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演芸・演劇 アーカイブ

2006年9月23日

柳家小里んを知っていますか

池袋演芸場で柳家小里んの独演会があった。演目は「首提灯」と「子別れ」。両方とも面白かったが、人情噺の「子別れ」がよかった。味がでてきていい感じになってきた。小里んさんは年2回の独演会と東西三人の会といって、笑福亭松喬さん、古今亭 志ん橋さんと一緒の落語会をやっていて、ぼくはだいたい行くことにしている。柳家小里んはかの有名な5代目小さんの弟子で小せんや小三治、今度6代目小さんを襲名した三語楼(5代目小さんの実子)らの弟弟子にあたる。風貌が先代小さんに似ていて小さんの弟子以外なにものでもないと思える。

実は、ぼくは小里ん師匠(呼び方がだんだん変わってくる)とたまにですが、行きつけの店で隣あわせで呑むことがある。ぼくは基本的にはひとりで呑むことにしているが、師匠もひとりでやって来る。歳もほぼ一緒くらいなので(師匠が一つ上)、けっこう話が合って、いつも楽しいお酒になります。落語もブームみたいでけっこうお客さん来るようになって喜んでいましたが、特に若いひとが増えてくるのはいいのだけど、「長瀬君はいつ出てくるの」と言われてびっくりしたという落語のような話もしてくれます。

よく世の中狭いなあと言いますが、この店でもおもしろいことがあって、あるとき2~3回くらい一緒になったひとでHさんというかなり高齢のかたがいて、何回目かに世間話をしていたとき住んでいる場所の話になったんですが、何とそのひとはぼくのうちから200mくらいしか離れていないところに住んでいたのです。まあ、こんな話や何回か一緒に呑んでいたんだけど実は同級生だったということがあとで判明したといったたぐいの話も聞くことがあります。

さて、小里ん師匠のことですが、あるとき小さんの剣道の話になって、5代目小さんは北辰一刀流剣道7段の腕前なので弟子には剣道を習わせたということや小さんの剣道の先生に鈴木先生という師範がいたなどの話題となった。そこで、世の中狭いなあという話です。

ぼくは、昔サッカーをやっていて、高校生のときの顧問の先生が鈴木中先生といって少し前まで神奈川県のサッカー協会長をやられた方で、このあいだのドイツのワールドカップも自分でツアーを組んで行ってしまうほど元気な方なのですが、その先生のお父さんがかの鈴木師範だったのです。ということで、小里ん師匠とぼくは同じ鈴木先生の孫弟子にあたるということがわかったわけです。もちろんさらに酒が進んだのは言うまでもありません。

追っかけではありませんが、これからも柳家小里んの落語を見守って行こうと思います。よく、志ん朝と同時代に生きられて幸せだったとか言うように、確かに落語というのはあとでCDで聞くこともできますが、リアルタイムに高座を見て聞かないとほんとうのよさはわかりません。誰か好きなあるいはこだわる落語家をみつけその噺家を軸に落語全体をみていくというのも悪くないと思うのでお薦めです。

2006年12月22日

居残り佐平次

恒例の「柳家小里んの会」に池袋演芸場まででかける。今回の演題は「居残り佐平次」と「猫の災難」。最初の「猫の災難」で酔っ払いを軽妙に演じ笑いを誘ったあと、「居残り佐平次」は品川の遊郭に居残り覚悟で遊びに上がる話で、これは病んで身体の具合がよくない佐平次が、捨身というか開き直った軽やかさが肝のところなのだが、ここに若干不満が残る。落語というのは、角度を変えると残酷であり、極端な言い方をすればいじめがあり、与太郎がバカだチョンだとさんざん言われるわけで、それを笑いとばしてしまう乾いた明るさがいいところなのだ。そこには、“開き直り”というか、何というかある種の諦念があるような気がする。ここの表現が落語の芸であるというのは言い過ぎだろうか。ここで小里ん師匠にあえて言わせてもらえば“けつをまくる”感じがほしい。まじめなんですね。

実は、この「居残り佐平次」を題材にした映画がある。1957年の日活映画で川島雄三が監督した「幕末太陽傳」で、この「居残り佐平次」の他にやはり「芝浜」、「品川心中」という落語からネタをもってきた作品である。

この映画で主人公である「居残り佐平次」を演じたのがフランキー堺である。今の若い人は知らないでしょうが(リリーフランキーのおじさんではありませんよ)、フランキー堺というひとは元々ジャズドラマーですが、映画、テレビ俳優として活躍し、多くの作品に登場していますが、ぼくはこのひとは「私は貝になりたい」と「幕末太陽傳」につきると思う。名前と顔つきからバタ臭いイメージのキャラクターをもって逆に日本的な日本人を演じる面白さが印象的だ。特に「幕末太陽傳」における、“人生深刻ぶるなよなあ”みたいなノリの演技は秀逸であったことを思い出した。ともかくこんなことを考えた落語会であった。

ところで、小里ん師匠の弟子で今回も助演している柳家麟太郎が、来年「柳家麟太郎の会」というのを蒲田でやるというチラシをもらった。うれしいじゃありませんか。みなさん応援してやってください。

2007年3月 3日

テレビ東京

テレビ東京がおもしろい。このテレビ局は、年寄りとサラリーマンにターゲットを絞っているようだ。懐メロや温泉めぐり、鑑定団を放送するかと思えば、かたやWBS、カンブリヤ宮殿とかガイアの夜明けというように、年寄りが好むものと経済の話を中心とした企業人向けに見るべきものがある。

歳を食った一応勤め人であるぼくにとっては、ここのチャンネルに行くことが多い。で、ちょっと前になるが、先週の日曜日の夜は楽しかった。日曜日だから経済の話ではないが、懐かしい人たちのオンパレードであった。

まず、日曜ビッグバラエティで「昭和を駆けたスター同窓会」というのがあって、メキシコ五輪で銅メダルをとったサッカー代表やベルばらの宝塚歌劇団、俳優座、西鉄ライオンズなどで活躍した人が、集まって同窓会を行うという企画。若い人はなかなかわからないと思うが、かれらはみなぼくらにとっては憧れでもあり、ファンとして一緒に少年期、青年期を過ごしたのだ。

特に、ぼくのうれしかったのは西鉄ライオンズで、ぼくは小さいときは野球少年だから、稲尾や中西、豊田、大下、仰木らのプレーに酔ったのを鮮明に覚えている。この放送で何がうれしかったかというとよく稲尾だとか有名な人はちょくちょく顔をだすが、そうではなかった準レギュラーであったとか控えであったという渋い選手が登場したことであった。河野、滝内、和田、梶谷とかいった人が出てきてすごくなつかしかった。

そのあとに、「ソロモン流」という番組でマイク真木の登場です。もう“バラが咲いた”一曲で一生食っていけるという、それだけこの曲はすごかった。単純な歌詞と曲でそこまで売れるとは思っていなかったのだが、結局、フォークソングブームに火をつけたわけで、その時代の新しいスタイルを提示したことが大きいのじゃないだろうか。ぼくも当然のようにギターを買い“バラが咲いた♪バラが咲いた♪”と唄ったのであります。

続いて、「みゅーじん」という番組では中村雅俊です。彼はいまだに人気が衰えず、毎年コンサートも開き、最近では舞台でもがんばっている。ぼくと似たような年齢だから、昔からずっと等身大のタレントとしてみてきた。最も印象的だったのは「俺たちの旅」というテレビドラマで確か日曜日の8時からだった思うが、毎週見ていた。カースケというのを中村雅俊が演じていて、他に田中健とか秋野太作(当時は津坂まさあきと言った)が出演していて、若者たちの友情や悩みなどを軽やかに描いていて、ぼくらは自分たちを重ね合わせて共感し、また勇気をもらったりしたものだ。

そんな中村雅俊が突然五十嵐淳子と結婚したときは、ぼくを含めて多くの男たちが嘆き悲しんだ。今の人は知らないでしょうが、「阿寒に果つ」という映画で観た五十嵐淳子(当時はまだ五十嵐じゅんと言った)は、もう言いようのない可憐さであった。もう許してあげるは中村君。

中村雅俊は、芝居と歌というようにマルチで活躍している。マイク真木もそうだが、こうしたハイブリッド型のシニア世代がどんどん出てきて残りの人生を謳歌するのを見せてくれることはいいことだ。 ということで、テレビ東京で昔のことを思い出しながら、ビジネス番組でなんか商売のネタになるようなことはないか探しているのです。



2007年3月22日

落語のあとの落語のような話

昨日、恒例の「第30回 柳家小里んの会」があった。昼間にお墓参りをして、そのあとで池袋演芸場まででかける。お彼岸の1日としてはなかなかいいでしょ。

今回の演題は、「花見の仇討ち」と「明烏」。いずれも定番の演目で、「明烏」は8代目桂文楽の十八番。桂文楽の話を聴いたかどうか忘れてしまいましたが、柳家小里んも文楽とまではいかないまでも、品よくまとめていたように思える。ただ、時間が短かったせいか、若旦那と花魁の絡みがあまり描かれなかったのがちょっと物足らなかった。でも、相変わらずぼくらを楽しませてくれる話芸は健在だ。

昨日は休日だったので、ほぼ満席に近かった。やっぱり、お客さんも多いと熱気みたいなものが感じられていい雰囲気になる。

平日だと仕事の関係で来れない人がいるわけで、再三登場のぼくの行きつけのバー「M」のマスター夫妻、Kちゃん、お客さんのIさんなど顔見知りの人が何人か今回は休日なので参加です。「M」のママから缶ビールの差し入れがあり、それを呑みながらいい気持ちになったのであります。

それが終わってから、やはり一緒に聴きに来ていたWさんと彼の彼女のS子さんと3人で近くの居酒屋で呑む。時間がなかったのであわただしかったのですが、楽しいおしゃべりの中で、いつも指摘されるぼくの弱みをまた言われた。「wadaさん絶対脇が甘いよね」。そう言われても直らねえんだよ、あたしゃ。(急に落語調になる)

で、遅くなったので急いで池袋駅に行って電車を探したがうまく時間が合わず。まあ、大船に着いたらタクシーだなとあきらめて、直通の湘南新宿ラインに乗る。ところが、大船駅に近づくと待てよ、ひょっとしたらモノレール終電に間に合うかもしれないということで走ったのです。これがいけなかった。なんと、改札口寸前でコケた。どうなったかというと、手をひろげ左脇腹から落ちてひねったのだ。無茶痛い、でもみんな見ているから何もなかった振りをしてモノレールに乗り込み帰ってきたが、今もちょっと動くと痛い。

おお「あたしゃ確かに脇が甘い」!

今回も、ちょっと先ですが「柳家麟太郎の会」の案内をもらいましたのでお知らせしておきます。
日時  :平成19年5月17日(木)午後6時半開場、7時演
場所  :御園神社  大田区西蒲田7-40-8
入場料:前売 1,000円(当日 1,300円)
問合せ:西蒲田七丁目御園町会   090-3064-7272 桑田
     御園神社  03-3735-5096 鈴木

2007年4月18日

東西三人会

一昨日、国立演芸場に32回を数える「東西三人会」を聴きに出かける。東の柳家小里ん、古今亭志ん橋、西の笑福亭松喬の三人の落語会のことである。

さて、演目は、小里んさんが「不動坊火焔」、志ん橋さんが「船徳」、松喬さんが「佐々木裁き」でそれぞれ熱演した。3人は人気落語家というわけでもないが、油の乗り切ったところで(年齢的には、小里んさんを挟んで三歳ずつくらい違うんじゃないかな、若い松喬さんも確か55歳かな)、こうした落語会で多くの古典落語を披露してくれる。

今回も、「不動坊火焔」での幽霊、「船徳」における俄か船頭の若だんな、「佐々木裁き」でのとんちのきいた子どものそれぞれの演じ方がすごくよかったように思う。

寄席や独演会もいいが、こうして対応の違った三人三様の噺をたっぷり聴けるというのはありがたい。落語はなんといっても聴いたあと心持がよくなるのでうれしい。

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2007年9月15日

ラジオデイズ

『ラジオデイズ』という「声」と「語り」のダウンロードサイトが昨日オープンした。このサイトには、「文芸」「話芸」「対話」の3つの街(カテゴリ)があり、そのなかから好きな作品を選びダウンロードできるというもの。

文芸というのは声のエッセーとか詩の朗読です。話芸はだいたいが落語ですね。そして、対話は対談とインタビューといったところです。いまはオープン記念ということで、本来なら有料のコンテンツが無料のキャンペーンをやっている。ぼくも早速、柳家小ゑんの「フイッ」をダウンロードして聴いてみる。

インターネットでもポッドキャスティング落語だとか、インターネット落語会などあり、これらは映像もあるのに無料なので、声だけで有料かよと言われるかもしれないが、ここは精選された人の作り出すコンテンツが勝負だろう。

精選された代表的な人として、小池昌代といま旬の内田樹が「文芸」と「対話」に登場している。

実は、このラジオデイズが始まるのは前々から知っていた。ぼくは、本か映画かもう忘れてしまったが、それについてコメントしている人を追いかけていたとき偶然に内田樹のブログに行き当たって、それ以来ずっとブックマークしている。そこに友達の平川克美という人が出てきて、そのひとのブログも同様に愛読していた。そこにラジオデイズの話がでてくる。この人が企画して立ち上げたサイトなのだ。それで楽しみにしていた。

ところで、かれこれ3週間くらいまえにこのラジオデイズからぼくのブログ宛にコメントをもらいました。内容はリンクを張ってくれということで、どうもブログで落語のことを書いている人に頼んで歩いたようだ。だから、このブログの右下にリンクを張ってあります。是非訪問してあげてください。

別にぼくが平川さんのブログを読んでいたから依頼が来たわけではないのに、つながってしまう面白さを実感したのであります。この“つながり”が良くも悪くもインターネットの大きな機能であり、効用であるのだ。

2008年6月22日

柳家小里んの会

ここのところ都合が合わず行けなかった柳家小里ん師匠の池袋で行なわれた独演会に行く。

昨日は土曜日だったので銀座の「M」のマスタ夫妻も来ていた。師匠は「M」の常連なのでマスタ夫妻は時間がとれれば顔をだすことになっている。先に来ていたマスタからいつものように缶ビールと柿ピーをいただいて席につく。

昨日は珍しく(怒られるかな)かなり込んでいた。柳家麟太郎のまくら言葉だと、空いている席以外は満席だった。いやいやほとんどが埋まっていた。

今回は、大阪から笑福亭松喬さんがゲスト出演。松喬さんは、定期的に「東西三人会」というのを小里んさんと古今亭しん橋さんでやっていて、今新宿コマ劇場の中村美律子の公演に出演しているのだが、時間がとれたので参加したとのこと。

「東西三人会」はいつもホール落語だから、昨日のような寄席だとまた雰囲気が違う。だから、じっくりと二人、というか上方との比較ができた。

「ネタは全席当日のお楽しみにさせていただきます」というふれこみだったので、どんな演目になるかわからなかったが、松喬さんが「花筏」を演じたあと、最後に小里んさんが「蜘蛛駕籠」で締める。

二人の演技は対照的で松喬さんのちょっと枝雀を意識したダイナミックさがおもしろかったが、いっぽう小里んさんも師匠にしては結構動きのある演題だったが、やはりじわっとくる笑いを撒いていた。やはり落語は寄席だなと改めて思った。

帰り際に、昔「M」の女性バーテンダーだったYちゃんと久しぶりに顔を合わせる。結婚して子供がもう1歳になるという。懐かしさも味わえる、すごく楽しい落語会であった。
 

2008年11月29日

R-1グランプリ?

「NHK新人演芸大賞」の落語部門の大賞を三遊亭王楽が受賞した。この賞は、東京でいう二つ目の落語家(関西にはない)が対象ということで、王楽は来年真打になることが決まっているので今年が最後のチャンスだったのを見事大賞を射止めたことになる。

下記が最終審査に残った5人とそれぞれの最終演目である。

桂まん我『野ざらし』
古今亭菊六『やかん』
三遊亭王楽『鼓ヶ滝』
笑福亭喬若『青菜』
立川志らら『壺算』

さすがに最終審査に残っただけあり、力のある若手ばかりである。M-1グランプリならぬR-1グランプリといった趣であるが、敗者復活から這い上がるということはないようだ。

これを見ていてふと思ったのは、漫才との違いである。演者が一人と二人という当たり前の違いはもちろんあるのだが、個性の出方の差がある。落語の方が多様なタイプがあるが、漫才は比較的同じタイプになってしまうように思える。ぼけと突っ込みというスタイルがすでに2つの個性を生んでしまうためで、その点落語は、ぼけタイプもありだし、突っ込みタイプの落語もある。

今回の大賞候補の5人もみな違ったタイプである。だから、それぞれを比較してどれが一番なのかが決めずらいのだ。

またまた、サッカーの例で恐縮だが、泥臭いストライカー、技巧派のミッドフィルダー、屈強なディフェンダー、汗かきのボランチを比較して、誰が一番優秀な選手かと問われているようなもので、答えがでないのと同じである。

ぼくは、古今亭菊六、笑福亭喬若、三遊亭王楽の順だと思ったのだ。王楽の落語は玄人受けするかもしれないが、はたして面白いのかというと首をかしげるかもしれない。

だから、評価基準ごとに3つくらいの賞にしたらいいのじゃないのかと思うが、やっぱり一番を決めたいのでしょうね。

2008年12月23日

文七元結

おととい池袋演芸場で開かれた柳家小里んの独演会に行く。もう37回目になる。今回の演目は珍しく人情噺の「文七元結」である。

小里ん師匠もまくらで自分は人情噺は好きでないと言っていたが、林家正蔵(前のこぶ平)にあるとき何気なしに「文七元結」でもやるかと言ってしまったらしい。そうなると、言ってしまった手前引っ込めるわけにはいかない(これは、文七元結の長兵衛の心持ちと同じだ)のでやることになって稽古をしたらしい。

ところがそれを披露する落語会が中止になってしまって、そのまま止めるわけにはいかなかったので今回の独演会でやることになったらしい。

この落語は三遊亭圓朝作の大ネタでこれまでも大物が演じた題目で、そんなところも小里ん師匠が敬遠していたのかもしれない。

おとといは日曜日であったので、銀座の「M」(ここは小里ん師匠も常連客のひとりである)ご一行様がすでに一画を陣取っていた。時々顔を合わせる落語好きのMさんも来ていた。暗いところの隣に座ってくれないとわかからないなあと冷やかされてしまった。

いつものようにマスタからビールとつまみの差し入れがあって、それを飲みながら開演を待つ。

始まる時間が夕方6時からであったが、これがまたポスターは6時になっているが、前売り券は6時半になっていた。それを金曜日にマスタから間違えないように電話が入ったので、てっきりたっぷり時間をとってやるのかと思ったら、そうではなくて単に間違えたみたいで、急遽前座の女性落語家の噺をいれたみたいだ。これまた落語みたいなな話である。

柳家小里んの人情噺もいい。人柄の良さを出すには、かえって滑稽噺よりこうした人情噺のようが合っているのかもしれないと思ってしまった。

「文七元結」はご存知のように、バクチばかりで借金だらけの左官の長兵衛だが、その江戸っ子としての気概を面白おかしく演じるものだが、その前に演じた麟太郎も借金の取立ての噺がでてくるように、この今の世知辛い世の中を反映しているような気がして、身につまされる思いがする。

それこそ、こんな時期だからこそ落語を聞いてそんな気分を吹っ飛ばしたいものだ。落語の登場人物というのは貧乏を楽しんでしまうようなキャラクターが多いのできっと勇気をもらえると思いますよ。
 

2009年6月22日

船徳

昨日は、恒例の柳家小里んの独演会に行く。ただし、今回は伯母さんの葬儀が終わってから出かけたので最後の演目である「船徳」しか聴けなかった。

伯母さんというのは、僕の母親の姉で享年93歳なので大往生といったところである。4年前に大腿骨を骨折してしまい動けなくなったので施設に入っていたのだが、先週の木曜日の朝、係りの人が起こしに行ったら息がなかったという。ですから、何にも苦しまずにすうっと心臓が止まったようだ。こういう死に方はいいなあ。

伯母さんの家は茅ヶ崎なので、そこで告別式を行い火葬して、近くの海前寺というお寺で初七日の法要と精進落しをして、いとこの車で辻堂に送ってもらってそこから池袋演芸場に駆けつけたのである。

今回の独演会は、下の息子と一緒に聴くことになっていて、中入りで合流する。そしたら、息子は行きつけの銀座の「M」のマスターの隣にちゃっかり座っていた。いつものようにママやKちゃんなど「M」ご一行様も来ていた。

小里ん師匠の「船徳」はいい感じで楽しめた。以前、「東西三人会」で古今亭志ん橋師匠が同じ演題で噺したが、また違った小里んさんの味が出ていてよかった。この手の噺は合うのかもしれない。

終わってから、息子と定例呑み会に切り替えて一緒に近く居酒屋にいく。息子は最近落語にはまっていてCDで枝雀や志の輔を聴いているようだ。そんな彼が感激していた。新宿末広亭の定席には行った事があるが、こうした独演会は初めてだったので、定席寄席の短い噺と違ってこうしてじっくり聞くと感動したようだ。

彼曰く、落語というのは、プレゼンテーション能力を磨くのに役にたつという。まくらで聞いている人の気をひきつけ、身振り手振りでわかりやすく、ときに笑いをとってぐいぐい自分のペースにもっていき、最後にオチをいれる。こうした落語の“聞いてもらえる技術”がいいのだという。なるほどと思ってこちらが勉強になった。

それやこれやの話題であっという間に時間が経ち帰りの途についたのであります。日曜日だったので湘南新宿ラインもがらがらでゆったりとして疲れなかった。これから日曜日に呑むのがいいかなと言ったら、息子は“明日ぼく仕事ですよ”と軽くいなされてしまった。
 

2009年9月13日

柳家小三治一門会

あまりホール落語というものに行くことはないのだが、平塚市民センターホールで小三治一門会があるというので近くということと、柳家小里ん師匠も出演するというのででかける。そして入場券を小里ん師匠から手に入れたので、前列のど真ん中の一等席であった。

実は、小里ん師匠は、最初小三治さんのところに弟子入りをしたかったらしい。しかし、まだ弟子をとらないといわれて、五代目小さんの弟子になったといういきさつだそうだ。だから、今でも小三治を師匠と思っていて、一門会で演じるのだろう。

その他、昨日の出演は、〆冶、はん冶、三三、ろべえ、それと奇術の花島世津子。のっけに小三治自らが登場してびっくりする。そして、登場してなんと唄いだしたのである。その歌は、フランク永井の「公園の手品師」である。寡聞にして知らなかったが、小三治師匠が好きな歌だそうで、しかもフランク永井もすごく気に入っている歌である。

そんな形で始まったが、小三治師匠が唄い終わって話はじめたとき、突然携帯の着信音が響く。なななんとぼくのポケットで音がするではないか。マナーモードにしたはずだったが、なぜかそうなっていなくて社長(息子)から電話がきた。恐縮。あわてて切ったが、案の定小三治師匠に絡まれる。

でも、すごいのは全部笑いにもっていく。携帯の音はどうせならみんな鳴らしてしまえ、そのかわり演者の意欲はなえていくという話からはじまって、最近は、新しいホールでは、携帯が通じないようにしていると言ってから、この市民ホールは風も電波も素通りだと落していた。さすがの名人芸である。

あれえ、前置きが長くなった。これを落語では“まくら”という。このまくらが長い落語家の筆頭は小三治でしょう。それだけで高座を終えたこともあるし、以前紹介したように本も上梓してしまうほどだ。

今回も、フランク永井ネタでトリの高座のマクラを演じ、そしてそのゴルフネタから、釣りときて、野ざらしの一席である。もうしっかりと聴衆の心をつかんでいるので、無理に笑わすこともせずに、もうその一挙手に湧いたのであります。

それは、多分一門会の全体のストーリーを頭の中で描いてそれを演劇のようにディレクションしたように思う。寄席と違うのはそこで、一演者としての存在と“落語ショー”をどう見せるかは違うように思うのである。

そういう意味で考えるのは、小里ん師匠のことである。昨日も小三治の前にあがったが、わりと遠慮がちに地味に演じていた。もう少し、おのれを主張してもいいように思えた。他の出演者では、柳家三三(さんざと読む)がいい。小田原生まれの35歳だが、いい味を出していた。

久しぶりのホール落語で笑わせてもらった。しかし、お客さんはみなぼくらの世代ばかりで、だから若い人が知らないフランク永井ネタが受けていたのである。最近は多くなったとはいえ、もっと若い人も落語席に足を運んでもらいたいと思ったのである。

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2009年12月22日

柳家小里んの会

年も押し迫ってからの第41回「柳家小里んの会」である。しかも平日だったので、お客さんの入りはどうなのかなあと思ったが、池袋演芸場はほぼ満員であった。だいぶ固定客が増えてきたようだ。

演目は、「うどんや」ともう一席は“暮れのお楽しみ”となっていた。要するに何を噺すかあらかじめ決めておかないで、その場で決めるという。でもこれって寄席では普通である。

ちょっと前に「落語論」という本について書いた時も言ったように、落語というのは、本来タイトルがない。なぜかというと、その時、その場でマッチする噺が変わるからである。

簡単に言えば、「うどんや」は夏にはできないのである。真夏の暑い日に熱いうどんをふうふう言って食べるわけにはいかない。また、寄席なんかでは現実的に前に上がった人がやった噺は繰り返せないから前もって決めておくわけにはいかない。

昨日は、そのお楽しみは「山崎屋」であった。この話は「山崎屋」という鼈甲問屋の若旦那が吉原の遊女にいれあげてしまい、それを番頭が一計を案じその遊女を嫁にしてしまうという噺で、小里ん師匠お得意の?吉原の話である。

この吉原のことは今の若い子はぜんぜん知らないだろうということで、まくらでこの辺の説明を入れてくれる。終わってから行った小里ん師匠もよく行く「M」のバーテンのかおりちゃんも説明してくれないとわからないと言っていた。

なぜ演目を決めていなかったのかということに対して、師匠は、この噺は長いので覚えられるかどうかわからなかったから、あえてそうしたと言っていた。そのせいかどうか知らないが、いくぶんかむところも多く、“こなれ”が足りないように思えた。

しかし、このように新しいことにチャレンジする姿勢はたいしたもので感心する。もう一方の「うどんや」では、地で?演じる酔っ払いは秀逸でさすがだと思った。

2010年6月22日

柳家小里んの会

昨日、池袋演芸場で「第43回柳家小里んの会」があった。3か月ごとに行われるが、前回は行かれなかったので久しぶりの独演会である。今回は、下の息子との月例吞み会でもあったが、池袋に近い飯能に住む姉夫妻をお誘いする。そうしたら、これまた姉の娘も行きたいということで総勢5人で聴くことに。

この娘(ぼくの姪)は来月末が出産予定日という妊婦である。そんな時に出てきていいのかと言ったら、子どもができたら行けなくなるから今のうちに行くのだという。

さて、座席はほぼ満員の盛況で、出し物はおなじみの「とてちりてん」と「大山詣り」の2題。どちらもわりと明るくにぎやかな感じなので胎教にもいいだろう。

もちろん小里ん師匠も安定感がある高座でいつもながらの笑いを楽しむ。池袋演芸場は広くないから、雰囲気が内輪の集まりといった感がありとても家族的である。こういう会はかなりのひとがリピーターというかおなじみさんだから、そういうことでもいい空気が流れる。

ということで、たっぷり落語を堪能した後、5人で近くの居酒屋で食べて呑む。皆とは時々会っているのだが、話が弾んでいつのまにか10時を過ぎてしまったのでお開きにする。おおー、ぼくが一番遠いのだ。

それで、湘南新宿ラインで帰るか迷ったが、丸ノ内線で東京駅まで出てそれから座って帰ることにした。それで、池袋駅で丸ノ内線に乗ったらなんと小里ん師匠が独演会にも来ていた友だち数人と一緒に座っているではないですか。

「ありゃあ、師匠これからどちらまで」「銀座の「M」までなんで一緒にいきません」「いやー、もう遅いから帰ります」「こいつらとカラオケ楽しみますわ」「では、マスターによろしく」てな会話をする。ぼくと師匠は銀座の「M」が行きつけで時々そこで顔を合わせることがあるのだ。

いやー、楽しい一夜であった。たまにはこうした生活のアクセントみたいなことを入れるといいですね。

2010年12月23日

柳家小里んの会&オヤコ定例吞み会

下の息子との定例吞み会の12月例会を柳家小里ん師匠の独演会と絡めて行うことに。この「柳家小里んの会」も数えて45回目となる。今回も場所はいつもように池袋演芸場で、演目は、「宿屋の仇討」と「短命」である。

このうち「短命」という噺は、17,8分と短い噺なので、師匠の出番の前にしゃべる弟子の柳家麟太郎にいつもより長く30分話してこいと言ったのに、20分で終わらしてしまったらしい。そうしたら、師匠が登場したらいきなり、これじゃあ早く終わっちまうのでもう一席短い噺を入れますと言って、「長短」という噺をしてくれる。

まあ、当たり前といえばそうなのかもしれないが、とっさに、しかも「短命」にひっかけたような噺をいきなりするのでさすがと思う。いつものように楽しい会で本格的な落語を堪能する。ただ、「宿屋の仇討」のさげでちょっと噛んでしまったのはいただけない。

あとすごくおもしろかったのは、まくらで海老蔵事件について言った言葉が「たかが河原乞食とやくざのケンカじゃねえか」。これは受けましたね。お客さんがみな拍手です。

終わったあとは息子とすぐ近くの「うな鐵」で呑む。ぼくも息子もしばらくウナギを食べていなかったので、久しぶりに舌鼓を打つ。串焼きとう巻でビールと芋焼酎。串焼きもいろいろな部位のものが味わえて酒も進む。

息子は来年の2月に香港でフルマラソンに出るのだという。そのため前の休みの日に富士スピードウエイで行われたハーフマラソンを走ったらしい。記録はと聞くと2時間ちょっとだった。おいおいそんなでフルマラソン走れるのかとひやかしたが、さて本番はどうなるのだろうか。

そしていつものように仕事の話も混じえて近況を聞く。そこで出てきた話で思わず握手してしまったのは、What to do とHow to do の違いのことである。大事なのはHow to doではなく、What to doのことであるという意見で、それには同意と叫んだのである。

彼は、コピーライターをめざして「宣伝会議」のコンテストの最終に残ったりしたこともあって、そのコピーについて、ついその言葉使いのようなHowにこだわってしまう人が多いのだが、ほんとうは何を訴えたいかのWhatがすごく大事なのだと言っていた。

このことは、ぼくもよく言っていることだなのだが、システムもどう作るかの議論にすぐになるのだが、何を作るかの「何」が間違っていたら、いくらいい作り方をしてもどうにもならんと思っていたので、大いに共感したのである。

ウナギの串のあとはサラダと豆腐で一旦うなぎから離れ、そのあとうな重を食べて池袋を後にした。落語とうなぎと親子酒で“落語”のような楽しい一夜であった。
  

2012年4月20日

東西三人会

ここのところ仕事のほうが忙しくて、映画館にも足をはこんでいない。ましておや、落語会もだいぶご無沙汰していた。昨日はやっと一段落したので久しぶりに国立演芸場で行われた「東西三人会」に出掛ける。この三人というのが、東が柳家小里んと古今亭志ん橋、西が笑福亭松喬である。今回が46回目というからかなり長く続いている。

しかし、今回は特別かもしれない。松喬さんが病気入院後の復帰戦だからである。先月の大阪での「東西三人の会」をスキップしたのである。昨年末に肝臓がんがみつかり、抗がん剤の治療を行っている最中である。4月10日に3度目の入院から退院してきたばかりである。

ぼくは、この話は「M」のママから聞いていたので驚きでもなかったが、昨日のマクラでこの話をしていた。実は、けっこう深刻な話なのだが(何しろ末期がんとまで言われたそうだが)、それを笑い飛ばす姿にはさすが芸人と大きな拍手が響いた。診断結果を奥さんと病院に行って医師からあなたのヨメーはもうないかもと言われて、「せんせ、ヨメここにおます」と言ったとかで、本当は笑うところではないのかもしれないが声を立てて笑ってしまった。

師匠曰く、がんに勝つためには免疫力を高めることが大切で、それには笑うことが一番だと言った後、つまらなくても笑ったほうがいいですよと落としてくれた。その松喬さんは、笑福亭の十八番ということで「富くじ」を演じた。病気療養中と言いながら、声にもはりがあり、相変わらずのノリで楽しませてくれる。

小里ん師匠は今回は先鋒なので、軽く「提灯屋」で相変わらずの調子で聞かせてくれる。ここのところ独演会にご無沙汰していたので久しぶりだったが、だんだん円熟味が増してたようだ。小里んさんと松喬さんの間に林家正楽の紙切りが入って、別のなごみがあっていい感じである。

トリは古今亭志ん橋師匠の「柳田格之進」である。こちらのほうは、古今亭のオハコで志ん生、志ん朝の得意とするところの人情話である。これを志ん橋さんが1時間じっくりとしゃべった。笑いも少なく講談に近い噺であるが、こういうのもいいものだ。ということで、三人三様のネタでそれぞれの特徴が出ていてなかなかいい落語会であった。まだまだ松喬さんにがんばってもらい続けてほしいと思う。
  
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2013年3月22日

久々の小里ん

このところしばらく何だかんだと都合が悪き遠ざかってしまった柳家小里ん独演会にいく。会場はいつもの池袋演芸場で椅子席も出る盛況である。以前は、空席もあったのだが最近ではいつもこんな状態だという。小里ん師匠はぼくの一学年上だから、同じくらいの年代が多い。いつものことだが師匠の学校の同級生とか幼なじみみたいな人たちも見かける。

前座の子は落ち着いていてまあまあの切れでいいところにいくかもしれない。そのあとに登場したのが 古今亭志ん吉である。いつもなら、小里ん師匠の弟子の麟太郎なのだが前回もそうだが今回も欠席だ。どこか具合でも悪いのだろうか。志ん吉は古今亭志ん橋さんのお弟子さんで、志ん橋師匠は年2回、関西の笑福亭松喬さんと小里んさんと3人で東西三人会というのやっている関係で登場したのだろう。

小里ん師匠も自分の最初の噺のマクラで、麟太郎と志ん吉をトレードしようかと思ったという話をして、それが成立するには、麟太郎プラス金銭が必要だといって笑わせていた。それはそうかもしれないと言ったら師匠に怒られてしまうが、志ん吉は本人は酒をそんなに飲む法ではないといいながらも見事に酔っぱらいを演じていた。いやあ、そうは言っても最近の麟ちゃんの成長もたいしたものですよ。

出し物は、「ろくろっ首」と「お直し」で後の話は廓話で自分は得意だと言っていたが、吉原が消えたのが昭和33年だから、彼は知らないはずだから、願望を言っているだけかもしれない。また怒られそうだ。この噺は、お茶をひくだけになってしまった元花魁と今でいう客引きの男が所帯を持つという筋なのだが、ぼくはこの夫婦のやりとりが師匠のよさのひとつだと思いだした。おそらく、ぼくもそうなのだが、このくらいになると夫婦の機微がなんとなくわかるということなのかもしれない。今度本人から聞いてみたいと思う。

ということで、落語を堪能した夜であった。やはり、芸は人間性がでるのであって、案外どういう人間が好きなのかで贔屓が決まるのかもしれない。ただ、ぼくは生の師匠を知っているかもしれないのであって、おおかたの人はテレビや週刊誌からの情報で判断するから、そういった場合は虚構が作られるからニセの人間性を信じてしまうから注意したいものだ。以前、小里んさんから聞いた立川談志異話を思い出したからである。
 
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2013年6月22日

小里んの会

昨日は、池袋演芸場で「第55回柳家小里んの会」にでかける。少し早めに着いたので、時間をつぶそうと思ったがまあいいやと思って入場すると、すでに8割方が埋まっているではないか。以前では考えられない。でもここのところ客さんの入りは毎回増えている。結局、始まる時には椅子席を含めてほぼ満席となる。

前座の子に続いて、ここのところ続けて助演している古今亭志ん吉の噺。彼は古今亭志ん橋さんの弟子で二つ目である。小里んさんと志ん橋さんは同期で仲がいいので起用されているようだ。そのマクラで住吉踊りの話をする。住吉踊りというのは昭和53年に古今亭志ん朝が八代目雷門助六が継承していた伝統芸を寄席で披露したもので、毎年8月11日から浅草演芸ホールで行われる。

小里ん師匠はそこに参加していて、バック転をするので驚かれるのだ。それもそのはずで師匠は高校時代器械体操の選手だった。ぼくの行きつけの店で隣り合わせになるとよくその話をしてくれる。ところが、師匠もぼくのひとつ上だから、さすがにバック転もできなくなって、ここしばらくはバック転なしの住吉踊りだったそうだ。そこで白羽の矢がたったのが古今亭志ん吉さんで、小柄で痩せていたからという理由だけでバック転をやらされるはめに。そんな話で盛り上がる。

演し物は、「二十四孝」と「お神酒徳和」。最初の噺は、大酒飲みの八五郎が母親をクソババアと呼ぶほど親不孝者だが、それをみかねた大家がご隠居に説教をたのむ。ご隠居は唐で言い伝えられる「親孝行することの大切さ」が書かれた「二十四孝」を教えるが、ちゃんと理解していない八五郎は頓珍漢な行動に出るというものである。次の「お神酒徳和」は、大店に出入りする八百屋が意地悪しようと、旦那の鈴の徳利を隠してしまうが、それをソロバン占いと称して隠し場所を言い当てる。そこから、よく当たる易者の先生に祭り上げられ珍騒動になるのを描いている。

小里ん師匠は、いつもながらの安定感で演じきって円熟度を増してきた感がある。落語家はこれからかもしれない。師匠がマクラでの器械体操の話のなかに歳をとってからどんどんできなくなるスポーツだと言ってが、サラリーマンと落語家は逆だ。サラリーマンは歳とともに会社での仕事ができなくなるが落語は年齢とともに味が出てくるのである。

さて、満席になったお客さんの7割くらいが定年後の年齢で、男女の比率が半々くらいだ。数年前と客層が変化している。中高年女性とぼくぐらいの年齢の男性の増加である。おそらく、60歳で定年になったがまだ残って仕事をしていた人が大半で、その人達がようやく会社から離れたのではないだろうか。映画館にもそういった人と配偶者たちが多い。彼らの消費を狙うビジネスが増えてきそうですね。
 

2015年5月15日

ダンシング活劇

昨日はぼくの行きつけの居酒屋のマスターの奥さんのお姉さんが主宰していてみずから振り付けをし、ダンサーとして出演している公演を観てくる。Reach Entertainmentという集団で今回の公演は「クリーナーズ★」というタイトルである。場所は高円寺の「座・高円寺」という劇場でマスター、奥さんまたそのお父さん、お母さん、叔母さんといった家族総出できていた。

公演タイトルのようにキャッチコピーは「みんなの街を綺麗にする公共清掃員Cleanersたちは、日々、"美しい街をつくろう!" をスローガンにお掃除を逞しくこなしている。しかし街にはハプニングが一杯!Cleaners達は街を守れるか!」である。これを、ダンスを中心に1時間半ぶっとうしでぶつけてくる。

ぼくは、こうした劇を見たこともなかったので単純にダンスだけかと思っていた。ところが、ダンスだけではなくセリフもあるし、プロジェクトマッピングもあり、もちろん音楽もありだから、総合芸術なのである。さらに、今回はなんと「CLEAR'S」がゲスト出演しているではないか。オジサン超ラッキー。といってもぼくはまったく知らなかったのだが、お掃除ユニットというのだそうで、AKBのようないでたちの5人組の少女でお掃除しましょうと唄うのである。お掃除という共通点でゲスト出演となったようだ。なかなか可愛くてつい拍手してしまう。

当初の期待以上におもしろかったし、なんか元気をもらったような気がした。もう70歳を越えたお母さんがいみじくも変に考えさせられるようなお芝居なんかよりもこういう舞台のほうが年寄りにはいいのだと言っていたがぼくもそう思った。単純に嫌なことも忘れて楽しむことができるので開放感があっていいのだろう。

ところが、お姉ちゃんが舞台で踊っている姿をみて異変を感じる。どうも左足をかばっていて、走ったりするのがつらそうなのだ。もうかなりの歳なのだが(内緒にしている)いつもエネルギッシュでバイタリティの塊みたいな女性で、以前一緒に食事した時にもダンスに対する情熱が伝わってきてすごいなあと感心させられたから、さぞかし忸怩たる思いで踊っていたことだろう。

あとで聞いたら、前日の公演で左足の小指を骨折していたのだという。それはさぞかし痛かっただろう。でも、それにもかかわらず必死に演じたわけで頭がさがる。でももう歳だから(失礼)そろそろ振り付けに専念したらと言おうか迷っているのである。ということで、初めて「ダンス活劇」というものを観たのだが大変楽しい時間であった。
  
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