われわれの年代であると、白土三平、カムイと聞くと微妙に反応する。1960年台半ばくらいから少年サンデーやガロに連載された漫画である。それが、映画化された。ただ、「カムイ伝」ではなく、「カムイ外伝」である。
崔洋一監督、宮藤官九郎脚本の「カムイ外伝」を観る。ぼくと同じくらいの年頃のおじさんたち(夫婦連れはいない)と松山ケンイチのファンとおぼしき人たちが主な観客である。
それなりに期待して行った。崔洋一というより、クドカンだからである。しかし、この期待は裏切られたというしかない。前から言っているように、映画が好きだったらあまりけなすのはしない方がいいと思っているから、できたらほめたいのだがうなってしまう。どうも最近の邦画の質が落ちてきたのではと思わざるを得ない。
「カムイ外伝」だから、抜忍(ぬけにんといって、掟を破り組織を抜けた忍者のこと)の世界を描いていて、その追われる忍者と追いかける追忍との戦いが主眼になっている。
だから、ひたすら逃げるシーンが多く、”虐げられた非人の世界から自由になるために忍者になったが、また忍者の世界でその掟から自由になるために抜忍になり”というナレーションが空疎な感じになってしまっている。
じゃあ、もう忍者のアクションパフォーマンスをメインでそこの面白さを強調してもいいのだが、最新VFXで見せられるも、いかにもつくりものに見えてがっかりする。そういう意味でどこか中途半端な感じが否めない。
「カムイ伝」というとある種の“サヨクテキ”な匂いで当時の“シンサヨク”のひとたち、あるいはそのシンパに受け入れられたというイメージが強く残っているので、そこでも肩すかしをくらう。「カムイ伝」は膨大なストーリーから成り立っているので、一部を切り取っても背景がわからないからそうなっているのかもしれない。
だから、かえって「カムイ外伝」なんてタイトルをつけるからいけないのだ。「逃亡者・忍者版」でいいんじゃない。辛口批評でした。
