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2014年1月 アーカイブ

2014年1月 9日

順序からの解放

人間の性向としてものごとを順序立てて考えることがあるように思う。よくお目にかかるものとしてPDCAがある。Plan、Do、Check、Actionというやつである。計画して、実行して、評価し、次につなげるというよくやる動作である。普通にちゃんとPDCAサイクルを回しましょうよとよく言う。そうすることで仕事はうまくいくのだと思い込んでいたが、ちょっと待てよと思うのである。

きちんと計画を立ててその通りに実行できたか評価して、できていなかったら次の計画を修正するという響きである。これって現実にはどうなのだろうか。見込生産品の生産計画を立てて、そのとおりに製造するというようなプロセスだとか、決算とか給与計算とかはそれがいいと思うのですが、受注生産品とか顧客接点のところでは、計画はあってないに等しいというケースも多い。最近ではむしろそうした不確実なプロセスが増えているように思う。

情報システムにしても、基本的には順序性をもった逐次処理である。予定調和の世界を扱っているのだ。そうでないとプログラミングが難しいのである。順番といっても前から後ろへ、あるいは上から下へ流れるのが普通だ。ところが、最近では逆流型のアプローチが増えてきたように思う。変化が激しいのと不確実性が増して来ていることが影響していると思う。

計画を立てても実行しているうちに環境が変わって、初めに立てた計画そのものの意味がなくなってしまうとか、計画どおりやることが目的化してしまい、もっと頑張れば大きな成果があがるのに、そこで満足してしまうとかといった弊害がでてくるからであろう。計画を立ててもいいがそれに拘泥せずに計画自体を柔軟に変えていくというのが現実的なのではないでしょうか。

PDCA以外にも逆流発想のものがけっこうある。例えば、リバースエンジニアリングとか、ボトムアップ、ベイズ理論のように原因から結果ではなくその反対の結果から原因を推論するといったものがあげられる。オペレーションなんかではフィードバックという考え方ですね。つまり、セットポイントがあって、それと実測値の乖離があったらそれを修正する動作を行うという制御です。ビジネスのオペレーションにも活用したらよいと思います。絶えずモニターして偏差を検知したら素早く修正するというのが大事なことになります。

国とか地方自治体あるいは会社でも、もっといえば家庭でも予算というものを立てますが、これはPDCAのPにあたるわけですが、最初に言ったように予算が決まるとそれが金科玉条となり、必要なくなっても消化することに一生懸命になるというおなじみの光景があります。そんな場合、セットポイント自体を状況に応じて柔軟に変えていくことができるようにしたらよいと思うのだが、むずかしいのでしょうね
  

2014年1月 1日

新年明けましておめでとうございます。

2014年という新しい年を迎えましたが、さて今年どんな年になるのでしょうか。

日本の景気はアベノミクスでだいぶ回復した感がありますが、今後も息切れしないで続いてほしいと思います。ただ、第三の矢である成長戦略が具体的な形でなかなか見えてこないことや、来年に控える消費税増税の影響などからいくぶん心配にはなっています。

(株)ワディットとしては今年で8期目に入りましたが、一昨年ブレークした「ボケて」という投稿された写真に対してひと言おもしろいコメントをするというスマホアプリが昨年も順調に伸び、会社経営もやっと安定してきたのでホッとしています。じっと我慢して続けてきたおかげだと思っています。

ぼくの方は現在、日本ビジネスプロセス・マネジメント協会、ICT経営パートナーズ協会、バリューチェーンプロセス協議会という3つの団体に属して、主として中小企業向けにIT化のコンサルティングを行っています。アベノミクス効果でいくぶんIT投資も活発化しているようですが、グローバルな世界で戦える強い中小企業が増えていくのをお手伝いできればと思っています。

ぼくの情報発信の中心はやはりこのブログです。相変わらず映画、本、サッカー、ITについて毎日書き続けていますので読んでみてください。

今年もよろしくお願いいたします。

初富士をぜひ写真に撮りたかったのですが、今朝こちらはいい天気なのに残念ながら霞んで見ることができませんでした。
  

2014年1月 2日

年頭所感

昨日の元旦は老人ホームの入っている母親のところに挨拶に行って始まった。ホームの玄関には立派な門松が飾られている。この竹はうちの庭先から持っていったものである。昨年と同様ホームの人が取りに来て自分たちで手作りしたものだが、その出来栄えに感心する。今年93歳になるばあちゃんはあいかわらず元気で、孫にお年玉を配っていた。うちの子は社会人なのに、わたしゃ働いていないから少ししか渡せないけどと言いながらあげていた。

と、ここまでは昨年と同じような文章になってしまった。ただ、今年は弟一家と一緒になったのでわが家と合わせて8人が集合したので、ばあちゃんはテンションがあがってひとりでしゃべりまくっていた。これなら、100歳まで生きるかもしれない。なぜか。女学校のときに富士山に登った話を3回ぐらいした。

元旦は、毎年のことだが、テレビでニューイヤー駅伝とサッカーの天皇杯を見る。そのあと、近くの神社に初詣にでかけたが、人がいっぱいで出直すことにする。夜は横浜で義弟一家と食事会だ。今年は大阪にいる下の子も帰って来て、また向こうの家族も4人共来たので全員揃った久しぶりのご対面であった。食事会が終わってからヨメさんが一度見てみたいと言い出したので上の息子のアパートを見学してから帰宅する。

さて、年頭にあたって何を書こうかと思い、昨年の記事を振り返ってみたのだが、書き出しは最初に言ったようにほぼ同じようなものなのだが、それに続いて書いてあったのが世代間格差についてであった。実は、今年も思いついたのが、世代間格差なのだ。それというのも、大晦日に珍しくNHK紅白歌合戦を見ていたのだが、そこで見た光景にやや驚いたからである。

何に驚いたかというと、おっさん、おばさんの演歌歌手やもとフォークシンガーらとAKB、NMB、SKE、ももクロといったアイドルの組み合わせである。親子か下手するとじいさんばあさんと孫といった年齢差がある歌手たちが一同に会している。だから世代間格差を感じたというか、中抜きになっているように思えた。つまり、ぼくらのような年寄りと若い子の間の世代の存在が希薄なのだ。SMAPがその役割?って思ったりする。

だって団塊の世代が、森進一、五木ひろし、細川たかし、泉谷しげる、和田アキ子、高橋真梨子と6人もが出場している。一方、若手になるとサカナクションとかゴールデンボンバー、きゃりーぱみゅぱみゅなど個性的な人も多い。それと、ピンではなくてグループがほとんどだ。なんか世の中を反映していると思いませんか。だから、非常に対照的で二極化が進んでいるように見える。

いくらNHKとはいえ、団塊の世代、さらに美輪明宏、北島三郎といった77、78歳の年寄りが出てくるようじゃ老害と言われそうだ。そして「今日ですべてが終わる。今日ですべてが変わる。自分だけの今日に向かえ!」と泉谷が歌っても何か違和感を感じてしまう。これは歌の世界だけではなく、ビジネスの世界でも言えるのだが、もっと若い人というか、特にミドルレンジの人たち、つまりバブル崩壊のときに成人し、世の中に出てきた世代の頑張りを期待したい。
  

2014年1月 3日

映画三昧(2014)

昨年と同じように、年末年始は基本暇なのでこたつに入りながら映画を観ることとなる。そんな寝そべり映画鑑賞記録を書いておく。

【江ノ島プリズム】
やはり、ご当地映画は気になるので「江ノ島プリズム」を観る。監督が「キトキト」の吉田康弘。主演が福士蒼汰、野村周平、そしてぼくのお気に入りの本田翼。この三人が演じる修太(福士蒼汰)、朔(野村周平)、ミチル(本田翼)は子どものころからの幼なじみで同じ高校にも通っていたが、高校二年の冬にミチルが黙ってイギリス留学に旅立つ。

それを知った朔が駅に急行するがそこで倒れて亡くなってしまう。江ノ島プリズム.jpgのサムネイル画像朔が死んだのは自分のせいだと思い続ける修太は2年後の朔の3回忌にふとしたきっかけで2年前に戻ることになる。そこから、朔の命を救うべく過去を書き換えようとする。こんなストーリーで現在と過去を行き来しながら、3人の友情や淡い恋心が交錯する。

まあ、本田翼の可愛さも手伝って、それほど期待されていない作品ながらおもしろかった。いま説明したストーリーを読んで「時をかける少女」を思い起こす人も多いと思うが、要するによく描かれる映画のエピソードが詰まっているのだ。受ける定番シチュエーション満載なのである。過去との行き来もそうだし、男二人と女一人という組み合わせは古今東西よく出てくる。

しかも、女の子が本当に好きなのは、本命と思われる二枚目の方ではなく実は3枚目的な方である。それと、誰かが病気で死んでしまうというのもお馴染みである。ということである意味ベタベタ映画なのだが、観客を絶対くすぐるパターンなのでそれなりに楽しめる映画であった。
  

【藁の楯】
三池崇史監督のサスペンス・アクションである。幼い少女を藁の楯.jpg惨殺した凶悪犯に祖父である大富豪が10億円の懸賞金をかける。命を狙われる犯人を護送することになった警視庁SPの戦いが描かれる。そのSPに扮するのが大沢たかおと松島菜々子で、犯人役が藤原竜也である。ちょっとひどい映画なのだが、三池崇史らしいといえばそうで、もし他の監督だったらボロクソ作品になったかもしれない。でも、タランティーノばりといったら褒めすぎなのだがハチャメチャなこんな映画があってもよい。

ただ、それならもっとハメを外した感じや非情さを出した乾いた映像にすればよかったと思う。例えば、犯人役の藤原竜也なのだがあの可愛らしい顔で極悪非道の殺人犯はちょっと似合わないのだ。おそらく普通の人間に潜む凶悪性を
強調するための配役だと思うが、そんなリアルさではなく徹底的に憎たらしさ満載の俳優さんをもって来たほうがよかったのではないだろうか。

【ふがいない僕は空を見た】
原作が2011年本屋大賞2位、第24回山本周五郎賞を受賞した窪美澄の小説である。監督が「百万円と苦虫女」のタナダユキである。それほど話題になったわけではないが、原作と監督にふがいない僕は空を見た.jpg惹かれて映画を観る。意外と言っては失礼かも知れないがおもしろかった。そのおもしろさの第一は原作もそうなのだが、語り手となる主人公が入れ替わるのだ。視点を変えることで異なった角度でながめられて深みがます効果がある。

三人の主人公が登場する。高校生の卓巳(永山絢斗)と同じ団地に住む親友福田(窪田正孝)、それと主婦である里美(田端智子)である。卓巳はアニメキャラのコスプレイベントで"あんず"と名乗る里美と出会う。卓巳が気に入った里美は彼にもコスプレさせて自宅に呼んでは浮気をするようになる。ところが写真や動画を何者かがネットにアップしてしまい、それから学校にもいけなくなる。

親友の福田も心配してくれるが、彼も両親に捨てられ痴呆症の祖母と暮らしているが貧困にあえいでアルバイトにあけくれている。また、里美は姑から子どもができないことをなじられて、夫も助けてくれない。こうした3人が抱える悩みが切り替わって登場してくる。しかし、3人は何とかそうした生活を乗り越えるべくもがき苦しむのだ。そして、卓也の母親がやっている助産婦という仕事を通して生きることの大切さを訴えかけてくれる。けっこう感動するのだ。
  

2014年1月 4日

スポーツ三昧(2014)

正月はウィンタースポーツ真っ盛りかと思いきや、スキー、スケートといったズバリのウィンタースポーツはお休みのようで、駅伝、サッカー、ラグビー、アメフトといったところが盛んだ。またまた、時間がたっぷりあるので、元旦からテレビのスポーツ番組を見ることになる。毎年同じで近頃はちょっと食傷気味ではある。

元旦のニューイヤー駅伝に始まって、サッカー天皇杯決勝、全国高校サッカー選手権、箱根駅伝、ラグビー大学選手権といったラインナップである。要するに駅伝とサッカー、ラグビーである。今年もひと通り見たわけだが、どうも例年になくおもしろくなかった。というのは接戦というか、どっちが勝つのか、どこが優勝するのかというハラハラドキドキ感があまりなかったように思うからである。

ニューイヤー駅伝にしても順位の変動もあったが5区でコニカミノルタが先頭に立つとそのままゴールした。最終区での大激戦が多いこの駅伝だが今回はすんなりと決まってしまった。どうもスター選手もなかなか生まれてこないし、日本の長距離界も世界で戦っていけないなあと感じる。2区のインターナショナル区間でアフリカ選手が躍動する姿を見るにつけ、いつになったら彼らと争えるのだろうか。

サッカー天皇杯は、横浜Fマリノスがサンフレッチェ広島を0−2で下し、21年ぶりに天皇杯を制覇する。しかし、21年前って日産自動車だけどそれって連続性があるのかなあ。Jリーグのチームって前身はどうであれ新しいチームなのではないだろうか。Fのフリューゲルスは元全日空だから、どうなっちゃうのだろうか。この場合は初優勝なのだ。

リーグを制覇した広島と土壇場で逆転を許した横浜の真の頂上対決は、広島が3日前の準決勝を延長の末のPK戦で勝ち上がったこともあり、試合の入り方がぐっと引いて守備的な態勢をとる。元来守備のチームでリーグ戦中もこんな戦い方も多いので、これはこれで広島の形だ。横浜は、引いた相手に前がかりで行くのかと思いきや、相手に合わせた形でゆっくりと攻める。こうして、広島の一気の逆襲を警戒したことが横浜の勝因でもあった。

そのなかで緩急をつけて崩しにかかる。そんな時には強引なドリブルが効果を発揮する。先取点は、前半17分に右サイドの小林がドリブルで持ち込み、中央に流れたところを斉藤が左すみに決める。広島の堅守をこじ開けた感じである。さらに、21分は中村のコーナーキックに中町が合わせたヘディングシュートを一旦は広島GK西川に止められるが、そのボールを中澤が再びヘッドで押し込んで2点目をあげる。畳みかけた見事の先制と追加点であった。これで広島も少し意気消沈したのか、勝負ありという感じになった。

横浜は、リーグ戦の雪辱を果たしたわけであるが、中村俊輔が試合後のインタビューでやはりリーグ戦で優勝したかったと言ったが、カップ戦と重みが違うのだろうが、天皇杯だって伝統のある大会だから素直に喜んだらいい。しかし、今シーズンの横浜Fマリノスは大健闘である。ベテランばかりで長丁場のシーズンを乗りきれるかと心配したが、そのベテランたちがぐいぐい引っ張っていった。中村と中澤はほんとによくやった。ふたりとも全盛期よりもキレているのではないかと思わせる活躍であった。

箱根駅伝も極端な話、往路の最初のほうで終わった感もある。まずは、1区で優勝候補の学校が先頭集団で残って2区につないだから、もうここで波乱がなくなってしまった。わが早稲田の大迫が失速したのは予想外であったが、1区では本命が出遅れてしまうとか、意外なチームが踊り出るなんてことが起きると見ていて面白くなるのだがそういうこともなく進む。

ただ、2区で山梨学院大学のオムワンバが右すねの疲労骨折で途中棄権というアクシデントがあったが、倒れこんであっさりと棄権宣告だから、これまでのテレビ中継だったら、アナウンサーがわめき散らして、どうなるかハラハラする映像を送ったのだが、大して盛り上がらなかったが、日テレはどうしたのだろうか。箱根の山でも何事も起こらず、順調にほぼ予想通りに終わる。だから何時間もテレビの前に座ることはなかった。

まあ、一番おもしろかったのはラグビー大学選手権の準決勝で早稲田大学が筑波大学を破った試合かもしれない。少なくともハラハラドキドキ感はあった。前半10−8で早稲田リードだったが、後半ずっと押されっぱなしで、25分間くらい自陣奥深くまで攻めこまれた状態がずっと続く。これをじっと耐えたのだからすごい。攻める筑波が単調でスピードもなかったことに助けられた面もあるがこのディフェンス力は素晴らしかった。

耐えて耐えて一瞬のすきをついて一気に相手陣内に攻め入ると、相手ゴール間近でのスクラムを一気に押し込みそのままトライしてしまった。これにはびっくりした。何しろ相手ボールのスクラムでボールが入れられた瞬間に低い構えから押し込んでゴールを割ったボールをスクラムハーフが相手選手の股の間から押さえ込んだのだから恐れ入る。こんなトライ初めて見た。

そのあとは、もう筑波に盛り返す力はなく、早稲田のエースであるFBの藤田に華麗にトライを許し万事休す。藤田選手は日本代表にも名が上がっているが、学生にしてはすごい。僕は時々、彼なんかサッカーをやっていればなあと思う。元早稲田にいた五郎丸という選手もそうだったが、絶対に日本代表のセンターバックになっている。そうなれば、海外でも活躍できたのに惜しいと思うのである。本人はそんなことは思ってもいないのでしょうね。

さて、全国高校サッカー選手権であるが、神奈川県代表の桐光学園は昨日行われた3回戦で三重県代表の四日市中央工業に0−1で負けてしまった。ぼくは、以前四日市に住んでいたことがあって、会社のサッカーチームに四中工の子が入ってきていたり、顧問の先生も知っていたりしたのでちょっと複雑な心境でもある。今の高校サッカーは昔のように強い地域が限定されていることもなくなって、全国どこのチームも優勝する可能性がある。ですから、初優勝というのが多い近年である。今年は初優勝があるのかそれとも市立船橋の優勝経験校が勝つのだろうか。
  

2014年1月 5日

世界史の叡智

世界史には幾多の英雄や偉人が登場するが、だいたいがある時代に絞ってそこに生きた人々を描くことが多い。ところがこの本「世界史の叡智」(本村凌二著、中公新書)では、前14世紀の古代エジプトの時代から現代に至るまでをカバーしている。しかも、地域性も広い範囲にわたっているし、何といっても王様から武将、学者、そして石原裕次郎で締めるという何とも乱暴なようでありながら一貫性も保っているというおもしろい本だ。

著者は古代ローマ史の専門家で「薄闇のローマ世界」や「馬の世界史」といった著作で賞を取ったりしている。古代ローマは塩野七生の「ローマ人物語」でも有名ですが、3世紀にもわたって長い平和と繁栄が続いたことは特記すべきことであり、現代でも学ぶことが多いと思われる。そこにベースをおいて世界史が語られている。

取り上げられている人物が51人で最初に言ったように非常にバラエティにとんだ人選でおもしろい。時代を追って紹介している。古いところでは古代エジプトの王・アクエンアテン、古代アテネの僭主・ペイシストラトス、古代ギリシャの政治家・デモステネス、中国・戦国時代の刺客・荊軻、カルタゴの将軍・ハンニバル、有名なカエサルなどが語れる。現代に近いところでは、カーネギー、明治天皇、ウィルソン、新渡戸稲造、山田わか、ジョージ六世、マイルス・デイビス、石原裕次郎などちょっと異質な人物であるのと日本人が多く含まれることになる。

いちいち説明するわけにはいかないが、この本の良さを挙げると、一人ひとりの紹介がおおよそ3ページくらいに収まっているので非常に読みやすいことである。最近ではウエブの記事なども長いのは嫌われて簡潔に書くことが作法みたいになっているので助かる。しかも、対象の人物の記述である中身を挟むように、最初の"つかみ"と最後の"しめ"が現代の世相を反映したものになっているのでおもしろい。

これはブログを書く身にとって非常に参考になった。まずはなぜこう記事を書くのかという背景を自分の感じたことを中心に説明し、そのあとに核心的な文章を書いていく。そして、最後にそこに書かれたことがどういう意味があるのか、今の状況に照らしあわせるとどんな影響があるのか、あるいは今後どう活かせばいいのかといったことでまとめるのだ。

本の副題が「勇気、寛容、先見性の51人に学ぶ」とあるが、まさに歴史に名を残す人の資質としてなくてはならないものであろう。とりわけ大事なのは先見性ではないかと思う。すなわち自ら歴史を切り開いていってこそ後世でも語り伝えられるものとして残るからだ。大変参考になった。
  

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2014年1月11日

許されざる者

これは1992年に公開されたクリント・イーストウッド監督・主演の映画のリメークである。オリジナルは、第65回アカデミー賞で最優秀作品賞を受賞した作品である。それを、日本で李相日が監督し渡辺謙を主演に据えて製作された。共演が、柄本明、佐藤浩市、柳楽優弥、忽那汐里、小池栄子といった面々である。

こうなるとやはり期待しますよね。ところがストーリーはほぼ同じなのに何でこうなっちゃうのっていうくらいの期待はずれ。だから、ぼくは基本的にはリメークはやめたほうがいいという派である。その理由がこの映画を観ていてよくわかったような気がした。つまり、ストーリーやプロットを一緒にしたところで、時代環境(映画の設定もそうだし、作られたときの時代も含めて)や風景、出演者などが違うわけだから別作品と考えたほうがよい。

ところが、リメークするということは評価が高かったからするので、同じように評価してほしいと期待するのだが、それだと失敗する。そこの切り替えができないとなーんだとなる。かえって難しいのである。その典型がこの「許されざる者」だ。オリジナルに引っ張られて、それに合わせようとするとさっき言ったように背景が違うと全く脈略が繋がらなくなり感動を与えることができなくなるのだ。

そこで本作とオリジナル違いをみると、時代は一緒なのだが、アメリカのワイオミングと北海道、それと意外と大きな差は銃と刀ではないかと思う。刀で人を斬るのと銃で撃つのとの違いって残忍性において大きいような気がする。それよりも何よりも、変な政治性を入れてしまったことがある。つまり、幕府軍対政府軍とかマイノリティのアイヌの絡みなど余計なことを入れてきたため混乱する。北海道に薩長の争いを持ち込んでどうするのだ。

昔人斬りといわれた男が妻のおかげで改心してひっそりと暮らしているところに、賞金稼ぎの仕事が持ち込まれ、どうしても金が欲しくてまた人殺しをすることになる。そこに悪徳警察署長が彼とその仲間をいたぶるとじっと我慢していたが堪忍袋の緒が切れてというわけである。これって、ヤクザ映画ですよね。クリント・イーストウッドは西洋版ヤクザ映画をけっこう作っていてこれもまさに高倉健の世界なのだ。だから、日本だったらいっそのことヤクザ映画にしてしまえばよかったのだ。

この映画の欠点は、主人公はお金欲しさのために人を殺す単なる殺し屋なのだが、なぜ最後はその殻を脱ぎ捨てて自分の命も顧みず、弱いもののため、殺された自分の仲間のために立ち上がったのか、それと悪徳警察署長はなぜにそこまで暴力的な支配をする必要があったのかというような大義をちゃんと説明しないといけないのにできていないことである。だから、こいつら何のために争っているのかと思ってしまい、さっぱり理解できない。

これでは、ストーリーはなぞっているのだが、それぞれのシーンに必然性がなくなってしまうのだ。ちょっとひどすぎる。俳優さんたちは、寒い北海道でのロケで頑張っていて、迫真の演技をしているのだか、かわいそうにそれがことごとく空振りである。安易にリメークするなという忠告じみた苦言でした。
  
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2014年1月 7日

永遠の0

ぼくはどこか天邪鬼のところがあって、みんながこぞって絶賛するといやちょっと待ってと言いたくなるところがある。百田尚樹原作の「永遠の0」は累計発行部数450万部を越えるという大ベストセラーである。それが、映画化されたのだから、無難に作ればみな感動するのは決まっている。評判を聞いても、安部首相も感極まったくらいだから、すこぶる評価が高い。だから、ぼくの天邪鬼が頭をもたげてくる。

映画は、監督・脚本が「ALLWAYS 三丁目の夕日」の山崎貴、出演が岡田准一、三浦春馬、井上真央、夏八木勲、風吹ジュン、吹石一恵、田中泯らでよく出来ている作品である。戦闘場面などはVFX技術を駆使して、実写と見紛うほどの出来栄えである。ストーリーもよくできているし、泣き所も押さえているし、涙もあふれてきた。

どんな映画だかは、これだけのベストセラーだから皆さんよく知っていると思うが、映画解説から引用するとこうだ。

司法試験に落ち続け、人生の目標を失いかけた青年・佐伯健太郎と、フリーライターの姉・慶子は、実の祖父だと思っていた賢一郎とは血のつながりがなく、本当の祖父は太平洋戦争で特攻により戦死した宮部久蔵という人物であることを知る。久蔵について調べ始めた2人は、祖父が凄腕のパイロットであり、生きることに強く執着した人物であったことを知る。そんな祖父がなぜ特攻に志願したのか。元戦友たちの証言から祖父の実像が明らかになっていき、やがて戦後60年にわたり封印されてきた驚きの事実にたどり着く。
宮部はゼロ戦のパイロットでありながら、「家族のもとに必ず帰っていく」と言っては戦闘から逃れたりしていたので、当時の生き証人たちも口を揃えて「海軍一の臆病者」と罵られていた。しかし、ある人物から逆の見方を教えられて、そこから徐々に事実が判明していくという謎解きでもあり、家族愛もあり、戦争の不条理もありと、それは非常によく出来たストーリーである。

ただ、どうもひっかかるのだ。どこか感動できないところがあるのだ。やはり、所詮はよく出来た作りごとの感じ、結局戦争肯定や英霊賛美の匂いが残っている感じ、あの時代があったから今の日本があるという感じ、庶民は何も悪くなくみんな国が悪いという感じ、久蔵以外はバカだというのを今だから言っている感じなのである。論理的ではないので何言ってるんだと言われかねないのですが。

聞くところによると百田尚樹は安倍首相に靖国参拝を進言したそうだ。ひょっとするとその感覚に違和感があるからかもしれない。ぼくはもちろん戦争を知らないから当時の雰囲気は知らないのだが、いったいこの国はどういうプロセスで戦争に突入していったかを考えるに、一方的に、強圧的にというより全体が熱狂したように思う。主人公の久蔵はそういう空気に抵抗したのだと言うかも知れないが、これまたうまく表現できないのだがちょっと違うように思うのである。

なぜそんなことを考えたかというと、戦争を切り離すとこれはヤクザ映画だからである。映画でもヤクザに身を売られるかもしれないのを助けられたというエピソードが出てくるが、ヤクザの抗争で鉄砲玉として死んだ若者をみて虚無感に襲われて、足を洗おうとするが義理と人情で敵のヤクザの親分に斬りこんで殺されるって感じなのである。飛躍し過ぎかもしれないが、日本人のこうした情緒的な捉え方は連綿と続く共通性ではないかと思ったのだ。

さらに、ゼロ戦の悲劇のことである。湯乃上隆の「日本型モノづくりの敗北」(文春新書)」によれば、ゼロ戦の弱点は防弾性能の貧弱さだという。格闘性能や後続距離を実現するためには機体を極限まで軽くしたため、パイロットを守る防御壁が設置されなかったのだ。そのため、優秀なパイロットを多く失った。戦争を2度と起こしてはいけないためには、いまはもう情緒的に賛美したり非難したりする時代ではなく冷静に論理的に評価しなくてはいけない気がするのだがいかがでしょうか。
  
永遠の0.jpg

2014年1月 6日

イノベーションを支援するITシステム構築の極意(5)

創造のプロセスでは、ビジョンの描いたあとはアイデアを創出するステップにいきます。アイデアを創出するために必要な主なものは技術の棚卸しとフィールドワークです。わかりやすく言うと、ニーズとシーズの探索といったことになります。

アイデアはこんなことができる、あんなことがしたいというところから湧いてくることがあります。つまり、手持ちの技術やノウハウ、あるいは思いみたいなものも含めて供給サイドからの発想です。一方、現場に出てユーザと接することから思いつくこと、気がつくことがあります。直接これから使おうとしている人たちにインタビューすることもあるでしょうし、まだ曖昧なものならユーザの人たちの振る舞いや行動をつぶさに観察することからも生み出されることもあるでしょう。

どちらでなくてはいけないということはありません。両方とも必要であることは言うまでもありません。勝手な思い込みで、きっと使ってくれるだろうといって世に出しても誰も見向きもしれくれなかったとか、逆に、顧客第一主義と称して、お客さんの言うことを何でも聞いてそのまま作ったはいいが、環境が変わったりとか、要求を出した担当の人が辞めてしまったりするとそこで使われなくなったといったケースはよくあるのではないでしょうか。

ただ、イノベーションという面から考えると、シーズ志向の方に重心があるように思います。 ビジョンのところでも言ったように何々したいという思いが強くなくてはいけないわけで、そうなると創造したもので新たな市場・顧客を作り出すということまでしてしまうということが考えられるからです。おそらく真のイノベーションはこうしたプロダクトと市場・顧客の創出がセットになったものなのでしょう。

アイデアは、たくさん出すことが大事です。アイデアを出すには、ブレーンストーミングとかKJ法など多くの手法があると思いますが、思いついたことをポストイットなりホワイトボードなりに書き出すことがよいでしょう。ここでは、素晴らしいアイデアを出すことより、生半可なものでも単なる思いつきでもいいので数多くのアイデアを手当たり次第に吐き出すことが肝要です。

ここまでの工程でものになるようなアイデアはそうそう生まれてくるわけではありません。後工程でいろいろな議論や検討をしているうちに、ここで拾い上げたアイデアを思い出していけばよいのです。それとアイデアは単発ですごいものになるというよりも、複数のアイデアの組み合わせから新しいプロダクトやモデルが生成されるのが多いものです。
  

2014年1月 8日

デザイン思考で業務システム開発(第9回 フレームワークを作る)

コンセプトができたら、フレームワークの作成にとりかかる。この場合のフレームワークというのはコンピュータの世界でいうものとはちょっと違う。実際にどんなものになるのかをかなり詳細に決定することである。具体的には、スケッチングとプロトタイピングを繰り返して作り直しながら、徐々に作りたいものの輪郭を明らかにしていく。次のステップになる。

ステップ27.コンセプトを詳細化する

従来はデザインというとここから始まっていた。それをデザイン思考では上流から一連の流れとして捉えている。コンセプトを評価デザインのプロセスへと受け渡すためにフレームワークを構築することが必要なのだ。そこでの注意事項は次のようになる。
1. 全体を意識してコンセプトを作る
2. スケッチングを繰り返して失敗を恐れない
3. 構造に注目して、細部にこだわらない

このことは、システム開発の場合にも注意すべきことである。要するに全体観が大切なのだ。日本では割りと細部にこだわって、そこの完成度をあげようとする傾向が強い。木を見て森を見ないということになる。これができるためには、構造化、概念化ができるかどうかにかかっている。全体観がしっかりしていれば失敗を恐れずに細部がどんどん作り変えることができる。

日本人はこうしたことが弱いために、製品づくりにしてもシステム構築にしても細かいところの機能なんかは素晴らしいものをつくるのだが全体としてどうかと見た場合、余計なものがいっぱいついていたりする。大事なのは、全体の構造を考えて、部分をインテグレートして、それが調和するかを見ていく態度である。

コンセプトを構築するためにはデザインスキルが必要になる。それには、インタラクション・デザインとプロダクト・デザイン、グラフィック・デザイン、サービス・デザインの技法が必要になってくる。それらの技法は次のようになる。

技法1  スケッチングと物語を作る力を確認しよう。
技法2  コラボレーションを行い具体的なアウトプットが出るように、効果的なミーティングを行う。
技法3  コンセプトのゴールは明確に定義できているか。
技法4  良いアイデアを選んで残そう。すべてを生かしてはいけない。
技法5  アイデアができかけているときにそれを阻害する質問を思いついたら、それは別にあとで考えるようにする。
技法6  意思決定したらその理由を明確にしておく。
技法7  同じテーマで15分以上議論しない。

これも、プロダクト・デザインだけではなく、システム構築にもあてはまりますね。システム作りが単に機能の埋め込みに終わっている場合があって、そうなると担当がひとりでアウトプットを出してしまうことがある。繰り返しになるが、全体性の見極めと細部の詰めをバランスよくやるということだろう。そして、その結果をすべて説明できなくてはいけないのだ。

こうして、詳細化されたコンセプトが作られていく。手にとって使える道具であること、実践を見せること、デザインの三要素、統合、調和、輝きのすべてがあるかをチェックする。
  

2014年1月19日

不確実性への対応

ちょっと前に順序からの解放ということで不確実性の問題に触れた。それに関連してちょっと書いておこうと思います。ものごとには陰陽説ではないが、2つの相反する面を併せ持つものが多い。善悪とか黒白といったどちらか一方ではなく、両方から構成されている。そのバランスが時代とともに、あるいは取り巻く環境によって変化していく。逆に言えば、そういった重心の移動が出来なかったことにより消えていってしまうこともある。

当然、ビジネスの世界でもあてはまるわけで、パラダイム変化なんて言われ方もするように機敏に対応していく必要がある。ビジネスの世界、もう少し狭めてビジネスシステムの世界を眺めてみるとやはり時代とともに変わりつつあるように思う。その変化の一つに確実性の世界から不確実性の世界の比重が大きくなっていることがあげられよう。

従来のビジネスシステムでは確実性の高いものを扱うことが主だったように思います。例えば勘定系のもののように厳密性を追求するし、曖昧さは許されないというものです。こういったシステムでは、因果関係がきちんと構成されていないといけません。全部辻褄が合うように、原因と結果がきちんと見えていることが必要になります。このことは実はコンピュータが得意とするところで、確実性のものはアルゴリズムが出来ていることなのでコンピュータでは扱いやすいのです。

ところが、今日のビジネスでは不確実性の高い事案を扱うことが増えてきました。それはなぜかというと顧客との関係が近くて濃くなったからに他なりません。最近では顧客ならぬ個客というくらい、様々なお客さんの要求に応えようとしています。どのお客さんも同じような要求というわけにはいきませんから、どうしても不確実性の世界に入らざるを得なくなっています。

そうなると、従来のように原因と結果の相関がわかっているならそのロジックを通せばよかったのでしょうが、そうはいかなくなります。TPOでどうなるかわからないからです。ではどうしたらよいのでしょうか。ひとつは、顧客の要望を聞かないようにすることです。つまり、供給側が製品やサービスを押し込むビジネスです。しかしこれはアップルのジョブズのような天才がいればいいがだれでもできるというわけにはいきません。

現実的な方法としては、原因と結果の関係を逆転してみたらいかがでしょうか。そうです、ベイズ決定理論のようなアプローチです。そもそも最初のところが不確実なのだから、そこをいくら固めようとしても無理があるわけで、であればそこはあいまいでもいいという前提をおいてしまうことです。つまり、ある事象の結果を絶えずフィードバックして入り口に戻してあげるということです。

この考え方はケースマネジメントにも近い考え方ですが、そのとき大事なことは原因から結果に至る過程がちゃんと把握されていることです。それができていないと、意味づけされてない結果を戻したところで役に立たないからです。もうおわかりだと思いますが、プロセスをきちんと作ってそれをオペレーションすることで初めて不確実性にも対応したシステムになるということです。
  

2014年1月10日

夢は叶えられる

8日に行われた本田圭佑のイタリアセリエACミランへの入団記者会見が話題になっている。何といっても30分あまり英語(残念ながらイタリア語ではなかったが)で受け答える姿に驚いた方も多かったに違いない。これまでは通訳を介してのやりとりだから本当の姿が伝わらないし、理解が難しいところがあるが、一応英語でも分かる人も多かっただろうから好感を持って迎えられたようだ。

何しろ、サムライ精神とは何か?と問われて、"サムライに会ったことがないので何とも言えません。ただ、日本の男性は決してあきらめない。強い精神力を持っているのが日本男児。そして、規律を重んじて いる。それは私自身も大事にしようと考えています。こういうスピリットをピッチでも示したい。そういうのがサムライ魂なのではないでしょうか。"とジョークも交え答えるなんてすごいものですよね。

サッカー選手だと中田英寿とか川島永嗣らのように語学が達者な選手もいるが、本田もそれと長友などもあまり苦にしないでコミュニュケーションするようだから、早くチームに溶け込んで行けるだろう。実態は詳しくは知らないが、海外で成功するかしないかは、このコミュニケーション能力が大いに関係するように思う。

メジャーリーグにしても、イチローも普通に英語をしゃべるそうだし、最近では、川崎宗則なんて言葉は知らなくてもコミュンケーションをとってしまう選手だっている。マー君も英語で入団会見をしてもらいたいなあ。要は、大事なのは伝えたいものがあるのか、それとユーモアとかウィットではないかと思う。特に西欧人ってジョークを言い合うこともあるし、まずおもしろいことを言って惹きつけておいてから真面目な話をするということもあるから海外では必要なことではないでしょうか。

さて、本田圭佑のコメントでもうひとつ驚いたのは、ミランを選んだ理由は?と聞かれて、"心の中のリトル本田に聞いたんです。「どのクラブでお前はプレーしたいんだ?」と。そうしたら心の中のリトル本田が「ミランでプレーしろ」と言ったので、そうすることにしました。"という返しだ。同じようなことをマンUに移籍したファン・ペルシーが言ったそうだが、それにしても気の利いた発言です。なかなかそんなことは言えませんよね。

でも言っていることは取ってつけたようなことではなく、12歳の時に小学校の作文にセリアAのチームに入って10番を背負うのだと書いたのだそうだ。これだけ、夢を語ってそれを実現するまであきらめないでいることもすごいと思う。日本の男性はあきらめないということを身をもって示したことになる。さて、大変なのはこれからで、素晴らしい会見をしたからといってレギュラーを約束されたわけではないし、ライバルもいっぱいいる。ただ香川と違うのは監督が変わらないのとチームの成績が低迷していることが追い風になるかもしれない。活躍を期待しよう。
  

2014年1月13日

若者たちの間では確実に変革が起きている

先週はヨメさんともども風邪をひいてしまいほとんど外に出ないですごした。となると、仕事をする気も薄れ、暇になるのでどうしてもダラッとテレビを見ることになる。ところが、いつもほとんど見ていないのでわからなかったが、テレビがひどいことになっている。連続テレビドラマは毎回見ることは出来ないし、映画はすでに見たものばかりだし、あとの番組はグルメか医学ものばかりと芸人がやたら出てくる番組ばかりでうんざりする。うまいものをばかばか食べている芸人が別のチャンネルで太り過ぎはからだに悪いとなる。どうなっているんだ。

だから、見るのはニュース番組かあとはお気に入りのものだけになる。ただし、お気に入りもほんの少しだから困ってしまった。そんな中、木曜日に放送された「カンブリア宮殿」はおもしろかった。「百戦錬磨ゲスト×ものづくり新世代 ものづくり若武者スペシャル ~造り方を変えろ!世界を変えろ!90分拡大版~」と題したスペシャル番組であある。ものづくり"百戦錬磨"ゲストがコマツ 相談役 坂根 正弘と工業デザイナー 川崎 和男で、ものづくり"新世代"のゲストが Cerevo(セレボ) CEO 岩佐 琢磨(35歳)、アンドゥアメット 代表 鮫島 弘子(40歳)、クロスエフェクト 社長 竹田 正俊(40歳)である。

新しいモノづくりのかたちを提案し実践している若者たちが登場する。どんなビジネスなのかを簡単に紹介すると、セレボという会社はたった13人で企画開発、デザイン、設計・製造、販売までを運営してしまう家電ベンチャーである。社長の岩佐は元パナソニックのエンジニアであるが、大企業の限界を感じて起業した。家庭用カメラから誰でも簡単にネットへ動画配信できるLiveShellという製品が主力である。

アンドゥアメットは、女性向けの革バッグを製造・販売する会社で、特徴はエチオピアに生息するエチオピアシープの革を使ったもので、その素材の良さやデザインでよく売れるという。手作りでしかも全部現地で行うので生産数も限られているので、ひとつ10万円もするがビジネスとして成立している。社長の鮫島がこだわるのは、最貧国であるがゆえに援助と見られがちだが、そうではなくエチオピアの高級ブランドとしてビジネス的に成功したいのだという。

最後のクロスエフェクトは何と心臓の模型、それも動いてしまうものを製作する会社、というかそれに限らないのだが、世界一速く試作品を作ってしまう会社である。心臓模型というのは、外科医にとって手術する前にシミュレーションできるという画期的なもので実際の手術の成功率が上がるのである。この模型のすごいところは、CTスキャンの画像から立体的な模型をつくのだが、外形だけではなく内部も正確に造形してしまうのだ。すごい町工場なのである。

どれも素晴らしいのひと言なのだが、ビジネスモデルとしては、全く新しいものというわけではない。いや、もう少し正確に言うとビジネスモデル要素は既存にもうあるものでその組み合わせに工夫を施しているといったほうがいい。最初の家電ベンチャーも有名な一人家電メーカーでSTOROKEというLEDデスクライトを作った八木啓太さんや、最貧国でのバッグ作りだとバングラディッシュで活躍している山口絵理子さんの例もある。

試作品作りも多くの会社がやっているし、このクロスエフェクトという会社は京都の会社でその地域の中小企業が「京都試作ネット」というサイトを立ち上げていて、彼らはそこでどうしたら生き残れるかを真剣に考えた末に、ここだけは負けないという強みを持たなくてはと思い、「世界最速の樹脂試作で開発工程を完全サポート」というビジョンにしている。これらも、いまぼくが関わっている企業間連携の仕組みづくりと同じなので非常に参考になった。

こうしたビジネスに果敢に挑戦している若者が輩出してきたということは非常に頼もしく感じるしうれしい限りだ。日本のモノづくりの強さが大企業という枠から飛び出すことで飛躍することを期待せざるを得ない。いみじくも岩佐社長が言っていたが、大企業は100億円すぐに売れるというものには強いが、ゼロから1億円売るのはできないということだ。ところが、これまでは1ヶ国で100台売れるというとクソだとか大失敗だとか言われるが、100ヶ国で10000台だとビジネスになるのだ。他の2社にとっても似たような話で、大企業とは真逆の発想で勝負できる時代になったのである。

こうしたビジネスが成功する要因のうち大事ものとして村上龍があげたものが的を射ていると思う。すなわち、「トレーニング」「デザイン」「ネットワーク」である。これは、端的には登場した3社の特徴を言い表している。すなわち、パナソニックという大きな会社でトレーニングしたからこそ企業できたのだし、(ただし、岩佐社長は、ベンチャーでトレーニングしたほうが一人でなんでもやらなくてはいけないので有効であるといっている)いくらいい素材もデザインが大事でもあり、小さいならそれを束ねるネットワークで間口をひろげることで対抗できるということなのだろう。

いまこうして紹介されたということは、類似の会社が数多くなってきたことを意味する。ある意味、稀少でもなくて多くの小規模ベンチャー群の中のたまたま目についた会社なのかもしれない。というのもぼくの息子たちの周辺の若者たちを見るにつけ、いまや大企業に入って受動的に仕事をこなしていくことのリスクを感じている子が多いなあと思うのである。国の施策はまだ抵抗勢力の方だが、現実の世界は確実に変革が起きている。
  

2014年1月15日

住んでみたドイツ8勝2敗で日本の勝ち

もう昔の話だが、調査のような形でヨーロッパに3週間いたことがある。主としてドイツに滞在したのだが、ぼくはひとりで行動するのが性分としては合っているので、夜な夜なビールを飲みに街のレストランというか居酒屋のようなところに出没していた。そうすると時々は現地のドイツ人と話し込む。そういう彼らは割と日本人が好きなようだ。ただ、ちゃんと日本のことを理解しているのかは疑問で、昔戦争で一緒に戦ったよななんていう奴もいる。それだけだから、ぼくは日独比較論を語れない。

ドイツのシュツットガルトに在住の作家・川口マーン恵美さんの著した「住んでみたドイツ8勝2敗で日本の勝ち」(講談社+α新書)は、30年という長い間のドイツでの生活から見えてくる日本とドイツの比較について書いてある。要するに8割方日本のほうがよいところがあるが、2割方は分の悪い面もあるよということらしい。

彼女は、有名なブロガーでもあるので時々は読んでいるのでおおよそは聞き慣れた意見でもあるが、偏りもなくまっとうな考え方の人であるから、それほど身びいきではない常識的な星取表かもしれない。(日本だけではなく、30年も暮らしているわけだから、ドイツに対しての身びいきだってあるかもしれない)

本で取り上げられている論点は、日本の尖閣諸島、つまり領土問題について、脱原発の問題、働き方の問題、教育とか学校の問題、サービスについて、そしてユーロとTPPの問題などについてである。これだと7つのテーマでそのうちどっちが勝っているとなると8勝2敗にはならないから数には意味がなくて感覚的なものであろう。

領土問題では、ドイツとフランスとを行き来したアルザス地方を例に、世界のあちらこちらで起きているわけで、その時の確かなことは実効支配している方が勝つということなのだが、領土問題に限らず経済でも自分たちの手で守らなくてはいけない。そんな問題での日本とドイツの差は軍事力を持っているか持っていないかだという。確かに同じ敗戦国でありながらドイツは軍事大国なのだ。ちょっと考えさせられる一面だ。

脱原発はおりしも東京都知事選挙で細川元首相が立候補することとなりしかも小泉純一郎の応援があるということで脚光を浴びているが(都知事選で脱原発が争点っておかしいと思うのだが、)、その小泉純一郎はドイツの脱原発情勢を視察してから一気に原発ゼロに舵を切ったというから、どんなものかと興味があるのだが、ドイツでは一時の脱原発熱もすっかり冷めているそうだ。だって現実的ではないからだ。再生可能エネルギーといったってすぐに代替できるわけがない。

しかし、原発を再稼働することもできないというジレンマを抱えざるを得ない。風力発電や太陽光発電は、化石燃料発電でバックアップしなければ成り立たないから、再生可能エネルギーでの発電が増えれば増えるほど、化石燃料発電所がより多くいることになる。大いなる矛盾である。この問題は、ドイツよりも周辺諸国からの電力の融通がきかない日本のほうが深刻な問題である。単に脱原発と叫ぶのではなくエネルギー供給問題として現実的な対応を考える必要があるのだろう。

他の問題も書きたいのだが長くなるのでかいつまんでいうと。会社で病欠は有給休暇になるのかどうかがとりあげられていて、ドイツでは堂々と有給休暇であり、日本のように有給休暇を流すなんてとんでもないのだそうだ。ただし、長期休暇をどう使うかのストレスがあるのだという。へーそうなんだ。ドイツでは大学進学のチャンスが2度しかない。つまり、そして、早い段階で進路が決まるというある意味格差社会である。その点は日本では義務教育があるのは素晴らしいといっている。ホームレスが岩波新書を読むのには驚いたそうだ。

サービスという概念はドイツにはないと、ドイツ鉄道を引き合いに批判している、圧倒的に日本の勝ちだ。最後のEUとTPPについては、EUの優等生のドイツの現状を紹介しつつ、ドイツの立場を擁護してTPPにおける日本と似ていると指摘してTPP参加に批判的な論を展開する。こうしてみると、北欧の遠い国とか文化のかけ離れた国などとの比較よりも意外と共通点の多いドイツとの比較論はおもしろいなあと思ったのである。ブンデスリーガで日本選手が活躍するわけだ。香川よドルトムントに戻れよ。
 

住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち (講談社プラスアルファ新書)
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2014年1月12日

いざ北陸決戦!

昨日の全国高校サッカー選手権の準決勝で富山県代表の富山第一高校と石川県代表の星稜高校が勝ち上がり、明日の決勝にコマを進めることとなった。予想外というと失礼かもしれないが史上初の北陸勢によるファイナルである。やはりここ最近の傾向なのだが、全国のレベルが向上したので昔あった地域差というものがなくなってどこの県の代表が優勝してもおかしくない情勢になった。

準決勝第一試合は、富山第一と三重県代表の四日市中央工業である。四中工は過去第70回大会で帝京と同時優勝を成し遂げ(主力メンバーが、小倉隆、中西永輔、中田一三である)、前々回は決勝で市立船橋に敗れているので悲願の単独優勝を狙っている。

先制したのは富山第一で、前半22分にショートコーナーからのセンターリングがゴール前にこぼれたところを決める。ちょっとしたトリッキーなプレーに四中工が惑わされてしまった。だが、前半終了間近に得たフリーキックを中田がスパーゴールを決め同点に追いつく。後半に入るとまたもや富山第一が先行する。57分に鋭くドリブルで持ち込むとこぼれ球を拾われゴール。ところが、73分に四中工がカウンターで追いつく。

ということで、2−2でPK戦に突入する。なんと富山第一にはPK専用のキーパーがいた。試合終了間際に交代したGKが一本止めて富山第一が勝利する。ぼくは前に言ったように四日市に住んでいたので四中工を応援していたのだが残念であった。ちょっと前に四日市で化学工場が5人が死亡するという爆発事故を起こしていたので、四日市にとっては不幸が重なってしまった。

準決勝第二試合で星稜と対戦したのは京都橘高校で昨年の準優勝チームであり、その時の得点王であり名古屋グランパス入りが決まっている小屋松知哉という絶対的エースがいる。従って、戦前の予想では京都橘有利である。それと、星稜は練習試合でも一度も勝ったことがなく、直近の試合でも1−5と大敗していたのだ。

ところが、フタを開けるとなんと星稜が4−0で圧勝してしまった。サッカーの勝負はわからないものだ。この結果を引き起こしたのは星稜の先制点だ。開始早々の3分という時間帯に入れられたのだから、京都橘はショックだったに違いない。本来のキレのあるカウンターも出ないし、小屋松が徹底的にマークされて攻撃の糸口がつかめない。

後半も始まってすぐにPKを献上してまた失点する。この前後半の始まってすぐの失点で試合を壊してしまった。まさにセオリーにある危険な時間帯での失点であった。この2点は、星稜の右サイドから攻撃に京都橘の右サイドバックの対応のミスであった。あえて特定していうのもかわいそうなのだが、ゴール前に流れたボールを待ってしまったことがゴールを許した。両方ともほんのちょっとの躊躇が生んだものだ。これを一番よくわかっているのが本人だろう。

京都橘は、一度も負けたことのない相手に大事な大会でなぜ負けてしまったのだろうか。まずは相手を甘く見たということがある。ぼくにも経験があるのだが、当然勝てると思って、次の決勝のことを考えてしまうと目の前の試合ではどうしても緩んで受けてしまいしくじることがあるのだ。それと、練習試合はあてにならないことがある。もちろん真剣ではないという面もあるが、グランドと観衆という差があるように思う。学校の土のグランドと国立競技場ではやるべきサッカーが違うからである。星稜の堅守は大会向きであったのだろう。

ということで、予想とは逆に北陸勢同士になった。さて明日の試合はどうなるのだろうか。富山第一が星稜の守備陣を崩せるのかどうかが焦点だろう。ただ、中1日という日程がどう影響するかもある。死闘を繰り広げた富山第一の疲れと締り具合、星稜の楽勝による疲労感の少なさと緩みの対戦になる。好試合を期待したい。
  

2014年1月14日

おめでとう!富山第一高校

信じられないような感動的な試合を生み出すのは国立競技場という場と大観衆なのだろう。昨日行われた全国高校サッカー選手権の決勝で、富山県代表の富山第一高校が、石川県代表の星稜高校を延長戦の末、3−2で破った試合は素晴らしいというひと言である。富山第一は初優勝であるが、富山県としても、また北陸勢としても初優勝である。まずはおめでとうと言いたい。

試合は、富山第一のペースで始まる。それに対して決勝まで無失点の堅守を誇る星稜のディフェンスが立ちはだから。均衡を破ったのは、押されていた星稜のほうで、ペナルティエリアの浮き球を富山第一のディフェンスが足を高くあげてしまいPKを得てそれをキャプテン寺村が落ちついて決める。前半はこのまま1−0の星稜リードで終える。

後半に入ると、星稜が戦術の修正をして少し前がかかりになり始める。コンパクトにしてセカンドボールも拾い出すとチャンスもすこしずつ増えてくる。そして、70分から一気に前線に送られたボールを仲谷がゴール前にセンターリングするとそれを森山がヘッド合わせて2点目を入れる。これで勝負合ったかと思われたが、2−0というスコアは怖いというのが定説のように、87分に今度は富山第一がカウンターから同じよう形で途中出場の高浪が決めると雲行きがあやしくなる。

しかし、アディショナルタイムに入り、いくらなんでももう終わりかと思われ時に富山第一がPKを得る。この緊迫感のなかで冷静にキャプテン大塚が決めて、その直後にタイムアップの笛がなるというギリギリの同点弾であった。2−2で延長に突入することになる。2点ずつがPKとサイドからのクロスを叩くという似たような得点であった。それにしてももうちょっとというところで星稜の優勝が逃げていってしまった。

延長では一進一退を続けるが土壇場で追いついた方の勢いが勝るのはしかたなく、これまた終了間近の109分にゴール前のこぼれ球を富山第一の村井が鮮やかなボレーシュトーとゴール右上に突き刺し、ついに逆転してしまった。この試合展開だけでもすごいですよね。勝った富山第一の粘りも素晴らしいが、負けた星稜の健闘も光る。戦前に北陸同士だから地味な戦いといった先入観もあったかもしれないが、これ以上ないというくらい劇的な試合であった。

最近の選手権評ではレベルの高さを言うのだが、また今回も同じように高校サッカーのレベルアップに驚かされた。以前は、個人の技術の向上に目を見張ったものだが、最近はそれはもう当り前で、今や戦術とか駆け引きとかいった部分でのレベルがすごいことになっている。例えば富山第一は球離れを早くしてスピード感あふれる攻撃を身につけていたし、星稜は堅い守りからのサイド攻撃が持ち味だ。それと、星稜が前半押されていたのを後半に修正してくるあたりの戦術理解度もある。

ただ、昨日も何回か見せたが富山第一のセットプレーでのトリックが気になった。四日市中央工業戦でもショートコーナーで見せたが、フリーキックでゴール前の壁になっていた選手が相談するように見せかけて動いた瞬間に蹴ったりしていた。それと他のチームもよくやられるのが壁の前に数人がひざまずくことでキーパーが見にくいようにということだそうだ。

別に反則ではないから目くじらを立てることもないのだろうが、これって監督の指示なのだろうか。いまや高校生くらいの年齢でも世界のトップレベルのチームに入って活躍する時代なら、世界レベルでは決してやらないようなことを高校生の試合でもやらないほうがいいと思うのである。

素晴らしい試合と言っておきながら水をさすようなことを言って申し訳ないのだがちょっと引っかかってしまった。それはさておき、最後の国立競技場での試合は球史に残る名勝負となったが、夢を叶えた富山第一の選手にはおめでとうという言葉を、掴みかけた夢が破れてしまった星稜イレブンには(本田先輩といういいお手本があるのだから)あきらめずに挑戦し続けてくれという言葉を贈りたい。

2014年1月16日

デザイン思考で業務システム開発(第9回 フレームワークを作る(最終回))

フレームワークができるとそれを使うことができ、ユーザーが納得してくれたら成功である。初めのほうでフィールドワークに出て「師匠」を探して観察しましたが、メンタルモデルが「師匠」のものと一致したら、その瞬間からそのプロトタイプはあたかも以前からあったように使われだします。このようにフレームワークを作ることはプロトタイピングでは重要な作業である。この流れは次のようになる。

ステップ1 インスピレーションの源を探す。いろいろな事例や素材やデザインを探してコレクションする。分野を超えてかまわない。
ステップ2 デザイン言語を開発するいつかの方向を検討する。いくつもの要素をまとめて、ある方向性を決めてデザイン言語を開発する。例を作って試行する。
ステップ3 要素が何を意味するかを決める。イメージやノブなどの要素のデザインが決まってきたら、それぞれが何を意味するのかを決めていく。
ステップ4 実際の利用シーンでどのように要素が提示されるとよいかを決める。この作業を何度も繰り返す。
ステップ5 フレームワークとデザイン言語を一致させる。利用者にフレームワークを使ってもらって、そのときにどのようなデザイン言語を利用するかを決めていく。デザイン言語とはアクションとグラフィックな表現あるいは音の表現を組み合わせたものである。
ステップ6 デザイン言語が完成したらフレームワークに組み込み、デモができるような状態にする。これがプロトタイプである。

ちょっと、難しいところもあるがシステム開発でも実際に動くものを作ってデモすることが必要になってくると思うので基本的な流れは抑えておきたいものだ。こうして、できたプロトタイプを実際の現場のなかでさらに検証を重ねながら要求仕様を確定して、製造に向けて設計を行うことになる。

さて、要件には、データ要件と機能要件がある。データ要件とはシナリオに登場する人や物や行為の「形容詞」である。機能要件は人や物や行為の「動詞」と考える。シナリオをもとに簡単なフレームワークを作り、次に要件を探していく。絵に描くのだがこの段階では簡単でいい。ここで、インプットとファンクションとアウトプットを確認する。このあたりはまさにシステム開発と同じですね。こうしたものはスケッチとして絵にしておく。それらを時系列に合わせて整理する。これをキーパスシナリオと呼ぶ。

これもぼくは以前から「プロセスコンテ」とよんでいるものに近いような気がする。次の作業がビジュアル・デザイン・フレームワークの確定である。大雑把には上述したような形で進めていき、できあがったフレームワークをもとに実際のプロダクトが作られる。こうした作業はシステム開発の場ではなかなかやれていないところではないでしょうか。形式的にはアジャイルに似ているが、プロトタイピングというところの重要性を強調しておきたい。

ただ、最近では重要なこととしてただ単にものを作っただけで終わらせるのではなく、ビジネスとして受け入れられなければ意味がないというふうになってきている。すなわち、ビジネスモデルを書いて、分析評価するステップも必要なのだ。このプロセスは別のエントリーで書くので、このシリーズはここまでで終了とします。デザイン思考でシステム開発を行うことの有効性を感じていただけたでしょうか。
  

2014年1月18日

俺はまだ本気出してないだけ

これもマンガで話題になったものを映画化している。主人公は42歳のバツイチで高校生の娘と父親と暮らしている大黒シズオである。その彼が会社を辞めてしまうのだが、毎日家で寝転んでゲームばかりいている体たらくなのだ。そんなある日突然マンガ家になると宣言する。物語はそれからのてんやわんやを描いている。

監督が、主に舞台やテレビで活躍している福田雄一、主人公の大黒シズオを演じるのが堤真一、その娘に橋本愛、父親に石橋蓮司、シズオの親友に生瀬勝久、バイト先で知り合った若者に山田孝之といった布陣である。どちらかというとシリアスものに多く出ている堤真一がコミカルな役で出ているのが新鮮な感じがする。

マンガの素養があると思えなかったシズオがマンガ家になると言い出すと、父親は泣いて止め、娘は呆れ返っているのである。普段はファーストフード店でアルバイトをしているのだが、店の若い子や外国人にもバカにされているのだが、憎めない性格なのか意外とうまく立ちまわっているが抜けたところがいっぱいあるのだ。もうやってることがマンガチックなのだが、だからといっておもしろいマンガが書けるわけではない。

出版社に原稿を持ち込んではボツになるのを繰り返している。そんなときには決まって俺はまだ本気出してないだけと開き直るのである。でもこれってあるあるですよね。本気出したといってダメだった時のショックが大きいからである。ところで、「天職」(朝日新書)という本の中で鈴木おさむも言っていたんだが、マンガ家になると言ってマンガを書き出すところまで行くのが実は大変で、「やる」と「やろうと思った」のあいだにはむちゃくちゃ深い川が流れているのだ。

だが映画の主人公は、この川を軽々越えてしまったのだからすごいのである。多いのは、マンガ家になろうと思っているというだけのやつで、じゃあ今すぐ描けばいいじゃんというと、何だかだと言ってやれないのである。こんな能天気なシズオと対照的な人物として幼なじみの宮田(生瀬勝久)と市野沢という若者(山田孝之)を登場させている。ぼくなんかむしろこっちの方が共感できる。

三人居酒屋で飲んだりするシーンでサラリーマンていいですかと会話したり、妻と別れ月に1度しか息子に会えないとか、市野沢はバイトを辞めキャバクラに勤めるのだが中年のおじさんの我慢にふれたりとか、けっこうリアルな感じなのだ。シズオのマンガも評価されたりするのだが、これまたぼくがおもしろかったのは、宮田も会社を辞めてしまい、何と市野沢と二人でパン屋を始めるという展開である。

この話でもう20年くらい前のことを思い出してしまった。ぼくが勤めていた会社がある大きな会社と合併することになったのだが、エンジニアである先輩が合併してすぐに会社を辞めてしまった。辞めてどうしたかというとパン屋を始めたのだ。全く予想外だし、畑違いもいいとこだ。さてパン屋が続いたでしょうか。すぐに店じまいしたのは言うまでもない。パン屋簡単ではないですよ。でもあまり深刻にならず楽観主義でいくのもいいものだ。

俺はまだ本気だしてないだけ.jpg


2014年1月17日

イノベーションを支援するITシステム構築の極意(6)

さて、アイデアが集まってきたら、それらを吟味しながらコンセプトを作成することになります。一般的に考えられるのは様々なアイデアを分類して、それらの類似性や従属性といったような関係性をみつめ、組み合わせを考えるといった方法になろうかと思います。点から面、立体に向かって推論しながら発想していくというやり方です。この時大事なのは、既成概念や過去の例に囚われないようにすることです。どうしても、ある枠組みに縛られてしまいそこから抜け出せないということがあります。固定観念は捨ててかかる必要があります。

しかしながら、実際の局面では、論理的な流れですんなりとコンセプトが作られるかというとそんなことはありません。おそらく、逆の流れ、すなわち最初に"ひらめき"があって、それを検証していくというスタイルが多いように思います。セレンディピティと呼ばれるような偶発的な発見に近い話です。

ただ、そうだからといって単に偶然を期待しても何も出てこないでしょう。必要なことは、概念化とか構造化といったスキルを磨くことではないでしょうか。この力がないとアイデアをコンセプトに落とし込むのが難しくなります。ある程度の抽象度で表現しなくては、様々な角度からの要請に応えられるものにはならないからです。

さて、コンセプトはアイデアをいくつか組み合わせて、具体的にどのような技術でそれが可能になるのかを検討したものになります。ビジョンを達成するための具体的な方法とその構造のことなのでです。そして、できあがったモノを前に人が「これは何?」と聞いた時ひと言で答えることができるものになります。たとえば例として、コンビニとiPodを取り上げてみます。

「小規模の他店舗システムを共通に運営する新しい経営にすることで、フランチャイズ制を使う」

「持っている全ての曲を持ち運べるカッコいいポータブル音楽プレイヤー」

また、できあがったコンセプトを評価することも大切です。作りっぱなしではなく、実際に多くの人に使ってもらえるような魅力的なものなのかどうかのチェックです。その評価ガイドラインをあげておきます。

(1) コンセプトの図を描いたときに、そこに人間が含まれているのか
(2) コンセプトをユーザが利用するときのコンテキストがきちんと描かれているのか
(3) 提示されているコンセプトはユーザのコンテキストに置いてみて、今まで存在していなかったものであるかどうか
(4) コンセプトが加わることで、コンテキストが魅力的になったかどうかを確認する
(5) コンテキストを明確にしてコンセプトを描く


2014年1月23日

日本企業は何で食っていくのか

もうだいぶ古い話になるが、ぼくが化学会社にいたときだから90年代初めに「日本の化学産業はなぜ世界に立ち遅れたのか」(NTT出版)という本が出版されて、化学産業で働いている者にとってはかなりショッキングな出来事でしばし話題になったことがあった。もうどんな内容だったかだいぶ忘れてしまったのだが、オイルショックや公害問題、あるいはコスト競争力のなさ、企業規模の小ささといったことが指摘されていたように思う。

この本を書いたのが一橋大学の伊丹敬之教授である。その先生が最近著した「日本企業は何で食っていくのか」(日経プレミアムシリーズ)を読む。著者は冒頭東日本大震災が書かせたものだという。「第三の敗戦」に遭遇したとも言うのである。大きな歴史の大転換になっているとしている。第一の敗戦が太平洋戦争の敗戦で、第二が91年のバブル崩壊後の経済の低迷である。そして、リーマンショック、大震災、欧州金融危機と続いた2011年前後が第三の敗戦というわけである。

まず失われた四半世紀ということで、世界に取り残されてしまった日本を分析している。ただ、目新しいことを言っているわけではないのだが、そのあとの「電力生産性」という概念を提示しているのがおもしろかった。様々な産業構造の変化を要請している根本要因が電力危機であるとして、電力効率が高い産業への転換が不可避なのだと主張している。

ただ、ぼくは多少の疑問を抱かざるを得ない。というのは、現代の産業というのは一つ産業だけで完結するわけではなく、多くの産業との組み合わせで成り立っているからである。原料を供給する産業、サービスを提供する産業、商品を運ぶ産業といったような複合体なのである。だから、その産業で電力をあまり消費しないかもしれないが原料は電気のかたまりだったりするからである。だから、トータルでの電力効率を見なくてはいけない。でもこれは大変むずかしいのである。ただ、電力というかエネルギーの問題は大きなインパクがあることには変わりない。

そして、この危機をどう乗り越えていくのか、そのためには日本の産業構造をどう変えていかなくてはいけないのかという議論が展開されていく。まずは著者の提言を先に書いておこう。

・ 日本企業は電力生産性で食っていく
・ 日本企業はピザ型グローバリゼーションで食っていく
・ 日本は複雑性産業で食っていく
・ 日本企業はインフラで食っていく
・ 日本企業は中国とともに食っていく
・ 日本企業は化学で食っていく

この6つが本のタイトルの答えなのである。若干わかりづらいものもあるので説明しておくと、電力生産性はいいとして、ピザ型グローバリゼーションというのは、事業の海外展開に伴う国内空洞化のドーナツイメージに対して、円盤型のピザは全体がつながり真ん中にトッピングが載っている。つまり中心(国内)は空洞化していないのだ。

次の複雑性産業というのは、ピザ型と絡みで言うと、これからの日本列島に残ってピザのトッピングになり得る産業分野の基本的特性は複雑な機械、複雑な素材、複雑なインフラ、複雑なサービスだという。製品やサービスの形はそれぞれ違っていても「複雑性」をもった製品やサービス、あるいはシステムのことである。それは製品の機能としてもまたその生産工程としても複雑性が高い産業という意味で、多くの人がかなり込み入った仕事をそれぞれにきちんとしないと最後はうまくいかない、という意味での複雑性だという。

このあたりになるとちょっとひっかかる。複雑性とコストは両立するのかといった問題もありにわかには受入れにくい。シンプルなことの重要性が飛んでしまいそうで注意を要する。また最後の化学というのも最初に書いたように立ち遅れた化学産業が立ち直って先頭を走れるのかというのも気になるわけで、ただ国内の産業構造も確実に変化していて、その格好の例が経団連会長人事ではないかと思うのである。現会長が住友化学の米倉さんで、次期会長が東レの榊原さんである。鉄鋼、電機、自動車といった産業から化学産業へシフトしているのだ。

本で著者が言わんとすることは理解できるし、だいたいはアグリーするのだが、大変興味あるところなので6つの答えに対して別途詳しく検討を加えてみたいと思う。
  

日本企業は何で食っていくのか (日経プレミアシリーズ)
伊丹敬之
日本経済新聞出版社
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2014年1月22日

ジャッジ!

こんな作品わりと好きです。大いに笑わせてもらいました。永井聡監督、澤本嘉光脚本の「ジャッジ!」である。ふたりは著名なCMディレクターであり、CMプランナーであり、あああのコマーシャルかと言われほど有名なCMを作り続けている。そのコンビが自分のテリトリーであるCM業界をネタに映画を作ってしまったのだからおもしろいはずである。主演が妻夫木聡、共演が北川景子、脇を固めるのが、豊川悦司、鈴木京香、リリー・フランキーといった芸達者たちである。

さすが内部の人間の演出だからホントかウソかわからないようなエピソードを交えて展開する。広告代理店「現通」で働く太田喜一郎(妻夫木聡)は、いつもへまばかりの落ちこぼれ社員であるが、あるとき上司の大滝一郎(豊川悦司)からサンタモニカ広告祭の審査員として自分の代わりに行ってきてくれと頼まれる。上司の無茶苦茶な命令に抵抗すると「広告業界では"無茶"と書いて"チャンス"と読む」と説得させられる。この言葉がそのあと頻繁にでてきて笑わせられる。

しぶしぶサンタモニカに行くことになった喜一郎は英語もできないので、以前は腕の良いCM作家だったが今は資料室にいる鏡さん(リリー・フランキー)に審査員になるためのレクチャーを受け、また同じ太田姓ということで仮の夫婦としてひかり(北川景子)を同伴することになる。そこから、各国の審査員たちと広告祭でバトルを展開する。最初は、とまどう喜一郎だが、鏡さんのアドバイスも効いて存在感を増してくる。

ということで、このCMの審査をしてグランプリを決めるプロセスを面白おかしくかつありそうだなと思わせるシーンで楽しませてくれる。審査過程ではいろいろな不正に近い駆け引きがあって、必ずしも良質な作品が選ばれるわけでもないという現実を知るのだが、"バカ正直"な喜一郎は、現実に流されるのではなく純粋に対応する。そんな彼の姿が通じていくのだ。そして、もちろんひかりとの恋愛も進行するのである。

いやー、この展開はなかなかおもしろいものがある。人によっては、"軽い"感じがして評価を下げるかもしれないが、悪ふざけでもないし、笑いとペーソスもあって、よかったんじゃないかな。三谷幸喜ものや宮藤官九郎ものとはまた違った意味でいい喜劇映画だとぼくは思う。妻夫木聡がこの一途だがちょっとぼやっとした純な若者を熱演してかなりハマってましたね。
  
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2014年1月21日

ゴールの設定で戦略が変わるというあたり前のこと

まず最初に何を考えるか、最終的なゴールをどこにおくかで途中でやるべきことが変わってくる。これはみなさんあたりまえだと思っているでしょうが、意外とできていないというか考えてもみないということがあります。例えばサッカー話で恐縮ですが、ホットな例で言うと、本田圭佑がACミランに入ったこととか富山第一高校が全国大会で優勝したこととかがそのあたりを語ってくれます。

本田がJリーグのプレイヤーでいいのだと思ったら絶対にミランにはいけなかっただろうし、日本一になるのだと普段から思って、そのためのトレーニングをしてきたからこそ富山第一は優勝できたのだと思う。県で優勝して全国大会にでられればいいやと思っていたら1回戦で負けるのだ。だから、今度のワールドカップで日本代表はどこをゴールにするのだろうか。

ただ、このゴール設定には2つの方向があって、やることは一緒なのだが遠いあるいは高い目標をおく場合と、今の延長だと無理だから新しい道を歩むというのがある。いまのサッカーの話だと前者の目標の高度化だと思うが違うこともあり得る。これはビジネスの世界では多く現れるように思う。なぜなら、固定されたルールもないし、環境によってどんどん新陳代謝が起きているからである。永続的なビジネスはほんと少ないのだ。

ところが、ここで間違ったアプローチが取られることがおうおうにしてあるのだ。どういうことかというと、"今の延長だと無理だから新しい道を歩む"といいうのは大げさに言えばイノベーションである。イノベーションだったら、既成概念を取っ払って、まったく新しいモデルをつくりあげなければいけない。しかし、そのときについ従来型の延長で考えてしまうのだ。その一つにSWOT分析というのがある。

SWOT分析というのは、強み(Strengths)、弱み(Weaknesses)、機会(Opportunities)、脅威(Threats)という4つのカテゴリーについて分析して経営戦略を策定するというおなじみのやつである。ところが、めざす市場がぜんぜん違ったり、商品のコンセプトが既成のもと全然違うのだから、従来強みと思っていたものが弱みになったり、その逆に弱みが強みになることだってあり得るのだ。

従って、新たなビジネスや商品を生み出して行く時には、現状にこだわることなく、やろうとしているビジネス、売ろうとしている商品に対して、今持っているリソースで実現できるのかどうかの分析が大事で、今の世の中ではそれは外部調達でも可能なのだから、無いからといってそれが弱みになるわけではないのだ。

つまり、特に強み弱みは別の角度からの検討が必要だということと、今日的な問題は何かというと、"機会"はいっぱい用意されているのだが、うまく立ち上がったとしてもすぐに真似されてしまうという"脅威"に対してどういう対応をしたらいいのかが重要な課題になっているのだ。つまり、新たなSWOTがいるのかもしれない。
  

2014年1月24日

イノベーションを支援するITシステム構築の極意(7)

さて、4つの創造のプロセスの最後はプロトタイピングデザインということです。日本語では"反復試作"という言い方をしようと思います。すなわち、試作を繰り返しながら最終成果物に近づけていきます。こうしたプロトタイプ思考は非常に重要なプラクティスになります。

よくプロトタイプは上司やクライアントを説得するためのものだと誤解している人がいますが、全く違って、作ることで考える=build to thinkというアプローチです。考えたらまず作ってみる。作ることで考え、作りながら考えるといことです。ですから、プロトタイプは素早くできないと意味がない。しかも早い段階で生焼けでもいいから作ってしまうことが大事なのです。

ここで大切なことは、既成の技術で作れるからという制約を意識しないことです。つまり、使うべき形、使えるような形をプロトタイプを作ることで思考して、それで作れるように技術を集めていくという順序なのです。そして、技術が追いつたらもっと安くていいものになったということなのです。こういうスタンスは、競争相手に先んじることができるし、ひいてはイノベーションにつながるはずです。

では、初期のプロトタイプで検証すべきことは何でしょうか。次の3点が大事になってきます。
・スケール感     どのくらいの大きさが適しているのか
・インタラクション  どのようなインタラクションがあるのか
・特徴のディテール  その形のアイデンティティ、オリジナリティに当たる部分は何か

有名なダイソンの掃除機や扇風機も何回も何回もプロトタイピングを行っています。その後もだんだん商品に近づけるようにいろいろな工夫をしたプロトタイピング(例えば映像にするとか)を繰り返します。昔は、この商品に近づくほど時間とコストがかかってしまっていましたが、最近では3Dプリンターや光造型機なども登場し、また、コンピューターや電子デバイスも安価に手に入るようになってきました。従って、プロトタイピングがますます重要性を帯びてくるでしょう。

この創造プロセスは、プロダクトやビジネスモデルを創出する場合について述べてきましたが、実はITシステムもプロダクトでもありサービスでもあるので創造プロセスの対象でもあるわけです。つまり、ビジョン→アイデア→コンセプト→プロトタイプという流れはITシステム開発にも適用すべきなのです。このことについてはあとの章で書いていきますので覚えておいてください。
  


2014年1月19日

日常点描2014.1.19

今日は天気がいいが風が強いので寒く感じる。こんな日は富士山がきれいに見える。元旦は残念ながら霞んでいて写真をアップできなかったのでだいぶ遅れましたが今日の富士山を載せておきます。わが家の良さの一番はロケーションで朝起きて戸を開けると眼前に富士山が望めることで、特に冬は真っ白になった勇壮な姿を見ることができ幸せな気分になれることである。

ところが、困ったこともあってこんな日には花粉症の身にとってはつらい日となる。もう花粉症かと思われるでしょうが、ぼくの場合は年末から症状が出てきた。昨年の1月13日に突然くしゃみ鼻水鼻づまり現象が突発した。それまでは、花粉症とは無縁でぼくはずっと大丈夫だと思っていたのでショックだった。一般的な花粉症の方々と時期が若干ずれているが、おそらく花粉症だろうと思う。何のアレルギーだかわからないので一度検査してもらおうかと思っている。

花粉症はつらいものがあるが、特にお酒を飲んだ翌日がひどいことになる。花粉症と飲酒は相性が悪いらしく、鼻の粘膜の毛細血管を刺激してしまうのだそうだ。だから、飲んだ日の翌日は鼻は詰まるわ、くしゃみは出るわ、目がしょぼしょぼして何もする気になれない。飲まなきゃいいのに言われるのだが、逆に酒を飲んでいる時は症状が緩和されるからつい飲み過ぎてしまうのである。この時期けっこう遅い新年会が続くので困ったものである。

不思議なものでこの歳だからかどうかわからないが、忘年会はほとんどないのだが、新年会がやたら多い。今月は7回もある。だいたいが、高校や大学時代の仲間とのものだ。息子世代の若者だとどうも忘年会が多いように感じる。おそらく、ぼくらの世代になるとその年に嫌なことも含めていろいろなことを忘れたいということがないのかもしれない。それよりも、また今年も何とか生きている幸せを感じたいと思っているのかもしれない。

そういえば、先日の読売新聞で劇作家の山崎正和が「積極的無常感」ということを言っていた。何やら安倍首相の「積極的平和主義」を想起してしまうが、どういうことかというと老人は若者が明日の希望のために努力するのに対して、明日はどうなるかわからないからこそ、今日もがんばるということだそうだ。世は無常であることを痛感するがゆえに、今日を常の通りに生きようとする。つまり、無常を覚えながら自暴自棄にならず逆に今日を深く味わう生き方を「積極的無常感」と呼び、これからの老人はそういう生き方をしようということなのだ。

ぼくは、いまだに若い時の心持ちを引きずっているところがあって、欲もあり、熱いところもあるので、そんな達観したような生き方はどうかなと思うところもあるが、鴨長明ではないが日本人にはこんな無常感が合っているのかもしれない。だんだん、ぼくの周りも病気や不幸が増えてきているので、仕方なしの無常感ではなく「積極的な無常感」を持つようにしたいと思うこの頃である。

今日の富士山です。

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2014年1月25日

カノジョは嘘を愛しすぎてる

ぼくはマンガというものを読まないのでどんな作品が受けているのか、人気があるのかがさっぱりわからない。だから、映画で原作が人気コミックだからと言われてもへーそうなのくらいの反応しかできない。でも中には大変なヒットを飛ばしているものもあるのだ。そんななかに「カノジョは嘘を愛しすぎてる」というのがある。作者は青木琴美で累計450万部(既刊12巻)というからびっくりする。

マンガを読まないということは、原作がマンガの映画についても先入観として低い評価なのである。だから、ずっと先にでもDVDを借りて観るかと思っていたのだが、しぶとく多くの映画館でプログラムに残っていたので気になって観に行ったというわけである。ところがこの作品には驚いた。すばらしいできなのである。映画がマンガを越えたと思った。

監督が「タイヨウの歌」でデビューした小泉徳宏で、音楽プロデユーサーとして亀田誠治が起用されている。主演は佐藤健で相手役にはオーディションで5000人の中から選ばれた新人の大原櫻子、共演が三浦翔平、窪田正孝、反町隆史、相武紗季といった面々である。なんと言っても大原櫻子の歌声がすばらしい。また、音楽シーンが多いのだが出演者の皆さんそれなりにミュージシャン風でよかった。

ストーリーは、人気バンド「CRUDE PLAY」の元メンバーで彼らの曲を書いている小笠原秋(佐藤健)は、いまの音楽業界に嫌気がさし、悶々とした生活を送っている。そんなある日、女子高生の小枝理子(大原櫻子)と出会う。秋は自分の素性を隠して理子と付き合い始める。最初は軽い気持ちだったのだが、じょじょに純粋な彼女の人間性に惹かれていく。そして、彼女も学校の男友達二人とバンドを組んでいて路上ライブをしているところを「CRUDE PLAY」の事務所の社長(反町隆史)に見出されてデビューすることになる。それを知らなかった秋は、彼女のプロデユースを秋が「CRUDE PLAY」を脱退したあと替りに入った心也がすると聞いておどろく。

それから、お互いの本当のところを知ることになるとともにさらにお互いが惹かれていくのだが・・・。そうした展開の間に音楽が入り込んできて効果的な役割をはたす。成功したのになぜかその世界に入り込めない秋の絶えず不機嫌な振る舞いが、理子の無垢さに触れて素直さを取り戻すのである。こうした情感というのは、別に音楽の世界だけではなく、若者の通過儀式みたいな面もあって普遍的なものでもある。佐藤健がその辺りのナイーブさをうまく表現していて好感が持てる。

なぜぼくがこんなに評価するのか、映画がマンガを越えたとほめるのかというとマンガではできないことを映画では表現したからである。それは歌である。さすがにマンガ出は歌は聞こえてこない。セリフという直接的なものより、歌という間接表現の含蓄の深さを感じたのである。「タイヨウの歌」でも歌が重要なファクターになっているが、小泉徳宏の得意の演出といったところだろう。すごくまじめで真摯な映画だと思った。ちょっとほめすぎかな。
  
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2014年1月26日

答えのない議論は不毛か

議論というのは、黒白決着をつける、つまり相手をねじ伏せて自分の意見に従わせるなんてものもあるし、お互いに意見をぶつけあいながら自分の意見をブラッシュアップするというものもあります。前者はケンカですからあまり奨められるものではありませんが、後者は建設的で大いに議論する価値がありそうですね。

しかしながら、考えてみると答えを一つにしなくてはいけない時は前者のやり方になってしまいます。ですから、後者のような建設的で良いといっても極端な話、それぞれで勝手に答えを作ってしまうわけだから、答えは一つではないわけです。ですから、議論をする時にその最終ゴールは答えが一つなのかどうかをちゃんと決めておかないと不毛な議論が延々と続くことになる。

政治やビジネスの世界などは比較的答えを一つに収束させないと前に進んでいかないので、最初の議論は互いに意見をぶつけあうスタイルで始まるのだが、どこかの時点で黒白決着スタイルとなる。ところが、政治の世界でおもしろいのは、選挙である。選挙ではお互いにいわば勝手なことを言い合うわけで、多少討論会とかで議論するのだろうが、所詮噛み合わない。

いま話題の都知事選にしても、シングルイシュー選挙と言われているが、最初から黒白どっちだという戦い方になる。選挙ではしかたがないのだが、その後の政治を実行していく行政という局面ではしっかり議論してお互いの意見をゴールに近づけて行かなくてはいけない。

どうも日本の政治家さんたちにはそういった現実的な対応ができないパーティの人々がいてゴールを決めなくてはいけないのに議論ばかりしている。これは不毛な議論と言わざるを得ない。最初は、お互いの意見をぶつけあいながら自分の意見も修正しながらゴールをめざし、最終的には自分の意見が通らなくても一つにきめるというプロセスが大事なのではないでしょうか。

それにしても、小泉・細川陣営の時代錯誤はどうなっているんだろう。少なくとも76歳のご老人の出る幕ではないし、説明責任もないがしろにするわ、問題の所在の認識が一昔前の感覚だし、これでは都政をまかす人物だとは到底思えない。都民ではないのでこれ以上は言わないが、何としても東京がグローバルな世界で日本を牽引する役割を担ってほしいのに他の候補者を見ても期待薄だという情けない状況を憂うのである。ちょっと脱線してしまった。
  

2014年1月29日

真夏の方程式

東野圭吾原作の「ガリレオ」シリーズの劇場版であるおなじみの湯川博士の登場する推理ドラマ「真夏の方程式」を観る。監督が同じ湯川博士が登場する「容疑者Xの献身」でも演出をした西谷弘、主演がいつものように福山雅治、相手役の女刑事役が柴咲コウに代わって吉高由里子、その他前田吟、風吹ジュン、杏といった陣容である。

天才物理学者の湯川(福山雅治)は、夏の日海が美しい玻璃ヶ浦に降り立つ。海底鉱物資源の開発問題で説明会に呼ばれたのである。そして、緑岩荘という旅館に宿泊することになる。そこは来る途中の電車の中で知り合った恭平という男の子の叔父である川畑夫妻(前田吟、風吹ジュン)とその娘・成実(杏)が営んでいる旅館であった。ところがその翌朝になって、同宿していた塚原というおとこの変死体が海岸で発見される。

そこで事件の匂いをかいだ湯川は少年と一緒に事件を探ることになる。どうも死んだ塚原は殺されたらしく、しかも警視庁の刑事だったのだという。何かを探りにこの旅館にやってきたことがわかってくる。そこから、警視庁から岸谷という女刑事(吉高由里子)も加わり、川端夫妻と杏と塚原の関係が少しづつ解けて来る。例によって、湯川博士の頭脳が鋭く回転しだし、謎解きが始まるのだ。

推理ドラマというのは、問題解決型が多い。つまり、何か事件が起きて、そこにある様々   な現象を解いていきながら最終的な解決にもっていくというパターンである。ところがこの映画では、問題解決型というより仮説検証型に近い。湯川が仮説を提示してそれを少しづつ検証していくのだ。

推理するのが天才だからこそで、名探偵ものもこういったものがある。だから、どんでん返し的なおもしろさというよりもじわじわと追い込んでいく理詰め感が売りだ。この映画でも、初めのほうで薄々事件の姿が読めてしまう。家族の秘密というのが最初に設定されるのだが、それもそう突拍子もないもではなくある程度予想がつくのである。

とはいえできとしては、まあまあ無難な作品に仕上がっているが、ちょっと説教臭いという面と、作り物の感じが強くリアル感が薄いのである。吉高由里子とのコンビももうすこし工夫すればいいと思うのだが、刑事にしてはあまりにけばけばしい化粧をさせて吉高由里子の魅力(ぼくの気にい入り女優のひとり)を半減させたことといい首をかしげる演出だ。
  
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2014年1月28日

BPMとプロモーション

BPM(Business Process Management)が普及しそうでなかなかそうはいかない。毎年のように業務プロセス管理とか改善とかが経営の重要課題であると言いながらも導入が進んでいるようには聞こえてこない。営業的な観点から見ると潜在顧客を見込顧客化して顧客としてオーダーをもらうまでの道のりが険しいということである。

お客さんのタイプはそのステージによって4種類にわかれると言われている。「まだまだ客」「おなやみ客」「そのうち客」「いますぐ客」である。別の言い方だと「まだまだ客」は潜在顧客、「いますぐ客」が有望見込顧客で、あいだの2つが見込顧客といったところだろう。2つの見込顧客の違いは、必要性はわかっているのだが欲しいところまでいかない状態と、欲しいと思っているのだが本当に必要なのかどうか悩んでいる状態である。

BPMはどうなのだろうか。必要性を感じている人が多いのだろうか、それとも必要性そのものに疑問を抱いているのだろうか。こうしたケースでは何らかの外部的なきっかけをトリガーにして始めるということがある。例えば、必要性はわかっているのだが欲しいところまでいかない場合だと、業績が悪化して人員削減をしたので、業務が回らなくなってしまったのでBPMを導入して少人数でもオペレーションできるようにして回避せざるを得なかったようなことが考えられる。

一方、欲しいと思っているのだが本当に必要なのかどうか悩んでいるような場合だと、だれも気がつかないところで不正が起きたというようなコンプライアンス問題があったとしたら、きちんとしたビジネスプロセス管理をしないとまずいというようなケースなどが考えられる。必要性に迫られてやらざるをえなくなるというわけである。

結局、何かを普及するとか、認知してもらうとかいった行動は営業プロセスのプロモーション機能なのである。そういったプロセスをちゃんと記述して設計しましょうよというのがBPMなのだから、それができないでまだ世の中のひとがわかってくれないんだよなと嘆いてはいけないのだ。この手の紺屋の白袴的な話はよくあって、システムを導入するのにシステマティックではなかったりする。

ITシステムは設計して終わりでもなければ、動かして終わりでもないし、要するにそのシステムを使って成果を出して初めて成功したという当たり前のことがなかなかできていないのである。いいものですよと言ったところで、おのれの足下のことができないのにどうして他所の人に薦められるのかという反省なのである。
  

2014年1月31日

システム開発方法論と健康法

全く関係ないことを2つ並べてどうしようとするのだろうと訝しく思うかもしれないが、今から強引に結びつけてしまおうと思う。このブログでも糖質制限だとか腰痛解消法だとかといった健康法について書いたことがあるが、近頃は健康法のブームという様相を呈している、テレビをつければそんな番組ばかりだし、本屋に行くと極論本を含めてたくさんの健康に関する本が並んでいる。

どれも同じようなことを言っているのかと思いきや、全く反対のこと言っている場合もある。肉を食った方がいいと言っている一方で肉の油はだめだと様々である。往々にして前提があって、年寄りならとか、運動不足の人ならといった条件がある場合が多い。ならば、もう少し整理して言ってくれよと文句も言いたくなるが、センセーショナルな物言いのほうがインパクトがあるからそんな前提ははしょられることとなる。

ぼくが今取り組んでいる腰痛対策にしても、絶対に叩いたり、揉んだり、強く伸ばしたりしてはだめだというだが、他の人はストレッチを薦めてくる。まあ、自分の身体に効くやつをやればいいのだが、そこまで行き着くのが大変なのである。その他にも、糖質は制限したほうがいいというもあるし、制限しないほうがいというのもある。こうなると、信仰みたいなもので信じるものは救われるとなってしまう。そういえば十字式健康普及会にも行ったなあ。

こうしたことは、システム開発の場でも似たようなことがある。つまり、開発のやり方とかアプローチの仕方の領域ではああじゃないこうじゃないという議論が続けられている。やれ、オブジェクト指向がいいとか、ウォーターフォールじゃだめだからアジャイルでいくべきだとか、データよりプロセスだとか喧しい。

健康法にしてもシステム開発にしても、目的とか問題の所在は自明なのだが、その対処法に異なった方法があるということなのである。How toに思いのたけをぶつけてくる。要するに、腰痛だとか、メタボだとか、生活習慣病だとかの解消という目的があって、具合の悪い箇所が腰だとか、血圧だとかわかっていて、それは誰しも否定できない。そこまでは同じでも治し方が様々なのである。

システムだと、業務の見える化だとか、プロセス改革、老朽化更新といったように目的が設定され、問題箇所として、営業プロセスだとかサプライチェーン、レガシーシステムといったようなアプローチは同じなのだが、それをどうやって実現するのかという手段の話となると百花繚乱状態である。こんな時は標準化だとか共通化といった声が上がるのだがうまくいったためしはない。結果が出れば手段は何であるかは問われないからである。

健康法だって、結局痛みが取れればいいし、痩せればいいのだからその人に合ったやり方を見つけて、とりあえず信じて実行するしかない。でもこれだと身も蓋のない話になってしまいそうなので、もう少し体系的で論理的なものを考えてみる。先ほど言った目的と問題の所在は共通だということで、そのあたりのレベルではきちんと定義しておくことが必須である。

ところが案外、このあたりの問題の掴み方、課題の設定が間違っている場合もあるので気をつけなくてはいけない。そのためには、すぐに低いレベルの詳細に行かないことが大事である。つまり、木をみて森をみない愚をおかさない俯瞰力を磨いておくことなのだろう。健康法にしても、どうしても対症療法になるのだが、もっと体質改善的な対応というハイレベル視点も持ったほうがよいと思うのである。
  

2014年1月30日

イノベーションを支援するITシステム構築の極意(8)

さて、今回からはビジネスの構造体に入っていきます。前回までに創造のプロセスを議論してきました。ビジョンを描き、アイデアを創出し、コンセプトを作り、プロトタイプを行って、新しい製品やサービスを創造するプロセスです。こうした創造プロセスによって作られた商品をいかにして売るか、使ってもらえるかが非常に重要なこととなります。

日本のモノづくり現場で陥りやすいワナがいいものを作れば売れるという考え方であると指摘されるようになりました。それが過剰品質を産んだり、高コスト化を招いて中国をはじめとした国に製造拠点が移行してしまったのは周知の通りです。つまり、商品を作っただけで終わりでなくそれをいかに売るのかというビジネスモデルをきちんと構築しないといけないとうことです。

そうしたビジネスモデルはどういう構造をしているのか、どんな構成要素から成り立っているのかを検討するのがこの章の目的になります。そこで、提示するのが6つのビジネス構造体です、つぎのようになります。

(1) どこの誰に
(2) どういう関係で
(3) どんな商材を
(4) どのリソースを使って
(5) どのように提供して
(6) どうやって儲けるか

この6つの"ど"から成り立つモデルはビジネスを実行していく上で必須の要素になります。「どこの誰」というのは市場と顧客をどこに置くかということで、お客さんと「どういう関係」を築いて商品を販売するのか、そこに売るものは「どんな商材」なのか、そして多くの経営資源の中から「どのリソースを使って」ビジネスを動かすのか、商材をお客さんに「どのように提供して」いくのか、最終的には収益をあげなくてはいけないから「どうやって儲けるか」の仕組みを作るのです。

これが、わかりやすいビジネスモデルの定義です。ビジネスモデルというと、ついひところアメリカなどでビジネスモデル特許といった言われ方もされたように収益モデルという狭義の解釈がされがちですが、それだけではなく、製品やサービスの価値とか顧客やサプライヤーとの関係、サプラチェーンといったものを含んだ総合的なモデルとして捉えています。
  


2014年1月27日

いい文章には型がある

毎日ブログを書いていると言うと、よく書けますねえ、文章にするのは難しくありませんかと言われる。もちろん最初は大変で書きなおしたり推敲したりしないとアップできないでいたが、だんだん慣れてくるとそんなに苦にならなくなる。それが単に慣れたからなのか、書き方が身についたのだかは定かではない。ただ、何となく起承転結の形もまがりなりにも整ってきたように思う。

ぼくがけっこう気にかけているのは、書き出しである。それと締めの結語である。これさえ決まってしまうとわりとすんなりと筆が進む。これはあくまで自己流であるから、多少とも文章をうまく書けるような作法を勉強したほうがいいと思い「いい文章には型がある」(吉岡友治著 PHP新書)を読む。型があるんだったらそれに従えばいい文章が書けるにちがいないという思惑もある。

著者は演劇と文学理論先行の学者で、代々木ゼミで国語と小論文を長年教えてきた人で、日本語における小論文メソッドを確立した人である。その先生が言うには、文章には3つの型があるという。その3つの型とは「主張型」「ストーリー型」「直感型」なのだそうだ。

「主張型」というのは、意見を言う文章で代表的なのは論文だ。皆が考えている問題に対して「答えはこうだ」と解決する。読む方は楽しむというより、批判的な目で読む。「なぜそれがいいのか?」「もっと詳しく説明してくれ」というようなツッコミが入るからそれに耐えてなるほどと思わせる必要がある。

「ストーリー型」は「昔あるところにおじいさんとおばあさんがいました。おじいさんは山に柴刈りに・・・」というように、具体的な場所、時間で登場人物が行動すると事件が起こり、意外な方向に話は転がるといった具合である。ここで必要なのは、ハラハラドキドキの物語展開と魅力的な登場人物である。このパターンはけっこう応用が効いて、歴史・経過・報告など、できごとを時間にそって述べる時に使う。

3つ目の「直感型」というのは、エッセイとか随筆である。まず元となる体験があって、それに対する感想を「良かった」とか「感動した」とか書くことである。そこから、「人生とは・・・」「仕事とは・・・」といった深い考察につなげるのだ。

そしてそれぞれに基本的な構造がある。主張型は問題+解決+根拠、ストーリー型はいつ/どこで/だれ(何)が/何をして/どうなったか?というスタイルをとる。直感型は自由でいいということだが全く定型がないというわけではなく、随筆だと体験・感想・思考という3点セットがあるのだという。

なるほどと思うのだが、けっこう無意識のうちにやっているような気がする。ただ、勉強になったのは接続詞の使い方で、文章を書いているとどの言葉を使ったらいいのか悩んだり、ワンパターンになってしまったりするので、主張型では「そして」は使わないとか、直感型では接続詞は要らないとかためになった。

ぼくが書いているブログの主なテーマが、シネマと書店とスタジアム、ITそしておやじのひとりごとということで、映画、読書、スポーツ、IT、日常のことについてである。この3つの型で分けてみると、シネマと書店とスタジアムがストーリー型、ITは主張型、日常雑感が直感型といったところでしょうか。さて、これからいい文章が書けるようになるのでしょうか。

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