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2010年7月 アーカイブ

2010年7月 1日

ビジネスモデルを実装する-ビジネスモデル要素の表現

前回は、業務プロセス構造について、少し長くなりましたが参照情報、ルール、ロールなどについて議論しました。さて、ここからはビジネスモデルの各要素を業務プロセスのどこに反映させるかという話になります。おさらいとして、ビジネスプロセス要素とは、顧客/市場、価値、経営資源の組み合わせ、供給プロセス、収益モデルです。

そして、この中でも「価値」をどう表現するのかが難しいところになります。すなわち、価値とは他との差異ですから、その差異、これももう一度おさらいですが、比較優位性、特異性、新規性をどこに埋め込むかになります。

今までの議論で、構造や構成といった静的な部分に現れる場合にしても、コントロールやオペレーションといった動的な部分に反映させるにしても、どうも何かの決めごと、すなわちルールとか規則として表現しているように思います。ですから、広義の意味のルールに集約されるように思っています。

さて単にルールというと、if then else 的な狭義のルールを思いがちですが、もう少し広い意味にとらえることにします。ですから、このルールは業務プロセス全体にかかるものだとも言えます。つまり、プロセスの構造とシーケンスを決めるためのルール、アクションを起こす基準となるルール、ロールや権限の決めるためのルール、情報の意味を規定するルールといったものになります。

そして、こうした広義のルールを管理する仕組みが必要になります。ただこう言うとそれはルールマネジメントでしょ、今あるじゃないですかと言われるのであまり使いたくないので、“コントローラー”と呼ぶことにします。この用語にしたのは、ルールをマネジメントすることが目的ではなく、ルールを適用してうまく業務プロセスをコントロールするということです。

コントロールという概念をもう少しみていきましょう。どういうふうにルールがかぶっていくのかを具体的な例でみてみます。例として、与信限度額について考えます。

オーダーが来たらそれを受けていいのかどうかというチェックはよくやられます。その時のチェック条件に与信限度額というのがあります。取引きする相手の信用度に応じて受けるかどうかを判断するわけです。その時のルールはどうなっているでしょうか。

まず、与信限度額というものを定義しておかなければいけませんね。その辞書的な意味は当然ですが、その限度額そのものの値もあります。それは一律に決まるわけではなく、例えば、普段から何回も取引きがある会社とそうでないところとか、会社の信用度とかで、その値の決め方すなわちルールが設定されます。

次いで、限度額が決まると、その限度額を超えるなら拒否するのか、再審査するのかといったルールもあります。また、その時、相手に知らせるのをメールで返信するだけにするとかというふうに、どういうプロセスで対処するのかという決めもあります。

ということで、単純なルールもありますが、多くはプロセス定義に関係するもの、データ定義に関係するもの、オペレーションに関係するものなどそれぞれに関連し合う構造になっています。ここにこそ、ビジネスモデルの重要な要素が埋め込まれています。

上記の例でも、ハイリスクハイリターンでいくといったビジネスモデルだとすると、信用度の低い会社とも積極的に取引をして、多くの顧客を獲得できるような与信限度額の設定になるわけです。
  

2010年7月 2日

ワールドカップあれこれ-ワールドカップレポート6

日本代表チームも帰国して、今日から準々決勝が始まる。南アで開かれているサッカーワールドカップもいよいよ佳境に入ってきましたが、ここまでのワールドカップで気付いたことをトピックス的にまとめてみた。

・甲子園化
イタリア、フランスといった前回優勝を争ったチームがグループリーグで敗退するというサプライズがあったが、それだけ各国の差が小さくなってきたということなのだろう。これまでだと、欧州と南米の強豪国がいつも上位を独占してきたが、今回は北中米やアジア・オセアニアの活躍があった。そのうち、このなかから優勝国がでるかもしれない。

そういえば、甲子園の高校野球も昔は強い学校が決まっていて、北海道の学校が優勝なんてできなかったが、いまやどこの学校でもチャンスがあるように思える。今回のワールドカップはそんな甲子園化する嚆矢となる大会かもしれない。

・財政危機と強さ
今言ったようにイタリア、フランスそしてギリシャといったところが早々と姿を消し、スペイン、ポルトガルも苦戦している。これをみていると財政がよくない国は弱いのだ。サッカーに力を入れる気分ではないのだろうか。それではわが国はどうなのか。そうかわが国はまだ財政危機にはなっていのだ。変な理屈。

・オシムの呪縛
ワールドカップで日本チームが予想外の活躍を見せたのは、直前でフォーメーションと選手を変えたことが大きいのは誰もが認めると思うが、戦術的に前線でのプレスをやめたこともあると思う。いまだに、オシムはもっと前線で走り回ってプレスをかけろと言っているが、岡田はそれを無視したのだ。やっとオシムの呪縛から解放されて自分の戦術を前面に出したのである。性格的には嫌いな守備的なスタイルに。

・ロールモデル
では日本のめざすサッカーはどこにあるのだろうか。今回のサッカースタイルで常時ベスト4にいけるような国にはなれないだろう。せいぜいベスト16だ。それを超えるには、今のスタイルを基本にオシムのいう前線プレスを間断なくやるのか、従来志向していたパスサッカーをレベルアップさせる(かなりアップしなくていけないが)のかである。

後者のモデルが言うまでもなくスペインであろう。この間のポルトガル戦で見せた得点シーンはそれはそれで見事なものだった。イニエスタからシャビとつなぎ最後はビジャが決めたパス回しである。ここのポイントはイニエスタが直接ビジャにパスするのではなく、一旦シャビを経由したことである。そのために守備陣が振り回されたこれこそがパスである。

・同級生
パラグアイ戦でPKを外した駒野が帰国後のインタビューで盛んに同級生に慰められ、励まされた、持つべきものは同級生だみたいな発言をしていた。日本人の言葉でよく耳にするのだけれど、これって、日本人独特の感性なのだろうか。外国人がこのようなことを言うのを聞いたことがない。同期の桜がいまだに続いているようで、良くも悪くも日本人的だなあと思ったのである。

・世代交代
世代交代を失敗すると悲惨なめにあう。その一番いい例がイタリアである。もう見るに堪えられなかったのが、カンナバロとガッツーゾである。4年前にあれだけ輝いていた二人がもう切れもなにもない、衰えを隠せないのだ。昔の名前で出てもらっては困るのである。

・解説者のサービス
これだけいろいろな放送局で放映するので当たり前だが多くの解説者が登場する。それぞれ個性があっておもしろいのだが、ワールドカップともなるとサッカー好きだけではなく、あまりサッカーをしらないような人でも見るようになるから、解説も少し工夫をしたほうがいいように思う。

つまり、素人でもわかるような解説である。ところが大方の解説者は自分がサッカーの専門家だからつい相手もサッカーを知っていると思ってしまうのではないだろうか。典型的なのが、実況アナウンサーに向かってしゃべってしまうのである。アナウンサーと二人で納得したりする。見ている人を忘れている。

・何語でしゃべっているのだろうか
テレビを見ているとときどき選手同士あるいはレフリーとしゃべっている姿が写しだされるが、いったい何語でしゃべっているのだろうか。これだけ世界各国から来ているのですごい種類の言葉であるはずで、自国語でわめいているのだろうか。まあ、接触プレーの後なんかはそうかもしれない。PK戦のあと「おまえがはずしたシュートをおれがスペイン戦でゴールにたたき込んでやる」と駒野に語りかけたパラグアイのバルデスは何語で語ったのだろうか。

ところで同じチームの中でもいろいろな言葉が飛び交うこともあるという。ドイツなんか移民の子が多くいて、例えば売り出しのエツィルはトルコからの移民だそうだし、クローゼとポドルスキーは試合中ポーランド語で会話しているそうだ。でもやっているサッカーは万国共通語なのである。
  

2010年7月 3日

路上のソリスト

ずっと前に日比谷シャンテで何回も予告編を見せられきっといい作品ではないかと思いつつ見損なっていた「路上のソリスト」を観る。監督がジョー・ライトで、主演がジェイミー・フォックスとロバート・ダウニー・Jrである。

結論からいうと期待はずれであった。物語はロスアンゼルス・タイムズのコラムニストが、路上生活をしている音楽家と出会いその交流を描いている。実話にもとづくのだそうできっとそのコラムの読者に感動をもたらしたのだろう。

しかし、だからといって映画が感動的なものであるかは別問題である。何といっても焦点がぼけていることで、結局何を言いたいのかがあいまいなのである。ホームレスになり下がった音楽に光を当てるのか、記者の人生をその音楽家との交流を通して浮かび上がらそうとするのか。

そして、そのホームレスが統合失調症でそのための不安定さを描いているのだが、いかにも安易で記者の安直な善意の押し売りも含めていい加減にしてよと思ってしまう。ぼくなんかアメリカの白人のこうした偽善的な匂いのする行為が好きではないので余計にそう思う。

全体としてムダが多い演出である。映画の冒頭のシーンはLA・タイムズの記者が早朝自転車で事故に遭い大けがをするところであるが、こんなシーンその後の展開に何にも関係しないのだ。何の意味もない。そんなシーンをやめて、もっとこの音楽家が今の状態になってしまったことを丁寧に描いてくれといいたくなる。

ということで、ハリウッドはドンパチ映画やスペクタクルは得意なのだろうけど、監督がイギリス人でもこういう映画は下手ですね。
   

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2010年7月 4日

走ることについて語るときに僕の語ること

レイモンド・カーヴァーの短編集のタイトル「What We Talk About When We Talk About Love」から付けられた「走ることについて語るときに僕の語ること」(村上春樹 文春文庫)を読む。もうタイトルからしてかっこいいのでうっとりしてしまう。

ランナーとしての村上春樹は有名で四半世紀の間走り続けているという。ランだけにとどまらずにトライアスロンにまで手を(いや足を)延ばしている。そんな彼が走ることについて書きためた文章をまとめたものである。

雑誌への書き下ろしもあるが多くはどこかで出版されることを想定していたわけでもなく備忘録的に書いたものだという。ところが、それがタイトルにあるように単に走ることについてだけではなく、作家としての走り方、作家としての生活、小説を書き続けるレースについても語っていることで大変おもしろい読み物になっている。

僕はこの本を「メモワール」のようなものだと考えている。個人史というほど大層なものでもないが、エッセイというタイトルでくくるには無理がある。(中略)僕としては「走る」という行為を媒介にして、自分がこの四半世紀ばかりを小説家として、また一人の「どこにでもいる人間」として、どのように生きてきたか、自分なりに整理してみたかった。(中略)たぶんこういうものを書くには、ちょうど良い人生の頃合いだったのだろう。

村上春樹は、ほぼ同年齢だからこの「ちょうど良い人生の頃合い」というのがすごくよくわかる気がする。ならばぼくはどういう行為を媒介にどのように生きたか整理したらいいのだろうか。

ただ、村上春樹のすごいのは肉体的な行為と精神的な行為の両方を永続的、まさにマラソンレースのように走り続けていることである。これは単純に称賛されるべきものだ。特に、ケガもせずにマラソンを2十数レースこなす体力というかその強靭性に驚かされる。きっと、そうして走れるからこそ、すばらしい小説もかけるのであろう。昔の作家のイメージとずいぶんと違っている。マラソンを走る太宰治は想像すらつかない。

そして、小説家としての重要な資質は集中力だという。自分の持っている限られた量の才能を、必要な一点に集約して注ぎ込める能力だという。それって、スポーツじゃんといいたくなるが、たしかにそういう一面があると思う。

それにしても、いつも感じるのだが、村上春樹の文章は“スイング”していて、自分も一緒になって走っている気分がしてとても気持ちがいい。

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2010年7月 5日

すごい試合ばかりだ-ワールドカップレポート7

なんでも準々決勝が一番面白いらしい。この4試合がはんぱなくすごい。南米4チーム、ヨーロッパ3チーム、アフリカ1チームの戦いである。勝ち残ったのが、オランダ、ウルグアイ、ドイツ、スペインという結果。ヨーロッパが全部残り、南米はウルグアイだけになり、アフリカが消えた。

ここでぼくの戦前の予想を言わせてもらうと、準決勝が、アルゼンチン-オランダ、スペイン-ドイツである。自慢じゃないが、アルゼンチンの替わりに同じ南米のウルグアイだからほぼ当たっているでしょう。

南米勢は最後の方ではきついとみていた。なぜかというと技術より精神力になるからである。ぎりぎりの勝負になると、ちょっとしたあきらめとか、わずかな怒りとかが差となって表れるからである。そこの違いがヨーロッパと南米にはあるように思う。

それとともに今回は戦術面でもヨーロッパが長けていたようだ。ブラジルのドゥンガはチームに規律をもちこんだが、その点ではヨーロッパ勢にはかなわないわけで、以前のお家芸である圧倒的な技術と奔放なサッカーで勝ってきた特徴が消されてしまった。

アルゼンチンは、メッシが動けるここまでのレベルの戦いでは強さが発揮できるが、メッシが封じられ、弱いディフェンスを鋭く突かれるとひとたまりもない。それがドイツ戦である。その点、南米の前の2チームよりパラグアイの戦い方の方が可能性があった。

そのパラグアイに苦戦しながらやっと勝利を手にしたスペインは地力があることを示した。前半はパラグアイのプレスに持ち前のパスワークが分断され機能しなかったが、後半の後半に回り出して、イニエスタの玄人好みのプレーで決勝点を生みだした。シャビやビジャもすごいし、メッシやカカもすごいが、何といってもイニエスタである。イニエスタ・セニョール!

さて、決勝はどことどこだろうか。ぼくの予想は、オランダ対スペインでスペインが優勝の予想だ。でも、ドイツが強いなあ。はたして栄光はどこの国に。明日、明後日に準決勝が行われる。
  

2010年7月 6日

ビジネスモデルを実装する-閑話休題(4)

日本のビジネスモデルは強い

このシリーズの主題は言うまでもなくビジネスモデルをどうやったら実装モデルに表現し実行できるかということである。従来の業務システムの構造や機能ではそれができていないという問題認識から議論を展開したいということである。

そのことがなぜ重要なのかを考えてみたい。単純にビジネスの実相をそのままITに載せるというのももちろん大事なことであるというのは言うまでもないが、もうひとつの視点としてグローバル競争力という切り口もあるように思うのである。

今の日本のIT業界の停滞は奈辺からきているのだろうか。わが国SIerはインドと中国、最近ではベトナムとかフィリピンとかそういった国々とシステム開発コスト競争をしているように見える。それでは勝てないし、細っていくだけだろう。

グローバルで戦うには、当たり前のようにグローバル競争力が無くては戦えない。そうだとしたら、その競争力をどこに求め、どのように身につけでいくかが問われる。何も武器を持たずに戦闘になんかでられないのだ。

日本のIT産業がもつグローバル競争力とはいったい何か。それよりもそんなものがあるのかどうか。みなさんどう思いますか。ソフトウエアとかプログラム製造力といったところではかないそうにありません。

そこでもう一度業務システムとはどういうものかを考えてみてください。このシリーズのテーマでもあるようにビジネスモデルをそのまま実装したものです。であれば、このビジネスモデルそのものに競争力がないのだろうかと思いつくはずです。そこは、日本の強い企業にはすばらしいビジネスモデルが数多くあります。

ユニクロ、セブンイレブン、クロネコヤマトなどに限らず中小企業も含めて様々な分野でユニークで優れた事業を展開しています。このビジネスモデルとセットとなったビジネスプロセスとそれをオペレーションするプラットフォームは十分にいや先進的なものとして世界に通用すると思うのですがいかがでしょうか。

ITは要素です。システムは道具です。道具はどんな使われ方をするかでその道具の価値がきまります。強い、競争優位を実現するビジネスモデルを生かせる業務システムの提供こそこれからの日本のIT産業がめざすことではないでしょうか。

2010年7月 7日

ビジネスモデルを実装する-業務プロセスとMVCモデル

前回、コントロールという概念とそれを実行するコントローラーということを提示しました。さて、お気づきかもしれませんが、コントローラーと聞くとMVCモデルのCであるControllerを思い浮かぶ人がいるかもしれません。そこで、MVCモデルの業務プロセス適用を検討してみます。

ご存知のように、MVCモデルというのはソフトウエアの設計において、Model、View、Controllerという3つの要素から構成されるモデルのことである。Modelというのは処理のためのロジックやデータで、Viewは画面表示をする。そのModelとViewを制御するのがControllerである。

リクエストがくるとそれをControllerが受け取り、Modelに処理要求、Viewに表示要求を出します。Modelでは処理とデータベースの更新を行い、そのデータをViewが参照して表示するという動きになります。

これらの機能が別々に独立的に分離されていることが重要なのですが、このモデルを業務プロセスモデルに当てはめてみましょう。まずは、マクロフローの部分をみていきます。マクロフローというのは、依頼-依頼受付-単位意思決定-作業-報告・登録という動きになっています。

この場合、Viewの部分がどうなっているのかということがあります。別に画面でなくてもいいのですが、業務システムと考えると最近はWebブラウザというふうにみてよいと思います。ですから、依頼を受付けるWebページがViewになります。受付けるかどうか、あるいは受付けるとなったら、それを次の意思決定アクティビティに渡すのと、どういうふうに依頼に対する回答を用意したらいいのかを決めます。これはControllerの役目になります。そこで決められたロジックで処理され、データを確定します。まさにModelとなります。そして、ここで確定されたデータや作業結果をWebで表示します。

こうしてみるとシステムの基本的な構成がマクロレベルの抽象度でもMVCで表現できるのです。では、ミクロレベルではどうでしょうか。ミクロフローというのは、単位意思決定アクティビティのデータ確定処理です。

ここでのリクエストは単位意思決定アクティビティにこういうデータを確定してくれというふうに来ます。それを受けるViewは、マクロでは顧客との接点ですが、この場合は内部で処理するための画面です。そのリクエストをControllerがバリデーションやフィルタリングなどを行い、意思決定のためのWork Spaceに処理要求を出します。ここは誰がどんな情報を参照してデータ確定するのかというロジックとデータをもったModelになります。その処理結果が終わるとViewであるアクティビティの完了表示となります。

さらに、その下位レベルである参照情報の取得も同様にMVCで考えることができます。ただ、あまり厳密なものとせずに構成要素的に似たようなものだという解釈でいいと思います。こうしてみると、業務プロセス自体もMVCモデルのように記述できるわけで、そうしたほうが一貫性をもって、実装に落とせるような気がしています。

ただ、Controllerの役割と機能はアルゴリズム的な要素もあったりして難しいのですが、ここをうまく整理できると非常にわかりやすいシステム構造になり、ということは簡単に作れるし、何よりもビジネスモデルを埋め込みやすくなると思うのです。


2010年7月 8日

準決勝を勝ったのは-ワールドカップレポート8

すごい。いや準決勝2試合もそうだが、ぼくの予想のことである。前回のレポートで4強をアルゼンチン-オランダ、スペイン-ドイツと予想したことを書いた。そして、準決勝の勝者をオランダとスペインとみたのだがものの見事に的中した。

みなさんは、おそらくオランダはウルグアイに勝つけど、スペインはドイツに負けるだろうと思ったはずだ。しかしぼくはスペインはドイツを破ると広言していた。そのとおり、コーナーキックからプジョルのヘッドで1-0でものにした。

サッカーというのは前の試合で強いと思っても次の試合では弱くなるというのはよくあることで、それは相性というものがあるからである。つまり、どんなタイプのチームに対して圧倒できるチームはいないということだ。相手によって、自分たちの色を出せるか出せないかがあるのだ。

ドイツはスペインのパスサッカーにやられたわけだだが、2年前にヨーロッパ選手権で負けているので、かなり慎重に入っていったことがあだになったのではあいだろうか。つまり、スペインにボールを回させたといことで、これでリズムができてしまったということだ。それで自分たちの良さが消されてしまった。

さて、決勝はオランダ対スペインだが、焦点はスナイデル対シャビ、ロッベン対ビジャといったところだが、そうなんですね、毎度言いますがイニエスタの存在である。彼を逃がすとスペインが有利である。ところがイニエスタはその逃げるのがほんとにうまいのでなかなかつかまえることができない。

いずれにしろ、すごくおもしろい試合になることは間違いない。そしてどちらが勝っても初優勝である。そしてぼくの予想はスペインの優勝である。
  

2010年7月 9日

名文どろぼう

かねがね読売新聞の「編集手帳」には感心させられている。その引用句、引用文章の豊富さと的確さにである。その「編集手帳」の著者である竹内政明さんが書いた「名文どろぼう」(文春新書)を読む。

ただ、このタイトルがいただけない。名文となっているのでてっきり美しい文章の例が出てくるのかと思ったら、名文ではなく名文句といった方がいい。落語のセリフや川柳あるいはだじゃれ、ジョークなどが並んでいて、どうみても名文というより気のきいた、おもしろい言葉と言った趣である。

だからといって、内容をけなしているわけではなく、よくぞこれまで探ししてきたものだと感心する。さまざまのジャンルの文献からおもわず噴き出すもの、じわっと沁みるもの、教えられるものなどが収められている。

ここはひとつ、笑ってしまったものを例示するのが一番の書評だろう。

明治から大正にかけて東京帝国大学で経済学を講じた和田垣謙三が、学生に「どうすればお金儲けができますか」と質問されたときの答え。 猿の毛を抜け! MONKEYの「K」をぬけばMONEYになるという洒落である。

ナイジェリアのゴウォン将軍が国賓として英国を訪問したときのこと、エリザベス女王が馬車で出迎えた。二人が馬車に乗っていると。一頭の馬が尻尾を上げておならをした。女王はゴウォン将軍のほうを向いて言った。
「まあ、申しわけありません。いらして早々こんな失礼を」
「いや、どうぞ、お気になさらないでください」ゴウォン将軍は言った。「わたしはてっきり馬がしたのだと思っていましたから」

次いで易者の話。
易者の前で子供が騒いだり、邪魔したりするので、易者が怒って「お前たちはどこの子だ」と言うと、子供が「当ててみな」

さて最後に、いま話題の野球賭博について。関西の落語家に月亭可朝というのがいる。かれが、野球賭博の容疑で警察のやっかいになったことがある。
可朝は取調官に「お上のやっている競馬や競輪がよくて、野球賭博はどうしていけないのか」と聞いた。取調官は「野球賭博は暴力団の資金源になるからいけないのだ」と答えた。ここで、可朝は伝説に残る名言を吐いた。
「そら、負けて賭金を取られた場合でっしゃろ。わしは勝っとるから暴力団から吸い上げとる。表彰してほしいくらいや」

琴光喜も大嶽親方もそのくらいのことを言ったらよかったのに。チャンチャン

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2010年7月10日

告白

こりゃまた衝撃的な映画である。中島哲也監督の「告白」は凄惨なバトルを繰り広げる。原作が同名の湊かなえの小説で、ぼくは読んではいないのだが、題名のように関係者の何人かの告白で展開している。

小説では、文章として描写しているのでおそらくそれほど残酷な感じではないと思うが、映画はその殺人の様子を克明に活写しているし、血が飛び交うことでより衝撃的である。

最初に、ある中学校の1年生の3学期の終業式の日に、松たか子演じる担任の女教師が告白を始める。それは、自分が教師をやめるということと数カ月前にその学校のプールで死んだ自分の娘は実はこのクラスの2人の男子生徒が殺したものであると告げるのである。

この告白が、クラス全体がざわついた中で思いつめるわけでもなく、怒るわけでもなく淡々と語るのである。そして、徐々にその告白の重大さ、恐ろしさが伝わっていくという導入には驚かされる。そして、その男子生徒に復讐を仕込んだというのである。

そこから、映画はそのクラスの異様な動きを追っていく。13歳の中学生の不安定な精神と母親との関係性が焦点となる。「愛のむきだし」では父親と娘の関係だったが、ここでは母親と息子である。主犯の男の子は溺愛する母親で、もう一方の子の母親は、電気屋の夫と別れて学者として自立する道を歩むとともにその子を捨てるのである。

ぼくの子どもはもう社会人だからいまどきの中学生の生態がよくわからないのだが、いじめみたいなものがクローズアップされるが、この映画に描かれる中学生はそんなものを超えて、自分の世界にのめり込む身勝手さのようなことの恐ろしさが浮かび上がってくる。

その子らに対して、女教師は命の大切さをその子らへの復讐として提示するのである。これまた恐ろしいことである。もちろんそこには大いなる哀しみがあるが、それにはまた大いなる憎しみがあるからこそであるという何とも切ない物語なのである。

以前に北野武の「アウトレイジ」を批判したが、たけしはもうこういう映画が撮れなくなったと言いたかったのだ。それだけインパクトのある映画であった。

2010年7月11日

大相撲中継中止の奇怪

今日から名古屋場所でいつもならばあちゃんはワクワクものなのだが、今朝は浮かない顔をしている。楽しみにしていたNHKの中継がないからである。この放送中止には賛否両論あって、賛成派が大多数らしい。しかし、どうも賛成する人たちあるいはNHKがちとエラそうなので気になるのだ。

NHKは電話で寄せられた意見で中止しろというのが多かったと言っているが、そう言ってきた人たちって普段相撲を見ている人たちなのだろうか。ぼくはどうも違うように思う、だいいち、平日の夕方に相撲の放送にかじりつけるのは年寄しかいないでしょう。そいった年寄がもう見たくないと言ってきたのだろうか。声なき声の存在を無視して過剰に反応してやしないだろうか。

それとどうも、悪い奴らに天罰を加えてやるんだといった気持があるように思える。それが厭なのである。NHKも視聴者もそんなにエラかったのかいといいたくなる。いいですか、相撲は害を吐き出しているわけではないのですよ。有害な情報を流しているのでもなんでもない。

もうずいぶん前になるが、NHK教育テレビで突然午前中の番組放送がなくなったのと午後9時半で放送打ち切りとなっていたことがある。なんと温暖化対策としてその日だけCO2の削減をしたというのである。実はそんなことをしておきながら、NHK全体のCO2排出量は増え続けているのだ。なんという詭弁である。そんな放送局が大相撲の放送を中止するという。どっちが視聴者に悪い影響を与えているか考えてみてください。

まあ、みなさんよく知っているように相撲はスポーツじゃなくて芸能ですから、芸能人の誰かが麻薬で捕まったからといって、ドラマや歌謡番組が放送中止にならないわけで、そんなに目くじら立てて懲らしめることもないように思うのは言い過ぎだろうか。ああ、ばあちゃんがかわいそうだ。
   
さて、今日は参議院選挙とワールドカップ決勝戦である。眠れぬ夜がやってくる。
  

2010年7月12日

スペイン優勝おめでとう-ワールドカップレポート9

南アで開かれていたワールドカップは延長の末1-0でスペインがオランダを破って初優勝を遂げる。まずは、スペインにおめでとうと言いたい。きっと国中大変なことになっていると思う。

今回のワールドカップはほぼぼくの予想通りで決勝戦もオランダ対スペインとなりスペイン優勝も当てた。今話題になっているドイツの占いタコパウル君顔負けの的中率です。やはり、魅力的なスペインサッカーは強さも兼ね備えていたということだ。

ほんと試合の最後の最後にイニエスタが冷静に決めた。ぼくがキープレイヤーとして挙げていたイニエスタがそのとおりの必殺弾である。オランダの足が止まった終盤でやっとスペインらしさが出た瞬間でもあった。それまでは、オランダの激しい攻守にかなり手こずっていたが、オランダは力尽きた。

勝敗を分けた差はなんだったのだろうか。ほんのわずかでしかないのは間違いないが、ぼくはオランダが気負い過ぎていたことにあるような気がする。過去74年、78年と2度決勝に進みながら頂上に行けなかったことから、今回こそはという思いが非常に強かったはずだ。それが、イエローカードやそれに近いファウルの多さに出ている。

それに対して、スペインは激しく倒されてもそれほどかっとなることもなく比較的落ち着いて対処していた。そして、持ち前のパスサッカーを繰り返し展開して、自分たちのやりたいことを貫いたことは称賛される。

このスペインの優勝でおそらく日本国内では、これぞ日本のめざすサッカーだという声が大きくなるだろう。たしかに、シャビ、イニエスタ、ナバス、ペドロなんか170cmしかない。ビジャだって175cmだ。さらにセンターバックのプジョルにしたって178cmである。おおこれは日本チームも同じようなものだと思われるだろう。

ところが、そう簡単にスペインには近づけないと思う。何が違うのか。いろいろとあるのだが、中でも今回強く感じたのはパススピードである。パスサッカーを標榜するなら、必須なものとしてこのパススピードがある。フリーな人伝いにパスを回すだけではパスサッカーとは言わない。

スペインのパスはマークされていようがスペースが狭められていようが、ぎりぎりにパスを通してくる。そのとき、速いパスでないと通らないのだ。ここがスペインの真骨頂である。サイドキックで地面を這う強いパスが味方に突き刺さりそこから決定的な場面を作り出すのを何度も見たと思います。

じゃあ、速いパスを出せるようにやればいいじゃないかと思うでしょうが、そう簡単にいかない。だいいち、そうした速いパスを正確に受ける技術がなくてはいけない。そして、その速さに反応できる動きのスピードとそれを支える判断の素早さが不可欠なのである。スペインの選手たちは速いパスをいとも簡単に自分の思ったとおりに止めていたのを見たと思います。あれは相当なスキルが要るのです。

こうしたスキルを身に付けた選手がスペインには多くいたということとそれを生かす戦術を徹底したことが今回の優勝につながった。実はこのことは基本的な技術に他ならないのであって、けっして派手なトリッキーなプレーとか圧倒的なスピード、あるいは強いフィジカルで翻弄したわけでもない。

その最たるものがイニエスタであって、彼のプレーで感心させられたのは、必ずパスを出したら走っていたことで、このパス&ゴーは基本中の基本で子どものときにちゃんと身につけることなのである。

だから、これから日本でもスペインを見習ってという論調には、ボールを止めるのに汲々としている日本選手を見ていると、まずは子どもたちにきちんと基本をたたき込んでからと言いたいのである。

2010年7月13日

ビジネスモデルを実装する-コントローラー

前回、業務プロセスのMVCモデルとの類似性に言及し、そこで重要な要素としてコントローラーということを提示した。どうもビジネスモデルにおける競争優位の源泉とか差別化要素などを埋め込むには、コントローラーという概念が受け皿としてウエートが高くなるように思われます。したがって、その辺について考えてみましょう。

コントローラーの機能をかいつまんで言うと、リクエストの受付方、モデルへの渡し方、モデル内での処理のしかた、データの扱い、結果の表示のしかたをコントロールすることになります。そのために必要なのは、制御アルゴリズムを生成するためのルールや基準、計算式といったものです。

ただここで注意しなくてはいけないのは、行動を規定するルールを注目しがちですが、制御対象となるデータや情報の定義ルールやその種別を表すルールといったものも大事になります。すなわち、動的なものと静的なものの両方があるということです。

例えば、顧客というのも定義がいるでしょうし、優良顧客も同じように定義しなくてはいけません。そして、顧客ができること、できないこともあります。また動的なものでは、初めてコンタクトしてきた顧客だったらこうしなくてはいけないというルールがあるはずです。

たった顧客というだけでも静的、動的の様々なルールがあることがわかります。こうしたルールを埋め込んでそのルールによって判断したり、次のアクションを誘導したりするのがコントローラーというものになります。

ですから、そこにビジネスモデルで定義した自社の強みや特徴を埋め込むことが多くなるということがおわかりになると思います。先の例でいえば、顧客はまさにビジネスモデルの「誰に」にあたるわけで、そこでセグメンテーションされた顧客だけを相手にするということになると、その定義から外れた顧客がアクセスしてきたら辞退するという行動になるわけです。

ただそれを体系的にパターン化するのは難しいということです。当たり前のようにこれはその会社の“個性”ですから、画一的な枠にはめるわけにはいきません。実際にはインタビューによって、どこにどん形で表現したらいいのかを個別ケースごとに設定していくことになります。

次回は、このルールも実は階層的であるというお話とコントローラーに表現するための整理の仕方を考えてみます。
  

2010年7月14日

ITマジカ!

羽生章洋さんの会社(株)マジカジャパンから「ITマジカ!」が発売されました。発売されましたと書いたのは、従来の「マジカ!」と違ってこれはライセンス販売だからです。エンドユーザや情報システム部門向けとソフト会社やSIer向けに価格設定がなされています。

詳しくはホームページに載っていますが、「ITマジカ!」は、「マジカ!」が要求定義だとすると要件定義のための道具になります。つまり、ITにいつ、何を、どのようにさせたいのかをカードに書くということです。

カードも肝は、“リクエスト”、“アクション”、“レスポンス”の3枚です。こう書くとおそらく本ブログの読者はすぐに「Kailas」で言っていることと同じじゃないかと思われるかもしれませんね。羽生さんとは基本的に同じ考え方だと勝手に思っていますので、突き詰めると似たようなものになるのは必然なのです。

そして先週の羽生さんのブログに「業務フローと構造化技法とマジカ!」というエントリーが出ていますので、それを読むとより理解が深まると思います。マジカ!で扱う仕事とITマジカ!で行う処理は違うのです。違うというのは、それを行う人もそうですし、仕事の性格も違うのです。こうした違いを階層化することで構造化したわけです。

ここでちょっと気になることがあって、“一段上のレイヤーにおいては業務フロー即ち全体の仕事の流れが流れることが大切なのですが、そのレイヤーに対して日常的に責任を持つ人はいないので、個別のタスクが止まらないかどうかが表面上の気になることとなります。”と書いていますが、これが日本の企業の問題であるように思います。業務プロセスを指向するのはここを可視化して責任者を決め、プロセスの進捗に責任を持たせることが望まれるからだと考えています。

そして、今後の課題としてマーケティングプロセスに注目しています。この顧客接点のフロントエンドプロセスは、従来あまり議論されていなくて、ERPのようなバックヤードプロセスがだいたいいきわたってくると、今後はより重要になってきます。

このマジカ!とITマジカ!はおもしろいですよ。「Kailas」でいうマクロフローとミクロフローという2段プロセスの概念をカードを使ってビジュアル的に表出させるということをうまくやられています。現場の方々もわかりやすいと思いますのでぜひ使ってみてください。
  

2010年7月15日

傷はぜったい消毒するな

本を読んで驚かされるパターンに常識をくつがえされることと自分とは関係ない世界のことかと思っていたら実は根っこは自分たちの世界のことと同じことを言っていたというのがある。大げさに言うと以前にも書いたが、目からうろこと共感の嵐である。

この「傷はぜったい消毒するな」(夏井睦著 光文社新書)はそこまでがいかないにしてもそれに近い驚きがあった。傷はだれでもバイ菌が入って化膿しないように消毒しなくてはいけないというのを疑ったことがないのではないでしょうか。

ところが、この夏井先生は消毒してはいけないと説く。読み進むうちにその理由が明らかになってくるのだが、まさに驚きである。この先生の傷の治療法は「湿潤治療」というもので、治療の原則は次の2つである。

(1) 傷を消毒しない。消毒薬を含む薬剤を治療に使わない。
(2) 創面を乾燥させない

ですから従来のように「消毒して乾燥させる(=ガーゼで覆う)」と正反対なのである。これは奇をてらって言っているわけではなく、ちゃんと科学的にも納得いくものなのである。要するに、皮膚の細胞は乾燥に弱いから乾燥させると再生できなくなるのである。こんなことはどうしてわからなかったのかと思ってしまうが、昔からそうしていたからということでだれも疑問に思わなかったのである。

傷からでるあのジュクジュク(滲出液という)が自前で傷を治すメカニズムだったのだ。だから、これで傷を覆ってしまえばいいのに乾燥させてしまっていたわけである。ガーゼじゃダメで、サランラップでよかったのだ。びっくりするでしょう。

さてもう一方の話だが、今のようなことは医学界という世界でいわゆる権威だとか、旧い学説だとかが見直されることなく続いていることを意味している。これは言い換えれば既得権者がそれを守ろうとして、異説に対して強い抵抗を示すことなのである。

そして、そういうところは得てして科学的でないという側面がある。この傷の治療でもまさかこんな非科学的な治療が、いや非科学的だからこそ長い間まかり通っていたのかもしれない。これを筆者はパラダイムと称していた。そのパラダイムを非連続的に変えるのをパラダイムシフトという。そういうことが起きていると言っているが、実はまだ少数派なのだ。

ここまで言うとおわかりだと思いますが、ITの世界もしかりと思うのです。特にぼくが強調している業務システムのパラダイムは、非科学的であることもあってかなかなか大きな変化に至っていない。きちんと、理論的に実験的に証明しながらパラダイムシフトをもたらすことをしていかなくてはいけないとつくづく思うのである。

これはお薦めの一冊ですね。


傷はぜったい消毒するな 生態系としての皮膚の科学 (光文社新書)
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  • Amazon おすすめ度の平均: 5.0
    • 5 完璧な滅菌は無理。ならば賢い共生を。
    • 5 自分で直ったナイフの深い傷
    • 5 ほぼ実践?
    • 5 読んだ方が良いですよ
    • 5 進化と系統分類の意味がわかります。
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2010年7月16日

IT雑感-ドコモのCM

ソフトバンクの犬のオヤジが出てくるCMもなんだけど、最近流れているドコモの携帯のCMもいただけない。それは、「ひとりと、ひとつ。walk with you」編というのだそうだが、堀北真希と木村カエラが出てくるやつとか、岡田将生と渡辺謙が出るあのCMである。

堀北真希がファミレスかなんかでケーキを食べようとすると木村カエラが「食べ過ぎじゃない?」というあれである。木村カエラが携帯なのである。「四六時中いっしょのあたしですよ」、「ずうーとずうーといっしょにいるからさあ、私が。管理しちゃう」という。

渡辺謙は「私、携帯なんです、彼の」、「仕事でも、プライベートでも、いつだって彼のそばに私はいます。当然です。役目ですから。」という。

これをみていやな気分になるのはぼくだけだろうか。携帯に管理されるなんてトンデモナイと思わないのだろうか。どうも根底にITで人間のやること、考えることを代替させようという意識が流れているように思えるのだ。

ちがうと思う。その反対でITはあくまで道具であるから、ヒトが使うときだけ使うだけであって、うるさくつきまとうなというのが正しいと思う。道具の分際でヒトを管理しようなんて生意気言うなと言いたいのである。

2010年7月17日

ジェネラル・ルージュの凱旋

ぼくは、海堂尊の原作も読んでいないし、テレビドラマも見ていないし、前作の「チーム・バチスタの栄光」も見ていないのだが、何となくおもしろそうだったのと、中村義洋監督だったので「ジェネラル・ルージュの凱旋」を観る。ところどころでバチスタの影がちらつかされてちょっとと思ったが、概して上出来の映画に仕上がっていた。

大学の付属病院で繰り広げられる医療問題やそこに絡む人間模様、そして事件が展開される。そうした、事件を竹内結子扮する心療内科医と構成と阿部寛扮する厚生労働省の技官の二人が解決するというストーリーである。

事件は、救命救急センターのセンター長である医師の医療メーカーと癒着しているという収賄疑惑である。このセンター長を堺雅人が熱演していて今の医療現場の問題点をあぶりだしている。

中村監督の演出は、こうした社会性の強い問題を肩の力を抜いて、むしろ淡々と描いている。テンポもよく進むのだが、ただ若干謎解きが軽い感じがするのは否めないが、ユーモアもシリアスもあり娯楽作品としてはよかったのではないだろうか。

ラストの事故で大量の患者が運び込まれ、それに対応するシーンなんかも、見え見えのセリフや行動なのだが、単純に人間はこう言うときは興奮するものだし、ともに高揚感を味わって拍手すればいいじゃんと思うのである。こういうのを素直な映画というのだろう。

それにしても、最初主演の竹内結子が松たか子に、看護師長を演じた羽田美智子が板谷由夏だとばっかり思っていた。似ていると思いませんか。まあ、ぼくのDVDプレイヤーがおかしいのか、画面がワイドになっていなかったせいかもしれない。そうなんです、阿部寛の顔が異様に長かったのです。

ジェネラル・ルージュの凱旋 [DVD]
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    • 4 堺雅人扮するジェネラル速水センター長の狂気と優しさ紙一重の演技
    • 3 原作をうまく凝縮した佳作
    • 5 「血まみれ将軍」と呼ばれる救急医。
    • 5 原作の雰囲気を壊さずに作られていると思います。
    • 1 意外です。
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2010年7月18日

暑気払い

昨日で梅雨が明けたようで真夏の陽気になってきた。若い時は、梅雨のムシムシしたのが嫌いで、早くからっといい天気になってくれと思っていたが、近頃は暑くてふうふう言うより雨でも気温の低い方がよくなっている。

こんな時は冷たいビールで暑気払いをするのにかぎる。そんなわけで昨日は高校のサッカー部の同期と顧問だった恩師と茅ヶ崎で「S先生と一緒に暑気払い」と称して呑む。先生とは年に2~3回お会いするのだが、74歳には見えないくらい元気でぼくらの方がくたばって来ている。

まずは、お決まりのからだの話で、だれががんの手術をしたとか、どこが悪いとかで盛り上がる。昨日も参加者の一人が少し前にがんの手術をしたばかりなのに、サッカーの試合の副審をしてからかけつけた。いやー、元気ですね。

先生いわく、60歳台が危なくて、それを超えて70歳を超えると安定くるものだとのこと。そこから、今の時代は70歳までは何らかの形で働いた方がいいというご指導となる。ご自身も高校の校長までいって教員を退職し、その後は神奈川県サッカー協会で活躍して70歳で協会長をつとめているので、言葉通りのキャリアを積んだのです。なので、説得力があり一同納得。

あとは、ワールドカップの話題である。ここは各人各様の感想とコメントで侃々諤々の様相。そして、日本のサッカー界から始まって、高校サッカー、母校のことと話は尽きない。みんなこの歳になっても熱いのである。

昨日おもしろかったのが、先生がぼくらの仲間の出世のことを言ったときで、冗談ぽくではあったが、やっぱりえらくなりそうなやつはわかっていたみたいな発言があったら、みな一斉にブーイング。それもそのはずで出席者のほとんどはリタイア組なので、そこからそんな結果論で言わないでくださいと反論するものや、まだ70歳になるまでわからないじゃないですかと言いだす。

そんなわけで、もはや先生と生徒というよりは一緒の仲間のような関係になってきている。もう何回もこんな呑み会で話をするのですが毎回新しい話が出てきて飽きない。次回は、ぼくはやらないがぼくらの同期とゴルフで、秋には2年下の連中が還暦祝いするので先生もわれわれもそれに参加することになっている。さあ、これからも楽しくいきましょう。

2010年7月19日

ビジネスモデルを実装する-ルールはどこに使われるか

業務プロセスを実行する場合にかなり重要なものにルールをベースにしたコントロールというものがあります。そしてこのルールという概念はさまざまなところに出てきます。しかも、単純な狭義のルールだけではなく、言葉の定義から方針のようなものまで幅広くとらえる必要があります。

それでは、まずはどんなところにルールが使われるかを見ていきましょう。業務プロセスを実行するというのは、ごく簡単にいうと、ある依頼(要求)に対して、その依頼に答えるため、いろいろなリソースや情報を使って、単位意思決定をしながらプロセスを回して、最初の依頼に対する報告(回答)をすることです。

この過程を見ていくと大きく次のようなところにルールが使われることがわかります。

(1) プロセスフローの定義のためのルール
(2) データ定義のためのルール
(3) オペレーションのためのルール

(1)のプロセスフローの定義のためのルールというのは、プロセスの中にある必要とするアクティビティとそのアクティビティの順序あるいは分岐のルールなどです。例えば、検収の方法だとか、注文書の発行手順だとかいったものです。そして、プロセスフロー設計のときにこのルールを参照しながら、プロセスフローを描いていきます。

(2)のデータ定義のためのルールは文字通りデータとか用語を定義するものです。ここは意外と重要なところで、このリソースを使ってと言ってもその解釈がばらばらだったり、会社内でも同じ言葉を使っていながら内容が違っているなんてこともあるわけです。逆に、同じ意味なのに言葉がまちまちだったりします。例えば、同じ中間製品なのに半製品といったり仕掛品といったりします。

これらは、単なる氏名、住所といった定義の必要ないものから、メタレベルのデータもあります。例えば、優良顧客なんて言葉があったりしますが、何をもって優良なのかを定義しておかなければいけません。こうした定義を階層的にデータ辞書みたいなものに整理しておく必要があります。

(3)のオペレーションのためのルールは、アクションを誘導するためのものです。つまり、対象となる値や事象が設定した水準になったときとか、要求が制約にひっかかったらどういうアクションを起こすかを決めることです。例えば、基準最少在庫に達したら在庫補充を行うとか、与信限度額を超えたので拒否するといったことです。

このとき、その基準値も定義しておかなくてはいけません。基準となるあるいは制約となる値そのものでその会社や事業の方針が表れてきます。管理している対象は同じでもその基準値で競合会社と差をつけるなんてことがあるので重要になってきます。

2010年7月20日

「CIOのための情報・経営戦略 ITと経営の融合」

先週、東工大の飯島先生とあと数人の企業の人たちとBPMの先進事例についてディスカッションした。このあたりの話はまた別途するとして、そのとき飯島先生から献本してもらったのが「「CIOのための情報・経営戦略 ITと経営の融合」(根来龍之/経営情報学会編著 中央経済社)である。

帯に書いてあるように“CIOの3つのミッションを構築論<IT>と戦略論<IT>の融合の観点から詳説”したものである。 ここでいうCIOの3つのミッションというのは、「企業あるいは企業グループ全体のIT政策の立案」、「情報活用による経営戦戦略の創造」、「部門横断型のビジネスプロセス改革」である。

何しろ執筆陣が経営情報学会、IT経営協議会のメンバーで豪華である。(もちろん飯島先生も書いている)このメインテーマは「構築論と戦略論を架橋する役割としてのCIO」は何をすべきかであるが、なかなか難しい。日本にはまともなCIOが少ないという現状でそこまできちんとできる人がいるのかと思ってしまうが、それが大きな課題だろう。

ITと経営の融合というのはずっと昔から言われているが、なかなかこれはという解に出会ったことがない。ただ、ここで飯島先生も書いているように「IT経営にプロセス志向は必要なのだ」という考え方が出てきたことは好ましい状況になってきたと思う。経営を(というより事業のほうが現実的かもしれない)表現し、そしてそのパフォーマンスをマネージするにはプロセスを主体で見ざるを得ないからである。

この本の構成が、CIOはどんな役割からということから始まって、データを使ってITと経営の融合の必要性を説き、実践のための競争優位の仕組みや見える化が述べられ、最後に構築のための理論と実際というふうになっている。

そこでぼくがいつも思うのはこうして上流の方でいろいろと理論展開をしているのだが、最後のそれをどんな業務システムで実行するのかが旧態のままのような気がする。この本では最後のところでアーキテクチャやアジャイル開発のことが書かれているのだが、それは基本的にはHow Toの話であって、Whatすなわちどんな構造のものにするかという議論が希薄ではないかと思うのである。

いまの企業情報システム、業務システムはもう何十年も本質的な変化をしていないわけで、そんなレガシーをベースに考えても限界がある。ここのあたりの変革がないとなかなか前に進まないような気がするのです。とはいえ、よくまとまっているので読んでみてください。

CIOのための情報・経営戦略―ITと経営の融合
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  • 根来 龍之 経営情報学会
  • 単行本 / 中央経済社
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2010年7月21日

ビジネスモデルを実装する-文法的ルール表現

前回はルールがどこで使われるかをみてきましたが、今回はちょっと違った見方で見ていきます。次に示すように、大きく3つの構文(文法)が浮かびあがってきます。

(1) A is B (to do B)
(2) A can(must)(not) do B
(3) If A is B then C else D

(1)というのは静的な言葉の定義になります。例えば、仕掛品とは「材料から製品になる過程の中間的製品で、かつ、そのままでは販売できる状態ではないもののこと」といった表現になります。ここでは名詞だけではなく動詞についての定義もします。在庫引当とはとか発注とはどうすることかと言ったことです。

ただ、今言ったことだとかなり一般的な定義ですので、実際にはもう少し固有的な言い回しの方がいいように思います。わが社では、何々の工程までの中間製品を仕掛品とよぶといったことです。

それと、形容詞、形容動詞がついたものの定義も要ります。例えば、優良顧客とはどういう顧客のことなのか、この優良の意味は、緊急出荷とはどういうことをいうのか、緊急の定義はといったことになります。ここはけっこう重要できちんと決めておかないと担当者ごとに違ったり、その都度の判断になったりして、業務の質や効率性に問題が出てきます。

(2)は、できること、できないこと、しなければいけないこと、してはいけないことを規定したものです。(1)ではそのものを定義したわけですが、ここではその定義されたヒト、モノあるいはコトが何ができるかを定義しています。例えば、月に5回以上注文が来る顧客を優良顧客として定義したら、この優良顧客は与信チェックなしに注文を受けてもらえるといったことです。

また、ロールや権限という考え方もここでのルール設定に従うことになります。責任と権限の所在をはっきりさせることが大事なことです。

最後の(3)は、よく使われるif then elseで表すルールで、もし○○が△△だったら、こう言うアクションを起こす、そうでなかったら違うことを行うというやつである。(1)と(2)の静的なものではなく動的なルールとなります。

結局、こうしたリソースそれぞれのもつ意味や役割、義務などを定義した静的なルールとそれらがアクションを起こす場合の条件やきっかけを定義した動的なルールの組み合わせでルールが構成されているのです。さらに、そこには汎用的、一般的な定義の仕方とその会社あるいは事業、業務に固有のよりスペシフィックなものがあります。

この階層的な捉え方をすると前者をLaw、後者をルールと呼びたいのですが、実は今はその区分けはそれほど重要とは思われないので、詳しくは言及しませんが実地にやってみて再検討しようと思います。

2010年7月22日

JAL崩壊

別にワイドショー的興味があったわけではなく、あのような大きな会社がどうしてこんな事態になってしまったのか、こんなことになるまで何もできなかったのか、自浄能力ってないのだろうかといったことを知りたいと思ったからである。

「JAL崩壊」(文春新書)はそんな思いで読んだ。書いたのは、日本航空・グループ2010という人たちで、現役・OB含めた、チーフパーサー、パーサー、スチュワーデスなど複数の客室乗務員(キャビンアテンダント)のグループのことである。要するに、飛行機の中でお客さんと直接接する人たちである。

結論から先に言うと、がっかりしたというか、愚痴を聞かされているようで気分が悪くなったというのが率直な感想である。章立ては次のとおりである。

第一章 悪夢の始まりはJASとの合併-の巻
第二章 わがままパイロットの[金・女・組合]-の巻
第三章 「負け犬スッチー」と「魔女の館」-の巻
第四章 うるさいうるさい客-の巻
第五章 労働組合は裁判がお好き-の巻

これじゃあ、ワイドショーのタイトルですよね。まあ、内部告発というところですが、ある部分はもう外部からでも容易に想像がつくことで、(ただJASの方がJALより待遇がよかったというのは意外だったが)それがどの程度あるいはどこまではびこってしまったのかが問題で、そのあたりは、例示されたことがレアケースなのかもわからない。だから、愚痴を並べているだけと映るのである。

われわれが知りたいのは、もっと構造的な問題として、なぜ非常識がまかりとおる風土が醸成されしまったのか、勇気のある経営者が現れなかったのかといったようなことだ。そうした膿をださない限り、税金を投下するのは絶対反対なのである。この本を読む限りではとんでもないから、何でもいいから早くつぶせと腹が立ってくる。

そして、この体質、この風土は日本の縮図でもあるような気がしてくる。主な共通点はどうもベンチマークをしていない点にあるように思う、つまり、この時代は国も企業(公共も民間も両方とも)も国際的な標準と照らし合わせる必要がある。なぜなら、直接的にも、間接的にも国際社会で競争もし、協調もしていかざるを得ないからである。

そうなると、自分たちのふるまいがその標準からずれてないかとたえずチェックする必要がある。単純な話、JALは他の航空会社と比較したことがあるのだろうか。いずれにしろ、繰り返すがこんな会社はつぶした方がいい。この本はそういうことを言いたかったのだろうか?

今朝の読売新聞にもJALの記事が出ていて、いまコスト削減に努力しているというような内容だったが、一番端的に印象がわかるのは、融資した銀行の人が言っていたことで、そんなことを今さらやっていること自体常識とかけ離れている、そんなことは普通の会社ならとっくにやっていることだというコメントである。もう、小手先の改革なんてものじゃ出直せないんじゃないだろうか。

JAL崩壊 (文春新書)
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    • 4 JALに関する新しい視点を得られるとは思います
    • 3 JALお得意の怪文書が新書になりました。
    • 3 Shame on you!
    • 2 匿名筆者の自己満足
    • 2 まともな本ではないが
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2010年7月23日

Twib(ツイブ)が携帯で見れます

うちの社長が作った「Twib」というTwitterの投稿で引用されたウェブサイトのURLを集めて人気順に並べるサービスが、携帯からも見えるようになりました。

昨日、ネイキッドテクノロジーがもっている、携帯電話向けTwitterアプリ「Twittie(ツイッティー)」が、5つのTwitter関連サービスと提携したことが、日経産業新聞やCNETなどからプレス発表されました。その5つのサービスの一つが「twib」というわけです。他には、 「togetter」とか「Q&Aなう」といったものです。

今はけっこうTwitter関連のサービスが熱いですね。あっという間にメジャーなプラットフォームになってしまいました。そんな段階なので、その活かし方や利用についてはこれから様々なものが出現しては消えていくことでしょう。

実は、「Twib」の特徴の一つにリアルタイム性というのがあって、瞬時に多くのTweetsを取ってくるので母数がかなりのものになっていることがあります。そうなると、この膨大なデータから必要なデータだけを抽出すれば、いろいろなところ、例えばマーケティングなどに利用できるという可能性があります。ですから、検索のアルゴリズムをうまく機能させればおもしろいことになります。

そんなことで、来月半ばくらいに検索サービスと一体となった商品をリリースすることにしています。このサービスは個人ではなく、(株)ワディットとして展開する予定なので、会社として初めてのWebサービスとなります。ですから、法人向けも意識するので重要なのは安定した運用なのです。まあ、いずれにしろ、お金を稼ぐのは大変ですね。
  

2010年7月24日

少年メリケンサック

宮藤官九郎の監督2作目の映画「少年メリケンサック」はおやじパンクロックのグループを率いて全国ツアーにでるというお話。その音楽事務所のOLを宮崎あおいが演じていて笑えるシーン満載のコメディだが、こんな面白いんだと再認識する。

クドカンだから相変わらずハチャメチャなのだが、どこか処世っぽいところもあって楽しめた。おっさんたちが、佐藤浩市、木村佑一、田口トモロヲ、三宅弘城が扮しているがこれがまたひどい。酒浸りだったり、牧場で牛にえさをやったりしていたのが、ひょんなことから25年ぶりにバンドを再結成してパンクをやるのだ。

そこで昔のことだとか兄弟の確執だとかのエピソードが語られるが、変に湿っぽくあるいはこれを機に大人になるみたいなまじめさはないのである。いくつになっても粗暴にはじけていればいいんだというのが伝わってくる。

クダカンは、大人になっても子ども心を失わない大人を描くのがうまい。それは自分自身がそういう大人であるからに違いない。それを幼稚だとかふざけるなと思う人がいたりするが、そういう人こそ子ども心を失ったつまらない大人だということを白状しているようなものだ。

ぼくの高校の同級生のI君も昨年バンドを復活させて江ノ島でコンサートを行った。今年も9月に演奏会をやるという。映画の中だけではなく、身近なところでもおっさんたちががんばっていますよ。

まあ宮崎あおいが可愛いい。最新のソラニンでも笑いをとっていたけどコメディアンヌとしても評価できる。
   

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2010年7月25日

暑いよー!

連日35度を超えるような暑さでさすがにバテています。クーラーはつけっぱなしで、たっぷり水分を補給しながらじっとしています。それでもここ鎌倉は東京に比べるといくぶん涼しいようで、1,2度違うようである。

そんな中、昨日はクルマの温度計が37度を指していた。こんな時はプールに行って泳ぐのがいい。もちろん室内です。外で泳ごうものならトンとろのあぶり焼きになってしまいます。

ところが、室内のプールで泳いでいて汗をかきました。よほど力いっぱい泳がないと汗ってかくことはないのですが、昨日は汗をかいていました。まあ、その後のビールがうまかったこと。

この気象を平年に比べて異常という人がいますが、別に異常でもなんでもなくて、それに平年って毎年同じような気象でしたっけ。天気は毎年違います。ですから、平年並みという表現がまちがっていて、平均以上と言わなくてはいけません。それもそうですが、ヒトは皆、暑いと今年は異常に暑いと言い、寒いと今までにない寒さだ、こんな豪雨は初めてだとなる。すっかり、以前のことは忘れている。

かように、自然というのはある意味異常の繰り返しが正常なのである。例えば、今年は蚊に悩まされることがない。そのかわり蟻が異常に出てくる。そうしたら、ばあちゃん曰く、今年は庭にモグラがいないからだという。そういえば、去年はやたらモグラの堀った穴があって、蟻の姿をほとんど見なかった。モグラに食べられたようだ。

そして、何年ぶりかで家の庭にヘビがきたし、カブトムシやクワガタが網戸にぶつかってくる。そういえば、ムカデはみないなあ。気象や生態系はマクロでみると変化していないようにみえても、毎年同じようではなく、その時々のバランスはいつも違っているのだ。

それを、目先の現象に反応しすぎるように思う。そうではなくて、自然とはそういうものであるという前提で対処したらいい。温暖化のせいで豪雨になったから、温暖化を防止しなくてはいけないと思うより、たとえ豪雨が来たといても大丈夫なように備えておくというのが大事なような気がする。でも、暑い。クーラーがない昔はどうしていたのだろうか。
   

2010年7月26日

ビジネスモデルを実装する-閑話休題(5)

改善と改革

この言葉の違いはおおかたの人はわかっていると思うが、単なる言葉の意味の違いではなく、実際にどう実行するかという点で意外とわかっていないのではないかと思うことがある。つまり、改善も改革も同じようなアプローチをするということである。

よく見かけるのは、業務改革プロジェクトとかプロセス改革委員会とか言って始めるのだが、おそらくほとんどのケースで現状分析して、そこでの問題点を洗い出しましょうなんてことをやる。

いわゆる、AsIs分析である。そこから、ToBeと導き出そうという進めかたである。一見よさそうに見えるし、まったくダメだというわけでもないので、ついこうしたアプローチがまかり通るがちょっと考えてみる必要があると思う。

現状分析から問題点を抽出してというのはいわゆる問題解決型のアプローチであるが、これだとどうしても現状に引っ張られてしまい、斬新なそして画期的なアイデアが生まれにくいという欠点がある。ただし、この場合の問題点の設定が非常に適確で当を得たものであると改革的な答えにたどり着く可能性はある。議論のかみ合わないことが起こるのはこの問題設定が間違っている場合が多いのである。

こうした問題解決型の対極は仮説検証型であるが、このほうが改革には向いているだろう。現状にあまりとらわれずにこうしたほうがいいという仮説を設定して、そこに行き着くためにどうしたらいいかを考えることである。ただここでも、この仮説の立て方が問題で、この設定に左右されてしまうのは問題解決型と同様の悩みである。

ですから、改革のアプローチは現実的には両者の中間に解があるように思う。すなわち、現在の問題を意識しながら、そこからの連続ではなく、少し“跳んだ”仮説をいくつか立て、それをケーススタディ的に検証して、その中からBetterケースを選択するというアプローチではないでしょうか。

さて、ここで業務プロセス改革ということについて考えてみます。現状業務プロセスすなわちAsIsプロセスを書き出して、それをToBe化しますというのは多くの場合プロセス改善です。ではプロセス改革はどうしたらいいのでしょうか。

実はプロセス改革は、プロセスのところだけでは改革はできません。せいぜい改善でしょう。プロセス改革とはビジネスモデル改革と一対のものなのです。他社と差別化する新規のビジネスモデルができ、それを実現するためにプロセスを改革するということなのです。新しい価値を生み出さなければ改革ではないからです。

従って、業務プロセスの重要な役割は、ビジネスモデルの変革に素早く柔軟に対応できるものでなくてはいけないということです。そのためには、AsIsからToBeということではなく、プロセスの構造の本質を見極め、すぐにデザインできることであり、変化対応力のある構造と機能を持っているということなのです。

2010年7月27日

ビジネスモデルを実装する-まとめ

このシリーズも勢いよく始めた割には尻すぼみ感は否めないのですが、いちおうまとめのようなものを書こうと思います。もともとの主題は、ビジネスモデルとはどういうもので、それを実行するための業務プロセスはどうあるべきかといったことでした。それをある程度の類型化あるいは形式化することができるかどうかであった。

結果的には、ビジネスモデルの構成や業務プロセスのどこにそれを表現するのかといったことは何とかできたと思うのだが、具体的なフォーマティングはむずかしかった。やはり、事例ごとの個別の積み重ねがそれを可能にしてくれるように思います。

さて、最後にもともとボトムアップ指向できているので、ビジネスモデルありきでアプローチしていたのですが、ビジネスモデリングというのはどうしたらいいのだろうかということをかじったのでそのことについて書く。

業務プロセスモデリングもそうなのだが、多くのひとがおっしゃっているのはごく表面的であったり、かなり抽象度の高いお話ばかりで、実際に本当に具体的に設計するやり方は教えてくれない。ここができてこそ工学的なアプローチと言えるのである。

もう一度、ビジネスモデルの構成をおさらいすると、“どこの誰にどんな価値をどの経営資源を使ってどのように供給しどうやって儲けるか”です。このビジネスモデルの各要素を定義するためのチェックポイントを考えてみた。

どこの誰にというのは、顧客・市場のことで、やるべきことは市場セグメンテーションとセグメントの評価である。市場を細分化するために利用すべき変数は、「コトラ―のマーケティング入門」によれば、地理的変数、人口動態変数、サイコグラフィック変数(社会階層、ライフスタイル、性格など)、行動上の変数(使用機会、ベネフィット、使用者のタイプなど)になります。

そして、セグメントの評価をその規模と成長性、構造的な魅力、企業の目的と経営資源から評価します。このように上記の変数を勘案して顧客・市場の絞りこみをおこない、評価して「どこの誰に」を定義していくことになります。

次にどんな価値をになりますが、これも「コトラ―のマーケティング入門」に従うとポジショニングニングのところになりますが、価値をおくところとして、製品属性や、ベネフィットに基づき、また使用される機会、競合製品との関係において決めていくとなっていますしかし、もうすこしシンプルに、価値を商材そのものに埋め込むのか、その供給のプロセスに置くのかくらいでいいと思います。

さて、価値という場合、何をもって価値というかがあります。それは競争優位点があるのかどうかがわかりやすいと思います。つまり、競合他社との差別化です。その競争優位点、すなわち差異は、比較優位性、特異性、新規性になると考えています。

どのような経営資源と言うことでは、使えるリソースにはどんなものがあるかを考えます。いわゆる、ヒト、モノ、カネ、情報となりますが、そこにネットワークというのを加えてみたらどうでしょうか。現代は、グローバル規模の人や会社、組織との関係性が財産となっているように思います。

どのように提供するかは、業務プロセスとなります。この辺はさんざん議論してきたところです。そして、忘れてはいけないのがルールマネジメントです。プロセスとルールをセットでみていくというのが重要なことになります。

そして、最後のどうやって儲けるかは、商流モデルで、商品の流れとお金の流れを出し手と受け手の関係で示したものになります。

このようにしてモデリングされたビジネスを効率的に円滑に実行させるためにビジネスモデルの各要素を埋め込んだビジネスプロセスを回していくことになります。ここで重要なことは、ビジネスモデルとビジネスプロセスの一貫性と連動性です。これができてこそ、ビジネスの貢献するプロセスとなるのです。

そのために、ビジネスプロセスは、顧客接点モデル、価値供給プロセスモデル、経営資源組合せモデル、コントロール&オペレーションモデル、そして商流モデルという要素から構成されている必要があるのです。おわり。
 


2010年7月28日

伝説の生ビール

昨日は、新橋のビアホール「ビアライゼ‘98」でうまーいビールで暑気払い。数年前のBPMオフ会で一緒になって、それからぼくが主宰したBPP研究会にも参加してくれたM君が連れて行ってくれた。

このビアホールは知る人ぞ知る店で、入ると10人ほど座れるカウンターがあって、あとテーブル席がけっこうあって広いがすぐにお客さんで埋まるとのこと。昨日は予約は一杯だったので早めに行って席をとることにする。運よくカウンター席を確保する。

まずは、アサヒ生ビールで乾杯。キリンやサッポロのビアホールは多いがアサヒは少ないらしい。カウンターに座って前を見るとパネルが飾ってある。二人の人物の写真が載っている。一人が、新井徳司氏でもう一人が今目の前でビールを注いでいる松尾光平氏である。

新井徳司氏というのは、銀座にあった「灘コロンビア」という変わった名前のビアホールでビール注ぎの名人と言われた人である。この人の注いだビールを飲むとビール観が変わると言われたくらいだ。松尾さんはその唯一の愛弟子なのである。

この話は実はカウンターで隣に座っていたおじさんに教わったのである。なぜ「灘コロンビア」と言ったのかとか、新井氏はぜんぜん酒が飲めなかったとか、入江元侍従長に鍛えられたとかのおもしろ話も聞く。このおじさん77歳だというのに、ここにくるとビールを10杯飲んでいくらしい。そして、目の前でその名人松尾さんが注いでいるのを見ながら解説してくれる。

たかがビールだからどう注ごうがたいして変わりはないだろうと思ってたら全然違う。だから自然と10杯飲んでしまうのだというのである。苦くない、ほどよい泡立ちでうまさを逃がさない、そんな極上のビールとなるのである。その秘訣の一端をカウンター越しで見ることができる。一回注いで立った泡をナイフで掬いとり、再び注ぐ2度注ぎである。そして、意外と大事なのはコップの洗い方なのだという。

結局、ぼくもアサヒ生ビール3杯、黒ビール、隅田川ヴァイツェン(これは珍しく小麦の麦芽をつかっている)の5杯を飲んでしまった。たしかにすうっと入っていくからどんどん進んでいく。つまみは有名なメンチカツも頼んで十分堪能し、大満足の夜であった。

そうそう、M君との会話も楽しく、ぼくの興味と似たところがあって、映画とサッカー、さらにTwitterの話題で盛り上がる。もちろん、ITの話にも及び問題意識とかやるべき方向など共有できているので有意義な情報交換ができた。再会を約して新橋駅SL前で別れる。

シュアリー・サムデイ

最近は、テレビ番組のなかで映画の宣伝を盛んにやる。まあ、テレビ局が出資しているから仕方ないのかもしれないがあまりいいものでもない。このところよく見かけたのが小栗旬で、それが俳優としてはなく監督として自作のPRをしていた。

シュアリー・サムデイ」は全国規模では初めてとなる2 0代の監督作品だそうだ。これはもちろん良くも悪くも小栗監督だからという評価がつきまとう。ぼくの評価をひとことで言うと、素人の域をでない未熟な作品だが、光るものも少しはあったというところだ。

ストーリーは、5人の普通の高校生が鬱屈した日々から逃れるようにバンドを結成するが、それを発表する場である文化祭が中止になることを知り、学校を爆破すると脅かすところから始まる。その3年後ひょんなことからかつての仲間がまた集まることになるが、その3年間にそれぞれが様々な人生があったことがフラッシュバックされる。

そして、ヤクザが登場した事件へと展開し、それに家族のことも絡んでドタバタ的様相ながらもいかにも青春をかけぬける感のムービーとなる。そんな脚本をどう演出するのかが新人監督に対する注目である。そこが素人の域を出ていないのだ。

小栗監督の私は映画が好きです的な映像はところどころに出てくるが、最初の演出でそんなことをしてはいけない。エンドロールのあとの映像もやりすぎなのである。この作品で思いをぶちまけたいという気持ちもわからないわけではないが、そうした高揚感を抑えるような演出をすべきだったように思う。

映画の前半の何とも落ち着きがない、ふらふらしたカットがそれを如実に表していると思う。小栗監督がテレビで百戦錬磨のスタッフを相手に大変でしたでしょうと聞かれて言っていたこと印象に残っていた、それは、現場でカット割りが早いのでスタッフが後ろで「テレビドラマじゃあるめーし」てなことを言われたらしい。そのことである。

ある種の青春のもつ躍動感だとかスピード、ハチャメチャ感を表現したいのだろうが、だからといってカメラが同じようにしてはいけない。それを客観的な冷めた捉え方のほうがより表現力が増すように思う。後半はそれが少しできていたようだ。

細部では荒削りで首をかしげたくなることもあるが、同世代の若者を同じ目線で等身大に描いていることは評価してもいいと思う。(ただし、男の若者はいいのだが女の描き方に疑問がある。どうもよくわからないのではないだろうか。というのも小西真奈美が生きていないからである)だから、“男”の俳優たちもそこの共感部分でリアルな演技を見せてくれた。そういう意味で光るものもあった。

小栗旬は「Surely Someday(きっといつか)」いい映画と作るかもしれないという期待感はかろうじて残った。
  

2010年7月30日

オヤコ定例吞み会(7月)

今月の吞み会は、ずっと前から7月になったら行こうと決めていたあなごを食べにいくことに。ぼくの高校の同級生のS君に教えてもらった「玉ゐ」である。ここは古くからあるあなごの専門店で日本橋本店と日本橋室町店がある。

昨日は、室町店に行ったが、あいにく満席である。ぼくが午後から仕事で多摩センターまで行っていたので、時間が定まらないこともあり予約をしなかったのがまずかった。空いたら連絡しますと言われたが、いつになるかもしれないので、ここは来月にとっておいては他の店にする。

すぐ近くに「室町砂場」にする。ここはガキンチョが来るところじゃないけどとか言いながら、昨日26歳の誕生日だった息子を祝う。ビールと酒と蕎麦焼酎でのどを潤しながら、焼き鳥、たまご焼き、冬瓜(これはれっきとして夏の野菜です)、かまぼこなどをいただく。最後はもちろんそばで久しぶりにうまいそばを食べる。

そのあとは、いつものとおり銀座の「M」へ。息子は次の日休みをとったというので11時過ぎまで長居をする。前回来た時話題になった和歌山のラーメンと寿司の話から入る。あのあと息子は実際に和歌山に行ってラーメンと早ずしを食べたのだ。なぜ、こんな組合せにするのか不思議だ、例えていうと中村俊輔と本田を一緒に試合に出すようなものだとわけのわからないことを言っていた。

昨日のメインの話題は、30年前に死んでいた111歳のおじいさんの話から、死に方だとか散骨のしかたの話で盛り上がる。女性バーテンダーのKちゃんは、自身がダイビングをするので海に撒いてほしいらしい。ぼくの姉は森林葬がいいと言っていた。でも、ぼくはタコに食われるのもいやだし、熊に踏まれるのもいやだから、やはり普通のお墓に入れてほしい。

でも問題はその前の死に方で、いつも言っているようにぽっくり行きたいと言ったら、息子がえらく乗ってきて、一緒に呑んでいる時ぽっくり行ってくれときた。それもいやだから、自分の畳の部屋で朝死んでいて、昨日まであんなに元気だったのにねえというのがいい。

帰りにまたママから自炊生活の足しにと食料を紙袋にたっぷり入れてもらっていた。これで少しは夏バテ防止ができるかもしれない。

2010年7月31日

次に来るメディアは何か?

このテーマはいま非常に関心の高いものであろう。というのもマスメディアと呼ばれる新聞、テレビ、ラジオ、雑誌などが軒並み衰退の一途をたどっているからである。いったいこれからどうなってしまうのかは、みなさんが興味があるところだと思う。

「次に来るメディアは何か?」(河内孝著 ちくま新書)はそんな興味に答えてくれたのだろうか。こんな疑問符的な言葉を発したのは、タイトルからいうと何か新しいメディアが登場して、既成のメディアを駆逐してしまうのではといった想像をしてしまうが、そうではなくて、いまのメディアがどんな形で再構成されていくのかといった論点になっている。

だから、目玉は著者の独断と偏見に基づく「再編成図」である。それを紹介する。

(1) 日本のメディア界は4大メジャーと2つのユニークな独立グループによる6大グループに集約されていくだろう。
(2) 4大メジャーとは、NHK、フジ・メディア・ホールディングス、読売新聞・日本テレビグループ、朝日新聞・テレビ朝日グループである。
(3) 独自のメディア・グループが2つ生まれる。経済情報の総合化を目指す日本経済新聞グループと、まったく毛色が異なるが、ジャニーズ事務所、エイベックス、吉本興業連合などによるコンテンツ制作と番組販売のメディア・グループ「JAY」である。
(4) 通信キャリアーとの組み合わせは、KDDIが朝日グループに、ドコモはフジ・メディア・ホールディングスに、ソフトバンクは、読売グループと一体化する可能性が高い。
(5) 日経新聞グループは、経済情報に特化した情報プロバイダーとして独立した企業経営体を維持する。業務分野は新聞、ネットビジネス、日経CNBC、ラジオ、出版などで構成される。この場合、テレビ東京は、他の民放大手に譲渡することも考えられる。
(6) 産経新聞社は、経営不振の株式会社、時事通信社と合体のうえ、フジ・メディア・ホールディングのグループ子会社となる。

のだそうだ。大胆ではあるが、あながち的外れでないように思える。というより、このくらいのドラスティックな動きがないと日本のメディアはつぶれてしまうかもしれない。アメリカなんかはとっくにこうした再編は進んでいて、日本は周回遅れの感は免がれないが、2011年の地デジ化以後加速されるに違いない。

ここには、メディア・コングロマリット、いや著者はメディア・インテグレーターと言っているが、様々なメディアを統合的にマネジメントする企業体の姿があり、その中核に通信キャリアがいるというイメージがわいてくる。

この本では、なぜこうした再編が必要なのかを国内の事情、先行するアメリカの規制と規制緩和の変遷なども追って、説得力のある論となっている。
  

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