« 2013年1月 | メイン | 2013年3月 »

2013年2月 アーカイブ

2013年2月 1日

システム開発の海外比較(3)

さて、今回は開発手法の違いについてである。単純化していうとアジャイル開発がどの程度進んでいるのかということである。調査結果がある。情報処理推進機構(IPA)が2012年6月に公開した「非ウォーターフォール型開発の普及要因と適用領域の拡大に関する調査」によると、米国や英国では非ウォーターフォール型開発の普及度が高く、逆に日本や中国では低いことが判明した。非ウォーターフォール型開発とはアジャイル開発など、短いサイクルで反復的に開発を進める手法のことである。

ただ、非ウォーターフォール型開発がよくてウォーターフォール型開発はもう時代遅れであるとは一概には言えない。それは適用するシステムの性格によって適不適があるからである。日本で働く外国人エンジニアの意見として「ウォーターフォールモデルが合うかどうかは、ものによると思うよ。ウォーターフォールモデルは、ドキュメントと計画を重視して、 1回仕様を決めたら、それを変化させずに最後まで突き進むスタイル。だから、きっちりとプロセスが決まっている業務を自動化する場合にはうまくいく。1回 作ったら、それを数年にわたりそのまま使い続けるハードウエアの開発にも最適だと思う。逆に、開発期間中や開発後に次々に変化が生じるシステムの開発には 向かない面がある。」というのがあってその通りだと思う。

だから、バックヤードの定型的な業務システムとか、開発側で仕様を決めて作るソフトウエアといったものに対してはウォーターフォールモデルでやればよいのだが、なかなか仕様が決まらないものに対しては、途中の変更を前提としたアジャイル型の方が合っている。ドキュメントにしても、ウォーターフォール型だと仕様書をたくさん書いてその通りに作ろうとするが、アジャイルではほとんど書かないのだ。

最近日本でも開発対象のプロセスは顧客要求ベースのところが多くなってきて、そうした領域ではきっちりと仕様が固まることがないから、アジャイル的なアプローチが有効なのに普及が遅れている。米国でアジャイル開発が普及しているのに、日本では普及していない理由は次の三つを上げている。

①ソフトウエアを内製せず、ベンダーに依頼する外注比率が高いこと。
②ITエンジニアの流動性が低いこと
③産学連携による実践教育が盛んではないこと

ちょっとつながりがわかりにくい面があるかもしれないが、日本のようにシステム開発を外注すると利用側と開発側の距離が離れるのでやりにくということである。ITエンジニアの流動性では、離職率が日本10.7%、米国32.1%と大きく違うのだが、人が動かないと新しい技術の伝播がしにくいのだという。最後の産学連携は、これに限ったことではなく、大学教育で開発手法などを学ばずにIT会社に就職してエンジニアになるケースが多く、従って従来のやり方を踏襲するので新しい技術に向かわないのである。

こうして見ると、何もIT業界だけの問題ではなく、日本の産業界全体の問題であることがわかる。製造業のものづくりにしてももはや決まりきった汎用品を仕様書通りに作っていれば売れた時代から、顧客ニーズに的確・迅速に対応していかなくてはいけない時代へと変わっている。そうした環境変化に対して、開発・製造のやり方も適応させていかなくてはいけない。

何でも米国がよいと言っているわけではなく、アジャイル開発とか、リーンスタートアップといった手法を日本の良さ、例えばチームワークや真面目さといったものを取り込んで日本らしいものにカスタマイズすればよいと思うのだが、いかがなものだろうか。


2013年2月 2日

グローバル人材

グローバル化が叫ばれて久しいが、企業の海外進出という観点ではなく人材のグローバル化を考えてみたい。昨日、有楽町の飲み屋のカウンターで高校の友達と二人で呑んでいたら、若い女性が一人でぼくのとなりに座った。その飲み屋はけっしておしゃれではなく、サラリーマンのおじさんたちの溜まり場のようなところなのでちょっと奇異に映った。

一人でキープしてある芋焼酎を飲んでいるので、しばらくして声をかけてみた。その店の常連さんのようで一人でよく来るのだという。そして、色々な話をしている中で、少し前までアメリカに4年間暮らしていたという話をする。東海岸のボストンの近くと、ロスアンゼルスで働いていたのだそうだ。ごく普通の女の子だが、けっこう気楽に海外生活を楽しんでいる。よく日本の若者は海外に行きたがらないというのだが、ぼくはそんなことはないなというのが実感だ。

この間もどこかでハーバード大学への留学生が増えているという記事があったが、ちゃんと目的意識を持って行く若者は昔とあまり変わらないというか、最近は増えているように感じる。ぼくの息子やその周りをみてそういう思いが強くなる。ただ、その子も言っていたが、以前に比べるとアメリカ指向はなくなっているようだ。そういえば、ぼくの下の息子は、しょっちゅう一人で海外に出かけるが、アメリカには行っていない。この正月休みはベトナムだし、ASEANへ足を運ぶことが多い。

では、グローバルに動きまわるにはどんなスキルが必要なのだろうか。もちろん語学力とか専門知識とかいったものはなければいけないが、それ以前に生き残るために必要なものを身につけておくことが大事だと思う。それはぼくがよく言う「食・眠・友」である。すなわち、何でも食べられること、どこでも寝られること、誰とでも友達になれることである。この3つがあれば、世界中どこでもサバイバルできる。

ところが、このことは一朝一夕に身につくものではない。ハウツー本に書いてそれを読んでマスターするなんてことはできないのだ。もちろん持って生まれたものが大きいのは確かだが、これは子供のときから訓練されるものでもある。親は、子供を小さい時から「食・眠・友」の教えをちゃんとするというのが大切だ。嫌いな食べ物がいっぱいあったり、家の布団の中でしか眠れないとか、自室に閉じこもっていてはグローバル人材にはなれない。

それと、これは下の息子と呑んだときに話題になったのだが、海外に特に一人で出るとすごい重要な振る舞いみたいなものがあるのだという。それは、リスクをどう考えるかという問題で、もっと噛み砕いて言うと、リスクがないように行動しても何も起こらないし、面白くもなんともない。ちょっとした冒険が新たな発見をしたり、友達が出来たり、深く知ったりできる。それをしないと、別に国内にいるのと変わらないわけだから何のために海外にきたのかとなる。

ただ、難しいのはあまりリスクを取りすぎると危険だということである。どこで止めるか、あるいは危ないと思ったらすぐに避けるといった"出口戦略"を持つ必要があるということを強調していた。この能力は、何も海外だけで必要というわけではなくて、生きていくためには必須であろう。そう言う意味で若いうちに海外へ出て、ちょっぴり冒険してみることで自分を成長させていくことをどんどんやったらいいと思うのである。
 

2013年2月 3日

生物の謎が解けてしまった

ちょっと前に献本の話を書いたが、その時贈られてきた本の中に「生物の謎が解けてしまった」(大野素亜著 文芸社ビジュアルアート)というのがあってそれを読んだのでそのことについて記す。ただ、内容については、その時にも書いたがよくわからないところがあって咀嚼できないのである。

どこがわからないのかというと、因果関係の順番みたいなことである。簡単に言うと、「生物は環境の変化によって進化する」という主張で、ダーウィンの進化論では遺伝子の突然変異と自然淘汰が骨子であるが、それだと「なぜこのように進化したかを説明できないというのだ。ただ、ぼくの進化していない頭では両方とも同じことを言っているように思えるのだ。

進化という点だけを捉えると、結局、環境に適応したものだけが生き残ったわけで、よく言う"強いから生き残るのではなく、生き残った奴が強いのだ"というあれである。つまり、全く同じものができないので、どこか違いが生じるわけで、その違いがその時点での環境に適応的であったかどうかで、種としてその違いの要素が継承されていくのが進化であると思う。その違いが、どう起こるかが突然変異かもしれない。あとは、「生物は環境の変化によって進化する」というのと「自然淘汰」は同じではないのだろうか。

もっと疑問なのはどうやって生物が誕生したのかということである。この本では「宇宙誕生と同時に現れた」と書いてある。このあたりになると誰も正解を証明できないから宗教論になってしまう。まあ、こんなことを考えていると頭の中がおかしくなってきそうなのだが、おもしろかったのは特性という概念を引っ張り出していることで、ちょっと飛躍するかもしれないが、情報システムとの対比というか親和性について興味深かったのである。

ぼくは、ずっと以前から情報システム(狭義ではITシステム)の高度化というのは生物化することだと思っている。そういうと、人工知能みたいなことですかと言われるがそうではない。生物というのは、ロジックでは到底説明ができない動きをしたりするが、それは結果的には合理的であるといったことである。あるいは変化しながらも自律的に振舞って、動的平衡を維持しているといったことである。

著者は、生物の持つ3つ特性を「変化特性」「ARU特性」「BS特性」と呼んで次のように定義している。
・ 周りの条件が変化すれば、集団の形、機能を変化させるもの
・ 遠く離れた個体や集団の間に、何らかの繋がりを発生させるもの
・ 高度な「考える」「見る」「聞く」という作用を発揮させるもの

ARUというのは、分担=Assignment、連携=Relation、統一=Uniformityということで「同じものでありながら、各々分担が決まり、互いに連携が取られ、集合体全体が統一的に機能する」という意味で、BSというのは、「情報を処理する」=「脳」=Brain、「情報を入手する」=「感覚器」=Sensorということで、「生物という物質は、外界の情報を取り入れ、その情報を処理するという特性をもっている」としている。

これをどう思いますか。ぼくは、なんだこれって情報システムの要件のことではないかと感じるのだ。ビジネス環境が変わったらそれに対して組織も変えるし、システムも当然変えていかざるを得ない。システムは歴史的に統合と分散を繰り返していることでも分かるように、分担・連携・統一はシステムの構造そのものである。最後のBS特性なんてそのものずばりだろう。

しかし、今の情報システムができているのかというと心もとないところがある。ITツールにしても今は道具の域までだが、例えば盲導犬みたいなステージも夢ではないかもしれない。ここに掲げた特性で素早い変化対応(言い換えると進化し続ける機能)とセンシングがまだまだのような気がする。そこらを装備するのがこれからの情報システムの目指すところなのではないだろうか。

2013年2月 4日

人生、ブラボー!

もう1年以上前に「キッズ・オールライト」という映画評を書いたことがある。その映画のストーリーが大変ユニークだった。4人の家族が登場するのだが、レズビアンのカップルである2人のママたちと、匿名の精子提供を受けて産まれた姉弟の2人の子どもたちなのである。この姉弟の2 人が、精子提供者である父親に会いに行くというのものである。"生物学的"な父親と対面する何とも奇妙な関係がとても面白かったのである。

ところが「人生、ブラボー!」のほうがもっとすごかった。何と693回の精子提供を行い、533人の子どもの父親になった男が出てくるのだ。このキテレツな映画はカナダで製作された。最初フランス語をしゃべるのにドルでお金を払っているので、一体どこの話かと思ったら、カナダだったのだ。納得。原題が「STARBUCK」で、その意味はコーヒーショップではなく、有能な種牛のことらしい。主人公が精子提供の時に使った偽名が「STARBUCK」である。

ダヴィッド(パトリック・ユアール)は独身で精肉店に勤める、どちらかというとダメ男で恋人はいるが借金もあるという頼りない生活をしている。そんな彼が突然533人の子どもの父親だと告げられ、さらにその中142人の子どもたちから身元開示の裁判を求められてしまう。困ったダヴィッドは友人の弁護士と相談して、秘密保持の契約を盾に反訴することにする。

ところが、ふともらった"こどもたち"のプロフィールの中の一枚を取り出すと何と自分の応援するサッカーチームのスター選手だったのだ。そこから、一枚ずつプロフィールを抜き出してはその子を訪問することを始める。もちろん身元を明かさないが、さまざまな生き方をしている10代後半だと思われる若者とふれあいことになる。ストリートミュージシャン、薬物依存症、ゲイ、障害者などけっして優等生ではない子達が登場する。

そうしたふれあいを続けるうちにダヴィッドの心の中に変化が現れてくる。さらに恋人が妊娠していることがわかるが、最初は父親と認知しないと言われたりする。そして裁判となるのだが、だんだんと本当のことを名乗り出て身元をあかしてしまいたくなる衝動にかられるようになる。

映画は、大人のダヴィッドが"生物学的"な父親として子供達と接触し、また自分の家族である父母、兄弟との絆を再確認し、生まれてくる自分の子供への思いといったことを経て徐々に自分自身の人生を見つめて成長していくのだ。それを、固く構えた風ではなく涙と笑いを適度に散りばめた展開で非常に楽しませてくれる。

どうもハリウッドでのリメイクが決まったそうで、こういったユーモアの中にさりげなく普遍的なテーマを放り込み、見終わったあとのほのぼの感を感じられる映画は古今東西気分がいいものである。
 
jinnseiburabo-.bmp

2013年2月 6日

精神論抜きの電力入門

至極まともな議論だ。「精神論抜きの電力入門」(澤昭裕著 新潮新書)の最後で今後の電力政策を述べたあと著者はこんなことを言っている。

こうした案について、一部の要素だけを取り出して批判する人に反論するつもりはありません。エネルギーミックス、電力自由化、発送電分離、原子力損害賠償問題、電力業界再編など、さまざまな論点は入り組みながらつながっているのです。すべての 論点に対して、派手ではなくとも何らかの形で答えを出し、それらをパッケージ化してバランスをとった対策を出してこられる論者とは、喜んで議論したいと思います。
つまり、いかに部分的な議論、あるいは精神論的な議論がまかり通っているかということである。原発事故だけを捉えて語る人、それも好きか嫌いかとか良いか悪いかという感情的2項対立で自論を主張する人が多いのである。この問題はまさにトータルパッケージとして何を採用して何を落としていくかという現実的な対応が必要なのである。そして良いか悪いかではなくできるかできないかなのである。

それではそれぞれについて見ていきましょう。今回の震災で原発事故もさることながら、現代社会での電力への依存度が非常に高いことを知らされたことがある。日本の経済社会と国民生活は安定的な電力供給の上に成り立っていたのである。そして、原発停止のあおりで化石燃料の大幅な輸入増加により、電力料金も値上げせざるを得なくなり、大きな影響がでてきている。

そもそも、日本は原子力を推進してきました。それは、資源がないことや環境への配慮といったこともあって、中東の石油依存を下げるためのベストミックスを指向したわけである。2009年鳩山首相が国連本部で「2020年までに温室効果ガスを1990年比25%削減する」というあり得ない約束をしてしまった。この約束は、原子力がなければ絶対に達成できない数字である。そこからできた「エネルギー基本計画」では、原子力発電所の増設がうたわれたのである。著者はその原子力依存度を高めることに反対したという。それは、原子力そのものに反対したわけではなく、行き過ぎた依存度に対してである。

そして、著者は議論するときは上っ面のことだけではなく、エネルギー政策の基本を踏まえる必要があると訴える。そのエネルギー政策の基本は「3つのE」だという。
(1) エネルギー安全保障(Energy Security):エネルギー供給の対外依存度と供給先の不安定性を低減
(2) 経済性(Economy):エネルギー価格の低減
(3) 環境性(Environment):環境汚染の最小化や地球温暖化問題へ対応するために温室効果ガス排出を削減

これらの政策も実は時代によって優先順位が変わってきます。オイルショックの時は、安全保障が優先し、1980~90年代は経済優先、2000年代に入ると環境性が叫ばれたわけです。ただ、あくまでこの「3つのE」のどれも欠けることなく進めるのが大事であった。そして、震災により日本の優先順位はまた安全保障に移ったというのが著者の認識である。

いずれにしろ、こうしたバランスのとれた議論をしなくてはいけないのだが、まだまだ短絡的な対立軸を作ろうとする人たちがいます。よくあるのが、反原発・脱原発と再生可能エネルギー推進のカテゴライズである。エネルギーに「正邪」がないのだから、再生可能エネルギーが正で、原子力を推進するのが悪だという決め付けはどうかと思う。どれも得失がある。

それと、エネルギー源のシフトはおいそれとできるわけがないから、相当長いスパンで考えて行かなくてはいけないのだが、原発がダメなら再生可能エネルギーがあるでしょうという議論も経済性を無視したもので、今はまだ無理なのだ。だから現実的に「3つのE」を達成するには、LNG、石炭、石油、原子力の割合をどうしていくのかなのだろう。

あと、原子力損害賠償の問題、電力自由化や発送電分離のについても書かれていて、ぼく自身も含めて知識不足の点や誤解していたこともあったり、きちんと事実や実態をつかまずにわいわい言っている面も否めない。発送電分離や自由化には問題があるということなど勉強になった。さすがに元資源エネルギー疔資源燃料部政策課長だっただけあってよくまとまっていると思う。
 

精神論ぬきの電力入門 (新潮新書)
澤 昭裕
新潮社
売り上げランキング: 19,708

 

2013年2月 5日

ビジネスサービスのつくり方 - 第3章 設計

■ サービスは何から成り立っているのか

さて、次は設計フェーズに入ってきます。ビジネスサービスの何を設計することになるのでしょうか。それを考えるにはサービスは何から成り立っているのかを見るのがよいでしょう。まずはサービス学会のサービスの定義は「提供者が受給者の望む状態変化を引き起こす行為」となっています。ところで、サービスという概念で見るとこの定義のようにITシステムのことではないことがわかると思います。

つい、企業的なビジネスサービスはITシステムによるサービスだと思いがちですが、人手によるおもてなしもサービスになるわけです。ただ、会社は、組織としての活動が基本ですから、おもてなし風な個人に依拠したものはあまり対象にはしませんが、ITだけではなく人とITとの合わせ技だということを理解してください。

ですから、ここでは「提供者が受給者の望む状態変化を引き起こす行為」がうまくいくような仕組みはどんなものであるのかという捉え方をします。ビジネスでは往々にして受給者は顧客ということになります。ですから、お客さんがこんなものが欲しい、こんなことをして欲しいと望んだとき、それに答えてやることです。ただ、この受給者は顧客だけに限ったことではなく、例えば社内の従業員に向けてサービスを提供するなんてこともあるので、社内外に受給者がいます。

さて、サービスを提供する仕組みはどんな要素から成り立っているのでしょうか。メタレベルで見ると「プロセス」「機能」「情報(データ)」から成り立っていると考えています。つまり、サービスはワンショットで終わることはほとんどなくて、いくつかのサービス要素を順番に繰り出すことが多いと思います。これがプロセスです。連続、非連続問わず徐々に望む状態に変化させるという流れです。

そのときの変化のさせ方とか提供の仕方などは受給者が望むようにしようとします。早くしてほしいのかとか、驚きを与えてくれとか、逆に安心感をもたせてくれといったように提供の仕方に工夫がいります。それが機能です。ITで機能というと検索ができるようにとか、計算速度を早くとか、画面のレスポンスが何秒とかいうシステム的な機能を考えがちですが、最初の段階ではもう少し抽象度を上げて見たほうがよいでしょう。

そして、ビジネスサービスでは結局は受給者に与えるものは「情報」という形になります。もちろん、商品という物理的なものを渡すというサービスがありますが、それでも、受給者はモノそのものというより、そのモノに付帯した情報を求めているのではないでしょうか。つまり、そこに載せる情報は何がよいのか、どんな情報を参考にしてモノを渡すのか、サービスを行った結果も情報として残るということもあるわけです。

ということで、ビジネスサービスを構成する要素は大きく「プロセス」「機能」「情報」になると考えています。ということで、ビジネスサービスを構成する要素はどんなものが必要なのか、その組み合わせ構造をどうしたらよいのかが設計になります。実際の設計ではこうした要素を更に分解していき具体的な要素機能や構造に落とし込んでいきます。
 

2013年2月 7日

やはり強くなったのかもしれない

昨日ホームズスタジアム神戸で行われたキリンチャレンジカップ2013のラトビア戦は日本代表が3─0というスコアで勝った。まあ、相手はFIFAランキング104位だから勝ってあたりまえ、それも圧倒的な勝ち方を期待する。だから、その点ではまあまあの結果である。

先発が国内組が今野だけという異例の布陣で臨む。国内がキャンプ中で、ヨーロッパ組はシーズン中ということもあるが、力的にも海外組が優位である。ただ、海外組でも中央のラインに人が少ない。フォワードのトップ、ボランチ、センターバックである。これからの課題のひとつだと思う。すなわち、ボランチやセンターバックで吉田、細貝、長谷部に続く選手が出てこないといけない。細貝、長谷部にしても今は精彩を欠いている。

ということで、トップに前田に代わって岡崎、ボランチに遠藤に代わって細貝を起用して試合は始まったが、相手の出方も慎重だったし、チームも3ヶ月ぶりということもあり、しっくりいかない。前半も終わりに近づいた41分に内田のゴール前へのシュートかセンタリングかわからないようなボールに岡崎が僅かに足に当てコースを変えてやっと先制する。ほとんどシュートも打っていなかった中で、まずがゴールに向かうことで打開できた。この姿勢が大事なのである。

後半に入ると、遠藤と前田が入りリズムがよくなる。要するに中盤でのハブができること、前線でのポストプレーができることにより機能しだしたのである。こうなると、いつゴールが生まれるかの期待になり、後半15分に香川―本田、その1分後に前田―香川―岡崎で追加点を入れる。いずれも香川のアシストでやはり得点こそできなかったがその存在感は光っていた。本人は点を取りたそうだったが、もう少し強引でもいいからシュートを打たないといけない。

それにしても、海外組はみな確実に成長している。中でも香川、本田、長友は飛び抜けているが、昨日は乾が目立った。何しろ28分間の出場で7本ものシュートを打つのだからたいしたものだ。この積極性が今ブンデスリーグでレギュラーを張っている理由だろう。日本選手では、トップ下とサイドプレーヤーは人材の宝庫ですね。

さて、まあ格下相手とは言え強さを見せつけた感じがしてチームとしての成長も感じられた。こうした安定感のある戦いをしながら更に上のレベルにステップアップして行くのだろう。W杯予選のヨルダン戦で強さを発揮して、コネフェデレーション杯ではブラジル、イタリアとの戦いで上級の強さを知ってほしいものだ。
 

2013年2月 8日

なぜ、ユーザ自身でシステム構築しろと言っているのか

ぼくはいつも自社のシステム化をベンダーまかせにすることはやめるべきだと主張して、できるだけユーザ自身でシステム構築をすることを推奨しています。その理由は、自分たちの要求がちゃんと理解されたシステムができない、つまり作り手側と使い手側のギャップがあるので、結果使われないシステムができてしまうという問題を指摘しています。

このことを別の切り口で考えてみましょう。まず、経営者がなぜIT化をしようとするのでしょうか。それは、今以上に売り上げをあげたいとか、同業との競争に勝ちたいといったことを志向するからです。そうすることで、会社は生き残り、さらにトップをめざすわけです。IT化はそうした戦略や目標を実現するための手段として有効だからプロジェクトを起こすのです。

そういう経営者あるいは事業責任者は自分がこうしたいああしたいという戦略があるからシステム化しようとするし、どうしたいかの思いがあるはずです。もしそれがないようならその会社は早晩つぶれる運命にあるというのが現代の市場原理です。つまり、つぶれないようにIT化しようとする。

逆に、自分でデザインできずにベンダーに任せてしまうようだとそんな会社はつぶれてしまうでしょう。動かすまでどんなものだかわからないとか、できたはいいが使いものにならなかったなんてことになったら生き残りが困難になってしまいます。すなわち、会社がつぶれないようにするためにIT化するのに、つぶれてもしかたないような対応をするという矛盾をはらんでいるわけです。

従って、自分たちが本当に強くなるようにシステム化をするのなら、基本的に自分たちの手で作り上げないと意味がないのです。高度経済成長のような時代なら、みんなで食っていけるような全体のパイの増大があったからそれでも大丈夫でしたが、いまや大きな成長は望むすべもなく、ぎりぎりでやっている中では、すぐに役に立つものを作らないと大変なことになってしまう。だから、ユーザ自身がデザインして実装して動かしてしまうようにならなければいけないのです。

ですから、システム構築モデルが変わったのです。ITは専門家の分野だから、専門家に任せたほうがよいという論理はいまや通用しないのである。だいいち、業務システムを構築する場合、ビジネスの専門家とITの専門家とどちらが前に出るべきかは自明だと思う。ところが、業務システムはITシステムであるという間違った理解が抜けきらず、ITは難しいから専門家に任せばいいという変なモデルがまだ残っています。

おそらく多くの人たちは気づいているのだが、結局人を減らすといった合理化ができないからあえて言わないのである。いままで受託開発で養っていたプログラマーの職をなくすわけにはいかないからである。これは、IT業界だけの問題ではなく、日本の産業構造全体を変えていく話です。結局、労働市場の流動化とか解雇規制緩和といった問題になっていくのだが、本来なら縮小して、配置転換すべきなのに保護し、残してしまうから産業そのものの競争力を失っているのである。

ユーザ自身でシステム構築しないことが、自分の会社をつぶしてしまうとともにITベンダをも衰退させてしまうという悪循環を引き起こしていることを認識すべきだと思うのである。

2013年2月 9日

宇宙兄弟

ぼくには姉がいて弟がいる。ぼくの子供は男の子二人である。ぼくの親戚にも男兄弟二人という構成の家族が結構いる。兄弟の関係というものがどんなものかは、ぼく自身や息子たちをみていると、仲が悪いというわけではないが、割と疎遠であるように思える。明日は、息子ふたりと会食することにしているが、こんな機会は彼らが小学生だった頃以来ではないだろうか。ふたりとも家を出ていることもあってお互いにほとんど会話がないので(出て行く前も同じだったが)ぼくが取り持ったというわけである。

「宇宙兄弟」は小山宙哉の人気コミックを映画化している。小さい頃に宇宙を目指すことを約束した兄弟の物語である。実際にふたりとも宇宙飛行士になっていくのだが、仲がよい兄弟として描かれる。ぼくの経験からこんなに仲がよいのはマンガの世界だからだとちらっと思ってしまうが、もちろん現実にもこうした兄弟はいっぱいいるのだろう。ただ、けちをつける気は毛頭ないのだが、同じフィールドでしかもトップクラスの位置を占めるというのはありそうでなかなかないのではないでしょうか。

少ない例をあげると、相撲の若貴(あまり仲がよさそうではないですね)、プロ野球の新井兄弟、政治家の鳩山兄弟、実業界の奥田兄弟とかが浮かぶ。あそうだプロレスのシャープ兄弟(古いな)やテリーとドリーのファンクスがいた。なぜ少ないかは、おそらく最初から性格も素質や能力も違うから同じことをしない(だから逆に双子での例は多いような気がする)か兄弟で同じ道を歩き始めるのだが、差がついてしまってどちらかが降りてしまうというパターンではないだろうか。つまり、片方の成功を許容できなくなり、別の道に行くのだ。

「宇宙兄弟」でも、弟のヒビト(岡田将生)が先に宇宙飛行士になるのだが、兄のムッタ(小栗 旬)は、自動車のデザインの仕事をしていたが、上司とケンカして会社をクビになってしまう。ふたりで同じ宇宙飛行士になることを夢見たのだが、弟の方がその夢を叶えるが兄はあきらめていたのである。ところが、そんな兄のところにヒビトから電話が入る。JAXAで募集する宇宙飛行士の書類選考に兄に内緒で申し込んだという。そして、その選考に通り候補者として最終試験を受けることになったのだ。

ムッタはあきらめかけていた宇宙飛行士の夢をふたたび追い始める。ここらあたりが現実ではなかなかない状況ではある。そんな簡単にリベンジができるとは思えないが、マンガの世界では熱くなれるのだ。その熱い思いは映画でも伝わってきて思わず応援したくなる。映画の良さは、こうした架空の世界ではあるが、あこがれを疑似体験させてくれることにある。

監督が森義隆、主演の二人の脇を固めるのが麻生久美子、堤真一、濱田岳、新井浩文、井上芳雄らで、それとロケットの打ち上げのシーンでは、あのアポロ11号乗組員だったバズ・オルドリ ン本人が出演して、宇宙への熱いメッセージを発するのだ。こうした、夢追い映画もいいものだ。
 
uchuukyoudai.bmp
 

2013年2月13日

麒麟の翼

東野圭吾の傑作といわれる「麒麟の翼」は、テレビドラマでも好評を博したらしい。こういう推理劇はハマるとおもしろい。ハマるのに必要な要素というのは、筋立てが緻密で意外性があるということ描かれる人間にリアリティがあることである。エピローグで思わず引き込まれ、自分の頭で推理して、そのとおり進行するか外れるかを楽しみながら、最後にドンデン返しであっと驚き、やられたと思うのである。そこに登場人物が生き生きと動き回りあるある感を感じるとおもしろいのである。

ではこの「麒麟の翼~劇場版・新参者~」はどうであったのか。まあその基準で点数をつけると70点といったところか。監督が土井裕泰、主人公の刑事である加賀恭一郎を演じるのが阿部寛、その他溝端淳平、新垣結衣、中井貴一、松坂桃李らが共演している。

最初のシーンが、日本橋の翼のある麒麟像の下でナイフで刺された男が力尽きて倒れる。被害者はある会社の製造本部長の青柳(中井貴一)という中年男性であった。血を流しながらその場にたどりついたということがダイイング・メッセージとなる。なぜ、その男は誰の助けも請わずそこまで来たのか。それが日本橋に何か関連することなのか。さあおもしろくなるぞという期待を持たせる。

ところで日本橋というのをじっくりと見たことがありますか?以前ぼくの前の会社の部下だったN君が「東京シティガイドクラブ」というところに所属して休日に東京案内のボランティアをやっているので、彼に日本橋を案内してもらったことがある。あの橋だけでも様々な歴史が刻まれていてびっくりした。現在の橋は19代目で造ってから100年経つという。そのときも麒麟の翼についての説明もしてもらった。

さてその後の展開ですが、警察は周辺を調べていると公園で不審な人物を発見して職務質問をしようとするとその若い男があわてて逃げ出してしまう。そこに運悪く車がきて飛び出したその男を轢いてしまう。男は病院に運ばれるが意識不明の重体となってしまうが、所持していたのが殺された青柳のカバンだったことから加害者であるとの見かたとなりその裏付け捜査を行うのである。しかも、職務質問される直前に彼女に「エライ事をしてしまった」という電話をかけていたのだ。

これでは、犯人にされるのは当然の流れである。しかしながら、加賀は捜査を進めるうちに疑問を持ち出す。なぜ青柳は普段行ったこともない日本橋近辺を歩き回ったのか、そして近隣の聞き込みや家族、青柳の会社の調査を始め、真相を究明すべく動きだす。おなじみのエリート刑事と叩き上げの対比、上司との確執、ベテランデカのカンという設定、そこに、社会的問題である派遣切りとか今話題の部活の体罰のようなことだとかがトピックスとして出てくる。あるいはブログが重要なファクターになっていたり現代的なテーマもあっておもしろかった。登場人物のリアリティという面では、特に父と息子という関係が焦点なのだが、ぼくも息子がふたりいるので身につまされる思いを抱いたくらいだからよくできている。

それにしても、最後のシーンでがっかりした。映画のせいではなく景色にたいしてだ。麒麟の翼からカメラがずっと引いていくのだが、首都高の道路の間から引いていくのだ。そして俯瞰していくとばっちりと日本橋の上に道路が覆いかぶさっているのがわかる。思わずこんなところにだれが高速道路を作ったのだと叫んでしまった。首都高の老朽化が言われているのでさっさと壊して昔の景観を取り戻してほしいと思うのはぼくだけだろうか。
 
kirinnotubasa.JPG
  

2013年2月10日

フィードバック機能の効用

いま、アベノミクスと称した安倍総理の政策が評価?されて、株価も上がり円安にも誘導されている。別に実体経済がよくなったわけではないのに市場が反応して経済が動いている。だから景気は気からと言われるように経済は多分に気分的なものに左右される。経済理論って何なのかというちゃちゃは入れないが、資本主義経済はこんなものなのでナンチャッテ経済評論家がまかり通ることになる。

アベノミクスの目玉の物価上昇率2%とかインフレターゲットにしても要するにフィードフォワード的な動きになっている。つまり、何か起きそうだからあるいは起こさせようとするため手をうっておくというオペレーションである。これに対して、変化が生じたときにそれを正しい位置に修正しようとするのをフィードバックという。

現実的には、どちらか片方だけでいいというわけではなく両方必要になってくる。例えば、インフレターゲットでは、インフレが過度に進んだ場合それをどやって抑えるかというのがフィードバックである。それができないとハイパーインフレを起こして大変なことになってしまう。そこでも制御対象と制御ロジックに対する意見がばらばらで論理的に正しい解がないのである。

従って、侃々諤々の議論があって、無責任発言もできるというわけである。きっと、後付け評論家がいっぱい出るだろう。しかし、フィードフォワードとフィードバックの両方で制御するという考え方はビジネスの世界でも個人の生活においても重要で、特に因果関係が明確でないことつまりやってみないとわからない領域では大切な心構えである。

有名なサントリーの創業者鳥居信治郎の「やってみなはれ」という言葉がこのことを言っているように思う。失敗を恐れて躊躇するくらいならまずはトライしてみたらといったニュアンスだろうと思うのだが、そこには無鉄砲に突き進めということではなく、十分にリスクを勘案し覚悟してかかれという含意がある。そして、やってみてダメならすぐに戻る俊敏さをもっていなさいということだと思う。

個人においても以前ぼくの息子の話をしたが、ちょっとチャレンジしてその結果を見てどうするかを決め、また違った触覚を延ばして反応を探りといった繰り返しによって、危険も察知でき、新たな発見もできるということを海外一人旅で学んでいると言ったことがある。このことも、実はガイドブックだけで、その通りに回るのはフィードフォワード行動でそれだけだと決まり切った旅行になってしまう。

ところが、そんなことを続けていても面白くないだろうし、いざ危険がせまったときの対処ができなくパニックになってしまったりする。フィードバック制御の仕方がわからないからである。旅行に限らず日常の仕事でも同じことで、いつまでもマニュアル通りにやればいいというわけにはいかない。特に日本の職場では工夫が求められる。そんな時は、ちょっとしたチャレンジをしてみることも大事であると思う。

兆候というのはチャレンジして定常からちょっと抜け出したところで出てくるものである。ただ、兆候は意識的でなくても現れることが多い。そんな局面では悪い兆候を正しい状態に素早く戻すアクションが求められるのだが、それには多くの経験の要素が重要な意味をもたらすことが多い。そして、その経験値はどれだけチャレンジしたかによる。チャレンジの種類と数が経験であると言っても過言ではない。そうした積み重ねができるというのは、フィードバック機能が働いていなくていけない。もしできなかったら、失敗となってそこで終わってしまうからである。

こうした「やってみなはれ」精神を発揮できる仕組みをもった業務システムを作りたいと思う。会社が組織がそして個人がちゃんとリスク管理してどんどん挑戦していく姿である。そんな風土を醸成する業務システムを夢見ている。できそうな気もするのだが、問題は個人の意識の持ち方の問題が重くのしかかっていることである。

2013年2月12日

ビジネスサービスのつくり方 - 第3章 設計

■ デザイン領域

ビジネスサービスをデザインする場合、サービスの持つ機能と同時にどこの領域をデザインするのかを議論する必要があります。ビジネス活動というのは、経営から現場の作業、会社全体から個人というように多岐にわたるからである。この縦横の各領域で求めるサービスも違うし、やらなければいけないことも異なってきます。

ここをあまり細かく分けてもまたわからなくなりますので次の3つくらいの領域に分かることでよいかと思います。

①Design in Management
②Design in Operation
③Design in Action

最初のマネジメントのデザインですが、サービスデザインという言葉が似合わない感じがしますね。特に日本ではあまりイメージがわかないと思います。しかしながら、サービスという意味合いが薄いかもしれませんが、デザインという考え方はぜひ採り入れたいものです。一番のいい例は「戦略のデザイン」や「事業のデザイン」です。どうもこの辺をきちんとデザインできている経営者や事業部長が少ないような気がします。

それは別な言葉で言うとプロフェッショナルがいないということです。マネジメントのプロはちゃんとデザインをしますというかここが命です。日本では現場のプロはいっぱいいますが、経営のプロというのはわずかです。本来は経営や事業運営も気合だけの人、みんなに好かれる人、過去に実績のあった人がするようなものではなく、高度なデザイン力を持った人がなるべきでしょう。

オペレーションというのは、組織に割り当てられた業務プロセスを円滑に運営することです。それに必要なことは、「適正なコントロール」「効率的なオペレーション」「正確なモニタリング」ができるようにデザインすることです。このなかで「効率的なオペレーション」というのがちょっとあいまいですが、要はスピードと質の高い意思決定ができているかということです。そして、それを可能にするためには、センシングをちゃんとやって、状態を的確に把握して、管理目標から乖離したらそれを修正するように制御しすることができていないといけないわけです。ここのところのデザインが非常に重要になってきます。

アクションレベルでは、基本的には役割を与えられた人が、その責任においてやるべきことを適切に実行できるかが問われます。つまり、所与の単位意思決定を行って業務進めていきます。そうした、アクションレベルのデザインで気をつけなくてはいけないのは、孤立したアクション、すなわち個人が自分の勝手な判断で行わないようにすることです。それと、自分の行為が受益者にとってよいサービスとなっているかを絶えず意識することではないでしょうか。

それぞれのレベル、エリアでつながりのある動きができて、その結果が顧客にとって良いサービスとなることをデザインすることがサービス提供者としての責務になってくるのです。これらはとりもなおさず「組織論」あるいは「組織能力」になっていることがお分かりだと思います。ビジネスは組織が提供するサービスによって収益を確保することで成り立っているわけです。
  

 


2013年2月14日

相互乗り入れ精神

意見の対立というのがある。考え方のすれ違いがある。そんな時にかたくなに自分の位置を守ろうとすることは良いことなのだろうか。もちろん、筋を通すとか、堅い意思とかいう守りも必要だと思うが、それが行き過ぎないようにバランスをとることも大切ではないかと思う。

ときどき、ネットの情報を選んでいてふとこりゃあまずいなあと思うことがある。今や新聞やテレビよりも数段多くの情報をネットから得ている。しかしネットの情報はどんどん増えてきて溢れかえっている。だから、取捨選択をするしかない。取捨選択も取得する情報のところでフィルターをかけないとさばききれないので入口で一次選択をする。さらにその中から有用な情報を取り出しているわけである。

その入口のところで絞りこむときに意識無意識はべつにしてほとんどが自分の意見に似通った、あるいは賛同できるものを選んでやしないのだろうか。どうしても聞き心地のよい言葉や文脈を取り込んでしまい、耳障りがするものは捨ててしまっているように思える。情報量が多くなればなるほどこの傾向が強くなるというパラドックスが生じている可能性が強い。つまり、情報が少なければ全部見て判断できるが、それができなくなると、何を捨てるかは嫌いなもの、合わないものになるからである。まさに、"お気に入り"だけを見ていることになる。

例えば、ぼくは昔はRSSリーダでも様々な意見を持った人のものを置いてあったが、徐々になくなっていってしまった。なぜなら、見なければいけないサイトがどんどん増えてくると限られた時間の中では絞らざるを得なくなって、自然と読まなくなってしまい、そのうち削除となるのである。これはネット以前の世界、すなわち朝日新聞と産経新聞を読んでおけば対立軸が見えていた時代の方がひょっとするとバランスが取れていたのではと思ってしまう。

このことが原因なのかどうかわからないが、昨今の論戦をみていると両極端の議論が多く、特に原理主義的な発言が多いように感じるのはぼくだけだろうか。原発の問題にしても、最近では体罰の問題にしても、感情的にこうでなくてはいけないとかこうあるべきだ的な議論がなかばヒステリックに展開される。

現実の世界というのは、みんなが同じ意見でも同じ好悪でもないのだから、環境の変化に伴って平衡をとっていくというのが普通である。だから、いま現実にあること、起きていることはある時点では右に行くのがいいだろうというコンセンサスだったのが、環境が変われば左の方がよいということなのである。

ただ、その時にどちらか一方に振れるというのではなく、相互に歩み寄る、あるいはいいとこどりをして調和を図るといった精神が必要ではないかと思うのである。特に政治の世界では大事なような気がする。与党と野党の不毛な対立構図はもううんざりだ。是々非々というよりもう少し建設的なニュアンスなのだが、日本維新の会はこのことを言い始めているようだからぜひ相互乗り入れ精神でやってもらいたいものだ。
 

2013年2月11日

春節

昨日は珍しく息子ふたりと食事をすることになる。下の子が家に帰ってきてばあちゃんのところに正月に行ったベトナムと先々週にマラソンを走りに行った石垣島のお土産を持っていったのでそのあと横浜に暮らしている上のこと待ち合わせて飯を食おうとなったのである。ぼくはそれぞれとはしょっちゅう会っているが、息子どうしはめったに顔を合わせることがないのでホント久しぶりの顔合わせとなる。

それでどこにしようかということで、上の子の家の近くにある焼き鳥屋にしようとなって、予約をとるために電話をいれると、今日は特別の日のようで予約はできないと告げられる。じゃあ6時頃に行ったら入れますかねえと聞くと難しいという返事。人気店なのでそんなものかと思い直して、さてどこにするか。ぼくがよく行く中華街の「鳳林」にするかというと、上の子が今日は旧正月の元旦だから入れないんじゃないかという。そういえば春節だと思ったが、ダメ元で電話をすると予約できるとの返事でほっとする。

中華街に着くと、この微妙な時期だというのにすごい人出でびっくりする。あちこちで爆竹とドラの音で歩くのも一苦労である。中華街大通りは通行止めになっている。店は関帝廟通りにあるのでそちらからやっとたどり着く。そうしたら、店の前で獅子舞が踊っている。これは、「採青」(さいちん)といって、新年を祝うと共に富貴吉祥を祈る春節伝統行事で、獅子が街中を練り歩き、各店舗の商売繁盛や五穀豊穣を祈願する。

ぼくらが入店したすぐあとにその獅子舞が店の中に入ってきたのだ。こりゃあ運がいい。しかも頭をくわえてもらった。きっと今年はいいことがあるだろう。料理は「常連さんが作ったコース」である。店が設定したメニューではなく、そこの店の常連さんが好むものの中から選んでコースになっている。これが3000円なのだが、ボリューム満点(男三人でも食べきれなかった)でおいしいので二人の息子も大満足だった。

酒もしたたか飲んで、9時(閉店時間)になったら帰ってよというおばちゃんの声でたっぷりと時間もとれ、三人で懐かしい話から高校(3人とも同じ高校を卒業している)のこと、彼女や仕事の話と尽きることのない会話で楽しかった。 最後に、ぼくのよめさん、すなわち彼らの母親の還暦祝いを二人で企画しろよと言って別れる。祝いの場所まで指定したら、そこまで仕切るのかよとたしなめられてしまった。きっとちゃんとやってくれるだろう。
 
sisimai.bmp
 

2013年2月15日

新しい生産管理システムを

先日ある協議会の勉強会で生産管理システムの紹介をしたいので聞いてくれませんかというので出かけていった。中堅・中小企業向けのパッケージとExcelを利用したテンプレートの説明があり、そのあと議論した。中小企業向けの生産管理のパッケージとかソフトウエは意外と少ないのである。その理由は高額なものはダメだし、とはいっても中小といっても生産管理は簡単ではなくほどほどに複雑だからである。

ということで、大手SIerは手を出さないし、他のITベンダーにしても売上・利益が少ないからあまりやりたがらない。しかし、これからの日本の製造業は中小企業に頑張ってもらわなければいけなくなってきている。その時にIT化は欠かせない。だからこの手のユーザに生産管理システムを安価に提供するというのは、非常に大事なことなのであるが、従来型のシステムをコンパクトにして、あるいは同じようなものを汎用ソフトを利用して安上がりにといったアプローチはいかがなものだろうか。

視点を変える必要があるように思う。その理由は大きく2つあって、まずは中小製造業のビジネスモデルが変わってきているということである。いま、こうした中小の製造業は生き残りに向かってすごいことになっている。従来の延長では座して死を待つことになる。これまで多くの企業がやってきたことを中国やタイ、ベトナムでやりだしているわけで、安価な労働力の前では太刀打ちできないのはご承知のとおりである。

大企業の下請けとして言われたものを質を保ち確実に製造、提供していれば安穏としていられたのが、元請自体も海外へ出ていくし、下請け業務は中国や東南アジアの企業に取って代わられているなかで、どうやってサバイバルしていくかという大きな課題を突きつけられている。そうなると、見込み生産・受注生産から受注設計生産・受注開発生産というようなシフトが起きるのは当然の流れである。

だから重要になるのは、顧客の要求をいかに的確に把握して、その要求に応えてあげるかである。そこでは営業と設計・開発部門の密な連携が必須となる。ところが、営業部門を持たない中小製造業というのも珍しくはない。元請けからの注文さえ聞いておればよかったから営業機能は要らなかったのである。従って、当然IT化なんてできているはずもなく、技術者が直接足を運んで注文をもらってくるというやり方になる。

このことは、システムが追求すべき目的が変化したことを意味する。つまり、見込み生産や受注生産型の場合は早く安くという効率性が大事であるが、受注設計・受注開発型になると顧客満足度が勝負となる。ですから、明らかに焦点が変わってきているのである。こうした変化に生産管理システムは対応できていないように思える。

もう1点は、システムの形態のようなことに関してである。いったいどんなものを中小製造業ユーザに提供したらよいのかということである。おそらくこの時代ではスクラッチでコーディングして開発しますというのはありえないから、パッケージ、フレームワーク、テンプレートといったものなのか、開発ツール、システム構築用ソフトウエアなのかといったものが考えられる。

意外とこのあたりははっきりしていなくて、上の組み合わせみたいなものもある。Excelを使ってテンプレートみたいなものがあって、それをVBAを使ってカスタマイズするなんて例もある。生産管理は、千差万別でパッケージを持ってきてそのまま使えるかというと難しいので、フレームワークを持ってきてカスタマイズ前提でやったほうがいいなんて言う製品もある。ただ中小企業というターゲットを持ってきたときには、システム要員がいない、使う人のリレラシーもそう高くはない、属人的な動きが多いなどのため、簡単に作れて自由度もかなりあるといったシステム構築用ソフトウエアがよいと思う。

ビジネスモデルの変化、中小企業特有のシステム対応能力を勘案した新しい生産管理システムが望まれると思うのだが、具体的にはまだなく正直難しいのであるが挑戦しがいがあるように思える。なぜなら、確実に中国や東南アジアでそのうち必要となるシステムだからである。
  

2013年2月16日

みなさん、さようなら

中村義洋は好きな映画監督のひとりである。特に伊坂幸太郎原作の「鴨とアヒルのコインロッカー」「フィッシュストーリー」「ゴールデンスランバー」といった作品は楽しめた。こうした作品に欠かせない俳優さんが濱田岳で前作の「ポテチ」でも主演をしている。「みなさん、さようなら」も原作は久保寺健彦の同名小説であるが、濱田岳を主演に持ってきているというか、濱田がいたからこそこの映画が撮れたと言っても過言ではないだろう。

どんな物語であるかは、公式サイトのイントロダクションに書いてあることで十分だろう。

「ぼくは一生、団地の中だけで生きて行く。」
12歳の春、周囲を仰天させる一大決心をした悟。
繁華な団地には肉屋、理髪店、衣料品店など何でもそろってる。
外出は団地の敷地内だけで充分。
初恋も、親友も、就職も、結婚も、何だって団地の中だけで出来る。
だけどいつしか団地で暮らす友人たちは、ひとり、またひとりと悟の前から去っていく。
本当はみんな知っている。なぜ悟が出ないのか。
果たして悟が団地から出なくなった本当の理由とは?
そして、彼が団地の外に一歩踏み出す日は来るのだろうかー。

映画に出てくるような団地が作られたのは高度経済成長期なのでぼくらの世代のとっては非常になつかしい。われわれ団塊の世代が大量に入居している。主人公の悟が1981年(昭和56年)生まれの設定ということは、ちょうどぼくの長男と同じ歳だから身近な感じなのである。その団地の盛衰とともに人生を歩んでいる世界が描かれる。今や入居者が減り高齢化が進んでさびれていく姿が話題になるが、日本の縮図でもある。

だから、団地から外に出ないというのが、どことなく日本から外に出ない日本の若者と重なり合っておもしろかった。団地の中が日本列島のように思えたのである。それと登場する様々なエピソードがとてもリアル(ぼくらの世代にとってだが)で観ていてニヤニヤしてしまった。例えば、大山倍達(それこそ今の若い人は知らないだろう)にあこがれて身体を鍛えるなんて、あそこまではやないとしてもみんな空手のポーズはとったものだ。トランプの大富豪ゲームとかもおもしろかった。"みんさん、さようなら"というのも教室での最後の挨拶のあれである。

小学校を卒業した107人が年を追うごとに数人ずつ減っていくという進め方で悟の12歳から30歳までが描かれる。2時間の間で8年間を見せていくのでめまぐるしいといえばそうなのだが、驚異的だったのは、その年代全部を濱田岳が演じてしまっていることである。小学生は無理だろうと思ってもそれほどの違和感もないのだからびっくりだ。他に倉科カナ、永山絢斗、波瑠らの若手がいい味を出しているし、ぼく的には母親役の大塚寧々の愛情を持ちながらも冷めた感じがとてもよかった。
 
minasansayounara.bmp

2013年2月18日

ネジと人工衛星

東大阪市というと東京都大田区と並んで町工場の集積地である。「ネジと人工衛星」(塩野米松著 文春新書)は、そんな東大阪市の工場を巡り歩いてそこの経営者や技術者からの聞き書き帖である。13社17人から聞いた話をそのままの語り口で書いてあるので、臨場感もあり、本音が伝わってくる。

東大阪市は日本で一番工場密度が高いのだそうだ。大田区よりもはるかに高い数字で、しかも従業員20人以下の事業所が90%以上を占めるという。いわばモノづくりの原点みたいな会社が密集している。ただ、モノづくりといっても部品や金型、装置といったようにモノづくりを支える位置にある。そして、近年こうしたものは中国やアセアンにどんどん移行してしまって、実際にも最盛期の半分になってしまっているそうだ。

聞き書きの対象となった会社で作っているものは何かというと。「スプリング」「精密部品」金加工」「ネジ」「金型」「鋼球」銅合金鋳造」「鉄道用電車金具」「航空機部品」「粉砕機」といったところである。その中でもユニークなのが本の題名にもあるように人工衛星を作ろうじゃないかと手を上げた「アオキ」という会社だろう。この人工衛星「まいど1号」の話は有名になったが、それだけ技術力があるということなのだ。

本を読んでいくとここに登場する会社の共通点といったものが現れてくる。それをぼくなりに列挙してみると。
・ 今の経営者は2代目、三代目がほとんど。だから世襲なのだ。
・ 多品種少量生産に特化している。薄利多売は大きなところにまかすと割り切っている。
・ 機械化や自動化はあまり熱心ではない。最後は職人の技術力だと思っている。
・ 見込み生産、受注生産型から個別受注設計生産型
・ お客さんの要求に極力応える姿勢。だが、客に媚びたりはしないで、しっかりとした信頼関係の中でやっている。
・ 中国やベトナムなどの追い上げは認めるが、まだまだ追いつかれないという自信もある。

まあこんなところなのだが、実にしたたかでしなやかな感じがする。最盛期の半分になっても生き残っている会社だから、つまり生き残るだけの技術力や製品力、気概といった持っていたから残っているとも言えるわけで、こうした会社が日本のモノづくりをしっかり支えていることがわかる。

以前、無人の金型工場を作って有名になった会社の人と話をしたことがあって、アルバイトの子でも30分で金型を作ってしまうという全自動化を行ったそうなのだが、それが結局うまくいかなかったということを聞いたことがある。なぜ、うまくいかなかったかというと、決まりきった仕様で作るならあらかじめセットしたプログラムに従って大量に作るから有効なのだが、違った設計のものが頻繁に入り出すと、プログラムの設定変更作業が大変で作るのは早いが設定変更が律速になってしまい結果的に自動化の効果がなくなってしまったのだそうだ。

そんな話を思い出しながら、「取材を終えて」で著者が紹介している職人さんの言葉が印象的であった。

「たくさん作るって言ったって、人間は機械の前に立ってちゃんと動くか見張っているだけじゃないですか。それが好きならそうやればいいんです。私らは違いまっせ。自分で一個一個作ってるんです。」「鉄でも鋼でも他の材料でもみんな溶鉱炉や工場から送られてきますが、同じ物が出てくる訳じゃないんです。その違いを見分け、対処して、工夫をしてやっていくんです。機械まかせなんていうんじゃおもしろくないし、いい物は作れませんわ」

人間臭い言葉ですね。製造業というとどうしてもオートメーションの流れ作業的なイメージが湧いてしまうが、ここには人間がまずいてそこでモノを愛情を注いで作り上げていく匂いがする。まだまだ、中小零細企業(この言い方も好きではないが)の町工場のおっちゃんたちは健在である。
 

ネジと人工衛星 世界一の工場町を歩く (文春新書)
塩野 米松
文藝春秋
売り上げランキング: 230,947

 

2013年2月19日

ビジネスサービスのつくり方 - 第3章 設計

■ WhatはHowに優先する
サービスの構成要素とサービスをデザインすべき領域について議論してきたが、いったい何を設計したらよいのでしょうか。サービスを提供する実体というか広い意味でのツールは何かを考えてみましょう。それは少し抽象的かもしれませんが「プロセス」と言ってもよいと考えています。

サービスの構成要素は「プロセス」「機能」「情報」ということを言いましたが、この3つが等価に並んでいるのでしょうか。どうも主従関係がありそうですね。これからは「プロセス」を広くとって主として見ることにします。すなわち、「機能」「情報」はプロセスの中に包含して考えていこうということです。プロセスをオペレーションするためにもつべき機能であり、サービスを受けるための機能であり、プロセスにおける意思決定のための情報であったり、プロセスで生成されるデータであったり、サービスそのものが情報の固まりだったりするわけです。

ということは、サービスを提供するのは「プロセス」を通して行われると規定できそうです。そのとき、すぐにサービスプロセスをどうやって作ったらよいのかという進み方はちょっと勇み足ですよね。それだと、サービスごとにあるいはサービス受給者ごとに作らないといけなくなります。そこはちゃんと構造化して、こんな形のサービス形態で提供するというふうに考えたいものです。ある程度標準化、共通化することが望まれます。

それでその構造はどうあるべきかを発想するときにはオペレーションから見ていくことをお勧めします。なぜならば、所詮ツールを作るのですから、使われないものをせっせと作っても意味がありません。使ってもらって、あるいは受けてもらった結果としてサービス受給者が満足しなくてはいけません。ですから、実際のサービスオペレーションから使ってもらえるため、喜んでもらえるためにはどんなサービスの形がいいのか、つまりHowの前にWhatをしっかりとデザインすることが大切です。

こうしたWhatはHowに優先するという考え方をもたないと、たとえば情報システムをつくる場合なんかだと、直ぐにどんな言語で開発したらよいのかとか、パッケージはどれにしようかといった技術視点でのHowからのアプローチになりがちでです。いくら腕のいい大工さんが家を作ったとしても、ひどい設計の家だと何ともならんでしょう。ところが日本ではHowの技術を評価する傾向が強いように思います。いいものを作れば売れるという思いもここから出ています。

よく例え話をするのですが、有名な岡野工業の岡野社長の話です。直径0.2ミリという極細の痛くない注射針(現在は0.18ミリだそうです)を深絞りというプレス加工技術で作ってしまったことで有名になりました。多くの人は岡野さんを絶賛するのですが、もちろんそれを否定するわけではないのですが、もう少しインシュリンの注射針で苦しんでいる人を助けてあげたいということから極細の注射針を作ってくれと頼み込んだテルモの人を褒めてあげたいのです。

HowではなくWhatを考えた人です。もちろん、両方とも重要であることは間違いないのですが、岡野さんのHowを生かすためのWhatを考えたことがすごいのであり、そこからあのような製品ができたのです。サービス学会では「製造業=製造代行サービス業」と定義していることからもビジネスサービスではWhatを先行させるアプローチが重要なのです。
 


2013年2月17日

花粉症

どうも花粉症になったらしい。これまで花粉症とは無縁で自分は絶対にならないと変な自信を持っていたが、先月の中頃、寝てそろそろ起きるかといった朝方、くしゃみが止まらなくなった。それから、鼻水は出るは、鼻はつまるは、目はしょぼしょぼするはで、それでもまだ時期的にも早いし、一時的な何かで花粉症ではないと思い込んでいた。

ところが一向に収まらないで毎日に続くようになって、行きつけの内科のお医者さんでそのことを話したら。そりゃあ花粉症だよと言われ、薬を処方された。それから毎日つらいのです。あい変わらずくしゃみ鼻水鼻づまり目しょぼしょぼは治らず、マスクが離せなくなってしまった。花粉症がこんなに苦しいものだとは知らなかった。ああ何とかしてくれ。

ところが、不思議なのですが仕事でプレゼンをしなくてはいけないときとか打ち合わせや会議では大丈夫なんですよね。それと飲み会でもぜんぜん症状が現れないし、映画を観ていてくしゃみがとまらなくなったらどうしようかと心配になるがこれが平気なのです。どうしてなんだろうか。ひとりになると症状が出るから精神的な要素が影響しているのだろうか。

何しろ日本では2000万人の人が花粉症なのだそうだから、6人に一人はかかっていることになりぼくがなるのも当たり前かもしれないが、なぜこの歳で発症したのだろうか。花粉症は歳をとると治って行くというから大丈夫だと思っていた。でも70歳の人でも今年から花粉症になってしまったという人もいたから、年寄りでもなるのだ。若い証拠かもしれないと変なところで自慢してみたところで虚しい。

でもなぜ今年からというのが気になるところで、花粉の量が例年の数倍だということなのか、ひょっとすると中国からPM2.5が関東まで飛来しているのかもしれない。きっと、空気中に様々な刺激微量物質が増えてきて、それを受け止めるべき体質も変化しているのでその相対関係の中であるとき突然アレルギー症状が発現するのだろう。この記事もくしゃみをしながら、目がかすみながら書いている。それにしてもつらいよう。
 


2013年2月21日

人の成功を喜ぶビジネスモデル

またしても「カンブリア宮殿」の話です。今月の初めにあった「繁盛ラーメン店を作れ!製麺機メーカーの挑戦を追う」というタイトルの放送のことである。登場したのが香川県にある大和製作所という製麺機を作る機械メーカーの社長である藤井薫氏である。このひとはぼくと同い年であるがすごくおもしろい人なのだ。

元々は川崎重工で戦闘機の設計をやっていて、そのあと地元に戻って讃岐うどんの製麺機を作り出す。そこから、蕎麦屋ラーメンも作れる機械を開発していく。しかし、単なる機械メーカーで終わらないところがユニークなのである。ラーメン学校を開いてプロのラーメン屋を育ててしまうのだ。1週間38万5千円を払うと、ラーメン作りから出店、繁盛店となるまで指南してくれる。

ラーメン作りで非常に感心したのは、スープと香味油を何通りも用意しておいてその組み合わせで様々な味を作り出すのだ。それと大和製作所の製麺機で好きなような麺を引いて合わせるわけである。そこで驚くのは勘ではなく定量化されたレシピで作り上げるのである。つまり、名店と言われるような味を分析してそれを数値化して、その数値に合うように製造するわけである。ちゃんと生産管理システムができているのである。

いまやラーメンブームというよりもはや文化と呼べるようなラーメン店の賑わいであるが、全国で4万店あって、何と毎年3500店が新規出店して、同じ数だけ閉店するという出入りの激しい世界である。ぼくの家の近くでもそれを裏付けるように入れ替わっている。しかし、藤井氏の学校の卒業生がやっている店はほとんどが人気店となっているのだという。

その戦略がユニークなのだ。駅前に出店するなというのは線路で分断されるからかえって対象客の範囲が狭まってしまうからとか、新規出店の時に宣伝するなというのも開店の時に人が多く来て対応が悪くなるとそこでお客さんを逃がしてしまうのだとか、品目を絞れとかなるほどと感心する。

さらに、繁盛するまで面倒を見るのである。味付けや、店のレイアウトなど、彼曰くお客さんが不満足だと思うことを徹底的に洗い出して直していくことが大事なのだという。放送でも、商売がうまくいかなくなった店に実際に足を運んで観察して、寒い土地なのでもう少し塩分を増やせとか、壁が殺風景だから何か飾れとか、厨房が見えすぎだからのれんをかけろとか指示する。そうすると、なんと客足が復活するのである。

これに関して放送の最後に村上龍は「藤井さんと話していて、わたしは確信した。自分だけ幸福になろうと願っても無理なのだ。「他者に関与し、他者の幸福に寄与する」それこそが、自分自身の幸福につながる唯一の道なのではないか。」と言っていた。まさに"現代の伝道師"なのだ。ぼくは見終わってふとNPOとはちょっと違うのだが、「人の成功を喜ぶビジネスモデル」がこれからの時代大切になってくるように思えたのである。

藤井さんが直接ラーメン店をやればすごい繁盛店が出来るだろうが、どこまでできるかは限りがあるし、いなくなったらそこでおしまいとなってしまう。ところが、自分の技術やノウハウを職人芸ではなく科学的な形(デジタル化)にすることで多くの人に質を落とすこなく受け渡すことができるのである。

今ぼくは、システム構築のメソッドを確立してそれをどういう形で他の人に伝えたらよいのか、その他の人というのもどういったポジションにいる人なのか、またボランティアではないのでどういうビジネスモデルにしたよいのかを思案している。このことはどうも繁盛ラーメン店を作るアプローチに類似しているように思える。製麺機やスープの代わりにソフトウエアやその機能があって、出来た業務アプリがラーメンで、それを自分で店を開いてというのではなく、コンサルのような人に教えてそこからお客さんに提供するというイメージである。まだジャストアイデアなので、もっと検討がいると思うが、われながらいいアイデアではないかと密かに思っているのである。
 

2013年2月20日

ガール

この手の映画をおじさんがひとりで映画館で観てるという図はちょっと気持ち悪いと勝手に思い込んで封切りの時は我慢してDVDで観ることにする。だって。アラサーの女が4人出てきてガールズトークを繰り広げるわけだからニヤニヤしたらまずいでしょう。「ガール」は、奥田英朗の原作を映画化したものである。ぼくは奥田英朗が好きだからぜひ観たかったのだ。監督が安定感のある深川栄洋監督で主演の4人のガールに香里奈、麻生久美子、吉瀬美智子、板谷由夏という布陣である。

最近みんなが若い女性のことを、あるいは自分自身のことを女子(じょし)と呼ぶ。昔は"じょし"といえば女史のことであったと思うがいつからそんな呼び方になったのだろうか。女子会というのもよく耳にする。ぼくはこの呼び方があまり好きではない。私たちは男子と違うのよとか、もっと大事にしてよといったニュアンスを感じるからである。

どうもガールというのは"じょし"という言い方の女の子のことのようだ。つまり、大人になるかならないか、すなわち結婚するしないに悩むような年頃の女性を描いている。一応メインになるのが大手広告代理店勤務に勤めるお姫様から抜け出せない29歳の由紀子(香里奈)のようなのだが、彼女を取り巻くのが、不動産会社に勤め男を部下に持つバリバリキャリアウーマンの聖子(麻生久美子)や、文具メーカー勤務で結婚も妹に先を越されてしうずぼらな容子(吉瀬美智子)、シングルマザーになって再び働き出す孝子(板谷由 夏)といった面々である。

それぞれが仕事のこと、恋愛、結婚、子育てのことの悩みをぶつけ合い、時には笑い、時には泣き、時には怒るのである。それらを並行的に短いカットでつなげていく。多分、4人がそれぞれ違うタイプだから、観ている観客はきっと私はその人のタイプだとか、あの人と同じ境遇だとか思い入れているに違いない。

そして、それぞれに対となる男がいるのである。映画は女子が主人公であるが、ぼくには男たちが大変面白かった。男側から見ると、いつまでたってもお姫様気分でいる女子だが変に変わって欲しくないよな、おれより給料が多くばりばりやってほしい妻だけどもうちょっと家庭的でもいいんじゃない、もっと素直になってもいいんじゃないといった感じが静かな存在なのだがいいコントラストを見せていた。

まあ、なんといってもガールズトークの言葉のおもしろさで、例えば「人生の半分はブルーで残りの半分はピンクだ」とか「オトコの人生は足し算、女の人生は引き算」と言ったセリフがポンポンと飛び出てきて楽しかった。それは、男の奥田英朗が書いた小説だから、男の目線になっていて、そういう意味では男の方が共感できるのではないだろうか。

4人の女が仕事・恋愛・結婚などにともに悩んでというストリーだから米映画の「セックス・アンド・ザ・シティ」と対比する人もいるかもしれないが、ずいぶんと彼我の違いを痛感しますね。やはり現代日本の"じょし"は女史ではなく女子ですね。
 
ga-ru.bmp
 

2013年2月23日

ドライブ

2011年の第64回カンヌ国際映画祭監督賞を受賞した「ドライブ」は監督の力量がいかんなく発揮した作品である。監督賞に値するものであろう。その監督とはニコラス・ウィンディング・レフン、デンマーク出身の気鋭である。1970年生まれだから40歳ちょっとである。こういう映画をクライム・サスペンスという。犯罪映画であるが、フィルム・ノワールとも違うのだそうだがぼくにはよくわからない。

天才的なドライビングテクニックを持つドライバー(ライアン・ゴズリング)(そういえば名前がつけられていない)は、昼は自動車の修理工で時々映画のスタントマンをやり、夜は強盗の逃走を請け負う運転手というふたつの顔を持っている。だから映画の冒頭では、強盗を乗せて逃げるが見つかってしまってもカーチェイスで逃げ切る迫力あるシーンで始まる。

そしてある晩同じアパートに住んでいるアイリーン(キャリー・マリガン)と偶然エレベーター で乗り合わせ一目で恋に落ちてしまう。アイリーンの夫スタンダードは服役中で男の子とふたりで暮らしている。孤独なドライバーにとってはふたりと過ごす時間は貴重なものとなっていく。このニヒルで無骨な男が一途な恋にのめり込むのである。片や犯罪という世界と純愛という組み合わせがおもしろい。

ところが、アイリーンの夫が服役を終えて戻ってくることに。これで関係も離れると思いきやスタンダードは服役中に多額の借金を背負っていて出所後妻子の命を盾に強盗を強要されていたのだった。困ったスタンダードはドライバーに助けを求める。そうしてドライバーは彼の強盗を助けるのだが、スタンダードは撃ち殺されてしまう。これは何かの罠だと気づいたドライバーはそこから単身壮絶な戦いを挑むことになる。

このストーリーを読んでどう思われましたか。ぼくはもうかつての東映のヤクザ映画を思い出してしまった。腕の立つ寡黙な渡世人がひとりでどこかの町に現れる。そこに夫は網走に入っていて、女でひとりで子供を育てる清純な女に出会う。しかし、その女は町の顔役の親分が盛んに口説いている。やっと夫が帰ってきたと思ったら親分の陰謀で殺されてしまう。そこで渡世人はドスをふところに敵の賭場に乗り込んでいく。てな具合のシーンが浮かんできませんか。

定番のパターンで、痛めつけられて、追い詰められて、それでも我慢するが最後には大逆襲というもので、そこに必ずアバ連れ女ではない清純な女が絡んできて不器用な恋を演じる。この堪忍袋の緒が切れるところで観客はカタルシスを大いに感じるわけである。

このあたりは普遍的だからこそデンマークの監督が演出するし、カンヌでも絶賛を博するのである。だから言いたいのだ、日本の若い監督もマンガや劇画からの題材で作品を作るばかりではなく。昔のヤクザ映画を勉強して北野たけしのとは違う"正統派"現代ヤクザ映画を作ってみてはどうなのだろうか。
 
doraibu.bmp
  

2013年2月22日

プロセス中心アプローチを阻む壁(1)

いま薦めている「プロセス中心アプローチ」の大事なことは、いったん組織と人から離れて当該ビジネスにとって必要な業務プロセスを描いてみましょうというところです。よくスイムレーンを書いて組織間をまたぐ業務フローを書いたり、人と人との連絡経路を書いたりしますが、そんなものを先に書いたらだめだと言っています。

あくまで最初は組織と人を意識せずに乾いた目で書くことを薦めてします。なぜこのことが大事かというと、ビジネスのそもそもの成り立ちはどうなっているのかを見ることで問題の本質が見えてくるからです。わかりやすく言うと、ビジネスを始めよう、起業しようとしたときに最初に確立することは何かということです。

分社化して子会社を作るなんていう場合とか個人事業主を除けば、組織とか人ではありませんよね。まずはビジネスモデルから入るのが普通でしょう。多くの場合はビジネスにできそうな商材があるから始めると思います。その商材を売って儲けるためにどうしたらよいのかがあり、そのための業務プロセスを考えるはずです。

業務プロセスが確立したら、その業務プロセスをちゃんとオペレーションするためにどんな組織がよいのか、誰にやらせるのがよいのかといったことが決まってきます。そういう順序です。これは何もスタートアップだからではありません。既存のビジネスでも必ずこの原点に戻って自分たちのビジネスを捉える態度は大変重要なことだと思うのです。今日のようにビジネスを取り巻く環境がめまぐるしく変化すると、しょっちゅうビジネスモデルの変更を余儀なくさせられます。

そんな時に、いきなり組織や人を変えて対応するのがよいことでしょうか。新しいビジネスモデルに対応した業務プロセス変革とオペレーションの変更をするでしょう。ですから、くり返しますが、ビジネスはプロセスを中心に、あるいはプロセスを先行させて捉えることが大事なのです。こうしたコンセプトがなかなか受け入れられないのが日本の企業のような気がします。

そのことは良いか悪いかは別にして欧米とはちょっと違った環境になっているからではないでしょうか。どちらかというと欧米では管理的な要素が強いので決められたプロセス、定められたマニュアルに従ってワークすることが求められています。一方の日本では、働く人の知恵だとか職場の工夫といったことが評価され、実際に取り入れられてきました。従って、プロセスからではなく、組織と人をどう生かすかという観点が濃いこともあると思います。それは、ある時期は日本の強さでもあったわけです。しかし、こうした組織や人には柔軟性に欠ける硬直性がどうしてもつきまといます。

ただ、先ほど言ったように激しい環境変化やグローバル化などに対して俊敏に対処するには動きの鈍さは致命的になりかねないと思うわけです。組織と人の特性は長い時間をかけてできあがるわけで、逆に言うと変化するのも遅いのです。根付いてしまった文化的、風土的な性格はそう簡単に変えることができないのです。
 


2013年2月26日

創造力なき日本

村上隆といえば現代美術の世界的なアーティストで、さまざまなクリエイティブな活動で有名人です。彼が書いた「創造力なき日本」(角川oneテーマ21)を読む。どうも今の日本の体たらくを嘆いて、どうしたら創造的な仕事ができるのかが書いてあるのかと思いきや、アーティストは、社会のヒエラルキーの中では最下層に位置する存在であるとか、仕事と夢を混同するなとか、組織の人間としての自覚を持てとかが飛び出してくる。ビジネス本と見紛うほどである。

彼のカイカイキキという工房での仕事について言及しているが、一般の企業や組織と同じだと断言している。ですからそこで成功するにはある種の修行を経ることが大事だという。挨拶から始まって、朝礼を行い、「信・義・礼」を重んじるとなる。体育会系の千本ノックみたいなもので、なんとなく高度経済成長期の新興企業を彷彿とさせる。

アーティストにそんなことをさせていいのだろうかと思ってしまうが、アーティストだからといって天才ばかりじゃないよということなのかもしれない。そうであれば自由にやらせたって何も生まれないから、ひたすらこつこつ努力したほうが良いのだそうだ。確かに、みんながピカソになるわけではないし、一方でそれで食っていかなくてはいけないわけだから、ビジネスライクに考える方が現実的ではある。

でもそれだと"創造性"との関係はどうなっちゃうのだろうと思ってしまうが、そこのところがあまり書いていないのである。それらしきもので、成功を導く「座標軸」というのがあって、それは「構図」「圧力」「コンテクスト」「個性」の4つを上げている。「構図」というのは各部分の配置のことで、「圧力」とは作品制作に対する執念とか執着力で、コンテクストは文脈のことですが、見せ方みたいなことでこれがあれば天才でなくても天才に見せることができるのだという。さらに「個性」はつくられるものだしつくられるべきものだという。ちょっと待ってくれといいたくなる。これじゃ、AKBだ。

そして「インダストリーとしてのアート業界」とかの章があり、アート業界も芸能界もインダストリーなのだという。その中で階段を上がっていく方法論は一般のビジネス世界変わりないと言われるとまたあららとなる。型にはめて鍛えてアーティストを輩出するってできるのだろうか。もやはそれはアーティストではなく職人であり、クリエーターではないような気がする。

最後のドワンゴの川上量生との対談がおもしろい。おもしろいというのは噛み合わないのと言っていることが逆じゃないかと思うからである。ドワンゴは「ニコニコ動画」の運営で有名なネット企業ですが、彼に対して村上が一所懸命修行ですとかルールを守ってとかいうのだが、川上はうなずくわけでなくうちの会社は全く自由ですよと切り返す。

つまり、若いというか先進的な一般企業のほうがアーティストを育てているように思える。それに対して、従来は自由気ままな仕事のやり方として芸術家が位置づけられていたのを村上は前世代の企業モデルをそこに持ち込んでいるのである。だから噛み合わないのだがさてこれからどうなるのだろうか。
 

創造力なき日本    アートの現場で蘇る「覚悟」と「継続」 (角川oneテーマ21)
村上 隆
角川書店(角川グループパブリッシング)
売り上げランキング: 1,721

 

2013年2月24日

ワールドカップツアー

来年2014年はいよいよブラジルでFIFAサッカーワールドカップが開催される。まだ、出場国が決まっていないのだが、日程と場所はわかっている。6月21日から7月13日までで、ブラジル国内12ヶ所で行われる。予選リーグがAからHの8組に分けられ、それぞれの試合日程とスタジアムが決められている。

ただ、言ったように出場国が決まっていないので、どこの国が何組に入るかは今年の12月6日に行われる組み合わせ抽選会を待たなければわからないのである。日本の試合を観たいと思ってもいつどこでやるかは現時点では知ることができない。日本がまさかのアジア地区予選敗退だったら、本大会で見ることもできない。

そんな状態なのだが、昨日はぼくが高校の時のサッカー部の顧問だった先生が団長となって行く「2014FIFAワールドカップ観戦ツアー」の実行委員会に出かける。ぼくは今の時点で参加できるかはまったくわからないのだが、いいから来いというので参加する。先生は、前々会のドイツ大会でも同じようなツアーを組んだので、今回も同様な形で行きたいというのだ。

昨日の打ち合わせでは、先生と同行する医師の方、JTBの人、それと1年先輩の人と以前JICAでブラジルに住んでいたぼくの同期生、それとぼくという6人であった。まあ、詳細スケジュールがわかっていないので基本的なことだけを決めようということであった。つまり、目的、日程、費用、参加人数などである。

最初、ブラジルをよく知っている友達があれこれ言うのだが、要するにワールドカップは普段とぜんぜん違う特殊事情がいっぱいあってそう簡単な話ではないことがわかってきた。まずは、当地のホテルなどの宿泊施設だとかはほとんどがバイロン社という会社が抑えてしまっていて手配が簡単ではないこと、言い換えると宿泊費が高騰するということでもある。また、ブラジルという国の広さもあって移動を考えるとあちらこちらへは行けないということもある。

これはあくまで試合観戦主体なのか、観光的要素も入れるのかという目的とも関係するのだが、例えばアマゾン川を見たいとなるとマナオス行きを考えたいのだが、時間と費用を相当覚悟しないといけない。特に日本からだと行くだけでその時間と費用を食うわけだから向こうに行って更にということは難しくなる。ということで、リオ、サンパウロ付近を拠点に現地10日間、トータル15日間ぐらいで、試合の方は、予選リーグの第2、3試合を狙うことにするのが現実的かなあということで落ち着く。

ところが最大の問題は、チケットの入手である。どうも一次販売の開始は6月のコンフェデレーションカップのあとになるそうだが、そこでも組み合わせも決まっていないので見切り購買となるのである。だから、狙いを定めるとなると12月に組み合わせが決まってからとういうのがいいのだが、それからでチケットが入手出来るのかという問題があってジレンマに陥る。

結局、JTBの人が言っていたのは、まずはどんなことになろうが絶対に行くという人をコアメンバーとしてまず固めて、往復の飛行機便を手配しておき、12月の抽選結果で参加者を追加するというような2段構えがいいのではとなった。やはり、ブラジルは遠いということがネックなのだが、逆にわざわざ出かける日本人も少ないだろうから、またブラジルの人は日本の試合に興味ないだろうし、日本の試合のチケットの入手は難しくないのではという見方もある。いずれにしろ、費用がひとり100万円を超える話なので、かなり大変であることを実感する。さてどうなることやら。
 
WcupBrazil.bmp

2013年2月25日

第22回東京スポーツ映画大賞

昨日は、東京プリンスホテルで行われた「第22回東京スポーツ映画大賞」の授賞式に出席する。この東スポ映画大賞というのは、全国にある13映画祭からノミネートされたものからビートたけし審査員長が独断と偏見で選ぶ。だから、日本アカデミー賞とかキネマ旬報ベストテンとかいったものとは全く違って毎回ユニークかつ驚きの選択となる。

今回選ばれたものは下記のとおり。
作品賞:『アウトレイジ ビヨンド』
監督賞:北野武(『アウトレイジ ビヨンド』)
男優賞:西田敏行、三浦友和、加瀬亮、中野英雄、松重豊、小日向文世、
高橋克典、桐谷健太、新井浩文、塩見三省、中尾彬、神山繁(『アウトレイジ ビヨンド』
主演女優賞:松たか子(『夢売るふたり』)
助演女優賞:なし
新人賞:マキタスポーツ(『苦役列車』)
外国作品賞:『ドライヴ』
特別賞:故・大島渚監督

まさに、「アウトレイジ ビヨンド祭り」と化した。新人賞のマキタスポーツにしてもたけしと同じ事務所だから偏見授受賞のようだが、ただ彼は他の映画祭でも受賞しているのでそうとも言えないかもしれない。その中にあって松たか子の受賞が光る。たけしも言っていたが女優として円熟味が増してきたということだろう。

ちなみに、「夢売るふたり」の監督の西川美和も出席していて、彼女に向かって映画の失敗のことを指摘していた。「ゆれる」という映画で母親が残した8ミリ映写機という設定に対して、当時8ミリは母親ではなくて父親のものだったということ、今回の「夢売るふたり」で焼き鳥屋で火事を起こすことはあり得ないという。火を扱う商売なのにその火で燃やすことはないと言っていた。そうしたら、司会のガダルカナル・タカが「燃えるのはそば屋です」と言ったらウケていた。(神田のやぶのことです)たけしがいろいろと注文をつけるのはその監督が気に入っている証拠で、前回も是枝裕和にも注文をつけていた。このふたりはたけしに評価されている。

特別賞は、故・大島渚監督ということで奥様の小山明子が登壇した。たけしは、大島渚の「戦場のクリスマス」でデビット・ボウイ、坂本龍一と一緒に出演したので、その時の思い出を語っていたが、彼が映画に入ってくるきっかけになったのかもしれない。黒沢明のような正統からちょっと離れたところで、絶えず問題作を世に問いかけてきたという意味で存在感があった監督さんであった。

外国映画賞は、「ドライブ」である。受賞理由はたけし曰く「おれの影響を受けているからだ」と言う。そうしたら、配給会社の人が監督のニコラス・ウィンディング・レフンのメッセージを代読していたが、偉大な監督であるたけしに選んでもらって光栄ですと言っていた。そして間違いなく彼は「アウトレイジ ビヨンド」を観ていたそうだ。ただ、ぼくは「ドライブ」の方が作品としてはできがいいと思っている。

さて、昨日の圧巻は、男優賞の「アウトレイジ ビヨンド」出演者12人だろう。全部悪人なのだが、それぞれが個性的で楽しい。よくみると皆さん悪役というより、善人役の方が多い人たちなのでその反転ぶりが余計印象的になるのだろう。特に三浦友和や加瀬亮なんて別人であるかのように映った。たけしは「アウトレイジ ビヨンド3」を作るかなんて言っていたが、みんな死んじゃったからどうするんだと突っ込まれると、双子の兄弟ということで出せばいいじゃんてなことを言って笑わせていた。

併設されている「第13回エンターテインメント賞」では、日本芸能賞は、ハマカーン、アルコ&ピース、キンタロー、ゴールデンボンバー、話題賞が壇蜜が受賞していたが正直よく知らないので、そうか最近の芸人はこんなのがウケるのだと感心した。よくも悪くも"たけし色"が強いが、芸人の励みになっていることは確かなのだろう。
 
tousupo.bmp

2013年2月28日

プロセス中心アプローチを阻む壁(2)

前回、日本の企業にある組織と人の文化的、風土的な特性が素早い変化の要請に応えられていない。また、そのことがプロセス中心アプローチがなかなか受け入れられないことを指摘した。ここでは日本企業と欧米企業との差異という表現で日本的な面を強調したが、日本の企業という大きな括りで論じるのもちょっと乱暴な感じがする。

プロセス中心アプローチを様々な会社に適用していく過程で見えてくるのは、会社の規模でだいぶ違うなあということである。つまり、大企業、中堅・中小企業、小規模企業では壁の所在がそれぞれ違うように感じられたのである。この区分けは厳密なものではなくて、感覚的に従業員数で数千人が大企業で、数百人が中堅・中小で数十人が総規模といった感覚です。

どうも、どこに壁があるのかという意味でいうと、大企業は組織で、小規模企業は人にあって、中堅・中小はその中間といったふうに思われます。ご承知のように大企業には多くの組織があります。大企業というのはいきなり大企業になったわけではなく、そこまで成長するのにそれなりの時間を要しています。ですから、前回例示したような起業からはだいぶ経過しているので、スタートアップの時のそもそもビジネスモデルに立ち戻ることが少なくなって組織から考えてしまうことが増えてしまい、組織の肥大化、冗長化が進んでしまうような気がします。


そうした企業にプロセス志向を持ち込むとどうなるのでしょうか。まずはプロセス間を行き来することが多く出てきます。一つのプロセスで5部門にまたがるなんてざらにおきています。そこへ、いったん組織を離れてと言ってもなかなか受け入れられないのです。その大きな理由は、今身につけた仕事のやり方を変えたくない、ある意味既得権益を守りたいという意識です。そうした意識が強いので今までどおりでいいじゃないかという主張を崩すのは大変なのである。

一方の小規模企業になるとどうなるのかというと、こちらは人が壁になります。数十人規模ですから、そんなに多くの組織を作れるはずがありません。もしそんなことをしたら兼務ばかりで、一人は多くの帽子をもたなくていけなくなります。それでも、この手の会社では一人何役というのが普通です。特に仕事が出来るキーマンには集積していきます。そうなると、全体のワークボリュームがその人のパフォーマンスに左右されるということになります。

さて、そこにプロセス志向を持ち込んだらどうなるのでしょうか。この場合は大企業とは逆になります。大企業は組織間をどう融合し連動させるかが課題なのですが、小規模企業では、個人の持っているアクティビティをどうやって引き剥がして、分割再配置するのかがやるべきことになってくるわけです。

中堅・中小はこの中間的な位置にあると思いますが、その濃淡はあるように思います。つまり、大企業病に罹りかけているのか、ベンチャー気分が抜けずに管理がきちんとできていないといった具合である。大企業のそして小規模企業の悪い面を正し、両方良さを発揮したところが大企業へと成功していくのでしょう。

こうして見ると気がつくと思うのですが、プロセス中心で組織と人から離れてビジネスと捉えていくと、そこに現れてくる壁こそが、これからのグローバルな戦いで生き残るために取り除かなくてはいけないものだと思うのです。じゃあ、どっちの壁の方が厚いのかというとぼくの個人的な感想は中堅・中小や大企業のほうでまだ小規模企業のほうが変われるハードルは低いと思う。なぜなら、経営者の危機感と覚悟の差があるからです。
 

2013年2月 2日

ドラゴン・タトゥーの女

ポスターなどを見るとダニ エル・クレイグが写っているのでこれは007ばりのアクション映画だとばかり思っていた。ところが、監督が「ソーシャル・ネットワーク」のデヴィッド・フィン チャーだというし、原作が「ミレニア」3部作として映画にもなったスウェーデンの小説だと聞いて、心して観ることにする。「ドラゴン・タトゥーの女」である。

主役は、ジャーナリストを演じるミカエル・プロムクヴィスト(ダニエル・クレイグ)なのか、女性で天才的な調査能力を持つヘンリックハッカーであるリスベット・サランデル(ルーニー・マーラー)なのかはわからないのだが、題名からリスベットがそうなのだろう。背中に龍の彫り物をしている。二人が協力して事件を解決に導くのだ。

ストーリーはこうだ。舞台はスウェーデン、そこでの汚職事件の記事を書きながらも名誉毀損で訴えられ負けてしまうミカエルに、ある日大財閥のヴァンゲルの元会長ヘンリック・ヴァンゲルから依頼がくる。表向きは家族史を書いてくれというものだが、実際は40年前に起きた事件の真相を探ってくれというものであった。兄の孫娘のハリエットが失踪した事件である。ヘンリックは誰かに殺されたと信じていた。

その究明に立ち上がったミカエルなのだがなかなか手がかりもつかめないでいると、リスベットを紹介され協力を要請する。彼女は刺青をし、顔にピアスをして、しかも後見人がつく社会不適格者という変わった女であった。しかしながら類まれな調査能力と他人のコンピュータにも入り込んでしまうハッカーでもあった。すると、徐々に謎が解けてくると同時に彼らの身に危険が押し寄せてくる。

このあたりの展開は、めまぐるしくて、ヴァンゲル一族の名前がぽんぽんとでてきてその関係がわけがわからなくなる。字幕を追うのが精一杯である。結局、事件は意外な方向へと進んで、結末もあっと驚くことになる。それとともに、人を信じることができなさそうなリスベットが徐々にミカエルに心を寄せていくという、可愛らしさものぞかせていくのだが。

ということで、たっぷりと2時間半、スリルとサウペンスと多少のお色気でこれぞハリウッドといった趣でどーん迫ってくる。やっぱこれだけ迫られると疲れる。見終わったあとぐったりする。ただ、ストーリーのつながりにしっくりとしないところもあっていまだにあれはどういうことだったのかという疑問が残ったのである。
 
doragontato.bmp
 

2013年2月27日

ビジネスサービスのつくり方 - 第3章 設計

■ 身近なところから始めてみたら

何度も繰り返してしつこいと思われるかもしれませんが、設計といってもITシステムを設計するわけではありません。どんなサービスをどんなふうに提供したら喜ばれるのかということ、すなわち"スタイル"のようなものを設計することが大事になってきます。ですから、企業でいえば社風とか事業方針といったものが反映されてくるわけです。

そう考えると、ITはひとまず置いておいておもてなしのスタイルを考えましょうというのが出発点のようです。これだと、何か身近にありそうですよね。会社の業務ではなくても、例えば何かのイベントを行うとか、ボランティアなんかもそうだし、簡単な例でいくと、職場の忘年会の幹事に指名された時を想定してみてください。

ある日、部長からお前今年の忘年会を企画してくれと依頼されたらあなたはどうしますか?参加するみんなが喜ぶような企画・計画をしますよね。そして、実行して皆さんが満足できたらうれしいと思うはずです。そのためにどうしたらよいのかが設計となるわけです。ここで気がつくと思いますが、そんなことにITシステムを設計するだろうか。もちろん、計画を進めてたり、実行するときにITを使いますが、それはあくまで道具として使うわけです。

言い方はおかしいのですが、忘年会開催プロセスも立派なプロセスです。では、実際にプロセス的に追っかけてみましょう。まずは、部長からだいたいこのあたりで、部全体でやろうぐらいな言い方で頼まれるはずです。さらに、今は業績も良くないのであまり派手にはやらない方がいいだろうといった制約を言われることもあるでしょう。

忘年会の開催を頼まれ、それに応えて実施するまでの手順がプロセスですから、さてどうしましょうかと考えたとき、おそらくいつまでに何を決めたらよいのかということが浮かぶと思います。つまり、決めるべきこと、それはいつまでなのか、決めるにはどんな情報を参照するのか、制約条件はあるのか、だれに相談をしたらよいのかといったことになるでしょう。

もう少し具体的に見ていくと、わかりやすいのは5W1Hで考えたらよいでしょう。まあ目的は忘年会だからWhyは除いてもいいので、まずはいつでしょうね。日時(When)を決めます。次に場所(Where)、そしてどんな形式や会費(What)にするのか、それが決まると参加者(Who(m))を募集します。さらに当日の進行(How)を決めて実施ということになると思います。

ただ、こうしたことが簡単に決められるとは限りません。日時にしても部の業務のスケジュールとか部長の出張の日とかをチェックするはずです。場所はそれこそ「ぐるなび」や「食べログ」で調べるとか、過去に評判がよかったところとかを探しますよね。また、出欠をとるのにメールじゃないアプリを使うでしょう。

ですから、プロセスを実行するうえで決めなくては行けないこと、それを決めるときに参考とする情報や制約、それがいつまでなのかという管理指標などを定義していくのがプロセス設計なのです。そこに全体の進捗が見えるようにするためとか、情報がネットからリンクされるとか、通知配信する仕組みとか、そういったところで必要に応じてITを使うことだと思います。

当たり前のことですが、この幹事さんが、スマホだけで忘年会を企画・計画・実施したからといって、プロセス設計、オペレーションをしていないとは言えないでしょう。自分の手帳に手書きで書いてそれをチェックしながらやるのもプロセスオペレーションです。つまり誰でもやっていることなのだが、それをもっと明示的にオープンにして行くことなのだが、そのためには前回提起したように標準的構造化をしたWhatが必要で、その構造にあった中味をデザインすることが大切なのです。
  

About 2013年2月

2013年2月にブログ「mark-wada blog」に投稿されたすべてのエントリーです。新しい順に並んでいます。

前のアーカイブは2013年1月です。

次のアーカイブは2013年3月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type