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2014年8月 アーカイブ

2014年8月 1日

タイピスト

フランス映画は好きだ。深刻でなく重くなくそれでいてふざけたところがなくしゃれた感じがとてもいい。最近の代表作に「アーティスト」「オーケストラ」があげられるが、その制作陣がまたまた秀作を送りだしてきた。「タイピスト」は、前二作に並ぶサクセスエンターテインメント映画である。フランス映画祭2013観客賞を受賞している。

映画を観たあとの楽しみの一つにハッピーな気分になってまた明日からがんばろうという効果がある。世の中そんなにうまくいくものではないよというシニカルな見方もあるかもしれないが、単純にハッピーエンドの映画を観て主人公に自分を重ね合わすのもいいことだ。映画の効能はこういうところにもある。何も真剣に人生を考えなくてもいいのだ。

もうベタなサクセスストーリーだ。フランスの片田舎に暮らすローズ(デボラ・フランソワ)は、都会に出て秘書になることを夢見る。時は1950年代だから当時の働く女性の憧れは秘書である。そこでローズは保険会社を経営するルイ(ロマン・デユリス)のところに行く。一週間の試用期間を見てという条件で採用されるが、要領が悪いローズはクビを宣告されるが、ルイはローズのタイプライターの腕前を認めていたのでタイプライター早打ち世界大会で優勝することを条件に残すことになる。

ただ、ローズは速いと言いながらも二本指で打つから、世界大会で勝つなど到底無理なので、ルイは10本指で打つようにし、鬼コーチとして特訓を始める。ルイはもともとスポーツ万能で人に教えるのが好きな性格だから、そのトレーニングもすごいものがあった。その甲斐もあってローズは地方大会を勝ち抜き、フランス大会も優勝して、いよいよニューヨークで開かれる世界大会へと進んだのだ。

で、ハッピーエンドだから当然優勝してしまうのだが、そこまでにはローズとルイの恋物語が並行で進むというわけである。最初はお互い反発しあうのだが徐々に心が開いて、最後はお互いの愛に気がつくというお決まりの展開で、結末も分かっているのだが、ハラハラしたり、応援したりと引き込まれてしまうのである。いい映画がもっているウケる要素を拾い集めた感がある。

そして、フランス映画特有のしゃれた愛情表現とエスプリが効いている。最後のセリフが泣かせる。優勝したローズにルイが言う「ぼくは人助けが喜びだと自分では思っていた。だから君にはぼくが必要だと言ってきたが、いま悟った。ぼくには君が必要なんだ」クー! そして、ルイが考えついた新しいタイプライターをアメリカ人に売り込んだ時、なぜフランス人の発明品をアメリカ人に売るのだと聞かれて、「アメリカ人はビジネスを。フランス人には恋を。」クー!やられた。
  
タイピスト.jpg
  

2014年8月 3日

イノベーションを支援するITシステム構築の極意(25)

5つの誤解のあとは、7つの作法になります。いよいよシステム構築のHowの領域に入っていきます。その7つの作法というのが下記のとおりです。

(1) プロセス名を決め、始点と終点を決める
(2) プロセス構成に従って中間アクティビティを記述する
(3) 主要なアクティビティである意思決定では確定すべきデータあるいは判断項目を定義する
(4) 作業プロセスがある場合はそれをサブプロセスとして記述する
(5) プロセス構成モデルからケース分割とタスク分解を検討する
(6) プロセス要素表を作成する
(7) 実装する

ここで"作法"と言っているのは、厳格な技法でその通りにやらなくてはいけないというものではないことを意味しています。だいたいのやり方があって、人によって違っても構わないということでもある。ただ、勝手にやっていいかというわけではなく、最低限の決まりは守ってよねというものです。

では、最初の「プロセス名を決め、始点と終点を決める」です。プロセスというのは必ず始まりと終わりがあります。その時何を持って始まって、どうなったら終わるのかは決めておいたほうだがいいですよね。というか、それがないと業務という意味がなくなってしまいます。目的がないことをやるのは組織では許されませんから、きちんと始点と終点を決めないといけません。しかも、始点と終点は密接に関係していて始点が決まれば必然的に終点が決まるし、その反対もあるということです。

では、始点と終点はどちらを先に決めたらよいのでしょうか。これはプロセスの性格によって違ってきます。ざっくりと言うと顧客接点プロセスか、内部プロセスで決め方が変わります。顧客接点では始点を先に決めていきます。お客さんの要求が起点になるからです。

一方、内部プロセスでは逆に終点から決めていきます。内部プロセスというのは、企業としての事情で起こされたプロセスを指していて、例えば、決算で売上の集計が欲しいといったような場合は、初めにアウトプットがあってそのためにどういうインプットがいるのかという流れになるからです。

始点と終点が決まると自ずとプロセス名も決まってきます。この時気を付けなくてはいけないのが、プロセスの具体的な動きがわからないような曖昧な名前にしないことです。よくつけられる名前に〇〇管理プロセスというのがありますが、こういった名前は避けましょう。単に「見積管理プロセス」なんてつけないで「標準品見積提示プロセス」というふうにします。
  

2014年8月 7日

事例に学ぶBPM成功のポイント(5)

今回からは、実際にプロセスをどう設計していくかというお話になります。

2. プロセスデザインの進め方  
(1) 対象プロセスの特定

「特注品で新分野を開拓し売上げ・利益をのばす」という戦略に対して「ベテランの営業に依存しない要求確認」「収益性を確保した見積」「役割分担の明確化」といった課題が抽出されました。

特注品だと顧客がどんなものを望んでいるのかをきちんと把握する必要があります。しかし、これはある程度の経験やノウハウがないと難しいのでどうしてもベテランの営業にたよってしまいます。若手でも的確な要求確認ができるような仕組みが要るなあということになります。また、原価を計算しないで要求通り作ってみたら赤字だったなどということも出てきます。特注品は粗々の設計をしますから、顧客要求に対する設計の関わり方も問題になってきます。

こうした問題点をみていくと、最も優先して整備すべきものは何かが見えてきて、それが「見積提示プロセス」であると結論付けました。このように、戦略からそれを実現するための阻害要因を検討し、課題化したものを解決するための狙い所のプロセスを特定していったのです。いきなりこのプロセスにBPMを適用してみましょうといった取組を見聞きすることもあるのですが、単に効率化の手段としてという意味は多少はあるかもしれませんが、大事なことは、戦略とか事業方針といったものとの連動性を持ったBPM適用が効果的です。

さらに、その後特注品という新規商品へシフトしても既存顧客の範囲では限界が出てきて売上げの伸びが止まったため、(STEPⅠ)顧客の範囲を拡大した新たなビジネスモデルを設定し、それを実行するために営業プロセスの中の別のプロセスである「プロモーションプロセス」を対象としたBPMを実行しました。(STEPⅡ)

対象プロセス.png

このように、BPMをいきなりプロセス設計や実装から入ってしまうのではなく、新しい戦略に沿ったビジネスモデルからBPMを適用すべきプロセスを選定していくアプローチが大事になってきます。つまり、ビジネス上の要求の受け皿としてプロセスがあるということなのです。

【成功のポイント】
ビジネスモデルに戦略や課題を記述して、そこを起点としてプロセスにマッピングすること


2014年8月 2日

ロボットの時代?

この間のテレビ東京の「カンブリア宮殿」は400回スペシャルということで孫正義が出演していた。「日本を爆発させる"大ボラのススメ"」というタイトルで孫さんのこれまでとこれからの大ボラをテーマにしていた。まあ、ボーダーフォンを買収して携帯ビジネスに参入したり、ちょっと前は太陽光発電といっていたし、最近話題なのはロボット事業であろう。

他のものはあまり興味はないのだがやはりロボットが注目だ。来年198,000円で売り出す「pepper」君が発表されたが、これからどうなるか面白そうだ。この事業に200億円投資したといってたから相当に力を入れているのがわかる。これに対抗?するのがgoogleだ。今盛んにベンチャーを買いあさっているのだという。ということはポストスマホはロボットなのだろうか。

「pepper」(googleもそうかもしれないが)のおもしろいのは、ロボット用のOSがあり、それを開放して世界中の開発者がそれを使ってロボット用のアプリを開発するという考え方である。スマホと同じようなやり方ですね。だから、何とpepper君の開発をよしもとと組んでやっているのだ。びっくりしたのは、よしもとのお笑い作家が、一生懸命pepper君のおもしろい動作を考えてそれをインプリメントしているのだ。

しかもそれを専門のIT技術者ではない彼らが自らPCを使ってやっているのである。画面上のアイコンをドラッグアンドドロップでつなぎ合わせるイメージ作り上げている。ホームページを作るより簡単だという。ちょっと話はそれるが、業務システムもこんなふうに作れればいいなあと思う。業務システムも見方を変えれば、ロボットのやっていることを作り上げているとも言えるからである。だって、例えばヘルプデスクシステムみたいなことって人間がいちいち対応するのではなくていくつものエージェントが命令さえすれば代わりにやってくれる仕組みでもある。

孫さんが、PCはあくまで人間が使う道具だったが、ロボットは意思をもつようになったと言っていた。例えば、自分が病気でできなくてもロボットに教えこんでおけば、そんな状況をみて同じように動いてくれるのだ。ただ、ぼくはロボットが意思を持つというのには異議がある。だって所詮コンピュータの塊でしかないわけで、限界があると思っている。ところが、驚いたのは孫さんと一緒に出演した大阪大学の石黒浩教授のジェミノイドである。

石黒教授はその筋では非常に有名な人で、ジェミノイドというかアンドロイド(分身ロボット)を作っている人で、もうホントびっくりします。全く人間と同じようなロボットなのです。外形はもちろん髪の毛もありますし、体も人間と同じような皮膚、筋肉で、まばたきもしますし口も動かします。ただ、これだけだと動く高級蝋人形になってしまいますが、実はびっくりすることができるのです。

このロボットを見ながらあるヘッドギアをつけると自分がロボットになったように感じることができるというものです。鼻をつままれると痛いと思うとロボットが痛いと声を発するのである。気持ち悪くなるくらい不思議だ。ロボットが意思を持っている感覚になる。石黒教授は言う。「頭と体はもともとつながっていない。だから体と機械を入替たって、機械が自分の思い通りに動くなら自分の体のように感じてしまう」

これを聞いて一瞬思い出したのは池谷裕二さんの「脳には妙なクセがある」である。かれは「意志は脳から生まれのではありません。周囲の環境と身体の状況で決まります」という。だから、意志を持って行動しているように思うが、実際はその場の環境と、経験とかが融合されて形成される「反射」なのだ。

わー、こう言われるとロボットでいけるじゃんと思ってしまう。その場を読み取るセンサーがあって、過去の経験が蓄積されたデータベースがあって、それによってどうアクションをとるかのロジックを組んでおけばいいのだ。でもどうかな、ロボットは泣くのかなあ、笑うのかなあ、怒るのかなあ。
  

2014年8月16日

ルームメイト

    こんな映画を作ってはいけない。「ルームメイト」は真っ先にそんな感想が浮かんだ映画だ。全くの予備知識なしで観たのだが、タイトルから女の子がルームシェアして男の子を取り合うなんて筋かなあと思っていたら、全く違っていささか驚いたのだが、逆にどんな展開になるのかワクワクした。だが、途中から気分が悪くなってしまった。監督が古澤健、主演が北川景子と深田恭子、共演が高良健吾。

    映画の始まりは、殺人傷害の現場が映しだされて、男が死亡し、もう一人の男と女がナイフで刺されて重体のところが発見される。病院に運ばれた男のところに刑事がやってきて、二人はどういう関係なのかを聞き出す。そこから、場面は3ヶ月前におきた交通事故に戻っていくことになる。まあ、よくあるパターンだけど興味が湧いてくる。

    23歳で派遣社員として働いている萩尾春海(北川景子)はある日交通事故に遭って入院する。その病院で親切にしてくれたのが看護師の西村麗子(深田恭子)である。仲良くなった二人は春海が退院すると春海の家でルームシェアをすることになる。麗子は交通事故の補償の交渉も代理人として加害者である工藤(高良健吾)や保険屋の長谷川と接触するようになる。

    ところが、徐々に麗子の言動がおかしさを増してくる。麗子は自分の中に他人がいると言い出すのだ。そして、残酷な行為や殺人事件を引き起こす。このあたり、例の佐世保の女子校生殺人事件を想起してしまい気持ち悪くなってしまった。結局、一連の不可解な言動のバックグラウンドにが「解離性同一傷害」すなわち「多重人格傷害」があるのだ。親の暴力から逃げられないので別の人格を作り出してしまうというわけである。

    だから、言いたいのだ。病気を持ちだしてどうなるのだ。病気がもたらした殺人事件を描いて何になるのだ。全く理解できない。だいいちもしこの病気で苦しんでいる人が観たらどう思うか。はなはだ配慮にかけた表現であろう。この病気は人を殺してしまうくらい怖いんだよと言いたいのか。映画では二人殺してしまうのだが、この根拠が全くわからない。

    これは、ミステリーなのかスリラーなのか何なのかわからないが、映画の公式ページには「身近な存在が一瞬で恐怖の対象に変わるサスペンスとスリルに満ちたエンターテインメントだ」と。ふざけんじゃねーよ。救いがたいアホどもだ。久しぶりに怒り心頭の映画鑑賞でした。
      
    ルームメイト.jpgのサムネイル画像
      

2014年8月 5日

42〜世界を変えた男〜

野球ファンであれば世界中の人たちが知っているジャッキー・ロビンソンの物語である。42は彼がつけていた背番号で、4月15日には大リーグの全選手が背番号42を身につける。全球団の永久欠番でもある。1947年4月15日に白人だけで構成されていたメジャーリーガーの中に初めての黒人選手として乗り込んだ選手である。このロビンソンによる人種差別への抵抗と挑戦を描いたのが「42〜世界を変えた男〜」である。

よく知っている人物だから新鮮なストーリーがあるわけではないのだが、改めて偉大さを思い知らされる。メジャーリグにデビューし、確固たる地位を獲得したジャッキー・ロビンソンはアメリカの人種差別の世界から人種統合への波を加速させた最大の功労者だったのだ。結局ジャッキー・ロビンソンは1947年から1956年までの10年間で1382試合に出場し、通算打率3割1分1厘、137本塁打、197盗塁で、1947年新人王、首位打者1回、盗塁王2回を獲得し、1962年に野球殿堂入りした。

映画は史実に忠実に描いていて、しかも割と落ちついた展開で好感がもてた。ロビンソンがここまでできた理由は大きくロビンソンの資質という内的なものと外的な要因がある。ここは「人種とスポーツ」(川島浩平著 中公新書)を参考にしてみよう。映画でも語られるように彼の心身のバランスに長けていたからである。さまざまな人種的な迫害にもめげず、しっかりと冷静さを保てたことが非常に大きかった。

心身のバランスという意味では、卓越した運動神経によるところも大きい。学生時代は、フットボール、バスケットボール、ベースボール、陸上の4競技で代表選手にもなったという。さらに学業でも優秀で、つまり体力、運動神経、頭脳、性格などどれもが高度な非常にバランスのとれた人物だったのだ。

ただ、それだけで名声を博すことができたかというともちろんそうではなくて、外的な要因が寄与している。それは、ブランチ・リッキーというドジャースのGMでロビンソンを見出した人であり、もうひとつは第二次世界大戦という時代背景である。映画では、第二次世界大戦のことはあまり語られないのでおいていて、ブランチ・リッキーのことである。

ロビンソンはリッキーがいなければメジャーリーガーにはなれなかったかもしれないくらい大きな影響力もった人物である。映画でも主要な絡みはこの二人のやりとりである。最初の契約の時の出会いのシーンで、リッキーは人種的な罵詈雑言を浴びても、冷静さを保ち、仕返しをしないことを約束できるかと聞く。ロビンソンは、「あなたはそんな目にあっても反抗できない弱虫ニグロがほしいのか」と切り返すと、即座にリッキーは「私はそれでも抵抗しないだけのガッツのあるやつがほしいのだ」と答えたのである。

人間は困難な道をひとりで切り開くことはできない。かならず、誰かに助けられて達成できるのだと思う。つまり、それだけ周囲の人からリスペクトされてこの人のためなら一肌脱ぐかと思わせることが非常に大切なことだと思う。だから、怒りをもって反抗するのでは周りからリスペクトされない。それができるように人間を磨いていかなくてはいけない。時には我慢しながら本来の目的を見失わないことなのだろう。そんなことを教えてくれた秀作であった。
  
42.jpg


2014年8月 4日

プロセス思考のすすめ(3)

今回は少し視点を変えてみましょう。「働き方改革とプロセス」というテーマで考えてみます。これを一緒にして考えることなのかと疑問に思われる方も多いでしょうが、実は結び付きがあるという話です。今年の6月24日に「日本再興戦略」改訂2014というのが発表されましたがご存知でしょうか。昨年のものには政策項目ごとにKPIが設定されて、PDCAサイクルを回して進捗管理をすることになっている。どこのコンサルが入ったかどうか知りませんが、企業みたいですね。

それで、今回の改訂ではこの1年間のKPIの達成度の評価と確実な達成のための追加施策を明確にしたのだそうだ。アベノミクスの成長戦略もあまり評判がよくないのだが、そこには言及せずに、ここの中で謳っている「働き方改革」を読んでいてプロセスとの関わりを思い至ったのである。そこにはこう書いてある。

昨年の成長戦略では、個人が円滑に転職等を行い、能力を発揮し、経済成長の担い手として活躍できるよう、行き過ぎた雇用維持型の政策から労働移動支援型の政策へと大胆な転換を行った。 改訂戦略では、多様な正社員制度の普及・拡大やフレックスタイム制度の見直しに加えて、健康確保や仕事と生活の調和を図りつつ、時間ではなく成果で評価される働き方を希望する働き手のニーズに応える、新たな労働時間制度を創設することとした。

この中で大事なことは「雇用維持型から労働移動型」「時間評価から成果評価」という流れであろう。つまり、終身雇用をなくし、雇用を流動化し、単にいるだけで給料をもらうのではなく成果に合わせてもらうということだ。人々のマインド変化がおきるのかというとそう簡単ではないと思う。日本での成果主義は挫折したこともある。

給与体系上では職能給から職務給へのシフトということになる。つまり、主に在籍年数をベースにして与えられる職能レベルで給与が決まる、いわば年功序列型のものから、年功とは関係なしに、与えられた職務でどれだけの成果をあげたかを評価するのだ。ベテランだろうが若手であろうが関係ない、仕事ができたかどうかだけである。これまでずっと日本型の慣行としてあったものが崩れていくのである。ただ、単にアメリカ型にもっていくのではなく、日本型の成果主義にしてほしい。

さてこうした制度の場合、重要な問題が、成果をどういう尺度で誰が評価するということである。いかに客観性をもたせて、だれもが納得する標準的なものになるかどうかは大変難しい。なぜ難しいのだろうか。おそらく、職能については経験とか資格試験とかで評価指標はある程度できるのだろうが、職務というときちんと職務の定義ができていないことが大きいのではないでしょうか。

もちろんどこの会社にも職務要件書とか職務分掌というのがあります。しかし、それらは個別タスクを主体に作業項目をあげているにすぎないと思います。ですから、"成果"という観点からの職務とは違うのです。そこで、プロセス思考なのです。プロセスというのは何度も言いますが、戦略や事業方針といったものを実現するための表現手段ですから、そこにはどんなことをすれば事業成果が達成できるとか、誰が責任を持って的確な意思決定をしたか、それこそKPIをブレークダウンして管理指標が個人にも降りてくるといったように成果との関係が明確なのです。

従って、プロセスをきちんと記述してそのプロセスのどの部分で自分の役割があって、そこで何をなすべきかがはっきりしていれば、自分がやったことがどんな成果をもたらしたのか、その逆に自分の失敗でうまくいかなかったとかがわかるわけである。それを、オープンな世界で実行していけばおのずと客観的な評価に近づくはずである。ということで、「雇用維持型から労働移動型」「時間評価から成果評価」の変革を実現するには、自分たちのビジネスプロセスをちゃんとコントロールできているというのが前提なのである。
  

2014年8月 6日

新規顧客をウエブサイトで開拓する方法

昨年ある研究会で「新規顧客獲得プロセス」というものをテーマにプロセス設計をやった。また、今も別のプロジェクトでウエブの活用というのも入った経営戦略立案に関わっている。BtoCはもうとっくにウエッブの世界が主要になりつつある。テレビのコマーシャルでも"このあとはウエブで"と言ったりするのだからおもしろいものだ。

BtoBの世界でもウエブサイトの重要性が増してきているようなので「新規顧客をウエブサイトで開拓する方法」(中田義将著 幻冬舎経営者新書)を読んでみることにする。これまでのような法人営業の常套手段はといえば、テレアポ、飛び込み営業、展示会、セミナー、DMなどだがそれが通用しなくなっているという。それに変わるものとしてインターネット利用なのだ。

確かに、著者も言っているようにBtoBにマーケティングという概念が乏しいこともあって、製品やサービスは「売れる」ものではなく、営業の努力で「売る」ものだという意識が強い。つまりこのブログでも指摘していますがプッシュ型のこれを買ってくれという営業スタイルだったのだ。でも、企業であってもお客さんには変わりないわけだから、BtoCのプル型の営業スタイルは有効なはずである。著者もそれを言っているのだ。

そうは言ってもBtoCとBtoBでは同じようにやればうまくいくのかというと、そこは違いがあります。その最も大きいのは「意思決定のためのプロセス」にあると著者は言います。個人だと欲しいと思う人と購買決定者はほぼ同じ人ですが、企業では情報を集める人と購買の意思決定をする人が違うというのが普通です。ですから感情的な訴えより理性的な説明のほうが効果があるのです。

つまり、BtoBのマーケティングでは次のような4つの特徴がみられます。
1) お客様は「信頼性」「確実性」を重視する
2) お客様が「社内説明」を必要とする
3) お客様は「感覚」ではなく「論理」で判断する
4) 営業活動の補佐的な位置づけである

では、新規顧客がいっぱいやってくるようなウエブサイトはどうやって作ればいいのかである。まずは認知してもらうにはどうしたらよいのか。これがけっこう重要だと思う。お金をかけて、かっこいいサイトを作ったからお客さんがいっぱい来てくれると思う人がけっこういるのだ。でも誰も来てくれませんよということになる。そんな人に限ってアクセス解析もしていなくてみんな見てくれていると思い込んだりする。

そしてさらに重要なのは、いかにそこから見込顧客化してリアルな営業につなげるかである。これってプロセスなのである。著者のいうプロセスは下記のようになる。

1) 検索エンジンやリスティング広告・インターネット広告によるウエブサイトへの集客
2) 見込客の課題を解決するための情報を提供し、さらに深い情報をダウンロードしてもらい、引き換えにメールアドレスなどの見込客情報を取得
3) メール・マーケティングにより、継続的に課題解決に役立つ情報を発進するとともに、見込客の課題を解決できる商品・サービスを持っていることを継続的にアピールして興味を喚起し続ける
4) 見込客の購入タイミングが到来し、何らかの問い合わせが発生した時点で営業マンによる商談活動につなげる

このプロセスで重要なのは、"ダウンロードできるようなさらに深い情報"を持っているのか、"継続的に課題解決に役立つ情報を発進"できるかがあって、これがなければいくらかっこいいHPを作ったって意味がないですからね。では具体的にどうやるかだが、著者が言うのにはマーケティングには戦略、戦術、戦闘の段階があるのだが、巷ではすぐに戦闘レベルの話になってしまうのだという。

この話は、多くのケースで現れてくることで、木を見て森を見ない症候群がいたるところであるということなのだろう。SEOにしたって戦略から一貫してあるコンセプトがあってこそそれに基づくキーワード設定などにつながらないと効果がないのだ。
  

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2014年8月 8日

2つ目の窓

第67回カンヌ国際映画祭コンペティション部門正式出品作品という謳い文句で公開された河瀬直美監督の「2つ目の窓」を観る。河瀬監督は1997年に「萌の朱雀」でカンヌ国際映画祭カメラドール(新人監督賞)を史上最年少で受賞し、10年後の2007年には「殯の森」でグランプリを受賞とカンヌではすごく高い評価をもらっている作家である。2013年には審査員も務めた。

だから、今回の作品も期待されたのだが、審査員の中に中国と韓国の女優が入っていたからなのか(?)受賞はならなかった。もう彼女の作品は飽きられたのかもしれない。ぼくは、このブログでも書いているように前二作で受賞したことが理解できなかったので、ちょっときつい言い方かもしれないが、まともな評価が下ったのだろう。以前「殯の森」の記事でこんなことを書いていた。

要するに、河瀬監督のひとりよがりのような気がする。自分のイメージした観念的な世界をそのまま画像にして、さあみんな見てよねという感じなのだ。 だから、最初に書いたように、せりふは聞き取れないし、シチュエーションが非説明的だから、何が起こっているのかさっぱりわからない。たぶん、それがカンヌで受けたのだと思う。かえってこうしたよくわかんないものをわかったふりをしたい審査員が選んだのでしょう。

さて「2つ目の窓」はどうなのだろうか。相変わらず同じような映画なのだが、「朱花(はねづ)の月」も入れた前三作よりはわかりやすかったし、できがよかったようにぼくは思う。それはなぜかというと舞台が奄美大島で海をバックにした映画だったからである。これまでは奈良の山の中が中心で暗い感じだったのが一気に明るい南国の島になったから、話はいつものように滅入るのだが、それを打ち消してくれる風景があるのだ。

その滅入る話というのはこうだ。ある晩高校生の界人は海で背中に刺青をした男の溺死体を発見する。その場を走り去った界人を見ていた同級生の杏子は不思議に思う。二人は恋人というか仲の良い友達でいつも一緒だった。二人はそれぞれ家族に問題を抱えているのだ。界人は離婚した母と二人暮らしだが母親は男にだらしない。杏子の方は母親イサが病気で死期が近づいている。

てな具合に死と向かい合う若者、命をつないでいく世界、家族とはいったい何だろうかといういわゆる「喪失と再生」というよくある物語なのである。それを奄美大島の自然をバックに展開する。自然もただ美しいだけではなく台風で荒れ狂う海をも映し出す。河瀨直美はこのフォトジェニックな映像だけは評価できる。

でもやはり観終わってからの感想は毎回同じだ。河瀬監督だけがイメージできるセリフと映像でつなぎあわせて、さあどうだではひとりよがりと言われても仕方ないのではないだろうか。題名の「2つ目の窓」っていったい何のことだ。今回はもう少しでその欠点を克服できるかもしれなかったのに、冒頭ともう一回出てくる意味がわからないやぎを屠るシーンがぶち壊してしまった。
  
2つ目の窓.jpg
  

2014年8月 9日

ちょっといい話2014.8

ぼくの友達のS君はよく一緒に映画を観に行く仲間なのだが、以前はJICAに勤めていた。主に南米を中心にした活動だったので、今回サッカーのブラジルワールドカップでは高校時代の恩師や先輩・後輩を案内したりした。赴任が長かったのがボリビア、パラグアイ、ブラジルでワールドカップ終了後もパラグアイに行って旧交を温めて帰ってきた。

ブラジルでは、恩師の先生はもうずいぶん前にブラジルに渡ってもう亡くなってしまった弟さんの墓参りと残った奥さんとそのお子さんと面会した。甥っ子とは初対面だったという。S君はその場の近くにいたので感動していた。この話もちょっといい話なのだが、もうひとついい話がある。

実はS君のお父さんもJICAに勤めていた。今は93歳で一人暮らしをしている元気な人なのだが、自身も南米にずっといっていた。S君が高校生の時、家に遊びにいってもお父さんがいないので、最初母子家庭なのかと思ったが、南米(多分ボリビアだったと思う)に仕事に行っていると聞いて、そういう仕事もあるのだと感心したことを覚えている。だからS君はお父さんとそっくりな道を歩んだのだ。

それで、先日S君とお父さんのちょうど中間ぐらいの年齢のやはりJICAのひとが、ボリビア時代にお父さんが作った歌があるのだが、歌詞はわかっているが音符がないのでどこにあるのか知っているのかと聞いてきたのだそうだ。ボリビア時代のつらい日々や遠い日本を思いながら作った歌で時々みんなで唄ったのだという。

S君はその先輩の依頼にこたえるべくお父さんに尋ねる。ところが、音符なんてものは残っていないし、どこにあるかもわからないという。さて、そこでどうしたか。何と、お父さんがその歌を自分で唄うというのだ。さっそくレコーダーを持って行き、マイクを向けると93歳になるお父さんが唄いだしたという。もう50年も前のものなのだが、間違いなく唄った。

その先輩の息子さんが音楽関係の人なので録音した歌をその人に送って、採譜してもらうことにする。そのあとCDにして、その歌をまだ覚えているひとも現地にはいるのでそのひとたちに聞かせてあげるのだという。うーん、泣けてくる話ですね。
  

2014年8月12日

プロセス思考のすすめ(4)

ぼくは、元々がプラントエンジニアでケミカルプロセスを見ていたから、プロセスという言葉がすんなりと入ってくるのだが、意外となじみがないひとが多く、プロセスチーズは知ってるけどなんて冗談を言われる。チーズの場合は、「ナチュラル」に対して「加工」という意味で付けてられたのだそうだ。この加工という訳は若干違うがだいたい合っていると思う。目的のものにするまでにいくつかの処理を行ってそれが終わると完成品となるからである。要求に対して複数の加工(意思決定・判断)を行っていくと言ってもいい。

食べ物の話が出たついでに言うと、プロセスになじみのない人にわかりやすく説明すると"サービス"という概念を持ちだしたほうがいいのかもしれない。おもてなしの精神ですね。サービスと言うのはサービス学会の定義でいうと「提供者が受給者の望む状態変化を引き起こす行為」だから、レストランなどの食事サービスなんてまさにこのことです。お客さん(受給者)のおいしいものをお腹いっぱい食べて満足したいという望みに対して、料理の美味しさだけではなく雰囲気とかおもてなしなどを店側(提供者)が提供するわけです。

だから、プロセスとはサービスのことであると言ってもいいかもしれません。また、外部の顧客に限らず内部の人間でもサービスの受給者となると考えるといたるところにプロセスは存在するといえます。ところで最近では日本の"おもてなし"が注目されていますが、日本料理と西洋料理の違いについて考えてみました。料理の中身のことではなくサービスという観点からみると違うように思える。

どうも日本の料理というのは徹底した顧客志向なのではないと思う。お客さんが楽しめるように、お客さんが満足できるように工夫を凝らす努力をすごくしているように思える。素材から、あるいは風景の取り込みから、さまざまな角度からサービスを提供してくれている。ところが、それに対して西洋料理は、顧客志向ではなくむしろプロダクトアウト型ではないでしょうか。

つまり、こんないいものを作ったので食べろとか、俺の料理はだれにも負けない凝ったものだからうまいはずだといった押し付け型のような気がする。ミシュランのように店にランクを付けることからもうかがえるでしょう。どうだ3つ星のレストランはうまいだろうといったように、お客さんのほうが食べさせてもらっているという感覚である。

と書いたところで皆さんあることに気がつきませんか。企業の"もの作り"と似ていますよね。それで日本の製造業と対比してみてください。これまでの日本における製造業のもの作りはどうも押し付け型ではなかったのか。よいものを作れば顧客が喜ぶはずだ、だから売れるはずだという態度である。だから不思議なのだ。日本の料理にはおもてなし精神があるのにそれとは対極のサービスを提供していたのだ。"おもてなし製造業"というのもあってもいいと思うのである。
  

2014年8月11日

イノベーションを支援するITシステム構築の極意(26)

プロセス名を決め、始点と終点を決めると、次はプロセス構成に従って中間アクティビティを記述することを行います。ここでプロセス構成に従ってと言っているからには、プロセス構成について説明しておかなければいけませんね。基本的な構成は下記のようになっています。

プロセス構成.JPG

まず大きく意思決定プロセスと作業プロセス、タスク管理から成り立っています。ここで詳細に行く前にこのプロセス構成のバリーションを考えてみます。現実のプロセスでは意思決定プロセス、作業プロセス、タスク管理の重要度というか構成割合が違ってきます。そのバリエーションが下図となります。

構成バリエーション.JPG

ここも大きく3層と2層の構造に分かれます。3層では意思決定主体か作業主体かがあります。また、2層のものもあって、同じように意思決定が主体か作業が主体かでタイプが違ってきます。それぞれの説明は省きますが、従来システム化の対象となったのはDタイプです。どんな作業をすべきかがすでにあって、それをいかに効率的に実行するのかが焦点となるケースです。

ですから、ここはITを使って自動化することが目的になる場合が多く見られます。ところが、このプロセス構成では、段取りが与件としてあるという前提なのですが、実はこの段取りをどうするかが重要なのです。段取りが悪いものをいくら効率的にやったとしても手戻りが発生したりしたら何もならないわけです。

さて、プロセスの構成にある中間アクティビティを見ていきましょう。意思決定プロセスでは、「依頼受付」「要求仕様確定」「意思決定」「作業」「報告・登録」という要素が提示されています。前回始点と終点を先に決めると言いましたが、その始点は「依頼受付」、終点は「報告・登録」になります。つまり、内部でも外部でもいいのですが、何かこうしてほしいという依頼が出発点となります。その依頼に対する答えを作って依頼主に報告しでデータベースに登録するのが終点になります。

その間にあるのが中間アクティビティです。まず依頼がきたらその依頼の内容、どんな要求なのかをきちんと把握して固めておくことが大事です。あいまいなままにしておくと手戻りが発生してしまいます。依頼者は往々にしてこんな感じにといった抽象的な依頼をしてくる場合が多いのできちんとつめておいたほうがよいと思います。

その後は、単位意思決定を連鎖させたものになります。要求項目は複数のものがほとんどですから、複数の意思決定や判断になります。そして、作業がある場合には作業プロセスに落とし込みます。意思決定したものと作業プロセスから生成されたデータを合わせて報告・登録に持って行くことになります。


作業プロセスでは始点が「作業依頼受付」から作業指示がだされ、終点が「作業結果」ということになります。そして中間アクティビティは基本的には様々なアクションのつながりになります。このように、どんなリクエストがあってその内容を確定し、どんな答えを返してあげればよいのかを決め、どんな意思決定や判断を行うのか、作業な何があるのか定義していくことになります。

2014年8月14日

事例に学ぶBPM成功のポイント(6)

(2) プロセス分解
前回対象プロセスの特定ということで営業プロセスの中の「見積プロセス」と「プロモーションプロセス」に絞り込みましたが、まだこのレベルだと抽象度が高く粗いものになっています。実務上のオペレーションレベルまで持って行くには分解・詳細化してかなくてはいけません。これをどうやって行くか、どこのレベルまで分解すればよいのかが今回の論点になります。

この分解・詳細化をいちいちやっていたのでは大変です。そこで参照モデルを使うことにします。というのも、ハイレベルのプロセスであれば、どこの会社でもほとんど同じものであるはずだからです。それぞれの会社の"クセ"や"こだわり"出るのはずっと低いレベルになってからなのです。従って、世の中にある標準的なモデルを活用するのが一番てっとり早く楽な方法です。例えば、SCOR、VRM、PCF(APQC)、ESCORTなどがあります。

しかしながら、モデルもレベルを下げて行くとモデルの数がどんどん増えるのと例外なども出てきますので割と高次でとどめています。(ESCORTが最も低い)このレベルだともちろん実装はできませんから、実装レベルのプロセス設計はあくまで参照モデルを分解・詳細化していくのか、あるいは業務実態に合わせて設計していくのかの選択になってきます。ところがどちらか一方でやるのは効率的ではないので限界があります。従って、現実解としては、両者を合わせたハイブリッド型のアプローチになります。

つまり、「参照モデルを使ってトップダウンで枠組みを作り、それをベースに現実の業務をボトムアップで当てはめる」やり方を推奨しています。参照モデルは網羅性に優れていますが、それゆえに冗長的になります。一方、ボトムアップは所詮AsIsベースですから抜けがあったりします。ですから、お互いを補完する関係を作るのがハイブリッド型アプローチの肝です。

ハイブリッド.png

事例では、最初は営業プロセスの「見積プロセス」というレベルまで分解していきました。そのモデルをベースにして、現実の業務がどうなっているのか実際に営業活動をしている人を中心にディスカッションしながらプロセスを設計していきました。そこから「特注品見積提示プロセス」に詳細化されました。やはり、お手本があるかないかでずいぶんと違ってきます。議論のきっかけにもなりますし、地図があるかないかで行き先のイメージもわきやすくなります。

【成功のポイント】
階層化されたプロセス参照モデルと現有プロセスを併用したハイブリッド型のアプローチで行うこと


2014年8月13日

イーダ

「写楽」のマスターにいい映画だから観ろよと言われたので映画友達のS君をさそって渋谷のイメージフォーラムに出かける。「イーダ」というポーランド映画である。監督がパヴェウ・パヴリコフスキ。この監督はワルシャワ生まれだが、14歳の時に共産主義体制のポーランドを出て、ドイツ、イタリア、イギリスに移り住んで映画を撮っていた。

ポーランド映画というとアンジェイ・ワイダやイエジー・カヴァレロィッチといった監督に代表されるようにいい映画を輩出している。ヨーロッパ各地で映画を撮ってきた監督が母国に帰っての作品である。モノクロでスタンダードサイズという手法で1960年代のポーランドを写しだしている。すごく静かで落ちついていて、白と黒のコントラストがすばらしく映像美という点では評価したい。

ただ、全体として手放しで褒めるかというとちょっと考えてしまう。一緒に行ったS君が先のストーリーが全部読めたと言ったのだ。つまり、意外性も少ないごくオーソドックスな展開なのである。60年代のポーランドで戦争孤児として修道院で育てられたアンナという少女は、あるときあなたには叔母がいると告げられる。修道女として宣誓するに当たってその叔母に会ってきなさいと薦められる。

アンナはその叔母を訪ねるのだが、そこで言われたのが「あなたの名前はイーダでユダヤ人である」と。アンナは衝撃を受けるが、自分はなぜ親に捨てられたのかを知りたくて叔母と二人で出生の秘密や両親がどうなったのかを探りに旅立つ。昔住んでいた村ではなぜか歓迎されないのだが、徐々に秘密が明らかになる。

そうした、縦軸と同時に横軸として世間のことを何も知らないイーダが少しずつ変化していく。アルト・サックスの奏者との恋、酒と煙草を試し、派手なドレスも着てみる。そして、戦後の東ヨーロッパの陰惨さがモノクロの画面とマッチして重くのしかかってくる。とまあ、こんな展開でイーダが少女から女へと変貌していく姿が印象的だ。

最初にオーソドックスな展開といったのは、言い方は悪いがユダヤ人(ホロコースト)、共産主義、キリスト教という三題噺なのである。だから、これを持ち出すとみなあの時代の光と影を映しだした感動作でしょうといいたげなのである。そうとはいえ、なかなか見応えのある秀作である。
  
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2014年8月10日

戦争は忘れられたか

昨日は、長崎の69回目の原爆忌であったが、マスコミでの扱いもわずかで、これだと8月15日も影が薄くなりそうだ。朝日新聞の従軍慰安婦誤報問題とか変なところが話題になってしまった感もあるが、改めて戦争を考えさせられた日であった。

ぼくの死んだ父親のいとこ姉妹(父親の叔母の子)がうちに来たことが発端である。先日親戚の人が亡くなって、その葬儀の時に久ぶりにお目にかかったが、ぼくの母親が焼香に来たのを見て、会いに来たいと思ったのだという。年賀状でやりとりをしているのでだいたいのことはわかっていたが実際に会って話たいのだという。母親がいる老人ホームと今年亡くなったぼくの弟の家にもお線香をあげたいということでぼくとカミさんとで案内した。

母親としばらくぶりでおしゃべりするとどうしても戦争中の話題になる。というのもその姉妹は戦争が激しくなると東京の中野から母親とともに鎌倉に疎開してきたのである。その疎開先がぼくの親の家だったのだ。その姉妹は今77歳と70歳であるから、妹の方はまだ乳飲み子で姉は小学生だった。だから3年間ぼくと同じ小学校に通った。ぼくの姉が昭和22年生まれだから、その時はまだぼくの両親は新婚だった。

今考えるとありえないような話だ。新婚の家庭にいくら親戚とはいえ親子三人が入り込んでくるのだから。戦争とはそういう状況をも生み出すものなのだ。その時の家はもうとっくにとりこわしてしまっているが、以前の家では小さい子だから何かあったら大変と気を配っていたことを告げると、その姉妹はぼくの母親にほんとお世話になったと恐縮していた。

そして、駅まで送る車中では彼女らの父親の話になる。ぼくは知らないうちに亡くなったのだが、憲兵隊にいた人でかなり上の人である。憲兵隊といえば泣く子も黙る怖い存在ではあったが、彼女らにとってはやさしいお父さんである。昨日話題になったのはインパール作戦のことである。あの有名な無謀作戦で多くの兵を死なせてしまったことが「失敗の本質」でもとりあげれている。その後始末に行ったというのである。

あれはほんとひどい話で物資の補給もない中での高い山を越える行軍で戦闘する前に疲弊してしまうという作戦で、しかも雨期の劣悪なる環境で病死する兵も続出した。それを精神論で戦えと命令する師団長の独断専行が問題になった。その後処理を行い終戦を迎えるのだが、戦犯裁判にかけられることになる。

ビルマでゲリラ活動の指導者や活動家を処刑したという罪を問われたのである。実際に行動したのは部下であり、しかも司令部からの命令が直接その部下に行ったのである。裁判はイギリス管轄で行われ実行者は絞首刑になった。姉妹の父親は敵のスパイを救ったことや尊敬すべき人格とビルマ民衆に尽くした行為が認められて処刑を免れたのだ。

こんな話を車の中の短い時間でするという稀な経験をした。しかし、「戦争を知らない子どもたち」のぼくらだってもう還暦をとっくに過ぎた歳になっているのだから、戦争はそのうち風化しまうのでしょうね。語り継ごうにも実体験としてもっていないと伝えきれないのでしょうがないことなのかもしれない。
  

2014年8月15日

アドラー心理学入門

ぼくは心理学とか、自己啓発的な本はあまり読まない。幸せになる生き方とはなんて言われるとくすぐったくなってしまう。それともうこんな歳だから今更目覚めたなんてこともないだろうと思うところもある。ところが、だいぶ前に次男と酒を飲んだときに何を言った時だったかは忘れたがそれってアドラー心理学じゃんみたいなことを言われた。

それが気になっていて「アドラー心理学入門」(岸見一郎著 ベスト新書)を見つけて読むことにする。どう生きたらいいのかがここにあるという。正直ぼくはアドラーをよく知らない。フロイトやユングだったら少しはわかるがどう時代に生まれながらその名前はあまり知られていない。アドラーは一時フロイトと同じ研究会で活躍していたが意見の違いから分かれ、自らで「個人心理学」と称した分野へ進んだ。

彼の主な対象は教育と育児です。自分でもウイーンに児童相談所を作りカウンセリング活動を行っていました。口先だけの学者ではなく現実に身をおいた実践的な先生だったのだ。教育と育児であることからアドラー心理学は理解が容易だったようだ。しかし、だからといって皆から受け入れられたかというとそんなことはなかった。

アドラー心理学の特徴は、心の中ではなく対人関係を問題にしていることと、原因論ではなく目的論を採用していることだろう。ここらあたりを理論的に説明していくのは難しいので、教育と育児に絞ってみていくのが良さそうだ。アドラー心理学では、はっきりとした目標をかかげて、絶えずその目標を達成する方向で子どもを援助するということである

その育児の行動面での目標が「自立する」と「社会と調和して暮らせる」であり、心理面の目標が「私は能力がある」と「人々は私の仲間である」である。行動は信念から出てくるから、それを支える信念が育ってないといけない。信念はわかり易い言葉で言うと「ライフスタイル」だという。それは4,5歳(現代アドラー心理学では10歳前後)で形成されるものだという。そして、ライフスタイルは自分自身で決めるもので、何らかの要因によって決定されるものではないのだ。ここが重要なのだ。

そしてもう一つの特徴である対人関係の問題として、人間の悩みはすべて対人関係の悩みだと言う。よくあるケースとして、子どもが不適切な行動に走るのは親や教師から注目を引き出そうとしているからで、そんな時に叱ったり罰したりしてもダメで、かえってやめるどころか続けることになる。この注目を引くことが「目的」であるというような見方が「目的論」である。

それに対して一般的には「原因論」が多いでしょう。子どもが先生の言うことを聞かなかったときの「原因」はなにか、愛情が不足すると子どもが学校に行かなくなるという見方を「原因論」といいます。アドラー心理学では「目的論」の立場にたちます。腹が立ったから怒鳴ったではなく、怒鳴るために腹を立てた、不安なので外へ出られないではなく、外へ出ないために不安という感情を創っていると考えるわけである。

そこから、不適切な行動に注目するのではなく適切な行動に注目を与えるのです。そして、「普通であることの勇気」を持たせることだという。普通でいる勇気がないので特別に良くなろうとか悪くなろうとかいう行動に出るのです。では、勇気づけることができるのでしょうか。評価するのではなく、喜びを共有すること、自分の気持を伝えること、当たり前だと思って見逃しがちな行為に対して「ありがとう」とか「うれしい」とか「助かった」と言ってみせることだという。

なるほどと思う。そういえば佐世保の少女Aはどういうライフスタイルを形成したのだろうか。「普通である勇気」がなかったのだろうか。まだ、本にはいいことが書いてあるが、そんなにインパクトがあったかというと正直そうでもなかった。ぼくが既に実践していることの確認みたいな部分も多い。それと著者の文章がわかりにくいのが気になった。難しいことを言っているというよりもちゃんとした文章になっていなかったり、章の問いに対して答えを提示していなかったりとか理解するのに苦労した。
  

アドラー心理学入門―よりよい人間関係のために (ベスト新書)
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2014年8月20日

勘違いCMその2

以前、同じタイトルでNTT系の会社のCMをおちょくった。その前にもトヨタのCMのセンスのなさも言及したので第三弾である。そういえばテレビCMは突っ込みネタの宝庫ですね。今回のターゲットは富士通です。「あなたの未来に。富士通の技術」という中の「ビックデータ篇」というのがある。それだ。

説明にはこう書いてある。とある閑静な住宅街。タクシーに乗り、待ち合わせ場所に急いで向かう母と娘。しばらくするとなぜか、タクシーが急に止まる。不思議がる二人。すると、まるで予知していたかのようにサッカーボールが転がってきたのだ。というCMである。子どもが「どうしてわかったんですか」というと、運転手さんが、「よく使う道なんでね」と答える。子どもが「すごーい!」

その後子どもの声でナレーションが「でもこれからは、運転手さんに代わってICTが、飛び出しの多い場所だけでなく、便利でお得な情報を知らせてくれるそうです」とくる。別に聞き流してしまえばすむのかもしれないのだが、これが引っかかるのだ。これを見たとき思わず運転手に"あんたの仕事がなくなっちゃんだぞ"さけんでしまった。

もうICTに任せれば安全だし、便利だし、情報も豊富だからあなたはもうお払い箱になるんだぞと言っている。あわよくば運転も自動運転、あるいは運転ロボットが登場するかもしれない。そんなことを主張しているのに運転手さんはニコニコ笑っているのだ。どうも違和感があるのはぼくだけだろうか。

しかも、よく使う道であらかじめ注意をして止まれるように運転するってICTでできるのかな。そして、乗客と会話もできるのかな。そういうロボットもできるかもしれないが、人間と人間のふれあいがあるから、あるいはいろいろなわがままが聞いてもらえるからタクシーに乗る人も多いはずである。そんなことができるICTって無理なような気がする。

富士通のCMはがみなダメかといっているわけではない。「暮らしと富士通」というシリーズのCMではグローバル(通信)篇、グローバル(医療)篇、消防篇、アメダス篇などがあるのだが、それはよく出来ていると思う。ICTの魅力を伝えている。ただ、グローバル篇に比べると国内篇の後者2作品はちと劣る。だって、消防とあなたをつなぐICTとか気象とあなたをつなぐICTって何?ッて感じなのだ。これは、CMの問題ではなく、日本のICT利用が遅れている証左なのかもしれないとふと思ってしまった。
  

2014年8月17日

日常点描2014.8.16

お盆が終わって、夏もピークを越えて秋に向かう。だが、ことしは暑い。ちょっと前は涼しくなったが昨日はすごい暑さだった。わが家の盆は13日にお墓にいって花を手向け線香をあげてお精霊さまを家に連れてくる。お精霊さまというのは祖先の霊だが、わが家は親父が分家だったから祖先といっても20年前に死んだ親父の霊である。

朝、母親を老人ホームに迎えにいって一緒に鎌倉材木座にある妙長寺というお寺の境内にある墓地に行く。そして、戻ってくるとカミさんが家の前で迎え火を炊いてくれてそこでまたお線香をあげて家の中に迎え入れる。一応仏壇もきれいにしてほうずきや牛馬、提灯、仏花などの飾り付けをしてある。今年は、3月に亡くなった弟の新盆なので弟の家にも行く。

それから、毎日供物を供える。16日は送り火でお精霊さまを返してあげる。そのあと、お寺では施餓鬼会というのがある。死後の餓鬼道に堕ちた衆生のために食べ物を布施し、その霊を供養することを言うのだが、うちのじいちゃんは無縁仏でもなんともないので施餓鬼会とは関係ないと思うのだが、毎年行っている。管理費を払うのと塔婆をもらうために行くようなものだ。

しかし、写真にもあるように多くの人が参加してごった返している。他の寺でやっているのを見たこともないのでこのお寺だけの行事なのだろうか。お経は外のテントの中で聞くことになるのでぼくは終わりの頃に行くという不謹慎檀家なのだが、弟一家は新盆なので本堂の中に入る。喪服を来て真夏なので大変だと思いきや冷房が効いて寒いくらいだと言う。ぼくの父親の時はエアコンもないので茹だってしまったことを思い出した。前の住職はお布施を競輪につぎ込んだのでエアコンも買えなかったのだ。

14日はなんとカミさんと二人だけで七里ヶ浜のプリンスホテルのバイキングに行く。二人でデートなんて何年ぶりだろう。ちょっと照れくさい。去年は次男が帰省していたので3人で行ったし、長男とも行ったことがあるが、今年は長男が彼女と清里に行ってしまい、次男はスリランカ一人旅ということなのでカミさんと二人だけになったのである。

バイキングだから、カミさんは朝から食事抜きでお腹ペコペコにして準備万端。狙いは、タラバ蟹、ローストビーフ、フォアグラ、まぐろ寿司である。その食べっぷりにはびっくりする。せっかく二人だけになったのだからロマンティックな話でもしようかと思ったのに、タラバの肉をほじくるのに一生懸命でそれどころではなかった。ヨメさんは十分元をとったと思うが、ぼくは無理だ、シニア割引があればなあと思うのであった。

お施餓鬼14.jpgのサムネイル画像
  

2014年8月18日

鎌倉の寺社122を逆さまに歩く(4)

「元八幡から長勝寺とその周辺の小寺社をめぐる」

このシリーズは、「鎌倉の寺社122を歩く」(山折哲雄監修 槙野修著 PHP新書)という本に出てくる寺社を本の順序と逆に歩いてみようという試みである。ですから、最初はうちの近くから始まって大船駅周辺を巡ったところである。このとおりに行くと次は北鎌倉になるのだが、8月16日にわが家の菩提寺である材木座の妙長寺のお施餓鬼会に出かけて、そのついでに近くの寺社を回ってきたので、順番が違うのだが先に材木座周辺の寺社を2回に分けて書いていくことにする。

最初は、「妙長寺」(日蓮宗 1299年創建)である。開山したのは日実という人で、伊豆に流された日蓮を助けた漁師、船守弥三郎の子である。だから、山門脇に日蓮像が立っている。また、このお寺に泉鏡花が一時滞在したこともあった。作家がお寺に寄宿することが多かったのだ。

妙長寺から海岸の方にちょっと行った右手に「向福寺」(時宗 1282年創建)がある。小さいお寺で住宅の中に埋まっているという感じである。それでも隣の墓地にはお参りに来ている人を数人見かける。

向福寺.JPG

向福寺の向かい側の道を東に向かうと「五所神社」にぶつかる。五所という意味は、明治41年にもともとあった三島神社のところに、諏方神社、八雲神社、金毘羅宮、見目明神の4社を合併したからである。境内には国の重要美術品である「不動種子板碑」というのがある。1262年の銘があるという貴重なものだそうだ。

五所神社.JPG五所神社板碑.JPGのサムネイル画像
五所神社から海の方にちょっと行ったところに「実相寺」(日蓮宗 1284年創建)がある。曽我兄弟の父の仇として討たれた武将工藤祐経の屋敷跡だったそうだ。日蓮が佐渡に流された時、日昭上人が一門の教化と統一のために建てた「浜士の法華堂」が紀元である。

実相寺.JPG

ここから戻るように進み、五所神社を通りすぎてすぐに「来迎寺」(時宗 1194年創建)に着く。源頼朝が重臣であった三浦大介義明の霊をとむらうために建立した真言宗のお寺が前身で後に時宗に改宗したのである。三浦義明というのは畠山重忠の軍政と戦って何と89歳で戦死したすごい人だ。境内には義明の墓があり、その裏手には三浦一族の墓が並んでいる。

来迎時.JPG来迎寺墓.JPG

さて、来迎寺から名越の踏切の方に向かうと「長勝寺」(日蓮宗 1263年創建)の帝釈堂が見えてくる。参道もあり大きなお寺である。本堂の前に進むと増長天、広目天、毘沙門天、持国天の四天王像が立ち、その中央に日蓮聖人像が屹立している。高村光雲作だという。日蓮ってこんなに偉丈夫なひとだったのだと改めて感心する。

長勝寺.JPG

最後は「由比若宮」である。「元八幡」ともいう。この名のとおり鶴ケ岡八幡宮の元になった神社である。頼朝より5代前の源頼義が戦に赴くときに石清水八幡宮に戦勝を願いそのとおりになったのでこの由比郷鶴岡の地に八幡宮を建てたのである。それが1063年でこの年をもって「鶴ケ岡八幡宮」の創建としている。そして、およそ100年後に頼朝が鎌倉入りした時に今のところに遷したのである。と考えると感慨深いものを感じる。

元八幡.JPG


2014年8月19日

イノベーションを支援するITシステム構築の極意(27)

始点と終点と中間アクティビティが決まったら、主要なアクティビティである意思決定で確定すべきデータあるいは判断項目を定義することになります。この辺になるとわかりづらくなりそうなので具体的なプロセスを例にして説明していくことにします。

「見積提示プロセス」を例に今までのおさらいも含めて見ていきましょう。このプロセスの始点は「見積依頼」で、終点は「見積書提出」です。このプロセスは典型的な顧客接点プロセスですから、始点から先に決めます。お客さんはこういうものが欲しいから見積書を作って送ってくれと言いますのでそこが出発点になります。

見積依頼は見積書をお客さんが受領して終わります。つぎの商談から受注までを一つのプロセスと考えてはいけません。顧客は見積をもらってから発注するかどうかはわかりませんから別のプロセスとして扱います。このように、リクエストに対するレスポンスという関係がプロセスの骨格となるわけです。

次に中間アクティビティをみていきましょう。意思決定プロセスでは、「依頼受付」「要求仕様確定」「意思決定」「作業」「報告・登録」という要素からなっていることを前回示しました。ですから、「見積依頼受付」が最初で最後が「見積結果報告」ということになります。2番目の「要求仕様確定」というのは、どんなものあるいはどんなことを見積もって欲しいかを確定することです。

お客さんの頼み方も様々できちんとした依頼書を書いて提出してくれる場合もあるでしょうし、逆にだいたいこんなものでといった曖昧な表現で頼んでくる場合もあります。話は少しそれますが、この両極端の場合は注意が必要です。きちんと仕様を決めてくれるというのは一見良さそうですが、あまりに詳細に決められると提供側の裁量を入れられないという事態が起こるケースもあってやめたほうがよいと思います。

普通は見積を依頼する側よりも提供側のほうが情報が高度で多いはずだからプロの意見を取り入れたほうがいいからです。素人が玄人のことに口出しするなですね。反対に、曖昧な依頼も困ったものです。往々にしてベテラン同士のやりとりにあったりします。手戻りに泣かされることになります。

ここでの主題は「意思決定」の中身の定義の話ですから、「見積提示プロセス」ではどうなるのでしょうか。その前に意思決定と言うのはどういうことをすることなのでしょうか。それは、"データを確定すること"と"ある判断をすること"と考えています。データ確定も原則一つのデータです。こういう数値にするという決定のことです。

ここでおわかりかと思いますが、「依頼」から「要求仕様」を確定するというのは、確定してほしいデータ、判断をしてほしいことを書き出すことに等しいのです。「見積提示プロセス」では、実際には顧客要求を聞いてから意思決定アクティビティが決まりますが、理解しやすいように常識的なものをあげておきます。

見積書に記入する項目として主なものは、「商品仕様」「数量」「納期」「価格」といったものになるでしょう。こうしたデータをプロセスの中で順番に決めて行くわけです。そして、意思決定ともう一つの中間アクティビティに「作業」というのがあると言いました。この例では、「見積書作成」というのが作業になるわけですが、今どき手書きではないので、確定データを中間登録しておけば自動的に作成してくれるでしょうから、ほとんど作業なしでプロセスオペレーションできることになります。
  

2014年8月23日

ブランド力

ビジネスモデルの要素にリソースというのがある、代表的なのはヒト・モノ・カネであるが、それ以外にも、技術・ノウハウだとか人的ネットワーク、知財などとともにブランド力というのがある。このブランド力は簡単に持てるわけではなく長年の活動の積み重ねにより形成されるから、競争力の源泉になったり差別化の要因になったりする。

日本でブランド力というとディズニーランドがトップでその次がソニーだそうだ。え、まだソニーブランドは健在なのかと驚いてしまうが、ブランドは定着するのに時間がかかるから逆にそう安々とは失われないのだろう。しかし、今のソニーの凋落ぶりをみているとそのうち忘れられてしまうかもしれない。

そのソニーが業績の挽回を目指して事業創出部というのを新設したのだという。これも何だか奇異な感じがするけど背に腹は代えられないのだろう。新規事業を専門の部署を作って生み出すというのもありえそうだができるのだろうか。そうしたら、そこから出てきた新規事業が「ソニー不動産」なのだそうだ。あれれ、また首をかしげてしまった。

ソニーは金融とか保険に進出しているから不動産もありかもしれないが、あのソニーが不動産かよと突っ込みたくなる。ブランド力があればみんなが知っているからどんなことをしても成功しそうな錯覚を持ってしまうが今やそんなに簡単ではないと思う。それなりに"なぜソニーがやらなくてはいけないのか"ということを吟味しないといけないと思うがやっているのだろうか。

新規事業を起こす場合、そのビジネスモデルが成功する必然性が備わっているかが重要であるが、それでも全く新しいモデルにするわけにも行かないので既存のビジネスモデル要素を活用できる領域が選ばれることが多い。富士フィルムの医療だとか化粧品といった新規事業は保有技術の活用という地続きのビジネスである。こうしたある事業で培った技術を他分野に転用するというタイプは有効である。ただし、その技術もダントツに近く他社に真似できないものである必要がある。ソニーの不動産の場合は何なのだろうか。

昨今では、ワタミの介護とか、成長分野への参入が多く見られる。驚いたのはあのゲームで一躍急成長をとげたGREEもその介護分野へ進出するのだという。まあ、介護施設を作るわけではなさそうだが、単にマーケットがあるから行くんだという安易さを感じてしまうのはぼくだけだろうか。
  

2014年8月21日

鎌倉の寺社122を逆さまに歩く(5)

「鎌倉の下町情緒と海の香りのなかを歩く」

前回は鎌倉駅に近い材木座の小寺社を中心に歩きましたが、今回は海岸側の寺社になります。前回歩いてみて気がついたのですが、宗派が日蓮宗と時宗の二つだけだったのです。5つのお寺のうち3つが日蓮宗であとの2つが時宗なのです。さすが、日蓮にゆかりの地ですね。今度のお寺はいずれも日蓮宗や時宗ではない。こんな狭いエリアでも地域性があるのですね。

妙長寺を左に、向福寺を右にみて海に向かうと右手に「九品寺(くほんじ)」(浄土宗 1336年創建)に出会う。鎌倉攻めの総大将だった新田義貞が、鎌倉幕府滅亡後に敵方の北条氏側の戦死者を供養するために建立したお寺である。入り口に九品という意味が書いてあった。極楽往生を願う人は生前のおこないで9種類の往生の仕方があるのだという。上品、中品、下品があり、その中に上生、中生、下生があってその組み合わせで9つである。下品なぼくはどういう往生をするのだろか。

九品寺.JPGのサムネイル画像のサムネイル画像

九品寺からまた海の方にほんの少し行って左にはいると「補陀洛寺(ふだらくじ)」(古義真言宗 1181年創建)を見つける。住宅地に中にあってわかりにくく何回も迷ってしまった。補陀洛という珍しい名前であるが、観音菩薩が住むという南海上にある山のことだという。源頼朝と文覚という当時のキーマンに縁があるお寺である。親子三代の家族連れが昼食を食べていたのが似合う感じの小さな寺だ。

補陀洛寺.JPG

さらに海の方に向かうと大きなお寺に遭遇する「光明寺」(浄土宗 1243年創建)である。北条経時が鎌倉に入った然阿良忠のために佐助が谷に作ったお寺をこちらに移して名前を変えたものだそうだ。大きな山門を通ると境内は広々として、正面に大殿、右には善導大師像と弁財天像、左手には如意輪観音像、宗祖法然像が鎮座して壮観である。「お十夜」でよく知られている。

光明寺.JPG光明寺鐘.JPG
これで材木座の寺社めぐりは終わりなのだがやはり海岸に出たくなる。それと小学校の恩師の家もすぐだからぶらりと回って見ることにする。材木座海岸というと小学校の時にその先生に連れられていった砂工作大会を思い出す。海岸の砂を使って好きなオブジェを作って競うのである。そんなことや先生のうちに呼ばれて海水浴の後ライスカレーをごちそうになったことなどがよみがえってきた。

さて、恒例のランチタイムです。今回は水道路の交差点から西に行ったところにある「満」(まんといいます)です。ここのランチメニューがユニークです。「エチオピア定食」「タイヌードル」「焼き魚定食」の3つでいずれも900円である。なんかおかしくないですかこの取り合わせ。もちろん謎の「エチオピア定食」をオーダーするも本日はありませんとのこと。残念。仕方なしに「焼き魚定食」をいただく。
  

2014年8月22日

太秦ライムライト

一昨年の東京スポーツ映画大賞で特別賞として映画の世界の裏方さんを表彰したことがあった。映画を愛する北野たけしの敬意だったのだが、その中のひとりに福本清三さんがいた。その時の紹介も映画の中で5万回斬られたと言われる日本一の斬られ役というものであった。そして、舞台で殺陣師の二家本辰巳さんと二人のチャンバラも見せてくれた。

その福本清三さんが主役の「太秦ライムライト」を観る。映画は福本さんをモデルにしたものでその主人公を福本さん自らが演じている。監督が落合賢、共演が映画初出演となる山本千尋(この人は世界ジュニア武術選手権優勝者でもある)、本田博太郎、合田雅史、萬田久子、松方弘樹ら。この映画は、カナダのファンタジア映画祭で最優秀作品賞と最優秀主演男優賞を受賞するという快挙を達成する。

ストーリーは福本さんの自伝的な要素がいっぱいである。京都の太秦撮所を舞台に年老いた斬られ役の大部屋俳優の香美山(福本清三)の徐々に居場所がなくなっていく姿を描いたものである。時代劇が徐々に減っていく中斬れ役も出番は減少の一途で、プロダクションの社長(本田博太郎)も香美山へ仕事を割り振るのも苦労している。そんな時撮影所に若い女優志願のさつき(山本千尋)がやってくる。さつきは香美山に殺陣の指導を請う。最初は断るのだがさつきの熱意に負けて教えることになる。

そのさつきは現代風の時代劇で吹き替えから主役の座を射止めることになり一気にスター登りつめる。一方香美山はどんどん出番がなくなり撮影所ないでのチャンバラショーをこなしていく。さらに、老いた体も刀がちゃんと握れなくらい衰えてしまい引退を決意する。ところが、故郷に帰って畑仕事している香美山のもとにさつきが訪れ、もう一度私と刀を交じ合わせてくれないかという。

という展開はまさにチャップリンのライムライトなのだが、そういうことを忘れさせるような福本清三の独自の世界が現出する。やはり、本物が演じることの迫力が半端ではない。福本清三はそんなに知っていたわけではないが何と言っても「ラストサムライ」でトム・クルーズと共演して一躍有名になった。それでも、ずっとセリフもない斬られ役を続け、「どこかで誰かが見ていてくれる・・・」というしびれる言葉を残している。

この決して表舞台に立って脚光を浴びることもないのに黙々と芸を磨く一途さは感動する。非常に良い作品だ。きっと来年の「東スポ映画大賞」にはノミネートされ何かの賞をとることだろう。
  
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2014年8月26日

ヤンキー化する日本

「世界が土曜の夜の夢なら」でヤンキーについて論じた斉藤環が、ヤンキー文化に関係する各界の著名人と対談した「ヤンキー化する日本」(角川oneテーマ)を読む。本に登場する各界の著名人というのは、村上隆、溝口敦、デーブ・スペクター、与那覇潤、海猫沢めろん、隈研吾といった人たちである。

ところでヤンキーはどういう定義なのだろうか。著者は誰の心にもヤンキーはいるといっているからなおさら気になるところである。ところがいまだに定まった定義はないのだ。当然といえば当然で、なので著者はWikipediaの定義を持ちだしているが定義するより、どんな振る舞いや嗜好があるのかといったことを見たほうがわかりやすいかもしれない。

それだと、バッドセンスな装いや美学と「気合い」や「絆」といった理念のもと、家族や仲間を大切にするという一種の倫理観などがアマルガム的に融合したひとつの"文化"を指すことが多いのだという著者の主張が理解を助けるかもしれない。つまり、日本人の持つ気質とか意識のなかにこうしたヤンキー的な要素が多くあり、それが様々な層に広がってきているということなのだろう。

具体的なヤンキー文化について次のような項目をあげている。
・ バッドセンス
・ キャラとコミュニケーション
・ アゲアゲのノリと気合
・ リアリズムとロマンティシズム
・ 角栄的リアリズム
・ ポエムな美意識と女性性

バッドセンスは正銘のヤンキーには必須ですね。改造車とか車のダッシュボードをぬいぐるみで一杯にするとか、成人式のいでたちとか、太いゴールドのネックレスに大きめのサングラスといったものはもろヤンキーだ。ヤンキーと親和性の高い人々は、基本的にコミュニケーションが巧だという。だから、島田紳助に代表されるようにお笑い芸人に多いのだ。

おもしろいのが「気合とアゲアゲのノリさえあれば、まあ何とかなるべ」だ。「気合」は美学である。これって、日本軍と一緒じゃないか。でも日本人はこの「気合主義」はみんな持っているのではないだろうか。だって、何かにつけて「がんばれ」だからだ。ぼくは、つい使ってしまうが"がんばれ"というのはやめたほうがいいと思う。著者もいうように、個人を集団主義のほうに引き寄せようとする匿名的な意思がひそんでいるからである。

あとのリアリズムとかロマンティシズム、ポエム、女性性といった要素も非常におもしろい。政治家もヤンキー政治家も多く、田中角栄の実利志向と気合の入った行動力、瑞穂の国の資本主義というポエムを語る安倍晋三、無双ぶりをいかんなく発揮する橋下徹とかいっぱいいますね。

ヤンキー文化の説明ばかりで肝心の対談の話が出てこないのだが、対談相手のそれぞれにテーマがあって、村上隆・ヤンキーと芸術、溝口敦・ヤンキーと半グレ、デープ・スペクター・ヤンキーと芸能界、与那覇潤・ヤンキーと国家、海猫沢めろん・元ホストと男子校、隈研吾・ヤンキーと新歌舞伎座というラインアップである。なかには無理やりヤンキー文化に引っ張りこんだ人もいてカオスなんだけど一番面白かったのは与那覇さんとの対談ですね。

このヤンキー文化は日本固有の文化と密接なつながりがあって、丸山真男や山本七平を持ちだして議論を展開している。いわゆる「日本教」との類似など語っているが、ヤンキー文化と言うのは基本的に反知性で歴史認識がないことの問題を指摘している。「自分の行為を遠い将来の視点から振り返って、歴史のなかに位置づけうという感性が育たない」のは困ったものだと思うのだ。さてこれからの日本のヤンキー化はどこまでいくのだろうか。
 

ヤンキー化する日本 (角川oneテーマ21)
斎藤 環
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2014年8月28日

プロセス思考のすすめ(5)

ちょっと前に「ヤンキー化する日本」(斉藤環著 角川oneテーマ21)という本を紹介したが、ヤンキーという表現をしているが日本人の一般的な性癖だとか考え方といったものを論じている。その中で日本の近現代史の研究者である与那覇潤さんとの対談で「ヤンキーの人は感性を肯定するために知性を批判する」「言語を根本的に受け付けない性質」「日本人は、閉じた世界のシステムを現実と結びつけるのは苦手、閉じた世界であれこれ操作するのは得意」といった論評がすごく印象的だった。

そのことを考えていたら、ふと浮かんだのがこれは日本人がプロセス思考を苦手というか、そういったアプローチをなかなかとらない原因ではないかと思ったのである。実は、プロセス思考というのは、論理的であり、言語的なのである。それで、プロセスを考えましょうというとよく言われるのが、現実は理屈どおりにはいかないよとか、難しいこと言うなよなといった批判がすぐに出てくる。

このことは業務システムの構築局面での話が多いので従来のシステム屋さん(技術屋さんもコンサルも含めて)が従来の非プロセス思考を引きずっていることもあるのだが、もっと日本人の底流に流れている先述したような特徴も影響していそうだ。つまり、仕事なんかそう論理的にできるものではなく、気合でやればいいし、「絆」が大事で愛と信頼があればうまくいくんだという精神があるように思える。

こうした世界はITとの親和性が乏しい。私的な領域では問題ないかもしれないが、特に企業におけるビジネス活動においてはIT活用、システム化の妨げになっているように思う。だから、プロセスを中心にあるいはプロセスを先行して考えましょうと言っても個人がいかに気合をいれられるかといった閉じた世界をシステム化の対象にもってくる。業務の効率化とか、作業改善が先でそのあとにプロセスを考えましょうとなってしまう。順番が逆でしょうと思うのだがこのパターンが多い気がする。

個々の業務を開かれた世界にして現実と結びつけることが大事なのにこれがなかなかできない。この現実との結びつきを仲介してくれるのがプロセスだと思うのだがいかがでしょうか。究極的には企業におけるビジネス活動は「人とプロセス」だとも言える。人が行うタスクという点がプロセスによって、線や面になっていくわけで、そのあたりを実現するためにも、苦手なプロセス思考を採り上げてほしいと願っている。
  


2014年8月27日

アメリカン・ハッスル

詐欺師が出てくるアメリカ映画はよくあるがこの「アメリカン・ハッスル」よく出来た作品で面白かった。1979年に実際にアメリカで起きた「アブスキャム事件」を基にした映画である。詐欺師がFBIに協力したおとり捜査で政治家たちを逮捕した事件である。

主たる登場人物は次の5人である。
アーヴィン・ローゼンフェルド(クリスチャン・ベイル):主役の詐欺師
シドニー・プロッサー/レディ・イーディス(エイミー・アダムス):アーヴィンの愛人で相棒の詐欺師
リッチー・ディマーソ(ブラッドリー・クーパー):おとり捜査を仕掛けるFBI捜査官
カーマイン・リポート(ジェレミー・レナー):おとり捜査の標的になる市長
ロザリン・ローゼンフェルド(ジェニファー・ローレンス):アーヴィンの妻

この5人のキャラがとてもおもしろいのだ。アーヴィンは太って腹が出ていてハゲでかつらをつけているというカッコ悪さだが詐欺に賭けては天才だ。シドニーは、胸を思い切り開いたエロい美人でやはり腕の立つ詐欺師である。リッチーは、パンチパーマでエキセントリックな面をもって上司を殴り飛ばしてしまう。カーマインは清濁併せ持ったリーゼントの政治家で、ロザリンは気ままな行動で夫の仕事の邪魔ばかりする。

この5人のそれぞれの個性を発揮する俳優陣の演技もさることながら、繰り広げる騙し騙されるストーリーにもすっかり引き込まれてしまう。だって、実話に基づいているからリアル感もあり、緊迫感もありで楽しめる。単なる詐欺行為を映し出すだけではなく、そこにある人間関係にも焦点を当てていて、シドニーがアーヴィンとリッチーの間を揺れ動いたりする。ロザリンのハチャメチャさもおもしろい。

また、それぞれの家庭とか家族を持ち込んでいる詐欺映画という意味では目新しいように思う。アーヴィンも妻ロザリンのだらしなさに離婚して子どもの親権を得ようとするがロザリンは承知しないとか、養子まで含めて多くの家族がいる市長とか、リッチーの家族や婚約者もでてきます。ですから、詐欺行為の物語というより、5人の生き方というか、悩みというかそんなことがいっぱいの人間劇でもあるのです。
  
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2014年8月25日

イノベーションを支援するITシステム構築の極意(28)

7つの作法の4つ目は「作業プロセスがある場合はそれをサブプロセスとして記述する」です。毎回言っていますが、プロセスの基本構成は、「依頼受付」「要求仕様確定」「意思決定」「作業」「報告・登録」ですが、その作業プロセスのことになります。作業プロセスは前回例に出した見積提示プロセスのようなものだとほとんど作業らしきものがない場合もあります。

一方で主として作業プロセスからなる場合もあります。例えば製造プロセスのようにもうやるべきことが決まっていて、依頼がきたら手順に従って実行するといった場合です。要求仕様は逆に決まったものを受け付けるから与件としてあるし、段取りにあたる意思決定も既定のものとして扱うからです。ですから、プロセスの性格が意思決定が大事なのか作業が主たるプロセスかで多少構成が変わってくることもあります。

作業プロセスの基本構成は、「作業依頼受付」「作業項目確定」「期日決定」「担当者割当」「作業結果報告」というものになります。意思決定に基づき作業すべき内容がこの作業プロセスに受け渡されます。それを受けた作業プロセスでは、作業内容に従って、作業項目(タスク)にブレークダウンし、タスクごとに期日と担当者を決めて、作業の結果を集約することを行います。

意思決定プロセス→作業プロセス→タスク管理というようにつながって行くわけですが、キーとなる作業名、作業内容、期日はちゃんと継承されていきます。こうして実行された作業結果はデータ、報告書などの帳票、制作物などとして大元の意思決定プロセに戻されます。

さて次に5つ目の作法である「プロセス構成モデルからケース分割とタスク分解を検討する」になります。これはわかりにくいかもしれませんが、作業プロセスがいくつかのケースに分割されることがあるのでそれを見ていきましょうということです。作業プロセスに受け渡す作業内容が複数の作業プロセスになる場合です。

例をあげると、新規顧客獲得プロセスというものを考えてください。いつまでに何人を見込顧客として獲得しなくてはいけないのでキャンペーンを行うというようなプロセスの場合です。例えば、展示会たけのキャンペーンでいいなら1つの作業プロセスで済みますが、他にもDMだとか訪問だとかといったものも実施するとなると作業プロセスが複数になる場合です。こうした時にはケース分割とタスク分解を行います。
  

2014年8月29日

楽観主義と楽天主義

字面は似てても意味がぜんぜん違う。楽観主義の対語は悲観主義だけどそれとも違う。ぼくは常に楽観主義でありたいと思っている。アドラー心理学でも楽観主義を薦めている。何が起こっても何とかしようと思いたいのが楽観主義で、何が起こっても大丈夫、何が起こっても悪いことは起こらない、失敗するはずがないと思い、何とかなると考えて、結局何もしないのが楽天主義です。

また、悲観主義は、何ともならないと考えて、状況に立ち向かおうとしない、何もならないと諦めるのだ。楽観主義は現実をありのままにみて、とりあえずできることをやってみようという態度である。つまり、楽天主義、悲観主義は受動的な響きがする。一方、楽観主義は能動的だ。あるいは他力本願的な感じと自力でやるぞという意味合いもあるだろう。

アランの有名な言葉に「悲観主義は気分のものであり、楽観主義は意思のものである。およそ成り行きにまかせる人間は気分が滅入るものだ」というのがある。まさにこのことを言っている。ただ、表面的にはそうした違いがわからないところもあって、本人は楽観主義でやっていると思ってもまわりからあいつは楽天家だと言われたりすることもある。

何か問題があった時に深刻に考えることが誠実だと思われがちで、あまり気にせずそういう姿勢を見せないと何だかこいつ真面目にやっているのかと疑われたりする。ぼくは楽観主義者であると言ったが、昔会社勤めをしていた時に、あまりうまく行っていないプロジェクトがあって、かなり追い詰められたことがあったが、そのとき人事部長に呼ばれて食事をしたとき、お前は極楽とんぼだなあと言われたことがある。

極楽とんぼってもちろん楽観主義とも違うし、どちらかというと楽天主義に近いかもしれないが、飛ぶのを諦めているわけでもないのでちょっと違う。周りのことを気にしない、悪く言えばカエルのツラにションベンってことかもしれない。こうなると、意思としての主義と行動パターンとか態度とかは切り離して考えたほうがいいのだろうか。

だから、考えは楽観主義であって、気持ちは「ケセラセラ」とか「人間万事塞翁が馬」だなんていう楽天的な態度でいいんじゃないかというのがぼくの心情である。ぼくの口癖で「ま、いっか」というのがあっていつも子どもたちから詰られるのだが、ぼくにとっての楽観主義の意思の表れでもあるのだ。
  

2014年8月30日

記事捏造騒動

ぼくの家ではいまは読売新聞をとっている。ずっとそうかというとそうではなくて、カミさんが景品をもらえることをいいことに半年で朝日新聞と交互に購読している。だから、どちらの新聞に肩入れするとわけでもないのだが、今回の従軍慰安婦問題については朝日新聞にはあきれた。みなさんもうよく知っているから詳しくは言わないが、32年間間違った記事を訂正しなかったのをついに誤報を認めたのだ。

これは非常に重大な過誤でこれだけ日韓関係がギクシャクしたのもこの記事に負うところが大きいのは明白だ。だから、朝日も罪深いことをしたものだ。問題は吉田清治という嘘つきおっさんの作り話を記事にして、強制連行したと報道してしまった。その話が嘘だったと認めたのだ。だが、それで捏造記事だった、誤報だったと素直に謝ればいいのに本質は"強制性"にあるとかわけのわからないことを言って、問題をすり替えてしまった。まったくひどい話だ。いまだに説明責任も果たしていない。不祥事があるとやれ説明責任だといって会社をつぶしてしまうほど叩きまくった張本人が自分のところは頬かぶりはないだろう。

もはや、リベラル朝日は地に落ちた感がある。そして、この件についてついに読売が攻勢に出た。マスコミが同業を攻めるのはご法度だったはずだ。どこもすねに傷をもつから返り血を浴びるのが怖いからだ。だが、それを覚悟で読売は朝日批判のキャンペーンを張った。朝日のシェアは大幅に減るだろう。自業自得だ。

ところで、今朝の新聞でも朝日批判が一面を飾った。例の「吉田調書」が明らかになった。まだ非公開のものだが、朝日と産経が記事にしていることもあって、読売でも記事になった。これは、東京電力福島第一原発事故を巡り、政府の事故調査・検証委員会が吉田昌郎元所長から聴き取った記録である。のべ28時間にもわたって聴取した非常に貴重な記録である。当時の緊迫した様子がうかがえ感動すら覚える。

そこでも、読売は朝日に食ってかかっていく。朝日新聞が5月20日付朝刊1面で、「所長命令に違反 原発撤退」と報じたことに対してそんな事実はないと反論したのだ。調書の内容を読んだが、読売の言うとおりでどうして「撤退」という表現が出てきたのか不思議だ。確かに、「待機」を指示したのに「退避」してしまったのは事実だが、それは伝言ゲームであって、吉田所長もその判断は正しかったと言っている。その後、戻ってきた人もいたのだから明らかに「撤退」は間違いだ。ここでも意図的な捻じ曲げを行っている。

この調書を読むと涙が出てくる。ぼくは昔化学プラントで働いていたから、トラブルで緊急事態の陥ったときにどういう対処をするのか、どういう判断をするのかというのが非常に大事になってくるが、パニックになっているから冷静な判断が難しくなる。そうなると、自分の判断を信じて毅然として指示を出すのはリーダーの務めなのだ。この調書をみると吉田所長は立派に役目をはたしていたと思う。これは現場の人しかわからないから、外からわいわい言うのは雑音以外の何物でもなくて邪魔になるのだ。当時の菅首相への非難はよくわかる。"おっさん"呼ばわりするのも当然だ。

なぜ朝日新聞は素直に理解でしないのだろうか。謙虚になって事実を見つめることを放棄しているように見える。いつもサヨク的バイアスがかかっていて、国のやることは悪い、政府は強者の味方だから、私たちは弱者の味方だからという態度である。報道機関としてはやってはいけないことだ。同じ吉田氏が語ったことでも雲泥の差がある。嘘つきおっさん(吉田清治)と怒鳴りちらしおっさん(菅元首相)のふたりのおっさんは日本の恥だ。もちろん朝日新聞もだ。
 


2014年8月31日

YAPC::Asia2014

昨日、日吉の慶応大学協生館で開かれていたYAPC::Asia2014に行ってきた。YAPCというのはYet Another Perl Conferenceといって、Perlというログラミング言語のカンファレンスです。ただ最近ではPerlに限らず、他の言語やWebサービスや運用などに多岐にわたるセッションがあります。

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今年は、うちの社長が実行委員長を務めていたので行かにゃなるまいと思って、ITとは関係ない営業マンの次男連れてでかけたのである。前夜祭も含めると3日間にわたるイベントで、その最終日の午後からだから、ちょっと触れただけかもしれないが非常に面白かった。ぼくは今腰を痛めていて動けないのだがやっとの思いで行った甲斐があった。

次男も技術的な内容はさっぱりわからなかったが雰囲気がとても印象的だったと言っていた。彼は、モノを売る会社に勤めているので、ハードの世界と全く違うので最初はとまどっていたが、すぐに興味深々といった感じでトークに聞き入っていた。良いか悪いかは別として旧態化した大企業とはまるで違う若者たちに囲まれると異次元の世界にはまりこんだようだ。ぼくも最初はそうだったがもう慣れて普通の感覚だ。おそらく、参加者の中では最年長だろう。

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聞いたトークは「Perlあるある」「そんなにビッグでもないデータ処理方法の話」「Lightning Talks Day2」「キーノート」である。最初の「Perlあるある」は「ボケて」を提供していてうちの社長がCTOを務める株式会社オモロキがスポンサーとなって行われた、だから、司会はオモロキの社長の鎌田君だ。Perlエンジニアでは著名な、宮川さん、竹迫さん、牧さん、そしてうちの社長が登壇。ふだんどんな生活をしているのかといった話題で盛り上がる。牧さんのイクメンエンジニアぶりに感心する。


「Lightning Talks Day2」は学生から外国人、フリーランス、企業人などバラエティに富んだ人たちが次から次へとマシンガンのようなトークが炸裂して楽しかった。女性が入っていなかったのが寂しい。そのかわりドラ娘(終了の合図のドラを叩く役目)が登場したのでいいか。

最後のキーノートのスピーチは村瀬大輔さんのお話。彼は優秀なエンジニアで昨年カヤックを退社して独立したひとで、なぜ起業したのか、起業してよかったことなど自分の経歴や作ったサービスなどを交えてのトークで面白かった。このぼくにも参考になったくらいだから若いエンジニアには刺激だったろうと思う。

ただ、村瀬さんも言っていたように、大事なのはスキルと経済的な安定のような気がする。スキルのないやつが安易に独立しても無理だ。そして、経済的な安定という意味では受託開発もちゃんとやるというのが必要だ。何よりも村瀬さんが今の生活が楽しくてしょうがないといった言葉が印象的だった。いま、鎌倉に住んでいて結婚もして子どもさんがいて家庭的にも幸せそうだった。スピーチの後子供さんを抱いて再登場(ここでもイクメンエンジニアだ)、最年少の登壇者だと受けてていた。ちなみに最年長はおそらく2009年のぼくだと思う。

今年の入場者数は、過去最多の1361人だったそうだ。だから最後のキーノとやクロージングでは席に座りきれずに立っているひとが多くいた。来年は会場を考えないといけないと言っていた。ぼくも多少は手伝いをしながら横目で見ていたが、これだけの規模のイベントをやるのは非常に大変でもう準備がすべてということだ。幸い当日は大きなトラブルもなく(同時通訳のレシーバーが1個紛失したくらい)済んでホッとしている。お疲れ様でした。

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