« 2012年6月 | メイン | 2012年8月 »

2012年7月 アーカイブ

2012年7月 2日

魅惑のスペイン

これは旅行会社がいう観光地スペインの惹句ではなくサッカーのことである。EURO2012欧州選手権で優勝を飾ったスペインサッカーにはもう付ける形容詞がなくなってきた。決勝の対イタリア戦でも何と4-0という圧勝である。これで、2008年のEURO、2010年のワールドカップに続いて世界的な大きな大会で3連覇である。

決勝の予想ではイタリアが勝つのではないかという人もいた。ドイツ戦のバロテッリの2発と生まれ変わったサッカースタイルを評価しての見方だった。しかし、いざふたを開けてみるとスペインにいいようにやられ、後半に途中から入ったモッタが肉離れで戦線を離脱してしまい10人になったこともあって大差がついてしまった。

どうしてこんなことになってしまったのだろう。イタリアの方が準決勝からの時間が短く疲労がとれていないというコンディションの違いがあったのは確かだろうが、それより皮肉にもさっき言った生まれ変わったスタイルがこうした結果をもたらしたような気がする。生まれ変わったというのはスペインに近づくサッカーをやりだしたことである。しかし、それは師匠と弟子の争いだからにわか弟子では本家本元に軍配があがるのは無理もないことなのである。

ポゼッションサッカーといってもスペインのものとイタリアのもとまだまだ異質でありレベルが違う。一応ボール支配率は11人同士の時ははぼ互角であったが、イタリアはただ持たされただけで、ピルロがあれだけ下がった位置でしかボールにさわれなかったことがそれを物語っている。それに較べスペインはペナルティエリアの手前のバイタルエリアで確実にポゼッションをしていた。

スペインの得点は前半14分にイニエスタからのスルーパスにセスク・ファブレガスがバックスをかわして右サイドをえぐり、シルバが頭で合わせて先制。すばらしい攻撃で、これが効いた。そして前半終了間際の41分にアルバが猛烈なスピードで駆け上がると、そこにシャビから絶妙のタイミングのスルーパスがでて追加点を奪う。前半で2-0ではイタリアはもうあきらめムードで準決勝のドイツ戦の逆の立場に立たされる。後半の、トーレスとマタの追加点はおまけ。

最初に2点に絡んだイニエスタとシャビの走り込んだ選手の足元にぴたりと収まるスルーパスが勝負を決めた。イタリアのピルロとモンテリーボにはこれができなかった。それにしても今さらながらそうした技術の高さに驚かされる。単にボールを流すというのではなく、受けた選手が次のプレーに入りやすいような位置とスピードをコントロールしていることに感心するのである。

きっと、スペイン国内は大変なことになっているだろう。経済状況がかんばしくないなかでの優勝なので国民にとっては喜びが爆発していると思う。こうなると、しばらくはスペインの王座はゆるがないように思えるが、2年後のブラジルワールドカップでスペインを止めるのはどこの国だ。ともあれ、スペイン優勝おめでとう。

2012年7月 3日

セルフブランディングの時代

ちょっと前に「個の時代がやってくる」というタイトルでエントリーしたが、そのなかでビジネスパーソンとしてもつべきスキルとして「概念化スキル」、「対人スキル」、「技術スキル」という3つがあるという話をした。これを自分という商品に対する価値というふうにも捉えることもできる。

つまり、流動化しつつある労働市場に投入する商品としてどんな価値があるのかということになる。だから、商品価値を高めるために絶えず新規機能の追加だとか、パフォーマンスの向上といったバージョンアップを繰り返す必要がある。一般の商品やサービスと同じです。それと差別化もしなくはいけないし、コストも下げなくてはいけない。他人ができないことができる、他人より早くできれば商品価値は高まる。

ところで、いくらいい商品でも売れなければ何にもならない。つまり、マーケティングをしなくてはいけない。じっとしていては誰も買いに来てくれない。売れるように何かしなくてはいけないのは自明のことだが、よく大企業で偉くなった人でその会社を辞めて新たな仕事をするなんてことがあるが、何もしないでそれまでの人脈で仕事が舞い込んでくると思い込んでいる人を見かけることがある。

それは商材はどうでもいいから人的ネットワークでビジネスするんだということなのだが、ビジネスの大前提は売れるあるいは売りたい商材があることで、人脈はそれを売るためのリソースに過ぎないので本末転倒である。ただ、一概に否定することもなくて、ブランディングの一種だと思えないこともない。

そうなんですね、「個の時代」にあって、非常に大事なマーケティングの要素に「セルフブランディング」があるように思う。自分という商材にブランド力をつけることが生き残るための資源となる。コトラーのマーケティング入門では、「ブランドとは、買い手に対して特定の特徴、ベネフィット、サービスを継続して提供するという売り手の約束の印なのである」としている。私という人間を買ってくれるとあなたにとっていいことがありますよということである。(ちょっと妖しい言い回しですね)

では、ブランド力をつけるためにどうしたらよいのだろうか。これは、市場をある程度の大きさで考えるなら、メディアへの露出がまずありますね。マスメディアでもなくてもネットメディアでもいいのですが、単純に名前を知ってもらうことが先決でしょう。口コミであるいは知り合いからの紹介という程度だと限界があります。

そこである程度名前を売るのですが、もちろん名前だけではなく発信している情報の質が高くなければメッキがはがれてしまいます。すなわち、商材とは“あの人が言っていること”になるわけです。“あの人“だけでも”言っていること”だけでも不十分で両方合わさって初めて価値が出るのです。

また、その商材を知ってもらうには最終的には言葉として発信しないと意味がないということです。こんなすばらしいことをしたとか、こんなおもしろいものを作っただけでは商材にはなりません。独創的かつ進化し続けるコンテンツを言葉にして発信していくことが「セルフブランディング」につながると思っている。ぼくはこれからも書き続けるだろう。
  

2012年7月 4日

「お手本の国」のウソ

日本人はお手本が好きだ。ところがお手本があると強いが自分でお手本を作ることは苦手であるが。だから、様々な事柄についていろいろな国をお手本にして、無条件に真似しようとしたり、逆にやっぱり日本のほうがすごいやなんて悦に入ったりする。そんなお手本好きの日本人をちょっぴり批判している「「お手本の国」のウソ」(田口理恵ほか著 新潮新書)を読む。

まずは、対象となった国とその国の何をお手本にしたかである。

・フランス・・・進んでいる少子化対策
・フィンランド・・・教育大国としての「フィンランド・メソッド」
・イギリス・・・機能している2大政党制
・アメリカ・・・国民参加の陪審裁判
・ニュージランド・・・自然保護大国
・ドイツ・・・戦争責任の取り方
・ギリシャ・・・観光立国

である。このなかで最後のギリシャはお世辞にもお手本とは呼べないので異質だが、財政破綻をしても意外と明るいのはそれでも食べていける観光産業があるからだという意味で逆にお手本にするところもあるよと言っている。他の国については、みなさん、いいことばかりいっているけど実態は違うよと、現地で生活している著者たちがリポートしている。

最初のフランスの話はよくされるが、少子化対策をちゃんとやった結果として出生率が向上したという理解だが、これはウソではないと思うのだが、本では「フランスの出生率が高いのは婚外子が多いから」ということに対して異論を唱えている。ただ、そう言っている人って多いのかなあ。ちと問題の組立て方がおかしいんじゃないの。

だから、本に後の方では、“現在フランスでは高い出生率の理由を「女性が子どもを持ちながら働くことが可能なこと」と説明している”と書いている。ぼくななんかそう理解していて、それをにわかにではなく長年続けていることが功を奏しているわけだから、そうした点は見習うべきじゃないの。

フィンランドメソッドについてもそんなものはないという意味でウソだと言っているように聞こえるが、明らかに制度の問題とか教師の質だとか、それなりの工夫はいっぱいあるはずで、教育メソッドみたいなものはないかもしれないが、その上の戦略的な取り組みにはお手本にすべきものがある。

あとの国についても、二大政党制なんかも時代がそんなことよりもっと動いているのでお手本のない新たな仕組みが望まれているわけで、そのくらいは日本もわかっていると思いますよ。アメリカの陪審裁判はお手本にしようなんて思っている人はいないんじゃないでしょうか。

ただおもしろかったのはニュージーランドの話で、現在では自然保護大国と呼ばれるが、それをもたらしたのは「20世紀以前の世界で最も迅速かつ大規模な環境変化」を引き起こした結果なのである。実はニュージーランドの生き物は、哺乳類のいない環境で独自の生態系をもつように進化した。そこに人間が入り込んだのである。森は焼く、鳥は食べる、ねずみなどの哺乳類を持ちこむことでたちまち原生生物は壊滅的な被害をこうむることになる。

いま盛んに自然保護を講じているのはこうした人間による環境破壊の罪ほろぼしなのである。これとてもお手本がどうのこうのという問題と違う。お手本好きの日本人にお手本なんかないですよというアピールにはいいけど、このあいだヨメさんから教えてもらった「世界行ってみたらホントはこんなトコだった?」とかいうテレビ番組があるが、それとあまり変わらないといったら失礼だろうか。

「お手本の国」のウソ (新潮新書)
田口 理穂ほか
新潮社
売り上げランキング: 165910

  

2012年7月 5日

やぶにらみIT論

「IT断食のすすめ」(遠藤功、山本孝昭著 日経プレミアシリーズ)という本の書評で「仕事ができない、あるいは仕事をしていない人がPCで遊んでいるだけなのでその人たちに断食させても影響がない」というちょっと辛辣な表現をしてみたのだが、よく考えてみるとそれは辛辣でもなんでもなくて、ある面事実でははないかと思うのである。

この論旨は、本では電子メールとインターネットと個人の机上PCがIT中毒を生んでいてそのために本来の仕事ができなくなっているというトーンなのだが、だからといって断食してITから離れればもっと質の高い仕事ができるのかというとそんなことはありませんよということである。

「ウェブはバカと暇人のもの」(中川淳一郎著 光文社新書)という本もあったように、たしかに暇だから使う面は否めない。つまり、企業のなかでIT中毒が蔓延しているとすると、バカが増えたわけではないが、暇人が増えたということになる。これは実に皮肉なことである。IT化が進んだ結果、暇人が増えて、その暇人がやることなくて机上のPCで遊んでいるということではないか。

いまPCでメールやネットで遊んでいる人の数と時間をPCがなかった昔に当てはめるとどうなってしまうのだろうか。それだけの人が、それだけの時間、新聞を読んでいたのだろうか。そうなんですね、昔は暇な人が少なかったのだ。で、そこから大幅なホワイトカラーの削減が行われたわけではないので、少ない人数で仕事がこなせるようになったのである。これってITのおかげでしょう。

だから、とりあえずはIT化の効果はあったということが奇しくも証明されたというわけである。と変な話ということで終わらせてもいいのだが、最初に言ったように暇な人にIT断を進めても無意味だから、ならばいったいどうしたらよいのだろうか。IT中毒にならないような状態をつくるにはどうしたらよいかである。

今は自分の机上のPCとにらめっこしていると仕事をしているように見えるし、自分も仕事している気になってしまう。そうした状況が許されるのは、必須の業務の一部がそうしたやり方でやっているからである。大事な仕事もどうでもいいことも同じようなやり方、すなわちPCに向かってメールとExcelとパワーポイントでやっているからである。

大事な商談もアフターファイブの飲み会の相談も外から見たら同じなのである。ということでおわかりだと思いますが、大事な仕事をプライベートと同じような隠れたインフォーマルな空間からオープンな空間にさらすことをすべきではないでしょうか。必要なITを使った仕事はここだけですよといったことを皆が意識することで、PCで遊ぶことを減じていったらどうだろうか。自然とそうなって行く雰囲気を作る方が、強制力を働かすよりも効果的であるように思う。

ただ、それでも暇な人が減るわけではないので、根本的な解決策にはならないのですが、少なくとも企業として必要な業務がPCを道具としてだれがどれくらい使ってやればできるかがわかるのでムダな部分が明らかにできるという効果はある。

結局、飛躍して大きな話になってしまうかもしれないが、企業だけではなく日本の社会全体が暇になったということで、現代人はみな暇つぶしの手段を探していて、その主たるものがITデバイス(インターネット、Webサービス、携帯、ゲーム)ということかもしれない。えー、それって日本は成長していないってこと?

2012年7月 6日

家族の庭

しょっぱなに「ヴェラ・ドレイク」のあのおばちゃんが出てきてびっくりした。そうなんです、「ヴェラ・ドレイク」と同じ監督の名匠マイク・リーの「家族の庭」を観る。この映画、ほんとドラマチックではないのだ。しかし、じわっと揺さぶるものがにじみ出てくるという感じなのである。

だって、ストーリーと呼べるものなんて何にもなくて、地質学者のトム(ジム・ブロードベント)と、医学カウンセラーのジェリー(ルース・シーン)は誰もがうらやむおしどり初老の夫婦だが、その家に訪ねてくるの人々がそれぞれに悩みを抱えているのだ。彼ら、彼女らがその夫婦と交わるすがたを淡々と季節の移り変わりとともに描きだす。初老夫婦がやっている家庭菜園がその季節を表現している。

悩みを抱えた人たちは、ジェリーの職場の同僚メアリー、夫トムの幼なじみケン。この二人は独身なのだが、他人となかなかうまくコミュニケーションがとれないダメ男女である。メアリーはジェリーの家に来ては自分には男運がないとか嘆き、酒を飲んで酔っ払ってしまう。ケンは肥満した大きな体に似合わず小心もののでやはり酒でまぎらわせる。

さらに、妻に先立たれてしまって、ひとりで社会にうまく適応できないトムの兄や、反抗的なその息子も登場する。こうしたダメな人々とトムとジェリー(この名前もおかしいなあ)とその息子も含めて安定した家庭と対比させている。

ただその関係はウェットではなくかなりドライな感じ、つまり彼らが家庭の中に入り込んでくるのだが、それを突き放すかのように冷静に対応するのである。だらしなくウジウジし、はっきりしろよと叫びたくなるが映画はただ家庭菜園の野菜に接するようにクールなのである。つい、わが国と対比したくなるが、個に発散しているという形は似てきているが、ドライな関係性がまだ日本にはないなあと思う。

こうした、抑揚のないシーンを俳優さんたちの演技力で、内面的な動きを表現していて観ている観客の心にじわっとくる。大げさな泣き笑いやわめきちらすばかりの映画と違ってこうしたじっくり系の映画もいいものだ。久しぶりに大人の映画を観た感じになった。

kazokuno%20niwa.bmp

2012年7月 7日

街場の小経済学その23

うちの社長はWebサービスやiPhoneアプリを作っているのだが、このビジネスモデルの特徴は初期投資がほとんどかからないということである。概してネット上でアプリケーションを作るというビジネス展開はみな同じようにたいした投資をしないでもすぐに始められる。ただ、アプリ開発の工数というのがあるので、委託する場合は初期コストが発生する。ここではそうではなくて自力で開発するケースを言っている。だから、初期投資はせいぜいサーバーのレンタル費用ぐらいである。

今は、クラウドタイプの安いレンタルサーバーがいっぱいあるので、ファーストサーバーのようなひどいことにならないように気をつければ、そこそこの安定性のサーバーを確保できる。何といってもスケールアップ、スケールアウトが簡単にできるので、小さく始めてうまくいって大きくなっても柔軟に対応できるのでずいぶんと気が楽になった。

従来型のビジネスでは初期投資という問題がかなり大きなウエイトを占めている。設備的、人的リソースへの投資をしないとビジネスが起こせないという大きなハードルがあった。しかも、初期投資だけではなく恒常的に固定費がかかってくるという問題もある。自前の資金があればいいのだが、たいがいは借りて来ることになる。それはかなりのリスクであることは、数多の例をみるまでもない。ベンチャーと言われた企業の成功の陰に死屍累々たる世界がある。

それに比べると、Webやスマホアプリのビジネスは初期投資がほとんど要らないのでそのリスクがないから誰でも簡単に始められのだが、始められるのと成功するのかという問題は全く別問題である。投資先行・回収型のモデルからサービス先行・収穫型に転換するのだが、前者はある程度収益の見通しが立つので何年で回収するのだといった計画になるが、後者はどれだけいいサービスを作れるかというアイデアが勝負である。

ところで、みなさんすばらしいアイデアを持っているので何とかなると思っているんですね。しかしながら、ほんとうの“アイデア“になっているのでしょうか。おそらく、単なる思いつきをアイデアだと勘違いしている人が多いと思います。けっこううちの会社にこんなアイデアがあるので一緒にやりませんかとか、開発してくれませんかと言って来られるのだが、中味をよく吟味すると思いつきから出ていないことがよくあります。

結局、アイデアというのは、それがきちんとしたプロダクトやサービスになって、しかも運用されて使われて対価を得られるところまで考えられたものでなくてはいけません。そうでなければ失敗します。オペレーション、プロモーション、マネタイズまでを包含したサービスコンセプトを確立できてこそ初めてアイデアが結実していくわけで、どうもそこを安易に考えているきらいがある。

ネットはビジネスモデルを変えたが、簡単にお金儲けができることを意味するわけではなく、収益を継続的に得るのはやはり難しいのである。
 

2012年7月 9日

11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち

1970年11月25日のことは鮮烈に覚えている。ぼくがちょうど大学3年の時で学生運動でキャンパスが荒れて授業どころではなかった。その日は、授業もなかったのでお決まりの雀荘にいた。昼過ぎに興奮したヤツが入ってきて、いま市ヶ谷の自衛隊で大変なことが起きていると叫ぶではないか。

浪人時代に通っていた予備校がその自衛隊駐屯地のすぐ前だったので、え、あそこでそんな大事件がおきているのかとびっくりした。そして、三島由紀夫が割腹自殺を図ったらしいことがわかる。一緒に森田必勝という同じ大学に通った若者も割腹したと聞いてまた驚いたものだ。

そのことが映画になった。「11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち」である。監督が若松孝二で、ここのところ「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」、「キャタピラー」と昭和を描く作品を出しているが、それに続く昭和史の一編である。

事件そのものは有名なのだが若い人たちは知らないかもしれないがぼくらはよく知っている。だから、今の若者に観てもらうといいのだろうが、ぼくが観た映画館は大森という意外なところにあるせいかおじさんおばさんばかりであった。三島由紀夫というノーベル賞候補にも名前がとりざたされた大作家が、「盾の会」という祖国防衛隊を改称した政治団体を作り、右翼背年とともに自衛隊に立てこもり自殺したことを知るのもことの善し悪しは別として大切なことだと思う。

そう思って若松孝二も必死に作ったのだと思う。ぼくはどうしてもあの時代の自分の過去と重なり合って感傷的になった。若松監督のあの時代はなんだったのかという問いかけを続ける執念を感じる。三島と全共闘との対話集会のやりとりなんか見ていても(実際の映像がYouTubeでみることができます)、難解な言葉の乱射で、「ナンチャラの関係性がどうの」だとか、わけが分かんなくなると「ナンセンス」と叫ぶ様は今となっては苦笑せざるを得ない。

右翼と左翼が結びついたといってずいぶんと話題になったが、それだけ混沌としていた。単純な右左の色分けではわからなくて、左翼だって民青系と新左翼系は全く相いれなかったし、新左翼はこのあたりから内ゲバがあり分派していく。いま冷静にいればバカなことと思われるかもしれないが、当時は本当に真剣になっていた。その象徴として11.25なのかもしれない。

映画には、山口二矢の浅沼稲次郎刺殺や、よど号ハイジャック、新宿騒乱、金嬉老事件のニュースが流れてくるが、これがまた鮮烈に覚えているのである。若松監督は次によど号ハイジャックか金嬉老事件を映画化するのだろうか。おっと俳優さんのことも書いておかなくてはいけないのだが、三島を演じた井浦新、森田必勝を演じた満島真之介の熱演が光るのだが、以前ARATAだったのがこの映画でエンドロールでアルファベットが映るのはまずいだろうと名前を変えた井浦新の筋肉の緩みだけが気になった。
  
misimayukio.bmp
  

2012年7月10日

陽気ながん患者

このくらいの歳になると周りにがんになったという人が増えてくる。ところが、彼らに共通するのはひところのように深刻に考えないようになったことだろう。放射線治療をしながらサッカーをやっているヤツもいるし、肺がんで一部切除したにもかかわらず70すぎてもサッカーをやっている人とか、胃がほとんどないのに酒ばかり飲んでいるヤツとか少なからずいる。

一昨日はぼくの高校の時の同級生3人で飲み歩いている会があって(燦人会と名付けているがちょっと面映ゆい)、茅ヶ崎にある熊沢酒造の「天青」という蔵元料理の店に行く。知る人ぞ知る湘南の酒屋さんで、店の名前と同じ「天青」という清酒や、「湘南ビール」という銘柄でも有名である。そこの、酒蔵を改造したところで料理を出してくれる。なかなか、風情があっていい感じですよ。

ただ、呑む人にとっては茅ヶ崎から相模線の香川駅を降りて10分くらい歩くのでちょっと不便だ。でもここで「天青」を呑まない手はないので車で行くこともままならない。この会はけっこう頻繁にやっているのでそんなに新しい話題もないはずなのだが、いつも新ネタ登場で楽しいのである。それで、今回出てきたのはS君が実はなあと話出したのが最近前立腺がんが見つかったという話をする。

検査をしたというのを聞いていたけど別に自覚症状もないし、以前勤めていた病院の医者に薦められたので念のため検査しておくといった話だったのでてっきり何でもなかったよと言うとばかり思っていたら見つかったという。前年にも検査して異常なしだからほんとうの早期発見だったらしい。だからかその知り合いの医者が「Sさん、アタリ!」と言ったそうだ。そんな言い方はないだろうと彼は怒っていた。

それで、治療はどうするのと聞くと、これがなんと最先端の医療技術なのだそうだが高度なことに驚かされる。S君がその病院に勤めていた時に導入した高価な機器(どうしてこんな高価な機械を入れるのか。採算取れるのか疑問だったそうだ)を使うのだというだ。要するにピンポイントでがん細胞めがけて放射線を発するカプセルを埋め込んでしまうのだそうだ。

一瞬のけぞってしまったが、ずいぶんと進化しているなあと驚いた。もっと感心したのはそういう話を楽しそうにするS君で、それに関連して、もう“アレ“が使いものにななくなってもいいとなると違った治療法もあるのだが、それもさびしいので再起できる方法を選択したと、これまた笑いながら言ったことだ。

ということでおいしい料理とお酒を堪能しながら、今回はこの話が中心で、いつものM君のASEAN話はトーンダウンの夜であった。

%E5%A4%A9%E9%9D%92.JPG

2012年7月11日

簡単にするということは簡単ではない

ぼくの最近のプレゼンタイトルで「“超”簡単BPM」なんてちょっとキャッチーな言い方を使ったものがある。別にウソやハッタリではないのだが、少しは注目してくれるかなという思いである。ただ、恐いのはホントに誰でもが簡単にできると安易に思われることである。

簡単にできるためには前提がある。もしそれがなければ、みながやってしまうので特別に簡単と謳ったところで何もおもしろくもない。では、その前提とはいったい何であろうか。そこには、簡単なものにするという提供側の見方と簡単だと感じる受け手側の見方の両サイドからの考察が必要である。

提供側の問題としていかにして簡単なものにするかが実は大変難しいのである。簡単ということは様々な人たちがそう思わないといけない、つまりそれこそ老若男女、頭のいい人悪い人、保守的な人革新的な人といった万人がなるほどと思ってくれなくてはいけない。実際にはみんながみんなというのは難しいので多くの人が簡単だと認めてくれるかである。

そこには、ちゃんとしたロジックがあることが大事な要件だと思う。そういう意味では難しく考えてできたものが簡単というのがよろしい。思いつきや自己趣味的なものはどこかで破たんをきたすと思う。緻密な論理の組み立てがあって、それがすんなりと理解できるのが望ましい。それと、もうひとつ大事なのはどこのレベル、どんな抽象度で提示するかである。

分かりやすさは複雑性を排除していなくはいけないが、逆に抽象度が高すぎるとこれまた理解しがたいものになってしまうし、受け手がそれぞれの解釈をしてしまう。だから難しいのである。説明書を読み込まなくてはとか、講習を受けなくてはといったことは極力避けたいものである。このいいころ加減の粒度と抽象度がカギになります。

一方、受け手の方はというと単に表層的なところの理解ではなく、それがどうしてできたのかとか、どんな思想から生まれたのかといった背景にあるコンセプトを正しく理解することである。コンセプトが変わっているのに従来の考え方の延長でみて、これは難しいとかやりにくいとかいっても見当違いのことがある。

例えば、アップルの製品なんていい例で、iPhoneを携帯電話の延長でみていくと使いづらいとかいう意見も出てくるが、アップルが提案している新しいスタイルのお伴としてこれを使ってと言われると、これは“簡単”だと合点が行くのではないだろうか。

現代は、生活様式も働き方も遊び方も変化を遂げている。人間は同じところにとどまることはしない生き物なのである。ですから、そうした環境に合った“簡単な“ものが出てくるのだが、自分自身が変化していなければかえって難しいものになってしまう。案外、”難しい“と言っていることは己の既成概念からの乖離が大きいだけなのかもしれない。
  
いやーほんと、簡単にするということは簡単ではない。スポーツなんかでもいとも簡単にやっているが誰も真似できないというのもあるし、仕事なんかも軽くすいすいやってしまうヤツはすごいのである。
  

2012年7月12日

サッカー男女五輪壮行試合

ロンドン五輪に出場するサッカー男女代表壮行試合が昨日国立競技場で行われた。同時に試合をするのは異例だそうだがいいことだと思う。ただ昨日は試合結果だけをみると明暗を分けた。なでしこはオーストラリアを3-0で圧倒したが、男子のU-23代表はニュージランドを相手に終了間際のミスで同点に追いつかれてしまうというぶざまな試合に終わった。

なでしこは、五輪出場を逃したとはいえ世界の強豪であるオーストラリアをスピードとボール回しで翻弄した感じがあってよく仕上がっているように見えた。何といっても、病気とケガで出遅れていた沢と岩清水が体のキレもかなり戻ってきたのでたのもしい限りだ。沢も得点したし気持ちよくロンドンにいけるだろう。

一方の男子はちょっと心配だ。昨日の得点はオーバーエイジ(OA)枠で入った徳永の強烈なシュートを相手GKがはじいたところをサプライズ選出の杉本が入れたものである。この1点で逃げ切るのかと思いきやロスタイムで村松が不用意に相手にボールを奪われゴール前のフリーの選手に渡り追いつかれる。

試合としては、押し気味に進めていて、清武からのスルーパスに大津や東が絡み、永井の突破と酒井のクロスでずいぶんとチャンスを作ったのだが、見ていてもなかなか点にはならないような気がした。というのは変な言い方だがバックスがブロックがしやすいようにシュートを打ってくるからだ。特に大津は見た目では惜しいシュートをたくさん打ったように見えるのだが、バックスに読まれているのと本当に力が入ったシュートになっていない。打った後あんなに倒れてばかりいたらいかんでしょ。

最近の彼らの試合を見ていて最大の問題はコンパクトなサッカーができていないことである。前線と最終ラインが間延びしてしまっている。だから、バックからのフィードのパスの足が長くなって、それだけインターセプトされる危険が増え、そこでカットされると引いているので簡単に逆襲を受けてしまう。

もっとコンパクトな陣形にして、それによってお互い距離感をちょうどいい具合にたもたないと日本の強みである早い球回しができない。昨日も選手間の距離感が離れすぎていてチームとしての連動性が感じられなかった。この連動ができないと厳しい。ボランチの扇原、山口が意識してこれをやらないといけないのだが、特に扇原の存在感が薄いのはこれができていないからである。

あと、いまさら言うのも何なのだが、OA枠を使うか使わないかの問題であるが、吉田と徳永というバックスでOA枠を使うことになったが、たしかに守備の弱さはあったのでその補強なのだろうが、はたして効果的なのだろうか。この問題については、ついOAのいい選手を入れると強くなると単純に思う人ばかりなので誰を使った方がいいとかの議論にすぐになる。

ところが、宮本常靖が主張していたOA枠は使うなという論旨は、ほんとうに強いチームになれるのだろうかという疑問である。個人の能力の単純合計としては大きくなるかもしれないが、チーム力はそうした単純計算ではいかないところがある。同年代同士の連携のしやすさ、チーム練習の期間を長く取れることで戦術理解が進むとか、自立しなくてはいけないというメンタリティといったプラス面も大きいのでOA枠を使えばいいというわけではない。ぼくも宮本と同意見で使わないでやるべきだったと思う。ちょっと脱線してすみません。

さて、本番での結果はどうだろうか。カギは初戦のスペイン戦だ。引き分けで勝ち点1が取れたら最高でそこをねらうのがよい。そのためにも、先に言ったようにどれだけコンパクトなサッカーだできるかどうかにかかっている。スペースーを開けたらスペインのあのパスサッカーにしてやられるのは目に見えているからである。なでしこは、再度アメリカに勝てるかどうかだ。ガンバレ・ニッポン!
  


2012年7月13日

マニフェストの不可解さ

「国民の生活が第一」という小沢新党ができたがあまり興味がないし、インパクトもないように見受けられる。そのスローガンが、「反増税」「反原発」らしい。しかし、どう考えても「反○○」が政策とは言えない。反対するというだけでは何をしたいのかがさっぱりわからない。第一、国民の生活が第一という国民って誰のことを言っているのだろうか。おじいちゃんも国民だし、フリーターの若者も国民なんだけど、みんなにいい顔できないところが問題なのだから、この名前おかしいと思うのである。

増税というのは理由があってやろうとしているわけで、その理由を否定する根拠を示さなくては説得力がない。反原発にしても今までずっと原発に頼っていたのに事故が起きたからダメだというのもどうもおかしな気がする。電車事故があって100人以上死んだからといって、電車を走らすのをやめようと言わないでしょう。

東電にちゃんと想定しておけよというのと同じで事故が起きた時どう考えるのかの想定もしておけよと思う。つまり、あのくらいの事故が起きるかもしれないが(誰も死んでないのになおさら)それでも原発は動かすのだという想定力がなかったということなのだ。覚悟していなかったことなのだろうか。ちょっと行きすぎかな。

それはそうと今の民主党執行部に異議を唱えている人々の言い分を聞いているとマニフェストに書いていないことをやるのは国民を裏切ることになる、マニフェストは国民との約束だから絶対にまもらなくてはいけないのだと聞こえてくる。口を開けば、国民のため、国民の生活が第一というのだが、何となく“しょぼい“響きがしてしまう。

前にも書いたことがあるが、マニフェストというものの意味がぼくにはよくわからないというか、人をだましているように思うことがある。まずもって、選挙の時に提示されたマニフェストに書いてあることを全部賛成だからその党に投票しましたかということである。2009年の総選挙で鳩山代表が「政権交代」を掲げて政権を奪ったときのマニフェストをご存知ですか。再掲してみます。

1.ムダづかい
国の総予算207兆円を全面組み替え、税金のムダづかいと天下りを根絶します。
議員の世襲と企業団体献金は禁止し、衆院定数を80削減します。

2.子育て・教育
中学卒業まで、1人当たり年31万2000円の「子ども手当」を支給します。
高校は実質無償化し、大学は奨学金を大幅に拡充します。

3.年金・医療
「年金通帳」で消えない年金。
年金制度を一元化し、月額7万円の最低保障年金を実現します。
後期高齢者医療制度は廃止し、医師の数を1.5倍にします

4.地域主権
「地域主権」を確立し、第一歩として、地方の自主財源を大幅に増やします。
農業の戸別所得補償制度を創設。
高速道路の無料化、郵政事業の抜本見直しで地域を元気にします。

5.雇用・経済
中小企業の法人税率を11%に引き下げます。
月額10万円の手当つき職業訓練制度により、求職者を支援します。
地球温暖化対策を強力に推進し、新産業を育てます。

まあ、口当たりのいい文句を並べたものだと思いますが、全部賛成だから民主党に投票したのでしょうか。多くの人は、だいたいいいのだが、農業の戸別所得補償制度は必要ないとか「子ども手当」は反対だとかあったはずです。つまり、個別政策で賛否が分かれるのが普通です。

ところが、個別政策の国民の支持を確認することもなく、政権を取ったということはマニフェストに書かれたことはみんな賛成されたと錯覚してしまう。おかしいですよね。それと、その次の年に菅直人首相のもとに新たなマニフェストが制定されたのである。これがまただらだらと長たらしくて、これまた“しょぼい”のである。

「同じ職場で同じ仕事をしている人の待遇を均等・均衡にして、仕事と生活の調和を進めます」「学校や老人ホームなどの給食における「地産地消」を進めます。」「年金保険料の流用はさせません。」ちょっとのけぞってしまった。でも、最初のマニフェストから大幅に増やしいているのだが、前との継続性も疑問だし、マニフェストといえるのだろうか。

要するに、そんな“しょぼいこと”で論議するようなマニフェストの呪縛から解いてあげて、もっと高次のイッシューを設定してそこで十分な議論をしてほしいとつくづく思う。
  

2012年7月14日

「ハウスメイド」「ヌードの夜/愛は惜しみなく奪う」

ハウスメイド

リメイク作品だという。ベースがキム・ギヨン監督の「下女」である。リメイクというのは、全く同じものを作ってもしょうがないので、俳優を変えるとか、時代設定を変えて作り直すことに意味がある。このイム・サンス監督「ハウスメイド」は「下女」が1960年の制作だから、現代に置き換えることで価値を出そうとしている。

しかしながら、それが成功したとは思えない。なぜかというと旧いのだ。上流階級の邸宅でメイドとして働くことになったウニという娘が主人公で、予想通りそこの主人に手をつけられる。もういかにもという設定で、スクリーンも待ってましたという感じで展開される。ウニが仕える家族や先輩のメイドなども類型的で現代の風が流れていないのだ。

宣伝文句では「息もできない」や「母なる証明」を越える衝撃なのだそうだが、ぜんぜん届いていない。主演のナニを演じたチョン・ドヨンが、そんなに美しいというわけでもないが自然体の無邪気さでメイド役を熱演しているのが評価が高いくらいかな。ちょっとがっかり。

hausumeido.bmp


ヌードの夜/愛は惜しみなく奪う

熱狂的なファンを抱える石井隆監督の「ヌードの夜/愛は惜しみなく奪う」を観る。17年前の「ヌードの夜」の続編だという。ぼくはあいにく前作を観ていなかったので何とも言えないのだが、この作品だけをみるとあまり感動をしなかった。映画評なんかをみるとキネマ旬報やヨコハマ映画祭でベストテンに入っているくらいだから評価されているようだ。

おそらく、ぼくが歳をとったということがあると思う。エモーショナルでインパクトのある映画を受け止められなくなってきたのかもしれない。園子温の映画なんかもなかなかついて行けなくなってきている。やはり、エンジンが弱ってきたのかなあ。

映画は、園子温の「冷たい熱帯魚」を彷彿とさせられるシーンから始まる。保険金のかけて殺した男の死体を風呂場で解体するところである。この殺人をした母娘の3人がこれまたすごい。お金が欲しいばかりに多額の保険金をかけて何人もの男を殺すのである。大竹しのぶ、井上晴美、佐藤寛子が演じている。

ただ、佐藤寛子扮する末娘のたえは、もっと複雑な事情があった。風呂場で解体した死体を富士山麓にばらまいたのはいいが、ロレックスもまいてしまったのでそこから足がつくことを恐れて、たえは代行屋の紅次郎(竹中直人)のところに探してくれるように依頼する。そこから、たえと次郎に関係が始まるのである。

次郎が調べるとたえにはすさまじく不幸な人生があったことが浮かび上がってくる。それを清算すべくたえのグロテスクな狂気の行動に次郎は巻き込まれていくというわけである。いやー、何とも気持ち悪く、映画も暗いシーンばかりなのでこちらも暗くなるし、暴力的なシーンもあり、やはりついていけないな。佐藤寛子の肉体だけが救いだ。

nudonoyoru.bmp

ということで、今回はエロっぽい2作をまとめての映画評でした。
  

2012年7月15日

30代が覇権を握る!日本経済

ぼくは何を隠そう(みんな知ってるか)団塊の世代のど真ん中であるが、自分では若い人たちの邪魔をしているとは思っていないのだが、世間一般の見方としては既得権益の亡者と思われていて、早く消えてくれと嫌われている。こんな風な言われ方もする。60~70代は逃げ切った世代、40~50代は逃げきろうとする世代で20~30代が逃げ切れない世代なのだそうだ。ぼくらは、好き好んでこの時代に生まれたわけではないので、いかにもぼくらが悪いように言われるのは心外だ。

とはいえ、現代日本の病巣は「世代間対立」であろう。その処方箋として書かれた「30代が覇権を握る!日本経済」(富山和彦著 PHPビジネス新書)を読む。要するに、ぼくらのような老人が、既得権益を粛々と放棄して、従来の仕組みでは負け組になってしまう30代の若者が主役になれと言っているのだ。それをはじめにでこう言っている。「30代よ立ち上がれ!団塊世代よ、品格を見せてみろ!」

本の内容は、全部で6章からなっている。
第1章 若い世代の活力お甦らせるために
第2章 塩漬け預金を社会に還元する方法
第3章 日本人に合った税体系と働き方
第4章 グローバル時代の人材育成
第5章 日本の強みを生かした成長戦略
第6章 リアル革命のススメ

それぞれにまた各論が書いてあるのだが、ぼくが思っていることとほぼ同じでびっくりする。著者の冨山和彦は1960年生まれで産業再生機構のCOOを務めたことで有名だが、現場を知っているし、カネボウやJALの再生も手掛けたし、実際に自分で会社も経営しているから地に足がついた論議ができる。ただ机上の知ったかぶりでものを言うエセ評論家とはわけが違う。非常にためになる意見だと思う。

ぼくは団塊世代だが既得権益もないしお金も持っていないので品格をみせろと言われても見せようがない。ただ、一般論としては確かにここまでの日本を作ったのはおれたちだから、余生は楽にさせてもらうぞと言うのがおおかたであろう。結局、世代間の不利益の再分配をせざるを得ない状況になっているのはまちがいないだろう。

従って、しぶしぶではあるが合意するのである。残りのイシューはもう全面的に賛成だ。著者が言っていることをそれこそ30代の人たちが叫ばないといけない。だって、団塊の世代だって、ずっと居座るわけではなく、10年も経てば自然と消えて行くのだから、その時はもうぼくらに責任をなすりつけることができないのだ。自分たちが主役に躍り出たらどうしていいかわからないなんてならないようにしてしてほしい。よくマラソンなんかでいつのも間にか先頭にたってしまってオロオロする日本選手がいますよね。

そういう意味で30代が覇権を握った時にどんな日本にするつもりかを今から考えておかないといけない。それは非常に難しいのだが、逆に挑戦し甲斐があるのは、著者も言うように課題先進国であるが故にわが国で初めて味わう試練であるということである。これまでのどこの国の人も経験したことのない問題が山積しているのである。

社会保障と税の問題、バブル崩壊と長期デフレ不況の問題、少子高齢化の問題、さらに原発とエネルギー政策の問題、こうした課題が降りかかっている日本は、日本が先頭をきっている。ですから、こうした課題を解決していけば、日本が世界をリードできる可能性があるのだ。

ぜひ、30代、20代の若者たちよ、団塊を蹴散らすくらいの気概でがんばってほしいと思う。しかし、最大の問題はこうした若者ががんばれるように、既成の制度とか規制あるいは世間体といった阻害環境の存在を早く是正していきたいものだ。
  

30代が覇権を握る! 日本経済 (PHPビジネス新書)
冨山 和彦
PHP研究所
売り上げランキング: 3674

  

2012年7月17日

企業と学生のマッチング

今春の大学新卒者の就職率(4月1日現在)が調査を始めた平成8年度以降、過去最低だった前年同期を2・6ポイント上回る93・6%となった。なぜ増えたかについて厚労省は「新卒学生を採用したいと考えている中小企業に学生が目を向けるようになった結果、企業と学生とのマッチングがうまくいったのではないか」と分析しているそうだ。

喜ばしいことでもっと中小企業へ目を向けてもらいたい。ただ一方で、読売新聞によれば、今春の新入社員を対象にした「日本生産性本部」などのアンケート調査で「定年まで勤めたい」と答えた人が34・3%に上り、過去最高だったことが分かったとある。安定志向はあるうのだが背に腹は替えられないということなのだろうか。

そんな中で身近にそれらを実感する機会があった。業務の見える化のコンサルを行っている中小企業でのことで、先日そのプロジェクトの打ち上げ社長と飲んだとき教えてもらった。その会社に入社してきた今ではなくてはならない存在となった二人の社員についてである。

ひとりはもう社長の片腕のような優秀な設計技師なのだが、初めての学卒社員だったという。まだ一流大学を出て中小企業に入ってくるなんて考えられなかった時代なのだが、国立大学の理学系学部を卒業し、機械設計の専門学校を卒業して入社したのだという。ただそれがすんなりと来たわけではない。何しろ最初の受験が芸大の日本画科だったというように、紆余曲折を経てたどり着いたのだというのだが、それがハマって会社も本人も満足いくようになった。

そしてもうひとりは最近入ってきた同じく設計エンジニアである。彼はそこの会社の幹部の息子だったのだが、大学は出たけれど職がなくぶらぶらしていた。お父さんも会社に迷惑がかかるからと言って縁故で入れてくれとは言わなかったらしい。あるとき、社長がところでおたくの息子さんはどうしてますかと尋ねたところ、いま職がなくてという話になったそうだ。

そして、実際に会って話をするとどうも設計のような仕事したいらしい。小さい時周囲が驚くようなプラモデルを作ったり、そういったものづくりが好きな少年だったことが分かってきてすぐに採用したのだという。そうしたらどうだろう、もう今までと違って生き生きとして目が輝いたのだ。そうなると、どんどん設計技術が上達し大きな戦力になっている。

この話を聞きながら、ずいぶんといろいろなことを考えさせられた。おそらく二人は大企業では絶対に恵まれることはないし、長くは働けないであろう。また、単に従業員を人工としてしか見ないような中小企業であったら、これまたすぐに去ってしまうだろう。

こうした潜在的な能力を持ちながら、生かせないというか、活かし方を知らない、言葉は悪いが「すねもの」「はぐれもの」の若者がけっこういるということでもある。自分の経験からいっても若い時っておれの能力を認めてくれないのは世の中が悪いくらいに思うことがある。でもそのくらいのほうが、定年まで勤めたいなんていう安定志向の若者よりよっぽど力を発揮するのだと思う。

それと非常に重要なことは受皿としての中小企業の彼らの活かし方である。基本的には“まかせる”という環境を作ってやれるかである。歯車ではなく大げさに言えば経営の一角を占める社員なのだくらいの裁量権を与えることなのだろう。その社長はそこのところをよく理解している方で、彼らを非常にうまく使う度量を持っている。

実は番外編をちょっと。今その会社にある大学院の学生がインターンで来ていて、その若い方のエンジニアと一緒になってシステム作りをやっている。非常に気があって楽しそうに仕事しているのだ。インターンの子は最近大手ITベンダーに内定をもらったのだが、悩んでいるのだという。中小企業で思い切り仕事をするのもいいかなと思いだしたのだという。

「新卒学生を採用したいと考えている中小企業に学生が目を向けるようになった結果、企業と学生とのマッチングがうまくいったのではないか」というのだが、大企業は無理だから中小企業でもいいやなんて入ってきても絶対にうまくいきません。中小企業は大企業ではやらせてもらえないような重要な仕事を任されます。ですから、スキルが必要なのです。

たまたま、中小企業に就職する新卒が増えたという数字はあるのかもしれませんが、彼らが戦力化して残って行くのかどうかは不透明です。真のマッチングというのは今ここでご紹介したような、働きたい人と働いてほしい人の“感覚”と“スキル”がマッチすることなのです。
  

2012年7月18日

多様化する働き方

昨日「企業と学生のマッチング」というエントリーで、大企業志向もパイが小さくなっているので中小企業に目を向けざるを得なくなったといった話を書いた。最近はさらにもっと多様な働き方があるのを教えてもらって感心させられた。それは、鎌倉市に本社を構えるランサーズ(株)という会社を訪問したときのことである。

うちの社長に「鎌倉IT勉強会」への参加依頼がきたのと、そこの秋好社長が81年生まれでうちの社長と同年なのでその関係で元々知っていたこともあってオモロキの鎌田社長(彼も81年生まれ)と仕事の相談にいくというので一緒に連れていってもらった。オモロキと弊社で提供している「ボケて」というサービスのサーバー管理やフロントエンドエンジニアを確保したいという相談である。

ランサーズという会社は、「日本最大級のクラウドソーシングサービス」というのがキャッチフレーズで、要するに仕事を依頼したい人と、仕事ができる人をマッチングして、仕事取引がオンラインで出来るサイトを運営しています。依頼できる仕事には3種類あって、「コンペ式」「タスク式」「プロジェクト式」のパターンが用意されています。

コンペと言うのは依頼に対して複数の提案があってその中から選ぶ仕組みです。ロゴ制作なんかがこれです。タスクはというと、データ入力のように作業を割り当ててやってもらうような方式で、プロジェクトは、ランサーズに登録している様々なスキルを持った人の中から選択して仕事を発注するものです。しかも、固定給みたいにする場合もあるし、時間給のように出来高払いのような支払いもできるようになっています。

非常によくできた仕組みで、多くはIT技術者なのですが、けっこうスキルセットも細分化されていて、そこでのスキルレベル、トラブル歴、実績も分かるようになっていてミスマッチがないように工夫されている。すばらしいのは、もうすぐ「Expert Rating」という仕掛けを入れるそうで、このテストを受けると自分のスキルレベルが出るのだという。これは世界的に認知されていてすでに270万人が認定されているというもので日本では彼らが独占的に導入するそうだ。

こうすれば、技術者のスキルレベルが客観的にかつ世界標準で知ることができるのでミスマッチが防げるのだ。試験の結果と仕事ができるかどうかは必ずしも一致しないこともあるが、目安としては非常に良いと思う。これは、頼む方も頼まれる方もより安心して仕事取引ができるはずだ。日本のITSSなんて必要ないかもしれない。

こうした優れたビジネスモデルも感心させられたが、もっとすばらしいのはその志である。この仕組みは仕事を頼むほうというより、仕事を提供する人々の働き方を変えているのである。最近あまり聞こえてこなくなったがノマドというようなふわっとした話ではなく、大企業でもなく、中小企業でもなく、個人で働いて生活していくというワークスタイルである。

ランサーズのメンバーになった人はそういった生活で食っているのである。特に秋好社長が言っていたことなのが、地方の人たちが食っていけるようにしたいという思いがすごく印象に残った。われわれが依頼した中でもサーバー管理のようなどちらかという地味な感じの仕事は、地方調達がしやすいし優秀な人も多いらしい。デザイナーとかいうかっこいいのは都会なのだそうだ。

みなさん、地方の活性化だとか、新しい働き方だとか口先ではいろいろ言うのですが、こうして実践しているのを見るとうれしくなって応援しますよと叫んでいました。オモロキの鎌田社長は熱海市議でもあるので、地方を強くしたい思いも強いので同じように感動していた。そんなに心配しなくても30代が覇権を握る日はそう遠くないかもしれませんね。ぜひ、ランサーズをよろしく。
 

2012年7月19日

CIO不要論

こんなことを書くと天に唾するようで非難されてしまうかもしれないのだが、どうも日本ではCIOがいないからダメだとか、きちんと経営としてITを見ていく機能が必要だといった議論が当然のようにされているが、本当に正しいことなのだろうかと疑問に思えてきたのである。最近でも政府CIOを置くというような話も聞こえてきて、それを歓迎する声も上がっている。

しかしながら、もうちょっと真剣にその是非を論じた方が良いのではないだろうか。ぼくは欧米の国でCIOが活躍してそれによって大いに業績をあげた(ITが貢献していないと言っているわけではない)という例をあまり聞いたことがないのだが、そうしたCIOという役割もアメリカ的な経営組織論から来ていると思う。それが日本でも必要なのか、それよりも最初に言ったようにCIOそのものが必要なのかどうかである。

端的に言おう。ITはあくまで道具であり、主体は人間がやることであり、そこに必要に応じてITを適用するという主張をしていると何やらCIOって何をするんだろうと思うからである。いやCIOはChief Information Officerだから企業の「情報」に関する最高責任者だから必ずしもITに限ったことではないと反論されるかもしれないが、一般的には情報化戦略を立案する人であろう。となると情報化は目的ではないので案外ミッションが不明確なのではないかと思う。

あくまで業務システムやITインフラはビジネス活動や業務が戦略、事業方針、ビジネス要求に従ってきちんと機能するにはどういった仕組みと仕掛けを用意するかになるから、重要なことはビジネスモデルからビジネスプロセスを設計して、それをどうやってオペレーションするかにかかっているわけで、ここはCIOの仕事ではないのである。

すなわち、COOと情報部門長でやってしまえばいい話でわざわざCIOなんて置く必要がないのではないだろうか。繰り返すが、情報化することが目的なら必要かもしれないが、オペレーション(業務執行)ありきなのだから、むしろ必要以上のことをやってしまう危険性もある。日本ではCIOと呼べるような人は少ないが、考え方として企業の情報化戦略を立案しなくてはいけないという思いは強いようにみえる。

その前提として、全社的に統一、統合化したほうがよいという頭があると思う。しかし、これからクラウドの時代になってくるとなおさらなのだが、ITを総括的に管理しなくてはいけない理由が希薄になってくるように思う。もちろん、決算の仕組みとかエンタープライズリソース管理、従業員サービスなどは全社的な統合システムで管理しなくてはいけない。

しかしながら、事業ごとのサプライチェーンや営業プロセスなどは事業ごとに違ってもかまわないし、むしろその事業の特性に合ったものを使った方がよいわけで、最近では事業の統廃合などが頻繁に起きるから、スクラッチで作っていたら間に合わないなんてこともある。そんなところはクラウドでスケールアウト、スケールアップが容易なシステムにしておく必要がある。それはもう企業の情報化戦略といったものではなく、事業オペレーションに付随した装置とか機械といったイメージになるのではないでしょうか。

NC機械とかロボットを統括管理するChief Equipment Officerなんて役回りはいないでしょう。ということでCIOは不要で実際に事業オペレーションをやっているところでIT化というか、これからはどんなサービス、ソフトウエア、デバイスを選んでくればよいとなる。つまり、CIOが要らなくなる、そんな時代が到来するのではないでしょうか。
  

2012年7月20日

幸せパズル

アルゼンチンの映画である。以前「瞳の奥の秘密」という秀作を観て驚いたが、この映画も、アルゼンチンの固有性を強調するわけではなく普遍的な意味でよい作品である。監督が本作で長編デビューを果たすナタリア・スミルノフという女性である。ベルリン国際映画祭出品されたり高い評価をもらっている。

ストーリーは「瞳の奥の秘密」とは違って重たくはなくごくごく普通の主婦がちょっとした冒険をする映画である。ブエノスアイレスに暮らすのマリア(マリア・オネット)は夫と二人の息子の幸せを願う平凡な専業主婦である。ただ、そうした日常的な幸福にも何となく物足りなさを感じてきている。そんな折、50歳の誕生日にプレセントとしてもらったジグソーパズルが彼女に変化をもたらす。

いわゆるハマってしまうのである。意外な才能が自分にあることを発見することで単調な日常が一変する。そしてジグソーパズル店でみつけた「パズル大会のパ-トナ-募集」に惹かれて行くと、そこには富豪の独身男性ロベルト(アルトゥーロ・ゴッツ)がいた。その彼の励ましもあって一緒に世界大会の出場を目指すことになる。

パズルにのめり込むほどに彼女は生き生きとしてきて、ロベルトとも男と女の関係が芽生えてくる。しかし、だからと言って家庭を捨てるわけでもなくちょっとした冒険で満足している風でもある。彼女の解き方は普通とは違うのだがそれでも才能は群を抜いていて二人は国内の大会で優勝し、ドイツで行われる世界大会への切符を手に入れる。さて、マリアはどうするでしょうか。

観ていて思ったのは、超リアルな映画だなということである。どこの家庭でもありそうなことを描いている。子どもも大きくなって、また夫ともマンネリな関係でそんな生活に疲れた主婦がふと非日常的な世界に踏み込む。そこには自分も気がつかなかった才能だとか興味だとかを再発見するという静かなサプライズが待っている。

例えば、うちのヨメさんは興味ないのだが韓流スターにハマってしまう主婦も根っこは同じだなあと思う。そういう意味で超リアルだと言ったのだが、日本とアルゼンチンの違いをちょっと感じてしまう。アルゼンチンの方が可愛いげがあるというか純な感じを受けた。逆に少し前の日本はこんなだったのになあということでもある。これ以上言うと新大久保から怒りの声が飛んできそうなのでやめる。

こうしたもの静かで、しかし人生の機微のようなものがグッとくる映画はいいものだ。アルゼンチン映画バンザイ!
  
sawasepazuru.bmp
  

2012年7月21日

「ボケて」のグレードアップ

もう4年くらい前にサービスを始めた「ボケて」というサイトがあります。写真で一言ボケるウエブサービスです。書籍になったり、各種メディアにも取り上げられて、それなりの存在感を得ている。今まで200万を超えるボケと15万を超えるお題が投稿されています。

しかしながら、それだけアクセス数やPVが増えてくると当然のようにパフォーマンスに問題が出てきて重たくなります。こうしたサービスはコンテンツだ大事なのは言うまでもありませんが、同じように大事なのはパフォーマンスです。簡単に言えばサクサク動くかということです。中味はせっかくおもしろいのに画像を出すのに時間がかかってはユーザが逃げていってしまいます。

また、トラブル対応や運用の手間も増えてきてその対処も遅れがちになったりしてきて、そこでもサービスの低下をきたすことになります。ただサービス維持・向上はコストアップにつながるため、マネタイズとの兼ね合いでどうするかが決まってきます。慈善事業や趣味的にやるのならいいのですが、会社としてやる場合はそうした経済性の点での配慮が要ることになります。

そんなわけで、これから発展させる意味でてこ入れを行いました。主な改善点は「速度強化」と「新機能追加」です。新機能としては、Facebook、twitterへのシェア機能、ボケ+お題の一体化画像生成機能の追加、SSL対応です。また、パフォーマンスアップのためサーバーを何と8台構成にしています。こうなると規模感としては小規模サービスを越えて中規模に近いものになったわけです。その結果、SSLによりセキュリティ向上も含めて、そこそこの規模に対応したシステムになったということです。さらに、システムそのものやコンテンツなどの運用についても人的補強もすることにしています。

こうしたグレードアップにより実際にアクセス数も伸びてきていますので、大きな投資ではないのですが回収できる見通しです。ちょっと大げさですが、事業を大きくするというのはこうした繰り返しなのでしょうね。つまり、収益が予想できたら、それを収穫できるように投資をして、また更なる収益を期待するということです。

ということでグレードアップした「ボケて」をぜひ楽しんでください。そのうち、スマホ対応版もできますのよろしくお願いします。

写真で大喜利ボケて (コアムックシリーズ (NO.396))
ボケて編集部
コアマガジン
売り上げランキング: 277490


2012年7月22日

サッカーロンドン五輪先発予想

昨日、男子U-23日本代表が最後の壮行試合で強豪メキシコに2-1で勝利した。前半1分で相手のミスパスを清武がカットして、永井からゴール前に流したボールを東が入れて先制する。幸先よく先取点を取ったのはいいが、前半はメキシコのコンパクトなサッカーにいいようにやられ、前半の終わりに見事なミドルシュートを決められ追いつかれる。

しかし、後半は日本もリズムが出てきて互角の戦いになる。そして試合終了近くになって杉本のポストから大津の見事なボレーがゴール左隅に決まり、その後うまく試合を終わらせて終了のホイッスルを聞く。まあ、初戦のスペイン戦に向けていい戦い方ができたのではないだろうか。少なくとも気持ちよく試合に臨める。

さて、いよいよ本番であるが、女子の方の先発メンバーはもう決まっているが、男子がまだどうなるかわからない。昨日の試合の先発がそのまま出てくるとも限らない。関塚はまだ迷っている。こんな時期まで先発が固定されないというのも珍しい。オーバーエージや海外組の合流の問題があってなかなか決められないという面はあるのだが、戦術的な揺れがあるのも確かだ。その象徴が日替わりトップである。大迫が選から外れて、それ以後は大津、杉本、永井が起用されているがあまりうまく行っていない。

ただ、昨日の試合で少し見えてきたところがある。選手交代をみるとその意味がわかってくる。昨日の交替カードは、永井を杉本、東を大津、宇佐美を斎藤、徳永を酒井(高)、扇原を山村である。交替させられた選手はいずれもパフォーマンス的には不満が残ったのだ。関塚はやっとわかってきたのかもしれない。

永井のトップは特に強い相手とやる場合ポストプレーができないから機能しない。東は点を入れてよく動くのだが、インパクトがない。宇佐美はボールをもらう動きがないから仕掛けもできない。徳永は攻撃ができない。扇原は攻守とも中途半端で縦パスも出せなく一時の生彩がなくなった。

ということで大胆予想をする。権田、酒井(高)、鈴木、吉田、酒井(宏)、山村、山口、清武、大津、杉本、斎藤である。交替要員は、後半に負けている場合は永井と宇佐美を、勝っていたら東を投入、守備陣のバックアップとして徳永を待機させる。てなところですが、どうなるでしょうか。

スペインでも初戦は難しいのでひょっとするとと思うので、勝ち点1が取れる試合ができるかどうか。ガンバレ、ニッポン!
  

2012年7月24日

プロセス管理とプロジェクト管理

プロセス管理とプロジェクト管理の違いはあるのでしょうか?このブログではプロセスのことばかり言及しているので、プロジェクト管理についても少しみていきましょう。プロジェクト管理の知識体系として認知度が高くなったPMBOK(Project Management Body of Knowledge)にもちゃんとプロセス体系というのがあって、(1)立ち上げのプロセス (2) 計画のプロセス (3) 実行のプロセス (4) 終結のプロセス (5) 監視コントロールのプロセスが定義されています。

ですから、プロジェクトの実行もプロセスなのです。ただ、PMBOKを読みこんだわけではないので間違っているかもしれませんが、5つのプロセスに分けていますが、計画のプロセス以外は全部一連の動きの中にあるように思えます。全体を一つのプロセスと考えてもよさそうです。つまり、(1)の立ち上げのプロセスはプロセスの始点で(3)の実行プロセスが中間アクティビティで(4)はプロセスの終点というわけです。

(5)の監視というのはプロセスでいうパフォーマンス管理になります。また、(2)の計画プロセスは制約情報やパフォーマンスドライバーを作成するサブプロセスと考えられます。すなわち、計画値はプロセス実行の時の目標メトリクスになります。ですから、(5)とも関係してくるのです。

こうして見て行くとプロジェクト管理というのは実行フェーズではプロセス管理そのものであるとも言えます。普通のプロセスに較べると時間軸が違う、息の長いプロセスであるというくらいの差にみえます。あとはパフォーマンス管理のポイントが大きく期日に偏っていることかもしれません。

では実際にはプロジェクト管理はどんな風にやられているのでしょうか。おそらく、まずは目標があって、いつまでにこれこれの成果をあげることという風に設定され、そこからスコープと必要なリソースを調達して、計画スケジュールを立て、マイルストンとWBSを作成するのではないでしょうか。これが立ち上げプロセスです。ここらはプロセスというより、リソースマネジメントやプランニングですね。

次は実行プロセスになりますが、計画でできたスケジュールとWBSを持って進捗を管理することになります。使うツールは、MS-Projectあたりがよく使われているのではないでしょうか。基本的にはガントチャートタイプの表を見ながら実績を登録し、マイルストーンからの乖離などをビジュアルに表示されたものでチェックすると思います。

しかし、それでうまくプロジェクト管理ができるのかという疑問があります。今プロセス中心アプローチでプロセスを設計し、できたプロセスをオペレーションすることの重要性を強調しているが、この観点から同じようにプロジェクト監視オペレーションを眺めてみると、WBSで規定されたタスクをどうやって進捗させているのかが気になるのである。

つまり、作業が終わったという結果だけをガントチャートに登録して、それが期日通りなのかそうでないのかだけを管理しているように見える。もちろん計画スケジュール通りに進行させることは大事であることは言うまでもないのだが、その作業そのもの“質”は見えているのでしょうか。

プロセス中心アプローチで言っている単位意思決定をどうやっているのかということである。必要な情報を得てそれを参照して、メンバーとコミュニケーションしながらやっているのかということである。WBSを細分化すればするほど個人レベルのタスクに落ちてしまうのでコラボレーションという意味合いが薄れてしまうし、ガントチャートでプロセス管理と同じようにできるとも思えない。ガントチャートは計画値を作るためのシミュレーターでしかないのだ。

プロジェクトでも普通のプロセス業務でも同じだと思う。今まではITツールにアクションやタスクの結果を入力して、それを表示してレポートを出すことが業務だと思っている節がある。それだと、それぞれのアクションやタスクが隠れてしまい、可視化できないままです。ですから、プロセス管理で新たなコンセプトを提案したのと同じようにプロジェクト管理にも新しいコンセプトを入れたらいいと思うのである。
  

2012年7月25日

苦役列車

「苦役列車」はご存知西村賢太の芥川賞受賞作を原作とした映画である。この小説はばりばりの私小説だから、もちろん映画もそうみえるのだが、“私映画”ではない。西村賢太が自分でカメラを回してその自堕落な生活を活写したらそう言えるかもしれないが、別人の監督が創ったのだから、そこは客観が入り込む。

だから、小説とは別物である。監督が「リンダ リンダ リンダ」「松ヶ根乱射事件」「天然コケッコー」「マイ・バック・ページ」といった佳作を撮り続ける山下敦弘である。出演が主役の北町貫多に森山未來、友だちとなる専門学校生の日下部正二に高良健吾(また違った高良君が見られます)、貫多が一目ぼれする古本屋で働く桜井康子に前田敦子(「もしドラ」よりこっちの方がまだいい)という布陣である。

前田敦子が扮する女性は原作にない設定なのでそれだけでも小説とは別物だと言える。彼女の存在がけっこう重要な位置を占めているからだ。逆に言うと、小説のもつテイストが失われてしまうとも言える。屈折しているとはいえ可愛い女子大生とお友達になりかかるなんて貫多らしくないぞということである。

この映画は、もう森山未來の映画である。おそらく今年の映画賞の主演男優賞は彼で決まりだ。中卒で19歳の日雇い労働者である主人公のどうしようもない生活感を身体ごと表現している。日雇い労働で得た金は酒と風俗で使い果たし、家賃も払えず虫けらのように扱われる。たぶん、小説とは離れて監督と脚本のいまかおかしんじの3人で相当主人公のキャラクターを練り上げたはずだ。

そうなんですよね、脚本があのいまおかしんじなのです。と言ってもほとんどの人はわからないと思うますが、ピンク映画の監督さんでその筋では有名です。以前四日市の映画仲間のひとから「たそがれ」という映画を紹介されて中野まで観に言ったことがある、その作品の監督がいまおかしんじだった。この映画老人の性を扱ったもので妙にエロっぽくってリアルでびっくりした。だからかもしれないが「苦役列車」での風俗のシーンなんていかにもといった風情でよかったのだ。

とはいえ、基本的なストーリーは小説に従っていて、芝浦の倉庫の日雇いに行っているとき同い年の正二と知り合い親しくなる。そして、正二に後押してもらって、あこがれの古康子に声をかけることになる。しかし、まともに女の子と付き合ったことのない貫多はぎごちない対応しかできない。さらに正二も徐々に遠ざかっていく。秀逸なのは正二が女友達お連れてきて3人で居酒屋で呑むシーンで、貫多がサブカルかぶれの彼女の言動に怒って皮肉を繰り出すとその仲は決定的となる。

このあたりの、80年代後半のバブル期の表とそれとは無関係に裏で抱く屈折感との対比がおもしろかった。同僚の日雇い労働者を演じたマキタスポーツの存在感とともに底辺でしたたかに生きのびている姿はあっぱれと叫びたくなった。森山未來とマキタスポーツに脱帽。
  
kuekiresha.bmp
  

2012年7月26日

物語論

何となく題名に惹かれて手にしたのだが、その物語論って何のこと?という思いを抱き続けたままで読み終えてしまった。「物語論」(木村俊介著 講談社現代新書)は、本の前書きによれば「小説、漫画、美術、映画、音楽・・・・と言ったさまざまな分野の方々から「ものを語ること」に関して聞かせていただいた考え方を並列に提示した」ものらしいが、それが成功しているとは思えない。

著者はインタビュアーという職業らしい。彼がこれまでインタビューという形式で著名人から聞いたことを、最後の伊坂幸太郎は別として、QAではなく、垂れ流しで書いている。そもそもこの形式からして読みずらいのである。インタビューというのは聞き手と話し手の呼吸というものがあって、そのやりとりで読者は理解する面がある。ところがそのやりとりを取っ払って垂れ流されてもなあと思ってしまう。

それと物語論というのがこれまたよくわからない。「普段は各ジャンルの専門誌に掲載されるような作者へのインタビューを対等に並べることで、より広い意味での物語論ができるのではないか」と考えたそうだが、そのインタビューのほとんどが作品を作る上での手の内を聞いているのである。そんなものはどちらかというとテクニカルなものに近いわけで、ジャンルが違うのに並べてどんな意味があるのだろうか。イチローと松井の語る打撃論を並べてバッティングとはを分からそうとするのだろうか。

登場する作者は、村上春樹、橋本治、島田雅彦、重松清、桜庭一樹、平野啓一郎、伊坂幸太郎といった小説家、荒木飛呂彦、かわぐちかいじ、弘兼憲史、うえやまとちといった漫画家、その他映画監督、現代美術家などである。ぼくは漫画を読まないので漫画家が言っていることはさっぱりわからないし、小説家の言っていることも独りよがり的で難しくてこれまたわからない。

おもしろかったのは村上春樹と映画監督の是枝裕和、ウエブデザイナー中村勇吾、雑誌編集者の渋谷陽一くらいだ。ただし、物語論といった訳がわからないものではなく、単にぼくが興味があるジャンルの人が実はおれはこんなことを考えながら作品を作っているんだと手の内をばらしてくれているからに過ぎない。

しかし、だからといって感心しているのか、感動しているのかと言われるといや違いますよと言いたい。こういったクリエーターの人たちというのは結局作品でしか評価してはいけないし、評価されるべきだと思う。手の内をばらすのもいいがそういう意図がちゃんと作品に反映されていなかったらどうするのだろうか。

作り手がいくら高邁な理屈付けをして作っても読み手、見手、聞き手がそう感じられなかったら作品の価値はないのだから、言い訳なんか聞きたくもないというのが素直な感想で、このことはこの本に限ったことではなく、「監督この映画の意図は何ですか?」なんて聞くやつとそれに答えるやつはどうも信用がおけないのである。プロは結果がすべてですよ。

物語論 (講談社現代新書)
木村 俊介
講談社
売り上げランキング: 72168


2012年7月27日

男女とも白星発進

昨日のロンドン五輪男子サッカーの初戦でU-23日本代表は強豪スペインを破ってしまった。一昨日は女子がカナダを2-1で撃破して、男女とも幸先のよいスタートとなった。女子の方はワールドチャンピオンなので順当勝ちかもしれないが、男子はフル代表がワールドチャンピオンのスペイン相手によくぞ勝ったと思う。

順当勝ちと言った女子の方はそれでも立ちあがりはかなり堅くなって少し心配になったが、前半33分に沢―大野―川澄の連携で見事な先制点を挙げるとまあまあ本来の姿に戻る。前半終了間際には鮫島のクロスに相手キーパーが判断を誤り宮間の頭にあたり追加点を入れる。後半カナダに1点返されるがそのまま試合終了。

何といっても沢の復調が試合をコントロールできたし、チーム内の結束にも貢献したと思う。沢から左右に散らすパスが有効で内に絞りがちなカナダを揺さぶった。これで、緊張も取れたことだし、昨年のワールドカップを思い出して再び頂点に上り詰めてほしいと願っている。

さて男子は驚いた。「グラスゴーの奇跡」と言っているが、もはや“奇跡“でもないのではないだろうか。海外のチームで活躍している選手もいるわけだし、アジアチャンピオンなのだからちょっとした番狂わせといったところでしょう。前半34分にコーナーキックを得ると扇原がちょうどいい場ところへ流したところを大津が押し込む。その後、相手のバックスが永井へのファウルで一発退場という事態も味方してそのまま逃げ切る。ちょっと前に大胆先発予想したが、そこで外した永井と扇原が活躍していい方に予想が外れてよかった。

スペインは、なでしこの初戦と同じように追われる立場での初戦はけっこう難しい。最初の入りが緩かったので日本があれっと思ったのではないだろうか。それで、日本チームがスペインはたいしたことないと自信を持ってしまったように見えた。しかし、そのうちスペイン本領発揮と思いきや10人になったせいももちろんあるが、ぜんぜん脅威都はならなかった。

スペインチームはフル代表と同じようなサッカーをしてくるのかと予想していたら違った。早いパス回しで、裏に飛び出す、斜めに走り込むといったスペインサッカーが見られると思ったら、つまらないサッカーをやっていた。メキシコの方がよっぽどスペインらしかった。

だから、スペインサッカーというけれど、本当のところは現在にフル代表、すなわちシャビ、イニエスタ、ビジャ、セスク、アロンソといった面々でしかできないとも言える。フル代表でもありこの間のユーロでも活躍したアルバも出ていたのだが、目立った動きもできなかったことからも、あの選手たちのあのチームだからと言えるのではないでしょうか。これで予選リーグ突破はほぼだいじょうぶそうだからぜひメダルをねらってほしい。
  

2012年7月28日

ぱいかじ南海作戦

どうもこんな世の中になると脱力系の映画を作りたくなるのだろうか。「ぱいかじ南海作戦」は、失業と離婚が同じタイミングでやってきてしまった主人公が南の島に逃避してそこで繰りひろげられるドタバタを描いたものである。その逃避行の主人公佐々木を演じるのが今売れっ子の阿部サダヲ、彼にからむ若者たちに、永山絢斗、貫地谷しほり、 佐々木希。さらに、島に住み着く変なホームレスにピエール瀧、斉木しげる、浅野和之らの個性派俳優さんたちである。

監督は、ぼくは知らなかったが、コントユニット「男子はだまってなさいよ!」を主宰する細川徹で、長編映画はこれが初監督だそうだ。そういえば、コントっぽいシーンが連続する。ストーリーは、東京でカメラマンの仕事についていた佐々木は妻とも離婚して失意を癒すために南の島にやってくるところから始まる。

まず出会ったのがそこで暮らすホームレスのおじさんたち4人組で、すっかり意気投合するのだが、あるときしこたま酒を飲んで朝目を覚ますと全財産がおじさんたちと一緒に消えてしまう。そこに現れたのがやはり都会から来た青年オッコチで二人でキャンプ生活を始める。その後、関西弁をしゃべる二人連れの若い女性が登場する。アパとキミと名乗る美女を含めた4人で楽しげな共同生活が展開される。そして、そのホームレスに復讐する作戦を開始する。

そのうち、皆の素性が徐々にあきらかになってくると、結局、みな現実世界の圧迫から逃れるように南の島で気分転換を図ろうとしているのだ。その島には何もないのだが、海と太陽とそして風があるのだ。俗世界を忘れのんびりと暮す幸せを感じるわけだが、そこにもしがらみが押し寄せてくる。

しかしながら、「めがね」とか「プール」と同じようにほんわかのんびりっていうのもいいのだが、もう俗っぽいものが沁み込んでしまった身にとっては何がおもしろいのだろうかと思ってしまう。「苦役列車」の貫多が全く南の島とは正反対の暮らしもまんざらでもなさそうにしぶとく蠢く姿とボーっと風にあたる生活をつい比較してみて、どっちもどっちだよなあとごくごく当たり前の感想をつぶやく。

それにしても映画初監督ということもあるのか、映画の入りとエンディングがどうもよくない。入りは説明的で脱出する気分が伝わってこない。会社が倒産したとか妻と別れるといったこを映像的に流せばよいと思う。終わりは、唐突で意味がわからない。まあ変に深刻な映画よりもましだが、もう少し丁寧に作ってもらいたい気がした。
  
paikaji.bmp
  

2012年7月29日

なでしこ予選リーグ突破

いよいよオリンピック開幕である。これから、各種目で熱戦が繰り広げられる熱い日が続くことになる。この時期は日本中がにわか愛国者となり、ニッポン、ニッポンのコールが響き渡る。早速、柔道の平岡、重量挙げの三宅、水泳の荻野が銀、銀、銅メダルを獲得した。まあ、何はともあれ日本選手の活躍を見たいものである。

さて、一足早く始まったサッカーでは昨日なでしこジャパンがスウェーデンと対戦し、スコアレスドローで勝ち点4となった。他のグループで3位で勝ち点4に届くチームがなくなったため早くも予選通過が決定した。まあ、狙いは金メダルなので軽く関門を通過といったところである。

スウェーデン戦は何しろ相手は世界ランク3位だから力もあって互角にちかい戦いであった。男子もそうだが最後の詰がどうしても甘い。シュートに力がないのだ。大儀見にしても大野にしてもきっちりと決めないといけない。これだとアメリカには勝てない。

昨日は、カナダ戦に比べるとモチベーションが低いように感じられた。戦前に佐々木監督が2位狙いのようなトーンで話していたことも影響していると思うのだが、必死に勝ちに行っているようには見えなかった。それと、攻撃が左に偏っていて右からの崩しが少ない。宮間へのマークがきつかったようだが、後半になって近賀と入れ替わるようなポジショニングをとってから機能し始めた。

また、沢のコンディションがまだまだのようだ。初戦では復調したかなあと思えたのだが昨日はあまりよくなかった。ただ、交代した田中明日菜と岩渕真奈がいい動きをしていたのでチーム力としては大丈夫だろう。引き分けは佐々木監督の狙い通りのような気がする。もし、引き分け狙いでその通りにできたとするとこのチームは強い。

日本人はこうした駆け引きを嫌うため、どんな試合でも全力でぶつかれみたいな精神論を言うが、このくらいの戦略はあってもいいと思う。もし、このグループで1位通過するとG組の2位と当たる。おそらく、この組は1位がアメリカで2位がフランスになるだろうから、先日負けたフランスと当たる。2位通過だとE組2位でここはイギリスの公算が大。

3位だとG組1位なのでアメリカである。3位というのはおそらくないので2位で通過が最良のパターンなのである。そういう意味でスウェーデン戦を引き分けて、南アフリカに2-0くらいで勝って、スウェーデンがカナダに2-0くらいで勝ってもらうのがよい。

金メダルを取るのなら、早めに強豪を倒して勝ち上がればよいという意見もあるだろうが、モチベーションの問題として尻上がりがいいんじゃないですか。さていよいよ男子も第2戦モロッコとの戦いが始まる。せっかくスペインを倒したのでここで負けたら元の子もなくなるので是非撃破してほしいと思う。ガンバレ・ニッポン!

2012年7月30日

勝ちましたよ

ロンドン五輪男子サッカーでU-23日本代表はモロッコを1-0で下して、初戦のスペイン戦の勝利に続く連勝で予選リーグ突破を決める。いやはや強いものだ。やはり、スポーツはメンタル的な要素が大きいが、初戦のスペイン戦をうまく戦った自信がすごく大きいと思う。

前半は、モロッコの高い身体能力と個人技に押されっぱなしだったが、モロッコの最後の詰めの悪さというか、短調さに救われた。逆に日本は数少ないがもう少しでゴールというチャンスを作り出していた。コーナーキックからのディフェンダーの鈴木と吉田のヘディングは惜しかった。

後半に入ると相手の動きに慣れてきて、対応もスムーズになってパスも繋がるようになる。清武や大津の惜しいシュートもあり、モロッコも疲れが見え始め(ラマダンの影響?)流れは日本に傾いてくる。そして、後半39分に清武からバックスの裏にパスがスピードと距離がちょうどいい感じで出たのを永井が快足をとばして、相手キーパーが出てきたちょうど手前でボールにさわり、無人のゴールに。見事な連携でついに1点をもぎ取る。

そのあと、モロッコの作った決定的な場面を権田と吉田の体を張ったプレーでかろうじて防ぐ。ほんと心臓に悪い。そのあとすぐに試合終了のホイッスを聞く。すばらしい勝利である。アフリカのチームは何回か五輪の優勝経験もあるように、この世代は世界トップクラスだから、その相手を倒したことは、またまた自信にもなるのではないでしょうか。

五輪前に関塚の采配も含めてあれだけいろいろ言われてきたが、それがどうだ。チームも一丸となって少々攻められてもあわてることなく堂々としている。若い選手は大会中にも成長してしまうのだろう。ぼくはオーバーエージを入れることに消極的であったが、試合ぶりを見ていると吉田麻也の力が大変大きな貢献をしていると思う。2戦とも零封したことからもわかるように守備がものすごく安定したことがこの連勝をもたらし他ことは間違いない。

さあ、今度はホンジュラス戦である。ただ、そのホンジュラスもスペインに勝ってしまった。だからもちろん侮れないのだが、この勢いで勝利していち1位通過してもらいたいと願っている。すごいことになるかもしれない。
  

2012年7月31日

「BPM推進のステップとポイント」

昨日、日本BPM協会から新版「「BPM推進のステップとポイント」がダウンロードできるようになりました。協会のホームページを開いてダウンロードしてください。

BPM推進フレームワークとしては2007年に初版が作成されていましたが、今般それをリニューアルしたものです。初版はどちらかというとBPMシステムを作ることにやや重きが置かれいましたが、それをビジネス視点を重視した形に改めています。BPMはプロセスを中心にしてビジネスを捉えるという「ビジネスマネジメント活動」であることを明確にしています。

従って、3つの環すなわちPC(Process Change :プロセス改革推進)、 PD(Process Development:プロセス開発)、PO(Process Operation:プロセス・オペレーション)の一貫性と連動性の大切さを謳っています。特に、今回はオペレーションの重要性を打ち出しており、この点は評価できます。

この執筆には私も参加していますが、多くの真剣な議論から生まれていますので大変役に立つフレームワークであると自負しています。ぜひ、お読みになってください。
  

About 2012年7月

2012年7月にブログ「mark-wada blog」に投稿されたすべてのエントリーです。新しい順に並んでいます。

前のアーカイブは2012年6月です。

次のアーカイブは2012年8月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type