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4月定例呑み会

ぼくが東京での勤務になったのが1991年の正月からだった。ちょうどバブルがはじけてすぐに三重県の四日市から東京に転勤になった。しばらく実家から通ってその春に横浜の市が尾にある社宅に移った。そのとき家族も呼び寄せて横浜生活が始まった。ただ、ぼくにとって横浜は中区か西区なのだが、緑区というところで(その後都筑区となった)、ここも横浜かと思ったものだ。

そこから会社がある赤坂まで田園都市線―半蔵門線で通った。今だと溜池山王駅が一番近いのだが、当時はまだ駅がなかったので、永田町で降りてそこから歩いた。朝晩、田町通りを通っていくのだが、夜はついつい誘惑に負けてしまうことがままあった。

そんなことを思い出したものだから、4月の息子との呑み会は場所を先に決めた。で店をどこにするかなのだが、当時の店はほとんどなくなっているので、新たにさがしてみる。焼き肉もいいが、何となく焼き鳥にする。店は「焼鳥屋・いやま 赤坂」にする。

ここでたっぷりうまい串と酒を堪能する。話は横浜時代(息子は小学校低学年の頃)のことから始まって、息子も社会人3年目になるので、「若者はなぜ3年で辞めるのか?」という話になる。要するに、まだ2年からもう3年という見方になるのでいろいろな意味でだんだん厳しくなるということのようだ。

どうもぼくらの時代と時間的な感覚がちと違うような感じがする。ずいぶんと時計の進みが早いようだ。ぼくは、自分もやっと一人前になれて自信が持てるようになったのは倍ぐらいの6,7年経ってからだったと思う。そんなところに行くには、他の人と違うことをとことんやってそこで認められることだと思うというような話をしてみたが、いまの時代ではどうなのだろうか。

その後は、昔の会社があった(今は高層ビルになってしまっている)近辺を歩いて、メトロで銀座まで出て「M」に行く。いつもマスタ夫妻とバーテンダーのKちゃんが温かく迎えてくれるので落ち着く。

ここに行くと息子は帰りに何か食べ物をもらうのが常なのだが、ママがあら昨日くればよかったのにと言う。どうも昨日だったら和歌山のさばの早ずしがあったらしい。それから、しばらくは和歌山ばなしで盛り上がる。

和歌山では、ラーメン屋に行くとこの早ずしとゆで卵が置いてあって、それを食べながらラーメンを食べるのが定番だという。そりゃあ知らなかったと驚いたのだが、そこからは、和歌山の人には申し訳ないのですが、どうも行ったことがない県ベストテンに入るよねと話に変わる。

少なくとも関東に住んでいる人は和歌山になかなか行かないのではないだろうか。ぼくも、三重県に長いこと住んでいたけど隣の県なのに行ったことがなかった。そんな話をした後で、今朝ばあちゃんの家に来ていた姉と話していたら、その息子でぼくの甥になる子がいま仕事で和歌山に行っているという。あら、ここでも和歌山ばなしだ。
  

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2010年04月09日 11:44に投稿されたエントリーのページです。

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