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酒呑みの自己満足 アーカイブ

2006年11月 8日

秋山小兵衛になった気分

昨日、上野で日展を見たあと時間があったので、浅草のほうに足を延ばすことにしました。前々から行こうと思った「鐘ヶ淵」経由「橋場」というコースを選択。ぼくは池波正太郎が好きで多くの作品を読んでいますが、中でも「剣客商売」はお気に入りの作品で、主人公の秋山小兵衛の大ファンです。ですから、秋山小兵衛が住んでいた「鐘ヶ淵」とそこから妻のおはるがあやつる船で行く、息子大治郎の家や料亭「不二楼」のある「橋場」までを自転車で走ってみたかったのです。幸い風が強かったのですがよい天気で大川(墨田川)を眺めながらとてもいい気持ちになりました。

池波正太郎といえば、いいものを食べて、いい酒を呑んでということになるわけで、ちょっと早い時間でしたが浅草で順ちゃん(前にワインをもらった友達)に電話すると、忙しいひとなので空いていないかと思ったら、6時45分までなら付き合えますよという返事。ただし、呑みが蛎殻町であるのでその近くならということで、茅場町の長寿庵にすることになる。決まればすぐに呑みたくなるのはいつものことである秘策を使って自転車をとばし5時ちょい過ぎに到着。実は東京の自転車はそんなに早くないんですね。その理由は、メイン道路の歩道は混んでいることと信号待ちが多いためです。で早く走る秘策はというと、メイン道路を一本入った細い道路を行くことなのです。

長寿庵では、しめ鯖、ぶり大根、玉子焼きでビールと燗酒、仕上げにせいろということで時間がないのでせわしい感じでした。それから自転車を返しながら銀座に出ていつものように「もんぢゅーる」に立ち寄る。先客はめずらしくひとりのR子さんで「おぐ羅」のおでんを食べていた。いきなり、女性バーテンダーのかおりちゃんが自分で作ったという万華鏡を見せられる。どうも「大人の科学」という本で万華鏡の特集があってその付録だとのこと。うちの息子の”電子万華鏡”の話をしていたのでそれで見せてくれたのだと思うがうれしくなってしばし見入る。そのあとは「刺繍」で人間国宝に認定された福田喜重さんが来られ、ひとしきり血液型の話やビリヤードの話やらで盛り上がる。

「もんぢゅーる」で自転車の話をしたら、最近かおりちゃんが自転車でこけて顔をすりむいたことに話が発展し失礼ながら大いに笑ってしまった。さらにママが自転車もいいけど都営バス1日乗り放題500円という割引乗車券があることを教えてくれた。これもお得ですよね。今度東京に出てきたときにはこのサービスを利用してみようと思い、都営バスの路線図をじっとながめ、どこに行こうかなと思い巡らせている。

2006年11月29日

大船の居酒屋

会社勤めをしていたころは、東京で一杯呑んで帰るというのが日課のようなもので、また呑む相手も仕事絡みが多く、呑むことも仕事だと呑み続けることを正当化していた。ところが、会社を辞めて鎌倉に引っ込んでしまうと、当然のごとくその機会は激減する。それでもときどき呑む機会もあって、きのう、おとといと2日続けての呑み会。おとといは、情報システムに関するあるベンダーの研究会の20周年記念パーティが新橋であって、そのあと銀座に出てということで従来パターンであったが、きのうは地元大船で呑むこととなる。

その筋では有名なシステム会社の副社長でHさんという人がいて、ぼくより2つか3つ年上ですが、ときどき呑む間柄で久しぶりに呑みましょうとお誘いしたら、横浜か大船あたりでいかがでしょうかという返事。Hさんは戸塚に住んでいるとはいえ、ぼくがわざわざ東京に出なくてもすむ配慮がうれしく、じゃあいい店を探しておきますと答えたが、さてどこにしようかと思案。やはり、おじさん二人なら居酒屋でしょということでそれなら大船の「鳥恵」に決まりです。でも「鳥恵」で困るのは店に入れるかどうかなのです。もう5時の開店の時から満席なのですから。Hさんには並んでも入る気合でいきましょうと言っておいたのですが、きのうは幸いにもほんのちょっと待っただけでカウンターに座ることができた。すぐ後に来た二人連れが ”すいません、超満員なので”と言われて断られていたのでわれわれは超ラッキーでした。

「鳥恵」はその名のとおり、鳥料理が売りでありますが、実は魚も旨いのです。ここは何といっても旨くて、安くて、しかも量が多いときてますから連日満員になるのもうなづけるのです。Hさんもとり刺しは苦手だったのですがといって一口食べたら、え、とり刺しってこんなに旨いものだったのですかと驚いていました。

Hさんと呑むといつも最後は学生時代の話になって、お互い遊んでばかりいてできが悪かったなあということになる。Hさんのきのうの話のなかで面白かったのは、あまりにも成績が悪かったので担当の教授がご両親にもうちょっと勉強するようにと直筆の手紙を出したという話と、いまだによくみる夢だそうですが、単位がぎりぎりでどうしても受けなければいけない授業があるんだけど、それがどこの教室でやっているのかが分からなくてあせって目が覚めることがあるという話であった。実はぼくも似たような話があるんだけど書くのはやめておこう。

Hさんが翌日セミナー講師があるのでということで控えめの酒量でお開きに。それでも、とり刺し以外にもいろいろ頼んでお腹いっぱいになり、いい気持ちで別れる。お互い近いのでこの気持ちよさを残したままでわが家に帰れることがうれしい。お勘定もひとり3000円いかないというこれまた懐暖かいままの気持ちよさで大満足の夜であった。

2006年12月 9日

ソバ屋で憩う

一昨日、久しぶりに所用で東京に出る。中堅の情報システム会社の社長と面談。ちょっとお願いすることがあったのでその依頼とひとしきり最近の業界やユーザの情報について教えてもらう。そのあと、お昼になったので何を食べるかあまり考えてこなかったので、いつも持ち歩いている「東京のソバ屋一覧表」を見る。そこで、次の予定が東京国際展示場だったので新橋駅前ビルの「本陣房」でそばにする。またしても非サラリーマンの特権である昼間のビールを飲んでせいろを食べる。おいしいかった。

実はソバ屋に関する本でいつも持ち歩いている本もある。「ソバ屋で憩う」という本で、残念ながらその作者である杉浦日向子は昨年7月に46歳の若さで他界されてしまいましたが、その杉浦日向子が食べあるいは呑み歩いたソバ屋についてまとめたものが文庫になっている。

なぜいつも持っているかというと、もうだいぶ前からだがKさんという当時同業だった別の会社の人がいて、そのひとと”ソバ屋めぐり”をしているからです。その本に載っている店に順番に行こうということになったわけです。その友達(先輩ですが)のKさんもぼくも酒が好きだから、うまい酒と肴で酔って〆にそばというパターンは言うまでもない。で本の最初のページは浅草の「並木 藪蕎麦」ですからそこからスタートです。

いままでにどこへ行ったかは”mark’s library”に載せておきますが、トピックスを2,3。まず、2回フラれた店の話で、高田の馬場に「傘亭」という有名な店があるんだけど、小さい店だから早くいかなくてはということで、確か6時前くらいに行ったんですが、ナント売り切れごめんなんです。それではということで次は早く行こうと4時半くらいに着いてさあ入ろうと思ったら、ナント本日休業なんです。え金曜日が休み。

もうひとつ、渋谷のNHKの前に「おくむら」という店があって、ここは杉浦日向子の行きつけの店なんですが、ここで呑んでいたら、その杉浦日向子が入ってくるではありませんか、多分NHKの「お江戸でござる」が終わったあとに来たんじゃないかな。

いまは、その本に書いてある店以外にももちろん行っていて、こんなところにこんな店がというのがいっぱいある。まだまだ”ソバ屋めぐり”は続くのであります。

おとなの居酒屋

ちかごろ居酒屋チェーンがあちこちにできているが、どうもどこも同じようなメニューやサービスで変わりばえしない。ただ安ければいいだろみたいな店も多い。最近はやりの半個室のちょっと高級感の店も増えているが、それはそれで結構高かったりする。そりゃ仲間同士の忘年会だとかで利用するが、じっくり呑みましょうということにはならない。なのでオヤジのいくところではないのである。

それと、いわゆる小料理屋というものもめっきり減ってしまった。ぼくは、新橋の柳通り周辺のそれこそおばちゃんがひとりでやっているような小料理屋へよく通っていました。ときどき三味線の音色が聞こえてくるような風情でとても落ち着いた楽しみ方ができました。でもなじみの店もおばちゃんが病気で店じまいです。そんな店がいっぱいです。そうここ5,6年で5軒の行きつけの店をなくしました。

というわけで、おとなの居酒屋がぼくの最近の”注目のブックマーク”です。じゃどこへ行くか。こういうときは、”ソバ屋めぐり”と同じなんだけど、水先案内人を探すのが一番なのです。そこで見つけたのが、「新精選 東京の居酒屋」(太田和彦著)です。元会社の後輩とこの本に載っている店をめぐるツアーを始め、これまで数軒の店に行きました。

一昨日、秋葉原の「赤津加」に行ってきました。まずびっくりしたのは、電気街の中にあるんですね。すげえミスマッチなんだけど、それでいてそんなに違和感がないという不思議な空間であり、メードさんをながめ、オタクと並んで歩いて、入るところが全然ちがうという面白い体験をしました。

「赤津加」の店内は結構広くて、3人で行ったんだけど、大きなテーブルに座りゆったり呑めてよかった。酒の肴も鍋もあったりして豊富です。煮込みやまぐろなどを頼み、ビールと燗酒で看板まで居座る。お客さんもオヤジばかりで、やかましくなくていい。久しぶりに酒を堪能。かくして”居酒屋めぐり”も続いていくのであります。

2007年3月13日

割烹着のある店

昨日は、芝公園で日本BPM協会の交流会があったのでそこに出掛ける。事例報告やWGの進捗などの説明があって、夜は懇親会となった。立食だったので歩き回ってひとしきりいろいろなひととおしゃべりをする。そのあと、その会の幹事のひとりであるUさんと約束していた2次会へ行く。どこにしようかと言うので大門の近くの小料理屋にする。

ここは、「新日本料理 美正」というのだが、何が“新”なのかよくわからない。少なくともメニューはここ5年くらい変わっていない。板さんと女将のふたりでやっていて、さかながうまい店で、お客さんはまあ年配のひとが多く、落ち着いたところです。以前の会社が芝公園にあったのでそのときはちょくちょく接待なんかに使っていたが、ホント久しぶりに行きました。いつものように、お刺身とぼくの好きなさよりをあぶってわさびマヨネーズで食べるやつを出してくれました。

で、これからはその女将の話で、このひといつも着物を着てその上に割烹着をしているのだ。いまの若い人は割烹着なんて知らないかもしれないが、ぼくらのおかあさんは皆割烹着を着ていたのだ。だからって、萌えているわけではありませんので念のために。

あるとき、お客さんがいなくなったので一緒に呑んでいたら、なぜか話がぼくがそのとき住んでいた白山のことになった。下の息子と1年半くらい暮らしたことがあって、いつも近くの焼き鳥屋に行っていて、そこの夫婦とも懇意になった。話が進んで、その焼き鳥屋の話になった。そうしたら私もよく知っていると言い出した。何ということはないぼくのちかくのマンションに住んでいることが判明。しかも、その焼き鳥の娘と自分の娘が中学の同級生でよく知っているという話。大いに盛り上がったのであった。

前にも、たまたまバーで隣合わせたひとがぼくの家のすぐ近くのひとだったという話を書いたが、世の中狭いなあという続編です。

そのとき女将に「ねえ近くなんだから休みの日に一緒に呑みましょうよ」と誘われてしまった。もちろん「ハイ」と答えたが残念ながら実現しなかった。だって、いまどき割烹着を着る人の歳ってわかりますよね。

2007年3月23日

東京呑み歩き隊

おととい痛めた脇腹をかばいながら、昨日続けて東京へ出掛ける。浜松町にあるN社でミーティング。そこの事業部長のUさんとは以前待ち合わせの約束をしておきながら、前の晩に家の階段でしこたま腰をうちつけ、急遽面談キャンセルしたことがあったので、「年とってからころぶとたいへんですから」またまたひやかされてしまった。昨日は、無理をおしても行きたかったが、そのかいがあって面白い話になりそうなので痛みも少し飛んでいったような気がする。

そのあと、浅草橋の「あさだ」に行く。しばらく途絶えていた「ソバ屋で憩う会」です。 初めは、上野の蓮玉庵にしようとしてたら、何と閉店が19時半だと言われて、え、それじゃ30分も居られないやとなって急遽「あさだ」に変更です。そばやは終わるのが早いから気をつけないと。

今回は、いつものKさんとともに居酒屋めぐりをしていた元部下のI君、N君も合流して4人で酒とそばを楽しむ。「あさだ」は創業が1854年とかなりの老舗。いまの店主は8代目だそうだ。ここの名物は鴨鍋のようだが、それは頼まず、たらのめ、ふきのとう、稚あゆのてんぷら、かもの燻製などを賞味、酒は岐阜の篝火の燗にする。

Kさんの趣味は「鉄道模型」で半端じゃなく凝っています。何十万円もする機関車を買っては、それを同好の士が集まるところで見せびらかすのだそうだ。N君が「ぼくも子どもの時は鉄道少年だってんです」と言ったものだから、しばらく、OゲージだとかHOゲージだとかの話で盛り上がっていましたが、ぼくにはよくわかりません。

最後は、せいろを食べて店を出る。そばは適度に歯ごたえがあっておいしいですよ。また転ぶといけないので若干抑え気味で家に帰る。 で、これからも4人でやりましょうということになり、「東京呑み歩き隊」を結成したのであります。

2007年4月24日

セーフティーネット

きのうは、日本BPM協会のワーキンググループの定例会に出席。終わってからメンバーのうちの数人と近くの居酒屋に呑みに行く。入った店の名が「土俵や」という。席についたら目の前にミニチュアの土俵があった。

いろいろな話がとびかっていたが、なぜかセーフティネットがどうのこうのとかいう話になった。そのときぱっとひらめいたのが、あ、土俵にはセーフティネットが付いているんだということ。

だからすかさず、“土俵ってこう盛り上がっているのはなぜか知っていますか?これはねえ、力士がけがしないためなんですよ。土俵で倒されたとき、そのままフラットだと、変にふんばったりしたりして身体をひねったり、どこかを打ったりするのだ。ところが段差があると土俵の上から下に落ちる間に身体がフリーになるのだ。そうすると、身体全体の力が抜けけがをしないですむというわけだ。”とざっとこんなことをしゃべってから、“これこそ究極のセーフティーネットだ”と主張。一同けっこう受ける。

そうなんですね、セーフティーネットというと、それこそ周りにネット張ってそこで拾い上げるイメージだけど、土俵そのものにわからないようにセーフティネットがあるというのがすばらしい。しかも、落ちた力士を砂かぶりの観客が受け止めて押し返すわけで何ともいい世界ではないですか。

ちょっとこじつけ風だが、そんなことを思った「土俵や」であった。

2007年7月 6日

屋上ビアガーデン

昨日は、「呑み歩き隊」の久しぶりの例会で、場所がなんと大丸の屋上にあるビアガーデン。そういえば、近頃はビアガーデンというところに行っていなかったことに気づく。ビアホールや地上のビアガーデンには行ったが、屋上ビアガーデンとなると、いつ以来だろうか。四日市にいた頃は、夏になると決まって近鉄かジャスコの屋上ビアガーデンに繰り出したものだ。

そんなわけで、久しぶりの屋上ビアガーデンを堪能した。呑み放題、食べ放題で3500円は、お得感一杯の料金設定。ちなみに、女性は3000円なんだけど、女性だけのグループもけっこういたけど彼女らの呑みっぷりと食いっぷりを見ていると、おいおいちょっと不公平じゃないかと思ってしまう。

昨日は、梅雨のなかの貴重な晴れ間だったのでほぼ満員という盛況ぶり。外で呑む酒は気持ちがいい。
ただ、屋上ビアガーデンというと一番高いところがいいのだけど、大丸屋上も昔は高かったのだろうが、いまや周りに高層ビルが立ち並び、そのビルを見上げながら呑むのはちとやるせなかったのであります。

2007年8月23日

自転車物語

ここのところ3日間連続で東京に出て仕事だった。しかも、一番暑いさなかに家を出ていくので少々バテ気味で、昨日はブログを書く時間もなかった。この三日間は、結果的に、今回開発したシステム開発技法のプレゼンを4回やったことになる。どれもまあまあの食いつきで今後に期待が持てる。

おとといは、そんななか久しぶりに銀座のMに行く。この3日間ずっと一緒のUさんとともに行くが、まだ早かったせいで女性バーテンダーのKちゃんと先客で、前に書いたことがある囲碁の先生のふたりだけであった。出前の焼きそばと餃子を食べながら、疲れを癒す。

しばらくしたら、ここの常連で呑み友達のNさんとR子さんが若い女性を連れて登場。いろんな話をしているうち、なぜか自転車の話になった。そうしたら、これが面白いんだな。それぞれが、何らかの自転車にまつわるエピソードをもっているのである。自転車に乗ってどこやらを一周したとか、自転車でこけたとか、つぎからつぎへと話が続く。で、ここでみんなにすごく受けた(と本人は思っている)ぼくの話をいまから書く。

四日市時代のことで、まだ子どもが小さいとき、いまでもそうだと思うが、春休みに映画館でドラえもんの映画を上映する。あるとき2人の子を連れてそのドラえもんの映画に連れて行った。ぼくは、ドラえもんの映画を観るのはかんべんしてよねというわけで、映画館のもぎりの人に二人を見ていてねと言って外にでることにした。映画館の人も別にいやな顔もしないで引き受けてくれた。

さて、時間ができたが、何をしようか。そうだ、パチンコをしようという思いつきにはしゃいでしまった。というのも、パチンコは、もうずっとやっていなくて、あの数字が3つ並ぶとフィーバーするのって知らなかったのである。最初はおろおろしながらやっていたのだが、何とチカチカやるではないか。玉がもうジャラジャラ出てくる。となりのおじさんがアンタ早く箱を持ってこいとか言ってくれて、その箱が見る見る一杯になるのであった。もう、天にも昇る気持ちで15000円をゲットしたのであります。で、にやにやしていたら、ヤバイこどものことを忘れていた。走って戻ると二人は映画館の待合所でおとなしく待っていてくれたのである。

とここまでは、自転車とは関係ない話ですが、これからです。さて、この15000円を何に使うか。呑んで食っては芸がないということで自転車を買うことにした。さっそく翌日に買ってきたのだが、2、3日経って駅の近くで呑み会があったので、その新しい自転車に乗っていったのである。本屋の駐輪場が近かったのでそこに止めて、呑み会にいったのだが、終わって帰ってみると、あとかたもなく消えてしまったのだ。

ああ、天を仰いで、やっぱり、ギャンブルで儲けた金は、そんな堅実に使おうなんて、せこいことを考えず、ぱーと使うもんだなあと嘆いたのであります。

実はこの話には、後日談、後々日談があるのだけれど長くなるのでこれまでにしておく。
ということで、だれにでもこうしたたぐいのエピソードがあると思う。Nさんがそうだよ「それぞれの自転車物語」というのを書いてみたらおもしろいねと言っていたが、あながち、誇張でもなくありえることかもしれないと思ったのである。

2007年9月21日

思わず出たひとこと

ITmediaでの打ち合わせが終わって、Uさんと二人で有楽町のガード下の「まんぷく食堂」でレトロな雰囲気を愉しみながら、ハムかつと黒ホッピーで乾杯。相変わらず、団塊世代のオヤジの熱い会話。

そのあと、久しぶりの東京だったのでぼく一人で銀座の「M」行く。柳家小里ん師匠が独演会を2日後に控えながら、階下でカラオケに興じていた。稽古もしないでだいじょうぶだろうかと言ったのはぼくではない。

ひとしきりバカ話をして帰ろうとして「思わず無意識に普段のことが出てしまった一言」。

“もう一杯呑んだら寝るわ”

最近、外で呑むことがめっきり減ってほとんど家の中で呑む。だから、呑んだら次は寝るだけなのだ。ああ、電車に乗って帰ることを忘れていた。

2007年10月27日

なんじゃもんじゃ

夏以来の「呑み歩き隊」の例会。今回は、月島のもんじゃ焼きで一杯のコース。老舗の「近どう」で6時半に待ち合わせ。ここは、もんじゃストリートから一筋入ったところだが、さすが人気店で満席である。お客さんは、若い人が多く、特に女性客が目立つ。おじさん4人組はちょっと異質な感じとなる。

どうして、こうもんじゃ焼きがはやるのだろうか。ぼくは不精ものだから、目の前に料理を運んでもらわないと、自分で焼いてというのは苦手だ。せいぜい焼肉ならなんとか自分で焼くが、お好み焼きやこのもんじゃは自分ではできないので、積極的には食べに行かない。この日も、N君に任せて焼いてもらったのを食べる。

周りの若い人たちはみんなで突っつきあいながら楽しそうに食べている。そう、みんなでわいわい言いながら、料理をするっていうのがいいのかもしれない。お酒を呑めない人も楽しめる。

あと、若い人にとっては、料金が安いというのも魅力的なのだろう。ということで、お腹いっぱい食べて、呑んでも3500円といううれしい会費であった。

終わって、家が遠いKさんを帰してから、残り3人で「岸田屋」に向かう。ところが、店の前に数人が並んでいるではないか。さすが人気の「岸田屋」だ。仕方がないので、少し離れたN君の行きつけの「玉ちゃん」という酒場に行くことにする。そこで、主人の友達の佃煮やが釣ってきたという東京湾の魚の刺身をいただく。もんじゃのあとの刺身もいいもんじゃ、というわけで満喫の夜であった。

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2008年3月15日

そばと銀河

昨日は、呑み歩き隊のそば例会。場所は、築地の「さらしな乃里」。今、週に2回ほど築地のある会社に通っているので、その近くということで選ぶ。あいにくの雨だったが早めに到着してひとりで先に呑みだす。こここでのお気に入りの鳥わさとあさりのぬたを食べながら呑んでいるとみな順次到着する。

それぞれの近況を話し、恒例のIさんの変態ばなしがあって、それから話題は、「銀河」のことになった。メンバーにこてこての”鉄っちゃん”おじさんがいるので自然とその方向に行く。

「銀河」というのは東京-大阪間の寝台特急のことである。いわゆるブルートレインというやつである。それが昨日がラストランであった。1949年がスタートだということだから約60年走り続けたことになる。ぼくも学生の頃乗ったことがあるが、夜遅く出て朝早く着くので宿代と時間が節約できるのでうれしかった。最近は利用者がぐっと減ってしまって、このたびのダイヤ改正でその姿が消えてしまった。

東京駅に行って見送るほどではないが、なんとなくこういうものがなくなっていくのはさびしいものだ。また昭和のひとつが消えていった。

そば屋のあとは築地なので魚で2次会。また呑み過ぎた。
 

2008年7月11日

どぜう

久しぶりの呑み歩き隊の例会。今回の幹事は最近東京のご当地検定をパスして東京シティガイドクラブに入会したN君である。ついちょっと前にも丸の内検定3級をとったと言っていた。

だから、彼がいろいろなコースを考えてくれる。今回は彼のいくつかのプランの中から、浅草ほおづき市を見て、そのあと飯田屋で「どぜう」というコースを選択。しかしほおづき市に行ったのは一人だけでぼくを含めて残り3人は直接飯田屋へ。隊長のKさんなんてだいぶ遅れて到着。

どぜう鍋を汗をかきながら食べるのもいいものだということで出かけたのに、店内はけっこう冷房が効いていて、燗酒をたのんでしまった。

3種類の鍋を頼む。最初はほねぬき鍋、ついでまるごとのどぜう鍋、最後は柳川鍋というフルコースだ。つまみもどぜうのから揚げと竜田揚げというどぜう尽くし。みんなうまかった。

皆さん、こどものときに家でどじょうを食べたことがありますか?呑み歩き隊のメンバーでは、ぼくと隊長の2人が食べたことがあったのです。

さて、どじょうをどうやって獲るか知っていますか?うちの周りは田んぼだったので夜になるとカンテラと釣竿の先に櫛状の針をつけたものをもってでかけていく。そうすると、どじょうが田んぼのなかで寝ているんです。ほんとですよ。それをその竿で突いてつかまえるのである。そして、泥を吐かせて柳川にして食べるのである。これは貴重な蛋白源になった。

そんな話をしながら食べて呑んで楽しい夜であった。
 

2008年10月13日

呑み歩き隊の意外な展開

昨日、鎌倉の話を書いてまた今日も鎌倉の話です。前回の呑み歩き隊の例会を何気なしに鎌倉をやることになり、それが昨日あった。

ぼくが幹事ではないのでアドバイスするだけだったけど、結局ぼくの提案どおり、天気がよければ自転車を借りて、由比ガ浜から七里ガ浜を通り、江ノ島までの国道134号線サイクリングにすることに決定。帰りは、稲村ガ崎から、極楽寺を通って、長谷に抜け、大仏から市役所どおりを経て八幡宮という設定である。

ところがである。のっけから躓いた。11時ころ駅の隣のレンタサイクル屋さんに行ったら並んでいる。嫌な予感がしたんだけど、案の定、ぼくらのちょっと前で自転車がなくなってしまった。ほんのちょっとの差だったから、一番遅れてきた幹事に八つ当たり、お前がもう少し早く来ていれば借りられたのにというわけだ。

でしょうがないので、とりあえず腹ごしらえをしながら考えようということに。昼飯は、「天金」を予約していたので、そこでビールと鎌倉丼を食す。さてどういうコースにするか思案。そのまま、江ノ電でサイクリンコースをたどるか、北鎌倉の方にするのか、駅近辺でぶらぶらするか、しかし、昨日は人が一杯なので江ノ電も待たなければいけなくなりそうでやめて、じゃあ人力車にでも乗るかと思っても高くてこりゃだめだ。

で結局、「鶴岡八幡宮」の裏手のほうの鎌倉宮のほうはどうかということに。ぼく以外の3人のメンバーもそのあたりは行ったことがないと言う。さっそくコースつくりを行なう。その結果次のとおりにする。おおぼくも鎌倉公認案内人になれると思う。メンバーの一人は、月島のガイドの検定を持っているので、ぼくも取ろうかなと一瞬思う。

まず、八幡宮の境内から、右にそれて横浜国大付属中・小学校の脇をぬけ、「白旗神社」を横目に「源頼朝の墓」にいく。あの征夷大将軍にしては質素でこじんまりしているのに驚かされる。そのあとは清泉小学校の横を通り、日本3大天満宮の一つである「荏柄天神社」へ。ちょうどこの日は、絵筆塚祭で漫画家が数人来て似顔絵を描いたり、河童のエのコンクールなんかをやっていた。

そのすぐそばの「鎌倉宮」でお参りとちょっと一服して、今度は金沢街道沿いの「杉本寺」へ、ここは奈良時代に建立された鎌倉最古の寺である。荏柄天神が鎌倉最古の神社なので、これで神社と寺の最古のところにいったことになる。

途中、金沢街道は鎌倉に向かう道が大渋滞で歩いた方がよっぽど早い。ぼくらは絶対ここには車でこないが、他県ナンバーの車が並んでいた。

最後は、杉本寺からちょといったところにある「報国寺」である。このお寺は竹林が有名で、その竹林をながめながら抹茶をいただくというのが定番である。もちろんぼくらもいただく。落ち着いた雰囲気でいつきてもほっとする。

そこから、八幡宮戻って宮前にある「一茶庵」で呑むことに。結局3時間のウオーキングで歩いたのが1万歩であった。「一茶庵」では鎌倉ビールから始まって酒をあけ、暗くなったので最後にそばをいただき帰路についたのであります。

この店には3時ころ入ったのであるが、けっこう込んでいたが、帰るころになるとかなりすいていた。店の主人にたずねるとだいたい鎌倉は昼間が勝負なんですよ、夜はお客さんは来ませんとのこと。なるほど。

まだまだ込み合う小町通を、一緒に来た人が「和らく」で箸を買うのを付き合いながら、鎌倉駅まで驚きの目で歩いたのである。普段、休みの日に鎌倉駅周辺には行かないので、休日の込み具合を知らなかったのでびっくりだ。

さて、サイクリングができなかったリベンジを来年の春にすることを約して別れたのである。
 

2009年1月 8日

オヤジの役回り

きのう、おとといと嫁さんと子どもにそれぞれ別々にオヤジとしての役目をはたす。たまには、存在感を見せることも必要だ。

嫁さんは昨年の手術後の予後があまりよくなく、おとといも年末の検査結果を一緒に聞きにいった。ところが、検査の結果は説明してくれるのだが、だからどうなのといところがぼやけてしまって、何か欲求不満が残った。まあ、そんなものかとあきらめ、あせらずじっくり治療しようということである。

病院の帰りに義弟のところによって甥と姪に少し遅いお年玉をあげる。もう二人とも大学生だから今年が最後になるかもしれない。

昨日は昼から上の息子(社長)と表参堂のある会社にでかける。昨年から受託している開発の進捗会議である。いままでは、どちらかというと二人は別個に仕事をしていたが、社長の方はコードを書きながらプロジェクト管理みたいなことや対外折衝をしていたが、何もなければいいのだがひとたび面倒なことになるとそちらのほうに時間がとられ、製造の時間がとれなくなるという事態になる。

なので、そのプロジェクト管理のようなことはぼくがやることにして、年末から多少問題があって、委託会社の人や一緒にやっている受託会社の人たちと情報交換をするようになった。その調整会議だったのである。

まあ、なんとかまとまって一息といったところで、懸念しながら進めると効率も落ちるのですっきりしたのでやりやすくなった。今後もこういう役回りを担っていこうと思った。

その日は、夜に下の息子と呑むことになっていたので、時間つぶしに映画をみようとしたら、どこも微妙に時間が合わずしかたなしに、もっていったPCで仕事をする。息子の勤務地が桜新町で呑むのを三軒茶屋にしたので、キャロットタワーの26階ロビーで夜景をみながらキーボードを叩く。

行った店が「味とめ」。この店はアド街ック天国に2度紹介されたことがあるという有名店である。しかし、きれいでも何でもなくて雑然とした店内にメニューの張り紙がびったり。

入るとおばさんにぐるなびのクーポンをみせたら、喜んで「ぐるなびさん、2名ご来店」と大きな声で叫ぶ。小上がりの奥のテーブルに座り、まずは生ビールとぐるなびサービスのうなぎの串焼きを食べる。

メニューがあり過ぎて何を頼んでいいかわからない。こういうときはおすすめを聞くに限る。寄せ鍋とかつおの藁焼き、いわしのしそ揚げを頼み、酒はホッピーにする。息子はあと赤霧島を呑んで感激していた。

鍋は1人前で十分といわれたのでそうしたが、ほんと1人前でも軽く2人前はある。食べ終わったら、おばさんが七草粥ならぬ七草雑炊にしてくれて、それも全部おばさんがやってくれてよそってくれる。そのあいだ、三人で話し込む。ぐるなびの掲載料がはやっている店とそうでないところと違うということや、雑誌に掲載されたの見せてくれたり、面白い話を他のお客さんをほったらかして話してくれる。

そんな雰囲気で久しぶりにというか、下の息子が就職してから初めて二人で呑んだ楽しい夜であった。「味とめ」のおばさん、そして板場の息子さんありがとうございました。
 

 

2009年1月30日

はばのり

昨日は、「呑み歩き隊」の例会。場所は、ぼくが幹事だったので年初に下の息子と行った三軒茶屋の「味とめ」にする。

有名店だから予約しないとまずいと思い、先週からずっと電話をしていたがぜんぜん出ないのだ。しょうがないから、満員でもいいやと思っていて、最後の電話をしようと昨日の3時ころ電話したらなんと通じたのである。

あのおかみさんの声が聞こえるので、店がつぶれたかと思ったといったら、ぼくがかけていた電話は店の電話ではなかったらしく、別の電話番号を教えてくれた。早く言ってよねえ。

というわけで、安心して待ち合わせ場所の三軒茶屋駅に到着。すでに隊長と隊員が待ち構えていてすぐに店に向かう。

着いたらおかみさんがちゃんと覚えていてくれて案内される。もうすでにお客さんがいっぱいで、予約しておいてよかった。昨日は、まず、トビウオとクジラの刺身にする。これがうまい。そのあと、いわしコースでこれまた刺身から、焼き物、ぬたときて最後はつみれ鍋である。

すっかり呑んでいい気持ちのなって、お客さんも減ってきたところでおかみさんが、いいものを作ってあげると言う。鍋のつゆを使って「はばのり」を入れて雑炊を作ってくれたのだ。これがまたまた美味である。

この「はばのり」というのは、おかみさんのふるさとの房総でとれるのだそうだ。この時期に岩から採ってきて干してたべるのだそうだ。お正月のお雑煮にいれるのが慣わしっだという。

こうして、いつもおかみさんが美味しい雑炊を作ってくれるのでときどきここに鍋を食べにこようと思うのである。
 


2009年4月 4日

行列の居酒屋

昨日は急遽呼び出されて某社にBPMの売り込みと意見交換にいく。その会社は以前から付き合いのある会社で2年くらい前にもBPMの話にいったことがある。それで時間も経っているから再訪したのである。

ところが、もうすでに取り組みを始めていて、ツール選択も終わっていた。それはそれで、ひとしきりBPMの現況について意見交換する。

そこでの話でおもしろかったのは、そうした取り組みを急いだのはユーザからの要望だったということである。だから、ユーザから何とかしてくれという声(実際はワークフロー導入要望)が気付きを与えてくれたと言っていた。自分たちだけからは出てこなかったということを盛んに言っていた。しかし、その声にすぐに反応したということがすばらしいと思う。

それと、合い通じる話だが、一般のSIerの意識が全くそこに言っていないという。従来のERPに代表されるような既成システムではプロセス志向になっていないため(ERPにはプロセスが皆無だと断言していた。ぼくは多少はあると思うのだが)、ワークフローの導入が必要なのにそれにぜんぜん気付いていないというのだ。

これは困ったものだ。SIerが気がつかないうちに抜け駆け的にやれば儲かるかもと思いがちだが、実はそうではなくて、BPMそのものの認知度や理解度が全体的に上がってこないとビジネスが生成されてこないのである。だから、特に国内SIerの立ち上がりが急務なのだが、国の方も含めて鈍いのはいかがなものか。

それが終わって、一緒した2人で次の会合に参加しようとして豊洲に向かったはずが、浦安まで行ってしまった。信じられないのだが、まあありえない話ではない。もう間に合わないので、さてどうするかとなって、そうだ門仲だ。ここは陽の高いうちから店を開ける門前仲町の「魚三」で決まり。

ところがどうだ、まだ開店前だというのにずらっと人の列である。聞いてはいたが、いつももっと遅くいくのでこの時間は初めてだったのでいささかびっくりする。というわけで、そのあとに呑む予定が入っていたが、早くも呑みだす。相変わらず安くて旨い。普段食べられない“むしあわび”を食べて満足。

そのあとが新橋の「いさむ」である若い子と会うことになっていたが、ここもさかなが旨いのでだいぶかぶってしまい、いつもより少なめでお願いする。

待ち人はぼくのブログを読んでコメントをくれた子である。36歳でコンサルティング会社に勤めている。初対面であるが、顔をあわせた瞬間から初めてとは思えない感じでおしゃべりに入る。やはりブログというのは、それを書いている人がどんなひとかおおかたわかってしまうので、最初の壁がとりはらわれるのだろう。

というわけで、よどみなく会話がつづき、すごく楽しい時をすごす。実は、大学の後輩であったり、プラント制御やシミュレーションをよく知っていたりで、そういう意味でぼくの今主張している考え方についてかなりシンクロしてもらえた。次回から、ビジネスプロセスパターン研究の勉強会に参加してもらうことになっている。

だんだん、「プロセス志向」が広がっていっていることを感じた一日であった。
 

2009年4月11日

定例オヤコ呑み(4月)

毎月やっている定例の親子呑み会を渋谷の「長崎」で行なう。今社会人2年目に入った下の息子と毎月初めに一緒に呑むことにしているのである。

この子は中学生のときから競馬が好きだったから、渋谷のウインズで待ち合わせしたが、どこだか分からないと言ってきて道案内を伝えながら並木橋付近で落ち合う。

「長崎」はぼくが学生時代から知っている店で、ちゃんぽんと皿うどんが有名である。あの池波正太郎の「散歩のとき何か食べたくなって 」(新潮文庫)の中でも紹介されている。

実はこの店はあるマンションの1階にあるだが、学生時代にそのマンションにぼくと同じ大学に通う友達がすんでいて、その家が店のオーナーだったのだ。だから、ときどき麻雀をしに行くと終わったあと必ず皿うどんをごちそうになって帰った。

当時はまだ東京に本場長崎のちゃんぽんや皿うどんを食べさせてくれるところは少なく、最初に食したこの店の皿うどんがその旨さにまいったこともあり、これが皿うどんだと思い込んでいた。

最近では多くの店で出すようになって、チェーン店までできている。しかし、皿うどんとチャーメンを混同していて、細麺でぱりぱりになったのを出されるが、それは違うと思い続けている。

そして、いつかうまい皿うどんに出会えるかもしれないと、街で見かけるとつい皿うどんを頼んでしまうのだが、東京ではいまだこの店をしのぐものはただ一軒だけだ。その店の名は「円山」といって、溜池交差点の近くの地下にあった。ここの皿うどんは絶品であったが、数年前に突然姿を消しえしまった。どこかに移転してしまったかもしれないと思い、「はてな」でも探したが分からずじまいになっている。誰か知らないだろうか。

ここで少し余談になるが、友達の家はそのマンションに来る前は田園調布に家があって、そのときあの長島茂雄が学生の時にそこに下宿していたのだという。ぼくらはウソだろうと思っていたら、ある日彼の家でいつものように麻雀をしていたら、いきなり長島が現れたのである。“やあー学生諸君がんばてるな”ってな具合で声を掛けて風のように去っていった。

さて、「長崎」で皿うどん、ちゃんぽん、そしてひとくち餃子、シューマイ、サラダを頼み、ビールと冷酒でお腹もふくれ、ほろ酔いになる。帰り際、しばし店の料理人のたけちゃんと昔話。もう43年働いていて年を食ったというが、あまり変わらないように見える。

それから都バスと山手線で、定番になりつつある銀座の「M」へ。いきなり、ドンペリをごちそうになる。32周年記念でもらったとかいう。初めて飲む高級酒に舌鼓を打ちながら、いつものNさんとR子さんと下の息子を交えて楽しいおしゃべり。

R子さんの昨年結婚した娘の婿さんが、ぼくら親子と同じ高校出身ということで、その話から、夫の小遣いはいくらが妥当かとか、草食系男子が増えていて(その言葉を初めて聞いたといったら引かれてしまった)、息子が自分は草食系だという話で盛り上がる。

そういう意味では下の子は上の息子と正反対なのだが、上の息子が肉食系かというと、それより、兄ちゃんは長島タイプで、弟は王タイプというほうが何となく合っていると思っている。

そのあと、息子と同じ大学・学部で同学年だった娘さんをもつMさんとも久しぶりに会えて、子供談義となる。世の中せまいなあと思った一日でもあった。

そうだ、来月どこ行くか決めるのを忘れた。つぎはどこへ行こうかな。
 

散歩のとき何か食べたくなって (新潮文庫)
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2009年10月 1日

夜の浅草

一昨日は、2か月ぶりのオヤコ例会で下の息子と吞み会。場所は浅草の「飯田屋」でどぜう料理である。息子はどじょうがどんなものであるかは知っていると思うが、初めて食べるという。

ぼくらの世代だと田んぼでどじょうと取ってきて、一晩泥を吐かせて柳川にして食べたなんていう経験はあると思うが、近頃は都会では田んぼも少なくなってきて、どじょうも見かける機会がないのだろう。

このあいだぼくの弟と一緒に呑んだ時、このどじょう取りの話が出て、夜中にカンテラを下げて、どじょうが寝ているところを竿の先につけた細い針のくしで刺して捕まえたというのを鮮明に覚えていて、二人で盛り上がったのです。

さて、そのどぜうの方は、息子が初めてということだったので”まる”はきついかと思い、骨抜きのどじょう鍋と柳川、それとから揚げ、おさけのつまみに鮪ぬたを頼む。ビールと日本酒でほろ酔いながら江戸情緒を楽しむ。

そのあとは、雷門の方に行き、そこから仲見世通りをとおり浅草寺へ。もう夜の9時を過ぎていたので人はほとんどいない。いつも、参拝客でにぎわった時しか行ったことがなかったので、こんな静かな浅草寺は違った所にきてしまった感じである。もちろん、こんな浅草寺もいいものだ。

そのあとは、恒例の銀座「M」でハイボール。ここでの面白話をひとつ。女性バーテンダーのKちゃんが、うちの息子に男と女を見分けて便座カバーをあげたりあげなかったりできるのってあるんだってと聞く。息子は某便器メーカーに勤めているのでそういう質問をした。

そんなものがあるわけないじゃんということに収まったのだが、そのあと次回の例会をどうしようかということになり、そうだニューハーフのショーを見ながら呑むというのがいいということになった。で、そのときすかさず、ニューハーフが便器の前にたったら、便座は半分あがって止まるのかなあ。みんなで大笑いである。

あと、帰ろうと思ったら「公安捜査」シリーズの著者の浜田文人さんが登場。もう席を立ったところだったので、ひとこと声をかけただけで帰る。息子はまたもやママから翌日の朝ごはんをもらっていた。

ということで、息子はどぜうと夜の浅草寺と便座と浜田さんと朝飯でたいそう感激した夜であったようだ。

2009年11月28日

神楽坂

昨日は、久しぶりの呑み歩き隊の例会で定番のそば屋巡りである。今回は、神楽坂の「蕎楽亭」である。食べログのランキングでも高い評価を得ているおそば屋さんで、毘沙門天の裏にある。

この会は、以前のいた会社の後輩2人と同業の会社の知り合いの人の計4人で呑み歩きをしている。ところが、昨日はその中の一人のI君が突然大阪への転勤が決まり、急きょ彼の送別会となってしまった。

どうも、単身赴任でいくとのことだったので、しばし単身赴任の心得を伝授する。最近は賄い付きのコンドーミアムがあるようで、便利になっている。ただ、大阪のおばさん対策はちゃんとしてけとアドバイスする。しかし、あのこてこて感のセンスが合わないと思うので心配だ。(笑)

さて、そば屋のほうは、カウンターがあって、結構広々としていて、よくあるそば屋とちょっと違う雰囲気で、だから客層も若い人が多い。つまみ類も豊富で、天ぷらはオープンキッチンなので見えるところで揚げてくれる。ほかに、湯葉、白子、出汁巻きたまごなどをつまむ。

酒は、ここではそばを福島会津から取り寄せるので、同じところの地酒が多くある。その中から、この店でしか味わえないという「央」をいただく。最後は、その「どぶろく」でしめる。

そして、お目当てのそばは、ふつうのそばと十割そばの2色そばである。十割そばは玄そばのまま挽いてあって、これがうまい。いやー、僕の中では評価が高かった。

そば屋を出てからは、すこし神楽坂周辺を散策する。金曜日ということもあるのか人が多いのにはびっくりする。ただ、神楽坂の面白さは、ちょっと横丁にはいると、静かで風情のあるたたずまいになるところで、そんなところを歩いてみる。

というわけで、久しぶりの呑み歩き隊例会を堪能したのであります。だから、そば屋で一杯がやめられない。

2009年12月11日

ハイボール

いま、ウィスキーが売れているらしい。売り上げが7~8%伸びたとか言っていた。なぜ売れるのかというとサントリーが戦略的にキャンペーンしたことや、ソーダで割って、それにフルーツを入れたりして飲みやすくしたことらしい。あの小雪が出るCMの影響も大きいかもしれない。

このウィスキーをソーダで割ったのをハイボールという。これは昔からあるもので、ぼくはもう何十年も愛飲しているカクテルである。今も行きつけの店「M」に行くと黙っていてもEarly Timesのソーダ割りが出てくる。

この記事のカテゴリーは、「酒呑みの自己満足」としているが、これは山口瞳の「酒呑みの自己弁護」という本からとっている。その本の中にハイボールについてこんなことが書いてある。

水割りがうまいと思うのは錯覚であるにすぎない。強い酒は強い度数で飲むほうがうまいにきまっている。ハイボールは別物である。私はハイボールこそバーテンダーの腕のみせどころだと信じて疑わない。簡単なものほど難しいので ある

ぼくもウィスキーの水割りというのがどうも好きになれない。しかたなしに呑むことがあるが、基本はストレートかハイボールである。そして、山口瞳の言うようにハイボールは難しいのである。だから、すでにソーダで割ったものが缶に入っていたり、なんでもいiから混ぜりゃいいというのは邪道である。

ぼくがいつも呑むハイボールは、バーテンのかおりちゃんがちゃんと作ってくれるやつだからうまい。そうやって呑むものだ。最近のように誰でも呑むようになると、生来のあまのじゃくが顔をもたげて呑むのをやめようかなあと思ってしまう。

「M」で以前はやった2代まえのバーテンダーのゆきちゃんが得意だったギムレットにしようか、作家の永井明さんが教えてくれた焼酎の牛乳割にしようかな。というのは愛嬌でやっぱり「かおりちゃんのEarly Timesのソーダ割り」を呑み続けることにする。
 

2010年3月13日

3月定例吞み会

一昨日は、下の息子(こう書くと何で下の息子なんだ、もう少しまともな言い方があるだろうと文句を言われるが、適当なものが見つからないのでそのままにする)と月例の吞み会をする。今回は、前回に引き続き新橋界隈にする。この子も入社2年ですっかりサラリーマンになった。

まずは、立ち飲みの「根室食堂」です。ここは少し前にテレビで紹介されていたので、うに好きの息子のために立ち寄った。JR新橋駅東口(汐留口)のロータリーの脇にあるのだが、3階までが海鮮で4階が焼き肉である。いずれも、根室から取り寄せた食材だという。

生ビール、うに、焼きカキ、ハラス、シシャモを頼み、北海道の酒をコップで追加して、小1時間で店を出る。立ち飲みなので立っているのが疲れるのである。考えてみれば客を立たせているんだったらもう少し安くせよと思ってしまった。

ここで息子から重大発表があると言う。何だろうと思いきやたばこを吸っているという話である。いままで、そんなそぶりがなかったので兄貴とちがっててっきり吸わない子かと思っていたら、灰皿をさがしだした。しかし、ぼくも45歳まで25年近く吸っていたので吸うなとも言えないし困ってしまう。ただ、45歳のある日、毎日30本くらい吸っていたのをスパッとやめた。いまもその時のたばこが残っているが、このやめ方を見ているので、そのうちスパッとやめてくれるだろう。

次は、餃子の「玲玲」である。息子が就活で疲れたときにつれていったところでよく覚えていた。特にママにお世辞だと思うが男前と言われたことがうれしかったみたいでまた言われて喜んでいた。

ここの餃子はうまい。大連出身のママが手作りで始めたもので、家庭的な味が売りだ。ぼくは、昔中国で仕事をした時に宿舎でいつも食べていた餃子の思い出が強く、日本の餃子は家で以外はあまり食べない。特に、ここの蒸し餃子と水餃子はお薦めです。これこそ本場の餃子というものです。

餃子を食べながら二人で紹興酒を1本空けて、締めの「M」に向かう。ちょっと早いがホワイトデイのクッキーを手渡す。「レザンジュ」の焼き菓子を買っていったら、息子が共同で買ったことにしてよと虫のいいことを言う。いつものEarlyTimesのソーダ割り(ハイボールとは言わない)と息子はラムでしばし歓談。

どこの店も結構なにぎわいで、ひょっとすると金曜なんかより木曜日のほうが込み合うのではないだろうか。金曜日に飲みすぎて土曜日をつぶすより、木曜日に飲んでも金曜日1日がんばれば休みだという方が心理的にいいらしい。(と息子も言っていた)

今回は、定番コースに近かったのだが、さて次回はどこにいこうかな。
  

2010年4月 9日

4月定例呑み会

ぼくが東京での勤務になったのが1991年の正月からだった。ちょうどバブルがはじけてすぐに三重県の四日市から東京に転勤になった。しばらく実家から通ってその春に横浜の市が尾にある社宅に移った。そのとき家族も呼び寄せて横浜生活が始まった。ただ、ぼくにとって横浜は中区か西区なのだが、緑区というところで(その後都筑区となった)、ここも横浜かと思ったものだ。

そこから会社がある赤坂まで田園都市線―半蔵門線で通った。今だと溜池山王駅が一番近いのだが、当時はまだ駅がなかったので、永田町で降りてそこから歩いた。朝晩、田町通りを通っていくのだが、夜はついつい誘惑に負けてしまうことがままあった。

そんなことを思い出したものだから、4月の息子との呑み会は場所を先に決めた。で店をどこにするかなのだが、当時の店はほとんどなくなっているので、新たにさがしてみる。焼き肉もいいが、何となく焼き鳥にする。店は「焼鳥屋・いやま 赤坂」にする。

ここでたっぷりうまい串と酒を堪能する。話は横浜時代(息子は小学校低学年の頃)のことから始まって、息子も社会人3年目になるので、「若者はなぜ3年で辞めるのか?」という話になる。要するに、まだ2年からもう3年という見方になるのでいろいろな意味でだんだん厳しくなるということのようだ。

どうもぼくらの時代と時間的な感覚がちと違うような感じがする。ずいぶんと時計の進みが早いようだ。ぼくは、自分もやっと一人前になれて自信が持てるようになったのは倍ぐらいの6,7年経ってからだったと思う。そんなところに行くには、他の人と違うことをとことんやってそこで認められることだと思うというような話をしてみたが、いまの時代ではどうなのだろうか。

その後は、昔の会社があった(今は高層ビルになってしまっている)近辺を歩いて、メトロで銀座まで出て「M」に行く。いつもマスタ夫妻とバーテンダーのKちゃんが温かく迎えてくれるので落ち着く。

ここに行くと息子は帰りに何か食べ物をもらうのが常なのだが、ママがあら昨日くればよかったのにと言う。どうも昨日だったら和歌山のさばの早ずしがあったらしい。それから、しばらくは和歌山ばなしで盛り上がる。

和歌山では、ラーメン屋に行くとこの早ずしとゆで卵が置いてあって、それを食べながらラーメンを食べるのが定番だという。そりゃあ知らなかったと驚いたのだが、そこからは、和歌山の人には申し訳ないのですが、どうも行ったことがない県ベストテンに入るよねと話に変わる。

少なくとも関東に住んでいる人は和歌山になかなか行かないのではないだろうか。ぼくも、三重県に長いこと住んでいたけど隣の県なのに行ったことがなかった。そんな話をした後で、今朝ばあちゃんの家に来ていた姉と話していたら、その息子でぼくの甥になる子がいま仕事で和歌山に行っているという。あら、ここでも和歌山ばなしだ。
  

2010年6月28日

呑み歩き隊-両国編

昨日、昨年の11月の神楽坂「蕎楽亭」以来となる「呑み歩き隊」の例会があった。今回は、両国にある江戸蕎麦「ほそ川」である。

両国なので、蕎麦屋に行く前にこのあたりを散策する設定である。メンバーの一人が東京検定の資格者であるので、毎回彼がアレンジしてくれる。しかもちゃんと下見までしてくれるのではずれることはない。

ところが、その日ぼくは仕事がはいってしまい、両国散歩はスキップして17時半からの吞み会に参加する。日曜日だというのに9時半から何と足立区の中小企業を訪問する。初めて舎人ライナーというものに乗る。ゆりかもめみたいに高架の上を走る。日曜の朝というのにけっこう込んでいる。

その中小企業の若い社長が言っていたのは、昔は陸の孤島といわれるくらい交通が不便だったのが舎人ライナーができたおかげでずいぶんと便利になったとのこと。こういうハコモノはいい。でもわが家から遠いので久しぶりに朝6時の早起きであった。

「ほそ川」は、大江戸博物館(この巨大なムダの多い建造物はなんだ)の向かいのちょっと路地を入ったところにある。5時半前に着いたのだが、もうすでに2組ほど先着がいた。人気のようだ。入ると早速ビールで乾いたのどを潤す。

呑み歩き隊といっても4人なのである。元の会社の部下だった2人と同業の別の会社だった人(なぜか気があっていまだに付き合っている先輩です)で、元部下が半年前に大阪にて転勤になったのですが、たまたま休みを取って帰ってきたので合流したというわけだ。

「ほそ川」では、ビールの後日本酒と酒肴を楽しむ。ただし、お値段は高いのでお上品にする。ぼくが徳利を倒して酒をこぼしてしまい顰蹙を買う。なので控え目にする。しかし、蕎麦(せいろ)は旨かった。茨城産の粉だというが、繊細な蕎麦の味を引き出して余りある美味だ。

大阪に帰るやつがいるので、店をでたあと東京駅までいってほろ酔い横町で新幹線の時間までまた呑む。また秋の例会での再会を約して別れたのであります。

2010年7月28日

伝説の生ビール

昨日は、新橋のビアホール「ビアライゼ‘98」でうまーいビールで暑気払い。数年前のBPMオフ会で一緒になって、それからぼくが主宰したBPP研究会にも参加してくれたM君が連れて行ってくれた。

このビアホールは知る人ぞ知る店で、入ると10人ほど座れるカウンターがあって、あとテーブル席がけっこうあって広いがすぐにお客さんで埋まるとのこと。昨日は予約は一杯だったので早めに行って席をとることにする。運よくカウンター席を確保する。

まずは、アサヒ生ビールで乾杯。キリンやサッポロのビアホールは多いがアサヒは少ないらしい。カウンターに座って前を見るとパネルが飾ってある。二人の人物の写真が載っている。一人が、新井徳司氏でもう一人が今目の前でビールを注いでいる松尾光平氏である。

新井徳司氏というのは、銀座にあった「灘コロンビア」という変わった名前のビアホールでビール注ぎの名人と言われた人である。この人の注いだビールを飲むとビール観が変わると言われたくらいだ。松尾さんはその唯一の愛弟子なのである。

この話は実はカウンターで隣に座っていたおじさんに教わったのである。なぜ「灘コロンビア」と言ったのかとか、新井氏はぜんぜん酒が飲めなかったとか、入江元侍従長に鍛えられたとかのおもしろ話も聞く。このおじさん77歳だというのに、ここにくるとビールを10杯飲んでいくらしい。そして、目の前でその名人松尾さんが注いでいるのを見ながら解説してくれる。

たかがビールだからどう注ごうがたいして変わりはないだろうと思ってたら全然違う。だから自然と10杯飲んでしまうのだというのである。苦くない、ほどよい泡立ちでうまさを逃がさない、そんな極上のビールとなるのである。その秘訣の一端をカウンター越しで見ることができる。一回注いで立った泡をナイフで掬いとり、再び注ぐ2度注ぎである。そして、意外と大事なのはコップの洗い方なのだという。

結局、ぼくもアサヒ生ビール3杯、黒ビール、隅田川ヴァイツェン(これは珍しく小麦の麦芽をつかっている)の5杯を飲んでしまった。たしかにすうっと入っていくからどんどん進んでいく。つまみは有名なメンチカツも頼んで十分堪能し、大満足の夜であった。

そうそう、M君との会話も楽しく、ぼくの興味と似たところがあって、映画とサッカー、さらにTwitterの話題で盛り上がる。もちろん、ITの話にも及び問題意識とかやるべき方向など共有できているので有意義な情報交換ができた。再会を約して新橋駅SL前で別れる。

2010年7月30日

オヤコ定例吞み会(7月)

今月の吞み会は、ずっと前から7月になったら行こうと決めていたあなごを食べにいくことに。ぼくの高校の同級生のS君に教えてもらった「玉ゐ」である。ここは古くからあるあなごの専門店で日本橋本店と日本橋室町店がある。

昨日は、室町店に行ったが、あいにく満席である。ぼくが午後から仕事で多摩センターまで行っていたので、時間が定まらないこともあり予約をしなかったのがまずかった。空いたら連絡しますと言われたが、いつになるかもしれないので、ここは来月にとっておいては他の店にする。

すぐ近くに「室町砂場」にする。ここはガキンチョが来るところじゃないけどとか言いながら、昨日26歳の誕生日だった息子を祝う。ビールと酒と蕎麦焼酎でのどを潤しながら、焼き鳥、たまご焼き、冬瓜(これはれっきとして夏の野菜です)、かまぼこなどをいただく。最後はもちろんそばで久しぶりにうまいそばを食べる。

そのあとは、いつものとおり銀座の「M」へ。息子は次の日休みをとったというので11時過ぎまで長居をする。前回来た時話題になった和歌山のラーメンと寿司の話から入る。あのあと息子は実際に和歌山に行ってラーメンと早ずしを食べたのだ。なぜ、こんな組合せにするのか不思議だ、例えていうと中村俊輔と本田を一緒に試合に出すようなものだとわけのわからないことを言っていた。

昨日のメインの話題は、30年前に死んでいた111歳のおじいさんの話から、死に方だとか散骨のしかたの話で盛り上がる。女性バーテンダーのKちゃんは、自身がダイビングをするので海に撒いてほしいらしい。ぼくの姉は森林葬がいいと言っていた。でも、ぼくはタコに食われるのもいやだし、熊に踏まれるのもいやだから、やはり普通のお墓に入れてほしい。

でも問題はその前の死に方で、いつも言っているようにぽっくり行きたいと言ったら、息子がえらく乗ってきて、一緒に呑んでいる時ぽっくり行ってくれときた。それもいやだから、自分の畳の部屋で朝死んでいて、昨日まであんなに元気だったのにねえというのがいい。

帰りにまたママから自炊生活の足しにと食料を紙袋にたっぷり入れてもらっていた。これで少しは夏バテ防止ができるかもしれない。

2010年9月 3日

オヤコ定例吞み会(9月)

7月に行こうとしたあなご屋が満員で入れなかったのでそのリベンジで日本橋室町の「玉ゐ」にする。今回は周到に予約を入れておいた。ここは建物が、築百年前後ということで趣のあるたたずまいである。

あなごの盛期は夏なのでお客さんも一杯である。あなご専門店だから、あなごずくしは当然として、“あなご酒”というものもあったのには驚いた。これは、ちょうどふぐ酒と同じように一夜干しの切り身をあぶったやつを入れ、火をつけてアルコールを飛ばしてから呑むのである。ふぐよりはおとなしいがこれがなかなかうまい。

食べたのは、煮あなごのつまみとにぎり、だし巻き玉子、あなご串揚げ、穴子かま肉串焼きである。どれもふわふあとした食感が口の中にひろがる。普段食べるあなごは寿司かせいぜい白焼きがほとんどだと思うがそれはどこかぷりぷりした感じがするが、ここのはそうではないので別の食べ物を食べている気になる。

下の息子とのここでの会話は、職場で重宝がられて使われるばかりだというため息と、夏休みに北海道に行った話が中心となる。北海道には弘前まで深夜バスで行ってそこから鉄道を使い、一日は大学のサークルの後輩にレンタカーを運転してもらい積丹まで行ったという。近頃“鉄っちゃん”の仲間に入りつつあるようだ。

さらに意外なことに来年の冬にマラソンを走ると言いだした。3月に香港のマラソン大会に出場する予定だという。どうも、村上春樹の「走ることについて語るときに僕の語ること」に刺激を受けたようだ。この本は、上の息子も気にいっていて、ぼくに読むように進めてくれたのである。そして、下の息子もこうして同じように走ることの素晴らしさをぼくに語ってくれた。

たっぷり酒と料理を堪能して、お決まりの銀座「M」へ向かうことに。そうしたら下の息子がおみやげを持っていくという。あなごの一夜干しが真空パックに入ったものを下げている。いつも、自炊している息子のために「M」のママが食べ物を差し入れしてくれるのでその御礼なのである。

そして、「M」に着くと、息子が“日本橋であなごを食べて、おみやげを持って銀座で呑む26歳はおれだけだろうな”と言って受けていた。ということで与太話に花が咲いて、いつものようにそーめんやらパスタやらをもらっていたのである。


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2010年9月25日

呑み歩き隊-日本橋篇

昨日は、6月末以来となる「呑み歩き隊」の例会があった。今回の散策と飲食は日本橋である。雨が降りそうだったがなんとか持ちこたえていたが、風が強くそして寒い。一気に冷え込んだので寒さがしみる。橋の上を行き交う人たちもしっかりと上着を着込んでいる。中にはコートまで来ている人がいて、そうかと思うとまだTシャツ姿の若者もいるという変な光景。

メンバーのひとりのN君がシティガイドボランティアをやっているので彼の案内を受ける。ところでこのN君、先週の日刊ゲンダイの「趣味に生きる」というコラムで紹介されていました。NPO法人「東京シティガイドクラブ」というところに所属しいていて、現役サラリーマンでありながら、毎週のように東京の街を案内しに出かけている。

従って、最近では子の例会は彼に全部アレンジしてもらうことにしている。そして、日本橋である。何回も通ったことはあるが、日本橋についてはあまり知らない。昨日は、その橋の由来や近辺の歴史などを聞く。橋がかかっているのは日本橋川という川の上なのだが、実はこれは川ではなく運河なのであって、隅田川から皇居のお堀をつないである。このような橋には他に京橋、新橋があったのだという。なぜ今はないのかというと、関東大震災でつぶれた瓦礫を運河に埋めたためだという。

この橋は19代目で作られてから100年経つのだという。それから、この近くには魚河岸あったところでそれが築地に移ったのだそうだ。魚を船に積んで城のお殿様に献上するのだが、残った魚をさばいたところから魚河岸になったのだという。

まだまだ、いっぱい情報を仕込んだが、そろそろそば屋の話に変えないといけない。今回のそば屋は橋のたもとにある「御清水庵 清恵」(おしょうずあん きよえと読む)にする。越前おろしそばが売りで、ご主人が福井出身のかたで、つまみには福井名物が多くあり、サバの一本焼、へしこ、笹カレイ、かにみそ豆腐などをたべながら呑む。

ちょうど目の前に川と日本橋が眺められいい気分になる。もちろん〆はおろしそばである。おろし汁が辛いといわれていたがぼくにはそんなに辛いとは感じられず、太めの堅麺との相性もよくおいしかった。

最近酒を控えていたせいもありすっかりいい気持になり帰ろうとしたが、ちと時間があったので、銀座「M」に途中下車する。そうしたら、昨夜は普段会いたくても会えなかったNさんとR子さんと顔を合わせる。そのあとも人間国宝のF先生と柳家小里ん師匠とぞくぞくみえて楽しい夜を過ごすことができた。

2010年10月22日

オヤコ定例吞み会(10月)

昨日は、定例の吞み会で行ったのは、代々木にあるタイ料理店「KAOTIP」である。このお店は何度かこのブログでも書いているが、高校の時の同級生S君がオーナーである。代々木駅の西口からすぐなので便利だし、なにより雰囲気がいいので是非訪ねてみてください。

昨日は、午後に水道橋にあるとあるソフトウエアベンダーで打ち合わせがあった。「Kailas」の共同開発のようなことを提案しているのでその話で2回目である。これからも継続的に検討することになった。相手をしてくれているのが若いひとなので張り合いがある。おそらく年寄だったら、そりゃ無理ですよとか言われておしまいかもしれない。

そのあと、吞み会までにだいぶ時間があったので、どうしようかと思って、東京ドーム近辺をぶらぶらしていたら、「野球体育博物館」の案内があるではないか。さっそく、500円の入場料を払って入ることに。野球の歴史や有名選手のユニフォームやグローブ、バット、WBCの優勝トロフィーの展示、過去の試合の映像とかがあって、メインは何といっても野球殿堂である。

ここに1959年から2010年までに殿堂入りされた171人が表彰されています。まあ、懐かしい名前がずらりと並んでいて壮観です。しかし、展示品なんかも含めてわが横浜ベイスターズ(大洋ホエールズ)のものが少ないのにはいささかさびしくなってしまいました。

ということで、そこで時間をつぶして「KAOTIP」です。そこで、息子に近況やぼくが今始めた若手の勉強会でやろうとしていることを見せて感想を聞いたりした。少しずつ成長しているようにもみえ、何事も経験を積んでいくのは大事なことだと思う。

さて、「KAOTIP」は最近、以前からいたシェフがやめてバンコクに帰ったそうで、新しいシェフがやってきました。彼は、チェンマイ出身で、ですからチェンマイ色のある料理を出してくれました。

ぼくはこの店では、いつも自分では頼んだことがなくお任せにしています。昨日も定番の生春巻きやさつま揚げの他にいろいろおいしいものが出てきて息子も感激していました。〆に出てきたチェンマイラーメンはうまかったですよ。酒も、いつものように焼酎で(これがタイ料理に合うのですね)、栗焼酎ダバダ火振と鹿児島の麦焼酎をいただく。

腹いっぱいになって、いつもように銀座の「M」にいく。よもや話をしていたら、柳家小里ん、古今亭志ん橋の両師匠が顔を見せたので、息子も紹介して挨拶してもらう。そうしたら、息子がえらく驚いていた。息子は何回か小里ん師匠の独演会にいっているし、枝雀が大好きの落語ファンなのですごく感激していた。帰りにはこれまた、いつものようにママから塩シャケのほぐしたのを瓶詰でもらって喜んでいた。

2013年8月25日

つねさん

ぼくの家の近くに「鳥つね」という行きつけの焼き鳥屋がある。以前にもこのブログにも登場したので覚えている方もいるかもしれませんが、一本100円(一部150円)の串と豊富な焼酎がお目当ての店である。そこの主人がもう70歳になるつねさんである。この地で開店して来年で40年を迎える。

鹿児島出身で高校を卒業すると千葉県の大きな企業に就職したのだが、途中で退職して焼き鳥屋を始めたのだ。だから、鹿児島の芋焼酎がたくさん置いてある。焼酎を割る水も鹿児島から取り寄せている。多くは地元のお客さんで、ガテン系やヤンキーの方から地元名士の人、有名店のオーナー、芸術系の人、主婦といった幅広い層に及ぶ。知らない人でも隣に座るとすぐに話しだすというファミリーな店でもある。

時には遠くからやってくるお客さんもいる。昨晩も千葉の市川と東京の大塚からきた女性がいて終電で帰っていった。吉田類の「酒場放浪記」で取り上げられたのが自慢で、初めてのお客さんにはその録画を見せるのが常である。昨日のその女性たちに見せていた。ぼくは飽きるほど見ている。

メニューは焼き鳥の他にいろいろあって、にらたまとかやきうどんなどが好まれるのだが、裏メニューがいいのだ。それも、ぼくは中華料理屋みたいだと冷やかすのだが、中華風の料理がうまい。昨日もナスとピーマンの中華風炒めを作ってくれた。

つねさんに驚かされるのは年中無休だということだ。日曜日だろうが祝日だろうが休まないのだ。正月なんぞは鎌倉駅近くのお寺で焼き鳥を焼いている。いったいどうやって休んでいるのだろうかと思う。でもさすがに歳のせいか近頃はお疲れの様子で、いつも飲みながら仕事をしているのだが、閉店近くになると居眠りをしてしまうことがある。客をほったらかしにして寝てしまうのだ。

それと、一人になるのがさびしそうで、ひとり残ってしまうと帰るなとばかり隣に座ってきて一緒に飲むことになる。てな付き合いなのだが、昨日はびっくりした。何気なく息子が死んだとつぶやくではないか。2週間前に横浜で酒を飲んでいて心不全で倒れてそのままだったという。42歳だそうで、将来は店をつがせるつもりだった。この店をどうしようかと溜息をついていた。息子を亡くした日も休まず店を開けたのだという。だから、亡くなったことに気が付かなかったのだ。なんと言葉をかけていいのか分からなかった。がんばれ、つねさん。

つねさん.JPG
寝込んでしまったつねさん


2014年5月18日

お酒の話2014.5

先日、銀座の行きつけの「M」で呑んでいたら、とある社長さんが数人を引き連れて店に入ってきた。同じ会社の人ばかりと思っていたら一人ちょっと異質な若者が混じっている。どうも歌舞伎俳優なのだという。それも、一般から募集して入ったらしい。女形ということでどことなく優美な感じがする。

その社長さんが注文したのが、「ウオッカマーティニー」である。ジンの代わりにウオッカを入れる。ちょうどその日は新宿で「ブルージャスミン」を観てきた時で、その映画でケント・ブランシェットが飲んでいたやつである。確か"ウオッカティーニ"と言っていたと思う。これは大人のカクテルですね。今度ぼくも飲んでみよう。

彼らの一団が帰るとすぐに、ぼくと同じくらいの男の人とその部下らしい若い男女のグループが入ってきてボックス席で何やら大きな声で話して出した。その同年輩の男の人が注文したのが「コークハイ」だった。一緒にいた若者は何のことかわからないようで、一生懸命説明していた。ウィスキーをコーラで割ったもので青春時代によく飲んだなあと言っている。

思わず、ぼくも割り込んでよく飲みましたねえ、それも安いウィスキーでと相槌を打つ。そうしたら急に昔のセピア色のシーンが蘇ってきた。このコークハイたるものを初めて口にしたのは、高校の卒業式のあとに仲のいい友達数人と藤沢駅前にあった喫茶店にたむろしたときのことである。卒業式が終わると何だか大人になったような気分で酒を飲みたくなったのだ。そして、そのときのおいしさと言ったらなかった。

それ以来すっかりコークハイのとりこになってしまった。街の喫茶店だけではなく、友達の家などでもウィスキーとコーラを買ってきて酒盛りをしたりした。それでもけっこう酔っ払うからひどい目にあったこともあった。よく飲んだ仲間にT君というのがいて両親が出かけていることが多いので彼の家で酔いながら熱く語ったりした。ところが、別々の大学に進学するとだんだんと疎遠になって行く。

そんなある日、友達からあいつ自殺しなんだってと聞かされる。一瞬何のことだかわからなかったが死んだことを知る。信じられなかった。コークハイを片手に語る姿がもう見ることができないと思うとやりきれない思いでいっぱいになった。だから、ぼくはコークハイと聞くといつも彼のことを思い出す。

それからというともはやコークハイから、レッドかホワイト、せいぜい角のウィスキーそのものに飲むものは移っていった。そして時々ハイボールを飲むのが粋であった。そのウィスキーもハイボールも影が薄くなって、いまや焼酎やワインが幅を効かせている。そこに復活したのが、ハイボールでありホッピーである。しかし、コークハイが復活することはおそらくないであろう。
  
ウイスキーと焼酎の話が出たので日本酒のことである。ぼくが最近よくいく店に「写楽」がある。ちょっと前にも初めてあった若者と3時まで呑んだ記事を書いたが、ここに来るといつも午前様になる。その後もその若者がくれた連絡先のメモがへたくそな字で判読できなかったので名刺を置きに行ったらまた午前2時だ。名前から探したFacebookにメッセージを入れたのに見ていないようだ。

ここは主人が仕込む日本酒の銘柄がありきたりのものではなく珍しいものも含めて豊富に揃っている。そして食べ物に合わせて選んでくれるからうれしい。しかし、最近ぼくが呑む酒が決まっている。「和田来」という酒である。山形県鶴岡の渡会酒造のものなので「わたらい」と読む。「田」からとられたお米を原料にした酒で「和み」がやって「来る」ことを願って命名されたという。ちょうどぼくが来るのを待っていてくれるというわけである。これは呑まないわけにはいかないでしょう。
 
和田来.jpgのサムネイル画像
  

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