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2015年5月 アーカイブ

2015年5月 5日

息子の結婚

ぼくの長男が結婚することになりました。今週の土曜日(9日)に結婚式をあげます。入籍は今日済ませたようで法律上はいち早く婚姻が成立しました。33歳なのでいい潮時でしょう。相手のお嬢さんは、金沢の生まれの6歳下で昨年仕事の関係で知り合って、昨年春につきあってすぐに結婚を決めたので少々驚いたものです。そして6月にはもう一緒に暮らし始めるという早業でした。まあ、今は年齢的にはそんなに遅い方ではないようですが親としてはほっとしているところです。

ここから書くことはごく私事なので読み飛ばしてもらってけっこうです。結婚式の挨拶を考えていたらいろいろなことが思い出されてきたというわけです。この子は生まれたときから、非常に感受性の強い子でおとなしく寝ないので車に乗せて外に出てあやしたことが度々ありました。また、ひとりでどこかに遊びに出かけられない内気な子で幼稚園でも母親がしばらくついていたりしたこともありました。

ただ、発想が斬新だったり、おもしろいことを考えつくといったようなことは得意で親もびっくりすることもありました。先日も彼の子供の時の部屋を片付けていたら、小学校1年生の時に描いた絵がでてきました。金色のリボンがついていたので何か賞でももらったのかもしれませんが、その絵のタイトルが「ほっきょくをのみこんだくじら」となっています。これには小学校1年生が考えつくことではないと改めてうなってしまいました。

中学校はちょうど横浜から鎌倉に戻ってきたのでそこの地元の公立中学に入学しましたが、ヨメさんが最初に連れていって帰ってきて「お父さん、えらいことですよ、教頭先生にこの学校は荒れていますから気をつけてください」と言われたとビビっていました。いきなりそんなことを言う教頭もどうかしていますが、サッカー部に入ったのですがちょっとしたトラブルはありましたが何とかやっていました。

このころ、ぼくが家に持ってきたパソコンを使ってアメリカからナイキの靴を買ったりしています。まだインターネットが普及する前でしたのでパソコン通信のFAXです。ナイキの靴だってあまり知られていない時代でしたので感心したものでした。その頃から素質があったわけです。

高校はぼくと同じ学校でしかも同じサッカー部に入りました。親子二代で同じ先生に指導を受けたという珍しい家族となりました。サッカーはそれほどではなかったのですが、バンドを結成したり、学校行事にのめり込んで、家ではギターを掻き鳴らし、金髪にするわ、体育祭のリーダーをやるわで奔放な学校生活をおくることになりました。ですから、毎日疲れ切って帰ってきて玄関をあけるとそのまま倒れこむこともありました。そしてついに肝臓がやられて入院もしたのです。

そんなわけですから、受験勉強も全くやらずに9月の体育祭が終わった瞬間から、おい受験はどうするのだとなった。おまえのこの成績じゃあどこも受からないなあと二人で嘆いてみる。ところが、ある日、お父さん慶応大学にAO入試っていうのがあるよと言ってきた。どうやら、自分を表現する作品とかひとにはない特技だとかと論文と面接が試験科目だという。これならなんとかなるかもしれないと急に元気づいたのだ。

そこで、自分が体育祭を仕切ったこととか油絵の自画像とかを揃え、いかにその学校に入りたいかを書いて提出して書類審査を待った。この子は実は高校生の時に慶応のSFCの授業をインターネットで受けていたのだ。だから、こういう授業を受けられる学校に行きたいと潜在的に思っていたのだ。運良く面接に進むことができた。

面接では、通信簿のなかで化学が1だと突っ込まれたらしい。ぼくが化学科出身なのに何たることかと思ったが、どうしても村井純先生の授業が受けたいと懇願して見事に合格してしまった。これにはぼくもびっくりした。大学に入るとSFCはいつでも研究室に入れるようで、村井先生ではなく奥出直人先生の研究室に1年生から入った。

そうなるとまたのめり込むのだ。ほとんど家に帰ってこなくなり、校内のラボハウスで寝泊まりをすることになる。それが彼の性にあったのかすごく楽しかったようで、メディアデザインと言ったらいいのかその方面で様々なチャレンジをしていた。学会での発表、IPAの未踏ユースで準スーパークリエーター認定とか作品がテレビで採り上げられるとかキャンパスライフを謳歌していた。

そんな彼も4年生になると就職ということも頭にあったようなのだが、はたから見てもこの子は会社に就職するタイプではないと思ったので大学院に行ったらと言ってあげた。そして、大学院でも続いて研究生活を満喫していたが、その上に行くというのもちょっと違うかなあと二人で相談していた時、ぼくがちょうど定年を待たずに会社を退社することになったこともあり、二人で起業することにしたのである。

しかしながら、起業したはいいが仕事はなくて、ホームページでも作るかといって三浦海岸の輸入品販売ショップに売り込みに行ったりした。しかし、そんなに簡単に売上がたたつわけもなく、ぼくはある会社のコンサル、息子は受託開発といったもので糊口をしのぐ。そこでまた二人でこれからどうしようかとなって、出た結論が目先のお金を追うのはやめよう、ひたすら自分たちの名前を売ろうとなった。つまり、こんなことができる会社と人を認知してもらうことが大事だ。知ってもらえれば自ずと仕事も降ってくるのではと考えたのである。

そうこうしているうちに、名も知られるようになり、またいくつか作ったWebサービスの中から「ボケて」がブレークして何とかぼくがつぎ込んだ退職金の返済もできて税金を払うようになったのである。こうして経済的にもやっと安定してきたからこそ結婚できたとも言える。高価な結婚式もやれるし新婚旅行もタヒチなんぞに行けるというものである。

ぼくは初めての新郎の父を演じなくてはいけないので少しばかり緊張している。一方でどんな結婚式になるのか楽しみでもある。息子の晴れ姿を想像しているうちに、彼のこれまでの人生はどうだったかと思いいささか長文になってしまいましたがここに書き留めておこうとエントリーしてみたのである。それにしてもよくぞまあここまでやってこれたという感慨がわく。

2015年5月 7日

BPM協会を退会しました

もう入会してからかれこれ10年近くになり、運営幹事を務めていた日本ビジネスプロセス・マネジメント協会を退会しました。ぼくがビジネスプロセス(BPM)に興味をもったのは以前いた会社で情報システム部門に配置転換になりその後工場から本社に異動になったときからである。業務システムのユーザという立場から作る側に変わって初めの頃は工場だから生産管理システムが中心だった。それが本社だと営業だとか、受注出荷、購買といった業務が対象になる。

あまり経験がない業務だったので勉強しなくてはいけなくなった。工場にいた時に関わったシステム開発ではデータ中心アプローチ(DOA)を採用した。だから、当然そのDOAでもってシステム作りに向かったのだが、どうもうまくいかないような気がしたのである。ここでなぜだろうかと悩んだ。いろいろな角度から考えあぐねた結果浮かんだのが、「データ」「プロセス」「機能」という構成要素だった。

プロセスという要素を採り上げたのは、多分にぼくが化学プラントのエンジニアだったことがあると思う。しかも連続プロセスを扱っていたたらなおさらプロセスを意識したのだ。化学プロセスには連続プロセスとバッチプロセスがあるが、バッチプロセスは簡単に言うとプロセスといいながらも決まったレシピで釜に仕込んであとは仕上がりを待つといったものだから、連続プロセスのように単位操作の連鎖というのとはちょっと違う。

ということで、業務プロセスを化学プラントの連続プロセスと見立ててみたのである。そんな話を素人が勝手に思い込んでもいけないので、著名なITコンサルタントの人に意見を聞きに行った。そうしたら、その考え方は大事ですと言われてわが意を得たりと喜んだのである。そこからビジネスプロセスを調べてみて、あるいは発言している人に会って、BPM協会の存在を知ったというわけである。

しかしながら、まだウオターフォールのスクラッチ開発やパッケージ導入が主だった世界にプロセスと叫んでもなかなか理解されなかった。徐々にではあるが浸透してきて、昨年の「BPMフォーラム」では参加者が500名を越えた。でもぼくにとっては遅いと感じる。日本の経営者の意識が低いというのもあるがきちんと説明できていないこともあるような気がする。

システム開発のメソドロジーというのはついついこれでやるとなんでもできますよと売り込むように、万能薬のように説明してしまうところがある。ERPもそうだし、アジャイルなんてもそうかもしれない。しかし、実際にはそれを導入するのに適した領域というものがあって、そこの見極めがきわめて重要なのである。そこの説明ができていないのだ。

ぼくの会社の事業計画では、もはやBPMに携わることはやらないという決定をくだした。ただ、あくまで提供サービスとしてのBPMコンサルティング業であって、事業のオペレーションにはBPMを活用するのは当然である。すなわち、新規事業を立ち上げるにしても、商品開発プロセスとか設計プロセスがあるし、事業が始まれば営業プロセスや調達プロセスがあるのだから、そこはばっちりとプロセス志向でやっていくのである。

ということで長い間関係した「日本ビジネスプロセス・マネジメント協会」を離れることになりましたが、ずいぶんと多くのことを学び、また多くの人と知り合うことができたこと、また「BPM推進のステップとキーポイント」(BPM推進フレームワーク解説書)の作成に参画できたことに感謝しています。もう今年のBPMフォーラムにも行かないと思いますが、BPMの理解が進み、適切な導入により企業の発展につながることを祈っています。
  

2015年5月10日

結婚式

昨日は長男の結婚式であった。式は新宿の中央公園の一画にある十二社 熊野神社で行われた。うかつにもぼくは新宿にこんな神社があると知らなかった。恵比寿のブライダルオフィスで花婿と花嫁が盛装し、われわれそこでぼくはモーニング、ヨメさんは留め袖に着替えてタクシーでその神社まで移動した。

ぼくも結婚式は神式でやったがホテルにある施設だったが、やはり本物の神社でやるのがいい。日本人としては神様のまえで三三九度の杯を干すのが、どことなくおごそかでいいものだ。記念撮影やら親族紹介をして、今度はまとまってマイクロバスで披露宴会場に移動する。

披露宴会場は恵比寿にあるQ.E.Dクラブというところで、ここは元ハンガリー大使公邸だったところで閑静な雰囲気のレストランである。式が2時からだから披露宴は何と午後4時半からだ。早めの軽い朝食しか採っていなかったのでお腹がペコペコだ。料理は上品なフランス料理ですごく美味しかったのだが、挨拶まわりやら何やらで落ち着いて食べられなかったのが残念だった。

室内での食事のあとは庭に出てウエディングケーキ入刀とともにデザートビュッフェである。席もランダムになっているのであちこちに行って歓談する。列席者のほとんど同年輩の若い人たちで、高校、大学、いまの仕事仲間やコミュニティのメンバーである。会社務めだと会社の上司とかがいるのだがみな若い。息子はぼくと同じ高校卒業なので彼らには先輩面して喋ってみた。

最後に花嫁から両親へのお礼の言葉があって、そのあと親族を代表してということでぼくが挨拶をした。新郎の父は初めてだからもちろんこうした挨拶も初めてである。どんなことをしゃべろうかと考えていちおう練習しておいて臨んだ。ただ、その時の雰囲気がどんなになるかわからないので堅いバージョン、面白いバージョン、泣かせバージョンなどの想定をしてみたのだが、まあ、あまり外れてもいけないので真面目な感じで言うことにした。

最初にちょっと笑いをとって、おおよそこんなこと言った。今ここで最も言いたい言葉は「感謝」で、皆さんの支援があったらばこそ現在の二人があること。放っておくと糸の切れた凧のようにどこに行くかわからない息子の糸を握る役目が親からお嫁さんに移ったこと。いきなり社長になって上司がいないので、みなさんが時には上司になったつもりで叱咤し、指導していただきたいこと。こんなことをしゃべった。

幸いにも、終わって見送るときに皆さんから「スピーチ良かったですね」と言われてうれしかった。これは美辞麗句を並べたわけも全くなく、心からそう思ったのであって、それが通じたのだと思う。新郎は本当にいろいろな迷惑をかけながらも仲間に人たちに助けられてきた。そして、本当にお互いに理解し合った二人でいい夫婦になると思ったし、仲間うちで馴れあわないように厳しくやっていってほしいと思ったのだ。

雨が降りそうだったが何とかもってホッとした。非常に晴れやかで楽しい良い結婚式であり、披露宴だった。結局終わって帰路についたのがもう8時を過ぎていた。そのまま家に帰ればいいのに、つい地元の呑み屋でハシゴしてしまって午前様になった。長い一日であったが、心地良い疲れで眠りについた。
  

2015年5月15日

ダンシング活劇

昨日はぼくの行きつけの居酒屋のマスターの奥さんのお姉さんが主宰していてみずから振り付けをし、ダンサーとして出演している公演を観てくる。Reach Entertainmentという集団で今回の公演は「クリーナーズ★」というタイトルである。場所は高円寺の「座・高円寺」という劇場でマスター、奥さんまたそのお父さん、お母さん、叔母さんといった家族総出できていた。

公演タイトルのようにキャッチコピーは「みんなの街を綺麗にする公共清掃員Cleanersたちは、日々、"美しい街をつくろう!" をスローガンにお掃除を逞しくこなしている。しかし街にはハプニングが一杯!Cleaners達は街を守れるか!」である。これを、ダンスを中心に1時間半ぶっとうしでぶつけてくる。

ぼくは、こうした劇を見たこともなかったので単純にダンスだけかと思っていた。ところが、ダンスだけではなくセリフもあるし、プロジェクトマッピングもあり、もちろん音楽もありだから、総合芸術なのである。さらに、今回はなんと「CLEAR'S」がゲスト出演しているではないか。オジサン超ラッキー。といってもぼくはまったく知らなかったのだが、お掃除ユニットというのだそうで、AKBのようないでたちの5人組の少女でお掃除しましょうと唄うのである。お掃除という共通点でゲスト出演となったようだ。なかなか可愛くてつい拍手してしまう。

当初の期待以上におもしろかったし、なんか元気をもらったような気がした。もう70歳を越えたお母さんがいみじくも変に考えさせられるようなお芝居なんかよりもこういう舞台のほうが年寄りにはいいのだと言っていたがぼくもそう思った。単純に嫌なことも忘れて楽しむことができるので開放感があっていいのだろう。

ところが、お姉ちゃんが舞台で踊っている姿をみて異変を感じる。どうも左足をかばっていて、走ったりするのがつらそうなのだ。もうかなりの歳なのだが(内緒にしている)いつもエネルギッシュでバイタリティの塊みたいな女性で、以前一緒に食事した時にもダンスに対する情熱が伝わってきてすごいなあと感心させられたから、さぞかし忸怩たる思いで踊っていたことだろう。

あとで聞いたら、前日の公演で左足の小指を骨折していたのだという。それはさぞかし痛かっただろう。でも、それにもかかわらず必死に演じたわけで頭がさがる。でももう歳だから(失礼)そろそろ振り付けに専念したらと言おうか迷っているのである。ということで、初めて「ダンス活劇」というものを観たのだが大変楽しい時間であった。
  
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2015年5月16日

保守的ということ

明日は大阪では重大なことが起こる。大阪都構想の是非を問う住民投票が行われるからである。当事者でもないし、大阪に住んでいるわけでもないので論評しづらいのではあるが、ある意味画期的なことのように思える。先回の地方選かなんかにしても関心が薄く非常に投票率も低い状況はいかがなものかと思う。そうした状況を打ち破るきっかけになると面白いのである。

ただ、一連の提案側の維新の会とそれに反対する勢力との論争を見ているとどうも咬み合わないというか、まっとうな議論になっていないように見受けられる。つまり、大阪市を解体して5つの特別区を作って二重行政を解消したいということなどのイシューに対して、反対派はそれはダメだというだけで対案も示していない。これでは、論点を設定してそれに対して甲論乙駁という進みにはならないのである。

ですから、こっちに行くといっても行くなというだけでどっちに行ったらいいのかを言わないから選択がいびつになる。おそらく、反対派は現状のままでいいじゃないかと言っているのだろう。そうすると、論争のそもそもの出発点で食い違っている。推進派は現状のままだと様々な問題点があって、それを改革していかないと住民生活の質が低下していくという認識であり、一方反対派はいやいや多少問題はあるのだがこのまま変えないほうがいいという認識ということなのだろうか。

問題があることは共通認識で、それをどう変えていくかで争うというなら対案を示さなければならない。対案が出てこないということは入口の問題意識が違うのだ。だとすると、本当に今のままで満足しているのだろうか。ぼくは大阪に住んでいるわけではないので軽々には言えないが、何らかの変化をしていかないと衰退していってしまうように思う。これだけ周囲を取り巻く環境が変化しているわけだから、それに合わせたような変化は絶対必要であると思う。これは自治体に限らず企業だってそうだし、いまシャープが危なくなっているように、変化に乗り遅れると悲惨な結果が待っている。

いやー、徐々に変えていけばいいじゃないかとか、二重行政にしても話し合って、みんなで納得して直していけばいいじゃないかとかいう人がいっぱいいる。こういう人は変えたくないのだ。憲法改正の話に持って行くと大げさかもしれないが、時代の変化とともに改革することは必須に思えるがどうなのだろうか。どうも、大阪での議論を見ていると都構想がいいのだ悪いのだと言う前に、事実認識を経ての現状問題の共通認識が不足しているように思う。

そんなことを言うとすぐに情報が少ないからわからないとか、説明不足だといったような批判をステレオタイプ的にいう人が多い。でも今回の場合が画期的だと言った理由のひとつに、こうした批判が当てはまらない住民投票になったということである。遠いところにいるぼくらでもかなりの情報を得ることもできるし、ある程度の理解できるわけで、市民はもっと情報にアクセスできるので判断材料に困らないと思う。ですので、明日どうなるかわからないが、これが否決されたら、政策がどうのということで否定されたのではなく、現状からの変化を嫌う保守的な感情がまだまだ日本人の心性に根強く、単にそうした"感情"が理由であると言えるのかもしれない。それはそれで困ったものではある。
  

2015年5月25日

なでしこ前哨戦

もうすぐサッカーのカナダワールドカップを迎えるなでしこジャパンは昨日香川県丸亀市でニュージーランドを相手に大会前の調整を兼ねた国際親善試合で1-0で勝利する。前哨戦としては弱くもなく強すぎるわけでもなく、初戦のスイスに似た格好の相手でいいシミュレーションができたのではないだろうか。

先発メンバーのうち前回ワールドカップのメンバーが9人で、ゴールキーパーの山根とボランチの川村だけが今回の新しい選手ということでなんとも変わり映えしない。しかも澤穂希が久しぶりの代表復帰でしかも先発である。まあ、澤を招集したということは先発で使うからだろうけど、最後は使い慣れた選手で戦うという佐々木監督のメッセージが伝わってくる。

若手の台頭がなくても常連の選手たちが個々にレベルアップしていれば問題ないのだが、そういう選手もいるが停滞している選手もいるのではないだろうか。だから、調子のいい選手を見極めて使っていくしかない。そのいつものメンバーでスタートするが立ち上がりはそれほど悪くはない。ニュージーランドもペースを上げて入ってきているので拮抗した攻防が続く。

得点はコーナーキックから生まれる。宮間のコーナーキックが真ん中に流れてきたところを澤が右足のアウト気味のボレーで決める。形は違うけど前回のドイツワールドカップの決勝を思い出してしまった。この宮間・澤のホットラインは相変わらず武器になるのだ。このシュートはたまたま中央には仕込んだところに運良くボールが来たとおもえるのだが、実はそこには澤の非常に巧妙なテクニックがあった。

実は中央に入るときに一旦外に離れる動作をして、マークがついてきたのを見極めると即座に左にターンしてフリーで開いたスペースに走りこんだのである。ほんのちょっとした動きだから見逃してしまうがこれは澤の類まれなセンスの賜である。つまり、守備にしても同じだが、ボールがくる方向と時間に対して、相手との間合いと位置を最適化する能力である。これが澤に備わっているからこの年令になっても十分やっていけるのである。

1-0で前半を終えたが、後半もニュージーランドの攻勢になかなかリズムをつかめない。する後半4分に相手にPKを与えてしまう。(これはペナルティエリアの外だからPKではないが)ここで立ちはだかるのが187cmのGK山根である。とにかくでかいので、ゴールで仁王立ちすると誰しもビビってしまう。案の定、意識したのかバーを越えて失敗である。こりゃあ、新戦力であり守りの武器になるな。

ケガしている坂口が戻れば出るだろうから、おそらく本大会もGK以外はみな前回と同じ顔ぶれということになりそうだ。だとすると、もう研究され尽くしているだろうからそうとう苦戦しそうである。ただ唯一の望みは経験値が活かせるかである。他の国はやはりワールドカップというとかなり緊張するだろうし。浮足立つことも考えられるので、そこをつくのである。だから前半早い段階で先取点を取ることが最も有効だ。そこを期待したい。
  

2015年5月27日

ホームページ更新

(株)ワディットのホームページを更新しました。次男が今年からワディットに加わったことや、多少の路線変更みたいなこともあって新しいものにしました。ただ、更新によりグレードアップしたわけでもなく、むしろとてもシンプルなものになっています。

ホームページは何のためにあるのかを考えた時、弊社の場合は、まずそこから仕事をとるわけでもないし、会社の概要を知らしめる強い要請もないので、結局、誰がどんなことをしているのか、その元になる考え方は何かというところが焦点になります。ということでメソッド、メンバー、会社概要だけのホームページなったわけです。

重要なポイントは、メソッドのところにある「創造のプロセス」です。このプロセスは様々な領域で通用するもので非常に大事なことと言えます。特に、哲学、ビジョン、コンセプトはモノを作ったり、コトを始めたりするときにしっかりと固めておくべきものになります。ところが、世の中で多くの失敗や非効率性が起こるのがここのプロセスの欠如ないしは不十分さだと思います。

つまり、何かを思いつくとすぐに作りだしたりやり始めてしまうケースが多く、その場合、作り方ややり方といったHowをこねくり回すわけです。ところが、そうしているうちに一体われわれは何をしようとしているのかという疑問が湧いてきてしまうものです。こうしたことがないように哲学、ビジョン、コンセプトを固めて、メンバーで共有することが重要になるのです。

まあ、このあたりの詳しい説明は社長の著書「Webサービスのつくり方〜「新しい」を生み出すための33のエッセイ」(技術評論社)や彼の恩師である奥出直人慶応大学大学院教授が著した「デザイン思考の道具箱」(早川書房)に書いてあるのでそこに譲りますので読んでみてください。

今は、取締役になった次男も含めて3人でこのメソッドを使ったワークショップを実践している。社長を先生として哲学、ビジョン、コンセプについて侃々諤々の議論をする。実際にはすんなり決まるものではなく、この3つのエリアを行ったり来たりしながら固めていく。ひとりでやるとすぐに行き詰まってしまうが3人だといろんな方向に拡散するのではっと気がつくこともあり非常に有効だ。

こうした議論から新しいWebサービス開発や事業創出やなどが出てきていて、前者では次男があらかたのデザイン段階までいっている。後者ではぼくが中心になってリアル店舗を活用したコラボレーションのためのプラットフォームの構築を手がけている。こうした事業やサービス展開がうまくいけばぼくがいなくなっても大丈夫だと思う。ぼくの保有株も徐々に二人の子に譲渡しているので大塚家具のようなことにはならない(笑)と思う。だいぶホームページから話はそれたが、折にふれて進行もエントリーしていきます。
  

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