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2012年11月 アーカイブ

2012年11月 1日

アウトレイジ ビヨンド

この時期になると映画賞狙いなのかどうか知らないが、話題作や意欲作が多く登場する。映画賞といえば東京スポーツ映画大賞の審査委員をしているので、審査委員長のたけしの映画を見逃すわけにはいかない。おそらく今年度の受賞は決まったようなものだ。だって、たけしの一存で決まるのだから。

北野武監督主演の「アウトレイジ ビヨンド」がその受賞作になるのはほぼ間違いない。あとの興味はどの賞をとるのかだけだ。まあそれはそれとしていいのだが、作品そのものの出来はどうなのだろうか。前作で暴力団の抗争をたっぷりと描いた「アウトレイジ」の続編だ。連続ものはたけしにしては初めての挑戦である。

前作に壮絶な抗争を繰り広げた暴力団「山王会」は先代を裏切り会長に収まった加藤(三浦友和)の下、金庫番だった石原(加瀬亮)やボディガードだった舟木といった面々が羽振りを利かせている。だがこうして大きくなっていく組織を警察は放っておくわけにはいかない。刑事の片岡(小日向文世)は裏で動き出す。関西の雄である「花菱会」に策略を仕掛けるのである。

こうして、東西の2大勢力の抗争が勃発する。そこに、元山王会大友組の組長であった大友(ビートたけし)が出所する。大友はやくざに戻る気はなかったのだが、以前子分だった木村(中野英雄)の思いにほだされて構想に巻き込まれていく。そこからはいったい何人死んだのかといったバイオレンスが続く。もちろん、加藤や石原、舟木などは大友の前では肩なしである。

銃声もすごいけど「バカヤロー」「コノヤロー」の連呼で耳に重いが、一作目を見ているのでそれほど気にはならなくなってしまった。こうしてみるとぼくらとしてはあの「仁義なき戦い」を想起させられるが、時代背景もずい分と違うので比較にならないかもしれない。だって石原なんて経済ヤクザが出てくる。ただ、新井浩文と桐谷健太が演じる若者二人はどことなく「仁義なき戦い」を彷彿とさせてくれる。

まあ、みんな悪人と銘打っているように普段人のいい役をやっている俳優さんももう悪人面に変身してそれだけでも面白かった。前作からの三浦友和とか加瀬亮、今度の西田敏行、塩見三省、光石研といった連中の悪人ぶりは見ものだが、西田敏行あたりの役どころはちょっと違ってもよさそうだったが。

前作ではあまりよい評価を与えていなくて、いまなぜヤクザ映画なのかと書いた。今回は前よりちょっとよいかなという感じであるが、あの「仁義なき戦い」の躍動感や男くささみたいなものは今回もなくておとなしいオーソドックスなヤクザ映画である。映画の技術的な点では評価できるのだが中味の方がイマイチなのである。ラストがどうも続きもあるぞといった終わり方なので、こりゃ3本目のアウトレイジが出てくるな。
  
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2012年11月 2日

ビジネス活動にプロセスはどのように入り込んでいるのか - その他のプロセス

前回営業プロセスを見ていきましたが、その他のプロセスについて考えてみましょう。その他には何があるのかというと、主なところで「商品企画」「設計」「調達」「製造」「受注出荷」があります。他には代金回収・支払とか計画、リターン、リソース管理といったプロセスありますが、ベースとなる重要なものは前者の方になります。

また、「営業」「商品企画」「設計」「調達」「製造」「受注出荷」というコアのプロセスは直列につながっているわけではなく、階層とまではいかないのですが横と縦の関係になります。それが前回示したハイレベルプロセス関連図です。

ところで、その中でメインストリームは何でしょうか。要するにほんとうのコアとなる部分、ビジネス活動の根幹は何だと思いますか。言いかえるとかどんなビジネスでも必ずあるものです。それは、「営業」と「受注・出荷」です。「商品企画」「設計」「調達」「製造」がないビジネスってありますよね。

単に仕入販売だけで製造しない会社もあれば、商品企画がなくて製造だけの下請けみたいな会社もある。ところが、お客さんを見つけてそこに商品を売って、それを届けてお金をもらうというのはどんな会社でも必ずある。ですから、ここがメインストリームなのである。つまり、まずはここをしっかりと築くことが肝要なのである。

日本の会社、特に製造業は、モノづくりということに拘泥しているから、製造というプロセスに思い入れがある。そういった意識は、いいものを作れば売れるという誤解を生じ、高度経済成長時代にはよかったのが減速経済やグローバル化では弊害と化している可能性がある。自ら商品を企画・開発し、顧客や用途の拡大をしていかないと生き残れなくなっている。従って、お客さんを見つけてそこに商品を売って、それを届けてお金をもらうというプロセスに力を入れなくてはいけない。

そうすることで見方も変わってくることもある。例えば、顧客のニーズに合わせるために、何でもかんでも自前で作る必要がないかもしれないし、あるいはサービスという付加価値をつけることによって満足度をさらに上げることができるかもしれないことに気づくはずだ。あるいは、お客さんの要求や場合によってはクレームのようなものも商品企画に生かせるではないかといった気付きもある。

このようにだらだらとプロセスを並べるのではなく、上下、縦横、濃淡といった関係性があることをよく知って、どういった構成にするのかを吟味することが大事なのである。これを構造化という。ただし、ここは業種・業態や社風の違いといった要素でつがってくるので、必ずしも決まった構造があるわけではない。つまり、プロセスの分解・詳細化されればされるほどその会社特有のプロセス構造になる。ということで、このシリーズもこれ以上深く突っ込まないでこのへんで終わりたいと思います。


2012年11月 3日

オスプレイ

たまには全く違うジャンルの話もいいだろう。コスプレイいやオスプレイのことである。オスプレイとはアメリカのベル・エアクラフトとボーイング・バートル(現在のボーイング・ロータークラフト・システムズ)が共同で開発したティルトローター式の垂直離着陸輸送機「V-22」の愛称なのだそうだ。

これが話題になっているのは、事故が多くて危険なので沖縄に配備されてもらっては困る。そんな輸送機が街の上空を飛行されたら住民は安心していられないといったことである。沖縄では米兵の暴行事件もあって米軍への風当たりも強くなっているが、そもそも基地問題で沖縄県民のセンシティブなところへ持ち込んできて議論になっている。こうしたことを言いたいのではない。オスプレイの醜悪なデザインのことである。

この輸送機が開発された意図は、飛行機とヘリコプターの良さを併せて持とうということだ。つまり、速く長く飛べてしかも長い滑走路も必要なく、垂直離着陸・ホバリング(空中停止)もできるというコンセプトなのである。今はなくなったビデオ付きテレビとか遠近両用メガネみたいなものだ。

醜悪なデザインといった。あの飛んでいる姿を見て美しいと思いますか?あんなバランスが悪く、美しさのかけらもない形状では事故も起きるような気がする。例えば、空を飛ぶ鳥や動物をみたら分かると思うが、機能美を装備した体を持っている。だから生き残れているのである。だから、ぼくは単純に醜悪なデザインの飛行物体をみんなの空で飛ばすなと言いたいのである。

それと、ビデオ付きテレビの話もした。二兎を追うことはやめた方がいい。異なった機能を追っているものを合体させることでよくなることはなくて、逆に1+1が0.5になることが往々にしてある。ぼくの感じでは、よくこれもできます、あれもできます、一挙両得ですみたいな商品が出てくるのだが、さっきのテレビデオじゃないが、ほとんど消えて行ったように思う。つまり、姑息なコンセプトなのである。

さあ、醜悪なデザインと姑息なコンセプトのオスプレイはどうなんるのだろうか。商品であればすぐに市場から退出させられるのだが。

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2012年11月 4日

勝ち方を知っている鹿島

近頃はサッカーを見るというと代表戦ばかりだったので、たまには国内の試合を見てみようと、昨日は国立競技場で行われたナビスコ杯をTVで観戦する。結果は、鹿島アントラーズが清水エスパレスを延長の末2─1で破り、2大会連続5度目の優勝を果たした。往年の強い鹿島を知っているぼくにとっては当たり前のように感じるのだが、リーグ戦では13位と低迷していて、そこから優勝だからよくやったということだろう。

相手の清水は平均年齢が23歳という若さで勢いがあった。リーグ戦での対戦では清水が勝っているそうだから、このファイナルも勝てるという感じで最初から突っ込んでいった。ところがここは試合巧者の鹿島がしっかりディフェンスして、けっこう余裕のある戦い方をしていた。このあたりが何度も優勝を経験し、厳しい勝負に勝ってきた伝統なのだろう。まあ、個人的にはジョルジーニョが好きだったので彼のために喜んであげたい。

それにしてもしばらくぶりに見るJリーグは思った以上にレベルが上がっていた。強さの段階というのがあって、まずは個人の差があって、その上にはチーム力があり、さらにそのうえに戦略的な差があると思う。ひと昔前はまだ個人の力の差で勝敗が分かれたりしたがそれはもうあまり感じられない。選手全体のレベルが上がったので個人差は小さくなってきている。

チーム力という点では、これも昔は強いチームが固定化されて、いつも上位にいるのが決まっていた。しかし今首位を行くのが広島だったり、昨年は柏だったりと毎年変わってくる。これもチーム力の差から戦略とかコンセプトとかいった面での争いになっているように思える。昨日の試合でも、キーマンである清水の大前、鹿島の大迫が抑えられたときにどうするのかという戦略が問題だったと思う。

鹿島の2点は、ほとんど同じような展開~生まれている。右サイドから中央への横パスを2列目の柴崎が飛び出して縦へのトラップでバックスの門の間を抜いたもので、一点目はペナルティエリア内で倒されてPKをもらい、延長の2点目はそのまま抜け出してゴールを奪う。柴崎の技術といえばそうなのだが、横パスに対して柴崎がゴールに向かってトラップできるように間をあけた時点で負けだった。

柴崎という選手は高校時代から知っているが、最初はひ弱な感じがしたが、ずいぶんとたくましくなったものだ。また先ほどの大前も大迫も高校時代は国立のヒーローだったが、プロになったばかりのころはやはりひ弱だったのが、これまたプロらしいプレーぶりであった。全般的にみても、スピードもあり、パスの正確さもずいぶん向上したようで、こうした土台があるからこそ代表も強くなっていっているのだろう。

ただ、ちょっと苦言を呈すと、レフェリングがちょっとまずいなあという感じだ。昨日の先取点と同点弾はいずれもPKであったが、柴崎がもらったPKもぼくの目にはシミュレーションに見えたし、清水のコーナーキックからのPKも誰がどうやって倒されたからPKになったのかもよく分からない。それと、ファウルが多すぎる。ファウルをしないで止める技術を持たないと世界で戦えないと思う。
  

2012年11月 5日

Webサービスのつくり方

うちの社長(息子)が本を出版することになりました。タイトルが「Webサービスのつくり方」で技術評論社から出ます。これまでいくつかのWebサービスを作ってきましたので、その作り方をまとめたエッセイというかガイドブックです。11月20日に全国の書店で発売されるのですが、すでにアマゾンで予約販売を開始しています。もう予約販売だけでこのジャンル本のランクで10位以内に入っています。

よく知られたWebサービスでは「君のラジオ」とか「ボケて」というのがあります。特に「ボケて」は最近ブレーク中で非常に多くのユーザがついた例です。そこから、iPhoneアプリも生まれています。そんなWebサービスをどうやって作ったらいいのかが企画から実装、運用まで書いてあるので、自分で何かサービスを作ってみたいと思ったときには格好の指南書となると思います。

これが実践的であるというのは、自分でやったことだけではなく、プログラムも書けなかった子が一年でWebサービスを作ってしまった事例の指導もしたということもある。このブログを書いた子が本の推薦の言葉を書いている。普通、推薦の言葉というと名の通った人がほめ言葉を書き並べ、○○氏絶賛!といった感じになるが、素人がアドバイスをもらってありがとうというのも好感が持てる。

手前味噌かもしれないがうちの社長がエライのは、企画から設計・実装・運用までひとりでやってしまうことで、口だけ動かす人、手だけ動かす人は多いけど両方ともやってしまう人は少ないからである。このことは、ぼくの周りでもあることで、ただコンサルだけでそれから先の実装はわしゃ知らんという人も多いし、せっせとコードを書くけど何のためにそれがあるのかぼくわかりませんというの人も多い。

なのでぼくは刺激を受けて、戦略立案からモデリング、設計、実装(正確には実装指導)までひとりでやっている。おそらくここまでする人、しかも還暦を過ぎたおじさんがやっているのも珍しいのではないでしょうか。まあ、暴走老人にはならないように気をつけますが。話はそれてしまいましたが、興味がある人はぜひご購入いただければと思います。


  

2012年11月 6日

終の信託

ぼくは「リビング・ウィル」を書いておこうと思っている。というかこう書いていることも一種の「リビング・ウィル」になるのだろうか。ぼくは回復の見込みのない延命治療はやめてほしいと考えている。ただ問題は“回復の見込みがない”という判断を誰がどうやってするかであろう。本人は意識がないか、判断能力を失っているからである。そんな問題に取り組んだ作品である。

周防正行監督がまた、草刈民代、役所広司と組んだ作品である。またというのは、あの「Shall We ダンス?」に続いてということである。この監督の以前の作品である「それでもボクはやってない」と同じような犯罪を扱ったものである。医療なのか殺人なのかという社会性のあるテーマである。原作があって、朔立木の「命の終わりを決める時」に収録された同名小説なのだそうだ。出演が、他に浅野忠信、大沢たかおらである。

草刈民代扮する呼吸器内科医の折井綾乃は、同じ病院の医師である高井(浅野忠信)との不倫が破れ自殺未遂を図るが助かるのだが、鬱々とした日を送っている。そんな時に重度のぜんそくで入院している江木秦三(役所広司)と言葉を交わすようになる。綾乃は江木の優しさに触れ傷を癒されていく。

そして二人は徐々に距離を縮めて行くのだが、江木の症状はどんどん悪くなっていく。やがて死期が近づいたことを悟る江木は、自分が満州で妹を亡くした時の思いとともに自分の死について綾乃に延命治療をしないで楽に死なせてくれと頼むのである。信頼できるのは先生だけだと言うのである。

それから2ヶ月後のある日、江木が心肺停止状態で救急搬送されてくる。ついにやってきた時に対して綾乃は江木との約束を守るべきかあくまで手を尽くして延命を図るべきか悩むのである。そしてある決断をするのだが思わぬことが起きる、だが、・・・・

こうして、江木は死ぬのだが、実はそこには重大な疑惑があった。映画では冒頭のシーンが綾乃が検察庁に呼び出されて出頭するシーンから始まる。つまり、通常の医療行為を逸脱していたのかという問題で検事に尋問されるのである。その前に上述のような回想シーンがずっと続く。それが終わったあとの最後に検事との緊迫したやりとりが展開されるというわけである。

この大沢たかが演じる塚原という検事が追い詰める迫力は見ごたえがある。さすが周防監督の緻密でリアルな演出が冴えている。綾乃は必至の抵抗を見せるが、塚原の攻勢に屈するのだが、愛を裁けるのかだとか、命とは何かといった重い重いテーゼが観るものの心にぐさりとささってくる。

ただ、ストーリー的にみると、江木がなぜちゃんと家族に延命治療を伝えていないとか、重度のぜんそく患者のもう老人とまだ若い女医さんが恋愛関係になるのかと、不倫で傷ついて自殺未遂したことと終末医療で葛藤するのと関係があるのかという点では何かものたりなさというか、掘り下げられていないと感じた。そういった意味で全三作「Shall we ダンス?」「それでもボクはやってない」「ダンシング・チャップリン」に較べると見劣りする。
  
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2012年11月 7日

人間関係は浅くていい。

現代では、様々な形で人間関係が形成されている。昔だったら隣近所や学校、会社でのFace to Faceのお付き合いだけだったのが、今ではTwitterからFacebookなどを介した人間関係もできています。こうしたインターネットの登場で人間関係はどう変わったのか。そういった問いかけに答えようという「人間関係は浅くていい。」(おちまさと著 扶桑社新書)を読む。

著者は、テレビ番組やWebサイトの企画・演出・プロデユースなどを手掛けている。ネットでのコミュニケーションが増えてくると人間関係が浅くなるというのを批判的に論じられることが多いが、著者は逆に「人間関係は深くなくてはいけない」という旧来型の考え方はもうやめて、浅くてもいいじゃないかと主張する。

そして彼が実践している理想的な人間関係を「織姫・彦星」だという。一年に一度の七夕の日にだけ会う関係というわけである。一年に一回だけ会って食事をするというつきあいをして関係を築いているのだそうだ。だから、サラリーマンなんかが毎晩のように飲みニケーションと称して飲み歩くのは批判する。そんなべったりな関係はやめて、つかず離れずの関係になれというのである。

確かに、会社のことで言えば、これまでは終身雇用、年功序列的な世界だったから上司や同僚、部下と濃密な関係を築くことが合理的であったのだが、今はそんな生やさしい世界はとんでいてしまったから、疎結合で行かなくてはと思う。そのためには著者が言うように鈍感力とか孤独力とかを養う必要がある。

それはそうなのだが、「浅い」人間関係の構築術・実践編とう形で書かれるとちょっと拒否反応を起こす。曰く、忘年会には顔を出すな、自分にとっての「キラーフレーズ」を見つけよう、「バタバタしまして・・・・」禁止令、仕事が終わったらさっさと帰る、「ありがとう」を取りにいくなといったことなのだそうだ。

以前このブログでも紹介した「社畜のススメ」(藤本篤志著 新潮新書)という本では、社畜になれだとか、歯車になれ、派閥に入れ、社内の人と呑めだとかを薦めている。若いうちは自分を殺して社会を勉強せよというようなトーンなのだが全く違ったことを言っている。つまり、こうしなくてはいけないという答えはなくて、従って人に薦めることでもなく、私の生き方はこうですよと言っているだけなのである。

その意味でも、この本もブログの延長である。だから著者の生活スタイルを知って自分のためになることだけ吸収すればよい。今や金太郎飴の人間はいないし、多様性を持っているから、その人に合ったスタイルで行くしかないのだ。だからある人にとっては、深い人間関係が合っているかもしれない。

著者の働き方のスタイルは昨今話題の「ノマドワーク」の元祖のようなのだ。25年前に仕事を始めたときからデスクがないという。今もクラウド上でスケジュール管理、レポート作成、そしてskype会議で、直接顔を合わせなくても良好な人間関係を構築できるという。そのツールがサイボウズOffice」ですごく評価していた。(そうしたら最近知ったのは、著者がサイボウズのCBO(チーフ・ブランディング・オフィサー)に就任したというではないか。)

ぼく自身は、人間関係は浅い深いというより、自分にとって気分がいい、快適である、波長が合う、楽しいといった感覚的な尺度で選択しているように思う。マニュアル的に、あるいは合理的、打算的に構築しているわけではない。そのためには「評価基準を持った個」を磨くしかないと思う。それがあればセンサーが感じて評価できるのである。
  

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2012年11月 8日

概念化スキルの重要性

いま、ビジネスモデリングだとか業務プロセス設計のファシリテーターをやっていますが、その時に必要な能力は概念化スキル、あるいは抽象化スキルであると実感しています。概念化スキル、抽象化スキルとは、対象となることがらに対して、本質的なものだけを抽出して、典型となる構造や機能を組み立てる力であるとぼくは定義しています。

ではどうしてこうしたスキルが必要かということを考えてみましょう。ビジネスモデルや業務プロセスを設計するといっても、自分が経験したことが対象になるなんてことはほとんどありません。全く経験のないことばかりです。自分が経験して知っていることを直接使うわけにはいかないわけです。そんなときにどうしますか。

このビジネスの本質は何のか、この業務プロセスの基本骨格はどうなっているのだろうかというアプローチをとることになります。それができないと、細かいところ、癖のあるところ、固有性といった部分をそのまま取り入れてしまいます。その結果、悪構造の業務プロセスになるだけではなく、応用力がきかなくなり変化対応力を失うことになります。

だからといって何もないところから概念や抽象モデルはもちろん生まれてきません。当然ですが、自分の経験から想起することになります。ですから、経験をスペシフィックなものと捉えるのではなく、一般化するクセをつけておくことが大切です。経験の再利用性を高めるために必要なスキルというわけです。

こうした態度でビジネスや業務を見ておけば、よくSEに業務知識が必要かなどといった議論に対して、特定の業務知識は要らないということができます。本質的な部分を抑えることができれば、どんな業務にも対応できると思います。どうも日本人はここのあたりが弱く、特に現場のやっていることが常に正しく、特定のことがらが一般論となってしまうといった傾向があります。

このことは、少し飛躍するかもしれませんが、職業についても言えるように思います。自分の就いている職業を概念化、抽象化できないから転職もできないという事態があるのではないでしょうか。このことが硬直した労働市場を生み出している一因かもしれません。そうですね、逆に抽象化しすぎていることもあります。“私は部長ができます“という笑ってしまう文句がそれです。

さて、それでは概念化スキルとか抽象化スキルをどうやって身につけてらいいのだろうか。ぼくの実践方法はブログを書くことである。TwitterやFacebookだと特殊性や断片といった言葉になるから、概念化され、抽象化されたものとは程遠い。なのでBlogなのであるが、これも日常の生活臭ぷんぷんの日記とか単なる紹介記事ではだめで、あるテーマに対して、自分の主張、意見、評価といった文脈が記されてものでなければいけない。あれえ、この記事はちゃんと書けているのだろうかちょっと心配になったぞ。
 

2012年11月 9日

システム作りとシネマと書店とスタジアム

ぼくのブログは、「シネマと書店とスタジアム」というのを標榜している。すなわち、映画鑑賞レビュー、書評、スポーツ観戦記を書いていこうというわけである。それに、ITの話がはさまったのが基本形である。ITといっても主に企業の業務システムのことである。それぞれは、一見無関係に見えているが、最近どうも共通点があるのではと思い出している。

ということでシステム作りを映画や本、そしてスポーツと並べて見ることにする。さてどうなることやら。まずは、映画であるが、映画作りはずいぶんと変わってきている。昔は東映、松竹、東宝といった大手映画会社が専属の俳優や監督を抱えて、次から次へと制作していた。しかしながら、今は製作員会方式が多くなっている。法律上は任意組合と言うらしい。要するに幹事会社が複数の会社に対し出資を募り資金リスクを分散し、利益が出た場合はこれを出資比率に準じて分配する方式である。

これって、ゲームとかWebサービスなどの開発は似たようなことがやられてる。ただ、業務用ソフトウエアはあるかもしれないが、業務システムの場合難しいだろう。基本的に請負型だから、多重下請けにしてリスクは分散しているかもしれないが、利益が出て分配ということはない。でもこれからのクラウド時代では、映画のような形態もあり得るような気がするのだが、いかがでしょうか。

ただ、プロデューシングとかディレクション、シナリオといったことはかなり似ていると思う。映画はまずはプロデューサーが企画し、人を集めてチーム作りをする。それが済むと、監督が俳優を使って演出する。これは、プロジェクトリーダーがメンバーに役割を持たせ動かすのと同じである。そのとき重要なのは脚本がしっかりしているのかということで行きあたりばったりだとよいものはできない。

さて、本はどうでしょう。これは業務システム、もっと言えば業務プロセスは“物語”であるということに共通点があるように思えます。というかそういった見方をすべきだと思うのです。従来の業務システムには物語がなかったと思います。本で言ったら、辞典とか、図鑑とか情報集といったものに近い、つまりデータベースを作ることだったような気がします。

しかし、ビジネス活動というのは、物語本と同じように起承転結があります。何を書きたいのか、どう始めてそれをどう展開して結末につなげるのか、それと同じような構成から成っています。業務の始まりは何か、途中は何をすることで進捗させるのか、結論は何か、何ができたら業務は終わるのかといったことです。そこには、登場人物が生き生きと躍動する姿があります。

最後のスポーツについては、ぼくはサッカーのことばかり書いているのでサッカーとの比較になります。企業活動により似通っているスポーツはサッカーでもあります。チームスポーツであり、組織的かつ戦略的でロールがきちんと決められているからである。攻める人、守る人という役割もそうだし、攻撃的に行くのか守備的に行くのか、どちらサイドから崩すのか、要求スキルは何なのかなど、企業の組織活動とよく似てる。

また、システムの構造とサッカーのフォーメーションがまた似ている。Requirement、Process、Resultというのがフォワード、ミッドフィルダー、ディフェンダー/キーパーという構図に重なるように思う。以前にも言ったことがあるが、弱いサッカーチームは、必ずミッドフィルダーの存在感がないところである。バックスからミッドフィルダーの頭越しにボールが行ったり来たりするゲームをする。業務システムもこれまで中抜き、すなわちプロセス抜きできたが、強いサッカーチームと同じようにきちんとプロセスでつなぐことをすることが大事である。

こんな風にして比較してみるといろいろと面白いことがわかる。実は、これはちょっと前に書いた概念化ということでもある。概念化、抽象化することで共通点や本質を見つけて参考にする、あるいはいいとこどりをするという態度が大切であるということにもつながる話なのである。
  

2012年11月10日

「僕らは歩く、ただそれだけ」、「家族X」

今回は2本一緒に論評します。一回づつ書くほどのものではないという意味でもある。短評を記す。まず最初の作品は、廣木隆一監督の「僕らは歩く、ただそれだけ」である。これは、劇場公開されていない作品である。廣木隆一監督「余命1ヶ月の花嫁」「雷桜」「軽蔑」といった映画を撮っているが、ある意味つかみどころがない作品群ですね。「僕らは歩く、ただそれだけ」は彼のオリジナルで主演が安藤サクラ、共演が柄本祐である。

恋人とわかれたみゆき(安藤サクラ)は、カメラを手に故郷の町を訪ねる。自分の母校や以前住んでいた家、そして同級生たちとの邂逅する。そうした交流を重ねるうちに彼女の心が徐々に変化していく。そして、僕らは歩く、ただそれだけなのだと伝えてくる。カメラで追う女をカメラが追うという展開なのだが、別段感動することもなく、映画青年がドキュメンタリー的に撮っているだけに見えてちょっと退屈であった。

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「家族X」

吉田光希監督というのは知らなかったが、前作「症例X」でPFFアワード2008の審査員特別賞を受賞した新鋭だそうだ。その吉田監督の「家族X」は、これまた映画青年の実験映画といった趣で、「僕らは歩く、ただそれだけ」はまだ劇場公開してないからいいが、こちらは劇場公開したものだから、もうちょっと何とかしてくれと思ってしまう。

ここで描かれる家族は、東京郊外の住宅地にマイホームを手に入れた橋本家で、潔癖症の妻・路子(南果歩)、職場では完全な窓際族の夫・健一(田口トモロヲ)、大学は出たはいいが就職できずアルバイトをしている息子・宏明(郭智博)の3人家族である。この3人が、それぞれに孤独であり、不安を持って暮らしていて、ほとんど会話もないバラバラ家族なのである。

そうした家族が徐々に壊れていく姿を手ぶれのカメラとくすんだ映像で描きだす。確かにそんな家族はあると思うのだが、だから何だというのだろうか。病んでいるのだが救いがないのだ。会話もない家族を描いているのだからかもしれないが、セリフが少なくて、しかも画面がぶれるので観ていて疲れる。南果歩と田口トモロヲの演技は冴えているが、演技力が生かされていないだ。
 
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2012年11月11日

喜寿祝い

昨日は、藤沢で高校のサッカー部顧問だった鈴木中先生の喜寿のお祝いの会があった。奥様も含めて200名近くの教え子や招待客が集まった。赴任したのが昭和37年だからもう50年も前である。ぼくらはそこから6代目で先生がまだ30代前半なので一緒にプレーをしながら教えてもらった。

その熱血指導のおかげで、昭和40年の第8回関東大会優勝、そして全国選手権の神奈川県予選を勝ち抜き、翌年正月に開かれた第44回全国高校選手権に出場した。全国では残念ながら初戦に抽選負けという結果で涙を流した。(当時はPK戦というものがなかった)

昨日は、28代にわたって出席していた。その一番若いのが第67回全国選手権に出場していた年代である。23年後に再び全国に行ったのである。それから23年後が今年だったのであるが惜しくも再現ならず。来賓の方々も神奈川県サッカー協会長や前校長、原監督、同僚だった先生方と多くの方々が出席されていた。中でも、僕たちがいたときちょうど定時制の教師として来られ、サッカーも教えていただいた鈴木先生の大学のサッカー部の後輩のK先生がはるばる広島から来られたのには感激した。

77歳という年齢でも元気そのものでサッカーと絵で飛び回っています。今度は米寿のお祝いをしてもらうのだと張り切っていました。その時はぼくらは75歳だから生きていられるか。もう何十年ぶりという人ともいたり、しばし昔話で盛り上がった楽しい一夜であった。いま、記念に出版した「中さんの絵本」を見ながらまた高校時代を振り返っている。
 
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2012年11月12日

ビジネスモデル・ジェネレーション

ちょっと前に、東京の大きな書店に寄ったら「ビジネスモデルYOU」という本が置いてあった。著者がティム・クラーク、アレックス・オスターワルダー、イヴ・ピニュールとなっていて、「あなた自身をモデル化する」とある。前作「ビジネスモデル・ジェネレーション」を個人に応用したものである。今から、そのビジネスモデル・ジェネレーションについて考えてみたい。

そもそも、ビジネスモデルという言葉もあいまいなところがある。多くは収益モデルを表すことが多い。古くはプリンターのトナーモデルとか、最近では携帯ゲーム、アフィリエイト、はたまたAKB48といったイメージである。それよりももう少しビジネス活動全体を表現したほうがよいと思っている。その点では、このビジネスモデル・ジェネレーションはよくできている。

かいつまんでどんなものかを紹介すると、肝はビジネスモデル・キャンバスという下図のようなテンプレートに従って記述するとモデルができてしまうということのようです。

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顧客セグメントCustomer Segment)、提供する価値(Value Proposition)、チャネル(Channels)、顧客との関係(Customer Relation)、収入の流れ( Revenues)、主なリソース(Key Resource)、主な活動(Key Activity)、パートナー(Key Partner)、コスト(Costs)9つの構成要素から成立っている。

ぼくもずっと前からビジネスモデルを定義しているからすごくよくわかるし、最初に言ったようによくできていると思う。しかし、少なからず違和感というか不十分さを感じるのだ。その問題点を下記に示す。

① 構成要素の過不足
9つの要素のうちで同じようなことを言っているものとして、パートナーというのはリソースのひとつであるし、収入の流れとコストは収益モデルとしてくくれるような気がする。一方、抜けているのが商材である。コンテンツだけなのか、サービスも含めているのかといったことである。どういうコンセプトなのかも重要であると思う。

② 価値の同列化
図の真ん中に提供する価値を置いているが、ほかの要素と一緒にすべきなのだろうか。この図を書く意味はなんなのだろうかと考えたときに、ビジネスモデルの各要素を記述・分析していくうちに、そのモデルの持つ価値が浮かび上がってくることだと思う。つまり、他社と差別化できる、競争優位を保てるための価値を規定したいからこそキャンバスに書いて眺めたいのです。ですから、まずは価値を除いたところで記述して、その分析と評価結果から提供価値を定義するのではないでしょうか。つまり位相を変える必要がある。

③ ビジネスモデルをどうやって実行するのか
最後に、非常に重要なこととして、ビジネスモデルを書いたあとそれをどう実行するかにつなげていかなくてはいけない。ビジネスモデルが書けましたで終わりではないのです。コンサルタントはそれでもよいかもしれませんが、生でビジネスをやっている人にとっては、それが終点でもなんでもないのです。いくら立派なモデルが書けてもそれが実行できなくては何もならないのです。そういう意味で、このモデルでは実行系に落とし込めないという問題があります。

これまで数多くの戦略論やモデルが提示されていて、それをコンサルティングと称して分析してみるのですが、どうもそれが目的化してしまい、立派な戦略やモデルを作ったはいいが、実際に生かされているかという点では不十分であると思うのです。ということで3点の問題を提起しました。ではその問題を解決するにはどうしたらよいかはまた次回に書いてみようと思います。
  

2012年11月13日

起業家とは、あるいは起業とは

起業家という言い方も考えてみると奇妙な呼び方である。普通は、○○家というと政治家でも実業家でもいいのだが、生業を表現するものだと思うのだが、起業家というと起業することが生業ということになる。起業してそのビジネスでずっと食っている場合は起業家とは言わなくなる。だから、起業した瞬間だけ起業家である。起業するという言葉はいいが、起業家という職業があるような言い方はやめた方がいいのではないだろうか。

こんなこと考えたのは最近「Bog Tomorrow」という雑誌の取材を受けたからである。その連載に「会社に頼らない強い生き方」というのがあって、それにうちの社長のことが掲載されることになった。どうも就職もせずにいきなり、しかも親子で起業したということが珍しがられたみたいで、親のぼくも取材を受けて写真も撮られた。今月24日に発売だそうだ。

これは、成功したから載せるのではなく面白そうな事例だったからである。成功物語なら対象にはならないだろう。それだけ起業して成功する確率は低いと言わざるを得ない。ぼくらも2006年に起業したのでもう7年目に入るのだが、もちろん順調なんてことはあり得なくて、もうたくさんの苦労や失敗を重ねてきたのである。それが何とか持ったのは自宅で二人だけでやってきたからである。

日経ビジネスにエバーノートのCEOが「悪いこと言わないから、会社なんて始めるべきではありません」という連載を始めましたが、彼が言っていることを少し見ていきましょう。よくある動機として3つあげています。

1. お金がほしい
2. 高い地位がほしい
3. 自由な時間がほしい

お金がほしいという動機に対して、彼は自分で会社を始めるというのは非常に効率の悪い方法であると言っています。確かに、成功の確率は非常に低いので会社に入って地道にやった方が生涯所得は多いのではないでしょうか。2番目の高い地位がほしいというのは、自分がCEOになって社長風を吹かしたいのでしょうが、自分以外が全員ボスのように感じられるものだと言っています。ふんぞり返っているわけにはいかないのです。最後の自由な時間がほしいというのも、簡単ではありません。四六時中働いている感じなのです。

ただ、起業家を志すまっとうな理由もあげていて、それが「世界を変えたい」というのだと言う。しかし、これだとちょっと大仰な気がしてくるが、もっと気楽に考えれば、先にあげた誤解している3項目の反対をいけばよい。すなわち、お金も地位もほしがらず、一日20時間懸命に働く覚悟をもてばよい。

ダイヤモンドオンラインに「9割の起業家がやってしまう5つの失敗 」という記事が載っていた。

(1)一気に人を増やす(通年採用などもする)
(2)借金して、事業拡大を目指す
(3)一等地などにオフィスを引っ越しする
(4)リースなどでオフィスの設備投資をする
(5)大々的な広告宣伝をする

こちらの方は、会社が儲かるようになった時に起きる失敗のようである。うちはまだそこまで行っていないので当てはまらないのだが、社長と話していてこの5項目は全く興味がないことなのでそこは心配をしていない。要するに、やたら拡大するのではなく、気の合った少数の従業員と、あるいは信頼と共感が得られるネットワークで気にいったものを“シコシコ”と提供し続けることなのだろう。それが、ぼくらの起業段階から進んできた会社経営、事業運営ということなのである。
  

2012年11月14日

「当事者」の時代

このタイトルから何がテーマだろうかと思ってしまう。それはマスメディアの衰退のことである。さらに日本国民の意識の問題のことでもある。「「当事者」の時代」(佐々木俊尚著 光文社新書)は、インターネットのソーシャルメディアの台頭に伴いパラダイムが変わって行くのを歴史的な経緯や典型としての物語を語ることによって明らかにしていく。

結論を先に言おう。少し長くなるが終章の言葉を載せる。


メディアの空間は<マイノリティ憑依>というアウトサイドからの視点と、<夜回り共同体>という徹底的なインサイドからの視点の両極端に断絶してしまっている。この極端に乖離した二つの視点からの応酬のみで、日本の言論は成り立ってしまっている。このメディアの<マイノリティ憑依>に日本は引きずり込まれ、政治や経済や社会やさまざまな部分が浸食されてきた。「少数派の意見を汲み取っていない」「少数派が取り残される」という言説のもとに、多くの改革や変化は叩きつぶされてきた。そういう構造はもう終わらせなければならない。それは「少数派を無視せよ」ということでは断じてない。なぜなら、これまで何度もなく書いてきたように、メディアで語られる「少数派」「弱者」は本物の少数派や弱者ではなく、<マイノリティ憑依>されて乗っ取られた幻想の「少数派」「弱者」にすぎないからだ。この乗っ取りから、リアルの存在である少数派や弱者を救い出さなければならないのだ。彼らが物言わぬサバルタンの位置から救い出されるとき、彼らが「勝手に代弁する人たち」から救い出されるとき、その時にまた私たちのメディア空間も私たち自身へと取り戻されるのだ。
 今こそ、当事者としての立ち位置を取り戻さなければならない。

これが、本の言いたいことだ。ここで<マイノリティ憑依>と<夜回り共同体>とはいったい何のことなのかということである。憑依といういのは、乗り移り、乗っ取りのことだから、マイノリティでもないものがあたかも少数派のようにふるまうことである。ところがそれは、当事者でもないのだからアウトサイドの視点ということになる。1970年代に学生運動が行き詰ったときに持ち出したパラダイムだった。

一方、夜回り共同体というのは、権力とメディアの共同体構造に組み込まれているのだ。その象徴が夜回りによるインフォーマルな情報交換である。これはまさにインサイダーなのである。そうした構造は高度経済成長、すなわち配分の経済学は働くうちは問題とはならなかったが、その構造が壊れてしまった今はそこから脱却していまなくてはいけないという。

いつものように、前置きというか、象徴物語が長く続くのだ、結局言いたいことは以上のようなことだ。ちなみに、語られる物語に登場するのが、小田実、吉本隆明、津村喬、太田竜、本多勝一、アル、ジョルソンやそのほかの人である。ほとんどが、ぼくら団塊世代の歩と大いに関係しているので興味深い。

このマイノリティ憑依から当事者へという提言は、今日的な問題として反原発運動などにも表れているように思う。メディアの伝え方として、例えば朝日新聞の「プロメテウスの罠」に見られるように生活者目線とはいえ、マイノリティ憑依のままであると思う。著者は、これは単にメディアの劣化したというのではなく、日本人のメディア空間が現代の状況に追いついていないと言っているのだ。
 

「当事者」の時代 (光文社新書)
佐々木 俊尚
光文社 (2012-03-16)
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2012年11月15日

日々是好日

日々是好日とは、単に毎日いい日が続いてけっこうなことだという意味ではなく、その日一日を只ありのままに生きる楚々とした境地のことなのだそうだ。ただ、そうは言うけど凡人にとっては、いいことがあると思わずそう叫んでしまう。

昨日は、昼に小学校の恩師を囲む会で鎌倉の「仲の坂」(ここは同じクラスではなかったが同窓生がオーナーの店である。美味しいですよ。)で食事をする。もうほとんどが仕事を持っていないので平日の昼間に設定する。小学校の恩師といっても2年生の途中から4年生までの担任だった先生である。卒業時の先生というのはよくあるパターンであるが、途中というのは珍しがられる。

先生の方も小学校の最初の担任だったということもあり、僕らのことを実によく覚えていてくれる。今年の4月に53年ぶりにクラス会を開いてから、9月に先生の86歳の誕生日ということで花束を送ったので、そのお礼を言いたいとのことだったので有志10人で集まったのである。もう一度会っているから話はさらに詳細かつ個人的なことになって、これまた楽しかった。また、来年の連休明けぐらいに再開することを約して別れる。

そんなわけで、昼からずっと飲み続けて、途中小町通りの不二家の二階で酒を飲むという、まわりから嫌われそうな状態で盛り上がる。さらに家の近くに戻ってもさらに一緒だった同級生の奥さんがやっている店でまた飲む。だから、夜の8時前にはもうヘロヘロで、でもそそくさと家に帰ってサッカーのW杯予選をTV観戦する。かなりぼーっとした状態で見たので内容をよく覚えていないのだが、得点シーンと何とか勝ったということを目が覚めて思い出した。

本当に厳しいアウエイの戦いで勝ちにいくには横綱相撲のようにきっちり守って効果的な攻めで落とすのがよい。昨日は、立会ちょっと受けて、そこから攻め込んだところを一旦反撃にあい土俵中央に戻ったが、最後は上手投げで勝ったようだ。

やはりサイド攻撃だ。前半の一点は長友から折り返しを清武がフリーでただ入れるだけのシュート練習のようなゴール。後半に相手のフリーキックがうまく壁を抜けて右隅に決まり同点となるも、終了間近に、左サイドから酒井高徳が切り込みセンターリング、それをトップ下にポジションを移してい遠藤がゴール前に流すとそこに走り込んだ岡崎が決める。

本田の出来がよくなくて、他の選手も暑さに負けているようで全体的にまずい試合をしてしまったが、調子が悪くても勝っていけるということはそれだけ地力がついた証左でもある。それと、ザッケローニの選手起用も見事である。以前はよくなぜあの時あの選手を使わないといった論調がメディアで踊っていたが、ザックになってからはあまり聞こえてこない。昨日も、酒井高徳、細貝の起用、前田を下げて本田のトップ、長友を前に出し、清武のトップした、さらに遠藤をあげるという采配も納得である。

これで、首位を独走という感じで、来年3月のヨルダン戦に勝てばW杯出場が決まる。よしよし。酔っ払って気持ちよく寝たせいかすっきり起きたら、これまたいい天気で窓を開けたら素晴らしい富士山が現れてまたま気分をよくしたのであります。
 
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2012年11月16日

RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ

ぼくは定年を迎えるまでに会社を辞めてしまったので、会社を全うするという気持ちがわからないとろがある。ただ辞めたのが50も半ばを過ぎだから定年といっしょでしょと言われそうだが、心持としてはずいぶんと違うように思う。それは、働き方の問題として何歳まで働こうとしているのかによるのではないだろうか。ぼくは少なくとも70歳までは自分のやりたいことを仕事としてやろうと考えたわけで、そうなると60歳定年というのがあまり意味がないことになる。

「RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ」の主人公は電車の運転手として定年退職を迎える男の姿を描いたものである。監督が「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」で助監督を務め、本作で監督デビューとなる蔵方政俊。ですから、鉄道おじさん物語の第2弾である。主演が電車の運転士に三浦友和、その妻の余貴美子が扮している。

今回の舞台は富山県である。富山県というとぼくのヨメさんが小学校時代をすごしたところであり、ぼくの勤めていた会社の工場があったりしてなじみがある。だから見慣れた景色が登場して懐かしさを覚えた。鉄道ものの映画は、こうした特色のある沿線風景が必ず映し出されるので楽しい。

滝島徹(三浦友和)は富山のローカル鉄道運転士として42年間無事故で勤めあげあと1ヶ月で定年を迎える。そんな折に、55歳になる妻・佐和子(余貴美子)は長らく辞めていた看護師の仕事を再開すると宣言する。しかし、徹は昔風の考え方から仕事などせずに家にいることが当然と考え理解できないのである。佐和子は思わず家を出てしまう。そして、離婚届を徹に渡す。

ただ、徹は妻を閉じ込めようというわけではなく、定年後の人生を一緒に歩もうと思っているのだが、妻は自分の人生を生きたいと思うのである。そんな妻の気持ちをずっとそばにいながら気がついていなかったのだ。確かに、夫婦といえども心の底でつながっているのかというとなかなかそうはいかない。どうしても妻が我慢してという構図がこの年代では一般的であろう。

もちろんぼくも身につまされるところもあるが、幸か不幸かぼくのヨメさんは外には向いていかない性格なので映画のようなことはない。しかしながら、会社勤めをずっとしていたら、多少とも衝突が避けられなかったかもしれない。照れずに言うと、会社を辞めて家で仕事をするようになって、時間の余裕もでき、会話も格段に増え、ヨメさんの悩みも聞いてあげられるようになった。仕事と家庭のバランスの大切さを仕事を会社を辞めてから気がついた。

さて、映画の話に戻ると、妻に出ていかれて困り果てた徹であるが、娘夫婦や会社の同僚や部下たち、はたまた学校の同級生などが絡んできて、徐々に徹の心にも妻の気持ちがわかるようになる。そして、様々なエピソードの結果、感動的な再出発が訪れる。そして徹は再び運転手として働き出すのだが、それも人生だし、ぼくのように42年間やってきた同じことをまだ続ける気にはならないということことも人生である。

もちろん、同じくらいの年代のことだから、共感する部分が多いのだが、ストーリーも演出も何というか、嫌味がなくて、まあベタな感じは否めないとしても、すんなり入ってきてとてもすがすがしい映画であった。
  
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2012年11月17日

解散総選挙

抜き打ち的な解散が昨日あった。なんだかんだ言っても首相の専権事項を首相が自ら決めたのだから文句も言えまい。決められない政治だとか非難して、そんなことまでしないと読んでいた自民党はびっくりしてしまった。ぼくは政治的な発言はあまりしないし、言うつもりもないのだが、やはり総選挙となると真剣に考えて、大事な一票を行使しなくてはいけないと思う。

ところが、一有権者として投じる時、どうやって候補者を評価したらよいのか途方にくれる。メディアでも伝えられているように政党の乱立、政党政策の錯綜、党内の分裂、第三極の意味といった中味を吟味する以前の問題として未整理であることが大きいと思う。どうも争点がはっきりしないのだが、消費税、原発、TPP、デフレ、税と社会保障といったところのようだが、そのあたりも○×をつけるとわけがわからなくなる。

そもそもおかしいと思うのは、政策に反とか脱とか言うことである。曰く、反消費税増、脱原発、反TPP、脱デフレといったスローガンが並ぶ。そこの中でも社民党や共産党が行っていることと自民党の言っていることは必ずしも同じではない。これはダメだ、嫌だというのが政策になるというのもいかがなものであろうか。小学校の学級委員会の駄々っ子じゃあるまいし、自分はこう考える、こうしたいをぶつけ合って議論を重ねて最善策を探るのがやるべきことだろう。

そんなことを言うとそれじゃあマニフェストにちゃんと書きますよとくる。ところがこのマニフェストやらアジェンダといったものがこれまた厄介である。民主党の無残となったマニフェストの例をひくまでもなく、口当たりの良いことばかりを書いてみたところで国民をだますことになる。反だ脱だとマニフェストに書かれても、そのあとどうするんだかが曖昧だったらなにもならない。第一、前にも言ったことがあるが、細かい話を一杯並べてこれもやります、あれもやりますと言われても賛成のものもあれば反対のものもある。

マニフェストにある項目の過半数が賛成だからこの政党に入れます。他の党は過半数にいかなかったので外しましたという選び方でいいのだろうか。だから、今のマニフェストは細かすぎるのである。企業の経営だって、理念があって、経営方針、経営戦略、事業戦略、事業計画、戦術といったものがあるが、下位にいけばいくほど変動するというか、環境の変化に沿って変えて行かなくてはいけない。

つまり、国の運営だって同じことで、最初から下位レベルのことを約束したりしないほうがよい。社会情勢、経済状況、外交相手との関係などによって臨機応変に対応すべきものをマニフェストや公約として掲げて、それを金科玉条のように大事にされても困るのである。ですから、もっと上位概念のフィロソフィーや方針とか戦略的な部分での考え方を前面に出してくれた方がわかるのである。

そういった点から見てみると、個別テーマで分けるともう入り乱れていてわけがわからないので、もっと大きな方向性のようなところで整理してもらいたいと思う。そうなると、割とスッキリして、そこに各個人が自分の信条に従って再結集したらよいと思う。今回ではそれは無理なのでここでは各人の立ち位置と括り方を発露しておいて、そのあとに政党を超越してシャッフルしてほしいものである。ああ誰に投票するのか難しいなあ。
 

2012年11月18日

介護の現場

昨日は、ぼくの母親が入所している老人ホームの10周年記念イベントにヨメさんと二人で行ってきた。オープンしてからちょうど10年経つという。普段3日に1度は行っているので行くこと自体は何も面白くないのだが、食事と催しものがあるというので楽しみにしていく。ここは年柄年中、イベントを企画して飽きさせないようにしている。

お花見だとか夏祭り、花火大会、クリスマス会といったものや、毎月移動レストランといって和食、洋食、中華のシェフが来てその場で作って食べさせてくれる。その他にも、映画会や音楽会、書道、お花、俳句といったことまで盛りだくさんである。昨日は、食事がお弁当と地産地消の食材を使った料理のビュッフェが出ていた。いいもの食べているなあと感心する。

食事のあとは、そこのスタッフのひとたちが演劇と演奏を披露したのである。そこで老人ホームで働いている若者が楽しそうに芝居をし、歌って演奏する姿を見ていて微笑ましくもあり、たのもしくも見えてきたのである。得てして介護の現場はきついと言われかねないのだが、決してそんな感じがないのである。

芝居はなんと水戸黄門である。セリフを忘れることもしばしばでみんな大笑いである。ホーム長が悪代官になって懲らしめられると拍手喝采、老人たちに大ウケである。次に、ギターとウクレレの演奏で歌をうたう。忙しい仕事の合間にみんなで練習したのだそうだが息もあって見事であった。これとても楽しそうに笑顔いっぱいである。

きっとみんな忙しい中でこの日のためにアイデを出し合い、練習をしてきたと思うが、和気あいあいとした雰囲気が伝わってくる。外から見ているので内実は分からないのだが、もしいやいややっているとしたら、必ずどこかでぽろっと出たりすると思うのでおそらくそんなことはないように感じられる。まあ、入所金も管理費も高いので働く人たちの待遇っもいいからだと言ってしまえば身も蓋もないのだが、それ以上に人事マネジメントの問題でもあるように思う。

ですから、入っている人たちもギスギスしていない。もちろん、うちの母親もそうだがどんどんボケてきてわがままにはなってくるが、不満は減ってきている。これが特異なケースでないことを祈るのだが、これからぼくらの世代もだんだん老人ホーム生活者が増えてくるわけなのでこうしたホームが増えてくるとよい。ぼくは、ヨメさんよりも早く死ぬから入る機会がないと思うが、万が一に入ることがあったときのことを考えるとこんなホームだったら入ってもいいなあと思うのだ。ただ、経済的な問題をクリアしたらだけどね。
  

2012年11月19日

ビジネスサービスのつくり方 - はじめに

明日11月20日にうちの社長が著した「Webサービスのつくり方」(技術評論社)という本が発売される。これまで多くのWebサービスをひとりでつくってきた経験を踏まえて、それこそ心構えから企画・設計・開発・運用までをやさしく解説した本である。これを読むと、僕のようにプログラミングもWebサービス開発もやったことのない人間でもちょっとやってみようかという気になる。それは、つくっている人の楽しげな気分が伝わるからだと思う。

翻って、業務システムのエリアでもそういうことがあるのだろうか。 そもそもWebサービスという呼び方に対応したものがあるのだろうか。少なくともサービスをつくるという発想は希薄なような気がします。しかしよく考えてみるとITを使って個人生活を楽しむ、スタイルを持つということを会社生活、仕事スタイルについても同じではないだろうか。ならばそうした"ビジネスサービス"を自分の手でつくってみたらいかがでしょうか。

ただ気をつけなくてはいけないのは、毎度のことですがいま注目のBYODの延長のように考える人がいるが、あくまでチームとして、組織としての活動に対してなので間違わないようにしたい。こうして自分たちが使うサービスを自らの手でつくると考えると旧来の方法と180度違うことに気がつきます。これまでの開発工程の要求分析とかテストといったものがほとんど必要ではなくなるのだ。

なぜなら、もともとニーズを持った人が、ニーズに答えられるような仕組みを作るわけだから、できた時は使う時なのである。このように使う人と作る人が同じであることのメリットは非常に大きい。今の開発の問題は両者のコミュニケーションギャップであるといっても過言ではないからである。だから、前にも言ったように失敗することはないのだ。だって、使えないものは最初から作らないし、できなかったら途中でやめるだけなのである。

ということで「ビジネスサービスのつくり方」というタイトルでシリーズ化して書いていきます。「Webサービスのつくり方」と同じように各フェーズの要素についてエッセイ風にまとめていきます。おそらく数は30くらいになろうかと思います。一応大きな章立ては元ネタに合わせて次のようにします。

1. 心構えと下準備
2. 企画
3. 設計
4. 開発
5. プロモーションと運用

上述した趣旨からもわかるように、ターゲットとしては情報システム部門あるいはユーザ部門のIT担当者を想定しています。ビジネスとITを両方知っている立場の人が担うべきことだと思うからです。ITの専門家は要らないというメッセージなのですが、SIerやベンダーあるいはコンサルの人たちを拒否するわけではけっしてありません。従来の構図がシフトしていますからそのことを理解していれば大丈夫です。

ビジネスソフトウエアを作る人とそれを使ってビジネスアプリを作る人が明確に分かれるというパラダイム変化を言っているのです。このビジネスアプリを作る人向けの記事になるのです。これを読んでぼくも、わたしも作ってみようかと思ってもらえることを願っています。
  


  

2012年11月20日

幸せの教室

「俺が頭にきて、腹が立つのは、おれは巨乳が好きなのに、お前が貧乳だからだ」と言われて激怒したメルセデス・テイノー(ジュリア・ロバーツ)はヒモ亭主と別れる。「お前は高卒だからこの会社では出世の望みがなからクビだ」と言われてラリー・クラウン(トム・ハンクス)は失職する。この二人が、大学で出会うのである。「幸せの教室」はトム・ハンクス監督、脚本、主演の中高年向きに映画である。

メルセデスは、教えることへの熱意をなくした大学教師である。そこのスピーチの授業に、リストラから立ち直るべく大学に通うことを決心したラリーがやってくる。情熱もなく酒に溺れるメルセデスに反して、ラリーは年齢も人種も違う学友たちとキャンパスライフを楽しむのであった。そうしたラリーの素直な振る舞いや立ち直ろうとする姿にメルセデスは徐々に目覚めていき、やがてラリーに惹かれて行くのである。

というように、言ってみればドラマチックな展開や崇高なテーマがあるわけでもないのだが、さらりと現代の縮図のような要素をいっぱい詰めこんでいておもしろかった。不況によるリストラ、仮面夫婦生活、人種のるつぼの大学、授業風景、友人模様、起業、バイク族などが適当にちりばめられていて、アメリカの一断面が垣間見られたような気がする。

また、冒頭の貧乳問題も含めてユーモアもある。ラリーが学校で出会った女友達が腰に「醤油」という字を刺青をしてこれは中国語だと思っていたが、寿司を食べていたらそこに醤油がついてきて日本語だったことに気が付くとかいったエピソードも思わず笑ってしまった。映画の最初の入りもテンポがよくて、こうした軽いオトナの映画は僕の好みだ。

これはアメリカ映画であるが、日本ではあまり見られない系統のもので、本来は日本も粋で洒落れた文化があるはずなのだが、なかなか出てこない。どうもウエットな部分を見せたがる傾向があって、それは作り手側の問題というだけではなく、観客の好みや評価の問題(この映画も評価は低いようだ)が大きいように思える。いくらそういった作品を作ったところで、観客数が稼げないから避けるのである。ただ、最近はぼくらのようなおじさん、おばさんが多くなったのでぜひこうした映画を作ってほしいものだ。

それと、演じられる役者さんが少ないこともあるのではないだろうか。本作のトム・ハンクスとジュリア・ロバーツなんかは嬉々として演じているようで楽しい。日本の役者さんが、同じ作品を演じたらどうなっているかを考えてみると真面目で硬くてだめだろう。要するに、ユーモアとかジョークの文化の差かもしれない。
 
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2012年11月21日

職種名

IPAのITスキル標準によれば、職種を11種類に分けている。マーケティング、セールス、コンサルタント、ITアーキテクト、プロジェクトマネジメント、ITスペシャリスト、アプリケーションスペシャリスト、ソフトウエアデベロップメント、カスタマサービス、ITサービスマネジメント、エデユケーションである。昔は営業とSEとプログラマーぐらいだったように思う。

さらに、これを職種ごとに35の専門分野を設けていて、それぞれの専門分野に対応して、IT技術者個人の能力や実績に基づいて7段階のレベルを規定している。こんなに細分化してどうするのだろう。だいいち、この領域の技術は日進月歩でどんどん変わっていくから規定したところですぐに陳腐化するという事態になる。もっと気楽に大雑把にやればいいのではないだろうか。

例えば、最近ではどんどんWeb系のサービスや技術あるいはデバイスも入りこんできているが、Web系の技術者にこの標準を当てはめるのだろうか。そして、クラウドの登場やパッケージ、ツールも充実してきた今日ではシステム開発の概念も随分と変化してきている。こういった変化の激しい時は、細分化して硬直的に規定するのではなくもっと柔軟にしておく必要がある。

そう言う意味では、上流の要求獲得・定義、プロセス記述・設計、実装・業務適用といったぐらいのジャンル分けでシステム開発プロジェクトは動かせると思うのである。プロジェクトマネジメントやITアーキテクト、プログラマーがいないのはおかしいと思われるかもしれないが、従来の発想だと必要かもしれないがこれからの開発はこれらの職種が要らないプロジェクトにすべきなのだ。

先日、カリフォルニア州立工科大学情報工学部の一色浩一郎教授にぼくも参加した中小企業の業務見える化プロジェクトの実際を見てもらった。一色先生は要求工学が専門で、ビジネスアナリストの養成にも力を入れている。この事例を見て先生はかなり高く評価してくれて先生のセミナーにも一部取り入れられるかもしれない。米国の大学の先生が足立区の小さな会社の事例を熱心に聞いてくれて素晴らしいと言ってくれたのには驚いた。

終わったあと、一緒に食事をしながら話したのだが、そのなかに「ビジネスアナリスト」という言葉について議論になった。一色先生の頭の中では、要求獲得からプロセスデザインあたりまでをイメージしている。それに対して、ばくは“アナリスト“というネーミングだと、どうしても”分析する“という捉え方をしてしまうということを言った。分析して終わりという風に感じられるのだ。

そうしたら他の人にも同じように指摘されたといって、それではプロデユーサーというのはどうかと言われる。そこでぼくは映画作りの例を持ち出して、プロデユーサーだけではだめで、演出家とシナリオライターがいると言った。先生は元々ビジネスアナリストをジュニア、ミドル、シニアと3段階に分けていたので、そうだジュニアをビジネス(プロセス)デザイナー、ミドルをビジネスディレクター、シニアをビジネスプロデユーサーと呼ぼうと手をたたいていた。

たかが呼び名、されど呼び名ということで意外と重要なのである。誰でもすぐに理解できるような名前が未だにないからなのだが、先日もそのことで集まりを持ったりした。さて、どうなるのだろうか。少なくとも官製の細かい呼び名はやめたほうがいいと思う。
  

2012年11月22日

都市と消費とディズニーの夢

副題が「ショッピングモーライゼーションの時代」である。「都市と消費とディズニーの夢」(速水健朗著 角川oneテーマ21)は都市がショッピングモール化していることをテーマにした本である。都市の姿形を捉えるためのツールとして、ショッピングモールを研究、分析したものだという。

そのために、まずは競争原理と都市と題して、都市の再開発が民間主導になり、そして経済合理性や競争原理で書き換えられて行くという変化について述べている。駅や空港といった公共スペースが、ショッピングモールになりつつあるということである。次に、ショッピングモールの思想・理念についてである。商業施設の発展版としてではなく、都市計画の延長で生まれたのだという。ここで重要な人物としてウオルト・ディズニーが登場する。

ウオルト・ディズニーの野望は都市計画にあって、それがショッピングモールのテーマパーク性につながるという話である。ウオルト・ディズニーの夢見た都市というのは犯罪も交通渋滞もなく、人々は皆顔見知りで構成され、和気あいあいと暮らすことができる場所だったそうだ。しかしながら、彼の死によって幻のものとなってしまった。

そして、ショッピングモールの歴史である。ショッピングモールはアメリカで発生したもので、20世紀半ばの都市の郊外化に伴って起きています。同時に都市の荒廃化ももたらすわけです。日本ではどうかというと、アメリカの郊外化の論理とは違っていて、鉄道主体で行われてきた。日本における最初のショッピングモールは1968年東急二子玉川駅の近くにできた玉川高島屋ショッピングセンターからだそうだ。

ただ、大きく普及しだしたのは1990年に入ってからで、場所も駅そのものがショッピングモール化するとか様々な形態が登場してきます。それと同時に、単なる商品を販売するところから、シネコンのようなアミューズメントを核としたモールなど形態も変化してきている。観光地もそのままショッピングモールになっているところもある。

ぼくは、もうかれこれ30年くらい前にアメリカのヒューストンに行った時に大きなガレリアのショッピングモールを見た時にはびっくりした。巨大な建物と広大な駐車場に多くのテナントを見て、こりゃあの広いアメリカだからこそ存在しているのだと思ったのだが、昨今では、自分の家の近所にも似たようなショッピングモールができてきている。

ところで、この本の結論は何なのだろうか。都市のショッピングモール化を研究してどうだったのだろうか。最後に著者は「ショッピングモータライゼーションが単なるシャレや思いつきなのか、それ以上の意義がある考察なのか、著者にはよくわかりません。」ときた。その前に、モータリゼーションは、都市計画から住生活、そして消費形態に至るまで、人々の経済活動全体を根本から変えたと言っておきながら、そりゃあないだろう速水さん。
 

都市と消費とディズニーの夢  ショッピングモーライゼーションの時代 (oneテーマ21)
速水 健朗
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2012年11月23日

生産管理システムとひとことで言うけれど

○○管理システムという呼び方が嫌いなのだが、リソースに関して管理というのは許すとしても、販売管理だとか購買管理、生産管理というのはどうも気にくわない。人材管理、設備管理、資金管理なんていうのは、対象物をビジネス活動で有効に活用できるように常に管理しているということだから、何となく管理というイメージでもおかしくはない。

しかしながら、販売・購買、はたまた生産といったことを管理するというのはどういうことなのだろうか。リソースとは違うというのは、その名のもつ性格でも分かる。つまり、リソースの方は名詞形である。人材、設備、資金というのは名詞である。ところが販売、購買、生産は動詞形である。売る、買う、作るです。その中間的なものに、在庫、物流といったものがあります。

そして動詞形のものは動きを伴ったものですから、状態を変化させるという意味でプロセスが主体になっていることが分かると思います。さらに、販売・購買と生産とではまた相違があります。外部プロセスか内部プロセスかという問題である。外部プロセスというのは顧客やサプライヤーと接点を持っているといることである。一方、内部プロセスというのは、もちろん間接的には顧客やサプライヤーとはつながっていますが、基本的には、自分たち都合というか、自分たちのペースでプロセスを動かすことができるという意味で内部プロセスなのです。

ということは、生産管理(とりあえずそう呼びますが)というのは、他の業務形態と一線を画したものであるように思います。その辺を少し見て行くと、大きく業務機能の構成は、計画、プロセス(実行)、リソース、アフターサービスとなりますが、生産では、生産計画を立て、それを主に設備と人を使って生産プロセスを動かし製品を作りだします。また、できた製品が返品されることもあります。

ということなのですが、待てよ、そうかなあという疑問が湧いてきます。つまり、本当に内部プロセスだけなんのかという疑問です。標準品などのように作りだめして在庫としてもつのだったらわかるのですが、そうではない受注組立生産(BTO)、受注設計生産(ETO)では、お客さんの注文に答えて作るので外部プロセスだとも言えます。

どうして、そんなことを言うのかというとどちらも同じような生産システムと言っていることが気になったからである。しかも、最初に言ったように生産管理システムと言っている。受注生産型では、大事なことはお客さんとの関係性であるから管理というのもおかしい。作り手側の都合だけで決められないし、行ったり来たりの調整が多い。場合によっては、一緒になって新製品を開発することもある。

例えば、今の生産システムでは、オーダーを集約して、それらの生産スケジュールを立て日程展開するといったことが行われる。しかし、受注生産の場合集約は難しく、一品料理的なさばき方になるはずである。計画もあらかじめ作れるものではない。

従って、生産を一括りにしていることがおかしくて、今のシステムに合った生産型ももちろんあるが、そうではないものもあるわけでそこへの対応がうまく出来ていないように思うのである。これからはデルモデルなどのように顧客と密接に結びついた生産が増えてくるから生産システムも変化していかなくてはいけないと思うのである。そうです、よりプロセス志向になるのです。
  

2012年11月24日

会社に頼らない強い生き方

これはぼくのことではない。うちの社長のことらしい。先日ちらっと「Big Tomorrow」という青春出版社から取材されたことを書いたが、その記事が今日発売のものに載るそうだ。ぼくはとりあえず一緒のところを写真に撮らせてくれというので出かけたのだが、なんだかんだとライターさんと話しているといつの間にか子育て論みたいなところに行ってしまった。

そうしたら、単に写真だけと思ったらぼくの言っていたことが出ていてびっくりした。この記事にあるように社長はどこの会社にも勤めたこともなくて大学院を卒業するといきなり起業して社長になったというのが面白がられるのだが、今回はさらに親父を従業員として雇ったということが珍しいということのようだ。

確かに、大体においては親が経営者となってそこで息子は修行して一人前になったとことで、バトンタッチというのがノーマルな道筋なのかもしれない。しかし、ITの会社だし、二人だけなので、頼りない若僧だって社長でいいじゃないかというノリである。でもそこの記事には書かれなかったが、今の時代だからこそ出来た話で、伝統的な修行プロセスを経なくとも会社は起こせる時代だってことなのだ。
 
どこが違ってきたのかというと、リスクが小さくなったこととネットワーク型プロジェクト式で仕事ができることだと思う。つまり、大きな投資を伴うわけでもなく、ちょっとした蓄え(うちの場合はぼくの早期退職の割増を充てた)があってPCと通信手段があれば始められる。そして、仕事のやり方も気に入った人と組んでプロジェクトとして一過性でやることができる。そうしたネットワークの構築も比較的楽にやれるようになったことが大きい。

とはいえ、さんざん苦労したことも確かでここのところにきてやっと社長もぼくもいくつかの収益源を確保できるようになった。おそらくお手本になるようなことはないだろうが、そんな会社もあってもいいかなと思う。

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2012年11月25日

サンフレッチェ広島優勝おめでとう

今年のJ1の覇者はサンフレチェ広島に決定した。昨日の第33節広島はホームで4-1というスコアでC大阪を圧倒し、2位の仙台が負けたため最終節を残して優勝を決めた。広島の試合はあまり見る機会もなかったのだが、昨日の試合をTVで見ていて年間王者になるのも不思議ではないと思った。それだけ、広島の強さが目立っていた。

Jリーグの発足時の参加チームでいまだにリーグ戦、カップ戦を通して優勝経験がないのは広島だけだったそうだ。それを聞いてぼくは意外な感じがした。というのもぼくらの年代にとって、サンフレッチェの前身である東洋工業の全盛時代を知っているからである。1965から始まった日本サッカーリーグでは、ダントツの強さを発揮した。

1968年のメキシコオリンピック銅メダルのチームにも小城得達、松本育夫、桑原楽之が選ばれている。埼玉、静岡と並んでサッカー王国と言われた割には結果が残せていなかったのだ。しかし、今の広島は強い。強いだけのサッカーをやっている。2006年から指揮をとったペトロビッチの功績が大きいが、そのあとを引き継いだ森保一監督がきっちりと結果を出したのは素晴らしい。

またまた、昔話になってしまうが、この森保はぼくの大好きなプレーヤーの一人であった。現在44歳だから、20年前にオフトジャパンに召集されてからは日本の守備的ミッドフィールダーの第一人者となった。まだ、当時はボランチという言葉がなかったが、まさしく日本のボランチにふさわしい活躍をした。本当に危ないと思った時に必ず森保がいたという感じであった。そういえば、J2のプレーオフで6位から昇格を決めた大分トリニータの監督の田坂和昭もそんな選手であった。ボランチの選手の監督は向いているのかもしれない。

広島の強さは、チームとしての連動性だろう。昨日の試合でもこの良さが十二分に発揮されていた。攻撃にしても守備にしてもチーム全体として何をしなくてはいけないかが明確になっていて、それを選手全員が理解して、お互いに信頼している。

だから、例えば単純に攻めあがるだけではなく、詰まったなと思うと一旦ディフェンスに戻して再度組立て直すというのはどこのチームでもやるのだが、仕方なしにやっているところが多い中で、このチームは全員が次の攻撃のために何をしたらよいのかを頭に入れて、次の次くらいの予測をして動く。こうした緩急のある連動性こそ広島の真骨頂である。いやあ素晴らしい。

ところでJリーグの面白さは、単なる順位争いということではなく、トップではACL出場権を得る戦いがあるし、J1とJ2の間の昇格、降格争いがある。今年はJ2からの昇格がプレーオフ形式になったのでなおさらスリリングになった。大分の6位からという下克上もあった。野球のように消化試合が少ないことは良いことである。と同時に地域に根ざしたチームのあり方にも差があると思う。昨日の広島のスタジアムの雰囲気はうらやましい限りである。来季は、J1での湘南ベルマーレの活躍を期待しよう。
  

2012年11月26日

ビジネスサービスのつくり方 - 第1章 心構えと下準備

■ 「ぐだぐだ言ってないでプロセスを書けよ、ハゲ」
ウェブ系のハッカー(ハッカーというと不正侵入をする人みたいに言われますが、高い技術を持ったプログラマーという意味ですよ)たちの間で「肝に命じる」言葉として、
Shut the fuck up and write some code.
というのがある。ちょっと下品な言葉遣いですが、日本語に訳すと「ぐだぐだ言ってないでコードを書けよ、ハゲ」という感じになる。

小飼弾さんの「勝負Tシャツ」の文言でもあるが、彼曰く、たまたまコーダーだからこうなるけど、デザイナーならデザイン、絵師なら絵、ブロガーなら文書という具合に「とにかく作品作ろうぜ」というのがその真意だという。それにならうとぼくのいるところでは標題のようになる。ただ、コーダーには頭髪の問題を抱えた人が少ないからいいけど、業務系はズバリの人が多いので注意しましょう。

プロセスを中心にして業務を見ていこうということなのだから、とやかく言う前にプロセスを書こうぜというのが言いたいのである。ただ気をつけなくてはいけないのは、コードを書くということは実際に動く作品になっているということで、従って、プロセスを書くということはそれが動くということでないと、それこそ絵にかいた餅になってしまう。

まあ、それよりも前に戦略だとか、KPIだとかBSCだとか言うけどそこまででじゃあそれ実際の現場で動かして、やりたいことを実現しているのかというといささか心もとないのではいだろうか。「Webサービスの作り方」という本では、こうしたことについて、1000人いたとするとアイデアを思いつくのが100人、アイデアを実現するのが10人、アイデアで成功する人が1人と言っている。

業務系の世界で感じるのは、やはり100人のところに多くの人がいるように思います。アイデアの実現や成功は実際に動かして、検証して初めて行き着くところなのですが、そこまで踏み込まない人がほとんどです。思いつくのはいわば単なる個人の意見に過ぎないわけですが、プロセスを書くと考えていたことがどう動くかがみなに晒されて検証されることになります。ですから、思いつきの段階でよく同じことを俺も考えていたのにという人がいますが、動かしてみてから言って欲しいですよね。

ここで先ほど言った、プロセスを書くことが動くことでなくてはいけないということを考えてみましょう。コードは環境があれがすぐに動かすことができます。というこは、プロセスをすぐに動かす環境とはいったい何のかということになります。それがBPMN(Business Process Modeling Notation)ですよねと言われそうだが、そう短絡的に結論を出さないでちょっと待ってください。おいおいこのあたりの話をしていきます。

ここで、言いたいことは要するにああじゃないこうじゃないと言うのなら口先だけでなく実際に動くもの、つまりビジネス現場で働いている人が仕事で実際に使うものを作ってからにして欲しいと思うのである。自分で直接作れなくても少なくともプロセス設計ぐらいまでは自分でやるべきだと思うのですがいかがでしょうか。
  

2012年11月27日

幸せへのキセキ

幸せの教室に続いての幸せシリーズといっても、こちらの原題も幸せという言葉はどこにもなく「We Bought a Zoo」」がそれである。「幸せへのキセキ」はひょんなことから動物園を買ってしまった家族の物語である。キャメロン・クロウが監督で主演がマット・デイモン、共演がスカーレット・ヨハンソン、トーマス・ヘイデン・チャーチらである。

動物園付きの家を買うなんて現実的ではないと思えるのだが実話だという。ベンジャミン(マット・デイモン)は突撃取材が得意のコラムニストであるが、半年前に妻を失い、14歳の息子と7歳になる娘とともにその悲しみから立ち直れないでいた。ベンジャミンは仕事を辞め、息子は学校で問題を起こし退学となる。そんな転機を迎え引っ越すことにする。

そして、気に入った家をみつけるのだが、何とそこには閉鎖した動物園だったのだ。閉鎖したといってもまだ動物はそこで暮らしている。飼育係やスタッフもまだいるのである。そこでベンジャミンはこの動物園の再建を決意する。しかし、そこは素人でもあり、また再建のための費用がどんどん膨らみついには底をついてしまう。撤退と諦めかけた時、亡き妻の贈り物で救われる。

一方の子供たちも徐々にではあるが環境に慣れてくるとともに父親となじめなかった息子も打ち解けてくるのである。いくつかの試練を乗り越えてついに開園こぎつける。お客さんが来てくれるのか心配するのであるが、待ちわびた人々であふれるのである。ストーリは、動物園を買ってしまうという非現実性はあったとしてもそれからの物語はある意味ベタな成功譚なのだが素直に感動してしまう。

そこには、家族や協力者たちとの人間的な触れ合いが実に爽やかなのだ。むしろわざとらしくなくおとなしいくらいに展開していくからこそジーンとくる。まあ、こうした「喪失と再生」の物語は受けるのではあるが、今言ったように清々しい感動を呼ぶ作りは評価してよいと思う。キャメロン・クロウはもともとは脚本家だからシナリオがしっかりしていることも大きい。佳作と呼べるよい作品だ。

その前に見た「幸せの教室」もそうだが、最近こうした欧米系のヒューマンドラマが好きになっている。お前は日本人なのだから日本のそうした映画のほうが好きなんじゃないかと言われそうだが、日本映画には割とこうした映画が少ないこともあるのだが、ベタベタした感じのものになるので好きになれない面がある。ユーモアとかペーソスを乾いた目で作る作家が日本には少ないのではないだろうか。

それは実社会の中がウエットで「空気」が支配する世間があるから、それを反映してしまうからでもある。どうも、日本のそうした陰湿さより欧米の家族の中でさえドライな関係性に居心地の良さを感じるのである。ハリウッドのドンパチは好きではないのだが、この手のドラマは好みである。
  
siawaswenokiseki.bmp
  

2012年11月28日

「売れないモノを売る技術」、「営業の問題解決スキル」

ぼくは、会社勤めの時には技術畑がほとんどだったので、営業という仕事したことがない。しかし、今の会社では営業をしなくてはいけないのだが、そうガツガツ仕事をとってくるという気はなく、口を開けて待っていて入ってきたものに食いつくというスタンスだからあまり熱心ではない。うちの社長も同じように名前を晒しておいて来るのを待つのが基本だ。

とはいえ、ぼくのお客さんの要求に営業関係が多いこともあり、少しばかりは勉強しておかなければいけないと思って、マーケティングの本を読んだりした。それとともに営業活動そのもののことも知ろうと思って「売れないモノを売る技術」(河瀬和幸著 ベスト新書)、「営業の問題解決スキル」(斎藤顕一著 BBT ビジネス・セレクト)を読む。

前者は、販売員として店頭に立って売る仕事でそこでカリスマと呼ばれるようなスーパー営業員の人が書いた本で、後者は営業スキルを身につけるための自己啓発本といったところである。あまたの営業に関する本が世の中にはあるが、大体においてスキルアップ講座的なものと、営業の神様と呼ばれたひとの経験談といったものに二分されるのではないだろうか。

「売れないモノを売る技術」の河瀬さんという人は丸紅の関連会社でトップ営業マンになると、その後イエローハットでタイヤ売上日本一、2000年に独立して販売員となって東急ハンズで8年連続で売上第一位商品を売ったというすごい人です。販売員というのは、デパートやスーパーなどで実演販売をして商品を売っているような人で、ついその人の誘いに乗って買ってしまったという人も多いかと思う。

売れないような商品でも、売れるようにする自信があると豪語している。そのためには漠然と売ろうとするのでは、プロデュースしようという思いが重要だと説く。つまり、売るためには商品の良さもさることながら、その売り方の仕組みやお客さんが自然と寄ってくるような売り方があるのだという。ただ、この本ではそういった店頭販売をやっている人向けに書いてあるから、そうでないぼくみたいなものにとっては特異なことに捉えてしまう。中身はかなりマーケティングだとかプロモーションの話だから、一般化してもらいたい。

一方の「営業の問題解決スキル」の方は逆に一般的すぎてインパクトがない。教科書に書いてあるようなことを並べているだけである。「価値提供の営業」といって顧客を徹底的に理解しろだとか、顧客の業績向上のために提案せよとか、自社の強み・弱みを知れとか言っているのだが、最後に価値営業の成功の秘訣は人間力にあるとくる。

結局、営業の問題って、教科書にはいいことがたくさん書いてあっても、その通りにやれることは全体のスキルのわずかであって、ほかのところは属人的というか、個別の営業マンの「人間力」になってしまうのかと思うと、その「人間力」を付けさすにはどうするかが大事なのだがそんなことに答えてくれる本はないのだ。
  

売れないモノを売る技術 (ベスト新書)
河瀬 和幸
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営業の問題解決スキル (BBTビジネス・セレクト)
斎藤 顕一
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2012年11月29日

オペレーションの重要さをもっと知ろう

ちょっと前のChikirinの日記に「リーディングカンパニーが積み上げる珠玉のオペレーション」というタイトルの記事がでていた。彼女は“時代の先端的な技術”よりも、“各業界のリーディングカンパニーが長年かけて作り上げた超高度なオペレーションシステム”の方に興味があると書いていて、アマゾンがすごいと賞賛していた。

そして、オペレーションというのは、一朝一夕でできわけでもなく、ひとにぎりの優秀な奴がいればいいというけでもなく、それを極めるには時間もかかるし、多くの人の知恵もいるというわけである。だから一旦築き上げると他はなかなか追随できないのである。ここが非常に重要な視座であるのだが、意外と気づいていない人が多いような気がする。

よく差別化だとか競争優位といったことが語られるのだが、すぐに戦略的なことだとかビジネスモデルなどが焦点となるが、実のところ優れたオペレーションシステムにこそポイントがあるのである。なぜならば、戦略もビジネスモデルも立派なものができたとしてもそれを実行して初めてビジネスに貢献できるからである。その実行するプラットフォームを作ることが大切なのである。

日本BPM協会から出された「BPM推進のステップとキーポイント」には3つの輪が示されている。PC(Process Change)、PD(Process Development)、PO(Process Operation)のことで、プロセス改革推進、プロセス開発、プロセスオペレーションのサイクルが継続的に回っていることが大事だと言っている。業務オペレーションの主要な部分というのは、プロセスオペレーションだから、ここが強調されてことは大きな意味があるのだ。

PCというのは、ビジネスモデルと事業戦略からビジネス要求を引き出し、それを埋め込むハイレベルのプロセスを特定するフェーズのことで、そこでフォーカスされたビジネスプロセスを設計するのがPDで、できたプロセスを実際に動かして成果を出すのがPOである。この3つのフェーズをみたとき何が重要なのかというふうに考えてみてください。実は、どれが一番ということではなく、それぞれが大事であるのだが、その割には今までオペレーションの問題が軽視されていたと思うのである。「役に立たない正しいシステム」を作り続けて来たというのはこのことが原因である。

今言ったようにそれぞれのフェーズがどれも重要なのは言うまでもないのだが、重要さの性格が違うことも理解しなくてはいけない。PCでは、経営あるいは事業という視点で俯瞰してみるということが大切で、いわば大局観である。PDでは、大局観から生まれたビジネス要求を実現するためにどういった仕組みと仕掛けにするかという意味で、布石である。

そしてPOである。泥臭い話であり、人間が表に出てくる。実際の斬った張ったの戦いの場なのである。いくらいい戦略を立ててもここで負けたら何にもならない。4隅の死活争いである。戦争だって最後は前線の戦いや兵站線で勝敗が決するのである。そうだったら、もう少し、オペレーションから発想してもよさそうだと思いませんか。

つまり、オペレーションで勝ちたいけどシステムの動きが悪いから何とかしてくれとか、オペレーションが回っていないのでプロセスを変えてくれとか、お客さんの望んでいることはちがっているよといったことが起きる。こうしたことがこれまで捨てられてきたように思う。これを拾い上げるようにしたいのだ。つまり3つの輪のサイクルをどこからもスタートして連動させるイメージだ。

こんなことを言うと、部分最適になるとか、木を見て森を見ないようになるとか言われかねないのだが、繰り返すがこれまでPCとかPDに重心があったものを少しでも移動させたいからなのである。ただ、ここでいうオペレーションは人間主体でITを利用して行うものであって、コンピューターに任せて自動化することとは違うので間違わないようにしてもらいたい。
 

2012年11月30日

キツツキと雨

「南極料理人」というちょっと楽しい小品があった。その監督が沖田修一という若者である。その沖田監督の最新作「キツツキと雨」を観る。主人公が武骨な木こりと初演出の新人監督という設定だから、監督自身のことにかぶってくる。木こりには役所広司、新人映画監督には小栗旬が扮している。小栗旬も「シュアリーサムデイ」という映画を演出しているのでこれもかぶっている。

「シュアリーサムデイ」のぼくの評を見てみると、“素人の域を出ない未熟な作品だが、光るものも少しはあった”と書いてあった。おそらく、「キツツキと雨」に出てくる監督の作品もきっとそんな評をもらうようなものだったろうと想像する。その新人監督が撮る映画はゾンビが出てくるのだが、何とも頼りない監督ぶりなのだ。

ストーリーは、山の中の村に映画の撮影隊がやってくる。その撮影隊をなぜか手伝うはめになった木こりの克彦(役所広司)は、自分の息子くらいの歳の新人監督幸一 (小栗旬)の頼りなさを苦々しく思う。一方で、3年前に妻に先立たれ、息子浩一(高良健吾)と二人暮らしだが、こちらの浩一にも手こずっていて、息子は家を出て行ってしまう。

しかし、木こりと新人映画監督の奇妙なつながりが続いていく。そうなると少しずつ打ち解けあって、静かだった幸一も会話をするようになる。克彦が村の人々を巻き込み、かれらがエキストラとして参加し、また少しずつ意気も上がってきた演出ぶりもあって、撮影も盛りあがっていく。やがて、息子の浩一も仕事やめて家に帰ってきて、父の仕事である木こりを継ぐことになる。

もちろん予定調和の世界だからバンバンザイの終わり方だが、ゾンビ映画という設定もなかなかユニークで面白いし、役所のコミカルな演技もさすがと思わせ、小栗との絡みも楽しい。「南極料理人」もそうだが悪い人間が出てこないから毒にもならないが、これが沖田監督の持ち味なのだろう。

しかし、この映画のテーマは何なのだろうかと思ってしまう。たぶん親と子だろうと思う。象徴的なシーンが、克彦と一緒にそばを食べながら幸一が、映画を撮り始めたのは父親が買ってきたビデオカメラを自分が使いだしたのがきっかけで、そのために家業の旅館を継がなくなったので親父は後悔しているんじゃないかと言う。それに対して克彦は、自分の買ってきたカメラが息子の人生を変えたんだ。嬉しくてしょうがねえだろうよと言う。

それと、浩一とも幸一とも自分で作った将棋盤をはさんで将棋を指すところとか、浩一が職を失って帰ってきたときにも周囲の非難を一蹴するといったシーンが出てくるように、無骨の中にある愛情を子供世代の若者に向けて、それを受け止める若者という構図が主題であろう。ただ、こうした関係性も少し古色然としたような気がして、だいいちあんなにシャイでナイーブな25歳の映画監督がいるのかと思ってしまう。
 
kitutuki.bmp
 

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