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2009年9月 アーカイブ

2009年9月 1日

例外処理はむずかしい

システム開発では、よく例外処理をどうするのかという問題が“例外なく”指摘される。現にぼくも開発のジレンマのひとつとして「実業務のさまざまな例外をコンピュータ上に乗せるか否か」ということを言ってきた。

しかしながら、よく考えてみると例外とはいったいどういうことを指しているのだろうか。めったにないこと、予想外のこと、決まったことから外れたこと、そう言ったところでそれが大事(必須)なことであれば例外ではないはずだ。

ということは、まずは重要なことであれば、それがめったに起きることであっても例外とは言わないのだろう。そして、それはシステムに組み込まれる。しかし、10年に1回しかないことを定例というのだろうか。

では逆に重要でなければ無視すればいいと考えられるのなら、システムには例外というものがないである。もっと正確にいうと最初に設計したときには例外というものはないということになる。

だから、例外というのは運用のときに出てくる問題なのである。最初に設計した、プロセス、ルール、データのそれぞれの定義から外れたことやものが出てきたときに初めて例外処理という問題が生じる。

設計・開発の段階から例外を予想するというのは矛盾するのである。予想できないから例外なのだから。じゃあどうしたらいいのだろうか。それはシステムを動かしながら柔軟に例外を吸収できるようにしておくことである。

具体的に言うと、例外が発生したら、それは人間系で処理できるようにしておくことだ。そして、例外が続くことがあるが、そうしたらそれは例外ではなくなるわけだから、ITシステムに組み込んでいくというやり方である。

細かいアクションまでITにのせ、さらに自動化しようなんてすると、この問題にぶち当たる。従って、最初からどうやって例外処理を開発しようなんて思わないほうがいい。“ゆるい”ものは人間の“やわらかさ、しなやかさ”で受けて、“かたく”なったらITに組み込むという姿がいいと思うのである。

2009年9月 2日

公安捜査

ぼくの行きつけの銀座「M」で時々顔をあわせる浜田文人さんの「公安捜査」(ハルキ文庫)を読む。以前このブログでも取り上げた「捌き屋-企業交渉人・鶴谷康」(幻冬舎文庫)に続いてである。

この作品では、公安警察と刑事警察の両方の刑事がでてきて、殺人事件をきっかけに物語が展開する。公安のほうは北朝鮮への地下組織による送金問題である。こうした問題を題材にすることだけでもワクワクする。

ぼくらは、公安と刑事が中が悪くて、お互い勝手に行動し、時として反目することもあると聞いてもピントこない。だいいち公安の顔が全然見えないから不気味でもある。

そんな、2つの組織の人間の動きを並行的に描きながら、最後は一つ点になって収束していくというストーリー展開はなかなか面白かった。

ところでかなり唐突なのだが、この本の流れを見ていくとなんだか麻雀を見ているように思えてくる。浜田さんは確か相当な雀士だったともうが、最初の配牌ではどういう手になるか分からないが、だんだん手が見得てきて、いつの間にか手が揃ってくるが最後は意外な手で和了するという感じなのである。

この徐々に詰まっていくところが面白くつい引き込まれていく。日本の小説で警察小説というものが少ないといわれているが、登場する刑事が読むほどに魅力的になってくると、本格的な警察小説が誕生するかもしれない。
 

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2009年9月 3日

IT業界の不思議

民主党の雇用問題に対する姿勢は評価していないが、実はここの問題がこれからの日本の経済に与える影響が大きいので心配になる。やはり、内部に連合を抱え、社民党と連携していては、簡単にいえば企業内正規社員の地位保全が大事なのであるから、それでは雇用の流動化を促すわけではなく、むしろ壁になってしまうからである。

何度も言っているが、この雇用の固定化、特に大企業のノンワーキングリッチの問題を早くなんとかして労働市場を活性化しないと、労働の需給アンバランスが解消されない。がまんして会社で飼殺しされているミスマッチ人材を同じくらいの処遇で別の会社で生かせるようにすることが大事なのである。

派遣規制なんてバカなことはやめて、むしろ規制緩和に動くべきだと思う。もっともっと流動的になって、所詮一生同じ会社で処遇されて働くことができるのはほんの一握りだから、それ以外のひとで、別の会社あるいは別の職種で働きたかったら自由にできるようにすべきである。逆に、外からもいい人材であればどんどん採用することも必要だ。

ところがそういう意味ではIT業界の流動性は高い。多くの人が転職経験があると思うし、抵抗感が少ないようだ。ところが、それがうまく機能した形の流動性なのかというとちょっと首をかしげてしまうのはぼくだけだろうか。

皆さんが自分のスキルを正当に評価されて、それに応じた報酬と処遇を得ているのだろうか。そして、スキル向上と経験の取得で評価はアップしているのだろうか。

なぜ疑問を呈しているのかというと、IT業界そのものビジネスモデル、あるいは収益モデルがそうした雇用の流動化をベースに構築されているのかという問題である。少なくとも人月ビジネスをやっている限りは、無理なことかもしれない。

「働いた時間に応じて賃金は支払われるべきである」という固定観念にとらわれているうちは、あまり動かないで与えられたことをやっていることが無事なのである。

まっとうな動きをしている人は少数なのかもしれないが、見た目には人がよく動く業界ではあるが、スキルと対価の関係が未成熟のように思え、どうも不思議なのである。

2009年9月 4日

カツマを避ける

勝間和代が大活躍だ。しかしぼくは彼女の本を読んだこともないし、それほど興味があるというわけではない。別に嫌いではないのだが、どうも生理的に合わないような気がするだけだ。

一番わかりやすく言うと結婚したいと思うかということである。そう問われるといやあー遠慮しておきますと言ってしまう。3女の母で2回離婚しているそうだが。

不謹慎かもしれないが、つい結婚したときの夜の生活のことを考えてしまう。(笑)

それはこういうことだ。ぼくの妄想はベットに入ろうとすると、拒否されて「断る力」と言われる。さらに追いうちをかけるように、「私にからだを預けるな」とくる。しょんぼり出て行こうとすると「起きていることはすべて正しい」とささやかれてしまう。

繰り返すが、別に嫌っているのではなく、何となくそんな感じが先走ってしまうのである。勝間さん、ごめんなさい。
 


2009年9月 5日

休暇

これは重い映画だ。観終って疲れた。吉村昭の短編を原作とした門井肇監督の「休暇」である。ぼくはこの監督を知らなかったが、非常に地味だが感動的な良い作品に仕上げている。

物語は、新婚旅行のための休暇をとるために、死刑執行のときの支え役を買って出た刑務官が主役である。この刑務官を小林薫が静かな演技で熱演、また死刑執行される死刑囚に西島秀俊が扮して、これまた死刑を迎える人間の葛藤を見事に演じていた。

テーマがやはり重いのだが、それは死刑囚を扱っているからという単純なことではなく、人とのつながりになぜかなじめない男3人の存在に苦しさを覚えるからである。

その3人というのは、刑務官と死刑囚、そして刑務官が結婚した相手の女(大塚寧々も好演)の連れ子の男の子である。絵を描くことでしか自分を表現することができない死刑囚と男の子を重ね合わせてみせる。

その二人と刑務官の交流が最初はぎごちなかったのだが、徐々に溶け合っていく様を映し出すのだが、それは続くはずもなく、やがて死刑執行を迎え、それと入れ替わるように連れ子の男の子と通じ合うようになるのである。

門井監督の丁寧で時間を頻繁に交錯させた演出は、主人公とそのまわりの人間の心の動きを次第に意味のあるつながりへと導いている。刑務官の妻、同僚や上司の刑務官、死刑囚の妹といった人たちのたたずまいも胸に残る。

この死刑執行に立ち会う刑務官ということでは、あの「チョコレート」で演じたビリー・ボブ・ソーントンを思い出した。一緒に死刑執行に立ち会った同じ刑務官だった息子が取り乱してしまい、それを罵ったためにその息子が自殺してしまうといった話が盛り込まれていた。

その時も、生と死をひどく考えさせられた記憶があったが、この「休暇」そんな映画であった。最初に休暇をとるために支え役を買って出たと言ったが、どうもそうではなかったのではないかとぼくは思うのである。
 

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2009年9月 6日

歯が立たず

昨日のオランダとの親善試合でサッカー日本代表は完敗した。そりゃあ、FIAランキングで3位と40位じゃ、相当の力の差があるので、結果的には予想通りである。

後半の半ばまでは何とか持ちこたえていたが、ほんのちょっとしたすきを突かれて失点すると、それをこらえる力もなく、立て続けに入れられてしまった。

確かに前半ではパスもよく通っていてボール支配率も高かったが、シュートを打てないといういつものパターン。見た目にはなかなかやるんじゃんと思った人も多いと思うが、オランダがあわてて本気になったとは到底思えない。

もちろんいらいらして激しいタックルをしていたりしていたので、あせっていたんじゃないかと見えるかもしれないが、あれは少しは激しさ、強さを知らしめておかなくてはといった感じでしょう。

どこに差があるのだろうか。そしてこの差は縮まるのだろうか?それは岡田監督も俊輔も言っていたように、ちょっとしたほころびを作るとすぐにそこを突かれる。それなら、そのほころびを作らないようにすればいいのだが、それを90分間やりとおすことは、肉体的にも精神的にもかなり難しい。

最近の日本代表選手の運動量は世界のトップクラスに近いそうだ。ただ、時間との関係でみると最初の15分は非常に高いが、最後の15分、すなわち75分から90分になるとずいぶんと落ちるのだそうだ。

まさに、昨日の試合がその通りで、最初に勢いが後半半ば以降で全くなくなってしまったのはこのことを裏付けている。

それなら、90分間走り回れる体力をつければいいと思うかもしれないが、もう平均でトップクラスになっているわけだから、それ以上は無理なのだ。ではどうしたらいいかというと、力を抜いていいところでは力を抜けということだと思う。

全力で90分走りまわれないなら、どこで力を抜くかなのである。それが個人レベルでもそうなのだがチームとしても必要である。

結局、この力の配分バランスと一瞬のすきを突く厳しさをどう身につけるかになる。これが昨日のオランダとの差である。これは経験を積むことが一番のような気がする。ただ、経験といってもいっぱい試合をすればいいというのではなく、昨日のように強い相手、厳しくくる選手と戦う経験を重ねることだと思う。

さて、あと残り9か月、すぐに経験を積めないから、とりあえずはチームとしての力の入れ方、抜き方の共有が大事だと思う。どんな相手でも攻められっぱなし、攻めっぱなしということはない。この波をいかに柔らかく効率的に対処するかということである。

2009年9月 7日

業務システムの再定義-はじめに

いま、ITの進展はすさまじいばかりで、毎日新しい技術やサービスが登場している。中には大きな変革をもたらすものや生活のスタイルを一変させてしまうようなものまである。ところが、企業の業務システムの世界では同様な変化が起きているのだろうか。

残念ながら、個々の技術要素やハードウエア・インフラなどで新しいものを採用はしているにもかかわらず本質的な変化はないように思われる。

そこで、これからそのあたりの検証と改善策の提案をおこなっていこうと思う。ただし、ことわっておかなくてはいけないことがいくつかある。

まずは、アカデミックなアプローチはしないとうことである。もちろん基本的(初歩的)な論理はあるのだが、学問はおおかた実務的ではないので、その手の本に書いてあるようなことは浅学の身であることもあり、あまり参考とはしていない。

次に、IT用語は極力使わないようにしたい。特にはやりの3文字熟語は避けたいと思っている。業務システムを使う人はITのことはよくわからないビジネスに携わっている人たちだから、その人たちが理解できる言葉で語らなくてはいけないと思っている。

また、こうした検討のとき大上段に振りかぶって、経営はどうあるべきか、どういう戦略を立てたらいいのだろうか、強い組織とは、といったような議論がなされることがあるが、ここではそこはスルーして、そうした経営方針や戦略が決まったあと、それをどう実行させていくのかという観点で見ていきます。いわば、CEOではなくCOOの目線です。

そして、何よりも本当に役に立つにはどうしたらいいのかという根源的な問いかけをどんな場面でもするようにしたいと思います。システムを作ることが目的化すると、正しく作ったと思ったものが実は使われないということになりかねません。

ということで、いままでも似たようなことを何度か書いてきていますが、それから考え方が変わったり、また新しい技術がでてきたりしていますので、この機会に何回かにわたってもう一度整理して「業務システムの再定義」をしてみようと思います。
 

2009年9月 8日

サッカーファンタジスタの科学

久しぶりのサッカー本の「サッカーファンタジスタの科学」(浅井武監修 光文社新書)は、残念ながらこれまでのサッカー本の中では一番読みごたえのないものであった。

サッカー・フリークとしては、けなすのも忍びないのだがしかたない。この本の意図はファンタジスタの肉体やプレーを科学的に解き明かそうということだと思うが、しょせん無理なことである。なぜって、ファンタジスタというのは、理屈どおりあるいは、決まりきったことをしないがゆえにそう呼ばれているからだ。

科学的というのは、いろいろなプレーについて、どこがどうだから結果としてこうなるという関係をモデル化できることだから、そうではないプレーをするファンタジスタを解剖できるわけがない。

百歩譲って解明できたとしても、われわれが同じことが出来なくてはおもしろくもない。と思っていたら、本の中身も別にファンタジスタのプレーというより、サッカー選手のフィジカルだとか、キックスピードはどうしたら速くなるのか、とかいった話で、だからタイトルに偽りありということなのである。

そうして読み進めるとほとんどがわかりきったことばかりで、なるほどと感心させられることがない。キックのときの足の動きを高速度カメラで撮った写真を見せられても、あそう動いているんだで終わってしまう。強いキックができる選手の腿の筋肉の断面図を見せられても、だからどうなのと思ってしまう。

書いてあることは、ぼくらがもう半世紀も前に教えてもらったこととそう変わらない。結局、昔の教えの3Bの大切さなのである。すなわち、BallControl、BodyBalance、Brainなのである。これは、いつの時代でも変わらず重要なことなのである。

スポーツ本はそれを読んだからといって、メッシになれないし、イチローにもなれないのだから、変な解説本よりも単純にすごい、おもしろい、楽しいといった本が一番だ。うまくなりたかったら、自分で実際にあこがれのプレーヤーのまねをして、体で覚えるしかない。
 
まてよ、これはサッカーをやったことのない人たち向けに書いたのだろうか?
 

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2009年9月 9日

業務システムの再定義-会社は何をしているのか(1)

ビジネス実行機能の構造

最初にことわったように、戦略とかビジネスモデルのことではない。どういう活動を行っているかである。簡単にいえば、PDC(Aもありますが、これは結局Pに反映することですから、ここではPDCとしています)サイクルを回す機能ということがいえます。

いい経営者がいても、あるいはいい戦略がっても、いいビジネスモデルがあっても、それを実行するオペレーションの仕組みがなくては会社としては機能しません。

往々にして、戦略やビジネスモデルに注目がいって、本なんかも多く出版されています。しかし、それを執行する業務プロセスや組織の重要性も高いはずなのですが、組織論は多くありますが、意外と業務プロセスのオペレーションはあまり議論されていないように思います。

ですから、ここではそうした実行部隊が何をしているかを考えてみたいと思うのです。逆に、いい実行部隊がいたら、あるいはいい仕組みがあったら、そこから優れた戦略やビジネスモデルも生み出せるのではないかと思いたいのです。

会社の経営方針は主にトップの頭の中で作られます。もちろんコーポレートスタッフもいて彼らが作っているように思うかもしれませんが、私の経験では単に参考情報を渡すだけであって、戦略そのものはトップ自らが作ります。ただし、それは細かいものではありませんが、重要なのは同時にそのコンセプトを実現できる人材を登用していることです。

ここには業務プロセスという概念は入ってきません。そのあとの戦略を具現化するところから業務プロセスが登場してきます。

そこを大きな括りでみていくと、冒頭に言ったPDCサイクルのそれぞれにプロセスが絡んできます。すなわち、計画プロセス、実行プロセス、管理プロセスです。ただし。これは重層かつ縦横構造になっています。

どういうことかというと、重層という意味では、たとえば、実行プロセスには生産プロセスや調達プロセスなどがありますが、そこにもPDCサイクルがあるということです。生産計画があって製造して、製造原単位などを管理します。

縦横というのは、実行系でいうと、事業や商品、サービス単位でプロセスがありますが、そこを横断するプロセスもあるということです。たとえば品質管理プロセスとか輸送管理プロセスとか言ったものがこれにあたります。もちろんこのプロセスにもPDCサイクルがあります。

そしてさらに見ていくと、このPDCのPやDはどういう成り立ちかというとそれぞれに意志決定プロセスを抱えています。実はこの意思決定プロセスも重層的な構造になっています。事業レベルの意志決定もあるし、単なるアクションに対する意思決定もあるという具合です。

ということで、ざっくりとした言い方だが、企業におけるビジネス実行機能の構造は、PDCサイクルと意志決定プロセスの織り重なった構成の上に成り立っているといえます。
 


2009年9月10日

サッカーとYAPC

昨日のガーナ戦は3-1から逆転して4-3で勝った。これだけの劣勢を強豪国相手にできたことは評価できるが、だからと言っていい試合をしたわけではない。アフリカ予選を無失点で通過した相手から4点も取ったといって喜んでもいられない。

乱打戦になると点は多くとれるものなのだ。問題は3点も取られたということで、PK以外の2失点は本大会でも起こり得そうな気がして滅入ってくる。あのがっちりしたFWを見ていると中沢、闘利王が小さく見えてしまう。そこの問題は残っている。

昨日の試合での課題は、いまのディフェンスの1対1の強さ以外にもあって、この9か月でここを整備できればよくなると思う。そのキーワードはこれだ。

・ダイレクトパス
・パス精度
・ミドルシュート

ダイレクトパスが通れば確実にチャンスになる、日本のチームのようにダイレクトパスをうまく使うチームは少ないので大きな武器になる。

パス精度は個人の技術の問題だが、相手が弱かったり、いいグランドコンディションだったらできるが、それが強い相手や天候、芝の状態が悪いときなどとたんに精度が落ちてしまう。昨日も何回もいいチャンスが作れそうなのにパスが長すぎたり、短すぎたり、遅すぎたりで自らチャンスをつぶしていた。

あの稲本から岡崎へのパスでヘディングで入れた3点目は、その逆のピンポイントで合わせたパス精度のよさによって生まれた。ここは磨きどころだと思う。

最後のミドルシュートは、言わずもがなかも知れないが、昨日は結構狙っていた。あの姿勢が4点をたたき出した伏線ともいえないこともない。要は、積極的にゴールに向かうという意気なのだ。

さて今日はYAPCのプレゼンをしなくてはいけない。YAPCは昨夜が前夜祭で今日と明日が本番です。うちの社長はもう出ずっぱりで、前夜祭では20分のプレゼンをやって、今日はぼくとふたりで「Kailas」のデモを交えたプレゼンをします。もう朝早くでかけて行った。

それ終わると、Web+DBPress12月号の記事の原稿について打ち合わせだそうで、そのあとまたライトニングトークスでしゃべるんだそうです。

また明日も大会中に小飼弾さんと「小飼弾のアルファギークに逢いたい」の企画のための対談があるとのこと。うあーこりゃ大変だ。替ってやりたいけど無理ですよね。

さて、出かけるとするか。
 

2009年9月11日

YAPC::Asia2009登壇記

昨日は東京工大で開かれているYAPC::Asia2009にスピーカーとしてプレゼンテーションを行いました。YAPCというのは、Perl技術者を中心にしたカンファレンスで、ほとんどが若い子で、テクニカルな話題を中心にセッションが設定されています。

ですから、ぼくのような還暦を過ぎたおじいさんがスピーカーというのは始まって以来の最年長だそうだ。しかも、親子で掛け合いで行うのもおそらく初めてのようで、珍しがられました。

発表は、二人で作った「Kialas」というBPMFrameworkで、実際に動かすデモを中心にして説明しました。練習ではちょうどいい時間だったのですが、いざ本番となると余計な事を言いすぎて時間が足りなくなってしまい、最後はあわて締めくくるはめになった。反省。

この内容はエンタープライズ系の業務システムがテーマなので、このカンファレンスの入場者にとってはいささかなじみのないものなのだが、中にはこうしたものもあってもいいという思いで話した。

そうしたら、終わった後の懇親会で数人の方々から興味があると言われたし、いつ製品として提供されるのですかという質問までいただき、まったく異質でもなかったのかなあと胸をなでおろしました。

もちろん、ぼくは初めての参加なので、ほかにどんなセッションがあるのかと、プレゼンのあとずっと聞いてみた。最初は、技術的なことはまったくと言っていいほどわからないが、はてなやペパボ、リクルートの話などは何となく雰囲気的におもしろかった。

Perlのコミュニティというのは、非常に和気あいあいでフレンドリーな気風がありよさげです。どうも、PHPやJavaなどのようなメジャーな言語ではこうはいかないようで、あまり開発者が多くないがゆえにそうした雰囲気になっているところもありそうだ。

そして、社長にいろいろな人を紹介してもらった。ふだん名前だけ聞いていたり、雑誌などで見ていた人たちと直接会話することができて、もうミーハー状態であった。小飼弾さん、宮川さん、竹迫さん、Yappoさん、Otsuneさん、Tokuhiromさん、栗原さんなどなど。でもみんな若い。

その他、社長のLTもすごく受けていたし、M&ERPの渡辺さんもわざわざ聞きに来てくれて、参加者の最高齢を更新してくれました。すごく楽しい1日でした。ありがとうございました。

主催したJPAの牧さん、岡部さん、エマーソン、檀上さん、中川さんたちご苦労さまでした。いや今日ももう一日ありましたね。
 

2009年9月12日

イノベーションの新時代

先日のBPM協会コンポーネント部会で紹介された「イノベーションの新時代」(C・K・プラハード著 日本経済新聞出版社)を読む。著者のプラハードは「コア・コンピタンス経営」や「ネクスト・マーケット」を書いた有名なビジネス思想家である。

最初は、どうせ経営の本かなあくらいに思っていたら、何のことはない業務プロセスやICT(最近は単にITということではなくCommunicationも入れたICTという言葉を使うようになってきていいことだ))のことが半分以上も占めていた。すなわち、イノベーション実現には業務プロセスが大いに関わっているということである。

よくイノベーションはカリスマ経営者の比類のないアイディアで引き起こされるとか、驚くようなブレークスルーで達成されると思いがちだが、それよりももっと現実的なそして継続的なイノベーションが必要になってくるという。

そのための重要なコンセプトとしてあげているのが、「個客経験の共創」と「グローバル資源の利用」というふたつである。この考えがずっと出てくる。

簡単にいえば、個別の顧客ごとに一緒になって経験を共に作り出すことが重要で、そのためには資源をグローバルに求めることが有効であるとしている。たしかに、今日の顧客とのあり方やいろいろな意味でのグローバル化を見ているとそんな感じがする。

この本で、かなり大きなスペースで業務プロセスのことが取り上げられていることにちょっと驚かされる。もうひとつ分析力もあげているので、業務オペレーションとその結果の分析の大切さを強調している。このあたりがよくある経営書とちょっと違うところであろう。

そう思っていたら、この著者のプラハードは、IT企業の創業者であって、その会社はBPMベンダーのTIBCOに買収されたのだという。どうりで業務プロセス、そしてITCの重要さを強調しているかが分かった。

しかしながら、注意しなくてはいけないことがあって、ここでいう「業務プロセス」の意味は、BPMの世界で言っている業務プロセスとは違うのである。ここではかなり広い範囲を言っている。

戦略までは入っていないが、ビジネスモデルやサービス機能そして業務ルールとかデータ分析のようなところまでを包含して言っている。その中で、業務プロセスが競争力の源泉であると主張しているわけである。そこまで広く捉えていれば当たり前にそうなのだが、誤解を生む可能性がある。

普通はワークフロー的な業務の流れを想定するから、そこに競争力の源泉があるのかと思ってしまう。このブログでも再三言っているが狭義の業務プロセスには差別化要因はあまりないと思う。むしろ、この本でも言っているように、ビジネスの変化に応じて素早く業務プロセスを変更できることが競争力を生むのだろう。

先に述べたとおり、これだけ業務プロセスに言及している経営本は少ないので業務プロセスに携わっている人にとっては面白いのではないでしょうか。しかも、それを実証的な研究としての多くの事例をもとに語っているので説得力がある。

ただ、かなり広く業務プロセスを定義しているから、もう少し分解していかないと、どこに目新しさがあるのかわからない。読み終って最初に思ったのはなんだ当たり前のことをいているじゃないかということであった。

おそらく、BPM協会の部会で輪読するようなことになるとも思うが、かなり当たり前のことを言っているだけのところもあるので、ただ書いてあることを理解しても仕方ないような気がする。ここからより具体的なアプローチをどうするのかを検討することが必要になるのではないだろうか。
 

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2009年9月13日

柳家小三治一門会

あまりホール落語というものに行くことはないのだが、平塚市民センターホールで小三治一門会があるというので近くということと、柳家小里ん師匠も出演するというのででかける。そして入場券を小里ん師匠から手に入れたので、前列のど真ん中の一等席であった。

実は、小里ん師匠は、最初小三治さんのところに弟子入りをしたかったらしい。しかし、まだ弟子をとらないといわれて、五代目小さんの弟子になったといういきさつだそうだ。だから、今でも小三治を師匠と思っていて、一門会で演じるのだろう。

その他、昨日の出演は、〆冶、はん冶、三三、ろべえ、それと奇術の花島世津子。のっけに小三治自らが登場してびっくりする。そして、登場してなんと唄いだしたのである。その歌は、フランク永井の「公園の手品師」である。寡聞にして知らなかったが、小三治師匠が好きな歌だそうで、しかもフランク永井もすごく気に入っている歌である。

そんな形で始まったが、小三治師匠が唄い終わって話はじめたとき、突然携帯の着信音が響く。なななんとぼくのポケットで音がするではないか。マナーモードにしたはずだったが、なぜかそうなっていなくて社長(息子)から電話がきた。恐縮。あわてて切ったが、案の定小三治師匠に絡まれる。

でも、すごいのは全部笑いにもっていく。携帯の音はどうせならみんな鳴らしてしまえ、そのかわり演者の意欲はなえていくという話からはじまって、最近は、新しいホールでは、携帯が通じないようにしていると言ってから、この市民ホールは風も電波も素通りだと落していた。さすがの名人芸である。

あれえ、前置きが長くなった。これを落語では“まくら”という。このまくらが長い落語家の筆頭は小三治でしょう。それだけで高座を終えたこともあるし、以前紹介したように本も上梓してしまうほどだ。

今回も、フランク永井ネタでトリの高座のマクラを演じ、そしてそのゴルフネタから、釣りときて、野ざらしの一席である。もうしっかりと聴衆の心をつかんでいるので、無理に笑わすこともせずに、もうその一挙手に湧いたのであります。

それは、多分一門会の全体のストーリーを頭の中で描いてそれを演劇のようにディレクションしたように思う。寄席と違うのはそこで、一演者としての存在と“落語ショー”をどう見せるかは違うように思うのである。

そういう意味で考えるのは、小里ん師匠のことである。昨日も小三治の前にあがったが、わりと遠慮がちに地味に演じていた。もう少し、おのれを主張してもいいように思えた。他の出演者では、柳家三三(さんざと読む)がいい。小田原生まれの35歳だが、いい味を出していた。

久しぶりのホール落語で笑わせてもらった。しかし、お客さんはみなぼくらの世代ばかりで、だから若い人が知らないフランク永井ネタが受けていたのである。最近は多くなったとはいえ、もっと若い人も落語席に足を運んでもらいたいと思ったのである。

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    • 5 二番煎じさえなければ・・・
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    • 4 身の丈の「個」の話にこだわる気骨っていうか偏屈が小三治の魅力
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2009年9月14日

K-20(TWENTY) 怪人二十面相・伝

こりゃまた痛快な傑作が生まれたものだ。「K-20(TWENTY) 怪人二十面相・伝」は久々の活劇で堪能した。題名からだと何となく“ちゃっちい”かもと思っていたら、僕の映画の師からこれは面白いと強い推薦があったので観たのである。

監督が佐藤嗣麻子で、出演した金城武、松たか子、仲村トオルといった面々が躍動している。場所も時代も怪しげな設定でおかしいし、変な道具や乗り物が登場する。CGで見せる都市空間もノスタルジックで大活劇の予感。

何せ怪人20面相の話だし、明智小五郎や少年探偵団のことである。彼らはどれだけぼくらをワクワクさせてたことだろう。その昔もう少年探偵団気取りで二十面相ごっこに興じたものである。

さてこの平成の怪人二十面相はといえば、もともとのとは違うのであるが、それはそれとして単純にリメークするよりよっぽどいい。北村想の原作は読んでいないが、この二十面相が何人かいたという解釈はおもしろく、別物の物語に仕上がっている。

この手の活劇はハリウッドの得意のところで、日本映画ではあまり観られなかったジャンルである。だから、見方によっては、どこからパクッて来たようなシーンもあるが、それは愛嬌というもので、全体感として評価したらいいと思う。

けっこうユーモアもあって、松たか子のお嬢様ブリなんか必見ですね。あと脇を固める国村隼とか高島礼子なんかの渋さもいい。これきっとシリーズ化されますね。

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    • 5 平吉さま!
    • 5 続編をお待ちしてます
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    • 4 エコエコは超えられなかったが…
    • 1 極上のトロでツナ缶作っちゃったような勿体無い映画。
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2009年9月15日

あらためてイチローのすごさを思う

ついにイチローが9年連続200本安打の大リーグ記録を打ち立てた。おめでとう。これは大変な記録で日本人として誇りに思う。

この記録のもつ価値は単に数ではないと思う。ひとつは、9年間200本も安打が打てるだけの試合に出場し続けたということだ。さらに日本のプロ野球で9年間プレーして、メジャーに渡ってからであるということである。

このイチローのすごさは、そりゃあ野球の技術でいえば、走攻守そろった完璧な選手であり、決して驕ることがことのない(多少孤高感はあるにしても)性格、たゆまぬ努力と練習といったことが語られると思う。

ただ、僕はこれだけではないように思う。以前、このブログでも「イチローのすごさ」について書いたことがあるが、その中でも少しふれている“変えるところと変えないところ”のメリハリが実にすばらしいと思うのである。

イチローは、たとえば試合のある日の行動は全く同じことをする。遅い朝食は必ず奥さんが作ったカレーを食べる。これがもし今でも続いていれば8年間ずっとなのだ。そして、試合前の練習メニュー、グランドに入る時やベンチの階段の昇る足の順序といったことが決まりきっている。

これは、変えないことであり、ベースになるあるいはルーティン化されているものは極力いつもそのままでいいという考えで、その代り、進化するために必要な要素については絶えず変化させているのである。

この考え方は重要で、よく変えますというと何もかもひっくり返してしまう人もいるがそうではなくて、残すところはそのままで変えるべきところ大胆に変えるというのが大事なことではないでしょうか。

イチローのバッティングは毎年進化し続けているように思う。だから、イチローがもう35歳だって驚きますよね。その歳でも変わらぬプレーができているということは、歳を重ねながらも成長しているという証でもある。

いったいこの男はいつまで野球をやるのだろうか。

2009年9月16日

第4期目に入る

昨日9月15日は会社創立記念日で、3年前の2006年に起業したのでいよいよ4年目に入ったことになる。ものすごく早かったというのが素直な感想だ。

3年前は、ちょうどぼくが故あって会社を辞め、息子が大学院を卒業するという節目で二人で一気呵成に会社を興してしまった。ただ、ぼくらの意識ではそう冒険をしているとは思っていなく、ある意味自然な帰結であるような気もした。

当時は、1円でも株式会社ができるようになっていたし、ITでの起業は大きな設備投資がいるわけでもなく、従業員を雇う必要もなかったので、その点は気楽なところがあった。

ただ、一番の問題は何でお金をかせぐのかという根幹の課題はもちろん抱えていたわけで、そこは悲観、楽観が入り混じっていた。

いまから思えば甘かったと思うのだが、とりあえずホームページでも作って糊口をしのぐかという感じで、いくつかの案件を扱ったのだが、これがなかなかうまくいかない。結局、坂本武典さんという日本画家のホームページを作っただけに終わった。

それは、何がなんでもホームページをつくりたい、あるいは作ればものが売れるとかという幻想が崩れていった時期であったためかもしれない。そして、受託開発の仕事を入れるようになり、またぼくはITベンダーにコンサルとして職を得て、一応まあまあの収益をあげられるようになった。

しかしながら、それは自分たちのやりたいことをとりあえず置いておいてということでもあったわけで、“それでおもしろいのかい?”というささやきが聞こえてくる。

このささやきに抗しかね、今年の春ごろから、お金はともかく、まずは自分たちのやりたいことを能動的にやり、その結果としてお金がついてくればいいじゃんというふうに変えていった。

その結果、息子(社長)は、自作のWebサービスを送り出し、ぼくはコンサルをやめて、自作の開発方法論を磨くことを始めていった。そして、それを合体する形でこの8月から「Kailas」の開発に到り、いま骨格ができ上がったので、これをベースにビジネス展開も開始することにしている。

こうしてふらふらしながらもやっと主体的な形のプロジェクトが動きだし、先が少しずつですが見えてきました。何よりもやっていて楽しいことがいちばんです。

ただ、このことは二人だけでやっているとは決して思っていません。社長や僕の周りにいる人々の知恵と力をもらってこそ叶えられると思っています。それは、とりもなおさず「Kailas」の精神でありコンセプトなのです。

さて、いよいよ4期目である。
 

2009年9月17日

アジャイル開発

この間のYAPCでJPAのエマーソンと話す機会があって、彼は今アジャイル開発の先生をしているのだそうだ。それで、すこしそのあたりの話をしようと思っていたが、あまり時間がとれなく中途半端になってしまった。

今回のプレゼンも「親子でアジャイル」という言い方もしているので、考えてみようと思う。しかし、本を読んだり、誰かが定義したものを引用したりはしないことにする。もともと、世の中のアジャイルのこととか、XPだとかは正直あまり知っていない。

アジャイルという意味は、早く俊敏にという意味だから、究極的にはどんなやり方をしても素早くできればいいはずだ。だから、こうやれば速くできるというのはいいのだが、こうしなくてはいけないという話はない。

もうひとつ考えなくてはいけないのは、どこの工程が速いかである。このことは、アジャイルだけに限ったことではなく、システム開発のすべてに関わることである。システム開発を混同して議論することがよくあるのだ。

すなわち、組み込みはちょっと置いといて、ソフトウエアやフレームワーク、ツールなどいわゆるプロダクトを作る開発とそれを使ってアプリケーションを構築する場合(これともっとコアのところの開発もあるがそこはスーパーギークの世界なので省略)である。この二つは同じ開発でも性格が違う。したがって、議論は分けてしないといけないのだが、往々にして混然とさせてしまう。

ソフトウエアの開発の場合は、ものをいかに早く作り上げるという開発者のパフォーマンスに依拠する。だから乱暴にいうと早くあるいは短いコードを書くかになる。

一方、業務システムの場合はどうだろうか。ここでは、何が早いことを求められるのだろうか。少なくとも、システムを作ることだけではなさそうだ。実際に作ったものが使われて、そしてもっといえばそれで効果を発揮してはじめて価値がでるのであるから、どうもそこまでの早さを言うべきであるということがわかる。

こう考えると、いくら早く作ってもうまく運用できなかったり、効果がなかなか出なかったりしたら、アジャイルでもなんともないのではないでしょうか。

また、コードを書かないですぐ動かせたらそれはアジャイルなのだろうか。おお、アジャイルがあやしくなってきた。だから、アジャイルは、設計・プログラム仕様確定・製造の工程を早く回すひとつの手法という感じですね。

業務システムは作って終わりではないというのが、ユーザの意識なのだが、そこがまだ作り手側とのずれがあって、そう思うのなら、自分たちで主導しろと思うのだが、ベンダーにまかせているままだからその溝は埋まらない。

これからの業務システムに大事なのは、当たり前のことなのだが、目的の達成スピードである。どれだけ、早く当初の目的に対する効果をあげるかがシステム化の価値であるはずだ。

ところが、なかなかその意識が出てこない。なぜかというと、“当初の目的”が希薄、あるいはない場合があるからである。ユーザ側にも責任があるわけで、そこをきちんとしておくことが前提であることはいうまでもない。

結局、設計-開発-稼働-オペレーションといったフェーズまで考慮して、どこが律速になっているのかをチェックして、トータルの迅速性を評価しなくてはいけないと思う。それも、ビジネス視点、ユーザ目線で洞察していかなくてはいけないのです。
 

2009年9月18日

しんぼる

どう考えてもおかしい。おかしいというのは面白いということではなく、変だということである。松本人志の「大日本人」に続く「しんぼる」は、批評のしようもない映画だ。

前作でひどかったから、もう見まいと思うのだが、あの松ちゃんならひょっとしたら傑作を残すかもしれないという思いがあるからつい足を運んでしまう。

ああ、もう行かないぞ。え、シュールなところがいい、笑いが前作よりいいだと。だまされた私が悪いのか、だましたお前が悪いのか。いくら“市場原理”で変なものは結局お客さんが入らないで淘汰されるから文句を言うなと言われても、お金払って見てしまった身には腹が立つ。

やはり、これは詐欺だな。自主映画か何かで松本好きな人たちだけで見る分にはいっこうにかまわないし、おおいにやってくれと思う。しかし、期待の裏切りようも限度がある。

シュールって、商業ベースの中で、自分だけの世界でわけのわからないシーンを見せられて、どうだお前らわからないだろうと言われても困ってしまう。

お笑いって、テレビのギャグを持ち込んだだけで、浜田を呼んで頭を叩いてもらったほうがよかったのではないかと厭味も言いたくなる。

いやー、もうやめよう。これ以上いうと、実は宣伝になってしまうからである。こんなひどい映画だったらどんなものだか私も見てみたいとなるからである。
 

2009年9月19日

ビジネスインサイト

ちょっと前に「イノベーション新時代」という本を読んで、イノベーション実現のカギが業務プロセスにあるというような論を考えてみたが、しかし、そのイノベーションそのものをどういう風にして着想するかという問題への答えではない。

そんな思いで「ビジネスインサイト」(石井淳蔵著 岩波新書)を手にする。副題が“創造の知とは何か”である。経営者はどうやって新しいビジネスモデルを思いつくのだろうかというのがこの本のテーマである。

のっけに、元松下電工会長の三好俊夫の言葉「強み伝いの経営は破綻する」という言葉から、現状の延長を続ける経営からどこかで「跳ばなければいけない」という問いかけで、その“跳ぶ”とはどういうことかを追いかけていく。

その力として「ビジネスインサイト」という概念を提示している。インサイトという言葉は聞きなれないが、“未来の「成功のカギとなる構図」を見通す力”ということだという。それは、あるとき偶然と必然の重なりあいの上で閃くのだそうだ。

これは、成功を納めた経営者に共通的に持っている資質でもある。著者は、ヤマト運輸の小倉昌男の例でそれを説明している。まだ大和運輸といって大口輸送の配送業だったが、その限界を感じ、思い切って家庭向けの小荷物配送に切り替えようと考えていたころ、ニューヨークに出張して、マンハッタンの交差点でUPSの集配車が4台停っていたのを見た瞬間閃いたのだという。それが宅配便ビジネスへとつながったのだ。

それまでもやもやしていた霧が一瞬にして晴れた感じではなかったのだろうか。そこで感じたのは、一台の車が広範囲にわたって荷物を集配するのではなく、狭く限定された範囲でもビジネスが成り立つことを知ったのである。

こうして、普通の人間だったら、交差点に車が4台停まっているのを見ても何も思わないが、小倉昌男には、それを見たとき将来のビジネスの構造が見通せたということである。

その他、流通革命を起こしたダイエーの中内功、セブンイレブンの鈴木敏文、ちょっと変わって、マーケティングの世界でイノベーションを起こしたキットカットのことなどが登場している。

このビジネスインサイトというのは、マイケル・ポランニーの「暗黙の認識」がかなり関連してくる。そこで「対象に棲み込むこと」を提起している。ただこういうと、よく言われる暗黙知を形式知にするというように思われがちだがそれとは違うことを主張している。このあたりが面白いところである。

どういうことかというと、従来の暗黙知というのは「すでに存在する実体」としての知識を指しているが、それは言い換えれば名詞としての知であったが、ポランニーのいうのは動詞として知ること、つまり進行形の方なのだ。

「暗黙裡に、つまりそれとわからないうちに知ってしまう。隠れたプロセス」のことで。これはいわゆる実証主義のプロセスの限界を超えるカギなのかもしれない。

これ以上は長くなるので、このへんにするが、非常におもしろい本です。ご一読をお薦めします。経営やマーケティングだけに限らず、あらゆる局面で参考になるし、身近での小さなイノベーションもあるわけだから、大いに役に立つ。

この本を読んでのぼくの閃いた言葉は、以前にも書いたがパスツールの「Chance favors the prepared mind」である。何もないところから、“インサイト”が生じるわけではなく、常日頃から問題意識をもち、真剣になって悶え苦しんでいる人に宿るものであろう。

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2009年9月20日

シルバーウイーク

秋の連休をシルバーウイークというらしい。敬老の日も含められるのでそれらしい名前でもある。ぼくのような生活をしていると連休は格段の感慨もないのだが、この連休には、今言った敬老の日とお彼岸、そしてぼくの誕生日23日も入っているので、その点でありがたい休みなのかもしれない。

今日は、朝起きると雪の帽子をかぶっていない富士山がくっきりと見える。夏はなかなか富士山が見えずらいので、こうした白が入っていない富士山を見るのは珍しい。

午前中に歯医者に行く。歯と神経を削るという。思わず手を握り締めて身構えるが、麻酔を打ちますのでちょっと我慢してと言われ、ちくっとしたかと思ったらもうしびれている。2本目の麻酔の注射もそのあとの削るのも全く何も感じない。

昔は、歯医者で歯を削るなんてことになるともう卒倒するくらい痛い。ずいぶんと楽になったものだ。だから、今は歯医者に行くのはぜんぜん苦にならなくて、むしろ歯をクリーニングしてもらっているとある種の快感さえ覚えてしまう。

帰ってきて、ばあちゃんちの庭の草刈りである。夏に植木さんに来てもらって刈ったのだが、もうけっこう生えてきて、秋に向かって最後の草刈りである。バリカンでやるので時間がかかる。植木屋は大きなエンジン付きの草刈り機でざーとやるので、早くていいのだが、根っこまで取らないので、残った根っこからしっかりとした雑草が生えているのだ。

夜は久しぶりに3つ下の弟と一杯呑むことになった。以前はこうした機会がなかったが、僕が会社をやめてから、時間が取れるようになったからである。地元の焼鳥屋で呑むのもいいものだ。

こんな一日で何となくのんびりとした感じでくつろげる。社長は朝早く2泊で山登りに出かけてしまったせいでもあるかもしれない。(別に社長にけつを叩かれているわけではないが(笑))

雪の帽子をかぶっていない富士山です。
 
P1001355.JPG
 

2009年9月21日

自民党の敗因

先の衆院選で大敗した自民党の敗因をあれこれ言われているが、わかりやすい形ででてきたのが、いま行われている総裁選であろう。西村、河野、谷垣の3氏が立候補しているが、記者会見でのそれぞれの立候補の弁を聞くだけでそれを知ることができる。

しかも、なぜ自民党は負けたか、そしてこれからどう立て直したらいいのかという質問への冒頭の3分の答えに凝縮されているように思う。曰く。

西村:敗因は景気の低迷など国民が苦しんでいるのに、自民党だけがいい思いをしているんじゃないかと思われたこと。
立て直しについては、国会論戦をしっかりやる。リクルーティング機能の充実。党のイメージをスピーディでクリーンで透明なものにしていく。

河野:敗因は、自民党は政権与党であるということぐらいしか訴えられていなかったこと。立て直しは、小さな政府で健全な競争による経済成長をもたらし、その果実を国民の皆さんの豊かさへつなげたい。ばらまきではなく、小さな政府という民主党への対立軸を鮮明にすることで立て直したい。そして、リーダシップの世代交代を行わねばならない。いつまでも古い派閥政治はもうやめて党がきめていくという体制をつくるべきだ。

谷垣:敗因は、景気の低迷やセーフティネットの不備、リーダがコロコロ変わるなど国民の不安に答えきれなかったこと、その説明が不足していたこと。立て直しでは、国会論戦が大事であり、保守政治の正道立って臨む。広報や宣伝を行う機関の強化。みんなでやろうぜ気持で全員であたる。そして、新総裁になったら早い機会に全都道府県をまわり地域の事情を見る。

ここで、言っている中身がどうのということではなく、主張していることが“目的的”になっているかどうかという話である。上の3人の意見を読んで明らかにその違いを見ることができると思います。

まず敗因の分析では、西村、谷垣の言っていることは全く本質から外れている。説明不足だとか、イメージが悪かったとか言っているわけで、そんなことで国民はノーと言ったわけではなく、体質そのものや政策がないないことに起因していることがわかっていない。

もっと、驚かされるのはこの二人の立て直し案だが、国会論戦をきちんとやる、広報を充実する、党のイメージを変える、新総裁になったら全国を回る、だ。なんじゃこれ? これは、目的でなく手段であり、意気込みであって、どうしたいかという具体的な考え方や方向性を示してくれていない。

その点、河野太郎は明確だ。こうしたきちんとした議論ができるための論旨を設定してもらいたい。そうではないと違いが浮かびあがらない。

これは、政治に限ったことではなく、ビジネスの世界でもよくある話で、抜本的に変革しなくてはいけないのに手段だけを変えることでお茶をにごす人が多いことをよく感じる。そして、こういうひとたちは、情緒的なんですね。

本当はこうしたかったが、やり方がまずかったとか、理解してもらえなかったとか、しっかりとできなかったと言って、そこを直そうとするわけで、本質的な変革に及ばないのである。どうもこうなると、これは日本人の弱点のひとつではないかと思うのである。


2009年9月22日

容疑者Xの献身

これがもともとはテレビドラマだったというのは知らないで観た。しかし、「容疑者Xの献身」(西谷弘監督)は立派な映画作品に仕上がっていた。というのは、テレビドラマを映画化して成功したという例をあまり見たことがなかったからである。

これは大学教授である探偵ガリレオが事件に挑む物語で、その事件というのが、死体が見るかってその捜査をしているうちに、被害者の元妻が住むアパートの隣人がガリレオの大学時代の同級生であったことがわかり、そこから二人の頭脳の戦いが始まるというもの。

この筋立てとストーリー展開がよくできていてぐいぐい引き込まれていく。まあ、言ってみればこのトリックを考えついた原作がすごいのだが、それを、トリックがばれないように、そして間延びしないように構成されていたということだ。

それと、そこに人間味を加味したことがいい。なぜ容疑者は献身したのか、その描きこみもまあまあであった。

演じた役者さんたちもよかったが、ぼくの個人的な感想を言うと、天才数学者を演じた堤真一は最後の泣き崩れるシーンは見ものなのだが、どうもしっくりこない。なぜかって、孤高の天才数学者のイメージはもっと繊細で鋭い感じなのに、あの三丁目の夕日のおっさんやクライマーズハイの新聞記者の姿がちらついてしまう。

こういう謎解き映画はわりと好きなのでおもしろかった。
 

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    • 4 ガリレオっぽくないところがいい。
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2009年9月23日

業務システムの再定義-会社は何をしているのか(2)

計画機能

前回、企業のビジネス実行機能の構造は、PDCAサイクルと意志決定プロセスの組み合わせの上に成り立っていると言いました。そこで、まずは大きなくくりでPDCを見ていきましょう。これは、会社の組織のことともいえます。ですからわかりやすいように、会社にはどんな組織があって、どんなミッションを持っているのだろうかとみていきましょう。

最初のPの計画機能です。まず会社全体の中長期計画があります。よく三カ年計画とか、中期経営計画とかいった類です。

ちょっとそれる話ですが、こういう計画は必ず立てるわけではありません。中長期計画を立てない会社もあります。その理由は、このめまぐるしく変化する環境でそんなものを立ててもしょうがないということもあると思いますが、むしろ、計画を立てた途端にそれが独り歩きしてしまい、そういう計画には必ず前提条件というものがあるのに、それが忘れ去られ、計画を守ることが目的化してしまうことを経営者が嫌うからではないでしょうか。

これはよくある話で、計画を作ったときと状況が変わっているのに、中期計画に則ってやればいいんだという思考停止を起こしてしまうのです。あのトヨタだってその失敗をしています。

ですから、中長期計画は必要に応じて立てることになります。だからといって、計画がないということはありません。必ずどこの会社も年度計画、予算は作ります。これをトップダウンでやるのか、ボトムアップでやるのかはありますが、現実的には、ボトムアップの積み上げを集計、調整してトップダウンで計画化することになります。

この機能を担うのが、経営管理室とか経営計画部とか社長室といったところでしょう。そして、ここをサポートする機能があります。この段階では、リソースの状況、あるいは法規制などの問題を検討して、その計画が実行可能なものかをチェックします。

リソースの状況というのは、ヒト・モノ・カネ、すなわち人材・設備・資金がどうなっているのかです。そうした情報を提供するのが、人事部、設備管理部、製造部、財務部になり、法規制などに対しては、法務部、品質管理部、環境管理部、コンプライアンス委員会といったようなところがこれにあたります。

さて、こうした計画機能においての意志決定プロセスはどうなのだろうか。サイモンの意志決定プロセスで見ていきましょう。

Intelligent Activity:
計画を立てるための情報収集をしますが、そこでは、前年までの実績、市況、同業他社状況、研究開発状況などを参照しながらいくつかの計画案(たとえば楽観ケース、悲観ケースといってふうに)を作成します。

Design Activity:
そうした計画案について、サポート機能からくるリソース状況などを考慮して評価します。場合によってはシミュレーションをしたり、ケーススタディなどを行います。

Choice Activity:
ここで一つの計画案を決定し承認します。そして、予算などの手当も同時に決定します。

Review Activity:
この計画に従って実行した結果は、絶えずレビューし、計画からの乖離をチェックし、場合によっては、計画の変更も行います。

こうして整理してみると、計画機能や活動を支援する情報システムはどういう姿が望ましいか、おのずとわかってくると思いますがいかがでしょうか。
 

2009年9月24日

正解主義のワナ

久しぶりの“ワナ”シリーズ(え、いつのまにかシリーズ化してたのというツッコミはなしで)。今回は、正解主義のワナといういことで、世の中では問題の答えが必ずある、あるいは答えは出すものだというが本当だろうかという話である。

学校で教えられるのは答えを出すことで、試験も答えを書かなくてはいけないのとその答えがひとつであるというのが普通である。でもこれっておかしいと思うことがありますよね。

だいいち、社会に出て仕事をするようになると、いつも正解がひとつあるという方が少ないかもしれない。全く合理的なものは無理で限定的にならざるを得ない。H・A・サイモンもこれを「限定合理性」と呼んでいる。

そうしたとき、よりよい答えを導きだすわけだから、そのプロセスが非常に大事になる。どれだけ、答えを出すために必要な知識や情報を持ち出せるか、それをより正しい基準で導出できるかということである。

ここで、このワナシリーズで「自動化のワナ」というエントリーを書いたが、それに関連して思うのは、自動化というのは、正解主義の表れではないだろうかということである。何がなんでもひとつの答えを出すという考えが自動化に向かうような気がする。だが、そう簡単に自動化できるとは思えない。


特に、「イノベーションの新時代」という本でも出てきた“個客経験の共創”というような概念では、答えはひとつではないというのがよくわかると思う。答えを創り出すようなプロセスなのである。そこには、決まりきったように処理すればいいやということはない。

だからといって、教育の問題へ持っていくのはいやなのだが、学校では教えてくれない答えを考え、創り出すプロセスの大切さを強調しておきたい。

これまた、業務システムにこじつけるのもいやなのだが、これまでの業務システムはこの正解主義で作られたシステムです。ですから、これからはそうではない“個客経験の共創”が実現できるシステムが求められているのです。ところで、くれぐれもこの個客には従業員も含まれることを忘れないように。
 

2009年9月25日

業務システムの再定義-会社は何をしているのか(3)

実行機能

前回は、PDCのPである計画機能について見ていきましたが、次はDの実行機能です。ここはマクロPDCの話ですから、事業執行ということになります。会社の規模によって、事業は複数であったり、一つしかない場合もあります。

しかし、事業を運営して行くのは基本的なところはみな一緒です。すなわち、ここでも一つ下のレベルの計画があり、その計画に従って、モノやサービスといった商材を作るか仕入れて、それらを販売して、売上を立てるということが実行機能になります。

ここでいう計画は、事業方針があって、販売計画、生産計画、調達計画などが作成されます。ここは前回の計画機能のミニ版で、事業企画室のようなところでとりまとめられます。

そして、実行の中心は、サプチェーンやデマンドチェーン、最近はバリューチェーンなんて呼ばれていますが、基本は一緒でも個々では業種により違ってきます。製造業でも生産財を製造しているのか、消費財を製造しているのかでも違います。建設、小売、サービス、商社などといった分類がさなされます。

ただいま実行プロセスが違うと言いましたが、おおかた包含できるコアプロセスは次のようなものだと考えています。販売計画-生産・調達計画-見積-契約-前受注-生産・建設・サービス・手配計画-仕入・調達・手配-生産・建設・サービス-後受注-引当-販売・出荷-検収。このそれぞれの機能(アクティビティ)をバイパスするとかして業種ごとの全体構成ができると思っています。

PDCのCの部分はどうなるのでしょうか。この事業実行の段階でのチェック機能の大事なことは、リアルタイム的に事業の状況(受注、販売、在庫など)をモニタリングすることだと考えられます。

ここでも意志決定プロセスという観点からみてみましょう。計画は会社全体のものと同様の考え方になります。実行機能のところでは非常に多くのプロセスから成っています。そこは、プロセスの階層化が行われ、最終的には単位意志決定(データ確定)というレベルに落されます。

ここは前述したようにバリューチェーンですが、この流れだけでは不十分になります。すなわち、意思決定をしていく時に必要な参照情報や判断基準をどこから得るかという問題です。

たとえば、生産設備をどれにしたらいいか判断するときとか、出荷OKの判断を下すときとかいった場合、設備保全スケジュールを知りたいだとか、ユーザ品質規格に合格しているかどうか知りたいとかいったことである。

これを、サプライチェーン(バリューチェーン)サポート機能と呼んでいるが、事業横断的に配備された機能である。上で述べた設備管理や品質管理以外にも、環境管理や輸送管理といったものがある。

最後のチェックのところでは、リアルタイム性が必要だと指摘したが、従来は技術的な制約などでここがなかなかできなかった。しかし今はITをうまく使えば可能になっている。なぜ、リアルタイム性が要るかというと、事業の舵をいつきるのかということで、今や非常に短いサイクルでやらないと負けてしまうからです。

だが、問題はBIを入れればそれができるというわけではないということです。これが今までBIが浸透しない原因であると思う。どういうことかというと、事業の動きを知るためには、業務プロセスの動きを見なければいけません。

しかもその業務プロセスは可視化されていなければいけないわけで、それができていないのにデータ分析しても、それは死体解剖をしているに過ぎず、解析が終わって原因が分かっても手の打ちようがないということになるわけです。

ここでも、こうして整理していくと情報システムに求められるものは何なのかが見えてくると思いませんか。

2009年9月26日

カムイ外伝

われわれの年代であると、白土三平、カムイと聞くと微妙に反応する。1960年台半ばくらいから少年サンデーやガロに連載された漫画である。それが、映画化された。ただ、「カムイ伝」ではなく、「カムイ外伝」である。

崔洋一監督、宮藤官九郎脚本の「カムイ外伝」を観る。ぼくと同じくらいの年頃のおじさんたち(夫婦連れはいない)と松山ケンイチのファンとおぼしき人たちが主な観客である。

それなりに期待して行った。崔洋一というより、クドカンだからである。しかし、この期待は裏切られたというしかない。前から言っているように、映画が好きだったらあまりけなすのはしない方がいいと思っているから、できたらほめたいのだがうなってしまう。どうも最近の邦画の質が落ちてきたのではと思わざるを得ない。

「カムイ外伝」だから、抜忍(ぬけにんといって、掟を破り組織を抜けた忍者のこと)の世界を描いていて、その追われる忍者と追いかける追忍との戦いが主眼になっている。

だから、ひたすら逃げるシーンが多く、”虐げられた非人の世界から自由になるために忍者になったが、また忍者の世界でその掟から自由になるために抜忍になり”というナレーションが空疎な感じになってしまっている。

じゃあ、もう忍者のアクションパフォーマンスをメインでそこの面白さを強調してもいいのだが、最新VFXで見せられるも、いかにもつくりものに見えてがっかりする。そういう意味でどこか中途半端な感じが否めない。

「カムイ伝」というとある種の“サヨクテキ”な匂いで当時の“シンサヨク”のひとたち、あるいはそのシンパに受け入れられたというイメージが強く残っているので、そこでも肩すかしをくらう。「カムイ伝」は膨大なストーリーから成り立っているので、一部を切り取っても背景がわからないからそうなっているのかもしれない。

だから、かえって「カムイ外伝」なんてタイトルをつけるからいけないのだ。「逃亡者・忍者版」でいいんじゃない。辛口批評でした。
 

2009年9月27日

日本人はどこまで減るか

少子高齢化という言葉が嫌いだ。子供を産まないことと歳をとることをなじられているようだからだ。別にそれは勝手でとやかく言われる筋合いはないと思う。そんな思いをすっきりさせてくれる本が「日本人はどこまで減るか」(古田隆彦著 幻冬舎新書)である。

そもそも、少子高齢化で人口が減るということはないと断じる。少子化で出生数が減っても子ども生まれるからそれだけでは人口は増える。高齢化で寿命が延びれば死亡者が減り、人口は増える。だから、少子高齢化で人口が減るのは、出生数が死亡数を下回ってはじめて人口が減るのである。少子高齢化でも逆になることもあるのだ。

だまされたと思うでしょうが、ただの算数だがこれが論理的というものである。その死亡数が出生数を追い越したのが2005年である。ということは、少子高齢化ではなく、少産多死化がおきていると言わなくてはいけないのだ。

それと、子供と老人の定義がもう50年も前のもので子供は15歳未満、老人は65歳以上ですから、現代の感覚では、子供は24歳以下で老人は75歳以上としたら、少子高齢化でもなんでもないことになる。

このようにこの著者にかかると見る目が変わってくる。非常に巨視的な視点でみているから面白い。目先のことだけを見ていると誤ってしまうことを教えられる。

さて、その減りだした人口は単純に少子高齢化というふうには言えないとしたら、どうしてそうなっていくのか、このまま減り続けるとどうなっていってしまうのだろうか。

著者は「人口容量」(キャリング・キャパシティ)という概念を提示する。あるキャパシティに達すると人間はその人口を自ら抑制して減少させるのだという。これは文明の程度や文化の安定度で違うのだが、人口の伸び率がキャパシティの伸び率を上回ると、生理的あるいは文化的な抑制装置が作動するという。

そうしたことが古来から繰り返されてきて、それは人口波動と呼ばれるようにある周期の波がある。歴史的に次ぎの5つの波だという。これは日本も似たようなものなのである。

1. 石器前波(紀元前4万~1万年):石刃文化を中心とする旧石器文明によって成立したが、気候の変化と捕獲技術の向上による乱獲により、600万人で限界に達した。

2. 石器後波(前1万~3500年):細石刃文化を中核とする新石器文明によって成立したが、約5000万人に達した段階で、気候の変動と文明の停滞で人口容量が飽和した。

3. 農業前波(前3500~西暦700年):初期農業を基礎に都市や国家を生みだした粗放農業文明によって成立し、2億6000万人に達したが、気候の変化で農業生産が停滞し、これに起因する民族移動で社会的混乱が拡大したため、人口容量の壁にぶつかった。

4. 農業後波(700~1500年):封建制度による大開墾や農業革命、商業都市の拡大、貨幣経済の浸透などを要素とする集約農業文明によって成立し、4億5000万人に達したが、農業技術の限界と商業と都市が生み出した流行病によって限界を迎えた。

5. 工業前波(1500~2150年):温暖化した気候に守られながら、近代合理主義精神とそれに基づく科学技術革命が作りだした近代工業文明によって成立し、なお急増を続けているが、21世紀中に食糧・資源問題、環境問題などの顕在化に伴って、80~90億程度で限界を迎えるものと予測される。

この波で見ると、現代の日本も2004年にピークの1億2800万人に達したが、以後はこの文明の限界化で減少していく。単に少子高齢化というだけで片付けられない、文明と人口とのバランスで決まってくるというのが大きな眼で見るとわかってくる。

だから、これまでの日本は西欧型科学技術を基礎にした加工貿易文明によって、人口増加の波を作ってきたがそれが限界ということなのである。

ただし、そうだからといってこのままどんどん減少して日本が絶滅してしまうという議論は乱暴すぎて、人口が減るが、一人あたりの生産性もまた上昇してくることによって、そのの生活水準も上昇し出生数も増加してくるし、だいいちこれ以上平均寿命が延びてこなくなり、結果的に人口数の反転が起こる。

この本ではその底打ちは、2087年で、人口が6700万人だという。おお、いま生まれた人たちが死ぬころになってやっと人口が増えだすのか。

もっといろいろ書きたいが長くなるのでやめるが、目からうろこ的な驚きがあった。現象を微視的にとらえると本質から外れることがある。最初に言ったように短絡的に「少子高齢化」が悪いという見方では本当のことは見えてこないし、逆に大きな目でみると、これからどういうふうにしたらいいのかもわかってくる。

そして、なにより、人間も生物であり、その生態的な、あるいは生理的なふるまいもまた他の動物に似ているのだ。だから、人間は特別で人工的に制御し、いつもバランスのとれた状態を維持し続けることができるなんてことは幻想にすぎない。

それに関係することとして、人口とは直接関係ないが、先に説明した人口波動のところで、実は気候変動という要因が多く出てきている。温暖化で文明の進展が活発になると、寒冷化で停滞して人口が減るということを繰り返しているのがわかる。

このこともいまの温暖化論争をみるにつけ、何か違和感が生じてくる。そうしたことも考えさせられる良書であると思うが、きっとこうした意見を嫌う人もいるのでそういう人は読まないでください。
 

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2009年9月28日

業務システムの再定義-会社は何をしているのか(4)

管理・統制機能

さてPとDときて最後のCになりますが、Cはそのままだと監視機能というのがいいのかもしれませんが、何か監査役みたいになるので、もう少し広く見て管理・統制機能としてみました。

ですから、どんな組織をイメージするかというと、管理会計とか固定費管理といったことを行う経理組織や労務管理とか資金管理といったリソース管理を行う人事、財務、それと監査、広報なんかも統制という意味ではそうかもしれません。

会社の事業執行の結果、ヒト・モノ・カネ・情報がきちんと生成され、また統制されているかを司る機能である。

ここは、意思決定プロセスは少なく、むしろデータや情報の管理といったことが重要となってきます。最近は、ストレージの容量が格段に大きくなってきていますので、莫大な経営データが蓄積できるようになりました。

しかし、今の状態ではそれらが埋もれてしまって取り出せない、また整理できる技術がないといったことになってはいないでしょうか。宝の持ち腐れです。そして、これからは単に数値データだけではなく、たとえば評判情報や企業サイドからの発信情報といった定量化できないものも扱う必要性が増しています。

実は、こうしたことの先駆はウエブなのであって、そういう意味でこれからの情報システムにはWeb技術の活用がカギになるかもしれません。

ところで、今までいってきたもので抜けているところがあるのがわかりましたでしょうか。

研究開発と従業員サービスがそうです。研究開発はどう考えたらいいのでしょうか。ひとつには、プロジェクトという位置づけにすることです。これまでいってきたのはルーティン化された機能を対象にしていますが、会社にはそれ以外に、テンポラリーに実施するプロジェクト業務があります。

ただこれも、事業実行が建設業やシステム開発のようにいつもプロジェクトである場合もあります。従って、研究開発はそういう位置づけでかまわないと思います。

従業員サービスというのはいかがでしょうか。これは、少し違っていますね。ただ、思うのは、従業員を顧客として定義したらどうだろうということです。そこへサービスを提供する事業だとも強引かも知れないが言えないこともないと思うのです。少なくとも、情報システムとしての見方はその方がいいように思いますがいかがでしょうか。

この管理・統制エリアでは、情報システムの役割はいかに大量のデータから有用なものを抽出できるかが重要であるといえます。
 

2009年9月29日

天国はまだ遠く

映画には、大作ではなくてあるいは鳴り物入りではなくても心にしみる佳作がある。「天国はまだ遠く」はそんな作品である。

「幸福な食卓」の瀬尾まいこの同名の原作を「夜のピクニック」の長澤雅彦が監督している。出演が、「デトロイト・メタル・シティ」の加藤ローサと漫才コンビチュートリアルの徳井義実である。なぜ、皆前置きを書いたのは、それでだいたいの映画の雰囲気がわかると思ったからである。

自殺志願の女の子がたどりついた京都天の橋立近くの民宿で自殺を図るが失敗して、それからその民宿を一人で切り盛りしている青年と交流するうちに生きる元気をもらっていくという物語である。

こう書くとどこでもありそうな物語なのですが、この手の映画の良しあしは出演している役者さんがいかに見ている人の共感をえるのか、等身大の主人公として存在感を発揮するのかにかかっている。

ただそれだけではなく、そうした人物を生かす景色であったり、周囲の人との関係であったり、エピソードやちょっとした所作などをちりばめておくことはもちろん必要である。

そうした意味で、この作品では若者のいわくありげな過去が遠まわしに語られ、近所の夫婦との交わり、そしてユーモアのあるしゃれた会話と心なごむシーンに感心させられる。

加藤ローサと徳井義実がいい。加藤ローサはぼくのお気に入りの女優さんだが、自殺志願の子にしては立ち直りが早すぎないかという批判があるにせよ、あのバタ臭い名前と顔が田舎の山奥の風景に意外と合っていることが不思議なくらいすんなりと演じていた。


徳井君もこりゃ地じゃないかと思える好演である。だが、何といってもラストで加藤ローサが駅でふっと息をかけて前髪をかきあげたときの表情がもうたまらない。
 

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2009年9月30日

業務システムの再定義-会社は何をしているのか(5)

本社機能

近頃は、持ち株会社も増え、また子会社化も進んでいる。こうしたことは、中央集権的な形態へと動いていくのだろうか。

政治の世界もよく大きな政府か小さな政府かという議論が起きるように、企業も大きな本社か小さな本社ということを考える必要がある。

すなわち政治では、中央で政策や財源を統括してバラマキをするのか、中央はできるだけ小さくして、地方に権限を委譲し、規制を緩和して民間にまかすという選択肢である。これと同じように、企業でも本社でお金も握って強く制御するのか、事業部とか工場に権限を持たせ、ある程度裁量権を持たすことである。

これはどちらがいいかというのは難しい問題であるが、たとえば、事業が比較的少ない場合には、中央集権的に、多くなると分散させるというのは一般論としては言える。また、成熟した企業でオペレーション重視だと分散でいいが、研究開発型は集権的にやった方がいいという見方もある。ソニーが失敗したのはこの例である。

結局、事業の性格だとか、人材の配置、風土などが重なり合っているので、会社ごとでベストが違うという答えでしまらない話なのだが、よく考えてみると、前提として、複数の事業が見切れないとか、専門的だからといったことがあると思うのだが、そこの見方を変えてみたらどうなのだろうか。

いま言ったことは、ビジネスプロセスが可視化できていないということでもあるのだが、もしそこが見えるようになったらどうなるのだろうか。

経営トップがそれぞれの事業の帰趨がリアルタイム的に見え、そこの状況を事業部長と共有できるようになったら、分権がいいとか集権がいいとかというようなことはどうでもよくて、共同で事業を操縦するという姿が見えてくる。

そうなると、かなり柔軟な経営・事業運営の形になり、事業の性格や事業部長の能力、戦略などをベースにそれぞれの関わり方を最適化すべく変化させていくかもしれない。
 

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