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2010年10月 アーカイブ

2010年10月 1日

サマーウォーズ

ぼくは、アニメーションは全くと言っていいほど観ない。大人になってから観たのは「宇宙戦艦ヤマト」と「となりのトトロ」くらいかもしれない。別に確固たる理由があるわけではないのだが、何となく生身の人間ではない絵空事感がなじまないのかもしれない。似たような理由でSFもあまり観ない。

ところが、けっこう評判がよいという情報がはいってきていたので、まあ観てもいいかな程度の軽い気持ちで観た。「サマーウォーズ」である。これがおもしろかった。もう、見入ってしまい、何と恥ずかしながら涙をポロリと落としたのである。

この作品、どうも口コミで広まったようだ。そういう作品は見応えのあるものである。監督が「時をかける少女」の細田守で、作品のテーマは田舎の大家族とデジタル世代の対比である。このコントラストが生きている。

長野県上田にある旧家のおばあさんの90歳の誕生日を祝うために、一族郎党が集まる。そのなかに高校生の孫娘の即席のボーイフレンドとして招かれた男子高校生が主人公である。この子は数学オリンピックの日本代表になりそこなったという数学の天才という設定である。

そして、その夏のある日に、いまや誰もが利用しているOZネットというシステムのアカウントが誰かの仕業で盗まれてしまい一大パニックを引き起こす。それに向かって、そこの家の子どもと一緒にそのアカウントを取り戻すのだが、それはストリートファイターの世界なのである。

実は、その悪さをしたアバターを作ったのが、ばあちゃんの旦那が妾に産ませた子だったというすごい展開になる。ちょっと話がそれるが、そのシーンで、ぼくは悪いことをするものを作ったわけではなく、それができる技術だけを考えただけである。その技術を悪事に使ったのは別の人間だ。というセリフがあるが、デジタル技術も持つ恐さの一端が出ていた。あのウィニーのことと同じである。

さて、こうして大騒動になり、ばあちゃんも死んでしまうわけだが、最後はこの大家族が一致団結してこの難事を乗り越えるというアナログ仕立てになるが、そういえばこうしてデジタル世代もアナログ世代もいがみ合うことなく仲良くやっていくというのがこれからの時代を生きぬく知恵なのだろう。
  

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    • 1 なんだか
    • 5 世のため人のため
    • 1 マジで呆れた
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    • 5 今の時代だからこそ
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2010年10月 2日

ITエンジニアの育ち方(2)

自分の頭で考える

技術や知識を習得しようとするとき、本を読んだり、誰かに教わったり、最近ではネットで調べるというのもあると思いますが、それはそれでけっこうなことなのだが、それを単に鵜呑みにするのはやめた方がいい。そこから、自分の頭で一生懸命考えることが大事になってきます。

徹底的に考えぬくことです。そして、その結果として、I think that ・・・と言えなくてはいけません。According to ・・・は、あまり言わないほうがいいでしょう。受け売りでさも自分の意見のように言うのも考えものです。

特に注意しなくてはいけないのはITに関することです。というのはこの世界では3文字熟語に代表されるように、中味が変わらなくても新しいことのようにいう言葉が氾濫しています。最近はクラウドですよね。ちょっと前はSaaSなんて言葉もはやりました。

これは、ITベンダーが自分たちの商品を売らんがために煽っているだけのものがほとんどのような気がします。こうしたことは、ITに限らず売り手の論理として本来的にもっています。それを買い手がたいした評価もせずに受け入れてしまうのです。

そこでよく陥る間違いは、世の中でこんな者がはやっているからそれを入れるんだと思ってしまうことである。例えば、さっきの例でいえば、クラウドを利用すること、SaaSを導入することと考えるわけです。このエントリーに関連して言えば、BPMをやること、あるいはBPMSを入れるということになります。

ここでは、気がつくと思いますが、目的と手段の混同がおきています。今言ったことはみな手段にすぎないわけで、本来の目的からはずれています。現実にはこうした誤謬があちこちで起きています。業務パッケージなんかもそうです。そのパッケージを入れることが目的となっているケースも多くあります。

ですから、思考の順番を入れ替える必要があります。すなわち、目的から考えることです。目的が設定されたらその目的を達成するために、どんな手段をとるかというアプローチになります。そう考えると、現にある手段は必ずしも目的に合致したものではないというのがわかる思います。

そうしたらどうするかは、自分の頭で手段を徹底的に考えるしかないのです。そして自分の頭から導き出された目的達成方策に対して、使えるツールやソフトウエアを選択するか、なかったら作ることになります。だから、自分のBPMを考えるということです。例えば、調達コストを20%下げるためのビジネスプロセスの構造はどう変えたらいいのか、それをマネジメントするにはどうしたらいかを自分で作ることです。

世の中でこんなものですと言われていてもそれをそのまま鵜呑みにするのではなく、自分の頭の中で考え抜いたコンセプトを貫くことだと思います。そのために大切な態度は「ビジネス視点、ユーザ目線」です。なぜなら、業務システムの目的はビジネス側からの要求によるものだからです。
  

2010年10月 3日

70歳までの働き方

先日、見出しだけ読んだのだが、週刊東洋経済のこんなタイトルの特集が目についた。「特集 70歳まで働く−−70歳まで働く時代は来るか−−所得階層により違いは鮮明 超高齢化時代の就業スタイルはどうなる」となっている。

どうも内容的には、高齢化社会の就業スタイルとして、雇用延長が不可避で、これまでの60歳で定年して後は引退して年金生活というのが崩れてきていて、少なくとも65歳雇用が定着して、さらにそれ以上といったことが起こり始めているといったトーンのようである。

たしかに、もう一方では労働力不足ともいわれていることもあり、60歳定年でリタイアすることなくあと10年は働こうみたいな風潮にはなってきている。この間も高校の恩師からもおまえらも70歳までは働かなくてはと言われた。

ぼくは、70歳まで働こうよというのは大いにけっこうなことだと思っているが、その働き方が定年延長かよと叫んでしまう。どうも、給料が大幅に減っても今の会社に残って仕事を続けることを想定しているのだ。これは、あり得ない。少なくともぼくは(定年前に会社を辞めてしまったが)、絶対にそんなことはしない。

サラリーマン生活というのは、ほとんどの場合、生活の保障と引き換えに忍耐を強いられるわけで、それをさらに延長するなんてできないと思うのである。だって、それだけまじめに勤めあげた人にとっては経済的な問題はそんなにないはずで、そうなると人生の残り少ない10年をやりたいことを我慢してさらに会社に尽くすのかと思う。

だから、70歳まで働くのは賛成なのだが、自分の好きなこと、若いころからやってみたかったことに挑戦するというのが、その10年の活かし方ではないだろうか。若い時はどうしても家族のこととかでリスクを負えないためにあきらめていたことを、子どもも手が離れ、経済的にもプレッシャーもなくなったこの時期にやってみることだと思う。

問題は気力、体力だが、働き方を工夫すれば何とかなる。やはり、何をするのかが一番のポイントである。あたためてきたものを持っている人はいいかもしれないが、もしなかったら、ぼくは方向性の一つとして教育的な仕事だろうと思う。

直接的に教えることだけではなく、そういう場をアレンジするとか、アドバイザーとして振る舞うとか、様々な関わり方があるはずだ。そう言うと、会社に残って後進を指導すれば同じではないかと言われるかもしれないが、暗黙裡に上司的な圧迫感を与えるような教育はかえってマイナスになるような気がする。

ですから、そうした社会から抜けたところで肩の力を抜き、無理せずに好きなようにやって、わずかな報酬を得るというのがよろしいのではないでしょうか。とても大切なことは、厭なことことをしないですむことであり、嫌いなやつと一緒にやらないでいいとうことです。こうすると、ストレスもたまらず、ますます長生きできるのです。(エ!もっと早く死ねってか)

2010年10月 4日

ボトムアップ戦略立案―戦略とビジネスモデル、ビジネスプロセスの関係

このシリーズで戦略というと事業戦略までで、その上位である経営戦略のことではありません。従って、経営理念とかビジョンだと事業ポートフォリオなんてことはここでは議論しません。ですから、いまからは事業戦略とそこから作られるビジネスモデル、そしてそのモデルを実現するためのビジネスプロセスの関係を考えていきます。

ここでの中心は、ビジネスモデルです。ビジネスモデルから戦略を導き出し、ビジネスモデルを実行形にもっていくためにプロセスに変換して、更にその中を分解して日常的な業務プロセス、そして実際の業務に落とし込むという考え方になります。

それぞれの詳細は後述するとして、もう少し各段階での関係をみていきましょう。まずは中心であるビジネスモデルはどんなものかですが、構成要素は次のようなものになります。

・ どこの誰に(市場/顧客)
・ どんな商材を(製品/サービス)
・ どの経営資源の使って(ヒト/モノ/カネ/情報/ネットワークなど)
・ どのように提供して(バリューチェーン/サプライチェーン
・ どうやって儲けるか(商流モデル)

ところで、これは、以前このブログ(ビジネスプロセスを実装する)で言っていたこととちょっと違ってきています。前は、“どんな商材を”というのを“どんな価値を”ということにしていましたが、それだと製品の持つ価値をどこに書くのかとか、各要素の価値との関係がわかりずらいので、まずは一旦ビジネスの様態を書いてから、価値をマッピングすることにしました。

これらの構成要素を吟味して、強みや持っている価値を抽出し、それが競合との関係でどうなのか、差別化ポイントあるいは競争優位点になっているかを分析することでポジショニングし、戦略を立てるわけです。

そうしてできた、新しいビジネスモデルからビジネスプロセスができあがります。ただし、このビジネスプロセスは、少し広く考え、個別業務プロセスの集合というふうに捉えます。つまり、ビジネスモデル全体で必要となるプロセス群で、具体的には、市場・顧客というセグメントではマーケティングプロセス、製品サービスでは製品開発プロセスやデザインプロセスになります。その他、リソース管理プロセス、サプライチェーンプロセス、代金回収プロセスなどがあります。

事業や、製品によってはこれらが必要ではないこともあります。既存製品だけなら製品開発プロセスは要りませんし、商流はそのままという場合もあります。その取捨選択により、改革しなくてはいけない、また新規に確立しなくてはいけないプロセスが決まってきます。

そうなると、対象となったプロセスについて、こんどは業務プロセスを設計していきます。そこでは、ビジネスモデルで抽出した「価値」をプロセスフローや業務ルールあるいはアクションで表現していきます。

そして大事なのは、その結果がフィードバックされて、ビジネスモデルをレビューすることにつなげることです。自分たちが価値だと思っていたことが実はそうではなかったとか、逆にオペレーションした結果新たな価値を発見したとかなったらしめたものです。

ということで、それぞれの関係を簡単に言うと、次のような関係になります。
事業(製品)戦略 ← ビジネスモデル → ビジネスプロセス → 業務プロセス → 業務オペレーション

2010年10月 5日

疑わしきは罰せよ

今朝、89歳になるうちのばあちゃん(ぼくの母親)がきて、いきなり、「あの小沢は政治家をやめなきゃいかんな」と言ってきた。小沢一郎が昨日、強制起訴されたのを新聞とテレビでみてそんな感想を言いにきたようだ。

それで、若干いじわるっぽく聞いてみた。「ばあちゃん、小沢一郎が何の疑いで起訴されたか知っているか?」。そうしたら、「4億円ものカネを持っているのがおかしい、それを政治家たるものが土地を買うなんて許せない。あの金は賄賂に決まってる」ときた。おまけに、あの顔は悪ことをしている顔だと言う。

政治資金規正法に違反した虚偽記載なのだよと言っても聞かない。それにまだ有罪になったわではないから、犯人扱いしちゃいけないんだよと言ってもわからない。挙句の果てに、日本は法治国家だから推定無罪といって、疑わしきは罰せずなんだよと言ったら、え、疑わしきは罰するんだろという返事が返ってきた。

うちのばあちゃんが特殊だとは思わない、ということは、テレビと新聞はそういう伝え方をしているということなのだ。ぼくは昼間はテレビをみないが、特にワイドショーみたいなのがひどいようだ。どうしてこんなになってしまったのだろうか。

主婦と年寄をだまして視聴率を稼ぎ、販売部数を伸ばし、世論をゆがめるのはやめてほしい。ぼくは、別に小沢一郎を好きだとか支持者だとかではないが、さすがにここまでくると応援したくなる。だいいち、これも誤解をおそれず言うと、記載ミスぐらいでこんなに騒ぐのかよくわからない。国の危急の案件はもっと他のところにあるのにそんなことで大事なことをおろそかにしてほしくないと思う。

それとよく分からなのは、異議申し立てをした市民団体と検察審議会で審議会のメンバーの平均年齢が30歳くらいだと聞いてまたびっくりする。なんだこりゃ、世論に後押しされた国民みんなの声なんてものじゃないし、嫌いな人物に対していやがらせしてやろうと思えばできてしまうという恐ろしさの方が先にきたのである。

いくらばあちゃんにこのあたりの話をしても一向にうなずくことはなかったのは言うまでもない。

 

2010年10月 6日

ボトムアップ戦略立案―ビジネスモデルの詳細

さて、ビジネスモデルをもう少し詳しくみていくことにします。モデルというのは言葉で書いてもなかなか理解しずらいところがあるので、図をみながら説明していきます。図―1はビジネスモデルの概念を示しています。事業戦略を実行するためのフレームのことです。

ここで重要なことは、その構造や構成要素も大事ですが、“価値”がどこに、どういう形で埋め込まれているかになります。この価値がないビジネスモデルは、いつの日か消えていきます。価値があってこそのビジネスモデルであるということを強調しておきます。

この価値というのは、差別化ポイント、競争優位点のことです。これがビジネスを成立させている、あるいは収益を生んでいる源泉なのです。そして、まずは自分たちの現状のビジネスモデルを書くことから始めるといいでしょう。もちろん、全く新規に立ち上げるビジネスもあるかもしれませんが、その場合は、現状がないので想定や願望を書くことになります。


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その現状のビジネスネスモデルをどう書いていくかは、図-2に構成要素に分解した表があり、そこに参考例がありますのでそれをみて書き出します。若干の説明を加えおきましょう。

市場/顧客では、マーケティングで言うところのSTPということになります。すなわち、Segmentation、Targeting、Positioning です。どういう市場でどんなお客さんに向けて、どんな位置を確保するのかになります。このあたりは、意外とやられていないかもしれません。最初は設定しても、いつのまにか売らんがために手当たり次第なんてこともあるかもしれません。

次の商材は、有形のもの無形のもの両方あって、有形のものは分かりやすいのですが、無形のものは一般的にはサービスとなりますが分かりにくいものもあります。これは、“売りもの”は何かを定義するわけですが、別な言い方だと、お客さんはいったい何に対してお金を払ってくれているのかをよく吟味する必要があります。

経営資源というのは、いろいろなタイプがあります。いわゆるヒト・モノ・カネと言われますが、最近ではこうしたものだけではなく、それ以外のブランドだとか、ネットワーク、評判情報といった“つかみどころがない”リソースの重要度が増してきているように思います。

バリューチェーンというのは、具体的に言うと、自社の周りにいる顧客、販売業者、あるいはサプライヤーといった関係を言います。これだと、バリューチェーンという名は大げさですが、要は、外部との関連をみておきましょうということで、例えば、アウトソーシングかインソーシングなのかとか、直販なのか間接販売なのかといったところをつかむことです。

最後の商流は、商材の流れとカネの流れを書くことになります。これも単にモノの流れだけではなく、モノを売った後の保守サービスが収益の一番大きなところだったり、よくあるプリンターのインクビジネスとか、最近では様々な形態があります。“損して得とれ”とか“タダより高いものはない”なんてこともあります。

こうして、ビジネスモデルを描くことで、どこビジネスの要諦が詰め込まれているのかがわかります。そこには、他社にはない強みが発揮された優れたビジネスがあるはずなのですが・・・・・・・。


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2010年10月 7日

バルサ対マンU

まずは、UEFAチャンピオンリーグの08~09シーズンの決勝の試合だけで本が一冊書けてしまうことに驚く。「バルサ対マンU」(杉山茂樹著 光文社新書)である。著者の前作「4-2-3-1」がおもしろかったので、ちょっと古いネタ(今年のシーズンはイタリアのインテルが優勝した)になってしまっていたが読む。

試合は、スペインリーがエスパニョーラのバルセロナ対イングランドプレミアリーグのマンチェスター・ユナイテッドの一戦である。これは、サッカーファンなら誰しも胸を躍らせる夢の大一番である。

そして、何といっても両チームの看板選手リオネル・メッシ対クリティアーノ・ロナウドの対決でもあった。アルゼンチンとポルトガルが生んだスーパースターが直接対決するとあって非常に盛り上がった。

著者は戦術、特にフォーメーションについては、それだけでもまた本一冊書いてしまうこらいだから、こだわりの記述が入る。それは、メッシとロナウドはなぜセンターフォワード(CF)で起用されたのかである。奇しくも、必ずしもCFが定位置ではない二人がCFとして登場したのである。

そして、バルサのCFメッシが機能することでエトーの先制点が生まれる。通常、CFというのはトップに位置していつもセンターバックを背負う感じになるが、このときのメッシは下がり目でむしろミッドフィルダーに近いところにいた。そこで、周囲のシャビ、イニエスタ、ブスケスのひし形でパスを回したのである。

ですから、サイドのエトー・アンリの方が前に出たようになっている。そこで中盤でのパス回しから隙ができると一気に前線で勝負に出たのである。というのもあるが実は、メッシとロナウドのCF起用にはもう少しわけがあって、ディフェンス上のリスク回避でもあったのだ。

この天才二人は、ボールを持たせたらすごいプレーをするが、一旦守備に回るとからきし戦力にならない。今のサッカーはサイドから攻め上がるスタイルが威力を発揮しているので、両監督とも彼らの裏を突かれるのを嫌ったのである。後半フォーメーションが変わってロナウドがサイドに回った時のプジョルとの対決はその危惧が現実となってしまったのである。

こんなことを書きだしたら止まらなくなるのでこれ以上やめておくが、バルサのサッカーが好きな人は多い。何といっても美しいし、そしてプジョル以外は静かに淡々とプレーする。このスタイルはオランダ人のヨハン・クライフが作ったと言われている。だから、今回のワールドカップでもクライフはオランダのサッカーをけなし、スペインのサッカーを称賛したという。

ぼくも、ほんもののチャンピオンズリーグの決勝戦を生で観たいと思うが、それも著者がいうように競技場が俯瞰できる位置で観てみたい。日本では戦術をあまり意識していなように思うが、この本を読んでいると、欧州の戦術レベルの高さ、ひいては監督の力量でずいぶんとチームが変わるのだと痛感させられるのである。さて、ザッケローニの手腕はいかがなものだろうか。
  

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2010年10月 8日

ノーベル化学賞の極私的余話

今年のノーベル化学賞に根岸英一・米パデュー大特別教授と鈴木章・北海道大名誉教授が輝きました。同じ日本人として誇りに思うし、素直に喜びたいと思います。受賞対象が「有機合成におけるパラジウム触媒クロスカップリング」技術で、炭素同士を触媒を使って効率よくつなげるカップリング反応は、様々な分野で応用されているものです。

身近なものでも、ぼくがいま飲んでいる血圧降下剤のディオバンもこの技術から作られていたとは驚きだった。ということで、このように実用にむすびついた研究が受賞するというのもうれしく評価できる。

ところで、鈴木カップリングの技術は、実はぼくが元いた会社でも使われていて電子材料事業の主要技術となっている。昨日もテレビ東京のニュース番組で山口県の工場が写し出されていて、鈴木教授がときどき訪問して指導を受けていたというような話をしていた。

ぼくは、これでも大学で有機化学を学んだので多少この分野のことを知っているのだが、ノーベル賞研究者とはまったくかけ離れている。鈴木教授は、大学に入って数学をやりたかったらしいが、フィーザーの有機化学という本を読んでそれに感動して化学の道に走ったということが新聞の記事にあった。

このフィーザーの有機化学という教科書がぼくらのころも定番でそれで講義があったが、ぼくは逆でそれで有機化学でいやになった。それは、著者のフィーザーや本が悪いのではなく、それを教える先生が悪かったのだ。そんなことを思い出してしまった。

さて、もう一人の受賞者である根岸教授は高校の先輩にあたる。だいぶ上の先輩になるが、いま学校関係者では盛り上がっています。同窓会の会長も知らない人だということでちょっとびっくりだが、まあ自分の出身高校からノーベル賞学者を輩出したとなると鼻が高いですね。これでうちの奥さんと並んだ。うちの奥さんの母校からは小柴昌俊さんを輩出している。

しかし、マスコミの論調でも言っているように皆さん、今はいいお歳で30年前の研究が実を結んでいるわけで、そういう意味では、昔の日本人がえらかっただけで、いまの若い人がすごいかは別問題なので、いささかお寒い話なのかもしれない。それでも、ぼくよりもう少し下ぐらいはまだがんばっていて、ぼくの高校のサッカー部の後輩で、同じ有機合成化学分野で昨年フンボルト賞を受賞した鈴木啓介・東工大教授がいつの日かノーベル賞をもらうのを楽しみにしている。

2010年10月 9日

勝てるんだ!

予想外に勝ってしまったときに発する言葉は、おおやったあ、すごいなあ、勝ったぞ、まさか、夢みたいとかいろいろあるが、昨日の試合のあと出たのが、「勝てるんだ!」である。最近のサッカーは高度に戦術化してきていて、番狂わせが起きにくくなっているそうだが、昨日日本でそれが起きた。

埼玉スタジアムで行われたキリンチェンジカップ2010で何とアルゼンチンに1-0で勝利した。最近W杯優勝のスペインを4-1で破ったアルゼンチンを、あの世界最高のプレーヤーの称号を得たリオネル・メッシのいるアルゼンチンをだ。

ザッケローニの初采配であることも手伝ってかなりの注目度であったが、見事な勝利でああ何とも気持ちがいい。そのザックジャパンの勝因を考えてみよう。たったの4日の練習でザッケローニのやろうとしている戦術が伝わったのかどうかはあるが、それでも変化はあったように思う。3のキーワードをあげてみたい。

・ 守備の意識
・ ミドルシュート
・ モチベーション

守備の意識については、まずは選手選考から遡る。今回は常連の中沢、岩政が選ばれていないし、闘利王もケガででていない。ところが、選んだ専門のセンターバックは栗原である。そしてコンビを組んだのは今野である。もし、中沢、闘利王のセンターバックだったらメッシにやられていただろう。だから、アルゼンチンと韓国をにらんで選手も選考している周到さを評価したいのだ。

そして、その守備は空中戦がない分、足元のプレーへの対応、パス&ゴーへの備えを徹底したし、そういうことが得意な守備陣なのである。今野や長友なんかのすっぽんぶりはすごい。まあ、その網にひっかかるアルゼンチンも問題で、もう少しサイド攻撃をし掛けないといくらメッシとテベスでも難しいのだ。それは、内田と長友が比較的楽に攻撃できたということでもわかると思う。

ただ、試合の途中で多分コンパクトにということを盛んに言っていたと思えるが、時々間延びした陣形になることがあって、そんな時は確実に攻撃を受ける。ここら辺りが課題だろう。継続的にコンパクトなサッカーができるかが重要だ。


昨日の試合では、ミドルシュートを何本か打っていたのが印象的であった。これまでの日本代表は、こちょこちょやってペナルティティエリアの中に入らないとシュートを打たなかった。ところが、昨日は遠目からでも果敢に打ってきて、それが長谷部のシュートであり得点にもつながった。

ただ、これを意識的にやったかどうかはわからない。ひょっとしたらできてしまったのかもしれない。なぜなら、メッシが代表的だがアルゼンチンのFWは守備をしないからである。だから、ボールを奪って攻撃に移ると中盤の選手ががんばって前に出ればバイタルエリアでフリーになるのである。

最後のモチベーションは、そりゃあ新監督に評価されようとがんばるのは当たり前で、この辺はアルゼンチンの選手との違いですね。ということで、この一戦だけで断じるのは早いが、指揮官としてはザッケローニは日本チームに合っているかもしれないと思える。次の韓国戦でどういう戦い方をするのかが興味深い。何しろ、今年の5月の屈辱を晴らして欲しいから。

2010年10月10日

ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない

ブラック会社と聞くと悪徳金融業だとか、マルチ商法だとかいった会社を連想してしまうが、この「ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない」という映画に登場する会社は何とIT企業なのであった。表面上は普通の会社なのだが、中味は酷いという設定だ。

監督が、「キサラギ」の佐藤祐市、主演が小池徹平、脇を田辺誠一、品川祐、中村靖日、森本レオらが固める。正直期待していなかったし、どうせぐちゃぐちゃな映画だろうと思っていたら意外にもおもしろかった。

映画は、この会社に勤めるようになった元ニートが2チャンネルにタイトルのようなスレッドをたてて経過を投稿するという展開である。プログラマーを主役にした映画ってあったかなあと思うくらいレアな設定である。

ブラック会社と言われるくらいだから、デスマのオンパレードである。デスマとはデスマーチのことで、Wikipediaでは「ソフトウェア産業において、デスマーチとは、長時間の残業や徹夜・休日出勤の常態化といったプロジェクトメンバーに極端な負荷を強い、しかも通常の勤務状態では成功の可能性がとても低いプロジェクト、そしてこれに参加させられている状況を主に指す」と書かれている。

まさにそのとおりでとても無理な納期でも徹夜で何とかしのぐとかのシーンが出てくる。登場人物がかなりカリカチュアされているが、ひょっとしたらいるかもしれないキャラで何気にリアルなのである。

やたら威張り散らすが自分は何もしないリーダ、そのリーダに媚びるお調子男、言われたままに仕事をするだけの弱いヤツとかがいるかと思うと、どうしてこんな会社にいるのかと思うすごくできるヤツとか、大手ベンダーから転職してくるやつとかがいる。

最初はみなバラバラで文句の言いあいみたいなことが頻繁に起こり、主人公の元ニートは、そんな職場に愛想を尽かすのだが、結局またもどるとその主人公のひたむきさに皆が感化され、協力しあいながら困難なプロジェクトをやり遂げてしまうのである。

そんなラストでジーンときてしまい、おいおいこれは単純にいいい映画じゃんとさけんでしまった。やはり映画は希望があるのがいい。
   

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2010年10月11日

マスコミの劣化が止まらない

NHKの相撲担当記者が家宅捜査の情報を親方に漏らした件が話題になっているが、そこで追及されているのがその記者のリークのことであるが、彼は自分でその情報を入手したのではなく、スポーツ新聞の記者から聞いた話だったらしい。だから、許されると言っているのではなく、家宅捜査の情報を新聞やテレビの記者が事前に知っていることが奇異であると言いたいのだ。

いつも、不思議に思うのは、テレビ中継で「ただいま、警察(検察)の家宅捜査が入りました」とアナウンサーがわめいて、玄関に向かう整然と歩いていく警察官(検察官)を前から映し出すことだ。いつも何かおかしいなあと思うのである。

ということは、事前に家宅捜査に入ることをマスコミにリークしているわけで、それって、今回のような事件がおきる危険を承知でやっているように思える。少なくとも、被疑者はマスコミが張り込んだ時点でもうすぐ家宅捜査が入るのを知ってしまうわけだから、早いか遅いかの差だけで家宅捜査の前に張り込むテレビ局のカメラマンも同罪のような気がする。

ところで、事前に情報をリークする必要があるのだろうか。何のメリットがあるのだろうか。捜査っていうのは秘密裡にやるものではないのか。きっと、颯爽と入る姿をテレビに映したいからにちがいない。それなら、映った時にしかめっつらの顔をしないでピースサインでも送ったらどうか。

それにしてもひどい話ばかりで、小沢一郎の強制起訴でも、あの「検察審議会」とやらをもう少し掘り下げてくれよと思う。小沢一郎の記者会見でも、「君ら知っているか?」と逆質問を受けていたように、よくわからないままで報道する姿勢がおかしい。

さらに言えば、ぼくは寝る前にテレビのニュースを少し見るのだが、どうしてニュースが芸能番組化してしまったのだろうか。ノーベル化学賞のニュースでもあの騒ぎ方は何なのだ。もう少し冷静に報道できないのか。また、ぼくがいつも腹が立つのは犯罪のニュースだ。殺された人のことを近所の人に聞いて、「本当にいい人だったのに残念です」という言葉を放送して、どういう意味があるのだろうか。

この際だからまだ言おう。あのチリの鉱山で閉じ込められた事件だが、そのニュースを伝えないでいいと言っているわけではなく、おかしいと思うのは、チリまで取材クルーを出して、待機している家族にインタビューする必要があるのだろうか。こういうものは向こうの放送を流せばいいだけの話でしょう。

もっといっぱいあるのだが、最後はどうしてどこの局も、どこの新聞も同じようなことしか放送できないのか、書けないのかだ。チャンネルを変えてもテレ東以外は同じニュースを同じ伝え方をしている。これじゃ、一局でやればいいじゃないかと思ってしまう。このことは、ニュースだけではなく、他の番組も同じようなものばかりだ。

まあ、腹が立って仕方がないのだが、これ以上言うと、見なきゃいいじゃんと言われるだけだからやめておきます。

2010年10月12日

ボトムアップ戦略立案―ビジネスプロセス

ビジネスモデルが決まるとそのモデルを動かすための仕組みどうするのかという問題になります。ビジネスモデルの構成要素に対応した形でプロセスがあります。このプロセスは日常の業務プロセスの一段上のレベルのプロセスになります。プロセス的な要素もありますが、機能の集合という感じのものでもあります。その対応については図―3をみてください。

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それぞれがどんなプロセスかは、リファレンスモデルをみていくと分かりやすいでしょう。基本的なものとして、マーケティングプロセス、デザインプロセス、サプライチェーンプロセスがありますが、これらはSCC(Supply Chain Council)から提供されているSCOR・DCOR・CCORのモデルが参考になります。つぎのようなプロセス構成ですが、これはレベル2でかなり抽象度が高く、むしろ機能と言った方がいいかもしれません。その下のレベル3については後述します。

・顧客接点プロセス:Customer-Chain Operation Reference Model
   Plan → Relate → Sell → Contract
・商品設計・開発プロセス:Design-Chain Operation Reference Model
   Plan → Research → Design → Integrate
・サプライチェーン:Supply-Chain Operation Reference Model
   Plan → Source → Make → Deliver

残りのプロセスについてもみていきましょう。経営資源を管理するためのプロセスとして、リソース管理プロセスがあります。このプロセスの基本はデータ管理です。すなわち、データの登録、更新、追加、削除などのプロセスです。わかりやすい例は、MDM(Master Data Management System)です。しかし実は、ここはそれだけではなくその奥にまた多くのプロセスがあります。これもまた後述します。

バリューチェーンは、自社の周りに存在する会社との関係をみたものです。よくある関係としては、顧客、販売業者(代理店など)、サプライヤー、サプイヤーのサプライヤー、アウトソース先などです。これらと、そこを行き来する製品、部品、原材料、半製品などの流れを言います。

さて、最後の代金請求・回収プロセスは、文字通り、販売した商材に対する対価を請求し、入金してもらい売り上げを立てるプロセスになります。これは、商流によって様々な経路がありますが、基本は請求書を送り、入金確認をして消し込みを行うということです。

2010年10月13日

リズムの奪い合い

昨日のアウエー韓国でのサッカー国際親善試合はスコアレスドローであった。今年2連敗している相手なので3連敗は避けたかったのでまあまあの結果である。親善試合で引き分けだが結構中身が濃かった。

短時間ではあったがザッケローニの意図が浸透しているように思えて、やはり指揮官でチームはずいぶんと変わるものだ。これは、サッカーだけに限らず、いやスポーツだけではなく、会社の上司、経営者、あるいは学校の先生でも同じことで、大きく影響を与えることができる。

そのための条件は、わかりやすい明確なポリシーを提示することだろう。それは、選手がそこで統一されるから意思が通い合うからだ。ザッケローニは、コンパクトにそしてシンプルにゴールに向かって早くを徹底させているように見える。これは、アルゼンチン戦も今回の韓国戦も選手たちの意図として感じられた。

さて、昨日の試合の攻防で面白かったのは、どれだけ自分たちのリズムで試合ができるかという、リズムの奪い合いであった。いくら攻められていてもずっと長い間続くわけではなくて、かならずどこかでリズムを戻せる。そこで得点するというのが望ましいのだが、意外とそうはいかないようにも思えるが。

とはいえ、このリズムを獲得する時間を長くするということは、相手の体力と精神力のスタミナを減じていく効果は確実にあるので、ボディブローのように効くのである。このリズムは、攻めているから自分たちのリズムであるという単純なことでもなくて、攻められていても攻撃的な守備ができていればいいのである。

そうした意味では、昨日は日本のリズムの方が多かったように思え、終盤での韓国選手の失速もそうした積み重ねの結果であっただろう。ですから、このリズムの入れ替わりがないように気をつけるかが、試合の主導権を得るために重要なことになるわけです。

では、どうしたら相手のリズムにさせてしまうのだろうか。それは、一番やってはいけないのがミスです。これが少しでも続くと入れ替わってしまいます。それと、どちらが、多くの選手がゴールに向いているかが分かれ目になると思います。

これまでの日本チームがやられるのはこれで、横パスとバックパスでポゼッションを保っていてもそれは自分のリズムで戦っているとは言えない。そういう意味でザッケローニが縦という意識を植え付けたのは正解なのである。このことは、相手を後ろ向きにさせることができるわけで、チーム全体がゴールへ向かう姿勢につながっていくのである。やるなあ、ザッケローニ。
  

2010年10月14日

国家戦略と企業戦略

ちょっと前に「成熟日本への進路」という本の紹介をして、その時は、企業では当たり前のように企業理念、ヴィジョンがあり、そこからの戦略を考えているという話をした。その類似性となぜ国家レベルでそれができていないのかについて考えてみる。

まずは先述の本に従ってみていく。本では国家ヴィジョンがないから政策がダッチロールすると言っているが、まさにその通りで、企業では寄るべきヴィジョンがなければ経営戦略や事業戦略は立てようもない。よしんば立てたとしても筋が通らないし、予算ができないのである。

ところが、今の政府の欠落したヴィジョンではどういう戦略にするか考えようなないのではないだろうか。いや、施政方針演説でいっているじゃないかという反論が返ってきそうだが、どうもみな観念的で言葉の遊びに堕しているように思える。安倍さんの「美しい国」とか鳩ポッポの「友愛」なんて何のことかよくわからない。

菅さんの「最小不幸社会」のほうがまだいいが、ぼくらもほとんで聞かないうちにこの間の国連の演説で声高らかに説いたのに、帰ってきらら引っ込めてしまったのはどういうことか。そんなヤワなヴィジョンはない。企業で経営者がこんな調子だったらどうなるだろうか。

ただし、この「最小不幸社会」というのをもう少しきちんと定義して、議論したらおもしろいと思う。この対になるのが「最大幸福社会」であるわけだが、ここを対立軸としたらどうなのだろうか。つまり、社会保障とか福祉に軸足をもっていくのか、いや成長戦略を基本に富を生み出すことに重きを置くという方向である。

企業だって同じように、拡大路線とリスク回避の堅実路線といった考え方もある。そういうヴィジョンや戦略から、予算の傾斜配分やリソースの重点投入あるいは選択と集中による事業撤退とかいった方策がでてくる。

こうした戦略を選択する場合に必要なのは、現状認識でそこをきちんとやらないで自分たちで考えたことをそのまま実行しようとすると間違うのである。すなわち、企業ではプロダクトライフサイクル(PLC)のように、その製品や事業が、いま導入期なのか、成長期なのか、成熟期なのか衰退期なのかでとる戦略を変える。

この本で重要なポイントは、いまの日本がどういう状態なのかということで、まさに今言ったPLCで考えると、成熟期に入っているといっている。それを気分ではなく、客観データから論理的に認識することが重要である。企業では、成熟期の戦略は需要が一巡して、売上が伸びないので、限られた市場の中でより差別化してポジションを維持することになります。

このあたりは、国家もまったく同じで、もはやGDPも頭打ちで従って税収も増えなくなるわけで、そうしたら、成長期のようないけいけどんどん全方位経済成長路線はできないのは明らかです。著者の波頭さんの言うように、「成長論」から「分配論」に展開せざるを得ないのです。

それで、なぜ企業レベルでできて国家レベルではできないのだろうか。ぼくの個人的な感じは、どうも「覚悟がない」あるいは「覚悟の差」のように思える。国家の指導者と企業の指導者だから、そりゃ全然国家の方が大変で覚悟のレベルが違うから一緒にするなと言われかねないが、昨今の政治家をみていると、企業経営者以下に見えてしかたがない。

企業の経営者は誰しも従業員を抱え、ステークホルダーに囲まれて会社をつぶしたらその人たちを路頭に迷わすかもしれないというプレッシャーと絶えず戦っている。そのためには、戦略的にやれなかったらすぐに倒産させてしまうのである。別の言い方だと、そういうヴィジョンも戦略も素晴らしいものをもっている人が経営者になるのである。

翻って、今の為政者を眺めてみるとそうした「覚悟」をもっているとは到底思えない。下手なことをやると会社をつぶしてしまうという経営者の持つ「覚悟」と同じように国をつぶしてしまうかもしれないという危機意識がないのである。うまくいかなければやめればいいんだと思っている節がある。

今回の尖閣の問題にしても、中国の指導者と日本の指導者に違いはここだと思う。だから、中国の指導者がえらいとか言うことではなく、もし対応にしくじったら国をつぶしかねないという国とヘマをしてもせいぜいマスコミで叩かれるだけの国の違いである。

もうひとつ、企業と国家では時間的なスパンがちがうということで、企業はあっという間につぶれますが、国家は大きな図体ですからじわじわやってくるわけです。ですから想像力がとぼしいから、国をつぶしかねない愚策をしても平気でいられる感覚では困るのです。どうかこれからはビジネスマインドを持ったあるいは企業に経営の勉強にいくような政治家が現れてほしいと思うのである。
  

2010年10月15日

ITエンジニアの育ち方(3)

人材育成にもマーケティングを

従来からの人材育成については、様々な取り組みがなされ、数多くのプログラムが用意されています。しかしながら、真に効果があるものはそれほど多くはないのではないでしょうか。なぜ、そうなっているのかを考えてみましょう。

それは、誰に対して、どんな人材にしたいがためにどういう教育を施していくのかという体系的なプログラムが未整備であるような気がします。これって、一種のマーケティングですよね。そうなんです、教育・研修のマーケティングができていないのです。それともう一つは、実践的でないといことに起因していると思うのです。

最初の問題は、まずは誰に向けて教育するかなのですが、その誰もいろいろな種類があります。年齢とか経験年数とか、あるいは職種や役職なんてものもあるかもしれません。ただ、専門教育だとこういうセグメンテーションが必要かもしれませんが、もう少し基本的なところになると、どういうモチベーションを与えるかが重要になってきます。そうなると次のような区分けが有効かもしれません。

Aタイプ:能力も高くて、やる気があり、よく働く人
Bタイプ:能力は高くはないが、やる気があり、よく働く人
Cタイプ:能力は高いが、やる気があまりない人
Dタイプ:能力も低く、やる気のない人

このそれぞれのタイプで教育・研修のやり方が違います。というか違ったやり方にしないと効果がでません。Aタイプの人はほっておいてもかまいません。Dの人は困った人ですが、何とかBかCに持っていかなくてはいけません。コーチングで指示に対して実行できる力をつけさせBにもっていくか、スキルアップ教育を施してCにまずもっていくという手もありますが、あまり期待はできないというのが実情でしょう。

さて、力を入れるべきは、BとCの人をAに引き上げる教育です。Bに対しては、自己啓発支援になります。あくまで自発的にやるように仕向けてそれを支援する形です。一方、Cの人は、やる気を起こさせるためのインセンティブを付与することです。単純に報酬というのもあるでしょうが、むしろ名誉とか承認の喜びのようなものを与えるのがいいと思います。

結局、マーケティングで言えば、顧客志向、顧客満足度向上をめざした教育プログラムを用意することが大切なのです。どうもまだ、一律で教育しているように思います。例えば、ある年齢層だけを集めるとか、決まりきった職種教育とかがなされているのではないでしょうか。

それは、おそらく教育する側にほんとうに人材を育成したいという切実な思いがなくて、単に義務感だけでプログラムを設定している現状もあると思います。これからは、もう少し、従業員個人個人のスキルレベルやキャリア、コンピテンシーなどを勘案したきめ細かい対応が望まれます。

2010年10月16日

ハゲタカ

題名のとおりハゲタカファンドと呼ばれる投資会社の争いを描いたものである。大友啓史監督の「ハゲタカ」はNHKテレビドラマで話題になったものの映画版である。大手の自動車会社の買収を仕掛ける中国系ファンドとそれに対抗する日本のファンドという設定である。

その攻防はスリルがあっておもしろいのだが、何か奇妙なリアル感というか、ありそうでやっぱりないわという感じなのである。たしかに、日本の大手企業といえども今や中国マネーにやられるご時世なのだが、こんなことが本当にあるのだと思われるとちょっとちがうんじゃないと思える。

経済映画というのかどうか知らないが、実のところはなかなか見えないところがあって、しかも、日本の企業の風景はもっと古いもので映画のような状況はなかなか考えられないと思うのである。おそらく、こんなファンドは日本にはないだろう。

だからというわけではないが、登場する自動車会社の社長はいかにも能なしでひどいといったふうに描かれているが、ぼくにはそんなに悪くは思えない、よくいるタイプの普通の経営者に見えたのだ。

ということである意味類型的になっているとも言える。従って、あまり現実にあることだと思わず、実際の会社を想像するなんてこともしないで、劇画の世界だと思って観ることを勧める。
  

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2010年10月17日

大人の時間はなぜ短いのか

こんなに読みにくい本は珍しい。読みだして3回くらい途中でいやになってやっと読み終えた。「大人の時間はなぜ短いのか」(一川 誠著 集英社新書)である。普段、歳をとると時間の経過が早く感じるからと言っていたので、タイトルから興味を持ったのである。

この子どものときより時間が短く感じるのは、ぼくの考えた理屈は、10歳の時の1年は人生の10分の1だが、60歳の人は60分の1だからというものである。そうしたらこういう法則が実際にあるんですね。「ジャネーの法則」というらしい。

フランスの哲学者のポール・ジャネーとその甥の心理学者ピエール・ジャネーが、感じられる時間の長さは、年齢と反比例的な関係があるという仮説を立てている。しかし、これは実験で確かめられたものでもなく、科学的な根拠がないと言われている。じゃあ、どうなのよというのが、この本で知りたいことだったのだが、それがわからない。

著者は、実験心理学が専門で、人間の知覚認知過程や感性の特性について研究しているひとなので、「時間って何だろう?」とか「私たちは外界をどう知覚しているのだろうか」といった話になる。そして、錯視についての記述がだらだらと続く。

ぼくはもうずいぶんと前に錯視についてこのブログでエントリーもしたから、ちょっとは知っていたが、それが時間と関係あると言われてもさっぱりわからない。「物理学的時間」と「心理学的時間」の違いなのだろうが理解するのは無理だ。

ところが、後半では実験を行ったことも書いてある。「産出法」といって、被験者は、スタートボタンを押した後、3分経ったと感じた時点でもう一回ボタンを押すというものだ。4歳から82歳までの約3500人で行ったその結果は、統計的に有意な正の相関がみられたという。すなわち、年齢を経るほど経過時間を過小評価することが確認されたのである。

おお、そうなんだと思って読み進むと、これらはまだ検証されたわけではなくこれからの研究に委ねられるとなっている。ありゃあ、本のタイトルに答えてないじゃないかと思ってしまう。さらに、最後の方では、「スポーツにVTR判定は必要か」なんていう章もある。これじゃあ、わけがわからない。少なくともタイトルは変えてくれなくては。
  
そうか、本を読む時間は年齢だけではなく、つまらない本かおもしろい本かで違うのだ。物理的にも心理的にも。

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2010年10月18日

ボトムアップ戦略立案―ビジネスプロセス分解

前回、ビジネスプロセスの基本的なものとして、マーケティングプロセス、デザインプロセス、サプライチェーンプロセスがあることを示し、リファレンスモデルを活用することを勧めました。このリファレンスモデルを一段下のレベルまで分解してみていきます。

まずは、マーケティングプロセスですが、ここでおことわりですが、このマーケティングという言い方だと狭くとられ、営業活動などが含まれないと思われる可能性があるので呼び方を変えます。カスタマーチェーンとしたいのですが、日本語の方がいいので、顧客接点プロセスと呼ぶようにします。ついでに、デザインプロセスも設計・開発プロセスにしますが、サプライチェーンはなじみがあるのでそのままにしておきます。前記事も修正しておきました。

さて、その顧客接点プロセスですが、ここでの機能としては、商品を認知させ、マーケティングを行い、リードを獲得して、商談に入り、見積もりを提示して、成約させて契約するといったものになります。業務プロセスとしては、マーケティングプロセス、商談・見積プロセス、契約プロセスといったところになります。

次は、商品設計・開発プロセスですが、分解すると調査研究プロセス、設計プロセス、開発・評価プロセス、商品化プロセスなどになります。ただし、新規に商品を開発する場合と既存商品の改良では、様相が変わります。改良だと設計すればそのまま生産プロセスへ流し込むこともあり得ます。新規では各プロセスが必須となるとともに、プロセスの運営もプロジェクト的になり、しかも長期にわたるものになります。

サプライチェーンプロセスは、大きくは、生産計画、調達、製造、出荷に分かれます。それぞれは、受注生産なのか、見込生産なのか、受注設計なのかによって違ってきますが、基本的な流れはそう大きくは変わりません。

要する計画的にあるいは受注によって、製造に必要な原材料や部品をサプライヤーから調達し、製造スケジュールを組んで、要求の商品の製造を行い、出荷先に配送するという仕組みになります。

サプライチェーンには、このプロセスオペレーションをサポートするサブプロセスが数多くあります。そことの連携が多くあるので注意する必要があります。在庫管理、資材倉庫管理、品質管理、環境管理、安全衛生管理、外注管理、物流管理、輸出入管理などです。

こうしたレベルのプロセスを更に下のレベルに分解したものが業務プロセスになります。その業務プロセスが実際に業務をオペレーションするためのプロセスになってくるわけです。プロセスの階層とそれぞれの機能のイメージがつかめたでしょうか。ここがコアのプロセスモデルになります。

2010年10月19日

ITエンジニアの育ち方(4)

教育は実践的でなくては

前回、効果のある教育になっていない理由として、マーケティングの概念がないのでそれを持ちこむべきだというエントリーをしたが、もうひとつ実践的でないことも同時に問題であると指摘した。そのことについて考えてみる。

研修や教育の基本がどうしても座学中心になります。それは、簡単だからです。何かを知っている人を連れて来て、知っていることを話してもらえばいいのです。しかし、それは教えてもらうほうからしたら、自分の知りたいことと違っていたら教育の意味はありません。

ここで少し大げさな言い方ですが、教育の目的は何でしょうか。個人を成長させるというのもあるかもしれませんが、教育を施しているその組織体が生き延びるためにあります。国が教育を行っているのは国が亡びないためです。そう考えるともっと真剣に教育に取り組んでもいいように思います。

ちょっと脱線してしまいましたが、座学だけではなく、OJT(On the Job Training)があるじゃないか、これは実践的だという反論があるかもしれませんが、実戦に放り込むからといって実践的でしょうか。いまのOJTは放置プレイ(すいません下品で)になっていやしないでしょうか。昔のように、面倒みてあげるほど人的余裕がないというのが現状だと思います。

そして、何よりも重要な要素が自発的かどうかです。何であれ、無理やりやらされているうちは効果は期待できません。自らが学びたい、知りたいという気にならなければ身に着かないということです。実践的な教育もこれが前提です。

さて、その実践的であるといことの意味はなんでしょうか。ここは、ITエンジニアの人材育成ですから、ITに関する知識を覚えるとか、システムの機能を勉強するとかは実践的ではないでしょう。そうではなくて、実際に開発するとか、設計するとかといった現実業務に近い動作を通じて学ぶことだと思います。

さきほど自発的であるべきと言いましたが、いまできていないことを自分の頭で考えて、自分の手でやってみるということが自発的であるところだと思います。これは、本当の実務では危ないから、研修でチャレンジしてみるということです。

別の側面で実践的であるということを考えると、教育・研修で得た結果がどうも精神論的で意欲論であるような気がします。どういうことかというと、たとえば、問題解決型研修などで、その課題解決策を立案するわけですが、それが、「○○について理解してもらえるようよく説明する」とか「○○に関する相談窓口を設置する」、「○○についての検討会を立ち上げる」といった類いの解決策をつくります。

これって、答えになっているでしょうか。だいたいにおいて、最初は勢いよく始めますが、続かないことが多いのではないかと思います。ですから、実際の仕組みや仕掛けに落として、それを運用するところまでやらないと意味がないのです。特に、ITエンジニアはそれを作るのが仕事ですから、中途半端なところで終わるような研修では、それこそ実践的ではないと言えるのです。


2010年10月20日

大人の見識

ただ齢を重ねたのが大人なのだろうか。近頃、こんなことを考えている。うちのばあちゃんはだんだん子どものようになっていくし、子どもじみた大人もいれば、大人びた子どももいる。どうも年齢だけではなさそうな気がしている。

阿川弘之著の「大人の見識」(新潮新書)のいう見識は、大人が持っている見識なのか、見識が大人なのか、後者のようにも思えるが実は“見識のある大人が持っている見識”のことのように思える。この本に出てくる話はほとんどが、海軍の話、英国の話、昭和天皇の話です。ですから、海軍の立派な人が持っていた見識、イギリス紳士の持つ見識、そして昭和天皇の見識なのである。

著者もこうした話ばかりだと言われるのを予想してか、ちゃんと弁明していて、どういうことかというと、「昭和天皇ははっきり「大人の見識」を持っていた、その見識は英国抜きでは語れない、英国といえばロイヤル・ネイビー、海軍はその影響下に大を成し、影響下を離れて亡んだ」だとその因果関係を言っている。

ただ、この手の話は今の若い人にはわからないだろう。似たようなものに戦争体験を語り継ぐようなことがある。実際に体験した人たちに語りかけて記憶を共有することはできるが、経験したことのない人に後世に語り継いでと言ったところで、そんなことがあったそうですというだけで何の迫力もない。

だから、昭和天皇や海軍だの英国王室のノブレス・オブリージュと言われてもその雰囲気にいなかった人々には腹にはなかなか入らないだろう。しかしながら、そうした見識のある人たちの言動を知ることで叡智を学ぶことはできる。それは、KnowledgeとWisdomの違いだと言っている。智恵があるところに見識は生まれるのである。

特にぼくがうなずいたのは、ユーモアの大事さで、「大人の見識」の大きな要素だと思う。英国と海軍では何よりも重んじられるのがユーモアであるというのはなるほどと思うし、そのユーモアに対して次のように言っているのもわかるのである。

真のユーモアとは単なる滑稽感覚とは異なる。人生の不条理や悲哀を鋭く嗅ぎとりながらも、それを「よどみに浮かぶ泡(うたかた)」と突き放し、笑いとばすことで、陰気な悲観主義に沈むのを斥けようというものだ。それは究極的には無常感につながる。英国人にとってユーモアは、危機的状況に立たされた時最も大きな価値を発揮する。

それにしても、この本を読んでいてつくづく感じるのは、わが国は「大人の見識をもった国」なのだろうかということである。先進国の仲間入りをしているのだから、成熟した国家であるはずなのだが、どこか子どもじみていやしないだろうか。ああ、これでは衰弱した子どもの国になってしまいそうだ。
 

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2010年10月21日

乱暴と待機

これまたシュールなタイトルの映画「乱暴と待機」は本谷有希子の原作を富永昌敬監督がメガホンをとった作品である。本谷有希子は注目の若手劇作家、小説家で「劇団、本谷有希子」を主宰している。彼女の作品の映画では、佐藤江梨子が主演した「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」というこれまた変なタイトルのものがある。

こちらの作品は、もともと舞台用に書かれたものを映画にしている。だから、出演者も小池栄子と山田孝之という夫婦と浅野忠信と彼をお兄ちゃんと呼ぶ美波のエセ兄妹の4人しか登場しない。しかも、とある住宅街の一角というか、家の中(天井裏もあるが)だけでほとんどのシーンが展開する。

そうなんです、舞台ならそれでいいんですが、それを映画で見せられるとちょっと違和感がある。映画と舞台はやはり違うはずなのであって、舞台は良かったが映画ではねえというのもあるし、逆に映画はいいがこれって舞台にはならないなあということはよくある。

「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」は元は小説だからちゃんと映画になっている。だから、戯曲は映画になりにくいのであって、つかこうへいの作品では、「蒲田行進曲」くらいしか映画化されていない。(これとて、戯曲を小説化した)逆に、映画も演劇にしにくい。大変極端な話、アバターは舞台にならない。

舞台は、空間的な広がりがない代わりに、狭い空間での濃密な人間関係が描かれる。人間同士の愛憎を言葉を媒介にあぶりだすようなものに向いているように思う。景色を眺めて無言で涙を流すなんてシーンはないのである。

ということで、この映画どうもしっくりこなかったのだ。今言ったようなこともあるのだが、もうひとつ、人物設定として、4人のキャラがよくわからないというのがおじさんの率直な感想である。若い人は、共感できるのだろうか。

で、この4人の登場人物はこうだ。やたら乱暴な妊婦、その高校時代の友達でその妊婦から嫌われている、人をいらつかせる面倒な女、その女からお兄ちゃんと呼ばれていて、天井裏から覗きをしている、オタクっぽい男、妊婦の夫なのだがいいかげんなヤツでその面倒女を誘惑するダメ男が4角関係を繰り広げる。

その折々にいろいろな仕掛けがあって、笑えることから身につまされることなどそれなりにおもしろいのだが、やっぱ、なぜそんなに怒ってものを壊すのかとか、なぜそんなに軽いのかとか、なぜ急に変身しちゃうのかといったひっかかりが取れないままだ。そういう感覚が今の時代受けるのだろうか。
 

2010年10月22日

オヤコ定例吞み会(10月)

昨日は、定例の吞み会で行ったのは、代々木にあるタイ料理店「KAOTIP」である。このお店は何度かこのブログでも書いているが、高校の時の同級生S君がオーナーである。代々木駅の西口からすぐなので便利だし、なにより雰囲気がいいので是非訪ねてみてください。

昨日は、午後に水道橋にあるとあるソフトウエアベンダーで打ち合わせがあった。「Kailas」の共同開発のようなことを提案しているのでその話で2回目である。これからも継続的に検討することになった。相手をしてくれているのが若いひとなので張り合いがある。おそらく年寄だったら、そりゃ無理ですよとか言われておしまいかもしれない。

そのあと、吞み会までにだいぶ時間があったので、どうしようかと思って、東京ドーム近辺をぶらぶらしていたら、「野球体育博物館」の案内があるではないか。さっそく、500円の入場料を払って入ることに。野球の歴史や有名選手のユニフォームやグローブ、バット、WBCの優勝トロフィーの展示、過去の試合の映像とかがあって、メインは何といっても野球殿堂である。

ここに1959年から2010年までに殿堂入りされた171人が表彰されています。まあ、懐かしい名前がずらりと並んでいて壮観です。しかし、展示品なんかも含めてわが横浜ベイスターズ(大洋ホエールズ)のものが少ないのにはいささかさびしくなってしまいました。

ということで、そこで時間をつぶして「KAOTIP」です。そこで、息子に近況やぼくが今始めた若手の勉強会でやろうとしていることを見せて感想を聞いたりした。少しずつ成長しているようにもみえ、何事も経験を積んでいくのは大事なことだと思う。

さて、「KAOTIP」は最近、以前からいたシェフがやめてバンコクに帰ったそうで、新しいシェフがやってきました。彼は、チェンマイ出身で、ですからチェンマイ色のある料理を出してくれました。

ぼくはこの店では、いつも自分では頼んだことがなくお任せにしています。昨日も定番の生春巻きやさつま揚げの他にいろいろおいしいものが出てきて息子も感激していました。〆に出てきたチェンマイラーメンはうまかったですよ。酒も、いつものように焼酎で(これがタイ料理に合うのですね)、栗焼酎ダバダ火振と鹿児島の麦焼酎をいただく。

腹いっぱいになって、いつもように銀座の「M」にいく。よもや話をしていたら、柳家小里ん、古今亭志ん橋の両師匠が顔を見せたので、息子も紹介して挨拶してもらう。そうしたら、息子がえらく驚いていた。息子は何回か小里ん師匠の独演会にいっているし、枝雀が大好きの落語ファンなのですごく感激していた。帰りにはこれまた、いつものようにママから塩シャケのほぐしたのを瓶詰でもらって喜んでいた。

2010年10月23日

デジタル教科書

最近、デジタル教科書の論議が盛んである。そんなにいろいろな意見を聞いたわけではないが、賛成派と反対派の意見がかみ合っていない。要するに論点がずれているのである。

ぼくは、デジタル教科書は賛成である。カバンに重い教科書を詰め込んで毎日運ぶ必要がなくなるし、関連情報の取得が格段に速くなるし、記憶容量が莫大になるからである。何か悪いことってあるのだろうか。紙でなくてはいけない理由はなんなのだろうか。

だから反対派の人たちは、論理的でなく情緒的なのである。おそらく、アナログとデジタルという二項対立に立脚して、デジタルだと先生と生徒の間に何となく乾いた冷たい関係ができて、教育という点ではよくないという感情が働いているのではないだろうか。

これって、デジタル教科書になると、教科書が冷たく教えるのだろうか。勉強を教えるのはあくまで教師であって、教科書が教えるわけではない。どうも、こういう人たちは、コンピュータ、デジタル機器というと脊髄反射で排除したくなるのだろう。

この、デジタル拒否反応というは、このことだけではなく他のところでもあって、偏見だと思うがよくある。例えば、いささか旧聞になるが、ウィニーというファイル共有ソフトの問題も根は同じようなことなのである。これは、素晴らしい機能をもったソフトであるが、違法なファイルの交換もできることから、開発者は著作権侵害行為幇助の疑いで逮捕されたのだ。

この話がなぜ同じような話かというと、簡単に言うと、いくらいいものを作っても使う人が悪いことに使ったらどうにもならない。換言すると、道具は使いた方でいかようにでもなるのであって、逆に普通のものでも使う人が有効に使いこなせば大きな効果をあげることができるのである。ここで、ちゃんと理解しなくてはいけないのは、デジタル機器はあくまで道具でしかないのです。道具は自ら悪さはしません。よくある誤解はここです。

さて、デジタル教科書です。生徒に教えるのは当たり前に教師です。その教師が教材が詰まった教科書を使って生徒に智恵や知識を学ばせるわけで、その教科書が紙であれ、コンピュータであれ、教えるのに適したものを使えばいいのです。ですから、論点は教えるのにやりやすいかどうかであって、効率化一辺倒の教育はいかんなんて、デジタル化とは全く関係ないことを言うからおかしくなる。

字を書かなくなるとか、紙でなくてはいけないとか、本を読まなくなるからとかこれまたわけのわからんことを言う。字なんて書かせりゃいいし、今の電子ブックを知っているのでしょうか、紙と同じように読めるし、デジタルでかえって文字を読むようになったというデータもあるそうです。

問題は、教科書をデジタル化するかしないかではなくて、ひとえに教師の問題だと思いますよ。生徒が先生に勉強したいので教えてくださいといい、よっしゃ俺(私)にまかせておけという関係ができていないのはデジタル化以前の問題ですからね。
   

2010年10月24日

母なる証明

近頃、本もそうだし、映画もそうなんだが、タイトルの付け方に文句を言いたくなることが多い。原題をひねるのもいいのだが、ほんのちょっとした違いなのだが、中身と違ってしまうことがある。この「母なる証明」という韓国映画もそんな“タイトルだまし“の映画である。

原題は「MOTHER」なのである。これはいかようにもとれるネーミングで、だからこんな母親もいるのだという意味がある。ところが、「母なる証明」となると、母親とはこうあるべきでそれをこういうときに証明するのだといったトーンがあって誤解される。

そう言う意味では、この映画は「MOTHER」である。だから、タイトルで損していると思える出来栄えで楽しめる。女子高生殺人事件の容疑者にされた息子の無実を信じて戦う母親が主人公である。監督がポン・ジュノ、主演の母親役がキム・ヘジャ、息子役がウォンビンである。

息子は障害のある子でその殺人事件のことを覚えていないのだが、逮捕されてしまう。さあ、こうなると母は強しである。様々な手を使い、息子の無実の罪を覆そうと思うのだが。こうした母親の行動力はどこの国でも同じだと思うが、この母親のバイタリティはすごい。

物語は、母と息子の関係だけではなく、謎解きの要素もあったり、スリリングなシーンもちりばめられていて、こうした筋立ても楽しむことができる。脚本と演出はなかなかのものだ。

これ以上ストーリーは言わない方がいいが、秀逸なのは最後のシーンでこの母親が踊りだすところで、それをキム・ヘジャが母親の強さというか、それよりもしたたかさとでも言ったらいいが、それを説明的でなく表情だけで表現しているのが印象的であった。

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2010年10月25日

ボトムアップ戦略立案―リソース管理プロセス

前回、リソース管理プロセスについて概要を述べたが、ここはもう少し詳しく見ていった方がいいと思います。基本のプロセスというのは簡単にいうと、顧客からの要求に対し経営資源を使って応えてやり、売り上げを立てることです。このプロセスを動かすときの“経営資源を使う“という意味は、コアプロセスから見ると経営資源に関する情報を参照するということに他なりません。あるいは、情報提供サービスを要求して受けるということになります。

ではその経営資源に関する情報にはいったいどんなものがあるのでしょうか。まずは情報の種類からみると、事実情報、判断情報、制約情報になります。これは、意思決定のための参照情報の区分で、以前にこのブログでも業務システムの再定義という記事で書いています。それぞれの情報の中に経営資源の過去(履歴)、現在(リソース状況)、未来(計画)に関するものがあります。ビジネスモデル上で規定された経営資源はこうして参照情報としてビジネスプロセス、業務プロセスに反映されていくわけです。

ここで、お気づきかと思いますが、このことは表面的あるいは結果の参照という性格であるのです。つまり、経営資源を何らかの形で管理していて、その結果を情報化しているのです。典型的なものにマスタデータがありますが、それはちゃんとデータベースを設計してそのDBに格納されたデータを引っ張ってくるわけです。そうした、管理プロセスがあってこそ情報として扱えます。

ではもう少し詳しくみていきましょう。ビジネスモデルで定義した、経営資源は、人・組織・人脈、設備、資金・信用力、技術・ノウハウ、ブランド、ネットワーク・流通チャネルでした。それぞれに、管理した結果として、人材に関するデータや今の勤務状況、設備の能力値や稼働状況、資金繰り状況、知的財産、ブランド浸透度、関連業者リストなどといった情報を持つことになります。

このデータ管理の基本パターンは前回にも書きましたが、データベース管理になります。すなわち、新規の場合には、そのデータを登録していいのか判断して、よければ承認というステップを踏んで登録されるというワークフローになります。追加、更新、変更、削除も同様です。

ただ、これだけではなく、資源そのものを管理するプロセスがあるのは言うまでもありません。例えば、大きいものでは人材管理があります。どのようなスキルをもった、どういうキャリアを経た人材がどこにいるのかと言ったことが人事DBにあるわけですが、採用をどうするのか、教育をどうやってやるかとか、配置転換をどうするのかといったプロセスはまた別個にあります。設備管理にしても、修理プロセスもあったり、資材や工事の調達プロセスなどもあります。

ただ、このあたりは、資源ごとに異なるのでいちいち詳述はできませんので別途検討したらよいと思います。これらは、コアプロセスに対して、サポートプロセスと呼んでいますが、人事システム、財務会計システム、設備管理システム、物流管理システム、品質管理システム、環境管理システム、法務・税務・情報などのプロフェッショナルサービスなどから成り立っています。

とここで何か抜けていないかと思う人がいるかもしれません。そうです、在庫は経営資源なのかです。おそらく、リソースデータではなくイベントデータとして扱うので経営資源ではないでしょう。ですから、在庫管理はサプライチェーンのプロセスに組み込んだらいいと思うのですが、現実的にはリソースとイベントの中間的なものになるのでいつか別の機会で議論しましょう。

もう一度整理していうと、大きく企業のプロセスにはコアプロセスと経営資源の管理を主体としたサポートプロセスがあって、コアプロセスは経営資源管理プロセスで生成・管理されたデータを参照情報としてビジネスプロセスを動かしているということを理解してください。
   

2010年10月26日

ITエンジニアの育ち方(5)

研修の進め方

さて、だいぶ前置きがながくなったが、実践的な研修の進め方についてみていきましょう。だいたいの進行は次のようなことになります。

1.問題の発掘・認知し課題を設定する
2.その課題に対する解決の方向性を探る
3.ビジネスの構造を考える
4.プロセス志向とはどういうことかを学ぶ
5.ビジネスモデルとビジネスプロセスの関係を知る
6.ビジネスプロセスを構造化してみる
7.業務プロセスの設計作法を身につける
8.実習(ビジネスモデルービジネスプロセスー業務プロセス設計)
9.プレゼンテーション(自分で設計したビジネスモデル、プロセスを説明する)
10.自分たちの役割と使命を確認する

こうした研修のポイントは、最初のところでも書いたように、覚えることではなく自分の頭で考えることであり、実際に設計したり、それを発表して、理解してもらえるかといった実践的なものであることです。

このように業務プロセスを設計できて、ユーザに向かってこんなプロセスにしましょうという提案ができるというのは、これからのITエンジニアのもつべき重要なスキルでしょうう。それを、研修をとおして実地にやるわけなので実践的と言っているのです。

ところで、もうひとつの狙いがあります。ここでの効果は実務的なスキルの習得をあげていますが、実はもっと一般的なスキル、ビジネスパーソンとして持つべき基本スキルの習得もしようじゃないかということです。それはどんなもかというと、「「日本で最も人材を育成する会社」のテキスト」(酒井穣著 光文社新書)に出てくる技術スキル、対人スキル、概念化スキルという3つのスキルのことである。

技術スキルというのは、特定の業務を遂行するのに必要な知識や技術で、対人スキルとは、ときに衝突することがあっても、長期的に他人とうまくやっていくことができる力です。3つ目の概念化スキルは、あまり言われないのですが実は重要なスキルだと考えています。

そのスキルとは、複雑な物事をシンプルに理解する力で、カオスに思える物事の中に何らかのルールや共通項を見出すスキルです。日本人があまり得意ではないことではないでしょうか。しかし、業務システムなどを考える上では必須の能力です。

こうした、一般的なスキルもこの研修で身につけることができたらいいなあと思っています。さて、これから、アジェンダに従って個別に内容を議論していくことにしましょう。

2010年10月27日

顧客第一主義のワナ

昨晩のテレビ東京WBSにトヨタ自動車の豊田章男社長がスタジオ生出演をしていた。リコールの時もなかなか表に出てこなかったので珍しい。こうした番組では、あらかじめ用意された質問もあったかもしれないが、録画インタビューとは違って本音や素が出やすい。その時の話のやり取りでちょっとびっくりした。というかがっかりした。

豊田社長の口から頻繁に出たのが、「ユーザ目線で」「お客さんの要望をよく聞いて」「顧客ニーズにできるだけ答えられるように」といった言葉である。ぼくも「ユーザ目線」という言葉を使うが、使い方を間違えている。

ユーザ目線というのは、お客さんの言うことを聞くということではないのです。あくまで、ものを考えるときの見方とか見る眼といったもので、そこで見たものから、自分たちの主張を形にするという態度のことである。

昨日の豊田社長の言っていることは、顧客迎合主義でこれでは何でも屋になってしまう。よく、いまは顧客志向だとか顧客第一主義でなくてはだめだ、プッシュ型からプル型だとか言われる。たしかに、そうなのだが、これも曲げて捉えられているところがある。

いいものを作れば売れるということではなく、ニーズを汲み上げた、本当に必要なのもの、ユーザが思わず欲しくなるものを提供しなくてはいけないという意味なのである。アップルのジョブスは、お客さんの要望を聞いていますか? でも、みなが欲しがるものを創り出しています。

まだまだ、がっかりしたことがあって、電気自動車を開発しているアメリカのベンチャー企業に出資したこととか、若者の車離れとか、円高について聞かれたのだが、よく分からなのですがとか言って明快に答えられないのです。

そしてさらに、これからのクルマあるいはクルマ社会がどうなるかと聞かれても何を言っているのかこっちがわからない。おいおい、トヨタ自動車だいじょうぶなのか。しかし、ある意味これが日本の経営者という感じでもある。
  


2010年10月28日

ボトムアップ戦略立案―戦略立案作法(1)

さて、いよいよ具体的にどうやって戦略を立案していくかを議論していきます。まずは、概略の手順を確認しておきましょう。

1.現状ビジネスにおけるビジネスモデル構成要素を記述していきます。
2.必要なら同様にバリューチェーンについてもチェックしておきます。
3.当社の強み(保有価値)、弱み(要改善点)を該当する構成要素ごとに記述します。
4.現状ビジネスの競合状況、差別化のポイントや競争優位点を記入し、自社のポジショニングを行います。
5.そこから、差別化のポイントや競争優位点の拡張やシナジー効果などを検討して戦略を見直します。
6.確定した戦略に合ったビジネスモデル構成要素を設定します。

2のバリューチェーンのチェックですが、これは必要に応じてということになります。(ここでまた、おことわりで、バリューチェーンという呼称がサプライチェーンと紛らわしいのビジネスチェーンという言い方に変えます)でたとえば、グローバルにビジネスを展開しているとか、インソーシングとアウトソーシングをバランスさせているとかいった場合には、そのモデルの分析をしておいたほうがよいでしょう。

この手順のポイントは、ビジネスモデルを中心に据えて、そこの現状モデルを分析し、新しい戦略を検討するということです。もし、全く新しいモデルにしたい場合は、どういうビジネスをしたいのかを設定することになります。その場合、重要なのは商材と市場/顧客です。それから商流で、経営資源とか、供給方法といったものはまだ未整備であるかもしれません。

ところで、AsIsのビジネスモデルから出発するアプローチでは、そこから上へ昇っていくものと下に降りていくものが出てきます。つまり、戦略へと昇って行くのがここでのメインルートで、これは強みを生かすという考えた方ですが、逆に弱みの分析からそこを修理していくというアプローチがとられることがあるということです。

実は、だいたいあにおいてそうした傾向に陥りがちになります。すなわちプロセス改善、業務改革に向かってしまうわけです。戦略から詰めるトップダウンアプローチでも、同じような傾向があって、最初に戦略として、新規顧客の獲得とか単品売りからサービスへ変換するなんてテーマが決まっても、それをプロセス分解していくうちに業務課題、つまりユーザ要求に対して現状でできていないところとか非効率的になっているところをどうしたらいいのかという問題にすり変わっていきます。

ただし、これがいかんと言っているわけではなく、最初の目的でそのあたりの方向を定めていた方がいいと言っているのです。これは、会社の成熟度によるわけで、戦略立案に行くにはある程度成熟されたプロセスになっていないとだめなのである。もし成熟度が低ければ、戦略がどうのと言う前に、まずは現状プロセスの整備をちゃんとすべきである。もちろんそのケースでもこのやり方は有効であるのは言うまでもない。

ちょっと脱線しましたが元に戻って、この手順も作法と名付けています。ですから、厳密な手順ではなくだいたいこんな感じにするというものでもあります。しかしながら、「型」のようなものは決めておきます。その典型は、ビジネスモデルの構造と構成要素で、決まったフレームを用意してあります。このフレームと記述のためのガイドから作法は成り立っています。

2010年10月29日

生物多様性ということがわからない

いま名古屋で生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)というのが開かれていて、今日閉幕するらしい(らしいというのは新聞にも出ていないので)。この生物多様性というのがよくわからない。生物の多様性が失われているからそれを保全しようということらしいが、他にも途上国の生物資源を使って儲けたらその利益をどう配分しようかというのも議題のようだ。

その両方とも何か胡散臭さを感じてしまうのはぼくだけだろうか。どこか環境問題に似ていて、要するに、生物の多様性を保全することが本当にいいことなのかということと、結局経済問題でもあり、ということは誰かがお金儲けのために動いているということである。

最初の、多様性の保全の問題では、変なことがいっぱいある。人間が自然を壊しておいてじゃあ保護しなくてはいけないと言っているが、所詮マッチポンプであり自己弁護していだけである。ぼくは、極論だけどそんなことをする必要はないと思う。人間じゃあるまいし、そんなふうに保護してほしいと思っているヤワイ生物はいないではないだろうか。

そう言えば、ちょっと前にニガクリタケという毒キノコが話題になったが、毒キノコを平気で食べる虫がいるわけで、そうなると毒キノコは人間に向かって牙を剥けているんだと言っている人がいましたね。

みんな殺し合いながら生き残っているわけで、人間だってそうした生物の一種としたら、自分たちが生き延びるために優しくしているつもりが、邪魔になったら、人間だけが感染する細菌でも現れて復讐されますよ。

それと、多様性を人間の側から見るのか、生物側から見るのかでも違ってきます。生物側からみたら、多様化は困るわけです。生物種がどんどん増えたら自分の生存を脅かされるから、適当に多様でいてほしいだけである。それは実は自然の摂理で、絶滅するのもいるし、そのあとに新種が現れることもあるし、そういう生態系のバランスができているのだ。

この間、テレビの「情熱大陸」で気鋭の昆虫学者が出ていたが、中米で昆虫の新種発見を一生懸命やっている。もう新種を500種以上みつけたらしいのだが、それって新種って言うけど、昆虫側からみたら新種でも何でもなくて、あいけねえ人間にみつかっちゃったってな具合なわけで虫にとってはいい迷惑かもしれない。

次の遺伝資源へのアクセスと利益配分という問題は、これは石油やレアアースのような資源と同じような問題で生物多様化とどう関係あるのかがわからない。もう利権の臭いがぷんぷんですね。だから、ひと儲けをたくらんでいる人たちが煽っているのである。こういうところには足を踏み入れない方がいいのである。

2010年10月30日

左翼はどこへ行ったのか!

ぼくらの年代は、新左翼の勃興から衰退をみてきていて、それがもはや“歴史”になっているのを実感として感じている。一方、新がつかない左翼はいったいどうしているのかというのもよくわからない。だから、何となくノスタルジー的な興味で「左翼はどこへ行ったのか!」(別冊宝島編集部編)を読む。

この本で出てくる人々を眺めるとかつてのあだ花のような世界がよみがえる。ざっと紹介すると、

巻頭インタビュー「自由を失くした人々よ、立ち上がれ!」映画監督、若松孝二
「三里塚闘士が目指したもの」東京管理職ユニオン副執行委員長 安部誠
「「ガンダム」に生かされた経験!?」漫画家 安彦良和
「なぜ革命を目指し、なぜ革命を捨てたのか?」元JR総連顧問 松崎明
「60年安保の東大委員長が語る「左翼」」評論家 西部邁
「プレカリアートのジャンヌ・ダルク」作家 雨宮処凛
「「日の丸を焼いた反戦行動者」の“いま”」米軍と政府の横暴に抗う沖縄人 知花昌一
「もし革命が起きたら、再戦闘に立つよ」元全学連メンバー
「筋金入りの過激派に属した女の奔放な日々」元・戦旗派活動家 早見慶子
「新左翼は、なぜ崩壊したのか!?」荒岱介×鈴木邦男
「神ではなく「仏像」に転進したアナーキスト」奥崎謙三
「大地に還った三派全学連委員長」藤本敏夫
「引退を切望されながら10年間議長の席を譲らなかった「宮本顕治」」
「「市民」であり続けた男」小田実

とまあ、錚々たる人々が登場するが、それでもぼくら左翼とは、ちょっと違うような気がする。それはともかくとして結局、ひと括りではない様々な左翼があり、それがてんでばらばらに勝手な思想と行動を形成し、決して糾合されず、それゆえ民衆の理解も得られず、共闘もできなかった。

そして、あのいまわしい連合赤軍事件で世間が離反し、ソ連崩壊で壊滅的になった。いまは、派遣村とか格差社会の糾弾といった形で残っているが、勢いはない。かつての闘士は、なぜか環境問題や生物多様化の方に逃げてしまったようで、そんな穏やかなところで農業にいそしんだりしているのだ。

ほんとうにあの時代は何だったのか。ぼくはノンポリだったから、外から眺めていたがそれでもデモにも行って機動隊とも対峙したこともあり、授業中に内ゲバで中核派が教室になだれ込んだこともあった。しかしながら、火炎瓶で燃えるキャンパスを背に雀荘に向かうのがぼくの日常だった。この本を読みながら、ずっとあの時代は何だったのかと思い続けている。
  

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2010年10月31日

十三人の刺客

集団抗争時代劇の傑作と言われた工藤栄一監督のオリジナル作品は、ぼくが高校生の時に封切られたのでもので、壮絶な殺陣シーンが話題になった。それのリメイク版「十三人の刺客」が三池崇史監督によってつくられた。

なんとオリジナルでは13人対53騎で30分の戦いだったのが、13人対300人で50分ということでかなりパワーアップしている。俳優陣も、役所広司、山田孝之、伊勢谷友介、稲垣吾郎、松方弘樹、平幹二郎、松本幸四郎、市村正親、岸部一徳、古田新太といった面々である。

今の時代、なかなか大がかりな時代劇を作れないでいるが、久々のチャンバラがふんだんに出てくる大型時代劇である。あれだけのセットを組んで(二億円くらいかかったそうだ)あれだけの、馬を集めるんだからすごい。それだけでも、少々長くはあったが、ぼくはかなり楽しめた。

物語は説明するまでもなく、時は幕末、将軍の弟でもうすぐ老中になろうかという明石藩主が、傍若無人で残虐を繰り返す振舞いに怒り、危機感を抱いた現老中が暗殺を役所広司演じる島田新左衛門という御目付に暗殺を命じるところから始まる。そして、参勤交代で明石に帰る途中で襲う計画を立てる。

この映画のポイントは、この大名行列の大人数に守られている殿様の首をたったの十三人で奪うという設定である。そのためには、もちろん命を捨てる覚悟でなくてはできないわけで、そこでその命を捨ててもいいという人間を集めるというのがこの島田新左衛門の器量なのである。これって、現代に当てはめると会社の命運を左右するような一大プロジェクトのリーダーみたいなものかもしれない。まあ、命とクビとではずいぶん違うが。

そうした、俺についてこい式の人間ぶりを演じたら評価が高い役所広司がその名のとおりの演技で安定感がある。その一方で出色だったのが、暴君を演じた稲垣吾郎である。SMAPメンバーでありながら汚れ役を見事に演じていたのには驚いた。

この二人は、単純には真逆の人物に見えるのだが、ぼくにはなぜか似ているように思えたのだ。その時代、すなわち長きに渡って君臨する徳川の政事に対する閉塞感を同じように感じているのである。例えば、山田孝之演じる島田新左衛門の甥もそんな鬱屈した気分を博打に吐き出したりする。そして、人も斬ったこともない侍ばかりで、武士とは戦とはどこに行ってしまったのかという思いもある。

明石藩主はそれがひどくエキセントリックで猟奇的な方向に走ってしまうのだが、この攻防を楽しむようなニヤッと笑う表情が秀逸で、もう徳川時代の末期症状の象徴として描いている演出はよかった。だから、討った13人にしても暴君を斬るだけではない目的をそれぞれに抱えていたようにも思える。「侍など、ほんとうにやっかいなもの」なのかもしれない。

戦闘シーンもすごかったが、いま言ったようにぼくにはこの幕末の時代の匂いが印象的であった。

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