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2013年5月 アーカイブ

2013年5月 2日

サムソンの決定はなぜ世界一速いのか

日本の家電メーカーの凋落ぶりが注目されていますが、新たな盟主がサムソンだということは皆さん異論がないでしょう。いまや、断トツの感じで、特にスマホは世界中を席巻していて、営業利益では日本のメーカーが束になってかかっても負けてしまうほどである。そんなサムソン躍進の原動力は"速い意思決定"だと言われている。「サムソンの決定はなぜ世界一速いのか」(吉川良三著 角川oneテーマ21)は、そのへんの秘密に迫っている。

著者はCAD/CAMの専門家で、1994年にサムソンの李健煕に請われて当時所属していた日本鋼管からサムソン電子常務として移り、李会長の"大改革"を手伝うことになる。その時は、1年か2年で戻るつもりだったそうだが、それが結局10年近くいることになる。だから、ここまでの躍進劇を身近で観察してきたのでなるほどと思わせる箇所が随所に見られおもしろかった。

サムソンの強さについてはぼく自身もいろいろなところから聞くことがあって、組織のフラットさとか、意思決定のスピードといったことは知っていた。しかし、正直言って、日本の真似で伸びてきて、韓国の事情、例えば国策として支援を受けてそのおかげで規模の経済学を追求できたくらいの認識だったが、本を読んでみて驚いたところが多くあって、これはタダモノではないなと思った。もちろん、最初は日本に追いつけ追い越せであったのだが、1993年に戦略を転換する。それは、グローバル競争という時代にどうやって生き残るかを突き詰めた結果、日本のモノマネから決別するため「妻と子供以外はすべて取り換える」という"大改革"を敢行する。

この環境認識が素晴らしい。グルーバル化の時代は、トーナメント戦であると規定したことはすごい。それに対して日本では負けても次に勝てばいいやというリーグ戦を戦っているという。このことは、やっと日本の経営者も自覚してきたところもあるのだが、要するに世界で勝つには「断トツ」でないと意味がないということである。先頭を走って、ライバルが諦めるくらい抜け出さないと意味がないのである。それをサムソンは実践した。

そのためには、真似していてはダメだというのは自明であり、誰もやっていないことを率先してやる姿勢が大事である。そして決定のスピードが必要になる。日本のように「実績を作ってから出直しなさい」という態度ではグローバルでは戦えないのである。こうした、トーナメント戦に勝ち残るために彼らがやったことを少し紹介する。

ぼくはなんとはなしに決定の速さは強力なトップダウンによってもたらされていると思い込んでいたが、そうではないという。むしろ、ボトムアップだから速いのだという。上意下達ではなく下意上達なのだそうだ。李会長は将来的な方向性だけを示して、あとは下の人間にまかせるのだそうだ。どうしても、トップダウンの方が早いと思いがちですが、経営者に判断を仰ぐための作業が多くなって結局時間がかかってしまうのである。日本の会社でよくあるパターンです。

その他では、3PI運動というのがあります。「パーソナル・イノベーション(意識革新)」「プロセス・イノベーション(プロセス革新)」「プロダクト・イノベーション(革新的製品製造)」である。著者はこの中のプロセス・イノベーションを担当した。どうですか、ちゃんとプロセス改革をやっているんですね。それに比べて、日本の企業のプロセスに対する認識の弱さが嘆かれます。

もう一つ大きな思想変革は、水平分業による徹底した「多品種少量生産」であある。開発・生産・販売を自社のみで行う垂直統合に対し、サムソンは、自前にはこだわらず、デザインはヨーロッパ、生産は台湾にといったように作業をばらしていった。さらに、国や地域の要求に合ったように作るものを変えるのです。本に出ている例でいうと。携帯電話の生産台数が2億5000万台だそうだが、同じモデルで1万台以上生産することはないので、1万台売れる携帯電話を2万5000種類生産していることになる。

こうした、現地仕様のものを作るには、そこのニーズを徹底的に把握していかないといけない。そこで、サムソンは「地域専門家」と呼ばれる人材を育てているのだ。これがまたすごいのだ。3ヶ月間、語学と文化を詰め込まされて、それから現地の研修に出されるのだが、現地に着くと"誰の助力を受けてはならない"という絶対ルールがあって、生活のすべてを自分一人でやらなくてはいけない。どこやらの国のように、海外に行っても同じ国の人としか付き合わないなんていうのとは訳がちがう。

他にもおもしろいことがいっぱいあるがここまでとするが、サムソンのやり方は全て良いとも思わないのが、少なくともこのグローバル競争に参戦していこうというのであれば、日本ももっと逞しくならないとヤバイことになってしまうと改めて感じてしまったのである。サムソンだってずっとトップをキープするとは限らないのだから、巻き返しのチャンスを狙うのはまだ遅くはない。
  

サムスンの決定はなぜ世界一速いのか (角川oneテーマ21)
吉川 良三
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2013年5月 1日

舟を編む

最近は、直木賞より本屋大賞の方が価値があるというか、売れるのだそうだ。今年は百田尚樹の「海賊と呼ばれた男」だが、昨年は三浦しをんの「舟を編む」であった。そして受賞作の多くが映画化あるいはテレビドラマ化される。昨年の受賞作の「舟を編む」が映画化された。監督が石井裕也で、主演は松田龍平で、脇を宮崎あおい、オダギリジョー、加藤剛、八千草薫、渡辺美佐子、小林薫らが固める。期待に違わぬおもしろい作品で秀作である。

新しい辞書「大渡海」を作るという仕事を通して、そこに携わる人々の人間模様を表現している。辞書作りというのは大変な根気がいる仕事で、何十万語とういう言葉の語釈と使用例を書き起こし、絶対に間違いがないように何度も校生して仕上げていく。しかも、言葉というのは、同じ言葉でも時代とともに変化していくから、今の言葉として捉えなければ意味がない。つまり、継続性と新規性を融合させていかなくてはいけない。

ストーリーはこうだ。玄武書房という出版社に辞書編集部というのがあるが、そこはどちらかというと花形でもない地味な部署である。メンバーは監修の松本(加藤剛)ベテラン編集者の荒木(小林薫)、調子のよい編集者の西岡(オダギリジョー)、そして契約社員の佐々木(伊佐山ひろ子)である。ところが、荒木が定年を期に退社することになる。そこで誰か後継者を探さねばならなくなるが、そんな地味な部署に来たいというものがいない。そんな時に、真面目だけどうだつのあがらない馬締光也(松田龍平)を見つける。

そこから、「大渡海」のプロジェクトが始まるのである。コミュニケーション能力に問題があるがまじめで言葉への愛着もある馬締は性にあったのかのめり込んでいく。その間、西岡の転属や下宿している家の大家さんの孫娘(宮崎あおい)と恋に落ちて結婚したりしながらも辞書作りに没頭する。そして、何と15年かかってやっと完成するのだが、その時松本は・・・

三浦しをんの小説は、箱根駅伝をテーマにした「風が強く吹いている」もそうだが、努力すれば報われるという派手ではないがオーソドックスな筋立てで、登場人物もきっちりと描かれていて構成的にもバランスが取れている印象である。この原作を石井裕也監督が見事に表現した。彼は「川の底からこんにちは」や「あぜ道のダンディ」「ハラがコレなんで」でどちらかというと少し浮ついたところが見られたのだが、この映画では非常に落ち着いたさばきをしていた。

三浦しをんの作風と石井裕也の感性はわりと合うのではないだろうか。石井監督は前二作で粋とかダンディということを前面に出していたが、それはポジティブというか、はしゃいだ感じが否めなかったのだが、この作品では、抑制が効いたダンディズムが感じられたのである。馬締光也君はダンディでかっこよかった。

それにしても、俳優陣がみな素晴らしかった。松田龍平は"地"ではないかと思わせるぐらい適役であり、そのマジメくんに突っ込むオダギリジョーのチャラいながらも本当はすげーいいやつ的なノリも最高だ。気が早いかもしれないが映画賞の匂いがしてきた。
  
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2013年5月 7日

ビジネスサービスのつくり方 - 第4章 開発

さて、連休も明けたので、ITの話でもしますか。

■ Webデータベースを使う上での工夫

これまで、BPMSが定型処理の方向に向いているのに対して、現実にIT化の要請は非定型業務にあるという矛盾を感じたために、開発基盤、オペレーション基盤に本来それように作られたはずのBPMSではなくWebデータベースを持ち込んだことを述べた。実は、この非定型業務のプラットフォームは目新しいことでもなく、以前BPMの実行基盤を探っていたとき、いくつかの参考事例に出会うことになった。

ぼくは、ずっとエンタープライズの世界でのITを追いかけていたが、息子と起業して知ったWebの世界に非常に興味を抱くようになった。ここではビジネスサービスの代わりにWebサービスを作っているのだが、その開発のやり方が参考になったのである。とは言っても、システム開発の類似性を言っているのではなく、仕事の進め方、すなわち業務オペレーションの方である。彼らはチームでそれぞれの得意を活かし、たえずコミニュケーションをはかりながら、コミットメントを繰り返してサービスを作りだすというオープンな世界を確立している。

そのとき、これからのビジネスの世界もこうしたスタイルで仕事をしていく時代になると思ったのである。ですから、ビジネスシステムも同じような仕組みにしたいなあと考えていた。これは、BPMSや従来のソフトウエアやパッケージではできないものであった。


ちょっと逸れるが、既成のSIerやITベンダーに若いWebエンジニアーを混ぜたらいかがでしょうか。もうそういう技術は使っていると言われそうだが、技術の問題ではなく精神のことだから、Webの世界のもつ文化・風土の持ち込みも少しはやったらよいと思う。自分たちの働き方が、旧態依然としたものであったら、新しいスタイルを創ろうとしているビジネス前線に対応した提案ができるわけがない。

それと、CMS(Contennts Management System)に触れることで、具体的なプラットフォームイメージわかしたことがあった。ご存知のように、CMSというのは、Webサイトの構築・管理に使われるツールで、テキストや画像などのコンテンツを作成したり、それを体系的に管理し、Web上で配信するためのものである。そこでは、Webサイトという製品を作るために、誰かが素案を提示し、それに対して関係する人たちが、コミュニケーションをしながら編集していく、そのプロセスのステータスも管理して、最後は承認という形で公開される。

できたものは、設定したディレクトリー構造のリポジトリーに格納され、それらは日常的にバージョンアップされて、その都度バージョン管理もされ、さらにログ監視など、オペレーション昨日も装備されている。wikiやSNSなどもCMSの一種だからわかると思いますが、参加型で集合知、またリンクによる情報連携といったWebの良さが発揮できるわけです。

ただ、CMSはあくまでテキストとか画像が中心ですので業務システムにはちょっとなじみません。従って、CMSの持つ思想を生かしたようなかたちでWebデータベースを活用するというのが、現時点での選択肢であると考えているわけです。
 

2013年5月 8日

思考の順序

ものごとを整理するのに5W1Hで考えることはよくやる。割と単純だから、そんなふうに簡単に整理できないとわざと難しい理屈を持ってくる人もいるが、ぼくは気にしないで使う。ただ、気をつけなくてはいけないのが、その考える順番である。この思考の順序は。きちんとしておかないと議論が噛み合なかったり、混乱、拡散してしまう。いま注目のアベノミクスにしても5W1Hすなわち、目的、政策、ターゲット層、責任者、工程といったことのどこに焦点をあてて、どういう順番でやっていくかは重要なイシューである。

目的と手段の混同とか、原因と結果と倒錯といった混乱が時としておこるのはそこの整理が不十分なことに起因する場合が多い。基本的には、Howは最後に考えましょうというのがぼくのスタイル(ただ、Howの裏付けのない計画も絵に描いた餅なので、ある程度のHowは必要であることは銘記しておく)ですが、では他の5Wはどうなのだろうか。普通だとすぐに目的ありきだからWhyがいちばん先でしょうとなるのだが、意外と考えどころである。

では、一番先なのかという問題に絡んでくるものは何だろう。どうもWhenとWhoはあとでもよさそうだ。そうなるとWhatかWhereになってくる。ただ、Whatつまりどんな物を作るのかとかどんなことをするのかというのは目的に従属的であるような気がする。逆に、Whereすなわち、どんな領域でそれをやるのだとか適用するのだとか言ったことが浮かんでくる。

エリアが違えば、目的も変わってくるかもしれない。問題の所在が異なるから手の打ち方も違うかもしれない。こんなことを考えたのは、VCPCという団体で昨年の6月から始めた「BPMアプローチによるITシステム構築研究」というワークショップが終わって総まとめのような話をしているときに、参加メンバーの女性の方に、この方法論の対象エリアをどこにするかをはっきりしておかないと混乱すると言われた。

要するに、バックヤードのシステムであるERPのところをこれで置き換えるような話なのかどうなのかということである。そうした前提をはっきりしておかないと、そんな緩い作り方では使いものにならないと拒絶されてしまう。つまり、Whereである適用領域によっては向き不向きがあるわけで、不向きなエリアを想定している人と、その反対のエリアことだと思い込んで言っている人とは噛み合ないのである。

ですから、非常に重要なポイントは、Where優先というか、WhereにおけるWhyという観点で見るということではないでしょうか。結局、どこの領域にどういう目的で適用するかがまずあって、それが決まると、何をあるいはどんなんことを持っていくが決まり、いつ誰がそれをやるのかがついてくる。そこには、前述したようにだいたいの方法があって、それでいつ誰にを判断して、その後に詳細なやり方をつめるというのが現実的な対応なのではないでしょうか。これだけ多様化してきた現代において、Whereをきちんと特定することがますます重要性を帯びてきていると思うのである。
  

2013年5月 3日

連休中のちょっとした話題

いよいよ連休も後半戦に入ったが、ぼくにはほとんど関係はない。それでも、なんとなくのんびりするのは、周囲がせかせか動いていないせいかもしれない。そこで、たまにはぼく自身に関連する世間の話題についてちょっと見てみたい。

・ 世界遺産

先日、ユネスコの諮問機関が富士山を世界遺産に「登録がふさわしい」という勧告をまとめたということで来月正式に登録される見通しだという。ただ、ちょっと意外ですが、自然遺産ではなく文化遺産なのですね。一方の鎌倉については、「登録にふさわしくない」と勧告したために登録は難しくなった。

その理由が、武家政権発足の地であることの重要性は分かるが、現存する史跡などだけではその価値の証明が不十分であるということらしい。確かに海外の人にとって「武家の古都・鎌倉」と言われても、もう古都は京都や奈良があるし、武家って何みたいな感覚ではないだろうか。

鎌倉住民であるぼくとしては、世界遺産になるメリットって何があるのかと思うし、おそらくそんなに盛り上がりを感じなかったので多くの人も同じだったと思う。これ以上交通渋滞になっては困るとか、既存の建物とか自然を変えることができなくなるとかといった現実的な問題で消極的なひとが結構いた。世界遺産も全部で1000件近くにもなるというから、ありがたみもなくなっているので、今回落選してよかったのではないだろうか。

・ けいざい親話
先日、朝日新聞の「けいざい深話」という記事で、東芝の人事問題が取り上げられていて、その週刊誌のような経済とも関係ない社長交代劇の内容について批判した。ところが、今日の朝刊に「けいざい親話」というだじゃれついでのタイトルで書かれた記事に目が止まった。

そこに登場したのが大坪正人さんである。彼は、茅ヶ崎市にある由岐精密という会社の常務で、社長は父親である。見出しが"町工場、宇宙に挑戦状"というもので、優れた精密切削加工技術で航空・宇宙分野の部品を提供しているビジネスを紹介している。今朝の記事では、彼が東大工学部を卒業して、インクスという金型製造の会社に入って、その後退社して家業を継ぐところの話が書いてある。

ぼくは、何回か由岐精密を訪問したこともあって、大坪さんとも意見交換もしたことがあるのだが、実に明晰で前向きな考えのひとで非常に感銘を受けた。こうした会社は小さくても(従業員数20人)特化した高い技術力を有していれば、世界と戦えるのだ。ぜひがんばってもらいたいし、大坪さんのような若い経営者がどんどん出てきて欲しいと思う。応援してます。

・ベイスターズの"怪"進撃

ここ最近は、この時期のプロ野球セリーグの順位表を見るのが嫌だった。ところが、今年の横浜ベイスターズはひと味もふた味もちがう。今日現在、13勝16敗で4位である。負け越しているのに快進撃もないのだが、ダントツの最下位が定位置だったことを考えればたいしたものだ。まあ、中日から移籍したブランコの力が大きいがそれだけではないようだ。

ベテランと若手がうまくかみ合っているように思うし、打順が固まっていることもあるだろう。中村とか金城といったベテランたちも活躍しているのと、石川、内村の1、2番が機能している。それと選手層も厚くなっていてラミレスを無理して使わなくてもよくなった。クライマックス進出も夢ではなくなった。おおこれからが、非常に楽しみだ。
 

2013年5月 4日

段取力

ぼくの家の近くによく行く焼き鳥屋がある。7、8人が座れるカウンターと10人くらいで囲めるテーブル席がある。売りは、一本100円か150円のうまい焼き鳥とたくさんの鹿児島の芋焼酎で、しかも一升瓶でキープできるということである。そこの主人のツネさんは今年70歳を迎える。店も来年40周年となるくらいなのでずいぶんと息が長い。昨年夏にBS-TBSで放映されている「吉田類の酒場放浪記」に紹介されたことを自慢している。もう何回もビデオを見せられた。

ぼくは、若い頃は三重県にいてその後も横浜だったのと、地元に戻っても東京勤務だからほとんどが東京で飲んで帰ってくるので縁がなかったのだが、会社を辞めてからはよく行くようになった。割と若い人も来るし、何といっても女性客が楽しい。彼女らはまたよく飲むのです。都会のチェーン店みたいなのと違って、隣どおしになるとすぐに会話が弾むという地元密着型の店です。

ツネさんは普段はひとりで切り盛りしているが、週に2回ほどアルバイトの女の子が手伝いに来る。店は、夕方早い時間からそれこそ日付けが変わってもやっているから、あらかたはツネさんが一人である。しかも基本的に年中無休で、正月なんて鎌倉駅近くの本覚寺で焼き鳥を売っているという働き者である。

でいつもカウンターに座ってツネさんの仕草をみていると感心するのである。空いている時というよりも混み合って来た時である。たまに、満席近くになるときもあって、そんなとき一人で酒も料理も出すのだから大変なことになる。付きだしを出すわけではないので、とりあえずがない。だから、誰にどういう順番で何を出すかを即座に決めてやらないと、文句を言われてしまう。

それを、お客さんみんなが不平を言わないようにするのが腕なのだが、結局、それが「段取力」である。何しろツネさんはその道40年だから、一瞬にして頭の中で配給プロセスを考え出すのだ。馴染みの客は勝手にキープした焼酎で飲み出すからほっておけばいいし、初めての客を優先にするとか、鍋の使い方を工夫するとか見事にさばいていく。酒をついで、焼き鳥を焼いて、料理を作るのだが、けっして注文がきた順番にやっているわけではないのだ。この「段取力」が素晴らしい。

ところが、ちょっと前におもしろいことになった。横浜で夕方から飲む機会があって、その帰りに寄ったのだが、既に3人のお客さんがいてぼくが4人目でカウンターに座った。しかしどうもツネさんの様子がおかしい。あきらかに酔っ払っている。昼の11時半から飲んでいて、買い出ししてタクシーで帰ってきたのだが、買ったものをタクシーの中に置き忘れて、さっきタクシーが忘れ物を届けてくれたと、先にきていたお客さんが教えてくれた。

それでも、店をやっている。それで、ぼくが焼酎のお湯割りを頼むと、あいよといったのはいいが、お湯を作るのに電子レンジを使うのだが、時間の設定を間違ったのか熱湯になってしまった。そうしたらどうしたかというと、そこに氷を入れるではないか。次に、焼き鳥を頼んだのを忘れて、いっこうに焼いてくれない。やっと気がついて焼きだしたのはいいが、炭焼き場の前に座っているお客さんが、ツネさんこれひっくり返さないと燃えちゃうよと教えてもらっている。おおー、いくらベテランでも酔っ払っては段取りもあったもではないのであった。ただ、最後の勘定を取るのだけは忘れていなかった。
  

2013年5月 5日

人生はビギナーズ

映画「人生はビナーズ」は、ゲイをカミングアウトした父親と38歳で恋人なしの息子の物語である。原題はBiginersでこの意味はどうもいままでと違った生き方を始めたときは誰でも初心者なのだといったことのようだ。監督がマイク・ミルズで、父親に扮するのがユアン・マクレガー、息子役がクリストファー・プラマー、息子の恋人役にラニー・ロランという布陣である。

妻が死んだあと75歳にして自分は同性愛者であることをカミングアウトして、これからの人生は好きなように思う存分生きるのだと宣言する父親。母親も承知であったが、それを隠しながら、子供も作り幸せそうな家庭を築いてきたが、そうした抑制を解放する。それを聞いた息子は戸惑いを隠せないのだが、徐々に自分に忠実に生きようとする姿をみて理解できるようになる。そして、自分の人生もみつめ直していく。

いい歳になってもなかなか恋人もみつからないまま鬱屈としている自分も父親のように真の姿をさらけ出そうと考えるようになる。そんな時に恋人ができ付き合いが始まるのだが、なぜか臆病でなかなかうまく関係が作れない。そうした、息子の現在と今は亡くなっていった父親の過去とを重ねあわせながら映画は進行する。女優である恋人も父親との確執あることが暗示させられる。

ときおり、アメリカでのゲイの歴史にも触れる。「ミルク」という映画にもなった同性愛者であることを公表して政治家になったハーヴエイ・ミルクについても何回か出てくる。最近では、オネエキャラがもてはやされるが、30年以上前だと大変な差別を受けたし、異端視された。ぼくにはその辺りの心理とか、性向は理解できないのだが、人間の多様性は認めなくてはいけない。

さて、映画では父親の殻を破った生き方を身近に感じながら息子は新しい恋人と別れたり、またよりを戻したりと紆余曲折をへながら、自分自身も殻を破りだす。アメリカ人にしては、何とシャイなんだろうと思わずにはいられないのだが、考えてみればアメリカ人だったらみな能天気だと言うわけではない。でも、いい歳して何やってんだろとも思う。

最初は、父親のカミングアウトに驚き悩んでしまう息子という設定かと思った。そんな親から生まれた自分は何者なのだろうかといった出自の悩みを抱いてそこから抜け出すみたいなことを想像した。ところが、自分の女性に対する臆病さを嫌悪しているのをなんとかしたいという悩みであることがわかる。だから、父と子というよりも、同じ男として、どうやって愛情を表現するのかを教えてもらったといった趣である。

てなことで、異常な家族を描いているが、実は家族の物語ではなく、自分にとって大切な人は誰なのか、そしてその大切な人たちとの関係性の中で幸せに暮らすことに素直でいようよというメッセージが伝わってくる映画であった。
  
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2013年5月10日

かぞくのくに

「帰国事業」というのを知っている人も少なくなっただろう。1960年から70年代にかけて、北朝鮮への移住のことである。日本で差別されたり、貧困に苦しんだ在日コリアンが「地上の楽園」と謳われた北朝鮮へ渡ったのであった。しかし、国交がない日本へは戻れることはなかった。そうして分断された家族を描いた「かぞくのくに」はいまだに続く悲劇を見せてくれる。監督が、ヤン・ヨンヒ、主演が安藤サクラ、井浦新らである。

東京で暮らすリエ(安藤サクラ)は、同胞協会の副委員長を務める父と喫茶店を営む母と3人で生活しているが、彼女には25年前に帰国事業で北朝鮮に渡った兄ソンホ(井浦新)がいた。その兄が病気治療のために一時帰国が許され帰ってくることになる。16歳で出国して以来25年ぶりに再会を果たすのだが、浦島太郎のようでもあり、微妙に食い違いを感じるのである。

滞在は3ヶ月ということで、その間は本国から見張り役のヤン同志(ヤン・イクチュン)がつきっきりで監視している。日本で医師に診察してもらうと、3ヶ月では到底治療はでうせないきないと告げられる。しかし、かつての同級生の夫の医師に相談してなんとかしようとしている矢先に、本国への帰国命令がくる。理由も知らされず、ただ命令だからとだけ告げられる。そんなことは珍しいことではないのだという。せっかく、家族水入らずを喜んだのもつかの間であった。

映画は、ソンホが戻ってから帰るまでの7日間を追ったものである。家族や友達がそれぞれの思いをぶつけ合いながらも理不尽な状況を嘆くのであるが、どうしようもない絶望感に心はれることはない。息子を北朝鮮に送り出した父親、それをなじる叔父、仕送りを続ける母親、幼い時に別れた兄を慕い続ける妹、甘く酸っぱい青春をともに過ごした級友たち。そこに絡む監視役の同志の微妙な変化。

監督のヤン・ヨンヒの家族は今もなお北朝鮮にいるのだという。つまり、彼女の実話をベースにした書き下ろしなのである。だから非常に説得力のある映像となっている。同じ家族でありながら、往来ができない国というのは何なのだろうか。スーツケースにどこへでも自由に行けることへの思いを馳せる象徴的なシーン。拉致の家族ともまた違った不条理な世界であり、非常にやるせない気持ちでいっぱいになる。

この作品はとくに声高に叫ぶわけでもなく饒舌でもないが淡々と簡潔に静かにそして無駄のない描写でよくできている。また、安藤サクラや井浦新を筆頭に出演者たちもそれぞれの役柄を見事に演じている。なかでも、ぼくがびっくりしたのは、ヤン同志役を演じたヤン・イクチュンである。あの衝撃的な「息もできない」で監督・主演だった人でよく出てくれたものだ。彼で引き締まった感もある。
  
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2013年5月13日

桐島、部活やめるってよ

時として、高校生たちの青春群像を描いた作品に見るべきものが出てくる。「桐島、部活やめるって」は、2012年の第36回日本アカデミー賞では、最優秀作品賞と最優秀監督賞を受賞している。原作の小説は、第22回小説すばる新人賞を受賞した作品でもあり、作者の朝井リョウは、今年の直木賞を「何者」で受賞しているので旬の作家の作品の映画化である。

タイトルからもわかるように、バレー部のキャプテンで勉強もでき学校中で人気者だった桐島が部活をやめるという話が巻き起こる。そこから、関係する生徒たちの間で波紋がひろがるという筋立てであるが、その肝心の桐島が画面には登場してこないのだ。この展開は面白い。実体があるかないのかもわからない。いったいなにものなのかという想像がまた観る者を面白くしている。この年代というのは、案外実体のないものに左右されたり、妄想をもったりするもので、そこをついてくるあたり吉田監督の演出は冴えている。

中心は部活をめぐる学校生活の動きなのである。運動部、文化部、帰宅部の各エリアでの実態とそれぞれ同士の思惑、男女の関係といった模様がテンポよく描かれている。このあたりは、時代とは関係なくいつの時代でもあったような話だろう。観ていてぼくの高校時代のことを思いだしてしまった。おそらく、観客みな自分の高校生活を思い返していたに違いない。やっぱ、甘酸っぱい思い出がいっぱいだ。

ぼくは、ずっとサッカー部だったので、ほとんど運動部の連中との付き合いばかりで、文化部とか帰宅部の連中とは接点がなかったが、映画に出てくる映画部を観ていると、あのころぼくも映画部にでも入っていたらどうなっただろうかと想像してみる。最近よく一緒に呑む同級生のM君は、水泳部と映画部に入っていたが、基本的には一つの部活しかできなかったのでどうしようもない。

人間模様というか、関係性みたいなものはいつの時代でも同じだと言ったが、環境とか成熟度みたいなものは昔とずいぶん違っている。塾や予備校なんていかなかったし、複雑系になっているように思う。だから、ある意味"大人に"見えてしかたなかった。今の高校性も大変だなあと同情したくなった。ただ、根源的な悩みは同じだなあとも思う。「何が好きなの」「何のためにがんばってるの」という自問自答がでてくるが、あの時期はみんなそんなことで悩んだのだ。

出演している、若者たちがみな自然体で生き生きして、最近の学校の状況も分かって面白かった。ぼくの子供たちももう30歳前後だから高校生はずいぶん前になるし、最近はどうなっているのだという興味があった。どうも「ゆとり世代」から「さとり世代」というらしいのだが、そう簡単に悟ってはいないで悩んでいる若者が登場しているので悲観したことでもなさそうだ。
  
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2013年5月 9日

勝ち続ける意志力

ちきりんが彼女のブログでしつこく絶賛していたので、どうしても読みたくなった。ただ、ちょっとした本屋では置いてなかったのでジュンク堂まで買いにいった。プロのゲーマーである梅原大吾が書いた「勝ち続ける意思力」(小学館101新書)である。ぼくも知らなかったのだが、ゲームのプロがいるんですね。しかも彼は2010年には「最も長く賞金を稼いでいるプロ・ゲーマー」としてギネスにも認定されたという。何しろ、17歳で世界一になっていて、現在は31歳でぼくの上の息子と同い年だ。

いやー、一気に読んだ。むちゃくちゃ面白い。やっていることが半端じゃないから驚嘆するとともに尊敬の念まで覚えてくる。なぜそんなにすごいかをちょっと紹介すると、5歳でスーパーマリオブラザースを始めて、それからゲームに夢中になったという。両親が共働きだったので、中学に入ると電車に乗ってゲームセンターに行くようになる。他の子供たちは勉強や部活に精を出しているのにゲーセン通いしても親は寛大だったという。

もう完全にのめり込んでいくがそれがものすごい努力を伴っている。だから14歳になった時に自分は世界一だと思うようになる。その頃は、人の何倍もの時間ゲームをやって。そうした努力をしているから俺は強いんだと思い込んでいた。そして17歳のときに世界の頂点に立つ。もうこうなると、「10年に一人の天才」だとか「世界最強の格闘ゲーマー」とかもてはやされることになる。

なぜ彼がそこまでがんばったかは、ゲームといえども、自分を高める努力を続けていけば、いつかゲームへの、そして自分自身への周囲の見方を変えることができる。評価される日がくると信じていたのだが、現実はそうはならなかった。それで、ゲームの世界から身を引いてしまう。このあたりが並ではない。それでどうしたかというと、麻雀の世界に飛び込むのだ。しかし、そこにも求めるものはなく、プロの道に進むことなく、今度は何と介護の世界に転身する。全く勝負とは無関係の場に身を置いたのである。

ところが、ある日誘われて3年ぶりにゲームセンターに足を運ぶ。そこで戦った結果は驚くほど勝ち続けたのである。長い間のブランクがあっても、いやあったから一段と強くなっていたのであった。ここで完全復活する。その後は、海外のゲーム周辺機器メーカーのスポンサーがついて、プロとなるのである。このストーリーを聞くだけでも面白すぎるのだが、さらに彼が語る言葉がまたすばらしいのである。そのウメハラ語録を少し紹介する。

ぼくは相手の弱点を突くのが好きではない。(中略)弱点を突いて勝つ戦法は、勝負の質を落とすような気さえする・その対戦相手は自分を成長させてくれる存在なのに、その相手との対戦をムダにすると感じるのだ。だから、弱点を突かず、むしろ相手の長所となる部分に挑みたい。
自分を高めるこということは、何かを編み出したり、経験を積んだりすることで、自分の引き出しをいっぱいにすることではない。より新しく、かつ良いものを生み出し続けることが、遥かに大事なことではないだろうか。
僕にとっての正しい努力。それはズバリ、変化することだ。(中略)しかし、多くの人は、変わることと前進することは別だと思っているだろう。確かに、自分を変えることは不安だし、変化した先に勝利があるとは限らない、けれども、変わり続けていれば必ず前へ進める。変化したことで失敗したり、後ろに下がったりした時は、もう一度変化すればいい。失敗に気づいて変化すれば、以前の自分よりも必ず高い位置に行ける。
自分を痛めつけていると、努力しているような気になる。しかし、そんな努力からは痛みと傷以外の何ものも生まれてこない。
勝つことに執着している人間は、勝ち続けることはできない。

ぼくはゲームをしないからゲームの勝負とかは分からないのだが、ここで言っていることは、けっしてゲームの世界に限ったことではなく、スポーツやビジネスの世界でも言えることだと思う。彼の主張のキモは、勝つことと勝ち続けること、結果を出すことと結果を出し続けることは違うということ、そのためには日々の努力が必要だが、自分のからだを痛めつけるような努力はしてはいけなくて、ちゃんとした論理的な裏付けがある努力をしなくてはいけない。そして、大事なことは変化し続けること、成長し続けることだといっている。いやー、勉強になった。
  

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2013年5月12日

エンタープライズSNSは成功するか?

企業にソーシャルネットワークシステム(SNS)を入れる動きが急だ。あのIBMもエンタープライズソーシャルウエアなるものを出している。はたして、個人の生活に入り込んだように会社の中にも浸透するのであろうか。

その成功のキモというのがあって
① 社員自身による情報発信の促進
② 社員・ナレッジの自然な可視化
③ ナレッジの流通スピードの加速化

ということだそうだ。どうもいつか来た道のような気がする。もう10年以上前にもナレッジマネジメントというものがあった。しかし、あれから各企業に浸透したかというとあまりそういった話は聞かない。ぼくも、その当時あるNTT系のシステム開発会社が盛んにやっていておもしろいから見に行ったらと言われて、教えてもらったことがあった。

その会社は開発会社だから、システムエンジニアに対して、自分のもつ知識やノウハウを開示する仕組みを作った。しかし、そこでただあなたの知識を出してよといっても出てこないのでそこの工夫がいるということで確かポイントを付けるようにしていたと思う。つまり、誰かに利用してもらうとポイントがたまる仕掛けだ。そのポントをどうしたかは失念したが、何らかのインセンティブを与えないと機能しない。

さて、社員自身による情報発信の促進という場合、みんなつぶやいてくれと言うのだそうだが、それらの情報を集めてみんなで共有するという。どうも、TwitterやFacebookを想定しているようで、ただああいったタイムライン的にばんばん流すのではなく、ストック情報も対象にするというところが違うのだそうだ。

これで、みなさんつぶやくのだろうか。"いいね"をもらえるのがモチベーションになるのだろうか。あのひとはよく知っていると言われるのがうれしくて知識やノウハウを出すのだろうか。もし、そんなことでうまくいくようならとっくに浸透して使いこなしているはずだ。まずは、日本の会社で普通は自分のノウハウを出すわけがないでしょう。だって、みんなに教えたとたんに自分の地位があぶなくなるんですよ。そことの戦いなのです。

今の社会は、特にネットの出現でオープンになったといっても既成の会社の中でそれだけそれが実現できているのだろうか。ですから、何らかの工夫をしなくては浸透しない。ひとつは、人事評価と結びつけることがある。会社人間なんて所詮自分の給料に跳ね返ることに一生懸命になるのだ。しかし、これも人事評価となると、どれだけ業績に貢献したかをつぶやきで判断できるだろうか。難しいところである。

もう一つは、以前から何回も言っているように、日常の業務オペレーションの中で自然と知識やノウハウが引き出されて、それが業務というか案件の成果に結びついた時に正当に評価することではないでしょうか。「社員・ナレッジの自然な可視化」と言っていますが、単に各人のナレッジを見えるようにするのではなく、自然に引き出せる場を提供してあげないと意味がないということである。ナレッジは、あれば価値があるのではなくどこでどう使われたかが大事なのである。

まだ、ここでも目的と手段の混同が起きていて、情報を発信することが目的でもなんでもない。エンタープライズにSNSを入れる目的は何かをよく考える必要がある。それは、より円滑なコラボレーションによるチーム力の向上ということもあるが、もっと突っ込んで組織の構成員一人ひとりが小さくてもいいから日々成長していけるということだと思うのである。今のソーシャルSNSはそうした使い方を目指しているのだろうか。
  

2013年5月 6日

やっぱ違和感が

連休中はけっこう世の中を眺める時間があるので、たまには世相を斬る的な記事を書いてもいいかなと思っていたところ、昨日の夜にテレビで国民栄誉賞の授賞式の模様が流れていた。今年の受賞者は長嶋茂雄氏と松井秀喜氏の師弟コンビである。それで、授賞式が東京ドームの巨人対広島戦の前に行われて、長嶋さんがバッターボックスに入り、松井さんが投げて、原監督が受けて、安倍首相がアンパイアをつとめるというパフォーマンスも見せた。

しかし、それを見ていてちょっとおかしいなあと思ったのはぼくだけなのだろうか。祝福している人がジャイアンツファンだけではないかと思ってしまう。二人とも、ジャイアンツの長嶋、ジャイアンツの松井という存在なのである。これでは、ジャイアンツファン以外のものはどうなのよって感じで蚊帳の外状態である。巨人好きだけで勝手に喜んでよという気分にもなる。授与式も普通は官邸で行われるのに東京ドームである。

言うまでもなく国民栄誉賞というのは、目的として「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったものについて、その栄誉を讃えること」なのだが、長嶋さんはそうかもしれないが、松井秀喜がこの目的に合っているかはいささか疑問である。昨日の授賞スピーチでもそのあたりのことがあるのか遠慮がちに言葉を選んでいた。少なくとも、ベイスターズファンのぼくは彼を敬愛したわけでもなく、社会に希望を与えたとも思えない。

また、松井選手の方が先に受賞対象になったらしいというのも変な話である。そもそも長嶋、王、衣笠の時代のプロ野球と松井のいたプロ野球の位置がまるで違っている。つまり、プロ野球というものの全体の代表という意味で長嶋さんは該当するかもしれないが、そうした感覚が失せた時代におけるジャイアンツの代表ではちょっと違うんじゃないのかと思う。

いまや、スポーツは世界で戦うこと、また特定のチームにずっといることもなく、個人の力を発揮することができるチームに移るなんてことは常識になってきているわけで、そんな時代にジャイアンツ愛もないものだ。多分、巨人以外プロ野球のファンの人は同じような気分だったのではないだろうか。スポーツ選手にとって評価されるものは人柄ではなく、美しい師弟関係でもなく、戦績であり記録でしょ。まだまだ情緒が支配する国なんだなあ。
  

2013年5月11日

会社は変えられるのか変わるのか

いま、決算のラッシュで各社の成績が報告されているが、アベノミクス効果なのか、好決算が増えているようだ。特に、円安で自動車を初めてとして輸出企業が、株価の上昇で証券会社の調子がいいようだ。しかし、実体経済があまり変わっていないのに、為替や株価で企業業績が左右されるといういうのもおかしな話ではある。

こうなると、経営者も環境変化に一喜一憂したり、神風を期待したりすることになりかねない。そうではなくて、本質的な改革をしながら、あるいは変化に対応しながら会社を成長させるというのが大事な使命であることを肝に命じなくてはいけない。しかしながら、日本の大きな企業の経営者の多くが会社を変えようとは思わないのではないだろうか。今の状態をなるべくいじらないでそのまま踏襲していこうという心理が働いたり、変えるにしても内向きの縮小均衡へ持って行ったりする

やはり、現代では絶えず変化を与え、成長していくことが求められている。いいか悪いかというより、そうしないと会社が存続できないという厳しい現実がある。で、そのとき経営トップが変革を叫んで実行できるかどうかというとかなり難しいのではないでしょうか。もちろん、カリスマと呼ばれるような人が引っ張る会社はありますが、まだ少数派だと思います。

ですから、日本の企業の改革は経営者だけががんばっても難しい側面があって、もう一つ条件がある。それは、社員の意識改革なのだがこれがまたすごく難しい。簡単に、意識を変えてくださいと言ったところで変わりません。なぜなら、変えることが一般の社員にとって有利な戦略ではないからです。特に大企業にあっては、お役所もそうですが、可もなく不可もなく会社生活を過ごすのがその人たちにとって幸せな人生になるのからです。

ところが、それを覆すことができる条件があります。JALです。会社が潰れるとなったら動くのです。変わるのです。JALの変貌は稲盛さんの功績だという論調もありますが、ぼくはそれもあると思いますが、このままでは会社が潰れてしまうという危機感を共有したことがすごく大きいと思います。もちろん、そうした状況に稲盛さんの経営哲学や手法を持ち込んだことが相乗効果となって早期に立ち直ったのでしょう。つまり、会社を変えたというより、会社が変わったという方が当たっているように思う。

このことは、JALに限ったことではなく、さすがに中小ではすぐに持ちこたえられなくなってしまって倒産でしょうが、中堅から大企業までの多くの会社は落ちるところまで落ないと変わらない状態になっていやしないだろうか。人間の心理として、将来の危機に対する想像力は臭いものは蓋的に考えるような気がする。

ではどうしたらよいのかなのだが、おいそれと解決策があるわけではないのは言うまでもない。わざと会社が潰れるくらいにすることなんてできないわけだから非常に難しい。ただ、少なくとも国をはじめとして過保護に支援することはやめたほうがいい。それと、個人に危機感を与えるのもありかなと思う。つまり、変化を嫌うようなものは淘汰されてしまうような人事制度にするとか、解雇規制緩和といった内外の制度改革なのかもしれない。いずれにしろ、日本全体の企業力を高めるには何らかの手を打っていかないと沈没してしまう。でも、一度とことん落ちてみるのもいいかもしれないと恐ろしいことを考えることもある。
 

2013年5月14日

ビジネスサービスのつくり方 - 第4章 開発

■ 3Dプリンターのように作り、百均のように組み合わせる

またまた、ちょっと寄り道です。従来のように要件定義してプログラム仕様書を書いてコーディングするというやり方とまったく違った方向に持っていこうということなので、その考え方なりを丁寧に説明した方がいいと思うからである。ただ、やり方を詳しく説明してもなかなかわかりずらいこともあるので、その前に抽象的ではありますがたとえ話をします。

まずは、「3Dプリンターのように作る」です。皆さんご存知のように3Dプリンターというのは、CADなどの3DデータをもとにABS樹脂などを加工して3Dの実体を造形してしまうことで(高額なものは石膏とかもあります)、こうした立体物を作りだすのを3Dプリンティングという。これまではずいぶんと高かったのがここへきて非常に安いものがでてききたので大注目です。

ただ、これでものができてしまうと勘違いしている人がいますが、あくまでプロトタイプというか試作品(おもちゃならそれでいいかもしれないが)ができるだけで、実際に工業製品とするには無理があります。しかし、平面でしかイメージできなかったのが立体感をもって見れるのでだいぶ違います。こんなものがつくりたいというイメージがすぐに形になって現れるので、そこから修正したり、追加しながらできるので、制作効率や品質が向上する。

いまは、製造業や建設業、医療などに利用されているようだが、この考え方をシステム構築に活かせないかということである。つまり、業務システムのイメージをどこかに書いてみて、それを"印刷"ってするとプロトシステムができあがるというわけである。モックアップに近いと思うのですが、そこから実際に動くものになればいい。今の3Dプリンターはあくまで模型なので実生産品にはできないが、システムだったらできる。

ただ、言うまでもないかもしれないが、3DプリンターがCADなどでちゃんと設計しないといけないのと一緒で、業務プロセスの設計ができて初めて可能である。それは構造を設計することが肝で、中味はあとから調整することになる。これができると、ユーザと一緒に"じゃあちょっと印刷してみます"といった具合にやり取りすることで本当に使えるものが短期間でできあがる。

さて、もう一つの「百均のように組み合わせる」である。最近の100円ショップはもうばかにできないほど進化していて、驚くような商品がたくさん提供されている。そんな中、百均商品を組み合わせて使用する主婦が現れている。様々なものをつなぎ合わせて立派なインテリアを作ってしまうといったことである。店で商品をみながら発想するのでしょうね。実に楽しそうにやっています。

百均ショップをクラウド上のAppStoreと見立てたらどうでしょうか。単機能のアプリケーションやツールといったソフトウエアをつなげたり、マッシュアップしたり、並列配置したりといったアレンジをすることで広い範囲のアプリケーションを生み出すのである。それぞれのAPIをもうちょっと使い勝手のよい形にする必要があるかもしれないが面白いと思いませんか。

結局、モノづくりはデザイン/制作・製造・実装/オペレーションといった工程がシームレス化してきているわけで、これは物理的実体をもったものでも、ITシステムのようなデジタル情報でも、サービスでも基本的には同じだろうと思う。いちいち百均にあるものを最初から作ることはしないと思うのですがいかがでしょうか。

2013年5月15日

ソーシャルな資本主義

いま、企業間プロセス検討の研究会に入り議論していくことになっている。バリューチェーンプロセスどう設計するのかというのもあるが、ソーシャルネットワーキングの仕掛けも大事な要素になってくると思っている。その検討会に参加するK社長から薦められた「ソーシャルな資本主義」(國領二郎著 日本経済新聞出版社)を読む。

著者の國領二郎さんは、慶応大学総合政策学部教授で「オープン・ネットワーク経営」とか「オープン・アーキテクチャ戦略」「創発経営のアーキテクチャ」といった本を書いていて、ネット社会の企業経営といった分野で発言をしている人である。ぼくは、彼の提唱するビジネスモデルをアレンジして使っている。わかりやすい表現で頭にすっと入りやすい。

この本では、これまで切れていた関係であった経済社会が、つながるようになって変化をもたらしていて、そこから出てくる効果として、「見える効果」と「創発する効果」があると言っている。そして、つながりが価値を生み出すには信頼が非常に重要であり、そうした信頼関係に基づいて情報を開示し合う関係性とその意義を「ソーシャル」と定義している。

経営学には、経済学、認知心理学、社会学の3つの分野からのアプローチがあると「世界の経営学者はいま何を考えているのか」の著者である入山章栄氏は言っている。この社会学的アプローチ、すなわち人間と人間の信頼関係について分析しようとする態度に近いような気がする。従来は社内に重きをおいていたものが社外へとひろがっていっていると思う。

前半は、経済社会の状況はどうなっているのか、どう変化してきたのかを述べているが、とりたてて新規性があるわけではなく、皆さんが言っていることで常識的な域を脱していない。インターネットの効用、クラウドの登場、ビックデータの活用、エコシステム、POSからPOU(利用時点情報)、所有権の移転から利用権販売、スマホの時代、フリー、パーソナルファブリケーションといったキーワードをあげれば、だいたい分かってしまう。


だから、興味がわいてくるのは、第7章の「つながりの時代の創発経営」あたりからで、あと第10章「「つながり上手」な企業のアーキテクチャ」、第11章「信頼のプラットフォーム戦略」がおもしろかった。時代の変化というのは、後で振り返ってその変化の大きさを知るというところがあって、まっただ中にいると気がつかないことが往々としてある。今はそんな時代であるような気がする。著者もあとがきで言っているように、少なくとも第二次産業革命に匹敵するくらいの変化が来ているとみるべきなのである。

ただ、ソーシャルな資本主義というネーミングがちょっぴり引っかかる。資本主義というのは、強欲な資本主義と言われるように、人々の欲望の裏打ちがあって成立しているように思えて、そこを抑え込んだ社会主義的な匂いがして矛盾しないのかと思うのである。それはともかくとして、新しい経済社会が形成されているのは間違いなさそうである。
  

ソーシャルな資本主義
國領 二郎
日本経済新聞出版社
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2013年5月16日

あなたへ

この映画は明らかに高倉健のための映画だ。やくざ映画、任侠ものも誰も見なくなった現代でちゃんと生き残っているのだからたいしたものだ。もう82歳というから驚く。映画「あなたへ」の中でも、坂道なんてすいすい登ってくる体力にはほとほと感心してしまう。まだまだ、ドスをもって殴り込みができそうである。監督が高倉健とよく組む降旗康男で、共演が田中裕子、ビートたけし、佐藤浩市、草彅 剛、大滝秀治、綾瀬はるか、余貴美子、浅野忠信、三浦貴大、長塚京三、原田美枝子といった豪華な面々で花を添えている。

物語は単純と言えば単純で、富山刑務所の刑務官として勤務する倉島英二(高倉健)は、愛する妻洋子(田中裕子)を病気でなくすが、その妻から手紙を預かったと言ってNPOの人が現れる。その手紙には、洋子の故郷の長崎の海に散骨してほしいと書かれていた。そして、そこからワゴン車を駆って長崎に一人で向かうことになる。

長崎の途中の道のりで様々な人々と出会う。キャンピングカーで放浪しているという元国語の教師と名乗るが実は車上荒らし(ビートたけし)、北海道からでてきて各地の催物場でイカめしを売っている者(佐藤浩市、草彅 剛)、そして、長崎で出会う漁港の漁師や食堂の人々。まあ、よくあるロードムービーのじいさんバージョンで、人生はいつも旅だみたいな話である。ただ、やっぱり、高倉健の存在感が抜群だから、ドラマになってしまうんですね。

これは、誰かが言っていたが、こういう映画の主役を張れるのは、クリント・イーストウッドか高倉健だけだそうだ。確かに、どこか二人に共通点がありそうで、そうなのですよ、若い頃は、かたやマカロニウエスタンやダーティーハリーだし、かたや、唐獅子牡丹に昭和残侠伝、網走番外地です。それが齢を重ねて、ミリオンダラーベイビーやグラントリノとなり、幸せの黄色いハンカチや鉄道員になるのである。

それともうひとり対比したいのが吉永小百合で、同じような時期に彼女の主演で「北のカナリアたち」という映画が作られたが、これもまさに吉永小百合の映画と言った感じだった。この人も往年のスターでそのまま息がながい俳優さんで華がある。こういうスターはもうでなくなったなあと思う。何か映画の中身とは関係ない話になってしまったが、共演者がもう健さんと台詞のやり取りができて幸せといった風情でそれだけでもいいんかじゃないですか。
  

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2013年5月17日

つながる経済における実践とは

先日「ソーシャルな資本主義」(國領二郎著 日本経済新聞出版社)という本の紹介をした。内容については新鮮味が薄いとか、ソーシャルと資本主義いうワードをつなげた違和感を述べたが、それはともかくとして、現代の社会や経済がおそろしい勢いで変わっているのは確かだ。変化の渦中にいると気がつかないところがあるが、おそらく何十年あとになって振り返るとあのときは産業革命だったのだと思うのではないでしょうか。

それをもたらしたのは明らかにインターネットである。インターネットそのものというより、それを使ったビジネスだとか社会インフラだとか個人のライフスタイルといったものが劇的な変化をしたことだろう。従って、従来型の価値観が覆されるような事態も起きていてそれこそまさに革命である。なので、もう少しこの本をベースに掘り下げていこうと思う。そして同時にこうした変化に対応したシステム作りはどうしたらよいのかという問題にも踏み込んでみたい。

本は10章からなっていて、それぞれにその章におけるポイントが書いてあるので頭の中を整理するのに役に立つ。とりあえず、各章を書き出してみるので、全体の構成と論点を把握しておきましょう。

第1章  ソーシャルな資本主義 -- つながる経済
第2章  つながる時代
第3章  デジタル情報革命
第4章  つながる経済に従来の常識は通用しない
第5章  POU(利用時点情報)で見える顧客の素顔
第6章  見せてもらえる特権 -- 信頼が資産
第7章  つながりの時代の創発経営
第8章  ソーシャル時代の知られざるリスク
第9章  価格をデザインする
第10章 つながり上手な」企業のアーキテクチャ
第11章 信頼のプラットフォーム戦略

全体のトーンを簡単にいうと、これまでの切れていた経済がつながる経済へと変化しているのでその本質を理解して的確に対応していかなくてはいけないといったところであろう。時代は"つながる"がキーワードとなってきていて、これはデジタル情報文明が切り開いてきたのである。革命的に現れたつながる経済では従来の常識が通用しないこと、そして顧客との関係が非常に重要となってきて、つながりを維持するには信頼が不可欠で、それによって顧客の情報が見せてもらえる。

こうした時代にあっては創発の経営スタイルへの転換が必要でそこからイノベーションを起こす。ただ、一方でリスクもあるわけなのだがあまり恐れず向きあうべきである。劇的な変化は価格にも及んでいて単純な価格設定ではなくなってきている。実践にあたって大事なものは、企業のアーキテクチャと信頼されるプラットフォームである。とまあこんな風に論旨を組み立てられるが、最後は具体的にどうやるのかが重要で、学者先生はそこを突っ込まないのでこちらで考えざるを得ない。次回から個別に検討していきます。
  

2013年5月18日

図書館戦争

最近頻繁に映画される有川浩原作の映画化「図書館戦争」は、すばらしいというほどではないがよくできた作品である。何だかハリウッド映画を彷彿させられる設定であるが、日本でSFアクション映画を撮るとこんなもので、お金もかかっていないがそれなりに面白いといったできばえである。監督が佐藤信介でV6の岡田準一、榮倉奈々が主演である。石坂浩二や田中圭、栗山千明などが共演である。

よく現実にあり得ないような設定にすると、そんなのおかしいとまじめに突っ込むやつがいるが、荒唐無稽さは映画ならではの楽しみですよ。この映画だって、メディアに対し規制するメディア良化法というのができて、公序良俗を害する本の検閲が行われるが、そこに図書隊と称して本を守る部隊ができて図書館の護衛を行うというものでこれだけ聞くとおかしいですよね。

ただ、別に現実の世界の設定ではなく架空の時代設定だから、ひょっとしたら未来にあるかもよなんて想像するのもありです。その図書隊の女性隊員に榮倉奈々が扮し、高校生のときにメディア良化委員会が本を没収しようとしたのを図書隊の人に助けられたことから志望したのである。その教官が岡田准一で厳しい指導でみんな鍛えられる。そして、やがて全面戦争へと展開していく。

図書館で銃撃戦というのも変て言えば変でそれを警視庁が横で見ているという(小田原での戦いなのになんで警視庁なの)これまた変な構図である。この銃撃戦が結構すごいし、アクションも見ものである。岡田準一はアクションがさまになっている。聞くところによれば格闘技が得意で3つぐらいの流派の師範免許を持っているそうだ。映画でも、スタントなしで演じたという。

ただ、身長がないので170Cmの榮倉奈々と並ぶとだいぶ差がある。原作にあるかどうか知らないが、それを台詞でも言わせている。そういう設定なのかなあ。岡田准一も「SP THE MOTION PICTURE」あたりからこのタイプの役柄がはまってきたようだし、榮倉奈々も明るいキャラで失敗を繰り返しながらも成長していく様を好演している。

深刻でメッセージ性の強い文芸作品のようなものもいいが、たまには単純な娯楽作品を見て、スカッとするのもいい。日頃悩ましい仕事をさせている頭の中をリフレッシュさせる意味でも楽しいし、そんな映画のあとに呑む酒もしみ込んでいく。ところで、呑んだあとの帰り道にふと思った。この映画のように売れた原作ものを映画化するというのが普通だが、その逆はないのかなあということである。西川美和とか是枝裕和なんかが浮かぶが、SFアクションとかでないかなあ。つまり、絵コンテ→シナリオ→映像→言語化→小説という流れである。マンガ・映画・小説が一体的になるイメージですね。
 
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2013年5月19日

企業理念と起業理念は違う

どこの会社にも「企業理念」あるいは「経営理念」というものがある。何も文言化されてなくても、社長の頭の中でもいいのでどこにでもあると思う。それは、少なくとも現在の姿に対してがほとんどだろう。ところで、その企業理念というのは創業の時に作られたものなのであろうか。会社を設立したときにこんな会社にしたいということを言葉にしたものなのだろうか。

というのも、例のJALの再建のときに稲盛さんが新しい企業理念を考えさせたところその冒頭が「全社員の物心両面の幸福を追求する」となったそうで、でもこれは今の京セラの企業理念でもある。まあ、強制したわけではないだろうがJALが気を使ったのか、本当にそう思ったかは定かではない。

では、京セラは創業の時からそういった企業理念、経営理念だったかというとどうもそうではないようだ。技術者としての稲盛和夫の夢を実現することが起業の時の経営理念だったのである。よく考えてみると、「全社員の物心両面の幸福を追求する」という経営理念をもって起業する人はいない。だって、全社員と言ったって数人だろうし、経営者、従業員という関係もあいまいだからである。

つまり、一般に言われる企業理念や経営理念はある程度会社が大きくなって社員を雇うような状態、すなわち会社が成長して性格ができ始めたときに、そこで醸し出される文化だとか風土に基づいて自然発生的につくられるのかもしれない。最初は社員のことなんかより、社会に認められてビジネスが成り立つのか、拡大していくのかということが最大の目的なのだから、それができないで全社員の物心両面の幸福なんて望むべくもない。

ただ、全社員の物心両面の幸福という理念に見えるのは安定とか、現状維持、チャレンジしない、既得権の主張といったコンサーバティブな匂いを感じるのはぼくだけだろうか。企業は誕生から成長して成熟期となり、衰退期を迎えるというライフサイクルがついて回る。そして、それを持続可能な状態に持っていくためにイノベーションを起こしながら、成長を続けるわけである。全社員の物心両面の幸福を追求するという理念からはイノベーションというイメージがわかない。

で何を言いたいかというと、それぞれのフェーズで経営理念は変化する、変化させないといけないのではないかと思うのである。いや、経営理念は変えないもの、ぶれないものとして存在しているとか、全社員のよりどころであるといったことがあたり前のように語られるのだが、先に言ったように進化していかないと生き残れないわけだから、もう少しチャレンジャブルな精神を盛り込む必要があるのではないでしょうか。というか、会社の置かれている状況とか成熟度によって、理念のレベルでも変えてみてもいいのではと思う。会社の成長にはイノベーションが必要で、そのイノベーションには起業家精神が不可欠であるからである。

2013年5月20日

ビジネスサービスのつくり方 - 第4章 開発

■ Webデータベースとはどんなものか

だいぶ寄り道をしましたが、コンセプトを変えていかなくてはいけないことがおわかりになったでしょうか。くどいようですが、おさらいをしておきますと、昔と違って今はビジネス環境がものすごい勢いで変化する時代になっていて、そこにITを使った業務システムが追いついていていない。その原因は、単純にシステム構築スピードが遅いということもあるし、業務側のIT化要求エリアが変化していることがあげられます。

要求エリアのことで言えば、元来のIT化要求領域である経理計算とか、決算システムのような定型化処理である内部プロセスから、お客さんの要求に的確・迅速に対応する顧客接点プロセスの重要性が増したきたわけです。ここは、非定型的で人間が介在し調整による意思決定が重要な機能となっています。従って、こうしたシステム上の性格を表現するには従来のような開発のやり方では対応できないということを指摘しているのです。

さて、これからはより具体的なアプローチとして、まずはサイボウズ社が提供する「kintone」というソフトウエアを例にしてWebデータベースとはどんなものかをみていきましょう。「kintone」は3月にバージョンアップしてかなり機能的に向上してきました。ひとことで言うと、よりSNS的というか、チームによる仕事のやり方を支援する方向になったということです。ですから、データベースという言い方も薄れてきています。

詳しくはここをご覧になってもらえばよいかと思いますし、無料お試し版もありますので実際に使ってみることをお勧めします。そこには、ビジネススピードに応えるファストシステムという表現があって、要するにファストフードのように簡単に提供できるというこで、その持つ主要機能が、「データベース」「プロセス」「コミュニケーション」です。まさに、これからのITシステムが具備すべき三種の神器といえます。

皆さんよく考えてみてください。この三つの要素はこれまでは独立していたように思いませんか。データベースはデータを登録・検索・レポート出力というところが主で、プロセスとかコミュニケーションという機能はありませんでした。プロセスはワークフローという個人ベースのものはありましたが組織能力の発揮という側面では取り残されていました。また。コミュニケーションというとほとんどが電子メールで一部グループウエアがあったくらいでしょう。そして、それぞれが連動していたわけではありませんでした。

ですから、kintoneのコンセプトは時宜にかなったものと言えるでしょう。ただし、kintoneでいうところのプロセスはどちらかというとワークフローに近いものです。つまり、データベース化のためのデータを登録し、それを承認するというワークフローになっています。チームの恊働作業として案件を処理していくというオペレーションをカバーするには弱いのです。工夫が要るということです。

最近は、クラウドとかスマホやタブレット対応とかビッグデータだとかがもてはやされていますが、一般的な企業の業務システムでは、「コミュニケーション」を主体として「プロセス」を回し「データベース」を確定するという機能がコアであることを忘れないでもらいたいのです。
 


2013年5月21日

ビジネス寓話50選  物語で読み解く、企業と仕事のこれから

そもそも寓話って何だろう。Wikipediaには「寓話(ぐうわ)とは、比喩によって人間の生活に馴染みの深いできごとを見せ、それによって諭す事を意図した物語。」とある。「ビジネス寓話50選  物語で読み解く、企業と仕事のこれから」(博報堂ブランドデザイン編 アスキー新書)は、古今東西の寓話を集めてそこからビジネスに関係するヒントを導きだそうと企図したものである。

冒頭に、方程式で表した数学の問題と、言葉で表した問題、それからストーリーで表した問題のうちどれが生徒にとって学びやすいかというアメリカの教育学者がおこなった調査が紹介されている。その結果、最初の予想に反して、方程式で表した問題が最も悪く、もっとも正解率が高かったのがストーリーで表した問題だったそうだ。

ということで、寓話や物語がもたらす効果を評価していて、その「効いている」力として3つあげています。「体験させる力」「感受させる力」「参加させる力」なのだという。とまあ、前置きがずいぶんと長くなってしまったが、というのも寓話からビジネスや働き方のヒントをさぐるというアイデアが面白かったのでついそれについて書いたのだが、正直言って"策に溺れた"というかアイデア倒れのような結果だったと思う。

なぜかというと、寓話で表した方が分かりやすいといっておきながら、けっこうその比喩的な表現がかえってわかりづらいのだ。寓話があって、その後のその内容や言わんとしていることを説明している。これじゃあ、感受するような感じではなく、論理的な理解をしてしまうのである。

また、寓話というよりも人生訓といったようなものだとか、ネットで話題になった発言といったものも混じっていて、かつ全体の脈略もあいまいなので、これなら逆にして、これからの会社での心構えって調子で書いて、コラム欄に寓話を載せてくれた方がましだ。

とはいえ、50選もあると中にははっとするものもある。全体の章立ては「「はたらく」「売る」「つくる」「動かす」「つながる」という構成なのだが、この中の「動かす」にあった「ベトナム農村のよき「逸脱者」」という寓話でジェリー・スターニンがベトナムに赴き栄養失調問題の解決にあたった話がおもしろかった。

そのとき彼が思いついたアイデアというのは「一部の子供が健康である理由を解明することはできないのだろうか」ということである。実態は、貧困や劣悪な衛生環境、限られた食物配給システム、清潔な水の入手が困難、政府の融通が利かないと言ったことは分かっているので、普通は「栄養が足りている者はいるか」などと質問するわけがない。ところが彼はそこに関心を持ったのである。結局、ポジティブ・デビアント(よい方向に逸脱した人)たちは、自分たちでは意識することなく、集団全体に成功をもたらす道を見つけているということに気がついたのである。

この寓話は確かにおもしろかったし、新たな気付きを与えてくれた。われわれはすぐに「現状にはこういう問題点がある、これを解決すれば、もっと良い状態に変えられる」という、「×を減らす」パターン。「こんな新しいものが出てきた、これをここに加えよう」という「○を加える」パターンを取ります。基本の基本ですよね。しかし、そんな基本でもそれと違ったやり方もあるということを教えているのである。うーん、こういうところからイノベーションとか改革が生まれるのかもしれませね。ただ、これって寓話というより普通に「行動観察」とか「行動経済学」の事例研究みたいな話のような気がするのですが。
  

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2013年5月22日

つながる経済における実践とは(1)

■ ソーシャルな資本主義 -- つながる経済
今回からは各章について個別にみていきますが、けっこうなことにそれぞれでポイントをまとめてくれていますのでそれにそって考えていきます。切り口はどうしてもITシステムが主になっていきますのでご了承ください。

さて第1章のポイントは次の通りです。
(1) 大量生産品を匿名の大衆に売る「切れた」経済が終わり、継続的なつながりの中から価値を恊創する新しい経済が始まる
(2) 背景は何でもつなぐことのできるネット。ただし、実際に何でもつながるのではなく、信頼してもらって、個人情報を「見せてもらえる特権」を持った企業我競争力を得る
(3) ビジネスモデル、マーケティング、価値戦略、組織など、すべてに大きな変化が来る。

まさに大きなパラダイムシフトですね。これまでの経済社会は大衆の大量消費社会であったわけで、まずはものを作って、それを買ってもらうという作り手側から押し出すプロダクトアウト型の構造だった。ここでは、お客さんの顔が見えない、つまり供給側と需要側が切れていたのである。それでも経済成長期であれば、大量の消費材を飲み込む容量があったのだが、今やものがあふれかえっています。

そうした、大量消費の終わりとインターネットの登場が劇的な変化をもたらしたと思う。インターネットの情報へのアクセススピードとリーチは人々の多様性をもたらし、消費者と生産者の主客の転倒がおきた。個人の叫びが届くようになって、人々は自身の要求を主張するようになる。ロングテール現象である。

ですから、売り方にしても切れていた時代では、匿名の人たちにものを買ってもらわなくてはいけないから、企業のブランド力が非常に重要になって、マスメディアでの広告が顧客からの信頼にとって大事な武器であった。それが、個人の顔が見える世界へと変貌しているわけで、そうなると生産・販売の仕掛けもずいぶんと変わるし、マーケティングでもご存知のように広告が新聞やテレビといったマスメディアからネットへと移行している。

これだけの大きな変化は、とうぜんビジネスモデルだけではなく、企業の従業員の働き方や企業情報システムに影響を及ぼさないわけがない。最初にお断りしたようにITシステムへの言及をしますが、「つながる」ということがシステム上でも非常に大事になってきます。それはシステムそのものもサイロ型になってつながっていなかったのを連携させたり、従業員同士のつながりが電子メールノ普及で格段に向上しています。もはや、自社のWebサイトを持っていない会社もほとんどなくなっているでしょう。

こうした大きなパラダイム変化では、従来の延長での思考態度では取り残されてしまいます。本で強調している「つながる」という意味合いは重要で、ネットは何でもいいからつなげるという精神でもある。20年くらい前に企業にもインターネットが入り込みだしたのだが、やっとここに来て「つながる技術」が多くでてきて何でもできるようになったと思う。これからは、それらをどう使いこなすかが非常に重要なポイントになってきた。
  

2013年5月23日

顧客志向の必要性と限界

幾度となく"顧客志向"の大切さを強調している。お客さんのニーズをよく把握して、その要求に答えるような製品やサービスを提供せよということである。ただ、お客様葉は神様ですとばかりなんでもかんでもお客さんの言うことを聞けばいいのかというとそうではない。どなたが言っていたが、「お客様は王様ではあるが神様ではない」のだ。神様は絶対だが王様は間違えることもあり、時には忠告も聞いてくれる。

だから当たり前だが顧客志向かそうではないのかという二者択一ではなく程度問題に帰する。そのときどんなことでもそうだが、TPOすなわち時と場所と場合によってどっちに軸足をおくのかということなのだろう。で今の企業システムの取り巻く環境をみると顧客志向へ重心を移動させるときなのではないでしょうか。いつやるの?今でしょ!

ところがここで気をつけなくてはいけないのが行き過ぎた顧客志向である。日本人というのは割と極端に走りやすいので、やたら顧客要求を聞きだしてそれに振り回される。その要求が顧客の単なるわがままであっても受け入れてしまう。そうした要求というのはひどいのは個人的な欲求だったり、取りあえず言ってみようという刹那的なものもある。ですから、大事なのは捨てることである。そのためには要求を抽象化・一般化できるかどうかである。

もし抽象化・一般化ができるようになれば、顧客志向からデザイン志向に切り替えていったらいいと思う。顧客要求を聞くのだがそのままではなく、逆にデザイン的な観点から提案する形ですりあわせるのだ。つまり、モノとしてシステムとしてそれがもつ機能やカタチをデザイナーとしてこうあるべきだと提示する。もちろん、骨組みは顧客要求が詰まっているが、道具やシステムにするときは専門家の目も必要なのである。

さらに進んだデザインの考え方では、「椅子をデザインしたい」という考えからはじまるのではなく「人々がストレスを感じない家具を創る」という思考から始まると言われている。これには、行動の観察というフィールドワークが不可欠だろう。人間がどういう振る舞いをしているのか、どんなスタイルで生活しているのかを観察するところからデザインを考えるのである。

これは椅子に限ったことではなく業務システムもしかりで、「人々がストレスを感じない販売システムを創る」ことであり、「人々が楽しくなるような営業システムを創る」のである。ただ、最初からそうはできない。第一歩はあくまで顧客要求の引き出しから始める顧客志向であることは言うまでもない。

2013年5月24日

老人パワーのすごさ

冒険家・三浦雄一郎さんが世界最高齢の80歳でのエベレスト登頂に成功したというニュースが飛び込んできてその快挙を喜んだ。サポート態勢がすごいのだが、それにしてもあの年齢でよくも登れるものだ。ところが、もうすぐ81歳になるネパール人が登頂をめざすという。実はこの人三浦さんが75歳で成功した5年前にそのちょっと前に76歳で成功したため、三浦さんの記録は初ではなくなったという因縁がる。もし成功したら、今度はつかの間世界一になってしまう。まあ、それでもいいんじゃないですかね。

さて一昨日は、小学校の4年生の時のクラス会があった。昨年の4月に一回目のクラス会を開催したので、今年は2回目になる。4年生の時のクラス会だというと一様に驚かれる。普通は卒業時のものが多いからである。なぜやるかの大きな理由は先生なのである。非常に教育熱心で生徒思いの先生で僕らは大きな影響を受けたのである。その先生が現在86歳であるが、まだまだお元気なので囲む会を開いたというわけである。

参加したのは先生を入れて14名なので4分の1くらいである。ただ、もう10数名が鬼籍に入っているので3分の1の出席といったところだ。でも前回出席で今回欠席という人も結構いるので、これまでに約半数が出席したことになる。今回の初登場は、男2人と女2人で他はいつも悪ガキどもである。

ところが前回もそうだったのだが、驚いたことにこの4人について先生が詳しく語りだすのだ。障がいの姉をつれて通っていた、そしてNHKテレビの「はてな劇場」にクラス全員で出演したとき問題に答えたS君、Kちゃんの実家に実習と称し田植えを手伝いにいってそのあとふかしたジャガイモをごちそうになったこと、父親がお医者さんで、ぼくらはみんなお尻にペニシリンを打ってもらった、その長女で朗読がうまかったAちゃん、厳格なおばあさんに連れられていた、やせて先生がもやしとよんでいたFちゃん。みんなよく覚えている。

なぜそんなに昔のことを覚えているのかというと、初めて学級担任となったから印象が強いのだそうだ。それと、先生が話してくれたのだが、クラスを持つなら3、4年がいいのだそうだ。要するに親がほったらかしにしてくれるからだという。1、2年だとまだ幼児から抜けないから心配になるし、5、6年になると中学受験を気にする(その当時でも中学受験があった)、そういった親の干渉から免れるのが3、4年生なのだそうだ。

だから、ほんと自由な授業で、先に言ったようにテレビに出るわ、田んぼで田植えをするわ、野外観察と称して野山を駆け巡るわといった奔放な経験をあじわうことができた。さらに、みんなで助け合うというか、クラスが皆の個性を尊重することの大切さも教えてもらった。以前もこのブログ先述した障がいをもった女の子のボデリーガードに指名された子の話を書いたが、今度出た話はM君という登校拒否児童についてである。

この子は心身が弱いとかということで登校拒否しているわけではなく、親が問題で行かさなかったようだ。この親は詐欺犯罪を犯して逃げていたのである。だから、家も人里はなれた山の中にあった。先生は、ぼくたちに毎日給食のパンを彼のうちまで届けさせたのである。順番を決めて放課後二人一組でパンを持っていくのだがほとんど出てこないので置いていくことになる。

先生は何とその家に行き、親を説教したのである。僕らも相変わらず食べてもらえているかわからないのだけどせっせと給食のパンを運んだ。そうすると、すこしずつ願いが届いたのか、ぽつりぽつりと学校にやってくるようになった。しかしながら、あるときからまたどこかへ去っていってしまった。そんな話をみんなが覚えていて、彼はいまごろどうしているのかなあと言うのである。こうした教科書にはない学びがいっぱいあった。

先生は今年87歳になる。米寿である。密かに今年の秋にお祝いをすることを企んでいる。今の日常生活を聞いたらびっくりするくらいだ。毎日のように出かけて、ボランティアのようなことをしている。まったくボケてはいない。むしろぼくらの方がもうろくしているといって、皆で大笑いする。おそるべき老人パワーである。
  

2013年5月25日

裏切りのサーカス

「裏切りのサーカス」という映画は、イギリスで制作されたスパイ映画である。このイギリスということとスパイ映画であるということについてひと言。イギリス映画ってどうしてこう暗いのだろうか。そもそも、気候的にもいつもどんよりした感じで明るさが乏しい。まあアイルランドよりましかもしれないが。いまどきスパイ映画ってどうなのと突っ込みをいれたくなる。東西冷戦時代にはKGBだCIAだ英国諜報部だといったものが何となくすごいなあと感じられ、ジェームス・ボンドもこんなやつがいたかもと思わせた。

しかし、東西冷戦は終結して今の時代はどうなのだろうか。イスラムとか北朝鮮といってもボンドのイメージとも違う。ということは、もはやスパイ映画は時代劇なのかもしれない。さらによけいなことを言うかもしれないが、外国映画で登場人物が多くてその相関が複雑になるともういけない。顔と名前と関係が分からなくなってしまう。だから、顔と字幕を追いかけるのに必死になる。この映画もそんなところがあって、途中でギブアップしそうになった。

「サーカス」と呼ばれる英国諜報部の幹部であったスマイリー(ゲイリー・オールドマン)は引退したが、そのあとに新たな指令がくる。中枢部にいる"もぐら"と呼ばれる二重スパイ、すなわちソ連と通じているやつを探し出して始末せよというのである。そこから彼は様々資料や証言者から容疑者を割り出していく。その辺の様子は、実際に諜報活動に従事していたジョン・ル・カレのスパイ小説が原作だからリアリティがある。

もちろん、ボンドのように派手に立ち振る舞うわけではなく冷静に頭脳的に動くのである。一枚一枚謎をはがすように裏切り者に迫っていく知的ゲームの趣である。情報は早くつかむこと正しく知ることで銃より勝るというまさにスパイ戦が面白かった。でもぐったり疲れたけれど。

主演のゲイリー・オールドマンや共演が『英国王のスピーチ』でオスカーを受賞したコリン・ファース、『インセプション』のトム・ハーディら渋いところで、彼らが繰り広げる人間模様の競演が見もので作品に落ち着きを与えている。

でもこれをみていて、別に諜報戦の世界だけではなく企業の中でも程度の差こそ大きいが似たような心理戦を展開しているなあと飛躍して考えてしまった。案外、人間って策略とか陰謀、裏切りといったことが好きなのかもしれない。

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2013年5月26日

自由と健康

何かすごいタイトルですね。「自由と規律」とか「自由と責任」とかいったテーマと並べるつもりは全くないわけで、ただ、ちょっとした見聞きで感じたことを書く。まず、もうだいぶ前になってしまうのだが、ホリエモンこと堀江貴文氏が仮釈放で出所した時の姿をみたとき驚いたことである。多くの人が感じたと思うが「痩せた」なあであろう。

入所したときは95kgあった体重が65kgまでなったのだという。2年弱の規則正しい生活で30kgのダイエットに心ならずも成功してしまった。おそらくリバウンドでまたもとの姿に戻ると思うが。規則正しい生活というよりも食生活の方の効果だろう。昔から刑務所の食事が健康には一番と言われたように、低カロリー、低脂肪の理想的な食事だったことをホリエモンが証明した。肥満の犯罪者は少ないからホリエモンはいい実験台だったのだ。

次の話はぼくの母親のことである。もうすぐ92歳になろうとしているが元気なのである。一昨年の秋に家のすぐ近くの老人ホームに入所した。昨日もぼくの姉とぼくの家族とで訪ねたのであるが、何と、今から温泉に行こうとか、元住んでいた家に戻ろうかと思っているとか言い出すのである。ちょっと前まで週二回も来てもらっていたマッサージもやめた。肩も凝らなくなった。

これは、快適な生活空間での規則正しい生活と食生活にある。最初はこんなに味の薄いおかずではごはんが食べられないと言っては梅干しと昆布の佃煮を密かにタッパーに詰めて食堂に持って行っていたが最近は味のことは何も言わなくなった。献立をみるとそれはバランスのとれたもので健康食そのものである。たまに、移動レストランと称して、シェフが出張してきて料理をふるまってくれる。まあ、至れり尽くせりの食生活である。

それが、元の家に帰ろうというのだから、どうして入所したのかをすっかり忘れている。しょっちゅうあそこが痛いだとか、どこの調子が悪いだとか言っていて、事実季節の変わり目になると伏せることもよくあった。食べるものも好きなものに偏ってしまうし、だいいち炊事がひとりでは危なくなっていたのである。

そんなわけで、本人も納得で入ったのだが、今の不満は暇なのだが自由に外に出歩けないということだ。ホームの方も92歳が一人で勝手に外に出てもこまるので、家族との外出だけが許されている。要するに不自由なのである。元の生活に戻れば自由にはなるが、きっと健康は保証できない。なので、いつも「そのうち帰ろうね」といっては聞き流すことになる。不自由を覚悟すれば健康になるのだ。
  

2013年5月27日

ビジネスサービスのつくり方 - 第4章 開発

■ 開発で失敗することはあるのか

またちょっと脱線します。よく「開発に失敗しないためには」とか「成功のための守るべきこと」と言ったような語られ方をする。ということは当たり前だが失敗することがあるからそう言うのだろう。ところで、業務システム開発で失敗するというのは何を意味しているのだろうか。すなわち、受託開発で失敗するのはどういう状態をいうのか。プロダクトを開発する場合はほとんどが売れないことが失敗だろう。

ところが、受託開発では買ってくれるのは前提なのだから、言われたものが作れなかったことなのだろうか。そうしたケースはデスマーチになりながらも何とか納入はするのではないだろうか。それでも出来上がればプロジェクトとしては失敗ではないかかもしれない。(中にはスルガ銀行とか特許庁の例もあるし、ぼくも経験があるが)となると、作ったはいいが使われなかった、あるいは使えることは使えるのだが所定の効果がでなかったといったことが失敗だったとなるのではないでしょうか。

つまり、成功するというゴールを要件定義で決められた仕様通りに作ることに持っていくことが間違いであることを意味している。使ってもらえるかどうか分からない段階で失敗したとかうまくいったと言っても始まらないのだ。そう考えると発想の原点がずれていることに気づくと思う。最初から、こんなものを使って業務を遂行したい、仕事がうまく行くためにはこんな道具があるといった視点でシステムを考え、デザインすべきだと思いませんか。

「オペレーション発想のシステム設計と開発」が重要なアプローチになるでしょう。こうすれば、最初に使い手側と合意したオペレーションプラットフォーム、つまり業務適用に使うことがあらかじめ決まっているアプリケーションを作るわけだから失敗のしようがない。いや、それが作れなかったら失敗でしょうと言われかねないが、作れないならやめればいい。まだ、そういった技術やツールがないのだから時期尚早とあきらめればいいだけだ。

以前、セブンイレブンの人の話を聞いてこのことを思ったのだが、あの有名なPOSデータを解析して、売れ筋を把握し各店舗の品揃えを素早く変えていくという仕組みは、当初はネットワークのパフォーマンスが低くて、思ったものができないということであきらめていたそうだ。そして、そのうち飛躍的なネットワークパフォーマンスの向上がなると即座に実行に移したという。技術的あるいはコスト的な制約があるときはじっと我慢して、所定の能力が確保できたとなると実行したわけで、これでは失敗するわけがない。

ということでオペレーション発想ということを強調したが、スクラッチでコードを書いているようで、こうしたアプローチはできない。従って、市販の既に動いているソフトウエアをベースにこんな道具で、こうしてオペレーションするんだというイメージがわきやすいものを選択しているのである。

ただ、世の中にあるソフトウエアやパッケージがオペレーション発想でできているのかというといささかお寒い話ではある。その点、Webサービスは逆にそこが生命線だから、いいものがいっぱいある。なぜ、ビジネスサービス特に供給サイドの人たちが使うものにないのだろうか。きっと、業務システムとはデータを登録するためのものだという旧態依然の考えから抜け出ていないからではないでしょうか。
 

2013年5月28日

県庁おもてなし課

ちょっと前に「図書館戦争」という映画の話を書いたが、同じ有川浩の小説を映画化した「県庁おもてなし課」を観る。題名からも、そして主演が関ジャニ∞の錦戸亮ということもあって、それほど期待はしていなかったのだが、見入ってしまった。不覚にも涙を流すほど(悲しくてではなく)のできであった。監督がこれまた同じ有川浩原作の「阪急電車 片道15分の奇跡」でも監督を務めた三宅喜重。

なぜ、有川浩の小説がもてはやされるのだろうか。ぼくが思うには、ストーリー性とそこに展開される人間模様が非常にオーソドックスであることではないだだろうか。つまり、しっかりとした物語が縦糸としてあり、そこに男女の愛とか家族の愛、そしてポジティブに生きようといった姿勢が横軸として交差するのである。そこがうまくかみ合うと映画になりやすいのだろう。そこには、毒気も嫌みも狂気もないから安心感も与えてくれる。

その物語というのはこうだ。高知県庁に「おもてなし課」というのがあって(実在するそうだ)、そこは課長と若手職員の掛水(錦戸亮)を中心にたった4人の組織なのだが、実際にどんなことをしたら良いのか迷っている。そこでまずは高知出身の著名人を観光大使に任命するところから始める。その中のひとりに作家の吉門(高良健吾)がいた。

ところが任命したのはいいが、ぜんぜん連絡もしてこないことに腹を立て、役所の感覚を痛烈に非難される。もっと民間感覚を持てとかスタッフに女性の民間人を登用せよとアドバイスをする。そして、県庁にアルバイトで働いていた多紀(堀北真希)をスカウトして一緒にどうしたらよいかを考えることになる。多紀は女性の目から、また民間人としても役人にはないアイデアを出しながら掛水とともに奔走する。

その吉門が出したもう一つの提案が、以前「パンダ誘致論」という独創的な提案しながら却下され県庁を追い出されてしまった清遠(船越英一郎)を起用せよという。そこで掛水と多紀の二人は、今は民宿を営みながら観光コンサルタントとなっている清遠を訪ねるのだが、着くといきなり清遠の娘佐和(関めぐみ)に水をかけられ追い返されてしまう。父親を追い出した県庁の人間がのこのこやってきたことに怒ったのである。

そんなスタートで始まったプロジェクトではあるが、清遠の起用も決まりプロジェクトのアイデアも「県全体をレジャーランド化」にするという壮大なものになる。しかし、そこには予算がとれないとか、企図が理解されないとかいった障害があるのだが、もちろんお決まりの展開で、そこでも掛水と多紀、吉門と佐和の恋愛が彩りを添えられながら、予定調和の世界へと誘う。

ある意味テッパンの成功物語なのだが、すごく素直な雰囲気がいっぱいで心暖まるのだ。実は恥ずかしい話なのだが、有川浩(ありかわひろ)というのはてっきり男だと思っていた。高知県出身の女流作家だと初めて知った。彼女が実際に観光特使をオファーされた経験をもとにこの作品を書いたようだ。どうりでリアルな感じもあって、また女性目線も感じたのはそういうことだったのだと納得。

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2013年5月29日

つながる経済における実践とは(2)

■ つながる時代

第2章は「つながる時代」です。ソーシャルな資本主義の基盤になるクラウドを中心論じていいます。この章のポイントは次の通りです。
(1) クラウドがすべての情報を結合し、ヒトやモノがつながる
(2) ワイヤレスによって、あらゆる現場から情報が発信され、クラウドで結合する
(3) プラットフォーム上で知が結合して、新しい価値が生まれる創発現象が起こる
(4) 切れていたヒトやモノがつながることで、ビジネスモデルも組織も大きく変わる

たしかに、つながる時代の象徴はクラウドかもしれませんね。クラウドが登場した当初は、それほど衝撃を受けたわけではなかった。昔からあったデータセンターとどこが違うのかとか、サーバー運用でのメリットだけじゃないかとか、ただ技術的にはすごくて仮想化技術を使って簡単にスケールアップ、スケーアウトできることにはびっくりした。

というのも、クラウドだからといってすばらしいソフトができるわけでもないし、クラウド用のアプリだってそうなかったわけだからである。ところが、徐々にクラウド上で様々なアプリケーションが動くようになり、プラットフォームも充実してくるとその威力はすごいものがあると思えるようになった。特にSNSの進展はすさまじく、このような共有のメカニズムが、価値を生み出して、新しいビジネスモデルに組み込まれていく。

そこから起こる現象として「創発」という概念を提示している。ネットワーク上で多様なヒトが交流し、多様な情報が結合して、新しい価値が生み出されていくことと定義している。何だかWeb2.0集合知みたいな話ですが、今はやりのエコシステムとか生態系経営といった文脈に近いところでしょう。もはや、ネットワークをつかって"巻き込み"型の関係性がますます重要度を増していくのではないでしょうか。

ここでプラットフォームということを考えてみます。この言葉も解釈がまちまちになる可能性があるのでちゃんと定義しておきましょう。本では少し広義にとって「多様な主体が恊働する際に、恊働を促進する情報交換の基盤となる道具や仕組み」と定義しています。単なる情報のつながりで見るのではなく、情報を介した人間の恊働だと見ているわけです。

これは非常に重要なポイントで、ついついクラウドでのつながりだけに目がいくと情報さえつながっていればよいと考えがちです。情報だけでは創発は起こりません。あくまで情報を介して人間が創発を起こすのです。ITシステムで注意しなくてはいけないのがここのところで、情報の流れを自動化することがシステムであると勘違いしないことです。

このプラットフォームを重要であると考えているのが、多様性と共通性のバランスということです。すなわち同質のものがいくら集まっても相互作用から新しいものは生まれません。一方、多様なものが集まっても、どこかに共通の接点がないとつながりません。このプラットフォームの設計が大事になるわけです。いま、ぼくは社内の恊働プラットフォームはデザインしてあるのですが、これからは先ほどの生態系経営のように社外も含めての恊働を考えて行かなくてはいけないようになってきています。

さて、つながる経済では従来のような切れた経済では成立しなかったようなビジネスモデルが可能になってきます。その典型は、売り切り-所有権移転から貸与-利用権許諾モデルへの転換です。これからは持たないビジネスがどんどん登場します。無償サービスもつながっているから提供できるのです。つまり、匿名の顧客にブランド力をたよりに商品を押し売りする時代は終わったのかもしれません。それだけ、顧客と一体となったビジネスモデルが望まれるのでしょう。

2013年5月30日

勝つ組織

ぼくは、一度でいいからサッカーチームの監督をやってみたいと思っている。ただもうこの歳だから無理なのだけれども、多少は未練がある。監督される立場は長いことやってきたので、逆に選手を自分の思ったように動かしてみたいと思う。そして、ワールドクラスのチームからJリーグ、はまた高校生、少年サッカーチームまでいろいろな監督があるけれど、けっこう監督の影響力が大きいと感じているので、なおさらやってみたいと思うのである。

なでしこジャパンをワールカップ優勝、オリンピック銀メダルに導いた佐々木則夫監督と2002年アテネ五輪の男子チームの監督を務めた山本昌邦さんの対談を中心に構成された「勝つ組織」(角川oneテーマ21)を読む。二人は同学年で高校生のときからの知り合いだそうで、会話もスムーズで、どちらかというと山本さんが聞き役で佐々木さんの話を引き出している。

章の構成は、大きく「リーダーと組織のあり方」「人材の育て方とチャレンジ精神」「ぶれないリーダーであるために」となっている。内容的にはもちろん驚くことだとかユニークなところだとかはないのだが、実績を残した人の考え方だとか行動がよくわかって面白かった。なでしこの快進撃はすかっとした人も多かったと思いますが、あれが単に運がよかっただけでは決してなくて、周到な準備や人材掌握術、緻密な戦略などに裏打ちされているのが分かる。

準備というところでは、最終ゴールから逆算して練習や試合を組み立てる。そのとき、途中でぶれないことが大事で、例えば攻撃的な戦略を身につけるために試合に望むのだが勝てない状態が続くと守備的な方針に変更したくなるがそこで変えてはいけないという。このあたりは、山本さんが企業経営に当てはめてみたりするようにサッカーに限らない話である。

人材育成は自主性の涵養というのが大事だというのを教えてくれる。あれこれ教えるのではなく選手それぞれに考えさせるようにしむけるのである。そして面白かったのは、佐々木監督のよく言う言葉で「成功の反対は失敗ではなく、チャレンジしないことだ」というのに凝縮しているように、どんどん失敗をおそれず挑戦させることである。確かに、なでしこの試合で感じたことでもある。

さらに感心したのは戦略のことで、ディフェンスのことでこう言っています。普通は、相手を外へ、外へ追い出すことをします。ところが海外に行くと男子顔負けのキック力を持った選手もいて一発でサイドを変えられてしまう。いきなりサイドチェンジをされると対応が遅れる。日本人の特徴を考えるとこれだと効率が悪い。

それなら、いっそのこと中に追いやるようにした方がいいと考えたのだ。狭いスペースの中なら、ボールを動かされても瞬時に対応できるので俊敏さが生きるというわけである。つまり、世界のトレンドを追いかけるのではなく、自分たちの特徴を生かせるように独自の戦略を練ったのである。これまたビジネへの応用が効きそうですね。というわけで、随所にワールドカップやオリンピックのときの様子を語っていて、これから監督をやりたいと思っているぼくには参考になった。ええーウソでしょ?
  

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2013年5月31日

いい薬ってやつじゃない

日本代表のW杯予選のオーストラリア戦を直前に控えた調整試合であったキリンチャレンジカップのブルガリア戦で何と0−2で破れるという思ってもみなかった敗戦を喫する。前半始まってすぐに与えたフリーキックで相手の無回転シュートを川島がクリアしそこなって早々に失点する。まあ、シュートを打った方を褒めるべきだろうな。交通事故みたいなものだ。こういうときは、割と精神的なダメージはなくて、早めに追いつくケースが多いのだがそうはいかなかった。

フォーメーションが最初から3−4−3という不慣れなもので、ザッケローニはこれからの選択肢として、このフォーメーションはありと考えているようだが、ぼくはシステムは変えない方がいいと思う。というのは、昨日の試合でもそうだが、フォーメーションで役割が変化するポジションが多いからである。一番とまどっていたのが吉田麻也である。

バックスの方がとまどうと思う。というのは3バック左右は攻撃起点として役割を求められるわけでその点で麻也はまだ未熟なのである。もう一方の今野はサイドバックやボランチの経験があるからこなせるのだ。だから、3バックをするなら麻也はセンターに置いてサイドは浦和の槙野みたいな選手を配置するのがいい。

さらに、サイドバックも攻撃的になるから、ザックはおそらく長友、内田を生かすにはこのシステムがいいと思ったのではないだろうか。ただ、これで3−4−3はダメとかいう議論は簡単には評価できない。時間をかけて慣れないといけないし、そのシステムにあった選手を招集しなくていけないから、簡単な話ではないのである。

だから、ザッケローニがシステム変更を試したがオーストラリア戦は難しいと思う。結局、本田をトップ下にしてあの強靭な肉体がもたらすキープ力をたよりにやらざるを得ないだろう。つまり、本田の"ため"をベースにしたフォーメーションなのだろう。だから、それがうまく機能しない時の変革選択肢は、本田スタイルが押さえられてしまったときに、あくまで同じようなタイプで行くのか(誰がいるのか?)、それとも中村憲剛の"ためのなさ"に切り替えるのか、香川が本田の替わりはあり得ないのでこの二つの選択である。そこを3−4−3に行ってしまうのかは、昨日の試合で難しくなったということである。

唯一あり得るかもしれないのが、最後の賭けに出たときの3−4−3で、吉田をセンターにし、左が今野、右が伊野波、中盤は長谷部、遠藤で右が内田(清武)、左長友、トップスリーが本田が真ん中で右に香川、左に乾といったところがベストだな。とはいえ、あまりフォーメーションを気にしてもしょうがないと思う。

それにしても、セットプレーに弱いなあ。昨日も2点ともセットプレーだ。つまり、1対1で負けているという永遠のテーマを背負っているということだ。まあ。ブルガリアというチームが非常にいいチームであったということでもあって、そうした相手と接したことは良かったのではないだろか。昨日はほんと大事な試合を前にしていい薬になったと思う。目的はオーストラリア戦に快勝してブラジル行きの切符を手にすればいいのだから。

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