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2013年6月 アーカイブ

2013年6月15日

探偵はBARにいる

第一作でそこそこの人気となったので早速第二弾が登場した。「探偵はBARにいる2 ススキノ大交差点」は、2011年9月公開の「探偵はBARにいる」の続編である。主なスタッフ、」キャストも前作と同じで、監督が橋本一、脚本が古沢良太と須藤泰司、主演はもちろん、大泉洋と松田龍平である。脇も前回に引き続いての田口トモロヲ、松重豊、安藤玉恵といったクセのある役者さんが固める。

映画にも2年目のジンクスみたいなモノがるのかどうか知らないが、2作目というのはけっこう難しいのではないかと思う。1作目でウケたから続編ができるわけだから、前作より面白いのではないかという期待度も高く、さりとて、2番煎じのようなものは望んでいないからプレッシャーがかかってくる。一方では登場人物のキャラクターはできあがっているからその点は楽なのではないか。ということは、どれだけおもしろいプロットをもって来れるかなのだろう。

そういう意味では、寅さんや釣りバカ日誌はたいしたものだなあ。さて、この「探偵はBARにいる」シリーズはつづくのだろうか。まあしょうがないのかもしれないが前作よりちょっと落ちるがそれほど悪いできではない。ただ、うまく言葉で指摘できないのだが、あちこちで"無理がある"感じなのだ。要するに、ストーリー展開がまずありきでそれにディテールのシーンをこじつけているみたいに見えるのだ。

今回の作品における事件のきっかけは、探偵(大泉洋)と友達のオカマのマサコちゃんが殺される。マジックが好きで上手だったマサコちゃんは、マジックコンテストで優勝してテレビにも映し出されたのだが、そのすぐあとに何者かに殴り殺されてしまう。ところが、捜査がなかなか進まず犯人は捕まらなかった。そんなところにある女から事件の解明の依頼がくる。その女はバイオリニストで、マサコちゃんが生前大変なファンだったという。

その事件はどうも「政界の闇に巻き込まれて葬られた」という噂がたち、一人の大物政治家が浮かび上がる。探偵と相棒の高田(松田龍平)はススキノの街を探索し始めるのだが、そこに得体の知れない勢力の執拗な脅しを受ける。その政治家はまた、表の顔として脱原発のリーダ的存在でもあった。そこで、脱原発派や原発推進派も入り乱れて大乱戦となる。前作にも増してのアクションシーンの連続で、そこにユーモアを交えているので楽しめる。

結局、意外な展開となり事件は解決するのだが、この団円はそう奇抜なものではなく、出生の秘密的な綾でよく使われる手である。それと、ここで原発かよと突っ込みたくなるほど先に言ったような"無理がある"ように思う。あまり、エピソードをてんこ盛りにしないでコンパクトな筋立てにした方が長続きするのではないだろうか。シリーズ継続を期待しているから余計そう思うのである。
  
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2013年6月13日

復活

長々と本ブログが見えないトラブルが続いていましたが、今朝復旧しました。先々週の土曜日に突然弊社のサーバーにアクセスできなくなり、それと同時に外部のWebサイトにもつながらなくなってしまいました。ところがサーバーを管理している社長(息子)がちょうど運悪く米国へ旅立ってしまったのです。テキサス州オースティンで開かれるYAPC::NA2013というカンファレンスで発表するために10日間向こうに滞在し帰ってきません。

さあ、困りました。サンフランシスコ空港にいるところをSkypeで会話しながら対応を協議する。最初は、ネットワーク障害かと思ってルータなどの点検をしたのだがいっこうに直らない。なので今度は、サーバーの方を調査し、強制的にリブートしたりしたがダメ。ぼくができるのはそのくらいだから、ついに諦めて社長の帰国を待つことに。

それで、やっと昨日調査したらWebサーバーのハードがブッ壊れていた。というわけで、新しいマシンを立てて、元のところの設定情報を取り出して移行して何とか復旧した。まあ、言い訳じみて申し訳ありませんが、そんな状況だったので手間がかかってしまいました。今後は、外部にレンタルサーバーに移すとか対策を検討しようと思っています。
  

セミナー、ワーキンググループ案内

・BPMフォーラム
 「第8回 BPMフォーラム2013」が7月5日(金)にいつもように目黒の雅叙園で開催されます。今回は「成長戦略実現に向けたプロセス改革の姿」というタイトルです。何やら安倍内閣に教えてあげたいテーマですね。基調講演も官民からありますのでぜひ参加してみてください。ぼくが参加している「コモンセンス部会」で議論してきたBPM理解のための小冊子も披露されます。

お申し込みはこちらから


・VCPCワーキンググループ

 バリューチェーンプロセス協議会の2013年のワーキンググループ活動の募集が始まりました。ぼくは昨年から「BPMアプローチによるITシステム構築研究WG」の推進者ということで携わっています。毎月1回のペースで1年間かけて、プロセス中心アプローチの有効性を確認して、メンバーで持ち寄った事例を実際に設計・実装してしまうというものです。ワーキンググループというとどうしても勉強会のようになってしまいますが、より実践的にということで動くものを作り上げるのでおもしろいと思いますので参加してみてください。

お申し込みはこちらから
  

2013年6月14日

ビジネスサービスのつくり方 - 第4章 開発

■ プロセス要素表さえあれば

さて、だいぶ遠回りをしてきましたが、実際にWebデータベースに実装していきましょう。この章の最初に言ったように設計フェーズで作成した「プロセス要素表」に沿って設定していきます。プロセス要素表には、当該業務プロセスをオペレーションするために必要な項目を列挙してあります。ですから、基本的にはその通りにオペレーションできればよいことになります。

おさらいの意味で何が書いてあるか確認しておくと、まずはプロセスを構成しているアクティビティ(単位意思決定)とそのフロー(アクティビティの順番)が書いてあります。そして、各アクティビティの中の設定項目が定義されてます。確定データ、付帯登録情報、業務ルール、参照情報、ロール、パフォーマンス管理指標などです。

これらが設定され、案件が発生したらそこにデータがエントリーされていくと業務が遂行されるわけです。仕事というのは、ある意味業務依頼書の空欄を埋めていくことに等しいと言えます。そうした業務プロセスが適正に動かすためにアクティビティの中の項目が設定されています。すなわち、業務の進捗がわかること、どんな情報を見て意思決定をしたか、誰が責任を持っているのか、プロセスをコントロールしているのかといったことオープンなプラットフォームに現れていることが重要になります。

前にも言ったようにこうした考え方にぴったり当てはまるソフトウエアはありませんから、現状では使いやすいWebデータベース、具体的にはサイボウズ社の「kintoe」を使います。その適用にあたっての工夫を下記に示します。

  ・プロセス全体を一つのアプリとする
  ・プロセス要素表をそのまま入力フォームに書き込む
  ・アクティビティ単位をフィールドグループとして区切って表示する
  ・各アクティビティのステータスを入力するフィールドを設置する
  ・進捗管理一覧表にステータスを表示する
  ・情報共有やコミュニケーションは、コメント欄や添付ファイルで行う
  ・参照情報の取得はルックアップ、ハイパーリンクなどで行う
  ・アラートは通知機能を活用する

実際のソフトウエアを知らない人にはわかりにくいので若干の説明を加えておきます。普通、データベースソフトというのは、1件1葉の画面、すなわち登録フィールドを埋めてエンターとするのが基本です。そこを、複数の登録画面を配置し、ぞの全体をひとつのアプリケーションとします。「kintone」は最新のバージョンアップでなんとそれをフィールドグループとして括れるようになったのです。これで、アクティビティごとの区分けが明示でき非常にわかりやすくなりました。

データベースソフトは、基本的にはデータエントリー画面と一覧表からなっていますので、その一覧表に各アクティビティのステータスを表示させると、プロセスの進捗がわかります。また、「kintone」にはデータエントリー画面の右横にコメント欄がついています。ここに関係者がコメントを書き込むことでコミュニケーションをしながら意思決定ができることになります。さらに、参加者へのメール通知機能がありますので、アクションを促したり、注意を喚起することもできます。こうして見ると、何もコードを書かなくてもソフトウエアのもつ機能(本来の目的と違っていても)を工夫して使えばかなりのことができてしまいます。

2013年6月16日

完敗だ

日本時間の今早朝行われたサッカーのコンフェデレーションカップの初戦で地元ブラジルに0−3で負けた。強豪のブラジル相手だから難しい試合になることは予想されてはいたが、全くの完敗であった。ただ、ブラジルも強豪と言われても最近では調子はさほどではなく、FIFAランクも22位(ちなみに日本は32位)である。ポイントを稼げる試合が少ないこともあるので一概には言えないのだが、それでも10位くらいの力ではないだろうか。

だから、もうランク通りの実力差だったのかもしれない。点の取り方、取られ方でもその差が歴然としているのがわかる。よく、試合運びがうまいとか、試合巧者だというが、その中にどの時間帯で得点するのかというのがあり、評論家は、キックオフ直後とか、前後半終了間近に気をつけろという。

今朝の試合の点の取られ方はどうだったか。何と、前後半開始3分と終了間際のアディショナルタイムなのである。まさに、一番いやな時間帯に3点取られたというわけである。開始早々にマルセロのクロスをフレッジが胸でおとしたところをネイマールが狙いすましたようにゴール右隅に決める。これはネイマールの個人技である。

おそらく、ブラジルも地元での初戦ということもあり、けっこう緊張もしていただろうし、意気込みもあったと思うが、この1点でその硬さがほぐれたようだ。早い段階での得点はそういう意味で重要なのだ。これが、なかなか入らないようだと焦りにつながるからだ。

1点リードされたあとの後半立ち上がりに、ダニエウ・アウベスからのクロスを、パウリーニョがトラップすると素早いキックで追加点をあげる。前半を何とか1点に抑えたので、さて後半は巻き返すぞという時にいきなり失点である。これでは、反撃の機運も削がれてしまう。実にこのあたりの攻めのポイントを外さない試合運びに感心する。ブラジルもけっこう若い選手が多いのだが、しっかりと伝統を受け継いでいるようだ。

3点目はおまけみたいなものだが、真剣勝負で世界の強豪と対戦するとこうした決めるときには決めるしたたかさに負ける。これを決定力というが、逆に決定力がないと20位内のランクには顔を出せない。決定力というのは、個人技だけではない。個人技を起点にチームが一斉にゴールに向かうという戦術共有が大事なのだ。

その点で、キーとなるのがボランチの動きである。守備と攻撃の受け渡しに位置するので、ここは攻め時というと思い切って前線に飛び出し、危ないと思ったら、センターバックのカバーに入る。つまりそのプレーがチームの戦術をダイナミックに具現化するからである。パウリーニョとルイス・グスタボの二人が効いていた。特にパウリーニョはブラジルの本当の中心にいる。

さて、初戦は完敗したが、それでも全く手も足も出なかったわけでもないので気落ちせず次戦のイタリア戦を戦ってほしいと思う。
  

2013年6月17日

つながる経済における実践とは(3)

■ デジタル情報革命

つながる経済の背景にはデジタル情報革命があったからというのがあります。この章では、そうしたデジタル情報革命とはいったいどういうことなのかを解説しています。ですから、実践というよりかは、革命の本質とか企業システムに与える影響とかを見ていくことにします。第3章のポイントは次のとおりです。

(1) デジタル技術は情報を媒体のしばりから解放することで、モノの経済原理からも解放する。結果として複製費用が小さくなり、結合することで、価値が増大するネットワーク外部性の特徴が表面に現れる
(2) 多くの知が結合すると、単なる総和を超えた新しい価値が生まれる創発現象が起こる

アナログとの対比で言えば、アナログは媒体(紙とレコード、CDとか)の形状として記録されてきたため、媒体の形が変化すると変わってしまいます。つまり媒体に依存するから媒体が劣化したら情報も劣化してしまいます。ところがデジタルは媒体とは関係なしに同じ品質を保ちます。このことは、情報の複製や転送にコストがかからないことを意味します。

そこでさまざまな主体が膨大な情報を発信し出したのです。そしてそれらがクラウド上にどんどん蓄積されたてきました。ここではそうした量の増大もさることながら、情報がつながることに注目しています。今流行のビッグデータというのも単なる大量のデータという意味ではなく、情報が組み合わさることによって意味が深まるのです。

ここで聞き慣れない「ネットワークの外部性」という言葉が出てきますが、これは「顧客が増えるほど、つながり数が指数的に増大する現象」のことで、このことは友達の友達は友達だといったSNSの広がりを見れば明らかだと思います。この辺りはソーシャルな感じですよね。それと、これも単純な拡大ではなくて、異質なものがつながることによる拡大も大きな特徴です。

このことが、新しい価値を生み出す創発という現象が起きてくるわけです。単な総和以上の特性をもつものである。著者は「多様な個が相互作用しているうちに、共鳴現象が起こって、予期しない大きな結果が生まれること」という見方をしています。何やらサッカー日本代表みたい(違うかスペイン代表か)ですね。

さて、こうしたデジタル情報革命は企業システムにどういうインパクトを与えるのでしょうか。いつもITについては2つの側面から考える必要があります。ITを使う側への影響とITを提供する側への影響です。使う側すなわちユーザ企業にとって、ビジネスの性格が変わってきています。産業構造そのものが変化しています。先述のように情報と媒体が一体だった時代から、それらが切り離されてしまった現代では様変わりしています。音楽はレコードやCDではなくダウンロードして聞く時代になったわけです。

また、広告のモデルも随分と変わってきています。いまやつながりを意識した、あるいは活用して、商品を認知するようになっています。ビジネスモデルが特に顧客接点のところで大きく変革されたのです。このことに気がつかないで相変わらず閉じた自社の内部プロセスをIT化しても効果が薄いのです。

一方、供給する側すなわちITベンダーやSIerはデジタル情報革命をどううまく取り入れてシステムづくりをしているのでしょうか。もやは、ハードウエアを売ることが重要だと考えているところはないと思いますが、今現れてきているクラウドとかビックデータを表層的な捉え方ではなく、本質的な変化をきちんと理解して対応していかなくてはいけません。そして、システムを作るにしても、これまた自社だけの閉じた世界でやるのではなく、多くの外部の知を利用する、あるいはコラボレーションすることも大事になってきているのです。

要するに、ITシステムを使う側も作る側もこうした変化を捉えて対処しないと真にビジネスに貢献できるものは生まれてこないという不幸を引きずることになってしまうのではないでしょうか。
  

ソーシャルな資本主義
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2013年6月18日

食は国家なり!

いま、日本で注目されていることに農業あるいは食というものがある。それが、食の安全とか食料自給率といった文脈でその危機感が強調されている。そうした危機感に対して警鐘を鳴らしている「食は国家なり!」(横山和成著 アスキー新書)を読む。著者は、独立行政法人・中央農業総合研究センター生産支援システム研究チーム長という長ったらしい肩書きだが、土の中の微生物の専門家である。

問題設定は誰かがあるセミナーで言った、来るべき2025年が人類全体にとって非常に重要な意味を持つ一つのランドマークになるという訴え、すなわち人口増加による食料危機、エネルギー資源の枯渇、環境破壊などがが「帰還不能」になるというのに呼応して、いますぐに「20年後の10年計画」を作成しなければいけないという。

そして、日本の食の現実を分析して、そこから4つのシナリオを提示している。ところで、この本のサブタイトルが「日本の農業を強くする5つのシナリオ」なっているのだが、いま言ったように出てくるのはA〜Dの4つのシナリオであり、またそのシナリオは日本の農業を強くするシナリオではなく、これから予想される選択肢を4つ並べたものなので意味が違う。もし、ぼくが言ったことが正しかったらひどい話だ。

現状については各所で語られているので、著者が提案している4つのシナリオをみていく。ところがそのシナリオの根幹となるケース設定で「2025年日本の死」(水木楊著 文芸春秋)という本からパクっている。もちろん引用は構わないけどもうちょっと工夫をしてほしい。その元の4つとは次のとおりである。

A:江戸時代に戻る
B:国際化されたヒューマニズム国家
C:主権を大切にしたマキャベリズム
D:無策

それに対して次本書で提示された未来予測が次である。

A:日本は保護主義を選択する
B:日本は食料生産を完全自由化する
C:食料・農業に関する認識の改革
D:不策

これって、内容はともかくとして、日本の農業を強くするシナリオではないですよね。シナリオAやDは逆に弱くするだろうし、Bだってホントできるのと思う。ですから著者はシナリオCが今後日本の食を支える最高のシナリオだと言っている。だからはっきりそう書いてほしいのだ。だから、読んでいて頭が混乱する。現場を知っているから中身は面白いことも書いてあるのだが残念ながら構成で失敗している。
  

食は国家なり! 日本の農業を強くする5つのシナリオ (アスキー新書)
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2013年6月19日

中学生円山

いま、NHKの朝の連ドラ「あまちゃん」の宮藤官九郎の脚本が受けているようだ。クドカンはマルチの才能でぼくの好きなクリエイターの一人である。脚本もそうだが、監督もするし、俳優もやる。映画や舞台、テレビでも活躍とすごい才能である。しかも作品も「木更津キャッツ・アイ」のようなものから、「カムイ外伝」「なくもんか」といったものまで幅広い。今回の「中学生円山」は映画監督としては3作目で、中学生の男の子の妄想をテーマに奇想天外な映画である。

舞台は大きな団地である。団地というと中村義洋監督、濱田岳主演の「みなさんさようなら」を思い起こしてしまう。12歳の春に「ぼくは一生、団地の中だけで生きて行く。」と宣言してしまう話で、多少妄想の中で生きていこうという感じにもとれる。ただ団地というイメージがぼくらの世代と若い人たちと違うようでおもしろい。

さて、映画は中学生の円山克也(平岡拓真)はある目的のために自主トレに励む。これも「みなさんさようなら」で空手に励む主人公とだぶる。それは、あるエッチなことができないかと考えて柔軟なからだを作るためだ。男の子なら一度は願ったことでもある。(女の子にはわからないだろうな)そして、自主トレの時にいつもあらぬ妄想がわいてくるというわけである。

そんな折、ちょうど真上の家に下井辰夫(草なぎ剛)という一人で子供を育てている男が越してくる。ところがこの男はいつもベビーカーを押している謎だらけの男で、克也に「もうすぐ届くよ」とつぶやく。そして近所で殺人事件が起こる。さて克也の妄想は下井が殺人犯であると思い込むことになる。もう凄腕の殺し屋・子連れ狼として、そのことをノートに書きだすのであった。

克也の家族設定がまたおもしろい。克也に限らずこの家族の妄想も半端じゃないのだ。父親(仲村トオル)は書斎と称する部屋の一角でエロ動画を見るのと食後のフルーツが大好きなサラーリーマンで、母親(坂井真紀)は韓流ドラマにはまっている。妹の小学生は初恋をしたくてしょうがないといった具合である。そして、同じように妄想に取り憑かれるのである。

克也は下井にノートをみせ、下井が克也の妄想を理解してくれることに喜ぶ。「妄想を現実が超えたとき真実になる」とかわけのわからないことをいうのだが、克也はさらに妄想をたくましくして、出入りの韓国人の電気屋とか徘徊老人、はたまた父親を正義のヒーローに仕立てあげて、自分は「中学生円山」という仮面をかぶったヒーローになる。
いやー、ぼくの中学生のころを思い出した。やはり、自主トレまではしなかったが、妄想の世界は何度も足を踏み込んだ。そういう年頃だ。クドカンの面白さはテンポの良さと言葉だと思うので、その世界にひきこまれるとなんともいい心地よさがある。脇役に遠藤賢司とかヤン・イクチュンといったユニークな人たちが固めてそれだけでも楽しい。
 
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2013年6月20日

惜敗

ブラジルで行われているコンフェデレーションカップのイタリア戦で簡単に負けたら今晩のなでしこと合わせて記事を書こうと思ったが、3−4で結果的には負けたが非常に惜しい試合だったので、すぐにエントリーしたくなった。前半は2−1で勝っていながら、逆転されたが勝ち負けはともかく非常に面白い試合だった。

ブラジル戦の反省から、開始早々から、積極的にプレスをかけて、高い位置でボール奪い、セカンドボールの獲得も勝って、日本のペースで進む。攻撃もいい距離感を保ちながら香川が起点となってリズムを作る。やはり、香川は数多くボールに触ると生きてくる。だから、ムダかと思えるほどワンタッチ、ツータッチで回すほうが日本らしさを発揮できる。

前半21分にゴール前に流れたボールに岡崎がくらいついたところをGKブッフォンが倒しPKを得る。これはちょっとかわいそうな気がしたが、ラッキーなPKを本田が右隅に決めて先制する。ブッフォンは先日のオーストラリア戦の本田の正面のキックを知っていたと思うので動かず対応したが、本田も左に目線を置いて右に蹴るという技を使う。

そして、33分に今野がゴール前ふわりと上げたボールを相手でディフェンダーが交錯してバウンドさせたところを香川が左足でボレーシュートを決めて追加点を上げる。こうなると、イタリアも前がかりで攻めてくると、41分に得たコーナーキックをデ・ロッシに頭で合わされて1点差となる。これは、ちょうどコーナーにキックになったらすぐに誰が置いたか知らないがちゃんとボールがセットされていたので、ピルロはすぐに蹴ったため守備が惑わされてしまった。普通は、自分でセットするから時間もかかり構えるのだがあっという間にやられた。

そして、後半早々に立て続けに得点を許し逆転される。オウンゴールとPKというどちらかというと不運な得点である。特にPKを与えたプレーは長谷部のハンドなのだが、あれは取らなくてもいいファウルに思える。シュートブロックに行って倒れたところにボールが当たったわけでもちろん故意でもないし、ハンドがなければ入ったというわけでもない。それにイエローカードもおかしいですね。これは、日本の最初のPKも微妙だったのでレフリーのお返し?の心理が働いたのかもしれない。

ここから、日本も踏ん張る。後半24分に岡崎がデ・ロッシのコーナーキックの得点と同じように遠藤のフリーキックを頭であわせて、同点に追いつく。さらに押し気味に展開するが、終了間際に一瞬のすきを突かれ万事休す。実に惜しい試合であった。ただ、強豪のイタリアを相手にここまで戦えたことは称賛されてもいいと思う。

しかしである。負けたということはやはり何かがまだ足りないのである。その差は何かを考えるときに、大事な場面でのひとつひとつのプレーの精度だと思う。点を取られた時、点が取れなかった時にああすればよかったのにという思いを抱かせるのが日本のチームに多かったように思う。

2点目のオウンゴールも吉田が簡単にクリアしておけばよかったのにとか、コーナーからの点も集中しておけばよかったのにとかである。その点、イタリアはやるべきことをきちんとやっていたが相手が上回ったというように思う。ブラジル戦でも言ったように決定力というのはこうしたぎりぎりの状況でいかに精度の高いプレーができるかである。それには、経験値が大きいと思うのでこうしたビックな大会で強豪チームと戦うことを積み重ねることだろう。
  

2013年6月21日

不満が残るなでしこドロー

男子のコンフェデのイタリアに対する大善戦の話題で持ち切りのサッカー報道だが、どっこい昨日は女子もキリンチャレンジカップ2013のニュージーランド戦が佐賀で行われた。あいにくの雨の中ではあったが多くの観客も詰めかけ、また澤や宮間も久しぶりに代表復帰ということもあって期待されたが、格下相手に1−1のドローで終わった。

男子のイタリア戦を見たすぐ後だったので、そのふがいなさに不満の残る結果となった。前半21分に右サイドの有吉からゴール前に絶妙のクロスが上がると、駆け上がった大儀見の見事なボレーが決まる。このシュートは全力で走りながら、しかも斜め後ろからくるボールに正確にミートした難度の高いプレーである。ドイツで活躍している大儀見の成長ぶりを魅せつけた先制弾である。同じような場面が、川澄と宮間の間で作られたが、宮間のシュートはバーを越えてしまったように難しいのだ。

ところが、前半終了間際に宮間が2枚目のイエローカードをもらい退場してしまう。これは明らかなミスジャッジである。たいして危険なタックルでもなく、普通はレッドカードを出すのは慎重にやるというのが暗黙の了解になっているのに軽々しく出してしまった。せめて。今度やったらレッドカードを出しますよくらいの注意を入れるようにしてほしい。

しかも、親善試合ですよ。親善試合で早々とレッドカードを出すのを見たことがない。これで、一気に興味が失せてしまった。公式戦と違って親善試合というのは、自他のチーム力を見極めたり、戦術や選手のスキルの確認するのが主な目的で、いくら10人で戦うためのシミュレーションにもなるなんて強がり言ったところで、こんな試合はやりたくないものだ。どこの審判だか知らないが、試合をぶち壊してしまった。

10人になってからのなでしこは防戦一方で全く攻められない。その結果、後半に右サイドを深く突破され、中央へのクロスを決められてしまった。GKの海堀も胸に飛んだボールを処理できないというお粗末ぶりだが、あれだけ押されると同点に追いつかれても仕方ない。よく、10人になっても相手を圧倒するということがよくあるが、おそらくそれは男子の話であって、女子ではあまりないのではないだろうか。

特に日本チームのように、局面で数的優位を作りながら細かくパスをつないでいくスタイルは一人少ないことは致命的だ。男子では、パスの距離やスピードが長くて早いので、数のハンディを超えることができるが、女子はグランドを広く使えないので難しいのである。

だから、チームがまだまとまっていないとか、パスの精度をあげないとと言った反省が聞こえてくるが、それもそうだが、単純に10人になったことが一番大きな敗因である。フェアプレー賞をもらうようなクリーンなチームにしているということは、退場者を出さない、すなわち数で負けたら勝ち目がないからという戦略的な意味もあるのである。

とはいえ、もっと大きな問題は選手の新陳代謝ができていないことだ。ワールドカップとオリンピックを戦ったメンバーがほぼそのまま残っている。昨日は、両サイドが、鮫島、近賀から宇津木、有吉に変わっているが、基本的には従来とあまり変化は少ない。

確かに、世界一を獲得したメンバーだから今もベストかもしれないが、それだからこそ怖いのである。彼女らは世界のトップを経験してしまったので、いわば燃え尽き症候群的なものも多少あると思う。ですから、これ以上望む貪欲さとか伸びしろという意味で弱いのではないでしょうか。そこに、新しい血を入れることで再活性化もでき、新加入選手の刺激も得られるので、無理してでも入れ替えをしたらどうだろうか。
 

ルール適用ということを考えた

昨日のなでしこジャパンの試合で前半に宮間が退場になったことに対してミスジャッジだということを書いた。そのことで少し考えさせられたのでちょっと追記しておこうと思う。これは、サッカーに限らずにビジネスの世界でも、あるいは社会生活においても当てはまるような気がするからである。

昨日のサッカーの審判は、ルールに則って厳格に適用したとも言える。しかし、それが正しいルール適用といえるのだろうか。つまり、ルールというのは、それが適用されるその場の環境とか状況、さらに背景や方針といった様々な要素を勘案したものであるべきではないのかということである。もちろん、そんな以前にやってはいけないこともあって、例えば法律なんては厳密に客観的に適用されるべきであることは当然である。

そうしたもの以外に規範とか、指針のようにある程度の裁量が許されるものがある。それもルールと称されていて、その適用にはケースバイケースという例も多いのである。サッカーのレフリングというのもまさに杓子定規ではないその場に応じた臨機応変の笛が要望されている。プレーの流れを止めないようなアドバンテージという対処もそのことを言っている。

簡単にいえば、KYな笛は吹くなということである。昨日のように、地元日本の企業がスポンサーになって外国チームを招待しての親善試合でホームのチームの選手を退場させますか。それとともに、そもそもルールは何のためにあるかも考えたらいい。サッカーの場合はとてもシンプルでやってはいけないことが書いてあるわけで、GKがペナルティエリア内で使う以外は手を使ってはいけませんとか、ズルしてはいけませんというオフサイドとかとあとは危ないプレーなんですね。

この危険なプレーというのは厳密には決められないので審判の判断に委ねる部分が大きくなります。そして、その危険度に応じて赤と黄色の警告が出されるわけです。これも裁量です。ところで、ぼくは個人的には男子と女子とでは危険の受け止め方も違うように思う。どうしてそう思うかというと、試合中の接触でタンカに載せられる女子選手が少ないということである。

男子だとやたら派手に倒れてタンカで外に出るのだが、女子選手はよほどのことがない限るすくっと立ち上がる。これは、ぼくの持論なのだが、ボクシングと同じで、重量級ではKOが多いのに軽量級では少ないということに通じる話しなのである。つまり、人間というのは、体重とか性別でアタックに対する"耐性力"はあまり差はないのに比べ、"アタック力"には大きな差があることが起因していると思うのである。だから、女子でカードを出すような危険なものは少ないから、やたら出してはいけないのだ。

ちょっと、意地になっていますね。さて、ビジネスとか社会生活にも当てはまると言いました。ぼくは今ジネスプロセスのコンサルティングをしていますが、日頃からプロセスの構成要素で非常に重要なものに業務ルールがあると言っています。つまり、単位意思決定の連鎖であるプロセスにおいて、その意思決定は業務ルールに従って行なっていることがほとんどだからです。

そして、この世界でもルールを厳格に適用すればよいのかという問題があります。おわかりと思いますが、ビジネスの局面、特にお客さんが絡んでいるようなところでは、ルールをそのまま適用できるとは限りません。例えば、お得意さんと一限さんでは、ルールの適用の緩さに固さに差がでます。逆に厳格にルール適用ができるものはITで自動化すればよいのですが、現実の世界はそれだけではないですよね。

結局、ビジネスの世界でも状況に応じたレフリングが重要になってきます。そのためには、この試合はどういう種類の試合(どういう案件)であって、どんな選手たち(顧客や従業員)で、試合状況(収益状況とか)に応じて増えを吹く(指示を出す)ことなのだろう。そのスキルを上げるには、多くの経験を積むことと、他所の試合(同業他社や異業種のビジネス)を観察することである。
 

2013年6月22日

小里んの会

昨日は、池袋演芸場で「第55回柳家小里んの会」にでかける。少し早めに着いたので、時間をつぶそうと思ったがまあいいやと思って入場すると、すでに8割方が埋まっているではないか。以前では考えられない。でもここのところ客さんの入りは毎回増えている。結局、始まる時には椅子席を含めてほぼ満席となる。

前座の子に続いて、ここのところ続けて助演している古今亭志ん吉の噺。彼は古今亭志ん橋さんの弟子で二つ目である。小里んさんと志ん橋さんは同期で仲がいいので起用されているようだ。そのマクラで住吉踊りの話をする。住吉踊りというのは昭和53年に古今亭志ん朝が八代目雷門助六が継承していた伝統芸を寄席で披露したもので、毎年8月11日から浅草演芸ホールで行われる。

小里ん師匠はそこに参加していて、バック転をするので驚かれるのだ。それもそのはずで師匠は高校時代器械体操の選手だった。ぼくの行きつけの店で隣り合わせになるとよくその話をしてくれる。ところが、師匠もぼくのひとつ上だから、さすがにバック転もできなくなって、ここしばらくはバック転なしの住吉踊りだったそうだ。そこで白羽の矢がたったのが古今亭志ん吉さんで、小柄で痩せていたからという理由だけでバック転をやらされるはめに。そんな話で盛り上がる。

演し物は、「二十四孝」と「お神酒徳和」。最初の噺は、大酒飲みの八五郎が母親をクソババアと呼ぶほど親不孝者だが、それをみかねた大家がご隠居に説教をたのむ。ご隠居は唐で言い伝えられる「親孝行することの大切さ」が書かれた「二十四孝」を教えるが、ちゃんと理解していない八五郎は頓珍漢な行動に出るというものである。次の「お神酒徳和」は、大店に出入りする八百屋が意地悪しようと、旦那の鈴の徳利を隠してしまうが、それをソロバン占いと称して隠し場所を言い当てる。そこから、よく当たる易者の先生に祭り上げられ珍騒動になるのを描いている。

小里ん師匠は、いつもながらの安定感で演じきって円熟度を増してきた感がある。落語家はこれからかもしれない。師匠がマクラでの器械体操の話のなかに歳をとってからどんどんできなくなるスポーツだと言ってが、サラリーマンと落語家は逆だ。サラリーマンは歳とともに会社での仕事ができなくなるが落語は年齢とともに味が出てくるのである。

さて、満席になったお客さんの7割くらいが定年後の年齢で、男女の比率が半々くらいだ。数年前と客層が変化している。中高年女性とぼくぐらいの年齢の男性の増加である。おそらく、60歳で定年になったがまだ残って仕事をしていた人が大半で、その人達がようやく会社から離れたのではないだろうか。映画館にもそういった人と配偶者たちが多い。彼らの消費を狙うビジネスが増えてきそうですね。
 

2013年6月23日

勝てない

コンフェデの対メキシコ最終戦は1−2で負ける。両チームとも予選敗退が決まっているが、公式戦でもあり意地をぶつけあった試合となった。日本の先発は、イタリア戦から吉田と長谷部、内田に代わって、栗原、細貝、酒井が入る。立ち上がりは日本のペースで展開するも岡崎のオフサイドか微妙なシュートがあったが得点が決まらずスコアレスで前半を終える。

前半の半ばから日本の攻勢も衰えてメキシコのペースになる。後半は一方的にメキシコ優勢となり、後半9分に左サイドからクロスをエルナンデスに頭で合わされ先制点を奪われる。イタリア戦から中二日で明らかに疲れているようで、走れないためお互いの距離が間延びしてしまって、相手に簡単にパス交換を許してしまう。でも、相手だって同じ条件なのだから言い訳は通用しないだろう。

さらに、後半21分にはコーナーキックをヘッドで流され、またもやエルナンデスに頭で押し込まれる。メキシコは足元のプレーが多く空中戦はあまりしないイメージだったが2点ともヘディングで決められた。それにしても失点が多い。今大会の3戦で9点目である。一試合平均3点というのはいくら相手が世界の強豪といえども多すぎだ。集中力の問題なのか、個人の能力の問題なのか、しっかりと反省する必要がありそうだ。

それでも、日本も後半41分に香川が右サイドを上った遠藤に絶妙なパス、中央に折り返したところを岡崎が決めて一矢報いる。途中で3バックにシステム変更するも長友の負傷退場でまた4バックに戻すはめに。相手PKを防いで最後の反撃を試みたが万事休す。

日本は、中南米スタイルのサッカーに弱く、ヨーロッパ系の国にはいい戦いをするように思える。これは、ボールをある程度持てると連動性と俊敏性をゴールにむかって発揮できるのだが、逆に相手にボールを支配されてしまうとその良さが生きないという傾向があるようだ。だからあれだけ、イタリアと戦いながら、ブラジル、メキシコにはひねられてしまう。相性があるかもしれない。

しかし相性なんて言っている場合ではなく、世界のレベルはこういうものなのだ。勝てそうで勝てない、善戦はするが最後は突き放される。まだまだ、トップクラスのチームに勝ち切る力はまだ日本にはないということである。その壁をどう破るかをこの1年でしっかりと考え、身につけてほしい。おそらく選手個人個人が感じて、何をしなくてはいけないのかという課題を身を持って知ったはずだから、一段レベルアップすることを願っている。
  

2013年6月24日

ビジネスサービスのつくり方 - 第4章 開発

■ kintoneを使ったアプリ作成手順(1)

それでは、サイボウズ社のkintoneを使って実際のアプリを作る手順を説明していきます。実際に手元にないとわかりづらいかもしれませんので、もし必要ならば無料のお試し版がありますので使ってみてはいかがでしょうか。ポータルを開き、アプリ作成のボタンを開くと次のような画面が出てきます。

アプリ.png


アプリを作るきっかけがいくつか用意されています。
1. アプリストアから選ぶ
 kintoneにはアプリストアというものがあります。そこにはすでに作られた様々なアプリが置かれていて、無料、有料で得ることができます。汎用的なもので、そのまま使えるようなものであればすぐに利用できます。
2. テンプレートから選ぶ
 基本的な構造ができていて、そこに追加修正を加えることで要求するアプリが作れるテンプレートを活用する手もあります。アプリストアにピッタリのものがないが、一から作るのも手間だという場合などに使います。
3. Excel/CSVから作成
 小規模のデータベースをExcelで作ってあるというのはよく見かけます。それを移行することができます。ただし、セルが結合されているといった複雑なものはできませんので、単純な縦横の表であれがすぐにマイグレーションすることができます。
4. はじめから作成
 新規に何もないところから設定していくやりかたです。以後はこのケースで説明していきます。
5. ほかのアプリを再利用
実際に使われているアプリをちょっとした手直しをして別のアプリにして使うやり方です。例えば、あるアプリがあるのだが、別の地域で使おうとすると機能を一部追加しなくてはいけないといったケースでは、似通った2つのアプリを作るといったことです。

さて、「はじめから作成」を選択すると下記のような画面になります。ここで、各種の設定をしながらアプリの作成を行なっていきます。プログラミングをするのではなくあくまで設定するという感覚です。個別にいく前に大きな流れを見ていくと次のようになります。

ステップ1 アプリの名前を入力
ステップ2 一般設定
ステップ3 フォームの設定
ステップ4 一覧の追加
これらが終わると、アプリの運用を開始するために「設定完了」をクリックします。

setteigamen.bmp


次回から各設定の詳細を説明します。


2013年6月25日

もの作り神話の呪縛

映画「奇跡のリンゴ」が公開されてなかなか高い評価である。2006年にNHK「プロフェッショナル仕事の流儀」で紹介され大きな話題となり、その後書籍されたものをベースにして制作された。映画はまだ観ていないが、本は読んだので、その物語に感動して涙したことをよく覚えている。

その物語は映画のコピーで言うと、「絶対不可能と言われていた無農薬リンゴに挑んだ家族。感動の実話。」ということになる。モデルとなったのは青森県の木村秋則さん一家で血の滲むような苦労をなんと11年もの長きにわたって行い、やっとの思いで無農薬りんごの栽培に成功する。その間、極貧の生活を強いられるのだが、家族の支えによって成し遂げることができたのだ。非常に感動的で涙なくしては観れないと思う。

これから言及するのは映画のことではない。そして、この物語にケチをつける気も毛頭ないことをことわっておく。木村さんのやったこと、ものを作る姿勢は感心するとともに大変尊敬できるのだが、こうしたものづくりを他の人にも薦める気にはなれない。このことについて本を読んだあとに「目標の置き方」というタイトルでエントリーしたように、彼は、無農薬のリンゴを作ることが目標だったように思う。

そこでふと考えてしまったのだ。無農薬のリンゴが美味しいという因果関係があったのだろうか。誰もできなかったわけだから、そのリンゴの味は誰も知らない。あるいは、一番最初は無農薬のリンゴだったはずで、ひょっとしたらそれが美味しくないので農薬を使わざるを得なかったかもしれない。つまり、美味しいリンゴをいっぱい作りたいが、そのためには農薬を使わないことが条件であるというロジックは立てていなかったのである。

もう一つの話をする。東京墨田区にある岡野工業という会社の社長の岡野雅行さんのことである。金属深絞り加工の凄腕職人でマスコミにも取り上げられてひっぱりだこだが、彼を一躍有名にしたのは蚊の口先同じくらい細い注射針を作ってしまったことである。この痛くない注射針は、透析患者を始め非常に多くの人々を注射の苦痛から救ったのである。

そうなると「カリスマ職人」とか「世界一の職人」とかもてはやされる。たしかに「絶対不可能といわれた細さをプレス加工で実現」したことは称賛されるし、敬意を評さざるをえない。ところが、これも水を差すつもりも全くないのだが、ぼくは彼にその注射針を作らせたテルモの社員を評価したいのである。

企画を持ち込んだテルモの人は100社以上の会社を回ったがどこも相手にされずにやっと巡りあった岡野さんが実現してくれたのだという。よくぞ、並々ならぬ執念で実現させたものである。途中で諦めたらできなかったのである。痛くない注射針で患者が喜ぶ顔を見たい一心だったはずである。

ここに登場した二人は、誰もできないと言われると逆にファイトがわいてくる、あるいは誰もできないことを自分がやることに喜びを感じるという職人魂の塊みたいな人なのであろう。ただ、二人の違いは、木村さんの目標は手段に置いたのに対して、岡野さんの場合は、細い注射針はみんなに喜ばれるという目的が明確であったことがある。

ものづくり日本を標榜するとき、考えてみないといけないのはこのことであるような気がする。すなわち、目標とか目的が設定された中で職人芸も含めた革新的な技術でその目標・目的を実現することも重要だが、どんなものが欲しいのか、それは使う人が喜ぶものなのかを的確に企画する能力も同じように評価すべきだと思う。日本では"できないものを作ること"に軸足がいきすぎてはいないだろうかということである。ただ、やめろと言っているのではない。イノベーションは時として、"バカ"が起こすからである。
  


2013年6月26日

人の性格はDNAで決まっている

あなたは血液型性格診断を信じますか?ぼくは、単純なのでけっこう信じたりする。例えば、囲碁棋士にはA型が多く、将棋のほうはB型が多いなんていう話とか、インディアンはA型ばかりで、ジプシーはB型ばかりだと聞くとなるほどと思ってみたり、ぼくら夫婦の血液型はB型で子供二人がO型というおもしろい家庭なのだが、さもありなんとか思ってしまう。

ところが、血液型による性格診断はウソで、何も根拠のない単なる占いみたいなものであり、性格を決定づけているのはDNAであるとする本「人の性格はDNAで決まっている」(中原英臣、佐川峻著 講談社+α新書)を読む。DNAを調べると性格がわかってしまうというのだ。最近はやたらDNAが登場してきますね。なんか人間が物質ふうになってしまって気持ちわるい感じもする。

性格を決定づける脳内物質というのがあって、「ドーパミン」と「セレトニン」というのがそうらしい。ドーパミンというのは性格のアクセルでセレトニンはブレーキなのだ。アクセルというは新奇性とか、楽観的といったもので、ブレーキというのは、慎重で地味といった感じです。

これらのに結びつく受容体にいくつかのDNAタイプがあるという。それが性格に関係していることが判明している。簡単にいうと、ドーパミンとセレトニン受容体に関連する遺伝子の中にあるアミノ酸配列の繰り返し回数が人によって違うのがわかったのだ。

そこでそれぞれの多寡で性格が9つにわかれるという。つまり、アクセルとブレーキの強い、中くらい、弱いの3段階の組み合わせである。具体的には超楽観、楽観、慎重とじみち、新奇性、超空想の組み合わせになるという。たしかに、人の性格分けをすると楽観的で新しもの好きとかものごとに慎重でコツコツタイプとかに分かれますね。それがわかっちゃうのだ。

日本以外の国ではこのDNA性格診断が盛んになってきて職業適性とか進路選択に使われているという。そのDNAで検査ってどうやるかというと口の中の粘膜を綿棒でぬぐうようにして取って検査機関に送ればいいらしい。いまでは相当安くなって8000円で調べてくれるという。

性格診断はそれだけではなく、自己診断する方法もあって本には全部で400の項目にチェックを入れるとわかる設問が載っている。ぼくもやってみたが、楽観・じみち型のスコアが一番高く、そのあと楽観・新奇性、慎重・新奇性と続き、慎重・じみち型のスコアが一番少なかったうーんちょっと変な並びだな。じみちなのか新奇性なのかがスプリットになっている。なんだか、やっぱ血液型診断みたいだ。

みなさん、どう思いますか。DNA診断やってみようと思いますか。ぼくはいまいちやる気がないのですが、なぜって、知ったところで変えることができないわけだからあまり意味が無いように思えるのです。要するに普段発現している性格ってだいたい自分でもわかっているし、周りもそう見ているし、それに逆らうのってなかなかできないのです。

だってたとえば、慎重型と言われた人間が自分を変えることにチャレンジなんかできないでしょ。できたらそれは新奇性の性格があるからできるということになる。結局、血液型診断と五十歩百歩のような気がしてきた。
  

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2013年6月27日

俺俺

いまの映画は原作ものが多いとよく言うのだが、本で評価されたものが映画になっても良いものになるかというと必ずしもそうではない。紙の媒体で文章として表現するのと映像で視覚的にも入ってくるのとでは当然のように合う合わないということがある。もちろん、原作の良さを生かしつつ、映画としても素晴らしいものはあるのだが、これはちょっと無理というものもある。

第5回大江健三郎賞を受賞した星野智幸の小説(リアル不条理小説というらしい)「俺俺」を映画かした同名の映画「俺俺」はそんな作品ではないかと思う。監督が三木聡である。彼は、「ダメジン」とか「転々」「インスタント沼」といったいわゆる脱力系の映画を作って独特の位置を占めているのだが、この作品はそういったジャンルとは違っている。そういった点でも若干無理もある。

主演が亀梨和也で、時々テレビで見る程度でアイドルというイメージだったのだが、ちょっとした驚きだった。いやー、なかなかの演技力で意外であった。何しろこの映画では、俺が増殖していく話だから、何と33人の俺を演じ分けたのである。

ただ、亀梨君のせいではないのだが、本と映画の違いがここにあって、本では俺が増殖するというと読者の頭のなかの想像力として湧いてくるが、映画だと実際に登場させなくてはいけないのだ。つまり、全く同じ俺がいっぱいでてくるとどれが本当の俺だかわからなくなるわけで、そうなると大元の俺はわからせておかなくてはいけないというジレンマみたいなことに陥る。だから、複数の俺がいるというのが見えにくいのである。

いま言ったようにストーリーは、郊外住む永野均(亀梨和也)は、家電量販店に勤める平凡な若者で、団地のある(また団地だ)実家に帰ると母親(キムラ緑子)から小言を言われ、職場では上司(加瀬亮)からいじめられる。そんなある日、ひょんなことから、オレオレ詐欺をしてしまう。均が帰宅すると見知らぬ人(高橋恵子)がいて、あなたは自分の息子の大樹だという。今度は実家に戻ると別の俺が出てくるのだ。そうこうしているうちにあれよあれよと俺が登場してくる。

ところが、その俺にも許せる俺と許せない俺がいるのである。そこから、気に食わない俺を"削除"し始める。俺が俺を追いかけるというわけのわからないことになる。要するに、自分の居心地がいいのは俺に囲まれることかもしれないのだが、世の中そんなに甘くない、結局俺は一人なんだみたいなメッセージが飛んで来る。この俺の増殖と削除という設定が面白いのだが、最初に言ったように映像にすると何やらややっこしくなって頭がついていかなかった。
  
俺俺.jpg
  

2013年6月28日

適用域の適正化がものすごく大事なこと

ものごとを整理するときとか、どんなことをしなくてはいけないとかといった時に5W1Hで考えるというのがよくやられる。その時、5W1Hのどれが大事で、また思考の順番はどうしたらいいのだろうか。つまり、なぜやるのか、その目的はといったことが重要でそれを真っ先に考えるのがいいのか、それとも何をするのか、いつやるのか、どこでやるのか、誰がすべきなのか、どんなやり方なのかといったことである。

みんな一緒にやればいいではないかという意見もあろうかと思いますが、結構、重要度と順序は大事だと思うのです。よく、目的と手段を間違えるなとか、今できることは成熟度によって違ったり、外部環境によってもその時期なのかといったことがある。そういう意味で状況に応じて、重要度と順序も変わってくるのだが、あえて、ここでは"Where"の重要性について考えてみたいと思う。

どこのことを言っているのか、どのエリアでやろうとしちるのかといったことである。なぜかというと、いくら高邁な理由があったとして、いくら素晴らしいプロダクトがあったとして、いくら高度な技術があったとしても、それを実施するところ、それを提供するところ、それを使うところを間違ったら何にもならない。逆に言うと理由やプロダクトや技術はどんなところでも通用するというわけには行かないということである。

となると、適用領域をきちんと設定することが非常に重要で、どうもそこが第一歩ではないかと思いだしている。このことは、どんなことにも当てはまるのではないでしょうか。議論が噛みあわない原因はここにあることが多い。例えば、新聞紙面の議論でさえこの間違えをしていて、原発の問題にしても安全性のことなのかエネルギー戦略の話しなのか混同していたり、ついちょっと前にも体育教師の体罰の問題を取り上げているのだが、それが体育授業のことなのか部活のことなのがごちゃごちゃになっていた。(体育授業で体罰ってあるのかなあ、部活の先生がみな体育教師なのかなあ)

これはテレビで知ったのだが、最近話題の「いつやるか、今でしょ」(これはWhenだ)で一躍有名になった東進ハイスクールの林先生が面白いことを言っていた。「努力は裏切らない」とよく言われるがこれは不正確なのだという。「正しい場所で正しい方向で十分な量の努力は裏切らない」というべきだと。"正しい場所"をちゃんと定めないといくら努力してもムダですよと言ってるわけです。

ITの世界でも同様な間違いがあって、何か新しい技術や製品が登場するとどんな領域でも適用できると誤解するケースがけっこうある。例えば、BtoBとBtoCではずいぶんと違うのに同じように語られたりする。どこにITを適用するのかをきちんと設定してから、何をどうやるのかを議論したいものである。次からもう少し堀下げてみようと思う。
  

2013年6月29日

つながる経済における実践とは(4)

■ つながる経済に従来の常識は通用しない

パラダイムが変わるということは、これまでの延長線上でものごとを考えていてはついていけないことになる。不連続の連続が世の中の進化を促しているのではないでしょうか。「つながっていない経済」から「つながる経済」への変化はどういうことなのか、それがもたらすものは何なのかを考えていきます。例によってこの章のポイントを掲げます。

(1) つながる経済では、従来の生産者から顧客への直線的、一方向的な情報の流れが変わる
(2) 顧客価値創造参加、ライバル企業との協創など、これまでのビジネス常識とは異なる現象が起こる
(3) 顧客との継続的関係が維持しやすくなることで、所有権を移転させる販売モデルから、利用権をライセンスするモデルへの転換など、資産を社会的に共有(シェア)するモデルが発達する

現代のビジネス状況をみていると実感しますよね。従来型の経済だと、生産者が大量に消費財を供給し、それを顧客が購入するという構図でした。ですから、供給側はお客さんの顔が見えなくても、買ってくれそうなものを作り、この会社が作ったものだからだいじょうぶだという信頼で売っていました。そのためにブランド力が大きな力になっていたわけです。

ところが、成熟された経済では、もはや規格化された商品をやみくもに買うというわけには行かなくなります。多様化した個別顧客ニーズに的確に答えていく時代なのです。そして、ただ聞くだけでなく、顧客も生産に関与していくようになっています。それが、顧客価値創造参加であり、協創ということになります。日本の製造業はもろにこの変化の波に洗われました。

大量消費財を一方的に供給するモデルは国内ではこうしてなくなり、発展途上国に移っていきました。そして、そのモデルで一番重要なのはコストですから、生産機能は低コストで生産できる国へとシフトしていきます。いま、まさに日本の製造業が生き残るためには、つながる経済に対応した新たなモデルが必要なのです。

さらに、もうひとつ販売モデルの変化です。「持たない」ビジネスです。商品の所有権を顧客に移転させる売り切りモデルから、所有権を提供者の側に留めて貸すモデルが登場してきました。このことは顧客から見ると専有する時代から共有する時代への転換を意味します。ソーシャルネットワークサービスと呼応していることがわかります。

さて、ずいぶんとITシステムとの関わりがでてきましたね。ITシステム(業務システム)は当たり前ですがビジネス形態やパラダイムに影響されます。ですから、従来の業務システムは、プロダクトアウト型のモデルに沿ったものです。つまり、低コストを目指した効率化を追求した生産システムで安価で大量な製品を作り、決まった規格の商品の注文を受けて販売するという仕組みが中心でした。

しかし、その時代は終わり、顧客ニーズに的確かつ迅速に答える受注設計・開発生産型の形態へと変わってきています。しかも、設計や開発に顧客が参画する、あるいは他社、場合によっては、競合会社も巻き込んで行く必要も出て来ました。特に中小企業は1社では顧客ニーズに応えられないので複数の会社と連携するということが求められています。(つい先日も中小企業庁から「中小企業連携ナビ」という指針も出ています)では、そうした形態に合った業務システムになっているでしょうか。

ビジネスの分野はすごい勢いで変化しているのですが、業務システムという意味でのITは付いていっているでしょうか。新しいビジネスモデルで始めたような会社は、どんどんとITを武器に展開しています。クラウドを活用して、売り切りではなく、レンタルとかサービスは無料にして広告で儲けるといった仕組みにしています。ところが、レガシーの会社(ITベンダーも含めて)はどうなっているでしょうか。従来の資産を維持するために新たな挑戦をしていないような気がします。既成概念を打ち破るような動きを期待したいものです。
  

ソーシャルな資本主義
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2013年6月30日

きっと、うまくいく

こりゃあ傑作だ。スピルバーブも絶賛したというインド映画である。170分と長いにもかかわらずあっという間に終わった感じである。無茶おもしろい。インドでは、興行収入歴代1位を記録した大ヒット作だという。インド映画の特徴はまずはみな長尺であること、途中で突然原色の衣装をまとったバックダンサーが出てきてミュジカル風のシーンが展開する。こうした映画を、ボンベイとハリウッドをもじってボリウッド映画という。

何と言っても世界で一番多くの映画を生み出している国だから、時として面白い映画ができる。「きっと、うまくいく」はそんな映画である。基本は学園もので、インドのエリート工科大学を舞台に3人の若者の生き様をコメディタッチで描いたものである。ぼくは、学園ものというと1973年に公開されたジョージ・ルーカス監督の「アメリカン・グラフィティ」を思い出すのだが、さしずめ「インディアン・グラフィティ」といったところである。ただし、気分はだいぶ違うのだが。

ストーリーはこうだ。冒頭は飛行機に乗り込んだファルハーン(マドハヴァン)のもとに電話がくる。大学時代の友人だったランチョー(アーミル・カーン)が戻ってくるという。仮病を使って飛行機を戻させて、同じく仲の良いラージュー(シャルマン・ジョシ)を誘って母校に向かう。そこから、学生時代の3人の行状や友情、恋愛、就職といった過去の物語が語られるとともに、今のランチョーに会いに行く現在進行形の物語が交錯する。

原題が「3 Idiots」(3バカトリオ)であるように、意気投合した3人は、ことあるごとに学長に反抗したり、しきたりに抵抗したり、バカな振る舞いをしては退学寸前になる。青春時代は、馬鹿げたことをやりたがるというか、日本でのバンカラ学生みたいなもので、社会に出るまでのモラトリアム期間として謳歌するのは世界共通なのかもしれない。

そして、この三人の境遇の設定も面白い。本当は動物写真家になりたいが、親が何が何でもエンジニアにしたいがために夢を諦めかけているファルハーン、極貧の家に育ち、一家の希望としてエンジニアをめざすラージュー、そして出自も謎めいて、超一流の頭脳の持ち主であるながらガリ勉ではないランチョーという3人である。

紆余曲折いろいろあって卒業した三人ではあるが、ランチョーはそれ以来行方がわからなくなってしまったのである。10年後の現在になってやっと消息がつかめてその足取りを追うと、彼の境遇の謎がだんだん解けてくるのだ。というように、もう非常に多くの要素がつまっていて飽きることなくのめり込んでいく。そこに、ユーモアというよりスラップスティックとニュージカルが入ってくるのだから面白く無いはずがない。

インドは、ご存知のように大変ない勢いで経済成長を遂げているが、そんな時代は、オプティミスティックなムードと勢いを感じる。だから、昔の日本の高度経済成長期のころを思い出してしまう。日本の学生はこの映画をみてどう感じているのだろうか。
  
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