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2010年4月 アーカイブ

2010年4月 1日

Simpleという意味の日本語がない

ぼくのモットーはSimpleということである。しかし、その意味することをひと言でこうですと言える日本語が浮かんでこない。辞書を引けば、単純な、簡単な、やさしい、質素な、じみな、実直な、誠意のある、純な、無邪気な、無知な、幼稚などという語が並ぶのだけど、どれもイマイチのような気がする。

まずは、ネガティブなものは違うのでそれらを除くと、簡単、やさしい、質素な、純なというあたりが近いものであろう。それでもしっくりくるわけではない。次のふるい分けは、ぼくは美しいものかどうかである。Simple is beautifulである。そうすると、残るは、質素と純であろう。

次の判定はどうしようか。どうするかというと、否定型の言葉でみることにする。そうなると、豪華ではないこと、不純ではないことと言うことになる。さて、ここで困ってしまう。ちと違う方向にいってしまう。

ということで、なかなかぴったりの言葉がないのだ。逆のケース、すなわち含蓄のある日本語を表現する英語がないというのははいっぱいあるように思うのだが、その逆のケースは珍しいように思う。

で何を言いたいかというと、ITの領域の話にもっていくと、シンプルなコード、シンプルなソフトウエア構造、シンプルなメソドロジー、シンプルな設計、シンプルな運用といったことをめざすと考えたときに、単に簡単にすればいいとか、やさしくすることだとかではないという気がするのである。

そこでもっと絞り込んでみると、どうもいちばん近そうなのは、“ムダがないこと”かもしれない。余計なものを削ぎ落としたもののイメージなのだが、それとてまったくぴったりでもない。結局、それは一つの言葉では表現できないのでしょうね。

ということで、「日本語は亡びない」と反するようなことを言ってしまったが、そこではたと気がついたのだが、ひょっとするとITのような“合理的、論理的な世界”には、日本語がなじまないのだろうかということである。

と言いつつ、茶とか武道の世界などはSimpleではないかと思うのであって、ということは、Simpleをめざすということは、ひと言では言い尽くせない文脈的な世界をITに持ち込もうとしていることなのかもしれない。

2010年4月 2日

業務システムの作り方が間違っている

いま、自治体の業務アプリケーションについて検討している。もともとこの領域にはあまり興味がなかったのだが、以前福岡県大野城市の方々とセミナーで一緒になってお話をしたことや、Kailasで公共向けのアプリケーションを組んだらどうなるのかという問い合わせがあったりしたので、少しばかり首を突っ込みだしたのである。

こうした公共のシステムは共通化されてあるものと思っていたが、どうもそうでもないらしい。ということは、各自治体でばらばらにやっていたり、程度の差があるようだ。でも何か標準があるだろうということで捜したら、(財)全国地域情報化推進協会(APPLIC)というところが出している「地域情報プラットフォーム標準仕様書」(2009年)の中に「自治体業務アプリケーションユニット標準仕様V2.1」というのがあった。

早速、これをダウンロードして見てみたが、うなってしまった。そこには、住民記録、福祉、税など26の業務ユニットの一覧があり、それぞれについて、機能、機能構成図(DMM)、機能情報関連図(DFD)、インターフェース仕様、データ一覧、インターフェース一覧などが書いてある。

それでなぜうなったかというと、これに基づいてシステムを作るとどういったシステムになるかとか考えたとき、はたと頭を抱えたというわけである。いちばん業務の実態を表現できる業務プロセス(少なくとも業務フロー)が書いてないのである。しかたがないから、機能一覧とDFDからみていくことになるが、その機能一覧にどういうことが書いてあるかを障害者福祉の一つの機能の例で示す。

12.2障害者福祉サービス認定管理              注)下線は筆者
  12.2.2申請受付           :申請を登録する
  12.2.2判定ソフト用ファイル作成 :ファイルを作成する
  12.2.3支給決定           :支給決定情報を登録し、受給者証を出力する
  12.2.4負担上限額管理       :負担上限管理書を出力する
  12.2.5契約内容登録         :事業者との契約内容を登録する

こう書いてあるものを見てみなさんどう思いますか。これだと、これから作られるものは、登録・出力システムしかできませんよね。データをシステムに入力して、帳票を印刷して出す仕組みをつくることになってしまいます。

実際に、業務をしている人たちはこうしたシステムを望んでいるのだろうか。おそらくそうではないと思うのです。なぜかというと、こうした業務の目的はデータを登録することではなく、帳票を出力することではなく、住民に対する的確で温かいサービスを提供し、満足を得てもらうことにあるわけで、そこを支援できるシステム化が必要だからである。

結局、システム屋の発想でしか見ていないことがわかると思いますが、ITで何をやらせるか、ITでできることはこれですよというIT主体の視点なのです。これまでの業務システムはこうしたアプローチでずっと作られてきた結果、実業務と乖離したままであるような気がする。

このギャップを埋めるものとして、プロセス志向を主張しているのであって、そして、そのプロセスに実業務の実相を表現することで人間主体の業務システムができると信じているである。
  

2010年4月 3日

戸塚のオジサンたち

3月から4月というのは年度変わりなので、ぼくの周りで退職する人が出てくるので、そういう挨拶のメールがとんでくる。今週も、ぼくの高校の同級生でしばらくマレーシアにいたが辞めて日本に戻ったM君と飲んだ。その友達と元会社の同僚だったというHさんも一緒であった。

ことのいきさつは、ぼくが昨年末のBPM協会の情報交換会で初めてHさんとお会いしてお話をしたら、意気投合して帰り道がいっしょだったこともあり、そのあと呑んだのである。そのときの話の成り行きで、そのぼくの同級生が共通の知り合いであることが判明したというわけである。

そこで、件のM君に連絡を取ったら日本に帰っていたことがわかり3人で呑むことになった。その場所がみなの住まいに近い戸塚だった。「かな吉」という隠れ家的な和食の店で魚がおいしく値段もリーズナブルでいい店です。

そして、昨日は以前からお付き合いいただいているMさんと大船で仕事の打ち合わせ。Mさんのお住まいが戸塚なので、大船のルノアールに来てもらう。会社を辞めると会議室がないので困るのだが、てっとりばやいのがルノアールなのである。スタバやドトールではせわしないが、ここは落ち着く。

Mさんはこの3月で会社つとめを終え、個人事業主となったので、「Kailas」の展開に協力していただける時間ができることもあり、今後どうするかも含めてお会いしたのである。打ち合わせのあとは、「鳥恵」で一杯呑んで帰る。ここも相変わらず魚も鶏肉も美味でたらふく食べて呑む。

こうして、会社つとめを辞めて個人で動き出したひとと交わると、皆さん異口同音に組織にいるが故のしがらみとか束縛から解放された喜びを語る。やはり、会社では気にいらない人とも仲良くしなくてはいけないし、面白くない仕事もやらなくてはいけないわけで、それが独立したとたんに、自分の好きな人だけを相手にすればいいし、いやな仕事はしなければいいとなることをほんと嬉しそうに話してくれます。

この歳になったらもう隠居して悠々自適にやればいいじゃんと言われるが、自分のやりたいことが素直にできるなら続けた方がいいと思う。ただ、その前提はやりたいことがあること、そのことが進取的でなくてはいけないというのは言うまでもない。

Hさんは、EUの医療システムや標準化の話になるととどまるところを知らないし、Mさんもルールマネジメントやエージェント機能になると熱くなる。こういうオジサンは大いにこれからも活躍してほしい。マレーシアから戻ったM君は当面は冬と夏がマレーシアで春と秋が日本という生活をするそうだが、何かやれよとけしかけている。

ちょっと前も、戸塚に住むHさんというデータベースの専門家のひとからリタイアしたというメールが入る。この人もまだまだ独立して仕事を続けるといっている。ということで、なぜか戸塚まわりでオジサンネットワークができてしまった。これからが楽しみだ。

2010年4月 4日

秋深き

八嶋智人と佐藤江梨子という組み合わせにびっくりする映画「秋深き」は池田敏春監督の大阪の夫婦の悲哀を描いた作品である。大阪の夫婦といったら夫婦善哉でしょう、織田作之助でしょうとなるわけで、そうなんです、織田作の原作でっせ。

仏壇屋の息子で中学校の理科教師はもちろんまじめを絵にかいたような男である。そんな男が行く先はそうです北新地のクラブです。こういう男が行ったらどうなるかは古今東西だまされるか、稀少価値として珍重されるかのどちらかである。

ぼくは幸か不幸かふまじめ要素が勝っていたので違ったストーリになるのだが、そのまじめ男はどうなったか。当然のようにそこの女の子に惚れる。でその女の子がどんな子かで大きく揺れるが、だまされたら映画にならないから、こういう場合はすごくいい子になる。

そうして、結婚する二人だがあるとき嫁さんのほうにがんが見つかりという展開になる。そりゃ病気をもちだされたら終わりで、こうなると予定調和の世界が待っている。

主演八嶋智人はあのトレビアの泉のとぼけた味の印象が強かったが、献身的で子供のような教師を熱演している。ぼくはそれ以上に相手役の佐藤江梨子がいいと思う。あの風貌からは何となく“イケイケ感”が漂うのだが、スクリーンでは意外に可愛らしい女になるので不思議だ。

「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」というなんとも全共闘的なタイトルの映画でも、そのアンバランスな健全さに驚いていてしまったが、今回も同じような感覚であった。

けっこうユーモアもあって、面白かった。何ったって脇役が、佐藤浩市、赤井英和といった面々で、多少ふざけたところやおかしなところもあるのを締めていたように思う。織田作だから夫婦関係の設定には幾分古臭い感じは否めないが、現代への夫婦へのアンチテーゼとしてこうした映画も大事なのだろう。

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2010年4月 5日

業務システムの再定義-まとめ(16)

成長するオペレーションの重要性を認識する-その2

以前、4つの道具の話をしました。すなわち下記のような道具を使って設計・開発を行い、またそれを使って動かすということでした。

 1.Process Designer  ・・・アクティビティの定義とフロー設定
 2. Activity Setup   ・・・案件ごとのアクティビティの要素パラメータの設定
 3. Process Overview ・・・プロセスの稼働状況一覧
 4. Decision Workspace・・・コラボレーションによる意思決定とデータ入力

実は、これらの名前も少し変えていくつもりですが、これまでのいきさつからそのままにしておきます。この4つのうち1と2は設計・開発で使いますので、すでに説明したとおりですが、オペレーションでは3と4を使います。

ただ、案件が発生すると、Process Designerから設計することもあるし、案件ごとのプロパティ設定は2で行いますので、これらもオペレーションの一部ということもできます。では、実際に案件が来たところからみていきましょう。

まず、あるサービスの要求があったとき、もし過去のプロセスと同じものであれば、Process Designerのレポジトリーにあるプロセスをコピーすればいいのですが、新規の場合はプロセスを作っていきます。このやり方はHOWのところで説明したとおりです。そして、このProcess Designerで設定したものをデプロイします。

次にActivity Setupで案件IDや参照情報、権限、アラートなどの案件特有の設定を行います。それが終わると、3のProcess Overviewにその案件が現れます。そこでは、案件ID、案件名と各アクティビティといまアクティブになっているものが色変わりで表示されています。

Process Overviewの使い方は、現在稼働中の複数のプロセスの状況が一覧できるもので、各プロセス進捗状況をチェックします。ですから、どちらかというとマネジャー用の監視ツールです。オペレーションで監視というと必ずアラートが必要になります。すなわち、異常状況が現れたら警報を鳴らすというものです。

本来は、常時監視していち早く異常を発見するのが望ましいでしょうが、いつも見ているわけにはいかないのでアラート機能をつけるわけです。ただ、問題は、何を監視しておくのかという監視対象を特定するのが案外難しいことがあります。

こうしたパフォーマンス要素を何に見出すかというのは、戦略的あるいはトップダウン的に決めるものかもしれません。例えばKPIをそこに落とし込むようなことが考えられます。しかし、これはかなり難しく、ここではプロセス自体のパフォーマンスを時間的要素でチェックすることだけにしておきます。

すなわち、アクティビティごとの処理時間とプロセス全体の処理時間です。それと、期時、期日です、そのアクティビティあるいはプロセスを終わらせる時間、日を設定するわけです。こうした閾値としての時間、期日を超えるとアラートを発する仕掛けです。

また、この画面では過去に完了したプロセスの履歴を出すことができるようにしておきます。類似のプロセスでそのときどんな実績であったかを引用して、現在動いているプロセスをチェックするような使い方になります。
  

2010年4月 6日

競争と公平感

多くの経済学者がいる中で信用できる人に大竹文雄さんという労働経済学が専門の大阪大学教授がいる。その大竹教授が「こんなに使える経済学」(ちくま新書)という本に続いて出したのが「競争と公平感」(中公新書)である。

タイトルからわかるように、今の日本で盛んに議論されている市場経済の評価について、競争と公平感というトレードオフの関係にある考えかたを論じたものである。結局、市場主義経済を受け入れたわれわれにとって、それをいかに使いこなし自分たちの豊かさや幸せを獲得するかであるはずなのだ。

いま、“あるはず”と書いたのは、どうもわが国では、まずはそこの覚悟がないように思えることと、トレードオフという考え方が乏しいように思うからである。まだ、何か社会主義的幻想を抱いている化石のような人がいたり、何でもかなうバラ色の国家があるかもしれないという、これまた夢みたいなことを言う人がいる。

われわれは、壮大な実験とともに崩壊した社会主義と決別して、よりよい資本主義を作りだすしかいまは道がないことを自覚し、何かを得るためには何かを捨てなければいけないという現実を知ることが必要です。そして、いかにして最大多数の最大幸福を実現させるのかをめざすバランス感覚を持つことが大事なのではないでしょうか。

さて、こうしたことについてこの本の冒頭で、経済学者の常識という感じでこう書いている。

市場経済とは、いわばインセンティブの与えられ方の一つである。厳しい競争にさらされるのはつらいかもしれないが、私たちは競争そのものの楽しさや競争に打ち勝った時の報酬があるから競争に参加する。しかも、市場競争を通じた切磋琢磨は、私たちを豊かにしてくれるという副産物をもたらす。 一方、市場競争の結果、格差が生まれてしまうのは事実である。経済学者の多くは、市場競争で豊かさ達成し、その成果を分配し直すことで格差に対処すべきだと考えている。しかし、市場競争によってより豊かになるよりも、公平や平等を重視するという価値観を優先する人もいる。ただし、競争そのものを制限して本当に公平な世の中が達成できるかどうかは怪しい。競争を制限することの本当のコストを理解したうえで、市場競争を否定しているかどうかもわからない。人によって価値観が違うのは当然だが、正しい知識をもとに、自分の価値観と照らし合わせて、世の中の仕組みを作っていく必要があるだろう。

少々長く引用したのは、本の中身はこの趣旨をいろいろな調査や事例で説明しているからである。それでいちいち全部紹介するわけにはいかないので、いささか驚いたというか、そうなんだと膝をたたいたことを書く。日本人は競争嫌いだということである。

何となくそう思ってはいたが、ちゃんとした調査がある。2007年にアメリカの調査機関が各国に対してこんな意識調査をした。質問が「貧富の格差が生じるとしても、自由な市場経済で多くの人々は良くなる」という考え方にあなたは賛成するかというものである。

この結果では、多くの国では70%以上の人が賛成だと言っているのに対して、日本は49%の人しかこの考え方に賛成していないのだ。中国やロシアよりも低い。びっくりするでしょ。

一方、次の「自立できない非常に貧しい人たちの面倒をみるのは国の責任である」という考え方に賛成であるかという問いに対しては、日本は59%の人しか賛成していないのだ。ほとんどの国が80%以上の人が、貧しい人は国が面倒みるべきだと言っている。

どうも、このあたりがいまの日本国民の意識を表していて興味深い。どうしてこのような感情なのかについて、著者は日本の伝統的な村社会では内なる助け合いはするが外に対してはしないということや高度経済成長時代の真面目に働く限りは貧困にはならないという体験があるからかもしれないと言っているが、いずれにしろ、市場競争も嫌いだが、大きな政府による再分配政策も嫌いだという意識は特徴的である。

こうした国民の政府だからこそ経済学の常識から外れても何とも思わないし、支離滅裂な政策を実行しているのかもしれない。いまや、グローバル化した世界でやっていくのを避けるわけにはいかないのだから、もうちょっと、政治家のみならず一般の国民も経済学の常識を理解すべきだと思うのである。

まだまだ、面白いことがいっぱいあるので、ぜひ読んでみてはと言いたくなる良書である。

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2010年4月 7日

業務システムの再定義-閑話休題(13)

パフォーマンス

オペレーションのところでアラート機能について、パフォーマンスのチェックであるという話をした。そして、まず最初は時間的な監視でいいじゃないかと言ったが、まあ、これはどんなプロセスに対してもデファクトとして通用するからである。

ところで、よく考えてみると、簡単にパフォーマンスと言っているが、どうやら二つの意味があることがわかる。一つは、いま言っているようにプロセスそのもののパフォーマンスのことで、そのプロセスがいかに早く効率的に動いているかである。こうした角度で見た場合他にはコストと質があると思っている。いわゆるQCDである。

業務プロセスの場合のコストはほとんど時間と同義なので、時間を見ればいいと思うが、では質をどうやって測定しチェックいたらいいのだろうか。それは手戻り率ではないかと考えている。

なぜなら、Kailasでは、プロセスは意思決定の連鎖だと言っているわけで、質の悪い意思決定を行ったとき、どこにその影響があらわれるのだろうかと考えると、それは手戻りとなって出てくるのではないかと思う。すなわち、差し戻しにあってやり直すという結果になるということである。

もうひとつは何だろうか。それはビジネス上のパフォーマンスで、例えば納期順守率だとか在庫回転率、あるいは欠品率だとかいった指標である。確かにこうした指標はBSC(バランススコアカード)などの検討から導き出されるので、重要なのだが、問題はそれを監視しチェックするにはどうしたらいいのかということである。

だから目的関数はわかるのだが、変数を何にするのか、それが現実に測定できるのか、あるいはリアルタイムで監視することができるのかといったむずかしさがある。しかしながら、戦略的、戦術的に非常に重要であればそれをやらなければいけないので大きな課題となるのだろう。

ここで言いたいのは、パフォーマンスとひとことで言っても、ビジネス的なものとオペレーション的なものの2種類があって、それぞれで何を変数としてもってきて監視するのかをきちんと定義しないといけないということなのである。

そして、結果を分析的に解析することは比較的できるのだが、それでは“あとの祭り”になるから、リアルタイムで解析・監視をするということがことのほか大変なのである。事後的な監視はやさしいが、その場で手を打つことは難しいからだ。ただ、ITの進歩はこうしたことを可能にするかもしれない。ここら辺りは、こ今後のOperation Excellenceのキーポントかもしれない。
  

2010年4月 8日

言葉がない

久しぶりにサッカー日本代表の試合についてコメントを書こうと思ったのだが、何を言ったらいいかなかなか言葉がでてこない。昨日のセルビア戦で0-3という完敗をした試合は、そのふがいなさに呆れてしまった。

おそらくいろいろな人たちから、連携が悪いとかリスクを冒さないとか走らないとか言うだろうから、そういうことは言わない。ここで言いたいの2つのことで、一つは自信を失っていることと、今さら選手選考のためにそれぞれの特徴をみるテストをしているなんて言っている場合かということである。

昨日の試合で戦術とか技術とかの以前の問題として、精神的な面としての気力だとかやる気だとかをみせた姿がどこにもないことがある。これではほんと勝つ気があるのかと思える。

ここのところ負けが込んで、試合内容もよくない状態が続いているから、みんな自信を失っているように見える。そんな時に必要なのは、カラ元気でもいいから前向きの気持ちだと思う。中沢のキャプテンシーの問題もあるのかもしれないが、ある種の開き直り的な気分で戦うことだろう。

もうひとつの問題は、この期に及んで、選手選考のためのテストをやっている場合かと思うのである。ここは戦略、戦術を固め、それを実行できるフォーメーションや連携を確認していく時期ではないのだろうか。どうもその辺が不安なのである。

このことは、まずは選手ありきで考えるのか、そうではなく戦術ありきで考えるのかという問題でもある。ぼくは日本代表は後者であるべきだと考えている。メッシやクリスチャン・ロナウドがいるわけでもないのだら、日本のチームとしてのよさをどう設定するかが大事で、そのコンセプトが決まったら、それに合わせて選手を配置するというのが取るべき戦略だと思う。

別にJリーグで活躍したから代表につれてくるというのではなく、コンセプトにあったパフォーマンスを持った選手を起用するということが必要なのだ。オシムがジェフの選手を重用したのがこの考え方にもとづく。

これまで見てみると、そこがぶれているように思える。だから、使われる選手に合わせて戦術が変わったりする。しかも、たった1試合ぐらいがうまくいくと(イエメン戦ハットトリックの平山)それがいいみたいなって、少したつとうまいこと続かないのでまた変えるようなことになる。

ということで、代表には早く自信を取り戻してもらい、戦術を固定し、それを練りこむことをこれからすぐにやっていってもらいたいのである。

2010年4月 9日

4月定例呑み会

ぼくが東京での勤務になったのが1991年の正月からだった。ちょうどバブルがはじけてすぐに三重県の四日市から東京に転勤になった。しばらく実家から通ってその春に横浜の市が尾にある社宅に移った。そのとき家族も呼び寄せて横浜生活が始まった。ただ、ぼくにとって横浜は中区か西区なのだが、緑区というところで(その後都筑区となった)、ここも横浜かと思ったものだ。

そこから会社がある赤坂まで田園都市線―半蔵門線で通った。今だと溜池山王駅が一番近いのだが、当時はまだ駅がなかったので、永田町で降りてそこから歩いた。朝晩、田町通りを通っていくのだが、夜はついつい誘惑に負けてしまうことがままあった。

そんなことを思い出したものだから、4月の息子との呑み会は場所を先に決めた。で店をどこにするかなのだが、当時の店はほとんどなくなっているので、新たにさがしてみる。焼き肉もいいが、何となく焼き鳥にする。店は「焼鳥屋・いやま 赤坂」にする。

ここでたっぷりうまい串と酒を堪能する。話は横浜時代(息子は小学校低学年の頃)のことから始まって、息子も社会人3年目になるので、「若者はなぜ3年で辞めるのか?」という話になる。要するに、まだ2年からもう3年という見方になるのでいろいろな意味でだんだん厳しくなるということのようだ。

どうもぼくらの時代と時間的な感覚がちと違うような感じがする。ずいぶんと時計の進みが早いようだ。ぼくは、自分もやっと一人前になれて自信が持てるようになったのは倍ぐらいの6,7年経ってからだったと思う。そんなところに行くには、他の人と違うことをとことんやってそこで認められることだと思うというような話をしてみたが、いまの時代ではどうなのだろうか。

その後は、昔の会社があった(今は高層ビルになってしまっている)近辺を歩いて、メトロで銀座まで出て「M」に行く。いつもマスタ夫妻とバーテンダーのKちゃんが温かく迎えてくれるので落ち着く。

ここに行くと息子は帰りに何か食べ物をもらうのが常なのだが、ママがあら昨日くればよかったのにと言う。どうも昨日だったら和歌山のさばの早ずしがあったらしい。それから、しばらくは和歌山ばなしで盛り上がる。

和歌山では、ラーメン屋に行くとこの早ずしとゆで卵が置いてあって、それを食べながらラーメンを食べるのが定番だという。そりゃあ知らなかったと驚いたのだが、そこからは、和歌山の人には申し訳ないのですが、どうも行ったことがない県ベストテンに入るよねと話に変わる。

少なくとも関東に住んでいる人は和歌山になかなか行かないのではないだろうか。ぼくも、三重県に長いこと住んでいたけど隣の県なのに行ったことがなかった。そんな話をした後で、今朝ばあちゃんの家に来ていた姉と話していたら、その息子でぼくの甥になる子がいま仕事で和歌山に行っているという。あら、ここでも和歌山ばなしだ。
  

2010年4月10日

クヒオ大佐

何とも奇妙なタイトルの日本映画だ。これを聞いて、ぱっと浮かんだのは、以前家の近くの道路わきの電柱に貼ってあったビラの「ヌキ大佐」である。派手なピンク色の紙で風俗店の名前なのだがそれを思い出してしまった。そういえば、最近こうしたいかがわしいビラを見なくなった。草食系男子が増えたので店もすたれたのかもしれない。

横道にそれたが、映画のことである。吉田大八監督、主演が堺雅人という「クヒオ大佐」を観る。実は奇妙といっても実在の人物をモデルにしているという。日本人でありながら、外人のように偽り、結婚詐欺を繰り返した「ジョナサン・エリザベス・クヒオ」と名乗った男のことで、結局逮捕されたが、刑期を終えて出所してもまた結婚詐欺をしたという。1億円もの詐取をしたそうだ。

この話はにわかに信じがたいだろうが、ぼくらの年代のものはひょっとしたらありえるかもしれないと思うのではないだろうか。それは、一昔前の日本人は、外人とりわけアメリカ人をみると無条件に畏敬の念を抱いてしまうからである。

そんなだましだまされる男女の関係を吉田監督は「まじめに」描いている。詐欺なんて、まわりからみているとなぜだまされるのかとつい思うのだが、そういう人がなぜあとを絶たないのだろうか。おそらく、だまそうとする側がだまそうと思っていない、もっと正確にいうと、最初はだまそうと思って近づくがそのうちだましている意識がなくなってしまうからではないだろうか。

この映画でも堺雅人の怪演もあるのだが、こっけいなくらい必死になったり(なぜか突然必死に腕立て伏せをしたりする)、間が抜けていたり、けっして筋道立ててだましているわけではないがゆえにひっかかってしまう様子が非常に面白かった。

詐欺師というと頭が切れて、スマートでというのが定石なのだが、だまそうとした女の弟に簡単に見破られて反対におどされてしまうというふうに良く言えば人間味がある、まあ何とも情けない主人公だから変に共感してしまうのではないだろうか。

「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」に続くこの作品で吉田監督のぼくの評価は高いものになった。

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2010年4月11日

アド街ック天国

テレ東で土曜日の夜9時から放映する「アド街ック天国」は、食いもの屋や呑み屋をさがすのにいい情報源になるのでよく見る。それで昨日は何と「鎌倉山」であった。ぼくの家があるところである。だから、かなり注目して見たのである。

そして、朝のばあちゃんや嫁さんの反応は、何だか面白くなかったねである。まず鎌倉山でないところがけっこう出ていたことがある。西鎌倉という鎌倉山から下りて西側に行ったところの店が多かった。ベスト30のうち3分の1がそうであった。

それと、定番の「ローストビーフの店 鎌倉山本店」、そばの「檑亭」、パンの「葉山ボンジュール 鎌倉山店」といった食べ物やばかりで、棟方版画美術館とか夫婦池公園とかそんなところも入れたらいいのにと思ってしまう。ばあちゃんはみのもんたの豪邸を映せばいいのにと訳のわからないことを言い出す。

なので番組が浮いた感じになっていて、だいいちゲストがコメントできないのだ。西川史子先生がわめいていたが、彼女は鎌倉に住んでいたわけではなく、湘南白百合の出身だっただけだ。ちょっと異質な場所でスタッフも困ったのではないだろうか。

この鎌倉山というのは昭和初期に開拓され、当時のお金持ちが別荘にしたり、隠居したりしたところで静かな住宅地であった。著名人も多くいて、田中絹代が有名だが、ぼくの家のすぐ近くには林与一が家を建てた。

こうしてみるととてもいいところに思えるが、実は住みにくいところでもある。だいいち不便である。交通機関はバスだけで、坂ばかりだから移動が大変である。ただ、お金持ちはもちろん車があるし、御用聞きが来てくれる。昨日のテレビでも鎌倉山マダムの家に魚屋さんが配達にきて、そこの台所で調理しているのが映っていた。

そんなことができない我が家などは買い物が不便で困ったものだ。そいえば、作家の永井路子が鎌倉山に住んでいたが、東京へ出るのに不便でしょうがなくてついに東京に引っ越してしまった。まあ、風光や静かさと便利さは両立しないのだろう。

結局、この放送のベストワンは“鎌倉山マダム”という何だかよくわからないものである。そんな人種がいっぱいいるとは思えないし、おそらくその昭和初期からの根っからのお金持ちも少なくなっていて、新興お金持ちなのではないかと思う。

うちの嫁さんが、「私も鎌倉山マダムよ、どうして私を鎌倉山コレクションで使ってくれなかったよ」とぶつぶつ言いながら朝登場したときには吹いてしまった。
  

2010年4月12日

業務システムの再定義-まとめ(17)

成長するオペレーションの重要性を認識する-その3

前回はProcess Overviewを使って、稼働中のプロセスを監視することを議論しました。そこで俯瞰的にプロセスの進捗を管理しておいて、その中の個別プロセスを進めていくのは、「Decision Workspace」を使います。

そこには、大きく、「データ確定」「フロー」「コメント」「参照情報」「権限」「承認」といったエリアが配置されています。これらを見たり、書いたりして最終的にはデータを確定し、それを承認してそこのアクティビティを終わらせることになります。

「データ確定」では、Designerで定義したデータ項目の入力フィールドが現れるので、そこに入力していきます。このとき、データを確定するためにはいろいろ情報を参照しながら決めていくので、あらかじめ設定した情報を見ながら行います。最初は、起案者として権限を与えられた人が、データを入力します。

それに対して、確認者あるいは承認者に指名されたひとたちが、同じ参照情報をみたり、コメントに自分の意見をいれたり、確認したりしてデータを確定していきます。このとき、確認者に指名されたのに何もコメントがない場合はOKしたとみなします。ここら辺りはオペレーション上重要なことで、よく若いやつがやっていることを脇で冷ややかに見ている先輩社員がいますが、そういう図式はなくしたいのです。

ここでデータの確定は普通は起案した人がやることになりますが、fixボタンを押すと承認伺いにいきます。従来のシステムだと承認伺いがなくて、承認者は自分で承認用の画面を開いて、へたすると何も見ないで一括承認したりします。メールで連絡が来る場合もあります。心ある人だと部下に確認したりしますが、ムダな時間を使うことになります。

しかし、Kailasでは、このDecision Workspaceで承認します。基本的に承認者は、先ほど言ったような起案から確定までのいきさつをみていなくてはいけません。必要ならば、コメントを書いてもかまいません。そのことによって、承認するときにどういう決め方をしたのか、どんな意見を聞いたのかがわかるので、すぐに承認できるのです。この早さもさることながら、業務プロセスに責任を持てるということにつながるのです。

ここで一つのアクティビティを承認すると次のアクティビティに進みます。その様子はフローのところで色変わりによって視認できます。こうして、順次アクティビティを進めていき、最後は完了ということでその案件についてのプロセスオペレーションを終わらせます。もちろん、この実績は、履歴といて保存され、あとで検索して見ることができますし、参照情報として持つこともできます。

このDecision Workspaceの重要なポイントは関係者が参加して行う協働作業によって、業務を進めていくことです。このことにより、以前にも指摘したように、意思決定の質が向上することと、技術・ノウハウ・経験の伝承がもたらされます。先ほど書いたように、経験のある先輩が若い人にアドバイスすることでこうした効果があると思います。

これで、オペレーションについて終わりますが、少し重複するような話ですが、オペレーションという側面が大事だよと何度も言っていますが、今見てきたように、同じ目的でみなが一緒になって仕事をして、それがどう動いているか見えているというのが重要なところだと思います。それができてこそ、そのプロセスに責任がもてると同時に、自分たちの事業に、あるいは新たなビジネスモデルにフィットするものにすることが可能になるのです。
  

2010年4月13日

マーケティングを学ぶ

起業したとき、いちおう商品を売るということがビジネスの基本だから、どうやったら売れるかを考えた。何もしないで売るのはセリングで、市場に働きかけるのをマーケティングだということを知り、下の息子が教科書として持っていた「コトラ-のマーケティング入門」を借りて少し読んだことがある。

その後は、大した商品もなかったのでどちらかというと作る方に偏っていた。しかしながら、業務プロセスのデザイン、とりわけ顧客接点サービスプロセスを考えていくうち、営業プロセスに興味を持ったので、また勉強しようと思ったのである。

「マーケティングを学ぶ」(ちくま新書)は、「ビジネスインサイト」(岩波新書)を書いた石井淳蔵の最新作である。「ビジネスインサイト」では、経営者が新しいビジネスモデルをどうやって思いつくのだろうかというテーマで、「対象に棲みこむ」といった概念を提示していた。

今度の本では、マーケティングの基本的なあり方を説いた教科書的な内容になっている。それも事例をベースに説明があり、また各章で“学びたいこと”というかたちでまとめてくれたりして、比較的やさしく書かれているのでわかりやすい。

大きく、「市場志向の戦略づくり」、「戦略志向の組織体制づくり」、「顧客との接点のマネジメント」、「組織の情報リテラシーを確立する」となっている。

最初の「市場志向の戦略づくり」では、青芳製作所、アート引越センター、スカンジナビア航空、パナソニックの「レッツノート」、伊藤園の「おーいお茶」を例に、STPすなわち、Segmentation、Targeting、Positioningの大切さを強調している。みずからの市場を細分化し、ターゲットを決め、ポジションを決めることである。

つぎの「戦略志向の組織体制づくり」では、市場適応の組織レベルとして、「コーポレート」、「製品市場分野」、「商品分野」があること、ポジショニングの工夫によるブランドエクイティの確立、そしてポジショニングとブランド拡張のバランスなどを学ぶ。事例は、P&G、ソニー、サッポロビールなどである。

「顧客との接点のマネジメント」であるマーケティングマネジメントでは、「店頭品質」だとか「ブランドパワー」を知り、マネジメントの考え方として、“環境から入ってくる情報をしまう「(店頭品質という)棚」を作っておいて、そしてそれに焦点を合わせて店頭品質に関わる微細な変化を抽出する「センサー」を現場に設けることである”としている。

最後の、「組織の情報リテラシーを確立する」は、市場からの声をどう収集して、どう活かすかである。そうした情報を活かすのに必要なこととして、情報を組織の中に普及させ、各人が使いこなすための規範をつくることや、業務プロセスそのものに入れ込むことを説いている。ここはぼくが前から言っているところです。

そして、あとがきで言っているが、マーケティングというと「創造的適応」ということを思い出すそうだ。そこで思ったのは、いまのコンピュータシステムというのは言われたとおりにやるから、それは創造的でない適応、すなわち非創造的適応であるということで、これからのITはこの創造的な適応をどうしたら実現できるのかどうかをよく考える必要があるのではないでしょうか。

まあ、コトラーの本に書いてあることとそう違いがないので新鮮味には乏しいが、冒頭に言ったように、基本的なことを丁寧にわかりやすく書いてあるのでぜひ読むことを薦めます。
  

マーケティングを学ぶ (ちくま新書)
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2010年4月14日

業務システムの再定義-まとめ(18)

まとめのまとめ
18回にわたって展開した「業務システムの再定義」はこれで終わりますがいかがでしたでしょうか。具体的なツールの実際や、事例による設計といった詳細については物足りなかったかもしれませんが、これはもう少したったらまた記事にするつもりでいます。その前に、この考え方に基づいて開発した「Kailas」という方法論とフレームワークで実際の業務アプリケーションを作っていこうと考えています。

ここまで書いたことをどれだけの人に理解してもらえたかはわかりませんが、おそらく従来のものとかなり違った部分があるので様々な反応があると思います。こんな“ゆるい”やり方ではシステムとはいえないとか、しょせん基幹系には使えないよとか、ボリュームが増えたらこんなことやってられないとか、そうした声は当然だと思います。

しかしながら、だからといってそういった要望にこたえるつもりはありません。あくまで仕事のやり方を実装しようとしていますから、仕事のやり方と合わないと言うなら聞きますが、従来のシステムができたことがなぜできないのかというようなことには応えないということです。

ですから、既成概念で固まった会社は、ユーザであれITベンダーであれ相手にしたくありません。生意気かもしれませんが、「Kailas」のコンセプトや技術を理解し賛同してくれる人、会社と一緒にやれたらと思っています。そうなると、案外既成ITを知らないベンチャーなのかもしれません。

どうもIT業界ではいまのままでダメだから何とかしようという声も上がってきていますが、やはり既得権を失うことの怖さと大変さを超えられないように思います。とはいえ、世界ではビジネスモデルが変わってきています。米国は失速気味ですが、ヨーロッパにおけるフィロソフィーに裏打ちされた標準化、体系化の動き、中国・インドの上流工程志向などずいぶんと動きも早くなっています。

このテーマで何度も出てくるように、ITやシステムというのは、会社が行うビジネスや人間が行う仕事、あるいはユーザが要求するサービス提供を支援する道具であるべきです。こうした考え方を前面に置いたとき、どんな業務システムが望まれるのでしょうか。

けっしてこれまでの業務システムの延長ではないと思います。作り手側の論理から使い手側の論理へと比重を移すべきであり、それによって、”役に立たない正しいシステム”を作り続ける愚から脱却することができるはずです。

おわり。
  

2010年4月15日

日本人は特殊か

ちょっと前の読売新聞に「授業中に居眠り、日本の高校生45%!」という記事が一面に出ていた。調査は財団法人「一ツ橋文芸教育振興会」と「日本青少年研究所」が昨年夏から秋にかけて、日米中韓の高校生計約6200人を対象に実施したもので、授業中にどんな態度をとるかに関するいくつかの質問に答えるかたちで行われた。

質問は、「きちんとノートをとる」、「居眠りをする」、「近くの人としゃべる」、「ものを食べたり飲んだりする」、「メールを打ったり、教科以外の本を読む」、「ボーッといている」、「積極的に発言する」などで、その中で日本の高校生がトップになったものをあげてみる。

一番多かったものが「きちんとノートをとる」、「居眠りをする」である。一方で一番少なかったのが「積極的に発言する」である。さらに、別の質問で平日に学校の授業と宿題以外に、まったく勉強しないと答えた高校生の割合が日本が一番だったという。要するに、ノートをとるという格好だけつけているが授業中も家でも勉強を全然していない姿が浮かぶ。

他の国の様子をみると、米国は授業中に「近くの人としゃべる」、「ものを食べたり飲んだりする」、「ボーッといている」がいずれもトップなのだが、逆に「積極的に発言する」もトップなのである。

一番授業中にまじめにやっているのが中国の高校生で、いねむり、おしゃべり、飲食、メール、ボーとが全部最下位で、一生懸命勉強している。残りの韓国はといえば、日本と似通っていて、日本よりかはもう少しまじめに勉強しているようだ。こうしてみると、お国ぶりというか国勢を象徴しているようで面白い。これでいくとまだまだ中国の勢いが続きそうだというのと、米国の奔放さが目立つ。

でこういう意識調査の国際比較をすると、どうも日本は他の国と違う結果が出ることが多い。ちょっと前に書いた「競争と公平感」でも日本の特殊性について言及したが、わが国特有の意識があるのだろうか。

かつて「ジャパンアズナンバーワン」と言われた時代にあっては、この特殊性が威力を発揮したかもしれないが、このグローバル時代では、それはマイナスに作用しているように思える。グローバル化というのは、世界のマネをしろと言っているのではなく、標準的、論理的な思考が必要なのではないかということだ。

もっとやさしく言えば、ごく当たり前のことをまじめに考え、実行することが基本にあるということだと思う。学生はちゃんと勉強することであり、経済ではまずはその合理性を理解することであり、政治では強弱、貧富のバランス配分であり、そうした基礎的な論理性が日本では軽んじられているように思えるのである。
  

2010年4月16日

TOMORROW 明日

黒木和雄監督の戦争レクイエム三部作と言われるのは、「美しい夏キリシマ」「父と暮らせば」とこの「TOMORROW 明日」である。作られた順で言えば、「TOMORROW 明日」が一番最初で1988年の製作である。この作品で、三部作を作ろうと思い立ったのかもしれない。

キリシマとヒロシマが舞台の2作に対して、この映画の舞台はナガサキである。ご存知のように1945年8月9日に原爆が投下されたが、その前日の姿を描いている。明日に原爆が落ちることも知らずに、戦争末期に生きた市井の人々が登場する。

黒木監督はもう亡くなってしまったので、もうこのような作品はもちろんできないのだが、あと誰が作ってくれるのだろうかと思ってしまう。もう65年も経ってしまったのだ。こうして、語り継ぐ人がひとひとり亡くなっていってしまう。

ということは、この時代、この悲劇は徐々に風化していってしまうのだろうか。ぼくらの世代は直接戦争は知らないが、戦争を知っている人たちの近くにいて、その匂いを覚えているので、戦争レクイエム三部作を観て感動もする。

しかしながら、今の若い人はどう感じているのだろうかと思うのだが、それよりも何よりもこのような映画を観るのだろうかということが気になりだす。おそらくわれわれが是非観るべきだと言ったところで、観ないのではないかと思う。

戦争というシチュエーションが想像がつかない人たちに向かって、その残酷さ、悲惨さ、無念さを訴えても届くのだろうか。映画の内容とはかけ離れてしまったが、ストーリーを伝えるより、そんなことを考えさせられる映画であった。
  

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2010年4月17日

ユーザレビューの活用のしかた

ぼくは、ここで多くの映画評を書いているが、いちおう書く前には、プロの映画評やそれこそユーザレビューは見ないことにしている。それどころか、誰が出るのかどんなストーリーかも極力インプットしないようにしている。

だから、記事を書いたあとにユーザレビューを見ることになるが、これがおもしろい。ただし、ほめたやつは読まないで、点数の悪い酷評したようなコメントをみるのが大変おもしろい。

大げさにいえば、人生勉強になる。ああ、こういう風にみる見方もあるんだとか、そんなところが悪かったのかと、自分と全然違う見方をしている人がいるのを知ることができる。だから、ぼくは必ず点数の悪いところだけを見る。

こんな見方をしていると気がつくことがある。ある程度パターン化されるのである。その中でも多いのは、原作と違うというのがある。原作のイメージを壊すと怒るやつがいる。しかしよく考えてみると、原作を忠実になぞることが映画作家の仕事でもなんでもないわけで、そんなことを言われて困るのである。

それと、見る前に期待していたのにそれほどでもなかったといって怒るやつ。それは最初にぼくが言ったように、しっかりと前評判や出演者や宣伝をたっぷり受けてから見るのである。それが、言っているほどでもなかったら愚作になってしまうのである。

他にもあるが、同じシーンやストーリーあるいは演技に対して全く正反対の評価になることがある。どうしてこんな見方ができるのだろうか思うのだが、相手から見たらぼくの言っていることに対しても同じように思っているのだろう。

たかが映画と思うのだが、映画には人生があるのであり、生活がにじんでるのであり、性格が映し出されているわけで、案外、この批評のスタンスは実生活における生き方を写像しているかもしれないと思える。

だから、恋愛中に一緒に映画を見たとき、その感想を言い合ってお互いを知ることは大事なことかもしれない。ぼくは自分のこととしていまの嫁さんと映画を観たときどうであったか忘れてしまったけど、これはお薦めですね。

2010年4月18日

訪問診療

最近、ばあちゃんが弱ってきた。いま88歳でもすぐ89歳だからしょうがない。だから、月に1回の病院通いもぼくがついていくことにしている。ところがこの病院へいくのがけっこう重労働なのだ。

家のすぐ近くにかかりつけの病院があって、そこに行く場合、朝から順番と取りに行く。それも、9時から診療が始まるのだが、その順番を取るために7時半ごろにまず行くのだ。8時からの受付開始のための整理券をもらうためである。

だから、受付が済むと一旦家に帰り、9時ちょっと過ぎくらいにばあちゃんを連れていく。それで、診察を待つのだが、何もなくても結構待たされることがあるのに、検査か何かがあると大変なのだ。病院の椅子に座ってじっと待つのは年寄にとってはつらいものがある。

そんなこんなで、いつも病院に行った日は疲れたと言う。そこで、病院に行かないで先生に来てもらう訪問診療という手段に切り替えることにした。2週間に1度自宅に来てくれて、診察してもらい、多少の検査できるような仕組みである。薬も薬局のひとがその日に届けてくれる。診療費や薬代が多少高くなるがしかたがない。

ところで、この訪問医療という形態をみたとき、そうだこうしたことが本来の医療ではないかと思えたのである。だって、考えてみたらいいのだが、病気で治療してもらいたい人が、なぜ病院まで出掛けなくてはいけないのか。病気を治してあげるから、こっちへ来いという態度でいいのだろうかということである。

それで、みんなが病院へ行くから、混んでしまいさんざん待たされて、かえって病気を悪化させたり、ひどい時には他人の病気を背負いこんでしまうという何とも本末転倒ではないかと思う。

先週から、その訪問診療で先生と看護師さんが来てくれた。ところがいきなり脈拍数が少ないと言われて、3日後心電図を測りに来た。ちょっとした検査だったらポータブルのものがあってやってくれる。だから、少なくとも年寄はこんなやり方がいいのかもしれない。

ただ、病院にいって知り合いとのおしゃべりする楽しみがなくなるのだが、近頃、ばあちゃんは病院に行っても地元の知っている人が誰もいなくなってしまったと嘆いていたので、そういう楽しみも減っていたので訪問診療でもいいのである。
  

2010年4月19日

IT雑感-IT投資効果

こう書くと、IT投資をしてそれによってどんな効果があるのかということを言っているけど、もう少し考えてみると、根本的な問題として、何のためにIT投資をしたのかが微妙に抜けているように思う。

だから、別の言い方をすると、IT側の要請で投資することがあるのかという問いにぶつかる。そこで、少し歴史的にどうだったかを見てみることにする。ぼくは、そんなに詳しいわけではないが、ユーザ側にいて見ていたという立場からIT投資について書く。

まず最初のIT投資は、電子計算機という呼称からもわかるように、省人化というか、人間のやることを代替するという役割があったと思う。人間がやると時間やコストがかかるので、機械化し、自動化することで人を減らせるということである。だから、人件費削減が投資効果である。一人減らすなら2500万円かけてもいいなんて言われた。

ところが、やってきたのが経済成長である。この波に乗っていくには働き手の頭数が必要になってくる。成長の機会があるのにリソース不足でそのチャンスを逃すというような事態である。

その不足人材を補うために盛んにIT化が進められたのである。ここでは人員削減ではなく逆に人員ねん出のための投資になった。だから、まるまる一人減らなくても、省力化できればよしとした。これは、事業拡大によるメリットが大きいため、採算性もそこに組み込まれたりして大いに投資が促進された。

ところが、1990年代後半から成長は鈍化し、成熟された社会もっといえば停滞した社会へと変わっていった。そんなとき、省人化、省力化と唱えたところで誰も同意はしなくなったのである。もちろん、すでにかなりの人的合理化は進んでいたから、更にというのが難しかった側面はあるが、明らかにROIが確保できる投資は減った。

ところが、既成のITベンダーはまだこの亡霊にしがみついたりしていて、あり得ない提案をしているのではないだろうか。あるいは、情報システム部門も自分たちの存在意義を失いたくないがゆえにむなしいIT投資要求をしていたのではないだろうか。

では、いまの時代に必要なことは何なのだろうか?

ぼくは、「新しいあるいは変革されたビジネスモデルをITを使ったために、早く適確に実現させることできたというメリット」をめざすべきだと思うのである。ITがなかったら、俊敏に新しいビジネスモデルに対応した業務プロセスをオペレーションできないと思うからである。

ですから、変革をめざしたビジネスモデルをいち早く市場に投入して効果を上げるためにIT(業務システム)があるということをきちんと認識し、そのための投資を要求すべきなのだ。それができれば、事業から生まれた収益の何%かのリターンをカウントできることで、投資を正当化できるのではないでしょうか。

2010年4月20日

アホの壁

出版界には「二匹目の泥鰌」がいるらしい。いや、3匹目も4匹目もいて、いやいや百数匹の泥鰌がいることもある。「国家の品格」から始まる品格ものの本である。そんなことも書いてある「アホの壁」(筒井康隆著 新潮新書)を手にする。

この本自体が「バカの壁」のパロディで何匹目かの泥鰌のようで笑ってしまう。序章の「なぜこんなアホな本を書いたか」というくだりからツツイワールドに惹き込まれる。それによると、最初は「人間の器量」というタイトルで書いてほしいという依頼があったのだそうだ。

ところがそんなえらそうな本は書けないとことわったが、(あとで福田和也が同じタイトルで書いた)いま自分が書ける本は何かを考えていたら、養老孟司の「バカの壁」から「アホの壁」を思いついたらしい。

ただ、「バカの壁」が、人と人との間のコミュニケーションを阻害する壁というのに対し、文化的あり文明人であるはずの現代人が、なぜ簡単に壁を乗り越えてアホの側に行ってしまうのか、人には良識を忘れさせアホの壁を乗り越えさせるものは何かという観点で書いてある。

目次を見てみよう。

 第1章 人はなぜアホなことを言うのか
 第2章 人はなぜアホなことをするのか
 第3章 人はなぜアホな喧嘩をするのか
 第4章 人はなぜアホな計画を立てるのか
 第5章 人はなぜアホな戦争をするのか

それぞれに例を交えて面白可笑しく解説してくれる。要するに人の言動、行動、計画にどうしてアホな要素が入り込んでしまうのか。その結果として、アホは喧嘩や戦争をひき起こすということだ。そこに、筒井康隆の独特のテイストがちりばめられていてニヤッとしてしまう。

読むほどにだんだんふざけた感じからまじめなというか、最後の戦争論なんて、フロイトとアインシュタインが出てきて本質的な論議を展開するのである。で結局、アホをとことんこきおろすのだが、最後にこんなことを書いている。

アホを貶めるようなことをさんざん書いてきたが、ここへきてアホが愛おしくなってきた。もしこれらのアホがいなかったらと、想像したからである。 アホは良識ある人たちの反面教師、などという以前に、アホは社会の潤滑油ではないか、時にはアホが世界を進歩させることだってあるのではないかと思えはじめたからだ。良識あるひとばかりがそつなく時代を押し進めていく綺麗ごとの世界を考えると。何となく寒々しい気分になる。

そうなんですよね、自分がアホになるもよし、アホと交わるのもよし、アホをバカにするのもよし、いつも優等生でいるのは息苦しいし、息抜きじゃないが、壁を行ったり来たりするのもいいものかもしれない。
  

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2010年4月21日

半分の月がのぼる空

近頃観るべき邦画がないので、しかたなしというか、純愛ものだけど観るかという感じで映画館に入る。ところが、なかなかいい映画で得した気分になる。

純愛ものというのはめったにはずれない。だれでも表面上はそんな甘ったるいことなんてと言っていても心の中では“世界の中心で愛をさけんで”ほしいのだ。「半分の月がのぼる空」は、そんな純愛ものなのだが、それだけではないものがある。

監督が「60歳のラブレター」の深川栄洋、1976年生まれというからかなり若いのでびっくりする。今作品を見ても若さに似合わない熟練した演出で驚く。このぐらいの年齢の若者が挑戦してこそ映画界も活性化されるだろう。

純愛を演じる男の子に池松壮亮、女の子に忽那汐里である。この恋愛ものが単なる純愛ではないところは、純愛って結ばれないのが普通なのだが、これは純愛その後が描かれている。そしてその後を演じるのが大泉洋である。

最初はこの時間的な出し入れがあって少しとまどうのだが、「今度は愛妻家」もそうだったが、それがわかるとぐっと共感がわくのである。こういうストーリーは素直に感動する。

この映画を見ていて何となく懐かしい気分に陥った。なぜかというと、全編三重県伊勢市でのロケなのだそうだ。だから、登場する人物も伊勢の人間だから、当然のように伊勢弁をしゃべる。それが聞き覚えのある音を奏でてくれというわけだ。

ぼくは、長いこと三重県四日市にいたのでそのときに周りでしゃべっていたのが、語尾に“な”が付く「伊勢のな言葉」である。いつも四日市弁は名古屋弁に近いのですかと言われたが、いつもいや伊勢ですよと答えていた。言語圏は川で分断されるようだ。木曽三川で名古屋と桑名が分断されているから違う言語圏になっているのである。

話は映画からそれてしまったが、恋愛の相手が病気でいつ死ぬかわからないというシチュエーションは純愛ものの定番だが、もちろんこの映画もそういう設定であるが、この映画のキャッチコピー「あなたにとって「ずっと」って何ですか?」にあるように、ずっと運命を背負い込むことが幸せなのかどうかという問いがここにある。

このことはけっこうずしりと来るものがあって、決して純愛年齢の若者だけのことではなく、いくつになっても持ち合わせる心根かもしれない。そういう意味で、「60歳のラブレター」とつながるのである。
  

2010年4月22日

人材教育のワナ

4月は新入社員が入って来て、各企業はその教育に力を入れていることだろう。この新人教育の目的は何なのだろうか?スキルを上げるとか、知識を詰め込むとかいったことではないだろう。何といっても自分の会社の理念や方針、文化風土をたたき込むことなのであろう。

ただ、いまや終身雇用制もくずれようとしている時代に滅私奉公を要求するわけで、最初に入った一社に忠誠を尽くすことが受け入れられるのだろうかと思ってしまう。たしかに急成長した会社が大量の人員を採用するようなケースでは必要かもしれないがどうも違うような気がする。

さらに、ここでちょっと待てよと思ってしまのが、あなたの会社で必要な人材とはと聞かれた経営者が、「自主性をもって一人で何でもやれるような人」なんて答えるように、一方で経営幹部になるような優秀な社員になれということも同時に要求していくわけで、そのことと会社への忠誠とが矛盾しないかということである。

自主性をもった優秀な社員ばかりになったら会社はどうなるのだ。みんなが会社を背負ってたったら困るだろう。企業の本音はみな同じような人材に育てようとはしないはずだ。誰もが社長にあるいは役員や事業責任者になるなんてことはないわけだ。

しかし、入ったときには“みなさんは同じスタートラインに立ったから”とくすぐるようなことを言わざるを得ない。しかし、よく考えてみると、それこそ5年から10年くらいで一人が社長になるわけで、そんなヤツはほんのひとにぎりということになる。それは、普通の教育では育成できるわけがない。

ということは、企業は玉石のなかからいかに光るものをみつけるかということと、その玉が見つかったら、その前後の“玉もどき”は必要ないわけで、そのとき必要なものは、玉に従順な石がほしいのである。ところが、その石を初めからあなたは石になってくださいとは言えないジレンマがある。

そこで何が言いたいかというと、そういう事実を認識してその上で人事政策を考えるべきだと思う。すなわち、経営者になるのもある意味専門職なのであって、会社として必要な専門職種はこういうスキルでるとして、そこのサバイバルをやるべきで、このことをはっきりと示したほうがいいということだ。たとえば、ITの専門職と経営の専門職をお互い専門家であるという意味で同列に置くのだ。

みんながその会社でえらくなれるかもしれないという幻想を抱かせるのはやめた方がいい。そのおかげで飼い殺し状態になるのである。これは本人にも会社や社会にとっても損失なのだ。その会社では通用しなかったかもしれないが、別の会社では求められるスキルかもしれないわけで、そういったものを受け入れてくれる社会が健全な社会だと思う。

2010年4月23日

隠れ家はすぐにはみつからないもの

昨日は、高校の同級生S君と会食。S君は代々木のタイ料理店のオーナーだから、いい店をたくさん知っている。その中から、広尾の「松阪牛焼肉 M 広尾まんぷく」を選んでくれて、そこに行く。ここは、隠れ家的な存在でひょっとすると見つけにくいかもしれないよと事前に言われていたので、少し早めに広尾駅に着く。

隠れ家というのは、簡単にわかったら隠れ家ではないわけで、覚悟はしていたのだが案の定迷う。それに昨日は氷雨がふるあいにくの天候で傘をさしながら地図を拡げてだったので、すぐ近くにたどりながらも行き着かなかった。

こんなようなことはぼくにとってはよくあることなのだが、なぜ迷うのかと考えてみると、すんなり行く場合はいいが、一旦どこかで間違えるともういけない。というのも、人間って、元に戻れないんですね。元に戻ってみてそこから修正すれが早いのに、ぐるぐる回りだすのだ。だいぶロスしてやって見つける。

さて、ここからも隠れ家たるゆえんで、どこから入っていいのかわからない。ドアがあるのだが取っ手がない。引くのか押すのか、引き戸なのかわからない。やっと入ったと思ったら、靴を脱ぐのかそのままなのかがわからない。靴のまま上がったら、ありゃ―と言われてたしなめられた。

てなことではたで見ている人がいたらおおいに笑われたことだろう。とは言えさすがに閑静な住宅地の中にあり、落ち着いた雰囲気ですごくいい。肉もいろいろな部位が出てきてみなおいしく(ネギタン塩発祥の店だそうだ)、S君が網奉行よろしく焼いてくれたのでお殿様気分で堪能した。

S君は、話の引き出しが多く、阪神淡路大震災の話から、保険や医療など様々な話題で盛り上がる。ここにも元気な団塊おじさんがいる。その元気なうちにタイで暮らしたい、というよりタイを拠点にいろいろな国を旅したいのだそうだ。そんなことであっという間に時間がたってしまった。

外に出ると、雨もほぼやんでいたのでS君と別れて、銀座「M」に行く。夜になった方が暖かい感じで全くこの不順な天候はからだに悪い。そんな話を交えて小一時間過ごして帰路に着く。
  

2010年4月24日

LOFTロフト

黒沢清監督というと「アカルイミライ」でおおーときて、「トウキョウソナタ」でやるなあと思ったので、その2作の間に作られた「LOFTロフト」を観る。ホラー映画というか、サスペンスというか、そんなジャンルのものだが、ぼくにはイマイチだった。

物語は、中谷美紀演じる小説家が筆がなかなか進まないことから、西島秀俊扮する編集者が見つけてくれたとある一軒家に引っ越しするところから始まる。そこで、豊川悦司が演じる考古学者が登場し、奇怪なことに出くわす。

その教授がミイラの研究をしているが、女流小説家はそこで起こる現実と非現実の境がわからないような出来事に翻弄されていく。さらに編集者のストーカー行為や教授との恋愛が絡んでくる。

と書いて見てもよくわからないし、ストーリーをなぞる必要もないのだが、観ている方は恐怖とともにいったいどんな世界がまっているのだという思いに駆られる。そういう意味では黒沢清の世界なのだろう。

しかしながら、それが監督だけがわかっているような気がして、観客はなんじゃこれって思ったに違いない。誰でもわかるようにとは言わないまでも、もう少し理解できるように作ってほしいところだ。ということで、監督の自己満足作品ですね。
  

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技術者コミュニケーション術

社長(息子)の書いた記事が、「Web+DB PRESS Vol.56]に載っています。今回のテーマは、「Twitter時代の技術者コミュニケーション術」と題して8ページにわたったものです。

ぼくも日常的に社長と会話しているので、最近のネットでのコミュニケーションについてはすこしは知っているし、脇で見ていたりする。それで、感心するのは、コミュニケーションの基礎となるコミュニティの仲の良さというか、利他的なビヘイビアである。それは、裏返して言えば、そういう志や考え方を同じくする人たちだけで構成されているからとも言える。

だから、ここでのコミュニケーションは、当たり前のように企業内のものとは異質でである。つい、会社の中でも同じようやればコミュニケーションが活発になるとか、同じツールを使えばやれるじゃんとか言う人がいるが、そのよって立つ文化や気分が違うからなかなか難しいと思う。少なくとも昔風の既成会社ではとても無理だ。

ただ、全くだめだということではなく、少しでも彼らのよさを採り入れるようにしたらいいと思う。なぜなら、従来型の会社の文化・風土自体が今は見直されてきているわけで、「新しい酒は新しい皮袋に」である。

是非読んでみてください。

P1001383.JPG


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2010年4月25日

衆愚の時代

最近では、一国の長が自分は愚直だと言うみたいだが、それは衆愚がもたらしたのかもしれない。「衆愚の時代」(楡 周平著 新潮新書)はそんな時代を反映している本だ。著者は、「Cの福音」などの作品がある作家であるが、いまのわが国の様相を嘆いたブツブツ論である。

彼の嘆き節の主なところは、派遣切りを悪く言うのはおかしいとか、貪欲ではない最近の若者よ強くなれ、フリータという名前だけ変わったが中身はプ―タローじゃないか、株は所詮博打だというようなことである。

たしかに、嘆くのはわかるが、著者が言っているような「この本を書けば、世の糾弾を浴びるのは間違いない」なんてことはない。企画から本になるまで2年もかけたらしいが、そんなに時間をかけた割には掘り下げが浅いような気がする。

この本で言っていることは、おおかたはぼくも同じように思うし、いろいろなところ、例えばブログなんかで論じられていることと大差ないものである。マスコミやテレビのキャスター・コメンテータへの批判などは読んでいると溜飲が下がるが、それとてそんなに目新しいことでも、過激なことでもない。

どうも、マスメディアの愚のことを衆愚といっているように聞こえる。昔は大衆の意思は新聞・テレビというマスメディアに乗っかったものしかうかがい知ることができないこともあって、50年も前に大宅壮一がテレビを「一億白痴化」と喝破したように、マスメディアは衆愚そのものなのだ。

だが、今はネット上には多様な意見が現れていて、そこにはネット論壇も形成されつつある。だから、そうした時代にあって“衆愚”とは一体どういうことなのか、あるいはネットでは衆愚ということがありえるのかといった議論に至ってないということを掘り下げが浅いと言っているのである。

まあ、そうは言っても一般の人たち、すなわち既成のメディアに踊らされている人たちに向かっては正論として言うべきことは言うというのはいいことだと思う。常識がいつのまにかゆがめられている現状では、こうしておおいに吠えてもらいたいのである。

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    • 1 楡さんあなたも衆愚です。
    • 1 著者本人が衆愚である
    • 5 「一億総白痴時代」から「衆愚の時代」へ
    • 1 タイトルわかりにくい
    • 4 悪貨は良貨を駆逐する
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2010年4月26日

ソラニン

ソラニンってジャガイモの表皮や芽に含まれる毒の一種のことらしい。映画の中でもこのことは語られるし、ジャガイモにまつわるシーンも出てくる。だからって、何を意味しているのかはわからない。(食べごろを逃すと毒が出る?)

映画「ソラニン」は原作が浅野いにおの同名のベストセラーである。大学を卒業して2年経つ若者たちが主人公で、軽音楽サークルで一緒だった仲間が登場する。主人公の種田はフリーターでOLになった芽衣子という女の子と一緒に暮らしている。その種田とバンドを組んでいた、実家の薬局をついだビリーやいまだ留年中に加藤たちとの青春のひとこまが語られる。

「ソラニン」は言ってみれば、“モラトリアム”映画である。モラトリアムというのは社会に出ても一人前の人間となることを猶予されていることを指すが、映画でも、一体自分はこれから何をしたらいいのか、それがみつからないということが繰り返し口から出てくる。

だから、聞いてるほうからすると何をぐたぐた言っているのか、もっとしっかりせよと説教したくなる。ところが、よくよく考えてみると、自分が同じくらいの年齢のときどうだったのだろうかと思うと、やっぱり同じようなものだったみたいなのだ。

だいぶたってから、小此木啓吾の「モラトリアム人間の時代」を読んだとき、そうだあの時のおれはまさにモラトリアムそのものだったと感じたものだ。意外とこのモラトリアムな若者が映画に登場してこないのではないかと思ってみる。燃える男や、暴走する若者、最近は単なる草食系男子にくらべると映画になりにくいのかもしれない。

映画では、種田がフリーターをやりながら、学生時代のバンドも続けていて、続けるといってもただ練習しているだけなのだが、音楽をあきらめきれないでいる。そんなとき、芽衣子もOLをすぱっと辞めてしまうのだが、種田にバンドをやったらと働きかけるのである。

それでなんだかんだあって、CDを作って音楽事務所にも声をかけられるのだが、アイドルのバックをやれと言われて断ってしまう。結局、どこからもオファーがなくあきらめてしまい実家に帰ると言いだす。結局、またその挫折から立ち上がろうとする矢先に交通事故に合う。

てなことは、若者は誰でも経験するようなことかもしれない。こうしてみな大人になるのだ的なことだ。その若者を、高良健吾、宮崎あおい、桐谷健太、近藤洋一、伊藤歩が演じているのだが、みな自然な感じでとてもよかったと思う。そんなに評判はよくないみただけど、ただ長すぎたことを除けば、ぼくはとても面白く観た。
  

2010年4月27日

IT雑感 -自治体業務の構造-

少しばかり、自治体の業務について調べていて気がついたのが、当たり前のように企業と同じだなということである。どちらかというと電子申請みたいなことが、自治体のIT化と思われるが、それ以後ににある業務プロセスのことである。

どうも、IT業界の人は業種業態の特殊性を強調するきらいがあって、そこの業務知識がないとシステムは作れないような言い方をする。それって、多分かなり下位レベルの業務プロセスのことを言っていて、業種業態というより属人的な要素が大きいところのことではないでしょうか。あたかも、その業種に特有のことみたいになっているようにみえるが、実は何のことはないその会社独自のやりかたであったり、あるいはその職場に昔からあったしきたりだったりする。

だから、まずは業務プロセスの抽象度を上げて眺めてみるとそうした特異性を排除できるのでだいぶ景色が変わってくる。あるいは、トップダウン的に大きなプロセスから落していってみるという方法でもいい。

で自治体の業務のことである。公共の仕事は一般の企業活動とは異質であるという論には、どこが違っているのかと問うてみたい。企業の活動は、簡単に言えば、製品あるいはサービスを作って、それをお客さんに販売して、売上げを上げ利益を出すことで、その活動のためのマネジメント機能やヒト・モノ・カネなどのリソース管理を行うことである。

基本にあるのは、売りものになる財やサービスである。では、自治体ではそれは何であるのかということになるが、言うまでもなく「住民サービス」であろう。お客さんは住民である。そして売上は税金や保険料になる。

ですから、住民からどんな申請(依頼)があって、その依頼に対して素早く的確に答えてあげるというふうにプロセスを捉え、その結果として保険料や税として賦課し徴収すると考えれば、基本的には企業の事業活動と同じに思えるのだ。

ただ、利益を出すものかどうかという問題があるが、これとて利益を出すように管理するのではないだろうか。もちろん、いっぱい儲けるということではなく赤字にならないように運営し、余剰金は新たなサービスの創出や既存サービスの向上に向けるということではないだろうか。これって、普通の事業活動ですよね。

ここで違うこともあるぞと気づかれたと思いますが、企業では財やサービスを売ってはじめてお金が入ってきますが、公共はまず税という形でお金を召しあげて、それをあとからサービスを提供してあげるというふうに考えられていることです。それは、国や自治体には税の再配分という役割があるからですが、どうもそういう意識が強すぎて、住民が欲していないようなサービスを平気で提供することになってやしないだろうかと思うのである。

昨今の民主党の施策はそんな感じが大いにするのである。ですから、少しだけでもいいから、サービスを提供して、それに対する対価として税や保険をいただいていると考えてみることも必要ではないだろうか。続きはまた。

2010年4月28日

IT雑感 -自治体業務の構造(続き)-

さて、昨日は自治体業務と一般企業における業務の類似性について考えてみましたが、その自治体業務の構造をみていきましょう。この自治体業務というのは財務とか人事などの内部プロセスを除いた住民との関係が主体の業務の領域のことです。

大きくは、住民記録系、保険・福祉系、税系という3つのカテゴリーに分けることができます。ざっくりとその性格をみると、住民記録というのは台帳管理のことで、言ってみれば顧客マスタ、商品マスタ、取引先マスタといったマスタデータのことです。

保険・福祉系は健康保険や国民年金、介護保険、生活保護といった様々なサービスと主に申請に基づいて提供する業務プロセスです。いわゆる、顧客接点サービスプロセスですね。税は売上を管理する財務会計システムということになります。

以前、プロセス改革モデルということで、価値提供力(コンピテンシー)と組織能力(ケーパビリティ)が縦横で交錯する図を示したことがあると思いますが、ここで言っている業務はこの価値提供力ということになります。

この業務はほんとうに様々なものがあります。例えば、保健・福祉系だけでも400とか500くらいあると思います。もちろん似たようなものもありますが、ほんの少し違ったりしています。ですから、同じようなところは共通化するとかなりパターン化できることがわかります。

そのパターンは、相談-申請受付-入力-審査・調査-決定-印刷-発送といったものになります。これをみてお気づきかと思いますが、「Kailas」でいう業務プロセスのマクロフローパターンとほぼ同じになります。すなわち、依頼が来て、その依頼を受付けて、そのあと意思決定を連鎖させる、すなわち審査・調査・決定ということを行います。その結果を登録・報告のために印刷・発送することになります。

ですから、前回も申し上げたように非常に似通ったプロセスであり、同じように扱えるということがわかると思います。これはマクロのレベルでのプロセスを比較したからであって、もっと細かいところで見てしまうと、それこそ各自治体でみな違うし、人によっても別のやり方があったりします。

標準化や共通化というのは、こうした例外性や属人性を排したレベルで行わなくてはいけないということであり、逆にいえば、そうした適切な抽象度レベルあるいは粒度を設定すれば標準化・共通化できるということも言えるのです。

ところで、自治体業務における組織能力(ケーパビリティ)のほうはいったいどうなっているのでしょうか。この組織の能力というのは、サービス提供プロセスを実行するための組織的な活動の方向を示したり、支援するための資源を提供することなのですが、どうもはっきりしてないように思います。

ここらは、実際の場を知らないので軽々しく断定してはいけないのですが、少なくとも組織目標という機能に対しては弱いように見受けられます。すなわち、企業では、経営方針から、事業戦略があり、それを具体的に実行するための計画や予算が設定されます。

こうした機能は自治体ではどうなっているのでしょうか。予算は上から降ってくるから、方針なんて首長が変わったらすぐ変わるから、しょせん収入は景気に左右されるものだから、といって何も努力していないのではないだろうか。

ですから、システムという面から見ても、住民サービス提供プロセスはかなりイメージがわいて、しかも一般の企業との差異がないことがわかるが、もう一方のケーパビリティ管理がどうなっているのかがよくわからないのだが、公共にもある程度の経営感覚が必要だと思うのでより興味があるところである。

2010年4月29日

技術の伝え方

「Kailas」という業務アプリケーションフレームワークを作っていて、その中で協働的な働きの場を提案している。すなわち、日常の業務において、孤立した個人がばらばらで仕事をするのではなく、コラボレーションしながらやろうよということである。

そしてこうした場の提供がもたらすメリットに技術の伝承がある。技術の伝承というとちょっと大げさなので、知識・経験・ノウハウの伝授といった方がいかもしれない。ホワイトカラーではここのところが主だろう。

そんなことを考えていくと、重要なのはどうやって伝えるのかという問題になる。そこであの失敗学で有名な畑村洋太郎の「技術の伝え方」(講談社新書)を読む。畑村先生は失敗知識を生かそうという活動を長年やっていて、そうしたデータベースも多く集めていて、非常に参考になる。

いま、技術の伝承とか、どうやって伝えるのかというような言い方をしたが、この本ではそこを否定的にこう言っている。まず「伝承」というと、時間をかけて確立されたものが世代を超えて変わることなく引き継がれるというイメージがある。

これだと受け継いだものを変えてはいけないということになるが、そうだろうかということである。そうではなくもっと柔軟であり、受け継いで自分のものに変えて消化することもあるわけで、そうした意味では、「伝承」ではなく「伝達」であると主張しています。その通りだとぼくも思います。

また、どうやって伝えるかということですが、本書では“技術とうのは本来、「伝えるもの」ではなく「伝わるもの」なのです”と言っている。ここはすごく大事なところで、つい一生懸命伝えようとして教え込めばわかってもらえると思いがちです。しかし、そう簡単なものではないでしょう。そこをこのように記しています。

伝える側が、最も力を注ぐべきことは、伝える側の立場で考えた「伝える方法」を充実させることではありません。本当に大切なのは、伝えられる相手の立場で考えた「伝わる」状態をいかにつくるかなのです。

そして、難しいところとして、伝えるものというか、伝え方というか、どんなものを相手にぶつけるかがある。このとき伝達者が犯しやすい間違いに、わかりやすくするために客観的でなくてはいけないと思うことである。伝える時きちんと整理した方がいいと思いがちだが、むしろ主観的に語った方がいいのだという。たしかに、生きたノウハウというものは得てして主観的なものかもしれない。

このような、実践的で示唆に富んだ提言が随所にあってためになる、ぼくは、製造現場に長くいたので実感としてすごくわかるのだが、このことは決して現場だけではなくオフィスの中でもあてはまると思う。
  

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    • 4 相手のことを考える
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2010年4月30日

鈍獣

もともとはクドカン(宮藤官九郎)の芝居でそれを映画用に書き下ろしたものを、CM界で名が知れている細野ひで晃が初監督という作品「鈍獣」を観る。タイトルからや、そして人物設定などから、はちゃめちゃなコメディかと思いきや、ぼくには非常に真面目な映画に思えた。

始まりは、失踪した小説家を捜しに女性編集者がある町に着いたところからで、この町が相撲の町というなんとも訳のわからない設定で驚かされる。その町で、その小説家の同級生や友人から消息を聞き出そうとするが、そんな彼、彼女の言っていることがまたまたハチャメチャで、ウソかマコトかもわからないという展開である。

そのうち、同級生3人の小学校時代のエピソードが語られ、その知られたくない過去をその小説家が「鈍獣」という題で雑誌に連載していることがわかる。その過去を書くのをやめさせようとしてその小説家を殺そうとするが、何度も殺されかけるが死なないのだ。鈍感な男、すなわち鈍獣である。

その知られたくない過去というのは、同級生を鉄橋を渡る肝だめしで死なせてしまったと思いこんでいることで、この辺りになると、ドタバタ「スタンドバイミー」の世界になるわけで、過去の苦い思い出を共有する大人が過去を振り返るという物語である。

この小説家に浅野忠信、同級生だったやくざに北村一輝、警官にユースケ・サンタマリア、女性陣は編集者として真木よう子、やくざの情婦に南野陽子、ギャルに佐津川愛美とうという布陣。それぞれのキャラが立ちすぎているがおもしろい。

さすが、宮藤官九郎の脚本と思わせるギャクの連発で笑ってしまう。あまり、デフォルメした表面だけみていると、何だ悪ふざけも過ぎるなんて思う人もいると思うが、例えば、地方と東京の対比といった現代の悩みみたいなものもまじめに採り入れていて、けっして作品の質を落としているとは思えない。
  

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