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山崎方代を知っていますか

山崎方代という歌人がいる。それほど有名ではないかもしれないが少々変人でその生活ぶりなどがとりあげられることもあり、ハマってしまう人もいる。ぼくがなぜここでとりあげたのかというとぼくの家の近くに住んでいたからである。もう亡くなってから年経つので今ではどこにいたかもわかりにくくなっている。

また、彼が鎌倉の手広という地に移り住んだのが昭和47年だから、ぼくがちょうど大学を卒業して仕事の関係で三重県に行ってしまったのですれ違いになった。従って、ぼくはリアルで彼に会ったこともなくよくしらなかった。ところが、地元に根をおろして話を聞くとこれがおもしろいのだ。

山崎方代という人は、山梨県の右左口という村の生まれで、非常に貧しい生活送っている。山崎家の子供は養女を除くと8人いたのに成人したのが彼とその姉の二人だけであった。みな病死したのである。方代という名は本名で彼は末っ子でどうにもなれといいう具合で「生きても死んでも出放題」という意味で名づけられたという。更に、戦争に行って片目を失明しているのである。何とも凄まじい人生ではないか。

そんな境遇にありながら歌を詠むのである。その歌が実にユニークというか形式にとらわれず、自由奔放で、生活も仕事にはつかず、結婚もしないまさに型破りなひとです。でもこれが憎めないのですね。ホント純真な子供がそのまま大人になった感じがすごくします。ただ。ここがクセモノでかなりの人は付き合いきれないとなるのだが、彼はぎりぎり踏みとどまるのだ。それと、ぼくはこの土地の人の寛容さがそれを許したのだと思う。

彼は根岸さんという鶴ケ岡八幡宮近くの中華料理店を経営していた人が自宅の庭に建ててくれた家に住んでいたのだ。見るに見かねて助けてあげたのだと思う。昔はそういった互助の精神が当たり前のようにあったのではないでしょうか。ぼくが小さいころに知っていた酒屋だとか寿司屋などがずいぶんと面倒を見たという。

ぼくの行きつけの焼とり屋の「鳥つね」もまた、方代さんが通った店でもある。方代さんに関する書籍はいくつかあるが、その中に載っている写真の中に「鳥つね」で呑んでいる姿がある。時々ご主人の常さんと方代さんの話になるといつも、方代さんが書いた短冊を見せられる。そこに何と書いてあるかというと、

卵のような一日を吾がふところであたためてゐる

方代歌.JPG

である。素直である意味小市民的で、とはいえ本質的であるという味わいがありますよね。そんな歌が多いので是非味わっていただきたいと思います。下が常さんが若かりし頃の写真。(真ん中が山崎方代で右が常さん)
 
方代写真.JPG
  
その常さんが先日一緒に飲みながらふとつぶやいたんです。「あの世で方代さんが"待ってるよ"って言ってるんですよ」。いい話だなあ。
  

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2015年8月26日 15:09に投稿されたエントリーのページです。

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