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2014年4月 アーカイブ

2014年4月 4日

偉大なる、しゅららぼん

万城目学原作の映画「鴨川ホルモー」を観た時はぶったまげた。何とも奇想天外なストーリーでなんじゃこれと叫んでしまった。そのあとの「プリンセス・トヨトミ」でも同じようにびっくりこいた。「偉大なる、しゅららぼん」もそれらにひけをとらない奇想天外さである。監督が水落豊、主演が濱田岳、岡田将生で、他に深田恭子、貫地谷しおり、渡辺大、笹野高史、佐野史郎らである。

そのストーリーのハチャメチャぶりはこうだ。舞台は琵琶湖畔の石走(いわばしり)というところで、そこにある城に住む日出家には"不思議な力"を授かった当主がいる。そこの跡取りである淡十郎(濱田岳)は高校生だが殿として君臨している。学校へは雇人の源次郎(笹野高史)が漕ぐ舟の乗り、そして真っ赤な学生服とかばんといういでたちである。もうここで吹き出してしまう。姉の清子(深田恭子)は白馬にまたがって城内を回っているという時代錯誤ぶりである。

そんな日出家に分家の涼介(岡田将生)がやってくる。一族の掟に従って修行にきたのだ。涼介は淡十郎と同じ高校生なので一緒に学校に通うようになる。そこで淡十郎は同じ学校に通う校長の娘沙月に恋をする。ところが、沙月は同じクラスの棗広海が好きなことがわかる。淡十郎は大いにくやしがるのだが、広海もまた"不思議な力"をもつ一族だったのである。

そこから、二人の確執や沙月をめぐるさや当て、そして悪との対決と大きな騒動が巻き起こる。日出家対棗家、石走高校長との争い、涼介と師匠(貫地谷しおり)との関係など入り乱れた展開となる。ちょうど酔っ払ってから観たので何がなんだかわからなくなってしまう。こういう色々な相関が出てくると最近はよく理解できないままに終わってしまうことがある。洋画だとこれが大変なことになるが邦画では何とかついていける。

最後はタイトルの「しゅららぼん」の意味がわかるような結末になるのだが、その言葉そのものの意味はくだらない。でもそれが万城目ワールドの真骨頂でもある。濱田と岡田の凸凹コンビがなかなかよい。濱田のとぼけた感じが殿様の雰囲気にあっているし、岡田のコミカルさもなかなかのものだ。淡十郎が何かにつけて「美しくなければ」というあたりは、「土竜の唄」で「おもしろくなくちゃ」というのに似て楽しい。

こういった別に深刻なメッセージを発するわけもなく、さりとて単純なおふざけでもなく、それでくだらないのだがまあすっきりする不思議な映画も珍しい。琵琶湖周辺の景色が素晴らしく最近多いご当地映画である。
  
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2014年4月 3日

ご老人は謎だらけ

ぼくの母親は今92歳でもうすぐ93歳になるのだが、どこも悪いところがなく元気だし、ぼけてもいないのでこりゃあ100歳まで生きると言っている。しかし、歳とともに老人特有の言動が顕著になってきている。と言っているぼくだって、もう立派な高齢者の仲間入りである。自分の母親のいいところ悪いところを参考にしてまわりから嫌われないように歳をとろうと思っている。それにしても、老人は謎だ。でも自分もそうなってしまう(しまっている)のだと思うと複雑な気持ちになる。

「老人は謎だらけ」(佐藤眞一著 光文社新書)は、わけがわからない老人の行動の理由を解き明かしてくれる本である。老年行動学という学問があるのですねえ。その研究者である著者が設定した謎とは大きくは次のようなものである。

1.なぜ、老い先短いことを気に病まずに暮らせるのか?
2.なぜ、能力が衰えても自信があるのか?
3.なぜ、がくんと急に弱るのか?
4.なぜ、老いてなおナマグサイのか?
5.なぜ、人の世話になりたくないのか?

なかなか興味津々のところですね。よくよく考えてみると老人は老い先短いのに元気なのだろうか。うちの母親もわたしゃ明日にでも死んじゃうかもしれないというのが口癖なのだが、だからといってそれを気に病んでいるわけでは全くない。ただ、先日ぼくの弟(彼女にとっては息子)が死んだ時には、さすがにこんな歳まで生きなきゃ良かったと言った。ところが、その舌の根も乾かないうちに私が今死んだらあなた達も困るだろうからもっと長生きすると言う。謎だ。

結局、本でも指摘しているように"都合のいいことしか覚えていない"のだ。人間はそうして気分を真ん中よりポジティブな位置に置いて生き続けるという。そこで、若者のほうがネガティブなことに目が向くのに対して、老人はポジティブなことのほうに目が向くのである。なぜなら、若者は生きていくために必要な学習機能として、ネガティブなことに目が行く、老人はさんざん学習したからもういいとなるからである。そして老人は概して主観年齢が暦年齢より若いので先行きをそんなに悲観しないのである。

なぜ、能力が衰えても自信があるのか?については、自動車の運転をなかなかやめないという例で説明している。要するに、自分は有能であるという「メタ認知」と車は自分の思いどおりになるという「自己効力感」なのだそうだ。歳とっての車の運転は怖いのでやめて欲しいのだが、免許を返上する人は少ない。以前、ぼくの前を走っていた車の後ろに96歳と書いてあったが思わず遠ざけたことがある。

その他にも、年寄りの冷や水とか、わがままなほうが長寿だとか、なぜ若い日のことは記憶が鮮明なのかとか、耳が悪いのに悪口だけは聞こえるとか、男は妻がなくなるとがっくりくるのかとかいう話があっておもしろいというか、そのうちぼくもそうなるのだな(もうなっている?)とちょっぴり憂鬱になるのだが、時間を止めるわけにはいかないから、こればかりはどうしようもない。せめて周りに迷惑をかけないおじいさんになろうと思う。
  

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2014年4月 5日

ビジネス番長

とりあえず「ビジネス番長」というタイトルとそこで取り上げられているのが、スティーブ・ジョブズと松下幸之助だったのに釣られて買ってしまった。しかしながら「ビジネス番長」(大西 宏著 主婦の友社)は期待はずれであった。まあ、タイトルのビジネス番長というワーディングもよくわからないのでそんなに期待はしてはいなかったのだがそれが現実となった。そもそも、ジョブズと松下幸之助は番長というイメージとかけ離れて違和感がある。というかセンスがない。

著者の大西宏さんは松下幸之助に指導を受けた最後の世代なのだそうだ。松下電器で経理、営業、商品企画などを経て販売会社代表などを歴任し、現在はビジネスコンサルタントとして活躍している。著書に「スティーブ・ジョブズの思考法」と「松下幸之助の思考法」というのがあるように二人の研究をしていたのでこういう本を書いたのだろう。

しかし、以前から彼のブログを読んでいたから"大西宏の思考法"はだいたい分かっているがちょっと安易だなと思う。まずなぜ対照的な二人を並べたのかよくわからない。二人を登場させたということは、その違いを際立てせたいのか、あるいは共通性を見出したいのかどっちなのか、それとも別の切り口があるのかということである。

シリコンバレー風のやり方と日本的なやり方の違いを論じるのか、あるいは偉大な経営者がもつ同じような要素を取り出して成功の秘訣を探るといったアプローチかなと思うのだがそうでもない。つまり、それぞれのビジネススタイル、ライフスタイル、性格、エピソードなどはもういっぱいあるわけで、それをそのまま併記したってしょうがないから、対照をどうさばくかが問われるのだが、結局並べただけのような気がする。

本でも、対照的なものとして上げているのが、短期VS気長、冷酷VS温情、革新的VS成長的といったこと、一方共通的なものとしては夢・志の中身、自分の生かし方、他力の生かし方、直感力、集中主義、ふつう不可能なことを可能にすること、危機を逆転することなどである。要するに、キャラクターは全く正反対だが、ビジネススタイルとか能力といったようなものは共通であったと言っている。

しかしながら、マーケティングの考え方なんかは全く違う。お客様は神様ですと言った松下、顧客の言うことなんか聞かないジョブズは正反対である。だから、ただそうしたことを並べても何も出てこない。それなら個別の彼らのビジネス哲学が書いてある本を読めばいいだけだ。ふたりとも常人では真似ができない天才なのだから、番長が相並び立たないと同じように天才は孤高であり比べられないのである。
  

ビジネス番長
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2014年4月 2日

日常点描2014.4.2

桜が咲いた。一気に咲いた感じがする。いろいろなできごとがあっても、自然の営みは平常にやってくる。弟が死に友を失っても季節は変わり花が咲く。葬儀が終わりほっとするまもなく、後始末に追われている。弟の家はまだ子ども小さいので残された奥さんがお墓のこと仏壇のこと法事のことなどもろもろのことをひとりで切り盛りしなくてはいけないので大変だ。

さらに、書籍と文具を扱う店をやっていたのでその処理がまた面倒なことになる。突然の死だったこと、奥さんはほとんど店のことにはタッチしていなかったこともあり、てんやわんやになる。決算もしなくてはいけないし、仕入れの代金の支払いをしなくていけないし、さらに、店の今後も決めなくてはいけない。奥さんが引き継いでやることはないからである。

というわけで全面的にぼくが対処することになる。ご承知のように街の書店は衰退の一途をたどっていて、周りの書店もどんどん閉店していく状況である。できたら居抜きで誰かがやってくれないかとも思っていたのだが、税理士さんに経営状況などを聞いたところ、弟は自分の土地と建物だからこそやれたのだが、それを家賃を払っては相当厳しいことがわかった。だから、閉店して元気のいい商売をするところに貸すのが一番良さそうだ。

昨日から消費税が8%になる。前日までスーパーやデパートは混雑していたのでかなり売れたようだ。人間の心理というのもおもしろいもので、おそらく必要のないものまで余計に買ってしまったというひとも多いと思う。この駆け込み需要で売上が増えるだろうが、その反動がけっこうあるだろう。どうして、慌てるのだろうかと思ってしまう。

わが家は普段通りである。なぜなら、鎌倉市では4月から「かまくらプレミアム商品券」というのが発売されるからである。これは昨年に引き続いて2回目になるが、鎌倉市の店で使える10%のおまけ付き商品券のことである。1冊1万円なのだが、1000円券が11枚綴られているのだ。つまり、ピッタリで払えれば10%値引きに相当する。まあ、お釣りをもらえないから実質は7,8%引きだと思うが、消費税アップ分よりはるかにお得だ。だから、慌てることもないというわけである。

この駆け込み需要は一見良さそうだが、4月以降の反動もそうだが、納期遵守というのでも相当苦労しているところもある。下の息子の会社では納期遅れで大トラブルになっていて、営業の最前線にいる彼は「謝罪の王様」化している。また、ぼくの家の近くの分譲地で家を建て始めてのだが、そこの開発会社の社長が来て、水道を貸してくれと言ってきて、仮配管して使わせてあげた。増税前の3月中に完成させたいのだが、給水管の敷設が間に合わないからだという。家の価格は大きいので必死だった。

さて、4月は新入社員の希望と不安の入り混じったスタートの時でもある。もう、ぼくの入社した時のことは忘れてしまったが、今年は少しは景気も良くなったときなので、ちょっぴり明るくみえる。がんばれ若者たちよ!

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2014年4月 9日

これまでどんな業務アプリを作ってきのだろうか

いつも業務アプリケーションにおいてプロセスという概念が欠如しているという指摘をしてきた。ここのところを具体的にこれまで作られた業務アプリの形態をみていくことで明らかにしてみようと思う。まず、ここで主張しているプロセスの基本構成は、意思決定プロセス、作業プロセス、タスク管理というふうに言っている。つまり、何か依頼がきたらその依頼に応えるためにいくつかの意思決定、すなわちデータを確定するとか判断をするとかを行い、作業が必要なら作業を行い、依頼に対する回答を作成し、報告・登録するというものである。

そして、業務の性格によってそれぞれの重さが変わってきます。意思決定プロセスが主要なものもあるし、決まりきった手順で行えばいい業務だったら作業プロセスが中心になる。個人的なアクションだったらタスク管理になる。そこでこれまでのシステム化の対象となっているのは主として作業プロセスとタスク管理、さらにもうひとつは「リソース管理」を加えたものでした。生産・製作システムとかグループウエア、設備管理、人材管理などの仕組みが多かったわけです。

つまり、フローとストックという意味で言うとストック中心のシステムづくりだったことになる。言い換えれば、データベースを作るシステムなのである。作業プロセスはフローですが、手順が固定化されているのでストックに近いフローになる。管理すべきデータを設定して、それを生成・管理するためのシステムである。作業プロセスはこの生成過程でフロー要素が多くあるというふうにも捉えることができる。

ものごとというのは字の構成からも、もの=ストックとこと=フローから成り立っている。飛躍するかもしれないが、事業活動でも財務諸表が「貸借対照表」と「損益計算表」が主であるのもこのことを裏付けている。ところが、従来型のシステム開発では、ストック中心で行われてきたように思うのである。従って、これからのシステム作りは、もうすこしフローのところに焦点をあててバランスよくやることが望まれる。

このフローを考えて上で大事なことは、変動的な要素が強いということである。これまた、勘定科目的な見方をすると固定費と変動費みたいなもので、ストックは固定的であり、フローは変動的である。従来型のシステムすなわち作業プロセスも含めてタスク管理とかリソース管理は固定された型があってそこに当てはめることなのだが、フロー型である意思決定プロセスは大きな枠はあるにしても、個々にはかなり流動的に対応していくことになる。

つまり、システムの作り方が根本的に違うのである。そのことをきちんと理解して、業務の性格に相応したアプローチを採用していかなくてはいけない。それはウォーターフォールからアジャイルといったことではなく、構造的な部分も含めて考えなくてはいけない。まだまだ、どんな対象に対してこれまでと同じようなシステム作りのやり方をしているように思うのだが

2014年4月 6日

小保方さんのこと

いま、大きな話題は小保方晴子さんのSTAP細胞不正論文問題であろう。軒並み週刊誌のトップ記事になっていて話題をさらっている。まじめな議論からゴシップ記事みたいなものまで硬軟取り混ぜてマスコミネタになっている。そして、この間の理研の記者会見で不正の断がくだり、解雇されるかもしれないという事態になっている。

ぼくは、彼女の先輩であるが化学でも範囲が広いので生化学の方は専門家ではないから詳しくは分からないが、小保方さんの旗色が悪いことだけは確かであろう。理研内部からもかなり厳しい意見が出されていて、そこまで言わなくても、あなた達だって監督責任みたいなものもあるだろうにと思うのだが、研究者としてはあるまじき行為だとか、未熟だとかボロクソである。

確かにきわめて大事な実験ノートが2冊しかないなんてことだとその杜撰さを指摘されてもしかたがないだろう。しかし、彼女はなぜあんなことをしたのだろうか。そこのところがどうしてもよくわからない。まず、指摘された改ざんやら不正使用などがあれだけあったらいいわけもできないだろうと思うのだが、改ざんについては、「禁止されていることを知らなかった」、また他論文の盗用については、「出典を記載し忘れた」、画像の酷似については、「間違えて使用した」と答えている。

こうして答えたことに驚いている。知らなかった、忘れた、間違ったというのがいくつもあること自体ありえないのではないだろうか。そして、それが悪意があったかどうかという点も議論になっているが、ぼくは彼女は悪意はなかったのではないかとみている。つまり、何も考えないで彼女にとっては普通のことをやったまでだったのではないだろうか。

それが上司の指導力がないとか、理研の管理能力が問題だとかという論点も確かにあるだろうが、どうもぼくの個人的な見方は「ネット社会」の反映というか、ネットでやっていることが常識だとして持ち込んだのではないだろうか。改ざんとか盗用、コピーはネットの中では平気でやられていて、むしろクリエイティブ・コモンズみたいな考え方もあるから、その雰囲気を知らずに身につけてしまったかもしれない。

だから、何となく彼女には罪の意識がないように感じられる。ぼくらは徹底的に著作権などの権利を尊重することを叩きこまれてきているから、すごく気を使うことが当たり前になっているだが、今の若い人たちはその点は希薄なのだろうか。それとも案外彼女の天然キャラなのかもしれない。え、そんなことしなくちゃいけなかったのって言ってたりして。

さて、この件は今後どうなっているのだろうか。それも、STAP細胞が本当できたのかどうかを知りたいものだ。これも誤解があるようだが、STAP細胞というものはなくて、万能細胞の作り方を言っているだけに過ぎないわけだから、再現性がなければどうにもならない。でもできていなかったという証明がこれまた難しいから永遠に謎のままになるのではないでしょうか。その時オボちゃんどうなるのかな。
  

2014年4月 7日

イノベーションを支援するITシステム構築の極意(16)

ビジネスモデルを書いて、お客さんにどんな価値提案をするのか、別な言い方をするとどのように差別化され、競争優位性をもたせた製品やサービスを提供するのかが決まると、それをどう実現していくかに移っていきます。PDCAで言うと、こうしたいというPlanがビジネスモデルとして表現されますが、次のDoをどうするかになります。

ビジネスモデルは静的で構造的な側面をもったものですが、実行ということになると動的で流動的な側面を持ったものになります。すなわち、プロセスへの展開が必要になってきます。往々にしてビジネスの実行はプロセスをオペレーションすることで成果を出すからです。ビジネスモデルで導出された課題であるビジネス要求を受けるものとしてプロセスが存在するわけです。

さて、ビジネスモデルの構成要素は、それぞれで背後にプロセスを持っています。その対応を見ていきましょう。

(1) 商品          ・・・商品企画、商品開発
(2) 市場・顧客       ・・・顧客獲得
(3) 顧客との関係      ・・・商談・見積、アフターサービス
(4) サプライチェーン    ・・・受注、出荷、設計、製造
(5) パートナーとの関係   ・・・調達
(6) コスト構造       ・・・(全体)
(7) 収益モデル       ・・・代金回収・支払
(8) 経営資源        ・・・リソース管理

ということで、ビジネスモデルと関係する12の主要なプロセスが選択されてきました。ビジネスモデルで提供商品としてのコンセプトができたら、それを実際に企画して開発するプロセスへと展開されるわけです。

市場や顧客ではセグメンテーションやターゲッティングにより絞られた顧客に向かってプロモーションをしたりして顧客を獲得します。さらに顧客は潜在顧客から見込み顧客化し、受注をもらう顧客となり、リピートオーダーが来るような優良顧客へと進化させます。また、最近ではただ売ればいいというのではなく、買ってもらったあとのアフターサービスで顧客との結びつきを強くすることも大事になってきています。

次は、供給サイドのビジネスモデル要素として、サプライチェーンやパートナーとの関係がありますが、それらは基本的にはサプライチェーンプロセス、すなわち、受注出荷、調達、設計、製造というプロセスが関連付けられます。パートナーとの関係では主に調達プロセスが関係します。パートナーもひところのような元請け下請けのような垂直関係もありますが、今は分業的な水平関係も増えてきました。また、単に物品の調達にとどまらずに、技術、ノウハウなどのソフト面でのパートナーシップも盛んです。

これ以外のコスト構造、収益モデル、経営資源というのはプロセス的な意味合いが薄いものです。しいてあげれば、お金の流れのところになりますが、日常のオペレーションも少なく、最初にどういうフォーメーションにするかが重要になります。また、経営資源については、個別リソース管理の仕組みが必要になります。要するにマスタ管理です。ですから、プロセス管理というよりもデータ管理の色彩が強くなります。
  
これで、第1章の「ビジネスモデルからプロセスへ」を終わります。次回からは第2章の「プロセス設計からシステム構築へ」に入っていきます。ビジネスモデルを記述し、そこにあるビジネス要求をどのプロセスへ展開していくのかまでを議論してきましたが、次はそのビジネス要求をプロセスがどのように受けて実際に動かせるものを作っていくかになります。
  


2014年4月 8日

銀の匙

マンガで好評だった作品を映画化するというパターンは最近とみに多くなってきている。もちろんマンガだからダメだとか言うつもりは全くないが、マンガでよかったからというだけの安易さで映画にしてもらっても困る。まあ劇画マンガはそれそのものがもう映像だから映画にはしやすいだろう。

映画との違いは、マンガは連載ものだからけっこう長編であり、ディテールを積み重ねていくのでキャラクターが確立していくということがあるが、その点映画は2時間に押し込めなくてはいけないので、人物設定と観客の理解度が難しいかもしれない。だから、下手すると原作は良かったが映画はダメだというのにキャラがぜんぜん違うなんていう評が現れたりする。

映画とマンガの話が長くなってしまったが、「銀の匙」は荒川弘(この名でも女性作家である)の人気マンガの映画化である。ぼくはマンガを読まないので原作は知るよしもないのだが、そういう前提で観たとしてもけっこうおもしろかった。監督が「麦子さん」の吉田恵輔、出演が中島健人、広瀬アリス、市川知宏といったぼくの知らない若手俳優である。

舞台は北海道の帯広と思われるところの農業高校である。そこの酪農学科に入学した高校生たちの喜怒哀楽を綴っている。普通高校の部活を描いた、例えば「スイングガールズ」「ウオーターボーイズ」「書道ガール」「武士道シックスティーン」といった作品は多いが、農業高校を扱うのも珍しい。「三本木農業高校、馬術部〜盲目の馬と少女の実話〜」というのがあったけど。

八軒勇吾(中島健人)は札幌の進学校から大蝦夷農業高校へやってくる。受験に失敗して単に家から離れたいからという理由で全寮制の高校に入ったのである。他の新入生のアキ(広瀬アリス)や駒場(市川知宏)らは酪農家の子ということもあり、立派な農場にするとか、馬に関わる仕事につきたいといった将来の目標があるのに、八軒には何もないのである。

そんな彼が、牛や豚の家畜の世話など今までと全く違う体験を重ねていく。そして、ひそかに焦がれているアキが所属する馬術部に入部したり、子豚に豚丼と名前をつけて可愛がったりするのだが、「経済動物はペットとは違うんだ」といわれ考えこんだりする。そうした生活を経るうちに徐々に慣れてくるのだが、酪農で生計を立てる難しさをアキや駒場の実家の状況から知ることになる。

ということで北海道の自然のなかで悩みながらも成長していく八軒が描かれる。最後はやればできる風のイベントで終わるのだが、甘いといえば甘い。しかし高校生のときなんか、ちゃんと夢や目標があってそれに向かってぶつかっていくなんていう子は少ないと思う。とにかく実社会に近いところで経験することが大事なような気がする。

そういう意味で実業高校をもっと充実させることも必要ではないかなあとこの映画を観て思った。普通の学校へ行ってろくに勉強しないで遊んで実社会に放り出されるよりも工業高校とか商業高校、農業高校といったところで専門的なこと、そして仕事に直結したことを学ぶのも大切なような気がするのである。
  
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2014年4月11日

ダラス・バイヤーズクラブ

第86回アカデミー賞で作品賞は逃したが、主演男優賞(マシュー・マコノヒー)と助演男優賞(ジャレッド・レト)を受賞した作品「ダラス・バイヤーズクラブ」を観る。1985年、アメリカのテキサス州でエイズで余命30日と宣告された男が、意思や製薬会社と闘いながら生き延びた実話に基づいた映画である。アカデミー賞の作品賞は「それでも夜は明ける」だったがこれも実話が原作だ。最近は、事実は小説より奇なりではないが、書きおろし脚本が少なくなった。

何といっても男優賞を受賞した二人が役に徹するために大幅な減量をしたことが話題になっている。主役のロン・ウッドルーフを演じたマシュー・マコノヒーは21kg、彼のよき理解者で協力者であるトランスジェンダーのレイヨン役のジャレッド・レトも18kgの減量をしたというから驚きである。このすさまじい努力があったらばこその受賞だろし、映画にリアル感をもたらせている。監督がジャン・マルク=ヴァレ。

ロンは典型的なテキサスカウボーイでロデオと酒と女の日々を楽しむ電気技師だ。あるとき、ロデオの賭け金を持ち逃げして家に戻るとそのまま倒れこんでしまう。病院に運ばれて検査するとHIVの陽性反応がでていることを告げられる。医者は余命30日だと言う。それでも生きたいと望むロンは女医のイブに未承認のエイズ薬AZTを処方してくれるように頼むが断られる。

そこでロンはメキシコに渡ると副作用が大きいAZTではなくもっと効き目のある薬を見つけてくる。自分もそれを飲むことで命も長らえていく。しかし、それは既存の医学会や薬品業界にとっては許せないことなので圧力がかかるが敢然と挑戦し続けるのであった。そこで考えついたのが、ダラス・バイヤーズクラブという仕掛けで、会費を募りその金で世界各地から効き目のありそうな薬を仕入れてきて(日本の「林原」が出てきたのにはびっくりした)、無料で配布するというものであった。

自分で飲む薬を自分で選ぶ権利を主張するのであるが、あくまで供給側の論理の代弁者である当局との戦いである。この辺りは、今の世の中でも規制緩和という文脈で連綿と流れている。こうした戦いは最初はひとりから始まり、そこにレイヨンのようなサポーターが出てきて輪がひろがり改革が行われる。そこは偏見が大きいほど困難な壁が待ち構えている。「ミルク」という同性愛者を扱った映画もアカデミー作品賞の「それでも夜は明ける」の奴隷解放もこの路線の延長にある。

ところで、出演者のダイエットの努力や熱演があったにもかかわらず作品賞をとれなかったが、それなりの理由があるように思えた。つまり、映画作品としてのできがイマイチだったのだ。どうも平板に流れてしまい抑揚がないのだ。例えば、AZTの毒性が問題なのにそれを推し進めようとする勢力との戦いをもっと描いて壁の厚さを示しておいてそれを乗り越えた時の感動を表現するとかといったことである。実は「それでも夜は明ける」も同様なのであってもう少し工夫がいるように思うである。
  
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2014年4月10日

きまぐれ歴史散歩

最近、ちょっと歴史に興味が出てきていたのでおもしろそうなので手にする。ドイツ文学者でエッセイストの池内紀さんが著した「きまぐれ歴史散歩である」(中公新書)である。構成としては著者が旅した歴史的な事件の現場や由緒ある土地、ゆかりの人の出生地などについて、写真を入れて8ページずつ書いたものである。全部で26の町を訪ねている。

ぼくはこうしてブログを書いているので、ある程度短い文章で簡潔にまとめることに苦労しているのでこの本のように引き込まれるような上手な文章がとても参考になる。中身も幅広い知識と深い教養に裏打ちされたもので感心する。あこがれとしてこんな紀行文を書いてみたいと思うがとうてい無理だとあきらめている。

北は北海道から南は鹿児島まで26もの町が出てくるからもちろん全部紹介するわけにはいかない。出てくる町だけ紹介しておくと、札幌、花巻、会津若松、日光、みどり市、群馬県嬬恋村、秩父、東京都千代田区、瑞浪、名古屋、弥富、岐阜県関ヶ原町、近江八幡、京都、奈良、奈良県斑鳩町、和歌山県高野町、大阪、鳴門、舞鶴、綾部、兵庫県福崎町、赤穂、広島、下関、南九州である。

これをみて少し恥ずかしかったのは、札幌、東京、大阪、京都、奈良、広島といった名が知れたところは行ったことがあるが、その他は通ったことはあるかもしれないが行っていないのだ。有名どころにしても、由緒とか歴史とかを訪ねたというより、漫然と観光名所を観てまわったという情けない話である。

だから、その町をここで語るというよりも著者の旅する態度のようなものについて書いたほうが良いだろう。基本一人旅で、いつも縦長の薄い手帳とデジタルカメラを持参していくという。ただし、途中でメモをとるのではなく、夜のホテルや宿で、酒をのみながら思い出して書いていくのだ。そうして書きためたノートが20数冊になったので本にしたそうだ。何やら楽しそうですね。ぼくも早く同じような旅をしてみたいと思っている。

やはり、歴史を知って旅をするのとそうでないのとは楽しさがぜんぜん違うだろう。それも単に教科書的な知識ではおもしろさも半減だから、もっと深くそれもそこに生きていた人々に思いを馳せる気持ちが必要だ。土地と生活を感じられたらいいのだろう。

さて個人的におもしろかったのは、「光太郎の山居7年」(花巻)、「再会、われらのメンタム」(近江八幡)、「運慶多忙なり」(奈良)、「坂東俘虜収容所」(鳴門)、「国男少年の故里」(兵庫県福崎町)あたりですね。光太郎とは高村光太郎であり、国男少年とは柳田国男のことである。
  

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2014年4月25日

戦略としてのIT

さて、通常のブログエントリーに戻れそうです。まずはIT関係から。ダイヤモンドオンラインの記事の中にITRの内山悟さんの「経営のためのIT」という連載があって、ちょっと古くなるが2月のテーマが「戦略としてのIT」ということであった。この記事がなかなかよくてぼくが普段うまく言えてなかったことを代弁してくれている。さすが内山さんだ。

このテーマで書いた理由について内山さんが言っているのは、一部の経営者は適正なIT投資判断ができないし、IT部門も的確に説明できていないという現状に対して、いまや企業におけるIT投資は多岐に及んでいるので、ITの果たす役割をきちんと分類して、その目的や種類に合わせてIT投資を捉えなくてはいけないということである。つまり、戦略的に考えよということになる。

いまぼくの周りで困っているのが、BPMを経営にどう説明してその効果を理解してもらうのが難しいということである。そのとき、何でもかんでもBPMがいいのだ、IT投資すべきだというのは間違いで、ちゃんと整理して対処しなくてはいけない。そういった課題に対して下図のようなITの役割を目的層別に見る見方を示してくれているのでこれについて考えてみる。

ITの役割.png

最下層が「参戦する資格としてのIT」で、いまやITは不可欠の要素でインフラになってきている。(中小企業はまだまだのところも多いが)これがなければ戦うことさえできないということである。中間層が「戦う武器としてのIT」で経営や事業からの要請に応じて、効率、スピード、品質、精度などの向上や、業務コストの削減に用いられるものである。

この中には攻めと守りの両方の武器がある。守りというのは主にコスト削減で、攻めはモニタリングにためのITと知識共有や計画精度向上のためのものである。ただ、攻めのところでコスト削減に対して売上増につながるITというのがあるように思う。新規顧客獲得とか。新市場での認知度向上という領域である。ビジネスプロセスが威力発揮する場である。

最上層が「戦略としてのIT」になる。ITが経営・事業・業務に改革や変革を促したり、企業に新たな付加価値をもたらすものである。ビジネスモデルの新規構築あるいは変更といったことをITをてこにしてあるいは保有のITリソースを活用して行うという面がある一方で、ITそのものをシーズとして提案価値になる場合もある。いずれにしろITは今日のビジネスにとっては非常に重要な位置をしめているといえよう。

先進的な企業、強い企業は戦う武器としてのITから戦略としてのITへステップアップできたから今の位置を獲得したのではないでしょうか。これは何も大企業に限ったことではなく中堅・中小問わず言えることであって、経営者は積極的に上位層へ引き上げることをしないと生き残れないことを知るべきである。といって笛を吹いても踊らないのが現実でもある。ああ、何とかしたいなあ。
  

2014年4月28日

プロセス中心アプローチのフレームワーク(1)

今このブログで「イノベーションを支援するITシステム構築の極意」というタイトルで連載をしている。タイトルにもあるようにITシステムの構築方法がテーマである。従って、手順とか記述方法などが中心になっている。そのとき、何もかもごりごりと書くわけではなく、モデルを参照したり、共通フォームを利用したり、ソフトウエアパーツを組み合わせたりすることが望ましい。

そこで、システム構築に際して使うモデル、フォーム、パーツなどの集まりを広義の意味でフレームワークと呼んでみようと思う。対象となる領域は、「イノベーションを支援するITシステム構築の極意」で議論しているところと同じ、すなわちビジネスモデル起点でプロセスへ展開して、そのプロセスを市販のツールを活用して実装してオペレーションするというものである。

個別のものに入る前に全体観をもつために概念的な話から始めたいと思います。まず、プロセス中心アプローチについて、しつこいようですが繰り返して説明すると、業務システムを作る時に文字通りプロセスを中心に据えて考えましょうというスタンスのことです。

従来はデータや機能を中心に作られていましたが、競争や変化が激しい現代のビジネス環境では様々な局面での俊敏な意思決定が重要になってきていて、ビジネス活動の結果を登録するデータベースシステムでは対応しきれなくなっています。これまでは登録するデータを生成する過程が属人的な世界に閉じ込められてしまっているように思います。

すばやい変化対応やビジネスモデルの継続的な変革などを実現するには、プロセス中心で考えざるを得ないのではないでしょうか。いまや、リアルタイムのコントロールとマネジメントが必須になってきているわけです。リアルタイムでコントロールするにはプロセスが確立していなくてはできません。コントロールできるのはデータではなくプロセスだからです。なぜなら、データはプロセスを経て生成されるか、プロセスに使われて初めて意味のあるものになるからです。

というわけで、大事なことはプロセスを中心として考えるということですが、中心ということは上下左右に何かがあるということでもあります。それは何でしょうか。プロセスの上にはビジネスモデルがあり、下にはアプリケーションがあります。横の関係としては、ルールとデータだと思っています。ここでは縦の関係について議論していくことにします。

ですから、ビジネスモデル、ビジネスプロセス、アプリケーションの3ステージでのフレームワークを考えていきます。そのとき大事なポイントを忘れないことです。それは次のようなことになります。まずはこの特徴をしっかりと理解してください。

(1) ビジネスモデル起点のプロセス展開
(2) オペレーション発想のプロセス定義
(3) プロトタイピング型IT実装

この意味は、プロセスはビジネスモデルから課題や要求が来てそれを表現するものであること、オペレーションしてこそ初めて成果がでるということ、システムは作った時が終わりではなく始まりであることということです。
  

2014年4月26日

箱入り息子の恋

映画「箱入り息子の恋」のぼくのお目当ては夏帆である。ぼくが初めて夏帆を見たのは、三井のリハウスのCMに出ていたときである。2004年の4月からというから12歳の時である。あのリハウスガールの11代目なのだ。初代が宮沢りえで一つ前の10代が蒼井優である。鎌倉の七里が浜の海に向かった坂が印象的で、彼女の初々しさが出色であった。覚えている方も多いかと思います。

そのあと2007年に「天然コケッコー」で主役をつとめて一躍ブレークした。この映画で、日本アカデミー賞の新人賞を獲得して将来が楽しみであったが、それほど注目されなくなってしまった。というのは、最近彼女を見ていささかがっかりした。あの可愛さがだんだん劣化してしまったのだ。なんだか、そこら辺の女の子に成り下がってしまった。

お目当ての夏帆に裏切られた感はあったのだが、だからといって映画もダメだというわけではない。これが意外とおもしろいのだ。箱入り息子というより、市役所に勤めて決まりきった時間出勤し、昼飯も家に帰って食べ、就業時間きっかりに帰るという全くつまらない男・天雫健太郎(星野源)が初めて恋をするという物語である。

だから健太郎は35歳童貞で当然ずっと彼女いない生活である。そんな彼を両親(平泉成、森山良子)は心配して、親同士が婚活する代理見合いに参加する。そこである社長夫妻(大杉漣、黒木瞳)と知り合い、健太郎はその娘奈穂子(夏帆)と正式のお見合いをする。ところが、奈穂子は今は病気で目が見えなかった。それでも健太郎は奈穂子が気に入り初めての恋に落ちていく。

奈穂子のほうが「箱入り娘」なのだが、健太郎の一途な思いに応えようとするが、父親はうだつのあがらない健太郎を認めようとしない。というわけで、ついにやってきた好きな女性に体当たりでぶつかっていく健太郎、障害を何とも思わず真摯に向き合ってくれる彼を受け入れる奈穂子、そんな二人が空気を変えていく。

近頃はひねくれたあるいはぶっ飛んだ恋が描かれるのが多いのだが、まじめで一直線の恋を変にシリアスにも描かず、適当なユーモアも交えて、したたかにさばいていて好感がもてる。監督・脚本の市井昌秀の今後に注目だ。
  
箱入り息子の恋.jpg

2014年4月27日

京大理系教授の伝える技術

京都大学教授で火山学の権威である鎌田浩毅教授はテレビにも出ていたり、派手な服装でも目立つ名物先生である。その先生が書いた本「京大理系教授の伝える技術」を読む。別に伝えるには理系も文系もあるのかと思うのであるが、最初のほうは、どうも就職する学生のための指南書のようだった。学生の質問に対して答えるという形式で伝える技術を紹介している。

結局、いろいろと書いてあるが、ひと言で言うと、「伝えるということは価値観の橋渡し」であるということだ。この価値感というのは、著者の定義では"何かを理解する際に、その人が大切にしている基準の優先順位、あるいは「考え方の枠組み」のこと"だそうだ。別な言い方だと"頭のなかで理解されていくプロセスやパターン"と言ってもいいという。

まあ、これだけをずっと言っているのだが、では相手の価値観をどうやって推し量るのかという問題になる。「生き方の旗印」という言い方をしていますが4つあるという。「安楽思考型」「王様型」「気配り型」「主導権型」なのだそうだ。そして、これを2つの座標軸で整理する。すなわち、縦軸が「課題達成を重視する」(=人間関係は冷たい)か「人間関係を重視する」(=人間関係は温かい)かで、横軸が「能動的に生きる」(=攻めるタイプ)か「受動的に生きる」(=守るタイプ)かだという。

例えば、課題達成を重視して能動的だと主導権型で人間関係を重視して受動的だと安楽指向型というわけである。これを知って付き合うと人付き合いがよくなるのだという。だから、相手がどのタイプでどんな価値観を持っているかを知ることでうまく伝えられるのだ。まあ、確かにそうだがじゃあ価値観が違ったらどうするのだという問題になる。同じような価値観を持っているひととだけに接するわけにはいかないからである。

で鎌田先生は、価値観の橋渡しで最も重要なことは、「相手に合わせて自分を一時的に変える」点にあるのだと、これが「伝える技術」の発想の要諦がここにあるのだという。つまり、相手に変わって欲しいと思うのではなく自分が変わらなくてはいけない。また、すべてを変更するのではなく、問題が発生した具体的な部分にだけ焦点を当ててその解決だけを図るのだ。

この本の言いたいことはここだけど、なんとなく変な感じがしませんか。これって妥協とか譲歩ってことなのか。少なくとも"理系"の世界ではこういうことはないように思うが。どうも相手に媚びるようでそれってちょっと違うのではと思ってしまう。

著者は専門以外の話で意思疎通が図れないことからこんな発想になったようだが、コミュニケーションという双方向の問題に対してあまり伝えようという意識は持たないほうがいいと思うのだがいかがでしょうか。ぼくは「伝える技術」よりも「伝わる技術」のほうがもっと大事ではないかと思っているのである。
  

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2014年4月30日

イノベーションを支援するITシステム構築の極意(17)

さて、今回からは第2章の「プロセス設計からシステム構築へ」に入っていきます。最初のテーマは3つのパラダイム変化ということになります。コンピュータが登場して、それらが業務システムに使われて長い時間が経過してきましたが、それほど大きな変化はなかったように思います。

しかしながらビジネス環境もさることながら、インターネットの出現が非常に大きなインパクトを与えています。そうした中で、ITシステムを取り巻くパラダイムも変化せざるを得なくなってきています。技術の進化がシステムの構造あるいは作り方、使い方を変えていくのです。それらは次のような3つのパラダイム変化ではないでしょうか。

(1) データ・機能中心からプロセス中心へ
(2) 作って終わりから使ってナンボへ
(3) 個人作業からチームワークへ

最初のプロセス中心への転換ですが、元来ITは情報処理と言われるようにインプットされたデータを計算処理してアウトプットとして結果を出し、それをストアするというものでした。従って、データを中心として考えられ、その入力画面の機能をどうするのか、どんなレイアウトの帳票を出力するのかといった観点でシステムが作られていました。

ところが、現実のビジネスの世界ではそれだけで成り立っているわけではけっしてなく、むしろデータの処理以外のところのほうが時間をとっているし、重要なことが多いはずです。その世界はどちらかと言うと属人的でインフォーマルな領域になっていたわけです。タバコ部屋で大事なことが決まっていると揶揄されたものです。

いまや隠すことは許されないことも多くなりオープン性へのシフトが進んでいます。つまり、情報共有とかコミュニケーション、あるいはWebで言われるような集合知といった考えが広く取り入れられるようにもなってきました。タバコ部屋で行われていた意思決定が表に引きずり出されてきたのです。

そうした動きに不可欠なものがプロセスになります。ビジネス上で発生する様々な事案はほとんどの場合プロセスを経て処理されて行きます。従って、システム作りも従来のようなデータ・機能中心からプロセスへ中心へと変えて行く必要があります。

ただ、こういうとデータやUIはどうでもいいのかとか思われがちですがけっしてそういうことではありません。どれもが重要なのですが、軸足をずらすというか、何を先行して考えるかでプロセスを中心に、あるいはプロセスを先行して考えていくというアプローチを推奨しています。
  

2014年4月12日

極私的子育て論(1)

先日ある会合のあとの懇親会でひょんなところから子育ての話になって、ぼくが実践したことを標語風に言ったらそれがウケたので書き留めておこうと思う。このブログでもいくどか書いたことなのだが、断片的になっているので大げさだけど体系的にしてみようと思う。

ここでわざわざ"極私的"とつけてみたが、子育てなんてこれでやりなさい、こうすればうまくいくなんてという法則があるわけではなく、非常にプライベートなものであり個別対応であるからである。なので、いまから言うことが正しいとか、強く薦めるものでもない。ぼくの個人的な思いである。

親と子の関係は子どもの年齢によって当然変わってくる。これを親離れするとか最近では子離れするとか言う。幼児のときと少年、青年となった時とでは接し方は全然違ってくる。それを大人になっても小さい時と同じように接したり、まだ幼児なのに放り出してしまうなんてことになるとおかしなことになってしまうのである。

思いのほかウケたのがつぎの時期別モットーである。
1つ、胸を開いて抱きしめて
2つ、背中を見せてついてこい
3つ、肩を並べて歩こうよ

この"胸背肩"理論を実践した。最初の胸を開いて抱きしめるのは生まれてから10歳位までである。その時期には親は溺愛といわれるくらい愛情を注ぐべきであると思う。この時期はもちろん子どもは初めて経験することばかりで日々勉強、学習の時である。そんな時には失敗することもあるし、恐怖することだって、どうしていいか迷うこともあるから、暖かく見守ってあげることが大切なのだ。

そして、大きくなって困ったり悩んだりしたとき、いつでも帰ってくるところとして親の胸があることを知らせめることなのである。お前にはいつも親が付いているぞ、だから思い切ってやれという暗黙の激励を感じてもらうことである。3つ子の魂100までではないがこの時期は今後の人間形成にとって非常に大事なときで、そこには抱きしめてくれる親がいることは大前提なのだ。

小学校高学年を過ぎてくると自我も芽生え、ある程度世の中の仕組みとかもわかってくるので、そうなると抱きしめることをやめて、背中を見せてついてこさせる関係へと変化させるのである。自立、あるいは自律を促していく。父さんも世の中という厳しい海を一生懸命泳いでいるんだぞという生き様を見せつけるわけである。言い換えれば、そういうことがわかってくる年齢なのだ。

だから、ほんとどああしろこうしろとは言わない。無言で見せるだけだ。必然的に自分で考え、決断して実行するということが当然と思ってくる。それができるには、前述したように小さい時に愛情を注いであることが必要条件なのである。小さいときに会社の仕事が忙しくてろくに面倒もみないでおいて、受験の時にあの学校にいけとか、お父さんみたいな職につけとか言ったって子どもは聞かないだろう。

3つ目の肩を並べて歩こうよは、子どもが社会人になったらもう対等であるということなのだ。これは当たり前だと思うが、世間で認められた大人になったわけだから、大人同士の関係である。うちは親子で友達みたいな関係ですよというのとはちょっと違う。この友達というのは子ども感覚の友達で多くは大人の関係にはなっていないように思う。お互いに認め合った乾いた関係がいい。これもまた、自立、自律させたからこそできる関係なのである。(続く)
 

2014年4月14日

閉店セール

弟が死んでからもうすぐ1ヶ月近くになるが、もう1ヶ月かというのと、遠い昔のことのように思う気持ちが交錯している。ぼくがこんなだから、92歳の母親はなおさらでいまだに本当にあの子は死んだのかと繰り返す。ぼくも弟が亡くなったことをまだ信じられない部分が残っている。

とはいえ、現実の時は流れて葬儀や墓、仏壇の手配などのあと、当面やらなくてはいけないのが店の始末である。弟は大学を中退して父親が退職後はじめた文具店を引き継いでそこに本も置くようにした店を経営するようになった。大学中退がけっこうもてはやされた時代で、ただなぜ中退して書店のオヤジになったのかほんとうのところは聞いてはいない。お互いと年老いてきたのでそんな話もしてみようかと思っていた矢先の死であった。

本は返品というのができるので日販にひきとってもらえばお金も返ってくる。(ただ、古いものとか他でも売れないようなものは除かれる)問題は文具のほうである。こればかりは返品というわけにはいかないから、売り尽くさなければならない。文具だから、鉛筆や消しゴムといった細かいものがたくさんあるから、それらを全部捌かなくてはいけない。店の中以外にも倉庫だとか自分や母親の家にも置いてある。

今日から1週間閉店セールを行うことにした。全品半額の「閉店売り尽くしセール!」である。一昨日に閉店のお知らせとセールについての貼り紙をした。ぼくは、商売の経験は全くないからどうしていいのかさっぱりわからなかった。弟の奥さんもほとんど店に行くこともなかったので二人でオロオロしてしまう。

そこで思いついたのが、ある人に手伝ってもらえないかということである。店をどうするかというときに最初は居抜きで継続してやってくれる人を探した。そうしたら、横浜でつい1ヶ月前まで同じような見店をやっていた女の人がその店も閉店したので、やってみたいと言ってきた。ただ、店の収支が非常に厳しいことを正直話したら無理だと思って諦めたのだ。その人に手伝ってくれないかと頼んだのだ。そうしたらOKの返事が帰ってくるではないか。

そこでその人に閉店の要領を聞き、今来ているパートさんや家族を加えて何とか乗り切れたらいいと考えている。いよいよ今日からセール突入である。どうなることやら。はたしてお客さんは来るのかこないのかさっぱりわからない。どうも最後は半額どころではなくご自由にお持ち帰りくださいとなってしまいそうな気もする。

新装開店セールだと張り切ってしまうが、閉店セールでは元気が出ない。そういえば、同じ商店街にあるパン屋と寿司屋もほぼ同時に閉店することになった。ただ、この手の店は在庫がないから閉店セールをしないですむ。店じまいに至るのは、地方の街の商店街のどこにでもある光景かもしれない。売上の問題と店主の老齢化に伴う病気や死である。すごく寂しい気がする。さあ、今日はどうなることやら。
  

2014年4月13日

結婚式

昨日は、結婚式の二次会に招かれていたので原宿まで出かける。最近不幸が重なって気分が滅入っていたので、こうした明るい席は気持ちが晴れやかでいい。しかし、二次会とはいえ結婚式に出席するのはほんとうに久しぶりだ。会社勤めをしていた時は、部下の結婚式などに呼ばれることもあったが、退職してからは全くなくなった。親戚の子なども結婚することはあっても、最近ではごく内輪で行うことが多くなったので、友達は呼んでも親戚一同がこぞって出席なんていうこともなくなった。

昨日も、結婚式は家族中心でやってその後会場を借りきって友人や会社の仲間などを中心に2次会が行われた。だから、ぜんぜん堅いものではなく、服装もカジュアルなものでなごやかな雰囲気でよかった。ぼくの二人の息子もいずれ結婚式をすると思うのだがなるほどこういう形式でやるのかなと思う。

新郎とはもうだいぶ前になるのだが、BPMに関するオフ会を始めたときにそこに参加してくれたことで知り合った。まじめで勉強家の若者である。親子といってもいいくらいの歳の差なのだが、最近でも何回か飲む機会もあって、楽しくおしゃべりをした。

新郎がIT関係の仕事についていることや新婦も映像に関することをやっているということで、IT屋さんが多く来ていた。だから、一緒に出席したぼくの友達のおっさんも普通のサラリーマンの雰囲気とずいぶんと違うなあと言っていた。名詞交換するとみんな社長だ。その中でアメリカ人の社長が「Happy Wife、Happy Life」と挨拶してウケていた。

それに対して日本人のおっさん社長は「結婚する前は両目をあけてお互いを見るのがいいが、結婚したら片目をつぶった方がいい、いいところばかりではないから。ところでうちの女房にはあなたの場合は両目をつぶらないといけないわと言われている」とお決まりのジョークで幾分ウケていた。

会場は原宿駅から表参道のほうに行ったところにあったのだが、JR原宿駅におりたらびっくりした。何と人が多いことか。電車降りてからもう行列である。そこから歩きだしたのだが、もう大渋滞である。晴天の土曜日とはいえ消費増税なんのそののこの人出はすごい。何年ぶりかの原宿なのでこれが当たり前なのか、景気がいいからなのかわからない。いずれにしても、昨日は少し元気をもらったような気がする。
  

2014年4月29日

キャプテン・フィリップス

これまた実話ものである。最近のハリウッドは実話にもとづく作品が多い。おそらく、ドラマティックな原作本が出版されるとすぐに映画化権を買い漁るのではないのだろうか。オリジナルのシナリオを生み出す力がなくなってきているのかもしれない。確かに、事実は小説より奇なりだからおもしろいのは保証されているがちょっと安易なような気もする。というようなことを頻繁に書くようになった。

映画「キャプテン・フィリップス」も2009年にソマリア沖で発生した海賊によるマースク・アラバマ号乗っ取り事件を題材にしている。そこで人質となったリチャード・フィリップス船長の伝記映画である。監督がポール・グリーングラス、フィリップス船長を演じるのがトム・ハンクス、海賊のリーダーには、ソマリア人でアメリカに住むバーカッド・アムディ。

ストーリーはケニアのモンバサに向かってアデン湾を航行中のコンテナ船がソマリア沖に入ると不審な舟に追跡されるところから事態が急転する。ソマリアは有名な海賊の国で貧しい漁村の若者立ちが武装して航行する船を襲うのである。武装していないマースク・アラバマ号は逃げて一度は引き離すのだが、再び襲撃され放水するも乗り込まれてシージャックされる。

この追いつ追われつ劇もすごい迫力だ。フィリップス船長は海賊が乗り込む寸前に乗組員たちを隠して対応するが、結局は乗組員を救うために身代わりとなり脱出用の救命艇に乗り込む。さあそこからに人質となった船長とそれを救いにくる米国海軍特殊部隊との間での攻防が始まる。海賊が乗組員を探すシーンや救命艇で人質にされてしまうシーンもハラハラドキドキさせられる。

ここからは、人質をあくまで救出するのか、人質を犠牲にしても海賊の殲滅を図るのかといったサスペンスが展開される。そして4日間の戦いの末ついに・・・。もちろん救出される。それでなかったら物語は成立しないから、ネタバレでもないだろう。ここはどうなるかではなく船長としての責任と誇りのもとに毅然とした姿が見どころである。トム・ハンクスが名優たる力量を発揮して熱演だ。

実話に基づいているからかなりリアルである。ソマリア人の海賊役の俳優さんもオーディションで選ばれたようだが、いい演技をしていた。ところで、こんな事件に巻き込まれたにもかかわらずフィリップ船長はまた海上勤務に戻ったのだという。もうこりごりで海に戻らないのかなあとも思うのだが、それがプロフェッショナルなのか。
 
それにしても、つくづく思うのは沈没したあの韓国のセウォル号の船長のことである。ちょっと前に乗客をほったらかしにして自ら率先して救助艇に乗り込む姿の映像が配信されたが、あれはいったいどういうことなのだろうか。まったく正反対の船長の態度である。あんな船長の船になんか乗りたくないのだが、そんなことは分からないから怖い。フィリップス船長のつめの垢を煎じて飲ませたいのだが、それ以前の問題なのだろう。

 キャプテン・フィリップス.jpg

 

2014年4月20日

日常点描2014.4.20

しばらくブログも書けない状態が続いていましたが、何とか現在の状況を記しておきます。怒涛の1週間がやっと終わりました。弟が急死して約1ヶ月経って、経営していた本と文具の店をたたむことを決め、その閉店セールを行っていた。月曜日から昨日の土曜日まで6日間で文具類を全品半額にして売りだしたのだ。

その間、本は通常価格で売っていたが、先々週にもう仕入れはストップしていたから、売りながら返品の準備もしていた。明日トラックが来て引きとってもらうことになっている。だから、売りながら片付けるという作業が重なって大変だった。文具は売り尽くすつもりでいたが、まだかなり残ってしまった。再度処分のためのセールをするかもしれない。

ぼくは、こうした店の仕事なんてしたこともないのでどうしていいのかとまどったが、何日かはレジの前に立って、なれない手つきでお客さんを相手に電卓を叩いてお金の出し入れをした。本は通常価格で文具が半額、しかも消費税が変わったということもあり、多くのお客さんをさばくのにレジが使えないので、電卓をたたきながら会計をすることにしたのだ。

文具というのは、数十円といった細かいものが多いのでこの計算が大変なのだ。一日が終わるともうぐったりとなる。平日だとだいたい午前中がお年寄り、夕方からが小学生というパターンで、お年寄りは忙しいのに話し込んできたり、あれを探してくれとか手がかかる。でもわりと高額なものを買ってくれるのだが、子どもは細かいので面倒臭い。だから、おばあちゃんと孫という組み合わせが一番いい。ふと、こういう店は孫をつれたじいさんばあさん向けの品揃えをしたらもっと効率的だったかもしれないと思う。

それにしても、在庫が多すぎる。もう40年やってきたが、それこそ30年くらい前の商品が残っていたりする。戸棚の中からでてきた電卓が10000円の値札がついていた。年寄りの客が口にするのが「スーパーやコンビニ、100円ショップにはないものがここにはあるから助かるわ」である。その声に押されていろいろなものを仕入れるのだが、買う人は少ないというパターンである。

へーと思うようなものがいっぱいある。わら半紙、肥後守のナイフ、リコーダ、鍵付き手帳、プリントゴッコ、ファミコン、エンディングノート、般若心経の写経手本、数珠などなど、きっとこんなものが欲しいんだけどと言われて、あるいは問屋に薦められるままに仕入れたのだろう。逆に子どもは、流行に敏感だから、新しいものにすぐに飛びつくがちょっと古くなるともう見向きもしなくなる。

ということで、とりあえず閉店セールは終わったのだが、まだ残った在庫の処分をどうするのかもあって、まだまだ残作業がいっぱいある。今日もこれから本のダンボール詰めを行う。そうそう、その前にコミック本のビニールカバー外しがある。これが以外とやっかいなのである。さあ、もうひと頑張りだ。
  

2014年4月24日

閉店完了

またまた、閉店話ですみません。昨日、やっと急逝した弟の店をたたんだ。先週一週間で半額セールを行ってあらかた処分しようと思ったのだがとんでもない話で、相当数の在庫が残ってしまった。表に出ていた商品だけではなく倉庫だとか抽き出しのなかにあるわあるわでびっくりする。普段見ていないから予想外もいいところだ。

そこで、月曜日に本を返品したあとのスペースにそういった商品を並べて再度最終処分セールを行うことにする。セールのやりかたをどうするかを考えたのだが、前週と同じように半額ではあまりさばけないのは明らかなので更に値引きをする。それだけでは、売れる品数もそう多くないし、会計の手間が大変なので福袋に似た形式にすることを思いつく。

すなわち、あらかじめ値段を決めた袋を買わせるのである。そして、その袋に決められた金額まで詰めていいとしたのだ。しかも、ことらでいちいち計算していては大変なことになるので自己申告制にする。袋は300円と500円の2種類用意して、それで買える金額を2000円と4000円にした。すごい割引率だ。80%〜90%OFFである。

自己申告制だといくら買ったか計算するのが大変なので、100円、300円、500円コーナーを設置して、そこに商品を振り分けて値札に関係なく一律価格にした。お客さんは、袋を買って自分で計算をしてだいたい買えたと思ったらそのまま出て行ってもらって構わないのである。これが奏功した。もちろん破格の値段でもあったが、こちらは比較的楽であった。

これを一昨日から始めたのだが、当初は3日間くらいかかる予想が昨日の午前中で終わってしまった。口コミで一気に広がったのだ。店内ごった返していて、早い者勝ちなので必死である。そりゃあ5000円が500円になっているものもあるから奪い合いである。ところが、時間の経過とともに伸びなくなる。お目当ての商品が少なくなるからである。

ということで、頃合いを見計らって最後は無料にする。そうするとまたごった返しが再来する。これまたすさまじい限りで、ほんと根こそぎ持っていく。ホコリをかぶった商品なんてはまだいいほうで、商品陳列用のトレーとかワゴン、包装紙まできれいに持っていってくれる。ただ、最後まで残ったものはいったい何だったでしょうか。それは、印鑑だったのだ。みな群がって探していたが全く関係ない名前の印鑑はさすがに持っていかなかった。

そして、昨日の午後5時ころすっからかんになったところでシャッターを下ろす。いやはや、怒涛の10日間だった。昨晩は近所のいきつけの居酒屋で2時くらいまで痛飲してしまった。そうしたら、今朝のどが痛くて調子が悪い。一気に疲れが出たようで今日は1日中お休みにしよう。
  

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