メイン

オヤジの本棚 アーカイブ

2006年11月 8日

小説がなくなる?

リリーフランキーの「東京タワー」を読む。だいぶ遅くなって読むことにしたのは、書評やネットの書き込みでは、号泣ものの小説というふれ込みであったので何となくその手のものは避けていたが、下の息子が読んで部屋に置いてあったので、自分では買う気はないが家にあれば読んでみるかのノリで手にする。最近涙腺がやたら弱くなったぼくとしてはわーぼろぼろ涙かなあと期待?しつつ読んでみた。結果的にはほとんど泣かなかった。なぜみんな号泣するのだろうか。

読んでいる途中でふと”なんじゃこれは”と考え込んでしまった。あのおー、ストーリーがない、情景描写がない、葛藤がない、ない、ない。いや書いてあるんですよ、家族の物語が、東京タワーの景色が、会話が。でも文章を並べてあるだけ、自分史を書いてあるだけ、格言的コピーを間にはさんであるだけ。だからって批判しているわけではないのです。既成概念でいう小説と違うと言っているわけで、リリーさん本人も小説ではないかもしれないと言っている。おもしろいのは、リリーさんの紹介で「文章家、小説家、イラストレーター、コピーライター、作曲家・・・・」となっていて、最初に書いてあるのが文章家なんですね。

そうなんです、この作品は「文章」ということのようですと勝手に思っています。だからぼくには号泣する本ではなかったわけです。つまり、リリーフランキーというひとが自分の家族や友達のことを「文章」にしただけで、そのエピソードがフツーのひとより劇的であったということなのであって、母親に対する愛情や逆に母親が子どもに向ける愛情というあたりは、ほとんどのひとと変わりがないのではないかと思う。それこそガンで死ぬ母親はいっぱいいて同じシーンが繰り返されているので、感動はしますが、そこで号泣するというのはぼくにはよくわからなかった。

繰り返すが否定しているわけではなく、従来の見方では収まらないことになっているようだ。これは、文学だけの世界ではなく他の学問や芸術の世界でも同じような現象だと思う。ブログに代表されるようにだれもが表現するようになり、また他のジャンルとクロスオーバーできる手段が多く出現したということで、多分”同じレベルで共感”できるものが支持される時代なのではないかと思う。ある意味、「東京タワー」はブログ小説なのかもしれない。

2006年11月17日

「ナイフ」の描く世界がそのままだ

重松清の「ナイフ」は、いじめをテーマにした短編が収められている。この本は平成9年に刊行されたものだから、今から9年前の作品ということになる。今読んでみて、このなかに書かれたことが、現実にいま起きていることと同じなのに驚かされる。面白いことに重松清は、いじめに対して家族を特に父親を前面に出して展開している。もうひとつの当事者である教師の視点はほとんど無視されている。

いまのいじめの問題に関して、学校や教育委員会を”いじめて”いるが、それももちろん問題はあるがやはり家庭というか家族のありようがもっとも重要な点であるということなんだと思う。家族が大きく異常に”ゆれる”ためこどもたちが振り落とされているような気がする。これはいじめられる側もいじめる側も同じで、特にいじめる側の家族の問題(育てられ方の問題)が非常に大きいと思う。

いじめと自殺について、良いことを言っているブロがーがいる。このひとある映画のことで検索していたらひっかかったんですが、内容的にもぼくの好みにあっていたるのでよく見ています。その”www.さとなお.com”という有名なブログから少し長くなるが引用します。

だから、自殺が「世間にオオゴトとして取り上げられ」「相手がこっぴどく怒られ」「涙を流して反省もし」「強烈に後悔もし」しかも「自分が悲劇のヒーローになれる」チャンスとして機能している限り、自殺はなくならない気がする。だってアテツケなんだもん。視野狭いんだもん。まぁ個人的体験から言っているので一概には言えないけど。ということは、「オオゴトとして取り上げられない」「相手は涙を流して反省しない」「死んでも悲劇のヒーローになれない」という方向に自殺のイメージを変えれば、少なくとも自殺は減るかも。もしくは「そんな甘美なもんではなくて、すっっっっげーーーー痛いし、死んだあともキレイじゃない」とか。
 いまのマスコミの取り上げ方はこの逆を行っているから当分無理。報道すること自体で自殺を助長している。こういう時こそ報道協定を結べないものか。

ぼくもホントそう思う。ここですこし話はそれるのだけど報道するをおおやけに議論すると読み替えてもいいと思うので、この議論することについて考えてみた。ものごとの現象あるいは意見に対して、議論すべきこと、議論すべきでないでないこと、そもそも議論できないものに分かれるのではないだろうか。

いま、マスコミで格好の議論ネタは、いじめと核武装ではないかと思う。いじめは引用文にも書いてあるとおり、報道すべきことではないのです。だって報道してだれのためになるんでしょうか、いいことはひとつもない、かえって煽るようなことになり逆効果である。この問題はひとえに特定の家庭と教室の問題であって、そこでみんなが知恵をだして解決していくことが重要であって、いじめがあった学校の校長が頭を下げる映像をテレビで流してなんの意味があるのだ。マスコミの勘違いもはなはだしい限りだ。

事実を客観的に報道するのがつとめだなんて言うけど、報道は決して客観的にもできないし、事実を伝えることもできない、所詮マスコミが自ら作った「客観的事実」でしかありえない。だから、意図的に”報道しない”という姿勢も必要であると思う。

議論できない問題としては、核武装論議がある。北朝鮮の核実験以来いま盛んに報道されていて、芸能人まで巻き込んでやかましいが、これに対してこのあいだ朝日新聞の星浩さんの記事が秀逸でこれにつきるのではないでしょうか。高村正彦議員の言っていた意見として紹介したもので、曰く、議論というのは両論あってこそその賛否について意見を戦わすわけであって、核武装について言えば、核武装論者がいてはじめて議論というものが成立すののだが、日本の議員のなかで日本は核武装すべきだというヤツはどこにもいないわけで、そもそも議論なんてできないというものであった。

いま、真剣に議論しなくてはいけないのは、「教育基本法の改正」です。衆院委員会を通ってしまったが、多くの時間をさいて議論しつくしたと自民党は言っているが、そうは思えません。肝心な議論をほったらかしていて、”やらせ発言”なんてことを議論しているんですから全く困ったものだ。このやらせ発言の件だって、ぼくから言わせれば、議論する必要がないと思う。だって、重要なことはやらせ発言の結果どうなったかであって、それがが明らかになっていないのに、そこに行くプロセスの話をどうのこうの言ってっもはじまらないでしょうということです。

このようにマスコミがどうでもいことと非常に重要なこととの峻別ができなくなって来ている。ワイドショーならまだいいと言いかけて、待てよワイドショーの罪も大きいかもしれないと思いつつ、マスコミの姿勢がすごく気になる今日この頃です。

2006年11月30日

サムシンググレート

以前、村上和雄という遺伝子研究で有名な人が書いた「人生の暗号」という本にえらく衝撃を受けたことがある。遺伝子の解読というのはすごい勢いで進んでいて、人の遺伝子の暗号は、20世紀の最後にほぼ解読されているんですね。ですごく驚いたのは、全DNAのうち実際に働いているのがたったの2%ぐらいなんだそうです。あとの98%はなにをしているのかがよくわからないのです。さらに最も驚いたのは、遺伝子にはスイッチみたいな作用があって、それがオンになったりオフになったりするらしい。だから、いい遺伝子のスイッチをオンにあるいは使われていない遺伝子をオンにできれば、人間の体や心を変えることができる可能性があり、例えば、人の気持ちが体を動かして、その結果、病気が治ることがありうると知ったとき、もう頭ががーんとなってしばらくそのことばかり考えていた。

確かに大事な事があったそのときは気が張っているので風邪もひかないとか、土壇場になるととてつもない力を発揮するとか、何か得たいのしれない大きな力があるような気はしていたが、それが科学的にも説明されると納得してしまう。こんな構造を作ったのは、大自然の不思議な働きによるもので、これは「サムシンググレート」としか言いようがないんだそうだ。

ただし、だれでもいい遺伝子をオンにできるわけではなく、「高い志、感謝、プラス思考」がそれを可能にすると村上先生は強調されています。また、恐ろしいことにその逆に「低い志、わがまま、マイナス思考」はいい遺伝子をオフにしているか、悪い遺伝子をオンにしていることになる。そういう人が増えているような気もしますね。

その村上和雄と濤川栄太といって新・松下村塾の塾長をやっている人の共著で「人間 この神秘なるもの」という本が致知出版社から上梓された。以前の衝撃があったのでさっそく買い求めて読んでみた。ところがどうだろう、対話形式で書かれているんだが、残念ながらかみ合っていないように感じられた。濤川栄太は村上先生の言われた「高い志、感謝、プラス思考」が遺伝子のスイッチをオンにして病気を治すことができるを実践した人で実際に10余りの大病を患っていたのを克服してしまった。そこで二人が”美しくしなやかな日本人、その遺伝子をオンにする生き方、考え方は”というでテーマ書かれている。

「日本再生」っていうところに行っているので、ちょっとした違和感と飛躍しすぎみたいな思いで読み終える。そういう祖国愛につなげるような話ではなく、もっと個人的なレベルでいいのであって、それこそ「高い志、感謝、プラス思考」を本当に実践できれば自分のカラダに絶対いいことがあるんだということでいいんじゃないかなあ。ぼくは、最近「神様」がいると信じているが、実はこのことなんだ。自分のなかに「神様」いるんだと。

村上先生の本は、これではなく「生命の暗号」あたりを読むことを薦めます。
〔文庫〕生命の暗号

2007年1月 5日

正月の正しい過ごし方

最近、正月が面白くない。毎年駅伝なんかのスポーツ中継をだらだら観てしまう。それで今年は本を読むことにした。だからって駅伝は見ないかというと音を消してみることにした。ときどき本を読む目をテレビに移して順位を確認する。これで十分だし若手のアナウンサーのやかましい声が聞こえないだけでもいい。
というわけで、何冊か読んだ本を紹介します。

・「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」(村上春樹)

 以前、同世代の作家の作品は恥ずかしくて読めないと書いた。だから村上春樹の小説も読みかけのままほおってあるとも言った。しかし、ついに初期3部作を読破した。

どうして読めたか考えてみた。まず村上春樹の読者層はおそらく背広にネクタイをしめた人は少ないと思われる、そうなんです、そりゃあ会社勤めでもいいんだけど、それにどっぷりつかっていては村上春樹は読めないんじゃないかな。頭であるいは理屈で読むのではなく、ぼくは“スイングする感覚で読んでいける"かではないかと密かに思ってみた。

でぼくは今会社勤めをやめこの歳になってやっとその“ノリ”をわかったのかもしれない。

・「ウエッブ人間論」 (梅田望夫、平野啓一郎)

 梅田さんの「ウエッブ進化論」を読んでいるのでちょっと読むのを躊躇していたが、平野啓一郎との対談なので面白いかなという感じで手にする。

これ二人が噛み合っていないんです。まずそれ以前に対照的なのは、平野君は言っていることが相変わらず難解。彼の芥川賞作品「日蝕」を読んだとき全然分からなかった記憶がある。それに対し、梅田さんの言っていることは明瞭でわかりやすい。そして、梅田さんの底なしのオプティミズムに懐疑的な平野君という対立構図がなんとも愉快で、どっちが年寄りなのかわからなくなってしまう。そのあたりは、“おわりに”に梅田さんが書いてあることが端的に示しているので紹介する。

 平野は、「社会がよりよき方向に向かうために、個は何ができるか、何をすべきか」と思考する。それに対し、梅田は、「社会変化は、否応なく巨大であるゆえ、変化は不可避との前提で個はいかにサバイバルすべきか」を最優先に考える。

あまり書くとネタバレになるのでここまでで、じゃあお前はといわれそうなので一言。
Web2.0の世界は、“Optimism & Democracy”が前提であるが、梅田さんの超楽観主義は、同じく超楽天家のぼくも一瞬たじろいでしまうくらい明快だ。ぼくらの生い立ちから言うとおわかりでしょうが“自分たちの手で社会を変革するんだ”式思考回路のほうが自然なのだ。まあだからWeb2.0なんだろうけど。不連続の連続ということかもしれないが、あまりにも安易に変化を許容してしまうのもちょっと怖いような気がするオヤジです。

ウェブ人間論
ウェブ人間論
posted with amazlet on 06.12.27
梅田 望夫 平野 啓一郎
新潮社
売り上げランキング: 72


・「ハイ・コンセプト」(ダニエル・ピンク、大前研一訳)

サブタイトルが、“「新しいこと」を考え出す人の時代  富を約束する「6つの感性」の磨き方”となっている。この6つの感性というのは、デザイン、物語、調和、共感、遊び、生きがいのことである。この磨き方は、右脳を使えということらしい。論理的、分析的左脳タイプのひとから、統合的で感情表現や全体像の把握ができる右脳タイプへと成功するひとのタイプがシフトしていくと言っている。

左脳タイプのひとの仕事はどんどんインドなんかにとって替わられてしまい、クリエイティブな人が残るということだそうだが、この話どこかで聞いたことがあると思ったら、なんのことはないトーマス・フリードマンの「フラット化する世界」に同じようなことが書いてあり、フラット化した時代に生き残れる人、すなわち自分の仕事がアウトソーシング、デジタル化、オートメーション化されない人をやはり右脳を使ってするような仕事に就いている人と規定している。

確かにわかるんだけど、この本にも単純な二元論的な世界ではないと書いてあるように、左脳もやはり大事でむしろこれがベースでそこに右脳的な部分を加味していけばいいというのが正解だ。

それとこれも単純に例えばプログラミングは左脳を働かせてやる仕事だという意見にもぼくは与さない。なぜなら、ぼくもITに関わりだしたころはそう思っていたけれど、どうも違うんじゃないかと思うようになった。それは、プログラムでもデータベースでもいいんだけれど、できたものを「これは美しい」と言うのを聞いたときからだ。全部論理的に決まったものしか生まれないと思っていたのが、作るひとによって違い、機能も含めた美的要素が大きく関係するという。

誰かが言っていたがコーディングはある種の文学だ、だから理科系の人間より文学部出身のプログラマーのほうがいいコードを書くと言っていてた、まさに至言である。

何を言いたいかというと、どんな仕事、職務でも全体をデザインする力、物語を作れる力がなくてはいけないのであって、ぼくはよく囲碁の例で言うんだけど、囲碁で重要なのは最初の布石でしょう、そこをうまく打てるかが勝敗を分けるのに、いきなり四隅の生き死にに走るひとがいる、そうじゃないでしょということです。

少し、話それたがダニエル・ピンクの言っていることは前から言われていたことだと思うが、きっとよりそれがクローズアップされる時代になったということなんだと思う。

2007年1月13日

藤沢周平の世界

映画「武士の一分」について書いたので、藤沢周平についても書いておきたくなった。最近「週刊藤沢周平の世界」という本が発刊され、創刊第一号が「蝉しぐれ」であった。作家の名前の週刊誌というのはどういうものか読んでいないのでわからないが、週刊誌が作られてしまう藤沢周平はすごいなと思う。

こんなのは藤沢周平くらいかなと思っていたら、「週刊司馬遼太郎街道をゆく」があった、さすが司馬遼太郎だ。やはり、現代ではこの二人が双璧かもしれない。

佐高信の著作「司馬遼太郎と藤沢周平 「歴史と人間」をどう読むか」では、もともと佐高は山形県出身や反権力ということもあり、藤沢周平に肩入れした書き方であまり気持ちよくないのだが、二人の目線について書いていて、要は司馬は上から歴史をみている、すなわち権力者側から鳥瞰している、それに反し、藤沢は下から、庶民の目で歴史をみているというようなことを言っている。確かに、司馬の描く小説のほとんどには歴史上の人物が主人公であるが、藤沢のそれは、一介の武士が主人公となっている。だからといってどちらがいいかではなく両方とも読みごたえのある小説家であることは間違いない。

藤沢周平の代表作というと、「蝉しぐれ」、「用心棒日月抄」「たそがれ清兵衛」「隠し剣」シリーズなどがあるが、ぼくが好きな作品は、「三屋清左衛門残日録」、「海鳴り」、「ただ一撃」(暗殺の年輪に収蔵)も3本です。「海鳴り」、「ただ一撃」はどちらかというと他の作品と趣が違っていて、ぼくは藤沢周平が司馬遼太郎と違うところは、むしろこういう作品を書けることではないかと思っている。「海鳴り」は不倫の話で江戸版「愛の流刑地」(大げさか)です。「ただ一撃」は読んでいる人少ないかもしれませんが、あっと驚く結末で飄々としたところがすごく好きなところです。

「三屋清左衛門残日録」は、この歳になると身につまされる小説で、よってこのブログも言ってみれば「mark-wada残日録」でもありますのでよろしく。

ぼくは、こうした時代小説というもので絶対に読んでおいたほうがいい作家が三人いる。前述の藤沢周平、司馬遼太郎と塩野七生である。それぞれ、下級武士あるいは庶民から見た歴史、日本の国全体の大きな流れとして描かれた歴史、世界の中心としてのヨーロッパの歴史が圧倒される知識と筆力でせまってくる。作品は膨大な数になるので全部読むのは大変です。もちろんぼくも読みきっているわけではないのですが、これからできるだけ読み込んでいきたいと思うのであります。

2007年1月14日

会ったことがない昔の知り合い

外岡秀俊が書いた「情報のさばき方」という本の紹介をして、少々目的と違ったと言いましたが、しかし、新聞記事の書き方だとか、記者魂だとかの話は面白く、それからは新聞をああこういう風にして記事を書いているんだなあとか思って読んでいます。要するに読み手の目的と合致しなかっただけのことです。

この外岡秀俊という人をぼくは30年も前から知っています。知っているといっても会ったことがあるわけでもなく、たしか昭和51年度文藝賞を「北帰行」という作品で受賞したことを知っているだけだ。もうその作品の内容は石川啄木のことを書いたものであったなあぐらいしか覚えていないが、そのときの外岡秀俊がまだぼくより年下で東大法学部4年在学中の23歳であったことに衝撃を受けたことを鮮明に記憶している。だから、その後朝日の記者になっても、彼の署名記事を読むたびにあの外岡秀俊が書いていると無意識に追いかけていた。

似たような話で、寺脇研のことがある。やはり東大法学部出身の文科省のお役人で有名なゆとり教育の推進者であったが、昨今ゆとり教育の批判の矛先が彼のところに行き、昨年退官してしまった。ところがこの人、別の顔を持っていて、それは映画評論家なんです。これも30年も前のことですが、「キネマ旬報」という雑誌に読者の投稿欄があり、そこに映画評を載せてくれる。ここによく載っていたのが寺脇研の映画評なのです。常連だったんです。実はぼくもキネマ旬報に何度か投稿したのですが、全く採用されずに自分の才能のなさにがっかりしたものです。ですからよく覚えていて、その後、新聞等で彼の名前がでるたびにあの寺脇研だと意識していたわけです。

こういうことってありですよね。結局、過去の自分の確認と時間の経過を知るために、こんなマークの仕方もあるということです。


2007年1月27日

考えよう地域の情報化

「ウェブが創る新しい郷土」という本を読む。著者は丸田一という地域情報化のフリーの研究者です。テーマはネットとメディアで地域の活性化を図れというもの。

前半は、地方における境界や中心商店街の消滅のことや地域の情報化とは何かが書かれている。空間をデザインする都市計画と集団をデザインする地域情報化の対比のなかで、ともに「活動の場」のプログラムでありながら、参加者の「場の利用」をコントロールする都市計画に対して、参加者自身に「場の設計」を促進し、運用させるのが地域情報化であると規定している。地域における活動の場には、「地域プラットフォーム」と「地域メディア」があり、それにより地域活力の向上と地域実体の回復が期待できるとしている。

とここまでの解説はまあなるほどと思わせるが、後半の事例の紹介から俄然面白くなる。ここで紹介されている事例は、“対話の共同体”として、「シニアSOHO普及サロン・三鷹」、「富山インターネット市民塾」、「鳳雛塾」、“想像の共同体”として、「佐渡のお笑い島計画」、「PACと住民ディレクター活動」、「地域SNS」である。詳しくは本を読んでみるのが一番で、ぼくだけかもしれないが先進的な地方で様々な挑戦を行い、成功した事例があることを知って驚いてしまった。

ここで、感じたことは、インターネットやテレビなどを従来型の使い方から創意工夫により変えていっていることである。具体的には、地域限定的なSNSであり、テレビは見るものから使うものへの変化である。このような事例を見ていくと地域の活性化は、インターネットや放送という技術を物理的に近接しているという地域独自の空間の中でうまく道具として使い、そこに住む人たちが主体的に活動することで達成できるのではないだろうか。

ぼくもWeb2.0を考えるとき、グローバルに見る見方の対極としてのローカル性も注目していたが、この本を読んで頭の中が整理できた。ぜひ一読をおすすめしたい好著です。

2007年2月13日

芥川賞はプロ野球のドラフト会議だ

第136回の芥川賞が青山七重の「ひとり日和」に決定した。早速文藝春秋を買ってきて読む。文藝春秋の新聞広告の大きいこと、しかも作者の全身写真付き、びっくりですね。まあ、最近は芥川賞掲載の文藝春秋の売上がすごいからつい力が入るのでしょう。何しろ、3年前の金原ひとみと綿矢りさのダブル受賞のときは何と118万部売れたそうです。

さてその「ひとり日和」ですが、石原慎太郎と村上龍が絶賛したように(山田詠美は退屈だと言っていたが)、久しぶりに力量のある作家の登場を予感させられる。芥川賞の受賞作は最近不作が多いとぼくは思う。例えば、大道珠貴の「しょっぱいドライブ」、吉村萬壱の「ハリガネムシ」、モブ・ノリオの「介護入門」なんてどこがいいんだろうと思ってしまう。前回の伊藤たかみの「八月の路上に捨てる」にしてもぎりぎりの受賞レベルだ。そこからいくとこの作者はすばらしい。

「ひとり日和」は、母娘の生活からひとりで東京にいる親戚のおばあさんの家に下宿する若い女性を描いている。いわゆるニートで将来に希望もあまりなく、何となく生きているけだるさやそこからの変化をおばあさんとの会話のなかでうまく表現し、またその筋立ても無理がない。ほんと都会で孤独におびえながら、でもそれから積極的に抜け出せない(出そうとしない)、いまの若者の姿がよくわかる。最後に正社員になる結末もリアルな感じですごくいい。ただ、河野多恵子が言っているが、「よい小説を書き得た体験は、その後にいつも通用するとは限らない」のでこれからの精進がみものである。

最初に言ったように、芥川賞は芥川ショーのようになっている。確かに商業主義的な要素は避けられないが、まだ世の中で認められていない作家の登竜門なのに騒ぎ立てるはどうかかとも思うが、これはプロ野球のドラフト会議なのだと思えば得心がいく。さあ、あなたは1位指名しましたから、プロ球界(文壇)で活躍してくださいということなのだ。期待に対する賞であって、実績に対するものではないという変な賞である。だから、プロ野球の場合も1位指名でドラフトされても活躍できなかったやつは山ほどいるのと同じように消えていく作家もいるわけです。

ぼくは最近の芥川賞はだいたい受賞作が決まるとすぐに文藝春秋を買って読むことにしている。やはり、そこには現状の典型のようなものが現れているので、今はどういう時代なのかを確認するのには格好のナビゲータかもしれないと思うからである。

2007年3月 6日

「デザイン思考の道具箱」を読む

社長(息子)がこの本おもしろいよと言ってもってきてくれたのがこれで、一気に読んでしまった。著者の奥出直人は慶応大学環境情報学部の教授で、社長は長いこと奥出先生の研究室にいて、あとがきで謝意を述べているひとたちに自分の名前が入っていることもあり、すぐに買ってきたようだ。

この本の趣旨は、「デザイン思考」によって新たな「創造プロセス」を築き「イノベーション」を起そうということ。

もはや従来型のアプローチではイノベーションを起すことができなくなってしまった。こうした考え方や方法論が経営戦略の立案やプロダクト、サービス開発に生かされてきているというものである。iPodの例などすごく面白かった。

創造プロセスは、哲学・ビジョンの構築→技術の棚卸とフィールドワーク→コンセプト/モデルの構築→デザイン→実証→ビジネスモデル構築→ビジネスオペレーションという全部で7つのステップから成っていて、それぞれにまた実際のワークモデルが提示されていて、非常に分かりやすい。

奥出先生はぼくも実際にお会いしてお話をしたことがあるが、知性のかたまりのようなひとで、大変な知識量と行動力、多彩な人脈など圧倒されますが、それと同時に理論だけではなく企業や大学の研究室などで実践におとしていることが素晴らしい。

ぼくは、いま企業の情報システムの構造と作り方を考えているが、まさにこの本に書いてある方法論こそ求めていたものであった。

それはそうと、タイトルがいいですね。デザイン思考という言葉とそれに道具箱と名づけたことが気に入った。そうなんです、何か作るときって道具が要るのに、意外とそのことについて言ってくれないし、おろそかにするひとが多いんです。道具とか技術の要素って重要であると思っていたので意を強くしたのであります。

2007年3月24日

字幕屋さんのウップンばらし

「字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ」という長たらしいタイトルの本を読む。著者は、太田直子といって、映画字幕翻訳を始めて約20年、手がけた作品1000本あまりのいわゆる「字幕屋さん」。

これがなかなか面白い。普段字数を制限されることばかりであるのが、本ならいくらでも書けるので、はじけている感じです。

何といっても一番おもしろかったのは、セリフの長さと字幕の字数が決まっているということ。1秒のセリフなら翻訳文は4文字以内、2秒なら8文字、つまり「1秒=4文字」なのだそうだ。要するに人間の字を読むスピードに限りがあるので長たらしい文章は読み切れないのだ。だから、セリフをそのまま翻訳したら「1秒=4文字」ルールに収まらないことが多く、短くまとめなくてはならない。

従って、こうした「要約翻訳」がゆえの悩みがいっぱいでてくるわけなのです。なかには、吹き替え版と字幕版を比較して違うとクレームをつける人も出てくる。例えば、吹き替え版では、「なぜもっと前にそれを言わなかったんだ?」が、字幕版になると「なぜ黙ってた?」となるわけです。

そのほかにも、「私」「ぼく」「おれ」のどれをわりあてるかとか、教養、常識がなくなってきて、当然常識として知っているだろうことがわからないので固有名詞ではなく一般的な言い方になるとか、「知識の基準」をどこにおくかが難しいそうだ。

それとか、配給会社の注文で意味を変えてしまうこともあるということで、感動と涙を誘うために反対の言葉を叫ばすとかがあるとのこと、そうなると映画も捏造なのかと驚く。

まあ、字幕屋だと清水俊二か戸田奈津子くらいしか名前が浮かんでこないけど、こういう人もいたのだと再認識。字幕屋のその内幕が半分愚痴って半分楽しんで書いてあって、いちいち納得しながら一気に読んでしまった。

これから、映画を見るときは少し字幕のことを気をつけて見てみようと思っています。

2007年4月 3日

あの時代のことを少し

並行して読んでいた村上春樹の「ノルウエーの森」と中公新書ラクレから出ていた「アグネス・ラムのいた時代」を読み終えた。そして、植木等が死んだ。

「ノルウエーの森」は1969年~1970年ころの物語であり、「アグネス・ラムのいた時代」では、昨年亡くなったグラビア写真家の長友健二が1960年から1980年くらいにかけて、多くのスターやアイドルを撮った、そのときどきのエピソードを中心にどんな時代であったかを書いた本である。

だからいま、ぼくの20代を思い出している。1968年から1977年である。

「ノルウエーの森」の主人公のワタナベ君が「僕の学校の学食のランチは、A,B,CとあってAが120円でBが100円でCが80円なんです。それでたまに僕がAランチ食べるとみんな嫌な目で見るんです。Cランチを食えない奴は60円のラーメン食うんです。そういう学校なんです。」と言った学校に通っていたときにハタチになった。メキシコオリンピックのサッカーで銅メダルを獲得、3億円事件があった年だ。

その翌年に東大安田講堂事件が起き、1970年にはよど号事件、三島由紀夫の割腹自殺、1972年浅間山荘事件と政治の季節でもあった。ぼくはノンポリだったから、構内で火炎ビンが投げられるのを横目にみながら雀荘に入り浸っていた。ワタナベ君のように政治的ではないが生きていることに真剣に悩み哀しんだりはしなかったが、しかし将来に不安をいだきながらモヤモヤしていた。

長友の本によると、このころから日活が一般映画の製作をやめ、ロマンポルノ路線に切り替わっていく。また、1971年には「日本初のアイドル」と呼ばれた天地真理がデビューする。TBSのテレビドラマ「時間ですよ」の隣の真理ちゃんです。どうも、この年から大衆がタレントに求めるものの質が大きく変わったようだ。そう「かわい娘ちゃん路線」である。

そして、いろいろなことが初めてだったらしい。会場で「真理ちゃーん」と掛け声がそろって上がる声援。文房具、雑貨など本人の写真やイラストを入れたアイドルグッズ。そして、アイドルの寿命は短いこと。そのあと、知性派アイドルのアグネス・チャン、元祖バラドルのキャンディーズ、伝説のグラビアアイドルのアグネス・ラムと続く。

かたやかわい娘ちゃんでかたやロマンポルノという対比はいま考えるとおもしろかったなあ。梢ひとみの裸のポスターが貼ってある部屋でキャンディーズの歌を聞いて「限りなく透明に近いブルー」を読んでいるわけで、何かがどんどん変わっていったような気がする。

このあたりでは、シャボン玉ホリデーも終わり、クレージーキャッツもグループとしての活動から、個人での活動が主となっていた。だからハナ肇の「あっと驚く為五郎」なんてあったが、植木等が何をやっていたかよく覚えていない。性格俳優として位置を占めるのはもう少しあとだから、その当時はあの躍動していた無責任男から変貌をとげる脱皮の時だったのだろうか。

あとこの時代で忘れてはいけないのがフォークソングだ。最初は反体制・反戦ソングとして登場し、ぼくらもボブ・ディランやジョーン・バエズの曲を下手なギターをかき鳴らしながら唄ったものだ。フォークソングも政治から四畳半へ変わっていったときでもあった。

そして、ダッカのハイジャック以外たいした事件も起こらずぼくの20代最後の年は終わった。

2007年4月23日

川上弘美と酒を呑みたい

川上弘美の「センセイの鞄」と「溺レる」、「ゆっくりさよならをとなえる」を読む。川上弘美は前から気になっていた作家で、どうしてかというと、ぼくは内田百閒の随筆が好きで読んでいるんだけど、その百閒の影響を受けている作家ということだったので、一度読んでみたいと思っていた。

「センセイの鞄」は確かテレビドラマにもなっていたようだが、ぼくは見ていない。その「センセイの鞄」は40歳まえの女性と30歳くらい年上の先生の恋物語?である。センセイは国語の先生で女性はそのときの教え子なのだが、あるとき酒場で居合わせて、それからしょっちゅういっしょに飲む間柄になる。だから物語は居酒屋で呑むシーンばかりで、そこからすこしずつセンセイのこれまでの生き方や生活がうかびあがっていくとともに女性の心がセンセイに傾いて様がたんたんと描かれる。

実にほんわかとした雰囲気が読者にも伝わってきて癒される。さすが内田百閒に影響されているのか、飄々として突然得体のしれないものがとびだしたり、そのいわゆる空気感がなんともいえない。川上弘美は女性の読者が多いらしいが、男でも楽しめる小説だと思う。ぼくの好きな作家になった。

しかしながら、この本に出てくる飲み屋の場面がまさにリアルでしかもぼくの好みの飲み方なのだ。酒の肴も、いきなり「まぐろ納豆、蓮根のきんぴら、塩らっきょう」だ。そして、「豆腐は万能です」「はあ」「湯豆腐や良し。冷や奴や良し。煮豆腐や良し。揚げ豆腐や良し。万能です」。おでんは、大根につみれにすじお願いしまーす。酒はもちろん手酌です。そして、バーで飲むのはバーボンのソーダ割りだ。まいった。

てなことで、読みながら酔っているようだった。いちどでいいから川上弘美と一緒に呑んでみたい。

2007年5月15日

「林住期」真っ只中

五木寛之の「林住期」を読む。

古代インドでは、人生を四つに分けて「学生期」「家住期」「林住期」「遊行期」と呼ぶ。五木寛之は、人生100年として25年区切りでみると、50歳から75歳までが「林住期」にあたり、この期間こそ、人間の一生のなかでの絶頂期であり、黄金期、収穫期であると言っている。そして、50歳でいったんリタイアすることを薦めている。

一般的な感覚では、50歳までが人生の絶頂で其れから先は余生で人生のオマケのような捉えかたをしてしまうが、そうではなくて50歳からは自分の本当に好きなこと、やりたいことをやることですばらしい人生となる。

意外だったのは、「林住期」を生きるためには、まず独りになることが必要だという。人間は元来群れをなして生きる存在で、夫婦、親子、家庭、地域、会社、クラブ、学友、師弟その他もろもろの人間関係が周囲にひしめいているが、その人脈、地脈を徐々に簡素化せよと説いている。自分ひとりで生きるために生きるということだろうが、ほんとうにできるだろうか、さびしくないだろうか、確かに最後は孤独の中で死んでいくのだと思うのだが。

50歳から楽しもうと言われても、問題は人間のからだは50年経てば“がた”がくるということだ。昔は人生50年と言われていたわけだから、それを薬や医学が延ばしているだけで耐用年数は50年なのではないか。いくらオーバーホールしても戻らないところが出てきて、若いときのようにはいかないのだ。

ぼくは50歳をもうだいぶ越えて「林住期」真っ只中ですが、75歳まで生き生きと過ごすなんて到底無理なような気がする。ただ、ぼくは昔から理想の死に方をひとに言いふらしていて、70歳になってある朝孫がぼくの部屋を空けたら死んでいる、それを見て孫が「おじいちゃん、昨日まであんなに元気だったのに」という、そんな死に方が理想だと言っていた。で、この本を読んで「林住期」を何とか元気に乗り切って「遊行期」に入る直前の75歳にぽっくり行くことをめざそうと考えている。

それにしても、「大河の一滴」で次のようなことを言っていた五木寛之がずいぶん変わったような気がする。

前向きに生きることは悪いことではない。プラス思考でおのれを励まし、人間性を信じ、世界の進歩を願い、ヒューマニズムと愛をかかげて積極的に生きることも立派な生き方である。
しかし、一方で現代の人間の存在そのものを悪と見て、そこから出発する生き方もあるのではないか。その真っ暗闇の虚空に、もし一条の光がさしこむのが見え、暖かな風が肌に触れるのを感じたとしたなら、それはすばらしい体験である。まさに奇蹟のような幸運であると思いたい。

こりゃどういうことなんだろう。多分、五木寛之自身も確か74歳だと思うが、その歳まで生き延びて、そしておのれの「林住期」が良好であったという実感をもてたからではないだろうか。


2007年5月18日

フューチャリスト同盟に入れて

ぼくは、ほとんど毎日決まった人たちのブログを読む。その中には梅田望夫、茂木健一郎、内田樹、高城剛やそのほかIT関連のひとたちがいる。RSSリーダに入れているので毎日それを開いて更新されたブログ記事を読むという算段だ。全部読むとかなり時間をとるのでしんどいのですが追っかけ出すとやめられない。でも、それでかなりの情報が入ってくるので昔に比べれば格段に効率的である。

同じようなことが、いま読み終えた「フューチャリスト宣言」(梅田望夫、茂木健一郎 ちくま新書)にも書いてある。この二人のブログを毎日読んでいるので、この本の中で語っていることはおおかた予想できることでもあり、二人のベクトルも似通っていることもわかっているので、そう驚きや感動はなかったのだけれど、それでも改めて未来志向の楽観主義には敬意を表する。ぼくは、梅田さんの「ウエブ進化論」からそうだけど、99%賛同する。茂木さんの考え方にもちょっと難しいけど好ましく思っている。そんな二人の対談だから、もうそうだそうだとうなづくばかりである。そのなかでも特に感心したとうなところを抜いてみる。

 

「茂木」 アメリカには、日本では評価されないし頭角を現しづらいタイプの人、つまりビジョナリーがいますよね。自分ではすべてをこなすわけではないけれど、ビジョンを示す。

「梅田」 自分では手を動かさなくても、駄目なものは駄目と言って、きちんと方向性を示して全体を動かしていくタイプの人はいますね。日本の現場主義はこういうタイプを嫌う傾向にあります。


そうなんですね。ですから、ぼくは日本のIT産業から世界的なソフトウエアが出てこないのはここに起因すると思っている。すなわち、コンセプト・メイキングを大切にする風土が日本にはないのだ。それと次のような風土もまた拍車をかけているように思える。若い人たちを応援する体制について、

「梅田」 バックアップ体制と言ったときに、官僚的なロジックでお金をいくらいくら出して、というのは全然だめで、本当に必要なバックアップ体制って、社会における精神なんですよね。欠点を含む小さな芽に対して「良き大人の態度」がとれるかどうかということ。ここがいちばんのボトルネックです。日本は新しいことをやった人を賞賛しないですね。それが根源的にまずい。新しいことをはじめると最初は不安だし、何か既存のやり方や既得権にさわっていくという直感から、危険性をまず指摘する。それがよくない。日本はその度合いが強いです。
これもまったくその通りですよね。これまでと違ったようなことをしようとすると、やってもいないのにそれは無理だとか、リスクがあるだとかわけのわからんことを言って反対する。まあとりあえずやってみよう精神をなぜもたないのだろう。こういうことばかり言うと孤立してしまいうかもしれませんね。そんなやりとりを。
「茂木」  ネットってそれぞれの人の倫理観が試されているような気がしますね。ブログの書き方ひとつにしても気を遣う。僕の倫理観としては、基本的にポジティブな気持ちを広げる感じにしたい。イヤなことは書かない。

「梅田」 ブログは教育メディアと限定されるわけじゃないし、自己表現でもあるけれど、若い人がそれを読んで勉強する、という意味が大きいと思います。結局教育って、ポジティブなものを与えるということ以外に何の意味もない。

「茂木」 ポジティブなビジョンを与えること以外に教育はない。梅田さんと同じことをシリコンバレーの人は言うでしょう。でも日本はネガティブな人が本当に多い。僕も梅田さんもそういう意味では孤立しているなあと時々感じる。


そのほか、大学はもう終わっているだとか、たったひとりの狂気で世の中が動くといった過激な発言があるが、これからどういう人間が生きのびるかみたいことを言っていて、そのなかで、たくさんの分野に興味があって、関係性に興味がある、俯瞰してものを見て全体の構造をはっきりさせたいという志向がある人と、その反対にあつことにのめりこんで深堀するんだけどそれが好きで好きでたまらんという人に二極化するのではないかということらしい。僕は以前から情報システムに対して俯瞰力をもって構造化することを唱えているので意を強くした。

まだまだ書きたいことがいっぱいあるが、本の中味を全部ばらすようなことになるのでこれくらいにするが、1%注文があって、特に梅田さんにだけど、若いひとにみんなとんがれとか意識を変えろとか挑発的な言葉を発している傍らに、そうは言っても能力がなかったり、楽観的にはなれない人たちに対しても暖かいまなざしを持っていてほしいと思う。

最後に、この本は「若い人たちに希望と勇気を与えたい」と書いていたが、全くその通りだと思うと同時に、若い人に限らずぼくらのおじさんたちにもあてはまると思う。そう思うような人間だったら「フューチャリスト同盟」に入れてくれますよね。


2007年5月26日

荷風のようにはいかない

ぼくのブログで身辺雑記のようなものを「乱調亭日乗」というカテゴリーにしているが、これは前にも書いたとおり、永井荷風の「断腸亭日乗」から採ってきた。、「断腸亭日乗」とは、荷風が79歳で死ぬ前日までの42年間書き続けられた日記のことで、1日も休まず記されていて、その当時の社会の様子や風俗などが読み取れる貴重な資料でもある。

その日記をベースに永井荷風の生き様を書いた「永井荷風という生き方」(松本哉著 集英社新書)という本を読む。

ご存知のように荷風は、2回の結婚歴があるが、子どももいなく、親戚とも絶交し、友人も少なく、最後は孤独のまま亡くなっている。そういう主義であり、気ままな生活を望んだのである。だから逆に言いたいことを言って人を怒らせても平気だし、お上の批判も歯に衣を着せぬものがある。そして、奔放なる女性遍歴というふうにほんと好き勝手に生きたようだ。まあ、お金持ちの子で遺産がっぷりあったことと売れっ子の作家でもあったからできたことでうらやましい限りだ。

そんなことが、この本に書いてあるのだが、日記の抜書きの羅列みたいなところがあって、もう少し著者自身の思い入れを入れてもいいから、ひとりの作家の魅力的な人物像としてまとめてほしかった。

それにしても、42年間毎日かかさず日記を書き続けるというのはびっくりする。今なら、さしずめ毎日ブログを書くのと同じだ。ぼくも毎日のようにブログを書いているが、42年間というのは気の遠くなる話だ。茂木健一郎が80歳までブログを書き続けたら並ぶ。

「林住期」を迎えているぼくとしては、どうやって老後を過ごすのかが関心事でもあるが、さすがに荷風のようにはいかない。ぼくにはお金もないし、家族もいるし、だいいちそんなに好色ではない。

永井荷風という生き方
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2007.5.26
  • 松本 哉
  • 新書 / 集英社 (2006/10)
  • Amazon 売り上げランキング: 26276
Amazon.co.jpで詳細を見る

2007年5月30日

オープンソースのこころ

いま、業務アプリケーション開発技法を確立中だが、この技法にはオープンソースのソフトウエアを使っている。「Plone」というCMSツールです。また、商用のソフトウエアも使っていてその組合せでアプリケーションを組み上げることを志向している。

なぜ、全部オープンソースでやらないのとか、まだ恐いから有償でもいいから商用のソフトウエアだけで作ったほうがいいんじゃないとか言われることがある。ぼくは、どちらか一方に寄せるのではなく、やはり「棲み分け論」でいくべきだと思う。いいところ悪いところがそれぞれあるし、向き不向きがあると思うからである。

まあ、簡単に言えば、固定的なプロセスで基幹的な部分は保守がしっかりしている商用ソフトウエア、変化が激しく不定形なプロセスは簡単に早く作れるオープンソースのものを使うのがいいのではないでしょうか。言ってみれば、幹は商用、枝葉はオープンソースということです。ただし、これは業務アプリケーションについての話で、OSだとかDBなどのようなソフトウエアではない。

そんなことを考えていたら、息子の本棚に「オープンソースがなぜビジネスになるか」(井田昌之・新藤美希著、MYCOM新書)という本があったので読んでみた。“オープンソースの過去・現在・未来、その深層がわかる!”という言葉が帯に書いてあり、期待してみたが、LINUXやGPLのことやIBMの傾倒などの話が書いてあるんだけど感動しないんだな。

ただ、上に書いたように何でもオープンソース化すればいいんじゃなくてやはりバランスが大事だと言っていた。結局、オープンソースがなぜビジネスになるかという表題の設問に何も答えてくれていないが、オープンソースの歴史を知りたいひとにはいいんじゃないかな。

しかたないから、少し自分で考えてみた。オープンソースで作られたソフトウエアは基本的にはただですが、そのソフトウエアを使ったアプリケーションはただではない。また、その技術を使うためのサポートやバージョンアップ対応なども有償化できると思う。要するにプロダクトではなくサービスに対する対価はありえるのだ。そこでビジネスがやっと成立するのだろう。

また、このオープンソースは、そのもののビジネスもさることながら、ソフトウエア業界に大きなインパクトがある。従来のように高いソフトウエアを売りつけ、当然のようにかかった工数見合いの費用を請求してきたシステム会社はすごいことになる可能性がある。

ところで、オープンソースで誰がしあわせになるのだろうか?ユーザすなわち、オープンソースで作られた仕組みを使う人ですよね。いいものが安く手にはいるわけだから。では、作り手はしあわせなのか、ある意味しあわせでしょ。ある意味と言ったのは、経済的には満足できないかもしれないが(もともとこれを期待しているわけではないのだが)、自分の好きなことをやって、周りから評価されるということは幸せなんでしょうということです。

じゃ、ふしあわせな人はだれでしょう?ソフトウエアベンダーの人でしょうか。だから、システム会社の今後は、ユーザとオープンソース開発者といかにWin-Winの関係が築けるかにかかっている。IBMのように積極的にオープンソースにコミットしていくのか、距離を置くのか決めていかなくてはならない。

いずれにしろ、オープンソース化の流れ、チープ革命の動きは止められないので、僕はオープンソースとうまく付き合う方法を自分たちのリソースと照らし合わせて必死に考えていく必要があると思う。


オープンソースがなぜビジネスになるのか
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2007.5.30
  • 井田 昌之 進藤 美希
  • 新書 / 毎日コミュニケーションズ (2006/06)
  • Amazon 売り上げランキング: 93264
  • Amazon おすすめ度の平均: 3.0
    • 5 何となくオープンソースが分かったような気がした。
    • 1 本のタイトルを変えてみては!
    • 1 タイトルと内容が違う。
Amazon.co.jpで詳細を見る

2007年6月 4日

敏感力 VS 鈍感力

べストセラーとなっている渡辺淳一の「鈍感力」を読む。何となく内容が想像できたので買うのをためらっていたら、下の息子が買ってきたので借りて読んだ。

そんなにボリュームがないのですぐに読めるが、内容もやはりたいしたことがなく想像どおりだった。蚊にさされていても平然としているのが鈍感力があり、そのほうが上だという話から入ってきた。えーと思ってしまう。だいいち「鈍感力」なんて力があるもんですかねえ。意識して鈍感になれるのかなあ。できるなら、例えば鈍感力を磨いて力をつけるということも言えないこともないが、ふつうは鈍感なやつは無意識に鈍いだけじゃないのかなあ。やっぱ、感度が鈍いやつはだめですよ。

それで、ずっと読んでいくと何のことはない、鈍感でいることがいいと言っているわけではないような気がする。確かに過敏になることはいけないけど、ぼくはある程度敏感になったほうがいいのではないかと思う。

それで結局何が「鈍感力」かというと、まず何かを感じた後の対応力のことではないだろうか。すなわち、過敏に反応しないようにして、自分に都合が悪いことは適当に流しておくとか、いやな事があっても前向きにポジティブに考えた方がいいとか、細かいことは言わずにいつも大局をみつめているだとか、包容力や人間の器の大きさだとかを言っているだけだ。まあ、環境適応能力とでも言ったらいいかもしれない。

ただし、身体的なものには「鈍感力」があった方がいいだろう。だから、肉体的なものと精神的なものは違うのではないでしょうか。

だから、この本では、感じるところの鈍感さとその対応としての鈍感さの混同、肉体と精神における鈍感さの混同が両方起きていて、全部無理やり鈍感力に結びつけている。

それと、敏感と鈍感の重要性は時代で変わるのではないだろうか、ひところはむしろ「敏感力」のようなものが求められた時代もあったわけで、その時の気分でどちらを強調するかみたいなところがある。今は、良くも悪しくも情報が溢れていて、あまり敏感に反応していたらまいってしまうから、こういう本が売れるのかもしれない。まあ、何でもかんでも「○○力」とつければいいというわけではないと思うが、ベストセラーになったのは、題名のつけ方が大きいようですね。

鈍感力
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2007.6.4
  • 渡辺 淳一
  • 単行本 / 集英社 (2007/02)
  • Amazon 売り上げランキング: 182
  • Amazon おすすめ度の平均: 2.5
    • 1 エロ小説家の戯言
    • 3 眠れる大人
    • 1 根拠が無い!
Amazon.co.jpで詳細を見る

2007年6月 5日

敏感な渡辺淳一

昨日、「鈍感力」という本について書いたが、実は渡辺淳一は敏感だったという話を思い出した。

もうだいぶ前になるが、彼があるテレビ番組に出たとき、「渡辺さんはなぜ日経新聞ばかりに連載小説を書くのですか?」と聞かれた。確かに、化身、失楽園、愛の流刑地はみな日経新聞の連載であった。で、その答えが「最初、毎日新聞に載せたのだが、そのとき変な読者がいてボロクソに言われたことがあった。その点、日経新聞は読者のレベルが高く、そんな変なやつがいないので、好意的な反応が多いので、もう新聞小説は日経だけにした。」というようなものであった。

おいおい、あなたの鈍感力はどこにいったの。いちいち読者の批評に敏感に反応しちゃいけないんじゃなかったの、渡辺さん。

2007年6月23日

「フェルマーの最終定理」は最高におもしろい

以前に「博士の愛した数式」という映画を観たのと最近銀座のMである高名な数学者のかたとお話をする機会があって、何となく数学に興味を抱くようになっていたところ、「フェルマーの最終定理」(サイモン・シン著 新潮社文庫)が文庫になっていたので早速購入して読んでみた。これがまた無茶苦茶おもしろかった。

皆さんご存知のように、フェルマーの最終定理というのは、「xn+yn=zn この方程式はnが2より大きい場合には整数解をもたない。」というものである。そしてフェルマーは、「私はこの命題の真に驚くべき証明をもっているが、余白が狭すぎるのでここに記すことはできない」ということばを残して死んでしまったのである。それが17世紀のことである。

それから、長い間、天才的数学者がこの証明に挑んだにもかかわらず、ことごとく跳ね返されたが、1994年についにイギリス人の数学者アンドリュー・ワイルズによって証明されたのである。実に3世紀にわたって悩まし続けた超難問が解けたのである。

この本は、ワイルズがそのフェルマーの最終定理を解いていく過程だけではなく、ピュタゴラスから始まる数学の歴史をも眺め回している非常に壮大な著作である。しかしながら、難解なものではなく、ぼくのような人間でもある程度理解しながら読み進むことができる。

いちおうぼくも理科系なので数学をかじったが、数学のもつ純粋さやある種の美しさはなかなかわからない。でも、この本を読むとそのあたりが数学者の姿勢を作者が暖かいまなざしをもってまじめに描くことにより、じわっと実感してくる。ワイルズがやっと証明ができたくだりでは思わず涙がこぼれてきた。

ワイルズは数学の研究では珍しくひとりで、秘密裏に仕事を進めた。従って、その精神力、集中力は並大抵なものではない。それを言い表わしたワイルズの言葉。
 

大事なのは、どれだけ考え抜けるかです。考えをはっきりさせようと紙に書く人もいますが、それは必ずしも必要ありません。とくに、袋小路に入り込んでしまったり、未解決も問題にぶつかったりしたときには、定石になったような考え方は何の役にも立たないのです。新しいアイディアにたどりつくためには、長時間とてつもない集中力で問題に向かわなくてはならない。その問題以外のことを考えてはいけない。ただそれだけを考えるのです。それから集中を解く。すると、ふっとリラックスした瞬間が訪れます。そのとき潜在意識が働いて、新しい洞察が得られるのです。

いま、数学の研究では珍しくひとりでと言ったが、ぼくはあまりよく知らなかったのですが、数学の研究というのはオープンなのですね。自分のやっていることを仲間に披瀝して間違いをチェックしてもらったり、別のアイディアを出してもらうのがあたりまえなのだ。

それで、ふとシステム開発におけるオープンソース開発を思い浮かべてしまった。基本的に同じように思える。なぜだろうか。そのときちょっとこんなことを考えてみた。数学をやっている人って何のためにやっているのだろうか、世の中に役に立っているのだろうか、フェルマーの最終定理を解くと普通のひとたちにとってどんないいことが待っているのだろうか(数学的にはすごいことだとは思うが)、すごい定理を発見したって特許をとれるわけではないなあ、とかそんなことを考えてしまった。

どうもお金儲けのためではないので、名誉ということなのか。目の前の問題を解くことが本能的に好きなのか。だれも証明できないことを証明したときの喜びを求めているのか。
少なくとも、本気で取り組むものを見つけ、それがお金のためではなく、その問題を解くことにのみ生きがいを感じるというのが美しいような気がしている。そのへんの気分についてワイルズは証明したことを発表した最終講演のあとこんなことを言っている。

すばらしい出来事だったには違いないのですが、私の気持ちは複雑でした。七年間というもの、これは私の一部であり、仕事としてはこれがすべてだったのです。私はこの問題に夢中で、この問題を独り占めしているとさえ感じていました。それなのに、私はそれを手放そうとしていた。まるで自分の一部を失うような気分でした。

ワイルズがフェルマーの最終定理を証明するにあたって、実は日本人数学者の何人かが大いに関係しているのです。特に「谷山=志村予想」というのが濃厚に影響していて、言ってみれば、この「谷山=志村予想」を証明することが「フェルマーの最終定理」につながったわけです。日本の数学のレベルが高いことがわかっただけでもうれしかった。
やっぱ数学は崇高な学問ですね、お金をいっぱい稼いだ「数学者の品格」が疑われる藤原正彦さんへ。

この本には他にもいろいろためになることが一杯詰まっているのと、作家の力量だと思うが、非常に読みやすいのでぜひ一読することをお薦めします。

2007年6月28日

「現場」の意味

「経済再生は「現場」から始まる」(山口義行著 中公新書)を読む。内容は、日本経済再生の兆しが見えてきたが、まだ大企業を中心としたもので、中小企業や地域では苦しんでいて、それを解決するカギが「現場」にあるというもの。いくつかの例が紹介されている。

地方銀行である常陽銀行が不良債権を「処理」するのことなく、不良債権を「減少」させることを行なったもの。すなわち、貸出し先企業の経営改善を銀行がみずから積極的に支援していくというものである。また、群馬県榛名町で起こった町の再生活動がある。榛名湖はワカサギ漁で有名な湖であったが、1997年ころから急にワカサギが釣れなくなってしまう。そのとき市民の有志がたちあがり、炭素繊維の汚水浄化作用を利用して湖の水をきれいにするプロジェクトを成功させたこと。さらに、大阪市の中小企業ネットワークなどの例があげられている。

なかでもすごくおもしろかったのは、三重県の尾鷲総合病院の取り組みで、いまこうした地方の病院では患者の高齢化が進み経営困難に陥っているところが多いのだが、ここでは、NSTというチームで患者の栄養管理を行い、患者の体力や免疫力を高めることで、例えば院内感染が激減したり、そうした変化で経営も安定した例が紹介されている。「現場」の工夫次第でで大きな効果を上げられるという好例である。

確かに、今は地場中小企業をどう活性化するかは重要なテーマであると思う。ぼくも今ITを活用したこうした取り組みを企図しているのだけれど。まだまだ、全体としてのうねり、あるいは組織的な動きにはなっていない。誰かすごい人がいてその人がわが身をかえりみず努力して始めて成り立つところがある。

そうした、硬直感を打ち破るにはどうしたらいいのだろうか。ぼくはいちばん大きな要素は。「情報開示」だと思う。情報をオープンにし、みんなで共有することで連帯感も生まれるし、組織的な動きにつながるような気がする。この本のなかにも、大阪市の例で、中小企業のネットワーク化を先頭にたって推進したある会社の社長は、自分たちが苦労して開発したものを惜しげもなく見せて、それで他の会社から信頼を得たことで、非常にうまく機能するネットワークを構築している。

また、中小企業を支援する「金融アセスメント法」の制定に関わった著者が、従来の官僚主導型金融システムから脱却するには、その条件として、「情報の相対化」と「評価の客観化」が大事だと言っている。この「情報の相対化」というのは、情報公開ということで、金融機関を比較したり、それぞれの特徴を把握するのに役立つために意味ある情報を教えてくださいということなのである。前に、ぼくがランキングを発表しろと言ったのはまさしく「情報の相対化」と「情報の客観化」のことなのだ。

ところで、「現場」という意味はどういうことなのだろうか。逆に「現場」でないところってどこなのだろうか。まあ、常識的には生産現場だとか販売現場だとか、ヒト・モノ・カネ・情報のサービスの授受がある接点のところになると思うが、現場重視に舵を切りすぎると、この本にもこんな記述もあるのですが、「これからのあるべき企業は、「経営者が一市民である企業」です」という、おいおいちょっと振れすぎじゃないのかということになる。世の中、「現場」だけで動いているわけではなく「非現場」もあってこそバランスがとれると思うのですがいかがでしょうか。

それはともかく、これからの日本経済の再生のヒントになる論旨でなかなかよく書けていますのでご一読を。

2007年6月30日

裁判官と裁判員

2009年5月までに裁判員制度がスタートする。この制度はひとごとと思っていると突然「あなたは裁判員に選ばれました」と言って来られる可能性がある。しかも、ちょっとやそっとでは断れないのだ。仕事が忙しいからだとか、どっかに行く予定があるだとか言っても断る理由にはならない。

対象は殺人事件のような死刑とか無期懲役に該当するような犯罪らしいのだが、そんな裁判に参加したくない。被告が生々しく殺人の様子なんかを語るのを聞くわけでしょ。

まあ、なぜこのような制度を導入したのかよくわからない。「国民のみなさんが刑事裁判に参加することにより,裁判が身近で分かりやすいものとなり,司法に対する国民のみなさんの信頼の向上につながることが期待されています」ということだそうだが、ぼくとしては、司法に対する信頼は低下していたわけではない(警察は信頼低下していたが)のでピンとこない。

裁判のスピードアップも期待されているみたいだが、裁判員が参加することで直接的にスピードアップにつながるとは思えない。裁判員を長く拘束できないから早く終わらせようとするため早くなると言われても、それって迅速じゃなくて拙速といいことじゃないの。裁判員になると質問もできるみたいだから、気の利いたことを言えるように勉強でもしておこうかな。

てなことを考えていたとき、下の息子が「裁判官の爆笑お言葉集」(長嶺超輝著 幻冬舎新書)を読んでいたので、読み終えたところですぐに借りて読んだ。

題名だと裁判官の言った笑えるようなお話が一杯出てくるんかと思っていたが、そうではなくて、けっこうまじめだったり、人情味あふれる言葉だったり、個人的な感情だったりして、看板に偽りありの感じであったが、それなりにおもしろかった。それにしても、裁判官というのはしかめっつらでただ判決文を読むだけだと思ったら、いろいろな意見というか、説諭や助言みたいなことも言うのですね。

お言葉をあまり載せてしまうとネタバレになっってしまうので印象に残ったのをひとつだけ。あの池田小学校の児童殺傷事件の被告宅間守に裁判長言った言葉。「科すべき刑は、死刑以外にありえない」。ところが、本の著者はこれに対して、早く死刑にしてくれと言っていた被告に国家がその望みをかなえてやる形になったようだ。ひょっとしたら、こうした被告のようなタイプにとっては、終身刑こそが自分の罪に正面から向き合わされ、最も恐怖をおぼえる「極刑」だっとは考えられないだろうかと言っていたのがすごく印象的であった。

というのは、この本を読んでいるとき、光市母子殺人事件の公判のニュースが流れてきたからである。弁護人に言わされているとしか思えない被告のいい加減な陳述は何をか言わんやだが、そのことはさておき、この裁判の争いは量刑の判断、すなわち無期懲役か死刑かである。そこで先ほどの話が非常に現実味を帯びたことになる。

このとき被害者側の論理としてはどうなのだろうか。本村さんは、別に死刑にしろと言っているわけではないとしているが、やはり気持ち的には死刑にしろといっているわけです。ところが、逆説的に言うと、被告が反省もしていない、そして被害者とその遺族の思いを理解しないまま死刑になることは望んではいないのではないだろうか。だから、死刑を願うことと死刑にすることが矛盾しているような気がする。

もし自分が本村さんの立場になったらどうなんだろうかと考えてみると、当然犯人をぶっ殺してやると思うはずである。だがそれで清算できるかというとそうではないような気もする。それではいったいどうしたら“カタをつけられる”のだろうか。まずは、被告が自分の犯した罪の重さを本当に分かって、その罪を償う気持ちが自然に出てくるまで、そして遺族がそれを納得するまで社会に戻さないこと、そして反省もしない、しかも再犯のおそれがあるなら死刑というのが救いの道ではないかと思っているが、うーん難しい。

もし、こんな裁判で裁判員に選ばれたらどうしよう。こうした注目の裁判だとメディアも騒ぐし、かなり外乱があるから判断がすごく難しくなる。いやあ何か恐ろしくなりますね。たまたま、選ばれた人がみな今回の弁護人のように死刑廃止論者だったってことは起こらないのかな。


裁判官の爆笑お言葉集
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2007.6.30
  • 長嶺 超輝
  • 新書 / 幻冬舎 (2007/03)
  • Amazon 売り上げランキング: 253
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.0
    • 3 やや物足りなさを感じました
    • 4 大岡裁きも悪くない
    • 1 ワクワクしませんでした
Amazon.co.jpで詳細を見る


2007年7月 3日

データはウソをつく

いま、個人の情報処理について考えていて、一部「働きたくなるIT」にも書いているんだけれど、本当に有用で信頼のあるデータを取得するにはどうしたらいいのかという問題がいつもついて回る。

そこで「データはウソをつく」(谷岡一郎著 ちくまプリマー新書)を読む。著者の谷岡一郎は大阪商大の学長で、専門が犯罪学、ギャンブル社会学、社会調査方法論。この本の副題が、科学的な社会調査の方法とあるように、社会調査方法論に関するお話。方法論については「働きたくなるIT」で論じることにするが、こちらでは、だまされたり、間違ったりする例がいろいろ書いてあるので、それらを中心に書く。あ、そうなんだと気づかせてくれるおもしろい話です。

なぜ、そういうことがおきるかというと、社会科学界の事実というのは、自然科学と違って、「蓋然性(確実性)の世界」で、基本的には灰色であり、その灰色が限りなく白に近いか黒に近いかである。だから、そこには、時間、空間、そして文化の差異による制限がついてくる。このあいまいさを誤用したり、悪用するために間違ったデータ解釈が行なわれるのだ。

そして、マスコミは自分たちの都合のいいように事実をねじ曲げているというわけだ。あの「あるある大事典」の捏造問題である。ところが、著者は、それをいうなら、占い師が未来を予言したりする番組も捏造であり、また、宝くじがあたるジンクスとか、金運の上がる財布など、明白にウソの広告を載せることだって問題にすべきであると主張する。ぼくも全く同感で、極論するとテレビ、新聞などのメディアの情報はみんな捏造である。ああ、スポーツの試合結果だけを除いて。

あと大いに気になるのは、誘導することなんですね。言葉やその他の表現によって予断を与えてしまうやり方である。例えば、「○○法案、50%が賛成」と書くか、「○○法案、50%が反対」とかくかで読者のとらえ方が影響受ける。

また、東洋大学の平松貞実という人の実験で同じ質問でも言葉の順序で答えが変わる事例です。
Q あなたは次のどちらのタイプの先生がよいと思いますか
A:学生の面倒はよくみるが、講義の内容はあまりよくない   20%
B:学生の面倒はあまりみないが、講義の内容は大変よい    77%

Q あなたは次のどちらのタイプの先生がよいと思いますか
A:講義の内容はあまりよくないが、学生の面倒はよくみる   40%
B:講義の内容は大変よいが、学生の面倒はあまりみない    58%
これっておもしろいでしょ。

最後に、因果関係モデルの勘違いの話。よく因果関係について、何かの現象があたかもある事象と大きく関係していると思い込むと、実は単に勘違いしているだけということがありますよね。非常におもしろいエピソードを。

“連合軍の戦闘機スピットファイアが独軍のメッサーシュミットにバタバタと撃ち落され、命からがら帰ってきた機体のダメージをたくさん調べた将軍がいた。そして尾翼のダメージが特にひどいことを発見。本国に「スピットファイアの尾翼を強化するように」と打電したんだそうだ。本国には脳ミソのしわがちょっと多い人がいて、こう返事してきたという。「尾翼をやられた戦闘機は一応帰ってきたのではないのかね。他の場所を打たれた機が帰ってこなかったとすれば、強化するのは別の所ではないのかね」“
これまた、われわれでも時々犯す誤謬の例ですよね。

で、結局こうしたゴミだらけの情報を使いこなすのに必要な能力は、教養、サーチ・リテラシー(ツッコミを入れる能力、ウソを見抜く力)、セレンディピティ(必要なデータや情報、有用なデータや情報を短時間で見極めること、そして不要なもの(ゴミ)は切り捨てる能力)の3つなんだそうです。
なかなか参考になった“ゴミにならない”おもしろい本でした。


データはウソをつく―科学的な社会調査の方法
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2007.8.17
  • 谷岡 一郎
  • 新書 / 筑摩書房 (2007/05)
  • Amazon 売り上げランキング: 1640
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.5
    • 5 新聞やテレビに踊らされないように
    • 3 ちゃうやろ それ!
    • 4 「マニュアルを作る側に立て」
Amazon.co.jpで詳細を見る

2007年7月12日

生物的であるということ

ずいぶんと昔のことになるが、ぼくの若い頃、あるプロジェクトが終わったのでそのことについて社内報に記事を書いてくれと頼まれたことがあった。そのプロジェクトは、プラント制御システムの導入に関わるものであったが、その文章に「これからシステムはより生物的なものに進化していく」というようなことを書いた。

ところが、その時の上司にチェックしてもらったら、この“生物的な”というのがよくわからんと言われて泣く泣く削除したことがあった。そのときに使った生物的という意味は、それほど深く考えていたわけではなく、ただ生物の柔軟性に富んだ反応、全体が調和的に動くさまなどが、決まりきった動きしかできないコンピュータシステムの行く先のめざすところではないかと思ったのだ。そして、今もコンピュータシステムに関係する立場から、頭の片隅に当時の“生物的”なシステムという考えがちらっと顔を出したりしていた。

そんな思いがあったので、「生物と無生物のあいだ」(福岡伸一著、講談社現代新書)を見つけるとすぐに買ってきて読んだ。これはとてもとてもおもしろい本だ。この手の科学に関する読みものは、どうしても学術的の説明文章となり、読んでいて途中で疲れて放り投げるというのがお決まりのコースなのだが、この本は最後まで一気に読んだ。

なぜおもしろいかというと、内容もさることながらこの著者である福岡伸一の文章力がすばらしいのだ。だから、難しいこともすんなりと理解をしながら読み進むことができるのだ。ちょっと前に「フェルマーの最終定理」を読んだが、それも著者のサイモン・シンもその文章力には感心させられたが、この「生物と無生物のあいだ」も同じように、数学の代わりの分子生物学をそれに関わる何人かを登場させることで歴史的なストーリーを交えて、われわれに教えてくれる。まさに、帯に書いてある“読み始めたらとまらない 極上の科学ミステリー 生命とは何か?」ということになる。

内容は、生命とは何か?という問いから始まって、人間の分子生物学的な構造や仕組みを解き明かされていく過程を描いている。生命と言うのは、「自己複製を行なうシステム」という定義なのだそうだ。DNAの二重ラセン構造をワトソンとクリックが提示してから、生命の謎へどんどん迫っていったのである。

いちいち内容を追っかけていくわけにはいかなので、いちばん感動したことを書く。それは「秩序は守られるために絶え間なく壊されなければならない」ということである。これは、シェ-ンハイマーの発見した生命の動的な状態という概念について述べたものである。このことについて本文から少し引用する。

私たちは、自分の表層、すなわち皮膚や爪や毛髪が絶えず新生しつつ古いものと置き換わっていることを実感できる。しかし、置き換わっているのは何も表層だけではないのである。身体のあらゆる部位、それは臓器や組織だけではなく、一見、固定的な構造に見える骨や歯ですらもその内部では絶え間のない分解と合成が繰り返されている。 入れ替わっているのはタンパク質だけではない。貯蔵物と考えられていた体脂肪でさえもダイナミックな「流れ」の中にあった。 それまでは、脂肪組織は余分のエネルギーを貯蔵する倉庫であると見なされていた。大量の仕入れがあったときはそこに蓄え、不足すれば搬出する、と。同位体実験の結果は全く違っていた。貯蔵庫の外で、需要と供給のバランスがとれているときでも、内部の在庫品は運び出され、一方で新しい品物を運び入れる。脂肪組織は驚くべき速さで、その中身を入れ替えながら、見かけ上、ためている風をよそおっているのだ。全ての原子は生命体の中を流れ、通り抜けているのである。中略 私たちの生命体は、たまたまそこに密度が高まっている分子のゆるい「淀み」でしかない。しかも、それは高速で入れ替わっている。この流れ自体が「生きている」ということであり、常に分子を外部から与えないと、出ていく分子との収支が合わなくなる。

なるほど、“生命とは動的平衡の流れである”ということなのですね。このくだりは、会社にもあてはまりそうでおもしろかった。会社も法人というくらいだから人間と同じように生きているわけで、そうなると絶えず新しい息吹を吹き込みながら、停滞することなく組織の入れ替えが必要なのかもしれませんね。最初のシステムの話にしても、この動的な平衡を維持するための仕組みとしてあらねばならないと考えると、従来と少し視点を変えて見ることも大事であるような気がしたのである。

それにしても、最近はこうした分子生物学や脳科学がすごい勢いで進んできて、様々なことが解明されてきている。なんだかおそろしくなってくるが、どうしても分からないところがあるはずと思っているが、それは何なのだろうかと考え込んでしまう。

他にもおもしろい話が一杯詰まっていますが、興味のあるひとはぜひ購読してください。


生物と無生物のあいだ
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2007.7.12
  • 福岡 伸一
  • 単行本 / 講談社 (2007/05/18)
  • Amazon 売り上げランキング: 8
  • Amazon おすすめ度の平均: 5.0
    • 5 無類に面白く、美しいミステリを思わせる読み心地
    • 5 このての本は、、、
    • 5 生命の生命たる所以
Amazon.co.jpで詳細を見る


2007年7月15日

ヤクザのビジネスモデル

いつぞやWeb2.0のビジネスはヤクザみたいなビジネスだというコメントをいただいたことがあって、じゃヤクザのビジネスってなんなのだろうとずっと気になっていた。それで、先週東京に出たとき八重洲のブックセンターに立ち寄ったとき、ふと目にして思わず買ってしまった「ヤクザに学ぶ サバイバル戦略」(山平重樹著 幻冬舎アウトロー文庫)を読む。

そこには、ヤクザの強い組織、人間力、錬金術、生き様が描かれている。結論的に言えば、ヤクザの世界もビジネスの世界もあまり変わらない。結局、強いリーダシップをもったトップが堅い組織をつくり、知恵とアイディアで戦略を練り、不屈の精神で実行するという話なのだが、そうはいってもやはりヤクザはヤクザなりの特徴みたいなものがある。

まずは、「抗争をやって勝てば勝つほどカネが湧いてくる」ということだろう。ふつう、抗争なんかやると逆にカネがかかってしょうがないんじゃないかと思うが、そうではないのだ。どういうことかというと、ヤクザは何で稼いでいるのかだが、つい密売や売春、用心棒だとか、はたまた強請たかり、恐喝が思いつくが、実はヤクザのシノギの大半はカタギが持ってきてくれる仕事で成り立っているのだそうだ。

商店主から大企業のえらいひとまで、あまり表沙汰にしたくない問題を何とかしてくれと依頼されるわけだ。トラブルコンサルタント業である。だから、そういった仕事を依頼するほうにとっては、確実に早く解決してくれる力のある組織に頼むのが一番いいのだ。そこで、抗争で勝って力の強さを見せつければお客さんも増えるというわけだ。

また、ヤクザがバブル期の地上げに代表されるように拝金主義になってきているそうで、本来ヤクザはカネを稼ぐことが目的ではないはずなのだが、これがヤクザの仕事かと思えるようなことまで手を出している。

これはそなんに悪い例ではない、むしろうまくビジネスにしたということかもしれませんが、駅で読み終わった週刊誌やマンガを売っている光景をみることがあると思いますが、これはヤクザのビジネスなんです。テキヤというのもヤクザですが、そのテキヤの組長が思いついたそうだ。ホームレスを動員し、マンガや週刊誌を回収し、それを1冊10円とか20円で買取り、それを一律100円で売るのだが、テキヤだから露天販売はお手のものである。当然当局から苦情があったがそのときテキヤが言った言葉がおもしろい。「仕事がないというホームレスの人たちの自立ために、オレたちは及ばずながら力になろうとしているんだ」と言ったそうだ。

この話は、けっこうヤクザの世界を象徴している面もあるような気がする。すなわち、社会の底辺でうごめいているある意味の弱者を救う役割、通常の組織でははじきとばされてしまう若者を受け入れてあげる場であるのかもしれない。だから、本来のヤクザ(こういうのもちょっと変だが)はけっしてカタギに迷惑がかからないなかで、負の部分を担う裏の世界を形成していたわけで、それはそれでぼくは評価している。

最初の疑問であったヤクザのビジネスモデルとはという問いに直接答えてくれてはいないが、ITヤクザというより、ネットテキヤというのがありそうだ。それと、どうも“ヤクザはNPOである”ように思えてきた。

最後に、ビジネスモデルではなく、経営方針というか、五代目山口組・渡辺芳則組長がつくったという標語を紹介する。「団結 報復 沈黙」の3語だそうだ。


ヤクザに学ぶサバイバル戦略
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2007.7.15
  • 山平 重樹
  • 文庫 / 幻冬舎 (2007/06)
  • Amazon 売り上げランキング: 495054
Amazon.co.jpで詳細を見る


2007年7月31日

闇の架け橋

またすさまじい本が出た。いま売れている「反転」(田中森一著 幻冬舎)である。え、こんなことまで書いちゃっていいのという感じ。政治家や企業家、ヤクザなどが実名で登場する。闇社会の実態を赤裸々に描いていて、飽きさせない読み物で一気に読んだ。

著者の田中森一は元特捜検事で、撚糸工連事件や平和相互銀行不正融資事件など数々の経済事件を手がけた辣腕検事だったが、なぜか検事をやめ弁護士に転じた。いわゆるヤメ検である。弁護士になってからも特捜時代の情報網や人脈でこれまた多くの事件の弁護を行なっている。でも、弁護士に転向した理由のひとつに経済的なこともあったと思うが、弁護士ってすごく儲かるんですね。まあこのひとは特別なのかもしれないが、検事を辞めるとすぐにいろんな企業や個人から三顧の礼で顧問契約をしてくれといってきたそうだ。

この本は、大きく3つくらいに分けられていて、最初が自分の生い立ち、司法試験に受かるまでが描かれている。何しろこのひと半端ではなく貧乏だったのだ。それでやっと岡山大学の法学部に入学し、学生の時に司法試験に受かっている。そのあたりのストーリはとてつもなくおもしろいし、感動させられる。

次が、検事時代でたたき上げの検事として数々の事件を起訴していくのだが、たたき上げであるがゆえに上司との衝突や被疑者との交流など、普通の検事とは違った生き方をしている。

そして、弁護士への転向。ここでは時あたかもバブルであり、その狂乱ぶりが、本人も含めて描かれている。このくだりはほんとびっくりする。ぼくらが新聞や雑誌でしかうかがい知ることができなかった、イトマン事件の許永中、伊藤寿永光、仕手戦の池田保次、小谷光浩、住専の末野謙一、政治家の山口敏夫、ヤクザの宅見勝等々生々しい話が満載だ。

しかしながら、ぼくはこの田中森一という男を好きになれない。清濁併せ持っていて、いくらきれいごとを言ったところで所詮世の中はどろどろしたことで成り立っているのだみたいに豪語するわけで、だからこそ、手のひら返したように検事から弁護士に転進できるような気がする。バブルのときに大もうけをしてヘリコプターまで買ってしまうほどクライアントのバブリー紳士たちと同類なのだ。

一方でかわいそうだなという気もする。彼は今石橋産業事件の詐欺容疑で懲役3年の実刑判決を受け、最高裁に上告中であるが、結局、成りあがり者は最後は別の大きな力で抹殺されるのではないだろうかということである。例えば、多少強引だが田中森一と田中角栄は似たところがあるような気がする。

ホリエモンや村上世彰などの犯罪もこの本に出てくる事件の延長にあるわけで、経済事件の実態とはこういうものだというのがわかるのでおもしろい。とにかくとんでもない本だ。


反転―闇社会の守護神と呼ばれて
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2007.7.31
  • 田中 森一
  • 単行本 / 幻冬舎 (2007/06)
  • Amazon 売り上げランキング: 7
  • Amazon おすすめ度の平均: 5.0
    • 5 凄すぎ
    • 5 凄すぎる。
    • 5 貧困・バブルー企業社会の釜がひらく
Amazon.co.jpで詳細を見る

2007年8月 8日

経済学的思考のセンス

タイトルと同じ「経済学的思考のセンス」(大竹文雄著 中公新書)を読む。ぼくは、おもしろそうな本を見つけるのにブログで書評を書いている人の記事を参考にしている。その中に、橋本大也さんというITビジネスをやっているひとの「情報考学」というブログがあって、ここに載っている本の紹介をチェックしていて、最近この本について“とにかく面白い視点が満載で一気に読めた”と書いてあったので早速手にした。

内容は経済学的思考によって身近にある格差について論じている。ちょっと前に格差について書いたのでタイムリーな内容であった。いままで、モヤモヤしていたことがずいぶんとはっきりした。前のブログでは、格差を感じている人は一体だれなのかということと社会構造をどう設計していくかがないといけないというようなことを書いたが、まさにそれに対する答えが載っている。

まず、所得格差拡大の実感は、所得格差の統計と整合性があるのかと投げかけていて、実は様々な統計があるが気をつけないといけないと言っている。このあたりは、前に書いた「データはウソをつく」という本のことと一緒で、例えば、公的年金所得を含まない「当初所得」は適切ではないとか、単身世帯を除くと不平等度が低めに算出されるとかとなる。そして、世帯人員を調整して日本の不平等度を計算すると、95年以降はほとんどその上昇はみられないのだそうだ。

ということで、世帯形態の変化の影響が大きいのだ。たしかに80年代には4人世帯が最も普通だったのが、90年では2人世帯が最も多く、次いで単身世帯となっている。世帯規模が変化すると、世帯所得の不平等度と人々の生活水準の格差の間に乖離ができる。例えば、年収300万円の75歳の親、年収1000万円の50歳の親、年収400万円の20歳の孫がいたとすると、年収1700万円の世帯ということになる。ところが、親の年金が増えて年収400万円になったので独立し、孫の年収も500万円に増えたので単身生活を始めたといった状態になるとそれぞれの個人のレベルでみると豊かになっているにもかかわらず、世帯で測った所得では低所得世帯が増加しているように見える場合がある。

さらに、女性の働き方も変化してきている。低所得男性の配偶者は、生活水準を高めるために共稼ぎをし、高所得男性の配偶者は専業主婦になるというのが一般的であったのが、高所得男性の配偶者も高所得を得て働くというケースが増えてきた。

こうした多様な変化要素を考慮した見方が必要であるが、実は所得の不平等度は真の所得格差を反映しないのであって、最も優れた指標は、消費水準の格差であるそうだ。アメリカなんかは所得格差が大きいにもかかわらず消費格差が少ない。ところが、日本の所得格差の拡大は、消費格差の拡大と同時に発生している。同時に拡大させる要因があって、それは人口高齢化と世帯構造の変化なのである。

「全国消費実態調査」1979~99年二人以上世帯に関する年齢別の不平等度(ジニ係数)をみると、
(1) どの年も若年層よりも高齢者層の間での年齢内格差は大きい
(2) 79~94年非常に安定的
(3) 99年の不平等度はそれ以前と異なっていて、若年層が高く、高齢層で低くなっている

日本では、格差は90年代に盛んに言われるようになったが、統計的に見ると日本の所得格差が大きく上昇したのは80年代であって90年代ではないのだ。80年代の格差拡大の最大の理由は高齢化、もともと所得格差の大きい高齢層の人口に占める割合いが上昇したのである。90年代には高齢化がおさまり、また年金制度の成熟化で格差は縮小している。

こうした最近の若年層の格差拡大の原因は、フリーターの増加、少子・低成長化にともなう親からの相続や贈与の影響の増大があげられる。要するに、現時点での所得不平等だけではなく、遺産相続を通じた所得や将来賃金という将来所得の格差拡大を反映しているのである。

また、2002年のアンケート調査で、所得格差を実感しているひとは、貧困者・ホームレスの増加を認識しているひと、若年層より中高年齢層、高学歴層、失業不安をもっているひと、つまり、中高年を中心に成果主義的な賃金制度の導入による今後の賃金格差拡大予想や、失業・ホームレスの増加が、人々に格差拡大を実感させているというわけだ。

所得格差についてだいたいつかめたのでないでしょうか。じゃあ、この格差をなくすためにはどうしたらよいのか。あるいは、格差があったっていいじゃないかと考えられるのかなどについてまたあとで書くことにする。

ちなみに、著者の大竹さんは「経済学的思考センス」のあるひととは、インセンティブの観点から社会を視る力と因果関係を見つけ出す力をもったひとと定義しています。さて、皆さんは「経済学的思考センス」がおありでしょうか?


経済学的思考のセンス―お金がない人を助けるには (中公新書)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2007.8.8
  • 大竹 文雄
  • 新書 / 中央公論新社 (2005/12)
  • Amazon 売り上げランキング: 2411
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.5
    • 5 インセンティブですね
    • 4 経済学はお金をめぐる人間の“心理学”だ。
    • 5 インセンティブと因果関係
Amazon.co.jpで詳細を見る

2007年8月11日

さて、格差をどうしよう

前回「経済的思考のセンス」を読んでのエントリーで、どうも今の日本は、高齢層での格差は縮小しているが、若年層を中心に一時的な所得格差のみならず、成果主義的な賃金制度などによる生涯所得のさらなる格差拡大が起こっており、失業・ホームレスの増加をみて人々が格差拡大を実感していることを指摘した。

そうなると、この状況をどう改善していったらいいかということになる。政府に何を望むのかといってもいい。社会制度や構造をどう再設計していくのかである。税制や社会保障を通じて所得格差を小さくすることをめざすのかどうかだ。今回参院選挙のマニフェストを見ると民主党は若年層を優遇し格差是正を図るといっているが、そこには弱者救済のための負担をだれがするのかという大きな問題が横たわっている。小泉路線の小さな政府に対する大きな政府を主張しているように見えるが、さて本当にできるかどうかだ。

まずは国民負担率を引き上げるのか、形を変えていくのかしていかないとできない。国民負担率というのは、GDPに対する租税と社会保険料負担の合計の比率である。ただ租税はある意味負担ではないが、問題は公的年金保険料で、年金は積立方式ではなく賦課方式だから、高齢化が進展する中では若い世代にとって純粋の負担になる。ここが問題なのだ。

事実、日本の個人所得税負担は低下してきている。それでも増税感を感じるのは、社会保険料が継続的に引き上げられてきたからである。減税は累進度の低下を中心に行なわれ、事実上比例税である年金保険料が引き上げられてきたことで、日本の租税体系は所得再配分機能を弱めてきた。デフレの継続で所得があまり上がらないなかで、社会保険料の引き上げが続くと、低・中所得者は増税感を感じる。こういうことなのだ。しかも、構造改革で格差を拡大する政策をとってきたのでニ重に効いているのだ。

著者の大竹さんは、具体的な対応策として、公的年金の再分配部分と所得比例部分を明確に分けることを提案している。所得再分配の役割を果たしている基礎年金の部分は、累進所得税と消費税を中心にした租税で負担し、年金給付の所得比例部分のみを保険料でまかなうかたちである。なるほど、いま消えた年金で大騒ぎだけど、こうした制度設計の見直しを大いに議論してほしい。

また、非常にいいことを言っていて、「真の国民負担」というのは、税金が課せられることで、勤労意欲が低下することから発生するのであるから、いま、高額所得者の税率引き下げによる勤労意欲の上昇効果と社会保険料引き上げによる中・低所得者の勤労意欲低下効果のどちらが大きいのかと問いかけている。

おそらく、その答えは、お金持ちが税金が高いからといって勤労意欲を下げることより、中・低所得者の増税感による勤労意欲の低下のほうが影響が大きいのであろう。勤労意欲の低下という「真の国民負担」を最小にすることこそが、税制改革・社会保障改革に求められる。

それと大きな議論のイシューとして、機会の不平等や階層が固定的な社会を前提として所得の平等主義を進めるべきなのか、機械均等をめざして所得の不平等そのものを気にしない社会をめざすのかがある。

こうした議論が、自民党と民主党で行なわれることが期待される。そしてどっちに軸足をおくのかといったスタンスの違いで2大政党体制になるというのがいいのではないでしょうか。
ということで、この「経済的思考のセンス」は非常に勉強になった一冊であった。

2007年8月12日

Web2.0のビジネスルール

Web2.0という言葉はポピュラーなものになって、それに関する本も数多く出版されている。しかし、技術解説本やサイトビジネス本の類が多く、開発に関し概観するような本は比較的少ない。

今うちの社長とWeb2.0の技術を活かしたビジネスシステムのテンプレートをつくっているのだけれど、そのテンプレートを使えばユーザがコードレスで開発ができてしまうという、自画自賛的に言えば、画期的な技法になる。そうした方法論について記してある本はないし、まだだれもやっていないと思う。

それで、「Web2.0のビジネスルール」(小川浩・後藤康成著 MYCOM新書)を社長がもっていたので借りてきて読む。まず、このビジネスルールという言葉がくせ者だ。章立てから書いてある内容を見てみると、事業創造編、ブランディング編、開発モデル編、オペレーション編から成っている。だから、Web2.0的企業を起すにはというビジネスモデルについてがあって、ブランディングでは、だれにどう見られたいかの工夫のことが書かれ、あとは、開発・運用のような話である。

こうしてみてみると、ビジネスルールといって対象にしているビジネスが皆違うことにお気づきだろうか。事業創造編では、ベンチャー企業を対象にしている。ブランディング編では、従来型のマーケティング戦略からWebを使ったものにシフトしていく話だから、対象は既存企業である。開発・運用は、SIベンダーやソフトハウスが中心である。

だから、括りが大きすぎるのだ。あれやこれやと拡がってしまって何を言いたいのかわからなくなってしまっている。しかも、本の帯には「進化したWebを仕事に活かす実践的アプローチ!」と書いてある。ええ?これホワイトカラーの人が対象なのとツッコミたくなる。

ただし、最初に言った開発方法論について参考になる記述もあったし、Web2.0の全般的な解説としてはわかりやすいので、まあまあ役に立った本ではある。


Web2.0のビジネスルール (MYCOM新書)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2007.8.12
  • 小川 浩 後藤 康成
  • 新書 / 毎日コミュニケーションズ (2006/09)
  • Amazon 売り上げランキング: 88618
  • Amazon おすすめ度の平均: 5.0
    • 5 web2.0の本質はすべてがネット側にあるということか
    • 5 意外にも地に足のついた内容
Amazon.co.jpで詳細を見る


2007年8月18日

アサッテの人

第137回芥川賞が諏訪哲史の「アサッテの人」に決まった。群像新人賞も受賞しているのでダブル受賞は村上龍以来30年ぶりなのだそうだ。

その、村上龍は芥川賞の選考委員であるが、今回の受賞作については、石原慎太郎ともども推していなかった。この二人は前回の青山七恵の「ひとり日和」は絶賛していたので、気が合うお二人のようだ。

一方、「アサッテの人」を評価していたのは、川上弘美、小川洋子、山田詠美といった女流作家であった。前二人は今回から新たに選考委員に加わった。青山七恵を推す男性選考委員と諏訪哲史を推す女性選考委員という構図は何となく面白くないですか。

作品は“ポンパ”とか“タポンテュー”だとかわけのわからない言葉を発する作者の叔父のことを書いたものである。その書き方は叔父の日記や小説の草稿などを並べて構成したもので、少々変わった小説仕立てになっている。

こういうものは、いままででもあったようでそう目新しいものではないようだが、むしろ奇をてらったとしても、内容的にはそう難解な表現で書いてあるわけでもなく、割と重厚な、本来の純文学であるように思える。言葉で表現することが小説であるが、その言葉がわけのわからない“アサッテ”の言葉で作品の意味を伝えようとしている。この逆説的な表現により、現代の言葉によるコミュニケーションの難しさを感じることができるというとちと大げさか。

でも、選考評で石原慎太郎が、もう書評までいかなくてタイトルが気に食わないと吼えていた。今回の候補作の題名が、「アサッテの人」、「オブ・ザ・ベースボール」、「わたくし率 イン 歯ー、または世界」、「主題歌」、「グレート生活アドベンチャー」、「アウラ アウラ」とくりゃ確かにわけがわからないや。でも、その中では「アサッテの人」はいいんじゃないですかねえ。


アサッテの人
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2007.8.18
  • 諏訪 哲史
  • 単行本 / 講談社 (2007/07/21)
  • Amazon 売り上げランキング: 247
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.0
    • 5 凡庸とアサッテは背中合わせ?
    • 4 「チューリップ男」が光る
    • 4 私の叔父の話なんですが…
Amazon.co.jpで詳細を見る

2007年8月27日

気になる「気」

「気」という言葉は、何気なく使っているが(ここでも「気」を使っている)、どういう意味だとかをあまり考えない。例えば、気になる、気に入る、気に障る、気合い、元気などなど気持ちや気分のことなのかと漠然と思うが、じゃあ気持ちって何よみたいなことになって釈然としない。しかも、人間の中だけではなく、空気だとか雲気といった自然界にも使われる。

そんな「気」を扱う気功家の望月勇さんと五木寛之の対談集「気の発見」(幻冬舎文庫)を読む。先日、上の息子に読む本がなくなったと言ったら、これ読んでみたらと渡されたものである。

望月さんというのはぼくと同い年で、今はロンドンを拠点にヨガ気功教室を主宰して、気功による病気の治療も行なっている人です。この人に気を注入してもらうとガンも治ってしまうという。びっくりするのは、ロンドンから東京も気が送れるのだそうだ。

ただ、この本は、こうした超能力的なエピソードのことを書いてあるのではなく、人間の体と「気」の関係について、スピリチュアルではなく、とはいっても純科学的でもない話である。

ぼくは、前からサムシンググレートのようなものがあるのではないかと思っている方だから、この本に書いてあることは、おおかた理解してしまう。そうでない人は、例えば病気を治したというと、ちょうど治る時期と重なっただけだよとか偶然の産物で片付ける。ぼくは。もちろんそういうこともあるだろうけど、何かが作用して体に変化をきたすことはありえないことではにないと考えている。

例えば、過度の疲れだとか、痛みだとかはもうぎりぎりになると、体が自然と反応して、こてっと眠ってしまう、しばらくすると体がすっきりするという経験したこは皆さんもあると思いますが、あれは、きっと体の安全装置が働いて、自律神経系が交感神経モードから副交感神経モードに急速に切り替わったことによるのだ。だから、例えばこのように自律神経モードを「気」で変えるようなことはできるような気がする。

実はこのモード変換は呼吸法でもできるのです。なんと、息を吐くときと吸うときで自律神経のスイッチが切り替わるのです。吸うときは交感神経、吐くときは副交感神経でこのときはリラックスできるのです。ですから、呼吸で大事なのは、吐くときですので意識的に長くするのです。ここで呼吸法が出てきますが、大気から呼吸により「気」を入れるという感じがわかりますよね。

実際の呼吸法で言うと、腹式呼吸と左右の鼻を使い分ける呼吸法になります。腹式呼吸はわかると思いますが、鼻のほうはというと、ヨガでは右の鼻からプラスの気を吸い、左の鼻からはマイナスの気がはいってくると言われています。すなわち、右の鼻を使っての呼吸は、交感神経を活性化させ、反対に左の鼻の穴を使うと、副交感神経を刺激するというわけです。

ということで、ぼくは今毎朝、腹式呼吸と片鼻呼吸で一日を始めているのですが、さて効果のほどは。

気の発見 (幻冬舎文庫)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2007.8.27
  • 五木 寛之 望月 勇
  • 文庫 / 幻冬舎 (2005/09)
  • Amazon 売り上げランキング: 28886
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.5
    • 5 待望の文庫本化で通勤時にも読めるようになりました
    • 4 命の神秘さを感じました。
Amazon.co.jpで詳細を見る

2007年9月11日

つっこみ力

この本の著者は、パオロ・マッツァリーノという名の自称イタリア人なのだが謎。○○力ばやりのご時世だから、またぞろそんなこじつけ本かと思いきやそうではなく、けっこうつっこんだ論旨を展開していて面白かった。

彼いわく、つっこみ力とは、「愛と勇気とお笑い」ということらしい。そして、それぞれについてもう少しつっこんでいて、愛というのはわかりやすさであると断言している。これ素直に賛成しちゃう。ついちょっと前のブログにも書いたが、みんな難しく考えすぎてないといったことを書いたのでよくわかる。

勇気は、権威に負けずにつっこむ勇気ということだ。そして、権威へつっこむときのコツがあって、常に第三者の存在を意識することで、相手をどう打ち負かすかは二の次でいいんだそうだ。周囲の人を愉しませて巻き込み、あわよくば見方につけるのが、つっこみ力の理想なのだ。

最後のお笑いですが、ぼけとつっこみがあるのは日本だけだそうだ。アメリカの漫談なんかは、客がいまのセリフがジョークであったかどうか判断しなくてはならないので、笑いの感度が鈍いとオチに気づかないことがある。その点、日本の漫才ではつっこみ役が笑いのポイントを教えてくれる。このつっこみの効用というのは、わかりやすさを高めることと笑いの付加価値を創出して相手の興味を惹きつけるという2点なのだそうだ。

てなことで、この本の前半はつっこみ力とはなにかというテーマで書いてあって楽しいのだが、後半が“みんなのハローワーク-職業ってなんだろう”と“データとのつきあいかた”となって、ヤクザの話やデータを鵜呑みにしてはいけないだとかいったつっこみを入れている。だから、つっこみ力について語っているのか、つっこみをしているのか混然としている。

だれかが、新書は雑誌であると言ったが、まさに新書は百花繚乱。いろんな出版社から新書が出ているが、まあほとんどが昔の雑誌の記事みたいなものである。

ぼくは、もうひとつ雑誌の記事に近いものはブログだと思う。いまは、新書とブログでつっこんでいるわけです。「つっこみ力」という本も内容はブログに書くようなものである。この本に登場する社会学や経済学への皮肉やヤクザの経済学、データはうそをつくなどなどは、ぼくがブログでとりあげたテーマによく似ている。ぼくが書く前に本が出ていたが、読んでいなかったので別にまねしたわけではないのに似かよったものになった。

きっとこれからは、うまいあるいは鋭い記事を書くブロガーが新書の著者となるケースが増えてくるのではないでしょうか。


つっこみ力 ちくま新書 645
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2007.9.11
  • パオロ・マッツァリーノ
  • 新書 / 筑摩書房 (2007/02/06)
  • Amazon 売り上げランキング: 4072
  • Amazon おすすめ度の平均: 3.5
    • 5 「わかりにくさは罪である」
    • 5 鋭いつっこみ
    • 3 おもしろいが、意外と陳腐。
Amazon.co.jpで詳細を見る

2007年9月27日

私家版・ユダヤ文化論

このあいだ、チャイナばなしで民族のことを書いたが、ひとつの国の中の民族ではなく世界の中の民族という意味で、以前から謎なのはユダヤ人のことである。

疑問に思っていることがいくつかあって、例えば、どうしてあのホロコーストのようなことが起こったのか、反ユダヤ主義とは、なぜユダヤ人は結束が固いのか、ユダヤという名の国家が存在しないこと、どうして数多くの学者や芸術家など優秀な人材が輩出されるのだろうか、などなど日本人の普通の発想ではなかなか理解できないことが多い。

そんなことを考えながら「私家版・ユダヤ文化論」(内田樹著 文春新書)を読む。ついちょっと前に小林秀雄賞を受賞したばかりだ。内田樹はいまやマスコミの寵児であちこちの新聞、雑誌に登場する。(テレビには出ない)その歯切れのいい文章とキレのある論理で私たちに迫ってくる。ただ、ぼくは毎日彼のブログを読んで慣れているのでそう言っているけど、初めてのひとはちょいと読みにくいかもしれませんね。ところで、ウチダ先生がこんなにもてはやされるようになるとは思わなかった。「下流志向」あたりからぐっと露出が増えたように思える。

さて、「私家版・ユダヤ文化論」は、私家版とうたっているように内田樹の個人的な言質を主体に、「なぜ、ユダヤ人は迫害されるのか」という問題を追及している。

一昔まえに「ユダヤ人と日本人」(イザヤ・ベンダサン著、実は山本七平))という本がベストセラーになったが、もう内容は忘れてしまったが、そのとき、日本人にとってユダヤ人とは何かとということより、それこそなぜユダヤ人は迫害されなくてはならなかったのか、そしてなぜユダヤ人は創造性のある優秀さをもちあわせているのかが気になっていた。

「私家版・ユダヤ文化論」は、そのあたりについて非常に面白い議論が展開されていて思わずのけぞってしまうくらいだ。両方の論旨をここで載せても長くなるので、ユダヤ人の優秀さについて記す。

ぼくは映画が好きだが、映画人のなかにユダヤ人が多いことに気がつく。ウッディ・アレン、スピルバーグ、チャップリン、メル・ブルックス、イリー・ワイルダー、ジーン・ハックマン、ダスティン・ホフマン、ポール・ニューマン、ローレン・バコール、バート・バカラックなどなどがいて、ユダヤ人なくして映画史ができない。映画だけではなく音楽界や学問の世界もキラ星のごとくユダヤ人が現れてくる。

ノーベル賞では、自然科学分野での突出ぶりがすごく、2005年度までの医学生理学賞48名、物理学賞44名、化学賞26名で割合で言うとそれぞれ26%、25%、18%に相当するのだそうだ。ユダヤ人は世界人口の0.2%だから、その異常さにびっくりします。

なぜこんなことになっているのだろうか。ユダヤ人だけが特別な脳をもっているわけではないし、しかも教育も含めて世界中のさまざまな異なった環境にいるから同じ環境で純粋培養されているわけでもない。
そこでウチダ先生はこう考えた。

この異常な数値は民族的な仕方で継承されてきたある種の思考の型が存在することを仮定する以外に説明することができない

そして、続けて

ユダヤ人にとっての「ふつう」を非ユダヤ人が「イノベーティヴ」と見なしているということである。

うーん、面白くなってきたぞ。

彼らはあるきっかけで「民族誌的奇習」として、「自分が判断するときに依拠している判断枠組みそのものを懐疑すること、自分がつねに自己同一的に自分であるという自同律に不快を感知すること」を彼らにとっての「標準的な知的習慣」に登録した。

なるほどそれで

ユダヤ人の「例外的知性」なるものは、民族に固有の聖史的宿命ゆえに彼らが習得し、涵養せざるを得なかった特異な思考の仕方である。
ユダヤ人の「聖史的宿命」とは、「諸国民」に先んじて、「諸国民」より以上に受難することである。

いやー、これだけではなかなか理解しにくいと思いますが、全部を読み通すとわかってくると思います。

こうしてみると、イノベーティブな仕事をしようと思ったら、ある種のユダヤ人的な思考の仕方を採り入れるということが有効なのかもしれませんね。

日本人が書いたユダヤ人論だからこそ冷静で客観的な見方が随所にみられ、さすが、養老孟司が絶賛して小林秀雄賞を受賞したことを実感する好著です。


私家版・ユダヤ文化論 (文春新書)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2007.9.27
  • 内田 樹
  • 新書 / 文藝春秋 (2006/07)
  • Amazon 売り上げランキング: 1120
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.0
    • 4 面白かったけど、「私家版」という看板はやっぱり逃げだと思う
    • 5 私には良く分かりませんでした
    • 4 邪悪な人にならないように、自分の仮説に反する事実にも目をそらさないでいよう
Amazon.co.jpで詳細を見る


2007年10月 7日

キャパ その青春

ビデオジャーナリスト長井さんがミャンマーで射殺されたことや内田樹の「私家版・ユダヤ文化論」を読んだこともあり、読みかけで置いてあった「キャパ その青春」(リチャード・ウィーラン著 沢木耕太郎訳 文春文庫)を読了。

ロバート・キャパはあの「崩れ落ちる兵士」を撮ったカメラマンである。スペインの内戦に取材したこの写真はあまりにも有名であるとともに、この写真はいわゆる“やらせ”で兵士に演じさせたところを撮ったのではないかという論争がいまだに続いている。真贋はともかく印象に残る、影響力を持った作品であることには間違いない。だからいまさらどちらでもいいと思う。

この本は、キャパが生まれてからこの写真を撮るくらいまでの青春を描いたものである。ロバート・キャパは本名エンドレ・エレネー・フリードマンといってハンガリーのブダペストで生まれる。フリードマンという名はユダヤ人によくある名前であり、もちろんキャパもユダヤ人である。

ブダペストという町はぼくにとってちょっと憧れの町だ。ドナウ川をはさんでブダとペストという地区からなっているきれいな町である。ぼくは行ったことがあるわけではないのだが、「暗い日曜日」というブダペストを舞台にしたハンガリー映画を観たとき美しいと思ったのである。

さて、キャパのことであるが、芸術家ならだれでもそうかもしれないが、最初はなかなか世間に認められなくて、貧乏生活を強いられて、しかし周りの誰かが助けてあげて、あるときその才能が開花するというパターンが多いが、まさにそのストーリーである。さらにおりしもナチスが台頭する騒然としたヨーロッパでのことでそのなかでしたたかに生きる青春があった。

ただ、この本は読みにくい。沢木耕太郎の訳だから翻訳の問題ではないと思うが、ただひたすらに“できごと”を追いかけているように感じられ、キャパの人間味のようなものが表出されていないのだ。

このあとに「キャパ その戦い」と「キャパ その死」というのが続くのだけれど、もう読む気がしなくなった。


キャパ その青春 (文春文庫)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2007.10.7
  • リチャード・ウィラーン 沢木 耕太郎
  • 文庫 / 文藝春秋 (2004/03/12)
  • Amazon 売り上げランキング: 135105
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.5
    • 5 天才の周りには天才が・・・
    • 5 天才の周りには天才が・・・
    • 5 乱世の英雄
Amazon.co.jpで詳細を見る

2007年10月14日

桂枝雀

桂枝雀が逝ってからもう8年半になる。枝雀その生涯を閉じた年齢と同じ年齢にぼくがなった。そんなこともあって「笑わせて笑わせて 桂枝雀」(上田文世著 淡交社)を手にする。

枝雀はぼくがいちばん好きで、いちばん笑わせてくれる落語家である。誰をも抱腹絶倒させるものすごいパワーの持ち主でとりこになった人も多い。そんな枝雀の人生について元朝日新聞の芸能記者だった上田氏が、その生い立ちから晩年の様子までを書きとめたものである。

枝雀は神戸大学まで進んだ頭のよい人であったが、決して平坦な道ではなく、途中養成工であったり、定時制の教師をやったりとずいぶんと起伏のある青春を送っている。昭和36年に神戸大学を中退して、桂米朝の弟子になる。21歳のときである。その頃は、小米と名のっていて、枝雀を襲名するのは12年後の昭和48年ことである。

枝雀がどんなにおもしろい落語家であったかのエピソードは、歌舞伎座でのカーテンコールに尽きるのではないだろうか。落語は普通は寄席でやるわけだから少人数である。もう少し大きくなると数百人のホール落語であるが、枝雀は上方の落語家としては初めて東京・銀座の歌舞伎座の舞台に上がる。この歌舞伎座になんと2200人ものお客さんが詰めかけたのである。そこで起きたのがカーテンコールである。「地獄八景亡者戯」を一気に1時間25分で演じきったあとのことである。

そしてまた、枝雀を語るとき必ず出てくるのが、英語落語である。なぜ英語落語を始めたかというと、枝雀は若い頃時から英語が好きで、また得意でもあったが、あるとき英語学校に入学して勉強を始めたのだが、そのとき授業のひとつにフリートーキングというのがあって、先生から「何でもいいから英語で話しかけて」といわれ、困っていると、「枝雀さん、気持ちをこめてしゃべれること、ありません?」「それはやっぱり落語ですね」「そんなら英語で落語をしゃべってみたら?」ということだったそうです。しかし、それを実際にアメリカやイギリスで演じてしまうところに枝雀のすごさがある。

まだまだ一杯紹介したいことがあるが、そうもいかない。もっともっと聞きたかったのに若くして逝ってしまった。枝雀は天才と言われるが、むしろ努力家であり、理論家であり、ものすごく落語を愛した人です。そして、決して満足することなく、いつももっと笑わせよう、面白がらせようと考えた、いや考えすぎたひとであった。それゆえ、休まる日がなく命を縮めたのだろう。

もう、30年近く前に四日市の市民会館で初めて生の枝雀を見てから、世の中にこんな面白い落語があったことを思い知らされ、それからずっと枝雀をお気に入りに入れていたぼくとしては、忘れないように時々はCDで聞いたり、本を読んだりしていこうと思っている、今日このごろでございます。


笑わせて笑わせて桂枝雀
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2007.10.14
  • 上田 文世
  • 単行本 / 淡交社 (2003/05)
  • Amazon 売り上げランキング: 131681
  • Amazon おすすめ度の平均: 5.0
    • 5 芸を磨き続けた噺家、桂枝雀の人生
Amazon.co.jpで詳細を見る


 
 

2007年10月21日

「狂い」のすすめ

このあいだ、新書や文庫本用の書棚を買ってきて、2階の廊下に置いた。家族で自分が読んだ本をそこに入れておくことにした。というのも、重複して同じ本を買ってきてしまうことがあるからだ。ちょっと読む本が切れたのでそこを覗いてみると、「「狂い」のすすめ」(ひろ ちさや著 集英社新書)という本が目に入ったので読むことにする。

著書のひろちさやという人は、仏教を中心に宗教についての著作を多く残している。ただ、タイトルがちと過激で一体どんなことが書いてあるのだろうと思ってしまう。最近の新書のタイトルは、凝ったというか、奇をてらったものが多く、購買意欲をそそるものもあるが、逆に中味と乖離したものもある。この本のタイトルもぼく的には行き過ぎのような気がする。もう少し、マイルドに「「非常識」のすすめ」くらいにしておいたほうがよかったと思う。

この本を買ってきたのは、下の息子で、なにかで落ち込んでいたとき手にしたらしい。本の内容はそうした鬱屈している気持ちを、くよくよしたって始まらないから、そんなにまじめに考えないで楽にいこうよみたいなトーンで書かれている。

まず、“世間を信用してはいけません”とくる。世間の常識は、世間そのものにとって都合のいいものを一般大衆に押し付けているだけだと。なるほど、同感だ。ぼくの持論に、無常識はダメだが、非常識はいいことだというのがある。常識がないのは困るが、常識を持った上でその常識を打ち破る姿勢が必要だと思っている。そうでないと、常識ってころころ変わるものなので、常識に固まった人は、常識に振り回されることになるからだ。

まあ、このあたりはいいが、つぎが、“目的意識を持つな!”である。目的意識があると、その目的が達成されないと、毎日がつまらなくなるからそんなものは持たないほうがいいというわけです。

そして、つぎが“人生は無意味”、“「生き甲斐」は不要”ときた。ここは少し引用する。

もしも、「人生の意味」を論じるのであれば、あらゆる人間に通じるものでなければなりません。百八歳まで生きた老婆と、たった三日間しか生きられなかった赤ん坊と、その両者がともに同価値でなければならない。天皇や皇太子の人生とホームレスの人生とが、同価値であるような「意味」であってこそ、真の「人生の意味」といえるのです。わたしはそう思います。 だとすると、「無意味」だというのが、真の「人生の意味」なんです。 そして、わたしたちはついでに生きているのです。

こうして、肩肘張らずに淡々と生きようとうメッセージは、確かに落ちこぼれだとかひきこもりの人たちあるいは病気で悩んでいるひとたちに救いを与えるかもしれない。ひきこもりでいいじゃないか、がんになったってがんを治そうとしないでがん患者として生きればいいじゃん、ということなのだが、ぼくらのように齢を重ねた人間にはある程度理解でき、実践もしようという気にはなる。

しかしながら、若い人たちにとって受け入れられるのだろうか。悟ったような冷めた生き方もいいが、熱き思いをもったアグレッシブな生き方も必要のような気がする。目的だって要ると思うし、生き甲斐もあってもいいと思うがいかがなものだろうか。

こうした生き方は、年をとってからでも遅くはないとぼくは思う。五木寛之が言っている林住期になったころからだんだんと孤独の中で死を迎える準備として、こうした考えをもっていくのでいいのじゃないだろうか。
 

「狂い」のすすめ (集英社新書 377C)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2007.10.21
  • ひろ さちや
  • 新書 / 集英社 (2007/01)
  • Amazon 売り上げランキング: 2336
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.0
    • 3 考え方次第で幸せに?
    • 3 狂うこと、狂わないこと、どちらが「正常」?
    • 5 気が楽になりますよ
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

2007年10月28日

シリコンバレー精神

梅田望夫さんの書き下ろし新刊「ウェブ時代をゆく」(ちくま新書)が11月6日に刊行されるので、それまでに読んでおこうと(直接は関係ないが)思って、文庫になった「シリコンバレー精神」(ちくま文庫)を読む。

この本はもともとは2001年に新潮社から出た「シリコンバレーは私をどう変えたか - 起業の聖地での知的格闘記」という本に「文庫のための長いあとがき - シリコンバレー精神で生きる」を増補したものである。

もとの本では、1996年秋から2001年夏までの5年間にシリコンバレーで起きたこと、梅田さんがその場所で感じたことを綴ったものである。あとがきは2006年に書かれているので、その5年間を5年後に振り返って書いてあるので、その対比が面白い。

このシリコンバレーで起こったことはものすごいスピードであったわけで、だからそのとき読むのといま落ち着いて読むのとでは感じ方が違ってくる。ぼくは1996年にはもうITの世界に入っていたので、いくぶんはシリコンバレーの雰囲気は普通の人よりは知っていたし、現にそのころシリコンバレーに行ったこともあって、本書の内容には感慨深いものがある。

梅田さんは、「Web進化論」で知ったのだが、非常に読みやすく、そこに溢れるオプティミズムが心地よかった。「シリコンバレー精神」は、この「Web進化論」を書く前の話だから、この本で、なぜ「Web進化論」が書かれたかがよくわかる。

このエントリーでは、本書の中味というより、今現在との対比についてみてみたい。

その前に、「シリコンバレー精神」とは何かを理解しなくてはならない。梅田さんの定義では、

「シリコンバレー精神」とは、人種や移民に対する底抜けのオープン性、競争社会の実力主義、アンチ・エスタブリッシュメント的気分、開拓者(フロンティア)精神、技術への信頼に根ざしたオプティミズム(楽天主義)、果敢な行動主義といった諸要素が交じり合った空気の中で、未来を創造するために執拗に何かをし続ける「狂気にも近い営み」を、面白がり楽しむこころの在り様のことである。

確かに、こういう精神だからこそ革新的なアイディア、挑戦的なビジネスが出現してくるのだろう。これは、日本にはなかった。“ない”ではなく“なかった”と書いたのは、最近日本のなかでもこうした風潮ができたように思うからである。いまの若い人たちにがんばってもらいたいと心底思う。

さて、本書で書かれて時代から本当にものすごいスピードで変化している様がよくわかる。一番いい例は、グーグルである。この本の中にはほんの一箇所だけちょこっと書かれているだけである。それが5年間でこれだけの巨大企業になると誰が予想できたのだろうか。ということは、これからの5年でまたグーグルのような会社が出現するかもしれないということだ。

もうひとつの象徴的な例を挙げる。マイクロソフトであり、ビルゲイツのことである。つい最近EUによる独禁法違反の訴えが認められ、マイクロソフトの敗訴が決定したニュースをご存知だと思いますが、ほんとうに驚いた。あのビルゲイツが負けた。あれだけアメリカでは屈しなかったのについにあきらめたのか。

これは時代の大きな転換点かもしれない。マイクロソフトのビジネスモデルがもはや色あせたのだろうか。確かに、オープンソースの登場により、ソフトウエアの無料化の波が押し寄せ、機動力に富んだベンチャー企業が素早くビジネスをたちあげていく中では、巨大化し、官僚化した組織になってしまったマイクロソフトは立ち往生しだしたように思えてならない。奇しくも2008年にはビルゲイツが引退を表明しているし、いよいよ幕が引かれるのか。

まだ、書きたいことがいっぱいあるが、別のエントリーで書いていくことにして、今度出る梅田さんの本を早く読んでみたくなった。

シリコンバレー精神 -グーグルを生むビジネス風土 (ちくま文庫)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2007.10.28
  • 梅田 望夫
  • 文庫 / 筑摩書房 (2006/08/10)
  • Amazon 売り上げランキング: 22078
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.5
    • 5 梅田望夫の哲学
    • 5 シリコンバレーの普遍性
    • 4 徹底した楽観主義
Amazon.co.jpで詳細を見る

   

2007年11月 7日

議論のルールブック

近頃、ウェブの掲示板やブログでの意見のやりとりを目にする機会が増えているが、中には誹謗中傷、ののしりあいの類や炎上するのに出会うことがある。また、テレビなどでも対立した意見を言い合う討論番組なども見る。

そこでいつも感じるのは、議論がかみ合わなかったり、いったい何を話し合っているのかわからないとか、一方的に言うだけだとか、登場した人のキャラクターで方向が決まっちゃうみたいにところが多いなあということである。

これはどうも基本的なお作法みたいなものがないからではないかと思っていたら、そんものずばりの本が出た。岩田宗之さんの「議論のルールブック」(新潮新書)である。ぼくは以前からこの著者の岩田さんという人のブログを読んでいて、そこに書いてあったことが本になっている。いまやこうしてブロガーが本を出版する時代になった。

この本の肝は、「議論とは「話を聞くこと」である」ということ。そこのところを引用してみる。

相手の発言を否定せず、理解をしようとするところから議論は始まります。相手の発言が激しい口調で自分を攻撃しているように感じられたとしても、よくよく話を聞いて見れば、自分にとって非常にためになる情報や意見が含まれているかもしれません。相手の発言に反発してしまうと、それらを受け取れなくなってしまいます。 そもそも、相手の発言に対して感情的に反発しても、何の得にもなりません。相手が何か言ってくるには何らかの理由があるのですから、それをいったん聞いてみることは、自分のためになります。相手の主張が的外れだったり根本的に何かが間違っていたりしたら、その時に否定すればいいのです。 議論とは、それぞれが相手の話を聞き、わからない点を質問して、共通の問題について理解を深めていく過程です。

これが、ほぼ本書で言いたいエッセンスであろうと思う。環境問題や教科書問題の議論だとか、ネットの功罪など多くの議論が世の中で巻き起こっているが、どうもここに書いてあるルールというか作法みたいなものが欠如して、そこで議論があらぬ方向に行ったりしているような気がする。

そんなときは、この本に書いてあるルールをよく読んで実のある議論をしてもらいたいものだ。それだけよく整理されていていつもそばに置いておいて読み返してみたらいいと思う。

最後に、気になっていることとして、この本にも出てくる「匿名性」という問題について。
いまやネットの匿名性により過激な発言や行動が問題視されていますが、まず匿名という場合2種類あるということを皆さん忘れています。こういう前提となる認識がばらばらだとそれこそ議論になりません。

一つ目の意味は、「実名を隠して別の名前を用いること」で、これをハンドルネームと言います。ぼくもこれを使っています。もうひとつは、「名前を明らかにしない」ことです。“名無し”とか“通りすがり”といった、その人の固有のものではないものを使う場合です。

この二つは、一見おなじように思えるがこれが違うということを理解しておかなければならない。最初のようにハンドルネームを使っている場合は、実名でなくても特定の個人を指すと言ってもかまわないと思う。作家がペンネームを使うのと基本的には同じと考えるというわけです。

このあたりは以前佐々木尚さんと毎日新聞との論争なんかに見られるように、佐々木さんの言うように、何も実名でなければその言論の価値が落ちると考えることが間違いだとぼくも思う。まだ、日本の社会はまだまだ何を言ったかではなく、誰が言ったかが重要視される。しかし、重要なのは誰がではなく、その言動の内容のはずだから、ハンドルネームでもかまわないと思う。これって、けっこう大事なことでネットを使うのには権威をありがたがる態度は拒否されるのだ。

だが、もうひとつの匿名のほうでこれはやめたほうがいい。ただ、ネットは残念ながら「嫌なら読まなければいい」と言うわけにはいかないことが問題で、どうしても池田信夫さんがよくいう”ネットイナゴ”みたいなものが出現して、不愉快になることがあるが、だからといってどうしようもないので、もうこれはゴミと思うしかないですね。


議論のルールブック (新潮新書)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2007.11.7
  • 岩田 宗之
  • 新書 / 新潮社 (2007/10)
  • Amazon 売り上げランキング: 342
  • Amazon おすすめ度の平均: 5.0
    • 5 オトナの心意気
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

2007年11月12日

「科学的」って何だ!

いま環境問題だとかを議論していると、「それは科学的に正しいのですか」とか「科学的な見方が必要です」とか、何かと科学的という言葉が出てくる。そんなこともあって、「「科学的」って何だ!」(松井孝典/南伸坊著 ちくまプリマー新書)を読む。

イラストレータの南伸坊が惑星物理学者の松井孝典東京大学教授に質問をぶつけるという構成の本である。松井教授は、86年に「水惑星の理論」を発表して、世界的に注目された人で、要するに宇宙的視点で地球を見ているすごい人です。

のっけに、血液型性格判断の話で、血液型と性格の因果関係はどう考えてもあるわけないときた。ぼくは、アメリカインディアンはみなA型で、ジプシーはみなB型であることから、A型は定住型、B型は放浪型と決めて、やっぱり関係があるんじゃないかとちょっぴり思っていたが、ばっさり否定されてしまった。
血液型と性格は「科学的な議論とは無関係」ということのようだが、ちょっぴり疑問も。

それで、科学というのは「わかるか、わからないか」という世界の話で、血液型のような話は、「納得する、納得しない」のレベルの話だそうだ。日本語はそこのところがあいまいでみなわかる、わからないになってしまうところがある。「納得する」というのは科学的でなくても腑に落ちればいいのである。

だから人間が関わるところでの議論はみんな「納得する」の世界のことになる。宗教や哲学、政治、経済など、人文科学や社会科学の議論も、つきつめていくと、結局「納得するかしないか」の話になる。

それでは、科学って何となるが、科学とは「外界を脳の中に投影するときの共通のルール」ということ。だから、ちゃんと前提のところで同じ土俵で、同じ定義で議論していかなくてはいけない。「議論のルールブック」でも言ったように、この前提がばらばらで議論していることがよくある。

松井教授は地球を俯瞰的にとらえているからスケールが違う。地球環境問題にしてもこう言っている。

地球文明、あるいは地球環境といった問題を考えるときに、地球というのは様々な構成要素の関係性で成り立っているひとつのシステムなので、もう一度全体をみなくてはいけない。地球環境問題を100年未満の現象と定義して、それを元に議論していても地球システムと講和的な解決策は出てこない。

そもそも地球環境問題は地球と人間の問題であって、地球とは何か、人間とは何かの研究が基礎にあって初めて考えることができる ところが環境問題の専門家と称するひとたちは工学とか農学とか経済とか、その二つの分野の境界領域にいる人たちが中心で、地球のことなんか研究も勉強もしたことがない。

ためになる話がまだまだたくさんあるのだが、最後にひとつ、ちょっと悲観的なことなのですが、地球環境を救うにはみたいなことに関して、「人間というのは、やはり行くところまで行きつかないと、みんなが豊かさを手にしないと、豊かさの限界や無意味さに気が付かない。みんながこのまま突っ走って、この人間圏がどうしようもなくなるところまで行く」のだそうだ。恐ろしいことだ。

ただこのあたりは表題の「「科学的」って何!」からはずれた話でそのほうが多く、若干だまされたみたいだが、とはいえ大変興味深いことばかりであったのでぼくはおもしろかった。

これからは、軽々しく「科学的」という言葉は使ってはいけないように思える。それは「納得した」のである。
 

「科学的」って何だ! (ちくまプリマー新書 66)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2007.11.12
  • 松井 孝典 南 伸坊
  • 新書 / 筑摩書房 (2007/09)
  • Amazon 売り上げランキング: 99153
  • Amazon おすすめ度の平均: 1.5
    • 2 一般的解説書としては...
    • 2 タイトルに対しては…
    • 1 はっきり言ってがっかり
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

2007年11月20日

ウエブ時代をゆく

あのベストセラー「ウエブ進化論」が2006年2月刊行だから、1年9ヶ月ぶりに梅田望夫の新刊「ウエブ時代をゆく」(ちくま新書)が出た。それを読む。

相変わらずのオプティミズム満載の若者励まし本。別に茶化しているわけではなくて、なかなかここまで、今の時代を理解し、ガイドしてくれる人はそうはいない。ただ、池田信彦さんが15分で読んでしまったと言ったように、「ウエブ進化論」を読んでいればその延長として“読める”ので、あらたな発見、驚きは少ないように思える。あまりに「ウエブ進化論」の衝撃が大きかったことの証左でもある。

著者があとがきで福澤諭吉の「西洋事情」と「学問の進め」が対になった存在であったように、「ウエブ進化論」と「ウエブ時代をゆく」を書いたと言っているが、ちと行きすぎでしょ。要するに、「ウエブ進化論」を読みきれば、「ウエブ時代をゆく」が導かれるのはおおかた推察できる。むしろ、「ウエブ進化論」から2年弱なのに、その間の梅田さんの変化より、実際のウエブ世界の変化のスピードのほうが上回ってしまっているとさえ思えてくる。

まあ、それでも得るところは多く印象に残ったところを少し。

まずは、シリコンバレーで学んだ3つの言葉ということで次の言葉を言っている。
1.Only the Paranoid Survive
2.Entrepreneurship
3.Vantage Point

1の意味は「病的なまでの心配性な人だけが生き残る」ということだそうだ。2はアントレプレナーシップだから、普通は起業家精神と訳されるが、ちょっと違ったニュアンスとして「自分の頭で考え続け、どんなことがあっても絶対にあきらめない」という心の持ち方を協調している。3のバンテージポイントというのは、「見晴らしのいい場所」という意味で、その分野の最先端で何が起きているのかを一望できる場所ということである。

確かに、これらはシリコンバレーのようなところでは必要な要素であろう。そして、梅田さんは別の言い方として、志、オープンソース精神、オプティミズムを大事な要素として提示している。これをみてぼくは以前に書いたことがある、村上和雄さんが言っていた、ぼくの座右の銘でもある「高い志、感謝、プラス思考」と対比して、ああ同じことを言っていると感じた。

さらに、ぼくの言っていることとの対比では、まだリアル世界とネット世界の境界領域で必要なスキルを身につけた人は少ないので、そこに「新しい職業」の可能性があると言っているが、今僕ら親子が目指しているのは、まさにこの境界を埋めるための「バウンダリー&フュージョンエンジニアリング」であることにシンクロする。

ただ、梅田さんが向かって鼓舞している若者は、かなりスキルを持っていて、リテラシーの高い子たちなのではないのだろうか。おそらく少数の若者しか呼応できないのではないかと思う。それがわかる文章があって、そこに境界領域のフロンティアを生き抜くために必要なウエブ・リテラシーとして次の4つを挙げている。

(1)ネットの世界がどういう仕組みでうごいているかの原理は相当詳しく徹底的に理解している
(2)ウエブで何かを表現したいと思ったらすぐにそれができるくらいまでのサイト構築能力を身につけている(ブログ・サービスを使って文を書くとかそういうことではなくて)
(3)「ウエブ上の分身にカネを稼がせてみよう」みたいな話を聞けば、手をさっと動かしてそこに新しい技術を入れ込んだりしながらサイト実験ができる。広告収入の正確な流れも含め「バーチャル経済圏」がどういう仕組みで動いているかの深い理解がある。
(4)ウエブ上に溢れる新しい技術についての解説を読んで独学できるレベルまで、ITやウエブに対する理解とプロミング能力を持つ。

そして、「これなら、「心掛け次第で明日からでも実行が出来、実行した以上必ず実益がある」はずだ」と言い切っている。

えええー、こんなことだれができるの? こりゃ一握りのアルファギークしかこんな能力をもってやしない。手前味噌になってしまうが、うちの社長みたいな子でないと無理だ。もうちょっと敷居を低くしてやらないと「群集の叡智」は別世界に飛んで行ってしまいますよ、梅田さん。

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書 687)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2007.11.20
  • 梅田 望夫
  • 新書 / 筑摩書房 (2007/11/06)
  • Amazon 売り上げランキング: 9
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.5
    • 5 次なる提示
    • 5 坂本竜馬
    • 5 言霊ってあるんだと実感
Amazon.co.jpで詳細を見る

 


2007年11月28日

書評の評

この日曜日の読売新聞の書評に、映画監督の西川美和は書評を書いている。最近評者になったようだ。その本を読んだわけではないが、評がすばらしいので、そのことを書きたくなった。

書評の対象の本は、ねじめ正一著の「荒地の恋」という本である。この本は、戦後の代表的な詩人である田村隆一と彼の親友で詩誌「荒地」の同人であった北村太郎の二人の間で起きた田村の妻の奪い合いの物語である。以下、西川美和の書評の抜粋を書く。

北村太郎は、妻子に恵まれ、新聞社の校閲部で地道に勤める傍ら、合間に細々と詩を書く生活だった。詩人としての実りの乏しさを思うとつい漏れそうになる溜息を、目の前の平凡な幸せを慈しむことで飲み下していた。 その北村が53歳の時、かつて事故で失った初めの妻と同じ名の、田村の妻<明子>と恋に落ちる。定年目前で家庭と仕事を棄てた男は、突然燃えるような情熱と「言葉」をとり戻す。 田村は敏感に自体を察知しながらも、常識的な道義などおくびにも出さず、それでいて異様な情念を燃やし、明子に甘え、北村に甘え、真綿で首を絞めるように二人を壊していく。その奇怪さ、エゴの強さ、不恰好な孤独の深さがいかにも天才然として魅惑的であり、また哀しい。 夫を生かしているのは自分の支える「生活」であるという自負が、妻たちを生かしている。毒々しいまでのその自負が蔑ろにされることで、既に壊れていた明子に続き、北村の妻も壊れた。北村は赤貧を十字架のように背負い、田村は酒で身を持ち崩し、体を張って妻を手繰り寄せる。「生活」を舐めたことで二人とも生活に復讐されたが、代わりに「生きた言葉」の湧き出す、血の通った人生も手にした。しかし、妻たちは、舐められても自ら裏切っても、なおも夫の帰る気配に耳をそばだてるのである。生活とは、自由とは何か。夫婦とは何なのか。その問いが、詩人に限らず、人生を歩む者に等しく迫る。

うーん、これだけの短い文章の中に、的確に本の主題を表現しているとともに、本を読まなくても、そこに書かれてあること単体でも十分意味が通る迫力である。ここで述べられている「生活」と「言葉」の問題をここまで言ったひとも少ないのであり、そこの視点がすばらしいと思う。

さすが、映画「ゆれる」の脚本を書いて監督したひとである。改めて、次回作を期待してみたくなった。
 

2007年11月30日

ちょいデキ!

皆さんは「サイボウズ」という会社あるいはソフトウエアをご存知ですか。「サイボウズ」というのはグループウエアと呼ばれるソフトウエアパッケージのことで、会社名も「サイボウズ」と言います。そこの社長の青野慶久が書いた本が「ちょいデキ!」(文春新書)です。

内容は、このタイトルにもあるように青野社長がそんなに出来る人ではなく普通よりちょっとでデキルことを積み重ねて東証一部上場会社の社長になれたみたいなことが書かれている。

実はこの「サイボウズ」は前にいた会社で使っていたのでなじみがあるんだけど、この起業の話は結構有名で、今から10年前に高須賀宣、青野慶久、畑慎也の三人の若者が、愛媛県松山市に会社を作った。東京ではなく地方で起業ということも珍しがられたものだ。

ちなみにこの三人の現在は、最初の社長であった高須賀は現在、米国のポートランドで「LUNARR」という会社を設立し、同名のソフトを来年から売り出すそうで、そのβ版をもらっていま見ている。

畑は、サイボウズラボの社長になって、優秀な技術者を引っ張っている。このサイボウズラボのメンバーは半端じゃなくスゲエーメンバーで、IPAの未踏ソフトウエアに採択されたり、スーパークリエーターに認定された人が何人もいる。明日も畑さんがPMを務めた未踏の報告会があって、うちの社長は聞きに行くことになっている。そこで、青野社長が講演するとのこと。

話が本からそれてしまったが、それたついでにもう少し。青野社長は大学を卒業して、松下電工に入社したんですね。そこではあまりいい社員ではなかったと本にも書いてあるが、それでも、グループウエアみたいなものを作っていたということなのだが、実はぼくは彼らが作ったグループウエアを見たことがあるのだ。

そのころ情報システムの仕事に変わったばかりだったので、他の会社がどんなことをやっているのかを聞いてまわったことがある。当時は三重県の四日市にいたが、近くに松下電工の工場があったのでそこに行っていろいろ聞いてみたら、社内のコミュニケーションツールとしてグループウエアのようなものを使っているとのこと。まだ、グループウエアというような言葉のなかったと思うが、ずいぶんと先進的なことをやっているなあと感心した。それが後のサイボウズだったのだ。

だいぶ脱線してしまったので本に戻るが、最初に書いたようにとりたたてこりゃすごいというようなことが書いてあるわけではなく、むしろ当たり前のことをそれこそちょっとだけ工夫しているということ肩肘張らずに言っている。だから、ひとつずつ、そうこの本は49のQ&Aから成り立っているが、その質問の答えのひとつずつはなるほどと思うぐらいで、さあっと読み進めてしまう。

ところが、全部読み終えるとおっとこれってけっこう難しいことかもしれないと思い出した。こういうたぐいの本というのは、スーパー経営者とか、カリスマがその成功の秘訣みたいなものが多いが、そういうものはぼくのような凡人にはまねができないようなことばかりである。

その点、この本に書かれていることは普通の人がちょっとがんばればできることが多く書かれている。ただ、全部実行できるかというとそこが難しいのである。通信簿で5がいくつかと3がいくつかはありえるが、オール4は難しいのと同じと言ったら言い過ぎだろうか。

まあ、実際に講演会で青野社長を見たこともあるが、本当にやさしいおにいちゃんという感じで社長とは思えない。これから、こうした従来にはいないタイプの経営者が出現してくるのだろう。ぼくは、かれのライフスタイルは悪くないと思っている。
 

ちょいデキ! (文春新書 591)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2007.11.30
  • 青野 慶久
  • 新書 / 文藝春秋 (2007/09)
  • Amazon 売り上げランキング: 1495
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.5
    • 3 今日からできる「三分間ライフハッキング」
    • 5 楽しくビジネスをこなすためのちょっとしたコツ
    • 5 癒し系!
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

2007年12月13日

らくごDE枝雀

もう何回か桂枝雀という落語家をもちあげているが、その枝雀が書いた「らくごDE枝雀」(ちくま文庫)を読む。この本は、以前森永卓郎が採り上げてくれて、それで読もうと思って捜してもなかなか本屋に置いてなかったが、オアゾの丸善でやっと買った。

この本は、落語も5つほど載せてあるが、途中に落語作家の小佐田定雄との対談が挿入されている。この対談がおもしろい。何がおもしろいかというと、落語というものの笑いがどうなっているのかということについて、理論的に解き明かしてくれているところである。何しろ、枝雀は神戸大学を中退しているくらいだから、勉強家である理論家でもあるのだ。

なかでも、もっとも興味をそそるのは、サゲの4つの分類で、落語のサゲには「ドンデン」「謎解き」「へん」「合わせ」の4つに分けることができるというのだ。

「ドンデン」と言うのは、ドンデン返しのドンデンで、“「こっちかいな」と思てたら「あっちやった」というやつですわ”である。「謎解き」というのは、“きき手が不思議な状況を提示されて「なんでそんなけったいなことがおこるんやろ?」と疑問を持ったその瞬間の解答が即サゲになるわけです”となる。3つ目の「へん」は、“ほんまにあるような噺をしてて、最後に変なことがおこって常識の枠を踏み越えた時噺全体がウゾになって終わるというやつです”。最後は、「合わせ」ですが。これは“セリフでも趣向でもなんでもええんですけど人為的に合わせることでサゲになるというわけだ”そうだ。

なるほどと思う。こんなふうに落語を分解して分類して見せてくれたのは枝雀が初めてなのじゃないだろうか。この分類に従ってみていくと実にうまく整理できている。

それとか、笑いは「緊張の緩和」から生まれるとか、おもしろいはなしが満載である。もう枝雀はいないので高座で見ることはできないが、この本を読んであらためて枝雀のすごさを実感した。本当に惜しい人を亡くしたものだ。

2007年12月16日

過剰と破壊の経済学

非常に多くの人に読まれる、あるいは影響力のあるブログを書くひとを「アルファーブロガー」という。そういう人のひとりに池田信彦さんがいる。この人は元NHKの記者で今は上武大学大学院教授であるが、ブログ上でITやメディア、経済学などで多くの発言を行っている。

何しろこの人のブログは、平日で平均25000アクセス、ユーザ数でいうと平均1万人の人が見ている。小飼弾さんのブログはもっと多いらしい。ちなみにぼくのブログはやっとこさ1日平均100人です。

その池田信彦さんが書いた「過剰と破壊の経済学」(アスキー新書)を読む。副題が「「ムーアの法則」で何が変わるのか」というもの。有名な“半導体の集積度は18ヶ月で2倍になる”というやつである。この法則により多くの企業が成長し、また消えていったのである。まさに過剰と破壊の経済学というわけである。

確かに、ムーアの法則は大きな影響があったが、それは主としてハードウエアの世界で、そのハードウエアの劇的なコストダウンが及ぼすイノベーションである。ところが、一方でソフトウエアの世界はというと、ハードウエアの劇的な変化についていけてない面がある。そして、放送・通信の分野では、インフラが限りなく低コストになってコモディティ化したとき、ボトルネックは通信回線や電波ではなくコンテンツになってくる。そういう変化なのである。

本当に、このたった半世紀でものすごいことが起きている。おそらくぼくらが感じている以上にすごいことで、さらにこれからも革命的なことが起こるに違いない。ぼくが生きているうちにこのIT革命はどうだったのかを知ることは到底できない。そんな時代に今生きていることをこの本は教えてくれる。

まあ、トーマス・フリードマンや梅田望夫の本をよんでいれば、似たようなことが書いてあるので感動はしないし、ブログをいつも読んでいるから言っていることに若干新鮮さがないということもあり、前半はそうだねという感じで読み流した。しかも、ブログの歯切れのよさが少し薄れていたりして、おいおい池田節を聞かせてよと思ったりした。

ところが、後ろのところの通信とか放送に関する文章でやっと本領発揮ときた。得意な所でもあるし。特に持論でである今や障害は著作権や個人情報保護であるという切り込みはすかっとする。
そして、最後に問題提起として次のようなことを言っている。

「ムーアの法則」は、情報処理の主役を大企業や官僚からユーザに移して「民主化」し、ITで武装した個人が直接グローバルにつながる世界を実現した。 それは、フラット化してみんなが平等になるユートピアではなく、既存の権威や肩書きが意味を失ってすべての個人が対等に競争し、情報処理能力による所得格差が拡大する孤独な世界である。

さて、こうした世界をぼくらはどうしていったらいいのだろうか。何はともあれ、よくまとまった良書です。
 

過剰と破壊の経済学 「ムーアの法則」で何が変わるのか? (アスキー新書 42) (アスキー新書 42)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2007.12.16
  • 池田 信夫
  • 新書 / アスキー (2007/12/10)
  • Amazon 売り上げランキング: 444
  • Amazon おすすめ度の平均: 5.0
    • 5 充実した一冊
Amazon.co.jpで詳細を見る

 


2007年12月30日

2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?

ぼくは2ちゃんねるを見ないが、そのサイトを運営しているひろゆきこと西村博之氏に興味があったので彼が書いた「2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?」(扶桑社新書)を読む。

副題が「巨大掲示板管理人のインターネット裏入門」で、まあ鬼っ子のように見られている2ちゃんねるであるが、ほうぼうから訴えられていたりして時に犯罪的な記事で話題になったりする。だいたい提訴されても出廷しないから、そのまま敗訴となり多額の賠償金となるが払っていないという。敗訴43件、制裁金4億円を不払いのままと報じられたこともある。年収は1億とも言われるが、銀行口座がたくさんあるので差し押さえもできないとか。

そういうセンセーショナルなことは置いといて、この本のことである。題名が、「2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?」とあるのでその件が興味があったのと、ひろゆきとは一体どんな男なのかが知りたかった。なぜ潰れなかったかについては、最初の「まずは結論」という章で語ってしまっていてそれだけだ。それとあとがきを読めば十分なのだ。

残りは、ネットに対する思いと佐々木俊尚さんと小飼弾さんとの対談で大きく紙面を割いている。対談も相手がしゃべって自分は相槌を打つという進行である。

なぜ潰れないかは、ネタバレになるので詳しくは書かないが、結局、法的リスクが大きいのだけれど、おそらく日本の法体系がこうしたネット世界に起こっていることにぜんぜん追いついていないことなのではないだろうか。あるいは権力側の人間が理解できていない、そして理解できないが故に恐がっているように思える。ひろゆきを本気で捕まえようと思えばできるのにやらない。巨大になりすぎて影響力の大きいのでやれないのだ。

しかし、このひろゆきというのはもう少し熱いヤツかと思っていたら全く冷めている。非常にシニカルなヤツだ。このクールさが非難を真っ向から受けずにさらりと受流す姿勢を生んでいる。

まあ、彼が言っているように、自分がやーめたと言って2ちゃんねるがなくなったとしても、きっと同じような掲示板がすぐに現れるに決まっている。要するに功罪はあるにしても、“ゆるゆる”の情報発信場所を望む人間が必ずいるということだ。ガス抜きの場であるのは否定しようがない。

ただ、本の内容はタイトルとは関係ないことが多く、本にすることもないようなことばかりである。そこはちょっとがっかりだ。
 

2ちゃんねるはなぜ潰れないのか? (扶桑社新書 14)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2007.12.30
  • 西村 博之
  • 新書 / 扶桑社 (2007/06/29)
  • Amazon 売り上げランキング: 1588
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.0
    • 4 ひろゆき氏の思考を知るにはいいかも
    • 4 2ちゃんねるが潰れない理由とインターネットの裏世界が少しだけ見える本
    • 5 WEB2・0という幻想
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

2008年1月12日

思考の整理学

これはまぎれもない良書です。1983年に書かれたものを1986年に文庫として発売されているので四半世紀近く売れている。外山滋比古著「思考の整理学」(ちくま文庫)は誰でもが手にしてほしい本だ。それほど厚くないので520円という値段からするとすごいコストパフォーマンスだ。読んだあともずっと手元においておきたくなる。

題名のとおり、考えることについてのエッセイでどうしたらいい考えが浮かんで着て、それを整理して、自分の思想として、どう活かしていくかということを、非常にわかりやすい文章、文体で表わしているので、いちいちうなづきながら読んだ。

なぜロングセラーであり続けるかは、読んだらすぐわかるが、時代を感じさせない、つまり非常に普遍性のあることを言っているからなのだ。ぜんぜん古めかしいところがなく、現代でも通用する考え方なのである。そのあたりのキーワードをいくつか抜き出して紹介しよう。キーワードだけでも何か伝わってくるのではないでしょうか。

・飛行機とグライダー
・見つめるナベは煮えない  
・カクテルとちゃんぽん   
・第2次的創造の価値
・情報のメタ化つんどく法
・思考の整理は忘却
・とにかく書いてみる
・第一次現実と第2次現実
・拡散的作用と収斂的作用

大変参考となる文章がいっぱいですが、最終章にコンピュータについての記述があるので引用してみる。

これまでの学校教育は、記憶と再生を中心とした知的訓練を行なってきた。コンピュータがなかったからこそ、コンピュータ的人間が社会で有用であった。記憶と再生がほとんど教育のすべてであるかのようになっているのを、おかしいと言う人はまれであった。コンピュータの普及が始まっている現在においては、この教育観は根本から検討されなくてはならないはずである。学校だけの問題ではない。ひとりひとりの頭のはたらきをどう考えるのか。思考とは何か。“機械的”“人間的”概念の再規定など、重要な課題がいくらでもある。この本が、知ること、よりも、考えることに、重点をおいてきているのも、知る活動の中には“機械的”側面が大きく、それだけ、“人間的”性格に問題をはらんでいるとする考え方に立っているからである。
さて、25年経ってこの問題提起にきちんと答えられているのだろうか。  

思考の整理学 (ちくま文庫)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2008.1.12
  • 外山 滋比古
  • 文庫 / 筑摩書房 (1986/04)
  • Amazon 売り上げランキング: 158
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.0
    • 4 実用的、思考のコツ
    • 5 間違いなく「出会って良かった」と思える一冊
    • 4 タイトルどおりの内容、しかも普遍的。
Amazon.co.jpで詳細を見る

 

2008年1月21日

こんなに使える経済学

以前「経済学的思考のセンス」(大竹文雄著 中公新書)という本を読んで面白かったので、大竹教授の編纂した「こんなに使える経済学-肥満から出世まで」(ちくま新書)を読む。大阪大学社会経済研究所の先生たちがわれわれの身近な問題を経済学という切り口でわかりやすく説明してくれている。

例えば、各章のタイトルを見るとおもしろいのだが、

第一章 なぜあなたは太り、あの人はやせるのか
第二章 教師の質はなぜ低下したのか
第三章 セット販売商品はお買い得か
第四章 銀行はなぜ担保をとるのか
第五章 お金の節約が効率を悪化させる
第六章 解雇規制は労働組合を守ったのか

という具合に最近話題になっていることがらにスポットをあてているので思わず引き込まれてしまう。

基本的には著者の大竹さんが前に「経済学的思考センス」のあるひととは、インセンティブの観点から社会を視る力と因果関係を見つけ出す力をもったひとと定義しているように、インセンティブなんですね。ただ、それだと何となく人間の行動っていつも経済合理性だけで動くわけではないよなあってなことを言いたくなる。

でも、面白いことがいっぱい書いてあって楽しめたのだが、その中でも「不況時に公共事業を増やすべきか」というのを紹介しよう。

いつも不況になると公共事業を増やそうとするが、これって結局単なる失業手当じゃないのかと思っていたのだが、本の中でも同じことを言っていた。いずれも公金が同じように使われるのだから一緒でしょとなるから、何でもいいから公共事業をやればいいのだというのは誤りなのである。だからといって減らすほどよいというわけでもない。

よく公共事業は税金の無駄遣いというけど、結局国民の懐に入るわけだから意味はないことはない。だから、何が大事かというと公共事業で作ったモノやサービスが価値があるものなのかどうかなのである。これは、当たり前の結論なのだが、その通り議論されていないわけで、政治家や役人はただ単にお金の額のことしか言っていないことが問題なのである。

こういうこととか、その他普段ちょっぴり引っかかっていたようなことをうまく説明してくれているので読んですっきりする本だ。
 

こんなに使える経済学―肥満から出世まで (ちくま新書 701)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2008.1.21
  • 大竹 文雄
  • 新書 / 筑摩書房 (2008/01)
  • Amazon 売り上げランキング: 2220
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

2008年1月30日

IT産業崩壊の危機

ある人から日経BPの主任編集委員である田中克己さんと会って話をするから一緒に来てくれと言われたので、その田中さんが最近書いた「IT産業崩壊の危機」(日経BP社)を読む。

ぼくも今のような日本のIT産業だといずれ崩壊するのではないかと思っているので興味深く読んだ。内容は以前日経コンピュータや日経ソリューションビジネスなどに連載した記事を再編集したものである。

従って、盛りだくさんのテーマでITベンダー側から、またはユーザ企業側からの視点でも書かれているが、正直言ってテーマが多すぎる。またインタビュー記事も多く入れられていて、どれが著者の意見なのか、どうまとめようとしているのかがよく分からなかった。

危機的状況であることは分かるが、それを乗り越えていくのに、従来型の発想の延長でできるのかと思ってしまう。既成の大手ITベンダーの人たちの取材でその人たちが将来こうなると言ったところで、ぼくは限界があるような気がするのだ。もうそういう時代ではない。もっと世界は早いスピードでダイナミックに動いている。そんな時代なのに、その存在こそが危機を招いている会社に打開できるわけがない。

もっと若くてやわらかい発想や行動力に期待せざるをえないとぼくは思う。もっと日本のよさや強さを具現化した日本発のITを創出しないといけないのだ。

それと、国の対応のことも書いてあったが、経産省にしても総務省にしても彼らの支援する先はあくまで業界なのである。そのスタンスを変えないといつまでたっても日本のIT産業は再生できない。

最近「消費者庁」というような構想もでてきたようだが、ITにもこのユーザのためのITという切り口を持ってこないといけないと思うのである。例えば、中小企業のIT化だとかいうと、経産省はすぐにIT産業の振興というアプローチになってしまう。経産省にも中小企業庁というのがあるのだから、日本の中小企業を活性化するためにITをどう活用していくかという視点でやってもらいたいのだ。

こんなことを今度田中さんに会った時に議論できたらなあと思っている。
 

IT産業崩壊の危機―模索する再生への道のり
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2008.1.30
  • 田中 克己
  • 単行本 / 日経BP社 (2007/11)
  • Amazon 売り上げランキング: 10256
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.0
    • 4 ITサービス企業にお勤めの人に薦めます
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

2008年2月 8日

文章のみがき方

ブログを書いているとどうしたらいい文章が書けるのかと考える。才能ということもあるかもしれないが、少しは「文章術」みたいなことがあるような気がする。

そこで見つけたのが「文章のみがき方」(辰濃和男著 岩波新書)である。著者の辰濃和男は1975年から1988年の間、朝日新聞の天声人語を書いていた人です。この本のまえに「文章の書き方」という本を書いていて、今回はその姉妹編というところです。

さすがに長い間天声人語を書き続けた人だけあって、文章に関して作家やその他著名人が書き残した数多くの文章を書き抜いてあって、それをもとにいい文章を書くための心得や作法が書いてある。

どれもこれもなるほどなるほどと言いながら読み進めていった。肝に銘じなくてはいけないことばかりであるが、中でも非常に腹に入ったことを少し引用してみる。

「自分にしか書けないこと」は、自分以外のだれでもない、あなた自身が書かなければ、ほかのだれも書くことはできません。それは、いいかえれば自分の人生をどう生きているか、なにを自分のよりどころにして生きているかということにつながります。同じ職場で、同じような仕事をしていても、私たちは、それぞれの、独自の人生を生きています。だからこそ「自分にしか書けない」文章を書く道がそこにあるのです。

ぼくはそうやって毎日ブログを書くことにした。
そして文章は分かりや少なくてはいけないといって、その心がけについて次のようなことをあげています。

①自分がどうしても伝えたいこと、自分の思い、自分の考えをはっきりさせること。
②そのことを単純な文章で書いてみる。難しい言葉を使わない。
③書いたものをだれかに読んでもらい、感想を聞かせてもらう。
④そのうちに、自分の文章の読み手になり、自分の文章がわかりやすいかどうかを評価することができるようになる。
⑤何回も書き直し、さらに書き直す。

さすがブログでは最後の書き直しはそうはできないが、他はあてはまることが多く自戒をこめて常に頭に入れておきたいと思う。

この本にも書いてあったが、文章を書くときには辞書をてもとに置いておくことを薦めているが、この本は辞書と一緒にかたわらに置いておくべき本のひとつである。

さて、これを読んだあとのぼくの文章はみがかれたのであろうか。

最後に、“渾身の気合で書く。そして、肩の力を抜いて書く“という言葉を噛みしめよう。
 

文章のみがき方 (岩波新書 新赤版 1095)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2008.2.8
  • 辰濃 和男
  • 新書 / 岩波書店 (2007/10)
  • Amazon 売り上げランキング: 1719
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.0
    • 5 わかりやすく、読みやすく
    • 4 早速、実践してます
    • 4 いろいろな本のガイドブックとして読むという手もある
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

2008年2月10日

iPodをつくった男

いまや知らぬ人がいないほど有名になってしまったスティーブ・ジョブスについて書いた本が出た。「iPodをつくった男 スティーブ・ジョブスの現場介入型ビジネス」(大谷和利著 アスキー新書)でアップル社を起こし、幾多のヒット商品を生み出したスティーブ・ジョブスに焦点をあて、その生き方や経営方針などが記されている。

ご存知のかたも多いと思いますが、ジョブスはアップルの創業者でありながら、85年に自ら招いた経営のプロである元ペプシコーラの社長ジョン・スカリーに会社を追われている。それから11年後の96年に衝撃の復帰をはたし、CEOとしてiMac、iPod、Mac OS X、iPhoneといった素晴らしい製品を世に送りだすという波乱万丈の人生を送っている。

この本にも書いてあるのだが、一旦挫折を味わってそこから這い上がってくる人間ってものすごいパワーもあるし、一段と成長するもののようだ。ジョブスも会社を追われた原因が本人の奔放な仕事のやり方だったわけで、それが外部の風にあたり、またそこでも辛酸をなめることで大人になって帰ってきたのである。

アップル社にとっても理想主義的で激情型の若きジョブスが追放されずにそのままいたら会社は潰れたかもしれないのだ。しかも、いいタイミングで復帰したことも幸いしている。そういった意味ではアップルは誰のものでもなくジョブスのものである。

ジョブスは、何でも自分でやらないと気がすまないので、製品の設計、開発からデザイン、PR、プレゼンとありとあらゆる分野でコミットしていく。そこにはこだわりがあり、「自らが欲しいもの、好きな物を作ってきた歴史」がある。

やはりスティーブ・ジョブスという不世出の天才に圧倒される。また、この本を読んで改めてマックファンの心情がよく分かったような気がする。ジョブスは信仰の対象になるのだ。

さて、スティーブ・ジョブスに興味をもったかたはぜひジョブスが2005年にスタンフォード大学の卒業式で行なったスピーチを聞いてください。小飼弾さんが字幕を翻訳してくれています。この中で「点を繋げる事」、「愛と喪失」、「死」について語っているのだがそれはもう感動ものです。

そうなんです、いくらいいライターがいい本を書いたとしても、本人のたった15分のスピーチに負けてしまうのは言うまでもない。
 

iPodをつくった男 スティーブ・ジョブズの現場介入型ビジネス (アスキー新書 048) (アスキー新書 48)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2008.2.10
  • 大谷 和利
  • 新書 / アスキー (2008/01/10)
  • Amazon 売り上げランキング: 7601
  • Amazon おすすめ度の平均: 3.0
    • 1 内容が薄すぎる!
    • 3 単純に面白かったです
    • 1 ビジネスマン必読の一冊?
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

2008年2月25日

ウェブ国産力

佐々木俊尚さんが書いた「ネット未来図」に沿ってコメントを書いていたら、もう次の本が出ていた。「ウェブ国産力 日の丸ITが世界を制す」(アスキー新書)である。

いまやインターネットの世界を制しているのはほとんどがアメリカ企業であり、日本の企業で世界に冠たるものはない。このまま日本のIT技術は沈んだままなのだろうか。この本は、そうは言うけどちょっと前までは日本のIT技術は世界で十分戦っていたわけで、まだ日本が再び脚光を浴びる可能性は十分あると言っている。

取り上げられているのは、未来検索ブラジルや携帯端末、リアル世界とつなげるという意味でリアル情報からのマイニング技術やP2Pといったものがある。そして、経済産業省が推し進めている「情報大航海プロジェクト」が紹介されている。

いずれも興味あるものであるが、なかでもぼくが惹かれたのは、リアルの世界とのつながりのところで、日本の技術で優れたもののひとつにセンサー技術がある。要するにICタグのようなものからデータを収集し、それらを解析して、サービスにつなげるようなことである。ここらあたりは日本も強いところではないだろうか。

ただ、お国が入ってきたとたんにおかしなことにならないようにしてもらいたいと思う。あまり官が主導して方向を決めるのではなく、民が主体的に動くのを支援するというスタンスが望ましい。ただ、この本にも書いてあるように超えなければいけないハードルで制度的な解決を要する著作権と個人情報保護の問題はぜひやってもらいたいと願う。

そのほか、面白いことがいっぱい書いてあって、IPA・SECのことにも言及していて、ぼくらがいつも言っているソフトウエア業界の問題も指摘されていた。

佐々木さんはぼくと同じように若い人に期待していて、本の最後は「次世代のベンチャーの人たちに、頑張ってほしいものだと心の底から思う」と締めくくっている。

ウェブ国産力―日の丸ITが世界を制す (アスキー新書 047)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2008.2.25
  • 佐々木 俊尚
  • 新書 / アスキー (2008/01/10)
  • Amazon 売り上げランキング: 3342
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.5
    • 5 PC98の時代がくるかもしれません
    • 4 1まわり深く掘り下げた国産IT技術の分析
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

2008年2月28日

乳と卵

第138回芥川賞が川上未映子の「乳と卵」に決まった。直木賞が桜庭一樹(こんな名前で女なんて反則だよね)だから両賞とも女流作家ということになった。昨今女性の作家がすごい勢いで男性陣が少し元気がないように感じられる。

さて、その「乳と卵」(チチとランと読む)だが、ぼくのような男にはなかなかわかりずらいところがあって、最初は何だこの作品はと思った。しかしながら、大阪弁の文体につい引き込まれてしまい、そして最後の「お母さん、ほんまのことを、ほんまのことをゆうてや、」という文章が止めを刺す。

この作家は、いわゆる文学少女というジャンルではなく、何しろ家に本がなかったので教科書の文章を読むのがうれしかったというくらいだから、今までの常識とは違っている。職業もいろいろなことをやっていて大阪の北新地のクラブホステスだったり、歌手もやっていたりとちょっと驚いてしまう。

ぼくは必ず芥川賞をとった作品は読んでいるのだが、年々ついていけないような気がする。逆に言うと、芥川賞を追っていくと時代の流れや空気が感じられるかもしれない。そういう意味では、この作品は男がまったく登場してこないわけで女3人だけの構成であり、それも母親、叔母という密な関係で、どうも女を描くことが今様なのかと思ってしまう。男は小説の主人公になれない時代なのだろうか。

相変わらず、石原慎太郎が吼えている。選評で「一人勝手な調子に乗ってのお喋りは私には不快で聞き苦しい。この作品を評価しなかったということで私が将来慙愧することは恐らくあり得まい。」ときた。そうなると、ちょっと意地悪っぽいけど、彼がほめた青山七恵との対比のなかで川上未映子を注視していこうと思う。

乳と卵
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2008.2.28
  • 川上 未映子
  • 単行本 / 文藝春秋 (2008/02/22)
  • Amazon 売り上げランキング: 50
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.0
    • 3 不思議な文章ですが
    • 5 おもしろかった
    • 4 消化しにくい文章
Amazon.co.jpで詳細を見る


 


2008年3月13日

日本の行く道

またずいぶんと仰々しいタイトルだ。この「日本の行く道」(集英社新書)を書いたのは橋本治である。ぼくと同い年なのでこの本に書いてあることは“わかる”。ただし、どうして橋本治の本はすらすら読めないのか不思議だ。決して難解な言葉でもないのに。

以前に読んだ「上司は思いつきでものを言う」もそうだった。どうも広範な知識で論を展開していくから、頭のなかで整理がつかないのだ。ぼくの頭はそんなに多角的にできているわけではないのでつらいのだ。

この本でまず言っているのは、世界を産業革命前に戻せばいいということ。例えば地球温暖化の問題にしたって、産業革命によって二酸化炭素を排出するエネルギーが大量に使われ出しので、そうしたらそれ以前の人力やら馬力の世界に戻せば解決するというわけだ。でもそれではちょいと行きすぎだから、1960年代前半に世界を戻せばいいと言っている。

この1960年代前半というのは、日本では昭和30年代から40年に変わったときで。その変わり目の象徴が東京オリンピックなのである。そして、団塊の世代が受験戦争に突入した年でもある。そういえば今から考えるとあの頃からいろんなことが変わり始めたような気もする。でもわれわれ団塊の世代がみんな悪いみたいないわれ方はやめて欲しいよな。

それはさておき、著者はさらに徳川三百年の地方制度を参考にせよと言っている。「中央集権的でありながら日本全国を平均的に栄えさせる」というもので、廃藩置県の逆である廃県置藩てなことをしたらと言っている。

それで最後に冒頭のぼくの感じたことに対する答えが載っている。引用してみる。

「日本は、未来を考える選択肢の検討を、とんでもなく長いスパンで可能に出来る国なんだ」と思うと、私はただ「日本に生まれた日本人でよかった」なのです―― そういう「人とは逆の考え方」をする人間なので、この本は平然と、「長く膨大にして、ややこしくかつ広範な本」になっています。これを全部頭に入れるのは、きっと大変なことでしょうが、それは私のせいじゃありません。「選択に関する豊かな可能性を有している日本という国のあり方のせい」です。

うーん、何となくわかったような気分になったがどうだろう。ただ、こうした視点で今の世の中を見ることは大切であることは伝わってくる。
 

日本の行く道 (集英社新書 423C) (集英社新書 423C)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2008.3.13
  • 橋本 治
  • 新書 / 集英社 (2007/12/14)
  • Amazon 売り上げランキング: 2382
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.5
    • 5 痛快!!地球温暖化防止策
    • 4 「ややこしくてめんどうくさい本」だけど
    • 5 今に生きる日本人の必読書
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

2008年3月28日

夢を食った男たち

ある人から面白いよと言われて手にする。「夢を食った男たち」(阿久悠著、文春文庫)である。副題が「「スター誕生」と歌謡曲黄金の70年代」とある。

これは、1992年10月から翌年3月までの半年間、「スポーツニッポン」紙上に掲載された「阿久悠の実録テレビ三国志」という連載をまとめて本になったものである。そして、そのタイトルからもかなり面白いのではないかと期待をもったのであるが、残念ながらちょっぴり期待はずれであった。

それは何に起因しているのだろうかと考えたら、どうも新聞の連載だったからではないかと思う。新聞の連載というのは、1回1回ミクロの起承転結を意識するはずで、それを本にするとマクロの起承転結と整合しなくなってしまうという問題があるのではないでしょうか。

従って、断片的には面白いのですが、じゃあ全体として何なのだろうかと感じてしまう。題名の夢を食った男って誰のことなのか、単なる時代という状況の解説なのか、うーんよくわからん。エピソード的にはああそうだったのかとか、ぼくはほぼ同時代を生きてきたのでよくわかるし、なつかしくなる。

前半の大半が「スター誕生」に費やされていて、森昌子、桜田淳子、山口百恵の中三トリオの誕生そしてピンクレディで終焉を迎える話である。また後半はグループサウンズ、特にザ・スパイダーズの誕生秘話だとかが語られているが、それはそれでなるほどとおもうのだが、すごく感心したのは、阿久悠の時代の風を感じる力というか、変化をとらえる目というかそこがすごい。

まあ、だからこそあれだけの詞を書きながらいつも時代の少し前を行くことができたのだろう。この少し前を行くのがすごくむずかしい。彼の歌詞は何年か経ったあとでも決して古くないというのはそういうことなのだろう。

この本はそこを読むことをお薦めする。

夢を食った男たち―「スター誕生」と歌謡曲黄金の70年代 (文春文庫 あ 8-5)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2008.3.28
  • 阿久 悠
  • 文庫 / 文藝春秋
  • Amazon 売り上げランキング: 130505
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.0
    • 4 阿久悠ならではの当事者ドキュメント
Amazon.co.jpで詳細を見る


 


2008年4月 5日

「読み」の整理学

以前にも紹介した「思考の整理学」というベストセラーを書いた外山滋比古の「「読み」の整理学」(ちくま文庫)を読む。実は、うちの社長(息子)が持っていいたので、「思考の整理学」と交換したのである。社長は基本的には自分の本をひとに貸さない主義なのだが、ぼくが読んだ本をこれおもしろいよと渡すと自分の持っている本を貸してくれるのである。

この本は元々は「読書の方法」という本に基づいている。だから、本やそれ以外のものも含めて“読む”ということの意味についてまとめたものである。外山滋比古の本は、「思考の整理学」もそうだが、非常に読みやすくわかりやすい。むずかしいことを平易な文章で丁寧に書いてくれるからである。こういうのを教養というのである。

ところが、本の中では、いまの世の中は何でもわかりやすくしないといけないという“平明至上主義”があり、それを批判している。確かに、昔のように何度読んでもさっぱり理解できない難解な文章が影をひそめ、わかりやすいものになる傾向がある。

ただ、難しいという場合、多くは単に難しい言葉を使うとか独特の言い回しのセンテンスを指したりする。本来は、その内容、その主張することの難易を問うのであるが、そこへの言及は少ないような気がする。だから、外山滋比古のように、言っていることはすごく難しいことなんだが、文章はわかりやすいというのが本当に教養にある人がなせる業だということを言いたかったのだ。

さて、この本の主題は、“既知を読むアルファー読み”から“未知を読むベータ読み”へ変えていくことを説いている。

そもそも、学校の国語教育でおこなわれていることが、ベータ読みへの転換ができていないと嘆いている。わからないことをどうやって分かっていこうかということは非常に大事で、そこをあきらめてしまうと新たな発見もなければ、成長もない。

こうしたベータ読みへの移行には、素読とか音読の効用を言っている。今はどうか知らないが、ぼくらの子供の頃はけっこうこの素読、音読というのがあって、漢文や古文という教科で意味もわからず暗記したものだ。それがよかったかどうかはわからないが、難しい文章を我慢して読むという態度は少しは身についたのではないかと思う。

そうなんですね、古典の暗誦というのは必要なんですね。どうして古典なのかというと著者曰く「昔のことは古い。だからと言って古くさいとは限らない。新しいことはおもしろそうだが、時の試練をくぐり抜けていない。新しいものごとは古くなるが、古いものはもう古くならない」からなのである。ところがどうしたものか今この古典がどこかへいってしまっている。

最後に、ベータ読みについての落とし穴が書いてあるが、ここがぼくにはポイントのような気がするので紹介する。ベータ読みというのは、洞察による読み方が必要となる。“行間を読む”というやつである。これには個性的と古典的という二つの方向がある。

たとえば、わからない文章に出会うと、行間を読んでいるうちに、おのずと筆者の考えから、筆者の人となり、思想といった伝記的な面に向かう。これが個性的な読みである。文学作品の感動はこれだ。

一方、古典的な読みは、哲学的であり、普遍的なコンテクストに関連付けて理解しようとする。筆者の個人的事情は関係ないのだ。文科的ではなく理科的な態度といってもいい。

こうした、古典的な読みが大事で、どうしても文学青年のような読み方になる落とし穴に気をつけなくてはいけないのだ。

まだまだ、いろいろためになることがいっぱい書いてあるが、このへんにして、これからの本の読み方に参考にしたいと思う。
 

「読み」の整理学 (ちくま文庫 と 1-3)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2008.4.5
  • 外山 滋比古
  • 文庫 / 筑摩書房
  • Amazon 売り上げランキング: 34620
  • Amazon おすすめ度の平均: 3.0
    • 4 読書を考える上での易しい手引き
    • 5 知的生活を送りたい人にぜひ
    • 3 「読書の王道」を紹介
    • 1 文庫本1冊にするないようではないような
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

2008年4月19日

パラダイス鎖国

この言葉や著者の海部美知さんのことはご自身のブログや帯に推薦の言葉を書いた池田信夫さんや梅田望夫さんのブログで知っていたので、それほど新鮮味があるわけではない。しかし、この本「パラダイス鎖国」(アスキー新書)では、断片的なブログの記事を系統だってまとめて、そして新たな調査資料も加えているのでその言わんとしていることがよくわかる。

冒頭、この言葉が生まれた背景が書いてあって、著者が2005年に日本で夏休みを過ごしてアメリカに戻ってきたときに、(彼女はシリコンバレー在住)湧いた疑問が、「中からも外からも、つながろうとする力が弱まり、日本は孤立しつつあるのではないか?」ということで、住み心地のいい日本という国から外にでない鎖国化がおきているのではと感じたというのである。

この現象は、例えば海外旅行に行かなくなったり、海外赴任を命じられたらという質問に喜んで従うと答えた人が激減したとか、そういったことからも窺える。何かいい意味でも悪い意味でも上昇志向というものがなくなったような気もする。ぼくらのこどもの頃ってみんな一旗あげてやろうだとか、いずれは海外で活躍するんだとかいった思いを強くもっていた。そうしたことが今はないという。

日本のマーケットがそこそこ大きいのでそこだけをターゲットにしても食えていってしまうという中途半端さにより、どんどんグローバルな競争力を失っていってしまう。だって、日本は豊かですよね。餓死するやつもいないし、犯罪だって少ないし、インフラだって整っているし、ゆで蛙になってもしかたないのかもしれない。

しかし、このまま行ったらどうなってしまうのだろうか。ジャパンバッシングからジャパンパッシングになってしまって、さらにジャパンナッシングになったらどうするんだ。

今は「鎖国」だから早く「開国」しなくてはいけないのだが、著者はそのための対応策は、「多様性」にあるとしている。利害や価値観が異なるひとも全部ひっくるめて共存させて、その混沌の中から生まれる創造性に期待しようじゃないかと言っている。

それは今のウエブの世界で情報発信しているひとたち、梅田さんや池田さんもそうだが、そういう人たちの共通の意識のような気がする。

わかりやすくて読みやすく、シリコンバレーの雰囲気も出ているのでおもしろいです。
 

パラダイス鎖国 忘れられた大国・日本 (アスキー新書 54)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2008.4.19
  • 海部 美知
  • 新書 / アスキー
  • Amazon 売り上げランキング: 485
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.5
    • 4 素晴らしいコピーの数々
    • 4 自分で考えろ…ということかな?
    • 3 池田信夫blogで取り上げられていた
    • 5 ゆるやかな開国宣言。
    • 5 学生にも読んでほしい一冊
Amazon.co.jpで詳細を見る

 

2008年4月23日

ウチのシステムはなぜ使えない

時々SIerのことを書いたり、システム開発について提案したりしているところに、小飼弾さんがブログの書評でえらくほめていたこともあって「ウチのシステムはなぜ使えない」(岡嶋裕史著、光文社新書)を読む。

内容は、SE(システムエンジニア)とユーザの行き違いみたいなことについて皮肉やユーモアを交えて書いてある。主としてユーザのひとたちにシステム開発の実態を知ってもらおうという狙いのようだ。おそらく、開発の現場をよく知らないユーザの人たちにとっては面白い読み物かもしれないが、ぼくらはもう分かりきったことを単にわかりやすい言葉で丁寧に説明しているだけだと思ってしまう。

小飼弾のなんでもほめる書評は困ったものだ。書評で食っているわけでもないだろうから、もう少し辛味を効かせてもいいような気がする。献本がこなくなるといけないからなのかと穿った見方をしてしまいかねない。

ここでもユーザは何もわかっていないからだまされているみたいなトーンになっている。コンピュータ雑誌やネットも含めてほとんど嘆き節に終始しているように思える。だから、ぼくはこういう本を読んでもあまり愉快にはならない。

少なくとも、この現状からどうやって抜け出していくのか、明るい未来をどうやって作っていくのかといった前向きな提言のひとつやふたつ出してみろって。つい内輪の人間的言動になってしまうのでお許しを。

この間のパラダイス鎖国じゃないが、作り手側と使い手側のなれ合いがいつまでも続くとは思えないので、処方箋をどうするのかといった議論に早くもって行かなくてはいけないのだ。

すいません岡嶋さん、ちょっと八つ当たり気味で申し訳ありませんでした。

ウチのシステムはなぜ使えない SEとユーザの失敗学
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2008.4.23
  • 岡嶋 裕史
  • 新書 / 光文社
  • Amazon 売り上げランキング: 731
  • Amazon おすすめ度の平均: 3.0
    • 3 営業の棚谷さん
    • 4 3K職場の実態
    • 3 SEが読んでもあまり意味がない
    • 2 システム構築はコミュニケーション能力&業務知識&システム知識
    • 1 この本はなぜ使えない
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

2008年4月28日

官僚内閣制

いま話題?の高橋洋一氏が文芸春秋5月号に寄稿している。タイトルが「[官僚帝国]の反逆者と呼ばれて」で「「見えない官僚支配」を打破しない限り未来はない」という副題がついている。

高橋氏はぼくがよく見るブログの「池田信夫Blog」や「貞子ちゃんの連れ連れ日記」によく登場する人で「さらば財務省!―官僚すべてを敵にした男の告白」(講談社)を書いたひとです。

この人は無茶苦茶すごい人です。小泉内閣で竹中平蔵のブレーンとして郵政民営化を主導したのである。この郵政民営化というのは財投改革の延長として必然的に起こりえる改革であった。どういうことかというと、財投改革によって郵貯は大蔵省の手を離れて自主運用となるわけだが、ところが運用は国債だけに限定されるから利回りは劇的に低下して、いずれ破綻する。そこでそれを救える可能性があるのは民営化しかなかったのである。

というようなことが書いてある。明快でしょ。この高橋氏は、大蔵省に80年に入省しているが、東大に入学したときは理学部数学科だった。だから、理系のキャリア官僚というわけで、ご存知のように事務官が幅を利かす官僚では異端児とみなされていた。だからこそ改革ができたのかもしれない。

今のように年功序列が確固として存在し、天下りが常態化している世界では営々と築きあげた秩序を乱すことは、自分たちの権益を放棄することになる。官僚はそういう回路でものを考えていく。そこからは改革だとか変化だとかは生まれてこないのだ。

そうした官僚に支配されている内閣ではどうにもならない。高橋氏の暴露する実態を見るにつけ、日本の政官の実態にうんざりすると同時に強い危機感を持つのはぼくだけではないだろう。

そうした状況を打破するためには、今議論されている公務員制度改革を進めなくてはいけないと主張している。そのなかでも、キャリア制度の廃止が重要だと言っている。これは彼のような異端児もいてこそ活性化された組織ができるわけで、いまのように将来を約束されたキャリアに望むものはない。「全生涯の面倒をみてくれる役所こそ永遠」であるから国益より省益が優先するのである。

ここはけっこう重要なところで官庁だけに限らず大企業にも同じようなところがあり、こうした閉塞性から早く脱却しないと世界の変化についていけない。そのためにも流動的な組織、多様性をもった人材の確保が必要になっているのである。

注目の高橋洋一氏はつぎになにを仕掛けてくるのだろうか。
 

さらば財務省!―官僚すべてを敵にした男の告白
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2008.4.28
  • 高橋 洋一
  • 単行本 / 講談社
  • Amazon 売り上げランキング: 121
  • Amazon おすすめ度の平均: 5.0
    • 5 真実とはかくのごとし。
    • 5 経済オンチな官僚の実態
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

 

2008年4月30日

アヒルと鴨のコインロッカー

いま若者に支持されている伊坂幸太郎の本を読みたいと思って下の息子の本棚から「アヒルと鴨のコインロッカー」(創元推理文庫)を手にする。

近頃、新書ばかり読んでいたので小説は久しぶりだったので最初は読み進みが悪かったが楽しめた。“いい感じ”の小説に仕上がっている。シチュエーション設定や道具立てもよくて、バイオレンス、セックスが嫌味なく描かれていると思う。

ここのところ伊坂幸太郎の小説の映画化がされていて、この作品も昨年公開されている。確かに、映画的な意識を感じる。映画のシーンをみているように読んでいるのがわかる。

物語は、過去と現在を並行して語らせ、最後に繋がっていくという手法でそこはサスペンス風でいったい結末はどうなるのかと気を揉ませてくれる。過去の登場人物が男二人に女一人で何となく三角関係のような、これも映画でよく出てくるパターンである。そこに外国人を絡ませたことが特徴的なのであるが、それが欧米人ではなくブータン人であるところが面白い。若者の不安定さや偽悪的行動など、このあたりは昔もいまも変わらない普遍性がある。だから若者に支持されるのだろ。

小説や映画は非日常性を誇張するわけだが、巷の普通の人の青春でもいくらかの非日常性に戸惑いながら、悩みながら過ごしていく。

そんなことを考えていたら、自分の学生時代のことがふと蘇ってきた。ベトナム人学生のことである。そいつはグエン・バン・タンという名前で同じ化学科の同級生であった。サイゴンの写真館の息子でベトナム戦争の最中にやってきた。日本に来たのはいいがベトナムには帰れなくなって、卒業してどうしているのかわからなくなった。どうも今はカナダに住んでいるという噂を聞いた。会ってみたいと思う。

彼の4畳半の汚いアパートでみかん箱を机に一緒に勉強したことを今も鮮明に覚えている。そう、そんなときにボブ・ディランの「風に吹かれて」を聴いた。だから、この本にも「風に吹かれて」が重要なキーとして登場してくるので余計に自分の時代との対比をしてしまったのである。

映画的な小説だけど実際に映画にするには難しそうだな。そうどんな風に映像化したのか映画も観てみたくなった。

アヒルと鴨のコインロッカー (創元推理文庫)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2008.4.30
  • 伊坂 幸太郎
  • 文庫 / 東京創元社
  • Amazon 売り上げランキング: 362
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.0
    • 5 若い感性にこそ訴えかけるもの
    • 4 軽妙な仕上げ
    • 4 真相は好きですが、登場人物に魅力を感じませんでした
    • 4 伊坂作品としは上出来
    • 5 ストーリーのうまさと青春小説の軽さ
Amazon.co.jpで詳細を見る


 


2008年5月10日

小飼弾の「アルファギークに逢ってきた」

弾さんが書いた「アルファギークに逢ってきた」(技術評論社)を読む。これは「Web+DB PRESS」に連載された記事をベースに一冊の本にしたものである。もう一気に読めた。弾さんGJです。

ただ、ITいやウエブいやプログラム言語を知っている人でないと何を言っているのか全く分からないのではないだろうか。ぼくは、プログラムを書いたことがない(正確にいうと若いころN88-BASICは少し書いたことはある)が、ここ1,2年で少し聞きかじったおかげで多少はわかるが、そうでない人は聞いたこともない言葉がでてきて、さっぱり理解できないと思う。

ということは逆にそういうことをよく知っている、あるいは今使っているような人たちにとっては面白くてしょうがない話なのだろう。

それでもここに出てくるアルファギークたちの技術ではないところでの言葉に感動するのである。もう書きたいことはやまほどあるんだけどネタばれになるし、書き切れないので登場するギークたちの言ったことの中から印象に残る一言ずつをあげてみることにする。

・Daivid Heinemeier Hansson :Ruby on Railsの開発者

生物はConfiguration(設定)をいじりまくるのではなく、Convention(規約)をそのまま援用している。いろいろ設定を変えてうまくいくものだけを拾い出すより、きちんと動く設定を少しずつ変えるほうがうまくいくんだ。

・伊藤直也:「はてな」のCTO

経済的に幸せになること「だけ」を考えてコードを書くっていうのは、あんまりよくないかなって思うんですけど、本当にコードを書いて世の中がよくなるんだったらって感じがします。

・Larry Wall:Perlの開発者

どれだけ優れたソフトウエアでも、文化を持たないものは普及しません。

・Evan Williams:Twitterの生みの親

失敗すれば落ち込むけど、失敗というより、過程なんだよね、うまくいくための。失敗しなきゃ、何もわからない。

・Dave Thomas:「達人プログラマー」の作者

ソフトウエアエンジニアリングというものはありません。少なくともまだないです。どういうことかというと、これ以上削れないところまで削るのがエンジニアリング。これ以上削れないところまで削るということは、どこまで削るとそれが壊れてしまうかがわかっていることです。まだ、ソフト上に関しては我々はそのレベルまで達していないんです。

・奥一穂:サイボウズラボ、Japanize、Pathtraq開発者

自分が前の会社で何が嫌だった、向いていないと思ったかって、請求書書くの嫌だった。

・John Resig:jQuery(JavaScriptライブラリー)作者

あえて機能を追加しないことができる人がすごいエンジニアだと思います。すなわち具体的に何が重要であり、何が重要でないかということを理解したうえで、その理解のもとで最適化できる人。

・Ingy .Net、Dave Rolsky、Jesse Vincent、C.L.Kao:Perl Mongers
「優れたエンジニア」、「ハッカーとの違い」はとたずねられて

Vincent: ひと言でまとめちゃうと「ハックへの愛」かな。
Kao: 単にエンジニアというのであれば「情熱」というのは必ずしも必要ではないと思います。
Rolsky: すごい大きな視点とすごく細かい視点を同時にもっている必要がある。
Ingy: プログラマー以外の視点を持つっていうのもすごい重要。

・天野仁史、はまちゃ2:JavaScriptの達人
優れたエンジニアとして重要なことはとたずねられて

天野: 俺は自分一人でどこまで作れるかっていうことだろ思います。上から下までどのくらい作れるか。アイディアもその人が持っているっていうのが、やっぱり俺は優れたエンジニアだと思う。行動力とスピード感と、あとはまんべんなく知っていて作りきるだけの技術力みたいな。
はまち: ぼくが思うには、やっぱり視点かな。すごく大きな視点と、顕微鏡みたいな視点、両方を持ち合わせている人!

・近藤淳也:「はてな」代表取締役社長
「はてブ」ってdelicio.usの真似かよ見たいに言われたらという問いに対して

思いついた瞬間で比べるとそうかもしれないですけれど、行動を起こしたほうにどんどん情報はついてくるじゃないですか。だから最初はもっといろんな素晴らしいことを考えている人がいたとしても、行動をちゃんと起こしておけばいいのかなと思います。

ね、すごいでしょ。みなさん言うことに説得力がありますよね。それに、かなり共通点があります。例えば、Dave RolskyやIngyが言っていることとはまちちゃんの言っていることが全く同じで、大きな視点と小さな視点を併せ持たなくていけないと言っている。これなんかぼくはものすごく共感する。前から言っているんだけどぼく流にいうと、“空を飛ぶ鳥の眼と地を這う虫の眼がいる”ということなのだ。

いずれにしろ、アルファギークたちの頭や心のなかの一端を知ることができて大変おもしろかった。ただ、欲を言えば、この続編としてもう少しテクニカルな話じゃなく、仕事スタイルみたいなものに絞って書いてくれるとエンジニアではない人にももっと読んでもらえるのではないかと思ってしまうのである。
 

小飼弾のアルファギークに逢ってきた [WEB+DB PRESS plus] (WEB+DB PRESSプラスシリーズ)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2008.5.10
  • 小飼 弾
  • 単行本(ソフトカバー) / 技術評論社
  • Amazon 売り上げランキング: 188
  • Amazon おすすめ度の平均: 3.5
    • 3 Web系最先端プログラマー
    • 4 ギークがギークに会いに行く
    • 4 ギークがギークに会いに行く
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

2008年5月24日

4-2-3-1

ぼくは特に理由があるわけではないが、サッカー本はあまり読まない。でもこの「4-2-3-1 サッカーを戦術から理解する」(杉山茂樹著 光文社新書)は版を重ねていて評判がいいので買って読んだ。

これはたいへん面白かった。

サッカーの戦術、この本では布陣という言葉を使っているが、こうしたことを本に書いてみな理解できるのだろうかと思っていた。ところが多くの人が読み評価している。そういう意味では、サッカーファンの目も肥えてきたということかもしれない。昔はスター選手を追うことや選手起用法とか選手交替にはうるさくいっていたが、戦術的な話はあまりされていなかった。

ただそれはいたしかたないことで、どうしてかというと多くの人はテレビを見てあれこれ言うわけで、そうなると布陣がどうなっているのかとかはよく分からないのだ。実際の競技場に足を運んでスタンドから両チームの選手の配置や動きを見ないとわからないのだ。だから実際に観戦する人もずいぶん増えてきたという証左かもしれない。

この本の著者の杉山茂樹は有名なサッカー選手でもなく、ライターとして世界のサッカーを眺めている人で、それであるがゆえに、選手個人のプレーよりも全体を俯瞰できる目をもっているのかもしれない。彼の言いたいことを集約すると、

・戦術を具現化するためには、布陣というのが非常に大事である
・今は攻撃的な布陣が主流、かつてのイタリアのような守備的な布陣は嫌われている
・基本は数的優位をどこで確保するか、攻撃的ということはいかに高い位置でそれができるか
・サイドからの攻撃が絶対有利、強いやつには横から崩す

こうしたサッカーを欧州や南米の監督たちは知恵を絞って実現している。サッキ、ベンゲル、ヒディングなどの監督たちは非常に戦略的である。特に日韓ワールドカップで韓国を4位にし、ドイツワールドカップでは豪州を率いて日本を破ったヒディング監督の心憎い采配が記憶されるでしょう。

翻って、日本の歴代の監督、加茂周、トルシエ、ジーコはどうなんだろうか。著者によればみなけちょんけちょんである。オシムにしても疑問を呈している。

しかし、その指摘はなるほどと思われるので、ぜひ岡田監督にはこの本を読むことをお薦めする。さて、今晩のコートジボワール戦で岡田ジャパンはどう戦うのだろうか。
 

4-2-3-1―サッカーを戦術から理解する (光文社新書 343)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2008.5.24
  • 杉山 茂樹
  • 新書 / 光文社
  • Amazon 売り上げランキング: 185
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.0
    • 3 重要な一面だが、サッカーはそれだけではない。
    • 2 これだけでは…
    • 5 これであなたもにわかサッカー監督に!
    • 5 システムの重要性
    • 5 戦術、布陣、日本のサッカー界とファンへ一石を投じる一冊
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

2008年5月29日

いちばんやさしいオブジェクト指向の本

これは技術SE新書から出た井上樹さんが書いた本である。なぜこのような本を読んだのか。もちろんオブジェクト指向は知っていいる。ネットで調べて知っている(つもりになっている)。オブジェクト指向をやってきた人も知っている。セミナで聞いたこともある。

でどうして本を買って読もうと思ったのか。社長(息子)と話していて、おとうさんオブジェクト指向勉強したほうがいいよみたいな言われ方をされたこともあったのと、もうひとつは今使っているSAVVIONというBPMソフトウエアを作ったDr. M. A. Ketabchiがもともとオブジェクト指向のエキスパートであったということからである。厚い本を読んでもなかなか難しいのでこういう本はうれしい。

でオブジェクト指向がわかったのかと言われると、半分わかって半分わからないというのが正直なところだ。

オブジェクトとは「ある場面において個別に識別できる重要な何か」で、オブジェクト指向とは「ある場面をオブジェクトの集りとして表わすこと」、うんうんなるほど。「オブジェクト指向で登場する重要な概念はたった二つ、「オブジェクトとメッセージ」、うんうんわかるわかる。「オブジェクト指向で世界を理解する。オブジェクト指向で世界を創造する」、ほおー、そうなのか。

ところがどうも食い足りないのだ。結局どういうことかというと、端的に表れているのが最後の章にQ&Aが出ているのだが、それが象徴的なので紹介する。問題は、Qがなかなか的を射ているのだが、答えが外れているということなのだ。

Q:オブジェクト指向で分析・設計すると何が嬉しいのですか?
A:現実世界をオブジェクト指向でモデル化すると、それをプログラミング言語で書けることです。

Q:本当に現実世界をそのままモデル化できるのですか?
A:オブジェクト指向分析で「現実世界をモデル化する」といっても、現実世界にはさまざまな側面や情報があるので、それをすべてオブジェクトで表現しようとすると、オブジェクトの持つ属性や状態や操作は、考えれば考えるほど際限なく出てきてしまいます。そのため、モデル化を行なう際には、現実世界から必要な部分だけを抜粋してモデルに取り込んでいくことになります。

Q:オブジェクト指向では「シームレスな開発ができる」と聞きましたが、これはどういう意味ですか?
A:オブジェクト指向分析から実装までは、一貫してオブジェクト指向で行なわれます。一貫して行なわれることで、各工程でモデルに連続性が生まれ、工程間のギャップが少なくなくなり、トレーサビリティが高くなります。この効果を称して、「シームレス開発ができる」という言い回しが生まれました。中略。
ただし、どんな開発であろうと、分析と設計のあいだには、目的の違いが厳然として存在しており、目的を達成するためのアプローチはまったく異なります。ですので、それを一緒にできるということはありませんので、気をつけてください。

最初半分わかって、半分わからないといったが、その半分わからないのがこのQAのところである。どうしてわからないかということについて書評ではなく別なエントリーで記すことにする。

いちばんやさしい オブジェクト指向の本 (技評SE新書 007)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2008.5.28
  • 井上 樹
  • 新書 / 技術評論社
  • Amazon 売り上げランキング: 7104
  • Amazon おすすめ度の平均: 3.5
    • 4 いちばんやさしいとはいえども
    • 2 誰にでも理解は無理な気も。。。
    • 3 パーソナリゼーション
    • 3 基本を押さえた良書のひとつ
    • 5 オブジェクト指向の基本的な構想、仕組みがイメージできます。
Amazon.co.jpで詳細を見る



2008年6月 7日

不機嫌な職場

いまは、会社勤めを辞めているので、職場というものから離れている。親子二人の会社だから、親子が職場ともいえないことはないかもしれないが、一般的な職場とは違う。

そんな立場なのに、職場に興味を持ったのかというと、いま作っているBPMアプリケーションのなかにこの職場というものを意識せざるを得ない要素があるのだ。

そんなわけで、「不機嫌な職場  なぜ社員同士で協力できないのか」(高橋克徳+河合太介+永田稔+渡部幹共著 講談社現代新書)を読む。

つい最近でも、IT業界の某重鎮がこれから就職しようとする学生に向かって「10年間は泥のように働け」といって物議を醸したが、従来型の考え方で職場をみて、それなりの地位を築いた人にとっては、いまの若い人たちが職場で悩んだり、閉じこもってしまうことを理解できないのではないだろうか。

それは、こうした若い人たちが悪いわけでもなくて、社会や企業の環境、あるいは人間関係の変化に対して、職場の構造変化がついていっていなのだ。

そういうことを考えさせられる本だ。

この本では、いま職場で何が起きているのかについて、関わらない、協力しないという態度が増加して、その結果、生産性や創造性の低下、品質問題や不正をもたらしていると言う。

こうした現象を考えるときのフレームワークとして、役割構造/評判情報/インセンティブの3つをあげている。

役割構造では、旧来の日本では、仕事の範囲が「緩さ・曖昧さ」にあったのが、成果主義からくる「仕事の定義」の明確化と「専門性の深化」がおこり、組織の「タコツボ化」をもたらしたことが指摘されている。

人というものは知っている人には協力したいものである。こうした「評判情報」の共有というのも大事なもので、以前は職場旅行だとか飲み会だとかがあったのが、今はこのようなインフォーマルな場がなくなってきている。

一生同じ会社にいることから会社はあてにならないという意識の高まりや、外部労働市場の成熟化により、インセンティブ構造の変化も大きくなっている。今の若い人は「その仕事は私のためになるんですか」と聞いてくる。

役割構造の変化による「タコツボ化」の進行、評判情報の流通機能の低下、インセンティブ構造の変化により、組織内の協力関係の構築・維持が阻害されているのである。

そこで、必要なのは、「集団的なコミュニケーションの促進」だという。

実践例として、グーグル、サイバーエージェント、ヨリタ歯科クリニックを紹介している。

では実際にどういう仕組みにしたり、仕掛けを施すべきなのだろうか。

役割構造に対する工夫では、共通目標・価値観の共有化のために、発言や参加の壁を作らないことや、「特定の人にしかわからない」状況をつくらないことが大事で、誰もが助け合える仕組みが必要である。

評判情報に対するものは、インフォーマル活動の薦めのだが、ポイントは面白いことだそうだ。

インセンティブに対する工夫では、損得勘定ではなく、人間の内発的・根源的「感情」に訴えかけることで、「効力感」というような感情を与え、感謝と認知が重要である。例えば、ネットの世界にあるような。

結局、組織のための個人でも、個人のための組織でもない、個人と組織がともに支え合い、よい影響を与え合う、新たな協力関係を作り出す必要があると結んでいる。

少々長くなったが本の内容を紹介したが、ここのところが非常に興味があるところで、このままだとますますギスギスした職場になってしまうように思える。早く何とかしたいものである。

この本でも紹介されている処方箋もまだ精神論的な部分があるが、実際に効力を発揮させようと思うと、ある種の道具立ても必要になるのではないかと思っている。このあたりについては別のエントリーで書く。
 

不機嫌な職場~なぜ社員同士で協力できないのか (講談社現代新書 1926)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2008.6.7
  • 河合 太介 高橋 克徳 永田 稔
  • 新書 / 講談社
  • Amazon 売り上げランキング: 137
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.0
    • 3 共感はしたけれど
    • 3 本の主張には賛同できるが...
    • 4 協力体制構築のヒントあり
    • 4 人事・組織制度に関する今後のトレンドを俯瞰
    • 4 問題点の指摘は正しい、ただ大企業では解決が難しいという気持ちになる
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

2008年6月12日

さらば財務省!

以前にも少し触れた高橋洋一さんの「さらば財務省!-官僚すべてを敵にした男の告白」(講談社)を読む。いま話題の本でOAZOで山積みされていたので思わず買ってしまった。いやーこれは面白い。

内容的には一部文芸春秋で読んでいたのでそれほど驚いたわけではないが、歯切れのいい言葉でもう痛快である。やっぱり、これだけ言うと官僚から総攻撃されるのはよくわかる。しかし、まちがったこととかおおげさに言っているとは思えないので、そうしたブーイングが官僚から一斉に起きること自体が問題を曝していることでもある。

高橋洋一のやったことは、郵政民営化や財政投融資改革などいろいろあるが、なんと言ってもまだこれからだが公務員制度改革だろう。先日、国会で民主党の協力で法案は通り、渡辺行革大臣が涙したのも記憶に新しいと思うが、あの改革がどこまでやれるかが非常に大きな課題であることが、この本を読んでいるとよくわかる。

この制度改革の肝は単純で“年功序列の廃止”であると喝破している。官庁ではポジションも、給与も入省年度で決まってしまう。これは日本だけのいびつな構造で、そのためにダイナミズムが失われているのだ。

この構造が天下りにつながっているわけで、出世競争に敗れて辞めていく人間に手を差し延べ、退職後の報酬を保障してくれるなんておかしいのであって、それも税金でだ。まあ、今回の制度改革で“普通”のお役所になってもらいたいものだ。しかし、とんでもない抵抗に会うから心配になる。

もうひとつ著者が言っているので面白いのは、「大きな政府vs小さな政府」、「財政タカ派(増税派)vs上げ潮派(経済成長派)」、「過去官僚vs党人」の対立だ。これは非常にわかりやすい図式で、そうであれば、もうこういう切り口で自民党も民主党もまぜこぜにして二つに割って2大政党にしたらよいと思う。

まだまだ面白い話が満載なのだが、今の政官の状況や議論のポイントがどこにあるかがよくわかりますので、ぜひ読んでみることをお薦めします。
 

さらば財務省!―官僚すべてを敵にした男の告白
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2008.6.12
  • 高橋 洋一
  • 単行本 / 講談社
  • Amazon 売り上げランキング: 358
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.5
    • 3 内容は別として自慢が鼻につく
    • 1 ばさら財務官
    • 2 改革は欺瞞だ
    • 5 全国民必読
    • 5 小泉政権内竹中チームの動きを知る傍証
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

2008年6月21日

言われた仕事はやるな!

ネットイヤーグループというSIPS(Strategic Internet Professional Service)とい事業をやっている会社の代表取締役である石黒不二代さんが書いた本である。

こりゃすごい本だ。そのパワーに圧倒される。日本の会社で働いたあと、シングルマザーでありながらスタンフォード大学でMBAの資格を取る。そのまま就職せずにわざわざ厳しい起業という道を選んだ女性である。

その根底に流れているのは、「既成概念を打ち破れ」だ。だから、常識では、そんなに冒険しなくてもっと安定した道を歩めばいいじゃないかとか、男勝りのようなことはやめたらとか、というのをことごとく乗り越えていく。

普通は大きなソフトウエア会社(アドビ)の職を得たら、それに乗っていくのに、給料が半分になってしまう起業を選ぶのである。その理由が、“起業はリスクの少ない「職業」である”だ。どういうことかというと、本文からそのくだりを。

起業はリスキーだと言われるが、自分の信じるものを貫きたい人にとっては、実はリスクは少ないのではないだろうか。人に言われたことをやるのではなく、自分の真実を突き詰める。アイデアもやり方もすべて自分で考える。失敗したら自分で責任を取る。こんなシンプルな職業はない。給与は半分だし、先の見えない一人っきりの会社の何がリスクヘッジかと思われるかもしれないが、私にとっては、自分の力でコントロールできないこと=リスクである。

これだ!ぼくも一人ではないが息子と二人で起業したので、ものすごく実感としてわかるのである。好きなことができない職業は職業といえるのだろうか。好きなことができないことを嘆いているだけでそこから抜け出せないことは、その人の人生にとって不幸ではないのだろうか。

そして著者も言うように、またネットイヤーという会社のやり方もそうだが、独立しても会社を超えてプロジェクト的に仕事ができる環境ができてきている。フリーランスが一時期集まってある仕事をして、終わるとそれぞれがまた違うプロジェクトに参加するといったスタイルだ。

これはネットがもたらせた素晴らしいパラダイムだと思うのだが、自分の好きを貫ける仕事を選んでやれるようになってきている。

もちろん、そのためのアイデアや能力とかある程度の資金が要るのはわかるが、そのハードルがずいぶんと低くなってきて十分挑戦できる情況になっているように思える。

この本を読むと元気がでるのでぜひご一読をお薦めします。
 

言われた仕事はやるな! (朝日新書 109)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2008.6.21
  • 石黒 不二代
  • 新書 / 朝日新聞出版
  • Amazon 売り上げランキング: 1985
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.5
    • 4 いわれた仕事ではなく会社のためになる仕事をする
    • 4 失敗は立派な経歴
    • 5 覚悟を決めてやりたいことを徹底的にやろう!
    • 5 シリコンバレーが何かが本当にわかる本
    • 5 人が好きになる組織論
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

2008年6月29日

ビジネスの基本を知っているSEは必ず成功する

よく“業務を知らないSEはだめ”だとか言う話を聞くが、以前はそうだな、やっぱり業務知識って必要だよなと思っていたが、最近はそうは思っていない。

所詮、実務をやっているプロにはかなわないとか、広い範囲で知るのは無理だとかということもあるが、むしろ中途半端な業務知識なんか持たないほうがいいと思う。

というようなことを考えていたので思わず「ビジネスの基本を知っているSEは必ず成功する」(前田卓雄著 技術SE新書)を手にする。

でまずこの「ビジネスの基本」というのはどういうことなのかに興味がわいた。残念ながらどこに書いてあるのかよくわからなかった。どうも帯に書いてあることが肝のようなので抜粋すると

お客様のビジネスにとって、「その規模やスピードがどうなっているのか」「そのビジネスの規模やスピードに有効な影響を与えることができるか」は、「どんなITを利用するか」「その技術がどのようなものであるか」よりも、もっと強い、本質的な欲求です。 言い換えれば、このような欲求を理解することは、ITを用いてお客様のビジネスに貢献するとはいったいどういうことなのかについて、ビジネスの視点(お客様の欲求の視点)に立って、自分なりの答えを持つことを可能にします。 この点を理解できれば、お客様の要求がはっきり固まっていない場合でも、お客様のビジネスの本質(欲求)から生じる(はずの)要求を、お客様の視点でとらえることが可能になります。その結果、お客様の要求を進んで理解できるようになります。

まさに正論なのですが、このことは昔から言い続けているように思えるのですが、実現できているのでしょうか。いくらこういう精神論を唱えても無理なような気がする。だからあえて極論するのだが、SEに業務知識はいらない、お客のビジネスなんて理解できなくてもいい。この話は場所を変えてする。

本の話に戻ると、マイルドにわかりやすく論じているが、そうであるが故にインパクトが少ないというのが正直な感想である。ガツーンとくるSE論が出てこないかなあ。

ビジネスの基本を知っているSEは必ず成功する (技評SE新書 13)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2008.6.26
  • 前田 卓雄
  • 新書 / 技術評論社
  • Amazon 売り上げランキング: 49457
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.0
    • 3 若手SE向けの入門書
    • 5 すべてのSEの道しるべ
Amazon.co.jpで詳細を見る


2008年7月14日

逆立ち日本論

当代きっての売れっ子の養老孟司先生と内田樹先生の対談集「逆立ち日本論」(新潮選書)を読む。二人とも博覧強記のひとだから、話題があっちにいったりこっちにいったりする。

ユダヤ人の話から全共闘、それぞれの得意である武道や虫の話と広範な話題が満載である。タイトルに逆立ちとあるようにちょっと常識破りで、斜に構えたスタンスが楽しいのだ。まあ教養があるので、そうした変則なところから出てくるにもかかわらず、正鵠を射るのですごいもんだ。

なぜこういった視点になるのかというと、二人ともいつも、より本質的な、根源的なところまで掘り下げて見る態度が身についているからだ。そしてちょっぴりいたずら心を混ぜる。

この視点を変えてとか見方をずらしてとか言うが、ことはそう簡単ではなくて、それができるということは主論がどこにあるかがわかっていなくてはいけない。それでこそ外すことができる。外道しか知らないやつは変えたらとんでもないところにいってしまうのだ。

ぼくが養老先生と似ているのは唯一、定年前にやめて好きなことやったということぐらいだが、養老先生は東大を辞めたときの朝、空の色が青くきれいに見えたといったが、そこは大いに共感できる。

一つひとつ取り上げたらきりがないのでぜひ読んでもらいたいと思う。

逆立ち日本論 (新潮選書)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2008.7.14
  • 養老 孟司; 内田 樹
  • 単行本 / 新潮社
  • Amazon 売り上げランキング: 42240
  • Amazon おすすめ度の平均: 3.0
    • 2 安易な対談本を排す
    • 4 編集無しの対談を聞いてみたいですね
    • 3 まさに禅僧対禅僧による“蒟蒻問答”
    • 3 「深み」はあるのだが・・・
    • 3 そう来るか・?
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

2008年7月21日

日本の10大新宗教

ちょっと前にばあちゃんが入院した話を書いたが、そのとき違和感を感じたことがあった。それは、入院することが決まって部屋に入ったときに看護士さんがきて問診を行なったときである。

今かかっている病気だとか生活習慣だとかを聞くのは、まあこれからの治療に役立つからいいとしても、どういう性格ですかまでは許せるが、宗教はなんですかと聞かれたのにはびっくりした。おいおい治療とどういう関係があるのだ。直らないようなら教祖様を呼んでもらえとでも言うのかい。

病気と宗教は微妙な問題だから個人情報保護の観点からも簡単に曝すものではないはずなのに、その両方がいとも簡単に問診表に書かれてしまった。

ちょっと前置きが長くなったが、「日本の10大新宗教」(島田裕巳著 幻冬舎新書)の書評を書こうとしている。

なぜこんな本を読もうとしたかと言うと、家の近くにある新宗教の会館が建設されときから、新宗教に対して多少興味が湧いてきたことと、何より、いまの格差社会だとか、ワーキングプアーだとか言われているが、こうした宗教がある種の社会からはじきとばされた人間を救っているのかどうかが知りたかったのだ。

この本で取り上げられているのは、天理教、大本、生長の家、天照皇大神宮教と璽宇、立正佼成会と霊友会、創価学会、世界救世主教・神慈秀明会と真光系教団、PL教団、真如苑、GLAである。ぼくは、どの教義がいいだとか、教祖がどうだとかはどうでもいいのだが、本はそれぞれ宗派の生い立ちだとか系列だとかが中心に語られていて、神道系なのか、仏教系なのかや分派のしかたなどが分かる。

その中で面白かったのは、創価学会が特殊であるという指摘だ。日本の宗教の多くは神仏混交、神仏習合が特徴でそこに祖先崇拝的な要素が入る。ところが創価学会は、修験や霊的な信仰、祖先崇拝の要素がないのだという。こういう宗教が信者を一番多く抱えているということは何を意味するのだろうか。

それはそれとして最初に設定した疑問に答えてくれたのだろうか。答えは否で。結局「おわりに」でちょっとだけふれていて、“最近では、格差社会ということが言われ、社会に新たな貧困層が生み出されていると指摘されているが、新宗教がそうした人間たちを信者として取り込むようにはなっていない”とこれだけ書かれている。

どうも著者は、宗教が信者を増やせるのは経済が拡大しているときで、そういう状況だと、貧困層の勤労意欲を高めることによって貧困から脱却させることができるからなのだと言っていた。

ええーそうなのだろうか。経済的なインセンティブだけで入信するのだろうか。どうもよくわからない。宗教は何よりも死のうとする人間(無差別に人を殺そうとする人間)を最後に助けられるものではないかとぼくは思っているので、現在のような状況での存在感はどこにいったのだろうか。
 

日本の10大新宗教 (幻冬舎新書 し 5-1)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2008.7.21
  • 島田 裕巳
  • 新書 / 幻冬舎
  • Amazon 売り上げランキング: 3556
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.0
    • 4 新宗教は社会の鑑
    • 3 お手柔らかな宗教診断
    • 4 一種の社会常識としての「新宗教」
    • 5 コンパクトにまとめられた良書
    • 4 触らぬ神に祟りなし!
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

2008年7月26日

デッドライン仕事術

元トリンプ社長の吉越浩一郎氏が書いた「デッドライン仕事術」(詳伝社新書)を読む。

もう会社勤めをしているわけではないので、こんな本を読んでもしょうがないと思われるかもしれませんが、意外に今の生活のも当てはまることがある。要するに、この本で言っていることは、すべての仕事に締め切り日を設けて必ず守るようにしなさいということである。効率的にやれば残業せずに仕事はできるということなのである。

ぼくは、自宅で仕事をしているとだいたいだらだらとなってしまい、区切りが明確にならないので、この本で言わんとすることがすごく分かるし、実行しなくてはいけないなあと反省した。

確かに、日本の会社の悪弊は定時にさっと帰らないで何となく残って仕事をしていることで、ぼくの経験でも早く帰りづらいといつも感じていた。どうしても外せない用事があると躊躇なく帰れるわけだから、いつもいつもそういう仕事以外の用事をつくればいい。

というようなことを著者も言っている。彼は、ライフとワークという言い方なのだが、ライフがあってそのライフを充実させるためにワークがあると。この場合のライフというのは私生活といったニュアンスで決してサラリーマンライフのライフではない。だから、ライフ優先に考えればワークをさっさと片付けてライフを楽しめということらしい。

この本は常識を覆すようなことが書かれているという書評であるが、ぼくには多分に常識的である思う。むしろ、ちょっと気になるようなことがいくつかある。

まずは、この仕事術はビジネスマン全部に当てはまるわけではない。仕事のやり方を変えなくてはいけないビジネスマンのタイプを分類すると、能力があるがやる気のないやつと能力がないがやる気があっても稼動率が低いやつの二つがある。この本では後者のタイプに対して言っていて、能力のあるやつをどうやってやる気をおこさせていいアウトプットを出させるかは別の話である。

普通のやつのけつをたたくにはいいかもしれないが、できるやつにクリエイティブな仕事をやらせるにはこうしたやり方は無理があるような気がする。

また、前述したライフとワークの話だが、ワークのためにライフがあってはいけないと言っているのだが、ぼくは必ずしもそうは思わない。その逆にライフワークという言葉があるようにワークを中心だっていいと思うし、それは人それぞれのような気がする。

ただ、19年連続増収増益を果たした凄腕社長の実践したことであるからさすがに説得力がある。
 

デッドライン仕事術 (祥伝社新書 95)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2008.7.26
  • 吉越 浩一郎
  • 新書 / 祥伝社
  • Amazon 売り上げランキング: 4219
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.0
    • 5 一抹の不安
    • 5 デキる社員とは
    • 4 個々人のスキルアップと、社会の意識変革
    • 4 人間は基本的に怠け者だから時間がいくらでもあると思うと無駄な時間が増えるだけなのだ
    • 5 残業は恥だと思えるようになりたい
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

2008年8月 4日

会社の品格

何でもかんでも品格というのをつければいいというもんではないが、この「会社の品格」(小笹芳央著 幻冬舎新書)という本での品格という言葉に違和感はない。

著者の小笹氏は元リクルートの人で今は独立してリンクアンドモチベーションという会社を設立した。モチベーションエンジアリングという手法で注目を浴びている人でもある。

昨今、会社の品格を問われるような不祥事が多く発生し、思わず“お前らホント品がねえなあ”と叫びたくなる。会社というのは生来経済合理性で動くものであるので、少しくらい汚いことでも合理性があればやってしまうものなのである。

まあ、それを止めるのは、あるいは品位を保てるように行動するのは人なのである。そういう意味では、この本の最後に書かれているように、社員自身の統制で「会社の品格」を守らざるを得ないのだろう。

さて、この本に書かれていることはぼくにとって目新しいものでもないのだが、非常によく整理されているので、わかりやすくなっている。少しその整理されたことを紹介すると。

まずは会社の品格を社員の視点でつぎの4つに分類、
・ 組織の品格
・ 上司の品格
・ 仕事の品格
・ 処遇の品格

このなかで、それぞれのポイントが整理されているが全部を書くことはできないが、「仕事の品格」を左右する6つのポイントを見てみる。

(1)「納得感」のある仕事
(2)「使命感」のある仕事
(3)「効力感」のある仕事
(4)「普遍性」のある仕事
(5)「貢献感」のある仕事
(6)「季節感」のある仕事

効力感とか季節感とか若干わかりずらいものもありますが、おおむねなるほどと思うでしょう。ここで「仕事の品格」を取り上げたのは、昔から比べるとずいぶんと変わってきている領域であると同時に、ITの使いかたのようなところとも関連しそうなのであげてみたのである。

この本で会社と人の関係の変化が理解できるのだが、最後は人間になってしまうところは変わらないのかもしれない。

ところで今から怖しい記述をそのまま書く。

会社は利潤の最大化を目指し、経済合理軸一辺倒で動く存在です。独自の規範も、そのために生まれた。たとえ、その規範が社会的に歪んだものであったとしても、会社の中では、その規範を守ることが大切であり、利潤の最大化につながると信じているわけです。そうなれば、規範を守れない人は弾かれざるをえない。したがって、社会的品格を持っていたからこそ、歪んだ規範に過剰適応できなかった人は、組織の中では出世できなくなってしまうこともあるのである。 一方で、出世競争に勝ち残った人は、社会から見ればある意味、歪んでいる可能性がある。

おっとっと、オレは歪んでいないってこと?
 

会社の品格 (幻冬舎新書 お 3-1)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2008.8.4
  • 小笹 芳央
  • 新書 / 幻冬舎
  • Amazon 売り上げランキング: 3733
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.5
    • 3 以前のほうがよかった気がします。
    • 4 いたるところに気づきがあります
    • 5 (品格ある)『幻冬舎』じゃなかったら、危うく無視するところだった...
    • 5 考えさせられる1冊
    • 5 読みやすい会社本質論
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

2008年8月13日

ジェネラルパーパス・テクノロジー

「ジェネラルパーパス・テクノロジー」(野口悠紀雄、遠藤諭著 アスキー新書)という聞きなれない言葉の本を読む。ジェネラルパーパス・テクノロジー(GPT)というのは一般目的技術とか汎用技術と訳されるが、産業横断的に使用され、さまざまな用途に使用しうる技術のことである。

具体例では、電力・電気とか内燃機関といったようなものをさす。そしてこうした技術は不連続的な大変化をおこすが、その効果があらわれるまでに時間がかかるという特徴がある。この本では、ITがそういうGPTになったという論旨である。

いくつかのポイントがあって、いずれも共感できる指摘でうなずくことが多かった。その中から何点か挙げてみる。

まず、「日本型組織が新しい情報通信技術であるITに適合できない」という指摘である。特に年功序列という日本型組織はITと相容れないところがある。

このあたりの話ですごく面白いのは、イギリスとの対比である。1980年代というのは日本は飛ぶ鳥を落とす勢いであったが、イギリスは経済不調であった。そのとき、「イギリスでは、蒸気機関車の罐炊き手が、用もないのに電気機関車に乗務している」と言われた。日本の場合だと、組織内移動で対処していたわけで、生産性が高く保てた。

ところがその当時は強みであった日本型組織がいまや障害でしかなくなってしまい、いまの日本の不調をもたらしているというのだ。要するに年寄りはITに対する抵抗感が強い。そんな連中がいる限りITの導入や活用が進まないというわけだ。

先日のカリフォルニア州立工科大学の一色教授の話じゃないが、日本の経営者のITに対する理解もぜんぜんだから、遅れをとるのに十分な環境である。

そして、経営とITとの関係について本書では、「日本の情報システムが古いままなのは、日本の企業が変わらなかったから」なのか「日本の企業が変わらなかったから、日本の情報システムがふるいままなの」って問いかけている。これは多分誤植で、本当は最初の文章は、「日本の情報システムが変わらなかったから、日本の企業が古いままなの」ではないでしょうか。そして新生銀行の例を引いて後者面のほうが強いと主張している。

ということは、経営が変わらないと最新のITを使ってもらえないということなのだろうか。むしろ、ITで経営を変えられないかと思うが無理なのだろうか。

それから、電子政府についてもぼろくそである。「日本の電子政府は「おもちゃ」である」とまで言っている。しかし、それは事実だから反論のしようもないのではないでしょうか。

これからの方向性として、グーグルとNTTとの対比の中でユーザ中心主義を徹底した企業しか生き残れないと言っていた。

いろいろいっぱいか書きたいことがあるのだが、最後に、著者が本についてのインタビューに答えていたことを書く。


ITに対して敵対心を持つかどうか。これが重要です。私は、それを「側理論」と呼んでいるのですが、ITは「自分の味方」なのか、それとも「敵」なのか?  どちらと考える人が多いかで、日本社会がITに適応できるかどうかが決まります。私自身は「ITは私の味方」だと思っています。大組織にいる人に比べ て、私は、いままで情報処理において圧倒的に不利だった。それは、有能な部下を使えないとか、大型コンピューターを自由に使えないとかいうことのためです。しかし、そうした格差が、ITの進歩によって、まことに有り難いことに縮小した。いまは、大組織内にいる人に比べてあまり差がない。だからこそ、ITの進歩を有り難いと思っています。

野口悠紀雄のような影響力のある人がこういうことを発信してくれることは非常に大事なことだ。日本の経営者にこそこの本に書いてあることをよく理解してもらいたいものだ。 
 

ジェネラルパーパス・テクノロジー 日本の停滞を打破する究極手段 (アスキー新書 70) (アスキー新書 70) (アスキー新書 70)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2008.8.9
  • 野口 悠紀雄 遠藤 諭
  • 新書 / アスキー・メディアワークス
  • Amazon 売り上げランキング: 1075
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.0
    • 3 異質な観点から見た、「IT社会論」
    • 4 日本のIT業界の現状および今後の方向性について鋭く指摘しています。
    • 5 見事にITの本質を切り出している
Amazon.co.jpで詳細を見る


 


2008年8月18日

時が滲む朝

第139回芥川賞受賞作は、楊逸(ヤン・イー)の「時が滲む朝」に決まった。外国人作家の初めての受賞である。日本語の壁がありながらそれを越えて受賞ということで立派なものである。おめでとうと言いたい。

どうも、この受賞には賛否両論あるようだ。賛のほうは、いまの日本にはないようなまじめな青春、そして挫折といった世界を描き、そこに対するどうしても書かなくてはいけないという強い思いが感じられるというようなことだ。

否のほうは、まだ日本語が稚拙なところがあったり、荒削りで風俗小説の域をでていないとかいった論調である。

たしかに、取り上げられたテーマが中国民主化運動に参加した若者がやがて挫折していくというかなり大きなもので、最近の芥川賞では日常的で私的なテーマが多いのとはずいぶん異質である。それゆえ、そうしたテーマをどう料理したかということでの評価のちがいなのだろう。

それと選考委員の誰かが言っていたが、これは長編で書くべきものだということで、ぼくも読みながらそう思った。というのは、物語としては長いスパンでそれぞれにエピソードもあるので、短い中では追いきれない、書ききれないという結果になっているように思えたからである。

とはいえ、ぼくはこの作品は割りと評価している。日本語が稚拙だといっても、最近の受賞作の中には、これが日本語化というものもあったし、ぼくの低い読解力ではちょうどよかった。

さらに、この小説のなかに登場してくる昔の中国の姿が懐かしく思えて、感情移入が強かったこともある。ぼくが中国に初めて行ったときは、まだ文化大革命が終わっていなくて、下放ということがよく言われていて、右派と決め付けられると遠くの寒村に追いやられていくという話しをよく耳にした。

そして、1988年の天安門事件である。もう20年も前のことになるんですね。あの民主化運動は一瞬にして消えていったが、その内状がわからなかったが、この小説でほんの少しだけわかった。

ただ、まだまだいろいろなことがあるはずなのでこの作家には書き続けてほしい。中国人が日本語で中国の民主化運動のことを書くなんて信じられないことなのだが、この20年ですさまじい勢いで変化している中国社会であるからといえる。それは違った意味である種の民主化がおきているのではないのだろうか。

時が滲む朝
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2008.8.18
  • 楊 逸
  • 単行本 / 文藝春秋
  • Amazon 売り上げランキング: 930
  • Amazon おすすめ度の平均: 3.5
    • 3 買い、かなぁ・・・。
    • 4 凝縮された近代の価値変化
    • 2 小説家センセイのお立場が鮮明
    • 5 読後に考えた
    • 3 ちょっと物足りない。
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

2008年8月27日

歴史と出会う

いつだったか、もうだいぶ前の話だが、ぼくの友達が最近網野善彦にはまっているというようなことを言って、本を読んでみろと言われた。もちろん名前は聞いたこともあり、中沢新一のおじさんということも知っていたのだが、近所の本屋に置いてなかったこともあり、なかなかその著作を読む機会がなかった。

このところ東京へ出かけるとOAZOの丸善に寄るのが楽しみでそこで検索して捜してみた。で何から読もうかと思ったのだが、最初から論文みたいなものを読むのもなんなので、「歴史と出会う」(洋泉社新書)を手にする。

この本は網野善彦の履歴だったり、対談や追悼文などが収められている。なので、ちゃんとした論文を読んでおいたほうがいいに決まっているのだが、初めて読んでも大変面白い。なにが面白いかというと、歴史に対する視点が常識にとらわれないというか、従来の学問を無批判に取り入れるのではなく、角度を変えて検証し、実相をえぐりだそうとする態度である。

その典型が、農業を中心にみる歴史を否定しているところです。もっと海を場としたダイナミックな海民の存在を重要視している。定着農耕ではなく移動型漁民を考えていくと日本という国自体の捉え方も変わってくるのだという。

他にもいろいろ面白い話が詰まっている。ぜひ、ほかの本も読んでみたいと思った。

そして何よりも著者の人となりのすばらしさがにじみ出ていることだ。師や同僚に対する追悼文や対話のなかに非常に謙虚でかつ尊敬の気持ちが随所にみられ、こういう人こそ本当の学問を極めた人というのだろう。ほんのちょっとだけ網野史学に触れたのに大きな感銘を受けたのである。
 

歴史と出会う (新書y)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2008.8.24
  • 網野 善彦
  • 新書 / 洋泉社
  • Amazon 売り上げランキング: 217441
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.5
    • 4 網野史学の源流
    • 5 日本人の多様性を説く。足元から考えたい人のために
    • 4 これは作者の自伝の代りである
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

2008年9月 6日

赤めだか

これはすごい本だ。何よりも面白いから一気に読める。立川談春という落語家が書いた「赤めだか」(扶桑社)という本だ。言って見れば上質の新作落語を聴いているようだ。

まあ、対象があの立川談志なので、存在そのものが強烈な印象を与えるのに、その私生活があからさまになってしまうのだから、面白くないはずがない。

ぼくは落語が好きなのだが、ここに書かれていることはほとんど知らなかった。談志と五代目小さんとの確執は有名だが、この本の最後にそのあたりの話が出てくる。ネタばれになるので書かないが、和解するのかしないのか、ああ涙が出てくる。

そのほかにも桂米朝との絡みだとか、高田文雄との出会いなど、もうどんどん引き込まれていく。

作者の談春そのひとも魅力的だ。競艇の選手になりたかったのに、背が伸びてしまってあきらめて落語家の道に入ったなんて、それだけでのけぞってしまう。ところでこれと同じような話がわが家にもあって、したの息子は競馬の騎手になりたかったが、やはり背が伸びてあきらめた。なにしろ今や184cmもある。

談春の落語の修業についても、ほんとにこんなことがあるのかと思えるようなエピソードが満載で、きれいごとだけではなく、後輩に遅れて真打になるという悲しいことなども忌憚なく表現していて、そんなところもこの本をより面白くしている。

立川流は談志というカリスマの家元がいてこそ、落語協会から飛び出してもやってこれた面がある。その談志がいなくなったときどうなるのか気になってくる。しかし、志の輔や志らく、そしてこの談春がいれば何とかなるのではと思えてくる。

そんなことを考えると談志の偉大さがわかってくる。落語協会にいれば誰でも最後には真打になれるわけで、こうした年功序列的な世界でぬくぬくやっていけるのにそんな道を捨てて独立するのである。寄席を持たないから大変である。そこで、談志がひとりで全部弟子の修業を見て、そして何よりも一段と厳しい芸を要求したのである。

だから、これをクリアした弟子も鍛えられているので半端なやつはいない。談春は談志に「いま古典落語を演らしたらこいつが一番うまいのじゃないかな。おれよりうまい」なんて言わしめるまでに育っている。

人間こうした芸の世界に限らず、会社でもなんでもすばらしい師匠をもつことがすごく大事であると思う。少なくとも、今日そういった師匠の存在が希少になってしまったことが、粗野で軟弱な人間の乱造につながっているように思える。

振り返って自分の師匠は誰だったのかと思いを馳せる。学校の先生は師匠ということではないと考えると、ぼくには二人いる。二人は多分自分が師匠だとは思ってもいないだろうが、ずいぶんと影響を受けたし、何よりも自分が苦境に立ったときにそばにいてくれた二人なのだ。

この本はまちがいなく面白いのだが、それにも増して何か現代人が忘れてしまったようなものが詰まっているいることがすばらしい。ぜひぜひ一読することを強く薦める。
 

赤めだか
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2008.9.6
  • 立川 談春
  • ハードカバー / 扶桑社
  • Amazon 売り上げランキング: 1076
  • Amazon おすすめ度の平均: 5.0
    • 5 すばらしい。
    • 5 『赤めだか』を「根多」に談春が聞きたい。
    • 5 とにかく面白い。
    • 5 笑い、涙、葛藤の奥に深い愛情を感じさせる良書
    • 5 笑った笑った
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

2008年9月11日

ハイエク 知識社会の自由主義

有名なブロガーで経済学者でもある池田信夫さんの最新作「ハイエク」(PHP新書)は、ぼくのような経済学を知らないやつにもだいたい理解できる良書である。

どこが対立点で、それがどう変化してきたのか、そして、実際の社会とどう関わってきたのかといったことが比較的わかりやすい言葉で語られている。

ケインズ対ハイエクなんて分析はおもしろく、ついいま自民党の総裁戦で話題の政治おける財政再建派、景気対策派、上げ潮派などの考え方がどういうところをベースにしているかを窺いしることができる。

ハイエクは今になって注目されているのは、その考え方がインターネットの世界とマッチしているからである。簡単に言えば、国の統制的管理はいい結果をもたらすことはない、ひとの自生的な秩序が幸せをもたらすということだ。

この考え方は必然的にWeb2.0の精神などにつながる話で、それは既成の仕組みから出たくない人にとっては相容れないのだ。

池田さんのブログはすごい数のアクセス数があり、影響力はそんじょそこらの雑誌なんかよりもあるのだが、そこに書かれていることは、ハイエクの思想に影響されている。だから、様々な局面で国が介入することにことごとく反対する。また国とともに大きな既成概念であるマスメディアに対しても、元NHK職員ということを割り引いたとしてもいつもかみついている。気持ちいいくらい激しい。

ちょっと前の大田農相の事務所費問題でもその架空事務所の隣に自分の事務所があって、秘書活動なんて何もしていなかったとそのブログで暴露してしまった。でテレビ出演の依頼があったが、上の人の許可をもらわないとまずいから、もしそれでOKなら出てもいいと返事したそうだ。そうしたら、アイツはテレビ局の敵だから出演させるなとなったとのこと。

本からそれてしまった。この本にかいてあることを今整理して書き出している。かなりきれいにまとめてあるので再三言うがわかりやすい。

いま総裁選に出馬している議員さんたちもこれを読んでおいたほうがいいですよ。
 

ハイエク 知識社会の自由主義 (PHP新書 543)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2008.9.7
  • 池田 信夫
  • 新書 / PHP研究所
  • Amazon 売り上げランキング: 362
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.0
    • 4 情報ネットワーク時代におけるハイエク再考論―適切な入門書の登場!
    • 4 サイバーリバタリアンの自由主義論―ハイエクの思想は指導的原理となりうるか
    • 4 ならば
    • 4 インターネットと新自由主義の関係
    • 3 入門書への入門書
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

2008年9月16日

フィンランド 豊かさのメソッド

ちょっと前にフィンランド映画を見てなんとなくフィンランドという国はどんな国なのだろうかという思いを抱いた。そんな折、本屋で「フィンランド その豊かさのメソッド」(堀内都喜子著 集英社新書)を見つけた。

フィンランドについて、ぼくはもちろん名前や場所ぐらいは知っているし、サウナや森と湖の国だとかまでは知っている。そうだLinuxのリーナス・トーバルズの国だ。

しかし、それ以上はよくわからないというのが正直なところだ。ところが、最近OECDの学力コンテストでフィンランドの中学生がトップになったことで、その教育水準の高さが注目されている。

そんな興味もあって読み進むと予想以上におもしろかった。著者は2000年にその前に観光で行って興味を抱いたフィンランドの大学に留学する。それから8年間学校生活や仕事で暮らしたフィンランドのことを書いている。実際に暮らしたそのままのレポートなのでリアルに伝わってくる。

良し悪しは置いといてあまりに日本と違うのにびっくりする。もちろん似ているところもあって、例えば、恥ずかしがり屋で沈黙を好むということがあり、フィンランド人の中には「日本人と話するときはあまりしゃべらないですむから楽」という人もいるそうだし、フィンランドにいる日本人は皆この静けさが好きなのだそうだ。

そういえば、「街のあかり」の主人公も寡黙であまり話したがらない男であった。映画のシーンにもそんな静かな感じがよく出ていた。

ではいったいどんなちがいがあるのだろうか。

フィンランドの大きさは、日本から九州を取ったくらいの面積に約500万人の人が住んでいる。従って、人口密度からいうと20分の1である。そして、国土の70%が森林で、10%が湖である。これだけで、ゆったりとした生活であることがわかる。

そんな国が世界経済フォーラムによる国際競争力ランキングで過去5年間で4度も1位に輝いているのだ。なぜそんな高い評価を得ているのかというとまずは教育なのだそうだ。それと、国家財政がうまくいっていること、政治が腐敗していないこと、研究開発投資、IT化政策、高齢化社会対策などがあげられている。逆に懸念は高い税金だ。でもそれだからこそ社会福祉が整っているとも言える。

フィンランドの主要産業は、森林業、金属・エンジニアリング、情報・通信技術の3つである。最も有名な企業は「ノキア」であろう。このノキアの成功がフィンランド人に自信を与えているのは確かなようだ。

国際競争力ランキング1位だと、みんなよく働いているのかというとそうではなく、残業なんてしないし、長期休暇はあたりまえだそうだ。ほんの一例だが豊かということはそういうことなのである。

フィンランドは、もちろんはじめからこんなに競争力があったわけではない。一時は失業率20%という時代もあって、そこからここまでになったが、その要因はざっくりというと、教育とIT化や特定産業への重点施策、そして税金で支えられた手厚い社会ということが言える。びっくりするくらい学校が機能しているし、IT化の進展もすばらしい。そして、女性の進出がすごい(男が負けているかも)のも社会全体のバックアップがあるからだ。

こうしてみると、まったく日本と違う。というより日本のやっていることが情けなくなるくらい無策に思えてくる。ちったあ真似たらどうかと言いたくなる。

ただ、日本も同じようにできるかというとそう簡単な話ではない。というのは決定的な違いは人口なのだ。500万人の国でできたことが、1億2000万人の国でできるかというと大変難しい。従業員1万人の会社の経営と500人の会社の経営がぜんぜん違うのと同じで、ひとり一人にどれだけ目が行き届くかというキャパシティの問題は厳然としてあるように思える。

そこで、道州制とか藩復活みたいな話にいくのかもしれない。しかし、北海道が人口560万人だから、独立国になればフィンランド並みになるのかというとそうはいかないだろう。やはり、教育の問題がすごく大きいように思えて、こどもの教育から変えていくという長期のスパンでの変革を志向していかないとどうにもならない。そういうところではフィンランドは非常に参考になると思う。

そういったことを考えさせてくれる、なかないい本です。
 

フィンランド豊かさのメソッド (集英社新書 (0453)) (集英社新書 (0453))
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2008.9.15
  • 堀内 都喜子
  • 新書 / 集英社
  • Amazon 売り上げランキング: 23
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.0
    • 4 単純に日本と比較はできないにせよ、考えさせられることの多い本
    • 4 フィンランドに関心があれば気持ちよく読める経験的フィンランド論
    • 5 瞠目すべきフィンランド事情リポート、日本社会の未来を考えるヒントが豊富
    • 4 世界一でも「豊か」とは限らない
    • 4 小国だからこそのきめ細かさ
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

2008年9月23日

察知力

中村俊輔が書いた「察知力」(幻冬舎新書)は、よくあるタレント本のような気がして手に取ることはなかったが、けっこう売れているというのを知って、じゃあ読んでみるかといったちょっぴり不純な動機で買う。

結論から言うと、売れるだけのことはあると感じた。察知力という題名はともかく、中村俊輔の小さいときからどうやって、あるいはどんなことを考えながら、いまの地位と名声を得たかが、ほんとうに素直に表出されている。

だから読んでいても、読み終わっても気持ちいいのだ。特に、中学校3年のときに天狗になり、マリノスユースに残れなかったことがトラウマになったが、ただそれでふてくされるのではなく、自分を見つめなおして高校サッカーで極めて、そしてそのマリノスとプロ契約するあたりは、感心させられるものがある。

ぼくは、中村俊輔は挫折もなくきたのかなあと思っていたがそうではなかったのだ。やはりすんなりと一流になれるものでない。壁をいくつも乗り越えてこそなれるのだろう。

俊輔も今年30歳だと聞いてへえーもうそんな歳かと驚いてしまう。いま、代表でも歳上の世代であるが、最近の姿を見ていると若い選手と一生懸命会話しているし、試合中もしょっちゅう声を出している。以前なら一人で黙々とやる感じであったがずいぶんと成長したものだ。

察知力という面では、海外のチームでプレーし、内外のいろいろな監督に仕え、そのたびに求められるものが違っていて、それにあわせていくことで磨かれていった。特に日本代表では、俊輔も言っているように「連動性」が生きる道だから、どうしても個を目立たせてはいけない。そのあたりをよく理解しているからこそ今の俊輔があるのだろう。決してテクニックだけではないということだ。

この本は、サッカーのことに関して書かれているが、サッカーファンだけではなく一般の人も読んで面白い本である。
 

察知力 (幻冬舎新書 な 4-1)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2008.9.20
  • 中村 俊輔
  • 新書 / 幻冬舎
  • Amazon 売り上げランキング: 196
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.5
    • 3 「察知力」という言葉は読んでもぴんと来ない
    • 5 言い訳せず、努力する姿勢がスゴイ!
    • 5 書いてあることは当たり前のこと
    • 4 中村俊輔は意外と普通の感覚を持っている
    • 5 「今死んでしまっても悔いはない」と言い切れる、妥協しない俊輔から学ぶこと
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

2008年10月 3日

内儀さんだけはしくじるな

銀座の「M」の常連に噺家の柳家小里んがいる。その「M」のママに立川談春の「赤めだか」の話をしていたら、すぐに本を持ってきて、これを読んでみたらと言われた。それが「内儀(かみ)さんだけはしくじるな」(古今亭八朝、岡本和明著 文芸春秋)である。小里ん師匠は立川談志と同じ5代目柳家小さんの弟子で、しかも内弟子だったので、この本に登場する。

本は、その五代目柳家小さん、六代目三遊亭圓生、八代目桂文楽の内儀さんにまつわる話をその内弟子だった噺家に暴露させようというものである。

ところで、落語家の師匠というのは、その住んでいるところの名前で呼ばれる。小さんは目白、圓生は柏木、文楽は黒門町の師匠となる。

そんな師匠の家に住み込みで修業をするのが内弟子で、いわば家族のような存在になるので、しょっちゅう顔をつき合わせているわけで、否応なしに師匠やお内儀さんとのバトルが展開するのである。

いまだから話せることも多く、面白いエピソードが満載である。芸人さん世界は一般の世界とまた異質であるが、特に落語家の世界は、落語そのもののような話が一杯出てきて楽しい。

こんな家で内儀をつとめるのは大変だ。三者三様の内儀が登場してくるが、それぞれが個性的であるが、それぞれ共通するのは、師匠に惚れていて情が厚く男っぽいところかもしれない。うちの嫁さんと正反対だ?!

ただし、「赤めだか」の迫力にはちと及ばない。まあ、これは聞き書きの形態をとっているのでしかたない。でもおもしろいことには間違いない。

今度、小里ん師匠に会ったら、ここに書いてあるさらに裏の話を聞いてみようと思う。
 

内儀さんだけはしくじるな―目白・柏木・黒門町
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2008.10.3
  • 単行本 / 文藝春秋
  • Amazon 売り上げランキング: 14950
  • Amazon おすすめ度の平均: 5.0
    • 5 若手咄家の苦労が手に取るように分かり面白い。
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

2008年10月14日

コンサルタントの現場力

ぼくも一応“シニアITコンサルタント”と名乗っているので、コンサルティングの方法には興味がある。そんなわけで「コンサルタントの現場力」(野口吉昭著 PHPビジネス新書)を手にする。著者の野口吉昭さんは、HRインスティテュートという会社を経営している著名な経営コンサルタントである。

そのひとがコンサルティングは現場が大事であるという主旨で書かれた本である。ぼくも常々コンサルティングは現場に出て、実際に起こっていることを肌で感じ、そこから解決策を導き出すということが肝要であると思っているのでためになった。

ただこの本にやたら「○○力」という言葉が出てきて、斉藤孝じゃあるまいしと思ってしまった。試みに出てきた言葉を列挙してみる。

まずは大きくは、「現場力」、「人間力」、「思考力」、「実践力」なのである。その下に、「瞬間凝縮力」、「左脳・右脳力」、「仕組む力」、「仕掛ける力」、「自分パワーアプ力」、「組織シナジー力」、「本質探求力」、「モチベーション向上力」、「シナリオライティング力」、「リサーチ力」、「シナリオデザイン力」、「メッセージ力」、「コンサルティングコミュニケーション力」、「質問力」、「デリバリー力」とくる。

こう書くと、もう大体分かりますよね。どうしたらいいコンサルタントになれるかが。

ここらあたりは常識的なことでとくに響くことはなかった。ためになったと言ったのは整理して書いてくれたからである。それと、けっこう重要なのは道具なのである。頭の中に知恵があっても、それを相手にこういうことですよねと提示して、見せてあげることが大事なのである。

それに対してロジックツリーとマトリックスの二つをあげていた。これもよく使う。ロジックツリーというのは、中心にテーマを置いて、そこから、ボトムアップ・ブレークダウンあるいは帰納・演繹というふうにツリー構造で整理していく方法だ。マインドマップと同じようなものである。マトリックスというのは、例の4象限の図である。これは軸の設定が難しいが、うまくやると非常にわかりやすいものになる。

最後にまとめ風に言うと、どうもコンサルタントに必要なものは、ぼくが以前から言っていることで座右の言葉である「高い志、感謝、プラス思考」ということになりそうだ。
 

コンサルタントの「現場力」 どんな仕事にも役立つ! プロのマインド&スキル (PHPビジネス新書)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2008.10.14
  • 野口 吉昭
  • 新書 / PHP研究所
  • Amazon 売り上げランキング: 21584
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.0
    • 3 コンサルタントの現場で必要となるスキル
    • 3 自己啓発本?
    • 4 デキるコンサルタントのもつチカラ
    • 5 仕事に役立ちスッキリします
    • 4 楽しく読ませていただきました
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

2008年10月20日

日本人はなぜシュートを打たないのか?

「日本人はなぜシュートを打たないのか?」(アスキー新書)の著者である湯浅健二は、ぼくの高校のサッカー部の後輩である。ぼくの4年下になるので、在学中は一緒にプレーしたことはないので、よく知っているというわけではない。OBチームで1,2回顔を合わせたくらいだと思う。

その彼が、従来からよく言われている日本チームの決定力不足、すなわちシュートを打たなければ得点できないのにいっこうに打とうとしないことについて書いている。

先日のウズベキスタン戦の欲求不満もあったので興味あるテーマであった。結論的に言うと、あとがきに書いてある次の指摘に凝縮される。

優れた守備意識をバックボーンに、リスクチャレンジあふれる魅力的な攻撃サッカーを志向していかなければならないのだ。その絶対的な基盤が主体的に考えて決断する力であり、勇気と責任感に支えられた行動力なのである。

それは、自分のドイツ留学のときに経験したことをベースに、具体的な場面を描いてみせることで読者が分かりやすくなっている。単なる解説本ではない。しかし逆に実際にプレーしたことがない読者にとってはも少し直截に言ってよと思うかもしれない。

著者は実際にプロコーチであるので、監督術のようなマネージングについても言及している。選手やチームを変貌させる様も書かれていて、これからサッカーの試合を見るときに参考になる。

結局、日本人の弱さはサッカーに限らず、ビジネスや、一般社会についても当てはまるように思え、これから大事なのは“主体的な決断力”であり、“勇気ある行動力”なのである。

ただ、残念ながら、それをどうやって身につけたらいいのかには物足らなさが残った。でも、それが分かればとっくにやっているわけだから、少しずつでもいいから近づく努力を日々行なっていくしかないのだろう。

早く日本代表の主体的で勇気あるシュートを見たいものだ。

日本人はなぜシュートを打たないのか? (アスキー新書 018) (アスキー新書 18)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2008.10.20
  • 湯浅 健二
  • 新書 / アスキー
  • Amazon 売り上げランキング: 5176
  • Amazon おすすめ度の平均: 2.5
    • 2 タイトルにやられました
    • 1 くどい!
    • 1 タイトルの変更を
    • 5 心に残った言葉…アリバイ作り
    • 1 こいつはいただけない・・・
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

2008年11月 5日

システムの科学

知の巨人、1978年度のノーベル経済学賞の受賞者でもあるハーバート・A・サイモンが、1967年に書いた"The Science of the Artificial"という論文をベースにした本「システムの科学」を読む。社長がぼくがサイモンに興味があることを知って、学生の時に読んだと言って貸してくれたのである。

テーマは原題のように、「自然物とは異なる「人工物」の科学はいかにして可能であるか?」となる。

これが、今から30年前に書かれたものであるとは驚きである。さらに、経済学や経営学にとどまらず、物理、化学からコンピュータまで非常に広範な領域に言及していて、その偉大さに敬服させられる。

全部を追いかけるわけには行かないので、その中でもいまぼくがやっていることに関連していることが出てくる部分について記す。自慢するわけではないが、ぼくはサイモンという名前だけは知っていたが、この本で彼の論理の一端を知って、結果的に同じようなことを言ってるじゃんとあつかましくも思ったのである。

全体の内容については目次を提示する。
1. 自然的世界と人工的世界の理解
2. 経済合理性:適応機構
3. 思考の心理学:自然と人口の結合
4. 記憶と学習:思考に対する環境としての記憶
5. デザイン科学:人工物の創造
6. 社会計画:進化する人工物のデザイン
7. 複雑性に関する諸見解
8. 複雑性の構造:階層システム
付.企業組織における合理的意思決定

このなかで、最後の2項目である8.複雑性の構造:階層システムと付.企業組織における合理的意思決定についてみていく。

まずは、複雑性についてであるが、

複雑なシステムとは、多様に関連し合う多数の部分から成り立つシステムである。 そのようなシステムにおいては、全体は部分の合計以上のものである。

と定義して、つぎの4つの側面について述べている。
1. 複雑性がしばしば階層的な形態をとること
2. 階層的なシステムの方が、同規模の非階層的システムに比べて、はるかに短時間に形成されること
3. 階層的に組織化されたシステムの動態的な特性を検討し、そのシステムを下位システムに分解することで、行動を分析できること
4. 複雑なシステムとその記述の関係

すなわち、中心テーマは、“複雑性がしばしば階層的な形態をとること。そして階層的システムは、それぞれのシステムの個別的内容から独立した共通の特性をもつことであり、階層こそ、複雑性の構築に使用される構造的仕組みの中心的なものの1つである”ということである。

ではそれぞれに見ていくが、各側面での議論の要約をとりあげることにする。

【階層的システム】 安定した中間形態がある場合には、それがない場合に比べて 単純なシステムから複雑なシステムへの発展がずっと迅速に行なわれる。階層的なシステムだけが、発展に必要な時間を持つ。
【準分解可能性】 構成要素内の結合は、一般に、構成要素間の結合より強い。この事実は、結局、構成要素間の内部構造の高頻度のダイナミックスを、構成要素間の相互作用にみられる低頻度のダイナミックスから区別することになる。
【複雑性の記述】 構造が複雑であるとか単純であるとかということは、記述の仕方によって決まってくる。この世界にみられる複雑な構造のほとんどは、非常に重複的であり、われわれにはこの重複性を利用して、その記述を単純化できる。 複雑なシステムの記述は多くの形態をとるが、なかでも、われわれは、状態記述を持つことができるし、またその処方を書くこと(筆者注:過程記述)ができるのである。

こうしてみると、企業情報システムも実は複雑系であり、階層的システムになっていることがわかる。
そして、それがある構成要素に分解でき、強く結合された構成要素とその要素間の関係性から成り立つこともわかる。組織でもシステムでも構成要素である小グループや単位業務処理をつなぎ合わせて上位階層ができるという姿が浮かんでくる。

そして、こうした複雑なシステムを記述するのには、状態記述、すなわちどうなりたいか、望ましい状態はといったことと、そのためには何をすることなのか、どう動くのかという過程記述を描くことになる。

ぼくはこのこと前から「構造化」と呼んでいるが、いまのSOAやBPMの思想はこのことに他ならないのである。そうした意味で、非常に共感し勉強になった本である。

つぎに、この本の最後の付記でサイモンがいっている意思決定プロセスについては次回に書く。
 

システムの科学
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2008.11.5
  • ハーバート・A. サイモン
  • 単行本(ソフトカバー) / パーソナルメディア
  • Amazon 売り上げランキング: 33376
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.5
    • 4 重厚にして、小気味よい一冊。
    • 5 「人工物」におけるデザインとは何か?
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

2008年11月18日

テーブルの出来事

いい短編小説というのは、オー・ヘンリーをもち出すまでもなく、“ほっと大きく息をはく”という感じがある。心温まるというか、いい気持ちにさせてくる。

「テーブルの出来事」(幻冬社)は、そんな短編集である。著者は、ぼくの高校の時の1年先輩で、同じサッカー部にいた植松二郎さんである。先週、ぼくらの世代の還暦を祝う会にも出席してくれて、そのとき、この本を紹介してもらった。

本は、食あるいはレストランに関する物語が10編収められている。登場人物は、そういうお店に勤めている料理人だったり、サービスするひとだったりするが、その職人気質、見習いの心意気、お客さんとのやり取りといった、いろいろな立場でのエピソードを中心に作者の暖かいまなざしで淡々と描いてみせる。まるでサッカーのプレーぶりを思い起こすのである。

本の中に書いてあるのと同じように、とてもいい味です。おいしいお酒を呑んだときのような後味のよい感覚になります。

なかでも、本の帯にも書いてある「シンゴの父親」は父と子、親方と弟子の関係を見事に描いていて気持ちいい。こうしたことは、レストランという場ではなく、あらゆる職場に通じることだと思うのである。

植松さんは手前味噌ではなく、「陽春のベリーロール」や「人々の走路」にしても、こうした肩の力が抜けた、しかし奥深いものを提供してくれる数少ない作家であるように思う。

聞いたこともない言葉や難解な文体で、いかにも高尚な文学ですみたいなものより、平易な言葉で、ふだん着の語り口で、実は重要なことを表現していることが好感をもてるし、好きになれる。

ここらあたりは、少々脱線するが、ぼくがやっているITの世界もしかりで、むずかしいことをするより、やさしくシンプルにするほうが何倍もむずかしいことなのである。この本はそういうことも教えてくれるのだ。ぜひ、みなさんに読んでもらいたい本だ。

本人は、最年長の芥川賞を狙うと冗談を言っていたが、これからも素晴らしい小説を書き続けていってもらいたいものだ。
 

テーブルの出来事―レストラン短編集
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2008.11.18
  • 植松 二郎
  • 単行本 / 幻冬舎メディアコンサルティング
  • Amazon 売り上げランキング: 38268
Amazon.co.jpで詳細を見る


 


2008年11月25日

できそこないの男たち

この本は、女に読ませてはいけない。この本とは、あの「生物と無生物のあいだ」の著者福岡伸一が書いた「できそこないの男たち」(光文社新書)である。

面白い。この著者はほんとうに文章がうまいし、物語性を持った学術書というか、推理小説のような展開である。

ここでもまず、男を男たらしめているY染色体の発見競争の話から始まる。しかし、何よりも驚かされるのは、生物学的に男は、そもそものデフォルト(基本仕様)である女をカスタマイズした生き物であるということである。

そして、カスタマイズしたばかりにそこに不具合が発生したりするため、男は女に比べて弱いのである。だから、女よりも早く死ぬというのだ。よく男は外に出て多くのストレスを受けたり、喫煙、飲酒による影響が大きいとかいった理由で語られることが多いが、どうもそれだけでは、説明がつかないものらしい。そうなんだバグを抱えているのだ。そこを、本書ではこう書かれている。

Y染色体という貧乏くじを引いたばかりに、基本仕様である女性の路線からはずれ、遺伝子の使い走り役に作り変えられた男たち。このプロセスで負荷がかかり、急場しのぎの変更が男性の生物学的仕様に不整合が生じさせたのである。ちょうど、カスタマイズされたPCの内部で、カスタマイズされたがゆえに、思いがけないソフト同士の衝突や設定の不整合が発生して、PC自体がフリーズしてしまうように。弱きもの、汝の名は男なり。

こりゃショックだ。そうかわれわれ男は“女のできそこない”だったのか。だから、原初的には、男は子どもの遺伝子の半分を運ぶためだけであった。そして、少しずつ女が男に役目を与え、命じていったのである。ここらあたりは現代もアッシー君を持ち出すまでもなく同じ様相をみることもできる。

では、今のように男が世界を支配しているように見えるのはどうしてだろうか。それに対して著者は、“余剰”という概念を持ち出している。

男たちは、薪や食糧、珍しいもの、美しいもの、面白いものを求めて野外に出た。そして、それらを持ち帰って女たちを喜ばせた。しかし、まもなく今度は男たちが気がついたのだ。薪や食糧も、珍しいものも美しいものも面白いものも、それらが余分に得られたときには、こっそりどこか女たちの知らない場所に隠しておけばいいことを。余剰である。 余剰は徐々に蓄積されていった。蓄積されただけでなく、男たちの間で交換された。あるいは、貸し借りされた。それを記録する方法が編み出された。時に、余剰は略奪され、蓄積をめぐって闘争が起きた。秩序を守るために男たちの間で取り決めがなされ、それが破られたときの罰則が定められた。余剰を支配するものが世界を支配するものとなるのに時間はそれほど必要ではなかった。

なるほど面白いでしょ。他にも出アフリカの話とかチンギス・ハーンの痕跡とか万世一系の話とか、いろいろ驚く話が満載でぜひ読んでみてください。オスはかわいそうな生き物であることを知って愕然となるのか、メスのために尽くそうと思うのか、いやー複雑だなあ。

2008年12月 4日

「型」と日本人

副題が、品性ある国の作法と美意識である「「型」と日本人(武光誠著 PHP新書)を読む。

この間「Web+DBPress」にも書いたように“業務プロセス設計作法”というように、作法という言葉をあえて使っているので、題名を見たとたん買いたくなったのである。

その雑誌の記事にも、“作法は「型」であり、基本的な「型」を決めておくということです。”と書いているように、この本でも、日本的な作法の基本は「型」であり、その「型」を学び、身につけることで日本人として品性ある振る舞いができると言っている。

ここは非常に大事なことで、何でも勝手にやればいいというわけではない。例えば、「型破り」という言葉がある。「型破り」な行動をとるとか、あのひとは「型破り」な人だとか、いい意味でも悪い意味でも使われるが、このときの型を破るということの言っていることは、まずは型があって、それを身につけて、それからその型を破るということを示唆している。

そうした、基本的なものをマスタしてこそ斬新なことや革新的なことができる。それを最初から突拍子もないことをやって独創ですといってもそれは付け焼刃でしかない。

著者は、日本の作法は古代の自然を崇拝する祭りの場から生まれ、武士道のなかでの武士としての作法につながっていく。武士道というのは平安なかば以後に作られたが、決して闘うため教えではなく、「正直」「武勇」[質素]「慈愛」といったことが武士道の道徳となった。

そして、室町時代になると「わび」「さび」「幽玄」といった思想が現れてくる。その代表的なものとして、「茶道」や「能」といったものに結実していく。これらはお分かりのように「型」が基本である。

そして、江戸時代の後半になると「粋」という言葉がはやってくる。その対語として「野暮」という言葉をみればわかるように、きっぷのいい江戸っ子の姿を思い描くことができるだろう。この「粋」という中には、実は他人への思いやりのようなことがちりばめらえていて、日本人のよさが現れているのだ。

翻って、現代の日本あるいは日本人の振る舞いを見るにつけ、こうした伝統的な「日本的合理性」が薄れていくことに危惧を感じているのはぼくだけじゃないと思うが、いかがでしょうか。

「型」と日本人 (PHP新書)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2008.12.2
  • 武光 誠
  • 新書 / PHP研究所
  • Amazon 売り上げランキング: 8975
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

2008年12月18日

本と映画と「70年」を語ろう

いま「極私的年代記」を書いているが、昭和の時代のことが懐かしく思い出されるわけで、そんなときに「本と映画と「70年」を語ろう」(鈴木邦夫、川本三郎著 朝日新書)を手にする。

この二人は、ぼくより若干年上であるが、ほぼ同時代を生きてきた人たちである。鈴木邦夫は一水会という右翼団体を創設した人で、一方の川本三郎は元朝日新聞の記者で全共闘シンパの左翼である。この二人が語っているのである。

右翼と左翼が仲良く対談というのも変だが、ぼくらは意外と違和感がない。例えば、全共闘とヤクザ映画とか三島由紀夫を評価する左翼活動家とかけっこう反体制という根っこで共感している部分があることを皮膚感覚で知っているからである。

前半はお互いが事件にまきこまれて逮捕される話が中心で右翼のところはよく分からないが、川本三郎が「赤衛軍」のリーダであった菊井良治が朝霞の自衛官を刺殺した事件に関連して逮捕されたのは覚えている。

川本は当時朝日ジャーナルの記者で証拠を隠滅したという罪だった。朝日ジャーナルとアサヒグラフは左翼のシンパと見られ、ぼくら学生はよく左手に朝日ジャーナル、右手に少年サンデーという言われ方をした。

後半は、どちらかというと映画からみた昭和の時代について語っている。おもしろいなと思ったのはそのころの特徴的なこととして戦争の影がつきまとっていて、だから、映画でも戦争未亡人とか戦争で家族を失ったことがよく出てくるという話である。「三丁目の夕日」にもそういう人物が登場する。実はぼくらの周りにもそういう未亡人がいて、その戦死した弟と再婚したなんてことも起こっていた。

そして、昭和30年代をこう評価している。

鈴木:たしかに、トイレもそうだし、クーラーもなかったし、とてもじゃないけど住めない。でもなんか懐かしいな、あの頃はよかったなって思っちゃう。何なんでしょうね。あと子ども部屋ってなかったですよね。みんなが同じところで生活してた。

川本:私はどちらかというと、国家という大きなものよりも、街とか個人とか、なるべく小さな単位でものを考えようとしている人間なんですが、昭和30年代って、わりと小さなものが大事にされていた時代じゃないかなっていう気がする。駄菓子やとか紙芝居に象徴されるように、小さいものが大事にされていた。国という単位でものを考えると、「悠久の大義」だとか、大きな歴史というものが出てくる。でも個人単位、街単位で考えると、記憶なんですね。私は歴史より記憶を大事にしたいのです。

なるほど、記憶ですか。それならぼくはばっちり覚えていますよ。それとぼくらの子ども頃は世界が小さいなかにいた。だからその中でいきていたことがすごく心地よいのである。

いまのようにグローバル化ということかもしれないが、大きな世界の中にいると、嫌なことだとか耐えられないことが知りたくもないのに土足で入ってくるのである。例えば前にも書いたが、知りたくもない犯罪のニュースが入ってくる。この本にも書いてあったが、昔も同じように凶悪な犯罪もあったが、それが伝わってこなかっただけなわけで、昔は安全な社会だったと単純には言えないのである。

でそうした要らない情報まで入ってくるような大きな世界に嫌気がさすと昭和はよく見えてくる。あの頃は良かったと言い出す。でもあの頃だっていいことばかりではないが、そんなことは忘れてしまうのですね。まあ、久しぶりのクラス会で思い出を語っているような本である。
 

本と映画と「70年」を語ろう (朝日新書 110)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2008.12.14
  • 川本 三郎 鈴木 邦男
  • 新書 / 朝日新聞出版
  • Amazon 売り上げランキング: 235347
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.5
    • 5 「70年」へのシンパシーと、かすかな後ろめたさ……
    • 4 70年代前半の熱気の一面を伝える
    • 4 川本三郎を肴に鈴木邦男が語る1冊と言った印象。
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

2008年12月21日

力道山

今年の夏にある若い経営者と一緒に呑んだことがあった。そのときの様子はこのブログでも紹介したが、彼がそのときあの伝説のプロレスラー力道山の本を書いたという話をしていて、びっくりしたことがあった。何がびっくりしたかというとリアルの力道山を知らない子が本を書いてしまうことにだ。それで今度その本を送りますからということで別れた。

そしてしばらくそんなことがあったのも忘れていたら、この間、本が届いたのである。それが「力道山」(中村祐介著 ヴィレッジブックス)である。

これは、映画と同時に小説ができるというスタイルで、だから映画のストーリーと同じである。2年前の今頃のブログ記事にDVDで観た映画のことを書いてあったので、読み返してみた。そうしたら、あまりほめていなかったのだ。

こりゃまずいなと思いつつページをめくっていった。そうなると、映画と小説の比較みたいなことになってしまう。おそらく、ねらいは小説を読んで映像が見たくなるということだろうと思うがいかがなものだろうか。

映画を観ていたせいか、もう半日で読了した。でその感想だが、映画より小説のほうが少しはいいかなという感じである。結局映画でも言ったのだが、力道山の相撲界に入ってから刺されて死ぬまでをなぞっているわけで、そうなるとあの偉大なヒーローを文庫本一冊程度、あるいは149分の映画の中で表現するのは無理があるように思えるのだ。

もうある断片をとっただけでも立派な小説が書けると思う。従って、そういう断片をつなぎ合わせて展開してもどうしても深くえぐっていないので物足りなさが残るのである。

それでも、ぼくらの世代にとっての力道山はヒーローのなかのヒーローだから、もちろん感動して読むのは当然で、若い子にあの空手チョップを知っているかいと思わず言いたくなってしまう。

中村君は「大統領の理髪師」というこれまた韓国映画の小説を書いているのでそちらも読んでみたくなった。
 

力道山 (ヴィレッジブックス)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2008.12.21
  • 中村 祐介 ソン ヘソン
  • 文庫 / ソニーマガジンズ
  • Amazon 売り上げランキング: 721017
  • Amazon おすすめ度の平均: 5.0
    • 5 強い男の真実とは?
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

2008年12月28日

白川静

白川静の偉大さにもびっくりするがそれを書いた松岡正剛のすごさにも敬服する。「白川静」(松岡正剛著 平凡社新書)は今年読んだ本の中でも出色のものだ。

実は最初はこの本を読もうとは思ってはいなかったのである。池袋の旭屋書店で、その前日に朝日新聞に載った書評担当の人たちの今年のべスト3を見て、その中から軽い読み物を5点(だいたいが新書になってしまいますが)メモして、その中から良さそうなものを選ぼうと思っていたら、みんな置いてなかったのだ。おおどういうことだ。結局、いい本と売れる本は違うということなのだろう。

そのとき、何気なしに手にとったとき、これは面白そうだとピンときた。読んでみたらこれまたその通りすばらしい本だ。

白川静というのは、2年前に96歳で亡くなった漢字学者で、何といってもその歳まで現役で研究や執筆を続けていたことである。何しろ集大成である「字統」、「字訓」、「字通」を73歳から86歳で完成させている。それをみるとぼくなんかまだまだ子どもみたいなもので、老け込む歳ではないと激励されているようだ。

本当は、白川静が書いたものを読めばいいのだろうが、そうでなくても著者が白川静という人物もその研究成果もかなりわかりやすく書いてくれているので、初めてでもおおかたの理解ができる。

“知の巨人”を描くには、“知の達人”をもってできたことなのかもしれない。

そして、この本で漢字のこと、国字のこと、東洋史のこと、民族学のことやらで、いっぱいしらないことがあったのを知らされ、ものすごく新鮮な思いで読んだのである。

白川静は単に字を研究したのではなく、そこに潜んでいる歴史や世界観を探っていったのである。古代において原初は文字はなかったのであって、そのしゃべることから書くことへ成長し、文字が生まれてきたわけで、それは文字がある「力」をもつことで登場したのだという。

その「力」とは、「呪能」というものを想定している。呪うことに限らず祝うこと、念じること、どこかへいくこと、何かを探すこと、出来事がおこるだろうということなどを文字の力ではたそうとするものである。

文字には表音文字と表意文字があるが、漢字はまさに表意文字であり、世界にも表意文字はあったそうだが、こうして残っているのは漢字だけのようである。

それも単に意味を表わしているのではなく「力」もあること、それは絶対王や巫祝王(ふしゅくおう)の存在があると解き明かしてくれる。こういう話を書いたら止まらなくなる。

また、日本の万葉集の歌の話にも関連づけていて、この件も驚くばかりである。著者も衝撃を受けたというのが、有名な柿本人麻呂の歌に「東の野に炎の立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ」というのがありますが、この歌の斉藤茂吉の解釈は、「阿騎野にやどった翌朝、日出前の東天に既に暁の光がみなぎり、それが雪の降った阿騎野にも映って見える。その時西のほうをふりかえると、もう月が落ちかかっている」というものです。

ところが、白川静の解釈はびっくりするものです。それは、皇子と人麻呂の一行はある特別の日をわざわざ選んで一夜をそこで過ごしたというのです。その日は、東に燭光が輝きはじめたときに、ちょうど西に月がかたぶく払暁の光景が出現する日ですが、そんな日はほんと特別な日でなんと東京天文台が調査した結果、その日は西暦で言うと692年12月31日の午前5時50分だというのです。これは持統6年にあたりその一行が出かけた日なのです。

結局、意味なしにそこにいてそういう景色をみたのではなく、すごい深い意味が合ったのです。詳しくは読んでもらえばいいのですが、要するに王権授霊という儀式であったわけです。そんなことを白川静は独自の迫り方で解いていったのである。

そうして民俗学的あるいは歴史的な視点も入れながら見ていくと、なぜいま日本に漢字があって、それを使う文化があるのかがよくわかるし、そもそも漢字をそのまま移入したのではなくジャパナイズした日本人のすばらしい知恵を発見します。

さて、そういう白川ではあるが、はじめから認められていたわけではない。むしろ異端児あつかいされたのです。ですから、晩年になってやっと名も知られるようになり、白川学のシンパも増えていったのです。その孤高の生き方におおいに学んでいきたいと思うのである。最後に白川本人の言葉を引用します。

私が、学会の少数派であるという批評については、私から何も申すことはありません。多数派だとか少数派だとかいうのは、頭数で決める政党の派閥の考え方で、大臣の椅子でも争うときにいうことです。学術には何の関係もないことです。学会にはほとんど出ませんから、その意味では少数派ですが、そもそも私には派はないのです。詩においては「弧絶」を尊び、学問においては「弧詣独往」を尊ぶのです。弧絶、独往を少数派などというのは、文学も学術をもまったく解しない人のいうことです。(中略)学問の道は、あくまでも「弧詣独往」、雲山万畳の奥までも、道を極めてひとり楽しむべきものであろうと思います。

白川静のことばかりを書いたが、あらためてこの本を書いた松岡正剛にも感謝です。
 

白川静 漢字の世界観 (平凡社新書)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2008.12.28
  • 松岡 正剛
  • 新書 / 平凡社
  • Amazon 売り上げランキング: 409
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.5
    • 4 もうすこし呪術的感覚があれば
    • 3 筆者の思い入れをどう受け止めるか
    • 5 編集の達人が案内する白川漢字学
    • 5 これ以上ないような白川静さんの入門書
    • 5 白川静の見事な鳥瞰図
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

2009年1月11日

生命をつなぐ進化のふしぎ

最近、福岡伸一の本の影響か、生命とか進化とかいったことに興味を抱いている。それに関する本で「生命をつなぐ進化のふしぎ」(内田亮子著 ちくま新書)を手にする。著者は、東京大学理学部生物学科を卒業して現在早稲田大学教授である。主に進化論がテーマである。

まずは、本の内容をうんぬんする前にどうも読み進めにくいのだ。それが何なのかと考えてみたら、引用文献の多さなのだ。別に多いからだめだというのではなく、整理しきれていないことが問題なのだ。

著者があとがきで「新書であっても大量の参考文献を載せたいという私のこだわりを、知の誠実性と理解してもらい、とてもうれしく思う」と書いているが、これは間違っている。学術論文ならいいが新書であるからだめなのである。新書の読者を想定してみてください。専門家ではないのである。その人たちに向かって律儀に知の誠実性とまで言うより、わかりやすくするほうが優先されるはずである。

この参考文献の多さがなぜだめなのかというと、断定的な言い方を避けているから読者はいったいどう理解したらよいか迷ってしまうのだ。いたるところ、「~という示唆があります」「~という説もあります」「~という報告があります」で終わっている。

そして、文献を参照して、こんな意見もあります、ここはまだ議論していることです、など一見して客観的かつ論理的であると思ってしまうがそうだろうか。確かにこういう分野では、理学のように明確な答えがあることは少ないと思うが、一般読者に対して、様々な意見があるが噛み砕いてみると私はこう思っていますという自論を言ってもいいような気がする。

長々と本の中味とはあんまり関係ないことを書いてしまったが、もちろん面白い話も入っていて、まず“適応的”という言葉がよく出てきてすこしとまどった。なるほど人間が進化してある形ができるということはその形は“適応的”ということなのである。

そういう意味で見ていくと、面白かったのはつい人間って農耕型の生活が大昔からやられていたと思ってしまうが、人類の歴史の大半は移動しながら狩猟や採集で食糧を作っていたのであって、定住しての農耕又は牧畜によって食糧を作りだしたのがほんの1万年前だということである。ということは、まだ狩猟型から農耕型への進化の過程なのかもしれない。

そして、さらに面白かったのは老化の進化論で、長生きするための条件を動物モデルから導き出すと、生殖機能をなくし、粗食で、さらに冷蔵庫に入っていればよいらしい。おっと、こんな北国の仙人みたいな生活をして長生きしたい人がいるのだろうか。
 

生命(いのち)をつなぐ進化のふしぎ―生物人類学への招待 (ちくま新書)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2009.1.10
  • 内田 亮子
  • 新書 / 筑摩書房
  • Amazon 売り上げランキング: 11506
  • Amazon おすすめ度の平均: 3.5
    • 1 人類学というより雑学本
    • 5 人類を客観的に観察する。
    • 5 ヒトと他の生物との違いは
Amazon.co.jpで詳細を見る

 

2009年1月22日

暴力はどこからきたか  人間性の起源を探る

ちょっと前に「生命をつなぐ進化のふしぎ」(内田亮子著 ちくま新書)を読んで人間までの進化論について知ったので、もう少し読んでみようと思い「暴力はどこからきたか  人間性の起源を探る」(山極寿一著 NHKブックス)を手にする。

著者は京都大学教授で最近では「爆笑問題のニッポンの教養」出ていたからご記憶のかたもいると思いますが、ゴリラの生態を追っている霊長類社会生態学者である。

タイトルは今日のように世界中で起こっている人間の争いが進化論的にどうやって生じてきたかを明らかにしてくれると期待させる。

ただ、そこまでに行くのが遠い。最初のところは「攻撃性の神話」として語られ、面白い導入となっている。ところが中盤がいけない。またもや、「生命をつなぐ進化のふしぎ」と同じように参考文献が頻出してわけがわからなくなってしまう。そして、最後はまた面白いという中だるみだなければと思わせる。

ところがよく考えてみるとこれはやむを得ないことなのかもしれない。このジャンルの学問は、ひとりで全体をカバーできないし、しかもフィールドワーク主体だから、文献をしらべて論文を書くわけにもいかない。そうなるとどうしても他人のフィールドワークの結果を参考にせざるを得ないということなのだろう。

それはそれとして、もうちょっと整理してよと言いたいが、その最初の導入のところである。われわれは、つい最近まで人間の先祖は狩猟民であって、こうした狩猟民というのは攻撃的で暴力的であったと思い込んでいた。その象徴的なものが、「キング・コング」である。1933年にアメリカで公開された映画により、ゴリラは好戦的であるという誤解ができあがった。

ところがこうした考え方が間違いであったことがわかったのが20世紀も後半になってからだという。ゴリラが胸をたたくのは、戦いを挑んでいるわけではなく、その逆で引き分けねらいの表現なのである。同様に、狩猟民も争いを好むわけでもなく、逆に争わないことのほうが適応的であるという。

さて、最初の霊長類は、夜行性でもっぱら昆虫を食べていたらしい。それが、果実を食べるようになって、昼間の樹冠に顔をだすようになる。そうした食物の違いがさまざまな特徴を生み出していく。昼行性になり、二足歩行で地上生活を送るようになり、雑食化していくというように食の影響が大きい。

もう一方で、性をめぐる争いの影響もおおきく、それにより家族というものができ、テリトリーや階級といった社会構造も変化していった。面白いのは、人間だけが一緒に食事をし、食物を分かち合うのだそうだ。

そして、主題の暴力についてだが、なぜこうして戦争が人類におこるようになったかについて著者は次のように言っている。

それは、言語の出現と土地の所有、そして死者につながるイデンティティの創出により可能になったと私は考える

言語はヴアーチャルな共同体を作り出し、国家や民族という幻想の共同体が人々の心に宿りそれを守ろうとする。土地は“縄張り争い”である。狩猟民の時代は獲物をめがけて動きまわるから土地所有という概念はないが、農耕民は土地が命である。鎌倉時代の武士の「一所懸命」と同じである。

そして、最後に現代にどう生きるかについて

人間以外の霊長類にとって、群れで暮らすということは大きな拘束であり、行動の制約を意味するのである。人間が日常的に多様な集団に出入りして暮らすことができるのは、他者への許容性を高めるとともに、見知らぬ仲間のいる集団に即座に同化できる可塑性を広げることができるからだ。そこにこそ、ボーダレス時代を生き抜く秘訣が隠されていると私は思う。

うーん、なかなか面白いでしょ。それにしてもこうした学問がまだ発展途上で最近でもあらたな発見があるらしいことに驚くが、そうした研究が人間の本来的に争いを好まない動物であるということからいまの人間に警鐘を鳴らしてほしいものだ。ぜひ一読を薦める。
 

暴力はどこからきたか―人間性の起源を探る (NHKブックス)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2009.1.14
  • 山極 寿一
  • 単行本 / 日本放送出版協会
  • Amazon 売り上げランキング: 5730
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.0
    • 4 地に足の着いた論考だが、結論部の充実を図って欲しかった
    • 4 霊長類の生態を知るには面白い一冊
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

2009年1月28日

金融大崩壊

今の金融危機について、新聞やテレビでは実態や本質が見えてこない。さりとて、経済を勉強したこともない工学部出身にとっては、このあたりのことをやさしくわかりやすく教えてくれるものを探していた。

この「金融大崩壊 「アメリカ金融王国」の終焉」(水野和夫著 NHK出版生活人新書)はそういう意味では、ぼくのような人間でもかなり理解できる本である。

まずは今の現象について書いてあって、サブプライムローン問題が第一段階で、そして、アメリカの投資銀行が消滅して業界再編が行なわれている今の段階が第二段階であり、そのあと実体経済への影響が本格化するのが第三段階になるのだそうだ。

しかし、一瞬にして5大投資銀行が消えてしまったのにはびっくりした。このことが「アメリカ投資銀行」あるいは「アメリカ金融帝国」の終焉を象徴している。

これまで、アメリカが世界を牽引していた新自由主義という経済政策の考え方がここで役目を終えたということである。

そして、その引き金になったサブプライムローン問題とはと切り込んでいる。それについてはそれこそメディアでさんざん解説されているので、ここではバブルの構造について、市場原理をつきつめていくとバブルにならざるをえないというところが納得。

そしてバブルというのは、それがはじけないとそれがバブルであったのかが分からないという厄介なことになっている。だから、日本の不動産バブルも今回の住宅バブルも以前のITバブルも確かにはじけてああこれがバブルだったのだということであった。

それから、なぜ「アメリカ金融帝国」が生まれたのかという歴史的な分析もしてあるが、その「アメリカ金融帝国」の終焉後の世界が気になってくる。

で何よりもアメリカの金融危機がなぜ日本にも波及したのかを見ていく必要がある。それは、アメリカの金融や経済に日本も完全にロックインされていて、著者の言を借りれば「アメリカ投資銀行株式会社」と「日本輸出株式会社」は表裏一体、コインの裏表だからだそうだ。

すなわち、アメリカは世界の投資銀行として、レバレッジをきかせて住宅ブームをおこし、日本はそこに向かって輸出して儲けていたわけなのだ。

それが、一気に輸出できなくなったことが日本の危機なので、自動車や電機の輸出型の産業は大打撃をくらっているのである。だから、日米で危機の構造が違うので、同じように論じられることもあるがそれは間違いである。

ですから、アメリカは喫緊の課題は金融システムの立て直しであるが、日本はそうではなくて、今のような輸出型の産業構造を変えて行かなくてはいけない。そうすると、じゃあ内需型でいこうなんていったら、ガラパゴス化してしまうわけで、そうではなくバブルをあてにしなくても世界で戦っていける産業を育てるしかないのではないだろうか。そこで、環境ビジネスなんてばかなことは言わないでほしいものだ。

この本はわかりやすいし、読んでほしいお薦めの本です。
 

金融大崩壊―「アメリカ金融帝国」の終焉 (生活人新書)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2009.1.27
  • 水野 和夫
  • 単行本 / 日本放送出版協会
  • Amazon 売り上げランキング: 347
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.0
    • 4 この危機がいつ頃終焉を迎えるのかの見解を語っている
    • 4 ミネルバの梟の美しさー激変する世界の金融情勢が一晩でわかります
    • 5 分かりやすい
    • 4 金融資本主義が崩壊に至るまでと、その後の世界を読み解く上で参考になった
    • 4 池田信夫blog推薦図書
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

2009年2月 3日

悩む力

かなり売れて評判になっているので、こりゃ読まないわけにはいかないと思い姜尚中著の「悩む力」(集英社新書)を手にする。

なかなかよく書けているし、それなりの説得力があるので、多くの人が読むというのがわかるような気がする。

内容は、目次を並べるとどんなことが書いてあるか瞭然であるが、そこから追っていこう。

序章 「いまを生きる」悩み
第一章 「私」とは何者か
第二章 世の中すべて「金」なのか
第三章 「知っているつもり」じゃないか
第四章 「青春」は美しいか
第五章 「信じる者」は救われるか
第六章 何のために「働く」のか
第七章 「変わらぬ愛」はあるのか
第八章 なぜ死んではいけないのか
第九章 老いて「最強」たれ

こうしてみると、ぼくもそうだったが若いときにいつも心の中で自問自答するようなことである。それを、著者は夏目漱石とマックス・ウェーバーを引合いに出しながら考えている。そして、在日として生まれた著者自身の人生も重ね合わせて、姜さんの佇まいと同様に、静かな語り口で訥々と訴えかけてくる。だれでもが癒されるような、そんな本である。

それぞれについて書いても紙数がないので、なんといってぼくにとっては最後の章が印象深い。著者はぼくより2歳年下でほぼ同年齢であるが、老人についてこう述べています。

かつて「老人」の持っている力は社会の暴走の歯止めになる、つまり「安全弁」になると考えられたものでした。しかし、いまわれわれの世代がもう少し年を取ったとしても、社会の安全弁などには、おそらくならないでしょう。「老人は権威によりかかる」とか、「老人は保守的である」とか言われてきましたが、今後はそれもあてはまらなくなる可能性が高いのです。 ゆえに、これからの「老人力」とは何かと問われたら、「攪乱する力」である、私は答えたいと思います。 子供はどんどん減っていきますが、老人はどんどん増えていきます。ですから、この社会は、もしかするとアナーキーなほうに向かうのではないかという気も少ししています。 とはいえ、これは悪い意味で言っているのではありません。老人の「攪乱する力」は、生産や効率性、若さや有用性を中心とするこれまでの社会を、変えていくパワーになると思うからです。

そして、著者がこれまでやってこれなかったことをやってみたいといって提示したのが、役者をやりたいこととハーレーを乗り回したいことだそうだ。ちょっと映画「最高の人生の見つけ方」に似ている。

そうなんですね。若いときから悩みぬいて、齢を重ねた結果、怖いものがなくなり、ある種の達観した気分になり、しがらみのない生活を希求するのはすごくいいことではないかと思う。死に近づくとマイナスの気持ちにあるのではなく、プラスにもっていく気持ちが大切であるのだろう。

この最後の章の悩んで突き抜けるためにも大いに悩もうじゃないかというメッセージを実感として感じたのである。最後に、その最後の言葉もすばらしいので載せておく。


若い人には大いに悩んでほしいと思います。そして、悩みつづけて、悩みの果てに突きぬけたら、横着になってほしい。そんな新しい破壊力がないと、いまの日本は変わらないし、未来も明るいくない、思うのです。

さしづめ昔のサントリーのCMじゃないが、「みんな悩んで大きくなった」といきたいものだ。さあみなさんがんばりましょう。
 

悩む力 (集英社新書 444C)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2009.1.30
  • 姜尚中
  • 新書 / 集英社
  • Amazon 売り上げランキング: 264
  • Amazon おすすめ度の平均: 3.5
    • 1 拉致被害者奪還に悩むべきでは?
    • 4 悩む人は優しい・・?
    • 3 悩むことが必要な時には、徹底的に悩むことを選択する勇気をもらえる本。
    • 3 Let'sくよくよ
    • 3 自分がどう納得するか
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

2009年2月 8日

ジョークで読む国際政治

ジョークというのは、日本人はホント下手である。もちろんぼくも日本人だからうまくはない。でも外国人はなかなかうまい。日本人はジョークをつい“冗談はよし子さん”(これもジョークですけど、わからない人のために。このセリフは林家三平の口癖だった。え、単なる駄洒落ですか、どうもすいません。)のように不真面目ととる人が多い。

ただ、堅苦しい場が、気の効いたジョークによって和やかな雰囲気になることもある。そんなジョークを集めて国際政治をながめようという本がある。「ジョークで読む国際政治」(名越健郎著 新潮社新書)である。著者は元時事通信社で多くの海外勤務をして各国の政治をみてきたひとである。

この本の評はいちいちジョークを取り上げてどうのと言うわけにはいかないので、各地域ごとにまとめてあるので、その中でぼくが一番と思ったやつを列挙してみよう。

アジア
三人の韓国人が話し合っていた。
「われわれは何かというと、すぐに日本人のせいにしてしまう」
「その通りだ。一体なぜなのだろう」
「わたしにもわからない。なぜ何事も日本人のせいにしてしまうのか」
その三人がやっと結論に達した。
「われわれが日本人のせいにするのも。やはり日本人のせいなのだ」

アメリカ
初代ワシントン大統領は、嘘をつくことができなかった。
ニクソン大統領は、真実を語ることができなかった。
クリントン大統領は、嘘と真実を区別することができなかった。

欧州
世界で一番薄い本は-。
米国の美術史。
中国の人権史。
英国の料理本。
フランスの戦勝記。

ロシア
クレムリンの秘密会話-。
プーチン「わたしは2008年に退陣する。後継者3人公表したい」
パトルシェフ「ポロニウムを二人分用意するまで待ってください」

中東
ブッシュ大統領が中東問題で演説した。
「中東和平を前進させるには、イスラエル人とパレスチナ人がクリスチャンのように行動すべきだ」

おまけ(政治には関係ないが)
ビル・ゲイツ会長が自動車見本市を訪れて言った。
「もし車の開発技術がコンピューター並みのスピードで進んでいたら、時速1万キロの車が誕生しただろう」
これを聞いたフォード社の社長が言った。
「1日3回フリーズする車に誰が乗るものか」

どうです、これだけでも面白いでしょ。そんなジョークがいっぱい詰まっていて大変楽しい本ですからぜひ読んで気の効いたジョークの一つでも言ってみてください。

最後に、すぐれたジョークをつくるコツは、故米原万理に言わせると「意外性と機転、マクロとミクロの反転、詐欺にも似た錯覚」だそうだ。
 

ジョークで読む国際政治 (新潮新書)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2009.2.7
  • 名越 健郎
  • 新書 / 新潮社
  • Amazon 売り上げランキング: 60848
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.0
    • 3 お手軽な世界情勢の教科書
    • 5 通勤電車の中で手軽に読める良本
    • 4 『世界の日本人ジョーク集』より面白い
    • 4 面白い読み物として
    • 3 暇つぶしに丁度よい、楽しめる本
Amazon.co.jpで詳細を見る


2009年2月27日

いちばん大事なこと

養老孟司先生が環境問題について本を書いたので、まともな意見が知りたくて買って読む。

ホントまっとうなことが書いてある。そしてタイトルどおりすごく大事なことをやさしく書いてくれている。そんな本が「いちばん大事なこと」(集英社新書)である。

環境問題というとかなりエキセントリックな議論になったりして嫌なのだが、原理主義者でもこれを読んで文句を言うやつはいないのではないだろうか。

環境問題は政治問題であり、生活スタイルのことであり、何よりも自然と都市、身体と心の問題であるという提示は、激しく同意するのである。

単純に解釈すると、「ああすればこうなる」という世界は、自然とは相容れないものである。自然はわからないことだらけである。それに真摯に向かうことこそおおかたの人びとが幸わせになる道であると説いてくれる。

「外の自然だけではなく内なる自然もある。だから人間は自然なのである」自然と対立している人間は都市社会の人である。

「ああすれば、こうなる」式で問題を解決しようと考える人があとを絶たない。それには何もしないこと、しかしみな必ず何かをしようとする。

また、環境とは直接関係ないが、経済についても語っていてこれが面白いので抜書きする。

経済統計は要するに花見酒の経済なのである。八つぁんと熊さんが樽酒を二人で担いでいる。八つぁんガ手持ちの十文を熊さんに渡して、酒を一杯飲ませろという。熊さんがいいよ、という。次に熊さんが、八つぁんからもらった十文を八つぁんに渡して、おれにも一杯飲ませろという、これを続けると、樽酒がいずれなくなる。経済統計はしかし、それでつじつまがあっている。収入と支出の釣り合いは、みごとにとれているからである。自然と経済の関係は。これなのである。そんなことは、江戸時代の人だってよくわかっていたから、落語になっているのである。中略

お金は数字であり、紙である。それが実体でぁないことは、だれでも知っている。経済活動には、その意味では虚と実がある。花見酒でいうなら、十文のやりとりは虚で、酒が減るのと、八と熊が酔っぱらうのが実である。極端に単純化するなら、経済とは十文のやりとりを指し、酒の減少とは資源のことであり、八と熊が酔っぱらうことは生きることである。つまり、グローバル化した経済とは、地球規模の花見酒である。

このたとえ話には思わずうなってしまう。よくわかりますよね。

さらに、話は子どものことにおよび、「子どもは自然である」という。なぜなら、子どもは、意識的に設計できないからだそうだ。そして、なぜ少子化は進んだのかということに対して、都市化が進んだことがあり、その都市は自然を排除する。だから、「自然としての子ども」もまた排除される。なるほど、なるほど。

日本の自然の豊かさはすごい。だから民度も高い、その余裕は自然環境の豊かさから生まれた。しかしながら、現代の日本では、その自然を破壊しながら都市化が進行している。それよって引き起こされる様々な弊害がいまの世の中の矛盾を抱えているのだろう。

やはり、単純な自然保護を訴えることではなく、環境問題をヒステリックに糾弾するのではなく、もっと淡々と自然の前でもっと謙虚になって共生していくことが大事であると思うのである。

この本には、そのほか目からうろこの至言が詰まっているので絶対おすすめの一冊です。
 

いちばん大事なこと―養老教授の環境論 (集英社新書)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2009.2.27
  • 養老 孟司
  • 新書 / 集英社
  • Amazon 売り上げランキング: 11094
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.0
    • 4 夢中で読みました
    • 4 システムとしての自然
    • 5 環境のシステム論
    • 3 前提が良くわからない
    • 5 子供におすすめ
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

2009年3月 7日

人間の覚悟

五木寛之も早いものでもう76歳である。林住期を過ぎて遊行期に入ったその五木寛之が書いた「人間の覚悟」(新潮新書)を読む。

“そろそろ覚悟をきめなければならい”という書き出しで始まる。覚悟するとは、「諦める覚悟」である。諦めるというのは投げ出すことではなく、「明らかに究める」ことと説く。

五木寛之の原体験は満州で終戦を迎えたことに遡る。それが強烈なトラウマとしてずっと引きずっているのである。そして、仏教、特に親鸞、蓮如に言い及ぶ。

小さいときに強烈な経験により、人間の弱さ、きたなさ、はかなさといろいろな側面を目のあたりにし、しかし何が何でも生き延びることを課した。そんなひとの言うことに説得力がないわけがない。ぼくも齢を重ねれば重ねるほど彼の言わんとしていることがわかるようになってくる。

この本で言っている主なことは、下山の哲学、すなわち登っていく時代から下っていく時代に変わってきたので、自分をじっと見つめることが大事である。そして、他力の風にまかせよと言っています。

また、これは養老孟司と通じることなのだが、日本人には昔から自然に対する畏れがあり、一草にも虫にも動物にも心があり、魂があり、仏性がある、森にも山にも命があると考えています。そこには、外国の一神教ではありえない、多神教的な豊かな感性があるであり、そういう心性をもつことがこの時代の生き方、覚悟をもった老後をおくることだと聞こええてくる。

そして、“生きることの大変さと儚さを胸に、この一日一日を感謝して生きていくことしかない。そう覚悟しているのです。”と結んでいる。うーん腹にずしんときますねえ。
 

人間の覚悟 (新潮新書)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2009.2.28
  • 五木 寛之
  • 新書 / 新潮社
  • Amazon 売り上げランキング: 256
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.5
    • 5 覚悟がいる時代
    • 4 時代を象徴する本
    • 2 むしろ人間の諦め。
    • 5 私もついに覚悟を決めた! 
    • 5 マイナス成長も、老いることも、死さえも恐くない
Amazon.co.jpで詳細を見る
 

2009年3月13日

奇跡のリンゴ

これは奇跡だ。本ではなくてこの本に登場する木村秋則という人そのものである。もうとんでもなく凄い男の物語である。「奇跡のリンゴ」(石川拓治著 幻冬舎)を読みだしたとたん凄い衝撃を受け一気に読み終えた。

木村秋則は1949年生まれで青森県中津軽群岩木町(現弘前市)というところでリンゴ園を営む。その木村が無農薬でリンゴを実らせたということで話題になり、NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」で紹介され、すごい反響があった。いまでは、生産量が注文に追いつかないという。それだけ、ふつうのリンゴと違うのだそうだ。

しかし、そうなるまでには想像を絶する苦労があったことがここに記されている。無農薬でのリンゴ栽培を志してから8年間、実りさえしない、いやほとんど枯れそうになるところからみごとに花を咲かせ、リンゴを実らせたのである。

その執念たるや恐ろしいくらいであるが、ただそれだけなら、他にもやれる人がいるかもしれないが、彼は類まれな旺盛な探求心を持ち合わせていた。だからこそ、同じことの繰り返しではなく、様々なことにチャレンジして、やっとたどりつくことができたのである。この二つの要素がなければできない話であろう。

リンゴがならないということは、収入源がないということであるから、生活は困窮を極める。しかし、そこは狂ってしまった木村には止めるわけにはいかなかったのだ。ですから、この物語の主人公は木村ではあるが、そこまでできたのは家族があってこそだと思う。一家離散してもおかしくない状況でもその狂った行いを許した家族がとてもすばらしいと思うのである。

昔プロジェクトXという番組があって、この人が紹介された「プロフェッショナル 仕事の流儀」もそれと似た番組だが、そうした番組を見るといつも思うのだが、「妻たちのプロジェクトX」という番組を作ってくれないかということである。きっとオヤジ以上に苦労している人ばかりなのではないでしょうか。

現在、リンゴに限らず、他の果物、野菜もすべて農薬なしには栽培ができないことは常識である。その常識を打ち破ろうとしたのである。

以前、永田式農法のことを書いたことがあった。水をやらないトマト栽培である。これも似たようなところがあって、水をやらないほうが、しっかりと根をはり、表面に柔毛が生えて、非常に甘くておいしいトマトになるという。ただ、リンゴはそんなものではないくらい難しいのだという。

どうやってその常識を破っていったかは、ぜひこの本を読んでみてみてください。最後は死のうとさえ思ったところから、見出した驚異の方法にびっくりすること請け合いです。

ここで少し、この常識を破るということを考えてみたい。それには、まず今の常識はちょっとおかしいなあ、何となく違和感があるなあというところから始まると思う。

そういう感覚はどうして生まれるのでしょうか。ぼくは、ものの本質を突き詰めていくことがあって、それの行き先が“自然”ということではないのかと思っている。最後は、人間って自然の中で生かされているし、人間そのものも自然である。

この世界にあるものはみな自然が作り出したものであり、それがなぜ存在するのかも自然が決めていることになる。だから、常識に違和感を感じるということは、それが“自然”ではないことからくるような気がする。

自然はまたバランスのとれた巨大なシステムでもある。だからそのバランスを崩すような常識はおかしいのである。こうした感覚が非常に大事なことだとこの本を読んで改めて思うのである。このあたりについてはまた別途書いてみようと思う。

再度、絶対に読んでみてください。勇気をもらえますよ。
 

奇跡のリンゴ―「絶対不可能」を覆した農家・木村秋則の記録
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2009.3.13
  • 石川 拓治 NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」制作班
  • 単行本 / 幻冬舎
  • Amazon 売り上げランキング: 44
  • Amazon おすすめ度の平均: 5.0
    • 5 1人でも多くの人に読んでもらいたい1冊です
    • 5 果樹農家の家で育ちました
    • 5 このライターにして、この本あり。
    • 5 すごい、すごい人がいたもんよなぁ
    • 5 傑作です!
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

2009年3月16日

失敗は予測できる

失敗学の畑村洋太郎の弟子である中尾政之さんの書いた「失敗は予測できる」(光文社新書)を読む。この予測できるというのは、失敗をモデル化、パターン化できることを意味している。

この中尾さんという人は、元日立金属に勤めていたひとでその後東大教授になった。だから、大学の研究室にとじこもっていたわけではないので非常に実践的である。ぼくも、工場勤務が長かったので書いてあることがものすごくよく分かる。

ぼくのいた工場でも、事故やトラブルがあり、そうしたとき分析もし、今後の対策を考えることが大変重要なことになる。だからこの本にも書いてあるように“ヒヤリハット”事例を集めてそれを小冊子にして配るというふうなこともやったし、日常のミーティングでKYといって危険予知活動もやった。だから、そうだそうだとうなずきながら読んだのである。

こうした、学問こそこれからどんどん出てきて欲しい。それこそ産学協同というのはこういうことなのである。

筆者は機械のエンジニアに関する事故や事件を200例近く集めて分析した結果、41の失敗のパターンに分類できるという。

ここでいちいち取り上げるわけにはいかないが、ぼくの経験から言えるのは人間とか組織とかいったものが要因となるケース、すなわちコミュニケーション不足によって引き起こされる失敗が多いような気がしている。そうしたら、この本でもそこについて5つの失敗シナリオが提示されていた。

1.「誰かがやると思っていた」(他人依存)(同意体質)
2.「自分はその道のプロだと過信していた」(自信過剰)(ワンマン)
3.「現状がわからず遠隔操作していた」(情報遅延)(誤判断)
4.「伝えなければならない人が多かった」(齟齬多発)
5.「効率的に仕事をしたつもりが干渉していた」(干渉発生)

これって、機械のエンジニアのことだけではないと思いませんか。システム開発の現場でもよくある話であるような気がします。そして、このような失敗は仲間内のようなフラットな小組織で、顔をつき合わせてやるような仕事環境では起こらないという。確かに大きな組織になればなるほどありえる話です。

そのソフトウエアの仕事でいうと、金額3億円以下の仕事では納期遅れがないという話も紹介されている。さらに、組織を管理できる範囲について、いくら優秀なトップエンジニアでも、ソフトウエアや研究開発の分野だと20人、機械のメーカーだと200人のグループまでだそうです。

こうしてみると、システム開発が大規模ウオーターフォール型開発から少人数によるアジャイル開発への流れていくのは、失敗学からいっても必然なのでしょう。

さて、この本でも失敗を分析できれば、それを予測できるということを示したが、それ以上に大事なこととして、失敗を回避すること、その失敗を生かして逆転することをあげている。PDCAサイクルではないが、分析―予測―回避―改善というサイクルを定常的にまわすということが重要なのだろう。

ただし、最大の問題は失敗は予測できてもそれを回避するとき人間の心理的要素が入り込むということである。昔、ありえないようなオペミスをした人になぜ失敗を繰り返したかと聞いてみると、家庭がうまくいっていなくてその日も夫婦喧嘩をして出社したということがあった。

これはどうしようもないことかもしれないが、「ああすれば、こうなる」式だけではいかないケースがあることを頭に入れておくことも必要なのだ。

この本は、ITに関わるエンジニアの人にとっても非常にためになるのでぜひ読んでもらいたい一冊です。
 

失敗は予測できる (光文社新書)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2009.3.15
  • 中尾 政之
  • 新書 / 光文社
  • Amazon 売り上げランキング: 8257
  • Amazon おすすめ度の平均: 3.5
    • 4 失敗を予測できるかどうかは、本を読んだ後に実証が必要
    • 5 失敗のかなりの部分は予測できる。
    • 1 類書の中ではイマイチ
    • 4 失敗は回避できる
    • 4 身近な事例が豊富
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

2009年3月19日

目標の置き方

「奇跡のリンゴ」の木村さんの話を知って驚愕したけれど、何かひっかかるものがあった。それが何かを考えていたら、ある疑問がわいてきた。

よくぞ無農薬でリンゴを作ることを目標にしたということである。すなわち、目標をどこに置くかということになるのだが、木村さんの場合、おそらく「農薬を使わずリンゴを作ってみせる」というのが目標ではなかっただろうか。

もしそこで「おいしいリンゴをつくること」あるいは「一本の木からいっぱいリンゴをつくること」が目標でもよかったわけである。

さらにいえば、それを合わせた「おいしいリンゴをいっぱい作りたいので農薬を使わないようにする」という目標もありえる。しかし、農薬を使わないことがおいしいリンゴをいっぱいつくれるという因果関係はないはずだから、そういう目標は立てづらい。

だから、「農薬を使わずリンゴを作ってみせる」という目標をよく立てたと思うのである。だってそういう目標は、結果についての保障がないわけだから、場合によっては目標どおり無農薬でリンゴができたが、それはまずくて食べられたものではないということだってありえるのだ。

木村さんの場合は、たまたま目標達成がおいしいリンゴができたという成果に結びついたわけだが、そうはいかなかった第2、第3の木村さんがたくさんいるのではないでしょうか。

ということは、あえて言うと、木村さんのやったことは確かにすごいことで賞賛に値するが、それをモデルにすることは考えた方がいいと思うのである。異常に探究心が旺盛な人が見つけた自分なりの目標を異常な執念をもって成し遂げた異常な物語であったというのは言いすぎだろうか。

ただし、間違ってはいけないのが、だからといって予想できる到達点を設定して、それに向かっていくということを奨めているわけではない。

例えば、マラソンでもいいし、登山でもいいのだが、世界記録だとか高さだとかといった明確な目標があって、そこにいたることで達成感を得るということは比較的やさしいのだと思う。ひところの日本のお家芸でもあった、アメリカという目標にむかって進めばいいというあれである。

これから重要になるのは、わかりきったものではない、誰もお手本を示してくれないような独創的目標を自分で設定しなくてはいけないということなのである。

ですから、木村さんは、ハウツー的な目標ではあったが、だれもやろうとしない、ある意味非常識といわれたことを目標に設定したことは大いに評価するのである。

この独創的な目標を設定しそれを成し遂げることができるひとをクリエーターという。日本人は、目標を設定してくれればそれを成し遂げる能力は大変すぐれたものを持っているので、この独創的な目標設定のところを強化すべきなのだ。ぼくは、それを「デザイン力」と呼ぶことにしている。

そのことに関して、ちょっと前に紹介した「失敗は予測できる」(中尾政之著 光文社新書)にもここのところに言及していて、いまや製造とかいった下流での失敗より、企画やデザインといった上流での失敗が重要になってきているとして、デザインが大事であるといっている。

ところが、いまの日本の大学ではそういうことを教えていないと嘆いていたのである。教えるべきなのにそれがないもののひとつは「Design Definition」(デザイン定義)だそうだ。スタンフォード大学にあって東大(慶応にはある?)にはないという。もうひとつが、日本の法学部には「立法学科」がないという。(だから、ろくでもない法律ばかり作る)

明治以来、技術は外国から輸入し、法律も外国のものをまねればいいやということだった名残りである。そうした時代は終わった、というかこれから新たな日本をデザインしていかなくてはいけないというのに、それを教えていないというのがなんとも情けない。

こうしたことを何とかしなくてはと思うのだが。
 

奇跡のリンゴ―「絶対不可能」を覆した農家・木村秋則の記録
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2009.3.13
  • 石川 拓治 NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」制作班
  • 単行本 / 幻冬舎
  • Amazon 売り上げランキング: 44
  • Amazon おすすめ度の平均: 5.0
    • 5 1人でも多くの人に読んでもらいたい1冊です
    • 5 果樹農家の家で育ちました
    • 5 このライターにして、この本あり。
    • 5 すごい、すごい人がいたもんよなぁ
    • 5 傑作です!
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

失敗は予測できる (光文社新書)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2009.3.15
  • 中尾 政之
  • 新書 / 光文社
  • Amazon 売り上げランキング: 8257
  • Amazon おすすめ度の平均: 3.5
    • 4 失敗を予測できるかどうかは、本を読んだ後に実証が必要
    • 5 失敗のかなりの部分は予測できる。
    • 1 類書の中ではイマイチ
    • 4 失敗は回避できる
    • 4 身近な事例が豊富
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

2009年4月 2日

千年働いてきました

世界で最古の会社はどこにありますか?テレビの雑学クイズじゃないが、この問題に答えられる人はどのくらいいるだろうか。それが日本にあると言われても出てこない。

答えは、大阪にある「金剛組」という宮大工を抱えた建築会社なのだ。創業が578年というから飛鳥時代からあるのだそうだ。なんと創業1400年になる。

これにはびっくりだが、日本には老舗と呼ばれる会社の数が多く、それらを取材したルポルタージュ本が「千年働いてきました」(野村進著 角川oneテーマ21)である。

老舗といっても、同じ事業だけをずっとやり続けているところももちろんあるが、現代的な事業領域で発展しているところが主に登場する。伝統の技術が形を変えて今に生きているという話である。ですから、われわれがいつも使っている携帯やそうしたハイテクに見えないように入り込んでいて、それがなかったら世界中の携帯電話が動かないというしろものなのだ。

そうした、老舗が生残る日本の社会について、著者は「職人のアジア」と「商人のアジア」を対比して、日本人が職人を尊ぶ風土が、他のアジアと違い「職人のアジア」を形成し、そうしたことから成り立つ会社が老舗になれると言っている。

ということで、この本のメッセージでいちばん興味があるのは、なぜそんなに長く続いているのかである。それを探るために、本に出てくる会社の家訓(社訓)や言い伝えを拾ってみた。

電解銅箔などを生産している“箔”の会社である福田金属

相場好きな人間や山っ気の多い人間は、「友として身の害成すべし」と戒め、「鈍き人も誠有人」を友とせよ

醗酵技術を生かしてライスパワーエキスを製品化した酒屋である勇心酒造
「不義ににして富まず」

自然ロウを生産するセラリカNODA
「私欲を起こせば家を破壊する」

金箔の技術でスタンピング・フォイルに進出したカタニ
「伝統は革新の連続」

ショベルのトップメーカー浅香工業
「良品は、声なくして人を呼ぶ」

なるほどと思いますね。これらをまとめて著者が老舗製造業5つの共通項をあげていた。

1. 同族経営は多いものの、血族に固執せず、企業存続のためなら、よそから優れて人材を取り入れるのを躊躇しないこと
2. 時代の変化にしなやかに対応してきたこと
3. 時代に対応した製品を生み出しつつも、創業以来の家業の部分は、頑固に守っていること
4. それぞれの“分”をわきまえていること
5. 「町人の正義」を実践してきたこと(売り手と買い手とが公正と信頼を取引の基礎に据えてきたこと)

なのである。でも、これって老舗に限らず、ベンチャーだって同じかもしれないと強く思った。
 

千年、働いてきました―老舗企業大国ニッポン (角川oneテーマ21)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2009.3.28
  • 野村 進
  • 新書 / 角川グループパブリッシング
  • Amazon 売り上げランキング: 7259
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.5
    • 4 暖かな眼差しと畏敬の心
    • 5 日本の知られざる巨人たち
    • 5 ビジョナリー・カンパニー
    • 4 掘り下げは浅いがこれでいいと思う。実に楽しく読むことができた。
    • 5 TBSはパクったの?
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

2009年4月 7日

小飼弾の「仕組み」進化論

Danさんが書いた本なので興味があって買ってみた。テーマは「仕組み」についてで日本実業出版社から刊行された。

「仕組み」って「システム」のことなのになぜその言葉を使わないのかと思ったが、微妙に意味が違うように思う。システムではなく仕組みというと、どちらかというと個人の仕事や生活に関わる“道具”に近い意味になってくる。だから、後述のような新しい働き方を提案しているのでその言葉の方がたしかに合っている。

それはそれとして、Danさんは書評家としても有名なようにあらゆるジャンルの本を片っ端から読んでいるので、本の書き方が読者にわかりやすいように構成されている。この辺はさすがだ。

ただ、中味はというとぼくにとってはそんなに目新しいことでもないし、それこそ、ビジネスプロセスを考えていると必然的に仕組みつくりに辿り着くのですーっと読んだ。

この本での主題が、新20%ルールといって、「既存の仕組みを回す仕事を勤務時間の20%で終わらせ、80%を新しい仕組み作りにあてる」というものである。まあ、これがクリエイティブなスタイルだというわけである。

もちろんおもしろいものもあって、そのなかでは「生物の仕組みに学べ」というのがる。前から言っているようにシステムのめざす目標は生物化ですから、同じようなことを言っている。そして、生物ならではの仕組みの特徴として次の3つをあげている。

(1) 生きていれば最適である必要はない
(2) 一度使った仕組みは、失敗も含めて手放さない
(3) できることだけを行い、出来ないことは無視する

これをシステム作りに生かせないだろうか。ついそんなことを考えてしまう。

読みやすいので一気に読め、章ごとにポイントをまとめてくれているのでわかりやすい。これは重要なことで難しいことを簡単に書くことは大事である。

ところでDanさんが大学生のころ化学分野のエンジニアを目指していたとは意外であった。仲間みたいでうれしくなった。
 

小飼弾の 「仕組み」進化論
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2009.4.5
  • 小飼 弾
  • 単行本(ソフトカバー) / 日本実業出版社
  • Amazon 売り上げランキング: 257
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.0
    • 3 「仕組み」も生き残るために進化させよう
    • 5 管理職、経営者の方には特にレバレッジの効く本
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

2009年4月13日

思考停止社会

最近、世の中どうもおかしいという気がしていて、それが何なのかがなかなか分からないでいたら、「思考停止社会 「遵守」に蝕まれる日本」(郷原信郎著 講談社現代新書)を読んでいくぶんその謎が解けたような気がした。

題名から受ける印象だと、あまり深く考えないようにして誰かの言ったことに便乗しているという感じだったが、中味はちょっと違うようだ、たしかに、「遵守」すれば何事もいいのだというとこらから思考停止に陥るということのだが、思考停止というより、本質を見誤った思考形態が蔓延しているとでも言った方があたっている。

だから、マスメディアが伝えることを無批判に受入れてしまい、そのマスメディアそのものも安易に情報を操作し垂れ流す愚を繰り返す。

しっかりと、そうした事象が起こった背景や本質的な問題はどこにあるのだといった深い洞察力を持たなくてはいけないと思う。

そして、著者は「法令遵守」と「規範遵守」をわけて考える必要があると言っている。最近になって金科玉条のように「コンプライアンス」という言葉が闊歩している。このコンプライアンスを法令遵守のこであるという以上に考えている人がいて、それが規範遵守の領域まで入り込んでしまうことが問題なのである。

この問題は、日本人の法律感が大きく影響しているという。すなわち、日本の社会では昔から法は社会の周辺にしか存在しないものであると思われていて、自分のことで考えてみても身近に法はなかった。社会的なトラブルは、慣行や話し合いで解決してきたように思う。

それが、経済社会となり、アメリカの考え方が入ってきて、どんどん「法化社会」に変貌してしまったのである。法の意味や使い方に慣れていない日本人がいきなり「法令遵守」だと言ったってうまく対応できないのである。

そんなひずみが「隠蔽」「偽装」「捏造」「改ざん」といった事象に現れているのだが、単純にそういうことに対して、魔女狩りのようにいっせいに叩いて、問題の本当の解決にはならないと説いている。

著者は、あの期限切れ原料問題で揺れた不二家の信頼回復対策会議の議長を務めたひとで、その経過を実際に詳細に調査したので、誤ったバッシングを非常に強く批判している。特にTBSの「朝ズバッ」には相当腹を立てている。あのときのみのもんたの発言が非常に大きく影響し、山崎パンに会社を売る遠因になっていると指摘している。

この問題も含めて、耐震偽装や社保庁の年金改ざんや裁判員制度にもおよび、ぼくらが単純に知らされていたこととは別の面からみるとぜんぜん違った見方がることを教えてくれて、眼からうろこである。

これは必読の書である。
 

思考停止社会~「遵守」に蝕まれる日本 (講談社現代新書)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2009.4.8
  • 郷原 信郎
  • 新書 / 講談社
  • Amazon 売り上げランキング: 1201
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.0
    • 3 盲目的な規則「遵守」をせまる社会とそこからうみだされる問題の指摘
    • 5 自分の頭で考えよう
    • 4 遵守から、「真の法治社会」へ―経済法のスペシャリストによる緊急提言!!
    • 5 「法令遵守」だけでは問題は解決しない
    • 4 胃散を飲みすぎる人たち
Amazon.co.jpで詳細を見る


 


2009年4月18日

向田邦子と昭和の東京

ぼくらぐらいの年齢になると、平成何年に何があったということより、昭和何年にはこんなことがあったという記憶の方が鮮明である。昭和34年に皇太子ご成婚があり、昭和39年に東京オリンピックがあり、新幹線が開通した、昭和44年に安田講堂というようにかなりはっきりと覚えている。

平成だとむしろ西暦になってしまうのである。1990年にバブル崩壊、2002年FIFAワールドカップ日韓協働開催とかいうふうにである。

「向田邦子と昭和の東京」(川本三郎著 新潮選書)はそうした昭和の時代について、向田邦子という優れた作家・エッセイストの特に東京での暮らしぶりから探っている。だからぼくらにとっては非常に懐かしいとともに、自分の子供のとき、そして青春のときと重ね合わせて甘くすっぱい気持ちに陥ってくる。

いまの若い人にとっては、知りようもないことが随所に出てくるのでまあ読まないと思うので、若干解説じみてしまうが今とどんなふうに違うのかの一端を紹介しようと思い、この本に出てくる昭和の「言葉」と「食」と「町の風景」について見てみる。

向田邦子が好んで使った古い言葉のいくつかを書く。まずは、「しくじる」という言葉である。いまでなら「失敗する」という。この言葉に対して著者は、「失敗」より「しくじり」の方が愛嬌がある。「失敗」は許されないが、「しくじり」なら許される感じがすると言っている。

次に出てくるのは、「お出掛け」、「シャボン」、「ご不浄」「たち」などである。その中でもおもしろいものに「たち」というのがある。

昔ぼくらも親や世間から「男のくせに」とか「女のくせに」とか「子供のくせ」にというように、それぞれでこうあるべきだという型や規範があって、それから外れるとそう言われた。ところがそればかりだと型苦しくていやだということで、そういわれたとき「こればっかりは、たちだからしょがない」という反撃の言葉も用意されていたのだ。

いま出てきたような言葉は、温かさがあったように思う。今では、家族でお出掛けも少なくなってしまったし、「トイレ」、「石鹸」じゃあ味気ないように思うのである。

さて、食であるが、ライスカレーとカレーライスの違いが書いてある。向田邦子に言わせると、おもてでお金を払って食べるのがライスカレーで、自分の家で作るのがライスカレーなのだそうだ。これは何となく分かるような気がする。

しかし、ぼくはだいぶ大きくなるまで外でカレーライスを食べたことがなかった。カレーは自分の家でライスカレーを食べるものと決まっていたからだ。

向田邦子の食に対するこだわりを知るには、テレビドラマ「寺内貫太郎一家」の食事風景を思い出すといい。この番組では、朝ごはんは必ず、ごはんと味噌汁(おみおつけと言う)と白菜の漬物である。

また自分のことになるが、うちも必ずそうで、もちろん白菜は自分の家で漬けたものである。昭和の食卓は、貧弱なものであってもぬくもりがあった。

さて、最後に町の風景で思わずそうだったとひざを叩いたのは、「傘をもってお迎え」のことである。不意の雨のとき、その頃の子供たちのやらなければいけないことは、最寄りの駅に傘をもってお父さんを迎えることなのだ。夕方はそうした子供たちで駅は溢れる。傘を受け取った父親は「お」と言うだけである。

今はこんな風景は見られない。折りたたみ傘もあるし、ビニール傘もすぐに買えるし、何ならタクシーで帰ってきたらとなる。何かが失われているように思えてならない。

読み終えてしばらくは目の前がセピア色になっていた。
 

向田邦子と昭和の東京 (新潮新書)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2009.4.16
  • 川本 三郎
  • 新書 / 新潮社
  • Amazon 売り上げランキング: 106807
  • Amazon おすすめ度の平均: 5.0
    • 5 本当に昭和は遠くになりにけり
    • 5 「単なるノスタルジー」でいいじゃないか
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

2009年4月25日

捌き屋

“さばきや”と読む。浜田文人原作の小説である。実は著者である浜田文人さんとはときどき行きつけの店で会う人で、ぼくよりひとつ下ですが、ほぼ同年代、すなわち団塊の世代である。だから、昔の話をするとぴったり合ってしまい、ついそのあたりの話が中心となる。

そんな浜田さんが書いた本を読まないわけにいかないので(ちょっと不純だが)、遅まきながら「捌き屋Ⅰ、Ⅱ」(幻灯舎文庫)を続けて読む。

捌き屋という言葉も存在も聞きなれないが、要するに表に出せない組織間のトラブルを解決する交渉人のことである。ただ、それを“捌く”という言葉を使ったところに、その存在をうまく表現できているように思う。

単に“交渉人”では、ビジネスライクに渉りあって、強弱や正邪の結果で交渉が決まるようなイメージになるが、“捌き屋”というと、理屈とか、規範とかそうした枠ではなく、清濁合わせて落としていくという感じで、まさに裏社会を捌く。

こういう小説の重要な要素は、主人公のキャラクターである。そういう意味で、主人公である鶴谷康は魅力ある人物に描かれている。もちろん、頭は切れて、胆力溢れ、女に持てるのは必須であるが、不幸な過去をひきづるニヒルさも併せ持ち、その非情さの奥に一瞬見せる優しさがいっそうの魅力となっている。

「捌き屋Ⅰ」では、神奈川県の下水道処理場にまつわる建設業界を中心にした疑惑を、「捌き屋Ⅱ」では、新薬開発をめぐる製薬会社や教授、役所、医師会などのごちゃごちゃした関係を捌いていく。その、トラブルを少しずつ解いていくプロセスが非情にスリリングでおもしろい。

鶴谷康の周辺に登場する人物も魅力をもっていて、特に子供のときからの親友である白岩光義、彼はれっきとしたヤクザであるが、大阪大学出身のインテリとして描かれ、時として主人公を支える役回りである。

もうひとり、藤沢菜衣という銀座の一流クラブのママも主人公の重要な情報源として登場してくる。昔は鶴谷とは恋愛関係があったが、今はそうした関係ではなくなっても、依然として乾いた親密さを保っているという設定である。この二人とのからみのなかから、鶴谷の過去が少しずつあぶりだされるという仕掛けなのである。

ぼくは、比較的こうした小説は読まないほうなのだが、意外とというと浜田さんに怒られてしまうが、見直してしまった。最近では、草食系男子がもてはやされる時代だそうだが、この主人公の鶴谷康のようなハードボイルドダンディー(肉食系男子というのとちょっと違う)もいいものですよ。
 

捌き屋―企業交渉人 鶴谷康 (幻冬舎文庫)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2009.4.25
  • 浜田 文人
  • 文庫 / 幻冬舎
  • Amazon 売り上げランキング: 467991
  • Amazon おすすめ度の平均: 1.0
    • 1 オビ煽りすぎ
    • 1 お進めできません
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

捌き屋〈2〉企業交渉人鶴谷康 (幻冬舎文庫)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2009.4.25
  • 浜田 文人
  • 文庫 / 幻冬舎
  • Amazon 売り上げランキング: 478196
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

2009年5月 3日

越境の古代史

副題が倭と日本をめぐるアジアンネットワークである「越境の古代史」(田中史生著 ちくま新書)を読む。

紀元3世紀から10世紀ぐらいにわたって繰り広げられる日本-韓国-中国の東アジアの交流を追ったものである。今では、障害もなく行きかう地域ではあるが、そんな昔も驚くほど行き来があったことに驚かされる。

ということは、昔も今もあまり変わらないのではないかと思ってしまう。そりゃあ、現象的にはぜんぜん違って見えるのだが、根本のところは同じように思える。

その例として、国際的な交流というのは、民間のというか、商人のビジネスとして盛んになっていくのだが、そこには無秩序の関係があったわけではなく、実は権力の庇護がなければ成立しないという話しが出てくる。

実は、この東アジアのネットワークというのは、日本の九州から朝鮮半島の南、そして中国沿岸部で形成されているのだが、地図をながめると、奄美・沖縄列島が直接中国とつながるのがわかるが、そのルートで交流はその時代にはなかったのである。

それがなぜかというと、政治的な安定がなかったことに起因するという。渡来人が琉球列島にたどりついても安全を保証されるシステムがなかったからである。なるほどと思う。

その点、倭から日本、朝鮮半島で言えば、百済、新羅、高句麗、中国では唐といった政治的に集権化されたある種の安定性があるからこそ交流が起こったのである。そして、いうまでもなく軍事である。力関係を維持、拡大するための同盟による人的、物的交流である。

こういうことは現代でも同じで、結局、軍事的な地政学的背景のもとに中央集権的機関による外交と分権化された地方と現実に商業的かつ文化的な取引を行なう民間という相互依存の関係性が国際的なネットワークとなっていくという事実である。

それにしても、日韓中の古来からの関係を知ると、仏教、漢字に代表される東アジア文化圏をベースにグローバル化した現代でよりよい関係を築けないかと思う。

ところが、はたと気がつくのは、いまわれわれがこうしてふり返ると何百年の単位で見ているわけで、そういう見方だと何となく仲良くやっているように錯覚するが、実は微視的な期間で見ると争いが絶えなかったことも見えてくる。やはり、マクロ視点で長期的に見ていくことが必要なのだろう。

この本とは直接関係ないのだが、中国人と朝鮮人と日本人はどこがちがうのだろうかと思うことがある。そこでいつも考えるのは、それぞれのDNAに刷り込まれているものとして、人類がアフリカで誕生してから移動して、途中で定住しながら、そこを生活圏として、国家を作り、文化が生まれたわけだから、留まるものと先に進むものとの精神の違いみたいなことがあるのではないかということである。

すなわち、大陸の中国で根をおろしたやつと、さらに東に行こうとしたがその半島でもうここでいいやと思ったやつと、さらに東に行ったがついに太平洋に阻まれてそこにとどまったやつで、その人間のタイプが違ってやしないかということである。

ということは日本人は元来進取の精神に富んだチャレンジャーだったのではないかと類推するのである。

ところが、そんな人間ばかりなら、いまの体たらくはないわけで、きっと途中でとどまる勇気もなくて、何となく誰かにくっついていけばひょっとしたらいいことがあるかもしれないと思っていた付和雷同型のやつもいたはずだから、今はそうしたDNAが優勢になっているように思える。

話は脱線しましたが、この本はいろいろな土地や人の名前がいっぱい出てくるので分かりにくいのですが、古代の東アジアネットワークという姿を知ることは楽しいことだと思いますので読んでみてはいかがですか。
 

越境の古代史―倭と日本をめぐるアジアンネットワーク (ちくま新書)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2009.5.3
  • 田中 史生
  • 新書 / 筑摩書房
  • Amazon 売り上げランキング: 21086
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.0
    • 3 古代史を書き換える活発な国際交流
    • 5 はじめに「交流」があった―古代史のダイナミズムを堪能!!
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

2009年5月 6日

ふるさと鎌倉

うちのばあちゃん(ぼくの母親)と、定額給付金を何に使うかという話をしていたら、先月発売された「ふるさと鎌倉」(郷土出版社)を買うという。実際に購入したので見せてもらった。

鎌倉市制70周年を記念して制作された写真集で、400点あまりの写真が掲載されている。ぼくは、生まれも鎌倉なので、だいたいの写真の雰囲気がわかる。やはり、この歳になると、郷愁というか過去を懐かしむようになる。

それにしても、このたかだか50年あまりでずいぶんと変わったものだ。急速に田舎が都市へと変貌する姿は驚きである。”昭和は遠くなりにけり”ということなのだろう。


P1001334.JPG


ぼくが通っていた小学校です。写真が撮影されたのがぼくが小学校4年生のときで、写っている子供とほぼ同学年だから、実に懐かしいのである。


P1001337.JPG
 

2009年5月10日

情緒から論理へ

まさに待ってましたというタイトルの本だ。書いたのは「リング」や「らせん」などでおなじみの鈴木光司で、この「情緒から論理へ」(ソフトバンク新書)は期待にたがわずよく書けていると思う。

帯に藤原正彦氏「国家の品格」に異義アリ!とあるように、情緒的なものに流れて言ってしまう風潮に警鐘を鳴らしている。まさに、今の世相、例えば非正規社員やワーキングプアのような話や温暖化の問題などは、論理的に考えるべきことをどこかに置いてしまって、情緒的に、かわいそうだとか、そもそもそういうものだといった感情が支配してしまっている。

そして、マスコミはそれに逆らうのがこわいものだから、迎合した論調で煽り立てる。ますます、非論理的言論がまかり通ることになる。

この本に書いてあることは、ものすごくまっとうなことで、冷静に“論理的”に読んでいくと全くその通りと言える。

著者は、現代の様々な事例と過去の戦争での教訓をもとに、日本人がいかに情緒的な民族でそれで失敗したかを書いている。いちいちうなづいてしまった。

ただ、気をつけなくてはいけないのは、論理的というと頭に“屁”がつきそうな理屈っぽいことを指すと思っている人がいて、むしろ否定的にとらえられることである。著者はもちろん分かっていて、そこをも論理的に説明している。

それは論理的か情緒的かの2者択一の話ではないということである。要するに、論理的にすべきところと情緒的である部分は必ず並存するのである。ただ、言えるのは、上位概念は絶対に論理的でなくてはいけないのである。ここを間違ってはいけない。

きちんと、論理を組み立てて、その中でどうしても理屈通りにいかないことがあって、そこは情の世界になるというのが正しいのである。

この本を読んでいて、日ごろぼくが言っていることと似かよっているところが多くてびっくりする。

今言ったような論理と情緒というのは、業務プロセスを考えたときに、定型的でシステマチックに考えられるマクロワークフローと人間主体である意味情緒的な業務処理になるミクロワークフローの組合せで成り立っているといったことである。

また、著者は論理的思考で大事なのは、大局観を持つことだと言っている。これも以前書いた囲碁の喩えで、すぐに四隅の生き死に行くな、まずは布石を打ってからだというのに通じると思う。

そして、著者のこの本の前の「なぜ勉強するのか?」に書いていた、勉強というは、理解力、想像力、表現力という3つの能力を高めるためにあるという論に対しても、ぼくは、身につける能力として3つの“I”ということを言っていて、Imagination、Idea、Intelligenceが大事であるとしている。どことなく似ていると勝手に思っています。

ということで、この論理的な態度というものはものすごく重要です。ぜひこの本を読んでついウエットになりがちな頭を少しドライにしてもいいのではないでしょうか。
 

情緒から論理へ (ソフトバンク新書)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2009.5.8
  • 鈴木 光司
  • 新書 / ソフトバンククリエイティブ
  • Amazon 売り上げランキング: 15540
  • Amazon おすすめ度の平均: 2.0
    • 4 論理と情緒
    • 1 タイトルは良いのですが
    • 1 お気楽な憂国論
    • 2 陳腐な文句の羅列
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

2009年5月14日

一勝九敗

この悪化した経済環境のなかでもしっかり業績を伸ばした会社にファーストリテイリング(ユニクロ)がある。その創業者である柳井正が3年前に書いた「一勝九敗」(新潮文庫)を読む。

表題の一勝九敗というのは10回のうち成功は1回であとの9回は失敗であるという意味である。失敗を糧にすれば成功の深さが大きくなるということでもある。

まあ、これは起業家なるがゆえに言えることかもしれないが、言葉どおり数々の失敗を乗り越えて現在のユニクロを作ってきたことが書かれている。

柳井正はぼくと同じ学年だから、学生時代に政治運動に走るわけでもなく、マージャンに明け暮れたなんて話に思わず共感してしまう。そんな普通の若者がこれだけのカジュアルウエア会社にしたのだから驚きである。

ところが、本を読んでみると、それがすごい経営戦略だったり、ものすごく運がよかったとかいう話ではない。同じようなことを言う人はいるかもしれないが、それを“すぐに”実践したことにこのひとの真骨頂がある。

普通のひとは目の前にあるリスクに立ち往生してしまうが、この人は失敗を恐れず立ち向かう意気があるのだ。このハイリスクハイリターンに挑んだからこそ今の地位があるわけで、そうでない会社は、変わらないことを是としたわけで、それでは今のような環境では立ち行かなくなるのが必然である。

それにしても、たいしたものだ。ぼくはまがりなりにも起業しているので、その心意気にすごく感心させられる。それと同時にきちんとした理念、事業方針、人材育成といったことを自らの頭で作り上げて実践していることに敬服する。

正直言って、最初のころは、そのうち頭打ちになってつぶれるんじゃないかと若干思ったりした。しかし、製品の品揃えにしても、広告にしても、従来の発想とずいぶん違うものを提供するようになって、これはすごい会社だなあと実感したのである。

ユニクロ(この名前は、ユニーク・クロージング・ウエアハウスからきていて、当初UNICLOだったのが、間違えてUNIQLOと商標登録してしまったという小ネタです)は、当初は安かろう悪かろうのイメージもあったが、フリースの大ヒットで、品質や機能も悪くないものを安価で提供する会社であるという評価となった。

ぼくは、個人的にはそういうことより、世代間のギャップがなく着られるカジュアルウエアというスタイルを作ったということ大きいと思っている。

柳井正は学生時代はVANを着ていたらしく、きっとボタンダウンのシャツを着て、右手に平凡パンチ、左手に朝日ジャーナルだったのではないだろうか。その影響もあって、年代や性別を超えたスマートなカジュアルウエアを指向したのであろう。

ひと昔前のおじさんはカジュアルというとゴールデンベアのポロシャツにベルトレスのゴルフズボンなのであった。それが、ユニクロのオックスフォードシャツとチノパンを着だしたのである。

これには、クールビスも少しは寄与しているように思う。ネクタイをしなくてもいいと言われたらどうしたらいいかわからなくなったおじさんたちが、ユニクロに押しかけた。そして、みんな同じものを買うわけなので、一瞬同じ服を見つけ気まずい思いもしたのである。

ただ、品質という面での耐久性についてはひとことあって、これについては以前書いたのここでは書かない。

これから起業しようとしているひとはぜひ読んでもらいたい。ただ、ここにも書いてあるように、今の日本では多くの障壁があることを覚悟しなくてはいけない。話はそれるが、著者もこの「覚悟」というのを強く言っている。覚悟の最も重要なことは何かというと、誰の責任にもしないということである。

それができるなら起業という選択肢はありです。

話を戻すと、ぼくたちの住んでいる国は、どうもスタートアップには非常に冷たい国で、だからこそ覚悟をもって挑んでもらいたいのである。(もっと気楽にやれたらと思うのだが)この本の中でも、税制で急激に成長した会社を援護するどころか、つぶしかねないような制度という話が出てくる。クロネコの小倉昌男も同じことを嘆いていた。

わが国の制度疲労がもうどうしようもないところまで来ているかもしれない。そんなとき、仕方ないとあきらめるのではなくチャレンジしてほしいのである。そうしたことが制度を変えるきっかけになるかもしれないのだ。

そんな思いを再認識させられた本であった。
 

2009年5月22日

日本でいちばん大切にしたい会社

この手の本でこんなに泣かされた本は珍しい。それも大粒の涙を流したのである。そんな本が「日本でいちばん大切にしたい会社」(坂本光司著 あさ出版)である。

非常にある意味ユニークでそして何よりも創業以来増収増益を継続的に達成しているという優良会社5社の事例が掲載されている。もちろんよく知られているような大きな会社でもない。それらの会社を簡単に紹介すると、

1. 日本理化学工業(株):社員の7割が障害者というダストレスチョークを作っている会社
2. 伊那食品工業(株):寒天という斜陽産業でありながら48年間増収増益を確保
3. 中村プレイス(株)日本で一番辺鄙な場所にありながら世界的にも注目される義肢メーカー
4. (株)柳月:「お菓子の町帯広」にこだわりながら、おいしいお菓子を作り続ける
5. 杉山フルーツ:さびれた商店街にある、自分の目で選ぶ品質の確かな果物を届け続ける

そして著者はこれらの会社の共通点について、まずは誰のために経営するのかという観点から、その対象に対する順番が大切であると説いている。

すなわち、最近では株主第一だとか顧客本位だとか言われるが、そうではなくて一番大事なことは「社員とその家族を幸せにすること」だという。その次が「外注先・下請け企業の社員の幸せ」、そして「顧客」「地域社会」「株主」であるという。そういえば、世の多くの会社は順番が反対のような気がする。

そして非常に同意するのは、上記の5社がみな否定する5つの“言い訳”のことである。その5つというのは、「景気や政策が悪い」「業種・業態が悪い」「規模が小さい」「ロケーションが悪い」「大企業・大型店が悪い」ということだそうです。それで、その言い訳をする経営者は「わが社の業績があがらないのは外部環境にある」と言うのである。

この言い訳は上の5社には通用しないことがわかりますよね。決して大きくなくロケーションも悪く、斜陽産業でありながら、景気が悪いときでも利益を上げている。

その秘訣がこの本に書いてあるが、やはりなんと言っても経営者自身の“志の高さと質”だと思う。そしてそれをやりとおす精神力なのだろう。

ただ、この本に出てくることを大きな会社でできるだろうかという疑問が湧いてくる。少数の従業員だからこそ、従業員第一が貫ける気がするのだ。何万人の会社で従業員みなの幸せを追求できるのだろうか。

そう考えると、いまのような大企業のあり方自体が間違っている可能性がある。いまの経済危機でとんでもないことになっている大企業が再生できるのは、ここに登場したような規模と性格の事業に分解し、それをネットワーク化するような企業体に変わった方がいいのかもしれない。

まあ、それはともかくこの本に書いてあることは素直に感動します。会社のあり方、会社での勤め方、お客さんとの接し方など原型的なところを見直すいい機会となるはずです。ほんとうにイチオシの素晴らしい本です。
 

日本でいちばん大切にしたい会社
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2009.5.22
  • 坂本 光司
  • 単行本(ソフトカバー) / あさ出版
  • Amazon 売り上げランキング: 243
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.5
    • 5 日本から世界に向けて発信すべき書籍
    • 5 組織として一つになれているか
    • 5 涙が出る。自分の会社をここまでするにはどれだけ努力すればいいのだろう?
    • 4 心があったかくなる本でした。
    • 5 会社は誰のものか?ということを経営者は考えてほしいとおもいます
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

2009年5月30日

徹底抗戦

先に、ユニクロの柳井さんの書いた「一勝九敗」という本と非常に優れた経営を行なっている中小企業を紹介している「日本で一番大切にしたい会社」という本を読んで、会社の経営について考えさせられた。

いま言ったような会社とは異質というか対極にあると思われているライブドアという会社の元経営者であったあの堀江貴文が書き下したのが「徹底抗戦」(集英社)である。

徹底抗戦というのは、ご存知のとおり2006年1月に逮捕され起訴され、1,2審で有罪判決を受けたが、不服として最高裁まで上告して徹底的に戦うことを宣言していることを言う。

あの当時のバッシングに比べると今はずいぶんとホリエモンに好意的な風潮になってきたと思うが、この本で彼が主張しているように“検察にはめられた(ねらわれた)”感は確かにある。

このライブドア事件でホリエモンが問われた罪は、「偽計及び風説の流布」と「有価証券報告書虚偽記載」の二つである。検察はそれを彼が主導して計画的にやったと言っているのだ。

当然ホリエモンは犯意を否定しているが、ぼくも彼には犯罪を犯そうという意識はなかったと思う。だから、経営者としての責任はあるかもしれないが、刑事責任を問うような話ではない。仮に前述のような犯罪があったとしても経営者が逮捕されるようなことはこれまでなかったように思う。

むしろそんなことで簡単に刑事責任を取らされるとしたら経営者なんか恐くてやってられないというのが正直な気持ちだろう。この事件によって、起業したいと思っていた人たちが萎えてしまい、ベンチャーが現れなくなった。ここは非常に大きな悪影響を残してしまった。

さらに、逮捕が月曜日でそのため市場の反応が過剰となり、東証も上場停止というひどい仕打ちをする。しかも、そのために株価が暴落して株主に損害を与えたとして訴えられてもいるのだ。

つい最近もその株主訴訟の東京地裁の判決がでて、約231億円の賠償を求めていたが判決では総額76億2800万円の支払命令であった。

こうして本を読むと、もちろん自分中心になるから、全部がその通りというわけにはいかないだろうが、著者がでたらめなことを書いているようには思えない。ということは、マスコミの影響もあって「疑わしきは有罪」という司法の変節があるのだろうか。

それにしても、検察の恐ろしさに身震いする。検察庁というのは、捜査、逮捕、起訴を同時にできるわけで、そうなると自分で捜査した事件は、意地でも不起訴にはしないのだ。だから、検察ににらまれたら終わりである。

まあ、普通の人はだいじょうぶだろうが、“出る杭”はあぶないということである。それが、日本のイノベーションを阻害していることを検察は知っているのだろうか?

その当時のライブドアは、ユニクロや「日本で一番大切にしたい会社」とは、ずいぶんとかけ離れていたと思うが、新しいビジネス分野で会社を起したわけで、そこは脇が甘かったり、金儲けに走ったこともあったと思うが、経営者をここまで痛めつけることはなかったのではないだろうか。
 

徹底抗戦
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2009.5.24
  • 堀江 貴文
  • 単行本(ソフトカバー) / 集英社
  • Amazon 売り上げランキング: 512
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.0
    • 4 まだまだ筆者には期待できる
    • 5 ライブドア事件から日本は多くのことを学び直す必要があると思います。
    • 3 なるほど
    • 4 ライブドア事件に興味のある方にお薦めします。
    • 3 面白いが痒いところに手が届かない
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

2009年6月 6日

社会をつくる自由

近頃、コミュニティばやリである。どうもこの言葉の響きから何やら居心地のよさそうな感じがする。しかし、居心地のいいことがいいコミュニティかというとそうでもないのではないだろうか。単なる仲良しクラブじゃんという思いもある。

そんなわけで「サロン化のワナ」というタイトルでこのことをエントリーしようと思っていたら、同じようなことが書いてある本に出会う。「社会をつくる自由」(竹井隆人著 ちくま新書)である。著者はまだ40歳の気鋭の政治学者で集合住宅を通して社会を見ている。

まずは、「通俗的なる自由」と「社会をつくる自由」との対比を見せるが、この「社会をつくる自由」があまり聞きなれないし、よく分からない。そこで著者は、ゲーテッド・コミニティというコミュティを持ち出す。

このゲーテッド・コミニティというのは、“全体の周囲に、高い塀やフェンスといった外壁を張り巡らせて、取り囲み、その出入りは監視を施した数箇所のゲートに限定するという多数の住宅で構成される居住区“をいう。アメリカでこういう言い方で呼ばれるようになったが、日本では分譲マンションがそれに似ている。

著者は、この分譲マンションの管理組合のような組織に参加していくことが「社会をつくる自由」を得る萌芽になると述べている。すなわち、仲良し同士で好き勝手に自由気ままに振舞うことではなく、利害が一致しないかもしれない人々とのコミュニティこそ、個人が社会と向かい会う場なのであるということである。

そしてそこには、「責任」ということが自覚されなければいけないと言っている。単なる仲良しコミュニティの無責任さに異議を抱いている身にとっては納得である。

その他、住民運動、エコロジーやコンプライアンス、格差論議などの「いかがわしさ」もすぱっと切り捨てる。かなりの部分共感できて、読んでいて気持ちよくなる。

結局、「集合住宅デモクラシー」という概念を提示しているが分かるようでわからないところがあるのでよく考えてみたいと思う。集合住宅に入れない人はどうなるんだろうかとか。

それと、コミュニティというとネット上のコミュニティのことが言及されていないのである。そこのところは現代では重要なテーマであると思うので、ネットのコミュニティが仲良しクラブなのか、それとも新たな個人と社会の関係性をもたらすものであるのかを論じてほしかった。
 
 

社会をつくる自由―反コミュニティのデモクラシー (ちくま新書)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2009.6.3
  • 竹井 隆人
  • 新書 / 筑摩書房
  • Amazon 売り上げランキング: 123865
  • Amazon おすすめ度の平均: 2.0
    • 3 ひとつのオピニオンとして
    • 1 安直な家族主義礼賛に辟易
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

2009年6月 9日

日清戦争 「国民」の誕生

日本が近代で初めて対外戦争を仕掛けた日清戦争がどんなものであったかは、歴史的事実としてある程度は知っているが、国民の目線で戦争をどう感じていたかはわからない。そんなアプローチで書かれた「日清戦争 「国民」の誕生」(佐谷真木人著 講談社現代新書)を読む。

ですから、この本に出てくるものが、新聞、唄、演劇、子供の遊びといった社会現象的な捉え方が多くなっている。

この戦争は「巨大な祝祭だった」と述べているように、国民がこぞって参画し支持したものであり、国中が浮かれていたのである。今から考えると信じられないほどナショナリズムが芽生え、一丸となった。

その空気を作ったものにメディアの存在が大きいことが書かれている。この場合のメディアは新聞である。それまでは、世の中に伝播する大きなメディアがなかったが、この戦争では、やっと出てきた新聞ジャーナリズムが重要な役割をはたすこととなった。

はじめて従軍記者なるものが登場し、戦争を報道したわけではあるが、それはみな日本軍を称賛する記事で溢れるのである。それでしか、戦争の実像をしりえない国民はその記事を見て熱狂したのは言うまでもない。

そうした雰囲気の中で醸成されたのが、これまで歴史的に日本と中国との関係は対等に近いものがあったのが、日本の優位性、先進性を共有するようになり、“文明的に遅れたかわいそうな中国を救ってやるのだ”という驕りである。これはずっと引きずっていく。

それは、別の意味で「国民」が形成されたことであり、「国民国家」の誕生でもあったのだ。そして、その国家がご存知のように後のいくつかの戦争を経て、太平洋戦争で破滅するのである。しかし、その太平洋戦争と日清戦争とでは国民の意識は大きく変貌しているように思う。

ただ変わらないのは、メディアの影響力の大きさであろう。結局、言論を封じ込んで広範で柔軟な議論ができないように規制して、いつのまにか偏狭な“空気”を作ってしまうのであるが、それは今も残っているようで怖ろしくなる。

たかだか百十数年まえの戦争であるだが、今とはずいぶんとかけ離れた景色であり、国民感情である。しかし、同じ国民があれほどまでに熱せられることがあったということを知るだけでも価値があるのでご一読を薦めます。
 

日清戦争─「国民」の誕生 (講談社現代新書)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2009.6.9
  • 佐谷 眞木人
  • 新書 / 講談社
  • Amazon 売り上げランキング: 7365
  • Amazon おすすめ度の平均: 3.5
    • 3 現代に通じるメディアの誕生
    • 4 司馬史観の否定
    • 5 お祭り騒ぎの日清戦争―『坂の上の雲』前奏曲
    • 5 煙も見えず雲もなく風も起らず波立たず、鏡の如き黄海は……
    • 3 日清戦争周辺史
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

2009年6月14日

ウェブはバカと暇人のもの

この挑戦的なタイトルに惹かれて読んだ。「ウェブはバカと暇人のもの」(中川淳一郎著 光文社新書)は、インターネット上のニュースサイトの編集者である著者が、ネットの幻想はもう終わったと宣言し、題名のとおり、バカか普通の人で暇をもてあましている人たちのものでしかないと言っている。

おりしも梅田望夫のインタビュー記事が話題になっていて、以前Twitterで、「はてな取締役であるという立場を離れて言う。はてぶのコメントには、バカなものが本当に多すぎる」といってしまってブーイングを受けたことなどに言及していて、この本でも梅田さんは「頭のよい人」にまつわる話であって、「普通の人」「バカ」について書くのだと言っている。

要するに、ネットの世界はそんないいことばかりではなくて、気持ち悪い世界なのである。そして、テレビを越えるとか喧伝されてきたけど、やっぱりメジャーはテレビで、たとえば芸能界の大御所はブログなんて書かないし、有名になりたかったらテレビに出るのが一番である。さらにネットはいつもテレビネタが満載なのであるというような話である。

確かに、Web2.0がもてはやされたころには、ネットの未来は明るいと誰でも思ったが、双方向コミュニケーションといったって、頭にくるコメントで埋め尽くされたり、誰でも情報発信できると言ったって、どこのラーメンがうまいとか、うちの猫がかわいいと言われても何もおもしろくない。

そして、みなが同じようにググルわけだから、同じ情報をもち、モツ煮のうまい居酒屋は決まっていて、そこで誰かがブログに書いたとおりのメニューを頼んで、いい店発見と書く。

著者は気持ち悪いと書いていたが、僕は気分が悪くなると言うほうが当たっている。だいぶ前になるが、IT関連の大きな情報サイトであるテーマで会議室を開いたことがある。専門のサイトを作ってと考えたが手っ取り早いのでもともと備わっていた機能を使ったのだ。

ところが、最初にうちはよかったのだが、だんだんアクセス数が増えてなんと一日6000くらいまでいったのだが、そうなると多種多様な意見が書き込まれてきて、収拾がつかなくなる。なかには、最初からけんか腰みたいな人もいたり、売名行為か金儲けでやっているんだろうなんていうコメントがあったりして、とても不愉快になったりする。

本当は、出した意見をきちんと理解しそれで反論なり意見を言うというのが筋だろうが、そうした真の双方向コミュニケーションなんて無理だと知って、途中でやめてしまった。まさしく、厭な気持ちになって気分が悪いのだ。

ただ、ぼくはこうして毎日ブログを更新しているが、そういう範囲ではネットに過度に期待もしていないし、失望もしていない。

この本で少し注文があって、確かにネットはバカと暇人のものかもしれないが、頭のよいひとも徐々に入ってくるような気がする。ネットはうるさいということを前提として、そうした雑音をスルーする術を知った人たちが増えてくると思う。

それと、今は企業もネットに幻滅させられたと思うが、よくその失敗を精査するとともに、その技術と精神を不特定多数の「バカ」と「普通の人」を相手にしなくてもすむ企業内の仕組に組み入れることがこれから求められてくるようにぼくは思う。

こうした本を読んで、一度ネットのもつ理想と現実、光と影、陰と陽を見直してみるのもいいことだ。
 

ウェブはバカと暇人のもの (光文社新書)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2009.6.14
  • 中川淳一郎
  • 新書 / 光文社
  • Amazon 売り上げランキング: 185
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.0
    • 2 編集者特有の…
    • 1 =「現実社会の人々はほぼバカと暇人」という結論
    • 4 ネットやブログを利用しても、いまいち人生が盛り上がらない人に
    • 5 やはりヒマでバカなのかも
    • 4 タイトルは過激だがウソではない
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

2009年6月21日

父の詫び状

だいぶ前に「向田邦子と昭和の東京」という本についてエントリーしたが、そこの中に頻出したのが、「父の詫び状」というエッセイである。いまからその本(文春文庫)のことについて書く。順序があべこべになってしまったので、いまさら中身がどうのと書いても、前出の本のほうがはるかに適切に案内してくれる。

それで、どうしようかと思案していたら、そうだ普段ブログを書いている身にとって、向田邦子のようなうまい文章をどうしたら書けるのかを探るのもおもしろいなあと思ったのである。それには、エッセイがもちろんいいわけだから、この作品なんては格好のお手本となる。

そこで、きっとうまい文章は、最初のところ、すなわち出だしの文章がすばらしいのではないかという仮説を立てて検証してみることにした。

実際にブログを書いてみて分かるのは、最初の言葉が決まるとあとはすんなりと筆が進むものだ。本の中のいくつかの文章から、最初のセンテンスが冴えているのを抜き出してみた。

「記念写真」
写真は撮るのもむつかしいが撮られるのもむすかしい。
「自然な顔で笑ってください」
といわれただけで不自然な顔になり、こわばった笑いが印画紙に残ってしまう。カメラに媚びている自分にふと嫌気がさし、口許は笑っているのに目はムッとしていたりという奇怪なことになったりする。

「身体髪膚」(ところでこの漢字を読めて意味がわかりますか?“シンタイハップ”と言ってからだ全体のことです)
ほんのかすり傷だが久しぶりに怪我をした。
玄関の三和土に小銭を落とし、拾い上げて立ち上がった拍子にドアの把手に頭をぶつけたのだ。左のこめかみに、三センチほどの臙脂の毛糸を貼りつけたような傷が残り、十日ばかり目を伏せて歩いた。

「ごはん」
歩行者天国というのが苦手である」。
天下晴れて車道を歩けるというのに歩道を歩くのは依怙地な気がするし、かといって車道を歩くと、どうにも落ち着きがよくない。

「魚の目は泪」
子供の頃、めざしが嫌いだった。
魚が嫌い、鰯が嫌いというのではない。魚の目を藁で突き通すことが恐ろしかった。見ていると目の奥がジーンと痛くなって、とても食べる気持ちになれなかったのだ。

「昔カレー」
人間の記憶というのはどういう仕組みになっているのだろうか。他人様のことは知らないが、私の場合、こと食べものに関してはダブルスになっているようだ。例えば、「東海林太郎と松茸」
という具合である。

「鼻筋紳士録」
自分のうちで犬を飼っている癖に、よその犬を可愛がるのは、うしろめたいが捨てがたいものがある。
うちの犬に済まないと思いながら、撫でたり遊んだりする。おなかひとつ掻いてやるにしても、うちの犬を凌がないように気を遣いながら、微妙な反応の違いを味わっているのである。


とこうして書き出してみると、思わずうまいと思ってしまう。読者をすっと引き込ませるし、作者がどういう心根の持ち主でどんな生活をしているのかが覗えるのである。

こうした表現力の源のひとつが言葉であろう。昔のものには雰囲気のあるものが多い。そうした情緒のある言葉がだんだん消えていってしまっていてさびしい気がするのはぼくだけなのだろうか。
 

父の詫び状 <新装版> (文春文庫)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2009.6.16
  • 向田 邦子
  • 文庫 / 文藝春秋
  • Amazon 売り上げランキング: 14600
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.5
    • 5 突き抜けた作品だと思いました!
    • 5 読みやすく、家族のありがたさが心に沁みる一冊です
    • 4 向田家の憎めない父
    • 5 本当に読んでほしい
    • 4 ひどく懐かしい郷愁を感じさせられる作品
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

2009年6月28日

ものつくり敗戦

わが国ではまだ、「ものつくり」立国を主張する人がいるが、そのときの“もの”が従来のような“ハコ”、すなわちハードをさしている場合が多い。本当にそうなのだろうかという疑問を抱いていたので、その疑問に答えてくれそうだったのでこの「ものつくり敗戦」(木村英紀著 日経プレミアシリーズ)を読む。

わかりやすいように目次を示すことにする。

序章  日本型ものつくりの限界
第1章 先端技術を生み出した2つの技術革命
第2章 太平洋戦争もうひとつの敗因
第3章 システム思考が根付かない戦後日本
第4章 しのびよる「ものつくり敗戦」
終章  「匠の呪縛」からの脱却―コトつくりへ

こうして書くとこの本の文脈がすぐに分かると思います。すなわち、大きな流れでいうと、ある時期強いと言われた日本のものつくりも第二、第三の科学革命を経て変化する波に乗り切れないでいる。

いまでも象徴的なのは、ハードウエアからソフトウエアの時代になってきているのにソフトウエアの技術をもっていないのである。このことは、ぼくが今いる世界であるITもまったく同じで、ソフトウエアの技術はほぼ欧米からのものに依存している。

ここで出てきた第二の科学革命というのは、その前に第一というのは、ガリレオ、ニュートンらによる近代科学の確立であるが、そのあとにおとずれた大量生産、大量消費生んだ科学と技術の結びつきである。

そして、第三の科学革命は、これまでの自然科学とはちがって人工物を対象とする科学の登場である。そして、第三の科学革命の申し子が「システム」なのである。

こうした変化に対して、日本のシステム技術あるいはシステム思考力は欠如していたために、太平洋戦争における敗戦もここに負うところも多かったのだ。

では、戦後にそうしたことが改められたのかというと、そのままずっと以前の労働集約型モノつくりに固執してきたのである。もうこうした労働集約型技術は成立しないのだ。機械からシステムへの移行が第三の科学革命なのに、機械を道具のように使うという逆の方向に目がいっているのである。

なぜそうなったかは、かなり難しい問題で著者も数学を教えなくなったこととか論理的な思考訓練がなされていないとか言っているが、それだけではないような気がする。

たしかに、著者が指摘するように日本は「理論」「システム」「ソフトウエア」が弱いが、そこをどう底上げしていくのかみんなでよく考えていく必要がある。

この本は、そうした問題の所在を明確にしてくれて、大切な問題提起をしてくれていると思う。良書である。皆さんもぜひ読んでください。
 

ものつくり敗戦―「匠の呪縛」が日本を衰退させる (日経プレミアシリーズ)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2009.6.28
  • 木村 英紀
  • 新書 / 日本経済新聞出版社
  • Amazon 売り上げランキング: 1752
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.5
    • 3 理論科学者がみた科学史と日本人論
    • 5 やはり教育が重要である
    • 5 コトつくりが出来なければ日本は没落するらしい
    • 5 「ものつくり」信仰への一石
    • 5 「理論」「システム」「ソフトウエア」が大切
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

2009年7月 4日

男には七人の敵がいる

以前「嫌いな人」というタイトルで男には敵がいるというようなことを書いたので、本屋でそのタイトルを見つけて思わず買ってしまった。

「男には七人の敵がいる」(川北義則著 PHP新書)は、敵がいてこそ人は成長するという前提で男の生き方みたいなことを語っている。著者の川北義則という人は、東京スポーツにいて、その後独立し生活経済評論家というらしい。

ほとんど知らない人ですが、これまでに書いた本が「男の品格」とか「男の器量」といったタイトルが並んでいるように、男の生き方を指南しているようである。

そしてこの本では、七人の敵というか、いろいろな関係のなかでどう対処するのかといった分け方をしている。上司/部下/同僚/妻/女/子/親の七人と自分という風にして論じている。

まあ、書いてあることは至極当たり前のことで、先人の言葉を引用して諭すスタイルである。とりわけインパクトがあるわけではなくそうですねえと読み流すことになる。

うーん、こういう本を誰が読むのだろうか。職場で敵がいて困っている人なのだろうか。家庭で対立している人なのだろうか。確かに毒にはならないだろうが、これを読んで明日から生き方を変えようという人がいるとも思えない。問題がある人はもっと目からうろこのようなことがなければ無理でしょう。

ずいぶんと辛口になってしまったが、やはり情緒的な生き方本はぼくには必要ないと思ったのである。そうですね、本を買うときはよく吟味してから買うことにしよう。

男には七人の敵がいる (PHP新書)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2009.7.3
  • 川北 義則
  • 新書 / PHP研究所
  • Amazon 売り上げランキング: 51560
  • Amazon おすすめ度の平均: 5.0
    • 5 男の敵をどのようにして退治するか!
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

2009年7月13日

日本の歴史をよみなおす(全)

この経済危機もさることながら、も少し巨視的な目でみると歴史的に大きな変化の中にあるような気がしている。いろいろな価値観がいい意味でも悪い意味でも転換していくように思う。

そんな思いもあって、網野善彦の「日本の歴史をよみなおす(全)」(ちくま学芸文庫)を手にする。網野史学の面白いのは、“常識を破る”ことにある。ぼくらも含めて学校などで教えられた歴史が実は違う実相を持っていたというようなことが語られるのである。

それはもう目からうろこで驚かされる、その最たる例が、日本が農業中心の社会であったというが、実はそうではなくて、「海民」といわれる海や川を行き来する民の存在や商工業者やその他の人々から成り立った社会であったという主張であろう。

そして、さらに縄文、弥生文化の時代がいま分かっている以上に多様でダイナミックであったこと、大陸との交流が西だけではなく北からもあったこととか、古来男性社会であったと言われているが、実は女性がかなり力があったというようなことなどなど面白い話が一杯つまっていて読んでいて飽きない。

網野善彦がすごいと思うのは、最初に言ったように常識を疑う態度とそれを仮説で終わらすこと無く実証的に研究することにあると思う。それにより、常識であった農本主義を覆すものを見つけ証明していっているのである。それはいつも民衆の生きたときに自分も身をおきながら見つめていることが原動力になっているように思う。

本の中身については言いたいことは一杯あるのだが、ここからは話がそれてしまうが、この研究態度について書く。さきほど言ったように常識を疑うということは非常に重要なことで、それは何も歴史学に限った事ではなく、どんなことにも当てはまる。

逆に常識を信じるということは言い換えれば権威に従属するとでも言ったらいいと思うのだが、しょせんそういうもので、それを変えることなんかできないというあきらめを持つということに他ならない。

この本では、歴史の多様性とダイナミズムと民衆のしたたかさを見ることができるが、同時に著者の常識を疑って見る目とそれを評価するフィールドワークの大切さを学ぶことができる。

最後に、冒頭に書いた転換期のことですごいことを言っているので載せておく。

現代はまさしくその大転換期にさしかかっていると私は思うのです。現代は権力の性質というより、むしろ権威のあり方を否応なしに変化させるような転換期はいりこんでいるように思うのです。 たとえば室町期、十四、五世紀にできた村や町のあり方が、今や崩壊といっていいほど大きな変化にさしかかりつつあることは疑いないことだと思いますし、人の意識の上にも大きな変化がおこりつつあります。病気のとらえ方、動物に対する接し方の変化などに見られるように、人間と自然とのかかわり方がいまや人類的な規模で変化しつつあることのあらわれが、日本の社会にもはっきりおこっています。いちばんはじめにいいましたように、日本の社会はいま、十四世紀の転換以来の大転換期の時期にさしかかっていると考えられのです。

さて、この大転換期をどう乗り越えていきましょうか。

 

日本の歴史をよみなおす (全) (ちくま学芸文庫)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2009.7.11
  • 網野 善彦
  • 文庫 / 筑摩書房
  • Amazon 売り上げランキング: 4834
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.5
    • 5 目から鱗の歴史講義
    • 4 面白く思索の糧になるが、批判的に読むことも必要
    • 5 日本の、特に中世の歴史への見方が深まる一冊
    • 5 網野史学の入門書
    • 5 未来への提言に向けて「よみなおす」
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

2009年7月24日

2011年 新聞・テレビ消滅

何ともセンセーショナルなタイトルである。「2011年 新聞・テレビ消滅」(佐々木俊尚著文新書)を読む。ぼくも同じようなことを言っているから別に驚きはしないのだが、こうして本になってくるとホントだろうかと思ってしまう。

要するにアメリカで起こったことは3年後に日本で必ず起こるということから、2008年にアメリカでは新聞・テレビが崩壊したから、その3年後の2011年に日本でもそうした現象が起こるというわけである。

しかも2011年の日本では、情報通信法の施行と地デジ化がそれに追撃ちをかけるというものである。これまでさんざん君臨してきたマスメディアがついに崩壊するのだという。

ご存知のように日本の新聞社とテレビ局はインターネットという怪物の登場に全く対応できていない。新聞の購読者数の減少、テレビ離れ、広告のネット移行が現にすごい勢いで進行しているに手を打てないでいる。これは、旧態依然とした経営体質という面も大いにあるのだが、いま起きているマスメディアの衰退はそれが原因ではないと著者は断言する。

それらについてはいろいろ書いてあるので本を読むといいのだが、ぼくが面白いと思ったエピソードをひとつピックアップしてみた。多くのマスメディアはグーグルを敵だと思っているが、はたしてそうだろかという話で、マスメディアはグーグルに収益を奪われていると考えているが、じゃあもしグーグルが存在しなかったら、そこで生まれたはずの利益はマスメディアに取り戻されるのだろうか?

グーグルの集客力を自前でできるわけがないから、両者は依存関係を築いているのだ。それについてグーグルの幹部がアメリカの公聴会で新聞社の批判にこう答えたという。

グーグルニュースとグーグルの検索は毎月十億回以上もクリックされ、読者を新聞社のサイトに誘導している。私たちはそういうサービスを無償で提供している

こう言われたらおのずと勝負は決まっている。

さて、この本では、メディアのプラットフォームかということに関し、「コンテンツ」「コンテナ」「コンベアー」という3つの階層について盛んに言及している。従来のメスメディアはこれらを全部も持っていたのだ。すなわち、新聞で言えば、コンテンツ=新聞記事、コンテナ=新聞紙面、コンベアー=販売店である。テレビだと、コンテンツ=番組、コンテナ=テレビ、コンベアー=地上波、衛星放送、CATVというわけだ。

ところが、このコンテナとコンベアーのところがばらばらに分解されてきているのだ。そして、今はそこを握ったものがメディアを制することになってきた。

ここが既成のマスメディアが置いてきぼりを食らっているわけで、だからといってもはやそこを奪還できないから、もうコンテンツで生きるとか、なんか今までとは全くちがったモデルを作らないとやはり消滅するのは間違いないのである。

だんだん恐ろしくなってくるが、逆に言うとベンチャーにとってはチャンスである。そんなことを思っていたら、待てよこれって日本のIT業界も同じではないかと思ったのである。特にSIビジネスのところのモデルが変化していく中で相変わらずコンテンツもプラットフォームを提供できないベンダーの行く末はどうなるのだろうか。
 

2011年新聞・テレビ消滅 (文春新書)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2009.7.23
  • 佐々木 俊尚
  • 新書 / 文藝春秋
  • Amazon 売り上げランキング: 183
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

2009年7月31日

仕事するのにオフィスはいらない

続けて佐々木俊尚さんの著作「仕事するのにオフィスはいらない」(光文社新書)を読む。インターネットの出現により働き方も変化してきていて、必ずしも会社へ行かなくても仕事はできるという話である。

これは、既成の会社にいながら自宅で仕事をするというような単に場所の問題ではなくて、会社という組織からフリーとなったひとたちのことである。著者はこういう人たちを、副題にもあるように「ノマド」と呼んでいる。

「ノマド」というのは簡単に言えば「遊牧民」のことで、そうしたラクダに乗ってオアシスを渡り歩く姿を重ねて、カフェだとか外の場所を移動しながら仕事をしている人たちを指している。

特に、今日のこの不況下では経済のあり方、会社のあり方、そしてそこで働く人々の生活を著しく変えていく可能性がある。終身雇用を保証され、会社に行きさえすれば給料はもらえた時代は終わりを告げ、その人個人がもたらす価値を評価せざるを得なくなってくる。

それは、どこの会社にいるからということではなく、社内、社外を問わずプロジェクトごとに必要な人材を集めるような形の仕事が増えてくるように思う。

こうした「ノマドワーキング」を佐々木さんは勧めている。そのために必要な態度とかツールなどを紹介してくれる。

主なものとしてまずは、セルフコントロールが大事であると言っている。本では「アテンションコントロール」と言っているが、要するに一人だから何をやってもいいわけで、その時つい易きに流れてネットサーフィンしたりしてしまうのをきちんとコントロールしなさいということである。

ツールということでは、クラウドの登場が大きい。これによりどこでもオフィスにいるのと同じような環境が得られるのである。佐々木さん自身もノマド的な仕事のやり方をしているのですが、かれのバッグの中身は、ノートパソコン本体、通信カード、ケータイ、財布、読書中の書籍1冊、自宅のカギなのだそうだ。

ノートとペンは持たないで全部クラウド上で処理している。グーグルの技術者なんては、iフォンだけ持って出かけるそうだ。こうした技術やデバイスの進化はすごいものだ。それがこうしたワークスタイルを可能にしている。

人々はこのような状況は疎外とか孤立とか思い描きがちであるがそれは逆である。なぜかはこの本の最後の文章を読んでください。

おそらくそのようなノマド時代においては、外出しているときの方が、家族や仲間とのつながりを強く感じるようになり、結果として、ITのシステムが実現するノマドワークスタイルが。人々のつながりを以前よりも緊密にしていくようになります。ネットが人を孤独にするというのは、間違いだということがやっとわかってもらえるようになるわけです。 物理空間によって人々が強くつながり、しかもそこには圧政もなく隷従もなく、個人が自由裁量によってフリーランスとして働く-そんなノマド時代が、これから幕を開けるのです。
 

仕事するのにオフィスはいらない (光文社新書)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2009.7.26
  • 佐々木俊尚
  • 新書 / 光文社
  • Amazon 売り上げランキング: 308
  • Amazon おすすめ度の平均: 5.0
    • 5 新時代の働き方指南(WEB編)として最良著
    • 5 クラウド利用で仕事を進める人に有益な知識が満載
Amazon.co.jpで詳細を見る

 

2009年8月 3日

創造はシステムである

以前、「デザイン思考の道具箱」(奥出直人著 早川書房)という本で創造のプロセスとプラクティスということを紹介したが、その本で「創造性は個人の才能ではなく、方法の問題である」と述べている。

それと同じようなことを、失敗学の中尾政之さんが「創造はシステムである」(角川oneテーマ21)で書いている。創造は、発明とか作曲とかいった独創的で新規性のあることを作り出すだけをさすのではなく、「自分で目的を設定して、自分にとって新しい作品や作業を、新たに造ること」と定義されると、だれでも少しはこんなことをやっているように思う。

そんな創造のプロセスを著者は大きくつぎのように説明している。
1. 目的を列挙して、それを定量的に設定する
2. どうしたら独自の設計解が得られるか、パターン化された思考方法で考える
3. 干渉が生じる要求機能を整理し、互いに独立で最少の要求機能を設定する
4. モジュラーとインテグレイテッドが混在するハイブリッド型の組織・設計にする

1の目的が正確に設定できたら創造の仕事の半分は終わったようなものだと言っている。ここはすご大事なところで、日本は特に製造業では要求機能も設計解も一緒に輸入してきたから、目的設定あるいは要求機能設定が弱いのである。そんなことをする前にとりあえず欧米のまねをすればよかったのだ。

だから、ソリューション主体、すなわち職人文化である。何を作るかではなく、どうやって作るかに長けたものが評価されたわけである。

2の思考方法は、TRIZという方法が紹介されている。TRIZというのは、旧ソ連でアルトシュラーという人が、「特許のアイデアのエッセンスには、似たパターンがしばしば現れる。もしそのパターンを抽出して学べば、誰でも発明家になれるだろう」と考えたのがきっかけでできた「発明問題解決の理論」のことです。

これは思考の上下運動、すなわち概念の下位から上位へ抽象化し、または上位から下位へと具体化するように、「思考を上下運動させる」ことを出そうです。

3は、干渉という問題で、「あちらを叩けばこちらが立たず」ということがよくおこると思いますが、それを極力減らして独立的にすることである。簡単に言えば、複雑な設計はやめてシンプルにしようよということなのだが、日本人はこれを「摺り合わせ」と称して干渉を取り入れようとする。これが以前は強みだったが、今では問題であるように思う。

4についてはまた別途改めて議論したいと思う。この本に書いてあるのは普段ぼくが考えていることにかなり関係していて非常に興味深く読んだ。

そして、つい関わっているIT業界のことを考えてしまう。中尾さんも言っているのだが、それでも日本の製造業などもこうして時代とともに創造のプロセスも少しずつ変化しているという。なのにIT業界はいっこうに変わっていないと改めて思うのである。

創造はシステムである 「失敗学」から「創造学」へ (角川oneテーマ21)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2009.8.3
  • 中尾 政之
  • 新書 / 角川グループパブリッシング
  • Amazon 売り上げランキング: 10235
  • Amazon おすすめ度の平均: 3.0
    • 2 創造を履き違えてる。
    • 4 普段から思考することが大切
    • 3 文章を直せば、面白いと思う
    • 3 発想法の俗本
Amazon.co.jpで詳細を見る


2009年8月 9日

ロマンポルノと実録やくざ映画

ぼくら団塊の世代の70年代というのは20歳ちょっとから30歳ちょっとまでの間だから、多感で揺れ動いていたときにあたり、そのころの体験は深く残っている。

そんな70年代の日本映画について書いた本「ロマンポルノと実録やくざ映画」(樋口尚文著 平凡社新書)を懐かしさをもって読む。著者は若いときから映画評論を書いてCMなんかも手がけた人ですが、1962年生まれというから1970年は8歳、1969年でも17歳なので、ほんとにリアルに観たのだろうか。ロマンポルノのことがたくさん出てくるのだがそれを観ていたのだろうか。

まあ、それはそれとして、この本にはセックスとバイオレンスがふんだんに登場してくる。ただ、名の知れたものだけではなく、著者の思い入れのあるレアものも含んでいるが、ぼくは当時年間100本近く観ていたころでもあり、かなりの作品を観ているので知っている。

しかし、こうして並べられるといかにいかがわしい映画が量産されていたかがわかる。今日の映画と比べて信じがたいほど、下品で残忍でおどろおどろしいものばかりである。

この時期はちょうど日活がつぶれたりして邦画が危機となり、その中で低予算の映画を乱発するしか能がなかったのだ。逆にそういう状況で各映画監督が知恵をしぼり、あるいは会社をだましながら佳作を撮り続けたのである。涙ぐましい努力の跡が感じられる。

このあたりについては別途書いてみたいと思うが、まずはこの本に登場するひどい作品名と監督を列挙することで、この時代の映画がどんなものであったかが推量できると思う。ぼくらと同じ世代はなつかしく、その時代を知らない人はびっくりして眺めてください。

「人斬り与太 狂犬三兄弟」「仁義なき戦い 代理戦争」「実録・私設銀座警察」「仁義の墓場」「濡れた欲情 特出し21人」「丸秘 色情めす市場」「犯す!」「人妻集団暴行致死事件」「さすらいの恋人 眩暈」「昼下がりの女 挑発!!」「女地獄 森は濡れた」「やくざ観音 情女仁義」「やさぐれ姐御伝 総括リンチ」「レイプ25時 暴姦」「ポルノの女王 にっぽんSEX旅行」「トルコ110番 悶絶くらげ」「徳川セックス禁止令 色情大名」「怪猫トルコ風呂」「濡れた欲情 ひらけ!チューリップ」など

とこれだけ書くと驚いてしまう。でもこれはほんの一部だからもっとエゲツないタイトルもたくさんあったのだ。こうした作品でがんばっていた監督はつぎのような人たちである。

深作欽二、神代辰巳、田中登、長谷部安春、石井輝男、藤田敏矢、曽根中生、西村潔、鈴木則文、野田幸男など

このひとたちは決して恵まれていない状況下で開き直ったようにエログロナンセンスを前面に押し出しながら、その奥にキラリと光る何かを残していったのである。

何とこの本には110本の作品が登場する、これだけの作品を観て論評する著者に感心させられる。ぼくは最近あの頃のように映画をよく観るようになったが、途中あまり観なかったせいもあるかもしれないが、大きな差があるように思える。それを肉食系から草食系というような表現で言えるかもしれないが、いまの映画には当時の“ギラギラ感”がないような気がするのはぼくだけだろうか。
 

ロマンポルノと実録やくざ映画―禁じられた70年代日本映画 (平凡社新書)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2009.8.8
  • 樋口 尚文
  • 新書 / 平凡社
  • Amazon 売り上げランキング: 2084
  • Amazon おすすめ度の平均: 5.0
    • 5 “あの時代”でしか生まれなかった傑作たちの記録。涙モノです。
    • 5 名画座にいるようなワクワク感!
    • 5 まるで名画座の企画を思わせる70年代のプログラム・ピクチャー
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

2009年8月15日

ラーメン屋vs.マクドナルド

このタイトルからだと、薄手の比較文化人類学かと思ってしまうが、中身は非常に濃いまっとうな経済論なのである。「ラーメン屋vs.マクドナルド」(竹中正治著 新潮新書)はそんな本である。

著者は、(財)国際通貨研究所経済調査部長・チーフエコノミストであるが、銀行のワシントン事務所長などで経験した日米の差異からその比較を試みている。

表題のラーメン屋とマックの比較は、職人芸として究める日本のラーメン屋とパターン化して大量に作り出すマックを並べているわけで、そのほか、希望を語る大統領vs.危機を語る総理大臣、ディベートするアメリカ人vs.ブログする日本人、「ビル・ゲイツ」vs.「小金持ち父さん」、一神教vs.アミニズム、消費者の選別vs.公平な不平等とくる。

すごくわかりやすでしょ。希望を語る大統領vs.危機を語る総理大臣なんて、いまの党首討論でも100年に一回の危機を強調する日本とオバマの希望を語る姿とずいぶんと違いますね。著者はエコノミストなので、金融と経済における比較がぼくには非常に勉強になった。

日本の金融市場でよく言われるのが、「日本人は文化的にリスクヘッジ回避志向だから」というのがあって、従ってリスク性金融資産比率が低いというのがあるが、ちゃんと調査すると必ずしもそうではないらしい。そうならざるを得ない事情があるという。

1つは、小泉改革での構造改革の対象となった公的金融と郵貯制度の存在をあげている。要するに、日本人は郵貯を選択しているのでどんどん膨張しているが、それはリスクヘッジというより、金融製品としては合理性を欠いた、言い換えれば政府が税がリスクヘッジしてくれるというものがあったら、そちらを選択するほうが合理的だからなのだ。

そうしたことから、家計の資産格差分布がずいぶんと違ってくる。米国は日本に比べて金融資産残高もはるかに格差の大きな分布をしている。簡単に言うと、ビル・ゲイツのような大金持ちがいる米国と小金持ちが多くいる日本というわけである。

そのため、ちょっとした金持ちは貯蓄にいそしむが投資に向かわないのである。逆に言えば、今回の金融危機でも日本の投資家と金融機関の損失が小さかったのはこのせいなのだ。これを変えてほしいのだが、米国と同じようにするのはどうかと思うので日本型の変革を行う必要があるのだろう。

それから面白かったのは、日米比較というより、日本の格差についてである。本当に格差は拡大しているのかと問いかけていて、ちゃんとデータを正確に読むと、同一世代での格差の拡大ではなく、人口構成の老齢化と単身世帯の比率増加によるものだそうだ。

このように、筆者も言っているように、またぼくも何回か書いているのだが、政策論争でもきちんとデータを解析して正しい現状認識から出発した議論にしないと、事実誤認をベースに政策を作ってもしょがないと思うのである。

この本はおおよそ1年前に書かれたものであるが、言っていることは今もそのまま当てはまる。こうした正論をはく人の意見を政治家は勉強するといい。お勧めの一冊である。

ラーメン屋vs.マクドナルド―エコノミストが読み解く日米の深層 (新潮新書)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2009.8.13
  • 竹中 正治
  • 新書 / 新潮社
  • Amazon 売り上げランキング: 7230
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.5
    • 2 良いところもある
    • 4 なるほどと思う日米間の違い
    • 5 今まで見た中で最も深い日米比較文化論です。
    • 5 タイトルだけで忌避しないほうが良いですよ
    • 5 America vs. Japan or why risk-averse Japanese cannot become Bill Gates
Amazon.co.jpで詳細を見る


2009年8月19日

終の住処

近頃の芥川賞は若い人が多く、そして女性の受賞が目立っている。そんな中で今年の第141回芥川賞は、44歳の磯崎憲一郎が「終の住処」で受賞した。

このひとは、現在三井物産の人事総務部次長という立派なサラリーマンである。40歳頃から小説を書き出したというから、会社で要職にありながらよく小説が書けるなあと感心してしまう。

さて、この「終の住処」だが、最近の若者風俗や生活を題材にしたものではなく、ぼくらに近いところの話なので受け入れやすかった。ところが、それと同時になんだか怖くなったのだ。

その怖さというのは、ぼく自身のことに重ねあわせられるからである。もちろんここに書かれていることと同じことがあったわけではないし、同じような環境でもなかったのだが、それでも共有できるのだ。

この主人公は、11年間妻と一言も話さなかったり、行き当たり的な不倫に浸ってしまうとか、かなり突飛な行動を起こすのだが、それが徐々におかしくないのではと思わされる。その行為の特異さではなく、そうした行動の裏にある心情は変わらないのではないかということである。

この作者は、時間の出し入れがうまいように思う。結局、ある時間を経て、様々な時の過ごしかたにより、あることは消えていき、あるものは鮮明になっていく様がよく書けているのではないだろうか。それで、ふと気がつくと終の住処を見ることになるのである。

文章も難解な言葉もなく平易で、これまでの芥川賞とはちょっと趣が違うように思えるが、ぼくには読みごたえのある小説であった。
 

終の住処
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2009.8.16
  • 磯崎 憲一郎
  • 単行本 / 新潮社
  • Amazon 売り上げランキング: 83
  • Amazon おすすめ度の平均: 3.0
    • 4 ふあーっと読むべき本
    • 2 “感じる”というよりは“学ぶ”作品。
    • 1 読後第一感想としては評価できません
    • 2 文体模倣
    • 4 晩年の夫婦
Amazon.co.jpで詳細を見る


 

2009年8月25日

理系バカと文系バカ

いつも新聞やテレビのニュースに接していて思うことは、もう少し理系の頭で発信しろよということである。どうしても、雰囲気的な理解で言うから、こちらとしては事実というデータの裏づけを示してくれと言いたくなる。

例えば、ガソリン車とハイブリッドカーと電気自動車のエネルギー効率とCO2排出量を数字で示してくれと思う。要するに1Km走るのにいったいどういう種類のエネルギーを消費して、どれだだけのCO2を排出するのかである。

これを言うと、電気自動車は電気を使うからクリーンなエネルギーでCO2排出量もゼロですというバカな解説までしかやれない。じゃあ、その電気はどうやって作るのかという視点まで届かない。ハイブリッド車と電気自動車の効率差はどのくらいあるのかにも言及できない。

だいぶ前置きが長くなったが、竹内薫の「理系バカと文系バカ」(PHP新書)という本には、こうしたことと似たようなことが書かれている。まあ、あっと驚くようなことは載っていないが、常識的な比較を整理してある。

ただ、この本の趣旨はもちろんどちらがいいか悪いかということではなく、どちらもバランスよく備えた「理文両道」を推奨している。

日本という国はそういう意味ではいびつなところがあって、最初に書いたメディアもそうだし、官僚にいたっては法学部出身の文系で固められているという構造である。政治の世界だって歴代の総理大臣で理系はほとんどいない。中国の首脳は反対に理系が多いという。

その「理文両道」をかなえるために必要なことを“文理融合センスを磨くための5か条”言い換えれば“理系バカ、文系バカにならないための5か条”が書いてあるので紹介します。

その① まずは聞き上手になる
その② 文系なのに科学書漬けになってみる
その③ 理系なのにフィクションを楽しむ
その④ どんな情報も、まずは疑ってかかる
その⑤ 気になったものは人に話してみる

ぼくは理系なのだが、理系バカではないと思っている。ただ、理系バカになれなかったからという側面もあるわけで、そうだと何となく負け惜しみみたいに聞こえてくるのでビミョーな感じですね。だから、声高に理系バカとか文系バカとは言わないで論理と情緒のバランスが必要だぐらいでいいんじゃないかと思うのである。

理系バカと文系バカ (PHP新書)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2009.8.24
  • 竹内 薫
  • 新書 / PHP研究所
  • Amazon 売り上げランキング: 15187
  • Amazon おすすめ度の平均: 3.5
    • 4 読みやすいかと
    • 3 文系向けの啓蒙書としては良い本だが、理系人には物足りないか?
    • 3 文系の人には良書かもしれない
    • 2 はじめに のみで充分
    • 5 これは興味深い!!
Amazon.co.jpで詳細を見る

 

2009年9月 2日

公安捜査

ぼくの行きつけの銀座「M」で時々顔をあわせる浜田文人さんの「公安捜査」(ハルキ文庫)を読む。以前このブログでも取り上げた「捌き屋-企業交渉人・鶴谷康」(幻冬舎文庫)に続いてである。

この作品では、公安警察と刑事警察の両方の刑事がでてきて、殺人事件をきっかけに物語が展開する。公安のほうは北朝鮮への地下組織による送金問題である。こうした問題を題材にすることだけでもワクワクする。

ぼくらは、公安と刑事が中が悪くて、お互い勝手に行動し、時として反目することもあると聞いてもピントこない。だいいち公安の顔が全然見えないから不気味でもある。

そんな、2つの組織の人間の動きを並行的に描きながら、最後は一つ点になって収束していくというストーリー展開はなかなか面白かった。

ところでかなり唐突なのだが、この本の流れを見ていくとなんだか麻雀を見ているように思えてくる。浜田さんは確か相当な雀士だったともうが、最初の配牌ではどういう手になるか分からないが、だんだん手が見得てきて、いつの間にか手が揃ってくるが最後は意外な手で和了するという感じなのである。

この徐々に詰まっていくところが面白くつい引き込まれていく。日本の小説で警察小説というものが少ないといわれているが、登場する刑事が読むほどに魅力的になってくると、本格的な警察小説が誕生するかもしれない。
 

公安捜査 (ハルキ文庫)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2009.8.29
  • 浜田 文人
  • 文庫 / 角川春樹事務所
  • Amazon 売り上げランキング: 58969
Amazon.co.jpで詳細を見る

 

2009年9月 8日

サッカーファンタジスタの科学

久しぶりのサッカー本の「サッカーファンタジスタの科学」(浅井武監修 光文社新書)は、残念ながらこれまでのサッカー本の中では一番読みごたえのないものであった。

サッカー・フリークとしては、けなすのも忍びないのだがしかたない。この本の意図はファンタジスタの肉体やプレーを科学的に解き明かそうということだと思うが、しょせん無理なことである。なぜって、ファンタジスタというのは、理屈どおりあるいは、決まりきったことをしないがゆえにそう呼ばれているからだ。

科学的というのは、いろいろなプレーについて、どこがどうだから結果としてこうなるという関係をモデル化できることだから、そうではないプレーをするファンタジスタを解剖できるわけがない。

百歩譲って解明できたとしても、われわれが同じことが出来なくてはおもしろくもない。と思っていたら、本の中身も別にファンタジスタのプレーというより、サッカー選手のフィジカルだとか、キックスピードはどうしたら速くなるのか、とかいった話で、だからタイトルに偽りありということなのである。

そうして読み進めるとほとんどがわかりきったことばかりで、なるほどと感心させられることがない。キックのときの足の動きを高速度カメラで撮った写真を見せられても、あそう動いているんだで終わってしまう。強いキックができる選手の腿の筋肉の断面図を見せられても、だからどうなのと思ってしまう。

書いてあることは、ぼくらがもう半世紀も前に教えてもらったこととそう変わらない。結局、昔の教えの3Bの大切さなのである。すなわち、BallControl、BodyBalance、Brainなのである。これは、いつの時代でも変わらず重要なことなのである。

スポーツ本はそれを読んだからといって、メッシになれないし、イチローにもなれないのだから、変な解説本よりも単純にすごい、おもしろい、楽しいといった本が一番だ。うまくなりたかったら、自分で実際にあこがれのプレーヤーのまねをして、体で覚えるしかない。
 
まてよ、これはサッカーをやったことのない人たち向けに書いたのだろうか?
 

サッカー ファンタジスタの科学 (光文社新書)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2009.9.4
  • 浅井 武
  • 新書 / 光文社
  • Amazon 売り上げランキング: 142879
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.0
    • 2 ストイコビッチのインサイドキックを解析
    • 4 より自然なフットボール
    • 3 選手向けの本ではない
    • 4 ファンタジスタは科学していない気がする
    • 4 良い内容だけど、タイトルは少し大風呂敷か。
Amazon.co.jpで詳細を見る
 

2009年9月12日

イノベーションの新時代

先日のBPM協会コンポーネント部会で紹介された「イノベーションの新時代」(C・K・プラハード著 日本経済新聞出版社)を読む。著者のプラハードは「コア・コンピタンス経営」や「ネクスト・マーケット」を書いた有名なビジネス思想家である。

最初は、どうせ経営の本かなあくらいに思っていたら、何のことはない業務プロセスやICT(最近は単にITということではなくCommunicationも入れたICTという言葉を使うようになってきていいことだ))のことが半分以上も占めていた。すなわち、イノベーション実現には業務プロセスが大いに関わっているということである。

よくイノベーションはカリスマ経営者の比類のないアイディアで引き起こされるとか、驚くようなブレークスルーで達成されると思いがちだが、それよりももっと現実的なそして継続的なイノベーションが必要になってくるという。

そのための重要なコンセプトとしてあげているのが、「個客経験の共創」と「グローバル資源の利用」というふたつである。この考えがずっと出てくる。

簡単にいえば、個別の顧客ごとに一緒になって経験を共に作り出すことが重要で、そのためには資源をグローバルに求めることが有効であるとしている。たしかに、今日の顧客とのあり方やいろいろな意味でのグローバル化を見ているとそんな感じがする。

この本で、かなり大きなスペースで業務プロセスのことが取り上げられていることにちょっと驚かされる。もうひとつ分析力もあげているので、業務オペレーションとその結果の分析の大切さを強調している。このあたりがよくある経営書とちょっと違うところであろう。

そう思っていたら、この著者のプラハードは、IT企業の創業者であって、その会社はBPMベンダーのTIBCOに買収されたのだという。どうりで業務プロセス、そしてITCの重要さを強調しているかが分かった。

しかしながら、注意しなくてはいけないことがあって、ここでいう「業務プロセス」の意味は、BPMの世界で言っている業務プロセスとは違うのである。ここではかなり広い範囲を言っている。

戦略までは入っていないが、ビジネスモデルやサービス機能そして業務ルールとかデータ分析のようなところまでを包含して言っている。その中で、業務プロセスが競争力の源泉であると主張しているわけである。そこまで広く捉えていれば当たり前にそうなのだが、誤解を生む可能性がある。

普通はワークフロー的な業務の流れを想定するから、そこに競争力の源泉があるのかと思ってしまう。このブログでも再三言っているが狭義の業務プロセスには差別化要因はあまりないと思う。むしろ、この本でも言っているように、ビジネスの変化に応じて素早く業務プロセスを変更できることが競争力を生むのだろう。

先に述べたとおり、これだけ業務プロセスに言及している経営本は少ないので業務プロセスに携わっている人にとっては面白いのではないでしょうか。しかも、それを実証的な研究としての多くの事例をもとに語っているので説得力がある。

ただ、かなり広く業務プロセスを定義しているから、もう少し分解していかないと、どこに目新しさがあるのかわからない。読み終って最初に思ったのはなんだ当たり前のことをいているじゃないかということであった。

おそらく、BPM協会の部会で輪読するようなことになるとも思うが、かなり当たり前のことを言っているだけのところもあるので、ただ書いてあることを理解しても仕方ないような気がする。ここからより具体的なアプローチをどうするのかを検討することが必要になるのではないだろうか。
 

イノベーションの新時代
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2009.9.9
  • M S クリシュナン C K プラハラード
  • 単行本 / 日本経済新聞出版社
  • Amazon 売り上げランキング: 12267
  • Amazon おすすめ度の平均: 1.5
    • 2 事例がイマイチ
    • 1 肩すかし
    • 1 主張に新規性なし
Amazon.co.jpで詳細を見る

 

2009年9月19日

ビジネスインサイト

ちょっと前に「イノベーション新時代」という本を読んで、イノベーション実現のカギが業務プロセスにあるというような論を考えてみたが、しかし、そのイノベーションそのものをどういう風にして着想するかという問題への答えではない。

そんな思いで「ビジネスインサイト」(石井淳蔵著 岩波新書)を手にする。副題が“創造の知とは何か”である。経営者はどうやって新しいビジネスモデルを思いつくのだろうかというのがこの本のテーマである。

のっけに、元松下電工会長の三好俊夫の言葉「強み伝いの経営は破綻する」という言葉から、現状の延長を続ける経営からどこかで「跳ばなければいけない」という問いかけで、その“跳ぶ”とはどういうことかを追いかけていく。

その力として「ビジネスインサイト」という概念を提示している。インサイトという言葉は聞きなれないが、“未来の「成功のカギとなる構図」を見通す力”ということだという。それは、あるとき偶然と必然の重なりあいの上で閃くのだそうだ。

これは、成功を納めた経営者に共通的に持っている資質でもある。著者は、ヤマト運輸の小倉昌男の例でそれを説明している。まだ大和運輸といって大口輸送の配送業だったが、その限界を感じ、思い切って家庭向けの小荷物配送に切り替えようと考えていたころ、ニューヨークに出張して、マンハッタンの交差点でUPSの集配車が4台停っていたのを見た瞬間閃いたのだという。それが宅配便ビジネスへとつながったのだ。

それまでもやもやしていた霧が一瞬にして晴れた感じではなかったのだろうか。そこで感じたのは、一台の車が広範囲にわたって荷物を集配するのではなく、狭く限定された範囲でもビジネスが成り立つことを知ったのである。

こうして、普通の人間だったら、交差点に車が4台停まっているのを見ても何も思わないが、小倉昌男には、それを見たとき将来のビジネスの構造が見通せたということである。

その他、流通革命を起こしたダイエーの中内功、セブンイレブンの鈴木敏文、ちょっと変わって、マーケティングの世界でイノベーションを起こしたキットカットのことなどが登場している。

このビジネスインサイトというのは、マイケル・ポランニーの「暗黙の認識」がかなり関連してくる。そこで「対象に棲み込むこと」を提起している。ただこういうと、よく言われる暗黙知を形式知にするというように思われがちだがそれとは違うことを主張している。このあたりが面白いところである。

どういうことかというと、従来の暗黙知というのは「すでに存在する実体」としての知識を指しているが、それは言い換えれば名詞としての知であったが、ポランニーのいうのは動詞として知ること、つまり進行形の方なのだ。

「暗黙裡に、つまりそれとわからないうちに知ってしまう。隠れたプロセス」のことで。これはいわゆる実証主義のプロセスの限界を超えるカギなのかもしれない。

これ以上は長くなるので、このへんにするが、非常におもしろい本です。ご一読をお薦めします。経営やマーケティングだけに限らず、あらゆる局面で参考になるし、身近での小さなイノベーションもあるわけだから、大いに役に立つ。

この本を読んでのぼくの閃いた言葉は、以前にも書いたがパスツールの「Chance favors the prepared mind」である。何もないところから、“インサイト”が生じるわけではなく、常日頃から問題意識をもち、真剣になって悶え苦しんでいる人に宿るものであろう。

ビジネス・インサイト―創造の知とは何か (岩波新書)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2009.9.19
  • 石井 淳蔵
  • 新書 / 岩波書店
  • Amazon 売り上げランキング: 7357
  • Amazon おすすめ度の平均: 3.5
    • 5 創造することは思い出すことに似ている
    • 4 ■経営者は”跳ばなくてはいけない”■
    • 5 専門外から面白く読める!
    • 4 経営本とは
    • 5 多くの示唆に富む好著
Amazon.co.jpで詳細を見る

 

2009年9月27日

日本人はどこまで減るか

少子高齢化という言葉が嫌いだ。子供を産まないことと歳をとることをなじられているようだからだ。別にそれは勝手でとやかく言われる筋合いはないと思う。そんな思いをすっきりさせてくれる本が「日本人はどこまで減るか」(古田隆彦著 幻冬舎新書)である。

そもそも、少子高齢化で人口が減るということはないと断じる。少子化で出生数が減っても子ども生まれるからそれだけでは人口は増える。高齢化で寿命が延びれば死亡者が減り、人口は増える。だから、少子高齢化で人口が減るのは、出生数が死亡数を下回ってはじめて人口が減るのである。少子高齢化でも逆になることもあるのだ。

だまされたと思うでしょうが、ただの算数だがこれが論理的というものである。その死亡数が出生数を追い越したのが2005年である。ということは、少子高齢化ではなく、少産多死化がおきていると言わなくてはいけないのだ。

それと、子供と老人の定義がもう50年も前のもので子供は15歳未満、老人は65歳以上ですから、現代の感覚では、子供は24歳以下で老人は75歳以上としたら、少子高齢化でもなんでもないことになる。

このようにこの著者にかかると見る目が変わってくる。非常に巨視的な視点でみているから面白い。目先のことだけを見ていると誤ってしまうことを教えられる。

さて、その減りだした人口は単純に少子高齢化というふうには言えないとしたら、どうしてそうなっていくのか、このまま減り続けるとどうなっていってしまうのだろうか。

著者は「人口容量」(キャリング・キャパシティ)という概念を提示する。あるキャパシティに達すると人間はその人口を自ら抑制して減少させるのだという。これは文明の程度や文化の安定度で違うのだが、人口の伸び率がキャパシティの伸び率を上回ると、生理的あるいは文化的な抑制装置が作動するという。

そうしたことが古来から繰り返されてきて、それは人口波動と呼ばれるようにある周期の波がある。歴史的に次ぎの5つの波だという。これは日本も似たようなものなのである。

1. 石器前波(紀元前4万~1万年):石刃文化を中心とする旧石器文明によって成立したが、気候の変化と捕獲技術の向上による乱獲により、600万人で限界に達した。

2. 石器後波(前1万~3500年):細石刃文化を中核とする新石器文明によって成立したが、約5000万人に達した段階で、気候の変動と文明の停滞で人口容量が飽和した。

3. 農業前波(前3500~西暦700年):初期農業を基礎に都市や国家を生みだした粗放農業文明によって成立し、2億6000万人に達したが、気候の変化で農業生産が停滞し、これに起因する民族移動で社会的混乱が拡大したため、人口容量の壁にぶつかった。

4. 農業後波(700~1500年):封建制度による大開墾や農業革命、商業都市の拡大、貨幣経済の浸透などを要素とする集約農業文明によって成立し、4億5000万人に達したが、農業技術の限界と商業と都市が生み出した流行病によって限界を迎えた。

5. 工業前波(1500~2150年):温暖化した気候に守られながら、近代合理主義精神とそれに基づく科学技術革命が作りだした近代工業文明によって成立し、なお急増を続けているが、21世紀中に食糧・資源問題、環境問題などの顕在化に伴って、80~90億程度で限界を迎えるものと予測される。

この波で見ると、現代の日本も2004年にピークの1億2800万人に達したが、以後はこの文明の限界化で減少していく。単に少子高齢化というだけで片付けられない、文明と人口とのバランスで決まってくるというのが大きな眼で見るとわかってくる。

だから、これまでの日本は西欧型科学技術を基礎にした加工貿易文明によって、人口増加の波を作ってきたがそれが限界ということなのである。

ただし、そうだからといってこのままどんどん減少して日本が絶滅してしまうという議論は乱暴すぎて、人口が減るが、一人あたりの生産性もまた上昇してくることによって、そのの生活水準も上昇し出生数も増加してくるし、だいいちこれ以上平均寿命が延びてこなくなり、結果的に人口数の反転が起こる。

この本ではその底打ちは、2087年で、人口が6700万人だという。おお、いま生まれた人たちが死ぬころになってやっと人口が増えだすのか。

もっといろいろ書きたいが長くなるのでやめるが、目からうろこ的な驚きがあった。現象を微視的にとらえると本質から外れることがある。最初に言ったように短絡的に「少子高齢化」が悪いという見方では本当のことは見えてこないし、逆に大きな目でみると、これからどういうふうにしたらいいのかもわかってくる。

そして、なにより、人間も生物であり、その生態的な、あるいは生理的なふるまいもまた他の動物に似ているのだ。だから、人間は特別で人工的に制御し、いつもバランスのとれた状態を維持し続けることができるなんてことは幻想にすぎない。

それに関係することとして、人口とは直接関係ないが、先に説明した人口波動のところで、実は気候変動という要因が多く出てきている。温暖化で文明の進展が活発になると、寒冷化で停滞して人口が減るということを繰り返しているのがわかる。

このこともいまの温暖化論争をみるにつけ、何か違和感が生じてくる。そうしたことも考えさせられる良書であると思うが、きっとこうした意見を嫌う人もいるのでそういう人は読まないでください。
 

日本人はどこまで減るか―人口減少社会のパラダイム・シフト (幻冬舎新書)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2009.9.23
  • 古田 隆彦
  • 新書 / 幻冬舎
  • Amazon 売り上げランキング: 19659
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.0
    • 5 違和感の根源を突き止めよう!
    • 5 新しいエピステーメーの展望だ!
    • 1 パラダイムのシフトにもほどがある
    • 5 けっこう常識的なことも言ってます
    • 5 人口減少社会に不安を持つ人にとって救いの書
Amazon.co.jpで詳細を見る

 

2009年10月 6日

戦争の日本近現代史

「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」という本が売れているそうだ。買おうと思ったが近所の本屋になかったので同じ著者の「戦争の日本近現代史」(加藤陽子著 講談社現代新書)を買って読む。

この本でも同じような切り口だと思うが、為政者や国民が、どうして「だから戦争にうったえなければならなかったか」、あるいは「戦争はやむをえなかった」という感覚になったのかを問うている。

この設定はかなり面白く期待を抱かせる。その対象となる戦争は、10年ごとに行われた日清戦争、日露戦争、第1次世界大戦、そして、満州事変、日中戦争、太平洋戦争である。こうして並べてみると、日本という国はよく戦争をしてきたものだ。

これらの戦争で最も関係したのは中国である。直接対決した日清、満州事変、日中戦争ももちろんそうだが、日露も第1次世界大戦も太平洋戦争も中国抜きには考えられない。中国での権益を得るためにロシアや米国と戦った一面がある。

そして、最初のどうして為政者も国民も戦争に走ったのだろうかという問いかけに戻るが、その答えがなかなかつかめない。もうちょっとわかりやすく整理してくれるといいのだが。日清戦争のころのことだと、まだ、「日清戦争」(佐谷眞木人著 講談社現代新書)のほうが、メディアを持ち込んで論説してわかりやすい。

しかし、いずれにしても戦争遂行のある種の熱狂がもたらす恐ろしさは今でも続いているのではないかと思ってしまう。いまだから、そんな論理はおかしいじゃないかと言えるのだが、その時点ではだれも声高に異をとなえられなかったのだろう。

結局、どうも日清戦争により誕生した「国民国家システム」がその後の戦争へつながっていったと考えられる。近代的な国民国家に生まれ変わった日本の国民であることが意識され、そこへ奉仕することに誇りを抱く人々が誕生したときに長い戦争時代への突入を約束してしまったかのようだ。

さて、それから半世紀以上もたって、10年ごとに繰り返した戦争もなくなり、中国との関係も劇的に変わった現在、戦争という事象は起こりえるのだろうか。
 

戦争の日本近現代史―東大式レッスン!征韓論から太平洋戦争まで (講談社現代新書)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2009.10.3
  • 加藤 陽子
  • 新書 / 講談社
  • Amazon 売り上げランキング: 2978
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.0
    • 5 戦争を避けるには、戦争をよく知らねばならない!
    • 4 いっそ干戈に及べと、皆が感じる瞬間
    • 5 ぜひ同テーマの専門書執筆を。
    • 4 少し難しいけど勉強になります
    • 4 前半と後半の差
Amazon.co.jpで詳細を見る

 

2009年10月10日

天才は冬に生まれる

脳神経学の専門医で物理工学でも著名な中田力が書いた「天才は冬に生まれる」(光文社新書)を読む。このタイトルだけだと、天才というものは冬に生まれていて、その他の季節に生まれたものはいない、そしてそれがなぜかを脳科学的に解きほぐしてくれるような誤解をする。

そうではない。歴史を塗り変えるような大天才たちをたどっていくと、偶然にもみな冬に生まれていた。しかし、多少は理屈をつけてみたというお話である。だって、その理屈というのは、

大脳チップがきちんと作られているかは、その構造が作られていく環境が、どれだけ適切な熱対流を起こす環境として整えられているかで決定される。 冬に生まれる人達の胎生期の脳は、より良い熱対流の環境に置かれているのかもしれない。

このくらいしか書いていないのだ。これもおかしくて、北半球で生まれたひとと南半球で生まれた人の違いはどうなっちゃうのだろう。でもそれだからといって、中身がどうのということではない。中身には関係ないのであって、そうなるとタイトルにつけ方が悪い。

この本に登場する天才は、ニュートン、コペルニクス、ガリレオ、アインシュタイン、ハイゼンベルク、ラマヌジャン、ノイマン、ホーキングらである。どれをとっても大天才であることはだれもが認めるだろう。

それでも、これら大天才の中でも違いがあるのだ。それこそ及びもしなことを思いつく「コペルニクス的転回」思考の持ち主コペルニクスに対して、ガリレオやニュートンは実証的だという。そして、数学の真の天才は、ラマヌジャンだという。このひと、ちゃんと数学の勉強をしたことがなく、ほんとうに直感だけで公式を発見している。

さて、天才は冬に生まれるのかと考えると、わが家では、おもしろいことに家族4人の誕生日は春夏秋冬に分かれているが、上の息子(社長)が12月生まれで冬なのだ。そうか、やはり社長は天才なのだ。

しかし、ぼくは理系で疑い深いので、ノーベル賞の受賞者の生年月日を調べてみた。天才ということだと、ノーベル物理学賞だろうと思い、1901年のレントゲンから2008年の南部、益川、小林までの182名の誕生月を書き出した。どうなったと思いますか?

12月~2月までを冬としてみると、実はいちばん少ないのだ。少ないといっても、いちばん多い夏が50人に対して39人だから、有意差はないといえる。なーんだ、天才は冬に生まれない。いや普通の天才はそうかもしれないが、大天才は冬に生まれるのかもしれない。


天才は冬に生まれる (光文社新書)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2009.10.8
  • 中田 力
  • 新書 / 光文社
  • Amazon 売り上げランキング: 241403
  • Amazon おすすめ度の平均: 3.0
    • 3 ここの偉人の話は面白かった
    • 2 冬に読む
    • 4 脳の秘密
Amazon.co.jpで詳細を見る


2009年10月18日

世界は分けてもわからない

情報システムの世界は、最近のSOAとかモジュール化みたいに分けて考えるというのがはやっている。境界をひいて、それぞれを独立させて、それらをつなぎ合わせるといったことである。

そんな意見とは対立するようなことを言っている福岡伸一ハカセの「世界は分けてもわからない」(講談社現代新書)を読む。最初は、視線とは何かとか、ランゲルハンス島とか、「ラグーンハンティング」の謎とか、ES細胞の話だとかがでてくるのだが、なんだかよくわからない。

ただ、福岡ハカセの類まれなる文章力で、徐々に福岡ワールドに引き込まれていく。その序章で言っていることは、「今見ている視野の一歩外の世界は、視野内部の世界と均一に連続している保証はどこにもないのである」ということ。

そしてさらに、面白い話で、鼻はどこまでが鼻かと問いかけて、もし外科医のメスが鼻を取り出そうとしたとき、どこまで切ったら終わるのだろうか。結局、嗅覚という機能を切り出すために、身体全体を取り出してくるしかないことに気づかされるという。

部分とは部分の幻想であるということである。人間の身体というのは、たった一個の受精卵から出発した細胞の連続的なバリエーションだけであって、ここで存在と呼ばれるものは、部品という物質そのものではなく、動的な平衡とその効果でしかないのだという。

ここから、がんウィルスは細胞に何をもたらすかの研究で画期的な発見をしたといわれた、スペクターとラッカーの仕事が実はねつ造であったという話に続く。見えることと見えないこと。見たいことと見えたと思いこむこと、そんなことを考えさせられた。

つぎに掲げるこの本の最後の文章がすべてを言い表しているように思う。

この世界のあらゆる因子は、互いに他を律し、あるいは相補している。物質・エネルギー・情報をやりとりしている。そのやりとりには、ある瞬間だけを捉えてみると、供し手と受け手があるように見える。しかし、その微分を解き、次の瞬間を見ると、原因と結果は逆転している。あるいは、また別の平衡を求めて動いている。つまり、この世界には、ほんとうの意味での因果関係と呼ぶべきものは存在しない。 世界は分けないことにはわからない。しかし、世界は分けてもわからないのである。
そして、ぼくは最初の情報システムのことを思う。そこで対立的なことを言っていると書いたが、実はそうではないことがわかる。情報システムというのは、実世界を写像しているわけだし、組織は人間の身体と同じようにも考えられる。となると、福岡ハカセが言っている“動的平衡”ということに触発されずにはいられない。

どうもこれまでの情報システムは、“静的平衡”でできているように思える。SOAにしても分けただけで、動的に動かすという意識が希薄に思える。このあたりはまた別の機会に書くとして、さすが福岡ハカセの本はおもしろいものばかりだ。
 

世界は分けてもわからない (講談社現代新書)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2009.10.18
  • 福岡伸一
  • 新書 / 講談社
  • Amazon 売り上げランキング: 600
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.5
    • 5 「人は自分が見たいと思ったものしか見ない」とカエサルは言った
    • 4 本質を伝えることは難しい
    • 4 神話を紡ぐ詩人のように
    • 4 科学系読み物として面白かった
    • 4 スキャンダルがお好き!
Amazon.co.jpで詳細を見る

 

2009年10月24日

使える!経済学の考え方

巷では経済学者と称する輩が、さもわかったような口ぶりで経済を論じている。そういう論旨を聞くにつけ、経済学が本当に役に立っているのかという疑問がわいてくることが多い。

そうした思いに到る多くの場合に感じるのは、個人的な思いやこうあるべきだというある種イデオロギー的な言説である。だから、そうした人たちの論争は終わることなしに不毛なわめきに聞こえてきて、何のために経済学があるのかという根源的な問題から遠ざかってしまうように思える。

そんな気持ちを抱いていた時に、「使える!経済学の考え方」(小島寛之著 ちくま新書)に出会った。この本の副題が、「みんなをより幸せにする論理」であることからわかるように、みんなの幸せを探る経済学であることと、情緒的でない論理的なものとして考えようという趣旨で非常に興味を抱かせるものであった。

そして、その幸せへのアプローチとして次のようなことが提示されている。

・幸福をどう考えるか
・公平をどう考えるか
・自由をどう考えるか
・平等をどう考えるか
・正義をどう考えるか

そしてこれらを数学的な論理で解明していくことに著者の真骨頂があり、本書の特徴である。数学という究極の“乾いた”論理性を使って、経済を分析していくという手法には感心させられる。昔、経済学部に入るには数学が必要だと聞いていたが、金融工学みたいな分野ではわかるのだが、ほかではどのように使われるのかがあまりよくわかっていなかったのがやっとわかった。

「幸福」、「平等」、「公正」、「自由」、「安定」といったものがすべて成立するのがいちばん望ましいが、そんなことは絶対にありえない。ところが、そのすべてを望む人たちがいたり、できるという幻想を抱いている能天気な人たちがいたりする。

これをトレードオフというが、こちらを立てればあちらが立たずである。自由と平等、公正と自由がぶつかり合うなんてことはしょっちゅうあるのであり、その中でより幸せに近いものを合理的に選択するという態度が重要なのである。

数学的な論理をもってして経済を考えるという説得性のあるアプローチを知ることができ、大変に有用な本であった。ぜひご一読を薦めます。
 

使える!経済学の考え方―みんなをより幸せにするための論理 (ちくま新書 807)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2009.10.24
  • 小島 寛之
  • 新書 / 筑摩書房
  • Amazon 売り上げランキング: 1140
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.5
    • 5 まさに「使える」経済学!
    • 4 手頃な経済学入門
Amazon.co.jpで詳細を見る

 

2009年11月 1日

職場は感情で変わる

前作「不機嫌な職場」が反響があったみたいで、またぞろ同じようなテーマで本が出た。「職場は感情で変わる」(高橋克徳著 講談社現代新書)である。前著が数人の共著であったが、これは高橋克徳が単独で書いている。

そして、前が状況を指摘し、分析したのに続いて、その処方箋を提示している。解決策を示すことは、それはそれで大事であるのだが、この本について言えば、本にするほどのことはないという印象だ。

ぼくはときどき、本にもならないくらい簡単にということを思っている。すなわち、短い文章あるいはいくつかのセンテンスで言いきってしまうのがいいのではということである。

その反対が、煎じつめれば大したことではないのに、同じようなことを繰り返し書くことである。まあ、何度も同じことを言われるので腹に入るかもしれないが、1粒で5度くらいおいしい話がよくある。しかし、3粒目から飽きる。

さて、この本はというと、もう目次を書けば内容もわかるのではないだろうか。

第一章 組織にも感情がある
第二章 そもそも感情って、何?
第三章 感情をマネジメントする
第四章 感情を引き出し、共有する方法
第五章 良い職場、良い会社をつくろう

である。そして、その感情を4つに分類していて、そこがミソなのである。その4つとは、「イキイキ感情」、「あたたか感情」、「ギスギス感情」、「冷え冷え感情」であり、それらをよくある4象限で表すのである。

もうこれだけで終わりというか十分なのである。「イキイキ感情」というのは、高揚感であるワクワクする気持ち、自らやってみようという主体感、みんなでがんばろうという連帯感だという。

「あたたか感情」というのは、ここにいても大丈夫だよという安心感、お互いに助け合っているという支え合い感、自分は必要とされているという認め合い感なのだという。

そして、「ギスギス感情」や「冷え冷え感情」をみんなで「イキイキ感情」、「あたたか感情」に変えていきましょうよということで、それが行き過ぎて「燃え過ぎ感」や「ぬるま湯感」に陥らないようにしましょうよである。

おおー、これだけで一冊の本が書けてしまうんですね。
 

職場は感情で変わる (講談社現代新書)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2009.10.31
  • 高橋 克徳
  • 新書 / 講談社
  • Amazon 売り上げランキング: 11140
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.0
    • 5 「組織感情」について考える本
    • 3 サラリーマン性善説
Amazon.co.jpで詳細を見る

 

2009年11月 7日

使える!確率的思考

「使える!経済学の考え方」と順番が逆かもしれないが、同じ著者の「使える!確率的思考」(小島寛之著 ちくま新書)を読む。これまた面白いというか目からうろこ的な本である。

著者は、東大の数学科を卒業して、そのあと経済学博士になった人なので、数理経済学という立場からの論である。数学的な論理性をもって経済をみていくという立場なので、ぼくのような理系出身の頭には比較的すんなりと入っていく。

本書はそのなかで確率の話である。最近、みなさん経済に関心があるようで金融緩和だ、成長戦略だ、バラマキ財政はいかんとかいろいろとやかましい。逆にいえば、こうして多様な意見が出てくるというのは、経済というのは決まりきったものではない、言ってみれば心理的なものでもあるように思う。だからでもないが、役に立たない経済学も多いような気がする。

ですから、経済というのは不確定要素を含んでいるということだから、確率的な思考が必要になってくるわけである。本書でも言っているように、結局どんな経済行動も賭け事なのだ。

今の議論でよくあるのが、ゼロか100かの話にすぐなることで、そんなことはほとんどなくて、どちらがよりいいのだろうかというトレードオフ問題であると思う。そうした時、役に立つのがこの確率的思考であると思っている。

そんな話が事例もまじえて出てきて面白いが、読む前に関心があったのは、確率と意志決定の章である。企業情報システムの根幹をなす業務プロセスというのは単位意思決定の連鎖であると規定している手前、その意思決定の機能を確率論的にみていくというのに興味を持ったからである。

この本では、「ベイズ推定」が出てくる。これは以前から注目していて、実際にいまの仕組みに入れ込もうと思っているので役に立った。この話は、システムの機能に関連していて、「ベイズ推定」というのは簡単にいうと、データがなくてもとりあえず推定してしまい、結果が出たらまた推定しなおすということを繰り返すわけです。このことの対極にあるのが「統計的推定」で、データをたくさん集めてその結果がどうだったかを解析することである。

これを情報システムにあてはめて考えてみると、統計的推定の例が、BIとかデータウエアハウスと呼ばれるようなものである。しかしこれは、もうビジネスが終わったあとのことだから、それこそ“あとのまつり”になってしまう。

現在のようにめまぐるしくビジネス環境が変化する時代では、それも大事だがもっとリアルタイム的な解析と、それをすぐに反映できる仕組みが必要になるわけです。そんなところに「ベイズ推定」が使えると思っている。

最近ではさらに進んでいて、「事例ベース意志決定理論」が注目なのだそうだ。こうしたものは、正解がないなかでどれだけよりよい意思決定ができるかを模索するという態度なのである。こうした機能をぜひシステムに備えたいとこの本を読んで意を強くしたのである。

著者の小島寛之センセイは福岡伸一ハカセと一緒で文章力がある。理系でいい文章を書く人の本は読みやすいという格好の例である。
 

使える!確率的思考 (ちくま新書)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2009.11.7
  • 小島 寛之
  • 新書 / 筑摩書房
  • Amazon 売り上げランキング: 9598
  • Amazon おすすめ度の平均: 5.0
    • 5 確率の世界で「暗黙の了解」とされているところまで突っ込んで説明してくれるので、頭がすっきり
    • 5 投資と投機とは?(読後爽快感あり)
    • 5 「へぇ・・確率って面白いんだ!!」
    • 4 頑張って数式を使わずに説明している
    • 5 理系に進めば良かった
Amazon.co.jpで詳細を見る

2009年11月14日

プロ野球の一流たち

最近、プロ野球というものを見ないし、興味があまりわいてこない。わが横浜ベイスターズが弱くてどうしようもないということもあるのだが、あまり面白いとは感じていない。とはいえ、レギュラーシーズンの試合は見たこともなかったが、ポストシーズンは結構見ていた。日本シリーズもなかなか熱戦で楽しかった。

そんなわけでもないが、ご存じフリーのスポーツジャーナリスト二宮清純の「プロ野球の一流たち」(講談社現代新書)を手にする。一流と言われた選手たちへのインタビューをとおして、なぜ一流と呼ばれるかを解き明かしてくれる。

登場する一流選手は、野村克也、中西太、稲尾和久、大野豊、松坂大輔、清原和博、土井正博、新井貴浩、渡辺俊介、山崎武、工藤公康、古田敦也である。これだけの選手についてだから期待がワクワクなのだが、正直言って裏切られたのだ。

書いてあることは、それなりに面白いし、二宮清純の文体も好きなのだが、いかんせんネタが古い、何回も聞いたり読んだようなものばかりなのだ。若い人は、中西、稲尾、大野なんてはあまりよく知らないかもしれないが、ぼくらは「神様、仏様、稲尾様」の話は何回聞かされたか。大野が出雲の信用組合で軟式野球をやっていた話も知っている。

それともっといけないのは、第4章、5章が「日米の野球格差を問う」と「日本野球を脱構築せよ」なのだ。ええーと思うのはぼくだけだろうか。プロ野球の一流たちとぜんぜん関係ないではないか。こりゃ、二宮さんネタがないので無理やり埋め込んだんじゃないかと思われてもしかたないよ。
 

プロ野球の一流たち (講談社現代新書 1941)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2009.11.11
  • 二宮 清純
  • 新書 / 講談社
  • Amazon 売り上げランキング: 54672
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.5
    • 4 野球の奥深さに感じ入る
    • 5 すばらしい!
    • 4 清原和博の「番長化」の必然
    • 5 素晴らしい日本のプロ野球。今更メジャーなんて
    • 4 野球をより深く考えたい人のために
Amazon.co.jpで詳細を見る

 

2009年11月23日

今こそアーレントを読み直す

ハンナ・アーレントと聞いてもそう多くの人が彼女はねえと答えられないだろう。ドイツ系ユダヤ人で1975年に没した政治学者であり、思想家である。著作には「全体主義の起源」や「人間の条件」といったものがある。そんな人を少し見直してもいいんじゃないかというのが「今こそアーレントを読み直す」(仲正昌樹著 講談社現代新書)である。

著者は、アーレントの著作を翻訳もしている金沢大学教授で政治思想や社会思想などを専門としている。著者によればアーレントというのは、かなり抽象的な表現を駆使し、難しい概念が出てきて、「分かりにくい」というのが定評なのだそうだ。だから、駄目だというのではなく逆にそれが魅力だという。

どうも、世の中は「分かりやすさ」を求めているような気がする。政治にも経済にも社会にも、スパッと一刀両断で斬ってくれる理論を好むのではないだろうか。しかし、それは自分の頭で考えるという行為をあるところで停止させて、誰かに依存してしまうことになるように思う。

その辺のところの問題を著者は“分かりやすく”説明してくれる。分かりやすくということは、一貫してアーレントが主張していることを繰り返すことでもある。それはどういうことかというのが次の文章に出てくるので引用してみる。

「自由な空間「を「人間性」の保持のために不可欠であると考えるアーレントは、その空間を破壊し、「複数性」を衰退させる傾向の思想には強く抵抗する。ナチズムやスターリン主義などの全体主義はその典型だが、彼女は、一見“自由主義的”に見える思想でも、「活動」の重要性を過少評価し、共和主義的な精神を停滞させるようなものは容赦なく批判する。近代的な「ヒューマニズム」とともに拡がった、「あらゆるヒトは生まれながらにして“すばらしい人間性”を備えている」と前提し、そうした“生来すばらしい人間性”を全面的に“解放”しようとする思想は、かえって「活動」を衰退させる。ヒトとして生まれただけですばらしということにすると、ヒトは「人間」になるべく、討論・説得技法とか人文主義的な「教養」のようなものを身に付ける努力を怠るようになる。それどころか。「教養」的なものを、“生来すばらしい人間性”を覆い隠す、あるいは、抑圧するものとみなし、排除する傾向が生まれてくる。

ここに出てくる言葉が重要で、特に「自由な空間「人間性」「複数性」「活動」などがキーとなる。そこを別なところで述べているので再び引用する。

アーレントは、各人の「自由」を、ポリス的な意味での「政治」と一体のものとして考える。単に他人の権利を侵害しないというだけでなく、「政治」や「公共善」に関心を持ち、「公共領域」での「活動」に従事することを通して初めて、「自由な人格」として他の市民たちから認められるようになる。単に、誰からも物理的な拘束を受けていないというだけなら、野生の動物と同じであり、それはアーレントにとっての「自由」ではない。「自由」は「活動」を通して生み出される、人と人の「間」の空間の中にこそあるのである。

これでお分かりのように、右も左もない、それを超越したところの主張である。そして、現代のような錯綜した時代にあっては、こうした根源的な問いかけが必要なのかもしれない。ただ、だからといって彼女の言説に諸手を挙げて賛成していては、それこそ彼女の言わんとしていることに反するわけで、やはり自分の頭で「思考」し、「活動」することなのだろう。

最後に、著者もあとがきで述べているように、インターネットはこのアーレント的な考えを具現化するものと期待されるかもしれないが、そこでどう「活動」するのかが大変重要なことであり、必ずしも現状がうまくいっているとも思われないなかで、アーレントの意見に耳を傾けてみることも必要かもしれない。

今こそアーレントを読み直す (講談社現代新書)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2009.11.22
  • 仲正 昌樹
  • 新書 / 講談社
  • Amazon 売り上げランキング: 37297
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.5
    • 4 アーレント政治哲学入門
    • 5 単純な善悪の構図に乗っかる「今」に冷や水
    • 5 自分の担当している業務内容の善悪を考えることなく仕事をするだけの平凡な市民などいくらでもいる
    • 5 すっごいなっとく
    • 5 アーレント的ひねりについて
Amazon.co.jpで詳細を見る

2009年12月 1日

日本辺境論

ぼくはかねがね日本という国の位置が特異であると思っていて、それは辺境の地であるということなのだが、そのことによって、さまざまな日本人のメンタリティや国民性を決定づけているのではないかという仮説を持っている。

ぼくの辺境論では、そもそも人類の発祥の地であるアフリカから、いく手かに分かれて大ジャーニーが始まったわけだが、そこの一つの分派たちが、中国に行きつき、さらに朝鮮半島を通り、海を渡って日本列島にたどりついたはずである。そして、彼らは、その先に横たわる太平洋をみて愕然としたに違いない。そしてしかたなしにその島にとどまったのが日本人となった。だから、そういう意味で日本人は辺境人なのである。

その影響はどうなのかということに関しては、ぼくは2種類の人間がいたのではないかと思っている。ひとつのタイプは、定住をよしとしない冒険的な人間、もうひとつは、そうしたひとについていけばひょっとしたらいいことのおこぼれにあずかれるかもしれないと思う付和雷同するタイプ。この2種類のタイプの人間が日本人をかたちづくっていると思っている。

さて、こんな勝手な辺境論は置いといて、内田樹の「日本辺境論」(新潮新書)、それも自筆のサイン入りのものを読む。帯に書いてある養老先生の言葉じゃないが、これは面白い。ウチダセンセイのブログをいつも読んでいる身にとっては、そう目新しいことを言っているわけではない。(本にもそう書いてある)

しかし、その筋立ての巧みさで楽しく読める。この本では、「辺境」の定義は、「中華」の対概念として提示されている。おわかりですよね、「中華」はお隣の国です。ですから、日本列島の住民としての意識は、「中華皇帝」の支配下であるところの辺境の自治区の住民であるということである。

そこから導かれることは、自分たちが、“中華”になることはあり得ないことで、先頭にたって引っ張っていくことを拒否したのである。いつも先行する何かがあって、そことの対比の中で自分の存在を確認するかのようである。

だから、よく言われように、“後発者の立場から効率よく先行者の成功例を模倣するときには卓越した能力を発揮するけれども、先行者の立場から他国を領導することが問題になると思考停止に陥る”というわけだ。

これだと、日本の首相が東アジア共同体と言って先導できるわけがない。そうしたことができない日本人がいる。だから、ITの世界も世界標準を作れないのだ。なるほどと思ってしまう。

だからといって、それを否定して、日本人よ変われといっても無理だから、その辺境人でいいじゃないかというある種の開きなおりでいこうよとウチダセンセイは言っている。

ぼくは先の辺境論じゃないが、少なくともアドベンチャー精神に富んだやつがいたからこそ、辺境にきたのだから、そいつらのDNAがどこかに残っていると思いたいのだがどうなのだろう。

ところで、この本の後半は日本語の話になってくるが、そこで難読症(ディスクレシア)の問題がでてきて、日本人には漢字と仮名があるおかげでこの病気が少ないと書いてあって、“日本ではまだ症例が少ないので、ディスクレシアを扱った映画や小説を私は知りません”と言っていたが、まさかウチダセンセイは村上春樹の「1Q84」を読まなかったわけではないですよね。(書評もしていると思うが)そこに登場する「空気さなぎ」を書いた“ふかえり”はディスクレシアであるんだけど。

日本辺境論 (新潮新書)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2009.11.29
  • 内田 樹
  • 新書 / 新潮社
  • Amazon 売り上げランキング: 28
  • Amazon おすすめ度の平均: 3.5
    • 1 学者が自己満足している本
    • 5 辺境性に開き直る
    • 5 膝ポンです。
    • 5 とっつきは易く、飲みこみは難し
    • 1 つっこみ放題
Amazon.co.jpで詳細を見る

2009年12月 8日

1Q84

今年の5月に発売になって、爆発的に売れてもちろん今年のベストセラーだそうだ。村上春樹の「1Q84」である。そんな本を何をいまさらと言われるかもしれない。

でも、僕は元来あまのじゃくのところがあって、みんながいいというと敬遠したり、はやりものにはすぐとびつくのはやめようという意識がはたらく。そんなわけで、下の息子が読んだ後に貸してもらってあったのを最近読んだ。

ただ、どうしてこれだけの人気になるのかがよくわからない。ぼくは好きだからおもしろいと思うが、いわゆる大衆文学でもないし、司馬遼太郎でもないのに不思議だ。だから、本を買ったひとがみなこの長編を最後まで読了したのだろうか。

さて、本のことだが、タイトルからしてよくわからない。Qとは何を意味するのだろうか。物語はカルト教団に絡む話で、青豆と天吾が主人公となる二つのストーリーが並行的に進んでいくというパラレルワールドの世界だ。

書評は各所でいろいろな人が言っていたり、書いているので同じようなことを書いてもしょうがないので、村上本の何が楽しいのか、どこが気に入っているのかを書く。

べつに難しい言葉やひねった表現をするわけでもなく、相変わらずのリズム感のある文体で、特有の比喩的表現が満載でまさに村上春樹ワールドである。このリズム感と比喩は、読みやすさと情景へのイメージを膨らませてくれる原動力だ。村上春樹なので、ジャズのスウィングとでも言ったらいいのかもしれない。

こうした“ノリ”で紡がれる物語は村上春樹の独壇場かもしれない。読者は、非現実的な世界を作り出す物語力にはまっていく。こうした”感覚”を共有できておもしろさを得ることができるのだろう。僕はすごくおもしろく読んだ。

ところで、村上春樹は「おっぱいフェチ」ではないかと思う。何かとおっぱいに関する表現が出てくる。もう気になってしまった。青豆は、左乳房の方が右乳房より大きくてかたちがいびつであるなんて書くか。

どうもこれで終わりではなく、来年に第三部が出てくるらしい。乞うご期待。
 

1Q84 BOOK 1
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2009.12.7
  • 村上 春樹
  • ハードカバー / 新潮社
  • Amazon 売り上げランキング: 48
  • Amazon おすすめ度の平均: 3.5
    • 3 一キリスト者による村上春樹『1Q84』の評論。その結論は意外にも「高度な護教小説」というものである
    • 4 ストーリーは別にして・・・
    • 1 時間かかったー
    • 4 「コミット」できないディテール
    • 4 彼岸と此岸
Amazon.co.jpで詳細を見る

 

1Q84 BOOK 2
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2009.12.7
  • 村上 春樹
  • ハードカバー / 新潮社
  • Amazon 売り上げランキング: 56
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.0
    • 3 娯楽小説家として読めば悪くない
    • 4 Part 3、どうなるか??
    • 4 まだ終わらないよ
    • 4 一気に読めました
    • 4 彼岸と此岸の描き方が産んだ長所と短所
Amazon.co.jpで詳細を見る

 

2009年12月15日

落語論

落語論というようなものはないといったことも書かれている名辞矛盾的な本「落語論」(堀井憲一郎著 講談社現代新書)を読む。落語というのは、型が決まっているわけでもなく、理屈があるわけでもなく、話す人と聞く人のその場限りの作品でもある。だから、落語論というものはないと思う。

とはいえ、この本は、本質論、技術論、観客論の3部からなっているが、その中に書いてある“落語とは○○である”という言葉を採録してみる。

落語とは、ライブのものである。花火と同じだ。
落語は、言葉の中には存在していない。歌である。だから、繰り返し聞くものである。
落語には、タイトルがない。キャラクターも存在しない。落語の芯は、ストーリーではない。セリフである。
落語の根本は、お話にはない。場にある。観客も落語を構成する大きな要素である。
落語は、普遍性を拒否する。所詮ペテンである。
落語は、都市にしか存在しない。近代的発展とは別の世界に存在している。
落語は、和を求める演芸である。
落語は、きわめて個人的な体験である。
落語は、業を肯定している。
落語は、遊びであり、道具である。

おおむね、こんなことについて書いてある。確かに、落語をテレビやDVDで見たり、CDで聞いても、実際に寄席で生身の話を聞くのとはぜんぜん違う。その時に立ち会っていないと、同じものをニ度と聞くわけにはいかない。

また、落語が歌であるというのは実感として思う。先日、柳家小三治の一門会で小三治がフランク永井の歌を唄ったのだが、それがうまいのなんのって、非常にいい声で聞き惚れてしまった。そのういう人がしゃべる噺が心地悪いはずがないのだ。

そして、本を読んで気がついたのだが、落語ってタイトルがるわけでもなく、しかも人の名前も固定されていないんですね。寄席に行くとどんな噺があるのかわからない。そして、登場人物のキャラクターもあるように思えるがないのだ。

結局、目の前でしゃべっている噺家になんだかわけのわからない世界に引きずり込まれて、何となく、この世を面白おかしく過ごせるような気がしてくるのだ。てなことで、本を読むより実際の場に足を運ぶのがよろしいようで。

落語論 (講談社現代新書)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2009.12.14
  • 堀井憲一郎
  • 新書 / 講談社
  • Amazon 売り上げランキング: 12357
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.0
    • 1 屈指のひどい出来
    • 5 落語も講演も
    • 5 批評者へのアジテーション
    • 4 野暮を承知で「落語」を語る
    • 5 堀井さんによる、落語にあてたラブレター
Amazon.co.jpで詳細を見る

  

2009年12月23日

「坂の上の雲」と日本人

小説とくに長編小説をテレビドラマ化したものをほとんど見ない。だから、NHKで「坂の上の雲」を放送すると聞いても関心がない。しかしながら、このタイミングで関川夏央著の「「坂の上の雲」と日本人」(文春文庫)が文庫化されたので、それは読みたいと思った。著者はぼくの1年下でほぼ同年齢だから気分として、司馬遼太郎を共有しているのかもしれない。

何しろ、この「坂の上の雲」が書かれた(新聞の連載だった)のが、1968年から1972年の4年間で、その期間というのが、ぼくがちょうど大学で過ごした時間とピッタリなのである。ただ、そんな小説を産経新聞で見つけることはできなかったし、見つけたとしても読むことはなかったはずだ。

その時期というのは、ご存知のように全共闘運動から新左翼の過激な世界が暴れまくった時代である。そうした、潮流の中であの明治の時代の高揚を描いた作品があったことに驚かされる。当時の雰囲気から言えば、反動的な作品であると言われかねない。

ここでぼくの司馬遼太郎体験について言う。かなり読んでいると思う。司馬遼太郎の存在を知ったのはずっと昔で、それは映画「梟の城」の原作者としてである。だから、時代劇小説家と思っていた。しかし、1973年にNHKの大河ドラマで斎藤道三が主人公の「国盗り物語」があって、それが気になっていて数年後に原作を読んだときから始まる。

それから、年代順に「竜馬がゆく」、「燃えよ剣」、「功名が辻」、「酔って候」、「北斗の人」、「関ヶ原」、「十一番目の志士」、「最後の将軍」、「殉死」、「夏草の賦」、「故郷忘じがたく候」、「義経」、「馬上少年過ぐ」「峠」、「坂の上の雲」、「世に棲む日日」、「城塞」、「花神」、「覇王の家」、「翔部が如く」、「胡蝶の夢」、「菜の花沖」、「箱根の坂」などで、こうしてみるとずいぶんと読んだものだ。

この中でもやはり「坂の上の雲」が最も印象深い作品だ。この作品には正直言って圧倒された。登場人物は、俳人である正岡子規と軍人である秋山兄弟という取り合わせであった。同じ土地の出身であるかもしれないが、こうした設定ができる構想力に驚くのと同時に、日本という国が、日露戦争という目標に向かって突き進む一体感のようなものが、よきにつけ悪しきにつけ、気持ちよく伝わったことである。

司馬遼太郎はこの時期をどうとらえていたのか、そして著者である関川夏央もどう考えていたのかについて、解説の内田樹も言っている本文の一片を引用する。

司馬遼太郎は日露戦争までの日本を、若い健康な日本と考えました。若くて健康な日本の受難とその克服を、「坂の上の雲」にえがききったわけです。しかし、その健康であったはずの明治の40年がその後、昭和20年に至る不健康な40年をなぜ生んだのかと考え続けたことでもありました。彼はそれを晩年の著作「この国のかたち」の中で「奇胎の40年」としるしています。
ですから、日露戦争を境に日本という国民国家は変な方向に行ってしまった。ところがその過ちをもたらしたのは、その健康な時代に生まれた人々だったわけで、そこはかなり「つらい」ことだと関川夏央は言っています。

そして、太平洋戦争の後の40年はどうだったのだろうか。司馬遼太郎は、太平洋戦争のすぐ後に、日露戦争後の40年に思いをはせ、関川夏央は今、戦後40年はどうだったのかと問うている。そんな、日本人の歩みをこの本では鋭く描いているのである。今回気がついたのだが、本についての本を論評するというのはけっこうむずかしい。
  

「坂の上の雲」と日本人 (文春文庫)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2009.12.21
  • 関川 夏央
  • 文庫 / 文藝春秋
  • Amazon 売り上げランキング: 8833
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.0
    • 5 ナルシズムから遠くはなれて
    • 3 司馬史観と言うレンズを通して映し出された虚像
Amazon.co.jpで詳細を見る

 

2009年12月26日

町長選挙

僕の大好きな伊良部先生が登場する「町長選挙」(奥田英朗著 文春文庫)を読む。この本の中には表題のもの以外に、「オーナー」、「アンポンマン」、「カリスマ稼業」の三作も入っている。もちろん、いずれも伊良部先生の話です。

この伊良部先生シリーズは、この前に「イン・ザ・プール」と「空中ブランコ」があって、「イン・ザ・プール」は、松尾スズキが主演で映画化もされた。この伊良部先生は精神科医なのだが、めちゃくちゃなのだ。だから、悩んでみてもらう患者のほうがあっけにとられてしまうという展開で、それに輪をかけたように看護師のマユミちゃんのパンクぶりもすごい。

「オーナー」はナベツネとおぼしきナベマンという人物が登場し、プロ野球のストやらのエピソードとともに、だんだん老いていく怖さで病んでしまうところを伊良部先生のわけのわからない処方で助かるというお話。

「アンポンマン」はホリエモンと思われるアンポンマンがひらがなを書けなくなってしまうというお話で、「カリスマ稼業」は黒木瞳らしき白木カオルである。太るのを異常に怖れる女優として登場である。いずれも、すぐにわかるキャラクターで現実との対比でくすくす笑ってしまう。

「町長選挙」は有名人キャラクターが出てくるわけではないが、島を二分して争う町長選挙の面白おかしく、そして風刺の効いたストーリーでびっくりする結末もあいまって、一気に読んでしまった。

この伊良部先生シリーズの特徴は、狂気には狂気をもって対処することで、そんなに肩に力を入れなくても、あるいはそんなに自分を作らなくてもいいじゃん、もっと楽にやろうよというメッセージがある。

だから、伊良部先生をぼくは、「肉食系癒しタイプ」と呼んでいる。草食系癒しタイプはいると思うけどこの手はいないと思う。なにしろ、デブで大食漢でポルシェを乗り回して、すぐに注射をうちたがるんですから。それでいて、なんとなく患者は直ってしまうという不思議な魅力なのである。
 

町長選挙 (文春文庫)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2009.12.25
  • 奥田 英朗
  • 文庫 / 文藝春秋
  • Amazon 売り上げランキング: 1923
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.0
    • 4 リアルタイムに読むのならばよいかもしれないが
    • 3 個別にはよいが
    • 4 やめられまへんなあ
    • 4 初めて伊良部に泣かされた
    • 5 ただものではありません。
Amazon.co.jpで詳細を見る

 

2009年12月28日

マグネシウム文明論

ぼくは、若いころは石油化学工場で働いていたが、そのとき2度のオイルショックを経験している。第一次が、1973年で第4次中東戦争が勃発して、原油が高騰したときで、会社に入ってすぐだったが、いきなり工場の稼働率が大幅に下がってしまい個人的にもショックだった。

2度目は、1979年でこれはイラン革命でイランからの原油の輸入がストップした。このときは、最初のオイルショックの学習効果があったのでそれほど影響はなかったように記憶している。

ですから、省エネルギーということを徹底的にやった経験がある。そして、この省エネルギーを考えるときに非常に重要な視点は何かというと、トータルでみるということである。すなわち、ある部分ではエネルギーの節約になっていたとしても、実はシステム全体で見ていくと逆であったということも起きるのである。

なぜこんなことを言うかというと、「マグネシウム文明論」(矢部孝/山路達也著 PHP新書)を読んだからである。副題が、「石油に代わる新エネルギー資源」とあるように、石油というエネルギーがもはや限界に近づきつつあるなかで、その代替としてマグネシウムに着目しているのである。

マグネシウムというと、ええーと思う人が多いと思いますが、それ自体は海水中にあるのでかなりの量になります。海水1kgあたり1.29gあるので、総量としては1800兆トンです。それを燃料に使おうというのです。確かに、マグネシウムを燃やすことができますよね。年寄だったらマグネシウムの写真機を知っていると思います。

このマグネシウムを石油の炭化水素の替わりにそのまま火力発電所で使えばいいわけです。ところが、問題は、石油のように使ったあとはCO2になってしまうように、資源をワンススルーで消費していては、いつか枯渇してしまうし、環境を壊すことにもなりかねない。

そして、もうひとつは、マグネシウム単体をどうやって海水から取り出し製錬するのかである。このマグネシウムの製錬するには今の製法ではエネルギーを使うので、結局、エネルギーを生み出すためにエネルギーを使うという循環になってしまう。

そこで、着想されたのが、太陽光エネルギーの利用なのである。太陽光からレーザーを作る「太陽光励起レーザー」という技術である。同じ波長の光を、きっちり同じタイミングで揃え、ごく小さな点に集中さえることで高エネルギーを得るのだ。

この技術のトータルのサイクルというのは、海水を蒸発させて塩化マグネシウムにするが、これは海水淡水化装置として機能させる。要するに、水がないところでは海水を淡水化することが必要だから、一方で淡水、もう一方ではマグネシウムを得るという一石二鳥である。

そして、その塩化マグネシウムから、マグネシウムは太陽光励起レーザーで単体化する。それを発電所(今の火力発電所でいい)で燃料として使用し発電する。そこでできた酸化マグネシウムはまたレーザーを使って還元して金属マグネシウムに戻すのだ。

このサイクルだと、エネルギー源は太陽光だけになる。そのエネルギーの運び役としてマグネシウムをもってきたというのがポイントなのである。これだと、化石燃料を使わないので、温室効果ガスも出さないし、資源が消費されないといういいことづくめである。

いやー、これを読んでびっくりしたと同時にあり得ると思ったのである。何と言ってもトータルのエネルギーサイクルをちゃんと考えてあることがすばらしい。太陽電池だとか、電気自動車だとか言っているが、この技術がコストの壁を乗り越えたら全部これで席巻されてしまうのではないだろうか。

この本は、非常に面白いのでご一読を勧めます。
  

マグネシウム文明論 (PHP新書)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2009.12.28
  • 矢部 孝 山路 達也
  • 新書 / PHP研究所
  • Amazon 売り上げランキング: 1261
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.0
    • 3 わかったような・・・?
    • 4 へぇ―
    • 5 マグネシウムを使った石油後の新エネルギー
Amazon.co.jpで詳細を見る

 

2010年1月 5日

戦後世界経済史

スポーツ三昧と映画三昧ときたので、次は読書三昧といきたいのですが、そうはいかない中で、少しばかり堅い本を読んだ。「戦後世界経済史」(猪木武徳著 中公新書)である。

現代は、経済というものの重要性がすごく高くなってきていて、しかも政治とも密接に関係するようになった。その割には、わが国だけがそうなのかどうかわからないが、経済学という学問がきちんとしていないように思える。

例えば、政府で行う経済対策や成長戦略などはまさに経済学をベースにした理論的な裏付けも必要ではないかと思うのだが、そんな議論があるようには思えない。テレビのエセ経済学者のようなアホな理屈で決めているように思える。

というのは、ぼくがおかしいと痛感するのは事実認定の欠如のことである。すなわち、過去の起こった事実がどういう原因で起こったのかという共通理解である。これは全部が全部ちゃんとした因果関係が証明できないが、ある程度の共通理解というものはできるはずだ。少なくとも実績として出てきた数字の捉え方はそれができるはずである。

この間、亀井静香と竹中平蔵の議論がテレビであったが、みんな小泉・竹中が進めた市場原理主義で経済がガタガタになったというが、それに対して竹中平蔵が反論しているように、彼らがやった2003年~2007年で株価も上がり、失業率も下がっているという事実を知らないで言っている。皮相的な見方の感情論はやめてほしいのだ。

この本は、戦後の世界で起こった経済の動きを俯瞰している。これだけ様々な国や地方について、比較的わかりやすく説明してくれていることは称賛できる。こうした、実際に起こったことを客観的な目で検証して、それを今に生かしていこうという姿勢が大事なのである。民主党の先生方も是非読んでほしいものだ。

内容が広範で内容も濃いのでいちいち紹介はできないので、最初に書かれている筆者の関心と本の5つの視点、それと主テーマでもある「自由と平等の相克」について記す。

基本的な5つの視点というのは次のようなものである。
1.「市場化の動きと公共部門の拡大」あるいは「経済の政治化と脱政治化のせめぎ合い」
2.グローバリゼーションの進展によって起こった経済的な変化はどのようなものであったか
3.平等や公正にかかわる経済状況は、戦後世界ではどのように変わってきたのか
4.世界的な統治機構の問題、別の表現を用いると、さまざまな経済的な困難、摩擦や対立を裁定する「清算所」が世界経済の中で機能してきたか
5.市場システムを支える制度がどのようにデザインされ、それがいかなる変容を受けてきたか

これらの問いかけに対して、戦後の復興から始まって、冷戦を経て、発展・停滞・転換を繰り返し、あるところでは破綻を経験し、現在に至っている姿が描かれる。多くの事実や資料をもとに議論が展開されていて、非常に参考になるし、こうしたことを学習することの大切さを痛感する。

例えば、社会主義がなぜ破局したのか、その経済はどうだったのかなどを見れば、今どうした経済の方向にもっていくべきかがわかると思う。いまの民主党の政策にある計画経済的な動きに対して危機感を抱くのはこうした歴史的な事実なのである。

そして、東アジア共同体構想にしても、EUがどうであったかということも非常に参考になると思うし、そう簡単なものではないことがよくわかるはずだ。

最後に、自由と平等の問題である。平等化(特に機会の均等)が進むと、ある時点で、「自由」が侵蝕され始める、という平等の深刻な弊害をどうとらえればいいのか(トクヴィル)である。

「平等」への情熱は「自由」へのそれよりもはるかに強い。そして、平等は自由の犠牲において実現する。平等を徹底した究極が社会主義独裁であり、自由の喪失が、経済発展を阻害するということである。この兼合いなのだが、今の政策は少し平等化に傾いているように思えるのだ。

もちろん、この平等化と自由を両立させるのがいいのだが、その問題を解く鍵のひとつは、経済成長、人的・物的資本、デモクラシーの相互の関係をどう捉えるかになるという。どうも、人的資本、すなわち人間の知的・道徳的質が、成長にも民主化にも一番重要な要因と考えられているようだ。

これは、経済的に遅れた国の問題のように思えるがそうではなく日本でもあてはまる。著者の最後の言葉が重い。

日本のような経済の先進国でも、市民文化や国民の教育内容が劣化してゆけば、経済のパフォーマンス自体も瞬く間に貧弱になる危険性を示唆していると考えると、知育・徳育を中心にした教育問題こそこれからの世界経済の最大の課題であることは否定すべくもない。

だいぶ長くなったが、現代は経済が非常に重要になってきていると冒頭でも言ったが、時間的にあるいは地域的に俯瞰することはとても有意義であり、現在の日本での経済と政治を考える上でもぜひご一読を薦めたい好著である。
  

戦後世界経済史―自由と平等の視点から (中公新書)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2010.1.3
  • 猪木 武徳
  • 新書 / 中央公論新社
  • Amazon 売り上げランキング: 16
  • Amazon おすすめ度の平均: 5.0
    • 5 現代史の金字塔
    • 5 換骨奪胎でまとめ上げたその筆力にただただ脱帽
    • 5 世界経済の話ではあるが、一人ひとりの生き方にも通じる
    • 5 「むすびにかえて」は秀逸
    • 5 読み応えのある好著
Amazon.co.jpで詳細を見る

  

2010年1月 8日

CIRO(サイロ)

CIROっていったい何のこと?というは一般的な疑問であろう。 Cabinet Intelligence and Research Officeの略で、日本語では内閣情報調査室のことである。そのことを本にしたのが、「CIRO(サイロ) 内閣情報調査室 香月喬」(浜田文人著 朝日文庫)である。

これは、もちろんCIROの解説本ではなく、CIROで働く香月喬という調査官を主人公とした小説である。浜田さんは、前にも言ったが、ぼくがよくいく店の常連で、ときどき顔をあわせる人で、「捌き屋」や「公安捜査」のシリーズを書いた作家です。

この小説は、テーマが内閣情報調査室なので、現在の政治にまつわる裏の話が随所に出てくる。この政権交代もそうだし、それ以前の自民党の小泉構造改革派とそれに反対する勢力との争いが描かれる。だから、すごく生々しくて、具体的にこれはあの人だなとかいった想像をついしてしまう。

ここらあたりは、あまり本当のことでもいかんだろうし、さりとていかにも作り話でもリアリティに欠けるだろうから難しいところだ。しかし、浜田さんは、豊富な資料と情報からうまく“捌いて”いる。そして、何と言っても、登場人物の人間味を大事にして書いているので、スキャンダラスな読み方ではなく人間ドラマとして読ましてくれる。

ところで、実はこの本にその行きつけの銀座の「M」が、登場するのである。だいぶ後半になってからではあるが、警視庁刑事部の警部補として出てくる別府という人物の行きつけの店がそれである。

ほどよい空間と、神経が凪ぐ仄暗さ。数寄屋通の脇道を入ったところのバー・モンジュールは、一見の客でもやさしく包む雰囲気がある。
と紹介されている。確かにいい表現だ。そして、丸顔の女性バーテンダーとマスターも登場する。この間その店でこの話になったとき、バーテンダーのKちゃんは実際にも丸顔なんだけど、わたしのこと丸顔とそれだけしか書いてくれないのに、マスターはすごくカッコよく書かれていていいなあと嘆いていた。

この浜田本は、ハードボイルドなんだけど、繰り返すがそこに出てくる人物がそれぞれに個性があり、情があるので、あったかいクールさとでもいった趣で面白いですよ。

CIRO 内閣情報調査室 香月喬 (朝日文庫)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2009.12.30
  • 浜田 文人
  • 文庫 / 朝日新聞出版
  • Amazon 売り上げランキング: 28415
Amazon.co.jpで詳細を見る

2010年1月15日

独学の精神

本のタイトルから受けるイメージでは、ひとりでやる勉学のしかたみたいな感じを受けるがそうではない。「独学の精神」(前田英樹著 ちくま新書)は、まさに精神論である。だから、独学の士として登場する人物が、二宮金次郎、本居宣長、内村鑑三、中江藤樹らであり、そして職人さんなのである。

その精神について、まえがきに書いてあることがよく言い表していると思う。

ほんとうに大事なことは、何ひとつ教えることができない。この自覚のないところに、教育があるだろうか。学ぶということが成り立つだろうか。学ぶのは、この自分が学ぶのである。生まれてから死ぬまで、身ひとつで生きる自分が学ぶ。この身を通さないことには、何ひとつ、それこそ箸の持ち方ひとつからして覚えられない。体を使わない勉強だって、それと全く同じである。この身がたったひとつであるように、私の心も、気持ちもただひとつのものだ。

この謂いだから、独創性が大事なんて言うなとなる。人は初めから独創的である以外何があるのだと喝破する。そして、時代や集団のなかで通念化した知識をえたところでそんなものは役に立たない、そんな知識は増やすのではなく減らすべきだと主張する。

要するにひとそれぞれみな違いのだから一様な教え方なんてあるわけない。ということは、各人がおのれの肉体と精神とで独学する以外ないのだという。それを、著者は職人の中に求めている。この本に大工職人が登場する。考えることは、鉋(かんな)をかけることだという。自分でやってみることなのだ。

こうしたこととともに、食の自給自足にも言い及んでいて、米を作ってそれを腹いっぱい食べようと提案する。いささか唐突な感じと若干の違和感を持つのだが、この狩猟生活から農耕への流れは、機械文明の西洋社会への欠別も意味するようなことを言うのである。

じゃあ、みんな職人みたいになるのか、グローバル化をやめてスローライフで生きていくのかとなると、もはやそんなことはあり得ないと思う。現実的にはそうした生活もしたい人はするればいいだけで、みんながそうなったらその国は成立しないと思うのだが。

ただ、独学の精神というものは、非常に大事な態度だと思うので、そこは大いに参考になった。
 

独学の精神 (ちくま新書)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2010.1.13
  • 前田 英樹
  • 新書 / 筑摩書房
  • Amazon 売り上げランキング: 58205
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.0
    • 4 しっかり生きよう、と思える本
    • 5 学問は、独立独歩の環境=生活を支えること、に通ずるために行う
    • 5 白飯が食いたくなる。
    • 5 独学でないと習得できない領域がある
    • 1 極論の連続、現代社会に対するグチ
Amazon.co.jpで詳細を見る

  
 

2010年1月22日

テレビ番外地-東京12チャンネルの奇跡

いつもテレビの劣化を嘆いているが、唯一健闘しているチャンネルにテレビ東京がある。NHKも含めて、その他の民放がおしなべて、陳腐な、そして横並びの番組しか作っていない中にあって、異彩を放っているのは、最近では多くの人が認めているのではないかと密かに思っている。

例えば、得意の経済もさることながら、年寄向けの歌や旅番組とかお宝鑑定団みたいなもの、スポーツ、ハレンチ番組、意表を突く特集とか、枚挙のいとまもないといったら言い過ぎだろうか。

そんなテレビ東京の裏側をずっと見続けていた石光勝さんという方が書いた「テレビ番外地」(新潮新書)を読む。この石光さんは文化放送から東京12チャンネル(テレ東は最初はこういう名前だった)に入り常務常務取締役まで行ったひとで、数々のユニークな番組を手がけた。

東京12チャンネルは1964年に開局したが、当時は科学技術教育を柱としていた。だから、ぼくも覚えているが、また変なテレビ局ができたものだと思った。何しろ、通信工業高校講座とか数学、電気とかそんな番組があったのだ。

そんな番組ばかりでは続くわけがなくて、様々なジャンルへ進出していったのである。この局は後発であるが、その後発であるがゆえに多くのチャレンジができたと思う。そして、その当時初めてやった番組がいまの番組の原型になったものも少なくない。

例えば、「私の昭和史」「人に歴史あり」「なつかしの歌声」「題名のない音楽界」「ハレンチ学園」「クイズ地球まるかじり」「「モンティ・パイソン」「女子プロレス」「ローラーゲーム」「ダイヤモンド・サッカー」などなど。すごいですね。

でこの本を読んで真っ先に浮かんだのは「ベンチャー精神」ということである。このベンチャー精神というのは、全く新しいことをするということもあるかしれないが、現実的なところでは、既得権者のすき間をねらう、すなわち組織やあるいは慣例とか自主規制などの壁があるのでできないことを少々リスクがあってもやってしまおうという精神でもあるわけです。

そういう点で、テレビ東京は、そこをうまく取り入れたような気がする。だから、そのDNAが今でも残っていて、他局とは一線を画すユニークな番組を提供しているように思う。

しかし、それはけっして順風満帆であるはずがなく、様々なトラブルを抱えながら乗り越えていこうとする意気込みだったことがこの本から伝わってくる。これは、プロジェクトX的な感覚だから、今の若い人たちは眉をひそめるかもしれないが、多少なりともこうした高揚感を味わうことも必要ではないかと思うのだがいかがだろうか。

ちょっと脱線するかもしれないが、テレビ東京を信用するのは、あのワールドビジネスサテライトに登場する男も女のアナウンサーも決してかわい子ちゃんではないというところである。失礼。

テレビ番外地―東京12チャンネルの奇跡 (新潮新書)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2010.1.21
  • 石光 勝
  • 新書 / 新潮社
  • Amazon 売り上げランキング: 130387
  • Amazon おすすめ度の平均: 3.5
    • 3 看板に偽りあり?
    • 1 オビに偽りあり
    • 4 新書なので写真はありませんが
    • 4 テレビはどうあるべきか
    • 5 小なりといえども、意気高し……
Amazon.co.jpで詳細を見る

  

2010年1月26日

自殺する種子

もう半年くらい前に「いのちの食べかた」という映画を観てショックを受けたことがある。この映画では、延々と人工的な食糧生産の風景を映し出していて、ナレーションもセリフもないので恐ろしくなった覚えがある。

「自殺する種子」(安田節子著 平凡社新書)という本を読んで真っ先にその映画のことが浮かんだのである。著者は、市民団体「遺伝子組み換え食品いらない!キャンペーン」を立ち上げた人である。

タイトルの自殺する種子というのは、その遺伝子組み換え技術を使って、その種から育つ作物に結実する第ニ世代の種は自殺してしまうというのである。この技術の名が「ターミネーター・テクノロジー」というのだそうだ。それだけでも恐ろしくなりますね。

なぜこんな技術が登場したかというと、農家が次の季節に備えて種を取り置いても、その種は自殺してしまうので、農家は毎年種を買わなくてはいけないのです。そうなんですね、大企業がそうして自分たちから毎年種を買わせるために開発されたのです。そういう企業をアグロバイオ企業という。代表的なのが、モンサント(米)、デュポン(米)、シンジェンタ(スイス)です。

この話が象徴的ですが、そのほか穀物でもおおくの遺伝子組み換え(GM)品種が出ています。米国から輸入している大豆なんかは多くがGMです。これは、エネルギーに変わる世界的な市場で大もうけをたくらんでいる大企業とアメリカ政府の思惑が絡んでいます。

ぼくは多少科学の力を使って、人々が豊かになるための人工物は認めるのですが、こと食糧に限っては許されないと思っています。なぜかというと、やめるわけにはいかないからです。人間は高いからあるいは危険だからといって食べないでいるわけにはいきません。

そこの弱みを突いて、ビジネスをするというのがたちが悪いと思う。じゃあ、自給自足で対抗すればいいじゃないかと言われるかもしれないが、もはや作り方も知らなくなったり、やろうとすると大量の農薬が必要だったりと自営農業は崩壊しそうなのである。

ただ、狂牛病や鳥インフルエンザの問題などで、ずいぶんと見直し気分がでてきたように思う。少なくとも、日本ではあまりGM食品は受け入れられていないのが幸いだ。豆腐は国産の農家の大豆で作ったやつを食べたいのである。

農業の近代化と称して、それが開発途上国の食糧難を救うがごとく喧伝されてきたが、ほんとうに救ったのだろうか。単に、グローバルアグロバイオ企業を潤わせてきただけではないだろうか。

繰り返すが、食糧についてだけは投機目的で産業化してはいけないと思う。人類共同の資源という観点で捉えてほしいと、この本を読んで改めて感じたのである。ご一読を薦める。
  

自殺する種子―アグロバイオ企業が食を支配する (平凡社新書)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2010.1.24
  • 安田 節子
  • 新書 / 平凡社
  • Amazon 売り上げランキング: 35048
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.5
    • 5 作物を拝金主義に汚染させては駄目、著者の勇気に感動
    • 5 多くの人に読んで欲しい価値ある本です
    • 3 Monsantoの株を買わなければ
Amazon.co.jpで詳細を見る

  

2010年2月 2日

世論の曲解

昨年の総選挙で記録的な圧勝をした民主党が、最近迷走しているのが気になるのですが、その一方で惨敗した自民党の体たらくが指摘され、本当なら民主党の敵失を有利にもってこなくてはいけないのにそれができていない。

なぜこんなことになってしまったかを解き明かしてくれるのが、「世論の曲解」(光文社新書)である。著者の菅原琢は、若手の政治学者で、データを駆使して客観的な論評を行う。ネットでも「国会議員白書」というのを公開していて、様々なランキングやデータ分析結果が出ている。

われわれは、世論というものをおおかたの場合マスメディアから得ている。あるいは、最近ではネットからも入ってくる場合がある。ところが、その世論というのは、どう形成されているかというと、全員に聞くわけにはいかないので、あるサンプルから見るが、そのサンプルの取り方、それと結構重要なのは、質問の言葉でかなり変わるのである。

ということは、メディアが“意図的”に“恣意的”に世論を作れるということも意味している。だから、予断や思い込みがないように客観的にかつ俯瞰的にデータを読むことが求められている。しかし、残念ながら日本のマスメディアで、ましておやネットでそんなことをしているところはない。

そうした指摘で代表的な例として、小泉政権の評価を取り上げて解説してくれている。いまや、自民党の守旧議員や国民新党の議員たちは、小泉政権時代の負の側面が敗因に結びついたと信じているが、それが間違いであるということを示したのである。

具体的には、05年の選挙で圧勝したが、その2年後の07年の参議院選挙で大敗したことを比較している。多くの人は、これは小泉構造改革で地方・農村が衰退したという「逆小泉効果」によるとしている。そのため、これらの地域の有権者が、いまの自民党から離れて民主党を支持するようになって、1人区で負けたという解釈である。

ところがデータが物語るのは、「逆小泉効果」なんかではなく、単に「野党が大勝した」ためなのである。だから、自民党は実力通りであって、野党がそれを上回っただけなのである。すなわち、逆に言うと、05年の圧勝は小泉改革路線が、旧来の支持層ではない都市部の若年層を引き付けたからであって、07年の安倍政権はその層を完全に野党にもっていかれたというわけである。

このことは何を意味するかと言うと、もはや古い自民党を支持する人たちはどんどん少なくなってきているわけで、そうなる党勢を取り戻すのは、新たな支持層、とりわけ都市部の若い有権者にいかに魅力をもたせるかであるが、いまや全くその反対のことをやっている。

小泉改革は功罪あるにしても、09年の選挙もそうだが、振り子のように民主党にふれた人々は、実は小泉政権のような改革路線をのぞんでいるのだ。そしてまた、今の民主党がそうした意識をくみ取っているかというと、むしろ反対のようになってきている。

こうして、しばらくは停滞する日本の政治を見せつけられると思うと脱力感に襲われる。明らかに、この閉塞感や硬直感を早く打破してほしいと願っている若者がいるということを知らなければいけない。そういったものが世論としてつたわらなければいけないと強く思う。

この本は、そうしたデータの読み方で事実と思われる様相が本当は逆かもしれないということを教えてくれる。データが多く読むのが大変であるが、マスメディアも読んでもらいたい好著である。
  

世論の曲解 なぜ自民党は大敗したのか (光文社新書)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2010.1.31
  • 菅原琢
  • 新書 / 光文社
  • Amazon 売り上げランキング: 1077
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.5
    • 4 政治分析のもやもや感を吹き払う
    • 5 自民党敗北の真相が解る
    • 4 科学的な政治学:世論調査をきちんと分析して「常識」を再検討する
    • 5 続々台頭する頼もしい若手政治研究者に期待、計量政治分析の出世作になる
    • 5 小沢戦略を裏付ける選挙分析 -政権交代を一刀両断に構造化する- 
Amazon.co.jpで詳細を見る

  

2010年2月 6日

若者はなぜ3年で辞めるのか?

よく読んでいるブログに「joe’s labo」というのがある。人事コンサルタントの城繁幸さんが書いている。この人は、元富士通の人事部にいて、あの富士通の成果主義を内側から見てきた人である。まだ30代の若い人だ。

毎日のようにブログを読んでいながら、彼の著作を読んでいなかったのであわててベストセラーになった「若者はなぜ3年で辞めるのか?」(光文社新書)を遅まきながら読む。主に年功序列による弊害から、そのしわ寄せがみな若者にいってしまっている現状を批判している。

この本で訴えていることはひどくよくわかる。現行の人事制度の問題や組織あるいは労働組合の問題といったことは、実はぼくは分社化による子会社設立に関わったことがあるので、出向や評価と処遇の問題、給与水準の設定、キャリアパスや人材育成をどうするかなどなど多くの人事問題に遭遇したので、実感として残っている。

こうした経験から、この本に書かれている問題提起もよくわかるし、一方でそこを変革する困難さもわかる。問題の所在がわかってもそれを変えるためには非常に大きな壁があることも確かなのだ。

さて、このタイトルのなぜ辞めていくかは、せっかく意気に燃えて入ったのに上がつかえていて、やらされる仕事もつまらないからである。そして、従来の企業ではそこを我慢しなさい、そうして年功をかさねれば、地位もあがるし、給料もあがると言っていたのである。

しかし、そんな時代はとっくに終わってしまっていて、そんなことをしていると企業がつぶれてしまう。だから、企業は仕事ができるやつだけの筋肉質の会社にしたいのである。ところが、現実はノンワーキングリッチが居座ったままでなかなか退室しないから、若者は大変な閉塞感を感じているのである。

そんなような話が随所にでてくる。本来は企業も社会も若者を生かすことで新陳代謝をはからなければいけないのにそれと反対のことをしている。だから、希望もないから少子化という現象が現れるのである。ひとえに、若者が目を輝かせる世の中にしなくてはいけないのだ。

ぼくは団塊の世代だから、勝ち逃げと言われる。しかし、勝ちだとか負けだとか言っていないで、みんなが、各世代が応分に負担していけるような制度設計をちゃんとやらないといつまでたっても活力のない世の中のままのような気がする。3年半前に書かれたというのに現実が何も変わっていないことに暗然となる。

若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来 (光文社新書)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2010.2.6
  • 城 繁幸
  • 新書 / 光文社
  • Amazon 売り上げランキング: 3609
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.0
    • 4 虐げられし若者の憤激。
    • 5 これから社会に出る人にこそ ぜひ読んで欲しい内容だと思った
    • 1 全てを年功序列のせいにしているだけの感情論
    • 4 ねじれを上手く分析しています
    • 4 もう出世払いはないのね…
Amazon.co.jpで詳細を見る

2010年2月14日

サンバの国に演歌は流れる

昨年末にこのブログでもエントリーした「日系ブラジル人の俳句と短歌」という公開講座で講師をつとめた国際日本文化研究センター教授の細川周平さんの著書である「サンバの国に演歌は流れる」(中公新書)を読む。1995年発行なので普通の本屋さんには置いてなくてブックオフに出たのを買ってきた。

細川君は、最近はブラジル移民のことを研究していて、それも単に歴史を追うというのではなく、この間の講演のように俳句とか短歌という文芸という視点からさぐるとか、この本のように音楽という切り口で分析するとかいったアプローチを行っている。

なかなかユニークな研究で興味深い。彼はぼくの中学、高校のサッカー部の後輩で、先月の高校サッカー部の90周年記念懇親会でも会ったのだが、そのとき、この間の講演会は大変おもしろかったよと言ったら、「いやー、ハンドボールみたいなものでメジャーじゃないですよ」と謙遜していた。「ボブスレーよりいいじゃないか」と喉まででかかったけど言うのをやめた。

さて、この本は明治41年(1908年)笠戸丸から始まるブラジル移民の音楽の歩みがテーマである。それを、「演芸会の時代」、「のど自慢の時代」、「カラオケの時代」という3つに分けて論じている。

最初の「演芸会の時代」は、その1908年から戦争が終わる1945年まで、つぎの「のど自慢の時代」が1980年まで、そして「カラオケの時代」が現在までという区分である。まあ、ブラジルといっても移民にとっては、日本がなくならないのだから、何年かのタイムラグでやっていくるのである。

本では、その辺の様子を当時の新聞や古老からの聞き取りなどで丁寧に追っていく。よくまあ、調べたものだと感心する。音楽といってもプロではないし、そうした業界みたいなものが形成されたわけではないので、記録もちゃんと残っていない。

しかし、移民たちのその当時の雰囲気を絡めて変化していく姿が書き込まれているので、望郷の念、勝ち組負け組や世代間の対立など、われわれには想像がつかないことを知ることができる。最後に、なぜこうした日系のことを研究するのかについてあとがきで書いてあって、こうしたことを考えることが大事であると改めて思ったのである。

日本人もまた、日本人のやる通りの音楽文化の中を生きてきた。日本人に「追いつく」ことを強く意識してさまざまな制度を取り入れ、その反動としてブラジル性はなるべく排除しようとしてきた。どんなに離れようと「日本文化」の枠は崩されなかった。しかし。子どもたちは別の考えで日本の音楽に接している。日系研究は自然や政治体制や文化背景のちがうところで、日本人が何を失うかということを教えてくれる。そして日本「国民」が「民族」になるというのは、そして「民族」ですらなくなるのはどういうことなのかを明確にしてくれる。
サンバの国に演歌は流れる―音楽にみる日系ブラジル移民史 (中公新書)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2010.2.12
  • 細川 周平
  • 新書 / 中央公論社
  • Amazon 売り上げランキング: 354080
Amazon.co.jpで詳細を見る

2010年2月19日

近頃の若者はなぜダメなのか

ぼくはもう還暦も過ぎたじいさんだけど、同じ年代の人たちとくらべると若者とつきあっているほうだと思う。この場合の若者は20代半ばから30代半ばくらいまでの層である。30代になっても若者と呼んでいいのかどうかは、ぼくらのその頃は30代では若者とは言われなかったように思うが、今の時代ではまだ若者と言った方がいいのかもしれない。

ぼくのネットワークにこうした若者が入ってくるのは、二人の息子がちょうどその年齢であるからということと、こうしてブログを書くことでつながるからである。

そうした若者とつきあっていると、別段特異な人種だとも思わないし、昔と変わらないなあと感じるのだが、しかし一般的には様々な変化があるようだ。その現代の若者の実像を調査してそれに基づいて書かれた「近頃の若者はなぜダメなのか」(原田曜平著 光文社新書)を読む。

著者は32歳という「若者」で博報堂で若者の生態を研究していたという。7年かけて47都道府県くまなく1000人の聞き取りをまとめて本にした。だから、単に評論家然としているわけでもなく、年齢的にも近いこともあり、非常にリアルな姿がえがかれている。

いちいち書くわけにはいかないが、びっくりしたり、唖然としたり、あるいは意外な一面を見たりととてもおもしろかった。それも、都会だから、田舎だからという地域的な差もなく全国的に現れる特徴であることにも驚かされる。ある意味世の中狭くなったのである。

彼らについての特徴をざっくりとまとめてみると、
・中高生あたりからケータイを持ち始めているので、ケータイの依存率が非常に高い
・ケータイは「人間関係の維持・拡大」を重視する傾向になる
・ケータイを通した友達の輪が広がり、そこでは新しい村社会を形成するようになる
・そこでは空気を読むことが要求され、そこから外れると村八分の目にあう
・そして、既視感(デジャブ)という現象も起き、実際に体験しないのに周りから情報が入ってくるので、あたかも体験したような気になる。
・そのために、海外旅行にも行かなくなったり、地元の友達だけとべったりといったことがおきている。
・一方で、こうしたネットワークを使って、イベントを開催したり、ビジネスを始めたりする若者も増えてきている。などなど。

どうもKYではなくむしろ逆に空気を読む若者が増えているようなのである。相手が望むキャラを演じるのである。昔はこの「空気」を読むことで戦争を抑止できなかった苦い経験があるはずなのだが、その復活であるとするとすごく怖い気がするが、しかし、理解できないからと否定的になるのではなく、ポジティブな面を伸ばすようにしたらいいのではないでしょうか。

ある意味では、孤立した殺伐とした人間関係から、「友達の友達は友達だ」的なコミュニティは、うまく機能させれば、格差の緩和や、それこそ「友愛」の世界へ誘ってくれるかもしれない。やはり、年寄も空気を読めとまではいかいないまでも、「近頃の若者は」的な目線はやめた方がいいと思う。それが現代のネットワーク社会の生きる心得でもあるような気がするがいかがでしょうか。
  

近頃の若者はなぜダメなのか 携帯世代と「新村社会」 (光文社新書)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2010.2.16
  • 原田曜平
  • 新書 / 光文社
  • Amazon 売り上げランキング: 151
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.0
    • 5 若者の事を考えるために
    • 4 油断は禁物だが、まだ良書の部類
    • 4 ネットワークの力としがらみ?
    • 3 タイトルが悪すぎ
    • 4 リア充たちの実態
Amazon.co.jpで詳細を見る

  

2010年2月21日

明治維新

いまNHKの大河ドラマで坂本龍馬伝をやったり、坂の上の雲が注目されたりして、ちょっとした明治維新ブームみたいである。なぜ、そうなったかはよく分からないが、何か閉塞感みたいなものがあって、それを打ち破りたいといった気持が表れているともとれる。

「明治維新」(坂野潤治+大野健一著 講談社現代新書)は、そうした明治維新に焦点をあてているが、従来の教科書的、通俗的な維新論ではない。というのも、著者の二人は、日本政治史研究者と開発経済学者という立ち位置がちがっていることにある。そうした、異質の角度から見た維新が書かれているので新鮮な感じを受ける。

この開発経済学者の大野健一が、現代の開発途上国が直面する西欧化の外圧にどう対処していくかという面から、それとの比較の中で明治維新を評価しているのが非常に面白かった。多くの途上国は、開発独裁という形で一人の独裁者が国を引っ張るという形態であった。例えば、東アジアでいえば、李承晩、蒋介石、リー・クアンユー、マハティールたちである。

ところが、日本にはそうした独裁者はいなかったのだ。それでもあのような改革をなせたのは、複雑な関係をうまくバランスさせてしまう「柔構造」にあったのではないかという仮説を検証することが本書のひとつの大きなテーマである。

確かに明治維新に登場する薩長土肥などの雄藩の人々は入り混じり、中に幕府側の勝海舟も入り込んだり、そして離合集散、合従連衡を繰り返すのだが、それが破綻しないというのはどういうことなのかである。日本人の持つ深い知恵があるような気がする。

そして、一般的には明治維新は「富国強兵」という面を強調するが、それとともに「公議輿論」(「憲法」と「議会」のこと)も大きなイッシューであったのだ。それぞれの国家目標に対し、主導する人物がいた。「富国」すなわち殖産興業では大久保利通、「強兵」として外征を主張する西郷隆盛、「公議」である議会設立を推す板垣退助、「輿論」を為す憲法制定にかける木戸孝允である。

こうした、トロイカ的体制でありながら、それぞれが柔軟に対応する「柔構造」を形成していたが故に、あれだけの大変革を内乱や紛争もほとんどなく(西南の役は革命武士のガス抜きである)乗り切ってしまうのである。

ただ、そのとき素地として西欧の圧力を受け入れるものがあったかどうかである。そこも議論していて、江戸時代の評価につながるのだが、鎖国という時代ではあったが、内的な成熟があったからこそ、受入れられたという見解である。

こうした、分析は現代の発展途上国にたいしての考察にも役に立つと同時に現代の日本自身についても示唆があるように思う。よく、日本の政治には指導力がないとか日本人は論理的でなく、情緒的でよく振れるとか言われ、ぼくもそう言ったりしているが、それはしょうがないと思ったほうがいい。だから、それをネガティブにとらえるのではなく、ポジティブに考え、風に強い柳や竹のように、しなやかに生きていくことを志向すればいいのかもしれない。

これまで司馬史観での明治維新とか類型的な評価でしか見ていなかったものが、目からうろこ的な思いを持った。そういう意味では、多くの人に読んでもらいたい良書である。

明治維新 1858-1881 (講談社現代新書)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2010.2.21
  • 坂野 潤治 大野 健一
  • 新書 / 講談社
  • Amazon 売り上げランキング: 1361
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.5
    • 5 「柔らかさ」がうんだ、稀有な革命
    • 4 新しい明治維新解釈論
    • 5 幕末維新期の柔構造
Amazon.co.jpで詳細を見る

2010年2月25日

日本人が知らない幸福

先日、新宿で大学時代の一つ上と二つ上の先輩たちが、ゴルフと飲み会を企画した。40年ぶりにある先輩が京都から来るというのと、ベトナムに技術指導に行っている人が旧正月を利用して日本に返ってきたからである。ぼくも、その京都から来た先輩にどうしても会いたかったので特別参加で入れてもらった。

そして、その時にベトナムの話を聞いたのと、ぼくの大学時代のベトナム人の友達のことを思い出したこともあって、この本を手にする。「日本人が知らない幸福」(武永 賢著 新潮新書)は、ベトナム難民から、日本に帰化し、その後医師になった著者が書いた本である。

もともと、ヴー・ダン・コイという名であったが、帰化したときに日本の名前にしたそうだ。1982年に日本に亡命できたのだという。今の人は知らないかもしれないが、ボートピープルである。1975年にサイゴンが陥落し、南ベトナムが消滅し、社会主義の北ベトナムの天下となる。そのとき、南ベトナムの住民たちは迫害を怖れて亡命を図ったのである。船にたくさんの人々を乗せて、日本にもやってきたのだ。

このことは、ぼくも鮮明に覚えていて、ぼくの大学時代の友達にサイゴンからやってきた写真館の息子グエン・バン・タン君がいて、彼の狭い下宿で一緒に勉強をしたものだ。その彼が、卒業して中堅の会社に就職したまではよかったのだが、すぐに先ほど言ったサイゴン陥落により、帰国ができなくなってしまったのだ。それからしばらくたって居所がわからなくなってしまった。最近の噂ではカナダにいるとのことだが、一度会いたいと思っている。

この本の著者はもっとすさまじい体験をしていて、なんと7回も亡命に失敗してやっとのことで日本にやってきたのである。その彼が、苦労の末医学部に進学し医者になることができた。もちろん、奨学金や寄付などの助けがあってできたのだが、本人の努力は並大抵のことではなかったはずだ。

そうしたなかで、感じた日本について書いている。それは、ベトナムに比べれば格段に違う世界であるわけで、日本人が当たり前に感じていることが、彼には何と豊かなのかと思うのである。例えば、ふんだんに水があり、水道の水がそのまま飲める生活にびっくりするのである。

ですから、この本を読むと何と日本人がぜいたくで、飽食で、わがままで恵まれているということが実感される。まるで、ぼくらが戦後の貧しかったころの話をするのと同じように不自由で貧しく、緊迫した世界を語ってくれる。ぜひとも、今の日本を客観視するためにもこの本をよんでもらいたい。

しかしながら、この著者の行動力や性格も驚かされる。不屈の精神というか、くじけない素直さを持っていると思う。そして、彼自身が自分のことを振りかえってこんことを言っている。

どうやら頭が足らない分、神様が違うものをわたしにくださったようだ。独立心と臨機応変さだ。その使い分けができたおかげで、いろいろなチャンスを得ることができたし、異国だった日本でなんとか生き延びられたのだ。

どうも、今の日本の若者に必要なのはこのことではないかと思う。こういうことを家庭や学校で教えてやることではないだろうか。平時には無理か。
  

日本人が知らない幸福 (新潮新書)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2010.2.24
  • 武永 賢
  • 新書 / 新潮社
  • Amazon 売り上げランキング: 137865
  • Amazon おすすめ度の平均: 3.5
    • 5 読んだ後が爽やかな気分
    • 1 肝心な部分を素通りしている
    • 5 来日して四半世紀
Amazon.co.jpで詳細を見る

  

2010年3月 4日

福島正則

自分の名前がどうやって付けられたかはずっと気になっていたが、なかなか親に面と向かって聞く機会がなくてそのままになっていた。そんなわけで、この歳になって改めて聞くのも照れくさかったのだが、先日ばあちゃんに問うてみた。

そうしたら、「どうだったかなあ、福島正則からかもしれない。もう忘れたよ」というつれない返事が返ってきた。もう少し、真剣に子どもの名前を付けてくれよなあと思ったが、そういえば自分の子供の名前をどうやって付けたかと言われると、確固たる理由を述べることができないので、しょうがないかと納得する。

中学生の頃、国語の先生に君の名前は昔のえらい武将と同じだねと言われたのを覚えていて、そんなこともあって、福島正則について何となく親近感をもっていた。とはいえ、その人がどんな人だったのかは、断片的にしか知っていなかった。

そこで、そのものずばりの「福島正則」(福尾猛市郎、藤本篤著 中公新書)を手にする。歴史学の師弟である二人の先生が書いた本で、福尾教授が残した遺稿を弟子である藤本氏が補遺したという。だから、史料を丹念に調べてその足跡を追った構成になっている。

だからということかもしれないが、はっきり言って面白くない。研究書としてならかくありなんと言えるが、新書で書くなら、もう少し人間的な側面に光をあてて表現してほしかった。事象的な事実の羅列ではなく、生身の人間としての生きざまのことである。

福島正則は、安土桃山時代から江戸初期にかけて活躍した武将で、小さい時から豊臣秀吉に仕え、後に広島藩主になった。この人物については諸説あるが、よくいわれるのは、不器用で武骨な武士というのと、同じようではあるが、一方で粗暴で残酷だったという説もある。まあ、旧主の恩顧を忘れず、あまり権謀を弄さない一途な性格だったようだ。

この時代というのは、関ヶ原の戦いもそうだが、東につくのか西につくのかといったように多くの大名は変節したり、背反したりした中では、異色だったようだ。だからこそ、いまの時代になっても評価されるのかもしれない。

歴史は繰り返すというか、人間の生きざまは古今東西変わらないものかもしれない。ぼくの親が、福島正則のいいところである誠実さと一途さを願って名前を与えたとしたら、はたしてぼくは親の期待に応える子どもになったのだろうか。
  

福島正則―最後の戦国武将 (中公新書)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2010.2.28
  • 福尾 猛市郎 藤本 篤
  • 新書 / 中央公論新社
  • Amazon 売り上げランキング: 285104
Amazon.co.jpで詳細を見る

  

2010年3月 7日

人間の器量

最近の政官業学のどれをとっても小粒な人間ばかりになっているとぼくも思っていたら、それを嘆く本が出た。「人間の器量」(福田和也著 新潮選書)がそれだ。人間の評価を器の大きさでみようというものだ。

近頃では、人間を測るのに、偏差値とか、学歴とか、資格とか、業績で見ることが多い。しかし、それも重要だがそれだけではない。そこにもちだされたのが器量ということで著者はこれについて次のように言っている。

器量とは、一つの地位とか、能力とか、資質を指しているわけではありません。 これが難しい。 とてつもなく有能であっても、それだけで器量があるとはいえない。 もっと全人格的な魅力、迫力、実力があってはじめて器量があると認められる。 器が大きいと認められるわけです。 しかも器というくらいですから、その内容は変幻自在なのですね。 水も入れば酒も入る。油だって毒だって注げるわけです。 善い人とか、悪い人とか言うような単純な区別はつけられない。 水だと思っていたら、いつの間にか、酒になっているかもしれない。 善悪、良否の敷居をこえてしまうような人間観、その物差しとして器がある。
これを別な言葉で言うと、高い低いという見方ではなく、水平的な広がりをもって評価しようというのである。そして、なぜに今の日本人はこんなに小粒になってしまったのかと著者は嘆くのである。

ということは、以前の日本人にはそういった大きな器量をもった人がいたということになる。そういう先達として、明治、大正・昭和戦前、戦後から今日までの3つの時代での器量人十傑をあげているので、それを見ると著者のいう器量人とはどんな人であるかが分かる。

 【明治】
 ①西郷隆盛 ②伊藤博文 ③勝海舟 ④大久保利通 ⑤横井小楠 ⑥渋沢栄一 ⑦山縣有朋 ⑧桂太郎 ⑨大隈重信 ⑩徳富蘇峰
 【大正・昭和戦前】
 ①原敬 ②高橋是清 ③菊池寛 ④松下幸之助 ⑤今村均 ⑥松永安左衛門 ⑦鈴木貫太郎 ⑧賀屋興宣 ⑨石原莞爾 ⑩小林一三
 【戦後から今日まで】
 ①岸信介 ②田中角栄 ③小林秀雄 ④小泉信三 ⑤山本周五郎 ⑥田島道治 ⑦本田宗一郎 ⑧吉田茂 ⑨宮本常一 ⑩石橋湛山

うーん、何となくわかるような気がしますね。清濁合わせて包みこむような大きさが感じられます。だから、中には、いまの世の中だとすぐにマスコミや世間に叩かれてすぐにつぶされてしまうかもしれないような人が入っています。器量人を育てるには器量の大きい国家・社会がいるのかもしれません。

この器量というといま並べた偉人にしかないかというとそうではなく、普通の人にももちろんそれなりの器量があった方がいい。では、なぜそれが必要なのかということに対して、著者はこんなことを言っている。究極的にはこのことだとぼくも思う。

死だけは、平等に、誰にでも到来するのです。 死んで動かなくなればすべて終わり。 その終わりにむかって、その道程の長短はあれど誰もが歩いている。であるとすれば、その道程を出来るだけ充実させるように励み、試み、考えるしかありません。動けなくなるその時を、死を、見苦しくなく、なるべく思い残すことなく、迎えるために。 そのために、器量を育てる、大きくする事が必要なのです。
  
人間の器量 (新潮新書)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2010.3.6
  • 福田 和也
  • 新書 / 新潮社
  • Amazon 売り上げランキング: 253
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.0
    • 1 いまひとつ
    • 3 器量はヨコの尺度?
    • 4 参考にはなります
    • 5 人間の器量とは
    • 4 人間の器量とは
Amazon.co.jpで詳細を見る
  

2010年3月14日

政策論争のデタラメ

以前から、さまざまな議論において論点がずれていたり、論理的な意見より情緒的な意見が優先してしまうといった現象を苦々しく思っていたが、そこを的確に突いた本がある。「政策論争のデタラメ」(市川眞一著 新潮新書)である。

この本でとりあげられている論点は、環境・エネルギー、医療、教育、郵政改革、政治・行政についてである。

その問題提起は、まず、環境・エネルギーでは、いまの日本は温暖化対策に代表されるが、これは外交問題であるのに単なる精神論で対処している。こんな能天気なことを言っているうちに孤立してしまう。だいいち、欲しがりません勝つまではという風に国民に強いる環境対策はいかがなものでしょう。

ちょっと前にも、渋谷の駅で東急バスの人たちが赤い腕章を巻いて何かを配っていて、てっきりストでも打つのかなと思ったら、何と道行くひとにエコバックを配っていたのだ。気持ち悪いと感じたのはぼくだけだろうか。

医療では、医師不足と言われるが、確かに数だけでみればそうかもしれないが、勤務医と開業医のアンバランス、産婦人科、小児科の少なさ、患者のフリーアクセスなどの問題点が浮き彫りになると、本当に医師が不足しているのかは疑問となるという。

教育は、文科省の無策や中教審のいい加減さなどもあるが、何といってもこどものしつけまで学校に求める家庭の問題が大きいようだ。学習指導要領についても達成目標がないという根本的な問題をかかえているのに一向に改められない。

あと、郵政改革や政治・行政についても、深く掘り下げないで議論しているから、不思議な論争になっている面が強いことがわかる。誰かが、きちんと論点を整理して、それについて考えるようにしないとまともな結論にならないのである。

そのために重要なのは事実前提と価値前提を共有することだと思う。すなわち、データに基づいてきちんとした事実認識をすることと、そして、何が重要で、どういう方針に基づいて判断するのかといった基準のようなものが必要なのだ。

このように考えたならば、著者のいうことが至極まっとうであることがわかるし、ちゃんと提言もしていることも、ぼくも同感することばかりである。それができていない、日本の政治やマスコミのレベルの低さを嘆かざるをえない。なかなか面白いので、ぜひ常識を疑うためにも一読を。
  

政策論争のデタラメ (新潮新書)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2010.3.12
  • 市川 眞一
  • 新書 / 新潮社
  • Amazon 売り上げランキング: 79281
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.5
    • 5 興味深く読みました
    • 4 現状を手っ取り早く知る
    • 2 「デタラメ」と書くなら,もっときちんとした議論が必要
    • 5 温暖化抑制には原子力発電しかない?
    • 5 「提言」が優れている
Amazon.co.jpで詳細を見る

  

2010年3月18日

数式を使わないデータマイニング入門

本を出版するときには必ず想定読者というものを考える。というのも万人に受けるものなんかなかなか書けるものではないから、ターゲットを絞った方がいい。そこを見たときこの本はどん読者を想定しているのだろうか。

岡嶋裕史著の「数式を使わないデータマイニング入門」(光文社新書)である。内容は、データマイニングといって、多くの情報の中から有用な法則を見つけ出すことを、難しい数式を使わずに解説しようというものである。

といういことは、専門家向けというより、一般の人たちに分かりやすく説明しましょうということなのだが、そうだとすると一般の人たちはこんなことに興味があるのだろうかと思ってしまう。だから、どうしても中途半端になってしまう。

データマイニングで有名な話は、紙おむつとビールの関係で、紙おむつを買う人が一緒にビールを買う確率が高いという相関が分かったので、紙おむつ売り場の横にビールを並べたら売上が伸びたという話である。

まあこの話が何度も出てくるのだが、手法として、回帰分析、決定木、クラスタ分析、自己組織化マップ、連関規則、ニューラルネットがあって、それぞれについて簡単に説明される。この程度だとああそういうものがあるんだなくらいしか分からないのではないだろうか。

どうもこの著者の本は以前にも「ウチのシステムはなぜ使えない」を読んだときにも思ったのだが、やさしく説明しようとする意識が強く、きちんと本質的なところをやさしく書いているならいいが、簡単にしてしまっているように思う。簡単にというのとやさしいというのは同じではない。

この本の冒頭でデータマイニングと統計分析とは異なると書いてあって、従来よくやられていた統計分析は小さい情報量から世界を知ろうとする試みなのだが、現在は逆に非常に多くの情報を対象にしているところが違うということなのだが、それだけかと思ってしまう。そこはあまり本質的ではないように思う。

ぼくの理解は、統計分析も普通のデータマイニング“後付け”の方法で、起こったことの分析であると思う。このブログでも何回か言ったが、「死体解剖」なのである。ところがこの時代に求められるのは「生体ドッグ」で、今何が起きていて、どういう対処をすべきかを即刻提示できるダイナミックなデータマイニングであろう。
  

数式を使わないデータマイニング入門 隠れた法則を発見する (光文社新書)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2010.3.15
  • 岡嶋 裕史
  • 新書 / 光文社
  • Amazon 売り上げランキング: 129591
  • Amazon おすすめ度の平均: 3.5
    • 2 データマインニングの用語がわかる
    • 5 データマイニング初心者へ。短時間で概略を理解できます。
    • 3 なんとなくのデータマイニングを理解できる
    • 3 データマイニング??
    • 5 データマイニング=サンプリングなしの統計分析
Amazon.co.jpで詳細を見る

  

2010年3月25日

行動経済学

近頃、経済学の本を読むようになった。ぼくは、理工学部出身なので経済学というものをほとんど知らなかったのだが、生活が政治や経済と密接につながってきた昨今では避けられなくなってきた。さらに、意思決定論なんてに少し首を突っ込んだおかげで興味がわいたのである。

ところが、経済学ってどんな領域のものがあって、何よりもその成り立ちについてはよく知らないというのが正直なところである。そんな疑問にわりとよく答えてくれるのが、「行動経済学」(佐田高典著 中公新書)である。

そもそも古典的な経済学いうのが、ホモエコノミクスといって、超合理的な人間を前提にしているわけで、ところが現実はそんな人間もいないし、いつもいつも合理的な行動をとるのかというとそうでもない。

そんな不確実で人間臭いものを想定した行動経済学が注目されるようになったのである。サイモンの限定合理性を持ち出すまでもなく、人間の合理性には限界があって、その中で最適ではないが満足のいく解を見つけるしかないという考え方である。

この本ではそうした流れを歴史的にわかりやすく教えてくれる。けっこう難しい経済用語や理論がでてくるが、読み飛ばしても面白さはそのままである。わからないなりに期待効用理論とかプロスペクト理論、またアディクションとかゲーム理論などを読むと何となくわかった気になる。

たばこの例で行動経済学を論じていて、喫煙者と非喫煙者の行動特性の違い、すなわち喫煙者の方が非喫煙者に比べて時間選好率が高い(将来の大きな利得よりも現在の小さな利得を選考する)とかいったことをデータで示してくれる。

こうした人間が経済活動をするわけだから、どうしても心理的な要因にも左右される。だから、この本を読んでいると、経済学というのは、数理的な学問というより心理学に近づいているように思えてくる。

驚いたことに、いまはさらに進んでいて脳科学と融合したニューロエコノミクスという新しい学問分野も登場してきているのだそうだ。でも、なんか気持ちが悪くなりそうですね。脳波を測って個人の行動特性を把握しますなんていわれたくないですよね。

ただ、経済学もまだまだ発展過程であり、確立できていないようで、だからこそ民主党の政策についても経済学者の評価や意見がばらばらだったりする。これからは、実世界を意識した役に立つ経済学として行動経済学は面白そうだ。

行動経済学―感情に揺れる経済心理 (中公新書)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2010.3.21
  • 依田 高典
  • 新書 / 中央公論新社
  • Amazon 売り上げランキング: 4066
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.0
    • 3 微妙
    • 4 推奨
    • 4 基礎から学べる入門書
    • 4 行動経済学のコンパクトな解説書
Amazon.co.jpで詳細を見る
  

2010年3月30日

日本語は亡びない

ちょっと前にベストセラーになった水村美苗の「日本語が亡びるとき」に反論しようとする本である。だからタイトルが反対の「日本語は亡びない」(金谷武洋著 ちくま新書)である。作者の金谷武洋はカナダのケベック州で日本語を教えていたという立場から発言している。

確かに、自国語のことは自国にいると客観的に見れないということもあり、どういう位置づけにあるのか、あるいは第三者から見るとどうなのかがよくわからないところがある。だから、外国人が日本語を学ぶときに抱く日本語観が興味がある。

「日本語が亡びるとき」では、日本語がやがて亡びていくといことに警鐘を鳴らしているのだが、現実には、海外で外国語として学習される日本語は未曽有のブームだという。2006年度のデータによれば、外国語としての日本語学習者は133カ国・地域で300万人近くにのぼるという。これは過去最高なのだそうだ。

なぜ、このように日本語が人気なのかは、日本文化や日本人の優しさや日本の自然が評価されているからという。だから、世界20カ国の好感度ベステンでは日本がトップなのである。もちろん言葉は文化だからこういう結果なのだと思う。

つい、例えばインターネットの共通言語が英語になってしまったとか、日本人は英語が話せないから世界から取り残されてしまうといった議論になると、日本語を捨てた方がいいのかといった話になってしまう。

しかし、著者は日本語はそんなヤワイものであないと断言する。そこで面白い話が英語と日本語との比較で、よく出てくるように英語はきちんと主語がある構文になっているが、日本語には主語がないという差である。

この主語がないという言語は日本語特有のものであるのかというとそうではなく、むしろ主語がある言葉の方が稀少なのだそうだ。さらにもともと英語も主語がなかったのだという。この主語のあるなしが何を意味しているのかというと、著者は主語があるS+V+Oという構文の問題点は「S(主語)のO(目的語)に対する支配」にあると主張する。

そうすると、Sには必然的に「力」とともに「正義」がしばしば与えられるのである。それに対して、主語のない日本語は、主体がないので共存・共生を前提とするというわけである。このあたりは、言語からみた比較文化人類学というところである。

こうした、論考はとても面白いのだが、残念ながら後半の宮部みゆきと中島みゆきの「二人のみゆき-日本的始点の表現者」の章あたりから、日本語というのではなく、日本人論みたいな話になってしまい、はては「国家の品格」への賛辞という、本題とずれた議論になっている。もっと徹底的に言語論で押してほしかった。
 

日本語は亡びない (ちくま新書)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2010.3.30
  • 金谷 武洋
  • 新書 / 筑摩書房
  • Amazon 売り上げランキング: 2070
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.0
    • 5 日本語の実力を教えてくれる
    • 3 内容がやや薄いが、近年の新書ではこれが標準か。
    • 5 日本人が失ってはいけないものを確認させてくれた
    • 4 日本語を再認識させてくれた良書
    • 3 水村美苗の『日本語が亡びるとき』への違和感を表明した本としては賛成だが・・・
Amazon.co.jpで詳細を見る

2010年4月 6日

競争と公平感

多くの経済学者がいる中で信用できる人に大竹文雄さんという労働経済学が専門の大阪大学教授がいる。その大竹教授が「こんなに使える経済学」(ちくま新書)という本に続いて出したのが「競争と公平感」(中公新書)である。

タイトルからわかるように、今の日本で盛んに議論されている市場経済の評価について、競争と公平感というトレードオフの関係にある考えかたを論じたものである。結局、市場主義経済を受け入れたわれわれにとって、それをいかに使いこなし自分たちの豊かさや幸せを獲得するかであるはずなのだ。

いま、“あるはず”と書いたのは、どうもわが国では、まずはそこの覚悟がないように思えることと、トレードオフという考え方が乏しいように思うからである。まだ、何か社会主義的幻想を抱いている化石のような人がいたり、何でもかなうバラ色の国家があるかもしれないという、これまた夢みたいなことを言う人がいる。

われわれは、壮大な実験とともに崩壊した社会主義と決別して、よりよい資本主義を作りだすしかいまは道がないことを自覚し、何かを得るためには何かを捨てなければいけないという現実を知ることが必要です。そして、いかにして最大多数の最大幸福を実現させるのかをめざすバランス感覚を持つことが大事なのではないでしょうか。

さて、こうしたことについてこの本の冒頭で、経済学者の常識という感じでこう書いている。

市場経済とは、いわばインセンティブの与えられ方の一つである。厳しい競争にさらされるのはつらいかもしれないが、私たちは競争そのものの楽しさや競争に打ち勝った時の報酬があるから競争に参加する。しかも、市場競争を通じた切磋琢磨は、私たちを豊かにしてくれるという副産物をもたらす。 一方、市場競争の結果、格差が生まれてしまうのは事実である。経済学者の多くは、市場競争で豊かさ達成し、その成果を分配し直すことで格差に対処すべきだと考えている。しかし、市場競争によってより豊かになるよりも、公平や平等を重視するという価値観を優先する人もいる。ただし、競争そのものを制限して本当に公平な世の中が達成できるかどうかは怪しい。競争を制限することの本当のコストを理解したうえで、市場競争を否定しているかどうかもわからない。人によって価値観が違うのは当然だが、正しい知識をもとに、自分の価値観と照らし合わせて、世の中の仕組みを作っていく必要があるだろう。

少々長く引用したのは、本の中身はこの趣旨をいろいろな調査や事例で説明しているからである。それでいちいち全部紹介するわけにはいかないので、いささか驚いたというか、そうなんだと膝をたたいたことを書く。日本人は競争嫌いだということである。

何となくそう思ってはいたが、ちゃんとした調査がある。2007年にアメリカの調査機関が各国に対してこんな意識調査をした。質問が「貧富の格差が生じるとしても、自由な市場経済で多くの人々は良くなる」という考え方にあなたは賛成するかというものである。

この結果では、多くの国では70%以上の人が賛成だと言っているのに対して、日本は49%の人しかこの考え方に賛成していないのだ。中国やロシアよりも低い。びっくりするでしょ。

一方、次の「自立できない非常に貧しい人たちの面倒をみるのは国の責任である」という考え方に賛成であるかという問いに対しては、日本は59%の人しか賛成していないのだ。ほとんどの国が80%以上の人が、貧しい人は国が面倒みるべきだと言っている。

どうも、このあたりがいまの日本国民の意識を表していて興味深い。どうしてこのような感情なのかについて、著者は日本の伝統的な村社会では内なる助け合いはするが外に対してはしないということや高度経済成長時代の真面目に働く限りは貧困にはならないという体験があるからかもしれないと言っているが、いずれにしろ、市場競争も嫌いだが、大きな政府による再分配政策も嫌いだという意識は特徴的である。

こうした国民の政府だからこそ経済学の常識から外れても何とも思わないし、支離滅裂な政策を実行しているのかもしれない。いまや、グローバル化した世界でやっていくのを避けるわけにはいかないのだから、もうちょっと、政治家のみならず一般の国民も経済学の常識を理解すべきだと思うのである。

まだまだ、面白いことがいっぱいあるので、ぜひ読んでみてはと言いたくなる良書である。

競争と公平感―市場経済の本当のメリット (中公新書)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2010.4.4
  • 大竹 文雄
  • 新書 / 中央公論新社
  • Amazon 売り上げランキング: 1532
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.0
    • 4 経済学的思考入門?
    • 4 推奨
Amazon.co.jpで詳細を見る

2010年4月13日

マーケティングを学ぶ

起業したとき、いちおう商品を売るということがビジネスの基本だから、どうやったら売れるかを考えた。何もしないで売るのはセリングで、市場に働きかけるのをマーケティングだということを知り、下の息子が教科書として持っていた「コトラ-のマーケティング入門」を借りて少し読んだことがある。

その後は、大した商品もなかったのでどちらかというと作る方に偏っていた。しかしながら、業務プロセスのデザイン、とりわけ顧客接点サービスプロセスを考えていくうち、営業プロセスに興味を持ったので、また勉強しようと思ったのである。

「マーケティングを学ぶ」(ちくま新書)は、「ビジネスインサイト」(岩波新書)を書いた石井淳蔵の最新作である。「ビジネスインサイト」では、経営者が新しいビジネスモデルをどうやって思いつくのだろうかというテーマで、「対象に棲みこむ」といった概念を提示していた。

今度の本では、マーケティングの基本的なあり方を説いた教科書的な内容になっている。それも事例をベースに説明があり、また各章で“学びたいこと”というかたちでまとめてくれたりして、比較的やさしく書かれているのでわかりやすい。

大きく、「市場志向の戦略づくり」、「戦略志向の組織体制づくり」、「顧客との接点のマネジメント」、「組織の情報リテラシーを確立する」となっている。

最初の「市場志向の戦略づくり」では、青芳製作所、アート引越センター、スカンジナビア航空、パナソニックの「レッツノート」、伊藤園の「おーいお茶」を例に、STPすなわち、Segmentation、Targeting、Positioningの大切さを強調している。みずからの市場を細分化し、ターゲットを決め、ポジションを決めることである。

つぎの「戦略志向の組織体制づくり」では、市場適応の組織レベルとして、「コーポレート」、「製品市場分野」、「商品分野」があること、ポジショニングの工夫によるブランドエクイティの確立、そしてポジショニングとブランド拡張のバランスなどを学ぶ。事例は、P&G、ソニー、サッポロビールなどである。

「顧客との接点のマネジメント」であるマーケティングマネジメントでは、「店頭品質」だとか「ブランドパワー」を知り、マネジメントの考え方として、“環境から入ってくる情報をしまう「(店頭品質という)棚」を作っておいて、そしてそれに焦点を合わせて店頭品質に関わる微細な変化を抽出する「センサー」を現場に設けることである”としている。

最後の、「組織の情報リテラシーを確立する」は、市場からの声をどう収集して、どう活かすかである。そうした情報を活かすのに必要なこととして、情報を組織の中に普及させ、各人が使いこなすための規範をつくることや、業務プロセスそのものに入れ込むことを説いている。ここはぼくが前から言っているところです。

そして、あとがきで言っているが、マーケティングというと「創造的適応」ということを思い出すそうだ。そこで思ったのは、いまのコンピュータシステムというのは言われたとおりにやるから、それは創造的でない適応、すなわち非創造的適応であるということで、これからのITはこの創造的な適応をどうしたら実現できるのかどうかをよく考える必要があるのではないでしょうか。

まあ、コトラーの本に書いてあることとそう違いがないので新鮮味には乏しいが、冒頭に言ったように、基本的なことを丁寧にわかりやすく書いてあるのでぜひ読むことを薦めます。
  

マーケティングを学ぶ (ちくま新書)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2010.4.13
  • 石井 淳蔵
  • 新書 / 筑摩書房
  • Amazon 売り上げランキング: 2213
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.5
    • 4 マーケティングの基本を簡潔に学べる良書
    • 5 つまんないTVCMが面白くなる。 企業戦略を想像。。。。
Amazon.co.jpで詳細を見る

  

2010年4月20日

アホの壁

出版界には「二匹目の泥鰌」がいるらしい。いや、3匹目も4匹目もいて、いやいや百数匹の泥鰌がいることもある。「国家の品格」から始まる品格ものの本である。そんなことも書いてある「アホの壁」(筒井康隆著 新潮新書)を手にする。

この本自体が「バカの壁」のパロディで何匹目かの泥鰌のようで笑ってしまう。序章の「なぜこんなアホな本を書いたか」というくだりからツツイワールドに惹き込まれる。それによると、最初は「人間の器量」というタイトルで書いてほしいという依頼があったのだそうだ。

ところがそんなえらそうな本は書けないとことわったが、(あとで福田和也が同じタイトルで書いた)いま自分が書ける本は何かを考えていたら、養老孟司の「バカの壁」から「アホの壁」を思いついたらしい。

ただ、「バカの壁」が、人と人との間のコミュニケーションを阻害する壁というのに対し、文化的あり文明人であるはずの現代人が、なぜ簡単に壁を乗り越えてアホの側に行ってしまうのか、人には良識を忘れさせアホの壁を乗り越えさせるものは何かという観点で書いてある。

目次を見てみよう。

 第1章 人はなぜアホなことを言うのか
 第2章 人はなぜアホなことをするのか
 第3章 人はなぜアホな喧嘩をするのか
 第4章 人はなぜアホな計画を立てるのか
 第5章 人はなぜアホな戦争をするのか

それぞれに例を交えて面白可笑しく解説してくれる。要するに人の言動、行動、計画にどうしてアホな要素が入り込んでしまうのか。その結果として、アホは喧嘩や戦争をひき起こすということだ。そこに、筒井康隆の独特のテイストがちりばめられていてニヤッとしてしまう。

読むほどにだんだんふざけた感じからまじめなというか、最後の戦争論なんて、フロイトとアインシュタインが出てきて本質的な論議を展開するのである。で結局、アホをとことんこきおろすのだが、最後にこんなことを書いている。

アホを貶めるようなことをさんざん書いてきたが、ここへきてアホが愛おしくなってきた。もしこれらのアホがいなかったらと、想像したからである。 アホは良識ある人たちの反面教師、などという以前に、アホは社会の潤滑油ではないか、時にはアホが世界を進歩させることだってあるのではないかと思えはじめたからだ。良識あるひとばかりがそつなく時代を押し進めていく綺麗ごとの世界を考えると。何となく寒々しい気分になる。

そうなんですよね、自分がアホになるもよし、アホと交わるのもよし、アホをバカにするのもよし、いつも優等生でいるのは息苦しいし、息抜きじゃないが、壁を行ったり来たりするのもいいものかもしれない。
  

アホの壁 (新潮新書)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2010.4.18
  • 筒井 康隆
  • 新書 / 新潮社
  • Amazon 売り上げランキング: 423
  • Amazon おすすめ度の平均: