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2010年2月 アーカイブ

2010年2月 1日

業務システムの再定義-まとめ(6)

ビジセスとITを結ぶためのポイント-その3

3.情報共有の場で仕事をする(Collaborative Workspace)

最後の3つ目のCollaborative Workspaceについてです。企業における仕事は一人でやるものではありません。ところが、既存の業務システムは一人でやるような仕組みになっているのではないでしょうか。そこに問題があるような気がします。

以前にも紹介したチェスター・バーナードの組織論では、組織を「孤立した人間の集団ではなく相互に影響を及ぼし合いながら成立する体系(システム)」ととらえています。そのために必要な組織の3要素を、「共通目的」、「協働意欲(貢献意欲)」、「コミュニケーション(伝達)」であると規定しています。

そのものずばりで理解できると思います。そうであれば、組織と業務システムは一体であると考えていますので、組織の3要素も業務システムに必要な要素であると言えます。ではそれぞれについて考えてみましょう。

仕事をする上で共通目的を共有してそこに向かうことは非常に重要です。ではその共通目的を今はどう設定して、どう知らしめているのでしょうか。もっと言えば、業務システムを使って仕事をするのにそれがどこに表現されているのでしょうか。最初に言ったように従来のような業務システムではそこが弱いように思うのです。

そこを変えていくのがプロセス志向なのです。プロセスを作るときの大事なことの一つにプロセスの始点と終点を決めることがあります。このときにそのプロセスの“合目的性”をチェックします。(間違えてはいけないのは、目的の明確化ではないということです)すなわち、なぜそのプロセスが提起されて、何を成果とするのかを定義するわけですが、それが会社のビジネスの目的に合っているかを問うことをします。こうしてできたプロセスを組織で動かすのですから「共通目的」は確保されるのです。

「協働意欲」と「コミュニケーション」はどうでしょうか。近頃の職場は、合理化が進み、最小人員で運営するようになっていて、どうしても他人のことはかまっていられなくなり、チームプレーから個人プレーに傾いているように見えます。こうした傾向は組織としての能力が単に個人の和でしかないという事態を招来しています。

さて、どうしたらいいのでしょうか。それが情報共有の場で仕事をすることなのです。個人の机の上にPCがなかった時代には、だれかの机のまわりに当事者が集まって、直接の会話や電話をしながら、時にはけんかをしながら、そして、紙や黒板に書いて、ものごとを決めていました。それを、PCの画面上に再現すればいいのです。これは、Ontologyの概念に通じるものだと思います。

ここでも前と同じように、なぜそうしたことをしたいのか、どんないいことがあるのかについて考えてみましょう。それは次の2つであると思っています。

(1) 意思決定の質の向上
(2) 技術・ノウハウ・経験の伝承

Web2.0でよく言われるのは、参加型のアーキテクチャとか集合知があります。これらは、意思決定の質の向上をもたらします。この実現の場がCollaborative workspaceなのです。“練りに練った”、“バランスのとれた”、“英知を結集した”デシジョンが生まれるのです。

また、そこに参加するメンバーは自分の意見を出すことが求められています。もしそこで何も言わなければ、そこで確定されたものに賛成したことにするわけで、そうなると自分の経験やアドバイスを言わざるを得ない状況となるはずです。そして、こうしたコメントはアーカイブされ、分析を経て次の類似案件で生かすことができるのです。

そして結局、このような形のコラボレーションが、「不機嫌な職場」からの脱却をもたらしてくれるのではないかと願うのである。
  

  

2010年2月 2日

世論の曲解

昨年の総選挙で記録的な圧勝をした民主党が、最近迷走しているのが気になるのですが、その一方で惨敗した自民党の体たらくが指摘され、本当なら民主党の敵失を有利にもってこなくてはいけないのにそれができていない。

なぜこんなことになってしまったかを解き明かしてくれるのが、「世論の曲解」(光文社新書)である。著者の菅原琢は、若手の政治学者で、データを駆使して客観的な論評を行う。ネットでも「国会議員白書」というのを公開していて、様々なランキングやデータ分析結果が出ている。

われわれは、世論というものをおおかたの場合マスメディアから得ている。あるいは、最近ではネットからも入ってくる場合がある。ところが、その世論というのは、どう形成されているかというと、全員に聞くわけにはいかないので、あるサンプルから見るが、そのサンプルの取り方、それと結構重要なのは、質問の言葉でかなり変わるのである。

ということは、メディアが“意図的”に“恣意的”に世論を作れるということも意味している。だから、予断や思い込みがないように客観的にかつ俯瞰的にデータを読むことが求められている。しかし、残念ながら日本のマスメディアで、ましておやネットでそんなことをしているところはない。

そうした指摘で代表的な例として、小泉政権の評価を取り上げて解説してくれている。いまや、自民党の守旧議員や国民新党の議員たちは、小泉政権時代の負の側面が敗因に結びついたと信じているが、それが間違いであるということを示したのである。

具体的には、05年の選挙で圧勝したが、その2年後の07年の参議院選挙で大敗したことを比較している。多くの人は、これは小泉構造改革で地方・農村が衰退したという「逆小泉効果」によるとしている。そのため、これらの地域の有権者が、いまの自民党から離れて民主党を支持するようになって、1人区で負けたという解釈である。

ところがデータが物語るのは、「逆小泉効果」なんかではなく、単に「野党が大勝した」ためなのである。だから、自民党は実力通りであって、野党がそれを上回っただけなのである。すなわち、逆に言うと、05年の圧勝は小泉改革路線が、旧来の支持層ではない都市部の若年層を引き付けたからであって、07年の安倍政権はその層を完全に野党にもっていかれたというわけである。

このことは何を意味するかと言うと、もはや古い自民党を支持する人たちはどんどん少なくなってきているわけで、そうなる党勢を取り戻すのは、新たな支持層、とりわけ都市部の若い有権者にいかに魅力をもたせるかであるが、いまや全くその反対のことをやっている。

小泉改革は功罪あるにしても、09年の選挙もそうだが、振り子のように民主党にふれた人々は、実は小泉政権のような改革路線をのぞんでいるのだ。そしてまた、今の民主党がそうした意識をくみ取っているかというと、むしろ反対のようになってきている。

こうして、しばらくは停滞する日本の政治を見せつけられると思うと脱力感に襲われる。明らかに、この閉塞感や硬直感を早く打破してほしいと願っている若者がいるということを知らなければいけない。そういったものが世論としてつたわらなければいけないと強く思う。

この本は、そうしたデータの読み方で事実と思われる様相が本当は逆かもしれないということを教えてくれる。データが多く読むのが大変であるが、マスメディアも読んでもらいたい好著である。
  

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2010年2月 3日

まあこんなものか

昨日、大分・九州石油ドームで行われたサッカーの「キリン・チャレンジカップ」で日本代表がベネズエラ代表を相手に0―0で引き分けた。試合は、全く面白くなく凡戦といってもいいくらいだった。

ただ、シーズン明けの第一戦ということで実戦慣れしていないと言う点を割り引かなくてはいけないので、あまり嘆いてもしょうがない。だから、まあこんなものかというところである。

しかし、いくつかの気になるところがある。ひとつは、スペースの使い方がまだまだできてないように思う。中盤での流れるようなパス回しというのがあると思うが、これはただパスを回せばいいというわけではないし、少なくとも攻撃的でなくてはいけない。そのために必要なのは、スペースに入り込んでパスを受け、そこで生まれた新たなスペースにパスを出すという連動である。

ところが、難しいのは、パスの速さと正確さが狭い範囲ではできるが、ワイドになるとできなくなるということである。だから、新たなスペースを生むには広い範囲を使う必要があるが、そうなるとパス精度が落ちるから、どうしても範囲を狭める、とりわけ中央にかたまるということになる。昨日は、この傾向があったように思う。

それともひとつは、平山の起用である。おそらく攻撃のオプションとしてのポストプレーをみたのだろうが、いまさらという感じである。もうこの戦形はやめたのではないのだろうか。これまで、スピードでバックスの裏を突く、アーリークロスを一瞬の差で決めるという生き方を採用したのではないのか。

というのは、コンセプトがまるで変わるからである。一人だけ変えただけのインパクトで済まないように思う。中盤からも人を入れ替えないといけないかもしれないからである。そんな、股裂き的な戦術をとったらいかんのではないだろうか。ついでかいフォワードは魅力的なので、使いたくなる気持ちは分かるが、イブラヒモビッチならいいが平山ごときでは世界に通用しない。

ということで、まだも少し時間があるので何とかしてもらいたい。今度の東アジア選手権でどんな姿を見せてくれるかを楽しみしよう。

2010年2月 4日

業務システムの再定義-閑話休題(10)

業務システムとクルマを比べてみる

クルマもシステムである。何らかの目的を実現するための仕組みと仕掛けが施されたものという意味でシステムなのだ。ということであれば、このクルマと対比をすることで業務システムとはどうあるべきかを考えてみたい。

こうしたたとえをすると、すぐに自動車産業の生産システムと業務システム開発の比較を思い浮かべます。ですから、ベルトコンベアの生産ラインだとか部品化、“すり合わせ”技術だとかといった議論になります。

人によっては、日本のIT産業は自動車産業化しなくてはいけないなんて論を張る。ここを少し掘り下げてみていくと、現状のシステム開発やIT産業の問題点が見えてきやしないかと思うのである。

それではまずは、自動車の生産システムをとりあげてみよう。この生産システムの目的は何でしょうか。何のために存在しているのでしょうか。それはあたりまえですが、ある決まった車種の車自体を作ることです。目的生産物がモノとして存在していて、それをいかに効率的に生産するかということになります。

それをIT産業に当てはめるとどうなるでしょうか。これは、ソフトウエアやパッケージの製造にあたります。自動車そのものはプロダクトだからこうしたものと同じと言えます。大型セダンがERPで、軽トラックがグループウエアでとかそんな風に考えられないこともありません。あくまで、道具に近いものという捉え方になります。

では少し観点を変えて、IT産業に多く存在するSIerというのは、自動車産業ではどこに相当するのでしょか。自動車販売代理店でしょうか、ちょっと違いますよね。ということは、そんなものは存在しないということではないでしょうか。

もしあるとしたら、誰かがこんなところでこんな使い方ができる車がほしいと言うと、はいそれに合った車を作ってあげましょうという会社があるということです。だから、家電にしてもそうだが、そうした機能はないのだ。似ているのに建設業とか住宅があるが、これとて、スクラッチからというのは少ないと思います。

だから、自動車産業はいいと言っているわけではありません。逆に、自動車はプロダクトアウトだから、お客さんの生活スタイルがこうだから、それにフィットした商品を提供するというアプローチというより、これを使えという感じですから、ベンツに乗って田んぼのあぜ道を走ることもあるわけです。

こんな風に考えると、顧客志向とか顧客満足度を上げるとか言うが、それを強く打ち出すと、極端な話、一品ずつ手作りとなるわけで、逆に、作ったものをそのまま使ってもらうとなると、スタイルに合わない、あるいは使わない機能がでてくるとかいったギャップが生まれます。

ここで飛躍してしまうかもしれませんが、電気自動車になった場合、ずいぶんと車のイメージが変わるような気がします。今は、ガソリンエンジンなのでどうしても同じような形になってしまいますが、それがモーターになると、様々な意匠が可能になるのではないでしょうか。

慶応大学の清水教授が開発したエリーカのインホイールモーターを使えば、どんな形の車でも作れてしまいます。個人的にはエコとしての電気自動車より、こちらの方がインパクトあるように思います。

少々、脱線しましたが、モジュール化がキーになり、そのモジュールの機能粒度と性格付けをどううまく設計できるかであるように思います。これは、自動車であろうが、家電であろうが、住宅であろうが、ましておや、業務システムでも同じことが言えるのではないでしょうか。そこのコーディネータとしてSIerが生きればいいのだと思うのです。
  

  

2010年2月 5日

ハンサム★スーツ

古今東西、だれでもハンサムであった方がいいと思っているが、しょせん生まれながらのものだから、そうならなかったらあきらめるしかない。いくら整形したところで、どこやらの犯罪者が逃げおうせなかったのと同じように正体は隠せない。

だから、これも昔からハンサムとブサイクの格差は厳然とあるのだが、それをもろに対比させたのが「ハンサム★スーツ」(英勉監督)という映画だ。演じるのが、ハンサムを谷原章介、ブサイクは塚地武雄である。さらに女版もあって、北川景子と大島美幸である。

ストーリーは題名からもわかるように、そのスーツを着ると(なんと青山が提供する)ブサイクがハンサムに変身できるというやつで、変身してみると、女からはもてるし、みんなからちやほやされる。

人間は誰しも変身願望があって、現実には叶わないから映画ででも擬似体験したいと思うわけで、その意味では、この手の映画は手軽に楽しめるものかもしれない。

ただ、観終わって、まあこんなものかなあと思っていたら、なんだか徐々に腹が立ってきた。なぜかと言うと、あまりにも類型的すぎて、ありきたりの人物設定に違和感を持ったのである。

すなわち、ハンサムは容姿のよさとひきかえに性格がというのに対し、ブサイクは気が優しくてといった風に描かれるのである。ハンサムにだって性格いいやつもいるし、ブサイクでいじわるやつもいるのが現実だ。そんなステレオタイプ人間ばかりではない。

だから、やっぱり人間は見た目ではなく心だななんて言われても、ハンディがあっても明るくいこうと言われても、そいういうノリは素直に面白がれなかったのである。ブサイクをネタに笑わすのはテレビのバラエティだけで十分じゃなのか。

あまり言いたくはないが、少々辛口になった映画であった。
  

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2010年2月 6日

若者はなぜ3年で辞めるのか?

よく読んでいるブログに「joe’s labo」というのがある。人事コンサルタントの城繁幸さんが書いている。この人は、元富士通の人事部にいて、あの富士通の成果主義を内側から見てきた人である。まだ30代の若い人だ。

毎日のようにブログを読んでいながら、彼の著作を読んでいなかったのであわててベストセラーになった「若者はなぜ3年で辞めるのか?」(光文社新書)を遅まきながら読む。主に年功序列による弊害から、そのしわ寄せがみな若者にいってしまっている現状を批判している。

この本で訴えていることはひどくよくわかる。現行の人事制度の問題や組織あるいは労働組合の問題といったことは、実はぼくは分社化による子会社設立に関わったことがあるので、出向や評価と処遇の問題、給与水準の設定、キャリアパスや人材育成をどうするかなどなど多くの人事問題に遭遇したので、実感として残っている。

こうした経験から、この本に書かれている問題提起もよくわかるし、一方でそこを変革する困難さもわかる。問題の所在がわかってもそれを変えるためには非常に大きな壁があることも確かなのだ。

さて、このタイトルのなぜ辞めていくかは、せっかく意気に燃えて入ったのに上がつかえていて、やらされる仕事もつまらないからである。そして、従来の企業ではそこを我慢しなさい、そうして年功をかさねれば、地位もあがるし、給料もあがると言っていたのである。

しかし、そんな時代はとっくに終わってしまっていて、そんなことをしていると企業がつぶれてしまう。だから、企業は仕事ができるやつだけの筋肉質の会社にしたいのである。ところが、現実はノンワーキングリッチが居座ったままでなかなか退室しないから、若者は大変な閉塞感を感じているのである。

そんなような話が随所にでてくる。本来は企業も社会も若者を生かすことで新陳代謝をはからなければいけないのにそれと反対のことをしている。だから、希望もないから少子化という現象が現れるのである。ひとえに、若者が目を輝かせる世の中にしなくてはいけないのだ。

ぼくは団塊の世代だから、勝ち逃げと言われる。しかし、勝ちだとか負けだとか言っていないで、みんなが、各世代が応分に負担していけるような制度設計をちゃんとやらないといつまでたっても活力のない世の中のままのような気がする。3年半前に書かれたというのに現実が何も変わっていないことに暗然となる。

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2010年2月 7日

論評できず

昨日のサッカー東アジア選手権の中国戦で先日のベネズエラ戦と同様のスコアレスドローという結果であった。ベネズエラ戦はテスト的な意味合いもあったので許すとしても、昨日は公式戦でもあり、格下中国であるから、もう少しましな試合を期待していたのは僕だけじゃないと思う。

その期待をものの見事に裏切ってくれた。PKを楢崎が止めてくれなかったら負けていたのだ。いいところがあったのだろうか。まあ、内田と長友の両サイドバックのシュートくらいかもしれない。このサイドバックによる得点というのがでかい相手とやる場合の一つの攻め口だと思うが、それしかなかったことに問題がある。

というのは、本来はサイドバックの攻め上がりから、ニアーへ早いパスを送り、そこに走りこんだ岡崎なり玉田が切り裂くというのがコンセプトではなかったのか。そこを徹底的にやるというコンセンサスではなかったのか。昨年の岡崎の得点はそうした展開から生まれたはずである。それができていないから、自らがシューターとなっていたのだ。

それにしても、シュートを打たないなあ。なぜ打てないのだろうか。それは、単純にシュートの意識がないことだ。打つ気がないのだ。日本代表の問題は、パスの意識が強すぎて、強引でもいいから打つということが必要なのである。しかも実戦でそういう訓練をしていないから、シュートそのものの強度と精度が全然ダメなのだ。だから、所詮打っても入らないからとあきらめるという悪循環に陥っている。

特に、どんな試合でもミドルシュートがほとんどない。試合で遠目からでもどんどん打つこと、それも絶対にゴールの枠を外さないことをしつこくやり続けることが重要のような気がする。これって、天性に近いところがあるので、そういう選手を抜擢したらどうだろう。いないか。

なんか歯がゆい試合が2試合続いたので、みんなもすっきりしないと思う。次戦の対香港はどかーんと勝ってもらいたいと切に願うのである。
 

2010年2月 8日

業務システムの再定義-まとめ(7)

What(構造・道具)を先に構想する-その1

さて前回まで、ビジネスとITを結ぶためのポイントとして、Process Oriented、Operation Excellence、Collaborative Workspaceということを提示してきた。こうした考え方に基づいてどんな業務システムにしていくかになるが、つい、どん技術や言語を使ってとか、どんなパッケージで実現するのかといった作り方議論になってしまいがちである。

しかしながら、大事なことはこうしたHow to ではなく、実装から独立したどんな構造のもの、あるいはビジネスを実行するための道具はどんなものが要るのかというWhatを議論することなのである。

特に、いまは従来型の構造や道具では限界がきているように思え、そうしたものをベースにいくら方法論をとやかく言ったところで意味がないのである。そこで今までの議論を参考にしながら、Whatを見ていくことにします。

初めのほうでプロセス改革モデルから導かれた業務システム構造を提示してありますが、あれをもう少しIT寄りに分解していくことになります。そのときの切り口として、プロセスのカテゴライズをしてみます。業務システムの中に様々なプロセスが存在しますが、それぞれに性格や機能がちがったりします。分かりやすいと思うので、企業活動のPDCAサイクル(マクロ的な)で見てみます。

P:計画プロセス
D:実行・活動系プロセス
C:決算系プロセス
A:分析・リソース系プロセス

PとDはおわかりだと思いますが、C(check)がどうして決算系かというと、決算というのは、事業を実行した結果を集計して、正しく実行されたか、成果を上げたかをチェックして公開するという機能ですからCということになります。

A(Action)の分析・リソースは少し分かりにくいかもしれません。いずれも事業実行の結果を分析し、あるいはそれによってリソースの質や量を変化させたり、つぎのアクションに生かすという意味で言っています。ここは結構重要なところです。

今度は、それぞれを企業活動の中身をみていくことにします。少し前にEnterprise Ontologyの記事の中に3つのレベルのことを書きました。すなわち、
1.Datalogical :データ転記のような単純処理
2.Infological  :計算や加工といった意味付与を行う処理
3.Ontological :意思決定を伴う活動

これと、先にみたPDCAを対応付けてみます。Cの決算系というのはDatalogicalですね。逆にそうでなくてはねつ造みたいな話になりかねません。また、分析・リソース系はInfologicalだと思います。生のデータや情報をPやDに活かせるように加工するからです。

残ったPとDは、どうもOntologicalのようですね。計画でも中期計画とか予算のようなものと、実行系に連動した計画があるので、それを実行・活動系に含めて考えると、そこの領域こそ企業活動の骨格で非常に重要になります。まさにOntologicalなわけです。

従来の情報システムの構造は、InfologicalとDatalogicalの世界が中心でした。ですから、DについてもむりやりInfologicalとDatalogicalでの取り扱になっていたのではないでしょうか。

どうも類型化のほうに行ってしまって、構造や道具の話からそれてしまったので、次回からはもう少し具体的なWhatのことに入っていきます。

2010年2月 9日

好きなハリウッド男優

この間、偶然につけた「スマステーション」というTV番組で「大人がハマった好きなハリウッド俳優<男性編>ベスト25」というテーマで放送していた。そしてそれぞれの男優さんのブレイクするきっかけとなった作品とファンが選ぶ1本というのをちらっと見せてくれる。大変面白かった。

一応その時のランキングを示す。順位と名前、それと「彼がブレイクするきっかけ」/「ファンが選ぶ1本」というふうに書いてあります。もちろんぼくの選んだものと違うのでその後にその相違を言っておくことにする。

 第1位 ジョニー・デップ
 『シザーハンズ』(90年)/『パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち』(03年)

 第2位 リチャード・ギア
 『アメリカン・ジゴロ』(80年)/『プリティ・ウーマン』(90年)

 第3位 トム・クルーズ
 『トップガン』(86年)/『ミッション:インポッシブル』(96年)

 第4位 アーノルド・シュワルツェネッガー
 『ターミネーター』(84年)/『ターミネーター2』(91)

 第5位 レオナルド・ディカプリオ
 『タイタニック』(97年)/『タイタニック』(97年)

 第6位 ブラッド・ピット
 『セブン』(95年)/『オーシャンズ11』(01年)

 第7位 トム・ハンクス
 『ビッグ』(88年)/『フォレスト・ガンプ/一 期一会』(94年)

 第8位 ウィル・スミス
 『インデペンデンス・デイ』(96年)/『メン・イン・ブラック』(97年)

  第9位 キアヌ・リーブス
 『スピード』(94年)/『マトリッ クス』(99年

 第10位 ダスティン・ホフマン
 『卒業』(67年)/『レインマン』(88年)

 第11位 ヒュー・グラント
 『ノッティングヒルの恋人』(99年)/『ラブ・アクチュ アリー』(03年)

 第12位 シルヴェスター・スタローン
 『ロッキー』(76年)/『ランボー』(82年)

 第13位 クリント・イーストウッド
 『荒野の用心棒』(64年)/『ダーティハリー』(71 年)

 第14位 ブルース・ウィリス
 『ダイ・ハード』(88年)/『シックス・センス』(99年)

 第15位 エディ・マーフィ
 『ビバリーヒルズ・コップ』(84年)/『ド リームガールズ』(06年)

 第16位 ロバート・レッドフォード
 『明日に向かって撃て』(69年)/『スパイ・ ゲーム』(01年)

 第17位 オーランド・ブルーム
 『ロード・オブ・ザ・リング』(01年)/『パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド』(07年)

 第18位 ケヴィン・コスナー
 『アンタッチャブル』(87年)/『ボディガード』(92年)

 第19位 アンソニー・ホプキンス
 『羊たちの沈黙』(91年)/『羊たちの沈黙』(91年)

 第20位 ショーン・ペン
 『デッドマン・ ウォーキング』(95年)/『ミスティック・リ バー』(03年)

 第21位 アル・パチーノ
 『ゴッドファーザー』(72年)/『セント・オブ・ウーマン/夢の香り』(92年)

 第22位 マット・デイモン
 『グッド・ウィル・ハンティング /旅立ち』(97年)/『ボーン・アイデンティティー』(02年)

 第23位 マイケル・J・フォックス
 『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(85年)/『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(85年)

 第24位 ロバート・デ・ニーロ
 『タクシー ドライバー』(76年)/『レナードの朝』(90年)

 第25位 ジョン・トラボルタ
 『サタデー・ナイト・ フィーバー』(77年)/『パルプ・フィクション』(94年)

うおー、すごいでしょ。ジョニー・デップが1位ですよ。なかなか、いいところをついていると思いませんか。しかし、“大人がハマった”(どこまでを大人というかがありますが、勝手におじさんとしました)という形容詞がつくとちょっと待ったと言いたくなる。そこで入れ替え戦を行ってみる。

降格は、レオナルド・ディカプリオ、キアヌ・リーブス、オーランド・ブルーム、マット・デイモン、マイケル・J・フォックス、ジョン・トラボルタの6人です。

昇格は、ジュード・ロウ、ラッセル・クロウ、ジャック・ニコルソン、ニコラス・ケイジ、モーガン・フリーマン、デンゼル・ワシントンの6人となります。順位はそのまま入れ替わりでいいでしょう。どうです、すばらしいラインナップでしょ。こりゃ楽しいですね。
  

2010年2月10日

今度は愛妻家

年末から年始にかけての邦画の封切りが少なく、あまりいい作品がラインナップされないように思う。これはどうも各種映画祭の選考がこの時期に集中するので、いま公開しても1年後くらいに評価されるので、鮮度が落ちてしまうからではないだろうか。

ですから、2月くらいからやっと出てくる。そんな作品の「今度は愛妻家」を観る。監督が行定勲で主演が豊川悦司と薬師丸ひろ子である。この作品はストーリーを言うとネタバレになるので多くは語れないが、感動的な物語で良質の作品に仕上がっている。

トヨエツはカメラマンなのだが、仕事もしないでぶらぶらしているダメ亭主を、薬師丸ひろ子はその夫を支えるしっかりものでかわいい妻を演じる。この夫婦を演じる二人が素晴らしいのである。タイトルからもわかるように、最初、夫は妻の尽くし方を素直にありがとうと言えなくて、偽悪的にふるまう。

ところが、そのありがたみや本当は感謝しているのにそれが言えない自分を取り戻すわけだが、どうしてそうなるかを言うと最初に言ったようにネタバレになるのでここまでなのだが、言えないということは、そのカラクリを知ったら感激するということなのである。

この二人と薬師丸ひろ子演じるさくらの父親でオカマの役の石橋蓮司が絡むシーンはすごくおもしろいし、そのオカマが男と女の間を取り持つ狂言回し風でいい感じだった。そして、薬師丸ひろ子のかわいらしさが秀逸であり、トヨエツのダメぶりもよかった。

ただ、これで終わったかなあと思えるシーンからかなり引っ張るので、感動のピークを一旦過ぎてしまい、だらだらしてしまったのはもったいなかった。一気にたたみかけて終わらせればよかったのにと思った。

しかし、こうしたある種の乾いた夫婦の姿をしゃれた感じで撮る映画は好きですね。ハリウッドの映画なんかにもありそうで、それこそヒュー・グラントあたりがダメ夫を演じそうだが、邦画でもこの手の映画がでてきて、しかも結構お客さんも入っているようでいいんじゃないですか。
  

∞にできるシリーズ

昨日は、久しぶりに新宿で昔の知り合いと呑む。かつて仕事上の関係で知り合った人だが、ビジネスが成立したわけではなかったがなぜかいまだに続いている。不思議なもので、いまだに付き合いをしている人たちの多くが、同じように売った買ったの関係にならなかった人たちである。

昨日も、ソフトウエアビジネスの話から、プロジェクト管理そしてサッカーの話と楽しい時間を過ごす。そのあと、遅くなったが銀座の行きつけの「M」に立ち寄る。小里ん師匠が帰ったばかりで残念であったが、常連のIさんと一緒になる。

そうしたら、やおらカバンから取り出したものがあって、これ会社では受けなかったがwadaさんだったら受けると思うがなあといって、小さな玩具を見せてくれた。これが、ななんとバンダイから出た「∞(むげん)チョコレート」と「∞(むげん)ところてん」である。

チョコレートを無限にパキッと折れるやつと、押さずにはいられないところてんというわけだ。こりゃ面白い。このシリーズは、最初が「∞プチプチ」というやつで、なんと累計販売数25万個だという。そのあと、「∞エダマメ」とか「∞ベリベリ」、「∞缶ビール」なんかがある。

ばからしいと言えばばからしいのだが、人間はムダなことをやることがムダではないという不思議な動物なのでこんなものがはやるのだろう。きっとブログで書いてよねと言われたので書いていまーす。

写真はその「∞(むげん)チョコレート」と「∞(むげん)ところてん」で、おしぼりの向こう側にバーテンダーのKちゃんからのバレンタインチョコレート(これは多分無限ではないと思います)があります。
  
P1001373.JPG
  

2010年2月11日

業務システムの再定義-まとめ(8)

What(構造・道具)を先に構想する-その2

前回論じた中でこれからの重要な対象プロセスとして、実行・活動系のプロセスをOntologicalな扱いでシステム化したものが求められるようなことを指摘しました。そこの強化に向けてどういったものを作っていくのかがここでの議論になります。それを示したのが次の図です。この図の赤線で囲ったKeyProcessがそれにあたります。
%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%A0%E6%A7%8B%E9%80%A0%EF%BC%88%EF%BC%93%EF%BC%89.bmp
ですから、それ以外の決算系は既存のERPや会計パッケージで十分であると考えています。
そして、個別的に存在するWebアプリケーションやリソース管理システム(例えば、設備管理、在庫管理、物流管理、人事管理など)もそれぞれ特化したものがあって、それを使えばいいし、そこのデータ管理プロセスが弱い場合は、新しいプロセス構造で補完すればいいと思います。

さて、そのフロントエンドプロセスのシステム構造とツール化の問題になります。前からの流れで、まずはプロセス構造を考えていきましょう。業務プロセスを階層的な見方でとらえると、ハイレベルになればなるほど定型的で反復的であることがわかります。逆に言えば、ローレベルでは非定型でアドホックなものになっています。

ここで注意しなくていけないのは、データ処理や情報処理といったレベルは定型的ではないかということですが、あくまでプロセスというレベルの話であって、スナップショット的なアクションは除いています。

なぜ、レベルが低くなると定型的でなくなるのかというと、人間が介在する余地、すなわち人のつながりで仕事をすることがでてくるため、意図的な要素が入り込んでくるからだと思います。ですから、そこの線引きをする必要があります。道具の作り方が変わるからです。

この2段プロセスの構造が重要なポイントになります。この2段の上位プロセスというのはある程度パターン化できるものです。ここは、個人のつながりではなく組織のつながりになってくるので、あいまいさが排除されてくるのです。この辺りは何度も議論してきたところです。

一方、下位のプロセスでは、あらかじめきちっと決められないことが多く、ケースによって様々な様相を呈します。こうしたタイプでは、線で結んだり、ツリーで書くことは難しいのです。ですから、“線”ではなく“場”という概念が必要になると言っているのです。

上位はフローで下位は場でという構造になります。別の見方で言うと、業務プロセスとは「人のつながりでしたしごとのつながり」という構造になるわけです。しごとのつながりだけでもなくひとのつながりとの合わせ技が現実的な解であると思うのです。
  

2010年2月12日

だいじょうぶ?

サッカー日本代表が何とか香港を破った。3点入れたからいいと思うのか、たった3点かよというのかはあるが、点数というより「楽しく」試合ができたのかが問われるのではないだろうか。

この「楽しく」という感覚は大事で、要は自分たちのペースでチーム全体として意図的にゲームを動かせたかである。これは、単にボールポゼッションが高いとかシュートをいっぱい打ったとか、逆に押されっぱなしだったとかいうことではなく、“読めているか”であろう。

そういう意味でいうと、昨日の試合は問題があるように見えた。おそらく、やっている選手も何かもどかしさみたいなものを持っていたはずだ。だから、楽しくなかったと思う。あれだけ守備的なシフトでこられているのに、それを“読んで”やっていたかとどうか。

それは、相手の問題だけではなく、天候だとか、ピッチコンデションだとかいった要素に対しても同様で、昨日は雨が降ってピッチもびちゃびちゃだったのに、いいコンデションの時と同じようなやり方だった。たとえば、そんな時は遠目からでもグランンダーのシュートを打てばいいのに全くしていない。

こうしたことって教えていないのだろうか。しかし、これは多分教えてできるものではないのかもしれない。持って生まれたセンスだとか、経験といったことが大きいだろう。ひとことで言えば状況判断ということなのだが、そんなことをしなくても力でねじ伏せることで生きてきた選手では、なかなか身につかない。

だから、ぼくの偏見かもしれないがあえて言うのだ。平山と大久保の国見勢はやめた方がいいと思うのである。どうも、日本がめざすべきサッカーと違うような気がしてしかたがない。少なくとも、二人とも点が取れないのはどうしようもない。

まあ、それにしてもチーム状態はよくないが、本番は6月だからそれまでに立て直せばいいのだが、時間が間に合うのだろうか。海外勢が入ったときにまたカラーを変えるのだろうか。そのへんがどうもよくわからないのだ岡田さん。

2010年2月13日

ダメジン

三木聡監督の作品でまだ観ていなかった「ダメジン」を観る。公開は2006年で「イン・ザ・プール」と「亀は意外と速く泳ぐ」についでなのだが、撮影は2002年にクランクアップしていたので、これが彼の最初の映画作品である。でやはりというか、しょがないというか、まだ三木ワールドとして評価される前だからダメジャンというのが正直な感想である。

やはり第一作は試行錯誤や戸惑いみたいなものがあって、完成度がイマイチになってしまうようだ。だから、順序が逆になって、前2作のあとで見ると余計そんな気がするのかもしれない。

ストーリーといったものはあってないようなもので、毎日何もしないでぶらぶらしている3人の男が登場して、そのダメぶりとその周囲のこれまた何かはしているんだけど違ったダメぶりを発揮するというエピソードが続く。

こういうのを脱力系というらしいが、まだこのときはそうしたコピーはつけられていなかったと思う。だからかどうかわからないが、ぼくは脱力というより、モラトリアムという感じで受け止めた。何かしたいのだが、どうしていいかわからないので、何となくブラブラしているふうに見える。

この辺りは、これからの三木作品ではよくあらわれてくるモチーフで、それを否定的ではなく肯定的にとらえていて、みんなあらかじめ引かれたレールに真面目くさって乗っていくというのもどうだろうか、ちょっとそこから外れてみてもいいんじゃないという感じである。

このころから、三木組の脇役オールスターズの出演である。これ以後三木作品に頻繁に登場する、温水洋一、ふせえり、笹野高史、岩松了、村松利史らである。かれらの面白さというのは、まじめに“オカシサ”を演じることで、とくに岩松了なんて、正常と異常の境目がわからない不思議な存在感で好きです。

毎回ですが、こんな変な映画を観るのもたまにはいいものです。

  

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2010年2月14日

サンバの国に演歌は流れる

昨年末にこのブログでもエントリーした「日系ブラジル人の俳句と短歌」という公開講座で講師をつとめた国際日本文化研究センター教授の細川周平さんの著書である「サンバの国に演歌は流れる」(中公新書)を読む。1995年発行なので普通の本屋さんには置いてなくてブックオフに出たのを買ってきた。

細川君は、最近はブラジル移民のことを研究していて、それも単に歴史を追うというのではなく、この間の講演のように俳句とか短歌という文芸という視点からさぐるとか、この本のように音楽という切り口で分析するとかいったアプローチを行っている。

なかなかユニークな研究で興味深い。彼はぼくの中学、高校のサッカー部の後輩で、先月の高校サッカー部の90周年記念懇親会でも会ったのだが、そのとき、この間の講演会は大変おもしろかったよと言ったら、「いやー、ハンドボールみたいなものでメジャーじゃないですよ」と謙遜していた。「ボブスレーよりいいじゃないか」と喉まででかかったけど言うのをやめた。

さて、この本は明治41年(1908年)笠戸丸から始まるブラジル移民の音楽の歩みがテーマである。それを、「演芸会の時代」、「のど自慢の時代」、「カラオケの時代」という3つに分けて論じている。

最初の「演芸会の時代」は、その1908年から戦争が終わる1945年まで、つぎの「のど自慢の時代」が1980年まで、そして「カラオケの時代」が現在までという区分である。まあ、ブラジルといっても移民にとっては、日本がなくならないのだから、何年かのタイムラグでやっていくるのである。

本では、その辺の様子を当時の新聞や古老からの聞き取りなどで丁寧に追っていく。よくまあ、調べたものだと感心する。音楽といってもプロではないし、そうした業界みたいなものが形成されたわけではないので、記録もちゃんと残っていない。

しかし、移民たちのその当時の雰囲気を絡めて変化していく姿が書き込まれているので、望郷の念、勝ち組負け組や世代間の対立など、われわれには想像がつかないことを知ることができる。最後に、なぜこうした日系のことを研究するのかについてあとがきで書いてあって、こうしたことを考えることが大事であると改めて思ったのである。

日本人もまた、日本人のやる通りの音楽文化の中を生きてきた。日本人に「追いつく」ことを強く意識してさまざまな制度を取り入れ、その反動としてブラジル性はなるべく排除しようとしてきた。どんなに離れようと「日本文化」の枠は崩されなかった。しかし。子どもたちは別の考えで日本の音楽に接している。日系研究は自然や政治体制や文化背景のちがうところで、日本人が何を失うかということを教えてくれる。そして日本「国民」が「民族」になるというのは、そして「民族」ですらなくなるのはどういうことなのかを明確にしてくれる。
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2010年2月15日

業務システムの再定義-まとめ(9)

What(構造・道具)を先に構想する-その3

前回は、プロセスの構造ということで、ローレベルのプロセスは“場”という概念を採用したことを説明しました。それが、Collaboration Workspaceで、情報共有を志向していますが、この考え方は実はWeb2.0のコンセプトやアーキテクチャ、技術が有効な実現手段となります。

Web2.0も特徴は、双方向コミュニケーション、オンデマンド、ハイパーリンクだと考えていて、ということは、自分のほしい情報を素早く手に入れ、コミュニケーションによる調整を行いながら目的を遂行するというのがWeb2.0の基本的なアクティビティであると思います。これは、業務プロセスを動かす時も同じなのです。

さて、もうひとつのオペレーションということですが、これこそが、業務を遂行する、仕事をこなすための道具が必要になります。いい仕事をするのにはいい道具が要るというのは、大工さんでも主婦でも言えることです。その良しあしで出来上がり品質や能率が変わってしまいます。

そういった意味でいうと、従来の業務システムのユーザインターフェースに対する力の入れようが弱かったように思います。仕事をするために必要な情報を揃えてあげているのか、使い勝手はいいのかといった問いかけがこれからは大事ではないでしょうか。

さて、道具の構成はどんなものになるのでしょうか。次の4つを想定しています。
1. Process Designer  ・・・アクティビティの定義とフロー設定
2. Activity Setup   ・・・案件ごとのアクティビティの要素パラメータの設定
3. Process Overview ・・・プロセスの稼働状況一覧
4. Decision Workspace・・・コラボレーションによる意思決定とデータ入力

それぞれの関係などについては、後述することにして、業務システムの構造のモデル図は次に示します。
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2010年2月16日

街場の小経済学その9

久しぶりのシリーズです、といっても誰も注目しているわけではないでしょうけど。さて、ちょっと前に「マルタのやさしい刺繍」という映画の話をしました。スイスの山村で80歳になる老女が自分の昔からの夢であったランジェリー・ショップを開く話です。

そのストーリーは、老人が進歩的でその子供世代が保守的で、その対立みたいことがメインになっていますが、ぼくが思ったのは、経済学的見地から見るとおもしろいことになりやしないかということである。そのために、その視点からストーリーをみていきましょう。

まず、最近のテレビコマーシャルで細身の老女が木に寄りかかりながら「この私だって、恋をするかもしれませんよ。会社を起こすかもしれませんよ」と言うのを見たことがあるかもしれませんが、それをやってしまったのがマルタたちだったのです。

この映画の舞台は、スイスの山並みの美しい山村です。そこでは、酪農を仕事としている家が多く、保守的な風土である。ですから、若い人たちは都会のベルンに行ってしまい老人も多く、残った住民は伝統を守ることが美風であるとされ、そうした暮らし向きに慣れている。

これは、スイスに限らず今の先進国と言われる国ではどこにでもありそうな風景である。すなわち、人口の年への集中という現象が起きている。それは経済合理性からは必然の流れなのだろう。需要も供給もそしてイノベーションもそうした環境から生まれてくる。

ですから、現代社会では、いいかえれば、文明化、情報化が進むということは、経済活動の効率化を求めて都市への人口集中や機能の集約が起きるのである。これはいいとか悪いとかというより、抗しがたい現象でそこを前提とした設計が必要なのだ。

ところがわが国の為政者たちは、選挙に勝つことを第一義に地方の票をめがけてバラマキを行うという愚に出ている。しかも、すでに一票の人口格差が最大2.3倍もあるというのに。ですから、やるべきことが違うのである。地方を自立させることと、もっと暮らしやすいように、子ども産みたくなるように、都市の社会インフラを整備することではないでしょうか。

そうした意味で、「マルタのやさしい刺繍」は地方の生きる方向を示唆しているように思える。年寄が一丁あがりと思わず、意欲的になり、新しい行動に出ることであり、埋もれたその土地の良さ、例えば伝統工芸でもいいし、特産物でもいい、さらに文化や風景といったものでもいいから、その素晴らしさをちょっと味付けして発信していくことなのです。

その情報発信はいまや、インターネットを使って世界中のどんな場所からできるという時代なのである。だから、人も減って過疎になっていくということではなく、そんな小さな村でも世界とつながっているといると考えたら、閉ざされた世界から開かれた世界が見えてくるわけで、けっして過疎だなんてことはないと考えてみたらどうだろうか。
  

2010年2月17日

業務システムの再定義-閑話休題(11)

道具ということ

いまWhatということで構造と道具という言い方をしています。この場合の道具ですが、つい開発ツールと誤解されてしまいそうですが、そうではなくビジネスの道具、すなわちそれを使って仕事をして業務成果を上げるものを指しています。

こういうと、じゃあExcelとかメールのことなのと言われそうですが、そうした個人の知的作業ではなく、組織活動としてどういう道具で行うかという観点です。すなわち、業務プロセスをオペレーションするためのものです。

そういうと今度はBPMSのことですかと言われる。全く否定はしませんがちょっと違うように思います。よく考えてみると、これまではシステムを作るというアプローチですから、どうしても、人間がやっていることを代替するものという捉え方が一般的ではないでしょうか。

すなわち、機械化とか自動化というような視点です。これは正しい方向でしょうか。何と言っても最後は人間が判断し、人間が操作するわけで、そう考えると、人間の能力を衰退させるようなIT化は避けるべきだと思うのです。

ということは、人間が何かをするときに支援する道具としてのITが本来のあるべき姿であるような気がします。何かする主体はあくまで人間で、その人間が判断し、行為を行うのを手助けしてくれる、人間がこうしたいときに邪魔をしないで、素直についてくれるものとしてシステムがあるべきです。

今話題になっているトヨタのリコール問題にしても、どうもブレーキがどうのという機械的なことではなく、電子制御装置の不具合に帰されそうである。それはソフトウエアのプログラム上の問題ということで外から見ても何がどうなっているか誰もわからなくなってしまっている。ということは、人間がクルマを道具として使っているのではなく、クルマに埋め込まれたITシステムに使われているという恐ろしいことになっている。

さて世の中いろいろ道具はありますが、ぼくが考えるすばらしい道具は何だと思いますか?それは「キャスター」です。旅行カバンや椅子などについているやつです。これって、人間がこっちに行きたいと思うとそちらに向いてスムーズに動いてくれます。けっして、自分から動くわけではありませんし、いちいち方向を示さなくても大丈夫です。そんな道具がいい道具ではないでしょうか。

ちょっと飛躍したかもしれませんが、要するに繰り返しますが、人間が主役であり、そこを支援するものとしてITがあるということを肝に銘じることが大切で、そうなると「道具」という考え方でシステムを開発するべきだと思うのです。

2010年2月18日

長江哀歌(エレジー)

2006年ベネチア国際映画祭でグランプリを獲得したというふれ込みなので期待して観た。ジャ・ジャンクー監督の中国映画「長江哀歌(エレジー)」は、期待が大きかった分だけ、感動とまではいかなかった。

長江というのは、最下流にくると揚子江というが、源流はチベット高原でそこから延々と流れてくる。その揚子江の中間にあるのが三峡で、そこに1993年着工のダム建設が始まり、2006年に完成した。そのダムにより水没してしまう奉節という都市がこの映画の舞台である。

三峡というとぼくらは景勝地として知っていて、行ったことはないが船によるその眺めは素晴らしい。そこに、16年前に別れた妻を捜しにくる男と、夫を捜しに来る女が登場する。消えていく街を映し出しながら、そこにいる人々の普通の生活を対比させている。

最初は、ドキュメンタリーかと思ったくらい、自然な感じで現代中国のいまを伝えている。それは、ひずみのようなものも表現されていて、いわゆる国策的な映画からずいぶんとはみ出ていて少し驚いた。ぼくは昔の中国を知っているので隔世の感がする。

ただ、そのダム建設のことと人探しにくる男女とがどう結びついているのかが弱く、しかもその男女が全く無関係な存在で、そういう意味で、かなり観る側が想像力を働かせながら観ないといけない。この辺は中国映画の限界なのかもしれない。

おそらく、自然や暮らしは変わっていくが、人々の暮らしはいつの時代でも変わらないままであり、日々の営み、男と女あるいは家族といった関係は同じことの繰り返しではないかということを言いたいのかもしれない。

ということで、評価が高いし、悪くないできだと思うのだが、やはりぼくにはよく分からないところがある。どうもヨーロッパの映画祭の受賞作は難解のものが多いような気がする。だからといって、アカデミー賞のようなものにも首をかしげるわけで、だから映画賞を無条件に信じることはやめているのである。

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    • 2 私には合わない映画だった
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2010年2月19日

近頃の若者はなぜダメなのか

ぼくはもう還暦も過ぎたじいさんだけど、同じ年代の人たちとくらべると若者とつきあっているほうだと思う。この場合の若者は20代半ばから30代半ばくらいまでの層である。30代になっても若者と呼んでいいのかどうかは、ぼくらのその頃は30代では若者とは言われなかったように思うが、今の時代ではまだ若者と言った方がいいのかもしれない。

ぼくのネットワークにこうした若者が入ってくるのは、二人の息子がちょうどその年齢であるからということと、こうしてブログを書くことでつながるからである。

そうした若者とつきあっていると、別段特異な人種だとも思わないし、昔と変わらないなあと感じるのだが、しかし一般的には様々な変化があるようだ。その現代の若者の実像を調査してそれに基づいて書かれた「近頃の若者はなぜダメなのか」(原田曜平著 光文社新書)を読む。

著者は32歳という「若者」で博報堂で若者の生態を研究していたという。7年かけて47都道府県くまなく1000人の聞き取りをまとめて本にした。だから、単に評論家然としているわけでもなく、年齢的にも近いこともあり、非常にリアルな姿がえがかれている。

いちいち書くわけにはいかないが、びっくりしたり、唖然としたり、あるいは意外な一面を見たりととてもおもしろかった。それも、都会だから、田舎だからという地域的な差もなく全国的に現れる特徴であることにも驚かされる。ある意味世の中狭くなったのである。

彼らについての特徴をざっくりとまとめてみると、
・中高生あたりからケータイを持ち始めているので、ケータイの依存率が非常に高い
・ケータイは「人間関係の維持・拡大」を重視する傾向になる
・ケータイを通した友達の輪が広がり、そこでは新しい村社会を形成するようになる
・そこでは空気を読むことが要求され、そこから外れると村八分の目にあう
・そして、既視感(デジャブ)という現象も起き、実際に体験しないのに周りから情報が入ってくるので、あたかも体験したような気になる。
・そのために、海外旅行にも行かなくなったり、地元の友達だけとべったりといったことがおきている。
・一方で、こうしたネットワークを使って、イベントを開催したり、ビジネスを始めたりする若者も増えてきている。などなど。

どうもKYではなくむしろ逆に空気を読む若者が増えているようなのである。相手が望むキャラを演じるのである。昔はこの「空気」を読むことで戦争を抑止できなかった苦い経験があるはずなのだが、その復活であるとするとすごく怖い気がするが、しかし、理解できないからと否定的になるのではなく、ポジティブな面を伸ばすようにしたらいいのではないでしょうか。

ある意味では、孤立した殺伐とした人間関係から、「友達の友達は友達だ」的なコミュニティは、うまく機能させれば、格差の緩和や、それこそ「友愛」の世界へ誘ってくれるかもしれない。やはり、年寄も空気を読めとまではいかいないまでも、「近頃の若者は」的な目線はやめた方がいいと思う。それが現代のネットワーク社会の生きる心得でもあるような気がするがいかがでしょうか。
  

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    • 5 若者の事を考えるために
    • 4 油断は禁物だが、まだ良書の部類
    • 4 ネットワークの力としがらみ?
    • 3 タイトルが悪すぎ
    • 4 リア充たちの実態
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2010年2月20日

回線トラブル

一昨日(18日)の夕方から弊社のネットワークが不通になってしまい、このブログもみることができなくなりました。ようやく復旧しましたので胸をなでおろしました。といっても、ぼくは何もしないので(できないので)社長が苦労して直してくれました。

このトラブルは回線のところなので、ブログだけでなくメールやサービスも停止してしまうので、影響大ですね。この期間はほとんど外に出ていたのですが、それでも仕事が片腕を失った感じで不便でした。そういう仕事のやり方になっているんですね。ということで、復活です。

おとうと

監督にも旬というのがあるように思う。たけしもそうだが、山田洋次はもう終わった感じがする。「おとうと」を観てそう思った。それがいいとか悪いとかいうことではなく、時代の変化に作者自身の変化が追いつかないということだ。

そんなことを言うと、いや普遍的なことはずっと変わらないはずだという反論が返ってきそうだが、そういうことではなく、そうした根っこのところも表現の部分は時代を反映するもののような気がする。

それにしても、山田洋次の吉永小百合への思いは強い。あの歳で顔のアップを撮ってしまうし、もう非の打ちようがない完璧な女を演じさせるのである。これは永遠のサユリストにとっては当たり前かもしれないが、今の時代の感覚とマッチしているのかと思ってしまう。こんな女どこをさがせばいるのかと皮肉りたくなる。

この作品は、「母べえ」で吉永小百合と鶴瓶が演じた姉弟の設定を引き伸ばしたような感じだ。そして、市川昆監督の「おとうと」へのオマージュなのであるが、岸恵子と吉永小百合、川口浩と鶴瓶の比較になるが、ぼくにとっては全く違うものとなる。

そしてさらに言うと、何か姉弟という人間関係ドラマかと思いきや、後半はどうやって安らかに死ねるかという話にすりかわっていく。その辺のところも、こんな善意だらけの人々がいるのだろうかとつい思ってしまう。

「男はつらいよ」の寅さんの人情と似たような設定ではあるが、時は変わった現代ではずいぶんと違ってきてしまっている。どうも予定調和の世界がリアリティを失ってきたということかもしれない。はぐれものを温かく見守る余裕ななんてなくなったのかもしれない。

そして、せっかく蒼井優と加瀬亮という組み合わせで期待したが、もう少し突っ込んでほしかった。なぜか、辛口コメントばかりになってしまったが、山田洋次は一貫として庶民的な人情のよさを描いている(現にその対極の医者をスノッブとして登場させている)が、そうした価値観も時とともに変節していくわけで、そこの違和感が口を突いて出てくるのだ。
  

2010年2月21日

明治維新

いまNHKの大河ドラマで坂本龍馬伝をやったり、坂の上の雲が注目されたりして、ちょっとした明治維新ブームみたいである。なぜ、そうなったかはよく分からないが、何か閉塞感みたいなものがあって、それを打ち破りたいといった気持が表れているともとれる。

「明治維新」(坂野潤治+大野健一著 講談社現代新書)は、そうした明治維新に焦点をあてているが、従来の教科書的、通俗的な維新論ではない。というのも、著者の二人は、日本政治史研究者と開発経済学者という立ち位置がちがっていることにある。そうした、異質の角度から見た維新が書かれているので新鮮な感じを受ける。

この開発経済学者の大野健一が、現代の開発途上国が直面する西欧化の外圧にどう対処していくかという面から、それとの比較の中で明治維新を評価しているのが非常に面白かった。多くの途上国は、開発独裁という形で一人の独裁者が国を引っ張るという形態であった。例えば、東アジアでいえば、李承晩、蒋介石、リー・クアンユー、マハティールたちである。

ところが、日本にはそうした独裁者はいなかったのだ。それでもあのような改革をなせたのは、複雑な関係をうまくバランスさせてしまう「柔構造」にあったのではないかという仮説を検証することが本書のひとつの大きなテーマである。

確かに明治維新に登場する薩長土肥などの雄藩の人々は入り混じり、中に幕府側の勝海舟も入り込んだり、そして離合集散、合従連衡を繰り返すのだが、それが破綻しないというのはどういうことなのかである。日本人の持つ深い知恵があるような気がする。

そして、一般的には明治維新は「富国強兵」という面を強調するが、それとともに「公議輿論」(「憲法」と「議会」のこと)も大きなイッシューであったのだ。それぞれの国家目標に対し、主導する人物がいた。「富国」すなわち殖産興業では大久保利通、「強兵」として外征を主張する西郷隆盛、「公議」である議会設立を推す板垣退助、「輿論」を為す憲法制定にかける木戸孝允である。

こうした、トロイカ的体制でありながら、それぞれが柔軟に対応する「柔構造」を形成していたが故に、あれだけの大変革を内乱や紛争もほとんどなく(西南の役は革命武士のガス抜きである)乗り切ってしまうのである。

ただ、そのとき素地として西欧の圧力を受け入れるものがあったかどうかである。そこも議論していて、江戸時代の評価につながるのだが、鎖国という時代ではあったが、内的な成熟があったからこそ、受入れられたという見解である。

こうした、分析は現代の発展途上国にたいしての考察にも役に立つと同時に現代の日本自身についても示唆があるように思う。よく、日本の政治には指導力がないとか日本人は論理的でなく、情緒的でよく振れるとか言われ、ぼくもそう言ったりしているが、それはしょうがないと思ったほうがいい。だから、それをネガティブにとらえるのではなく、ポジティブに考え、風に強い柳や竹のように、しなやかに生きていくことを志向すればいいのかもしれない。

これまで司馬史観での明治維新とか類型的な評価でしか見ていなかったものが、目からうろこ的な思いを持った。そういう意味では、多くの人に読んでもらいたい良書である。

明治維新 1858-1881 (講談社現代新書)
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    • 5 「柔らかさ」がうんだ、稀有な革命
    • 4 新しい明治維新解釈論
    • 5 幕末維新期の柔構造
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2010年2月22日

業務システムの再定義-まとめ(10)

What(構造・道具)を先に構想する-その4

前回、業務システムの構造と、道具についてもその構成として次の4つを提示しました。

 1. Process Designer  ・・・アクティビティの定義とフロー設定
 2. Activity Setup   ・・・案件ごとのアクティビティの要素パラメータの設定
 3. Process Overview ・・・プロセスの稼働状況一覧
 4. Decision Workspace・・・コラボレーションによる意思決定とデータ入力

このことについてもう少し詳しくみていきましょう。これらは、市販のBPMSの機能にあるやつですねと言われる。確かにそのとおりではあるが、微妙に違っています。ひとことで言うとより業務オペレーションのための道具という意識が強いことでです。

ビジネスの成果をあげるため、より質の高い意思決定を素早くできるのかというものとして、そのための機能をどうもったらいいのかということです。組織のふるまいと一体となった動作が可能かどうかです。

まず、Process Designerですが、モデラーと言われているものですが、モデラーというと最適なプロセスをつくるためにシミュレーションなんかもしてというイメージですが、ここでは実装に向けて、プロセスを設計するだけのものです。ただし、個別案件についての設計ではなく、汎用的なプロセス設計、別な言い方をするとテンプレート設計に近いものになります。

そして、具体的な案件が出てきたときには、デプロイされたそのテンプレートに対して、必要な個別プロパティやパラメータを設定します。それを、Activity Setupという画面を使って行います。案件名や参照情報、ロールなどを特定するわけです。

Process Overviewでは、稼働中のプロセスの進捗が一覧として見ることができます。そして、アラート機能を持たせておいて、ある閾値を超えると警報を出します。通常考えられるのは、「時間」です。一つひとつのアクティビティでの処理時間やプロセスの完了時期などです。こうして、スムーズな業務処理を促すわけです。

そして、完了したプロセスのアーカイブを検索することができ、例えば、プロセス別、会社別、地域別といったセグメント別のソートで実績を分析し、レポートします。

最後のDecision Workspaceは、意思決定すなわちデータ確定を行う場です。この意思決定は孤立した個人が行うのではなくコラボレーションにより行うようになっています。そして、この意思決定は何も見ずに単純に決めるのではなく、参考とすべき情報を横目でみながら行っていきます。例えば、設備を割り当てるには、いまの稼働状況や予定をみることをするはずです。

こうしてみていくと、道具的な概念としての業務システムが従来と違うと思いませんか。これまでは、個人がデータを登録するため、あるいは帳票を出力するための道具であったわけですが、ここで提示しているのは、組織の行動と一体となった業務システムです。

もちろん、従来の機能は必要ですから、なくすわけにはいきませんが、個人の道具から組織の道具へと変貌させるべきだと言っているのです。この4つの道具をうまく使いながら、組織として業務プロセスを安定的にかつ迅速に処理していくことが大事になるのです。

2010年2月23日

Kailasの基礎理論-その1

影響を受ける理論

「業務システムの再定義」というエントリーで業務システム構造や機能について記してきて、前回4つの道具を提示してその概略を説明しましたが、ここで思いつきのアイディアで言っているのではないという意味から理論的な裏付けのような記事を書いていこうと思う。

かねてから思うことは、机上のあるいは紙上の議論は盛んにするのだが、では実際に動くものはどうやって作るのということになると、それはそれという逃げを打たれる。逆に動くものを作っている人たちは、じゃあそれはどういう役に立つのだというと口ごもってしまう。

だから、重要なのはコンセプトやモデリングがあって、それを実現する具体的なソッフトウエア、ツール、モジュールといったものを作り出すという一連の合わせ技が大事であるということを言いたいのである。

そこで、そのへんのことを書いていこうと思う。で最初の稿は、Kailasは一体どんな理論と関係があるのかという話です。実はそういっても、Kailasが最初から高邁な理論がもちろんあったわけではなく、もちろん後付けである。自分の頭で考えたことが、理論的にも主張されているものに近かったのだという“こじつけ”です。

しかし、理解してほしいのは、一方で大学の偉い先生が考えるような高尚さと、実際の現場で苦労して編み出した知恵が、結果的に結びつく、同じゴールになるということである。これは自分の中では”ささやかな産学協同”と呼んでいます。

さて、その理論のことである。Kailasに影響を及ぼした(というか正確にはKailasと同じことを言っていると思っている)理論は次の4つである。

1. Chester Barnardの組織論
2. Herbert Simonの意思決定プロセス
3. Terry WinogradのLAP
4. Jan DietzのEnterprize Ontology

理論を言うなら実践しろと思うのだが、大学の先生はどうしても実践よりも理論を重んじるから、実践のところまではやってくれない。現場はというと、理屈なんかどうでもいいからとすぐに言う。だからそれをつなげてやればいいのだ。

次回から、これらの4つの理論のエッセンスについて議論しながら、Kailasの設計反映や機能といったところへ言及していきます。

2010年2月24日

Kailasの基礎理論-その2

Chester Barnardの組織論

情報システムを考える場合、往々にしてITから発想しがちになります。○○システムを導入するんだと意気込むわけです。こうした場合、どうしても局部的で、業務全体からみると一部だけに適用することになります。

こうしたことはIT系の雑誌をみているとよくわかるのですが、そんな話ばかりです。こんないいパッケージができた、どこかの会社で販売システムを入れた、クラウドに移行してコスト削減をはかった、といった類の記事です。それか、あとは戦略的なトーンであるのだが、ITと結びついていかない話とかが出てくる。

ところがよく考えてみると、企業活動の主体は組織であって、その組織が機能するためにシステムを形成するわけです。ただ。このシステムは別にITを使わなければいけないということはなくて、極端な話、全く使わなくてもかまわないのです。

ですから、発想の出発点は組織全体としてのシステムをどうするかということのはずです。一面的なITシステムはずっと後で考えるのであって、最初にITシステムありきでは順序が逆です。

ということで、業務システムは組織論と密接につながっています。そこでChester Barnardの組織論を取り上げてみます。バーナードの理論では、組織を孤立した人間の集団ではなく相互に影響を及ぼし合いながら成立する体系(システム)ととらえています。そうした組織が成立する条件としてつぎの三つをあげています。

■共通目的
人々が協力して、意識的に調整された活動を行うためにはメンバー間に共通の目的が必要。

■協働意欲(貢献意欲)
組織メンバーの共通目的を達成しようとする意欲のことで、協働意欲を高めるためには、組織が金銭的・物的誘因とともに社会的あるいは心理的 誘因をメンバーに対して十分に供与することが必要。

■コミュニケーション(伝達)
組織内における各種の情報の伝達のことであり、共通目的と協働意欲とを統合する役割を果たす。意思決定や命令の適切な伝達が行われな ければ、個々人の協働意欲が組織全体の目的を達成するための活動に結びつかない。

要するに、複数の人間がコミュニケーションを媒介に協力して1つの目的のために働くことで組織が成り立っているといっているのです。この協働のための仕組みをシステムとしてもつことが大事なのです。

そして、さらに言い及んでいるのは、組織均衡と有効性・能率についてです。組織均衡というのは、組織に参加する人にとってのインセンティブと貢献のバランスで、インセンティブが貢献よりも大きくなければ参加者は組織から離れていってしまうという。一生懸命貢献しても見返りがなかったら辞めてしまうのです。

そうした、組織均衡を維持するためには、組織の有効性と能率を同時に高める必要があります。どういうことかというと、有効性とは組織目的の達成度のことで、どれだけインセンティブの原資を確保できるかという意味です。業績を上げれば給料が上がることをさします。能率というのは、そのなかの個人としての満足度です。個人の分配により能率を高めることが必要なのです。こうした、環境を用意してあげることも重要な組織の要素なのです。
  


2010年2月25日

日本人が知らない幸福

先日、新宿で大学時代の一つ上と二つ上の先輩たちが、ゴルフと飲み会を企画した。40年ぶりにある先輩が京都から来るというのと、ベトナムに技術指導に行っている人が旧正月を利用して日本に返ってきたからである。ぼくも、その京都から来た先輩にどうしても会いたかったので特別参加で入れてもらった。

そして、その時にベトナムの話を聞いたのと、ぼくの大学時代のベトナム人の友達のことを思い出したこともあって、この本を手にする。「日本人が知らない幸福」(武永 賢著 新潮新書)は、ベトナム難民から、日本に帰化し、その後医師になった著者が書いた本である。

もともと、ヴー・ダン・コイという名であったが、帰化したときに日本の名前にしたそうだ。1982年に日本に亡命できたのだという。今の人は知らないかもしれないが、ボートピープルである。1975年にサイゴンが陥落し、南ベトナムが消滅し、社会主義の北ベトナムの天下となる。そのとき、南ベトナムの住民たちは迫害を怖れて亡命を図ったのである。船にたくさんの人々を乗せて、日本にもやってきたのだ。

このことは、ぼくも鮮明に覚えていて、ぼくの大学時代の友達にサイゴンからやってきた写真館の息子グエン・バン・タン君がいて、彼の狭い下宿で一緒に勉強をしたものだ。その彼が、卒業して中堅の会社に就職したまではよかったのだが、すぐに先ほど言ったサイゴン陥落により、帰国ができなくなってしまったのだ。それからしばらくたって居所がわからなくなってしまった。最近の噂ではカナダにいるとのことだが、一度会いたいと思っている。

この本の著者はもっとすさまじい体験をしていて、なんと7回も亡命に失敗してやっとのことで日本にやってきたのである。その彼が、苦労の末医学部に進学し医者になることができた。もちろん、奨学金や寄付などの助けがあってできたのだが、本人の努力は並大抵のことではなかったはずだ。

そうしたなかで、感じた日本について書いている。それは、ベトナムに比べれば格段に違う世界であるわけで、日本人が当たり前に感じていることが、彼には何と豊かなのかと思うのである。例えば、ふんだんに水があり、水道の水がそのまま飲める生活にびっくりするのである。

ですから、この本を読むと何と日本人がぜいたくで、飽食で、わがままで恵まれているということが実感される。まるで、ぼくらが戦後の貧しかったころの話をするのと同じように不自由で貧しく、緊迫した世界を語ってくれる。ぜひとも、今の日本を客観視するためにもこの本をよんでもらいたい。

しかしながら、この著者の行動力や性格も驚かされる。不屈の精神というか、くじけない素直さを持っていると思う。そして、彼自身が自分のことを振りかえってこんことを言っている。

どうやら頭が足らない分、神様が違うものをわたしにくださったようだ。独立心と臨機応変さだ。その使い分けができたおかげで、いろいろなチャンスを得ることができたし、異国だった日本でなんとか生き延びられたのだ。

どうも、今の日本の若者に必要なのはこのことではないかと思う。こういうことを家庭や学校で教えてやることではないだろうか。平時には無理か。
  

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2010年2月26日

夜のピクニック

長澤雅彦監督の「夜のピクニック」は恩田陸の同名小説を映画化したものである。恩田陸が卒業した水戸一高の恒例の夜通し80キロを歩くという「歩行祭」という行事を題材にした青春ドラマである。

このモチーフを出会ったら、ほぼいい映画ができる予感がしたのではないかと勝手に思ってしまう。だって、もう筋書きとして出発があって終点が決まっているから、あとはそこにどういうドラマを当て込むかになるからである。

そこの挿話が肝になるが、この映画では主人公の男女が異母兄妹という設定である。それが級友たちには知れていなくて、しかも二人の間でのわだかまりも引きずったままで歩き出すのである。

ただ、これはちょっと異常な設定のような気がする。だから、その分等身大の高校生を描いているといわれても、こんなケースはありえないわけで、そこの機微をテーマに置かれてもちょっとと言いたくなる。それが、評価を落とさざるをえないところだとぼくは思う。

さわされど、青春の悩みや葛藤を無意味な歩行をつづけるうちに友達と共有していく、そのことが人生の歩みの縮図であるように活写される。登場する高校生群像がみずみずしく素直に感動させられる。

その高校生を演じる若手俳優が素晴らしい。多部未華子、石田卓也、郭智博、貫地谷しほり、松田まどか、柄本佑、そしてあの加藤ローザも出ている。彼ら、彼女らが生き生きと躍動していて観ていて気持ちがいい。

「青空のゆくえ」もそうだが、こういう映画は、一種の清涼剤のように思え、特におじさんは、おれにもあんな時代があったのだという述懐にふと心が洗われるというわけだ。長澤監督にはこんな映画を作り続けてほしいと思うのである。

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2010年2月27日

もうひとつの自動化のワナ

以前、「自動化のワナ」というタイトルで記事を書いたが、その趣旨は、システムを何でも自動化することは危険性があって、人間の判断や操作を入れて作った方がいということを述べている。

今回の自動化の意味は、「自動プログラミング」のことである。実は、最近このプログラミングを自動化する技術について、接する機会があって、またその有効性の検討を行っている。そうした技術をみているうちにふと疑問がわいてきたのである。

以前から自動プログラミングというのは皆さんの悲願みたいなところがあって、いろいろなチャレンジがされてきています。究極の生産性向上のめざすところというわけです。確かに、仕様を定義しさえすれば、自動的に製造してくれるとうれしくなります。しかし、本当にそうなのかということを考えてみたい。

まず浮かんだことは、いつもいつもプログラムを自動生成するということはどういうことなのかである。毎回、違うプログラムを書くから、それを自動化することが生産性の向上につながるのである。しかしながら、そのように自動化するにしても、同じことを繰り返す非生産性を前提にすることになるわけだから自家撞着ではないのだろうか。

やはり、その前提となる非生産性のところを改善することの方が重要な気がする。すなわち、類似のプログラムを繰り返し書かないように、モジュール化したり、部品化、コンポーネント化して再利用するというのが先決ではないでしょうか。

そうだとすると、そのモジュールや部品のプログラムはどうするのかということになる。それを自動プログラミングにすればいいという話はおかしいのは皆さんもおわかりだと思います。一回しか作らないプログラムを自動化する必要はありません。むしろ、そんなことをするよりも、スーパープログラマーが質の高いコードを書いて終わりです。

ですから、部品化、コンポーネント化による再利用という方向と自動プログラミングの方向は全く逆方向なのです。おそらく、自動プログラミングを進めていくと同じパターンが頻出するとそれは部品化していくと思います。ということは、自動化がめざすのは、自動化をやめることになるとも言えます。

まあ、そうは言っても現実的には、新規プログラミングの領域は残ると思うので、そういうところでは自動化し、繰り返しのところは部品化して再利用するということでしょう。要は、自動化できるからといって、何でもコードを書くのはやめた方がいいということである。なぜかというと、おそらく自動化でつくられたプロググラムの質がそう高くないと思うからである。

2010年2月28日

マオとヨナ

バンクーバーオリンピックの女子フィギュアは、盛り上がっていましたね。特に日韓ではかなり熱くなっていたようだ。そんなに興味はなかったのだが、繰り返し映像が流れると、どうしてものめりこんでいく。

そうなると、遅ればせながら何かコメントしておいた方がいいと思うので書く。これは真央ちゃん完敗ですね。キム・ヨナがまったくもって素晴らしかった。こりゃあ完璧に近い演技で、昔の体操のコマネチの10点満点のようなものだ。

真央ちゃんだってすごい点数だったので、前回のオリンピックだったら優勝していた。それだけレベルの高い戦いだったのだ。この二人の争いを見ていると似ているようでアピールのポイントが違う。ただ、問題だったのはジャンプの良し悪しだったわけで、もうそこだけでもまいったというところだ。

ジャンプ以外では、キム・ヨナの切れと真央ちゃんの優美さは甲乙つけがたいと思う。しかし、ジャンプの差につながるスピードの差が力の差を生んだと思う。キム・ヨナのスケーティングのスピードが勝っているがゆえに、ジャンプの精度や高さ、速さを高いレベルにもっていけたのである。

それにしても、両者とも19歳とは思えない堂々たる戦いで見応えがあった。

それにしても東アジア系の選手が上位に連ねていて驚く。アジアの選手に向いているのかなあ。きっと、そのうち中国選手が出てくると思う。お金持ちも増えてきたし、ジャンプなんか得意な子がいっぱいいそうだから、雑技団出身の子なら4回転1回ひねりくらいのジャンプをやっちゃうかもしれない。


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