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シネマディクトの禁断症状 アーカイブ

2006年08月31日

「UDON」を見てきました

今日、家の近くで映画「UDON」を観てきました。これまで映画は土日しか観られなかったので、平日の昼間にゆっくり観ることができ、とてもぜいたくな気分になりました。

もともと映画は大好きで若い頃は年間100本くらい観ていたのですが、仕事が忙しくなり、徐々に本数も減り話題作をちょっと観てみる程度になってしまいました。

それでも数年前に一念発起して年間50本の映画を観たこともありました。これはどうしてかというと確か高樹のぶ子だったと思いますが、サラリーマンを主人公とした恋愛小説が書けないというようなことを言っていて、要するに文化的な匂いが感じられず男としての魅力がないとまで言われて、これはいかんということで映画を観だしたことがありました。ただそれも長続きがせず最近は年間10~20本程度がいいところです。

ということで今は時間もあることですのでどんどん観ていこうと思います。

そこで、「UDON」ですが、香川県のひとには大受けだそうですが、そのほかのひとは賛否両論のようです。私はけっこう楽しみました。基本スタンスとして映画が大好きですから、これはつまらないというのはほとんどありません。

つまらないというより「パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト」のようにこんな長い予告編を有料でやられたらたまんないという不満をもつことはあります。

「UDON」は笑えるところも泣けるところもあり、そして筋立ても予定調和的ではありますがしっかりできているのでいい映画だと思いますよ。

でも、文化の匂いで男に磨きがかかったかどうかは・・・、うどんの匂いだけはスクリーンから伝わってきた感じがしたが。

2006年10月01日

「ホテルルワンダ」の衝撃

今日は、映画の日なので藤沢のオデオン座に出かけました。オデオン座は藤沢駅の北口、南口それぞれにに2館ずつ4館あるのだが、うれしいことに大作ばかりではなく、ミニシアター系のものや自主映画みたいなものを上映してくれるがんばっている映画館なのだ。それと、いろいろと割引があってレディスデイ、メンズディ、バースディ、夫婦の日、夫婦50割引、高校生友情割引などがあり、中でもぼくが助かるのは毎週水曜日のメンズディで男はみな1000円で映画が観られるという何ともこれまたうれしいサービスなのだ。

「ホテルルワンダ」は、2004年度のアカデミー賞で3部門にノミネートされた映画であったが、日本で公開する予定がたたず、若い人たちがインターネットを使って署名運動をしたりして、やっと今年の1月に公開された。東京まで行かないと見ることができないのかと思ったら、夏に予告が出て9月末から2週間の限定で上映することがわかり、楽しみにしていた作品です。

この作品は1994年実際にルワンダで起きたことを映画化したもので、主人公のホテルの支配人も実在のひとで、現在ベルギーに亡命し会社を経営しているそうです。部族間の内紛にからみホテルに逃げ込んだ1200人の難民の命を救った物語ですが、この作品のよさは、実際に起きた大虐殺という事実が非常に深刻なものであるがゆえにそちらに焦点をあてたドキュメンタリーのようになりがちなのを、主人公であるホテルの支配人の家族を中心とした人間ドラマに仕立てたことではないでしょうか。主人公が家族への愛から徐々に多くの人々を救う心に変化していく過程が感動を与えてくれ、最後のシーンでは涙がとまらなくなりました。

キャストもすばらしく、夫婦役のドン・チードルとソフィー・オコネドーが迫真の演技でアカデミー賞の主演男優賞と助演女優賞にノミネートされたのも十分納得できる。久々感動の感動もの映画でした。

2006年10月04日

「フラガール」はベタな泣かせ映画か

話題の映画「フラガール」を観る。途中の早苗という女の子が夕張に引越してしまう別れのシーンあたりから、これでもかこれでもかという泣かせシーンの連続で涙が止まったかなと思ったらすぐまた涙ということでずっと鼻水をすすっていました。実話に基づいているのだけれど、もう実話そのものがドラマチックだから、むしろどうやって2時間ちょっとに凝縮させるかが大変だったのではないでしょうか。

時代が昭和40年で蒼井優が演じる主人公の紀美子がちょうど高校生だから、ぼくの高校時代とダブルわけで当時の雰囲気がよく分かる。細かいところだが、紀美子が持っていた”パンナム”のバッグはなつかしかったですね。何しろ当時、航空会社のバッグを持つのがはやっていたのです。ちなみにぼくは”スイス航空”の水色のヤツを肩にかけて颯爽?と歩いていました。ただ、時代の感覚からいうと世の中の大半は高度経済成長の波に乗って生活が豊かになるという受け止め方でした。昭和39年に、東京オリンピックがあり、新幹線が開通し、日本中が戦後の復興を実感したころでもあったのですが、映画の舞台となった炭鉱はそれとは逆行するような世界があったのです。

変化が起こったときかならずその流れにのるやつと取り残されるやつがいる。この映画は取り残されるが、それを受け止められない、いや受け止めようとしないやつ、変化について行こうとするやつ、ここがチャンスだと思うやつ、そんなひとたちが織り成す物語となっています。

最初に言ったとおり実際のエピソードがすでに感動ものだから、それをどう演じるかでおおかたの良し悪しが決まってしまう。その点で言うと、まさにそこで成功したため高い評価となった。役者陣がすばらしい。まず何といっても蒼井優なのだ。前にテレビの”情熱大陸”を見て知っていたのですごく興味を持っていたが、予想以上にすばらしかった。この子間違いなく将来の日本映画を背負っていく逸材です。それと、意外といったら失礼だが、松雪泰子がテレビで見るときとは全然ちがうのでびっくりした。ふつう、映画というのは柄がでかく見栄えがよくないとだめみたいに言われるが、テレビではただやせた疲れたおねえさんに見えたのが、実に堂々とした演技でこれまたすばらしいできです。そのほか、岸部一徳、富司純子、豊川悦司など芸達者な面々が盛り上げています。ただ、南海キャンディーズのしづちゃんはう~んどうなんでしょう。

圧巻は最後のフラダンスのシーンで、これは感動ものです。この映画が何とアカデミー賞の日本代表になったそうです。アカデミー賞に合うかどうか疑問のところもありますが、健闘を祈りましょう。

さて、「フラガール」はベタな泣かせ映画かどうか、確かにベタな泣かせ映画であることは確かだが、演出、キャストなどが素晴らしいので「いい映画」となった。だが、残念ながら「名作」にはならないだろう。そういう映画です。

2006年11月17日

家族がゆれる

「アカルイミライ」が映画初出演だったオダギリジョーが主演している「ゆれる」を観る。最初は「父親たちの星条旗」にしようかと迷ったが、”好評により上映期間延長”という惹句につられて「ゆれる」にした。見損なわないでよかった実に素晴らしい映画であった。

監督は、西川美和というまだ若い女流監督で、『蛇イチゴ』(02年)でオリジナル脚本・監督デビューを果たし、毎日映画コンクール・脚本賞のほか、その年の数々の国内映画賞の新人賞を獲得した新進気鋭のひとです。この監督がすごい、映画の作り方がちゃんとわかっている感じ、ひとつひとつのカットがきちんと撮れて意味があり、ストーリー展開も無理がない、キャストの選定もいい、ベタほめですなあ。

もううれしくなったのは、重要な小道具として8ミリ映写機が登場するところなんだけど、ぼくも昔同じFujicaScopeを使っていて、映画と同じように子供の映像を撮ってライブラリーとして残しておいたのだ。(ゆーすけべー日記にも書いてある) 映画のなかの8ミリ撮影した時期の設定が昭和55年なので、ぼくが映写機を買ったのは昭和56年だから、そうなんですよ、あの頃は8ミリカメラと映写機だったんです。

映画のキャッチコピーが「あの橋を渡るまでは兄弟でした」、すなわち兄弟がある事件をきっかけに、わかっているようでわかっていなかった、知っているようで知っていなかった、深層に隠れた思いが表れてくるといった心理的な葛藤、それが裁判という場であきらかになる。がしかし、事実は真実を語るわけではない、真実とはいったい何なのかが、結局わからない。このあたりの男同士の微妙な関係を女である西川監督がよく描けたなあと感心してしまう。

ぼくは、弟がひとりいるし、また自分の子供も男ふたりの兄弟だし、ぼくの親父も男兄弟で育ったというっこともあり、すごく考えさせられてしまった。すくなくともぼくの周りの兄弟は、一般的な言い方の仲のいい兄弟というわけではない。べたべた一緒に何かするわけでもなく、しょっちゅう行き来しているわけでもなく、たまに会話するくらいだ。しかし、だからといって仲が悪いわけでもないので、映画のような状況になったらどうなるんだと恐ろしくなる。

映画を素晴らしくしたものとしてキャストがまたいいのだ。弟役のオダギリジョーもいいし、何といっても兄役の香川照之がその屈折した感情表現や抑えた演技、最後の笑顔などすごい。この役者さんはみなさんあまり知らないと思うが、ぼくはだいぶ前に中国の映画で「鬼が来た!」というのがあってそこで日本兵役の香川照之を見てなんだコイツはと思ったことがある。今回もこの役を演じられるのは自分しかいないと言ったそうだが、それもうなづけるできばえ。脇を固めるほかの役者さんたちもみな良かった。

この映画は、主に兄弟を描いているがもっと広くみると家族の映画である。家族があってそのなかの兄弟というふうに捉えるべきであり、そうみると父親やその兄弟あるいは死んだ母親もまた「ゆれる」関係でもある。しょせん家族は「ゆれる」関係性から成り立っているということかもしれない。

  

2006年12月01日

つぎの映画を早く観たい

同じ戦闘を両当事者側から描くという映画がこれまでにあったかどうか定かではないが、クリント・イーストウッドが監督した「父親たちの星条旗」と「硫黄島からの手紙」はそういう作品である。まず先にアメリカ側を描いた「父親たちの星条旗」が封切られているので、それを観に行く。

ひとことで素晴らしい映画に仕上がっていると思う。といっても本当は次回作と合わせて仕上がったというべきであるが、この作品だけでも十分見ごたえのあるものに完結している。「パイレーツオブカリビアン」の”乞うご期待次回作”の2本仕立てとはわけが違う。

戦争の描き方はいろいろあるが、この映画は割りと淡々としていて入れ込んでいないのがいい。擂鉢山の頂上に星条旗を立てたあの写真の裏にこんな隠された物語があったとは知らなかった。その物語を軸に普通の兵士が英雄に祀られながら、利用される姿に戦争のむなしさや不条理が表現されている。このあたりはクリント・イーストウッドの演出に感心させられる。

こうなると早くつぎの「硫黄島からの手紙」を観たくなった。

2006年12月17日

力道山というプロレスラーがいた

一昨日ふと新聞の片隅にその日(12月15日)は力道山が死んだ日であるという記事を見つけた。それを読んだとき、あの頃のことがさっと浮かんできたのだ。力道山が死んだのは1963年だからぼくは中学生だった。学校の帰り道に誰かが、「おい、力道山が死んだぞ」と言いに来た。その一週間前に赤坂のキャバレーでやくざに刺されたのだが、力道山のことだからすぐに治ってしまうと信じていたからすごい驚きだった。あの力道山が刺されたくらいで死ぬわけがない、何かの間違いだとしばらく思っていた。だが、実際の死を確認すると、人間ってこんなにあっさり死んでしまうものかと子供心に深く残ったのだ。(あとでわかるが、ほんとうは麻酔医のミスで腹膜炎を併発したらしい)

また、この10月末に力道山の愛弟子であった大木金太郎が死んでいる。

そんなことがあったので、すぐにレンタルビデオ屋で「力道山」のDVDを借りてきて観る。この映画は、ソン・ヘソンという監督が作った韓国映画で、主演がソル・ギョングで脇を中谷美紀、藤竜也、萩原聖人などが固めている。

残念ながら感動しない映画であった。実在のヒーローを描くことの難しさが出ている。結局、多くの人はその主人公に対する見方がすでにあって、しかも皆それぞれで違った思いや評価があるわけで、何もないところにしみ込むような感激がないのである。従って、この手の映画は、時系列的な成功物語ではなく、どこか断片を切り取って、そこから一人の人間を描くといったほうがいいような気がする。

この韓国映画は、逆境にもめげず、強い中にも弱さがあり、だが夢を持ち続けるみたいな類型的な感じ。それで結局、体のいいヤクザ映画にしかならなかった。しかも、心理描写にしても細部の映像のつくりにしても粗雑なところがある。ちなみに、この映画のシーンに出てくるコブラツイストもラリアットもブレーンバスターもその当時はまだなかったのだ。ボデースラムと飛びけり、ヘッドロック、頭突き、逆えび固めぐらいなもんで、ルーテーズのバックドロップ(日本では岩石落としといった)を見たときはぶったまげたものだ。

とはいえ、ぼくにとってやっぱり力道山は英雄だ。

2006年12月18日

山田洋次の話の話

昨日、鎌倉女子大で山田洋次の講演会に行ってきた。鎌倉商工会議所青年部の主催で、「鎌倉と私」と題しての講演です。山田監督に鎌倉を外から見たとき、どうすればもっと魅力的なまちにできるかについて語ってもらおうというのが主旨のようだ。ただ、山田監督は主として松竹大船撮影所の思い出を1時間半話された。それが面白かった。

昭和29年に助監督として松竹に入社したときから、「武士の一分」まで50年以上の長きにわたっているから、多くを語るにはあまりにも短かすぎる時間だったのだが、そのなかでもやはり渥美清の話は興味深かった。何しろ寅さんシリーズ48作も撮っているので思い入れは相当なもののようだ。48作目の最後のカットで渥美清が何も言葉を発せず呆然としていたことや、渥美清が死んだのを2日後の奥さんからの電話で知ったこと、死んで「送る会」を大船撮影所でやったら真夏にもかかわらず、なんと3500人が焼香に訪れ、大船駅から長蛇の列となったことなどをなつかしそうに話していた。さらに、エピソードとして、寅さんのしゃべるセリフはアドリブなのかという会場の質問に、基本的には山田監督の脚本どおりなのだが、集中すると思わず面白い言葉で飛び出し、それを使ったことが何度かあったとのこと。有名な「それを言っちゃおしめーよ」や「労働者諸君!」などは渥美清のアドリブが定番化した例だそうだ。

ここで、ちょっといい話。「男はつらいよ」といえば、帝釈天の御前様として登場する笠智衆がその貴重な脇役として活躍していますが、その笠智衆についての山田洋次の話。このひとは大船(岡本)に住んでいて、撮影所まで歩いて通っていた。いつも笠さんの出番の日はスタッフは朝からなんとも清々しい気分になったそうです。「男はつらいよ」は最初本当に柴又の帝釈天で撮影していたそうで、笠さんも大船から柴又まで行かなくてはいけないので車を差し向けるよう手配したが、絶対に車に乗らなかった。いつも、電車を乗り継いで現場まで行ったそうです。そこで、毎回大変だからということで、3作目か4作目のときに近くに似たようなお寺がないかと探して、結局それからは、鎌倉の光明寺で撮影したとのこと。

2006年12月28日

「硫黄島からの手紙」が届かなかった

アメリカ側から硫黄島の戦いを描いた「父親たちの星条旗」に続く、日本側から描いた「硫黄島からの手紙」を観る。以前このブログで「父親たちの星条旗」を絶賛し、つぎのこの映画を早く観たいと書いた。
 
がしかしだ、ああ裏切られた。多くのひとが素晴らしい映画だとほめていたが、ぼくには並みの映画にしか映らなかった。

こういうときはコメントを書くのもいやになってしまう。だから、ここはYahooのユーザレビューから引用させてもらう。普段はあまりこの手のユーザレビューは気にしないようにしているし、Yahooの場合は、5点満点で点をつけていくやつなんだけど、1点つけているやつのコメントが、時に感情的になったり、トンチンカンだったりして嫌いなんだ。しかし、今回は1点をつけているやつのコメントがまともなんだ。ちなみに、この作品の採点では、全部で千人近くの投稿があって、そのうちの6割近くが5点満点つけていて、1点は30人という気持ち悪い結果になっている。

そのユーザレビューの最低点をつけたひとのコメントから

uocoxacquaさんのコメント
全体を通して手紙のやり取りが、ほとんど軍人側の数人の側に固定されてしまっており、相手側(家族・妻・子供など)の手紙や心情や想いはもちろん、硫黄島の時間軸に対応した郷里のシーンがほとんどありません。(中略)
日本向けに前作のオマケとして作られたという印象を受けました。

seiko1101938さんのコメント
予告編を見たときから不安でしたが、ああ、やっぱりか、という印象。なんといっても、脚本が中途半端。硫黄島はもっと悲惨だったはずだし、守備隊を見捨てた東条内閣や大本営の非情さも、玉砕を囃し立てた当時のマスコミの姿も、まるで、描かれていない。主人公達の人物描写も、これまた、なんとも、中途半端。そもそも、二万一千人もの兵士を死なせる羽目になった栗林司令官の苦悩とやらも、見えない。(中略)
演出面でも洞窟内の状況が芝居のセットそのもので、灼熱地獄といわれた雰囲気がまるで感じられない。さらに、二万数千名もの将兵がいたとはとても思えない。好評の二宮だって、演技はいいが、あんな兵隊が日本軍にいたのか。しろうとっぽい役者も多かったし、一般人の着物姿も陳腐だった。残念ながら、「父親達の星条旗」に比べて、かなり、見劣りする作品だ。イーストウッド監督の目で、もっと、客観的に、非情に日本軍の実体を描いて欲しかっただけに、本当に残念です。

まあだいたいここに書いてあることがぼくにとってもがっかりしたところですね。日本人の監督が撮っていたらもっと違ったのではというひともいるが、そうではなくて、取材不足かもしれないことも含めて、クリントイーストウッドの力の入れ方が違ったんじゃないのかなあ。

「父親たちの星条旗」では、星条旗を翻した写真の裏側という”ネタ”を機軸に戦争の悲惨さやむなしさを描いて成功しているのだから、なぜ”手紙というネタ”をもっと前面に出さず、まともに戦闘シーンに行ってしまったのか残念でたまらない。

今回は“ひとのふんどしで相撲をとる”ことをゆるしてください。

2007年01月12日

良くも悪くもキムタクの影が

「武士の一分」は山田洋次監督の藤沢周平ものの3作目で、「盲目剣谺返し」の映画化である。どうもこれが藤沢時代劇の最終作になるらしい。

いずれの作品も下級武士が何かのきっかけで平穏な暮らしが壊され、その敵に立ち向かう話で、山田監督以外の作品の「蝉しぐれ」もそうなんだけど、それでいてみんな剣が立つので最後はやっつけてしまうというパターン。これって、飛躍しちゃうけど高倉健のヤクザ映画に似ているっていえばそうなんだ。あるとき、理不尽なこととかイジメやおどしが降ってきて耐えに耐えるんだけど最後は堪忍袋の緒が切れるってことになる。勧善懲悪ものはいつの世でも受けるんだね。

それで「武士の一分」だけどその最後の立ち上がる大儀というか意地というか、そこが“武士の一分”と言うことだそうだ。いまじゃ何というのかな、“サラリーマンの一分”、“教師の一分”、“お役人の一分”なんて言うのかなあ。え、そんなものはないって、だから今いろいろな問題が起きているってわけか。

主人公の三村新之丞を演じたのが木村拓哉だが、結局この配役が映画の評価に大きく影響したような気がする。単純にキムタクのファンや好ましく思っている人にとっては、名演技であり、非常にいい映画であるが、そうでない人にとっては単に人気者を抜擢しただけじゃんという思いがあるような気がする。だから、山田監督は何故キムタクを起用したかが理解できない。

と言っているぼくは評価していないかというとビミョーです。マイナス要素は、いつもテレビに出ていたりして露出度が高いだけ、固有イメージが頭に残ってしまうので、なかなかそれを振り払えないことです。だから、例えば、お毒見役の侍が並んで座っていると中で華やかに光っちゃうし、釣りをしている子供を茶化すシーンもテレビのバラエティを見ているようで、そこが藤沢周平の世界を演じるにはちと気になってしまう。

藤沢周平は名もない武士が平凡で慎ましやかな生活をしている中で起こるできごとを小説にしているので、むしろ反対に歴史上の英雄を描く司馬遼太郎の小説の映画のほうが似合っているのもしれない。

だからと言ってキムタクはだめだというわけではなく、結構がんばっているのであって、名前で損しているところがあると感じたのです。やっぱ、映画に出るひとはテレビやCMにあまり出てはいけませんね。
そう思うと、逆に全然知らなかった檀れいや最近ちょっと売れ出したがほとんど知られていない笹野高史がすごく良かった。

作品としては、さすが山田洋次だからよくできています。この作品は主に東宝の砧撮影所で撮ったものですが、今はスタッフを集めるのが大変なんだそうですね。昔は撮影所に所属するスタッフがいたわけで、山田洋次は松竹だから今はなき大船撮影所には気心の知れたスタッフが大勢いてそのひとたちと一緒に「男はつらいよ」とか「学校」とかを撮っていたのが、今はばらばらになってしまい、今回でも砧撮影所にもいませんから、寄せ集めて作ったそうで、そうした苦労を考えるとなおさら良くできたと言ってやりたいと思います。

それにしてもああ、SMAPのキムタクの影が。

2007年01月21日

レティシアがいた

ぼくは、mixiのコミュで「冒険者たち」というのに参加しています。これは映画「冒険者たち」が好きな映画ファンの集まりなんですが、そこで、映画の「レティシア」役のジョアンナ・シムカスが唄っている映像を見つけました。Youtubeにあるんですよねえ。もううれしくなってしまいました。あの美しい瞳が映画ではない映像で見られるとは驚きです。

ジョアンナ・シムカスは、1943年生まれだから今63歳ということになる。1976年にあのシドニー・ポアチエと結婚して2児の母親です。映画界をさっさとやめて家庭にはいってしまった。人気絶頂の時でこれから大スターになって、彼女の魅力を堪能できると思っていたから、その思いっきりのよさにびっくりしたことを覚えています。

さらに驚いたのは結婚した相手がシドニー・ポアチエだったからです。いまの時代はそうではないでしょうが、当時の雰囲気ではフランスの女性がいくらスターといえ黒人男性と結婚するということは、常識では考えられないことであり、皆びっくりしたものでした。

ここで、その黒人と白人という組み合わせに絡めて無理やりこじつけた話をする。

2001年度のアカデミー主演女優賞をもらったのがハル・ベリーである。アカデミー賞主演女優賞で有色人種の女優が受賞したのは彼女が初めてだった。(ちなみ主演男優賞を初めて手にした黒人俳優は、1963年に「野のユリ」で受賞したシドニー・ポアチエです) このときの出演作が「チョコレート」という映画で、元看守の白人男と死刑囚の妻だったチョコレート色した肌を持つ黒人の女の恋愛を南部の田舎町を舞台に描いた秀作でした。

この作品でハル・ベリーが演じた死刑囚の妻の名が「レティシア」だったのだ。また、元看守が刑務所をやめて開いたガソリンスタンドにも「レティシア」の看板をかかげさせている。ぼくは、勝手に思っているんだけど、この監督、マーク・フォスターっていうが、絶対「冒険者たち」のファンのはずだ。だから、ひそかにmixiのコミュにお誘いしようかと思っている。

ここで白人と有色人種のことだが、ついちょっと前のテレビ番組で、”秋田の人はなぜ色白なのか”というようなテーマで、その謎に迫る風なことをやっていて、そこで面白い話を聞いた。実はちゃんと理由があって、黒海の近くにコーカサス地方というのがあるんですが、昔そこから秋田に移住した人たちがいて、その人たちと交わって今の色白美人が生まれたとのこと。コーカサスというのはすきとおった真っ白な肌をもった美人が多いことで知られているところです。そういうことを知ると肌の色がどうのこうの言うのも何かむなしくなってしまう。そんなこともまた無理やりこじつけてしまった。

2007年02月04日

ウィル・スミス父子にやられた

実在の人物クリス・ガードナー氏の成功物語を映画化した「幸せのちから」を観る。主演がウィル・スミスで彼の実の子も出演している。

まず、この親子が実にいい。こう静かな信頼感というか同じ空間を共有しているというか、そんな雰囲気が感じられ、さすが実の親子だと思わせる演技でした。思わず自分の息子たちがその年ごろのときのことを思い出してしまった。

映画は、不運が重なってホームレスになりながらも、あきらめずに努力して、証券会社の正社員になるまでを描いたサクセスストーリーで、最初から成功するのは分かっているから、そこで感動するわけではなく、そこへ至る過程にわれわれは感動する。

しかし、この物語の過程はそんな大げさなものではなく、なんだ期待していたよりもドラマチックではないなと言うひともいると思う。でもぼくが身につまされる思いで観た。こういう映画は、結局自分自身の実生活と照らし合わせながら観るから、自分の経験や思いみたいなものと共感できるかどうかでその映画の評価となる。

例えば、商品が全然売れない不安だとか、自分を全く知らないところから売り込む苦しさだとか、どんなに苦しくても自分のめざすところを忘れないだとかは、最初から安定した職場が確保されている大企業のサラリーマンには分からないと思う。そんな人が見ると、どうして周りの人に助けてもらわないのかとか、どんな職でもいいから見つけばいいじゃないかとか言うと思う。ぼくは、会社をやめてほとんどコネがないところで仕事をするようになったので、この映画の言っていることがすごくよく分かる。

さらに、大げさではないが、それゆえに感動するのは、採用が決まって(アメリカ人ってこういうとき、“あなたを採用するのがきまりました”なんていわないですね。“あしたもきれいなシャツを着て来い”って言うんですね)、そのとき大きな声でThank You!て言うのかと思ったら、無言で涙を流すんです。(ネタばれですいません)要するに、観終わったあとジワっと良さが出てくる映画だと思う。清々しい作品です。

2007年02月06日

パッチギは大木金太郎の頭突きのことだ

「佐賀のがばいばあちゃん」とともに井筒和幸監督の「パッチギ」を借りてきた。2005年のキネマ旬報の日本映画ベストワンに選ばれた作品なので、早く見たかったのが仕事が忙しかったりして遅まきながら見た。

期待にたがわずすごい傑作だ。何といってもぼくらの年代のものにとって、映画に出てくるフォーククルセダーズの歌を聞いただけでもうジーンときてしまう。特に「イムジン河」は出てきてすぐにレコードの発売や放送禁止になり、その時代の反動的な気分を象徴するできごととしてすごく印象的であった。

あの頃は、右手に平凡パンチ、左手に朝日ジャーナルと言われたときでその雰囲気が映画にもよく出ていたと思う。だから今から思うとその頃は、左も右も上も下もミックスした混沌の世界の、そこからどう抜け出すのか、変えるのか、みんなもだえ苦しんでいたんだなあとこの映画を見てもう一度思い起してしまった。

さらに、この映画を素晴らしいものにしているのは、若い俳優さんたちで皆いい顔をしていて好感が持てた。中でも、主人公の女の子の兄リ・アンソンを演じた高岡蒼佑(今は輔)がいい。こいつはブレークするんじゃないかと思っているんだけど、昨年夏に2ちゃんねるにぼろぼろにされたのでどうかな?

で最後に、題名のパッチギというのは、“頭突き”という意味らしいのだけど、この映画に釜山から密入国してきて仲間になるキム・イルという青年が登場するが、その昔実際にこの青年と名前も一緒で同じく釜山から密入国した青年がいた。その青年は後に大木金太郎と名のってプロレスラーとなり、その得意技は“パッチギ”だった。井筒さん、これってしゃれ?

2007年02月10日

「それでもボクはやってない」と言う前に

昨日、東京に出掛けたので日比谷のシャンテで評判の周防正行監督作品「それでもボクはやってない」を観る。

映画の話の前にちょっと。シャンテは、その場で切符買っても指定席となる面白いシステムなのだ。買うときに“中央は一杯になってきていますので端でもよろしいですか”とか、“隣が空いていたほうがよろしいでしょうか”とか聞いてくる。このシステムって一見するとよさそうに思えるが、よく考えると、普通に自由に販売するのとどう違うのだろうか。切符売り場の座席表で席を選ぶのと、すぐに劇場に入って席を決めるのと差がないと思うのだが、謎だ。

さて、映画の話だが、趣向を変えて裁判風に展開してみる。
(検事) この映画は、ドキュメンタリーを見せられている気がする
(弁護人)日本の刑事裁判の実態を描くにはそういう形式にならざるを得ない
(検事) 映画としては少し退屈になってしまう
(弁護人)裁判を茶化したり皮肉る必要はなく、オーソドックスにリアルに描くことが大事だ。だからエンタテイメントである必要はない。
(検事) 展開が平坦で説明的なセリフばかりでドラマティックじゃない
(弁護人)確かに、法廷のシーンなどは場面変化も少なく、淡々としていますが、それがかえって恐しさを誘発していると考えます。
(検事) 登場人物も類型的で感情的な起伏みたいなものが出ていない
(弁護人)そんなことはない。加瀬亮のいかにも痴漢に間違わされそうな感じとだんだん憔悴していく演技や、裁判官を演じた小日向文世の意地悪そうな表情などすごいと思います。
(検事) このような裁判あるいは裁判官ばかりだと言っているようで、変に誤解される恐れがある。
(弁護人)日本の刑事裁判のシステムの問題であるとか、無実の被疑者を有罪に仕立て上げる制度的問題であるとかを、分かりやすく解き明かすにはある程度断定的な表現はしかたない。
そのための問題提起映画としては意義があると思う。

(検事)そこは同意する。

まあ、こんな感じですかね。でも、テーマの設定、裁判の描写はすばらしくきちんとしていてさすが周防監督と思わせる。

この映画の肝は、「真実は神のみぞ知るはウソだ。オレだけが真実を知っている」というところだと思う。人間って、平気でうそを言う、意識的でなくてもウソを言う。ウソを言っているうちに事実だと思い込んでしまう。(これは、記憶というものが事実だけを記憶するのではなく、覚えておきたいように脚色して記憶するのと同じではないでしょうか) 無意識のうちに自分の有利になる方へ自分の言質を誘導すると思いませんか。

これは、裁判の証言や警察での尋問に限らず、ごく日常的な局面でも起こり得ます。ぼくにはそこの恐ろしさが一番印象深かった映画であった。ただ映画ってなんなのだろうと再び考えさせられる映画でもあった。

映画が終わったのが午後6時ちょっとすぎで、6時半からの呑み会に東京駅の近くまで行かなくてはいけなかったので急いで有楽町の駅から山手線に乗ろうとしたら、この映画のシーンと同じで満員で乗客を押しながら乗り込むはめになった。しかも、前に若い女性が。さて、ここでとった行動は?。まず後ろ向きになる、すなわち背中から乗り込み、右手にはリュック、左手は挙手した形でドア上部に押し当てた。完璧だ。「それでもボクはやってない」と言わざるを得なくなる前に、この備えが必要だったのだ。と映画を観て再認識。それでも、冤罪は起こりえるのかな?

2007年02月20日

日本アカデミー賞

先週、第30回「日本アカデミー賞」最優秀賞の発表があった。 受賞者・受賞作品は以下のとおりでした。

最優秀作品賞      フラガール
最優秀監督賞      李 相日  「フラガール」
最優秀主演男優賞   渡辺 謙 「明日の記憶」
最優秀主演女優賞   中谷 美紀「嫌われ松子の一生」 
最優秀助演男優賞   笹野 高史「武士の一分」 
最優秀助演女優賞   蒼井 優 「フラガール」

ということで、まあまあ順当なところですかね。ぼくの予想では、助演男優賞が香川照之だったが、外れたのはそこぐらいかなあ。Cannon三姉妹フェチのぼくとしては、蒼井優ちゃんが選ばれてうれしいのであります。去年は「ALWAYS 三丁目の夕日」で独占されていたのが、今年は各賞で適度にちらばったようです。

受賞式をテレビで見ていて一番面白かったのは、何といっても三谷幸喜で最優秀監督賞を逃した瞬間にグラスの酒を飲み干して、テーブルに伏せたしぐさであった。ところで、なぜそれをカメラは捉えていたのだろうか、山田洋次の顔でもよかったのに。個人的にはいずれは三谷幸喜に賞をあげたいと思っている。

さてこの時期は映画賞が多く、本場のアカデミー賞ももうすぐ受賞式だ。ぼくは来週「東京スポーツ映画大賞」の受賞式に行くことになっていて、楽しみにしているんだけど、この賞の中の主演女優賞が蒼井優なのだ。はたして、彼女はこの授賞式に出席するのでしょうか。もし来てくれたらすげえーうれしいだけど。

でも、日本アカデミー賞では助演女優賞なのに東スポでは主演女優賞なのだから、蒼井優はフラガールで主演だったのか助演だったのか、松雪泰子は主演だったのか、助演だったのか。まあ、どっちでもいいや。

2007年02月21日

ぼくの「インディアン」はどこに

アンソニー・ホプキンス主演の「世界最速のインディアン」を観る。インディアンというのはバイクの名前のことで、自分で改良したマシンで世界最高速度を記録した年寄り(当時63歳だったそうだ)のライダーの話です。これは実話に基づくものでもある。

ニュージーランドの小さな町から、ライダーの聖地であるアメリカのボンヌヴィル塩平原まで行って、自分の夢であった世界記録を打ち立てるまでを描く感動のロードムービーである。イチオシ映画です。

この手の映画は、もう最初からストーリーの結末が分かっていて、しかもサクセスストーリーだから、途中にエンディングを盛り上げるかの仕掛けをどう散りばめるかが、映画の良し悪しを決める重要な要素となる。映画では、一見くせがあるような人物を登場させるが、実は皆主人公に協力的になるいい人たちばかりで、トラブルのたびに周りの人が手助けして窮地を脱するシーンの連続である。

こんなに世の中いい人ばかりなんだろうかとついツッコミたくなるが、そうじゃないんですね、いい人にしてしまうということなのである。主人公バート・マンローの情熱や人柄が周りの人を自然と巻き込んで協力的な雰囲気を作ってしまうのだ。

当然のように、夢を持つ人間の、その夢を実現しようと一所懸命になっている姿は素晴らしい。その姿にみな感動するのだ。

この主人公を見ていると、以前このブログで「サムシング・グレート」について書いたときに言っていた「高い志・感謝・プラス思考」が、夢を追っている人の共通の合言葉のように思えた。そういえば、バートは絶えず感謝の言葉を口にし、そしていつも前向きに考えてくじけることがない。

こういう映画は無条件に気持ちがいい映画であり、観終わったあと爽快感がある。どうも団塊の世代向け応援映画のようですね。

だれが言ったか忘れたけど、「夢は逃げない。心のブレーキをかけるな」という言葉を思い出した。そうなんです、もう歳だからとか、体が悪いからとか、お金がないだとか、所詮やっても無理だからとあきらめていやしませんか。

さて、“ぼくのインディアン”はどこにあるのだろう。

2007年02月27日

え、リメーク作品に作品賞?

アカデミー賞の受賞者・受賞作品が決まった。残念ながら、菊池凛子や「硫黄島からの手紙」は受賞ならず。その中で、作品賞が、マーチン・スコセッシ監督、レオナルド・デカプリオ主演の「ディパーテッド」に決まった。スコセッシ監督は、何度もノミネートされて、今回やっと受賞したということでおめでとうと言いたい。

ただ、ぼくはこの作品をまだ観ていないのだ。というのは、所詮リメーク品だから、ひとの作品をまねたような映画は観たくないというのが本音なのである。

オリジナルは、香港映画の「インファナル・アフェア」という作品でトニー・レオンが主演している。この映画はすばらしい作品で香港映画に力があることを感じさせてくれた。「ディパーテッド」は、まったく同じストーリーではないということで、どうも結末も違うようだ。

で、ここで言いたいのは、リメーク作品に作品賞を与えるアカデミー賞とは一体何なのかということで、主演男優賞だとかでもらうのは全然かまわないと思うが、作品賞ですぞ。だから、純粋に評価してどうのというんじゃないんですね。まあ、アカデミー賞というのは、仲間うちで選ぶ学級委員の選挙みたいなものだから、目くじらたてて怒ってもしょうがないけどね。


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2007年03月02日

東京スポーツ映画大賞

昨日、赤坂プリンスで開かれた「東京スポーツ映画大賞」受賞式に行ってきました。ぼくの昔の会社の先輩であるQさんの代理で出席です。Qさんは「三重映画フェスティバル実行委員会」の副会長をしている人で、その人に招待状が行って、遠いのでお前行かないかと言ってくれたので、二つ返事で招待状を送ってと頼んだのです。

この映画祭は全国のこうした地方映画祭の投票を参考にして、おそらく審査委員長であるビートたけしの意向で決めていると思うが、そういった関係で各地の映画祭に招待状が行くというわけです。ですから、となりに座った人が「長岡アジア映画祭」の人でわざわざ新潟から来たといって、パンフレットを渡され、ぜひ来てくださいとお誘いをうけた。

この映画祭も16回目で、映画に関する賞とともに「ビートたけしのエンターテインメント賞」の受賞式も同時に行われる。これも今年は7回目ということで、今回の目玉は何といっても特別賞のそのまんま東(東国原英夫宮崎県知事)でしょう。知事になって初めての師弟ツーショットということで大量の報道陣がかけつけ、わざわざ撮影のための時間を設定し、フラッシュがすさまじかった。もう、15分くらいでこれから宮崎に帰るといって去っていった。さすが、同じ特別賞の石原真理子もかすんでしまった。

賞の受賞者はつぎのとおり

第16回 東京スポーツ映画大賞

作品賞 「ゆれる」、監督賞 西川美和(「ゆれる」)、 主演男優賞 木村拓哉(「武士の一分」)、 主演女優賞 蒼井優(「フラガール」)、 助演男優賞 香川照之(「ゆれる」)、 助演女優賞 富司純子(「フラガール」)、 新人賞 木村祐一(「ゆれる」)、 外国作品賞 「父親たちの星条旗」、 特別作品賞 「日本以外全部沈没」

第7回 ビートたけしエンターテインメント賞

話題賞 山本モナ、 日本芸能大賞 春風亭昇太 、主演AV女優賞 青木りん 、主演AV男優賞 該当なし 、タイトル賞 該当なし、 特別賞 石原真理子 、特別賞 そのまんま東(東国原英夫宮崎県知事)

受賞者で出席していなかったのは、木村拓哉、蒼井優、香川照之だった。蒼井優と香川照之はビデオメッセージが届けられていたが、木村拓哉の表彰では表彰状とトロフィーを同じ木村である木村祐一にあげてしまった。ちょっときついしゃれでした。なんといってもぼくにとっては蒼井優ちゃんが来ていなかったのがすごく残念でした。

さて、それぞれ受賞者に対してたけしがコメントするんだけど、これがまたおもしろいのだ。全部を紹介することができないが、なかで印象的なことを少し。いま邦画ブームで洋画の興行収入を追い抜いたとかでみんな喜んでいるが、決してレベルがあがったわけではない、そのなかでは、「ゆれる」と「フラガール」の2本だけが評価できる。「武士の一分」なんかぼろくそに言っていた。「ゆれる」は低予算のなかで、きちんとした脚本でどちらかというと古典的なつくりであり、よくできた作品とほめていた。

面白かったのは、そこでひとつだけ注文をつけるとしたら、8ミリ映写機が登場するがそれが母親のかたみであったというのがどうも違和感があった、当時8ミリ映写機というのはオヤジのものであったはずなので、そこをもう少しひねれたらよかったのにと言っていた。ぼくも、この映画の感想に8ミリ映写機のことを書いたが、あの頃の雰囲気の象徴としての8ミリ映写機を小道具に使ったことにすごく感動した身では、たけしも同様の感じをもったのではないでしょうか。

一方「フラガール」は、もう題名を聞いただけで、どんな映画になるかすぐにわかった。実際の映画もそのとおりになっていた。しかし、そういう映画を高いレベルで作り上げられる力はたいしたもので、できるやつは少ないんじゃないかとこれも高い評価をしていた。

また、KカップのAV女優が、わざとオッパイぽろりとしたのに、間が悪くまったくしらけてしまったが、なぜか司会の江口ともみがKカップと聞いてすごく受けていたのが傑作だった。余談だけど、この江口ともみってたけし軍団のつまみ枝豆の奥さんでオフィス北野所属なんですね、道理でTVタックルなんかに出てるんだ。

あとは、「ゆれる」の若いプロデユーサーがスーツを着て靴がバスケットシューズをはいて登壇したら、たけしがこれをいじり倒して、この日の人気者になってしまった。 まだまだ、「日本以外全部沈没」という映画を作った河崎実監督だとか、東京スポーツの社長がぼくと同じように、「父親たちの星条旗」はよかったけど、「硫黄島からの手紙は」つまらなかったと言う話など、いっぱい面白い話があった。

今回、デジカメを持っていくのを忘れたため受賞式の写真が載せられないが、始まるちょっと前に携帯で撮影したのを載せる。背中が写っているのは石原真理子です。今度はちゃんと持って行くようにしたいと書くと、来年もきっと招待状が転送されてくるでしょう(笑)。いやー、楽しい一日でした。Qさんありがとうございました。

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2007年03月14日

隠し剣 鬼の爪

これまで見逃していた「隠し剣 鬼の爪」を観る。ちょっと前にテレビで放映したのを録画しておいたのだ。これで、映画化された藤沢周平作品はみんな観たことになる。山田洋次監督の「たそがれ清兵衛」、「武士の一分」とこの作品の三部作と、2005年に封切られた黒土三男監督の「蝉しぐれ」の4本である。

どれがよかったかはひとまずおいて、両監督のことだが、実は黒土監督は山田監督の作品映画『幸福の黄色いハンカチ』で脚本家の一人として参加していたことから山田監督を師と仰いでいるそうだ。だから、「蝉しぐれ」も多少山田洋次の影響がないことはないが、この作品の良さはまるで日本画を見るようなすばらしい映像であった。

さて「隠し剣 鬼の爪」だが、山田監督作品では順序は違うが3本目となるとまたかよということになる。だいたい、同じパターンなのだ。みんな剣の達人だけど普段はそんなそぶりをみせないで、となりには妻ではない美しいひとがいて、いずれ妻になる。それで自らにふりかかる理不尽な圧力に最後はたちあがり敵をやっつけるみたいな展開なんですね。

まあでもこの「隠し剣 鬼の爪」という作品で面白いところは、友達3人における三様の男女関係が出てきて対比することができることかも。まず、主人公の片桐宗蔵ときえの関係、片桐宗蔵の妹を妻にする島田左門、謀反を起こし討たれてしまう狭間弥市郎とその妻、それぞれがまったく違う境遇が描かれる。

ついこれを今の時代にあてはめるとどうなるのかと考えてしまう。武士をやめて町人となり、きえと一緒に江戸にいく片桐宗蔵は、あるとき脱サラして田舎で農業をやりだす優秀なビジネスマン、島田左門は誰にでも好かれる役所につとめる好青年、狭間弥市郎はベンチャーを起すが借金が溜まって倒産する起業家とみたてたけどどうだろう。

まあ、この4本のなかでどれが一番よかったかはなかなか難しいので、マドンナの順で決めようかな。宮沢りえ、松たか子、木村佳乃、檀れいと並べてみたが、う~ん、引き分けでがんす。

2007年03月20日

映画館が閉館する

藤沢でなんと71年間営業していた「オデオン座」が今月いっぱいで閉館することになった。理由は、興行収入の低下と社長の健康上の理由だそうです。いまは、市内にオデオン座、藤沢キネマ88、オデオン1番館、オデオン2番館の4館があり、洋画から邦画もふくめて多くの作品を上映してくれて重宝にしていたので非常に残念です。

以前にもこのブログにも書きましたが、大作だけでなくミニシアター系の作品を上映してくれたり、毎週水曜日がメンズデーで男だったらだれでも1000円で入場できるなど良心的な映画館であると評価していましたから、余計に惜しい気持ちがいっぱいです。

何よりも近くに映画館がなくなってしまい、これからどこに行けばいいのか悩んでしまう。藤沢にはもう一つ「フジサワ中央」という映画館があるが、ここは邦画専門だし、あきらかに年寄りとこども狙いなのだ。

オデオン座は71年前からあるから、ぼくが生まれる前で、もうホントもの心ついたときには、オデオン座で映画を見ていたことになる。また、わが青春の映画館でもある。学校さぼって観に行ったこと、何度笑いこけ、涙を流したことか、ああなくなってしまう。

最近は大型シネコンができてそちらのほうにお客さんをとられてしまったのだろうか。ぼくが会社をやめて映画館に足を運ぶことが多くなったから感じるのかもしれないが、平日でも年寄りのひとを中心にけっこう多くのお客さんがいたように思えて、だんだんよくなるのかと期待していた矢先なので残念でならない。

さて、来月からどこに行こうかな。

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2007年04月05日

藤田敏八のことを少し

前回、「アグネス・ラムのいた時代」という本を紹介したが、そのなかで、「ロマンポルノの旗手、藤田敏八監督」という章があった。ぼくは、藤田敏八監督にはすごい思い入れがあったので興味深く読んだ。

若い頃三重県四日市で働いていたが、実は藤田敏八の実家が四日市市にあり、そのとき、以前東スポ映画大賞の招待券をくれたQさんの紹介で2回ほどお目にかかって話をしたことがある。炬燵に一緒に入り酒を呑んでいろいろなことを話したことや、映画会を開いて座談会みたいなことをやったりしたことを今でもよく覚えている。

その藤田敏八と長友健二は仲がよかったらしい。どうも1972年に長友が平凡パンチに川村真樹のヌードを載せたら、それを見た藤田が自分の映画に起用したいと言ったことからつきあいだしたようだ。「八月はエロスの匂い」である。その後、「エロスの誘惑」「エロスは甘き香り」でも川村真樹を起用する。こうした藤田の作品は朝日新聞の映画評で絶賛されたのも今から考えるとすごいことだった。

そのころから日活ロマンポルノは活況を呈する。長友が撮った1974年のカレンダーを飾ったポルノ女優の名が、梢ひとみ、小川節子、田中真理、宮下順子、片桐夕子、潤ますみとくればその当時を知る人は懐かしさで涙が出るでしょう。

それでも当時はポルノ女優のなり手なんかいないわけで、主演女優を探すのに大変苦労したようだ。それがだんだん市民権を得るようになると、皮肉なことに最盛期を迎えると同時に転換期を迎えることになる。日活の元宣伝部長植松康郎の言葉、

「認知度が上がり、ロマンポルノに若くてきれいな女優を集めやすくなればなるほど、内容としては薄くなっていった。ドラマの内容が、若づくりになっていく。世の中の風潮が。ロリコン好みに変わっていったせいもありますが、僕らの側としては、女優の変化はロマンポルノ衰退の理由の一つとなりました」

徒花のようなこのロマンポルノの時代は80年半ばくらいに散っていった。ロマンポルノの話に行ってしまったが、藤田敏八は1955年大学卒業と同時に日活に入社して、1967年に「非行少年 陽の出の叫び」で監督デビューする。その後数々の作品を残し、また俳優としても活躍する。

この長友の本に書いてあった彼にまつわるエピソードを紹介する。1971年の藤田の作品「八月の濡れた砂」で日活はいったん、事実上一般映画の製作を中止、ロマンポルノ路線へと切り替わるが、そのときのことを前出の植松康郎の回想。

「最後の作品、藤田敏八監督「八月の濡れた砂」に、エンドマークが入っていないのは、おれたちはもう一度復活するぞという思いの表れだったんです」

1997年8月藤田敏八は帰らぬひととなってしまった。

2007年04月06日

日本映画は元気なのか

昨日の朝日新聞の「私の視点」に邦画の人気について、フラガールのプロデユーサーだった李鳳宇が書いていた。その趣旨はつぎのようだ。

昨年の邦画の興行収入が外国映画を抜いたが、こうしたデータをみると「元気だ」と言える。この隆盛の特徴は、テレビ局の出資がはいっていること、それを支えているシネマコンプレックスである。日本映画人気は、メディアとシネコンの二つの集客システムで成り立っているというわけだ。

しかし、李さんは、映画文化がいい方向に進んでいる実感がないと言っている。最近の映画製作というのは、まず大ヒットした原作が優先で、そこにテレビ局や配給会社が参加する、つぎにみんなが知っている俳優、さらに主題歌を決め、最後に「監督を誰にするか」となるわけで、これでは、「日本に映画はあるけど、映画文化はない」ことになると嘆いている。

ぼくも全く同感で、やはり、映画は総合芸術であり、そこには作家性も必要である。テレビドラマの延長のような作品だとか、荒唐無稽な物語だとか、そんなものが闊歩している限りは、決して日本映画が隆盛だとは到底思えない。

これまでに書いたことだが、あの山田洋次や藤田敏八の映画に対する情熱や藤沢オデオン座のシネコンに負けない運営だとかがだんだん消えざるを得ない風潮が恐いのだ。単なるお金儲けの手段としての映画ではあってはならないと思う。だから、興行収入は増えたかもしれないが、観客動員数は増えていないという現実を何とかしなければ、表面上は元気があるように見えても長続きしないですぐに終わってしまうのではないでしょうか。

2007年04月18日

10度、Low

昨日、今日と冬に逆戻りのような陽気で何となく気分もよくない。だが、このタイトルを思いついたときはすっきりたなあ。わかりますか、下の息子と朝会ったとき「今日は寒いなあ、気温も“ジュード・ロウ”だな」と言ったらメチャ受けたのだ。それで、観る映画も決まった。キャメロン・ディアスとジュード・ロウの「ホリディ」だ。

昼間、東京で打ち合わせを終えて「川崎109シネマズ」に向かう。ここは、駅直結なのですごく便利で少々早く行っても待つところが広くあり気に入っている。

映画は、クリスマス前に恋に破れた二人の女性が、家や車を交換する“ホーム・エクスチェンジ”で住み替わるところかから始まる。片やアメリカで映画の予告編を製作する会社を経営するキャメロン・ディアスは、イギリスの田舎町に住んで、そこの住人であったケイト・ウィンスレットの兄であるジュード・ロウと恋に落ちる。一方、ケイト・ウィンスレットは同じ職場の恋人に二股をかけられ、捨てられて傷心を抱いてアメリカにいき、そこで知り合ったジャック・ブラックとできてしまうという物語である。

“ホーム・エクスチェンジ”というのがありえない設定なのかはほっといて(映画だからいいでしょう)、失恋して、再出発するそう若くはない女性の気持ちの動きや過去をなかなか捨てられないことや、さまざまな過去を知りながら好きになる大人の恋愛とかがすごくよく描かれていていい作品であると思う。男女4人の演技もさることながら、年老いた脚本家のエピドードの配置やジュード・ロウのかわいい娘たちの登場などが、うまい具合にスパイスのような効き目があってすばらしい。

ただ、いい作品だからこそ2つ注文。

その老脚本家が失恋を嘆いているケイト・ウィンスレットにこう言う、「君は主演女優なんだよ、それがいまは助演女優になっている」と戒めるシーンがある。ここでこう言ったのなら、前の恋人をあきらめて新しい男を見つけたとき、「そうよ私はこれから主演女優なのよ」とくらい言わせてほしかった。

もう一つは、ラストシーンが気にいらない。最初にインターネットでメッセージ交換しているシーンが効いているので、最後もこういうシーンで終わりたかったなあ。

映画を観るまでの時間がたっぷりあったので、今読みかけの川上弘美の本と新書で「安心社会から信頼社会へ」という2冊を読んでいた。川上弘美は、そう若くない女性と男の間でかもしだす空気感みたいなものが好んで描かれる。

「安心社会から信頼社会へ」では、これまでの日本の社会の特徴である「安心社会」が崩壊し、欧米型の「信頼社会」へ変貌していかなくてはならないというようなことが書いてある。川上弘美の描く世界はどちらかというと「安心」のある情景のような気がする。欧米は「信頼」型であり、「ホリディ」の世界もそういうことである。とまあ、日米比較人類学みたいな思いも同時に感じて面白かった。

2007年05月06日

最近の日本映画をおさえておこう

ここのところやっと映画を観る機会が増えてきたが、それ以前はなかなか時間がとれず観損なったものが数多くある。そこで連休中にDVDやテレビの録画でリカバリーすることにした。

昨年、一昨年のキネマ旬報のベストテンを中心に観た。とりあえずは日本映画を対象に、「男たちの大和/YAMATO」「嫌われ松子の一生」「かもめ食堂」、それとベストテンには入っていなかったが「ハチミツとクローバー」である。これでも、まだ半分に満たないのでもう少しがんばって全部クリアしようと思う。

以前ブログで日本映画がいい方向に進んでいる実感がないと書いたが、さすがキネ旬のベストテンに選ばれるような作品は安易なつくりではなく優れたできである。

「男たちの大和/YAMATO」は、当初はあまり期待していないで、まあCG駆使した戦争スペクタクルかと思っていたが、ぜんぜん違ってすごくいい作品に仕上がっている。まず、下級兵士の目線で描かれていることや構成がしっかりしていることに感心。またぼろぼろ涙を流してしまった。

「嫌われ松子の一生」は、こりゃ中谷美紀がすげえや。“松子を演じるために女優を続けてきたのかも知れない”と言ったらしいが、まさに体当たり演技で彼女の代表作になった。前回の「安心社会から信頼社会へ」という話のなかで、だまされてもいいからひとを信じ続ける態度のことを話したが、この松子はまさに男にことごとくだまされ、捨てられながらもまたすぐに新しい男に尽くす一生を描いている。で、こういう作品は観終わったとき、ひとの不幸を見せつけられて嫌な感じになるのか、それにめげずに生きていく主人公をみて元気をもらうのかで評価が分かれます。ぼくは、後者の感想をもちました。

「かもめ食堂」は、だれでもホンワカになれる映画だ。川上弘美の本を読んで「空気感」といったが、この映画にはそれがある。小林聡美、片桐はいり、もたいまさこの3人の距離感がかもし出す微妙な雰囲気がいい。最近同じくらいの年頃で男ひとりというのも増えているので、だれか男三人の「アヒル食堂」でも作ってくれないかなあ。

「ハチミツとクローバー」は、蒼井優が出ているので思わず手にした。蒼井優は「男たちの大和/YAMATO」にも出演していたから、最近の出かたはすごい。もう少しセーブしたほうがいいのではないかと親心を抱く。この作品もぜんぜん予備知識がなくて、有名な漫画の映画化だったことも知らずに観る。基本的にぼくはこの歳になってもこういった青春映画は好きなのですんなり入る。観終わったあと爽快感もありいい映画でした。

というわけで、どれも秀作で楽しめた。


2007年05月13日

またまたリカバリー3本

ここ二年間のキネマ旬報ベストテンに入った日本映画で見損なっているのをDVDで観ているということを書いたが、その第二弾として、「リンダ リンダ リンダ」、「雪に願うこと」、「博士の愛した数式」の3本を借りてくる。

「リンダ リンダ リンダ」は、これは、女子高生が学園祭でバンドをやる話で何となく「スイングガールズ」を思い出させるが、こちらのほうもよかった。女の子4人の個性がうまく出てて、青春という感じで好感が持てる作品。ぼくはこんな作品はみんな好きなのだ。

「雪に願う」は、最初は「ばんえい競馬」の存続が危ぶまれていた時期でもあり、そういったストーリーかと思ったら、そうではなくて東京で挫折した弟を結局は暖かく迎える兄と故郷というなかに、ばんえい競馬を重ね合わせた映画で、何とも帯広のひとたちの朴訥とした雰囲気がいい。そして、最後に馬の姿とおのれの姿をだぶらせてそこで終わるという終わり方がすばらしい。さすが、根岸吉太郎だ。

「博士の愛した数式」は、原作を読んでいないのでなんとも言えないのだが、どうして吉岡秀隆扮する数学教師が思い出を語るのだろうかと思ってしまう。博士と家政婦親子の交流だけに絞って見せてくれたほうがよかったんじゃないかな。同じように、浅丘ルリ子の義姉との関係や能のシーンは余計のような気がする。小川洋子と藤原正彦の対談かなんかで数学のおもしろさや美しさを教えてもらったので、それを博士自らにしゃべらせればよかったのにと思う。

小泉 堯史は「雨あがる」「阿弥陀堂だより」に続いて監督3本目だが、全部主演は寺尾聡なのだ。このコンビすげえ渋くて、癒される感じなんだけど観ていてどうももうひとつ元気が沸いてこないのだ。

さて、続けて7本観たのだけどそこに複数回出演したひとを調べてみた。(暇だなあ)そうしたら、3本出ていたのが伊勢谷友介で、あとは2本だが、蒼井優、松山ケンイチ、中村獅童、香川照之、本田博太郎、甲本雅裕、山本浩司といった面々。いまどきの旬な俳優さんと重宝に使われる個性派バイプレイヤーといったところですね。

2007年05月21日

さらにリカバリー日本映画3本

今回は、「明日の記憶」、「メゾン・ド・ヒミコ」、「ヨコハマメリー」の3本です。

「明日の記憶」は、身につまされるような話で恐ろしくなる。病気というと死への恐怖があるんだけど、若年性アルツハイマーだから、そうではなくて自分の存在が小さくなるのを自分が見ている恐怖である。その悔しさ、情けなさみたいな感情を渡辺謙はよく演じていたが、何といっていってもやっぱ樋口可南子の奥さんがいい。でも、こんなものわかりのいい奥さんってほんとにいるのかなあ。
それとよかったのは、妙に存在感があった部下のほらなんて言ったっけ、あの若い俳優さん、えーと、あれあれ、あ、ぼくもヤバイかな。

う~んあとの2本は、“ビミョー”なんだな。「メゾン・ド・ヒミコ」は、ゲイの世界の話なんだけど酔っ払って観ていたせいもあって設定にはインパクトがあるけど中味にそんな感動しなかったな。何でだろうと考えたが出てこない。

「ヨコハマメリー」は、これってドキュメンタリーなのかドラマなのかよくわからない。別にどちらでもいいのだけど最後に本物のメリーさんが出てくるから、メリーさんの物語なのかと思うけど、それまでは横浜のその当時の風俗だったり、雰囲気を語らせて、そういうノスタルジーを描いて見せているのかともとれる。

まあ。当時の伊勢崎町の様子がわかっただけでもうれしい。僕は子どものとき遊びにつれていってもらったので。いちばん近い繁華街は伊勢崎町だったのだ。だたし、そのときはまだメリーさんは横須賀だったようですが。そんなに連れて行ってもらったわけではないが、たまに行くとうれしくて、帰りに中華街で油あんの中華饅頭を買ってもらうともう天にも昇る気になった。

ただ、これって横浜を知らない人にとっては面白くないんじゃないかな。微妙というのはこのことで横浜を知らない人でも感動する作りにイマイチなっていないように思える。