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2014年2月 1日

ゼロ・グラビティ

ぼくは、何を隠そう3D映画を観るのが初めてなのだ。ちょっとした感動でしたね。「ゼログラビティ」は、他の3D映画を観ていないのに言うのも何なのだが、この映像は3Dにぴったり合う。無重力の宇宙空間との相性が抜群なのだ。理屈抜きで素直におもしろかったと言いたい映画だ。だから、ロングランを続けていて、封切りからかなり時間がたった今の時期になってもけっこう観客もいる。

本当はネタバレになるのでストーリーは結末まで書いてはいけないのだが、この映画に限っては問題ないように思える。単純である。宇宙船でもうすぐ地球に戻るという時、外に出て作業中のところに、破砕された人工衛星の破片が飛んできて衝突してしまい、ライアンストーン博士(サンドラ・ブロック)とマット・コワルスキー宇宙飛行士(ジョージ・クルーニー)の二人が真っ暗な無重力空間に放り投げられてしまう。

そこから、さまざまな困難やコワルスキーとの別れとかに遭遇しながらも、当然、戻れなくなったというストーリーの映画はないから何とか地球に帰還するという結末である。地球帰還は、湖かなにかの水の中に着陸するのだが、一転空気のない空間でも無重力空間と対照的にグラビティを感じる水中という対比がおもしろかった。せっかく、大変な思いをして帰ってきたのに溺れてしまったというのもおもしろいのだがそれはパロディにならいいがそのストーリーは成立しない。

要するに、主人公が大きな危機に遭遇するのだが、それを不屈の精神力と強靭な体力で乗り切ってしまうという展開である。もうこのパターンは映画ができたときからの定番で、それがジョンフォードの「駅馬車」だったり、「ダイ・ハード」であったり、「アンストッパブル」であったり、「127時間」なのである。邦画では少ないがハリウッドでは多い。

きっとエンタテインメント系の監督は、誰しもこういうのを作りたいと思っていたのだと思うがなかなかできないでいたのが技術が追いついたのだ。3Dで観ているともう主人公と一緒になって身体に力を入れてしまう。同じようにのけぞり、苦しくなるのだ。何か映画の原点を思い起こさせてくれる。最後に助かって観ているほうもほっとして、観終わってぐったりする。

監督が、アルフォンソ・キャロン、サンドラ・ブロックとジョージ・クルーニーの2大スターの共演である。後の出演者がひとりだから、もうその二人だけで進行する。しかも、ほとんどが宇宙服を着ている状態だから最初の方は顔もよく見えないわけで、配役とかいう面では何ともシンプルな構成である。

しかし、映画の上とはいえアメリカ人の行動はずいぶんと日本人とはちがうなあと思える。こんな究極の修羅場にあってもジョージ・クルーニーは冗談をとばす冷静さというか楽観さがあり、それを受け止めるサンドラ・ブロックがいて、その彼女も女とは思えない不屈のメンタリティを失わないという姿を当然のように描いているのには少々驚く。だから日本人には作れない映画なのかもしれない。
  
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2014年8月 8日

2つ目の窓

第67回カンヌ国際映画祭コンペティション部門正式出品作品という謳い文句で公開された河瀬直美監督の「2つ目の窓」を観る。河瀬監督は1997年に「萌の朱雀」でカンヌ国際映画祭カメラドール(新人監督賞)を史上最年少で受賞し、10年後の2007年には「殯の森」でグランプリを受賞とカンヌではすごく高い評価をもらっている作家である。2013年には審査員も務めた。

だから、今回の作品も期待されたのだが、審査員の中に中国と韓国の女優が入っていたからなのか(?)受賞はならなかった。もう彼女の作品は飽きられたのかもしれない。ぼくは、このブログでも書いているように前二作で受賞したことが理解できなかったので、ちょっときつい言い方かもしれないが、まともな評価が下ったのだろう。以前「殯の森」の記事でこんなことを書いていた。

要するに、河瀬監督のひとりよがりのような気がする。自分のイメージした観念的な世界をそのまま画像にして、さあみんな見てよねという感じなのだ。 だから、最初に書いたように、せりふは聞き取れないし、シチュエーションが非説明的だから、何が起こっているのかさっぱりわからない。たぶん、それがカンヌで受けたのだと思う。かえってこうしたよくわかんないものをわかったふりをしたい審査員が選んだのでしょう。

さて「2つ目の窓」はどうなのだろうか。相変わらず同じような映画なのだが、「朱花(はねづ)の月」も入れた前三作よりはわかりやすかったし、できがよかったようにぼくは思う。それはなぜかというと舞台が奄美大島で海をバックにした映画だったからである。これまでは奈良の山の中が中心で暗い感じだったのが一気に明るい南国の島になったから、話はいつものように滅入るのだが、それを打ち消してくれる風景があるのだ。

その滅入る話というのはこうだ。ある晩高校生の界人は海で背中に刺青をした男の溺死体を発見する。その場を走り去った界人を見ていた同級生の杏子は不思議に思う。二人は恋人というか仲の良い友達でいつも一緒だった。二人はそれぞれ家族に問題を抱えているのだ。界人は離婚した母と二人暮らしだが母親は男にだらしない。杏子の方は母親イサが病気で死期が近づいている。

てな具合に死と向かい合う若者、命をつないでいく世界、家族とはいったい何だろうかといういわゆる「喪失と再生」というよくある物語なのである。それを奄美大島の自然をバックに展開する。自然もただ美しいだけではなく台風で荒れ狂う海をも映し出す。河瀨直美はこのフォトジェニックな映像だけは評価できる。

でもやはり観終わってからの感想は毎回同じだ。河瀬監督だけがイメージできるセリフと映像でつなぎあわせて、さあどうだではひとりよがりと言われても仕方ないのではないだろうか。題名の「2つ目の窓」っていったい何のことだ。今回はもう少しでその欠点を克服できるかもしれなかったのに、冒頭ともう一回出てくる意味がわからないやぎを屠るシーンがぶち壊してしまった。
  
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2014年8月27日

アメリカン・ハッスル

詐欺師が出てくるアメリカ映画はよくあるがこの「アメリカン・ハッスル」よく出来た作品で面白かった。1979年に実際にアメリカで起きた「アブスキャム事件」を基にした映画である。詐欺師がFBIに協力したおとり捜査で政治家たちを逮捕した事件である。

主たる登場人物は次の5人である。
アーヴィン・ローゼンフェルド(クリスチャン・ベイル):主役の詐欺師
シドニー・プロッサー/レディ・イーディス(エイミー・アダムス):アーヴィンの愛人で相棒の詐欺師
リッチー・ディマーソ(ブラッドリー・クーパー):おとり捜査を仕掛けるFBI捜査官
カーマイン・リポート(ジェレミー・レナー):おとり捜査の標的になる市長
ロザリン・ローゼンフェルド(ジェニファー・ローレンス):アーヴィンの妻

この5人のキャラがとてもおもしろいのだ。アーヴィンは太って腹が出ていてハゲでかつらをつけているというカッコ悪さだが詐欺に賭けては天才だ。シドニーは、胸を思い切り開いたエロい美人でやはり腕の立つ詐欺師である。リッチーは、パンチパーマでエキセントリックな面をもって上司を殴り飛ばしてしまう。カーマインは清濁併せ持ったリーゼントの政治家で、ロザリンは気ままな行動で夫の仕事の邪魔ばかりする。

この5人のそれぞれの個性を発揮する俳優陣の演技もさることながら、繰り広げる騙し騙されるストーリーにもすっかり引き込まれてしまう。だって、実話に基づいているからリアル感もあり、緊迫感もありで楽しめる。単なる詐欺行為を映し出すだけではなく、そこにある人間関係にも焦点を当てていて、シドニーがアーヴィンとリッチーの間を揺れ動いたりする。ロザリンのハチャメチャさもおもしろい。

また、それぞれの家庭とか家族を持ち込んでいる詐欺映画という意味では目新しいように思う。アーヴィンも妻ロザリンのだらしなさに離婚して子どもの親権を得ようとするがロザリンは承知しないとか、養子まで含めて多くの家族がいる市長とか、リッチーの家族や婚約者もでてきます。ですから、詐欺行為の物語というより、5人の生き方というか、悩みというかそんなことがいっぱいの人間劇でもあるのです。
  
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