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2009年12月 アーカイブ

2009年12月 1日

日本辺境論

ぼくはかねがね日本という国の位置が特異であると思っていて、それは辺境の地であるということなのだが、そのことによって、さまざまな日本人のメンタリティや国民性を決定づけているのではないかという仮説を持っている。

ぼくの辺境論では、そもそも人類の発祥の地であるアフリカから、いく手かに分かれて大ジャーニーが始まったわけだが、そこの一つの分派たちが、中国に行きつき、さらに朝鮮半島を通り、海を渡って日本列島にたどりついたはずである。そして、彼らは、その先に横たわる太平洋をみて愕然としたに違いない。そしてしかたなしにその島にとどまったのが日本人となった。だから、そういう意味で日本人は辺境人なのである。

その影響はどうなのかということに関しては、ぼくは2種類の人間がいたのではないかと思っている。ひとつのタイプは、定住をよしとしない冒険的な人間、もうひとつは、そうしたひとについていけばひょっとしたらいいことのおこぼれにあずかれるかもしれないと思う付和雷同するタイプ。この2種類のタイプの人間が日本人をかたちづくっていると思っている。

さて、こんな勝手な辺境論は置いといて、内田樹の「日本辺境論」(新潮新書)、それも自筆のサイン入りのものを読む。帯に書いてある養老先生の言葉じゃないが、これは面白い。ウチダセンセイのブログをいつも読んでいる身にとっては、そう目新しいことを言っているわけではない。(本にもそう書いてある)

しかし、その筋立ての巧みさで楽しく読める。この本では、「辺境」の定義は、「中華」の対概念として提示されている。おわかりですよね、「中華」はお隣の国です。ですから、日本列島の住民としての意識は、「中華皇帝」の支配下であるところの辺境の自治区の住民であるということである。

そこから導かれることは、自分たちが、“中華”になることはあり得ないことで、先頭にたって引っ張っていくことを拒否したのである。いつも先行する何かがあって、そことの対比の中で自分の存在を確認するかのようである。

だから、よく言われように、“後発者の立場から効率よく先行者の成功例を模倣するときには卓越した能力を発揮するけれども、先行者の立場から他国を領導することが問題になると思考停止に陥る”というわけだ。

これだと、日本の首相が東アジア共同体と言って先導できるわけがない。そうしたことができない日本人がいる。だから、ITの世界も世界標準を作れないのだ。なるほどと思ってしまう。

だからといって、それを否定して、日本人よ変われといっても無理だから、その辺境人でいいじゃないかというある種の開きなおりでいこうよとウチダセンセイは言っている。

ぼくは先の辺境論じゃないが、少なくともアドベンチャー精神に富んだやつがいたからこそ、辺境にきたのだから、そいつらのDNAがどこかに残っていると思いたいのだがどうなのだろう。

ところで、この本の後半は日本語の話になってくるが、そこで難読症(ディスクレシア)の問題がでてきて、日本人には漢字と仮名があるおかげでこの病気が少ないと書いてあって、“日本ではまだ症例が少ないので、ディスクレシアを扱った映画や小説を私は知りません”と言っていたが、まさかウチダセンセイは村上春樹の「1Q84」を読まなかったわけではないですよね。(書評もしていると思うが)そこに登場する「空気さなぎ」を書いた“ふかえり”はディスクレシアであるんだけど。

日本辺境論 (新潮新書)
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2009年12月 2日

業務システムの再定義-閑話休題(5)

2段プロセス化のもうひとつの理由

前の記事で、プロセスを分解あるいは抽象レベルを上げていくと、性格が違ってくるという話があって、だから2段プロセスで考え、プラットフォームも分けましょうということを書いた。ここでは、さらにもうひとつの理由について考えてみましょう。

それはどういうことかというと、プロセスのレベルによって、それを管理し、責任を持つ人も違ってくるのではないかということです。別な言い方をすると、組織における職位によって、その人が責任を持たされるプロセスレベルは違うのではないかということです。

現状をみてみると、どうもそのへんがあいまいになっているように思えますがいかがでしょうか。部長が面倒みるべきところを課長がやっていたり、その逆で部長なのに現場の細かいところまで口を出すといった話をよく聞く。

ですから、あなたが責任をもってもらうプロセスレベルはこれですと言ってやらなくてはいけない。これまでプロセスという観点が乏しいからこうしたことは難しかったかもしれないが、これからプロセスを重視するということはこのようにプロセスと管理責任ということを意識させることでもある。

ところが、単にプロセスを作ればいいやになっていると、いくらプロセス重視といったところで、誰がどこまで見るのかがわからないという事態になる。プロセスと組織のヒエラルキーは対になっているという認識を持つ必要がある。

2段プロセスとしたのはこのこともあるわけで、マクロレベルのプロセスは、だいたい部長か課長レベルのもので、ミクロの領域はグループリーダぐらいの位置の人の範囲であろうと思う。たとえば、見積依頼プロセスであれば、見積書を出すまでの全体の責任は、営業部長の責任で、納期を決めるのはグループリーダの責任といった感じです。

ですから、ITの役割は、それぞれの責任あるひとが責任ある意志決定を行えるように、その人の責任となっているプロセスを彼の手のひらに乗せてあげることなのです。
 

2009年12月 3日

事業仕分け

先日行われた事業仕分けについて様々な論評がなされ、やかましいくらいだ。おおかたの議論で好意的なのは、オープンにしたこととか、それによりどんな事業が行われているのかの実態(官僚の?)が見えたことであろう。一方批判的なのは、たった1時間で決められるものかとか、仕分け人が横暴であるとか、仕分けの基準がわからないといったところでしょう。

スパコンやGXロケットなどの科学技術に対する厳しさが話題になったが、その中で蓮舫が「世界一を目指す理由は何か。2位ではだめなのですか」と言った件は話題を呼び、利根川進が「世界一を目指さなければ、2位にもなれない」と反論した。ここりゃ、利根川さんの勝ちですね。

こういうものは、世界一を目指すのが当然です。これはあたり前の話ですが、それが問題なのではなく、プロジェクトの形態が変わったことやこんなにお金がかかるわけがないことなどから見直しすべきなのだ。

しかし、それでやってもこの世界で一番になる必要があるのかどうか。いまやコンピュータの能力自体よりもそれを使って何をするかの方が重要な気がする。競争の場は使い方の方にシフトしているように思う。

この話は各所でやられているのでここまでで、ちょっと考えさせられたのは、結局やっていることは普通の企業でやっていることと同じじゃないかと思ったことだ。企業では期末になると、部門ごとにそこまでの実績と次期予算について、経営管理部門からの査定や経営者からのヒアリングというものを行うのだが、それの国版であるということだ。

で今回の事業仕分けを会社で置き換えてみると、事業部門が各官庁や行政法人でチェックする経営管理や経理部門が財務省でヒアリング、承認が政治家になるのではないでしょうか。ただ、税収と売上の違い、モノやサービスの提供に市場原理が働かないことが大きく違う。

でこの市場原理というのを考えてみると、ここではほとんど経済合理性によって維持されているから、公共のサービスにはなじまないという。今回の事業仕分けでも、科学技術やスポーツに対して、経済性だけで議論されるものではないという意見である。

確かにそうだが、企業においても必ずしも全部が経済合理性でやっているわけではなく、将来性だとか従業員のモチベーションだとか、企業イメージ向上だとかそんなところにも投資している。

従って、広い意味の「費用対効果」を算出させて、それで議論するという方向は必要だと思う。すなわち、経済性だけではなく、それ以外の定性的な効果についてもちゃんと主張すればいいのであって、それができていないのではと思ってしまう。国民に夢を与えるのも立派な効果のはずである。

それと、費用の方もちゃんと明細を出させて吟味すればいい。大きな投資なのにかなりどんぶりのように見える。企業で少額でもかなり突っ込んでその意味と必要性を議論する。

それはそうと、今回の事業仕分けで民間企業との大きな違いは、経営理念、経営戦略、経営計画がどこにもでてきていないということだ。だから、今回の事業仕分けは、企業でいう固定費予算みたいなもので、旅費交通費や什器備品費、教育研修費、通信費の査定をやっているようなものだと言ったら乱暴だろうか。
 

2009年12月 4日

業務システムの再定義-業務システムが変わる

これからの業務システムは何を志向しているのか

ここでは、業務システムそのものがどう変化していくのか、どう変えていくべきかを議論していきます。それには、「Kailas」のコンセプトを語るのが話が早いと思います。

「Kailas」の主要なコンセプトは次の3つになります。
1. プロセス志向
2. オペレーション志向
3. コラボレーション志向

最初のプロセス志向ですが、すでにこの前の章で業務プロセスのことを書いてきましたので同じことかと思われますが、少し違っています。先に議論した「業務プロセス」はここで言うプロセスよりももう少し広く、ビジネスを実現する仕組みや仕掛けとして見てきました。ですから、システム的な観点ではなくビジネスの視点からの議論でした。

ここでは、業務システムを考える上でのコンセプトのようなことを言っています。従って、プロセス志向というのは、業務プロセスありきからシステムを見ていこうという姿勢です。機能ではなく、データではなく、プロセスを中心にしようということです。昨今のBPMやSOAはこうした流れを象徴しています。

ところが、このプロセス中心だけでは片手落ちで、どうもプロセスを作って終わりといった感じになっているように思えるのです。プロセスは、動かしてナンボ、そしてそれをどう動かすのかで価値が出てきます。そういった踏み込みが足らないと思うのですがいかがでしょうか。当たり前の話として、システムの目的は正しいシステムを作ることではなくて、ビジネスに貢献できて初めて目的が達成できたことになります。

このことは2番目の「オペレーション志向」ということを言っています。できたプロセスをどうやって動かすのか、運営するのか、ビジネス上の成果をあげるのかが焦点になるわけです。従来のシステムでは、このオペレーションという意識が低く、単なる金銭登録機あるいはレポート出力機になっていやしないでしょうか。

業務システムの再定義と言っている意味のひとつはここです。システムをもう少しダイナミックなものとして扱おうよというメッセージです。目的地に向かって自動車を運転するように、ビジネスのゴールに向かってITシステムを運転しようよということです。

従って、賢い読者はおわかりのようにビジネスのなんたるか、業務のなんたるかを知っていないと設計できないわけで、既成のSIベンダーでは、そこの感覚が決定的に不足していると思いませんか。ただ、業務経験の有無のことを言っているわけではありません。そういうセンスを磨いていたかということだと思います。

3つ目のコラボレーション指向というのは、仕事というのは昔から協同作業として行われていました。それが組織でもあったわけです。しかしながら、コンピューターによるシステム化によって、そうした協同作業の様態が崩れているように思うのです。ですから大げさかもしれませんが、そうした協同的な場を提供しましょうということなのです。
 


2009年12月 5日

挙句の果て

高校の同級の仲間で「連歌の会」というのをやっていて、ぼくも今年の2月になんとなく入れられてしまった。最初は、連歌というものもよくわからず、五七五のあと次の人が七七と詠むんだくらいで始めた。もうすでに4,5回ほど投稿いたのだが、いまだにそのしきたりもわかっていなかった。

昨日は、その高校の同級の忘年会があった。場所は、クラスメートのS君がオーナーの代々木にあるタイ料理屋である。前回もここだったので高齢化、いや間違い、恒例化したようだ。

この店は「KAO TIP」といって、12年前にオープンし、5年前にS君が引き継いだそうだ。本場タイからやってきたシェフが作るので本物のタイ料理である。昨日も、トーッ・マン・プラー(タイ風さつま揚げ)とかヤム・ヌア(牛網焼きのサラダ)やポーピア・ソッ(生春巻き)などを堪能する。年寄り向きに辛いのは少なくしてくれたみたいだ。おししいですからぜひ行ってみてください。

酒もふんだんに出てきて、これじゃあ持ち出しじゃないかと今回も思う。参加者は、その連歌の会に入っている人たちがメインであと数人が加わる。中でもびっくりしたのが、N君で卒業以来初めてだったのだが、今年の5月に倒れてそれ以降ちゃんとしゃべれないという。昨日も筆談を交えて歓談するが、見た目や受け答えを見るだけでは普通なのだがまだ戻っていないとのこと。だから、おおかたの人の記憶がないという。

そういう意味では、この歳になると健康のことが大きな関心事になる。みんな現役で仕事をしていた時のストレスはすごかったのだなあと改めて思う。まあ還暦も過ぎて無理をせずに孫の相手や家庭菜園とかそういう生活にうまくすべり込むことが大事なのだろう。

さて、連歌の話で、知らなかったことを教えてもらう。最初を発句といって、そこからはじまり、続けていくのだが、それぞれが何らかの関連性をもたせるのだそうだ。でもそれは本人が関係あると思っていればいいのであって、そこを別段説明する必要はない。ありゃあ、知らなかった。ぐたぐた説明してしまった。ただ、これは各人の近況報告という側面もあるので、そのたぐいのコメントはいいよねえという話になる。

で挙句の果て(使い方がちと違うか)、「挙句」のことを教えてもらう。どうも36句で終わらせるが、その最後の七七を言うらしい。そして、その終わり方が問題で“未来につながる”ように終わらなければいけないのだそうだ。わあ難しそうだ。願わくは、ぼくが最後に当たらないようにと思うのである。
 

2009年12月 6日

サッカーばなし

来年南アフリカで行われるサッカーW杯の一次予選の組み合わせが決まった。日本はE組で、オランダ、カメルーン、デンマークと一緒になった。岡田監督は、「悪くないグループ。どうしても勝てないチームはない」と言ったそうだが、ぼくもまあまあのグループだと思う。

もっと楽な組に入ればよかったのにという人もいるが、ではそんな組があるのかということになる。そこでFIFAランキングから各組の“厳しさ度”をチェックしてみよう。

・ FIFAランキングの合計値
H(74)-E(83)-C(84)-D(84)-B(94)-G(104)-A(127)-F(145)
数字が小さいほど上位のチームが多いということだから、おおE組は大変だ。

しかし、これだけでは最下位の国がランクが大きく低いと(たとえば南アフリカ)それが足を引っ張ってしまうことがあるので、日本から見る場合、最下位国の相手がどれだけ強いのかという見方をしたほうがいい。ということで次のランキングをどうぞ。

・ 上位3国のランキング合計値
G(23)-H(36)-E(40)-A(41)-B(42)-D(47)-C(51)-F(68)

こうしてみると、F組に入れればよかったぐらいであとは五十歩百歩だ。それはそのはずで、日本より格下は、南ア(86)、北朝鮮(81)、ニュージーランド(77)、韓国(52)だけなのだから、これらの国とは当たらないので、どこでも厳しいのだ。

さて、E組だと1勝1敗1分けで予選突破ですな。そんなことを言うとフランス大会じゃあないけど、初戦で負けてぼろぼろかもしれない。だから、もう初戦のカメルーン戦に集中するということだろう。場合によっては中津江村から行ってもらって戦意を喪失させるとか(笑)。

こんなタイミングでJリーグの覇者が決まるとは鹿島アントラーズのみなさんは運が悪い。だからニュースの扱いも小さくなってしまった。しかし、3連覇はすばらしい偉業である。

何といっても、選手の戦略や戦術の理解度が高いということが大きい。たとえば逆襲で一気に点を取りに行くシーンをみてもわかるように、今個々の選手がやるべきことがしっかりわかっていて、それを信じて動き出す。こういうのを戦略的というのだ。

川崎フロンターレやガンバ大阪あるいはサンフレッチェ広島といった上位に食い込んだチームも同じようにそのチームの固有の攻め方、守り方を持っている。そして、そうした戦略や戦術を年間をとおして負けてもぶれなく継続させているということが重要だと思う。

それに比べると昨日のアントラーズの相手であった浦和レッズの試合ぶりをみていてもわかるとおり、どうしても個人の能力におんぶした格好で組織としての機能の発揮が不十分なのである。こういうチームが下位に低迷するというわけだ。

リーグが終わって、次は天皇杯だ。そしていよいよW杯本番の年を迎える。
 

2009年12月 7日

業務システムの再定義-オペレーション設計(1)

感知-判断-アクションのトライアングル

ここからは、オペレーション志向に基づいて、どんな機能や構造が必要なのかというオペレーション設計について考えていきます。おそらく、こういう概念で設計するといったことはあまり聞いたことがないように思います。部分的な機能を使えとか、はめ込むことはするが、全体構成をデザインすることはないのではないでしょうか。

以前、業務プロセスの定義について書いたが、狭義のものと広義のものがあることがわかる。狭義のものは、簡単にいうと、決められた手順に従って、業務処理を行って、所定の結果を出すことであるが、もう少し、ビジネス上の諸活動を含めた広義の規定をした方がいいように思う。「ビジネス活動」に主眼を置いた考え方(オペレーション志向)である。

そうなると、ビジネス全体をどう動かしていくのかといったスコープで見て行くことになる。なぜそう思うかというと、以前に言ったようにBPMだとかBAM、BRM、SOA、SaaSとかいう言葉を断片的にとらえる傾向があるからである。それぞれを取ってみて、プロセスをどうする、ルールをどうするというふうな議論をしても仕方がないのではないかということである。

ですから、それらを総合的、構造的、有機的にとらえることが大事だと思う。ただ、その中でも中心に置くのはプロセスであることは言うまでもない。なぜなら、最終的なアクションに落とし込むのはプロセスだからである。

ですから、プロセスが機動的かつ効率的に動くために周辺の機能があるという考え方である。そこで、前述した3文字熟語をみると、Monitoring、とかRuleといった言葉がポイントになる。従って、“活動(オペレーション)“というのは、結局、何か起こったことを感知し、それをどうするかを判断して、アクションを起こすということになるのではないでしょうか。

感知-判断-アクションという三角関係がイメージされます。これが、従来になかった視点であって、オペレーションをしっかりやることが大事であるということを意味しています。

さて、このことは再三指摘していることなのですが、生産プロセスを想起させられるのである。ただ、これまではどちらかというと、業務プロセスも生産プロセスも同じプロセスがあるといった程度の見方でしたが、もう少し、制御とオペレーションということに踏み込んでみたいと思います。

感知-判断-アクションはまさにケミカルプラントのコントロール&オペレーションそのものだからです。かなりの共通性を有しているといえます。

さて、これまでの業務プロセスでは、単にプロセスを実行すること、そしてその結果を登録することが主眼になっていたように思います。それでも良かったのです。従来のビジネス活動では、それほどスピードやリアルタイム性を要求されていなかったのです。

ですから、スタティックな動きでも何とかなったのですが、今では全く違ったスピード感が要求されているように思います。そうしたとき、現に起こっていることを素早く感知して、その事象に対して、迅速にかつ的確な判断を下し、しかるべきアクションを誘導するという一連の動作が重要になってきます。

連続系のケミカルプラントでは、原料を投入すると、それらを分解、分離、合成、添加などの単位操作の連鎖により製品が生み出されます。これがプロセスで、単位操作がアクティビティに相当します。

そして、この単位操作は、加熱、冷却、圧縮などのアクションで実行されていきますが、そのとき、単位操作の前の流体の状態を感知し、それによってどういうアクション条件にしたらよいかを判断して、その値を投下します。多くは自動制御という形でなされ、同時にその制御の結果も感知してフィードバックによる修正動作もおこないながらオペレーションを行うわけです。

おそらく、これからの業務プロセスにおいても同じような考え方でコントロール&オペレーションが行われていくような気がします。プラントオペレーションではもっと進んでいて、さらに広い範囲での状態検知をして、最適化の制御が行われています。例えば、コスト計算をして、コストミニマムモードにするとか、そうではなくプロフィットマックスモードにするとかといったマクロレベルの複合的なコントロールである。

こうしたエンジニアリング的思考は何も金融工学だけではなく、もっと基礎的な理論でいいのでそれを業務プロセスコントロールに持ち込むのも必要ではないかと思うのである。
 



2009年12月 8日

1Q84

今年の5月に発売になって、爆発的に売れてもちろん今年のベストセラーだそうだ。村上春樹の「1Q84」である。そんな本を何をいまさらと言われるかもしれない。

でも、僕は元来あまのじゃくのところがあって、みんながいいというと敬遠したり、はやりものにはすぐとびつくのはやめようという意識がはたらく。そんなわけで、下の息子が読んだ後に貸してもらってあったのを最近読んだ。

ただ、どうしてこれだけの人気になるのかがよくわからない。ぼくは好きだからおもしろいと思うが、いわゆる大衆文学でもないし、司馬遼太郎でもないのに不思議だ。だから、本を買ったひとがみなこの長編を最後まで読了したのだろうか。

さて、本のことだが、タイトルからしてよくわからない。Qとは何を意味するのだろうか。物語はカルト教団に絡む話で、青豆と天吾が主人公となる二つのストーリーが並行的に進んでいくというパラレルワールドの世界だ。

書評は各所でいろいろな人が言っていたり、書いているので同じようなことを書いてもしょうがないので、村上本の何が楽しいのか、どこが気に入っているのかを書く。

べつに難しい言葉やひねった表現をするわけでもなく、相変わらずのリズム感のある文体で、特有の比喩的表現が満載でまさに村上春樹ワールドである。このリズム感と比喩は、読みやすさと情景へのイメージを膨らませてくれる原動力だ。村上春樹なので、ジャズのスウィングとでも言ったらいいのかもしれない。

こうした“ノリ”で紡がれる物語は村上春樹の独壇場かもしれない。読者は、非現実的な世界を作り出す物語力にはまっていく。こうした”感覚”を共有できておもしろさを得ることができるのだろう。僕はすごくおもしろく読んだ。

ところで、村上春樹は「おっぱいフェチ」ではないかと思う。何かとおっぱいに関する表現が出てくる。もう気になってしまった。青豆は、左乳房の方が右乳房より大きくてかたちがいびつであるなんて書くか。

どうもこれで終わりではなく、来年に第三部が出てくるらしい。乞うご期待。
 

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2009年12月 9日

業務システムの再定義-オペレーション設計(2)

何を測定するのか

前回、感知-判断-アクションのトライアングルという話をしました。そのなかの感知ということについて考えていきましょう。センス&レスポンスという言葉を聞くことがあります。何かの事象を検知し、その状態によって適切な答えを導き出し、対応するということになります。まさに、そのセンスのことです。

一見簡単そうですが、けっこう難しいのが、何を測定するのかということと測定できるのかという問題です。やたら測定するわけにはいきませんから、“そこの値”を測定するちゃんとした理由がなくてはいけません。

そこは、後ろから考えていきます。すなわち、そのプロセスのパフォーマンスは何で測るのかという問いから見ていきます。そして、これもトップダウン的なものとボトムアップ的なものがあります。

トップダウンというのは、戦略実現のためのパフォーマンスチェックです。よくやられるのは、バランススコアカードから導出されたKPIやKGIになります。ただ、これはそのままというわけにはいかないので、プロセスの測定値や計算値への翻訳が必要になります。

一方、ボトムアップというのは、オペレーショナルな意味合いのもので、どんなプロセスにもデフォルトで備わっているべきパフォーマンスで、基本的にはQCDFになります。すなわち、早く低コストで質の高い、そして変化対応力のあるオペレーションをしているかということです。

この二通りのパフォーマンス管理を分けて考えたらいいと思っています。ボトムアップはそう難しいことはなくて、早さは各意思決定のスピードを、コストは人数☓時間(これはABC:Activity Based Costingですね)をみます。では質はどうして測ったらよいのでしょう。ここでは、手戻り率を採用しています。意志決定の質でもあって、これが悪いと後工程から戻ってくるからです。

変化対応力はどうでしょうか。この場合の変化とは不確定な要求がくることですから、それにいかに迅速に応えるかということになります。おそらく応え方は、フローの順番を変える、意思決定の基準を変えるといったことかもしれません。

問題は、これを最初から予測してあらゆるケースを作り込んでおくかですが、そんなことは不可能です。では実際にそういう状況になった時にいちいちコードを書き足したり、変更したりすることでしょうか。それでは変化対応力があるとは言えません。

結局、そこが重要なところで、作り方になるわけで、コードを書かずに部品(コンポーネント)の差し替えといったことが可能なPluggableな構造にしておくことです。雪道になったらスノータイヤに取り換えて運転するといったイメージですね。
 

2009年12月10日

ゼロの焦点

松本清張生誕100年記念と銘打たれた映画「ゼロの焦点」を観る。最初、清張のこの有名な作品が映画化されたと聞いてまず思ったことは、推理小説でもうバレバレの内容のものを映画にしても、先が読めてしまうからどうなってしまうのだろうかということである。

ですから、犯人はだれみだみたいなサスペンスを期待するわけにはいかない。ただし、清張の作品というのは、その時代に抱える世相やそこに生きた人々の生活を背景に犯罪を描いているので、そちらのほうに軸足を置いて描くと面白いかもしれないと思った。

はたして、監督の犬童一心は、3人の女の生きざまについて描くことによって、あの戦後まもない昭和をあぶりだしている。戦後の混乱から徐々に落ち着いていく、そんな時代を北陸を舞台に展開させた。

ここでストーリーを言ってもしょうがないので、何と言っても3人の女を演じた女優さんに登場してもらうのがいいだろう。行方が分からなくなった夫憲一(西島秀俊がいい味をだしている)を探す禎子役の広末涼子、金沢の煉瓦会社社長夫人の佐知子役の中谷美紀、憲一が密かに付き合っていた久子役の木村多江の三人である。

この中では、広末はちょっとという感じだが、中谷美紀と木村多江の二人がすごい。二人は日本アカデミー賞の最優秀主演女優賞を受賞しているから本物だ。それだけでも広末はまだまだ追いつけない。

中谷美紀はこりゃ怪演ですね。もう鬼気せまる演技でさすが「嫌われ松子」だと思わせる。一方の木村多江はいま薄幸の女性をやらせたら右に出るものがいないと思う。この二人が、米軍のMPから逃げた小学校の校舎の中で歌を唄うシーンは出色である。

ところで、この作品を観に来ていた人はほとんどが年配の人たちであった。最初に言ったようにサスペンスにはならないから、清張の「社会派推理小説」の推理が抜けて社会派の部分が強調されているわけで、そうなると戦後のあの時代のことを知らない若い人たちが観ておもしろいのかということなのだろう。

例えば、バレバレだから言ってもいいと思うが、重要なキーワードは「パンパン」なんだけど、今の人は知っているだろうか。よしんば、知っていたとしても、キャバクラ嬢とどこが違うのかと言われかねない。そんなとらえ方をされたら映画が成り立たないのである。映画の内容とはあまり関係なく、そんなことを思ってしまった。

2009年12月11日

ハイボール

いま、ウィスキーが売れているらしい。売り上げが7~8%伸びたとか言っていた。なぜ売れるのかというとサントリーが戦略的にキャンペーンしたことや、ソーダで割って、それにフルーツを入れたりして飲みやすくしたことらしい。あの小雪が出るCMの影響も大きいかもしれない。

このウィスキーをソーダで割ったのをハイボールという。これは昔からあるもので、ぼくはもう何十年も愛飲しているカクテルである。今も行きつけの店「M」に行くと黙っていてもEarly Timesのソーダ割りが出てくる。

この記事のカテゴリーは、「酒呑みの自己満足」としているが、これは山口瞳の「酒呑みの自己弁護」という本からとっている。その本の中にハイボールについてこんなことが書いてある。

水割りがうまいと思うのは錯覚であるにすぎない。強い酒は強い度数で飲むほうがうまいにきまっている。ハイボールは別物である。私はハイボールこそバーテンダーの腕のみせどころだと信じて疑わない。簡単なものほど難しいので ある

ぼくもウィスキーの水割りというのがどうも好きになれない。しかたなしに呑むことがあるが、基本はストレートかハイボールである。そして、山口瞳の言うようにハイボールは難しいのである。だから、すでにソーダで割ったものが缶に入っていたり、なんでもいiから混ぜりゃいいというのは邪道である。

ぼくがいつも呑むハイボールは、バーテンのかおりちゃんがちゃんと作ってくれるやつだからうまい。そうやって呑むものだ。最近のように誰でも呑むようになると、生来のあまのじゃくが顔をもたげて呑むのをやめようかなあと思ってしまう。

「M」で以前はやった2代まえのバーテンダーのゆきちゃんが得意だったギムレットにしようか、作家の永井明さんが教えてくれた焼酎の牛乳割にしようかな。というのは愛嬌でやっぱり「かおりちゃんのEarly Timesのソーダ割り」を呑み続けることにする。
 

2009年12月12日

ノーカントリー

これは後に引きずる映画だ。だいいち、わけのわからない終わり方をするし、なんかよくわからない。しかし、印象に残っている。コーエン兄弟が監督する「ノーカントリー」はそんな映画だ。

2007年度の第80回アカデミー賞で作品賞、監督賞、助演男優賞、脚色賞の計4冠を受賞した。日本でも2008年度キネマ旬報外国語映画ベストワンに輝いている。

ハビエル・バルデムが恐ろしい殺し屋を演じる。なんたって屠殺に使うスタンガンで人間を殺すのだ。ただ、あれだけ人を殺す、冷酷無比な殺し屋だが、いやらしい恐怖は感じないのが不思議だ。

ストーリーは、西テキサスの砂漠でどうも麻薬取引のいざこざのあとに偶然居合わせた男が大金を持ち逃げするのだが、その男をその殺し屋が追いかける。その追跡劇が異常な緊迫感をもたらす。

そうした恐怖や残酷、暴力といった人間のもつ恐ろしさを肉体で表現している。それがコイントスで決められるといった不条理性をも表現していて、一層の恐怖感もあおっているのだ。

この殺し屋を追う保安官が、トミー・リー・ジョーンズで、ご存じ缶コーヒBOSSのおじさんだ。ただ、この保安官とは一度も顔を合わさないわけで、その対比もおもしろい。

ところどころにベトナム戦争の影をしのばせたりして、社会的な背景もちらちらするが、何といても存在そのものが恐怖となる殺し屋シガーが最大の見ものだ。

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2009年12月13日

日系ブラジル人の俳句と短歌

昨日は、JICA横浜の海外移住史料館の公開講座「日系ブラジル人の俳句と短歌」を聞きに行く。講師は、国際日本文化研究センター教授の細川周平さん。ブラジル日本移民の文芸活動についての話である。

なぜ、こうした講座に行ったのかというと、まずは、講師の細川さんはぼくと同じ高校のサッカー部の後輩で、しかも中学も一緒であることと、JICA横浜にそのサッカー部の同期の友達がいるということである。それで、最初はその友だちから案内をもらったというわけである。

ですから、昨日はサッカー部の恩師のS先生やぼくらの一つ上の先輩のAさん、細川君(ここから先輩面)と同期のS君や同級だったという女性のSさんらも来ていた。

さて、講演であるが、のっけに今日は一番来てほしくない人たち(どうもぼくたちのことらしい)がきているのでやりにくいという挨拶からはじまり、つぎのような論点で話が進む。

1. ブラジルの日本語文芸略史
2. ブラジル季語
3. 断続する母国語(短歌)

ブラジル移民は1908年に有名な笠戸丸から始まるが、もうその時船中新聞という形で文芸活動が始まったという。それから、新聞の発行やらも行われ、そのなかに俳句や短歌が載せられるようになり盛んになった。

日本にはこの俳句や短歌、川柳といった短詩があったことが大きいと言っていた。わずか17文字や31文字のなかで自分の気持ちを表現できることが文芸活動をひろめていたのだろう。20万人くらいの社会での活動だから、プロではなく素人の集団として存在なのだが、異国であるが故の「思い」がほとばしっている。

実際に句集や歌集を見せてもらったが、決してうまくない、むしろ下手とも思われる作品ではあるが、異国語の中で日本語を吐き出すように思いを語るとき、細川君もまとめで言っていたが、まさに「もどかしさ」の文学の表出を感じることができる。

他にも、ブラジルの季語の話とかアマゾンの季節は1-3月が雨季、4-5月が春、6-10月が夏、11-12月が秋であるとか、DVDで句会の模様や最高齢が93歳のひとがいるとかといった話ですごくおもしろかった。普段聞いたこともないテーマなので新鮮だったし、何より細川君のしゃべりもうまく大変良かったのである。

終わったあとは、細川君はJICAのひとと食事に行ったので、残りのもので中華街へ繰り出す。先輩のAさんや同期のS君、後輩のS君の3人はこの近くが勤務先なのでいい店をよく知っているので、ワンタンのうまい「大新園」に案内してもらう。

呑んで食べておしゃべりして大変楽しい時を過ごす。S先生は74歳なのだが大変お元気で、昨日の話題は講演にも絡んでサッカーの2014年のブラジルワールドカップを見にいこうツアーのことで、今から張り切っています。(来年の南アには、負けるとわかっている試合を見に行きたくないらしい)

その後も、同期のS君と夜景を見ながら一杯、そして横浜駅近くの転げ落ちそうな急な階段の変な呑み屋で一杯やりながら、恒例の映画談議、今年の映画賞の候補についてひとしきり論評し、大いに横浜を堪能したのであります。
 
最近の細川周平さんの著書です。なおこの本で2009年度「読売文学賞」を受賞しています。

遠きにありてつくるもの―日系ブラジル人の思い・ことば・芸能
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2009年12月14日

業務システムの再定義-オペレーション設計(3)

BAMとBI

前回は、センス&レスポンスで何を測定するかが大事であるという話をしました。この場合は、ある時点で起こる事象(イベント)を検知するとしていました。これは、いわゆるBAM(Business Activity Monitoring)と呼ばれるものです。

これは、リアルタイム的に即座に反応しアラートなどを発信することです。最近のビジネス環境ではこうした俊敏さを要求される機会が増えてきています。ただ、あまり過敏になるのもどうかと思います。まあ、業種にもよりますが、即時性が求められるのは進捗管理で問題が発生したときぐらいだと思います。

それと、前回にKPIやKGIから落ちてきてというような話もしましたが、実際問題として、KPIやKGIでそんなに即時性を要求されることはあるのだろうか。もちろん緊急事態とか顧客対応とか言ったことは当たり前として即時対応なのですから。

もう一方のBI(Business Intelligence)はどうでしょうか。最近は、CPM (Corporate Performance Management)と言うそうですが、要するに、データウエアハウスに格納されたデータを分析してレポーティングするといったことです。

これは、以前からやられていましたが、いまいち効果が疑問視されていました。それはなぜかというと、プロセスがきちんとできていないのに結果だけを集めたところで、そのデータがどのようにして生まれたのか、その解析結果をどのようにして活かすのかができなかったためだろうと思っています。

ですから、BAMとBIの違いは、「死体解剖」と「生体ドッグ」ということです。すなわち、過去の履歴を分析しレポートするBIは死体解剖的で、現在の状態を分析し、アラートを発するBAMは生体ドックというわけである。

これはどちらがいいということでははなく、どちらも必要でうまく使い分けをすることが大事なのである。これまではどちらかというと、BIの方が使われていましたが、ここへきてBAMの機能が使われるようになったのではないでしょうか。そのための前提条件は、プロセスをきちんと設計し、オペレーションできてこそ初めて生きてきます。

そして、これからのセンス&レスポンスについてですが、単なるデータやイベントだけでなく、ビジネス活動の経過だとか、個別の顧客に対する対応結果だとかといった事例実績をいろいろな要素から分析したものをベースに、その条件に類似のビジネス活動が来たときにどう対処したらいいいかをレコメンドしてくれるといった機能も出てくるように思います。

プラント制御の世界でDMC(Dynamic Matrix Control)というのがありますが、それと似たようなもので、さまざまな角度から状態を感知して、そこから最適な解をみつけ、動的に制御していくという考え方で、これをビジネスプロセスにも適用すると面白いと思います。
 

2009年12月15日

落語論

落語論というようなものはないといったことも書かれている名辞矛盾的な本「落語論」(堀井憲一郎著 講談社現代新書)を読む。落語というのは、型が決まっているわけでもなく、理屈があるわけでもなく、話す人と聞く人のその場限りの作品でもある。だから、落語論というものはないと思う。

とはいえ、この本は、本質論、技術論、観客論の3部からなっているが、その中に書いてある“落語とは○○である”という言葉を採録してみる。

落語とは、ライブのものである。花火と同じだ。
落語は、言葉の中には存在していない。歌である。だから、繰り返し聞くものである。
落語には、タイトルがない。キャラクターも存在しない。落語の芯は、ストーリーではない。セリフである。
落語の根本は、お話にはない。場にある。観客も落語を構成する大きな要素である。
落語は、普遍性を拒否する。所詮ペテンである。
落語は、都市にしか存在しない。近代的発展とは別の世界に存在している。
落語は、和を求める演芸である。
落語は、きわめて個人的な体験である。
落語は、業を肯定している。
落語は、遊びであり、道具である。

おおむね、こんなことについて書いてある。確かに、落語をテレビやDVDで見たり、CDで聞いても、実際に寄席で生身の話を聞くのとはぜんぜん違う。その時に立ち会っていないと、同じものをニ度と聞くわけにはいかない。

また、落語が歌であるというのは実感として思う。先日、柳家小三治の一門会で小三治がフランク永井の歌を唄ったのだが、それがうまいのなんのって、非常にいい声で聞き惚れてしまった。そのういう人がしゃべる噺が心地悪いはずがないのだ。

そして、本を読んで気がついたのだが、落語ってタイトルがるわけでもなく、しかも人の名前も固定されていないんですね。寄席に行くとどんな噺があるのかわからない。そして、登場人物のキャラクターもあるように思えるがないのだ。

結局、目の前でしゃべっている噺家になんだかわけのわからない世界に引きずり込まれて、何となく、この世を面白おかしく過ごせるような気がしてくるのだ。てなことで、本を読むより実際の場に足を運ぶのがよろしいようで。

落語論 (講談社現代新書)
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    • 1 屈指のひどい出来
    • 5 落語も講演も
    • 5 批評者へのアジテーション
    • 4 野暮を承知で「落語」を語る
    • 5 堀井さんによる、落語にあてたラブレター
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2009年12月16日

業務システムの再定義-オペレーション設計(4)

ユーザインターフェース

オペレーション設計で重要なものとしてユーザインターフェースがあります。プラント制御の世界などではマンマシンインターフェースとも言っています。人間と機械が接するところです。そこを使い勝手のよいものにする必要があります。そうでないと、誤操作をしたり、操作が遅れたりします。それは事故を招いたり、大きな損害を生むことになるのでとりわけ重要視されるのです。

ところが、業務システムのユーザインターフェースはそうした重要性を意識しているでしょうか。おそらくオペレーションという捉え方が希薄であるため、それほど重要視されていなかったのではないかと思います。

顧客とのインターフェースあるいはグループウエアのようなものではそうした配慮があるのですが、生産、販売、購買システムとか会計のようなところでは、データ登録画面、帳票出力画面、検索画面を用意すればいい程度で考えられていたのではないでしょうか。

ところが、オペレーションという概念でみていくと、操作性がすごく大事であることがわかります。すなわち、操作がわかりやすく簡単なのか、間違わないように安全にできるのか、質の高い操作が可能なのかといった使う人のためになるようにちゃんと設計されているかである。

ちょっと話がそれますが、こうしたインターフェースの設計に工業デザインの考え方を持ち込むべきだと思っている。そのくらい気をつかうべきだと言いたいのです。ユーザビリティの向上は、仕事の質をあげ、ビジネス上の成果をあげることにも寄与できると思うのですがいかがでしょうか。

さて、これまでの業務システムの画面をながめてみてください。画面名称をあげてみればわかるのですが、「受注登録」、「受注検索」、「受注帳票出力指示」、「出荷一覧」、「出荷予定検索」、「受払表出力指示」などなどです。どうです、なんか先に書いたように登録、帳票出力、検索といった機能が画面に反映させているだけです。

これで、業務プロセスをオペレーションできるのでしょうか。例えばあるオーダーが来てそれに対して在庫を引き当てて、出荷してという一連の動きが見えているのだろうか。これでは、データをコンピュータに打ち込んで、そこに格納された情報を見たり、紙で印刷したりすることが主眼の仕組みのようにみえてくる。

従って、ユーザインターフェースという観点からみると、まるでATMあるいはネットバンキングに近いように思える。しかし、日常の業務はもっとダイナミックに流れているはずで、その流れを監視して、正しくスムーズに流れるように操作するというのが仕事のように思う。そうしたことができるように、従来のユーザインターフェースは見直されてもいいはずなのである。
 

2009年12月17日

イングロリアス・バスターズ

クエンティン・タランティーノ監督の「イングロリアス・バスターズ」は高い期待を持って観た。何しろ、ソフトバンクのコマーシャルにも登場する“タラちゃん”だから、どんな面白いものを見せてくれるのかとわくわくする。

しかもブラッド・ピットが主演とくればさらに期待してしまう。物語は、ナチス占領下のフランスでナチス側と連合軍側の両者のおかしな連中の戦いを描いている。イングロリアスバスターズというのは、ナチス兵を掃討する部隊で頭の皮をはぐは、バットで殴り殺すはの残虐性たっぷりの集団である。

最初は、マカロニウエスタンを思わせる導入で、いきなりナチのユダヤハンターの将校が暴れる。そこで逃がした娘が後に絡んでくる。だから、このユダヤ狩りとの対比でナチス狩りを置くのである。

その農家にかくまわれたユダヤ人が射殺されてからは、意外とまじめに淡々と進んでいく。ところが終盤にくると、ダイナミックにそして奇抜な展開に驚いてしまう。まあ、この辺りはタランティーノの面目躍如といった感じである。

この映画に登場する俳優さんたちがいい。ブラピはほんと若いころのロバート・レッドフォードにそっくりだ。しかし、あまりいい役どころではないのじゃないかと思ってしまう。というのも、ナチス側のそのユダヤハンターと呼ばれたランダ大佐を演じたクリストフ・ヴァルツの演技が抜群だったのでそれに食われてしまった。

確かに、この映画は一体誰が主役なのだろうかと思ってしまう。どうもこのランダ大佐ではないだろうか。そのほかの役者さんたちもそれぞれ個性的でたのしませてくれた。タラちゃんは期待を裏切らなかった。

2009年12月18日

業務システムの再定義-オペレーション設計(5)

コラボレーショ

最初に、プロセス志向、オペレーション志向、コラボレーション志向ということを書いた。この最後のコラボレーション志向ということである。これは、主にオペレーションとくにユーザインターフェースに関係するので、ここの中で議論することにする。

前回の、画面の話で画面名の例をあげて説明したように、これまでのような登録、出力、検索を主体では組織としてどう動いているのかが見えないと思う。むしろ、個人が画面に向かって、データを登録して、帳票を出力してといった動作がイメージされる。

結局、伝票のような紙を回すことでプロセスを確保しているように思える。そんな姿からは、コラボレーションという仕事のやり方は消えています。コラボレーションというのは、利害を同じくする複数のひとたちがビジネス上の目的に向かって、お互いにコミュケーションを図りながらよりよい解決策をさぐりあてて実行することだから、それには不適であることがわかると思います。

そして、今言ったようなコラボレーション型の仕事の進め方こそ、現代の複雑化し、スピードを求められるビジネス環境下では絶対に必要になってくるはずである。では、もう少しコラボレーションのメリットについて考えてみましょう。

・ 意思決定の質があがる
・ コンプライアンスにもなる
・ 技術伝承ができる

といったことがあげられるでしょう。コラボレーションは、いろいろな人の経験、知識、ノウハウなどを動員することによって、いい意思決定を行うことができます。Web2.0でいうところの参加型のアーキテクチャによる集合知が発揮できるのです。

コンプライアンスになるというのは、意思決定の過程が見えているわけですから不正はできないわけです。よほどみんなが結託してやればできないことがないかもしれませんが、アーカイブされますし、そもそもメンバー選定で注意できるはずです。いい意味の衆人監視社会ですね。

最後の技術伝承ということは、お分かりのようにコラボレーションの場に経験豊かなベテランを配しておき、ところどころでそのノウハウを吐き出すようなアドバイスをしてもらうことである。もう定年退職で辞めてしまうので、それまでにあなたの持っている経験やノウハウを紙に書いて残してくださいと言ったところで、おそらくそんな奇特な人はいないと思う。

それを、実際の日常業務遂行の場面に引っ張り出しておいて、若手が処理しているのをみて、それはおかしいとかこうしたほうがいいといったコメントを残して、それをデータベース化するということが最も効果的な技術伝承だと思うのである。

こうした仕事のやり方は年代間や部署間の関係もスムーズになるわけで、不機嫌な職場からの脱却のひとつの手だというのは言い過ぎだろうか。


2009年12月19日

幸せの1ページ

ぼくは映画を観るときできるだけ予断を持たないように、中身を知らないで観ることが多い。極端な場合は出演者も知らないこともある。だから、タイトルが頼りであってそこからイメージを膨らませることになる。

ところが、そのタイトルと内容がずいぶんと違っていて驚くことがある。もちろん、いい方の裏切られ方と逆にがっかりすることがあるわけで、そして当然のように洋画の邦題に問題がある場合も多い。

「幸せの1ページ」というタイトルから想像することはなんでしょうか。しかも、ジョディ・フォスターですよ。いかにも大人の恋って感じですよね。ところが、何と子供向けの映画だったのである。これにはびっくりした。タイトルのかけらは、最後の最後だけでなのである。

主演は、子役のアビゲイル・ブレスリンである。海洋生物学者の父親と南の孤島で暮らしているが、あるとき父親が海に出たまま帰らなくなる。そこで、たまたま電子メールで見つけた冒険小説の主人公の名前に、助けを求める。

そのメールの相手がジョディ・フォスターで実はその冒険小説の作者だったのだ。小説の主人公の名でメールを発信したというわけである。そこから、この引きこもり作家が意を決してその南海の孤島まで出かけるという話である。

だから、ほとんどがその島での少女の生活が描かれていて、自然の中での動物たちとの交流や小冒険、島に乗り込んできた観光客との争いなどである。

しかし、裏切られたといっても、タイトルさえ気にしなければ、単純に楽しい。ジョディ・フォスターも演技派ぶり?を発揮していたし、インディー・ジョーンズばりの架空の人物が狂言回し的に登場したりしておもしろかった。だから、最初から、子供向けの映画でよかったのだ。

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2009年12月20日

今年も残り少なく

早いもので今月も20日になって、今年も残り少なくなってきた。
これから、年賀状も書かなくてはいけないし、家のまわりの掃除もしなくてはいけないし、あわただしい。
今朝は、きれいに晴れて富士山もくっきりだ。
片山右京パーティはどこでとばされたのだろうか?

P1001368.JPG
 

社長が書いた記事が載ります

社長が書いた記事が載っている「Web+DB Press」のVol54がもうすぐ発売になります。23日か24日だと思います。

この雑誌もこれで9周年だそうで、よく続いています。その号の特集記事をほとんど一人で書いています。題して「Webサービス即日開発」です。

これまで数々のWebサービスを開発してサービスインしていますが、そのことについて企画・設計・開発・運用・チューニングまで全部開陳しています。

ぼくが言うのも何ですが、よく書けてると思いますし、何せ文章が読みやすいというのがすばらしい。是非読んでみてください。

これで、親子で記事を書いたことになる。多分こうしたことはめずらしいことだと思うが、”Webアプリケーション開発のための技術情報誌”にオヤジが書いたことが稀少なのである。

社長はこれから本を出す予定もあるとのこと、ライター稼業もいいのかもしれない。

WEB+DB PRESS Vol.54
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2009年12月21日

バルサのユルサとカルサ

UAEのアブダビで開催されたFIFAクラブワールドカップ2009の覇者はスペインのバルセロナに決まった。国内リーグ、スペイン国王杯、欧州チャンピオンズリーグなどに続き、実に史上最多の公式戦6冠の達成だ。バロンドールをメッシが獲得しているから、今年はバルサの年である。

しかし、決勝のエストゥディアンテス戦は大苦戦で終了間際のペドロの得点で息を吹き返し、延長の後半にメッシの胸シュートが決まるという劇的な勝利であった。試合的にはこんな面白い展開はない。かなり優位にあるバルサが先制され、それを追いかけるバルサに対し守りが堅いエストゥディアンテスが守り、時たまバロンのアイディアで逆襲するというたまらないシーンである。

圧倒的であるとさえ言われたバルサがここまで苦戦したのは、別段あり得ないことではなく。過去のこの大会を見てもわかるとおり、南米のチームの戦い方は非常に巧妙でしかも守備がいい。だから、ヨーロッパの華麗な強さは必ずと言っていいほど差をつけられないのだ。

しかも、バルサは弱さと強さが同居しているから、この弱さをつかれると危なかったのだ。さて、その弱さとは、それは“ユルサ”である。ディフェンスの問題である。特にセンターバックの“間の緩さ”のことである。昨日もプジョルとピケの間を一発でやられた。ボッセリのヘディングを競るのはピケのはずが彼はいなかった。準決勝でもアトランテにやられている。

しかし、バルサには“カルサ”があった。並みのチームだとあのままずるずるとエストゥディアンテスの罠にはまって動けなくなるのだが、そこを変えてしまう“軽さ”がある。こだわり続ける美しく華麗なパス回しを捨てパワープレーに持ち込んだのだ。しかも、パワープレーには格好のイブラヒモビッチという大砲がいながら、ピケを前線に置いたのである。

そのピケがゴール前でヘディングに勝って落としたところをペドロが決めた。このポストの入れ替えを“軽く”周りも呼応してしまうところにまた強さを感じてしまう。いろいろな引き出しを持ったすごいチームである。

この試合もしイニエスタが出られたらどうなってたかを考える。彼がいなかったためにシャビとブスケのトライアングルが形成できなかったことが苦戦の理由という人もいるかと思うが、もしイニエスタが出ていても難しかったのではないかとぼくは思う。それほどエストゥディアンテスの守備が素晴らしかったのだ。

その象徴がダイレクトパスがほとんど見られなかったことだと思う。単にダイレクトでパスすりゃいいじゃないかと簡単に考えるかもしれないが、これがパスする相手がマークされたらできないのだ。こうした連動性を少なくとも前半は抑えきったのである。

ともかく、この劇的なそして感動的なバルサの勝利には、ベロンを軸にしたエストゥディアンテスの玄人受けする試合は運びがあったからこそだと思うのである。

2009年12月22日

柳家小里んの会

年も押し迫ってからの第41回「柳家小里んの会」である。しかも平日だったので、お客さんの入りはどうなのかなあと思ったが、池袋演芸場はほぼ満員であった。だいぶ固定客が増えてきたようだ。

演目は、「うどんや」ともう一席は“暮れのお楽しみ”となっていた。要するに何を噺すかあらかじめ決めておかないで、その場で決めるという。でもこれって寄席では普通である。

ちょっと前に「落語論」という本について書いた時も言ったように、落語というのは、本来タイトルがない。なぜかというと、その時、その場でマッチする噺が変わるからである。

簡単に言えば、「うどんや」は夏にはできないのである。真夏の暑い日に熱いうどんをふうふう言って食べるわけにはいかない。また、寄席なんかでは現実的に前に上がった人がやった噺は繰り返せないから前もって決めておくわけにはいかない。

昨日は、そのお楽しみは「山崎屋」であった。この話は「山崎屋」という鼈甲問屋の若旦那が吉原の遊女にいれあげてしまい、それを番頭が一計を案じその遊女を嫁にしてしまうという噺で、小里ん師匠お得意の?吉原の話である。

この吉原のことは今の若い子はぜんぜん知らないだろうということで、まくらでこの辺の説明を入れてくれる。終わってから行った小里ん師匠もよく行く「M」のバーテンのかおりちゃんも説明してくれないとわからないと言っていた。

なぜ演目を決めていなかったのかということに対して、師匠は、この噺は長いので覚えられるかどうかわからなかったから、あえてそうしたと言っていた。そのせいかどうか知らないが、いくぶんかむところも多く、“こなれ”が足りないように思えた。

しかし、このように新しいことにチャレンジする姿勢はたいしたもので感心する。もう一方の「うどんや」では、地で?演じる酔っ払いは秀逸でさすがだと思った。

2009年12月23日

「坂の上の雲」と日本人

小説とくに長編小説をテレビドラマ化したものをほとんど見ない。だから、NHKで「坂の上の雲」を放送すると聞いても関心がない。しかしながら、このタイミングで関川夏央著の「「坂の上の雲」と日本人」(文春文庫)が文庫化されたので、それは読みたいと思った。著者はぼくの1年下でほぼ同年齢だから気分として、司馬遼太郎を共有しているのかもしれない。

何しろ、この「坂の上の雲」が書かれた(新聞の連載だった)のが、1968年から1972年の4年間で、その期間というのが、ぼくがちょうど大学で過ごした時間とピッタリなのである。ただ、そんな小説を産経新聞で見つけることはできなかったし、見つけたとしても読むことはなかったはずだ。

その時期というのは、ご存知のように全共闘運動から新左翼の過激な世界が暴れまくった時代である。そうした、潮流の中であの明治の時代の高揚を描いた作品があったことに驚かされる。当時の雰囲気から言えば、反動的な作品であると言われかねない。

ここでぼくの司馬遼太郎体験について言う。かなり読んでいると思う。司馬遼太郎の存在を知ったのはずっと昔で、それは映画「梟の城」の原作者としてである。だから、時代劇小説家と思っていた。しかし、1973年にNHKの大河ドラマで斎藤道三が主人公の「国盗り物語」があって、それが気になっていて数年後に原作を読んだときから始まる。

それから、年代順に「竜馬がゆく」、「燃えよ剣」、「功名が辻」、「酔って候」、「北斗の人」、「関ヶ原」、「十一番目の志士」、「最後の将軍」、「殉死」、「夏草の賦」、「故郷忘じがたく候」、「義経」、「馬上少年過ぐ」「峠」、「坂の上の雲」、「世に棲む日日」、「城塞」、「花神」、「覇王の家」、「翔部が如く」、「胡蝶の夢」、「菜の花沖」、「箱根の坂」などで、こうしてみるとずいぶんと読んだものだ。

この中でもやはり「坂の上の雲」が最も印象深い作品だ。この作品には正直言って圧倒された。登場人物は、俳人である正岡子規と軍人である秋山兄弟という取り合わせであった。同じ土地の出身であるかもしれないが、こうした設定ができる構想力に驚くのと同時に、日本という国が、日露戦争という目標に向かって突き進む一体感のようなものが、よきにつけ悪しきにつけ、気持ちよく伝わったことである。

司馬遼太郎はこの時期をどうとらえていたのか、そして著者である関川夏央もどう考えていたのかについて、解説の内田樹も言っている本文の一片を引用する。

司馬遼太郎は日露戦争までの日本を、若い健康な日本と考えました。若くて健康な日本の受難とその克服を、「坂の上の雲」にえがききったわけです。しかし、その健康であったはずの明治の40年がその後、昭和20年に至る不健康な40年をなぜ生んだのかと考え続けたことでもありました。彼はそれを晩年の著作「この国のかたち」の中で「奇胎の40年」としるしています。
ですから、日露戦争を境に日本という国民国家は変な方向に行ってしまった。ところがその過ちをもたらしたのは、その健康な時代に生まれた人々だったわけで、そこはかなり「つらい」ことだと関川夏央は言っています。

そして、太平洋戦争の後の40年はどうだったのだろうか。司馬遼太郎は、太平洋戦争のすぐ後に、日露戦争後の40年に思いをはせ、関川夏央は今、戦後40年はどうだったのかと問うている。そんな、日本人の歩みをこの本では鋭く描いているのである。今回気がついたのだが、本についての本を論評するというのはけっこうむずかしい。
  

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    • 5 ナルシズムから遠くはなれて
    • 3 司馬史観と言うレンズを通して映し出された虚像
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2009年12月24日

業務システムの再定義-閑話休題(6)

グループウエア

前にコラボレーションの必要性を述べたが、そういうとグループウエアでもすでにやられているじゃないかという反論が返ってきそうである。そこで、グループウエアというか、もう少し広くフロント系のツールという捉え方で考えてみたい。

フロント系のツールやソフトウエアはコラボレーションを謳ったものなのですが、ちょっと考えてみると本当にそうだろうかと思ってしまう。何が問題なのかというと、どうもそのツールやソフトウエアを使ってやっていることが、会社の業務であるという感覚が薄いのでないかということである。

例えば、情報共有するとか、ナレッジマネジメントを行うこととかコミュニケーションを円滑にすることとかいったことを目的化してしまうのである。おわかりだと思いますが、今の話は手段のことですよね。

ですから、情報共有したほうがうまく仕事が運ぶ、ナレッジを蓄積し、それを生かしたほうが質の高い業務が行える、コミュニケーションを円滑にしたほうが早く仕事がこなせるといった合理性があるからやるわけである。

もしそういう必要性がない、例えばワンマン社長の胸先三寸でやってしまうほうがビジネスはうまくいくなら、そんなカッコいいことはやらなくてもいいのだ。ここで何を言いたいかというと、会社としてやらなくてはいけないことは何かが先にあって、それを執行するために必要な効率的手段は何かというふうに考えるべきなのである。

ということは、最初に考えるべきは、ビジネス活動はどんなことをしているのかということだ。ビジネスは簡単に言うと自分たちの製品やサービスを売ってお金を稼ぐことだ。(ところで、このお金を稼ぐこと、儲けることが悪いという人がいたりするが、その話はややっこしいのでここではしない)

そして、企業ではお金を稼ぐために様々な局面で多くの業務プロセスが走っているわけです。主たるところでは、注文をもらって、その注文に対して、「ヒト・モノ・カネ・情報+サービス」を提供し、その対価として最終的にお金をもらう営みです。

それを最小のコストで最大のメリットを得ようと努力します。(これで成功したのがユニクロですが、これも非難するおかしな人たちがいます。この話もここではしません)ですから、最初に言ったように“そのために”情報共有が、あるいはナレッジマネジメントが必要なのかということなのです。

ということでお分かりかと思いますが、フロントエンドの問題はそういった機能が、業務プロセスの中に組み込まれてこそ効果を発揮するのです。手段は合目的であるかどうかの基準で選択されるのであって、それ自身を導入することが目的化するのは避けなければいけないのである。
 

2009年12月25日

カティンの森

ポーランドの名監督アンジェイ・ワイダの渾身の作「カティンの森」を久々の岩波ホールで観る。ご存知のようにこの監督は名作「灰とダイヤモンド」などで知られる。その時から連綿と続く魂の響きを83歳という老齢にもかかわらず表現した。しかも静かに。

この映画は、第二次世界大戦のときに多くのポーランド軍将校が虐殺された「カティン事件」を題材にしている。ワイダ監督の父親もその被害者だったという。

事件の首謀はドイツなのかソ連なのかという争いがあり、それも戦時とその後の冷戦構図から、ずっと秘匿されてきたタブーだったのである。そして、1989年のポーランド共産主義政権が崩壊して、事件の真相が明らかになっていく。ソ連の赤軍によって行われた殺害であったことが認められたのである。

何というおぞましい事件だが、それをこの老監督が生きているうちに映画化できたことがよかったと思う。ポーランドという国の悩みや宿命を描くには格好の人である。

この映画を観て、いくつかのことを思い出した。もうどうだろうか30年も前になるが、昔いた会社がポーランドの石油化学工場を建設するというので、その指導を行ったことがある。プラントの運転を教えるために、向こうのメンバーも日本にも来てもらい、そのあと現地に赴き、実際に一緒にスタートアップさせるというプロジェクトである。まだ、カティン事件は闇の中にあった時だ。

ぼくは、現地には行かなかったが、日本に来た時いろいろと接触する機会があった。そんなことや現地に行った仲間の話などから、ポーランドという国の実態を垣間見た。そのなかに、この国は女がめっぽう強いということが頻繁に出てくる。

その理由が、いろいろな戦争でいつも負けてばかりで蹂躙され続けたこと、だから男はだらしがないというわけである。この映画でも、ドイツからもソ連からの侵略され、降伏してしまうのである。ポーランドの男はつらいよだ。日本人には理解できないと思う。

だからというわけではないと思うが、映画で登場する女性の生き様がすごい。殺されるのはみな男で、毅然として抵抗し、したたかに生き残っていく。それがずっと続いているのだろうか。

それと、ソ連軍はなぜポーランド軍将校を殺戮したのだろうか。これはかなり勝手な言い分なのだが、先日紹介した「「坂の上の雲」と日本人」という本の中に、日露戦争でロシア軍から大量の捕虜が発生した話が出てくる。その捕虜の中でも非ロシア兵が多く、とりわけポーランド人が多くいたという。

彼らの多くが技術者、技術将校で、ロシア兵とずいぶんと折り合いが悪く、厭戦気分があったのそうだ。だから、飛躍すると「カティン事件」はそのときからの怨恨じゃないかと思うのである。

ちょっと映画から離れてしまったが、名匠が後世に伝えるべくすばらしい作品を作ってくれたことに感謝。ジェンクイェン!

2009年12月26日

町長選挙

僕の大好きな伊良部先生が登場する「町長選挙」(奥田英朗著 文春文庫)を読む。この本の中には表題のもの以外に、「オーナー」、「アンポンマン」、「カリスマ稼業」の三作も入っている。もちろん、いずれも伊良部先生の話です。

この伊良部先生シリーズは、この前に「イン・ザ・プール」と「空中ブランコ」があって、「イン・ザ・プール」は、松尾スズキが主演で映画化もされた。この伊良部先生は精神科医なのだが、めちゃくちゃなのだ。だから、悩んでみてもらう患者のほうがあっけにとられてしまうという展開で、それに輪をかけたように看護師のマユミちゃんのパンクぶりもすごい。

「オーナー」はナベツネとおぼしきナベマンという人物が登場し、プロ野球のストやらのエピソードとともに、だんだん老いていく怖さで病んでしまうところを伊良部先生のわけのわからない処方で助かるというお話。

「アンポンマン」はホリエモンと思われるアンポンマンがひらがなを書けなくなってしまうというお話で、「カリスマ稼業」は黒木瞳らしき白木カオルである。太るのを異常に怖れる女優として登場である。いずれも、すぐにわかるキャラクターで現実との対比でくすくす笑ってしまう。

「町長選挙」は有名人キャラクターが出てくるわけではないが、島を二分して争う町長選挙の面白おかしく、そして風刺の効いたストーリーでびっくりする結末もあいまって、一気に読んでしまった。

この伊良部先生シリーズの特徴は、狂気には狂気をもって対処することで、そんなに肩に力を入れなくても、あるいはそんなに自分を作らなくてもいいじゃん、もっと楽にやろうよというメッセージがある。

だから、伊良部先生をぼくは、「肉食系癒しタイプ」と呼んでいる。草食系癒しタイプはいると思うけどこの手はいないと思う。なにしろ、デブで大食漢でポルシェを乗り回して、すぐに注射をうちたがるんですから。それでいて、なんとなく患者は直ってしまうという不思議な魅力なのである。
 

町長選挙 (文春文庫)
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    • 4 リアルタイムに読むのならばよいかもしれないが
    • 3 個別にはよいが
    • 4 やめられまへんなあ
    • 4 初めて伊良部に泣かされた
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2009年12月27日

業務システムの再定義-閑話休題(7)

見える化と見せる化

近頃、いたるところで「見える化」という。「可視化」ともいうが、本当に「見える化」を目ざしているのだろうか。どうしてこんなことを言うかのというと、実態は「見える化」ではなくて、「見せる化」になっているのではないかということである。

「見せる化」というのは文字通り“誰か”が、「見える化」できるようになりましたよと“見せる”ことで、どうもこんなことが多いように思える。何をしたいかから、何をみたいのかが決まるのに、これを見れば「見える化」ができますよというのは本末転倒ではないでしょうか。今の業務システムの発想はほとんどこのパターンになっています。

それが全面的に作り手側に問題があると言っているわけではありません。当然使い手側もこれがみたいという要求を出していないのです。

そして、可視化は基本的にはいいことなのですが、ある種の痛みをもたらします。昔は、エンピツをなめるという言い方があるように、わからないところで細工をするということもあったわけで、現代ならさしずめキーボードをなめるとでもいうのだろうか。

そんなことができなくなるのです。そうです、これからはそんな世界ではなく、あからさまになっていくことが合理的であるという感覚をみんなが感じ取るようになるでしょう。隠して何かしていたら、競争にも勝てないし、組織能力にも影響を及ぼすという自覚的な雰囲気を作ることだと思います。

ですから、見える化というのは簡単に言えば、次にどんな手を打ったらいいのかが、組織として見晴らし良くわかるということのように思えます。そうした景色を共有するためには、やはりプロセス中心で考えていくべきだというのが従前からの主張なのです。

ただし、ここで間違ってはいけないのが、一体みなさん何が見えたらいいのか思っているのかということです。それは、仕事の中で、決めなくてはいけないことを誰が何を見ながら、誰と相談しながら、誰に承認をもらって決めているかではないでしょうか。

ここのプロセスの進捗の透明性ということが大事なことのように思われます。意思決定の行為が不正に行われていないか、最善を尽くしたのかということを、そこに関係する人たちで共有するということである。

それはよくいえば集合知につながる話でもあるが、誤解をおそれず言えば、いい意味で「赤信号みんなで渡ればこわくない」のである。
  

2009年12月28日

マグネシウム文明論

ぼくは、若いころは石油化学工場で働いていたが、そのとき2度のオイルショックを経験している。第一次が、1973年で第4次中東戦争が勃発して、原油が高騰したときで、会社に入ってすぐだったが、いきなり工場の稼働率が大幅に下がってしまい個人的にもショックだった。

2度目は、1979年でこれはイラン革命でイランからの原油の輸入がストップした。このときは、最初のオイルショックの学習効果があったのでそれほど影響はなかったように記憶している。

ですから、省エネルギーということを徹底的にやった経験がある。そして、この省エネルギーを考えるときに非常に重要な視点は何かというと、トータルでみるということである。すなわち、ある部分ではエネルギーの節約になっていたとしても、実はシステム全体で見ていくと逆であったということも起きるのである。

なぜこんなことを言うかというと、「マグネシウム文明論」(矢部孝/山路達也著 PHP新書)を読んだからである。副題が、「石油に代わる新エネルギー資源」とあるように、石油というエネルギーがもはや限界に近づきつつあるなかで、その代替としてマグネシウムに着目しているのである。

マグネシウムというと、ええーと思う人が多いと思いますが、それ自体は海水中にあるのでかなりの量になります。海水1kgあたり1.29gあるので、総量としては1800兆トンです。それを燃料に使おうというのです。確かに、マグネシウムを燃やすことができますよね。年寄だったらマグネシウムの写真機を知っていると思います。

このマグネシウムを石油の炭化水素の替わりにそのまま火力発電所で使えばいいわけです。ところが、問題は、石油のように使ったあとはCO2になってしまうように、資源をワンススルーで消費していては、いつか枯渇してしまうし、環境を壊すことにもなりかねない。

そして、もうひとつは、マグネシウム単体をどうやって海水から取り出し製錬するのかである。このマグネシウムの製錬するには今の製法ではエネルギーを使うので、結局、エネルギーを生み出すためにエネルギーを使うという循環になってしまう。

そこで、着想されたのが、太陽光エネルギーの利用なのである。太陽光からレーザーを作る「太陽光励起レーザー」という技術である。同じ波長の光を、きっちり同じタイミングで揃え、ごく小さな点に集中さえることで高エネルギーを得るのだ。

この技術のトータルのサイクルというのは、海水を蒸発させて塩化マグネシウムにするが、これは海水淡水化装置として機能させる。要するに、水がないところでは海水を淡水化することが必要だから、一方で淡水、もう一方ではマグネシウムを得るという一石二鳥である。

そして、その塩化マグネシウムから、マグネシウムは太陽光励起レーザーで単体化する。それを発電所(今の火力発電所でいい)で燃料として使用し発電する。そこでできた酸化マグネシウムはまたレーザーを使って還元して金属マグネシウムに戻すのだ。

このサイクルだと、エネルギー源は太陽光だけになる。そのエネルギーの運び役としてマグネシウムをもってきたというのがポイントなのである。これだと、化石燃料を使わないので、温室効果ガスも出さないし、資源が消費されないといういいことづくめである。

いやー、これを読んでびっくりしたと同時にあり得ると思ったのである。何と言ってもトータルのエネルギーサイクルをちゃんと考えてあることがすばらしい。太陽電池だとか、電気自動車だとか言っているが、この技術がコストの壁を乗り越えたら全部これで席巻されてしまうのではないだろうか。

この本は、非常に面白いのでご一読を勧めます。
  

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おと・な・り

「1Q84」ではないが、男と女のパラレルワールドで始まる映画「おと・な・り」(監督 熊澤尚人)、その設定もさることながら、お互いの男女の心理描写も巧みで結構なラブストーリーとなった。

その男女を岡田準一と麻生久美子が演じている。同じアパートのとなり同士になりながら、一度も顔を合わさないという関係で、それぞれのエピソードが語られる。カメラマンとフラワーデザイナーという仕事のこと、友達のこと、家族のことなど。

そして、そのうちこの二人がどうつながっていくのだろうかと気になってくる。最後はあっという感じで団円を迎えるが、この最後の結びがなかなか良かった。ここで最後の話もなんなのだが、エンドロールでその後の二人みたいな音声が入ってくるけど、あれは要らないと思う。当然のようにその成り行きが予想されたのでしつこかった。

こうした、ピュアな恋愛映画もいいものだ。現代でこんな恋愛があるのだろうかと思うが、あるかないかは別として、みんなあこがれているのではないかと思う。最近の邦画にはこの手の純な恋愛映画が多いような気がする。

キーとなるシーンが二人が壁越しに「風をあつめて」(あのはっぴいえんどの曲だ)という歌を唄うところで、こうした歌や音から関係性を表現するのってうまいなあと思う。「ゼロの焦点」でも中谷美紀と木村多江が唄うシーンがあるが、同じような効果をもたらしている。

岡田君も良かったが、麻生久美子が真面目な女の子を演じていて好感が持てる。それと岡田君演じる聡の友達のシンゴの恋人役の谷村美月がいい。あの「カナリア」で衝撃だった子ももう19歳になっていた。この子はすごい俳優になると思う。

 

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    • 5 交わる二人の”風をあつめて”
    • 4 おと な り
    • 4 熊澤組の空気感がいっぱいの作品。
    • 2 つつ・ぬ・け
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2009年12月30日

今年を振り返る

あまり振り返るのは好きではないが、こうしてブログを書いていると日記のようなものだから、その時何があったのか思い出すことができる。でその1年を振り返ってみることにする。ただ、他人の1年なんて興味がないと思う方はスルーしてください。

【1月】
・下の息子との呑み会を始める。ここから月例となる。
・大学時代のサッカー部のOB会が発足、第1回総会開催。なぜだか、会計監査役を命じられる。
【2月】
・「ボケて」(”写真で大喜利”というサービス)のコンテンツが本になり販売される。
・コンサルタントとして契約していたN社を辞める。
【3月】
・ビジネスプロセス研究会発足。20~30代の人たちを中心に10人でスタート。
・日本BPM協会の「コモンセンス部会」へ参加。これまでの「コンポーネント部会」に加えて2つの部会活動となる。
・東京スポーツ映画大賞でプレゼンテーターをつとめる。助演男優賞の山崎務さんへ賞状授与と授賞理由を述べる。CSでも放送される。
【4月】
・第5回BPMオフ会でトーク。Oracle OpenWorld Tokyoの“Unconference”の一環として開かれる。
【5月】
・大学の研究室の同窓会開催。卒業以来初めて会うやつが九州から出てきた。
【6月】
・母方のおばさん死去。姪ッ子がグアムで挙式。父方のおばさんの一周忌、冠婚葬祭多し。
・ITC協会の「トレンド研究会」へ参加。
【7月】
・ばあちゃんの米寿のお祝い。
・「企業IT力向上研究会」と「ビジネスプロセス研究会」が終了。
・「SCOR-BPM&SOA要求開発手順構築コンソーシアム」スタート。
【8月】
・家の屋根と壁の塗装のやりかえ、かなりの費用。
・「Kailas」の開発とビジネスモデル策定。大学の先生2人にみてもらい、高評価を得る。
【9月】
・東京工大で開かれたYAPC::Asia2009に親子でプレゼンテーション。著名なPerlハッカーたちと知り合う。
・ワディットついに第4期目に入る。
【10月】
・若い経営者のベンチャーと共同ビジネスの検討開始。
・高校の1年生の時のクラス会。当時のクラス日誌が出てきてびっくり。
【11月】
・「マジカカンファレンス2009」でKailas のプレゼン。
・高校サッカー部の1年後輩の「還暦を祝う会」。
【12月】
・高校の3年生のクラス会。連歌の会の忘年会でもある。
・一緒にやってきたひとたちで新会社設立の動きがあって、そこに参加することを検討中。

まあ、こうしてみると大したことをしてこなかったなあと思う。しかし、今年は親子の合作である「Kailas」が一応カタチになったので、それだけは進歩した。

明日は、ブログの記事について振り返ってみます。
  

2009年12月31日

1年のまとめ

いよいよ今年最後の日になりました。今年もこれで昨年に続いて一年間休まず毎日書いたことになります。もう、大げさにいうと日常の生活の一部になってきていて、顔を洗うように、葉を磨くのと同じように習慣となっています。

さて、総集編ですが、特にこのブログの主要カテゴリーである「シネマと書店とスタジアム」についてこの1年の総括を書いてみます。

【映画】
今年観た映画は、DVDも含めて、74本でした。そのうち、劇場で観た新作映画は33本でした。100本-50本をめざしたのですが大変ですね。

7割強が邦画です。ハリウッドの金にあかせたような映画を観なくなったせいと、東スポ映画賞のノミネートがあるので、どうしても邦画偏重になってしまいます。最近の邦画もレベルが高くなっているので、それだけ観るべき作品があるということでもある。

さて、今年の映画の賞をぼくなりにノミネートしたので披露します。

 作品賞    空気人形/風が強く吹いている/デイアドクター
 監督賞    根岸吉太郎(ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ~)/西川美和(ディア・ドクター)
 主演男優賞 加瀬亮(重力ピエロ)/堺雅人(南極料理人)
 主演女優賞 松たか子(ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ~)/麻生久美子(おと・な・り)
 助演男優賞 瑛太(ディア・ドクター、なくもんか)/松田龍平(誰も守ってくれない、剱岳 点の記)
 助演女優賞 中谷美紀(ゼロの焦点)
 外国作品賞 レスラー/スラムドッグ$ミリオネア


【本】
この1年で読んだ本は53冊でした。一週間に1冊読んだことになります。ジャンルでは、ビジネス本がやはり多く、あとは、経済、歴史、社会などの実用本であった。どうしても新書が多く、小説類はすくなかった。その中でも今年は村上春樹の書き下ろし長編がでたことが特記される。

さてその中から特に印象に残った本を選んでみた。

 ・「1Q84」(村上春樹著 新潮社)
 ・「日本でいちばん大切にしたい会社」(坂本光司著 あさ出版)
 ・「イノベーションの新時代」(C・K・プラハード著 日本経済新聞出版社)
 ・「マグネシウム文明論」(矢部孝/山路達也著 PHP新書)
 ・「使える!確率的思考」(小島寛之著 ちくま新書)
 ・ものつくり敗戦」(木村英紀著 日経プレミアムシリーズ)

【スポーツ】
相変わらずサッカーネタが多いが、その中では何と言っても、日本代表が来年の南アW杯の出場権を得たことでしょう。勝つのが当然のように言われる中で勝ち上がるのは難しいものですが、それをやり遂げた代表に拍手。ただ、これはまだ通過点で、本大会でどこまでいけるか。組み合わせも決まって、消して楽な相手ではないが是非予選リーグは突破してもらいたいものだ。

サッカーでもうひとつは、この一年はバルサの年だった。UEFAチャンピオンリーグとクラブワールドカップで優勝し、名実ともに世界トップのクラブになった。このサッカーが日本がめざすサッカーだと思う。

そのほかでは、WBCで韓国を破っての優勝、世界陸上でのフサイン・ボルトの怪物ぶりなどがあげられる。
  
みなさん1年間お疲れ様でした。それでは良いお年を!
  

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