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2010年6月 アーカイブ

2010年6月 1日

ビジネスモデルを実装する-収益モデル

ビジネスモデルの重要な要素にどうやって儲けるのかという収益モデルがあります。そこでこうした収益モデルのヒントとなる面白いメソドロジーを紹介します。書評でも取り上げた「ピクト図解」というやつです。この本では、ビジネスモデルと言っていますが、「収益モデル」というかむしろ「商流モデル」と言った方がいいと思います。

このメソドロジーでは3W1Hすなわち、「誰が(Who)」、「誰に(Whom)」、「何を(What)」、「いくら(How much)」で売って儲けるかを1枚の絵にまとめるという手法です。そして、この代表的な組み合わせモデルが8つのパターンになるというものです。

モデルを図解して見せるというのは非常にわかりやすくなるのでお薦めです。一番シンプルなモデルは単純な物販販売です。ビジネス主体が商品やサービスを製造・開発し、ユーザに提供してその対価を受け取るというモデルです。商材がメーカーからユーザへ行って、お金がユーザからメーカーに流れるだけということになります。

これは単純ですから、前に議論した「価値」ということでいえば、商品そのものに価値があるかどうかがポイントになります。差別化できるあるいは競争力のある商品であるかどうかです。

このモデルをベースにいろいろなバリエーションを付加していくと違ったパターンのモデルができていきます。例えば、作るところと売るところを分けたらどうなるでしょうか。ビジネス主体が製造と販売という二つになっていきます。

また、商品を売り切りではなく、その商品を買ってもらったあともその付属する消耗品も売れるというパターンもあるでしょう。こうした、商材とビジネス主体の組み合わせが様々な収益モデルを形成していくわけです。

このパターンを導出するには、箱を足したり、分割したり、線を増やしたりすればいいというものではありません。自社保有のリソースのパフォーマンスだとか他社との提携状況や商品の持つ特性だとかを勘案することが重要です。

こうした絵は、上述の「ピクト図解」を使ってもよいでしょうし、単純に丸と四角と矢印で書いてもかまわないと思います。要は、商材とお金の流れがわかることです。ただ、収益モデルというとほんとうはもう少しコストと価格という要素を入れる必要があるわけですが、モデル化の段階ではそうしたスペシフィックなものを入れるのも複雑性を与えてしまうので書かないでもいいでしょう。

それは、このあと出てくる業務プロセス設計で、価格決定メカニズムとかルールという機能として取り上げることになります。商流もさることながら、ここも非常に重要になってきます。特に、価値に価格競争力が出てくるとここがキーになります。
  

2010年6月 2日

ビジネスモデルを実装する-閑話休題(1)

業務システムの構成

このシリーズでもちょっと脇にそれた話題を提供していくことにします。いまここではビジネスモデルができたら、それをどうやって実際に動く業務システムまで落とし込むかがテーマになっています。このことを考える上で、やみくもにシステムにすればいいやというものではなく考察する角度もいくつかあって、その攻め方も違ってきます。

その主な構成は、構造的なもの、機能的なもの、そして、それの作り方の3つではないかと思っています。すなわち、システムの構造をどんな構造のものにしたらいいのかということ、そのシステムがもつべき機能はどんなものがあるのか、そしてシステム開発、システム構築はどうやったらいいのかということです。

いまのシステム作りはこのあたりの考察が足りないような気がします。単に要求をブログラムに書いてシステムができましたと言ってやしないだろうか。こうしたやり方だと、いつもいつも似て非なるものを同じように作っている可能性があります。

そして、上述の3つの領域で今の時代に要求されていることは何でしょうか。基本はビジネス側の要求を適確に途切れなく実現してあげるためにどうなのかという観点に立ちます。それは、次の3つではないかと考えています。

(1)ビジネスの構造を写像したシステム構造
(2)ビジネスの実相を表現できるシステム機能
(3)ビジネスの今を構築するシステム開発

システムは、ビジネスを実行するための組織や役割、リレーションシップなどをそのまま写し出したものであるべきです。ですから、会社の構造と対になったものでなくてはいけません。それが業務システムというものです。その次に、IT化を考えるという順番でしょう。

今のは構造的な問題で、次はそれを使って日常の業務をどうやって遂行するのかという話です。ビジネス活動をそのまま表現するというのが望まれていることです。実はここはそれほど議論されてきていません。ビジネス側とIT側のコミュニケーションができていないこともあります。

ここも再三言っていますが、オペレーションという概念が薄いことに起因しています。システムは動かして、成果をあげてこそビジネスに貢献できる役に立つシステムになるわけです。そのために業務システムが持つべき機能は何のかです。

そして最後のシステム開発の問題です。よく話題になる開発期間が長いという問題と手戻りが多いという話です。近頃のビジネスモデルはしょっちゅう変わるようになっていきています。そんな場合、システムが開発し終わったらもうそのビジネスモデルは古いなんてことが起こりえます。ですから、要求が決まったら即刻作ってあげる必要があるわけです。

さて、それぞれの領域での解決策は何でしょうか。それについては、本シリーズや「業務システムの再定義」などで示しています。簡単に言うと、コンポーネントベースの疎結合構造であり、2段プロセスと意思決定プロセスいう考え方によるプロセス設計であり、フレームワークを使ったアジャイル的組み上げ開発なのです。

2010年6月 3日

総理辞任

こういう場であまり政治問題を語りたくないのだが、日記という意味もあるので大きなエポックは書いておいた方がいいかもしれない。昨日、内閣総理大臣の鳩山由紀夫が辞めた。しかも、民主党の小沢幹事長を道連れにしてという驚きをもたらした。

その前の日に輿石参議院会長を交えた3者会談のあと左手の親指をたてたしぐさが話題になったが、あれは小沢も巻き添えにしたぞという意思表示であったと思う。相当、小沢一郎にいじめられたのでその仕返しができたとほくそえんだに違いない。

しかし、ひどい話だ。1年も持たずにまた総理が辞めるなんてこの国はいったいどうなっているのだろうか。小泉純一郎のあとの安倍晋三、福田康夫、麻生太郎、そして鳩山由紀夫とどれもこれも首相を生み出した家から出てきたのにみなその器にはならなかった。

彼らに共通して言えるのはいじめられたことがないということではないだろうか。総理大臣になるということは、かなりのいじめに遭うことなのだ。いちばんは国民だ。民衆なんてきままでわがままだから勝手なことばかり言う。そしてその代弁者がマスコミであるわけだ。

それにいちいち反応していたらもたない。蛙の面にションベンを決め込まなくてはいけない。そういう覚悟があったのかどうかである。この覚悟の裏付けは、実現可能なビジジョンであり信念であろう。そして大事なのは、実行するための戦略であり戦術である。こうしたことって普通に民間の社長になる人はみな持っている。

ひょっとして、上記の元総理たちは、“はからずも総理に任命されましたが、これから頑張っていきます”てなことを言っていたのではないだろうか。こんな人たちにしか国を任せることができない国民は不幸である。よくそうした人を選んだ国民の責任と言われるのだが、まともなやつがいないことが問題なのだ。

いまさら遅いかもしれないが、やはりエリート教育をすべきだと思う。宰相の器って普通の人ではなれないのであって、そうした能力と見識、ひとことでいえば福田和也が言ってる「人間の器量」なのだが、それが備わった人材を育成することが喫緊の課題なのだ。

ああ、情けない。どうしてこんな国になってしまったのだろうか。
 
 

2010年6月 4日

ベースボールの夢

もうずいぶんと前の話だが、サンフランシスコに行ったときにメジャーリーグベースボールを見たことがある。いまはAT&Tパークというらしいが当時はまだパシフィック・ベル・パークと言っていた。サンフランシスコ・ジャイアンツの本拠地である。相手はシカゴ・カブスだった。だから、バリー・ボンズとサミー・ソーサの両雄が相対したわけだ。豪華な気分に浸った。

その時の球場全体を包む雰囲気を味わいながら、アメリカ人はなぜこんなにベースボールが好きなのかと思ったものだ。アメフトと並んでアメリカで発祥して国民スポーツになったスポーツがほとんどアメリカだけで盛んであるというのが不思議であった。

そんなことを思っていたので、「ベースボールの夢」(内田隆三著 岩波新書)を手にする。著者は、東京大学大学院総合文化研究所教授で社会理論の専門家である。これは、ベースボールがどのようにして始められたかその当時の社会はどんなだったのかという社会学的な考察である。

なので、その起源をたどり、あの偉大なベーブ・ルースが登場するまでの期間が対象となっている。南北戦争があり、そして資本主義という時代に突入していく時と重なっているわけで、そうした時代背景も絡んでベースボールは生まれ、発展した。

建国の精神であるフロンティアが一段落したとき、アメリカ的なものが必要であったろうと思う。それは、よそから持ってきたのではなく自分たちで作ったという伝説が要る。だから、同じようなものであるが、クリケットでもなく、イギリス的でないものでなくてはいけなかったのだ。

そして、著者はミドルクラスの強い白人男性の肉体を意識したと言っている。それがアメリカという国でもあり、そうした象徴としてベースボールが興ったのだという。たしかに、そうしたアメリカ的な匂いがぷんぷんする。

ただ、この本は読むのにすごく苦労した。学術的なのでなかなか読み進めなくて時間がかかった。もう少しエンターテインメント性をもった書き方でもよかったと思う。たかが野球だから。
  

ベースボールの夢―アメリカ人は何をはじめたのか (岩波新書)
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    • 4 ベースボール社会学
    • 4 たかがベースボール、されどベースボール
    • 3 この本は一体何を伝えたかったのか・・・
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2010年6月 5日

タカダワタル的

ある特定の人物を追いかけるドキュメンタリーの場合、その映画評というのは、映画そのものよりそこに描かれた主人公について書きたくなってしまうのが人情だろう。「百万円と苦虫女」や「俺たちに明日はないッス」を監督したタナダユキの初期の作品にあったので観たいと思った「タカダワタル的」のことである。

タカダワタルは高田渡である。ぼくと同学年で1960年代に登場したフォークシンガーである。何といっても「自衛隊に入ろう」であろう。自衛隊に入ろうと連呼する歌詞が今でも耳に残っているが、自衛隊をおちょくった反戦フォークである。のちに放送禁止歌になってしまった。

ちょうどぼくらは大学生で反戦とフォークソング一色の世界であった。高田渡はどちらかというと関西で活躍していたから僕らにはいくぶんなじみが薄く、東京では新宿西口のフォークゲリラが一世を風靡していた。

その高田渡が50歳を少し超えてもなお唄い続けている様を柄本明が企画して映画にしたのである。この歌いっぷりがまたすごい味があるのである。そして、歌の間に語るその話がおもしろい。吟遊詩人でもあり落語家でもあると思う。語り口はおもわず立川談志だと思ってしまった。

映画では、コンサートの様子もさることながら、街の中の姿も描いて見せる。しかし、やたら酒を飲んでいるシーンばかりである。特に、吉祥寺のいまは立て替えてしまったらしい古い焼き鳥屋で飲むのである。こんな生活はうらやましいですね。いまの時代でもみなさんあこがれるみたいで、この映画も結構うけたようです。

若い時に反戦でフォークを歌い、会社にも入らず、自由な生活という生き方を選んだ人たちは多くいたはずだ。その人たちは多かれ少なかれ「タカダワタル的」生活をして今や還暦を過ぎたじいさんばあさんになっていることだろう。

その高田渡は2005年4月北海道で帰らぬ人となった。享年56歳。早すぎる死であったが、最も「タカダワタル的」な生活を堪能したわけなので満足しているんじゃないだろうか。

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    • 5 映画の展開 フィクション ドキュメンタリーを越えて
    • 5 存在自体に価値があった人
    • 1 高田渡は何故喰い物にされるに甘んじたのか?
    • 5 宝物
    • 5 心の中の大切な
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2010年6月 6日

ビジネスモデルを実装する-ビジネスモデルの表現の場

ビジネスモデルの構成を考えてきましたが、すこし別の角度からということで、表現の場という見方で考えてみましょう。つまり、経営資源、プロセス、コントロール、オペレーションを行っているプラットフォームを考えることにします。ビジネス活動は、こうしたプラットフォーム上で実行されて結果をだしています。

経営資源については、前のエントリーで書いていますが、ヒト、モノ、カネ、情報、それとネットワークというものを加えています。最初に行ったビジネスモデルの定義の「提供するにあたって必要な経営資源をいかなる誘因のもとに集めるか。」のそのものずばりの経営資源です。

これらの、経営資源そのものがもつ優位性、例えば、効率のいい設備だとか優秀な人材や技術など、それとそうしたものの組み合わせがビジネスモデルを表現することになります。ただ、それを保有するだけではなにもなりませんから、どう活かすかがカギななります。プロセスやオペレーションと密接に絡んできます。

プロセスは、アクティビティの流れやそれを誰にやらせるかといったところに表れてきます。たとえば、冗長的でないシンプルなプロセスになっているとか、自社でやるよりコストの安い外部にアウトソースしたほうがよいとかいったことになります。

コントロールでは、プロセスにおける業務進捗の停滞や手戻りあるいはリスクの監視といったところです。こうした制御は直接的なビジネスモデルの表現には結びつかないかもしれませんが、結果的に効率的な価値提供プロセスを実現することになり競争力を持つことになります。

実は最後のオペレーションというところに競争優位の源泉が多くあると思います。プロセス構造や経営資源が静的な差別化要因だとすると、オペレーションが動的な差別化要因となります。日々の業務における各局面でさまざまな判断を迫られているわけですが、そこでビジネスモデルに合致した的確なアクションを行うことでビジネスモデルと業務プロセスが融合したことになります。

こうしたオペレーションという動的な要素を重要視した考え方はいままでにあったでしょうか。いくらすばらしいビジネスモデルでも形だけ作っても何もなりません。現場で人がそのとおりに動いたり、日常業務のアクションに反映されてはじめて活かされるのです。

次回から、業務プロセスという切り口で考えていきます。ビジネスモデルの表現として、まずは業務プロセスの構成要素に埋め込み、それを使ってコントロール、オペレーションを行って、ビジネスモデルを実行するという見方になってきます。

2010年6月 7日

ビジネスモデルを実装する-ビジネスモデルから業務プロセスへ

これまでビジネスモデルというのはどんな要素から成っていて、どういう構成のモデルとなるのかをみてきましたが、そのビジネスモデルを実行するために業務プロセスという形に落とし込むことになります。

その前に注意しなくてはいけないのが、ビジネスモデルを創造するプロセスとビジネスモデルを実行するプロセスとを混同しないようにすることです。これからやろうとすることは、できあがったビジネスモデルをどのようにして業務プロセスに落とし込むかですので、後者の実行プロセスが対象となります。

もちろん、新しい商品アイデアを創造することや、斬新な物流経路を編み出すといったビジネスモデルを創造するプロセスは大事なものですが、ここでは、そうした価値が作りだされたという前提に立ちます。

つまり、誰(市場)に対しての誰(市場)が決まっていること、どんな価値のその価値が定まっていること、どのように供給のどのようなやり方がおおまかに決まっていること、儲けるための仕掛けが決まっているところから始まります。こうしたビジネスモデルをどうやって実行させるのかが焦点です。

そこまで決められたらすぐにシステムになるのではと思う人もいるかもしれませんし、パッケージをもってくればやってくれるんじゃないという人もいるかもしれません。そうでしょうか。まだまだ抽象度の高い、あいまいな仕様でしかないはずです。そのまま動くものが作れません。これからは、そうしたあいまいさをもったビジネスモデルですが、それをくずさないように実装にまで落とさなければいけないことが求められます。

そして、ビジネスモデルからのアウトプットを武器にして事業を執行するために重要な役割を担うのが業務プロセス管理です。その内容を定義すると、「特定された顧客に対し、適切な経営資源の組み合わせで、最適な業務プロセスを設計し、適正なコントロールの下に優れたオペレーションを行うこと」となります。ここからは、狭い意味のプロセスからここに示したような広義の意味をもったものとして業務プロセスと言うことにします。

この、“特定された”、“適切な”、“最適な”、“適正な”、そして“優れた”というのが、他社と差別化するため、あるいは競争で優位に立つための必要条件となるわけです。しかし、これでは抽象的なので具象化しなくてはいけないのですが、かなり難しそうですね。

プロセスへの落とし込みの前に少し整理しておきましょう。まず、どんな価値なのかによって、主に表現するべき業務プロセスが変わってくるし、重要性も違います。どういうことかというと、価値には大きくわけて、商材そのものに埋め込まれたものと、汎用的な商材だがその供給のし方に価値があるという場合があります。前者が“価値ある商材”であり、後者が“価値あるプロセス”ということができます。

商材とプロセスの関係を書くと次のようになります。
(1) 価値ある商材と経済合理的な供給プロセス
(2) 商材は汎用的だが競争力のある供給プロセス
(3) その両方

ですから、価値のあり方によりプロセスの強弱や色合いが変わってくるのでその辺を頭に入れておく必要があります。

2010年6月 8日

生命保険のカラクリ

ぼくはもう10年くらい前に生命保険に入るのやめた。たしか勤め出してすぐに職場に生保のおねえさんがプレゼントを持って毎日やって来て、入れ入れと勧められ、周りのだれかが入るとつられて入ってしまった。だから、25年くらい保険料を払い続けていた。

たぶん月額2万円くらいだったと思うが、そうだとすると25年でトータル600万円くらい払い込んでいる。その保険を使ったこともなく、やめた時に100万円くらいもらった。なぜやめたかというと、生命保険って何のためにあるのだろうと考えだしたからである。

全くの惰性で払い続けていたが、もう子供たちもほぼ一人前になってきて、ぼくが死んでも保険金なしでも平気だなあと思った瞬間にばからしくなった。何も考えずに600万円の買い物をしたわけだ。どうもおかしいなあと思ったがあとの祭りである。

いま「アゴラ」というネットのブログコミュニティで岩瀬大輔さんが“ネット生保立ち上げ秘話”というのを連載していて、いつも読んでいるのだが、その岩瀬大輔さんが書いた「生命保険のカラクリ」(文春新書)を読む。

もう生命保険から抜けたからそんな本を読む必要がないかもしれないが、ネットベンチャーを立ち上げたことや、規制業種にどうやって参入したのかとか、そもそも生命保険そのものなどを知りたくなったという動機から手にした。けっこう、目からうろこ的で面白かった。

本でも、ぼくが感じたことと同じことを言っていて、要するに大きな買い物をするのにほとんど何も考えずに買ってしまっていることや、保険商品の中身が複雑でよく分からないので外交員のおねえさんの言うとおりになってしまっていると指摘している。

そもそも保険商品の機能にはどんなものがあるのか知っていますか。3つの機能しかないんですね。いざという時に残された家族のための所得保障(死亡保障)、病気やケガによる入院・手術のための保障(医療保障)、将来に備えるため(貯蓄・年金)なのです。

なるほど、そうだとしたら、貯蓄・年金は別の商品もあるし何も生命保険でなくてもいいわけです。また医療費は健康保険で賄えない場合に保険を適用するわけですが、知らない人も多いのですが、実はぼくも妻の入院のときに使った高額医療制度というのがあって、それはある限度額を超えると払い戻されるというもので、一般の人だと月額80,100円が上限になっているのです。

そうだとすると、差額ベッド代だとかは別とすれば保険を使う機会はあまりないのです。だから、死んだ時の保障だけを考えれば十分なように思うわけで、それも初めに言ったように若い時、すなわち子どもが小さくて働き手が倒れたらその所得を保障してくれるのが入るべき保険であろう。

これだけでも、ずいぶんとだまされていたように感じる。結局、保険会社はわざと複雑にして、そしてやたら特約をつけて保険料を釣り上げているモデルなのである。もうこんなカラクリでやれる時代ではないだろう。世界のセイホも大変な時代を迎えているようだ。
  

生命保険のカラクリ (文春新書)
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    • 5 損してる気がする
    • 4 保険について頭の中が整理される
    • 4 保険を真剣に考えるきっかけ
    • 5 生命保険は家の次に高額な商品だと痛感させてくれた一冊
    • 5 流石。天才。岩瀬大輔。
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2010年6月 9日

IT雑感-保険屋とIT屋

昨日、「生命保険のカラクリ」という本の書評を書いている時、ふと生命保険業界ってどこかの業界と似ているなあと思った。そうなんです、IT業界の実態とどこか共通点があるように思えてきたのである。そのことについて書く。

この本では、2つの章で問題点や課題が書いてある。「煙に巻かれる消費者-誤解だらけのセイホ」と「儲けのカラクリ-生命保険会社の舞台裏」である。これをそのまま、「煙に巻かれるユーザ-誤解だらけのシステム化」、「儲けのカラクリ-SIerの舞台裏」というように書き換えても本が書けそうですよね。

そして、その中身についても似通っている。生命保険という商品がさまざまあって、その内容もみな複雑にからみあってよくわからない。それでも営業のおばさんにプランの説明を受けて理解できないまま買ってしまう。ITもSEさんがわけのわからないIT用語で説明し、まあいいかというふうにして導入してしまう。

保険は何のために必要かを整理すると、3つしかなくて、所得保障と医療保障と貯蓄なのであって、そうした整理のあとに本当に必要かどうかを自分や家族の置かれている状況を鑑みて購入するべきなのである。これもIT導入になぞらえてみると、目的をはっきりせずに買ってしまうことがよくある。他の会社が入れたから同じパッケージを入れただとか、コストダウンなのか売上増なのかあいまいだとか、入れたはいいがあとの保守料でびっくりしたとか、多くの例がある。

もう一方の“儲けのカラクリ”についても同様で、保険料の決め方でもかなりリスクを乗せているわけで、そのカラクリは消費者はわからないのである。ITだってどうしてそういう価格になるかユーザにはみえない。情報の非対称性は同じようなものだ。

さらに、特約だとか、死亡保障と貯蓄を一緒にして総合保険だとかいって売っている。システムもある部分だけでいいのに、全体の整合が大事だとかいわれて、統合パッケージを買わされるのである。本でも単品主義のススメを説いているが、ITも目的に合った単品を入れられるようにしたいものだ。

そして、最も深刻なのは、生保もITももはやこのままでは売り上げがのびないということであろう。驚いたのは、生命保険会社の世界との比較で、保険料収入ランキングの1989年時点では、日本生命と第一生命が1,2位を占め、ベストテンに日本の生保が4社も入っていたのが、2006年では何と日本生命がかろうじて9位に顔を出すだけになってしまった。

さらに驚いたのは海外地域収入割合で、海外勢は軒並み50~80%くらいあるのに、日本生命はわずか1%なのである。これはもはやグローバル化の波に完全に後れを取ったということで、これも日本のIT業界も似たりよったりであろう。

こうしてみていくと多くの共通点があって、同じ課題をもっているように思う。そうした中で、ガリバーのような大手生命保険会社に立ち向かう「ライフネット生命保険」と同じようなベンチャーがエンタープライズ系のIT業界でも出てくることを願うのである。
  

2010年6月10日

RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語

RAILWAYSという素人っぽい安直なタイトルでちょっと腰が引けたが、評判がよさそうなので映画「RAILWAYS」を観てみた。副題にもあるように、大会社の幹部社員でありながら、49歳で生まれ故郷の鉄道会社の運転手になった男の物語である。

舞台は島根県の一畑電鉄である。監督も出雲市出身の錦織 良成。ここ電車は宍道湖の周りを走っていて、松江から出雲大社を結ぶ小さなローカル鉄道である。だから、島根県と鉄道ファンは必見の映画です。

物語は、もうすぐ役員かという地位のエリートサラリーマンが主人公で、そこまで築いたということはご多分にもれず仕事一途で家庭もかえりみない男である。だから、一人娘とも妻ともなじめないでいるのである。そして、仕事も非情に徹し、工場閉鎖やリストラも断行し、同期の友人からも冷たい人間と見られている。

そんな折、彼の故郷の島根に一人で住んでいる母親が心筋梗塞で倒れたという報が入る。その時も、仕事のことが気になってしまい、娘からそんなに仕事がだいじなのと責められてしまう。

ところが、そうして度々故郷に帰り母親を見舞っているうちに、昔の夢がよみがえってくるのである。それが、電車の運転手になることであった。しかも、自分の家の前を走る一畑電鉄の運転手なのだという。そして、思い立ったらすぐに辞表を出して会社を辞めてしまう。

49歳の運転手誕生である。そこまでの前半はテンポよく進むのだが、運転手になってから、彼の母親が亡くなるまでが後半部分なのだが、そこがけっこうだらだらとした感じになってしまっている。だから、会社を辞めて転職するまでが本筋かと思っていたら、そうではなくて、故郷での生活というのがメインになるわけで、そうなるとインパクトが少ないのだ。

それとともに、たしかに感動的で涙も出る癒され映画なのだが、出てくる人々がものの見事に全部ものわかりがいい人ばかりなのでありえないと思ってしまった。娘にしたって、妻にしたって、一家の主人が突然一流会社を辞めて、田舎の電車の運転手になるなんて言い出したら荒れるでしょう。みーんないい人の世界もちょっと気持ち悪いのである。

とはいえ、気持ちがほんわかなるのは間違いない。自分の経験から言っても会社勤めのときはまさに映画の主人公と同じように、乾いた企業の論理、必要悪の競争原理、サラリーマンだから当然の出世意欲などなどをあまり深く考えないでいた。しかし、ふと立ち止まったとき、それでいいのかと思う時期がくるのだ。それが、49歳頃なのかもしれない。自分の本当にやりたいことは何だったのかという述懐がはじまるというわけである。

いまのように、右肩あがりの経済はのぞむすべもなく、縮小均衡の世の中にあっては、そういうふうに考える人が増えているように思える。それはそれでいいことなのだろう。

ただ、安直に故郷に帰って働いて、生活できるというように考えると痛い目に合うのではないだろうか。それなりの覚悟をしないといけない。この映画は立派な家もあり、暖かいご近所さんがいてというとても恵まれている環境だからこそという面があるので気をつけないといけないと思う。
  

2010年6月11日

ワールドカップ予想

いよいよ今日から南アで開かれるサッカーのワールドカップが始まる。日本代表がイマイチ元気がないので日本での盛り上がりに欠けるが、きっと世界中が熱くなるだろう。そこで、大胆にも優勝予想をしてみることにする。

まずは、グループリーグの勝ちあがる2チームを予想。
 グループA :フランス、メキシコ
 グループB :アルゼンチン、ギリシャ
 グループC :イングランド、アルジェリア
 グループD :ドイツ、セルビア
 グループE :オランダ、日本
 グループF :イタリア、パラグアイ
 グループG :ブラジル、コートジボアール
 グループH :スペイン、チリ

決勝トーナメント勝者
フランス、アルゼンチン、イングランド、ドイツ、オランダ、イタリア、ブラジル、スペイン

準決勝
アルゼンチン-オランダ、スペイン-ドイツ

決勝
オランダースペイン

で優勝はスペインです。

ちょっと、オーソドックスすぎる予想ですね。日本は何だかんだと言ってグループリーグで勝ち上がってしまうという奇跡を起こすのですが、そこで力尽きて決勝トーナメントでイタリアに惜敗する。

当たるも八卦、当たらぬも八卦、これから7月11までの1か月大いに楽しみましょう。
  

2010年6月12日

ノン子36歳(家事手伝い)

映画というものをなめていると感じられる作品がときたまある。そういう作品の特徴は、登場人物の掘り下げ、性格付けが甘いことが多い。すなわち、いい加減な人物設定なものだから、リアリティもないし、観ている方の感情移入もできない。

現実離れしたテーマでも、それこそアニメでも、ここのところはきちんと練り込まないと薄っぺらなものになってしまう。逆に緻密に役柄がきまり、それを役者が理解して演じると、その人物に自分自身を投影したり、反面教師として眺めたり、あこがれとして感じたりといったことができるのである。それが映画のだいご味である。

だいぶ、前説が長くなったが、これからけなされる映画が紹介されるというがお分かりでしょう。熊切和嘉監督の「ノン子36歳(家事手伝い)」はそんな映画であった。

主人公は題名のとおり36歳で今は田舎の神社である実家で何もしないでぶらぶらしている女性である。坂井真紀が演じている。そんな彼女の前に、純真な若者と元夫だった芸能事務所のマネージャーが現れる。彼女は昔タレントだったのがそれを捨てて、離婚もして実家に戻っていたのである。だから、実家も冷たく、先行きも見えないというわけである。

まあ、その手の話はよくあるのだが、まず、いつの間にかその実家の神社にいついてしまう若者なのだが、きっかけは、その神社のお祭りに店を出したいというのをかけあったことからなのだが、その子が世界に飛び出すのだとか言って世界地図を貼って眺めている。

わけがわからないのだが、それは許すとして、そんな世界へ飛躍する夢を語るやつがその神社の祭礼で売るのが、なんでひよこなんだ。なんでお祭りでひよこを売るのが純真なのだ。そんな子供みたいな若者に女は惹かれていくってありえねえ。

しかも、出店する場所を貸してくれないといって、チェーンソーを振り回して暴れ出すって、誰が悪いんだ。みんな普通に対応しているのに怒り出してしまう。バカじゃないの。そのあと。女はその若者と逃げ出すのだが、また戻ってきてしまう。ええー。

こんな調子だから、途中に日活ロマンポルノ並みの濡れ場描写があるんだけど、これとてどうしていきなりこんな濃厚なラブシーンを入れるの意味ねえじゃんと、ニヤニヤしながら(笑)叫んでしまう。

最後に致命的な欠点は、全く希望がないことである。ここに出てくるみんなが愚か者でちったあ救いがあるのかと思ったら、最後もまたまたみんなアホやねで終わっていくというひどい話である。ちと辛辣すぎたかな。
  

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    • 1 期待外れ
    • 4 ハッピーになれる類の映画ではありませんが
    • 1 坂井真紀が出演する価値ある?
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2010年6月13日

OB会

昨日は、大学のときのサッカー部OB会のOB戦、総会、懇親パーティがあった。ぼくは昨年から役員のはしに名前をあげられてしまったので、その準備から、昨日のパーティの進行などに駆り出された。

OB戦はもうできないので、総会と懇親パーティに出席。懇親パーティは来賓や現役を合わせて130人くらい来ていたのではないでしょうか。ぼくは、このパーティの司会をやってくれる現役の女子マネージャのアサインを頼まれていたので、二人の女子マネを確保して、司会の基本セリフも作ってあげて臨んだ。やはり、オジサンたちは若い女性だと無条件に喜びますね。

いろいろと趣向を凝らしてたが、OB戦のビデオを流してみたり、その時に来たTシャツの販売とか、後輩のOBの小学校の同級生の歌手による歌唱ショーといったことで盛り上がる。この歌手は元アイドル候補だった李木蘭(ムーラン)さんでもう40年も前に「雨の日の花嫁」というぼくらの年頃だとかなりの人が知っている曲で人気があった。いまは、気さくなオバサン(失礼)です。ああなつかしい。

ということで、2時間のパーティがあっという間に終わる。みなさんお疲れさまでした。そのあとは、近くの飲み屋で役員の打ち上げ。パーティではほとんど食えなかったし、飲めなかったので腹を満たす。

さすがにワールドカップの話題になる。5人いたが優勝予想がみな違った。ブラジル、アルゼンチン、イングランド、ドイツ、スペインである。これにはびっくりした。それだけ今回のワールドカップは混戦ということなのだろう。

そんな話をしていたら、店のテレビで韓国-ギリシャ戦を放映していた。セットプレーからの李正秀のシュート、朴智星の素早い飛び出しからのシュートで2点差で勝利したのを目の当たりにする。韓国はいいチームだ。

ぼくらはこの韓国の勝利をおおいに喜ばなくてはいけない。アジアのチームでもヨーロッパの下位レベルのチームに勝てるのだということだから、日本チームもちょっとは自信めいたものを抱いて明日から戦ってもらいたいのだ。

2010年6月14日

ビジネスモデルを実装する-閑話休題(2)

ボトムアップもいいかもしれない

「ビジネスモデルを実装する」では、ビジネスモデルから落とし込むのでトップダウンの手法であると言える。しかし、詳細レベルに行けばいくほど難しくなってきて、結局、ボトムアップで考えたものと突き合わせることをしている。

業務プロセスの構造と機能から、そのどこにビジネスモデルの要素を埋め込むか、言い換えれば、ここはどうしたらいいのかを上流に問いかけるというやり方である。そうすると、上流設計で不備なことだとか、あいまいなことなどだ浮かびあがるというわけだ。チェックリストを埋めていく方式に似ている。構造的、機能的な空欄を埋めてもらうのだ。

それを敷衍してみると、いま議論しているビジネスモデルも
1.誰に、どんな価値を提供するか。
2.その価値をどのように提供するか。
3.提供するにあたって必要な経営資源をいかなる誘因のもとに集めるか。
4.提供した価値に対してどのような収益モデルで対価を得るか。

というような、かなりメタレベルだが構造化してあるので、ここからボトムアップ的に事業戦略とか経営戦略を考えたらどうかという話である。つまり、“誰に”を決める時、どんな戦略的な意味から決めたのかとか、収益モデルはどういう会社にしたいからそういう選択をしたのかといった問いを発するのである。

マイケルポーターの競争戦略だとかボストンコンサルティングのppmを持ちだすまでもなく、SWOTでもBSCでも、こういった上流で一生懸命考えたことを下におろすより、なんか下から行った方が現実的ような気もする。経験的にも経営戦略といったって考えるやつは経営者でもないのであって、つい現場的な見方を入れてしまう。それなら、ボトムアップでいいじゃないかということである。

例えば、BSC(バランススコアカード)との関係で見ると分かりやすかもしれない。ご存知のようにBSCは、財務の視点、顧客の視点、業務プロセスの視点、学習と成長の視点の4つから総合的に企業を評価しようとするものです。そしてそれぞれでKPIを決めて管理するわけです。

これこそ、先に書いたビジネスモデルそのものです。すなわち、誰にどんな価値は顧客の視点ですし、価値をどのように提供するのかは業務プロセスの視点で、経営資源は学習と成長の視点なのです。そして、収益モデルは財務の視点になります。ただ、価値とはという視点がないように思うのですが。

このBSCの手順はどうなっているのかというと、ビジョンの決定、戦略の決定、CSF、KPIというふうになっています。ですから、ここでも遡ったらどうだろうか。つまり、ビジネスモデルから、KPI、CSFにいき、戦略、ビジョンへ辿りつのである。

しかし、これだけでは無理がありそうなので、戦略、ビジョンの確認といったことでいいのかもしれない。トップダウンとボトムアップの併用であるハイブリッド型のアプローチが現実的なのである。

2010年6月15日

やったあー、勝った!-ワールドカップレポート1

ワールドカップ初戦のカメルーン戦で戦前の予想を覆す1-0の勝利を収める。バンザイ。いやー、しびれましたね。わずかなシュート数で1点をあげたのだからあっぱれである。これでがぜん面白くなってきた。

ただ、やはりというか当然というか後半の後半から押されっぱなしで、いつ点を入れられてもおかしくない展開となってしまった。この先取点を取ってから格上の相手に対しどう守り切るかがまだできない。それは、あまり経験したことがないからである。

昨日、何とか守れたのは、一つには相手のカメルーンのできが悪すぎで、明らかに連携がうまくいってなく組織的ではなかったことだ。エトーもあのポジションでは力が発揮できない。

もうひとつは、ファールをあまりしなかったことだ。いつもペナルティエリア近くで反則を犯し、そこからのセットプレーでやられるケースが多いが、昨日はその反則が少なかったのだ。それは、闘李王があのドログバ骨折事件のためいつもより冷静であったことと、ファールをとられやすい大久保が身体が切れていたこともあり無難に守備したからである。

それにしてもよくぞ勝ってくれた。あとは、1-0でオランダに負けて、1-0でデンマークに勝てばいい。ほら、この前ぼくが予想したとおり、グループリーグ突破も夢ではないでしょう。

2010年6月16日

ビジネスモデルを実装する-ビジネスモデルのアウトプットと業務プロセスモデル

今回からもう少し具体的に業務プロセスに落とし込んでいきます。まず初めに、ビジネスモデルのアウトプットとそれが実行されるための構成モデルとの関係をみてみましょう。

主なものはつぎの3つになります。
(1) 顧客/市場  ・・・顧客接点モデル
(2) 価値     ・・・価値供給モデル
(3) 商流/価格  ・・・収益モデル

さらに、このプロセスを実行プロセス的にもう少し分解してみましょう。

(1)商品認知・顧客囲い込みプロセス
(2)リソース調達・商品供給プロセス
(3)代金請求・回収プロセス
(4)経営資源管理プロセス

といったところでしょうか。商品認知・顧客囲い込みプロセスというのは、いくらいい商品を作ってもそれを知ってもらって、買いにきてくれなくてはビジネスにはなりません。そのためのプロセスです。

リソース調達・商品供給プロセスは、文字通りオーダーをもらったらそれに対して迅速に出荷しなくてはなりません。そのために、必要な調達や品質管理、輸送管理といったものも含めたサプライチェーンのような仕組みになります。

残りの二つはもちろん大事なプロセスですが、ビジネスモデルを表現するという観点からいうとそれほど重要ではありません。差別を実現する意味合いが薄いということです。商流はスキームを作ることでおおかたの役目はおわりますし、代金請求・回収プロセスはリソース調達・商品供給プロセスの一部に含めればいいのです。

経営資源については、プロセス実行には必ず付いてまわるという意味で、それ自身には大きな意味がありますが、管理プロセスという点でいえば定型的なワークフローなのです。

ということで、主に商品認知・顧客囲い込みプロセスとリソース調達・商品供給プロセスのどこにビジネスモデルの差別化すべき各要素を “表現”させていくのかということになります。

これまでの業務システムは、こうしたアプローチをしたでしょうか。ビジネスモデルを表現するものとしてあったでしょうか。どうも、乖離があったように思うのです。IT化できるところだけITでやらせて終わりだったのではないでしょうか。このビジネスモデルの“表現”は、何もITにやらせなくてはいけないというわけではありません。あくまで、ビジネスモデルと業務プロセスの一貫性の維持が重要なポイントなのです。

2010年6月17日

ヨーロッパ退屈日記

前々から、読みたいと思っていた本をやっと手にする。伊丹十三が1965年に書いた「ヨーロッパ退屈日記」(新潮文庫)である。伊丹十三はご存知のように、映画監督伊丹万作の息子で、自身も俳優から映画監督になって、「お葬式」「タンポポ」「マルサの女」などの話題作を撮った。

非常にマルチな才能のある人で、元々は商業デザイナーでその時知り合った山口瞳との縁でこの本が誕生している。絵や音楽、さらに料理の腕前も長けていてその感性は本物である。ちなみに大江健三郎は義理の弟である。1997年不倫疑惑で突然事務所のあるマンションから飛び降り自殺をした。一説では殺されたのではないかとも言われている。

そんな伊丹十三が、1960年から62年まで渡欧して、映画「北京の55日」とか「ロード・ジム」に出演したころのことを中心にしたエッセーである。これがとても面白い。今から45年前に書かれたものとは思えない文章なのである。この時代に読んでも全く違和感がないのである。

それは、単に皮相的な現象を描写しているわけではなく、本質的なあるいは文化論的な描き方をしているからであろう。普遍性のある捉え方をしているのである。その普遍性をもたらしているのは、人間を見る力、すなわち深い洞察力のたまものである。鋭い感性から眺める景色をこれまた鋭い言葉と文体で活写している。ある意味映画監督の眼なのだ。

いちいち載せるわけにはいかないが、一緒に映画の仕事した監督や俳優のこと、酒や料理のこと、音楽のこと、景色のこと、言葉のこと、盛りだくさんのエピソードから言及する辛辣かつユーモアのある話は思わず口元がゆるんでしまうのである。

実は、この本に書かれているのは、タイトルのようなヨーロッパ滞在の時の話だけではなく、日本での生活のことも書かれている。学校生活や友達のことなどを読むと著者の少年時代のことも知ることができ、その青春物語も捨てがたい味がある。

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2010年6月18日

メッシ、メッシ、メッシ!-ワールドカップレポート2

すごいとしか言いようがない。言わずと知れたアルゼンチンのメッシだ。天才だ。昨日の韓国戦で得点こそ入れなかったが、その得点はメッシなしでは生まれなかったのだ。まさにマラドーナを超えた神の子だ。

何がすごいかと言ったら、ボールを取られない、ドリブルの俊敏さ、周りが見える眼、シュートの正確さ、もう絶賛である。おそらく今大会はメッシの大会になるだろう。だれか止めるやつがでるのだろうか。

この活躍は、メッシに自由にやらせたことが大きいと思う。つい守備もやれ、組織的に動けと言いたくなるが、メッシの場合は存在自体で守備をしているようなもんだかから、それでいいじゃないのか。だって、メッシをほったらかしておけないから、相手のディへフェンダーは2人はそこで拘束されるからである。

もう、アルゼンチンの決勝トーナメント進出は間違いないので、これからさらにメッシのプレーを見る楽しみが続くが、気がかりはアルゼンチンのディフェンスがちょっと弱いことだ。メッシがある程度抑えられてしまい、右サイドを攻められたらやられる可能性がある。

ぼくの予想は準決勝でオランダと対戦するが負けるというのがこのパターンである。さて、ますます面白くなるワールドカップである。
  

2010年6月19日

アウトレイジ

カンヌ映画祭で話題になったとか言われているがホントなのだろうか。北野武監督主演の映画「アウトレイジ」はちょっと首をかしげたくなる作品だ。「コマンドゥール」を授与されたからとか、あのお笑いビッグ3のたけしだからとかいった先入観を取り去って考えてみた。

結論から言うと平均的な出来栄えで可もなし不可もなしといったところか。テレビなんかに流れる「みんな悪人ばかり」という惹句も、ぼくには登場人物がみなそんなに悪人には見えなかった。変な言い方だが、悪人としてふるまっているわけではなく、単にヤクザという組織でそこの成員として行動しているに過ぎない。少々残虐だが。

いまどきヤクザ映画かよとツッコミたくなるが、物語は、ヤクザの組同士の縄張り争いと裏切りによる抗争が延々と続くだけの映画なのだ。そして、下っぱの組長が親分のいうことを真に受けて、鉄砲玉になるのだが、そんなのは最初から使い捨てにするつもりだから、割の合わない結果になる。

そして、だましだまされて最後は殺し合いになって散っていく、さて最後に笑うのは誰だみたいな感じになる。これってどこか既視感がありますよね。そうなんです。高倉健の世界であり、「仁義なき戦い」なのである。

だから、北野武が今の時代にそうしたヤクザ映画を撮った意味がわからない。というか、「昭和残侠伝」や「仁義なき戦い」を超える、あるいは現代ならこうだみたいなものをねらったのだろうか。それにしたら、討ち死にですね。

最後の最後までがまんしてひとりでかたき討ちに出向く健さんの美学には足元にも及ばない。だいいち、子分が加瀬亮のインテリやくざ以外みんな殺されてしまうのに、自分は敢然と首謀の会長の首を取りにいくのかと思いきや、自首しちゃうんですよ。それで刑務所で昔いじめた対抗組織の若頭に刺されて死んじゃうんだから。あれれーです。

仁義なき戦いにある多くの若い衆が眼をぎらつかせて躍動する姿はどこにもなく、バカヤローばかり叫ぶ兄ちゃんばかりだ。ただ、こうして比較してもらいたくないかもしれないが、もう一度言うが、いまなぜヤクザ映画なのか。

前にも書いたが、北野武はもはや時代の風に合わないレガシーになってしまったようだ。
  

2010年6月20日

納得の敗戦-ワールドカップレポート3

昨日、強豪オランダとの対戦で0-1で負けた。ぼくが予想したようになったので、変な言い方だが“納得の敗戦”である。しかも、予想ではオランダの嵐のような攻撃を何とかしのいでというふうに思っていたので、その割には反撃もしていたので少々驚いている。

このワールドカップの2戦で日本のチームが1段ステップアップしたように思う。それはサッカーの戦い方をチームとしてわかったのではないだろうか。究極の大会で、強い相手ばかりで、本当の真剣勝負のときどう戦えばいいのかを身をもって知り、それをある程度実践できたことにある。

昨日はまさにそんな試合であった。前半はお互いに安全策で守備的にいったが、日本も無理はせずに攻めさせる試合運びにみえた。こんなことはかつてなかったのだ。最初から高い位置で走りまわってプレスをかけるんだみたいに言って、前がかりになるのがよくあるパターンで結局後半バテて大量点を取られるのがいつものことだった。

だから、昨日は何と後半の終わりになって反撃にでたのだ。けっこう走れていた。当たり前のように、いくらスタミナがあると言ったって90分間走りまわれないのだから、効率的なペース配分というものが必要になる。世界の強豪はこうしたことができるのである。試合の流れを感じながら、我慢と大胆というアクセントのつけ方がうまいのだ。

ひと皮向けた日本代表がこんどは正念場であるデンマーク戦でどういう戦いをしてくれるのかが非常に楽しみである。幸いなことにオランダを1点に抑えたことで、引き分けでもグループリーグ突破ができるので有利である。その時の戦い方のことである。

基本的にはオランダ戦のようにやるのがいいのだが、違うのはデンマークがどんどん出てくることである。ですから、より耐えなければいけないのと、カウンターのチャンスが増えるからそれを生かせるかどうかであろう。監督の考え方だろうが、裏への飛び出しができるスピードのある選手の起用もあるかもしれない。

ぼくの予想では、1-0で勝つとしているのでその通りになってくれることを祈る。

2010年6月21日

ビジネスモデルを実装する-業務プロセス構造からのアプローチ

前回、ビジネスモデルの各要素を業務プロセスのどこに“表現”させていくのかという課題について議論しました。そして、それを表現するプロセスとして主に、商品認知・顧客囲い込みプロセスとリソース調達・商品供給プロセスということを提示しました。

そこから更に細かく構造化していきたいのですが、それはかなり難しくなります。そこで、業務プロセスそのものが持つ構造から考えることにします。つまり、業務プロセス側からここのところで“価値”を表現したらどうかという逆からのアプローチです。

業務プロセスの構造というのは、簡単に言うと基本骨格として、始点と終点があって、その間をアクティビティの連鎖でつないでいくという構成になっています。そして、そのアクティビティを処理するために必要なリソースを配置してあることなのです。

このように考えると、マクロ的なプロセスを想定すると何のことはない商品認知・顧客囲い込みプロセスが始点で、リソース調達・商品供給プロセスが中間のプロセスで代金請求・回収プロセスや経営資源管理プロセスが終点とみなすこともできるのです。ですからプロセスというのは階層的な入れ子構造になっているのです。

さて、そのプロセスを一般化した構造で表すと、依頼―依頼受付―単位意思決定―作業―報告・登録となります。プロセスの始まりは何らかの依頼から始まり、その依頼されたことの答えを一つずつ決めていき、依頼を実行するための作業を行い、答えを返してあげて実績として登録するというステップです。LAP(Language/Action Perspective)理論では、要求―約束―実行―宣言―受理となっていますが、基本的には同じようなことです。

上に挙げた始点から終点までの各アクティビティの中の処理は意思決定を行っていることに他なりません。依頼にしても、依頼者がそこに依頼するという意思決定をしているわけです。顧客が購買行動を起こすのもそうです。そして、それを受付けるかどうかも同様に意思決定になります。

この意思決定という行為はどんなふうに行われるでしょうか。サイモンの意思決定プロセスでは、情報活動(情報収集)―設計活動(代替案の探索・評価)―選択活動(代替案の選択)―検討活動(代替案の実施・フィードバック)と言っています。この繰り返しが業務プロセスであり、実際のビジネス活動であると考えられます。

こうした一連の動きで実際に何をしているのでしょうか。最初の情報活動では、意思決定を行うために必要な情報を集めてきます。そして、そうした情報を基に代替案を設定します。その代替案をいろいろな基準やルールあるいは計算結果などにより評価します。最後に制約条件や規程に則ってチェックして承認するわけです。

次回に、もう少し詳細にみていくことにします。

2010年6月22日

柳家小里んの会

昨日、池袋演芸場で「第43回柳家小里んの会」があった。3か月ごとに行われるが、前回は行かれなかったので久しぶりの独演会である。今回は、下の息子との月例吞み会でもあったが、池袋に近い飯能に住む姉夫妻をお誘いする。そうしたら、これまた姉の娘も行きたいということで総勢5人で聴くことに。

この娘(ぼくの姪)は来月末が出産予定日という妊婦である。そんな時に出てきていいのかと言ったら、子どもができたら行けなくなるから今のうちに行くのだという。

さて、座席はほぼ満員の盛況で、出し物はおなじみの「とてちりてん」と「大山詣り」の2題。どちらもわりと明るくにぎやかな感じなので胎教にもいいだろう。

もちろん小里ん師匠も安定感がある高座でいつもながらの笑いを楽しむ。池袋演芸場は広くないから、雰囲気が内輪の集まりといった感がありとても家族的である。こういう会はかなりのひとがリピーターというかおなじみさんだから、そういうことでもいい空気が流れる。

ということで、たっぷり落語を堪能した後、5人で近くの居酒屋で食べて呑む。皆とは時々会っているのだが、話が弾んでいつのまにか10時を過ぎてしまったのでお開きにする。おおー、ぼくが一番遠いのだ。

それで、湘南新宿ラインで帰るか迷ったが、丸ノ内線で東京駅まで出てそれから座って帰ることにした。それで、池袋駅で丸ノ内線に乗ったらなんと小里ん師匠が独演会にも来ていた友だち数人と一緒に座っているではないですか。

「ありゃあ、師匠これからどちらまで」「銀座の「M」までなんで一緒にいきません」「いやー、もう遅いから帰ります」「こいつらとカラオケ楽しみますわ」「では、マスターによろしく」てな会話をする。ぼくと師匠は銀座の「M」が行きつけで時々そこで顔を合わせることがあるのだ。

いやー、楽しい一夜であった。たまにはこうした生活のアクセントみたいなことを入れるといいですね。

2010年6月23日

ビジネスモデルを実装する-閑話休題(3)

ConstructionとFunction

以前にご紹介した「DEMO」という理論を展開しているオランダのDietz教授が言っていることである。日本語では“構成”と“機能”である。この二つを明確に区別して考えろというのである。そして、同一性ということやシステムの概念モデルについて次のようなことを述べている。

合成オブジェクト(composite objects)の変化を取り扱うために、2種類の同一性を区別しなければならない。すなわち、機能の同一性(sameness of function)(すなわち、その機能を遂行する能力を持つまとまった全体)と構成の同一性(sameness of construction)((すなわち、部品の配置)である。例えば、車のある部品が他の部品で置き換えられた時には、機能の同一性は保たれる(ので、同じ車である)が、構成の同一性は保たれない(ので、同じ車ではない)。われわれは、合成オブジェクトに関して、機能タイプ(function type )と構成タイプ(construction type)を区別する。したがって、ある新車が生産された時、2つの実体が産み出される。すなわち、機能的な実体が構成的実体によって実現されるのである。
さらに、システムの概念モデルについても言及している。
White Boxモデルは、オントロジカルシステムの定義を直接概念化したものである。それは、システムの構成観点に対応している。Black Boxモデルは、システムの機能観点に対応している。それは、実際、目的論的システム概念と軌を一にするものである。

ちょっとわかりにくいかもしれないので、車の実例で補足すると、Carは、chassis、wheels、motor、lampsなどから構成されているのをWhite Boxモデルと言います。一方、Black Boxモデルでは、lighting System 、power system、steering system、brake systemから成りたっています。この機能と部品の違いがおわかりだと思います。

こうして機能と構成を線引きして考えることが大事で、そうすることによってシステム構築では4つのフェーズにわかれる。すなわち、機能設計、構成設計、工学設計、そして実装である。

このそれぞれのフェーズの受け渡しをどうするのかがポイントとなるのだが、「DEMO」では、後ろの工学設計、実装のところが示されていないので、「Kailas」で何とかできないかというあたりを模索しているのである。

2010年6月24日

成長戦略

菅直人首相になってから、成長戦略ということが言われだした。それはそれとしていいことなのだが、6月18日に閣議決定されたばかりの経済産業省から発表された「新成長戦略~「元気な日本」復活シナリオ~」を読むとちょっと疑問符がつく。

新成長戦略のキャッチは、「強い経済」「強い財政」「強い社会保障」を実現するでこれを「第三の道」というらしい。ここは、ちゃんとした経済学者や経済の実務家が議論すればいいのだが、どうもそんなにうまい話があるのだろうかと、つい思ってしまう。それぞれがトレードオフの関係にあるからである。

それより注目なのは、7つの戦略分野のことである。こう書かれている。
・強みを生かす成長分野
(1)グリーン・イノベーションによる環境・エネルギー大国戦略
(2)ライフ・イノベーションによる健康大国戦略
・フロンティアの開拓による成長
(3)「架け橋国家」として成長する国・日本
(4)観光立国・地域活性化戦略
・成長を支えるプラットフォーム
(5)科学・技術・情報通信立国
(6)雇用・人材戦略
(7)金融戦略

こうしてみると、一瞬なるほどと思ってしまうが、成長産業分野という意味では環境・エネルギーと医療・介護だけかよとツッコみたくなる。以前にも指摘したが、みんな“スジが悪い”のだ。こんなものを成長分野なんていうのがおかしい。

どういうことかというと、これらは「貧困ビジネス」と似たようなところがあって、人の不幸が前提になっていることである。いいですか、環境というのは、環境破壊が進むほどビジネスとして成り立つのですよ。病気になるひとが増えるほど医療ビジネスは成長するのですよ。そんな産業を伸ばそうとする魂胆がおかしいと言っているのです。

エネルギーにしても温室効果ガス25%削減と矛盾しませんか。地球環境を守るんだったら、エネルギーを使わないようにすればいいだけであって、環境問題を抱えたままでエネルギー産業を成長させるなんてないのじゃないですか。

すなわち、こういう産業分野で儲けるビジネスを国が奨励するのがおかしい。むしろ国が公共事業的にやるべきだと思うのである。環境をよくすること、病気の人を減らすことがインセンティブとなるからである。売上が減ること、顧客が少なくなることが人々の幸福度を高めるようなことは国の仕事なのである。

それより何よりも、自分のいるエリアにどうしても目がいくのだが、情報通信については多く触れられていない。これは由々しき問題ではないだろうか。情報通信立国といいながら、情報通信の利活用を進めようとか、それも行政と医療ぐらいで、あとは「光の道」なのだ。なんかもう少しあるだろうと言いたくなる。

しかし、こうしたターゲッティングは基本的に余計なお世話である。というか国みたいな素人がビジネスをわかっているとは到底思えない。だいいち、本当に成長分野だったら、国が決める前にとっくに民間が入り込んでいるわけで、そうした参入がしやすいようにとか、変な障壁がないようにとか、国際的な競争が有利になるようにといった制度的な整備だけにとどめておいてほしいものだ。
  


2010年6月25日

ほら言ったとおりだろ-ワールドカップレポート4

日本が3-1でデンマークを下し、決勝トーナメント進出を決めた。ぼくが予想した通り、“日本は何だかんだと言ってグループリーグで勝ち上がってしまうという奇跡を起こす”のが現実になったのです。戦前あれだけ叩いたマスコミも、まあ無理だと見放したファンもそんなことは忘れたかのように絶賛です。

昨日、いや今朝の試合では、ずいぶんとデンマークの拙い戦い方に助けられた面がある。もっとコンパクトにしてサイドから攻められたらどうなったかわからない。それを、何もそんなに早くから焦らなくてもいいと思うのだが、遠いバックから長いフィードを直接フォワードにぶつけるという稚拙なサッカーをやってしまった。

だから、縦に伸びてしまっているから、間にスペースができる。だから、わりとフリーになる選手ができたのでいい攻撃ができたのだ。デンマークは勝たなくてはけないので前がかりに来るのは予想できたが、それが全体を押し上げるような前がかりではなかったことが日本に幸いした。

そのいい例は遠藤がけっこういいポジションをとれて起点となれたことである。これまでの2戦では遠藤の存在感が薄かったのだ。動いてはいるのだが、ただ走っているだけのように映った。このこと、つまり気持ちよくプレーができて、気分が乗っていたので遠藤のフリーキックが入ったのだと思う。選手ってそんものなのです。本田のフリーキックもすごかったが、彼もポストプレーがうまくいっていたので、多少そういう気分的なものがあったと思う。

さて、次はパラグアイ戦である。ぼくの予想ではグループFではイタリアがトップ通過して、そことあたり、砕けるというものであったが、そのイタリアが敗退し、相手はパラグアイになったが、これが強いのだ。ただ、前回にも言ったようにひと皮むけた日本代表は、これまでの常識を覆す可能性を秘めているのでどうなるかわからない。

ところで、ぼくの予想の話に戻ると、予想に反して負けているのが、現時点でフランス、イタリア、ギリシャ、アルジェリア、セルビアといったところで、ヨーロッパの強豪と言われているところとアフリカの凋落が顕著である。そして、アメリカ大陸とアジア勢が伸張していることがある。案外、ヨーロッパ勢は内弁慶なのかもしれない。自地域内での大会では強いが外に出ると弱いからである。

それもそうかもしれないが、おそらく全体として差が縮まっていることもあるだろう。これだけ選手の行き来や試合交流があり、そして映像も知りえるようになると必然的にそうなっていくものと思われる。

ああ、眠い。昨日からほとんど寝ていないのだ。でも気持ちいいので眠気を吹っ飛っばしている。ますます、おもしろくなっきたぞ。

2010年6月26日

愛のむきだし

なんと237分、約4時間の映画である。「沈まぬ太陽」が202分だからそれよりも長い。そんな長尺映画「愛のむき出し」を観る。監督が園子温で主演が西島隆弘と満島ひかりである。

4時間の映画のストーリーを説明したら大変なことになるので、超簡単にいうと、父と子の関係性が壊れてしまった子供たちの喪失と再生の物語である。それも父と息子、父と娘の両方ともに当てはめている。

そして、もうひとつのキーワードが「変態」である。変態の父親に痛めつけられた娘、厳格な神父の息子がいきついたのが、自ら変態になることだった。その神父の息子を西島隆弘が演じ、変態のオヤジを持った娘に満島ひかり、そして安藤サクラ扮するこの二人に迫りくる新興宗教の女も父親からひどい目にあうのである。そして、みな父を捨てた。

題名が「むきだしの愛」ではなく「愛のむきだし」で、しかもむきだしという激しい語彙を選んでいるのがおもしろい。だから映画では、まさにきれごとではない、どろどろの深層をさらけ出す。そういうことを追いかけるとどうしても宗教のほうにいくんでしょうね。

主人公の若者が盗撮魔になるなんてふざけているんだけど、狂気や異常を描くことで正常とは何か、深層にあるものをさらけ出すことで何が生まれるかといった問題を提起しているように思う。

こんな世界を出演者たちが熱演している。AAAという人気グループの西島隆弘は本職も顔負けの演技力で、満島ひかりは体当たり演技で迫力満点である。さらに、ぼくがびっくりしたのは、安藤サクラのあの意地悪そうな表情である。また、エロい女を演じたら右に出るものはいない渡辺真起子にこのスケベ女めと叫んでしまう。

ということで、重厚でもなくシリアスでもなく、むしろふざけんなようと言いたいような映画なのだが、深くしみるものがある。そんな作品であった。
  

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2010年6月27日

ルポ貧困大国アメリカ

いつだったか「プレシャス」という映画の評で「貧しい生活保護を受けているような人々がなぜあんなに太るのだろうか。あのフライドチキンのバスケットを抱えて食べる姿にちょっと待てよと思わず叫んでしまった。」と書いたら、ある方から「その生活保護で配給される食料交換クーポンで食べられる食料が安価で高カロリーなジャンクフードだけだから、という理由だったと思います。」というコメントいただいた。

そして、「ルポ貧困大国アメリカ」(堤 未果著 岩波新書)にそのようなことが書いてあるというご指摘でした。なので是非読まなければということで手にする。実に最初の章に“貧困が生み出す肥満国家”と書いてあるではないか。いやー、不勉強で恐縮してしまった。

ニューヨーク州の公立小学校に通う生徒の50%が肥満児だという。食料交換クーポンで安くてすぐに食べられるジャンクフードやファーストフード、揚げ物中心になるのと、給食もハンバーガーにピザ、マカロニ&チーズにフライドチキン、ホットドッグなのだそうだ。これでは太りますよね。

そして、この本では基本的なスタンスとして、アメリカを席巻した新自由主義、つまり競争や効率重視、規制緩和の市場主義がもたらした多くの弊害が貧困を生んでいると警告しているのである。特に「教育」「いのち」「暮らし」といったところに市場原理を持ち込んだ、あるいは民営化を進めた政府への追及でもある。

ここで事例として挙げられているハリケーン・カトリーナの災害は実は人災であったとか、バカ高い医療費により破滅する中間層、株式会社化する病院といった医療分野のこと、最後の逃げ場としての軍隊、民営化された戦争といったことを知らされるとぞっとしてしまう。

ただ、考えなくてはいけないのは、新自由主義が全面的に悪いというわけではないということで、要はその適用領域を誤ったと思う。上の例で上がっているように、教育、医療、軍隊、警察といった分野への適用は間違いである。ちょっと前にも言及したようにビジネスが国民が不幸になるよう方向にインセンティブが働くようなところに民営化し市場原理を持ち込んではいけないということだ。それは政府の仕事なのである。

本書は、非常に示唆的でしかもきちんとデータを示している良書である。日本はこうしたアメリカの失敗を糧にすることは大事なことで、まねが上手な日本がここをまねてもらっては困るわけで、ぜひアメリカを反面教師として同じ失敗をしないでほしいと願っている。
  

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    • 4 経済大国アメリカの「暗闇」
    • 5 新聞は彼女にこそ学ぶべきだ
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    • 5 世界一の経済大国の実体は?
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2010年6月28日

呑み歩き隊-両国編

昨日、昨年の11月の神楽坂「蕎楽亭」以来となる「呑み歩き隊」の例会があった。今回は、両国にある江戸蕎麦「ほそ川」である。

両国なので、蕎麦屋に行く前にこのあたりを散策する設定である。メンバーの一人が東京検定の資格者であるので、毎回彼がアレンジしてくれる。しかもちゃんと下見までしてくれるのではずれることはない。

ところが、その日ぼくは仕事がはいってしまい、両国散歩はスキップして17時半からの吞み会に参加する。日曜日だというのに9時半から何と足立区の中小企業を訪問する。初めて舎人ライナーというものに乗る。ゆりかもめみたいに高架の上を走る。日曜の朝というのにけっこう込んでいる。

その中小企業の若い社長が言っていたのは、昔は陸の孤島といわれるくらい交通が不便だったのが舎人ライナーができたおかげでずいぶんと便利になったとのこと。こういうハコモノはいい。でもわが家から遠いので久しぶりに朝6時の早起きであった。

「ほそ川」は、大江戸博物館(この巨大なムダの多い建造物はなんだ)の向かいのちょっと路地を入ったところにある。5時半前に着いたのだが、もうすでに2組ほど先着がいた。人気のようだ。入ると早速ビールで乾いたのどを潤す。

呑み歩き隊といっても4人なのである。元の会社の部下だった2人と同業の別の会社だった人(なぜか気があっていまだに付き合っている先輩です)で、元部下が半年前に大阪にて転勤になったのですが、たまたま休みを取って帰ってきたので合流したというわけだ。

「ほそ川」では、ビールの後日本酒と酒肴を楽しむ。ただし、お値段は高いのでお上品にする。ぼくが徳利を倒して酒をこぼしてしまい顰蹙を買う。なので控え目にする。しかし、蕎麦(せいろ)は旨かった。茨城産の粉だというが、繊細な蕎麦の味を引き出して余りある美味だ。

大阪に帰るやつがいるので、店をでたあと東京駅までいってほろ酔い横町で新幹線の時間までまた呑む。また秋の例会での再会を約して別れたのであります。

2010年6月29日

ビジネスモデルを実装する-プロセス構造の詳細

さて、前回の引き続きでプロセスの構造を吟味していきます。サイモンの意思決定プロセスをみてもわかるように、プロセスの進行には主に情報を参照したり、処理したりといったように情報という要素をハンドリングすることで行われます。まずはこれが基本です。

なぜこんなことを言うのかというと、この参照情報を作るところまで組み入れてはいけないとことを強調したかったのです。つまり、生成された情報のみをみればよくて、例えば設備の稼働情報が欲しいとなったとき、設備管理システムまで組み入れてはいけないということです。在庫情報と在庫管理システムは別にするということです。

SOAでいうサービス化です。プロセスの進行に必要な情報提供サービスを受けるという感じになります。設備管理システムや在庫管理システムはいわば情報生成・提供というサービスコンポーネントとみなすことができます。それらをAPI化して結合するというふうになります。

ということでます情報という切り口でみていくと業務プロセスに必要な情報は何があるのでしょうか。それら全体を参照情報ということにすると、その中も情報の性格によって分類することができます。次の3つの種類があると思います。

(1) 事実情報
(2) 判断情報
(3) 制約情報

事実情報というのは、手持ちのリソースは何があるとか、履歴はどうだったか、顧客の住所はどこかといったマスタデータのような情報のことです。判断情報は意思決定するときの基準などやシミュレーションしてみた結果などになります。最後の制約情報は法規や規制などで経営理念なんかもこれに入ります。

さて、これだけで十分でしょうか。もう少し要りそうですね。いま判断情報と言いましたが、ここはかなり重要なところで、その中にルールというものがあります。このルールを広義に見た方がいいように思います。要するに、いろいろなところにルールが入り込んでいます。ルールについては次回に詳しく議論します。

情報以外では、誰がそのプロセスに責任を持って実行するのかという、ロールと権限というのも必要です。ロールというのはプロセスのなかのアクティビティをだれ(どこの組織)が受けもつのかということで、よくスイムレーンを書いて表現します。権限というのは、起案、確認、承認とかいった機能です。

こうして見ると、業務プロセスの構造を形成している要素は、もちろんアクティビティとそのフローは言うまでもありませんが、その周りに参照情報、ルール、ロール/権限を配置するというイメージになります。

2010年6月30日

負けた-ワールドカップレポート5

決勝トーナメントでパラグアイに負けた。0-0で決着がつかずPK戦で惜敗した。戦前のおおかたの予想(ぼくの予想は決勝トーナメントに進出してイタリアに負けるであった)に反して、グループリーグを勝ち上がり、ひょっとしたら岡ちゃんの“あり得ない“夢のベスト4も可能かと思わせたが力尽きた。選手、スタッフはよくやった。

昨日の結果はPK戦ということでほんのわずかな差であったと思いがちだが、そのほんのわずかな差が実は大きな壁なのだ。技術、戦術、精神力その他もろもろを含めてわずかな差の集積として壁が存在する。これを乗り越えるのは、そのちょっとした差を少しずつクリアーしていく地道な努力なのだろう。だから、今回その差を実感できたことがすごく大きい。

パラグアイとの差は何だったのだろうか。ぼくは個人の基礎力だと思う。これもわずかな差なのだが、局面でこの差がでるわけでそれが試合全体となると大きな差となる。基礎力とは、ボールを止めたいところに止めて、蹴りたいところに蹴り、ボールを効率的に奪い(あるいは奪われないようにし)、相手の嫌がるところに素早く走り込み、相手よりちょっと早くボールにさわれるかを言う。それと強いメンタリティはいうまでもない。具体的にこの差が出たのは、松井のところと大久保のところである、この二人が抑えられてしまった。

ワールドカップのようなビックゲームになるとこの基礎力がものをいう。このことを超簡単にいうと「球際の強さ」となる。だから、逆に日本が勝ちあがったのもこの基礎力のある選手に切り替え、組織としても基礎力のあるものにしたからということだ。具体的にいうとかわそうなのだが、中村俊輔、内田、岡崎、楢崎をはずしたのは「球際の弱さ」である。遠藤もフリーキックは良かったが苦戦したのはここである。

いずれにしろ、今回の好成績でしばらくはこの戦術、すなわち守備を固めてボールを奪ったら素早くパス交換で攻める。そして、ペナルティエリア付近でファウルを誘いセットプレーから得点するのが、わが国のスタイルとなるだろう。しかし、実際問題として、アジアで戦うとしたらそんなことをしなくても攻められるので、なかなかブラッシュアップできないというジレンマがある。だから、これからどんどん強い相手と真剣試合をするということが求められるのであるが、ヨーロッパや南米のようにはいかないのが悩ましいのである。

何はともあれ、楽しい夢をみせていただきありがとうございました。代表チームの選手、スタッフの皆さまお疲れさまでした。
   

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