毎年書いているので、今年もこの1年をふりかえってみる。ただし、こんな他人の1年なんは自分にとってはおもしろくも何ともないだろうから、読み飛ばしてもらってけっこうです。ぼくの備忘録として書いておく。
【1月】
・K社のコンサルを終了するが、次の段階として実装をどうするかの検討開始。サイボウズ社への協力要請。
【2月】
・東スポ映画祭に出席。作品賞が「アウトレイジ」というたけしのわがままが通る。主演男優賞は豊川悦司、女優賞が仲里衣紗。最後の赤坂プリンスホテルであった。
・50周年記念誌に載せるために大学のサッカー部のOBたちの座談会を開催。同期との定例や研究室の同期会もあり、だんだんこうした会が増えてくる。
・下の息子が香港マラソンに参加。4時間を切れるかどうかで賭けをして勝つ。上の子は厳寒の札幌でセミナー講師。
【3月】
・3.11は半蔵門でプレゼン中に遭遇。帰宅難民となり、有楽町の国際フォーラムで一夜を過ごす。計画停電や米、水、ガソリンが消えてしまい大変な目にあう。仕事はその後の予定がことごとくキャンセルになり謹慎状態に。
・14日に社長が被災者の安否を載せた「anpiレポート」というサイトを立ち上げる。のべ10万人の人がアクセスがあり、感謝される。29日のNHKテレビの「クローズアップ現代」で放映された。
・「BPMフォーラム」参加。
【4月】
・大学のサッカー部の1年先輩でキャプテンだった人が亡くなる。60代初めだったのだが、死に急いだ感はあるが半端ではなく強烈な生き方をしたひとでもあった。
・N社のセミナーで講師を務める。2時間半を2回なのでかなり中味の濃い話をする。
・日本BPM協会の運営幹事となり協会の事業モデルや活動計画などの議論に参加する。
【5月】
・K社の実装プロジェクトはK社の福島工場が大震災で被災したためずっと中断したままであったが再開。その結果を「VCPCメンバーズミーティング」K社社長から報告。
・N社のセミナーで受講した会社への提案を行う。
【6月】
・大学のサッカー部のOB会主催でフットサル大会を開催。東京体育館のコートで50代、60代の人たちが集まり、天気にも恵まれ汗を流す。
・昔一緒に仕事をした人たちと久しぶりの再会。AP社社長のHさん、AS社で名古屋から来たOさん、みな変わらない。さらに以前、BPMオフ会で知り合った若い子二人とこれまた久しぶりに羽田で呑む。
【7月】
・ICT経営パートナーズ協会の設立に向けて研究会スタート。
・ばあちゃんの卆寿のお祝い。まだまだ元気である。
・高校のサッカー部の顧問だった先生を囲んでの暑気払い。こちらも元気。
【8月】
・K社プロジェクト終了。本プロジェクトを第Ⅰ期として次期も検討する。
・日本BPM協会主催の「BPM-J交流会」で“気楽に始めるBPMのすすめ”を講演する。
・下の息子子はカンボジアにつづき今度はラオスへのひとり旅。
【9月】
・ワディットも6期目に入る。なかなか儲かるようにならないが、ぼちぼちやっていこう。と昨年と同じことを書く。
・ばあちゃんが自宅のすぐ近くの有料老人ホームへ入居。震災以後、不安、退屈、億劫が高じて自ら入ると言いだした。経済的負担は大きいがお金は使える時に使うものだ。
・母校の高校のサッカー試合を応援に行く。レベルの高さと部員の多さにびっくり。
【10月】
・セミナーというのにはほとんど行かないが、招待されたのでガートナーのシンポジウムに行く。あまり盛り上がっていない感じ。
・ICT経営パートナーズ協会の設立発起人大会。理事となる。
【11月】
・高校のサッカー部の還暦を祝う会(ぼくらの3代下が今年還暦であったのでそれを祝う)来年は顧問の先生が喜寿なのでそれを兼ねて開催予定。
・ぼくのヨメさんが入院。腸閉塞一歩手前ということで断食と点滴で1週間入した。このあたりから厄介なことが次々と舞い込む。
【12月】
・K社の第Ⅱ期プロジェクトがスタート。
・大学のサッカー部の50周年記念行事を行う。昼間はフットサルで夜は懇親パーティ。記念誌の発行も含めて実行委員としてかなりの時間を割いてきたがこれで一段落。
・「VCPCメンバーズミーティング」で“非定型業務のIT化とその事例”というタイトルで講演。1.5時間もあったのでじっくりと話せた。
・11月くらいから続いていた懸案が昨日で全部解決して、やっとこれで気分よく新年を迎えられそうだ。
とまあこんなところであるが、今年は何といっても東日本大震災という大きなエポックがあった歴史に残る年であった。個人的にも、帰宅難民になったり、テレビや新聞で弊社というか社長が取り上げられたり、プロジェクトの相手の会社が被災したりと大きなインパクトがあった。来年は災害のないよい年になるように祈っています。
