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2015年8月 アーカイブ

2015年8月 3日

こりゃあダメだな、日本代表

サッカーの東アジアカップの初戦の北朝鮮戦で男女とも敗れる。1日に行われた女子の試合では、まずまずの立ち上がりながら前半22分にPKを与えたが山根の好セーブでしのぐ。だが、36分にフリーキックから先制点を許す。これもW杯を思い出させる低い弾道のクロスに対応できず失点する。

1点ビハインドで迎えた後半早々増矢が得たフリーキックを上尾野辺が中央へあげるとそのこぼれ球を増矢が決め追いつく。ところが、後半20分にカウンターから2点目のゴールを奪われる。それでもすぐにクリアーボールをひろった杉田が目の覚めるようなロングシュートをゴール右隅に決めて再び追いつく。しかし、疲れが出てきた後半34分と36分に立て続けに得点を奪われて万事休す。

一方男子は、前半3分に遠藤からのクロスを武藤が決めて幸先の良いスタートを切る。これで楽に試合ができるのかと思いきや徐々に北朝鮮のペースになるが、なんとかしのいで前半を終える。ところが、後半20分すぎに2m近い大きなFWが入ってくると、そこがターゲットにどんどん放り込んでくる戦術に翻弄される。そして、33分にそのFWを起点にして走り込んだ別のFWに決められ、その10分後彼に頭で勝ち越し点を奪われる。

なんか男女とも同じような負け方である。まあ、男子の場合はJリーグもあってフィジカル的に問題があったかもしれないが、相手のほんとうに単純な攻撃にあっさりやられてしまった。もっと絞って言えば、女子は10番のスピードのある選手に、男子は背の高いFWにやられた感が強い。

男女とも結局守備の弱さが際立った。スピードと高さに為す術がなかったわけだが、個々の力で負けるのだったら連携して守るとか、マンツーマンとそのフォローという形にするとか臨機応変に出来なかったのだろうか。シンプルな攻撃に弱いというのは、バックラインが前に出るのが怖くなって引いてしまい、前後が間延びしてしまい、そのスペースを使われるという悪循環がもたらすもので、そこをいかにリスクを冒してでもコンパクトに出来るかになるのだが、難しいのはそこにはデフェンスの高い個人技が必要だからである。

ただ、そう言っても収穫もあったと思う。両試合とも得点に関連した選手はアピールできただろう。男子では得点をあげた武藤、そのアシストや守りでも貢献した遠藤の二人である。これまで、武藤、遠藤といえば武藤嘉紀と遠藤保仁だったが新たな武藤、遠藤が登場した。女子では、得点を決めた増矢と杉田だ。得点を狙う感覚がいい。

初戦敗退で優勝するのは難しいかもしれないが、大事なことは敗戦から学ぶことである。国内組だから負けても仕方がないなんて思っていたら、代表にも選ばれなくなるし、日本のレベルが落ちてしまう。謙虚に北朝鮮のあの必死さを見習ってほしいと思うのである。

2015年8月26日

山崎方代を知っていますか

山崎方代という歌人がいる。それほど有名ではないかもしれないが少々変人でその生活ぶりなどがとりあげられることもあり、ハマってしまう人もいる。ぼくがなぜここでとりあげたのかというとぼくの家の近くに住んでいたからである。もう亡くなってから年経つので今ではどこにいたかもわかりにくくなっている。

また、彼が鎌倉の手広という地に移り住んだのが昭和47年だから、ぼくがちょうど大学を卒業して仕事の関係で三重県に行ってしまったのですれ違いになった。従って、ぼくはリアルで彼に会ったこともなくよくしらなかった。ところが、地元に根をおろして話を聞くとこれがおもしろいのだ。

山崎方代という人は、山梨県の右左口という村の生まれで、非常に貧しい生活送っている。山崎家の子供は養女を除くと8人いたのに成人したのが彼とその姉の二人だけであった。みな病死したのである。方代という名は本名で彼は末っ子でどうにもなれといいう具合で「生きても死んでも出放題」という意味で名づけられたという。更に、戦争に行って片目を失明しているのである。何とも凄まじい人生ではないか。

そんな境遇にありながら歌を詠むのである。その歌が実にユニークというか形式にとらわれず、自由奔放で、生活も仕事にはつかず、結婚もしないまさに型破りなひとです。でもこれが憎めないのですね。ホント純真な子供がそのまま大人になった感じがすごくします。ただ。ここがクセモノでかなりの人は付き合いきれないとなるのだが、彼はぎりぎり踏みとどまるのだ。それと、ぼくはこの土地の人の寛容さがそれを許したのだと思う。

彼は根岸さんという鶴ケ岡八幡宮近くの中華料理店を経営していた人が自宅の庭に建ててくれた家に住んでいたのだ。見るに見かねて助けてあげたのだと思う。昔はそういった互助の精神が当たり前のようにあったのではないでしょうか。ぼくが小さいころに知っていた酒屋だとか寿司屋などがずいぶんと面倒を見たという。

ぼくの行きつけの焼とり屋の「鳥つね」もまた、方代さんが通った店でもある。方代さんに関する書籍はいくつかあるが、その中に載っている写真の中に「鳥つね」で呑んでいる姿がある。時々ご主人の常さんと方代さんの話になるといつも、方代さんが書いた短冊を見せられる。そこに何と書いてあるかというと、

卵のような一日を吾がふところであたためてゐる

方代歌.JPG

である。素直である意味小市民的で、とはいえ本質的であるという味わいがありますよね。そんな歌が多いので是非味わっていただきたいと思います。下が常さんが若かりし頃の写真。(真ん中が山崎方代で右が常さん)
 
方代写真.JPG
  
その常さんが先日一緒に飲みながらふとつぶやいたんです。「あの世で方代さんが"待ってるよ"って言ってるんですよ」。いい話だなあ。
  

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2015年8月31日

鎌倉のまちづくり(1)

今各地でまちおこしだとか商店街の活性化だとか、あるいは地域の再生といったプロジェクトが盛んに行われている。これは、日本の社会における人口減、少子高齢化、都市への集中と地方の衰退といった人口動態の変化に対応するものだ。そうした背景を理解すれば、新しいまちづくりの方向性が見えてくると思うのだが、どうもまちづくり計画の内容は以前の高度経済成長時代の考え方を踏襲しているように思えてならない。

特に行政が絡んだ土地利用計画において顕著であると感じる。つまり、こうした土地利用計画は長期にわたるものが多いから、当初の計画案は10年、20年、へたをすると30年も前に作られたものであることが往々にしてある。従って、当時の考え方、すなわちハコモノをどんどん作ることが街づくりの基本になっているのだ。ところが、バブル以降多くのところで破綻をきたした。

ならば、現代の情勢にマッチしたコンセプトに切り替えたらよいと思うのにそれができない。もちろん、見直しはするのだが、いつも原案ありきで若干の修正を加えるだけでお茶を濁すのである。おそらくお役人の習性である既往のものをひっくり返すのはやりたくないという根性が染み付いている。新国立競技場の一件もしかりである。

たしかに行政というものは極端ではいけないし、コロコロ変わってもいけないのはわかるが、それによってあとで文句を言われないような八方美人的な案になってしまう。そこには、"らしさ"という特徴も出ないし、魅力のあるまちにはならないのである。もう少し時代の変化に対応したものに変える勇気をもってもらいたいのだが、そのリーダーシップをとる人がいないのだ。上から言われたことを忠実に実行することが彼らの価値と言った振るまいなのである。

また、お役所で欠けているのがソフト的な思考で、どうしてもハード面を先行して考えてしまう。どんな施設を作ったらよいかというアプローチになる。税金を投入するのなら目に見えるものにという発想が強いように思える。何をしたい、あるいはどうなってほしいから、それを実現する入れ物を作るという順番なのだが、まずはハコモノありきという進め方に陥る。

ハードとソフトは一体でむしろソフト面でのコンセプト作りが重要である。つまり、哲学・ビジョンをきちんと決め、そのビジョンを達成するためのコンセプトを仮決めして、そこから多くのアイデアを出し合いながら、コンセプトを固めていくという"創造のプロセス"を実行していないということに尽きる。自分たちのまちを創造していくという意識が希薄なのである。次回は今まで言ってきたことを実際の例(鎌倉市深沢地区のJR東日本工場跡地開発)に当てはめて見ていくことにします。
  

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