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2014年10月 アーカイブ

2014年10月 5日

映画鑑賞記

サバティカル宣言をして仕事を休んでいるとやはり時間が余ってくる。ただ腰痛はなかなかよくならないので映画館に行くのもままならず家でちんたらしながら借りてきたDVDを見ることになる。そんな映画の寸評と評価点数を簡単にまとめて載せておく。

■ペコロスの母に会いに行くペコロスの母に会いに行く.jpgのサムネイル画像のサムネイル画像
2013年のキネマ旬報ベストテンの1位になった作品である。監督がもう85歳になる森崎東。認知症の母親とその息子の介護生活を綴ったものである。その認知症の母親に赤木春恵、その息子に岩松了が扮する。ぼくにも93歳の母親がいて、そんなにもぼけてはいないのだが、映画を観ていて似ているなあと思った。思い出は純化されるというのがぼくも母を見ているとよくわかる。身につまされる映画だ。

☆☆☆☆
  
  
  
  

■もらとりあむタマ子もらとりあむタマ子.jpgのサムネイル画像
ぼくらはモラトリアムという言葉は小此木啓吾の「モラトリアム人間の時代」という本で知って、自分のそうだと思ったことがある。現代はモラトリアム人間であふれているように思う。前田敦子が演じるたまこ子は大学を卒業して父親ひとりの実家に帰ってきて無為に毎日を過ごしている姿を描いている。
このグータラ娘を前田敦子が地ではないかと思えるくらいうまく演じていて秀逸だ。父親役の康すおんのとぼけた感じもいい。

☆☆☆★
  
  
  


■サンブンノイチsannbunnnoiti.jpgのサムネイル画像
題名のサンブンノイチというのは3人で銀行強盗をして3分の1ずつ山分けするところから付けられている。その3人に扮するのが、藤原竜也、元KAT-TUNの田中聖、ブラックマヨネーズの小杉竜一、監督が品川ヒロシ。3人が転落して行く人生をリセットするために企むのだが、そこに様々なワルが絡んでめまぐるしく展開するストーリーでつきていくのが精一杯。それと、しゃべくりの品川らしく、ブラマヨの小杉のツッコミがうざったい。ただ、出演している俳優さんはみな怪演といっていいほどのできでそれは楽しめた。

☆☆☆
   
  
  

■タイタンズを忘れないタイタンズを忘れない.jpgのサムネイル画像
実話である。1970年代の初めだからまだ人種差別が残っているバージニア州の街で白人の高校と黒人の高校が統一されることになり、フットボールチームも一緒になる。初めての白人黒人の混成チームができたのである。そのチームのヘッドコーチになった黒人やその下でコーチを務める白人の苦悩や、周囲の目、そしてチーム内の不和といった問題を乗り越えながら勝ち進む物語である。まあ、定番のスポーツ感動スト−リーでそれ人種差別が絡んでくるからウケるにきまっている。それがわかっているのだが泣ける。

☆☆☆☆
  
  
  


■リバーランズスルーイットリバーランズ.jpgのサムネイル画像
1992年公開で監督がロバート・レッドフォードである。アメリカのモンタナ州の街でスコットランド出身の厳格な牧師の父親に育てられた兄弟がいた。兄はまじめで頭が良い、弟は陽気でやんちゃというよくあるパターンである。うちの子供も男の子二人だから、兄弟で正確が違うのはよく分かる。まあ大方は対照的な兄と弟の関係である。
父とふりはフィッシングということでつながっている。大きくなった二人はそれぞれの道を歩んでいく、大学の講師の職を得てシカゴに行く兄、地元の新聞社に勤めて出ていこうとしない弟。こうした兄弟に悲劇が起きる。これも逆にっグータラな兄としっかり者の弟といった関係も含めてよくあるパターンである。弟役のブラッド・ピットが輝いて羽ばたいていった作品である。
  
☆☆☆★
  
   

2014年10月 8日

梅干しと日本刀

朝日新聞の問題とか昨今の話題で感じるのは、「民族」とか「日本人」とか「国家」とかいった議論がどちらかと言うと右寄りというか、安倍晋三の「美しい国へ」のような方向になっているように思う。これが悪いのかということではなく、単純な愛国というのではなくきちんと日本の良さを評価してほしいと思うのである。

そのためにはぜひ「梅干しと日本刀」(樋口清之著 祥伝社新書)を読んで欲しいと思う。日本文化の素晴らしさや日本人の知恵を紹介してくれる名著で、元は昭和49年に刊行されたものを新書化したものである。著者の樋口清之は、登呂遺跡発掘などに関わった日本の考古学の第一人者である。残念ながら1997年に亡くなっている。

われわれは普段使っているもの、食べているもの、見るものが当たり前だと思っていて、それらが独創的であるとか、すごいことなのだということを意識しない。しかも、現代では西洋的な文化や生活が入り込んでいつの間にか忘れ去られてしまうものもある。ところが、欧米の科学的なアプローチとは違う日本の独自のものが、一見非科学的に見えながら実は理にかなったものであるというものが数多くあるのである。

例を見ていこう。タイトルが梅干しと日本刀なのでそのことについて見てみよう。まず梅干しだが、日の丸弁当の話である。昔は特に外で働く人が食べていた。まあ昔は貧しかったからおかずが作れないからしかたがなかったこともあるが、そうした中でも知恵として日の丸弁当があった。

日の丸弁当は99%が米で残りが梅干しである。普通に考えるとこんなカロリーが少ない野蛮な弁当ない。ところが、酸性食品であるという欠点を持った白米が胃の中に入った時に一粒の梅干しが中和して、米のカロリーは食べたほとんどが吸収されるのである。だから米のカロリーは食べてすぐにエネルギーに変わる。つまり、働く人の弁当としては理想なのだ。すごいですね。

次の日本刀もこれまた驚く。よく刀鍛冶が叩く姿をみることがありますよね。あれはなぜそうしているのか。西洋の刀との違いになるのだが、鉄を溶かすには1800度の温度が必要なのだが、西洋はコークスがあったので溶かすことができてそれを鋳型にはめればよかった。ところが、日本には燃料として木炭しかなかった。木炭では1200度までが限度なのだ。

この低熱量しか得られない条件で私たちの先祖は刀作りに挑戦するのだ。 1200度ではアメ状の鉄になるのだが、そこには不純物がいっぱいあるので、そこから何度も叩くわけである。あの火花をとばすのは炭素を追い出しているのだ。こうして、あの切れ味するどくまた見た目も美しい日本刀が完成する。

他にも驚くべき知恵がいっぱいある。経験から得た技術なのだが実は科学的な裏付けがあったものばかりである。何とすばらしい我々の祖先なのだろうか。このような科学性がどこから来るのかというのに対し、著者は自然に対するするどい観察力だという。自然と敵対するのではなく共存するという柔軟な発想が大事なのだ。そのとおりだと思う。

つい昨日もノーベル物理学賞の発表があって、日本の赤崎、天野、中村の三氏が受賞したが、あの青色LED開発も日本刀のように困難な条件を克服して良いものを生み出す日本人としてのDNAを受け継いでいるのだろう。この本にも日本人として勇気と自信をもらったが、更に今回のノーベル賞受賞の知らせでも同じように世界に誇れるのではないだろうか。
  

梅干と日本刀 日本人の知恵と独創の歴史(祥伝社新書)
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2014年10月11日

"かゆい"勝利

昨日の国際親善試合ジャマイカ戦でサッカー日本代表は1−0で勝利した。アギーレジャパンになってウルグアイに負けてベネスエラに引き分けていたので3戦目でようやく勝った。しかし、格下相手であったにもかかわらずすっきりしない勝ち方で歯がゆさが残った。

今回は香川も復帰してまたメンバーも入れ替わっての戦いで、前回からはキーパーが西川、センターバックが森重、塩谷、センターフォワードに岡崎というアギーレがポイントと言っていたセンターラインが代わっていた。まだ模索中というところだ。4−3−3のフォーメーションの中央の3には香川、柴崎、細貝が入って、トップの左に武藤が先発した。

ザックの4−2−3−1からフォーメーションが変わったがまだまだ消化し切れていない。本田、岡崎、細貝、森重らは所属チームのポジションと同じなので割とスムーズに対応していたが、いつもと違うポジションにいた香川がなじんでいなかった。ただ、同じポジションの柴崎がいい働きをしていたところをみると香川のパフォーマンスに問題があるように思える。

先制点は前半16分に岡崎が高い位置でボールを奪うと本田へつなぐと、そこに後ろから走りこんだ柴崎へ絶妙なパス、柴崎がシュートまがいのセンターリングをあげると相手キーパーがはじいてボールがバックにあたりオウンゴールとなった。柴崎はこうした、2列目の飛び出しやスルーパスもあったが、香川はボールを持つがゴールに向かうケースが少なくただパス回しをしているだけだ。

これは多分ポジショニングの問題のような気がする。香川の動きはいつもディフェンスを引き連れていてフリーになっていないし、ボールがないところで振り切る走りもない。ボールを持ってから相手を振り切る力のあるメッシとかイニエスタたったらいいが香川はまだそこまでいっていないから、ちょっと考えたらいいのではないだろうか。脳震盪で離脱したそうだがゴールに向かうドリブルが復活するのをブラジル戦で見たかったのだが残念だ。

やはり新しい戦術を理解するのは時間がかかるようだ。当初アギーレがやろうとしていたことを実際に日本の選手を見て修正しなくてはいけないからもう少し試す時間がいるだろうが、来年の1月にはアジアカップも始まるので、そう悠長に構えても困るので早く新しい選手の能力を試験する段階からアギーレジャパンの戦術を固めてもらいたい。その結果としてその戦術に合う選手を選んで行くという段階へと移る時期になってきたように思う。
  

2014年10月14日

舞妓はレディ

題名からとっさに「マイ・フェア・レディ」が浮かんでくる。田舎から出てきた娘を一人前の舞妓(この言い方もおかいいなあ。舞妓は見習いみたいなもので芸妓になって一人前なのかもしれない)に育て上げる言語学者という設定もヒギンズ教授と重なる。周防正行監督の「舞妓はレディ」は「マイ・フェア・レディ」のパロディのようだが、それはそれで周防色も出ているし、京都で舞妓という日本的な要素を全面にだしているので楽しめた。

こうしたミュージカル仕立ての映画はぼくは好きな方で、舞妓さんがいきなり唄い出して踊ってしまうのを奇異に感じたりふざけていると思う人も中にはいるが、これこそ映画だと思うのである。決して邪魔にはならないし歌を聞いてウキウキしてくるのは「アナと雪の女王」やインド映画でもしかりである。

本作のできを左右するのは舞妓さんの役をだれがやるのかだったろう。その主役の春子を演じたのが上白石萌音という新人である。何と800人のオーディションので選ばれたのだそうだ。さすがに選びぬかれた女優さんだけあって、初々しさや純心さ、そして伸びのある美しい声で魅了する。

物語はこうだ。京都にある「下八軒」という花街(かがいというのだ)の万寿楽というお茶屋は、女将・千春(富司純子)と芸妓の豆春(渡辺えり)、里春(草刈民代)と唯一の舞妓の百春(田畑智子)がいた。ただ、百春ももう30歳という年齢で早く若い舞妓さんが欲しいところである。そんな万寿楽に舞妓になりたいという春子(上白石萌音)がやってくる。

しかし、春子は津軽弁と鹿児島弁のバイリンガル?というのでは無理ということで千春は追い返そうとする。そのときたまたま居合わせた言語学者の京野(長谷川博巳)の目に止まり、「絶対に春子の訛りをなおしてみせる」と宣言して、春子は仕込み(見習い)になる。そして、唄や踊りの厳しい稽古が待っていたが、持ち前の頑張りでじょじょに習得していき念願の舞妓になるのである。

どうして春子が舞妓になりたいかもわかってきて、周囲の人々の明るい応援と理解に包まれ成長していく。このあることに向かって一生懸命努力する若者の"ひたむきさ"に大人たちは、最初は無理だろうとちょっと横目でながめていたのが、声援を贈るチアリーダーになっていくのだ。これは世代間ギャップを埋めるには必要なことなのではないだろうか。ぼくも今そんな事業を考えているので非常に共感した。

☆☆☆☆
  
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2014年10月15日

ネイマール対オールジャパン?

昨日シンガポールで行われたサッカー国際親善試合のブラジル戦で日本代表は0−4で完敗した。しかもその4点がみなネイマールの得点という何とも情けない試合をした。世界のトップクラスのプレーヤーのネイマールとはいえの引き立て役しか演じられなかった日本チームはひどい。最初から勝敗にこだわっていなかったのは明白だ。もし勝ちにこだわったらネイマールにマンツーマンでつかせただろう。

戦前アギーレ監督は、来年のアジアカップの選手選考のためと明言しながら、あくまで勝ちにいくと言っていた。これでは、選手というかチームとして勝ちにいくというモチベーションはない。個人がいかに監督にアピールできるかだけしかない。スターティングメンバーもブラジル戦だというのに代表初先発という選手が多くいたこともそれの輪をかけたのではないだろうか。オールジャパンではなかった。

試合はネイマールの一人舞台ですばらしいゴールを4つ見せてくれた。背骨骨折からよく早く復帰した。やはり、ワールドカップのドイツ戦に出ていればあんな屈辱的な結果にならなかったのではと思わざるを得ない。これからも、世界のサッカーは、メッシ、ロナウド、そしてネイマールの3人が牽引していくのだろう。

さて、テスト起用された選手たちはどうだったのだろうか。まずは、ブラジルワールドカップの代表選手たちだが、本田、香川、長友らは残るだろうが、ちょっと微妙なのが、大迫、柿谷といったところだろう。それと昨日の試合で気になったのがGKの川島で4点のうち2点は防げたように思う。最初の得点でも外に追い込んでいけばよかったと思うし、3点目でもシュートをキャッチできなかったのもダメだがもっと悪いのは相手のFWの前にはじいてしまった。これでは正GKは西川にしたほうがいい。

今回抜擢された選手では、武藤の積極性とスピードはいいのと守備もできるので合格だろう。あと柴崎も昨日はトリッキーなことをしそこなって失点につながってしまったが、軽率なことをするとゴールに直結するというのを学んだと思うのでこれからに生かしてくれれば中核になれるだろう。太田宏介と塩谷主もまあまあだし、もちろん細貝も選ばれるだろう。

ブラジルはワールドカップから選手も大幅に入れ替わっているが、チーム力は落ちていない。やはり非常に選手層が厚いのだ。その点ではまだまだ日本は世界レベルに達していない。ネイマールのような選手が現れるのは無理だとすると、このワールドカップでブラジルと引き分けたメキシコぐらいの力になってほしいと思う。そうだよね、アギーレ。
  

2014年10月19日

因果関係と相関関係

以前このブログで「会社を変える分析の力」(河本薫著 講談社現代新書)の書評をしたとき、ビッグデータの本質とは「因果関係の探求」から「相関関係への探求」へ変化したことであると書いた。つまり、部分計測から全体計測が可能になったため、因果関係を探求することなく(わからないまま)、全体現象の挙動パターンを直接理解することができるようになったのである。

なぜこんなことを書いたのかというと、今腰痛で大変困っていることと関係しているからである。ぼくの病気はレントゲンやMRIの検査によって、脊柱管狭窄症と椎間板ヘルニアを併発していてそのために坐骨神経痛という症状が出ているということになっている。狭くなった脊柱管にヘルニアが突起して神経を圧迫するので痛いというわけである。

ところが、そうした因果関係が本当に正しいかどうかはわからないのである。痛みというのはもちろん目に見えるわけではないので何が引き金で起こっているのかはつかめないのだ。だから、腰痛の原因は他にあるという説を唱える人もいる。これまたこのブログの書評に登場した「腰痛の9割は医者なしで治せる!」という本でも腰痛の原因は筋肉が硬くなることだと言っていて、筋肉をほぐす「緩消法」というのを推奨している。

また、ちょっと前に治療に行った「AKA--博田法」というのは仙腸関節のゆがみが原因ということである。だから、その固まった関節を数ミリ動かすのを手技で行う。これが難しいのでできる人が少ない。ある有名な先生になると予約が半年後だ。まだ1回しか施術されていないがちょっとよくなった感じである。

本の著者やAKAの先生が異口同音にいうのは、多くの整形外科医の画像への過信だという。レントゲンとMRIをみると、背骨が変形していたり、すり減っていたり、脊柱管が狭くなっている、あるいはヘルニアがあるというのが一目瞭然なのだ。そうなると、ここにヘルニアがあるでしょうとなって、それが原因で痛みがでているのですよという診断になる。しかし、だからといって必ずしもそれが原因であるということはわからない。

おそらく多くの人はそういった異常状態と痛みとの「相関関係」はあると思うのだが、因果関係は不明である。なので様々な療法が編み出されているのだろう。ぼくの今の状態を見ていると、どれかひとつの原因で起きているようには思えない。複合的な異常がからみ合って今の症状になっているように思う。脊柱管が狭くなっていること、ヘルニアがあること、筋肉が硬くなっていること、仙腸関節の動きが悪いことが重なりあっているのだろう。

ところで、「緩消法」にしても「AKA--博田法」にしても腰痛を訴える9割の人が脊柱管狭窄症、椎間板ヘルニア、腰椎すべり症が痛みの原因ではないと言っているのだが、どうもこれはからくりがありそうだ。つまり、そこに治療に来た人の9割であって、腰痛の人の9割ではないはずだ。普通の整形外科に行ってよくならなかったから来たわけで、因果関係が別のところにある可能性の高い人がくるのだから9割になるのかもしれない。ぼくはそれはわかっているのだが、原因のひとつを取り除ければいいと思っているだけなのである。
  

2014年10月22日

なぜローカル経済から日本は甦るのか

いま地域の土地開発のこととか地元密着の事業のことなどに関わることが多くなってきている。だから、都市と地方の差というか違いについて気になっている。ただぼくの住んでいる鎌倉という土地は都市なのか地方なのか、どちらでもない中間的な位置にあるように思う。だから経済的な観点からもローカル経済に興味が湧いてくる。

「なぜローカル経済から日本は甦るのか」(冨山和彦著 PHP新書)は格好の手がかりをもたらしてくれた。著者は経営共創基盤(IGPI)代表取締役CEOであるが、一躍名をはせたのは産業再生機構のCOOを就任しJALやダイエーの再生など数々の事業整理を手がけたことである。また現在はみちのくホールディングスという地方のバス会社の取締役も務めている。

この本で強調されるのはGとLを一緒くたにしないで分けて考えましょうということである。GとはグローバルでLとはローカルのことである。Gは都市のことでLは地方のこととも言える。両者では取り巻く環境や抱えている問題などは違っているから、当然対応すべきことやめざすべきことも違ったものになる。

例えば、生産労働人口でも東京は増加しているが地方では減少していて、地方における人手不足が深刻になっている。状況が正反対なのである。また、最近ではよく経済はどんどんグローバル化していて、だから世界で勝負しなくてはいけないなんて論調が飛び交う。政府やマスコミなどの議論でもそういった話ばかりである。しかし、日本の企業がみなグローバル化しなくていけないのだろうか。

どうも日本では貿易立国という面を強調するため製造業を中心に生産拠点を移したり、マーケットを海外に求めたりといったグローバル対応が必要だと思ってしまう。しかしながらよく考えてみたらわかるのだが、著者も言うように地方のバス会社のグローバル化って何よということなのである。ありえない話で、国内でも北海道のバス会社が九州の会社と競争してわけでない。非常に閉じられた世界で営んでいるのである。そんな会社が中小のサービス業を中心に非常に多いのが現状である。

著者は従来のように大企業対中小企業という分け方ではなくグローバル企業とローカル企業という分け方をすべきだと言っているが同感である。ぼくは東京のある中小の製造業のIT化を支援しているがまさにグローバル企業になっている。ただそこでは「世界水準の立地競争力と競争のルールを整えること」で世界チャンピオンにならなくてはいけないという厳しさがある。一方でローカル経済圏では世界チャンピオンになる必要はなく、県大会、市体系でチャンピオンになればいいのだ。

それで、このローカル経済圏が活性化するには問題があってその中でも規制や補助により本来なら潰れていてもおかしくない企業が生き残っていることにある。著者はこうした淘汰が起こりにくい状況を打破するためには「穏やかな退出による集約化がポイント」だと指摘している。まさにこれができた時にこそ地方が甦るのであろう。大変示唆に富んだ提案で参考になった。
  

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2014年10月24日

柘榴坂の仇討

幕末の混乱の中で大老であった井伊直弼が暗殺された事件は日本の歴史の転回点でもあった重大なものであった。小説や映画の題材にもなった。最近では2010年に公開された「桜田門外ノ変」という映画があった。吉村昭原作のものを佐藤純彌が監督をして大沢たかお主演で製作された。ただこれは襲撃の現場指導者であった水戸藩士関鉄之介の視点で描かれている。

それに対して、襲われた彦根藩の側から描いたのが「柘榴坂の仇討」である。こちらの方は、浅田次郎の短編小説を基に監督が若松節朗、主演の彦根藩士を演じるのが中井貴一、共演は阿部寛、広末涼子、高嶋政宏、真飛聖、藤竜也、中村吉右衛門らである。

彦根藩の武士志村金吾(中井貴一)は剣術の腕を認められて藩主である井伊直弼(中村吉右衛門)の近習となる。そして取り立ててくれた直弼の人柄に惚れて命をかけて主君を守ることを心に決める。安政7年雪の中に江戸城桜田門に向かう井伊家の一行に18人の武士が襲いかかった。そのとき、金吾は賊のひとりを追ってその場を離れてしまい、その隙に直弼は斬殺されてしまう。

この一件で金吾の責任は大きく切腹もさせてもらえないことになる。藩は逃亡した水戸浪士の首を獲って直弼の墓前にお供えせよという命令を下す。しかし、金吾は自らの命を絶とうとするが妻セツ(広末涼子)の「ご下命を果たし、本懐を遂げてこし武士ではありませぬか」という言葉で、逃亡中の5人の首を狙うことになる。しかし、それは大変難儀な責務でただ時間ばかりが経つ。

世は江戸から明治に移り、早13年もの歳月が流れる。この間、逃亡者の5人のうち4人が亡くなって残るは佐橋十兵衛(阿部寛)一人となっていた。そんな折金吾はかつての親友の内藤新之助(高嶋政宏)に再会し、彼が救いの手を差し伸べてくれることに。そして、明治6年あの時のように雪に見舞われた日に十兵衛の居場所を突きとめる。だが、その日は「仇討ち禁止令」が公布された日だったのだ。そしてめぐりあった金吾と十兵衛が柘榴坂で激しく斬り合うのだった・・・・。

武士道をどう始末したのか。これが見どころである。ちょんまげも帯刀もなくなった新時代でも昔のままの姿を崩さない金吾の挟持が感動を呼ぶ。表面的には大きな変化があっても精神は変わらないというのだが、金吾は本懐をとげたのだろうか。金吾と同じように武士として13年間生きてきた十兵衛も武士道をどう始末をつけるかだったのだ。

時代の変化にどう対応していくのか。いつの時代にもあり得ることなのだが明治維新というまれにみる大きなうねりをともなった変化のなかでの物語は見ごたえのあるものだった。主演者の熱演もあってなかなかいい作品であった。

☆☆☆☆
  
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2014年10月27日

ふしぎな岬の物語

吉永小百合という女優さんは、高倉健もそうなのだがスクリーンに写っただけというか、そこに佇んでいるだけで存在感がある。それに絶対に悪い人ではなく、完璧な人間として出てくるから、その正しさに背筋が伸びる。それが良いのか悪いのかは置いといて現実離れしているといえばしている。若い時はそれが爽やかさとして心地よかったが歳を食ってからはどうなのかはある。つまり、人生長くやって清濁を味わっていきたはずなのにまだ清いっておかしくねえという感じを抱いてしまう。

吉永小百合企画・主演の「ふしぎな岬の物語」は第38回モントリオール映画祭で審査員特別賞グランプリを受賞した作品である。かなり評価されたのだが、観終わっての感想としては大したことがないのに、なぜ受賞したのだろうかというものであった。外国人受けがするのだろうか。

人里離れた岬にある喫茶店のオーナーである悦子(吉永小百合)の元に様々な人々が訪れる。悦子を守ると言って終始つきまとう甥の浩司(阿部寛)、30年の常連である不動産屋のタニさん(笑福亭鶴瓶)、漁師の徳さん(笹野高史)、その娘で出戻りのみどり(竹内結子)、その他にも寺の住職だとか医者だとかが絡んでくる。村の青年団フォーク愛好会にメンバーとして、杉田二郎、堀内孝雄、ばんばひろふみ、高山巌、因幡晃が登場したのはご愛嬌である。

ストーリーを書こうと思ってもどう書いたらいいのか。つまりちゃんとしたストーリーがないのだ。原作があって実話でもあるようだが、エピソードの羅列でしかないのである。それがつながっているというわけではなく、脈絡なく登場する。ひどいのは泥棒が入ってきたのだが動じることもなく説教してしまう。それで改心して、店が火事で燃えて再建するときに家族と一緒にやってくるのだ。

それとか、よくわからない親子がやってきて店に飾ってある絵をみてこれを探していたとかいう霊感を言う。それでその女の子に悦子の亡くなった旦那が描いたというその絵をあげてしま。てな具合に悦子が実に高潔でいい人だという話を並べている。まあ、そのあと不幸なことがあってということなのだが。お決まりの喪失と再生物語である。

それにしても吉永小百合の若さにはびっくりする。70歳でもあの役をこなすのには恐れ入る。でもそういっても孫の世話をする吉永小百合もイメージ出来ないから、キューポラのある街から変わらない吉永小百合でいいのかもしれない。

☆☆☆

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2014年10月29日

蜩ノ記

何度も腰痛の話をしていて恐縮だが、電車に乗って映画を見に行くのもまだつらいところがある。そんな状態のときに助かるのが辻堂にある「湘南テラスモール」ある109シネマズである。何しろ、車で映画館の目の前まで行けるからである。だから、もうドアツウドアって感じで気楽にでかけられる。3時間もあればいいので思い立ったときに行けばよい。平日だと会員になっているのでエグゼクティブシートに座れるので快適である。しかも、6回通うと1回がただになる。

さて、映画のことである。「柘榴坂の仇討」ときて「ふしぎな岬の物語」ときて両方の良さをあわせたような作品である。「蜩ノ記」は武士と相手の生き様、人間としての愛といったものが凛とした姿として描かれ、これまた背筋ぴんとする物語である。監督が黒澤明の弟子の小泉堯史、「雨あがる」や「阿弥陀堂だより」の山間の美しさが今作品でも魅力的だ。原作が葉室麟の直木賞受賞作、主演が役所広司で共演が岡田准一、原田美枝子、堀北真希らである。

主人公の戸田秋谷(役所広司)はある事件に巻き込まれて10年後に切腹を申し付けられ、その間藩史を編纂することとなったが、あと3年後には腹をきらなくてはいけない。そこに、秋谷の監視役として送られたのが壇野庄三郎(岡田准一)である。庄三郎は秋谷の家に住み込んで暮らすうちに秋谷の生き方に敬愛の念を抱くようになる。また、彼の家族である妻の織江(原田美枝子)、娘の薫(堀北真希)、息子の郁太郎とも触れ合う中でその家族愛にも胸打たれていく。

そして、秋谷が巻き込まれた事件を探るうちに、その真相が明らかになってくる。秋谷が藩史編纂によりだいじな事実をつかんで変なまねをしたら家族ともども斬り捨てよという命を受けたが、徐々に、秋谷に師事する弟子のような感覚になっていく。そして、薫との恋情も湧いてくる。しかし、切腹の日はどんどん近づいてくるのだ。不条理な切腹ではあるが甘んじて受けざるを得ない秋谷は毅然としてその日を迎えるのだ。

とまあ、かっこいいですよね。これも武士道のひとつかもしれない。役所広司は役にぴったりですね。岡田准一も師に仕えて成長していく若者を見事に演じ、女優陣の原田美枝子も堀北真希もぼくのお気に入りだからというわけではないがよかったなあ。俳優陣がしっかりしていると映画として締まる。

それにしても、最近時代劇が増えてきているように思うのだがどうだろうか。別に今の日本が右傾化して日本人の良さを描くようになったとか、草食系男子にカツをいれようとかいった見方は考え過ぎだが、現代で失われていく日本のあるいは日本人をもう一度見なおそうという兆候なのかもしれない。夫婦、親子、男女、男同士の友情、主従、師弟といったようなあらゆる愛情がつめ込まれているが、嫌味になっていない佳品である。

☆☆☆☆
 
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2014年10月31日

まほろ駅前狂騒曲

2011年に「まほろ駅前多田便利軒」が公開されてその続編である「まほろ駅前狂騒曲」を観る。おなじみの多田啓介(瑛太)と行天春彦(松田龍平)のコンビである。シリーズ化されたようだ。原作が三浦しをんのベストセラー小説で監督が大森立嗣、共演がまたおなじみの連中で、ヤクザの星(高良健吾)、飯島(新井浩文)、まほろ署の早坂刑事(岸部一徳)、行天の元妻凪子(本上まなみ)、多田が思いを寄せる亜沙子(真木よう子)、近所の変な人達の岡(麿赤兒)、山田(大森南朋)、シンちゃん(松尾スズキ)である。

今回のストーリーは、二つの軸があって、ひとつは行天の会ったことこない凪子との間で生まれた娘が転がり込むことと、もうひとつはHHFAと名乗る怪しげな団体とヤクザの絡み、そしてその教団の代表小林(永瀬正敏)と行天の関係が登場する。相変わらず頼みを断れない二人がトラブルに巻き込まれるという設定である。

前作もそうだが、多田と行天のふたりの違うキャラクターが非常に噛み合っていい感じなのだ。この魅力的な組み合わせは人気が出るのも頷ける。それと主役を張れる瑛太、松田、高良、永瀬、大森が共演しているのだから映画ファンとしてはうれしくなる。ただ、二人の掛け合いとかユーモアはいいのだが、今回はストーリーがちと飛びすぎたようだ。HHFAとかいう家庭と食品協会が元は「天の声教団」という話とか、岡さんをはじめとした年寄り連中がバスジャックするとか、あまりにも現実離れしている。

原作にどうあるのかどうかしらないが、なにこの展開という戸惑いが各所で見られる。ありえないことが偶然とは呼べないほど出てくるのだ。老人がバスジャック、そのバスに小林と行天が乗り合わす、さらにシンちゃんもいて、拳銃を残しバスから降りてしまう。その拳銃を子供が発射する。ちょっとやり過ぎて荒唐無稽だと思いませんか。

便利屋さんという設定が非常におもしろいし、それはけっこう日常的な部分でのかかわり合いが多いはずなので、そういうテーマで作って欲しい。おそらく、先ずは多田と行天のキャラクターを定着させ認知させるということに重点があるように思うので三作目からを期待しよう。

☆☆☆★
  
まほろ駅前.jpg

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