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2014年2月 アーカイブ

2014年2月 2日

日本の産業の生きる道(1)

ちょっと前に「日本は何で食っていくのか」(伊丹敬之著 日経プレミアムシリーズ)で、下記のような著者の提言を載せた。

・ 日本企業は電力生産性で食っていく
・ 日本企業はピザ型グローバリゼーションで食っていく
・ 日本は複雑性産業で食っていく
・ 日本企業はインフラで食っていく
・ 日本企業は中国とともに食っていく
・ 日本企業は化学で食っていく

この6つの提言についてもう少し詳細にみていくことにする。まずは電力生産性ということである。ある産業の電力生産性というと、その産業が生み出す付加価値総額をその産業が使用する電力量で割った数字である。つまり、電力使用量1kwh当たりの付加価値額で、1kwhの電力を使って何円の付加価値が生み出されたかを示す指標である。これは著者オリジナル指標で一般的ではない。労働生産性と似ているがこちらはよく用いられる。

なぜこの指標がこれまで使われていないかというと、定義があいまいにならざるをえないからではないだろう。単に電力っていっても電力会社から買っているものを指しているのか、自家発電所を持っている場合はどうなってしまうのだろうか。(おそらく自家発は計算外だと思う)

さらにぼくは化学プラントにいたので、こういった指標はエネルギー原単位という考え方をとるのが普通である、すなわち、単位製品あたりどれだけのエネルギーが使われているのかというものでその逆数ですね。しかも、それは電力だけでなく、例えば駆動源が蒸気タービンだったらその蒸気が持つ熱量をカウントするし、加熱源として燃料を使うとしたらそのカロリーを算入する。つまりエネルギーというのはいくつかの種類があって、しかも代替可能であることもあって、電力だけでみるのは片手落ちなのである。

また、最近では一つの産業だけ独立して存在することはなく、いろいろな産業が入り組む複層した構造になっている。その産業自体ではそれほど電力を使っていなくても、その原料製造工程では大量の電力を使っているなんてケースだってありえるだろう。そういう意味では産業別の電力生産性にはあまり意味がない。ただ全体を捉えたGDP電力生産性は意味があるかもしれない。この国際比較が出ている。2008年のデータになるが、ドイツ5.87ドル/kwh、日本4.49ドル/kwh、アメリカ3.23ドル/kwh、韓国2.09ドル/kwh、中国1.32ドル/kwhという結果なっている。

まあ、予想通りだが、ドイツが日本よりもよくなっているが、そこに近づけるためには機械産業よりにシフトすることと超円高を是正できれば可能だと言っている。ええー、今は円安にふれているからよくなったのかなあ。どうも無理があるように思える。原発事故で電力が逼迫していることからそんな指標を持ち出したようだが、電力生産性を高めるように産業構造を変えるというところまで言うのは行き過ぎのように思う。
  

2014年2月11日

東ベルリンから来た女

突然変なことを言うのですが、時代劇って言葉は日本だけのものだろうかというのと、いつの時代を扱うと時代劇という範疇になるのだろうかが気になってしまった。アメリカ映画では西部劇が時代劇なのだろうか。じゃあ、ヨーロッパ映画ではどうなのだろうか。どうでもいいのだが、時代はどんどん変化していくから、現代を扱ってもすぐに過去のものとなってしまうから、例えば、第二次世界大戦映画はもう時代劇になってしまうのではないかと思ったりする。

「東ベルリンから来た女」はベルリンの壁崩壊の9年前すなわち1980年夏の旧東ドイツでの物語である。もう30年以上も前の話だから生まれる前以前のことだから知らないという若者も増えてきているのだ。東西冷戦の時代はそのうち時代劇になってしまうのかもしれない。監督がクリスティアン・ペッツオルト、主演がニーナ・ホス、共演がロナルト・ツエアフェルト。本作でベルリン映画祭銀熊(監督)賞を受賞した。

まだ、当局の監視下で統制されていた時代、田舎の病院にバルバラと呼ばれた女医(ニーナ・ホ)スがやってくる。かつては大きな病院に勤務していたが、西側への移住申請を拒否されて地方に左遷されたのである。そこではもちろん秘密警察「シュタージ」の監視つきである。このあたりは、あの名作「善き人のためのソナタ」を思い起こさせる。

同僚の医師アンドレ(ロナルト・ツエアフェルト)あら優しくされるのだが、なかなか心を許すことができない。しかし、医師としての患者に対する誠実さは失うなうことはなかった。患者から慕われて行くのである。だが、西ベルリンで暮らす恋人の手引きで西側へ脱出する計画が進行する。さて、医師として患者をおいて逃げるのか、逃してあげたい少女を置き去りするのかといった葛藤が渦巻く中、結末はいかに。

重い映画だ。究極の選択というシチュエーションのなか揺れる心を描いて感動をもたらす。ぼくらは、自由な社会に生きているのでこうした制約下の選択という機会はないので深刻さを理解できないのかもしれないが、静かで重厚な画面から深い溜息が伝わってくる。バルバラはずっと笑顔を見せないのだが、最後にちょっと笑うのである。とても印象的なシーンであった。
  
東ベルリンから来た女.jpg

2014年2月 1日

ゼロ・グラビティ

ぼくは、何を隠そう3D映画を観るのが初めてなのだ。ちょっとした感動でしたね。「ゼログラビティ」は、他の3D映画を観ていないのに言うのも何なのだが、この映像は3Dにぴったり合う。無重力の宇宙空間との相性が抜群なのだ。理屈抜きで素直におもしろかったと言いたい映画だ。だから、ロングランを続けていて、封切りからかなり時間がたった今の時期になってもけっこう観客もいる。

本当はネタバレになるのでストーリーは結末まで書いてはいけないのだが、この映画に限っては問題ないように思える。単純である。宇宙船でもうすぐ地球に戻るという時、外に出て作業中のところに、破砕された人工衛星の破片が飛んできて衝突してしまい、ライアンストーン博士(サンドラ・ブロック)とマット・コワルスキー宇宙飛行士(ジョージ・クルーニー)の二人が真っ暗な無重力空間に放り投げられてしまう。

そこから、さまざまな困難やコワルスキーとの別れとかに遭遇しながらも、当然、戻れなくなったというストーリーの映画はないから何とか地球に帰還するという結末である。地球帰還は、湖かなにかの水の中に着陸するのだが、一転空気のない空間でも無重力空間と対照的にグラビティを感じる水中という対比がおもしろかった。せっかく、大変な思いをして帰ってきたのに溺れてしまったというのもおもしろいのだがそれはパロディにならいいがそのストーリーは成立しない。

要するに、主人公が大きな危機に遭遇するのだが、それを不屈の精神力と強靭な体力で乗り切ってしまうという展開である。もうこのパターンは映画ができたときからの定番で、それがジョンフォードの「駅馬車」だったり、「ダイ・ハード」であったり、「アンストッパブル」であったり、「127時間」なのである。邦画では少ないがハリウッドでは多い。

きっとエンタテインメント系の監督は、誰しもこういうのを作りたいと思っていたのだと思うがなかなかできないでいたのが技術が追いついたのだ。3Dで観ているともう主人公と一緒になって身体に力を入れてしまう。同じようにのけぞり、苦しくなるのだ。何か映画の原点を思い起こさせてくれる。最後に助かって観ているほうもほっとして、観終わってぐったりする。

監督が、アルフォンソ・キャロン、サンドラ・ブロックとジョージ・クルーニーの2大スターの共演である。後の出演者がひとりだから、もうその二人だけで進行する。しかも、ほとんどが宇宙服を着ている状態だから最初の方は顔もよく見えないわけで、配役とかいう面では何ともシンプルな構成である。

しかし、映画の上とはいえアメリカ人の行動はずいぶんと日本人とはちがうなあと思える。こんな究極の修羅場にあってもジョージ・クルーニーは冗談をとばす冷静さというか楽観さがあり、それを受け止めるサンドラ・ブロックがいて、その彼女も女とは思えない不屈のメンタリティを失わないという姿を当然のように描いているのには少々驚く。だから日本人には作れない映画なのかもしれない。
  
ゼロ・グラビティ.jpg

2014年2月 4日

知の最先端

これだけ情報が氾濫して、また多様的な意見が洪水のように押し寄せて来るとそれに溺れそうになってしまう。そんな時は、水先案内人に頼ることも大事なことになってくる。ネットで自分だけで探るよりもとりあえずは素早く知性に巡りあうことができる。その水先案内人をキュレーターというのだろうが、呼び方はともかくとして、世界の先端にいる人がどんなことを考えているのかを知ることは有意義だろう。

「知の最先端」(PHP新書)には、知性の最先端を行く7人の天才たちが登場する。彼にインタビューするのはジャーナリストの大野和基である。その7人は、シーナ・アイエンガー、フランシス・フクヤマ、ダロン・アセモグル、クリス・アンダーセン、リチャード・フロリダ、クレイトン・クリステンセン、カズオ・イシグロである。社会心理学者、政治学者、経済学者、経営学者、作家など非常に広範囲にわたる。

それでは、彼らがインタビューで語った主張のポイントだけを追ってみる。まずはトップバッターが「選択の科学」を書いたシーナ・アイエンガーである。選択に関して日本の若者の楽観主義の欠如を指摘している。新しいパターンを試すことを怖がっている。それに比べてアメリカは失敗をおそれない精神があるとのこと。これはよく言われていることである。

フランシス・フクヤマは、「歴史の終わり」で国家体制において民主主義と自由経済がその他のあらゆる体制に勝利し、そこで体制が変革しうる歴史は終焉するということを言っているが、では中国はどうなっていくのかというのが興味あるところだが、勝利したと言っている体制では責任ある政府、透明性、個人の自由が統治には必要であるから、中国がこうしたシステムになるのかであろう。

ダロン・アセモグルは、国家はなぜ繁栄し衰退するのかという命題に挑んでいる。その国の制度が「包括的」であるか「収奪的」であるかによって国家の命運が決まるという。国家が持続的に繁栄するためには「収奪的」ではなく「包括的制度が必要だと説く。収奪的とは「少数の人に政治を集中させる制度」、「政府の統治が行き届かない無法状態」だという。はたして、中国はそしてわが国はどちらなのであろうか。

クリス・アンダーセンは「ロングテール」とか「フリーミアム」などを唱えて人でぼくにはなじみのある人だ。ところが最近では「MAKERS」という本を出して3Dプリンターを使った製造業のインベーションの可能性を示唆している。自らも、「WIRED」というテクノロジー誌をやめて起業してしまった。さてどういう世界が待っているのだろうか。

いま都知事選が佳境を迎えているが、「クリエイティブ・クラス」という新しい価値を提唱するリチャード・フロリダは気鋭の都市社会学者で、グローバルに活躍できるクリエイティブな人材が魅力ある都市の形成要因なのだという。彼は、オリンピックは東京が魅力ある都市であることをアピールする絶好の機会だという。

クレイトン・クリステンセンもまたおなじみで「イノベーションのジレンマ」で有名になった経営学者である。おもしろかったのは、アップルは将来ソニーと同じ轍を踏むということを予言していることで、ソニーとアップルの共通点として盛田昭夫とステイーブ・ジョブズは全く同じことをしたのだという。つまり、従来型のマーケットリサーチはやらなかったのだ。カスタマーをじっくり観察して自らで考えだした商品を開発したのだ。ところが、ソニーはMBAを導入し、ロジカルで分析的な手法を入れたがその瞬間からイノベーションは消えてしまった。同じようにジョブズ亡きあとのアップルも数字を見だしたからソニーの後を追うのだという。

カズオ・イシグロは作家なのでそうコメントはしないが村上春樹の評価は面白い。世界中を旅しているわけではないのに、彼のスタイルがインターナショナルなのだという。ほんとざっと7人をなめてみたがやはりすごい人達だ。これからも注目だろう。
  

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2014年2月 6日

イノベーションを支援するITシステム構築の極意(9)

6つの"ど"で表されるモデルがビジネスモデルと言われるものですが、最近かなり普及して来たものにビジネスモデルジェネレーションあるいはビジネスモデルキャンバスというものがあります。翔泳社から本が出ていますのでその本に従ってみていきましょう。著者はアレックス・オスターワルダーとイヴ・ピニュールで、45ヶ国470人の事例に基づいて作られたフレームワークが肝になっています。

このフレームワークは9つの構成要素から成り立っていて、それらを描くことでビジネスモデルが構築できるというものです。とてもビジュアルなのでわかりやすいという利点があります。ただ、書くだけと言ってもその内容についてはかなり詳細な分析・検討が必要ですし、簡単ではありません。むしろそれを見ながらみなでディスカッションすることが大事になってきます。

それと重要なこととして、目的によって使い方も変わって来るということです。例えば、全くのゼロから起業する場合のビジネスモデルの検討の仕方と既存ビジネスをベースにしてビジネスモデルを変革してく場合ではアプローチ法とかフォーカスポイントが違ってきます。そのあたりは後々検討していくとしてまずは各要素についてみていきましょう。9つの要素 が配置されたビジネスモデルキャンバスは次の通りになります。


BMC.png
(1) CS (Customer Segments) 顧客セグメント
(2) VP (Value Proposition) 価値提案
(3) CH (Channels)    チャネル 
(4) CR (Customer Relationship)顧客との関係
(5) R$ (Revenue Streams)収益の流れ
(6) KR (Key Resource) リソース
(7) KA (Key Activity)主要活動
(8) KP (Key Partner)パートナー
(9) C$ (Cost Structure) コスト構造

前半の部分は顧客接点のところでいわば需要側の要素になります。後半部分は内部要件で供給側の要素ということが言えます。すなわち、どこのどんな顧客に対してどのような価値をどのようにして提供し収益を得るのかが、一つの図の中に書かれるということに意味があります。視覚的に全体を俯瞰できることは大事ですね。
  

2014年2月13日

日本の産業の生きる道(2)

次の「日本企業はピザ型グローバリゼーションで食っていく」というのはどうでしょうか。ピザというメタファは空洞化をイメージさせるドーナッツに対比させて言っている。つまり、海外移転が進行して国内が空洞化してしまうことに対して、あくまで中心部すなわち国内は空洞化させないことが重要であると言っている。ピザ職人がピザを作るとき厚い小さな生地から遠心力を利用してピザを大きくしていくが、真ん中部分の生地の厚さは薄くなり、周辺は大きくなるが真ん中はいつまでもなくならないでいるのである。そして最後には真ん中にトッピングして完成する。

要するに企業内で国際分業をするということにつながる話で、生産工程を細分化してどこの工程を国内に残し、どこの工程を海外のどこの国で立地するのかを志向するということになる。その時のポイントを3つ上げている。
(1) 海外需要を獲得できる製品の国際競争力
(2) 仕事の国内還流の仕組みづくり
(3) ピザのトッピングになり得る国内ベースの準備

こうした検討に対して前提を考えたほうがいいような気がする。どういうことかというと海外展開の目的のことである。何のためにグルーバル化するのかである。それによってピザの作り方やトッピングの施し方も変わってくるように思うからである。簡単に言うと、供給サイド側の要請なのかそれとも需要サイドとしての要請なのかである。安い製造コストを求めてなのか、新たな需要先としての海外なのかで対応も違ってくるように思う。

近頃は、昔のように安価な労働コストの調達先として見ていたのが、当然途上国の労働コストは経済が良くなればどんどん上昇して行くわけだから、徐々にその優位性が失われることになる。それ故、今では多くのケースは新規需要先としての海外マーケットという位置づけになってきているのではないでしょうか。そうなると、製造工程を海外というだけの工程分割ではなくなり、さまざまなパターンがあるように思う。需要先となれば販売拠点をどうするのかといったことの重要性が増すし、むしろ商品の認知の問題でピザの美味しさとかトッピングの良さなんていう前にそういうピザ屋があることを知ってもらうのが先決になる。

となると、商品の性格にも左右されるので一概にこういう分業ですよとは言い切れないだろう。ピザ型ネットワーク分業システムが機能するためには「仕事の国内還流のマネジメント」と「ピザを拡大・代謝させる原動力としてのイノベーション」を留意する必要があると説いている。しかし、確かに分からないでもないのだが、そんな簡単にイノベーションを起こせるわけでもないし、むしろ新興国市場がかつての日本の市場と同じようなものができてくる過程であれば、何もイノベーションではなく国内向けの商品をベースにいかに現地仕様にカスタマイズするといったやり方のほうがいいように思うのである。
  

2014年2月 3日

第23回東京スポーツ映画大賞

毎年恒例の東京スポーツ映画大賞の受賞者が決まった。この映画賞はビートたけしが審査委員長を努めるユニークな映画賞で今年で23回を数える。審査の方法は全国11の映画祭がノミネートしたものをたけしが独断で選ぶというもので、毎年びっくりする選考になる。特に自分の作品が封切られた年はほぼたけしの作品関連で埋まってしまう。だから昨年は「アウトレイジ ビヨンド」一色であった。

ところが今年は、各映画祭がノミネートした集計結果とほぼ同じような受賞となった。受賞作、受賞者は下記のとおり。

作品賞   :『舟を編む』
監督賞   :是枝裕和『そして父になる』
主演男優賞 :松田隆平『舟を編む』
主演女優賞 :真木よう子『さよなら渓谷』
助演男優賞 :リリー・フランキー『そして父になる』『凶悪』
助演女優賞 :二階堂ふみ 『地獄でなぜ悪い』『四十九日のレシピ』
新人賞   :黒木華『舟を編む』『草原の椅子』
特別賞   :宮崎駿、宮藤官九郎
特別作品賞 :『47RONIN』
外国作品賞 :『ゼロ・グラビティ』

どういう風の吹き回しか知らないが、無難というか最大公約数的な選択となった。たけしも丸くなったのだろうか。それにしても、たけしは是枝裕和が好きだなあ。彼の作品は何らかの形でいつも受賞しているんじゃないかな。

ちなみに、ぼくは三重映画フェスティバルに所属しているので、そこがノミネートした作品との比較で言うと、特別賞を除けば作品賞、新人賞、外国作品賞が違っていただけである。他の映画賞も似たりよったりのところで、作品では、「凶悪」「ペコロスの母に会いに行く」あたりの評価が高く、これらの作品の監督である石井裕也、白石和彌、森崎東が受賞している。まあまあ順当なところだ。さて、授賞式は今月の23日でたぶん出席すると思うので楽しみだ。

なお。同時に行われるエンターテインメント賞の特別賞にタモリが選ばれていた。他には、話題賞として、みのもんたと坂東英二、日本芸能賞は、千鳥、ウーマンラッシュアワー、流れ星、テンダラー、ロバートなのだが、知っているのがロバートぐらいであとは知らない芸人さんである。面白いのは、世界お笑い大賞ということで、マンデラ大統領追悼式の偽の手話通訳が選ばれている。たけしのシャレだが笑ってしまった。
  

2014年2月 7日

御手洗薫の愛と死

いま、メディアの話題は佐村河内守の話題で持ちきりだ。耳が聞こえない作曲家として有名になったのだが、その曲が実は本人の作ったものではなく、ゴーストライターがいたという話で、そのゴーストライターの新垣隆氏が衝撃の告白をしてしまった。これは格好のマスコミネタでしばらくは盛りあがるだろう。どうも、ソチオリンピックでフィギュアの高橋大輔が彼ら?の作曲した曲を使っているので、ニセの曲を使ったことが後でばれるのはまずいので告白したとのこと。

これが本当なら(本当だと思うが)ひどい話で弁解の余地もないのだが、なぜ18年間も見破られなかったのかが解せない。著名な作曲家たちの中には賛辞を贈っていたものもいたそうだから、作品としては出来栄えがよかったと評価したようだが、何とゴーストライターが書いたのもマーラーのコピーだったというからこれも立派な共犯者ですね。なぜこんなことを長々書いたかというと、音楽を小説に置き換えたストーリーの映画「御手洗薫の愛と死」を観たからである。

テレビの「ナースのお仕事」などで活躍した両沢和幸が監督で、主演に吉行和子、ロックバンドSOPHIAのヴォーカル松岡充を据えて、著名な女流作家・御手洗薫(吉行和子)が、ゴーストライターとなり、売れない小説家の卵・神崎龍平(松岡充)のために小説を書くことになるという奇妙な関係を描いている。この屈折した、しかも親子以上の年齢差もある男女の心理関係が非常におもしろい。

ある日、御手洗薫のところに神埼龍平が訪ねてくる。神崎の母親が薫の運転する車にはねられて入院しているのである。神崎はその事故は薫の飲酒運転によるものであることを指弾する。スキャンダルを怖れる薫は何でもするからという。そのとき何と自身も作家の端くれである神崎は、薫に自分のために小説を書くように脅迫するのである。どうしても表沙汰にしたくない薫はしぶしぶと要求を飲むことになる。そこから二人の関係が始まっていく。

当然一流の作家の書いたものだから神崎の作品はセンセーションを巻き起こす。有望作家の誕生というわけである。売れっ子になった神崎のもとには幾つもの出版社から原稿依頼が舞い込んでくる。最初は、「それでもあなた小説家なの」と非難していた薫に徐々に変化が生じてきて、逆にそうした状況を楽しむようになってくる。行き詰まって来た創作意欲を再び思い起こさせるきっかけになったのだった。そこには、不思議な師弟の関係、男女の関係の世界があった。そして、いつの間にか加害者が被害者に被害者が加害者へと倒錯するサスペンスでもある。

そして、薫の死がやってくる。彼女の死はそれまでの変なバランスで守られていた秘密が壊れ出だすことになる。この脚本はオリジナルなのだがよく出来ている。そして、吉行和子も兄の吉行淳之介をそばで見ていたからかもしれないが、作家という職業をよく表現していたと思う。また、松岡充も最初はロックヴォーカリストがと思っていて、もっといわゆる小説家風な俳優さんのほうがいいのではと考えたが、最近はそういうステレオタイプではなくなっているのだ。彼自身も小説を書いているらしいので今どきの雰囲気はこういうことなのかもしれない。おすすめの映画ですね。
   
御手洗薫.jpg
  

2014年2月 8日

日常点描2014.2.8

今日は雪だ。20年ぶりの大雪だと前から騒いでいた。昨日は気象庁が記者会見までして大雪に対する注意を喚起していた。自然災害に対する警戒は大げさだから、結局たいしたことないじゃないかということも多いのでひょっとしたらと思ったがけっこう積もっている。本当は今日は東京で会合があって昼ごろ出掛ける予定になっていたが、やはりこの雪で中止となった。

さすが雪や風に強い湘南モノレールは朝から動いているが、家の前の通りはほとんど車も人通りもない。ただ、ぼくは腰の具合があまりよくないのでモノレールの駅に行くまででも雪道は危ない。なのでもし会合があっても欠席しようかと思ったのだが中止の連絡が入りほっとする。ということで、今日は一日まったく何も予定がないという日になった。ちょっとした用事も含めて何かしらあるのが普通なので非常に珍しい。

きっと今日はソチオリンピックのテレビ中継の視聴率は高いのではないだろうか。ぼくはあまりウィンタースポーツをやらないこともあり、冬季オリンピックには興味がないのでDVDの映画でも観ることにする。それと確定申告の書類を作らなくていけないのでそれを片付けようかと思う。こういった公的な書類作成って面倒くさいですね。

ちょっと前に、社長(息子)の国民年金基金と小規模企業共済の手続きの代行をやってあげた。元々は国民年金(老齢基礎年金分)は加入していたのだが、一般のサラリーマンの厚生年金相当と退職金積立に相当する部分はないのでそれに加入したというわけである。それで、その申込書を書いて提出したのだが、両方とも不備があり訂正するように要求された。これがわかりにくいのだ。記入要領だけだと間違えてしまう。それで訂正印を押して再提出したのだが面倒だったのだ。

どうして、こういうお役所の書類はわかりにくいのだろうか。確定申告のほうはやっと慣れてきたので大丈夫なのだが、電子申請はまだやったことがない。申告書の作成はパソコンでやるのだが、それを印刷して持っていくという半デジタル方式だ。そのほうが簡単だと思っている。これから電子政府とかマイナンバーとか言っているが、シンプルな手続きを指向してもらいたいものだ。

わー、かなり雪が積もってきたぞ。雪って降っているときはいいけどあとの除雪とかが大変なんだよな。
  
雪だ.JPG

2014年2月12日

資本主義という謎

いま世界は資本主義をベースに回っていることは否定できない事実であろう。強欲と言われようと格差を生み出そうと依然としてそれに代わるものは現れないでいる。そんな時代でこのまま資本主義が続いていくのだろうか。また、アベノミクスで第三の矢である成長戦略は必要な政策として機能するのだろうか。さらに、成長することが私たちの幸せをもたらす必要条件なのだろうか。

ぼくはこうした問を繰り返すのだがなかなか答えが得られないでいる。一方で今の時代はあらゆることにおいて転換期であるようにも思える。現代は変化のスピードが速すぎて大きなは変化を見落としているかもしれない。本当は長い歴史の中でもすごい大きな変化の時代なのではないだろうか。そんな思いのなかで答えがありそうな「資本主義という謎」(水野和夫、大澤真幸著 NHK出版新書)を読む。

ちょうどぼくが抱えている問題意識に近い章立てである。
第1章  なぜ資本主義は普遍化したのか?
第2章  国家と資本主義
第3章 長い21世紀と不可能性の時代
第3章  成長なき資本主義は可能か?
第5章  「未来の他者」との幸福論

これらのテーマを経済学者の水野和夫と社会学者の大澤真幸の対談を本にしてある。難しい問題を対談形式で議論したものを書き起こすのはいい方法である。論文風にやられると分かりにくいのが、QA的にそして噛み砕いた言葉として表現してあるからである。ただ、逆に脇道にそれる可能性もある。お互いに自分の得意技を繰り出すと議論が拡散してしまう。それでもなかなかおもしろかった。ぼく的に納得感のある説明を少し。

なぜ資本主義が西洋で生まれて中国やイスラム圏で生まれなかったのかについて、キリスト教その中でもプロテスタント・カルヴァン派の「海の思想」が資本主義を普遍化した大きな要因であるという。土地の所有に向いた「陸の思想」に対して、海に向けた蒐集という志向が資本という概念とその波及スピードの早さが相まって広まっていったのだという。そういえば、ヨロッパ人はコレクションが好きですよね。そして、近代の行動原理である「より速く、より遠くへ、より合理的に」を経済的な側面から最も効率よく実現できる仕組みだったというわけである。

国家と資本主義では、金融機関をはじめとした企業があまりにも巨大化しすぎているのに対して国家が小さすぎると指摘する。だからそれに抗するがごとく企業を小さく分割する一方で国家を大きくしたのがEU方式なのである。今後はASEAN+5か6が課題かもしれない。

国家というと中国を語らないわけにはいかないだろう。それについては、中国は今調子がいいけど4000年の蓄積が功を奏したというわけではなく「しょうがないから俺たちも西洋式に便乗するか」ということで勝っているに過ぎず、もう膨張主義はできないので近代主義の幕引きが中国になるのだという。たしかに、中国の工業製品が世界に行き渡ったらもう終わりかもしれませんね。

さて、問題の成長し続けないと幸福にはなれないのだろうかである。まずその前にゼロ成長社会は可能なのだろうか。ゼロ成長社会とは、経済的にはまず純投資がなくなること、既存設備を使い続けて減価償却の範囲内だけの投資しか起きない そうするとあとは消費だけが基本的には経済の循環を作ることになる。

これを日本に当てはめると、問題は1000兆円にのぼる借金とエネルギー問題だという。そうすると定常状態に持っていくには、人口減少をどこかで止めることと安いエネルギーを国内で作ることになるが、相当しんどそうですね。そう簡単な話ではなから、どう考えていくか難しいところだがうまく制度設計する政治の力を期待したい。

結局、幸せかどうかという問題は個人的な問題でもあり、こうすれば皆幸福になるという答えはないのかもしれない。本でもスパッと答えているわけでもなく「未来の他者」を呼び寄せるとかいう抽象的な表現になっている。ただ言えるのはこのままでは未来はないということなのかもしれない。21世紀のグローバリゼーションの行き着く先には全世界の「過剰・飽満・過多」が待っているのです。まさにそれが資本主義なのだ。
 

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2014年2月16日

イノベーションを支援するITシステム構築の極意(10)

ビジネスモデルの9つの構築ブロックをキャンバスに書き込むことを提案しました。これは、ビジネスモデル・ジェネレーション(BMG)という考え方をベースにして埋め込むものですが、どういうことを書くのかというのを概観してみます。実はこの方法論では、最初にあげた6の"ど"を書くことを推奨していますが、なぜそのまま使わないかという理由を探る意味でもおさらいしておく必要があるので見ていきます。

各ブロックの定義の順番はどこからでも構わないのですが、一応本に書いてある順番にします。最初は顧客セグメントです。顧客ニーズ、行動、態度によって、顧客をグループ化してセグメントに分けることが重要です。どのグループをターゲットにして、逆にどのグループを無視するのかを決めることになります。マーケティングでいうところのSTPのSですね。

この顧客セグメントの例があげられています。「マス市場」「ニッチ市場」「細分化」「多角化」「マルチサイドプラットフォーム」です。この中では最後のマルチサイドプラットフォームというのがわかりずらいかもしれません。複数の独立したセグメンテーションをもつケースになります。例としてはクレジットカードがあります。カード保有者とカード利用可能店という2つの顧客を持っているケースです。こうして、どういう市場・顧客を対象にするかを決めます。

次は価値提案です。価値提案とは、顧客の抱えている問題を解決し、ニーズを満たすもので、顧客がなぜその会社を選ぶかという理由になります。価値を生み出す製品とサービスと記述します。価値にはどんなものがあるのかは次章の「10の提案価値」で詳述します。

3番目はチャネルです。顧客セグメントとどうやってコミュニケーションし、価値を届けるのかを書きます。チャネルの機能としては、「企業の製品やサービスの認知度を上げる」「企業の価値を評価してもらう」「製品やサービスを購入できるようにする」「顧客に価値提案を届ける」「購入後のカスタマーサービスを提供する」というのがあります。それぞれはバリュー・チェーンプロセスの各フェーズ、すなわち、認知・評価・購入・提供・アフターサービスに対応しています。

さて4つ目は顧客との関係になります。企業が顧客セグメントとどういう関係を結ぶかです。いわゆる営業プロセスがここに含まれます。顧客獲得・顧客維持・販売拡大というステップを持った関係になります。こうした局面でどういう関係を築けば、スムーズに顧客獲得し、優良顧客化でき、販売が拡大できるかを記述します。

こうした顧客との関係はいくつかのカテゴリーに分けられます。「パーソナルアシスタンス」「専任のパーソナルアシスタンス」「セルフサービス」「自動サービス」「コミュニティ」「共創」などがあります。最初の2つは、顧客担当者のことで通常は営業とか相談員、コールセンターなどで後者はその顧客に専属でついてくれる場合になります。

最近増えているもの「コミュニティ」や「共創」というのがありますね。顧客同士のつながりを促進するためにユーザコミュニティを活用するとかが行われています。フェイスブックなどを利用する場合もあります。また、企業が顧客と一緒になって価値を創造しようという動きも出てきていて、アイデアを創出する段階やコンテンツを製作する時など様々な場でコラボレーションが進んでいます。
  

2014年2月 9日

Jリーグの経営

昨日放送されたテレビ東京の「FOOT✕BRAIN」はおもしろかった。テーマが「横浜F・マリノス社長登場!ゴーンも認めたチーム改革術」である。ゲストとして嘉悦朗社長が出演していた。マリノスは昨シーズン惜しいところでリーグ優勝は逃したが、天皇杯では見事に広島を下して優勝した。これまでそこそこの成績は残してはいたが、最近メキメキと強くなった。その秘訣を探ろうというものである。

嘉悦社長は日産自動車でカルロス・ゴーンの懐刀と言われた逸材で2010年からマリノスの社長を務めている。就任時のマリノスはどん底と言われるくらい成績も悪く、しかも経営的にも収益が悪化していた。それを日産自動車のゴーン改革と同じように日産流のやり方で改革を実施して、成績も収益も改善させたのだ。その手法がおもしろいというか、参考になるので書いておく。

まず方針として、経営とチーム強化のバランスで、収益が悪化したから強化費を削るという単純な方向ではなく、むしろ強化費は削らないで強くすること、そして集客力のアップでお金を得ようとしたのだ。そこでクロスファンクションチームの結成とマーケティングの概念の導入なんですね。さすがビジネスマンですよね。

そのマーケティングでは「パーチェス・ファネル」という考え方を採用した。認知→理解→好意→購入意向→購入→再(リピート)という流れである。これって、ビジネモデルのチャネルというブロックの認知→評価→購入→提供→アフターサービスというのと同じようなことですね。

これを、マリノスに適用したわけである。どうなるかというと、マリノスという名はよく知っているが、どんなクラブかの理解で弱いとスタジアムに来てくれない。なのでよく知ってもらって、好きになってもらい、チケットを買おうかという気にさせ、実際にスタジアムに足を運んでもらう。そしてスタジアムの雰囲気がいいのでまた来ようとなる。このプロセスが大事なのである。ビジネスの要諦ですよね。

こうした流れを維持するためにやった施策の主なものが、「ホームタウン活動」で、地元の港北区にフォーカスしたのだ。ぼくもかつて港北区に住んでいたことがあるが、ここは比較的若い夫婦が多いのでそこにいる子どもたちをターゲットにしてマリノスを売り込んでいる。10年、20年先を観ているのがすごい。

次の「プロモーションで」は、ポイントがコラボレーションで地元の異業種である横浜ベイスターズとか八景島シーパラダイス、ズーラシア或いは劇団四季などと相互協力をしている。3つ目は「ホスピタリティ」でスタジアムをディズニーランドにするというコンセプトでディズニーにも研修に行ったりする。これらを聞いていると一般的な企業の経営改革と一緒だなあと思う。非常に参考になったのである。
  

2014年2月14日

小さいおうち

山田洋次監督の82作目の作品になるという「小さいおうち」を観る。山田作品としてはちょっと異質なような気がする。秘密とかミステリアスな恋愛といった切り口は珍しいからである。だいたいが開かれた温かい家族の物語が多いのでそう思った。出演者が松たか子、黒木華、吉岡秀隆、片岡孝太郎、倍賞千恵子、妻夫木聡らである。2010年に直木賞を受賞した中島京子の小説が原作である。

ストーリーは、老女の葬儀から始まる。タキという名の老女(賠償千恵子)は大学ノートに綴られた自叙伝を残して死んだのだが、それを甥の子どもの荒井健史(妻夫木聡)が読み返しながら、タキの人生を行き来しながら展開する。ここらあたりは何やら「永遠のゼロ」に似てなくもない。近頃、こうした振り返り映画が多いような気がする。

タキは、若い時山形から東京に出てきて女中をしていたのだ。その時に奉公した家にまつわる思い出を語っていく。時代と場所の設定は、昭和の初期の東京のちょっとした郊外である。小説家の家に仕えた後、タキ(黒木華)は赤い屋根の小さな家に住む平井一家に奉公することになる。平井家の主人はおもちゃ会社の重役である雅樹(片岡孝太郎)とその妻時子(松たか子)、そして幼い一人息子の恭一が暮らしていた。

タキはこの家族に懸命に尽くし関係が深まるとともにお互いの信頼関係も増していく。そんな正月のある日に雅樹の会社の若手社員・板倉正治(吉岡秀隆)が平井家にやってくる。他の客は始まろうとしている日中戦争のことなど話がもり上がっているのだが、板倉はそれを避けるように部屋から出るのだった。そんな板倉に時子は心をときめかすのである。それから、二人の関係は深くなっていく。タキは二人の関係をそっと見守っていく。

しかし、時代が時代であり、時子が板倉の下宿を訪ねたりするのを見られるとよくない噂もたちはじめてくる。そして世も真珠湾攻撃も始まり日米開戦へと突入する。ついに板倉にも召集令状がきて出征することになる。それを平井家に報告来た板倉に時子の心が揺れる。翌朝時子は板倉に会いに家を出ようとするがそれを見たタキは手紙を書いてくれれば届けますと言って時子を押しとどめる。それからは東京大空襲で小さなおうちも焼かれてしまうのだった。

そして、映画は平成の時代に移ってまだ生きていた恭一のもとへ健史が訪ねていく。そこで繰り広がれる真実に衝撃を受けるのだ。というストーリーなのだが、これは恋愛映画だと思った。ところが、誰と誰との恋愛なのかが謎なのだ。時子と板倉の不倫というのが普通の見方だろうと思うのだが、別の見方としては、タキと時子の女同士の愛とも取れるのである。それとも、タキと板倉との間にも愛がある三角関係なのかもしれない。

もちろん、答えは用意されているわけではなく観る人が感じればいいのだが、山田監督にしては意外な描写であるように思う。あの時代としてはちょっとエロティックな感じでおもしろかった。最近、先ほどの「永遠のゼロ」や「少年H」「風立ちぬ」といった戦争の時代を描いた作品があるが、それぞれの視点が違っていて考えさせられる。「小さなおうち」はその点では戦争色を薄めていて、そんな状況下で精一杯生きた女たちの姿を描くことで戦争のむなしさを表現していたと思う。
  

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2014年2月26日

マイ・フレンド・フォーエバー

ぼくが最近はまっている飲み屋は家の近所にある「写楽」という店である。ここはいささか変わっていて、まず場所が非常に辺鄙なところにある。辺鄙といっても山の中とか田んぼの真ん中にあるというわけではない。住宅地の中にあってこんな店があるとは気がつかない。そして交通の便が悪い。居酒屋といえば駅前にあって電車を降りて歩いて立ち寄るのが普通だがここはバスか長い距離を歩かなくてはいけない。

それと開店するのが夜の8時からなのだ。しかしながら、酒はご主人推奨のセンスのいい銘柄が置いてあって客に合わせて選んで出してくれる。つまみもすごくうまい。最初に訪れたのは藤沢で遅くまで飲んでいてバスで帰ってきたのだが途中寝てしまい停留所を2つ乗り越してしまって、歩いて戻ろうとして発見したのだ。そのとき〆張鶴を頼んで何かつまみでもと思ったら隣のお客さんが「まずお通しを食べてからにしたほうがいいですよ」と教えてくれた。そうなのです、このお通しが多くてうまいので十分なのだ。

店内の雰囲気も古い時計とか水タバコのパイプとかが置いてあっていい雰囲気を醸しだしている。この店の主人は実は写真家なのだがぼくとおない歳なので最初から話が合った。昔の話が通じるのだ。そんな話の中で、映画の話題になって今までで一番好きな映画は何かという話になった。ぼくは「冒険者たち」なのだが、彼は「マイ・フレンド・フォーエバー」だと言った。残念ながらぼくは観ていなかったのだ。この映画が封切られた頃はちょうど映画から遠ざかった時期でもあったからである。

ということで、THUTAYAで見つけて観たのである。非常に良い映画であった。もちろん涙をたっぷり流したのは言うまでもない。ストーリーは母親と二人で暮らす12歳のエリックの家の隣に引っ越してきたエイズ患者のデクスターとの交流を描いたものである。友達もいないエリックは学校でもからかわれたりして家に閉じこもって遊んでいるような子だが、隣に越してきたエイズ患者のデクスターとは一緒に遊ぶようになる。当時のエイズ患者に対する差別ははなはだしく(最近はあまり聞きませんね)、ホモだとかばい菌とか呼ばれていた。

しかし、エリックはそんなデクスターに何の偏見もなく付き合う。ある日雑誌でエイズの特効薬がニューオリンズで発見されたという記事を目にする。するとエリックはゴムボートでミシシッピーを下ってニューオリンズ行くことを決心する。無着苦茶ですよね。結局途中でデクスターの母親に連れ戻されるのだが、そこで無理したのか体調を悪くして入院するはめになる。そして、待っていた死が訪れる。

まあ、このラストは号泣ですよ。だが、映画では泣き叫んだりわめいたりするわけではなく、むしろ静かに死と対面する。何といってもラストシーンがとても素敵だ。ネタバレ承知で書くが、デクスターが旅の途中で「目を開けて真っ暗だと自分が宇宙の果てにいるようで怖い」と言ったときにエリックが自分が履いていたスニーカーの片方を「目を開けた時この靴を見ればぼくがそばにいるとわかるから」といって渡すのだ。何とそのスニーカーを棺の中に入れておくのである。

そして、その代わりにデクスターの靴をもらっていくのだが、エリックはそれを川に流すのである。すごい秀逸なエンディングだ。こういう強烈な日々を過ごすといつまでも引きずってしまうこともあると思うのだが、それを靴を投げ入れることで新たなエリックの人生があることを暗示して、エリックよ君はこれからデクスターの分まで幸せに生きろよと叫んでしまった。

いやー、この映画には非常に多くのものが詰まっている。友情、病気、死、家族、旅、冒険、純粋、無邪気などなど、ないのはboy meets girlであるがそれはboy meets boyだからしょうがない。もう20年くらいの映画だが色褪せない傑作だろう。こんな映画が好きだと言っているいまだに少年のような「写楽」のマスターとこの映画の話をするのが楽しみだ。
  
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2014年2月15日

また雪だ!

先週に続いてまた大雪だ。今回のほうが多く降ったような気がする。前回の雪がまだ消えてないところへ降ったので積もった高さは今回のほうが高い。やれやれだ。ちょうど先週は雪のため会合が延期になって一週間後の今日になったのだがまたまた雪に見舞われた。今日はどうなるのだろうか。

昨日もある会合が夜にあったのが中止になった。会合の後に飲み会だったのがもちろんそれも中止だった。なので家で夕食をとることになったのだが、ヨメさんが予定になかったのでどうしようかとなり、結局ぼくが自分で作ることになる。こういう日をわが家では"自炊日"という。昼飯はいつも隣の事務所で自分で作るので、同じように夕食もありあわせのもので作った。

夜なので、酒を飲みながらひとりで映画のDVDを観てゆったりとくつろぐ。その後はテレビを観るのだがソチ五輪もその時間にはまだ面白くないし、チャンネルを回しても見るべきものがないのでニュースを見ることに。まあ。次の日の雪が気になるのでそのニュースを中心に見るのだが、何とも歯がゆいのだ。ニュースってなんだと考えこんでしまった。起こった出来事を伝えるだけなのか、それともこれからの行動の手助けになる情報提供という意味合はどうなっているのかと思うのである。

後者の観点で見ているとぜんぜん役に立たない。伝えていることは先週はさらさらの雪だったのが今週はベタベタだとか、会社の退社時間を早めたとか、車がスリップしているとか、八王子では雪がふり続いているとか、レポーターが手袋もしないで寒そうにしゃべっている。雪の質がちがうからどうした、八王子がどうなっているかなんて鎌倉のオレには関係ないといった感覚なのだ。

つまり、テレビのニュースは結局いろいろな地域、様々な生活環境にある多くの人に向けているので一般的な情報しか出せないのかもしれない。ところがぼくらはこれからの行動に関しては自分の近くの情報が欲しいわけで、そういう意味でどうでもいい情報が多いのである。もちろん、交通情報とか列車の運行状況とかは有用であることは変わりない。だが、それもいまやインターネットによりオンデマンドで得られる。

ということでもはやリアルタイムの生活情報をテレビに求めて無理なのだろう。ましておや新聞なんて後追いである。要するに、情報源として時間的な価値というか情報取得スピードにおいてネットが一番で、その後テレビ、新聞、雑誌といった順番になってしまったのだ。それと、さっき言ったようにローカル情報が欲しいわけだが、テレビはローカル化、個への働きかけができないという限界があるのだ。もうそろそろテレビも情報媒体としてのプラットフォームというよりそのコンテンツを変えて行かないと衰退していってしまうのではないだろうか。雪の話から変なところへ行ってしまった。さて、出かけられるのかな。それとも会合はまた延期かなあ。

大雪の様子、ここは雪国か!

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2014年2月18日

自律神経を整える「あきらめる」健康法

近頃の健康本のブームにまんまと乗せられてまたもや健康本である。今度は自律神経だ。「自律神経を整える「あきらめる」健康法」(小林弘幸著 角川oneテーマ21)はけっこう売れているらしい。この順天堂医学部教授である著者の他の本も売れているようだ。

しかし、別の著作を読もうとは思わない。というか、この本でも書いてある中身は大したことがないのによく一冊の本になったなあというのが率直な感想だからでもある。おそらく同じような話を書いているに違いない。この本でも同じような話を繰り返し出てくるので、もういいわかったよとつぶやいてしまう。

言っていることはこれだけだ。身体の調子が悪いのはすべて自律神経のバランスが悪いからである。自律神経には交感神経と副交感神経があって、交感神経が優位になる体はアクティブになり、副交感神経が支配すると体はリラックスした状態になる。歳をとるとこの副交感神経の働気が弱くなって怒りっぽくなったりする。だから、このバランスを適正に保つ事が大事なのだ。

そのためには「あきらめる」ということが有効である。あきらめるとはものごとを途中で投げ出してやめてしまう、つまりギブアップするということではなく、「明らむ」ということでものごとを明らかにすることだという。要するにこだわりや執着を捨てるということである。具体的には、朝起きたときにゆったりとした気持ちになることと、片付ける習慣を身につけること、意識してゆっくり動き深い呼吸をすることなのだそうだ。

それとこういうことが言えるようになったのは、自律神経が測定できるようになったからだという。そういう機械ができたのだ。どんな機械かというと血流量を測定するもので、これまでは体の温度を色で表示するサーモグラフィーでしたが、それを正確に血流量がわかるようになったのだ。これで呼吸とか自律神経のバランス状態と血流量の関係が明らかになったのそうだ。なるほど科学的ではある。

まあ、書いてあることは以上のことで、それに事例だとか、自律神経が乱れるとどんな悪いことが起きるとか、あきらめると人生楽になれるとかいったことが何度も語られる。しかし、これだと昔からある理論とどこが違うのか、同じことを言っているだけじゃないかと思ってしまう。副交感神経が大事だなんてもう50年前にカッパ・ブックスで読んでいたし、あきらめるって要は楽観主義でしょと思うのである。

だいぶ前に読んだ村上和雄さんの「人生の暗号 あなたを変えるシグナルがある」とか「笑う!遺伝子 笑って、健康遺伝子スイッチON!」といったものと変わりないような気もする。結局気持ちの持ち様なのよ。村上さんのモットーが、高い志、感謝、プラス思考というのも「あきらめる」生き方に通じると思う。

本を読んでいて首をかしげてしまったのが、原因と結果の関係の倒錯があるのではということである。つまり、自律神経が乱れたことが不調の原因で結果として血流量が低下したのか、血流量が低下して自律神経のバランスが悪くなって体の調子を落とすのか。実はそこはどっちでもよくて要するに、毎日くよくよせずに前向きにプラス思考で過ごせば体の調子がよくなりますよということだけなのかもしれない。でも、そういう気持ちになれるのは本を読んだだけじゃ出来ないし、健康な体になれば、精神状態もよくなって自律神経が安定するって理屈もあるからね。こりゃあ肉体と精神のニワトリとタマゴ状態だ。
 

自律神経を整える 「あきらめる」健康法 (角川oneテーマ21)
小林 弘幸
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2014年2月21日

日本の産業の生きる道(3)

3つ目の提言が「日本は複雑性産業で食っていく」です。前回「ピザ型グローバリゼーション」という行き方を議論しましたが、そのピザのトッピングになり得るには次の4つの条件を満たす産業分野だという。
(1) 日本全体の産業蓄積、技術蓄積を活かせる
(2) 日本の組織の得意技に合っている
(3) 電力生産性が高い
(4) ピザ型ネットワーク分業の原点になり得る

そして、この4つの条件が示唆する産業分野のキーワードが「複雑性」だという。製品の機能としてもまた生産工程としても複雑性が高い産業という意味で、多くの人がかなり込み入った仕事をそれぞれにきちんとこなさないと最後はうまくいかない、という意味での複雑性だそうだ。こうした産業の例として、ハイブリッド車の開発・生産の自動車産業、宅配サービスといったものである。さらにイノベーションという意味で東レのヒートテックをあげている。

確かに、複雑性というのは日本のお家芸でもある。ただ、これまででも複雑性を売りにしていた面もあったはずで、そのことで最初は日本の競争優位をもたらしたがイノベーションのジレンマということもあり、韓国や中国。台湾の追い上げられて、今や家電では抜かれてしまったのではないか。ここでは「複雑性」が足を引っ張ったこともあったように思う。複雑な機能を追い求めすぎて、単純な機能で十分な新興国への市場に入れないのだ。

前にも言ったことがあるが、東芝のDVDレコーダーのリモコンを見てびっくりした。まず2つついて来る。全機能がついているものと、簡易リモコンの2つである。何ということだ。いまだに簡易リモコンだけで用が足りて、全機能付きのはホコリがかぶっている。ことほどさようで、テレビにしてもその他の家電やいろいろなものがみな高機能と称しているが、不要な機能が満載なのである。だから、きっと作るのも複雑であるにちがいない。「複雑性」は必ずしもビジネス的には成功していないのだ。複雑だから故に電力生産性も低いし、人手も食うから高コストになる。

ただ、新興国が徐々にキャッチアップしていく中で今より複雑性を要求することはあるかもしれない。しかし、それでも複雑性に持ち込むのはどうかと思う。あくまでシンプルにいくのだがどうしても個別要件に対応せざるを得ない時には複雑性は排除しないという態度が必要なのではないだろうか。そして、複雑になったものを標準化とか共通化してシンプル化に誘導していく方向なのだろう。

複雑性産業を推奨すると、国が言っている例えば経済産業省が発表した産業構造ビジョンにある環境、エネルギー、医療・福祉といった特定産業分野とか、また産業競争力会議で言うところの、健康、エネルギー、インフラ、農林水産業いった重点4分野とはだいぶ違う。ただ複雑性ではないと言ったのだから、国のいうような産業がいいのかというとこれまた違うような気がする。国の言っている分野はどうしても内向きだし、グロバールに戦っていくにはもうちょっと違った産業構造を考えていかないといけないのだが、それが複雑性産業化というとちょっと待ったとなるのである。
  


2014年2月20日

ニシノユキヒコの恋と冒険

ぼく川上弘美の小説が好きだったこともあって、彼女の原作である「ニシノユキヒコの恋と冒険」という映画を期待をもって観た。しかしながら、もの足りなさが残ってしまった。監督・脚本が井口奈己、主演のニシノユキヒコには竹野内豊、彼をとりまく女性たちに尾野真千子、成海瑠子、木村文乃、本田翼、麻生久美子、阿川佐和子。

もう羨ましいくらいもてるニシノユキヒコ(竹野内豊)の前に、様々な女性たちが現れる。ルックスもいいし優しいし、仕事もできるわけだから、どんな女性も彼を好きになるのだが、でも最後には女性の方から去っていく。そんな彼が事故でトラックにはねられて死んでしまったところから始まる。幽霊となって彼が好きだった人の娘のところにやってくる。とまあ、ファンタジー映画風の展開である。

そこから、その娘が聞き役となって生前付き合いのあった女性たちの話になっていく。彼の上司(尾野真千子)、ニシノのマンションの隣の住人(木村文乃、成海瑠子)、元恋人(本田翼)、10年前に恋人だった人妻(麻生久美子)、料理教室で知り合った主婦(阿川佐和子)という様々な女性たちの登場である。年齢も性格、境遇もいろいろですよね。でもニシノは区別なく優しい男を振舞うのである。

原作者の川上弘美が映画についてこんなことを言っている「井口監督の映画は、じたばたしてしまうほど、いつもいいのですが、その上今回は自分の小説が原作だったんだ(見ている間は、そのことを忘れていました)!!と、しんからびっくりしたことでした。小説の中に確かにあるのだけれど、言葉では直接表現していなかったことを、映画でしかできない方法で表現してくださった監督、演じてくださったみなさま、そしてかかわってくださったスタッフのかたがた、じほんとうに、ありがとうございます」

やはり当たり前だが小説と映画は違う。たぶん、時間の扱いというか感覚が違うことが大きいように思う。作品としての時間の長さも違うし、読み手と観手の受け方も違う。つまり、小説は字数が枠を決めるので読む時間は読み手の自由になるのだが、映画は時間で枠が設定されるから、観手の意思ではなくどんどん時間が流れていくのである。従って、小説は人物設定なり状況描写は緻密になるのだが、映画ではそこは視覚的に感知してもらうことが前提となる。

何をいいたいかというと、この映画は映像の訴え方として弱いのだ、やたら長回しのショットは何を意味しているのかよくわからなかったし、人物描写にしても、緻密さが不足している。男の目からなのか女の目からなのかという焦点がぼやけていることやニシノのもっと奥深いところに彼の生き様の根源があるはずなのだがそこが感じられないから単なる色男の物語になってしまっている。
  
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2014年2月17日

ラッシュ/プライドと友情

ライバル物語というのはおもしろい。ただし、力が拮抗していることと人間的に異質であること、戦う土俵が同じであることが前提条件である。皆さん、その条件に適合する永遠のライバルって思い浮かびますか。宮本武蔵と佐々木小次郎、栃若・柏鵬、王と長島、まんがの世界では星飛雄馬と花形満、矢吹ジョーと力石徹ですかね。映画「ラッシュ/プライドと友情」では、F1の世界のライバル物語を描いている。監督が「アポロ13」や「ダ・ヴィンチ・コード」のロン・ハワード、主演の二人がクリス・ヘムズワースとダニエル・ブリュールである。

F1でライバルといえば、アラン・プロストとアイルトン・セナも有名ですが、その一昔前のライバルであるニジェームス・ハントとニキ・ラウダの二人が主人公だ。物語は二人がまだ若かりし時のF3レースでの出会いから始まる。人気レーサーだったハント(クリス・ヘムズワース)に挑んだ新人のラウダ(ダニエル・ブリュール)はハントのアタックを受けてクラッシュする。そこから二人はお互いを意識しあう存在となる。

ニキ・ラウダはオーストラリアの資産家の息子として生まれるが親の猛反対を押し切って実業家になるのをやめてレーサーになることを決心する。持ち前の才覚とメカの知識でF1チームに参画する。一方のジェーム・スハントはラウダと違って酒は飲むは女を抱くわの奔放な生活を送っている。だがその攻撃的はテクニックで貴族がスポンサーとなっているチームに加入することになる。

時は1976年のシーズンである。ラウダはフェラーリのエースドライバーとなり、前年世界チャンピオンに上り詰めて、チャンピオンとしてのシーズンを迎えたのである。ハントはスポンサーの貴族が資金難で撤退してしまうが何とかマクラーレンに拾われて参戦することになる。ラウダはこのシーズンも快調に滑りだして9戦で5勝をあげ2年連続のチャンピオンがもうすぐというところまでくる。

ところが8月のドイツグランプリで悪夢に待っていた。その日は悪天候に見まわれ、ただでさえ危険と言われるサーキットでレースを決行するのは危険と判断したラウダは中止を訴える。しかし、多くのレーサーに反対されて決行となる。そして、レースの序盤でラウダの車が大クラッシュを起こし、しかも燃えだしてしまうという惨事が発生する。ここでラウダは大やけどと毒性ガスを吸い込んでしまうという重症を追う。その間はハントが勝利するのである。

ところが、奇跡的な回復により何と42日後のイタリアグランプリに出走したのだ。そこにハントが現れ、危険なレースを決行させた責任を謝罪したのだが、「君がいたからここに戻って来れたのだ」というようなことを言う。そこからまたラウダとハントの争いが始まる。そして、決着は最終戦の富士スピードウエイのレースである。もうすごいですよね。ドラマチックです。

こうした展開をすばらしいタッチでF1レースのように畳み掛けるようなスピード感で描いていく。ロン・ハワード恐るべし。今から40年近く前のF1の雰囲気も忠実に再現してあるし、死と隣合わせの二人のコントラストも鮮やかで大変楽しめる作品となっている。最近はF1の話題もシューマッハがスキー場で倒れたくらいであまり聞かないが、当時はまさに若者は熱狂したものだ。お薦めの作品だ
  
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2014年2月19日

葛西選手はすごい

ソチオリンピックは、自分的には入り込めないでいるのだが、スノボーの少年たちやノルディック複合の好青年の活躍、そしてゆとり世代の良さを発揮した美少年のフィギュア金メダルも拍手なのであるが、何といってもジャンプの葛西紀明選手の銀メダル(団体でも銅メダルだ)がすばらしいと思う。41歳という年齢や7回目のオリンピック出場というのが注目されているが、子どもみたい若い選手たちを破っての銀メダルだから称賛ものである。

さらにもっとすごいのは今回の銀メダルに満足することなく次に金メダルを狙いにいくという姿勢でほんと驚かされる。もちろんスキーのジャンプなんてやったこともないからわからないけど、体力的な部分はさほど大きくなくて、技術だとか精神面の比重が多いのだろうか。女子では高梨沙羅ちゃんが残念ながら金メダル本命と言われながらも4位に終わってしまったが、体力があるわけではなく、センスだけで飛んでいるように見える。

葛西選手と沙羅ちゃんを比較するとおもしろい。今言ったように体力面でいうと片やすでにピークをとっくに過ぎているおっさんと、これから体力がついてくる少女ということだから、ジャンプは力ではないのだ。二人の結果を分けたのはやはり経験だと思う。葛西は幾度も挫折を味わい悔しい思いをした分、集中力を発揮できたのではないだろうか。そいう意味で沙羅ちゃんは非常にいい経験をしたわけだからこれからが期待できる。

さて、葛西を見ていると想い出す二人のアスリートがいる。サッカーの三浦知良と野球の山本昌である。現在カズは46歳、山本は48歳でまだ現役ばりばりだ。特別といえばそうなのだが、ケガをしない体というのは言うまでもないが衰えない闘志が長く続けられる秘訣だろうと思う。闘志といっても煮えたぎるようなギラギラしたものではなく内に秘めたもので持続性があるものだ。

先日、テレビを見ていたらプロ野球の40歳以上の何人かの選手たちのキャンプ風景を紹介していたが、みな一様に"今年が最後だと思ってがんばってみます"とか"もう後がないという気持ちです"とか言う。悲壮感が漂ってくるのだが、何か違うように感じた。カズとか山本昌はあまりそういったもう最後だとかといった感情はあまりないのではないだろうか。単純にサッカーやろうぜ、野球で投げるぞという前向きな気持だけのような気がする。葛西選手もそういった気持で4年後を目指してもらいたいものである。
  

2014年2月22日

負けることがオリンピック

何だかんだといいながらもまたソチ五輪話です。今は浅田真央のことで喧しい限りですが、そのおかげで銅メダルを取ったスキー・ハーフパイプの小野塚選手の影が薄くなってしまって可愛そうだ。まあ、圧倒的にフィギュアスケートのほうがメジャーだからしかたがない。それにしても真央ちゃんはよくやった。あれだけ失敗して落ち込んでいたのに翌日にはすばらしい演技をするのだからたいしたものだ。

しかし、フィギュアの採点はもめますね。審判も人間だから雰囲気に左右されたり、情に流されたりするので、大方の人の納得感を得るのは難しいのでしょう。だから、ぼくは基本的には、採点方式の競技はあまり好きではない。フィギュアスケートはその最たるものですが、他にもモーグルとかスキー・スノボーのハーフパイプとか、ジャンプにしても飛型点というのもある。単純に早い方、あるいは強い方、多く点をとった方、遠くまで跳んだ方が勝つというのがわかりやすくていい。

ぼくは夏の種目でも体操とかシンクロなどもあまり好まない。こうした採点方式の競技の見方というのは完璧にできて満点のところからミスの分を引き算することになるから、相手の失敗を願うことになり、"いやらしい"感じがしてしまうのだ。採点式ではないものは、逆に足し算となるので応援しがいもあるというものである。というかわかりやすいのである。

それはともかくとして、小野塚選手のメダルをみて感じたのは、こんないろいろな種目があったのだと改めて思う。スキーでも昔は単純に回転、大回転、滑降、ジャンプ、複合だけだったのが、スケボーと同じようなものもあるし、スキークロスなんてまるで格闘技みたいなものまで出現している。どうも、IOCはまだ競技数が少ないと思っているらしく、陸上の競技を雪上や氷上に持ち込んでいるようだ。ひょっとすると雪合戦も五輪種目になるかも。

これで浅田真央のオリンピックは終わったが、ほんとお疲れ様でしたと言ってやりたい。あれだけ期待され、アイドルのように騒がれたら相当精神的に疲れたと思う。これでほっとしたのではないだろうか。高梨沙羅もそうだったが、あれだけ戦前には持ち上げておいて、メダルを逃すと冷たくなるメディアもひどいものだ。そういえば感動の押し売りの報道はいいかげんにやめて欲しいなあ。

ぼくらは忘れてはいけないのが、敗者を称えることであり、優しく見守ることではないだろうか。なぜなら、勝者より圧倒的に敗者の数が多いのであり、そうした敗者がいたからこそメダルの価値があるからである。負けて流す涙は人間を成長させるのだ。がんばれ敗れ去ったものたちよ。
  

2014年2月23日

本が出ました

うちの社長とその仲間が著した本が刊行されました。「Webアプリエンジニア養成読本」という本で技術評論社からムック本形式で発売されています。共著者が石田絢一(uzulla)さん、すがわらまさのりさん、斉藤祐一郎さんの3人です。4人はほぼ同世代でそういった仲間の集まりで知り合い意気投合した人たちで、それぞれが同じことをやっているのではなく、活躍フィールドが違っているという。だから、コラボレーションできるかもしれませんね。

それと、ITの本というと案外狭い範囲を深く掘り下げるタイプが多いように思うのだが、全体を網羅していること、特にわりと忘れがちになる運用のところもきちんと書き込んであることが特徴的です。アマゾンの内容説明文によれば「Webアプリケーション開発の基礎を、前提知識、開発、デプロイ、運用の各フェーズに分けて解説し、全体像の体系的な理解を促すもの」であるようです。

社長は電子書籍も合わせると3冊目になるのですが、だいぶ本を書くことに慣れて来たみたいで、手際よく効率的なやり方になっているのがときどき進捗報告を受けると感じられます。また今回は共著ということで、それぞれのパートを齟齬がなくまとめることがむずかしいのですが、gihubを上手く使いながらスムーズに進行させていたのには感心させられた。これから、こうした書籍の出版に限らず働く場所は別々のでありながら、ネット上では一つのワークスペースで仕事をするというプロジェクトが当たり前になるかもしれませんね。

ということで、Webエンジニアにななりたいと思っている人、Webエンジニアを育てたいと思っている人、さらに現役のWebエンジニアの方々にお薦めですので是非手にしてはいかがでしょうか。トークイベントもありますのでそちらのほうもどうぞ。
  

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2014年2月27日

日本文化の論点

若手の論客でテレビなどでも顔を見る宇野常寛の著書となる「日本文化の論点」(ちくま新書)を読む。文化に論点があるのかというツッコミもしたくなるのだが、要するに日本の文化や社会はいまどんな情況にあってこれからどういう方向に進もうとしているのかを論じている。

それを語る上での視座としてつぎのような論点を提起している。
1. クールジャパンテクノロジーの2段階論
2. 地理と文化の新しい関係
3. 音楽消費とコンテンツの「価値」
4. 情報化テキスト・コミュニケーションのゆくえ
5. ファンタジーの作用する場所
6. 日本文化最大の論点

ということなのだが、1から5までは前説みたいなもので最近の文化現象を説明していて、結局最後の「日本文化最大の論点」に行き着く。

前段をちょっとおさらいすると、クールジャパンと盛んに言い、それを世界にもっていけと言うが、単にマンガやアニメやゲームの「ソフト」を輸出してもだめで、その2次創作物、つまり「作品」そのものではなく「作品を楽しむ環境」を売り込めと主張している。これはいうとおりで"先進国"日本から新興国にはきっとハードとソフトが合わさった「スタイル」に魅力を感じるのではないだろうか。これは真似されにくいからだろう。

地理と文化の新しい関係とは「地理が文化を決定するのではなく、文化が地理を決定する-----。都市ではなく、建築が文化に要求される-----。」確かにぼくらの学生のときのように新宿西口から、あるいは原宿の歩道からは文化が生まれたかもしれないが今は秋葉原くらいかもしれませんが、それとてもはや都市という空間ではなくネット空間といったほうがいいような状況でしょう。

音楽というソフトが売れなくなって久しい。もう楽曲が良いの悪いのという時代ではなくなっています。それと音楽を所有するという意味がなくなっている。「情報化テキスト・コミュニケーションのゆくえ」ということでは、今起こっているのはコミュニケーションの可視化である。このことが、人間観や社会観に与える影響は非常に大きいように感じる。こうした情況はみな情報化というグローバルな変化がもたらしたものである。いやはや何ともすごい変化の時代に生きているものだと改めて実感する。

さて、最後の最大の論点とは「AKB48」である。あれえと思われる方もいるかもしれませんが、著者はAKBのファンでもあるのです。これは単にそいう人気グループがいるということではなく著者の言葉を借りると"文化運動"なのだという。いまや、様々なエンターテインメントジャンルを席巻している感がある。

ぼくは、AKB48のことはあまり良く知ってはいなかったが、この本で戦略的なところとか、マーケティングとか商品開発といったところまですごく考えられた"文化運動"であると思った。それはパラダイムシフトであり。イノベーションでもある。つまり、従来の基準では到底理解できない、捉えられないものであるわけで、思考の変革が必要なのだろう。そこを前提としてどうもっていったらいいのかは、著者も私案を提示しているが皆がしっかりと自分の頭で考えることではないでしょうか。
  

日本文化の論点 (ちくま新書)
宇野 常寛
筑摩書房
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2014年2月25日

イノベーションを支援するITシステム構築の極意(11)

ここまでは、市場とか顧客との関係を見てきましたが、つまり需要サイドのモデル要素ということができます。顧客との接点のところです。顧客に製品やサービスを提供してその対価を得るという部分でもあるわけで、そうしたお金の流れが「R$(Revenue Streams)収益の流れ」ということになります。よくこの流れの形をビジネスモデルと言う人もいましたが、これはビジネスモデルの構成要素である「収益モデル」というふうに規定したほうがよいでしょう。

収益の流れには異なる2つのタイプがあります。
1. 一見客による取引収益
2. 既存顧客への価値提案、もしくはカスタマーサポートによる継続支払いからなる二次収益

こうした収益の流れを生み出すための方法として下記のようなものが考えられます。
・ 資産価値のある商品の販売
・ 使用料
・ 購読料
・ レンタル/リース
・ ライセンス
・ 仲介手数料
・ 広告

そして、これらは異なった価格メカニズムを持っています。大きくは固定メニュー価格と変動価格があり、その中でも前者では「リスト価格」「製品特性に基づく価格」「顧客セグメントに基づく価格」「量に基づく価格」、後者には「交渉による価格」「利益率管理に基づく価格」「市場価格」「オークション」があります。

最近ではネット販売などの登場やフリーミアムといったような新しいモデルも生まれて多様な形態があり多くのアイデアが出てきています。その流れを顧客・代理店・仲介者・供給者といった関係を絵に描いておくのがわかりやすいと思います。そうした図解されたモデルとして、「ピクト図解」(板橋悟氏考案)というのがあります。8つの代表的なモデルが提案されています。
① シンプル物販モデル
② 小売モデル
③ 広告モデル
④ 合計モデル(ついで買いを狙う)
⑤ 二次利用モデル(商品を何度も再利用)
⑥ 消耗品モデル
⑦ 継続モデル(使用料や賃料)
⑧ マッチングモデル(仲介業)

こうしたものも参考にしながら自分たちのビジネスを記述したらよいでしょう。
  

2014年2月28日

日本の産業の生きる道(4)

次の提言は「日本企業はインフラで食っていく」です。インフラというのは広く使われる場合もあるが、ここでは社会インフラという定義にした方がいいだろう。つまり公共的な社会基盤の施設やシステムと言う意味である。例として、電力供給システム、鉄道網や道路網、上下水道などの水関連システム、情報通信の社会基盤などがそうである。

近頃元気のよい企業に日立とか東芝があるが、彼らはこの社会インフラで業績を上げている。海外にも進出している。日本の社会インフラは海外に行ったとき感じたことや、いろいろな情報からもおそらく世界一だと思う。そのインフラを作り上げたわけだから、日本の産業の生きる道としてはかなり有効なものだと思う。しかも、この産業は関連する産業が多くあることから裾野が広いことも魅力である。

本にも書いてあるのだが、「インフラ産業の日本」といったときに2つの意味があることが気づく。社会インフラを海外展開して売っていくという行き方と、もう一つの側面は日本の産業集積全体を海外の国々の産業活動のために使える基盤として機能させるというものである。この考え方は非常にいいと思う。例えば、海外の企業のために製品開発や試作のプロセスを日本で持つとか、彼らの製品開発や試作に必要な機器・部材を日本が提供するといった形態である。マザー工場的な発想ですよね。

とりわけ、電力インフラ、鉄道、水関連インフラの3分野が強いと言われている。原子力発電所はどうなんか分からないが火力発電所でも日本の技術は優れている。それも単に発電所を作ることだけにとどまらずにそれを運転し運用管理する技術がすばらしいと思う。停電率の低さからわかると思うが、日本人の責任感やきめ細かさはたいしたものである。ぼくは昔プラントの運転のスーパーバイザーだったことがあるが、海外でオペレーションを教えこむのは日本にいる時と比べると大変だった。

つまり、ハードだけではなくソフトも含めたシステムとしての価値をもっと訴求したほうがいい。そこを高いレベルに持って行って維持するには多くの経験とノウハウの蓄積が不可欠であるから、新興国はそう簡単にキャッチアップ出来ないからチャンスなのである。ただし、いくら世界一だと言っても高機能だけど高価なものは望まれていないわけでそこの折り合いをつけられるかがある。

発展途上では、最先端の機能なんかいらないわけだから、いかにシンプルなものに落とし込めるかになる。さらに、モジュール化とかパッケージ化がやりやすいレベルだからそれを推し進めることが肝要なのではないでしょうか。ということで社会インフラで食っていくというのは賢明な選択であると思うのである。
  

2014年2月24日

東京スポーツ映画大賞授賞式2014

昨日は、「第23回東京スポーツ映画大賞」の授賞式に行ってきました。毎年参加しているのですが、最初に行ったのが2007年の第16回だったのでもう7年目になります。会場も当初は赤坂プリンスだったのが取り壊しで芝公園の東京プリンスに変わっています。内容の方も、映画だけではなくエンターテインメント賞というのが出来てお笑い芸人とか話題になったひとたちを表彰するようになっていました。そういえば7年前にはAV女優なんてが受賞していましたね。

また、この映画賞の選定はぼくらがやっているような地方の映画祭からノミネート作品を募り、その中からビートたけしが最終的に決めるという方式なのだが、いつもたけしの独断と偏見で決められていて昨年なんかほとんどが「アウトレイジビヨンド」の関係者だったりしましたが、今年はまともな選定で他の多くの映画コンクールと似たような受賞となりました。受賞作品と受賞者は前にも書きましたが、次のようになっています。

作品賞   :『舟を編む』
監督賞   :是枝裕和『そして父になる』
主演男優賞 :松田隆平『舟を編む』
主演女優賞 :真木よう子『さよなら渓谷』
助演男優賞 :リリー・フランキー『そして父になる』『凶悪』
助演女優賞 :二階堂ふみ 『地獄でなぜ悪い』『四十九日のレシピ』
新人賞   :黒木華『舟を編む』『草原の椅子』
特別賞   :宮崎駿、宮藤官九郎
特別作品賞 :『47RONIN』
外国作品賞 :『ゼロ・グラビティ』

どうですか、まっとうなメンバーでしょう。昨年の邦画では「舟を編む」「そして父になる」「凶悪」あたりが評価が高かった作品ということになります。従って、監督賞や男女優賞、新人賞なども順当なところですね。その中で注目は新人賞の黒木華でした。先日の第64回ベルリン映画祭で最優秀女優賞(銀熊賞)を受賞したばかりだったので、彼女を見れただけでもよかった。なんか一段と輝いていましたよ。東スポで新人賞がベルリンでは最優秀女優賞ですからすごいことです。

黒木華をはじめとして、今年はほとんどの受賞者が出席していた。いつものことですが、俳優の皆さんはスクリーンの中と実際に目の当たりにするのとちょっと違っていて、現物を見ると身体的にはスリムでかっこいいのとオーラを感じますね。一緒に行った女ともだちは松田龍平が素敵と連呼していました。

授賞式ではそれぞれの受賞者に対してたけしがコメントするのですが、これが毎回おもしろい。まじめなことも言うのだが、だいたいはおちょくったり、厳しいことが多かったのが今回は褒めることも多くまっとうな意見ばかりで驚いた。ただ、特別作品賞の「47RONIN」はボロクソに言っていた赤穂浪士をベースにしているのだがくずし方が中途半端でどうせやるなら徹底的に崩せばよかったのにということを言っていた。

たけしのメッセージで言いたかったことの主なことは、「いまは映画は過渡期にあって、俳優にしても長く続けられる奴も少ないし、演出にしても確固たるものができていない。昔の話をもち出すのはよくないかもしれないが、もっと情熱を傾けて真剣に向き合っていた。そして、映画もデジタルになってしまって映画作りの良さが消えてきている。和食が世界遺産になったが、あのうまみはかつおと昆布でしっかりと味をださなければいけないのに、できあいの調味料で味付けしてハイ和食のうまさですと言っているようなものだ。でも、もうすぐ今日受賞したような若い人がまた映画を盛り上げてくるはずだ」ということです。どうです、「舟を編む」の主人公馬締君ではないがかなりまともなコメントでしょ。
  
東スポ映画賞.JPG

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