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2010年5月 アーカイブ

2010年5月 1日

春うらら

久しぶりに朝からいい天気で気持ちがいい。なので、前からばあちゃんに頼まれていた庭の草取りを行う。天候が不順だったにもかかわらずちゃんと雑草は生えてくる。電動のバリカンで刈るのだが、結構時間がかかる。座りながらでも腰が痛くなった。

そんなわけで今は骨休めである。社長も昨日から南アルプスの山登りに行ってしまったので、たまにはのんびりボケッーとするのもいいものだ。

これで体調も戻ってくるだろう。ホント今年に入ってからずっとからだの調子がよくない。ぼくと同じくくらいの歳の人はみんなそう言っている。昨日も近所の焼き鳥やのオヤジもぐったりしていたのでもう店じまいしたらと言って早々にひきあげた。

明るい日差しにモクレンとヤマブキがうれしそうに咲き誇っていた。さて、昼寝でもするか。
  
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2010年5月 2日

Webを支える技術

この間社長(息子)からこれ読んでみたらと言ってある本を手渡された。タイトルが「Webを支える技術」(技術評論社)である。こんな技術本を読めるほどぼくにはベースがないのでなぜかと思ったら、社長がj自分のブログでこの本の書評を書いたら、著者の山本陽平さんからTwitterで「mark-wadaにもよろしく」と言われたらしい。

実は、山本陽平さんとは1年ほど前にビジネスプロセスパターン研究会というの主宰したとき、メンバーに入ってもらったという経緯がある。社長のPerl友だちの職場の同僚という関係で誘ったのである。

会社が引けてからの2時間くらいの短い時間だったのだが、5ヶ月間で数回の議論をしたが、いろいろな角度から話がはずみすごく楽しかった。あれから会っていないのでしばらくぶりの絡みだ。

でぼくには難しすぎやしないかと思って、本を読むのをちょっと躊躇したが、せっかくだから読んでみることにした。ところが、これがおもしろいのである。もちろん全部はとてもとても理解できるわけがないのだが、基本的なことがすごくやさしく書いてある。ぼくのような素人に毛の生えたような者でも基礎的な理解ができるのだ。

この素人でもわかるような書き方は非常にむずかしい。少なくとも広くて深い知識がなければできない。往々にして、浅学の徒はやたら難しく書く傾向がある。自分はこんなことまで知っているぞという具合だ。陽平君(いつもの呼び方で)はそういう意味では大変深い知識と洞察力を持っているからこそこんな本が書けたのだろう。

さて本のことである。何といっても最初の“シンプルさは究極の洗練である。 ―― Leonard da Vinch”というレオナルド・ダビンチの言葉を引用したことに感動するのである。Webの特徴を一言で言い表すとこのシンプルさに行き着くというのだ。

ぼくは日ごろからシンプルであることの重要さを唱えていたからまったくもって共感してしまう。単純でわかりやすいからこそ広まるのである。皆さん、このことは心に刻んでおくべきだと強く思う。

いまやWebなしではシステムが成り立たなくなるくらい浸透しているが、そのWebを支える基本となる技術は、HTTP、URI、そしてHTMLであるとしている。これだけでもシンプルでしょ。そして、それらの技術に支えられたWebは、ハイパーメディアシステムと分散システムという2つの側面があると解説してくれる。

うんうんなるほど。その後もこれらの技術の一つひとつに対して、その歴史的な背景とか理論などを交えて丁寧にわかりやすく書いてくれている。だから、各章の最初に基本的な説明がすごくいいのだ。もうこれだけでぼくにとっては非常に重要な知見を得たことになる。

小難しい技術本はけっこうあるが、こうしてある意味教科書的に平易に教えてくれる本は貴重だと思う。多分、脇に置いて時々確認するような本になるのではないだろうか。陽平君、GJ!
  

Webを支える技術 -HTTP、URI、HTML、そしてREST (WEB+DB PRESSプラスシリーズ)
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2010年5月 3日

プレシャス

いくつかの映画賞を取って話題になっている映画「プレシャス」を観る。ハーレムに生きる異様に太ったアメリカ人少女プレシャスが主人公で、数々の不幸を背負ってもなお前向きに生きようとする姿が描かれる。

もう何とも言えないくらいひどい母親のもとで虐げられて、なおかつ父親からレイプを受け2度も妊娠するというとんでもない境遇なのである。娘をそんな目に遭わせておきながら、私から夫を奪ったといって娘をなじる屈折した母親は信じられない。でも、近頃の日本のとんでもない母親をみているとあり得ないことはないなんて思ってしまう。

こうした情況に対して、学校の先生やソーシャルワーカーなどが手を差し伸べるのである。そして、自暴自棄になってもおかしくないのに希望を抱いていく。しかし、更に悲惨な状況が待ち構えている。

もうやりきれないのであるが、周囲のあたたかい援助と本人の努力する姿が感動をもたらしてくれる。アメリカという国の強さのようなものを感じざるを得ない。「しあわせの隠れ場所」という映画もそうだが、多少偽善の匂いも無きにしも非ずだが、弱きを助ける義務感があるように思う。

そして、それを持ち合わせているのが女性ばかりであるというのも面白いのである。アメリカの強い女が登場することで、男の居場所が薄くなってしまっていることに何となく哀しくなったのはぼくだけだろうか。

それにしても話はそれるが、貧しい生活保護を受けているような人々がなぜあんなに太るのだろうか。あのフライドチキンのバスケットを抱えて食べる姿にちょっと待てよと思わず叫んでしまった。
  

2010年5月 4日

武士道シックスティーン

毎日が日曜日のような生活をしていると連休はどこかに出かける予定もなく過ごすのだが、それでもたまには誰かと外に出たくなって、高校時代の友達で映画の師匠のS君を誘って映画館へいく。S君はこの連休中に以前神戸に住んでいた時に隣にいた娘が10年ぶりに訪ねてきているとのことで、その子を秋葉原に案内したあとに新宿でおちあう。

何を観るかになって、東スポ映画賞のノミネートの頭があるので邦画の「武士道シックスティーン」(監督古厩智之)にする。主演が、成海璃子と北乃きいで剛柔の対照的なキャラクターの女子高生を演じる。特に、北乃きいは「幸福な食卓」でファンになってしまったので期待大。

この二人は、剣道を通して友情を育むのだが、かたやガチで剣道にのめり込む子と一方で楽しくやろうとする子が出会いからお互いに悩みながら成長していくというストーリーである。

こういう設定だともうだいたい内容が読めますよね。なぜ剣道に夢中になるのか、勝ち負けにこだわることに意味があるのか、続けた先に何があるのか、とかいった部活の定番の悩みである。それに、家族のことやらが絡んできて、特に、父と娘の葛藤みたいなものがちりばめられる。

だから、最初から設定がベタなのだ。どうしたらそのベタさを抑揚のあるものに仕上げるというのが、脚本と演出の腕となるはずである。そういった意味で言うと、残念ながら物足りなさが残った。

ぼくとS君は高校のサッカー部で一緒だったから、この部活をやったやつのお決まりの悩みは共有していて、勝つことに向かうのだが、それだけではない別の何かがあるというのを実感として持っているので、もうちょっとひねりが効いたものを映画だからということで要求したが平板になったきらいがある。

とはいえ、主演の成海璃子と北乃きいのふたりが非常にいい。なんというか、違ったタイプのみずみずしさをいかんなく発揮して光っていた。こうしてみると、この女の子が際立っているだけ周りの男どもが薄いのだ。「プレシャス」でも書いたが、どうも最近の映画が女性上位になってきたようで、がんばれ男どもと叫びたくなる。

観終わったあとは、新宿の喧騒の中を歩き居酒屋で感想会をひらく。S君もぼくとだいたい同じような感想で、5点満点で3.0だと言っていた。S君はこの4月にリタイアしたのだが、もうちょっと仕事をやるそうでまだまだ忙しいのに、もう今年に入って20本近く映画を観ている。いつも感心するのだが、彼から推奨作品を聞いてから映画に行くというのがぼくのスタイルなので、昨日も仕入れておいた。ということで連日の映画評でした。
  

2010年5月 5日

コンサルのワナ

コンサルタントというお仕事がある。かくいうぼくも名刺には“シニアITコンサルタント”と書いてある。このコンサルタントというのは何をすることなのだろうか。ぼくの場合は、正直言って他に表現しようがなかったのでしかたなしに付けたので確固たるポリシーがあるわけではない。

それはそれとして、その道の専門家だから、苦手な分野のことを聞こうとか、もっと深く知りたいから教えてもらおうという意味がある。水平と垂直の幅をひろげるためにコンサルタントを活用するということである。空間的なあるいは質的な効果を狙うものである。

つぎに、やったことがないことを始めるのでその経験があるひとに指南してもらうというのもある。これは、時間の節約と失敗を減らすという効果がある。こちらは、時間的な効果狙いである。ところが、こうしたコンサルティングに落とし穴があるように思うのである。

教えることがどういうものかということなのだが、コンサルタントの知識と経験が源だから、結局そこの域を出ないのだ。そう言うと反論がきそうだ。特に外資系のコンサルなんては、世界中の経験をデータベース化して、それを一般化して使っているから非常にレベルの高いものになっているはずだと言う。

確かにそうかもしれないが、頼む側の事情や条件に全く合致することはなく、所詮コンサル自身の頭の中のデータベースでも、会社のデータベースでも過去にあった事例に無理やり当てはめているに過ぎないといったら言い過ぎだろうか。

ということは、コンサルティングを受けるのは真似することを教えてもらうということになる。ですから、独創的なこととか、それこそ起業しようとするときなどで、新しい商品やサービスを創ろう、あるいは誰もやったことのないビジネスモデルを企画しようなんて時にはコンサルタントなんてに聞いてはいけないのだ。自分の頭で徹底的に考え抜くのだ。

ときたま、そうしたクリエイティブなことにまでコンサルを受けようとする人がいるから、こういう苦言をいうのである。最初に挙げた自分の知識をひろげるとかいったところでは否定はしないのだが、独創は教えられないし、教えてもらうべきものではないのである。

あそれとちょっとずれるが、「有識者」という言葉も気をつけた方がいい。有識者から意見を聞くというような場合は、だいたいにおいて、頼んだ側に都合のいいことを教えてくれる人をさすからである。コンサルが独創を教えられないように、有識者は、耳の痛い批判ができないのである。
 

2010年5月 6日

IT雑感-技術の伝わり方

ちょっと前に、畑村洋太郎の「技術の伝え方」という本の紹介をしたかと思いますが、あの中で、技術は伝えるのではなく伝わる場を用意することだというようなことを書いた。そこで、ITを用いてここらあたりをどう設定するのかを考えてみたい。

実際問題として、技術をあるいは経験やノウハウを持っている人に対して、ハイあなたの持っているものを全部書きだして残して下さいと言ったとして、はたしてその通りに書いてくれるだろうか。

そうでなくても例えば、システム開発で要求定義をするときもどうやってユーザの要求を引き出すかが問題になる。よくやるのは、ヒアリングというやつである。教えてくださいというスタンスである。これは一見よさそうだが、ちゃんとした要求獲得には不十分だ。

M&ERPの渡辺和宣さんは、ヒアリングではだめで、インタビューによる要求定義を主唱している。要するに、答えの形をあらかじめ用意しておいて、その空欄を埋める感じで聞いていくわけです。その質問に対して隠れて気がつかなかったものも出てくると言っている。

それと同じように、仕事のやり方やものの決め方などの日常業務の経験やノウハウをどう引き出すかというのも、ただ待っているのではなく少し背中を押してあげるような仕掛けが必要なのである。

ただその場合、うまく形式化できるかという問題があって、どうもそんなにきちんと整理されてはいないのではないでしょうか。むしろ、そんな感じだとか、何だか知らんがとか、何となくこんな時はといった文脈的な理解が必要になると思う。この本にもあったように、“裏図面”というやつだ。それは定式化された表現ではなく、図やコメントとして存在する。

そこでKailasでは、Collaborative Workspaceという概念を提示しているように、経験がない人が行う行為を経験がある人がみているところでやらせるのだ。そして、それぞれの局面でノウハウを発現すべき時がやってきたときに、コメントをするのだ。

そのアドバイスは、現実に起きている場面でその事象に対するコメントだから当たり前のようにぴったりなものになる。こうして、自然と暗黙のうちにしまわれた知が引っ張り出されるというわけである。

実は、このことはコンピュータが登場する前は普通にやられていたのだ。それが、コンピュータが特にパソコンが机の上に置かれだしてから、どんどん仕事を孤立した形でするようになってしまった。ITが技術の伝わり方を阻害してしまったのだ。これを、元に戻そうではありませんか。
  

2010年5月 7日

悪役レスラーは笑う

森達也と聞くとドキュメンタリー映画監督というふうに思っていたが、けっこう著作も残していてドキュメンタリー作家という呼び方もある。その森達也が何と岩波新書で書いた「悪役レスラーは笑う」を読む。これは、一時期日系の悪役レスラーとして名を馳せたグレート東郷の物語である。

物語と言っても、グレート東郷の生き方を単純に追いかけたわけではなく、その出自を探りことを縦軸に、かれの周辺、特に日本のプロレスの浮沈を横軸に展開するまさにドキュメンタリーである。

ぼくたちの年代ではみなさんグレート東郷というレスラーはだれでも知っていると思う。力道山が死ぬ少し前に、グレート・アントニオという怪物レスラーに首輪を巻きつけ、それを引っ張って日本のマットにのぼった。その衝撃的な登場はぼくたち子どもたちとっては忘れることができないシーンである。

さらに、もっと衝撃的だったのは、フレッド・ブラッシーとの流血マッチで、ブラッシーに噛みつかれて血だらけになったグレート東郷がそれでもニヤニヤ笑いながら頭付きを繰り返す戦いで、これをテレビで観戦していた老人がショックで何人か死んだことだ。ぼくは中学2年生であった。

そんなグレート東郷は、アメリカ本国で卑劣なジャップと呼ばれるキャラクターを演じつつ、ビジネスでも大成功を収めている。しかし、その彼が実は日本人ではなくチャイナだったという話を聞く。そこから著者は彼の出自を探ろうとするのだが、全くベールに包まれてわからない。要するに、グレート東郷は自分のことを明かさないできたのだ。力道山がコリアンであることをひたかくしにしたように。

こうして、もしかして日本人ではないかもしれないレスラーがアメリカ人を逆なでするような日本人の役回りを演じ続けたわけで、同じように日本のマットでは、コリアンの力道山が日本人のナショナリズムを高揚させるべく、アメリカのヒールを相手に空手チョップを連発したのである。

この屈折した関係は何なのだろうか。そして、多く登場するプロレスラーたちの生き様も一体どうして生まれてきたのだろうか。森達也はドキュメンタリー作家の本領を発揮して、インタビューを交えながらこうした縦と横のもつれた糸をほぐすように展開させていく。

それにしても、こうした本が岩波新書から出版されること、そして内容も本になったいきさつなんかも入れた物語になっていることなど異例であるように思う。ただ、それだけぼくにはインパクトがあり、とても面白い本であった。若い人にはわからんだろうな。
  

悪役レスラーは笑う―「卑劣なジャップ」グレート東郷 (岩波新書 新赤版 (982))
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    • 3 森さんの著作は全部読もうということで・・・
    • 5 ごっつう面白かったです。
    • 3 森達也氏と岩波新書の微妙な違和感
    • 1 悪意ある史料隠滅
    • 2 よく分からん!
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2010年5月 8日

ヤマフジが咲く

今日もいい天気だ。ちょうどこの時期はヤマフジが咲き出す。ここ数年はあまり見られなかったのが、今年は例年になく広範囲に咲いている。まさに藤色の花が優雅さを魅せている。

フジは隣の藤沢市の市花でもあり、嫁さんの実家の家紋でもありということでほんのちょっと思い入れがある。

なんか連休より今の方が静かで休める感じがする。昨日も、仕事で東京に行ったら連休はどこかへ行かれたのですかと聞かれ、どうして毎日日曜日の人がわざわざ連休に出かけますかと答えた。さてさて、風薫る5月である。

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2010年5月 9日

ベンジャミン・バトン数奇な人生

ストーリーが生まれた時が老人でだんだん若くなっていくといった奇をてらった感じだったので、単なる“こけおどし”的映画と思っていた。しかし、ちゃんとフィッツジェラルドの原作があると聞いて、観てみようかと思ったのである。そんな映画がデヴィッド・フィンチャ―監督、ブラッド・ピット主演の「ベンジャミン・バトン数奇な人生」である。

まずは観終わった時の感想は、大変おもしろかったということだ。もちろん、老人で生まれて年とともに若くなるという設定にはびっくりするが、生と死とか老いといった人間のもつ根源的な問題を浮かび上がらせてくれる。

特におもしろかったのは、男と女の関係だ。ひとりの愛する女に対して様々な形の関係を体験するというところである。どういうことかというと、普通は一緒に歳をとるわけだからいつも見かけも実質も同じ歳の差である。だから、同じ歳の差でそれ相応の年齢における恋愛を体験する。

ところが、男が逆の成長をするわけだから不思議なことになる。相手の女性がまだ子供のとき、自分は老人であるから、下衆な言葉で言えばロリコンだ。そして、中間点でノーマルな関係となり、女性が熟女になると自分は若者になるという仕掛けだ。

すいません、ちょっと変な話になってきました。このように同じ相手に対して全く違った相対性を経験するということがこの物語のポイントであろう。それは、単に男女関係だけではなく、家族や友人に対しても同様である。

たぶん、多くの人は後戻りできない人生をいきていることの悲しみみたいなことを感じるのかもしれないが、ぼくは不謹慎かもしれないが、精神と肉体のアンバランスがもたらす交錯する人間関係を楽しませてもらった
  

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    • 4 ベンジャミンと彼を取り巻く人々の人生をやさしく描いた良心的な映画です
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    • 1 超・駄作
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2010年5月10日

サッカーワールドカップメンバー直前大胆予想

今日の14時にワールドカップメンバーが発表になる。そこで、ホント直前の予想をしてみる。その23人は以下の通り。

GK :楢崎、川島、西川
DF :中沢、闘李王、内田、長友、駒野、阿部、今野、岩政
MF :中村(俊)、遠藤、長谷部、稲本、中村(憲)、松井、本田、香川
FW :岡崎、玉田、前田、田中

ここで、意見が分かれるところは、岩政、香川、前田、田中あたりだろう。それよりも、小野、小笠原、森本、平山なんかどうだろうとなるが、中盤はこの時点でこれまでと変えない方がよいし、森本、平山は注目度が高いけど実力が伴っていない。

岩政を入れたのは、DFのけが対策もあるが、FWに大砲を持ってこない代わりに、闘李王を前線にあげてのパワープレーもありかと思うからである。

日本は、あくまでスピード重視の布陣で臨むことである。さて、どうなるか?
 

メンバー発表

さっきサッカーワールドカップのメンバーが発表になった。

GK、DF、MFは西川と川口を除いてほぼ予想が当たったが、FWでは、予想外が、矢野、森本、大久保が入って、香川、前田、田中が外れた。

これはもう岡田監督とぼくの好みの問題で、やっぱり大久保が好きなんだな。だけどあれだけ使ってあげたのに点を入れていないんだけどなあ。矢野はディフェンス力かなあ。森本は?キーパーも若い西川に経験を味あわせた方がいいのになあ。

こうして決まったからには、このメンバーで全力で頑張ってほしいと思う。
  

2010年5月11日

IT雑感-Webの恩恵

Webを支える技術は、HTTP、URI、HTML、そしてRESTということを書いた。このおかげでシンプルで拡張性に優れたWebサービスが作られるようになった。ではこうした技術が企業において、あるいはビジネスの世界においてどんな恩恵をもたらしてくれているのだろうか。

こう書くと、それはEnterprise2.0のことですねという人がいる。数年前に言われていた概念で今はどうなっているのか知らないが、要するにメッセージングやSNS、ブログ、wiki、コラボレーションツールなどのWebの技術をビジネスに生かそうという試みである。

まあ、だいたいにおいてナレジマネジメントと似たようなニュアンスで語られる。個人の知的生産性の向上といった響きだ。だから、グループウエアの拡張みたいな使われ方になる。しかし、そんな使われ方がはたして正しいのだろうか。どうも違うように思うのである。

そんな時は、技術そのものが持つ特徴を生かすにはといった視点が必要なのではないだろうか。私的な世界ではやっているからそれを企業にも持ち込もうというのはいささか短絡的のような気がする。家でやっているように会社でもやりたいというのは、電車の中で化粧するようなもので、そんなことは企業では望んでいない。

では、そのWebのもつ特徴、言いかえれば、従来できなかったものができるようになったことは何なのだろうか。ぼくは次の3つのことを挙げることにしている。

 1) 双方向コミュニケーション
 2) オンデマンド
 3) ハイパーメディア

それぞれを詳しく説明する必要はないと思うが、システム上でお互いに会話できること、自分の好きな時に情報を取りに行けること、そして多くのテキスト、画像、音声などにリンクで簡単にアクセスできることである。

この恩恵をまだ企業の業務システムで生かせていないと思う。ここで業務システムと言ったのは、いくらグループウエアみたいなところで言ったところで個人のリテラシーの差があったり、効果が表れにくかったりするわけで、そうではなくて誰もが日常的にやらなくてはいけない領域に持ち込むことが大事だと思うからである。

再三言っているように、企業の組織活動の基本は意思決定の連鎖であるから、その意思決定のスピードと質を高めることが大きなミッションであるはずで、そのためには、情報収集能力と判断力の向上、協働による集合知の活用、必要な時の俊敏な動きなどなど、先に言ったWebの持つ恩恵を享受できることが少なからずあると思うのである。

2010年5月12日

世界を知る力

著者の寺島実郎さんは、ぼくらとほぼ同年代で、しかももうだいぶ前になるが名刺交換もしたことがあるので、最近の言動にはわりと注目している。民主党のブレーンみたいに言われたこともある。

「世界を知る力」(PHP新書)は、寺島さんの経験の知識からこのグローバル時代を生きるための基礎体力みたいなことをどう身につけるかといったことが書かれている。もとは三井物産の社員だから、若いうちから世界を駆け巡っていたので、そこで考えたことが説得力のある形で表出されている。

最初に、世界の見方として固定観念を捨てて見ることを薦めていて、日本とロシアという関係を捉えたとき、実はペリーの来航よりも前から交流があったという事実があり、そこをよく見ていくと、自分たちが知っている歴史の常識が一部のことでしかないことがわかるといった指摘をしてくれる。

そして、アメリカに対する見方、中国に対する見方、あるいはイギリスの強さといった世界を少し視座を変え、鳥瞰、虫瞰を交えて凝視すると今までと違った世界が見えてくるとも言っている。

このあたりは、非常にわかりやすく説明されていてなるほどと思うことが多い。そして、後半には、日本の政治に対し、これまでのような冷戦を前提とした考え方が今は全く違う方向に行っているのにもかかわらず、相変わらず東西冷戦構造のままの思考プロセスであることを嘆いている。ぼくも全くそう思う。

ただ、そこで東アジア共同体の構想がでてくるのだが、ここは単線的にはいかないかなり複雑な世界であるので難しいかもしれない。鳩山首相の「友愛」もひょっとすると、アメリカ大統領に父親がイスラム教徒で有色の大統領を選んでしまう世界ではあり得る話かもしれないと言っていうが、そうすぐにはうまくいかないだろう。

アメリカとの関係では、たしかに、本のなかにあるように、独立国に外国の軍隊が駐留し続けていることがいかに不自然であるかを日本人は気づくべきだという指摘はそのとおりである。そして、駐留コストの7割も負担しているというのも驚くべきことである。

基地問題はこうした基本的な理解から見ていく必要がある。抑止力として米軍の力が大きいから依存せざるをえないという固定観念がどうしても抜けないが、それはあくまで冷戦時代の思考回路から生まれたもので、今や時代が変わっているのであって、そうした時代でも日米関係も変化すべきなのである。

非常にまっとうな議論を展開しているようにぼくには思える。それと、空論ではなくかなり現実的な提言でもあるのは、最後に書いてあるのだが、フィールドワークの大切さを同時に言っていることがある。ここが重要で、単に頭の中で、あるいは本を読んで考えただけでは、「世界を知る」ことにならないからである。
  

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    • 4 固定観念を捨てて世界を見よう、知ろう、踏み出そうということ
    • 5 「人間としての知」を磨く大切さ
    • 4 今、この時代だからこそ読むべき本。
    • 5 知識が見識にまで高まっている好例
    • 4 政治経済を動かすインテリジェンスの解読法
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2010年5月13日

阿修羅のごとく

気になっていた作品である。監督が森田芳光で「家族ゲーム」という秀作を送り出している人がまた家族というテーマでどんなものを作ったのか。また、向田邦子の脚本をベースにしているのでそのテイストがどう感じられるのか。4人姉妹を演じる大竹しのぶ、黒木瞳、深津絵里、深田恭子の演技がどうなのか。

こうして、盛りだくさんの興味があったにも関わらず、ずっと観る機会がなかったのでやっとという感じで「修羅のごとく」を観る。予想どおりいい出来栄えで面白かった。もともとはテレビドラマとして作られたので、それを一本の映画にするというのは、凝縮させ方がむずかしいところがあるはずで、これは監督の腕前ということになる。

森田監督は、そこをテンポのよさでうまくさばいている。何しろ、4人姉妹の男との関係のエピソードを組み込みながらだから、そこにはムダがあってはいけないし、性格付けもきちんとしなくてはいけない。監督の手腕であろう。

この物語は、ある日70歳になる父親に愛人がいるというのを三女がそのほかの姉妹を集めて告白するところから始まる。ところが、そこからがこの父親の物語というより4人姉妹の男のことが語られるのである。親父のことをとやかく言う前に自分たちだってそれぞれの事情があるというわけだ。

そういうことなので、4人の女優たちの競演が始まる。長姉の大竹しのぶは夫に死に別れて華道の先生をしているのだが、料亭の旦那と不倫をしている。その次の黒木瞳は幸福な家庭のように見えるが、夫が会社の秘書と浮気をしているのを知っていながら平気を装う。三女はくそまじめな図書館員なのだが、最近親父の素行調査をしてもらった興信所の調査員からプロポーズされている。末っ子の深田恭子はプロボクサーと同棲していて、できちゃった婚をするという具合だ。

こうして、4人を比較すると何となく女の典型が並べられているようでもある。それを4人の女優さんが見事に演じている。こんな姉妹が実際にいるのかどうかはあるのだが、それは映画の世界だからいいのじゃないだろうか。

いやー、特に傑作だったのは、大竹しのぶの不倫相手の男の奥さんに桃井かおりが扮しているのだが、その桃井かおりが大竹しのぶの家に乗り込んでいった時のやりとりはすごいというしか言いようがない。

いずれにしろ、女のしたたかさを十分見せつけられる映画で、最後に黒木瞳の旦那の小林薫が、“女は阿修羅だ”とつぶやくのを聞きながらうちにも阿修羅がいるのを実感したのである。

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    • 3 はっきり言って
    • 5 原作通りでないではありませんが、面白いです。
    • 3 キャスティングが・・・
    • 4 映画版はそれなりに良く出来ている
    • 3 緊張感ない画面
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2010年5月14日

IT雑感-研究課題

研究課題なんて大げさな名前をつけたくないのだが、ちょっと前まで「業務システムの再定義」というシリーズで記事を書き終えて、なんかまだもやもやして残っているものがあるので、そのことを考えようと思ったからである。

あの連載で言いたかったことの大きな柱は、企業活動とかビジネスのための業務システムと言うのなら、そのためのツールあるいは役に立つ仕組みにするにはどうしたらいいのだろうかという思いなのである。

その前提となる現状認識として、事業や業務とITが乖離したままであるということがあって、そこの一貫性を実現しない限り、経営者からITに対する信頼が得られないということである。だから、いくら経っても、経営に役立つシステムはどうしたらいいのかなんて議論が続くのである。

はやく、そんなことは当たり前で、重要なことはこんな新しいビジネスモデルをうまく実行してますとか、ビジネス環境が変わったので経営の仕組みもすぐにこう変えましたというようなことに関心がいくようにしなくてはいけないと思う。

なので、第一の研究課題は、ビジネスモデルとは何か、経営システムとは何か、それがどのような形でビジネスプロセスあるいはリソース管理に表現されていくのか、そして、どうシステムに実装されていくのかである。

このことは、できてますよ言う人もいるかもしれないし、そんなことは当然でしょという人もいるかもしれませんが、本当でしょうか。端的に言うと、いまあるERPでもいいですし、パッケージでも、レガシーでもいいのですが、あのシステムというかわかりやすく言うとあの画面でそうしたオペレーションができているのでしょうか。

最後は、経営にしても、事業あるいは日常の業務にしてもオペレーションという形で表現されてきます。オペレーションというのは、局面局面でそれぞれの人に与えられたミッションを責任をもって遂行するための意思決定のことです。それを、あの画面でできますかということに他ならないと思うのである。

いやー、経営コックピットとかポータルを作っているのでそこでできますよとか言われますが、おそらく作っただけのような気がします。モニタリングや分析することが経営とITの融合みたいに言わないでほしいと思う。

そして結局、オペレーションというからにはかなりどろどろとした現場まで行き着くのではないだろうか。軍隊と同じで参謀が図上でいくらいい作戦を考えても前線の兵士が動かなければ絵に描いた餅から抜け出ないのと同じような気がする。避けて通れない人間臭い話なのである。

そんなことを考えたのも、今週の初めにマジカジャパンの羽生さんと呑んだとき、自治体業務アプリケーションの話で盛り上がったのだが、羽生さんがかなり現場の泥臭いことでめげていて、綺麗ごとではないややこしい問題を解かないといけないということを聞いたからである。

ということで、ビジネスモデルから業務プロセス、オペレーションという落とし込みについてしばらく議論してみようと思います。
  

2010年5月15日

ウルトラミラクルラブストーリー

何ともウルトラでミラクルな映画である。「ウルトラミラクルラブストーリー」はわけのわからない不思議な映画だ。監督が、「ジャーマン+雨」で注目された横浜聡子。主演が松山ケンイチと麻生久美子である。

舞台が青森で全編青森弁である。青森出身の松山ケンイチがしゃべるから最初は何を言っているのかまったく聞き取れない。慣れてきてやっとかすかにわかる。しかし、この方言で驚かせておいて、もっとびっくりするのはその奇妙な内容である。

松山ケンイチが演じる多動症というらしい障害をもつ青年が、東京からやってきて幼稚園の先生になる麻生久美子が演じる女性に恋をする。恋といっても一方的に強引につきまとうわけである。ところが、あるとき農薬を浴びると落ち着いた状態になって、普通につきあうことができるようなり、女性の方もだんだん心を開いていく。

この設定からして荒唐無稽だが、もっとすごいのは首のなくなった女性の元恋人が登場して、普通に会話するのである。また、ときどき農薬をかぶるものだから体がおかしくなって心臓が止まるのだが、すぐに生き返ってしまうのである。あれーとびっくりする。

ことほど左様に変な映画である。だからいいのか悪いのか、面白いのかつまらないのかさっぱりわからないというのが正直なところだ。どうも横浜監督は、前作もそうだが肉体的なハンデをもった人物を置くというのがベースにあるようだ。(前作はブスな女だが)それとの対比で人間を描いているように見える。

この作品ではさらに肉体と精神といったことを強調しているように思える。頭がなくなった男が出てくるし、農薬をかぶることで人間本来の持つ純粋さがなくなるとか、その純粋さが理解されるかもしれないと思った瞬間に熊と間違われるという皮肉などである。

しかし、そう言ってみたところで相変わらずよくわからない。最後のシーンなんてもっとわからない。頭(脳)で考える恋愛ともっと自然に考える恋愛の対比をしたかったのだろうか。きっと出演していた俳優さんもどういう映画なのかとまどったに違いない。

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    • 1 私には意味がわかりませんでした
    • 4 忘れていた気持ちを思い出す
    • 5 どんだんず?!にんげんだもの。
    • 4 混じりっ気なしの好き
    • 5 映画に片思い。
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2010年5月16日

弔事が続く

昨日は、辻堂に住むいとこが亡くなったので通夜に行った。今日はこれから告別式である。亡くなったのは、ぼくの母親の甥のお嫁さんで享年79歳である。本家のお嫁さんである。ぼくの母親は男2人、女3人の5人兄弟の末っ子なので長男の甥とは歳があまり離れていない。

去年、家にもお邪魔してその時は元気であったので、こんなに急に亡くなるとはびっくりした。こうして、身近な親戚がひとりひとり欠けていくのをみていると、ぼくも歳を食ってきたなあと実感する。時が止まるわけではないので当たり前なのだが、思いたくないことが現実になってくるとこたえる。

最近、「葬式は、要らない」(島田裕巳著 幻冬舎新書)という本が売れているそうだが、昨日の通夜は大々的だった。やはり昔からの家で地元とのかかわりだとか、事業の関係だとかもろもろのつながりがあるみたいで、どうしてもそうなってしまうようだ。

ぼくが死んだ時は、葬式をやらないでいいという選択肢もあるかもしれないが、やはりけじめとして簡単なものでいいからやってほしいと思う。だいたいどんなふうにしてほしいかは決めているので、そのうちきちんと家族に伝えておこうと思う。

また、今月末には、父方の本家のおばさんの3回忌の法要があって、6月に母方のおばさんの1周忌である。こうしたことは、増えこそすれ減りそうもないこのごろである。

2010年5月17日

売りこみ型のビジネス

いま決算発表がピークを迎えているが、概して業績が最悪期を脱しているようである。新興国の需要が旺盛であることもプラスしているようである。例えば、家電なんかもアフリカなどでも売れているそうで結構なことなのだが、韓国製に日本製が押されているようでもある。

こういうビジネスは典型的な売りこみ型で使え使えといって商品を売りまくのが常道であろう。昔、ソニーの営業が世界をまたにかけてテープレコーダを売り歩いたとか、そんな話があるが、今はサムソンやLGの社員が同じことをしているのだろう。そのうち中国勢も出てくるにちがいない。

で、日本よ負けるなという話ではない。そうした売り方ってどうなのということで、たしかに成長する国では、生活が豊かになるための需要は旺盛だからどんどん買うのだろうが、何となくそれでいいのだろうかと思ってしまう。

それは気分の問題かもしれないが、必要ないものを売りつけてやしないかといったこととか、自分たちの生活の真似を強要しているのではないかということである。このことは、成熟してくると顕在化して売れなくなるわけだから、あまり何でもかなんでも売ってやれというのは感心しない。

翻って今の日本のような成熟社会では、売り込み型のビジネスはなかなか難しくなってきているようだ。要するに、飽和しているわけで、そうなるとどうしても欲しいものしか買わなくなる。せいぜい、安いなら買ってもいいということでユニクロとか100円ショップが支持されるのだ。

だから、今は売り込むのではなく、どうしても買いたくなるようなものやサービスを作って、買いたい人だけ買ってよというスタイルが増えるのではないでしょうか。典型的なのがiPadでしょう。販売前から予約が殺到するというのだから、営業なんていらない。

どうもここがポイントで、そのうちどんなものでも私の手にかかったらたちどころに売ってみせますという営業はいなくなるのではないだろうか。それはネットやIT技術のおかげで、商材の情報がだれでもかなり深く入手できるので自分でその評価でできるようになったことが大きい。ほしいものを自分で見つけて買うことがた易くなったのである。

弊社もいちおうビジネスをやっているし、商材もあり、しかも営業はいないので、そんな商売をしたいなと思うのだが、儲かることはないだろうな。

2010年5月18日

ビジネスモデルを実装する-ビジネスモデルとは

前回、目下の研究課題として、ビジネスモデルからビジネスプロセス、オペレーションという落とし込みをしてみようという話をした。そこで、ここから、「ビジネスモデルを実装する」と題して連載していこうと思う。

最初は、ビジネスモデルというのはそもそも何なのだろうかということである。その昔、ビジネスモデル特許というのがもてはやされて、その特許をとると大金持ちになるなんてことが言われ、奇妙な特許が成立していたりした。

ここでは、もっと素直に事業のやりかただとか収益を生む仕組みだとかいったものを考える。その定義としてわかりやすい慶応大学の国領二郎教授のものをみていきましょう。

Wikipediaによれば、ビジネスモデルを、経済活動において、「四つの課題に対するビジネスの設計思想」と定義していて、

 1.誰に、どんな価値を提供するか。
 2.その価値をどのように提供するか。
 3.提供するにあたって必要な経営資源をいかなる誘因のもとに集めるか。
 4.提供した価値に対してどのような収益モデルで対価を得るか。
ということになる。

も少し、噛み砕いてみると、1の誰にどんな価値をというのが肝ですね。この意味は字句どおりですが、これがないビジネスモデルも時にはみかけることもあります。例えば、儲かれば何でもするといったものです。これとてビジネスモデルと言えないことはないのですが、たぶん長続きしない泡沫モデルでしょう。

2のどのように価値を提供するのかというのはいろいろありそうです。顧客にどう届けるのか、パートナとどういったコミュニケーションを行うのかとか、どういう流通経路をとるのかとかいったことがあります。以前、コンテンツ、コンテナ、コンベアという話をしたことがありますが、この3つの要素でサービスが成立していて、その重要性が年々後ろの方、すなわち、コンテンツからコンテナ、コンベアーの方に移っています。ここのことです。ただいいものを作っただけではビジネスにはなりにくくなっています。

3の経営資源は、どんな経営資源をどのように調達して、それをどう組み合わせるのかといったことです。そして、忘れてはいけないのが、4のちゃんとした収益モデルが確保されているのかということです。簡単に言えば、どういう価格体系で価値を提供するかである。ビジネスは慈善事業ではありませんから、いくらいい理念をかかげても適正な利潤をあげないといけません。

こうしてみていくと、価値とその価値を生み出す要素に対して、“誰”に“どんな、いかなる、どのような”ものを、“どのように”提供するのかをデザインすることだとわかると思います。すなわち、顧客を特定し、価値を創造し、経営資源を組み合わせて、パートナと意思疎通を図り、最適な流通経路を選定し、適正な価格体系を決めることです。

このそれぞれの要素について、自社のもつ強みだとか、経営資源だとかを鑑み定義していくことになります。次回は、一番重要な価値とはどういうことなのかを議論します。
  

2010年5月19日

ビジネスモデルを実装する-価値とその表現

さて、ビジネスモデルを考える第一歩が、“価値”ということだろうと思う。ただ、重要なのは、それだけ単独で考えるべきものでもないということです。例えば、お客さんを先に決めることもあるかもしれません。何かに困っている人が多くいるので、その人たちを助けるためにビジネスモデルを考えるということもあるかもしれません。

また、自分たちの経営資源が遊んでいるとか、ある事業で成功した優れた経営資源があるからそれを転用しようとかいったアプローチもあるかもしれません。しかし、それらはきっかけとしてはあるかもしれませんが、結局はどんな価値を提供するのかの定義に集約されていくような気がします。

さて、“価値”とは一体何でしょうか。ビジネスの世界で、“価値がある”とは何をもってそう言っているのでしょうか。儲かった結果として、その価値はこんなことであったという後付けもありうるのだろうか。そうしたたまたまうまくいった式はほとんどないと思う。どんなものでも、あえて意識はしないこともあるかもしれないが、ある価値を訴求しているだろう。

価値とは、「差であり、違いである」と考えています。競争相手との差が価値を高める、いままでと違うもので価値を生み出すといったことです。他社と全く同じものを提供することでも顧客が喜べば価値を提供することであるという理屈はあるかもしれませんが、それは結局、収益モデル的に問題があるように思います。

この「差であり、違いである」をもう少し具体的な言い方をすると、比較優位性、特異性、新規性ではないかと思います。比較優位性というのは、大小、多少、早さ、重さといったものの比較の上で優位に立つことである。世界最小の何とか、大量の処理ができる、最速が出せる、軽量なんとかといった具合である。こうしたところに価値をみつけることがあるでしょう。

特異性は、従来からあるが、その概念とまるで違った形のものとか、全然違う使い方を提案するとかいったものである。ある限定的な顧客にのみのサービスといったこともあるかもしれない。昨日のテレビで阪神タイガースファン限定の携帯というのがあったがそれである。従来と異なる形、型式、方式、対象、手順などによる差別化である。

新規性は字のとおり今までにないものを創造することである。世の中にないものを初めて市場に投入するというようなことで、これは何もモノとして新しいというだけではなく、新しいサービスだとかスタイルだとか、それこそ業務プロセスだって新規性という価値がある。

ですから、“どんな価値”を提供するのかという場合、それは比較優位にあるものであるのか、異なるモノやコトであるのか、今までにない新しいものであるのかどうか、そうした切り口でどれかにあてはまれば価値があると言えるのです。

2010年5月20日

知性の限界

「理性の限界」という本に続いての「知性の限界」(高橋昌一郎著 講談社現代新書)である。いやー、面白かった。著者は國學院大學教授で論理学や哲学の専門家である。

まず感心するのは、ディベート式で書いてあることである。そこに登場するのが、哲学者や論理実証主義者とか反証主義者といった人たちだったり、経済学者や科学者だったり、はたまた、普通の学生や社会人だったりする。

従って、わかりやすいのだ。ただ、教科書的に書かれたものを読むのだったらたぶん苦痛で読めないような内容もこうした形式で書かれていると、一般的な感覚で知ることができるので理解できてしまうということだ。

内容的には、不可測性、不確実性、不可知性について語っている。すなわち、何でも測定できることはないこと、確実なことはないこと、知ることには限界があることをいろいろな人がいろいろな角度からツッコミをいれるという趣向なのだ。

限界という意味では、「言語の限界」、「予測の限界」、「思考の限界」というテーマになっている。こうしたことを、哲学とか論理学だけではなく、自然科学の領域まで拡げて問うているので目からうろこでもある。

たとえば、いままで自然科はきっちりとした論理の世界で、1+1は2は自明だというような理解だったが、その世界でも限界があるという。だから、驚くとともにあまり表面的なところで判断せずに深く洞察することも大事だと思うのである。

普段何気なくそうだと思っていることでも、よーく考えてみると何もわかっていないということがある。例えば、人類はどうやって生まれたのかという問題にしても、原始地球の無機物から低分子有機物ができて、その反応によって生物が誕生したということだが、はたしてそうだろうかと考えさせられる。それとか、最後は神は存在するのかといった論争にまで言い及んでいく。

この本には、有名な学者さんが出てくる。例えば、ウィトゲンシュタイン、ポパー、ファイアーアーベントらであるが、彼らの理論もさることながら、私生活や激論を戦わしたことなどが同時に語られて、そうした読み物としても面白いのだ。ぜひご一読を。

知性の限界――不可測性・不確実性・不可知性 (講談社現代新書)
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    • 5 知的好奇心をくすぐる好著!
    • 4 理性の限界の続編だが,前著ほどではない。
    • 5 「知性の限界」を色々と語りうる「知性の自由」に気付く。読んで楽しい哲学対話本。
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2010年5月21日

川の底からこんにちは

この映画に頻繁に出てくる言葉が、「中の下」、「しょうがない」、「がんばる」でこれをつなぎ合わせると、中の下のあたしだけどそれはしょうがないのでがんばるしかないよねとなる。若手の有望株である石井裕也監督の「川の底からこんにちは」は、どこにでもいそうな女の子を主人公とした映画で大変面白い快作である。

主人公の女を演じるのが満島ひかりで、これがまたすごい演技で絶賛ものだ。中の下の女という設定で、田舎から東京に出てきて5年で派遣のOLをやっている。そして、5人目の男として、その勤めていた会社のバツイチの課長とつきあうが、実家でしじみ販売会社を経営していた父親が倒れたので、家に戻ることになるという話である。

ところが、東京へ行ったいきさつがわけありで迎えてくれた故郷は冷たく、実家の会社でも従業員のおばさんたちからいじめられるというわけである。一方、つきあっていた男は会社を辞めて一緒にしじみ会社を手伝うと言いながらそこの若い従業員の女と子と東京へ戻ってしまうというだらしない男なのである。そんな男だったら別れりゃいいのにずるずると関係してしまう。

こんなストーリーは中の下、いや中の世界ではありそうな話であり、そこを面白おかしく描いてみせる。会話のやりとりや間のとりかたが秀逸で大いに笑うし、引き込まれていく。このあたりは若い監督だからこそできる現代に生きる若者の雰囲気の表現であろう。

父親の病気を機に娘が実家に戻って様々な困難に立ち向かって家業を立て直すというある意味古風な筋立てではあるが、現代世相を皮肉っぽくはめ込んだり、庶民のたくましさや、何といっても圧倒的な満島ひかりの演技力がこの映画のおもしろさを際立たせている。

映画の存在理由として、ぼくは人生の応援歌であるというふうに思っている。要するに、観終わったときにさあこれからがんばるぞと思えるかということである。そうやって元気をもらえる映画がいい映画の一つであると思う。この映画はそうした評価基準に対して見事にクリアしている。

2010年5月22日

ピクト図解

先日、マジカジャパンの羽生さんに教えてもらった「ピクト図解」(板橋悟著 ダイヤモンド社)を読む。副題が「ビジネスモデルを見える化する」である。ここに登場するメソドロジーは3W1Hすなわち、「誰が(Who)」、「誰に(Whom)」、「何を(What)」、「いくら(How much)」で売って儲けるかを1枚の絵にまとめるという手法です。

ピクトというのはピクトグラムのことで、シンプルな絵文字で意味がわかるというものです。トイレとか非常口とか一見してすぐわかる絵があると思いますがあれです。この手法では、エレメントである、ヒト、モノ、カネのアイコンとコネクタと呼ばれる矢印とあとオプションであるタイムラインとまとめの括弧だけで構成されている。

これらの組み合わせだけでビジネスモデルを表現するという。非常にシンプルでわかりやすく、視認性にすぐれています。

ただ、これをビジネスモデルですというと少し抵抗感がある。というのは、この手法で書かれた絵というのは、ぼくの感覚では「商流モデル」のことを言っているように思うからである。

ぼくらが何か事業を始める、あるいは協業するといった場合にはかならず商流をどうするかを書きます。このスキームに登場するのは誰なのか、それぞれにどういう商材を提供して、料金をどういうふうに回収するのかというのを、だいたいにおいて、丸と線で書くわけです。それと同じようなものではないでしょうか。

ビジネスモデルという場合はもう少し範囲が広いような気がします。「ビジネスモデルを実装する」というエントリーでも書いたのですが、ビジネスモデルの定義は次のようにしてあります。

 1.誰に、どんな価値を提供するか。
 2.その価値をどのように提供するか。
 3.提供するにあたって必要な経営資源をいかなる誘因のもとに集めるか。
 4.提供した価値に対してどのような収益モデルで対価を得るか。

この本に出てくるモデルは最後の収益モデルのことではないでしょうか。従って、その他の価値をどう創造するのかとかその供給のし方とかいったモデルが更に必要になると思います。

しかしながら、この手法の非常にいいのはシンプルであることです。シンプルということは誰でも書け、それを整理しやすく、そしてみんなで共有できることにあります。ここで作られた絵を眺めながらあれこれと議論することが重要なのである。

そして、このモデルを8つのパターンにして示してくれているのでうれしいのだ。シンプル物販モデルからマッチングモデルまで様々なタイプを絵にしているので、そこをベースに切りこんでいくことで新しいビジネスモデルを発想できるかもしれないのだ。

ぼくはこういう具体的な道具を見せられると感動するほうなので大変面白く読んだのである。

ビジネスモデルを見える化する ピクト図解
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2010年5月23日

個人事業主の時代

ちょっと前の「カンブリア宮殿」というTV番組で物語コーポレーションの社長が出演していて、その会社やその人に興味をそそられた。物語コーポレーションというのは、焼肉とかラーメンなどのフード店のフランチャイズ事業をやっている会社である。

何がユニークかというとその店の店長にみな任せるというやり方で、予算、収益、人事などの一切を店長が裁量するのである。だから、経営者と同じである。そして、みな若い。20代で2億円の売り上げの経営をしているのだ。

この個人に委ねてしまうというところが素晴らしい。もちろん、それなりに教育もして、メンターなども置いてサポートもしっかりしているのだが、個人的な信頼関係を築いていることが重要なのだ。その時も放送されていたが、入社式で新入社員ひとり一人に対して、あなたにこういうことを期待するみたいな文章を渡すのである。そこから、「個」の尊重、「信頼」の伝達が始まっているわけである。

最近では、今の若者は自立してないとか、一人では何もできないとか言う人もいるが、たしかにそういう一面はあるかもしれないが、社会としての遇し方をもうちょっとやさしくかつ厳しくしてやれば、けっして悲観するもでもないと思う。

一方で、ぼくは身近にIT関連の起業した子や個人事業主でばりばりやっている子をみているので、そのあたりとの共通性を感じるのだ。彼らも、かなり広範囲の仕事をひとりでやっている。逆にそれでなくてはやっていけない面がある。

どうも、農業だって漁業だって同じだから、基本的にはひとりで計画から設計、実行、運用までやってのける能力が必要なような気がする。それが最も効率的であるかもしれない。ただ、量が多かったり、早く仕上げなくてはいけない、あるいは単純な運用フェーズになってしまったといった場合には、誰かと組んでやるという選択肢が出てくる。

日本の大企業では、こうした考え方と反対の人材を保持しているように思える。いわゆる歯車のひとつという社畜である。どうもこうしたことが相当に効率性を落としている可能性がある。なぜなら、歯車同士のかみ合わせを調整するコストがばかにならないと思うからである。画一化された歯車ではないから余計に大変である。しかも、それらを調和的に連動させるのもかなりの労力を割くことになる。

ですから、こうした非効率性にそろそろ気づき出すのではないかと思うのであって、そうなると、組織という概念がずいぶんと変わっていくように思う。会社の中でも、社員一人ひとりが個人事業主のような立場で活動し、それらをネットワーク化してプロジェクトを走らせるという動きになっていくような気がする。そして、おそらくその行きつくところは、会社の壁を突き破ることになるはずである。そんな時代の到来を期待したい。
 

2010年5月24日

ビジネスモデルを実装する-価値の提供先はだれだ

前回、価値とはどんなものであるかを議論しましたが、今回はその価値を提供する相手はだれなのかの話になります。ただし、まず価値ができてそれをどこに提供するのかというふうに考えるわけですが、そうした順番だけではなく、価値を提供する相手によってその価値も変わってくる場合もあるので両方をにらみながら行ったり来たりして決めていくのが実際的ではないでしょうか。

このことはマーケティングのセグメンテーションになります。だれにということはどういう市場に商品を投入するのかということに他ならないからです。以前に紹介した「マーケティングを学ぶ」(石井淳蔵著 ちくま新書)の事例を参考にして考えてみましょう。

マーケティングの基本はSTPです。すなわち、Segmentation、Targeting、Positioningということで、このうちPositioningは経営資源に関係するようなことなので、Segmentation、Targetingが“誰に”に関係します。市場を細分化して、ターゲット顧客をどこに置くかです。

この本に出てくる事例では、青芳製作所という燕・三条にあるスプーンやフォークの金属食器メーカーが、中国メーカーに市場を奪われると、障害者・高齢者という小さい市場をターゲットにおいて、障害者用スプーンを開発して販売し成功した例があります。

他にも、元々運送業者だった寺田運輸という会社が、運送市場を細分化し、ターゲットを引越ユーザに定め、アート引越センターとしてその業界で生き残った例や、安定した客層であるビジネス旅客に絞り、“正確な時間”予定通りに希望地に到着するという価値を提供して業績を伸ばしたスカンジナビア航空などの例があります。

結局、「誰に向けて、どういう価値を、どういうオペレーションあるいは技術で提供するか」という顧客層-価値-オペレーション(技術)の3要素の首尾一貫した統合が大事なのである。

このように市場を細分化してターゲット顧客を特定して行くわけですが、それがシステム的にどういう関連があるのかとふと考えてしまうでしょう。おそらく従来の業務システムはこうした顧客接点でのサービス、あるいは顧客獲得、アクセスのしやすさといったことに関心がなかったのではないかと思うのです。

しかし、これからのシステム、少なくともビジネスモデルを実装しようと意図したからには、ここは外すわけにはいかない、というよりこれからの時代では非常に重要な領域であるはずです。ですから、お客さんの特性、例えば上の例では、食器を買いたい障害者、引越をしたい独身女性、会議に遅れたくないビジネスマンにはどういった仕組みや仕掛けが要るのかを考量しなくてはいけないのです。

その重要なコンポーネントのひとつのはマンマシンインターフェースとかユーザインターフェースだと思いますです。これからは、こうした使い勝手のよいサービスをどう届けるかが大事になってきます。そうなると作り手側では何が必要かというとユーザビリティデザイン力が問われてくるのではないかと思っています。
 


2010年5月25日

勝てない

昨日のサッカーワールドカップ壮行試合の韓国戦で日本代表が2-0の完敗を喫する。戦前から予想してが、ちょっとひどいことになっている。これは技術だとか戦術だとかといった以前の問題として気持ちの一体感、高まりが全くないことが勝てない原因である。

その顕著な表れが、中村俊輔と遠藤のやる気のなさだ。両者ともいくら体調が悪いからといっても試合に出られるんだから、それなりに体力があるなかで、あの無気力のプレーはなんなのだ。

おそらくぼくの勝手な推測だが、岡田さんが戦いのスタイルを微妙に変えたことがあると思う。分かりやすくいうと、チームの核を誰にするかで、これまでは俊輔、遠藤を起点にしてそこから繰り出すパスで崩すというのが日本のいき方であったはずだ。

それが、ちょっと負けが込んだらそこを変えてきた。すなわち、本田とか森本などを持ってきて強引さを求めだしたのだ。まあ、攻撃力がないというマスコミのわけのわからない糾弾に惑わされている面もあって、特に本田をちやほやする扱いで、俊輔、遠藤のやる気をなくしてしまったのではないだろうか。

だから、もう一度チームコンセプトを立て直したらいいと思うし、もうひとつキャプテンシーの欠如である。中沢ではどうも支えきれないかもしれないので、せっかく川口をチームキャプテン指名したのなら、彼に任せればいいのだ。そしてベンチからワーワー言ったってダメだから試合に出すのだ。

昨日の試合は勝ち負けなんてどうでもいいし、はっきり言ってけがをしないようにするのがあたりまえなので、どうせ負けるし、根性なんていいから、リスクを冒して戦術確認をするくらいの余裕でやればよかったのだ。そのくらいのしたたかさがなければ世界で通用しないと思う。

まあ韓国だってほめたものではない。朴智星の個人技でもっているようで、意外と単純な攻めだし、変化とかひねりがないから、それほど怖くなかったのだ。本大会でもきついかもしれない。それとも、昨日は適当にやっていた?

いずれにしろ、日本チームは非常に厳しいのは変わりないので、ここは落ちるところまで落ちたのだから開き直るしか道はない。失うものは何もないつもりで、もっと言えばやけになった窮鼠にでもなって暴れたらいい。

それにしてもまたまた言いたくないが、テレビ朝日の自虐的な解説(名波を除いて)はなんなのだ。ひどすぎる。
  

2010年5月26日

オーケストラ

また、お薦め映画を発見。「オーケストラ」は近頃の洋画では出色の作品である。フランス映画なのだが、舞台はロシアで俳優さんもロシア人が多い。一応コメディ映画なのだろうが、シニカルな笑いもちりばめ、悲しみもあり、いろいろなものが詰まった映画らしい映画に仕上がっている。

かつては、ロシアのボリショイ交響楽団の指揮者だった主人公が今は劇場の清掃員をしているが、偶然にもパリの劇場から現在のボリショイ交響楽団へ出演依頼のFAXが来たのを盗み見てしまう。そこで、ある企みを考えつく。昔の仲間を集めてにわか仕立ての楽団を編成して、なりすまそうというのである。

それから、救急車の運転手やら今では音楽から離れているものやらをかき集めるのである。傑作なのは、マネージャに共産党員でブレジネフ時代に主人公が指揮したチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を途中でやめさせた男を雇うのである。この男のエピソードがおもしろくて、今だにパリの共産党大会で演説することに憧れるのだ。この時代錯誤が笑いを誘う。

そんなこんなで、パリに乗り込むのだが自由な世界に解き放たれたものだから、劇団員たちがどこかへ行ってしまうのだ。だから、リハーサルもできずにやっとのことでぶっつけ本番に間に合わすのである。

もうひとつのストーリーが、ヴァイオリンソロをいまや売れっ子のヴァイオリニストに依頼して出演してもらうのだが、その女性奏者の秘密が徐々に明かされていく。この女性を演じるメラニー・ロランの美しさは尋常ではない。「イングロリアス・バスターズ」でもその美貌に打ちのめされたが、さらに磨きがかかったようだ。

さて、こうしてどちらかというとあり得ないような設定なのだが、そんなことはどうでもよくて、音楽にかける思いや、いくらおちぶれてもそれを忘れない意思や、そして彼らのたくましさを感じるのだ。

ソ連の共産党政権下の重くて暗い世界に対して、深刻になるのもいいかもしれないが、むしろ普通の人たちはこの映画のようにそんなものは笑いとばすくらいしたたかであったのだと思う。

圧巻は最後のチャイコフスキーの演奏のシーンで、ここであらゆるものを昇華させて大きく謳いあげる。と同時にそこでその指揮者と女性ヴァイオリニストの因縁も明らかになるという演出も秀逸である。泣いて笑った感動の一作であった。
  

2010年5月27日

ビジネスモデルを実装する-経営資源を考える

ビジネスモデルを実行するためには、ターゲット顧客に価値を提供するのを支える経営資源がなくては実現できません。いくらすばらしいビジネスモデルを考えついても人や設備がなくてはできません。ですから、制約条件として経営資源があるわけです。逆に言えば、潤沢で優れた経営資源があれば、制約とはならずに、ビジネスの成功を後押ししてくれるのです。

それでは経営資源とはいったいどんなものがあるのでしょうか。よく言われるのが、ヒト、モノ、カネ、情報でしょう。それはそれでいいのですが、これだと漠然としているのでもう少し具体的に掘り下げてみましょう。

ヒトは、人材および組織といったものでしょうが、実は目に見えない無形の資源が大事になります。このことは、ヒトに限らず、モノやカネでも同じように形のあるものと無形のものがあります。ですからその両方をみていく必要があります。ヒトでは会社へのロイヤリティだとか人脈とか文化・風土なんかも含まれてきます。

よくトヨタの強さはカンバン方式に代表される生産システムにあるとよく言われますがそうでしょうか。そうではなく、部品を供給する系列会社がみな忠誠心が強いことやトヨタイズムを忠実に実行する社員といったことのほうが真似もできないので競争優位の源泉になっていると思うのです。

モノは商品そのものであり、そこに付随する技術力だとかブランド力が入ってきます。現代ではこのブランド力などはずいぶんと重要な経営資源となっているでしょう。さらにモノには設備なども入ってきます。設備産業では、生産、輸送、格納、通信といった設備の保有能力は大きな経営資源となります。カネは資金であり信用力とかいったものになります。

さて、最後の情報というのはいったい何を指すのでしょうか。もちろん情報は無形資産ですが、知的財産なんて言われ方もします。でもこれだと特許だとか商標などを思い浮かべますが、それはむしろモノに付帯したものと考えたらいいのではないでしょうか。したがって、もっと広くとらえ、普通に事業活動で使われる情報全般を対象としたほうがいいでしょう。

いまの時代は、こうした情報マネジメントの重要性が増してきています。それは、顧客が求める情報の質と量の増大、そして一方で獲得できる情報のアクセスのリーチとスピードが格段に増したことがあります。ネットでグローバル情報資源から素早く有用な情報が取得できるようになっています。情報マネジメント力は大きな経営資源なのです。

ここで、ヒト・モノ・カネ・情報にもうひとつ加えたいと思います。それは、ネットワークです。現代のビジネスは孤立した会社が単独で営むことはできなくなっていて、さまざまな関係性から成り立っています。敵対的あるいは友好的、縦と横の関係、補完的あるいは下請け的などなど複雑に絡み合っています。そこに強みをもつことができたらそれは有効な経営資源となるのではないでしょうか。

ビジネスモデルを実行し成果を上げるにはこうした経営資源がきちんと整備されていてこそ可能になるわけで、下手するとここで足をひっぱられてせっかくのチャンスを失ってしまうこともあるのではないでしょうか。

2010年5月28日

インターネット新世代

日本のインターネットを支えたひとといえば村井純の名前をあげるだろう。初期のインターネットの時代からその普及や標準化と言ったことに尽力してきた。その村井慶応大学教授が書いた「インターネット新世代」(岩波新書)を読む。

村井先生は、1995年に同じく岩波新書から「インターネット」という本を出している。何とこのインターネットという言葉がその年の流行語大賞のトップテンに選ばれている。いまや、だれでもインターネットという言葉を普通に使っているが、ほんの15年前には新語だったのだ。

おわりにも書いてある通り、前作ではインターネットの原理や理念を記していたが、本書では、インターネットの認知はすっかり定着し、どんどん成長してきた発展期から、新しい展開が待っているという認識で書かれている。それは、基本的な考え方も発展期とは全く違ってきているのだ。

内容は、現在のインターネットがもたらした変化やその光と影のような評価を網羅的にかつ抑揚を抑えた語り口で話しかけてくれる。さすがにインターネットの父と言われるくらいなので、基礎的なこと、そして黎明期のエピソードといった話題も加わり、インターネットというものの本質を知るうえでは格好の本であろう。

たとえば面白い話として、「なぜネットワークは速くなければいけないのか」という質問に答えらなかったというのがある。先端技術者から「磁気テープを郵送するより早いネットワークは作れるのか、必要なのか」と言われたという。大量の磁気テープをネットワークに換算すると、当時では考えられない高速なネットワークに相当したのだという。

これは今でも変わらないのだが、超高速の計算能力をもつグリッドコンピューティングとネットワークで格段に高い能力をもつようになった。どんどん成長、発展しているのがわかる。

本書のインターネットのレビューのようなこと自体はぼくにとってはほとんどが既知のことなので、さくさくと読み進むことができる。ところが、最後の章に書かれている未来に向けてというのが重要なメッセージとして伝わってくる。

そこで語っていることは、インターネット技術を基盤にした新しいメディアの誕生であり、それらが持つ側面としてのグローバルなメディアとパーソナルな情報の発信のことです。そして、本当にグローバルな基盤というものを人類が手にした初めてのもがインターネットであることを再認識すべきなのである。そこでは公平で中立でオープンな連続した環境を維持することがもとめられるのである。

最後に、村井先生も日本の「ガラパゴス化」を嘆いていますが、同時に日本の研究者や技術者が活躍できることはたくさんあると言っています。若い人に期待したいと思います。
  

インターネット新世代 (岩波新書)
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パルプ・フィクション

もう前から見たくてしょうがなかった古い映画で、1994年製作というからもう16年も前の作品である。クエンティン・タランティーノ監督の「パルプ・フィクション」はやっぱりすごかった。

クエンティン・タランティーノといえば、ごく最近では「イングロリアス・バスターズ」でブラピを使って奇想天外な物語を作りだしたように、何というか面白いのだ。その面白さは彼の映画好き心情丸出しのところだろうと思う。ほんと、画面から醸し出される映画ってこんなに面白いんだぜというメッセージである。

ぼくは近頃アメリカ映画をあまり観ないのだが、タランティーノとウディ・アレンはちと違うように思う。この映画はカンヌでパルム・ドールを受賞したそうだがなるほどと思う映画である。

映画は、いくつかのPulp Fiction(くだらない話)が交錯して、時間も入れ替わったりするストーリーで、だからと言ってでたらめでもなく納得がいくのである。だから、ストーリーを追いかけてどうのというより、それぞれの場面ごとで楽しむこともあってもいいだろう。

そうしてみてみると、ジョン・トラボルタがツイストを踊るシーンとか、ブルース・ウィルスが縄抜けして脱出し、刀を持って切りつけるとか、パロディとおもえるようなシーンが連発で思わずニヤッとしてしまった。

ここで映画の中に出てくるジョークを。マフィアのボスの妻を世話することになったトラボルタがその妻が元女優だったのでその出演した番組でいう冗談を聞くシーンがあって、そうしたら、「トマトの兄弟が3人いて一緒に歩いていたら、どんどん遅れるやつがいてそいつに向かって、ケチャップって言ったの」と答えたところ。これはぼくにもわかったのだが、Catch upとKetchupをかけたジョークなのだ。すいませんくだらない話をしてしまいました。

繰り返すが、タランティーノの映画は映画好きにはたまらないということである。

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    • 5 理屈抜きに、素直に好きになれた作品。
    • 2 たで食う虫も・・・・・・・・
    • 5 何回見ても…
    • 5 えー こんなに面白かったのか
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2010年5月30日

IT雑感-ITソフトウェア産業とは

数日前に面白いブログ記事を見つけた。日本のソフトウエア産業は「製造業」というタイトルでMITに留学している人が書いたもので、そのMITのソフトウェア産業研究で有名なマイケル・A・クスマノ教授がソフトウェア産業への取り組みかたが各国で違うということを言っているという内容である。

Europe: Software as a science -ヨーロッパにとってソフトウェアは「科学」
Japan: Software as production -日本のソフトウェアは「製造業」
Software as a service -インドのソフトウェア産業は「(プロフェッショナル)サービス」
U.S.: Software as a business -アメリカのソフトウェア産業は「ビジネス」

なのだそうだ。これって面白いと思いませんか?

まず、ヨーロッパが「科学」というのも分かります。理論だとか体系化だとかが好きで、そこから入ってきますよね。そうしたコンセプト形成力はたいしたものです。ただし、頭でっかちなところがあって、実践的な面でどうかと思うことがあります。

インドの「サービス」というのもなるほどです。インドのITは後から参入してきていますから、ITはサービスであるという考え方が強くなったときにIT産業が興り、米国向けのサービスで地位を築いたということがあると思います。

アメリカはまさに「ビジネス」ですね。どんどん新しいことにチャレンジして、少々できが悪くてもかまわなくて、新規性に優れていればいいという発想で、うまく立ち上がったら高く売りぬくということだから、まさにビジネスです。

さて、日本は「製造業」というのも思わずうなずきます。それも、伝統的なモノづくり発想ですね。それも、近代的なものではなく職人芸に近いところもある。IT産業にいる人の中にもそう言っているひとがいる。

一概にどこがいいだとかわるいだとかは言えないが、ただ、日本の製造業の発想だけはやめてもらいたいと思う。なんだかんだと言ったって、事実として、世界から取り残されてしまったからである。今からでもいいから「科学」、「サービス」、「ビジネス」の一端を取り入れたらどうだろうか。

2010年5月31日

復活?

昨日オーストリアで行われたイングランドとのテストマッチでサッカー日本代表が1-2と惜敗した。今度のワールドカップでも優勝候補の一角とみられるイングランド相手に、コーナーキックから闘李王の先制ゴールで前半を1-0で折り返した。しかし、後半2点とられて逆転を許し負けた。この2点がいずれもオウンゴールという残念な結果だが、向こうはPKを失敗しているから、負けは負けだ。

強豪相手にしてこの戦いは、先日の韓国戦に比べると相当よくなっている。なぜ、よくなったのっだろうか。ぼくは、大きな要因は日本を離れたからっだと思う。まあ、日本にいると雑音を含めてあれやこれや言われるので、負けが込むとどんどん滅入ってしまうのだ。その点、海外に出てしまうと、いろいろな意味で静かになるから、気分的にもリフレッシュされて、のびのびプレーできるようになったのではないだろうか。

技術・戦術的なことでいえば、昨日の試合で3ボランチにしたことが大きい。阿部をボトムに入れたおかげで守備が安定したということだ。そのおかげで。長谷部、遠藤が高い位置をとれて、FWとの距離が狭くなり、ダイレクトのパス交換ができるようになった。

と書いてみたところで、そんなんだったら最初からそうすりゃいいじゃんという声が聞こえそうだ。ここが難しいところで、いつもいつもそのやり方でいいのかということで、相手の力や戦術で変えていかなくてはいけないという面があるからである。簡単な話、弱い相手だったら3ボランチなんていらないわけである。

で今回の3ボランチはもっと早くからやればよかったと思う。なぜかというと正直言ってワールドカップでは相手はみな格上であるから、守備的にならざるを得ないし、その陣形から逆襲で得点し、それを守り切ることが求められているわけである。ところが、攻撃的なことばかり考えていたように思える。

昨日も、試合後岡田監督が、先取点をとったので守備的になってしまったとか、テストマッチなのだから、守ってもしょうがないという発言をしていたが、そこが間違いなのだ。テストマッチだからこそ、強い相手からたまたま1点を取ってしまったところからそれを守り切るテストをしてほしかった。日本の弱点は、したたかに守り切るというイタリアスタイルができないことである。

おそらく、これからもこのフォーメーションでいくのだろうが、中村俊輔が戻ったらどうするのだろうか?
  

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