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2009年5月 アーカイブ

2009年5月 1日

同窓会

最近、同窓会づいているからというわけではないが、永作博美が出ているからという理由だけで、「同窓会」を観る。監督はサタケミキオで主演は宅間孝行なのだが、この二人は同一人物である。

わが永作博美だから期待して観たが、がっかり。映画の最初に「勘違いは人生最高の悲劇であり喜劇である」と出る。同じ言葉をこの映画監督に贈りたくなった。

ぼくは、基本的に事前知識なしで映画を観ることにしている。まあキャッチコピーぐらいは頭に入ることもあるが、あまり先入観をもって観るのはやめようと思っている。だから、喜劇か、悲劇かもわからないので、作品を観ながら少しずつ、ああこういう映画なのだとか感じてくる。

ところがである。この映画はひどいくらいわけのわからない展開なのである。ハートフルな物語なのか、ドタバタなのか、センチメンタルなのか、そして、エンディングのくだらなさというか、説得力のまったくない勘違いが登場し、あっけにとられる。おいおい、そんな勘違いがずっと続くわけがないだろうと思える陳腐な設定なのである。

しかも、高校生時代の追憶がやたら頻繁に出てきて行ったり来たりで忙しいこと。俳優さんたちが一生懸命演じても構成がまずいので空回りしている感じになってしまう。永作博美もすごく頑張っているがかわいそうだ。

要するに、映画をなめているのである。こんな安易な作り方はやめて、もっとちゃんと作らなければいけない。サタケミキオという監督は舞台で活躍しているそうだが、映画と舞台はぜんぜん違うのであって、お仲間同士でふざけあっても成り立つ舞台とは違うことを理解しなくてはいけない。

この舞台と映画の違いの象徴的なものとして、料金があると思う。映画は1800円でぼくなんか1000円である。それに比べて、舞台は5000円以下というのは少なく10000円くらいのものもある。

ということは何を意味しているかというと、映画は気楽にいくし、つまらなかったらしょうがないという冷めたスタンスがとれるが、舞台は大枚はたくわけだから楽しまないと損するので、自分にとっておもしろいものを限定的に観に行く傾向が強くなる。

従って、そこには送り手側と受けて側双方である種のシンパシーが働くのはやむを得ないのである。きつい言い方だと甘くなるような気がする。全部がそうだといっているわけではないが、比較としてそうなるのではないでしょうか。

ということで、話はそれてしまったが、これだけけなした映画は珍しい。ちょっと、厭な気分である。
 

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2009年5月 2日

何も起こらないことの大切さ

こういう時代になると、なぜかいつも何かが起きているように錯覚する。ところが、世の中何も起こらないほうがはるかに多いのである。自分の身の回りにしても事件がおきているわけではない。それなのにいつも事件がおきていているように思うのである。

そして、何かしてないと取り残されるような気にさせられる。だから、焦ってしまう。

これは、メディアの影響が大きいと思う。彼らは、何かがおきないと商売にならないので、煽ることもするし、場合によっては捏造にちかいことをする。そんな企みに現代人は乗っかってしまっていないだろうか。

くさなぎクンの問題や豚ウィルスの問題(こういう問題は騒いでいいのだが)でもメディアは嬉々として報道している。ぼくだって、お祭りがあったり、何か大きなイベントがあったり、トラブルや事件があるとテンションが上がってやけに張り切ってしまったりする。だから、多少のことはしかたないとしても、人間は元来そういうものであるということを意識して、冷静になる態度が必要であると思う。

だから、もうちょっと静かにしてくいてくれないかと思うのだが、それがビジネスモデルだからある程度はしょうがない。ということは、こちら側で防衛せざるを得ないわけで、見ない、聞かないようにすればいいし、それができなければ話半分でいいのだ。

例えば、いまだと毎日のように犯罪がおきて、非常に危険な世の中になったように感じるが、ちょっと前までは、外国で何がおきているかなんて知らなかったし、国内だって北海道でのことなんて分からないのことが多かったのである。それでも、生活に何の支障もなかったし、それを知らないことで不幸になんかなっていなかったのだ。

繰り返すが、マスコミは“何もないことはありえない”と思っているし、“何かが起こることがメシのたね”であるから、“何かを起こそう”いうバイアスがいつもかかっているので気をつけたほうがいい。

何もないことのよさを再確認するとともに、何もないときにボーとしているのではなく、自分自身で能動的に人生を楽しむ術を持つことが大事なのだと思うのである。
 

2009年5月 3日

越境の古代史

副題が倭と日本をめぐるアジアンネットワークである「越境の古代史」(田中史生著 ちくま新書)を読む。

紀元3世紀から10世紀ぐらいにわたって繰り広げられる日本-韓国-中国の東アジアの交流を追ったものである。今では、障害もなく行きかう地域ではあるが、そんな昔も驚くほど行き来があったことに驚かされる。

ということは、昔も今もあまり変わらないのではないかと思ってしまう。そりゃあ、現象的にはぜんぜん違って見えるのだが、根本のところは同じように思える。

その例として、国際的な交流というのは、民間のというか、商人のビジネスとして盛んになっていくのだが、そこには無秩序の関係があったわけではなく、実は権力の庇護がなければ成立しないという話しが出てくる。

実は、この東アジアのネットワークというのは、日本の九州から朝鮮半島の南、そして中国沿岸部で形成されているのだが、地図をながめると、奄美・沖縄列島が直接中国とつながるのがわかるが、そのルートで交流はその時代にはなかったのである。

それがなぜかというと、政治的な安定がなかったことに起因するという。渡来人が琉球列島にたどりついても安全を保証されるシステムがなかったからである。なるほどと思う。

その点、倭から日本、朝鮮半島で言えば、百済、新羅、高句麗、中国では唐といった政治的に集権化されたある種の安定性があるからこそ交流が起こったのである。そして、いうまでもなく軍事である。力関係を維持、拡大するための同盟による人的、物的交流である。

こういうことは現代でも同じで、結局、軍事的な地政学的背景のもとに中央集権的機関による外交と分権化された地方と現実に商業的かつ文化的な取引を行なう民間という相互依存の関係性が国際的なネットワークとなっていくという事実である。

それにしても、日韓中の古来からの関係を知ると、仏教、漢字に代表される東アジア文化圏をベースにグローバル化した現代でよりよい関係を築けないかと思う。

ところが、はたと気がつくのは、いまわれわれがこうしてふり返ると何百年の単位で見ているわけで、そういう見方だと何となく仲良くやっているように錯覚するが、実は微視的な期間で見ると争いが絶えなかったことも見えてくる。やはり、マクロ視点で長期的に見ていくことが必要なのだろう。

この本とは直接関係ないのだが、中国人と朝鮮人と日本人はどこがちがうのだろうかと思うことがある。そこでいつも考えるのは、それぞれのDNAに刷り込まれているものとして、人類がアフリカで誕生してから移動して、途中で定住しながら、そこを生活圏として、国家を作り、文化が生まれたわけだから、留まるものと先に進むものとの精神の違いみたいなことがあるのではないかということである。

すなわち、大陸の中国で根をおろしたやつと、さらに東に行こうとしたがその半島でもうここでいいやと思ったやつと、さらに東に行ったがついに太平洋に阻まれてそこにとどまったやつで、その人間のタイプが違ってやしないかということである。

ということは日本人は元来進取の精神に富んだチャレンジャーだったのではないかと類推するのである。

ところが、そんな人間ばかりなら、いまの体たらくはないわけで、きっと途中でとどまる勇気もなくて、何となく誰かにくっついていけばひょっとしたらいいことがあるかもしれないと思っていた付和雷同型のやつもいたはずだから、今はそうしたDNAが優勢になっているように思える。

話は脱線しましたが、この本はいろいろな土地や人の名前がいっぱい出てくるので分かりにくいのですが、古代の東アジアネットワークという姿を知ることは楽しいことだと思いますので読んでみてはいかがですか。
 

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2009年5月 4日

パラダイムシフトの正体(2)~要求分析編~

プロセス志向でインパクトを与える領域として、ますは要求分析・定義について考えてみましょう。

そもそもこの領域は、日本においてはあまり重要視されていないように見受けられます。要求工学というような言われ方でアメリカなどでは盛んですが、わが国ではここをちゃんとやっているプロジェクトは少ないように思います。

経営戦略から事業オペレーションへ落とし、それを執行するためのITはどうあるべきかというアプローチができていないということです。これまでは、パッケージをまずもってきてそれに当て込むようなやり方でIT導入が行なわれて、しかもそれが経営戦略に合っているかというところまでいかずに、とにかくシステムを入れるんだというふうになっています。

なぜそうなっているかというと、ひとつは経営者のITへの理解と期待が希薄であるということ、もうひとつは、実際に経営戦略や事業オペレーションをITが実現できていないことにあると思います。すなわち、使う方と作るほうがお互いに信用していなくて、意思疎通できていないことにあります。それを、相思相愛の関係にもっていってこそ投資対効果もでるというものです。

プロセス志向というのは、業務プロセスが経営戦略から事業オペレーションにもっていくための重要な手段であると位置づけています。ですから、マネジメントにあなたのやりたいことをこの業務プロセスを使って実現してくださいという訴求ができるようになるのです。

どこにどのくらいの速さで行きたいかを決めてください、それに従ってカーナビ付きの車を運転してその目的地に行ってくださいというのが、簡単に言えば、プロセス志向におけるシステムの役割で、その車に相当するのが業務プロセスなのです。

プロセス志向以前は、システムは事業オペレーションの結果を登録するためのものであって、いささか飛躍するが「死体解剖」でしかなかったのです。良かったか悪かったかがわかっても、もう過去のことだから手の打ちようがないのである。ですからそれを「生体ドック」に変えていかなくてはなりません。いまどこが悪いのか、その程度はどのくらいなのか、どんな処方をしたらいいのかが分かることが望まれています。

そのためには、業務プロセスを可視化し、その動きがモニターできることが必須なのです。ですから、みなさんお気づきだと思いますが、プロセスを作って終わりではなく、それを自在にそして効率的に動かしてみて初めてプロセス志向といえるわけです。

逆に言えば、そうしたことができれば、マネジメントもITの有効性を認めてくれるはずで、相思相愛の関係も生まれてくると思います。
 


2009年5月 5日

フロスト×ニクソン

連休中にもかかわらず用事があって東京に出かける。せっかくだからと思って、日比谷シャンテに。お目当ては、「スラムダンク$ミリオネア」だったのだが、何と行列で次々回まで満席という始末。仕方ないので、「フロスト×ニクソン」を観る。仕方なしに見たとは言えないくらい面白かった。

題材は、もう有名だからご存知だと思うが、米国で任期中に辞任した唯一の大統領というニクソンに、その数年後にイギリスの著名な司会者のデビット・フロストが単独インタビューを敢行して、謝罪の言葉を引き出す話である。

ぼくらの年代だと、この状況をよく覚えているのでどんどん出て来るエピソードやそれこそジョークもすっと入って面白く思うのだが、よく考えてみるとあのウオーターゲートを知らないとつまらないかもしれない。というかついていけないかもしれない。若い人はあまり知らないので、「スラムダンク$ミリオネア」の方が観たいと思うのであろう。

もともと舞台でやっていたものを映画化したそうで、そういえば、舞台劇を観ているような感覚にもなる。二人の会話が速射砲のように飛び交う様は、言葉の格闘技である。

ちょっと飛躍するかもしれないが、少し前の朝日新聞に劇作家の平田オリザが書いていたが、政治家は自分の役回りを演じきれるかどうかが重要な資質であるというようなことを書いていたが、まさにこのことが映画で表現されている。

一見するとこの映画に登場するインタビューアーであるキャスターのほうが演技を必要とすると考えがちであるが、もっと政治家のほうが演技者としての存在感が大きいように思えてくる。

だから、何だかキャスターのほうが可愛いい本性が出てしまうようでおかしかった。そこの駆け引きがすごい面白く、ぼくは、ニクソンがフロストに負けたと思われているが、むしろ、勝ったのはニクソンではないかと思うのである。ひょっとしたらそれがこの映画の狙いではなかったのか。

映画でも語られているが、結局最後はテレビに映し出されたニクソンの苦渋の表情あるいは観念した目つきなどがその激しい会話以上に民衆にインパクトを与えたといっていたのが印象的で、このこと以来、テレビに映し出される政治家の姿をいい意味でも悪い意味でも大きな判断要素となったのである。

ニクソンを演じたフランク・ランジェラもフロスト役のマイケル・シーンも熱演で非常によかった。政治家とキャスターという対照的な二人のように思うのだが、実は共通点もあたり、あるいはコンプレックスを抱えていたりというふうに類型的でない描き方も好感をもてて、なかなか見ごたえのある映画であった。
 

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2009年5月 6日

ふるさと鎌倉

うちのばあちゃん(ぼくの母親)と、定額給付金を何に使うかという話をしていたら、先月発売された「ふるさと鎌倉」(郷土出版社)を買うという。実際に購入したので見せてもらった。

鎌倉市制70周年を記念して制作された写真集で、400点あまりの写真が掲載されている。ぼくは、生まれも鎌倉なので、だいたいの写真の雰囲気がわかる。やはり、この歳になると、郷愁というか過去を懐かしむようになる。

それにしても、このたかだか50年あまりでずいぶんと変わったものだ。急速に田舎が都市へと変貌する姿は驚きである。”昭和は遠くなりにけり”ということなのだろう。


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ぼくが通っていた小学校です。写真が撮影されたのがぼくが小学校4年生のときで、写っている子供とほぼ同学年だから、実に懐かしいのである。


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2009年5月 7日

アプリケーションプラットフォーム~業務システムの3層構造

これまで、非定型で不安定な人間主体の単位意思決定とそれらを回す定型で安定なシステム主体の業務フロー制御という観点から、マクロワークフローとミクロワークフローの“場”について議論してきました。

ただし、業務システム全体について考えたとき、それだけではないことに気がつくと思います。すなわち、基幹システムとの関係やデータはどうなっているのということです。その関係が定義できなかったらただのワークフローで終わってしまいます。

プロセスで生成されたデータは、データベースに登録されますが、最終的には勘定系の決算システムでデータを更新することになります。ビジネス活動の結果がデータとして集約されます。すなわち、従業員数といったヒト、出荷量や在庫量といったモノ、売上高や経費といったカネというものになるわけです。

従って、システムの構造は3層構造になります。抽象的な言い方だと、機能とプロセスとデータの3層です。もう少し具体的に言うと、表層的な業務処理を行なうのが機能ですがユーザインターフェースと言ってもかまわないと思います。そして、中間層に位置するのがプロセスでこれはさんざん議論してきたとことになります。

そして、バックヤードにあるのがデータ層ですが、これは単にデータベースだけではなく、先ほどのように決算システムのようなものを指してもかまわないと思います。ERPの根幹のところです。会計システムでもいいかもしれません。

こうして3層にするのは、最初のエントリーでも書いてありますが、業務処理の性格が違うからです。非定型で不安定であいまいな人間系処理は機能で、定型で安定な逐次フロー型の処理がプロセスで、それらを集約して決算につなげるデータという区分けになります。

その他、構造的には、今まで言ってきたコアの構造での仕掛けを動かすためにサポート的に機能したり、サービスを要求したりすることも往々にしてあります。そうした連携もできる構造が望まれていて、これもSOA的で、Integration Centric BPMということになるのかもしれません。

実は、これからは定常、非定常も含めて業務プロセスの処理をサポートするための情報提供の充実がカギになるような気がしています。それは、いまやさまざまな情報が蓄積され、それを簡単に取り出せるようになったために、その情報の活用度の違いがビジネス遂行の優劣につながる可能性があるからです。

これを、BI(Business Intelligence)などと呼んでいますが、従来は結果の分析に使われるのが主だったように思いますが、それだけではなくプロセス実行時にも有用な情報を提供するようなBIが望まれるのではないでしょうか。
 
こうした、業務アプリケーションとそれが動くプラットフォームを3層にして、お互いに疎にして連携させるという概念が非常に重要です。BPM on SOAという概念の具体的な実行形態としての表現がここにあります。
 


2009年5月 8日

取り残される日本のベンダー

このITProのIBMとCISCOに関する記事を読んで日本のベンダーの方々はどう思うのだろうか?これを何も感じないようならもう手遅れになる。

[IBM IMPACT 2009]「開発者はパブリック、企業システムはプライベートで支援」、米IBMがクラウド関連の新製品を披露

[Citrix Synergy 2009]「企業向けシステムもセルフサービスの時代に突入」、米シトリックスの年次カンファレンス始まる

最初のIBMの記事では、BPMソフトをSaaSとして提供する「BPM BlueWorks」と、企業内でクラウド環境を構築するためのアプライアンス製品「WebSphere CloudBurst」が紹介されている。

「BPM BlueWorks」では、「BPMソフトをSaaSとして提供することで、同一のビジネスプロセスにかかわる担当者同士が同じ画面を見ながら作業できるようになるなどコミュニケーションが格段に良くなる」と言っている。

そして、グループウエア機能である「Lotus Live」の技術を利用しているそうだ。これはわかりますよねえ、BPMのフロントエンドにグループウエアを持ってきて、コラボレイティブな場と連動させるのだ。

クラウドを企業内に適用させる意味は、セキュリティの問題解決やコストダウン、スケーラビリティなど多くのメリットがあると考えているわけです。実は、前にも言ったのだがこうした技術を、グループ会社を多くもつような大会社に持ち込むのはありで、社内SaaSやそれこそ社内SNSなどネットで行なわれているようなものを企業の範囲でやるのは有効なのである。

それに対して、CISCOの方は、「セルフサービス」ということを言っている。「消費者向けセルフサービスに慣れ親しんでいる世代が今後、入社してくる。こうした世代は、パソコンだけでなくスマートフォンなど、自分の好きな端末を利用しながら、自分で利用したいアプリケーションを選びたいと思うだろう」と言っている。

そうなんですよね、パソコンもさわるのがいやという世代がだんだん退職していき、携帯やネットでばんばん情報と戯れていた人たちが仕事をしに来るわけです。

そういう人にとって、今の企業の環境はどうなのだろうか。これから、確実に変わって行くように思われる。そこに対して、働く人が快適に過ごせるものをITが提供していくことが求められている。

両社が言っているところで重要なのは、「選択の自由」とういうことで、多様化する現代ではそのニーズに答えることが必要になる。これまでのように、担当に勝手にやらせたらまずいから、決まったことしかできないようにしようという経営とIT部門の思惑はもう終わりだろう。

まあ、昔は技術的な壁があったのでできなかったという側面はあっただろうが、いまや技術的な進展はすさまじいのでその制限もなくなったのである。

この2社以外でも、SAPやOracle 、Microsoftも同じようなベクトルである。だから、わが国のベンダーが彼らを所詮新しい物を出してユーザを煽っていると非難している間にどんどん取り残されてしまうだろう。目を覚ませ日本のベンダーたちよ。
 

2009年5月 9日

闇の子供たち

坂本順治監督、江口洋介主演の「闇の子供たち」を観る。生体心臓移植とか幼児買春など、かなり衝撃的な題材である。この映画を観た晩に変な夢を見た。それだけ印象的であったが、一方で裏切られた感じであと味が悪い。

物語は、バンコク駐在の新聞記者である江口洋介が日本から心臓移植手術を受けに来ることを聞くが、その心臓の提供者は幼い子供でしかも生体移植だという情報を掴む。認められているのは脳死状態での移植なのだが、闇では生きたまま摘出するのだという。それをあばこうとして、現地のNGOなども絡んで展開する。

結局、何が裏切られたかというと、この生体心臓移植は事実と反するということなのだそうだ。こんなことはありえない話なのだという。

たしかに、映画は、フィクションとノンフィクションの狭間でもあるし、混合でもある。あの「実録連合赤軍」でも、実録と言っておきながら、“この映画には一部フィクションが含まれています”というキャプションが出る。

ただ、問題はフィクションが誰かをあるいは何かを傷つけるかどうかが判断の別れ目になるような気がする。「連合赤軍」のように映画の流れとしてウソをついてもおかしくなかったらいいが、ウソは事実を曲げることだから、そのウソで誤った理解だとか、感じ方をゆがめてはなんにもならない。

この「闇の子供たち」はその過ちを犯してしまったようだ。タイのひとたちを侮辱したことになる。映画だから許されるというものでもないと思う。だから、気分が悪いのだ。そんなものを観たので夢見が悪かったのだ。

じゃあ、心臓移植のところは外して、幼児買春や人身売買のところだけにすればよかったのではというかもしれないが、それだとタイのひとからみれば「大きなお世話」と言われる。だから、この映画は、日本から心臓移植にくるという設定が不可欠なのであって、それがウソと来ては映画が破綻しているのである。

意欲的に取り組んだのはわかるが、江口洋介の最後のところでも何か無理しているところもあり、宮崎あおいが現地NGOで働くというのも違和感があり、どうも空回りしたというのが率直な感想である。
 

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2009年5月10日

情緒から論理へ

まさに待ってましたというタイトルの本だ。書いたのは「リング」や「らせん」などでおなじみの鈴木光司で、この「情緒から論理へ」(ソフトバンク新書)は期待にたがわずよく書けていると思う。

帯に藤原正彦氏「国家の品格」に異義アリ!とあるように、情緒的なものに流れて言ってしまう風潮に警鐘を鳴らしている。まさに、今の世相、例えば非正規社員やワーキングプアのような話や温暖化の問題などは、論理的に考えるべきことをどこかに置いてしまって、情緒的に、かわいそうだとか、そもそもそういうものだといった感情が支配してしまっている。

そして、マスコミはそれに逆らうのがこわいものだから、迎合した論調で煽り立てる。ますます、非論理的言論がまかり通ることになる。

この本に書いてあることは、ものすごくまっとうなことで、冷静に“論理的”に読んでいくと全くその通りと言える。

著者は、現代の様々な事例と過去の戦争での教訓をもとに、日本人がいかに情緒的な民族でそれで失敗したかを書いている。いちいちうなづいてしまった。

ただ、気をつけなくてはいけないのは、論理的というと頭に“屁”がつきそうな理屈っぽいことを指すと思っている人がいて、むしろ否定的にとらえられることである。著者はもちろん分かっていて、そこをも論理的に説明している。

それは論理的か情緒的かの2者択一の話ではないということである。要するに、論理的にすべきところと情緒的である部分は必ず並存するのである。ただ、言えるのは、上位概念は絶対に論理的でなくてはいけないのである。ここを間違ってはいけない。

きちんと、論理を組み立てて、その中でどうしても理屈通りにいかないことがあって、そこは情の世界になるというのが正しいのである。

この本を読んでいて、日ごろぼくが言っていることと似かよっているところが多くてびっくりする。

今言ったような論理と情緒というのは、業務プロセスを考えたときに、定型的でシステマチックに考えられるマクロワークフローと人間主体である意味情緒的な業務処理になるミクロワークフローの組合せで成り立っているといったことである。

また、著者は論理的思考で大事なのは、大局観を持つことだと言っている。これも以前書いた囲碁の喩えで、すぐに四隅の生き死に行くな、まずは布石を打ってからだというのに通じると思う。

そして、著者のこの本の前の「なぜ勉強するのか?」に書いていた、勉強というは、理解力、想像力、表現力という3つの能力を高めるためにあるという論に対しても、ぼくは、身につける能力として3つの“I”ということを言っていて、Imagination、Idea、Intelligenceが大事であるとしている。どことなく似ていると勝手に思っています。

ということで、この論理的な態度というものはものすごく重要です。ぜひこの本を読んでついウエットになりがちな頭を少しドライにしてもいいのではないでしょうか。
 

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    • 1 タイトルは良いのですが
    • 1 お気楽な憂国論
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2009年5月11日

経験ということ

経験は大事だと人はいう。そうであったら、年寄りがいちばん経験があるのだろうか。それと、なぜ経験を積むといいのだろうか。

経験は単に時間の長さではないように思う。おそらく、その数であろう。これまでに出会った事象とそれにどう対処したかの主に種類ではないだろうか。同じ事を何回もすることは経験の数には入らないと思う。
それと、事象の新規性や難易性であり、その対処の仕方の深さあるいは過酷さのような経験の質も関係してくるような気がする。

では、そうした経験は向こうからやってくるものだろうか。確かに、こちらで望まないのにやってくることももちろんあるが、それはだれでも多少の差はあれ、似かよった経験をするものだ。それ以外で多くの経験を積むにはどうしたらできるのだろうか。

それは、いかに挑戦をしてきたかにつきると思うのである。いいかえれば、失敗してきたかということかもしれない。様々なことにチャレンジし、時には成功するが、多くは失敗だったというその数が、経験になっていくと思う。

そこには、真似すべきロールモデルから脱却して、自らで切り拓く精神が必要である。若いときは、ロールモデルを見習い、そこで自分のスタイルを磨き、そこから巣立っていくということが大切である。いつまでも真似事にしがみついてはいけないのである。

そういう意味で、われわれ団塊の世代は経験が多いと思っている。団塊を嫌う人もいるが、われわれは、戦争によりロールモデルたるべき人が少なくなったせいで、自分たちで新たなモデルを作らざるをえなかったという側面があり、それは挑戦であったのだ。

そして、挑戦し続けることでやっと分かってくるのである。ここで、横浜ベイスターズの工藤公康の話をする。

彼は、今年で46歳になり、実働年数27年で野村克也を抜いて歴代1位になった。しかし、ちょっと前まで2軍に落ちていて、そこで必死にもがいていた。ただ、驚くことに、先日の湘南シーレックスでの試合で、シュートを投げたのである。何と、この年で新しい球種にチャレンジしているのである。

その彼が言った「40歳になってやっと野球が楽しめるようになった」という言葉が経験ということを語っている。

すなわち、チャレンジし続けて得た経験が積み重ねられることで初めて楽しみがやってくるのだということである。

最初に言った、なぜ経験を積むといいのかということの答えがこれである。経験を積むと歳をとってからが楽しいのである。そのことである。

だから、若いひとたちにぼくは今になったから言えるのだが、分かったようなことを言う前にいろいろなことにチャレンジしてもがいた方があとあといいことが待っていると言いたいのである。
 

2009年5月12日

パラダイムシフトの正体(3)~設計編~

今回は、プロセス設計・I/O設計・データベース設計について考えてみましょう。要するに設計方法が従来と変わるのかどうかということです。技術的な詳細については語るスキルもないのでここではコンセプチャルな面から捉えていきます。

まず重要なのは、“画面・帳票設計から入るな”ということです。これはけっこう象徴的なことで、従来からやられているのは、画面・帳票設計や業務フロー、データフロー設計といった外部設計があり、そしてプログラム仕様を作る内部設計といったやりかたです。(この外部と内部の設計という考え方がよく分からないのだが)

プロセス志向はあくまでプロセス中心でみていくわけで、プロセスありきから入っていきます。ですから、I/Oもプロセスが機能するためにどうあるべきかが問われてきます。データを登録するためにどんな画面が必要かという見方ではないのです。

もちろん、プロセスを回すためには、データを入力することがトリガーにはなるのですが、あくまで主体はプロセスで画面や帳票の存在意義は相対的に低くなってきます。

プロセスを回すためには、そのプロセスの構成要素であるアクティビティ(あるいはタスク)での処理の仕方がやりやすい、あるいは早くできるなどを重視した設計になるわけです。そうなると、従来型の画面では限界があるのがわかると思います。より自然な仕事のやりかたに近づけたいのです。

今はここのところがWebで実現できるようになったおかげで、単にデータを登録する画面ではなく、個人あるいはグループでコミュニケーションをとりながら処理(意思決定)を行なうことができる場が提供されるようになったのです。こうしたやり方は通常の仕事の進め方なわけで、ITがあろうとなかろうと行なわれていたことです。

昔はだれかの机のまわりに集まってワイワイガヤガヤやりながら、場合によっては電話やFAXを使って仕事をしていたわけです。今は電子メールが大きなウエイトを占めるようになり、隣に座っているひとともメールで会話するなんてことにもなっています。

このような仕事のやり方をネット上の共有的な空間でやれば、遠くの人も参加できるし、仕事がどう進んでいるかが見えるようになります。そうした時の画面と帳票はどうあるべきでしょうか。

まずは情報伝達のためだけの帳票は不要になると思いませんか。それと、少なくとも一人で画面に向かって作業して、それが終わったのでメールしてあるいは紙を流して承認を依頼するようなことは自然ではないように思えるのですがいかがでしょうか。

さて、次にデータベースの設計ですが、この領域でもプロセス志向だと変わるように思います。それを考えるときに、「データ志向」との対比の中でみるとわかりやすいかもしれません。

DOA(Data Oriented Approach)の場合のデータベース設計は、まずは画面や帳票からデータを抽出します。大ざっぱに言うとそこからリソース系のデータとイベント系のデータに分け、それぞれにリレーションをはり、ER図を書くということを行ないます。

ただ、これだと既存のシステムがベースですから、基本的にIT化の範囲で設計するということになり、非システム化領域をどうするのかという課題が残ります。また、イベントデータを時系列で並べるとプロセスになるかもしれませんが、やはりそれではフロー図になれた人にとってはわかりずらさは残ります。

ですから、今言ったようにデータ志向はどうしても画面・帳票主体になってしまい、プロセスの意識が薄いままであり、ビジネスの実相がつかみずらくなります。そういったことでプロセス志向のほうがユーザにとってわかりやすいものになっているのだと思います。

さて、そのプロセス志向におけるデータベース設計はどうなるのでしょうか。プロセスの目的と構造を考えてみましょう。そもそもそのプロセスが存在するのは何のためでしょうか。そのプロセスで処理した結果をビジネスの成果として蓄積することです。その成果はほとんどの場合「データ」として格納されます。

データには、イベントデータとリソースデータの2種類がありますが、まさしくイベントデータはこうして生成されます。リソースデータ(マスタデータ)の生成も、同じようにプロセスを経ることには変わりありませんが、それはデータ管理のためのプロセスです。

ですから、設計という観点から言うと、マスタは、プロセスとは離して、独自に設計した方が言いように思います。マスタというのはその会社の活動のもととなるリソースですから、もちろん様々なプロセスにも使われるし、戦略的な意味も込められる。それは、最初にきちんと分析して設計しておくことが大事であると考えています。

話はイベントデータに戻ると、プロセス志向だとデータをプロセスごとにもつのかという問題が出てきます。それだと、データの重複や管理の煩雑さがおこると言われそうです。

しかし、重要なのは、“プロセスの正規化”をきちんと行なうということで、重複するプロセス、似て非なるプロセス、標準化されないプロセスなどを排除することなのです。そうすれば、分散してデータをもってもかまわないし、必要に応じて仮想化で統合すればいいのです。こうした考え方に依拠したデータベース設計方法論が望まれるのだが、これをだれか作ってくれないだろうか。
 

2009年5月13日

第3回BPP研

昨日、3回目となるBPP研の勉強会を行ないました。大型連休明けすぐということもあり、仕事の都合で欠席の人が多かったのですが、かなり突っ込んだ議論ができたように思います。

この日のテーマは、「柔軟なプラットフォームをつくる」と題して、業務アプリケーションをどういったプラットフォームで動かしたらいいのかという話である。

前回に業務の階層化を行い、そこでマクロとミクロの2段ワークフローという概念を提示した。さらに、その業務の階層化に対応して、プラットフォームも構造化する必要があるということを提起した。その時のベースになる考え方は、機能とプロセスとデータを分離した3層構造を採用することである。その構造に、業務の階層レベルを当て込むのである。

重要なのは、その機能・プロセス・データの分離と疎結合ということである。ここがミクロSOAの肝のところである。ミクロSOAというのは、勝手につけた名前だが、要するにサービスの粒度が小さいSOAである。その小さい粒度のサービスをプロセスでつないで業務システムを作るという考え方である。

ではマクロSOAというのは、サービス単位が大きい、例えば、SFA、CRMなどをサービスの単位としていることで、コンポジットアプリケーションなどとも呼ばれている。BPMはミクロSOAの基盤で動かす仕組みであると考えている。

また、話はそれますが、今言った3層構造というのがこれからの大事な考えかたになるわけですが、従来はこれができなかったのです。システムの成り立ちのそもそもは全部一緒くたになっていました。機能もプロセスもデータも一つのプログラムという形で埋め込まれていました。

そして、RDBMSの登場により、データは分離されましたが、機能とプロセスはそのまま密になっていました。それが、BPMSが出てくると機能とプロセスを分離することができるようになったのです。

ただし、実際にはBPMSはそんな意識がなくて作られて、ほとんどのBPMSベンダーはここに気がついていません。BPM on SOAのポイントはこの3層構造なのですから、単純にBPMSを使っただけのシステムを構築したところで、柔軟なシステム構造にはならないのです。

さて、こうした3層構造と業務階層の対応はどうなっているのでしょうか。まずは機能のところですが、前回議論したように単位意思決定機能をもったミクロワークフローを実現するところにあたります。

それは少しはしょった言い方かもしれませんが、ユーザインターフェースということになります。実は、このユーザインターフェースということもよく検討する必要があると思います。ユーザインターフェースというとすぐに従来型の画面を思い出すと思いますが、プロセスを分離して、単位意思決定の場としてUIをもってきたのですから、そこをちゃんと機能させるために従来の画面はふさわしいのでしょうか。

昨日も議論になったのですが、こうした意思決定には多くの参照すべき情報や守るべきルールなどがあって、それを見ながら処理するわけで、そう考えただけでもこれまでのデータ登録を主体にした画面では限界があるのがわかると思います。

この観点で見ると、いまのBPMSの画面も使い物にならないことがわかります。実際にもBPMSの画面ではなく別箇に画面を作る例が多いという話が昨日も出ていました。

次にプロセスはもちろんBPMSというプラットフォームを使いますが、ここでの考え方はBPMSベンダーが言っていることとだいぶ違うように思えます。先ほどの画面もそうですが、プロセスの稼動管理なんかも単にタスク一覧にその時点のステータスがでるだけでいいのでしょうか。

また、モニタリングなども成熟度の低い企業ではすぐにできやしないわけで、そうなるとBPMSは一体何なのかと思ってしまうのである。プロセスエンジンとワークフローがまずあればそれでいいというのは言いすぎだろうか。

データについては、以前から言っている“プロセス志向におけるデータベース設計のありかた”をよく検討していく必要があると思っている。

結局、プロセス志向で考えた場合のプラットフォームが、従来型とはずいぶんと違っていたり、ツールベンダーの言う売り込み機能とも違っていたりということをきちんと理解しないと利点を生かせないことになる。

従って、新たな視点で捉えたプラットフォームを再設計する必要があると思っている。幸い、スクラッチで作る必要はなく、ウエッブ系にある技術やサービスをうまくモディファイして、それらをアセンブルすることで実現できると考えている。そこには一旦ゼロベースにして考える柔らかな頭が要るわけで、若い人たちがぜひ挑んでほしいと願っている。
 
次回はいよいよプロセスパターンについての議論になる。 
 

2009年5月14日

一勝九敗

この悪化した経済環境のなかでもしっかり業績を伸ばした会社にファーストリテイリング(ユニクロ)がある。その創業者である柳井正が3年前に書いた「一勝九敗」(新潮文庫)を読む。

表題の一勝九敗というのは10回のうち成功は1回であとの9回は失敗であるという意味である。失敗を糧にすれば成功の深さが大きくなるということでもある。

まあ、これは起業家なるがゆえに言えることかもしれないが、言葉どおり数々の失敗を乗り越えて現在のユニクロを作ってきたことが書かれている。

柳井正はぼくと同じ学年だから、学生時代に政治運動に走るわけでもなく、マージャンに明け暮れたなんて話に思わず共感してしまう。そんな普通の若者がこれだけのカジュアルウエア会社にしたのだから驚きである。

ところが、本を読んでみると、それがすごい経営戦略だったり、ものすごく運がよかったとかいう話ではない。同じようなことを言う人はいるかもしれないが、それを“すぐに”実践したことにこのひとの真骨頂がある。

普通のひとは目の前にあるリスクに立ち往生してしまうが、この人は失敗を恐れず立ち向かう意気があるのだ。このハイリスクハイリターンに挑んだからこそ今の地位があるわけで、そうでない会社は、変わらないことを是としたわけで、それでは今のような環境では立ち行かなくなるのが必然である。

それにしても、たいしたものだ。ぼくはまがりなりにも起業しているので、その心意気にすごく感心させられる。それと同時にきちんとした理念、事業方針、人材育成といったことを自らの頭で作り上げて実践していることに敬服する。

正直言って、最初のころは、そのうち頭打ちになってつぶれるんじゃないかと若干思ったりした。しかし、製品の品揃えにしても、広告にしても、従来の発想とずいぶん違うものを提供するようになって、これはすごい会社だなあと実感したのである。

ユニクロ(この名前は、ユニーク・クロージング・ウエアハウスからきていて、当初UNICLOだったのが、間違えてUNIQLOと商標登録してしまったという小ネタです)は、当初は安かろう悪かろうのイメージもあったが、フリースの大ヒットで、品質や機能も悪くないものを安価で提供する会社であるという評価となった。

ぼくは、個人的にはそういうことより、世代間のギャップがなく着られるカジュアルウエアというスタイルを作ったということ大きいと思っている。

柳井正は学生時代はVANを着ていたらしく、きっとボタンダウンのシャツを着て、右手に平凡パンチ、左手に朝日ジャーナルだったのではないだろうか。その影響もあって、年代や性別を超えたスマートなカジュアルウエアを指向したのであろう。

ひと昔前のおじさんはカジュアルというとゴールデンベアのポロシャツにベルトレスのゴルフズボンなのであった。それが、ユニクロのオックスフォードシャツとチノパンを着だしたのである。

これには、クールビスも少しは寄与しているように思う。ネクタイをしなくてもいいと言われたらどうしたらいいかわからなくなったおじさんたちが、ユニクロに押しかけた。そして、みんな同じものを買うわけなので、一瞬同じ服を見つけ気まずい思いもしたのである。

ただ、品質という面での耐久性についてはひとことあって、これについては以前書いたのここでは書かない。

これから起業しようとしているひとはぜひ読んでもらいたい。ただ、ここにも書いてあるように、今の日本では多くの障壁があることを覚悟しなくてはいけない。話はそれるが、著者もこの「覚悟」というのを強く言っている。覚悟の最も重要なことは何かというと、誰の責任にもしないということである。

それができるなら起業という選択肢はありです。

話を戻すと、ぼくたちの住んでいる国は、どうもスタートアップには非常に冷たい国で、だからこそ覚悟をもって挑んでもらいたいのである。(もっと気楽にやれたらと思うのだが)この本の中でも、税制で急激に成長した会社を援護するどころか、つぶしかねないような制度という話が出てくる。クロネコの小倉昌男も同じことを嘆いていた。

わが国の制度疲労がもうどうしようもないところまで来ているかもしれない。そんなとき、仕方ないとあきらめるのではなくチャレンジしてほしいのである。そうしたことが制度を変えるきっかけになるかもしれないのだ。

そんな思いを再認識させられた本であった。
 

2009年5月15日

ジプシー・キャラバン

ジプシーという言葉には一種独特の響きがある。そして彼らについて知らないことばかりである。

もう20年も前にドイツのフランクフルトの中央駅で一瞬子供たちに囲まれて財布を盗られそうになった。そのとき、現地の人に、あの子らはジプシーだから気をつけなくてはいけない。あいつらは盗みで食っているんだと吐くように言われた。

また、彼らの血液型はみなB型(実は40%弱だそうだが)でだから定住できなくて、放浪しているんだとまことしやかに教えられたりした。

それくらいの知識で映画「ジプシー・キャラバン」を観る。この映画は、ジプシー(今はイメージが悪いのでロマというらしい。それさえも今回初めて知った。)が生んだ5つのバンドが6週間で北米を回ったツアーをドキュメンタリーとして描いたものである。

途中ジョニー・デップがいきなり出てきて驚いたが、「耳に残るは君の歌声」という映画で、ここに出ているタラフ・ドゥ・ハイドゥークスと共演したからだという。

それ以外は、コンサートの様子や移動のバスの中やホテル、そして彼ら故郷の家族のことなどが映し出される。

この5つのバンドがそれぞれ国も違うし、言葉も違う、当然繰り出す音楽も違う。しかし、同じ民族であるから、そのルーツのようなものは一緒だから、その音楽も根底でつながっている。

もう、原初的な響きと悲しみを包み込む楽しげな音に圧倒される。そして彼らの口から語られる迫害の歴史、貧困の嘆き、しかしひとたび楽器をとると、唄い出すとすごい迫力である。

そのあたりをドキュメンタリータッチの映像があますところ伝えてくれて見ごたえのある映画であった。ぼくは観終わったあと、「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」のあのキューバの老人たちの音楽を思い出していた。
 

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2009年5月16日

パラダイムシフトの正体(4)~開発編~

さて、いよいよ開発・製造という段階のことになります。プロセス志向という場合、少し拡張して考えた方がいいと思います。すなわち、単にあるがままのプロセスを作っていけばいいというものではないわけで、前回にプロセスの正規化ということを言ったと思いますが、ある程度型にはまったもものにする、いわゆるパターン化をしましょうということです。

そのために必要なのは、「シンプルで一貫化されたきれいなプロセス」であることは何度も繰り返して言っていることですが、そのようなパターン化ができれば、いちいちコードを書く必要がなくなるということが重要なのです。最初からフレームワーク化しておけばいいからなのです。

ただし、このシンプルなプロセスは、パターン化できるレベルの話ですから、そのもっと下のレベルではあいまいなプロセスがあることも何回も言っていますが、そのレベルではゆるくして“場”を与えるようにするだけなのです。そこでは、仕事の流れをいちいちコードで記述するのではなく、情報共有させ、人が動きをつくるようにしておけばよいのです。

ここがプロセス志向の開発に及ぼすインパクトです。ユーザと対峙する開発プロジェクトでは原則コードを書かないことが大きな意味を持つのです。

少々脱線しますが、そもそも“業務システム開発”と言ったとたん、ええーとなってしまいます。こういう場合いったい何を開発するのでしょうか。“業務プロセス”を開発するのでしょうか、“ITシステム”を開発するのでしょうか。

開発というのは何もないところから新たなものを作ることだから、今までなかった新業務プロセスを作るということなのだろうか、もしそうなら、ITは関係ないはずです。ですから、システム開発プロジェクトでやることではないのです。

ではITシステムを開発するのでしょうか。それだったら、逆にどうしてそんなプロジェクトにユーザが入らなくてはいけないのでしょうか。それは、IT側で勝手にやればいいと言われてしまいます。だから、“開発”というのはそぐわない言葉なのです。

問題は、言葉だけのことではなく、実際のプロジェクトで“開発”をしてしまうことにあるのです。だから、思ったものと違うとか、それじゃだめだから変えてとか、最悪デスマーチとなるわけです。

もっと容易に“システム構築”ができることをめざすべきです。以前にも言ったことだが、家を建築するとは言うが開発するとは言いませんよね。家を建てるときにトイレを開発したりしませんよね。

あえて開発と言えば、部屋の形とか生活スタイルのところです。それは、むしろ好きなようにアレンジするといった方があっているような気がします。だから、プロセス志向の開発は、開発するのではなく構築あるいはアレンジするということになります。

そのためには、予め部品やフレームワークあるいはアダプターを用意しておき、それをユーザと顔をつき合わせて組み合わせてしまう工法が求められるのです。

もちろん、部品やフレームワーク、アダプターはコードを書きます。そこを開発プロジェクト段階ではなく、その前に製造しておくことが必要です。

こうすれば、いまのIT業界よりましな建築業と同じような業種になってくると思うのですがいかがでしょうか。
 

2009年5月17日

ヘイ!You、I はどこ?

民主党の党首に鳩山由紀夫がなった。今度の総選挙で民主党が勝利すればこの人が総理大臣になるという重要な選択だったはずである。しかし、小沢傀儡の鳩山が就任したということでだいじょうぶかなと多くのひとが思うのではないだろうか。

だいいいちこの人が掲げる「愛があふれた、凛とした国家」って何?友愛って何?と思う。そんな宗教家か道徳家が言うようなセリフは政治に必要なのだろうか。

そんなことよりももっと現実的で功利的なことを指し示してくれないと実感しないのだ。そんなふうに甘いから、農家への戸別補償制度、子ども手当の創設、高校教育の無償化、高速道路の無償化といったことを財源のあてもないのにしゃしゃあと言っている。

結局、友愛っていうのは、国家が国民を助けてあげると言っているように聞こえるわけで、これじゃあ、自立できない国民が今でも多いのにもっと増えてしまう。これからの日本に求められるのは、そんなことではなくみんながもっとたくましくなることだと思うのだがいかがでしょうか。

もうひとつ、この政治家に失望したのは、党首選の最中にテレビ出演していて、ニュースキャスターに“あなたはどうするつもりですか?”と問われて、“わたしどもは・・・・”と答えていたとき、こりゃダメだと思った。

あなたと言われてなぜ“わたしは”と答えないのか、まして、党首戦ですよ、個人の考えや能力を試されているときに自分自身の主張を展開できないのである。これでは、傀儡といわれてもしょうがないような気がする。

まあ、この人だけではなく、どうして日本の政治家は針路とその政策をきちんと説明できないのだろうか。

ぼくが思うひとつの要因は、現状の問題解析とその課題抽出ができていないことではないかと思う。政策を並べることをするが、その政策が出てきた背景をちゃんと分析してくれないのだ。だからうわべだけのスローガンになってしまっている。

スローガンだけを並べられても困るわけで、しかも、何もかもいいことづくめはありえないのであって、トレードオフもあるから、全体の構造を明らかにしなくてはいけない。その全体の構造のなかでどこをやるのかやらないのか、変えるのか変えないのかといった議論のことである。どうもそうしたアプローチをしていないと思うのである。

そうしたことを自分の言葉で語って欲しいのである。“I think”と言ってくれなくては困るのである。それがあってこそ初めて、“Yes,we can”となるように思うのだが。
 

2009年5月18日

スラムドッグ$ミリオネア

連休に一杯で見損なったダニー・ボイル監督の「スラムドッグ$ミリオネア」を観る。第81回アカデミー賞で作品賞、監督賞を含む最多8部門を受賞した作品だ。やはり、それだけの評価に値すると思う。もう、あっという間の2時間であった。

これはインドのムンバイのスラム街で育った若者の物語である。ムンバイというのは昔ボンベイと言った。ぼくらにはその名前の方がピンとくるが、ボンベイからムンバイへの変化は呼び方だけではないのである。インドの経済発展を象徴する都市でもあるのだ。

映画ではそうしたことをほのめかすセリフも出てくる。そして、主人公が働いているのも大きなコールセンターである。このコールセンターは多分世界中からここにつながるようになっているはずだ。インドの経済発展はこうした産業が支えているのである。

その発展の以前のムンバイはスラム街が多くあり、そこに暮らしている人々の生活は困窮を極めている。そこの若者であるマジャールが幾多の試練を経て、テレビのクイズ番組に出て見事に賞金を射止めるまでを描いている。

このクイズ番組が、「ミリオネア」で日本でもみのもんたが司会でやっているあれである。映画は、そのクイズ番組で全問正解の一歩手前で不正を働いたのではないかという疑いがかけられて、警察で尋問を受けているところから始まる。

そんなスラム街出身の学問も何もない人間がそこまで正解を続けられるはずがない。何か不正を働いているに違いないというわけである。

その尋問の過程にオーバーラップして、小さいときからの生い立ちが明らかになっていく。このあたりの脚色には恐れ入る。そして、クイズの問題とその当時のエピソードが関連するという、少々でき過ぎだが面白い展開である。

さらに、子供のときに出会った女の子との別れと出会いが描かれ、最後のところですばらしい結末を迎えるというラブロマンスでもある。

もうこの映画には、いろんなものが詰まっている。恋愛、夢、アクション、宗教対立、兄弟などなど、それらが見事に絡み合って、非常にいいできばえとなった。
 

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2009年5月19日

プロセスパターン ~プロセス設計作法とは~

いよいよプロセスパターンの検討に入っていきます。業務プロセスをパターン化して、その基本的な構造をテンプレート化できなかということです。

しかし、いきなりそこには入れませんので、オーソドックスにボトムアップでプロセスを設計してみましょう。といっても、この普通に設計するのも意外に難しいのではないでしょうか。どこまで粗く、どこまで細かく表現したらいいのだろうかが悩むところです。

そこをちゃんとガイドしてくれるものが要るように思います。ただ、きっちりと杓子定規的に決められるものでもありませんから、だいたいこんな風にすればできるといった”お作法”になります。

前回までに、プロセスは意思決定の連なりであるということを言ってきました。ですから、その意思決定のためのアクティビティを抽出していけばいいのですが、それだと少し抽象的なので、ここでは、アクティビティーシートで中味を定義して並べていくというやり方にします。

ですから、シートはわかりやすいように書類名、例えば、「見積依頼書」とか「納期確定書」といった名前がいいでしょう。ただ、それでなくてはいけないということではありませんから、別の名前でもかまいませんが、どういう意思決定を行なったかがわかるようなネーミングにしてください。

まずは、大まかな手順をみてください。

1.プロセスの始点と終点を決めます
2.始点は「依頼を受付ける」ところから始まり、受付タスク管理表に依頼事項や受付状況を記載します
3.終点は最終的なシートで、登録や報告といったアクティビティになります
4.コンテ(業務・仕事のあらすじ)を作ります
5.最終シートの必須データ項目を依頼に対する答えとしてリストアップします
6.コンテに従って中間シートを並べていきますが、終点から遡ってデータを確定していくようにします
7.中間シートには誰が何を参照して何を決めるかを書き、それが途切れがない連続性のあるものにします
8.サポートシートに、参照情報としての業務ルール名やリソース情報、計画情報などとともに連携するデータベースやサービスもここに記述します

まだ、細かいところがありますが、主要な作法はこんなところになります。

大事なことは、繰り返して言っているように「シンプルで一貫化されたきれいなプロセス」を作ることにあります。この作法に従って設計すればそうした業務プロセスができるはずです。少なくとも、マクロワークフローレベルのプロセスはシンプルで論理的なものになります。

次回からは、個別に詳しく見ていくことにします。

2009年5月20日

パラダイムシフトの正体(5)~プロジェクト~

プロセス志向はシステム開発プロジェクトのすすめ方にも影響を与えます。まず大きな観点として、プロジェクト規模という側面と開発工程という側面から見てみましょう。

最初のプロジェクト規模では、これまではかなり広い範囲を一気に導入するビックバン方式がとられる場合も少なくはありませんでした。ERPの導入などはこの方式の方が、無駄なインターフェースを作らなくてもいいとか、データ移行と整合性の維持が容易といった理由からよく行なわれています。

ただ、これだと非常に多人数のプロジェクトとなり。そのマネジメントが大変でそこの調整コストが甚大となってしまいます。その点、プロセス志向では、部分的、段階的導入がやりやすくなると考えられます。

プロセス志向というのは、プロセスがシステムの骨格を形成するということだから、広義の解釈ではSOAという概念の上に成り立っていると言えます。このSOAの考え方は、一度に全部のサービスを一斉に動かさなくてもよく、しかもサービスの挿げ替えが可能ということですので、ビックバンではない導入方式がとれるというわけです。

一方、開発工程というところを考えてみると、従来のウオーターフォール型の開発は減ってきたとはいえまだまだ行なわれているのではないでしょうか。とくに大規模になればなるほどこの方式になります。

このウオーターフォールというのは、最終的にはシステム化要件からきちんとプログラム仕様書を起こし、それに基づいてコーディングするというのが前提ですから、前回の開発編で述べたようにコードを書かないシステム構築になっていった場合は、おのずと限界があると思います。

ですから、プロセス志向のプロジェクトでは、ユーザ要求から、それを実現するためのプロセスを設計し、コンポーネントを組みたてて実装してしまうわけですから、テクニカルスペシャリストというより、業務をよく知った人が少人数で作り上げてしまうという形態がとれるのです。

実際には、ユーザのひととFace to Faceでテンプレートを見せながら、ああじゃないこうじゃないと言いながら、組み上げるイメージです。セル生産やイテレーションの要素が入ったものになります。そうしたアジャイル的なシステム構築となるはずです。

そうなると、プロジェクトメンバーで必要な人材は、ユーザの人たちとプロセスをつくっていくビジネスプロセスデザイナー(ビジネスアナリスト)、システム構成を考え、セキュリティや運用設計ができるITアーキテクト、そしてできたらデータ管理をするデータアドミニストレーターがいれば、プロジェクトが回せることができます。

そして、この構築段階のプロジェクトでは登場しませんが、部品やフレームワーク、アダプターを予め作っておくクリエータの存在も重要です。これだけ少数精鋭にしておけば、非常に短い構築期間でしかも質の高いシステムを作ることができます。

こうして、プロセス志向は、ウーターフォール型開発から少数精鋭によるアジャイル的な開発への移行を促すのです。では、従来のコーダーはどうなるのでしょうか。これについては、人材編で書いていきます。
 

2009年5月21日

BPMのカテゴリー

BPMを語るとき、それをカテゴライズして、HumanCentricBPMとIntegrationCentricBPMに分ける考え方が多くある。これは出自も影響しているから仕方ないのかもしれないが、こんなふうに分けてだから何なのという思いが最近強くある。

それぞれで構成要素や機能が違っているのでそれによって適用箇所を弁別しているといっているのだろうが、後ろにBPMとつけているとなると2種類のBPMがあるように錯覚する。

だいいち二つを切り離してBPMが成り立つのだろうか。切り離す必要もないし、いつも両方含まれているものだと思う。

二つに分ける考え方の背景には、業務プロセスには人間系のものとシステム系があって、それぞれを違う作りにするものだと言っているように聞こえる。これも、毎度のことだがIT側の勝手な言い分であって、ユーザの人が、今度うちの会社では人間系のシステムを導入しますなんて言うのだろうか。

そうではなくて、大前提が人間が仕事をして、それがつながっていき、その結果を出す、言い換えればその会社の事業活動の成果を作り出すことが業務であると考えると、それには、人間が絡むし、システムで自動化したり、最終的にはコンピュータの経理計算に預けていくわけです。

ですから、人間系とシステム系に分けることはナンセンスだし、今言ったプロセスがスムーズに流れる仕組みを作ることが求められるだけであると思う。

どうもITの世界はそうした技術寄りのカテゴリー分けが好きで、これはこういうジャンルのものでといったことを盛んに言う。そしてその違いを議論したりするのだが、それがあまり意味のないことだと気がついていない節がある。

IT用語辞典よりビジネス用語辞典の方がはるかに大事である。しかし、そういうものはほとんどないから、同じ業務プロセスなのに違う作り方で作ったシステムがゴマンと現れることになる。

BPMに限らず、こうしたことが起こるのは、上述のようにIT側の都合でカテゴライズすることも一因であるような気がするのだがいかがでしょうか。
 


2009年5月22日

日本でいちばん大切にしたい会社

この手の本でこんなに泣かされた本は珍しい。それも大粒の涙を流したのである。そんな本が「日本でいちばん大切にしたい会社」(坂本光司著 あさ出版)である。

非常にある意味ユニークでそして何よりも創業以来増収増益を継続的に達成しているという優良会社5社の事例が掲載されている。もちろんよく知られているような大きな会社でもない。それらの会社を簡単に紹介すると、

1. 日本理化学工業(株):社員の7割が障害者というダストレスチョークを作っている会社
2. 伊那食品工業(株):寒天という斜陽産業でありながら48年間増収増益を確保
3. 中村プレイス(株)日本で一番辺鄙な場所にありながら世界的にも注目される義肢メーカー
4. (株)柳月:「お菓子の町帯広」にこだわりながら、おいしいお菓子を作り続ける
5. 杉山フルーツ:さびれた商店街にある、自分の目で選ぶ品質の確かな果物を届け続ける

そして著者はこれらの会社の共通点について、まずは誰のために経営するのかという観点から、その対象に対する順番が大切であると説いている。

すなわち、最近では株主第一だとか顧客本位だとか言われるが、そうではなくて一番大事なことは「社員とその家族を幸せにすること」だという。その次が「外注先・下請け企業の社員の幸せ」、そして「顧客」「地域社会」「株主」であるという。そういえば、世の多くの会社は順番が反対のような気がする。

そして非常に同意するのは、上記の5社がみな否定する5つの“言い訳”のことである。その5つというのは、「景気や政策が悪い」「業種・業態が悪い」「規模が小さい」「ロケーションが悪い」「大企業・大型店が悪い」ということだそうです。それで、その言い訳をする経営者は「わが社の業績があがらないのは外部環境にある」と言うのである。

この言い訳は上の5社には通用しないことがわかりますよね。決して大きくなくロケーションも悪く、斜陽産業でありながら、景気が悪いときでも利益を上げている。

その秘訣がこの本に書いてあるが、やはりなんと言っても経営者自身の“志の高さと質”だと思う。そしてそれをやりとおす精神力なのだろう。

ただ、この本に出てくることを大きな会社でできるだろうかという疑問が湧いてくる。少数の従業員だからこそ、従業員第一が貫ける気がするのだ。何万人の会社で従業員みなの幸せを追求できるのだろうか。

そう考えると、いまのような大企業のあり方自体が間違っている可能性がある。いまの経済危機でとんでもないことになっている大企業が再生できるのは、ここに登場したような規模と性格の事業に分解し、それをネットワーク化するような企業体に変わった方がいいのかもしれない。

まあ、それはともかくこの本に書いてあることは素直に感動します。会社のあり方、会社での勤め方、お客さんとの接し方など原型的なところを見直すいい機会となるはずです。ほんとうにイチオシの素晴らしい本です。
 

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2009年5月23日

グラン・トリノ

もう巨匠と呼べるクリント・イーストウッドの「グラン・トリノ」を観る。さすが、クリント・イーストウッドで素晴らしい作品に仕上がっている。

「生と死」というような重いテーマも理屈っぽく説明的にならずに実感として滲みてくる。それは、「ミリオンダラーベイビー」や「父親たちの星状旗」もそうだが、普通の人、というかマイナーな存在の人々に焦点をしぼり、そうした世界でこの難しい問いかけをしていることに起因していると思う。

この物語は、朝鮮戦争を戦った人間が、現代の風潮を受けいてられない頑固さや、昔風の男らしさを求めて孤立しているが、隣人の“イエロー”のアジア人とのふれあいで徐々にその心が変化していく様を描いている。

グラン・トリノといういのは、フォードの名車で1972年に製造されていて、それをいまだに主人公の老人が保有している。その車もこの映画にとって重要な意味を与えているわけで、そうしたことで言うと題名のつけ方も感心させられる。

最近、ばかなタイトルがけっこうあるし、邦題にするとひどくなるというケースを何度となく見せられると素直にほめてあげたくなる。

この主人公はフォードに50年も勤めた組立工の設定で、彼の息子がトヨタのセールスマンというのも、その対立の構図を象徴的に表現して、うまいなあと思ってしまう。

これからは若干ぼくの独断だけど(全部独断かも?)、クリント・イーストウッドは、人種の多様性についてすごく理解があるように思う。言い方を変えると、アメリカ的な文化、生活などの限界も分かっていて、それを解決する手段は何かということを突いてきているのである。

映画の中でもポーランド系(この主人公もそうだ)イタリア系、アイルランド系などや極めつけはイエローであるが、そうした言い方で人種のるつぼであるアメリカの悩める姿を描き出している。

妻を失って、一人になった男の家の隣にモン族というアジアの少数民族の家族が引っ越してきて、そこから展開されるトラブルを通して、この頑固な老人が変化していく。ネタバレになるので最後どうなるかは言わないが、感動的で唸る演出である。

実はこのあたりは日本映画に通じるものだと思わず膝を叩いたのだ。イーストウッドは高倉健なのである。観たら分かると思うが、任侠映画のラストシーンに重なるのだ。

これ、また独断が入るがイーストウッドがマカロニウエスタンで学んだところとヤクザ映画もマカロニウエスタンと相通じるところがあるので、その延長で「グラン・トリノ」が作られたのであると思ってしまう。

いずれにしろ、こうした作品を観ていると映画の醍醐味を感じざるを得ないのである。
 

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2009年5月24日

浅い論理的思考

先日、「情緒から論理へ」という本の書評を書いて、論理的な思考の大事さを、「思考停止社会」という本では、あるところで考えることをやめてしまうおそろしさを強調したが、存外中途半端で終わる論理があるように思うのである。

どういうことかというと、一見正しい因果関係を言っているように思えるのだが、実はその関係は連鎖があって最終的にはこうだというところまで突き詰めないといけないことがある。具体的な例で言おう。

地球温暖化ということを考えてみると、ここでは、温暖化するからその原因である温室効果がスの排出を規制しなくていけないという“論理”である。では、その温暖化がもたらす現象はどんな悪さをしてどういう影響がでるのかという議論がないのである。

こんなことを言うとある種の人たちから文句を言われるかもしれないが、寒いより暖かい方がいいと思う。人は寒い方が暖かいよりも多く死ぬし、農作物だって収量が増えるのです。北海道の人たちは喜ぶと思いますよ。

だから、そこまでしっかりと論理を組み立てなくてはいけない。まあ、風が吹くと桶屋が儲かるまでは行かなくても、風が吹くと、目にゴミが入るで終わるではなく、それにより目が不自由な人が増えてしまうくらいまで行く必要がある。

これと同じような話として、少子化のことがある。少子化は悪いことだと誰もが思っているように聞こえてくるが、少子化によってもたらされる弊害をちゃんと議論しているのだろうか。

そういうと、少子高齢化になると若者の経済的負担が増えて大変だからとか、労働者が足りなくなって海外から人がやって来るか言うけれど、それは単なる現象を捉えているだけであって、もう少し構造的にどうなのとか、将来どんな社会にしたいのかといった見方をしたほうがいいように思える。

考えようによっては、この狭い日本列島にとっては、人口が減るのはいいことかもしれない。これから、日本の経済力が沈没したままだったら、多くの人間を食わすことができなくなるかもしれない。そこまでの深い考察が要ると思う。

なぜこうしたことになるのだろうか。そこには、現状が一番よくてそれが変化することはよくないという現状肯定心理が働いているのではないでしょうか。何も変わらないことがいいことだと言っているのである。だから、上っ面だけの論理ですまそうとする。

飛躍した言い方をすれば、リスクをとりたくないから、大きな会社で定年まで勤め上げるのが一番だという心理に通じるものがある。そのためにはじっとしていたいのだ。変化しない世の中ってありえないのだ。いいですか、世の中というのはいつも変化している状態が正常なのです。

似たような話で天気で平年並みというがそんな天気ってあるのだろうか。そして、さも珍しそうに今年は異常気象ですとか言うが、天気というものは毎年違うのであって、そういう意味では毎年異常気象なのである。だから、平年並みというのは大きなスパンでみるとだいたいこんなものであるという平均値のようなものなのである。

少々話がずれたが、何を言いたいかというと、何となくみんなが言うからそうかなという通念ををよく掘り下げて考えると、浅い結論のままでこれはおかしいということがあるということである。

それを突き詰めていくと現状を変えていくような方向に往々にしていくのであって、そこから何か生まれてくるはずである。“なぜ“を繰り返す習慣をつけたいものである。
 

2009年5月25日

プロセスパターン ~個別作法(1)~

作法の最初は、プロセスの始点と終点を決めることです。業務プロセスは何から始まって、どこで終わるかですが、あまり深く考えないで適当に決めてはいませんか。

プロセスというのは、それが意味なく存在するわけではもちろんないわけで、そうすると始点も終点も定義しておく必要があります。

本作法では、○○から○○までというように書き出します。例えば、受注から出荷までとか引合から見積とかいった表現になります。

では、始点とはいったい何なのかを考えて見ましょう。これは、ひとことで言うと「依頼」ということになります。プロセスは必ず何らかの「依頼」によって始まります。この依頼には、いろいろなタイプがあります。大きくは、外部からの依頼、内部からの依頼、ルール化されたトリガーによるものがあります。

また外部からの依頼もそれが特定顧客からのものか不特定多数からのものかがあり、それにより受け付け方が変わってきます。内部のものは、上司からであったり、関係部署からであったりです。ルール化されたものでは、DBが更新されたら動くとか、決められたスケジュール例えば月初になると定期的にスタートするとかがあります。

こうして様々なタイプの「依頼」に対してプロセスが起動するわけです。

さて、プロセスの始点と終点を特定すると言いましたが、どちらから先に決めるのでしょうか。基本的な考え方は、顧客接点のプロセスでは始点を先に決め、内部プロセスの場合は終点を先に決めることになります。

要するに、顧客接点では、お客様からの要求が何かが最優先となり、その要求に答える形でプロセスを設計します。一方、内部プロセスでは、最終的にはBS/PLにつながることを意識して終点から決めていきます。

この考え方は、BPMの企業情報システムのなかにどう登場してくるのかに関係しています。ざっくり言うとBPMは、受発注や調達などの基幹業務プロセスと顧客接点業務(広義の意味で従業員接点業務も含むサービス業務)にその主要な役割があると思っています。

ここまで言ったことは、「プロセスの目的合致性」と呼んでいますが、なぜそのプロセスが存在するのかを明確にすることなのです。ただし、気をつけなくてはいけないのが、“目的の明確性”ということではないということです。

目的が明確になっているプロセスでも会社にとって必要でない場合もあるからです。ですから、必ず会社にとってあるいは事業活動にとって必要なプロセスでなくてはいけなくて、それゆえ顧客への対応とプロセスの終点が事業活動の結果として決算書に反映されることが重要なのである。

次に、依頼の受付をどうするかが問題になります。前述したようにいろいろなタイプの依頼が飛んできます。ルーティン化されたあるいはそのままエスカレーションしてもよいものは、「依頼受付」というアクティビティからプロセスをスタートすることができます。

問題は、ルーティン化されてない非定型な依頼の場合である。こういうケースでは、そのまま後ろに流すわけにはいかないので、依頼の内容をよく吟味してOKならエスカレーションするという仕組みが必要になります。

いわゆる案件管理システムとかチケット管理システム、イシュートラッキングシステムといったものです。こうしたことを言っている人はいないのですが、BPMの先端にはこういったシステムが必須に近いように考えています。

「依頼受付」のアクティビティで考慮することは、5W1Hを頭の中に入れて依頼事項を受付タスク管理表のような形で整理することです。すなわち、どこの誰からの依頼なのか、依頼内容とその理由、いつまでどうやって答えたらいいのかということを明確にしておくことです。

今回は始点と終点の決め方と依頼受付管理についてで、次回はその間のプロセスをどうやって設計していくかになります。
 

2009年5月26日

UEFAチャンピオンズリーグ決勝

久しぶりのスポーツネタです。ベイスターズのことも書きたいのだが、書いたとたんまた以前の調子に戻ってしまいそうでじっと見守っています。

それとは逆に、27日にローマで行なわれるUEFAチャンピオンズリーグ決勝の予想を大胆にも書いてしまおうと思う。いよいよですね。マンUとバルサの対決なんてもうワクワクします。さてそっちが勝つのだろうか?

これはずばりバルサです。

注目は、なんと言ってもロナウド対メッシの対決でしょうが。そのまわりを固めるルーニー、テベス対エトー、アンリの戦いでもある。でもこのあたりはそん色ないような気もするので、ほんとうの決戦の場は中盤でしょうね。お互いの中盤がどれだけ強力FWを生かせるか、あるいは殺せるかであろう。

ぼくの予想は、こうした均衡した戦局をメッシがその天才的な一瞬の動きで切り裂くという場面が浮かんでくる。決勝戦は異様な雰囲気だから、そういう時にはロナウドの”強さ”よりメッシの”速さ”が勝ると踏んでいるのだが、はたしてどうなるのか。うーん楽しみだ。
 

接吻

これは怖ろしい映画である。万田邦敏監督作品「接吻」はそんじょそこらのホラー映画よりもある意味恐い。この映画は、殺人犯を愛してしまった女が主人公で、それを小池栄子がこれまでのイメージをかなぐり捨ててその主人公を演じている。

まあネタバレになるので言わないが、何と言ってもラストシーンの驚きだろう。こればっかりは理解を超えているので、このラストで微妙な感じになってしまった。

それ以外は、いわゆる男女3人物語で、もちろん男が殺人犯と弁護士だから異様といえば異様なのだが、それは映画だから多少事大的でもかまわないと思う。この男女3人物語は受ける映画の典型で、ぼくの一番お気に入りの映画が「冒険者たち」でアラン・ドロンとリノ・バンチェラにジョアンナ・シムカスが絡むフランス映画だが、それも男女3人物語である。俗に言えば、三角関係である。

この映画でも、豊川悦司演じる殺人犯を見て自分と同じ匂いをかぎつけた小池栄子のOLがのめりこんでいく。それは、世間から阻外され、無視され続けた人間同士の共感である。

一方、中村トオル演じる弁護士は、彼らから見れば疎外した側の人間であるため、最初は閉ざしたままで口を聞いてもくれないし、それぞれから打ち明けてももらえない。

ところが徐々にではあるが、彼らも心が開いていくのである。それは、自分たちの存在を無視されているのが普通と思っていた人間が弁護という立場ではあるが、気にしてくれ、心配してくれるという事態を感じ始めるわけです。

ですから、共感できる人しか愛せないと思っていた心に、これまでは異質の人間だったのが、ひょっとするとよき理解者なのかもしれないと思うのである。

このあたりの変化がすごく面白くて、小池栄子の演じるOLは果たしてどちらの男を愛したのだろうかと思わせる。これは考えすぎだろうか。

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2009年5月27日

プロセスパターン ~個別作法(2)~

引き続いて個別作法のお話です。前回では、プロセスの始点、終点と依頼受付機能のようなお話をしましたが、今回は終点とプロセスの流れを見ることが中心となります。

それでは、プロセスの終点となるアクティビティとはいったい何なのでしょうか。どうなるとプロセスが終わるのか、どうやって終わらせるのかということです。前回、プロセスが起こされるのは、顧客接点からと内部から生じる場合のケースを提示しました。この二つのケースで終点の考え方が変わってきます。

お客さんからの依頼の場合は、その依頼に対して回答しなくてはいけませんから、その報告や情報提供といったことが終点となります。例えば、見積の依頼が来て、それに対して見積結果を返してやるといったプロセスがそれに該当します。

一方、内部プロセスの場合は、最終的には基幹DBを更新することがそれにあたります。それは、“ヒト・モノ・カネ”の出入りを表現したものになります。入出金、入出荷データなどの登録・更新ですが、この場合のプロセスの切り方をどうするかは考慮が要ります。

例えば、入出荷といっても厳密に言うと最後は代金請求して入金されてプロセスは完結するとも言えます。ところが、それだとプロセスが長くなるのと、性格が違うプロセスをつなぎますので、現実的には、ヒト・モノ・カネは別のプロセスとして一旦切った方がいいと思います。

その場合、DBへの登録・更新で終わる事が前提であること、ですから中間の過程でも例えば個別で一旦登録しておいて、それらを集約して続きのプロセスが走るような場合もそこで一旦切ってもかまいません。

こうしてプロセスの終点を見ていくと、基本的に「BS/PL」につながっているのかどうかという観点が必要です。別な言い方をすると、“勘定科目データ“を生成するためにプロセスがあると考えることになります。もしそうではなかったら(顧客接点の場合はこういうケースはもちろんあります)、そのプロセスの存在そのものを見直すべきでしょう。

次に、この終点のアクティビティで最終的に確定する必須データ項目を定義します。いままで述べてきたように、依頼から始まるケースでは、依頼された内容に対して登録・報告すべきデータ項目になります。例えば、見積依頼であれば、対象商品名、スペック、数量、価格、納期などになります。

内部プロセスの場合は、出荷、購買、製造などの商品別の量だとか売上高などといったものが対象となります。

さて、こうして最終的にどんなデータを確定するのかがわかると、その複数のデータをどういう順番で確定していくのかを考えていきます。この場合のデータというのはあくまで必須データのことです。参照データや付帯情報などはここでは外しておきます。

このデータ項目と順番を見るときにわかりやすいように「コンテ」というものを作ることを薦めています。コンテというのは映画などでも絵コンテといって映画を撮る前にだいたいのストーリーとカット割がわかるものを作りますが、それと同じです。業務では仕事のあらすじを決めておくといった感じになります。

ここで頭に浮かべてほしいのは、業務プロセス(マクロワークフロー)は、単位意思決定の連鎖であるということです。ですから、単位意思決定をコンテの一枚に埋め込むということがポイントになります。もう少し分かりやすく表現すると「依頼を受付けて何かを決めて次に依頼する」という動作のつながりとなり、決めるとはデータを確定していくイメージとなります。

ですから、コンテ1枚には、○○の依頼を受付けて、○○を決め、○○を依頼するという流れになります。例えば、見積の依頼を受けて、仕様を決め、見積依頼書作成を購買部に依頼するというような感じです。

そしてそこに、参照情報(業務ルール含む)、連携サービス、分岐を記入していきます。下図にそのイメージを示します。ただしここでは、参照情報、連携サービスはここでは厳密に書かなくてもだいたいのことでかまいません。

こうすると、業務プロセスのおおよその流れが見えてきます。次回から、その中間のアクティビティの作り方を考えていきます。
 
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2009年5月28日

岡田ジャパン快勝

昨日のキリンカップは、FIFAランクでは上のチリを4-0で粉砕。どうも相手はベストメンバーではなかったらしいが、こちらだってそうだから、いい試合をしたってことだ。

メンバーが変わっても同じようなサッカーができるようになったことが進歩だし、昨日の驚きは中沢の攻撃参加だ。闘利王がいなかったかもしれないが、2点目の岡崎へのアシストなんていいパサーになっていた。こうした全員が攻撃に対する意識を高くもつことは日本の特徴とすべきだと思うので、だんだんできてきているように思う。

そして、ついに山田直樹君がデビューした。この子はセンスが非常にいい。周りがよく見えるクレバーなサッカーができる。18歳と若いのによくできるという人もいるが、そんなものはできるやつは小さい時から備わっているものだ。練習を積み上げて会得するものでもない。持って生まれたものである。

メッシなんて小さいときからキラキラ輝いていた。そういえば、UEFAチャンピオンズリーグ決勝はぼくの予想通りバルサが勝った。メッシも予想通り点を入れたが、ヘディングだったのでそこは当たらなかった。

試合内容を見ていないのでどんな攻防だったかわからないが、メッシ、エトーの一瞬のカミソリの切れ味が威力を発揮したのだろう。おおー、今年の冬は日本でメッシが見れるので今から楽しみである。

2009年5月29日

IPAX 2009~日本の元気を、ITで!

一昨日、IPA(情報処理推進機構)主催の標記のイベントがあったので出かける。当初インフルエンザの影響で来場者はマスク着用とのことで、もし持参していなかった場合は入場をお断りする場合もありますというお達し。ところが、会場ではマスク姿もまばらで、まあそんなものだろう。

一昨日のお目当ては、特別講演「「信頼性に関わる実証的な試みの提言~重要インフラ情報システム信頼性研究会報告書から~」とパネルディスカッション「要求プロセスの実践と追跡性」である。

前者の特別講演は、東京大学大学院の中尾 政之教授による失敗学の話である。この人のことは以前「失敗は予測できる」(光文社新書)という本について書いているので、実際にお話を聞けるということで期待していた。

演題のポイントは、機械のようなハード的な失敗とソフトウエアの世界のものとの比較あるいは応用についてであったが、ぜんぜん違うという話である。

何が違うかというと、ひとつは、枯れた技術とそうでないという点で、例えば原子力発電の技術なんてはもう何十年も設計変更はしてないが、ソフトウエアはしょっちゅう新しい技術が登場してくる。それと、失敗の解析やそうしたデータベースがあるかないかということである。

ソフト開発プロジェクトで多くの失敗がありながら、そのデータが残っていない。その原因は、人が死んでいるかどうかということらしい。日航ジャンボ機の事故についても話してくれたが、やはり裁判になるから原因などの究明は徹底的にする。

しかし、ソフトウエアの世界では裁判にほとんどならないから隠れてしまっているのだというような話だったのだが、大方の内容は本で読んだことで新鮮味覇なかったので、関心をもっていた肝心の重要インフラ情報システム信頼性をどう確保するのかということについてはこれからということらしく、若干肩透かしをくらう。

次のパネルディスカッションは、コーディネータが玉井哲雄東大教授で4人のパネリストから、開発現場での要求プロセスをどうやっているのかについて議論することであった。最初にパネリストから予め用意されていた設問にコメントする形で始まった。その設問はだいたい次の4つである。

1. 要求プロセスはどの程度確定しているのか
2. そこではどのような手法を使っているのか
3. 要求の実施レベルや仕様品質とそれらがプロジェクトの成否とどう関係するのか、それをどう把握しているのか
4. 追跡はどのように行なっているか、それが信頼性にどうつながっていつのか

ところが、答えがばらばら。だから話が拡散して何が焦点なのか、論点なのかはっきりしなくなってしまった。ここで宇宙開発の話をしてもなじまないだろうし、要求定義と要件定義が混ざっているし、開発工数とその見積の話になったり、わけがわからない。唯一、IBMの榊原さんだけがまともで、そういう言う意味で国内SIerの限界を感じた。

結局、要求プロセス(この言葉もおかしい)というが、システム要件定義のほうにすぐにもっていってしまうし、相変わらず人月ビジネスをベースにして考えている。そして、ユーザ側への責任転嫁といういつもながらのパターンである。

そんな認識の中で、IPAが研究会などでこうすべきだといった方法論やツールを推奨したところで誰も使わない。少なくともIBMは独自でやるはずだ。

IPAの注力しているのが「見える化」ツールとデータベースということらしい。その重点対象分野が、「セキュリティ」「ソフトウエア・エンジニアリング」「人材育成」「オープンソフトウエア」ソフトウエア開発」の5つなのだそうだ。

ところが実際にやっているものは、「セキュリティ」「人材育成」あたりではないでしょうか。それはそれで意味があるように思えるのだが、そのほかの分野のところは一体何をやろうとするのだろうか。まあ、この話は別の機会にしましょう。

話を元に戻すと、要求プロセス(要求獲得プロセスといったほうがいいと思う)で今後重要なことはというまとめの質問に対して、これも榊原さんが言っていたが、非機能要件の記述とビジネスルールの抽出が難しいのでここを何とかしたいと言っていたのが印象的で合意したのである。
 

2009年5月30日

徹底抗戦

先に、ユニクロの柳井さんの書いた「一勝九敗」という本と非常に優れた経営を行なっている中小企業を紹介している「日本で一番大切にしたい会社」という本を読んで、会社の経営について考えさせられた。

いま言ったような会社とは異質というか対極にあると思われているライブドアという会社の元経営者であったあの堀江貴文が書き下したのが「徹底抗戦」(集英社)である。

徹底抗戦というのは、ご存知のとおり2006年1月に逮捕され起訴され、1,2審で有罪判決を受けたが、不服として最高裁まで上告して徹底的に戦うことを宣言していることを言う。

あの当時のバッシングに比べると今はずいぶんとホリエモンに好意的な風潮になってきたと思うが、この本で彼が主張しているように“検察にはめられた(ねらわれた)”感は確かにある。

このライブドア事件でホリエモンが問われた罪は、「偽計及び風説の流布」と「有価証券報告書虚偽記載」の二つである。検察はそれを彼が主導して計画的にやったと言っているのだ。

当然ホリエモンは犯意を否定しているが、ぼくも彼には犯罪を犯そうという意識はなかったと思う。だから、経営者としての責任はあるかもしれないが、刑事責任を問うような話ではない。仮に前述のような犯罪があったとしても経営者が逮捕されるようなことはこれまでなかったように思う。

むしろそんなことで簡単に刑事責任を取らされるとしたら経営者なんか恐くてやってられないというのが正直な気持ちだろう。この事件によって、起業したいと思っていた人たちが萎えてしまい、ベンチャーが現れなくなった。ここは非常に大きな悪影響を残してしまった。

さらに、逮捕が月曜日でそのため市場の反応が過剰となり、東証も上場停止というひどい仕打ちをする。しかも、そのために株価が暴落して株主に損害を与えたとして訴えられてもいるのだ。

つい最近もその株主訴訟の東京地裁の判決がでて、約231億円の賠償を求めていたが判決では総額76億2800万円の支払命令であった。

こうして本を読むと、もちろん自分中心になるから、全部がその通りというわけにはいかないだろうが、著者がでたらめなことを書いているようには思えない。ということは、マスコミの影響もあって「疑わしきは有罪」という司法の変節があるのだろうか。

それにしても、検察の恐ろしさに身震いする。検察庁というのは、捜査、逮捕、起訴を同時にできるわけで、そうなると自分で捜査した事件は、意地でも不起訴にはしないのだ。だから、検察ににらまれたら終わりである。

まあ、普通の人はだいじょうぶだろうが、“出る杭”はあぶないということである。それが、日本のイノベーションを阻害していることを検察は知っているのだろうか?

その当時のライブドアは、ユニクロや「日本で一番大切にしたい会社」とは、ずいぶんとかけ離れていたと思うが、新しいビジネス分野で会社を起したわけで、そこは脇が甘かったり、金儲けに走ったこともあったと思うが、経営者をここまで痛めつけることはなかったのではないだろうか。
 

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2009年5月31日

IPAの存在意義

一昨日、IPAX2009のことについて書いているうち、つい筆が滑ってIPAはいったい何をしようとしているのかというようなことを言ってしまった。そのイベントで感じたIPAになぜ失望したかについて書く。

IPAの研究成果にしても、民間が単独でできないようなことをしてくれればいいのであって、だから、セキュリティや人材発掘、ベンチャー支援のようなことは大いにやればいいが、ほっといてよと思えるところまで手を出しているように思える。

それと、ITを取り巻く現状の問題は何なのかをきちんと分析していない。問題の所在、課題の抽出がぜんぜんできていない。

だから、正確な見積方法だとかプロジェクトの「見える化」の研究なんてやってもしょうがないと思うのである。ソフトウエアエンジニアリングの推進なんて言わないでもいいのだ。だって、開発の方法論や技術がどんどん変化している世の中で旧態依然のあり方をベースにして検討したってしょうがないと思うのだが。

こうしたことはなぜ起きるのかというと、その立ち位置がSIer側なのかユーザなのかという問題が大きい。で、IPAの上部は経済産業省の情報処理振興課だからそのその立場でどちら寄りかわかる。

そこで、その所掌事務を見ると、最初に「情報処理システムの開発及び普及」とある。ええーと思うが、これだとやはりSIerやベンダーサイドに立っているようだ。当然ながら、お国が国内のIT会社に対してシステムを開発しましょう、それをユーザに使わせましょうと旗を振っていることになる。

こういう姿勢だからいつまで経ってもSIer目線の政策しか打てないことになる。そういう観点の研究開発テーマになってくる。消費者庁ができるというのにそれでいいのだろうか?

そもそも、いまのシステム開発の実態として、ユーザとSIerが相対する関係にあることを認識しなくてはいけない。利害が一致していないわけで、ユーザ側は、低コスト高品質のシステムを短期間で作ってもらうことが望みであり、これは消費者であれば当然のことであるが、これは今のSIerにとってビジネス的に決して望ましいことではないのである。

このことが現状のIT業界が抱える最大の問題だとぼくは思う。この利害不一致のバランスがSIer側に重心がいっているため、必要もないシステムを作り続けていたり、ユーザの要求品質に答えられていないのである。

このバランスはどうあるべきなのだろうか。答えは決まっています。ユーザ側に重心を移すべきです。なぜかって、当たり前の話として、IT業界(エンタープライズ系を言っています)はユーザ企業があって初めて成り立つビジネスですから、“主”にはなれないのです。ユーザが何も頼まなかったらつぶれてしまいます。

ですから、言うまでもなく、ユーザ企業がいかにこのグローバル経済の中で勝ち残っていけるかをITが後押しすることなのです。きつい言い方をすると、IPAは日本経済あるいはユーザ企業が倒れてもIT業界だけ生き残ればいいとでも思っているのだろうか。

こういうとユーザはITのことがわからないから、こちらから提案してあげないといけないのだとくる。それをこれまでずっと繰り返してきて何がいいことがあったのでしょうか。使い手側も作り手側も両者がハッピーになれるためには従来型の発想を捨ててよく考えるべきではないでしょうか。
 

最後の初恋

こりゃもうぼくのストライクゾーンの映画である「最後の初恋」を観る。以前、行きつけの店の飲み友達に強く薦められて映画館に行ったらもう終わっていたというしろもの。リチャード・ギアとダイアン・レインはあの「運命の女」と同じ共演である。

両作品ともある偶然が引き起こすドラマを描いているが、今回は、海辺の小さな町のある宿の友人女主人の替わりに宿を切り盛りするダイアン・レインとその唯一のお客としてやってくるリチャード・ギアが恋に落ちるという物語である。

ただ、この「最後の初恋」というタイトルはいかがなものでしょうか。原題は「NIGHTS IN RODANTHE」だから、「ローダンテの夜」になるが、ローダダンテという地名がポピュラーではないからかもしれないが、「最高の人生の見つけ方」と同じように意味をねじ曲げてしまっているように思える。

それはともかくとして、映画は予想通り、しゃれていて大人の恋を思う存分堪能できる。おそらくぼくと年齢的には近いだろうから、自分のことのように見入ってしまった。しかし、映画を観終わって現実に返った瞬間にうちの嫁さんの顔が現れてためいきをついたのである。

やはりこの歳になってもこんな恋愛にあこがれますね。若いときとは違う味がある。様々な時を経てたどりついて、ああこんなはずではなかった、もっと違う男と女の関係があるはずだと思い続けていて、それがあるとき偶然が背中を押すように現実となり、これまで溜め込んでいた悩みをお互い徐々に打ち明けていくことで救われていく、そんな映画なのである。

ところが、それがすんなりと成就しない。でもそれがこの映画を優れたものにしていると思う。だから“初恋”と名づけたのかもしれないが、確かに、一瞬の思い出だけを抱くことで汚れないことが「喪失から再生」への道なのかもしれない。

リチャード・ギアとダイアン・レインがいい。気負いもなくすばらしい演技である。ガキにはわからねえだろうな。
 

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