくてはいけない。セミナーの資料を作る。コンサルの提案と解析が2件。プライベートでは、大学のサッカー部の50年記念誌発行の会議、サッカー部同期との呑み会のセット、そして1年先輩との呑み会。呑み歩き隊の例会。さらに法事。これらをこの2週間で片付けなくてはいけない。おお、もうちょっとのんびりしたい。

そんな折、今日は、ばあちゃんの87歳の誕生日。何かお祝いをしようかと言ったら、もうそんなに欲しいものはないからいいよと言って、来年米寿だからそのときには盛大に祝ってくれという。もしそれまで生きていたらといって笑っていた。まだまだ元気だからだいじょうぶだろう。

外をみたら七夕の飾りが出ていた。ばあちゃんが裏から竹をとってきて願い事を書いた短冊をぶらせげたらしい。人間って歳をとるとだんだんこどもに還っていくのですね。短冊に長生きできますようにと書いてあったのは言うまでもない。
 
明日はまた、ぼくが尊敬してやまない作家の永井明の命日がやってくる。
 

2008年7月 7日

リスクとは

以前自分でコントロールできないことはリスクであると言ったが、逆もあるのかと思う。すなわち、自分でコントロールしない、誰かにコントロールされることが、そうでないことよりリスクが少ないと感じる人がいるのではないだろうか。たとえばお役所に勤める人とか、大企業の人たちにいるような気がする。

リスクを冒してでも何かすることをとるのか、それとも何かすることはリスクがあるので何もしないことをとるかでずいぶんと生き方が変わってくると思う。

ぼくは単純に何もしないことは退屈で面白くもなんともないと思うたちなので、前者のように多少リスクがあっても自分でコントロールしたいという気持ちが強い。

だからといって、みんながみんなそうしろとは言うつもりはない。だから、うまく棲み分けることと文句をいわないことですね。コントロールされる側にいるのに規制するなと文句を言う。自分の好きなようにコントロールしてくれ、いい上司の下で仕事がしたいなど言うなということである。

どこがその差を生んでいるのだろうかと考えてみる。それは、「クリエータとして生き続けるか、あきらめるか」だとぼくは思う。自分でコントロールすることができなければクリエータであることはできない。そして、それは新しいこと、人と違ったことをやるのだから当然リスクが伴う。

クリエータというのは文字通り何かを創造している人で、それが物理的なものなくても、経営でもいいし、考え方だとか、生活スタイルでもいい、常にささいなことでもいいから、自らの頭で考え、実行していくことが大切ではないでしょうか。それを続けられるのがクリエータであると思う。

ぼくは今年還暦なので、周りにはもうクリエータを降りてしまっているひとが多いと思うが、やめるつもりはない。

広い世にはぼくと同じような人もいて、いま新ITによる業務プロセス構築のための体系作りをしているが、その仲間は59~63歳の人たちなのである。このひとたちの活躍をみているとぼくなんかまだまだ修業が足らんと思ってしまう。

ということで、この歳になってもまだまだクリエータで居続けることで自分でコントロールできるようにしてリスクを回避していきたいと思うのである。
 

2008年7月 8日

もういいかげんにして

環境問題はセンシティブだから言わないことにしているが、サミットの話題でもあるので、メディアでも大きく採り上げられていて、ちょっと前にもテレビ朝日で地球温暖化の特集をやっていた。ぼくはテレビをほとんど見ないので断片的に、というか最後の某キャスターのわめきを聞いただけなのだが、かなりの違和感を持った。

武田邦彦さんがNHKにかみつくほど熱くはならないがやっぱり何か言いたくなる。なぜあんなに目くじらをたてられるのかなのだ。

基本的に温暖化が悪いことだと思っていないこともあるし、そうでしょ、単純に言っても寒冷化よりましでしょう。温暖化になったほうが農作物がいっぱいとれるんじゃないのと思ってしまう。

それと違和感の一番のところは、みんなでCO2の排出量を減らしましょうよと言ったすぐあとに車のコマーシャルが流れる。さまざまな商品のCMが買え買えと大合唱する。大量消費こそぼくらに幸せを提供すると叫んでいるように聞こえてくる。

いやあ、ハイブリッド車です、省エネタイプのエアコンですっておかしくないですか。一番のCO2削減策は車に乗らないこと、エアコンより団扇であるはずですよね。

それに今の喫緊の問題は地球温暖化でもなんでもなくて、貧困や食料危機なのである。だから、もっと謙虚になれっていうこと、他人に強制することでもなく、もっと慎ましやかにやればいいじゃんといつも思うのである。
 

2008年7月 9日

40年ぶり

大学のサッカー部の同期4人と渋谷で呑む。そのうち一人は何と40年ぶりである。もう一人もそれに近い年数が空いている。

同期は、ほんとうにすぐにやめたヤツを除くと15人いる。そのうちの2人が亡くなっている。一人は若いときにイラクかイランだったか仕事で中東にいたとき車の事故で死んだ。

もう一人は6年前に多発性骨髄腫で亡くなってしまった。その6年前に死んだヤツの葬式の帰りから、同期会がスタートした。毎年そいつの命日近くに皆集まって呑むのだ。だがそのときに連絡がついたのは8人で、そのあと東京に転勤になったやつが加わって9人になった。

ところが、ひと月ほどまえから、サッカー部50年誌をつくろうという声があがり、各年代で名簿をそろえることになった。ぼくはその名簿委員になったこともあって、消息が途絶えていたやつを必死に探したのだ。何とか残りの4人のうち3人までを探し当てたのである。

そして昨日はそのうちの一人がたまたま仕事で広島から上京してくるというので空いているヤツを誘って会ったのである。この広島から来たヤツはいまだにサッカーを続けていて何と広島県サッカー協会の理事をやっていた。

最初に見たときは、いったいこいつは誰だと思ったのだが、それもすぐに学生時代の面影とダブリながら。おおあのときのやつだとなる。40年の歳月がいっきに隔たりを亡くした瞬間である。

それからは、あのころの話で大いに盛り上がったのである。ぼくらは全共闘時代の子だから、学校でろくに授業がなかったので、学校に行かないでバイトと仕送りで優雅な生活をしてたなんて話になる。まあ、新規参入組の二人はともに留年しているのであまり勉強の話はしない。

いまや、ぼくらは定年か定年をまじかに控えているせいか、ギラギラ感が失せ、ひとのいいおっさんになっているようだ。

いよいよこれからは名刺の関係性から違ったお友達との交流が始まっていくのだろう。

2008年7月12日

街場の小経済学

このあいだいつも行っていた居酒屋にもう行くのはまずい状況をつくってしまった。

というのは、ぼくは閉店まじかまで飲むことが多いが、そうしたとき決まってまだ閉店ではないのに厨房のあと片付けを始めるのだ。それも、静かにやればいいのにガチャガチャ音はさせるわ、バイトの子同士で大声で話すのである。まるで早く帰れよと言わんばかりである。

こういうことが何回かあったので、ついにこの間はキレてしまい。店のひとにやめてくれんか、まだ時間内なのだから気持ちよく呑ませてよと言ってしまった。そのあと何となく気分が悪くなって、そそくさと帰っていった。

そして、少し頭が冷えてみて考えたら、そんなところで腹を立ててもしょうがないなと思ったのである。クレームをつけていいことあったのだろうか。なんかむなしくなってきた。

だって、“市場原理”ってやつがちゃんと始末をつけてくれるはずなのだ。

飲食店に限らず、ある店で客のあしらいが悪いとか、あたまにくることがあったりすると、それに対して怒ってもしょうがないのだ。だって、それがいやならその店に行かなきゃいいだけのこと。

ところが世の中ぼくみたいな正義の味方がいっぱいいて、それじゃだめだとか、従業員教育がなっていないだとか、営業方針はどうだとか、批判し出す。でもそれって変ですよね。別にそんなところに教育的指導をしてもしょうがない。いやだったらいかなきゃいい。

そしてお客がいかなくなった店はつぶれるだけで、そのつぶれたあとに、その学習効果を持った店が現れるかどうか別問題として違う店が登場する。そういうサイクルで結局そこに定着する店ができたりする。これは紛れもない事実であり落ち着く先である。

どうもそういうことのようだ。この論をおかみに適用してみると、ああじゃねえこうじゃねえと教育的指導をしたがるのがお役所というものだ。

少し飛躍があるかもしれないが、サービスが悪かったらお客さんが来なくなって店がつぶれるから、つぶれないようにサービス向上に努めるというインセンティブがあれば、ほっておけばいいだけだ。

どうも、おかみがやっていることでそういうものがけっこうあるよう気がして、それは市場原理にまかせれば小さな政府ができると思うのだが。
 

2008年7月13日

50周年

ぼくが大学時代に所属していたサッカー部がもうすぐ50周年を迎える。だが、50周年というからには、いつから数えて50年なのかが問題になる。

ことしのOB戦に集まった超超々OBの人からそろそろ50年になるのではという話から始まったらしい。それで創部当時の人たちに集まってもらい、当時の話や資料から創部を1961年6月28日となったそうだ。だから3年後の2011年6月28日が50周年記念日となるのである。

というわけでそれに向かって50周年記念行事や正式なOB会の発足などが計画され、まずは幹事になるような人を集めた会合が昨日あったのでかけた。全部で19人のメンバーが出席。上は昭和41年卒の先輩で下は現役の学生という構成。先輩連中が多くぼくでも11番目である。ほとんどの人が何十年ぶりという出会いで、もちろんだいぶ上の人や若い連中は初対面となる。

母校のラウンジで昼食をとりながら会議を行なって、そのあと軽く呑みながら懇親会を行なったが、このときに古い写真を見ながら、あれはだれだとか、これは俺だとかすごく盛り上がる。しかし、古いところでは誰だか判明しない人物が多数登場する。忘れてしまうんですね。さすがぼくらの年代の写真では全員わかった。そのとき着ていたユニフォームやスパイクとか使っていたボール南下も写っていてすごくなつかしかった。

さらに、創部から3年間の文集が出てきた。1年下のやつが、ガリ版刷りで古文書状態をスキャナーで読んでくれてみんなに見せてくれた。みんなまじめだったんですね。

そんな中で本当にびっくりしたのは、いま仕事でお付き合いさせていただいているある協会の会長の方がその当時のメンバーだったことが分かったのだ。まったく知らなかったし、そんな話もしたことがなかった。近々にお会いするので驚かせてあげようと思う。

この会合の後は、そこに参加していたぼくの2年上と1年上の先輩と1つ下の後輩と一緒に2次会にいく。そこにさらに1年先輩の4人が加わって夜遅くまで語り明かす。昔の無茶苦茶話やらこどもことやら話し足りないくらいだ。ここでもある先輩が自分住んでいる地区の少年サッカーの指導をしていたとき一緒だった人が、なんとぼくの高校の1年先輩だったという話も飛び出し、驚きの日であった。

先日のミニ同期会もそうだったが、あらかた40年ぶりであったが、もう時間の長さはすぐに消えて学生時代の先輩後輩に戻ったのであります。
 

2008年7月19日

甘くて柔らかい

最近はテレビを見ないのだが、テレビの番組で多いのがグルメ番組で、料理を作るところから、食べ歩きまでいろいろなパターンの食に関するテーマで放送される。

だいたいがタレントが食べる。うまいものを食べてギャラがもらえるなんていい商売だなと思ってしまう。そのタレントの価値はいかにもおいしそうに食べて、そのあと気の利いたリアクションとコメントをすればいい。

そんなコメントのなかで圧倒的に多いのは、「これや柔らかくておいしい」と「これ甘くて、うめえー」である。見ているときチェックしてみてください。このせりふ多いですよ。

昨晩の「未来創造堂」でも国生さゆりのこだわりで野菜の芯の柔らかいところが好きだという話をしたら、一緒に出ていた民主党の前原誠司(この人は本物の鉄っちゃんです)が、みなさん柔らかくて甘いのが好きなんですねというようなことを言っていた。

だけど、おいおいちょっと待ってくれ、硬くて、辛いやつは失格なのと突っ込みたくなる。アメリカ行くと炭のようなステーキが出るがうまいですよ。坦々麺はだめなのということになる。これは多分日本人だけだと思う。日本人は柔らかくて甘いものがすきなんですね。

おおそうか、これは人間についても同じなのではないだろうか。日本人は柔らかで甘い人間が好きなように思えますがいかがでしょうか。待てよ、それは言い方を変えると優柔不断で責任をとらないってことでしょ。辛口で硬派の日本人よ出でよですね。


2008年7月20日

お疲れさまの一週間

今週は、毎日何だかんだと忙しかった。週休3日くらいでやっている身にはけっこうこたえた。

雑誌の原稿をやっと書いて何とかいけそうになり、研究会のキックオフがあり、ある勉強会でプレゼンテーション、日経BPの記者とBPMについての意見交換、その他もろもろいっぱいあって、しかもプライベートではばあちゃん(ぼくの母親)が感染性単核症というわけのわからない病気にかかって入院するし、昨日はあの暑さの中で伯母の49日の法要があった。

亡くなった伯母は本家のお嫁さんだったので本家の菩提寺で行った。江ノ島に近い法華経の寺ですぐ近くのお墓からは海が見える。暑かった。本堂でお経をあげてくれるのでそこでお焼香もしたのだが、冷房もなく、開け放ってはいたが風がぜんぜん通らないし、着ている喪服は冬物だし、じっと座っているだけで汗が流れ落ちた。

亡くなった伯母の弟の奥さんが途中で気分が悪くなって家に帰ってしまった。久しぶりにいとこたちと昔話に花が咲いたのだが、真夏の法事はつらいですね。幸い新盆は自宅でやることになったのでほっとしている。

だいぶ話がそれたが、休む暇なしの日々であったが、去年だったらひっくりかえってしまったかもしれないが、今年はクーラーがあるので助かっている。クールダウンしておかないともたない。

さて、いまからばあちゃんが退院するので迎えに行くとするか。


2008年7月22日

入院すると病気が悪化する?

ばあちゃんが変な病気で入院した話を書いた。入院に際して変な質問をされたことも書いた。これから変な患者の話をする。一粒で三度おいしい入院話です。

入院するとき、どういう病室に入るかの選択がある。どのレベルの差額ベッドにするか決めることになる。個室から4人部屋まであるので、その設備や人数と金額で好きなところを選ぶのだが、ばあちゃんは個室はさびしいし、あまり大人数もいやだと言って2人部屋にした。

このときぼくは一瞬隣に入っている人が変だったらどうするのかと思ったが、まあいいかといって言うことをきいた。さて、最初に入ったときは幸いにも誰もいなくて、個室のように使えたので喜んでいた。

ところが、3日くらいたって、となりにおばあさんが入院してきたのだ。歳は83歳と言っていたが痩せた人だから、割と立ち振る舞いも軽いのでどこが悪いのだろうと思っていたら、どうも2日くらいご飯がたべられなくなったらしい。それで入院して点滴をしながら体力の回復を図るらしかった。

ところがである、このおばあさん尋常じゃなくおしゃべりなのだ。最初はうちのばあちゃんも話し相手ができたと思ったらしく、二人で点滴をぶらさげながら話込んでいた。それとともに、だんだんそのおばあさんの見舞いに来る人が増えてきて、毎日4、5人の人が来て、しかも長時間ぺちゃくちゃ大きな声でしゃべっていくのだという。見舞い客が途絶えるとその間にはばあちゃんのところに話にくる。

これにはばあちゃんすっかりまいってしまって、その入院の原因となった病気は日増しによくなってきているのに、血圧が上がったり、頻尿になったりとすっかり体調をくずす始末。早く退院して家に帰りたいと言い出してそそくさと退院したのである。家に帰ったら変なストレスがなくなったとみえて元気になっている。

この隣のおしゃべりばあさんはいったいどこが悪かったのだろうか。普通、入院患者はしゃべる元気もないから入院するのである。また、見舞いに行って長時間話しこむのは病人に対して迷惑であると言うのが常識であるが、あきれてしまう。

どうも今の年寄りは病院をスポーツジムだとか、社交場と勘ちがいしてやしないだろうか。そのおばあさんもいつもはひとり暮らしなのだそうで、寂しくなって話し相手を求めて拒食して入院してきたのではないのかと疑いたくなる。

病院での変な話は無しにしてもらいたいものだ。

2008年7月24日

知りたくもないこと

八王子の書店でアルバイトの女子大生が刺されて死亡した。またもや通り魔殺人事件である。犯人の声で「大きな事件を起こせば自分の名前がマスコミに出ると思ってやった」というような発言があったということだが、毎度同じような言葉ででてくる。

ぼくは、こうした言葉を耳にするたびに何かおかしな感覚にとらわれる。犯人の“自分の名前をマスコミに取り上げてもらいたいという言葉をマスコミを通して知る”からである。だからいつも思うのだが、こうした報道はやめたらどうかと思うのだ。事件そのものを記事にしたり、放送したりしないことだ。

それにより、少なくとも動機の一部は取り除くことができる。だいいち、こうした不愉快な事件を報道することはいったいだれのためになるのだということである。これから犯罪を起こそうとしているやつに対する抑止力になる?一般のひとに犯罪にあわないために注意を促す?加害者や被害者が誰であったかを知らせる?

2度と同じような犯罪がおきないように報道は役にたっているのだろうか。ぼくはこんな事件のことは知りたくもない。たとえ身近なところで起きたとしてもそんなことを知って何になるのだと思う。このての報道はほとんど意味のないことだと思う。

だから、もうやめてくれないかなあ、マスコミの視聴率稼ぎの野次馬根性は。

2008年8月10日

記念写真

前に大学時代の部活のOB会で昔の写真を見ながら話に花が咲いたことを書いた。もう40年も前のことだから、本当に写真が好きでまめな人がいて、その人のおかげで写真を見ることができているのである。

いまだと、デジカメや携帯で誰でもが気楽に写真をとる。デジタルだからセピア色にもならないし、場合によっては動画で残すこともできる。これから40年後はそうして今と同じ写真や動画が再現できることになる。そうなったときなつかしさとか時の流れを感じることができるのだろうか。

写真に限らず、そのOB会でも文集がでてきたのだが、わら半紙に書かれていて、ホチキスをはずそうとすると紙が崩れそうになるくらいぼろぼろなのだ。だが、そういうものだからなのか、過去の情景がその紙のぼろぼろさとともに甦るよう気がした。

先週、高校時代の友だちと桜木町で呑んだ。こいつは映画好きで今年に入ってもう50本近く観ている。さすがのぼくもかなわないフリークです。もちろん、映画の話が主な話題になるが、映画以外の話で面白いことがあった。

彼は、ほぼ定年で関連団体に移ってそこで仕事をしているのだが、まえのところを辞めるときのことである。退社するときってたいていは餞別として記念品をもらったりしますよね。その記念品を何にするかというとき、そいつはいつも記念写真をとってもらうのだそうだ。

しかも、ちゃんとプロの写真屋を頼んで一緒に働いた人たちときちんとした服装で撮るそうだ。できた写真を皆に配ってもっていてもらうのだという。これには感心した。もうぼくは残念ながらそういう機会はないと思うが、そうやって残しておけばよかったと思った。

節目の写真は写真屋に撮ってもらうというのはなかなかいいもののようだ。ぼくにはまあ、結婚式と子供の七五三のときのものはあるのだが。

「転々」という映画のワンシーンで三浦友和が、街の時計屋さんがでてきて、その主人にどうやって食っているのかと聞いたら、大きなお世話だと言われて蹴りを入れられる。

きっと街の写真屋さんは、節目の記念写真がいいというお客さんがいる限り続いていくのだろう。
 

2008年8月21日

黎明期を語れるヤツになれ!

アグレッシブに生きようよと言っている。じゃあどうしていること、どうすることがそれに当たるのだろうかと考えてみる。やたらバカみたいに前のめりで行きゃいいってもんじゃない。

それが、このブログを書いていて気がついてきたことなのだが、どれだけ黎明期を語れるものを持っていることではないだろうかと思ったのである。

マニアとかオタクでもその対象となっているものが誕生してから認知されるまでの期間のことは案外知らないということがある。ブログを書いていると何かについてその始まりのところを書いてみたくなるのだ。ちょっと自慢げに“おまえら知らねえだろ”という感じである。それが黎明期を語るといことなのだ。

ぼくの場合だと、日本の石油化学とか中国の工業化とかPC、インターネット、Jリーグ、日活ロマンポルノ、グループサウンズ、今ならBPMなどなどである。

いつの時代のものでもその黎明期について語れるということがアグレッシブに生きている証左ではないかと思うのである。その意味することは、まだどうなるかわからないときに興味を持ち、身を置き、それが成長するとともに歩み、それがある地位を確保していくのを見届けることができてこそ語れるというものだ。

その反対は、成熟したことあるいはものにしか興味がなく安心できることを心地よいと思うことである。そういう人は何を語れるのだろうか。

さて、あなたは何を語ってくれますか?

2008年8月28日

充実の一日?

今回のエントリーはちょっと日記風になる。

昨日の一日はいろんなことがあった(をした)日であった。午後から溜池山王のアークヒルズでセミナーを受講する。アークヒルズは懐かしい場所で、かれこれ8~10年前にその近くの事務所で仕事をしていたからである。そのビルが現在構想ビルに立て替わってしまっている。

で昼飯は溜池山王d食べることにしていたので、どこに使用かと思案したら、そうだ昔よく行っていた定食屋にしようと思って行ったらまだあったのである。いつも食べていた鯖みそ定食を頼む。味も値段もむかしのままでうれしくなった。

アークヒルズはしょっちゅう利用していたところでサントリーホールやテレビ朝日があった。そこでセミナーがあった。ところがこのセミナーが最悪だったのだ。始まって30分くらいで、さあみなさん実習をしましょうとなって、みな個々にPCを起動させたのはいいのだが、その環境にいっこうにアクセスできない。それでなんだかんだと皆が使えるようになるのになんと2時間かかったのである。いくら無料のセミナーだからといえ、オレの貴重2時間を返してくれと言いたくなる。

これは大げさかもしれないが危機管理がなっていない。当然そういう事態を想定して、次善策を考えて臨むべきである。ぼくらだってプレゼンでデモする場合、それが動かなくなったときのことを予想して別のプレゼン形態を用意するのがあたりまえだ。

その後は、川崎へ。なぜ川崎かと言うと映画を観たかったからだ。お目当ては8時15分からのレイトショーである。その前に時間があったし、お腹がすくので、そば屋で8時まで酒を呑んでそばを食べる。

そのうち酔っ払ってきて、映画だいじょうぶかなあと思ったが、初志貫徹で映画館へ。三谷幸喜の「マジックアワー」を観る。面白かったので眠気はまったく起きず。終わったときは酔いも醒めそのまま家路につく。

こんな日はうれしいのである。ちょっとこけたけど仕事をし、酒を呑み、映画も観れ、満足したのである。
 

2008年9月 1日

こりゃひどい

もうあまり言いたくないんだけどテレビのことである。テレビを見ないと言ってもたまには見えてしまうことがある。ビデオを見ようとしてスイッチを入れたら、サキヨミとかいう番組が映って、何やら討論をしていた。

どうもスポーツに税金を投入することの是非のようだ。簡単に言えばオリンピックで金メダルを増やすために320億円もの税金を投入するのに賛成か反対かと言っている。

ゲストの小倉智明、勝間和代、森永卓郎が賛成でウエンツ何とかという子が反対という設定。ところがこの議論がひどいのなんのって、森永卓郎なんか320億円というのは国民一人当たり60円だから、1年でキャラメル1箱を我慢して金メダルが増えればいいじゃんなんてバカなことを言う。

勝間和代にいたっては、グラフを持ち出して何を言うかと思ったら、そのグラフがひどい。横軸に国が投入したお金の額で、縦軸に金メダルの数が表示してある。国が確か中国、アメリカ、イギリス、日本、韓国だったかなのだが、これは見事に相関がありますね、相関係数は0.9ですと言う。

ええー、たまげたね、おかしいでしょ。そんなの相関関係がありそうな国だけ並べただけじゃん。それでお金をかければ金メダルが増えるというんだからアホぬかすな。じゃあ、人口100万人の小国でも中国並みのお金をかければ金メダルが増えるのか。そんな単純なものではない。

議論もお金をかけるべきかということと税金を投入すべきかということを混同して言っているからまったく議論になっていない。こんな番組を作って何と思っているのだろうか、あきれかえってしまう。

これが、たまたまテレビをつけたら見てしまって、それもたった5分ぐらいの中味なのだ。ということは、こんなくだらないものが、やたら出てくるのが今のテレビなのだろうか。もうホント劣化している。まあ、これからもテレビは見ないからいいけど。
 

2008年9月13日

ちょっと変だよ総裁選

自民党の総裁選が佳境に入ってきたが、何か見てて変な気がする。まずは、ぼくらが投票権も何にもないから、誰がいいとか悪いとか言ってもどうにもならないので所詮他人事にしか聞こえないことである。

それはそれとして、最初に5人の候補者が華々しく持論を展開し、その違いを強調していたのにだんだんそれがぼやけてきて、対立軸がどこにあるのかわからなくなりつつある。

そしたら、断トツの麻生さんが政権をとったら候補者を閣僚に起用するとまで言い始めている。これって、ぼくらをバカにしてませんか。主たる論点になっている経済政策にしても景気対策優先だとか財政再建、構造改革維持だとか方向が違うことを言っているわけで、そういう人たちが一緒の内閣の中でやっていけるんですか。そんなことをすれば、足して2で割ったような政策しか出てこないのだ。

企業なんかは、社長になったら自分と意見が合わないやつは切るのが常識です。それじゃないと自分の思想や方針を貫けないのである。当然ですよね、社内に不平分子を置いた状態でいつ寝首をかかれるかわからないのではうまく舵取りはできない。

ぼくの最大の”変”は、各候補者がなぜもっと大きな視点で全体感、将来感を示せないかということです。それを認めてもらうことが政権をとるということではないのでしょうか。目先の問題解決も大事でしょうが、それよりも何よりも国民が「ああこういう国にしようとしているんだな」ということが納得できるかどうかであろう。そういった構想力の違いで争ってほしいと思う。本を書いてもいいが、こういう場で議論して欲しいのだ。

ある意味、小泉純一郎はそういうことをやったわけで、だから郵政民営化反対のやつを切ったが、ただそれは、重要ではあるがまだ一部の政策の違いだったので、もう少し上位概念での争いであればよかったのではないだろうか。

それにしても、大きな構想力がもてない小物の政治家ばかりだからこの国は疲弊しちまったのだ。

2008年9月19日

街場の非合理性

人間というのはいつも合理的な考え方をするわけではないし、行動をとるわけではない。多少こじつけになるのだけれど街で見かけた二つの情景に出会ったとき感じたことである。

ひとつは、「傘と杖の兼用」である。この間新橋の駅でみかけたのだが、おじいさんが杖をついて歩いていた。よく見ると、どうも杖が傘になっている。要するに杖と傘が一体になっているというわけである。

一瞬、なるほどこれは便利だと思ったが、待てよ、雨が降ったらどうするのかと考えてみたら、傘をさしたら杖を使わなくてもいいのだろうか。このおじいさん、駅に外に出たら雨が降っていて、そのときさっとかばんから傘を出したのである。(このくだりはネタです(笑))こういうのをアイディア倒れというのである。アイディアとしてはおもしろいが合理的ではない。

次の例は、ぼくがいつも乗っているモノレールを待っている時間のことである。モノレールは15分間隔で運転されていて、始発の大船駅に来るのは出発の3分くらい前である。そこで折り返し運転となる。

ぼくが降りる駅までは7分で、その前の駅だと3~4分である。それなのにみな並んで立って待っているのだ。もちろん、ホームにはベンチが置いてあって座って待つことができるにもかかわらずだ。だから、電車で3分座るために10分立つのである。

これがよくわからない。ぼくは、そういうときは最適計算をあたまの中でやる。すなわち、立っている時間を最小にする選択をするのだ。最初にベンチに座っていて、だんだん並んでくるので、座れそうなぎりぎりで列に並ぶのである。それを合理的な行動であるとぼくの中で思っている。

まあ、こう書いていて思ったのは、こういうのを“みそくそ”というのかもしれない。でもこういう思考はシステム化をする場合大事なことではないかと思っていて、日夜密かに巷の合理性を追求しているのである。こりゅあ、性分かもね。
 

2008年9月20日

液晶ディスプレイが来た

おお液晶ディスプレイが来た。Dellの19インチワイドなヤツだ。サーバー2台も一緒に買ったのに7万円台なのだ。いくらキャンペーンといっても安すぎ。

そうなると、ソフトの値段が相対的に高く感じる。昔みたいにハードの値段が高いときはいかにリソースを食わないようにと工夫を凝らしたものだが、今のような時代だと簡単にハードを追加して終わりということになる。
 
社長にBPMアプリが動く環境を作ってもらうことにする。今はノートPCにVMwareからwindow2003サーバーやOracle まで入れていて、けっこうあっちこっちでトラブルって大変だったが、これからは楽になりそうだ。

さて、今まで使っていたCRTディスプレイを捨てなきゃいけない。ああメンドクセー。

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2008年9月21日

同窓会

今年還暦を迎えるということで同窓会がいくつか開かれる。昨日は、高校のクラスの同窓会である。場所が、代々木にある「カオティップ」というタイ料理の店で、タイ大使館御用達でテレビにもしょっちゅう出てくるので知っている人もいると思います。

実はこの店のオーナーが高校のクラスの同窓なのである。この同窓会は、5年前に学年合同の同窓会をやったのだが、そのちょっと前にクラスで集まったのをきっかけに、それからちょくちょくと開かれるようになった。

昨日は、17人ほど集まったが、もはやみなおじいさん、おばあさんである。ほとんどが会社を定年で辞めるから、名刺交換もなく、話題はこれからどんなことをして楽しむのかということである。

ぼくは、高校の時はサッカーばかりやっていたので、クラスの行事とかにはあまり参加できなかったが、対組といって、いくつかのスポーツ種目で1年から3年まで一緒にクラス対抗をやるんだけれど、それのサッカーと駅伝くらい(全校で2位となったが、その時のアンカーがぼくでその前がカオティップのオーナーだった)と、3年生の体育祭に出たくらいで申し訳なく思っているというような話をした。

このクラスは、全部で54人いて、そのなかから17人だから3分の1が出席したことになる。消息不明の人もけっこういるみたいで幹事の人が苦労していた。女性が4人参加していたが、クラスには8人いたので半数が参加である。当時この学校は男の子ばかりで、女の子がクラスで7~8人であった。ぼくの息子2人も同じ高校を卒業しているが、彼らの時は女子生徒の方が多いくらいになっていたそうだ。

そんな女性たちだから強い。美術史家で「仏像のみかた」という本を監修している關信子さん(当時は生物研究部にいたので生(ナマ)子と呼ばれていた)とか、旦那さんが漫画家の佐々木ケンさん(この人もクラスは違うが同窓)で自身もまだ現役のプログラマーというひと、息子が格闘家のリアルタイガーマスクこと勝村周一郎とか、男性陣もたじたじである。

そんななか最後に何やら手を上げて、皆様に報告があるというヤツがいた。そうしたら「私今年結婚しました」と言ったのである。しかも、60歳で初婚で、さらに驚くことなかれ相手の女性も10歳下で初婚なのだそうだ。みんな唖然としたのは言うまでもない。

というわけで、40数年前にタイムスリップし夜であった。
 

2008年9月22日

還暦祝い

今月の23日が誕生日だから、そこで60歳になる。だから、その日に還暦祝いをすることにした。なぜか自分でセットしないといけないようなので、店もぼくが予約を入れておいたという変な話。

ところが、下の息子が東京と行ったり来たりしなくてはいけないらしく、急遽昨日に繰り上げた。幸い場所も同じところを取れたので、少し遅い時間になったけどそこでお祝いだ。

店は茅ヶ崎の「えぼし」にする。ぼくは基本的に魚が好きなのでうまい魚料理を食べたいときはここの店に行く。何を頼んでも外すことはない。昨日も、珍しいものが好きなぼくとしては、のどくろの寿司とクジラの刺身とハマグリのうしお汁といったものとその他もろもろを注文。ビールと酒で堪能した。

それで嫁さんが勘定書をもってレジに行って支払をしようとして計算をしてもらったら、なんとぴったり2万円なのだ。20種類くらい頼んでいて端数もないぴったりというのには驚いた。お店の人もびっくりしていたので、ぴたり賞でなんかちょうだいと言ったらただ笑っているだけだった。これから何かいいことがありそうな予感だ。

昨日は、お祝いに下の息子から赤いハンカチをもらった。おいおい石原裕次郎かよということはなしにしてうれしかった。上の息子と嫁さんは急遽繰り上がったので間に合わなかったみたいで、あとで何かくれるようだ。楽しみにしている。

ということで、還暦にちなんだ行事が続くが、還暦というくらいだからここで一旦リセットして新たな気持ちでがんばろうという気になる今日このごろである。
 
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2008年9月27日

街場のセンチメンタルジャーニー

もう前の会社を辞めて2年半くらい経つ。昨日はそこの会社の元の上司の所に状況報告の挨拶にいった。元の会社に行くのは辞めてから初めてだ。その上司は専務なので役員のいる階へ行く。

担当の秘書の子とも2年半ぶりだ。「まだいたの」と軽口をたたいたら、ほかのメンバーはほとんど変わっていませんよという話。秘書室をのぞいてみたら新しい子がひとり入っていたが後は顔見知りの子であった。

その専務に近くのすし屋で呑みながら近況報告をする。そして、当時謎であったことがわかったり、時間が経ったので聞ける話だとか昔の懐かしい話で盛り上がるが、いまの若いやつはといったことも出てきて、少しずつ会社もかわっていくんだなあと実感。

その後は、そのまま家に帰ろうかと思って、いつも通勤で乗っていた都営三田線に乗ろうとしたら、あそうだ、辞める直前まで下の息子と住んでいた白山に行こうと思い立つ。

息子が大学に通っていたとき家から遠いということとぼくも大きなプロジェクトを抱えて帰りがいつも遅かったこともあり、二人でマンションを借りたのである。そこは、白山の駅から1分の傘なしでも雨に濡れないくらいのすごく便利なところにあって、2Kでまったく同じ部屋が二つある間取りでお互いあまり干渉されずに過ごせる絶好の棲みかであった。

そこに行ってみようと思ったのである。当たり前のように何も変わってはいなかった。もちろん住んでいたマンションはそのままだし。冷蔵庫替わりに利用していた階下のセブンイレブンもそのままだ。大変お世話になったオリジン弁当も薬膳カレーも焼く鳥や、もつ煮込み屋もそのままあかりが点いている。

2年半じゃ変わりようがないのかもしれないが、それでも懐かしさにジーンと来た。3年弱の生活だったが、いろいろなことが起こった、濃密で劇的な時間であったので印象深いのだ。

耳にしみついていた地下鉄の発車合図メロディーが耳に飛び込んできた瞬間、いいこといやなことが蘇る。そんな気持ちを引きずりながら戻って、銀座の「M」に立ち寄る。そこも、そのころの思い出が一杯残っているところだったので、あのころはこうだったねという話でしんみりとなったのである。

たまにはぼくも感傷的になることもあるというお話。やっぱり歳のせいかな。
 

2008年10月 5日

気丈なひと

今から、通夜に行く。血はつながってはいないが、親戚となる女性が亡くなったのである。1日に亡くなったのでずいぶん経ってからの通夜になる。途中に友引をはさむのどうしてもこうなるのだろう。先日の伯母さんの時もそうだった。

この人は、ぼくの嫁さんの一つ上だから56歳である。いまの時代では若い。実は5年前に肺がんが見つかってそれからずっと闘病生活で力尽きて帰らぬ人となった感じである。ただ、死の直前までそんなに苦しむことがなかったらしく、家に戻っていたりして死の5日前くらいから容体が悪くなったそうだ。

死んだ日の翌日に、嫁さんと二人でお悔やみにうかがったのだが、穏やかな死に顔で早かったかもしれないが天命をまっとうした姿であった。ついちょっと前に「おくりびと」という映画を観たあとだったので、余計切なくなった。

この人は家は仏教なのだけれど、自分はクリスチャンであって、すごく優しい人で、まず自分のことより相手のことを気遣うようなところがある。夏に療養していた病院に見舞いに行ったときも、かなりつらいはずなのにちゃんと起き上がって応対してくれた。

そんな人だったから、おそらく時には痛かったり苦しかったりしたときでも表に出さずにじっとこらえていたにちがいない。ぼくは信仰するものは持っていないが、つくづく信仰するひとの強さを感じざるをえなかった。神がせめて苦しみを与えることなく死を迎えさせてあげたのではないだろうか。合掌。
 

2008年10月 7日

またまたぴったり賞

ついちょっと前に家族で食事をしたときの勘定がぴったり20,000円であった話を書いた。

ところが今日、ばあちゃんを連れて近くのスーパーに行って買い物をしたら、その金額がなんと10,000円ぴったりなのだ。

25種類の細かい、それこそ1円単位で値がついているのにである。レジのおばちゃんもびっくりして、こんなことは初めてと言って興奮していた。ぴたり賞で何かもらえないのですかと冗談を言ったが軽く無視された。

2回も続けてぴったりで、こりゃなんかいいことが待っていそうだ。
 
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2008年10月16日

妻の入院

ぼくの嫁さんは、お産のとき以外入院したことがなかったが、今回ついに入院するはめになった。先月、家の近くの病院で検査をしてもらったら、子宮ガンが見つかったのだ。別に自覚症状があったわけではなく、違うことで診てもらってついでにガンの検査をしてもらったら見つかったのである。

早速、精密検査をして手術する病院を探すことになったが、義弟が小児科医なので紹介してもらった。すぐに手術できるのかと思ったら、12月にならないと順番がこないという。ほんの初期のガンだったようなのでまあ遅くなってもしかたないと思っていた。ところが義弟から電話があって、大学の付属病院で手術のあきができたのですぐに行けという。そこで念のために入院の支度だけはしてかけつけたら、すぐに入院することになる。そして、手術は来週の予定である。

ぼくはこんな事態を予想していたわけではないので、ばたばたしている。でもよく考えてみると、昔はガンの告知をすべきかなんて議論をしていたことを思うと、なんともあっけらかんとガンですと言われて少し変な気分だ。それだけ、治る病気になったということなのだろう。まあ、初期だということもあるが、嫁さんもとりみだしたところもなく普通の病気で手術するような感覚である。

嫁さんのいない生活は、単身赴任や東京での下の子との共同生活があるので苦にはならないのだが、家の中が広い分けっこう大変なことがわかった。退院して帰ってきたとき、お父さん何やっていたのよと言われないようにちゃんとしておかなくてはと思うのである。
 

2008年10月18日

日常生活の断片

昨日一日だけでもこれだけちょっとした面白いことがある。

・オーシャンビューとインターネット

嫁さんが入院したが、その病院は海の近くで6階の病室に入った。最初は入り口付近だったが、退院した人がいてそのあとの窓側に移動した。そうしたら、景色がいいこと、目の前に海が見えるのである。

そのあとすぐに個室に移動したがそこでも海が一望できる。もちろん、病院につきまとう暗さはない。
しかも、病室でインターネットができるのだ。PCだけ持ち込めば設定してくれる。眺めはホテル並みのオーシャンビューでインターネット付きときて、まるでホテルだ、これが病院であるとは思えない。

・杖を取りに走った

しばらくばあちゃんの買い物の付き合いができないでいたら、案の定、もう食べるものがないから、どこか買い物に連れていってくれとせがまれた。午前中の早い時間に行くことにして車でまっていたら、ばあちゃんが出てきたが、杖を持ってくるのを忘れたといって取りに行ったのだが、驚くことなかれ杖を取りに何と走り出したのである。

この間もスーパーのカートにさしたまま帰ろうとした。現在87歳であるが、周りの人がみな持っているからファッションとして持っているだけじゃないのかなあ。

・万引き監視はお客のため?

そのばあちゃんと行ったスーパーで変な書き物が。万引きを撲滅することが安心して買い物ができることにつながるのだろうか?店が損をしないためだけじゃないの。

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・変なお愛想

夕方はかかりつけの医者へ、血圧が高かったので薬をもらっているのだが、ここのところずっと血圧は低く正常値をキープしている。薬はいらないくらいなのだが、飲みはじめてしまったのでやめられない。

で、その薬を薬局でもらったときのことである。最近薬局はやたら愛想がいい。若い女の子が笑顔で「いかがですか?」とか「おかわりありませんか?」とか聞いてくる。「ほかにどこか悪いところはありませんか?」というものだから「ちょっと頭が悪いのですが」とくだらないオヤジギャグをかます。

そうしたら、お釣りが3100円なのに100円だけしかくれない。おいおい愛想をふりまくのもいいがやることはやってよと言いたくなった。さすがに、「またのご来店を」とは言わなかった。

2008年10月21日

妻の手術

いま、妻が手術の最中である。けっこう大きな手術なので6時間くらいかかるそうだ。その病室(個室に変わった)でこのエントリーを書いている。変な気分だ。こんなとき何を書いたらいいのだろうか。

幸いなことにぼくの嫁さんは不安なそぶりも見せないで、「まな板の鯉」の心境だといって手術室に向かった。あまり深刻になられても困るから助かる。普通の人は手術の前日は眠れないといけないというので睡眠薬を飲むのだという。ところが朝聞いたら薬飲まなくてもぐっすり眠れたというのにはびっくりした。

たしかに、じたばたしても自分じゃ何もできないのだから、もうあずけるほかないのである。ただ、表面上はそうだが内心はちょっとは動揺しているらしく、ぼくの普通では何でもない言動にいらついていたのが垣間見えた。

それにしても、個室とはいえ病室の中でパソコンのキーを叩いているのはなんともさえないが、さりとてぼーとしているのも退屈なのだが、さてこれから何をして過ごそうか。

まあ、今日はこんなところで。
 

2008年10月22日

iPod

今さらiPodもないだろうが、還暦のお祝いということで社長からもらった。といっても、社長がいままで使っていたやつで、自分は新しいのを買ったのでぼくにくれたというわけである。

でもぼくはヘビーユーザにはなれないから、それで十分なのである。最近は東京へ出る機会が増えてきたので、その行き帰りに利用したかったのですごくうれしかった。

ところが、さあ使うぞと思ったら嫁さんに取られてしまった。いま入院中で昨日手術があって、無事に済んだのでほっとしているが、病院で使いたいからといって入院するとき持参したのである。

どうも、痛みがあるときなどに好きな音楽を聴くと安まるからだそうだ。スガシカオと斉藤和義のアルバムを入れていった。

ところで、病室にはテレビを置いてあるが、嫁さんは見ないが、他の患者さんもほとんど見ていないように思える。おそらく、テレビを見てもおもしろくないのではないだろうか。自分の好きな音楽を聴いてゆったりすることがいいんじゃないのかな。

ぼくのiPodは退院しても返ってこないかもしれない。そうしたら5年後の妻の還暦祝いにしておこう。
 

2008年10月25日

上海蟹

昨日は、じゃあじゃあぶりの雨の中を嫁さんの入院先の病院に行き、その足で横浜中華街に向かう。

来月に高校時代のサッカー部の連中の還暦祝いをするので、その打合せを、顧問だったS先生とキャプテンだったH君とサブキャプテンみたいだったS君と4人で中華料理を楽しみながらすることになったのだ。

ときちょうど上海蟹の季節である。S君の職場が中華街がすぐ近くということもあって彼のお薦めの店である「福満園新館」で上海蟹を賞味する。うまかった。

先生は70の手習いで始めた水彩画が3年で相当なところにきたようで、昨日も天気が良かったら写生をしたあとに中華街という予定であった。なので、じぶんで書いた絵を還暦を迎えた連中ひとりひとりに贈りたいということになった。

最初は、一枚だけでそこに皆にサインをしてもらって、とりあえずキャプテンのH君に渡すから、それをみんなで回したらということであった。そんな話をしているとき、先生が3個のミニチュアのサッカーボールを出して、これは、全国大会に出たときの年のものだというのである。自分が出場したとき、先生が就任してすぐに出場したぼくらの4年上のとき、そしてぼくらのときの3回である。

そうしたら、H君はおれも持っていると言ったのであるが、ぼくとS君は持っていないという話になる。さらに関東大会優勝の時のバッジを持っているとかいないとかとなる。当然もらえる数が限られているから全員に渡っていないのである。そんな話から、先生にみんなに絵をくださいよといって、もらうことになったいうわけである。

料理も、上海蟹だけでなく締めのフカヒレそばまでみんな美味で、そのためビールを飲んだあと紹興酒を5本もあけてしまい、いい気持ちで先生を送り出したのである。
 

2008年10月26日

プロフェッショナルの行動学

先週放送のNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」は面白かった。100回記念ということで「プロに学べ!脳活用法スペシャル」と題して、茂木健一郎がこれまで登場したプロたちの発想法などについての共通点を探るという主旨である。そこに出てきたものが下記である。


ひらめきの極意 プロのアイディア発想法
発想法① とことん考えてから、寝る
発想法② 考え事は「場所」を選べ

脳を活用 プレッシャー克服法
プレッシャー克服法① 苦しい時はあえて笑う
プレッシャー克服法② 本番前の「決まり事」を持つ

プロに学べ やる気が出る秘けつ
モチベーションアップ法① 「あこがれの人」を見つける
モチベーションアップ法② 小さな「成功体験」を大切にする

これらはみななるほどと思わせることばかりで、さてわが身はどうかと、自分のことに置き換えてみてみる。

寝ることがひらめきにつながるということは納得する。ぼくもこういうことがあって、行き詰ったときぱっと寝てしまうと、起きたときいい考えが浮かぶということがある。このとき大事なのはとことん考えるということなのだろう。

それは、何も眉間にしわ寄せてじっと考えなくともだらだらしていてもいいと思う。頭の中でいろんな着想があっちいったりこっちいったりしてまとまらないようなときは寝た方がいい。どうも、脳科学的にも寝ることで経験や知識が整理されるのだそうだ。

考え事にいい場所は以前このブログでも書いたが、古来三上といわれ、三上とは馬上、枕上、厠上である。馬上は馬の上だが、現代ではさしづめ電車のなかか、枕上は寝ているとき、厠上はトイレのなかだ。電車の中がこれに当たるかどうかはあるが、情報が一杯あるよりかは、ある程度情報が遮断されたところがいいようだ。

プレッシャー克服法では、イチローの試合前にいつも同じことしかしないことを思い出した。要するに、プレッシャーに負けるというのは、集中できないことなのであるから、本番前に決まり事をすることによって集中モードのスイッチが入るというわけである。この話もすごくよく分かる。

最後のモチベーションについては、簡単に言えば「ロールモデルを持って、少しずつでもいいから、そのひとに近づけるように努力するということ」なのだろう。

いずれにしろ、ぼくらが普段考えていること、しなくてはいけないことをプロたちはきっちり実践している。いや、それができたからこそプロになれたのだろう。


2008年10月31日

シンプルに

こどものとき働くもの食うべからずということを教わった。そのとき、“利子だけで食って何も働いていない人はいいんですか”と質問したやつがいた。そのときの先生の答えが「お金が働いているからいい」と言った。

そのときこども心に、そうかお金に働いてもらえるようになればいいんだと思った。しかし、そのやり方も分からないし、だいいち働かせるお金がない。それよりも何よりもそんなずるいことをしていいのだろうか。ぼくにはできないなという結論になった。

でも、世の中にはどこからかお金を借りてきてそのお金を働かせることをやっている人が一杯いる。そして、そこで生まれたお金をまた働かせる。これをレバレッジというらしい。

単純にこどものときと同じようにずるいと思う。ずるいことは、破綻する。そういうことを学校で教えてくれればよかった。

お金のことは難しい。わざと難しくして、そこで生じる「情報の非対称性」でお金儲けをしている。一番いいのは、お金のことだけではなく何でもそうだが、難しいことには手を出さないことだ。

シンプルにシンプルにいくべきである。そこで生き残ったものが本物である。

これをある程度実現しているのがウエブの世界のような気がする。例えば、集合知というのがあるが、これはまさにシンプルになって出てくる知恵である。なぜって、複雑で小難しいことを並べたってだれもその”集合”には入れないことになる。いい意味で、ピアープレッシャーならぬシンプル化プレッシャーが働く。その感覚がウエブを支えているように思える。

情報共有の世界も「情報の非対称性」の解消から出発している。そしてシンプルでないと成り立たない世界である。特殊なサロンは情報共有とは言わないのである。
 

 

2008年11月 8日

家の前で

機能の深夜、突然大きな音と人の声が。どうもモノレールから発せられているようだ。

ぼくは歯を磨いて寝ようかと思っていたら、社長も部屋からとび出してきて、「モノレールで事故だ」と叫んでいる。自分部屋から見えたらしい。

一緒になって外に飛び出してみると、モノレールが本当に家の目の前で停車している。よくみると、フロントエンドガラスが割れていて、近くに作業車が止まっていた。

いま、ちょうどモノレールの柱や梁の塗装をやっていて、うちの車もビニールシートをかぶせられた。たぶん、まだ走っているのを知らないで作業開始したのかもしれない。

そうしたら、今朝の湘南モノレールのホームページに次のような文章が載っていた。

○お詫び
昨日(11月7日)23時53分、上り回送列車が西鎌倉駅~湘南深沢駅間で高所作業車と接触し運行不能となり、下り江の島駅最終列車が湘南深沢駅で運休いたしました。
お客様には大変ご迷惑をお掛けいたしましたことを、お詫び申し上げます。
                 平成20年11月8日
                 湘南モノレール株式会社
なお、モノレールは、現在ダイヤ通り運行しております。

しかし、やっと以前の衝突寸前トラブルから、この年末にはダイヤが正常に戻るというのに、こんな初歩的なトラブルを起こすようじゃいかんなあ。モノレールは事故がないのが売りの一つだと思うので。

下は立ち往生したモノレール。
 
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2008年11月10日

Acerはえーさー

AcerのAspire oneが家にやってきた。やってきたというより買ってきたのだけど、今日藤沢に行ったついでにビックカメラで今話題のネットブックPCをゲットです。

だいぶ前に、そば屋で呑みながら、ThinkPadのX60を開いてブログを書いていたら、落としてしまったのだ。ThinkPadは丈夫だから平気だと思い込んで使っていたら、ちょっと前に、ヒンジのところでちぎれてしまった。ゆがんだまま開閉を繰り返したから、カバーが破れてしまったということだ。

さて、どうするか。保証期間も過ぎているし、修理にけっこうなお金がかかるし、たとえ修理に出したとしても2週間もPCなしもつらいし、さりとて、このまま使い続けるのも問題だし、ということではたと困ってしまった。

そこで、急浮上したのが、ネットブックPCである。今のPCはそこそこ重いのでいつも東京まで背負っていくのもえらいと思っていたので、軽い持ち運びの負担の少ないものがほしかったということもあって、速攻で決めた。

今のヤツは出先の事務所に常駐させて、このネットブックPCを持ち歩くことにした。ただ、問題はemobileで、今度のヤツはUSB対応しかしていないので、今持っているPCカードタイプが使えない。

ところが、ビックカメラだとemobile加入と抱き合わせで54,800円が9,980円なのだ。でとりあえずこの抱き合わせで購入し、現在のemobileの契約を解除するのか、ダウングレードするのかとかをあとから考えることにした。

さて、まだ触っただけだけど、キーボードがたたきにくいのかと思ったが、ノートPCとそう変わらない感じで、“Aserはえーさー”と言ったら社長から、“それって、おやじギャグ?”と冷やかされてしまった。
 
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2008年11月13日

すっきりした

今朝起きたら、富士山がくっきり浮かんでいた。最近、天気がよくなかったので、くっきりと見えたと思ったら、もうすっかり雪化粧だ。これからの季節はこうして晴れた日には富士山が眺められるので気分がいい。

昨日、妻の入院先の病院にいったら、退院が決まっていた。やっと、帰ってこれることになった。

アジア・チャンピオンズリーグ決勝第2戦でガンバ大阪が2-0で豪州のアデレード・ユナイテッドを破り、2試合合計5-0という圧勝で、クラブ史上初のアジア制覇を達成した。ガンバの攻撃的サッカーが実を結んだ瞬間でもあった。

このチームは、なんと言っても、中盤の明神、橋本、遠藤、二川の4人のコンビネーションのよさが特徴で、相手の出かたや、試合の流れに応じて柔軟にその役割、ポジショニング、戦術を変えられるというのが強さの秘訣だと思う。これは、西野監督も含めて、皆ガンバ在籍年数が長いことがそうした特徴を発揮できる素地になっているのだろう。

さて、こうしてすっきりしたのはいいが、仕事の方がすっきりしないのはどうしたことか。何もかもすっきりというわけにはいかないものだ。

きれいに映える富士山です。
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2008年11月14日

怒号うずまく社会保険事務所

ここのところずうっとバタバタしていたので、すっかり、年金の請求を忘れていた。請求するための書類は誕生日の2ヶ月くらい前に来て、請求は60歳になってからにしてくださいとなっている。これでは忘れるのも無理はない。気がつくのに1ヶ月遅れて、忙しくて行くのに1ヶ月遅れたというわけである。

やっと時間がとれたので、今日近くの社会保険事務所に行ってきた。銀行の窓口と一緒で番号札を取って待つのだが、130番でぼくの前に32人もいた。一瞬帰ろうかと思ったが、まあ我慢して待つかと覚悟を決める。そんなに混んでないと思って本を持っていくのを忘れたので、手持ち無沙汰で居眠りと考え事で時間をつぶす。ところが、面白いことがつぎつぎ起こる。

「あんたらひどい」「お前らが改ざんしたんだろうが」「おれは生活がかかっているんだ、いい加減にするな」「ちゃんと調べろ」「お前は知っているくせに隠してるな」「でるとこでようぜ」てな調子の言葉が乱れ飛ぶ。

すごいですよ。事務所の人はといえば、「書類に書いてないものはどうにもならないので」「どうしたらいいんでしょう」「これは規則ですので」と平身低頭である。

ははあ、新聞やテレビで言っているのは本当なんだと改めて感心してみる。でも、言っていることは堂々めぐりもいいとこで、そりゃそうですよね、記録にないのをあるという立場とないと言う人が言い争っているのだから、おさまるわけがない。最初のおじさんなんて「おれはもう15回も通っているんだ」と言っていたが埒があかないようだ。

ところが面白いことを発見。おじさんたちがつっかかって行く先は、どうも事務所のえらい人のようで、そういう問題があるケースではそれなりの立場の人が応対することになっているのだろう。そこで争いが起こる。

だが、たまりかねて隣にいた女性担当員の人が助けに入った途端静かになってしまう。不思議なことに時折笑い声も起きる。やっぱり、こういう仕事は女性の方が向いているのではと本当に思った。

そんなわけで待たされること3時間でやっとぼくの番になった。呼ばれた番号のところにいくと、残念ながら、ぼくと同い年のおじさんだったが、「いらっしゃいませ、大変お待たせして申し訳ありません」ときた。年が同じだからすいすいと処理してくれてやっと手続きが終わる。

いよいよ、年金生活がスタートするが、年金なんて要らないというくらい今の仕事で成果を出したいなと思う今日このごろである。 
 

2008年11月15日

ビジネスの品格

品格ばやりでまたこんなタイトルで書くのはいやなのだが、むしろこの言葉が一番合っているようで使ってみた。

先日、日商エレクトロニクスのビジネスソリューションフェアの基調講演でジャーナリストの嶌信彦が言っていたことがすごく気になった。これからの日本の生きる道は環境ビジネスだというようなことを言ったからである。嶌さんだけではなく、日本の得意技は環境技術だから、それを生かすビジネスだ、そういう話をよく聞く。

おそらく、それに異を唱える人はいないのじゃないかと思うのだが、ぼくは天邪鬼なので、みんなが諸手をあげてこれがいいと言われると、ちょっと待てよと思うたちである。でこの環境ビジネスであるが、すぐに浮かんだのが、こばんざめ商法かよである。他にもいろいろ浮かんでくる。

人のふんどしで相撲をとる、さしみのつま、グリコのおまけ、マッチポンプ、衛星ビジネスなどなど。もうお分かりですよね。まず、コアあるいはメインのビジネスがあって、その周辺のビジネスですよね。言い方をかえれば、そのビジネスだけでは成立しない、コアやメインビジネスがあってこそ成立するものなのである。

そんなビジネスを救世主のように言うのはやめてくれといいうことなのだ。さらに、このこばんざめ商法にもポジティブなものとネガティブなものがある。ここもよくみると意外なことがわかってくる。

ここでポジティブかネガティブかの岐路は、人間、組織、会社などにとって幸福を願うものなのか、そうでないのかということである。ここはかなり怖ろしい話になるが、あえて考えてみることにする。

どういうことかと言うと、環境問題を例にとればわかりやすいと思うが、環境ビジネスが成立するということは、環境破壊あるいは環境に悪いことをするから、それを防ぐ、直す、対応策をとるといったことがビジネスのネタになる。ということは、ビジネスを繁栄させようとすると、コアビジネスで環境に悪いことをどんどんやってもらうことが、そのビジネスの利益をもたらしてくれるというわけである。

やっぱおかしいでしょ。CO2をいっぱい出して、それを改修するビジネスって、マッチポンプですよね。
だから、みん環境という美辞でだまされていると思う。ということは、もっとコアあるいはメインビジネスのありかたに目をむけるべきなのだ。

人のあるいは組織の不幸あるいは不具合、間違い、そんなことを願うことで成り立つビジネスの品格をどう保つのかという問題が横たわっているのだ。

たとえば、あえて医師のことを言うが、人間が病気になったほうがビジネス的にいいというのはどうなのかということである。製薬会社の心理も一緒であるが、自分たちの顧客は不幸な人たちである。ということは、人が不幸になることがビジネスチャンスであるということになる。これは、おそろしいことなのだ。
だから、ビジネスの品格というものがあるような気がするのだ。

その基準は人あるいは組織の不幸を願うビジネスではないというものか、例えそうであっても幸せを願う姿勢を失わないことではないかと思うのである。

でもビジネスということをぼくは言っている。ビジネスはお金儲けをしなくてはいけない。それは単純にモノやサービスを買ってくれるひとを増やすことなのだ。ここで言っているのが、それが人や組織の幸せに単純につながっているかどうかなのだと思うのである。

話を環境の問題に戻ると、一番単純に考えれば、環境問題を引起してもコアあるいはメインビジネスは必要であったのである。生活を楽にしたい、面白いことをしたいといって、多少のネガティブ効果を無視してもいいのだと眼をつぶったのだ。

それはそういうトレードオフを選択したのである。それは鬼っ子であって、けっしてメインのビジネスに躍り出ることはありえないのである。そういう議論が必要なのであって、ファッションの環境はいらない。

でタイトルのビジネスの品格を考えたとき、面白いことになる、それは評価基準として、幸せを願うことがビジネスのインセンティブになるのか、不幸になることをビジネスチャンスととらえるかということになる。

おそらく、こういう切り口で職業の品格のようなことを見たことがないと思うが、いちどこうした見方をすると面白いと思う。

そうなると、会社のトラブルが多いほうが儲かる弁護士や保険会社、人が病気になったほうが儲かる医者や製薬会社、ごみやCO2をいっぱい出してほしい環境ビジネスって少しおかいしような気がするのです。

でもぼくは全面的に否定する気まったくなくて、というか自分自身が石油化会社にいていやというほど味わったジレンマである

結局、うまく折り合いをつける、バランスシートを成立させることだと思う。極端に2極に持っていくことではなく、落着くところは結局釣り合ったところである。だから、少し資本主義というのがいいのじゃないだろうか。


2008年11月17日

妻の退院

昨日、やっと妻が退院した。当初の予想よりだいぶ長く、1ヶ月近く入院したことになる。ただし、退院したといっても手放しで喜べない。というのは、まだ腸の具合がよくなく、昨日も休日だというのに検査してくれて、その結果は、入院継続であったが、無理やり退院させてもらったのである。

妻が言うのには、病院にいなくてはできない治療というのではなく、基本的には食事制限と薬なので、それだったら家でもできるということらしい。むしろ、病院にいるときのストレスのほうが大きく、直るものも直らないと言っていた。

これは、半年前にばあちゃんが入院したときも同じような話があって、特に複数部屋で同室の人の相性や周囲への気づかいで結構ストレスがあるようで、そういうことを考えると、家に帰って、ストレス除去をするほうがよいという選択肢はあると思う。

ということで、医師の制止を振り切って(大げさか)、退院してきた。どうも、最初は知らなかったのだが、子宮ガンの手術は思ったより大変だということがわかってきた。

まあ、気長に療養していくというか、そういう気持ちが大事であるとつくづく思う。結局、おそらくのところ、まったく健康で過ごせる人はいないような気がする。

昔と違って、これだけ医学が発達すると、なかなか簡単に死ねない時代になったということは、別ない言い方をすると、何らかの持病を抱えながら生きることを強いる時でもあるということを自覚していくことだと思うのである。

2008年12月 2日

経済成長しかないのですか?

どうもいろいろな論調を聞いていると、今のような景気後退局面をみな嘆き、経済成長に戻すために何をしたらいいのかといった議論になる。

すなわち、経済が停滞することは悪いことで、いつも経済成長していなくてはいけないという大合唱である。

そうなのだろうか。

地球温暖化をなげく人は喜べばいいじゃないですか。経済成長がにぶれば当然温室効果ガスは削減されるので願ったりですよね。

少子化を嘆く人は、喜べばいいじゃないですか。経済規模が小さくなれば、少ない人口でもやっていけますよ。

格差社会を嘆く人は、喜べばいいじゃないですか。貧乏になれば格差は狭まりますよ。

どうも皆はなから経済は成長するものだ、そうでなければ困ったことになると思っている節がある。ぜんぜん困らないですよ。30年40年前の生活をすればいい。

若い人は、それは困るという。車がなくなったら、とかコンビニがなくなったら、シャワートイレがなくなったら、とかとか思うのだろうが、それをなくすことでもない。

そういう普通の生活に入り込んだものは、効率的に使えばいいのであって、簡単にいえば、ぜいたく品は要らないし、まだ使えるものを使えば今の生活とそう変わらないでいられると思う。

だから、テレビで消費を煽るCMはやめてもらい、無駄の上に成り立つ通販や100円ショップもやめてもらえばいい。ファーストフードも家で作って食べればいい。

要するに、必要なものを我慢するということではなく、必要なものしか買わないで、それを大切に長く使うということなのだ。

そして、何よりインターネットがあれば、お金がなくても楽しく遊べるでしょう。そういう走り続けるばかりではなく、ふと立ち止まって、大きく息を吐くことも大事ではないだろうか。
 

2008年12月 7日

冬本番

今日は寒い。
富士山もすっかり雪化粧で冬本番といったところ。
先週から風邪をひいてしまい調子が悪いが、午後から高校のクラス会だ。

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こんなクラス会もある

昨日は、高校卒業以来初めてのクラス会があった。なんと、高校1年生の時のクラスのやつだ。ぼくらの高校は1年生が終わるとクラス替えがあって、その後2年、3年は持ち上がりでそのままである。ですから、普通クラス会というと3年生の時のことをいう。

この3年のときのクラス会は、今年の9月にやった。ところが、1年生の時のクラス会をやろうと誰が言い出したか知らないが、もうだいぶ前に通知があった。最初は、自分が何クラスか忘れているひとも多く、しかも印象がそんなに強くないので集まるのかなあと思ったが、幹事の執念のおかげか21人もの出席があった。

でもやはり最初に会ったときのには分からなかった。しばらくして名簿と照らし合わせながらああおまえかという風になる。3年の時同じクラスだったやつとサッカー部のやつくらいしか卒業後会っていないので、ほとんどがこんな状態だ。

しかし、時間が経つにつれて、高校生活が蘇り、みな当時のにきびづらの顔に戻っていったのである。21人が高校卒業してからどんなことをしてきたかをしゃべるから、一人平均10分くらいかかり、全部が終わるのに3時間半もかかってしまった。

しかし、それぞれの話が皆面白いのだ。とくに仕事の話ではなく、私生活のことがすごい。若いとき登山で遭難して、仲間が死んでしまい自分も九死に一生を得たという話がでたら、自動車でがけから落ちてちょうど木があってそこで宙吊りになって助かったとか、自転車で脱輪してこれまたがけから転落したとかそんな話が飛び出してくる。

そうかと思うと、高校のころからずっとひきこもりだったやつが延々30分くらい話出したり、築地の魚河岸で仲買人をやっていたやつとか、来年高校時代組んでいたバンドを復活させてコンサートをやるやつとかほんと面白かった。

どうして、1年生の時のクラス会をやることになったかというとそのときの担任の先生の影響が大きい。その先生は国語の先生でI先生といったが、ぼくらを担任したときはまだ34歳である。非常に優しくて厳しくてすばらしい先生で、昨日も異句同音に多感なぼくらの高校生活の最初にこういう先生とめぐりあえたのは非常に幸運だったということを言っていた。

その先生は、不幸にも55歳のとき家の直前で酔払い運転の車にはねられ帰らぬひととなってしまった。そんないい先生だったので、今でもぼくらだけではなく、何代もの教え子たちが先生を偲んでクラス会をやっているそうだ。I先生は歌人でもあり、漢文の権威でもあったので、もう少し長生きをして、そちらで業績を残してもらいたかった。

昨日も墓誌に刻まれた先生の作品「流動を 深き心に 蔵(かく)しゐる 坂東太郎を 思ひて眠る」という歌を聞き、みな感慨に浸ったのでした。

もっといろいろなエピソードが披露されたが、幹事の一人がいみじくも言っていたが、みんなに会うこと、みんなの話を聞くことで元気をもらえると言ったことが印象に残った。そしてまた来年もやることになった。
 

 

2008年12月10日

「粋」ということ

数日前に「「型」と日本人」という本を紹介したが、そのなかに江戸時代における「粋」ということに言及した。「野暮」との対比で江戸っ子の心意気を「粋」という言葉が代表していると書いた。

ぼくはこの「粋」という言葉が気に入っていて、自分も粋な男になりたいと思っている。

この間何か教育についてのテレビ番組でビートたけしが、これからは粋に行こうと思っているとか言ったら、同席していた石原慎太郎にたけしから毒を抜いたら面白くもなんともないとひやかされていた。

たけしのように、そろそろ老境に入ろうかという時期と江戸っ子であることが重なるとどうもそういう心境になるようだ。ぼくも最近とみに思うようになった。

ではこの粋という概念はどういうことなのだろうか。一番有名なのは、九鬼周造の「いきの構造」だろう。ここで言っている中で、「いき」の内包的構造として、媚態、意気地、諦めの3つをあげている。

媚態というのは色気である。これがなければ粋ではない。ぼくが、最近一番うれしかったほめ言葉はなんだと思いますか。よく、「男前だね」とか「笑顔がステキ」だとか「いい人ですね」とか言われるが(笑)、ある呑み屋のおばさんに「色気があるねえ」と言われたときには、飛び上がって喜んだ。だって、歳はとっていてもいちおう女のひとからそう言われればうれいいものだ。

意気地はわかりやすいが、諦めというのはどういうことなのだろうか。その中では、あっさり、すっきり、瀟洒たる心持ということだと書いてある。しつこいヤツはダメというわけである。

ぼくの個人的な定義は、何か一方的な心持だけを言うのではなく、バランスだと思う。清濁あわせ持つということでもないが、対立する概念をうまくコントロールできることのように思える。具体的にはちょっと似ていますが次のことだと考えている。

情熱と冷静
矜持と諦観
自信と謙虚

このバランスが崩れて、熱いだけのやつとか、何もする気のないやつとか、自信過剰なヤツとかいますよね。そこを、バランスよくコントロールできるひとが「粋」な人と思っている。早くそうなれるといいのだが。

2008年12月25日

オーバーシュート

いまから言っておくがみんなぶれるなということである。これから、多分経済危機を煽り立てるようなマスメディアの喧騒や、第一次産業への回帰の大合唱が始まると思うが(もう始まっているか)、よく注意しなくてはならない。

昔エネルギー危機のとき、クーラーを止めて団扇にして、昼休みは蛍光灯を消して真っ暗という状況が出現した。それと同じようなことがおきるかもしれない。それはそれとして、いいのだけれど、日本人の悪い癖はオーバーシュートすることである。

要するに振れすぎるのである。だから、マスコミが全くアホだからということもあるが、これからそんなてのひらを返したような話が新聞紙面やテレビにどんどん出てくると思うので注意したほうがいい。

そこをぶれたらいけない。ぶれないためにも金がないという状態がべつにそう悪いことではないという視点が必要である。遠藤実は小学校しか出ないから高校三年生が作れたのである。そんな流れは悪くないのじゃないかと思うのである。

いま、こどもの時のことを「極私的年代記」で書いているが、別にこういう状況になったから書いたわけではなく、ただ単に遺言であるのだけれど、どうもいまの世の中の昔ははよかった風の論調が気持ち悪いのである。

普通に行こうよというのがぼくのメッセージで、王道って言葉があるけど王さまの道ではなく、庶民の道を貫くことじゃないだろうか。本当の庶民って、自分だけよければいいと思うのではなく、周りのの人が幸せになることが自分の幸せになると思うことでなないだろうか。

シンプルに考えればいいのであって、「あなたのやっていることはあなたたちのまわりにいる人々の幸せに貢献しているのだろうか」と問うことだ。そういう心根を持ち続けたら、ぶれることはないと思うのである。

そしてまた、オーバーシュートしないためにも、もっとマスメディアに対して懐疑的になったほうがいい。劣化したマスメディアはゴシップ雑誌とかわらない。

だから、こういうときにから元気でもいいから元気をだす天邪鬼になるのがいい。いまがチャンスだと思うバランス感覚を持とうじゃないですか。
 

2008年12月26日

街場の小経済学その2

うなぎやの話である。毎週出かけるときに通る地下の新橋駅改札を出てすぐのところに、斜め前同士でうなぎ屋がある。そのあたりでよく昼飯を食べるので、時にはうなぎを食べることがある。

すこし前までは、両店ともうな丼が900円であった。まあ、900円でうなぎが食えればいい。同じ値段だが、美味しさはこれがちと違うのである。そうしたら、うまい方のうなぎ屋が1000円に値上げしたのである。

さて、この100円の差がもたらしたものはなんだったのか。うまさの差が100円、すなわち10%をそこに価値付加したわけである。これはかなり自信がないとできないことである。

そのままのお客さんの数であれば10%の売り上げ増である。ところがそうはいかないはずで、値上げしたとたんお客さんが減ったようにみえた。もちろん、いちいち数えたわけではないので、前を通ったときの込み具合から、そうじゃないかと想像しているだけだが。10%以上減ったように思えた。

ところが徐々にお客さんが戻ったような気がするのである。ぼくにしても、100円多く払ってもうまい方がいいやとなってくる。

だが、最近はまた900円の方が多そうな気配である。どうもこの景気の悪さが反映しているようなのだ。この100円をめぐる攻防が面白く、いつもどちらにお客さんが入っているのか見てしまう。

単純に、うまさの差=値段の差だけではなく、世の経済環境にも左右されるようなのである。やっぱり、経済は心理要因のインパクトが大きいという街場の小経済学でした。
 

2008年12月29日

唖然

今朝の新聞のテレビ版をみて唖然とした。NHK教育テレビが午前中の番組放送がないのと午後9時半で放送打ち切りとなっていたことである。

そして、そこには「教育テレビの今日の放送時間短縮では普段の日と比べ約9・4トンのCO2を削減したことになり、これは1700世帯が1日に使用する電力に相当」というような書き込みがあった。

なんか変ですよね。そんなふうに環境問題をいうのならいっそのことテレビ放送やめちゃえばいいじゃないかと思う。それと聴取料払っている側からみたら勝手にサービスをカットしやがって、これは契約違反だとなる。

なにかこう密かに進む集団ヒステリーのようで“厭な感じ”がしてしょうがない。大げさに言えば大政翼賛会ふうで困ってしまう。環境という名のもとでそれに反対するやつは非国民であるという雰囲気が気持ち悪いのだ。

例えば、現在のような景気後退が続けば、自動車の台数だって減るし、工場の稼働率だって落ちるし、それこそテレビも放送時間を短くせざるを得なくなるか放送局が減るかもしれないし、そうなればCO2は大幅に削減でき、京都議定書の約束も実現できるから、大いに歓迎すべきことなのである。

そうなら喜んでいればいいじゃないかと言いたくもなるが、誰もそんなことを言わない。だから前にも言ったが「マッチポンプ」ということなのかもしれない。経済が発展して環境を破壊するからこそエコ運動が成り立つという“変”な話なのである。
 

2008年12月31日

今年をふり返って

いよいよ今年最後の日になった。これで一年間毎日ブログを更新したことになる。われながらよく書いたと感心する。

時にはネタがなくてどうしようかとか、忙しくて時間がとれないとか、妻の入院先の病院からエントリーしたとか、そんなときもあったが何とか書き通すことができた。

そんな記事の総集編をまとめてみた。
カテゴリー別の記事数です。

・BPM( 58)
・業務プロセス設計作法( 23)
・オヤジの本棚(42)
・シネマディクトの禁断症状(56)
・スポーツ“感”戦記(43)
・ビジネス奮闘記(29)
・経営とIT(9)
・親子で紐解くWeb2.0(12)
・極私的年代記(12)
・乱調亭日乗他(107)
・全記事数(396)

こうしてみると、BPMを中心としたITの話と「シネマと書店とスタジアム」関連、そして日常の話がだいたい3分の1ずつといったところになる。

シリーズものでは、「チャイナ話」と「業務プロセス設計作法」が終わって、「極私的年代記」と「私家版業務システム変遷史」が始まった。

BPMについては、最近いろいろなメディアで取り上げられてきて、いよいよ主流に迫ろうとしている感じである。今年は、Web+DBPressにもBPMの記事を書いたし、日経BPにも少しだけ載ったが、来年はもっと注目されていこうと思っている。

今年は還暦であったので、映画館のシニア割引が効くので映画館で観る回数を増やしたいと思ったが、TSUTAYAのDVDレンタルもシニア割引が効くのでついDVDに行ってしまう。

本は、手軽な新書に偏ってしまうが、数多く読みたいとそうなってしまう。じっくり読むことも大事なのだが、つい持ち歩いて読むことを考えるなかなかそうはいかない。

スポーツは、サッカー中心だが、来年はW杯予選が続くし、目が離せない。

さて、皆さんはいかがでしたか。急に景気が悪くなり暗い年末になってしまいましたが、そんなときこそ元気を出していきましょう。ではよいお年を!
 

2009年1月 1日

あけましておめでとうございます

2009年元旦を迎え今年はいい年になりますよう祈っています。ところがこの経済情勢ではむなしく聞こえてきそうですが、ピンチのときこそチャンスと思う心持でいきましょう。

このブログも昨年は皆勤賞でしたが、今年もまた挑戦していこうと思います。ただし、やみくもにつまらないことを書くのではなく中味を充実したものにしたい。

ぼくがブログを書いていて、多少はこだわりというか、ここだけは守ろうよみたいなことがある。それは何かというと、何々を食べた、どこどこへ行った風の私的な日記はやめよう、日々の時事問題に批評を加えるのも極力避けよう、そして、必ず自論を書こうということである。

他人にとってどうでもいいことを書いても結局自分にとってもつまらないことになるような気がする。ある程度、後で読み返して、「そうだあの時そんなことを思っていたんだ」といったものが残せたらと思う。

それから、いちいち新聞やテレビの記事に反射していても単なる評論家のようになってしまう。もちろん本ブログでもそんな記事を何件か取り上げてはいるが、主体的に記事を起こすということが大切ではないだろうか。

そして何よりも評論、反論でとどまらず自論を展開することを心掛けていきたいと思っている。ブログのよさ、あるいは多くの人に読んでもらうためのブログは、こうした書き手の個性ある意見が読めるからである。

この作業はけっこうしんどいのであって、そのためにはぼーとしてないで、いつも一段深く考えるという習慣を身につけておかないとできないのである。そして、書き続けることで書くことが苦にならなくなる。

一年間通して書いてみてわかったことは、このブログの一番のファンはぼく自身であったということである。

さて、今年はどんな記事を書けるのだろうか。よろしくお願いします。

今日は天気がいいので初富士がきれいです。 
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2009年1月 5日

漢字と英語

白川静の本を読んでから、いろいろなことを考えているというか、考えさせられることがいっぱい詰まっていた。ですから、それに触発されたかたちでいくつかのテーマで書いてみようと思う。

まずは、最近学校の英語の授業を英語だけでやるとかといったニュースが話題になるように、世界の共通語である英語へのシフトが進んでいるように思う。そして、いまや学術論文やインターネットは英語でなくては通れなくなっている。それはそれでグローバル化していく上で必要かもしれないが、ぼくはこれによって日本語がどうなってしまうのかが気になる。

白川静の本にもあったのだが、もともとの漢字は中国の文字だが、それがわが国に入ってきたとき、しゃべる中国語は浸透しなかったのだ。日本の言葉に合わせるように、必要なものだけを選んで使っていたのである。ですから、漢字を音訓で読んでいたのでまさに国字ということになるのです。

だから、ベースは日本語でそこに外来語をうまくミックスしながら高度化していったのです。福澤諭吉のように外国語をうまい日本語訳をつけることもやられていたし、西洋の言葉をそのまま日本語のように取りいれていますよね。よく言われる、テレビだとかナイターだとか、英語の発音をそのままではなく日本語化してしまう。これはすごいことだと思う。

ところが、昨今の教育もそうだが、日本語のそうした素晴らしさをほったらかしにして無味乾燥なアルファベットを教えることに汲々としているのを見るにつけだいじょうなのかと心配になる。

だから一部の言葉だけ理解できるひとだけが海外の叡智に触れて、そうしたものを翻訳して普通の生活者に届けなくなるとどうなるのであろうか。ちょっと恐ろしくなった。
 

2009年1月 7日

I Have a Dream.Yes We Can.Thanks.

去年の米国の流行語大賞は、オバマの「Yes We Can」 ではないだろうか。日本の「グ~!」と「アラフォー」じゃどうにもこうにも比較にもならん。

それで、キング牧師の有名な言葉、I Have a Dream とつなげてみた。もう45年前の有名な演説でこの言葉で切り出して公民権運動の高まりを見せた、あのフレーズである。その夢をオバマがかなえたのが昨年の大統領選であった。

こうしてつなげてみると、われわれがふだん心得ていかなくてはいけない言葉を示しているように思える。
日本語で言えば、「いつも夢を持ちなさい。そうすれば、必ずかなえられる。そして、それができたら感謝しなさい」とでもなろうか。

そうなんです。これはぼくが座右の銘にしている、村上和雄さんの「高い志、プラス思考、感謝」につながることなんです。

夢があるいは高い志がなければ自分の存在価値はない。それがあってこそ、それを実現するための努力をする。けっして諦めず、プラス思考で、絶対できるという気持ちを持てばできるのだ。そして、それができたのは自分ひとりでやれたのではなく、まわりの人たちの支えがあってこそできたのだから、その人たちに感謝することを忘れてはいけない。

こんなメッセージがこめられている。どこかの国の政治家によく聞いておけと言いたくもなるのである。
 

2009年1月12日

街場の小経済学その3

いまの仕事柄、背広をほとんど着なくなり、せいぜいジャケットを着るくらいだし、事務所にいるときはセーターとかトレーナーである。そうなると重宝するのがユニクロである。それこそ、靴下から下着、綿パンも含めてユニクロ調達が多くなる。

そこで思ったのは、ユニクロは本当に安いのかということである。というのは、どうも持ちが悪いように感じるからである。デザインが毎年変わるから、買い換えるということもあるが、1年か2年で新しいのに変えている。これは、デザインの刷新ということだけではないように思う。耐久性の問題である。ユニクロ以外のものはもちろん高いのだが何年も着ることができる。

ところで、どうしてここまでユニクロが伸びたのだろうか。みな価格の低さをいうがそうだろうか。ぼくは、これだけ受け入れられたのはデザインのよさだと思う。ユニクロ以前は、特におじさんなんてそれこそダサイものしかなかった。いいものがあっても高価だった。よくゴルフウエアがカジュアルの代表みたいに言われたこともあった。それがユニクロが登場しておじさんたちの着ているものが洗練されてきた。

ぼくの個人的なことでいえば、前にこのブログでも書いたが、昔から着るものはトラディショナルなものを着ている。トラディショナルというのに変えてしまうのはやめてよねという話を書いた。そのトラディショナルなファッションをユニクロが提供したことがインパクトがあったのだとぼくは考えている。

オックスフォードのボタンダウンシャツってなかなか売っていなくて、あってものニューヨーカーとか高かったりしていた。それを安価でカッコイイものを売り出したのである。それが、折りしもクールビズの流れもあっておじさんたちにもボタンダウンシャツにチノパンといういでたちが増えていったのである。

そういうスタイルに合った商品を提供していったことがユニクロのビジネスを成立させているわけで、決して安いからということではない。だから、毎年着れないトラディショナルでも、擬似的かつスポット的なトラディショナルでも受け入れられたのではないだろうか。

しかし、ユニクロ以外で少々値がはるものだと、何年も前に買ったシャツやセーターやジャケットが今でも着れるのにユニクロのものは2年も着ればいいほうで捨ててしまうというのはいかがかと思ってしまう。

結局何を言いたかというと、ユニクロは寿命を考慮すると決して安くはないが、デザインのよさで市場を獲得したということである。最近は機能性も評価されているようだ。
 

2009年1月18日

第1回OB会

昨日は、念願だった大学時代のサッカー部のOB会が開催された。1961年に創部されたので48年目になる。去年のOB戦でOB会を作ろうという話になり、それから準備委員会を作り、規約から名簿作成といった作業を行い、やっと昨日を迎えることができた。

昨日は、第一回の総会と懇親会を大学のキャンパス内で行なった。懇親会の会場である食堂は昔のままですごく懐かしく、また構内はぼくらの時代とずいぶんと変わっていて、建物がすごく増えてびっくりした。

総会は50人近くの人が出席してくれて、役員選出や規約の承認などを行い、そのあと懇親会に移ったが、そこには100人以上の参加があり、学部長や顧問の教授からも祝辞をいただいた。

何しろ48年間だから、OBが600名くらいになる。親子ほど違うOBが一堂に会すので実に面白い。ぼくの3年下の後輩の息子が現役の部員として受付や懇親会の設営を手伝ってくれたりした。

会場では、それこそ40年ぶりで会う人もいて最初は誰だかわからないのだが、すぐにああーとお互いに声を出し合うという状態があちこちで現出する。

OB会の出席者は、年寄りと若い子たちに偏る傾向がある。30歳から50歳くらいまでの参加者が少ない。今回も入学年度(最初卒業年度にしたらまずいことに留年組がけっこういて、入学年度に変えた)ごとに幹事を決めてその人たちがその年度をまとめることにしていたが、その年代で幹事さえ欠席という年がけっこうあった。

これはある意味しかたないことで、自分の経験にも照らし合わせて見ても、どうしても会社や家庭が忙しい年代なのでなかなか時間が取れないようだ。ただ、彼らも年をとってくると自然とまた集まってくると思うのでそれまで連絡が途絶えないようにしておくことなのだろう。

さて、昨日は受付係で始まるときと終わるときにお金を徴収する役目だったのであまり飲むこともできず、幹事団の2次会で飲みなおして帰路についたのであります。
 

2009年1月23日

専門家というワナ

よくこの問題は難しいから専門家の意見を聞こうというがこれは正しいのだろうか?政府でも何とか審議会のようなものもその筋の専門家を集めることになっている。しかし、こういう場合の専門家というのはどういう人なのだろうか。

問題は、往々にしてこういう審議会は何か新しいことを始めようとしたとき、あるいは今までにないことがおきたときに開かれるのが常である。そこでだ、その時に登場する専門家と呼ばれる人たちは、だいたいがこれまの業績で評価されてきた人たちなわけです。そういう基準で選ばれるわけです。

こうしたことって全くナンセンスであると思いませんか。新しいことなのだから、従来の考え方を変えていこうとすることが多いはずだ。そんなときにそこの領域で名を残すようなひとは、変えようとしないから、審議の結果、これまでの延長線から抜け出ることはなく、何が新しいことがでてきたのかわからなくなってしまう。

これは政府の審議会だけのことではありません。マスメディアでも一緒で、意見を聞くといったらもうその道で食っているひとで、いつも同じ人が出てきます。そんな人の意見や考え方はこうした環境や価値の変化が激しい時代はよく言っても半歩遅れているし、代表できないのです。

ですから、専門家といわれたら眉に唾をかけたらいいと思う。だいいち、政府にしろ、メディアにしろ自分たちに都合いいことしか言わない人を専門家といっているだけである。つい名の通ったひとの意見は正しいと思ってしまうが、そうではないことが今回の金融危機で証明されたと思う。

もう、みんな以前言ってきたことを手のひらを返すように解説しているけど、ちゃんと分析しないで口からでまかせを言っているやからが多いのは困ったものだ。
 

2009年1月26日

リア充

たまにこの言葉をネットで見かけることがある。何のことかと思っていたら、リアリティが充実していることをさすらしい。現実生活がうまくいっていることのようだ。その対語があるのかないのか知らないが、「バーチャ充」であるが、それは哀しいのでそんなものはないと思う。

ところでその「リア充」という言葉が朝日新聞に登場したのでちょっぴり驚いた。年末か年初か忘れてしまったが、社会学者で東大名誉教授の見田宗介が書いた記事がそれだ。

タイトルがたしか「リアリティに飢える人々」だったと思うが、そのなかですごく興味を惹いたのは、1968年に起きた連続射殺事件(永山則夫事件)と昨年の秋葉原で起きた無差別殺傷事件(加藤智大事件)を比較していたことである。

両事件とも若い男が動機もよく分からない無差別殺人を行ったことである。なぜなのだという問いがずっと続けられるという、そういう事件であった。ということで、両者は現象としては似かよっているように見えるが、実は違いがあるというのである。

その違いのことである。そのとき、重要な2つの視点でその違いを指摘している。

「未来があるのとない」、「まなざしを受けることとまなざしを受けられない」違いである。ひとことで言うと、「空気が濃いから空気が薄い」へということになる。これには、思わずうなずいたのである。

たぶん若い人は永山則夫事件を知らないと思うが、1968年はぼくが大学入学した年であるし、似かよった年の若者が起こした事件だからよく覚えている。

この未来があるかないかということはどういうことかというと、永山の時代は、いやぼくらの時代でもあるが、未来は確かにあった。それは、単純に戦争に負けて、アイデンティをぐちゃぐちゃにされ、みんな苦しい生活を強いられ、そこからどうやって抜け出たらいいのかと思ったら、きっと人間誰だって明るい世界が先にあると思うものだ。

三丁目の夕日をみてくれればいいのだ。全共闘だって、実は奥には明るい未来があったので、その実現の仕方で異相を生じていたような気がする。というか、明るい未来に向かって清算しておきたかったことがあったのかもしれない。

それが、秋葉原では逆に未来を信じられなくなったのだそうだ。未来を信じられないということは、単純にいうと渇望度の希薄さなのかもしれない。今のような生活を基点とした場合、めざすものが奈辺にあるのか見えにくいと思う。これ以上何を求めるのだ、何があるのだという意識である。

もうひとつの、「まなざしを受けることとまなざしを受けられない」という問題である。この差も指摘している。すなわち、ぼくらの時代は、よかれ悪しかれ周囲のまなざしを浴びていた。それを世間とか、お天道様というような言われ方でみな認識していた。

それがぼくらの規範であったわけで、それをうるさいと感じた人たちもいて、様々なコンフリクトをおこしていたことも確かだが、それはそれで共同体意識は失われてはいなかった。

ところが、今は逆に誰にもみられていないことに怖れを感じ、かまってほしいと思うようになっているようだ。このたった40年で変わってしまったのだろうか。

こうしたことが空気の濃さから薄さへの変化と考えているようである。なるほど。ずいぶんと時代は変わっているように思える。だから、同じような若者による動機のない無差別殺人事件であっても、その背景や空気が違っているという。

とうことは、現在は「バーチャルな時代」であり、その中で“未来を感じられなくなり”しかもだれからも“まなざしを受けられなくなる”とリアルの世界に飢えていくという構図なのだろうか。

しかし、ぼくは少し違うような気がする。いったいバーチャルって何、リアリティって何ということである。ぼくにはよくわからないと言うのが正直なところだ。

「リア充」ではないからネットに逃げるということも確かにあるかもしれないが、だからといってネットがなんでもバーチャルかというとそんなことはなくて、別にネットの世界だって十分にリアルだと思う。

例えば、TwitterとかIRCとかでコミュニケーションとっているのはリアルですよね。また、オフ会というのがあるが、それこそもろリアルな出会いがあるわけである。

でもきっとそれは単に目の前にある現実ということであって、リアリティと言うのは、実はそれぞれ人の心の中にあって、“自分がそこにいることを納得できるかどうか”が「リア充」かそうでないかという差ではないだろうか。

であれば、それはいつの時代でも、どんな年齢でもありえることなのだろう。
 

2009年1月29日

人類は退化している?

先日来、「生命をつなぐ進化のふしぎ」(内田亮子著 ちくま新書)と「暴力はどこからきたか  人間性の起源を探る」(山極寿一著 NHKブックス)を読んで、人間の進化の過程を知ったのだが、そこでは、人間は霊長類から適応的に種々の能力を得て進化してできたと書いてあるが、どうもそうだろうかと思うことがある。

それは、最近の若い子をみていると退化しているのではないか、昔の類人猿に戻っているのではないかと思えてくるのである。以前「ケータイを持ったサル」(正高 信男著 中公新書)という本があって若者がサル化していると指摘していたが、同じような話である。

山極の本では、進化の過程を次のように言っている。特に食物と性がキーポイントである。

最初の霊長類が誕生したのは、新世紀の初頭の今から6500万年前の北アフリカである。最初の霊長類は、樹上で昆虫を食べていた。(今の若者が昆虫を食べるようになったわけではありませんよ(笑))

なぜ、樹上にいたかというと地上の捕食者から逃れるためである。そして、昆虫だけではなく、花、葉、果実なども食べるようになった。これは、植物にとってもいいことで、霊長類は大量の果実を飲み込んで、種子を糞とともに散布してくれるので繁殖には好都合だったのである。共生的に進化していったのである。

また、その頃の霊長類は夜行性であった。というのは、鳥類との食卓争いなのである。そのために夜に行動していたのである。そして、昆虫だけでなく葉を食べるようになった霊長類は大型化してくる。そうなると、鳥類と競合できるようになり昼行性へと変わっていくことになる。さらに、そのとき樹上生活で得た手の操作や腕使いを地上に下りたとき活用するために二足歩行へと移っていった。

ところで、この昼行性になったが、そうでないものもいたが、そのとき面白いのは、群れるのかペアなのかといったテリトリー問題がある。昼行性のものでは、単独でテリトリーを構える種はない。そしてメスがオスより優位であることが多いのだそうだ。逆に夜行性であると群れずペアで行動することが多いという。

さて。次は性の問題である。これが家族の誕生に関係するわけだから重要である。実は、人間は哺乳類としてはじめて集団生活とペア生活が両立できるような社会を作ったのである。

それができたのは「インセストタブー」によって性の競合を緩和する家族という形態が必要で、それを社会的な目的に使ったのだ。このインセストタブーというのは、近親間の性交渉の禁止のことで、このタブーがあるために、血縁関係にある同性、特に親子は性の相手をめぐって競合することなしに平和に暮らせるのだ。

そして、人類の食生活の顕著な特徴は、わざわざ食物を仲間のところにもってきて食べるということだそうな。その場で食べられる食物も、それほど量のない食物も、ヒトは消費せずにもって帰ることが多い。この分かち合う行為を家族というものを作ったときに確立した。

こうした、食を分かち合うことによって強化された結束力は、無償で家族や共同体に奉仕する行為を生み、大型の肉食動物が徘徊するサバンナで初期人類が生き抜く大きな原動力になったのである。

まだまだ、話は尽きないのだが、どうやって進化して人間らしさを獲得していったかが少しは分かったのではないでしょうか。

それで最初の若者退化論ですが、どうも夜行性、メス優位、単独行動、非家族化、近親相姦的親子関係、非互酬性、食物を分け与えないなどなど、進化前の類人の生態に似ていると思いませんか。
 

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2009年2月 1日

5世代会

還暦の時というと同窓会やら同期会が急に増える。いくぶん、自らで増やしていることもある。昨年半ばから、高校の1年、3年のクラス会、高校のサッカー部の還暦を祝う会、そして年があけて大学のサッカー部のOB会、元の会社の同僚という具合に毎月のように懐かしいひとたちと会う機会があった。

昨日は新宿で大学のサッカー部の5世代にわたる人たちの集まりを行なった。5世代というのは、ぼくの3つ上と1つ下の世代である。高校も大学もサッカー部の集まりはいずれもぼくが幹事をした。よくやるねえと言われることもあるが、自分で企画したほうが楽しくなると思っているので、どうしてもそうなってしまう。

昨日は34人の参加があった。ぼくは、最近けっこうこうした会に参加していたのでおおかたの人は知っていたが、それでも卒業以来というひともいて、その変わりようにびっくりしたりした。

いつものことながら、最初はよそよそしかったのがだんだんと学生時代そのままが出てくる。そして、みんな昔のことをよく覚えている。

当然、勉強のことではなく、サッカーのこと麻雀のことダンパ(ダンスパーティのことです)のことなどが話題の中心である。びっくりしたのは、いまだに試験に落ちて卒業できないという夢にうなされることがあるという、ぼくも思わずおれもそうだとうなづいてしまう話や、コンパ(飲み会です)で踊った話、合宿で塗られたサロメチールの話やらで盛り上がったのである。

でもやっぱり、まだみんなサッカーに関わっていて、いまだに現役でやっている人もいるし、子供がやっているとか、少年サッカーの指導をしているとか、そんなスピーチが多かった。楽しかったので続けてやろうと言われて幹事としてすごくうれしかった。お疲れ様でした。
 

2009年2月13日

比較というワナ

“ワナ”シリーズ第二弾(そんなのあったの?)で、今回は「比較」ということについて。どうも日本人は比較の中に自分あるいは自分の組織、自分の国の存在を置いているような気がするのである。

ぼくの経験でも、例えば仕事で提案したり、企画をしたりすると、必ず聞かれることがある。それは、他社や他製品と比較したかである。

不思議なのは、独創的なもので新しいジャンルのものであっても言われるのである。どうして、そんなよそのことを気にするのかと思うのだが、結局、これだけ比較検討した結果、うちの提案はそれよりちょっといいですよというのが、安心感みたいなものに訴えかけるのかもしれない。

リスクがないし、すこし優位だから安心でしょというわけである。ところで、経営トップはそんなことを望んでいるのだろうか。どうも違うような気がする。もっと、大胆でもいいから豊かな発想の提案をしてこいと思っているはずだ。変な自己規制をかけているように思える。

同じような話が、政治や経済にもあるのではないでしょうか。よその国と比較して、日本はいいとか悪いとかすぐしたくなるようだ。主体的にわれわれはこう行くという姿勢がないから、周りの国に振り回される。アメリカがくしゃみをしたら、日本はすぐに風邪をひく。

この比較思考はやめるわけにはいかないけど、独立的にどうしたいとか、ひとと違ったものをつくりたいとかそういった非比較思考も必要な気がする。

そんなことを思ったのは、オバマ新大統領の就任演説を聞いたからである。何よりもそこには、どこかの国を引き合いに出すこともなく、自分たちが築き上げた国を見つめなおし、またがんばって行こうみたいなそうした非比較思考に溢れていたからである。

オバマのような演説ができる政治家が日本のどこにいるのかとながめたとき愕然としたのはぼくだけではないと思う。そうした言葉でひっぱっていけるのがリーダシップでもあるのだ。

そしてまた愕然とするのである。そうしたリーダシップを取れる真のリーダの育て方を知らない日本にである。育て方を知らないこともあるのだが、むしろ育ってほしくないという意地悪な根性があるように思えてならないのだ。

その原因の一つに、「比較思考」がしみついた社会があるような気がしてならないのだ。

2009年2月14日

詐欺にあったような

去年末にe-Mobileとの抱き合わせ販売でネットPCを買ったので、e-Mobileを二重に契約したことになった。すぐに解約する手もあったが、解約料もとられるからと思って、まあ、1年契約だったのでその期限が3月だからそのとき契約満了でやめることにした。

それで、サポートセンターに電話したら、解約申請書を送るからそれに記入して送り返してくれという。解約手続きってわざと面倒にしているんだよな。

そうしたら、申請書が着いた時点で解約になるという。もし、それが満了日に対して早すぎると契約解除料がかかり、逆にそれが遅れると、翌月の基本料金の日割り金額を請求されるという。

おっとっとどういうことかわけわかんねえ。どうでもいいからお金がかからないで解約できる方法を教えてくれと言ったら、なんとそういう方法はありませんときた。おいおい、そんなことがどこに書いてあるんだ。その契約満了日にお宅の会社に解約申請書をもっていくからと言ったら、書面の郵送でしか受付けできないことになっていますときた。

そりゃねえーだろう、もし郵送が何かの手違いで遅れたどうするのだろうか。普通に考えると満了日前に申請書を出しておいて、満了日で契約が打ち切られるということだろう。

だって、契約した時もその月に基本料金が発生して、日割りで徴収され、満了月も基本料金をとられているんだから、どうしてその満了日を境に契約解除できないのだ。

これって詐欺じゃねえの。何度いっても埒があかないからいま解約することにするわ。何か気分が悪い。
 

2009年2月20日

街場の小経済学その4

最近、急に雇用問題がクローズアップされている。この経済情勢では当然であるが、何か意図的なものも感じられ、あまり熱くならないほうがいいように思う。

議論が情緒的になって、やれ雇用確保は企業責任だとか企業の内部留保を吐き出せとか、ワークシェアリングだとか言い出していて、あたかも企業が悪玉のように扱われる。景気がいい時はそんなことは何も言わないで、この時期にかさになって追及する。弱り目に祟り目である。

しまいには、終身雇用がいいとか言いだす。まあ同じ仕事を続けたいというのは当然の要求だが、だからといって、それが終身雇用でなくては実現できないということが問題で、大事なのは会社が倒産しても同じ仕事を同じ条件で別の会社できるようにすることなのだ。

今のような終身雇用を引きずるとろくに働くかなくても給料をもらえるから、生産性はどんどん落ちていく。もうそんなに言うんだったら、社会主義にすりゃいいじゃんという恐ろしい話になる。ぼくが今望んでいる制度は、「いつもちょっと資本主義」(景気がよくなると資本主義で、悪くなると社会主義の人がどこかの国に多くいますよね)だと思っている。

どっぷりでも軽くでも資本主義を選択したからには、格差は当然だし、今回のような雇用維持を企業に求めるのは間違いである。企業が成長して利潤を生んでそのことで雇用を創出するのが基本だから、その逆に損失を生んだら雇用は確保できないのは当たり前ですよね。だから、身勝手に聞こえてしょうがない。

少なくとも、企業を攻撃するのはやめた方がいい。向ける先は政府であって、その無策によるセーフティネットの不在が問題なのである。バカな法律ばかり作ってないで、ちゃんとした制度設計をしてくれなくてはいけない。

おわかりのように資本主義というのは、お金の流れを作ることだから、その流れは“差”がないとできませんよね。均衡が崩れるとか、格差が広がるとか、情報の非対称性いったところにお金の流れを作るのです。それは、自然にできる場合もあるし、意図的に作り出す場合もある。

卑近な例でいうとテレビのコマーシャルや新聞の広告がそうですよね。あなたはもっといい生活をしなくてはいけないとか、みんなが持っているものをあなたも持たなくてはという風に煽るわけです。いつも消費者は充足されていないという“差”を喧伝するのである。

最たるものはバブルである。そうなんです、資本主義である限りバブルは絶対になくならないのだ。資本はバブルに向かって投入されるのが鉄則だからである。

ただ、恐いのはバブルはバブルであるときはだれも気付かないではじけて初めてそれがバブルだとわかるということである。じゃあどうしたらいいのかだが、まあ、お金を持たなけりゃいいんじゃない。
 

2009年2月23日

壁と卵

やはり書かずにはいられない。

エルサレム賞の授賞講演で村上春樹が行なったスピーチのことである。読んだとき激しく揺さぶられ、感動し、そして涙した。久しく日本人の口からこのような感動的な言葉を聞いたことがない。それも、かなり政治的な状況の中でである。

作家であるから当然かもしれないが、言葉の力の偉大さを感じざるをえない。これは、オバマの就任演説もそうだろう。

壁と卵という表現で人間の脆さと「システム」という壁の強固さを対比させ、しかし、自分は断固として卵の側に立つという宣言はなんという毅然たる姿だろう。

そして、めったに聞いたことのない父親のエピソードをさらっと、しかし威厳にみちた言い回しで語る。

彼がここで言う「システム」というのはいろいろな解釈がなされると思います。共通的にいえるのは、それは人間が人工的に作ったものであるということです。自然なものではなく、都市的なものである。そして、そうして作られたものが、実は人間のコントロールから外れて、自己増殖してしまうところが恐いのだと思う。

いまぼくは、狭義の意味での「システム」を扱っているので、彼のあくまで人間主体であるべきだという主張に心して耳を傾けたのである。

忘れないためにも、少し長くなるが全文を掲載しておく。

こんばんは。わたしは今日、小説家として、つまり嘘を紡ぐプロという立場でエルサレムに来ました。    もちろん、小説家だけが嘘をつくわけではありません。よく知られているように政治家も嘘をつきます。車のセールスマン、肉屋、大工のように、外交官や軍幹部らもそれぞれがそれぞれの嘘をつきます。しかし、小説家の嘘は他の人たちの嘘とは違います。小説家が嘘を言っても非道徳的と批判されることはありません。それどころか、その嘘が大きければ大きいほど、うまい嘘であればいっそう、一般市民や批評家からの称賛が大きくなります。なぜ、そうなのでしょうか?

 それに対する私の答えはこうです。すなわち、上手な嘘をつく、いってみれば、作り話を現実にすることによって、小説家は真実を暴き、新たな光でそれを照らすことができるのです。多くの場合、真実の本来の姿を把握し、正確に表現することは事実上不可能です。だからこそ、私たちは真実を隠れた場所からおびき出し、架空の場所へと運び、小説の形に置き換えるのです。しかしながら、これを成功させるには、私たちの中のどこに真実が存在するのかを明確にしなければなりません。このことは、よい嘘をでっち上げるのに必要な資質なのです。

 そうは言いながらも、今日は嘘をつくつもりはありません。できる限り正直になります。嘘をつかない日は年にほんのわずかしかないのですが、今日がちょうどその日に当たったようです。

 真実をお話しします。日本で、かなりの数の人たちから、エルサレム賞授賞式に出席しないように、と言われました。出席すれば、私の本の不買運動(ボイコット)を起こすと警告する人さえいました。これはもちろん、ガザ地区での激しい戦闘のためでした。国連の報告では、封鎖されたガザ市で1000人以上が命を落とし、彼らの大部分は非武装の市民、つまり子どもやお年寄りであったとのことです。

 受賞の知らせを受けた後、私は何度も自問自答しました。このような時期にイスラエルへ来て、文学賞を受けることが果たして正しい行為なのか、授賞式に出席することが戦闘している一方だけを支持しているという印象を与えないか、圧倒的な軍事力の行使を行った国家の政策を是認することにならないか、と。私はもちろん、このような印象を与えたくありません。私は戦争に反対ですし、どの国家も支持しません。もちろん、私の本がボイコットされるのも見たくはありません。

 しかしながら、慎重に考慮した結果、最終的に出席の判断をしました。この判断の理由の一つは、実に多くの人が行かないようにと私にアドバイスをしたことです。おそらく、他の多くの小説家と同じように、私は人に言われたことと正反対のことをする傾向があるのです。「行ってはいけない」「そんなことはやめなさい」と言われると、特に「警告」を受けると、そこに行きたくなるし、やってみたくなるのです。これは小説家としての私の「気質」かもしれません。小説家は特別な集団なのです。私たちは自分自身の目で見たことや、自分の手で触れたことしかすんなりとは信じないのです。

 というわけで、私はここにやって参りました。遠く離れているより、ここに来ることを選びました。自分自身を見つめないことより、見つめることを選びました。皆さんに何も話さないより、話すことを選んだのです。
 ここで、非常に個人的なメッセージをお話しすることをお許しください。それは小説を書いているときにいつも心に留めていることなのです。紙に書いて壁に貼ろうとまで思ったことはないのですが、私の心の壁に刻まれているものなのです。それはこういうことです。

 「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」ということです。

 そうなんです。その壁がいくら正しく、卵が正しくないとしても、私は卵サイドに立ちます。他の誰かが、何が正しく、正しくないかを決めることになるでしょう。おそらく時や歴史というものが。しかし、もしどのような理由であれ、壁側に立って作品を書く小説家がいたら、その作品にいかなる価値を見い出せるのでしょうか?

 この暗喩が何を意味するのでしょうか?いくつかの場合、それはあまりに単純で明白です。爆弾、戦車、ロケット弾、白リン弾は高い壁です。これらによって押しつぶされ、焼かれ、銃撃を受ける非武装の市民たちが卵です。これがこの暗喩の一つの解釈です。
 
 しかし、それだけではありません。もっと深い意味があります。こう考えてください。私たちは皆、多かれ少なかれ、卵なのです。私たちはそれぞれ、壊れやすい殻の中に入った個性的でかけがえのない心を持っているのです。わたしもそうですし、皆さんもそうなのです。そして、私たちは皆、程度の差こそあれ、高く、堅固な壁に直面しています。その壁の名前は「システム」です。「システム」は私たちを守る存在と思われていますが、時に自己増殖し、私たちを殺し、さ らに私たちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させ始めるのです。

 私が小説を書く目的はただ一つです。個々の精神が持つ威厳さを表出し、それに光を当てることです。小説を書く目的は、「システム」の網の目に私たちの魂がからめ捕られ、傷つけられることを防ぐために、「システム」に対する警戒警報を鳴らし、注意を向けさせることです。私は、生死を扱った物語、愛の物語、人を泣かせ、怖がらせ、笑わせる物語などの小説を書くことで、個々の精神の個性を明確にすることが小説家の仕事であると心から信じています。というわけで、私たちは日々、本当に真剣に作り話を紡ぎ上げていくのです。

 私の父は昨年、90歳で亡くなりました。父は元教師で、時折、僧侶をしていました。京都の大学院生だったとき、徴兵され、中国の戦場に送られました。戦後に生まれた私は、父が朝食前に毎日、長く深いお経を上げているのを見るのが日常でした。ある時、私は父になぜそういったことをするのかを尋ねました。父の答えは、戦場に散った人たちのために祈っているとのことでした。父は、敵であろうが味方であろうが区別なく、「すべて」の戦死者のために祈っているとのことでした。父が仏壇の前で正座している輝くような後ろ姿を見たとき、父の周りに死の影を感じたような気がしました。
 
 父は亡くなりました。父は私が決して知り得ない記憶も一緒に持っていってしまいました。しかし、父の周辺に潜んでいた死という存在が記憶に残っています。以上のことは父のことでわずかにお話しできることですが、最も重要なことの一つです。

 今日、皆さんにお話ししたいことは一つだけです。私たちは、国籍、人種を超越した人間であり、個々の存在なのです。「システム」と言われる堅固な壁に直 面している壊れやすい卵なのです。どこからみても、勝ち目はみえてきません。壁はあまりに高く、強固で、冷たい存在です。もし、私たちに勝利への希望がみえることがあるとしたら、私たち自身や他者の独自性やかけがえのなさを、さらに魂を互いに交わらせることで得ることのできる温かみを強く信じることから生じるものでなければならないでしょう。
 
 このことを考えてみてください。私たちは皆、実際の、生きた精神を持っているのです。「システム」はそういったものではありません。「システム」がわれわれを食い物にすることを許してはいけません。「システム」に自己増殖を許してはなりません。「システム」が私たちをつくったのではなく、私たちが「システム」をつくったのです。
 これが、私がお話ししたいすべてです。
 
 「エルサレム賞」、本当にありがとうございました。私の本が世界の多くの国々で読まれていることはとてもうれしいことです。イスラエルの読者の方々にお礼申し上げます。私がここに来たもっとも大きな理由は皆さんの存在です。私たちが何か意義のあることを共有できたらと願っています。今日、ここでお話しする機会を与えてくださったことに感謝します。ありがとうございました。(仮訳=47NEWS編集部)

2009年3月 1日

もうろう会見

いささか古いネタになってしまったが、どこかの国の某大臣が“もうろう”記者会見が世界に発信されてしまい辞任した。

いまさら、政治的な影響がどうの、大臣としての品格がどうのというつもりはないが、ちょうどその辞任劇にマスメディアがはしゃいでいたとき、象徴的な2つの政治的事象が重なった。それは、ヒラリー・クリントンの来日と村上春樹のエルサレム賞授賞スピーチである。

特に、村上春樹の前では、圧倒的にというか、絶望的に日本の政治家の「政治力」のなさに落胆させられた。それは、政治的意味を政治家が知らないという悲劇でもある。

これから書くことは、政治的なことではない。もうろうとなることがあるということを言う。というか、そういう場にめぐり合わせたことがあるという話をする。

あの大臣がなぜあのような状態になったのかは、よくわからないらしい。まあ、泥酔していたのだとかそうではないとかはどうでもよく、薬と酒と時差ボケが相まってなったのだろう。

ぼくが、もうろうとなった人の講演を聞いたのはもうかれこれ10年くらい前であった。幕張メッセでIBMの大きなカンファレンスがあって、ITを経営に生かすにはといったテーマの講演があった。

そのときの講師は有名なコンサルタントのS氏で、彼の書いた本を読んでいたぼくとしては目玉の講演nの一つであった。だから勇躍して会場に乗り込んだのだが、その講演の半ばころになると、そのひとがプレゼンの最中に居眠りを始めたのである。もうしどろもどろで、こちらがはらはらしてしまう。

どうも海外から戻ったばかりで、空港からその足できた様子でぜんぜん眠っていなかったか、それか病気だったのかもしれない。そのフォーラムは有料だったからよほど金を返せとどなってやろうかと思った。結局、何を言っているのかさっぱりわからないで引っ込んでいった。

なぜこういう話を持ち出したかというと、必ずしも人間はいつも完璧ではないから、そういう事態になりえるということである。セルフコントロール不全に陥ってしまうのである。

ですから、巷間よく言われているように、それをコントールできるようにフォローしてくれる人が周囲にいなかったことが問題なのである。

ぼくの居眠り講師の場合はそこまでできなくてもいいかもしれないが、何とか大臣が本当に有能なら、なおさらその有能さをいつも発揮できるバックアップ体制をとることが必須だったはずだ。

それが機能しない、むしろみんなで足を引っ張る社会が恐ろしいのである。周囲の人がみな知らん顔することが自己の保全につながると考えていることがいやらしいのである。
 

2009年3月 6日

胸と背と肩-実践的子育て論

ここのところ、子育てについての会話が多くなっている。つい先日もうちに来てくれている税理士さんともこの話で盛り上がる。このブログでも書いたことがあるが、ぼくの言う子育て論がけっこう受けて、みんなからなるほどという声をもらう。繰り返すことになるが、そのことについて書いてみる。

標題の胸と背と肩のことである。子育てというのは当たり前だが、子供の年齢や置かれている状況でやり方が変わってくる。その歳、その状況に適したやり方があると思うのである。それを、ぼくはいつも次のように言っている。

一つ、胸を開いて抱きしめて
二つ、背中を見せてついてこい
三つ、肩を並べて歩こうよ

どういうことかと言うと、子供が赤ん坊のときから、そうですね小学校の半ば、10才くらいまでは、思い切り胸を開いて抱きしめてあげなさいということである。

そのあとは、突き放して自分の背中をみせて、黙っておれについてこいとなる。

そして、会社に入って仕事をこなすようになったり、家庭をもったり、要するに社会人として一人前になったら、同等の立場で肩を並べながら歩いていこうということなのだ。

この3段階でそれぞれの対応のし方を変えていく必要がある。それを、間違えている人がときどきいるから困るのだ。

まだ幼いこどもを突きはなして、自分が遊ぶことばかり考えているやつとか、いつまでたっても親離れさせない、子離れしない親子だったりする。そして、大人になったら、ベタベタするのではなく、同僚でもあり、ライバルでもあり、仲間であるという成熟した関係が大切なような気がする。

この、3段階ということが肝で、ちっちゃいときに抱きしめたからこそ、ほったらかせるのであり、ちゃんと背中をみせたからこそ、並んで歩けるのである。

胸を開いて抱きしめることで、悩んだり、困ったときに抱きしめてくれた親のところへ戻れる安心感を与えるのである。だから、そうした安心感があれば、若いときにチャレンジもできるというわけである。

この親子関係はぼくはいささか気に入っていて、もちろん実践した。ぼくには男の子が二人いるが、小さいときには一緒によく遊んだものだ。幸い地方の工場勤務だったので、比較的時間の余裕があり、遊び場は近くにいくらでもあった。だから、そうやって初めての経験を見守ってあげるのである。

特に、効果的だったのは、山に連れて行くことである。テントと食料をかついで山に登り、野宿をさせるのである。テントの設営から、食事作りなどをやらせるのだ。そして、まわりに誰もいない暗い夜を見上げると満天の星が降るように光るのを見て、時には、雨に降られてびしょぬれになりながら、抱き合いながら寝て、野糞をさせるのである。

いま、その二人は社会人になって、そろそろ第3期であるので肩を並べて歩き出したところである。上の息子は、一緒に会社を起し、彼が社長でぼくは平社員だ。まてよ、ひょっとしたら息子の背中を見ながらついていっているのかもしれないなあ。下の息子も会社勤めを始めてもうすぐ1年になろうとしていて、だいぶ顔つきも大人になってきた。

今のところ、この子育て論は間違っていないと思っていて、まあ、ふたりともぼくを煙たがってもいないようで、現に上の子は一緒に起業して毎日のように昼飯を食べながら会社をよくしたいと話しているし、下の子とは、彼が学生のとき東京の白山で二人で暮らしたこともあり、今は毎月二人で飲み歩いている。昨日も一緒に銀座でそばとハイボールを楽しんだ。

ところで、次の4段階目というのがあるのだろうか。そうなんですね、足腰が立たなくなって息子たちに胸を開いて抱きしめてもらうことがである。それはいやだから、いつも言っているように何とかぽっくりと死にたいのである。
 


2009年3月15日

老人化したテレビが自滅する

普段はテレビを見ないが、たまには見てしまうことがある。そうしたら、古い歌番組かなんかを延々と流していて、お笑い芸人の出演者たちが懐かしがっていた。こりゃテレビ東京のことをとやかく言えない。と思っていたら、ちょっと前にも昔のバラエティかなんかを流していた。同じようにお笑い芸人たちが大挙して出ている。

どうしてこう昔の番組で懐かしむのだ。こりゃ、年寄りと一緒だ。人間歳をとってくると昔のことしか話さなくなってくる。今のことは覚えるのもしんどいから考えないことにして、昔の良かったことだけ鮮明に思い出すというやつだ。

もうテレビは後期高齢者入りしたということなのかもしれない。

よくテレビの衰退を多重下請けの業界構造や不況による広告費の減少で金が掛けられなくなってきたとかいう問題点を指摘する人がいるがそうだろうか。問題は、どんどん多様化している社会と生活スタイルへの認識がまるでないのではないように思う。その原因は、ひとえに新規参入がないことにある。これだけ長期に新規参入ができない業界も珍しく、そうなるとガラパゴス化するのは必然である。

もはや、若者はテレビを見ないし、ぼくらも含めてサラリーマンも見なくなってしまった。もう老人と主婦と子供のためのテレビに成り下がったのである。ときどき、うちのばあちゃんが見ているテレビの音声がもれてくることがあるが、昼間のワイドショーなんてひどいものだ。あの、みのもんたに代表されるような情緒的、扇動的言説はひどいにもほどがある。

結局、生活スタイルに合わせるということは、いまのような押し込み型の番組提供では限界があるということなのだろう。一回全部ぶっ壊して再構築した方がいいんじゃないだろうか。
 
それと付け加えたいのは、テレビが”内輪”指向になてしまったことだ。テレビはスポーツ中継かニュースとドキュメントしか見ないのに、チラッと触れたとき驚くことがある。その一つに、視聴者を無視して自分たちのことしか考えてない番組がでてきたことだ。

例をあげよう、先日土曜日の午前にあった情報番組で鎌倉のことが放送されるので録画しておいてあとで見たのだが、メディアマガジンとかいう題名の何かよく分からない番組である。

いきなり、メディアリテラシーを学んでもらうとか言って、今から情報番組とバラエティ番組の二通りの見せ方をするということで、一つが普通の紹介型で、もう一つがお笑い芸人を登場させてというのがあって、それに対する情報の読み方が違うとかいう話を大学の先生が解説するのだ。これって、おかしいですよね。テレビ使って実験するなって。

もう一つは、久米宏がでてくる「テレビってやつは!?」である。これは中味というより、久米宏が出演者に”あなたにとってテレビとは”と質問するんだけど、これもおかしいですよね。テレビに出る人にとってテレビがどうのこううと言われても、見ている側にとってそんなことはどうでもよいことで、仲間内談義でしかない。

要するに視聴者の視点から遠ざかっている、もっと言えば見てる人をないがしろにしているといえる。これじゃ、テレビは早晩自滅する。
 

2009年3月21日

街場の小経済学その5

腹が立つことがいろいろあって身体に悪い。この間も以前このブログで指摘したようなことと同じようなことがあった。前に書いたのは、食事するところで閉店近くになると決まって、厨房の掃除を始める。

まだお客さんがいて気持ちよく飲んで食べているのに水を流す音や食器を片付ける音が響き渡る。もう早く帰れと言わんばかりである。それで、ホント頭にきたのでやめてくれんかと文句を言った。それからその店に行く事がなくなった。

そんなことがあって、これからはそうは言っても黙っていかなきゃいいじゃんと割り切ろうと思った。

ところがである。川崎で映画を観たあとだったので9時半くらいにあるそば屋に入った。酒とつまみを頼んでいい気持ちで呑んでいたら、10時になったらラストオーダーですといってきた。11時閉店だからあまりに早いので後じゃだめって言ったら、店長らしき人が従業員を早く返さなくていけないのでと言ったのである。

確かに後で気がついたのだが、ラストオーダー10時って書いてあったのだが、ちょっと時間が空きすぎていないだろうか。それも理由が従業員を早く返すためにときた。

それでも気分が悪かったが、そのラストオーダーが済むと、やっぱり厨房の掃除を始めたのには腹が立った。結局、酒がなくなりそばも食べてしまうから閉店まで居れないので10時半には店を出るはめになる。

やっぱおかしいですよね。お客さんのことを何もみていないで、自分たちの都合だけしか考えていない。腹を立てるのをやめようと思ったがまたもや酔いもさめて血圧が上がったのである。 
 


2009年4月 6日

姥桜

いよいよ桜の季節だ。ぼくの家がある鎌倉山は桜の名所なので、ここのところ連日お花見客でにぎわっている。昨日の日曜がピークのようである。

ただ、老木が多く、以前に比べて桜の木自体が減ってきているように思える。少なくとも、以前は花のトンネルができていたと思うが、いまはまばらに咲いている。

ソメイヨシノに寿命があるのをご存知ですか?だいたい、60年から70年と言われています。

ここ鎌倉山が別荘地として開拓されたのが、昭和4,5年あたりだから、うちのばあちゃんに言わせるとそのころ桜の木を植え始めたそうだから、その時のものは80年経っていることになる。だから寿命がきているのだ。

それでも、まだ咲いているから、”姥桜もがんばるなあ”と思っていたら、実は”姥桜”の意味を取り違えていたことがわかった。桜の種類で葉が出るより先に花が咲くものの俗称なのだ。”葉(歯)がない”ということからきているのだ。だから老いた桜を指しているわけではない。

それと蔑称でもなくて、娘盛りを過ぎても美しい女性のことでほめ言葉なのだそうだ。さっそく、うちの嫁さんに君は”姥桜”のようだといったら、ひどく怒られたのは言うまでもない。

ところで、ああー、言いたくないがまだ春が来ないところがある。横浜ベイスターズである。去年と同じように開幕3連敗。また、悪夢が。

 
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2009年4月10日

"システム"を考える

最近、このシステムという言葉に出会う。ただし、情報システムというITに関することではない。このシステムという言葉の使われかたはいろいろである。その中で「自然と人間と人工物」といった観点で考えさせられることがあった。

ここで3人に登場してもらう、木村秋則、養老孟司、村上春樹である。まずこの三人が語ったことを並べる。

木村秋則(「奇跡のリンゴ」から)

「人間にできることななんて、そんなにたいしたことじゃないんよ。みんなは、木村は、よく頑張ったって言うけどさ、私じゃない、リンゴの木が頑張ったんだよ。これは謙虚なんかではないよ。本気でそう思っているの。だってさ、人間はどんなに頑張っても自分ではリンゴの花ひとつも咲かせることが出来ないんだよ。手の先にだって、足の先にだって、リンゴの花は咲かせられないのよ。そんなの当たり前だって思うかもしれない。そう思う人は、そのことの本当の意味がわかっていないのな。畑を埋め尽くした満開の花を見て、私はつくづくそんなことを思い知ったの。この花を咲かせたのは私ではない。リンゴの木なんだとな。主人公は人間じゃなくてリンゴの木なんだってことが、骨身に染みてわかった。それがわからなかったんだよ。自分がリンゴを作っていると思い込んでいたの。自分がリンゴを管理しているんだととな。私に出来ることは、リンゴの木の手伝いでしかないんだよ。失敗に失敗を積み重ねて、ようやくそのことがわかった。それがわかるまで、ほんとうに長い時間がかかったな」

養老孟司(「大事なこと」から)

「人が人を殺すということはあるが、そのときに、自分でつくることのできない、複雑微妙なシステムを、自分が破壊しているという気持ちがなければならない。いわゆる「文明人」にいちばん欠けているのがそれだ、ということは、多くの人が気がついていることだろう。だから、戦争ばかりしているのである。
生物多様性を維持するというのは、じつはその延長である。人間のつくり出した技術は強力だという。たしかに人間自体を簡単に殺すという意味では、素手に比べて、ピストルは強力である。しかし、ピストルの単純さと、人間の複雑さを比較してみればいい。人間に比較したら、ピストルなんて、それこそバカみたいなものにすぎない。月までロケットが飛んだ。そんなこといって、人間は威張ってみるが、飛ぶだけならハエだってカだって飛ぶ。それならハエやカがつくれるか。そもそも人間はロケットの仲間か、ハエやカの仲間か。中略
生態系とは、ハエやカを含めた生物が、全体としてつくり上げているシステムである。その複雑さとうてい把握しきれないほどのものであり、だからこそ意識はそれを嫌うのであろう。自分には、わからないことがある、それを意識は嫌う。だからバカという言葉が嫌われる。しかしいかに嫌ったところで、意識には把握しきれないものがあるという事実は変わらない。
生物多様性というのはつまりは「生きとして生けるもの」全体を指している。それは、ただ生きているというだけではない。その構成要素がたがいに循環する、巨大なシステムをなしている。それを「壊す」のは、人殺しと同じで、ある意味で「簡単」だが、「つくることはできない」のである。その意味で。現代人は時計を分解している」子どもと同じである。なにをしているのか一つ一つの過程は「理解している」つもりであろうが、全体としてなにをしようとしているのか、それがわかっていないに違いない」

村上春樹(エルサレム賞授賞スピーチから)
「今日、皆さんにお話ししたいことは一つだけです。私たちは、国籍、人種を超越した人間であり、個々の存在なのです。「システム」と言われる堅固な壁に直 面している壊れやすい卵なのです。どこからみても、勝ち目はみえてきません。壁はあまりに高く、強固で、冷たい存在です。もし、私たちに勝利への希望がみえることがあるとしたら、私たち自身や他者の独自性やかけがえのなさを、さらに魂を互いに交わらせることで得ることのできる温かみを強く信じることから生じるものでなければならないでしょう。
 このことを考えてみてください。私たちは皆、実際の、生きた精神を持っているのです。「システム」はそういったものではありません。「システム」がわれわれを食い物にすることを許してはいけません。「システム」に自己増殖を許してはなりません。「システム」が私たちをつくったのではなく、私たちが「システム」をつくったのです。
 これが、私がお話ししたいすべてです。」

ここで語っていることをつなげると、人間が自然を管理していけると思ったってそんなことは無理で、それだけ自然というものは複雑なシステムである。そうした自然を壊すのはできるが、それと同じようなものをつくれるかというとできない。壊すものは人間がつくったシステムでもある。そのシステムには生物のもつ生きた精神がないから、自己増殖させてはいけない。というところでしょうか。

ですから、「システム」と簡単に言うが、非常に複雑で生きた自然システムもあるし、人工的につくられたシステムもあるのです。

では人間はどちらでしょうか。人間は自然物だろうか人工物だろうか。当然、生物だから自然でしょうということになるでしょうが、まず子供は自然だが、大人ははたしてそうだろうかと思ってしまう。“作られた大人”になってやしないだろうか。

それはともかく、人間はこの自然と人工物の間に介在しているわけだから、ここのコーディネーターなのである。そのとき、どちらも人間が上に立ってコントロールしようとすることが大きな間違いである。

ただ、台風も自然だから少しはコントロールしたいと思うので、コントロールという言葉を使わせてもらうと、人間は自然とは共存的なコントロールであり、自分たちが作ったシステムに対しては、主体的にコントロールするということではないでしょうか。

言い換えると、「システム化」のめざすところ究極は「生物化」ということになるのはないでしょうか。これはもちろん情報システムにもあてはまります。
 

2009年4月14日

新経済対策のいいかげんさ

政府が追加経済対策として15兆円規模の財政出動を発表した。しかし、その中味について、もちろん全部精査したわけではないが、かなりいいかげんじゃないかと思った。

だいいち、需給ギャップを埋めるために財政出動だという時点でおかしい。そういう発想だと、何でもいいから予算をつけられるものを片っ端からあげて行くことになる。だから、必ずしも今の経済状況とは無関係な支出も含まれている。

本来は、いまの危機が起きた原因をきちんと分析して、それを立て直すためにどうしたらよいかを考え、それに効果がでるものにお金をつけるというのが筋だろう。金額の多寡ではないだろう。それに、日本の状況は米国とも違うし、欧州とも違うし、中国とも違うのであって、単純に各国と横並びでGDPの何%という考えもいかがなものだろうか。

その使い道を具体的にみてみると、エコカー、エコ家電への買い替え需要を喚起する対策や太陽光発電などのエネルギー技術などで「輸出依存の産業構造の転換を促す」といったとたん、いかがわしいと思ってしまう。

だって、内需がなかったから、輸出にいった結果、世界同時不況でもろ影響を受けたのに、いまから内需を増やそうとしているのには絶対無理があるのはあきらかでしょう。産業の裾野が広いからという理由で、特定産業を保護しているに過ぎない。だいいち、エコカー、エコ家電をいっぱい買ってもらってどうなるわけ、余計にCO2を増やすわけで、何がエコだかわからない。

それに、需給ギャップがあろうとなかろうと別の観点で実施を判断すべき項目もどんどん入っている。全くわけがわからん。産業構造の転換というならもっとコンセプトのしっかりした中長期的な対策でなくてはいけないのに、場当たり的としか言いようのないものばかりのような気がする。

高速道路の料金を値下げする愚挙と同じようなことがおきないか心配だ。自動車の通行量を増やしてCO2を撒き散らして、フェリー会社をつぶそうというのはどういうことだ。

そして、何よりもよく考えてみたら、15兆円ということは一人当たり15万円で最後は税金で取られるわけだから、その分の恩恵を受けられるのだろうか。4人家族なら60万円ですぞ。それだけもらって使い道は特定産業に振り向けるとはどういうことだ。もらう産業もどうかしている。ああ、もういいかげんなこの国の政治にはほとほと困ったものだ。
 

2009年4月20日

内需シフトと分社化の類似性

わが国の産業構造を外需型から内需型に変換するんだといっている。そのために、需要を喚起しなくてはいけないからバラマキをしている。これは明らかに論理矛盾を起こしているのだが気がついている人が少ない
そこで、分かりやすいかそうでないかは別として、ぼくの経験した情報子会社との類似性から考えてみることにする。

国を親会社に国内企業を子会社になぞらえてみるとおもしろい。子会社が外販を一生懸命やっていたが、なかなか利益を上げられないでいたら、親会社からもう外販をやるな、そのかわり本体のIT予算を増やすから、そこで仕事を集中させろといわれたみたいである。

親会社向けだけのビジネスだったら分社する必要はないのだから論理矛盾となるはずだ。それと同じように、国が輸出で儲からなくなってしまった会社に対して、予算を増やすから内需で食っていけよというのもおかしいのはあきらかだと思う。

そのおかしなことを15兆円のバラマキで行なっている。そんなことならみんな子会社を親会社に戻す、すなわち国有化してしまえばいいじゃんとなる。もちろん、それで社会主義国の計画経済が破綻したわけだから、そんなことはできっこない。

だから、子会社は外販をしなくては生き残れないなのだ。すくなくとも外販をめざさないと会社の体力がつかないので、勝負にもならない。

すなわち、国内の企業は、基本的に輸出をめざすべきだと思う。いやー、うちは国内だけでちまちまやればいいのでなんていう会社があったらつぶれてしまう。誤解しないようにしてもらいたいのだが、別にほんとうに外国に売らなくてもいいのであって、海外にもっていっても通用するものを作れということなのだ。

たしかに、昔なら国内だけで食えたかもしれないが、グローバル化した現代では、国内であってもたえずマーケットは世界であるということでなのだ。

こうした世界で戦っているわけで、そこに向かっていけなかったら、どんどんジリ貧になって、貧乏国になるしかなくなる。ぼくらの世代は貧乏を知っているからいいが、若い人はそれでいいのだろうか。

おそらく、そんなあくせくしないでスローライフを楽しもうと言っている人たちの多くは、いまの経済状態を前提で言っていやしないだろうか。お金のある中でのスローライフだと思える。
 
こうしたわが国の「ゆでがえる化」、「ガラパゴス化」はどうしたら直るのだろうか。
 

2009年5月 2日

何も起こらないことの大切さ

こういう時代になると、なぜかいつも何かが起きているように錯覚する。ところが、世の中何も起こらないほうがはるかに多いのである。自分の身の回りにしても事件がおきているわけではない。それなのにいつも事件がおきていているように思うのである。

そして、何かしてないと取り残されるような気にさせられる。だから、焦ってしまう。

これは、メディアの影響が大きいと思う。彼らは、何かがおきないと商売にならないので、煽ることもするし、場合によっては捏造にちかいことをする。そんな企みに現代人は乗っかってしまっていないだろうか。

くさなぎクンの問題や豚ウィルスの問題(こういう問題は騒いでいいのだが)でもメディアは嬉々として報道している。ぼくだって、お祭りがあったり、何か大きなイベントがあったり、トラブルや事件があるとテンションが上がってやけに張り切ってしまったりする。だから、多少のことはしかたないとしても、人間は元来そういうものであるということを意識して、冷静になる態度が必要であると思う。

だから、もうちょっと静かにしてくいてくれないかと思うのだが、それがビジネスモデルだからある程度はしょうがない。ということは、こちら側で防衛せざるを得ないわけで、見ない、聞かないようにすればいいし、それができなければ話半分でいいのだ。

例えば、いまだと毎日のように犯罪がおきて、非常に危険な世の中になったように感じるが、ちょっと前までは、外国で何がおきているかなんて知らなかったし、国内だって北海道でのことなんて分からないのことが多かったのである。それでも、生活に何の支障もなかったし、それを知らないことで不幸になんかなっていなかったのだ。

繰り返すが、マスコミは“何もないことはありえない”と思っているし、“何かが起こることがメシのたね”であるから、“何かを起こそう”いうバイアスがいつもかかっているので気をつけたほうがいい。

何もないことのよさを再確認するとともに、何もないときにボーとしているのではなく、自分自身で能動的に人生を楽しむ術を持つことが大事なのだと思うのである。
 

2009年5月11日

経験ということ

経験は大事だと人はいう。そうであったら、年寄りがいちばん経験があるのだろうか。それと、なぜ経験を積むといいのだろうか。

経験は単に時間の長さではないように思う。おそらく、その数であろう。これまでに出会った事象とそれにどう対処したかの主に種類ではないだろうか。同じ事を何回もすることは経験の数には入らないと思う。
それと、事象の新規性や難易性であり、その対処の仕方の深さあるいは過酷さのような経験の質も関係してくるような気がする。

では、そうした経験は向こうからやってくるものだろうか。確かに、こちらで望まないのにやってくることももちろんあるが、それはだれでも多少の差はあれ、似かよった経験をするものだ。それ以外で多くの経験を積むにはどうしたらできるのだろうか。

それは、いかに挑戦をしてきたかにつきると思うのである。いいかえれば、失敗してきたかということかもしれない。様々なことにチャレンジし、時には成功するが、多くは失敗だったというその数が、経験になっていくと思う。

そこには、真似すべきロールモデルから脱却して、自らで切り拓く精神が必要である。若いときは、ロールモデルを見習い、そこで自分のスタイルを磨き、そこから巣立っていくということが大切である。いつまでも真似事にしがみついてはいけないのである。

そういう意味で、われわれ団塊の世代は経験が多いと思っている。団塊を嫌う人もいるが、われわれは、戦争によりロールモデルたるべき人が少なくなったせいで、自分たちで新たなモデルを作らざるをえなかったという側面があり、それは挑戦であったのだ。

そして、挑戦し続けることでやっと分かってくるのである。ここで、横浜ベイスターズの工藤公康の話をする。

彼は、今年で46歳になり、実働年数27年で野村克也を抜いて歴代1位になった。しかし、ちょっと前まで2軍に落ちていて、そこで必死にもがいていた。ただ、驚くことに、先日の湘南シーレックスでの試合で、シュートを投げたのである。何と、この年で新しい球種にチャレンジしているのである。

その彼が言った「40歳になってやっと野球が楽しめるようになった」という言葉が経験ということを語っている。

すなわち、チャレンジし続けて得た経験が積み重ねられることで初めて楽しみがやってくるのだということである。

最初に言った、なぜ経験を積むといいのかということの答えがこれである。経験を積むと歳をとってからが楽しいのである。そのことである。

だから、若いひとたちにぼくは今になったから言えるのだが、分かったようなことを言う前にいろいろなことにチャレンジしてもがいた方があとあといいことが待っていると言いたいのである。
 

2009年5月17日

ヘイ!You、I はどこ?

民主党の党首に鳩山由紀夫がなった。今度の総選挙で民主党が勝利すればこの人が総理大臣になるという重要な選択だったはずである。しかし、小沢傀儡の鳩山が就任したということでだいじょうぶかなと多くのひとが思うのではないだろうか。

だいいいちこの人が掲げる「愛があふれた、凛とした国家」って何?友愛って何?と思う。そんな宗教家か道徳家が言うようなセリフは政治に必要なのだろうか。

そんなことよりももっと現実的で功利的なことを指し示してくれないと実感しないのだ。そんなふうに甘いから、農家への戸別補償制度、子ども手当の創設、高校教育の無償化、高速道路の無償化といったことを財源のあてもないのにしゃしゃあと言っている。

結局、友愛っていうのは、国家が国民を助けてあげると言っているように聞こえるわけで、これじゃあ、自立できない国民が今でも多いのにもっと増えてしまう。これからの日本に求められるのは、そんなことではなくみんながもっとたくましくなることだと思うのだがいかがでしょうか。

もうひとつ、この政治家に失望したのは、党首選の最中にテレビ出演していて、ニュースキャスターに“あなたはどうするつもりですか?”と問われて、“わたしどもは・・・・”と答えていたとき、こりゃダメだと思った。

あなたと言われてなぜ“わたしは”と答えないのか、まして、党首戦ですよ、個人の考えや能力を試されているときに自分自身の主張を展開できないのである。これでは、傀儡といわれてもしょうがないような気がする。

まあ、この人だけではなく、どうして日本の政治家は針路とその政策をきちんと説明できないのだろうか。

ぼくが思うひとつの要因は、現状の問題解析とその課題抽出ができていないことではないかと思う。政策を並べることをするが、その政策が出てきた背景をちゃんと分析してくれないのだ。だからうわべだけのスローガンになってしまっている。

スローガンだけを並べられても困るわけで、しかも、何もかもいいことづくめはありえないのであって、トレードオフもあるから、全体の構造を明らかにしなくてはいけない。その全体の構造のなかでどこをやるのかやらないのか、変えるのか変えないのかといった議論のことである。どうもそうしたアプローチをしていないと思うのである。

そうしたことを自分の言葉で語って欲しいのである。“I think”と言ってくれなくては困るのである。それがあってこそ初めて、“Yes,we can”となるように思うのだが。
 

2009年5月24日

浅い論理的思考

先日、「情緒から論理へ」という本の書評を書いて、論理的な思考の大事さを、「思考停止社会」という本では、あるところで考えることをやめてしまうおそろしさを強調したが、存外中途半端で終わる論理があるように思うのである。

どういうことかというと、一見正しい因果関係を言っているように思えるのだが、実はその関係は連鎖があって最終的にはこうだというところまで突き詰めないといけないことがある。具体的な例で言おう。

地球温暖化ということを考えてみると、ここでは、温暖化するからその原因である温室効果がスの排出を規制しなくていけないという“論理”である。では、その温暖化がもたらす現象はどんな悪さをしてどういう影響がでるのかという議論がないのである。

こんなことを言うとある種の人たちから文句を言われるかもしれないが、寒いより暖かい方がいいと思う。人は寒い方が暖かいよりも多く死ぬし、農作物だって収量が増えるのです。北海道の人たちは喜ぶと思いますよ。

だから、そこまでしっかりと論理を組み立てなくてはいけない。まあ、風が吹くと桶屋が儲かるまでは行かなくても、風が吹くと、目にゴミが入るで終わるではなく、それにより目が不自由な人が増えてしまうくらいまで行く必要がある。

これと同じような話として、少子化のことがある。少子化は悪いことだと誰もが思っているように聞こえてくるが、少子化によってもたらされる弊害をちゃんと議論しているのだろうか。

そういうと、少子高齢化になると若者の経済的負担が増えて大変だからとか、労働者が足りなくなって海外から人がやって来るか言うけれど、それは単なる現象を捉えているだけであって、もう少し構造的にどうなのとか、将来どんな社会にしたいのかといった見方をしたほうがいいように思える。

考えようによっては、この狭い日本列島にとっては、人口が減るのはいいことかもしれない。これから、日本の経済力が沈没したままだったら、多くの人間を食わすことができなくなるかもしれない。そこまでの深い考察が要ると思う。

なぜこうしたことになるのだろうか。そこには、現状が一番よくてそれが変化することはよくないという現状肯定心理が働いているのではないでしょうか。何も変わらないことがいいことだと言っているのである。だから、上っ面だけの論理ですまそうとする。

飛躍した言い方をすれば、リスクをとりたくないから、大きな会社で定年まで勤め上げるのが一番だという心理に通じるものがある。そのためにはじっとしていたいのだ。変化しない世の中ってありえないのだ。いいですか、世の中というのはいつも変化している状態が正常なのです。

似たような話で天気で平年並みというがそんな天気ってあるのだろうか。そして、さも珍しそうに今年は異常気象ですとか言うが、天気というものは毎年違うのであって、そういう意味では毎年異常気象なのである。だから、平年並みというのは大きなスパンでみるとだいたいこんなものであるという平均値のようなものなのである。

少々話がずれたが、何を言いたいかというと、何となくみんなが言うからそうかなという通念ををよく掘り下げて考えると、浅い結論のままでこれはおかしいということがあるということである。

それを突き詰めていくと現状を変えていくような方向に往々にしていくのであって、そこから何か生まれてくるはずである。“なぜ“を繰り返す習慣をつけたいものである。
 

2009年6月13日

コップの中の嵐

この陳腐な表現が似合うような騒動が鳩山総務相辞任だろう。日本という国もずいぶんと暇な国とあって、民間の会社の社長を気に食わないからといってあれだ叩く政府首脳もひどいものだ。こういう政治的な話題に突っ込むのは嫌いだが、この件はひとこと言いたくなる。

鳩山総務相は辞めるとき「政府に尋問の筋これあり」という西郷隆盛の言葉を引用したらしいが、「征韓論」と「かんぽの宿」を一緒にする感覚がわからない。

そういえば、この人の感覚はひどいもので、草彅剛のときも「最低の人間」といったらしいが、あんな事件?を一面で乗せる全国紙と同じように感覚がおかしいでしょ。それとずっと前に定額給付金のことでインタビューされたとき、これを何に使いますかと問われ、おいしいうなぎやさんがあるのでそこのうなぎを食べますと言った。まあ、目くじらを立てることじゃないかもしれないが、思わずのけぞった。

正義の味方は「月光仮面」だけでいいから、もっと“政治”をやってほしい。総務省の官僚と戦わなくてはいけないのにどうもつるんでいるように思える。

自民党の幹事長が、国民は鳩山総務相の味方であるみたいな発言もしているようだが、それはテレビや新聞のアンケートに基づいて言っているだけで、それが正しい世論だと思っているのだろうか。そんなミーハーなポピュリズムで判断している党の重鎮もいかがなものだろうか。

同じときのニュースでイランの大統領選挙の報道があったが、両国民のあまりにもかけ離れた切実さになんとも複雑な思いにかられたのである。
 

2009年6月23日

少しは理系の頭で

こう見えても僕は理系出身なので、つい合理的な思考というか、理屈はどうなっているのだろうかという頭で考える。以前にも「情緒から論理へ」と「浅い論理的思考」で書いたことの延長の話ですが、新聞やテレビの話題に理系の人がちゃんとチェックしているのかと思わざるをえないことに出会う。

ここに二つの例がある。ひとつは、いささか古くなったが経済産業省が発表した「対象のエアコンや冷蔵庫、テレビは10年前に比べ省エネが約40%進んでおり、二酸化炭素(CO2)の排出量を年約400万トン削減。」というニュースである。

これを読んで、なんとも単純な計算でびっくりした人もいたと思う。まず、みんな10年前の製品の買い替えなのか、容量は変わらないのか、新たな製品の製造や流通のときに出たCO2はカウントしているのか、といった疑問がすぐに出てくる。マクロで考えると売り上げが伸びて雇用を創出できたらいくら省電力の製品を作ってもCO2は増えます。

もうひとつは、電気自動車です。これも単純にガソリン車から電気自動車に変えるとCO2が減るというのもよく考えてみる必要があります。電気を作るのに火力発電だとたっぷりとCO2を出すわけで、電気自体で排出しなくても、発電所で排出しているのです。

乱暴なことを言うと価格に反映されていて、エネルギー単位あたりの価格が高ければそれだけCO2の排出量も多いのです。分かりやすいのは、電気ストーブと石油ストーブを比較することでしょう。灯油のほうがかなり安いですよね。ですから、同じエネルギーを出そうとすると電気ストーブの方がCO2をたくさん出しているのです。

ただこの場合の増分の電気を火力発電という前提を変えると、すなわち原子力発電や水力発電だと話が変わります。これらはわずかしかCO2を排出しませんから、この発電所からできた電気を使えばCO2は出ません。

ですから、正確に言えば、原子力発電でできた電気を使う電気自動車は温室効果ガスは出さないのです。それを、原子力発電所の新規建設なしで電気自動車を走らすと環境を悪くするのである。環境推進派の人たちは原子力発電を推進しなくてはいけないのだ。

目先のことだけではなく、全体のサイクルを見るとか、深く突き詰めて考えるとかの態度が必要な気がする。このあたりはまだまだ情緒的な言論がまかりとおっているようだ。
 

2009年6月29日

街場の小経済学その6

いまの政府の経済対策が効果を発揮しているのかよく分からないが、少なくとも将来に悪影響を及ぼすことは間違いないように思う。

前にも書いたように今回の日本の経済危機は、外需依存でやっと支えられていたのが、外需先である米国のつまずきで一挙になくなってしまったからに他ならない。そうなると、もともと弱い内需では、この危機を乗り越える力はない。だからというわけで、無理やりその需給ギャップを埋めるべく内需振興のために14兆円だかいくらかを拠出したのである。

しかし、よく考えてみると、2つのおかしなことがある。ひとつは、あわてて本来ならやらないでいいようなことをやっているわけで、いままでやる必要がないということで予算化できないものもこの際だからやってしまおうというのである。

しかも、国営まんが喫茶と揶揄されるようにまだまだハコモノにお金をつけているのである。やらなくてもいいことをやってどんな効果があるというのだ。

もう一つは、エコ家電だエコカーだとか言って、一気に買い替えを促すキャンペーンをやっている。地デジが何でエコなのかわからないようなこともまかりとおっている。このキャンペーンはいつまで続くか分からないが、いいですか、これが一巡したらそのあとどうなるのでしょうか。

もうしばらくは自動車も家電も買わなくなりますよね。そのときはどうするのでしょうか。景気が回復して輸出がどんと増えているとでも思っているのでしょうか。

よーくみていくと、この経済対策というのは、特定の産業の製品に対する過剰消費を煽っているだけなのです。もうこれ以上そんなにほしくないのにものを買えと言っている。スーパーではやっている不用品を下取りしてくれるやつだって、そのまま使えるものまで買い換えるのである。モノはあふれ飽和しているのにさらに買えと促している。


結局、内需だけで食っていこうとすると「過剰の経済」でやっていかざるを得ないのだが、そんなことはありえない。過剰はすぐに限界が来て後は先細るだけだから、北朝鮮になってもいいというならいいが、そうではなかったら、グローバルのなかで生き抜いていかなくてはならない。

そう思うと、昨日も書いたが、“コト”をつくれない日本の将来に暗澹たる気持ちを抱くのはぼくだけだろうか。

2009年7月 1日

オーバーシュート

古代中国の陰陽思想ではないが、物事は陰と陽すなわち対立した二面性があり、それぞれがバランスして秩序が保たれる。それが片方に大きくずれるとおかしなことになる。

なぜこんなことを言い出したのかというと、日本人は、ある対立した議論が巻き起こるとすぐにどちらか一方にどっと流れてしまうような気がするからである。

メディアのあり方も問題なのだが、個々人で深く考えることを放棄したかのように一方の論に流れる。それだけならいいが、オーバーシュートしてより過激になったりするのである。

ぼくがまだ化学会社にいた1991年に一橋大学の伊丹敬之教授が「日本の化学産業 なぜ世界に立ち遅れたのか」という本を書いたが、一般には知られなかったが、化学業界ではかなりセンセーションを巻き起こした。

内容がどうのということより、その題名からくるインパクトで、業界の人たちみんなが、ああもう自分たちの産業は終わったと思ってしまったのである。まさに、オーバーシュートしてしまった。

ごく最近の話題でも、地方分権が喧しく主張されていて、国民がいっせいにそちらにオーバーシュートしてしまいそうだが、確かに地方へ権限を委譲することは大事なのであるが、それだけすればいいというものではなく、中央集権とのバランスのなかで考えていかなくてはいけない。

もっと言えば、国家のあり方がきちんと議論された上で、そうした国家を機能させるために地方の権限はどこまで、財源はどこまでということにすべきであろう。メディアもすぐに話題性がある知事がわめいているから便乗しているが、そうした根源的な議論を忘れないようにしてほしい。

この中央集権か地方分権化という問題は今に限ったことではなく古代からのイシューである。以前このブログでも紹介した「越境の古代史」(田中史生著 ちくま新書)にも、7世紀ころ九州各地の首長が独自に大陸からの渡来人を受け入れ、王権力が及ばなくなると、それを契機に中華的・中央集権的な国家を樹立したと記してある。王朝名「日本」、王号「天皇」の誕生である。

こうして古来からこの問題は国家の構造として重要な問題で、ここでもでてきたように外交や教育、最近では環境といった問題は中央集権的にやるべきものである。

ですから、今度の選挙では、オーバーシュートすることなくバランスよく議論をしてもらいたいと思うのである。
 

2009年7月 5日

当世OB事情

大学の時のサッカー部のOB会が今年発足して最初の、現役-OB交流戦とその後の懇親会があった。ただし、交流戦のほうは雨でグランドコンディションが悪く中止になってしまい、懇親会だけになった。

この催しは、割と急に決まったので周知ができずOBの参加が少なかった。しかも参加したのは卒業したばかりの若手とぼくらのような超OBなのである。30代、40代の中堅のOBがぜんぜん参加していない。

まあ、名簿作成や総会などでもそのあたりの年代の反応が鈍かったので予想はされていたが、さびしい気になる。しかし、よく考えてみると自分もその年代の頃はOB会のことなんかほとんど関心もいなかったのだ。

ちょうどその年代は、会社でも家庭でも非常に大事な時期で、仕事のこと、子育てのことなどで精一杯なのである。だから、仕方ないといえば仕方ないのであるが、もう少し余裕のある生活をしてもいいと思う。

ところが、ただ忙しいからだけではない理由があると思う。この時期って、出世したやつとか、うまく行かないやつとか、何かと差がつく時なのである。だから、うまくいっているやつはそういう場に出るのは気にしないだろうが、そうでないやつは敬遠するのも人情なのである。

それが、50代あたりから、決着がついてしまうのでもうあきらめが先にきだして、あまり意識しなくなる。定年前になるともう何もなくて、その頃会っても名詞交換もしなくなる。学生時代の○○君に戻るのである。

昨日はそういうわけで息子や娘のような後輩を相手に呑んだのである。それで呑み始めたら、ぼくらの時代と呑み会(ぼくらのときはコンパといった)の様相が違うようなのである。びっくりしたのは、始まってすぐ現役の3年生全員がぼくら超OBのところに来て、ご挨拶の乾杯をしだしたのである。

でこの話を朝飯のとき、久しぶりに家に帰っていた同じ大学を卒業した下の子にしたら、それが常識なのだそうだ。おおー、実に礼儀正しいのである。超OBとしては悪い気がしない。そして、みな素直でいい子ばかりだ。呑み方もおとなしく、せいぜいビールとカクテルを呑むくらいで、昔のように一升瓶を片手になんてことはないらしい。これじゃ、呑み放題では損をする。

ところが隣でこの話を聞いていた上の子が、うちの大学ではそんなことはなかったと言うのである。学校の差なのか、歳の差(3歳離れている)なのかはあるにしても、どうもだんだん“草食系”になってきているようである。

でも、彼らも今の経済状況は深刻のようで、主に今年大学院に進んだ子たちと話したのだが、その選択がよかったかどうかわからないと言っていた。同学年で学部を卒業した子らはかろうじて不況前の採用だったからいい会社に滑り込んだが、大学院に進んだはいいが、2年後にどうなっているか不安であるというようなことを言っていた。

こうした不安をあまり抱かないですむような社会にしたいと思うが、どうしても企業の過度の新卒優遇キャリアパスが崩れないことには始まらない。雇用の流動化は喫緊の課題なのである。

さて、下の息子が久しぶりに帰ってきたのは、今日ばあちゃん(ぼくの母親)の米寿のお祝いがあるからである。子と孫がほぼ全員集まることになっているが、唯一30代の孫だけが仕事で来られないという。こういうところにも働き盛りの余裕のなさが現れるのである。
 

2009年7月 7日

永井明の命日

今日7月7日の七夕は作家永井明の命日である。2004年になくなっているので今年で5年目になる。

以前このブログでも「最後の落語」や「七夕になると思い出すこと」で永井明のことを何回か書いたことがあって、だから毎年この日になると思いを馳せるのである。

ときどき、焼酎の牛乳割りのことだとか小田原の守谷のアンパンのことだとか、船医としての生活のことだとか、すぐそこでとつとつと話しかけられている錯覚に陥る。

永井先生は56歳で早すぎる死を迎えてしまったが、先生の歳はそこで止まっている。ぼくは、その歳をどんどん越えているわけで、なんだか離れていくような妙な気持ちになる。

下の写真は、ぼくが初めて永井先生と会ったときに、たまたま読みかけであった永井先生の作品「ぼくが医者をやめた理由つづき」を持っていて、これ読んでいるんですと言って見せたらさっとサインしてくれたのです。こんな偶然もあるんですね。そんなことも思い出した。

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2009年7月12日

街場の経済学その7

世の中みわたしても、ほんとうに景気が悪いのだろうかと思う。失業した人や就職難の人は確かに深刻なのはわかる。しかしである。

以前バブルがはじけて景気が後退したとき、日本に来た外人が東京の街を歩いていて、この国のどこが景気が悪いのだと不思議に思ったと言っていた。夜に明かりは満々とし、酔っ払いがわんさかいるし、きれいな服を着て買い物をしているのはいったいどういうことだというのだ。

最近でも同様で、銀座を歩いてもそりゃあ客足が衰えたかもしれないが、みんなが、定額給付金をもらわなくてはやっていけないとは到底思えない。

では、赤字になった企業の従業員が路頭に迷うのだろうか。少なくとも、自動車メーカや家電メーカのそれこそ正規社員が大変なことになっているとも思えない。

こうした産業は裾野が広いから下請けにいけばいくほど困っているということなのだろうが、そうなら、その人たちにだけに援助の手をさし延べればいいのではないだろうか。それも一時的な救済措置としてだ。

もうよくわからない。定額給付金で呑みに行けとでも言っているのだろうか。いやあどうもそうのようだ。やめた総務大臣はうまいうなぎを食うと言っていた。要はお金が動けばいいのだろう。それをバラマキという。なにも残らないと思う。

誰かが言っていたが、本当の貧困は命がけであって、ホームレスになれるうちは貧困ではないということらしいが、だからといってほっといていいというのではなく、こういうときには一時的に底辺になってしまった人たちの底上げをするための対策だけでいいのではないかということである。

もうお金が要らない金持ちまでお金を渡し、贅沢するように促し、買わなくてもいいETCを買わせることがいいことだと絶対に思わない。

もっと、この「100年に一度の危機」の直接被害者の人たちにじかに届く援助を提供することで十分なような気がする。そして、就職を閉ざされ人は雇用問題の抜本的な改革なのだがそれはまた別の機会にする。

少なくとも、ぼくは定額給付金をもらったからといって、普段と違うものあるいは余計なものに金を使う気はないのである。
 

2009年7月16日

虚構としての歴史

先日、網野善彦の日本の歴史について書評で書いてみたが、そのなかでこれまで言われてきた歴史の常識が実は違うのではないかというのがあったと思う。それで、どうしてそういうことがおきるのかということを考えてみた。

歴史には、文明化してくると支配するほうと支配されるほうの2極があらわれてくる。差別とか格差も同じようにあらわれてくる。

そして、支配者は当然のように支配しやすいように社会構造も変えていくわけである。だから、日本は農本主義でという話も律令国家として中央集権的な形にするには土地を与えそれにより、民を捕捉しておくという方策が取られることになる。だから誰彼となく「百姓」として登録されるのである。

もともと「百姓」という言葉は農業を営む人だけに付けられたものではないらしい。だが日本では、それが前に言ったような土地との関係で農業従事者のように見られれるようになったのである。

ですから、何を言いたいかというと、支配者あるいは為政者の都合のいいように制度や構造がつくられるため、そしてそのことが残されていくため、時間とともに歴史となってしまうのである。支配者される側の論理はいつのまにか消されてしまい、支配者側から観た歴史だけが残っていくのではなのだろうか。

それを、さらに感じるのは歴史的建造物のことである。いま生き残っているそうした遺産はほとんどが権威のあるもので、名もない市民の家が残されることはない。その生活が記録されることも少ない。

ということは、そうした過去の記録を見て、これが歴史だと言われてもそれは支配者の側の論理でしょという思いがするのである。ユネスコの世界遺産にしても、結局お金がいっぱいあった権威が作ったものがほとんどではないでしょうか。

だからといって、中国のばかな文化大革命のようなことをしろなんてことはまったく言っているわけではなく、支配された側の歴史も同じように考えていかなくてはいけないということを言いたいのである。
 

2009年7月17日

街場の経済学その8

前回、わが国は本当に不景気なのだろうかということをかいた。そう思う理由の一つは、需要と供給のアンバランス、というよりも歪みがあるのではないでしょうか。

どういうことかというと、不景気なら消費に回すお金が無いのだから必要最低限のものだけ買っておとなしくするという風に考えるが、この国は、ぜいたくしろと言ってくる。

需要が落ち込んだのでそれを補うという。それっておかしくないですか。供給を今までと同じかあるいはそれ以上にしなくていけないなんて誰が決めたのですか。買うほうがもういいと言っているのに、いやこれだけ供給能力があるから、そこまでは買わなくてはいけないと言っているわけで、視点がおかしいように思うのである。

では逆のことを見てみましょう。消費者がほしほしいといっているのに供給してくれないということである。例えば、医療や介護である。この需給バランスがいっこうに改善しない。

国民が医療や介護を受けたいと思っても供給不足で十分なものを得られないのが現状です。しかし、そんなことは以前から見通せたはずです。少子高齢化や都市化の進行は当然予想できたはずだから、なぜそれに対応する手を打ってこなかったのだろうか。

こうした将来への不安が景気を悪化させているのは明白なのである。ぼくだって、将来が安心できないからお金を残そうとします。社会構造が変化しているのだから、政策もそれに対応していかなくてはいけないのに、従来と同じようなことしかできないでいる。

これは犯罪です。「不作為の作為」という。もうなんとかしてくれと思うのだが、政権が変わって、そして新政権が破綻してということを繰り返して、悲しいかな初めてよくなっていくような気がする。
 

2009年7月18日

ピストン堀口を知っていますか

今日は先月亡くなったおばさんの49日の法要があった。実際には35日目なのだが、どうも新盆と近接するので前倒しでやったのである。おばさんはうちのばあちゃん(ぼくの母親)のすぐ上の姉で享年93歳であった。ばあちゃんも行くというので一緒に法要に出かける。

このうちの菩提寺が茅ヶ崎にある海前寺という曹洞宗のお寺でそこで法要と納骨をして、近くの料亭で食事をして、さらに辻堂のばあちゃんの実家(この法要にも出席していたばあちゃんから見ると甥の家)へ寄って帰ってきた。

実はその海前寺というお寺はあることで有名なのである。それは、ピストン堀口の墓があることでよく知られているのである。いまの人はピストン堀口と言われても分からないだろうが、一世を風靡したボクシング選手である。

戦前から戦後にかけて活躍しているのでぼくもリアルでは知らないのだが、親父なんかがよく話していたので記憶があるのだ。デビューから47連勝という記録を残し、「拳聖」とも称された選手である。何よりもその戦闘スタイルで下がることを知らず連続してパンチを繰り出す姿が人気を博したという。そうしたことからピストン堀口という名前になったそうだ。

そのあとのぼくらの世代でいうとファイティング原田の戦いかたに似ているのかもしれない。その選手の墓がなぜ茅ヶ崎にあるのかというと、実は引退直後に東海道線の茅ヶ崎付近の線路上を酔って歩いていて電車に轢かれて死んだからである。今でも、茅ヶ崎にピストン堀口道場というボクシングジムがある。

そんなエピソードを聞きながら撮った写真を下に掲げる。墓はリングのようにロープの代わりに鎖がつながれ、墓銘碑には「「拳闘こそ我が命」と刻まれていた。
 
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2009年7月26日

マニフェストの前に

もうすぐ各政党からマニフェストが出てくるそうだが、これがどこの政党の候補者に投票するのかの大きな判断基準になる。最近のこうした傾向は良いことで昔はたいした政見も聞かないで投票したものだ。

このマニフェストはこれから政権をとったらどんな政策を実行してくれるかの目安になるから重要なのだが、その前にそのマニフェストを作る前提となった現状認識を明らかにしてほしいと思う。

いまの状況は何がどうなっていてそれがよくないからこう是正するんだという議論である。単にこれからどうすると言われても現状の問題点がクリアになっているのか、あるいはその認識がずれていないかを評価すべきだということである。

実は、ここが各政党ばらばらである。自民党は現状肯定というバイアスがかかるし、野党はその反対である。しかし、これから政権交代だとかいっているのだから、共産党じゃあるまいし、いまの状況を全くひっくり返すということでないはずだ。ということは、トレードオフの世界である。これをやめてこれをやるという選別のことである。

だから、現状に対する構造的な切り込みと評価がほしい。例えば、年金、医療・介護、少子化、地方分権、教育、経済、産業構造、環境、外交などなど、この日本という国がいまどういう状態でどこに問題があるのか、歴史的な経緯も含めて語ってくれ。

それによって、この政党はどういう問題意識を持っているのか、ひょっとしたらそれがマニフェストになってしまうかもしれない。もちろんそれを情緒的に語ってもらっても困るのだ。データを基に科学的に論理的に考察しなければいけない。

例えば、民主党のよく分からない子ども手当てだとか高校教育の無料化だとかいっているが、それはどういう現状認識から出ているのか。子どもが少なくなったから困ったじゃないだろう。結婚したくない人の税金をそこに回すわけでちゃんとそこのところを説明してくれないと結婚したくない人は頭にきますよね。

それよりも何よりも、少子化で何が困るか言ってくれ。これを考えるとこの国の経済のあり方、簡単に言えばどのくらいの人口でどんな国にしたいのかが問われるのだ。

だって、資本主義はやめてみんな同じような暮らしでちまちま生きて生きましょうよと言ってる人だったら少子化は歓迎でしょう。CO2削減なんて何もしなくても達成できてしまうでしょう。

そして、もうひとつマニフェストについて、この間テレビで佐々木毅学習院大学教授が言っていたのが「ストーリー性」を持たせてくれということでこれはすごく重要なことだとぼくも強く思う。

スローガンの羅列で、脈絡のないものを並べてもらっても困る。お互いの宣言がちゃんと連携、絡み合っていて全体ストーリーが構成されているといことである。なぜかっって、それはとりもなおさず、この国のあり方を語るものになるはずだからである。
 

2009年8月 4日

裁判員裁判

昨日、新たな制度である裁判員裁判が始まった。あまり時事問題に突っ込むのは本意ではないが、ちょっとひとこと言いたくなった。

その前にぼくが裁判員に選ばれたどうするかであるが、実際のところあまり深く考えてはいない。もし選ばれたらそのとき考えればいいやと思っている。そんなに使命感を持っているわけではなくむしろ迷惑だと思っているから、いまからそのときに備えてどうのという気はない。

そもそもの目的やいままでの報道などを見聞きすると、どうも司法に普通の市民の社会常識を持ち込むことだというようなことが言われているが、これがまったくぼくには分からない。だいいち、社会常識もない裁判官ばかりなのかと茶々を入れたくなる。

それと裁くのが殺人事件で量刑判断もするという。そこからして、絶対おかしい。いいですか。殺人事件の有罪・無罪そして量刑判断ができる社会常識って何ですか?そんな常識を持っている人がどこにいるんだ。

よく考えてみてください、量刑判断をどうしますか? 計画性があったから、残虐だから懲役15年だ。突発的だから、被害者にも落ち度があるから10年でいいやなんていう“社会常識”がありますか。

じゃあ、有罪・無罪の判断はできるのかというと、これこそプロでなくては判断なんかつくわけない。犯人がウソを言っているかもしれないとか、複数の証拠の整合性をチェックするとかいったことって長年の経験や知識がなければできっこないのは誰でもわかるでしょう。

逆に言えば、そうしたプロがやっているようなことに近いところまで真剣に思慮できないなら、それこそ被告や裁判そのものに対して冒涜だし、やってはいけないことではないでしょうか。そんなことができますか?

社会常識がないのが裁判官だったら、そんな輩は裁判官にしないことだし、社会常識を持ていなかったら、持てるようにオープンにするとか、社会常識が養われた社会人から選抜するとかすればいい。

素人をただ座らせておいて、開かれた裁判になったと言うのはどこかおかしいと思うのだが、皆さんはいかがですか?
 

2009年8月14日

不毛な討論

もう全くよくわからないというか、ばかにするなと言いたい。今の自民対民主の党首討論である。マニフェスト対決も同じだ。議論がかみ合っていない。

なぜかみ合わないかというと、言っていることがお互いに定性的で情緒的なのである。何々したい、できるといいなあの類ばかりである。財源問題にしても、鳩山さんがムダを省いて捻出するんだと言ったところで、どこにどの程度のムダがあるのか、定量的に示さなくては意味がない。

だいいち、官僚以外でもそのムダで給料もらっているやつがいるわけでそいつらを失業させるわけ。そうした問題も含めてお金の再配分を言ってくれないと困る。要するに、全体のパイを大きくするのか、そのままなのか、そのパイの配分を変えるのか変えないのか、変えるならどこに傾斜させるのかという簡単な話だと思うのだが。

誰かが、家計を考えたらわかるが、いくら切り詰めて子どものお小遣いが増えても、結局父ちゃんの給料が増えなくちゃどうしようもないと言ったのと一緒で、国も収入が増えるような成長戦略を立てないことにはどうしようもないのではないだろうか。

話は戻って、今のいいかげんな議論を例えば企業でやったらどうなるのであろうか。例えば事業計画を作って社長に説明する場合、常識的には、まずは過去の実績を見て、結果に至った経緯と何が問題だったのかを総括します。

そして、いまの内外部の環境を分析し、これからの事業の方針を説明し、どこを強くして、どこを縮小してといった戦略を提示し、そのための経済的、人的、設備的なリソースの配分を計画するわけです。

それもすべて数字の裏づけをもったデータを必ず付けておきます。そして、そのデータも変に加工していない、さりとてまったくの生でない、適切な加工度で鮮度のあるものにする必要があります。

ここが難しいところで、自分たちの都合のいいようにバイアスをかけてデータを作ってしまうことがあります。そこを気をつけなくてはいけないのですが、企業の場合だと、経営者は賢いので(そういう人が経営者になれるのですが)お見通しなので、小細工するとわかってしまいます。

これが、国政になると、官僚にいいように加工され、それを全く読み解けないアホな総理大臣がいるという構図は情けなくなります。

だから、裁判員制度もモニターにデータを映してプレゼンするようになったのでわかりやすくなったそうなので、党首討論もモニターに数字やグラフを出して、それを説明しながらやってくれないだろうか。それには、現状の事実認識が非常に重要なので、そこの違いを鮮明にすることでマニフェストが自然と評価されてしまうというふうにしたらいいと思う。

例えば、「ラーメン屋vs.マクドナルド」でも述べたが、格差が拡大していると各党が言っているけど、どこの格差が拡大したかを共通化させていない中で議論するから全くかみ合わないのだ。

都市部と農村部の経済格差なのか、正規雇用と非正規雇用の給与格差なのか、家計の所得格差なのか、世代間の経済格差なのか、そのどこにどれだけの格差があるのか、どこを是正したいのかが混乱しているように思えるのである。

要するに、普通の会社でどこでもやっているような経営計画や事業計画の立案のしかたや確定・承認のプロシージャを国家レベルでもやってもらいたいと思うのである。
 

2009年8月16日

久々の夏の日

今日はよく晴れた真夏の日よりである。土日が続けて晴れたのは3ヶ月ぶりだそうだ。やっと夏らしい日がやってきた。

ばあちゃんの家に先週から入った塗装屋さんも、さすがに今日はお休みで家の回りも静かで、あのペンキの臭いもなくのんびりとしている。ぼくも、まったりと本をめくりながらぼうっとしている。

今朝早く送り火を焚いて、仏様を帰してわが家の盆が終わった。あとは、昼から材木座の妙長寺のお施餓鬼に行って、墓に塔婆をさしてくることになる。

毎年、同じことの繰り返しであるが、これをやらないと何となく落ち着かないものである。この一週間どこにもでかけず家にいたので、盆が終わると急に忙しくなるように感じる。盆と正月の厭なところはそこだ。

ともあれ、2009年のハーフタイムが終わりいよいよ後半戦もホイッスルが鳴ろうとしている。さあまた、がんばっていこおっと。

2009年8月18日

アンチライセンス

自慢じゃないがぼくは資格というものをほとんど持っていない。ただ、生産現場で働いていたころ、なかば強制的に取らされた、エネルギー管理士、危険物取扱主任者、ボイラー技士といったところは持っている。働き口がなくなったらビル管理かなんかの仕事で食っていけるかもしれない。

ITの仕事をやり始めてもIT関連の資格はいっさい持っていない。本当は独立するのなら資格の一つやふたつ持っていないと格好がつかないのもわかる。もちろん、取ろうかと思って勉強したことはあるが、すべて途中で挫折した。なんか意味ねえじゃんと思ってしまう。

最近若い人たちはけっこう資格をとることに熱心なようで、お隣の韓国なんてすさまじいばかりだそうだ。まあ、就職が非常に難しいので、ひとつでも多くの資格を持つことが就職に有利だと思っているのでしょう。

しかし、資格をとることにどれだけの意義があるのだろうか。医者、弁護士とか調理師とかはそれがなくては職業としてなりたたなくなるから必要だが、会社勤めの場合はどうなのだろうか。

ところがその医者のことなのだが、この間観た映画「ディア・ドクター」で考えてしまった。医師免許を持っていないニセ医者でも立派に勤まってしまうという物語で、ライセンスをもっているからできるあるいは立派な医者であるという既成概念を壊されてしまったからである。

結局、資格をとるために勉強するのか、資格を生かせるように勉強するかの違いであるような気がする。その資格に恥じない、その資格のもつ使命をまっとうできるように知識やスキルを身につけることが大事なのである。だから逆に言えばこのスキルがあればライセンスがなくても勤まるということである。

ところがITの資格なんかも多いのだが、この資格をどんな形で生かしていくのかが定まらないというか、認知されていない面がある。だから、単に資格取得が目的化してしまっているのではないだろうか。

こういうことを書いて自己弁護しているわけではないが、本当はちゃんとその資格で飯が食えるようになってほしいと思うのである。
 

2009年8月23日

サービス業の労働生産性向上

日本の労働生産性が低いといわれている。OECDのランク(2005年)では先進7ヶ国の最下位だという。この労働生産性というのは、GDPを就業者数で割ったものであるから、分子のGDPが小さいか、分母の就業者数が多いかであるが、結局同じ仕事を多くの人やっているとか、たいした付加価値を生んでいないという非効率な形態が続いているということであろう。

しかし製造業だけを見ると先進7ヶ国では米国についで2位なのである。ということはサービス産業の労働生産性が非常に低いことがわかる。

そこで考えられるのが、このサービス産業にITを導入して生産性をあげていくというがターゲットになりえるということだろう。ITが得意とする業務の効率化による省力化である。

今選挙でなぜか急に取り上げるようになった「成長戦略」においても、政党が言っていることはナンセンスなのだが、最大の問題はこのサービス産業の労働生産性を上げて、そこから生まれた就業者を医療や介護に振り向けることだ。

そして、ただ、振り分けただけで、人件費アップ分を介護保険を上げて対応せざるを得なかったら何もならないので、その分野でも徹底的に生産性をあげることだろう。

ぼくは、ITの有効活用がすごく重要であると思うのである。だから、優秀なエンジニアは是非サービス産業特に医療・介護の労働生産性向上に力を注いでほしいものだ。

ただ、そこで従来型の延長でIT化してもおそらく生産性の向上は大して期待できないように思える。その従来型という意味には、「ものつくり」へのこだわりということも含まれていて、それはきっぱりと捨て去ってほしいのである。

最近、バカなやつが「モノつくり日本の復活だ」とか「匠の技術を活用」だとか言っているが、全くの時代遅れである。いまや、グローバルな水平分業の時代にモノつくりにこだわっていては取り残されてしまう。このあたりはブログにも書いたとおりである。


従って、サービス産業へのITの適用も摺りあわせでインテグレイテッド型のモノを作るのではなく、モジュラー型の発想でサービスをつくることをやっていかなくてはいけない。

さらに、サービスというものの捉え方も考える必要がある。サービスというとどうしても人の嫌がることを替わりにやってあげますという奉仕のような考え方をしてしまい、ロボットにやらせるとかということになる。どうもそうではないような気がする。どちらかというとコンテンツビジネスのようなものになるのではないでしょうか。

ユーザがコンテンツを見て、触って、使って快適になる、そんなことがサービスという概念ではないかと思うのである。逆に言うとそういうことができるいいコンテンツをそろえることがビジネスになるということでもある。

ということで、サービス産業へのITの適用により効率性を向上させるだけではなく、広い意味のいいコンテンツを提供することで、それを受けて人々が幸せになれるような仕組み、仕掛けがポイントになると思う。

フサイン・ボルトの走りはすごいコンテンツでそれをテレビで見られる喜びは価値のあるサービスを受けたということに他ならないのである。
 

2009年8月30日

日本を壊すな?

今日は選挙だ。いまから投票に行くところだが、今朝の新聞に1面ぶち抜きで自民党の意見広告が載っていた。その見出しが「日本を壊すな」である。書いてある内容といえば、

あなたのために、この国のために、景気を後退させ日本経済を壊してはいけない
バラマキ政策で、子供たちにツケを残してはいけない
偏った教育の日教組に子供たちの未来を任せてはいけない
特定の労働組合の思想に従う“偏った政策”を許してはいけない
信念なき安保政策で、国民の生命を危機にさらしてはいけない

書いてあることがいちいちまともなんですけど。で、それが「日本を壊すな」ということになぜなるのだろうか。上のことは多かれ少なかれこれまでの自民党政治も同じようなことをやってきたのだ。日教組や労働組合のことだって、今みたいな存在を助長させたのもそうだが、適当に利用していたのかもしれない。

だから、こうした政治に嫌気がさしているからこそ政権交代を叫んでいるわけで、それが分かっていたらもっと早く自浄作用として、日本を壊して作りなおすことをしていけばよかったのだ。”壊すな”ではなく、”壊す”のだ。

それをやりかけたのが小泉政権であったように思うのだが、壊すことが嫌いな国民に立ち向かう継続性がなかった。もはや、日本をスクラップアンドビルドしなくてはどうにも立ち行かなくなっていると思うのだが、そこまでの危機感がないから、結局自民も民主も同じようなことを言っているに過ぎない。

さて、誰に入れようかな。
 

2009年8月31日

衆議院選挙

やはり、選挙の結果について書いておこう。戦前からある程度予想された民主党の圧勝だった。それにしても改めてその勝ちっぷりに驚かされる。まあ、小選挙区ではありえる現象で、前回の郵政選挙でも同じだからそうびっくりすることでもないのかもしれない。

これで自民党は解党的な出直しが必要となったわけだが、これはわかりきったことであったのだが、ここまで打ちのめされなければ本当に自覚できないのだ。

自民党重鎮たちの敗戦の弁がおもしろい。みんな一様に、これだけ負けて国民の皆さんに申し訳がないと言う。こういう感覚だから負けたのだ。どうして国民にあやまらなければいけないのか。国民はお前らが負けてよろこんでいるのだよ。

日本人というのは、ほんと徹底的に落ちないと改革ができない民族のようで、今回の自民党も立て直す機会はいくらでもあったはずなのにそれができなかったのだ。

これは自民党が象徴的であるが、恐ろしいのは日本という国も同じで、いくら政権が替って民主党になっても、日本という国の衰退は止まらないと思う。しかし、為政者よりまだ国民のほうが賢いから、ほっとくと危ないというシグナルを送ったわけだ。

さて、その民主党だが、とりあえずはお手並み拝見といきたいが、そんな悠長なことは言っていられなくて、すぐにでも手を打ってほしい。何といっても自民党と違って、前例を踏襲する必要がないわけだから、そんなことを言ったって政権が変わったんだからと言える。大胆なことをやってほしいと思うができるだろうか。

そのとき、連立を組むと言っている社民党と国民新党とは縁を切ったらいいと思う。これだけ圧勝したのだから数的には必要ないのだから、思い切って選挙前の約束を反故にしたってかまわない。そうでないと政策の中途半端さが残るような気がするからである。

いずれにしろ、民主党はこれだけの期待を受けたから、その成果がでなかったときの反動も大きいことを覚悟する必要がある。だからといって、聞きざわりのいいことを言うだけのポピュリズムだけは避けてほしい。

ここは、大きな支持を背景にあるべき国の姿をおおいに議論してほしいと本当に思う。

2009年9月 3日

IT業界の不思議

民主党の雇用問題に対する姿勢は評価していないが、実はここの問題がこれからの日本の経済に与える影響が大きいので心配になる。やはり、内部に連合を抱え、社民党と連携していては、簡単にいえば企業内正規社員の地位保全が大事なのであるから、それでは雇用の流動化を促すわけではなく、むしろ壁になってしまうからである。

何度も言っているが、この雇用の固定化、特に大企業のノンワーキングリッチの問題を早くなんとかして労働市場を活性化しないと、労働の需給アンバランスが解消されない。がまんして会社で飼殺しされているミスマッチ人材を同じくらいの処遇で別の会社で生かせるようにすることが大事なのである。

派遣規制なんてバカなことはやめて、むしろ規制緩和に動くべきだと思う。もっともっと流動的になって、所詮一生同じ会社で処遇されて働くことができるのはほんの一握りだから、それ以外のひとで、別の会社あるいは別の職種で働きたかったら自由にできるようにすべきである。逆に、外からもいい人材であればどんどん採用することも必要だ。

ところがそういう意味ではIT業界の流動性は高い。多くの人が転職経験があると思うし、抵抗感が少ないようだ。ところが、それがうまく機能した形の流動性なのかというとちょっと首をかしげてしまうのはぼくだけだろうか。

皆さんが自分のスキルを正当に評価されて、それに応じた報酬と処遇を得ているのだろうか。そして、スキル向上と経験の取得で評価はアップしているのだろうか。

なぜ疑問を呈しているのかというと、IT業界そのものビジネスモデル、あるいは収益モデルがそうした雇用の流動化をベースに構築されているのかという問題である。少なくとも人月ビジネスをやっている限りは、無理なことかもしれない。

「働いた時間に応じて賃金は支払われるべきである」という固定観念にとらわれているうちは、あまり動かないで与えられたことをやっていることが無事なのである。

まっとうな動きをしている人は少数なのかもしれないが、見た目には人がよく動く業界ではあるが、スキルと対価の関係が未成熟のように思え、どうも不思議なのである。

2009年9月 4日

カツマを避ける

勝間和代が大活躍だ。しかしぼくは彼女の本を読んだこともないし、それほど興味があるというわけではない。別に嫌いではないのだが、どうも生理的に合わないような気がするだけだ。

一番わかりやすく言うと結婚したいと思うかということである。そう問われるといやあー遠慮しておきますと言ってしまう。3女の母で2回離婚しているそうだが。

不謹慎かもしれないが、つい結婚したときの夜の生活のことを考えてしまう。(笑)

それはこういうことだ。ぼくの妄想はベットに入ろうとすると、拒否されて「断る力」と言われる。さらに追いうちをかけるように、「私にからだを預けるな」とくる。しょんぼり出て行こうとすると「起きていることはすべて正しい」とささやかれてしまう。

繰り返すが、別に嫌っているのではなく、何となくそんな感じが先走ってしまうのである。勝間さん、ごめんなさい。
 


2009年9月20日

シルバーウイーク

秋の連休をシルバーウイークというらしい。敬老の日も含められるのでそれらしい名前でもある。ぼくのような生活をしていると連休は格段の感慨もないのだが、この連休には、今言った敬老の日とお彼岸、そしてぼくの誕生日23日も入っているので、その点でありがたい休みなのかもしれない。

今日は、朝起きると雪の帽子をかぶっていない富士山がくっきりと見える。夏はなかなか富士山が見えずらいので、こうした白が入っていない富士山を見るのは珍しい。

午前中に歯医者に行く。歯と神経を削るという。思わず手を握り締めて身構えるが、麻酔を打ちますのでちょっと我慢してと言われ、ちくっとしたかと思ったらもうしびれている。2本目の麻酔の注射もそのあとの削るのも全く何も感じない。

昔は、歯医者で歯を削るなんてことになるともう卒倒するくらい痛い。ずいぶんと楽になったものだ。だから、今は歯医者に行くのはぜんぜん苦にならなくて、むしろ歯をクリーニングしてもらっているとある種の快感さえ覚えてしまう。

帰ってきて、ばあちゃんちの庭の草刈りである。夏に植木さんに来てもらって刈ったのだが、もうけっこう生えてきて、秋に向かって最後の草刈りである。バリカンでやるので時間がかかる。植木屋は大きなエンジン付きの草刈り機でざーとやるので、早くていいのだが、根っこまで取らないので、残った根っこからしっかりとした雑草が生えているのだ。

夜は久しぶりに3つ下の弟と一杯呑むことになった。以前はこうした機会がなかったが、僕が会社をやめてから、時間が取れるようになったからである。地元の焼鳥屋で呑むのもいいものだ。

こんな一日で何となくのんびりとした感じでくつろげる。社長は朝早く2泊で山登りに出かけてしまったせいでもあるかもしれない。(別に社長にけつを叩かれているわけではないが(笑))

雪の帽子をかぶっていない富士山です。
 
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2009年9月21日

自民党の敗因

先の衆院選で大敗した自民党の敗因をあれこれ言われているが、わかりやすい形ででてきたのが、いま行われている総裁選であろう。西村、河野、谷垣の3氏が立候補しているが、記者会見でのそれぞれの立候補の弁を聞くだけでそれを知ることができる。

しかも、なぜ自民党は負けたか、そしてこれからどう立て直したらいいのかという質問への冒頭の3分の答えに凝縮されているように思う。曰く。

西村:敗因は景気の低迷など国民が苦しんでいるのに、自民党だけがいい思いをしているんじゃないかと思われたこと。
立て直しについては、国会論戦をしっかりやる。リクルーティング機能の充実。党のイメージをスピーディでクリーンで透明なものにしていく。

河野:敗因は、自民党は政権与党であるということぐらいしか訴えられていなかったこと。立て直しは、小さな政府で健全な競争による経済成長をもたらし、その果実を国民の皆さんの豊かさへつなげたい。ばらまきではなく、小さな政府という民主党への対立軸を鮮明にすることで立て直したい。そして、リーダシップの世代交代を行わねばならない。いつまでも古い派閥政治はもうやめて党がきめていくという体制をつくるべきだ。

谷垣:敗因は、景気の低迷やセーフティネットの不備、リーダがコロコロ変わるなど国民の不安に答えきれなかったこと、その説明が不足していたこと。立て直しでは、国会論戦が大事であり、保守政治の正道立って臨む。広報や宣伝を行う機関の強化。みんなでやろうぜ気持で全員であたる。そして、新総裁になったら早い機会に全都道府県をまわり地域の事情を見る。

ここで、言っている中身がどうのということではなく、主張していることが“目的的”になっているかどうかという話である。上の3人の意見を読んで明らかにその違いを見ることができると思います。

まず敗因の分析では、西村、谷垣の言っていることは全く本質から外れている。説明不足だとか、イメージが悪かったとか言っているわけで、そんなことで国民はノーと言ったわけではなく、体質そのものや政策がないないことに起因していることがわかっていない。

もっと、驚かされるのはこの二人の立て直し案だが、国会論戦をきちんとやる、広報を充実する、党のイメージを変える、新総裁になったら全国を回る、だ。なんじゃこれ? これは、目的でなく手段であり、意気込みであって、どうしたいかという具体的な考え方や方向性を示してくれていない。

その点、河野太郎は明確だ。こうしたきちんとした議論ができるための論旨を設定してもらいたい。そうではないと違いが浮かびあがらない。

これは、政治に限ったことではなく、ビジネスの世界でもよくある話で、抜本的に変革しなくてはいけないのに手段だけを変えることでお茶をにごす人が多いことをよく感じる。そして、こういうひとたちは、情緒的なんですね。

本当はこうしたかったが、やり方がまずかったとか、理解してもらえなかったとか、しっかりとできなかったと言って、そこを直そうとするわけで、本質的な変革に及ばないのである。どうもこうなると、これは日本人の弱点のひとつではないかと思うのである。


2009年10月 2日

巨視眼

ちょっと前に「日本人はどこまで減るか」(古田隆彦著 幻冬舎新書)で人口増減を非常に長いスパンでみてみると、大きな波があって今もその中にいるというような話を書いた。

この論拠は巨視的な眼で概観することと統計的な手法をもってはじき出している。実証的ではないためにこうした手法を嫌う人もいるが、必ずしも論理で割り切れる世界ではないというか、むしろそんなことはごくまれだ。

ご承知のように経済学だって、法学だって、医学だってみな臨床的にやるしかないのだ。経営学なんてその最たるもので、「ビジネスインサイト」を書いた石井教授が面白いことを言っていた。

経営学者も、「実際の経営に役に立ちたい」という気持ちはある。だが、ここのところであえて言わせてもらえば、私を含めて多くの学者は、自分の所説が経営の実務に直接的にすぐに役に立つとは思っていないというのが正直なところである。良きにつけ悪しきにつけ、学者のクライアントは実務家ではなく学者なのである。

ですから、マクロ視点で統計的に見ていくというのは、仮説を提示してくれているわけで、それが正しいとかということではなく、そういう見方もあるんだという態度であたることだと思う。

この巨視眼というものを持っていると、いわゆる近視眼的な見方とどこが違ってくるのだろうか。僕はそれは、“捨てることができること“と“ブレないこと”だと思う。そのために一旦引いて俯瞰したらいいのだと言いたいのだ。

大きくみると何を捨てて何を得るのかということがわかってくる。そうでないとつまらないことや必要ないことにこだわってしまう。そして、先までのことを考えているからブレることがないのだ。

ぼくはサッカーが好きなのでサッカーのたとえでいうと、サッカー監督の必要な能力に「ゲ―ムプランニング力」があると思う。これのことである。捨てることとブレないことが大事だとわかるのですが、試合中ずっとがむしゃらに突っ込むわけにはいかない。どこかで何かを捨てないと勝てないのだ。もちろんブレたら選手はついてこない。

囲碁の布石と四隅の死活の話はしつこいのでしないが、鳥の眼でものごとを見ることは絶対必要なのである。
 

 

2009年10月 7日

学びたいから教えてもらう

ちょっと前に、「学校で学ぶこと」という記事を書いたが、そこではどんなことを教えるべきだという内容であった。でそれを書いていて思ったのは、学校で教えるというが、それは先生側あるいは社会の論理であるが、教えられる方はどうなんだという視点でも見た方がいい。

教えてもらうということは学びたいからそうしたいという関係性で成り立っているはずである。しかし、このことがなかなか実現されていないのではないかということと、逆に学びたいと思ったときに教えてもらうことの有効性を思うのである。実例を二つ。

前者ははずかしいが自分の例である。ぼくは中学・高校では上の学校にあがるために勉強したし、大学では勉強をしなかった。

むしろ、小学校の時が本当の勉強をしたのかもしれない。ぼくは理科少年だったから、右手にファーブル昆虫記、左手に牧野富太郎の植物図鑑を持って野山を歩き回っていた。それは純粋に見るモノ触るモノが初めてで一体これは何なのかを知るという行為だったのだ。それが楽しい。

一方、大学は正直ほとんど勉強をしなかった。それは、ぼくだけではなかったように思う。偏見が入っているかもしれないが、当時の気分は大学を卒業すると会社に入らなくてはいけないので、それまでは遊んでいたいだったのではないだろうか。

もちろん学生運動という嵐のあとの空虚さもあったのだが、たとえは飛躍するが、軍隊に入るまえに思いっきり遊んでおこうといった心情に近い。でも、それはそれで安定した生活を保障してくれたから許したことなのかもしれない。

こんな学ぼうともしない学生に教えてもむだと思ったのかどうかしらないが、授業は面白くなかった。ずいぶんと無為な時間の使い方でもったいなかったと今でも思う。

次の話はまたもや以前に紹介した「ビジネスインサイト」という中ででてくる話である。そこに著者の同僚であった加護野忠男から聞いたという「松下幸之助と本田宗一郎と中内功の共通点は何か」の答えである「実業に就いてから、学校に通った」ということについてである。

三人とも社会に出て自分の仕事に一生懸命に励んでいる時期に学校に通ったという。それはなぜかというと、トーヨーサッシの創業者の潮田健次郎が言った「普通のひとは、大学の先生は実務を知らないから、空理空論で役に立たないというが、それは逆で、学者は普遍的に話すから、私にとって応用が利きやすい」ということではないでしょうか。

この例は、実務に秀でるほど学びたくなり、学ぶほど実務も秀でてくるのだろう。このように学びたいから教えてくださいという関係がすごく大事だし、本当に学問がしみこんでいくのだろう。

こんなことを朝飯を食べながら社長と話していたら、社長も高校の時は部活とバンドと学校行事であまり勉強してなかったようで、いまなら数学と歴史を勉強したいと言いだした。たしかに対極的な学問だけど両方ともすごく重要だと思う。
 

2009年10月13日

新聞休刊日という奇怪

今日は、新聞休刊日である。ぼくは、朝飯を食べながらざっと眺める程度の見方なのでそれほど影響はないのだが、うちのばあちゃんは毎日舐めるように見るので困った顔をしていた。

しかし、昔から思っていたのはなぜ新聞休刊日があるのだろうかということである。ところが、最近はそんなことより、新聞社の都合でしゃあしゃあと休むことに腹がたつ。コンビニをはじめ、年中無休のサービスが常識になっているのに、ある程度の即時性を求められている新聞が休んでどうするんだ。

テレビやラジオ、はたまたインターネットが祝日の翌日は休みますとなったらどうなると思いますか。やっぱ、どう考えてもおかしいし、読者をばかにしている。しかもみな足並みをそろえて休むなんて気持ち悪い。

昔は独占的だったからみんながまんしてきたが、いまやネットでニュースや多くの情報に触れることができるようになったのだから、これだけをとっても、新聞の衰退が加速されていくように思う。新聞には顧客満足度の向上という言葉がないのだろう。

久しぶりの「はらたち日記」です。
 

2009年10月21日

何もしなくていい怖さ

ちょっと前に、衝突しない自動車を開発しているという話を聞いた。これは自動運転ということなので、人間が余計なことをしない方がいいことになる。機械がちゃんと安全に運転してあげるから、それに身を任せればいいのだと言っているようだ。

それを聞いていて気持ち悪くなった。それって、行き着くところ電車じゃんと思える。だから、そんなことを研究して何になるのだと思ってしまう。

それとともに、車が自動的に何でもしてくれるということがはたして安全なことなのだろうか。このことに関して社長が、オートマとマニュアルの違いのことを言っていた。社長はマニュアル車が好きで、そればかり乗っていたが、いまの車はぼくと共用だからオートマにしている。それでも、全くのオートマではなくてシフトチェンジも付いているやつだ。

それで、オートマで運転する方がマニュアル車より危険だというのだ。オートマだと何もしないから眠くなるし、集中力が欠けるというのだ。確かに、マニュアルで運転しているときは自分が車を操っているという感覚がある。

要は、そこのところの限界を超えていけないのではないだろうか。自分が操っていることから逆に乗せられている、あるいは運ばれているという感じになったらまずいだろう。

これはひろくシステムのオペレーションの問題にも通じる。システム化するのもいいが、どんどん自動化が進み、そこで何が起こっているのかわからない、わかってもどうコントロールしていいのかわからないということが起こっていやしないだろうか。

あくまで、システムは人間が使いこなすという位置関係は守らなくてはいけない。だから、もっと反自動化という観点でシステムを眺めてみることも必要ではないだろうか。
 

2009年10月25日

居酒屋にて

こんな風なタイトルだと、何にやらおつな記事でも書くのかと思われるがそうではない。またもや「はらたち日記」なのである。怒りの光景がこれだ。

先週、東京に出たが、夜の約束が急にキャンセルになってしまったので、しかたなしにちょっと呑んで帰ろうと思いすぐそばにあった居酒屋に入った。ひとりだったのでカウンターに陣取ったのだが、その前に大きな水槽があった。中にアジが10匹くらい、タイが5匹、カレイが1匹泳いでいる。

よくある光景であるが、それをながめつつ酒を呑んでいたのだが、驚いたのは、そう15分くらいしたら、一匹のアジが苦しそうに腹を上にしだした。そうしたら、徐々に他の魚もそんな状態になってくる。もう何匹もあえぎだしている。

水槽はもちろんエアーが吹き込まれてぶくぶくやっている。それをずっと眺めているぼくもぼくだが、結局1時間くらいいた間にアジ5匹、タイが1匹ほとんど死んだ状態になってしまって水面近くに浮いてしまった。カレイは底に沈んでいるので、しかも背も腹もわからないので、生死は不明だ。

これはどういうことなのだ。もう死にかかった状態で水槽に入れたのか、ずっと入れっぱなしだったのだろうか。この死んだ魚を活き造りといって出すのだろうか。それより、お客さんの前でこんな光景を見せてどう思っているのだろうか。

その横で、注文をもらった店員が大きな、しかし誠意のない声で「はい!喜んで」とやたら叫んでいる。そんなことを見ていたら、だいぶ前に同じ居酒屋チェーンの別の店でこれまた不愉快な思いをさせられたことを思い出した。

それは同じようにカウンターに座ったとき、前にいる板前さんと、ぼくが座っているところの後ろにあったレジにいる男の店員がぼくの頭越しに会話を始めたのだ。それが、業務上のことであればまだ許せるが、今度の休みに遊びにいこうよというような私的な話が頭の上を飛び交う。すぐに終わるかと思っていたらなかなかやめない。ほんと腹が立ったので「ヤメロ!」と怒鳴ったことがある。

どうして、この居酒屋チェーンはつぶれないのだろうか。謎だ。
 

2009年10月27日

秋の富士山

今朝の富士山はくっきりと見えて美しい。
山の上の方はもうすっかり雪化粧だ。秋本番といったところである。

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2009年10月29日

囲碁と馬刺しと血液型

何の関連もない三題話である。この間ひとり「M」で呑んでいたら、すごく久しぶりに囲碁の女流棋士のミーちゃんに遭遇する。ミーちゃんはもう亡くなってしまった作家のドクター永井明につれてこられた子で、今は30代半ばだが、永井先生に囲碁を教えていたのだ。

大会に優勝したといって、トロフィーを持ってきた。みんなでおめでとうと乾杯である。これがまず囲碁の話である。

そうしたら突然馬のレバー刺しを食べてことがあるかと聞かれる。何でも、数日前に熊本に囲碁の大会があって行ったときに、それを食べたという。でうまかったという話から、その店で出会った無粋な社長とおぼしきおじさんの話題に移る。

ミーちゃんが馬刺しを食べていたら、よく食べられるねえといちゃもんをつける。どうしてそんなことを言うかと食ってかかると、あんなかわいい目をした生き物を食べるかときた。それには、ミーちゃんぶち切れて女のことは思えない啖呵を切った。東京ならいざ知らず熊本でそんなことを言うやつはトンデモナイと怒ったのである。

最後は血液型の話であるが、ミーちゃんが来る前に常連のSさんと、ちょうど血液型のことを話していたので、その延長でミーちゃんに囲碁の強い人はA型で将棋の強いのはB型であるという自説を披露して、それでミーちゃんは何型と聞いたらA型であると返ってくるではないか。

ところが、ミーちゃん曰く、私はA型だけど強いのはO型の人が多いと言われてしまった。ありゃあ。そしたら、ついでに言った定住型のインディアンはみなA型で放浪型のジプシーがみなB型であるというこれまた自説を言ったら、マスタにインディアンはみなO型だよと軽く言われてしまった。ありゃあ。というわけで、血液型ネタはこれから使わないことにする。

さて、付録の面白い話を。囲碁がアフリカで、将棋が欧米で普及しない理由はなんでしょう。答えは、囲碁は白と黒だからです。強い方が白ということが嫌われるのです。

では将棋はどうでしょう。チェスがあるからとも言われますが、そのチェスとの違いに答えがあります。その違いはみなさん知っていると思いますが、チェスは捕った駒は2度と使えないのに将棋はまた使えることです。これがいかんのだ。戦争でたたきのめしてもまた生き返る日本の姿を思い浮かべるのだそうだ。

それ以外にも面白ばなし満載で、これまたすごく楽しい夜であった。
 

2009年11月 2日

変形ニュースリリース

月曜日の朝刊には、週刊誌の見出し広告が多く出る。その見出しの言葉だけを読むと大体の内容がわかってしまうので、ここのところ週刊誌というのを買ったこともないし、読んだこともない。最近、この週刊誌の広告のスペースが半分になってきた。でも朝日と読売で違ったりしてよくわからない。

ところで今朝の新聞の広告を見たら、別段意識したわけではないがちょっと驚いたことがあった。さあっと見ていたら、同じ名前が出てくるではないか、それが酒井なのだが法子ではない。酒井若菜である。

いいですか、週刊現代、週刊ポスト、プレイボーイ、FLASHの4誌に示し合わせたように彼女のグラビヤが掲載されていたのだ。「29歳熟す」、「美乳爆裂/限界エロス」、「あふれるエロス」などの思わずごくりとするキャッチにも驚かされる。

これってどういことなのだろうか。きっと酒井若菜側から売り込んだのだろう。でもなぜみんなそれも同時に掲載するのだろうか。結局、ニュースリリースじゃないが投げ込み記事を載せるように、こうしたネタも各紙に投げて掲載してもらっているのだろうか。

週刊誌がジャーナリズムとも思えないが、自力でコンテンツを探して、あるいは作っていないということなのだろうが、何となく地に堕ちた感じがしたのはぼくだけだろうか。