ソーシャルネットワークサービス(SNS)とお笑いの芸がなんで関係があるのか不思議に思われると思います。また、強引にこじつけてつまらない話をするのではと思われているかもしれませんが、今から、広義のSNSとしてBlog、Twitter、Facebookを取り上げて勝手な分析をおこなってみます。
ぼくは、Blog、Twitter、Facebookの一応ユーザーになっている。しかしながら、Twitter、Facebookは積極的な利用者ではない。たまに、ながめるといった程度である。ちょっと前官藤官九郎が面白いことをいっていた。これがおもしろいのでちょっと脱線する。
Twitter破りという遊びだというだが、カフェで自分ではつぶやかないで、検索窓に「クドカン」と入れるのだそうだ。そうすると、クドカンを見たというつぶやきが出てくる。ということは今自分の近くにこれを書いたヤツがいるわけなので、きょろきょろあたりを見渡すのだ。それからどうするか。その書いたヤツの過去のログを手繰るのである。
そうすると、ネールアートを施したなんて書きこまれている。さあ、爪を化粧しているヤツはどこだとなる。で誰が書いているかがだいたいわかるのだという。すると書き込みが「クドカンを見た」から「クドカンに見られた」に変わるのだという。大笑いした。
すみません、話を戻すと、ぼくは有名人でもないのでこんな遊びはできないが、Facebookもそうだがほとんど書き込みをしない。その替わり、こうしてBlogを書き続けている。ただ、Twitter、Facebookを使わないというのはBlogを書いているからというだけの理由でもない。書きこめる字数が少ないとか、長い文だと読んでもらえないということもあるのだが、性格が微妙に違うと思う。
うちの社長などはTwitterはミニBlogだなんて言うけどそれぞれに差があるように感じる。それが、お笑い芸ということに行き着くのだ。お笑い芸というのは落語や漫才、コントなどであるが、テレビのおかげでネタをちゃんとやらない番組が多く出てきてそればかり出ている芸人も数多くいる。
それとの対応関係を思いついた。ちゃんと寄席とかでネタをやるのがBlogで大喜利とかアメトーク、すべらない話なんかがFacebook、バラエティのひな壇でコメントを言ったりするのがTwitterという見立てなのだがいかがでしょうか。
Twitterなんてもうリアクション芸みたいなものですよね。瞬間を切り取ることを繰り返すわけである。Facebookはある程度のグループ性がある中でのコミュニケーションである。同好の士とか同窓生とかプロジェクトメンバー同士とか、テーマ性がある。さっき例示した大喜利とかアメトーク、すべらない話なんかそんな感じですよね。
テーマを決め言いたいことを理解してもらう、あるいは主張するといったことは文章もある長さがいるし、芸で言えば演題を決めて時間をかけてじっくり演じて初めてできることである。どうもそんなことを感じて、ぼくはテレビにも出ないで寄席でしっかりといい噺を聞かせる落語家の心持ちにならってBlogを書いているのである。
