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2015年9月 アーカイブ

2015年9月 1日

鎌倉のまちづくり(2)

地域開発の事例として、現在ぼくの家の近の土地利用計画についてみていきましょう。このブログでも若干紹介したことがありますが、再度これまでの経緯について簡単に説明しておきます。土地というものは、代々様々な事情があって引き継がれてきたものなのでその辺のところを理解しておく必要があります。

ということで、まずは今対象となっている土地についてです。ここは梶原、寺分、上町屋、常盤といった住所にまたがったところで主にJR東日本の工場があったところです。平成18年にその工場が閉鎖されて、市有地を含めた32Haという広大な土地をどう利用するのかという「深沢地区まちづくりビジョン」(平成21年)、「深沢地区の土地利用計画(案)」(平成22年)、「深沢地区まちづくりガイドライン(案)」(平成25年)が策定されてきました。

その計画に対して、地元の私たちは昨年の3月に「洲崎陣出の杜の会」を立ち上げて、現行計画の見直しを主張したわけです。どういう主張かは後述しますが、具体的な行動としては鎌倉市議会に陳情書を提出しました。その結果昨年12月に出した2度目の陳情が賛成多数で採択されました。それを受けて、会としての土地利用計画(これも後述)を市に提示して、意見交換会を実施したのですが、市は既存の計画に固執して話し合いは平行線をたどっています。

前回指摘したように、一度決めたことは頑なに守ろうとする態度がありありなのです。ですから、現計画の微調整ですませたいようなのですが、基本的な考え方の齟齬があり、また世の中の情勢もずいぶんと変わってきた現在、現計画の陳腐化は明らかで、抜本的な見直しが急務なのです。ですから、私たちは市との意見交換会を打ち切り、広く地元住民の意見を聞くべく署名活動の準備をしています。

おおまかなこれまでの経緯はこんなところですが、そもそもこの土地がどんなところであったのかを知ることも私たちの思いを理解する上で大切なことだと思うので少し紹介しておきます。鎌倉というと七つの切り通しの内側(旧鎌倉という人もいる)が由緒ある歴史があるところと思いがちですがここ深沢にも深く歴史が刻まれています。

この地域は、奈良・平安時代は相模国鎌倉郡と呼ばれ、七郷の1つである梶原郷が現在の深沢地区の一帯にあたります。有名な故事としては、1333年の新田義貞の鎌倉攻めのときに迎え撃つ赤橋守時との攻防の地であり、鎌倉幕府の終焉を告げる洲崎の古戦場なのである。その字名は陣出と称したことから「洲崎陣での杜の会」という名はそこからとっている。

このことは、「太平記」にも一日60回の切り合いがあったと記されています。また、そのときの戦死者を周辺の住民が弔うために建てた「泣き塔」と言われる供養塔が残されています。そこには文和5年(1356年)という年号が刻まれ、重要文化財に認定されています。こうした由緒ある土地はその後農地として住民たちが農業を営んできました。この地がある日突然・・・。続きは次回に。
  
泣き塔.jpg
  

2015年9月 5日

鎌倉のちづくり(3)

前回、深沢という地区が歴史的ロマンあふれる土地であることを紹介しましたが、戦時下の昭和17年に突然海軍工廠により強制接収されてしまいました。横須賀工廠向けの部品供給工場となったわけです。北側の山を削ってまだ稲穂が繁っていた田を埋め立てて作られました。戦後の昭和20年には日本国有鉄道に払い下げられて、大井工場分工となりました。

ですから、その当時は各地から人も集まってきて600人位の人が暮らしていました。ぼくが小学生の時にも多くの国鉄大船工場に勤めている人たちの子弟が学校に通っていましたし、友達も多くいてよく官舎に遊びに行ったものです。いまだに、その当時の同級生たちとは集まっては昔話に花を咲かせています。

その後、ご存知のように昭和61年の国鉄民営化に伴い、その地は国鉄清算事業団の管理下に置かれることとなった。実はその時、自分たちの土地を強制接収されたという経緯から、地元町内会を中心にして鎌倉市に払い下げてくれという陳情を行いました。しかし、一部は市の土地となりましたが、大部分は現在のJR東日本の所有するものとなっています。

そして、平成18年度末をもって工場が閉鎖されて、市有地を含めた32Haという広大な土地が生じたのです。そこで平成19年に「深沢地区事業推進協議会」が発足して利用が本格的に議論されるようになり、その結果「深沢地域の新しいまちづくりビジョン」が提案されました。それまでにも「深沢地域の新しいまちづくりの基本計画(案)(平成8年)や「深沢地域の新しいまちづくり基本計画」(平成16年)といったものが策定されて、まちづくりのビジョンが示されていましたが、より具体的な土地利用計画が示されてきました。

そこから、平成22年に「深沢地土地利用計画(案)、平成25年には「深沢地区まちづくりガイドライン(案)」ができ、そこにある計画について見直しを陳情して採択されたわけです。もちろんこうした計画づくりには市民の代表として地元の人間も参画してはいたのですが、なかなか意見が聞き入れてもらえず、専門家と称する人や行政が主体的に引っ張っていったというのが実態だったようです。

いま見てきたように、現計画の元は平成8年に作られた「深沢地域の新しいまちづくりの基本計画(案)」であるわけで、もう20年近く前のものなのですが、基本的にはそれを引き継いでいます。この20年で環境は大きく変化していることを考えるとどうしても見直しせざるを得ないのではないでしょうか。次回は実際の計画の中身についてみていくことにします。

2015年9月 9日

よくなった日本代表

昨日、テヘランで行われたサッカーワールドカップアジア二次予選のアフガニスタン戦で日本代表は6−0と圧倒的勝利で勝ち点3をゲットする。1、2戦のシンガポールとの引き分け、カンボジア戦の煮え切らない勝利にくらべると久々の快勝である。その原因は、チームとしての質が上がったことと相手があまり引いてこなかったことだろう。

ハリルホジッチ監督のもとこのメンバーでの戦いはそんなに時間もとれていなかったと思うので、最初はやはりとまどいやハリル流戦術の理解不足などがあったが、試合をするうちに徐々にそういう課題をクリアーしてきたのではないだろうか。選手間の連携もやろうとしているサッカーもだいぶよくなってきたと思う。

昨日の試合は何と言っても前半の早い時期に得点できたことが大きい。原口のペナルティエリア付近での仕掛けから香川にワンツーを要求するパスを香川がパスを出さずに自ら鋭いターンで反転シュートするとゴール左隅に見事に決まる。昨日はこの二人の活躍が光った。原口の前への仕掛けと香川の多くのボールタッチと切れが相手を翻弄していた。香川のコンディションが戻ってきたことと、原口のドイツでの経験がもたらしたものだ。

いい時間帯での先制点で落ち着いた日本は前半35分にはコーナーキックの残りでゴール前にいた森重にクロスがあがるとヘディングシュートするもGKにはじかれるが本田がゴールラインギリギリからセンターリングしたのを森重が再びシュートして追加点をあげる。後半にも香川、岡崎、本田が得点を重ね、終わってみれば6点という大差をつけて勝利する。

さっき言ったようにチームとしてのまとまりや選手のプレー質、戦術理解度も良くなっているのでこれからは大丈夫だと思うが、当面のヤマ場はアウエーでのシリア戦だ。シリアも同じ相手に6−0で勝っているので侮れないし、同じグループでは最も強敵である。今度の相手は、もっとがんがん攻めてくるので、そう簡単には点がとれないかもしれないが、むしろカウンターなどのチャンスが増えるので、ハリル監督が言っている鋭い縦パスが有効になるだろう。

ところで、家のヨメさんが話してくれたのだが、あの小柳ルミ子がサッカー気狂いなのだという。びっくりだ。最近見かけないと思ったら何とサッカーばかり観ていたのですね。(笑)そうだ、小柳ルミ子が応援してくれれば絶対ロシアに行けるぞ。
  

2015年9月21日

鎌倉のまちづくり(4)

まちづくりに関する計画は過去に何回か出されています。詳しくは鎌倉市のホームページをご覧になってください。

・ 深沢地域の新しいまちづくり基本計画(平成16年9月)
・ 深沢地域の新しいまちづくりビジョン(平成21年6月)
・ 深沢地区の土地利用計画(案)(平成22年9月)
・ 深沢地区まちづくりガイドライン(案)(平成25年5月)

いちおうこれらの計画はつながっているといっているのですが、よく読むと微妙に修正されていっています。例えば、当初は市の課題のようなものはあまり出ていなかったのですが、少子高齢化の波や税収の減少といった環境変化に対応しようという意向が感じられます。ただ、各計画をいちいち追ってもあまり意味がないので直近のガイドラインに焦点をあてて議論していきます。

ガイドラインの最初のほうは、位置づけ、目的、対象区域、構成といったところなのでとばして、まずは「まちの将来像」についてです。

まちの将来像:『健康生活拠点・深沢』 本地区のまちづくりは、「ウェルネス~人・都市・社会にとって非常に好ましい総合的な健康社会~」をテーマに検討を重ねてきました。 深沢地区が持つポテンシャルを十分に活かしながら、本市において鎌倉駅周辺地域、大船駅周辺地域との差別化を図る第三の拠点形成をめざしています。まちづくりにあたっては、市民をはじめ、そこで暮らし、働き、学び、訪れる人たちが、健康で快適な生活をおくるための拠点として、様々な機能の集積と連携の中から優れた環境を創造し、豊かなライフスタイルの提案、新しい鎌倉ブランドの発信につながる、総合的な健康社会を先取りしたまちの実現をめざします。

これはいわばビジョンみたいなものであるべきなのですが、どんなまちになるのかイメージできますか? なんか当たり前のことを抽象的な表現で並べてあるだけで、いったいどんな特徴を持たせて、具体的にどんな形になりそうかがさっぱり見えてきません。だって、ここに書いてあることは要するに大前提の話であるわけです。そんなことは誰だって思っていることでしょ、だからどうなのってことです。

揚げ足とりになるかもしれませんが、"様々な機能の集積と連携の中から優れた環境を創造し"って、とぼけてますよね。本末転倒でこういう環境を作りたいから、こんな機能が必要でそれをどう連携させるかになるのであって、そのビジョンが欠落している。

また、"豊かなライフスタイルの提案、新しい鎌倉ブランドの発信につながる、総合的な健康社会を先取りしたまち"もビジョンではない。豊かなライフスタイルっていう日本語もおかしいし、総合的な健康社会を先取りしたまちから新しい鎌倉ブランドを発信することに意味があるの?

そもそも、ビジョンはウオンツを表現したものである。つまり、誰がどうしたいのか、どうあって欲しいのかといった言葉がなくてはいけない。そこには、作る側とそこに住む人あるいは周辺で暮らしている人も含めて、その思いが詰まったものであるべきなのだ。そうした言葉がどこにあるのでしょうか。

ツッコミどころが満載なので、さらに続いていきます。まちの将来像の次にまちづくりに取り入れるべき7つの要素があげられています。

①多機能:様々な機能の集積・連携による拠点の形成
②賑わい:活気に満ちた賑わいの場の創出
③交流:あらゆる世代が交流できる空間の創出
④歴史:深沢地区及び周辺の歴史資源や土地の記憶の継承
⑤安全・安心:あらゆる世代の人々が安全で安心して暮らせる環境の創出
⑥緑・水:深沢地区及び周辺の固有の自然環境の活用と新たな緑と水環境の創出
⑦環境共生:環境への負荷が少なく、健康で安心して暮らせる環境の創出

これまた、ありきたりの要素を列挙しているに過ぎない。ここのどこに「ウェルネス~人・都市・社会にとって非常に好ましい総合的な健康社会~」を特徴づけるものがあるのでしょうか。活気に満ちたに賑わいの場はそこに住む人の健康に寄与するのでしょうかねえ。成長期につくられたまちのようにただのハコをまだつくろうとしていると思わざるを得ないのである。

まだ続いていきますが、私たち「洲崎陣出の杜の会」では、現計画の見直しに向けて署名活動を行います。外部サイトからも署名できますのでご賛同いただければと思っています。よろしくお願いします。
  

2015年9月29日

鎌倉のまちづくり(5)

今までの流れからちょっとはずれますが、9月27日に行われた「深沢地区(JRの跡地)まちづくり「つどい」」のことを報告しておきます。「洲崎陣出の杜の会では、9月25日に新聞の折込チラシを配布して、署名活動への理解と賛同をお願いしました。そこで通知したフォーラムを翌々日に開催したわけです。

チラシ未来図.jpg

総勢45名(うち3名の市議)の参加を得て活発な議論が行われました。ぼくは司会進行とパネルディスカッションのコーディネーターという役目を与えられましたが、どうにか乗り切りました。終わってからよかったよというお褒めの言葉もいただきほっとしています。

そこでは昨年末の陳情採択後の経過と今後の諸活動についての報告と議論が展開しました。今年初めに行政と私たちの間で4回の意見交換会を行いましたが、行政側はここでも指摘したように一貫して既成計画の維持を主張して、噛み合わず平行線のままでした。陳情採択という事実を無視する暴挙です。そうした経過を説明し、単なる話し合いから署名活動という独自活動に軸足を移したことを理解してもらいました。

パネルディスカッションの後半では出席者からの質問も受けましたが、賛同の意を表した意見ばかりで意を強くした次第です。ということで、このあとは実際の署名活動に入りますが、その間に周知してもらうためのミニ集会を開きます。もし興味のある方がいらっしゃいましたら出席してくだい。詳細はホームページを参照願います。


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