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鎌倉散歩 アーカイブ

2014年7月 1日

鎌倉の寺社122を逆さまに歩く(1)

「湘南モノレール沿線、深沢周辺の寺社」

「鎌倉の寺社122を歩く」(山折哲雄監修 槙野修著 PHP新書)という本がある。この新書シリーズでは、京都、奈良、江戸東京ときて次が鎌倉が選ばれたのである。鎌倉にある122のお寺や神社をめぐる旅の記録である。ぼくは鎌倉に生まれ、今も鎌倉に住んでいるので、ほとんどのところに行っているが、この本を片手にまた回って見ようと思う。何せ、そのために自転車を買ったようなものだから。

本の構成はもちろん中心である鶴ケ岡八幡宮から始まっている。しかし、それだと月並みでおもしろくないので逆コースをたどることにする。何か新田義貞の鎌倉攻めみたいだが、ちょっと変わっていて楽しいそうだ。ということで、本では8つのエリアに分かれていて、さらにそのなかでいくつかの細かなエリアに分かれていて全部で18の小エリアから構成されている。それに鎌倉とゆかりの深い市外の寺社が3つ追加されている。

さて、出発するとするか。まずは最後のエリア18は「大船駅東口から今泉まで足をのばす」である。そのまた最後が「湘南モノレール沿線、深沢周辺の寺社」である。深沢という地域はぼくが生まれ育ったところのなのでみなよく知っている寺社だが再訪した。

最初のお寺が等覚寺(真言宗 1394〜1428年創建)で、ここには明治6年訓蒙学舎togakuji.JPGが境内に開校して、これがぼくの母校でもある深沢小学校の前身である。また、「出世子育て地蔵尊」というのがあって、参詣すると子のない人は子を授かり、このある人はその子どもが出世するというご利益があるというのでけっこう訪れる人も多い。しかし平日ということもありぼくが行った時には誰もいなかった。

       


そこから、ちょっと行ったところに大慶寺(臨済宗 1278〜1288創建)がある。daikeiji.JPGこのお寺は当時は大きなお寺で関東十刹の一つであった。十刹というのは五山につぐ寺格をもつ立派な禅刹である。ぼくの家の親戚に「てんだい」と呼ばれる家があるが、おそらく大慶寺の天台庵という塔頭だったところだと思う。

    


大慶寺から深沢中学のほうにちょっと行くと東光寺(真言宗 1431年再興)がある。tokouji.JPG境内には「お砂踏み霊場」といって、四国八十八ヶ所霊場の砂を弘法大師像の四方に収めて。それを踏みながら回ると、四国のご遍路と同じ功徳があると言われている。その斜め向かいに駒形神社があるが、神社はたいてい長い石段がありこの神社もそうなので階段の下で眺めるだけにする。

  

最後は深沢小学校の隣にある御霊神社(梶原の鎮守 1190年創建)を訪れる。goryoujinnja.JPGこのあたりは梶原という地名がついているように鎌倉権五郎景政を祖とする梶原氏に縁がある。従って、景政が祭神として祀られている。以上なのだが、深沢地区にはこの他にも青蓮寺(鎖大師)、仏行寺、妙法寺、円久寺、八雲神社、熊野神社などまだまだあるのだが、府外ということもありあまり取り上げられることが少ない。
     

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2014年7月16日

鎌倉の寺社122を逆さまに歩く(2)

大船駅東口から今泉まで足をのばす

湘南モノレール深沢駅周辺の寺社を巡ったあとは、「大船駅東口から今泉まで足をのばす」である。最初に訪れたのは常楽寺(臨済宗 1237年創建)である。大船中学の脇を通って、大船高校方向に向かうと住宅地の間に参道がある。この寺は建長寺を開山した蘭渓道隆がその5年前にここで宋の禅を広めた「常楽は建長の根本なり」といわれほど建長寺とは関係が深い。北条泰時の墓がある。あいにく、現在山門を修復中で中に入ることができなかった。

常楽寺の交差点を左折して鎌倉街道を北にいくと砂押橋の先を右折すると大長寺.JPG大長寺(浄土宗 1548年創建)がある。玉縄城主だった北条綱成によって立てられたもので、広い庭がきれいに手入れされて気持ちがいい。ちょっと話はそれるが、史学の研究者のK君と話していたとき、彼が玉縄城の史跡を残していないのがけしからんと言っていた。けっこう重要なものなのに今はほとんど残っていなくて清泉女学院が跡地に移転してきた。
 

大長寺から道なりに今泉の方に行くと西念寺(浄土宗 1532年〜55年創建)がある。西念寺.JPGただ、境内に保育園が併設されているので中に入れないので外から眺めるだけだった。そこから七久保橋の交差点を鎌倉パブリックコース方面へと進む。この辺りは初めてかと思ったら、そういえばこのゴルフ場でキャディのバイトをした時毎朝マイクロバスでここを通ったことを思い出した。当時としてはいいバイトでチップなんかももらえた。なににゴルフはやらないのだから周りから不思議がられる。
  

例によって途中の白山神社は階段が長いので下から眺めるだけで失礼して、今泉クリーンセンターの前を通り鎌倉カントリーの入口を左に入ると称名寺(浄土宗 1175年創建)に着く。駐車場を左手に坂を登ると左手に六地蔵が迎えてくれる。ここは九十九谷と呼ばれる山々に囲まれていて森閑とした佇まいである。本堂の奥に行くと不動堂があり、今泉不動と呼ばれ818年に空海が創建したと言われている。

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さらに右手の山のほうに降りると男滝と女滝が流れ落ちている。今言い伝えがある。弘法大師がこの地に着くと翁と媼が現れ、弘法大師に不動明王の像を彫れと命じ、大師はこれを彫りあげる。さらに、その翁と媼は「では、水の乏しいこの地に豊かな水をしんぜよう」といって傍らの岩を穿ち陰陽の滝を流した。そして以後、今泉山としょうするようになったという。ウソでもそれらしくていいんじゃないですかねえ。
     
        
さて、そこからきた道を引き返して七久保橋から岩瀬中学校の方に向かいトンネル多聞院.JPGをいくつかくぐって多聞院(真言宗大覚寺派 1469〜87年創建)に着く。正式名は天衛山福寿寺多聞院という。こじんまりしたお寺だが清楚な風情で落ち着く。隣に熊野神社があるのだがやはり下から眺めて帰路につくことにする。

    

今回から、せっかくいろいろなところを回るので寺社参拝だけではなく普段いけないようなお店で食事することにした、なのでそのことについてもふれておくことにする本当は岩瀬とか今泉で食べようかと思ったが適当な店がないとい

昼もだいぶ過ぎていておなかも空いていたので、すぐ近くのそば屋に入った。中には誰もいなくて席についてしばらくしてオヤジが出てきた。そうしたら、そのオヤジが変なことを言う「今コーヒーしかないんですが」。オレ怪訝そうに「そばにサービスでコーヒーついてくるんですか?」。オヤジあやっぱりという顔で「おたくさん、そば屋と思って入ってきた?」、「はい」「ここは喫茶店ですよ」「ええ」。うそでしょといいたいくらい作りがそば屋なのだ。本当のそば屋は隣でそば屋という看板間にあるのでよく間違えられるのだという。

で隣に入ろうと思ったら何と休みではないか。こうなると無性にそば屋に行きたくなって、浅野屋に向かう。もう遅かったので客はぼく一人だ。さて注文だが、ぼくはなぜかそば屋に入るとカツ丼が食べたくなる。浅野屋のカツ丼はまた肉厚でうまいのだ。浅野屋は昔松竹撮影所に来る俳優さんとかスタッフの人がよく訪れた店で相変わらず風情のあるいいそば屋さんです。お腹いっぱいにして家までペダルを漕ぎだす。
 

2014年7月30日

鎌倉の寺社122を逆さまに歩く(3)

大船観音から駅の西域をめぐる

今回も大船駅周辺になります。前回は大船駅東口方面でしたが今回は西口方面です。岡本、玉縄、植木といった地区になります。もうほんと藤沢に近くなり鎌倉の端っこですね。この辺りは本にも書いてあるが"地味"なところです。

まずはなんといっても駅の西側にそびえ立つ大船観音ですかね。建立が着手されたのが昭和4年だそうだが、途中戦争などもあり、最終的に完成したのが昭和35年である。そうか、ぼくは幼稚園の遠足が大船観音だから、それは昭和28年だから未完成の観音様に行ったのだ。幼稚園児にとってはとてつもなく大きかったが、今でも大きい。坂が急なので下から見るだけで失礼する。

大船観音を右手に見て栄光学園の方に進み交番をちょっと過ぎたところを左折してしばらく行くと「玉泉寺」(真言宗大覚寺派 1600年ころ創建)がある。こじんまりとしてひっそりあるという感じの"地味"な寺だ。
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玉泉寺からフラワーセンターの方に向かい突き当りを右に行ってしばらくすると「龍宝寺」(曹洞宗 1503年創建)の山門に着く。そこから左に幼稚園、右に「玉縄ふるさと館」を見て中に進むと本堂があるが、両脇に広い庭があり多くの花木が植えられているが、今は咲いている花がない。鎌倉では数少ない曹洞宗のお寺であるがなかなか立派な構えをしている。
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そこから北にちょっと行くと「諏訪神社」がある。割と階段が少なかったので登ってみる。そこから、コーナンというホームセンターの方に向かい突き当たると右に藤沢方面へ行き、植木郵便局の手前を左折すると「貞宗寺」(浄土宗 1611創建)がある。徳川二代将軍秀忠の生母の母である貞宗院の邸宅を寺にしたのだという。老いた樹木や鯉が泳ぐ池があったりして落ちついた感じの寺である。
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郵便局の方に戻ってしばらく行くと左手に「円光寺」(真言宗大覚寺派 1558〜70年)が現れる。元々は玉縄城主だった北条氏時が城内に創建したものだ。玉縄城が廃城になってこちらに移されたのだという。小さいけどわりと楚々とした感じでいいですね。
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次に向かったのは最後の訪問になる「久成寺」(日蓮宗 1520年創建)である。くじょうじと読む。小田原北条氏の家臣の梅秀長が屋敷を寄進して建立したという。立派な山門をくぐると、日蓮聖人像や将軍実朝を討った公暁を斬ったという長尾定景の石碑を通り本堂につく。ここも庭の手入れもよくできて花木があるのだが今に時期は残念ながら楽しむことができない。
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意外と言ったら失礼かもしれないがこんなにいいお寺があるとは知らなかった。玉縄城があったということもあり、縁のお寺が多いのだが、ちゃんとて手入れもしてあって(多くの寺で植木屋さんやらの職人さんが入っていた)ちょっと驚いた。

昼食は、龍宝寺の近くのそば屋に行こうと思ったらあいにく定休日だったので、一気に藤沢に出ることにする。最近テレビでも取り上げられて人気の「魚や 翻車魚丸」に行くことに。12時半くらいに着いたら並んでいるではないか。さすが人気店。しばらく時間を潰して1時過ぎに入店。まぐろ、かつお、甘エビ、いくら、しらすなどがたっぷり乗った「まかない漁師丼」でお腹いっぱいにして帰宅する。
  

2014年8月18日

鎌倉の寺社122を逆さまに歩く(4)

「元八幡から長勝寺とその周辺の小寺社をめぐる」

このシリーズは、「鎌倉の寺社122を歩く」(山折哲雄監修 槙野修著 PHP新書)という本に出てくる寺社を本の順序と逆に歩いてみようという試みである。ですから、最初はうちの近くから始まって大船駅周辺を巡ったところである。このとおりに行くと次は北鎌倉になるのだが、8月16日にわが家の菩提寺である材木座の妙長寺のお施餓鬼会に出かけて、そのついでに近くの寺社を回ってきたので、順番が違うのだが先に材木座周辺の寺社を2回に分けて書いていくことにする。

最初は、「妙長寺」(日蓮宗 1299年創建)である。開山したのは日実という人で、伊豆に流された日蓮を助けた漁師、船守弥三郎の子である。だから、山門脇に日蓮像が立っている。また、このお寺に泉鏡花が一時滞在したこともあった。作家がお寺に寄宿することが多かったのだ。

妙長寺から海岸の方にちょっと行った右手に「向福寺」(時宗 1282年創建)がある。小さいお寺で住宅の中に埋まっているという感じである。それでも隣の墓地にはお参りに来ている人を数人見かける。

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向福寺の向かい側の道を東に向かうと「五所神社」にぶつかる。五所という意味は、明治41年にもともとあった三島神社のところに、諏方神社、八雲神社、金毘羅宮、見目明神の4社を合併したからである。境内には国の重要美術品である「不動種子板碑」というのがある。1262年の銘があるという貴重なものだそうだ。

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五所神社から海の方にちょっと行ったところに「実相寺」(日蓮宗 1284年創建)がある。曽我兄弟の父の仇として討たれた武将工藤祐経の屋敷跡だったそうだ。日蓮が佐渡に流された時、日昭上人が一門の教化と統一のために建てた「浜士の法華堂」が紀元である。

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ここから戻るように進み、五所神社を通りすぎてすぐに「来迎寺」(時宗 1194年創建)に着く。源頼朝が重臣であった三浦大介義明の霊をとむらうために建立した真言宗のお寺が前身で後に時宗に改宗したのである。三浦義明というのは畠山重忠の軍政と戦って何と89歳で戦死したすごい人だ。境内には義明の墓があり、その裏手には三浦一族の墓が並んでいる。

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さて、来迎寺から名越の踏切の方に向かうと「長勝寺」(日蓮宗 1263年創建)の帝釈堂が見えてくる。参道もあり大きなお寺である。本堂の前に進むと増長天、広目天、毘沙門天、持国天の四天王像が立ち、その中央に日蓮聖人像が屹立している。高村光雲作だという。日蓮ってこんなに偉丈夫なひとだったのだと改めて感心する。

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最後は「由比若宮」である。「元八幡」ともいう。この名のとおり鶴ケ岡八幡宮の元になった神社である。頼朝より5代前の源頼義が戦に赴くときに石清水八幡宮に戦勝を願いそのとおりになったのでこの由比郷鶴岡の地に八幡宮を建てたのである。それが1063年でこの年をもって「鶴ケ岡八幡宮」の創建としている。そして、およそ100年後に頼朝が鎌倉入りした時に今のところに遷したのである。と考えると感慨深いものを感じる。

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2014年8月21日

鎌倉の寺社122を逆さまに歩く(5)

「鎌倉の下町情緒と海の香りのなかを歩く」

前回は鎌倉駅に近い材木座の小寺社を中心に歩きましたが、今回は海岸側の寺社になります。前回歩いてみて気がついたのですが、宗派が日蓮宗と時宗の二つだけだったのです。5つのお寺のうち3つが日蓮宗であとの2つが時宗なのです。さすが、日蓮にゆかりの地ですね。今度のお寺はいずれも日蓮宗や時宗ではない。こんな狭いエリアでも地域性があるのですね。

妙長寺を左に、向福寺を右にみて海に向かうと右手に「九品寺(くほんじ)」(浄土宗 1336年創建)に出会う。鎌倉攻めの総大将だった新田義貞が、鎌倉幕府滅亡後に敵方の北条氏側の戦死者を供養するために建立したお寺である。入り口に九品という意味が書いてあった。極楽往生を願う人は生前のおこないで9種類の往生の仕方があるのだという。上品、中品、下品があり、その中に上生、中生、下生があってその組み合わせで9つである。下品なぼくはどういう往生をするのだろか。

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九品寺からまた海の方にほんの少し行って左にはいると「補陀洛寺(ふだらくじ)」(古義真言宗 1181年創建)を見つける。住宅地に中にあってわかりにくく何回も迷ってしまった。補陀洛という珍しい名前であるが、観音菩薩が住むという南海上にある山のことだという。源頼朝と文覚という当時のキーマンに縁があるお寺である。親子三代の家族連れが昼食を食べていたのが似合う感じの小さな寺だ。

補陀洛寺.JPG

さらに海の方に向かうと大きなお寺に遭遇する「光明寺」(浄土宗 1243年創建)である。北条経時が鎌倉に入った然阿良忠のために佐助が谷に作ったお寺をこちらに移して名前を変えたものだそうだ。大きな山門を通ると境内は広々として、正面に大殿、右には善導大師像と弁財天像、左手には如意輪観音像、宗祖法然像が鎮座して壮観である。「お十夜」でよく知られている。

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これで材木座の寺社めぐりは終わりなのだがやはり海岸に出たくなる。それと小学校の恩師の家もすぐだからぶらりと回って見ることにする。材木座海岸というと小学校の時にその先生に連れられていった砂工作大会を思い出す。海岸の砂を使って好きなオブジェを作って競うのである。そんなことや先生のうちに呼ばれて海水浴の後ライスカレーをごちそうになったことなどがよみがえってきた。

さて、恒例のランチタイムです。今回は水道路の交差点から西に行ったところにある「満」(まんといいます)です。ここのランチメニューがユニークです。「エチオピア定食」「タイヌードル」「焼き魚定食」の3つでいずれも900円である。なんかおかしくないですかこの取り合わせ。もちろん謎の「エチオピア定食」をオーダーするも本日はありませんとのこと。残念。仕方なしに「焼き魚定食」をいただく。
  

2015年4月24日

鎌倉の寺社122を逆さまに歩く(6)

「二階堂周辺の4寺社をめぐる」

このシリーズは、「鎌倉の寺社122を歩く」(山折哲雄監修 槙野修著 PHP新書)という本に従って鎌倉の寺社を歩いてみようというものである。しかも、鎌倉というとまずは中心にある鶴ケ岡八幡宮を起点として外に向かうのだが、もちろんこの本でもそうなっているが、逆に外から攻めて最後に八幡宮にたどりつくということで始めた。

ところが、深沢地区や大船まではよかったのだが、そこまででその後は材木座のほうに跳んでいった。というのは、うちの菩提寺が材木座にある妙長寺というお寺で、昨年のお盆にそこに行ったついでにその周辺の寺を回ることにしたからである。ということで、順番は崩れてしまったので、何かのついででもいいから回ることにする。
ずいぶんと久しぶりだ。5回が8月21日になっている。そうなのだ。この日は腰痛が悪化するちょっと前で無理していったのを覚えている。その後すぐに動けなくなったのである。

今日は。由比ヶ浜の「保険福祉事務所」に食品衛生責任者講習の申し込みに行ったのと、また鎌倉宮の近くのカフェにも寄りたかったので(なぜそんなところに行ったのかはまた別のところで書く)「二階堂周辺の4寺社をめぐる」ことにする。4寺社というのは、荏柄天神社、鎌倉宮、覚園寺、瑞泉寺である。もう、何回も行っているのだが、季節も違ったりするのでそれはそれで楽しいものである。

今日は天気も良くて絶好の行楽日和であるが、連休の前の平日ということなのか人出も少いようだ。荏柄2.JPG鶴ケ岡八幡宮の横から横浜国大付属、頼朝の墓、清泉小学校を通りすぎて荏柄天神社(1104年創建)に着く。ここは、太宰府天満宮(福岡)、北野天満宮(京都)とともに日本三大天神に数えられている。それにしてはちょっと規模が小さいのだが鎌倉にあってはあまり大きく出来なかったのかもしれない。

小さいながらも境内には大きな銀杏の木があったり、また天神さまだから学問の神様で受験シーズンともなると参拝客で賑わう。面白いのは「絵筆塚」というのがあって、これは漫画家の清水崑を偲ぶ碑である。多くの漫画家がかっぱをモチーフにして作品を描いていてそれも楽しいのだ。

荏柄天神社を出て鎌倉宮(明治2年創建)に向かう。鎌倉宮.JPGちょっと変わっているのは荏柄天神社の参道と鎌倉宮の参道がクロスしていることだ。途中からまっすぐに伸びる鎌倉宮の参道に出てすぐに鎌倉宮に到着する。ここは、大塔宮とも呼ばれ、祀られているのが護良親王である。後醍醐天皇の第一皇子で大塔宮と称されたことからそう言われている。本殿裏手の方にいくと護良親王が幽閉されたといわれている土牢がある。9ヶ月間閉じ込めれたのだという。

鎌倉宮を出て脇を東のほうに向かうと瑞泉寺(1327年創建)がある。ここは水仙で有名だがもちもんもうじきはおそい。しかし、庭は新緑がまばゆくて気持ちがいい。そしてもう一つ有名なのが庭である。夢窓疎石が作庭したと言われ、崖を背負った庭なのだがちょっと異質な感じは否めない。園内でドイツ人男性と話し込む。天園のハイキングコースと歩いてきたのだというが元気だ。日本のお寺の良さがわかるかどうかがあるかも知れないがたいそう感動していた。瑞泉寺1.JPGのサムネイル画像瑞泉寺2.JPG

さて、また鎌倉宮まで戻ってそこから反対方向に行くと覚園寺(1296年創建)がある。ところがこのお寺は自由に参拝ができないのを忘れていた。午前10時から午後3時まで1時間おきに案内してくる。ただ、平日の正午はやっていないのだ。なんと12時ちょっと過ぎだったので残念ながら入山できず。旧内海邸を見たかったのに。

すごすごと戻ることになって、ランチは途中にある「鎌倉武士」というそば屋に寄る。極普通の民家をそのまま店にしている。どうもそば好きが高じて脱サラしたと思われるご主人がひとりでやっている。お薦めという十割そば(1200円)をいただくことにする。細いがしっかりした感じで美味しかった。ご主人に静かですねえというとそうなんですよお客さんが少なくてと嘆いていた。そういうつもりではなかったのだが、この時間に客がぼくひとりでは嘆かざるをえないのかもしれない。
  

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