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2009年11月 アーカイブ

2009年11月 1日

職場は感情で変わる

前作「不機嫌な職場」が反響があったみたいで、またぞろ同じようなテーマで本が出た。「職場は感情で変わる」(高橋克徳著 講談社現代新書)である。前著が数人の共著であったが、これは高橋克徳が単独で書いている。

そして、前が状況を指摘し、分析したのに続いて、その処方箋を提示している。解決策を示すことは、それはそれで大事であるのだが、この本について言えば、本にするほどのことはないという印象だ。

ぼくはときどき、本にもならないくらい簡単にということを思っている。すなわち、短い文章あるいはいくつかのセンテンスで言いきってしまうのがいいのではということである。

その反対が、煎じつめれば大したことではないのに、同じようなことを繰り返し書くことである。まあ、何度も同じことを言われるので腹に入るかもしれないが、1粒で5度くらいおいしい話がよくある。しかし、3粒目から飽きる。

さて、この本はというと、もう目次を書けば内容もわかるのではないだろうか。

第一章 組織にも感情がある
第二章 そもそも感情って、何?
第三章 感情をマネジメントする
第四章 感情を引き出し、共有する方法
第五章 良い職場、良い会社をつくろう

である。そして、その感情を4つに分類していて、そこがミソなのである。その4つとは、「イキイキ感情」、「あたたか感情」、「ギスギス感情」、「冷え冷え感情」であり、それらをよくある4象限で表すのである。

もうこれだけで終わりというか十分なのである。「イキイキ感情」というのは、高揚感であるワクワクする気持ち、自らやってみようという主体感、みんなでがんばろうという連帯感だという。

「あたたか感情」というのは、ここにいても大丈夫だよという安心感、お互いに助け合っているという支え合い感、自分は必要とされているという認め合い感なのだという。

そして、「ギスギス感情」や「冷え冷え感情」をみんなで「イキイキ感情」、「あたたか感情」に変えていきましょうよということで、それが行き過ぎて「燃え過ぎ感」や「ぬるま湯感」に陥らないようにしましょうよである。

おおー、これだけで一冊の本が書けてしまうんですね。
 

職場は感情で変わる (講談社現代新書)
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  • 高橋 克徳
  • 新書 / 講談社
  • Amazon 売り上げランキング: 11140
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.0
    • 5 「組織感情」について考える本
    • 3 サラリーマン性善説
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2009年11月 2日

変形ニュースリリース

月曜日の朝刊には、週刊誌の見出し広告が多く出る。その見出しの言葉だけを読むと大体の内容がわかってしまうので、ここのところ週刊誌というのを買ったこともないし、読んだこともない。最近、この週刊誌の広告のスペースが半分になってきた。でも朝日と読売で違ったりしてよくわからない。

ところで今朝の新聞の広告を見たら、別段意識したわけではないがちょっと驚いたことがあった。さあっと見ていたら、同じ名前が出てくるではないか、それが酒井なのだが法子ではない。酒井若菜である。

いいですか、週刊現代、週刊ポスト、プレイボーイ、FLASHの4誌に示し合わせたように彼女のグラビヤが掲載されていたのだ。「29歳熟す」、「美乳爆裂/限界エロス」、「あふれるエロス」などの思わずごくりとするキャッチにも驚かされる。

これってどういことなのだろうか。きっと酒井若菜側から売り込んだのだろう。でもなぜみんなそれも同時に掲載するのだろうか。結局、ニュースリリースじゃないが投げ込み記事を載せるように、こうしたネタも各紙に投げて掲載してもらっているのだろうか。

週刊誌がジャーナリズムとも思えないが、自力でコンテンツを探して、あるいは作っていないということなのだろうが、何となく地に堕ちた感じがしたのはぼくだけだろうか。
 

2009年11月 3日

Twitterで地方分権化

最近、うちの社長はTwitterにのめっている。サービスもいくつか出しているが、ちょっと前にリリースした「Tabetie(たべてぃ)」がおもしろい。

このサービスは、自分でショップ情報の登録、ここのお店で食べたというつぶやきを投稿することができ、つぶやいた際には、同時にTwitterにもあなたの発言としてポストされます。逆Twitterというか、Twitterの情報からではなく、こちらで登録してからTwitterにあがっていくというものです。

最初に、登録しなくてはいけないという面倒くささはあるものの、ピンポイントのつぶやきが共有できるというメリットがあります。

CNETジャパンにも紹介記事が掲載されました。

Twitter関連のサービスは他にもいろいろ出していますが、その中では「Twib(ツイブ!)」というのもおもしろいですよ。これは、Twitter でつぶやかれたホームページのURLを集めて、 人気順に並べるサービスです。

Twitterはいまものすごい勢いで普及しているように思いますが、上記のサービスなどの状況をみていると、いろいろなことがわかってきます。何か大きな可能性を秘めているサービスのような気もしてきます。

特に、「Tabetie」でつぶやいたりするとすごくローカルな範囲で盛り上がります。特定の地域の店でつぶやき合戦が始まったりします。それがすごい有用な情報になるということもありますが、ふだん密かに思っていたことを吐きだしたい欲求を満たしているのではないかとさえ思えるぐらいに、バンバン書き込む人もいます。

それで思うのは、ある地方だけでもコミュニケーションが成立するし、むしろそういった使い方があるのに気づかされます。ブログやSNSでもできるかもしれませんが、それらは全国区という構えた意識が強いように思うのです。

テレビの「ケンミンSHOW」ではないが、地域ネタはけっこう興味があると思うのでおもしろい存在になるのではないだろうか。皆さんも「Tabetie」をぜひトライしてみてください。
 

2009年11月 4日

業務システムの再定義-閑話休題(2)

成長するシステム

前回「システムを開発する」という言い方には作って終わりという響きがあり、また、開発するときにちゃんと要求定義と要件定義をしなくてはいけないというようなことを書いたのでそのあたりについて考えてみた。

当然のようにだれもがきちんと定義されたシステムを開発することをめざす。しかし、最初からすばらしいシステムを作ることが重要だという思い込みははたして正しいのだろうか。

以前、会社の構造や活動を人間のからだに例えて、PDCを回すための構造を骨格、意思決定のプロセスを血流といったが、その人間でいえば最初から完璧な人間が生まれてくるわけではない。とりあえず基本的なことができ、だんだんと学習や経験を積むことで成長していく。

情報システムもそれでいいのではないだろうか。こんなことを言うと、ビジネスではそんな悠長なことを言っていられなくてすぐに実践で使えるものを提供してくれなくては困ると言われるだろう。

ちょっと立ち止まって考えてみよう。従来のやり方だと業務改革だとかいって、いきなり今までとぜんぜん違う業務システムになって、みんな戸惑ってしまいその移行に大変苦労している。そして、十分詰めたはずの仕様も使いだすとこんなはずじゃなかったとなる。

それなら、まずは今までとあまり変わらない仕事のやりかたでシステム化してそれを動かして移行する。その後、オペレーションしていくうちに改良点がみつけて、そこに変更を加えていくといった方法がとれないものだろうか。

そんなことはできっこないと言うのだろうか。そういうことを言っておきながら、イノベーションには素早く変更できる業務プロセスがカギとなりますなんて言う。この変化対応力に優れた業務プロセスというのは、言い換えれば成長できるシステムということができる。

ならば、最初から100点をめざす必要がなくなるわけで、だいいちこの環境変化の早いご時世では開発しているうちにビジネスモデルが変わってしまう。だから、アジャイルで素早く作らなくてはいけないという話がでる。

現状の仕事のやり方から逸脱することなく、初期システムができ、それが学習と経験により成長し、日々進化していくというシステムができたら、全くパラダイムが変わってくると思うがいかがでしょうか。

2009年11月 5日

カミュなんて知らない

昔観そこなった秀作を探して観ている。「カミュなんて知らない」は2006年公開の作品で、2005年カンヌ国際映画祭出品作品である。監督は、「さらばいとしき大地」の柳町光男。

映画制作にのめりこむ学生たちを描いた物語で、映画好きの人にとってはうれしい作品である。ぼくのような歳になっても若いころのことを思い出しながら観る。しかも、年寄りのもと映画監督の大学教授も出てきて、単に青春群像だけではないところに味がある。

ところどころに映画にたいする蘊蓄やオマージュがちりばめられ、思わずにやっとしてしまう。溝口健二監督の長回しの話を学生にさせながら、実際のシーンも人物を移すショットを切り換えながら長回しにするといったことが出てくる。

学生の制作してしる映画は「タイクツな殺人者」というのを原作とした不条理殺人をテーマにしている。それがタイトルの由来でもある。アラン・ドロン主演の「太陽がいっぱい」を彷彿とさせる映画である。

そんな学生たちが映画製作の進行に合わせて起こる様々な出来事を描きながら、若者たちの感性や生活をあぶりだす。このあたりが、肩の張らない俳優たちの演技は見事である。そして最後のクライマックス。

寡作の作家柳町光男が暖めて一気に噴き出したような映画であった。あそうそう、ここに出ていた前田愛がついちょっと前に中村勘太郎と結婚したのには驚いた。

カミュなんて知らない [DVD]
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    • 3 前田愛の現実感
    • 5 緻密に作られた傑作
    • 3 期待しすぎました…
    • 5 打ち震えるシーン多数
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2009年11月 6日

業務システムの再定義-プロセス設計(1)

プロセス設計が変わる

ここからは、詳細に入っていきます。まずは業務プロセス設計という話になりますが、断っておくことがあって、前にも書きましたが、戦略的な部分には立ち入りません。プラハードの定義に従えば、業務プロセスは、「事業戦略、ビジネスモデル、日々の業務、この三者のつなぎ役」ということなのでこれをベースに考えていきます

すなわち、「事業戦略から生み出されたビジネスモデルを実行できるプロセスに落とし込み、それを使って日々の業務を実行できる仕組みと仕掛けを設計すること」と規定しようと思います。

そして、このプロセス設計のやり方そのものが変化していると考えていますが、そのあたりの議論をする必要があります。ここは非常に重要なポイントで、いや今までと何も変わっていないと言う人もいるかもしれません。いったいどこが変わるのかがわかりずらいと言われるかもしれません。

そうした考察を行うときに、WhatをそのままでHowの議論をしてやしませんかということを言いたいのです。どういうことかというと、従来のような業務システムの形であれば、確かにその設計のやり方はそう大きくは違わないでしょうし、どう作るかというHowの議論が大切かもしれません。

こうした議論はいろいろなところで多くなされています。今のシステムをどうしたら早く作れるかという開発生産性に焦点をあてた方向です。しかもプロセス設計というフェーズはありますが、業務フローを書くという程度で、設計よりもプログラム開発が中心になっているような気がします。

あるいは、パッケージを持ち込んでフィットギャップをどうやってやるかといったことを始めてしまい、自分たちのやりたいことをすでにあるパッケージでできるかできないかという議論になっていやしないでしょうか。

これまでの記事でも繰り返しているように、プロセスを中心に据えて業務を見ること、そしてシステムを作って終わりではなく、それを使ってちゃんと業務オペレーションすることが大事だということです。

そして、こうした考え方をもとにして作られたシステムは従来のものと違ったものになります。Whatが変わるのです。ですから、Whatが変わったらHowも当然変わってくるのはおわかりだと思います。

繰り返しますが、どうも今の論調は、現状のシステム構造をそのままで、その変わらないシステムの作り方を盛んに議論しているように思います。例えば、SOAやSaaS、あるいはクラウドといったトレンドを追うのも結構ですが、その前に、これまでビジネスに役に立たないシステムばかりを作っているという反省をWhatに生かさなければ意味がないように思えるのです。
 

2009年11月 7日

使える!確率的思考

「使える!経済学の考え方」と順番が逆かもしれないが、同じ著者の「使える!確率的思考」(小島寛之著 ちくま新書)を読む。これまた面白いというか目からうろこ的な本である。

著者は、東大の数学科を卒業して、そのあと経済学博士になった人なので、数理経済学という立場からの論である。数学的な論理性をもって経済をみていくという立場なので、ぼくのような理系出身の頭には比較的すんなりと入っていく。

本書はそのなかで確率の話である。最近、みなさん経済に関心があるようで金融緩和だ、成長戦略だ、バラマキ財政はいかんとかいろいろとやかましい。逆にいえば、こうして多様な意見が出てくるというのは、経済というのは決まりきったものではない、言ってみれば心理的なものでもあるように思う。だからでもないが、役に立たない経済学も多いような気がする。

ですから、経済というのは不確定要素を含んでいるということだから、確率的な思考が必要になってくるわけである。本書でも言っているように、結局どんな経済行動も賭け事なのだ。

今の議論でよくあるのが、ゼロか100かの話にすぐなることで、そんなことはほとんどなくて、どちらがよりいいのだろうかというトレードオフ問題であると思う。そうした時、役に立つのがこの確率的思考であると思っている。

そんな話が事例もまじえて出てきて面白いが、読む前に関心があったのは、確率と意志決定の章である。企業情報システムの根幹をなす業務プロセスというのは単位意思決定の連鎖であると規定している手前、その意思決定の機能を確率論的にみていくというのに興味を持ったからである。

この本では、「ベイズ推定」が出てくる。これは以前から注目していて、実際にいまの仕組みに入れ込もうと思っているので役に立った。この話は、システムの機能に関連していて、「ベイズ推定」というのは簡単にいうと、データがなくてもとりあえず推定してしまい、結果が出たらまた推定しなおすということを繰り返すわけです。このことの対極にあるのが「統計的推定」で、データをたくさん集めてその結果がどうだったかを解析することである。

これを情報システムにあてはめて考えてみると、統計的推定の例が、BIとかデータウエアハウスと呼ばれるようなものである。しかしこれは、もうビジネスが終わったあとのことだから、それこそ“あとのまつり”になってしまう。

現在のようにめまぐるしくビジネス環境が変化する時代では、それも大事だがもっとリアルタイム的な解析と、それをすぐに反映できる仕組みが必要になるわけです。そんなところに「ベイズ推定」が使えると思っている。

最近ではさらに進んでいて、「事例ベース意志決定理論」が注目なのだそうだ。こうしたものは、正解がないなかでどれだけよりよい意思決定ができるかを模索するという態度なのである。こうした機能をぜひシステムに備えたいとこの本を読んで意を強くしたのである。

著者の小島寛之センセイは福岡伸一ハカセと一緒で文章力がある。理系でいい文章を書く人の本は読みやすいという格好の例である。
 

使える!確率的思考 (ちくま新書)
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    • 5 確率の世界で「暗黙の了解」とされているところまで突っ込んで説明してくれるので、頭がすっきり
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    • 5 「へぇ・・確率って面白いんだ!!」
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2009年11月 8日

還暦を祝う会

ぼくは昨年還暦を迎えているので、一つ年下の世代のことである。昨日は、高校のサッカー部の後輩たちの還暦を祝う会に出席する。おととしから始まって、昨年はぼくらの世代で、僕が幹事だったので、その時から前後2世代を呼ぼうということにした。

すなわち、入学したときの2年生、3年生と卒業する時の2年生と1年生である。だから、上と下とで接点がない年代もある。しかし、同時代に同じ顧問の先生のもと泥まみれになって青春の瞬間をサッカーに打ち込んだ仲間なので、話が合わないわけがない。

先生ももう74歳になったが元気に出席してくれる。今年も、自分で描いた絵をはがきにして配ってくれた。そういえば、当時の先生は31歳から36歳だったので、今から思うと生徒も先生も若く熱していたわけである。

やはり話はサッカーのことであり、昔の試合のことである。まあ、よく覚えているなと感心させられるエピソードが出てくる。毎回聞くようなことも多いが中には初めて聞くこともあり、なつかしさと同時に驚きである。

2次会はぼくらの年代だけでやったのだが、そのあとキャプテンだったやつと二人で、先生と先輩たちが飲んでいるいつもの店に合流したら、何か近寄りがたい雰囲気がする。二人で脇に座って静かにしていたら、先生が来てくれて、ちょっと激論しているのでといって相手をしてくれた。

やっと入れてもらえたら、何を話していたかというと、日本代表をどうしたらいいかという話だったのである。驚き。特に、僕らが1年生のときの3年生のキャプテンの熱く語るのを見て、昔のミーティングのときの姿がだぶってきた。

ところで、先に言った初めて聞く話の話です。ぼくらの世代と今回の還暦を迎えた世代は全国大会に行った年代なのである。当時はまだ東京ではなく関西開催だった。それで、僕らは残念ながら初戦で関西の高校に抽選負けという結果になってしまった。今なら、PK戦なのだろうが、抽選で決したのである。

その抽選で負けを引いたのがぼくらのキャプテンである。その彼が言ったことで、何とその最後の封筒に入った「残念でした」と書いてある紙にたどりつくために、じゃんけんとコイントスという2段階の“抽選”があったというのだ。それで最終的に最初に封筒を引かされたという。

さて、ここから何を想像しますか?まず、3回も関門を設けること自体おかしいですよね。単純に封筒を引かせればいいのにと思うはずです。ということは封筒を最初に引かされるようにじゃんけんとコイントスで誘導され、そしてその封筒の両方には「残念でした」としか書いていなかったとしたら・・・。

他の連中もコインも表しかなかったんじゃないのかと言う。要するに関西の学校に勝たせたいために仕組まれたのだという。わ、恐ろしい話ですね。まあ、真偽はともかくとして、そう思っているのもいいのかもしれませんね。

少々、脱線してしまいましたが、堪能した一日でまた来年も呼んでもらえるので楽しみにしています。
 

2009年11月 9日

カナリア

映画には、典型的なものから特殊解を得るようなものと特殊なものから一般解を提示するような違ったアプローチがあるように思う。帰納的か演繹的かという言い方でもいいかもしれない。

例えば、普通のどこにでもありそうな日常の中に潜む異様さを描くとか、特異な事件をとり上げて、そこにある悪魔性は実は皆が持っているものであるといった描き方である。

前置きが長くなったが、2004年制作の塩田明彦監督作品「カナリア」は、後者の演繹的なアプローチである。題材があのオウム真理教を連想させるカルト教団なのである。

物語は、そのカルト教団「ニルヴァーナ」の施設から一人の少年が脱走するところから始まる。その少年は、母と妹で入所したあと、母親が犯罪を犯し出奔してしまい、妹は祖父に引きとられるが、改心しない少年は祖父に引き取りを拒否されてしまう。

その妹を取り返し、母親を探すために逃げだしたわけである。その途中で少女に出会い、二人で東京をめざすというロードムービーであり、ボーイミーツガールでもあるのだ。だから、旅の途中の出来事が描かれ、徐々に終焉を迎えていくことになる。だがその途中がレズの女たちが登場したりして変なののだ。

しかし、この映画のすごいのは、テーマの重さもさることながら、子役(というには大きいが)の二人、石田法嗣と谷村美月に尽きるのではないだろうか。二人とも、演技をしているのかどうかすらわからない自然さでものの見事に演じきった。

特に谷村美月の関西弁が妙に効いていて、この歳なのにたくましさを表現して存在感がある。二人とも、現代的と思われる親との確執を抱いていて、それをどう乗り越えていくのかを少しずつ確認するように映画は進む。

この子たちは明らかに普通の子とは違うが、しかし、この思春期の揺れは誰でも経験していくもので、この克己が新たな道を拓いていくのだ。そう「銀色の道」として。

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2009年11月10日

マジカカンファレンス2009

昨日は、マジカジャパン主催の「マジカカンファレンス2009」に出席して、ソリューションセッションで「Kailas」のプレゼンをさせてもらいました。短い時間だったので十分説明し切れていませんが、デモができたのでよかったと思っています。

「マジカ」というのは、業務フローを簡単に書けるツールで、そこで書いた業務フローから、「Kilas」へ落し込むとうまくいくというような話をしました。意外と業務フローが書けなかったり、書けたとしてもそれをITに載せられないという問題があるのですが、そうした問題に対する回答の一つを提示したと思っています。

カンファレンスでは、バージョンアップしたマジカの紹介を羽生さんがして(午前中だったのでぼくは聞けなかったのが残念でしたが)、そのあと事例が紹介されていました。そのなかで注目は、福岡県大野城市の森永さんの「市役所の保健・福祉412業務を総『見える化』」という発表は面白かった。

まずは、お役所の仕事って多くの種類があって、特に福祉関係が多いという話に驚いて、そして、内側の実態が面白おかしく紹介されて大変参考になった。なんと数千枚のマジカを書いたというのには恐れ入る。

何よりも、大野城市でなぜマジカを使うようになったという話が面白い。終わったあとの懇親会で森永さんの上司の見城さんも言っていたのだが、ひとことでいうと簡単だったからだという。世の中に、業務フローを書くのに、難しい記法があったり、ITのことを知らないと書けないとかいったものが多い。その点マジカはシンプルで誰にでも書けるということ。

そうなんですね、重要なのはこの“シンプル”であるということです。そうでないと、継続的に使ってもらうことはできないのです。

懇親会では、久しぶりに羽生節が炸裂し(以前の羽生さんが復活しましたというかパワー倍増しています)、また見城さんの毒舌も冴えわたり、圧倒されてしまいました。しかし、みなの思いは熱くてぼくも改めてがんばろうと思ったのである。

カンファレンスの様子は、ITproの高橋さんが、早速記事にしてくれていますので読んでみてください。
 

2009年11月11日

業務システムの再定義-閑話休題(3)

役に立つためのシステムがもつべき要件

これまでビジネスの役に立たないシステムを作り続けたというようなことを書いたが、役にたたないシステムとはどんなものを指しているのだろうか。逆に役に立つシステムの要件とは一体何なのだろうか。

そこで一応つぎの3つを上げることにしている。

1.ビジネス要求をはじかないこと
2.とにかく安いこと
3.継続的な改善ができること

最初の「ビジネス要求をはじかないこと」というのは、こうしてほしい、こんな機能があるといいと言ったのにできあがったら実現できていなかったので使わないといったことがないようにという意味である。

ここには2つの問題があって、要求定義をしてもそれがどう実装されているのかを確認するのがずっと先になるということと、実現手段がないことがあるということである。実現手段がないならないと言わないといけないし、実現手段があったとしてもすぐに見せなくてはいけない。

つぎの「とにかく安いこと」は、単純に費用対効果がでやすいのである。しかも、投資絶対額が低いから経営も承認しやすい。

経営者にとって、投資額が高くなればなるほど慎重になるのは当たり前で、ただ慎重にということは、とりあえず作ってみてなんてことは許せないわけで、きちんとRFPを書いて、そして確実に動くことを保証してくれる、あるいは動かない場合でもちゃんと面倒をみてくれるところに頼むということになる。そして、必然的にそこにお金をかけざるを得なくなる。

これが曲者で、こうなるとますますシステムが確実に動くことが第一義になり、そのためにビジネス要求ははずされてしまうという弊害もでてくる。新しいことというのはやったことがないから、稼働が保証されていないわけで、それはやめてどこでもやっていることをやりましょう、それなら安全ですとなる。

その原因は、システム投資が高いからで、失敗したら大変なことになるから安全な道を選ぶわけで、それはビジネスの要求と相いれないことになる。ですから、たいした投資ではない、失敗してもそんなに痛くはないということであれば、チャレンジしたがだめなら役に立つまで作り直せばいいじゃないかということも可能なのである。

最後の継続的な改善というのは、作った当初のものが完璧なものではありえないわけで、そうなると運用しだしてから、手直しをしたくなってくる。それがたやすくできないと意味がない。その手直しが手間と金がかかっては、やれなくなって、そのままになり、結局使われなくなるという悪循環に陥る。

最初から100点を狙うから、がちがちのウオーターフォールでやらざるをえないし、要求仕様が決められないと言ってなげくのである。そうではなく、最初は、80点、場合によっては60点でもいいじゃないか、徐々に100点にもていけばいいのである。こうしたことができる構造のシステムを作ることが重要なのである。

HowではなくWhatですよと言っているのはこのことで、役に立つシステムにするには作り方ではなくどんなものを作るかがポイントである。
 

2009年11月12日

業務システムの再定義-プロセス設計(2)

作るものが変わるから設計も変わる

前回、今のWhatに対するHowではなく、新しいWhatを考え、それに合ったHowを模索することが求められているという話をしました。ですので、ここではそのWhatについて考えてみます。

Whatすなわちどのような構造のシステムにしたらいいのだろうかということです。それを先に設定してからプロセス設計という手順もありなのですが、それよりも業務プロセスを設計して、それをそのまま実行できるものとして定義したほうがいいような気がします。

いま大変重要な曲がり角に来ていると思っています。それは何かというと、プロセス志向という流れが作られつつあるからです。BPMやSOAはそうした傾向を象徴しています。また、内部統制といった外的要因も絡んでプロセスの可視化が強調されています。

このプロセス志向という流れは、ビジネスの実態に合わせたシステムを作ることが企業としてムダな投資を避けるために不可欠であるということがわかり始めたのではないでしょうか。そのビジネスの実相に近い仕組みこそこれからの業務システムに要求されることなのです。

それがどういうものであるかを議論する前に、逆に既成の業務システムがどうなっているのかを検証し、その問題点を摘出していくという作業も必要かもしれません。何が問題でそれをどう変えて新しいWhatを作りだしたらいいのだろうか。

最大の問題は何かというと、従来型のシステムには“プロセスがない”ことです。これは、パッケージであろうが、手組であろうが同じです。正確に言うと、プロセスを回す機能がシステムに備わっていないということです。

従来型でも、パッケージ開発にしても、手組の開発にしても、パッケージにあるプロセスに従って、あるいは業務フローを書いてという風にプロセスを設計しているという声が聞こえてきます。しかし、それはシステム間をどうつなぐかといった観点からのフローになっているのではないでしょうか。

システムだけではプロセスを回すことはできません。実務における業務プロセスは人間が回しているのです。その証拠は帳票が依然としてなくならないということだと思います。画面間を紙が媒介して流れを作っているのです。

わかりやすく言うと、画面と帳票設計から入っていませんかということです。こうした作り方をするとどうしてもシステム主体になってしまいます。この場合の設計者の頭の中はいかにして後の財務会計につなげるかになっています。

ですから今の画面は、基本的にはデータ登録用のものです。それでは、そのデータをどうやって作っているのかというのが抜けています。実はそこにプロセスであるわけです。こうした変革のポイントを頭に入れてこれからプロセス設計のやり方を考えていきましょう。

2009年11月13日

空気人形

表参道で仕事をして、そのあと渋谷に出たついでにもうすぐ終ってしまいそうな「空気人形」を観る。監督が「歩いても歩いても」、「誰も知らない」の是枝裕和で、主演がペ・ドゥナで、脇をARATA、板尾創路、岩松了、高橋昌也らが固める。

空気人形というのはダッチワイフのことで、人間のような人形で性の捌け口になるものである。その人形が心をもってしまうところから物語が始まる。心を持った人形が外に出てレンタルビデオ屋で働いたり、様々人たちと交わっていくのである。

この設定そのものがもう荒唐で、どうなるんだろうと躍ってくる。いきなり人形がしゃべりだすことや、普通に歩きだしてそれに気がつかない男もどうかとかいったツッコミはあるかもしれないが、それをとやかく言う野暮はやめといて、心をもつということがどんなことであるかが少しづつ、人間との接触のなかで明らかになる。

この生の人間と心を持った人形の対比がすごくおもしろく、かつ象徴的である。あえて、現代は心を失った人間が増えて、もっとその心を取り戻さなくていけないなんて、変な意味づけをする必要もないのだが、何となくそんな思いを抱かせる。

ただ、この映画の最大の見せ場は、ビデオレンタル屋の男店員とのラブシーンだと思う。ネタバレになるの恐縮だが、何と、空気を抜かしてくれという。そして空気を抜いて、そのあと男が息を吹き込むのである。

かつて、こんな官能的なラブシーンを見たことがあっただろうか。こんな言い方をすると、大袈裟でバカと言われるかもしれない。そのくらい衝撃的だ。

ただ、難を言えばラストをちょっと引っ張りすぎたキライがある。もう少し、簡潔にスパッと終わらせた方がよかったように思う。まあ、みなさんは観てからどう思うかわかりませんが。

是枝監督はこの作品をもってしばら休養するらしい。こんな変な作品をぶつけておいてあとどうするつもりなのだろうか。期待をもって待っていようと思う。
 

2009年11月14日

プロ野球の一流たち

最近、プロ野球というものを見ないし、興味があまりわいてこない。わが横浜ベイスターズが弱くてどうしようもないということもあるのだが、あまり面白いとは感じていない。とはいえ、レギュラーシーズンの試合は見たこともなかったが、ポストシーズンは結構見ていた。日本シリーズもなかなか熱戦で楽しかった。

そんなわけでもないが、ご存じフリーのスポーツジャーナリスト二宮清純の「プロ野球の一流たち」(講談社現代新書)を手にする。一流と言われた選手たちへのインタビューをとおして、なぜ一流と呼ばれるかを解き明かしてくれる。

登場する一流選手は、野村克也、中西太、稲尾和久、大野豊、松坂大輔、清原和博、土井正博、新井貴浩、渡辺俊介、山崎武、工藤公康、古田敦也である。これだけの選手についてだから期待がワクワクなのだが、正直言って裏切られたのだ。

書いてあることは、それなりに面白いし、二宮清純の文体も好きなのだが、いかんせんネタが古い、何回も聞いたり読んだようなものばかりなのだ。若い人は、中西、稲尾、大野なんてはあまりよく知らないかもしれないが、ぼくらは「神様、仏様、稲尾様」の話は何回聞かされたか。大野が出雲の信用組合で軟式野球をやっていた話も知っている。

それともっといけないのは、第4章、5章が「日米の野球格差を問う」と「日本野球を脱構築せよ」なのだ。ええーと思うのはぼくだけだろうか。プロ野球の一流たちとぜんぜん関係ないではないか。こりゃ、二宮さんネタがないので無理やり埋め込んだんじゃないかと思われてもしかたないよ。
 

プロ野球の一流たち (講談社現代新書 1941)
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    • 5 素晴らしい日本のプロ野球。今更メジャーなんて
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2009年11月15日

おほめの言葉

ほめられるということはもう無条件にうれしいものだ。ぼくは単純だからすぐに天にも昇る気分になる。

マジカジャパンの羽生さんが昨日のブログで、先日行われた「マジカカンファレンス」について記事を書いていますが、そのなかで、「Kailas」について、これ以上ないというほどの讃辞をいただいた。“感動しました”という言葉にはほんとびっくりしました。

ワディットさんのKailasですが、これまで何度かお話は伺っていたものの実物を見るのは初めてだったんですが…萌えた燃えた! これは凄い! ソフトウェアの完成度としてはまだまだ課題はあるんでしょうけど、根底のフィロソフィが凄い! プロセス設計ヲタは見逃せない一品です。感動しました。

もう3年近く前のユーザ目線のBPMというブログ記事で、お会いしたこともなかったのですが、これから注目したいのは羽生さんのマジカですと書いている。そして、その年の5月に予想だにしなかった本人にお会いすることになる。BPMオフ会のキックオフでの出会いであった。

それから、折にふれていろいろな議論をさせてもらっている。業務プロセス、業務フローについて深く考えている数少ない人のひとりです。

上から目線で、あるいは類型的に言っている人はいるのですが、いざ現場へおろせるかといった見方をすると途端に実践的でないのが露呈するケースが多くあります。

所詮、紙の上の話であったり、コンサルのデータベースから引っ張ったものとかいったきれいごとの論理なのである。羽生さんは、そうではない泥臭いかもしれないが地に足がついたことを言える人である。

まあ、ほめ殺し合いになってもいけないのですが(笑)、ちゃんと理解してくれているひとからほめられることがうれしいのです。羽生さんありがとうございました。
 

2009年11月16日

サッカーあれこれ

この土日に各地でサッカーの試合があった。W杯予選もあったし。国際親善試合もあった。国内でも天皇杯予選や高校選手権都道府県予選なども行われた。いろんなことが見れて楽しい。

日本代表は、来年のW杯開催国南アフリカと地元で試合があった。スコアレスドローという結果になったが、親善試合だし、得点力がないなんていまさら言ってもしょうがないので、開催地の雰囲気を味わえたでいいんじゃないのか。

それにしても世界は熱いし、すごい。W杯予選では欧州はプレーオフで、フランスがアイルランドに、ポルトガルがボスニア・ヘルツゴビナに、ロシアがスベロニアに勝って、ギリシャとウクライナは引き分けに終わった。順当な結果といったところだ。

面白かったのは、国際親善試合で何といっても、スペイン対アルゼンチンだろう。この2チームは来年のW杯で優勝を争うチームには間違いないない最高峰だろう。ダイジェストでちょっと見ただけだが、やはりスペインのサッカーは素晴らしい。

中盤の流れるようなパス回しから、一瞬のすきにゴール前でスピードアップしてゴールするチーム力はほれぼれする。イニエスタ、シャビ・アロンソ、シルバ、ビジャらが躍動する。以前にも言ったが、日本代表のお手本になるチームだと思う。

アルゼンチンは、どうもマラドーナ監督の手腕が問題のような気がする。メッシという天才をどう生かすかなのだが、どうも戦略的ではないようだ。この試合の後でも、審判の批判をしていたが、そんなことを言っているようじゃだめだと思う。

ブラジル対イングランドは試合のことより、監督のドゥンガの服装が気になった。だいぶ洗練されてきたのには驚いた。もっと驚いたのは、セレソンにあのフッキが登場したのである。覚えている人もいると思うが、Jリーグの川崎フロンターレ、コンサドーレ札幌、東京ベルディに在籍したことがある、あの血の気の多いフッキだ。

うーん、おもしろいことばかりで、これだからサッカーフリークはやめられない。
 

2009年11月17日

データ分析

マスメディアに登場してくる論調が多分に情緒的な要素をはらんでいることが指摘されている。そうした人たちの弱いところはデータを読む力がない、というか冷静、客観的にデータを見ようとしないことにあると思う。自分の感情に合うようにデータを取捨してしまう性向があるということだ。

だから、データをまじめに分析するとだいぶ景色が変わってくることもある。そうしたことをきちんとやっている人に野口悠紀雄さんがいる。彼がウエブのダイヤモンドオンラインで書いている「未曾有の経済危機を読む」は、データを駆使してわかりやすく経済の実相を説明してくれるので大変重宝する。

例えば、直近の記事では、「物価下落の実態は相対価格の変動 真に危惧すべきはデフレよりインフレである!」と書いている。いま盛んにデフレからの脱却ということが言われているが、デフレというのはものの値段が下がることだが、実は品目ごとによく見ると必ずしも一様に下がっているわけではないことが“データ”をみるとわかる。

要するに大きく低下しているのは、工業製品なかんづく耐久消費財の価格であって、いわゆるサービスの価格はそれほど下がっていないのである。このように相対価格が変動しているのである。

野口さんは工学部出身だから、ある意味あたりまえのスタンスであり、よく理解できる。こうした科学的なアプローチは現代のように社会現象が複雑な様相を示す時代にあっては、非常に重要なことだと思う。

なぜ重要かというというと、野口さんも言っているように、打つ手が変わるからである。センスアンドレスポンスといったときに、このセンスが間違っていたらレスポンスも間違えるということで、これは多くの場合に言えることであって、正しく検知するセンサーの役割は大きい。

とはいえ、問題はこのデータを読み解くというのがけっこう難しいのである。地球温暖化の問題にしても、気候変動のデータを見て、温暖化なのか寒冷化なのか専門家の間でも意見が分かれてしまうのである。

さらに、数日前の読売新聞でも似たような記事があった。見出しは「一人親家庭54.3%は「貧困」」というい記事で、OECDの調査で、“相対的貧困率”が1998年の63.1%から、2007年は54.3%まで下がったと書いていながら、そんなことはあまり突っ込まずに、そのうち一人親家庭の貧困率が高いことを強調していた。これなんか何でもいいから貧困にしたかったよようにも思える。

さて、この数字をみると実感とはかけ離れていますよね。それもそうで、実はこの相対貧困率というのは、国民の所得を順番に並べた時に真ん中の人のさらに半分の額を貧困線と定めてそれに満たない人の割合なのだ。だから真ん中の層が高かったらそれなりに大きな数字になってしまうわけで、もうちょっと仔細に分析する必要があると思う。

まあ、こんなことを考えていたら、わが横浜ベイスターズの監督が変わることが発表された。巨人の投手コーチだった尾花高夫が就任する。そのモットーが「アナライジング・ベースボール」だという。

おお、野村監督のID野球に対抗して分析野球だ。ということはデータを駆使して科学的な戦略を立てるのだろうか。きっと、ベイスターズのデータはどれもこれも惨憺たるものでびっくりするんじゃないだろうか。でも、ここは冷徹にデータをさらけ出すのではなく、いいデータだけ選手に見せておだてるのも許されると思うのでその方向でお願いしたいのである。
 

2009年11月18日

業務システムの再定義-プロセス設計(3)

プロセスの構造

前回までに、従来型のシステム構造から変えていかなくてはいけない、なぜならその既成システムにはプロセスがないということを指摘しました。そこで、プロセスがちゃんとある構造を見ていきます。

まずプロセスのプロセスたる所以は、始点と終点が明確なことと連続性です。ケミカルプロセスでいうと、原料の投入があって、単位操作を繰り返して製品にします。この場合、途中でどっかに行ってしまうことはありません。

自動車の生産ラインも同じように部品を組み立てて製品を作り上げます。これも途中で切れることはありません。情報システムも「情報」の生産ラインからなっていると考えられるわけで、そうであれば、一貫したプロセスがなければいけません。

そして、そのプロセスを考えてみると何から何まで一本のラインで流れていることはありません。それはできないことはありませんが、効率的ではありませんし、複雑になってわけがわからなくなります。部品の組み立ては別のところでやって、それを生産ラインから流れてくる本体に組み込むようなことを想像してください。

業務プロセスも同じように考えられます。それは、階層化という考え方になります。サブプロセス化とも言えます。粗く並べておいて、その中身の詳細は別のプロセスで行うという風な構造になります。

ここの2段プロセス化が重要なポイントです。マクロのプロセスとミクロのプロセスの組み合わせです。これは効率的というようなことは先に言いましたが、もう少しみていくと、プロセスの性格が違うことがわかります。

では性格の違いはどんなことでしょうか。いきなり言われてもわからないので、例を出しながら考えてみます。わかりやすい例で、「見積依頼プロセス」を想定してみます。ある商品の見積依頼がきて、それに対して、提供商品名、納期、価格を答えるというプロセスがあったとします。

マクロプロセスはいま言った順番がそれに当たります。すなわち、依頼受付-プロダクト確定-納期確定-価格確定-見積書提出となるわけです。しかし、これではいかにもラフですよね。そうです、このそれぞれにもプロセスがあると思われるでしょう。例えば、納期を決めるのにも在庫を確認したり、配送の予定を見たり、上長の承認を得たりといったことがあります。これが、ミクロのプロセスになります。

さて、こうしてマクロとミクロにわけてみてどう感じますか。性格が違うのがおわかりになったでしょうか。まずはマクロのプロセスは抽象度が高いですよね。ですから、これってどんな見積でもあるいはどこの会社でもほぼ同じようなことをしていることです。そして、順番もほぼ決まった定型的なものであることがわかります。

一方、ミクロのプロセスを見ると、これは見積の対象や会社によって違うのがわかると思います。納期の確定を例にしても、在庫品の場合と生産品でも違うし、確認する部署っだって違うし、順番があっても行ったり来たりすることで、何より人間の判断が入ってきます。非定型で人間系のプロセスであることがわかると思います。

こうして、性格に違うプロセスをいっしょくたにしないことが重要なのことになります。なぜなら、実現するITを性格の違いに応じて変えなくてはいけないからです。従って、必然的に2段プロセスになるということです。

そして、プロセスの始点と終点を明確したうえで、2段のプロセスを挟むという構造を目指していきます。
 

2009年11月19日

六本木の夜

こんなタイトルを付けると、エロオヤジと言われるかもしれない。社長がエロギークだからひょっとしてオヤジもと思われてしまう。別に無理に否定するわけでもないが、ここではそんなことを書くのではない。

昨夜、いつもの下の息子との月例吞み会で六本木に行ったのである。この例会はただ単純に呑むのも面白くないので、工夫することにしている。今回は、「六本木金魚」にでかける。

六本木もほんと久しぶりだ。六本木交差点のアマンドがなくなっていたのが知らなかったというくらいだから、1年くらいは来ていなかったのかもしれない。しかし、相変わらず外人も多く、隠微な雰囲気が漂う街である。

「六本木金魚」は知る人ぞ知る有名な(この言い方もおかしいか)ショーパブでニューハーフショーをやっている。もちろんショーだけではなく飲み食いができる。ショーの前に飲んで食べていい感じになってショーを楽しむという仕掛けである。

呑んでいると、出演者たちが話相手に来てくれたりして盛り上がる。まずは、親子ですか?という質問から入ってくる。そしてとりとめのない会話から、必殺ネタである“伝説の演出家ロッキーを知っていまか?”にとぶ。で、やはりみんな知っているんですね。

ロッキーというのはこの世界でカリスマみたいに言われた人で、実は僕の高校の先輩、もっと言うとサッカー部でぼくが1年生のときの3年生でキャプテンだった人なのです。つい2週間前に会ったばかりで、もう引退したと言っていた。少し前まで、銀座の「笑座コンパル」で活躍していた。

ショーは1時間ぐらいなのだが、そのめまぐるしく展開する踊りのシーンにあっという間に時間が過ぎる。何といっても舞台そのものの動きも注目だ。息子もびっくりして感激の面持ち。ただ、ニューハーフショーと銘打っているが、誰がニューハーフなのか本物の女なのかが判別つかない。そうか、判別つかないからニューハーフなのか。

たっぷりと楽しんだあとは、六本木ヒルズに行って「古奈屋」でカレーうどんを食べて、例会は終了。いつもの銀座「M」での打ち上げは今回なし、また次回を楽しみに。
 

2009年11月20日

業務システムの再定義-閑話休題(4)

二段思考法

業務プロセスを二段の階層で考えようという提案をしているが、この二段思考というのは、業務プロセスに限ったことではなく、一般的にもよく使われているように思う。たとえば、経済学や量子力学なんかでもマクロとミクロという二段階の言い方がある。

また、あえてマクロとミクロと言わなくても、それと似たような思考態度がるのではないだろうか。このように、二段で見るということは、すこし大仰にはなるかもしれないが、鳥の目と虫の目のことでもある。

要するに大きく掴んでおいて、それぞれの構成要素を詳しく見ていくという姿勢のことである。別の角度から言うと、まずは方向性を示すことであり、そこに向かう動作はそれとは違ったものであるともいえる。このことは非常に重要なことで、何にでもあてはまるように思われる。

多少の飛躍が許されるなら、今注目の事業仕分けもそうかもしれない。この事業仕分けそのものはミクロプロセスなのであって、マクロの視点のものではない。だから、一部の人からのまともな批判は、この国をどうするかという大きな構想がない中で、枝葉を議論してもしょうがないじゃないかという。まさに、マクロプロセスが欠如していることに他ならない。

ですから、マクロとミクロの両方を押さえることとそのバランスをうまくとることがすごく重要なことなのです。このように、大づかみで本質的な根幹の理解をし、構造的な絵をかき、それを実行するディテールを精査するというアプローチである。

また、他のところでも、たとえば戦略と戦術といった区分けも同じようなことを言っているのである。ということで、この二段でものごとを把握するというのは優れたやり方だと思っている。整理されてわかりやすいという意味が大きい。

こうしたことから、業務プロセスにおいても、事業オペレーションという視点と、そのための個別アクションを分けて考えることの大切さを提起しているのである。

2009年11月21日

風が強く吹いている

三浦しをんを三浦おしんと読んでしまうおじさんでも箱根駅伝に賭ける若者たちの物語に感動する。近ごろでは絶滅人種になったような一途な学生を描いているが、従来型の体育会系とは一線を画している。三浦しをん原作「風が強く吹いている」の映画化である。

監督・脚本が初監督となる大森寿美男で、キャストは小出恵介、林遺都らの面々。ストーリーは、名もない大学の陸上部員が、栄光の箱根駅伝出場を果たすまでの奇跡の足あとを描いている。

最初は、どうせ正月の箱根駅伝のための宣伝映画かと思っていたら、観ているうちにだんだんとスクリーンに引き込まれていく。のっけのシーンからこれはと思わせる。若者が走る後ろ姿から、つぎにとある場末の食道で一生懸命カレーを食べるシーンになる。そして、いきなりあたかも食い逃げするように走り出す。

そして、そのカレーを食べさせてもらったカケルという若者は弱小の大学陸上部に入ってしまう。誘ったハイジと名乗る4年生の口から箱根駅伝をめざそうという話が飛び出す。このハイジとカケル以外の部員たちは陸上部に入っているといっても走力があるわけでもない。

そんな10人が無謀とも思える箱根出場を目指すのである。これは、無条件に感動する。ただ、難しいのは、実際の駅伝があり、それらは大々的にテレビをはじめ多くのマスメディアによってイメージが定着していることや、現実はものすごくドラマチックであるから、それを乗り越えられるかどうかである。

あまり世の中の風潮がどうのこうのと言いたくはないが、なんだか、こういう映画が出てきだしたようにも感じる。エリートもいれば落ちこぼれもいる、オタクもいれば、頭でっかちもいる、さらに外人までいるという多様性の集まりをチームとして組織化して、プロジェクトを成功させるという物語である。

昔は、体育会であれば、オレについてこい式で、それこそしごいて耐えて実現するという肉食系男子の話だったのが、変わってきているのだろうか。でも、そんなことはどうでもよくて、素直に感動すればいいのだということを知った映画だった。現実の箱根駅伝をのこえたかどうかを言うのは難しいが、それとはまた違った意味の感動をあたえてくれたのではないだろうか。
 

2009年11月22日

ニュースって何?

何だが世の中ぶっそうになってきたのかどうか知らないが、変な女がどうも多くの男を殺していたらしい。ちょっと前まで、同じ女が練炭と鳥取の殺人をしたのかと思っていたら、どうも別人らしい。それにしても同じような殺人事件がすぐに続いて起きるとはいったいどうなっているのだろうか。

そして、市橋何某が捕まってまだ断食をしているらしい。なんと往生際が悪いことだろう。この男に両親が心配しているから、早くしゃべっちまえと言ったところで無駄だろう。先日一緒に飲んでいた人が、あれはゲームをやっているんだねと言った。なるほどと思ったのである。

だから、だれかが“おい、もうゲームは終わった”といってやればいい。“逃亡の章に続いて、黙秘の章だろうが、GameOverなのだ”。

まあ、ほんとうにそうだかわからないが、ここで言いたいのは犯罪報道のことである。要するニュースで犯罪の報道をする必要があるのかということだ。単純に考えても、報道というのは、それを広く知らせることが必要であるからするはずである。

それでは、それを必要としている人はだれなのか、そしてどうだから必要なのだろうか。知ってよかったって何なのだろうか、とういうことである。

少なくとも、ぼくはどんな殺人事件でも知りたくはないと思っている。知ったところで何も役に立たないからである。唯一、犯人が捕まらなくて近くにいるから注意しろとか、モンタージュを見せて通報してくれというのはありえる。

だから、なおさら犯人が捕まったあとの殺人事件をこと細かくニュースで流す必要は全くない。そんなことをしたらかえって裁判員制度では変な予断を与えることになりいいことは何もない。報道を見て犯罪をとどまるやつがいるのっだろうか。

ここが、わからない。なぜ何も役に立たないような報道をするのだろうか。単に視聴率稼ぎ、発行部数稼ぎと思われても仕方がない。

これじゃあ、売れれば何でもいいという販売姿勢であり、消費者はメディアでは読者であり、視聴者であるわけで、消費者が欲しているわけではないのに、売りつける商売をしているように思える。

ただ、それを喜んで見ているミーハーたちにも問題があるのはもちろん否定はしない。

2009年11月23日

今こそアーレントを読み直す

ハンナ・アーレントと聞いてもそう多くの人が彼女はねえと答えられないだろう。ドイツ系ユダヤ人で1975年に没した政治学者であり、思想家である。著作には「全体主義の起源」や「人間の条件」といったものがある。そんな人を少し見直してもいいんじゃないかというのが「今こそアーレントを読み直す」(仲正昌樹著 講談社現代新書)である。

著者は、アーレントの著作を翻訳もしている金沢大学教授で政治思想や社会思想などを専門としている。著者によればアーレントというのは、かなり抽象的な表現を駆使し、難しい概念が出てきて、「分かりにくい」というのが定評なのだそうだ。だから、駄目だというのではなく逆にそれが魅力だという。

どうも、世の中は「分かりやすさ」を求めているような気がする。政治にも経済にも社会にも、スパッと一刀両断で斬ってくれる理論を好むのではないだろうか。しかし、それは自分の頭で考えるという行為をあるところで停止させて、誰かに依存してしまうことになるように思う。

その辺のところの問題を著者は“分かりやすく”説明してくれる。分かりやすくということは、一貫してアーレントが主張していることを繰り返すことでもある。それはどういうことかというのが次の文章に出てくるので引用してみる。

「自由な空間「を「人間性」の保持のために不可欠であると考えるアーレントは、その空間を破壊し、「複数性」を衰退させる傾向の思想には強く抵抗する。ナチズムやスターリン主義などの全体主義はその典型だが、彼女は、一見“自由主義的”に見える思想でも、「活動」の重要性を過少評価し、共和主義的な精神を停滞させるようなものは容赦なく批判する。近代的な「ヒューマニズム」とともに拡がった、「あらゆるヒトは生まれながらにして“すばらしい人間性”を備えている」と前提し、そうした“生来すばらしい人間性”を全面的に“解放”しようとする思想は、かえって「活動」を衰退させる。ヒトとして生まれただけですばらしということにすると、ヒトは「人間」になるべく、討論・説得技法とか人文主義的な「教養」のようなものを身に付ける努力を怠るようになる。それどころか。「教養」的なものを、“生来すばらしい人間性”を覆い隠す、あるいは、抑圧するものとみなし、排除する傾向が生まれてくる。

ここに出てくる言葉が重要で、特に「自由な空間「人間性」「複数性」「活動」などがキーとなる。そこを別なところで述べているので再び引用する。

アーレントは、各人の「自由」を、ポリス的な意味での「政治」と一体のものとして考える。単に他人の権利を侵害しないというだけでなく、「政治」や「公共善」に関心を持ち、「公共領域」での「活動」に従事することを通して初めて、「自由な人格」として他の市民たちから認められるようになる。単に、誰からも物理的な拘束を受けていないというだけなら、野生の動物と同じであり、それはアーレントにとっての「自由」ではない。「自由」は「活動」を通して生み出される、人と人の「間」の空間の中にこそあるのである。

これでお分かりのように、右も左もない、それを超越したところの主張である。そして、現代のような錯綜した時代にあっては、こうした根源的な問いかけが必要なのかもしれない。ただ、だからといって彼女の言説に諸手を挙げて賛成していては、それこそ彼女の言わんとしていることに反するわけで、やはり自分の頭で「思考」し、「活動」することなのだろう。

最後に、著者もあとがきで述べているように、インターネットはこのアーレント的な考えを具現化するものと期待されるかもしれないが、そこでどう「活動」するのかが大変重要なことであり、必ずしも現状がうまくいっているとも思われないなかで、アーレントの意見に耳を傾けてみることも必要かもしれない。

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2009年11月24日

業務システムの再定義-プロセス設計(4)

プロセス設計アプローチ

これまでの議論の結果、現状の抱える課題を解消するには、プロセスをちゃんと設計して、そのプロセスがシステムとして途切れず動くことをめざすべきだということになります。従来のように画面の設計から入るのではなく、まずは業務プロセス、仕事の流れを先に書けということです。

そのプロセスを書くにあたって留意することは、ITを意識するなということです。業務プロセスは、個人あるいは組織としての活動ですから、ITがあろうとなかろうと厳然と存在するものです。ですから、そうした観点からあぶりだす必要があります。だからこそ、画面から入るなと言っているわけです。

さて、ここでプロセス設計への入り方をみていきましょう。そこには、トップダウンとボトムアップの両方からのアプローチがあるように思います。

トップダウンというのは、事業プロセスのような大きな抽象度でくくったプロセスからだんだん分解していくやりかたです。この場合は、高いレベルだとモデル化できるのでそうしたモデルを参照するのが有効な手段になります。

一方、ボトムアップというのは、日々の業務からその仕事の流れを引き出してきて、それらを結合させて、プロセスにしていくというやり方である。ただ、これは現状の業務の拾い出しなので、新規業務についてだとか、抜本的に業務を変革するとかいった時には難しい。

これは、いずれがいいという問題ではなく、おそらく両方向からアプローチするハイブリッド型が実務的であると考えられる。すなわち、トップダウンでモデル的かつ網羅性を勘案したプロセスを素描しておいて、実行ベースのプロセス落とし込みはボトムアップ的にやるという風なことである。

これは、トップダウンアプローチにはリファレンスモデルを利用するのが有効だが、そうしたモデルというのは概して、レベルの高いところのものしかないという制約も影響している。共通的に、あるいは標準とするにはいたしかたないと思われる。

このハイブリッド型のアプローチのキーポイントは、上からと下からでどこで出会うかということである。業務プロセスはアクティビティをつなげたものであるという定義にすると、そのアクティビティの粒度と性格をどうマッチングさせるかということである。
 

2009年11月25日

なくもんか

監督水田伸生、主演阿部サダヲ、脚本宮藤官九郎とくれば、あの「舞妓 Haaaan!!!」であるが、そのトリオが「なくもんか」を作った。

小さい時に親が別れ、父親に連れられていった兄と、まだ母親の胎内にいた弟という兄弟が、母親が交通事故で死んでしまい、親父は世話になったハムカツ屋から売上金を盗んで、こどもも置いたまま逃げだすという、なんとも不幸を背負って生きていくが、その二人が出会うという設定。

阿部サダヲの兄は、そのハムカツ屋を継いで繁盛させているとともに町内会で人気者になっている。一方の瑛太演じる弟はお笑い芸人になって、人気を博するようになる。

こんな設定で、“笑いと涙のオンパレード”が展開する。クドカンのテンポのいいセリフとギャグで大笑いである。そして、ベタな泣かせシーンもふんだんにちりばめ、ホントに顔がくしゃくしゃになる。

それを、安部サダヲとその妻役の竹内結子がいきいきと、そして少し戸惑いながらも瑛太も熱演である。ぼくは、この作品も素直に楽しめた。

きっと、こんなふざけた映画はまかりならん的な批判や、安部サダヲや竹内結子のあのくさい演技はなんだ的な批判や、「舞妓 Haaaan!!!」の面白さはどこにいったの的な批判が出てくると思うが、まあ、好き嫌いの範疇のような話で、嫌いだからって、好きなやつにあたるなよって言いたくもなる。

けっこう、この手の映画の見方で性格が出ることってあって、そんな人生まじめにばっかやってられねえよと思っている人にとっては面白いと思う。実は、そのことが映画の中のシーンにも入っているのである。

クドカンは「カムイ外伝」の脚本でがっかりしてしまったが、何のことはない、自分のフィールドではやっぱおもしれえなあ。
 

2009年11月26日

業務システムの再定義-プロセス設計(5)

プロセスの設計アプローチの実際

さて、前回プロセス設計にトップダウンアプローチとボトムアップアプローチがあって、その両者を融合したハイブリッド型のアプローチが現実解であるという提案をしました。ただ、それだけではまだ具体性にとぼしいと思うので、実存するツールや技法でもって説明してみようと思います。

前回の説明にもあったように、トップダウンというのは上流の戦略的なところから分解していくことで、ボトムアップはAsIsの日常業務から抽象度をあげていくといいました。そこをもう少し掘り下げてみます。

まず、トップダウンと一口で言ってもたいへん難しい。なぜなら、ビジネスモデルを業務プロセスに落とし込んでと言ったところで、そのビジネスモデルっていったいどうなっているのということなのである。そりゃあビジネスモデル学会というのもあるくらいだから確立しているかもしれないが、少なくともITに落とし込むという観点からは議論が薄いのではないだろうか。

ビジネスモデルのフレームができて、それをある程度ロジカルにプロセスに落すということをどうやったらいいのかである。参照モデルがないことや競争優位をどこに求めるかなど難しいのである。ここについては、別の稿で書いてみたい。

さて、新規ビジネスの場合でその戦略・ビジネスモデルからというアプローチ以外を見ていくと、既存の業務システムの刷新や改善といったことと、まだITが導入されていない領域でのシステム化がある。

こうした領域へは、プロセスをスクラッチから掘り起こす技法が肝になります。具体的に言うと、日常の業務行動からプロセスとデータ・ルールを引き出してきて、それを論理的な構造へ変換しプロセス化するものです。

その際、網羅性と標準化をチェックするためにリファレンスモデルを参照します。ただし、そのリファレンスモデルは、下から上がってプロセス化したものと同じレベルのものでなくてはチェックできませんので、そこまで分解されたものでなくてはなりません。また、そういうものであれば、上記の技法でモデルからトップダウン的にプロセスを起こすことが可能になります。

これができるものを探してみましょう。初めの日常の業務行動からプロセスとデータ・ルールを引き出す方法は「マジカ」です。なぜマジカなのかというとやさしいからです。日常の業務をやっている人が書けなくてはいけないという意味でマジカなのです。他にもありますが、作り手側の論理を前面に出しているためエンドユーザにとっては難しいものばかりです。

一方、リファレンスモデルはどうでしょう。世の中には多くのモデルがあります。しかし、それはおしなべて抽象度の高いものになっています。それはしかたないことで、大多数が共通で使えるものでなくてはいけないわけで、固有性を排除した形にするとおおぐくりのものしかできないのです。

そこで、「ESCORT」です。これは、SCORのレベル3モデルをさらにレベル4まで分解しています。そのレベルまで落としてくれるとプロセスの粒度がそろってくるのです。

そして、この両者をつなげられるのが「Kailas」です。ボトムアップ的にプロセスを作りたかったら、マジカから上げる、トップダウン的にリファレンスモデルをベースに下げてくるのなら「ESCORT」を使うということになります。

ボトムアップでは」、「マジカ」で吸い上げた業務行動の4コマ漫画を並べてフローにしたものや成果物から、依頼受付と単位意志決定、そして報告・登録というアクティビティを抽出・整理してプロセス化します。

トップダウンでは、「ESCORT」のプロセス詳細記述書の内容が基本的にアクティビティのプロパティになるので、その並べ方とデータ項目をKailas Designerで記述し、その他の情報はKailas Webで設定することでプロセス化できます。
 

2009年11月27日

業務システムの再定義-プロセス設計(6)

プロセスの設計作法

「Kailas」におけるプロセス設計の手順についてです。手順といっても詳細なものがあるわけではありません。できるだけシンプルなものにしたほうがいいと思っていて、どんなものに対しても大体同じであるという意味で“作法“と言ったほうが適切かもしれません。

なぜシンプルになるかというと、プロセスの構造がシンプルだからです。これまで議論したように、プロセスは性格が違うものを分けて考えることで2段プロセスになると提案しています。上位のプロセスは、依頼受付をして意思決定を連鎖させ、報告・登録をするというマクロフローとして定義しました。

下位のプロセスは、単位意志決定を起案-確認-確定-承認というミクロフローであるとして、それらは、人間系であいまいさを抱えているため、行ったり来たりしてもいいように情報共有の場で実行させることと規定しました。

この考えに基づいて、まずはマクロフローの設計をしてみましょう。プロセスを大きく捉えると、最初に何らかの依頼が来ます。これは外部からも内部からも、そしてシステム的にあるいはスケジュール的にやってくることもあります。しかし、いずれにしろ、プロセスの始点は「依頼受付」です。

そして、この「依頼項目」について答えていくことになるわけで、それが単位意志決定で、そのあとに作業があって、その結果を報告・登録するということになります。単位意志決定が中間点で、報告・登録が終点になります。

ですから、プロセス名を付けてそのプロセスの始点を決め、そこにある依頼者の特定と依頼項目(答えるべきデータ項目)を定義します。たとえば、見積依頼プロセスと命名し、依頼者名・所属・所在地、依頼日などと、堤供商品名、価格、納期などになります。

つぎに単位意志決定では、アクティビティ名を付けて、そこで確定するデータ項目を定義します。たとえば、納期確定というアクティビティであれば、納期になります。終点の報告・登録では依頼に対する答え、すなわちそこまでに確定したデータが定義されます。このデータのデータ型やデータ長などのバリデーションのための制約も定義しておきます。

これで、プロセスが書けることになりますが、もうひとつ大事な定義があります。それは参照情報の定義です。単位意志決定というアクティビティでは、何もなしに決めているわけではありません。必ずと言っていいほど何らかの情報を参照しながら意志決定を行っています。参照情報には、業務ルールであったり、各種のリソース状況、計画・履歴データ、シミュレーション結果、契約・規制値など様々な種類のものがあります。

単位意志決定の各局面でどんな情報を見ているのかを定義するわけです。そして、その実体がどこにあるのか、内部のデータベースなのかそれと外部からSaaSとして取得するものなのかといったことも定義しておきます。

マクロフローはもうこれで終わりです。簡単に言うと、プロセスの始点と終点を決め、中間の単位意志決定の確定データを特定し、それらに使う参照情報をリストアップするというだけです。

一方のミクロフローはどうでしょう。ここでは、ロールの設定を行います。ロールには、起案、確認、確定、承認を誰にやらせるのかということです。実はこれとてもマクロフローで設計してしまってもかまわないので、実質的にミクロフローで設計することはないとも言えます。

以上が、「Kailas」におけるプロセス設計のやりかたです。たったこれだけと思われるでしょうが、最低限のオペレーションはこれでできます。もちろん、ここから、各社の固有性を盛り込むのはいっこうにかまわないわけなのですが、大事なのは、基本部分と応用部分は分けて考えないといけないということなのです。

まずは基本を押さえて、それから応用問題に入り、さらに飾りや癖などを表現するということが非常に大切な作法になります。しつこいようですが、基本はマクロフローの定義です。“何を依頼されて、どう答えて何を報告するか”をきちんと書くことなのです。
 

2009年11月28日

神楽坂

昨日は、久しぶりの呑み歩き隊の例会で定番のそば屋巡りである。今回は、神楽坂の「蕎楽亭」である。食べログのランキングでも高い評価を得ているおそば屋さんで、毘沙門天の裏にある。

この会は、以前のいた会社の後輩2人と同業の会社の知り合いの人の計4人で呑み歩きをしている。ところが、昨日はその中の一人のI君が突然大阪への転勤が決まり、急きょ彼の送別会となってしまった。

どうも、単身赴任でいくとのことだったので、しばし単身赴任の心得を伝授する。最近は賄い付きのコンドーミアムがあるようで、便利になっている。ただ、大阪のおばさん対策はちゃんとしてけとアドバイスする。しかし、あのこてこて感のセンスが合わないと思うので心配だ。(笑)

さて、そば屋のほうは、カウンターがあって、結構広々としていて、よくあるそば屋とちょっと違う雰囲気で、だから客層も若い人が多い。つまみ類も豊富で、天ぷらはオープンキッチンなので見えるところで揚げてくれる。ほかに、湯葉、白子、出汁巻きたまごなどをつまむ。

酒は、ここではそばを福島会津から取り寄せるので、同じところの地酒が多くある。その中から、この店でしか味わえないという「央」をいただく。最後は、その「どぶろく」でしめる。

そして、お目当てのそばは、ふつうのそばと十割そばの2色そばである。十割そばは玄そばのまま挽いてあって、これがうまい。いやー、僕の中では評価が高かった。

そば屋を出てからは、すこし神楽坂周辺を散策する。金曜日ということもあるのか人が多いのにはびっくりする。ただ、神楽坂の面白さは、ちょっと横丁にはいると、静かで風情のあるたたずまいになるところで、そんなところを歩いてみる。

というわけで、久しぶりの呑み歩き隊例会を堪能したのであります。だから、そば屋で一杯がやめられない。

2009年11月29日

紙屋悦子の青春

黒木和雄の遺作となった「紙屋悦子の青春」を観る。2006年度作品でその年のキネマ旬報ベステンの4位になった映画である。ちなみにその年の1位は「フラガール」です。

これはまぎれもなく傑作である。もうあの戦争のことを描く監督がいなくなってきたが、黒木和雄は、「美しい夏キリシマ」、「父と暮らせば」に続く戦争三部作を撮り亡くなってしまった。

戦争それ自体は非常に劇的で不条理でそして悲惨なものであるが、そこにいた人間はどうだったのだろうか。この映画は、終戦の年の春の数日の出来事を淡々と描いてみせる。鹿児島で兄夫婦と暮らす紙屋悦子という娘の青春のほんの断片である。

映像は、その兄夫婦の家でのシーンが延々と続く。戦時下で食べ物が何もないなか、配給の高菜の漬物や腐りかけた芋などの話題についての会話が交わされる。このような、何でもないようなことが繰り返し登場するが、それが退屈なのものではなく、かえって当時の人々の様子をよりリアルなメッセージとして伝わってくる。

主なストーリーは、悦子に縁談がもち込まれることで、それも悦子が想いを寄せる明石という少尉が自分の親友永与を紹介するのである。明石自身も悦子に想いを抱いていたが、そうした行動に出たのは、特攻隊として出撃する運命が待っていることを知っていたからである。

そんなことや、両親を東京の空襲で亡くしたことや、兄が徴用で熊本の工場へ駆り出されるといったエピソードによって、戦争の影があぶりだされてくる。そして、庭に植えられた満開となりいずれ散りだす桜の木も印象的でぐっと心にしみてくる。

戦争のシーンもない、ただ木村威夫の美術による家の中だけのシーンを川上皓市の撮影するカメラが丁寧に映しだしている。これぞ、日本映画の真髄と思う。

原田知世、永瀬正敏、小林薫、本上まなみ、松岡俊介らが演じる人々もまさに日本人という風情で、古き良き時代を懐かしめとか、今の若い奴らはということではないが、ぼくにはジーンときて涙が止まらなかった。
 

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    • 3 戦争で死ねなかった者へのレクイエム
    • 5 桜の花が咲き、散る季節に観たい、静かな、静かな反戦映画
    • 5 「青春」は戦争下でも希望だ!
    • 3 予想通りの映画でした
    • 5 ジーンとする。
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2009年11月30日

つまらないチャンピオン

昨日のWBC世界フライ級戦は、おおかたの評とは違ってぼくには凡戦に見えた。なぜかって、こんな勇気のない挑戦者がタイトルをとれるなんておかしいからである。

ぼくはもう幾度となく世界戦を見てきたが、特に外国人のチャンピオンに挑む日本選手という図式だと、実況のアナウンサーと解説者が必ず言うセリフが、「こんな消極的なボクシングではチャンピオンになれない。もっと手数をだして、勇気をもって攻めていかなくては」。こうして、多くの日本人挑戦者が敗れ去った。

昨日も、確かに亀田選手はカウンター狙いの賢いボクシングをしたかもしれないが、挑戦者として王者を倒すという差を表現したのだろうか。内藤選手の鼻を打ち抜いた左のショートストレートぐらいしか見るべきものがなかったように思う。

カウンタパンチャーの選手が王座を獲得するには判定ではなくノックアウトでしかできない。そんな試合を亀田には期待したのだがぜんぜんパンチに迫力がない。かつて、WBA・WBC世界ジュニアライト級チャンピオンだった沼田義明がロハスと戦った初防衛戦おける起死回生の伝説右アッパーカットのような威力をもたなくていけない。

亀田兄弟の一番下の子は知らないが、まん中の大毅もそうだが、亀田家はチキンハートのようだ。ガードを下げて、肉を切らせて骨を切るぐらいのボクシングをしてみろと思う。歴代の強いチャンピオンはこれができているのだ。顔に似合わずこんなおとなしいボクシングではおもしろくないのだ。
 

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