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2012年10月 アーカイブ

2012年10月 1日

台風直前フットサル

今日は台風一過の秋晴れで気持ちいいのですが、昨日は台風が来るというのにフットサルがあった。大学の時のサッカー部のOBと現役の交流イベントとして昨年から始めたものである。昼にフットサルを楽しんで夕方から懇親会という段取りである。会場が、田園都市線の鷺宮にあるフロンタウン鷺沼である。そうなんです、Jリーグ川崎フロンターレが運営しているフットサル場です。駅からすぐで6面もある大きなフットサル場です。

今回はOBの集まりが悪くしかも台風でこれない人が続出でしたが、現役が多数参加で盛り上がりました。ぼくは、現役の女子マネがいっぱい参加することになった懇親会目当てで行こうと思ったのに何と台風で中止となった。帰りが心配になるからということで当日にキャンセルだったのですがさすが台風なのでキャンセル料はなしでした。

年寄りのサッカーを論評してもしょうがないので現役の子たちのこと少し。フットサルといえ現役の子たちのサッカーをみていると時代の移り変わりをつくづくと感じる。要するにうまいのだ。ボール扱いなんてぼくらのころと雲泥の差でみな器用に操る。きっとみなさん、小さいときにサッカースクールに通っていたにちがいないと思う。

ただ、ちょっと印象的だったのはみんな一緒の体つきで同じようなプレーをすることである。要するに個性的な感じがしないのだ。そりゃあ今とは比べ物にならないくらいレベルが低いけれどぼくらの頃はただ足が速いだけとか、体がでかいやつとか、ボールを持ったら離さないやつとか、ヘッディングがめっぽう強いやつとかがいた。

だから今のやつはダメと言っているわけではなくおそらくそういう繰り返しじゃないかと思うのある。つまり、みんなが同じようになところから個性を持った突出したやつが出て、そこにみんなが追い付いて、また横並びになって、そこに個性が発揮されてといったことが繰り返されることでレベルアップしていくのだろう。

こんなところにも日本のサッカーが強くなってきた現象の一端が現われているような気がした。当たり前なのだが、底辺の広がりとレベルアップがトップチームの力になっているということだろう。帰りの電車が心配になったので途中で失敬したが、返すがえすも女子マネとの懇親が飛んで行ってしまったのが残念でしかたがいおじさんでした。

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          雲行きが怪しくなったフットサルです。
  

2012年10月 2日

システムの構造化

構造化というのは、超簡単に次元を切って、その中に共通的な要素を括っていれることだと言えないこともない。4次元まで考えると頭がパンクするのでとりあえず2次元くらいでもいい。縦と横、上下、深さと広さといった区分けである。等分で区切る場合もあるし、階層的に切る場合もある。

こうした構造化をするかしないかで思考の収束スピードが格段に違ってくる。堂々めぐりをしないですむし、次の一手が浮かびやすくなる。システムを考える場合も当然構造化すべきである。プログラミングの世界ではおなじみであるが、業務システムの場合を考える。様々な局面でこの要請はあるが、そもそも業務システムはどんな構造の上になりたっているのだろうか。この場合は、どういった階層化がなされているのかということになる。

つまり、財務会計システムとバーコードシステムは同列に扱っていいのかという問題である。当然、レベルもやっていることも違うよねということがわかる。それをもう少し体系的に考えるとどうなるのだろうか。まずは呼び方がいろいろありますよね。業務システム、情報システム、コンピュータシステム、ITシステム、業務パッケージ、業務アプリケーション、ITツール、ソフトウエア、オペレーティングシステム、データベースシステムなどなど。

システムの呼び方とその構成要素の呼び方が混在しているようなので、システムそのものの上位概念から見ていく。ここでの議論はビジネスのジャンルでの話です。大きなくくりでは、業務システムとなるでしょう。このブログの別のエントリー「ビジネス活動にプロセスはどのように入り込んでいるのか」でも書いたように、事業すなわちビジネスモデルを執行するための仕組みが要ります。このレベルでは、ITを使っているとかいったことは関係ありません。人が手でやっても業務システムとなるわけです。

そこには、人や組織あるいは文化・風土のようなものも含めてシステムは出来上がっています。そして、その中のひとつとして情報システムがあります。ビジネス活動に必要な情報をやりとりする仕組みです。大方は物理的なものというより情報という形で扱うのです。商品にしても、そこに載せてある情報が商品価値であるとも言えるからです。

ただ、情報というとコンピュータという風に思いがちであるが、別にデジタルでなくてもアナログの紙であっても構わないのです。むしろ全部がコンピュータでできている情報システムというのはないのではないでしょうか。紙を電子化すればそうなるかといっても、人の頭の中の情報を使っているなんてこともあり得ます。

さあ、こうなると次はITシステムということになります。情報システムの中にITを使って情報を処理する部分です。いま、上位の業務システムからだんだんと下位に落としてきましたが、このアプローチでみていくと大事なことが分かってきます。情報システムの中にITシステムがあるということはどこまでITを使ったらいいのか、別の言い方をすると、どうだからIT化する意味があるのだろうかということである。

使う必要がなかったらIT化しなくてもいいのである。ITシステムのさらに下位にはデバイスのようなものだとか、機能的ソフトウエアといったものになるのだが、これも同様でいくら新しいデバイスが出ても必要性のチェックがあって採用すべきか決めるべきなのである。従来のよくある間違いは、下から構造化してしまうことにある。はやりのデバイスがある、いいパッケージが登場したといって、それらを組み込むことが第一義的になってしまうのである。

構造化してものを考えることが大事だというのはこうしたことなのだ。今日の業務システムの問題点を構造化、体系化という観点でとらえなおす必要性がありそうだと強く感じるのである。
  

2012年10月 3日

社畜のススメ

いきなり社畜をススメられると引いてしまうが、会社の歯車となれということで、ただずっとそうであれと言っているのではなく、入社してすぐは言われたことを素直に一生懸命やればいいのだということを言っている。「守破離」を持ち出して守の時代はそれでなくてはいけないと戒めている。

「社畜のススメ(藤本篤志著 新潮新書)は、「自分らしさ」を必要以上に求める風潮に異議を唱えている。まあ以前にこのブログでもみんながイノベーションを起こせばいいなんていうのはやめた方がよくて、決まりきったことをこつこつとやるしかできない人間もいるし、イノベーターばかりだとこれも困ったものだという指摘をしたので、ちょっと似たところがあって、みなが最初から自分らしくやられてもおかしなことになるし、できるやつは将来社長になれるようなひと握りのやつである。

まあ、いまの学生は社会に出ても何もできないからそれを鍛えてからだということなのだろう。千本ノックを浴びて身体で覚えてうまくなるのだと言っている。確かに、特に日本のように学校で社会に出てからの対応を何も教えないから、イロハから教え込むのは必要かもしれないが、だからと言って社畜になれというのは少し乱暴なような気する。

社畜になるためにはどうすればいいのかというと、社畜度テストというのがある。
□ 会社の悪評や批判に接したときは、わがことのように腹が立つ
□ プライベートで先約があっても、仕事が入ったら仕事をついつい優先してしまう
□ 家族よりも会社の人と顔を合わせている時間が長い
□ 会社の同僚や先輩に仕事で差を付けられたくないし、またその努力をしている
□ 仕事とプライベートのオンオフを明確に使い分けられない
□ 寝る前にふと考えることは、仕事のことが多い
□ 休日でも、仕事関連の本や雑誌をよく読む
□ 社内の派閥やグループ活動に積極的に参加している
□ 結婚式に呼ぶ知人は半分以上が会社関連の人だった(になるだろう)
□ 社是、社則など会社の決まりごとは一字一句覚えている

このうち、一つでもチェックが入ったら社畜の素養が十分あるのだという。ただ、ぼくの実感としては、普通にサラリーマンならほとんどの人が当てはまるのではないだろうか。ただ、ここでちょっと気になったのは、派閥は悪ではないと言っていることなのだが、そのことというより、実際の会社って派閥はないと思うのである。政治の世界なんてと違って、派閥を作る意味が希薄であるのと、会社はそんなことをやっていたら潰れてしまうからないのである。派閥ではなく、自分の仕事に都合がいいか、使い勝手がいいのかという好き嫌いのようなところでグループ化されることはあるが。

どうも社畜になれだとか、歯車になれ、派閥に入れ、社内の人と呑めだとか言っているのだが、肝心なことはそれはあくまで手段だから、何のために社畜になるのかが不明なのである。出世、終身雇用、生きがい?どうなのよ。ミスマッチがわかっても社畜を貫くのかよ、てなことがあるわけで、単に社会で生きていくための基礎訓練を我慢してうけなきゃだめですよと言っているだけなのだ。

最後に「ダメな社畜にならないための18のこと」が書いてあるが、要するにこれが言いたいだけのように感じる。これはブログの記事でしょう。中に書評もあって、勝間和代、岩瀬大輔、吉越浩一郎などの著作が批判されている。これもブログだ。だから、ただブログの延長でよく本が書けたなあと思う。
  

社畜のススメ (新潮新書)
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2012年10月 4日

セイジ -陸の魚-

伊勢谷友介という俳優は好きです。「雪に願うこと」「図鑑に載っていない虫」「スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ」「人間失格」「あしたのジョー」などかなり存在感がある役を演じています。そんな伊勢谷友介が監督をした「セイジ -陸の魚-」はちとがっかりでした。監督は2回目だそうで、一作目は「カクト」という作品だそうだがぼくは見ていないので何とも言えないが、今作品は学生が作ったものと見まがうものでした。

原作がある。辻内智貴のベストセラー小説を映画化したものである。映画は、ある男が20年前を回想するところから始まる。その男が大学生の時である。その大学生(森山未來)は、大学の最後の夏休みに、自転車による一人旅に出たが、途中で事故を起こしてしまい、幸い大した怪我ではなく、その事故の相手のカズオ(新井浩文)に旧道沿いにあるドライブイン HOUSE475につれていかれる。そこには、寡黙な店主のセイジ(西島秀俊)、オーナー翔子(裕木奈江)や店に集うユニークな客たちがいた。

そこが気に入ってしまった大学生は住み込みで働くようになる。そして、夏休みも終わり帰らなくてははいけなくなったころ衝撃的な事件が起きる。セイジが唯一心を許していた常連客の一人であるゲン爺(津川雅彦)の幼い孫娘りつ子の家で無差別殺人が発生し、りつ子は片腕を落として、しかも両親が殺される。それからというものりつ子は心を閉ざしてしまう。

そんな事件とセイジの関わりから彼の過去があぶりだされるのだが、一見それがどういう関係なのかがさっぱりわからないのだ。だから観終わってから映画の紹介サイトでストーリーを確認して初めて、ああそういうことだったのかとなる。これじゃいくらなんでも首をかしげるばかりで観ていても面白くない。主人公のセイジが寡黙であるという設定だからなおさらで、あまり説明的な映画もつらいが、説明不足も困ったものである。

それは、監督が自分の世界に入り込んでしまっているから、よそから眺めるとどんななのかという想像力を失っていることにある。だからそうした独りよがりなシーンが平気で登場する。何の脈絡もない虫だだとか景色だとかお無駄に映してあって、自分だけがこれってあれを象徴しているんだよねって感じで押し付けてくる。そういえば伊勢谷友介は芸大の美術家出身だからいまだにそのころの学生気分が抜けきらないのではないだろうか。

演技陣が西嶋秀俊、森山未來、新井浩文、裕木奈江、津川雅彦といったそうそうたる顔ぶれで個々の演技は素晴らしいのだが、脚本と演出が青臭いので全体の流れとして生きてこないのである。ちょっと辛辣ではあるが伊勢谷友介は当分は俳優一本でやっていった方がよさそうだ。
  
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2012年10月 5日

ビジネス活動にプロセスはどのように入り込んでいるのか - ビジネスモデルもプロセスである

さて、今回からはビジネスプロセスをプロセスに展開していきます。PDCAサイクルよりもビジネスモデルの方にプロセスが入り込んでいるという指摘をしました。それは、ビジネスモデルの構成要素を見ていくと自ずと分かってくると思います。何回も出てきますが、どこの誰に、どんな商材を、どの経営資源を使い、どのように提供して、どうやって儲けるかがビジネスモデルでした。

これらを並べて眺めるとこれもプロセスだと気が付きます。ではビジネスモデルの構成要素が求める機能は何でしょう。まずは、どこの誰にというのは、顧客を獲得して、そのお客さんから注文を受けることが要求機能です。狙った市場と顧客に対して売り込んで、見込み顧客から潜在顧客に持っていって最終的には注文をもらうというものです。

次のどんな商材をというのは、顧客が手に入れたいと思う魅力をもった製品やサービスをどうやって企画・開発するのか、あるいはよそから調達して商品リストとして揃えておくかである。どの経営資源は、プロセスというよりも全体の構成要素、機能に対して供給するリソースを保有しておくということなのでここでは外して考えます。

どのように提供してというのは、サプライチェーンプロセスそのものです。つまり計画・調達・製造・出荷のチェーンである。昨今は、一社で完結するのではなく、よその会社との間で行われる場合も多くなり、さらにグローバルに広がってします。こんな場合はサプライチェーンというよりはビジネスチェーンといった方がよいかもしれません。会社間をまたがったバリューチェーンとなります。

最後のどうやって儲けるかは、お金の流れを中心とした商流ですが、プロセスというよりどういったスキームにするかといったモデル化の方が重要になります。例えば、直販にするのか、代理店をかますのか、本体は安い価格にしておいて保守部品で稼ぐのか、広告収入を主体にするのかといったことである。

時々、これをビジネスモデルという人がいたり、ビジネスモデル特許はこれだみたいなことがあるのですが、ここでの議論では商流モデルとか収益モデルという言い方にします。ですから、ここでのビジネスモデルは最初に言ったような広い範囲を指しています。商流モデルであえてプロセスを持ち出すとすると代金回収、代金支払プロセスがそうですね。また価格決定プロセスも入れたらよいかもしれません。

ということで、ビジネスモデルからの要求機能を記述してそれを簡潔な言葉で表現すると、営業、マーケティング、リソース管理、サプライチェーン、商流モデルとなります。さらにそこからその機能を実現するためのプロセスのイメージがわくと思います。それをこの時点のレベルと粒度で表現すると営業プロセス-商品企画・設計プロセス-調達-製造-出荷-代金回収・支払プロセスとなります。これを「事業プロセス」と呼ぶことにします。呼び方はこだわりませんが、要するに業務機能の関連といったところです。これらを図示したのが下の絵になります。

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2012年10月 6日

新装東京駅

最近、東京へ出かける回数が減っているが、それはそれで呑む回数も減って肝臓にはよろしいようだ。かかりつけの医者から「お酒は控えた方が」と言葉やさしいのだが怖い目つきで言われている。少し前までは、中性脂肪とか悪玉コレステロールがやり玉に上がって、甘いもの、特に果糖は控えるようにときついお達しを受ける。ぼくは酒飲みだから甘いものは口にしないと言っているにもかかわらずうるさく言われる。

ところが最近は、中性脂肪も下がってきたおげで、今度はγーGTに目が行き出して、酒飲みだからという言い訳はもちろん通じないばかりか、それがあだとなって呑みすぎでしょうと叱られる。「M」のママには、そんなものはちょっと呑むのをやめれば元にもどるわよと言われるが、その「ちょっと呑むのやめる」のがこれまたできないのである。

おっと、脱線してしまったが、昨日は久しぶりに東京に出た。東京駅を降りてから水道橋まで行ったのだが、駅に降り立ってあそうだ新しい駅舎になったのだと気がつく。しかし、打ち合わせの時間が迫っているのでそそくさと東京駅を後にする。そして、仕事を終えて帰る段になって打ち合わせ相手の人が東京駅に行きましょうと言う。おおーこれは好都合だと思い東京駅に向かう。

人がいっぱいで驚く。みんなパシパシと写真を撮っている。ぼくもつられて撮ったのが下の写真です。全体はレトロな感じでいいですね。中はちょっと歩いただけなのでよくわからないのだが、一泊80万円の部屋やいかにも高そうなレストランがあるホテルを眺めつつ人の多さにうんざり。でも、駅にこんな場があるのは日本だけだと思うが、日本人は駅に対する思いが強いのもわかるような気がする。そして、すぐに電車に乗れることもあって時々利用する駅中の居酒屋で一杯呑んで帰った。また、医者に怒られるかな。
 
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2012年10月 7日

アフロ田中

これまた人気コミックの映画化である。ビッグコミック・スピリッツ(小学館)で連載中ののりつけ雅春のギャグ漫画「アフロ田中」シリーズを、長編映画デビューとなる26歳の松居大悟が監督した。主演が松田翔太で共演に佐々木希、堤下敦(インパルス)、田中圭らである。

うーん、このブログでも何度も指摘しているのだが、人気漫画を映画化するパターンなのであるが、ぼくは漫画を読まないので原作がどうの言えないのだが、どうみても漫画のファンを対象にしているとしか思えない。おそらく漫画をずっと愛読していると漫画自体は面白くなるかもしれない。日常的な断片を繰り返し描いているだろうから、おのずとその人物像が固まってくるし、共感を覚えていくものが読者を続けることになり、お仲間の世界感ができる。そんな人たちが見たらきっと受けるだろう。

主人公の田中広(松田翔太)は生まれた時から天然パーマでそのためにいじめにあうのだが、開き直って巨大なアフロヘアでそれから解放される。高校生になると何の考えもなく中退して上京して肉体労働者となってトンネル坑内の仕事をしている。24歳になったそんな田中に高校の時の仲間井上から結婚式の招待状が届く。それを見た田中はふとある約束を思い出して真っ青になる。

その約束とは“仲間5人のうち誰かが結婚する日には、その時の彼女を連れてくる”というものだった。ずっと彼女いない田中にとっては焦らずにはいられない。故郷にいる他の仲間たちはどうも彼女がいるようなのである。帰郷するとそれぞれが田中の目の前に彼女を連れてくるから、もう田中は途方に暮れる。だが、そうこうしているときアパートの隣室に引っ越してきた加藤亜矢(佐々木希)が現れる。彼女もまんざらでもなさそうなそぶりである。

結局、田中の彼女作りは、仲間の協力を得たり、合コン相手ともう少しといったエピソードが続くのだが結婚式には一人で行く羽目に。ところが、彼女を連れてくるはずの仲間も皆一人できているのだ。そして結婚式のスピーチを頼まれた田中が披露宴で泥酔してしまい大変なことに、という具合によくあるストーリーでほとんど読めてしまうのである。

松田翔太のコミカルな演技や昔はよかったなあという青春グラフィティはダメではないのだが、最初に言ったように仲間うちの予定調和の世界だから、その雰囲気を知らないぼくらにとっては苦笑いに近い笑いになってしまう。監督も登場人物と同世代だからなおさら、等身大の主人公を描いてみましたみたいなノリがどうもぼくのアウエ―感をいっそうかきたてたのである。
  
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2012年10月 8日

現場に行かなくてもコンサルできる

プロセス中心アプローチの良さがなかなか伝わらないのだが、それでも少しずつではあるが理解者が増えていると思う。先日もぼくがお手伝いをして半年前にだいたいのシステム化が終わった会社の人と話をしていて、こちらも意外だったことを口にされたのでちょっと驚いたことがある。

「現場を一度も見ないでコンサルを受けたのは初めてでした」という言葉である。別に批判的に言っているわけではなく、むしろ好意的な印象であった。その会社はばりばりの製造業だったが、そういえば現場(工場)にいかなかったなあと改めて思った。もちろん工場から責任者が参加してはくれていたが、実際に目で工場を見たわけでもない。それでも、どうしても現場を見なくてはという必要性は感じなかったのである。

このことはけっこうプロセス中心アプローチの重要なポイントを示している。業務の改善なり業務プロセスの改革といった場合、普通は現状どうやっているのか、どこに問題があるのかといったことを、現場の様子を見て、聞いて分析することがやられる。しかし、それだけでは、単に作業上の問題であったり、手順の不備だったりといった現場改善の域を脱しない可能性がある。

そうした現場の作業というのは作業のための作業ではなくて、上位概念としての業務プロセスがあって、そのプロセス上必要なアクティビティとして行っているという意識が大事なのである。つまり、きちんとした業務プロセスを描くことによって、その作業の意義や求められるパフォーマンスも分かってくる。そこを押さえておけば作業改善のポイントを気づかせてくれるのだ。だから、現場に行かなくても大方のやるべきことが見えてくるはずである。

日本では現場の意識が高く、それがものづくり日本を支えているという理解が一般的ではあるが、もちろんそれは否定することでもないのだが、一方でそこに焦点を当てすぎると木を見て森を見ない“虫の眼”になりがちである。そんなときに大事なのは全体を俯瞰する“鳥の眼”である。だからといって、どちらか一方だけでよいというわけではなくバランスをとらなくてはいけない。

管理者の人は現場を見る眼、現場の人はビジネスや業務プロセスという観点で見る眼を養うようにしたいものだ。プロセス中心アプローチのめざすところはまずはプロセスを中心に据え、そこを先行させて業務システムを考えましょうという態度ですから、鳥の眼からまず眺めて、そこから虫の眼で直していこうということである。この順序が逆にならないようにと言っているのである。

だから「現場を見ないでコンサル」は、別段奇をてらったわけでもなく自然と出てくるアプローチで、そのプロジェクトでもそうだったのだが、業務プロセスを分析・再設計しているうちに現場でどうしたらよいのかが浮かびあがってきて、いちいち現場にいってああしろだとか言わなくても参加している現場の人が率先して改善し出すのである。
  

2012年10月 9日

ノーベル賞おめでとう

今年のノーベル医学生理学賞に山中伸弥・京都大教授が輝いた。まずはおめでとうと言いたい。数年前から受賞が有望視されていたから突然の結果で驚いたというわけではないのだが、それでもやはりよくぞ獲ったりという思いである。

というのも、従来のノーベル賞受賞者とちょっと違った感じがするからでもある。50歳と若いということや発見からまだ6年と短いことなどももちろんあるのだが、天才的で研究に没頭して浮世離れしているといった従来型の研究者のイメージとかけ離れている。ごく普通のおじさんといった風でもある。学生のときは柔道やラグビーをやっていたというし今はフルマラソンも走るのだそうだ。

こういう人だからかもしれないが、研究といっても単に研究論文を発表して、理論の作るというだけでなくあくまで実用化を目指しているところがすばらしい。「まだ本当の意味で医学や薬の開発に役立ったと言えるところまで来ていないし、これからも研究を続けて一日も早く社会貢献、医学応用を実現しないといけない気持ちでいっぱいだ」と身を引き締めている。

まあ、ポスドクの問題だとか、頭脳の海外流出だとか言われ、日本でノーベル賞をもらえるのは昔に偉業を残した年寄りだけだと言われているとき、若くても日本にいてもノーベル賞級の発見もできるということを証明したのだから、今後の研究者をめざす若者に大きな刺激を与えたのは確かだ。こうした積み重ねが今後の日本の成長を支えていくのだろう。

スポーツでもなでしこジャパンやロンドン五輪での活躍、ついちょっと前にはテニスの錦織圭の楽天オープン優勝とか日本のトップ人材は世界で堂々と戦っている。いまや、中間層がいなくなって少数のエリートと下位層で構成されていくのは間違いない。もうこの流れは変わらないので、変に平等を言わずにこうしたエリートをみんなで支援していくことなのだろう。最後に再び、山中教授の受賞を心からお祝いする。
  

2012年10月10日

韓国が漢字を復活できない理由

竹島問題で日韓が揺れているが、ちょうどよいタイミングの本である。というか逆で問題化する前に出た本である「韓国が漢字を復活できない理由」(豊田有恒著 祥伝社新書)を読む。帯の文が「なぜ、そんなに「日本」を隠すのか?」である。これは単にそれだけではなく、日韓の歴史や文化に言及して面白いし、若干あの騒動の背景も理解できる。

著者はSF作家であるが、それ以外にも東アジア史にも精通していて作家らしい視点で書いてあって目からうろこまではいかないにしてもへえーと感心することも多い。ぼくはかねがねあのハングル文字というのが解せなかった。何がって、単なる記号だけでものや現象などを表現できるのかということである。

ローマ字だけで書かれて意味がわかるかということである。簡単なことでいえば「ki」と書いてあっても何のことやらわかりませんよね。木なのか気なのか、はたまた記なのかといったように表音文字だけでは幾通りの解釈ができたりする。ハングルも一緒で、読み方はあの丸や四角のよみ方がわかれば誰でも発音することができる。ところが、何を意味するかは、文脈から判断せざるを得ない。

ところが、その読み方自体がもともと漢字の読み方からきているものが多いのだという。つまり、漢字の読み方をそのままあのハングル記号で書いただけなんのである。だから、漢字を思い浮かべるとわかるというのである。しかもその漢字の多くが和製漢字、すなわち日本で生まれた漢字である。だから、著者が言うにはそのまま漢字を残しておけばすぐに意味がわかるのだからなぜ漢字を捨てたのだと不思議がるのである。

特に外来の言葉はほとんど日本人が作った漢字が韓国のみならず中国でも使われているという。例えば、「立法」「行政」「司法」といった用語だとか、新聞、経済、科学、物理などなど、われわれ日本人が当たり前のように使っている漢字は、その字をみれば即座に何を意味しているのかわかる。韓国ではそういった翻訳漢字を作ることができなかったから日本から持ってきたのである。それを隠したいのであろう。

それにしても、ハングルの欠陥の話も面白いのだが、逆に漢字・仮名混じり文が素晴らしいというのを気がつかされた。外来語を漢字にしてしまうすごさもさることながら、漢字のもつ表意性を残したことに日本人の知恵がある。著者は、漢字・仮名混じり文が、日本人の高い教養と民度に貢献しているのだという。漢字は覚えるのが難しいが後は楽でもある、アルファベットはその逆である。

韓国で漢字を使わずハングルにしたのは「日本隠し」という政策にある。韓国語が、日本語によって「言語学上の変容」を受けていることを認めたくないからなのだ。そうした偏狭なナショナリズムが竹島問題にしろ慰安婦問題にしろおかしな様相を呈しているわけで、反日さえ叫んでいればいいなんて国から早く抜け出してほしいと思うのである。それには、漢字を復活させることだという著者の主張もまんざら無稽なことではないのかもしれない。

最後に付け足しでちょっとこじつけ風だけど、日本がノーベル賞受賞者を輩出するのにくらべて韓国で平和賞の金大中以外は出ていないのもこんなところにも起因しているのかもしれない。
  

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2012年10月11日

「ボケて」リリース

おもしろ写真投稿サイトの「ボケて」がiPhoneアプリとして昨日リリースされました。元々はWebサービスとしてPCから見るようになっていましたが、かなり人気になってスマホ対応を要望されたので今回のリリースにつながりました。「ボケて」はオモロキという会社から提供されているのですが、うちの社長がそこのCTOなのです。ただ、iPhoneアプリの開発は別の専門の会社にやってもらうことにしました。

そのへんのいきさつは「ゆーすけべー日記」に書いてあるのでそちらを見てください。オモロキの社長の鎌田君は息子と大学の同じ研究室にいた子(子というのは失礼なのだが息子の友達だからどうしてもそうなってしまう)で、実に才能豊かでおもしろい人材です。何しろ今は熱海市の市会議員ですから、本当は先生と呼ばなくてはいけないのでしょうけど。

そうした情報は、昨日掲載された「ITメディア」と「CNET」の記事を見ていただくとよくわかると思います。ITメディアの記事では、記者は岡田有花さん(この筋では有名な方です)だったのですが、昔わが家に取材に来てくれた記事もリンクしてくれてちょっぴり恥ずかしい感じです。(有花さん、おとうさんは今もぶれずにやっていますよ)

このアプリは、正直言って当初は普通に面白いなあくらいだったのですが、じわじわとその面白さのレベルが高いのに気がついてきて、いやー、こんなおじさんがみてもほんと楽しいのである。その秀逸なコメントに思わずニヤッとしてしまいます。これからは、電車の中でiPhoneをみながら頬を緩めている人がいたらそれは「ボケて」を見ている人です。

笑いとかユーモアとかをアプリという形で表現しているところがこのアプリの真骨頂ですが、意外なんですが、ここの領域ってあまりないような気がするのです。コンピュータは結局ロジカルで動くことが得意なのだが、実は人間はロジカルな部分や定型から外れたところで生きているわけで、そこはコンピュータは不得意だから避けていたことがあると思う。ところがもっと人間的な側面に光を当てているのが素晴らしいのである。

笑点の大喜利がいまだに受けているし、うちのばあちゃんのお気に入りはペケポンであるという事実を踏まえると若者の笑点になるかもしれない。それとソーシャルメディアとつながることがさらに面白さを増幅していると思う。服のセンスと同じで笑いのセンスも人それぞれで異なる。笑うツボが違う。こうした多様性を楽しむこともできる。

驚くなかれ、昨日リリースしたばかりなのに昨晩のiTuneランキングでエンタメ部門無料アプリのトップにもなった。今は4位だけど。まあ、メディアや有名ブログにも取り上げられた効果もあるがすごいことだ。是非、インストールして使ってみてください。
  

2012年10月12日

ビジネス活動にプロセスはどのように入り込んでいるのか - プロセスの階層

前回は、ビジネスモデルからそれを実行するためのプロセスとそれぞれの関連を見てきました。今回からはさらに個別のプロセスについて議論していくことにします。ただその前にプロセスの階層ということを見ていきましょう。

具体的な例でみた方がわかりやすいので営業プロセスを取り上げてプロセスを分解しながら階層化をみていきましょう。営業プロセスというのは、お客さんに商品を認知させて興味を持ってもらい、買ってもらいように仕向け、注文をもらい契約するまでのプロセスとなります。

起点は顧客の興味それを最終的に売買契約まで持っていて終わることになります。ということでこの営業プロセスをもう少し分解すると、プロモーション、商談、見積、契約といったふうに分解されるでしょう。この段階をどのくらいの粒度で括るかは議論があるかもしれませんが、これでなくてはいけないといった決まりがあるわけではなく、分かりやすいとか、自分の感覚に合っているかといった評価でかまわないと思っています。本当はこれらの他に計画とリソース管理とリターンプロセスがあります。ただ、主たるプロセスではないことと共通的なものですので後で一緒に議論します。

さて、分解されたプロセスに名前をつけなくてはいけません。そこでプロモーション、商談、見積、契約といった流れをハイレベルプロセスと呼ぶことにします。この呼び方はいろいろあって、レベル2とか3とかといった表現をする場合もあります。もちろんどれでなくてはいけないということはありません。

ただ注意しなくてはいけないのが、プロセスという表現の括りがフロー全体を指しているのか、それとも中の要素として入っているプロセスを指しているのかが紛らわしいことです。つまり、ここで言っているハイレベルプロセス(あるいはレベル2とか3プロセスでもかまいません)は、営業プロセス全体のことなのか、それともその中のプロモーションとか商談のプロセスを言っているのかが混乱してしまうということです。

ここでいうところのハイレベルプロセスの場合は、プロモーション-商談-見積-契約という流れを指していて、後で出てきますが、その中のプロモーションや商談のプロセス、すなわちハイレベルプロセスを構成している要素プロセスはローレベルプロセスと呼ぶことにしています。ちなみにローレベルプロセスを構成しているのは「アクティビティ」という呼び方で、さらに、そのアクティビティを動かす「アクション」があるという風に見立てています。

そこをレベル2とか3とかという表現をとるとフロー全体のことだったのか要素のことだったのかが分かりづらいところがあるように思います。ちゃんと理解してしまえば混乱はないのでしょうが、結構どうだったかなあという場面によく出くわすので固有の名前をつけてしまおうということです。

結局、ビジネスモデルがあってそれを実行するものとして事業プロセスがあり、その中にハイレベル、ローレベルのプロセスが階層的に存在し、このローレベルプロセスが実務的な意味の業務プロセスといった言い回しになってきます。実務的な意味というのは日常のオペレーション単位といった感じでしょうか。このようにプロセスの階層を考えていくわけです。階層化の例は下記のようになります。

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2012年10月13日

フランスに勝つ

もうそんなに驚かなくなった。サッカー日本代表が国際親善マッチでフランスに1-0で勝利した。敵地に乗り込んでの勝利だからなおさら称賛できる。南アのワールドカップでは散々だったとはいえ、何しろかつて世界チャンピオンになった国を相手にこれだけ戦えたのはすごい。やはり日本もだいぶ成長したという証でもある。

しかしながら、圧倒して勝ったわけでももちろんないし、押されっぱなしで耐えに耐えてものにした勝利である。だから、ひょっとしたら10年前に5-0で完敗したと同じ轍を踏む可能性もあった。それだけ前半のフランスの攻勢はすごかった。早めに1点でも入れられたらどうなっていたかわからなかった。

フランスのチームは前半はリベリもベンチで控え選手が中心でスタート。ところが出足が良くて、レアルのベンゼマを軸に攻め上がる迫力は相当なものだった。日本はコーナーキックで逃げるのが精いっぱいでコーナーキックでも再三ゴールを脅かされるが、川島と吉田を中心にはじき返す。

以前のフランスチームとは違ってかなり組織的でスピードがあった。実にオーソドックスな攻めをする。だが、最後の詰めが甘い。ゴール前まで持ち込むのだが最後は個人にたよったり、また意外性のあるアイデアもない。だから守りやすいのだ。あれだけ崩されたように見えても、割とバックス陣が浮足立っていなかったのはそんなところにもある。

その点、日本代表はいくら攻められてもひょっとするという期待が持てる速攻やパス回しがある。前半は全くと言っていいほどその良さが出ていなかったが、後半の後半になってよくなった。中村憲剛と乾、長谷部と細貝が替って、香川をトップ下に置いてから流れがよくなる。左サイドにいた香川があまりボールに絡めなかったのがゴールに向かってボールが持て、長友も前が空いてえぐれるようになり、日本の良さが機能しだす。

まあ、フランスが前半とばしたので疲れが出たこともあったのだが、少しずつパスが通るようになる。そして、後半43分に川島の再三の好セーブでピンチをしのいだ後のコーナーキックから今野が中央を駆け上がると右からついてきた長友にパス、そこから長友はシュートを打たず中央へ折り返すと香川が押し込んで得点する。見事な逆襲である。日本も強豪相手にこんな試合ができるようになったのだ。

本当は前半からもうちょっと攻めていかないといけないのだが、世界のトップレベルのパフォーマンスについていけなかった。特にやはりというか国内組のとまどいがあったように思う。それと海外でも出ていない長谷部のゲーム感が問題だ。何度もパスミスを繰り返していたのがそれを物語っている。今野だけは相変わらずいい働きをしていたが。皆さんが言うように常に高いレベルで試合をしていくことが大事なのだろう。さあ、次のブラジル戦も期待して応援しよう。
 

2012年10月14日

助成金の意味

国や公共からの助成金というのがある。実はだいぶ前の創業時に弊社も申し込んだこともあるが、軽くふるい落とされて、そうなると申請までの手間を考えると次にまたという気持ちが萎えてしまう。それと、挑戦的な事案だとなかなか通らないということもある。実績を問われたりするというおかしなこともある。実績がないからお金がとれないとか、失敗することもあるというので助成金を申請するのにである。

今回、ノーベル賞を受賞した山中教授が、国からの援助があったことを感謝し、これからも継続的な支援をお願いしていて、それに多額の助成金を出すようだ。もちろんそれには茶々を入れるつもりは全くなく素晴らしいことだと思うが、もう一方で有名になったとか、みんなが注目するようになった案件にだけ出しているような気がするのはぼくだけだろうか。ちゃんと知らないので思いすごしかもしれないが、ほんの芽が吹いた程度のものにも積極的に助成してほしいと思うのである。

失敗するような事案に助成したら税金の無駄遣いだと言われかねないので慎重になっているのかもしれない。だけど、官製の大プロジェクトに金をじゃぶじゃぶつぎ込んでしまうよりも、無名だけどおもしろそうな技術を持ってチャレンジ精神旺盛なやつを見つけて支援することも大事だろう。もう最初からある割合の失敗を見込んでおくのだ。それと返さなくてもよい性格にしないといけない。融資するから後で返せとなると魅力がなくなるのだ。

国民から何か言われないように何でもかんでも完璧にやろうとすると、すでに評価が確立しているからとか、世界から注目されているとかを条件とする安全策を取ることになる。これからは、国としても個人と同様にイノべーティブな動きをしないと世界から取り残されてしまうだろう。

それは、ベンチャーキャピタルの仕事でしょうと言われかねないのだが、むしろベンチャーキャピタルはそれはそれで企業なのだから、そう冒険はできない面があるので、より挑戦的であるが実りも期待できるようなものは国がやるといったほうがよいのではないでしょうか。今回の山中教授の受賞でそんなことを感じた。
 

2012年10月15日

ITアーキテクト不要論

以前「CIO不要論」というのを書いたが、あの記事の趣旨は、ビジネス上重要なことはビジネスモデルからビジネスプロセスを設計して、それをどうやってオペレーションするかにかかっているわけで、ここはCIOの仕事ではなくCOOの仕事であり、ITは所詮道具だからオペレーション側の人間が使いやすいものを選ぶだけの話だということであった。

それと同様な意味でITアーキテクトといわれるような人も不要だと思うのである。ただ誤解してもらっては困るのですがあくまで業務システム構築のところの話です。そんなことを思った直接の理由は、ITProの記事の「ITアーキテクトの視点」というコラムのなかの「ITアーキテクトは何をしているのか」という連載を読んだからである。

そこでは、システム開発の各工程における成果物を示し解説が加えられている。「要件定義」「基本設計」「詳細設計」「実装・テスト」「保守運用・移行」というごくオーソドックスなシステム開発のライフサイクルが並んでいる。

まず最初の要件定義工程でひっかかってしまった。ITアーキテクトが作成すべき成果物は次の5つだという。

(1)Vision Document
(2)利害関係者マップ
(3)概念機能モデル図・概念データモデル図
(4)非機能要件定義書/品質特性シナリオ
(5)グランドデザイン

(1)のVision Document、つまりシステム化の目的とか狙い、どんなものを作るかといったことですが、これってITアーキテクトが書くのでしょうか。すでにあるところでITアーキテクトの出番なのではないでしょうか。まあ、確認するという意味でそれはよいとしても次の利害関係者マップというのがよくわからない。説明には下記のようなことが記されています。

ITシステムにはさまざまな利害関係者がいて、その利害は対立していることが少なくありません。この利害の対立を認識しておかないと、ある利害関係者から見たら受け入れられない仕様であった、ということになりかねません。システム化対象の業務を理解するには、ITシステムを取り巻く利害関係者を押さえておかねばなりません。それをまとめたものが「利害関係者マップ」です。

もう最初のところでええーとなる。“ITシステムにはさまざまな利害関係者がいて”というのがそもそもおかしいと思いませんか。害がある人がいるのならシステム化はやめたらいいのだ。というか、システムを作るというのはビジネス上でやらなければならない目的、目標があってそれに対して組織、人がシステムを使って役割を果たすわけであって利害があるというのはどういうことなのだろうか。BABOKでもステークホルダー要求というのがあるがこんなことを言ってるわけではない。

その他の成果物は、「概念機能モデル図・概念データモデル図」「非機能要件定義書/品質特性シナリオ」「グランドデザイン」なのだそうだ。これとて、システムのことばかりでビジネス上あるいは業務オペレーション上の課題をどう解決するのかという視点が見えてこない。ユーザの人(それこそ利害関係者)がこの成果物を見て何がわかるというのでしょうか。
  

2012年10月16日

サラの鍵

この映画は1942年にパリで実際に起きたユダヤ人迫害事件にまつわる悲劇を描いたものである。事件はヴェルディヴ事件といって、ユダヤ人約1万3000人がフランス警察に一斉検挙されドイツの強制収容所に送られたものである。1995年までフランス政府は存在を認めていなかったほど、フランスにとっては汚辱の史実なのである。

このコメントは1年ちょっと前に「黄色い星のどもたち」というい映画評の時に書いたものである。あの映画でも同じヴェルディヴ事件を扱ったもので、生きるということ、生き抜くということがどういうことなのかを静かに語っているが、「サラの鍵」も、現代と交錯させながら同じような問いを発している。感動を呼ぶ秀作である。

映画は、パリに夫と娘と暮らすアメリカ人女性ジャーナリストのジュリア(クリスティン・スコット・トーマス)が、アウシュビッツに送られた家族の取材のなかで、自分の身内にまつわる衝撃的な事実と向かい合うことになる。夫の祖父母から譲り受けて住んでいるアパートは、かつて1942年のパリのユダヤ人迫害事件でアウシュビッツに送られたユダヤ人家族が住んでいたことを知る。そこから、その家族の物語が始まる。

その一家の長女で10歳の少女サラ(メリュジーヌ・マヤンス)も連れ去られた一人であったが、何と幼い弟を納戸に隠して鍵をしてしまったのである。すぐに助けに来れると思って。しかし、かの有名な競輪場に詰め込まれ親子ばらばらになって収容所に入れられる。結局ほとんどがそこからアウシュビッツに送られたのだ。

サラは何としても弟を救いたい一心で収容所を脱走するのであった。そうしたサラの行動と並行しながら、ジュリアの人生も展開する。彼女は45歳で第2子を妊娠する。この子を産もうと夫に相談するが夫に拒否されてしまう。映画はそうした過去と現代を行き来しながら進行する。

サラは老夫婦に助けられパリに向かってやっとのことで元の家にたどり着く。そのときドアを開けたのがまだ子供であったジュリアの夫の祖父だったのである。そして、そこで見た光景とは・・・。

このあたりは、サスペンスである。サラはそれからどこに行ったのか。ジュリアは彼女を探しにニューヨークまで行くがそこにはもうサラはいなかった。事故か自ら死を選んだかは分からないが自動車事故で帰らぬ人になっていた。その息子と会い、事実を話そうとするが何も知らないサラの息子は事実を認めようとしない。

ジュリアは結局子供産むのであるが、さてどうなったでしょうか。最後のシーンに泣かされる。それにしてもジュリア役のクリスティン・スコット・トーマスと子供時代のサラ役のメリュ ジーヌ・マヤンスの迫真の演技には拍手を送りたい。
 
saranokagi.bmp
 

2012年10月17日

やはり歯が立たない

昨日のポーランドで行われたブラジル代表とのサッカー国際親善試合で日本代表は0-4で完敗を喫す。現在FIFAランキングで14位というブラジルでここのところ精彩を欠いていたが、昨日の試合ぶりを見ているとこりゃスペインと互角に戦えるなあと思える。ずいぶんとチーム力が上がってきたようだ。もともと技術力は抜群だから後は戦術や組織力なのだが、そこがよくなっているように見えた。

立ち上がりから、日本ボール支配率もそこそこ保ててフランス戦に比べるとよい出足である。しかし、前半12分にボランチのパウリーニョにミドルシュートを決められて先制点を与える。これは、別に崩されたわけでもなくあっと驚くシュートでもなく、あれっというような感じで入れられる。実はこれが強いチームだからこそできる技なのである。これを余裕という。余裕があるから楽にシュートが打てる。だから入るのだ。

その後、前半26分に今野がPKを取られそれをネイマールが決めて追加点を献上する。これが痛かった。なぜPKかという判定だったのでなおさらがっくりして尾を引いた。でも2点差で前半を折り返す。さらに、後半もブラジルの畳みかけるような攻撃に始まってすぐに失点。ネイマールの個人技だがこれの方がより痛かったかもしれない。4点目はカカの得意のドリブルシュートで万事休す。それにしても、ネイマールはヤバイ、すごすぎる。

ネイマールとカカの個人技が目立ったように見えるが、そうではなくて日本との比較でその強さを見ていこう。フォーメーション的にはよく似ていて、特に前線の4人が流動的に動くゼロトップである。日本も昨日は本田をトップに置いたので同じような形になっていた。そこは、タイプが違うのだがそこそこ対抗していた。ところが次のところでブラジルが優位になったと思うのである。

1. ボランチの強さ
2. 早く正確なパスの長さ
3. 緩急

ボランチの差が出たように思う、うまさというよりそこの強さが違う。長谷部、遠藤に対してパウリーニョとラミレスが強いという印象で、先取点をあげたパウリーニョと幻の1点を挙げたラミレスの両ボランチがよい働きをしていた。長谷部に替わった細貝にしてもちゃらちゃらして落ち着きがない。これから遠藤もこれ以上望めないとするとボランチの発掘、育成が急務であろう。

2番目は日本の細かいパス回しはブラジルにも、というかブラジルだからこそ通用したのだが(ただ最初はびっくりしていたがだんだん慣れて泳がしている感じだった)、それに比べパス回しならお手の物のブラジルはもっと距離の長いパスで広いエリアで崩していった。

最後の緩急というのはテレビ解説の清水さんも盛んに言っていたが、後ろでゆっくり回しながらどこかにほころびができると一気に攻め上がる攻撃は見事だ。日本は守備も含めて緩急がなかなかつけられない。どうしても一本調子で繰り返すからさっき言ったように守っている方も慣れてきてしまう、そんなときにチームとしてスピードと距離を変えられるようならないと強い相手には勝てない。

しかし、あれだけ攻められながらも勝ってしまったフランス戦、いい感じでポゼッションできたが4点も入れられたブラジル戦とトップクラスで戦うにはこんな試合を繰り返し経験を積むことだろう。そういう意味でこの2戦は非常に意義のあるものだったと思うし、今後に生かしてほしい。
  

2012年10月18日

コトラーを読む

このブログで業務システム構築のことを書いているが、そこで言っていることの中に、いわゆる基幹業務のところ(ここは財務会計を中心にした決算システムのことでERPが代表的なもの)のシステム化はみなどこでもある程度はやられていて、これからの狙いどころはそこまでにいくプロセスだという主張をしている。

それと、サプライチェーンすなわち調達、製造、受注・出荷といったプロセスもおおかたできているところが多い。そうなるとそれ以外のセールスとかマーケティングの領域が今後のシステム化のターゲットになる。現にいろいろな会社を回ってみるとそこに課題を抱えていることがよくわかる。

そんなわけで、マーケティングの勉強でもしようかと思い、下の子が大学の時に使った教科書でもある「コトラーのマーケティング入門」を借りて読んでいた。包括的にきちんとまとまっていて非常にためになるのだが、何しろ700頁近い本なのでただでさえ勉強したこともないので読み解くのがかなりしんどい。そうしたら、ちゃんと解説してくれている本があったのだ。「コトラーを読む」(酒井光雄著 日経文庫)というそのものずばりである。

コトラーの考え方とかその理論のエッセンスが要領よくまとめられているので、厚い本を読んだあとにはスッと入ってくるのですごく助かった。彼は1931年生まれでマーケティングの神様と称せられるひとで、その理論は色あぜずに燦然と輝いている。有名なSTP(Segmentation,Targeting,Positioning)とか4P(Product,Price,Place,Promotion)といった概念を提供しています。

その彼のマーケティングの定義は「顧客の価値と満足を理解し、創造し、伝え、提供すること」であり、企業の立場から見ると「顧客を満足させて、利益を得ること」としている。つまり、顧客起点の発想なのである。ですから「製品・販売主義から顧客・市場主義に転換し、企業は製品の製造だけではなく、顧客を創造し、顧客価値を高める必要がある」と指摘している。このあたりの示唆は日本企業にも当てはまるのであって、こうした転換が遅れた企業が沈んでいくのだろう。

本では、コトラーが言わんとしていることを簡潔に、そして事例的な話も盛り込んで読みやすく、エッセンスは理解することができる。ただ、教科書的な部分もあるので、実際には必ずしもそのとおりにいかないこともある。ここはあくまで基本としてあとは現場での応用動作で対応するしかない。

それと、最近は様々なビジネスモデルも出現するようになり必ずしもコトラー流のマーケティングが必要かというとそうでもないケースもある。例えば、先日の「カンブリア宮殿」放送されたフィギュアの造形企画製作、販売を行う海洋堂なんかは、堂々とうちはマーケティングをしませんなんて言っている。いいものを作っていればお客さんはやって来るというモデルである。
 
ただ、だからみなこうしたやり方でやればというわけにもうかないのでやはりコトラーの顧客起点のマーケティングは押さえておきたいものだ。
  

コトラーを読む (日経文庫)
酒井 光雄
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2012年10月19日

ITアーキテクト不要論(続き)

CIOもITアーキテクトも要らないよと書いた。言い過ぎのようにも思えるのだが書いていて別段トンデモナイことでもなく自分でも納得している。ただ、前回も言ったように全く要らないということではなく、業務システムを作る上では邪魔だと言っているのである。少なくとも、エンドユーザにとってはコンタクトする必要のない人種なのだとまたまた過激なことを言ってみる。

例の連載の2回目で基本設計工程の5つの成果物を提示している。

(1)論理データモデル図
(2)パッケージ図(永続化視点)
(3)パッケージ図(機能視点)
(4)アーキテクチャー設計ドキュメント
(5)アーキテクチャー評価ドキュメント

これとて、ユーザの人たちはさっぱりわからないと思います。こんなものができたとしても自分たちの業務システムがどんなものになるのか想像がつくでしょうか。システムを作るため、あるいはシステム屋さんが実装の仕方として残しておくためには有用かもしれませんが、どんな使い方になるのかの答えを提示しているのでしょうか。

情報システムは単純化すれば、入出力システムです。入力データを永続化し、要件に応じてデータを加工して出力します。この「入」と「出」の折り返し地点 にデータベースが存在します。つまり、データベースの構造はシステムの「土台」となり、この土台の良しあしが変化への対応力を決めるといっても過言ではありません。論理データモデル図は、この土台の論理構造を示したものです。

これは、最初の成果物である「論理データモデル図」について記したものです。やはりひっかかりますね。ええー、データの出し入れが情報システムなんですかと突っ込みたくなるのである。もちろん、論理データモデルは大事で土台ではありますが、そこに乗っかる上ものはどうなっているのだろうか。それがパッケージ図なのだろうか。永続化視点と機能視点という分け方もわけわかりませんね。

ぼくは自分でこのようなやりかたでシステム開発をやったことがないし、コードも書けないのでトンチンカンなことを言っているかもしれないが、繰り返しますが、システムを作るというのは、作ってくれと頼んでいる側のユーザとコミュニケーションを取りながらやるべきものだということは間違ってはいないでしょう。

その時に、ここに書いてある成果物(さらに下流の詳細設計とか実装なんてなったらなおさらちんぷんかんぷんです)でユーザとやりとりできるのでしょうか。極論すると、テレビがほしいと言ったら設計図とか配線図なんか要らなくて取扱説明書とかユーザーズガイドがあればいいでしょう。つまり、業務システムを構築する場合にはたえずお客さんが簡単に理解でき、使うイメージがわくようなドキュメントを介しながら作り上げなくてはいけないのである。それはITアーキテクトの仕事なのでしょうか?
  



2012年10月20日

小口絵というのを知っていますか

ずいぶんと聞きなれない言葉だと思いますが知っている人はいますか。少し前に行きつけの「M」で隣で飲んでいた人がマスタにやおら本を取りだして見せていたのを横目でみていたら、「日露戦争PHOTOクロニクル」という日露戦争の時の写真集であった。日清戦争のときは写真はあまりなかったのだが、日露戦争のころになるとずいぶんと写真がある。

一冊21,000円だという本は、その古い写真がいっぱいだからという値段だと思ったらそうではなかった。その本には「小口絵」という仕掛けが施してあったのだ。まず小口というのは英語ではFore-Edgeというのだが、製本用語で、製本の背文字のある反対側で本を開く側を”Fore-edge: 小口”と言うのだそうだ。

そこに絵を描いた本をFore-Edge Painting Book(小口絵本)と呼ばれるのである。普通の状態では金箔が施されているだけで絵は出てきません。小口を斜めに開らけば、突然絵が出てきます。どうもこれは英国にしかないそうで、非常に珍しいものである。それを日本で作ったのだという。これに対応した印刷機もなくて大阪のある印刷屋だけができるのだそうだ。こう説明しても分かりずらいので下の写真を見ればすぐにわかると思います。
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その本を見せてくれたのは、小口絵本を制作・販売した文生書院という会社の社長さんでした。その小口絵のことをいろいろと教えてくれたのですが、本が好きでたまらないという感じでした。昨今は電子書籍が登場して置き換わっていく気配もしていますが、電子書籍では小口絵は無理でしょう。こんな手の込んだ本を作るというのも優雅でいいですね。ただ、高いので買うわけにはいかないけど。

ところが、おととい下の息子との定例呑み会で渋谷でくじらのハリハリ鍋を食べてから「M」に行ったら、ママがその本を自慢げに息子に見せていた。どうも買ったらしい。きっと来るお客さん皆に見せているのだろう。これも販促グッズ一つなのかもしれない。
 

2012年10月21日

ハラがコレなんで

監督が、「川の底からこんにちは」と「あぜ道のダンディ」の石井裕也なのでかなり期待して観た。しかし、「ハラがコレなんで」は前2作に比べるとイマイチで少しがっかりした。テーマが「粋」だそうで、主人公も映画の中で「粋だねえー」「そりゃあ粋でない」とか盛んに言う。

その主人公の原光子を演じるのが仲里依紗でこの子は「時をかける少女」や「純喫茶磯辺」、「モテキ」ではなかなか面白い演技で好きな女優さんのひとりなのだが、この作品では少し入れ込み過ぎというか、けれん味も感じられて、これまたイマイチであった。それは皮肉にも粋でない演技になってしまっている。

前作「あぜ道のダンディ」のぼくのエントリーでダンディズムが「粋(いき)」といったニュアンスに近いと思うと書いた。そのときの粋の定義というか解釈として、「つまり、内面的なところとして、けれん味のないさっぱりしたとか、こだわりを持っている、シャイなのだが筋が通っている、引き出しがいっぱいある、ユーモアがあるといったところでしょうか。ぼくは、案外これかなあと思うのは、弱音を吐かない愚直なツッパリなのかかもしれないと」書いてある。また「「いき」の構造」を著した九鬼周造は「意気地」に集約されると言っている。

原光子(仲里依紗)はあてもなくアメリカにわたり、アメリカ人との間できた子が9カ月で大きな腹を抱えて日本に戻ってきている。お金も底について住んでいるアパートを引き払って子供のときに住んでいた長屋にたどりつく。そんな状況でも悲観するわけではなく、とりあえず昼寝だと動ずる気配もない。義理と人情を重んじ、粋に生きることを信条としている。

だから、長屋に戻ると、頼まれもしないのに、寝たきりになってしまった大家さん(稲川実代子)の世話や、幼馴染だった陽一(中村蒼)とその叔父・次郎(石橋凌)の食堂を手伝ったりする。まあおせっかいといえばそうなのだが、他人が困っているのをみると黙っていられないのだ。寅さんの女版のイメージなのだろうか。

さらに、おせっかいはエスカレートして、次郎が想いを寄せる喫茶店のママ(斉藤慶子)との仲も取り持とうとする。自分がもう臨月だというのに車を運転して福島まで行ってしまう。てなドタバタが続くのだが、そうした行動が粋だとは思えないし、粋のベースに矜持のようなものがると思っているので、どうしても主人公の浮ついたふらふら感だけで語られてもちょっとなあと思うのである。

たぶん、現代のように自分のことだけ考えているような人間が多くなった世の中に対してもう少し他人のことにも慮る人間がいてもいいじゃん、震災でもそうやって助け合うことでありがたみもわかったでしょうというようなことを訴えたかったのかもしれない。でも、このこともまた本来の粋ともちょっと違うのである。
  
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2012年10月22日

またもやベスト8の壁

昨日、六会にある日本大学生物資源工学部グランドで行われた全国高校サッカー選手権神奈川県予選でわが湘南高校好は惜しくも延長戦の末、向上高校に0-2で敗れ昨年同様またもやベスト8を前にして涙をのむ。しかも、相手も昨年と同じ向上高校という何とも悔しさも倍増する残念な結果となった。

天候も秋晴れでピッチも人工芝の絶好のコンディションでパスサッカーを信条とする湘南には願ってもない条件となったが、相手の向上も同じようにつないでくるので互角の条件である。一進一退の攻防が続き湘南もいくつかのチャンスを得るも得点ならず。だが、余計なファウルやコーナーキックのセットプレーで押しこまれるも何とか無得点に抑えて、延長戦に突入する。

そして、延長の後半になりPK戦かと思われたが、相手の7番のジダンのマルセイユルーレットばりの個人技でかわされ決定的なラストパスで決勝点の入れられる。試合終了間際にはキーパーが脇の下を抜かれ2点目を献上、万事休す。この7番は非常にいい選手だが振り回された感じである。

この試合に勝つと準々決勝はおそらく三浦学苑と当たるはずだった。今夏の高校総体で全国優勝したチームなので、勝のは難しい相手かもしれないが、ぜひそこと戦って自分たちの力を推し量ってもらいたかった。強くなるのは上のランクのチームとどんどん試合をし、そのレベルを肌で感じることが大切である。先日の日本代表のフランスとブラジルとの戦いのように。

これで3年生は引退して受験勉強という大会が待っている。ぼくの経験からも多分家に帰ってから泣いているに違いない。ぼくも3年生の最後の高校総体予選の準決勝で負けたときは、ちょうどその日は家の近くの神社がお祭りで知り合いの人が来てそれこそお祭り騒ぎをしていた。そんな喧騒をよそに部屋の隅で涙を流していた。なかなか切り替えるのが難しいが、もう負けたことは早く忘れて気分をあらたにしてほしいと願う。
  

2012年10月23日

ビジネス活動にプロセスはどのように入り込んでいるのか - 営業プロセス

前回はプロセスの階層化と呼び方を議論しました。例として営業プロセスを取り上げたので幾分か営業プロセスの中味が出てきたのでお分かりかもしれませんが、もう一度営業プロセスというものを見ていきます。営業プロセスを分解すると、プロモーション、商談、見積、契約といったものに分解されると考えました。

要するに、お客さんに商品を認知させて興味を持ってもらうというプロモーションプロセス、興味をもったお客さんとコンタクトしながら買ってもらいように仕向ける商談プロセス、買う意思がある、あるいは検討の余地を持ったお客さんに見積を提示する見積プロセス、注文をもらい契約する契約プロセスとなります。

呼び方とか、粒度感で多少の違いがあると思いますがだいたいこんなところになるのではないでしょうか。さらにこれを分解してローレベルプロセスに落としていきます。ここまで来るとかなりの数のプロセスになっていくるので詳述はしません。前回の見積プロセスの例のような感じになります。あまり突っ込まない別の理由は、実際の現場では様々なバリエーションがあるからです。ハイレベルぐらいだとどこの会社でもあるいはどんな業種でも変わりありませんが、ローレベルでは実態にあったプロセスになっていきます。

ですから、モデルは参考にはなりますが現実にはかなり違ったものになります。もう少し正確に言うと、アクティビティそのものの内容が変わるというのではなく、組み合わせとか取捨選択とかいったところが変わってきます。それは、必ずプロセス間の関係があってそこの連動性によっても違ってくることも影響します。

例えば、営業プロセスでいえば、単純には営業プロセスで成約したら、受注・出荷プロセスへ受け渡しますが、そこはどんな場合でも連動していく関係にあります。ところが、それ以前の段階でいうと、プロモーションといっても何もないところから始めるのではなく、商品企画のマーケティング戦略から狙いを定めた顧客を標的にします。ですから、商品企画プロセスから情報を取得することになります。

また、商談あるいは見積の段階にもあると思いますが、見込み顧客に対して商品提案をする場合、商品企画でラインアップされたものを選んだり、設計プロセスで試作された未製品を見せたりすることがあります。単にカタログ品の中から抽出して見積するというケースばかりではありません。むしろ、最近では少なって来ているのではないでしょうか。

プロダクトにサービスを付加した売り方などは、そのサービスの価値を別のプロセスを経て獲得することが行われます。お客さんの要求ごとに応える特注品などや開発サービスのような商材はこうした横断的なプロセスが必要になってくるわけです。ですから、プロセス設計では、実際の営業活動を業務シナリオという形で書き出していくことになります。ボトムアップ的な分析、再設計を行います。

ちょっと、営業プロセスそのものからずれてしまいましたが、下図のようにまずは大きな絵で連携する流れを抑えておくことが大事になります。
  
jigyoupurosesukannrennzu.bmp
 

2012年10月25日

聞く力

ぼくは名刺にコンサルタントと書いてあるので誰かにぼくの知識や技術、経験を教えていると思われてしまうのだが、実際のところはカウンセラーとかファシリテーターといった趣で仕事している。つまり、悩みを聞いてあげるとか、一歩踏み出せないのをちょっと背中を押してあげるとか、気付きをあたえるヒントを言ってあげるかといったことが多い。そこで大事なのはこちらの意見を一方的に言うのではなく相手の言っていることをよく聞く傾聴力が大事になってくる。

ということで、阿川佐和子さんの「聞く力」(文春新書)を読む。阿川さんは、週刊文春の対談コーナーで900回以上の連載を行っていたり、「筑紫哲也NEWS23」や「ビートたけしTVタックル」などのキャスターをつとめたりして、インタビューで話を聞くことを長い間やってきた人である。その聞き手としての経験を語っているがこれが面白い。ベストセラーになるのもうなづける。

何よりも阿川佐和子という人のキャラクターが上質だということである。ご存じのように阿川弘之の長女だから育ちの良さもあるのだが、人間に興味があるというか、人間が好きであるということが聞き上手につながっていると思う。TVタックルなんかに出演する爺さん政治家からも好かれるのはそんなところにある。

本は、大きく「聞き上手とは」「聞く醍醐味」「話しやすい聞き方」という3章からなっていて、そこに“心を開く35のヒント”が記されている。最初はインタビューが苦手だったそうで(最初からうまい人もそうそういないと思うが)、失敗もあったようですが、徐々に慣れもあってか一流のインタビュアーになっていくのだが、結局そうなったのは聞く側を「面白がらせる」ことなのかもしれないと思わせる。聞かれる方だって面白そうに聞いてもらった方がしゃべりやすいに決まっている。

35のヒントはそれぞれなるほどと思うようなものが多くあるのだが、最初に感心したのは「質問は一つだけ用意しなさい」ということで、普通はあれも聞かなくては、これも聞かなくてはといった具合にいくつもの質問項目を用意して順番に聞いていくなんてことが多い。ところがそれではダメだということを先輩から教わったという。

もし一つしか質問を用意していなかったら、当然、次の質問をその場で考えなければならない。次の質問のヒントはどこに隠れているのだろう。隠れているとすれば、一つ目の質問に答えている相手の、答えのなかである。そうなれば質問者は本気で相手の話を聞かざるを得ない。そして、本気で相手の話を聞けば、必ずその答えのなかから次の質問が見つかるはずである。

これはすごく実感としてわかる。ぼくも仕事でユーザ要求の引き出しをインタビュー形式で行うのだが、もちろん質問項目をいくつも準備してそこに答えを埋めていくやりかたである。もちろん広く浅く全部聞くのも大事だが、むしろ深さというかある答えから深堀していくことも大切である。そのことによって隠れていた真の要求が見えてくるなんてこともあるからである。

あと、相づちの極意というのがあって、それはカウンセリングではアドバイスをするのではなく、相づちを打ったり、話を促したりすることだという河合隼雄さんの言葉から思ったことだという。そういえば相づちのない会話は味気ない。ぼくと社長とのSkypeではぼくの、“うん“とか”そうか“”なるほど“という相の手で成り立っている。

あと「安易に「分かります」と言わない」や「知ったかぶりをしない」なんて言うのも自戒の念を込めて刺さる。ぼくの悪い癖で人の話を取ってしまうことがある。まだいろいろと話たがっているのに、自分の知っていることを話し始めてしまうのである。てなことも含めて大変に”あるある感”満載で楽しめたである。
  

聞く力―心をひらく35のヒント (文春新書)
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2012年10月26日

野球とサッカー

野球もドラフト会議も終わり、あとは日本シリーズという最終局面を迎える時期になりしたがちょっと批判めいた話です。ぼくは小さい時は野球少年で、棒きれのバットと布を丸めたボールで三角ベースを楽しんだ頃から好きだった。ただそれも小学校から中学校の初めころまででそれからはサッカー少年になった。小学校6年生のときに大洋ホエールズ(横浜ベイスターズの前身)が優勝し、その後はONのいる巨人がずっと王座に君臨していた。9連覇の時って巨人の選手しか覚えていないような気がする。

サッカーをやり始めたので身びいきかもしれないが、野球の面白さがだんだんとわからなくなっていって興味を失っていった。ただ、ホエールズ、ベイスターズは応援し続けていて1998年に優勝したときは野球でこんな幸せ感を味わうとは思わなかったが。

まず、気になったのはルールの複雑さというか曖昧さみたいなのがある。子供の頃よく質問していたのは、ファウルとチップの違いである。ファウルだとそれをキャッチすればアウトだが、かすっただけだとストライクである。同じような話でバントはどこまでがバントなのかもわからない。スリーバント失敗と言われても、打ってファウルはアウトではない。まあ、そんなようなところがどうも気になってしまう。なので、テレビ放送もなくなったこともあるがここずっと全くといっていいほど野球を見ない。ところで、最近また野球の不可解なところが気になってしまった。

元々個人の記録が大切にされるスポーツであるが、これだけ様々な記録で表彰されるものはない。普通は勝ったか負けたか、それと最高記録ぐらいで、サッカーでも個人記録だと得点とアシストとまあしいてあげると出場試合数ぐらいでしょう。ところが野球は記録がいっぱいある。ゴルフもあるけどその比ではない。昔は打率、本塁打、打点、盗塁数、勝利数、防御率ぐらいだったと思うが、公式記録表彰だけでも最優秀投手、最優秀防御率、最多勝利、最多奪三振、最多セーブ投手、最優秀中継ぎ投手、首位打者、最多本塁打、最多打点、最多盗塁、最高出塁率、最多安打とこれだけある。

この個人記録をめぐって変なかけひきが起こる。つまり、記録を維持するためとか、誰それに取らせてあげたいとかいった情が入り込むのである。今年も、パリーグでロッテの角中に首打者を取らせようとして試合に出さないで、しかも競っている相手の西武中島を敬遠で歩かせてしまう。セリーグでは巨人の長野と坂本が最多安打で3本差だったのが坂本が3安打して追いついてしまった。そうしたら、長野がまだ打つ機会があったのに引っ込めてしまった。両者にタイトルをとらせてあげたいという温情なのだという。

いやー成績を上げるために試合にでない、温情のためにひっ込めることがまかり通るスポーツって何なのだろう。サッカーや他のスポーツではそんなことはあり得ない。選手というのは試合に出て自分のパフォーマンスを発揮してこそ存在意義があるのに、それを否定するようなことをやって一番だなんておかしいですよね。

そんなことを考えていたら、花巻東の大谷投手の大リーグ挑戦のニュースが入ってきた。そして昨日はドラフトで日本ハムが1位指名した。おそらく、日本ハムには行かないで大リーグに行くだろうが、これも何だか変な話である。日本ハムがおかしいというのではなくドラフトというのもどうもわからないところがある。戦力均衡ということだろうが実際にはどうなのだろうか。ものにならなかった1位指名選手はたくさんいるわけだし、いい選手ばかり集めても強くなるとは限らないのだから自由でいいのではないかと思ってしまう。

高校生でいきなり大リーグというのは初めてだそうだが、こうしたケースがなかったのは、大リーグの厳しさということもあるが、どうも日本のプロ野球が”いじわる”をしているように見える。向こうでうまくいかなかったとしてもすぐに日本に戻ってプレーできるかというとそうではない。また、日本の球団に入るとすぐには飛び出せない。これもなんだか相撲部屋に押し込められるようでおかしいですよね。その点サッカーはどんどん行ったり来たりできる。

すみません、野球ファンの方には申し訳ありませんがやっぱ変ですね。
 

2012年10月27日

荒川アンダー ザ ブリッジ THE MOVIE

またぞろ人気コミックの映画化である。コミックとか漫画(ところで違いはなんでしょうか。どうも漫画と劇画の中間をコミックというらしい)が人気が出るとそれを映画化するという「一粒で二度おいしい」二次利用型ビジネスモデルと言える。ところが問題はマンガ(とりあえず劇画もコミックもマンガと呼んでおきます)の面白さと映画での面白さとは必ずしも一致しないということである。

つまり、マンガというのはじっくりと連載を重ねて登場人物のキャラクターも作られ、日常的な断片を繰り返してシチュエーションも理解されていくという性格があるだろう。一方、映画はというと2時間ぐらいで完結するストーリーとその中に感動や共感を埋め込むわけだから、幾重ものエピソードは語れないし、登場人物にしても素早くキャラ設定しなくはいけない。そこは説明的になったり、あるいは一点豪華主義でいかざるを得ないのである。

だからこそ、向き不向きがあって、この間も「鍵泥棒のメソッド」について誰かの映画評で、この映画にはいろいろなものが詰まっているので連続テレビドラマにするといいというような意見を言っていたが、そういえばマンガと連続テレビドラマは相性がいいと思うが、やはり映画はマンガやテレビドラマとはずいぶんと違うように思うのである。

「荒川アンダー ザ ブリッジ THE MOVIE」は、人気漫画家・中村光の人気コミックが原作である。知らなかったがテレビドラマ化を経て映画化されたらしい。監督は飯塚健。ぼくはコミックもテレビも見ないので、そういう意味では予備知識なしで純粋に映画として観たわけであるが、まったく理解できなかった、いや面白くなかった。

映画は、東京荒川の河川敷を舞台に、そこに暮らすかなり個性的な人々のコミュニティーの中で暮らす事になった大財閥の御曹司市ノ宮行(林遣都)の、不思議な体験を描いた奇想天外なコメディー・ドラマだということになっているが、別に驚きもしないし笑うわけでもない。

荒川河川敷に住む金星から来たという美少女ニノ(桐谷美玲)とか、かっぱの着ぐるみ姿の村長(小栗旬)や星のマスクをかぶったミュージシャン(山田孝之)たちの奇妙奇天烈さをおかしいと言っているわけではなく、多分、ぼくが年をとったせいもあるのだろうがどうも感覚的になじめないのだ。

戯画化するのを否定していることではない。ただ、かぶりものでキャラを作っているんだったらもう少しシュールさがほしいと思ったのである。そうじゃなければ「ロックじゃない」ぞ。
 
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2012年10月28日

システム開発の失敗

先日あるシステム構築プロジェクトのキックオフでこんな質問をされた。「おっしゃっていることはわかりましたし、成功事例も聞きましたが、もし失敗例があったら教えてください」。さて困った。「まだ失敗例といえるようなものはないのですが、かなり議論になったことはあります」てな言い方でごまかしたのだが、ふと考え込んでしまった。

というのも、失敗とか成功とはいったいどこで線引きするのか、何をもって失敗というのかのことである。特許庁のシステム開発は明らかに失敗というのは分かります。システムができ上がらなかったらそれは失敗でしょうが、できたはいいが使われなかったら失敗なのか、使われなかったのが大部分だったら、あるいは一部だったらどうなのだろうか。システムはまずは損害を与えるということはほとんどないので、役に立ったのがどの程度あったのかが問われる。

しかし、ここのところをよく考えてみるとおかしなことに気づく。役に立たないものをなぜ作るのだろうかということである。役に立つものだけを作り、役に立つことだけすれば失敗することはないからである。だけど、いろいろなところで失敗したという話を聞く。毎度の話かもしれませんが、これだけ役に立たないものを作っても平気でいられるところはシステム開発とハコモノ行政くらいなものかもしれない。

これからの業務システムは失敗のない構築をみながやれるようにならなくてはけない。その処方箋は一番簡単なのは「使う人が作ること」です。使う人が考えるわけですから、当たり前ですが、必ずできてから使えるものにします。使えないようなら作りません。このことになかなか気づかないので、使う人と作る人がいて、使う人が作る人にこんなものがほしいと言い、それを作る人が適当に作るというやり方がずっと続いています。

いや、エンドユーザコンピューティングをやっているところがあるではないかという指摘をする人もいるが、所詮個人の作業効率向上といった範囲ではないでしょうか。組織プレーの場としての業務システムでは上述したような使う人と作る人の乖離がある気がします。ですから、失敗のないシステムづくりと言うのなら、できるだけ使う人が直接作り上げてしまうようなやり方にしないと問題は解決しないと思う。

という意味で、以前から業務システムに“システム開発“という言い方をしているのをやめることを提案したい。システム開発というとどうしてもITの専門家に頼んで新たに開発してもらうというイメージになるが、そんなことをしてもらっても困るというのが心ある業務側の見方なのではないだろうか。ただ、ここのところもユーザサイドではまだ理解が不足しているというのが正直なところで、ITのことだから自分たちには難しいのでお願いしますという考えが残っている。

業務システムは開発するものではありません。業務を任されているユーザの人が、自分が円滑に業務を遂行できるように、また使いやすいように自分自身でシステムを組み上げるというやり方にしていかないといけないと思うのである。それと、継続的に容易に変更ができるようにしておくことも重要である。そうすれば、失敗もないし、たえず業務オペレーションのお役立ちツールとしてITが活用されることになる。

人とITの関係でいうと、クラウドにしてもデバイスにしてもどんどん今言ってきたような方向へと進んでいるように思える。しかしながら、業務システム以外の領域ではこうしたメリットを取り込んでいるのに、業務システムでは表面上はクラウドだとかビッグデータだとか、BYODだとか言っているのだが、肝心の基本的なコンセプトが旧態以前のままでは豚に真珠なのである。
 

2012年10月29日

鍵泥棒のメソッド

内田けんじという監督は何ておもしろい映画ばかりを送りだすのだろう。「運命じゃない人」「アフタースクール」ときて「鍵泥棒のメソッド」ときた。胸を“キュンキュン”させて観る。前二作と同じように意外な展開にしびれる。

何と言っても脚本が練りに練ったもので、ストーリー展開が緻密で、その中に笑いもあり完全に内田ワールドに引き込まれてしまう。主演が、堺雅人、香川照之、広末涼子という当代の演技派俳優である。広末が演技派かどうかは異論があるかもしれないが、この作品では、笑った顔をみせない几帳面な女性編集者を見事に演じて、従来のイメージと全然違ってハマッていたのにはびっくりした。

銭湯で石鹸にすべって転倒して記憶を失った殺し屋・近藤(香川照之)と彼のロッカーの鍵を自分のものと入れ替えるとともになりすましてしまう貧乏な役者・桜井(堺雅人)の二人が織りなす奇想天外な物語である。そこに婚活中の女性編集長の香苗(広末涼子)がからんでいく。この殺し屋というキャラと売れない役者というキャラが入れ替わるという発想が素晴らしく、そこに香川照之と堺雅人を配していておもしろいことこの上ない。

ストーリーはあまりばらせないので、3人の演技について、広末のとぼけた感じがとても面白いことは言ったが、香川と堺の絡みで吹いてしまったのは、香川が堺に向かって演技指導をする場面である。だますために香川がおもちゃのナイフで堺を刺して、そこで倒れるという意図で練習するのだが、その時役者に向かって演技が下手だといって駄目だしをするんだがそれがおかしくて思わず笑ってしまった。

それと例によって裏切りもあり、どんでん返しもあり、結局誰を信じていいのかとか自分のことを知っているようで知らないのではいのかといった示唆もありなるほどと感心させられる。ちょっと前のエントリーでこの映画はいろいろなものが詰まっているので連続テレビドラマにするといいという人がいると書いた。しかし、ぼくにはいろいろなものがちゃんとつながっているから無駄なものはないし、ごちゃごちゃ感もないので見事に一本の映画の要素になっていると思う。

何度も安易にコミックなどから持ってこないでオリジナルの脚本で映画を作れよと言っているが、内田けんじは西川美和とともに(あ、北野武もそうか)忠実に実行している数少ない監督さんである。それも毎回手の込んだというかアイデアいっぱいの展開を見せてくれる。想像するに映画のプロットを着想しているときに、記憶喪失、入れ替わり、殺し屋、貧乏役者、婚活女子というイメージがわいたとき手をたたいたのではないだろうか。楽しそうだな、こんな映画作りは。
  
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2012年10月30日

ハーバード 白熱日本史教室

ハーバード大学の授業というとマイケル・サンデル教授の「ハーバード白熱教室」が有名になったが、それに倣ったような「ハーバード 白熱日本史教室」(新潮新書)が刊行された。著者は北川智子といって1980年生まれでハーバードで日本史と数学を教えている。数学と日本史という異質の領域で教鞭をとっているのも驚きだが、まだ30歳をちょっと過ぎたばかりの若さというのもびっくりする。

そんな彼女がどうしてハーバードの先生になったのか、大学でやっている日本史の授業はどんなものなのか、ハーバードのクラス評価や大学生活の様子などを書いたものである。高校を卒業するとカナダの大学に留学する。そこで専攻したのが、数学と生命科学である。ところが、大学院では日本史専攻となるのである。もうこのあたりから、一般の人とは違う秀才ですよね。

日本史を専攻するきっかけは、数学科の学生なのだが日本語が読めるというだけで日本史の教授のアシスタントというアルバイトを行ったことだという。そこで史料などを読み込むうちに従来の学者の議論に疑問を持つようになる。そんなことで大学院で日本史を専攻することになる。大学院はプリンストン大学である。そのあと、ハーバード大学の「カレッジ・フェロー」という大学院を出てすぐの新米でも教えられるという制度に応募して採用される。これまた、並の人間にはできない芸当ですね。

最初に教えたのが「Lady Samurai」という名のクラスであった。これまでの歴史というと男しか登場しなかったものを女性を扱ったものにしたのである。しかし、ちょっと驚くのがハーバード大学しかも大学院に日本史の授業があるということである。アメリカの大学生に日本史がどう役に立つのかと思ってしまう。だから、北川先生もそのことが分かっていて、単に歴史を教えるのではなく、社会力が身につくような課題設定をしたりして工夫をしている。

その内容には、音楽やお絵かきがあったり、盆踊りまでさせてしまうというユニークさである。「「Lady Samurai」」という授業以外にも「KYOTO」というのがあって、文字通り京都という場所を主体にした歴史を教える。そして授業の中心が「アクティブ・ラーニング」である。

このアクティブ・ラーニングというのは通常の講義スタイルではなく、学生が自分たちで実際に試しながら学ぶという体験型の教授法である。「KYOTO」でのスタイルは、まずは地図を書くことで始まり、グループによるプレゼン(これは珍しいことでもないと思うのですが、何でも個人で主張するハーバードの学生には新鮮なのだという)、そしてラジオ番組、最後には映画製作まで行うのだ。

つまり、教室の中に閉じこもるのではなく外に飛び出してフィールドワークを重視するというやり方である。これだと最初に言ったように日本史を学ぶというより、勉強のやり方、探求のアプローチ、発表力といったことが身につくから人気になるのだろう。こうした方式そのものは珍しいものではなく、うちの社長なども学生の時メディアデザインの授業なのだが、フィギュアスケートの村主章枝を実際に追いかけてドキュメンタリーを作っていた。ただ、歴史学とフィールドワークを結びつけているところがユニークなのである。

ぼくはいまいくつかのワークショップをやっているので、このあたりはすごく参考になった。彼女の授業はある種のワークショップといってもいいと思う。先生が生徒に教えるというのではなく、参加型、体験型のスタイルである。おそらく、学校だけではなく、職場でもあるいは、社会でもこうしたスタイルがどんどん取り入れられていくと思う。読みだしたときは、頭のいい女性が自慢話をするのかよと思ったのだが、読み進むうちに面白くなって一気に読了してしまった。
  

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2012年10月31日

システム開発のSTP

CIO不要論とかITアーキテクト不要論とか、ちょっと尖ったことを言ったのだが、誤解されるといけないので補足しておこうと思う。そこででてきたのがSTPというのでまたびっくりされたかもしれない。STPというのは、マーケティング戦略などで使われるSegmentation、Targeting、Positioningというあれである。

つまり、顧客や市場を細分化して、狙う市場や標的とする顧客を決め、どこにポジショニングをするのかといったことである。これは企業がビジネス活動を行う上では多かれ少なかれ必ずやっていることでもある。このことを少しシステム開発においても適用して考えてみたらどうかと言っているのである。

顧客や市場と言っても業種、業態といった括りではなく、会社が行っているビジネス活動領域を想定した方がよい。セグメンテーションではそこを定義していきます。以前、企業活動モデルというのを提示したことがありますが、あれで見ると、「Plan」「Requirement」「Process」「Resource」「Result」という領域が示されています。

ここから各領域をどういった商品がターゲットとしているかを見てみましょう。Planは戦略立案から計画作成のようなところです。パッケージのようなものも多少ありますが、基本的に非定型的なのでシステム開発という商品の出番は少ないでしょう。次のRequirementのところは顧客との直接的な接点ですから、今やWebシステムになっていて、改変が激しいから従来型のシステム開発とは違ってきます。

Processにいく前に後の二つを先に見ていくと、Resourceでは、人事・給与、設備管理、資金管理といったようなところですので大方は専用パッケージが出回っています。Resultは事業成果をまとめるところですから、ここにはERPがあります。奉行シリーズからSAPまでラインアップされています。会社はこれがなければ動きませんから、どこの会社でも既に入っています。ですから既成市場であり競争相手がたくさんいるレッドオーシャンなのである。

ということで、今のブルーオーシャンはProcessなのです。ここをターゲットにすることが望まれています。ところが、この領域の特徴は、文字通りプロセス主体であり、なおかつ非定型業務が多いというものです。当たり前ですが非定型というのは、決まりきった手順でもないし、しょっちゅう変わることもあるということ意味しています。つまり、従来のシステム開発の手法では対応できないのです。言い方を変えれば、対応できなかったからブルーオーシャンとして残っているのです。ですから、そこに従来の商品を持って参入しても難しいのは目に見えているでしょう。ポジショニングとしては非常に弱い。

最後の砦であるProcess領域は日ごろのビジネス活動に密接に関係していて、戦略的な意図やビジネス要求をそこで叶えるものだから、ビジネス環境や経営方針が変わったらすぐに直さなければならないわけで、その都度システム開発会社に頼んで改修あるいは追加開発なんかしている暇と金はないのである。

ユーザ自身がさくさくシステムを作り、変更し、自分たちのビジネスは円滑に遂行できるようにするという姿からは、CIOやITアーキテクトの必要性が見えてこないのである。CIOやITアーキテクトは従来のシステム開発スタイルでは必要だったかもしれないが、そこはもう飽和だし、成熟しているので役割は終わったのではないだろうか。むしろ、これからはシステムに対してビジネス要求を出すCOOやビジネスプロセスを設計できるデザイナーといった役割が重要になってくると思うのである。
 


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