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2011年12月 アーカイブ

2011年12月 1日

IT再考-遊び心(続き)

前回、ある中小企業の若手経営者の話をしましたが、今回は先日見た「カンブリア宮殿」で取り上げられていた大垣共立銀行の話をします。同じようにそこの頭取が「遊び心」という表現をしたからです。ただ、ITとは若干離れるのですが、相通じるものは多くあります。

ここの地方銀行は、今年1月に発表された「日経金融機関ランキング2010」の顧客満足度調査で3位にランクされています。上位2行はネットバンキングなのでリアルの店舗をもつ銀行ではトップという快挙です。そして顧客満足度がちゃんと営業成績につながっていて、10年で預金高が1兆円増えてのだという。なぜそうなったかがすごいのである。

ここの土屋頭取というのは1993年に46歳の若さでこの地位についてから、様々な改革や新たなサービスを展開したのである。まず、徹底したのが「銀行は金融業ではなく、サービス業である」ということである。だから、動きの悪い行員に“おまえは銀行員か”といって諭すのである。

そしてユニークなサービスを仕掛ける。ATMでお金を出し入れするとスロットマシンになるんですよ。そこで当たりが出ると手数料がタダになる。何という「遊び心」だろう。それとか、公共料金を払うとポイントがたまるのである。主婦はポイントに弱いからすぐに行きそうですよね。

なるほどと唸ったのは、ドライブスルーATMだ。ドライブスルーで車が着くとATM機が運転手席の位置に合わせて動いて、そこで入出金や振込、記帳ができるのだ。これって便利ですよね。テレビでは、赤ちゃんをチャイルドシートに乗せたお母さんがインタビューに答えていたが、いちいち子どもを下ろしてベビーカーに乗せ換え、ATMで並んで操作することから較べて格段に楽になったと言っていたがまさに行き届いたサービスではありませんか。

さらに、コンビニ仕様の支店まで作ってしまった。なぜそんなことをしたかというとあるとき銀行でお金を下ろした人が隣のコンビニで公共料金を払っていたのを銀行員が見て衝撃を受けたというところから発想したのだという。これではコンビニに負けてしまうというものすごい危機感をもったのだが、自らがコンビニのような店舗にするという手を打ったのである

制服もコンビニ風で銀行では危険だからということで御法度であるトイレも設置、コーヒー無料サービス、雑誌立ち読み自由という。(住宅雑誌の下にさりげなくローンのパンフレットを置いておく)だから子どもまでやってくる。それでいいのだという。ずいぶんと銀行のイメージが変わったものだ。顧客目線でサービス提供という考え方である。

こうした発想ができるのは、ひとつには異業種企業での研修の効果が大きい。従業員は1年から1.5年、銀行とは全く違う業種の会社へ研修にやらされる。この長い期間の研修というのが意味があって、1カ月とかの研修はよくやられるのだが、これだけの長さだと受け入れる企業も本気度を感じるし、表面上のことだけではなく裏のことまでも学べるという。

ITとは直接関係するような話はほとんどないが、多くの示唆的な内容を含んでいる。まずは「遊び心」が大切ですよということ、異業種に学ぶ「越境の精神」、それと既存にあるサービスの転用あるいは組合せで新たなサービスを創造する「組合せ型サービス」といったことはどんな業界でもあてはまるのではないでしょうか。アップルのビジネスなんてある意味この通りですよね。

こうしたことは頭取一人のトップダウンでできたわけではなく、行員の意識改革という面が非常に大きいのは言うまでもない。重要なのは、トップが「銀行はサービス業である」という明確なメッセージを発したことで求心力も増したのだと思う。IT業界でもSIerはサービス業であると言っている会社もあるようだが、大垣共立銀行のように実行が伴わなかったら何もならないことを肝に銘じる必要があると思う。
  

2011年12月 2日

グッバイ、レーニン!

またまた、ヨーロッパ映画である。第53回(2003年)ベルリン映画祭で最優秀ヨーロッパ映画賞を受賞した「グッバイ、レーニン!」を観る。この映画は本国ドイツで記録的なヒットとなったそうだが、それだけのことはあるといえるおもしろさである。ベルリンの壁崩壊による東ドイツの混乱を背景に、家族の肖像を描いたコメディタッチの作品で、監督がヴォルフガン グ・ベッカー、出演はダニエル・ブリュール、カトリーン・ザースらである。

舞台は1989年、ベルリンの壁崩壊直前の東ベルリンである。テレビ修理店に勤めるアレックス(ダ ニエル・ブリュール)は、東ドイツ建国40周年を祝う式典の夜、改革を求めるデモ行進に参加。するが、その姿を目撃した母クリスティアーネ(カトリー ン・ザース)はショックで心臓発作を起こし、昏睡状態に陥ってしまう。アレックスの母は、夫が10年前に家族を捨て西側に亡命してから、愛国主義者になっていたのからショックだったのである。

彼女が奇跡的に意識を取り戻したのは8カ月後であるから、当然ベルリンの壁崩壊もドイツ統一も資本主義化も知らないのである。医者からまたショックを与えると命取りになる と忠告されたアレックスは、母を自宅に引き取って東ドイツの体制がずっと続いているふりを装うのである。

面白いのはテレビが観たいというのに対して、旧東ドイツのニュースを作ってビデオに編集して流したり、ピクルスの瓶詰をラベルを変えてみたりとか、誕生日に知り合いを連れて来て社会主義バンザイをみせたりとか様々な滑稽な芝居をうつのである。

ところが、そうこうしているうちにいつしかアレックスはその芝居にのめり込んでいく。取り繕ううちに西側の体制を称賛するわけでもなく東の時代だっていいじゃんみたいな気分になって冷静な目でみるようになるのである。この揺れ動きが楽しい。

そんな時、一家は郊外にある森の小屋に出かけた。そこで母は、 10年前に西側に亡命したアレックスの父は、家族を捨てたわけではなく、政治的意志で亡命し、西側に母を招き入れようとしたが危険で果たせなかったということを初めて告白する。

という具合に激動の時代をただ深刻にあるいは思想的にさばくのではなく、言い過ぎかもしれないが茶化して見せてくれるのが驚きとともに真実を知ることにもなる。実際に普通の人々の受け止め方はこんものだったのかもしれない。ユーモアもあり非常にいい映画であった。
  
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2011年12月 3日

街場の小経済学 その16

役所の非効率性というのは巷でもよく取り上げられているのでみなさんも経験されているかと思いますが、なかなか改まらないものですね。いまその非効率性で困っている。実は、もう夏の終わりころにある人から電話をもらう。ぼくの家は山の上にあるが、その人は山の下に住んでいるひとである。ぼくよりもだいぶ年上の老夫婦である。

電話の趣旨は、家のすぐ上の崖にあるけやきの木が台風か何かがあると倒れてきやしないかと心配になっている。市役所の総合防災課がけ地対策担当に行って聞いたところ、ぼくの土地だと言って直接かけあってくれと言われたという電話である。そのとき、補助対象になるだろうから申請してくださいとも言われたという。

そんなことぜんぜん気にしてもいなかったし、そんな大きな木があったかしらとも思って現地を見に行った。もちろんあることはあるのだが危ないようにみえない。でもそんなことは言えないので、市に電話をする。そうしたら「既成住宅地等防災工事資金 助成制度の流れ」という資料で手順を教えてもらう。

それは、(1)市が調査に来る(2)がけ崩れ予防の通知(3)補助申請(4)結果を通知(5)工事着工(6)工事完了確認(7)補助金額確定の通知(8)補助金交付ということになる。まあこの手順が長いとも言えないし妥当なところかもしれないが、問題はそれぞれの段階での所要時間なのである。

もういきなり、調査が終わってから通知までに2カ月近くかかる。途中に台風がきたのでそのあとの処理で手いっぱいだったといえ時間がかかり過ぎる。つぎの補助申請は役所に行って必要書類をもらい申請するのだが、この申請書類が多い。10枚以上同じような書類を作る。これは申請者だけでなく施工業者と一緒に書類を作成する。契約書まで官製のものが用意されている。ハンコウを押すだけでも疲れてしまう。

てなことで、3カ月たってもまだ申請中である。だんだん呆れてくるが書類なんか1枚で事足りると思うのだが、多分いろいろな部署に回すから似たようなものがあるのだろう。おそらく書類をチェックすることが仕事と思っているだろうが、もっとサクサクとやれないだろうか。結局税金のムダでしょうが。
  

2011年12月 4日

おめでとう柏レイソル

Jリーグ34節で柏レイソルが浦和レッズを3-1で下して、J1昇格1年目にして初優勝をかざるという快挙を達成した。名古屋グランパスとガンバ大阪にもチャンスがあったが、柏の勝利の前に力尽きた。いつもながら、Jリーグはもつれる。独走で突っ走っていても終盤になるとだんごになってしまう。それだけ力が拮抗しているのだろう。

だから、J2から昇格したばかりなのに優勝してしまうわけである。力が接近しているという意味はここの選手の能力がということが大きい。Jリーグが発足して18年経ち選手のレベルの向上と層が厚くなったということである。選手のレベルは単に技術的なもののさることながら戦術理解力といった面の向上が顕著だと思う。

今回の柏の優勝の原動力は何といってもネルシーニョの監督力であろう。いい監督のもとにいい戦術をやれば勝てるのである。ネルシーニョの功績は守備を固めて切り替えを早く、そして名前とか過去の栄光ではなくそのときに調子のいい選手を使い、その選手がパフォーマンスを発揮するというやり方を徹底したことだろう。この最後のところは大事で、調子をあげれば使ってもらえるというモチベーションは練習も手を抜かないし、選手に納得感があるのだ。

ただ、昨日の試合をみていてもやはりレアンドロ・ドミンゲスとジョルジ・ワグネルの両ブラジル人の存在が大きい。守備から攻撃の切り替えの早さというのは二人を経由して実現できている。得てして他のチームはトップ下のように中盤の一人がそれを担うのであるが、柏は両サイドの二人が横方向に伸縮しながら起点になっている。

バックスは相手からボールを奪うと必ずこの二人のどちらかに預ければいいし、トップの二人はそこからの玉出しを待つかコースをあければいいといういたってシンプルな戦術何のである。それに加えて、キープ力があるから両サイドバックの攻め上げも演出できるのである。だから強い。

このサイドに二人のトップ下を配置するというフォーメーションは面白い。従来だとトップ下に置いてそこからちょっとした左右とキラーパスを出すというのがほとんどだが、それだとマークできるし狭いから守りやすいと思う。それを2拠点にして、横へ動かすのでワイドになるので守備はしにくくなる。

2009年元旦に行われた天皇杯決勝で柏レイソルがガンバ大阪に敗れたとき、フランサ(なんと今は横浜FCにいるんですよ)のキラーパス一本に頼ったサッカーをしていたが、ガンバのほうが遠藤、橋本、二川で今のレイソルに近いサッカーをやっていた。つまり、戦術とそれを理解する選手とそれを愚直にやり続ける組織力がうまくかみ合うことで一歩上の高見に到達できるのだろう。

いずれにしろ、J2から来ていきなり優勝というのはすごい。それにあやかってもらいたいのが横浜ベイスターズ、いや横浜DeNAベイスターズである。来年はひそかに1960年の三原監督時代の前年最下位から日本一というパターンの再来を期待している。


2011年12月 5日

IT再考-ファストシステム

前々回と関連することを書く。全自動のワナの話をしたがそのことである。製造工程は全自動になったが、そのプロセスは頻繁に設計しなくてはいけなくて、それに伴う段取り替えや工作機械のプログラム設定に手間がかかってしまい、トータルでみたら本当に合理化になったのか疑わしいという話である。

先月初め、サイボウズから業務用のWebアプリケーションを手軽に開発できるPaaSである「Kintone」の販売が開始された。そのキャッチフレーズは、変化の早いビジネス環境に即座に適応するため、ファストフードやファストファッションのように気軽に使える「ファストシステム」をコンセプトとしている。

システム開発を高い技術と長い時間がなくても気楽にやれるというのはすばらしいことだと思う。うまくできれば使う人が自分の欲しいものをすぐに作れるようになるかもしれない。要件定義なんて要らなくなりますよね。ぼくも以前から注目していてやっと登場というところです。ぜひ使ってみてください。ただ、だからこそ気をつけなくてはいけないことがあります。

ひとつは、かつてLotus Notesで痛い目にあったシステムの乱立の問題です。気楽に作れるからちょっとリテラシーの高い人はみな好き勝手に開発してしまうかもしれません。似通ったものを部門ごとに作ってしまうのである。そこはガバナンスの問題で、情報システム部門が統制すればいいのだが、単に重複してはいけませんよとか、あなたの部署は今からだから、こちらの部署のものをそのまま使って下さいといっても聞いてもらえないかもしれません。

もうひとつは、最初に言った問題です。つまり、システム開発はそれこそ全自動とまではいかないにしろコードを書かないのだからかなり自動化された感じで作れます。しかし、問題はそのプロセスがちゃんと設計されているのかということなのです。いいかげんな設計だと似て非なるプロセスがここでも乱立してしまうのである。

プロセス設計のところできちんと標準化と正規化を行い、それを共通化して使いまわすことをしないと、簡単にシステム開発ができるかと似通ったシステムが多数できてしまうことになりかねない。つまり、大事なのは開発の生産性よりもプロセス設計の効率化のところなのである。

ここでプロセス設計の効率化と言ったのは、AsIsをそのままとか、細かいところ、例外、こだわりなどを正直に書いてしまうとかといったことを平気でやることで重複設計、手戻り設計、不再利用設計となり効率を落とすことを指している。つい、簡単にシステムが作れてしまうので、設計をないがしろにしがちなので注意する必要がある。

逆に言うと、実装独立でちゃんと設計できるようになればこれほど武器となるツールはないわけで、システム構築のサイクルの中で開発・実装工程の負荷が相対的に減少して、より業務に近いところに注力できるメリットは大きいのである。

2011年12月 6日

入門!システム思考

年がら年中システムという言葉と向き合っている身なので、何となくタイトルに惹かれて「入門!システム思考」(枝廣 淳子+内藤 耕 著 講談社現代新書)を読む。システム思考というのは1950年代にMITで確立された理論だという。その後多くの研究者・専門家があらわれていて、有名なのはデニス・メドウズ氏とドネラ・メドウズ氏である。ふたりは、「成長の限界」を発表して名が知られるようになり、ドネラが書いた「地球が100人の村だったら」は多くの人に読まれている。

ではシステム思考とはいったいどういうことなのだろうか。本では次のように言っている。

目の前にある問題を個別の要素に分類・分析していき、その要素を変えることで問題の解決を考える従来ながらの方法を「分析的思考」と呼ぶ。それに対して、多様な視点から全体を理解し、要素間の関係や組合せから問題解決を考える方法を「システム思考」と呼ぶ

要するに木をみて森をみないではだめですよ、俯瞰的にながめることが大事ですということらしい。ただ、この定義も少しおかしいところがあって、「システム思考」には「分析的思考」が不可欠であるということである。つまり、要素間の関係や組合せから問題解決を考えるには、要素分解をしないといけないわけで、両方を行ったり来たりする必要があるのだ。

この行ったり来たりのことを「構造化」とぼくは呼んでいる。ぼくの構造化の定義は、(1)全体を俯瞰したうえで、構成要素に分解し(2)それらの構成要素間の関係を分かりやすく整理し(3)統合化されたモデルを作ることなのだが、構造化されたモデルはシステムのことだから何やら同じことを言っているような気がする。

どうしてこういうことが必要かというと、本でも言っているのだが、私たちは自らの思い込みで現実の世界を見ていることがある。その思い込みと、見えていることが異なっている場合、見えているものが「おかしい」と思ってしまう。だから一旦鳥の目になって全体を眺めてみなさいということなのである。自分のフレームから出る、あるいはバイアスをはずすことが大切なのだ。

システム思考には基本ツールがあって、「時系列変化パターングラフ」と「ループ図」がそれで、できごとを単独でとらえるのではなく、時間の経過に伴うパターンとしてとらえることにあるということとシステムの構造を因果のつながりととらえる。これって、いまぼくがやっているプロセス志向アプローチによく似ている。

さらに、システム思考の7ヶ条というのがあって、下記の7つの項目なのだがこれもまた同じような考え方である。ということで、ぼくがやっていることはそう間違ったことではないと意を強くしたのである。

1.人や状況を責めない、自分を責めない
2.できごとではなく、パターンを見る
3.「このままのパターン」と「望ましいパターン」のギャップを見る
4.パターンを引き起こしている構造(ループ)を見る
5.目の前だけではなく、全体像とつながりを見る
6.働きかけられるポイントをいくつも考える
7.システムの力を利用する

ただ、ぼくの場合は業務システムを構築するための思考アプローチなのだが、この本に書いてある「システム思考」は何をしようとする時に必要なのかがぼんやりとしている印象である。
  

 


2011年12月 7日

中小企業のことをわかっているのでしょうか?

ちょっと前のITmediaの記事に「中小企業のIT化、スマホやクラウドに注目集まる――矢野経済研究所調べ」というのが載っていた。目にしたとき思わず“ウソでしょう“と叫んでしまった。中小企業の人がそんなことを思っているのかと驚いたのだが、案の定調査の対象がソリューションベンダーであった。

調査は2011年9月から11月にかけて、中小企業のIT化について実績がある全国のソリューションベンダーを対象に実施したものだそうだが、これは事実ではなく単なるベンダーの願望でしょう。最近はIT投資が減速しているから、比較的未開拓である中小企業を攻めようとしているようなので、煽っているだけのように思える。

このところ中小企業のIT化に関係することが多く、実態がけっこう見えてきているのだが、中小企業の7割にスマホの需要があるとは思えない。何のために、何を見たいからスマホを使うのだろうか。その前に会社のパソコンで何をみているのだろうか。中小企業のパソコンの普及率は高いが使っているのはメールとExcelなのである。ちゃんとしたシステム化ができていないのにスマホもへったくれもない。

クラウドについても「有効である」「今後は有効である」を合わせると95%のベンダーが有効性を認めているという。これも、クラウドだとかSaaSという前にやることがあるでしょうと思う。どうも、はやりのデバイスだとかサービスに飛び付くのだが、肝心の元のシステムが未整備だと、いくら高機能のものをもってきたところで何もならない。

そして、何でも中小企業をひと括りにして語るのも間違いである。昔からの町工場みたいなところから、若い子が立ち上げたIT企業みたいなものまで千差万別であり、さらに経営者の質でも大きな違いがある。進取の精神に富んだ意欲的な経営者とか、冒険はしない堅実派の経営者とか、親から譲られたけどやる気はない2代目とか様々なタイプがある。

ただそうであっても、共通的に言えるのはビジネス環境が大きく変化している中では何らかの形でITを活用してオペレーションの効率化や経営の高度化をしないと生き残れないということである。その時、中小企業においてはまだまだ基幹の業務システムの整備ができていない。かろうじて決算ができているという会社が多いのではないだろうか。

そんなところに、クラウドだとかスマホといっても猫に小判となると思う。ですから、いま中小企業に求められているのは、本当の意味で基幹となる、お客さんを獲得して、注文をもらい、商品やサービスを届け、代金を回収する業務プロセスをきちんと設計し、日々のオペレーションに供することが第一義であるように思う。
ここがちゃんとできて初めて、経営者が自社のビジネス活動の実態を把握でき、現場では日常業務を円滑に回せることができる。ソリューションベンダーというからにはこの領域のソリューションを提供するのが使命ではないだろうか。それとも“ソリューション”というのはどういうITを使ったらいいかという解決策を提示することなのだろうか。

2011年12月 8日

マネーボール

時は、巨人軍清武問題やDeNAのプロ野球参入というトピックスで湧いているが、(もうさめているか)海の向こうのアメリカ大リーグでの実話に基づいて作られた「マネーボール」を観る。オークランド・アスレチックスのGMビリー・ビーンが主人公の物語である。

ビリー・ビーンは将来を嘱望された選手としてニューヨーク・メッツからドラフト1位で指名された。同時にスタンフォード大学の奨学生の権利も得たのであるが、それを捨てプロの道を選んだ。しかし、短気な性格もあってか結局芽が出ず引退する。その後スカウトに転進して、1997年にアスレチックスのGMに就任する。

映画は2001年のポストシーズンにヤンキースに負けて、その年のオフにデイモンとかジアンビ、イズリングハウゼンという有力3選手が移籍してしまうところから始まる。彼らに替わる戦力補強をしなくてはいけないのだが、オーナーが渋くて資金を出してくれない。そんな折、イエール大学卒業のピーター・ブランドに出会う。彼は、セイバーメトリクスという統計から選手を評価する手法を駆使し、元選手のようなスカウト連中の評価とは違うことをしていた。その男を補佐として引き抜くのである。

ビリー・ビーンをブラッド・ピット、ピーター・ブランドをジョナ・ヒルが演じて、2人がチームの性格を変えていく様は素直に楽しい。何しろ貧乏球団だから、一流選手を集められないのでピーターの割り出すデータをもとに従来であれば評価が低い、例えば肩が弱くなったとか、年齢が行き過ぎているとか、そういった選手を「出塁率」という一点で評価して連れてくるのである。

データ野球ですね。野村のID野球かもしれない。ヒットと四球は同じだとか、盗塁はするな、バントされたら2塁に投げるなとか、そんなこともデータから分析する。そうした確率の高いことを続けることだというのだ。そして、ビリーが言うのが「野球はプロセスだ」である。いいですね、チームプレーというのは必ずプロセスから成り立っているわけです。個人プレーの連続性をもったつながりが大事なのである。

2002年のシーズンは、そんなポンコツ選手ばかり集めたものだから出足はにぶく最下位に低迷するのだが、徐々に勝ちだすと何とリーグ新記録の20連勝を達成してしまうのだ。ビーンの確固たる信念とピーターの分析力が威力を発揮したのである。このあたりの展開はフィクションのようでワクワクする。

それにしても、つい日米の比較をしてしまう。GMと監督の確執とか選手とのドライな関係とかずいぶんと違う。映画では監督よりGMの方が強く監督はどちらかというと運転手みたいなもので、GMがこれだけの選手を揃えたからうまくやれみたいな関係だ。これだと監督もやりにくいだろうなと思う。

横浜DeNAベイスターズの高田GMと工藤、あるいは巨人の清武GMと原監督の関係などを見ているとどちらがいいかはよくわからないが、日本はGMという立場の認知度も低いし、おそらく権限もないのではないでしょうか。もしそうでなかったら清武は選手獲得の失敗でとっくにクビになっていなくてはいけない。

そんなビーンにボストン・レッドソックスオーナーから史上最高額でのGM就任のオファーを受ける。ところがそれを蹴ってしまう。自分が金のために大学進学をあきらめた過去を思い出し、金のために人生を左右されるのがいやだと思ったのである。結局、何がそうさせたのかは、「野球を愛しているのか、夢を持っているのか」なのである。日本の某球団に聞かせたい言葉ですね。
  
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2011年12月 9日

FIFAクラブワールドカップ開幕

いよいよサッカーのFIFAクラブワールドカップが始まる。3年ぶりの日本開催となる今大会は何と言ってもヨーロッパチャンピオンバルセロナと南米チャンピオンサントスの対決が見ものであろう。まさか、両チームとも負けることはないと思うので18日の決勝で夢の対決となる。

これまで、昨年がアフリカ対ヨーロッパだったが、ずっと南米対ヨーロッパの対戦が続いている。2005年からでいうと優勝したのは、サンパウロ、インテルナシオナル、ACミラン、マンチェスターユナイテッド、バルセロナ、インテルとなっていて、最近はヨーロッパ勢が優勢である。

今年の見どころはメッシ対ネイマールというのは誰でも認めるところだろう。この二人はホント半端ではなくすごい。メッシはもう不動の位置を占めたが、今大会でネイマールがどんなパフォーマンスを見せてメッシの対抗馬に躍り出るかが大注目である。ぼく個人としてはイニエスタの大ファンだからかれのプレーが日本で見られることに興奮している。

さて昨日は、愛知・豊田スタジアムで開幕戦が行われ、J1優勝チームの柏がオセアニア代表のオークランド(ニュージーランド)に2─0で勝利を収めた。オセアニアはレベルが下がるので楽勝かと思いきや意外といい勝負になる。そう言えばニュージーランドは2010W杯に出場して、予選リーグで3試合とも引き分けるという戦績を残している。決して侮れるものではないのだ。

柏は、J1優勝の余勢をかって行きたいところではあったが、リーグ戦の疲れがあったのと相手の堅い守備でなかなか点が入らない。やっと前半の37分に田中順也の個人技で得点する。この選手のゴールへ向かう姿勢と左足の強烈なシュートはいいものがある。これでチーム全体に落ち着きとと余裕が生まれ、ペースをつかむと40分には工藤壮人がこぼれ球押しこんで追加点をあげる。

これで安心して見ていられるかと思ったが、相手の積極的な押上げの前に守勢にまわる時間も多くなる。しかし、集中力は切れずにしのぐ。FKのピンチもGK菅野孝憲のファインセーブでかろうじて免れる。このプレーはすごかった。さすが菅野はスゲーノー!さあ、つぎは北中米カリブ王者モンテレイである。

もしここに勝つとサントスと当たる。その可能性はなきにしもあらずなのでぜひ勝ちあがってほしいものだ。そのためには、もう少しボールポゼッションできるようにしないと相手のペースでやられる時間帯がながくなるのでがんばりたいものだ。

2011年12月10日

男の伝言板 - 仕事のこと(3)

今回は仕事のこととはいえ、直接的ではない研修旅行の話をします。会社に入って15年くらいたったある日、上司から化学工学会がACHEMA(アヘマ)の視察を中心にした研修旅行を企画しているから参加しろと言われる。ACHEMAというのは、毎年ドイツのフランクフルトで開かれる国際化学技術見本市のことで、6月の4日間行われ世界中の化学技術に関連する人たちが集う大きなイベントです。

その見本市が第一の目的ですが、プラスしてシェルやバイエルといったヨーロッパの主要な化学会社や研究機関を巡るプランになっていて、約3週間でイギリス、フランス、ベルギー、ドイツ、スイス、イタリアの6カ国を回るという大変優雅な旅でもありました。もちろん、遊びではなく研修ですから、化学工学誌の載せるためにレポートを書かなくてはいけないという義務は課せられるわけです。

ただ4、5人のグループで一人だけ書けばいいのでぼくは他の人に振ったのだが、そいつが提出日近くになって書けないと言い出したのだ。さて困った。なるべくお鉢が回って来ないようにじっとしていたが誰も引き受け手がいない。しかたなく私が書きますと言ってしまった。さあ大変、もう旅行も終盤だから急がなくてはいけない。というわけでベニスの着くとホテルに閉じこもってレポート書きに追われ、ゴンドラも乗れなくてがっかりであった。

しかし、それ以外は楽しかった。何しろ土日はあちこちの名所旧跡を案内してくれるわけだから、ヨーロッパを本当に堪能した。フランクフルトは4日間もいたから街のほとんどを歩き回った。ジプシーの子どもたちの窃盗グループに出会いながら。フランスではルーブル、オルセー、オランジュリーの3大美術館めぐりも楽しく、モネの睡蓮の前で数時間も過ごしたりした。

ドイツのローレライや古城を見ながらのライン下りも良かった。スイスではグリンデルワルドに宿泊し、アイガーが目の前にあるホテルでとても感動した。そして、鉄道でユングフラウヨッホまで登り、スイス人のどこでも鉄道を通してしまう根性に脱帽する。帰りはアルプスの少女はハイジに出会うべく歩いて下山する。

ぼくはこの旅行中、できるだけ一人で行動した。多少恐いことはあったが(ロンドンのピカデリー・サーカスでドーバーソルを食べようとしてうろうろしていたら裏通りに連れ込まれた)、自分で見たいところ、食べたいものを探して行ってみるというのはすごく楽しい。ちょうどサッカーのヨーロッパ選手権がドイツで開催されていて、ボッヘムのレストランに入ったら客もウエイターも誰もいなかったとか、イギリスのフーリガンにであって逃げたこともあった。

そういえば、食べ物の話ならまだいっぱいある。イギリス料理はやっぱりまずいとかベルギーのビールの種類にはびっくりとか、ドイツの温泉で飲んだビールは格別だとか、スイスのフォンデユーとかイタリアのピザだとか、ああもうやめておこう。

ということで、まだ書きたいことはいっぱいあるのだが、旅行記ではないのでここまでとして、若い時にヨーロッパをこれだけ体験できたことがぼくにとって非常にいい経験となった。アメリカや中国とはまた違った空気に触れたことは逆に日本をあるいは自分の置かれている環境を見直すこともできた。こんな旅行に出してくれたバブル時代に感謝です。
  

2011年12月11日

創部50周年記念

昨日は、大学の時のサッカー部の創部50周年記念懇親パーティがあった。本来は6月にやる予定だったのが大震災の影響で延期になった。昨日は、昼の部で現役-OB交流のフットサル大会を実施して、そのあと夕方から母校のキャンパス内にあるレストランで懇親パーティを開いた。

フットサルは総勢70名くらい集まり、千駄ヶ谷の東京体育館のフットサル上で7チームに分け試合を行い優勝チームを決める。最高齢は72歳の大先輩でまだ動けるのにはびっくりした。天気も上々で熱戦が繰り広げられ、結局優勝は現役の3年生チームが獲得する。まあ当然か。

しかし、最近の現役の選手の試合を見るのは初めてだったが、みな一様にうまい。テクニックがぼくらのころに比べると格段に向上している。そりゃあそうかもしれない、みなきっと子どものころからサッカー少年団に入ってプレーしていた子ばかりなのだ。しかし、シニアOBはテクニックなんてないけど根性は負けてない。フットサルだというのに体をぶつける人もいるし、ガンの治療中だから息があがると言いながら走っているというスゴイ人もいる。

懇親パーティは100人近い人が集まる。50年の歴史だからOBは600人くらいになるのでまあまあの出席数を確保する。ぼくは、OB会の役員をしているので、この日のための50周年記念誌の発刊と懇親パーティの進行をまかされる。記念誌は各年代から寄稿してもらったり、座談会を開いたり、戦績を集めたりしたが80数ページにわたる資料を冊子にしてみるとそれなりに見栄えもよくホッとする。

懇親会の方は、式次第からシナリオを作り、寄付目録を用意し、ご挨拶やスピーチをしてもらう人を決め、司会者にしゃべる原稿を渡すというけっこう面倒な仕事をする。司会は現役の女子マネージャ2人にお願いする。女子アナになったつもりでやれと励ます。原稿を読みながらではあったがまあまあのできで乗り切る。

OB会会長の挨拶から始まって、来賓の挨拶、乾杯、各年代OBたちのスピーチ、そして校歌斉唱を経て無事終わる。来賓の顧問のN教授でご挨拶では、後半に現役に対して厳しいコメントがあり、現役の連中は神妙に聞き入っていた。ただ、そのなかで先輩を大いに利用せよというお言葉には感じ入っていた。

そのせいなのかどうかわからないが、特に就活中の3年生あたりは積極的に話しかけてきた。数学科の子がぼくはシステムベンダーに入りたいのですがと言われた時にはドキッとした。あまりがっかりさせてはいけないので明るい未来を言ってあげた。このように、今の学生は、就職のことをしっかり考えていて、概して素直でまじめである。息子のような若い子とこうした場で交わり50年の時の流れを感じた一日であった。

2011年12月12日

やったー、レイソル

FIFAクラブワールドカップで柏レイソルは北中米カリブ海代表のモンテレイと準々決勝で対戦、延長戦で決着つかず迎えたPK戦で4-3で勝利し、ベスト4に進出。いやー、たいしたものだ。戦前は勝つのは無理だろうという予想だった。それが堂々と渡り合って勝ってしまった。

先制したのはレイソルで後半8分に田中からの折り返しをレアンドロが見事なボレーシュートで得点する。ところがその5分後、モンテレイはデルガドのクロスにスアソが合わせて同点に追いつく。その後は一進一退の攻防で得点が入らず延長戦に突入する。延長戦はむしろレイソルの方が押し気味に進めたが結局無得点でPK戦へ。

こうなると、格下の方が強くなることが往々にしてあるが、昨日もレイソルはもう失うものはないという気分でリラックスして臨む。一方、モンテレイはこんなはずではなかったという戸惑いがあり、明らかに精神的に追い詰められていた。事実、そのとおり最初の選手緊張してしまいGK菅野に阻まれ、これで勝負あった感じである。

この試合を見ていてつくづく思ったのは、潜在能力を引き出すのは一段レベルの高い相手と試合をするという経験だということである。これは何も個人に限ったことではなく、チームも同じで、昨日のレイソルはまさに格上の相手と戦うことでこれまで隠れていた潜在能力が顕在化した。すごいのは、あの試合のなかで成長したことだろう。きっと自分たちも驚いていたと思う。

立ち上がりは、モンテレイのスピードとテクニックに振りまわされていたが、徐々に慣れてくると自分たちのサッカーができるようになる。ぼくの予想では、メキシコのチームというのは華麗なパス回しで高いボールポゼッションから巧みな攻撃をしかけるので、こちらはなかなかペースをつかめないと思っていたから、レイソルがかなりボールキープできたので意外に思ったのである。

それだけ、日本のJリーグのレベルも高いことが証明されたのではないだろうか。さっき言ったように、Jリーグのチームは少なくとも潜在能力としてはあって、それがJリーグの中だけではなかなか表に出てこないということである。ですから、日本の選手が海外に行って伸びたのと同様、ヨーロッパや南米の強豪との国際試合を数多くやることでもっとレベルアップするだろう。

レイソルのメンバーの中には初めての国際試合だという選手もけっこういたようだから、ほかのチームもどんどんこうした機会を持てるようにしたらいいと思う。今回も個々の選手の能力も高くある程度世界でも通用するのがわかったから、あとはネルシーニョ監督のもとで高度な戦術が勝利をもたらしたように、技術を生かす戦術を実行できる指導者、監督と戦術眼をもった選手の育成が必要なのである。

2011年12月13日

IT再考-顧客要求

プロセス志向で大事なことに顧客要求をきちんと分析し切り分けすることがある。プロセスは、顧客と事業成果を結びつけるところでもあるわけで、顧客が要求するものに的確に答えてこそ初めて成果につながるわけです。そうでないと、手戻りしたり、とんちんかんな答えを出してクレームがきたりとなって、結局のところ顧客満足度も下げることになる。

そして、実は顧客要求というのが一見正しいように見えているがよく吟味すると違っていたりすることがけっこうある。あるいは、非常にあいまいで、だいたいの感じで言ってきたり、単なる思いつきだったりすることもある。ですから、そこできちん本当の要求は何なのかを詰めておかなければいけない。

ただ、その方法をどうするかはケースバイケースで難しく定まったやり方はない。たまたま今扱っている案件での具体例で言うと、顧客要求として「特注品」の製作依頼というのがある。まず特注品だから当然のように類似品がないので独自の要件となるが、どこが独自なのかを見定めないと、案外独自と言っていてもそうでない場合もある。

というのは、要求を出してくる人にとって自分のドメインとか経験からしか発想しないから、自分にとって独自なだけであって、そのフレームからちょっと外れた領域では一般的であるというようなことはしばしば起きる。ということは、要求を受ける側はできるだけボーダーを設けず幅広に考える必要がある。特注と行ってきたのが標準品で済んでしまう場合もある。

もうひとつの例では、お客さんからのクレームをどう受けて返すかがある。クレームといっても単なる苦情から、壊れたから直してくれという依頼とか、返品、部品の交換などいろいろなケースがある。それらをそのまま聞き入れてしまうと、全部異なったプロセスで処理するという大変なことになる。

大事なのは前にも言ったことがあるのだが、分類学-定義力-整理術ということになるのだが、いささか抽象的なので噛み砕いて言うと、要するに顧客要求をいくつかの種類に分け、それぞれで定義をし、案件ごとに収納するということになる。上の例で言うと、クレームの種類にはどんなものがあるかを考える。切り口をどうするかである。

例えば、有償か無償かとか、モノが動くのか動かないのか、クレームなのか通常の修理サービスなのか、正常品に対するものなのか不良品に対するものなのかなど対立概念を持ってきてまず二つに分けるというのが現実的であろう。この際に考慮するのは、受付けた後のプロセスの類似性をみて括り方を決めることをする。

このケースで私だったらどうするかというと、クレームが不良品に対するものかそうでないかで最初に交通整理をします。正常品でも、マニュアルが不備だとか、問合せの返事が遅いっだとかといった苦情や、単に返品したいとか、通常の有償サービスを受けたいといったものがあります。これらと納品したものに欠陥があったとか、使ったらうまく動かなかったとか、普通に使ったのに壊れたとかいうクレームがありますが、それを最初に区分してしまうのです。

後者の方は、欠陥の具合などから今後の設計変更を行うとか、明らかに前者と違うプロセスを経ることになるのでそうしたわけです。このようにして、要求をきちんと整理して確定してから、後のプロセスにエスカレーションすることが大事だということです。とうことで、顧客の要求をそのまま信じるのではなく別の角度からよく吟味すること、要求を分類して後のプロセスが冗長的にならないようにすることが非常に重要なのである。意外と見逃しているところでもあり注意したいものだ。
  

2011年12月14日

武器としての決断思考

丸の内の丸善に行ったら平積みでいかにも売れている風に置いてあったので手にする。「武器としての決断思考」(瀧本哲史著 星海社新書)の帯には「東大×京大×マッキンゼー 最強の授業」とある。著者は東京大学法学部を卒業して、大学院にも行かず助手になるが、マッキンゼーに転職し、現在は京都大学準教授である。同時に投資家でもある。

その著者が、京都大学で教えている「意思決定の授業」を本にしたものである。ぼくは意思決定プロセスを目下のテーマにしているので、いったいどんな思考法でその武器とはなんなのだろうかと興味がわいてくる。この授業では知識を学ぶのではなく考え方を学ぶのだと強調している。そこで大事になってくるのが、「知識・判断・行動」というこだという。

これはサイモンの意思決定プロセスそのものですよね。サイモンは、情報活動、設計活動、選択活動、検討活動と言っていますが、「知識・判断・行動」にデザインとレビューという要素を入れた方がぼくはいいと思うがほぼ同じことを主張している。著者は、あとで「知識・判断・行動」に「修正」の考え方を入れた方がいいといているのでレビューがこれに当たるかもしれない。

で意思決定のための具体的な方法がディベートだという。本人が東大の弁論部時代に学んだそうだ。ディベートというと議論をして言い負かした方が勝ちみたいに考えられるが、そうではなくて「議論を行ってものごとを決めていく」ことにある。そして、正解を見つけることではなく「最善解」を導き出すのである。

ディベート思考の考え方ということになるが、“ある行動をとったときに生じるメリットとデメリットを比較する”ことだという。議論で賛成側はメリットを提出して、反対側のデメリットを上回ることを主張し、反対側はその逆でデメリットが賛成側のメリットを上回ることを主張するわけである。そのとき、ちゃんとメソッドみたいのがあって、メリットの3条件として、内因性、重要性、解決性というのある、つまり何らかの問題があって、その問題は深刻であり、その問題がその行動によって解決するということを言うのである。

逆にデメリットの3条件というのもあって、発生過程、深刻性、固有性である。論台の行動をとると新たな問題が発生する過程を説明し、その問題が深刻であること、現状ではそのような問題が生じていないことをいうのである。難しそうだが、おそらくデキるひとは意識しないでも普段やっていることだろうと思う。

こうしたディベートの技術を身につけたところでそれで決断できるかというとそうとばかりいかなくて、結局自分の心で決めるのだと思う、著者も言っているようにディベート思考とは、客観を経て主観で決断する方法なのである。こうしたことが大学の授業で行われていることにちょっと驚く。否定的という意味ではなく、最初に言ったように知識を学ぶものではなく実学を教えていることに賛同しているのだ。これを学んだ学生は社会に出て役に立っているのだろうか気になるところである。
  

  


2011年12月15日

iPhoneアプリをリリース

このたび「ListTube」というiPhoneアプリをiTunesストアでリリースしました。社長(息子)が作ったもので、初めてのiPhoneアプリになります。Webサービスの「ListPod」という名で使ってもらっていたものをiPhone向けに開発し直したものです。

YouTube動画をiPhone内のプレイリストにしてシンプルなインターフェースで楽しむというのがコンセプトのアプリで簡単な使い方になっています。

・プレイリストを名前を付けて作る
・YouTube動画を探す
・ワンタップでプレイリストに追加
・プレイリスト内の動画を連続再生

iPhoneアプリというのはけっこう難しいという印象で、そんなに儲かるものではないと言われています。確かにそうなのですが、アップルの審査やチェックが厳しいのもリリースを難しくしている面もありますが、今回の経験でいろいろ聞いてみると逆にアップルのそうしたきっちりとしたやり方があるから、アプリの質を落とさない、あるいは操作感の統一といった標準化ができているとも言えます。

このあたりは、欧米流の良さだと思います。一方、ビジネス的な観点からは、アプリの値段をどうするかが悩むところですが、定価170円に設定していますが、いまのところクリスマスセールということで半額の85円にて販売中です。ただ、面白いところは個人の裁量だけで全部できるというところがあります。社長曰く、このビジネスの特徴は以下のようなことだそうだ。

・課金モデルがビジネスモデルとしてシンプル
・UIで勝負できる
・価格競争もできる
・スタンドアローンのアプリならば運用がいらない

さらに言えば、世界に発信できるのでグローバルに耐えられるアプリだとその潜在的なユーザー数は半端ではないということもある。だから、挑戦しがいのある個人ビジネスかもしれない。IPhoneユーザのみなさん、是非ダウンロードしてみてください。
  

2011年12月16日

キミはバルサをミタか

昨日のFIFAワールドカップ2011の準決勝でヨーロッパ王者のバルセロナがアジア王者のアルサッドを4-0で下し、18日の決勝に進出した。試合はバルサの独壇場で全く相手を寄せ付けず貫禄の圧勝である。アルサッドは最初から引いて守備を固める戦法をとったが、そのわずかなすきをついて得点を重ねた。

それにしても、バルサはファンタジックな異次元のサッカーを見せてくれる。昨日は、シャビ、セスク、ブスケッツ、アウベスといったレギュラークラスがお休みで、アドリアーノ、チアゴ、ケイタといった選手が替わって出ていたが、ぜんぜん遜色ない働きをみせる。このチームに対してはよく言われるが、誰が出てもバルサのサッカーをするということだ。控えの選手も戦術をよく理解し、自分の役割をしっかり自覚し動いている。

まるでバスケットボールのようにパスがまわり、ペナルティエリアの外で広くボールを動かし、穴を見つけたと思った瞬間全員がゴール目がけて殺到するというスタイルは守るのは大変だ。昨日のアドリアーノの2発とケイタ、マクスウェルの得点も基本的にはこうした動きの中から生まれている。その司令塔がメッシとイニエスタである。この二人のパス交換もほんとびっくりする。もう相手を手玉に取るというのはこういうことを指している。

びっくりするのは、選手みな大きくないということだ。相手のアルサッドと比較しても対照的なのだが、小さい選手がスピードとテクニックで翻弄するのである。昨日の先発メンバーを見ても、メッシ169cm、イニエスタ170cm、ペドロ169cm、チアゴ172cm、アドリアーノ172cmという具合だし、センターバックの二人も170cm台だ。何とキーパーを入れた先発メンバーの平均身長が175.5cmという日本のチームでも小さい方だ。

パワーで押すサッカーも確かに有効かもしれないが、バルサのサッカーの魅力には勝てない。見ていておもしろいチームが強いというのは痛快である。日本人の特性からもひとつの見本だと思うが、一朝一夕にできあがったものでないので、きちんと戦略と戦術を立て、何よりもそれに沿った選手の育成をバルサのカンテラのように早い段階からやるということなのだろう。

さて、その前日に行われたもうひとつの準決勝、サントス対レイソルのこともちょっと触れておこう。オセアニア王者のオークランドと北中米カリブ王者のモンテレイを破って勢いに乗るレイソルが、どこまで南米王者のサントスを苦しめるかが見どころであったが、前半19分にネイマールに見事な技ありシュートを決められるとその5分後にもボルジェスに追加点を許す。後半に酒井のヘッドで1点を返すが、63分にダニーロに3点目を決められ万事休す。

まあ、実力通りの結果であったが、レイソルの健闘が光った。ネイマールやガンソの個人技がすごかったが、まだチームプレーとして高度化されていないように感じられ、このあたりはまだバルサの域には到達していない。ただ、圧倒的なテクニックは個人で切り裂くことができるので十分脅威的ではある。

そのテクニックはドリブルのフェイントとかトリッキーなパスとかに現れやすのだが、サントスの選手たちで驚いたのはシュートの正確さである。ほとんどが枠の中にいっていて、ネイマールのシュートにしてもダニーロのフリーキックにしてもほんとここしかないというようなところに打ち込んでくる。

それにしても、今大会の柏レイソルの戦いは称賛に値する。選手たちはかなり自信を持ったに違いない。まだ三位決定戦があるのでもうひと頑張りしてほしい。18日はいよいよドリームマッチである。メッシ対ネイマール、さてどちらに軍配が上がるのだろうか。
  

2011年12月17日

恋の罪

いまの乗りに乗っている園子温監督の「恋の罪」を観る。この作品は園監督が、1997年に実際に渋谷円山町で起きた「東電OL殺人事件」にインスパイアされて作った映画である。殺された女性は昼間はエリート女子社員で夜になると売春をしていたということで騒がれ、今は犯人とされているネパール人が冤罪であると争っていることでも有名である。

3人の女性が主人公である。殺人事件を追う女刑事(水野美紀)、貞淑な作家の妻(神楽坂恵)、昼は大学の教壇に立ち夜は渋谷で売春婦という大学助教授(冨樫真)という設定である。出だしは、殺人事件の現場に女刑事が急行するところから始まる。死体は、分断され、マネキンの一部とつなぎ合わされた猟奇的な事件であった。壁には「城」という文字が書かれていた。

そこから、死体の身元と犯人探しが始まるのだが、それと並行して時間を戻して、貞淑な主婦と女助教授の絡みが展開される。毎日夫に尽くすだけの生活にうっ屈し、日常からの逃避よろしく外に出た女はあるときモデルにスカウトされるがそれがアダルトだと知っても徐々に溺れていくのである。一度踏み入れたしまった世界にずるずるとはまって、渋谷で女助教授と出会うのである。

もう堕ち切ってしまっている助教授は彼女をもっと隠微な世界へ誘っていく。もはや戻れなくなり二人で男たちを引き込んでいく。売春という行為を通すことで自分の存在を確かめるように。一方、追う刑事はだんだんと被害者と犯人に迫って行くのだが、実は彼女自身も一見幸せな家庭をもちながら、不倫に溺れているのである。こうした三者三様の堕ち方を見せながら大団円を迎える。

園監督は、昨年の「冷たい熱帯魚」では徹底的なグロで観客の吐き気を誘導したが、今度はエロを前面に押し出したようでもある。ただ、このエロは性行為だけをみせるのであって、そこには愛はない。強烈なインパクトを与えるのはそうした情緒的な要素を排し、人間がかぶっている仮面をひきはがし、内部の奥底へ切り込んでいくからであろう。

最初「東電OL殺人事件」をモデルにということを言ったが、全く別物だろう。きっかけだけであって、園監督のすごい想像力がもたらしたものである。何かわからないがそこから抜け出したい女たちを描いて見事である。

途中でゴミ収集車のあとを追いかけていってしまいにはどこかに行ってしまった主婦のエピソードが語られるが、ラストシーンでは水野美紀扮する女刑事がゴミを出しに行くが収集車がでたあとでそれを追いかけていくと事件のあった渋谷の空きアパートに行ってしまうというのが非常に象徴的で印象深かった。
  
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2011年12月18日

男の伝言板 - 仕事のこと(4)

仕事をしていく上で大事だと思うのは、上司や同僚、部下といった周りの人の力をうまく活用することがある。自分ひとりで抱えてしまってどうにもならなくなるケースをよく見かけるし、経験した人も多いのではないでしょうか。かくいうぼくも若い時にそうした目にあってあるとき目ざめたことがあった。

若いころというのは、ばりばりと仕事をこなす、自分の力でぐいぐい引っ張っていく姿にあこがれるし、自分もそうなりたいと思う。おれは一人で何でもできるぞとか、何だこんなことができないのかと言われたくないと思うし、多少無理なことでも自力でやってやるぞとか意気込むのである。これは仕方ないことだと思う。最初からこりゃ無理だとか、できそうもないとあきらめるよりかは若者的でいい。

そして、周りのデキル人を見ているともう一人でばんばんと仕事をこなしているかのように映るのでなおさらおれもとなるのである。ところが、そううまくいくとは限らないから、失敗することがある。それでも、自分が悪かった、おれの責任だと抱え込むのである。

今、この歳になって思うのはなぜそんなにツッパッていたのかということである。もっと素直にわからない、知らないから教えてくださいと言えなかったのだろうか。ここが難しいところで、反対に何でもかんでも聞いてくるやつがいる。少しは自分の頭で考えろと思うのだが、これどうしたらいいのかちゃんと説明してくれなければ困りますと平然としている。

この兼ねあいが難しい。抱え込むのか、おんぶにだっこなのか、もちろん答えはその中間にあるのだが、若い時はそのサジ加減がわからないのだ。どうしても両極端に走りやすい。ところでぼくの父親はまじめな国鉄マンで平々凡々と過ごすことをモットーとした人間なのだが、口癖が“程度問題だ”というのがあった。ぼくはこの言葉が嫌いでどっちかはっきりしろよと思ったものだ。

しかしながら、自分が歳をとって親父ぐらいの歳になると、そうなんだ黒か白か、ゼロか百かではなく、グレーのところも60点のところもあるのだ、むしろそんなところで世の中成り立っているのだと思い知らされる。だからといって若いうちからそんな達観したようなことではなく尖った方がいいと思う。

そのうち、経験を積むほどに“程度問題”を知るからである。程度問題は引き算の方がいい。引き算というのは尖った切っ先を削るということである。ぼくがその引き算を初めてしたのは、会社に入って7,8年経ったころだと思う。非常に優秀でぼくが尊敬していた先輩の人がいた。それこそ、自分で何でもやってしまう人なのである。

ある時、トラブルが起きて深刻な事態に陥ったことがあった。いつもはおれの言った通りにやれということだったが、大変難しい問題だったのでそうはいかずに頭を抱えた。そのとき、“誰か助けてくれ”、“知恵を貸してくれ”と叫んだのである。ぼくは一瞬、あれっと思ったが、みな一斉にああじゃないこうじゃないと言い出したのである。ぼくの肩から何かが落ちた瞬間でもあった。

これを見ていて、そうだ自分一人の中だけで閉じるのではなく、吐き出して周りの人の協力を得るということがすごく大事なことであると感じたのである。それから、素直にわからいと言って周りの人をうまく利用することを意識した。ただ、これはくれぐれも言っておくが、最初に尖っていて、そこから削っていくというのが正しい順番であるということである。



2011年12月19日

バルセロナ世界一

FIFAクラブワールドカップ2011でスペインのバルセロナがブラジルのサントスを4-0で下して2度目の世界一に輝く。バルサはサントスを全く寄せ付けず完勝であった。ここまで差があるとは思っていなかったが、結果は相手に何もさせない格上の力を見せつけた。

いまのバルサというチームはすご過ぎてどう形容していいのかわからない。昨日も南米王者に対してボールポゼッションが何と71%という驚異的な数字である。サントスはボールを持てないのだ。それではいくら天才ネイマールがいたとしても勝てるわけがない。しかも、ボールを奪ったとしてもスピードがないからすぐに寄せられてしまう。

そうなんですね、バルサの強みはもちろんスピードのあるパスサッカーであるが、忘れてはいけないのが、その高い守備力なのである。それを支えているのが前線での守備だ。攻めていて相手にボールを奪われると、奪われた選手がものすごい勢いで取り返しにいくと同時に周りの選手が一斉にプレスをかけに行くので、なかなか反撃に移れない。だから、バックラインのディフェンスがやりやすいのである。

もうだれもが語るであろうメッシのすばらしさを繰り返さないが、昨日の試合でぱっとひらめいたのは弁慶と牛若丸である。1点目も4点目もキーパーが取ろうとしたわずか手前でひらりとかわす姿は五条の橋の欄干を飛び交う牛若丸を想い起させた。これにはみな唖然とした。マラドーナを越えたと思う。

メッシの異空間のプレーもさることながら、バルサのチームとしてのパフォーマンスも既成のチームとは全く違うものに見える。どこでも、センターバックとトップに身体の大きい選手を置き、スピードのある選手がサイドを駆け抜けゴール前にクロスをあげるというパターンが多い。しかしながら、バルサは単純にゴール前にクロスなんかあげない。そんなアバウトなサッカーはやらない。あくまで短いグラウンダーのパスで崩すのを徹底的にやる。だから身体の大きな選手は要らないのだ。

いままでの常識から外れたサッカーが世界を制した。じゃあ、バルササッカーがこれからの主流、新たな常識になるのだだろうか。そうは簡単にはいかない。人材育成には時間がかかるからである。バルサのサッカーを知り、それを表現できるスキルを全員が持てて初めて成り立つのである。ここしばらくは、バルサが王者として君臨していくだろう。

さて、柏レイソルの4位も称賛していい。アジア王者のアル・サッドに堂々とわたりあった結果、PK戦で敗れたとはいえ、去年までJ2にいたチームが世界4位になったわけだから驚きだ。おそらくこの経験はチームも選手ものすごい財産になると思う。ただ、準決勝で力の差を見せつけられたサントスがバルサに完膚なきまでにたたきのめされてしまったわけだから、世界との差はまだまだ大きいが、それを肌で知ったことが大事なのだと思う
  

2011年12月20日

IT再考-「生命を捉えなおす」から考える(1)

ここからは以前、書評で紹介した清水博さんの著書「生命を捉えなおす」(中公新書)から、ITと関連深い概念についてみていこうと思う。この本に書かれているのは生命とは何か、生きていることは何かであるが、それはものずごく普遍的なことで、生命も企業活動も生きていて、それの全体がシステムであると言えるので同じように考査してみようと思うのである。

まずは、「分ける」と「分かる」ということです。分析を意味する「分ける」という言葉は「分かる」から来ています。近代科学では分析することが何かが分かる手段でした。できごと全体を要素にまで分解して、これこれがこれこれの原因であるという風にして、因果関係をつけることをします。これで何となく分かったような気になるわけです。

ところが、「生きていること」の自然科学的な原理については、このように分析しても、なかなか浮かびあがって来ないのです。ここで生きているという状態を考える前に逆に生きていない状態とはどういうことかを考えてみます。生きていない系の運動は各要素が勝手にランダムな運動をしていることが特徴なのだという。非生物が自発的には動かないように見えるのは、その構成要素のランダム運動が、互いに相殺しあって運動として外に現れないからだ。生きていない状態というのは要素の無秩序な運動状態というわけである。

従って、生きているということは、秩序の高い運動が自発的に出現している状態をいうのである。それには構成要素の運動そのものに何らかの形で秩序が出現している必要がある。このことを踏まえて情報システムのことを考えてみよう。企業のビジネス活動において、生きている状態、すなわち「秩序の高い運動が自発的に出現している状態」が望まれるとすると、業務システムもその状態を継続的に維持できる仕組みと仕掛けがなくてはいけない。

企業体を生物であると見立てたとき、各要素である構成員が勝手にばらばらに動いて、それが相殺し合うような状態だと死んだ会社といえる。そうした会社があるのはわかりますよね。おそらくつぶれてしまうのだと思います。その反対に、構成員がみな目的に向かって秩序よろしく行動しているような会社は優良会社と言えるのではないでしょうか。

秩序を保つには皆がめざすべき目的がちゃんとあるということが大事なのである。少し極端かもしれませんが分かりやすい例でいうと、デパートの人ごみのなかで平静に買い物をしているときはランダム行動ですが、誰かが「火事だ!」と叫んだら、皆一斉に階段に向かって動き出します。これはある意味秩序だった運動なのです。

業務システムの話にいくと、そのシステムに参加する人が勝手に動いてもらっても困るわけで、そのためにもどこをめがけて参加者が動いているのかが分かるようにしなくてはいけません。おそらく、既成のシステムではそんなことは考えていないだろうと思います。ERPにデータを打ち込んでいるとき何のためにこうした行動をとっているのかなんて考えませんよね。

つまり、「死んだシステム」になっているのではないでしょうか。冒頭に言ったように一生懸命分けてみて、分かったようなつもりになっているということも同様に「生きたビジネス」を捉えていないような気がするのである。

2011年12月21日

海炭市叙景

佐藤泰志という作家がいる。芥川賞候補5回、三島賞候補にもなったが受賞せず自殺した。1949年生まれで函館出身である。「海炭市叙景」は、その佐藤の短編小説集から「まだ若い廃墟」「ネコを抱いた婆さん」「黒い森」「裂けた爪」「裸足」の5編を中心に構成されたオムニバス作品である。監督が熊切和嘉。

海炭市というのは函館を連想させる架空の都市である。そこに繰り広げられる人々の生活をばらばらに描きながら、最後はひとつにつながっていくという展開である。登場するのは、リストラにあい職を失う造船所に勤める兄妹、街の開発のために立ち退きを迫られている老婆、妻が派手な服に身を包んで夜の仕事に出かけてゆき、中学生の息子は口をきかなくなるプラネタリウムに勤める男、そのプラネタリウムに通う少年とその父親でガス屋の社長、そのガス屋に浄水器の営業に来た男と路面電車の運転手である父親、そんな人々が行き交う。

最初はそれらが無関係に映し出されるので何がどうなっているのか分からない。時代も場所も説明もないから何となく雰囲気だけから感じとる。佐藤泰志とぼくは年齢がほとんど一緒なので、時間的には共有しているので多少はわかるのだが、若い人はさっぱりなのではないだろうか。あまりに観念的で情緒的なのだ。しかも、季節は冬でどんよりとした天気の下だからなおさら陰な気持ちになる。

親子、夫婦の関係が壊れていく様を描いていて、それがもうどうにもならない状況となっていてそのため疲労感で満たされる。やるせなくなってくる。その再生の物語であるのだと思うが、明るい未来は見えてこない。ぼくは、ちょっと飛躍しているかもしれないが、映画全体の印象が中国映画と似ているのだ。例えば「長江哀歌(エレジー)」なんかの雰囲気と似ている。

しかしながら、決定的な違いは上昇中なのか下降中なのかである。どういうことかというと中国はこれから成長していくという過程にあるから先が明るい中の物語なのだが、こちらは、造船所のリストラが象徴的であるように、成長の限界と地方の衰退が始まった頃の物語であるからである。そういう意味では現代にも通じる日本の縮図のようでもある。

まあ、映画は言ったようにあまりに叙情的で観ていると沈んでくるのだが、出演している俳優さんたちはみなすばらしかった。造船所に勤めていた兄妹に、竹原ピストルと谷村美月、プラネタリウムの男に小林薫、ガス屋の若社長に加瀬亮といった面々がいい演技を披露している。

オムニバス映画というのは、「阪急電車 片道15分の奇跡」もそうだが、最後にどう絡んでいくのかが見どころで、その発散から収束への運びが大事なところである。そういう意味では「海炭市叙景」は少々難しかったようだ。
  
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2011年12月22日

老いのかたち

もうだいぶ前になるが、東京でミーティングがあって、昼過ぎに家を出たら、歩いている途中に携帯電話が鳴る。すると電話の向こうから「今どこにいるんですか?」という声がする。一緒に参加する仲間である。「今家を出たとこだけど」、「私はいま現地にいるんですけど」「あ!」「今からミーティングが始まりますよ」「うわー、間違えた」

ミーティングの始まりが13時からなのに13時に家を出た。つまり、13時開始を午後3時と取り違えたのである。冷や汗もので2時間遅れでジョインする。それから少し経ったある日、酒を飲んで少し早目に帰宅したので椅子に座ってテレビを見ていたら、そのまま倒れて頭と頬を戸の縁に打ちつけた。それやら、物忘れがひどく人の名前はすぐ忘れる。

ちょっと前置きが長くなったが、ずいぶんと老化が進んでいるなあと思ったので、黒井千次が書いた「老いのかたち」(中公新書)を手にする。そろそろ老いについて考えみるかといった心持である。最近ベストセラーになった曽野綾子の「老いの才覚」もそうだが、年寄が老いについて書いた本がよく読まれているようだ。

「老いのかたち」は昭和7年生まれだから70歳後半になる作家の黒井千次が老いについて書いたエッセイ56篇が収められている。大きく4つの章に分かれていて、「病気待ちの列」「友を送る-これも同窓会」「老い遅れに気をつけて」「普通高齢者がイチバン」というふうなタイトルであるが、それらはその中にある代表的な文章のタイトルなのである。

「病気待ちの列」というのは、健康診断を受ける列が、別に病人ではないのでそう呼べるのだが、老人が黙々と並んでいる姿を映している。「友を送る-これも同窓会」は、旧友の葬式が意図せざる同窓会になるという話で、通常の同窓会は生きていることを確かめに来るが、葬儀は、その中の一人がいなくなったことを悼むのだが、二つの間にはあまり隔たりはないと言う。

「老い遅れに気をつけて」は、老いの進み具合が気になるという話で、寿命が尽きるまで元気に過ごすに越したことはないけれど、一方で老い遅れという現象もあるのではないかという。最後の「普通高齢者がイチバン」では、高齢者は今や、「後期」であったり、「特定」であったりと様々な呼び名に応えていかなくてはない。そんなのはいやだから「普通」でいたいのだという。

そんな話が延々と続くのであるが、読んでいて何だか気が滅入ってきてしまった。そりゃあ、書いてあることにふんふんとうなづくことも多いのだが、ぼくはまだ60歳代だからあまり老いを意識しないでおこうということもあってか、どうも後ろ向きな感じが嫌なのだ。肉体や脳の働きは衰えるけど心根は老いたくないなと思うのである。ただ、70歳後半になったらどう思うかは分からないけど。
  

  

2011年12月23日

ツーリスト

久々の洋画を楽しむべく、ハリウッドを代表するトップスター、ジョニー・デップとアンジェリーナ・ジョリーが共演した「ツーリスト」を観る。何といっても今が旬の二人だから期待感いっぱい。監督も「善き人のためのソナタ」のフロリアン・ヘン ケル・フォン・ドナースマルクとくればなおさらである。

ところが、期待はずれでがっかりである。ミステリアスなストーリーは、リヨン駅発べネチア行きの列車のなかでアメリカからやって来たごく普通の観光客(ジョニー・デップ)が、ボディコンシャスな衣装を身にまとった謎の美女(アンジェリーナ・ジョリー)に誘惑されてしまうところから始まる。

観光客はある男に間違えられるのだが、そのためまったくワケもわからぬまま、警察からも追われ、マフィアからも襲われ、命からがら逃げ回るハメになる。追いつ追われつが陸上と水上で繰り広げられ、だんだんと真相がわかってくる。

美男美女と美しい水の都ベネチアの街とくれば上等な活劇を見せてくれるものと思いきやどうもドタバタ風で緊迫感もないし底が浅いのである。騙し合いみたいな展開で適当に笑いもあり素材としてはおもしろいはずなのだが、監督が料理しきれていない。惜しいのだ。ドナースマルクは地味なほうがいいのかもしれない。

で結局、ポイントとなるツーリストもなんか中途半端で消化不良の映画であった。悪口ばかりで申しわけないのだが率直な感想だからしょうがない。だからヨーロッパの渋い映画の方がいいんだな。ホント。
  
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2011年12月24日

悪いことは重なるものだ

この秋はほんと良くないことが続いた。やっと、今月の中ごろになって片づいてきてほっとしている。きっと天中殺だったのかもしれない。家族、親戚で問題が多発したのである。ぼく自身には大きな問題は生じなかったが、周囲の問題がぼくにふりかかったのである。それがこの時期に集中的にやってきた。こんなこともあるのだ。

病人が続出した。ばあちゃん、かあちゃん、にいちゃん、おっちゃん、おばちゃんがみな病に倒れた。ぼくのばあちゃんは、風邪をこじらせて、痰が出ると言って検査したら結核の疑いがあると言われる。幸い陰性だったので何でもなかったが、老人ホームだから大変なことになった。ヨメさんのお母さんも尿がでなくなり、膀胱カテーテルを入れるので入院する。

ヨメさんは、11月の初めの早朝にお腹が痛いと真っ青な顔でのたうち回る。医者に連れていったら、腸閉塞の一歩手前だと言う。3年前に子宮がんで全摘したので腸がどうしても癒着してしまい、そこに食べ物が詰まるのだそうだ。で、1週間入院である。別に手術するわけではなく断食と点滴で過ごす。退院の時先生からこれからは食べるものに気をつけるようにと言われる。要するに非水溶性の繊維質が多いものはダメなのだ。キノコとか海藻、芋、コーンなんていうのは避けたほうがいいのだが、ヨメさんはこれらが好物ときているので困ったものだ。

ぼくの子どもの時によく遊んでもらったいとこが二人倒れた。一人は、ぜんそくだったところに肺気腫を患ってしまい生きるか死ぬかの境をさまよった。幸い回復したが人工呼吸器を付けたままである。もう一人は、膀胱がんの手術で1カ月半入院する。70歳半ばでもバイクを飛ばしていた人だが今はさすがにおとなしくしている。

あと、ぼくの姉や上の息子も調子がよくないし、これだけ病人が集中する時も珍しい。病気だけではなく、それ以外にもトラブルや懸案も出てくる。仕事上の問題もあったが、このブログでもちらっと触れたが、ぼくの家の崖下にあるけやきの木ががけ崩れを起こすかもしれないので切ってくれというクレームが来る。これは、市の補助金の対象になるということで申請してやることにする。そりゃあ、放っておくわけにいかないからである。

ところがこれがまた厄介で、申請から許可をもらい着工して完了させるのだが、手続きが厄介なことこの上ない。書類がいやになるほど多い。それだけで工数がかかるので業者は見積にその費用を入れてくる。やっと昨日伐採が終わった。申請から3か月くらいかかった。やれやれだ。

こんなことに、問題ではないが、高校と大学のOBとしての行事の実行委員みたいな役回りも加わってもう嫌になった。時間的に忙しいというより精神的な圧迫感が続くことの方がつらい。いつもモヤモヤしているのである。さあ、やっとこうしたモヤモヤが少し晴れてきたのでもうすぐ晴れ晴れとした気分になる。来年はきっといい年になるだろう。
   

2011年12月25日

男の伝言板 - 座右の銘

ぼくは、有名人でも何でもないし、あなたの人生はなんてインタビューも受けたこともない。だから、他人からあなたの座右の銘を教えてくださいなんて言われたことがない。しかし、なんとなく心に響く言葉だとか、こんな風な生き方って一言でいうとどういうのだろうかと考えることはある。

最初の座右の銘は自分で考えた、というか書かされた。小学校の卒業の時に何か言葉を残さなくてはいけないときに書いたことである。ぼくはこう書いた。「後退するな。自信を持って前進しよう」である。何とも勇ましい中国のスローガンみたいだ。今でもはっきり覚えているということは、よほど思いつめていたか、快心の作だったのかどちらかなのだろう。

まあ、いま思い出すとけっこう“自信を持って”というところが強調したいところで、逆にいうとよっぽど自信がなかったということかもしれない。だから12歳のぼくは、どうやったら自分に自信が持てるようになるのかを悩んだのだと思う。

現在のぼくの机の前に貼ってある言葉は次の3つである。

・「高い志、感謝、プラス思考」(村上和雄)
・「悲観主義は気分のものであり、楽観主義は意思のものである。およそ成り行きにまかせる人間は気分が滅入りがちなるものだ」(アラン)
・「Chance favors the prepared mind(チャンスは備えあるところに訪れる)」(パスツール)

これはそれぞれつながっていて、プラス思考というのは楽観主義なのであり、意思というのは備えるということでもあるのだ。つまり、高い志を持って、楽観的にプラス思考でうまくいくように準備し、できたら感謝することなのである。志もなく、ただ成り行きにまかせ、なるようにしかならないとあきらめることを自らに戒めておきたいと思うからである。

ただ、これはモットーみたいなもので座右の銘とちょっと違うように思えて、何かないのかなあと考えていたのだが、最近では、「和して同ぜず」というのが何とか気にいっている。この言葉は、「論語」のなかに出てくる文言で、「君子は和すれども同ぜず。小人は同ずれども和せず」の前半部分を取ったものです。

こう言うと、少しばかり冷たい人間に見られそうだが、座右の銘というのは、こうありたいと思うものと、自分はこれなのだという二つの意味のどちらかを込めるように思えるのだが、ここで言った座右の銘は後者にあたる。つまり、ぼくは「和して同ぜず」で生きてきたから、これが自分の座右の銘なんだと再確認しているという話です。

そこで、よくよく考えてみると、12歳で自信を持てなかった自分が、プラス思考でチャンスをつかみ、自信をもてたからこそ「和して同ぜず」という生き方ができたのかもしれない。自分の中ではそんなことを考えているのだが、他の人がみたらどう思うのであろうか。と言ってみたところで、それ違うでしょと言われても「和して同ぜず」だから、結局わが道を行くだけなのかもしれない。
  

2011年12月26日

IT再考-「生命を捉えなおす」から考える(2)

次はマクロとミクロの話です。前回、全体を要素にまで分解してみても分かったことにはならないという話があったと思いますが、その観察の対象物(系)のことをマクロと言い、それに対して、その構成要素をミクロと呼んでいます。「生きている」というグローバルな性質はマクロな性質でです。

先走って言うと、このことからも、生きた情報システムはマクロのレベルが非常に大事になるのです。どうも、これまでの情報システムはミクロの構成要素にばかりに目がいっていたのではないでしょうか。ただそうは言っても、マクロはミクロで構成されているわけですから、マクロな性質が構成要素によってどのように決まるかを考えていく必要があります。

このとき、注意しなくてはいけないのが、どういう物差しを持って見るかということがあります。例えば、どこかの雑誌に老いた女のひとと若い女性の写真があったとします。それを顕微鏡でのぞけば繊維のかたまりかもしれません。また、遠くから眺めると、人間と動物の違いは分かるとしても、老齢のの女性か妙齢の女性かはこれまた判断がつかないのです。

つまり、適当な尺度で見ないと本当のことは分からないと言うことである。情報という世界でもそういうことがあって、情報があり過ぎるということは、情報の山の中から、「欲しい情報を選び出さなければならない」ことを意味していて、「欲しい情報を選び出さなければならない」という状態は、結局は情報が足りないという状態と同じことなのです。

このことって、考えさせられますよね。卑近な例で言うと、最近ビックデータという言葉がはやっているが、どうも情報を見るための尺度がちゃんとしていないのに情報の山を提示してもだいじょうぶなのかと思ってしまう。何もビックデータではなく、スモールデータでも同じで、情報を選ぶ物差しがなかったら、ビックであれスモールであれ有用な情報を取得できないのである。

また、尺度というのは目的で違ってくる。要素のふるまいを見たいのか、集団のふるまいを見たいのかで、観測の尺度が違ってくるわけです。これを会社の組織という系で考えてみると、大胆な見方をしてみると、個人と組織という区分けになるかもしれない。

ですから、どういう視点で見たいのかという目的に応じて観測の尺度を変えていくことになります。各要素の中味に深く切り込む微視的アプローチはよくやられていてそれなりに重要なのですが、粗視化していくことも同様程度に重要なのである。「木を見て森を見ない」状況にはならないように気をつけたいものである。

これまでの情報システムの作りは、ここでいう構成要素であるミクロの領域での議論が盛んで、森を見るという意識が薄かったように思われます。それは昔からIT側の視点がシステム開発の現場で支配的だったからだと思う。つまり、構成要素でしか過ぎないITが表に出過ぎていて全体の系に対してシステム的にどうするのかというマクロ視点が欠けていたのではないでしょうか。

マクロというとつい上流設計のことを思い浮かぶ人が多いと思いますが、ビジネス戦略的な見方というのではなく、システム構造を見渡せる俯瞰力のことを言っています。構造化するということはこのことで日本人の弱いことのひとつはここだと思うのですがいかがでしょうか?
  

2011年12月27日

「日本企業にいま大切なこと」を見直す(1)

「日本企業に いま大切なこと」(野中郁次郎、遠藤功著 PHP新書)の書評を書いた時、ちょっとした異和感を感じた。「知識創造理論」を広めた世界的な経営学者と「見える化」を唱えた現場主義の経営戦略家の対談なので、ご高説もっともですと思わなくてはいけないのかもしれないが、どうもしっくりこないのだ。そこで、本のテーマに従って議論してみようと思う。

最初が「第一章 成功している世界企業は「アメリカ型」ではない」でその最初が「(1)リーマンショックと大震災で何が変わったか」というテーマである。野中氏は、そこで「経営はサイエンスである」というアメリカ型を批判している。つまり全ての要素を定量化、対極化して論理的、実証的に分析するから人間の意思を排除しているという。そして「自己の利益」から「共同体の善」へと主張する。日本企業にはコモングッドの精神はもともと宿っているのだという。

一方、遠藤氏も、「失われた20年」とは日本企業が自我を失った20年でグローバリゼーションの激流に翻弄されて欧米的な価値観を盲目的に導入してしまった。そして、この震災を契機にもう一度「エコノミックアニマル」に戻ろうじゃないかと言っている。

どうもこの主張を聞いていると、リーマンショックと大震災を経験して、そこから以前あった日本の良さを戻そうじゃないかということのようだが、ほんとうにそうなのだろうか。まずは、リーマンショックとか震災があろうとなかろうと、日本の企業は問題を内在化されていたように思える。そして、欧米流の経営スタイルがほんとうに日本の「失われた20年」を招来したのだろうか。

こうした単純な回帰論はいかがなものだろうか。なぜ、あのころ欧米流のサイエンス的な経営がもてはやされたのか、それは、日本的な非サイエンス、すなわち情緒的、家族的な経営を見直そうとしたのではないのか。付和雷同的にでみんなが一斉になびいたわけではなく、グローバル化に処するために必要だったのではないだろうか。

そのころの日本の良さと言うけれど、良さというより特徴のことであって、特徴が時代に合っていると良さとなって出てくるが、時代や環境が変わってくると、その特徴が欠点となることだってあるのだ。20年前に強さだったものが、今は足かせになっているようにも思える。だから、欧米流が全くダメということではなく、改めるべきところに是々非々で欧米流の考え方なり、手法を取り入れればいいのである。

日本人というのは、すぐにダメになると全く否定して、反対側にオーバーシュートする性向があるように思う。ぶれないためには、コアの部分をしっかり固めてその周辺の部分を時代や環境に合わせて変えていくという行き方が望まれるのではないでしょうか。これを変化対応力という。これがないのが日本の弱さである。


  

2011年12月28日

洋菓子店コアンドル

蒼井憂が好きだと言うのは何回か書いたと思う。映画だけではなく、テレビのCMなどで出ているので、ミルクティーは「午後の紅茶」だし、新ビオフェルミンで腸を整えている。今年のJPからの年賀状は蒼井憂だったし、その賀状にいま映画を撮っていると書いてあった「洋菓子店コアンドル」を観る。監督は、「60歳のラブレター」の深川栄洋監督である。

題名だけで何となく内容が想像できますよね。“東京の洋菓子店を舞台に、伝説のパティシエと上京したてのケーキ屋の娘が、人生の挫折を乗り越えて再生していく姿を描く感動ストーリー”なんいう惹句はすんなり入ってきそうです。その上京したてのケーキ屋の娘が蒼井憂で、伝説のパティシエを江口洋介が演じています。

この二人が東京の「洋菓子店コアンドル」で出会うのである。鹿児島のケーキ屋の娘なつめがコアンドルで働いているはずの恋人を追い掛けて上京するのであるが、その彼は別の店に移っていた。それであきらめて帰ってしまうかと思いきやそこの店で働きだすのである。

面白かったのは、その恋人の海君を見つけた時に言うセリフで、海君は手紙で別れたと書いたはずなのに分かってもらえなかったので、「おれは変わったんだ」って訴えているのを、「海くんができる訳ないって」というのがある。勘が悪いというか、ある意味天然の勝手な女の子という感じで笑ってしまった。

要するに、子どもがそのまま大人になったような子で何の悪気もないのだが、摩擦を起こしてしまっても本人はそれを改める気もないのである。そんな女の子は少ないかもしれないがある種の活性剤になるんですね。この映画でも、最初はみな呆れた感じで対処するのだが、そのうちこうした自然児的なふるまいにもっと素直になってもいいじゃないかと思いだすのである。

伝説のパティシエと呼ばれた男も過去を引きずっていたことを清算できる勇気をもらうし、同僚の女の子との確執も結果的にうまく収まるし、周囲の人たちにも少なからぬ影響を与えるのである。いずれにしても一生懸命に生きる姿というのは周りに何らかの良い影響を与えるのは確かで、そんな女の子を蒼井憂が好演している。この子はどんなキャラも演じられ変幻自在だ。

映画に出てくる洋菓子のように主食でもないし、軽く食べてそれでうれしくなる、甘いがべたべたの甘さだけでもなくちょっぴりビターも効いたそんな映画であった。
  
koandoru.bmp
  

2011年12月29日

決断できない日本

もうだいぶ前になるが、米国の高官が「沖縄はゆすりの名人」という発言をしたという報道がなされ問題になったのを覚えていると人も多いと思います。その高官であったケビン・メア氏が書いた「決断できない日本」(文春新書)を読む。この発言で国務省日本部長を辞任させられてしまったが、そのいきさつやら、大震災の時のトモダチ作戦や、沖縄のこと、日米同盟の内幕などを半ば怒りを込めて綴っている。

問題発言についてはもちろん本人は否定している。きっかけは今年の、震災が起こるちょっと前の3月6日の「和の文化『ゆすりの手段』沖縄は『沖縄はごまかしの名人』」と題する共同通信の記事である。この記事は、メア氏が国務省内でおこなった米大学生への講義で発言したとされ、この講義を聞いた複数の学生のメモを基に作成した発言録から書かれたものだという。

そして、講義はオフレコで行ったものだという言い回しから、どこかの大臣が槍玉にあがった類の話かと思ってしまうが、本人の言では発言の内容そのものが間違っていると主張している。ゆすりという言葉も知らないということであり、どうも言いたかったのは補助金システムの弊害を言ったようなのだ。つまり共同通信の記者に嵌められたようだ。片方だけの言い分で判断するのはよくないが、本に書いてあることが8割方正しいとすればメア氏の方に分があるように思える。

いま、日本のマスコミの問題はサヨク的な気分で反米を唱える人たちがけっこういるということだ。別にそうした考え方を抱くのはかまわないと思うが、事実を自分たちの都合のよいように歪曲してしまったり、実行不可能な論理を振りかざし、何でもいちゃもんをつける態度が目に余ることがあるから、そこは現実的な頭でよく考えてもらいたいと思うのである。

彼はアメリカ人であるが長いこと日本に暮らしているし、奥さんは日本人である。従って、割と日本の風土や文化について理解しているので、アメリカ的な思想や論理を押しつけているわけではないので、本で主張していることはかなりの部分的を射ているように思える。その彼が強く言っているのは、日本の政治家が決断できないということである。みんなの顔色をうかがってコンセンサスをとってから決めるから、なかなか決まらない。

このことは、政権政党が変わろうと首相が変わろうと全く変わっていない。彼も言うように、「行き過ぎたコンセンサス社会は、危機の時代にその恐るべき弱点をさらけ出します。危機を解決できないばかりか、危機を増幅させ、国家存亡の瀬戸際に追い詰めることもあります」ということなのである。

またぞろアメリカ人が自分たちの都合のいいように、あるいはおまえらを守ってあげているんだという上から目線で言っていると思われるかもしれませんが、よく読むと日本人のリーダたちの弱さが浮かび出されていて暗澹としてくる。未曽有の大災害でも当時のリーダたちの危うかったふるまいを思い出すと、「決断できない日本」がホント心配である。
  

  

2011年12月30日

今年を振り返る(2011年)

毎年書いているので、今年もこの1年をふりかえってみる。ただし、こんな他人の1年なんは自分にとってはおもしろくも何ともないだろうから、読み飛ばしてもらってけっこうです。ぼくの備忘録として書いておく。

【1月】
・K社のコンサルを終了するが、次の段階として実装をどうするかの検討開始。サイボウズ社への協力要請。
【2月】
・東スポ映画祭に出席。作品賞が「アウトレイジ」というたけしのわがままが通る。主演男優賞は豊川悦司、女優賞が仲里衣紗。最後の赤坂プリンスホテルであった。
・50周年記念誌に載せるために大学のサッカー部のOBたちの座談会を開催。同期との定例や研究室の同期会もあり、だんだんこうした会が増えてくる。
・下の息子が香港マラソンに参加。4時間を切れるかどうかで賭けをして勝つ。上の子は厳寒の札幌でセミナー講師。
【3月】
・3.11は半蔵門でプレゼン中に遭遇。帰宅難民となり、有楽町の国際フォーラムで一夜を過ごす。計画停電や米、水、ガソリンが消えてしまい大変な目にあう。仕事はその後の予定がことごとくキャンセルになり謹慎状態に。
・14日に社長が被災者の安否を載せた「anpiレポート」というサイトを立ち上げる。のべ10万人の人がアクセスがあり、感謝される。29日のNHKテレビの「クローズアップ現代」で放映された。
・「BPMフォーラム」参加。
【4月】
・大学のサッカー部の1年先輩でキャプテンだった人が亡くなる。60代初めだったのだが、死に急いだ感はあるが半端ではなく強烈な生き方をしたひとでもあった。
・N社のセミナーで講師を務める。2時間半を2回なのでかなり中味の濃い話をする。
・日本BPM協会の運営幹事となり協会の事業モデルや活動計画などの議論に参加する。
【5月】
・K社の実装プロジェクトはK社の福島工場が大震災で被災したためずっと中断したままであったが再開。その結果を「VCPCメンバーズミーティング」K社社長から報告。
・N社のセミナーで受講した会社への提案を行う。
【6月】
・大学のサッカー部のOB会主催でフットサル大会を開催。東京体育館のコートで50代、60代の人たちが集まり、天気にも恵まれ汗を流す。
・昔一緒に仕事をした人たちと久しぶりの再会。AP社社長のHさん、AS社で名古屋から来たOさん、みな変わらない。さらに以前、BPMオフ会で知り合った若い子二人とこれまた久しぶりに羽田で呑む。
【7月】
・ICT経営パートナーズ協会の設立に向けて研究会スタート。
・ばあちゃんの卆寿のお祝い。まだまだ元気である。
・高校のサッカー部の顧問だった先生を囲んでの暑気払い。こちらも元気。
【8月】
・K社プロジェクト終了。本プロジェクトを第Ⅰ期として次期も検討する。
・日本BPM協会主催の「BPM-J交流会」で“気楽に始めるBPMのすすめ”を講演する。
・下の息子子はカンボジアにつづき今度はラオスへのひとり旅。
【9月】
・ワディットも6期目に入る。なかなか儲かるようにならないが、ぼちぼちやっていこう。と昨年と同じことを書く。
・ばあちゃんが自宅のすぐ近くの有料老人ホームへ入居。震災以後、不安、退屈、億劫が高じて自ら入ると言いだした。経済的負担は大きいがお金は使える時に使うものだ。
・母校の高校のサッカー試合を応援に行く。レベルの高さと部員の多さにびっくり。
【10月】
・セミナーというのにはほとんど行かないが、招待されたのでガートナーのシンポジウムに行く。あまり盛り上がっていない感じ。
・ICT経営パートナーズ協会の設立発起人大会。理事となる。
【11月】
・高校のサッカー部の還暦を祝う会(ぼくらの3代下が今年還暦であったのでそれを祝う)来年は顧問の先生が喜寿なのでそれを兼ねて開催予定。
・ぼくのヨメさんが入院。腸閉塞一歩手前ということで断食と点滴で1週間入した。このあたりから厄介なことが次々と舞い込む。
【12月】
・K社の第Ⅱ期プロジェクトがスタート。
・大学のサッカー部の50周年記念行事を行う。昼間はフットサルで夜は懇親パーティ。記念誌の発行も含めて実行委員としてかなりの時間を割いてきたがこれで一段落。
・「VCPCメンバーズミーティング」で“非定型業務のIT化とその事例”というタイトルで講演。1.5時間もあったのでじっくりと話せた。
・11月くらいから続いていた懸案が昨日で全部解決して、やっとこれで気分よく新年を迎えられそうだ。

とまあこんなところであるが、今年は何といっても東日本大震災という大きなエポックがあった歴史に残る年であった。個人的にも、帰宅難民になったり、テレビや新聞で弊社というか社長が取り上げられたり、プロジェクトの相手の会社が被災したりと大きなインパクトがあった。来年は災害のないよい年になるように祈っています。
  

2011年12月31日

1年のまとめ(2011年)

いよいよ今年最後の日になりました。今年も一年間休まず毎日書いたことになります。ただ、サーバートラブルで前半の半年分のデータが飛んでしまいました。原稿が残っているので反映し直せばいいのですが、つい面倒くさくなってそのままにしてあります。世の中、TwitterやFacebookが多くなっていますが、ぼくはBlogで表現する方があっているように思うのでこれからも続けていきます。

さて、総集編ですが、特にこのブログの主要カテゴリーである「シネマと書店とスタジアム」についてこの1年の総括を書いてみます。

【映画】
今年観た映画は、DVDも含めて、79本でした。(ちなみに昨年は75本、その前が74本だからコンスタントに70数本といったところ)そのうち、劇場で観た新作映画は38本でした。100本-50本をめざしたのですが今年もぜんぜん届きません。

さて、今年の映画の賞をぼくなりにノミネートしたので披露します。

 作品賞    大鹿村騒動記/ダンシング・チャップリン
 監督賞    周防正行(ダンシング・チャップリン)/園子温(冷たい熱帯魚、恋の罪)
 主演男優賞 原田 芳雄(大鹿村騒動記)/松山ケンイチ(うさぎドロップ、マイバックページ)
 主演女優賞 永作博美(八日目の蝉)/宮崎あおい(ツレがうつになりまして、神様のカルテ)/深津絵里(ステキな金縛り)
 助演男優賞 でんでん(冷たい熱帯魚、大鹿村騒動記)/松田龍平(探偵はBARにいる、まほろ駅多田便利軒)
 助演女優賞 麻生久美子(モテキ、ロック~わんこの島~)/大楠道代(大鹿村騒動記)
 外国作品賞 ブラック・スワン/ゴーストライター

やはり、原田芳雄の死が印象に残る年でした。惜しい人をなくした。周防と園の両監督の執念みたいな気迫も特筆できるでしょう。ぼくの好きな俳優さんたちが活躍しているのがうれしい。原田は渾身の演技でしたが、永作博美、深津絵里、麻生久美子といった女優陣がんばりに拍手、男優では松田龍平の存在感が気になっています。


【本】
この1年で読んだ本は49冊でした。(昨年は63冊だったのでちょっと少なくなってしまいました)毎年そうなのだが、ジャンルでは、ビジネス本がやはり多く、あとは、経済、歴史、社会などの実用本であった。どうしても新書が多く、小説類は少ない。

さてその中から特に印象に残った本を選んでみた。

・「生命を捉えなおす」(清水博著 中公新書)
・「「応援したくなる企業」の時代」(博報堂ブランドデザイン アスキー新書)
・「プレゼンテーションZen」(ガー・レイノルズ著 ピアソン・エデュケーション)
・「理性の限界」(高橋昌一郎著 講談社現代新書)
・「働かないアリに意義がある」(長谷川英祐著 メディアファクトリー新書)
・「大人の流儀」(伊集院静著 講談社)
・「人はなぜ逃げおくれるのか」(広瀬弘忠著 集英社新書)
・「キュレーションの時代」(佐々木俊尚著 ちくま新書)
・「日本企業に いま大切なこと」(野中郁次郎、遠藤功著 PHP新書)
・「武器としての決断思考」(瀧本哲史著 星海社新書)

【スポーツ】
今年は何と言っても、なでしこジャパンのワールドカップ優勝でしょう。戦前の予想ではいいところまでいけるかもしれないといったところだったが、あれよあれよと勝ち進んで、決勝では今まで勝てなかったアメリカに勝ってしまたのだから驚きだ。沢のバックボレーは芸術品だ。なでしこはさらに来年のオリンピックの出場権も獲得してすばらしい一年となった。

女子に隠れて入るが男子も活躍した。アジアカップでは準決勝で宿敵韓国をPK戦で下すと、決勝ではあの李忠成のボレーシュートでオーストラリアを破りアジアの頂点に立った。そのあとのW杯予選も順調に勝って3次予選を通過した。U-23ももうちょっとで予選を突破できそうだ。

国内では、J1で柏レイソルが昇格1年目で優勝という快挙を成し遂げた3年ぶりに日本で開催となったクラブワールドカップでは、4位という立派な成績を残したのもたいしたものだ。明日の元旦に行われる天皇杯ではFC東京対京都パープルサンガというJ2同士の組み合わせとなった。もはや、J1とJ2差はなくなったようだ。それだけ全体のレベルアップが図られたわけだから、代表にも好影響を与えると思う。

クラブワールドカップといえば、欧州王者のスペインのバルセロナの圧倒的な強さに世界中が酔いしれた。そんなすばらしいチームの試合を目の当たりにできたことはうれしい限りであった。メッシはペレもマラドーナも超えて史上最高のプレーヤーと言っても過言ではない。メッシを体験できる幸せを感じる。

その他は、野球にしてもラグビー(そう言えばワールドカップは惨敗でしたね)もその他もろもろのスポーツはどうもおもしろくなくなった。内村航平君の体操がすごいくらいで世界をあっと言わせるアスリートがなかなか出てこないのでさびしいですね。
  
みなさん1年間お疲れ様でした。それでは良いお年を!
  

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