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2010年12月 アーカイブ

2010年12月 1日

モデル化の必要性とモデルのワナ

ビジネスでもそれ以外でもいいのですが、理念とかビジョンとかいったかなり抽象度の高い概念について語られることも多く、また実装レベルというか、末端の活動、アクションもそれ相応の技術や技法といったものがある。

ところがその間を埋めるためのメソドロジーが貧弱であるような気がする。つまり、理念やビジョンをどうやって実践するのかという問題である。そこで出てくるのがモデル化である。○○モデリングなんて言い方もされますが、あるレベルで概念モデルを書くことです。

ではモデル化あるいはモデルとは一体何なのかになります。模型なんて言われるとわけもわからなくなるのだが、さりとてこれだと言うのも見つからないので「構造化されたもの」くらいにしておきます。あえて「もの」と言ったのは実体があるものからないものまで様々な対象があるからです。

そこで、構造化するとはどういうことかをみることにします。次のように考えています。

 (1)全体を俯瞰したうえで、構成要素に分解し 
 (2)それらの構成要素間の関係を分かりやすく整理し
 (3)統合化されたモデルを作ること

ここで重要なキーワードは、「俯瞰」「構成要素」「構成要素間の関係」「統合化」といったところでしょうか。こうしてできた構造がモデルなのではないでしょうか。

理念やビジョンによって築かれた世界を俯瞰することから始めるのですが、そこをあまりやらずにいきなり構成要素に行ってしまう傾向があるように思うのです。ですから、モデル化というのが重要ですよと言っているのです。

そして、モデル化ができたとするとリファレンスモデルというのができてきます。事例を重ねることで作られる場合もありますし、論理的な積み上げでできる場合もあります。こうなると、モデル化にあたってこのモデルを参照しようということになるわけです。習字のお手本みたいにしようとします。これは、当然早くできますからそういう意味では有効な手段となります。

ただ、全く同じものを作るわけではないので、それを参考にして個別化することになります。そこで注意しなくてはいけないのが、どうしてもモデル全体を参照することになるので、冗長化するという弊害です。どうしても必要ではないかもしれないところまでモデル比較をしてしまうのです。つまり、結果として、ムダなこともやって遠回りしてしまうので早くできると思ったのが逆に手間ひまがかかるという破目になってしまいます。

大企業の大きな組織に対して、根本的に見直しをするなんて場合は、それでもいいのかもしれませんが、部分的あるいは小規模のような場合は、むしろ、大きなフレームだけをリファーし、一からモデル化するというのが現実的なのかもしれません。こうした方法論が望まれていると思っているのですが。
  

2010年12月 2日

ビジネスエンジニア育成講座(3)

ビジネスモデルの記述と分析

前回は、ビジネス実行体系を概観しましたが、これからはもう少し具体的な構築方法について議論していきます。戦略については既に書いたことなので、まずはビジネスモデルをどうやって記述して、それを分析するのかというテーマとなります。実はこのテーマでも、以前「ビジネスモデルを実装する」と題して、書いていますので重複するかもしれませんが、より具体的に説明しておきます。

ビジネスモデルの記述・分析手順は次のようになります。

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ビジネスモデルはつぎの切り口でモデル化をしていきます。

 ・どこの誰に
 ・どんな商材を
 ・どの経営資源を使って
 ・どのように提供して
 ・どうやって儲けるのか

これで、ビジネスモデルが書けたかというとそうではありません。大事なのは、このなかに戦略的な要素がどう盛り込まれているのかになります。それは言い換えると、「価値」を埋め込んではじめてビジネスモデルということになります。ビジネスで競争していく上で勝てるものを持っていないとビジネスは成立しません。

また、このままだと抽象的ですので、それぞれをもう少し具体的な構成要素に分解します。それらにはどんなものがあるかを次に示します。

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事業仕分けの奇怪

昨年から始まった事業仕分けというものがある。今年は第三弾の特別会計の事業を対象に行われた。どうも何をやっているのかがよくわからない。最初は、なぜ1番でなくてはいけないのか発言があったりして注目されたが、三回目ともなるとあまり関心があがらない。

まずはおかしいと思うのは、第一回は何と言っても政権が交代したということがあったのでそれなりの意味があったと思う。すなわち、前政権時代の悪弊を改めるといった効果である。ところが、最近の仕分けでみると、対象となる事業は現政権の予算として組み込まれたものではなのかということだ。これだと、何だかてめえの過ちをてめえで正しているようでどうもしっくりこない。

それもあるのだが、そもそもこうした事業仕分けを普通の企業で例えてみるとどうなるのかを考えてみる。事業というからには、企業だって同じように事業を行っているわけだからそちらの目線で見てみるということである。

そうすると何か変な感じがする。企業では各事業部や部(各省庁や行政法人)から、事業計画とそれに伴う予算が作成され、経営に申請される。つまり、事業計画ありきなのである。それは、経営方針と事業方針を実行するための経営戦略と事業戦略があって、そこから作成される。だから、国にも戦略や政策があって、それに基づく各省庁の戦略や事業計画ができるというものである。それって、ちゃんとやっているのだろうか。

企業では経営と事業について徹底的に議論して、そこで決まったことはもちろん守らなくてはいけないし、固定費なんかもチェックされるのである。だから、今の事業仕分けでいくら廃止とかなんか言っても拘束力がないということはどういうことなのかと思ってしまう。皮肉っぽく言うと、だからこそ公開の場でやっているとも言える。単なるセレモニーとして。

ぼくは、こんな仕分なんかやめたらいいと思うし、せめて戦略、政策論議を国会で整理してから、内々でそれこそ政治主導で決めればいいだけのことだと思う。

それといつも思うのだが、事業というからには、ぼくが言うような事業モデルがあるのだろうか。つまり、その事業の対象者はどこの誰で、どんな公共サービスをどのようにして提供して、税金を払ってもらうかです。この最後の「税金を払ってもらう」ということが対価であるはずで、この視点がないから、国民の要求とはかけ離れた事業を平気でやっているのではないでしょうか。
  

2010年12月 3日

選挙

この秋に社長(息子)の友だちでぼくもよく知っているK君が某市の市会議員補欠選挙に立候補して当選して晴れて議員さんになった。そして、今日も会うことになっているが、地域活性化プロジェクトのメンバーの一人で社長と全く生年月日が同じY君もまた京都のある町の議員である。

そんなこともあって、「選挙」という映画を観た。これは観察映画というジャンルらしい。監督は想田和弘で、要するに出演者も俳優ではなくて、従って、セリフもなく、テロップもなく、普通に人がしゃべったりしているのを淡々と映すというものである。

主演?が、山内和彦という川崎市の市会議員補欠選挙に自民党から立候補したその人の選挙戦を追ったものである。ドキュメンタリーといえばそうだが、それ以上にストーリーがあるドラマである。イベントに際してどう振舞うかをありのままに表現しているから、もちろんリアリティそのものなのである。

山内候補は、政治家としては全くの素人で、しかも川崎市在住でもないといういわゆる落下傘候補なのだが、小泉旋風の残り火でぎりぎりの当選を果たしてしまう。そこまでで映画は終わるのだが、実は、彼はその後1年半ほど議員を務めたあと、次の選挙には立候補しなかったのだ。

どうして立候補を見送ったかはわからないが、ひとつには補選と本選とでは全く違うことがあると思う。これは補選を戦ったK君も言っていたが、補選は党の戦いであるが、本選は個人の戦いになるということだ。補選では党の全面的なバックアップを受けられるが、本選ともなると党から複数の候補者が出馬するわけだから、個人戦になるということである。従って、地盤もないものにとっては大変難しい戦いを強いられる。

ただ、映画の山内和彦はそれだけではなく、おそらく選挙そのものに厭気がさしたように見えた。つまり、地盤も看板もカバンもない中で勝つには党のやりかたあるいは地元の党員のサポートに全面的におんぶしなくてはいけない、彼らの操り人形のようにふるまわなくてはいけないわけで、そのことに対して矛盾を感じたのではないだろうか。彼の妻はあきらかにそうした不満を漏らしていた。

あまり地方議員の選挙運動の実態を知ることがなかったが、この映画でどぶ板選挙の意味とか効果や、選挙カーから妻が呼びかけるには「山内の家内です」と言わなくてはいけないなどけっこうおもしろかった。山内和彦の今は、「主夫」をしているそうだ。
  

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2010年12月 4日

久しぶりの富士山

昨日の嵐のような雨と風できれいになった大気のために今朝の富士山はくっきりと見えたので思わずパチリ。時ならぬ暖かさで雪が解けたのかもしれないが、かなり下の方までの雪化粧である。これだけ美しい山はないのではないかと改めて感じる。

昨日の地域活性化プロジェクトのミーティングでも、ふるさとのランドマークを定点観測して、提供したらどかという提案をしてみたが、富士山の四季の移り変わりなんていい素材のような気がする。雪のかぶり具合ででも季節を知ることができるし、また逆からの富士山の眺めも知りたかったりとおもしろい情報となるのではないでしょうか。

いよいよ、今年も残り少なくなったが、まさに師走という感じでなぜか急に忙しくなってバタバタとしてきたが、その忙しさが別にやらされているのではなく、おもしろそうなことだけをやっているのでそれほど苦にはなっていないのである。

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2010年12月 5日

貧困大国アメリカⅡ

前著の「ルポ貧困大国アメリカ」がおもしろかったので、第二弾である「ルポ貧困大国アメリカⅡ」(堤未果著 岩波新書)を読む。それと、近頃の日本の社会保障や医療のことが気になっていたりしたので、よいも悪いも先進国のアメリカのことが知りたかったこともある。

本書で取り上げたテーマが、教育と社会保障制度、医療改革、それと刑務所のことである。この最後の刑務所というのが出てきたのには正直びっくりした。これはまた後述するが、それを除いては日本も同じような問題を抱えているので非常に参考になる。

というか、本を読んでいてところどころこれは今の日本のこと、今の政権のこと、今の首相のことじゃないかと思える個所が頻出する。アメリカの後を追いかけていて、いずれこんな悲惨なことになるのかと思うと恐ろしくなる。

教育での問題は、大学費用が年々増加の一途で、そのために学生たちは学費ローンを組まざるを得なくなり、それが破綻しているという。それが公的なローンでありながら、高利のローンのため支払いができなるのだ。

社会保障では、GMの年金の例が出てくる。アメリカンドリームを体現していた巨大企業がご存知のように破綻してしまう。絶対につぶれることはないと思っていたGM神話がもろくも崩れると、悠々自適の年金生活は泡となって飛んで行ってしまうのである。恐ろしい話だ。

そして、いま問題になっている医療ですが、これだけ高い医療費の国はない。結局、問題は医療を商品化して、それによって利益を蝕む医療保険会社や製薬会社という医療複合体の存在であろう。

最後に、驚いたのは刑務所が民営化されて、そこで非常に低い賃金で囚人に働かせて利潤をあげているという実態です。ですから、犯罪者を増やすことが労働力の確保につながるわけで、どうするのかというと、これまでは何ともなかったような軽微な犯罪をのがさす検挙するのである。

以前、ニューヨークのジュリアーニ市長がホームレスを減らしたり、犯罪を減らしたといって高い評価を受けたが、実はこの仕組みに乗っかっていたという指摘もある。そして、スリーストライク法というのがあって、2度有罪判決を受けたものが3度目の罪を犯すと終身刑となるという法律だ。これでまた労働力が逃げないというわけである。

こうしてみると、アメリカという国の病理が見えてくる。行き過ぎた市場原理主義というだけでは片づけられない問題が横たわっているように思う。要は、市場に任すものと、公共がやるべきものと2種類あるはずなのだが、何でもかんでも市場原理に預けている面がある。この本の例でもいずれも公的な制度とお金でやるべきことのはずです。

この違いは、以前から何度も言っているのですが、人の不幸がビジネスのインセンティブになっているということです。病気になる方がもうかる、人が罪を犯すことを望むというふうに人の不幸を土台にするような事業は公共でやるべきなのだ。日本でもアメリカを反面教師としてしっかりと学んでほしいものだ。
  

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2010年12月 6日

Web技術の活用の前に

最近では、エンタープライズシステムにWebの技術を活用しようという動きがよく出てきている。Twitterを使ってみたらとか、SNSで何かやろうなんてことを言っている。しかし、ちょっと待てよと思うことがある。それは、単に技術だけあるいはアプリケーションだけを入れれば素晴らしいことができるという錯覚であるのではないかということだ。

これでは、仏作って魂入れずという感じで、ほんとうの良さを発揮できないことになる。技術論も大事だが、その精神についてちゃんと理解しておくこともより大事なのである。

ぼくは、技術論的な見地から言うと、つぎのような技術がイノベーションを起こしていると思っている。

(1)双方向コミュニケーション
(2)ハイパーリンク
(3)オンデマンド

もっと中味のことで言えば、山本陽平君が書いた「Webを支える技術」(科学技術評論社)で言っているように「HTTP、URI、HTMLそしてREST」ということになるのだろうが、そこに至るまでの、コンセプチュアルな面の理解が欠かせないのだ。

それが何かをいろいろと考えてみたら次のようなことが浮かんできた。

(1)コミュニケーションの“場”の提供
(2)オープン性
(3)アジリティ

最初の、コミュニケーションの場は従来は“線”という概念が強く、電話やFaxはそうしたデバイスであった。それが、人々が同時に広場に集まるように“場”が設定されることができるようになった。ですから、そこでは双方向で会話が成立するのである。このことは情報共有のいきつくところでもある。

Webの世界は基本的にはオープンな世界で成り立っています。企業内で閉じた世界で仕事をするのであったらあまり意味がありません。あくまで、遍くみなの智恵を借りるにしてもオープンでなくてはいけません。自分のノウハウを出したら、存在感がなくなるので隠しておこうなんて思っている人たちがいたら成り立たないのです。

それと同じような話かもしれませんが、アジリティつまり俊敏性を必要とするような部署に有効なのであって、旧来型の過剰なコンセンサスが意思決定のメインであるようなところではこれまた意味がありません。稟議の決裁書を決裁済みと未決済の箱の中に入れて、気が向いたときに見るなんて上司がいたらどうにもなりません。

詰まることろ、Web技術やアプリを導入するには、会社の風土や動きをそれこそWeb的なものにしていかないと、一部の好き者が使うだけで終わってしまいます。これからの企業はこうした風土を醸成しないとグローバル化に遅れると思うのだが、そう簡単には行かないので、少しずつでもいいから浸透させていくのだろう。
  

ビジネスエンジニア育成講座(4)

現状ビジネスの把握

ビジネスモデルの構成要素を理解したら、それぞれについて現状のビジネスにおける実態を記述していきます。市場や顧客であれば、今のビジネスがどのような市場で行っているのか、そのときの顧客をどうやって定義しているのかを書きます。セグメンテーションとターゲッティングです。

そのときの評価軸は自分で考えるのがいいのですが、このあたりはマーケティングの教科書に出ていますのでそれを参考にしたらいいと思います。商材については、従来だと割と単純で、単一製品だとか分かりやすいサービスといったものが主体でしたが、最近ではいろいろなものを組み合わせたものだとか、モノとサービスをセットにしたものとかが多くなっています。そのあたりをよく見てほんとうの商材を書いていきます。

この市場・顧客と商材が書きだせると後は比較的簡単ですが、ビジネスチェーン、サプライチェーンと商流モデルが混同される場合があります。前者はモノの流れで、後者はお金が絡んだものになります。

現状を記述する上で注意しなくてはいけないのが、この場合は事実情報を淡々と書くと言うことが大切で、変に曲げないことです。よく自分の思いだとか、こうありたいといった願望を含めてしまったりしますが、そうではなくて乾いた表現を心がけます。

こうして書きだしていくわけですが、このビジネス自体がどういうものであるかが明確になっている場合はそのあと強み、弱み分析に行ってもかまいませんが、そうでない場合は、ビジネスモデルの構成要素の重要度分類をして、そこからKSF(重要成功要因)を規定したほうがいいと思います。

すなわち、いま行っている事業というものを構成している要素の中でどれが重要なのかということをABCランクで表示します。例えば、商品の魅力という点が重要であるとか、化粧品のようにブランド力だとか、いや大事なのは設備能力や人材だというような評価を行い、その重要度に応じてABCに分けるわけです。

そして次に、そのなかでAランクに指定されたものを吟味して、さらに最も重要なものを選び出して行きます。これがいわゆるKSF(Key Success Factor)になります。ただし、気をつけなくてはいけないのが、それは状況によって変化するということです。内外問わず環境が変化した場合はこのKSFも変化しますので、その見極めが大事になってきます。

こうして、事業の成功のための重要な要件を頭の中に入れて、強みと弱みの分析に入っていきます。

2010年12月 7日

クローズZERO

先日、「十三人の刺客」を観て、そう言えば三池崇史監督の代表作品の一つに数えられる「クローズZERO」を観ていなかったと思い、DVDを借りて観る。これは、まぎれもない三池監督作品である。

この間、喜劇映画がなくなったという話を書いたが、それもそうだが、チャンバラ映画やヤクザ映画もなくなったなあと思った。そりゃあ、時代劇だとか、「アウトレイジ」のような情けないヤクザは出てくるのはあるが、活劇といった趣は少なくなっている。

「十三人の刺客」では大立ち回りのチャンバラを見せてくれたが、この作品でも高校生たちの集団抗争を描いていて、気持ちいいくらい暴れ回る。おそらく眉をひそめた大人が多くいたと思うが、けっしてそんことはないと思う。例えば、「アウトレイジ」は多くの人間が死んで行くが、この作品には死者がいないのである。

小栗旬演じる主人公の高校生の家はヤクザもので、それと抗争中の若い組員と主人公は友だちになるのだが、それがばれてしまうと、組長から渡世の掟だからといって、射殺されるはずで撃たれるのだが、その前に防弾チョッキ付きの背広を着せれていたため助かったというエピソードが出てくるくらいなのだ。こういうことが、ある種の気分悪さを消している。

それと、単純なのだろうが、てっぺんを取ろうというエネルギーが伝わってくるし、しらけていないし、意欲的な若者が登場するのである。それだけでもちょっとは元気が出てくるような映画である。どこかで“健全な不良映画だ”と言っていた。

最後に、多数の不良どもが入り混じったすごい乱闘シーンがあって、小栗旬ともう一方のリーダである山田孝之がタイマンを張って終わるのだが、そのところでぼこぼこになった小栗旬が上目使いに見る姿がある。これがまったくあの矢吹ジョーとそっくりなのだ。来年2月に、映画「明日のジョー」が公開されるそうだが、あの小栗旬の表情はジョーのものと同じように思えたのはぼくだけだろうか。三池監督は絶対に意識していたと思う。
  

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2010年12月 8日

ビジネスエンジニア育成講座(番外編その1)

この講座の「ビジネスモデルの記述と分析」でビジネスモデルの構成要素を記述していくようになっていますが、この前提が既存のビジネスありきになっています。つまり、いま実際にオペレーションしている事業があってそのことについて記述していくわけです。

ところが、そういうものとは限らないこともあります。例えば、新規に事業を立ち上げるなんていうのはそれにあたります。そのなかでも、既存の事業エリアがあってそこへ参入するなんていう場合はまだしも、全く新しい分野を開拓しようというときはどうするのかという問題があります。

おそらく、その場合の最大のポイントは商材の設定ではないでしょうか。どんな製品あるいはサービスを持って事業を構築していくのかということになります。顧客を先に決めてとか、強いリソースがあるのでそれを使ってとかいった考え方もないことはないと思いますが、それにしても大事なのは勝負する商材だと思います。

ですから、まずはそうした商材を創造するプロセスが必要になってきます。これはデザインプロセスになりますので、それ相応のやり方がありますが、慶應大学の奥出直人教授(ちなみにうちの社長の指導教授です)の「デザイン思考の道具箱」ではこう言っています。

ステップ1 哲学とビジョンを構築する
ステップ2 技術の棚卸とフィールドワーク
ステップ3 コンセプト/モデルの構築
ステップ4 デザイン- デモンストレーション用プロトタイプをデザインする
ステップ5 実証
ステップ6 ビジネスモデル構築
ステップ7 ビジネスオペレーション

これと、ここで言っているビジネスモデリングの関係で考えていきましょう。ステップ1で事業コンセプトをきちんと定義することでそのあとステップ2でフィールドワークが入りますが、これは観察することを意味します。これからやりたいことが人々の行動とどう折り合うのかとか、人間の欲求とどうマッチングするのかというような検討をするわけです。
ステップ3では商材のイメージを作ります。ここで重要なのは、一番ポピュラーなのはKJ法やブレーンストーミングで発散的に様々なアイデアを出し、そこから収束させていくという方法になると思います。それとある程度のビジネスモデルを作っておいた方がいいように思います。

そして、そのイメージをより具体的に、詳細仕様化しプロトタイプを作ります。そこにはデザインという要素をしっかりと入れておく必要があります。こうしてできた商材を使って、ビジネスを行うためのモデル化を行います。これが、いまこの講座で議論していることになります。

ただ、このデザインプロセスは実践してみると少しばかり変えた方がよいと考えています。そのあたりについてはまた、waditとしての方法論を構築する中でカスタマイズしたいと思います。

異形の日本人

このタイトルに惹かれて手にした。異形という言葉に反応したからである。この作者は知らなかったが、部落出身で「日本の路地を旅する」という作品で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。この路地という言葉は中上健次が被差別部落をそう呼んだそうだ。

その作者が書いた「異形の日本人」(上原善広著 新潮新書)を読む。作者の出自からして、そうした人々のことが書かれているのかと思ったら、落語家の初代桂春團冶だけで、あとは普通のひと、いや異形の人が登場する。

登場する人たちは、その春團冶以外では、やり投げの溝口和洋、セクハラ訴訟を戦った筋委縮症の西本有希、劇画作家の平田弘史、ストリッパー・ヨーコなど、ひとくくりでは語れない様々な人々である。

こうなると異形とは何かがよくわからない。マイノリティなのか、ハンディキャップなのか、反逆児なのか、変わり者なのか。普通ではないということなのかもしれないが、どうしてもこの統一感のなさを感じざるを得ない。従って、個々のエピソードはそれはそれで面白いのだが、一冊の本という意味では物足りなさが残る。

とはいえ、今言ったように意識、無意識は別として、既成概念と戦った人たちである。あるいは、戦わざるを得なくなった人たちである。そして、その戦いをそんなに悲壮ではなくしたたかに戦った姿である。

作者のバックボーンから見ていくと、部落のこと陸上投てき選手、文筆業というところは、実体験者ならではの記述で読ませる文章になっている。やり投げの溝口はぼくも注目していたから非常に楽しく読むことができた。あれだけウエイトトレーニングで体を作っていたとは驚きだ。落合博満に似た孤高のアスリートである。

あと、傑作なのはストリッパーのヨーコのことである。この話をするとおまえはスケベだなあと言われるのであまりしたくはないのだが、思わず花電車と聞いてのけぞったのである。語りだすと止まらなくなるのだが(笑)、昔は(今は知らない)地方の温泉街や、場末に行くとスリップ小屋があった。

そこで展開されるおねえさんの芸には正直感動した。客席に飛んでくるピンポン玉を争ってつかんだり、バナナを切ってもらったりと、ああほらドスケベだと言われるのでこれまで。花電車という意味は、この本にも出てきますが「客を乗せない」という意味ですので、覚える必要はありませんが、ちょっと披瀝しておきます。

だいぶ脇にそれたかもしれませんが、このように各スートーリーを個別に小説にでもしたらおもしろいのではないかと思ったのである。

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2010年12月 9日

フレーミング

行動経済学でフレーミングという考え方がある。ものごとを見るフレームは人によって違う。それは、人間というのは思い込みがあって、それによりものごとに対する判断が変わってしまうということでもある。

例えば、手術に先だって死亡率10%ですと言われるのと、生存率90%ですと言われるのでは受け取り方が違う。またアンケート取って好き嫌いが50%ずつになったとすると、半分が好きだとみるのか、半分もが嫌っているとみるかで違ってくる。このように人の見方で印象が変わってしまうことを言う。

なぜ、こんなことを言うかというと、いまビジネスモデルを書いたりしていると、どうもある種の「フレーミング」を行っているような気がしたからである。自分たちがやっているビジネスの捉え方、内外の環境を見ての評価、競合との位置関係などどれをとってもほとんどが意思とか願望が含まれているように思える。

ですから、ビジネスモデルは一義的に決まるものではなく、そのビジネスをやっている人の思いが入ってくる。だからダメだと言うのではなく、そのフレームを少し客観的な立ち位置から検分するというのが必要な気がするのだ。

つまり、理念やビジョンから、具体的なビジネス活動に落とすにはフレーミングを行っていくことと同じようなアプローチになるわけだが、そこには恣意的な部分があってもかまわないのであるが、注意しなくてはいけないのは、それを後生大事に持ち続けることによって変化対応ができなくなるという危険性があると言うことを認識することである。環境が変わったときには自分たちも俊敏に追随しなくてはいけない。そのためには変化対応力が不可欠なのである。

そんなときこそ、“フレームを変えてみる”という態度が大切であると思う。このことは、ビジネスの世界だけではなく、政治の世界もそうだし、それ以外でも適用すべきだろう。日本も成長国家から成熟国家へと変わったのだから、高度経済成長のときのフレームでは通用しなくなっているのだ。まだ成長していると見るのか、いや成長は止まったと見るかである。

このフレーミングの違いが生ずるのはどうしてかを考えてみると、ぼくは思想とか哲学に基づいた事実認識がその後のフレーミングに影響してしまうからのような気がする。端的な例は、同じ社会現象や政治状況でも自民党と社民党とでは対応の考え方が真反対になることがしばしば起こるのをご存じだと思います。市場に任すべきか公共が口を出すのかとか、バラマキか財政健全化かといったように同じ問題なのにやることが違ってくる。

ですから、政治にしても企業の事業にしても、大事なのは事実認識においては科学的で醒めた客観的な目で分析をしておいて、そこからは理念やビジョンに基づくフレーミングでモデリングするという態度が大事なのではないでしょうか。

2010年12月10日

笑う警官

DVDを借りて古い作品を観る場合は、どうしても評判情報が入ってきてしまう。だから、無難なのは評判のよかった作品を観ると外れない。しかしながら、あまりにも評判が悪いとかえって観て観たくなるというのも人情であり、ひょっとしたら一般の観客には理解できないものだったかもしれないと思う映画ファンの心理もある。

そんな映画「笑う警官」を観る。監督、脚本が角川春樹である。その商業主義、すなわち、本などで話題を作っておいて、それから映画化するという手法はぼくは好きになれないし、彼の監督した作品も評価していない。

だが、実はその角川春樹が作ったということも知らないで観たのである。エンドロールでおお監督が角川春樹だと気がついた。さらに脚本も書いていた。

いやー、こりゃーみなさん見る目があると思った。一抹の期待を持っていたが、残念ながらひどい作品で、目もあてられない。もう、演出も脚本もどちらも最悪だ。映画の体をなしていない。

ぼくは、佐々木譲の原作を読んでもいないので、原作との比較でどうのと言っているわけではなくて、結局、本で読む代わりに映画の出演者がしゃべってくれただけなのである。つまり、セリフがただ朗読しているふうに思えるのだ。これでは、映画にする必要は全くない、本を読めば済む話である。

それもあるし、あり得ない設定をしているのもびっくりする。百条委員会に出頭する警官を射殺するために待ち構える警官隊なんてあり得ないでしょう。他にもどこまで裏切りゃいいんだみたいだし、時間が迫っているのにまるで緊迫感がない、隠れているはずなのに家の前に平気で現れるとかもうどうしようもない。

映画というものが小説とは違うということを全く分かっていないという致命的な欠陥があるので、映画のことを語りたくないのだが、なぜかここでも「バイバイ・ブラックバード」が使われていた。ジョニデプの「パブリック・エネミー」にも出てきたが、多くの人が好むこのジャズの曲が時を同じにして日米の映画に使われるのもおもしろい。「バイバイ・カドカワ」

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2010年12月11日

システム屋の解体

佐藤治夫さんの「ダメなシステム屋にだまされるな!」ではないが、ダメなシステム屋がけっこういるとなると、そうしたシステム屋を再教育する必要があるとか、がんばってくれよという議論になるが、どうもそれでは限界があるように思える。

ではどうしたらいいのかになるが、それにはシステムの作り方がどう変わってきたのか、あるいはどう変わっていこうとしているのかをみていく必要があると思うのです。そのことは、従来のやり方ではもはや今の問題を解決できないということを暗に言っているわけです。

もうひとつ、いま問題があるのかという認識が共通化しているかという「問題」も同時に提起していますが、これは佐藤さんの本にも書いてあるし、経営者のIT部門およびITベンダーに対する信頼度のなさ、CIOの存在の希薄さでほぼ説明がつくと思うので、おそらく皆さんの共通認識だと思います。

議論というのは、事実認識と前提条件の置き方がすごく重要で、そこの齟齬でいったい何を議論しているのかが分からなくなることがしばしば起きます。ですから、従来のやり方には問題があって、そうした問題があると言うことは共通化されているという前提で議論してもかまわないでしょう。

それでもこういうとき、うちではできているとか、あの会社はやっているじゃないかという反論があったりしますが、それはあくまで特殊な例になっているかが問われるべきだと思います。どこまで6割の層に浸透するかである。そういう意味で、今のままではまずいのではないかというのが大方の問題認識という点はメジャーではないかと思っています。

さて、ではどうしたらよいのでしょうか。どうもいまの問題を解決するには、やり方を変えることと、それができる人を新たに育成することにつきるのではないでしょうか。ここができていないと思うのです。いまの延長で何とかしようというあがきが感じられます。

それで、やり方は別のエントリーで書いているので、もう一方の人材の話です。ここでの提案は、従来のシステム屋をプロセス屋とIT屋に分けたらどうかと言いたいのです。少なくとも今はこれを十把一絡げにしています。簡単にいえば、上流から下流まで同じようにシステム屋と呼んでいます。

すなわち、ビジネスモデルからビジネスモデル、ビジネスプロセス設計ができる人と、それを受けて実装できる人に分けて考えてみたらどうかという提案です。ただ、ここで注意しなくていけないのが、境界をはっきり線引きしてしまわないことです。ある部分は重なり合う、溶け合うところを持つことだと思います。

それは、簡単に言えば、相手を知ることだと思う。実装する人は上流のところを、ビジネスモデルを書く人はどうやって実装するのかということについて、お互いを詳細ではなくてもいいか概略どんなことかを知ることから始まると思のである。この続きはまた書きます。

2010年12月12日

コージー大内を知ってますか?

ぼくはその昔、ブルースが好きでときどきはコンサートなんかにも行った。当時は三重県に住んでいたので、名古屋くらいにしかコンサートはないのですが、それでも嬉しくて行ったものでした。たまに、ライブハウスに行くこともあって、バディ・ガイとジュニア・ウエルズが来たときにはおったまげた。

とはいえ、日本には数えるほどしかブルースバンド、シンガーがいなかったので憂歌団がお目当てでしたが、たまに大木トオルとか、そうそう俳優の原田芳雄なんてもブルースを唄っていたのです。原田芳雄のコンサートでは舞台の袖で唄っている本人と一緒にビールを飲みながら聞いたものでした。

それで最近はすっかり遠ざかってしまったのですが、少し前におもしろい日本のブルースシンガーを見つけました。その名は、コージー大内と言います。こいつがすごい。代表曲は「角打ブルース」というやつで“かくちブルース”と読みます。この角打というのは酒屋で立ち飲みするやつのことです。大分県日田地方ではそう言うらしい。

この日田地方の方言で唄うのです。だからぼくには何を言っているのかさっぱり分からないのですが、雰囲気でもうメロメロになってしまいます。内容はどうも酒好きのオヤジのことだとか日常的なことを語っているらしい。まさにブルースの真骨頂でもあります。たまには、こんな泥臭い、そしてある意味必死な叫びを聞くのもいいと思いますよ。



  

2010年12月13日

ビジネスエンジニア育成講座(5)

現状ビジネスモデルの強みと弱み

さて、現状のビジネスモデルの記述とKSFの規定が終わったら、次はそれぞれの構成要素について、強みと弱みの分析を行います。ただ現状のビジネスの実態を記述しただけでは、ビジネスモデルではないので、そこにある価値をみていくことになるわけです。

この価値は、単純には強みということになりますが、弱みもマイナスの価値という風に捉えた方がいいと考えています。こうした、プラスとマイナスの価値が入ってはじめてビジネスモデルと言えるものができます。

ここで、価値には事業者側にとっての価値と顧客からみた場合の価値があるのでそうした見方をする必要があります。バランススコアカードにある顧客視点というチェックです。

少し先走りますが、この強みすなわちプラスの価値をさらに生かすのが戦略になり、弱みすなわちマイナスの価値をプラスに転化するのが、業務改善あるいはプロセス改革といったようなことになります。

さて、ここでは自分たちが思っている強み、弱みでいいのでそれを書いて行きます。ですから、現状記述と違って多少の恣意的な要素が入ってきてもかまいません。極端な話、勝手に思い込んでいることでいいわけです。それは後の競合分析で、自分勝手な思い込みなのかをチェックして客観化していきます。

ここで、構成要素にあるビジネスチェーンについてですが、これは会社間のモノの流れのことで、サプライヤーや販売代理店、顧客、アウトソーサーといったプレイヤーの関係のことになりますが、そうした広範囲のビジネスを行っている場合に書きますが、そうでない場合は書く必要がありません。

ここで、強み(プラス価値)と弱み(マイナス価値)が書けたら、次に競合分析に行きます。事業は必ず競争にさらされていますから、いつも相対的な位置関係を知っておく必要があります。これは、醒めた目でみることが重要です。場合によっては、第三者が行うのがいいかもしれません。

ここではまず、競業状況ということで、競合他社がどこかになりますが、つい同業で比較することをしますが、そればかりとは限りませんので、異業種とも照合する必要があります。例えば、飛行機の競争相手は航空会社内だけではなく新幹線かもしれません。

そうした、比較とともに差別化のポイントや競争優位の源泉を探っていきます。それを見る上で価値とは一体何なのかという観点が必要となってきます。それは前に書いたように、比較優位性、特異性、新規性という見方をします。

その結果、この事業がどこで価値を持っているので競争に勝っているとか、そこそこ平均以上だが、他社に比べて抜きんでていないとか、どれもが劣っているとかがわかってくると、その業界でのポジショニングが決まってくるわけです。

オープンということ

ノーベル化学賞の受賞式も終わり、改めて、鈴木教授と根岸教授にお祝いと敬意を表したいと思います。単純に、あるいは素直に日本人がこうして素晴らしい賞をもらうことは嬉しい限りである。ということは、サッカーのワールドカップなんかも一緒だと思うのだが、こうした機会が増えるように日本人全体が努力しサポートすることだと思う。

さて、今回の受賞したお二人の業績はすごいもので、ぼくはケミカルをやっていたので多少はそこがわかるのだが、その研究実績とともにぼくが称賛したいのは鈴木先生がその成果に対して特許をとらなかったということである。

先日のオスロでの受賞講演でも「鈴木カップリングは特許がないから、どんどん使ってください」と言ったらしいが、この態度が立派であると言わざるを得ない。普通は、権利を守るために特許を取得するのだが、オープンにしてしまったのだ。

たしか、その理由が世の中のためになる研究をしているのなら、その成果を多くの人が使って、世の中のためになるものを作ってくれるのが本望だといったようなことだったと思うが、非常に感動する態度である。

ぼくも全く同感で、いくらいいものを作ったとしてもそれが使われなかったら意味がない。特許化しておけば独占的になるため、開発者に多くの利益をもたらすかもしれないが、人類全体の幸せから考えたら、幸せの量が違う。クリエイティブコモンズなんて流れもそういうことではないでしょうか。

ただ、まだ日本国内でも著作権の問題なんかでも閉鎖的で権利固守の風潮が強い。この著作権についても、作者のスタンスなのだろうが、自分の著作がお金を払ってくれる限られた人にだけみてもらいたいのか、お金とは別に多くの人にみてもらいたいかという価値観の違いがある。

ぼくの個人的な意見としては、何かを著作あるいは製作するときって、これで儲けようということで創作するのだろうか、中にはそういう人もいるだろうが、大方のクリエーターはそんなことより、自分のアイデアの実現、自分の思いを理解してほしいといったことが最初にあって、それが実現したその結果として、ある程度の金銭的な見返りがあるというようなことで十分満足するのではないでしょうか。

やや、甘く、楽観的な見方かもしれないが、こうした態度で臨めば感謝とか尊敬といった別の形の見返りも含めて大きく報われると思うのだが、いかがでしょうか。

2010年12月14日

宇宙は何でできているのか

ぼくはこれでも理科少年だったので、科学的な話は興味を持っている方だと思う。そんな子どもが夜空を眺めて抱く疑問は、いったい宇宙はどこまではてしなく続いているのだろうかとか、その中で地球はどんな存在なのだろうか、宇宙は崩壊するものなのか、それとも成長しつづけるのだろうかといったことである。そして、こんなことを考えだしたら頭がパンクしそうになった。

そうした話が詰まった「宇宙は何でできているのか」(村山斉著 幻冬舎新書)を読む。これは、まぎれもなく面白い本で、ワクワクして読めた科学本であった。何やら難しそうなテーマであるが、そこを平易なことばと表現、時にユーモアを交えた語り口で専門家でなくてもある程度理解できるように書いてあることがおもしろさを際立出せている。

この本は、題名に書いてあるように宇宙を形成している物質について書いてあるのだが、初めはそうした「物質」のことが、さっき言ったような宇宙に対する疑問とは関係ないように思ったのだ。だって、原子だとか素粒子だとかは、それこそ物理学と化学の世界であって宇宙とつながっているとは思えなかったからである。

だいいち、原子だとか素粒子だとかのものすごく小さな世界と宇宙というものすごく大きな世界なのだから全くちがうもののように錯覚する。その大きさの違いが、10の-35乗メートルから10の27乗メートルなのだから、この極微小な物質を分析すると宇宙がわかってしまうなんて信じられますか。

ところがそれを丁寧に解きほぐしてくれるのです。これは驚きますよ。そのなぞを究明するために、あのカミオカンデンがあり、つくばのKEKB加速器があるのです。カミオカンデンがなぜ地下にあって水をためているかも教えてくれています。地上にあるもの、さらに貯水をすり抜ける粒子を捕捉するのです。

まあ、そんな話が満載なのですが、それとともに非常にうれしかったのは、日本の歴代のノーベル賞受賞者が登場して、それぞれの業績をわかりやすく説明していることです。湯川秀樹から始まって、朝永振一郎、江崎玲於奈、南部陽一郎、小柴昌俊から最近の益川・小林理論などが、みなずっとつながっていることがわかる。

しかし、物理学というのはおもしろい。結局、理論と実証の繰り返しで、こうしたあくなき挑戦をし続ける学者によって事実が明らかになっていくのだ。それでもまだまだ全貌があきらかになったわけでもさらさらなくて、これからも新たな発見が出てくるという。

ところで、ちょっとした記述にぼくは興味をそそられてしまった。それは、このわれわれの地球が属する「天の川銀河は隣のアンドロメダ銀河と45億年後に衝突する予定である」というのである。この45億年というとふつう無限と聞こえるように思うが、ぼくは逆に決まった数字を提示されるとやけにリアルな感じがしてしまい、なんだそんなにあくせくしてもしょうがないなあと思ってしまったのである。

ぜひご一読をお薦めする良書です。

宇宙は何でできているのか (幻冬舎新書)
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2010年12月15日

妄想のすすめ

こんなことを言いだすと、ここはうちの社長(息子)のテリトリーだと言われかねませんが、もっとまともな妄想(笑)についてです。何かものを作ったり、何かを行ったりするときのきっかけって何だろうと考えたときに、ひょっとしたら“妄想起点”というのもありかなあと思ったのである。

だからこうなる。妄想―着想―企画―計画という具合である。あらぬことを妄想するところから始まり、そこからあるアイデアが浮かんできて、それをどういうかたちにするかを考えて、実行に移す計画をつくるという感じです。

では、その妄想たるものはどうやって出てくるのだろうか。もちろん漫然としていては何もでてきませんし、無理やり考えてもでてきません。それでは、どんなとき妄想が浮かんでくるのだろうか。

ぼくの場合は、ブログのテーマである「シネマと書店とスタジアム」がその機会を与えてくれるような気がする。映画を観ていると大いに妄想欲求を刺激してくるし、本を読むとそこから学んだり、別の角度のものの見方も教えてくれる。

スポーツを見るとこれも妄想を抱かせてくれる。いや美女アスリートのことではありませんよ。ただし、正確にいうと妄想をいだくというより、妄想を抱くための精神状態を整えてくれると言った方がいいかもしれない。戦う姿勢というか、前に進む意欲みたいなエネルギーをもらえるからである。

ですから、何かアイデアを考えるぞといったように構えてもなかなかうまくいかないと思う。日常的にそうしたひらめきのようなものが生まれる雰囲気に身を置くというのが大切ではないでしょうか。

もちろん、それだけでは難しいのも事実であって、前提としては不断の準備ということもこれまた忘れてはいけないということがある。ぼんやりとでもいいからこんなことがしたいとか、こういうのが面白そうだといったことでもいいから、その芽を持っていることが要件でもある。

それがあるとき化学反応のように強い思いになるのが妄想なのである。さあ、大いに妄想の世界へ浸ろうではありませんか。
  

ビジネスエンジニア育成講座(6)

ビジネスチェーンの分析

今までは自社内のモデルについて論じていますが、少し大きな会社になってくると、それだけにはとどまらないで、他の会社との関連が出てきます。会社間の取引により、事業がなりたっているというケースです。おそらく現代では何らかの形で分業というのが一般的ではないでしょうか。

さらに、最近ではグローバルな形でも関連性が出てきています。サプライチェーンでも本社や研究開発などの機能は日本にあるが、生産は中国なんていうのは多くの例があります。空洞化は由々しき問題ですが、それはそれとして個別企業の生き残りの戦略としてしかたないのかもしれません。

さて、その関連性をここでは「ビジネスチェーン」と呼ぶことにします。バリューチェーンといった呼び方もありますが、このバリューの定義があいまいなところがあるので、簡単に各社のビジネスのつながりという意味でこうしたワーディングにします。

このビジネスチェーンについても必要に応じて、現状の記述・分析とポジショニングをしておきましょう。ビジネスチェーンに参加する企業は、調達先などのサプライヤー、アウトソーサーもこのサプライヤーに入ります。また、代理店のような販売業者、ネット何かだと広告業者なんかもそうかもしれません。それと顧客ですね。

そうした関係のある会社について、現状の記述・分析では、拠点がどこか、取り扱っているものは何か、取引形態はどうなっているのかといったことを記述していきます。取り扱い物も、原材料のようなものから、中間品や資機材、部品、そして商品といった区分になります。

それができると、分析に入ります。これも同じように強み、弱みの分析を行います。トヨタの強みは、大変忠誠心の強い部品業者がいるとか、ひと昔前の松下電器の全国展開された販売店なんていうのもそうかもしれません。ユニクロと東レの関係なども強いですよね。最近は、グローバルで評価しなくてはいけなくなりました。

そこから、これまた同じように競合分析を行い、差別化ポイントや競争優位点からポジショニングを行うことになります。自社を取り巻くビジネスチェーンが他社と比べて強いのか弱いのか、どういう位置にいるのかということがわかってきます。

2010年12月16日

ほめ言葉

昨日は、高校のクラスの忘年会が池袋であった。三年生のときに一緒のクラスだった面々であるが、このクラスの何人かと連歌の会というのをやっていて、そのメンバーが中心での忘年会です。

ほとんどが神奈川在住なのだが、ひとりだけ西武池袋線に住んでいるやつがいてそいつのたっての願いで場所が池袋になった。それがいけなかった。まず、情けない話だが、ぐるなびの地図を持っていくのを忘れてしまった。(もうひとり同じような人がいた)何とかぐるなびの2ページ目(いつも思うのだが、ぐるなびの地図をそのまま印刷すると、2ページになってしまい、その2枚目は上の1行だけの印刷になる。これ何とかならんのか)をメモ代わりに持っていったので、そこにわずかに店のURLが出ていたので、それをたよりに店を捜した。

ぼくは地図があっても会場の居酒屋の場所を見つける自信がなかった、だから、6時半からだけど6時前には池袋の駅に着いたのだが、駅から徒歩1分とあるに、案の定20分かかった。急いで店に入ったら着いたとき3人しか来ていなかった。そして開始時間が過ぎてからやっとぽつぽつと登場。みな異口同音に迷った、わからないと言うのである。ほんと東京にめったに来ないひとにとっては、渋谷、新宿、池袋は迷路である。

その後がまた、混乱である。飲み放題プランだったのだが、そのシステムがよくわからない。飲み干さないと次が来ないのだが、それに人数制限みたいなのがあって、例えばビールは一本を二人で飲むようになっているから、二人が一緒に頼まなくてはいけないのだと言う。片方が日本酒じゃあだめなので好き嫌いがあるのにどうなっているのかてな話で盛り上がる。

まあ、そんなトラブルはあったが、いつものように楽しいおしゃべりであっという間に2時間が経つ。そこでちょっぴりうれしい思いをする。女性軍が4人参加していて、男は9人だったが、うちのクラスの女性はパワーがあるから対等といった感じになる。

その女性たちで高校生の時に美少年は誰だったかみたいな話題になった。もちろんぼくはスポーツ少年だったから美少年とはほど遠かったのだが、女性陣から「でもワダクンは今は味が出てきたね」と言われたときには萌えた(笑)なあ。

男のほめられ方は、当然年齢でいろいろあって、また言われたときのうれしさも違ってくる。若い時は、かわいいとか、イケ面だとかかもしれないが、齢を重ねてくるとそんな子どもみたいなほめられ方もどうかなと思いだす。そんなときの一発が「味のあるおとこ」なのである。俺はスルメかというようなくだらない返しはしなかったが、ああ、うれしかった。

2010年12月17日

酔いがさめたら、うちに帰ろう。

ぼくにはほんのちょっぴりアル中(今はアルコール依存症という)恐怖症というのがある。ひところよりだいぶ量が減ったとはいえ、ほとんど毎日呑んでいるので気になることもたまにはある。

東陽一監督が6年ぶりにメガホンをとった「酔いがさめたら、うちに帰ろう。」は、漫画家の西原理恵子の元夫で戦場カメラマンだった鴨志田穣の原作をもとに作られた映画である。題名のように、アルコール依存症から生還して死ぬまで家族と一緒に安定して暮らした物語である。

そのアルコール依存症の夫を浅野忠信、その妻で漫画家を永作博美という布陣である。その他脇を固めるのが、市川実日子、香山美子、利重剛、光石研、高田聖子など芸達者が揃う。この浅野、永作のコンビは適役だと思う。

ストーリーは単純だ。重度のアルコール依存症となった夫からの暴言や暴力を受けたために離婚するが、それでも二人の子どもの“かすがい”のもとに関係は継続する。実家に戻った夫は、そこで10回目の吐血をして病院に担ぎ込まれる。よく生きているといわれるほど体は痛み切っている。

しかし、酒を断つことを誓いながらどうしても誘惑に負けてまた飲みだすということを繰り返すのだ。このあたりは、ぼくにも似たようなところがるのでほんのわずかながら共感してしまう。そして、ついには精神科に入院ということになる。そこから治療が始まり、何とか克服することに成功して、子どもたちのいる場所に戻ってくるというものだ。

だから、主人公の中では大変だろうけど、全体としては波乱万丈でもなく、ことさらすごいことが起きるわけでもないわけなのだが、その静けさというか淡々とした中にほんのちょっとした深いものが垣間見せているのである。その最たるものは、元妻が台所で野菜をきざんでいるときふと悲しみが襲ってきて泣きだすとそれを見つめる子どもというシーンなどは、つとめて明るくふるまう元妻が見せた本音なのだ。

それとか、これも大げさに自分のプロフィールをしゃべらせるわけではなく、退院真近の体験発表でそれを語らせるといったのも効果的である。そうそう、高田聖子演じるここの病院の精神科医との会話が秀逸である。関西弁を操りながら、徐々にコミュニケーションをとっていくのが大変面白かった。

こうして、抑制を効かしたトーンや忌野清志郎のエンディングソングはすごく共感でき、なかなかの秀作であった。ただ唯一の難点は、アルコール依存症から抜け出すのは至難の業と言われているにもかかわらず、見た目簡単に直ってしまうことで、これならぼくも・・・と思ってしまうことである。
  

2010年12月18日

テレビの大罪

今週の週刊新潮の見出しを見ていたら思わず膝を叩いた記事があった。もちろん、買って読む気はなくて、電車のつり革広告を読むのとおなじように、その記事タイトルを眺めるのだが、ほとんどの場合それでだいたいの内容が読めてしまう。

今回、そのなかで「テレビの大罪」ということで次のような内容が書いてあった。

(1)衆愚におもねるコメンテーターの小学生的「善悪」二元論
(2)「整形」「痩身」を大推奨! 若くて美人ならバラ色人生という貧困
(3)いつもの偽善がどこかにけし飛ぶ「芸人主導」バラエティーの毒
(4)「世界に一つだけの花」症候群をまき散らすドラマが薄っぺらい
(5)「テレビ・ショッピング」が大手を振って今日もトラブル続出
(6)なぜバレーボール「世界大会」はいつも日本でやるのか

これって、全部ぼくが普段から思っていることを代弁してくれていて気持ちがいい。これに、「なぜどこの局も同じような時間に同じようなニュースばかりを流すのか」を加えてくれれば完璧だ。

どうも新聞もそうだが、ポピュリズムに加担しているように思えてならない。いい例が世論調査であたかもその結果が国民の声であるかのようにして煽ったり、テレビ視聴者の多くは主婦と年寄だから、そこへ媚びたりする言動にはうんざりする。

やっぱりテレビはおかしいですよね。だからぼくはもうテレビはほとんど見ないことにしている。しかし、そうはいってもテレビも影響力はすごくて、ネットはまだまだ足元にもおよばない。だから、こんなテレビがなさけないのである。

もはや、新聞も変なので、気骨(良識あるかはわからないが)あるメディアは週刊誌だけぐらいかもしれない。政権におもねることもなく、マスメディアにももの申すし、時に脱線することもあるが、それは読み手が気をつければいいのであって、メディアは基本的にアンチ権威を貫くべきだと思う。

ぼくはいま週刊誌を含めて、メディアで「消費税は増税すべし」キャンペーンを展開してくれないかとほんとうに思っている。日本が崩壊しないためにこれしかないと思うのだが、逆の動きをしている。テレビは大罪を犯しているのだから、その罪ほろぼしのために一肌脱いでくれと言いたいのである。

2010年12月19日

咢堂言行録-尾崎行雄の言葉と理念

著者の一人からの献本です。いま若い人たちと地域活性化のプロジェクトを興していて、毎週のようにディスカッションをしています。そのメンバーの一人がこの本の著者で政治学の研究者として尾崎行雄記念財団に所属しています。

その彼からもらったのが「咢堂言行録-尾崎行雄の言葉と理念」(世論時報社)で、ご存知のように咢堂と呼ばれた尾崎行雄の言葉を集めて解説を加えたものである。1858年生まれの尾崎行雄は「議会の父」とか「憲政の神様」ともいわれ、1954年95歳で亡くなるまで、当選25回・議員勤続63年という長きにわたり日本の政治に携わった人である。95歳まで衆議院議員をと務めたのは日本の最高記録だそうだ。

これだけの人だから数々の言葉を残していて、その言葉をたどることで、政治理念や信念のようなものが伝わってくる。今年は、議会開設120周年ということで議会について考えるいい機会だと思う。そのためには、「議会の父」の声に耳を傾けるののも大切なことだと思う。

言行録は、いくつかのジャンルに分けられていて、「民主政治とは何か」、「有権者のあり方」、「政治家のあり方」、「政党のあり方」、「議会のあり方」といったところである。そのなかでもぼくが惹かれた言葉をいくつかあげてみる。

もし国民が、正しい選挙を行い、選出せられた代議士が真正な政党を結び、全国民を後ろ盾にした政党内閣制度を確立することに成功しておりさえすれば、明治憲法の下でも「人民による」民主政治はできたはずである。 今日、もし日本の民主化の実現を妨げるものがありとすれば、それは唯一つ、国民の無自覚怠慢があるだけである。

真の民主主義は人民の代表者が政治の主体としなければならない。また、民主政治とはいわなくても、議会政治たる以上は、人民の代表者が政治の主体であらねばならね。しかるに、今日の日本の法律規則は全て、全国民の代表者たる議会を、行政部の補助機関として手先に使うために出来ている。このような状態を全国民が満足して疑おうとしないのである。

まだまだ、いっぱいいい言葉があるのだが、紹介できないのでこのくらいにして、たったこれだけでもこうした言葉はいったいいつ発せられたかを考えるとき、現代の日本にも同じ言葉が必要である状況は全く進歩がないことを感じてしまうのである。

尾崎咢堂は自らは政治家としての矜持を失わず、私利私欲からも離れ、国家を論じたと同時に国民に対しても自覚と成長を促していたことがよくわかる。この姿勢こそ政治家に求められることではないだろうか。自分たちもしっかりするから、あなたたちもしっかりしてくれよというエールである。

翻って、今の政治家を見ていると国民にモノを言うこともできず、むしろ衆愚の国民に媚びた発言をしているように思える。なんとも情けない議会開設120年目である。

咢堂言行録―尾崎行雄の理念と言葉
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2010年12月20日

大人のサッカー

UAEのアブダビで行われたFIFAクラブワールドカップ2010で、ヨーロッパ代表セリエAのインテルがアフリカ代表のマゼンベを3-0で撃破して優勝した。まあ、順当勝ちといったところであるが、今回は例年のようにヨーロッパ対南米という図式が崩れて、アフリカ代表が決勝に駒を進めた。

南米代表であるブラジルのインテルナシオナルが準決勝でマゼンベにやられてしまったからである。この身体能力を生かしたパワフルなサッカーが、技術を武器に華麗なサッカーをするチームを破ったのである。この結果はどうして生まれたかであるが、力と技という対照的なチームはそれぞれの強みを生かすというより、その弱点を以下にカバーしきれたかで勝敗を分けたようだ。

すなわち、インテルナシオナルはスピードとパワーをどれだけ発揮できるか、そしてマゼンベは戦略的な戦い方ができるかどうかである。驚いたのは、マゼンベの賢い戦い方であった。守備的に入り、ここぞというときに集中させるというカウンター戦法をとったのだ。これが成功した。その術中に南米スタイルははまってしまった。

さて、マゼンベは決勝のインテル戦はどうだったかである。今言った戦術は使えないのである。なぜなら、インテルも同じように、そしてイタリア的に守備的なスタイルで来たのである。これを破るべく前にでるのだが厚い壁に阻まれてしまったのである。

インテルのその壁は、サネッティ、カンビアッソ、モッタの3人のミッドフィルダーたちである。彼らの鉄壁の連携がマゼンベの攻撃の芽を摘み、あせりを誘ったのである。これは、初戦でのスナイデルの負傷退場がもたらした予期せぬ効果だと思う。

スナイデルは初戦の城南戦で開始4分に肉離れを起こして、モッタと交代した。モッタはスナイデルとは違って守備的であるため3人のミッドフィルダーが並ぶような布陣になったのである。

こうして、守備を安定させておいて、あとはエトーとミリートの個人技とスピードで一瞬のすきをつくという作戦である。決勝ではこれがものの見事に決まり、エトーのパンデフへの絶妙のパスと自らの素早い振りでゴールネット揺さぶったのである。

よく試合ではいつものようにやればいい、普段通りにやることだと言いますが、それもありますが、サッカーのようにチームプレーで相手と戦うようなスポーツは、実は相手の出方やスタイルで絶えず変えていくというのが重要なことなのである。だから、同じように戦っても勝てる時と負ける時があるのである。マゼンベはまだそこを知らない子どもだったようだ。インテルは大人だ。

2010年12月21日

ビジネスエンジニア育成講座(番外編その2)

この講座では、戦略のことに触れていません。ビジネスエンジニアには必要ないというわけではありませんが、戦略を立てられるような前振りをしてあげるというのが主なミッションであると思うのです。ですから、ユーザと一緒に分析・評価した結果を使って、みなさん考えてみてくださいというスタンスでいいと思っています。

とはいえ、多少の示唆的なアドバイスは持っていた方がいいに決まっています。それについては以前に「ボトムアップ戦略立案」という記事で書いているのでそれを読んでもらいたいのですが、ここでは多少補足的なこととおさらいを少しだけ書いてみます。

今までの議論で、ビジネスモデルの記述と分析を行い、自社のポジショニングを行いました。そのポジショニングから、強みをさらに生かす、別なところで生かす、弱みを改善する、ポジショニングを変えるといった方向にもっていく施策を考えるのが戦略でした。

ところが、時に陥りやすいワナに、そこで立案した戦略を金科玉条のように守らなければいけないんだということがある。これが大間違いなのである。戦略というのは、たまたまのそうした内外の環境だったから、あるいは、自分たちのもつ経営資源にそうした戦略に向いたものがあったからといったことでできあがったのである。

いわば、仮の、テンポラリーの計画でしかないのである。ということは、ビジネス環境が変わったときには当然のように戦略を変えていかなくてはいけないのだ。それができないとガラパゴス化と揶揄されてしまう。現代では、この環境の変化がものすごく激しいからいかに戦略の変化対応力があるのかと言うのが問われているわけです。

そのために、大事なのはここで議論していたようなビジネス(事業)モデルを絶えずチェックして、いつでも変えられるように見直すという作業が継続的になされるかということであろう。ということは、そこから展開される業務プロセス自体も戦略変化と同期して変えられる構造にしておかなければいけないのだ。

先日、このビジネスモデルフォーマットに従って、若い人たちにグループ討議をしてもらいながら、ユニクロのビジネスモデルを書いてもらった。ユニクロはちゃんと事業戦略も開示しているし、われわれも顧客として店に行ったりしておるので、何とか書ける。2グループに分けてやったのだが、それぞれで強み、弱み分析の結果が違ったりしておもしろかった。例えば、各年代層をターゲットにした品揃えや低価格商品、圧倒的な低コストサプライチェーン、上手なプロモーション、接客態度、確立したブランド力などいくつかの競争優位点が抽出された。

ところがそうしたユニクロでも今年の成績はあまり芳しいもではなく、販売実績も頭打ちに近くなっているそうだ。あれだけの勢いでデフレの元凶だなんて言われたのにどうなっているのだろうか。あるひとは、実用衣料なのかファッション性を売っているのかがあいまいだとか、ターゲット客層を全方位にしているのが限界だとか言っている。

そうなんですね、強みと思っていたものが弱みになることもあるのです。どれもいいことだけで固まった戦略はないということです。トレードオフで考えないといけなくて、またユニクロの例でいうと、いま郊外の大型店に力を入れているらしいが、その理由が多くの商品を置けるので欠品が減り、お客さんも選択肢が増えるからだそうだが、逆に言えば、在庫を持つということに他ならない。

ということで、繰り返しますが、戦略は生き物です。環境に合わせて変化させないとビジネスは衰退の憂き目に会うということです。ガラパゴス島のイグアナでさえ変化しているのだから。

*この講座はまたこちらのブログに掲載することにしました。


2010年12月22日

オーシャンズ

このブログでもたびたび登場するぼくの行きつけの店である銀座の「M」の女性バーテンダーのKちゃんは、スキューバダイビングが大好きでしょっちゅう海に潜っている。そして、その魅力についていつも語っている。

ぼくもちょっぴりはやってみたい気もないわけではないが、まあやめておくかとなる。それは、基本的に海が恐いという気持ちがずっと残っているからだろう。ぼくの家は比較的うみに近いので、子どもの頃は海水浴もよくいったし、海釣りもやった。

ところが、小学校のとき年下の子だったが顔も知っている子が溺れて死んだのだ。これはショックだった。また、ぼく自身も溺れかけたことがあった。鎌倉とか江の島は遠浅だからいいのだが、辻堂まで行くと、すぐに深くなるので注意しなくてはいけないのだが、安易に遊んでしまった。

それと、中学生のとき、江の島の岩場でよく釣りをした。そんなあると先の方の岩に乗って釣っていたら、いつの間にか潮が満ちて孤立してしまったのだ。夢中になっていたので全く気がつかなかったのだ。もう必死の程で戻ったときには腰が抜けそうになった。

そんなトラウマがあるので、海は恐いのだ。大変前置きが長くなったが、海の中での起こっていることを映像化した「オーシャンズ」(監督ジャック・ペラン)を観る。ここには、美しさと残酷さとしたたかさが映し出される。当たり前の自然の摂理である。

魚の泳ぐ姿や、色とりどりの動物たち、ダイナミックな群れの動きなどすばらしいシーンには感動する。しかしだ。そこでは単純にそれこそ自然に映せばいいものを人間の作為が入ってきてしまったのだ。そうなると、美しさも何となく人工的な匂いを感じてしまう。

決定的なのは、イルカ漁のシーンを挿入しているわけで、もちろん「The Cove」ほどではないが、それでも何かを訴えているようだ。ぼくは日本人だから、正直こうした西洋的な観念を押しつけられるとあまりいい気持はしない。

飛躍してしまうかもしれませんが、今回のノーベル平和賞にしても、西洋的な思想の押し売りには多少の抵抗感があるのは否めない。あまり一方的にならないような適切なバランスというのは難しいのだろうか。だいぶ映画から離れてしまった。

2010年12月23日

柳家小里んの会&オヤコ定例吞み会

下の息子との定例吞み会の12月例会を柳家小里ん師匠の独演会と絡めて行うことに。この「柳家小里んの会」も数えて45回目となる。今回も場所はいつもように池袋演芸場で、演目は、「宿屋の仇討」と「短命」である。

このうち「短命」という噺は、17,8分と短い噺なので、師匠の出番の前にしゃべる弟子の柳家麟太郎にいつもより長く30分話してこいと言ったのに、20分で終わらしてしまったらしい。そうしたら、師匠が登場したらいきなり、これじゃあ早く終わっちまうのでもう一席短い噺を入れますと言って、「長短」という噺をしてくれる。

まあ、当たり前といえばそうなのかもしれないが、とっさに、しかも「短命」にひっかけたような噺をいきなりするのでさすがと思う。いつものように楽しい会で本格的な落語を堪能する。ただ、「宿屋の仇討」のさげでちょっと噛んでしまったのはいただけない。

あとすごくおもしろかったのは、まくらで海老蔵事件について言った言葉が「たかが河原乞食とやくざのケンカじゃねえか」。これは受けましたね。お客さんがみな拍手です。

終わったあとは息子とすぐ近くの「うな鐵」で呑む。ぼくも息子もしばらくウナギを食べていなかったので、久しぶりに舌鼓を打つ。串焼きとう巻でビールと芋焼酎。串焼きもいろいろな部位のものが味わえて酒も進む。

息子は来年の2月に香港でフルマラソンに出るのだという。そのため前の休みの日に富士スピードウエイで行われたハーフマラソンを走ったらしい。記録はと聞くと2時間ちょっとだった。おいおいそんなでフルマラソン走れるのかとひやかしたが、さて本番はどうなるのだろうか。

そしていつものように仕事の話も混じえて近況を聞く。そこで出てきた話で思わず握手してしまったのは、What to do とHow to do の違いのことである。大事なのはHow to doではなく、What to doのことであるという意見で、それには同意と叫んだのである。

彼は、コピーライターをめざして「宣伝会議」のコンテストの最終に残ったりしたこともあって、そのコピーについて、ついその言葉使いのようなHowにこだわってしまう人が多いのだが、ほんとうは何を訴えたいかのWhatがすごく大事なのだと言っていた。

このことは、ぼくもよく言っていることだなのだが、システムもどう作るかの議論にすぐになるのだが、何を作るかの「何」が間違っていたら、いくらいい作り方をしてもどうにもならんと思っていたので、大いに共感したのである。

ウナギの串のあとはサラダと豆腐で一旦うなぎから離れ、そのあとうな重を食べて池袋を後にした。落語とうなぎと親子酒で“落語”のような楽しい一夜であった。
  

2010年12月24日

ビジネスエンジニア育成講座(7)

ビジネスモデルからプロセスへ

さて、前回で「ビジネスモデルの記述と分析」が終わったわけですが、その次は「ビジネス要求とプロセスの特定」というフェーズになっていきます。これまでは事業がどんな構成要素から成り立っていて、そこの強みや弱みが何なのか、そして競合相手との比較で自分たちがどういう位置にいるのかを見てきたわけです。

そうした分析からはビジネス上でこうして欲しいというようなビジネス要求が出てきます。強みを更に強くしたいだとか他のところにも生かしたいとか、競争に勝つためにポジショニングを変えるとかいった戦略的なもの、あるいは弱いところを改善して守りを強化するといったことがそれにあたります。そうした要求に応えるためにそれを実現してくれるプロセスに展開していくわけです。

そのために最初に考えることは、ビジネスモデルとビジネスプロセスの関係を知ることです。それには、もう一度ビジネスモデルの構成を眺めることにします。ビジネスモデルは、どこの誰に、どんな商材を、どの経営資源を使って、どのように提供して、どうやって儲けるかでした。

これをもう少し業務的な見方で表現してみてください。すなわち、それぞれの構成要素の中ではどんな活動が行われているか、あるいは行われるべきかを吟味することです。そうすると、つぎのような活動が浮かび上がってくるでしょう。

どこの誰に        :顧客を獲得し、注文を受付ける
どんな商材を      :提供する商品とその仕様を決める
どの経営資源を使って :使用リソースとその条件を決める
どのように提供して   :商品を用意し、それを届ける
どうやって儲けるか   :価格を決め、代金を回収する

いかがでしょうか。ビジネスの基本的な流れを表現していますよね。これは、業種・業態・規模に関係なくどんなビジネスも、いやビジネスではなくとも例えば何かイベントをやるとか、ボランティアでも同じです。

忘年会を行う場合でも、参加者を募って、どんな趣向にするかを決めて、会場や手伝ってくれる、挨拶してもらう人を決め、余興のアイテムを揃えます。そして、参加者に楽しんでもらい、会費をもらうわけです。これって同じですよね。

これが、ビジネスプロセスの基本構造ということになります。
   



2010年12月25日

シャーロック・ホームズ

これはシャーロック・ホームズではないとけっこうな人たちが思ったことだろう。派手なアクションを盛り込んだガイ・リッチー監督作品「シャーロック・ホームズ」は大方の人が抱いていた従来のイメージを壊した設定になっている。

ご存知シャーロック・ホームズを演じるのが、ロバート・ダウニー・Jr、その相棒のワトソンを演じるのが、ジュード・ロウである。やはりぼくも含めてホームズは知的で静かでという像があるが、この映画では大立ち回りを展開するのである。

確かに、小説上では武術家としても描かれているから、おかしくないといえばそうなんだけど、それは格闘試合のシーンまでは許せても火を吹いたり、建物が崩れたりといったスペクタクルはやり過ぎだろう。

ぼくはジュード・ロウが好きだから、ホームズよりワトソンを見ていたが、やんちゃなホームズを御す姿がよかったと変なところを評価してみる。ホームズのように固定化されたイメージのある人物像を変えてもいいが、大きく逸脱すると失敗すると思う。

結局、アクションと謎解きが一緒くたになっているから追いかけるのが大変なのである。謎を考えているといきなりドンパチと派手な動きが加わるから混乱してしまう。ラグビー部と数学研究会に同時に入れるようなヤツはいいかもしれないが、普通はどっちかにしてくれっていうのではないだろうか。
  

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2010年12月26日

サッカー日本代表をデザインする

このところデザイン思考だとか、ビジネスモデルだとかいったふうにデザインについて考えることが多い。そこでは、企業だとかビジネスのようなエリアで話をすることが多い。ところが、こうした考え方や思考アプローチは別に会社のことだけではなく、またジャンルもあまりこだわらないで適用できるのではないかと思えてくる。

なので、いっそのことサッカー日本代表をデザインしてみたらどうかという思いつきにいいねとつぶやいていた。

ステップごとにぼくの考えたプランを書いてみる。

1. ビジョンの構築
   「10年後にワールドカップのベスト4に残っている、あるいは優勝候補にあげられるようなチームになる」
2.技術の棚卸とフィールドワーク
  これは、Jリーグなどの試合で代表になれそうな技術を持った選手を選別すること
3. コンセプト
  ・スピードを生かすアジャイルサッカー
  ・全員が同期する組織力
4.デザイン
  ・フォーメーション:4-2-3-1が基本
  ・攻撃的な布陣と守備的な布陣のツープラントンシステムを持つ
  ・セットプレーのマルチパターン化
5.リファレンスモデル
  ・イタリアの守備
  ・スペインの個人技
  ・韓国のスタミナ
6.プロトタイピング・実証
  紅白試合-練習試合
7.インプリメント
  試合出場メンバー決定
  試合戦術指示

てなところになる。うーん、こうして考えるとけっこう難しいので中途半端感は否めないが、一大プロジェクトなのだから、そのための実行方法もビジネスなどと同じように考えてやるというのも大切なことかもしれない。皆さんも考えてみてはいかがでしょうか。
  

2010年12月27日

日本の統治構造-官僚内閣制から議院内閣制へ

ちょっと前に。尾崎行雄の言行録を読んだので、少しばかり政治のことや議会のことが気になったので、「日本の統治構造」(飯尾 潤著 中公新書)を読む。日本の統治はいったいどんな変遷を経て、現在のような構造になったのか、またその構造が抱える問題は何か、その処方箋はいかなものかといった論が展開されている。

まずは、議院内閣制という制度について述べていて、日本ではそのことについて誤解があったり、よく理解されていないのではないかという指摘である。例えば、議院内閣制と内閣制が区別されなかったり、議院内閣制が議員内閣制になっていたり、議院内閣制だから大統領制のように強い権力をもっていないという誤解などである。

議院内閣制のもっとも重要な特質は、行政権を狙っている内閣が、議会の承認によって成立していることにあるのである。それなのに、衆議院議員の仕事は立法だけであると思うことで、そういった基本原理を忘れがちになるのである。であるがゆえに「議院内閣制」ではなく「官僚内閣制」になってしまっているというのが、大きな日本の問題なのだ。

それは、省庁代表制という、縦割りの官僚たちが行政を担っているというよく指摘される構造になっていることである。こうした構造がなぜ悪いのかというと、部分最適だけで、全体最適をだれも考えないことではないかと思う。省益に走り、日本全体の進むべき道を設計できないのはご承知のとおりである。

そして、著者が強く問題視したことは、政権交代なき政党政治である。この本が書かれたのが2007年なのでその時点ではまだ民主党が政権を取ってはいない。それまでは、総選挙が政権選択選挙にならず、有権者の選択によって首相や内閣が成立しないという大きな問題があった。だから、誰もが選んだつもりでもない首相がころころ登場するというおかしな政治になっていたと感じていたはずだ。

そして、そうした戦後政治の姿は、1990年代あたりまではそれはそれで機能していたが、それ以後では環境がまるで変わって来ているのもかかわらず、そのままになっているために機能不全に陥っているという。そうした戦後日本の政治構造の問題を次の三つであると言っている。

(1) 政治の方向を決める「権力核」の不在・・・リーダーシップの欠如
(2) 権力核の民主的統制の強化・・・選挙による政権選択の問題
(3) 政策の首尾一貫性確保の難しさ・・・「改革を阻止するためには、改革をすると公言しながら、その実行を遅らせるのがもっとも効果的だ」と思っていやしないだろうか

こうした問題の解決策として、衆議院選挙における政権選択選挙の実現と、内閣総理大臣(首相)の強化に論及している。有権者が政権政党・政権政党連合と首相候補、政権公約の3つを同時に選ぶことで首相の地位も向上するのだという。

まだまだ、なるほどと思うことがいっぱいあるのだが、何と言っても現時点での興味は、この本で望んでいた政権交代が起こったのだから、日本の統治構造の問題点はどのように解消されたのだろうかということだろう。

ここは大方の人が賛成してくれると思うが、全く変わっていない、よくなっていないということだ。信じられないほど、民主党の政治はその前の自民党の政治との違いがない。これは政策というより、「統治構造」と言ったらいいかもしれないが、旧態のままの政治のやり方になってしまっている。

政治主導といいながら、官僚のやっていること取り戻すことが政治主導ではない。よくこの本を読んで、ほんとうの意味での「議院内閣制」、そして政党と政治家の役割を政治家自身が理解し、真の国民のための政治をやってもらいたいものだ。日本の政治を理解するうえで大変参考になる良書である。
  

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2010年12月28日

ビジネスエンジニア育成講座(8)

ビジネスプロセス展開

前回は、ビジネスモデルから業務活動的な見方で変換してみるとどうやらプロセスっぽくなってきました。それを、ビジネスプロセスの基本構造を呼んで、これはどんなビジネスにも当てはまることを示しました。これをだんだんと具象化していきます。

まずは、そこから、○○プロセスという名をつけてみることをします。この名前の付け方はこれでなくてはいけないというわけではありません。まあ便宜上意味が通ればいいくらいでかまいません。むしろ、プロセスという名は付けない方がいいかもしれないくらいです。

というのは、これから、徐々に分解して詳細化していくわけですが、最初から○○プロセスに分解といったことをするとどうしても既成のものに影響されてしまうからです。しかし、いずれそうして分解した業務プロセスの親プロセスという風にせざるを得ないので仕方ないので付けておきましょう。

ここでは仮に、順番に「顧客接点プロセス」、「商品設計・開発プロセス」、「リソース提供・管理プロセス」、「バリューチェーンプロセス」、「収益プロセス」ということにしておきます。

顧客を獲得してから、商談を経て注文をもらうプロセスということで顧客接点プロセスです。ただ、この顧客接点プロセスという言い方には意味があって、お客さんから注文をもらうことだけではなく、既存顧客のアフターサービスのようなことも含んでいることを忘れないためでもあります。

商品設計・開発プロセスは、新規に商品開発するようなケースとオーダーを受けてから設計するようなケースもあります。特注品のようなときですね。ですから、一連の流れの外側の場合と、その流れに組み込まれている場合があります。

経営資源の管理は、そのリソースの種類によって様々ですが、基本は使用するリソースの“情報”を提供することと、そのリソース自体を管理することの二つの機能に分けて考えた方がよいでしょう。つまり、メインのプロセスを動かすときに参照したりするためのり―ソス状況を提供する機能とそうしたリソースに関する履歴、現状、計画の更新、削除および新規リソースの登録といった機能を指しています。

バリューチェーンは自社内でのサプライチェーンと会社間をまたがるビジネスチェーンがありますが、これらはまさにプロセスそのものですからイメージがわきやすいと思います。最後の、収益は設ける仕組みになりますが、プロセス的にはお金をどうやって請求して集めてくるかが主なところになります。これまでの議論をまとめたものが下図になります。

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2010年12月29日

書道ガールズ!!-私たちの甲子園-

最近は、女子会だとか、山ガールズや歴女、鉄子といったように、女子の元気良さを象徴する呼称が増えてきている。それに比べると男子の情けなさが際立ってくる。草食系男子や弁当男子では元気とは遠い感じがする。

この「書道ガールズ!!-私たちの甲子園-」は、書道パフォーマンスで街の活性化を図ろうとした女子高生を描いたものである。話は実話をもとにしていて、紙の街として知られている愛媛県の四国中央市を舞台にして、地元の高校の書道部の生徒がさびれていく商店街やそこに暮らす人々を勇気づけるべく、書道パフォーマンス甲子園という企画を実行する。

主演が、成海瑠子で、この子はそのちょっと前の「武士道シックスティーン」にも主演しているので、この手の部活女子にうってつけの俳優さんなのかもしれない。そういえば、外見もやわくはなく、引っ張る女のイメージもわくので適役である。

この成海瑠子がキャプテンで、その他に山下リオ、桜庭ななみ、小島藤子などが出演していて、彼女らが主力の書道部員なのだが、それにたよりない男子部員3人加わるという、ここでも女性上位の構成である。

こうした映画は、単純に楽しめるし感動する。ワンパターンで予定調和の世界とわかっていながら、局面局面ではらはらするし、応援してしまうのだ。もちろん、そのためには最低限きちんとした脚本がなければいけないのだが、この作品はそういう意味では及第点であるので映画がしまっている。

ところで、ぼくの二人の息子には、子どもの時にやらせた習い事が3つあって、それが水泳とピアノと書道である。上の子には更にそろばんをやらせたが、四日市から横浜に引っ越したらそろばん塾がなかったので、下の子はそろばんをやっていない。

それぞれに理由があって、水泳は溺れないように、ピアノは情操教育で、書道は落ち着きを身体で覚えさせたかったのだ。きちんと正座して、背筋を伸ばし、静かに筆先に神経を集中させることで落ち着いた精神を涵養することだったのだ。

ところがこの書道パフォーマンスを見て驚いてしまった。こりゃあ、落ち着きもあったものではなく、スポーツである。まるで新々体操といった感じだ。さすがに、ちょっぴり主人公の書道教師である父親が諌めるのがわかるような気がする。だが、最後に子の父親が理解を示したように、ぼくはこれは書道とは別物だと思うことにして、それでいいのだと納得したのである。わりと好きなタイプの佳作であった。

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2010年12月30日

今年を振り返る(2010年)

去年も書いたので、今年もこの1年をふりかえってみる。ただし、前回も書いたが、他人の1年なんて自分にとってはおもしろくも何ともないだろうから、読み飛ばしてもらってけっこうです。

【1月】
・高校のサッカー部の創立90周年記念パーティに出席。先輩たちの歩みに歴史の重みのを知る。
・オランダのJan Dietz 教授のDEMO理論と出会う。Software as a science という欧州のITに対する姿勢を感じる。
【2月】
・東スポ映画祭に出席。今年は50周年記念ということで大々的な表彰式となる。従ってプレゼンテータもなし。長嶋茂雄や宮沢りえらが特別賞を授与される。
 ・高校サッカー部の後輩である細川周平君の「日系ブラジル人の俳句と短歌」という講演会へ。
【3月】
 ・大学のサッカー部の同期とその一つ下の代との合同同期会。場所はぼくの高校の同級生がオーナーを務める「KAOTIP」。ここは10月の下の息子ことの定例でも使わせてもらう。
 ・「Kailas」のブラッシュアップと「m&ERP」との協働
【4月】
 ・ばあちゃんの訪問診療開始。毎回病院へ行くのがしんどくなったので家に来てもらうことに。そのとたん脈拍が異常に少なくなり、24時間心電図をとることに。結果たいしたことなくほっとする。
【5月】
 ・サッカーワールドカップメンバー発表なるも、ずっと勝てないので不安になる。
 ・東工大で「Kailas」について情報交換
 ・親戚の葬儀と法要が続く。初七日の法要で大事な靴がなくなる。いまだに出てこない。
【6月】
 ・やったあ、ワールドカップで日本代表が予選リーグ突破。惜しくもパラグアイに負けてベストエイト入りはならず。
 ・大学のサッカー部のOB会総会
 ・m&ERP渡辺さんの方法論を実践する場として、都内の製造系のK社で行うコンサルに参画。
【7月】
 ・ワールドカップはぼくのほぼ予想通りにスペインとオランダの決勝でスペインの初優勝。
 ・高校サッカー部の恩師と暑気払い。相変わらずの元気をもらってくる。
【8月】
 ・若手IT人材の育成プログラムをT社に提案。トライアル実施を受入れてもらう。
【9月】
 ・ワディットも5期目に入る。なかなか儲かるようにならないが、ぼちぼちやっていこう。
 ・日本BPM協会主催の「情シス若手エンジニア勉強会」がスタート。そこで代表世話人を務める。
【10月】
 ・サッカー日本代表がアルゼンチンに歴史的勝利。ぼくたちの年代は東京オリンピックで勝利したことを思い出した。
 ・T社での人材育成講座トライアル版の開始。
【11月】
 ・高校の学年同窓会(175名参加)とサッカー部の還暦を祝う会(ぼくらの2代下が今年還暦であったのでそれを祝う)
 ・地方活性化に向けて若者が立ち上げたプロジェクトにワディットとして参画。そこへiPhoneアプリのプロトタイプを提供する。
 ・BPMSベンダーのP社向けにビジネス戦略のコンサルティング開始。
【12月】
 ・K社のコンサルを終了する。渡辺さんの方法論が日経コンピュータに掲載される。次は実装をどうやっていくか。
 ・P社のコンサルを終了。ソリューション提案を行い、ほぼ採用される見込みなので、年明けからその実行計画の立案とセミナー講師を務めることに。

とまあこんなところで大したことをしていないことがわかる。ただ、ここへきていくつかのプロジェクトが実を結びそうなので来年はいい年になるように祈っています。
 

2010年12月31日

1年のまとめ(2010年)

いよいよ今年最後の日になりました。今年も一年間休まず毎日書いたことになります。これは3年以上続いていますので、ブログ界の金本選手と言われています。(ウソー!笑) 骨折して片手一本でヒットを打てるかどうか分かりませんが、がんばってみようと思います。

さて、総集編ですが、特にこのブログの主要カテゴリーである「シネマと書店とスタジアム」についてこの1年の総括を書いてみます。

【映画】
今年観た映画は、DVDも含めて、75本でした。(ちなみに昨年は74本)そのうち、劇場で観た新作映画は25本でした。100本-50本をめざしたのですが今年もぜんぜん届きません。

さて、今年の映画の賞をぼくなりにノミネートしたので披露します。

 作品賞    告白/今度は愛妻家
 監督賞    すずきじゅんいち(442日系部隊・アメリカ史上最強の陸軍)/三池崇史(十三人の刺客)
 主演男優賞 生田斗真(人間失格)/妻夫木聡(悪人)
 主演女優賞 満島ひかり(川の底からこんにちは)/松たか子(告白)/深津絵里(悪人)
 助演男優賞 稲垣吾朗(十三人の刺客)/石橋蓮司(今度は愛妻家)
 助演女優賞 木村佳乃(告白)/永作博美(酔いがさめたら、うちに帰ろう。)
 外国作品賞 オーケストラ/瞳の奥の秘密/マイレージ・マイライフ

こうしてみると、ここにも女性上位の現象が現れていますね。今年は、国際映画賞で寺島しのぶ(ベルリン)と深津絵里(モントリオール)が主演女優賞を受賞するという快挙でもそのことがわかるとお思います。

【本】
この1年で読んだ本は63冊でした。(昨年は53冊)毎年そうなのだが、ジャンルでは、ビジネス本がやはり多く、あとは、経済、歴史、社会などの実用本であった。どうしても新書が多く、小説類はすくなかった。

さてその中から特に印象に残った本をカテゴリー別で選んでみた。

 (1)経済関連
  ・「戦後経済史」(猪木武徳著 中公新書)
  ・「競争と公平感」(大竹文雄著 中公新書)
  ・「競争の作法」(斎藤誠著 ちくま新書)
  ・「戦略的思考の技術」(梶井厚志著 中公新書)
 (2)政治、社会関連
  ・「知性の限界」(高橋昌一郎著 講談社現代新書)
  ・「成熟日本への進路」(波頭 亮著 ちくま新書)
  ・「日本で最も人材を育成する会社」のテキスト」(酒井穣著 光文社新書)
 (3)科学関連
  ・「傷はぜったい消毒するな」(夏井睦著 光文社新書)
  ・「宇宙は何でできているのか」(村山斉著 幻冬舎新書)
 (4)小説、エッセイ
  ・「走ることについて語るときに僕の語ること」(村上春樹 文春文庫)
  ・「家日和」(奥田英朗著 集英社文庫)
  ・「ヨーロッパ退屈日記」(伊丹十三著 新潮文庫)
 (5)ぼくの知り合いが書いた本
  ・「サンバの国に演歌は流れる」(細川周平著 中公新書)
  ・「Webを支える技術」(山本陽平著 技術評論社)
  ・「ダメな“システム屋”にだまされるな!」(佐藤治夫著 日経BP社)

【スポーツ】
今年は何と言っても、南アで行われたワールドカップでしょう。そして、ぼくの予想のことである。予想といえば、ドイツの「パウル」君というタコが話題になったが、それに劣らない的中率で周りからもすごいと言われた。

ぼくの予想の準決勝の組み合わせが、ドイツ-スペイン、オランダ-アルゼンチンであったが、実際には、アルゼンチンの替わりに同じ南米のウルグアイとなった。そして、その後のスペイン・オランダの決勝戦でスペインが勝つのも当たった、さらにキープレーヤーとしてスペインのイニエスタをあげたら、彼が決勝のゴールを入れたのだ。

そのほかでは何があったのかよくわからない。世界バレーで女子が銅メダルをとったと言われても、何かいつも世界バレーをやっているようでありがたみを感じない。ただ日本では若い、あるいは女性アスリートの活躍が目立ったような気がする。
  
みなさん1年間お疲れ様でした。それでは良いお年を!
  

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