最近、うちの社長(息子)のまわりでFacebookが盛り上がっているし、社長もそれがらみのサービスを作ったりしている。デヴィッド・フィンチャー監督「ソーシャル・ネットワーク」は、そのFacebookの創設者であるマーク・ザッカーバーグの物語である。しかし、世界で5億人ものユーザを抱えるSNSに育て上げ、億万長者となった若者の成功物語ではない。
そもそもマーク・ザッカーバーグを知的財産権の侵害で訴えた側が書いたものを原作としているから、良くは描かれていない。そして、技術者というより起業家としての側面が多く登場する。それでもフィンチャーは好意的に映し出していると思う。もう時代は変わったのであって、既成概念での評価はあたらないぞと言っているようである。
たとえば、あちら側の人間として訴えたほうの双子の兄弟や親友でCFOとして一緒に会社を立ち上げたエドゥアルドがスノブに見えてくる。彼らは今までの価値観でいうと普通なのだろうが、マークやその後パートナーとなるナップスターの創設者であるショーン・パーカーの前ではたじろがざるを得ない。
これはいいか悪いかではなく、現に起きている変化なのである。それはもちろん頭の中の理屈で考えることではなく感じることなのかもしれない。その典型的な言葉が「Cool」である。エドゥアルドがFacebookに広告を載せるモデルでお金を生み出そうと言うが、マークは、それはCoolではないと言ってはねつけるのである。逆に、ショーンが、最初はThe FacebookだったのをTheを取ったほうがいいと進言すると、すぐにそれを実行する。それはCoolだからである。
この映画で、マーク・ザッカーバーグは人のアイデアを勝手にパクリ、ガールフレンドにはカチンとくるようなことを平気で言う鼻持ちならない“子ども“として描かれる。では、マークはオタクなのだろうか。ぼくはそうには思えない。5億人もの人間が使いたがる道具を作れるやつが単なるオタクではありえない。そうしたサイトを作れるにはぼくは昔から言っているのは3つのIが必要だということである。
それは、Imagination、Idea、Intelligenceの3つのIである。豊かな想像力から生まれた斬新な着想を高い知性で実現することなのだ。マークはこれができる人間だったということである。ですから、双子の兄弟が、自分たちのアイデアをパクられたといって訴えたが、そんなものは単なる思いつきであり、それが知的財産になるわけではないのだ。
そうしたことは、Webのサービスではよくあることで、みんなアイデアと称して持っている(と思いこんでいる)。しかし、それは持っているだけでは何にもならないのであって、それを形に変える、サービス化して初めて価値が生まれるのである。そこが実は非常に難しいからこそ、天才がしのぎを削るのである。
エドゥアルドにしても、投資会社が入っていつのまにか自分の持ち株比率を大幅に減少させられて怒るわけだが、Facebookの自分のプロフィールを変えられないという、そんなイケてない人間をもはや必要ではなくなったことを理解できないのである。
おもしろかったのは、こうした精神は別に若者の特権ではなく、年寄も変化に対応できるということである。そういうシーンがあって、ハーバードの学長が双子の兄弟が倫理規定違反だと訴えたことを軽くあしらってしまったところで、どちらが若者かわからないくらい痛快であった。
それにしても、この疾走感はすごい。マークのしゃべりの早さもさることながら、テンポのある音楽も相まって現代のスピード感覚を味わうことができる。うちの会社も多少この近くで仕事しているので、ネット世界のビジネスの一端を知ることができ大変おもしろい映画であった。
