冷たい熱帯魚
これはすさまじい映画である。あの「愛のむきだし」の園子温監督の「冷たい熱帯魚」は、もうずいぶん前に埼玉県で起きた愛犬家殺人事件を題材にしたもので、猟奇的な事件として注目されたのを記憶している人もいると思うが、この映画でも気持ち悪くなるくらい衝撃的だ。
実際の事件では、ペットショップを営む夫婦がトラブルが発生した顧客を次々に殺した事件なのだが、死体をバラバラにして焼却して遺棄したため、遺体なき殺人と言われた。映画では、犯人の職業がドッグブリーダーから熱帯魚店主に変えているが、あらかたは似た展開になっている。
なので、死体を風呂場でバラバラにするシーンが出てくる。これがもう反吐が出そうなくらいグロテスクなのである。そして、そんな残酷シーンでも驚くなかれ笑いをとる言動が差しこまれているのである。そして、もっとびっくりしたのはそんなシーンの最中に笑う観客がいるのである。ぼくには、到底笑う気にはなれないのに大きな笑い声が一部から聞こえたときには、そっちの方がなぜか気持ち悪かった。
もう、そんなことだから気持ち悪さをずっと引きずって観ていたのだが、それ以外は、おもしろいというか、考えさせられる。要するに、非常に突出した行動や心理ではあるが、それは本質的な問いでもあるということである。
殺人鬼の夫婦である村田とその妻愛子にでんでんと黒沢あすか、その夫婦に脅迫されながら共犯者に引き込まれていく同じ熱帯魚店主の社本に吹越満が扮しているが、それぞれが渾身の演技で見応えがある。とくにでんでんの悪役はいつも人のいい役ばかりなので、意外なのだが、そのためかえって不気味さが倍加され出色である。
人間というのは、表面的ではないところで、この村田的な部分と社本的な部分を併せ持っていて、それが極限のところで表面化し、それがもう後戻りできず、どんどん泥沼にはまっていってしまうのだ。そのどうしようも堕ちかたが、センセーショナルな場面としてこれでもかと投げかけられると、これは特異なことだという思いが徐々にみんなが同じように持っているものなのかと砕かれてしまう。
だが、救いはないのだろうか。最後のシーンでも驚かされるのだが、やっぱりぼくには一縷でもいいから希望のようなものがほしい気がするのだ。それにしても、すさまじい映画である。
一緒に観た映画友だちのS君と、見終わったあと新宿の居酒屋で、こんな話をした。もちろん、レバ刺しと唐揚げは食べなかった。
