次はマクロとミクロの話です。前回、全体を要素にまで分解してみても分かったことにはならないという話があったと思いますが、その観察の対象物(系)のことをマクロと言い、それに対して、その構成要素をミクロと呼んでいます。「生きている」というグローバルな性質はマクロな性質でです。
先走って言うと、このことからも、生きた情報システムはマクロのレベルが非常に大事になるのです。どうも、これまでの情報システムはミクロの構成要素にばかりに目がいっていたのではないでしょうか。ただそうは言っても、マクロはミクロで構成されているわけですから、マクロな性質が構成要素によってどのように決まるかを考えていく必要があります。
このとき、注意しなくてはいけないのが、どういう物差しを持って見るかということがあります。例えば、どこかの雑誌に老いた女のひとと若い女性の写真があったとします。それを顕微鏡でのぞけば繊維のかたまりかもしれません。また、遠くから眺めると、人間と動物の違いは分かるとしても、老齢のの女性か妙齢の女性かはこれまた判断がつかないのです。
つまり、適当な尺度で見ないと本当のことは分からないと言うことである。情報という世界でもそういうことがあって、情報があり過ぎるということは、情報の山の中から、「欲しい情報を選び出さなければならない」ことを意味していて、「欲しい情報を選び出さなければならない」という状態は、結局は情報が足りないという状態と同じことなのです。
このことって、考えさせられますよね。卑近な例で言うと、最近ビックデータという言葉がはやっているが、どうも情報を見るための尺度がちゃんとしていないのに情報の山を提示してもだいじょうぶなのかと思ってしまう。何もビックデータではなく、スモールデータでも同じで、情報を選ぶ物差しがなかったら、ビックであれスモールであれ有用な情報を取得できないのである。
また、尺度というのは目的で違ってくる。要素のふるまいを見たいのか、集団のふるまいを見たいのかで、観測の尺度が違ってくるわけです。これを会社の組織という系で考えてみると、大胆な見方をしてみると、個人と組織という区分けになるかもしれない。
ですから、どういう視点で見たいのかという目的に応じて観測の尺度を変えていくことになります。各要素の中味に深く切り込む微視的アプローチはよくやられていてそれなりに重要なのですが、粗視化していくことも同様程度に重要なのである。「木を見て森を見ない」状況にはならないように気をつけたいものである。
これまでの情報システムの作りは、ここでいう構成要素であるミクロの領域での議論が盛んで、森を見るという意識が薄かったように思われます。それは昔からIT側の視点がシステム開発の現場で支配的だったからだと思う。つまり、構成要素でしか過ぎないITが表に出過ぎていて全体の系に対してシステム的にどうするのかというマクロ視点が欠けていたのではないでしょうか。
マクロというとつい上流設計のことを思い浮かぶ人が多いと思いますが、ビジネス戦略的な見方というのではなく、システム構造を見渡せる俯瞰力のことを言っています。構造化するということはこのことで日本人の弱いことのひとつはここだと思うのですがいかがでしょうか?
