映画というのは、時間と場所というのが非常に重要だということは言うまでもない。いつの時代背景で、どこの場所での物語なのかということである。「ボローニャの夕暮れ」は、イタリアの北のボローニャを舞台に、世界大戦がはじまろうとしている1938年からの物語である。
原案、脚本、監督の名匠プピ・アヴァティは自身の故郷であるボローニャにこだわりがあり、生まれたのが1938年なのである。そうした状況設定の下に、娘に過剰とも思える愛情を注ぐ美術教師の父親(シルヴィオ・オルランド)、夫や娘と距離を置き、夫の友人と不倫を続ける美しい母親(フランチェスカ・ネリ)、そして母親を嫌悪し劣等感をもつ17歳の娘ジョバンナ(アルバ・ロルヴァケル)という家族を置く。
この家族がつつましやかにも平凡な生活を送っていたある日、父親と娘が通う学校で女生徒が殺されるとい事件が起こる。そして、その犯人として、ジョバンナが疑われるのである。父親もあり得ないと思いつつ徐々に彼女の仕業と自覚させられていく。結局、拘束されるが裁判では精神疾患として無罪になり収容されるのである。
そこから、平穏であった家族が音を立てて崩れて行くのである。どうにか取り繕っていた家がほころびを見せてしまうのである。映画はその崩壊を少しずつ観客に示しながら、一方で、戦争の足音も響かせるという、ああ何もかもが壊れれていくというじっくりとした恐怖感を味わわされる。この大きな単位と家族・個人という小さな単位での崩壊と再生がこの映画の主題である。
さて、その再生は何もかも失った父親があきらめずに娘への愛情を注ぎ続けることで希望が見えてくる。このあたりは、過保護的なにおいがして、娘を持たない身にとっては理解しがたい感じもある。不貞を働く妻に対しても許す姿勢を貫くわけで、こんな打たれっぱなしのオヤジでいいのかとつい思ってしまう。だからこそ、再生ができたと言いたいのだろう。
ただ、ちょっと気になったのは、ひとつの大きなエポックとして殺人事件があるのだが、殺人者である娘の側から描かれているわけで、それは映画として当然なのはわかるのだが、逆の殺された側の視点も必要、というか配慮が要るような気がしたのである。もうひとつの家族の崩壊と再生の物語が、殺され女子生徒の家族にも当然あったわけだからである。
父親役のシルヴィオ・オルランドはこの作品で第65回ヴェネチア国際映画祭の男優賞に輝いている。いかにもイタリアの男優と思わせる渋い演技である。

