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2012年6月 アーカイブ

2012年6月 1日

ぼくが選んだプロ野球最強のベストナイン

前に「プロ野球 最強のベストナイン」(小野俊哉著 PHP選書)の紹介をしたが、その中に昔のそれこそ戦前の選手も入っていたことや、単に記録として残っているデータをたよりに選んでいるので、若干納得感に欠けていた。そこで、ぼくの知っている時代から、強いチームとして編成するにはという観点で選んでみることにする。

野球はサッカーと違って基本は個人競技だから、サッカーのような相性とかチーム戦略に合致しているかといった評価はないのでデータだけで選んでもかまわないと思うが、自分が監督になったつもりで選んでみる。選び方を本と同じように打順からなのか、それとも守備からなのか迷ったが、ぼくは守備にした。というのは、打順は変動しやすいので比較的固定されている守備で選ぶことにした。投手は先発5人、中継ぎ抑えで3人とした。また、指名打者は選ばない。

まずは、投手だが、まあ数多くいるので選ぶのが大変だが、ぼくの知っている世代だから、1950年代終わりから現在までとなる。ということで本にならって、年代別で追ってみる。50年代から60年代では、稲尾和久、金田正一、小山正明、村山実、皆川睦雄、権藤博、米田哲也といったところですか。70年代では、江夏豊、鈴木啓示、村田兆治、山田久志、堀内恒夫。80年代は、江川卓、東尾修、桑田真澄、遠藤一彦、北別府学。90年代が、斎藤雅樹、工藤公康、野茂英雄、佐々岡真司、星野伸之。さて2000年代では、ダルビッシュ有、杉内俊哉、上原浩治、斎藤和己、松坂大輔、黒田博樹、三浦大輔、田中将大といったところである。

救援投手では年代別というより成績や印象からみると、佐々木主浩、高津臣吾、岩瀬仁紀、藤川球児、江夏豊、牛島和彦、山本和行、与田剛、赤堀元之、鹿取義隆といったところですね。さて、ここから選ぶのですが、江夏をどっちで選ぶかがありますが、先発にしておきます。先に救援投手を選ぶとこれはもう最初の3人ですね。すなわち、佐々木主浩、高津臣吾、岩瀬仁紀で決まりでしょう。

さて先発の5人ですね。どうも子ども時の印象と大人になっての印象では子どもの時の方が強い。それと、プロ野球の人気度といったものも影響するから、どうしても昔の選手に肩入れしてしまう。なので、稲尾、金田、権藤博、江夏、野茂ですね。要するに“凄み”があるかでしょうね。そういう意味だと、尾崎行雄と池永正明がもう少し長く現役をやっていたらどうだったかと思ってしまう。

いよいよ野手ですが、もう決まりきったポジションがありますよね。はい、ファースト王貞治、サード長嶋茂雄は誰が何と言おうと動かせませんね。川上や中西、掛布も可哀そうだけど入れません。あとキャッチャーは野村克也か古田敦也でしょうが、ぼくが子どもの時にファンだったから野村も外せない。さあ、セカンドとショートですね。セカンドは本当は渋く安藤統夫と生きたいのですが落合です。意外と思うでしょうが、ロッテ時代の1981年、1982年にパリーグのベストナインの2塁手に選ばれている。

ショートは古いところで、広岡達郎、吉田義男、豊田泰光といったところだが、坂本敏三、石毛宏典、松井稼頭夫、井端弘和といった面々がいるが、ぼくの好みで石井啄朗といきましょう。走攻守のバランスがすばらしい選手である。

外野も選ぶのが難しい。打撃優先か守備も評価するのか、そのバランスかである。まずは候補として、山本浩二、福本豊、若松勉、張本勲、秋山幸二、イチロー、青木宣親、内川聖一あたりかなあ。まあ無難なところでレフト山本、センター福本、ライトイチローだろうな。これも走攻守のバランスから選ぶとこうなる。

さて、ここから打順を決めていこう。指名打者が入れないとする。

1番 :福本豊 センター 阪急
2番 :イチロー ライト オリックス、マリナーズ 
3番 :王貞治  ファースト 巨人
4番 :長嶋茂雄 サード 巨人
5番 :落合博満 ロッテ、中日、巨人他
6番 :山本浩二 レフト 広島
7番 :野村克也 キャッチャー 南海、ロッテ、西武
8番 :石井啄朗 横浜、広島

うーん、これこそ最強のベストナインでしょう。皆さんも、自分なりのベストナインを選んでみてはいかがでしょうか。

2012年6月 2日

大企業と中小企業の違い

いま、ある中小企業でIT化のお手伝いをしている。プロセス設計が終わって実装のためのフォーム定義の最中ですが、いささか中小企業の特徴というか、大企業とだいぶ違うなあという実感がしたのでそのことについて書く。ぼくは、以前は従業員数千人の会社にいたから、いちおう大企業のなんたるかは経験済みである。その100分の一にも満たない小さな会社なので、ずいぶんと驚くことや感心させられることが多くある。

もちろん、そうした従業員数とか売上だとかといったありきたりの比較をしてもしょうがない。業務プロセスの扱いについてである。会社にある業務プロセスは業種さえ変わらなければ会社の規模には関係なく同じではないだろうか。製造業なら営業があり、調達、設計、生産、出荷などのプロセスがある。そのプロセスでやっていることには規模から来る違いはないといえる。

しかしながら、会社の規模が違えばいろいろなところが違いますよと主張する人がいる。だいたいが大企業の人たちである。会社が大きいとなにしろ大変なんだからという。いったい何が大変なのだろうか。例えばオーダーの数がぜんぜん違うじゃんという。だけどひとり当たりのオーダー数がどうなのだろう。いやそんなことよりやっていること自体は同じでしょうと言いたいのだ。

ただ、その違いが表れるところがある。それは、そのプロセスを誰がどうやってコントロールし、監視・管理しているかというオペレーションのところで、そこに差が出てくるように思う。そこでも一番違うのがひとりひとりが見ている管理範囲ではないだろうか。更に言うと管理単位同士の連携の濃さとか円滑さみたいなところだろう。

つまり、中小企業だとひとりが管理する範囲が必然的に広くなり、また、人と人の関係がすごく近いので、ツーといえばカー的な連携ができる。一方、大企業では、縦割りの組織が基本でかつその中でもかなり細分化されてくるから、そこの人は狭く深くなっていく、そして組織的にも分かれるから壁ができて連携がうまくいかないようなケースもでてくる。よいか悪いかとか、できるできないかということではなくそういった性格があるということである。

ですから、業務プロセスを書いていく時にもそうした特徴が出てくるのである。具体的に見ていこう。今対象となっているプロセスは顧客サービス要求に対する処理プロセスである。お客さんが会社の窓口にサービスを要求して来るのを受付けるところから始まって、その要求に答えてやるといったことをする。顧客サービスといってもいろいろあって、苦情とかクレーム、修理要求、返品、単なる問合せといったものがある。

それぞれの要求でどうやって対処するかはけっこう違っている。となると、それぞれ別々に個別プロセスを書くのが普通であろう。例えば、クレームだったらその内容を吟味して、不良品を返してもらい、それを検査して修理個所を直して送り返す。一方、通常の修理品だと、返してもらうのは同じだが、検査して修理内容が決まるとどれくらい費用がかかるか算出して、その見積を出して、修理するかどうか決めてもらうというような動作をする。

これだけみると別個のプロセスで管理した方がよさそうに思うでしょうが、全部一緒のプロセスに合体してしまいました。その理由は、クレームでもひょっとすると通常修理対象だったとか、その逆に修理してくれと言われたのだが検査をしたら欠陥があったなんてこともあること、クレーム品でも修理費用もちゃんと出しておく必要があるねとか、どれも欠陥情報は一元的に管理するよねといったことがでてくる。

結局、統合したような形のプロセスを設計することになった。だから、オペレーション上は、要求サービスによっては、使わないアクティビティが出てくるがそれはブランクにしておけばいいという風にした。(分岐という考え方は基本的にはしない)それでいいのだという。ひとつには前述したように、クレーム品であろうが修理品であろうが同じ人間が見るからというのがある。

いまこのプロセスを見ていて、中小企業の強さみたいなものを感じたのと、これまでの業務システムの考え方あるいはツールだとこうした強みを生かせる仕組みができないだろうなあと思った。つまり、きっちりとしたインターフェースがかえって効率性を損なうようなとき、それを緩めることができないといったことである。システムはある意味組織であるからそうなるのだが、大企業の硬直した組織とそれを写像した既成の業務システムの硬直性は通底しているわけでここが大きな問題なのである。

2012年6月 3日

クラウド時代の業務システム・・・クラウドならではの業務システムはあるのか

これまで、クラウド型のシステム形態がもたらすメリットを要求側できちんとみておかないでやみくもにいれればいいという話はないということを書いてきた。ずっと以前にセブンイレブンの情報化のことに及んだことがあって、彼らは、今の技術がどうのこうのという前に自分たちがやりたいことが先にあって、その時はまだ技術やパフォーマンスが追いついてなかったら待っていて、実現できるようになった途端にそれを導入するということなのだ。

だから、今のクラウドをめぐる議論で、クラウドが出てきたからこれをどうやって使おうかというスタンスで騒いでやしないだろうか。今言ったセブンイレブンもそうだし、前回ぼくがASPをやりたかったがまだその環境が不十分だったのがやっとできるようになったと書いたことにつながるのだが、繰り返すがまずは何をしたいのか、それを実現するための技術やインフラ、他のリソースがあるのかないのか、なかったらとりあえずここまでにしておこうということではないだろうか。そうではない本末転倒のアプローチはやめたほうがよい。

それで、業務システムのことですが、間違ってはいけないのは、クラウドならでは、あるいはクラウドにしかない業務システムというのはあるのだろうかということである。業務システムというのはビジネスパーソンが営業とか販売・購買などの業務を行うためのものだから、クラウド以前からずっとやってきたことで、クラウドだからとといって新しく生まれたものではない。

「クラウドは従来とどう違うのか」のところでも書いたように、利用形態が新しくなって、それにより運用のコストやパフォーマンス、拡張性などが改善されたのであって、業務システムそのものが新規性を持ったわけではない。ということは、いままでも、必要に迫られたものはクラウドに近い形態もある。たとえば、地方銀行の勘定系のシステムは約8割が共同利用されている。これなどは、クラウドの出現を待つまでもなく共同利用という形態が多くのメリットを生むからそうしているのである。

だから、業務システム側からの要請としてクラウド化ということはなかった。ただ、ASPについて書いたようにグループ内共同利用化という要求は芽生えていたのは確かだ。さて、要請はしなかったが、現実としては、クラウドが目の前に姿をあらわすようになった。これを無視するわけにはいかないだろう。なぜかといえば、コストを大幅に下げることができる可能性があるからである。

繰り返すが、仕事に使う業務システムそのものをクラウドから手に入れ、それを使うというのはそれほど多く出てくるとは思えない。クラウドの特徴は同じものを共同利用するということだから、そうなると業務システムを競争相手の会社と共同で使うということなのだろうか。あれえ、差別化とか競争優位性とかはどうなっちゃうのかという話になる。

2012年6月 4日

快勝スタート

昨日、埼玉スタジアムで行なわれた2014年W杯アジア最終予選の対オマーン戦で日本は3対0と快勝した。まずは幸先のよいスタートが切れた。最終予選というのはこれまでは接戦続きで、楽勝したことがなかったと記憶しているが昨日は安心して見ていられた。とくに初戦は何となく緊張するもので、ホームでなかなか点が入らないとその硬さが徒となって星を落としたりする。

試合は日本が非常にいい入り方をした。いきなり続けてコーナーキックをとったのがその表れで、しかも12分といういい時間帯に先取点をあげる。左サイドで何本かのパス交換から長友が抜け出して絶妙なクロスが本田にぴたりと合って、ボレーが右隅に決まる。絵にかいたようなビューティフルゴールである。パスが、横を主体にした逃げの交換ではなく、縦を主体にした攻撃的なものであったのが奏功した。

それから、気が抜けたのか攻撃の鋭さを失ってしまって緩くなってしまった。きっとこんなにうまくいくとは思わなかったのでほっとしてしまったのではないだろうか。外野席からはどうして畳みかけていかないのだと、もっとアグレッシブにとか声がするが、そんな簡単にはいかない。だいいち相手だって、最終予選に進んできたチームだから力はあるから、一気に崩せるわけにもいかないのだ。

後半に入っても日本の攻勢が続き、後半6分に香川から前田にバックスの裏を突くパスが送られ(オフサイドくさいが)押し込む。フォワードは本田のようなきれいな得点もいいが、こういう泥臭い得点もうれしいものだ。さらにもっと泥臭かったのが岡崎の3点目で、得意のシュート・キーパーはじく・それを体ごと押し込むスタイルで勝負あり。

守備の方もまったく危なげなく完封した。ということで、理想に近い形で初戦をものにした。やはり何といっても海外組の成長のあとがはっきり出ていた試合でチームとしても一段とレベルアップしている。あと、途中で替わって出た酒井、細貝、清武が先発に負けないパフォーマンスを見せていたのもたのもしい限りである。

しかし、これで手離しで喜んでばかりいられなくて、ホームで相手が一番組みやすいオマーンだたことが快勝につながっただけで、これからの相手、そしてアウエー戦は気が抜けないと思う。かならず、どこかでピンチが来るのでそこをどう乗り切って行くのかが本当の意味のチーム力を問われるのでがんばってほしいと思う。まずは、よしよしというところである。

それにしてもまた言いたくないのだが、テレ朝の越後、松木の解説はどうにかならなのか。辛口だか何口だか知らないが、自虐解説とバカ論評はたまらないので消音にして見ていた。テレ朝はこれに限る。

2012年6月 5日

iPhoneがやってきた

もう6年近くドコモの携帯電話を使っていたが、さすがにくたびれてきて、ちょっと前から画面が赤くなったり、写真が取れなくなったりしてきて、ついに画面が消えてしまった。これは何とかしなくてはまずいと思い、いっそのことiPhoneにのりかえることにした。どうしてもiPhoneが欲しいという強い動機があったわけではないのだが、うちの社長がiPhoneアプリの開発をやっていたりするので、そろそろおれも使ってみるかとなったわけである。

正直言って、iPhoneで何ができるかもよく知らなかった。いままでの携帯電話でもメールもほとんどしないし、iモードも使ってなくて、もっぱら電話機能だけを利用している身では、単に機種変でもよかったのだが、もうスマホでしょといった感覚でのりかえたのである。さて、現実に手にすると取扱説明書もくれないしとまどいましたね。

まず電話をどうやってかけるのか。そもそもタッチパネルじゃんとなる。でもこれが従来の携帯よりいいんですね。それから、アドレス帳を移行しなくてはいけない。古いのはショップの人がサーバーに入れておいてくれたので何とかダウンロードする。ただ、メールのアドレスは変わるのでせっせと新しいメルアを連絡する。文字を打つのがなれないから時間がかかる。

でもすごいということがだんだん実感する。何がって、携帯の延長と思っていると大間違いで全く別物ですね。電話はアプリの一つという感じだから、他のアプリをいろいろと使わないと面白くない。写真だって向こう側とこちら側と両方が撮れちゃうんだから。Youtubeも簡単に見れるし、地図も自分の位置がわかる。というわけで、飽きずに指を動かしている。それで慣れてくるとまた楽しいのである。

こりゃあ想像以上にスゴイものだということがまたまたわかってくる。いつも電車のなかでじっと眺めている若者を見て何をいているのか不思議だったがわかるような気がする。ぼくらは、昔とつい比較してしまうので、その大きな変化に驚くのだが、今の若い子はもの心がついたときから目の前にあるのでスイスイと使いこなしてしまうのだろう。

こうした新しいデバイスの出現で生活のスタイルが一変することもあるのでしょうね。ぼくの単純な例でいうと、仕事があるとタブレットPCとイーモバイルを持ってでかけるのでそこから情報を得るのだが、いちいちPCを開いてwifiを接続してというめんどくさいことをするし、仕事ではないと重いPCを持ち運ぶのが嫌なので持っていかないと、事前に情報をメモしていったりする。

比較的よくやるのが映画の上映作品と映画館の情報である。PCを持たずに外出した時には時間と場所を探してうまくはまったところに行くという機会がけっこうある。そんなときは、あらかじめ自宅のPCで探して候補をメモしておく。ところが、変更がけっこうあったりするともうそのメモが役に立たないなんてことになる。それが、今度はポケットから取り出して指を動かせば情報が取れるようになるのだから、ずいぶんと楽になる。これだけでもぼくには大きなメリットである。すごい時代になったものだ。

2012年6月 6日

スマグラー

「別離」と「ファミリーツリー」という良質の映画を観たあと、この映画はちょっときつい感じだ。邦画の質を疑ってしまうのはぼくだけだろうか。石井克人監督の「スマグラー」は、期待はしていなかったので期待外れということではないが、残念であった。これもコミックの同名の原作を映画化している。

主演が日々何となく生きているところに危険な仕事が舞い込んでくる若者を妻夫木聡が演じ、周囲を永瀬正敏、松雪泰子、満島ひかり、安藤政信、小日向文世、高嶋政宏、我修院達也といったひとクセもふたクセもある脇役が固める。

スマグラーというのは、運び屋のことだそうだが、俳優志望だった砧涼介(妻夫木聡)は借金を抱えて、その俳優の道もあきらめぶらぶらしているのだが、あるとき高額の運送屋のアルバイトが入って来る。高額ということは危険と隣り合わせであるということでもある。それは、いわくつきの死体を運ぶ仕事だったのである。この運び屋に永瀬正敏と我修院達也、依頼人の便利屋に松雪泰子が扮している。

その死体運びの仕事は、すさまじい展開となる。やくざの組長殺しが起こって、そこに絡む組長の妻やチャイニーズマフィアも登場して何やら物騒なことになる。その抗争で出た死体を運ぶのであるが失敗してしまう。囚われの身となった砧涼介はものすごい拷問を受ける。だが、最後にこれまでの弱い自分をかなぐりすてて成長する姿を見せるのである。

まあ、血が飛び交う凄惨なアクションはそれはそれで面白いのであるが、何となく気持ち悪さが先に来てしまう。ただ映画としてストーリー性、テーマ性、情感、構成とかいった点ではあまり評価できないのだが、俳優さんたちの演技がみなすばらしかったことだけは特筆しておきたい。

主演の妻夫木聡は挫折して頼りなさそうな若者が変化するところを演じてよかったのだが、それよりも、便利屋の松雪泰子、チャイニーズマフィア“背骨”の安藤政信、組長が殺された組幹部の高島政宏の怪演が光る。かなり、デフォルメされた人物像であるが、もうハチャメチャに暴れ回っていた。

安藤政信の鍛え上げられた肉体と俊敏な動きにも驚かされるが、何といっても妻夫木君を拷問にかける高島の兄ちゃんの方にぶったまげる。軍服で登場したと思ったら紙おむつ姿になる。おいおいそうなんです、高島兄弟は今壊れています。ハイ。

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2012年6月 7日

江戸「粋」の系譜

最近、クールジャパンとか言われてアニメや漫画がもてはやされているが、そのルーツとも言えるのが江戸のポップカルチャーだという。「江戸「粋」の系譜」(奥野卓司著 アスキー新書)では江戸の文化、産業、美意識などについて、これらが現代につながっていると論考している。著者は、関西学院大学社会学部教授で、アニメなどの日本のコンテンツの調査や研究をしている。江戸文化に造詣が深い。

クールというのと粋が同じことなのかどうかよくわからない。とりあえず、粋の定義なのだが、この本にも出てくるように有名な久鬼周造のものをみてみよう。彼は「あか抜けていて(諦)、張りのある(意気地)、色っぽさ(媚態)」という。ぼくは、昔から自分も粋に生きたいと願っていて、その時の粋を「矜持と諦観」としている。だから、どちらもクールとはちょっと違うニュアンスでむしろダンディズムが近いかもと思うのですが、江戸っ子は粋だった感じですね。

とはいえ、本ではその粋について論じているというより、江戸の文化について語っている。結局はひとことでいうと町民の文化、庶民の文化ということなのです。江戸の文化といっても元々は上方のもので、それを江戸化したのだが、それをもたらしたのは町民の知恵だったわけです。つまり、ワビとかサビとかいった表向きのものではなく、もっと生活に密着した形として粋になったのである。

さらにそれらを支えるものとして「通」とか「連」といった概念があった。「通」というのは「粋」を極めることであり、「連」は彼らが集まったところである。ここのところにくると現代に通じそうですね。オタク文化はまさに「通」と「連」ですね。ただ、「粋」がジャパンクールの美意識。つまり「萌え」の原型だというのは、さっきも言ったとおりちょっと違うように思う。

いずれにしろ、封建的で自由がなかったと言われたような時代にこうした文化が生まれたこと、すなわち権力もあざわらってしまうくらいの奔放さを秘めた個人主義が存在したということは日本人のしたたかさをみせつけられる思いがする。だからといって、最近語られる経済成長も限界だから江戸時代にもどったような生活をすればいいじゃんという意見には与しない。今の生活を知ってしまった人間にとっては所詮無理な話である。

本では江戸時代の文化について、様々な角度から紹介してくれて、そこはなるほどと思わせることも多く楽しかった。平賀源内のマルチタレントぶりとか、からくり人形の高度な技術だとか、テーマパークとしての芝居町、かなり進んだ情報社会を形成していたとか、「東海道中膝栗毛」は旅ブームを支えた立派な旅行ガイドブックだったとか興味深い話がいっぱいあってそれは面白かった。そうだもっと江戸を知ろう。

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2012年6月 8日

クラウド時代の業務システム・・・業務システム構築のためのクラウド利用

前回、差別化とか競争優位性とクラウドの矛盾の話をした。クラウドの特徴である共同利用性がそうした企業の個別性を損なうのではないかという指摘である。つまり、差別化とか競争優位性はクラウドの中にはないわけで、それがあるのはビジネスモデルやビジネスプロセスの中である。

もうおわかりだと思いますが、どこの会社でも同じことをやっているようなものだったらクラウド利用はありだと思うが、そうではない、ここは自分たちだけのオリジナルであるとか、こだわりがあるところだというようなところはクラウドではできないのである。ここの話は実は、ITがこれまでたどった誤解と同じなのである。

どういうことかというと、ITは自動化のためのツールであるから、自動化に耐えられるように定型化しようとする。それは当たり前の話でロジックがないとプログラムが書けないからである。定型化されたものは最初に言ったように差別化とか競争優位性を持つことはできない。ですから、人間の代替機能としてのITと位置づけている限りは、ITで差をつけることはできないのだ。

このことは自分自身に対する反省も含めて言いたいのだが、高価で高機能の業務パッケージを入れると何だか競争他社よりも勝ったような錯覚に陥る。同業の会社があるパッケージを入れると、離されていけないと思い何でもいいから同じものを導入するといったバカな競争をした。差別化とか競争優位性を持つことができないシステムを入れる競争をしていたという愚かなことをしてきたのである。これからはそれを繰り返してはいけない。

しかしだからといって、クラウドを使う必要がないといっているわけではない。ここまでの話は業務システムそのものの話であるが、業務システムそのものではなくてそれを構築するためのプラットフォームをクラウドにあるものを利用することは有効である。そういうとSaaSではなくPaaSですねと言われるのだが、必ずしもそうではなくて実際的には両者の組み合わせである。

標準的、共通的なサービスとプラットフォームをうまく使いこなして、差別化された、競争優位の業務システムを組み上げるというのがより良い選択肢ではないでしょうか。そこにある考え方は何かというと、人間の代替機能としてのITではなく、ビジネス戦略を実現するための道具としてもITという捉え方である。

ですから、自分たちの業務システムはクラウドとは関係なく設計し、構築すべきで、そのときたまたまクラウドにちょうど合うコンポーネントがあった、あるいは基盤があったのでそれを使おうというのがとるべき態度ではないでしょうか。つまり、クラウドには世の中で喧伝されているような業務システムそのものに与えるインパクトはあまりないが、その開発および運用コスト、パフォーマンスにおいては大きく改善されるであろう。
  

2012年6月 9日

よし2連勝だ !

昨日さいたまスタジアムで行われたサッカーW杯アジア最終予選第2戦で日本代表はヨルダン代表を6-0という大差で撃破する。初戦のオマーン戦が3-0でその時は、多くのメディアは“快勝“と書いたが、今度は”圧勝“である。こんなに楽な気分で見たのも珍しい。

立ち上がりからすぐに日本のペースで相手のヨルダンは疲れなのかぜんぜんついてこれない。いいようにパスが回り、得点の匂いがぷんぷんする。そんななか前半18分に本田のコーナーキックを前田が肩にあてて先制する。こうなるとあとは追加点がどのくらい入るのかといった感じになる。

その4分後の22分に遠藤からのスルーパスに本田が走り込んで2点目をあげる。27分には相手の選手が2枚目のイエローカードで退場となる。11人でも劣勢なのに10人となってはもうヨルダンに反撃する力はない。そのあと、本田と香川が決めて前半で早くも4-0となり、完全に勝負ありである。

後半に入っても、前田が得たPKを本田が決めハットトリック達成。さらに、負傷の吉田に替わって出場した栗原が得意のヘディングを決めて6-0となる。ほんと圧勝ですね。待望の香川の得点も生まれ、遠藤のスルーパスも冴えて、内田も健闘していたし、吉田の負傷離脱は痛かったが、他の選手がみな好調なのでチーム全体がよくできあがっている。

相手のヨルダンのハマド監督も言っていた「やはり日本は強い。きょうの出来ならブラジルと対戦しても勝てるだろう」というのはちとほめすぎだろうが、アジアナンバーワンの力だと思う。昨日の試合をみて、従来から得意のパス回しも一段とスピードアップしてきたのが驚きであった。パスのスピードと動きの速さは相当高いレベルになった。このパスサッカーならスペインに負けないというのもほめすぎだが、日本の特徴が出るようになってきた。

12日にはアウエーでオーストラリアと対戦するが、今の調子では勝てるだろう。ただ、このまますんなりといかないのがW杯最終予選で、というのも長丁場なので必ず波があるので、どこかでチーム力が落ちるからその時にどう耐えられるか、あるいは救世主が現れるかである。幸い控え選手に可能性のある選手がいっぱいいるので期待できる。まずは最高のスタート切った。
  

2012年6月11日

勝ったぞ!

このところ、サッカーの試合を見る機会が増えている。日本代表のW杯最終予選があり、UEFA EURO2012も開幕して、楽しい観戦スケジュールが続いている。そこに昨日はもうひとつ加わった。2012年度高校総体の神奈川県2次予選が行われたのである。神奈川県は登録校が半端なく多いので、1次予選があってそこで勝ち上がったチームとシード校が2次予選で激突する。2次予選は全部で28校が参加しているので、第1、第2シード以外は一回戦からスタートして優勝するにはそこから5回勝たなくてはいけない。

わが母校の湘南高校は第5シードながら、同じ第5シードの日大高校と対戦する。場所は藤沢六会にある日本大学生物資源科学部のグランドで人工芝で良好なピッチである。今の高校生はこうした整備されたグラウンドでできるので幸せだ。ぼくらのころは芝生なんて夢で土のでこぼこのグランドでやったものだ。

さらに、昔と違うのは試合中に水を飲むことだ。試合は40分ハーフで行われるが、何とそのハーフごとの中間で給水タイムというのがある。審判が笛を吹いて試合を止めて選手がみな水分を補給するのである。そうそう、そんなことよりもっと違うのは選手の個人技が格段にうまくなっていることだ。ぼくらの時は、まともに蹴れないやつとか、ヘディングで頭をすくめるやつとかいましたねえ。おそらく、今はほとんどの子がサッカースクール出身だからボール扱いは年季が入っている。

さて、試合の方だが、両校ほぼ同じくらいの力なので拮抗していて、一進一退の攻防が続く。お互いに何回かのチャンスを逸して、80分では決着がつかず延長戦に突入する。すると、延長開始してすぐに湘南はチャンスを迎える。右サイドの奥からゴール近辺まで運んでそこで粘ってゴール前に流したところを押し込む。待望のゴールで応援席も盛り上がる。続いて、後半にゴールライン近くのフリーキックから綺麗に逆サイドから走り込んだ選手に合いみごとなヘディングシュートを決める。あとは、日大のセットプレーから何度かきわどいシーンを作られるが、キャプテンのゴールキーパーが守りきり勝利する。

まだ、縦パスばかりで横への展開がないとか、パスが単調でつなげないというところなど不満はあるが何とかものにしたのでまずは良かった。さて、次の2回戦は第1シードの桐蔭学園である。この相手は実は昨年も同じこの大会の2回戦で当たっていて、その時は終了3分間に入れられて0-1で惜敗したのである。

そのあと勝ち上がって優勝した桐蔭学園は、その後の全国大会でなんと優勝してしまったのである。全国優勝できるようなチーム相手に健闘したわけだから、かなり自信もついたし、少なくともものおじしなくなったことが大きい。今年のチームは昨年のチームより一段力は上だから期待できそうだ。ぜひ、全国に行ってほしいと思う。
  
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2012年6月12日

ポテチ

映画は、長さではないと思った。たった68分の映画だったが短いとは感じなかった。「ポテチ」は、おなじみの原作伊坂幸太郎、監督中村義洋のコンビである。ポテチって何のことかと思ったらポテトチップスのことなんですね。そのポテチをめぐって印象的なシーンがある。こうした何気ないシーンが意外にぐっとくる。伊坂、中村映画の面白いところでもある。

主演がこれまた常連の濱田岳で気のいい若者を演じさせたら抜群だ。だけど、今回はなんと今村という名の空き巣なのだ。気のいい空き巣というのも変な話であるが、犯罪者というイメージは全くなくて許してあげたくなってしまう。だいいち、今村と同棲中の若葉(木村文乃)という彼女との出会いがまた傑作で、今村が空き巣に入ったときにちょうど電話がかかってきてその留守電に“これから死ぬ”という女の声が入ってくる。

ほっときゃいいのに電話をその女にかけ直すと“キリンに乗っていくから!”とわけのわからないことを言って出かけて、その女をビルの屋上から跳び降りるのを止めるのである。その時の女が若葉なのである。それから一緒に暮らすようになるが、あるとき空き巣の様子が見たいと言って今村と一緒に尾崎というプロ野球選手の家に忍び込む。

そこでまたあの時と同じように電話のベルが鳴る。同じように女の声で助けを求めるメッセージである。そして二人でその女のところに出かけるのである。そこから、プロ野球選手である尾崎と今村の関係が明らかになってくる。同じ地元で生年月日が全く同じという尾崎は全く面識はないのだがなぜか気になる存在として今村のなかに存在している。意外な事実が明らかになるのだが、深刻にもならずさらっと流し、ほっとする大団円につながる。

こうなると、もう伊坂・中村ワールドに突入である。ちょっとミステリアスでほのぼの系でユーモアの漂う雰囲気である。出演している俳優さんもいい雰囲気で一体感がある。中村監督自身も出ていて味のある風で楽しかった。大森南朋も石田えりのよかった。しかし、主演の濱田岳は「鴨とアヒルのコインロッカー」「フィッシュストーリー」「ゴールデンスランバー」といった作品もそうだが、伊坂・中村ワールドに全くぴったりくる俳優さんだ。

東日本大震災で被災後の宮城・仙台でオールロケを行ったそうだが、あまり大上段にふりかぶらず、さらっと復興の姿を見せていて好感が持てる。こんな程度の肩の力を抜いた作品がぼくは好きだ。
  
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2012年6月13日

サッカーのレベル

昨日オーストラリアのブリスベンで行われたW杯アジア最終予選 オーストラリア対日本の試合は、1-1のドローであった。結果的には強豪相手のアウエーで勝ち点1はまずまずであろう。前半0-0で終わっての後半10分に相手の選手が2枚目のイエローカードで退場なり、数的優位になった日本がショートコーナーから本田がゴール近くに切り込み栗原がゴールして先取点を奪う。

これで勝ったと思ったら相手のコーナーキックのときに不可解な判定でPKを取られ同点に追いつかれる。その後栗原も2枚目のイエローカードで退場となり、ドローとなる。まあ、レフリングのひどさを嘆いても始まらないのだが、あれは“埋めあわせ“ジャッジの典型でやってはいけないことだ。自分のミスジャッジを引きずってそれを帳消しにしようとする意識がそうさせている。本当は慎重になるべき2枚目のイエローを簡単に出して退場させてしまったこと、PKになりそうなファウルを見逃したことなどが重なって、しかもスタジアムの雰囲気にのまれ、何とかPKにする機会をうかがっていたのだ。

まあ、これ以上言ってもしょうがないのでここまでにして、昨日の試合を見ていてサッカーのレベルというのを考えたのでそのことについて書く。一昨日の記事にも書いたが、今EURO2012や高校総体の神奈川県2次予選を見ているが、それぞれのレベルの差とやっているサッカーの質が違うなあと思ったからである。

もちろん、サッカーの最高峰のレベルにあるのがユーロで特に優勝候補と目されているような、スペイン、ドイツ、フランス、オランダ、イタリアといった国々のサッカー、日本の高校生のサッカー、そしてその間にあるアジアの国々のサッカーのどこが違うのだろうか。それを解くカギとして、グランドの使い方、パスの質、ボールコントロールの3点だと思う。当然、フィジカルな面や戦術もあるが、最後は個人の能力ですから、この3つの要素に勝るものではない。

まずは、グランドの使い方ですが、高校生のサッカーの一番劣っているのは、グランドを広く使えないという点です。まだまだ少年サッカーでみんながボールに集まってしまうのが直っていません。技術と体力が不足していることもありますが、視野を広く持てないことにあります。その点ではアジアもここまで来るとグランド一杯に使えるサッカーをします。

つぎの、パスの質というのは、簡単に言うとパスの長さ、高さ、スピードです。これは、それぞれのチームで持ち味は違ってきます。昨日の日本対オーストラリアで言えば、グラウンダーのショートパスの日本に対してハイボールのロングパスのオーストラリアという構図でした。これは、保有選手の個性にもよるところがあり、一概にどちらがいいかわかりません。

ところが、アジアのレベルだとそうかもしれませんが、ユーロを見るとロングボールを蹴り込んで、それに競り勝って落ちたボールをねらう戦法は通用しなくなっています。スペインに代表されるように、低い長短の速いパスを回して崩していくのがトップレベルになっています。ですから、言っちゃあなんですが、オーストラリアのサッカーはアジアのレベルまででそれ以上は難しいのです。

最後の、ボールコントロールですが、ボールを扱うということは何をするかというと、ボールを止めて(運んで)蹴るという単純なことです。高校生はまだこのことが十分できていないために、アバウトに止めて、アバウトに蹴るので、ボールがあるところに皆が密集することが合理的な選択になって、グランドが広く使えないのです。

止める、蹴るのうちまず大事なのは止めることです。自分の次の動作がしやすいよな位置にボールを置くことです。さすがにアジアの最終予選に残るようなチームの選手はみなレベルの高い技術を持っています。日本代表のボールとラップの技術は格段に向上しています。守備側はボールを止めた瞬間に奪いに行くというのが鉄則ですから、ここがうまくできるとボールポゼッションが高くなるのです。

しかし、現代のサッカーは止めるのがうまいだけでは十分ではありません。求められるのは受け手が次のプレーがしやすいようにパスを出す技術です。スペインのサッカーを見てもわかる通り、止めて蹴る、止めて蹴るという節目のある動作ではなく、連動して流れるように動くプレーが世界を制するのです。パスをもらった選手がディフェンダーをかわしやすいように、キーパーの逆をつくシュートが打ちやすいように、サイドバックの上りがトップスピードになった時に出してやるといった高度なパス技術が必要となってきています。

このように、各レベルで必要な戦術や技術があって、その中で、その上をいく戦術と技術を得たところが一段上のレベルにいけるのです。最近の日本代表の試合をみているとかなりいいところに来ていると思うが、オーストラリアのロングボール戦術を軽くかわせるようにならないと、世界には届かないのである。ホームで次戦にはその差を見せつけてほしいものだ。
  

2012年6月14日

街場の小経済学その22

ちょっと前に、iPhoneにのりかえた話を書いた。また、もっと前には、イ―モバイルのLTEを契約した。その時の関係する会社の窓口対応について感じたことがあるので記事にする。

携帯ののりかえは番号ポータビリティという便利なサービスがあるので大変助かります。こうしたユーザ目線のサービスはいいですね。Suicaにしても、ATMにしても世の中こういった流れになってきています。

携帯電話番号ポータビリティ(MNP)を適用するには、いま契約している携帯電話会社から取得しないといけません。つまり、ぼくの場合はNTTドコモからこの予約番号を教えてもらい、その番号を持ってのりかえ手続きを行うことをします。その時のNTTドコモの窓口の応対がすばらしかったのだ。

NTTドコモにとっては、お客さんを失うわけだから面白くないはずだ。しかし、その窓口の女性は美しい声で「これまでご愛顧いただきまして誠にありがとうございました」と言うのである。いやあー、こちらも思わず「ありがとうございました」と言ってしまった。

一方、イ―モバイルの方である。以前も解約する時にどうやっていいのかがなかなか分からなくて困ったことがあったが、今回は新規に購入したときのことである。今までのぼくのヤツは社長にとられてしまったので、ぼくがまた新規に契約することにした。それで、オプションサービスというのがあって、契約月を含んで2ヶ月無料キャンペーンというのをやっていた。

係の人が、必要なかったら2ヶ月経たない時までに解約すればいいからということで、その時解約手続きは電話でやってくれと言われる。それでちょっと前に解約の電話をしたのだがこれがひどかった。録音した音声で案内してくれるのだが、選択する番号を打ち込むのが6回、それに電話番号、暗証番号を打って、また選択番号を打つのだ。これは失礼でしょ。

選択項目がいくつあってそれがどれに該当するか全部聞かないとわからない場合もあってそんな時は全部聞いたあとあれ何番だったかなとなる。しかも、最後にオペレータと変わりますといいながら出てこないので、本当に受付けられたかがわからないときている。いったい何回電話をかけ直したことやら。最後は腹が立ってきた。わざと解約しにくくして諦めさせているのでは勘繰りたくなる。

イ―モバイルに限らず音声案内だけで処理しようとするのはユーザ側からみると礼儀知らずと思えて心証はよくない。片やお客さんの獲得したほうと、片やお客さんに去られたほうとでかくも違うのか、本来は逆の対応になってもおかしくはないだろう。きっと、のちのち販売成績に影響を及ぼすと思うのだが。
  

ワーキンググループのメンバー募集してます

今月末から、VCPC(バリューチェーンプロセス協議会)の2012年度ワーキンググループ活動が始まります。その中の一つのグループの主宰者として参加することになりました。

研究テーマは「BPMアプローチによる ITシステム構築研究 ーポイントは非定型業務のIT化ー」ということにしています。いつも言っていることですが、プロセスを中心にして業務をみていきましょうという趣旨です。この活動は、講義方式で教えるとか、何か成果物を作るとかいった方式ではなく、参加者みなの議論を主体としたワークショップ形式にしました。

ぼくはそのファシリテーターとしての役割を担うことになっていますが、多くの人の参加と活発な議論を期待しています。来年の5月までの1年間という長丁場ですが、楽しくやっていきたいと思っています。VCPCのHPサイトから申し込みができますので、もし興味のある方がいらっしゃたらよろしくお願いいたします。

2012年6月15日

クラウド時代の業務システム・・・どうやってシステム構築を行うのか

前回、業務システムそのものをクラウドから利用するのではなく、そのコンポーネントや基盤を利用するのがよろしいのではないかと指摘した。今回は、そうした構築のし方について考えてみましょう。これまで議論で、差別化や競争優位性を発揮するのは当たり前の話として、共同利用できるような部分ではなく独自性をもったものでなくてはいけないという話をした。

また、差別化や競争優位性をもった独自性のあるところというのは定型的な業務ではなく非定型業務にそれがあるという議論もあったかと思う。ということはこれからの業務システム構築の要諦は、非定型業務システムをクラウドにある要素を有効に活用してどうやって構築していくかになる。ところが、非定型業務にフィットするようなものがあるかどうかというと残念ながらほとんどないというのが現状である。

これは、別にクラウドだからというわけでもなく、クライド以外のところにも少ない、というかないに等しい。BPMSもあるのだが、基本的には定型化されたものが対象である。分岐や差し戻しをプロセスエンジンを使って回すのだが、そこが非定型だったらどうするのか問題になる。あらゆるケースを考えて分岐を作っておくのだろうか。

このあたりは「非定型業務のIT化」というエントリーでさんざん議論してきたことだが、非定型業務というのはある種の“調整的行為”による選択活動だから、決まりきった理路があるわけではなく大いに揺らぐのである。でも、それはいかげんでも、あいまいでもなく合意形成がちゃんとなされているのである。これがおおかたの会社の業務である。

こうした特徴をもった動きを何を使って表現するのかが大事で、そのための基盤要素をクラウドから探してくることになる。調整的なことだから、データを登録するとか検索するとかいった機能より抽象度が高いものが必要になる。つまり、調整することと調整する流れを表現できるものになる。

調整すること、すなわち意思決定は個性的である。結果そのものではなく、結果を導くための調整のし方が固有のもので、特色がでるところである。大胆にいくのか慎重なのかとか、短期的に考えるのか、長期を見据えるのかといった方針が反映されるのである。方針は、手順でではないからロジック化できない。

ですから、今のクラウド上にある業務アプリの基本はデータベースだから、それだけでは難しいので、一段抽象度を上げた作り方にする必要がある。調整だから、データ登録フィールドがあるだけの“点“ではなく”場“が大事になってくるのです。このことはクラウドであろうがなかろうが言えることで、つまりクラウドだから業務システムの構築のし方が変わる事はない。クラウドがもてはやされるけど根本的な考え方は不変であり、ここをしっかり抑えておかないとただ踊らされてしまうだけで何もメリットを生まない。

このシリーズはこれで終わりますが、具体的な構築技法や実装については、「「kintone」を使いたおす」に詳しく書いていきますのでそちらをご覧になってください。何度も言いますが、クラウドのインパクトは大きいのですが、それは運用とかインフラ、ITコストとかいうところでのことであって、クラウドだから業務システム、業務アプリケーションの中味が変わることはないので、地に足がついた対応をすることを強くお薦めいたします。

2012年6月16日

クロッシング

これはまた過酷な映画だ。北朝鮮の脱北者の家族が運命に翻弄される姿をえがいている。韓国のキム・テギュン監督作品「クロッシング」は大胆にも北朝鮮の現実を映しだす映像で衝撃を与える。だいたいの状況は知ってはいたが、何度も北朝鮮からの亡命者から直接取材しただけあってリアルである。といっても真の実態は分かりえないのでそんなものなのかということかもしれないのだが。

中国との国境に近い北朝鮮の村で妻と11歳の息子ジュニと親子三人で暮らすヨンスは、元サッカー選手で、今は炭鉱で働いている。ところがある日妻が肺結核にかかっていることがわかる。この国では、風邪薬もなかなか手に入らないのに結核の薬は望むべくもない。そこでヨンスは、中国に渡って薬を手にいれようとする。製材所のようなところで働くが不法就労であるから当局から追われることとなる。

そしてやっとのことで支援者の助けを借りて韓国に亡命する。そこでは、薬も手に入れ、息子のためにサッカーボールとシューズも買うのだが、悲しい知らせが舞い込んでくる。妻の病状が悪化して帰らぬひととなってしまったのだ。ひとり取り残されたジュニは父を追って中国へ行こうとするが、捕まって収容所に入れられる。

やがて、韓国の父から救いの手が差し伸べられて、モンゴルで再会することになる。しかしながら、もう少しというところで運命は冷たく引き離す。雨が降るラストシーンも感動的で、涙を流さずにはいられない。この親子を演じたチャ・インピョとシン・ミョンチョルの熱演がすばらしい。月並みだが、どんな時代にあっても親と子のきずなは強いのだろう。

北朝鮮も、金正恩体制に移りどういう状況になって行くのかは不透明であるが、少なくとも、経済的な基盤は何としても確保してほしいと思う。映画のような悲劇が繰り返されないようにしたい。終戦直後の日本ともダブってしまうところもあるが、先に希望があるかないかが大きく違うように思う。

映画は政治的な意図もあったため韓国の大統領が変わったので公開になったらしいが、映画を観る限りは、別段北朝鮮を非難しているとか誹謗しているように感じられない。過酷な情況を生き抜く家族の生き様とか親子の愛情といった人間ドラマである。

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2012年6月18日

ニーチェの警鐘

以前、読売新聞の新書論壇というところに竹内洋(ついちょっと前に第13回読売・吉野作造賞を受賞した)が面白いことを書いていた。現代はテレビ的大衆社会で、そこには「事なかれ系」と「事騒がし系」の2種類のテレビ文化人がいて、「タテマエ」と「秩序」に対して「ホンネ」と「かく乱」を代表していると喝破していた。

この「事なかれ系」がB層といわれる人たちで、この人たちは「理解したことしか耳に入らない」「マスコミ報道に流されやすい」人々だと言っていた。そのときB層という意味がよくわからなかったのだが、「ニーチェの警鐘」(適菜収著 講談社+α新書)に出てくるという説明があった。これは面白そうなので手にとる。著者は作家で哲学者である。

まずは、そのB層の定義から。よく使われる縦横に切った4象限で表したもので、縦軸がIQ軸で横軸が構造改革にPOSITIVEかNEGATIVEという切り口になっている。A層がIQが高く、構造改革にPOSITIVEな層で、B層は構造改革にPOSITIVEなんだけどIQは低い。一方、構造改革にNEGATIVEでIQが高いのがC層で、低いのだD層である。

B層をもう少し具体的にいうと、「マスコミ報道に流されやすい「比較的」IQが低い人たち」で、小泉郵政改革に熱狂し、民主党マニフェスト詐欺に騙され、流行のラーメン屋に行列をつくるような人々だという。ところで、B層という言葉は著者の造語ではなく、2005年の郵政選挙の際に自民党が広告会社に作らせた「郵政民営化・合意形成コミュニケーション戦略」という企画書にある概念というから驚く。つまり、選挙ではこのB層に向けてあの小泉のワンフレーズ・ポリティックスがぶつけられたのである。

こうしたB層が今の日本を蝕んでいると著者はニーチェの言葉をかりて警鐘を鳴らす。ぼくもそう言われなくても、テレビのワイドショーやニュース番組を見ていると(普段は見ないがたまに見た時)もうたまらなく絶望的になることがある。みのもんたに共感する主婦はまさにB層そのものではないだろうか。

政治の世界でも、答弁もままにならない、また私は素人なもので言ってひんしゅくをかった大臣もいたようにバカがバカであることを恥ずかしいとも思わず、素人が素人であることに誇りをもち、圧倒的に自信を持って社会の全面にでていくという現象はどう考えてもおかしい。これはもちろん政治の世界だけではなく、世の中全体がそうなってしまっている。著者でなくとも嘆きたくなるというものである。

この本の前に「ゲーテの警告」という題名の本もだしていてこの時すでにB層というような表現をしている。要するに、ゲーテやニーチェといった偉大な先人の著作から言葉を抽出して、現社会の異常さをあぶりだしている。時代は変われども本質をついた警句は今でも通用する。いや、逆に真に深く洞察した考え方は普遍的で、今の時代のようにそれが忘れ去られた何とも軽薄な時代にこそ強く響く。

昔ニーチェを少しばかし読んだことがあるが正直よくわからなかった。それを研究者である著者が現代の世相を斬るようにニーチェの多くの言葉を載せていてなるほどと唸る。ぜひ読んでみてはいかがでしょうか。その中から最後にニーチェの大衆とはについて語った言葉を。

彼らが全力をあげて手に入れようと望んでいるのは、あの畜群の一般的な<緑の牧場の幸福>(中略)である。彼らがたっぷり唄ってきかせる歌と教養といえば、<権利の平等>と<すべて悩める者らに対する同情>という二つである。
     

2012年6月19日

中小企業こそBPMを

BPM(ビジネスプロセスマネジメント)の必要性をずっと説いているのだがなかなか理解されないことも多い。説く相手は別に区別しているわけではないので、大企業でも中小企業でも、あるいはベンダーでもユーザーでも分け隔てはしていないのだが、最近特に感じることは、分かってくれそうなのが中小企業ではないだろうかということである。

以前「大企業と中小企業の違い」という記事のなかで、大企業の硬直した組織の問題を指摘したが、そうしたところへBPMを適用するのは大変だと思う。

その点、中小企業の場合は、組織の垣根もないし、経営者がやろうといえばすぐにできるというように柔軟性があるから適用への障害は小さい。そこで、もう少し掘り下げて企業規模とIT(情報システム)のあり方について考えてみたい。

情報システムというのは会社の組織を写像したものであるから、組織の構造の実態をみていくと情報システムがどうなるのか、どうすべきなのかがわかってくる。(ただし、組織を意識して情報システムを作れということを言っているのではありませんので注意してください)情報システムの形態を表現するのによく集中と分散という切り口を使うのでそこから組織も眺めてみる。大企業の組織は分散型で、中小企業は集中型であると思う。

大企業は、きちっと組織が分かれていて、ヒエラルキーもちゃんとしている。そうしないと大きな組織は運営できないからである。軍隊に近い組織が管理上は望ましいのである。ただそうなると縦割り組織の悪いところがでてきて、横の関係が薄れて個別最適を指向するので横断的な業務がスムーズにいかないことが多い。お役所が典型的である。

一方、中小企業は機能的には大企業と同じものが要求されるのに人数が少ないので、一人がかけ持ちして、しかも縦も横も見るので分散しようがなく集中というか、大きく括った組織にならざるを得ない。これはいいとか悪いとかということではなく、管理上いたしかたないのである。

そうした組織形態に対して情報システムはどうなるのだろうか。ここで情報システムと言っていますが、BPMの観点から考えていきます。単なるデータベースアプリケーションだったらどちらも同じです。ちょっと話はそれますが、何度も言っているように従来のようなデータベース主体の情報システムは、会社の強みも弱みも含んだ特徴を表現できていないから、大企業であろうが中小企業であろうが同じものにしかならないのです。

では、ビジネスプロセスという見方から考察すると、組織の形態とは逆の情報システムが望まれるのです。すなわち、大企業の分散的な組織に対しては集中型のビジネスプロセス、中小企業の集中型の組織に対しては分散型のビジネスプロセスというわけです。組織的な弱さをビジネスプロセスシステムが補うことでバランスさせるようにすべきだということです。

大企業というのは、どうしても縦割りの部門最適になってしまいますが、そこを横断するビジネスプロセスを構築して、そこに集約するように持っていくことが必要になってくるのではないでしょうか。まずは、各部門は自分たちの組織という意識ではなく、会社として、ビジネスとして活動しなくてはいけないビジネスプロセスに集中させて、その中で自分たちの役割をはたすということである。

一方中小企業は逆に、組織の中で人に仕事がついていってしまう弊害をなくすために、いったん属人的になっている業務を人からひきはがし、客観的なビジネスプロセスに落とし込むことが大事になってきます。つまり、人に、特にできる人に集中していた機能を分散させることが必要です。こうして、ビジネスプロセスは分散したものにしておき、その中のアクティビティを割り振るわけですが、その時かけ持ちしてもかまいません。

重要なことは、組織や人に依拠しない乾いた眼で整理されたビジネスプロセスをみるというアプローチでシステム構築をすることです。そうすれば、できたプロセスを誰がどうオペレーションするかは、その会社の規模や形態あるいは組織構造で決めていけばよいのです。順番を逆にすると、組織に依存したシステムが作られ、例えば組織変更や事業統合などが行われた時に、そのたびにシステムの大きな変更を余儀なくさせられるということになる。結局、組織が分散だから集中型のシステムがよいというのではなく、普通に組織に依存しないビジネスプロセスを書いたら、組織形態の弱さを補正するように働くということだと思う。

プロセス志向アプローチの最大のメリットはここにあるのだが、最初に戻るのだがそれを実行してくれるかどうかが問題。どうも集中させるより分散させる方が効果的で簡単そう(既得権益を守ろうということもない)なので中小企業の方がBPMを適用しやすいと思うのである。
  

2012年6月20日

灼熱の魂

カナダの映画である。レバノン出身の劇作家ワジ・ムアワッドの原作を映画化した「灼熱の魂」は、米国アカデミー賞外国語映画賞にもノミネートされ、すごい高い評価得た作品である。確かにストーリーも映像も衝撃的で観るものを揺さぶるには十分なインパクトを与える。

しかしぼくは、観終わったときどっと疲れたのと同時になんかひっかかるものというか、ちょっとした違和感を持った。それは、物語の設定があまりにも大胆かつ非現実的であり得ないことで驚かせていることに対する気分からであった。この映画は紛れもないミステリーなのだが、ミステリーで陥りやすい現実離れした作りものになっているような気がしたのである。もちろん、そうした作り話がなければミステリーは成り立たないのだが、その矩を越えているように思える。

中東系カナダ人女性ナワル・マルワン(ルブナ・アザバル)は、謎めいた遺言と二通の手紙を残してこの世を去る。残された実の子である双子の姉弟ジャンヌ(メリッサ・ デゾルモー=プーラン)とシモン(マキシム・ゴーデット)に託された二通の手紙は、ジャンヌとシモンが存在すら知らされていなかった兄と父親に宛てられたものであった。

そこから、母親がかつて過ごした中東の地を訪れる。これまで、母親のそうした過去のことも謎であり、心を開いたこともなかった。そして、現地で調査していくなかで母親の数奇な運命が徐々にあきらかになっていく。当時の中東は宗教や民族間の抗争による内戦が続いていた。そこで信じられないような過酷な状況を生き抜いた女性を映画は過去に戻って描きだす。

だんだんとそうした過去と現在がつながっていく。そこにはかくも恐ろしき、おぞましきことが横たわっている。だから、中東の内戦の悲劇だとか、対立構図の非難といったことがテーマではなく、母親であるナワル・マルワンという女性を巡る謎解きなのである。信じられない真実を知った双子の姉弟が、たいしたショックも受けずにいる様はどうみても人間ドラマでもなく、魂を揺さぶるほどでもなく、単なるミステリーなのである、ぼくにとっては。

ただ、さっき言ったように謎解きに想像もつかないような状況設定をして驚かすのにも限度があって、荒唐無稽にちかい設定をして驚きを大きくさせようというのはちと邪道じゃないかと思うのである。結末が言えないので知りたい人は映画をみてください。
  
shakunetu.bmp
  

2012年6月21日

サッカーも業務システムもミッドフィルダーが重要

ちょっと前にサッカーのレベルについて記事にしたが、そのときレベルが低いとボールのところに集まってそこからわあっと運んでいく、また中盤を省略してロングボールを蹴り込むといった話をした。ぼくは、選手時代はほとんどが中盤をやっていたが、いちばんつまらないのが自分の頭越しにボールが行き来するときである。こんなときはつまらないと同時にたいていは負け試合となるのである。

なぜかというと、単調なので相手が守りやすいこと、多くの選手を生かしきれないので戦力的に損をすることだろう。やはり、中盤できちんと組立て多くの選択肢の中から最適解をみつけていくというのが正しいのだろう。そんなことを考えていてふとこれは業務システム同じだなと思ったのである。

会社の業務機能をみてみると、フォワードとは、営業、商品開発者、安価調達者、人材採用者、製造者、出荷担当であると思う、すなわち、モノを売ったり買ったり、作ったりといったことで得点を稼ぐところで、ディフェンダーというのは、経営管理、経理、資金調達、法務、税務、リソース管理部門の人たちといったところかもしれない。それではミッドフィルダーは誰だ。

あれえ、そういう人たちはいないのだろうか。どうも、人がいるかいないかは置いといて、そうした機能がおろそかになっているように思えてくる。つまり、中盤を省略して、仕事が進んでいやしないだろうか。ミッドフィルダーの頭の上を行ったり来たりしてやしないだろうか。組織としての組み立てに問題があるように感じるのである。

このことは業務システムを見てみると明らかになる。業務システムは組織を写像するから、中盤の仕組みが見当たらないのである。フォワードには、CRMだとか、SFAだとかグループウエアだとかがあり、バックスとしてはERPや会計パッケージがあるが、その間を埋めるものが少ない。

いやちょっとまってください。フォワードってちゃんとしたものがあるのだろうか。競争相手に競り勝って得点を稼ぐようなシステムが整備されているのだろうか。それはそれとして、これからはフロントとバックヤードをつなぐミッドフィルダーをきちんと置き、ビジネスあるいは業務プロセスをちゃんと組み立てて実行することが望まれる。ただ、これを階層を増やし、余計な部署を置くというふうには考えないで機能として持たせるようにすればよい。

ビジネスはスポーツだとまでは言わないが、団体競技としてのサッカーをみているとシナジーがいろいろあるようで学ぶことが多いのである。
  

2012年6月22日

IT断食のすすめ

IT断食ということはIT中毒状態になっている人が多いのではないかという問題提起である。「IT断食のすすめ」(遠藤功、山本孝昭著 日経プレミアシリーズ)は、そうしたIT中毒者に対して、いちどITから遠ざかってみてはと言っている。著者のひとりである山本孝昭さんは、ドリーム・アーツというナレジマネジメントや情報共有などのソフトウエアを販売している会社の社長だから、そういった主張もおかしいといえばおかしいのであるが、ITに使われているような現状に警鐘を鳴らしたかったということだそうだ。

ぼくも、以前からITは単なる道具だから人間が主体的になって使いこなすべきだと言ってきた手前同意するのである。ただ、少し違うところがあって全面的にそうだとは言い切れないところがある。まずは、事実認識についてである。問題提起とそれに対する処方箋を展開しようとすると大事なのは事実認識とそこから抽出される問題設定である。そこを間違えると一見正しいような主張もおかしなものにある。

そこである。本では「ICF(情報洪水)」と「BLT(バカのロングテール)」と言っていることに関してである。ICFというのはInformation and Communication Floodということらしいが、わざわざ3文字にしなくてもいいのだが、要するに絶えず送りつけられる、処理しきれないほどの電子メールや共有ファイルで「溺れそうな」状態のことだ。電子メールの処理に多くの時間を割いて、しかも受け取るメールのうちの55%が何のリアクションが必要としないCCで届いた参考情報なのだという。

BLTというのはバカのロングテールのことで、価値の低い情報やコンテンツを組織やコミュニティの参加者がよってたかって拡大生産していることを指す。まあ確かにインターネットには非常に多くの情報があるのでそれを咀嚼せずにとりあえずコピペして資料にするなんてことはよくやられる。資料を作ることが目的化して、きれいな資料をつくると仕事した気になる。

そして、いわゆる2:6:2の中間層の6割がIT中毒の影響を受けているという。まあ、このあたりまでの現象についてはそう異論はないのだが、こうしたIT中毒の蔓延を招いた「真犯人」と言えるのが、経営幹部だというあたりからちょっと首をかしげたくなる。おそらく、電子メールなんかで仕事をするなと一番声高に言っていたのは経営者だと思う。

さらに、IT中毒になってしまう「パソコン一人一台」環境はインターネットによってもたらされたというのだが、ぼくは、企業におけるインターネットの普及と「パソコン一人一台」環境の構築に当事者として立ち会ったから言うのだが、全然関係ない。PCはインターネットとは関係なく汎用機の端末の代替として入ってきたのだ。高価な端末が安価なPCの置き換えられることで個人の机に置くことが可能になったのである。

インターネットが企業に入り込むにはかなり時間を要したし、実業務上で役に立つことはほとんどなかった。つまり、この本で電子メールとインターネットと個人の机上PCがIT中毒を生んだように書いてあるが、ちょっと違うのではないだろうか。だから、大胆な物言いになるが、仕事ができないあるいは仕事をしていない人がPCで遊んでいるだけなのでそういう人たちに断食させても影響はないのだ。

要するに、最初にも言ったようにITは道具なのだから、しかも会社の中で使うときには、必ず組織活動としての利用でしかあり得ないので、オープンにすることが大事で、電子メールでの仕事があるということは隠れて仕事をしていることに通じる話なので、それをやめさせるようなことが必要ではないだろうか。すなわち、オープンな場でしか業務が回らないITの仕組みをつくることだ。

IT中毒になっているから断食をすればよいという対処は家庭の中とか個人的なところではあり得るかもしれないが、少なくとも会社のような組織活動で成り立っているところでは、そうした短絡的な対処は意味がないように思う。このことはITのせいでも何ともなくて、組織論とか組織設計の問題なのでITを悪者扱いすることではないと言いたいのである。
  

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2012年6月24日

同窓会総会とフェルメール

ぼくが卒業した湘南高校の同窓会には輪番学年というのがあって、今年は卒業回数の末尾が「2」の学年がそれにあたり、その学年には動員がかかる。ぼくは42回生なので、その学年というわけだ。場所も藤沢なので近かったのもあるし、総会の後のイベントで、同じ学年だった小林頼子さんの講演が楽しそうだったので参加する。

演題が「フェルメールの世界-、マクロの視点・ミクロの視点」である。小林頼子さんは今ではフェルメール研究の第1人者で、現在目白大学教授を務め2000年には「フェルメール論」「フェルメールの世界」で吉田秀和賞を受賞している。いまなぜかフェルメールブームで各地で展覧会も行われている。そんな折なので興味を持って聞いた。

とはいえ、フェルメールのことをよく知っているかと問われると、作品ではあのこちらをじっと見つめる「真珠の首飾りの少女」ぐらいしか知らないのだが、その1枚だけでもものすごいインパクトだから気になるのである。講演は1時間強でパワーポイントを使って説明してくれたが、これが大変おもしろかった。

それで終わった後の懇親会で同じクラスだった連中にこれってブログに書くよねと言われてハイと言った手前ちゃんと書かざるをえなくなった。実はiPhoneでボイスメモを取ったはずがないのである。しかたないので記憶を頼りに印象に残ったことをいくつか書きとめることにする。

マクロとミクロという表現だが、最初どういう意味かとわからなかったが、マクロというのは、フェルメールの生きた時代の暮らしとか社会情勢とかいった時代背景のことで、ミクロというのは、フェルメールの絵をそれこそ凝視して観察することであった。要するに、なぜフェルメールの絵が生まれたのか、その絵には仔細な技術や技法が隠されているといったお話なのである。つい引き込まれてしまうでしょ。

フェルメールの特徴は寡作であることだろう。40数年の生涯で36点しか残していない(正確にはみつかっていない)そのなかでまた真贋が問われる作品があって、小林さんは32作品しか認めていない。残りの4点は真筆性に疑義がある作品なのだという。だから美術館とかイベント屋さんみたいに贋物かもしれなくても売れればいいという人からは嫌われているのだそうだ。

なぜ、こんな寡作でも生活できたのだろうか。そこにはピーテル・ファン・ライフェンという大パトロンがいたからなのである。また、妻の裕福な実家のおかげでもあった。そうですよね、この時代は、王侯貴族がいなくなり、従来のように宗教画のような絵を描いてそれを売ることができなくなったこともあり、絵だけでは生活ができなかった。そのこともあり、フェルメールは風俗画家へと転向する。「取り持ち女」のころからである。

片仮名のフーゾクではありませんよと笑いをとったあと小林先生は、マクロ的な視点から、プライベートという概念が徐々に入り込んできたことを指摘する。フェルメールの絵に登場する女性は部屋の中の暮らしにある姿が描かれている。生活様式を色濃く反映したものなのだ。

このプライベートとパブリックという揺れについて、現代に置きなおして、面白いスライドを見せた。「パパ大好き」というアメリカのテレビドラマの部屋とニトリのパンフレットの部屋の絵の対比である。そして、プライベートに行き過ぎてパブリックがおろそかになっている現状を嘆いてみせる。こういうのを文化というのかなあ。そうしたことがフェルメールの絵から見えてくるというのが単にきれいだ、美しいということだけではない深さを教えてくれた。

さて、ミクロの話を進めよう。フェルメールの絵は寡作であるとともに、小さいのも特徴的だ。年代別で絵の大きさを並べて見せてくれたが、徐々に小さくなっている。驚いたのは、レンブラントの絵との比較で、何とフェルメールの全作品を集めてもレンブラントの一枚の絵の3分の2にしかならないというだ。ではどうして小さい絵なのになぜそんなに時間をかけて描いたのだろうか。

いまは、絵をX線撮影すると元々の絵がわかってしまうのである。これまた驚きで、何とフェルメールは細部に渡って微妙に何度も変えていたのだった。指の角度だったり、手のひらの開き方だとか、額の出し方だとか様々なところで修正を加えている。ぼくなんか、フェルメールの絵をみるとものすごく写実的だと思うのだが、そのままを写し取ったという意味での写実的ではない。創っているのだ。だから時間がかかる。

それにしても、絵をミクロの目で見られるようになったのはすごい。小林先生も今度小学館から「限定版フェルメール全作品集」というのが刊行されるが、その監修・執筆を行ったときにデジタルデータで絵をもらったそうなのだが、それだとホント裸眼では見えない細部が見えるのだという。例えば「真珠の首飾りの少女」でも歯が意外と黄色くて口紅がついているとかがわかるのだという。(そんな細部まで描いたフェルメールにも感心しますが)まあ、これほど絵から多くの考えさられたのは初めてであった。「フェルメール ――謎めいた生涯と全作品」(小林頼子著 角川文庫)を薦められたので買うことにしよう。

懇親会では、夏の高校総体に出場するという現役の生徒が来て抱負を述べていた。フェンシング部と陸上の女子やり投げである。活躍を期待してカンパを募ったのでみんなで寄付をした。うまいものでも食べてがんばってほしいものだ。しかし、みんな女子だったなあ。いやー、この学校は昔から女子が強かったからなあと隣の同級生の元?女子に言おうと思ったがやめた。

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2012年6月25日

貫禄のスペイン、大人のイタリア

EURO02012欧州選手権もいよいよ準々決勝に入った。すでにポルトガルがチェコを、ドイツがギリシャを下して4強入りを決めているが、残りのスペイン-フランス、イングランド-イタリアの2試合が行われた。大会前から強いと言われた伝統の強豪国同士の対戦である。

まずはフランスと対戦したスペインが順当に勝ち進んだ。スペインはまたセスクをスタメンに入れて“ゼロトップ“のフォーメーションで試合に入る。一方フランスは、背に腹は変えられず守備を重視した布陣で対抗する。スペインは相変わらず高いボールポゼッションから鋭くえぐろうとするがなかなか崩せない。

しかし、前半19分イニエスタが持つと左サイドを駆け上がったアルバに絶妙のスルーパス。これをアルバがわずかなタイミングでバックスをかわしセンターリングすると逆サイドから詰めたシャビ・アロンソがヘッディングでゴールを突き刺す。“イニエスタ・セニョール”あなたはえらい。見事というほかない。スペインのパスサッカーはこの人なしでは語れないだろう。

後半に入るとさすがにフランスも攻め込み、何回かチャンスを作るがカシーリャスがあわてる場面さえ作れない。リベリーがあの恐い顔で攻め上がるも孤軍奮闘といった形である。すると試合終了間際にはペドロがゴール真近に突進するとたまらず後から倒してPKを与えてしまう。これをシャビ・アロンソが再び決めて勝負あり。

というわけで、スペインがあぶなげなく勝った試合で、まさに貫禄の勝利といったところである。さすが世界チャンピオンである。あのポゼッションサッカーはますます円熟味を増してみていてほれぼれする。バックスを含めてみな実に巧みなボールさばきをする、しかも密集したところで細かいパスを平気で通してくる。

もうひとつの準々決勝のイングランド対イタリアは息詰まる熱戦で90分でもゼロゼロのままで延長に入っても決着がつかず、PK戦へ突入。イタリアが一旦は不利になりながらイングランドの失敗に助けられる形で劇的な勝利を収める。試合経過では有利に進めていたイタリアの順当な勝利とも言える。

この試合は非常にレベルの高いすばらしい一戦であった。何といってもクリーンな試合でファウルも後半の後半で疲れてからは少し出てきたがそれまではほとんどなく大変フェアな戦いで、これが世界基準だと改めて思い知らされた。さらに、スコアレスだったが、惜しい場面も多くあり、攻守で白熱したシーンの連続であった。

試合はイタリアが押していたが、かつてのイタリアのサッカーとは違ったサッカーを展開していた。現代ではスペインに代表されるようなパスサッカーがもてはやされているが、かつてのカテナチオと言われた守備重視のサッカーからパス回しを主体にしたサッカーに変貌していた。

その中心にいるのがピルロであるが、イタリアの変貌をもたらしたのは、バロテッリとモントリーヴォである。バロテッリは高い身体能力とシュート力で攻撃の柱になっていたし、モントリーヴォは華麗なテクニックでタメを作れ中盤の起点となっていた、この二人は従来のイタリアチームからすると異質なタレントで変化の象徴である。彼らをピルロが指揮者のように操ったのである。

イングランドもいいサッカーをやっていたが、まだ、ジェラードからルー二ーというパターンが多くやや単調なきらいがあった。しかし、テリーを中心としたバックスの献身的な守備は久しぶりにイングランド魂をみた気がした。

結局、象徴的な意味で言うと、ピルロとジェラードの争いだったと言える。イタリアが新たに掲げたポゼッションサッカーをピルロが落ち着いた球さばきで展開したのにくらべ、ジェラードの旧来型のアバウトパスでルー二ーやキャロルに競らせるサッカーと差があったということで、時代遅れになっていることなのだ。まさに、イタリアが大人だったということである。

さていよいよ準決勝は、ポルトガル-スペイン、ドイツ-イタリアとういう夢のような対戦になった。こりゃあもうどこが優勝してもおかしくないのだが、ぼくの予想はやはり、スペイン-ドイツの決勝でスペインの連覇だろう。
  

2012年6月26日

個の時代がやってくる

おそらくいまの日本の沈滞ムード、閉塞感を打破するには雇用の流動化が避けて通れない道のような気がする。同じ会社にずっとしがみつくような働き方ではなく、自分のやりがいのある職をさがして動くことが当たり前になってくるだろう。これは、雇う方も雇われる方のどちら側の要請というわけではなく、両者が欲するようになるだろう。

会社側だって、ミスマッチの人材ややる気のない社員を抱え続けるわけにはいかない。高度経済成長の時代には規模が拡大したり、新規事業を立ち上げたりするのでこうした人材はある程度吸収されていた。しかしながら、成長が鈍化し規模は縮小していくと、事業の統廃合が起こり、人員の絶対数の余剰が生じるとともに、撤退した事業にいた人材の配置転換が行われるが、異質のスキルが要求されて、そこでミスマッチ人材を生み出すことになる。

一方、社員のほうだって、自分の向いていない仕事をいやいややるのも嫌だろうから、絶えず自分に適した仕事があって、長期の雇用と報酬を約束してくれるならすぐに移りたいと思っている。ところが、これまでの日本の社会では、転職のリスクが高かったことと世間体からなかなか難しかった。ぼくはそれだけではなく、会社人のスキルセットがないことも原因だと思う。

自分のことを思い出しても言えるのだが、就職するとき私のスキルはこれだというものが何もなかった。ただひたすら、まじめですとか粘り強さとか素直さを強調する。つまり、性格の良さだったり人間性のことばかりで、知識だとか技術といった学習してきたこと、経験してきたことをスキルとして身につけていなかったのだ。いや、正確にいうと仕事をするための学習も経験もしなかったのだ。

従って、会社としてもそんなヤツばかりだからどうしたかというと、入ってからしばらくは戦力化すべく一生懸命仕込むのである。これは持ち出しだから、回収しなくてはいけないので転職されては困るので囲い込みを行うのである。これまでは、こうした関係が雇用する側も雇用される側も両方とも合理的であった。

この関係がくずれたこれからの時代は仕事をするためのスキルの習得を早める必要があると思うのだが、いまの学校では得られないのでむずかしいところがある。アルバイトとかインターンなんかも良いかもしれないが、若い時に社会人の人たちと接する機会を多く持つことが大事ではないでしょうか。また、ぼくらの世代のことで言うと、反体制の頭でびっしりだから、既成社会のオトナたちを否定しているわけで、そんなところにコミュニケーションはないから余計に仕事に対するスキルをそこからなんて考えもしなかった。

その点、現代はあらゆる年代、ジャンルのひとたち、そして海外のひとたちと接する機会が格段に増えてきている。ぜひ若い人たちは積極的にそうした機会を活用して、人生の大半を過ごさざるを得ない仕事時間のためのスキル習得に努めてもらいたい。

スキルとは何かを話しておかないといけない。それは、少し抽象的な表現になってしまうが大事なのは、「概念化スキル」、「対人スキル」、「技術スキル」である。ビジネスパーソンとしてこの3つのスキルのレベルでできるかできないかが決まる。こうした能力を正しく評価されるようになれば、自ずとミスマッチもなくなるし、転職もしやすくなる。

会社に対する忠誠心や、愛社精神が失われると言われるが、それと雇用の流動化とは必ずしもつながるわけではない。むしろ、変てこな忠誠心や愛社精神がコンプライアンス問題をひきおこしたり、自分が気に言ってもいない商品を客に売りつけるなんてことが起こる。雇用の流動化は会社に対するというより、自分が考えた、作った、惚れた商品やサービスに対する愛着が結局愛社につながって行くのではないでしょうか。さあ、来るべき「個の時代」へ向けて自分のスキルを磨こうではありませんか。
  

2012年6月27日

IT再考-ERPはプロセスに出られるか

業務システムが作られる領域を企業のビジネス活動のチェーンでみると、大きく顧客との接点のところと、それを受けてプロセス活動を行うところ、そしてプロセス活動の結果を登録し、集計するところの3つがあります。ERPはこの最後の領域をカバーするものとして登場してきました。

ですから、ERPの主たるキーワードは「統合データベース」です。企業では最終的にはプロセス活動記録、事業成果を集約して記録するので、販売、購買、生産といったシステムやデータベースがバラバラだと大変困るわけです。そこをマスタなどのリソースも含めて統合的に管理できるようになったことが最大のメリットだと思います。

しかしながら、重要な問題として、ではERPに登録するデータはどうやって作っているのでしょうか。このデータを作るというのはフロント側のプロセス活動によって生成されるから、どうしてもERPはこの領域に出たがるのです。最近そうした動きもあります。しかし、やたら出てきてもらっても困るというか、出てきていいプロセスとそうでないところがある。

では、その理由を考えてみましょう。プロセスには大きく2つに分けられると思っています。顧客接点のプロセスと内部プロセスです。このとき、違いが出てくるのはどこだと思いますか。プロセスの構造をみていくとざっくりいうと始点と終点とその間に中間点があります。さて、皆さん始点を考えてみください。文字通りプロセスが始まる点は何なのかです。この始点はどうして決まるかという点に違いがあります。

顧客接点プロセス、すなわちお客さんと直接やりとりするようなプロセスの始点は必ず「顧客要求」ですよね。実際には、このお客さんの要求が、はっきりとした形になった「顧客依頼」になってメインプロセスは起動しますが、要するにお客さんのこうして欲しい、ああしてくれというのが始まりです。

一方の内部プロセスですが、これは企業側としてこれが欲しい、こうしたいといった内部的な要求が出されるようなものです。例えば、代金の回収なんては企業側から取りに行くわけだから内部プロセスになります。つまり、こうしたプロセスでは終点が先に決まって、その終点に合うように始点がきまるという性格になります。ですから、ものの考え方というかアプローチが反対だということになります。

さて、ERPが出てきていいプロセスとそうでないところがあると言ったのはこのことで、内部プロセスならまだしも、顧客接点プロセスに出てこないでくれと思っているのである。つまり、プロセスを終点から考えるようなアプローチでやられては困るという話である。顧客接点プロセスはお客さんの要求をよく吟味してそれに的確に答えられるようにプロセスを動かすことが求められるから、自分たちの都合のいいように顧客要求を曲げてはいけないのである。発想が違うのである。

2012年6月28日

ミッドナイト・イン・パリ

ウッディ・アレンもいつのまにかもう76歳になる。彼の作品は趣味のいい洒落たタッチでとても好きだ。最近では、住まいもイギリスに移したそうで映画の舞台もニューヨークからヨーロッパに移したものが多くなった。「ミッドナイト・イン・パリ」も題名のとおりパリを舞台にしたものである。アレンは大のパリファンなのだそうだ。

だからか、冒頭のシーンでこの街の何もかもが好きなんですと言いたげに延々とパリの風景を映し出す。ストーリーは、ハリウッドの売れっ子脚本家ギル(オーウェン・ウィルソン)と、婚約者のイネズ(レイチェル・マクアダムス)はイネズの父親の出張に便乗してパリを訪れるが、そこでギルは深夜の街で不思議な体験をするというものである。

ワインの試飲会のあと、イネズが彼女のボーイフレンドのポール(マイケル・シーン)とダンスにいくというので、先に1人でホテルに戻ろうとしたが道に迷ってしまう。途方に暮れてある路地で休んでいたところ午前0時の鐘がなると、そこに旧式の黄色いプジョーがやってくる。そこに乗り込んで行った先はあるパーティ会場であった。ところが、そのパーティで出会った人物がスコット・ フィッツジェラルドで、ピアノを弾いているのがコール・ポーター、パーティの主催者ジャン・コクトーと聞いてびっくりする。

1920年代のパリにタイムスリップしたというわけである。そして、ギルは夜な夜な深夜の街で例の黄色いプジョーに乗り込んでいく。出会う人物がこれまたすごいことになる。ヘミングウェイに連れられてガートルード・スタイン(キャシー・ベイツ)のサロンを訪問すると、そこにはパブロ・ピカソがいて絵画論を戦わせている。さらにピカソの愛人 アドリアナ(マリオン・コティヤール)と出会い、互いに惹かれあうという豪華さである。

このタイムトリップ映画は、つい最近では「テルマエ・ロマエ」があるが、過去にトリップするというのは同じだが、違いがあって、それは肉体的か精神的かというところだと思う。つまり、テルマエの方は肉体が時空を超えているのだが、この映画ではむしろ精神世界のタイムトリップという風であって、だから時間のギャップはあまり感じられなかったのだ。ギルがすんなりと1920年代に入りこんで違和感がないのだ。ここがおもしろい。

夢を追うギルにとって現実主義者のイネズとのギャップやイネズの両親との政治意識の対立、エセ知識人のイネズの男友だちのポールへの嫌悪といった自分をとりまく俗物的世界から逃れたい思いが、時空を越えさせたのである。そこにいる夢を追った人々との交わりで自分を見つめ直したのである。ギルの精神の彷徨をタイムトリップという形で見せてくれるところが秀逸である。

ただ、こうした時空をいったりきたりするのがメインではなく、実はまぎれもない恋愛映画なのだ。パブロ・ピカソの愛人 アドリアナとの出会いや古いレコード屋の娘とか、つまり自分の感覚にあった女性を探し歩いたというわけである。それにしても、ダリ、ルイス・ブニュエル、マン・レイが出てきてシュールな会話を展開したりほんと楽しめる。アカデミー賞の脚本賞を受賞したのもうなずける。

出ている俳優さんも、そっくりさん的に楽しかったし、何といってもギル役のオーウェン・ウィルソンの自然な演技がとてもよかった。あと驚いたのは、あのサルコジの奥さんであるカーラ・ブルーニが美術館の説明役で出演していたことである。いずれにしろ、ウディ・アレンの作品の中でも高い評価の作品だと思う。

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2012年6月29日

ドイツが負けた

欧州選手権もいよいよ準決勝である。先のスペイン対ポルトガルはPK戦でスペインが制したが、録画するのを忘れてしまい見ることができなかった。ポルトガルもC・ロナウドの爆発がなかったが、王者スペインに対し臆することもなく戦ったようだ。でもやはりスペインは強い。

さて、もう一つの準決勝、イタリア対ドイツは戦前の予想を覆してイタリアが2-1でドイツを破ってしまった。得点も2-1だが、ドイツの1点は後半のロスタイムだから、まあイタリアの堂々たる勝利だ。イタリアは前半の初めにコーナーキックからのフンメルトのシュートをピルロがかろうじてクリアして逃れる場面や、あやうくオウンゴールになりそうなピンチを脱すると、20分にカッサーノが左サイドでうまくマークをかわしてゴール前にクロスをあげると、バロテッリが頭で合わせて先制する。

さらに前半36分には、キーパーからのパスを受けたモントリーボがすぐにディフェンスラインの裏を抜けたバロテッリにロングフィードすると、ゴール右上に強烈なシュート。名手GKノイアーもなす術なし。早くもイタリアが2点リードで前半を折り返す。こうなるとカテナチオのイタリアの思うつぼである。ドイツの度重なる攻勢を跳ね返す。やっと残り時間も3分となって相手のハンドでPKを得て、それをエジルが決めて1点差に詰め寄るが時すでに遅しでジエンド。

あれだけ有利を伝えられたドイツがなぜ負けたのだろうか。前半の出だしのところで決めきれなかったこともあるのだが、チームとしての若さが悪い方へ出たのだと思う。それは先制されてからの戦いかたをみると明らかだ。先制点が前半のまだ20分だったというのにもう焦りが出て浮足立っているように見えた。そんな時は経験のあるベテランが落ち着かせて、普段のサッカーをもう一回やり直すといった対処が必要なのだが、その役目のベテランがいなかった。

そして、かつてのドイツ魂というかガッツあふれるプレーも影をひそめ、変におとなしいサッカーを展開していたようだ。そう、ベッケンバウワーとフォクツがいなかったのである。ただ、だからといって昔のドイツサッカーをすれば勝てるかというとそういう問題でもない。つまり、あきらかにサッカーが変わってきたのである。そこをいちはやく変えてきたのがイタリアである。

現代サッカーはポゼッション主体でその中にぱっと思いもかけないアイデアがちりばめられるというスタイルが強さを生み出しているように思う。イタリアは、ファンタジスタという言葉があるように、バッジョのような創造性あるプレーヤーがいたように素地があったわけである。その点ドイツはアイデアにあふれたプレーというのもせいぜいエジルくらいであまりないので、イングランドと同様古臭いサッカーになってしまったかもしれない。

さあ、いよいよ決勝である。ぼくの予想も軽く外れてしまったのでもう予想はしないが、面白い試合になるのは間違いない。おそらくディフェンス勝負だ。イタリアは針の穴を通すようなパスに対して、一方のスペインはバロテッリとカッサーノの裏への飛び出しに対していかに辛抱強く守り通せるかであろう。すごい試合になる。

2012年6月30日

論理になっていない論理

消費税増税も民自公の3党合意で可決されるが、小沢一郎の造反で民主党の内紛はまだ収まらない。早く離党すればいい。以前は多少とも小沢一郎に期待していたが、こうなってしまうともはや訳のわからない頑固おやじに成り下がってしまったように感じられる。

その小沢一郎に従って消費税増税に反対票を投じたチルドレンたちの言い分を聞いて首をかしげてしまった。「消費税増税は前回の総選挙で国民と約束していないこと。有権者に訴えたことがすべてウソになってしまう」といって反対している。こんなことを国会議員というえらい人が言うことだろうか。

国民にと言いながら、すっぽりと国民のことを忘れている。自分のメンツがつぶれる、自分がうそつき呼ばわりされるから困るという論理である。増税がほうとうに国民のためになるのかどうかを考えた末にたどりついた結論だと言ってくれればいいものを、もう誰もマニフェストのことなんか忘れているのにそのときのことを持ちだされてもこちらの方が困ってしまう。マニフェストなんて公約でもなくて、単なる方向性としてあればいいのであって、環境や情況の変化で変えていくものである。

そんなことを考えていたら、その昔民主党が自民党から政権の奪ったとき鳩山由紀夫の口からでたスローガンが「政権交代」だったような気がする。政権交代しなくてはいけないからみなさん民主党に一票入れてくださいと叫んでいた。これもまた、わけのわからない論理である。だから、そんな政党が作ったマニフェストなんて信用できるはずがない。

言っていることが抽象的で情緒的で気分なのである。ちゃんとした論理の組み立て、構造化された政策といったことを言えないから、こうした論理のすり替えがおこる。いまの日本の社会を覆うこうした冷静でロジカルな思考から感情的で気分的な論理へのすり替えを何とかしなくてはいけない。

例えば、増税の論議でも、増税の前にすることがあるといったってできないことが明白になったし、結局みんなが貧しくなってもいいとするのか、年寄ばかり助けるのか、いまの行政サービスレベルを落としてもいいのかとか、つまりみんなが納得する公正な徴税と分配はどうあるべきかという基本的な部分をちゃんとオープンな形で議論しなくてはいけない。

どうもそうした冷静な議論がほとんどなく小沢派がマニフェスト違反だからという反対理由には違和感がある。ちなみにぼくのスタンスは、財政が持たないのだから増税しなくて(借金を返さなくて)はいけないのは当たり前で、それをどこから取るのかをよく考えることが必要という段階だろうと思う。

喫緊の問題は何かというと、世代間格差で若者がわれわれ老齢世代を支えているという構図である。だから、単純に若者から少なく、年寄から多くというバランスが大事なので、そのためには勤労世代から取るような所得税ではなく、相続税や消費税(特にぜいたく品などを厚く)がより合理的な選択になると思っている。

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