前回「生きている状態は、特定の分子や要素があるからというわけではなくて、多くの分子や要素の集合体(マクロな系)が持つグローバルな状態(相)であり、生きている状態にある系は、高い秩序を自ら発現し、それを維持する能力を持っている」という話をしました。ただ、エントロピーなどが出てきて難しくなるので、ここからは秩序の自己形成系と情報ということを考えていきます。
清水先生は、生きた自然はエネルギーではなく情報によって支配されていると言っています。系が生きているからこそ情報という量が必要になってくるのであって、生命に関係ない統計的な系に情報の量を使う行き方は必然性がないのだという。こんなことは考えてもいなかったのでちょっと驚きである。自然科学の世界に価値観とか美意識といった要素を持った情報はなじまないと思うが、生きたものとして扱うにはこの概念を入れ込む必要がありそうなのである。
このことは、人間の活動をも含めた自然を理解するにはここはどうしても通らなければいけない橋なのだという。そのために情報という量の本質をはっきりさせる必要がある。前回、マクロとミクロの話をしましたが、情報というのは、粗視化していることに相当するマクロな状態の中から、逆に、ミクロな状態を指定するものなので、情報に従って、ミクロな状況を選ぶことは微視化してモノを見るということになる。
またエントロピーが出てきて恐縮ですが、情報をもらうということはマイナスのエントロピーをもらうことであると考えていいわけです。エントロピーの増大は秩序を乱すことだから、情報は秩序を与える方に作用するのである。
このように、マクロな眼とミクロな眼の行き来により森を見たり木を見たりするには「情報」というものが媒介しているということが分かる。言い換えれば、マクロとミクロという相とその構成要素という構造としてモノを見るということが必要ということでもある。このことは、生きた情報システムの構造にも当てはまるような気がするのである。
マクロ的な業務の流れがあって、これがビジネス活動を表現していて、そこでは細かなアクションは見えていないが、全体としてどう進んでいるかを捉えることができる。それを、眼を細めてみるとマクロを構成するミクロとしての要素が見えてきて、それは情報、例えば依頼情報とか前提情報とか事実情報とかいったものが介在して、その状況をつかむことができる。
プロセス志向のアプローチで盛んに言っている2段プロセスというのはこの概念に近いのである。企業あるいは組織という生命体はマクロ的な視点で眺めることで生きているのか死んでいるのかが分かるのであって、データを登録するとかの個人のタスクレベルでは分からないのである。ですから、マクロとミクロという概念は非常に重要なのである。
