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2014年6月 アーカイブ

2014年6月21日

地獄でなぜ悪い

いまや油が乗り切ったというか、数多くの話題作を提供する園子温が贈るエンターテインメント映画である。「地獄でなぜ悪い」は、「ヒミズ」とか「希望の国」といった社会性のあるものから、「愛のむきだし」「冷たい熱帯魚」「恋の罪」といった犯罪を題材とした映画まで幅広い作品を提供してきた園子温がこれまでとは趣を変えたものである。

園子温が長い間あたためていたオリジナル脚本がベースになっているそうだが、まだ名も売れていない時にこんな映画を作りたいな、でも劇場公開なんてできっこないなあと思っていたに違いない。そんな映画である。要するに自己中心的で受けようが受けまいが関係ないという代物なのだ。それが、数々のヒット作品を生んだおかげで企画が通ったのだろう。ただ、それを通して劇場に出してしまう図々しさに敬意を表する。

ということだから、その思いと同じようなことがこの映画の中に埋め込まれている。つまり、その時の園子温が映画にも出てくる。それと映画に対するオマージュが満載で、様々な要素が散りばめられている。ヤクザ映画でもあり、青春映画でもあり、恋愛映画でもあり、ブルース・リーも出てくるアクション映画でもあるのだ。それをつなげて映画にしてしまうのだから大したものだ。

そのつなげ方はこうだ。ヤクザの武藤組組長の武藤(國村隼)と妻・しずえ(友近)は娘のミツコ(二階堂ふみ)を女優にすべく彼女主演の映画を作っていたが、ミツコは男と逃げてしまう。一方、武藤組は池上組と抗争を繰り広げているのだが、池上組の組長の池上(堤真一)はミツコの大ファンであるという変な関係になっている。

ミツコが逃げ出してしまって困った武藤は手下を使ってミツコを連れ戻すのだが、ミツコは一緒にいた男・公次(星野源)が映画監督だとウソを言ってしまう。そうなると、武藤は公治に映画を撮るように命じるのだが、所詮素人だからできるわけがないので逃げ出してしまう。そのとき偶然に出会うのが、昔から自主映画を作りながらいつか一生に一度の傑作を作ることを夢見ている平田(長谷川博巳)と出会う。

そこから、平田が引き継いで映画作りを続けていくのだが、何と映画は実際の武藤組と池上組の出入りを撮影するのである。平田は長年の夢がかなうとばかり、斬り合いの場面の迫力ある映像が撮りながら興奮するのだ。だから、ヤクザの抗争から殴りこみがあるヤクザ映画だし、なぜかそこにブルース・リーも登場するアクション映画だし、若い時の夢がかなう青春映画だし、武藤一家の家族愛、ミツコと浩次の純愛だし、いろいろな要素が詰まっていますよね。

それと、ところどころで映画作りへの愛というか、こだわりが出てくる。35ミリ映写機とかその映写技師も登場したりするが、ぼくのように映画好きには感動するのだが、そうでもない人には、内輪で盛り上がるオタク映画じゃないかと思われるかもしれない。そういうある種のロングテール現象とも言えるこんな映画もできるような時代になったということなのだろう。
 
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2014年6月 2日

ITに求められるものが変わった

いま、「イノベーションを支援するITシステムの構築の極意」といういささか長ったらしいタイトルで連載記事を書いているが、どちらかというとテクニカルな面が強いので、なぜこうした主張をしているのかといった背景面での考察をしてみる。もちろん情報技術そのものの変化というのは大きな影響があることは否定しませんが、それだけの理由ではなく、ITとは関係ないところの変化があって、そこからITに求めるものもかわってきているのではないかという視点である。

例えば、いま3つのパラダイム変化を提示している。すなわち、「データ・機能中心からプロセス中心へ」「作って終わりから動かしてナンボへ」「個人作業からチームワークへ」である。こうした動きの背景には、経済環境、産業構造、ビジネスモデル、働き方、組織といったものが大いに関係していると思う。

非常に大雑把な言い方ですが、コンピュータが登場して企業の中に入ってきた頃は、経済成長期だったのだが、いまは完全に成熟期に入っています。ですから、成長期におけるITと成熟期におけるITではやるべきことが違ってくるはずです。ところが、ITそのものの技術進歩が急だから"ITシステム"そのものも進歩していると錯覚してしまい、成長期に求められていたシステムと同じものにただ新しい技術を入れただけで満足してしまっているように思える。

「イノベーションを支援するITシステムの構築の極意」で指摘したように、ITを高級計算機、帳票出力マシンとして、個人が端末の前に座ってデータの入出力のための仕事に使われているのである。これは、成長期のコンピュータ導入初期の使われ方である。それが、基本的には同じようなシステムとして続いているのだ。ダム端末からPCになりモバイルになったとしてもやっていることは変わりない。そして、相変わらずタバコ部屋はもうなくなったかもしれませんが、クローズした世界でITを使わず仕事を進めています。

ただ、成長期ではある程度仕方がなかったのかもしれません。会計処理とか決算といったバックヤードの整備が大事だったからです。しかも、ビジネス形態的には、プロダクトアウト思想が強かったことが大きいと思います。つまり、作れば売れる時代だったということです。この傾向が強いと、売るためのプロセスなどというより、極端な話どれだけ売ったのかどれだけ儲かったのかを知るだけでよかったのです。

お客さんの声を聞くよりもこれはどうか、こんなものができたから買ってというのが営業で、そして引きが多いのでコラボレーションなんて言葉もなかったように個人プレーでどんどんやったのである。当時の営業部長は、営業日報に登録する暇があったらさっさと外に出て売ってこいと言っていた。

ところが、バブルもはじけ、リーマンショックにもみまわれ成長が鈍化し、いまや完全に低成長の成熟期に入ってしまった。こうなると、成長期のプロダクトアウト思想ではものが売れなくなってしまった。顧客の声を聞いてその要求に合ったものを提供していかないと立ち行かなくなったのだ。そこには、単にデータの入出力だけではなく、どのようにしてそのデータが生成されたのか、なぜそのデータを見る必要があるかといったプロセス的な観点が必須になってきたのだ。

こうした変化に対応するには従来型のITシステムでは無理だということは歴然としている。だから、ITシステムにもパラダイム変化が必要なのである。ところがこのことに気がついている人が少ないようで、従来の延長での技術進歩を盛り込んだ製品や技法はあるのだが、新しいパラダイムに依拠した機能を装備したツールやソフトウエアはまだまだ少ないように思う。これができれば、企業向けIT産業でイノベーションが起こせるかもしれない。
  

2014年6月 6日

正義の偽装その3

最近の政治的話題は「集団的自衛権」とやらですね。端から反対する人たちもいますが、大いに議論したらいいと思いますが、あまり感情的にならず冷静に論理的にやってもらいたいものだ。それと、これだけグローバル化も進み世界情勢も変わっているので、そうした新しい環境をベースに議論する必要がある。終戦直後とか東西冷戦下のままでの思考になってやしないか注意することも大事だと思う。

それに関連して、「正義の偽装」(佐伯啓思著 新潮新書)に書いてあることを見ていきましょう。その中に「領土を守るということ」という章があって、なかなか示唆に富んだ議論が出ている。日本は竹島・尖閣の問題は抱えているわけですが、向こうが不法であれ不正であれ実力行使でやってきたらどうするのだろうか。前回に書いたように、ルソー的な民主主義の要件は「共同防衛」と「憲法の制定」にあるわけだから、国民の生命や財産が脅かせれたら共同で防衛しなくてはいけないのだ。つまり、最終的には「力」で排除しなくてはいけない。

こうしたことも含めて今の日本を取り巻く状態下で日本国憲法を考えるとおかしくなる。憲法の前文にはこうある。「日本国民は・・・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと務めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」。これを受けて第9条の戦争放棄、軍事力の放棄が出てくる。要するに、国際社会は、平和を愛する公正は諸国民からなっているので日本は軍備を放棄するというわけである。あれって思いませんか。この前提って合っている?

それと、日本国憲法には非常事態の想定がないのです。つまり、他国が侵入してきたりした場合どうするかが書いてありません。そこに「主権」という概念が入ってきます。国民の生命・財産の安全確保、社会秩序の維持を実現するのは絶対的権力である「主権」という概念なのです。ところが一方で「憲法」こそが根本規範であり、政治権力の正当性を規定すると考えられています。

日本国憲法には「主権が国民に存する」と定めています。わー、それでは憲法と主権のどっちが上なのだ。非常事態の時どうなっちゃうのだ。そんなときは法的秩序を超えて「主権」という絶対的な「力」が作動する。この「主権」っていったい何だ。主権は国民だから、国民に負託された権力者が主権を行使するのか。それは独裁者ってこと。ああ、頭が混乱してくる。このように矛盾をはらんでいることをどれだけの人が自覚的なのだろうか。

日本人のこの能天気さはどこからもたらされたものだろうか。佐伯さんはその理由を二つあげている。ひとつは、戦後日本は、憲法と防衛という近代国家の二つの柱をともにアメリカに委ねてしまっていること、もうひとつが、われわれは、「主権」といい、「国民主権」といい、「民主主義」といい、「憲法」というものの、その意味が本当には理解できていないことだという。

たしかに、今の議論はこうした根本的な問いに対して行っていないような気がする。それと、世界で起きていることが他所事のように思っている辺境日本の平和ボケな人々は夢のようなことばかり言わないでもっと現実的な目で実効のある議論を展開してもらいたいものだ。。
 

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2014年6月 4日

ナンバーテンブルースさよならサイゴン

東京の大森に「キネカ大森」というユニークな映画館がある。昔の名画座風の趣がある小さな映画館である。そこで「ナンバーテンブルースさよならサイゴン」という映画を観る。一部では知られているが、テレビで宣伝するわけでもなく、それほど注目さているということもない。しかし、ぼくらの年代のものにとってはある種の感慨を持って観ることになる。

映画の謳い文句は、40年経ってよみがえる幻の映画ということになる。つまり、1974年から1975年にかけてベトナムでの現地ロケを敢行して作った作品なのだが陽の目をみずにお蔵入りになっていたのが発見され、監督の長田紀生自らが編集しなおして劇場公開になったものである。製作が1970年代半ばであるからベトナム戦争の終わりの頃である。まだ、戦争中のベトナムでのロケだから迫力もあり、当時を知る人間にとっては懐かしさもある。

どうしてこの映画を観に行ったかというと、ぼくが属している映画祭の人が三重県の四日市で活動していて、四日市出身の映画監督藤田敏八の伝記も書いたのですが、同じ四日市の出身で藤田監督の「修羅雪姫」などのシナリオを書いたのが長田で、その長田が初めて監督した作品だから観てみろと言ってきたのです。それでどこでやっているか探したら「大森キネマ」だったのである。

さて、その物語であるが、戦時下のベトナムに駐在する杉本俊夫(川津祐介)は、単身赴任の身ながら、現地での生活を満喫している。ところが、以前の使用人とのトラブルでその使用人を自らを守るために殺してしまう。しかし、そのことを正当防衛だと言い張ることもできず逃亡することを決意する。そのために現地の裏社会の人間や現地妻の女の手を借りて国外脱出を図る。だがその逃亡資金ということで会社の金を横領したのを感づかれ命を狙われることになる。

そこからは、追いつ追われつの逃亡劇が繰り広げられる。何しろ戦争をしている国の中を逃げるのだから大変なことになる。次の日には香港に脱出という段になってついに自由の身になるのかというところで・・・。まあ、この映画をこれから観る人も少ないと思うので結末を言ってもいいのだが、まあやめておこう。当時の映画でこうしたわけもわからないが逃げるというパターンは、「俺たちに明日はない」を持ち出すまでもなくよくあったような気がする。俺たちはいったいどこにいくのかといったコピーが用いられた。

当時も若者は全共闘運動や反戦運動などの高まりの中で進むべき方向を模索してもがいていたので、そうしたパターンがウケたのであろう。「気分」といったらいいのかもしれない時代の空気を思い出してしまった。また、ポスターのデザインといい、ブルースというタイトルをつけたり、どこへ行くともなく突っ走るシーンといい時代を感じるものが満載でしばし、タイムスリップしてしまった。

観客がぼくを含めて4人だったのだが、みな同じくらいの年代の男の人で、おそらく彼らもぼくと同じような感慨を抱いたのではないでしょうか。今の若い人は多分観る人は少ないと思うが、ベトナムでのオールロケだから、その生々しい迫力ある映像を観るだけでも価値があると思う。
  
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2014年6月 8日

晴天の霹靂

劇団ひとりは、「陰日向に咲く」という小説と映画で単なるお笑い芸人ではなないなとは思っていた。ただ、前作はもうひどい出来栄えでなんじゃこれはというのがぼくの評価であったが、今回の「晴天の霹靂」には若干驚いた。驚いたというのはいい作品を残したという意味である。予想以上のできで才能があることが証明されたようだ。

青天の霹靂という意味は晴れた日に突然雷鳴が起こるように突然びっくりするようなことが起きることを言うのだが、映画でもそれこそある晴れた日に突然主人公が過去へワープしてしまうという物語である。監督・脚本が劇団ひとりで出演もしている。他の出演者は大泉洋、柴咲コウ、風間杜夫、笹野高史といった面々である。

売れないマジシャンの晴夫(大泉洋)は長年マジックバーで働き生計を立てているが、後輩にもバカにされ、彼女もいない生活で生きる意欲も失せている状態である。そんなある日、警察から父親が死んだという連絡がくる。父親は晴夫が子どもの時に置き去りにして去って行ってから音信不通であるが、ホームレス生活の場で倒れてそのまま死んでしまったのである。

晴夫がその父親の死んだ現場を訪ねた時に「晴天の霹靂」が起こったのである。そして、ワープした先は晴夫が生まれた時と場所である。だから、そこには晴夫の父親(劇団ひとり)と母親(柴咲コウ)がいた。二人は浅草の雷門ホールというところでマジシャンとして舞台に立っていたのである。そこに現代のマジシャンである晴夫が入り込み、今のマジックを披露するのだからウケるのである。その後、父親と二人のコンビで売れるのだが、母親が妊娠していることがわかる。つまり、晴夫がそのお腹の中に現れたのである。

といった展開で進むのだが、これがおもしろいのだ。芸人として劇団ひとりの面目躍如といったところで、浅草芸人の喜怒哀楽や生活形態など、ビートたけしにでも聞いたと思われるようなシーンが連続する。あの有名な「捕鯨船」も登場するのだからうれしくなる。出てくる漫才やマジックも本物風だし、マジックにしても大泉洋、劇団ひとりも自身でやっているように見える。大泉と劇団ひとりのコントも息がピッタリだ。これが映画を引き締めている。

晴夫は、自分を生んだ両親が自分を捨てたと思い込んでいる。自分は親から期待されてこの世に生きたわけではない、むしろいらない子として育てられたと思っていたのである。だから、今の自分の境遇は親のせいだと逃げていたのだ。それが、ワープして両親が自分を生むまでの時間を共有してみると、自分が思っていたこととは大違いであることがわかるのである。
 
このストーリーよくできてますでしょ。ついつい引き込まれて行きます。確かに、これを見ていてぼくもワープしたくなった。両親がどんな思いでぼくを産んだのかすごい興味がわく。まあ、子どもの幸せを望まない親はいないと思うのだが、そうではない親もいるから若い人もこの映画を観もらいたいと思う。

ただ、よくできているのだが惜しいのはちょっとした説明不足があると思う。飛躍している部分が多少あって、どうだったかなあと思うことがあった。映画というのは小説と違って戻って読み返せないからしつこくない程度の丁寧さが必要なのである。おそらく、脚本の練り込みが不足していたのだと思う。
  
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2014年6月 1日

自転車でぶらり鎌倉散策ー東勝寺跡

自転車を買ったと書いた。自転車に乗って鎌倉をめぐるには大変よい季節になった。自転車を買ってから最初に出かけたのが、散策とはちょっと違うかもしれないが、ある葬儀場である。由比ヶ浜にある斎場で、ここの特徴は「貸切邸宅型」ということである。つまり、建物全体を一葬家だけで貸しきってしまうタイプである。

なぜ、こんなところに行ったのかというと、今年の3月に弟を亡くして近所のいわゆる一般的な斎場で葬儀を行ったのだが、弟は商店会の会長をやっていたりしたからそれはそれで良かったのだが、ぼくの母親やぼく自身の時も同じようにやるのだろうかと思ったからである。

ぼくの母親は今92歳でもうすぐ93歳になるが、今すぐどうのという状態ではなくむしろこれじゃあ100まで生きると言っている。だが、長く生きれば生きるほど、葬式の時にきてくれる人も少なくなっていく。母親の兄弟はみな亡くなってしまっているし、子どもたちももう還暦をとっくに過ぎてリタイアしているわけで、ぼくは長い間地元を離れていたし、姉は埼玉に嫁いでいるから、弟が死んだ今では関係する人々は少ない。

となれば、もう本当に一握りの近親者だけで葬儀をする家族葬がいいのではないかと思ったのである。だから、本当に悲しんでくれる2、30人で十分なわけで、そうなるとその斎場がちょうどいいのだ。それでそのシステムや建物の中身を確認しに行ったというわけである。ついでに、一日葬でできないかと聞いてみたら無理だろうと言われた。お寺さんが来るとなると、通夜の義と告別式は省略はできないのだそうだ。だから、もし一日だとしたら相当慌ただしいものになってしまうのだという。

せっかく由比ヶ浜まできたので、足を伸ばすことにする。いま「洲崎陣出の杜の会」というところで活動しているのだが、その洲崎というのは古戦場で1333年に新田義貞の鎌倉攻めで、新田軍の堀口貞光と北条軍の赤橋守時が戦った場所である。その由緒ある地を残そうとしている。その後、攻めあぐんだ新田軍は稲村ヶ崎に移動して有名な潮の引いたときに一気に鎌倉に突入した話につながのである。

そして、新田軍が若宮大路まで迫ったとき、時の執権北条高時は一族郎党を引き連れて東勝寺という寺まで逃げて立てこもり火をかけて最後を遂げた。その裏山にあるやぐらに一族の墓がある。ということで、新田軍のそのままの足どりをたどれなかったのだが、若宮大路から今は建物が残っていない東勝寺跡地とやぐらを見に自転車を走らせた。遠い昔に思いをはせると、そうかこれも壮絶で大規模な悲劇の家族葬だったのかもしれない。
  
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2014年6月 5日

セオリー通りにはいかない現実にどう対処するのか?

いつも思うのだが、何か行動を起こしたり実行するとき事前に設定したとおりに行くことはほとんどないだろう。何事もなくすんなりいくというHappy Pathは期待しないほうがよい。そうなると、最初に一生懸命シナリオを考えておくというのは無駄なことのように思えてくる。

だから、現実的にはある程度の道筋を想定しておいて、その都度調整してゴールするというのがとるべき態度ではないと思う。この筋書き通りにいかないというのは、いろいろな局面でやってくる。すなわち、その瞬間のアクションの時であったり、相手の要求に対する提供サービスであったり、戦略とか方針といった場合だったりする。

"調整"において一番大事なことはなんでしょうか。それは「察知」ということではないでしょうか。絶えず事象を観察して変化の兆候を感じ取る「察知」である。これは能動的なもなので、こちらから仕掛けることもありだということでもある。つまり、なんでもいいからまずやってみてどうなるかを素早く察知してだめならすぐ切り替えていくというのも必要なことではないでしょうか。この切替ができる代替案を持っていなくてはいけないのは言うまでもない。

そこで、階層的な切り口でみていくと大きくつの3つのパターンがあるように思うのである。

① Change & Evolution (変化と進化)
② Try & Improvement (試行と改善)
③ Sense & Response  (検知と応答)

最初の変化と進化というのはより高次で広い範囲を対象にしている。例えば社会情勢だとかビジネス環境が変化したのを察知して戦略やビジネスモデルを変えたりすることである。この場合忘れてはいけないのが、ただ変化に対処するだけではなく、変化したことを進化に繋げないといけないということである。

試行と改善は主にプロセス管理の領域に対して言えることである。よく業務改善とかプロセス改革とか言うのだが、最初から立派な理想的なプロセスを描いてそれを実行することが是とするスタンスから、ある程度プロセスが描けたらまずそれを動かしてみて、不足するところとか変えるべきところが出たらすぐに追加・修正するというやり方を言っている。

最後の、検知と応答というのは、実オペレーションの断面でのパフォーマンス管理の領域である。例えば、このままほっておくと納期に間に合いそうもないというときに、増員して対処するといったことである。それも、応答時間も短く、リアルタイムで繰り返しやることも多くなる。

様々な局面で変化の予兆に気づき、適切な対応をとり、それを次に活かすという動作が継続的にやられている姿が望ましい。さて、これをITシステムに持って行くにはどうしたらよいのでしょうか。ある意味で制御システムに近いものになる。こうしたシステムを使って変化対応力に優れた断トツオペレーションができたら差別化できるんだけどなあ。挑戦してみるかな。
  

2014年6月 9日

時間と場所にとらわれない新しい働き方

ランサーズという会社をご存知でしょうか。クラウドソーシングサービスを運営している会社です。簡単にいうと仕事をしたい人(組織)と仕事を頼みたい人(組織)をマッチングさせるサイトである。ランサーズは日本初で最大級のサービスである。

こういう形態だから、働きたい人というのはいわゆるフリーランスと呼ばれるような人が多い。今や何と27万人のフリーランスが登録しているという。仕事で多いのは、Webシステム開発、HPなどのWebデザイン、ロゴやチラシなどのデザイン、ライティング、データ入出力、翻訳などが主なものです。

そのランサーズからうちの会社に献本がきた。タイトルが「時間と場所にとらわれない働き方」である。社長の秋好陽介君がうちの社長と同い年で友だちなのと、今在渋谷に行ってしまったが、以前は鎌倉の小町通りに会社があって、ぼくもそこで秋好君と会ったこともある。そういえば、その時からみるみる会社が大きくなっていった。

この本を作るのにあたっては、27万人の人の中から100人を選び出してアンケートを実施したそうだ。さらにその100人の中から、働き方やライフスタイルがおもしろそうな20人を選んで紹介している。登場する人たちは年齢や性別、さらに居住地もいろいろで、職種もイラスト制作、ライター、システム開発、Web制作、デザイナー、映像制作、翻訳と多彩である。

さすがに選抜された人たちなので、フリーランス生活を満喫している様が伝わってくる。やはり、異口同音に毎日通勤電車に乗って会社に行き、そこで時間に拘束されて、家族とも顔を合わせない生活が嫌になってといった動機である。ですから、通勤地獄から解放され、好きな時間に好きなように働いてというスタイルに満足している。

この本に登場するフリーランス達人は一握りのような気がするので、その生活を追ってもしょうがない。ということでアンケートが気になったのでそこに触れておく。ぼくは何といっても、一番の関心事は収入である。いくら自由きままな生活を望んだところで生活できなくては何ともならないからである。アンケートでも、フリーランスのメリットの1位が「自分の時間が増えた」だが、デメリットの1位が「収入が安定しない」なのだ。

「収入面での目標はありますか?」という質問に対しての答えが、「安定した収入を得ることが当面の目標です」「月15万円稼ぎたいです」「ライター稼業だけで食べられるようになる」「自分で生計を立てて、コンスタントに仕事を得たい」といったものです。けっこう現実には厳しいものがありますね。だからフリーランスだけで安定した収入が得られるようにしようとしているのがランサーズのめざすところだと思う。ガンバレ、ランサーズ。
  

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2014年6月 3日

調子があがってきたぞ

日本時間の今朝行われたサッカー日本代表の国際親善試合でコスタリカ相手に3−1で逆転勝利を収める。アメリカで合宿中の代表は当地フロリダのタンパで北中米地区を勝ち上がってW杯に出場するコスタリカと強化試合を行った。相手はFIFAランクで日本より上だから、その相手に勝ったのだから結果派よかった。

先発が、いつものメンバーから、長友、遠藤、岡崎、長谷部、柿谷に代わって、青山、大久保、大迫が入る。おそらく、あまり試合にでていない選手の連携を確認したかったのだろう。立ち上がりは、まだコンディションもピークではないこともあり、あまり連携がスムーズではないのと動きもよくない。でも少しずつ慣れてきて、前半11分に放った大迫のシュートくらいから日本もペースをつかむ。

その後も、大久保、青山、香川、本田、山口らがたて続けにシュートを放つが外れる。それにしても香川はシュートが下手だなあ。そうこうしていると、31分に左サイドを抜けられてゴール前にクロスをあげられるとエースのルイスに頭で合わされて先制を許す。コスタリカの持ち味である堅守速攻といったところである。このルイスはいい選手だが、今野が少し自由にやらせすぎたようだ。

1点リードされて後半を迎えると、大久保に替わって岡崎、青山に替わって遠藤を投入する。すると後半15分に、香川から逆サイドの本田に送り、それを本田がゴール前にセンターリングすると内田がスルーし遠藤が決めて同点に追いつく。やはり左右の揺さぶりは有効である。

その後、今野に替えて長友、内田に替えて酒井宏樹を入れ、さらに大迫に替えて柿谷を投入。コスタリカも疲れたようで日本のペースで進み35分に香川がスピードに乗ってゴールに迫り柿谷とのワンツーから右隅に決める。久々の香川のゴールで勝ち越しに成功する。香川はシュートは苦手だが、パスのようなシュートでもいいからどんどん打てば入る。

そして、試合終了間近に香川から岡崎に流したボールを岡崎がカラダを張って落とすとそこに走りこんだ柿谷がダメ押し点を決める。格上相手に3−1の勝利はWeb杯直前の強化試合としてはじょうできではないだろうか。前回のキプロス戦からみるとコンディション的にもだいぶよくなっているようだ。いい感じに仕上がってきている。

この試合でも本田と香川はフル出場させたが、本田はもう少しだが香川はキレが戻ってきたみたいだ。これで本番のメンバーと戦い方がだいぶ見えてきたが、山口螢の危険察知能力とボール奪取率、森重の対人の強さとフィード力がチームの武器になってきている。レギュラーを確保したのではないだろうか。あとはワントップをどうするのか、大迫のポストプレーは柿谷にはないものがあるので、今日の試合のように先発が大迫で、後半相手が疲れたときに柿谷か大久保投入というのがいいかもしれない。さあ、さらに調子を上げていこう。
  

2014年6月 7日

勝ったはいいが

サッカー日本代表のブラジルW杯に向けての最終強化試合でアフリカのザンビアに4−3で逆転勝利を収める。合宿中のアメリカのフロリダで行われた試合でFIFAランクでは下である76位のザンビアの善戦にあって辛くも最後の最後に勝ち越す。冷や汗の勝利だが、勝ったという結果はよかった。

スターティングメンバーは、おそらくGK以外はコートジボワール戦に臨む布陣だと思うが、注目のワントップには柿谷、センターバックに今野が入る。ボランチは遠藤、山口というコンビ。入りは日本のほうがよかったのだが、すぐにザンビアが主導権をとりだす。ザンビアは予想以上に技術もスピードもあるし、なにより組織だっていた。

前半9分に右からのセンターリングをゴール前でコースが変わったところを頭で押し込まれザンビアが先制する。GK西川と内田の間を割られた。ここはもっと厳しく行かないといけない。アフリカ勢の身体能力の高さというのはこういう場面で発揮されるからである。その後も押されて、29分にコーナーキックを与えると、グラウンダーのボールをスルーされてそのままシュートされ追加点を許す。これも一瞬の詰めの遅れが得点を許す結果になる。

日本もやっと前半40分に香川がゴール前を横断して、右からセンターリングをあげると相手のハンドを誘いPKを獲得、これを本田が右隅に決めて1点差で前半を折り返す。けっして、崩したわけではないが1点は1点なので後半に望みをつなぐ。それにしても、前のコスタリカ戦に続いて相手に先行される展開はいかがなものだろうか。

後半に入ると、柿谷に替えて大久保を投入する。しかしなかなかザンビアを崩せない。そして迎えた後半28分に香川がペナルティエリア付近で切り込むと走りこんだ大久保に合わせるようにゴールに向かって放り込むとそのままゴールに吸い込まれる。これで同点に追いつく。そして、すぐに今度はセンターバックの森重がゴールライン近くまで持ち込んでセンターリングすると走りこんだ本田が決める。森重のフォワード顔負けのテクニックはすばらしかった。

ところが、試合終了近くの43分にザンビアにミドルシュートが山口の足にあたってコースが変わり同点とされてしまう。ところがどっこい、すぐに交代で入ったばかりの青山から絶妙な縦パスが入り大久保がピタリとトラップして左足で振りぬくとキーパーの頭を越えて4点目を入れ勝ち越すという劇的な勝利。

まあ見ている分には面白い試合だったが、さっき言ったように先制点を与えてしまうのはよくない。やはり本番ではこんなにうまくいかないからだ。こちらが先制して守りぬくというのがベースにしないと、特に強い相手には通用しない。ただ、全体のコンディションは上がっているようだ。心配した長友のケガも大丈夫そうだし、なによりも本田もよくなってきた。まだ本来の姿ではないが、今日の2得点でメンタル的にも回復してくるだろう。

ザンビアとの戦いはコートジボアール戦のシミュレーションとしては最適だったろうから、ぜひ初戦では今日のように先制を許すようなこの2戦を反省して、もうちょっと堅い前半の戦い方をしてほしいと思う。さて、泣いても笑ってもあと1週間だ。ガンバレ、ニッポン!
  

2014年6月14日

風俗行ったら人生変わったwww

原作がネット小説なのだそうだ。そういえば、タイトル的にはネットで評判を呼びそうである。しかし、映画では同じタイトルにしないほうがよかったのではないだろうか。というのも風俗に行ったからではなくて、風俗嬢に出会ったからだからだし、風俗行為が出てくるわけでもないからである。というつまらないことを言ってしまったが、作品自体がおもしろかったから惜しい気がしたのだ。

監督が「荒川アンダー ザ ブリッジ」の飯塚健でマンガを題材にしたコミック映画というようなものがうまいように感じる。ふざけた感じは否めないが脚本とか構成はしっかりしていると思う。主演が満島ひかりの弟で今回が映画初主演となる満島真之介、共演が佐々木希、松坂桃李らである。

主人公の遼太郎(満島真之介)は29歳童貞で過呼吸症候群であり、緊張したり、強いストレスを受けると過呼吸になってしまうという何ともイケてない若者である。そんな遼太郎がある日意を決して風俗に行くのだが、そこで現れたかよという名の風俗嬢(佐々木希)に一目惚れしてしまう。かよも風俗に来ながら何もしない遼太郎を不思議に思うのだがだんだん好意を寄せるようになる。

まあ、風俗嬢といえば、ワケありにだいたい決まっている。キャバ嬢あたりだとちょっとした興味でやってしまうということもあるかと思いますが、さすが風俗嬢となると、大方が金がらみの事情を持っている。もちろんこのケースでもそうだが、そんな彼女を救おうと遼太郎が立ち上がるのである。それをネット仲間が応援するというなんとも現代風な設定となっている。

そのネット仲間には、エリートの晋作(松坂桃李)もいて彼の知恵でいろいろな仕掛けを考えて実行する。ここらあたりが少し飛躍があるのだが、テンポのいい展開で、しかも出てくる人物をおもしろおかしく描いていて楽しい。例えば、かよが金を貢ぐカス中のカス男がナカハタキヨシという男でこの男にベイスターズのユニフォームを着せるというベイスターズファンのぼくにとっては許せない設定だがしょうがない。

それとピザ配達の女の子に谷村美月が扮していて、配達の時に言うセリフがふるっている。遼太郎が配達にきた時あたかも仲間がいっぱい来ているように玄関に靴を並べて、しゃべりまくっている音を流すのだが、すぐに見破られて「それ見栄にもなっていないよ、どうせ張るなら意地を張れ」っていうのだ。そして、次にきた時に言う「早く翔べ、男には風を吹かさなければいけないときがあるんだよ」

てな具合に、言葉のキャチボールもおもしろい。結局、遼太郎の思いは通じるのだが最後にいうセリフがまたにくい。「かよさんの過去はオレが背負うから、リック背負うの得意だから」。わー純愛ものでしょ。風俗とはあまり関係ないのだ。ふと映画もマーケティングが必要だなと思ったのである。
 
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2014年6月11日

アナと雪の女王

ぼくは、基本的にはアニメは観ない、特に洋画のアニメはほとんど観ない。しかしこれだけ観客動員を続ける作品を観ないわけにはいかない。何と興行収入が220億円を突破した。歴代3位の「ハリーポッター賢者の石」にせまっているそうだ。ちなみに1位は「千と千尋の神隠し」の304億円である。これもぼくは観ていないな。日本国内歴代興行収入ランキングを見ているのだが、アニメとハリウッド超大作ばかりだな、だから、観ていないほうが多い。

なぜそんなに人気があるのかを探るという意味もあって観に出かける。もう長いこと上映していて、夜遅いというのにかなりの入りだ。ストーリーとしてはアンデルセンの「雪の女王」をモチーフにしているそうだが、単純といえばそうなのだが、よく出来ていると思う。王家の姉妹であるエルサとアナの物語である。エルサはものに触れるとみな凍らせてしまうという力があるため、ひきこもりになっている。一方のアナは活発な女の子として育つ。

成人したエルサは女王となるための戴冠式に臨むのだが、そこでその力を使ってしまって国中凍らせてしまい、城から逃げ出してしまう。山奥にたどりついたエルサは雪と氷に包まれた自分だけの世界を作り上げてしまう。妹のアナはそんな姉を探しに山に入るが、そこで出会ったクリストフという山男やトナカイたちの協力のもと姉を見つけ出す。そこから、閉じた心の姉を舞い戻そうと奔走するというわけである。こんなふうな展開なので子どもでもよくわかるし、大人でちょっとしたドキドキ感を感じることもできるのだ。

謳い文句的には「凍った世界を救う"真実の愛"を描いた感動のストーリー」というわけであるが、真実の愛なんて大げさなことというより、どちらかというと嫌われ者とも思える姉のエルサが主人公かと思える設定がおもしろかったのだ。アニメだとか童話だとかで王女様が出てくるということは、美しい王女が苦しめられてそれを王子様のようないい男が助けるなんて想像をしていたが裏切られた。

ヒットの理由の一つにそうした従来のようなステレオタイプの主人公ではない、いわばリアルな世界にいそうな女性を中心に置いたことなのかもしれない。それと主題歌の「Let it go」が親しみやすい曲ですぐに口ずさみたくなるという付加価値が加わってのことであろう。まだまだ、観客動員数が伸びそうな気配だ。

アナと雪の女王.jpg

2014年6月10日

プロセス中心アプローチのフレームワーク(4)

前回は、ビジネスモデルのフレームワークについて議論しました。次はビジネスプロセスについてになります。このフレームワークはビジネスプロセスをデザインするステージのものです。このフレームワークを使う目的は何かというと、ビジネス要求を実現するプロセスをきちんとデザインすることにあります。

単にプロセスをデザインするというのではなく目的に合致したものであるかという見方が大事になります。ビジネスモデル上で浮かび上がった課題を解決する、あるいは戦略やビジョンが実現できるプロセスをデザインすることなのです。これも、前回と同様に構成要素としては「ビジネスモデル構成」「プロセス要素モデル」「プロセス要素表」になります。

ビジネスプロセス構成.png

プロセス要素モデル.png

プロセス要素表.pngのサムネイル画像
  

それぞれのフレームワークについて簡単に説明を加えておきます。ビジネスプロセス構成では、大きく「意思決定プロセス」「作業プロセス」「タスク管理」という構成になっています。プロセスの基本構造は依頼を受けてその依頼に応えるための意思決定を行い報告するというもので、その報告するために何らかの作業が発生し、その作業は個別のタスクによって遂行されるという考え方です。

この構成でどこにウエイトが置かれたプロセスであるかはその性格によります。例えば、見積提示というようなものであれば、作業が見積書作成ぐらいで、ほとんどが商品仕様、納期、価格などを決めるプロセスが主体になります。一方、生産プロセスといったあらかじめ手順が決められたものであれば、作業プロセスが重要になってきます。また、それぞれのプロセス間でデータがきちんと継承されていることと重複がないことに注意しなくてはいけません。

次が、プロセス要素モデルですが、これは6W2H3Rとおぼえてください。依頼が来て、その要求を確認して、誰が、誰に、何を、どこで、いつ、どうやって、どのくらいなのかを決め、それを提供するための作業をして報告するということを表しています。作業プロセスは作業指示と作業と報告から成り立っていますので、1W2Rということになります。

プロセス要素表に着いては、何度も説明していますので表を見ていただければよいと思います。
  

2014年6月12日

イノベーションを支援するITシステム構築の極意(20)

さて、ここまで3つのパラダイム変化である「データ・機能中心からプロセス中心へ」「作って終わりから動かしてナンボへ」「個人作業からチームワークへ」ということを説明してきました。ただ、変わるというと全面的に移行しなくてはいけないように思われがちですが、"軸足を移す"といったくらいに受け止めてください。

次の議論はそのことにも関係するのですが、「5つの誤解」です。次のようなものになります。

(1) プロセス志向アプローチはどこにでも適用すべきだ
(2) IT化、自動化を目指す
(3) 新たな業務プロセスを開発する
(4) データや機能は重要ではない
(5) ワークフローのことである

では、まずは最初の「プロセス志向アプローチはどこにでも適用すべきだ」という誤解についてです。どういったアプローチにしろ、データ、機能、プロセスはみな必要です。ここで機能というのがわかりづらいかもしれませんが、まあざっくり言うとユーザインターフェースと考えてください。

プロセス志向アプローチは"プロセスを中心にして"みていきましょうという主張です。中心ということは先行してと言い換えてもかまいません。つまり、最初にプロセスを考えましょうということで、その後にデータだとか機能を考えるというやり方です。こうしたやり方がどこにでも通用するのかというとそうではないというのはお分かりになると思います。

データや機能を中心にしたアプローチは従来のITシステムでよくやられていたものです。画面とか帳票をベースにして、そこに登録・検索・出力といった機能を作るというものです。販売実績とか出荷実績といったデータを入力するとか、リソース系のデータ、商品、顧客、取引先、従業員といったものを管理するためのDRUD画面です。

確かに、こうしたシステムはもちろんバックヤードには必須ですし、それがないと決算出来ないわけです。ただ、単純なデータの出し入れですからプロセスはないのです。こうしたシステムがなぜか"基幹システム"と呼ばれて、ITシステムの本丸であるように捉えられていました。そこを考えなおそうというのがプロセス志向の問題提起なのです。

だから、こうしたデータの出し入れだけで済んでしまうような領域にはプロセス志向はなじまないのです。では、それ以外の領域はどういったところなのでしょうか。最も典型のところが「顧客接点」です。お客さんのさまざまなサービス要求に応えるところです。ここは単なるデータベースアプリケーションではうまくいきません。なぜならば、登録するデータを生成するまでが大事だからです。データを生成する過程がプロセスといえます。

このように適用する領域によってプロセス中心で考えるのか、それともデータを主体としてシステムを構築したほうがいいのかをきちんと見極めることが重要なのです。やみくもにデータ志向だプロセス志向だと一方に偏らないようにしたいものだ。
  

2014年6月17日

脳には妙なクセがある

池谷裕二さんの著作はずいぶん前に糸井重里さんとの対談である「海馬」(新潮文庫)というのを読んだことあって、その時に若いのにおもしろいなあという印象だった。この時は、海馬という脳の中では記憶を司る部位についての話だったのだが、今度出版した「脳には妙なクセがある」(扶桑社新書)は脳全般的についてというか、人間の脳というのはこんな動きをするのだとか、こんな性質があるといったことから、人間の生き方のようなところへと展開する。へーと驚くことばかりですごくおもしろかった。

題名のとおり、脳のクセについて26の例が示される。豊富な実験にもとづく文献から書いているので説得力があって目からウロコである。おもしろいのでそれぞれについて書いてみたいのだが紙数の関係で著者自らが自分の"脳感"を描いたという章だけを紹介します。

・ 脳は妙に笑顔を作る・・・「まずは形から」で幸福になれる!?
楽しいから笑顔を作るというより、笑顔を作ると楽しくなるという逆因果が脳にはあるのだそうだ。その他にも恐怖の表情を作ると、それだけで、視野が広がり、眼球の動きが速まり遠くの標的を検知できるようになる。一方、嫌悪の表情を作ると視野が狭まり、視覚が低下するという。つまり、身体と脳は密接につながっていてむしろ身体性が重要になっているという。「健全な魂は健全な肉体に宿る」というわけです。

・ 脳は妙に不自由が心地よい・・・ヒトは自分のことを自分では決して知りえない
私たちは意識上では自由に行動しているつもりでも、現実には本人さえ自覚できないような行動のクセがあって知らず知らずに活動パターンが常同化してしまうのだという。そして意思は脳からは生まれない。周囲の環境と身体の状況できまるというのが著者の見解なのだ。え、本当か。自由意志は本人の錯覚にすぎず、実際の行動の大部分は環境や刺激によって、あるいは普段の習慣によって決まってくるのだ。そのためには良い経験を積むことが大事なのである。なるほどそうなのか。

・ 脳は妙に使い回す・・・やり始めるとやる気が出る
そもそも脳は何のために存在するのかといことを考えると、「精神を司るため」とか「意識や心を生み出すため」ではなく、情報処理をする特殊な組織としてあるというわけです。外界の情報を処理して、適切な運動を起こす「入出力変換装置」ってわけです。餌なら近づく、毒なら避けるという反射行動だ。入力は身体感覚で出力が身体運動。で重要なのは出力の方でそっちが先なのだ。例えば、眠くなったから寝るというより、就寝時間になったから寝るというのが普通でしょう。寝室に入って、消灯して、布団をかぶって横になるという身体運動が先にくる。だから、やる気がでたからやるのではなく、始めて見たらやる気になったというわけである。これはぼくも日常的に感じることだ。

なだまだ、面白い話がいっぱいあるのだが、結局今紹介した3つのエピソードが大方のことを言っているように思える。すなわち、脳は身体性を持っていて、身体を動かすことがトリガーとなって脳が反応していくというのだが、これはすごく驚いたところである。脳には自動判定装置があってそれが正しい反射をしてくれるか否かは、本人が過去にどれほどよい経験をしてきたかに依存するという主張にひどく納得いったのである。
  

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2014年6月13日

ついにブラジルワールドカップ開幕

ワールドカップが始まった。ブラジルは日本の反対側だからこちらでは朝に試合を観ることになる。勤め人ではない身にとっては好都合である。開幕戦は地元ブラジルとクロアチアのグループAの試合である。結果は、ブラジルが3−1で逆転勝ちを収める。非常にいい試合で特に優勝候補筆頭のブラジルを苦しめたクロアチアの健闘が光った。

試合はクロアチアのプレッシャーがきつく、ブラジルが受けてしまった感じで始まる。そして前半も初めの11分にオリッチの左からのクロスに戻ったマルセロがオウンゴールしてクロアチアが先制する。あの堅守のブラジルからリードを奪うことは予想していなかった。だが、そのあともエースのマンジュキッチを欠きながらも身体を張ったプレーで何度もチャンスを作り出していた。

ところが、ブラジルも徐々にリズムが出てきた29分にネイマールがやや遠めからゴロのシュートを放つと右隅ポストに当たってネットを揺らし同点に追いつく。さすがネイマールだ。これで落ちついたのかブラジルの得意のボール回しや変幻のドリブルがさえだしてくるが、前半は1−1で折り返す。

後半に入ってもブラジルが主導権を握るが、クロアチアもモドリッチを中心にゴール前に迫る。まあ互角の戦いといってもいい。ところが一進一退の攻防が続く中の後半26分にブラジルがPKを得て、これをネイマールが決めて勝ち越す。PKはフレジがゴール前でロブレンに後ろから倒されたものだが、フレジのシミュレーションも若干入っているように見えて微妙なところである。

ちなみに、この試合の審判団は日本の西村、相楽、名木さんのトリオである。日本人がワールドカップの開幕戦で笛を吹くのは非常に名誉なことである。このPKには批判もあるようだ。特にクロアチアでは声が大きいと思う。でも逆にあれを取らなかったらブラジルからのブーイングもすごかったのではないだろうか。

それでも、クロアチアは諦めずに何度か惜しいチャンスがあったし、闘志あふれるファイトをしていた。まあ、3点目はアディショナルタイムに高い位置でボールを奪われて、オスカルに技ありシュートを得られたが、まあおまけという感じである。このA組の他の国はメキシコとカメルーンなのだが、これだとクロアチアが勝ち上がるかもしれない。

しかしながら、ネイマールとオスカルのシュートはいずれも目の覚めるようなライナーではなくゴロで転がしたものであるがすばらしい。ネイマールはコースに、オスカルはタイミングに非凡さを見せつけた。これを技というのだが、若いくせに高度な技をもっているのだ。ブラジルの強さはこういうところにある。さあ、15日10時(日本時間)には日本代表が登場するが、明後日は日曜日なので日本中がテレビの前に釘付けになるに違いない。
  

2014年6月15日

ああ、負けた

ブラジルワールドカップ初戦のコートジボアール戦で日本代表が負けた。前半16分に本の左足のシュートで先制したものの後半に立て続けに右サイドからのクロスから2点をとられ逆転されてしまった。コートジボアールは後半16分にドログバを投入してから活性化されて一気に逆転した。さすがスーパースターだ。活性化という意味では日本も後半立ちあがりに長谷部に変えて遠藤を入れたのだが、やはりドログバ効果の足元にも及ばなかった。

試合の経過はあちこちで書かれたり、放送されたりするので、これ以上書かないが、日本らしさがぜんぜん出ていなかった。雨で高温というコンディションのせいなのか、あるいは緊張のためなの全体に動きがにぶい。先発はぼくの予想通りでトップに大迫を持ってきて、ボランチは長谷部、山口、吉田とコンビを組むセンターバックに森重という布陣である。少し守備的に入って、後半リズムを変えるのに遠藤を投入し、ゴールに絡む大久保、柿谷を入れるというのも全く予想したとおりであった。

しかし、狙いはそうなのだが負けてしまった。敗因の一番はコンデションというのもあるが、パスミスが多すぎだ。簡単なパスでも中途半端なスピードだったり、時と逆にパスを出したりと、あれではすぐにインタセプトされて簡単に逆襲されてしまう。それとこんな繰り返しだとスタミナを奪われることになる。動きが鈍くなったのもこれが原因だ。そのため、長友も内田も上がれる回数はそんなに多くはなかった。

このようにアフリカの国との戦いでやってはいけないことをやっていたように思う。身体能力では劣るので1対1ではきつく、そういったフィジカル勝負を避けるべく、速い球回しで相手を揺さぶるサッカーをしなくてはいけないのにできなかった。だって、パスが繋がらないからできないのだ。

まあ、FIFAランクは日本より上だから難しい試合にはなると思ったが、これも悪い方の予想通りの失点で負けてしまった。まあ、いつまでも嘆いていては始まらないから、気持ちを入れ替えて次のギリシャ戦に臨んでほしいと思う。あとはコートジボワールに3連勝してもらって、日本はギリシャに勝ってコロンビアから勝ち点を奪うのがいいのだがさてどうなるか。
  

2014年6月18日

おお、血圧が下がった!

最近、新聞を開くと病気のことやら健康法のことやらの記事、広告がやたら多い。おそらく新聞の読者が高齢化しているからに違いない。そういえば、懐かしい歌手のCDだとかコンサートの紹介なども多いし、年寄りが行きそうなパック旅行もところ狭しと載っている。でもやはりお年寄りの最大の関心事は健康のことだろう。

ところで、4月に人間ドック学会などが作る専門委員会で、現在の正常な数値範囲を大幅に緩めるべきだという調査結果を発表したのを聞いて驚いた方も多かったのではないでしょうか。ぼくは、時々血圧や血液と尿の検査をしているのだが、血圧は薬を飲んでいるせいで冬場にたまに上がることはあるが、普段は上が110近辺で安定している。

ところが、中性脂肪と悪玉コレステロール(LDL)が基準値をオーバーしていていつも医者から注意されていて、もう言われるのが嫌なので好きな果物を断ったり、炭水化物制限をしてぎりぎりのところに抑えている。ところがどうだろう新しい基準だとだいぶ数値は緩くなっているではないか。これだと、ぼくもほとんど基準値内に収まってしまう。

なので、先日の検査結果を先生と一緒に見ていたのだが、Hマークがついていても何も言わなくなった。あららという感じである。以前から高め安定でいたからいいじゃないかと思っていたがやはりそうだったのだ。5万人もの人のデータを解析して、正常とされる数値を調べた結果だから有意な数値だろう。

これはどういうことなのだろうか。ある人による医者と製薬会社の陰謀だと言っていたが、そりゃあ基準値を厳しくすれば薬は売れるはずだ。いま話題になっているノバルティスファーマの試験データの改ざんも降圧剤のディオバンが対象となっている。なんと降圧剤の市場は1兆円近い。ディオバンの売上げも1000億円くらいのようだ。それが血圧の基準が緩くなるとどうなるのだろうか。ノバルティスにとっては非常に痛手かもしれない。しかも、このディオバンの国内特許が2013年に切れているから、どんどんジェネリックにとって替わられるだろう。

ぼくは以前からずっとディオバンを飲んでいたが、改ざんが問題になったときもジェネリックが登場したときも、別に降圧効果そのものに問題があったわけでもないことから替えずにずっと服用を続けていた。ところが、その薬の効果なのかどうかしらないが、最初言ったようにずっと低い値になっているので半年くらい目に40mgを20mgに下げて飲んでいた。

そうしたら、この間先生が薬やめましょうかと言ったのだ。え、と驚くぼく。血圧の薬は一旦飲みだすと止められないと思い込んでいたから、大丈夫なのですかと聞く。止めると血管を広げていたのが急に狭くなって詰まってしまうからだとひとから教えられていた。そうしたら先生が、また高くなったら飲めばいからと気楽にいう。ということでついに高血圧症からおさらばである。
  

2014年6月19日

業務システムの作り方を考える

いまある中小卸売業のビジネスモデルや業務プロセスを検討しているのだが、こうしたビジネスモデルで業務プロセスはこうなるといったように事前に確定できるのかという問題にぶち当たっている。もちろん、ある前提や仮定を置けば設定できないことはないと思う。しかし、そううまくいくのかと思ってしまう。やってみなければわからないという要素も多い。

これは、卸売業という業態とも関係することだが、はっきりとした商材が確定しているわけではなく、状況によって取り扱う商品が変化することがある。商材が変われば顧客も変わる。逆に顧客の要求に対してさまざまな商品を提供しなくてはいけないのだ。ということは、ビジネスモデルも一様ではなくちょっとした違いを変化と捉えると千変万化するといっても過言ではない。

ということは、きっちりとしたビジネスモデルを描いて、商品や市場・顧客を絞り込んでといったアプローチは難しいのではないかということである。だから、大きな方針とある程度の範囲だけを設定しておいて、まずはその中で実際にビジネスを行ってみて、その結果を解析することで自分たちのビジネスモデルを確定していくというアプローチがいいのではなかろうか。

業務システムにしても仕様を確定して、それに従って業務システムを構築するのがよいことなのだろうかと考えてしまう。同じようにある程度ラフに作っておいて、ビジネスモデルの絞り込みに連動しながら追加・修正していくというやり方である。システムは当初人間がカバーしながらオペレーションを行い徐々にIT化できるものはIT化していくという考え方である。

この考え方は、少し前にエントリーした「セオリー通りにはいかない現実にどう対処するのか?」にも書いた態度である。つまり、"適当"に動かしてみて、その結果をフィードバックして修正動作に反映していくのだ。どうもこうしたTry & Improvementの仕組みをうまく作ることが重要ではないかと思うのである。

それをもっと積極的な意味でやってみたらどうだろうか。よくわからないから、確定できないからしかたないので採用したということではなく、そうやれる仕組みそのものが武器になるという考え方である。この辺りは、コンビニのPOSとか宅急便の追跡システムといったものに似ている。

また卸業における需要予測にしたって直接エンドユーザーと接点を持てないから非常に難しい。従って、システムを使って変化を素早く察知して機敏に対処することでいくしかない。ただ、そのためには今以上に川上、川下との連携というより、寄れるかどうかも大きい。つまり、エンドユーザーへの直需・ネット販売、メーカとの協業・ブランド化といった戦略も必要になってくるだろう。
  

2014年6月23日

プロセス中心アプローチのフレームワーク(5)

前回のプロセスに続く3つ目のフレームワークは、アプリケーションです。実際のITシステムに実装していくステージになります。目的は成果をあげるオペレーションを行うためということです。なんだかんだといっても日常のオペレーションでビジネス成果をあげないといくらいいビジネスモデルを描いても、いくらすごいプロセスをデザインしても意味がないわけです。

ここは非常に重要なことで上流からの分断がおきているシステムを数多く見てきたので軸足を移動させたほうがいいと思う。こうしたオペレーション発想のIT実装をぜひ心がけてもらいたいものだ。これも同じようにアプリ構成、アプリ要素モデル、アプリ要素表というものがありますが、最後のアプリ要素表は書くまでもなく、ツールの持つ設定フォームでよいと思います。例示はサイボウズ社のkintoneを用いたもので示しています。


アプリ構成.pngアプリ要素モデル.png   



      

アプリ要素モデル2.png


アプリ要素モデル3.png


アプリ設定フォーム.png

   

これについても少し説明をしておきます。サイボウズ社の「kintone」のステマをしているわけではありませんが、中小企業あるいは大企業の部門システムなどでDIYのような使い方は推奨できます。もちろん、ぼくが思っているとおりというわけにはいきませんが、だいぶ機能もアップしていて十分に使いものになります。個人的に作ったりしても運用をどうするのかといった問題がすぐに上がってきますので、クラウドで組織的に対応してくれるメリットは大きいと思います。

アプリケーション構成は、データとプロセスとコミュニケーションからなっています。この考え方はすばらしいと思います。これまでのシステムのほとんどはデータベースアプリケーションだったからです。ただ、ここで言っているプロセスはワークフローですから工夫が要ります。

要素モデルとしては、データベースがあります。なんだかんだといっても最終的にはデータベースにデータを格納しますから主要素になります。続いてプロセスですが、先に述べたように申請フローなどが対象ですので、本来のプロセスというと一覧表で進捗管理したり、アクティビティごとの登録画面を作ったりして対応します。3つ目のコミュニケーションは、データ登録画面にコメント欄が付帯していて、そこで関係者が会話しながら仕事ができるようになります。

最後のアプリ要素表は設定フォームがその役割になります。そこにはいくつかのパーツを配置してあって、それらをドラッグアンドドロップしてキャンバスに貼り付けることで画面を作成することができます。それはすぐに動くものとなります。ノンプログラミングですからユーザ自身で作ることが可能です。

以上でこのシリーズは終わりますが、できるだけシンプルな構造にすることを心がけたつもりです。フレームワークの役割は詳細な手順ではなく、おおよその枠組みを提供するもので、大事なのはその思想とか視点なのでそこをよく理解していただけたらと思います。
  

2014年6月16日

ちょっといい話2014.6

昨日、ブラジルW杯の予選リーグ初戦でのコートジボアール戦で逆転負けを喫してしまいかなり落ち込んでいる。それにしても悔しい。まんまと相手の作戦にはめられたということだ。徹底して日本の左サイドを狙われたわけだが、すぐに手を打たなくてはいけなかったという論調もあるけど、作戦を凌駕する個の力がなかったからだ。きつい言い方だが香川がマンU で使われていないのは当然なのだ。

こんなときはちょっといい話を書いて気分を変えてみましょう。コートジボワール戦の前日の昼に鎌倉駅近くで小学校のクラス会が開かれた。このクラス会のことは幾度か書いてはいるのだが、小学校4年生の時のクラスのもので、普通は6年の卒業時のクラス会はやるが、途中の学年でというのは珍しいと思う。先生も入れて17名が出席した。女性が二人しか参加しなかったのは残念であった。あこがれの男の子がいなかったせいかもしれない。

ぼくたちの小学校は1年生が終わるとクラス替えをした。先生が替わるのである。その時のクラスの担任はO先生というまだ20代で若くて可愛らしい女先生であった。ところが、その先生が夏休みが終わると辞めるということになった。確か子どもができたので教師を続けられないということだった。そのあとK先生という男の先生が来られた。

その先生が4年生まで教えてくれてぼくらに多大な影響を及ぼしたのだ。もともと理科の先生だから、いつも外に連れ出して植物採集や野外観察をしたりしてすごく楽しいクラスだったのだ。数年前にまだ鎌倉に住んでいらっしゃるその先生を呼んで50年ぶりにクラス会を開いたのである。去年も先生の米寿のお祝いもした。

そして、一昨日である。何とそのクラス会にO先生が来てくれたのだ。幹事のケンちゃんがいまだに年賀状をやりとりしているというのでお招きしたわけである。さっき書いたようないきさつがあるので来てくれるかなあとも思ったが、ぜひ出席したいという。東京の東久留米市から駆けつけてくれた。

84歳になるというが大変お元気であった。わずか数ヶ月でありぼくらも小学校2年生の子どもだったからよく覚えていないというのが正直なところであった。でも中には覚えている子もあって、あなたはおとなしくて可愛かったねとか言われた子もいた。だって、もう60年近い昔だから覚えろというのも無理かもしれない。ところが、K先生は皆覚えていていつもびっくりする。まあ、K先生にとっても最初の担任だったからかもしれない。今回も宿直の時にオルガンの特訓をしてもらった話とか新たな話題も提供してくれた。

O先生は名前も変わっているのだが、挨拶されたときグッと来た。ぼくらのクラスのことがずっと覚えていて、というか忘れられなくて、何としてもいつかみなさんのに謝りたかったと言うのである。胸にひっかかっていて、声をかけてもらったとき嬉しくてすぐに出席の返事をしたという。本当に途中で放り出して申し訳なかったという。涙が出そうになった。

ということでO先生からおみやげまでもらって、両先生を送り出すと2次会に繰り出す。小町通のちょっと裏に入ったなつかしいスナック形式の店で昔の歌を唄いながら騒ぐ。もちろんその後も地元に戻って焼き鳥屋で3次会。さらにその後次の日のサッカー観戦に備えてすぐに帰ればいいものを4次会へと続く。昼から飲み続けたもので酩酊状態だ。そしてついに家の前の溝に陥落してずぶ濡れに、ああ日本の敗戦の予感が頭をかすめた瞬間であった。
  

2014年6月20日

引き分けだ

ブラジルW杯第2戦で日本代表はギリシャと引き分ける。これで、まだかすかな望みはあるのだが、予選リーグ突破が非常に難しくなった。最終戦のコロンビア戦の勝利は絶対で、ギリシャがコートジボアールを破って、得失点差で勝るというのが残された条件である。他力本願だが最終戦は勝ってほしい。

試合は、ギリシャのお得意の守りでゴール前を固めるので日本がボールを支配することができた。しかも、前半38分には相手キャプテンが2枚目のイエローカードで退場になり、さらにポゼッションで上回る。点を入れるのは時間の問題かと思われたが、案外そうはいかないのがサッカーである。

ギリシャは無理はできないから、輪をかけてゴール前にブロックを作って耐え、セットプレーでチャンスをつくるという10人の戦いの鉄則を貫く。したたかである。ギリシャのような堅守速攻型の戦術では一人減っても影響は少ない。結局、最後まで守りきられて、スコアレスドローという結果となってしまった。

この状況で周囲や選手も「自分たちのサッカーを貫くのだ」と口々に言うのだが、ぼくは少々気になる。だから勝てないんじゃないかと思ってしまう。つまり、サッカーは相手があることであり、W杯なんてなると自分たちより格上のチームばかりである。そんな強豪を相手に自分たちのサッカーを貫くというのもおかしいような気がするのだ。

だって、みんな相手の思うようにやらせないことが戦術なんだから、それを格上にやられたらなかなか自分のたちのサッカーをやれないわけで、いかに相手の戦術や力量、はたまたピッチコンディションなどとの関係でどう戦うかを組み立てなくてはいけない。それがW杯で勝ち上がるために必要なことではないだろうか。

南アフリカW杯で予選リーグ突破したのも直前の戦術変更が効いたわけで、これは批判めいたことをいう人もいるが評価できるのではないだろうか。良いサッカーをすることではなく勝つサッカーをしなくてはいけないからである。だから、変化対応力が非常に大事で、10人で引いた相手をどう崩すかに工夫がなかった。前戦のコートジボアール戦でもこちらの左サイドを徹底的に攻められても大した対応をしなかった。

ザックも大会に入って迷っているというか混乱しているように見える。終盤の吉田を前線にあげてパワープレーをするのが「自分たちのサッカーを貫く」ことなのだろうか。もし、そういう想定をしていたのなら、齋藤学の代わりに豊田を連れてこなくてはいけなかったのだ。

それとか、相手が中央でブロックを作っているのだったら、そのブロックをいかにしてばらしていくかが必要で、例えばミドルシュートを打つとか、相手を自陣に誘い出してそこでボールを奪ったら一気にスピードを増して攻め上がるとか、手はあったはずだ。そういう練習をしていなかったのではないだろうか。ひょっとすると「自分たちのサッカーを貫く」ことばかりの練習だったかもしれない。いずれにしろ、最終戦は死に物狂いで勝ちにいってほしい。
  

2014年6月22日

日常点描2014.6.21

先週はなんだかんだと忙しく、出かける日も多かった。仕事もあったが、社長の引っ越しやら、落語を聞きにいったりとか、家にいても会社の経理や保険のことやらで税理士さんと相談したり、庭の植木の手入れとゆっくりする暇がなかった。その間をぬってワールドカップ視聴である。

日本は初戦敗戦、第2戦が引き分けという今のところ残念な結果になっているが、まだ予選リーグ敗退が決まったわけでもないので第3戦もしっかり応援しよう。ところで、誰かが言っていたのだが、日本が予選リーグを突破するにはギリシャ戦は勝つより引き分けのほうが良かったかもしれないのだそうだ。

こういう理屈である。もし勝ったとしたらコロンビアが勝ち点6でコートジボアールと日本が勝ち点3で並び、ギリシャは勝ち点0で予選リーグ敗退が決定となる。そうなると、コートジボアールはギリシャに当然勝つから、日本はコロンビアに必ず勝たなくてはいけない。このときコロンビアもひょっとすると予選リーグ突破できない可能性もあるのでガチで来るので勝つのは相当難しいのである。

ところが、引き分けたのでコロンビアは予選突破が決定したので日本戦は主力メンバを休ませて控え選手中心で来るはずだから、日本の勝つ確率も上がるのだ。一方ギリシャもまだ望みがあるので必死にやるのでコートジボアールが負けるかもしれないのである。この日本とギリシャが勝って同じ勝ち点4として
得失点差で日本が上回るというケースも無きにしもあらずである。もしかしたら。

社長はついに結婚することになって、結婚式や入籍は来年になるのだが、先に一緒に暮らすことになって新居を構えたのでそこに引っ越しをした。東京にしては静かでよいところである。うちのヨメさんと手伝いに行こうということで出かけたのだが、かえって邪魔なようで何もせずに一緒に昼飯を食べて帰ってくる。

外に出かけると必ず呑んでしまうので、先週は呑み続けていた感じである。いつもある協会の研究会で神谷町にいくのだが、そこにある「俺のイタリアン」に初めて行く。店がちょっと狭いのでちょっぴり窮屈な思いをするがいっぱい食べて呑む。もう一つの研究会も曙橋であったがそこでも懇親会がイタリア料理のレストランだ。うーん、イタリアンづいていましたね。

柳家小里んの独演会は久しぶりの参加となる。毎回池袋演芸場でやるのだが、昨日は昼に横浜中華街に行って「鳳林」で遅めのランチを食べ、そこからは始発で一発で行けるのでゆっくり座っていく。電車の中で爆睡。土曜日だったので「M」のマスター夫妻も来ていた。椅子席も含めて満席で、「へっつい幽霊」と「蒟蒻問答」を楽しむ。ますます円熟してくる。

そのあとはさすがに飲み疲れしていたので、池袋でちょっと呑んで早めに家に帰ろうとモノレールに乗ったのだが、いるではないか、先月「鳥つね」で出会った東大大学院で日本の中世を研究しているU 君が。実は初めて会ったあの日の帰りにかれからメールアドレスを書いたメモをもらったのだが、それがひどい字で判読できなくてそのご連絡もできなかったのだ。

また会いたいなと思っていたところに偶然出くわしたというわけである。ということで前回と同じコースである「鳥つね」で焼き鳥と焼きうどんを食べ、そのあと「写楽」である。中世の鎌倉の話を聞いたりしながら結局午前3時を回ってしまった。お疲れ様でした。
  

2014年6月24日

イノベーションを支援するITシステム構築の極意(21)

5つの誤解の2つ目は「IT化、自動化を目指す」です。プロセス設計からシステム構築へ向かうときに、何がなんでもITを使ってシステムを作るということは少ないかもしれませんが、大方の人はプロセス設計の段階においてもIT化してそれを自動的に動かすということを頭に浮かべているのではないでしょうか。

それはそうかもしれませんね。ITシステム構築プロジェクトだからどうしてもそういう態度になってしまいます。しかし、一旦そうした頭を空にしてみたらいかがでしょうか。つまり、プロセスを描くときに自分たちの業務の流れをITを使っていようがいまいが関係なしに書いてみることです。

実はこのことはプロセスの本質的な意味合いを理解する上で大事なことだと思います。よく現状の業務フローを書いてくださいというと端末画面が出てきてそれを使ってフローが進む図を書きます。画面の遷移で業務を進めているフローになっています。こうした書き方をやめたらどうかと言っているわけです。あるいは申請・承認フローを描くことも多いでしょう。

ただ、前回に議論したようにバックヤードシステムではこうした業務フローになっています。プロセス的な要素が少ない領域ではあり得ることです。しかしながら、そうではない顧客接点プロセスといった領域では、端末の画面が出てくるようなフローを書くのは避けたいものです。

それと、次回にも議論になるかと思いますが、どこの会社でも必ず業務プロセスはあるわけです。IT化されてないものはプロセスではないと誤解している人が、「IT化、自動化を目指す」間違いを犯すのではないでしょうか。コンピュータがない時代でもビジネスをやっていたし、業務プロセスはあったのです。いまでも、ITをそろばんとして使っている会社がいっぱいあります。人手で業務を回していてもそこにはプロセスがあるのです。

ですから、プロセス設計はITとは無関係に設計すべきなのです。つまり、どういう意思決定をして、どういう判断をして依頼者に応答していくか、そのために必要な作業はどんなことでどういう手順でやっていくのかを定義してくわけですが、それはITとかは関係ないのです。そうして設計されたプロセスをオペレーションしていくにはITを使ったほうが良いのかを吟味すればいいのです。

もしITが使えないようなところ、あるいはわざわざITを使う必要がなければ人間がやればいいのです。また、自動化も無理してやることもないわけで、自動化というのは一見良さそうだが、自動化のロジックを一生懸命考える割にはそれだけの効果がない場合もありますし、例外が起きた時の影響などを考えると慎重にやるべきだと思うのです。「IT化、自動化を目指す」のもいいけれど適材適所でやるべきなのです。
  

2014年6月26日

春を背負って

これでもぼくは20代の時山登りをしていた。勤めた先の近くに鈴鹿セブンマウンテンがあったこともあって誘われて始めたのだ。2000m級ではあるが冬山にも挑戦した。あるときは岐阜気象台始まって以来の大雪という時に山中のテントにいたというかなり怖い目にあったこともあった。

だから、「春を背負って」はかなり期待した。ところが見事に裏切られてしまった。ただ、全くというわけではなく、立山連峰の雄大な自然や四季の移ろいには感動した。立山は行きたいと思っていたが行けずじまいだったのでなおさらである。ところが、その自然の中にいる人間がちゃんと描けていないのだ。これにはがかっかりである。監督があの「劔岳 点の記」の木村大作、出演者が松山ケンイチ、蒼井優、豊川悦司、壇ふみ、小林薫といった面々である。これだと期待しますよね。

立山で「菫小屋」という山小屋を経営している長嶺勇夫(小林薫)に厳しく育てられた息子の亨(松山ケンイチ)は東京でトレーダーとして忙しい日々を送っていたが、ある日その父の訃報の連絡を受ける。滑落した登山者を助けようとして自らの命を落としたのである。その葬儀に駆けつけた亨に母(檀ふみ)や山小屋を手伝っている愛(蒼井優)、そして勇夫を慕う地元の人たちがいた。

そして、主人がいなくなった山小屋は人手に渡すしかないと母は決心するのだが、亨が会社をやめて後を継ぐと言い出すのだ。そこから亨の悪戦苦闘が始まるのだが、そんなところに父の後輩であるゴロさん(豊川悦司)が現れて彼を助けるのだった。途中まだ未熟な亨の失敗だとか、幼なじみの家具職人だとか、レスキュー隊の人たちとの交流などが描かれ、だんだん成長していく亨を追いかけていく。そして、お決まりの愛との絡みで大団円である。

最初に人間が描けてないといったが、例えばどうして一流企業を捨てて山小屋を継ぐ気になったのかとか、愛がなぜそこに居着いてしまったのか、ゴロさんとは一体何物なのか、みんないい人ばかりで、嫌なやつとか変なやつとかいないのかとか、もうみんな薄っぺらい描きかたになってしまっている。そんなところにわけもわからない市毛良枝扮する登山者がいきなり登場したりする。いくら市毛良枝が山登り大好き女優で有名だからといって貴重な時間をとる必要はまったくない。

それで、表現が甘いと思ったのかどうか知らないが、豊川悦司のゴロさんにやたら説教じみたことばかり言わせるのだ。雄大な自然に囲まれると人間誰しも「生きるとは」とか「人間とは」と語りたくなるものだが、映画では抑えたほうがいい。「劔岳 点の記」では、ストーリーがプロジェクト記録だから、人物をそれほど掘り下げる必要がなかったからよかったのであって、本作のように人間を描かなくてはいけないような作品では木村監督の力量不足には目を覆う。
  
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2014年6月27日

流通大変動

いま卸売業のビジネスモデルやビジネスプロセスを検討している。この卸売業というのも、ネット販売の登場やら、中抜きのインパクトとかずいぶんと変貌しようとしている。特に中小の卸は大手商社のような主導権をもって再編するなんてことはできないわけでどうやって生き残りを果たしていくのか重大な局面になっている。ただ、態様や数は変わるかもしれないが無くなりはしないと思う。

そんなことを考えていた折、ちょうど参考になりそうに思った「流通大変動 現場から見えてくる日本経済」(伊藤元重著 NHK放送新書)を手にする。著者の伊藤元重さんはテレビや新聞に出ていたり、政府の委員を務めていたりで有名な東大教授ですが、専門が国際経済学なのに、なぜ流通の話を書くのかから言っておかなくてはいけませんね。

遡ること1987年に客員教授として豪州に滞在したそうで、それから豪州の研究者との交流が始まり、そうした中で現地の研究者から羊毛についての相談を受けた。当時の豪州の羊毛の最大輸出先が日本だから、日本の調査を依頼したというわけである。ただその時の依頼が専門家を紹介してくれというもので、ところがその専門家を見つけることは不可能に近かったのだという。なので、自ら調査をしたである。

そして、何となく日本のウールの市場を調査すればいいのだろうぐらいに思っていたら、とんでもないその市場がとても複雑な構造をしていることがわかる。そこから、機屋と呼ばれる工場が密集する愛知県の一宮市を調べたりしてどんどんはまり込んだのだそうだ。それから、流通一般への興味が拡大してこんな本を書いたのである。

伊藤先生がなぜそんなに流通に興味をもつかというと、本の副題にあるように流通こそ経済全体の縮図であるという。経営学者にとっては日本だと製造業の現場がおもしろいというが、こうした工場で起きていることは経済の大きな世界とはちょっと違うという指摘をしている。確かにそうだろうし、日本は特にモノづくりという観点から見ようとする傾向が強い。ところが本当の意味で縮図は流通にあるという、著者の言葉を引用する。

流通は経済のあらゆる面に関わっている。消費の変化、都市の姿、グローバル化の波、価格設定行動、金融的な関わり、政府の規制、メーカー・問屋・小売お垂直関係等々、例をあげればきりがない。要するに、経済的に興味深い現象が何らかの形ですべて流通の中に見えてくるのだ。

だからこそ、へんに流通の専門家が分析するより経済学者の目で広く高く見ているのでおもしろいし納得する。セブン-イレブンやユニクロ、ヤマト運輸なども登場して、例示も多く説得力がある。最後に猫も杓子もグローバル化と言うのだが、海外に出て行くことだけがグローバル化ではないという意味でぼくも同じように思っている著者の主張を載せる。

日本には、豊かになったアジアの人が求めるような高い質の消費財がたくさんある。アジアの他の国は提供できないような高い価値を持つ商品である。そうした商品をアジアに輸出していくというよりは、アジアの需要を日本の需要として取り込む。そうした発想が必要なのかもしれない。

さて、こうした時代に卸業すなわち問屋は生き残れるのだろうか。今は向かい風でコストダウンのために中抜きにしようなどの動きが急で、"そうは問屋に卸さねえ"となりそうな気配だが、知恵を絞って昔のように"そうは問屋が卸さねえ"に戻せるのであろうか。これをチャネルリーダー争いという。
  

流通大変動―現場から見えてくる日本経済 (NHK出版新書 425)
伊藤 元重
NHK出版
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2014年6月25日

ああ、終わった

何とも情けない結果になってしまった。ブラジルW杯予選リーグ最終試合でコロンビアに1−4で打ちのめされた。これで勝利なしで予選リーグ敗退である。別に点差が開いたからどうのということはなく世界の壁は厚かった。予想通り、決勝トーナメント進出を決めているコロンビアはメンバーを8人入れ替えてきた。これで、一瞬勝てるかもしれないと思った。

立ち上がりこそ相手のプレッシャーに押されたが徐々に押し返して攻め上がることも多く、前二戦には見られなかった積極さが感じられた。スピードある縦パスも入って何回かチャンスを作るもシュートの強さ、正確さがなく得点にならない。そうこうしているうちにカウンターでペナルティエリアに侵入されると今野が痛恨のファイルを犯しPKを献上する。あわててスライディングしなくても良かったのに相手のスピードと足の長さを見誤った。

1点を先制されるが日本もアグレッシブに攻め、ついに前半のアディショナルタイムに本田からのクロスに岡崎が頭で合わせて同点に追いつく。いい時間帯の得点で後半に望みをつなぐ。しかも、ギリシャ対コートジボワールはギリシャが1−0でリードしている。ここまではぼくが予想したとおり、ギリシャが必死になって勝つから、サブメンバーのコロンビアに勝てば奇跡が起きるといったような展開だった。

ところが、後半にエースのハメス・ロドリゲスが入ると一変する。彼にボールが集まってくるとコロンビアの動きが連動性を帯びてくる。世界の一流選手はやはりすごい。一発でチームを変えてしまう力がある。勝ちに行かなくてはいけない日本は前がかりになるがチャンスを作るがゴールには結びつかない。したたかなコロンビアはカウンター狙いで少人数で一気に攻めてくる。後半10分に勝ち越されると、ますますカウンターの餌食となり37分、44分とゴールを奪われ万事休す。

まあ、この試合は前の2試合よりはいい攻めをしていた。割とゴールに向かう直線的なパスも多くシュートも打てていた。おそらく、もう後が無いのだから開き直った面があったと思う。だから、逆にコートジボアール戦のあのぎごちなさはやはり緊張から来たのだろうか。いずれにしろメンタル的な部分で初戦の入り方をしくじったのであろう。あるいは、コンディショニングの失敗もあったのかもしれない。

これで、セルジオ越後やラモス瑠偉などはもちろんのこと他の評論家やメディアから批判や辛口コメントが出てくるだろう。世界との差が大きいとか、この4年間は何をやっていたのだとか、しかし、チームだって個人と同じで調子の波やコンディションもあるから、何でもかんでも悲観することはないと思う。だって、強化試合で勝ったコスタリカが快進撃をしているようにちょっとしたきっかけで強くなるのだ。

ただ、スペインの敗退が意味するように高いボールポゼッションからパス回しで崩すサッカーが研究されて、それを越えるようなサッカーが主流になってきているのではないだろうか。それは、内田が言っていたが個の力で決められる真のストライカーがいるチームが勝つということだ。メッシ、ネイマール、ロッベンなどのスーパースターである。それにチームが一丸となって彼らに得点させるという約束があれば非常に強力になる。

その点では日本は、本田、香川といってもそんな力はない。やはり、今回のチームで最後までトップが決まらなかったのは世界の潮流から見ると勝つための要素が不足していると言わざるを得ない。ゴール前できっちりと守って一気にカウンターでゴールを奪うというシーンが日本チームには全く見られなかった。これができないようではこれからの世界のサッカーでは戦えないのではないだろうか。それにしても、がっかりだなあ。
  

2014年6月30日

事例に学ぶBPM成功のポイント(1)

今回から標題のような記事をシリーズとしてエントリーしておこうと思う。筆者が関わった事例をベースにしたBPM(Business Process Management)が成功するためのポイントについてである。BPMもだいぶ浸透してきているとはいえ、まだまだほんとうに理解されていないとか、成果を疑問視されたりしているところもあるので、実際の適用事例が語るところを示すことで認知度を高めたいと願っている。以下フェーズを追いながらどんなことをして、どんなことに注意しなくてはいけないのか、どうしたらうまくいったのかという点について記していくことにする。  
           
1. BPMの取組み       
(1) BPMを始めるきっかけ
まずは、BPMを始めるきっかけということを見ていきましょう。いきなりBPMをやりましょうとか、BPMS(Business Process Suite)を入れましょうかということはないと思います。もしそれであれば失敗するでしょう。ビジネス上の要請があって初めてその要請に応える手段としてBPMが採用されることになります。

ではそのビジネス上の要請というのはどういったものでしょうか。大雑把な言い方をするとビジネス環境の変化に対する対応ということなのではないでしょうか。経済状況が変化した、あるいは競争環境が変わった、消費動向や市場・顧客が従来と違ったものになったといったことが自分の会社に影響を及ぼす、あるいは及ぼそうとしているときに経営者は何らかの手だてを考えます。

その時にどんな変化対応の仕方をしたらよいのか、その時の新しいビジネスモデルはどんな形になるのか、変化対応するときの阻害要因は何なのか、それを乗り越えるための課題は何なのか、どれだけのリソースを投入すればいいのか、あるいは調達しなくてはいけないのかといったことの答えを見つけ出さなくてはいけないことになります。

本事例は、2008年に起きたリーマンショックで既存製品の売上が半減してしまったという製造業の中小企業のものです。大企業ならいざしらず中小企業においては主力製品でもあることから会社の存続も危ぶまれるというのもまんざら嘘ではない事態になりました。この製品は、ほとんどが標準の在庫品販売がメインですので、一気の景気後退でユーザの買い控えが起きたのです。

さて、こんなときはどうしたらよいでしょうか。景気の回復をじっと待つのでしょうか。そうは行かないのは誰の目にも明らかです。この会社では戦略を変えることを選択しました。ただあたりまえですが、戦略を変えるだけではなくそれを実行しなくてはいけません。掛け声だけでやれるわけではありません。そこで取り組んだのがプロセスを中心にして事業や業務を見直すことでした。そして、新しい戦略のもとに業績の回復に成功したのです。

【成功のポイント】
ビジネス環境の変化に対する対応力をつけるにはプロセス視点でビジネス活動を捉えること
  

  

2014年6月28日

ワールドカップ予選リーグを終えて

FIFAブラジルワールドカップは予選リーグを終えて決勝トーナメントに進むベスト16が決まった。スペイン、イングランド、イタリアといった強豪の予想外の敗退、アジア勢の惨憺たる結果、中南米の強さなどが目立った予選リーグであった。さてこの結果はどうであったかを昨年末に組み合わせが決まった時に予選突破国を大胆に予想したのでそれと比較してみる。

A組 ブラジル、メキシコ
B組 スペイン、オランダ、(チリ)
C組 コロンビア、日本、(ギリシャ)
D組 ウルグアイ、イングランド、(コスタリカ)
E組 エクアドル、フランス、(スイス)
F組 アルゼンチン、ナイジェリア
G組 ドイツ、米国
H組 ベルギー、ロシア、(アルジェリア)

斜字が敗退で( )内が予想外に勝ち上がった国だが、日本は身びいきだからある意味予想通りだから外すとして、ヨーロッパ3国、南米1国が消えて、中米、南米、アフリカ、ヨーロッパが1国ずつとって変わったという結果である。いずれにしろアジア勢ゼロというのは寂しいものですね。

これはアジアのレベルが下がったというより、中南米とアフリカのレベルアップが勝っているということなのだろう。どちらも地元に近いせいもあり今回は応援もすごいし意気も上がっていた。それもあるが、中南米のテクニックと戦術はいいのだがフィジカルやスピードではどうかと思われたこと、アフリカの身体能力の高さとテクニックはあるが戦術理解や試合コントロールには課題があったことが、それらを修正し克服していることがある。

それに比べると、アジア勢の小さくまとまったサッカーは見劣りする。世界はどんどん進化しているのを感じていないのではないだろうか。やはり、アジアの中ではトップクラスの国と真剣勝負の機会が少ないことも影響しているように思う。内田がいみじくも言っていたが代表のサッカーよりシャルケのサッカーのほうがいいプレーができるということなのだ。やはり、FIFAランクで20位以内に入るような国が出てこないとアジアはとり残されてしまう。ベスト4とか優勝などと口走るのはそれからだ。

さて、決勝トーナメントだ。またまたここから勝ち残る国を予想してみましょう。ブラジル、コロンビア、フランス、ドイツ、オランダ、コスタリカ、アルゼンチン、ベルギーというとこではないでしょうか。ついでにその後の優勝まで予想しちゃいましょう。大胆ですねえ。ベスト4はコロンビア、ドイツ、オランダ、アルゼンチンです。ブラジルはコロンビアに負けます。ということで、ヨロッパ対南米の一騎打ちとなり、決勝はオランダ対コロンビアでコロンビアが優勝します。ヨーロッパは年米で開かれる大会では優勝できないのです。ちょっと大胆かな。ファルカオがいたらそうだといってくれるかもしれないが、さて皆さんの予想はいかがでしょうか。
  

2014年6月29日

超高速!参勤交代

これはおもしろい映画だ。まずは何といっても"超高速!"というタイトルに釣られたというかオヨヨである。というのもぼくが所属する「ICT経営パートナーズ協会」の関連団体に「超高速開発コミュニティ」というのがあって、先日も「超高速開発が企業システムに革命を起こす」(一般社団法人ICT経営パートナーズ協会著 関隆明監修 日経BP社)の出版記念パーティにも行ってきたので、あら何か因縁でもあるのかと。

それは全く関係ないのだが、映画を観ててあれこれってシステム開発プロジェクトと同じではないかと思ってしまった。映画では、時は徳川時代に磐城の国の小さな藩である湯長谷藩が通常8日かかる参勤交代をたったの5日で行うようにお上から言われ、知恵を絞って何とか達成しようとする姿を描いている。このあたりは、カットオーバーを通常では考えられない期間で行わなくてはいけないシステム開発プロジェクトと似てますよね。

理不尽なユーザの要求に嫌と言えなくて少ないリソースで徹夜も厭わず頑張ってしまう弱小ベンダーという見立てもまんざら似ていなくもない。ということで身につまされる思いで観てしまったのだが、この映画のストーリーはこうだ。湯長谷藩の藩士たちは江戸でのお勤めを終えて故郷に帰ってきたはいいのだが、のんびりする間もなく江戸家老が血相を変えて飛び込んでくる。今日から5日以内に参勤せよとの命令が下ったのだという。

さあ、大変だ。土台無茶な話なのだが、これは老中(陣内孝則)の横暴な仕打ちなのだが、断ったらこんな小藩はお取り潰しに会うのは目に見えている。お殿様である内藤政醇(佐々木蔵之介)は何としても5日以内に江戸に行くと宣言する。そして腹心の家老(西村雅彦)に知恵出せと命じ、その他5名をメンバーに選んで出発するのである。期日もさることながら金も人もいない中でさまざまなピンチに遭いながらも機転をきかして、また追手の忍者とも戦いながら進んでいく。

途中、旅籠で飯盛り女(深田恭子)との絡みもあったり、お人好しで閉所恐怖症のお殿様が意外にも抜刀術の使い手だったり、みんなが抜けているようでしっかりしている姿が楽しい。ある意味超高速ロードムービーなのだが、そこには数多くの映画的おもしろさの要素が詰まっていて、ハラハラドキドキ感もあって退屈しない。チャンバラだってハンパなく入っていますよ。

監督が「鴨川ホルモー」「すべては君に逢えたから」の本木克英、よく出来た脚本を書いたのが土橋章宏(注目)、出演者が上述以外に市川猿之助、石橋蓮司、井原剛志、寺脇康文、上地雄輔ら。優しいが芯のあるお殿様を演じた佐々木を筆頭に、気は強いが根は優しい女のフカキョンなど役柄にみなフィットしていて全然ひっかかるところがない良い出来である。お薦めである。
  
超高速参勤交代.jpg

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