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2014年7月 アーカイブ

2014年7月 2日

夏の終わり

瀬戸内寂聴のべストセラー小説が原作で、主演が満島ひかり、綾野剛、小林薫、監督があの「海炭市叙景」の熊切和嘉とくれば、ぼくでなくとも期待しますよね。「夏の終わり」はワクワクして観たが、結果は裏切られた感じがする。この映画を観た日に熊切監督の「私の男」がモスクワ国際映画賞グランプリを受賞したという知らせが届いた。

原作は、瀬戸内寂聴が40歳の時に書いたもので、自身の体験をもとにしていて、男女の三角関係を描いている。主人公の女は、妻子ある作家とかつて駆け落ちした年下の男との間の愛に揺れ動くのだが、どちらにも満足するわけでもなく、そうした生活に疲れてしまっている。そうした男女の微妙な心理の彩を表現しようとしているのだが物足りなさが残ったのである。

主人公・知子(満島ひかり)は、年上の作家・慎吾(小林薫)と暮らしているのだが、その慎吾は知子の家と本宅を交互に行き交う生活を続けていた。ところが、そんなある日、涼太という青年(綾野剛)が訪ねてくる。涼太は結婚していた知子と恋に落ち、知子が夫と子どもを置いて一緒に駆け落ちした相手である。ということで、知子は慎吾と涼太との間で心が乱れていくのだ。さて、知子の本当の心は奈辺にあるのか・・・。

このもろ私小説を、映画にするとどうなるのか。今どきはやらない設定だからなのかもしれないが、熊切和嘉がぜんぜん捌ききれていない。要するに乾いてしまっているのだ。この関係はもっとどろどろしたウエットな世界のはずである。まずはそこに満島ひかりをキャスティングしたのが間違いだと思う。ぼくは、満島ひかりのファンだが、彼女の良さはここにはない。

演出にしても、カラダの関係が重要だと思うのだがあまり突っ込んではいない。(満島ひかりのハダカが見たいと言っているわけではない(笑))だから、頭では理解しているのだがカラダがというよくあるパターンかもしれないが情念を突っ込む必要があったのかもしれない。知子が悩む姿に切実感を感じられないのである。

言い方を変えると、文学と映画の違いの難しさが端的にあらわれた作品なのかもしれない。特に私小説はより難しい。本では読み手の想像力を刺激し、かつ読み手がそれぞれに映像を描いていく。つまり、自分勝手に解釈できる部分が多い。ところが、映画になるとその映像が監督という演出家を通して、目の前に示してしまう。解釈の自由度を減じてしまうのだ。だから、熊切の解釈がぼくには合わなかったということなのだ。「私の男」をぜひ観てみたいものだ。
  
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2014年7月 1日

鎌倉の寺社122を逆さまに歩く(1)

「湘南モノレール沿線、深沢周辺の寺社」

「鎌倉の寺社122を歩く」(山折哲雄監修 槙野修著 PHP新書)という本がある。この新書シリーズでは、京都、奈良、江戸東京ときて次が鎌倉が選ばれたのである。鎌倉にある122のお寺や神社をめぐる旅の記録である。ぼくは鎌倉に生まれ、今も鎌倉に住んでいるので、ほとんどのところに行っているが、この本を片手にまた回って見ようと思う。何せ、そのために自転車を買ったようなものだから。

本の構成はもちろん中心である鶴ケ岡八幡宮から始まっている。しかし、それだと月並みでおもしろくないので逆コースをたどることにする。何か新田義貞の鎌倉攻めみたいだが、ちょっと変わっていて楽しいそうだ。ということで、本では8つのエリアに分かれていて、さらにそのなかでいくつかの細かなエリアに分かれていて全部で18の小エリアから構成されている。それに鎌倉とゆかりの深い市外の寺社が3つ追加されている。

さて、出発するとするか。まずは最後のエリア18は「大船駅東口から今泉まで足をのばす」である。そのまた最後が「湘南モノレール沿線、深沢周辺の寺社」である。深沢という地域はぼくが生まれ育ったところのなのでみなよく知っている寺社だが再訪した。

最初のお寺が等覚寺(真言宗 1394〜1428年創建)で、ここには明治6年訓蒙学舎togakuji.JPGが境内に開校して、これがぼくの母校でもある深沢小学校の前身である。また、「出世子育て地蔵尊」というのがあって、参詣すると子のない人は子を授かり、このある人はその子どもが出世するというご利益があるというのでけっこう訪れる人も多い。しかし平日ということもありぼくが行った時には誰もいなかった。

       


そこから、ちょっと行ったところに大慶寺(臨済宗 1278〜1288創建)がある。daikeiji.JPGこのお寺は当時は大きなお寺で関東十刹の一つであった。十刹というのは五山につぐ寺格をもつ立派な禅刹である。ぼくの家の親戚に「てんだい」と呼ばれる家があるが、おそらく大慶寺の天台庵という塔頭だったところだと思う。

    


大慶寺から深沢中学のほうにちょっと行くと東光寺(真言宗 1431年再興)がある。tokouji.JPG境内には「お砂踏み霊場」といって、四国八十八ヶ所霊場の砂を弘法大師像の四方に収めて。それを踏みながら回ると、四国のご遍路と同じ功徳があると言われている。その斜め向かいに駒形神社があるが、神社はたいてい長い石段がありこの神社もそうなので階段の下で眺めるだけにする。

  

最後は深沢小学校の隣にある御霊神社(梶原の鎮守 1190年創建)を訪れる。goryoujinnja.JPGこのあたりは梶原という地名がついているように鎌倉権五郎景政を祖とする梶原氏に縁がある。従って、景政が祭神として祀られている。以上なのだが、深沢地区にはこの他にも青蓮寺(鎖大師)、仏行寺、妙法寺、円久寺、八雲神社、熊野神社などまだまだあるのだが、府外ということもありあまり取り上げられることが少ない。
     

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2014年7月 4日

イノベーションを支援するITシステム構築の極意(22)

次なる誤解は「新たな業務プロセスを開発する」ということになりますが、誤解が誤解を生むかもしれないので少し注意が必要です。というのは、新たな業務プロセスを全く開発しないのかというとそんなことはなくて、場合によっては開発することもあるからです。

ここであえてこういう表現をしたのは、最初から新しいプロセスをつくり上げるのだと意気込まないほうがよいという警鐘をならしたかったからです。業務システム構築のプロジェクトが発足すると、IT化されていない部分がプロセスがないかのように錯覚して、そこが問題だと言わんばかりに新業務システムを開発するのだということになる。

ただ、最初に言ったように結果的には新たなプロセスにはなるのだが、順序が逆なのです。つまり、AsIsとかToBeというのをあまり意識せずに素直に業務プロセスを記述することから始めたらどうだろうか。なぜなら、業務プロセスというのは、ビジネスをやっている以上必ず存在するもので、意識、無意識に関わらず日々プロセスを回しているのです。

それは、マクロレベルのプロセスを見ればわかると思いますが、会社の大小、業種・業態に関係なしに共通的なもので、例えば販売、購買、受注出荷、生産なんていうプロセスは同じプロセスです。ですから、それをIT化しているから高度なプロセスであるというのも一概には言えないわけです。ホワイトボードとメールで仕事していても良いプロセスということだってありえます。

システム化のアプローチとして、最初に新しい業務プロセスを開発するのを目的化するのではなく、あくまで、自分たちのビジネスをオペレーションするためにはどんなプロセスになっているのがよいのかの観点でプロセスを記述することです。そこから、さまざまな問題が浮かび上がってきます。

個人の裁量で進めていたり、お客さんを無視して自分たちの都合だけで処理していたり、時間がかかっても平気だったり、ルールに従わなかったりといったプロセスの仕組みというより、プロセスを進めるための仕掛けのところの不備だとかが問題になってくる。こうしたプロセス管理に不可欠な組織能力をどう醸成していくかが大きいような気がします。

広義の意味ではこれもプロセスとも言えるのですが、フロー的な部分よりもこちらのほうが開発要素が多くあるのではないでしょうか。例えば多く見受けられるのはルールの欠如と役割の不明確です。このことは、別な言い方だと業務フローを変えるのが業務プロセスを開発することだとは必ずしも言えないのです。ルールがない中で業務フローを変えても意味がないのです。今回はプロセスとはが頭に入っていないとちょっとわかりづらかったかもしれませんね。
  

2014年7月16日

鎌倉の寺社122を逆さまに歩く(2)

大船駅東口から今泉まで足をのばす

湘南モノレール深沢駅周辺の寺社を巡ったあとは、「大船駅東口から今泉まで足をのばす」である。最初に訪れたのは常楽寺(臨済宗 1237年創建)である。大船中学の脇を通って、大船高校方向に向かうと住宅地の間に参道がある。この寺は建長寺を開山した蘭渓道隆がその5年前にここで宋の禅を広めた「常楽は建長の根本なり」といわれほど建長寺とは関係が深い。北条泰時の墓がある。あいにく、現在山門を修復中で中に入ることができなかった。

常楽寺の交差点を左折して鎌倉街道を北にいくと砂押橋の先を右折すると大長寺.JPG大長寺(浄土宗 1548年創建)がある。玉縄城主だった北条綱成によって立てられたもので、広い庭がきれいに手入れされて気持ちがいい。ちょっと話はそれるが、史学の研究者のK君と話していたとき、彼が玉縄城の史跡を残していないのがけしからんと言っていた。けっこう重要なものなのに今はほとんど残っていなくて清泉女学院が跡地に移転してきた。
 

大長寺から道なりに今泉の方に行くと西念寺(浄土宗 1532年〜55年創建)がある。西念寺.JPGただ、境内に保育園が併設されているので中に入れないので外から眺めるだけだった。そこから七久保橋の交差点を鎌倉パブリックコース方面へと進む。この辺りは初めてかと思ったら、そういえばこのゴルフ場でキャディのバイトをした時毎朝マイクロバスでここを通ったことを思い出した。当時としてはいいバイトでチップなんかももらえた。なににゴルフはやらないのだから周りから不思議がられる。
  

例によって途中の白山神社は階段が長いので下から眺めるだけで失礼して、今泉クリーンセンターの前を通り鎌倉カントリーの入口を左に入ると称名寺(浄土宗 1175年創建)に着く。駐車場を左手に坂を登ると左手に六地蔵が迎えてくれる。ここは九十九谷と呼ばれる山々に囲まれていて森閑とした佇まいである。本堂の奥に行くと不動堂があり、今泉不動と呼ばれ818年に空海が創建したと言われている。

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さらに右手の山のほうに降りると男滝と女滝が流れ落ちている。今言い伝えがある。弘法大師がこの地に着くと翁と媼が現れ、弘法大師に不動明王の像を彫れと命じ、大師はこれを彫りあげる。さらに、その翁と媼は「では、水の乏しいこの地に豊かな水をしんぜよう」といって傍らの岩を穿ち陰陽の滝を流した。そして以後、今泉山としょうするようになったという。ウソでもそれらしくていいんじゃないですかねえ。
     
        
さて、そこからきた道を引き返して七久保橋から岩瀬中学校の方に向かいトンネル多聞院.JPGをいくつかくぐって多聞院(真言宗大覚寺派 1469〜87年創建)に着く。正式名は天衛山福寿寺多聞院という。こじんまりしたお寺だが清楚な風情で落ち着く。隣に熊野神社があるのだがやはり下から眺めて帰路につくことにする。

    

今回から、せっかくいろいろなところを回るので寺社参拝だけではなく普段いけないようなお店で食事することにした、なのでそのことについてもふれておくことにする本当は岩瀬とか今泉で食べようかと思ったが適当な店がないとい

昼もだいぶ過ぎていておなかも空いていたので、すぐ近くのそば屋に入った。中には誰もいなくて席についてしばらくしてオヤジが出てきた。そうしたら、そのオヤジが変なことを言う「今コーヒーしかないんですが」。オレ怪訝そうに「そばにサービスでコーヒーついてくるんですか?」。オヤジあやっぱりという顔で「おたくさん、そば屋と思って入ってきた?」、「はい」「ここは喫茶店ですよ」「ええ」。うそでしょといいたいくらい作りがそば屋なのだ。本当のそば屋は隣でそば屋という看板間にあるのでよく間違えられるのだという。

で隣に入ろうと思ったら何と休みではないか。こうなると無性にそば屋に行きたくなって、浅野屋に向かう。もう遅かったので客はぼく一人だ。さて注文だが、ぼくはなぜかそば屋に入るとカツ丼が食べたくなる。浅野屋のカツ丼はまた肉厚でうまいのだ。浅野屋は昔松竹撮影所に来る俳優さんとかスタッフの人がよく訪れた店で相変わらず風情のあるいいそば屋さんです。お腹いっぱいにして家までペダルを漕ぎだす。
 

2014年7月 3日

8強出揃う

サッカーブラジルワールドカップの決勝トーナメントの初戦が終わり8強が出揃っていよいよ準々決勝となる。勝ち上がったのが、ブラジル、コロンビア、オランダ、コスタリカ、フランス、ドイツ、アルゼンチン、ベルギーの8国である。ぼくの予想通りである。すごいでしょ。まあ、予選リーグの1位通過国ばかりですけどね。

しかし、どの試合も死闘と呼べるようなすさまじい試合の連続で改めて真剣勝負の凄さを感じた。もうここまでくると力も拮抗していて、僅かな差で勝敗が決している。国の威信や個人のプライドをかけて全力でプレーする姿は感動する。やっている選手たちはしびれるだろう。

ブラジル-チリ、コスタリカ-ギリシャ、ドイツ-アルジェリア、スイス-アルゼンチン、ベルギー-米国戦がいずれも延長戦となり、ブラジルとコスタリカがPK戦で勝った。8試合中5試合が延長戦という事態になったが、トーナメントだと得てしてこんなふうになる。オランダは終了間際までメキシコにリードを許していたが、立て続けに2点を奪って逆転してしまった。このオランダの執念には驚いた。コロンビア、フランスはともに2−0で勝ったがやはり接戦であった。

やはり、決勝トーナメントに残って世界の強豪と究極の死闘を繰り広げてこそトップチームと言えるのだろう。日本代表もこういう場で何回も試合を経験することが必要なのだ。そういう意味ではまだまだ経験が不足しているといえる。

さて、アフリカと北米の代表が消えて、欧州対中南米の激突となった。ぼくの予想では、コロンビア対ドイツ、オランダ対アルゼンチンと予想している。ブラジルはイマイチ調子が上がらないところもあるので、好調のコロンビアに負けると読んだ。ドイツ対フランスはフランスのほうが調子がいいがドイツの根性が勝つのでは。残り2試合ではコスタリカの進撃はここまでか。アルゼンチンはやはりメッシの必殺剣がどこかで切り裂くのだ。

ただ、最終的に南米選手権か欧州選手権にならないように祈っている。欧州対南米の決戦を期待している。ぼくの決勝の予想はコロンビア対オランダですが、ドイツ対アルゼンチンもあるかもしれません。ブラジル対アルゼンチンとかフランス対オランダといったのはないのではという希望的観測。さてどうなるやら。いずれにしても激しい戦いになるのは間違いない。
  

2014年7月 7日

事例に学ぶBPM成功のポイント(2)

(2) 戦略課題の具体化と解決
リーマンショックのような経済全体が減速してしまうような場合、売上の落ち込みが激しいのは標準在庫品です。何がなんでも必要というわけではなくユーザにも在庫もあるでしょうから買い控えもできるからです。つまり標準在庫品の販売は景気の変動に弱いという性格をもっています。景気が安定して経済成長も右肩上がりの時は問題なかったのですが、経済成長は停滞しているがビジネス環境のへ変化が激しい時代ではそうした時代にマッチしたビジネスモデルに変える必要がでてきました。

ビジネスモデルを変えるには戦略が必要です。そこでよくとられるものが顧客・市場戦略です。事例では、標準在庫品では景気に左右されるというのなら特注品にシフトしたらどうかというのが新たな戦略として出てきました。こうした戦略立案には理論あるいは技法のようなものがあるのかというとありません。おそらく経営者のひらめきがいちばんではないでしょうか。

しかし、単なる思いつきというわけではありません。大事なのは経営者の頭のなかにこうした会社にしたいという経営理念、こんな事業をやりたいというビジョンがしっかりともっていなくてはいけないということです。そしていったんやると決めたら従業員に対して明確に考えを伝え、思いを共有することが重要です。

ところが、その掛け声だけでは新しい戦略の実行はできません。必ず、何か新しいことをやろうとするとそれを阻害するものが現れます。一番大きな阻害要因はいったい何でしょうか。これもよく言われるかと思いますが、従業員の意識の問題です。大部分の人は基本保守的ですから、今やっていることを変えたくないという意識が働きます。

ここでもまた、「意識を変えろ」とか叫ぶだけでは変わりません。従業員は変化の結果として自分の仕事がどう変わり、負荷がどうなるのか、責任が重くなるのかといったことが気になります。それがわからないうちは不安のほうが先にあって、そのためにどうしても保守的にならざるを得ないわけです。

また、会社として収益がどうなるのか、売上が増えてくれるのかといったことを示してくれたら、儲かりそうだからがんばってもいいかなと思うのです。つまり、会社として、事業としての変化の仕方とその結果についても、そして個人としてのタスクがどうなるかを見える化することが大変重要なのです。

それと、現実的な阻害要因の洗い出しも必要になっていきます。リソースの問題として不足はないのか、業務管理として不備はないのか、いまの組織や責任の所在で対処できるのかといって検討である。事例では、特注品へシフトするわけですから、顧客要求をきちんと聞き取らなくてはいけませんし、また設計者の負担も増え、ちゃんと見積もりをしないと赤字なのに受注してしまうといったことが浮かび上がってきます。そこから課題を抽出していくわけです。事例では下記のような課題が出てきました。

・ベテランの営業に依存しない要求確認
・収益性を確保した見積
・役割分担の確化

BPMアプローチでは、プロセスを記述することで会社全体、事業全体といったマクロな視点での見える化ができ、また詳細化したプロセスでは、課題を解決するために必要な機能がはっきりしてきますので、新しい戦略を実現するオペレーションのイメージが出来るのです。

【成功のポイント】
トップマネジメントが経営理念に基づいて明確なメッセージを発信し、強いリーダーシップを発揮すること
  


2014年7月 5日

映画三昧2014.7

3本まとめての映画評です。

(1)デタッチメント 優しい無関心
この映画は、日本では劇場公開されていないので観た人は少ないかもしれませんがいい映画です。主演があの「戦場のピアニスト」のエイドリアン・ブロディ、監督がトニー・ケイ。アメリカの荒れた高校に赴任した教師ヘンリーが悪戦苦闘する姿を描いたものである。

教育現場の過酷な実態は日本も同じであろう。それを金八先生でもなく、ヤンキー先生でもない普通の教師の悩める姿が映し出される。このヘンリーを演じるエイドリアン・ブロディの演技がすばらしい。ヘンリーも病気の祖父を面倒見ていたり、街で出会った売春をしている少女エリカとの生活という風に自らも悩める人間でもある、そんな彼が生徒たちと向き合っていくのである。"優しい無関心"を持って。

観ていると全編ネガティブ要素満載なのと、エイドリアン・ブロディの沈んだ影のある表情なので気が滅入ってくるのだが、なんとか救いのある行く末も感じることができ少しホッとする。それにしても、なぜ女生徒ばかりでてくるのだろうか。男子生徒の存在感が希薄なのだ。この点も日本と同じなのかもしれない。
  
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(2)人類資金
何とまあひどい映画を作ったものだ。福井晴敏の原作を坂本順治が監督をしている。旧日本軍の秘密資金いわゆるM資金をめぐる暗躍を描いた作品である。一応ストーリーを言っておくと、終戦の時に敗戦をよしとしない反乱兵たちが持ちだした秘密資金を回収する役目を負った笹倉大尉は軍に返すことなく海に沈めた。そして現代、その隠された資金をM資金資金と呼んで詐欺を繰り返す真船雄一という男がいた。その男の前に石橋樹となのる男が現れて「財団の人間があなたを待っている」と告げる。そして・・・

と書いてはみたもののこれでもほんのさわりだけで、続けたらそれだけで長い説明が必要になってしまう。だから、要するによくわからないのだ。ストーリーもそうだし、最初登場人物の関連図がさっぱりわからない。外国の推理映画などではよくあるのだが日本の映画では珍しい。小説ではこの辺りを緻密に説明していけばわかるのだが、映画では無理だ。

だから、なにを言おうとしているかさっぱりわからないし、非現実的なシーンがいっぱいある。国連に乗り込んで行くんだが、国連のサーバーを貸してくれと言ってそこに映像をロードしてしまうという全くありえないことを平気でやる。そんな作品なのに俳優さんは豪華である。主演の佐藤浩市、香取慎吾、豊川悦司、森山未來、観月ありさ、仲代達矢、オダギリジョーなど主役級の人たちばかりである。ただ、森山未来以外はまったく存在感なしである。最後の英語でのスピーチを完璧にこなした森山未来の才能だけが目立った映画だった。
  
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(3)ウルフ・オブ・ウオールストリート
実在した人物の物語である。ジョーダン・ベルフォートという男である。26歳で証券会社を設立し、それからトントン拍子で会社を大きくし年収49億円の稼ぎを得るようになる。しかし、それも10年の成功で36歳で証券詐欺の容疑で逮捕されたという。その間ドラッグやセックスには溺れ、放蕩の数々を繰り返し、破天荒な生活は誰にも真似ができないすごいものであった。

この物語を忠実に再現したのが、マーティン・スコセッシとレオナルド・ディカプリオのコンビである。この何とも規格外の男を演じたのがディカプリオだ。早口で言葉巧みに客に取り入り、一方で"Fuck"をやたら叫ぶ下品な振る舞いを熱演である。実在の人物だから作りごとだと言うわけにも行かないが、ウオールストリートにではこうした人物が生まれるのだなあと感心してしまう。

まあ、こうした成金の物語があるが、花火のような太く短い成り上がり人生というのはみんな表向きは非難するが心のどこかに羨ましい気持ちもあるのではないだろうか。大金を得た人間はいったいどうなるのか。もし自分がジョーダンのような一攫千金を得てしまったらどうするだろうか思ってこの映画を観るのもおもしろいかもしれない。
  
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2014年7月 9日

幸せのバランス

まだ観ていなかった「私の男」がモスクワ国際映画祭でグランプリ(最優秀作品賞)と最優秀男優賞を受賞したので、急いで観に行くことにして、ちょうど新宿に出かける用事があったので新宿ピカデリーに行った。ところが、これが人がいっぱいなのだ。もう満席である。さて、こんな時はK's cinemaに限る。

ちょうど時間がうまくはまったので「幸せのバランス」を観る。新宿ピカデリーと違って観客は10人くらいである。イタリア/フランス映画である。原題が「GliEquilibristi」で、直訳すると「綱渡り」である。イタリアの新聞記事にあった「離婚でホームレス」から題材をとってきたのだという。

ローマ市の福祉課に勤めるジュリオは妻エレナと女の子と男の子の4人暮らしで、ごく普通の生活をしていた。ただ、今のイタリア経済では役所の給料が1200ユーロというから15万円くらいなので、けっして裕福だとは言えないが妻と共働きで何とかやっている。彼は40歳というから給料安いですね。こんなものなのだろうか。

ところが、ふとしたことから同僚の女性に送ったメールがエレナに見られてしまい浮気がバレてしまう。それから、夫婦仲は険悪となり、子どもの手前仲良くやっている風に装っているがあるとき一気に爆発してしまう。もう修復が不可能になるとジュリオは「君は正しい。ぼくが家を出る」といってひとりで出て行ってしまう。

そういっても娘や息子も心配し、最初の頃は住む家を一緒に探したり、遊んだりしていたが、友達の家からも追い出され、安宿の家賃も払えなくなり、ついには車で寝泊まりする事態になってしまう。そうなると、精神的にも追い込まれて家族ともどんどん疎遠になってしまう。

この辺りのどんどんと金がなくなって、夜のバイトもやりクタクタになってもまだ足りないという追い詰められていく姿はやるせなくなる。ホームレスに堕ちていくのというのはこういうことなのかと思うのだが、少し引っかかることがある。公務員でちゃんと働いていながら、夫がひとり家を出て行くだけでそんなに簡単に崩れてしまうものかということである。  
日本で想像してみてください。市役所に勤めて、妻も働いているケースでもちろん家のローンとかもあっていいのだが、それでホームレスになるかなあ。ホームレスと行っても車を持っているからホームレスとは言わないかもしれないが、イタリアってそんな貧乏な国になってしまったのだろうか。

まあそういう物理的な話はともかくとして、精神的な面での不可解さもちょっと残る。実は映画の中でも、妻はよりを戻すというか、元のような生活にしてもいいというシグナルを送るのだが、ジュリオは気がつかないというか自暴自棄になってしまって頭に入らないのだ。なぜ素直に苦しいから助けてと言わないのだろうか。

このことは、日本でもそうなのだが、ホームレスを見てどうしてそうなってしまったんだとか、もっとこうすればそこから抜けられるのにとつい思ってしまうが、実はそれはホームレスにならない人の発想であって、そういう発想ができないからなったわけで、つまり"弱い"のだ。

その象徴的なシーンがある。あるときピザの宅配を頼むのだが、年寄りの配達人が間違って持ってきてしまう。それに対してジュリオは怒るどころか同情して注文とはちがうピザを受け取ってしまう。それはエレナの嫌いなアンチョビが入っているやつで、エレナはそこで怒り狂ってしまうのだ。ジュリオが出て行く直接のきっかけとなる。ここですよ。優しいといえばそうだが弱いのである。ただ、人間だれしも持っているものでぼくもひょっとしたジュリオみたいにならないとも限らない。みんな綱渡りをしているのかもしれない。ちょっと考えさせられた。
  
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2014年7月 8日

来るべき民主主義

ぼくは今地元で「洲崎陣出の杜の」というところに入っていて、JR大船工場跡地開発について、市民目線に立った街づくりをしようという運動に参画している。発起人として役員にもなっている。こうした活動をする中で感じたこととして、いったいどれだけ住民に情報が公開され、意見が反映されるのか、あるいはそういう制度はどうなっていてちゃんと機能しているのだろうかということがある。

そんな折、2013年5月に小平市で行われた住民投票のことを書いた「来るべき民主主義」(國分功一郎著 幻冬舎新書)を手にしたときかなり胸のつかえがなくなったような気がした。國分功一郎さんは気鋭の政治哲学者で有名ですが、小平市の住民として、小平市都道328号線問題に取り組んだ経験から民主主義といったものを考察している。

学者が民主主義なんてと言うと堅苦しいと思ってしまいますが、住民運動という実践を通して語っているので非常にわかりやすい。そもそもの問題設定はこうだ。帯にあるように「主権者を無視し政策が決まる。こんな社会がなぜ「民主主義」?」という疑問である。民主主義の理論では、立法府こそが統治に関わるすべてを決定する最終的な決定期間であるという前提がある。そうした、決定に従って行政が執行している。だが筆者はそれは誤りだという。なぜなら、行政は執行する以上に物事を決めているからだという。

ここが非常に重要なポイントである。確かにぼくらの活動の中でも議会が決めているようで実は行政が実質決めているというふうに見える。ところが、実際に物事を決めている行政の決定過程に民衆が全く関われなくても「民主主義」を標榜しているわけである。気が付かなかったけれど確かにおかしな話である。ぼくらのところでも、都市計画決定は実質行政が行っているように見える。

そこで筆者が提案するのは、立法権だけではなく、行政権にも民衆がオフィシャルに関われる制度を整えていくことだという。そして3つの制度を提案する。一つは住民投票である。小平市の道路問題も住民投票に持ち込んだ。よくやったと思う。それができたのが、反対を突きつけないということである。従来型の住民運動というのはえてして「◯◯に反対」という主張を繰り返すがそれでは限界があるのだ。だから「住民参加によって道路計画を見直す」か「見直す必要はない」かという選択肢にしたのだ。この設定は共感できる。

この住民投票は結局直前に50%という成立投票率を設けられてしまった。結果、投票率は35.17%であったため、住民投票は不成立となった。よって開票もされないという何とも変な話になったのである。それと今は法的拘束力がないという問題もあるので再検討してもらいところである。

2つ目は、諮問機関の改革である。いまは多くの場合政治家や役所の意向を組んだメンバーが検討するふりをしてあらかじめ用意された結論を出すようになってしまっている。ですから、こうした諮問機関を発展させた住民と行政双方が参加するワークショップが提案されている。

3つ目はパブリックコメントである。これも形骸化していて単に「広く意見を集めた」という言い訳に使われている。検討の余地があるだろう。この3つの制度はたしかのこれから大いに採用されていってもらい。最後にタイトルにある「来たるべき民主主義」の"来るべき"の意味についてである。これは20世紀のフランスの哲学者ジャック・デリダから引用している。筆者は言う。

民主主義とは「民衆による支配」を意味する。誰もが民衆なのだから、民衆による支配とは、自分たちが全員で自分たちを支配することだ。しかし、そうしたことは可能だろうか?たとえば人は自分で自分を支配することもできない。常に思い通りにはならないし、ふと気がつくと思いもよらなかったことをしでかしていることなど日常茶飯事だ。そんな人間たちが集まって、自分たちで自分たちのことを完全に支配するなんておそらくどんな制度によっても不可能である。

つまり完成した民主主義の姿を思い描くことはできない。とはいえ、社会はもっと民主的になるべきだし、民主的にしていける。デリダはこの二つの意味を「来るべき民主主義」という表現に込めたのである。


この辺りは以前書いたことと照らし合わせるとおもしろいと思う。民主主義はそう簡単なものではないのである。
 

  


2014年7月 6日

4強決まる

2014FIFAワールドカップの準々決勝が終わりベスト4が決まった。ブラジル、ドイツ、オランダ、アルゼンチンでぼくの予想とはコロンビアの替りとしてブラジルである。まあ、大方の人の予想通りだろう。負けた4チーム、コロンビア、フランス、コスタリカ、ギリシャもみな互角以上の戦いをしていたが惜しいところで敗退した。

ブラジル対コロンビアはぼくはブラジルがイマイチ乗りきれていないので、勢いのあったコロンビアが勝つのではないかと思ったのだが、ブラジルは南米相手のほうが戦いやすいのかどうかしらないがいい試合をした。一方、コロンビアは緊張したのかのびのびとしたところが薄れてセットプレーから2失点してしまった。それにしてもネイマールの負傷はかわいそうだ。

この試合非常にファウルが多かった。お互い相手につっかかって球際を接近させるスタイルということもあるが、南米同士だと巧妙なというか駆け引きとしてのファウルが頻発する。ここは欧州と違う。これだけファウルが多いとだれかケガしないかと心配していたのが現実となってしまった。それがネイマールというのも、これから彼のプレーを楽しみたかったファンにとっては残念である。

ドイツ対フランスもいい試合であった。前半の早い時間帯にドイツがクロースのフリーキックをフンメルスが合わせて先制すると、フランスの反撃を抑えて勝利する。ドイツはGKノイアーの存在が大きい。非常に守備範囲が広いのでデフェンダーがラインを高く保つことができるメリットが大きくて、しかも大きい身体で反応も速いので決定的なシュートを何本もはじいいていた。終了間近のベンゼマのシュートも左手一本で防いだ。

オランダ対コスタリカもすさまじい試合だった。両者譲らず無得点のまま延長戦に突入する。ロッベンを中心としたオランダの猛攻をコスタリカの全力の守備でしのぐ。ここで名将ファン・ハール監督の采配が冴える。終了直前にゴールキーパーを替えたのだ。これまでほとんど出番のなかった選手であるが、PK戦対策なのである。これがものの見事に当たった。2本も止めたのである。彼のゴールキーピングはあらかじめ予想して動かないで蹴られたボールに反応するというものだから、ちょっと甘くなるとはじかれてしまう。でも、オランダの選手がみな決めたのもたいしたものだ。

アルゼンチン対ベルギーもドイツーフランスと同じようにアルゼンチンが前半の早い段階で先制してそれを守り切った。ベルギーは崩されたわけではなくたまたま足にあたって流れたボールがちょうどイグアインのところに行き、それをダイレクトに左隅にゴールされる。運が悪かった。ただ、全体的なできはあまりよくなく、アルゼンチンにかわされたという感じである。相変わらず、メッシの存在感は抜群でメッシが持つと3人位ついてくるのでフリーの選手が出てくるというシーンが何度もあった。途中で退いたぼくの大好きなディマリアはだいじょうぶだろうか。

さて、準決勝はブラジル対ドイツ、オランダ対アルゼンチンというサッカーファンにとっては夢のような組み合わせだ。けが人も出ていることや、延長戦の死闘が続くためにどのチームも疲れているようだし、さらに過酷な戦いが待っているわけで、文字通り総力戦となってきた。控え選手のできが大きく影響するように思う。それと、イグアインのシュート以外はみなセットプレーだし、要するに崩して得点というのはこれからも難しいかもしれないのでセットプレーとミスがキーポイントだろう。

ネイマールとチアゴ・シウバのいないブラジルはどうなるのだろうか。メッシ対ロッベンどちらが決定的な仕事をするのだろうか。ぼくは、南米同士、欧州同士の決勝より、違う大陸の戦いが見たいから、ブラジル対オランダあるいはドイツ対アルゼンチンの決勝を期待する。いよいよ佳境である
  

2014年7月10日

決勝はドイツ対アルゼンチン

ブラジル対ドイツ、オランダ対アルゼンチンの準決勝は対照的な戦いとなった結果、ドイツ対アルゼンチンの決勝となった。ぼくの望んでいた欧州対南米の決戦である。アルゼンチンは1986年以来、ドイツは1990年以来の優勝をめざす。過去2度優勝のアルゼンチン、3度優勝のドイツというまさにトップクラスの戦いとなった。

開催国のブラジルは準決勝のドイツ戦で何と1−7という大差で敗れる。この歴史的敗北はブラジルでは屈辱として大変なことになっている。ネイマールが故障し、キャプテンチアゴ・シウバが累積警告で出場停止となり、状況は悪かったのだが、それでも地元の声援をバックに戦えるので期待されていたのだが、立ち上がりのセットプレーですべてが狂ってしまった。

前回にも書いたようにこのレベルになると流れの中で得点を奪うのは至難でキーになるのがセットプレーなのだが、前半11分の最初のコーナーキックでミュラーに合わされて先制される。そうなると何とか持ちこたえるが押されてきて23分にクローゼにワールドカップ通算最多得点となる2点目を入れられる。これでもうブラジルは浮足立つ。

早い時間に2点をとられると、大観衆がかえって重荷になるのかもうだめだ。何とそれからの6分間で3点を加え、前半を5−0でドイツがリードというとんでもない事態になる。もう完全に試合は終わった。後半はドイツが2点、ブラジルが1点返して結果7−1でドイツの大勝に終わった。

ブラジルはチームとしてそれほど練り上げられていたわけでもなく、ネイマールを筆頭に個人の力と地元の応援で何とか勝ち上がったという印象だったので、ぼくはコロンビア戦で破綻すると思っていたが、やはり最大の敵ドイツを前にしては為す術もなかった。

準決勝の2試合目は、うって変わって接戦である。結局、0−0で延長にもつれ込むが、そこでも点が入らず、PK戦に突入する。前戦のコスタリカ戦でキーパーを変える奇策で制したオランダが有利かとも思われたが、今度はキーパーを変えずに臨んだが、そのキーパーが一本も防げないで、蹴る方も2人が失敗して万事休す。

PK戦はほんとオランダのキーパーは下手くそだった。コスタリカ戦と同じようにキーパーを変えればよかったのかもしれない。まあ、それにしても緊張感たっぷりのいい試合だった。焦点は、メッシとロッベンのどっちが、ゴールを切り裂くが、それをアシストできるのかだったが、ほとんど決定機を与えなかった。つまり、両チームの守りがすばらしかったのである。この世界最高峰の守備力合戦は見ごたえがあった。

こうしたベスト8からの試合を見ていると、ベスト4あるいは決勝に残るには「伝統」と「経験」が必要なんだなあとつくづく思う。コスタリカやコロンビアがダークホース的な存在として期待されていたが、やはりベスト4の壁は厚い。彼らには伝統がない。何回も壁にぶち当たって跳ね返された歴史が要るのだろう。

そして、ブラジルがここまで崩れ去ったのは「経験」が不足していたのではないでしょうか。メンバー見ると30代の選手も少なく比較的経験の浅い選手が多い。やはり試合の流れを読んでどう対処すべきかといった判断力は経験を持っているかどうかで違う。もしベテランがいなかったらリーダシップがある奴が引っ張ればいいのだが、今回のブラジルチームにはそれも不足していたのである。

さあ、決勝戦はどうなるか。1986年、1990年につづいて3度目の決勝対決である。1986年のメキシコ大会はマラドーナのアルゼンチン、1990年のイタリア大会はブッフバルトとかリトバルスキーなど日本でもおなじみの選手がいて監督がベッケンバウアーのドイツが勝った。どういう決着になるのだろうか。さてメッシはマラドーナになれるか。
  

2014年7月11日

第9回BPMフォーラム2014

7月8日に目黒雅叙園で日本BPM協会主催の「第9回BPMフォーラム2014」が開かれた。ぼくはずっと参加しているが、もう9回目ということでちょっとした感慨もある。今回のテーマは「事業モデルの進化に応えるビジネスプロセスを創る」である。このへんはぼくが入っているBPM協会のコモンセンス部会で盛んに議論しているところで、技術寄りの話からだいぶビジネス寄りに移ってきている。

基調報告が協会の事務局長である横川省三さんで、事業モデルやビジネスプロセスについてわかりやすく説明してくれました。事業モデルというのは、顧客、提供価値、実現の方法という要素とそのつながりと定義し、事業モデルの進化には、事業戦略と組織能力が大きく関わるという指摘です。そして、ビジネスプロセスとは、提供価値の実現方法を仕事のやり方として規定したもので、BPMは価値向上を実現する経営手法であるとしている。

そして、その経営手法としてのBPMの特徴は「戦略に対応するプロセスを創る」と「変化を捉えるプロセスを創る」です。前者では戦略起点でものを考えるのが、後者は柔軟なIT基盤が重要なポイントであるという。これは、非常にうまく表現していて理解が進むと思います。プロセス構造を創るというスタティックな面と、日々変化に対応するプロセスオペレーションというダイナミックな面の両方が相まって初めて経営に貢献できるものになるというBPMの特徴が良く出ています。

続いての基調講演1では、前東京海上日動システムズ社長の横塚裕志さんから「「ビジネスプロセス」というブルーオーシャンに船出しよう〜東京海上日動システムズで実践したBPMアプローチ〜」と題して講演があった。横塚さんは以前から知り合いで、会社の若手の人たちに参加してもらってちょっとした勉強会をやらせていただいたこともあります。ビジネスプロセスを本当に理解している数少ない経営者のひとりです。

前々からよく言われていたことですが、ソフトウエア開発の方法論を180度変革する必要があるといいことで、「お客さまの価値をデザインするための方法論」「ビジネス部門とのコラボレーション」「作らないで作る」ということを提唱されました。具体的には「Design Thinking Agile」「ワークショップ」「クラウド上でのSaaS組み合わせによる開発」ということだという。もうまったくぼくの主張とぴったりです。そして、SEよBAになれとも言っていました。

基調講演2はTMJ社長の林純一さんの「事務処理プロセスにおける「可視化」の価値〜人の「判断」を可視化し、プロセス改善を続けるTMJのアウトソーシング事業〜」で、TMJというのはベネッセホールディングスのグループ会社でコンタクトセンター事業が出発点でその後バックオフィス事業にも進出した会社です。

この会社は、TQC活動が盛んで日科技連の「QCサークル石川馨賞」を受賞するなど「小さな改善」活動を競争力に進化させるという目標を掲げています。そうした動きの中で、サービスプロセスの可視化ということで製造業から学び「業務の量」「業務の質」「業務のプロセス」「業務の実施」「業務の変化」を見えるようにしたのだ。林社長が最後に言われた「見えないものは、管理できない」「管理できないものは改善効果も測定できない」「見えるようにすることは、伝えられる形にすること」といった言葉が印象的であった。

間にいくつかのセッションがあって最後に基調講演3として、産総研の和泉憲明さんと札幌市の長沼秀直さんから「札幌市における基幹系情報システム再構築の推進〜利用者主導のシステム開発による現場力向上のアプローチ〜」という報告があった。いわゆる大規模開発の難しさを包括フレームワークで解決するという試みである。

札幌市でどんなことをしているのかをざっくりいうと、産総研包括フレームワークに基いて基盤を整備したことが大きいようにみえる。つまり、「文書基盤」「業務アプリ」「システム基盤」に構造化したことだ。そして、技術的にはオープンなものを採用することで、随意契約のワナから抜けたのだそうだ。札幌市の人も言っていたが公共のシステムはどこも一緒だから、こうした取組が全国にひろがればいいと思うがなかなか難しいようだ。

今回の入場者が前回の1.5倍だったので、BPMも少しは隆盛になってきたのかと思う。終わったあとの懇親会で言われたが、欧米ではもうBPMは当たり前で、もうそれが前提でシステムが考えられているとのこと。それにしては日本は周回遅れ以上かもしれない。来年は今年の倍になるくらいに企業の意識を高めていけたらと思う。
  

2014年7月12日

スティーブ・ジョブズ

ご存知アップルの創始者スティーブ・ジョブズの伝記映画である。半年ぐらい前に「スティーブ・ジョブズ1995〜失われたインタビュー〜」という映画あっって、それはジョブズに直接インタビューを行った記録を映画にしたものであった。そこでもあるいは書籍などで何度もジョブズの物語は語られているから、いまさら伝記を観てもという気持ちでいたが、大変感動しおもしろかった。

映画は、iPodの社内発表会のシーンから始まる。そして、家のガレージで起業する過去へと遡る。もう何度も語られているのでここでなぞってもしょうがない。ジョブズへの毀誉褒貶ほど激しいものはないだろう。天才だと言われる一方でエキセントリックで傲慢だとか言われる。ただ、成功するカリスマには"優しい人"はなれないと映画を観ててつくづく思う。映画の中でもジョブズは「いい人でいるのがオレの仕事か」と叫ぶのだ。

それと一応起業した身にとっては会社の経営とかビジネスのやり方とかが非常に参考になった。ジョブズはご存知のように決してものを作る技術屋ではない。どちらかというとマーケッターという立場であろう。モノづくりの天才は一緒に起業したスティーブ・ウオズニックで、だから最初彼の作ったボードを売ろうとしたときボードだけじゃなくモニターをキーボードも作ってないのかと言われ、一体型コンピューターを思いつく。

こうしたマーケティングの嗅覚とデザイン性の重視がジョブズの真骨頂であろう。しかし会社の経営そのものでは理念はいいのだが実際の収支については無頓着という失敗でいったんアップルから追い出されるが後に復帰する。追い出されるジョブズも復活するジョブズも一緒のジョブズだが、一度外からみることで生まれ変わったのだと思う。だから、冷や飯を食ったことはジョブズにとってはプラスだったはずだ。

最初に感動しておもしろかったと言ったが、アップルやジョブズのことをよく知らない人が観たら、変なやつが奔放にふるまい、周囲と摩擦を起こしながら強引に仕事をしている姿しか映らずおもしろくなかったと感じたかもしれない。ただぼくには響いたのだが、たぶん誰の心にもジョブズ的なものがあると思う。ほとんどの人はそれをどうせダメだとか、そんな困難なことは無理だとか思ってやらないのだ。それができたのがジョブズだ。だからぼくには乗り越えるジョブズの姿に涙が出てくるのだ。ということでジョブズの伝記とみるのではなく、ある起業家の苦闘の歴史とみるとおもしろいかもしれない。

最後に映画で語られた言葉を添えておくことにする。

クレージーな人に乾杯。 はみ出し者、反逆者、問題児、場違いと感じる人、物の見方が違う人、彼らは規則を嫌い現状をよしとしない。 彼らの言葉を引用する人も、反対する人、賞賛する人、けなす人もいるが、無視できない、彼らは物事を変え人類を前進させる。 クレージーと見えるが天才だと思う。世界を変えられると本気に思う人間が世界を変えるのだから。
     スティーブジョブズ.jpg   

2014年7月13日

日常点描2014.7.13

ごく個人的な備忘録なので読みとばしてもらってかまいません。先週はまあいろいろなことがあった。いつもは適当に用事が入って、適当に自由時間があるのだが、公私ともに忙しい。それは6日の夜の電話から始まった。ぼくの家にとっては本家にあたる家の主人が亡くなった。ぼくのいとこである。もう3年くらい入院していたから予想はされていたが、ちょっぴり急であった。早速翌日にお悔やみに行ってくる。

9日が通夜で10日が告別式だという。葬儀屋さんが来て式の打ち合わせをしていた。3月にぼくの弟の葬儀を行った同じ斎場でやることになったので、顔見知りの葬儀屋さんで「毎度お世話になります」と言ったら変な感じだったのでお互い苦笑いだ。通夜も告別式、火葬場、精進落としとずっと参加したのでけっこう疲れた。台風が来るので心配したが、ちょうどいい具合に遅くなってくれた。

8日は一日中、目黒雅叙園で行われた「第9回BPMフォーラム2014」に出席する。しばらくぶりで会う人がけっこういた。ぼくは最近セミナーの類に出ないのでたまにはこうした機会も刺激があってよかった。終了後の懇親会にも参加したので疲れたが、家の近くに来たら、つけがあったのでそれを返すこともあったので「鳥つね」に寄ってしまった。そうしたら飲み友達の大学の後輩のN君が来るではないか。彼は近くの会社に勤めているので朝モノレールで顔を合わせてまた飲みましょうと言ったばかりであった。また痛飲してしまった。

9日の通夜は、ぼくとヨメさんと埼玉の姉で参加することにしていたが、老人ホームに入っている母親が焼香に行くと言いだした。少し前に転んで肘を擦りむいたのであまり出かけたくないようだったのだが、どうしてもとなって姉に面倒をみてもらうことにした。ところがこの93歳の登場のインパクトが強くみんなからよく来てくれましたねと感謝された。

台風はいったいどこへ行ったのかというほど影響がなかった。沖縄に上陸した時はすごいと叫んでいたが、告別式の時だって雨風ともにどうといったことはなかった。やはり、こういう外れ方のほうがよいので少し大げさに注意を喚起するのだろう。

金曜日は、下の息子が大阪から帰ってくるというので夜一緒に呑むことにする。6時に新橋の機関車の前で待ち合わせて「いさむ」に行く。この居酒屋は以前もっと浜松町寄りにあったのだが、例のマッカーサー通りの開通に伴い移転したのだ。その開店のお祝いを兼ねて二人で訪ねる。テーブル、椅子から冷蔵庫など新しくなったので気持ちがいい。

ここはときどき海ぶどうだとかのれそれといったような珍しいものを出してくれる。金曜は秋田八森の名物「ぎばさ」が出た。これはアカモクという海草を刻んで茹でたものでねばねばがつよくうまい。その他青森県産ふぐの白子焼きや生ウニなどを食して大満足。息子は大阪では食べられないといって喜んでいた。そのあとはお決まりの「M」で締める。ママが休みでちょっと心配だ。

なんと息子はそれから徹マンだといって高田馬場まで行った。ぼくも家に帰らず新富町の銀座キャピタルホテルに泊まる。土曜日だというのに昨日の午前中に仕事が入っていたので、真夜中に帰って次の朝早く出るのもばからしいのでそういうことにした。楽ですね。終電に乗り遅れてタクシーにでも乗ったら交通費も宿泊費に近くなるので経済的にもリーズナブルだ。

さて、今日はこれから「洲崎陣出の杜の会」主催の「鎌倉・深沢地区大規模開発予定地見学ツアー」だ。2時間の予定で泣き塔、洲崎古戦場碑などを見学することになっている。暑いので熱中症にならないように気をつけよう。
  

2014年7月14日

ドイツの優勝で幕

2014FIFAワールドカップブラジル大会は、ドイツが延長戦でアルゼンチンを1−0で下して4度目の優勝を果たす。24年ぶりというのもちょっと以外だが、4年に一度だからそんなものかもしれない。ドイツにはおめでとうと言いたい。敗れたアルゼンチンの健闘も讃えたい。

まあ、試合を追いかけてもしょうがないので全体を振りかえってみる。今回はあまりサプライズはなかったように思う。予選リーグでヨーロッパの有力チームと言われたスペイン、イングランド、イタリアが敗れるという波乱はあったが、だから南米勢が強かったのかというと最後はドイツだし、オランダも強かった。勝ち上がった国で特筆はコスタリカだった。直前の強化試合で日本が勝ったチームがベスト8まで進出した。

でも最大のサプライズはブラジルの大敗だろう。準決勝でドイツに1−7で負けたのはびっくりした。開催国ということでぴんと張りつめた糸のようにがんばっていたが、ひとたび切れるともう一気に崩れてしまったのだろう。もちろん、力的にそんなに差があるわけではない。3位決定戦でもオランダに0−3という負け方で恥の上塗りをしてしまった。もう精神的に立ち直れなかったのだろう。

ドイツの優勝は予想通りに近いところだ。ぼくの予想はコロンビアだったから、準決勝をドイツーコロンビアで戦わせたかった。ドイツは穴のない、そしていろんな戦いができる非常に良いチームだ。まあドイツ人気質もいい方向に働いて危なげなかったと言ってもいいくらいだ。バイエルン・ミュンヘンの強さが象徴しているように国内リーグのレベルが国のレベルを表しているかもしれない。そうだとスペインが強くなくてはいけないが、逆に国内リーグで消耗してしまったようだ。

準優勝のアルゼンチンはメッシとマスケラーノの二人で攻守支えていたが力及ばずというところであった。ただ、メッシを生かせるディマリアが故障して出られなかったのが痛かった。彼が出ていたらまた違った展開があったかもしれない。今回は、メッシとロッベンの二人が際立っていた。ネイマールは残念であったが、他の若手ではコロンビアのハメス・ロドリゲスとか最優秀若手に選ばれたフランスのポグバなどが目立った。世界は生きのいい若手がどんどん出てきている。

さて、わが日本であるが、予選リーグで1勝もできず敗退した。他のアジア勢もみな勝てずに予選落ちということでアジアのレベルがどうのという論調もあるが、確かに厳しいところだ。さっきの話ではないが国内リーグのレベルを上げることが急務だろう。それは技術的な問題ではなく戦略とか戦術のところだと思う。

予選リーグの敗退したとき日本の選手たちが口々に「自分たちのサッカーができなかった」と言ったことに対しておかしいという指摘をしたことに通じるのだが、今回勝ち上がったチームのほとんどが(ブラジルを除く)相手をきちんと分析して戦術を変えたりしていたと思う。それができる国が勝つのだ。カズも言っていたが、自分たちのサッカーをするのが目的でもなんでもなくて、勝ち点3を取ることが使命なのだ。

それで先程の話に戻ると状況に応じて戦略や戦術を変えられる監督の能力ということももちろん大事だが、もっと重要なのは選手一人ひとりの戦術理解度であり、その戦術をチームとして連動できる組織能力である。こうした訓練を厳しい戦いのなかで常に行っていく必要があるように強く思ったのである。
  

2014年7月15日

イノベーションを支援するITシステム構築の極意(23)

誤解の4つ目は「データや機能は重要ではない」ということで、ITでよく出てくる3文字熟語とかキャッチフレーズは、ぱっと注目されて流行りだすと、あたかもそれ一辺倒になることがしばしば起こります。昔のことでいうとクライアント・サーバーが言われた時は、メインフレームは全部駆逐されるのではないかくらいの勢いだったし、ERPの登場は猫も杓子もERPだと叫んでいた。だからBPMというと(まだは流行っていませんが)プロセスだけだと誤解するかもしれません。

システムだからどれか一つだけということはありえないわけで、さまざまな要素が複合して構成されているから、どこを重要視するのか、どこから始めるのかとかいった軸の置き方が違って来るだけなのです。筆者はITシステムは大きくプロセス、データ、機能(UI)から構成されているという捉え方をしている。フローとストックとインターフェースということです。

このシリーズで強調しているのはITシステム構築はプロセス中心、プロセス先行で行こうよねということです。そうなると、データとかUIはどうなるのかということなります。もちろん両方とも絶対に必要です。ただ、イノベーションを支援するという目的を考えると、データをマネジすること、UIを充実させることがそれにあてはまるかというとこうではないように思います。

画期的な商品の開発とか、圧倒的な市場占有率の獲得とか、卓越した商品提供力といったことはプロセスを重視したアプローチが有効であると言えそうです。では、データとかUIの出番はどこなのだろうか。まず、データですが、以前DOAというのが注目されました。データ中心アプローチでシステム開発をするというもので、せっせとER図を書いたものです。
  
しかしながら、それはあくまでITシステム、もっと正確に言うとデータベースシステムを作るためのものであったと言わざるを得ないと感じています。つまり、データの登録・更新、検索、帳票出力の仕組みをDOAで作ったわけです。DOAにおけるデータの捕捉を画面と帳票から行うということはそれを意味しています。ですから、プロセス表現が難しいしわかりにくいのです。

では、データ中心は必要ないのかというとそうではありません。データには大きくリソース系のものとイベント系のものがありますが、リソース系すなわちマスタデータはデータ中心で捉えるべきなのです。ビジネスを行うためのリソースを整理しておかなくてはビジネスモデルを変えるにしても、プロセスを改革するにしてもできないわけで、先行してデータベースを設計しておかなくてはいけません。

一方、UIは最近ではスマホに代表されるデバイスの多様化、進化があります。これは、顧客やサプライヤーといった外部接点にしても、あるいは内部の従業員にとっても使い勝手のよい、効率的な機能を要求していけるようになったわけです。ですから、プロセスサイドからの要求としての機能は当然ありますが、マンマシンインターフェースはプロセスとは必ずしも関連しないでも設計していくことになります。繰り返しますが、プロセス、データ、UIは重要となるエリアが違うのでそれ相応のアプローチが必要であるということです。
  

2014年7月17日

事例に学ぶBPM成功のポイント(3)

(3)継続的な活動
BPMの非常に重要な考え方に継続的な活動というのがあります。よくBPMとBPR(Business Process Reengineering)が混同されますが、BPRというのは、時限的に改革するイメージです。それに対してBPMは継続的な活動です。ここまでやれば終わりということがないのです。

プロセスというのは、化学プロセスや生産プロセスなどをみてもわかるように所定のアウトプットを出すために連続的に稼働させるものですから、そうしたコントロールすることと同時により早くとかより多くといった改善を行って行きます。ビジネス・プロセスも同じように絶えずプロセスの状態をセンシングして、管理範囲から外れないようにコントロールしなくてはいけません。

継続的な改善活動は、プロセス内での改善、たとえばアクティビティを中抜するとか、適用ルールを変えるとか、参照情報を増やすとかいった改善もさることながら、新しいプロセスを追加するといったこともあります。ビジネスモデルを変えた結果、それに見合ったプロセスが求められた場合とかです。

本事例では、取り扱い商品を標準在庫品から特注品へとシフトしました。そこでのキープロセスは「見積提示プロセス」でした。顧客要求をきちんと把握して、それを設計部門にエスカレーションして、粗々の設計を行い、提案図面や原価を算出してもらい、製造部門と相談して納期を決め、見積書を作成するといったプロセスです。

最初の重要なポイントは顧客要求確認シートです。特注品の場合は顧客の真の要求を聞き出すのはなかなか難しいものです。ベテランの営業だと経験から導き出すことができるかもしれませんが、若手だとインタビュー項目に抜けがあったままで設計に渡したりするので、聞き取りをやり直すこともしばしばでした。そこで、あらかじめ聞くべき項目を設定してそのシートに埋め込むことにしました。

ただ、最初から完璧なものはできるわけではありませんから、とりあえず必要最低限のものを用意しておいて、不足するものがあったらあとで追加するといったやり方をしました。ですから、常に追加、修正を繰り返すしながらブラッシュアップするわけです。こうした継続改善は他のアクティビティでも同様にやっていきます。

こうしたことで特注品の売上も伸びたのですが、既存顧客を相手にしているとやはり頭打ちになってきます。そこでビジネスモデル上の顧客セグメントを見直すことになります。新規顧客の開拓が必要になるわけです。そうなると、いままでのプロセスだけではうまく行かなくなります。ビジネスモデル要素のどこがポイントとなるかによってキープロセスも違ってきます。

この場合は言うまでもなく「新規顧客開拓プロセス」ということになります。どういう業種業態なのか、地域はどこなのか、会社の規模はとかのターゲットを決め、キャンペーンをどんな風にやるのかといったことが並んだプロセスが対象となります。といったように、日常的な課題を解決するようなところから、ビジネスモデルの変化に対する対応といったところまで、継続的な活動を行うことが大変大事なことになのです。

【成功のポイント】
継続的な取組みでプロセスを進化させること
  

2014年7月18日

潔く柔く きよくやわく

こんなオッサンが若い子の恋愛映画を観るのは気持ち悪いとお思いの向きもあろうかと思いますが、当世の恋愛事情はどうなっているのかという興味もあって「潔く柔く きよくやわく」を観る。主演の二人が長澤まさみと岡田将生という人気者で監督が新城毅彦、他に出演が波留、高良健吾、池脇千鶴、田山涼成ら。原作が人気のコミックだという。

まず思ったのは"こりゃあマンガみたいだ"ということである。つまり、リアリティがない。ちょっとないだろうという設定で、これでもかという偶然を積み重ねている。かなり無理がある構成なのだ。そりゃあ夢みたいな世界に酔うのもいいが、オッサンとしては、もっとリアル感のあるシナリオでないと感動しないなあ。

カンナ(長澤まさみ)は高校1年の時に好きだったハルタ(高良健吾)を交通事故で失ってしまう。ハルタの死は自分のせいだと思い悩むのでそれから新たな恋愛ができないでいる。その後映画宣伝会社に就職して勤めていると、ある出版社に勤める赤沢禄(岡田将生)と知り合うが、衝突を繰り返す中で徐々に惹かれあっていく。

ところが、その赤沢にもカンナと同じように子どもの時に同級生の女の子を交通事故で失うという過去があったのだ。そしてお互いに心の底にあった罪悪感をさらけ出しながらつらい過去を乗り越え再生していくという展開である。同じ悩みを抱いた男女が巡りあってその過去と向き合いうちに恋愛へと進んでいくのだ。

こんなことってあり得るのだろうか。直接自分のせいで事故にあったわけではないが、間接的に影響していたと思い込んでいる男女が会うことって偶然すぎるでしょう。しかも、私が殺したんだとずっとひきずっているという。そんなに深刻なのだろうか。人間ってもっとドライのように思うから、うじうじと罪悪感を背負っている男女が出会う確率はいかばかりなのだろうか。

それとか、いい加減な作り方をしているようにも思える。たとえば、二人が地元どこかよという話で東山と栄が出てきて、なんだ近いじゃんという会話をする。しかし、カンナが通っていた高校は海辺の街にあったし、禄が同級生の女の子を事故で失ったのは青森県の田沢湖に遠足に行ったときだ。それとか、カンナがバーで酔っ払って倒れて救急車で運ばれたら耳が聞こえなくなって入院って、なんじゃこれは。

さらに、お涙頂戴式のわざとらしい設定も随所にある。カンナは耳が聞こえなくなったが、禄の同級生の女の子の姉(池脇千鶴)の子どもが失語症でそれが禄のおかげで治るという。何ですかこの設定。でも、池脇千鶴がいい味を出していましたね。もう32歳になったんですね。他の役者さんたちもみな良かったのですが、脚本がまずい。
  

2014年7月19日

日本人はこれから何を買うのか?

いまある卸売業のビジネスモデルとかプロセスを検討しているのだが、卸売業だから、自分で作ったものを売るわけでもないし、店を出して売っているわけでもないから、顧客が何を欲していて、それに叶うものはどこにあるのかという情報が非常に大事である。ある意味情報戦で勝ったほうがビジネスが成功するとも言える。

それはそれとして、じゃあ今の世の中どんなものが売れているのか、これから何が売れるのか、別な言葉で言うと、消費者はこれから何を買うのだろうかというのに興味は湧いてくる。マーケティングの話なのだが、市場のセグメンテーションとか消費者行動モデルとかいったものがどうすればいいのかというところである。

こうしたことはひとりで調査したり分析したりするのも大変だから広く情報を取得するのがいい。そんなわけで、「日本人はこれから何を買うのか?」(三浦展著 光文社新書)を手にする。著者は「下流社会」とか「東京は郊外から消えていく!」といった社会学的な著作を残している人である。

著者の問題の組み立て方はこうである。国立社会保険・人口問題研究所の「日本の世帯数の将来推計(全国)」(2013年1月推計)によると、2010年の一人暮らしの世帯数は1679万世帯。これが2035年には1846万世帯になるのだという。いまでもひとり暮らしの世帯数のほうが「夫婦と子どもの世帯数」よりも多いのだが、それがさらに増えて、25年後の2035年には6割も多くなるのだ。わーすごいことになる。ここが問題の設定の出発点である。

だから、これまでとライフスタイルや消費行動が変わっていくのである。つまり、夫と妻と子どもからなる家族は消費の中心ではなく、一人暮らしが中心となるのだ。こうした"おひとりさま"はどんな消費行動をとるのだろうか。いまのパターンでは、シニア男性(ぼくの世代だが)は、若者化して教養娯楽関係の消費が多く、洋食、スナック志向が強いのだという。シニアの女性の方はというと、自動車、スポーツ、インターネットといったアクティブな傾向がある、やはり、女の人のほうが元気だ。

一方若年男性は、自動車から自転車へとか、料理は増えて主婦化しているのだが基本は外食と調理食品である。女性は、仕送り、寄付、信仰費が増えているのだという。パワースポットでお賽銭をあげるんですね。そして晩酌はふえている。オヤジ化?ミドル男性は、お部屋志向、快眠志向、女性は健康志向、ものよりサービスなのだという。全体的になんとなくわかりますよね。

ではこれからのおひとりさまは何が欲しいのだろうか。著者おひとりさまがくらしていくのに必要なものはひと言でいうと「ケア」だという。ケアとは、面倒を見る、世話をする、手当をするという意味である。そこでは何といってもヘルスケアであろうから、食生活や医療、住環境とか」になるが、最終的には「コミュニティ」という商品を買う時代になると言っている。

そこで著者が提案するのは、「コムビニ」という考え方で、コミュニティ・コンビニエンス・ストアというわけである。今のコンビニをもっと地域に密着させ、地域住民とのコミュニケーションを図り、コミュニティの形成に貢献しうる業態のイメージである。なかなか面白そうだが、最初に言った卸業から外れていって、むしろ今活動している「JR工場跡地開発」の見なおし運動に近くなってしまった。


  

2014年7月22日

イノベーションを支援するITシステム構築の極意(24)

さて、最後の誤解は「ワークフローのことである」です。これはよくある誤解ですね。ただ、プロセスとワークフローの違いについて明確に規定したものはないでしょう。ということは定義の仕方でプロセスにもなるしワークフローにもなると言えます。ですから、ここは筆者の定義をベースに明らかにワークフローなのに業務プロセスと名乗っていることの間違いを指摘したいと思います。

また、ワークフローとBPMの違いをいう人がいますが、これは土俵が違うので比較することに意味がありませんので注意してください。業務とか仕事の流れをどう呼ぶかという観点になります。両者とも言い方としては、インプットがあってそれに対して何らかの処理を経てアウトプットを出すということでは一緒です。従って、どんな構造をもっているのか、どんなことをするのか、どういう使われ方をするのか、そして何のためにあるのか、という切り口でみていくことにします。構造、機能、使い手、目的の違いを検討するということななります。

まずは構造という問題です。先ほど言ったように両者ともインプットとその中間の過程とアウトプットから成っているといいましたが、ワークフローの場合は、そのフローが基本的には一層になっています。つまり、中間の過程がアクションとか単位作業になっていてそれは分解できない構造になっていることです。それに対してプロセスは、しばしば階層構造をとることになります。

プロセスでは中間過程は複数のアクティビティから構成されますが、その個別アクティビティにサブプロセスを持つことがあります。そして、そのサブプロセスがワークフローであることもあるわけです。中間過程の粒度が違うのです。つまり、プロセスはワークフローも内包したような大きな包括的な構造をもったものなのです。

次にどんなことをしたいのか、どのような機能をもたせているのかというところです。モニタリング機能が大きいように思います。そこから、パフォーマンス管理やプロセスコントロールといったところへ持っていくことがプロセスの重要な機能です。

使い手の問題が一番わかりやすいかもしれません。ワークフローは基本的には個人が使うものです。典型的なワークフローに申請承認ワークフローというのがありますが、これは個人が願い出てそれを承認してもらうという流れですから割と単純なフローで個人用になります。プロセスは組織としてチームとして業務処理を行うためのものです。要するに個人競技と団体競技の違いです。

最後の目的という側面では、ビジネスとの結びつきの程度が問題になります。ビジネス上の要求に応えられるかどうかです。戦略とか事業方針、あるいは改革課題といったところから絶えずビジネス要求が出てきますが、その受け皿にワークフローはなれるでしょうか。個人の仕事の流れであるところでは無理です。すなわち、重要な差異はビジネス要求を実行する仕組みとしてプロセスがあり、個人レベルのタスクを処理する仕組みとしてワークフローがあるということではないでしょうか。

2014年7月29日

事例に学ぶBPM成功のポイント(4)

(4)期待と効果
BPMに何を期待するのでしょうか。その期待に既存の手段では応えられなかったからBPMに期待するのでしょうか。もし、このあたりが明確になっていて、効果が実感できれば、今頃は大ブームになっているはずです。ところが、徐々に浸透してきているとはいえまだまだのようです。ということは、期待するところがないのか、期待することはあるのだがBPMではできそうもないと思っているのかのどちらかなのでしょう。

おそらく今の経営者は期待するところというか、自分たちを取り巻く環境の変化に対して臨機応変に手を打っていかないと持続的な発展どころか事業の継続さえ危なくなるという危機感は持っていると思います。ですから、俊敏にかつ的確に経営の舵取りができる仕組みと仕掛けを期待しているはずです。

そうした期待をかつてはERPやCRMなどに求めたと思いますが無理だったというのが定まりつつあると思っています。ただ、まだまだERPを入れればプロセス改革ができると思っている人もいるように、大金をかけた割には効果がないと分かっていながら、ではどうしたらいいのかと悩んでいるのかもしれません。そうした人たちがそこはBPMだとなぜ飛びつかないのでしょうか。

プロモーションの不足といえばそうなのだが、難しいのは、これこれの問題があるからそれを解決するものとしてBPMがあるといった単純さで訴求できないところがあることです。たとえば、在庫が多いからそれを削減するために在庫管理システムを作ろうといった場合などはわかりやすいのですが、BPMと在庫削減が結びつかないと言われてしまうのです。

つまり、BPMというのは大前提が"ビジネス(事業)全体のプロセスを記述する"ということなのですが、そこがなかなか始められないのです。大前提という意味は、プロセスを書くことで自分たちのやっている事業がいったいどんなものなのか、どんなことをしているのかが俯瞰できるからなのです。すべてはそこから始まるのです。先ほどの在庫の問題にしても単に在庫の部分だけを見ていては、真の原因を見損なってしまうこともありえるのです。

自分たちの事業をプロセスという姿で掌中に納めれば、そこにどんな問題が潜んでいるのか、こういう戦略を実行するにはどこのプロセス改革を行えばいいのかがわかるようになります。これがBPMに期待する大きな理由です。ただ、いま言ったように直接的な問題解決にすぐにいけないので、"せっかち"な経営者になかなか理解してもらえないのかもしれません。

BPMのプロセスを記述して俯瞰して見るということは多くの効果をもたらします。本事例でも、まずプロセスを書いてそれを皆で眺めているとさまざま問題点や課題が浮かんできました。というのも、プロセスというのは多くの要素から成り立っていますから、どの要素に問題があるのかがわかるわけです。業務ルールの不備で混乱しているとか、責任の所在がはっきりしていないとか、同じような仕事を重複してやっているといったようなものが抽出され、そこを改善することで多面的な成果が生まれてきます。成果の主なものは次の3点でした。

① 事業成果の実現
② 人材育成、組織能力の向上
③ IT投資の低減

事業成果の実現では、当初の狙いが、標準品から特注品にシフトして売上を増加させることでしたが、それは特注品の売上を前年比でほぼ倍増させることができて成果を確認できたのですが、予想外というかうれしい誤算だったのが②の人材育成、組織能力の向上という成果です。

え、BPMで人材育成、組織能力の向上?と思われるかもしれませんが、実際に成果が上がったことです。プロセスで自分たちの業務も捉えるわけですから、自分が何をすべきか、他の人が何をやっているのかが見えてきます。そうすると、チームで働くことの意義を自覚でき、結果的に組織能力も向上し、人が育つことにつながるのです。

【成功のポイント】
ビジネス成果を得るには自分たちのビジネスプロセスを手のひらに乗せること、またBPMの大きなメリットである人材育成・組織能力の向上には、多くの人を参加させて大いに議論し成果を共有できる体制をとること

  

2014年7月23日

私の男

モスクワ国際映画祭で作品賞と主演男優賞を受賞した「私の男」を観る。本来なら、もうとっくに上映打ち切りになっていたのが受賞したら今だにやっている。話題になったせいでそこそこの観客動員のようだ。監督が熊切和嘉、主演男優賞に輝いたのが浅野忠信、共演が二階堂ふみ、その他藤竜也、高良健吾、モロ師岡、河井青葉ら。

原作が直木賞を受賞した桜庭一樹の同名小説で、40万部を売ったベストセラーである。小説は読んではいないので、映画からしか読み取れないのだがぼくには思い入れができない気持ち悪い男女に写ってしまう。ストリーはこうだ。北海道で津波に会い、家族を亡くした10歳の少女花を引き取ったのが遠縁にあたる淳吾(浅野忠信)であった。それからオホーツクに面する海辺の街で二人はひっそりと暮らしている。

ところが、その二人表面上は親子で、しかも血のつながりがありながらも密かに愛情を育むようになる。花(二階堂ふみ)も高校生になると淳吾もちゃんと恋人(河井若葉)もいながら、おとなの関係へとのめり込んでいく。そして、そうした秘密を知られたために花は殺人の犯すのである。当然逃げるように出ていき、東京で再び暮らし始めるが、そこにも過去を知る男がやってきて・・・・。

という具合だ。家族の愛を受けたことがない二人が禁断の関係に溺れることで愛を確認しあうのだが、やっぱり近親相姦の匂いが嫌だな。そりゃあ、女性の作家の書いた物語だから、女性の視点から描いているので女の情念みたいなものがあるのだろうけど理解できない。普通だと(この言い方もおかしいが)二人はどうしようもないところにどんどん堕ちていくのだと思うが、花は成人して、まともに結婚しようとする。オジサンにはついていけないなあ。

熊切監督は「海炭市叙景」「夏の終わり」につづいて観るのは3本目であるが、だんだんしんどくなってくる。寡黙だし暗いし、観念的情緒的だし息が詰まりそうになる。この叙情的で私小説風映画は若い時は良かったかもしれないがお年寄りにはちょっと無理だな。モスクワ国際映画祭は割と日本人が受賞している映画祭で、昔は新藤兼人がよく受賞していたし、前年も「さよなら渓谷」が審査員特別賞をもらっている。どうも観念的な作品が好まれるようだ。

浅野忠信はまあまあ受賞に恥じない存在感を出しているが、ぼくは二階堂ふみと浅野の恋人役をやった河井青葉の二人の女優さんの演技に感心した。二階堂ふみはどんどんいい女優に成ってくる。この映画でも年齢が経るところの表情の変化が素晴らしかった。彼女が主演女優賞をもらってもよかったかのではと思う。
  
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2014年7月20日

勘違いCM

3連休の真ん中なので、くだらないというかちょっとした与太話を。以前、トヨタのCMをけなしたことがあるが、あまりテレビを見ないぼくでも気になるCMに出会うことがある。センスが無いとかくだらないとかという意味で批判するというわけではなく、何を言いたいのか、というか勘違いしているんじゃないかと思わせるものがある。

NTTファシリティーズという会社のCMをご覧になった方もいると思いますが、そのCMを最初に見たとき何じゃこれって即座に思いましたね。「父へのメール篇」というらしいのだが、父と娘の会話で、NTTファシリティーズに就職した娘に寡黙な父親がしっかりやりなさいとだけ言う。そして、就職した娘が、今は人々の暮らしを支える仕事をしているというナレーションがあって、私はしっかりやれてますかという娘のメー−セージが入る。すると父親が、メールをみながら頑張りすぎるなよとつぶやくのだ。

驚きましたねえ。てめえの会社に勤めている娘と父親のほのぼの会話を流してどうするのだ。全く顧客を無視していませんか。まあ、いい父親とその娘が働く職場としていいところですよというリクルートCMならいいかもしれませんが、基本的にこうしたCMはどんな商品・サービスでそれが買う方にとってどんないいことが待っているのかを言ってくれないと困るのである。顧客視点の欠如にはびっくりした。

これはこの会社だけなのかと思ったら、なんとNTT東日本のCMにも同じような勘違いがあったのだ。宇多田ヒカルの歌に乗って始まるCMは「もっと深く」篇なのだそうだが、夢は続くほうがいいといったり、気持ちは伝わる方がいいといったあたりまではいいのだが、私たちの仕事は世の中をアッと驚かすものばかりではない。そして、当たり前のような日々を支えている。人の力で。つなぐ力。ときて社員が働いている姿がかぶる。

あららと思いませんか。自分たちは一生懸命世の中のために働いているんですよ。えらいでしょ。と言わんばかりにがんばる姿を映し出す。それは、あんないい人達がいる会社だったらいいのかなくらいには思うかもしれないのだが、こんな商品・サービスがあるからみなさんの暮らしを支えることができるのですというメッセージはどこにいったのだろうか。

両方共NTT系であるというのは偶然ではないような気がする。CM はイメージアップのためという考え方もあるかもしれないが、内輪の論理が優先、つまり私たちはこんなにがんばっているんだからいいものを提供していると思ってよというかなり情緒的な訴求である。そこには何度も言うが顧客視点、顧客価値という捉え方がないように思う。なんという日本的な考え方なのだろうか。
  

2014年7月21日

コンサルティング2.0

いちおうぼくはこれでもシニアITコンサルタントという肩書をつけている。シニアとつけてあるが上級というより年寄りのといったほうが正解かもしれない。いろいろな経験を積んであるからいいコンサルティングができますよと言いたげでもある。ただ、実際には昔こうだったから今も同じようにしたほうがいいですよとは極力言わないようにしている。

ITの世界くらい技術の移り変わりが激しいところはないので、昔の技術を持ちだしてもしょうがない。ところが、技術以外のところでは、つい昔はよかった風の指摘をしたりする。でもよくよく考えてみると、技術以外の仕事のやり方だとか、コミュニケーションの形態だとか、個人の考え方だとかもずいぶんと様変わりしているように思える。だから、やはり、昔はこうだったコンサルは通用しないのである。

もちろん昔のもので良いものはあるが、全体としては現代にマッチしたコンサルティングスタイルを繰り出さないとダメなような気がする。具体的にみていこう。大きな流れとしてプッシュ型からプル型へという動きではないだろうか。ある決まったフレームワークがあって、それに則った答えをコンサル側が用意して、こうしたほうがいいですよと押しこむスタイルがプッシュ型と言っている。

昔は、成功のパターンが大体決まっていて、型にはめ込めばある程度の成功が見込まれていたからではないだろうか。ですから、どこの会社も同じようにパッケージ化されたソリューションを採用するという結果になる。ところが今日の最も重要な環境変化のひとつは多様性です。個人の多様性もさることながら、会社の多様性もしかりなのです。ですから、従来のような型にはまったコンサルティングは通用しないのである。

当然、フレームワークのようなものは必要なのだが、厳密なものではなくラフなものを使うのがよい、というか使わざるを得ないと思う。そして、それを使って、ユーザの人たちと一緒になって考え、ソリューションを抽き出していくというプル型のアプローチが望まれているのである。この具体的なやり方としては、ワークショップ形式でコンサルはファシリテーターとして機能するということがよいと思う。

ところでいまコンサル側のことを言っているが、一方でユーザー側も変わっていかないといけない。ワークスタイルとかリーダーシップの取り方、あるいはオープン化した世界への対処とかで、多様化の発現の仕方が様々な局面で従来とは違った形で起きている。従って、多くの人を巻き込んで、かつコンサルをうまく利用しながら自分たちで答えをみつけていくような改善・改革の進め方を経営者も社員も意識していく必要があると思う。自らの頭で考えることがより重要である。コンサルタントを先生と呼ぶような時代は終わった。
  

2014年7月27日

インプット型とアウトプット型

これだけだと何のことだかよくわからないと思いますが、先日ここでも紹介した池谷裕二さんの「脳には妙なクセがある」(扶桑社新書)という本の中に"脳は妙に勉強法にこだわる"というタイトルで、脳は「入力」よりも「出力」を重視するのだというコラムがあった。

ワシントン大学で行われた実験で、学生たちを4つのグループに分けて、それぞれにスワヒリ語40個を暗記させるというものです。すぐには覚えられないので何回も繰り返して覚えてもらうことにしました。4つのグループというのは、最初のグループは、40個通しで学習させ、その後40個すべてについて確認テストを行い、完璧に覚えるまで繰り返すグループです。2番めは、確認テストで覚えられなかった単語だけを再び学習させますが、確認テストは毎回40個すべてを試験します。

3つ目のグループは、この逆でテストで覚えていない単語があったら、初めから40個すべてを学習してもらい、さきほど覚えていなかった単語だけを確認テストします。最後のグループは学校や塾などでやられる方法ですが、確認テストで思い出せなかった単語だけを学習して、再確認テストでもその単語だけの再試験を行うというものです。

さてその結果どうなったかというと、習得の早さは4つのグループとも差はありませんでした。しかし、1週間後に再テストを行ったのですが、どうなったと思いますか。グループ1と2は80点と好成績でしたが、グループ3,4は35点しかとれなかったのです。これはどういうことかというと、成績のよかったグループとそうでなかったグループの違いはというと、確認テストで毎回40個を対象にしていたか、いなかったの差なのです。

つまり、私たちの脳は情報を何度も入れ込む(学習する)よりも、その情報を何度も使ってみる(想起する)ことで、長期間安定して情報を保存することができるである。要するに、参考書を読むより問題集を繰り返しやるほうが効果があるのだそうだ。インプット型よりアウトプット型ですね。

要するに、こうした学習効果の点においてアウトプット型のほうが効果があるということなのだが、そこから少し派生して考えてみたい。まずは学習したものの適用場面を浮かべてみてください。情報を学習という形でたくさん詰め込んで得られたものを使って何か判断をしたりアクションを取るといった場合うまくいくだろうか。机上の空論で終わる可能性が高い。

一方で自分の前に現れた問題や課題をどう解決したら良いかを実際にやったかどうかとは別にたえず"想起"しているかで持つ知識の有効性が違って来るように思う。つまり、自分の頭の中に記憶するだけではだめで、アウトプットに生かさなくてはいけないということだ。ですからそれは、知識ではなく頭の中で処理が施されて意見とか、考察とか、想いといったものに変換されているのだ。創造力が要求される。

ぼくは記憶することが非常に苦手なのである。いや正確に言うと"知識として覚えること"がうまくできないのだ。だから資格試験(実技系は別ですよ)が大嫌いなのである。インプットの試験をして取った資格が役に立つアウトプットを生み出せるとは思わないからである。という言い訳をしたいがためにだらだらと書いてきたのである。ゴメンナサイ。
  

脳には妙なクセがある (扶桑社新書)
池谷 裕二
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2014年7月26日

中華街のビジネスモデル

ぼくは時々横浜中華街に行く。たいていはみなとみらいで映画を観てその帰りとか逆に映画館に行く前に寄っていく。ほぼ行きつけの店が決まっていてその店に行くことが多い。その店はマインストリートから外れた関帝廟通りに面したところにあってしかも通りの突先だから、まあ位置としてはあまり良くないかもしれない。しかし、そこそこにお客さんは入っている。

あれだけ多くの店があってみなやっていけてるのかと思うのだが店じまいしたという話はあまり聞かない。同じ店がずっとある。みんなちゃんとやっているのだ。その理由はそれぞれの店にそこにだけある特徴があるということだと思う。いわゆる名物料理を持っているということだ。大方のお客さんはその料理を目当てに行くのである。

例えば、関帝廟通りだったら、梅蘭の焼きそば、吉兆のあさりそば、社記の刀削麺、謝甜記のおかゆ、鳳林の海鮮石焼チャーハン、大新園のつけワンタン、三和楼のパイコーハン、招福門の酸辛湯、徳記のとんそくそばといったものがあります。みんなウマそうでしょ。大通りに面したところは大きなお店が多く並んでいますが、この通りには小さくても光る店があります。

まあ、言ってみれば大通りが大企業の集まるところでこちらは中小企業の密集地といったところでしょうか。ですから、中華料理を食べたいというお客さんの足を向かせるのはみんなで一緒になってやって、引き込んだらそれぞれの店の特徴あるもので個別に客を取り合うという構図です。いまのところ、ブランド力もあるし、近年の交通アクセスの良化でますます繁盛しているようだ。

それと中小企業店はその中小であるがゆえの機動性とか家族的おもてなしといった良さも持っている。だから、ぜひなじみになることをお薦めしたい。リピーターになることで、普段味わえないようなサービスを受けることも可能なのだ。先日も、夜にひとりで「鳳林」に行ったのだが、メニューに書いてある料理だと一人前だと食べきれない量であるが、いつも半分にして出してくれるので2種類食べることができる。

さらに楽しいのは、前日が休みだったので釣りに行ったと言って小イワシをたくさん獲れたといってその煮付けをくれた。また、生アサリの煮込みを食べていたら、余った汁にそばを入れて食べなといって替え玉をくれた。これがまた最高にうまいのだ。もちろん、いずれもメニューにないものだ。次回はバルサミコ酢の酢豚だ。

要するにビジネスモデル的に言うと、差別化できる特徴ある商品で顧客の興味をさそい、心のこもったサービスで満足度を高めてリピーターになってもらう。そうして、優良顧客化したお客さんの口コミなどでさらに新規顧客を開拓するというモデルなのだ。そして、この店のメニューで「常連さんが作ったコース」というのがある。商品開発もお客さんとコラボしてやってしまうのだ。

どうです、これは中華街のビジネスに限らず他の業種でも通用するものではないでしょうか。特に中小企業が孤軍奮闘するのではなく、みんなが集まって集客して、その後にお客さんと一緒になって特徴ある商品・サービスを提供することが大事ではないでしょうか。
 
 

2014年7月25日

プロセス思考のすすめ(1)

プロセス志向とかプロセス中心アプローチとか言っている。しかし、正直なかなか理解してもらえないところもある。経営者もさることながらシステム屋さんにもよくわからないとか難しいんじゃないとか言われることがある。どうも、開発方法論のような技術に寄った見方をされるとそう思われるのかもしれない。そこで、志向ではなく思考ということでプロセスを考えてみようと思う。論理的思考やデザイン思考といった位置においてみたらどうなのだろうか。

ビジネスをプロセスという観点で捉えてみようということである。この見方はどこの会社でもやっていると思われがちだが、意外にもできていないというのが実感だ。例えば、経営者が自分たちのビジネスを何でつかまえているかというと決算結果と人と組織である。決算結果は月次なのか日時なのかという違いはあるにしても、実績データとそれを加工した情報から成り立っていて、経営者はそれを見て会社がどうなっているのかつかみます。

また、誰がどうやったのか、組織として機能したのかといった見方もよくやっていて、うまくいかないと人事異動と組織変更に手をつけます。企業活動というのは、ざっくり言うと、「組織目標に従って、様々なリソースを使って、顧客の要求にプロセス活動を通じて応えて、事業成果を上げる」というものです。この、組織目標、リソース、プロセス活動、事業成果(決算)という4つが主要な企業活動エリアになります。

最初に言った実績管理と人・組織は、事業成果(決算)とリソースのエリアのことです。組織目標は良し悪しは別として会社経営していれば必ずありますが、プロセスのところが抜け落ちているように思うのです。というか、あまり関心がなくて、現場に任せてしまっているというのが実状でしょう。また、同じようなこととして今までのシステム屋さんの関心も決算とリソース管理になっています。

そういった状況でプロセス志向といっても、プロセスでビジネスを捉えられないとシステム開発手法ですかみたいな議論に陥る。そこで、プロセス思考を考えてみようと思ったのである。プロセス思考の要諦は、まずはプロセスを描いてみようということです。自分たちがやっているビジネスはどういうプロセスから成り立っていて、どんな活動をしているのかを書き出すことで発想が生まれてくるということなのです。

プロセスは階層構造になっていますから、大きな括りである業務機能のようなところから分解していきます。階層的にみていくというのも大事で、組織の階層と対応付けるとマネジメントの管理すべきレベルと範囲が明確になってきます。例えば、ハイレベルのプロセスは部長、ローレベルはブループリーダーの管理範囲といったことがわかってきます。日本の会社では、課長が部長の仕事をしているとか、その逆で課長のくせに担当者のしごとしかしていないなんてこともわかります。また、越権行為もみつかるかもしれません。

その他、リソースの過不足とか判断基準がないため属人化しているとか、BPO(Business Process Outsourcing)できるとか、さまざまな改善・改革テーマが浮かんでくるはずです。従って、描いたプロセスを見ながら皆がああじゃないこうじゃないと議論し合いながら考え、アイデアを出すという思考法は非常に有効だと思うのです。
  

2014年7月31日

プロセス思考のすすめ(2)

前回、プロセス思考ということでまずプロセスを描いてみて、そこから改善・改革のアイデアを出していくという思考法についてエントリーしたが、もう少し補足しておこうと思う。前回の指摘の中に経営者のプロセス意識の薄さを言ったが、ではミドルマネジメントとか担当者はどうなんだという話から。

実際の現場で活動しているのは主に担当者なのだから、やっていることはプロセスオペレーションである。しかしながら、おそらく上位のプロセスのことはあまり考えていないように思える。つまり、自分のやっていることは広い範囲のプロセスの中のどこに当たるのか、他のプロセスとどう結びついているのかといった見方はあまりしていなのではないでしょうか。

さらにいうと、前回提示した4つの主たる活動領域のうちの組織目標とか事業成果についても無頓着のような気がする。ミドルマネジメントも経営者と担当者の中間的な感じではっきりとしたプロセス観はないと思う。プロセス思考ではこうした各階層の人が一緒になって議論すること(大企業ではトップマネジメントは事業部長)が大事で縦と横の関係も明確になっていく。

もう一つ前回の指摘で経営者の興味は事業成果とリソースにあるということがあったと思うが、ここも大きな問題でプロセス思考をしていないからこの程度に留まっている。まあ、業務システムそのものの対象も事業成果とリソースに行っているからしかたがないのかもしれないが、この変化の激しい時代にそれでよしと思っているのだろうか。

もちろん、先進的な企業だとか小売のようなたえず顧客の動きを見ていないといけない業種などでは、実績を集計してああじゃないこうじゃないなんて言う前に手を打っている。だが、大方の企業はまだ前月の実績を一生懸命分析して一喜一憂している。これは言ってみればちょっと表現はきついが"死体解剖"である。死んでから死因はこうだったと報告する。これでは後の祭りというものだ。

本当は、死体解剖ではなく"生体ドッグ"をしたいはずである。どこか具合が悪そうな兆候が出たらすぐにその原因を突き止めて対処して健康体に戻すというアクションを行うことである。これは、プロセスが描けてオペレーションされコントロールできて初めて可能になるのではないでしょうか。悪い兆候はどこに現れるのでしょうか。どこをみれば原因がわかるのでしょうか。何をすれば戻るのでしょうか。

これらはみなプロセスに備わったものです。言い方を変えると、そういうことがわかるようにプロセスをデザインするということなのです。プロセスを描いてみて、健康体であるべき血圧や血糖値などの基準値をきめて、それをたえず検知するような仕組みをすればよいのです。なぜプロセス思考が大事なのかというのは、こうした健康管理ができる仕組みと仕掛けを考えつくことができるからなのです。病気になってから、死んでからでは遅いのです。
  

2014年7月30日

鎌倉の寺社122を逆さまに歩く(3)

大船観音から駅の西域をめぐる

今回も大船駅周辺になります。前回は大船駅東口方面でしたが今回は西口方面です。岡本、玉縄、植木といった地区になります。もうほんと藤沢に近くなり鎌倉の端っこですね。この辺りは本にも書いてあるが"地味"なところです。

まずはなんといっても駅の西側にそびえ立つ大船観音ですかね。建立が着手されたのが昭和4年だそうだが、途中戦争などもあり、最終的に完成したのが昭和35年である。そうか、ぼくは幼稚園の遠足が大船観音だから、それは昭和28年だから未完成の観音様に行ったのだ。幼稚園児にとってはとてつもなく大きかったが、今でも大きい。坂が急なので下から見るだけで失礼する。

大船観音を右手に見て栄光学園の方に進み交番をちょっと過ぎたところを左折してしばらく行くと「玉泉寺」(真言宗大覚寺派 1600年ころ創建)がある。こじんまりとしてひっそりあるという感じの"地味"な寺だ。
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玉泉寺からフラワーセンターの方に向かい突き当りを右に行ってしばらくすると「龍宝寺」(曹洞宗 1503年創建)の山門に着く。そこから左に幼稚園、右に「玉縄ふるさと館」を見て中に進むと本堂があるが、両脇に広い庭があり多くの花木が植えられているが、今は咲いている花がない。鎌倉では数少ない曹洞宗のお寺であるがなかなか立派な構えをしている。
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そこから北にちょっと行くと「諏訪神社」がある。割と階段が少なかったので登ってみる。そこから、コーナンというホームセンターの方に向かい突き当たると右に藤沢方面へ行き、植木郵便局の手前を左折すると「貞宗寺」(浄土宗 1611創建)がある。徳川二代将軍秀忠の生母の母である貞宗院の邸宅を寺にしたのだという。老いた樹木や鯉が泳ぐ池があったりして落ちついた感じの寺である。
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郵便局の方に戻ってしばらく行くと左手に「円光寺」(真言宗大覚寺派 1558〜70年)が現れる。元々は玉縄城主だった北条氏時が城内に創建したものだ。玉縄城が廃城になってこちらに移されたのだという。小さいけどわりと楚々とした感じでいいですね。
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次に向かったのは最後の訪問になる「久成寺」(日蓮宗 1520年創建)である。くじょうじと読む。小田原北条氏の家臣の梅秀長が屋敷を寄進して建立したという。立派な山門をくぐると、日蓮聖人像や将軍実朝を討った公暁を斬ったという長尾定景の石碑を通り本堂につく。ここも庭の手入れもよくできて花木があるのだが今に時期は残念ながら楽しむことができない。
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意外と言ったら失礼かもしれないがこんなにいいお寺があるとは知らなかった。玉縄城があったということもあり、縁のお寺が多いのだが、ちゃんとて手入れもしてあって(多くの寺で植木屋さんやらの職人さんが入っていた)ちょっと驚いた。

昼食は、龍宝寺の近くのそば屋に行こうと思ったらあいにく定休日だったので、一気に藤沢に出ることにする。最近テレビでも取り上げられて人気の「魚や 翻車魚丸」に行くことに。12時半くらいに着いたら並んでいるではないか。さすが人気店。しばらく時間を潰して1時過ぎに入店。まぐろ、かつお、甘エビ、いくら、しらすなどがたっぷり乗った「まかない漁師丼」でお腹いっぱいにして帰宅する。
  

2014年7月24日

花火大会

昨日は鎌倉の花火大会であった。今年は66回を数えるというからぼくが生まれた年から始まったわけでずいぶんと古い。子どもの時には毎年のように出かけていたが、しばらく鎌倉を離れていたことや、その後ひどい目にあったこともあるのでここのところは遠ざかっている。

ひどい目というのは、子どもがまだ小さかったときに何回か連れていったことがあったが、その時の混雑ぶりにまいったのである。一番いい場所は、滑川をはさんで由比ヶ浜と材木座のところである。ぼくの家は大仏のさらに西のほうだから、バスで由比ヶ浜までいく。行くときはみなばらばらだからそう混雑しているわけではないのだが、終わった後がひどいことになる。

子どもを連れていった時は大変だった、まずまともに歩けない。そして、バスが来ない、乗れない。というわけで結局歩いて帰った。子どもは泣くは、一緒に行ったばあちゃんは座り込むわで、やっとのことで家に辿り着いたのである。そんな苦い思いがあるので、子どもも大きくなるともう行かないで音だけ聞くことにしていた。

ところが、昨日はたまたま"自炊日"だったので見にいくことにしたのである。自炊日というのはカミさんが何かの事情で夜ご飯が作れない時に自分で作る日のことである。ただ、暑い夏はあまり自分で炊事するのもつらいので外食してしまうことも多い。昨日は、外食と決め込んだら、そうか花火を見てから食事に行こうという気になったのである。というわけで、自転車を走らす。

ところが、大仏から抜けるのは混んでいるだろうからと思って鎌倉山から七里ヶ浜に下る道を選択する。これが間違いで夜道で暗いは坂でつらいわでバテバテだったが、もう始まっていた花火をめがけて降りていくと稲村ヶ崎に到着する。134号線の歩道は人がいっぱいだ。そこから、市営プールのほうに少しいくとよく見えてくる。もっと先に進もうと思ったが人が多すぎて諦める。

しばらく花火見物をしたらお腹も減ってきたので戻ることに。車の渋滞を横目で見ながら、ここは自転車の威力ですいすいと進むのだが、ふと思ったのは、渋滞に巻き込まれての花火見物もいいのではないかと思ったのだ。江ノ島方面から、ちょうどいい時間帯に乗っかれば、車をちょろちょろ走らせながら花火が終わったら材木座に着いたなんてこともできるのではないか。来年はその手で行こうかな。でも時間調整がむずかしそうだ。

というわけで、花火を楽しみ適当に汗をかき、その後ビールを呑んでうなぎを食べて、そのあとはお決まりの「写楽」コースで一日を終える。お疲れ様でした。
  
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2014年7月28日

人生はマラソンだ!

ぼくはマラソンを走ったこともないし、これからも絶対走ることはない。下の息子は何回か走っているが「サブファイブ」止まりである。でも完走するということはたいしたものだ。まあ、20代だから体力があるから走れてしまうのだろう。中年のオッサンがマラソンを始めたらどうなるのだろうか。それも、走ることに全く縁がなく、ふだんは酒や煙草に遊んでばかりの連中がはたしてマラソンなんか走れるのだろうか。

「人生はマラソンだ!」はそんな映画である。監督がこれが長編劇映画デビューとなるディーデリック・コーパルで、オランダ映画である。ロッテルダムのある自動車工場は、経営者のギーアと従業員4人が働いている。ニコ、レオ、キースの中年三人組は昼からビール片手にカードゲームに精出している。もう一人のエジプトからの移民であるユースだけがまじめに働いている。

そんなあるとき、ニコが税金の督促状を見つけてしまう。要するに経営状態がよくないのだ。ギーアはそれを皆に隠していたのだ。ほっておくと工場が閉鎖になるかもしれないというとき、あるアイデアを思いつく。ユースが元マラソン選手でスポンサーを探して広告塔になって走ればお金が稼げるという話がヒントになった。そのアイデアとはロッテルダムマラソンに出場して全員が完走できたら借金を肩代わりしてもらうが、もしできなかったら工場を譲るという賭けであった。

さあそれから4人の特訓が始まる。ユースをコーチにして練習を始めるのだが、走ることなどしたこともないメタボのオッサンたちはどうなるのか。最初はすぐにリタイアしてしまうが、徐々に走ることの面白さにめざめだしていく。この辺りは、マラソンをやったことのないぼくにも理解できる。そしてどんどんはまって行くのである。

その間、4人のオッサンの私生活が描かれていく。4人がそれぞれ悩みを抱えながら、走ることでそれらを越えていくような展開になっている。まさに、人生はマラソンだということにつながるのだ。走り方も最初はひどかったがだんだんと様になってくるし、体も絞られてくる。こうした、素人というか、そんなことできそうもない人たちが、窮地に立たされて、一念発起して立ち上がるというパターンはよくあるといえばあるのだが、この映画でも、なんといっても出演者のキャラクターがとてもいい。

ダメおやじなのだが本当にダメではなく、底には男の意地みたいなものが眠っている感じをよく表現している。それと、けっこうディテールがきちんとしていて、サッカー好きのぼくなんか、フェイエノールト・ロッテルダムの熱烈なサポーターの彼らのアヤックス・アムステルダムへの対抗心になるほどと思ったり、実際のロッテルダムマラソンで撮影されたとか、そして最後のクライマックスなど感動することが多い。オランダで大ヒットしたのももっともだ。
  
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