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2009年7月 アーカイブ

2009年7月 1日

オーバーシュート

古代中国の陰陽思想ではないが、物事は陰と陽すなわち対立した二面性があり、それぞれがバランスして秩序が保たれる。それが片方に大きくずれるとおかしなことになる。

なぜこんなことを言い出したのかというと、日本人は、ある対立した議論が巻き起こるとすぐにどちらか一方にどっと流れてしまうような気がするからである。

メディアのあり方も問題なのだが、個々人で深く考えることを放棄したかのように一方の論に流れる。それだけならいいが、オーバーシュートしてより過激になったりするのである。

ぼくがまだ化学会社にいた1991年に一橋大学の伊丹敬之教授が「日本の化学産業 なぜ世界に立ち遅れたのか」という本を書いたが、一般には知られなかったが、化学業界ではかなりセンセーションを巻き起こした。

内容がどうのということより、その題名からくるインパクトで、業界の人たちみんなが、ああもう自分たちの産業は終わったと思ってしまったのである。まさに、オーバーシュートしてしまった。

ごく最近の話題でも、地方分権が喧しく主張されていて、国民がいっせいにそちらにオーバーシュートしてしまいそうだが、確かに地方へ権限を委譲することは大事なのであるが、それだけすればいいというものではなく、中央集権とのバランスのなかで考えていかなくてはいけない。

もっと言えば、国家のあり方がきちんと議論された上で、そうした国家を機能させるために地方の権限はどこまで、財源はどこまでということにすべきであろう。メディアもすぐに話題性がある知事がわめいているから便乗しているが、そうした根源的な議論を忘れないようにしてほしい。

この中央集権か地方分権化という問題は今に限ったことではなく古代からのイシューである。以前このブログでも紹介した「越境の古代史」(田中史生著 ちくま新書)にも、7世紀ころ九州各地の首長が独自に大陸からの渡来人を受け入れ、王権力が及ばなくなると、それを契機に中華的・中央集権的な国家を樹立したと記してある。王朝名「日本」、王号「天皇」の誕生である。

こうして古来からこの問題は国家の構造として重要な問題で、ここでもでてきたように外交や教育、最近では環境といった問題は中央集権的にやるべきものである。

ですから、今度の選挙では、オーバーシュートすることなくバランスよく議論をしてもらいたいと思うのである。
 

2009年7月 2日

社名変更

羽生さんの会社が、「スターロジック」から「マジカジャパン」に社名変更しました。そして、社名だけではなく、業容も変わるようです。

システム開発から上流設計というか要件定義の前のところに集中するようです。ですから、マジカが中心になるので社名もそうしたようです。ジャパンと付けたのが心意気を感じますよね。

この変化は、わかるような気がします。羽生さんから直接聞いたわけではないので当たっていないかもしれませんが、ビジネス的な問題と技術的な問題の両面から、今までのやり方の限界を感じていたと思います。

ビジネス的なことで言うと、先ごろ「ギョイゾー!」を出していますがそのことに関してです。「ギョイゾー!」というのはシステム開発の効率化を目指したフレームワークですが、ぼくなんかはすごく認めているのですが、世間はまだなのかもしれません。おそらく、こうした開発の効率化という価値を経済性の観点からちゃんと評価できていないのではないでしょうか。

簡単に言えば、誰がそこにお金を出してくれるかということになります。羽生さんのところは、直接ユーザのところに行って開発するというスタイルですから、お客さん自身が、システム開発を安く仕上げられるということを実感して、それで採用しますと言ってくれなくてはいけないわけです。

その場合、フレームワークそのものがこんなつくりになっていて、こんな技術を使っていますと言っても、そこには価値を見出してくれないわけで、結果としいていいものができたのかという評価しかない。

ところがこれからは次の技術的な問題とも絡んできますが、このいいものであるかどうかは、いかに上流の要求定義が正しくされていたかにかかってきます。そこがきちんとできていないなかで開発をしても、早くできたところでもともとの要求とのギャップがあったら何もならないという結果になってしまいます。

そこで、技術な問題なのですが、ここで言う技術はITではなく、いかに顧客の抱える問題を抽出し、それをどう解決するかを定義して、共有するかという技術のことです。ここなくして、どんないい開発ツールや技法を持ってきても、“必要のないものを正しく早く作ってしまう”ことになります。

たぶん、羽生さんはこのことをまた原点に戻ってしっかりやろうじゃないかと言っているのだと思います。ここのところはぼくも何回も言っているように、ビジネスとIT、事業とITの同期のためには、要求定義技術とシステム開発技術が途切れない一貫性を保つことが重要になります。

とうことで、ぼくも両方とも大事だと思っていて、めざすところは上流の要求定義すなわちビジネスとしてやりたいことを定義するとそれが実装されるということで、それを一緒に考えながらその場でできあがりイメージを見せてあげるというやり方を志向したいと思っている。

ですから、羽生さんにはぜひ「マジカ」で定義するとそのまま「ギョイゾー!」がその業務を動かしてくれるという技法を確立してほしいと願っている。それができると、ユーザが自分の仕事を早くITを駆使して実現し、改善できることの価値を理解してくれるのではないでしょうか。

2009年7月 3日

たみおのしあわせ

これまた癒し系なのかと思っていたが、そうでもなくて、また予定調和的な世界かと思っていたが、そうでもなくて、それでいてぎらぎらしているわけでもなく、はちゃめちゃでもないというつかみどころのない映画である。岩松了監督の「たみおのしあわせ」はそんな映画である。

たみおにはオダギリジョー、その父親に原田芳雄、たみおの結婚相手が麻生久美子、原田芳雄の浮気相手が大竹しのぶ、元相手が石田えり、その大竹が寝返る原田の義理の弟に小林薫、さらにさらに変な男に忌野清志郎ときたらたまりませんね。「markのしあわせ」。

しかもですよ、あの片桐夕子が出ているらしい。出ているらしいというのは、エンドロールでこの名前をみつけて初めて出ていたことが分かって、あわててどこに出ていたのかと思いを馳せたら、もう麻生久美子の母親役しかないと勝手に思っているのである。若い人は知らないと思うが、日活ロマンポルノで一世を風靡した女優さんである。だから、裸になってくれないとわからないのだ。

それぞれが絡み合う大人の関係がなんかあり得ないように思うのだが、実は現実にも似たような話が転がっている。

つい先日、あるITの研究会で終わったあと若いアナリストとユーザ系の人と3人で呑んだのだが、どういう拍子でそういう話になったか忘れたが、その若いアナリストが変な女に絡まれたことがあるという話で盛り上がった。

その女はアナリストが関心を持ちそうな雑誌をわざと見えるところに置いているのだそうだ。その雑誌は市販されているわけではないのでわざわざ手に入れている。そして、そのアナリストの上司とも関係があるようなことをほのめかすのだという。まさに、うそで固めて仕組んでいるのである。怖かったという話である。

その時、ぼくがこりゃあ映画になるなあと言って、その女を演じられる女優は誰だろうと思案したら、すっとこりゃ麻生久美子が浮かんだ。それでそのアナリストはオダギリジョーで上司は役所広司だと言ったらウケたのである。

ところが、「たみおのしあわせ」の記事を書こうと思ったら、ありゃあ同じような配役だと気がついて一人ほくそえんだのである。ちょっと映画のこととは離れて脱線してしまったが、謎の女は麻生久美子に限るというお話である。
 

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2009年7月 4日

男には七人の敵がいる

以前「嫌いな人」というタイトルで男には敵がいるというようなことを書いたので、本屋でそのタイトルを見つけて思わず買ってしまった。

「男には七人の敵がいる」(川北義則著 PHP新書)は、敵がいてこそ人は成長するという前提で男の生き方みたいなことを語っている。著者の川北義則という人は、東京スポーツにいて、その後独立し生活経済評論家というらしい。

ほとんど知らない人ですが、これまでに書いた本が「男の品格」とか「男の器量」といったタイトルが並んでいるように、男の生き方を指南しているようである。

そしてこの本では、七人の敵というか、いろいろな関係のなかでどう対処するのかといった分け方をしている。上司/部下/同僚/妻/女/子/親の七人と自分という風にして論じている。

まあ、書いてあることは至極当たり前のことで、先人の言葉を引用して諭すスタイルである。とりわけインパクトがあるわけではなくそうですねえと読み流すことになる。

うーん、こういう本を誰が読むのだろうか。職場で敵がいて困っている人なのだろうか。家庭で対立している人なのだろうか。確かに毒にはならないだろうが、これを読んで明日から生き方を変えようという人がいるとも思えない。問題がある人はもっと目からうろこのようなことがなければ無理でしょう。

ずいぶんと辛口になってしまったが、やはり情緒的な生き方本はぼくには必要ないと思ったのである。そうですね、本を買うときはよく吟味してから買うことにしよう。

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2009年7月 5日

当世OB事情

大学の時のサッカー部のOB会が今年発足して最初の、現役-OB交流戦とその後の懇親会があった。ただし、交流戦のほうは雨でグランドコンディションが悪く中止になってしまい、懇親会だけになった。

この催しは、割と急に決まったので周知ができずOBの参加が少なかった。しかも参加したのは卒業したばかりの若手とぼくらのような超OBなのである。30代、40代の中堅のOBがぜんぜん参加していない。

まあ、名簿作成や総会などでもそのあたりの年代の反応が鈍かったので予想はされていたが、さびしい気になる。しかし、よく考えてみると自分もその年代の頃はOB会のことなんかほとんど関心もいなかったのだ。

ちょうどその年代は、会社でも家庭でも非常に大事な時期で、仕事のこと、子育てのことなどで精一杯なのである。だから、仕方ないといえば仕方ないのであるが、もう少し余裕のある生活をしてもいいと思う。

ところが、ただ忙しいからだけではない理由があると思う。この時期って、出世したやつとか、うまく行かないやつとか、何かと差がつく時なのである。だから、うまくいっているやつはそういう場に出るのは気にしないだろうが、そうでないやつは敬遠するのも人情なのである。

それが、50代あたりから、決着がついてしまうのでもうあきらめが先にきだして、あまり意識しなくなる。定年前になるともう何もなくて、その頃会っても名詞交換もしなくなる。学生時代の○○君に戻るのである。

昨日はそういうわけで息子や娘のような後輩を相手に呑んだのである。それで呑み始めたら、ぼくらの時代と呑み会(ぼくらのときはコンパといった)の様相が違うようなのである。びっくりしたのは、始まってすぐ現役の3年生全員がぼくら超OBのところに来て、ご挨拶の乾杯をしだしたのである。

でこの話を朝飯のとき、久しぶりに家に帰っていた同じ大学を卒業した下の子にしたら、それが常識なのだそうだ。おおー、実に礼儀正しいのである。超OBとしては悪い気がしない。そして、みな素直でいい子ばかりだ。呑み方もおとなしく、せいぜいビールとカクテルを呑むくらいで、昔のように一升瓶を片手になんてことはないらしい。これじゃ、呑み放題では損をする。

ところが隣でこの話を聞いていた上の子が、うちの大学ではそんなことはなかったと言うのである。学校の差なのか、歳の差(3歳離れている)なのかはあるにしても、どうもだんだん“草食系”になってきているようである。

でも、彼らも今の経済状況は深刻のようで、主に今年大学院に進んだ子たちと話したのだが、その選択がよかったかどうかわからないと言っていた。同学年で学部を卒業した子らはかろうじて不況前の採用だったからいい会社に滑り込んだが、大学院に進んだはいいが、2年後にどうなっているか不安であるというようなことを言っていた。

こうした不安をあまり抱かないですむような社会にしたいと思うが、どうしても企業の過度の新卒優遇キャリアパスが崩れないことには始まらない。雇用の流動化は喫緊の課題なのである。

さて、下の息子が久しぶりに帰ってきたのは、今日ばあちゃん(ぼくの母親)の米寿のお祝いがあるからである。子と孫がほぼ全員集まることになっているが、唯一30代の孫だけが仕事で来られないという。こういうところにも働き盛りの余裕のなさが現れるのである。
 

2009年7月 6日

オペレーション志向

ビジネス視点での業務システム構築を考えていくと、プロセス志向でもなく、どうもオペレーション志向というほうがマッチするような気がしてきた。ちょっと前までプロセス志向だと言っていたのに宗旨替えですかと言われそうだが、どうもプロセスだけでは語れないのである。

だからといって、プロセス志向を否定しているわけではなく、それだけではないということが言いたいのである。いつも言っているように、業務システムというのは、ビジネス要件を円滑にかつ効率的に処理することが大事であり、システム開発して終わりではないのです。

そう考えたとき、どんな構造のシステムがいいのか、どういった機能群で構成されているべきなのかということを自問自答してみる。

そもそも仕事のやり方はどうなんだろう、組織の活動ってどうなっているんだっけという分析から考えることになる。そこは、「サイモンの意思決定論」が非常に役に立つ。

ご存知のように「サイモンの意思決定プロセス」というのは、情報活動(Intelligence Activity)、設計活動(Design activity)、選択活動(Choice Activity)、検討活動(Review Activity)からなっていて、これを個人のレベルそして組織のレベルで実行し、それを連鎖させていくことが業務であり、それを管理するのがマネジメントなのである。

ですから、システムに求められる要件としては、「サイモンの意思決定プロセス」を動かすための情報収集のためのエンジン、プロセスフローを制御するステートエンジン、アクションを誘導してくれるルールエンジンがあって、それを一元的に操作できるコンソールが必要になるわけです。

もちろんこれらのエンジンに投入するデータが要りますから、そのためのデータベース、各種リポジトリーを用意しておくのは言うまでもありません。

これらが、プラットフォームとなります。この仕組みをBOF(Business Operation Framework)と呼ぶことにして、「プロセス」、「機能」、「データ」をコーディネートします。

この考え方は、単にBPMSだとかERPだとかいったこととはずいぶん違うように思います。これからは上述したように“サイモン場”をいかに質の高いものにしていくかがトータル業務効率の向上につながっていくのではないでしょうか。


 

2009年7月 7日

永井明の命日

今日7月7日の七夕は作家永井明の命日である。2004年になくなっているので今年で5年目になる。

以前このブログでも「最後の落語」や「七夕になると思い出すこと」で永井明のことを何回か書いたことがあって、だから毎年この日になると思いを馳せるのである。

ときどき、焼酎の牛乳割りのことだとか小田原の守谷のアンパンのことだとか、船医としての生活のことだとか、すぐそこでとつとつと話しかけられている錯覚に陥る。

永井先生は56歳で早すぎる死を迎えてしまったが、先生の歳はそこで止まっている。ぼくは、その歳をどんどん越えているわけで、なんだか離れていくような妙な気持ちになる。

下の写真は、ぼくが初めて永井先生と会ったときに、たまたま読みかけであった永井先生の作品「ぼくが医者をやめた理由つづき」を持っていて、これ読んでいるんですと言って見せたらさっとサインしてくれたのです。こんな偶然もあるんですね。そんなことも思い出した。

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2009年7月 8日

ぼくの大切なともだち

フランス映画っていいねえと思えるようなルコントの作品「ぼくの大切なともだち」を観る。なかなかいい映画であった。

物語は、もう中年にさしかかった美術商が、ある日“あなたに親友と呼べる友達はいるか?”と言われ、自分では親友だと思って接触するが、相手はまったくそうは思っていなかったことが重なり、結局親友はいないことを悟るが、どうやったら親友を作れるかに悩むのである。

そんなときタクシーの運転手の男と知り合いになり、かれの人付き合いのうまさに教えを請う展開。そのうち二人が親友に近くなてきて、しかし裏切られる展開。さてどうなったのかというストーリーである。

この設定がなかなか面白い。ぼくでもそういう状況になったらどうしようかと思ってしまう。何か困ったときに本当に助けてくれる友はいるのだろうか。この映画のように、何気なく友達を傷つけてしまったり、自分勝手に振舞ったりしてやしないかと思うのである。

さて、この映画では、タクシー運転手がクイズマニアということで、フランス版「クイズ$ミリオネア」が登場する。このクイズ番組は、もともとはイギリスのテレビ番組「フー・ウォンツ・トゥ・ビー・ア・ミリオネア」から始まって、日本でもみのもんたの司会のあれである。

インドでは「コウン・バネーガー・カロールパティ」といって、「スラムドッグ$ミリオネア」という映画でも登場した。この映画も、「スラムドッグ$ミリオネア」と同様最後の問題でのライフラインの使い方がキーポイントになるが、負けず劣らずいいシーンであった。日本でもこの番組を使った映画ができなのだろうか。

男の友情をこんな風なさばき方で映画にしてしまうというところにフランスのおしゃれがあるように感じる。ストーリー性もあり大変楽しめる映画です。
 

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2009年7月 9日

システム化再考

今比較的簡単にシステム化とかIT化という言葉を使っていますが、いったい何をもってシステム化だとかIT化というのだろうか。パソコンを使って仕事をしたら、あるいはEXCELとメールで仕事したら、システム化したことになるのだろうか。

このシステムという言葉もなんとも広く使われているが、村上春樹の言うシステムとIT関連で使っているシステムではずいぶんと違うように思う。ここでは、業務システムという場合のシステムを考えることにする。

最初に言ったように、ITを導入することが、システム化したことになると安易に言ってはいけないように思う。業務システムは、別にITがなくても昔からあったわけで、それは仕事の仕組みだとか流れ、また組織そのものがシステムであると言える。

そう見ていくと、システムにはちゃんとした定義があるのでしょうが、ぼくは「情報の受け渡しの仕組みと仕掛け」のことと定義したい。そうなるとITは必要条件ではないのであって、その仕組みと仕掛けをより効率的なものにしたいという要請に応えるものとしてITがあるという位置づけなのです。ですから、ITを入れることがシステム化することであるという考え方は本末転倒になるでしょう。

そうなると、これまでのIT化システムは“情報の受け渡しの仕組みと仕掛け”ができているのかとみると、どうも不十分なような気がします。さらに今はこれに“見える化”という側面も強調されていて、それについてもできていないのである。

まずは、この情報の受け渡し(仕掛けと見える化はちょっと置いといて)をどうやるかが問題で、これは機械同士で行うだけでなく、当然、機械と人間、人間と人間の間でも情報の受け渡しがあるわけです。そこをITでやらなければシステム化できないというのが間違いではないでしょうか。人間同士でやってもかまわないのである。

問題なのは、そこで情報の流れが途絶えてしまったり、隠れてしまうことである。すなわち、IT同士でもあるいは人間同士でも、はたまたITと人間間でもいいのですが、情報が途切れずスムーズに流れることが肝要なのである。

現実には、企業規模や業態によって、様々な組み合わせがあるわけで、ITがあまり入り込んでなくても、システム化されている企業はあるはずである。従来のシステム化はITでやれるところしか対象にしていないので、下手するとそれまでうまくいっていたコミュニケーションを阻害してしまうケースもあるような気がする。ITを導入することがシステム化であるという発想に立つとそうなってしまうのである。

ですから、システム化ということを原点に立ち返りもう一度考え直してみると、これからは人間もITも混在することを前提としたコラボレーションの場を用意しなくてはいけないのと思うのである。
 


2009年7月10日

紺屋の白袴にならないために

いま、オペレーション志向の稼動プラットフォームのためのフレームワークを開発しているが、その思想では、情報共有型のワークスペースを用意するということがポイントとなっている。このあたりはおいおい報告していくが、この考え方がそのままいまの開発プロジェクトの進め方にも当てはまる。

まあ、プロジェクトと言っても、社長(息子)とぼくの二人だから、適当にやればすむかもしれないのだが、それでもちゃんとやろうということにした。プロジェクト管理も多人数だと大変だが、少人数なら、乱暴に言えばタスクの進捗管理とコードを含めたドキュメント管理さえしっかりやっておけばいいように思う。

そこで、いま二人でやっていることを説明しようと思うのだが、どんなツールを使っているかを示したほうがわかりやすいと思う。それで、タスク管理には、バグ管理などにも使われるTracを、ドキュメント管理には、ソースコード管理に使われるバージョン管理システムの一つであるSubversionを使っている。

この両者はシームレスに連携できるので非常に使いやすい。また、Tracのチケット登録やタスクの完了などの情報やSubversionのコミット情報などが自動的にメールとGoogleトークに配信されるので、動きの早いコラボレーション可能になる。

具体的には、プロジェクトスケジュールと概念設計のところをぼくが書いてチケット登録やマイルストーンの設定をして、Subversionに設計書などをチェックインする。社長はそれに従ってフレームワーク設計をして、採用技術の調査、使用可能モジュールの探索などを行い、コードを書いてそれをSubversionに格納していきます。

ぼくは、コードを読めないので見ても分からないのですが、途中の会話や説明文を読めば何となく分かってきます。こうしておくと、お互いのタスクの進捗状況も分かるし、忘れや脱線がなくなるので、プロジェクトの管理もやりやすくなる。

たった二人だからできるのかもしれませんが、改めて、コラボレーションの有効性に気づかされます。結局、こうした仕事のやり方がこれからの主流になっていくように思う。

それは、システム開発の領域だけではなく、それ以外の一般的な業務においても同様になっていくと考えているわけで、だからこそ新しいフレームワークを開発しているのです。ですから、今のやり方を身を持って経験できることは非常に参考になっているのです。
 

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2009年7月11日

いのちの食べ方

これはオーストリア出身のニコラウス・ゲイハルター監督作品で、原題を「UNSER TAGLICH BROT/OUR DAILY BREAD」といって、われわれが日常口にする様々な食糧がどのように作られているかを追ったドキュメンタリーである。

この邦題はめずらしくよくできていて(実はそういう題名の本があるが)、まさに人間のいのちをつなぎとめるために人間以外のいのちを食んでいる現実が描かれる。対象は、野菜から肉・魚や卵も塩などでそれを実に人工的に栽培あるいは加工している情景が淡々と映しだされる。

この映画は、そうした映像をセリフもなく、ストーリーもなく、ただただ映像だけを流すという手法で、それが余計に観る側の想像力を刺激し、衝撃を与える。

ぼくだって、多少は予想がついてはいたが、あれだけ大量にそして自動車工場を思い起こさせるようなベルトコンベアで流れる豚や鶏や鮭には驚かされる。野菜にしても、どこかで催し物を行うような感じで、収穫が終わるとさっと引き上げてしまう。多量の農薬で生産量を確保するといった生産システムにも改めてびっくりする。

とはいえ、セリフも演出もないので、肯定も否定も伝わってこないなかで、観客自身が考えることになる。ぼくは、こうしたシステムをひどいとも思わないし、すばらしいとも思わない。人間が生きていくのはそんなにやさしいことでもないという思いなのである。

よく、自然との共生とかいって、動物となかよくしてとか自然を壊さないでとか言う人がいるが、ぼくには少し違和感がある。人間が生活をするということは、本来的に他の生き物を敵に回すことに他ならないのである。

さて、映画を観ながらふと捕鯨との対比を思い浮かべてしまった。この映画に登場する牛や豚・鶏と鯨とどこが違うのだろうかということである。この辺はあまり言うとナントカ原理主義者が目を三角にするからもうこれ以上言わないが、人間は残酷な動物であると再確認したのである。

ともあれ、日常の食卓を何気なく見渡したとき、映画のような作られ方を想像するのもたまには必要なのかもしれない。いつも丸裸にされた鶏を思い浮かんでいると鳥肌が立つので気をつけましょう。
 

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2009年7月12日

街場の経済学その7

世の中みわたしても、ほんとうに景気が悪いのだろうかと思う。失業した人や就職難の人は確かに深刻なのはわかる。しかしである。

以前バブルがはじけて景気が後退したとき、日本に来た外人が東京の街を歩いていて、この国のどこが景気が悪いのだと不思議に思ったと言っていた。夜に明かりは満々とし、酔っ払いがわんさかいるし、きれいな服を着て買い物をしているのはいったいどういうことだというのだ。

最近でも同様で、銀座を歩いてもそりゃあ客足が衰えたかもしれないが、みんなが、定額給付金をもらわなくてはやっていけないとは到底思えない。

では、赤字になった企業の従業員が路頭に迷うのだろうか。少なくとも、自動車メーカや家電メーカのそれこそ正規社員が大変なことになっているとも思えない。

こうした産業は裾野が広いから下請けにいけばいくほど困っているということなのだろうが、そうなら、その人たちにだけに援助の手をさし延べればいいのではないだろうか。それも一時的な救済措置としてだ。

もうよくわからない。定額給付金で呑みに行けとでも言っているのだろうか。いやあどうもそうのようだ。やめた総務大臣はうまいうなぎを食うと言っていた。要はお金が動けばいいのだろう。それをバラマキという。なにも残らないと思う。

誰かが言っていたが、本当の貧困は命がけであって、ホームレスになれるうちは貧困ではないということらしいが、だからといってほっといていいというのではなく、こういうときには一時的に底辺になってしまった人たちの底上げをするための対策だけでいいのではないかということである。

もうお金が要らない金持ちまでお金を渡し、贅沢するように促し、買わなくてもいいETCを買わせることがいいことだと絶対に思わない。

もっと、この「100年に一度の危機」の直接被害者の人たちにじかに届く援助を提供することで十分なような気がする。そして、就職を閉ざされ人は雇用問題の抜本的な改革なのだがそれはまた別の機会にする。

少なくとも、ぼくは定額給付金をもらったからといって、普段と違うものあるいは余計なものに金を使う気はないのである。
 

2009年7月13日

日本の歴史をよみなおす(全)

この経済危機もさることながら、も少し巨視的な目でみると歴史的に大きな変化の中にあるような気がしている。いろいろな価値観がいい意味でも悪い意味でも転換していくように思う。

そんな思いもあって、網野善彦の「日本の歴史をよみなおす(全)」(ちくま学芸文庫)を手にする。網野史学の面白いのは、“常識を破る”ことにある。ぼくらも含めて学校などで教えられた歴史が実は違う実相を持っていたというようなことが語られるのである。

それはもう目からうろこで驚かされる、その最たる例が、日本が農業中心の社会であったというが、実はそうではなくて、「海民」といわれる海や川を行き来する民の存在や商工業者やその他の人々から成り立った社会であったという主張であろう。

そして、さらに縄文、弥生文化の時代がいま分かっている以上に多様でダイナミックであったこと、大陸との交流が西だけではなく北からもあったこととか、古来男性社会であったと言われているが、実は女性がかなり力があったというようなことなどなど面白い話が一杯つまっていて読んでいて飽きない。

網野善彦がすごいと思うのは、最初に言ったように常識を疑う態度とそれを仮説で終わらすこと無く実証的に研究することにあると思う。それにより、常識であった農本主義を覆すものを見つけ証明していっているのである。それはいつも民衆の生きたときに自分も身をおきながら見つめていることが原動力になっているように思う。

本の中身については言いたいことは一杯あるのだが、ここからは話がそれてしまうが、この研究態度について書く。さきほど言ったように常識を疑うということは非常に重要なことで、それは何も歴史学に限った事ではなく、どんなことにも当てはまる。

逆に常識を信じるということは言い換えれば権威に従属するとでも言ったらいいと思うのだが、しょせんそういうもので、それを変えることなんかできないというあきらめを持つということに他ならない。

この本では、歴史の多様性とダイナミズムと民衆のしたたかさを見ることができるが、同時に著者の常識を疑って見る目とそれを評価するフィールドワークの大切さを学ぶことができる。

最後に、冒頭に書いた転換期のことですごいことを言っているので載せておく。

現代はまさしくその大転換期にさしかかっていると私は思うのです。現代は権力の性質というより、むしろ権威のあり方を否応なしに変化させるような転換期はいりこんでいるように思うのです。 たとえば室町期、十四、五世紀にできた村や町のあり方が、今や崩壊といっていいほど大きな変化にさしかかりつつあることは疑いないことだと思いますし、人の意識の上にも大きな変化がおこりつつあります。病気のとらえ方、動物に対する接し方の変化などに見られるように、人間と自然とのかかわり方がいまや人類的な規模で変化しつつあることのあらわれが、日本の社会にもはっきりおこっています。いちばんはじめにいいましたように、日本の社会はいま、十四世紀の転換以来の大転換期の時期にさしかかっていると考えられのです。

さて、この大転換期をどう乗り越えていきましょうか。

 

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2009年7月14日

ルールは業務オペレーションの司令塔

業務プロセスの設計をすると、プロセスと機能とデータ、それに加えてルールの関係が複雑に絡み合ってくるので混乱する。従来のような密結合でプログラム的に処理する分には、重複さえ注意すれば難しくはない。ただし、作るまではいいがその後のメンテナンス性を考えると恐ろしくなる。

いま、ここで「プロセス」「ルール」「機能」「データ」と言っているが。これがなかなか一筋縄ではいかない。簡単に使っているがちゃんと定義していない。その意味するところは、人それぞれで違うし、狭くとるか広くとるかでも大きく違ってくる。だから、きちんと定義し、構造化していかなくてはいけない。

そこでそのあたりを見ていこうと思うのだが、プロセスについてはさんざん議論をして、ここではアクティビティの粒度を定義し、それを階層化することで、2段ワークフローという概念を提示した。それによって、定型・非定型の切り分けや、コントロール&オペレーション重視という考え方も採りやすくなり、ビジネスに貢献できる形になると期待している。

一方、「データ」についてもデータベースの設計というアプローチではなく、ビジネス視点の考え方がるべきだと思っているが、これは後にして、ここでは「ルール」について議論してみましょう。

ちょっとその前に、ルールの重要性を強く感じたのでそのことについて書く。業務システムの構造は、以前から「機能とプロセスとデータ」から成っていると言ってきたが、このうちの「機能」というのが若干分かりずらいと思うので、「アクション」と言い換えたほうがいいかもしれないのでそうした表現を使うことにする。

そうすると、業務は“データを使ってアクションを起こし、それをつなげてプロセスにして、そこで新たなデータを生成させる”ことと言える。ところで、この一連の動作をどのように制御しているのだろうか。何をもって進行させているのだろうか。

それが最近、「ルール」であると思うようになったのである。ただ、このルールという言葉も範囲が広いので注意が必要であるが、その中身については次回お話しすることにして、ここでは“決めごと”くらいの感じで言っています。

データもその意味することはある決めごとで定義しますよね。例えば、「在庫」の定義もちゃんとしないと会社によって違ったりします。また、アクションはそれを誘導するためのきっかけが必要です。どういう事象があったらどういうアクションを起こすという決めごとが要ります。プロセスは、その順番や分岐させるためのルールがあります。

こうしてみていくと、プロセス、アクション(機能)、データという要素(コンポーネント)を“ルール”によってコントロールしている司令塔のようなイメージがわいてきます。これが「オペレーション志向」ということでもあります。ルールマネジメントの大切さがここにあります。
 

2009年7月15日

業務ルールとは

前回、ルールの重要性を言い、そしてルールといっても人それぞれに違った定義をしているということを話ました。今回はその業務ルールを分類して定義してみようと思います。ただ、ここで注意しなくてはいけないのが、参照情報との境界です。

ルールの前提は、意思決定に直接関与するものであると考えているので、単に参考として見る情報というのはルールではないと考えています。ですから、問題となりそうなものは、規約・契約とか予算などの計画情報でしょう。

こうした情報は確かに意思決定に拘束力を与えるように思えますが、直接的でないのでルールというより参照情報として捉えてほうがよいように思います。これは、それでなくてはいけないというわけではなく、かなり縛られるようならルールとしてもかまわないと思います。

さて、ルールというと、それこそゲームをするのにもルールがありますし、会社のルールがあってそれを破るとクビになったりします。ある世界特有の隠語みたいなものもルールかもしれません。

このように、単にルールといっても様々です。ということは、その性格に応じて少し整理してみる必要があると思います。実はそうして整理してみると、前回提示した「プロセス」「データ」「アクション」にきれいに分類できることがわかります。

すなわち、プロセス、データ、アクションのためのルールの3つに分けて考えると分かりやすいように思います。この区分けで行くと次のようになります。

1) プロセス定義のためのルール
手続きや手順のことで、例えば見積照会ルール、受入検収方法とか、注文書発行手順といったものになります。こうしたルールは、プロセスフローやアクティビティのロールといったものに反映されていきます。プロセス設計の段階で埋め込まれるものです。

2) データ定義のためのルール
データの属性を決めるためのルールで、例えば、無検査認定品とはや、棚卸区分といったように、データの性格付けをするためのルールです。これは、標準的というより各社固有のものになってきます。これらをデータ辞書という形で管理するとよいでしょう。

3) アクション定義のためのルール(オペレーションルール)
アクションを誘導するためのルールで、例えば、与信限度額を超えたら処理しないとか、基準在庫に達したら補充発注するといったように、ある閾値になったらどういうアクションを起こすかを決めることです。これは、動的でオペレーショナルなもので、しかも、実績を積みながら変更を加えていくという不断の改良が大切になります。日々進化させるルールということが言えます。

こうしたルールを設計時、及び運用時に適用して業務システムを効率的なものにすることが非常に大事で、こうした考え方はこれまであまりとられていなかったように思います。開発プロジェクトでそのときだけの一時的で静的な場面でルール適用をするだけで、使いながらシステムを成長させるという意識が乏しかったのではないでしょうか。
 

2009年7月16日

虚構としての歴史

先日、網野善彦の日本の歴史について書評で書いてみたが、そのなかでこれまで言われてきた歴史の常識が実は違うのではないかというのがあったと思う。それで、どうしてそういうことがおきるのかということを考えてみた。

歴史には、文明化してくると支配するほうと支配されるほうの2極があらわれてくる。差別とか格差も同じようにあらわれてくる。

そして、支配者は当然のように支配しやすいように社会構造も変えていくわけである。だから、日本は農本主義でという話も律令国家として中央集権的な形にするには土地を与えそれにより、民を捕捉しておくという方策が取られることになる。だから誰彼となく「百姓」として登録されるのである。

もともと「百姓」という言葉は農業を営む人だけに付けられたものではないらしい。だが日本では、それが前に言ったような土地との関係で農業従事者のように見られれるようになったのである。

ですから、何を言いたいかというと、支配者あるいは為政者の都合のいいように制度や構造がつくられるため、そしてそのことが残されていくため、時間とともに歴史となってしまうのである。支配者される側の論理はいつのまにか消されてしまい、支配者側から観た歴史だけが残っていくのではなのだろうか。

それを、さらに感じるのは歴史的建造物のことである。いま生き残っているそうした遺産はほとんどが権威のあるもので、名もない市民の家が残されることはない。その生活が記録されることも少ない。

ということは、そうした過去の記録を見て、これが歴史だと言われてもそれは支配者の側の論理でしょという思いがするのである。ユネスコの世界遺産にしても、結局お金がいっぱいあった権威が作ったものがほとんどではないでしょうか。

だからといって、中国のばかな文化大革命のようなことをしろなんてことはまったく言っているわけではなく、支配された側の歴史も同じように考えていかなくてはいけないということを言いたいのである。
 

2009年7月17日

街場の経済学その8

前回、わが国は本当に不景気なのだろうかということをかいた。そう思う理由の一つは、需要と供給のアンバランス、というよりも歪みがあるのではないでしょうか。

どういうことかというと、不景気なら消費に回すお金が無いのだから必要最低限のものだけ買っておとなしくするという風に考えるが、この国は、ぜいたくしろと言ってくる。

需要が落ち込んだのでそれを補うという。それっておかしくないですか。供給を今までと同じかあるいはそれ以上にしなくていけないなんて誰が決めたのですか。買うほうがもういいと言っているのに、いやこれだけ供給能力があるから、そこまでは買わなくてはいけないと言っているわけで、視点がおかしいように思うのである。

では逆のことを見てみましょう。消費者がほしほしいといっているのに供給してくれないということである。例えば、医療や介護である。この需給バランスがいっこうに改善しない。

国民が医療や介護を受けたいと思っても供給不足で十分なものを得られないのが現状です。しかし、そんなことは以前から見通せたはずです。少子高齢化や都市化の進行は当然予想できたはずだから、なぜそれに対応する手を打ってこなかったのだろうか。

こうした将来への不安が景気を悪化させているのは明白なのである。ぼくだって、将来が安心できないからお金を残そうとします。社会構造が変化しているのだから、政策もそれに対応していかなくてはいけないのに、従来と同じようなことしかできないでいる。

これは犯罪です。「不作為の作為」という。もうなんとかしてくれと思うのだが、政権が変わって、そして新政権が破綻してということを繰り返して、悲しいかな初めてよくなっていくような気がする。
 

2009年7月18日

ピストン堀口を知っていますか

今日は先月亡くなったおばさんの49日の法要があった。実際には35日目なのだが、どうも新盆と近接するので前倒しでやったのである。おばさんはうちのばあちゃん(ぼくの母親)のすぐ上の姉で享年93歳であった。ばあちゃんも行くというので一緒に法要に出かける。

このうちの菩提寺が茅ヶ崎にある海前寺という曹洞宗のお寺でそこで法要と納骨をして、近くの料亭で食事をして、さらに辻堂のばあちゃんの実家(この法要にも出席していたばあちゃんから見ると甥の家)へ寄って帰ってきた。

実はその海前寺というお寺はあることで有名なのである。それは、ピストン堀口の墓があることでよく知られているのである。いまの人はピストン堀口と言われても分からないだろうが、一世を風靡したボクシング選手である。

戦前から戦後にかけて活躍しているのでぼくもリアルでは知らないのだが、親父なんかがよく話していたので記憶があるのだ。デビューから47連勝という記録を残し、「拳聖」とも称された選手である。何よりもその戦闘スタイルで下がることを知らず連続してパンチを繰り出す姿が人気を博したという。そうしたことからピストン堀口という名前になったそうだ。

そのあとのぼくらの世代でいうとファイティング原田の戦いかたに似ているのかもしれない。その選手の墓がなぜ茅ヶ崎にあるのかというと、実は引退直後に東海道線の茅ヶ崎付近の線路上を酔って歩いていて電車に轢かれて死んだからである。今でも、茅ヶ崎にピストン堀口道場というボクシングジムがある。

そんなエピソードを聞きながら撮った写真を下に掲げる。墓はリングのようにロープの代わりに鎖がつながれ、墓銘碑には「「拳闘こそ我が命」と刻まれていた。
 
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2009年7月19日

わが教え子、ヒトラー

ヒトラーを描いた映画はいくつかあるが、これは喜劇である。もうドイツ敗戦が濃厚な時期に、ヒトラーへ演説の手ほどきをするユダヤ人の演劇教授との5日間を描いたものである。「わが教え子、ヒトラー」は監督もユダヤ人のダニー・レヴィの作品である。

この頃のヒトラーは精神的にも追い詰められていたらしく、そんな姿をさらけ出させて、独裁者も所詮弱い人間であると描く。監督はユダヤ人だから、憎悪がないわけがないのだが、わざとそうした滑稽さを出すことで、直接的な糾弾よりもっと、憎しみをぶつけているように思う。

下から突き上げるのではなく、乗り越えて高みから見下ろすことで、笑いも出せるし、より強く訴えてくる。ずいぶんと面白い視点の映画で評価にとまどってしまう。

しかし、だからといってふざけたものでは決してないのであって、収容所から出されて、ヒトラーの身近に連れてこられ、二人だけの機会を与えられたユダヤ人が同胞のために暗殺も図ろうと思えばできる状況にどう対応するのかという選択や、家族の救いなどシビアな問題提起もあり、シリアスなストーリーでもあるのだ。

まあ最後は予想外の展開になるのでそれはいえないが、このユダヤ人の演劇教授を演じたのが、「善き人のためのソナタ」のウルリッヒ・ミューエで、今回もすばらしい演技で観客を魅了してくれる。
 

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2009年7月20日

企業IT力向上研究会

昨年から約1年間、ITRの「企業IT力向上研究会」に参加していて、先週その成果発表会がありました。この研究会の目的は、「企業が実行可能なプラクティスの調査・研究と成果の共有・実践によって競争力向上に貢献すること」とうたっていて、7つの分科会で議論してきました。

この7つというのは、「IT戦略立案方法論」、「ITマネジメント力向上」、「ユーザ/ベンダー関係強化」、「IT人材力向上」、「企業ITアーキテクチャ策定手法」、「情報セキュリティ対応力向上」、「Web2.0技術企業活用」というものです。

ぼくは、最後の「Web2.0技術企業活用」に参加しました。ここでは文字通りWeb2.0技術(去年まではこの言葉も通用していましたが、最近ではすっかり影を潜めているが)を企業のなかにどう適用していくのかということについてずっと議論したわけです。

最初は10人くらいいたメンバーも徐々に減ってきて最後は4人になってしまいました。それでもかなり突っ込んだ議論ができ楽しい1年でした。こうした研究会だと最初の具体的なテーマや成果物の設定がなかなか難しく時間がかかってしまいます。本部会でも当初はどうしても社内SNSとかブログといった切り口、あるいはAjaxなどの技術からの切り込みといったことが遡上に上がったのですが、成功例や定着度みたいな壁があって、最後はやはり業務システムとの関係での提案となりました。

他の部会ではかなり立派な成果を発表していたところもあり、参考になりました。ただどこも押しなべてメンバーの減少については異口同音に何とかしたいという意見でした。会社の業務として参加していないと、そうしても現状の仕事優先にならざるを得ないというふうになって自然と足が遠のいてしまうようです。

これで第1期が終わったので、次に第2期に入っていきます。基本的には今の分科会を継続していきますが、一部名称を変えたり、テーマの絞込みがあるようです。近々に新規加入を募りますので、興味のある方は是非参加してみてください。参考にITRの内山さんのITmediaエグゼクティブの記事を載せておきます。
 


2009年7月21日

ビジネスルールマネジメント

またまたルールの話です。前回は3種類のルールいついて書きましたが、その中にアクション誘導型のルールがあったと思いますが、それがいわゆるBRM(Business Rule Management)のことで、そのことについて少し考えてみましょう。

ただ、BRMというとルールベースで考えるものとデシジョンサービスという風に考えるものがあります。デシジョンサービスというのはデシジョンプロセスをカプセル化するもので、これだと一概にアクション誘導型だけではありません。プロセス定義型もあるということです。

ここでデシジョンサービスというのがちょっとひっかかるので、デシジョンサポートサービスのほうがいいと思うのですが。なぜかというと決定状況がブラックボックス化してそれを自動的に動かされるとちょっと恐い感じがします。ここはそれまでにしておきます。

ところでこのBRMということについては日本ではあまり活発な議論がありません。少なくともBPMよりは少なく、むしろBPMの付属機能のような扱いを受けています。

しかし、BPMという観点からではなく、業務システム全体のあり方を見ていくとBRMの重要さが浮き彫りになてきます。それは繰り返し申し上げているオペレーション志向を実践しようとすると感じることでもあります。

さて、BRMサイドからみたビジネスルールはどんなものがあるのかというと、BRMの草分けであるブレイズコンサルティングの定義は、大きくは、概念ルールと事実ルールとそしていわゆるルールというのがあって、そのルールには、制約、ガイド、アクション、数値、推論という5つのルールがあると言っています。

この中で、前回分類したような形で分けると、概念、事実、数値がデータ定義のためのルールとなり、その他がアクション定義のためのルールになると考えています。

すなわち、アクション、ガイド、制約、推論のいずれも対象となる値や事象が設定した水準になった時にどういうアクションを起こすかを決めることであり、その対象が制約であったり、それを導き出すのが推論だったり、またそのアクションがガイドの場合や次アクションの開始であったりということなので、厳密に分ける必要はないのではないでしょうか。

問題は、このルールをどういう形で活用するかになります。このあたりについては次回に議論します。

2009年7月22日

ルールの活用のしかた

ルールマネジメントというが、具体的にどうやっていくのだろうか。それもルールの種類によって違ってくるが、そこのところを考えてみましょう。

プロセス定義のためのルールは、フローの順番や分岐の種類や条件、あるいは承認のしかたのようなロールに関するものです。これらは、おわかりのようにプロセス設計の時点で考慮される事項である。ですから、オペレーション以前の設計で反映されてくることになります。

データ定義のためのルールというのも同様にデータを定義する段階で最初のメタデータレベルでの決め事になります。その語の意味するところを一義的に表現しておくことです。簡単なところでは、会社名の表現は(株)は認めないとか、製造途中の製品を半製品と呼ぶといった類になります。

また、計算ルールみたいなものも含まれてきます。窓口1次回答率の計算式はこうであるとか、合計とは何と何を足したものであるといったものです。こうしたルールはデータ辞書といった形で整理しておくとよいと思うし、できたら管理システムのなかでデータクレンジングの仕掛けをもって統合的に管理するのが望ましい。

さて、アクション定義のためのルールですが、これらは前の静的な二つとは違って動的な要素を持ったルールになります。従って、オペレーションルールとも呼んでもかまいません。日々の運用の局面において使うことになります。

何か意思決定の要求がきたときそれを判断する場合に使うルールであり、判断のきっかけとなる事象やデータを測定し、それが規定の値や制約に達しているかどうか見て、それに達していたら、次にどういうアクションを起こすかを示すことです。

分かりやすい例だと、引合いがきたが与信限度額に引っかかったら取引できないというようなことがそうです。ですから、ここではそのロジックの管理とともにバリューそのものの管理もしていかなくてはいけない。ルールリポジトリーとルールエンジンが必要なのです。

さらに、大事な事は、こうしたルールは一旦決めたらそのままということではなく、常に変化するということを忘れないことです。それは、相手が変わるとか、状況が変わるとかといった受動的な変化もあるが、もう一方で戦略的・戦術的に変えていくこともあるということです。

上の簡単な例を引き継いで言うと、与信限度額というのはリスクとリターンのバランスを設定していることに他ならないから、それを変えることによって、信用には欠けるがコストが安いオファーを採用するのか、あくまでリスク回避するために付き合いの長い信頼のある会社とだけ取引をするのかといったことになる。

こうした判断は、商品によっても違うし、時期によっても違ってきます。また、実績を重ねるごとにそのデータを解析して、より良いルール設定も可能になるのです。成長するあるいは進化するルールつくりが重要になるのです。

再三言っているように、ここが競争優位を生み出し、差別化できるところなのです。
 

2009年7月23日

劔岳 点の記

この映画は、とてもすばらしかったが、とてもがっかりした。新田次郎の同名小説の映画化で、立山連峰の剱岳の山頂に三角点を設置するために派遣された陸軍測量部の苦労を描いたものである。

監督が、黒沢明にカメラマンとして仕えた木村大作で悲願の監督作品である。出身がカメラマンだからその映像美はすばらしく圧倒される。しかも、スタッフ・キャストも実際に山に登っての撮影だから迫力も満点である。

出演の浅野忠信、香川照之、松田龍平らの迫真の演技は見ごたえがあり、また大変苦労しただろうなと思わせる。実際にも何時間もかけて登ってやっとワンカット撮れたというようなことがあったようだ。

だから、誰もなしえなかった映画を作ったみたいなすごい評価されるかもしれない。しかしである。正直その割には感動が薄いのだ。

ぼくは、以前山登りをしていたので登山というものの厳しさ(あの大雪山行で冷たい雨に打たれてえらい目に遭ったこともある)やすばらしさを知っているつもりだが、この映画は登山の映画ではないのであるから、それを描くことにあるのではなかったはずだ。

よしんばそうであったとしても、最後にあんなに簡単に登頂できてしまうのは何ともいただけない。行く手を拒む非常に難しい山で、入り口さえも見つからないと言っているくせにぼくでも軽く登れそうな感じで行ってしまった。一瞬の間を見つけて登るしかないと言っておきながら、その一瞬をどう見つけたかが描かれていないのだ。

これは単なる登山ではないということは、地図を完成させるために三角点を設置することに賭けた男たちの物語なのでしょう。そういう視点で語ってほしかったのだ。たとえば、4等三角点だから「点の記」にも載らなかったわけだから、なぜ3等三角点をあきらめたのか、その悔しさはいかばかりだったのかというようなことだ。そうしたことさらっと流しているのだ。

厳しい言い方になるが、カメラマン木村大介はすばらしい仕事したが、監督・演出家として木村大介はイマイチであったということ。ただし、その映像の美しさは一見に値するので映画館に足を運んでみてください。

映画の後は、恒例の下の息子との呑み会。門前仲町の「魚三」ではら一杯魚介類を食べて呑む。この子は、うに、白子、ほたて、えんがわ、とろといった高級品が好きでそれ腹一杯食べたいといつも言っている。もしこれらを普通の店でまとも頼んだら大変なことになる。

その点「魚三」は安くていっぱい食べられるのだ。ただし、入るのに並んで待つのと座ってからも店のおねえさんのペースに合わせなくてはいけないという条件を受け入れることが必要だ。まあ、二人で十分堪能していつものように銀座の「M」でハイボールで締め。息子はまたいつものように、ママに次の日の朝ごはんをもらっていた。

2009年7月24日

2011年 新聞・テレビ消滅

何ともセンセーショナルなタイトルである。「2011年 新聞・テレビ消滅」(佐々木俊尚著文新書)を読む。ぼくも同じようなことを言っているから別に驚きはしないのだが、こうして本になってくるとホントだろうかと思ってしまう。

要するにアメリカで起こったことは3年後に日本で必ず起こるということから、2008年にアメリカでは新聞・テレビが崩壊したから、その3年後の2011年に日本でもそうした現象が起こるというわけである。

しかも2011年の日本では、情報通信法の施行と地デジ化がそれに追撃ちをかけるというものである。これまでさんざん君臨してきたマスメディアがついに崩壊するのだという。

ご存知のように日本の新聞社とテレビ局はインターネットという怪物の登場に全く対応できていない。新聞の購読者数の減少、テレビ離れ、広告のネット移行が現にすごい勢いで進行しているに手を打てないでいる。これは、旧態依然とした経営体質という面も大いにあるのだが、いま起きているマスメディアの衰退はそれが原因ではないと著者は断言する。

それらについてはいろいろ書いてあるので本を読むといいのだが、ぼくが面白いと思ったエピソードをひとつピックアップしてみた。多くのマスメディアはグーグルを敵だと思っているが、はたしてそうだろかという話で、マスメディアはグーグルに収益を奪われていると考えているが、じゃあもしグーグルが存在しなかったら、そこで生まれたはずの利益はマスメディアに取り戻されるのだろうか?

グーグルの集客力を自前でできるわけがないから、両者は依存関係を築いているのだ。それについてグーグルの幹部がアメリカの公聴会で新聞社の批判にこう答えたという。

グーグルニュースとグーグルの検索は毎月十億回以上もクリックされ、読者を新聞社のサイトに誘導している。私たちはそういうサービスを無償で提供している

こう言われたらおのずと勝負は決まっている。

さて、この本では、メディアのプラットフォームかということに関し、「コンテンツ」「コンテナ」「コンベアー」という3つの階層について盛んに言及している。従来のメスメディアはこれらを全部も持っていたのだ。すなわち、新聞で言えば、コンテンツ=新聞記事、コンテナ=新聞紙面、コンベアー=販売店である。テレビだと、コンテンツ=番組、コンテナ=テレビ、コンベアー=地上波、衛星放送、CATVというわけだ。

ところが、このコンテナとコンベアーのところがばらばらに分解されてきているのだ。そして、今はそこを握ったものがメディアを制することになってきた。

ここが既成のマスメディアが置いてきぼりを食らっているわけで、だからといってもはやそこを奪還できないから、もうコンテンツで生きるとか、なんか今までとは全くちがったモデルを作らないとやはり消滅するのは間違いないのである。

だんだん恐ろしくなってくるが、逆に言うとベンチャーにとってはチャンスである。そんなことを思っていたら、待てよこれって日本のIT業界も同じではないかと思ったのである。特にSIビジネスのところのモデルが変化していく中で相変わらずコンテンツもプラットフォームを提供できないベンダーの行く末はどうなるのだろうか。
 

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2009年7月25日

ListPod

うちの社長(息子)が提供しているサービスのひとつ「ListPod」がリニューアルされました。サービス自体は昨年からリリースしているのですが、ここへきてグレードアップしました。

http://listpod.tv/

ListPodというのは、YouTube 動画のオンライン Podcast 作成サービスで、ユーザーはお気に入りの YouTube 動画 をマイリストとして登録。 それらを Podcast として iTunes などのソフトウェアで読み込ませ iPhone、iPod といったモバイル端末で再生することができるものです。

いまユーザ数が5,600くらいで、このバージョンでは、ブラウザの言語設定が日本語以外だとメニュー等が英語表記されるように、 ローカライズしたので、海外のユーザーも増えることを期待しています。

OpenID によるログイン方式を使用しているので、すぐに登録されますし、使い方も簡単で、分からなかったらチュートリアルのようなものもついています。

自分好きな動画をもち歩いて、好きな時にそれを見る生活をしてみませんか。
 

2009年7月26日

マニフェストの前に

もうすぐ各政党からマニフェストが出てくるそうだが、これがどこの政党の候補者に投票するのかの大きな判断基準になる。最近のこうした傾向は良いことで昔はたいした政見も聞かないで投票したものだ。

このマニフェストはこれから政権をとったらどんな政策を実行してくれるかの目安になるから重要なのだが、その前にそのマニフェストを作る前提となった現状認識を明らかにしてほしいと思う。

いまの状況は何がどうなっていてそれがよくないからこう是正するんだという議論である。単にこれからどうすると言われても現状の問題点がクリアになっているのか、あるいはその認識がずれていないかを評価すべきだということである。

実は、ここが各政党ばらばらである。自民党は現状肯定というバイアスがかかるし、野党はその反対である。しかし、これから政権交代だとかいっているのだから、共産党じゃあるまいし、いまの状況を全くひっくり返すということでないはずだ。ということは、トレードオフの世界である。これをやめてこれをやるという選別のことである。

だから、現状に対する構造的な切り込みと評価がほしい。例えば、年金、医療・介護、少子化、地方分権、教育、経済、産業構造、環境、外交などなど、この日本という国がいまどういう状態でどこに問題があるのか、歴史的な経緯も含めて語ってくれ。

それによって、この政党はどういう問題意識を持っているのか、ひょっとしたらそれがマニフェストになってしまうかもしれない。もちろんそれを情緒的に語ってもらっても困るのだ。データを基に科学的に論理的に考察しなければいけない。

例えば、民主党のよく分からない子ども手当てだとか高校教育の無料化だとかいっているが、それはどういう現状認識から出ているのか。子どもが少なくなったから困ったじゃないだろう。結婚したくない人の税金をそこに回すわけでちゃんとそこのところを説明してくれないと結婚したくない人は頭にきますよね。

それよりも何よりも、少子化で何が困るか言ってくれ。これを考えるとこの国の経済のあり方、簡単に言えばどのくらいの人口でどんな国にしたいのかが問われるのだ。

だって、資本主義はやめてみんな同じような暮らしでちまちま生きて生きましょうよと言ってる人だったら少子化は歓迎でしょう。CO2削減なんて何もしなくても達成できてしまうでしょう。

そして、もうひとつマニフェストについて、この間テレビで佐々木毅学習院大学教授が言っていたのが「ストーリー性」を持たせてくれということでこれはすごく重要なことだとぼくも強く思う。

スローガンの羅列で、脈絡のないものを並べてもらっても困る。お互いの宣言がちゃんと連携、絡み合っていて全体ストーリーが構成されているといことである。なぜかっって、それはとりもなおさず、この国のあり方を語るものになるはずだからである。
 

2009年7月27日

ジェリーフィッシュ

この作品は、2007年カンヌ国際映画祭最優秀新人監督賞を受賞した映画である。イスラエル映画で、テルアビブを舞台に繰り広げられる三人の女性を追ったドラマである。

ジェリーフィッシュというのは、英語であの海に浮かぶ「クラゲ」のことだそうだ。ここに登場する三人の女性もまた現実世界の中に漂う存在として描かれる。結婚式場に勤めるウエートレス、その結婚式場で式を挙げたばかりの新婚の女性、現地語もろくに話せないホームヘルパーのフィリピン女性がその三人の女性である。

三者の日常の生活やエピソードが並行的に語られるが、実は難解でよく分からない。説明的でないので、わりと寡黙なシーンが続き、会話も観念的で理解が難しいのだ。正直言って退屈してしまった。

この作品がカンヌで賞をとれるのだということで思い出したのが、日本の河瀬直美監督のことだ。引き合いに出して恐縮なのだが、河瀬監督は、「萌の朱雀」でカメラドール(新人監督賞)を「殯の森」で審査員特別賞を受賞しているが、ぼくには受賞に値するとは思わなかったからである。

ぼくの勝手な推察だが、どうもカンヌの審査員は観念的で難解な作品を推す傾向があるように思う。どうだ普通のやつにはわからないだろう、こういった芸術性の高いものはおれたちだから評価できるんだと言っているようだ。まあ、少なくともこの手の作品が好まれるようだ。

かくいうぼくも若いときは気取ってわけの分からない作品をさも理解しているような顔で観たものだ。いまはそうした想像力もなくなってきて、わかいやすくてあったかい映画が一番だ。
 

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2009年7月28日

全体があってこそ部分だ

しばらくルールの話が続いたので、ここらで一旦“鳥の眼”でながめてみる。

EAとかSOAとか全体をあらわす言葉があるが、それらはかなり上流のところについてのことであって、どうも業務システムのようにもう一段下がったとこについて体系化したような言葉をあまり聞かない。業務システムについての全体感が分かるものがあるのかということである。

それはERPがあるじゃんと言われるかもしれないがはたしてそうなのだろうか。ぼくは、まだ一部のことでしかないと思う。ERPで業務システム全体を表しているとは到底思えない。

一方で、CRMやSFA、BPMやワークフロー、EAIやESB、データウエアハウスやBIというふうに部分的な適用ソリューションがある。そして、そこだけ議論して導入したりする。そういった導入の仕方で本当にいいのだろうか。木を見て森を見ない状態になるのではないでしょうか。

そうなると全体図を書かなくてはいけない。ところが問題はそれを書くときパッケージやシステム名をつなげて全体にしがちである。最近はSOAがかなり浸透してきているから、サービスをつないでみたいなことを言って悦に入ることになる。

こういうところでもシステム視点になってしまっている。会社全体の事業の構造はどうなっているのか、組織は、どういう業務プロセスが走っているのかといったアプローチが必要になる。毎度言うように会社があるいは組織が有機的に効率的に機能させるためにITがあるのだから、まずはITを考えない事業・業務・組織構造を組み立てて、それにかぶさるようにITを配置することが大切である。

それを、はいCRMを入れましょう、BIで経営分析しましょうと言ったところで周りの仕組みや、基になるシステムがちゃんとできていないのにそんなものを入れても効果が上がらないのである。

だから、繰り返すが、全体図を書いてどこを優先的にIT化すべきか、それをどうIT、非IT関係なしに連携させていくかという考え方が必要なのである。その全体図は部分的なソリューションを提供するパッケージベンダーやツール屋は描いてくれません。

そして本来それができるはずのSIerも自分たちの商品を売ることだけしか考えないので、結局ユーザ自身がそこをやらなくてはいけないのである。それがEAでもあるのですが、業務システムの構造までなかなか具体化されないのが現状ではないでしょうか。
 

2009年7月29日

研究会始まる

昨日おとといと続けて新しい研究会がスタートした。両方とも呼び方は違うけれど、基本的にはみなが集まってあるテーマで議論して何か出てきたらいいなあという感じである。

おとといは、「SCOR-BPM&SOA要求開発手順構築コンソーシアム」という少々長い名前の研究会で、主催はSCC(Supply Chain Council)で、戦略的な領域とデータマネジメント、システム企画・設計というチームに別れ議論することになった。

ぼくの理解では、SCORというのは上流の業務のリファレンスモデルであるが、それをベースにシステムに落としていくときに、BPM&SOAというアーキテクチャを活用して実現するにはどういう要件があるのかを探るということと思っている。

ただし、あまり最初からSCORを意識すると視野が狭くなるので一般論的なところから議論したらいいと思う。ぼくは、システム企画・設計というチームに入ったので、そこでもユーザがシステムを使って業務運用をしたとき、必要となる戦略的な指針やルール、あるいはデータ項目は何かという観点で見ていこうという提案をした。

もうひとつの研究会は、以前「BPP(Business Process Pattern)研究会」というのを主宰して先月終わったのだが、メンバーからさらに続けていきたという声が上がったので、少し形を変えて、かつ新規メンバーも加えてスタートした。

だから、ここは若い人にコーディネートをしてもらって進めることになり、名前を「業務プロセス勉強会」というふうなった。この会は、30歳前後の若いひとたちが中心でそういう意味ではぼくは異質であるが気持ちが若いから(笑)まあいっか。

昨日は、SAPが出している「BPM Technology Taxonomy」というホワイトペーパーの読み合わせをしながら議論して、そのあとどんな勉強会にしようかという話合いを行う。まあ、勉強会といっても講義方式ではなくディスカッション主体でやろうということになり、毎回誰かが業務プロセスに関する話題提供をして、それについて議論するようにした。

いずれにしろ、最初のコンソーシアムにも若い人も参加しているので、既成概念にとらわれない若者らしい意見をどんどん出してもらい刺激をもらいたい。こういうところから少しずつでもいいから変化がおきたらいいと思う。

@eacon

うちの社長(息子)の作ったサービスがマイコミジャーナルの記事になった。このサービスは、Twitterで自分部屋のエアコンの設定温度をつぶやくと、それが集計されて、平均設定温度などが分かる仕掛けだ。

最初にこんなの作ったけどどうと言われて、何これって思ったが、すぐになんじゃこれ面白れーとなった。単純なんだけど、なんていうか”つながり感”がありますよね。2チャンネルなんかのスレッドなんかとは全然違った情報共有ですね。

それと、こういうのってマーケティングに使えそうな気がする。Twitterの利用者がどんどん増えてくるとユーザがどういう反応なのかが即座に分かるし、ちょっとしたコメントも聞けるので、単なるアンケートなんかとは格段に違う情報が得られるはずだ。

第二段として「teletter」というのがもうすぐリリースされると思うが、これは今見ているテレビ番組のことについてつぶやいてもらうわけだ。これなんか、これまでのような実態がつかめてないと思われるモニタによる視聴率調査とはぜんぜん違った結果が出てくるかもしれない。

こんなことで、マスメディアの”すね”を蹴っていくと崩れおちていくのかもしれない。
 

2009年7月30日

ディア・ドクター

「ゆれる」に続いての西川美和監督作品「ディア・ドクター」を観る。さすが西川監督というような作品ですばらしいできばえだと思う。いま「ゆれる」の時のこのブログでの評を読み返してみて、また同じことを書くことになるなあと思ってしまった。

物語は、老人ばかりの過疎の村の診療所に働く医師を中心にそこで一緒になる若い研修医、そして看護士、そして患者たちのふれあいと、その医師の隠された実態、突然の失踪といった展開である。

映画はそこを医師が失踪したところから始まる。そしてその医師がシセモノであったことから刑事が捜査に入り、聞き込みをするたびに過去が暴かれていくシーンをダブらせてその村で起こったことが映しだされる。

この手法は別段目新しい手法ではなく、「ゆれる」も似たようなところがあるが、人間の深層にある多面性やゆれを徐々にあぶりだすには効果的である。そして、騙す方、騙される方が微妙に変化していく様をみていると、観ている側も自分はどこにいるのだろうかと考えさせられてしまう。

こうしたシチュエーション設定やストーリー性は見事でやはり自身で原作・脚本を書いているというのが利いているように思える。西川監督はことしの上半期の直木賞候補にもなったようにしっかりと小説をかけるので、そういう力が映画に表れている。

出演者たちもみな生き生きとして好演している。医師役の鶴瓶、研修医の瑛太、看護士の余貴美子、そして香川照之、笹野高志等々、さらに良かったのは刑事役の松重豊と岩松了に二人で、だんだんニセ医者を分かってくるようになる心の動きみたいなものをうまく演じていた。

香川照之が聴取されているとき、なぜ医師免許もないのに成りすましていたのか、それは愛ですかという刑事に問われて、いきなり座っている椅子を後ろに倒したとき、大丈夫かと駆け寄ってきた松重豊にむかって、いま刑事さんは愛で私に声かけたのですか、そうじゃないでしょみたいなやり取りは秀逸であった。
 

2009年7月31日

仕事するのにオフィスはいらない

続けて佐々木俊尚さんの著作「仕事するのにオフィスはいらない」(光文社新書)を読む。インターネットの出現により働き方も変化してきていて、必ずしも会社へ行かなくても仕事はできるという話である。

これは、既成の会社にいながら自宅で仕事をするというような単に場所の問題ではなくて、会社という組織からフリーとなったひとたちのことである。著者はこういう人たちを、副題にもあるように「ノマド」と呼んでいる。

「ノマド」というのは簡単に言えば「遊牧民」のことで、そうしたラクダに乗ってオアシスを渡り歩く姿を重ねて、カフェだとか外の場所を移動しながら仕事をしている人たちを指している。

特に、今日のこの不況下では経済のあり方、会社のあり方、そしてそこで働く人々の生活を著しく変えていく可能性がある。終身雇用を保証され、会社に行きさえすれば給料はもらえた時代は終わりを告げ、その人個人がもたらす価値を評価せざるを得なくなってくる。

それは、どこの会社にいるからということではなく、社内、社外を問わずプロジェクトごとに必要な人材を集めるような形の仕事が増えてくるように思う。

こうした「ノマドワーキング」を佐々木さんは勧めている。そのために必要な態度とかツールなどを紹介してくれる。

主なものとしてまずは、セルフコントロールが大事であると言っている。本では「アテンションコントロール」と言っているが、要するに一人だから何をやってもいいわけで、その時つい易きに流れてネットサーフィンしたりしてしまうのをきちんとコントロールしなさいということである。

ツールということでは、クラウドの登場が大きい。これによりどこでもオフィスにいるのと同じような環境が得られるのである。佐々木さん自身もノマド的な仕事のやり方をしているのですが、かれのバッグの中身は、ノートパソコン本体、通信カード、ケータイ、財布、読書中の書籍1冊、自宅のカギなのだそうだ。

ノートとペンは持たないで全部クラウド上で処理している。グーグルの技術者なんては、iフォンだけ持って出かけるそうだ。こうした技術やデバイスの進化はすごいものだ。それがこうしたワークスタイルを可能にしている。

人々はこのような状況は疎外とか孤立とか思い描きがちであるがそれは逆である。なぜかはこの本の最後の文章を読んでください。

おそらくそのようなノマド時代においては、外出しているときの方が、家族や仲間とのつながりを強く感じるようになり、結果として、ITのシステムが実現するノマドワークスタイルが。人々のつながりを以前よりも緊密にしていくようになります。ネットが人を孤独にするというのは、間違いだということがやっとわかってもらえるようになるわけです。 物理空間によって人々が強くつながり、しかもそこには圧政もなく隷従もなく、個人が自由裁量によってフリーランスとして働く-そんなノマド時代が、これから幕を開けるのです。
 

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