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2013年4月 アーカイブ

2013年4月 3日

クソデータを扱って何がビッグデータだ

ちょっと過激で品のない表現で申し訳ありません。最近とみにビックデータという言葉がもてはやされて、またもやバズワードかなとも思うのですが、単純にビックデータというもの自体は別段食ってかかるようなものでもなく大量のデータというだけのことかもしれない。要は、どんな質と量のデータでそれをどうやって活用するのかといったことが問題なわけです。

しかし、どれだけの容量からがビックデータなのか、非構造化データを扱うからそうなのかといた定義もないと思うのだが、Web上で毎日せっせと生成されるデータを個人的なサービスに活用するという意味はあると思うのですが、おそらく普通の会社でビッグデータを扱うようなことは少ないように見受けられるわけで、なぜそんなに熱くなるのかがわからない。ITベンダーが売りものがなくなって、最近はデカ女が売れてますよとか言ってるキャバクラ(そんなところはないか)の呼び込みよろしく叫んでいるようです。

データの活用、すなわち多くのデータを分類・解析して有用な情報を引き出すのは非常に難しくて、重要なのはその有用性に結びつくような意味のあるデータなのかどうかである。クソデータを扱っても何もならない。クソデータからはクソの結果しか生まれないのはまだしも、下手すると害悪となってしまうこともある。誤った判断をもたらす危険をも孕んでいることに注意しなくてはいけないのである。

クソデータには3つの意味がある。「ミソクソ」、「消化したあとのカス」、「どうにも食えない」である。そもそもビックデータというようになったのは、従来のように構造化されてリレーショナルデータベースに収まるようなもの以外のデータがあふれてきたからである。ということは、とりあえずミソもクソもなんでもいいからバケツに放り込んでおけという類である。

クソっていうのは、最初は食物であって、それが吸収されて残ったカスである。企業だって動くのにエネルギーすなわち食料が要るから、それを体内に入れて消費してお金を生み出すわけで、この場合の食料というのは「情報」とも言える。そうした情報を使って産み出された結果が実績データである。ある意味クソというのはビジネス活動の成果とも言える。便秘になったり下痢したりするのは活動の結果がどうであったかを意味するのである。だからあえて言うとクソを分析してもあとの祭りだということである。どんなクソになるのかをもっと早いうちに診断しておかなくてはいけなくて、食欲不振だとか、胃の調子が悪いなんていうのをいち早くチェックする方が大事なのである。

クソは食えませんねえ。要するに食えないようなデータをいくら綿密に解析してもしょうがないわけで、最初に言ったように、食えないようなものも含めてなんでもいいからデータを溜め込めばいいなんてことをしてはいけないのだ。それを何とかミソにまで引き上げるにはどうしたらよいかは、データに生成過程を紐づけておくことが必要ではないかと思うのである。どうやって生成されたかがわかるようにすることである。そうすれば、クソにも意味があることになるからである。

下品なたとえで気分が悪くなったかもしれませんが、データ解析というのは取得・収集段階のフィルタリングとか、分析前のクラスタリングといったことが重要で、そうした前処理をきちんとやることでクソデータ化を防ぐといった取り組みもしてみたらいかがでしょうか。これは、いつも言っているように正規化されたプロセスをきちんと管理することに他ならないのです。
 

 

2013年4月12日

ロールと組織の微妙な関係

業務プロセスにおける構成要素として「ロール」という概念を提起している。ロールというのは、役割とか役目、任務といった意味合いであるが、これを定義しようとすると日本では、組織上のポジションを言う人が多い。例えば、購買課の資材グループといったふうに組織から見て、それを当て込むことがやられる。

しかし、プロセス的な観点からいうと組織がどうのということではなく、プロセスにとってどう振る舞うことが要求されているのかという見方になる。つまり、資材調達という役割があるということが先行的にあって、それをどこのだれがやるのかということある。こうした考え方は欧米では普通だと思う。

このことは、業務と組織と人の関係が欧米と日本の企業で微妙に違っているように思える。日本の企業人はどこの組織に配属されるかに関心が高いが、どんな仕事なのかは与えられたことは一生懸命やりますみたいな対応である。もっと言えば、就職ではなく就社だと言われるようにとりあえずどこかの組織に入ることが優先で何をやるかはあとで考えるのである。

一方、海外ではJob Descriptionというのがちゃんとあって、つまり担うべき役割があってそれを遂行できるスキルレベルに見合った人がそこに就くというわけである。ロール先行型か組織先行型かであるが、日本もロール先行型で考えた方がよいというのがぼくの意見だ。まずは、ロールという設定をしてそこに組織と人をアサインするというアプローチである。

ただし、ロール遂行にしたとしても必ずしも欧米スタイルでやれということではない。RoleとJob Descriptionがきちっと決められ、その通り機械的にやれるものとそうはいかないものがある。世の中の経済活動もそうだが、ビジネス活動についても何でもかんでも合理的にいくとは限らないのである。合理的な解決が可能な問題についてはJob Descriptionスタイルでもかまわないと思う。これの典型的なものは「Mac Job」言われるような仕事である。マクドナルドの店ではきちんと作業手順と内容が規定されその通りにやることが求められている。

ところが、現実には非合理的な部分が多いのも事実である。気分とか感情とかが入り込んでくる領域である。こうしたところには人間の要素が濃くなってくるのでJob Descriptionスタイルではない何かが必要になってくる。全く機械化できてしまうことはそれほど多くはなく、特に顧客接点では難しい。マックでもマニュアル通りにするだけだったら機械化できるはずだが、相変わらず人間がやっている。機械には笑顔がありませんからね。

ちょっと脱線してしまったが、日本企業の従来のような組織先行型は卒業して、ロールという概念でビジネス活動を捉えることを薦めたい。ビジネスモデルがどんどん変わる、いや変えなくてはいけない時に、硬直した組織を持ち出すのは最早時代遅れであろう。新しいビジネスモデル、ビジネスプロセスに必要なロールに対してどこの組織にやらせるのではなく的確なヒューマンリソースを速やかに配給するというふうに考えることが大事なのではないでしょうか。
  

2013年4月 2日

SEって何?(3)

▐ ユーザはとっくに気がついている

前回「顧客志向の欠如」ということについて書いた。SEの抱える問題にお客さん側から見た視点というものがないのにちょっと驚いたのである。自分の好きなものを作っているわけではなく、ビジネスとして顧客に対しているのだから、一方的に自分たち側だけの内部問題をどうのこうのといっても始まらない。

そのユーザというか顧客が30年前とは全然変化してしまっている。変わったのは顧客を取り巻くビジネス環境であり、ビジネスのスピードとリーチ(グローバル化といったようなバリューチェンの拡がりなど)だし、IT技術やITインフラ、そして企業員のリテラシーといったところである。そうした変化は何をもたらすかというと「業務システム」に対するビジネスとして欲する要求が変わってきているということを意味している。

企業は勝つか負けるか、生き残りをかけて日々戦いをしているのだ。それも現代では、ちょっと間違った判断をしてしまったりとか、ちょっと遅かったりしたらたちまち競争から脱落してしまう。おそらく、生き残っている優れた会社はITをうまく活用しているはずである。ただ間違っては困るのは、IT活用をうまくすれば生き残るのではないですよ。よく、ITを導入すると生き残れますよみたいなセールストークをする人がいますが、そう簡単にいくものではありません。

それと、IT活用といっても立派な高額システムを導入しているとは限りません。効果的な一部のところとか、身の丈にあったものといったように、あくまでビジネスモデル、ビジネスプロセスが主体でそこで有効に機能する範囲とレベルのITを入れるという考え方であるはずです。これが普通の企業活動の姿です。

高度経済成長期では、ファッションのようにITシステムを導入して、それが半分は使われないものであっても平気でした。ところが、バブル崩壊を経てもはや大きな成長を望めない成熟期に入った日本企業は、そんな無駄な投資は許されなくなっています。ですから、心ある経営者は必死に自分たちのビジネスモデル、ビジネスプロセスに最も効果的なITシステムは何かを考えています。

何を言いたいかというと、ユーザー企業側はSIerがこういうビジネスをしなくていけないだとか、SEがこう変わらなくてはいけないなんてどうでもよくて、生き残れるためのITシステム導入ができればSEであろうが、学生だろうが、クラウドであろうが、フィットしたソリューションを提供してくれさえすればよいのだ。

それと、ITの有効性とその適用範囲・レベルを理解できないような企業にIT化を促してもしょうがないのです。昔は、コンピュータの使い方そのものがなかなか浸透していなかったのである程度の啓蒙的なセールスは必要だったかもしれない。(これがSEの仕事だった)ところが、現代ではそんな悠長なことは言ってられなくてITをうまく活用できないような会社は早晩潰れるだけなのである。つまり、真にビジネスに貢献できるITしか目がいかないようになっているのである。あたり前の市場原理である。

つまり、SEの多くが技術偏重や受身の仕事のやり方、ビジネス意識が薄く視野も狭いといった問題をクリアーしても顧客が満足するものを提供できなかったら何の意味もない。だから、ユーザー要求から考えてSEはどうあるべきかという議論に落とし込めないと見離されるだけである。企業は賢いですよ。今のIT業界なんて頼りになんてしていません。IT業界を頼りにしているような企業は潰れてしまうからです。
 


2013年4月10日

SEって何?(4)

▐ システム化のねらいどころが変わった

前回、前々回と、違和感ということで「顧客志向の欠如」という指摘をして、お客さんを意識した見方をする必要があるという話をした。今回は、もうひとつの「時代錯誤」という点について考えてましょう。「顧客志向の欠如」というころでも顧客ニーズが時代とともに変化しているといった似たような話が出てきたかと思います。ここでは、システム化のねらいどころが変わってきていることについて論じることにします。

「時代錯誤」を別の言い方をすると「SEのシーズと顧客ニーズのミスマッチ」ということになります。すなわち、お客さんの望むものが昔と変わってきているのに相変わらず昔のSE像を引っ張り出しているということである。いや、SE自らが変われと言っていると反論がきそうですが、どうも表面的なところであって本質的にはSEという枠からは出ていないのである。

ユーザがシステム化したいことに対して、今のSEが持っているスキルにギャップがあるのではないかという指摘である。そこの議論に入る前にちょっと考えていただきたいことがある。ユーザはいったい何をしたいのだろうか。IT化なのだろうか、システム化なのだろうか、それともITシステム化なのだろうか。それぞれ微妙に違いそうですね。ここでは、企業内にある業務プロセスあるいは作業に対してITおよびITシステムを必要な部分に適用してシステムを作ることとします。つまり、人手もあるしITでの自動化もあるしという組み合わせシステムである。

この定義を頭に入れて、企業システムの変化を見ていきましょう。2回目にもちょっと触れましたが、初期の目的は文字通り電子計算機でした。学術的な使い方を別にすれば、経理計算が主体でした。昔は、経理部電算課なんて組織もあったように会計処理のための計算機でした。それまでのそろばんでの計算からコンピュータに移行したわけです。これは、むちゃくちゃ効率化に寄与しています。

おそらく今日の企業でそろばんでやっているところはないでしょう。このように人間が行っていた定型的な処理はどんどん置き換わっていきました。それらを統合的に管理しようということでERPも登場してきたわけです。こうした過程ではSEという職種はそれなりに機能してIT化に貢献したのではないでしょうか。

ところが、その領域、すなわち計算処理を中心とした定型業務のIT化は徐々に減ってきています。パッケージも多く登場して、起業してもクラウドのパッケージをすぐ使える環境になっています。SEなんて要らないわけです。では、今日のユーザは何がしたいのでしょうか。IT活用を検討したい領域は、ERPと顧客(広義の意味で、サプライヤーとかも含めて)を結ぶ業務プロセスのところではないでしょうか。顧客の要求に応えてサービスを提供して、対価をもらってそれが売上になってERPに登録するまでのこのサービス供給のところです。単にデータを登録して集計処理するようなERPにビジネス要求は入らないし、Webサイトをきれいに作るだけでは顧客を満足させることができないからです。

実はここのところは非定型のアドホックな業務でプロセスから成り立っています。ユーザはそこに他社との差別化要素を盛り込んだりしたいのです。競合より早く回答するとか、顧客満足度を高めようとかいった工夫を入れるのです。そこでは単に計算機的に自動化してやるわけにはいきません。ですから、もしそこにSEが入り込むとすると従来と違ったスキルが必要になるわけです。

違うスキルを持つことになるとそれはもはやSEとは呼べないものになるでしょう。それよりもそういった転換が可能なのでしょうか。そもそも「顧客志向の欠如」という指摘をしたわけですから、顧客志向を持たないSEが顧客志向の業務プロセスのシステム化ができるわけがありません。
 


2013年4月 1日

海底資源大国ニッポン

先月12日に愛知県沖約80キロ・メートルの海底地層から天然ガスの一種「メタンハイドレート」の試験採取に成功したという発表があってひとしきり話題になった。海底からのガス採取は世界初で日本近海には、国内の天然ガス消費量の約100年分に当たるメタンハイドレートがあるらしい。こりゃあ、アメリカのシェールガス革命じゃあないが、日本でもメタンハイドレート革命がやってくかもしれない。

そのメタンハイドレートが今年の初めに試掘されるということが書いてある「海底資源大国ニッポン」(平 朝彦、辻 喜弘、上田英之著 アスキー新書)を読んでいくと何だか元気が出てくる。要するにこれまでが資源に乏しい日本というのが常套句であったが、いやいや周辺の海洋の底に目を向けるとひょっとすると資源大国になれるかもしれないというのだ。これではワクワクしないほうがおかしい。

資源には、最初に言ったメタンハイドレートの他に海底油田、天然ガス、海底熱水鉱床、マンガン団塊、コバルト・リッチ・クラスト、レアアース資源泥といったものについて記されている。おおー、尖閣周辺の資源だ、レアアースの寡占だと中国の脅威なんてクソくらえみたいな気分になってくる。

日本の国土は世界で62番目の広さなのだが、海の面積はどうなっているのかご存知ですか。領海と排他的経済水域を合わせると何と世界6位なんです。驚きですよね。この排他的経済水域(EEZ)というのは、沿岸国の基線から200海里の範囲にある水域のことで、その範囲では排他的に探査・開発・保存・管理する権利をもつ。日本は大小の多くの島を持っているためにそうなっている。遠く南鳥島とか沖の鳥島などをちゃんと管理していたおかげである。最近、中国が領有を主張しているとかしてないとか。

確かに、言われてみれば資源が陸地にだけあるというのもおかしな話だから、海底にあっても何ら不思議がではない。要するに探索できていなかっただけなのである。その探査を地道にやったおかげでの発見である。本の著者たちは、経済産業省主管の独立行政法人石油天然ガス・金属鉱物資源機構(JOGMEC)と文部科学省主管の独立行政法人海洋研究開発機構(JAMSTEC)に所属する人たちである。

それぞれ三次元物理探査船「資源」、資源調査船「白嶺」それと地球深部探査船「ちきゅう」という船を有して資源を探っている。それらの成果の一つがメタンハイドレートの生産テストである。ただ、水深約1000メートルの海底までおろした掘削機を使ってガスを取り出すわけだから技術的にもコスト的にも大きな壁がある。

メタンハイドレートというのはどんなものだかというと、メタンの水和物のことでメタンすなわち天然ガスを水が包んでいて見た目に氷状になったものです。そこから、天然ガスを分離するのですが、それには加温するか減圧するかの方法があるのですが、日本の方式は減圧、すなわち海底に掘った穴の水を抜くとそこの圧力が下がってガスが分離されるというやり方で成功を収めた。さて、あとは量の確保と経済性ですね。

でも、日本の技術力は素晴らしいので必ずや実用化できると信じている。こういうところにもっと人と金を突っ込んでほしいと思う。どうもこの件では経産省と文科省の中も良さそうだし、今後の日本の競争力をつけるためにも資源確保は最重課題なのだから、どんどん予算をつけたらよい。どこやらの一本松の復旧に1億5千万もつぎ込むなんてことはやめてこっちに回してほしい。

その他、最初にあげたような鉱物資源もありそうだし、ぼくの目の黒いうちは無理かもしれないが、いずれ「資源大国」になるかもしれない。
 

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2013年4月 7日

アスリートは上から目線であるべし

最近のプロ野球界の話題は何といっても日本ハムファイターズの大谷翔平選手だろう。高卒の新人ながら、開幕スタメンという抜擢である。しかも尋常ではないのが投手と野手の二刀流という非常に珍しいケースである。昔、近鉄に永渕洋三という選手がいて彼も当時の監督三原脩から両方やらされた。水島新司の漫画「あぶさん」のモデルになったことでも有名だが確か1年くらいで打者専門になったはずだ。まあ、それだけ難しいと思うが、ぜひチャレンジしてほしいものだ。

ぼくが、大谷選手の姿を見て思うのは、野球に対して上から目線であるということである。別にこれは舐めているとかといった悪い意味で言っているのではなく、野球という競技を"掴みきった"感じがするのである。言い方は変だが、たかが野球じゃないか、オレにまかせろという雰囲気である。

そこの高みに行けると強くなれる。ただし、一番になるとか素晴らしい記録を残すというだけの意味ではないし、競争相手を見下すという意味でもない。だから格闘技のような人に対する相対的な位置関係を言っているわけではなく自分自身の心の持ち様を言っているのである。極めるということかと言われそうだが、それもちょっと違って言葉が難しい。

同じようなことを思った二人の陸上選手がいる。ひとりはちょっと古いのだが、セイゲイ・ブブカである。元ソ連の棒高跳びの選手で、いまもって屋外6m14Cmの世界記録を持っている。もう10年以上も破られていない超人、いや「鳥人」と呼ばれた選手である。これだけの記録を持った選手だから当然上から目線でしょと言われそうだが、そういうことではない。

彼を有名にしたのに世界記録を35回も更新したことがあげられる。何しろ1Cm刻みで更新していくわけだから、当時はこの小出し作戦を批判されたりもした。ソウルオリンピックでは、優勝が決まったあと世界記録の挑戦を棄権しているくらいだ。調子の波が当然あるから記録が出せるときに出しておこうというのが人情だと思うのだが、いつでも記録は出せるという棒高跳びという競技を掌中に収めていたからこそできたことなのだろう。

もうひとりは、日本のマラソン選手川内優輝選手である。ブブカの成績と比べものにはならないのになぜと思われるかもしれないが、彼に驚かされるのは、マラソンを走る頻度である。昨年の7月からほぼ毎月フルマラソンを走っている。その間にもハーフマラソンや駅伝を走っているのだからびっくり仰天だ。さらにフルマラソンは9回走って6回優勝している。もちろんレベルも低い大会に出ているので割り引かなくてはいけないのだが、それにしても驚かされる。

これがどうして上から目線なかというと、これまでのマラソンに対する常識は準備を入念にして1年に1回、時には2回程度走るのが精一杯ということで、そうなると、マラソンという競技を見上げている感じがどうしてもしてしまうのが、マラソンなんてどうってことがないじゃんと見えるからである。まるで、トラックの10000mを走るようにマラソンを走るのである。

だから、多くのマラソン選手がめいっぱいのチャレンジをする、つまり走ってみないとわからないといった感じなのに対して、マラソンを走りきるのは当たり前でどういう戦略で、どういう仕掛けをどこでするかといったことが彼にとっては重要なことなのである。いやいや川内選手はいつもゴールでフラフラになっているじゃないかと突っ込まれそうだが、そこまで走れるということがマラソンを掌中にしていることになるのである。

よく、人と違ったこととか斬新なことをやれというのだが、それは往々にして横の違いを言う場合が多いが、それを縦の関係に(上に)持っていけということである。これはスポーツの世界だけに限らないように思える。要するに物事の全体が見えることが大事で、そのためには目線は上からでないと見渡せないのであるから、そこまで挙げられた人間が始めて本質的なものが見えて、それを操る術を持てるようになると思うのだがいかがでしょうか。大谷くんはまだ早いので買いかぶりかもしれないが年齢だけではない面もあるので楽しみでもある。
  


2013年4月 5日

千年の愉楽

何となく複雑な気持ちにさせられる映画だ。複雑というのは、ある前提を置かないと評価の善し悪しが分かれるということでもある。「千年の愉楽」は、昨年不慮の交通事故で急逝した若松孝二監督の遺作である。原作が中上健次の同名小説である。中上健次といえば故郷の紀州を舞台に土着性の強い、そして自身が部落出身ということもあり"血"ということも意識した作品を送り出した昭和の作家である。

紀州の海辺の村とおぼしき(実際には三重県の尾鷲でロケしたようだ)ところにある「路地」と呼ばれる(これは被差別部落の呼び方でもある)地域の家で、オリュウノオバ(寺島しのぶ)と呼ばれる老婆が死を迎えようとしている。彼女は、産婆としてこの地で多くの子供を取り上げてきた。その中で3人の男を思い起こしていく。

女がほっておけない男前であるがゆえに女たちに溺れ、それがもとで刺されてしまう半蔵(高良健吾)。刹那的で、犯罪やヒロポンで生きることを確認しながらそのあとは自死してしまう三好 (高岡蒼佑)。路地を離れ北海道へ向かうが夢破れてしまう達男(染谷将太)である。オリュウノオバはその男たちを聖母マリアのように見守るのである。彼らは"中本の血"を持ったことを宿命として、その血に翻弄されていく。

映画は、オリュウノオバの回想シーンでつないでいくのだが、最初に言ったように原作を読まないとしても、ある程度どんなテーマなのかを知っていないと何だかわからない。ぼくは、映画を観る前はあまり予備知識を持たないで観るのだが、この映画は予備知識があるという前提でないと評価は高くならないと思う。原作の持つ雰囲気を持った中で映画で確認するといった具合であれば、ひょっとするといい作品なのかもしれない。原作と映画の協同作業で初めて成立するのかもしれない。

だから言ったようにいきなり映画に入ると何だかさっぱりわからない。最初盛んに"中本の血"という言葉が聞こえるが、どうも「高貴で汚れた血」のことらしいのだが理解不能だ。その血が、不倫し放題、犯罪やクスリに溺れるといった奔放なことに抗しきれないというのだ。それは単に言い訳に過ぎないように聞こえ、単なる女たらしで、悪ガキなだけで血なんか関係なくてお前という人間がだらしないだけじゃないかと思ってしまう。

それを、産婆のおばさんが、そうだよお前たちのせいじゃないよと言って許している。映画のキャッチに「匂い立つような命、不条理ゆえに美しい命の賛歌」と言っているが、この意味わかりますか。そんな美しい命を持ったやつが人を殺してもおばさんが助けて逃がしちゃうんですから。殺された人間の命はどう思っているのだろうか。この映画をサヨク的な人たちがかなり高い評価をしているのだが、彼らが抱く、世の中、社会や、血統のせいにして自分たちは抑圧された人間だから、その解放のためには何でも許されるという心情はもう終わりにしようじゃないか。

こんなことを言うといきり立つ人がいるからこれ以上言うのはやめておくが、それよりもいいかげんな映画作りの方も困ったものだ。まずは、俳優陣は3人の男を演じた高良健吾、高岡蒼佑、染谷将太は良かった。特に高良くんは素晴らしい。ところが、寺島しのぶがミスキャストだ。もう臨終だという老婆に皺もない。もっと、メーキャップをちゃんとするとか、泥臭い年寄りの女優さんを持ってくるとかしないといけない。

あとは、時代設定がよくわからなかった。どうも昭和30年ころらしいのだが、そうであれば、あんな電線もないだろうし、今のような軽トラックがあるわけないだろう。それと戦争を挟んでいるはずだがその気配もない。服装だってまるで明治時代だし、洗濯を外でしている。そんなことが気になって中身に入り込めなかったのである。若松監督はもういないのだがもう少し丁寧に撮ってもらいたいものだ。
  
sennennoyuraku.bmp
  

2013年4月 4日

セミナー案内

ぼくが理事を務めています「ICT経営パートナーズ協会」が主催するセミナーがありますのでご案内させていただきます。テーマが「ユーザ事例に学ぶ超高速開発ツール ~スピード経営を実現する強力な武器~」です。スピードが要求される昨今のビジネスにあって、システム開発が足を引っ張っては困ってしまいます。そんな時代には、いかに素早くシステム開発を行ってすぐにビジネスの役に立つことが求められています。そこで、本セミナーでは、超高速化発を実践した5つの事例を紹介していきます。従来は、ベンダーサイドからのプレゼンテーションが多かったのですが、ここではユーザ自身からの言葉で語ってもらいますので使う側の生の声が聞けますので大変有意義なセミナーになるはずです。ぜひ、参加してみてはいかがでしょうか。

【開催日時】 2013年4月16日(火)13時30分~18時(受付13:00〜)
【会場】エッサム神田ホール(JR神田駅徒歩1分:千代田区神田鍛冶町3-2-2)
【参加対象】ユーザ企業 及びユーザ企業に提案するITベンダー 100名
【参加費】事前振込 2000円(4/10までにお振込み願います)<当日支払 3000円>

【内容】
1.ユーザ企業による事例発表
① 鈴与システムテクノロジー(株) 「中小企業向け輸出入業務システム"G-TRIX"の短期開発」
② (株)ランドブレイン 「パッケージを補完するExcel活用の新開発手法」
③ 科研製薬(株) 「アプリケーションを素早く開発〜BRMS活用事例」
④ 生活協同組合連合会コープネット事業連合 「宅配物流統合システムの集品実績管理機能の構築」
⑤ 国際航業(株) 「品質管理の見える化『WebIMS』」
2.パネルディスカッション
    モデレータ 田口潤氏(IT Leaders編集長)
    協賛企業 開発ツールベンダー5社

詳しくは下記で。
  

2013年4月 6日

マックがうちにやってきた

いまパソコンを3台持っている。デスクトップとノートとモバイルである。家ではデスクトップで仕事をして、出かけるときにはモバイルを持っていく。ところがこのモバイルは小さいのでデモをするときにはちょっと困るので、ノートを持っていく。しかしこのノートもThinkPadの古いやつだから、重いこととバッテリーが劣化してしまってこれまた困っている。

なので、持ち出し用のパソコンが欲しかったのだが、何にするか迷っていた。最近でてきたウルトラブックにしようかと思っていたのだが、若い人がやたらMacを持っていることや、カフェで開いた時にかっこいいということもあって(ミーハーですいません)、Macのノ-トにすることにする。なれ親しんだWindowsから変えるというのはすこしばかり冒険だったが思い切って変えた。買ったのが、Mac Book Airの13"で128GBのやつである。薄くて軽くてバッテリーの持ちも長いのでこりゃあ持ち運びが楽だ。
 
mac.bmp

ヤマダ電機に行ったら在庫がないというので、ビックカメラに行くと在庫はあるという。ではいくらかと思ったが価格が書いてない。Macは値引きしないから、定価でポイントをつけるという。ただ、ヤマダ電機は元の値を下げていたので同じ条件にしてくれと言ったらあっさりとハイと言われる。てなことで、すぐに購入。

箱を開けた瞬間からもうワクワクする。白を基調とした色合いも形もシンプルでうれしくなる。Windowsとはだいぶ使い方が違うので最初は戸惑ったが、根っからのMacユーザの息子に基本的なことを教えてもらって使い始める。結局は慣れの問題だからそのうち平気になるし、その良さがもっとわかってくると言われる。ついにぼくもMacユーザです。
 

2013年4月11日

反ポピュリズム論

これは至極まともな本である。巷では読売新聞主筆のナベツネこと渡邉恒雄のことをワンマンとか帝王だとか策士だとかとかくいろいろなことを言われているが、「反ポピュリズム論」(新潮新書)に書いてあるポピュリズムに陥る現代の風潮に警鐘を鳴らす論考は決して独善でもないし、高圧的でもない。むしろ、よく書けていると思う。

もう86歳だから引退したらどうかと思うのだが、これだけ書けるとなるとボケてもいないし若いのである。なぜこの歳まで現役でいられるのか、ときどき物議を醸すこともあってメディアで嫌われたりするが、スキャンダルにもならないし、バッシングもそうない。なぜかというと、内部の人から聞いたことがあるのだが、彼は全く私利私欲がないことがこれだけの地位を長年保っていられる秘訣だという。確かに、失脚したり非難の的になるような人は、私腹を肥やしたり、自分勝手に振舞ったりしている。

だからというわけではないのだが、最初に言ったように非常にまっとうな議論で共感できるところもある。主要なテーマは題名にもなっているように大衆迎合政治に対する批判なのであるが、最初に槍玉に上がっているのが自民党の小泉純一郎であり民主党の鳩山・菅であるのだが、わざわざ一章割いているのが橋下徹である。さぞかし、強烈に否定するのかと思いきや、意外とそうでもないのである。21世紀日本の歴史的リーダーになる可能性もないとはいえないとまで言っている。

非常におもしろかったのが、「大連立構想はなぜ失敗したのか」という話で、かなり話題になった2007年の出来事を覚えているひとも多いと思いますが、その暴露話である。ただ、彼が関わった連立構想は2007年が初めてではなく、その前にも何回か連立工作しているのだ最初が、1983年のロッキード判決選挙後の自民党と民社党との連立でこれは失敗に終わった。次が、1998年、小渕内閣に対して小沢一郎党首率いる自由党との連立、いわゆる「自自連立」である。これはご存知のように成功したのである。

さて、2007年のことである。自民党は参議院選挙で結党以来初めて第一党から滑り落ちた。そこでナベツネはこのままだと政治が動かなくなることを懸念し、福田首相の自民党と小沢代表の民主党との連立工作を始めたのである。二人のあいだでは合意していたのだがご承知のように小沢が持ち帰った構想は党役員会で否決されてしまい日の目を見なかった。もっと早く福田が決断していれば出来たはずだったと悔やんでいる。福田の「慎重さ」と小沢の「過信」が重なり合ったためだった。

著者がこれほどまでに連立にこだわるのは政治の停滞が日本の国を衰退させていることを憂うるからである。これは、ある意味正しいように思う。55年体制を引きずったような、あるいはなんでも反対野党体質では、どうにもならないとぼくも思う。そうした状況を作るのはポピュリズムであるというのも頷ける。民主党がいい例で国民に受けがいいようにバラマキ政策をとるなんてことになる。痛みを伴うのも政治であるはずだ。

本では、ちゃんとポピュリズムの理論的考察もしているし、自分がマスメディアのど真ん中にいるにもかかわらず、大衆迎合を煽るメディアということでしっかりと批判を浴びせている点も(もちろん、読売の擁護と朝日の批判の傾向ではあるが)評価できる。
 

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2013年4月 9日

マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙

「鉄の女」マーガレット・サッチャー元英首相が8日午前脳卒中により死去した。87歳だった。その報にふれたからではなく、映画「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」を観たあとにすぐに亡くなったのである。彼女に対しては様々な論評もあるが、11年半もの長き間首相を務め、多くの改革を実行し、当時英国病と揶揄された国を蘇らせ功績は大であろう。また、ソ連崩壊やフォークランド紛争で見せた信念といったものも注目された。「鉄の女」もやはり歳には勝てないのである。

さて、映画のことである。これは、メリル・ストリープの渾身の一人芝居だ。この演技で2011年(第84回)アカデミー賞の主演女優賞を受賞している。彼女はオスカーの常連で当代随一の演技派女優といっても過言ではない。監督が、「マンマ・ミーア!」でメリル・ストリープと一緒に組んだフィリダ・ロイド。共演が夫役でジム・ブロードベント。この人は「家族の庭」でも味のある父親、夫役を演じていた。

物語も特にあるわけではなく、強力なリーダーシップを発揮した英国史上初の女性首相"鉄の女"マーガレット・サッチャーが引退して年老いて軽い認知症を患う姿から過去を振り返りながら彼女の半生を描いていく。巷間、サッチャーの伝記は知られているわけだから、その業績なんかを並べてもしょうがない。結局、強さと栄誉と引換えに孤独を授けられるのは世の常であるのだが、映画では夫デニスとの愛をメインに置いている。

ぼくは、かねがね単純な男と女という区分けはおかしいと思っている。男だから、外に働きに行って、強く生きなければいけないとか、女は従順にして尽くすみたいな類型化はもう過去のものというよりか、本来的にもそう単純に割り切れるものではないと思っている。つまり、その類型として強く引っ張って行くようなタイプをを男的、また従順で後からついて行くタイプを女的としてみると、必ずしも外見上男だから前者で、女だと後者だと言えない。

これまでも、そのギャップを抱えた人が多くいたように思う。それが、徐々にギャップを我慢するのではなく、素直に振舞おうという風潮になってきた。男でも女的な生き方が合う人、女でも男的に行動する方が楽だといったことが表に出てきているように思う。ただ、少し前まではそうした生き方はとかく世間の目にとっては奇異として見られていたのである。

サッチャーもまだそういった状況の中で幾多の試練を乗り越えてきたわけである。映画は、短い回想ではあるが男と張り合う姿が描かれる。鉄の女と言われるように男的な女であるサッチャーがここまでやり通せたのは、女的な立場でフォローした夫があったからであろう。すなわち、外見とは反対の役割を担いながらお互いにうまく補完し合う夫婦だったのだろう。女の友達が誰もいなかったと言われるサッチャーだが、夫との関係があったからこそ孤独にならずに済んだのだろう。

ちょっと映画から離れてしまったのだが、ほとんどが回想シーンと家の周りのシーンであり、登場人物も少ないので、わざわざ映画にしなくても一人芝居として劇場でやったらいいのではふと思ったのである。
 
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2013年4月 8日

ビジネスサービスのつくり方 - 第4章 開発

■ 再び「ぐだぐだ言ってないでプロセスを書けよ、ハゲ」

前回にコードを書かないという話をしました。そして、シリーズの第1章でウェブ系のハッカーたちの間で「肝に命じる」言葉として、「Shut the fuck up and write some code.」というのがあって、その意味する「ぐだぐだ言ってないでコードを書けよ」のコードをプロセスに置き換えて「ぐだぐだ言ってないでプロセスを書けよ」という話を書いた。つまり、プロセスを中心にして業務を見ていこうということなのだから、とやかく言う前にプロセスを書こうぜということである。

このコードの代わりにプロセスとしたというのが前回の議論のポイントなのである。Webサービスとビジネスサービスではサービス粒度が違っていることに注意してください。単一的なものに対して複合的であるとでも言いましょうか、アクティビティレベルなのかプロセスレベルのなのかという言い方になる。つまり、Webサービスはアクティビティレベルが多く、ビジネスサービスはアクティビティの連なりであるプロセスから成り立っている。

ですから、Webサービスでコードを書くというのが、ビジネスサービスでプロセスを書くことに対応するということになる。コードを書くことでアクティビティを生成するのに対し、アクティビティを組み合わせフロー化することでプロセスを生成するということである。例え話でいうと、自動車や家電製品を作るのがWebサービスで、それらを使ったライフスタイルがビジネスサービスと考えてみてください。田舎に住んでいたら自動車は必須ですが、都会では電車を利用するから必要ないといったことになるわけです。

もうおわかりだと思いますが、田舎に住んでいるから田舎暮らしに適した自動車を設計して作りますか。部屋の空いているスペースにぴったり収まるテレビを作りますか。スタイルをデザインして、それに沿って活動するということは、システム製品を作ることが目的ではありませんよね。いかに快適にとか、節約できるとかいったことが目的になります。

さて、「ぐだぐだ言ってないでコードを書けよ」というのは何しろ動くものを作れよということであるから、プロセスを書いたら直ぐに動かさなくてはいけない。逆に言うと、イメージしたビジネスサービスが直ぐに動くようにするためにはどうしたらよいかである。それがシステム開発(システム構築と言ったほうがよいというのは前回書きましたが)となるはずである。設計フェーズで実際にオペレーションするイメージが持てるようにプロセス要素を定義したのはこの流れを意識しているわけです。

従来のように要件定義書やプログラム仕様書ではオペレーションのイメージをわかすことができるでしょうか。コードを書くということはアクティビティレベルのサービスのイメージはわきますが、プロセスレベルのものは難しいでしょう。ですから、設計ではできるだけ業務視野で記述して、そのまま実装できるのが望ましいのです。

設計から直ぐに動かそうとしたらコードを書いてなんていられないので前回に提起したようにコードはやむを得ない場合のみにして極力書かない旨を徹底することだと思います。ということは、自動車や家電に相当するような既成のものとしてあるコンポーネントを利用することです。要求ユーザの前でレゴ細工のように組み上げて見せるようなやり方が必要になるのです。
 

2013年4月13日

横道世之介

吉田修一原作、沖田修一監督、脚本前田司郎、高良健吾主演の「横道世之介」は、日本的な青春グラフィティである。吉田修一原作の映画は、「パレード」「悪人」といった作品があり、沖田修一は「南極料理人」「キツツキと雨」の監督であり、前田司郎は五反田団を主宰し「大木家のたのしい旅行 新婚地獄篇」を書いていて、高良健吾は2006年以来多数の映画に出演しているが、何といってもこの映画でも一緒だった吉高由里子と共演した「蛇にピアス」が印象的で、最近では「千年の愉楽」に出演している。

4人の共通点は何かといった詮索は抜きにして何となくうまが合いそうな感じではある。吉田修一が1968年、沖田修一と前田司郎が1977年、高良健吾が1987年生まれとほぼ10歳きざみなのもおしろい。理由を言うのは難しいのだが、センス的にぼく好みのメンツである。何といってもユーモアがあるからである。今回は、高良くんが「千年の愉楽」とは正反対の役柄で、その軽さみたいな魅力を知った。

物語は、長崎から大学入学で上京した横道世之介(高良健吾)が、東京で始めた学生生活の一瞬を描いたものである。いきなり、法政大学経営学部入学というように実名で校名が出てきてびっくり、これは吉田修一が実際に在学したところである。しかも時代設定が1987年だから、高良くんが生まれた年なのだが、吉田修一の実人生と重なる。

横道世之介が原作者そのままなのかは知らないが、どこにでもいそうな憎めないお人よしとして設定される。見知らぬ人とすぐに友達なったり、頼まれると嫌とは言わないとか、いつも明るく屈託がないとかいったキャラクターが周囲を和ませるのである。そして、映画では彼の関係する人々との特異なエピソードというよりも日常的な交わりが展開されるのである。そこに、登場人物の現在の姿が挿入されて、"そういえばあんな奴がいたなあ"という言葉を笑顔とともに語らせている。

最初これを2時間40分流されたら退屈するのではないかと思ったのだが、意外とだらけなかったのである。というのもぼくがこうした青春を経て幾星霜を重ねた人間であるからかもしれない。学生のときのひとコマ、そしてそれを笑顔で振り返ることができる年代を懐かしく捉えられるからである。だから、この映画は若者向けではなく、オトナのための映画なのである。今の学生が観たらなんで思うのだろうか。

時代設定が1987年だからバブルの時なのであるが、ぼくらの年代から言わせてもらうと、映像からはもっと古臭いイメージを持った。むしろ、ぼくらの学生の頃に近いように思えた。政治的な匂いがないだけで、下宿での生活とか女の子とのつきあいだとかは馴染みがあるように思えた。

出演している俳優さんたちも、「蛇とピアス」から成長した感じの吉高由里子、あと世之介の友達になる池松荘亮、綾野剛、柄本佑などが実に自然体で演じていてとても好感できる。沖田監督の演出の良さであろう。見終わったあとにじわっと面白さが伝わってくる。現代で失われつつある純粋さを感じるからなのかもしれない。
 
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2013年4月16日

僕がアップルで学んだこと

先日、WindowsユーザーからMacユーザーへ乗り換えてみてアップルのこだわりとか先進性や使い勝手にちょっと驚きながら気に入ったので、そのアップルで働いていた日本人が書いた「僕がアップルで学んだこと」(松井博著 アスキー新書)を手にする。

著者は、1992年にアップルジャパンに入社して、その後2002年から7年間米国本社勤務となり、そこでは7年間管理職として働いている。日米通算で16年間アップルに在籍したことになる。ですから、スティーブ・ジョブズの復帰前と復帰後を体験しているわけで、その変化が激しかったのでその比較からより鮮明にアップルの良さと悪さをわかっている。

ジョブズが追放されたあとのアップルはひどかったらしい。著者の言い方では「船頭のいない船」だったそうだ。会社の方針を誰も知らない、みんなが好き勝手にプロジェクトを作っていて、それも真面目に企画したとは思えないものばかりだったという。また製品にしても返品率が10%という惨憺たる状況だった。これでは、業績は落ちる一方で、何よりも社員のモラルは完全に落ちていた。

そこで、スティーブ・ジョブズによる改革ということを思いがちであるが著者はその前のCEOであるギルバート・アメリオの功績が大きいという。もしアメリオが就任しなかったら今日のアップルの成功はないばかりか、倒産していたのではないかとまで言っている。そのアメリオがやったのは、不採算部門の切り捨てで、従業員の半数以上もレイオフしてしまったのだ。さらに計画中のものも含む350のプロジェクトを何と50までに減らしてしまう。こうして、社内にはっきりした方針ができたのである。

しかしこの大改革の成果は、アメリオが呼び戻したジョブズが、あべこべにアメリオを追い出した後という皮肉な結果となった。世間では、ジョブズがみなやったと思われているが、実はこうして大ナタを振るう力のある経営者の存在があるのだろう。さすがにアメリカで、ソニーやパナソニックにはできない芸当だ。

そのあとの成功についてはいろいろなところで言われているので深く言及はしないが、著者がこの本で一番言いたいことは、アップルで学んだ最大のものが「環境を変えれば人も変わる」ということなのだそうだ。ここは、ジョブズが徹底的にやったことなのだ。大事なのはマックやiPodを世に送り出したことではなく、アップルという「環境」を創ったことだという。

そのあたりをかいつまんで言うと、まずは「シンプル志向」である。製品がシンプルであるというだけではなく、組織の階層や守るべきルールが少なく、「やること」と「やらないこと」が明確で、ひとつのことにフォーカスするといったように非常にわかりやすい。組織もシンプルなので、責任の所在も明快である。そこでは責任を与える代わりに裁量権を大幅に付与しているのである。ただ、シンプルは強烈なトップダウンを伴うことも忘れてはいけない。

まあ、こうしてみると、まさに非日本的な経営や仕事のスタイルですね。もうここまで来るとアップルに入りたい人間がいっぱいいるわけだから、ちょっとパフォーマンスが落ちると辞めさせられるが、優秀な人間をどんどん採用できるから超競争社会ができる。いいか悪いかは議論があると思うが、社会全体のコンセンサスも必要だから、競争嫌いで、トップダウンをいやがる日本はいまの世界についていけるのだろうか。

後半は、著者個人のビジネスに対する考え方とか自己啓発、自己研鑽といった趣の話になってしまうので、前半に比べるとおもしろくないのだが、長いことアップルで働くのも疲れたなあといった感じが出ていて、それはそれで誠実でよかったのではないでしょうか。
  

僕がアップルで学んだこと 環境を整えれば人が変わる、組織が変わる (アスキー新書)
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2013年4月14日

手のひら感

自分が何か行動を起こしたり、指示を出したり、考えをまとめたりといった時にどういう状態が望ましいかと思うことがある。単なる思いつきや行き当たりばったりというのは、運が良ければうまくいくが、それがいつも続くわけではない。そこには、何らかの論理的な裏付けが必要になる。いや、論理が組み立てられなければやることや言っていることに説得力がないことになる。

世の中にはロジカルシンキングだとか、○○思考法とかあるのだが、それほど構えなくても自分なりのロジックを持ちたいと願う。それには、一生懸命勉強して、知識を得てと思われがちであるが、もちろんそれも大事であるのだが、立派な知識を得たとしても、ちゃんと咀嚼して自分の考えに変換できていなければ、すぐに忘れるか、化けの皮がはがれてしまう。

さて今は、知識ということを言ったが、それだけでは不十分で、経験ということも大事である。ただ、経験も知識と同じように経験したということだけを取得してもしょうがなくて、その経験によって得たものから次にいかせる知恵を持つことが大事なのである。つまり、知識と経験は持っただけではなく、それを次の行動や考え方に対する論理的な裏付けに変換させておかないと意味がないことになる。

このことは、仕事でもプライベートでも非常に重要な心構えで、これがあるかどうかで、的確な予想もできるし、あるいは予想外のことが起きたとき、危機に瀕したときなどに適切な対応がとれるかどうかが決まってくる。要するに、これから起こるべき事象について、自分の手のひらで転がすことができるかどうかである。達観するとか極めるとかいった境地までいかなくても、ある程度、自らのコントロール下に置くということである。

ITがここまで進展した現代にあっては、知識にしてもまた経験値にしても膨大な情報が得られるようになっている。その中から自分が手のひらに乗せておきたいもの、すなわちコントロールするために必要なドライバーとしての情報が何なのかきちんと把握しておくことだろう。

そのために重要なことは、責任を自覚することだ。こういう責任があるので、その責任をはたすために何をコントロールしなくてはいけないのか、そのために必要な情報は何かである。責任の範囲、そこの状況や状態、来るべき変化に対応する術を手のひらに乗せておきたい。

残念ながら、日本では、特に日本の企業では、この辺りが比較的あいまいで、そんな堅いこと言わずに何となくみんなでよしなにやろうやとみえる。よしんば手のひらに乗っけていたとしても裏に隠れている。個人生活ではSNSなんかで表に晒されているのに企業では、インフォーマルなものになっているのでもっとオープンな形にしたいものだ。これからのITは、手のひら感を与えてくれる仕組み提供してくれるものになってほしいと強く思うのである。

2013年4月15日

ビジネスサービスのつくり方 - 第4章 開発

■ 生産形態と開発メソッド

開発というと、最近ではウオーターフォールなのかアジャイルなのかなんて議論があったりします。どんなメソッドで開発するのかという話です。ただ、あたりまえ前の話として、どうやって作るかというHowは、どんなものを作るかというWhatに依存する。作るものや動かすものの性格によって作り方は違ってくる。

このことは、何もITシステムに限ったことではなく、一般的な製造業も同じというか、そもそも製造業は何を作るのかというプロダクトがあって、その生産のためにどんな生産方式を採るのかということになる。なので、ちょっと寄り道をしますが、生産形態について見ていきましょう。生産形態にはタイミングとか、製品の種類、生産方式などで分類することが一般的です。

・ 受注タイミング :受注生産/見込み生産
・ 製品の種類と量 :多品種少量生産/中量生産/少品種大量生産
・ 生産方式    :個別生産/ロット(バッチ)生産/連続生産

といったところですが、それぞれ全部の組み合わせがあるかというとそうではなく、大体次の6種類になります。
(1) 見込み生産/少品種大量生産/連続生産
(2) 見込み生産/少品種大量生産/ロット(バッチ)生産
(3) 見込み生産/中量生産/ロット(バッチ)生産
(4) 受注生産/中量生産/ロット(バッチ)生産
(5) 受注生産/多品種少量生産/ロット(バッチ)生産
(6) 受注生産/多品種大量生産/個別生産

さて、IT(ソフトウエアやサービスシステム)の場合はどうなるのであろうか。どうも物理的な実体がある一般製造業とは違って、量的な問題はあまりないように思える。つまり、物理的な大きさとか数というのは、コピーもいくらでもできるし、倉庫に在庫として持つこともないからである。そうなると、見込み生産型なのかそれとも受注生産型なのか、それとどういった生産方式になるのかになる。ただし、連続生産というのはないだろうから、個別生産かロット生産かになる。

これらの組み合わせも大体決まっていて、受注生産型は個別生産方式であり、見込み生産型はロット生産方式といってもいいだろう。ロット生産というのは製品ごとにあるまとまった量を作っておくことなので、ITではそんなことはしないと言われそうだが、ある量を販売するためにあらかじめ用意しておくという意味でロット生産と呼んでもいいだろう。

さて、システム開発という大雑把な言い方をした時に、その生産形態はどうなのかと見ると、ソフトウエアとかパッケージはどうも見込み生産/ロット生産と言えそうだし、業務システムは受注生産/個別生産のようだ。特定の会社の業務システムがそのまま他の会社で使えるかというとそうはいかないので個別に作り込むことになる。

では、冒頭に言ったウオーターフォールなのかアジャイルというのは、個別生産に向いているのか、あるいはロット生産に向いているのかという見方にもなりそうだ。どうも、作り手側で製品の仕様を決めて生産するやり方はウオーターフォールが合ってそうだし、お客さんの要求を調整しながら、場合によっては開発や設計行為も入り込みながら作り込むのはアジャイルが良さそうだ。

ここでお気づきかと思いますが、これまでは、受注・個別生産型である業務システムをウオーターフォールで作ってきたことである。この問題点がいまクローズアップされているように思う。ただ、昔にもアジャイルでやればよかったとは言えない。そういった技術もインフラもなかったのだから仕方がなかった。しかし、現代は環境がずいぶんと進歩したので、問題を引きずることから脱却しなくてはいけない。

ですから、従来のやり方では、受注・個別生産型なのに、製造工程に移る段階で要件定義と称してあらかじめ決められた仕様に沿って作る方式である見込み・ロット生産型にしてしまったのである。その結果、一度決めたら最後まで行って後戻りできない羽目に陥っていたのである。これからの業務システム開発は受注設計生産型にマッチした開発方式を採用すべきなのである。
 


2013年4月17日

SEって何?(5)

▐ 問題のほんとうの所在はどこか

これまで、辛辣なことを言ってきたが、簡単にいうと時代が変わったのだから、人の意識もスキルも変わっていかないとガラパゴスになってしまうよということである。ではそのためにどうしたらよいのか、馬場さんは「顧客に体制図や人月を出すな」「常駐をやめろ」かと技術偏重の風潮をなくせ」、いまこそSEマネージャーが戦う覚悟を決め、しっかりしろと言っている。 気持ちは分かるがちょっと違うのではないかと言った。

「顧客に体制図や人月を出すな」と言われても意味が分からない人が多いと思う。ぼくはまあまあ大企業と言われる会社の情報システム部長を務めたが理解しがたい。プロジェクトを実行するには「体制図と人月」を出させるのは当たり前で、それをやめると言われてもやめてどうなるの思ってしまう。そういうことではなく、なぜ人月を出さなくてはいけないようなシステムの作り方をしているのかが問われるべきなのである。そっちの方向に解決策をもってかなくてはいけない。

それについて、最近同じITProに連載された「なぜ"ダメなシステム"は無くならないのか?」という記事とともに考えて観ることにします。執筆者の佐藤治夫さんは、「ダメな"システム屋"にだまされるな!」という人気記事を書いてそのあと書籍化までした人で、ぼくの知り合いです。2000年ころにあるプロジェクトの計画で一緒に入っていただきました。当時から既成の枠にとらわれない柔軟な頭の人でした。残念ながらそのプロジェクトは、日の目をみなかったのですが、ある意味業界の常識を覆すことを一緒に提案したことは今でも印象的な思い出の一つになっています。その後も時々お会いしています。

彼は、その記事でシステム屋(ITベンダー、SIer、コンサル、情シ部門の人たち)について経験からこういっています。「良い意味でも悪い意味でも、ウオーターフォール的な思考パターンが、日本の"システム屋"を規定している」。ウオーターフォールが、IT業界の産業構造を規定し、個人の成長の阻害要因や撹乱要因になっているとまで言っています。それが、動かない、使われな"ダメなシステム"がなくならない原因だという。

ぼくも以前から同じようなことを言っているから、同感といった感じなのだが、ウオーターフォールが全くだめというわけではなく、作るものによってはウオーターフォールの方がよい場合もあります。佐藤さんは、情報システム構築プロジェクトはピラミッドを作るのと粘度細工の中間に位置するという表現をしています。ウオーターフォールの弱点は逆流(=手戻り)を阻止するあまり、結局顧客がないがしろになった作りになってしまうのだ。ぼくが顧客志向の欠如と言ったのはこのことでもある。

2013年4月18日

セミナーのはしご

たまたま、一昨日はセミナーに続けて参加する。しかも、テーマは関連あるもので、午後からあったのが、このブログでも紹介したICT経営パートナーズ協会主催の「ユーザ事例に学ぶ超高速開発ツール」というのと、夜に開催されたWebCatStudioとNCデザイン&コンサルティングの共催による「実践的アジャイル開発入門」である。

共通点がアジャイル開発ということになる。いまこのブログで連載している「ビジネスサービスのつくり方」と「SEって何?」のなかでも目下の話題が、ウオーターフォールかアジャイルといったものなのでタイムリーではある。ただ、二つのセミナーでニュアンスが違う。最初の方は、ツールを使って開発スピードあげるという話で、もう一方は、実際のプロジェクトで行ったアジャイル開発の実態を素直に吐露している。

「ユーザ事例に学ぶ超高速開発ツール」は、協会初のセミナー開催であり、有料で定員100人だったので集客できるか心配していたのだがふたを開けると満席だった。認知度がまだないのにここまで集まったのは、運営の方法に工夫があったからだろう。発表がユーザの人だったことと、競合するベンダーが一同に会したことが、ベンダーの宣伝に終始する他の多くのセミナーにはみられない特徴である。だから、面白かった。

ユーザの発表のあとに、ツールベンダー5社の代表がパネルディスカッションを展開するというこれまた大胆な試みで、これからどんなツールを導入しようかと悩んでいる人にとっては参考になったのではないでしょうか。ちなみに登場したツールは、GeneXus、StiLL、Web Performer、ユニケージ開発手法、Wagby、です。ExcelベースのStiLLとUnixのシェルコマンドを使うユニケージ開発手法は特徴的だが、他の3つは似ているので、イマイチ差がわかりづらかった。

「実践的アジャイル開発入門」は、メインフレームにあった基幹システムのリプレースをアジャイルでやった事例と、これも既存のWebサービスの陳腐化に伴い作り変えたという話であるが、やはり現実には教科書的に書いてあるようにはうまくいかないようである。ぼくはアジャイルの方法論であるスクラムを知らないのでどこが違うのかもよくわからなかったのだが、彼らが、結果的に、アジャイルの向き不向きというか適不適ということで4象限で語っていたのがなるほどと思った。

軸を、受託開発か自社開発なのかと要件が固まっているのか途中で変更が多いのかという切り口である。それで、アジャイルに向いているのが、要件が固まっていない場合で、また要件が固まっていても自社開発ではやってもいいケースがあると言っていた。ぼくは、もうひとつ違った切り口を言っていて、受託か自社開発というのは、それほど大きなインパクトはなくてどんな性格のシステムを作るのかというのを軸にしたほうが良いと思っている。ただ、これも要件あらかじめ決まられるのか、そうではないのかというのもシステムの性格とも言えるの、結局要件があらかじめ固定化できるのか否かで決まるように思う。

この二つのセミナーを聞いてみて何かが抜けているように感じた。最初のセミナーでは、設計のところの話がないことで、設計が終わっているという前提でその後の開発のところのスピードのことなのだが、設計のところのスピードと品質がかなり影響するのではないかと思うのである。それと、課題が指摘されていたが、けっこうWeb化とクラウドで解決してしまうような気もした。

次のセミナーについては、お気づきかと思いますが、両方とも既存システムのリプレースなのです。つまり、データモデルにしても機能要件にして、基本的に既存踏襲ですから、真の意味でアジャイルではないのです。それもそうなのだが、リプレース以外で開発案件はないのだろうか。SIerにしても、ITベンダーにしても、情シスにしても、30年前に作ったシステムをリプレースすることがビジネスであり、ミッションだと思っているのだろうか。

ちょっと、脇にそれてしまったが、印象的なものとして、大規模になると全体をアジャイルとはいかないので、分割してやらざるを得ないのだが、そのとき全体管理はウオーターフォール的にやらざるを得ないということと、Webサービスでは、デザインファーストという考えかたが大事だということである。作って見せるのではなくて、見せてから作るというやり方である。

そして何と言っても一番刺さったのが、アジャイルの実践をして感じたこととして「ウオーターフォールだろうがアジャイルであろうが、結局最後は優秀なやつがやればいいシステムを早く作れんですよ」これまた至言である。そうなのです。方法論でもツールでもなく、どうやったら役に立つシステムができるかの本質的なところ押さえることができる優秀なやつがいるかいないかなのだ。
 


2013年4月19日

るろうに剣心

いやー、予想外におもしろかった。明治時代の時代劇アクションというちぐはぐ感とコミックの映画化という点でそれほど期待したわけではなかった。「るろうに剣心」はそんな危惧を吹き飛ばしてくれた。かつて「人斬り抜刀斎」として恐れられた剣客が維新を経て時代が変わった時にどういう姿になったかを描いている。監督が大友啓史で、その剣客緋村剣心を演じるのが佐藤健である。

明治という時代になって10年、東京で「人斬り抜刀斎」と名乗る男が現れる。その男を見つけて立ち向かった神谷道場の師範代・薫(武井咲)が危ういところで、見知らぬ男に助けられる。その男こそが、幕末に「人斬り抜刀斎」として恐れられた剣客であった。今は緋村剣心(佐藤健)と名乗り流浪の旅を続けている。それが縁で剣心は薫の道場に居候することになる。

いま「人斬り抜刀斎」と名乗っているのは偽物で、鵜堂刃衛(吉川晃司)という男で、実業家武田観柳(香川照之)の用心棒であった。観柳は医師である高荷恵(蒼井優)にアヘンを作らせ、それで莫大な資産を築いていた。その恵が薫の道場に逃げ込んだことから、観柳の悪巧みと対峙することとなり、結局、喧嘩屋と呼ばれる相楽左之助(青木嵩高)と二人で大勢の警備がいる観柳の屋敷へ乗り込んでいく。

かつては人斬りであった剣心が、時代の変遷とともに、彼も人を殺めたことへの悔悟から、殺さずの人を助けることに変わった。そのために逆刃刀という切れ刃が反対になっている刀を使っている。斬れない刀を手に戦いに敢然と挑んでいく。もうこうなると、時代劇や西部劇、ヤクザ映画のパターンそのものですね。圧倒的な戦力を誇る悪党にやむにやまれず、少数の助っ人を従えて、しかも何らかのハンデを抱えながら立ち向かう。そしてその戦いを暖かく見守りながら帰りを待つ愛する女、できればそこに子供もいるというベタな設定ではある。

だから、それを面白くするのは、この映画ならではの特徴を埋め込まなくてはいけない。そのひとつが、佐藤健の立ち回りであろう。人を単純に斬り倒すのではなく、斬らずに仕留めるためには、俊敏な動きが不可欠で、そうしたアクションが素晴らしかった。それと、ストーリー的には、映画を時代の変化のなかに置いたということだろう。つまり、価値観が全く変わってしまった戸惑いみたいなものが描かれていることである。

武士という存在、刀を人を斬るという行為の正当性が崩れ、新しい時代に生きなくてはいけない元武士の悩んでいる姿があるのだ。元新選組でその後警察官になった男(江口洋介)が言う「剣に生き剣に死ぬ、それ以外に俺たちの生きる道はない」。何だか、現代にも当てはまるようでもある。
 
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2013年4月20日

理解することと実行すること

理解できたら実行できるかというとそうはならない場合も多い。また、理解できていなくても突っ走ることもできなくはない。もちろん、理解して実行するというのが望ましいのは言うまでもない。新しいことをやろうとか、大きく変更をしようというような場合、必ずこの問題にぶちあたる。何をしなくてはいけないのかという理解とそれを実際に適用していくということが連続技としてできるかということである。

この問題は個人としても組織としても両方あるが、ここからは個人ではなく、組織の問題として考えてみることにする。例えば、いまぼくがやろうとしているプロセス中心のアプローチでいうと、従来とは違うやり方であるから、その違いというか変化を理解してもらうことが重要である。単に手段が変わったとか、使う技術やツールが違うとかいった問題ではなく、もっと思想的なところの変化を理解しなくてはいけない。

時代がこう変わったからコンセプトもそれにあったようなものになっているとか、ビジネスや働いている人たちが求めているものが変わったから、価値やパフォーマンスなどの要求具合が違ってくるといったことである。そこのところを感じ取れないと、新しいことに挑戦するインセンティブもわかないかもしれない。

そこで体験的に言えるのが、大企業の人たちは、理解できる人が多いのだが、実行するのが難しい。一方、中小企業の人たちは、なかなか理解してもらえることが少ないのだが、一旦理解されると実行がものすごく早いということである。大企業の人は、それなりに優秀だし勉強もしているから、論理的にも理解ができるのだが、それを実行しようとするといくつもの壁が立ちはだかる。そうした壁を乗り越えるには相当のエネルギーが必要なのだが、どうせダメだろうと諦めているふうに見える。

中小企業の人は、叩き上げの人も多く、経験として自分の強固な思想があるから、それを変えるようなことを言うと抵抗がどうしてもある。そんなことをお前らに言われる筋合いはないと一蹴されたりする。しかし、そうした中にあっても進取の精神に富んだ経営者がいる。こうした人が変革の必要性を理解すると、トップダウンですぐに始めることになる。

このことは、日本においては、大企業の硬直性・保守意識、中小企業の未近代化・非合理性がまだまだ根強く残っていることを意味する。そこを改革していかないと今のグローバル時代のビジネス環境では退出を迫られるようになると思う。生き残るためには、スマートで機動性に富んだ"スモールビジネス"の単体が中小企業で、複合したものが大企業といった組織武装をしていくことではないでしょうか。そして、"スモールビジネス"の真髄は原点回帰といっていいのかもしれないが、スタートアップの起業精神を継続的に維持することであるように思うのである。

2013年4月21日

人と人とを結ぶのがITである

毎週木曜日夜にテレビ東京で放送する「カンブリア宮殿」には様々なビジネスモデルが登場してくる。ただ、あっと驚くようなモデルというのはそう多くはなく、大概はそんなこと私も考えていたよというものである。ところが、実際にビジネスにして利益をあげて雇用を確保してというところまで持っていくのはひとにぎりの人間にしかできない。

単なる思いつきではなく、きちんとコンセプトを確立して、そこからビジネスモデルとして描けて、そして何よりもチャレンジして、継続させていく力を持っているのかが成功の秘訣であろう。最後の自分を信じてやり抜く強い気持ちが非常に大事だと思う。それは、成功するには多くの試練や苦労があって、それを乗り越えるにはそうしたタフさが必要だからだ。

と書いてみたのだが、先週に放送された「ネットの発想とスピード感で写真界の常識を打ち破れ!」というテーマで登場したフォトクリエイト代表取締役の白砂晃氏は「起業して苦労したことは一度もない」と言う。ただ、彼だからそう言えるのであって普通の人だったら、きっと大変な苦労だったと言うような気がする。つまり、成功しているひとは、ポジティブな人が多く、難題に対する耐性が強いからだと思うのだが。

フォトクリエイトという会社のビジネスモデルはこうだ。様々なところで行われるイベントにプロのカメラマンを派遣し、そこで撮影した写真をネット上にアップして販売するというものだ。イベントには、東京マラソンのような大きなものから、幼稚園の運動会といったものまである。これまでは、そうした私的なイベントでは家族や素人カメラマンが撮った写真を町の写真屋さんに持っていって現像してもらうのが普通であった。それを、プロのカメラマンが撮るということとネットで販売するというのが斬新性である。

もうだいぶ前にぼくの甥っ子が青梅マラソンに出て、そのときの写真がネットで見れるから見てよと連絡があったのでのぞいたことがあった。そのとき、ゼッケン番号がこれだからそれを入力してよと言われて、へーおもしろいなあと思ったことがある。その何倍かの規模の東京マラソンの様子を映していたが、カメラマン68人が一日がかりで4百数十万枚の写真を撮っていた。

写真はさすがプロと思わせるできばえで、カメラの性能はあがっていてもやはり、どの一瞬を切り取るかといったところは素人にできない芸当である。だからこそお金を払う価値があるのだ。つまり、こんなものが欲しいと思っている人といいものを提供したいと思っている人とがITを通してつながるというわけである。

こうしたビジネスモデルこそITの正当な使い方のような気がする。アナログでは、時間とか空間とか、手間とかコスト、質や量といった壁があったのを、デジタルは軽々と越えてしまった。だから、欲求を無理やり作り出すようなことでなく、壁を取り除くだけで溜まっていたものがすっと流れたという感じなのである。そうした自然的なモデルだったから「起業して苦労したことは一度もない」という言葉がでてきたのではないかと思えてくる。
 

2013年4月22日

ビジネスサービスのつくり方 - 第4章 開発

■ 受注設計生産型の開発方式とは

業務システムは、受注設計生産型にマッチしたような開発方式を採用すべきだと言った。ではその開発方式はどのようなものだろうか。お客さんの注文(要求)に対して、そのものズバリのものがないから、ある程度の設計をしてみて、そこでできたものを見てもらいながら、追加・修正を繰り返しながら仕上げていくことである。とてもアジャイル的である。イテレーションとか、タイムボックス、スプリント、あるいはテスト駆動といったようなことを言わなくても、というかよく知らないから、もっとプリミティブに考えている。

まず、お客さんがどんなことをしたいかは、プロセス設計の段階で聞き取りをすることになる。すなわち、プロセスの始点、終点を決めて、その間のアクティビティを書き、プロセス要素表を作成することで大方の要求が見えてくる。そこには、どんな意思決定すなわち、確定するデータは何か、どういう判断をするのかがあり、そこで使われるルールや参照情報、誰が担当して誰が責任を持つのか、何をコントロールするのかといったことが書かれている。

そこでは、まだ確実なものになっていない可能性が高い。人間は紙の上に書いたものだけではいくら想像力をたくましくしても限界がある。ですから、実際に動くものを見せるのが一番早い。それも紙芝居のようなものより、できるだけ実オペレーションに近いものである必要がある。ということは、いくら早くプログラミングできるからといってもコードを書いていたのでは遅いのである。自動プログラミングとかプログラミングファーストとかは業務システム開発にとってはアジャイルではないのである。

実オペレーションのためのプラットフォームで要求をそのままお客さんと一緒に作り込んでしまえればそれにこしたことはないと思いませんか。それには、既にアプリケーションとして確立できていて、設定だけでシステム構築ができるものを使うことになる。ただ、そうは言っても、完全なものはないわけで、やっぱり作り込みがあるはずだと言う反論はあろうかと思います。そうですが程度問題があって、基本的な部分ができていれば良しとする精神が大切です。

よくある作り込みは、ユーザインターフェースとか帳票です。ここにいくと正解はこれですはないわけで、ほとんどが個人の趣味の領域になります。そんなところに注力するのは後まわしにしておけばいいのです。いまや、Webにしておけば何とかなる話です。ちょっとそれる逸れるかもしれませんが、これまでの業務システムが抱えてきた諸問題、例えば、情報連携・共有、システム運用、セキュリティ、資産管理といったところの面倒臭ささはWebとクラウドでかなり改善していると思うのですがいかがでしょうか。

そういう時代です。Webで作ったコンポーネントがクラウド上にたくさんあって、しかも安価に利用できるようになっています。もう何十年も世界中で業務システムを作り続けています。業務システムで必要な機能は、ビジネスモデルが変化していてもそれほど増えていくわけではありません。いまだに同じものをせっせとコーディングするのもおかしいと思いませんか。お客さんと一緒に有り合わせのものですぐに作って、ああじゃないこうじゃないと議論しながらブラッシュアップしていくやり方でいきましょうよ。
   


2013年4月23日

「持たない」ビジネス 儲けのカラクリ

昨年、10月に41歳という若さで亡くなった流通ジャーナリスト金子哲雄さんの書いた「「持たない」ビジネス 儲けのカラクリ」(角川oneテーマ21)は、亡くなる前月に発行されたものである。独特の語り口で人気を博していて、死ぬ直前までテレビに出演したりしていたのでご存知の方も多いと思いますが、肺カルチノイドという珍しい病気で発見されてから1年ちょっとで他界してしまったようだ。ご冥福を祈る。

さて、その本であるが、タイトルにあるように「持たない」ビジネスのことである。儲けのカラクリというより、現代では資産を持たない方が有利ですよという話である。それは、個人から企業までみんなに当てはまることで、個人では、固定資産を持たない、例えばマイホームにしても購入するのではなく賃貸の方がいいですよということである。

バブルのときは、土地や家屋が値上がりしていたから、保有価値はあったのだが、いまやデフレの時代(アベノミクスで資産バブルがおこりそうだが)では、かえって保有することで税や維持コストが相対的に大きくなり不利になっていると指摘している。確かに、不動産などの財産があってもそのままでは三代の相続で無くなってしまうのだから不動産を抱えているのも大変だ。

企業についても同様で、不動産なんて持たない方がよくて、その反面教師的な存在としてダイエーの例を紹介している。イトーヨーカ堂、セブンイレブンとの対比で明らかに後者の持たない経営が成功を収めていることがわかる。金融や保険などに目を向けても無店舗経営も進んできている。

さらに、製造業においても工場を自社で持たない企業も多く現れていて、それは持たないというより世界的な規模での分業というふうに位置づけられるので、金融・保険あるいは流通などともちょっと違う。要するに、これまでの垂直的統合の仕組みから、水平的な統合の仕組みへ変わっていっていることを意味している。つまり、持たないというより、持つところを自律分散させたことなのだろう。

本では、こうした時代の流れ、現状を紹介して、最後に「持たない経営は私たちを幸せにするのか?」と問いかけている。しかし、それに対する答えは提示されていない。ですから、全般的にみても、当たり前のことを並べているので新鮮味もないし、本人が最後に"やや極論を述べた"と言っている割には常識的な内容であった。
  

「持たない」ビジネス 儲けのカラクリ (角川oneテーマ21)
金子 哲雄
角川書店(角川グループパブリッシング)
売り上げランキング: 27,907

  

2013年4月24日

SEって何?(6)

▐ 解決の方向性

前回、ウオーターフォールモデルの弊害を指摘した。ならば、アジャイルでやればいいのかということでもなさそうだ。ついアジャイルというと、速く作るというHowの話みたいになってしまうことがあって、そのメソッドを知っていればいいSEということになるのだろうか。また、そうでなくて本来的な反復活動で作り上げるということにしてもどういったことができればよいのだろうかと思ってしまう。

どうも開発方法の議論だけで解決に向かうというのは無理があるように思うのである。つまり、いくらいい開発方法を持ってきても悪構造のシステムを作っていてはどうにもならないからである。実際の業務に使えるようなものでないと意味がないわけで、そこの設計が非常に大事になってくる。本当に意味でのビジネスのためのシステムの設計である。

究極のアジャイルは、お客さんのビジネスモデル、業務プロセス、仕事のやり方に基づいたユースケースからさくさくっと実際に動くプロトタイプをつくって、それを動かしながら、変えながら、作り上げるイメージである。動かしている途中で当初のユースケースを変更してもいいし、プロセスも変えてもかまわない。ウオーターフォールの弊害は後戻りできないことだから、全く逆だ。自由に行ったり来たりする。

そうして出来たものは、必ず使うわけです。当たり前の話、使うように作るから使うに決まっています。これまでのやり方だと使われないシステムが半分以上あるというは全くおかしいな話です。確かに、昔のシステム環境やソフトウエアあるいはメソドロジーでは難しかったかもしれませんが、現代では、Web技術の凄まじい向上、クラウドの登場、IT価格の低下によって、さくさく作って、使いものになりそうもなかったらやめてもいいくらいの気軽さが可能になってきています。

こうした時代にSEはどうしたらよいのでしょうか。佐藤治夫さんが指摘するように顧客の顔が見えないような仕事のやり方をしてはいけないわけで、今言ったようなやり方にして絶えず顧客とのコミュニケーションを図りながら作り上げることに立ち向かうべきです。佐藤さんが提起する「日本の"システム屋"の誰もが顧客の顔をみながら仕事をし、それ相応の技術力を求められ、同時に顧客には決断力を要求し、チャレンジする風土と知識・技術力を磨く意識を持つ。これが望ましい姿ではないでしょうか」を実現するにはここで言っていること以外にないと思うのです。

ただ、大事なことは、磨くべき"それ相応の知識・技術力"とは何なのかを確立することである。従来の延長では決してない、ビジネスのための道具の設計、仕事の場のデザインをお客さんと一緒にできるというか、むしろお客さん主体で、自分はファシリテーターとして位置することだろう。仕事のやり方だとか、マネジメントのやり方などはお客さん自身が一番知っているから、彼らが考える背中をちょっと押してやればいい。逆にそれが言えないようなお客さんは相手にしなければよいのだ。"顧客には決断力を要求し"という意味は裏を返せば、決断力のない顧客とは組むなということでもある。

結局、何が言いたかというと、時代が変わり、ビジネス環境も大きく変化し、よりビジネスはスピードや高い質が求められて、それに伴い要求システムの性格も変化している。そうした状況にあって、システムに携わる人々は従来の延長で対処していては対応しきれない。そうであれば、既成概念をとっぱらって考えると同時に、従来と違ったシステム構造や機能そして開発方法論を持ってこないとユーザから見放されてしまう。ですから、当然SEと呼ばれる人たちも変身していかなくてはいけないということなのである。その時、忘れてはいけないのが、"システムは使われてナンボである"ということで、言い換えれば"使われるものを顧客と一緒に動かす"ことなのである。
 


2013年4月25日

トイレで知る世相の変化

このあいだ、あるショッピングセンターの個室トイレに入って用を足していたら、目の前に写真のような掲示があった。このブログでだいぶ前にあるルミネのトイレには、"トイレ内は禁煙です。炎感知器を設置しているので、ライター・マッチを使用すると防災センターへ通報されますよ"とかいったようなことが書かれていて、通報されるから禁止というのもおかしくて、火事になるかもしれないからやめろと書けばいいじゃないかとツッコんだことがあった。inshokukinnsi.JPG

こっちの店は、喫煙ではなく飲食や居眠りの禁止ときた。あまり見かけなかった注意書きだったのでいささかびっくりした。しかし考えてみれば、最近はタバコを吸う人が減ったからトイレでタバコを吸う不届きものもいなくなったのだろう。そのかわり、トイレの個室で居眠りするやつとかメシを食うやつがいるということなのだろう。

確かに、最近のトイレは基本腰掛けタイプでウオッシュレットも多くなっているので居心地が格段に良くなっている。このタイプになってずいぶんとトイレの汚れが少なくなってきれいだ。居眠りも食事もありえると思える。例えば、ホームレスの人とかはそこで眠るなんてことも考えられるが、いったいだれが食事をするのだろうか。

そんなことを考えていたら、"ベンジョメシ"という言葉を知った。これも初めて知ったのだが、"ランチメイト症候群"というのの一種だそうで、ひとりで寂しく食事する姿を見られたくないのでトイレの中で食事するのだという。学生が多いようだが、なるほど、そんなことがあるのだと驚く。

別にひとりで食べればいいのにと思う。ぼくはむしろひとりで食べるほうが気楽でいいという派である。みんなとつるんで食べると例えば外食だと選ぶ店も必ずしも自分好みではなかったりするし、弁当にしても静かに食べたい時もある。だから、ほとんどひとり飯が多いし、酒を飲むにしてもひとりが多い。でも気になる人がいるんですね。

たかがトイレ、されどトイレというわけではないが、世相が見えてきておもしろい。これからはどうもおひとり様の時代が続きそうだが、そうであれば、一人でいることに堂々とするタフさが必要ではないかと思うのだが。
  

2013年4月26日

レンタネコ

ぼくは、犬とか猫はあまり好きではない。こんなことを言うと、女子供に嫌われるかもしれないが、好きでないのだからしょうがない。映画「レンタネコ」は。大の猫好きらしい荻上直子が脚本を書き演出した作品である。荻上直子といえば、「バーバー吉野」でデビューして、その後「かもめ食堂」「めがね」「トイレット」といった癒し系の映画で一定のファンを確保している監督である。そして、スタッフ、キャストもファミリー的な人々で固められていることが多い。

この作品も荻上作品ではおなじみの市川実日子が主演している。ネコをレンタルするという変わった商売をするサヨコという女性をコミカルで存在感のある役柄を好演しています。ストーリーは、彼女が猫をレンタルする相手を通して心にポッカリとあいた穴を持った人々に焦点をあてていく。サヨコは川原の道を猫が乗ったリヤカーを引っ張りながら「レンタネコ、レンタネコ、寂しい人に猫を貸します」と呼びかけます。

そこで出会った人たちが登場します。もう死期も迫った高級マンションに一人で住む老婦人・吉岡(いつもなら、もたいまさこかもしれませんが、だいぶ歳の設定なので草村礼子です)、単身赴任の中年サラリーマン・吉田(こちらはおなじみ光石研)、生真面目なレンタカー屋の受付嬢・吉川(山田真歩)、そして最後は、中学校の同級生で嘘つきはったりと呼ばれていた・吉沢(田中圭)の面々である。

それぞれが、寂しさを抱えていて、そこに埋めるように猫を貸し出すのである。決まったパターンがあって、貸すには審査があるといって、借りての人の家までいって大丈夫かチェックして、借用書にサインしてもらう。そこで、彼らがどういう寂しさを抱えているのかが明らかになる。夫と猫に先立たれ、息子とも疎遠になってしまった老婆、単身赴任で家族と離れて暮らすうちに娘に嫌われるようになってしまったサラリーマン、話し相手もいなく、ひとりで食べるしかないのにランチのドーナッツを二人分買ってしまう受付嬢(ベンジョメシ?)、相変わらず嘘つきとはったりを繰り返す同級生といったところである。借用書に書く期限がおもしろい。「私が他界するまで」「家族のもとに帰るまで」「待ち人現れるまで」である。

いやー、この世界は何なのだろうか。みんないい人ばかりで(犯罪者も含めて)やさしくて、ギスギスしていなくて、脂ぎった感じもなく暮らしている。こういう風景を観ることで癒されるのだろう。事実映画を見終わったあと何やらぬくもりを感じてしまうのも正直否定しない。がしかしである。ぼくなんかでも、厳しい現実にさらされていて、腹も立つし、怒りも覚え、下手すりゃ汚い言葉で罵ったりするし、ヤケになったりイヤミも言う。だから、なぜか気が抜けてしまうところもある。でもそうは言ってもたまには、世知辛い浮世を忘れてホンワカしたらというのがメッセージなのかもしれない。
  
rentaneko.bmp
  

2013年4月27日

ネットの双方向性

インターネット選挙が解禁になった。そこでぼくが個人的に課題と思うのは、なりすましとかもあるが双方向性をどうやって活用するのかがある。選挙では候補者と有権者という関係ができるのだが、基本的に1対nのような関係になる。候補者一人に対して多くの有権者が関係することになる。こうした関係性は、SNSではよくあるパターンである。

TwitterやFacebookは大はやりではあるが、ぼくは積極的なユーザではない。その理由は、自分が有名人でフォロワーがいっぱいいるのだったら楽しいだろうが、ただ単に有名人のフォローをしたところで、ファンクラブの一員になったようで、人気者以外はあまり面白くないと思ってしまう。まあ、ひねくれものだからかもしれないが、双方向といいながら実際のところは片方向であるような気がする。だから選挙運動にはいいツールであると思うのである。自分の主張を浸透させるのに絶好だ。幟を立てて自転車出回ったってどれだけの人と交われるかといったらしれてるわけで、そう言う意味でうまく利用すれば強力なツールになる。

ただ、表現力の乏しい、発信力の弱い連中はきついだろう。表情やあうんの呼吸なんてものはネットにはないので、言葉の力だけだから大変だ。しかし、これからの時代は、そうした暗黙のそして事前の理解がないところでどれだけ自己表現で相手を説得するスキルが重要になるわけだから、大いにやってもらったらいいと思う。もちろん、いろいろな問題は出てくると思うが、乗り越えて進めるべきだと思う。

一方その逆に、双方向性のなさにより起こる問題もある。これは実際に経験したことなのだが、クレジットカードの利用明細がネットで見てくれとなったことによる問題である。あるクレジット会社が、これまでは毎月利用明細書という形ではがきが届いていた。ところがあるとき、ネット上に置いておくから、自分で見に来て管理してくれとなったのである。

その結果どうなったかというと、いちいちサイトを立ち上げてログインしてというのが面倒くさいのでほったらかすことになる。そして、2ヶ月後に自動的に銀行から引き落とされることになるが、明細を見ていないので正しいのかどうかもわからない。結果、不正使用されていても気がつくのが遅れることになる。

ネットで一方的にデータを置かれて、さあ見てくれだから双方向でもないのである。まだ、はがきで送ってきて、それを定期的に確認するというのは双方向的である。要するに、こうなってますよと知らせてきて、はい分かりました、銀行にお金入れて置きますといった、直接言葉を交わさないにしてもコミュニケーションがあったのである。それがいまや、つながりが非常に希薄になってしまっている。彼らは便利になったでしょうとか言っているかもしれないが、コスト削減になったかもしれないがサービスは低下している。何かはき違えていやしないだろうか。

こうして考えるとどうもネットの世界の双方向性というのは幻想であるような気がする。そりゃあ、コメントを言い合っているじゃないかと言われそうだが、それってメールでしょ。Facebookでいいねボタンを押すのも双方向とはいいがたいし、Twitterにしても一般の人は観戦者ですよね。ということで、かなり個人的なやぶにら発言でした。

2013年4月28日

行きつけの店がテレビに映るとうれしくなる

昨日の夜にTBSで放送された「チューボーですよ!」は、岡田准一が出演してレシピがガパオライスであった。ガバオライスというのは、タイ風鶏肉のバジル炒めごはんのことで、鶏のひき肉とバジル、玉ねぎ、ピーマン、パブリカなどとごはんを混ぜて炒めたものである。その放送で街の巨匠というコーナーがあって、対象となっている料理のプロの作り方が紹介されるのだが、その一人に代々木にある「KAOTIP」のシェフが出ていた。

このタイ料理屋さんは、このブログにも何度も登場している店でぼくの高校時代の同級生がオーナーを務めていてちょくちょく訪れる。「食べログ」でも3.31を獲得しているのでまあま評価されている。ここでは"カバオ・ガイ・ラーッ・カオ"と呼ばれて主要なメニューである。ぜひお店に行って"鶏肉のバジル炒めかけごはん"を頼んでみてはいかがでしょうか。

ところで、先週知り合いの女の子が結婚するのでそのお祝いに鎌倉の長谷にある「陽堂」で鎌倉彫のお盆を買いにいった。最初は9寸のちょっと大きめの丸盆にしようと思っていたら、店の人と話していたら、最近この手のものがよくでるんですよと教えてくれた。どうもお客さんの要望が多かったのだというものは、お盆にもなるし、縁をつけてあるので菓子盆にもなり、皿台に乗せると飾ることもできるというものである。

すぐに気に入ってそれを購入する。絵柄は縁起が良いし家族の繁栄を意味するという万年青(おもと)で、実の赤さが引き立っている。そういえば、行きつけではないのだが、この店も確か先月にTV放送された「アド街ック天国」の鎌倉長谷編で5位にランクされていた。創業が1606年というからかなり古い。

買い物が済んだら12時を過ぎてしまった。そこから東京にいくのだが、さて昼ご飯をどこで食べようかと思案する。とりあえず江の電で鎌倉駅までいくことにする。電車のなかで再び何を食べるか考えていたら、ふとそうだ横浜中華街でカレーを食べようという思いつく。中華街でカレーとは何か変でしょうが、なぜそれが浮かんのかは、同じく先月末に「アド街ック天国」の横浜中華街編で中華カレーとして紹介されたのを見たからである。

中華カレーを出す3つの店が出ていましたが、その中の一つである「鳳林」がぼくの行きつけの店なのである。普段は夜ばかり利用するのでこれまで食べたことがなかったので行ってみることにしたのである。13時半頃だったが一般席は満席で奥にある非常用席(この間もここだった)に案内される。

さっそく件のびっくりカツカレーを頼むのだが、ごはん多いから大丈夫ですかと聞かれる。びっくりカレー.jpgハイだいじょうぶと答えたが、すぐに訂正して少なめにする。持ってきたのを見てびっくり、これで少なめかよつぶやく。やっとのことで食べ終えたが、すごくおいしい。ランチでは大人気だそうだ。そういえば、ぼくの前に後から座った若くてガッツリした男の子は普通盛りをぺろりと平らげていった。これで950円とは安い。
  
 

2013年4月30日

ビジネスサービスのつくり方 - 第4章 開発

■ なぜBPMSではなくWebデータベースを使うのか

クラウド上にあるWebで作ったコンポーネントを利用してサクッと作りたいと言った。その主要なコンポーネントがWebデータベースである。具体的にはサイボウズ社の提供する「kintone」というソフトウエアを推奨している。ただ、そんなことを言うと業務プロセスシステムだから、なぜBPMS(Business Process Management Suite)を使わないのですかと問われる。当然である。業務プロセスを開発するために作られたツールなのだから、それを使えばサクッと作れるでしょうという。

そう簡単に考えないで、よーく吟味してみましょう。まあ、概して高価であるということもあるが、そうでない切り口でみていく。企業の方々は、ERPのバカ高いパッケージと開発費用がトラウマになっているのかどうか分かりませんが、もうその手には乗らないぞということがあって、費用対効果に疑問を抱いているように思います。だから、なかなかBPMSを導入するのが進んでいないようです。

さて、価格に対する抵抗感はさておくにしてもBPMSが浸透していかない理由は、ベンダーもユーザーもまだまだシステム開発ツールという理解があるのではないでしょうか。スクラッチでコード書いていたのでは生産性があがらないので、フローのロジックのところをパターン化してモジュールにして、設定作業化させればいいのだという考え方である。確かに、ツールになれてくると生産性はあがるので効果的だと思うのでしょうが、そのことはユーザにとってのメリットになるのでしょうか。

皮肉っぽくいえば、ベンダーはいくら生産性をあげたからといって、開発費を下げようとする力学は働きませんから、高価なままなので、何だ開発費用はそんなに下がらないじゃないかとなってしまう。ではそれ以外にどんなメリットがあるでしょうか。開発ツールではないと規定したら、何と考えるべきだろうか。このシリーズで言い続けている業務オペレーションのためのツールと考えてみましょう。

BPMSを使って日常業務のオペレーションを想像してみてください。おそらく、使い方としては業務プロセスの進捗を管理してフローを回して最終的にはデータ登録という形になるわけです。プロセスというのは、案件の処理というふうにとらえてもよいので、入ってきた案件をどう処理してその結果はどうなったかを記録するということでもあります。そうしたオペレーションがBPMSはやりやすいのでしょうか。

BPMSは、基本的には自動化を目指しています。つまり、処理フローのロジックを設定しておけば、決められた流れで処理してくれるというスタンスになります。それはユーザが望むことでしょうか。要するに、自動化してくれるとうれしいのかどうかです。IT導入という出発点は確かに自動化の追求です。電子計算機です。それはそれで大いに進んできました。ですから、その領域はほぼやり尽くしているように思えます。

まだ自動化を追求するところがあるのでしょうか。これからのIT導入は単なる自動化ではなくもっと違った目的をもったものになるような気がします。どうも、自動化に向いていない非定型的な業務に焦点があたってきて、そこの領域のIT化がねらいどころになっていると思います。ですから、そこに定型的な処理をもってこようとするBPMSに矛盾を感じるのです。どうもこの辺の違和感があるために使うのを躊躇している。だから、プロセスといっても最終的にはデータ登録になるわけだから、データ登録がやりやすい、どうやってそのデータを記録したのかがわかるような工夫ができるようなWebデータベースを選択しているのである。
 
 

2013年4月29日

自滅する新聞

あまり新聞を読まなくなった。それでも、朝食を食べながらひと通りの記事を流し読みする。テレビのCMじゃないが、詳しくはネットでという感じではある。夕刊は読まない。それにしても、新聞を情報サービスの媒体と見たときの限界を感じることが多くなった。

つまらないことだが、新聞には休肝日、あ間違い、休刊日というのがあるが、テレビもラジオも放送をやめることはないし、コンビニが休むこともない。それなのに年に何回も配達されない日がある。しかも、どの新聞も一斉にだ。うちのばあちゃんは耳が遠くなったせいで、テレビより新聞が何よりの楽しみなのだが、休刊日の日には手持ち無沙汰でいつも嘆いている。顧客を無視したサービスっておかしくないですか。

広告が増えたと思いませんか。なので今朝意地悪く、どのくらい広告があるのか調べてみた。今採っているのは朝日新聞なのだが、朝刊では全部で40面の紙面がある。そのうち、広告のない紙面はどのくらいあると思いますか。たった3面です。逆に、全面広告は何と16面あるのです。4割が全面広告とは驚きますね。残りの21の紙面にも何らかの広告が2、3割のスペースをとっています。ですから、新聞の60%近くが広告で占めていることになっているのです。おいおいどうなってるんだ。

記事にしても、通信社の配信記事をそのまま載せていたり、両論併記といいながら偏向していたり、想定読者がどこなのかもはっきりしないとか、何かもうつまらなくなっている。その象徴みたいな記事が最近見られた。「けいざい深話」という経済面の記事なのだがそのサブタイトルで「東芝のサプライズ人事」というのがあった。現社長が副会長になって、現会長が元部下を後釜の社長に据えたというような内容で、会長と社長の確執を取材したものだが、これにもあきれかえってしまった。

会社のお家騒動といってもたかが人事のことで、一般の人に全く関係ないし、影響もない、そんなことに興味を持っている人はほんのわずかである。だれがサプライズするのだろうか。経営方針が変わったとか、業績がどうなるのかとかいったことは記事にする価値はあるが、仲が悪いとか、意見が食い違ったとか、経団連の会長の椅子がどうのこうのとかどうでもいい話である。何が"深い"話なのだ。

ということで、これじゃあどんどんネットにやられてしまう。別にネットが攻勢をかけているわけでもないのに、オウンゴールの連発で自滅しそうである。
  


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